衆議院

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第3号 平成14年5月9日(木曜日)

会議録本文へ
平成十四年五月九日(木曜日)
    午後二時開議
 出席小委員
   小委員長 保岡 興治君
      伊藤 公介君    西田  司君
      葉梨 信行君    平井 卓也君
      森岡 正宏君    渡辺 博道君
      筒井 信隆君    中川 正春君
      中村 哲治君    永井 英慈君
      江田 康幸君    武山百合子君
      春名 直章君    金子 哲夫君
      井上 喜一君
    …………………………………
   憲法調査会会長      中山 太郎君
   参考人
   (東京大学教授)     神野 直彦君
   衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君
    ―――――――――――――
五月九日
 小委員土井たか子君四月十一日委員辞任につき、その補欠として金子哲夫君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員金子哲夫君同日小委員辞任につき、その補欠として土井たか子君が会長の指名で小委員に選任された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 地方自治に関する件


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     ――――◇―――――
保岡小委員長 これより会議を開きます。
 地方自治に関する件について調査を進めます。
 本日、参考人として東京大学教授神野直彦君に御出席をいただいております。
 この際、参考人の方に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人のお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じます。
 次に、議事の順序につきまして申し上げます。
 最初に参考人の方から御意見を四十分以内でお述べいただき、その後、小委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
 なお、発言する際はその都度小委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は小委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
 御発言は着席のままでお願いいたします。
 それでは、神野参考人、お願いいたします。
神野参考人 本日は、このような席にお招きいただきまして、本当に光栄に存じております。私、法律の専門家ではございませんので、財政学の立場から地方財政につきまして意見を述べさせていただくということでお許しいただければというふうに存じております。
 また、私、網膜剥離を患っておりまして目が不自由なものですので、失礼があるかと思います。その点についても御容赦いただければというふうに存じております。
 それで、お手元にレジュメが行っているかと思いますが、現在、日本でも地方分権が大きな政策課題となっておりますが、この地方分権は、私の理解では、二つの大きな波がぶつかって日本で地方分権の推進が政策課題となって生じているというふうに理解をいたしております。一つの波は、歴史的に日本が追求してきた民主主義の波だろうというふうに理解をいたしております。そして、もう一つの波は、日本を初めとする先進諸国で、前世紀、つまり二十世紀の後半から共通に生じてまいりました分権の波。この二つの波が衝突をして、日本で地方分権の推進が積極的に図られようとしているという認識に立っております。その点につきまして、そうした二つの波の中で、地方自治を推進していくために地方財政がどういうように考えられてきたのかということを考えながら参考意見を述べさせていただきたいというふうに考えております。
 お手元のレジュメを見ていただきますと、1のところで、まず、歴史的に追求してきた民主主義の波ということで、「過去からの教訓」というところがございます。1―1の後に、一九二八年の二月に行われました第十六回の総選挙で、時の二大政党の一つでありました政友会が掲げている選挙ポスターを引用してございます。この選挙ポスターは、地方に財源を与えれば、地方の完全な発達は自然にやってくるんだ、それから、地方分権というのは丈夫なものであって、地方はひとり歩きで発展することができる、それから、中央集権は不自由なものであって、地方の足をやせさせてしまって、つえをもらわないとだめになってしまう、こう訴えているわけです。この選挙ポスターは、恐らく現在でも通用できるようなポスターになっているのではないかと思います。
 そして、なぜこの一九二八年に、時の最大とも言っていい政友会がこうした選挙ポスターを掲げたのかと申しますと、この一九二八年の総選挙は日本の総選挙にとって画期的な選挙でございました。つまり、第一回目の普通選挙だったわけです。
 このときにどうしてこういう分権が重要な政策課題として掲げられたのかと申しますと、第一次世界大戦中の一九一八年に日本は米騒動という非常に不幸な事件を経験いたします。このときに諸物価が高騰いたしましたので、地方財政も破綻の危機に瀕するわけです。そこで、義務教育の国庫負担がこの年に成立をいたします。この義務教育国庫負担は、現在の義務教育の国庫負担と違いまして、財政調整、つまり現在で申しますと交付税の役割を果たしていたものでございまして、私ども地方財政学の立場から申しますと、現在の財政調整制度のはしりとして位置づけられているものです。
 この一九一八年にできた義務教育国庫負担金の額が非常に少なかったものですので、三重県七保村の村長でいらっしゃいました大瀬東作という村長が、全国の町村に檄を飛ばしまして、全国的な町村の組織の結成を行おうといたします。七保村に準備会ができて、一九二一年に第一回の総会が行われます。これが現在の全国町村会です。
 この全国町村会の総会では、二つのことを決定いたします。一つは、両税移譲。国税から地方税へ税源を移譲してほしい。この両税は、当時の地租と営業税という二つの税金です。この両税を国税から地方税に移譲してほしい。同時に、義務教育国庫負担金の増額をしてほしい。この二つの要求をいたします。現在で申しますと、国税から地方税に税源を移譲してもらいたい、同時に、交付税の増額を要求したということになるかと思います。
 私たちは、この両税移譲運動を軸とする大正時代に行われたこの全国町村会が担ったような運動を大正デモクラシーというふうに呼んでいるわけでして、両税移譲運動を軸とした大正デモクラシーの成果として普通選挙ができ上がったわけですから、当然、第一回目の普通選挙では、両税移譲を初めとする地方分権の問題が重要なイシューになってくるわけです。政友会のこのときの公約は、両税、国税であった営業税と地租を地方に移譲するというのが公約でございましたので、そういう選挙として争われたということです。
 その後、第二次世界大戦後になりまして、現在の私どもの税財政制度の基礎をつくりましたシャウプ勧告が行われますが、このシャウプ勧告は大正デモクラシーの両税移譲運動を踏まえながら勧告をいたします。
 つまり、シャウプ勧告は補完性の原理。補完性の原理というのは、後で御説明いたしますけれども、市町村優先の原則です。まず市町村に仕事をやらせ、その後、市町村ができないものを道府県が、道府県ができないことを国がというふうに事務を割り当てていく。そして、能率性の原則。事務事業は、最もその事務を能率的にできる道府県なり市町村なりに割り当てる。そして、そのことによって行政責任を明確化させるという原則を打ち出して、事務を割り当てると同時に、財政面では、大正デモクラシーの運動を踏まえて、両税移譲、地租と営業税を国税から地方税に移譲しろという勧告を出すわけでございます。つまり、地租と家屋税を抱き合わせにして固定資産税として、この固定資産税を市町村の独立税として設定しなさい。それから、営業税の方は、現在の事業税でございますが、道府県の独立税として事業税を設定しなさい、こういう勧告をするわけでございます。
 戦前の付加税主義、国税におんぶするといいますか、上に乗っける税金ではなくて、独自の税金として独立税主義をとる。
 それからもう一つ、補助金の整理。これは、個別の補助金は原則として認めない、一般補助金である平衡交付金にまとめて一括しろ、こういうふうに勧告をいたしまして、現在の交付税制度を勧告するわけです。つまり、シャウプ勧告は、日本の大正デモクラシーが要求してきた両税移譲と財政調整制度の強化という二つのことを実現させたということになるかと思います。そして、同時にまた、地方債の起債の自由化を図っていくということをシャウプ勧告はうたったわけでございます。
 次に、もう一つの波であります、先進諸国で共通に行われている分権の波についてお話をしたいと思います。
 二十世紀の後半になってまいりまして、一九八〇年代あたりから経済のグローバル化ということが進んでまいりますと、一方でローカル化という現象が起きてまいります。グローバル化とローカル化と言われている現象です。経済は国民国家を超えて動き始めるけれども、人間の生活はグローバル化するわけではないので、地方に決定権を与えて分権を進めようという動きが世界的に生じてまいります。その象徴がヨーロッパで結ばれましたヨーロッパ地方自治憲章でございます。
 ヨーロッパは、グローバル化に対抗するためにEUなどのヨーロッパ統合を進めると同時に、他方でヨーロッパ地方自治憲章を結んだわけでございます。現在、三十九カ国が署名し、三十五カ国が批准をいたしております。
 このヨーロッパ地方自治憲章はどういう内容をうたっているかと申しますと、お手元の三枚目をお開きいただければと思います。ヨーロッパ地方自治憲章の重要なところだけを抜粋しております。
 第四条の地方自治の範囲というところを見ていただきますと、四条の第一項でもって、「地方自治体の基本的な権限と責務は、憲法またはこれに準ずるような基本法において規定されなければならない。」こう規定いたしております。
 それから、第三項を見ていただきますと、「公的部門が担うべき責務は、原則として、最も市民に身近な公共団体が優先的にこれを執行するものとする。国など他の公共団体にその責務をゆだねる場合は、当該責務の範囲及び性質並びに効率性及び経済上の必要性を勘案した上で、これを行わなければならない。」
 これは補完性の原理をうたっておりますし、補完性の原理の後、上の政府に事務を割り当てるときには、能率性の原則というふうにシャウプ勧告が説明したような原則に基づいて割り当てなさい、こういうふうに言っているわけですね。
 これはローマ法王の思想でございまして、個人でできないことを家族が、家族ができないことをコミュニティーが、コミュニティーでできないことを市町村が、市町村ができないことを道府県が、道府県ができないことを国が、国ができないことをEUがという、マーストリヒト条約でもうたわれております補完性の原理をここで明確にうたっているということでございます。
 そして、地方の財政についてはどういう原則を掲げているかと申しますと、九条に掲げております。
 ちょっと読ませていただきますと、「地方自治体は、国家の経済政策の範囲内において、かつみずからその権限の範囲内において、自由に使用することのできる適切かつ固有の財源を付与されなければならない。」
 一ページおめくりいただきまして、「二 地方自治体の財源は、憲法及び法律によって付与された責務に相応するものでなければならない。」
 「三 地方自治体の財源の少なくとも一部は、法律の範囲内において、当該地方自治体がみずからその水準を決定することができる地方税及び料金から構成されるものとする。」
 「四 地方自治体に付与される財源の構造は、その責務の遂行に相応して伸長していくことができるよう、十分に多様でかつ弾力的なものでなければならない。」
 「五 財政力の弱い地方自治体を保護するため、財政収入及び財政需要の不均衡による影響を是正することを目的とした財政調整制度またはこれに準ずる仕組みを設けるものとする。」
 日本の交付税はグローバルスタンダードではないというようなことをよく言われますけれども、それは私は誤りだろうと思います。ヨーロッパ地方自治憲章でも明確に財政調整制度の必要をうたっておりますし、それから、よく、日本の交付税は財政需要も見るというのがおかしいと。財政、つまり課税力、税金をかけることだけを調整する、これが一般的だと言われますが、カナダなどではそういうやり方をとっておりますが、ヨーロッパではそういう考え方をとっていない。見ていただければわかりますけれども、「財政収入及び財政需要の不均衡による影響を是正することを目的とした」ということで、両面明確に規定しているということです。
 「ただし、これは、地方自治体が自己の権限の範囲内において行使する自主性を損なうようなものであってはならない。」こういうふうに規定しております。
 五項めでもって、財政の再分配というのは必要だというふうにうたっているわけですが、六項めでもって、「地方自治体は、財源の地方自治体への再配分に当たっては、その再配分の手法につき、適切な方法によりその意見を申し出る機会を与えられなければならない。」
 再配分をしなければならないけれども、その再配分の手法については、地方自治体がその意見を具申する権限が与えられなければならないというふうにうたっているわけです。
 七番目ですが、「地方自治体に対する補助金または交付金は、可能な限り、特定目的に限定されないものでなければならない。補助金または交付金の交付は、地方自治体がその権限の範囲内において政策的な裁量権を行使する基本的自由を奪うようなものであってはならない。」こういうふうに言っております。
 補助金などは、特定補助金、日本で言う国庫支出金のように目的を限定したものはできるだけやめなければならないし、しかも、その交付に当たっては、補助要綱などで自治体の権限の範囲を狭めるようなことをしてはいけない、こういうことをうたっているところです。
 八番目でございますが、「投資的経費の財源を借入金によって賄うため、地方自治体は、法律による制限の範囲内において国内の資本市場に参入することができる。」こういう資本市場へアクセスする権限をヨーロッパの地方自治憲章でうたっているところでございます。
 それが2―1のところでございますけれども、最初のレジュメの方に戻っていただきますと、このヨーロッパ地方自治憲章では、補完性の原理をうたいながら、日本の交付税のような財政調整制度によって補完された自主財源主義、つまり、自主的な財源で行っている自主財政主義をうたっているというふうにまとめることができるのではないかと思います。
 そして、自主財源、つまり地方税でもって財政を運営していく重要性というのはどこにあるのかと申しますと、これは、この後出ましたヨーロッパ評議会の報告書などを見てみますと四つ掲げられております。受益と負担の関係が地方税で行うようになれば明確になる、それから、自分たちの税負担でもって自分たちの公共サービスをあがなうということをすると民主主義は活性化する、それから三番目には、それによって地方自治体は自分たちの地域の財政需要に適した適切な政策を打つことができる、かつ、地方自治は拡充することになる、こういうふうに四つの理由を挙げております。
 このヨーロッパ地方自治憲章を受けて、国連を中心にして世界地方自治憲章を制定しようとする動きができまして、昨年の秋にはこれがまとまりそうになったのですけれども、私の聞いている範囲内では、アメリカと中国という二つの大国が反対した態度をとったために実現にまだ至っていないというふうに聞いております。
 お手元に世界自治憲章もお載せしておきました。地方自治憲章が二ページございますけれども、その後に世界自治憲章を掲げさせていただいております。ヨーロッパ地方自治憲章とほぼ同じでございまして、第四条を見ていただきますと、四条の三では、ここでも補完性の原理を明確にうたっていて、「行政の責務は一般的に市民に一番近い行政主体によって行われるべきである、ということを意味する補完及び近接の原理に基づき、」こういうふうにうたっているわけです。
 それから、九条でもってやはり地方自治体の財源をうたっておりますけれども、ここでは基本的にヨーロッパ地方自治憲章と同じことをうたっておりますが、二枚目の五項を見ていただきたいと思います。二枚目の三、四、五項めを見ていただきますと、「脆弱な地方自治体のため、財政の持続性を、垂直的」、後で垂直的財政調整のお話をしますが、どうも日本の使い方とちょっと違いますので、垂直的といった場合には、国と地方自治体間の調整を意味しております。垂直的財政調整と水平的財政調整、つまり地方自治体間、またはこれの両方であるとにかかわらず、「特に財政調整制度により保護しなければならない。」こういうふうに明確に規定しているということです。あと、読んでいただければおわかりいただけると思いますので、省かせていただきます。
 こういう二つの波がぶつかり合いながら、現在では、地方自治体に権限を与え、分権化を進めようという動きが出てきているのだというふうに考えております。
 そこで、レジュメの二ページ目の、「政府間財政関係の分権化」についてお話をさせていただきたいと思います。
 こういうふうに地方分権の動きが強まってきているわけですけれども、地方分権を進めるためには、財政、特に政府間財政関係、国と地方、あるいは地方間の政府間財政関係を分権化していく必要があるということでございます。
 この政府間財政関係を調整するのには二つのレベルが必要になってきます。一つは、先ほども見ていただきましたように、世界地方自治憲章でも言っているように、政府間の財政関係を考える場合には、垂直的な財政調整と水平的な財政調整と二つのレベルを考えなければならないということです。
 垂直的な財政調整というのは何を意味するのかと申しますと、これは、中央政府と地方自治体間の財政関係を調整することを意味いたします。何を具体的に行うのかといえば、どういう行政任務を中央政府に割り当てるのか、どういう行政任務を地方自治体に割り当てるのかということを決めるということが第一の仕事になります。
 それからもう一つは、そういう行政任務を地方自治体が遂行できたり、あるいは中央政府が遂行できるように、国と地方に課税権を割り当てる。この二つのことが垂直的な財政調整になるということになるわけですね。
 水平的な財政調整というのはどういうことを意味するのかと申しますと、水平的な財政調整というのは地方自治体間の財政調整を意味いたします。まず垂直的な財政調整を行って、こういう行政任務を地方自治体に割り当てるというふうに決めますと、つまり地方自治体に行政任務が割り当てられると、当然、その地方自治体には財政需要が発生いたします。それから、その地方自治体に行政任務を遂行することが可能になるような課税権を割り当てますと、当然、その課税権から、その地域社会から税収を調達することのできる能力、課税力が生じてまいります。この財政需要と課税力を両方考慮して財政力というのが決まるわけですけれども、この財政力に地方自治体間で格差が生じている場合にこれを調整するのが水平的な財政調整ということになるわけです。
 ここで重要な点は、垂直的な財政調整を行うときに、地方自治体に行政任務を多く割り当てれば、当然ですけれども、垂直的な財政関係は分権化するということになるわけでございます。
 ただ、ここで注意していただきたいのは、垂直的な財政調整を分権化いたしますと、水平的財政調整の必要性は強まるということですね。中央政府が何でも仕事をしてしまう、地方政府が余り仕事をしていないという状況においては、地方自治体間で財政調整、財政力の格差を是正する必要性は余りないわけでございますので、分権化してくると、水平的な財政調整の任務は逆に強まってくるという原則をお忘れいただかないようにしていただければというふうに思います。
 さてそこでもって、中央政府から地方自治体に、つまり、地方自治体に多くの行政任務を割り当てますと、垂直的な財政調整は分権化するわけですが、垂直的な財政調整で地方自治体に多くの任務を割り当てても、分権化しない場合がございます。それが、ドイツ財政学の方で言いますと、二つの非対応、こういうふうに言っておりますが、垂直的財政関係において二つの非対応を生じてしまうと、財政関係で中央政府が地方政府に多くの任務を割り当てたとしても、分権化しないということになります。
 一つは、行政任務を地方に多く割り当てるんだけれども、決定権を中央政府が握っているという場合であります。つまり、行政任務は地方に多く割り当てているんだけれども、決定と支出が非対応になっていて、決定の方は中央政府が持っていて、地方自治体は支出だけをしてしまっているというような状態。言いかえれば、決定と執行の非対応といってもいいかもしれません。決定は国が行うけれども、執行の方は地方政府が行うというような場合が一つございます。
 もう一つは、行政任務と課税権が非対応になっているという場合でございます。つまり、行政任務は地方自治体に多く割り当てられているんだけれども、課税権の方は、行政任務を執行できるほどの課税権が割り当てられていなくて、国の方でもって税源を多く握ってしまっているという場合です。つまり、行政任務と課税権の非対応が起きていた場合には、仮に地方自治体が多くの仕事をしていたとしても、分権的ではないということになるわけでございます。
 御案内のとおり、日本ではこの二つの非対応が生じておりました。つまり、行政任務における決定と執行との非対応が生じていた。この最たるものは機関委任事務ということにございました。これは地方分権推進委員会の勧告に基づいて現在では廃止されておりますので、一定の成果は見ているということになるかと思います。
 もう一つの非対応が生じておりまして、それが、行政任務と課税権の非対応が生じている。地方には多くの仕事が割り当てられているんだけれども、課税権の方はわずかであるということです。
 お手元の資料で、世界自治憲章が二枚ございました後に、棒グラフをつくって、三つの棒グラフがそれぞれの国にあるかと思いますが、日本を見ていただきますと、地方の歳出が左側のグラフでございますけれども、これは七割ないしは六割と言われているように多くあり、地方税と国税との比率が、真ん中になりますけれども、これは国税と地方税の比率が、地方税三ないしは四、国税が七ないしは六というふうに割り当てられていて、行政任務と課税権が非対応になっているということですね。
 私は、こうした日本の国と地方の財政関係を集権的分散システムというふうに名づけております。これは、地方自治体が多くの仕事をしていれば分散、中央政府が多くの仕事をしていれば集中、こういうふうに考えますと、事務、つまり仕事は、日本の場合には地方が多く仕事をしているので分散型だけれども、課税権が与えられていなかったり決定権が与えられていなかったりして、決定権は国が握っていて集権的になっている、集権的な分散システムである。
 したがって、日本の場合には、地方自治体に仕事を多くふやす必要はなくて、決定権を取り戻させるというようなことをすればいいのではないかというのが私の意見でございまして、集権的な分散システムを分権的分散システムにすれば、日本では地方分権は解決できるのではないかというふうに思っております。
 その重要な課題は、第一の課題としての行政任務における決定と執行との非対応というのはひとまず機関委任事務の廃止で実現しておりますので、行政任務と課税権の非対応を解消すればいいのではないかというふうに考えられるわけです。その場合には、二つの基幹税を見直して、国税から地方税に移譲するということを考えておけばいいのではないかというふうに思われます。
 お手元のページで下から三枚目をちょっと見ていただきたいと思いますが、「租税収入の対GDP比」というのがございます。連邦国家であるアメリカとドイツと、単一国家であります日本、スウェーデン、フランス、イギリス、こう見ていただきますと、アメリカは個人所得税を中央に多く持ってきているということがおわかりいただけるだろうと思います。逆に、スウェーデンは地方に個人の所得税を持ってきているわけです。一六%持ってきております。
 それから、消費課税のうち、一般消費税というのを見ていただきますと、アメリカは地方に一般消費課税を持ってきている。ところが、日本、これはまだ地方消費税ができていないときでありますので地方消費税は入っておりませんが、スウェーデンの方は一般消費税を国の方に持ってきている、こういうやり方をとっているわけです。日本の場合には、個人所得税もアメリカと同様に少なくて、消費課税もほとんど設定されていないような状態になっているということでございます。
 ドイツを見ていただきますと、ドイツは個人所得税と一般消費課税を非常にバランスよく国と地方で分け合っているわけです。
 こういうことを考えてみますと、日本でも、個人所得税と消費税を国税から地方税に、仕事に合わせて移譲していくということが重要ではないかと思います。
 ただし、その際、日本の国税と地方税の所得課税の分配は、お手元、下から二番目の図を見ていただけるとわかりやすいかと思いますが、日本の場合には、国税も地方税も累進税率でかけるという併存型で所得課税を分けているわけです。
 ところが、北欧諸国やヨーロッパ諸国で地方所得税を導入している場合には、地方税を比例的にして、その上に累進的な国税を乗っける、こういう分配をしておりますので、日本もこういう形にすれば、地方所得税、つまり個人住民税を手厚くしても、地方間の財政力格差、課税力の格差は広がらずに、国税から地方税に移譲が可能になるのではないかというふうに考えておりますので、所得税から住民税へ移譲する場合には、住民税を例えば一〇%なら一〇%に一本の税率、現在では五%、一〇%、一三%とかけているわけですが、一本にしてしまう。そして、地方消費税は、これは比例税率ですから大体地方に満遍なく行きますので、この二つの税金を国税から地方税に落としていく。
 そして、地方自治体に独自でサービスを給付するような権限が、独自の財源がふえますと増加いたしますので、地方自治体がそうした財源を利用して、地域住民が安心して新しい産業にチャレンジできるような公共サービスを、福祉、医療、それから新しい産業に挑戦するためには緊要な課題になっているのは教育ですから、この三つのサービスを充実させることによって、安心しチャレンジできるような、最近まで私は社会的セーフティーネットと言っていたんですが、社会的セーフティーネットというのはサーカスの綱渡りや何かで敷く下の安全のネットのことですので、安全のネットだけじゃもう足りないのでトランポリンにして、もう一度戻してあげる。教育、その他を含めた、社会的なセーフティーネットではなくて、社会的なトランポリンを地方自治体がつくっていくということをしていかないと、この不況も脱出できないのではないかというふうに考えております。
 今御説明申し上げたことにつきましては、3−4のところでございますけれども、私、地方分権推進委員会の専門委員を務めさせていただきまして、そして最終報告の税財源に関する勧告についてまとめさせていただきましたが、その最終報告の考え方は、私の理解では、今私が説明してきたような、集権的な分散システムから分権的な分散システムに変えていこうという考え方で貫かれているというふうに理解をいたしております。これはあくまでも私の考え方でございますので、そう理解しております。
 そして、そういうことによって、税財源の規定、分権推進委員会の最終報告を読んでいただきますと、そこには、西尾先生がお書きになったところでございますけれども、日本の憲法には地方自治の規定の中に地方の税財源の規定がないけれども、ヨーロッパ地方自治憲章などでは明確に税財源の規定を設けてあることを考えれば、地方自治の本旨を具体化することとして、今申しましたような地方税財源のあり方を明確にしていくということが憲法の地方自治の本旨を具体化していくことになるのではないかというふうに結んでおります。その点もお読みいただければと思います。
 時間でございますので、これにて私のつたない参考意見を終わらせていただきます。
 どうも、御清聴ありがとうございました。(拍手)
保岡小委員長 以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。
    ―――――――――――――
保岡小委員長 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。伊藤公介君。
伊藤(公)小委員 神野先生、大変貴重な御報告をいただきまして、ありがとうございました。地方分権のこれまでの歴史、また日本の税体系というものを大変わかりやすく御説明をいただきまして、ありがとうございました。
 日本の税体系が集権的な分散システム、こういうものを、行政任務と課税権というものを見直していくべきだというようなお話がございましたが、私は、つたない自治省の政務次官で、実は全国の三千二百市町村に補助金をつけるという仕事を担当したこともございます。その後、国土庁の仕事などやって、今振り返ってみますと、やはり、先生が御指摘をいただいたように、日本の税体系というものが、ある意味では日本のそれぞれの個性というものをむしろ失わせてきているのではないか。
 北海道から沖縄まで、三千二百を超える市町村の顔がだんだんみんな似てきた。それは、全国画一的なルールで一つ一つの公共事業に対して補助金をつける、国の決められたシステムあるいは計算にのっとっていろいろなものをつくっていけば、日本全国同じような顔になっていくのは当然でございまして、私は、まさに地方分権というものを今本気で考えなければならないときが来たし、また、何と言っても、先生御指摘をいただきましたように、課税権の問題が最も根本にあるんだろうというふうに思います。御指摘をいただいたとおりだと思います。
 そこで、最近、東京都の銀行税問題ですね。私は、この銀行税問題そのものについて先生にどうだということをお聞きするということよりも、自治体の課税自主権の確立に関して一つの問題提起をしたのではないかというふうに思います。そのこと自身のよしあしや、また、それは法的な問題にもなっていくんだろうと思いますけれども、自治体が独自に創意工夫をした課税権を行使できるという状況に私たちは大胆に変えていかなければならないというふうに思うわけです。
 今回の東京都のこのような試みが、こういうことによって、せっかくの提言が方向づけを見失うことのないように、むしろ、その方向が評価されて、課税権というものが積極的に拡大されていくという方向に行くべきだというふうに思いますが、まずこの点について、少し先生の御感想を含めてお伺いしたいと思います。
神野参考人 それでは発言させていただきます。
 まず、課税自主権については、私は全く先生のおっしゃるとおりだと思います。もちろん、課税自主権を執行するに当たっては、地方自治体は、課税の平等とか本来守らなければならない原則がございますので、それを考えて実行すべきだというふうに思いますが、自主権を損なうような制限を行うべきではないというふうに考えております。
 東京都の銀行税問題というのは、これは御案内のとおり、新しい税金ではございませんで、地方税法の七十二条の十九で、地方自治体が独自の判断でもって、事業の状況に応じて、外形標準を適用して構わないという条項の発動なわけですね。この七十二条の十九というのは発動されたことがないものですので、どういう場合にこれを発動できるのかということがわかるような判決を下してもらいたいというのが私の期待でございました。
 ところが、残念ながら判決は、事業税を、通常これは応益原則で課税される税金だというふうに学界の方でも理解しておりますし、それから、国会で改正をされたときの説明文書でも応益原則とうたっておりますし、前回出されました政府の税制調査会の中間報告でも明確に応益原則に基づくものだというふうにうたっているわけですので、国民は応益原則で課税されるものだというふうに理解しているだろうと思いますけれども、判決は、これを応能原則で課税される税金であるというふうに判断し、銀行側の勝訴にしたわけですね。私は、どっちが勝訴したということではなくて、完全にこれは理解を間違えているのではないかというのが私の印象でございます。
 そうなってまいりますと、地方自治体の方では、自分たちが新しい税金をつくったり、あるいは課税自主権を発動するときにどういう基準で行ったらいいのかという判断ができなくなりますので、先生ちょっと御心配のように、私も同じように、この判決は新しい税金を地方自治体が課税すべきかどうかというようなことに関連しているわけではないのですけれども、このことによって、地方自治体が自分たちの課税自主権を発動する際に、いわば後ろ向きになってしまうということについては非常に心配をしております。
伊藤(公)小委員 もう一点伺いたいと思いますが、先生の御指摘をされたグラフの中にもございましたし、いろいろな資料を見ますと、それぞれの国にはそれぞれの税体系があるわけです。
 国のシステムによって非常に税のあり方が違うわけでして、日本は、地方の歳入に占める自主財源の割合が四割だ、国税は六割。地方が丸く数字で言えば四割、それが補助金をつけて逆になっていくということで、先ほど先生も御指摘をされましたとおり、地方は非常に仕事をやっている、しかし税財源は国が持っていて、それが補助金で戻ってくる。そういうシステムに日本はなっているわけですが、イギリスは、国税が何と九五%、地方税は五%ぐらいなんですね。それから、フランスもまた、国税が何と八三、四%、地方税は一六、七%、こういうことですから、イギリスとフランスは圧倒的に日本よりも国税が多いわけですね。
 アメリカとドイツは、先生御指摘もいただきましたように州制度、連邦制ですから、その間に、例えばアメリカの場合には、国税は約六〇%、しかしそこに州があって、州が二五%、地方が一五%ぐらいある。ドイツの場合も、国税が約五〇%、そして州が割合高くて三七、八%ですか、そして地方は一三、四%ということです。
 国の形によって税体系が違うのは当たり前ですけれども、日本がこれから地方分権を進めていく上で、どういう税体系にしていくかということは、国のシステム、つまり、国と県と自治体としていくのか、あるいはこの州制度、連邦制度のように、例えば今いろいろ御議論もあります道州制といいますか、そういう問題をどうするのか。
 あるいは、私どもがこの地方分権を進めていくときに、税財源の問題を大きく変えていっても、三千二百の市町村の中には、どこまでいっても非常に自主財源が少ないところがあるわけですね。圧倒的に少ない。例えば、私たちの東京ですら、あの一番奥の檜原村では、自主財源が多分十数%だと思います。きょうはたまたま私のふるさとの高遠町の町長さんお見えいただいておりますが、私の村も過疎でございますので、多分一五%とか、自主財源は非常に少ないだろうと思います。保岡委員長の地元も、前回の質問のときに私ちょっと御指摘させてもらいましたけれども、財政力指数の非常に低い市町村があるわけですね。
 そういう問題は、これからの、課税権の問題も改革していかなきゃならないけれども、最終的にはそういうものをどうするかということを考えなきゃならないと思いますが、そういうことについては先生どんなふうにお考えになるのか。
神野参考人 まず、確かに国によって異なった税体系をとっておりますが、世界の流れを見てみると、ヨーロッパでは大体地方自治体の仕事というのは教会がやっていた仕事ですね。教会税を取ってやっていた仕事でございまして、先ほども申しましたように、医療とか福祉とか教育とかというようなことに限定されているわけですね。
 ただ、二十世紀から十九世紀にかけて、そういう対人社会サービスが非常に需要がふえてまいりましたので、イギリスでもフランスでも大きな動きが出てまいりました。
 これは、イギリスではレイフィールド委員会という委員会をつくって、先ほど申しました地方所得税を、スウェーデンのまねをして入れよう、こういう結論を出したところでございます。ただ、これは実現しませんで、御案内のとおり、コミュニティーチャージを導入して、ちょっと混乱をしているというのがイギリスの状態でございます。
 それから、フランスも地方分権の改革を行いまして、ミッテランのときに、自動車の登録関係税含めて、国税から地方税に移譲しながら対応していこうということを行っているところです。
 伊藤先生が御指摘のように、しかし、そうはいっても、地方によって、自主的な財源が少ないところがどうしても出てまいります。先ほども言いましたように、できるだけ自主的な財源でできるように税体系を変えて、自主的な財源でもできるようにしておく。どうしてもできなければミニマムを保障するというようなことをやるのが順序だろうと思いますので、現在の地方税の体系をまず改めるというのが先かと思いますが、その上で、どうしても小さいところ出てまいります。
 これはどういうふうにやるのかということについては、二つやり方がございまして、一つは、合併をするというやり方ですね。もう一つは、合併をしないで協力をする、連合をするというやり方だろうと思います。
 前者の方の合併をさせたのはスウェーデンでありまして、これは強制合併させております。一方の連合をとったのはフランスで、これは日本で言うと広域連合ですが、連合制度をとっていますが、この連合体にもフランスは課税権を与えております。
 したがって、いずれにしても同じことだと思います。つまり、小さな自治体でできない行政を、できるだけ協力し合いながら、地方自治体が自分たちでできないことを少し大き目な団体をつくって実現させていくということをやっていくことしかないのではないかというふうに考えています。
伊藤(公)小委員 ありがとうございました。
保岡小委員長 永井英慈君。
永井小委員 民主党の永井英慈でございます。
 神野先生には、きょう、二回目、お話を伺いまして、前回はセーフティーネット論、それできょうはトランポリン論というようなことで、大変関心を持って伺いました。
 きょうは、先生、財政の御専門なので、その視点からお話を伺いたいと思うんですけれども、私は、地方分権は待ったなし、すぐにでも実現しなければいけないこの国の緊急かつ最大の課題だと思っております。これは、今、構造改革、構造改革ということが叫ばれておりますけれども、究極の構造改革とは何かと私なりに考えてみますと、統治構造の改革が何よりも先、その核心が地方分権であると思っております。
 日本は大変ゆゆしい事態になっております。例を挙げれば、学校崩壊、学級崩壊、授業放棄、教育の現場の荒廃は、もう目を覆うばかりであります。金融機関を初めとして、経済界、財界、産業界もこれまた大変なモラルハザードを起こしていることは、私が多くを申し上げる必要はないと思うんです。さらには、法曹というか司法の世界でも、まさに耳を疑うような出来事が報道されておるわけでございます。さらに、恥ずかしながら、日本の国政における疑惑の噴出、そのモラルハザードというのは、もう言語に絶する状態で、まさに政治不信の極に達していると思うんです。
 そのようなことで、日本のあらゆる分野でモラルハザードが起きてしまって社会が大変な混乱に陥っていることは、私が多くを強調する必要はないわけでございます。
 その一番の根源的な問題は何かということで、私なりに考えてみました。それは、極度の中央集権であります。中央政府に権限と財源を徹底的に集中させて、富国の政策、国力の増強、そういうことを中心に、明治以来一世紀以上にわたってこの国の形ができ上がってきたと思うのです。
 そこで、どういう現象が起きたかというと、すべて国への依存、国へお願いする、国へ頼む、これが各自治体、地方に蔓延してきたことは事実です。同時に、地域の住民も行政に依存する、行政に頼むということで、地方自治体にしても国民にしても、自立心とか自己責任というような最も大切にすべきモラルの根源が失われて、依存心のみが肥大化してきてしまった。そこにモラルハザードの最大の原因があると思っております。
 したがって、この巨大な中央集権こそ諸悪の根源であって、このすばらしい日本を立て直すには、徹底した地方分権によって、地方の自立を促す、地域の住民の創意工夫を生かしていく、そういう社会の構造にしていかなければならぬ、あるいは統治の構造にしていかなければならぬという基本的な考え方を持っておりまして、これから質問でございます。
 今お話がありましたように、三千三百余りの市町村があります。その上に四十七都道府県があります。そして中央政府、国というような三層の構造になっておるわけでございますが、この地方分権においてどういう地方制度、どういう統治構造が理想的なのか。今伊藤先生からもお話が出ておりましたけれども、道州制をしいて、思い切って市町村という基礎自治体を統合していく、そこに地方、地域の自律性、能力というものを高めていく、そして広域自治体としての都道府県の合併等々も積極的に行っていく、州制度ですね、そういう道州制のような考え方について、先生のお考えをいただければと思います。
 さらに、それに付随して、財政の面でもお話をいただければありがたいと思っております。ありがとうございます。
神野参考人 ありがとうございました。
 道州制論は、私は非常に弱いところでございまして、前半のお話につきましては、全く先生のお考えに賛成させていただきます。
 私の恩師の言葉で、人間は自由なるがゆえに連帯するという言葉があります。人間は自立して初めて人と協力できるんだというのが社会を構成する原則だろうと思いますので、自立をするということは、協力をしないということではなくて、自立しているがゆえに私たちはお互いに手を携えて生きていくんだということが、先ほど来言っております補完性の原理などの中心になるかと思います。
 道州制論ですが、分権に実は二つの考え方がございまして、一つの考え方が、今説明申し上げました補完性の原理という考え方です。もう一つの考え方は、これはカナダとかオーストラリアがそういう考え方をとっているのではないかと思いますが、強い中央政府に対抗するためには強い地方政府でなければならないという考え方で、州の力を非常に強くするという考え方です。そうすると、今度は市町村よりもむしろ州を重視していこうという考え方が出てまいります。これは補完性の原理とは対抗するような考え方だろうと思います。
 先生がおっしゃった道州制論というのは、ちょっとそれとは違う観点だろうと思いますが、道州制論は幾つかパターンがございまして、国のやっている権限とか仕事を道州に移していこうというような考え方と、逆に、道府県ではもう既に広域化してできなくなっているような仕事を、道州をつくることによって下から上に上げていこう、こういうような考え方があるかと思います。
 私は、そこら辺をきちっと整理した上で、もう一つ都道府県の上に公共空間をつくる必要があるかどうかということを慎重に見きわめてコンセンサスをとる必要があるかと思います。
 道州制みたいにもう一つ上を、道府県の上にこの分権の過程でつくった国はございます。イタリアもフランスも、デパルトマンという道府県の上にレジオンという自治体をつくっておりますし、ここには職業訓練とか高等教育などをやらせるためにつくりました。それからイタリアの場合には、医療を中心とした業務はレジオンでないとできないということでその上をつくっておりますので、どういう観点で道州をつくるかどうかということを含めて議論をして煮詰めていく必要があるだろうというふうに思っております。
永井小委員 財政調整の機能というのは極めて大事だと思います。
 私が描いているのは、国と地方との財源調整、それから地方自治体間の財源調整ということを、透明性を高めて、基準をしっかり定めてやっていく必要があろうと思うんです。
 それで、ちょっと飛びますけれども、ドイツでは共同税という制度を導入していると聞いておりますけれども、先生のお考えでは、我が国における共同税の導入、あるいは共同税徴収機構というような制度はどういうものでしょうか、ちょっとお伺いできればと思います。
神野参考人 ドイツは協調的連邦主義と申しまして、州に課税高権、税金をかける権限があるのですけれども、アメリカのように州が連邦に対して強い自律権を持つのではなくて、連邦と州が共同して任務を果たしていこうという原則のもとに共同税というのをつくったというふうに私は理解をいたしております。そういう意味で、いわば垂直的な政府が連帯といいますか、協力し合ってつくり上げた制度が共同税だというふうに理解しております。
 これは、共同税に一長一短ございますので、これも慎重に議論をすべきことだろうと思います。ドイツの場合には徴収権は州が持っているわけです。徴収権で申しますと、フランスの場合には全部国が持っております。スウェーデンの場合には独法化されておりますので、国の機構なのか、中央政府の機構なのかちょっとわからないのですが、独立した機関がとにかく徴税を一括して行うというやり方をとっております。
 この共同で徴収をするという機構をつくったときの問題点は、取れなかったときどうするかということなんです。山奥に取りに行くのは非常に大変だから、全体で数が合えばいいので取らないというようなことが起きたときに、その山奥の大変にコストがかかるところを一元的に徴収をすると取られない可能性があるので、そのときには、フランスの場合には、中央政府が、取れなかった場合には全部予算どおりのものを地方政府に補償することにしているわけですね。
 ですから、徴収ができなかった場合などについてどこがどういう責任をとるのかという問題が生じてまいりますので、私たちの財政学では、徴収権と、税金をつくる立法権と、それから税金をもらう権限、これはできれば三位一体にしていた方がいい。しかし、さまざまな場合がございますので、共同税という場合には立法権をどこが持つのかというのが問題になるわけです。
 ドイツの場合には、中央政府と地方政府の共同の意思決定機関として参議院が位置づけられておりますので、そういう共同立法ができるということになっていますから、では立法権はどうするかと。徴収だけ共同にするのか、配分の方は今度は別々にするのか、こういう問題が出てまいりますので、そこら辺の状況を考えて、また税金によって異なる場合もございますから、共同税になじむ税とそうでない税金もございますので、慎重にこれも考慮して検討していく必要がある問題で、にわかに結論はなかなか出し得ないんではないかというふうに思っております。
永井小委員 ありがとうございました。
保岡小委員長 江田康幸君。
江田小委員 公明党の江田康幸でございます。
 本日は、先生、貴重な御意見をいただきましてありがとうございます。
 幾つか質問をさせていただきたいと思っておるんでございますが、まず、先ほどからも議論に出ておりますように、日本全体が非常に経済が厳しい状況に至っております。これは地方においてはさらに厳しいわけでございまして、地方の経済の活性化ならずして国の経済の活性化もないと私は思っております。そういう経済の活性化に限らず、二十一世紀に対応した教育とか環境、福祉、医療、介護といった大きな問題がまた横たわっております。こういうようなものに対応して、地方の活性化をしていく上においても、やはり本来の意味での地方分権が、地方自治が進まなければそれはあり得ないと私理解しておるところでございます。
 先生の著作の「分権改革の推進へ向けて」というのを前もって読ませていただいてきょうお聞きしたんですが、先生は非常に興味深いことをこの中でも冒頭から言われておりまして、都市再生一つとっても、人間の生活の場としての都市の再生で経済活動までが光ってくる、「人間の生活の「場」として都市が再生すれば、人間が集住するだけでなく、人間が交流し始めるからである。」こういう考えは非常に私も大事と思っておりまして、それがまた地方の特色、活性化に結びつくということではないかなと思っております。
 これまでこの小委員会で、地方分権並びに広域化という、市町村合併等を勉強してきたわけですけれども、地方自治の確立には地方分権が必須であって、そしてその地方分権の中ではやはり、先ほどからも議論されておりますように、市町村においては体力を、また受け皿として、その体力をつけるという意味から広域化が必要であろう、それが二十一世紀型の介護、医療、環境、教育といった問題にも対応でき得るものになる。
 そして、もう一つの大事な柱が、税財源の移譲でなければならない。今回は三回目の小委員会でございますが、これで一通り地方分権における大事な要点を先生方からお聞きしたことになるかと思っております。
 この税財源の移譲について幾つか御質問しておきたいと思うんです。
 先生が申されましたように、平成十三年七月の地方分権一括法によって、先ほど二つの非対応のうちの、それこそ決定と行政任務の非対応といいますか、そこのところは解消してきているようだ、しかし、支出と課税権の非対応が残っているということでございました。この課税権の中に、基幹税として所得税と消費税を地方に移譲していくということについてお話がありましたが、たしか、地方分権推進委員会の中でもこういうような意見があったかと思います。
 国税の所得税と消費税の一部を地方税に移すように具体的な数字が挙がった。例えば所得税の基礎税率、これは今一〇%であると思いますが、その半分の五%分を地方税である個人住民税に回す。現在、消費税五%のうち一%は地方消費税となっているのでありますが、これに、さらに、国の一%分を削って、それを地方消費税に上乗せするというような構想もあったということを聞いております。そうすれば、個人住民税が三・二兆円、それから地方消費税が二・五兆円ふえることで、国と地方の税収比率が現在の六対四から五対五に近づいてくる。国税収入が減る分は国からの地方交付税や補助金を減らす。こういうような構想が言われているかと思うんですが、具体的な、こういう税財源の移譲において、地方所得税、地方消費税をどういうふうにやっていくか、それはまた一律にやって成功するのか、そういうようなところにおいて御意見をひとつまずいただきたいと思うんです。
神野参考人 分権委員会の議論の中では、今、先生がおっしゃったような数字は飛び交っておりましたが、最終的にまとめたものではございません。それで、私などが試算をいたしますと、先生が今おっしゃったような形でもって、一律の一〇%に所得税をいたしますと三兆円行きますし、地方消費税の方でも、先生がおっしゃったような数字で二・五兆円行きますので、それをやれば五対五という数値になるということになるかと思います。
 地方財政学の方では、昔から割と五対五にしようという案が多かったのは、五対五にするといわゆる国庫支出金の分だけが行くだけでもって非常にうまくいく数値になりますので、そういう五対五にするという意見が昔からございましたので、それが一つの案かというふうに思います。
 ただ、段階的にどうやるかというお尋ねかと思いますが、これについてはなかなか難しい問題がございます。つまり、移譲すれば、必ずどっかの地方自治体に多く行ったり、どっかの地方自治体に少なく行ったりいたしますので、これをどうにか余り現状と変化のないようにしようとすると、なかなか難しいテクニックを使わなければならないということになります。
 これも私の学生などに説明をすると、なぜそんな、現状と変わらないようにする、激変緩和をしなくちゃいけないんですかと質問を受けるんですね。激変緩和をするのであれば改革しなきゃいいじゃないですかとよく素朴に質問されますが、それはいっても、さまざまな利害調整をするという意味で激変を緩和していくということで考えていきますと、一挙に五対五に持っていく中間段階として三兆円ぐらいの移譲を考えていくということであると、どうにか特定の地方自治体に税が集まるということを回避しつつ移譲することが可能になるということですので、私の個人的な考え方ですけれども、まずステップはそこかなということは思います。
 先生がおっしゃった五対五にするということになってまいりますと、これは交付税とか、ほかの全体の、現状の仕組みの骨格をなしている部分にも手をつけないと、現状とかなりかけ離れた、特定の地方に税源が集まるという結果になってしまうということだと思います。ですから、まずできるところからステップでやっていくというのが現実的なのではないかというふうに思います。
江田小委員 ありがとうございました。
 時間が参りましたので、残念ですが、どうもありがとうございました。
保岡小委員長 武山百合子君。
武山小委員 自由党の武山百合子でございます。
 先生、きょうは貴重なお話ありがとうございます。
 早速ですけれども、国民は、地方自治、地方自治と言われているけれども、ほとんど権限がない、三割自治だ、その程度に思っているわけです。この一九二八年、総選挙用政友会ポスターで、本当に、今言われてもおかしくない、そのまま私たちにお返しされているような状態ですけれども、なぜ進まなかったのか、地方自治。国の責任、地方の責任、市町村の責任、国民の責任を先生ぜひお話ししていただきたいと思います。
神野参考人 この一九二八年あたりから地方分権の動きが出てまいりまして、それがなぜ進まなかったのかという歴史的な教訓は、今にも当てはまるわけですけれども、その後、日本は、非常に不幸なことに、大恐慌という不況を経験いたします。そうすると、国の財政も破綻し、もちろん地方の財政も破綻し、現在と同じような状況になっていくわけです。その過程の中で、結局、税源移譲とか分権とかという問題がないがしろになってしまった。結局、御案内のとおり、不幸な戦争の道を歩みつつ、集権的な構造をむしろ強めてしまう、戦時財政をやっていくためにはどうしても集権的な財政にせざるを得ませんので、強めてしまうという不幸な結果になってしまったということだと思います。
 ですから、そこから教訓で引き出せることは、分権が叫ばれるときというのはいつも不況なんです。逆に、不況だから分権が叫ばれるのかもしれませんので、この不況をどうやって乗り切るのかというのは、先ほど来諸先生方の御意見にもありましたように、国民がこの不況の中で不安にあえいでいくと、戦争に入っていったりなんかした歴史を考えてみると、将来不安をできるだけ早く払拭する意味でも、地方自治体から人々の生活をちゃんと保障できるようなサービスを出していくということが必要だろうと思います。
 それから、もう一つ重要な点は、私たちはどうしても、日本で民主主義が育たない、育たないということを繰り返しいろいろな場所でお説教されてきたのですが、この間ちょっとヨーロッパに行ってびっくりしたんですけれども、ヨーロッパでは民主主義を育てようという政策を政府がやっているんです。私たちは、そういう意味で、民主主義というものも、日本は民主主義が育たないねというふうにあきらめるのではなくて、どうしたら民主主義というのは日本で育つのだろうかという仕組みを諸先生方にも考えていただいて、そういう政策を打っていくということが重要ではないかと思います。
武山小委員 ありがとうございます。
 それから、アメリカなんかを見ますと、先ほどお話にもありましたように、州の権限、それから市町村の権限が大変強いものですから、教育一つをとりましても、先生の採用を市町村でやっているわけです。教育委員長も、なりたい人が自分が立候補して委員長になるというような状態です。日本の場合は、校長先生をされた方が教育委員会に入られて、教育長になったりするわけです。
 確かに、そこが大変大きな違いがありまして、ある町は、自主財源をつくるために、大きなショッピングセンターを誘致するとか、住宅をたくさんつくって、例えば固定資産税というものが、アメリカもそれぞれいろいろな凹凸ある州ですけれども、例えばコネティカット州とかですと、高級住宅街というものが各市町村にありまして、そこの固定資産税というのは大変高いんですね、五千ドルから五十万から百万、それ以上のところは半分以上あるところが大変多いわけです。そういうふうにして固定資産税を多くふやすことによって自主財源がふえる。また、固定資産税が教育の学校税になっていくということで、私の町は教育が非常に熱心だということで、またそこに住宅を求めて人が移動したり入ったりするわけなんです。日本もそういうふうなインセンティブを与える。
 そういう意味で、自主財源を求めるには何に求めたらいいか。恐らく国民は、今合併の方向で走っておりますけれども、ごみ処理の問題は広域事業でやっておりますけれども、合併化、合併化ということで、今私の地元でもそういうお話が出ておりますけれども、意外とシビアで反対なんですね。そのネックになっているのは、地方分権してどんな地方自治が描けるかという絵がはっきりと示されていないと思うのです。その絵というのは権限と財源だと思うのです。それで、財源をどこに求めたらいいか、例えばの話をお話ししていただきたいと思います。
神野参考人 私は、基本的に住民税だろうと思います。選挙権を持っている住民がお互いに負担し合う税に求めるべきだろうと思っています。
 先生の比喩は大変すばらしいお話で、私も、地方税というのはいわばマンションの管理費のようなものだ。マンションの自分の家の中だけがきれいでいいんだと考えれば、お互いに負担し合う管理費は少なくして外は汚くていいという、そういう地方に住めばいいわけですね。それから、いや、むしろ管理費は高くても周りがきれいなところに住みたいというふうに思えば上げればいい。
 先生がお話しのように、管理費が高くて管理が行き届いているところは嫌われるかというと、そんなことはなくて、逆にそういうところに集まるというのが普通の考え方ですので、今の管理費みたいな考え方でいえば、累進税率じゃなくて構いませんけれども、比例税率でお互いに負担し合う税として住民が負担するというのが基本に据えられるべきだろうというふうに思います。
武山小委員 先ほど外国の例をいろいろお話しいただいたんですけれども、日本がこれから地方分権するに当たって、どこかモデルケースを知りたいと思うのですね。どこか、この国のこういう部分をモデルにしたら日本の地方分権が進むのではないか、また理想とする、日本の社会にマッチするのではないかという国はどこでしょうか。
神野参考人 これはなかなか難しいのですが、日本はほかの国にはなれませんので、日本として考えることしかないだろうと思います。
 塩崎先生が翻訳されている本で、「税制と民主主義」という本を著したスタインモという世界の超一流の学者が今私のところに来ておりますが、その先生がおっしゃるのには、日本に来て初めてグローバルスタンダードという言葉を聞いた、これは一体、こういう言葉があるというのはびっくりした。世界の国々では、気候も違うし風土もみんな違うはずなので、共通したルールというのはないはずだ、そんなことは設定できないはずなのに、なぜグローバルスタンダード、グローバルスタンダードと言うのかほとんど理解できなかったけれども、どうもよくよく聞いてみるとアメリカンルールを言っているようだというようなお話をされたことがあります。
 私たちは、ほかの国と同じにはなれませんので、状況は確実に変わった、だから分権はしなければならないんだけれども、自分たちの国のどこをどう変えていったらいいのかという目で、自分たちで考えるべきだというふうに思います。
 ただ、自分の姿が一体どういう姿かということを、いつも鏡で見ないと自分の顔がわからないように、自分の姿がどういうことかというのは認識しにくいものですので、参考にできる国ということで挙げさせていただければ、私は、ヨーロッパの国々の方がコミュニティーなどが存在していたという点で日本に割と似ているのではないかと思いまして、いつも私が比較させていただいているのは、スウェーデンとかフランスとかドイツなどのヨーロッパ諸国を比較の対象にさせていただいておりますので、私の個人的な考えでは、我々がどうやって変えていこうかという一つのモデルとして、ヨーロッパが挙げられるのではないかというふうに思います。
武山小委員 どうもありがとうございました。
保岡小委員長 春名直章君。
春名小委員 日本共産党の春名直章です。
 きょうは、先生、本当にどうもありがとうございます。
 言うまでもなく、戦後の出発点の、憲法が制定されたときに、第八章地方自治の章ができた。このできた大きな要因が、戦前の大日本帝国憲法の中には地方自治の章は一切なくて、国家の政策の遂行機関に地方行政制度が導入されていくという経過の中で、日本の民主主義にとって、民主化にとって不可欠であるということでこの第八章が盛られたというふうに理解しておりますが、この点での歴史的な意味といいますか、第八章の、そのことについての先生の御見解をお聞きしたい。
 それから、その地方自治を体現化するために、戦後、地方財政制度の改革などもいろいろ提案もされて、一部は具体化されてきたと思うのです。
 一九四九年と五〇年にシャウプ勧告が出されて、そこで、国庫支出金を、補助、奨励金を残して全廃する、それから平衡交付金制度をそれにかわって設ける、それからもう一つは機関委任事務制度を全廃する、既に四九年、五〇年でこれは提案されているわけですね。しかし、今日までそれがほとんど実現されずに来ていた。
 そこで、地方分権一括法で三年前に機関委任事務の方はようやくなくなるということになったわけですが、先生も、「二〇二五年日本の構想」という本の中で、今回の分権改革の課題はシャウプ勧告の課題であって、戦後改革の課題の再設定だというような表現も使っていらっしゃると思うのです。逆に言えば、こういうシャウプ勧告が実現されていれば、今日もう少し違った地方自治体の姿があったのじゃないかなというふうにも思います。
 なぜシャウプ勧告が実行されなかったのか。その点についてもお聞かせいただけたらと思います。
神野参考人 最初の、地方自治という章が憲法の中に設けられた、これはもちろん画期的なことでございます。
 戦前は、地方自治の自治を、おのずからおさまる、自然におさまるんだというふうに思わせた。ただ、その場合の根拠になっていたのは、地域共同体、コミュニティーがまだ残っていたということですね。それを利用した統治が可能だったということだろうと思います。
 しかし、先ほども御紹介いたしましたように、地方自治を目指す運動がなかったわけではなくて、戦前から民主化運動を初めとして地方自治を求める運動が根強く残っていたということだろうと思います。
 シャウプ勧告が既に勧告内容としているにもかかわらず、それが実現していないのはどうした理由かということでございますけれども、私は、きょうの意見の陳述でも申し上げたいことは二つありまして、シャウプ勧告が取り組まなければならなかった課題と、今はもう一つあって、一九八〇年代から世界的に、福祉や教育や医療を充実していくためには地方に自治権を与えないとだめだという、この二つの、つまり、現代的な課題と戦後改革がやり残した課題と、二つあるんだろうというふうに考えています。
 分権委員会がやったことは、とりあえず、まず、戦後改革がやり残した課題をどうにかやろうということだったのではないか。
 今後残された課題というのは、フランスは、それこそ戦後改革はなかったというふうに私は理解しておりまして、フランスはミッテランのときまで、日本の明治時代と同じように官選知事なわけですよね。そういうことを、ミッテランは、日本の戦後改革が抱えていた課題と同時に、現代的な課題を両方解決したというのが私の考え方でございますので、日本がこれから取り組まなければならないのは、ひとしく現代的な課題を実現して国民の生活を安定化させることだろうというふうに思っております。
 シャウプ勧告の課題について申しますと、長い年月がかかったということは、これはいろいろ複雑な問題があるかと思いますが、先ほど来言っている問題で申しますと、やはり日本の民主主義に関する下からの運動というものが少し弱かったのではないかというふうに思います。
春名小委員 ありがとうございました。
 不可欠の財政調整制度の問題についてちょっと教えていただきたいと思いますが、日本は地方交付税なわけですけれども、先ほどの陳述のお話の中でも、ヨーロッパ自治憲章でも、単なる国税の地方への分配の問題だけではなくて、需要の不均衡を補うということが明記されていると。非常に大事な点だと私も思いまして、この点、日本の地方交付税制度も、地方交付税法で明記されているように、国の責任で需要の補てんをする、補うということが責任として明記をされている。
 ところが、最近の傾向を少し私心配しているのは、地方交付税の削減先にありきというような印象が非常に強くて、一兆円を削減しようとか、そういう話が先に来る。あるいは、段階補正の見直しというのはもう既にやられている。そういうことが先にあって、税源移譲の話はまだ先の話になっている。このままいくと、地方が余計疲弊するのではないかという大変心配をしているわけなんですね。この点について、どういうお考えでしょうか。
神野参考人 論理的に申しますと、今先生がおっしゃったように、まず、先ほども御説明しましたように、垂直的な財政調整でもって課税権と行政任務をどうやって設定するのかということをしてみないと、水平的な財政調整に手がつけられませんので、最初に水平的な財政調整に手をつけるということは、本来、本末転倒の議論になってしまうおそれがあるというふうに思います。
 ちょっと世界的に見てみますと、交付税というのは、もともと国が統合していくための制度なんです。ですから、ヨーロッパの今現状を見てみますと、ヨーロッパは各地が個性的な地方になろうとしていますので、独立運動がそこらじゅうで起きます。大体、多くの国を見てみると、貧しい地域が独立をするというと、日本の交付税に当たるような財政調整制度を強めます。逆に、豊かな地域が独立しようとすると、日本の交付税制度に当たるような財政調整制度を弱めるということをしておりますので、これは国家を統一していくための手段なんですね。
 もともと、ドイツのエルツベルガーの改革で一九二〇年に財政調整制度が導入されたときの合い言葉は、ドイツは一つだでございますので、実際には、国家の統合、いろいろな地域をどうやったら国家として一つのまとまりをつけていくのかというための手段だというふうに理解すべきものだと思います。
春名小委員 ありがとうございました。
 少し生々しい質問で、答えにくかったらそれであれなんですけれども、地方自治の小委員会ですので、今、地方自治をめぐって、一つの法案で私が非常に問題意識を持っているのがありまして、それは有事法制なんです。
 武力攻撃事態法という法律が提案をされておりますけれども、そこの中身の中で、地方自治という角度から見てどうかなという御意見がもしあればということなんですが、武力攻撃事態というのが予測やおそれで認定をされるのもすべて総理や内閣がやるということになって、対処措置も全部決めて、地方自治体はそれに協力してもらうということになっているわけですね。協力してもらうのはいいのですけれども、なかなか戦争には、そういうのは協力しにくいなという意見に対しては、法的拘束力を持つ指示権、直接執行権、これで最強の関与をするという仕組みになっているわけですね。
 私、地方分権一括法の議論をずっとやってきました。国と地方は対等、協力であるということが一貫した政府の説明でした。私は、それは納得しているわけです。しかし、この法体系と、今までの地方分権という流れが、どうもそごを来すなというイメージを持たざるを得ないわけなんです。
 この点でのもしお考えがありましたら、お聞かせいただけませんでしょうか。
神野参考人 ちょっと私、有事立法とかこれは全く素人なので、発言ができないのですけれども、私の言えることは、いつも私が観察していますスウェーデンは、核シェルターが小学校から地下鉄のところまで全部準備できているのは御存じのとおりでございます。何分間でしたかのうちに、四百万人の国民を核シェルターに全部入れることができることになっているわけですね、人口八百万人ですので。
 そういうことを考えると、自治体の役割がもしも有事においてあるとすれば、本当に国民の生命を守るということだろうと思いますが、それは、私の、素人で、観察している結果だけで、論理的にどうなっているのかというのはちょっと、私、財政学者なので不用意な発言はできませんが、国民の少なくとも生命をどうするかということについては、自治体が、大災害などを含めて、考えておくべきことに入るのではないかというふうに思います。
春名小委員 どうもありがとうございました。
保岡小委員長 金子哲夫君。
金子(哲)小委員 社会民主党・市民連合の金子でございます。きょうは、貴重なお話をありがとうございました。
 地方分権の推進のためには、財政の面からの、地方自治体における自主財政といいますか、そういったものがなければなかなか進まないというお話をお伺いしたのですけれども、今、少しお伺いしたいのは合併の問題なんです。
 この合併の問題も、地方分権の推進といいますか、地方自治体の力をつけるということで進んでいると思いますけれども、進め方ですね。一応、自主的な合併を推進する、自主的に進んでいくということで本来あるわけですけれども、しかし、一九九七年の合併特例法の改正や二〇〇〇年十二月の改正などを見ても、そのやりようというのは、どうも上から、例えば、合併をすれば交付税をこれぐらい延長するであるとか、やらなきゃどんどん、先ほどちょっと御意見も出ましたけれども、財政が厳しくなりますよというような感じの中で、実は、今先生のお話のあった、いわば分権を進めていくための財政のありようと、合併を進める際の国のやりようというのは、残念ながら逆行しているんじゃないか。
 合併によって、今日の経済不況の中で、交付税がどんどんおりてきたんですけれども、ほとんどひもつきということで、むしろ、地方は公共事業などをやるために地方債をどんどん発行して、道路の拡張とかで財政が厳しくなったということを言われておりますけれども、今度の合併も、ある意味では、財政の自主権などについて触れずに、結局、交付税は将来減額しますよというような形の中で、結果としては、域は広くなったかもわからないけれども、財政確立では非常に厳しくなるんではないか。合併のために地方債の発行まで認めていくということになれば、それだけの負債というものを将来に抱えていく。
 本来の自治体の役割である住民サービスとか、いわばセーフティーネットのための財源というものが、むしろ先食いされていくようなことになって、本来の意味の地方分権ということからいうと、このような推進の仕方というのは逆行しているんではないかというような、極端なことを言いますとそういうふうに考えるのですけれども、その辺についてお考えをお伺いしたいと思います。
神野参考人 先生がおっしゃるように、合併というのは、住民が決めることだと私は思いますので、住民が他の地域社会と協力していくというメリットを認識できていないと意味がないというふうに思います。愛し合わないで結婚してもしようがないということですね。協力をするメリットというのが重要だろうと思います。
 合併を進める場合には、何のために合併するのかということを住民が理解しているということが重要で、普通考えられているのは、地方自治体間に格差が生じてしまったときに、一つのやり方は、国に公共サービスをみんなやってもらうというやり方がありますね。それからもう一つは、格差があるので、国に税源を預けて、そして配ってもらうというやり方がある。そういうやり方を日本はとってきたわけですよね。ところが、もう一つのやり方として、格差が生じているときに、お互いに協力するというやり方があるんじゃないかということに気がついたときに、初めてその協力の延長線上に合併が開けてくるんだと思うんです。
 ですから、地域間の財政力の格差を是正し、地方自治体の財政力を引き上げることができるということを住民が認識できたときに、合併を進めていくべきだというふうに思います。
 ただし、合併のデメリットは、合併をすると、必ず大きな政府になります。大きな政府になると、住民から遠い政府になってしまうんですね。ですから、合併を進める場合には、身近な政府であり続ける仕組みをつくっておかなければならない。例えばスウェーデンの場合には、合併した後でも、公共サービス、例えば教育のサービスは私たちの地区でやらせてくれと言えば、手を挙げると、地区委員会をつくって、全面的に決定権がございます。ですから、身近な政府であり続けるという仕組みをつくっていく。
 逆に、合併しないという選択も、不作為の責任をとらなくちゃいけませんから、合併をしないことを選択したら、それなりのデメリットがあるわけですね、財政力が強まらないというデメリットがあるわけですから、それを克服するということを考えなければならない。そこで、フランスは、先ほども説明しましたように、今度は広域連合でお互いに協力し合う政府をつくりましょう、効率的な公共サービスはその協力してつくった広域連合にやらせましょうということでやるわけですね。
 そうすると、どっちの行き方をとっても基本的には同じことで、身近なところで決めた方がいい公共サービスは身近な政府が決めるし、少し広域で決定した方がいいようなサービスは上の方で決めていくということになりますので、合併の場合には、メリットとデメリットをきちっと認識した上で、しないにしろするにしろ、責任をとる必要がある。
 合併のメリット、デメリットを単に指摘するだけではなくて、合併をするのであれば、合併をするデメリットを消して合併をするし、合併をしないのであれば、合併しないことによるデメリットを解消しておくという努力をするということが一番重要なことではないかというふうに思います。
金子(哲)小委員 ありがとうございました。
 現実の合併の状況を見てみますと、例えば、市域三万の市勢とかいう話がありますけれども、過疎の地域、私は広島ですけれども、広島でも中国山地の地域は、合併をしても一万そこそこ、場合によれば一万にもいかないけれども、広域の合併をしなきゃいけない、面積だけは広くなる、財政基盤というのは全然強化をされないという問題が実際には起こっている。にもかかわらず、なぜ合併するんだろうかという疑問を私自身は持っております。しかも、それも地域が広くなる。
 それで、先生にちょっとお伺いしたいのは、水平的財政調整ということをおっしゃって、地方自治体間の財政調整というお話がありました。
 例えば、先般、東京都がホテル税を課税するときに、鳥取県知事から意見が出たということも報道されておりましたけれども。この具体的なイメージとしては、地方自治体間の財政調整、特に先ほど私が言いましたような地域といいますのは、結局、先生の先ほどのお話でも、自主財源としては住民税というお話がありましたけれども、実際には、そういう地域というのは、高齢化率も非常に高くなっていて、住民税そのものもそんなに徴収できない。もし率を上げたとしても、ほとんど財源を確保できるような状況にないということがあると思うんですよ、高齢化が進んで実際収入がないような場合。それが現実の問題としてあって、高齢化率がもう二五%を超えているとか、そういう地域がお互いに合併するわけですから、ほとんどのケースの場合。
 そうしてみますと、どういう関係の中で、地方自治体のそういう地域に対しての自主財源、そういうものをどのように考え、また、そのことと、今水平的財政調整と先生のおっしゃっている意味との何か兼ね合いとか、その辺があれば、お話しいただければと思います。
神野参考人 まず、合併やそのほかの手段をしても財政力の弱い地域は残るということは、おっしゃるとおりだと思います。
 その場合に、補完性の原理の考え方からいきますと、地域社会は、今の場合には全部やらされるわけですね、こういう仕事を全部やりなさいというふうに言われるわけですけれども、私の補完性の原理からいえば、私のところではこの仕事はできませんと言う権利を持っているということだろうと思います。
 そうすると、市町村が、自分の任務のうち、この任務はできないと言ったときにどうするかということです。その場合には恐らく二つ考え方があって、道府県がかわりにやってあげるということをするか、あるいは、近くの市町村でそれができるところがやるかということだろうと思います。フランスのストラスブールなんかでやっているCUSという都市共同体はむしろ後者の方になるわけで、どちらかでやっていく、クリアしていくしかないというふうに考えております。
 それから、水平的な財政調整と垂直的な財政調整という意味が、一般的に使われている言葉で理解していただいていると思いますが、というのは、一般的に言われているのは、水平的な財政調整というのは、地方政府間で直接やるやり方であり、垂直的財政調整というのは、一たん国に上げてから交付税みたいにやるやり方を垂直的な財政調整というふうに先生は理解されていると思いますが、きょう私が使わせていただいたのは、垂直的な財政調整というのは、課税権や行政権を割り当てるという調整で、水平的な財政調整の中に上へ上げるかどうかというのを含めておりますので、いわゆるフィスカル・イクウェルゼーション・システムと言われている財政調整制度は水平的な財政調整制度としてここでは説明させていただいているところでございます。
金子(哲)小委員 ありがとうございました。
保岡小委員長 井上喜一君。
井上(喜)小委員 保守党の井上喜一でございます。
 きょうは、参考人、本当にありがとうございます。
 時間が限られておりますので、私は、最初に三問質問をさせていただきたいと思いますので、それを申し上げますが、多少極端な意見を申し上げたいと思うんです。それの方が議論がはっきりすると思います。
 一つは、地方への財源移譲ということであります。
 今、財源を見ますと、東京都は実に相対的には潤沢で、したがって、東京都民の負担は軽い。それから、サービスは非常に行き届いているわけです。保育所を初め、福祉なんかが代表的でありますけれども、非常に手厚いサービスができているということですね。
 石原知事なんかが都市再生と言っておりますが、これは結構でありますけれども、その裏に地方都市の衰退といいますか、疲弊というんですか、大変顕著なものがあるわけでありまして、通りを通りましても、人通りがほとんどなくなってきているとか、歯の抜けるように空き家が出てきているというのは現にまだ進行しているわけですね。したがいまして、私は地方に財源を移していくことはいいと思うのでありますけれども、どうも財源というか、徴収権を移譲してやりますと、富めるところはますます富み、疲弊するところはますます疲弊するという格差が大きくなってくると思うんですね。
 したがって、私は、地方税としては、個人の住民税とか、あるいは土地の固定資産税等限定したものを地方税にして、あとは中央が課税する税にして、それの一定額を配分していく。これは機械的に何か基準をつくっておいて配分するような、中央政府が何か意図的に左右するようなことをしないようなことの方がいいんじゃないかと思うんです。この点についての御意見を伺いたいということです。
 二番目は、課税の一元化であります。
 私は、地方でしか取れないものはそれはそれでいいんでありますけれども、できるだけ一元化していった方がいいんじゃないか、合理的じゃないかと思うんですが、これについて問題があればお聞かせいただきたいと思います。
 三点目は、特別交付税の話です。
 今、各省庁の補助金はずっと削減されてきて、ある意味でそういったものが特別交付税の方に集まってきているんじゃないかと思うんですね。つまり、特別交付税をある種のてこにしまして、旧自治省、今の総務省が、各県庁、都府県庁に、どんどん課長とか部長のポストに天下っていくわけですね。最近はそれをバックにして知事にまで出てくるような、そういう状況になっていると思うのでありますが、この特別交付税の制度についてどのようにお考えなのか、お聞かせいただきたい。
 以上、三点です。
神野参考人 先生がおっしゃるとおりに、税源移譲をしていくと格差が拡大するという危険性がありますので、先ほど来御説明しているように、できるだけ普遍的に、先生も今個人住民税を挙げていただきましたけれども、そういう偏在性のない、普遍的に税収が集まる税金を地方に移していくということをしていくということが重要だろうと思います。ですから、一部の地域にのみ集まってしまうという税金は好ましくないということだろうと思うんです。
 今のお話は、東京都などが非常に潤沢に集まり、地方都市は潤沢ではないというお話でしたけれども、これも税金の性格によりますので、必ずしも我々が思っているほど東京都が豊かだというわけでもないんですね。
 例えば、一人頭の税収で見ますと、市で一番多いのは熱海です。それから、市町村だと泊村になります。固定資産税などは、一番が松浦市だったと思います。そういうふうに税の性格によってかなり、つまり、我々が言っている経済的な力の豊かさと財政的な豊かさとは必ずしも一致しないということが存在いたしますので、それをやはり財政調整でやらざるを得なくなるだろうというふうに思います。
 おっしゃるとおり、現在、地方の都市ないしは地方は大変危機的な状態にございます。さまざまなアンケートを見ても、次の企業の立地というのは海外に向いておりますので、地方経済がいわば歯抜けになっていくような現象が進んでくるということを許すことになりますので、できるだけ早く、地方が個性に満ちた地域づくりをしないと無理ですから、そういうことができる体制をつくる意味でも、自分たちが自由に使える財源で、自分たちの、国際的な魅力でないと、もうだめな時代になってきますから、一国の中だけではなくて、国際的な魅力を高めるということは、その地域の本来の個性というものを生かす、先ほどから御意見ございましたように、そういう政策が打てるような仕組みをつくるということが重要だろうと思います。
 それから、課税権の一元化というのは、先生がおっしゃった意味は、多分、徴収の一元化だろうと思いますので、徴収の一元化としてお答えさせていただきますと、先ほどもちょっと御説明しましたが、税金の課税権には、立法権と徴収権と税金をもらう権利ということがあるわけですね。徴収権は自分のところにはないけれども、もらう権限は自分のところにあるという場合に、一番問題点は、徴収努力が行われなかったときにどこが責任を持つのかというのが大きな問題点として残ってきますので、できれば徴収する権限と配分をする権限というのは一致していた方がいいのではないかというふうに思っています。
 ただ、さまざまな理由からこれを分離するということを行うような場合には、租税の性格によって上の機関がやったり下の機関がやったりするような方法もあるでしょうし、それからルールとして、徴収できなかったときにはどこが責任を持つのかということを明確にして、独立した、つまり国でも地方でもない機関をつくって、そこに徴収させるという方法もあるだろうというふうに思います。
 それから、特別交付税について言うと、本来の交付税の目的というのは、先生がおっしゃっているように、財政調整機能でございますので、財政力の格差の是正と、いわばミニマムの財源を保障してあげるという、そういうスタンダードな水準を保障してあげるという機能ですから、特別交付税というのは、交付税全体を見直す際の一つの重要な見直しの事項になるだろうというふうに思います。
井上(喜)小委員 どうも、時間ですので、終わります。
保岡小委員長 森岡正宏君。
森岡小委員 自由民主党の森岡正宏でございます。
 神野先生、きょうは、本当に貴重な御意見をいろいろ下さりまして、ありがとうございました。時間が余りありませんので、端的に質問をさせていただきたいと思います。
 今の日本国憲法におきまして、地方自治については実に簡単な文言になっておるわけでございます。地方の財政とか税制、また地方制度のあり方につきましても、地方自治の本旨という言葉だけで具体的なことが何も書かれていない。非常に大きなフリーハンドを与えられている状態でございますけれども、もし新しい憲法をつくろうということならば、先生だったら憲法に、例えば税財政のあり方など、また地方自治のあり方など、そういうことについてどう表現されるでしょうか。今のままでいいとお考えでしょうか。
神野参考人 私、憲法学者でないので、なかなか、先生の方にむしろ教わりたいくらいなのですが、先ほどもちょっと御紹介させていただきましたように、分権推進委員会の最終報告でも「「地方自治の本旨」の具体化」という項目をわざわざ西尾先生が設けて憲法に触れてございますので、地方自治憲章というのは、これは地方自治に関する憲章でございますから、そこの中に税財源のことが盛り込まれるというのは当然だろうと思いますが、地方自治憲章でもある程度のことをうたっておりますから、私の考えからいえば、財政に関するような基本原則を憲法ないしは地方自治憲章というような基本法みたいなものの中にうたい込むというのが筋ではないかというふうに考えます。ただ、これはちょっと私、素人の考えなものですので、御容赦いただければと思います。
森岡小委員 神野先生は、今、政府のいろいろな審議会などの委員を務めていただいておりまして、大変政府に協力をいただいている権威者だと理解をしております。
 そんな中で、昨年、小泉政権が発足をいたしまして、聖域なき構造改革を打ち出されました。そして、経済財政諮問会議で骨太の方針が出され、また、ことしは、六月までに国民の負担をどうするか、また税制の改革等取り組んでおるわけでございまして、経済財政諮問会議の動き、そしてまた政府税調の動き、そして、私たち、それぞれ政党でも、税制改革にこれから手をつけようとしているわけでございますけれども、今の動きが、神野先生からごらんになって、いい方向に行っている、小泉改革は着実に進みつつあるのかどうか、その辺の御感想を伺いたいと思います。
神野参考人 私は、今構造改革をしなければだめだという認識は共通に持っております。ただ、小泉内閣が行おうとしている構造改革の方向性には疑問を持っているということです。
 そのことは何かというと、前の家が古くなってしまって、すべてのところにいろいろな矛盾が出てきた。これはつくりかえなくちゃいけない。新しい設計図を書くときには、統一した思想で、和風にしようか洋風にしようかということを決めて設計しますけれども、それぞれ個々のパーツ、例えば、お勝手は機能的に、寝室は安らぎの場であるように、居間は団らんの場であるようにという違った原理が適用されるべきだろうと思います。
 ところが、現在進められている構造改革というのは、どうも公共部門を小さくしたり、公共部門にも市場原理を導入しようとしている嫌いがあって、私の言葉を使えば、本来台所に適用すべき機能の論理を寝室にも居間にも適用してしまっている。そうすると、これは社会全体が混乱を来すのではないかというのが私の考え方です。
 したがって、構造改革はしなければならないので、進めなければならないんだけれども、方向性はちょっと疑問なので、慎重にかじ取りをしなければならない。つまり、右にハンドルを切るのか左にハンドルを切るのかというのは今迫られておりまして、これまではレールが敷いてあって、そのレールの上を機関車が走るがごとく私たちは生活をしていればよかったのですけれども、今転換期ですので、右にハンドルを切るのか左にハンドルを切るのか迫られているわけですね。ハンドルをどっちかに切るという改革はしなければならないということは一致しているのですが、どっちの方向に切っていくのかということに関して言うと、これは疑問であるということですね。
森岡小委員 率直な御意見をありがとうございました。
 先ほど来財源調整の問題が議論されておりまして、地方交付税制度でございますけれども、神野先生はこの制度についての理解者だと私は承知しておりますが、これについて、先ほどモラルハザードという言葉もございました。自治体の自助努力を損ねておるというような議論が多くなってきたり、さまざまな批判が出てきていると思うわけでございますけれども、地方交付税制度について、どう改革していけばこういう批判を越えることができるのか、先生の御感想を伺いたいと思います。
神野参考人 地方交付税というのは、言ってみれば、本来、自分の地域社会から上がってくる租税で自分たちの地域社会の共同の事業として公共サービスをやっていくわけですよね。ところが、交付税という制度は、いわば他の地域社会の税金を使うということになるわけです。
 そこで、他の地域社会からの税金を使うということを許されるのはどこまでかというと、それは、自分たちの地域社会で少なくとも日本の国民の一員として享受すべき公共サービスが享受できていないという水準だろうと思います。
 これは、普通の言葉で言うとナショナルミニマムということになるんでしょうが、ナショナルミニマムという水準だということを言うと、今度また、ではどこまでがナショナルミニマムかという問題に必ずひっかかってくるわけです。これは、私は、あくまでもここで、国民の代表たる国会で決める水準ということしか言いようがない。言いかえれば、国民全体でもって討議して、ミニマムの水準というのはどこか、つまり、どこまでは我々の、国民として共同の事業として保障するのかということを決めていくべきだろうと思うんです。
 そこまでは保障するということをしないと、ヨーロッパなどを観察してみますと、ヨーロッパは完全に独立し始めますね、地域が。いや、そうであれば我々は独立させてくれ、こういうふうに言い始めて、国家の統合ができなくなるだろうというふうに思います。私たちは、それぞれの地域社会として、住民として生きていると同時に、国民として生きているわけですから、どこに生きていようと、同じような公共サービスが受けられる水準はどこまでかということを考えた上で、そこまでは交付税によって保障するということは必要なんだろうと思います。
森岡小委員 最後に伺います。
 地方分権の推進が停滞している結果、今の地方財政の危機があるんだというようなことが先生が書かれた中にあったように思うわけでございますけれども、今の地方財政の財政赤字、これが非常に重くのしかかって、各自治体、困っておられると思うわけでございますけれども、これの打開策ですね。一言で言いますと、どうやったらいいか、理想はわかるわけでございますけれども、当面どうやってしのいでいったらいいか、お聞かせいただきたいと思います。
神野参考人 先ほど来の先生方の御意見から、地域はやはり独立しなければだめだという御意見が非常に強かったと思います。
 財政は結果ですから、社会的な危機の結果として財政は赤字になったり、経済がうまくいかなくなって、経済的な危機の結果として財政は危機になるので、財政独自の責任で危機になったりするわけではないわけです。地方財政の危機の背後にあるのは、やはり地域経済の衰退です。そうすると、地域経済をどうしても復興させる必要がある。そのときに、その地域が、地域独自の工夫を凝らして発展させていくということが必要だろうと私も思います。
 ヨーロッパでは、ローカル・ディベロプメント・グループ、地域開発グループというのを地域住民がみずから結成をして、協同組合のように工夫し合いながら、新しい職、仕事をつくって、今までの工業や何かが衰退してしまったので、新しい職をつくろうというような工夫をし始めています。そういう地域社会がみずから行っていく運動に対して、地方自治体がそれをサポートしてあげる。そのサポートも、補助金とかお金ではなくて、むしろノウハウ、つまり、どういう技術やどういう組織をつくったらいいのかということで支援してあげるというような支援センターをつくって地域の活性化を図っているところもございます。
 そうした例を見ると、日本の場合には、地域が、先ほど来個性ある地域と言っているときの、個性を出した地域づくりがなかなかできないような仕組みになっている。そうすると、それぞれの地域が自分たちの持っている伝統的な文化を武器にしながら、新しい産業を興していくということがなかなかしにくいのではないかというふうに思いますので、先生が先ほど御指摘いただいたような、日本は、分権によって地域、地方自治体に権限がないからそれぞれ個性ある地域づくりができないのだ、したがって地域から産業が消滅していってしまうという悲劇が起こっているのではないかという指摘をさせていただいているところです。
森岡小委員 ありがとうございました。終わります。
保岡小委員長 筒井信隆君。
筒井小委員 民主党の筒井信隆でございます。きょうは、大変ありがとうございます。
 最初に、グローバル化とローカル化、これがともに進んでいるという点についてお聞きをしたいと思います。この二つが一体として進んでいる、グローバル化が進めば進むほどまたローカル化も進む、こういう関係にあるというふうな御説明だったと思うんですが、これがなぜ一体で進むのか。先ほどの中で、地域で生活するんだからという点も一つ挙げられましたが、なぜこの二つが一体として進むのか、この理由について教えていただきたいと思います。
神野参考人 財政という立場から見ると、グローバル化が進むということは、事実上、産業構造が情報化、知識化して、金融などの非常に動きやすい産業が産業構造の中心になっていくということだろうと思うんですね。
 グローバル化いたしますと、一瞬のうちに資本が左から右へ飛んでいってしまいます。そうすると、人々の生活を守ることをやるために、世界の国々はこれまで福祉国家を目指して、現金給付、つまり現金を再配分しながら、豊かな人に税金をかけ貧しい人々に戻すというような形で再配分しながら、人々の生活を守ってきたわけですね。これがうまく機能しなくなります。
 というのは、豊かな人の所得は資本の所得である場合が非常に多いものですから、そこに税金をかけようとすると、一瞬のうちにフライトして違うところへ逃げちゃうわけですね。そうすると、高い税金を豊かな人にかけようとするとフライトしてしまいますので、今までのような、政府がグローバル化に対応して現金を回すことによって人々の生活を守っていくということは非常に困難になってくるわけですね。
 ところが、地方政府が人々の生活を守ろうとしたときには、現金給付ではやりません。つまり、具体的なサービスでやるわけですね。老人ホームをつくるとか、保育園をつくるとか、病院をつくるとか、学校をつくるとかという具体的なサービス給付でやります。その税金は、先ほど来御説明しているように、比例税率で、豊かな人に多く税金をかける必要はないわけですね。マンションの管理費のようなものですので、全くかける必要がない。そうすると、そこの地域に住みたいか、住みたくないかということは、先ほど武山先生が御指摘になったように好みの問題、好みの問題というのは変ですが、きれいな共同の空間に住みたいのか、あるいは共同の空間はいい、つまりお互いの助けは少なくていい社会に住みたいのかというだけの選択になりますので、豊かな人だけが住むということではなくて、公共サービスの選択において住むようになってくる。
 多くの国々が今やろうとしていることは、地方政府に人々の生活を、現金ではなくて現物のサービス給付によって守らせるというふうな方向に移していっておりますので、政府はグローバル化すると同時に、一方でローカル化する。言いかえれば、EUでいえば、EUは、金融を国境を越えて動かすためにユーロという統一通貨をつくって動かそう、しかし、人々の生活というのは分権化しておいて地方政府に守らせよう、こういうような動きを始めているというので、政府部門がグローバル化、つまり上と下に分かれる、そういうことだろうと思います。
筒井小委員 ありがとうございました。
 今、最後に言われましたグローバル化、ローカル化によって何が変わるかといったら、まさに中央政府、国家が変わるんだろうと思うんです。それが、振り返ってみれば、近代の市民革命以来、あるいは日本でいえば明治維新以来、今変わろうとしている国家、中央政府が形成されてきた。国家の主権が強化されて民族国家ができてきた。
 しかし、今それが弱体化といいますか崩壊の過程、今先生が言われました、一つは上に、上というのは国際機関だろうと思うんですが、一つは下に、地方政府の方に、そちらの方に例えば主権の移譲とかという形も含めて、分解するというか崩壊するというか、そういう過程に入っていて、それが今世界じゅうの時代の流れじゃないか。EUというのはまさにその典型だし、ヨーロッパにおいて地方政府が強化されているのも、まさにEUが強化されているのに対応して、EUにおける地方政府が強化されているんだろうというふうに思うんです。
 そういう中央政府あるいは主権国家の崩壊の過程というのは、日本でもやはり起こっているんだというふうに思っているんですが、日本でもその流れが始まっている、それがしかしおくれているんだというふうに思うんですが、その点はいかがですか。
神野参考人 私の考えでは、国民国家が崩壊するということまで入れると、ちょっと極端かなというふうに思います。つまり、補完性の原理のように、市町村でできないことは道府県が、道府県ができないことはやはり国家がやらざるを得ない。ただ、国家でできないこともふえてきて、環境問題とか、その上で取り組まなくちゃいけない非常に大きな問題が出てきているのでその上にも行く、こういうことだろうと思います。
 ただ、先生の御議論は、学問的に言うと非常におもしろい問題で、公共空間が今後どうなっていくのかということだろうと思います。例えば、我々は、ローマ帝国という帝国というものを持っていたり、封建時代の領邦国家、非常に封建的な国家、小さな国家を持っていたり、国民国家というのをつくり上げたわけですけれども、国民国家の次にどういう公共空間ができるのかというのは学問的には非常に興味がありますが、ちょっとそれは、崩壊までいくのかどうかを今私の観察している限りで言えるかというと、確かに国民国家の機能が両極に分かれているけれども、なおかつ国家は国民の統合を図っていく責務と任務を負っているのが現状ではないかというふうに思います。
筒井小委員 ありがとうございます。
 崩壊というのは極端に言った形で、もちろん国家がなくなるわけではないと思うのです。ただ、今までの秩序としては、中央政府あるいは国家が主体であったと少なくとも言えると思うんですが、これからは、国際機関と国家と地方政府、その三段階が少なくとも同じぐらいの権限とか力を持ってという方向にいくのではないか。例えば、ドイツの憲法では、主権の国際機関への移譲を憲法上も規定しているような、そういう方向性は世界の流れではないかと考えているので、日本ではそれがおくれているのではないかというふうに思っているので、ちょっと極端な言い方をしたところでございます。
 そして、その場合に、やはり国際機関あるいは国連を強化しなければいけないと思いますが、地方政府も強化をしなければいけない。地方政府の場合に、強化するためには、先ほどから先生が強調されております財政面の強化が絶対的な条件だろうというふうに思います。
 その場合に、今の日本の地方交付税制度、交付税の増額とか何かというよりも、今の制度そのものは地方自治体の努力をまさに否定する、こういう意味で間違いの制度ではないか。例えば、自治体が独自に税収とか収入をふやせば、地方交付税の配分が減る結果になるわけですから、これもドイツでは憲法違反だという憲法訴訟が起こされているようです、その結果どうなったか知りませんけれども。今のそういう地方自治体の努力を否定するような、努力についてのインセンティブを与えないような地方交付税制度そのものを変えるべきではないかと思いますが、その点はどうでしょうか。
神野参考人 現在の交付税制度の問題点は、交付税そのものはワイマール共和国のときにつくられた制度でして、これは非常に民主的な制度なんです。今の交付税が膨れ上がっている問題点は、これはどっちに責任があるかは別としまして、国が決めた仕事、義務づけられている仕事を地方公共団体がやっているわけです。義務づけられている仕事がナショナルミニマムみたいに設定されていて、そこに、行政ができない部分について財源を保障する、こういうことになっていると思います。
 個性ある地域づくりをするためにも、まずそれぞれの地域社会に義務づけられている仕事を自由にしてもらうということがないと、義務づけられている仕事をそのままにしておいて交付税制度を削減すると、結局、義務づけられている仕事はやらなくちゃいけませんから、地域社会独自でやっていた仕事の財源を全部そっちに回さなきゃいけなくなるわけです。結果として見てみると、義務づけられた仕事だけをやる地方政府になってしまうので、交付税制度の改革の先に、仕事を義務づけているということを解消していく、つまり決定と支出との非対応ということを解消することが先ではないかというふうに思います。
筒井小委員 ありがとうございました。
保岡小委員長 平井卓也君。
平井小委員 ラストバッターですので、もう皆さんほとんどいろいろなことをお聞きになっていると思いますので、今まで聞いていなかったことを考えて聞いてみたいなと思っております。
 先生は先ほどから、地域の個性づくりという言葉を何度もお使いになっておりますが、確かにここ数年来、地域はいろいろな個性をつくって、そしてその特徴によって地域を活性化させようというような努力をしてきたけれども、これはなかなかうまくいかない。
 そういう中で、一方、政府は、規制改革が進まないのは、やはりこれはある地域で実験的に始めなきゃいけないんじゃないかというような発想になって、沖縄の金融特区、要するに特別目的地域という指定、その流れの中で、今いろいろな地域からいろいろな特区構想というのがここ数カ月出てきているんです。
 例えば、福祉特区であったり、教育特区であったり、その中には税の問題も含まれて、財務省は必ずしも、一国二制度になってしまうから賛成できないというようなことも言われておると思うんですが、さっき先生が言われたように、義務づけられていることをやらない、そのことも選択肢の中にないと、交付税の問題とあわせて、地域が活性化しないというのは私もそう思うんです。この特区構想というのは、確かにその一地域だけにスポットが当たってしまうという意味では不均衡にはなるんですが、やるに十分価値がある手段ではないかというふうに私は個人的には思っておるんですが、先生の御意見を聞かせていただきたいと思います。
神野参考人 私は、特区制度を十分に理解していないかもしれませんので、私は発展途上国の援助をずっとやってまいりましたので、特区というと中国の特区みたいな制度をイメージしてしまいますので、ああいう意味での経済特区であると個性ある地域づくりには結びつかないのではないかというふうに思います。
 ただ、先生がおっしゃったのは、むしろ……(平井小委員「スペシャル・パーパス・エリアというもの」と呼ぶ)先生がおっしゃったのは、むしろ私の理解ではパイロット自治体にちょっと近いので、政策実験というのは日本は余りやりませんけれども、北欧などでは政策実験をやって、まずやらせてみて、それがうまくいったら、ではほかの地域にもという政策実験をやっています。そういう政策実験の場としてパイロット自治体みたいなものを考えるのであれば、それは意味があるんじゃないか。ちょっと日本は政策実験を大胆に試みるということがないので、例えば、ここは教育を自由にやっていいよといって、そこは権限を与えてみて、それがうまくいったらばほかの地域でもやらせてみるという、政策実験としては意味があるのではないかというふうに思います。
平井小委員 政策実験というか、要するに今考えていることは、規制改革が一気に進まなかったもので、ある地域からそれを実験的に進めていくというのはどうかということを検討しているということです。
 ちょっと話はまた変わってしまうんですが、先生の話をずっと聞いておりますと、市町村合併はやってもやらなくてもいいよ、地域の住民の考え次第である、この市町村合併というものは最終的な目的であるべきものではないというふうに私は受け取ったんですが、それでよろしいでしょうか。
神野参考人 やってもやらなくてもいいというよりも、やるメリットとデメリットを明確にした上で、メリットがあるということであればやるべきだ。ただし、やらないという意思決定をした場合にも、やらないデメリットというのは生じてまいりますので、これについては責任をとるべきだろう。合併をするのであれば、合併をするデメリットというのは必ずあるので、このデメリットを解消した上で合併すべきだというふうに申し上げたわけでございます。
 合併というのは、繰り返し申し上げますように、中央集権的な意味で地域間格差を是正するよりも、協力をして、合併して、財政力を強める方が分権的だというふうに考えるのが普通だと私は考えておりますので、そういう意味では、つまり合併そのものは目的じゃない、合併はあくまでも手段ですけれども、地方の財政力を強める手段として合併というのは一つ選択肢があるでしょう。しかし、その場合にデメリットが働きますから、そのデメリットはつぶすということをして合併すべきだというふうに申し上げたということでございます。
平井小委員 もう一つ、合併問題のときに、私はいつもセットで考えているんですが、今電子政府、電子自治体というもの、これは本気で取り組み始めました。きょう、私、昼間会合に出ておりましたけれども、政府は四万七千の電子手続を電子化するというような通則法でいくようですし、当然地方自治体にもその影響があるわけです。
 そうなってくると、いよいよ地方自治体というものがバーチャルの世界、要するにネットワークで結ばれた場合に、今の行政単位とか市町村というものは果たしてどういう意味になってくるのかな。これはちょっと何年か先の話だと思うんですけれども、日本は国土が狭いですから、そして人口がピークアウトする二〇〇五年、六年以降から考えてみると、ネットワークで結ばれた地域社会の連合体としての地方というものが一体どういうものになっていくのかな。私、五十年先のことを想像する力はありませんが、今進めようとしている電子自治体というものは明らかに市町村の意味がなくなってしまう部分もあるんですよ。
 それと、ある程度の規模じゃないと成立しないという現実もあります。つまり、人口三百人のところで電子化しても余り意味がない。ある程度の規模で連携をしていかなきゃいけないということもあるので、そのあたりのところは、これからの地方の自立ということを考えたときに、どのように位置づけていくのが妥当なのか、先生のアドバイスがあれば教えていただきたいと思います。
神野参考人 私、電子政府そのものについて、むしろ先生に教えていただきたいぐらいで、不勉強でございます。
 ただ、先生も御存じのとおりに、今ITが一番進んでいる国は北欧でして、フィンランド、スウェーデンなどで、政府を含めて、人々の生活の中にさまざまなITが入り込んできているわけです。
 そういたしますと、人々はむしろ動かなくなって、地域に根づくようになってきます。今までのようにお買い物に遠くまで車を飛ばしていく必要もなくなって、インターネットで発注をして、ユニバーサルサービスでもって郵便局の人がその家庭に品物を運んでくれるようになりますので、ITが入ることによって、タイムセービングになって、そして、むしろ人々の自由時間がふえて、その地域社会から余り動かずに生活ができるようになって、そして、コミュニティーがむしろ強まって、人間と人間との関係が強まっていくというような傾向が見られます。
 そういうことを基盤にしながらスウェーデンはさまざまな自治運動を行っているので、ITが入り込んできてネットワークが広がっていくと、人間も動くというふうには必ずしも言えないのではないか。むしろ、情報を動かして、人は余り動かないようにしようという入り方もあって、どちらの方向に動くのかというのは見えてきておりませんが、どうも先進諸国を見てみると動かない方向に移ってきておりますので、かえって地域社会みたいなものが根づいて、そして、お互いの助け合い、人間と人間との触れ合いというのは必ず残りますので、そういうことが強まる方向に動いていくのではないかというふうに考えます。
平井小委員 時間でした。ありがとうございました。
保岡小委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。
 この際、一言ごあいさつを申し上げます。
 神野参考人におかれましては、貴重な御意見をお述べいただき、ありがとうございました。小委員会を代表して、心から御礼を申し上げます。(拍手)
    ―――――――――――――
保岡小委員長 これより、本日の参考人質疑を踏まえ、地方自治について小委員間の自由討議を行いたいと存じます。
 一回の御発言は、五分以内におまとめいただくこととし、小委員長の指名に基づいて、所属会派及び氏名をあらかじめお述べいただいてからお願いいたしたいと存じます。
 小委員の発言時間の経過につきましてのお知らせでございますが、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせしたいと存じます。
 御発言を希望される方は、お手元にあるネームプレートをこのようにお立てください。御発言が終わりましたら、戻していただくようお願いいたします。
 それでは、ただいまから御発言を願いたいと存じます。
金子(哲)小委員 社会民主党・市民連合の金子です。
 だれしもが今、地方分権の推進ということは一様に主張されるわけですし、また、地方の時代ということも言われておりますけれども、きょうのお話をお伺いして、先ほど私も意見を申し上げましたけれども、いわば合併を中心にして財政基盤を強めるというのが何か国の方針のようですけれども、どうも財政のありようというものを、まずきちんと、自主的な財政をつくり上げていくということが抜けて進んでいるのではないかということを改めて強く思いました。
 それで、私は、やはり地方自治体という役割はさらにこれから重くなっていくということで、住民の生活とまさに密接にかかわってくれば、福祉の時代、そして高齢社会の時代になればなるだけ自治体の役割は重くなっていくし、そして、それはまた地域によって非常に多様に、いわば年齢階層も含めて、住民等の階層も含めた多様性に対応するだけの地方自治の自主性というものをどれだけ尊重していくかということが、これからの中に進んでいかなければならないんではないかというふうに感じています。
 ただ大きくなればいいということだけで本当にいいのかということを、その中では、例えば、今までの県と市町村との役割の分担とかが本当に明確になっていたのだろうかということも、今、もう一度、地方分権の時代の中で見直していく必要があるんではないかというふうに考えております。
 また、同時に、その意味では、住民の最も生命と財産を守っていくということからいいますと、先ほどもちょっと意見の中に出てまいりましたけれども、今回の、今論議になっておりますいわば有事法制の問題も、これまた地方自治に直接かかわる問題として提起をされておりますけれども、実はこの問題も、地方のいわば直接担当する知事とかそういったところの皆さんが、この問題についてどれぐらい説明を受け、どれぐらい論議を深めて今国会でも論議をされているかということになると、余りにもおざなり過ぎる。
 先般も、マスコミのインタビューに答えて、我々には全く説明がないというようなことの中で、今、中央と地方の関係は、これから地方の分権、地方自治の推進と言われつつも、実際にやっていること、決めていくこと、先ほどの合併の問題もそうですけれども、余りにも中央集権的なやりようで事が進み過ぎているんではないかということを改めて強調しながら、そういうところから、本当に地方からつくっていく政治というものに転換をしていく、今回の問題も、そういう論点の中になければならないのではないか。
 ちょうど今そういう問題を論議している中で、きょうは地方分権ということで小委員会の論議をさせていただきましたけれども、財政問題のみならず、そういったところの論議のつくりようも含めた地方分権の推進ということにさらに進めていくことが重要ではないかというふうに考えております。
 以上です。
春名小委員 最初に苦言で申しわけないんですけれども、国の基本という憲法調査会の議論にしては余りにも参加が悪過ぎて、これでは期待にこたえられないということを強く私は申し上げておきたいと思います。だれが悪いというわけじゃないんですけれども、小委員長もぜひ努力をしていただいて、本当にふさわしい議論をするのであればするということが大事じゃないかと思うんですね。
 三点申し上げます。
 自主財政権が明記がないということについて議論になりました。
 憲法八章の九十二条から九十五条までで、地方自治というものはしっかり支えるという基盤があります。この九十二条の中で、団体自治と住民自治が明確にされている。そして、九十四条の中で、事務の処理、行政の執行、法律の範囲内での条例の制定、こういう権限が明記されている。これらを保障するために自主財政権があるというのは通説でありまして、明記がないから税源移譲ができないとか、そういう性格のものではなくて、むしろ運動によってこれが豊かにされてきたというのが歴史の事実です。その点で自主財政権の問題は理解することが大事だと思います。
 二点目は税源移譲についてですが、これは神野さんの方から具体的な提案がされて、非常に示唆に富んでいると思います。これはすぐ検討する必要があると僕は思っていますけれども、同時に、現実の政治課題は、そのことは、十分正面に座ってないで、地方交付税削減や、一千を目指す、年限を切った市町村合併によって行政経費を削減するということが先にありき、こういう話になっていまして、これは本末転倒です。このことは、政治にかかわる者として、私は大変大事な問題であると思っております。
 三番目に、武力攻撃事態法と地方自治との関係についてですが、住民の命と安全と財産を保護するというのは、言うまでもなく自治体の最大の使命です。最大の使命であるからこそ、憲法の地方自治の章や、そして地方自治法の中では、それを自主的に自治体が判断するというのが一番大事なんだということを言っているわけですね。
 ところが、そういう事態にもし際したときに、自治体は全くその権限がなくなってしまうという法体系になっているんです。この矛盾ですね。しかも、協力すべき武力攻撃事態というのは予測やおそれの段階まで入っていまして、住民に直接危害が及ぶとか安全が脅かされる事態じゃない事態でも発動されるんです。そこに疑問があるわけですよ。
 そういう非常に大きな問題を持った、地方自治という観点から見ても、この法案は非常に重大な問題を持っておりまして、憲法調査会の調査に値する非常に大事な問題だというふうに私は認識をしております。
 以上です。
永井小委員 それでは最後に一言、きょうの感想も含めて申し上げたいと思うんですが、私は、昭和五十年から神奈川県議会の議員をやってきました。地方政治に携わってきまして、地方分権の必要性をこの三十年近く痛切に感じてきました。そして、きょう神野先生にお話を伺って、一九二八年にこの政友会のキャッチコピーが示されて、経過が御報告ありまして、地方分権の論議は、言ってみればエンドレスだなと。
 政治は、決断をする、実行するということが最大の使命だと思うんです。議論も大事です。しかし、結論を出して実行していくことが何よりも今求められているんじゃないか。とりわけ、グローバル化され、そして、先ほどの話、ローカルのウエートも高くなっている今日、ここで政治が決断をしなければ、二十一世紀の初頭にこの日本の国の形をきちっと明確にしなければ、次の世代にどうこたえていくんだろうかという感想を持った次第であります。
 以上です。
保岡小委員長 他に御発言ございますか。
 それでは、討議も尽きたようでございますので、これにて自由討議を終了いたします。
 次回は、来る六月六日木曜日午前九時から小委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後四時四十二分散会


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