衆議院

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第2号 平成14年3月28日(木曜日)

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平成十四年三月二十八日(木曜日)
    午前九時二分開議
 出席小委員
   小委員長 保岡 興治君
      伊藤 公介君    西田  司君
      葉梨 信行君    平井 卓也君
      森岡 正宏君    渡辺 博道君
      筒井 信隆君    中川 正春君
      中村 哲治君    永井 英慈君
      江田 康幸君    藤島 正之君
      春名 直章君    横光 克彦君
    …………………………………
   憲法調査会会長      中山 太郎君
   憲法調査会会長代理    中野 寛成君
   参考人
   (東京大学大学院法学政治
   学研究科教授)      森田  朗君
   衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君
    ―――――――――――――
三月二十八日
 小委員土井たか子君同月十四日委員辞任につき、その補欠として横光克彦君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員井上喜一君同日委員辞任につき、その補欠として井上喜一君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員武山百合子君同日小委員辞任につき、その補欠として藤島正之君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員横光克彦君同日委員辞任につき、その補欠として土井たか子君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員藤島正之君同日小委員辞任につき、その補欠として武山百合子君が会長の指名で小委員に選任された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 地方自治に関する件


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     ――――◇―――――
保岡小委員長 これより会議を開きます。
 地方自治に関する件について調査を進めます。
 本日、参考人として東京大学大学院法学政治学研究科教授森田朗君に御出席をいただいております。
 この際、参考人の方に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人のお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じます。
 次に、議事の順序につきまして申し上げます。
 最初に参考人の方から御意見を四十分以内でお述べいただき、その後、小委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
 なお、発言する際にはその都度小委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は小委員に対して質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
 御発言は着席のままでお願いいたします。
 それでは、森田参考人、お願いいたします。
森田参考人 森田でございます。
 憲法調査会の地方自治に関する調査小委員会で意見を述べる機会をいただきまして、大変光栄に存じております。どうぞよろしくお願いいたします。
 現在、地方分権は、分権一括法ができました後、進行しているわけでございます。現在も、特に財政問題を中心にいたしまして、地方分権のあり方については大変関心が高まっているところであろうかと思います。そして、地方分権改革推進会議におきましても、活発な審議がこれから進められようとしているところでございます。また、他方では、市町村合併につきましても、全国的に大変大きな動きが出てきているというふうに承知いたしております。
 私自身は、地方分権推進委員会に参与という形で参加させていただきましたし、また、その後を受けました地方分権改革推進会議にも委員という形で参加させていただいております。さらに申し上げますと、旧自治省において設置されておりました市町村合併研究会にもメンバーとして参加いたしました。このような地方分権あるいは市町村合併にかかわった経験からいたしまして、その観点から、地方分権の現状と市町村合併のあり方などにつきまして、もちろん個人的な見解ではございますけれども、意見を述べさせていただきたいと思います。
 お話しいたします順序は、お手元にあろうかと思いますけれども、「分権改革の課題」と書かれておりますこのペーパーに沿って話を進めさせていただきたいと存じます。
 二十世紀の後半、我が国は大変急速な進歩をしたわけでございますけれども、だんだん、社会が発展するにつれまして、その発展を支えてまいりました制度と現実との間に乖離が生じてきたかと思います。その結果、しばしば言われますように、いわゆる制度疲労という状態に陥ったわけでございまして、そのため、一九九〇年代に入りましてから、さまざまな基本的な制度に関する改革が実施されてきた、かように考えております。地方分権改革と申しますのもこうした統治制度改革の一環に位置づけられるものでございまして、日本の国のいわゆる形をつくるという意味では、大変大きな改革であることは申し上げるまでもないかと思います。
 こうしたさまざまな統治制度に関する改革というのは、福祉国家がある段階に達したところから世界的なトレンドとしてこうした改革が進められてきたと考えられるわけでございまして、特に、小さな政府を志向するという形での改革は世界的な傾向として見られるものではないかと思います。地方分権に関する改革というのも、ヨーロッパの自治憲章に見られますように、世界的に地方分権の動きというものも生じてきているのではないかと思います。
 しかしながら、それぞれの国の事情を見てみますと、改革の進め方、どのように改革をしていくかという改革のあり方につきましては、国によってかなり異なっているのではないかと思いますし、また、それぞれの国のこれまでのあり方というものが違っておりますので、いわゆる違った土壌のもとでどのような改革を育てていくかということについては、それぞれの国のあり方というものが異なっているのではないかと思います。外国がこうであるからという形で改革を進めるということはなかなか難しいように思います。
 我が国における地方分権改革は、どちらかといいますと、そうした世界的な分権の流れあるいは行政改革の流れとは別に、固有の要請からスタートしたものというふうに私は考えておりますけれども、その後で、例えば民間でできることは民間へ、地方でできることは地方へと言われますように、行政改革の流れといわば合流してきたというのが今日の分権改革の流れではないか、かように思っております。
 具体的に申し上げますと、地方分権推進委員会は平成七年、一九九五年に設けられました。その後、五次にわたる勧告を通しまして大変大きな成果を上げたものと考えております。その中でも、特に法制面において、国が地方を統制する強力な仕組みでありました機関委任事務制度が廃止されました。
 ちょっと風邪を引いておりますのでお聞き苦しいところがあろうかと思いますが、お許しいただきたいと思います。
 さらには、国と地方の間のいわゆる法的な紛争についての処理をする仕組み、これは、これまでの上下主従の関係から対等・協力な関係に変わったということでございますけれども、こうした係争処理の仕組みが設けられ、最終的には裁判所において、法解釈をめぐる国と地方の間の紛争の決着をつけるという仕組みが設けられたことは大変大きな変化、成果ではないかと思っております。
 他面におきまして、もう一つの、国が地方に対して統制を及ぼす主要な手段でありますところの財政制度につきましては、この改革に関しては、しばしば指摘されておりますように、必ずしも十分な成果を上げることができなかったというのが正直なところであろうかと思います。
 こうした財政面における改革が進まなかったと評価される理由といたしましては、決してこれは分権推進委員会自体がそうした努力を怠ったからというのではなく、むしろ、分権改革を進めていく途中で生じました、国と地方をあわせた財政事情の悪化というものがこうした改革を非常に困難にしたというのが事実ではなかろうかというふうに思っております。
 まさに、分権推進委員会の最終報告、これは昨年の六月に出されましたが、この最終報告にございますように、不幸にして時を同じくして、国と地方の財政の危機的な状況はその深刻化の度合いを深めてきている、そういう表現がございますけれども、まさに不幸にしてそうした事態に立ち至ったのではないかと思っております。
 分権推進委員会の最終報告では、そうはいいましても、国と地方の間の財政的な関係を改革していくために、税源移譲の具体的な姿も提言しているところは御存じのところではないかと思います。
 分権推進委員会の地方財政のあり方についての考え方、私は決して財政の専門家ではございませんので、詳細についてきちっとした説明をできる能力を持っておりませんけれども、私の理解しているところでは、国と地方の間で、特に地方の方でですけれども、収入と支出の間に大きな乖離がある。公共部門の仕事の六割を地方がしているにもかかわらず、収入は四割しかない。この乖離をやはりなくしていく、できるだけ収支のバランスのとれた状態にするというのが一つの目的であろうかと思います。もう一つは、住民にとっての受益と負担の関係を明確にしていく。それぞれの地域の方が納めた税金によって地方のサービスを実施していく、そういう形に近づけるのが一つの財政面における地方自治の望ましいあり方ではないか、かように考えてきたのが分権推進委員会の立場だろうと思います。
 したがいまして、これまで取り組んでまいりましたのは、国が地方に対して事細かに統制を及ぼしております補助金について整理合理化するという面と、そして、その分については地方が自由に使える一般財源化する、これは交付税に入れるということになろうかと思いますが、そういう措置であるとか、さらにいいますと、一般財源化した段階でも、収入面における地方の自立性というものは十分確保できませんので、そこで、税源移譲することによって、収入と支出のリンク、受益と負担のリンク、結びつきも明確にすることが目指されてきた、かように申し上げてよろしいかと思います。
 しかしながら、現実の問題といたしましては、国、地方の財政というのは密接にかかわっておりますし、さらに申し上げますと、地方間の財政力における格差は相当大きいものがございますので、なかなか実際に、いろいろな面を考慮しながらうまくいく制度を設計するというのは容易ではない、このように考えております。
 ところで、地方分権推進委員会は、昨年の七月の初めにその六年間の任期を終えました。その後、翌日、地方分権改革推進会議がそうした状況で出発したわけでございます。分権推進委員会の最終報告で、さまざまな改革の残された課題というものを書いているわけでございますけれども、分権改革推進会議の方は、それを受けまして、さらに分権改革を進めていくという形で出発したわけでございます。
 しかしながら、分権推進委員会が審議した当時と比べまして、さらに国と地方の財政事情は悪くなってきているわけでございまして、その中で、分権改革会議は、どのような形でこれから地方分権の改革を進めていくのか、それを検討してきたわけでございます。そして、昨年の十二月には、中間論点整理という形で、これまでどういう状況認識をしているかということと、今後の基本的な方針を明らかにしたところであります。
 いずれにいたしましても、財政状況が長期にわたって非常に厳しいというふうに考えられます以上、国と地方で財政の改革をする、歳出を抑制する、あるいは効率化を図るということが課題になっているわけでございまして、現在、地方分権改革推進会議の認識といたしましては、地方の支出を減らすとか、あるいは地方の行政改革を行って効率化を進めるといたしましても、現実におきましては国によるさまざまな事務事業の義務づけというものが相当ございますので、それがある以上、なかなか地方の自律的な行政改革は進めることが難しい。
 例えば、必置規制でありますとか、あるいは公共事業に伴う地方の負担でありますとか、その他の制度、いろいろございます。そうしたものを改革していく、いわゆる地方が自分たちで行政改革ができるような、そうした制度面の環境整備を行うというのが現在取り組んでいるところであると申し上げてよろしいかと思います。
 もちろん、他方におきまして、財政制度についても、これは重要な課題ですし、審議をしていく予定でおりますけれども、申し上げるまでもなく、交付税制度は従来のままの形で今後維持していくことは大変難しいと思われますし、また、地方における行政改革をさらに進めるべきという声もございます。
 そうした中で、税財源の制度を含めまして、地方の財政制度についての見直しも必至であるというふうに考えられますけれども、これにつきましては、御存じのとおり、国の税制、あるいは国の財政のさまざまな制度と密接に関連しておりますので、これはそのほかの審議機関の審議状況を勘案しながら進めていくというのが現在の状況でございます。
 いずれにいたしましても、財政の問題を含めまして、これから分権改革会議は、特に事務事業の見直しに焦点を当てて進めていく予定でおります。
 ところで、分権改革の状況はそのようなものだといたしますと、他方におきまして、市町村合併というのも、特にここ二、三年、急速に皆さんの関心に上り、そして現実にその動きが出てきております。そこで、市町村合併の話に次に入らせていただきたいと思います。
 現在、市町村合併が進められております理由は、今申し上げましたような非常に厳しい、当面なかなか好転が見込めないような財政事情のもとで、市町村が将来にわたって行政サービスの水準をできる限り維持していくためには、やはり市町村が相当基礎的な行財政の能力を身につけていくということが必要である。そのような観点から見たとき、現在の市町村、特に小規模な市町村に関していいますと、規模の観点からいって、それが非常に難しいのではないか。そこで、合併というものが非常に有力な方策として考えられる、これが第一の理由ではないかと思います。
 もちろん、現在急速に関心が進んできておることにつきましては、こうした事情についての理解が進んできたということもございますけれども、もう一つは、合併に伴う財政的な優遇措置が市町村合併特例法で定められておりますけれども、その期限が平成十七年、二〇〇五年の三月で切れるという事情についての認識が進んだこともあろうかと思います。
 市町村の合併は、今申し上げましたように、財政的な理由がかなり大きなものであると思いますけれども、もちろんそれだけではございません。市町村区域の拡大の必要性は戦後ずっと言われてきたわけでございまして、特に、戦後の高度成長期を経て生じましたモータリゼーション、自動車の普及、道路の整備、これは地域に住んでいらっしゃる方の生活圏、行動圏を著しく拡大したというふうに考えられます。こうした生活圏、行動圏の広域化に対応するためには、それに適した形での市町村のあり方というものも検討すべきであるということになろうかと思います。
 また、そうした積極的な理由に反しまして、今度は消極的な理由といたしましては、二〇〇六年をピークといたしまして、我が国の人口は減少を始めます。その過程で、特に高齢化が進行すると同時に、現在言われておりますように、産業の空洞化というものも進んでいく可能性がある。そうした状況におきまして、地方自治体として行政サービスを維持していく、その供給を確保していくためには、少なくとも行政活動の効率化、行財政能力の今以上の強化は避けがたいことである、このような理由があろうかと思います。
 ただ、一般論としてそのように申し上げることはできますけれども、我が国の市町村のあり方は、その規模におきましても、あるいはその行財政の能力におきましても、またそれぞれが置かれております地域的な環境におきましても、大変大きな格差、差異がございます。したがいまして、一般論として、合併がこうした課題に対する有効な解決策である、そのように言うことができるといたしましても、決して合併をすればすべてが解決するといったような意味での万能薬ではございません。これは申し上げるまでもないことかと思いますが。
 したがいまして、市町村の合併を推進していく、あるいは具体的な合併のあり方を考えていくときには、それぞれの地域に応じて、それぞれの具体的な市町村の状況に応じてきめ細かく対応をしていく必要があるのではないかと考えております。
 そういう観点から申し上げますと、少なくとも、全国的にどのような規模にするか、数値目標を掲げるということは、それなりに努力の目標として、あるいは合併後の姿を示すという意味で意味があろうかと思いますけれども、数値目標の達成のみを目指して合併を推進していく、そしてその数値目標を達成したことをもって課題が解決した、このように評価することは必ずしも望ましいことではない、かように考えております。
 それでは、市町村には非常に多様な形態がある、格差があるというふうに申し上げましたけれども、それをどのように理解すべきなのか。人口規模であるとか、都市部に置かれているか、農村部に置かれているか、あるいはその財政的な力いかん、いろいろあるというふうに申し上げましたけれども、少なくとも合併に関して申し上げますと、私自身は、大体四つの類型、タイプというものが想定できるのではないかと考えております。
 第一のタイプは、既に人口数十万の規模を持つ都市が、周辺の市町村と合併をする、あるいは同等規模の市と合併をすることによって、政令指定都市を目指す、あるいは中核市の場合もあろうかと思いますけれども、そうした大規模な都市を目指す型でございます。これは、それぞれ力を既に持っている都市が合併によってさらに体力を強化し、分権の時代にあって権限の受け皿としてその役割を拡大していこうというものであって、これも望ましいことであろうかと思います。
 第二のタイプは、東京、大阪あるいは名古屋といった大都市圏の周辺部に置かれております市町村の場合でございます。
 これらの市町村は、以前はそれぞれ自立したコミュニティーが存在していたのかもしれませんけれども、都市化が拡大するにつれまして、いわば大都市の周辺地域として都市圏の中にのみ込まれてしまっている、位置づけられるようになってしまったところでございます。こういうところは、人口はかなり多く、反面、面積は狭隘であり、さらに申し上げますと、市街地が連檐をしている。こういう地域に関して言いますと、小さな単位で行政を行うよりは、より大きな単位にして行政を進めていった方が、地域の町づくり、特に交通面であるとか都市施設に関して言いますと合理的なのではないかというふうに考えられているわけでございます。
 第三のタイプは、地方都市。
 地方都市といってもいろいろございますけれども、地方の中核的な都市があり、その都市が周辺部の町村を編入して大きな単位になるというケースでございます。これは全国でかなりの数が見られるのではないかと思っております。
 こうした都市も、以前はそれぞれが自立した自治体として存立していたのかもしれませんけれども、今日では、特にモータリゼーションの進行によりまして一体化した都市圏をつくっている。そして、周辺部の町村に住んでいらっしゃる方も、通勤通学、買い物等では中心部の都市へ出てくるということが日常的になってきている。こうしたところは、それこそ、都市施設であれ、あるいはいろいろな意味での町づくりであれ、あるいは行政能力の水準を維持するという観点からも、より大きな単位となることが望ましいのではないかというふうに考えられる、そうしたタイプでございます。
 四番目のタイプは、それらのいずれにも入らない中山間地域の小規模町村でございまして、後に申し上げますけれども、こうした地域における小規模町村というのが、むしろこれからの日本の地方自治にとって大変大きな問題であろうかと思います。
 そうした地域における行政サービスを確保し、強化していくためには、そうした市町村の行財政能力を維持強化していくことがどうしても必要ではないかと思われますし、そうすることによって分権の受け皿といいましょうか、それぞれが自律的な行政活動を展開する上でも規模を大きくすることが望ましいというふうに考えられるのではないかと思っております。
 さらに申し上げますと、それ以外に、例えば単一の市町村から成り立っております、本土あるいは隣接する大きな島から離れた小さな島のような地域に関して言いますと、そもそも合併ということ自体が非常に難しいし、非現実的であるところもございます。こうした地域についてこれからどうしていくのかということも大きな問題ですけれども、合併の対象としては、そういうところはまさに別に扱う必要があるのではないか、かように考えております。
 ところで、今、四つの類型について粗っぽくお話ししてまいりましたけれども、この中で最も重要であり、問題が深刻なのは、やはりその第四の中山間地域に置かれている小規模町村の場合であろうと思います。
 これらの町村に関して言いますと、人口の減少がこれから急速に進むと考えられますし、もちろん高齢化も進んでまいります。そして、現時点におきましても、財政的な能力は必ずしも高くはないわけでございます。しかしながら、戦後の我が国の発展の過程におきましては、こうした中山間地域の町村が都市部の発展を支え、また山林を中心とする多くの環境を守ってきたことも間違いないわけでございまして、こうしたところがだんだん衰退していくということ、これ自体大変ゆゆしき問題であろうかと思いますし、それをどういう形でこれから支えていくのか、いかなければならないのかを真剣に考える必要があるのではないかなと思っております。
 そこで、こうした地域については合併を強力に考えていただくことが必要であろうかと思いますけれども、こうした地域に関して言いますと、後でも触れますけれども、さまざまな理由でもってなかなか合併が難しいという事情もございます。また、さらに申し上げますと、一定規模までの合併を考えた場合には、かなり広い面積をカバーすることになるものですから、それ自体が非常に難しいといたしますと、合併をしたとしても、現実に十分な財政的、行政的な能力の向上が見られるかどうか、これについても、必ずしもそうとは言い切れないところもかなりあるわけでございます。
 他方、こうした中山間地域の小規模町村と対照的なのが、政令市を初めとする大都市の場合であろうかと思います。こちらの方は政令市の要件が緩和されるそうでございまして、最近では、例えば静岡県の静岡市のように、大都市が政令市を目指した形での合併というものがかなりあちこちで言われるようになってまいりました。これは、先ほども申し上げましたように、地方分権の受け皿としての観点からも、こうした合併は大いに進められるべきではないかというふうに思っております。
 いずれにいたしましても、今申し上げましたように、我が国の地方自治体のあり方、市町村のあり方は実に多様でございまして、こうした多様性というものを考慮したときに、今進められております合併推進のあり方は一律的なものでございまして、若干、その進め方としては粗いやり方ではないかなという気がしないでもございません。二十一世紀の少なくとも前半の我が国の地域社会のあり方、その地域社会の形をつくるという観点から見たときには、こうした地域の事情に応じた形でのもう少しきめ細かい対応というものが必要なのではないか、かように考えております。
 そこで、どのような問題があるかということでございますけれども、私自身は、こうした政府が中心になっております合併推進のあり方、これは後に申し上げますように、いろいろと批判もあるところでございますけれども、こうした推進のあり方につきましては、少なくとも、これまでの市町村の関係者の方の意識であるとかこれまでの雰囲気というものを考えた場合には、現状がどうであり、これからどうなるのかということを周知して、そして強力な合併のためのキャンペーンを進めていくということ、この必要性そのものは否定できないのではないかなというふうに思っております。
 しかしながら、これまで進めてまいりましたような、とにかく合併を考えていただきたい、合併をしていただきたいというような形での一律な推進策ということに関しては、今も申し上げましたように、若干疑問がないわけではございません。特に現段階で、次第に合併についての関心が高まり、具体的な問題としてそれぞれの市町村が検討され始めている段階に至りましては、これからはよりきめ細かく対応する必要があるのではないかと思います。
 少し具体的に申し上げますと、第一点といたしましては、これまでの合併推進の進め方は、市町村の規模にかかわらず合併の推進を図っているわけでございまして、先ほど申し上げましたように、合併が必要とされる理由もあるいはその効果にいたしましても非常にばらつきがあるわけでございますので、一律にただ合併をすればかなり効果があるというのは、必ずしもいいやり方ではないのではないかと思っております。特に政令指定都市を目指すような大規模な都市に関して言いますと、国が小さいところと同じような形で支援をするのではなしに、これはまさに自主的な判断にむしろお任せするべきではないかな、かように考えております。
 それと関連いたしまして、第二の点でございますけれども、現在、合併推進の動きが活発になってきている理由といたしましては、冒頭にも申し上げましたように、特例法によります財政上の優遇措置というものがかなり強いインセンティブになっているというふうに考えられます。これは、合併をしたすべての都市、政令指定都市を志向する大都市に対しても、あるいは小規模な町村に対しても適用されるわけでございますけれども、国自体の財政難が理由で合併の推進を図るときに、かなりの優遇策ではないかという気がいたしまして、これももう少し重点的な、きめ細かい配慮がこれからは必要ではないかなという気がしております。
 また、こうした財政的な特例措置があるものですから、それのインセンティブの効果が非常に効いているという意味ではそうなんでしょうけれども、この財政上の優遇措置を目当てに合併を進めていこう、特にそれが、相当の力を持った市等の場合には、地方分権といい、これからは地方の時代であり、地方自治の担い手として、そういう意識をお持ちの市としては、そうした財政上の優遇措置を目当てにして合併を目指すという動きがあるといたしますと、それはまたいかがなものかという気がしないでもございません。
 第三番目に、これも先ほど申し上げたことにかかわりますけれども、現在、大体千ぐらいの自治体の数にするという、千という数値がかなり強く言われているような気がいたします。先ほども申し上げましたように、合併を推進し、大体現在の三倍ぐらいの規模にする、あるいは千ぐらいの数にするということなのでございますけれども、その数字だけがひとり歩きするという状況になりますと、これまた余り望ましいことではないなと思っております。
 例えば、だんだんこの合併の動きが加速度を増しまして、都市部の大きなところ、豊かなところがどんどん合併を進めていく。他方で、本来、一番問題が深刻でありますところの小規模な自治体の方が取り残されてしまう。それでも、数の上では目標を達成するというような事態になりますと、これはそれでいいのかどうか。数値目標自体を否定するつもりはございませんけれども、それがひとり歩きする危険性というものはやはり気をつけなければいけないのではないかな、かように思っているところでございます。
 以上が、合併の進め方について若干疑問点も含めて申し上げてまいりましたけれども、他方におきましては、今度は、合併することそれ自体について反対の観点、あるいは消極的なお考えというものもかなり聞かれます。最近、特に合併の動きが具体化してまいりますと、こうした合併の進め方、あるいは合併のあり方についての批判的な意見というものも、かなりあちこちの雑誌、論文等で見られるようになってきたかと思っております。この辺についても私の考え方を少し述べさせていただきたいと存じます。
 まず、一番最初に申し上げておきたいのは、この合併の推進の仕方についての批判でございますけれども、国が主導してかなり強引なやり方で推進をしているのではないか、これが地方分権あるいは地方自治の理念ないし方向に反するのではないかという批判でございます。
 もちろん、原則は自主的な合併でございますけれども、かなりの、先ほど申し上げましたような財政上の期限を切った優遇措置を設け、他方におきましては、交付税の段階補正の見直しというようなことが行われている。こうしたやり方が果たして地方自治、地方分権の方向、考え方に沿うものかどうか、こういう批判でございます。
 これについては、確かにそうした御意見についてはもっともなところがあろうかと思いますけれども、現在、我が国の地方自治あるいは地方自治体が直面している問題は、国全体がこれからかなり厳しい状況になるときに、今までに近い形での市町村の行政活動というものを続けていかなければならない。これは、一部の市町村だけが自主的に合併し問題を解決すればいいという話ではなくて、国の全部が、あるいはすべての市町村が、ある意味でいいますとその対象になるような課題なわけでございます。
 したがいまして、今、自主的な合併を原則として合併が進められること自体は大いに結構ですけれども、合併を望みながらもいわばそのパートナーが見つからないような市町村が出てきた場合には、そちらは大変気の毒なことになりかねないわけでございまして、そういうことがないように、国全体が、すべての市町村が平均して全般的に行財政の能力を強化できるような形で、例えて言いますと、ジグソーパズルのように、すき間もなく重なるところもなく新しい自治体の形がつくられる、これが目指されているところではないかなというふうに思っております。
 そういう観点から申し上げますと、やはり国あるいは都道府県がそれ相当の役割を果たすということも必要なのではないかな、かように考えているところでございます。
 二番目といたしまして、この合併の問題が出てきた当初から出てくる批判、反論でございますけれども、合併がそれぞれこれまで築かれてきた地域のコミュニティー、共同体というものを壊すことになるのではないか。これまで、それぞれの自治体は、地域としての一体感、帰属意識を持ち、そして地域社会をよりよいものにしていくために営々と努力を重ねてこられたところが多いわけでございまして、そうした単位そのものを変えてしまうということになりますと、そうした共同体の基盤そのものを変更し、失わせることになるのではないかということでございます。
 これは、地方自治というものが民主主義と結びつき、そして地域住民が身近なところの政府に参加をするというのが自治の原点であるといたしますと、確かに、政府を遠いところに持っていくという意味での合併の推進に対しては、これは相当問題がある、そのような批判が出てくるのも無理からぬところがあろうかと思います。私自身は、確かにそうした可能性を否定するものではございませんけれども、現在求められておりますのは、住民の参加あるいは民主主義、自治という観点からの自治体だけではなくて、住民に対してかなり高度で多様な行政サービスの供給主体をどうしていくかという話でございます。
 そういう意味でいいますと、一つの価値だけに焦点を当ててその是非を問うというよりも、さまざまな価値の間のバランスを考えながら最適な規模というものを考えていく必要があるのではないか、かように考えるわけでございます。そうした考え、観点からいいますと、もちろん、いろいろな意味で地域の自律性、地域のコミュニティーを生かすという制度的な工夫を目いっぱいするということが前提になりますけれども、行政サービスの供給のあり方についても十分な配慮をする必要がある。そうした観点から合併というものを考えるべきではないか、かように考えているわけでございます。
 さらに申し上げますと、現在、共同体としてつくられております市町村というのは、多くは昭和の大合併の後つくられた単位でございまして、社会の変化あるいは住民の意識の変化によってコミュニティー、共同体そのものも変わり得るし、それは自治のあり方も変えていくのではないかな、かように考えています。まさに自動車と、それこそ現在ではインターネットの時代における住民、自治体のあり方というもの、これはかつての閉鎖的な共同社会と同等に見るということは必ずしも適していないのではないかということでございます。
 三番目の論点に入らせていただきます。
 今申し上げた点ともかかわりますけれども、先ほど申し上げました、合併すると面積が大変大きくなるような地域であるとか、あるいは合併したとしましても、例えば人口一万の規模に拡大するとしますと非常に広大な地域をカバーすることになって、それ自体、自治体として成立しがたいような、そういう地域もないわけではございません。そういうところをどうするかということでございます。
 これにつきましては本当に難しい問題だと思いますけれども、現在いろいろ議論されているところでは、例えば広域連合という広域行政の仕組みがございますけれども、そうしたものをむしろ活用すべきではないか。あるいは、そうした小規模な町村が担い切れないような事務に関しては、都道府県がそれを代行するという仕組みはどうか。そうしたことがいろいろと言われるようになってきているかと思います。
 実は、この広域連合あるいは広域行政の仕組みに関して言いますと、もう数年前になりますけれども、市町村合併研究会におきましてはかなり活発な議論が展開されました。現状の広域連合の仕組みでは、実際の行政の効率化であるとか行財政能力の強化にどれくらい貢献するのか。これについては、実際にそれに参加していらっしゃるような方はかなり否定的な見解を述べられたわけでございます。他方におきましては、広域的な課題が出てくる中で、そうした仕組みを活用することが必要ではないかということもかなり言われました。
 私自身は、この広域連合という仕組みにつきましては、ある程度の規模で合併を進めたとしましても、それでは不十分なような、さらに広域的な事務というものもかなりあろうかと思いますので、そうしたものについては広域連合のような仕組みを活用していくということは大いに望ましいことではないかと思います。これは決して合併とトレードオフの関係になるとは考えておりません。
 また、先ほど申し上げましたように、今度は、県とか国が市町村の事務を肩がわりするというやり方についてはどうか。これについても、これからいろいろな検討の中でそうした役割を都道府県に期待せざるを得ないのではないかなというふうに考えておりますけれども、安易にそうした形での代行をして、合併が無理であるというふうに考えるその考え方は、そもそも市町村で行っていることはできるだけ自律的に行えるようにする、自己決定を原則にする、さらに言いますと、そこでさまざまな国の縦割りの壁を取り払って、総合的な行政が行えるようにする、そうしたこれまでの地方分権の考え方とは必ずしも方向を同一にしないわけでございまして、その辺についてどのように整理していくのか、これはまた残された課題ではないか、かように思っているところでございます。
 ところで、今、最後の論点で触れましたけれども、今申し上げましたように、市町村の合併、現在ではほぼ六三%の市町村がそれに何らかの検討を始めているそうでございますけれども、そうした状況で合併が進行してまいりますと、当然のことながら、市町村のユニットを変えるというだけではなしに、都道府県のあり方にも大変大きな影響を及ぼしてくると考えられるわけでございます。
 多くの権限移譲を受けた中核市であるとか政令市というものが幾つかできてまいりますと、そうした都市を含んでおります都道府県は役割がだんだん縮小してくるのではないか、空洞化してくるのではないかということが懸念されるわけでございますし、他方、小規模の町村を多く抱える道府県の場合には、むしろそうした道府県の役割というものがこれからますます大きくなってくる可能性もあるか、かように思われます。
 しかも、さらに申し上げますと、前者の、だんだん都道府県の役割が縮小してくるような県というのは、現在でも、都市部に置かれております、規模が大きく豊かな県であり、他方、これから役割がますます重要になってくるのではないかと考えられる県というのは、むしろ農村部にあります、規模の小さな県ということにもなりかねません。そうした観点からいいますと、都道府県のこれからのあり方、これをどのように再編していくのか、これ自体がアジェンダとして上がってきておりますけれども、これも大変難しい問題であろうかと思いますので、少なくとも、余り慌てて結論を出すというよりも、いろいろな問題点について慎重に配慮しながら検討していく必要があるのではないかと思っております。
 時間が参りましたので、これくらいにさせていただきたいと思います。憲法調査会ということで、憲法の第八章についてどういうことかという問題もあろうかと思いますけれども、それはまた御質問でもあればお答えさせていただきたいと思います。
 以上でございます。(拍手)
保岡小委員長 ありがとうございました。
 以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。
    ―――――――――――――
保岡小委員長 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。伊藤公介君。
伊藤(公)小委員 自由民主党の伊藤公介でございます。
 大変貴重な御意見をいただきまして、ありがとうございました。いろいろな意味でこれから参考にさせていただきたいと思います。
 ところで、私はかつて自治省の政務次官で、当時、三千二百三十二市町村にいろいろな算定をして補助金をつけるという仕事をしたこともございました。その後、国土庁で仕事をさせていただきまして、いわゆる日本全国どこでも平等に、均衡ある国土政策を推進するというような仕事もさせていただきました。
 特に国土政策では、かつて列島改造論、田園都市構想、定住圏構想あるいは多極分散型の国土政策などなどございまして、それぞれ歴代の内閣で、そうしたどこにでも公平に皆さんが住めるような国土政策というものを進めてきたと思うんです。
 しかし、実際に私、そういう経験の中で全国を歩きましたときに、何か日本という国がみんな画一的になってきてしまったのではないか。北海道から沖縄まで、どこに行っても、デニーズやすかいらーくが悪いわけではありませんけれども、同じようなものがあって、小学校、中学もみんないわゆるマッチ箱を縦にしたか横にしたような、何の変哲もない、そういうようなどこでも同じような光景になってきた。
 そういうことを振り返ってみると、中央集権で国が決めた全国画一的ないわゆる補助金制度といいますか、そういう中で、全国、決められた基準で公民館をつくり、学校をつくってきた、そういうことが、日本のそれぞれの地域の魅力、あるいは伝統とか歴史とかそういう個性のある町づくりというものをある意味では失わせてきたのではないかということも思うわけであります。
 ところで、先生のいろいろなお話の中にもございましたけれども、町村合併は、さまざまな今日の時代の変化あるいは財政、そうしたことを考えたときに、私もかなり積極的に進めるべきではないかという先生と同じ立場に立っているわけでございますけれども、かつて、一八八八年、明治二十一年には七万もあった自治体が、昭和の大合併によって、二十八年から三十六年に、先ほど先生のお話にありましたけれども、三千四百七十二の市町村になったということは、三分の一に少なくともなったわけであります。ところが、平成十四年の二月の数字を見ますと三千二百二十三ということでありますから、その後の合併は、総論賛成、なかなか具体的には合併が進まなかったという数字だと思います。
 なぜなかなか合併が難しいのか。先生のお話にも、また先生のいろいろな著書の中にもございまして、私もいろいろ参考にして読ませていただきましたけれども、私は、一番大きな問題は、税財源あるいは補助金の制度、やはりこういうところに根本的な問題があるんじゃないかというふうに思うわけであります。
 私たちはいろいろな地方分権の努力をしてまいりました。地方分権推進一括法によって、御案内のとおり機関委任事務制度が廃止をされました。しかし、そういう方向は示されましたけれども、先ほどお話にもございましたけれども、地域の財源に踏み込まなければ根本的な地方分権というものは進まない、また合併ということもなかなか難しいんじゃないかというふうに思うんです。
 各自治体のいろいろなあれを見ますと、私、選挙区は東京なんですけれども、生まれたのは長野県の高遠町という、私の村は今大変な過疎、超過疎の村である。その高遠町の平成十四年度の予算を見ますと、五十三億一千五百五十六万円の一般の予算の中で、町の税金は何と五億七千百九万円なんです。自主財源は一〇・七%でございます。私は東京が選挙区と申し上げましたが、東京のかつての中選挙区の選挙区ですが、檜原村は、今年度二十六億九千二百万円ですが、税収はわずかに二億三千三百九十二万六千円、自主財源は八・六九%でございます。全国いろいろなケースがありますが、きょうの小委員長の保岡先生のふるさとの県でございますが、鹿児島県の三島村、ここは今人口四百人ちょっとでありますが、自主財源は何と一・六六%でございます。
 こういうことを考えますと、そういう例えがいいかどうかわかりませんが、ある意味では、私たちの暮らしでいえば生活保護のような市町村がたくさんあるわけですね。それを、国から、県から、都から税金をどのくらい持ってくるかということが評価されていた時代はもう終わりで、むしろ、どうこれを改革していくかという大変大きな局面に来ているのではないかというふうに私は思います。
 国は今さまざまな構造改革に大胆に取り組んでおります。百十四万人と言われた国家公務員は十年間で二五%削減をする。しかし、この日本の国の構造改革の大事な点はむしろ地方でありまして、地方の公務員は三百万人弱いるわけですから、そういう意味では、国の三倍もの地方公務員をこれからどうするのかということが大変大事な問題だと思います。
 特に、国と地方の借金が多いということは常に言われているわけでありますけれども、今年度中には国の国債残高は五百二十八兆円、地方も百九十五兆円になるというわけですから、我々はもう待ったなしのときに来ているように思うわけであります。この税財源や補助金制度というものを大胆に見直さなければ、私は、町村合併も進まないし、地方分権も進まないのではないかと思いますが、先生の御意見を伺いたいと思います。
森田参考人 お答えいたします。
 大変難しい問題であろうかと思いますし、意見陳述の中で申し上げましたように、私自身は税財政の専門家ではございませんので的確にお答えできるかどうかわかりませんけれども、私自身が認識しているところで申し上げますと、今先生のお話にございましたように、日本の場合の財政的な格差というものは非常に大きゅうございます。町村の場合でいいますと、財政力指数の平均が〇・四を切っておりますので、基本的に、その地域の税金を倍にしたとしても自主財源では賄い切れないというような状況である。そうしたところでかなりの行政サービスの水準を維持していくためには、その財源をどうするかというのは大変深刻な問題でございます。
 現在、税源移譲ということが言われておりまして、それは、先ほど申し上げましたように、できるだけ負担と受益の関係を明確化するということ、そして、それぞれの地域の方が自分たちの負担によって行政サービスを賄えるようにすることによって、無用なサービスに対しては厳しい納税者の視点というものがきくであろうという財政規律の効果も期待されているわけでございますけれども、現実の問題といたしましては、多くの市町村において自主財源だけで賄っていくということは到底できません。税源移譲をしたとしましても、実質的にそれによって、税収で、自主財源で賄えるところがふえる比率は非常に小さいというところがたくさんございます。
 したがいまして、先ほども申し上げましたように、基本的な財政調整の仕組みはどうしても必要であろうと思いますし、それに加えて、どういう形で税源を考えていくのか、それがこれからの議論のポイントになるのではないかと思います。
 その場合に、全国一律で税源移譲というものを考えるのか、あるいは、先ほども少し申し上げましたけれども、大都市部に関して言いますと別な形で、そちらの方は自主財源で賄えるところがある、他方、そうでない農村部に関しては到底それが難しいということになりますと、そうした財政上の制度についても、日本の中でそれぞれの都市の規模あるいは力に応じた形で多様な仕組みを考えていく必要があるのではないか、そのようにも考えられるわけでございます。ただ、これは、現実に制度の設計をするということになりますと、その境界線をどうするか、どういう形で最終的な財政の配分をするかということについては大変難しい問題があるのかなという気がしております。
 いずれにいたしましても、現在の単位でもって、現在の形で、国から地方に対しての財源を移転していくということ自体は、現在の財政事情から考えますとこれからは到底難しいであろう。その意味では、いろいろな策を講じて、できるだけサービスの質を落とさない形で効率化を進めていくということが必要ではないかと思いますし、特に、市町村合併というのは、そうした意味でいいますと、規模の小さいところにとっては相当大きな効果があるのではないかなと考えておる次第でございます。しかしながら、現実にはなかなか難しいかなと思います。
 以上でございます。
伊藤(公)小委員 時間がありませんので、もし一言でというのもちょっとあれなんですが、最近、東京都が外形標準課税について、その条例が違法だという司法の判断が下されました。この問題は、いずれにしても司法の手で、さらに東京都は法廷闘争をするということであります。しかし、この問題はともかくとして、自治体が受益と負担ということを考えて自主的に税を考えていくという方向は、私はむしろそういう方向を尊重していくべきだと思いますが、時間が来て大変恐縮ですが、ちょっと一言伺いたいと思います。
森田参考人 お答えいたします。
 一昨日の判決につきましては、細かく判決文を読んでおりませんので私自身はちょっとコメントしかねますけれども、原則で言いますと、地方の独自の課税についてのこれからいろいろな工夫がなされていいし、その必要があるのではないかと思っております。
 ただ、一言申し上げますと、本来の受益と負担ということを考える場合には、やはり有権者であるところの住民に対して直接負担を求めるのが本来の筋ではなかろうかと思いまして、法人あるいは地域外の方の負担を当てにする税制というのはいかがなものかというふうに思わないわけではございません。
 以上でございます。
伊藤(公)小委員 ありがとうございました。
保岡小委員長 中川正春君。
中川(正)小委員 民主党の中川正春でございます。
 いつもきれいに整理をしていただいて、頭の中を私たちもクリアにしていただきまして、ありがとうございます。
 これから推進委員会で議論をしていただきたい、こういう論点があるのではないかということを基本に申し上げたいと思うのです。私たちの党でも、地方分権というのは、もう総論の時代は終わった、これからは各論の時代なんだというような問題意識を持ちまして一つ一つ整理をしております。その上に立って質問をしていきたいというふうに思うんです。四点ほどございます。
 一つは、財政あるいは財源移譲の問題でありますが、先ほどちょっと御指摘があった、財政危機ということがあったから移譲ができないという御指摘もあったんですけれども、私は、どうも、この作業をやっているうちに気がついたのは、モデルがないということだと思うんですね。移譲した後、自分たちのそれぞれの自治体がどんな状況になっていくのかというビジョンが今のところございません。
 その中で、さっきお話が出た合併ということもあるわけですが、このビジョンを具体的につくり上げるということがないと、次の財源移譲という具体的な作業にも入っていくことができない、ここが問題なんだと思うのです。その点について、どこまで推進委員会でつくっていこうとされているのかということ、このことをまずお尋ねをしたいと思うんです。
 二番目に、そういうものともう一つ密接に絡んでくるのは、日本の今の国の法体系と、その背後にあるナショナルミニマムという基準の持ち方の関係だというふうに思うんです。
 今の法体系では、国家がすべての基準をつくっているんですね。法律の中では枠づけをして、それから政令、省令ということの中で、例えば教育でいえば、学校の先生一人に対して子供たちの数がどれだけ、あるいは面積がどれだけ、あるいは福祉という分野にとってみれば、どれだけのナショナルミニマムという形で基準を確定していくかというのは、これは法律の体系の中でなされているということ。これをどこまで地方自治体に移していって、どこまで国が基準を決めていくのかということ、この整理がもう一つできていないということだと思うんですね。そこのところをどう考えておられるかということであるかと思うんです。
 それから三番目が、合併の議論との関連になってくるわけでありますが、さっきの基礎自治体が多様であっていいということ、これは私も賛成でございます。そういう形の中で、さまざまな基礎自治体のあり方がもっと弾力的に議論されていいんだろうというふうに思うんですね。そのモデルがこれまたできていないということであります。
 特に、さっき御指摘のあった中山間地域の自治体というのは、苦しい自治体が一緒になって面積を大きくしたところで、構造が変わらないわけでありますから、ここのところは恐らくは都道府県、あるいは道州制という議論が出てくるとすれば、その中で、国にかわってこういう中間自治体が連携をとってお世話をしていくんだろうというようなイメージが私たちにはわいてくるわけでありますが、そういうところの、合併に向かっての安心感といいますか、将来、こういう形になるんだというビジョン、これをどういうふうに意識されているのかということをもう少し詳しくお話をいただきたいということ。
 それから最後に、行政サービスとの関連で、コミュニティーの議論が出ましたが、大きな自治体で、効率のいい能力のある自治体で行政サービスを供給するということ、こういう方向にはなっていくんだろうと思うんですが、しかし、市民一人一人の形からいくと、それでは最終的には満たされないんだろうと思うんです。
 もう一つの要素として、参加ということがあるんだというふうに思うんですね。参加ということと、それから高い行政サービスを受けるということ、両方あわせていこうと思うと、やはりもう一回コミュニティー論、もう一つは住民自治といいますか、そこへ向いてしっかり議論がおりてこないと、基礎自治体が大きくなっていけばいくほど人は幸せにはなれないんではないかという、そこがあると思うんです。ヨーロッパの先進国で今コミュニティーがもう一回見直されてきているということの意味合いはそこにあるんだろうと思うんですが、そこの議論がどこまでいっているのかということ、このことをお尋ねをしたいと思います。
 以上、四点です。
森田参考人 お答えいたします。
 いずれも簡単にはお答えできないので、難しい問題かと思いますけれども、第一点目の、これから財政事情が厳しくなる中で、分権改革推進会議としてどのようなモデルないしビジョンを示しているのかという御質問かと思いますけれども、現在まだ、ある意味でいいますと、具体的なモデルを模索しているというのが正直なところではないかと思います。
 ただ、昨年の十二月に出しました「中間論点整理」におきましては、いわゆるサステーナブルな、持続可能な形での自治体のあり方というものをきちっと考えていくべきであろうと。これまでは、少なくとも国からの財政移転を前提にして、右肩上がりの形でのビジョンを描き、それをより発展していくという形での自治体像というものを一つのモデルにしていたとしますと、そういう形でのモデルというのはかきにくくなってくるのではないか。
 具体的にどういうものがサステーナブルな自治体の姿かということについては、この具体化はこれからの課題だと思いますけれども、現在におきましては、それをどういう形で詰めていくのか、それには少なくともそれぞれの自治体の判断でそうしたビジョンが描けるような制度をつくっていくというのが必要であり、そのための改革に取り組んでいるというのが現状であろう、かように思います。必ずしも直接のお答えになっていないかと思いますけれども、以上でございます。
 二番目の法体系の問題につきましては、これは御指摘のとおりだと思います。私自身が、これは憲法上の問題としては指摘できるかどうかわかりませんけれども、少なくとも現在の法制度のもとにおきましては、地方自治体は、国のつくった法律、さらに言いますと政令にも従わなければならない、その範囲内で自主的な立法権を持つというところでございますけれども、国の法律がどこまで細かく規定するかということについては別にルールも何もございませんので、かなり詳細な形で法律が規定している場合には、実質的に地方のいわゆる自主的な立法の余地が非常に縮小してしまう、これはおっしゃるとおりかと思います。
 しかしながら、この問題点は、地方分権推進委員会の最終報告の最後の、残された論点のたしか六項目めでも指摘されているところだと思いますけれども、それではどういう形でその法律の規律密度というものをコントロールしていくのか。
 これは憲法上なかなか難しいところで、解釈の問題としては九十二条の地方自治の本旨にかかわるあの部分かと思いますけれども、具体的にどういう形で、どのような制度でもってそれがコントロールできるかというのは、これは大変難しい問題ではないかと思います。基本的には、私自身は、国会の方で、法律をおつくりになるところでそれを、ここから先は地方の問題である、ここから先は基本的には国の決めることである、そうした自主的なコントロールをされるというのが一番現実的ではないかな、かように考えております。
 三番目は、合併をした場合に、特に中山間地域におきまして、いわゆる都道府県がその事務を肩がわりするということも含めて、合併の問題をどう考えるかという御質問の趣旨だと思いますけれども、これは、私自身は合併を推進するという立場を一応とっておりますけれども、現実の問題といたしましては、二つの価値のいわばトレードオフの問題だと思います。
 一つは、できるだけ多くの事務を自分たちで行っていく。それが一つの自治であるし、これはヨーロッパ自治憲章の補完性の原理を正直に読めばそういうことになろうかと思いますけれども、その場合には、やはり行財政能力を強化しなければいけない、そして合併が必要であるということになろうかと思います。しかしながら、現実にそれが無理だとしますと、いわば現在の市町村でできることだけをして、それ以外のことについてはもはや担い切れないので、より広域的な団体にそれをゆだねるべきではないか。これも、自治憲章の補完性の原理からそういう解釈が出るというのが、これまた分権推進委員会の最終報告に示された非常に示唆的な提言であろうかと思いますけれども、これのどちらを選ぶのか。いわば身の丈に応じた形で仕事だけをするのか、あるいは、よりいろいろな仕事をするために規模を拡大するのか、そこは一つの価値判断の問題ではないかと思います。
 我が国のこれまでのあり方、そして市町村のお考え、そして住民の方の意向を考えた場合、私は、やはり規模を拡大するという方が適しているのではないかと考えている、そういうことでございます。
 四番目のコミュニティーの問題。これは先ほども申し上げましたように大変難しい問題でございまして、形式的な反論といたしましては、現在一番大きな政令指定都市が横浜市で三百四十万人口がございますけれども、そこで実際に住民自治ということが全く行われていないのかどうか、ニュージーランドに匹敵する人口規模のところでは住民自治はないのかというと、決してそうではないと思います。
 そういう意味でいいますと、行政サービスの単位、最終的な政策決定の単位がいかにあるかということと、個々具体的な政策の実現をどうやっていくかということについては、後者に関しては、住民参加の余地を工夫する可能性はかなりあるのではないかと思っております。これにつきましては、今回の合併特例法でも、いわゆる旧町村の単位で地域審議会というようなものを置いて、それなりに地域で完結的なことについてはそこの自治にゆだねるという方法も示唆しております。具体的にそれをどういう形で実現していくかは、それこそそれぞれの地域がお考えになることではないかと思っておりますけれども。
 御指摘のとおり、これは簡単には両立しがたいところだと思いますけれども、まだまだその工夫の余地がある。また、住民参加が困難だから、では合併しなくて今のままいけるかというと、決してそうではないわけでございまして、そこのところは、答えにはなりませんけれども、いろいろな可能性の中から検討して、それぞれにふさわしい形を選ぶのが望ましいのではないか、かように考えております。
 以上でございます。
中川(正)小委員 ありがとうございました。
保岡小委員長 次に、江田康幸君。
江田小委員 公明党の江田康幸でございます。
 先生、きょうは貴重な御意見をいただきまして、ありがとうございます。
 地方自治が大きな転換期を迎えていると私も思っております。小泉首相が、民間でできることは民間で、また地方でできることは地方でということをスローガンに改革を進めておりますが、非常に重要な分野であると思っております。
 地方改革、地方自治改革の柱はやはり地方分権であって、その地方分権を進めるためには、先ほども先生がおまとめになられましたように大きくは二つ、一つは財政危機にいかに対応するか、税財源の確保をどうするかということであり、またもう一つは、社会構造の種々の変化に対して自治能力の向上をいかにするか、この二点に対して、一つの対応策が広域化であり、市町村合併へと進まざるを得ないというか、進むべきである理由になっているということだったかと思います。私も、このような意味から、市町村合併を強く積極的に推進していく方が今の日本の市町村にとっては必要なことではないかという立場から、また先生の講演に沿って幾つかの質問をさせていただきたいと思っております。
 種々の批判があることに対して、先生は、個々の市町村にとって合併が有利か否かということでなく、ほとんどの市町村がこれから直面する課題、先ほど申しましたように、経済危機や社会構造の変化に対して何らかの対応をしなければならない、そういう状況にあることをよく理解すべきだとおっしゃられました。
 自主合併を原則とする。しないにしても、合併条件の有利なところから先に合併が進むとなりますと、不利な条件のところはそのパートナーが見つからない、また取り残される。そうすると、そこに住む住民は必要な行政サービスを受けられない、そういうようなことになってくる。それに対して、ではどうするのか。例えば、県は、豊かなところとそういう中山間地域を積極的に組み合わせていくというような大胆な配慮も必要だということを先生おっしゃられておりますが、都道府県にそういう調整機能を期待するわけでございますけれども、果たしてこの調整機能がうまくいっているのかどうか。そういう事例があれば教えていただきたいし、また、どの段階でどのような調整を行っていくべきなのか。国と県の役割、ここをまず最初にお聞きしたいと思いますが、いかがでしょう。
森田参考人 お答えいたします。
 先ほど申し上げましたように、自主的な合併だけではなかなか難しいところがある。そこで、国と県のかなり強い役割というものが期待されるのではないかというふうに申し上げました。
 具体的にどういう形で国と県のそうした役割が示されているかということでございますけれども、今、県の強制的な役割というようなお言葉があったかと思いますけれども、強制的なものは最後まで制度上はつくられていないというふうに認識しております。これはあくまでも説得であるとか勧告であるとかという問題でありまして、県によってどういう対応をとっているかというのは、私自身が承知しておりますところでも、幾つかのタイプがあろうかと思います。
 これは、主として、それぞれの県が置かれている状況と、またその知事さんのお考えによって違っているのではないかなと思っております。財政的に非常に厳しい、これから過疎化が進行し人口が減っていくであろうというようなところに関して言いますと、これからの地域社会を支えるために、積極的に市町村の合併を県として進めていらっしゃるところは幾つかございます。しかしながら、これは、少なくとも現段階では、財政的な情報の提供と、そしてそれによって生じるであろう事態についての注意の喚起というところにとどまっているのではないかと思います。
 しかしながら、そういうところでも、それぞれの自治体は、将来のことを考えますと、かなり真剣にその問題を受けとめていらっしゃるのではないかなというふうに思っております。
 ただ、先ほど申し上げましたように、現段階では、どことどういう形で合併を進めていくかということを検討されている段階でございまして、全体として合併後の絵が見えてきたときに、そこから取り残されるところがどうなってくるのか、それが出てくるのは多分これからの問題ではないかなというふうに思っております。
 そういうところが出てきたときに、やはり県が相当強く何らかの形でお進めをする必要があるのではないかと思っておりますし、その場合の一つの考え方としましては、スウェーデンという国が、先進国の中では唯一、近年合併を進めたところのようでございまして、一九七〇年代の前半でございますけれども、あちらは強制的な形で法律によって合併を進めたというふうに聞いております。
 ただ、どういう形で進めたかはともかくといたしまして、そこで合併の進め方として一つ参考になると思いますのは、これは伝聞でございますので確認していないことでございますけれども、必ず豊かなところとそうでないところをペアにするような形での合併の絵をかいていく、これが地域社会、国全体を発展させていく上で非常に重要な原則であるというふうな考え方をとられた。
 いずれにいたしましても、そうした考え方をある程度入れて、そして、力のあるところ、豊かなところがその地域社会のリーダーとしてそうでないところを支えていく、そういう原則ないし基準を適用していくということが重要ではないか、かように思っております。
 以上でございます。
江田小委員 それがうまくいっている、国内においてのモデルとなるような県はございますか。
森田参考人 お答えいたします。
 具体的に、県内で多くの自治体がそういう形で進行しているというところについては、ちょっと私自身はまだ承知しておりません。現在、そういう形で努力を進められているところは幾つかあろうかと思いますけれども。
 以上でございます。
江田小委員 では、先生が分類された合併の四類型ですが、その中で、私は九州でございますが、第三類型並びに第四類型、地方都市拡大型と小規模町村統合型というのがほとんど、多いというふうに思っております。
 問題になってくるのは小規模町村統合型で、中山間地域の統合が一番難しいし、メリットは少なく困難なところが多いかと先ほどもお話があっておりましたが、これに対して、市町村合併に加えて、別途対応策を検討する必要があると言われているところを、まとめてその対応策をお伺いしたいと思います。
森田参考人 お答えいたします。
 どのような対応策があるかということにつきましては、先ほど申し上げましたように、まだいろいろな可能性が漠然と、こうしてはどうか、こうしてはどうかということが提案されている段階ではないかと思いますし、私自身もまだ、それを超えてきちっと考えているわけではございません。
 ただ、この問題につきましては、一つの、戦略的と言ってはちょっと言葉が悪いかと思いますけれども、合併の推進を図っていく推進戦略の観点からいいますと、余りに早い段階でそうした議論を先行させますと、むしろ合併そのものが非常に進行しにくくなるというところもあろうかと思います。
 そういう意味でいいますと、ある段階まで合併の話が進んでいく、そして、合併の絵をかいてみたけれども果たしてそれでいいのであろうか、そういう状況が生まれて、初めてきちっとした形での、そういうところをどうするかという議論に入るべきではないかと思っております。
 もちろん、しかるべき場ではそうしたことについてきちっと検討しておくことが必要ではないかと思っておりますけれども、余りそれを正面から出しますと、合併をするよりも、むしろ別な形でいくという可能性を追求するところが多くなってくる。
 それはそれとして、問題の解決になるならば差し支えないと思いますけれども、これまで合併が推進されてきた理由といたしましては、そうした広域的な形であるとか、都道府県が代行的な形で何かをするという仕組みが必ずしも十分合併に代替するものではないという前提、そういう認識で行われてきたのではないかと思いますので、そういう意味でいいますと、もう少し機が熟してからきちっとした形での議論が進められるべきことではないかなと思っております。
江田小委員 ありがとうございました。
保岡小委員長 藤島正之君。
藤島小委員 自由党の藤島でございます。
 まず最初に、九十二条の地方自治の本旨、これをどのようにお考えでしょうか。
森田参考人 私は憲法学の専門ではございませんので、責任ある形でお答えをしかねるところでございますけれども、これは、少なくとも国に対して、地方公共団体が一定の固有の自治権を行使する領域を持っているということを宣言した条文ではないかと思っております。
 問題は、それを具体的にどのような範囲として考えていくのか。これにつきましては、地方分権推進委員会でも随分議論したところでございますけれども、必ずしも明確ではない。そして、これまでの憲法学あるいは関連する行政法学においても、そこのところの解釈は必ずしも明確にされてこなかったのではないか。
 そこはこれから、先ほど申し上げました法律の規律密度をどれくらい細かく規定することができるかということも含めてですけれども、詰めていかなければならないところではないかと思っておりますし、国会というのは、そういう意味でいいますと、きちっとしたそういう議論をまずなされる一番の場ではないかなというふうに認識しております。
 以上でございます。
藤島小委員 昔は、移動にしましても、歩くか、かごか、せいぜい馬ぐらいだったわけですけれども、急速にモータリゼーションが進んできたわけです。この合併の問題もそういうところにかなりかかってくるんじゃないかと思うんですが、まず、世界的には、この動きはどんな動きになっておるんでしょうか。
森田参考人 お答えいたします。
 市町村合併という形で自治体の規模を拡大してくるというところは、世界的に見てそんなに多くないというふうに私は認識しております。近年、それが一番大規模に行われましたのは、恐らくお隣の韓国ではないかと思っておりますけれども、こちらの方は、日本よりもある意味でいいますともっと急速な近代化を図ったところから、いろいろな格差の問題が出ておりまして、それを是正するために、行財政能力をある意味で均衡化させるという形で合併が行われたというふうに考えております。
 それ以外のところは、ヨーロッパあるいはアメリカのように、どちらかといいますと近代化がゆっくりと進んできた、先頭を切って進んできたようなところでは、先ほど申し上げましたスウェーデンは例外かもしれませんけれども、余り合併ということは言われておりません。むしろ、それぞれの市町村が何をするか、そもそも、市町村に余り大きな役割を期待するのではなしに、それよりも上のレベルという言い方はちょっとあれかもしれませんが、広域的なレベルの自治体において行政サービスを充実させるというのが一般的な傾向ではなかったかと思います。
 したがって、先ほども申し上げましたけれども、我が国の場合も、市町村の規模は変えずに、仕事の中身をむしろ身の丈に応じた形で減らしていくという選択肢もないわけではないと思いますけれども、我が国にとってどちらがいいのかといいますと、必ずしもそうではないのではないかというのが私の考え方でございます。
 以上でございます。
藤島小委員 現在三千ぐらいあるところを、先ほどの数字で千というのがひとり歩きしているとおっしゃいましたけれども、私は三百ぐらいがいいんじゃないかなという感じはしておるんです。
 いずれにしても、公共事業等を行うにしましても、現在の単位では、発想をし、それを設計したりあるいは発注したりする、そういう能力のない市町村が実は多いわけでありまして、結果的に国の公共事業のひもつきになっておるわけで、どこに何をつくるかは、結局、それぞれ、例えば昔でいいますと建設省だとか農水省とかに陳情に行って、そこでつけてもらってひもつきでやっている、ほとんど国の補助金事業になっているわけです。
 財政の問題に今直結しているわけですけれども、この補助金の事業を国から地方に移し、地方にそういう能力を持たせるということは非常に大きな意味があるというふうに考えるわけですが、先生はいかがお考えでしょうか。
森田参考人 お答えいたします。
 私の考え方も、基本的に、地方の能力を高める、今、公共事業は国からのひもつきであるというお話がございましたけれども、地方で判断できるように地方に能力をつけるのがむしろ地方分権の考え方ではないかと思っております。そして、その方が、地域の実情に応じた形でのお金の使い方、さまざまな施設の設置というものも可能になるのではないかと思っております。
 ただ、現状では、多くの小規模な市町村の場合には、お話ございましたように、十分な力を持っていないということもございます。そういうところはいかにしてそうした能力を高めていくのか。その一つの有力な方法として、合併によって組織を大きくし、規模を大きくすることによって力をつけていくという方法があるのではないか、かように考えているということでございます。
 以上でございます。
藤島小委員 ありがとうございます。私も全くそういうふうに考えておるわけでございます。
 それから、先ほど江田委員からもちょっとお話があったんですけれども、先ほどのタイプの四、これが大変重要じゃないかなというふうに考えるわけです。というのは、御承知のように非常に今過疎化をしている。私も田舎の方に帰りますと物すごく実感をするわけでありまして、そこが本当に行政サービスをだんだん受けられなくなってきつつある。最小限は受けられるわけですが、都市型の市町村に比べますと大変格差が出ておる、これが現実だろうと思うんです。
 ただ、ここの点が、先ほど来のお話にあるんですが、合併のインセンティブがなかなか働かないわけでありまして、非常に難しいと思うわけです。その辺について、これからの問題だとおっしゃられたんですけれども、何か方策がないかなと、私もいろいろ考えるんですが、現実に、そういう村長さんや町長さんとお話しするんですが、なかなか難しいんですね。この辺は、何かいいお知恵はないものでしょうか。
森田参考人 お答えいたします。
 結論からいいますと、いい知恵がなかなかないので苦労しているところでございますけれども、いろいろな考え方があろうかと思います。経済的な合理性を非常に強調される方の場合には、そうした中山間地域の行政サービスが非常に効率の悪いようなところに人が住んでいらっしゃるという状態を何とか改善できないか。そのために、できるだけ集まって暮らしていただくような形での移動というものは考えられないのか。あるいは、それを何らかの政策的手段でやるか、あるいは実質的に財政的な措置を講じなければそういう現象が起こるのではないかという御意見もございます。
 ただ、これは、それぞれみんな生まれたところで暮らし、そしてそこで人生の最後を終えるというのは一つの人間のまさに権利であるとしますと、それをそういう形で変えてしまうのはなかなか難しかろう。しかしながら、そういうところで暮らしている方に対してもきちっとした今までと同じような形でのサービスを維持していくというのは、これはまた非常に難しい話でございます。
 現在のところ、私自身は、そうした中山間地域はともかくとしまして、地方の中核的な都市というものを、もう少し元気を出すような仕組みは考えられないのか。そこが中心になって、さらに周辺部に対して何らかのサービスを、まあ今と同じ水準が維持できるかどうかは知りませんけれども、考えられないのかということを少しは考えております。
 もう一つは、そうはいいましても、日本の場合は、東京を中心とする都市部が突出して経済的な力も強いわけでございまして、それをどういう形で地方に配分していくのか。これは、形を変えた交付税制度といいましょうか、交付税制度の形をどう変えていくかという話になるのかもしれませんけれども。効率的で、ある意味でいいますと、きちっと説明のつくような制度がどういうものがあるのか、その辺についてこれから考えていかなければならないところではないかと思っておりまして、そこから先は、まだ私自身もいい知恵はございません。
 以上でございます。
藤島小委員 最後に一問ですけれども、国と地方自治体との関係で、従来言われていた機関委任事務は廃止されたわけですけれども、この成果についてはどのように評価されておりましょうか。
森田参考人 これも、機関委任事務の数自体が数百ございますし、それぞれの市町村の中で数十年にわたって定着した仕事のやり方ですので、それが全体としてどうなっているかということについては一言ではなかなかお答えしにくいところがございますけれども、いろいろと聞こえてくるところでいいますと、この機関委任事務制度がなくなった結果としまして、それぞれの自治体でいろいろなことができるようになった、そういう意味でのプラスの評価というものはかなり聞こえてくるところでございます。特に、財政上の問題がございますので、いろいろと行政改革なりなんなりができるようになったというところはございます。
 しかしながら、反面におきましては、自分たちでもって条例をつくり基準をつくるということ、これがかなり大変な作業になるということで、それについてなかなか思うようにその能力を発揮できないという声も聞かれてまいります。また、他方におきましては、相当長期にわたって定着してきた制度でございますので簡単にはなかなか変わらない、いまだもって機関委任事務的な慣行が続いているところがあるようにも聞いておりまして、こういったところは、なるべくそういうものをピックアップして、表に出すことによって改善を進めていく必要があるのではないか、かように思っている次第でございます。
 以上でございます。
藤島小委員 ありがとうございました。
 終わります。
保岡小委員長 時間内の質疑、御協力ありがとうございました。
 春名直章君。
春名小委員 日本共産党の春名直章でございます。
 きょうは、先生、どうもありがとうございました。
 二十一世紀の地方自治を考えるときに、憲法の今お話も出ました第八章、地方自治を規定している、その意義を踏まえていくことが私は大事かなと思っております。
 それで、戦前は、地方制度というのはもちろんありましたけれども、真の意味での地方自治は保障されていなかったと思うんですね。知事は官選ですし、それから内務大臣が議会の解散権まで持っていますし、こういうことでは地方の自治権の拡充とか住民自治の要求というのは実現できる保障がなかったわけですね。大日本帝国憲法にもその保障はありませんでした。
 戦後の地方制度改革なんですが、一九四六年の九月に、府県制、東京都制、市制、町村制に関する諸法律が改正されております。それで、その内容は、地方自治体の自治権の強化、住民自治、これを導入することによって地方自治を確立するということが核心的な部分だったんじゃないかと思います。同時に、一緒に作業が進んでいた日本国憲法の制定過程の中で、第八章に四つの条文が設けられて、地方自治の原則が憲法的に保障されるという経過をたどっていると思います。
 その点、憲法に第八章、地方自治が設けられたことの意義、ここを私はぜひ参考人にお聞かせいただきたいなと思います。
森田参考人 お答えいたします。
 先ほど申し上げましたように、私自身憲法を専門としておりませんので一般的な回答にならざるを得ないわけでございますけれども、少なくとも、あの時点で地方自治ということが憲法上保障された、いわゆる制度的な保障をされたというのは世界でも画期的なことであったと思っておりまして、そのことの持つ意義は大変大きいと思いますし、特にそれが、それ以前の時代との対比において、持つことの意義は幾ら強調してもし過ぎることがないのではないか、かように思っております。
春名小委員 続いて、地方自治制度の意義なんですけれども、住民の人権保障と民主主義を体現するといいますか、実践するということがその中心じゃないかと思うんですが、先ほどもお話が出た団体自治と並んで、地方自治の本旨の中身として、住民自治がやはり大きな柱であると思うんですよ。この意義は非常に私は大きいと思っていまして、それを保障するために、地方議会の議員あるいは自治体の首長を直接選挙で選ぶ、あるいは地方自治特別法に関する住民投票というのが憲法上規定されているというふうに思います。この住民自治の今日的な意義、これぜひ御見解をお聞かせいただきたい。
 それと関連して、合併の問題との関係なんですけれども、合併ということでいいますと、行政を大きくして、財政も大きくして、団体自治を強化して行政の効率化を図るという意味での趣旨は私も理解しているつもりなんですけれども、ただ、その議論だけでいきますと、本来、自治というのは、住民がみずから治めるということであって、住民自治なんですね。そこの側面を本当にそこで保障していく、いや、強化していく上で何が大事になるのかという議論がもっと私はやられていいんじゃないかというふうに思うんですよ。むしろ、大きな合併を進めていけばその側面が薄くなるという傾向にもなると思うんですね。
 この点、合併との関係、それから本来の住民自治の意義、そこらあたりをこれからどう発露していくのか、どういう意義があるのか、そのあたりをぜひ聞かせていただけたらと思います。
森田参考人 お答えいたします。
 少なくとも、戦後の憲法第八章に基づきます地方自治制度のもとで、住民自治というものがきちっと制度的に位置づけられたということの持つ意義は大変大きいと思います。少なくとも、それ以前の地方自治というのは、いわば地域的な慣行の尊重にとどまっていた、これはちょっと言い過ぎかもしれませんけれども。それに対しまして、主権者といいましょうか、地域の自治体の担い手、主役は住民であるということを位置づけたものであろうかと思いますし、法律の研究者の中には、この九十五条はアメリカ的なレファレンダムの仕組みを導入したという意味で、やや憲法体系で異質であるという位置づけもされているところがあろうかと思いますけれども、まさに九十五条は、その団体の議会の同意ではなしに、住民による投票において過半数の支持を得るということを示しているわけでして、このことが持っている直接民主主義といいましょうか住民自治の考え方というのは大変重いものがあろうかと思います。
 ところで、合併と住民自治の関係でございますけれども、先ほど意見を申し上げたときにも触れましたけれども、これは確かに、おっしゃるとおりに、大変難しい問題でございまして、両方を両立させるということはなかなかできないのではないかと思います。住民自治の充実ということを考えた場合には、まさに市町村長さんが住民の顔が見えるような規模が適切であるということになると思いますし、住民が発言をすればそれがそれぞれの市町村の政策に反映されるような、その規模が適切であるということは一つの理想として言えるかと思います。
 しかしながら、現実の問題といたしましては、当初の小学校を中心として運営していた市町村の時代と違いまして、現在の市町村の仕事と範囲は非常に広がっておりますし、それが住民の福祉あるいはその都市のあり方に大変大きな影響を及ぼしております。そして、それを支えていくための高度の行財政の能力というものを考えたときに、住民自治の観点からだけその規模をとらえることができないというのも、これまた間違いのないところではないかと思っておりまして、先ほど申し上げましたように、両者は一見トレードオフの関係に立つわけでして、その中でどこが均衡点として望ましいのか、それをそれぞれのところが考えていく必要があるのではないかと思います。
 ただ、ある程度規模が大きくなったといたしましても、現在のIT技術その他を使いますと、いろいろな新しい形での住民参加、住民自治ということも可能ではないかと思っておりますので、その規模の問題と離れて、そうした新しい住民自治のあり方を模索していくという努力も怠ってはならない、かように考えているところでございます。
 以上でございます。
春名小委員 どうもありがとうございます。
 ただ、今の進め方で、先生も危惧されているということで、一千を目標にして十七年の三月末までというような進め方、私の印象では、それ自身が、住民自治、分権という角度からいえば、どうかなという印象をやはり少し持っているということだけは言っておきたいと思います。
 ちょっと一点教えていただきたいんですが、先生は地方分権推進委員会の参与もされていて、大変見識深いわけなんですけれども、九四年の第二十四次地方制度調査会では、地方分権を進めるには、分権の受け皿になれる大きな自治体をつくる必要があるという意見がそれまであったんですが、一応それを退けて、現行の府県、市町村の制度は今の日本の社会に定着しているから、当面、これを前提に分権を行うべきであると。つまり、合併することによって地方分権の受け皿をつくる、そういう受け皿論ということはどうか、棚上げしてやろうという議論があったやに私は勉強してみて聞いておるんですね。しかし、あるときからそれがなくなってしまって、分権のためには合併せざるを得ないという前提みたいなことになってきている傾向が私は読み取れるわけなんですが、その辺の議論の経過というんですか、どうなんでしょうか。
森田参考人 お答えいたします。
 九四年の時点と、あるいは九五年に分権推進委員会が発足したときにはまだ参与という制度ができてございませんでしたので、私自身は九六年の四月から分権推進委員会にかかわっております。したがいまして、それ以前のことにつきましては先生と同じく勉強して学んだということでございます。
 当初、地方分権推進委員会が分権を進めていく場合に、いわゆる受け皿がきちっとした能力を持っていない以上、分権は進められないのではないかという議論と、いや、そうではなくて、それぞれの市町村が力は持っていないとしますと、それは、これまでそうした仕事についてきちっとした責任ある権限を与えられていなかったからではないかと。言うなれば卵か鶏かというような形での議論があったわけでございまして、少なくとも、制度上の分権を進めるためには、受け皿論というものをしている限りではなかなか進まないのではないか。そこで、それを一応棚上げするという形で地方分権を進めていくということが行われたというふうに聞いております。
 その原則そのものはまだ変わらないという考え方を持たれている方もいらっしゃるかと思いますし、変更したということは明確にどこかの時点でされたかといいますと、それも聞いておりませんけれども、いずれにいたしましても、機関委任事務制度を廃止といたします第一次の分権改革はそれを前提にして進められたというふうに考えております。厳密に申し上げますと、第二次勧告でもって合併の話に触れておりますので、その時点から受け皿の話がまた復活したといえばそうなのかもしれませんけれども。
 現在の合併について申し上げますと、これも先ほどの意見を申し上げたところで触れたことですけれども、分権推進委員会が出発したときの我が国の行財政の状況と、その後の特に財政状況というものは大きく変わってきている、そうした新たな状況認識に立ってこの合併の問題というものも進められ、考えられる必要があるのではないかというのが私の考え方でございます。
 以上でございます。
春名小委員 どうもありがとうございました。
保岡小委員長 横光克彦君。
横光小委員 社民党の横光克彦でございます。
 森田参考人には、きょうは貴重ないろいろな御意見、ありがとうございます。
 合併特例法これあり、私の地元の方でも、この合併に向けて各自治体、大きな動きを進めております。この平成の大合併によって、戦後日本の地方自治制度そのものが大変重大な転換期を迎えると言っても過言ではないと私は思うんですね。
 市町村合併は、小泉改革の骨太の方針の中でも、構造改革の一つとして位置づけられているわけでございます。先ほどからお話ございますように、税財源と補助金の見直し、この必要性を私も全面的に否定するものではないんですが、それでも、地方が甘えているとか、あるいは地方行財政こそが最後の護送船団だとかいう認識もあろうかと思いますが、これは一方的な認識ではないかという声もあるんですね。合併特例法というあめがある一方で、骨太の方針の中では、小規模町村の場合は仕事と責任を小さくするというおどしのような形、あるいは地方交付税の例の算定における段階補正の割り増しの削減というむちも盛り込まれております。
 この段階補正の見直しによる合併推進について、私の地元の方の、とりわけ中山間地の市町村長さんの方々からは、これはまさに兵糧攻めだという声も上がっているんですが、このような意見についてはどのようにお考えでしょうか。
森田参考人 お答えいたします。
 合併推進のための特例法による財政上の優遇措置というのがあめであり、それがインセンティブである、他方におきまして段階補正の見直しが行われて、これはむちであるという言い方をされております。
 段階補正の見直しというものをどのような理由でどう考えるかにつきましては、私自身も必ずしも十分認識しているところではございませんのでなかなか難しいところでございますけれども、少なくとも地方交付税制度そのものにつきましては、御存じのとおり、国税の一定割合を原資としまして、地方の基準財政需要額から基準財政収入額を引いた差額を補てんするという仕組みでございますけれども、現在は、その入り口の国税の一定割合と出る方の間で相当大きな乖離が生じてきているわけでございます。
 そういう意味でいいますと、少なくとも、交付税の仕組みを今までどおり一般会計から借り入れる形で維持していくということ自体は、もはや難しいのではないかというふうに考えているわけでございます。そういった意味でいいますと、交付税そのものを見直していかなければいけない。
 しかしながら、ここ何年か交付税の全体としての規模はそれほど変わっていないと思いますけれども、その大きな原因は、これも計量的にきちっと検証したわけではございませんけれども、一つは、これまでは富裕団体で、不交付団体か、あるいは交付税をほとんど受け取っていなかった大都市部の大きな県であるとか政令指定都市が、最近の経済状況の悪化によっていずれも財政事情が悪化し、非常に大規模な交付税を受け取る交付団体に変わってきております。そういう意味でいいますと、全体として交付税そのものが不足しているわけでございまして、それがいろいろなところにあらわれているのではないかと思いまして、その一環であろうかと思います。
 したがいまして、殊さらそれをむちとして政策手段で使ったかどうかということについては何とも申し上げかねますけれども、もしそれがいけないといたしましても、現在のままで交付税制度を維持するということ自体はまず無理ではないかなというふうに考えております。したがって、それをどう解釈するかの話かなというふうに思います。
 以上でございます。
横光小委員 非常に難しい分岐点だと私は思うんですが、国がしゃにむにと言っていいかどうかわからないけれども、そういった形で合併を強行しようとすればするほど、自治体あるいは地域住民からは疑問や反発の声も大きくなってくるところもあるわけですね。
 昨年の十月に、茨城県との境に位置しております福島県の矢祭町は、国の進める合併について、小規模自治体をなくし、地方交付税交付金や補助金を削減して財政再建に役立てようとする意図が明確であるという趣旨のもとで、町議会で「市町村合併をしない矢祭町宣言」を全会一致で決議しておるんですね、大変有名になったわけです。この宣言を受けて、今度は、総務省の担当者が住民の意見を聞くようにという提案で、住民投票が行われた結果、七割の町民の方々が「市町村合併をしない矢祭町宣言」を支持している、こういった結果が出ている。さらに、山梨県の早川町でも、町長が、どこの町村とも合併しない決意だと、合併しない宣言をするなど、いろいろ声が上がっている。ある意味では、勇気のある選択の声だと私は思うんです。
 私は、民主主義というものはお金にかえられないものだと思うんですね。独立独歩の精神で今の町を引き継いでいこう、そういう選択肢もあってもいいのではないか、そういった選択肢こそ地方自治の本旨からいって当然であるという考えもあると私は思うんですが、参考人はいかがでしょうか。
森田参考人 お答えいたします。
 基本的に、民主主義でいろいろな選択肢があり、地域の住民の方がそれを選択されるということについては、先生と同じで全く否定するつもりはございません。ただ、矢祭町については、私も新聞報道等で耳にしているだけでございますので詳しいことは存じませんけれども、たしか、相当財政上も、交付税もかなりの額を受け取っていらっしゃるところだと思います。それが相当将来的に減らされたとしても、地域の住民の方がそれでしっかりと耐えていく、それでも自分たちの自治体、町を維持していくということを十分認識された上で選択されるならば、何らそれは問題ないのではないかなと思っております。
 アンケート調査がどうなされているのかわかりませんけれども、合併についてのアンケート調査は、全国各地で見ますと、合併について賛成ですか、反対ですかという比較的シンプルな聞き方をするところが多いわけでございまして、しない場合にどういう結果が生じるか、しかも、近未来ではなしに相当長期にわたって、次の世代にわたってどういう負担がかかるのか、どういうことが起こるのか、そういう情報を提供した上で判断を仰いでいるというのは余りないような気がいたしますので、そこはこれからの合併推進における一番大きな課題だと思います。
 少なくとも、市町村長あるいは市の職員の方は十分問題状況を認識されておられますし、また議会の議員の方もかなり勉強されていると思いますけれども、住民の方が、今置かれているそれぞれの自分たちの自治体の財政状況について十分認識された上で選択されているかどうか、そこの情報提供がこれからのポイントではないか、かように考えております。
 若干余計なこともつけ加えましたが、以上でございます。
横光小委員 確かに、住民投票のやり方というのは、私も中身はわかりません。今のように、賛成か反対かだけなのか、あるいは賛成した場合こういうことになる、反対した場合は地方交付税がこういうことになる、住民の負担は大きくなるとか、いろいろな項目を書いた上での投票かどうかというのは定かではないんですが、いずれにしても、先ほどから参考人もおっしゃっておりますように、自治体の主人公は住民であるということから、住民投票の意義は非常に大きいと思うんです。
 今回成立した地方自治法一部改正案では、まさに、議会が否決されたときに限って行われるという非常に入り口の投票にすぎない、そういったことが成立してしまっているわけですが、合併協議会設置後の新しい自治体づくりを行政と議会に白紙委任するのではなく、やはり住民の声が最大限考慮に入れられた形でこの問題が進められていくべきだ、私はこのように思っております。
 終わります。ありがとうございました。
保岡小委員長 渡辺博道君。
渡辺(博)小委員 自由民主党の渡辺博道でございます。
 先生には、きょう本当にお忙しい中、参考人としていろいろな御教示をいただきましたことを心から感謝を申し上げます。
 さて、二十一世紀を見たときに、日本の社会構造がどういうふうになっていくかということが、私はこれから大変重要だというふうに思います。その中で、一月に、人口問題研究所から将来推計が出されております。先ほど先生も御指摘ありましたとおり、二〇〇六年が日本の人口のピークだというふうに言われておりまして、五十年後はどういう状態になるかということの推計が出されておりまして、そういった中で、約一億人ぐらいになってしまうという推計ですね。そしてまた、人口の構成が、六十五歳以上が三五%を超えてしまう。平均寿命も、男性にあっては八十歳、女性にあっては八十九歳というような推計がなされているわけであります。
 そうした現実をとらえていくと、まずは、少なくとも、高齢化社会が現実の問題としてかなり進捗していくということは国民の皆さんはだれもが理解していくわけでありますが、その際、高齢化に伴って自分たちの生活の安心感をどういう形で担保していくか、大変重要な問題がこれから待ち受けているわけであります。その際、一番身近なところで自分たちは生活していくんだという意識はますます高まっていくのではないかな、そのように思うわけであります。したがって、これからの問題については、まさに地方分権ということが国民的要請であることは間違いないというふうに私は思うわけであります。
 そういった中で、過去の市町村の動きを、先ほど伊藤委員の方もありましたけれども、明治時代には七万という自治体があった、そして戦後、昭和の大改革においては三千四百七十二に減っていった。今回、さらに合併を推進することによって、千団体ぐらいにしていこうというような動きがあります。
 実際に今の自治体を見ますと、先ほども先生おっしゃいましたけれども、横浜のように三百万を超える都市、そしてまた数百の村というような形で、多種多様な自治体があるということでありますけれども、こういった問題を考えたときに、地方自治体の適正規模というものをどのように考えたらいいのかなということであります。昭和の大合併のときの数値基準としては、最低でも八千人というようなことを言われているわけでありますが、こういった問題について、先生はどのようにお考えでしょうか。
森田参考人 お答えいたします。
 適正規模論というのは、合併の話をした場合必ず出てくることでございまして、先ほど申し上げました、旧自治省における合併研究会におきましても、これもかなり大きな論点になったところでございます。
 今も御指摘ございましたように、昭和の大合併のときには、ミニマムの規模を引き上げるということで、中学校が一つ維持できる規模と言われておりました人口八千に最低規模を引き上げるということが数値目標として掲げられたわけでございまして、それ以上の規模のところについては、そのまま特に何も、自主的な合併をお進めになるのは差し支えないけれども、合併を慫慂するということはなかったわけでございます。
 ところが、今回は、それについてはどうかということは議論が出ました。当時と比べますと、国全体の人口はふえておりますけれども、都市部への集中化が進んでおりまして、農村部の方はむしろ過疎化が進行しております。したがいまして、適正規模をどう考えるかといいましても、都市部と農村部でやはり同じ基準というわけにはいかないであろう。農村部においては人口一万人にするというのがいろいろな意味で一つの基準になり得たわけでございます。
 その理由は、一人当たりの行政経費を、面積にかかわらず人口だけで考えていった場合に、研究によっていろいろ差がありますけれども、人口十五万から三十万ぐらいが一番少なくて、それより多くなりますと、都市型でふえてまいります。十五万を切った場合には、だんだん人口が減るにつれて一人当たりの経費がふえてきますけれども、一万を切ったところから急速に経費が上がってくるわけでございます。そういう意味では、一万規模が望ましいのではないかということも言われているわけでございますけれども、現実の問題といたしまして、人口一万の規模の自治体をつくるということも相当難しいところがございます。
 他方、東京の周辺、例えば埼玉県の南部であるとか大阪市の周辺部の市町村の場合ですと、人口何十万という規模を持ちながらも、それでは、十分にそれでやっていけるのか、あるいは都市の形でふさわしいのかというと、必ずしもそうではない。そういう意味でいいますと、規模に応じた、あるいは置かれている状況に応じて適正規模も変わってくるのではないか。
 一応、旧自治省から出されました指針では、一万から二万、そして五万の市、そして十万、続いて二十万、三十万の特例市、中核市、そして政令市と幾つかの段階を掲げ、それぞれの地域に応じた形でその上の段階のものを適正規模と考えてはいかがですかというような言い方をしておりますが、この問題は、一律にこれが適正規模、こうであるということはなかなか言いにくいところだと思います。
 ある方に言わせますと、大体人口二十万ぐらいの規模になりますと、いろいろな意味で能力もつき、そしてまた小回りもきく、適正規模であるという御意見もございますけれども、都市部におきましては、なかなかそれだけの自律性を持たないで二十万を超えるところがたくさんございますし、逆に、農村部に行きますと、二十万の規模にするということは非常に広大な面積をカバーしなければ成り立ち得ないというところもございます。
 そういう意味でいいますと、適正規模論という議論の立て方自体、よほど気をつけなければ、誤解を招きかねないのではないか、かように考えております。
 以上でございます。
渡辺(博)小委員 そうしますと、市町村の類型をしてみますと、今、政令指定都市、中核都市そしてまたその他の小規模都市というような形になると思いますけれども、先ほどの先生の方の類型の中に四分類ございますね。現在、市町村制度が一律にこういう形で包括的に規定されているんですね。この一律に規定すること自体がもう限界に来ているんではないかなというふうに私は思うのであります。
 例えば、大都市については、国の補助とかそういったものはもう要らないんじゃないか。先ほどの、自主財源比率が低い中山間地域に、幾ら頑張ったって自主財源をそれ以上確保できない、であれば、これはどこで支援していくかということになると、やはり県なり国なりがしていかなければならないということはもう明らかだと思うんですね。したがって、市町村制度そのものも本格的に考えていく、一律的じゃなくて、分割してある程度物事を考えていく時代に来たんではないかなというふうに思います。
 それと同時に、市町村の権限と、同じ自治体でありながら、都道府県の役割との関係がまさに問われる時代になってきたんだというふうに思います。そうした中で、特に市町村と県との役割、その関係について、先生のお考えをお聞かせいただきたいと思います。
森田参考人 お答えいたします。
 最後の質問ではなくて、冒頭におっしゃったことにちょっと触れさせていただきますと、確かに、現在では一律の形で市町村制度を維持していくということ自体はかなり不合理になってきているというふうに思いまして、おっしゃいましたように、大都市に関して言いますと、かつて特別市という考え方がございましたけれども、県と並ぶような大都市、他方におきましては、中二階といいましょうか、いわゆる県の天井を下げるか、あるいは別の形でもう一階設ける必要がある、そういう地域もあろうかなと思っております。
 先ほど意見を申し上げたときにも触れましたけれども、そうした多様性を前提にいたしますと、県のあり方あるいは県と市町村の関係というものもまた多様なものとして考えざるを得ないのではないかと思います。少なくとも政令指定都市のような県と同格の、県の外に出る基礎自治体をつくったような場合には、そこと都道府県の関係というのは、むしろこれは対等の水平的な関係になろうかと思います。現在は、県が一応市の上にあるということから、非常に複雑な二重行政その他の問題が指摘されておりますけれども、そこを整理すると、今度は水平的な関係で調整の話が出てくるかと思います。
 今度は逆に、小さな町村に関して言いますと、都道府県の役割が、先ほども触れましたようにかなり重要になってまいりますけれども、そこでは、今度は県と市町村の関係をどういうふうにとらえたらいいのか。あくまでも市町村を支援するという形での対等な関係に位置づけるべきなのか。あるいは、統制の関係というのはやや強過ぎるかもしれませんけれども、何らかの形で指導的な地位というものを認めていくような形にせざるを得ないのか。少なくとも行政面におきましては、市町村ができる範囲が減少してくるわけでございますので、そういった意味での行政の調整のあり方をどうするかというのは、これは、これからの課題であろうかと思いますけれども、なかなか難しい問題を幾つも含んでいる論点かなというふうに思っております。
 その一つのあり方としましては、これは単なる可能性ですけれども、県も参加したような広域連合という形で、県と市町村の水平的な形での共同作業というものが可能なのかどうか。現実の問題としましては、それはそれとしてまたいろいろな問題が出てくると思いますけれども、そうしたものも可能性としては検討するに値するのではないか、かように思っております。
 以上でございます。
渡辺(博)小委員 ありがとうございました。
保岡小委員長 中村哲治君。
中村(哲)小委員 民主党・無所属クラブの中村哲治でございます。
 先生にまずお伺いしたいことは、政令都市と府県との関係はこのままでいいのかということでございます。
 私は、地元が奈良県でございます。隣に大阪府がございます。大阪府の方とお話をしたときに、大阪市と大阪府の関係が非常に不幸だと思う、それは市民の方の意見ですが、そういう意見を聞いております。と申しますのは、結局、府がやるようなことを市ができる権限を持っておりますから、施設も何も大阪市の中に府のものも市のものもできてしまう。結局、有効利用がなかなか図れないというような話もありました。
 この政令市が大きな権限を持つことが本当に府県にとっていいことなのか、特にその府県のほかの地域の市町村にとっていいことなのかどうかということに関しては、もう一度考え直す時期に入っているのではないかと私は思うのですが、その点についての御意見をお聞かせください。
森田参考人 お答えいたします。
 政令市と府県の関係といいますのは、先ほど申し上げましたように、地方分権が進み、また政令市がふえてまいりますと、相当深刻な問題として浮上してくるのは間違いないと思います。現在でも、府県と政令市の間はかなり権限が競合するとか、あるいは、政令市の場合は御存じのとおり府県会議員の方が行政区で選ばれますので、全体として代表される方がいないとか、そうした選挙制度のあり方も、あるいは代表制度のあり方も含めましていろいろな問題点がたくさん残っているところでございます。
 かつては、政令市、特に旧六大市のうち東京を除きます五大市に関して言いますと、府県並みの権限を与えて府県から独立させるという話もございましたけれども、当時はそれでもまだ、大阪にしましても横浜にしても自律的な都市であったのかもしれませんけれども、今日では、今のお話もございましたけれども、大阪市の影響といいましょうか、その都市圏というのは大阪府を越えて広がっているわけでございまして、その中で政令市だけ自立をさせて県並みにするということになりますと、そのほかの部分がどういう扱いになるのかということについて大変難しい問題が生じてくるところではないかと思います。
 他方では、現在、二つ政令市を抱えております県が福岡県と神奈川県とございますけれども、神奈川県の場合について言いますと、人口の半分以上が横浜、川崎という政令市の中で住んでいらっしゃる。県会議員の方も過半数がそちらから選出されている。そういう形で、県が一体どうあるべきか、何をすべきなのかというのはかなり議論が出ているところでございますけれども、やはり地方分権あるいはそれぞれの都市の自律性ということを考えた場合には、少なくとも競合する部分については整理をする必要があるのではないかなと思っておりますし、その意味でいいますと、政令市は府県から出して都市というものを考えていくのも一つの選択肢ではないかなと思っております。
 しかし、その場合には、今度は、例えば政令市といいましても、川崎市なんかですとそれほど面積は広くありませんので、広域的な課題については県との間での調整の問題が出てくるわけでございまして、これはいずれも、地方制度の問題については、一つの方向で解決すればすべていいというものはないと思いますけれども、そのバランスをどうとるのかなというところが問題かと思いますけれども、私自身は、むしろ政令市というものは、ある意味で県から離脱していくというのも一つの選択肢としてあり得るのではないかなと考えております。
中村(哲)小委員 そのときに私が問題だと思うのは、先ほどおっしゃいましたように、人口は都市部へ集中をされております。人口はすべて都市部に集中する中で、都市の人間が、自分たちで県から独立する形で自治体をつくって、都市のことだけ考えてしまう構造ができてしまうことになる。これは、税財源を移譲することによって非常に問題が起きるんじゃないかなと私は思います。地方のある意味切り捨てになってしまうんじゃないか。
 今は都道府県の方から市町村に対して人事交流もあるようですが、基礎自治体同士の人事交流を私はすべきじゃないかと思っております。先生がおっしゃるように、政令市が府県から独立するような形になってしまうと、その都道府県の中にある政令都市で働く人間は都市のことだけを考えてしまう。そうすると、都市部へ人口が集中している構造にあって、都市部で働く公務員に全く地方の感覚というものが反映しないことになってしまうんじゃないか、私はこのように考えまして、むしろ都道府県というものは広域化していく。
 例えば、近畿の場合であれば、大阪市を中心とする経済圏はすべて広域化していく、その中で基礎自治体を考えていく、それは政令都市も市町村も同じことなんですが、そして、その基礎自治体同士の人事交流を進めていくということが大切なのじゃないかというふうに考えるんですけれども、それについての御意見をお聞かせください。
森田参考人 お答えいたします。
 都市が自立した場合にその都市のことだけ考えるのではないかという御意見ですけれども、これは、いずこもそういう問題はあろうかと思いますし、制度を変えることによってそこにいる人の意識をどの程度変えることができるのか、これはなかなか難しいところではないかと思います。
 そもそも政令指定都市の制度自体は、戦前からありました旧六大市を、東京を除いた五大市を県並みに扱うといいましょうか、県と同じぐらいの力を持った都市であるということで、それらの都市そのものは、その後につくられました札幌とか仙台とか福岡なんかもそうですけれども、その都市だけではなしに、その地域、ブロック圏におけるいわば中枢的な機能を果たすべき、そうした位置づけがされていたのではないかなと思っております。
 ところが、最近では、横浜、川崎、千葉もそうですし、恐らく今度できるさいたま市もそうだと思いますけれども、東京都市圏の拡大により、それらの政令市に関して言いますと、それ自体が、中核的な都市の象徴であるべき昼間人口と夜間人口の比でいいますと、夜間人口の方が大きくなっております。こういうことはどういうことかといいますと、東京都市圏の郊外的な位置づけになっているわけでございまして、そういう意味でいいますと、都市としての性格自体もかなり変わってきている。
 このようなことを考えますと、今もおっしゃいましたけれども、人事交流を初めとして、いろいろな形での情報交換であるとか交流、それによって調整を進めていく仕組みを考えていかざるを得ないのではないかなと思っております。
 他面におきましては、それらの都市の場合には、その都市内において完結するさまざまな仕事もあるわけでございまして、都道府県からいいますと、警察その他を除きましては、既にほとんどが政令市には移されている。
 そういう現状を考えますと、都市としての完結したものを合理的に行うにはどれぐらいがいいのか、あるいは外部との調整との関係をどのように考えるのか、そうしたことを考慮せざるを得ないわけでございまして、そうした観点から見たとき、私自身はやはり、都市はそれなりに自立して、自己完結的な形で行政を行っていく方が望ましい、そちらの可能性に傾斜しているといいますか、そちらの方を重視したいというふうに考えているというところでございます。
 以上でございます。
中村(哲)小委員 おっしゃることはわかるんですが、例えば私の選挙区であります生駒市、生駒郡などは、電車に乗って大阪市に通われている方がたくさんいらっしゃいます。そうしてくると、都市の機能としては生活圏からという考え方をすると、そこまで大阪市の範囲を拡大していってこそ成り立つ議論が先生の御理論ではないかと思うんですけれども、そこはどのようにお考えになっておられるでしょうか。
森田参考人 お答えいたします。
 先ほどちょっと触れなかったといいましょうか、言い忘れたところかもしれませんけれども、この議論をしていく場合には、当然のことながら現在の都道府県のあり方がいいのかどうかという話にもなってまいりまして、関西の大阪、奈良、和歌山に関していいますと、かつてからございますように、多分、都道府県そのものの単位が小さ過ぎるのではないかということになってくるのではないかと思います。
 今お話がございましたように、生駒市が大阪市の中に入ってしまっていいのではないかという考え方もあろうかと思いますけれども、やはり地理的にある程度の範囲というものはおのずから行政のサービスの質から決まってくるところだと思いますので、それはそれとして単位として残しながら、さらに大きな、例えば交通であるとか大規模な施設であるとかそうしたものについては広域的な対応をする必要があるということでございまして、その単位として都道府県が適切であるかどうかということにつきましては、今の御質問に対するお答えになろうかと思いますけれども、都道府県のあり方そのものを見直していくというのが筋ではないかな、かように考えます。
保岡小委員長 森岡正宏君。
森岡小委員 自由民主党の森岡正宏でございます。
 森田先生、きょうは本当に貴重な御意見をいろいろお聞かせいただきまして、ありがとうございます。
 私、今御質問のあった中村委員の隣の選挙区、奈良市を中心としている選挙区から出ている議員でございますが、我が奈良県の場合を見ておりますと、南の方の吉野郡は大体人口七、八百人から数千人の村々が寄り集まっているところが非常に多いわけでございまして、そういう、面積は非常に大きいし高齢化が進んでいる、しかし財政的には非常に脆弱だというような地域が合併を進めようとしている。
 そしてまた、奈良県の中央部へ行きますと、明日香村のように、ちいちゃな村でございますけれども、国の特別立法によって守られている、非常にアイデンティティーの強い村がございます。
 そしてまた、私の選挙区は奈良市でございますが、京都府と隣接しておりまして、京都府の南の町村の人たちは、文化圏、経済圏は奈良だ、むしろ合併するなら奈良と合併した方がいいんじゃないかなというふうに思ったりしておられる方がいらっしゃる。
 そういうことを考えますと、今総務省が進めております市町村合併は、都道府県を単位に、非常に強くその枠を縛って進めようとしている。しかし、果たしてこれがいいんだろうかなという思いも持つわけでございます。また、明日香村のように、一つの村で非常にいいアイデンティティーがある、ほかの町村と合併して果たしてどういうメリットがあるのかというようなこともあるわけでございます。そんな点につきまして、ちょっと森田先生の御感想をお聞かせいただきたいと思います。
森田参考人 お答えいたします。
 今御質問のところは幾つか論点があろうかと思いますけれども、一つは、国の一律的な合併の進め方についてどうかという御質問と、もう一つは、これまでなかった御指摘かと思いますけれども、合併の形が、県境を越えたような形で地域、地元からは考えられるというときに、県を単位とした国の合併の進め方はいかがなものかということかと思います。
 前者につきましては、先ほど意見を申し上げたところでも触れましたけれども、やはり多様な形というものをもう少し考えていく必要があるのではないかと私自身思っております。
 しかしながら、それぞれ地域のところで合併の形を考えてくださいという投げかけ方をしていたのでは、なかなか合併についての機運が盛り上がらなかったということも間違いないかと思います。
 したがいまして、二点目と関連しておりますけれども、これからこの問題に取り組む場合には、それぞれの地域として、先ほど申し上げました財政上の課題あるいは人口減少とか、将来発生するであろう事態に対して、我々の地域のあり方はこれが望ましいというのを地方から発信をしていく、そういうことがこれからは求められるのではないかなと思います。
 ちなみに、これはどういうふうに総務省の側で検討されているかわかりませんけれども、先日、世田谷区と群馬県のある村と合併してはどうかというようなことが、どの程度まじめな議論か知りませんけれども、新聞に出ておりました。そういう可能性というものもちらほら聞かれておりますし、県境を越えた形での合併というものは全国でかなりあろうかと思います。それも、隣接しているところはともかく、かなり広域な範囲にわたって合併の話が出てきていると思います。
 これは、先ほど申し上げましたように、現在進められております合併の背景というのが、これは全国的な問題であって、ある意味でいいますと、地域社会全体がきちっと成り立つような形で絵がかかれなければならない、そういう条件はございますけれども、そういう条件のもとで、地域の方から、こういう形が望ましいのではないかという提案あるいは発言は積極的にされるべきではないかと思いますし、それこそ地方分権の時代に沿う行動ではないか、かように考えております。
森岡小委員 ありがとうございました。
 日本国憲法についてちょっと触れさせていただきたいと思うわけでございますが、今の日本国憲法は、御承知のとおり、第八章に四カ条が書かれているだけでございます。さらに詳細に規定すべきなのか、それとも、今のように立法政策に大方ゆだねるべきなのか、そういうことについての御感想をお聞かせいただきたいと思うわけでございます。
 ドイツなんかを見ましたら、基本法に非常に詳しく、国と地方の役割でありますとかいろいろな権能でありますとか書かれているわけでございますが、フランスなどは、日本とよく似た、簡単に書かれているわけでございます。この点、ちょっと先生の御感想をお聞かせいただけますでしょうか。
森田参考人 お答えいたします。
 外国の例に関して申し上げますと、連邦制の国の場合には、いわゆる州を基本単位として連邦制国家が成り立っておりますので、連邦政府と州政府の関係についてはかなり詳細な規定が憲法に置かれているというのは、これは当然のことかと思います。ただ、州内の地方自治体について州憲法でどの程度保障されているかというのは、これは国によって違っているように思います。
 我が国のように、フランスもそうですけれども、単一主権国家の場合には、地方制度の創設自体が国の権能に属しますので、これが法律事項にゆだねられるというのはある程度当然であろう。したがって、それが憲法上保障されているのが画期的ではないかというのが、先ほどの質問のお答えで申し上げたところでございます。
 現在四条ございますけれども、そのうち、先ほどの九十二条の地方自治の本旨というのはなかなか難しい解釈の問題を生んでいるということは、申し上げたとおりでございます。
 さらに、憲法に何をつけ加えるべきかということにつきましては、これも専門外でございますのできちっとした議論をして考えた上で申し上げるわけではございませんけれども、一部の意見としましては、財政的な面の財源についてきちっと憲法上書くべきではないかという意見もございます。ただ、これは現実の問題として、どういう形で書くか、書くことによってどういう形での保障効果が生まれるのか、これについては、私自身はちょっとよくわかりません。
 もう一点、憲法について言われますのは、憲法九十三条で、「地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。」という条文があるわけでございますけれども、これにつきましては、市町村が現在一律であるというお話がございましたけれども、最も一律なのが、いわば市町村長と議会を置く、そしてそれ以外にも教育委員会であるとか幾つかの行政委員会を置くという、これが最大の必置規制なわけでございますけれども、そういう仕組みになっている。
 世界を見ますと、特にアメリカがそうですけれども、首長と議会を別々に選挙で選ぶか、あるいは、議院内閣制的な形といいましょうか、議会の中からその長を選ぶか、あるいは、日本にはございませんけれども、いわゆる市支配人のような人を雇ってきて行政をゆだねるという市支配人制度を置くか、これはそれぞれの自治体が選択できるようになっている。そういう制度を採用しているところが世界でも幾つかあるわけでございまして、我が国も、規模を考えますと、人口三百四十万の政令市から二百人の村まで同じ形じゃなしに、小さな村の場合にはそういう仕組みもあってもいいのではないか。実際に、地方自治法の九十四条で住民総会という制度も置かれておりますけれども、そうした市町村の組織そのものの多様化というものを認めていいのではないか。
 そういう観点からしますと、今申し上げました九十三条の二項が制約になるという意見もございます。私自身は、これは官選がいかぬという趣旨に理解すればいいのではないかというふうにも思うのでございますけれども、法律の専門の方の場合には、やはりこれがある以上、二元的な代表制の仕組みというものは日本の場合には採用せざるを得ないのではないかという意見がございまして、この辺につきましてはもう少しきちっとした議論を進めていくべき論点ではないかと思います。
 三番目は、先ほど申し上げましたけれども、いわゆる地方自治の本旨に絡みますけれども、国の法律でどこまで地方自治体について細かく決めることができるのか、これは改正というよりもむしろ立法上の慣行の問題になるのかもしれませんけれども、少なくとも、広い意味での憲法における大きな論点であることは指摘しておきたいと思います。
 以上でございます。
森岡小委員 最後に、もう一つだけ伺いたいんですけれども、九十三条の二項で、長の直接公選制は憲法上の要請ということになっておりまして、地方自治体の長もすべて直接選挙ということになっているわけでございます。アメリカのシティーマネジャーのような存在を森田参考人はどういうふうにお考えなのか、簡単にお答えいただければありがたいと思います。
森田参考人 お答えいたします。
 私は、小規模な町村の場合には、行財政の能力をある程度維持していくためには、こうした行政の専門家が、一種の請負といいましょうか、行政の事務を専門家として執行していく、それをしっかりと住民から選ばれた議会が管理をするという仕組みが望ましいのではないか、そういう仕組みを導入する余地を少なくとも設けるべきではないかと思っております。
 それ自体につきましては、首長と議員を選挙で選ぶという仕組みと必ずしも抵触するものではないと思っておりますので、そういう意味でいいますと、憲法上も、なるべく緩やかに解釈すればそういうことが可能であるし、現実の問題としては、そういう制度の導入の余地を設けていく必要があろう、かように考えております。
 以上でございます。
森岡小委員 ありがとうございました。
保岡小委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。
 この際、一言ごあいさつを申し上げます。
 森田参考人におかれましては、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。小委員会を代表して、心から御礼を申し上げる次第でございます。(拍手)
    ―――――――――――――
保岡小委員長 これより、本日の参考人質疑を踏まえ、地方自治について小委員間の自由討議を行いたいと存じます。
 一回の御発言は、五分以内におまとめいただくこととし、小委員長の指名に基づいて、所属会派及び氏名をあらかじめお述べいただいてからお願いいたしたいと存じます。
 小委員の発言時間の経過につきましてのお知らせでございますが、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせしたいと存じます。
 御発言を希望される方は、お手元にあるネームプレートをこのようにお立ていただきたいと存じます。御発言が終わりましたら、戻していただくようにお願いいたします。
 それでは、ただいまから御発言を願いたいと思います。
伊藤(公)小委員 自民党の伊藤公介です。
 先ほど、先生いらっしゃったら、そのときに私はちょっと伺いたいと思ったんですけれども、きょうは市町村合併のことがテーマでいろいろ議論になりましたが、市町村の役割、あり方がこれから変わっていくということになりますと、必然的に、都道府県のあり方をこれからどういうように考えていくかということが間違いなく大きなテーマになっていくんだろうというふうに私は思います。
 自由民主党の中に道州制を実現する議連がありまして、私もそのメンバーの一人で少し学習をしてきたわけでありますけれども、この道州制については、例えば、PHPの学識者グループの中では、州府制構想といいますか、三千二百三十二市町村を大体二百五十七の府にして、四十七都道府県を再編していわゆる十二州にする。あるいは、かつて読売新聞が提案しているわけですが、十二州あるいは三百市体制ですね、先ほどから市町村もどういうサイズにするかという御議論もございましたけれども。それから、日本青年会議所では、全国を八州にして、四百から五百ぐらいの市町村にしたらどうかといういろいろな提案がこれまでもございます。
 三百という市町村の提案は、恐らく、今私たちの衆議院選挙も全国三百選挙区ですから、大体四十万、五十万という人口もそれに配分しているわけですから、そういうことも考えられるのかな。
 全国を十二州くらいにして、アメリカは州制度、ドイツは連邦制度などなどございます。地域の伝統とか歴史とか、そういうものを生かしながら、個性的な地域づくり、地方分権というものを進めていくときには、この道州制のようなものを、市町村合併の問題の議論とともに私たちのこの委員会でもぜひ検討していくべきではないか。私は、道州制の導入にはもちろん賛成という立場で、また時間があれば、ひとつ先生方との御議論もできればというふうに思っております。
中村(哲)小委員 私も、先ほど伊藤委員がおっしゃった方針で検討を進めなくてはならないのではないかと考えております。
 中間的な自治体と言った方がいいのかもしれませんけれども、私は、道州制でなくて、広域共和制というような言い方をした方がいいのかもしれないなと思っておりますが、そこがかなりの役割を果たすような、そういう国のつくり方をした方がいいんじゃないかと考えております。
 先ほど政令指定都市と都道府県との関係について意見を述べさせていただきましたけれども、今のままであれば、都市と地方の乖離はどんどん進んでしまうんじゃないかなと考えております。これを、広域共和制の形で、広域自治体がすべての調整をしていく、都市の基礎自治体と地方の基礎自治体の人事交流も、広域共和制のもと、広域自治体が調整に当たって基礎自治体同士の人事交流を行っていく。こういうふうにしていくと、都市の意見と地方の意見と、本当に人事交流のレベルで、人間のレベルで意見交換ができて、感覚も共有化できる。こういうふうな国のつくりのあり方がいいんじゃないか。特に、経済圏を考えながら、例えば関西の場合だったら、奈良、大阪、京都、和歌山、兵庫などは一つの広域自治体となる方がいいのではないかと私は考えております。
 以上です。
春名小委員 道州制等については、何のためにそれほど自治体の拡大をやる必要があるのかという、そこの理念が私はよく今のところ見えませんので賛同しかねる面はあるんですが、いずれにしても、住民が、どういう自治体に、どういうところに住むのかということを決定することが一番大事なことですので、上から強制することを排除するということが一番大事ではないかと私は思っております。
 それから、先ほどの議論の中で、憲法八章の関係で、財政権が明示されていないからその点どうかという御意見、議論がありましたが、九十二条に、住民自治と団体自治ということが明確に本旨としてうたわれているわけです。その最小限の保障は自主財政権であって、それは学説であって、もう確立されているというふうに私は読み取っていいんじゃないかと思っております。
 さて、財政悪化を理由に市町村合併がかなり声高にきょうも議論されたわけですが、私は、それを言う前に、今日の財政悪化の原因、責任がどこにあるか、何を解決するか、ここが非常に大事なポイントだろうと思います。
 一つは、九〇年代に年間五十兆円規模に膨らんでしまった公共事業費の問題があります。景気対策といって、そのうちの三十兆円が地方に動員させられて、やられてきました。これが一つ。
 二つは、それを推進するために、年度途中の景気対策の地方単独事業の積み増しなどでは、例えば一〇〇%地方債発行を認める。現金が一円もなくても事業ができる。その元利償還七五%余りを後年度で地方交付税で措置する。こういう、交付税を国の政策に活用して、けた外れの誘導装置で事業を推進するというところに重大な地方財政破綻の要因があるということ、ここを明確にして、ここをどう解決するのかこそが今問われていると思います。
 こういう政策の結果、例えば二〇〇〇年度の地方交付税総額二十一兆円になっているんですが、法定五税の交付税額は約十三兆円なんですね。つまり八兆円を超える財源不足が出ているわけです。二〇〇〇年度の基準財政需要額が四十七兆円なんですけれども、先ほど申し上げた、誘導装置といった地方債の元利償還金のための交付税措置の金額が何と六兆三千億円も占めている。一五%占めている。これは、基準財政需要額から基準財政収入額を差し引いた、いわゆる地方交付税総額、二十一兆円と言いましたが、それで見れば約三〇%にも及んでいる。大変な規模になっているわけですね。
 こういう不足額を、交付税率引き上げをしないで交付税特別会計借入金だとかそういう形で自治体の負担として位置づけてきたことによって、百九十六兆円の借金が地方に重ねられるという仕組みになっているわけです。ですから、ここをいかに二十一世紀に財政の改革という形で推進するのか、ひもつきをなくしていくのか、ここを解決しない限りは、私は、市町村合併がその特効薬になるとは全然思いませんし、効率化を多少できるとしても、これぐらいの規模の借金財政を解決するということにはとてもならないというふうに思うんですね。
 この点を明確にして、憲法理念の実現といいますか、この四カ条に掲げられている理念を実現する、そういうやり方をする必要があると私は今実感をしております。
 以上です。
中川(正)小委員 今、国の地方分権議論というのは、どうも推進委員会に非常に依存するところが多くて、私自身反省しているのは、国会の中で具体的な政治決断ができていないところがあるんじゃないかということだと思うんです。きょうの議論でも感じたんですが、大きく三点あると思います。
 一つは、国がどこまでのことをしていくのか、国の権限を逆にコントロールしていく意思を私たち持たなければいけないんだろうというふうに思うんですね。
 具体的に、今回上がってきておるあの消防法なんかは、例えば東京都で、雑居ビルの中にいろいろな物を置いていた、それが、火事になったときに全部邪魔になってうまく消火ができなかった。それに対して法律をつくって、それ全部整理してくれ、こういう話なんですが、こんなものは、本来からいったら、都道府県で、条例でカバーできることなんです。それを国の方が微に入り細に入り全部基準をつくって一律にやるということですね。こんなことが行われているということに対して、我々は意思を持って、ここまでのことしか国はできないよというふうな議論を一度してみなければいけないということだと思います。
 それからもう一つは、財政なんですが、これは大きく二つあるんですけれども、一つは、財務省サイドは、びた一文地方には移さないよ、地方は自分の財源を確保していけ、これが大蔵サイドのスタンスですね。ところが、自治省のサイドは違うんですね。自治省のサイドは、例えば、消費税なりあるいは所得税の一部を財源として地方に、住民税なり地方消費税に移していくという、そんな議論を始めていますが、どちらにしていくのかというのは、これは政治決断なんですね。そういうことについても、これはやはり政治課題として、私たちはもう具体的にそのモデルをつくっていくという作業をしていくべきだというふうに思っております。
 三番目は、これは最終的に自主財源という話になると、地方と都市の問題になってくると思うんです。東京問題なんですよ。自主財源にしていけばいくほど、東京から逆交付税というか、東京から分け与えていただかないと地方は生きていけない、いわゆる調整財源として取れないということも、これもちょっとシミュレーションすれば具体的に出てくる話なんですね。これについても政治が結論を出していないということ、こんなことが問題意識としてあるんじゃないかというふうに思うんです。
 そういう意味で、私たちも党の中にプロジェクトをつくりまして、具体的なプログラムをつくろうとしているんですが、どうぞ与党のサイドでも、政策オプションをそれぞれ具体的に絞り出していただく努力をぜひしていただきたい、このことをお願い申し上げたいと思います。
永井小委員 民主党の永井英慈でございます。
 私は、神奈川県選出でございまして、今話がありましたように、横浜、川崎、二つの政令指定都市を抱えている、福岡県と同じ県でございますけれども、昭和五十年から神奈川県議会に議席を得て、地方制度の問題点、地方制度を変えなければいけない、大都市が活性化しないという強い危機感を持って、この三十年近く取り組んできました。
 とりわけ昭和五十三年、革新自治体華やかなりしころ、長洲一二さんという横浜国大教授が知事になられました。五十三年に長洲さんが実は有名な論文を書きました。この論文は皆さんも言われればすぐおわかりかと思いますが、「「地方の時代」を求めて」という、地方の時代の提案者だったんです。私は非常に感激をいたしまして、共鳴し、長洲県政の推進の一役を担ってきた経験がございます。
 その中で、横浜、川崎、とりわけ私は川崎に住んでおったんですけれども、政令指定都市がある、そしてその政令指定都市の中には行政区があるんです。ところが、行政区が自治権、自主権を持っていないんです。単なる窓口業務に徹しているという行政区なんですね。ここに何としても自治権を与えて、二十万、三十万の区に自律性を高めていかなきゃならぬ、主体性を高めていかなければならぬということで、もう二十年近く前になりますけれども、中央公論に提案したり県会の本会議で力説したりしたけれども、地方制度は変えることができないというのが、今、私のあきらめに似た状況なんです。
 しかし一方、私は国会へ出てきて、昨年は特に一年間、国会等の移転に関する特別委員長という要職をさせていただきました。そういう視点から考えてみますと、この国の形、二十一世紀はこれでいいのか、どこに問題があるのかということを考えたところ、諸悪の根源、今、日本が行き詰まって、モラルハザードが起きて、どうにもにっちもさっちもいかず、あの輝いた日本が一瞬にして崩壊の危機にさらされているという状況、これは一にかかって巨大な過度な中央集権体制以外にないんです。この中央集権体制が東京一極集中を生み、巨大都市圏を形成してきたことは間違いないんですね。ですから、何としても、この過度に集中した中央集権体制とそれを支える官僚体制を適切に解体していく以外に方法はない。
 そして、結論を申し上げますけれども、今伊藤議員あるいは中村議員からもお話がありましたように、究極の地方分権は救国の地方分権だと私は思っています。したがって、そのためには、何としても地方の自立を促進していかなければ、中央頼み、依存体質、この弊害を排除するためには、究極の地方分権として、連邦制までいかなくてもいいと思うんですけれども、道州制をしいていく以外に我が国が生きる道はないと確信をし、訴えているところであります。御理解をいただければありがたいと思います。
平井小委員 自民党の平井です。
 きょうは余り話題にならなかったので、ちょっとつけ加えておきたいと思うんですけれども、今の、地方の合併推進と政府が強力に進めている電子政府、電子自治体というものの話の整合性はどこかでとらなければならないと思っています。
 というのは、今我々の予測を超えたスピードで進んでいるのはやはりネットワーク化だと思っています。ですから、都市と地方がネットワークで有機的に結ばれるという時代はそんなに遠くないです。実は、日本は光ファイバーというのは本当に張れていますし、そこに、規制改革に取り組む気さえあればバックボーンのコストは大幅に下がる、それだけの力は持っています。
 ただ、それを使う勇気があるかどうかということを考えたときに、今言っている地方の合併と電子自治体による一つの集団とエリアというものがどんな形でかかわってくるか、個人と共同体と、そして行政サービス。恐らく、一票の格差の問題とかいって、今いろいろ衆議院でやっていますが、それもいずれはなくなってくるというのは、その電子化によるという大きな効用があるのではないかと思うんです。
 そこで、地方分権そして合併といったときに、今一番問題だなと思っているのは、国がやろうとしているその電子政府という意味をどうも手続の電子化と考える人が多過ぎるのではないかと思います。本当は、これは何を見直さなきゃいけないかというと、国も地方も業務の徹底的な見直し、要するに徹底的な行政改革をやろうということです。
 ですから、今、地方自治の効率性が悪いということも、数字で説明できるようなことは簡単にできるようになります。企業でいうところのビジネス・プロセス・リエンジニアリング、この手法でやると効率性を徹底的に追求することもできる。効率性だけではすべてのことを判断することはできませんが、そういう一つの価値判断基準の物差しというものも、今後厳しくなる財政状況の中で、電子政府、電子自治体を究極の行政改革の一つの手段だというふうに考える方法もあるのではないかな。そういう中で、今の地方自治体の合併問題とか、そういうものを解決する方法があるのではないかなというふうに思います。
 地方都市においては、豊かな自然の中に情報技術を装備するというふうになれば、物事の考え方は変わるのではないか、そのように思いました。
 以上です。
横光小委員 地方分権推進委員会の最終報告の中に、こういうことがあるんですね。「自己決定・自己責任の原理に基づく分権型社会を創造していくためには、住民みずからの公共心の覚醒が求められる」、こういうふうに書かれております。そして、公共サービスの提供を挙げて地方公共団体による行政サービスに依存する姿勢をも改めるべきである。そのために、「コミュニティで担い得るものはコミュニティが、NPOで担い得るものはNPOが担い、地方公共団体の関係者と住民が協働して本来の「公共社会」を創造してほしい。」このように報告の中にあるんですね。
 私は、これは非常に大事な視点じゃなかろうか。これから地方分権あるいは市町村合併の時代が来ると、非常に、私は、このことがこれから大事になってくるのではなかろうか。つまり、これまでのような、お上でもない、あるいは家的でもない、村的でもない、そういった共同体でもない、新しい公共性や協働性に基づく自治の必要性が私はここに指摘されていると思うんですね。
 ですから、これから、いわゆる大きな時代の変化が来れば、閉じこもるのではなく、むしろ、積極的に市民、住民が打って出て、社会貢献を行う自発的な市民層をいかにして拡大していくか、あるいはまた、NGOやNPOを初めとする住民が自主的に自発的な活動をしていく、それと公共サービスの担い手である公との、先ほど言いました協働という形を進めていく時代が始まるんじゃないかという気がするわけですね。
 ですから、私は、自律的に活動する市民団体の取り組みがこれからの自治体を変えていく、それぐらいの重要な役割を担っていくんではなかろうか、そのことが、合併によって抱えているいろいろな不安を取り除いていくための力にもなるんではなかろうかという気がしております。
 これは、中央の都市部からこういったいわゆる自発的な動きが始まれば、おのずと地方、過疎地の方にもこういった動きが流れてくると思いますし、そういったことで新たな地方の自治の姿が展開していくために、私はこの活動が必要ではないかという気がいたしております。
保岡小委員長 他に御発言ございますか。
 それでは、討議も尽きたようですので、これにて自由討議を終了いたしたいと存じます。
 次回は、来る五月九日木曜日午後二時から小委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。
    午前十一時四十二分散会


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