衆議院

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第4号 平成14年6月6日(木曜日)

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平成十四年六月六日(木曜日)
    午前九時開議
 出席小委員
   小委員長 保岡 興治君
      伊藤 公介君    西田  司君
      葉梨 信行君    平井 卓也君
      森岡 正宏君    渡辺 博道君
      大島  敦君    大谷 信盛君
      今野  東君    筒井 信隆君
      中川 正春君    永井 英慈君
      江田 康幸君    武山百合子君
      春名 直章君    金子 哲夫君
      西川太一郎君
    …………………………………
   憲法調査会会長      中山 太郎君
   憲法調査会会長代理    中野 寛成君
   参考人
   (鳥取県知事)      片山 善博君
   衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君
    ―――――――――――――
六月六日
 小委員土井たか子君五月十六日委員辞任につき、その補欠として金子哲夫君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員中村哲治君及び井上喜一君同日委員辞任につき、その補欠として大谷信盛君及び西川太一郎君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員大谷信盛君及び西川太一郎君同日委員辞任につき、その補欠として大島敦君及び井上喜一君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員金子哲夫君同日小委員辞任につき、その補欠として土井たか子君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員大島敦君同日委員辞任につき、その補欠として今野東君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員今野東君同日小委員辞任につき、その補欠として中村哲治君が会長の指名で小委員に選任された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 地方自治に関する件


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     ――――◇―――――
保岡小委員長 これより会議を開きます。
 地方自治に関する件について調査を進めます。
 本日、参考人として鳥取県知事片山善博君に御出席をいただいております。
 この際、参考人の方に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人のお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じます。
 次に、議事の順序につきまして申し上げます。
 最初に参考人の方から御意見を四十分以内でお述べいただき、その後、小委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
 なお、発言する際はその都度小委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は小委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
 御発言は着席のままでお願いいたします。
 それでは、片山参考人、お願いいたします。
片山参考人 おはようございます。ただいま委員長から御紹介をいただきました鳥取県知事の片山でございます。本日は、こういう機会を与えていただきましたことをまずお礼を申し上げます。
 私から、きょうは、地方分権を実現するために、今どういう諸課題が現場にあるのかということを率直に話をさせていただきたいと思います。お手元にレジュメのようなものをお配りしていると思いますが、それをごらんいただきながら聞いていただきたいと思います。
 私、知事になりまして、今三年余を経過いたしました。この間、私なりに一生懸命地方自治を実践してきておりまして、その中で、さらに地方分権を推進する、自主的で生き生きとした地域づくりをするために、今どういうことが障害になっていて、どこをどう解決すればいいのかという気のついた点を幾つか挙げております。
 最初は、私自身の立場にも関係あることなんでありますが、首長でありますとか、その首長のもとで仕事をする組織の問題であります。
 組織、機構のあり方でありますが、今、我が国の地方自治制度というのは、都道府県それから市町村という二層構造になっているわけでありまして、それぞれ地方自治法を中心にした法律によって、かなり詳細に物事が決められております。私は、大筋、政府といいますか、中央が日本の内政の仕組みを決めるというのは、これは当たり前だろうと思うんでありますが、余り度が過ぎますと、地域の実情にそぐわないような全国一律になってしまって、どうも身動きがとれないということがやはり間々あります。
 例えば市町村のあり方にしましても、一応地方自治法では幾つかの類型に分けまして、市は市、町は町、村は村と分けているのでありますが、その分け方はすぐれて形式的でありまして、人口によって何万以上なら市になれるとか、しかもそれが、例えば今日の合併問題に見られますように、合併するときにはそのハードルを少し下げてあげるとか、非常に御都合主義の形式主義がまかり通っているわけであります。
 人口の多寡だけで権能が決まるというのは変な話でありまして、地域によっては、人口は多いけれども、余り能力がないと言うと変でありますけれども、自治の能力に欠けるようなケースもないわけではないし、人口が少なくても非常に熱意があって資質の高い地域もあるわけで、必ずしも量的なものだけで権能を決めてしまうのはいかがなものであるかと思っています。
 最近、政府の地方制度調査会なんかで、合併問題に絡んで、小規模で残ったところは権能を縮小しよう、そういうことをテーマにしてこれから議論しようということが新聞に出ておりました。一つの見識ではあると思うんですけれども、小さいから権能も少なくしてしまおう、人口が少ないから権能を少なくしてしまおうというのはまた非常に形式的でありまして、私は、そういうことは地方に任せていればいいんだろうと思うんです。
 小さくて本当にやっていけなければ、それは県がカバーするとか、小さくても自分できちっとやっていけるところであれば、それは住民の皆さんの選択でありますから、それでいいんだろうと思うんです。そういう自由度、柔軟性、選択性を持たせるのが、私は、中央政府のこれからの自治体の組織、機構に対する関与の仕方ではないかと思っております。
 それから、例えば県の組織、機構でありましても、大筋自治法で決まっているのであります。その組織は中央政府の縦割りの仕組みをなぞらえたようなものでありまして、地方分権の時代になって、住民の方に視点を移して、現場から物事を発想しよう、現場から物事を解決しようといったときに、どうも今の我が国の地方自治体の組織、機構ははずが合わなくなってしまっている。
 中央政府が縦割りの中で行政を下におろしていく、そのおろしやすい行政機構にはなっているんですけれども、縦に割れていない現場をありのままに見て、そこで課題をとらまえてそれを実践しようと思ったときには、どうも使い勝手の悪い仕組みになっていることは否めません。
 私は、鳥取県で、それを可能な範囲内で直していこうということで、現場向きに今組織を再編しているんでありますけれども、なかなか困難であります。やはり中央政府からの有形無形の圧力が非常にあったりします。これはまた後でお話を申し上げたいと思いますけれども。そういうことで、これからの地方分権時代の地方自治体の組織、機構は、これは市制、町村制も含めてでありますけれども、多様性、地域性、柔軟性に富んだものでなければいけないと考えております。
 それから次に、「多選問題」と書いておりますが、これは首長の問題であります。
 私は今、三年やってきたということを申し上げましたけれども、本当に手ごたえのある、充実感のある仕事であります。私は、選挙に出るとき大変迷いました。役人をやっておりましたので、本当に選挙に出るというのは大仕事でありまして、しかも子供をいっぱい抱えていたものですから、どうしようかと思ったんですけれども、思い切って選挙に出て、今の仕事についてよかったと思っています。本当に毎日毎日忙しいんですけれども、充実しております。
 しかし、私は、今の自分を考えていまして、これを一生懸命やった場合に、例えば一期で四年、仮に二期八年やって、それで全力を投球して、さらにその後、エネルギーだとかアイデアだとかが残っているだろうかと考えた場合に、全力投球したら枯渇するんじゃないかという気がするんであります。それで、世の中では、三期、四期もやられている方がおられて、よくあんなに情熱が続くなと思ったり、逆に情熱がそんなにないのかなと思ったりもするんですけれども、率直に申し上げて、十年も一生懸命やってできないことは、もうできないんだと思います、その人には。十年一生懸命やってできることは、できていると思います。ですから、多選はよくないと私は思います。
 それからもう一つは、これも自分で毎日気をつけているんですけれども、やはり権力は自己目的化します。県庁というのは一つの大統領制のもとででき上がっている組織でありますから、非常に権限の強いトップリーダーになれるわけであります。そうしますと、そのうちそれが自己目的化して、県庁のスタッフというのはトップのために仕事をするようになる。住民のために本来仕事をする組織の成員であるべきところが、トップの方を向いてトップのために仕事をする。トップは役所をかばうようになる。こういう妙な組織のあり方になって、自己目的化して長期政権が続く、こういうことが随所に見られます。
 ですから、私は、経験上、例えばアメリカの大統領が二期で切っているというのは、一つの経験則として英知だろうと思うんです。我が国の場合には、首長に多選禁止はありませんけれども、私自身が、今の立場ではなくて、例えば一人の国民、一人の住民として見た場合には、やはり多選についての何らかの制限があった方がいいんではないか、その方が我が国は伸びやかな社会になるんではないかという気がしてなりません。
 次に、執行機関の中で、「独立行政委員会」と書いておりますが、これは長以外の執行機関でありまして、日本の地方自治制度では、例えば都道府県の中では、公安委員会制度とか教育委員会制度があります。ほかにも人事委員会とかいろいろありますが、大きいのは教育と警察であります。
 これが、知事部局、知事の管轄のもとから離れておりまして、知事はトータルに、例えば議会との関係で代表するとか予算を提案する権利があるとか、そういうことはあるのでありますが、事務の執行については、教育行政は教育委員会がやり、それから警察行政は公安委員会が所管する、こういうことになっております。それはいろいろな理由があって、国にも、中央レベルでも公正取引委員会とか人事院とかそういうたぐいのものがありますから、平仄を合わせているのでありますけれども、これが実際に現場で見てみますと、どうも欠陥があるということを指摘せざるを得ません。
 どんな欠陥があるかといいますと、一つは、どうしても中途半端な組織であります。なぜならば、首長が議会の選任同意を得て任命するのでありますけれども、非常勤であって、専門性はなくてもいい、報酬は非常に低い、要するに、ちゃんとした仕事をするような前提として構成されておりません。どうしても中途半端であります。
 それから、中立性ということがこの独立行政委員会の存在意義になっているんですけれども、中立性はいいんですけれども、何となく無気力になって当事者意識に欠ける、当事者能力がないということであります。これは全国どこでもそうだろうと思います。
 本当は、警察行政も教育行政も非常に重要な分野でありまして、これについて、では、だれが責任を持って、だれが住民に対して説明責任を果たすのかというと、形式上はそれぞれ公安委員会の委員であり教育委員会の委員なのでありますけれども、その本来説明責任を果たすべき責任者が、先ほど言いましたように、中途半端な存在で当事者能力に欠けている。大変失礼な言い方でありますけれども、率直に申し上げて当事者能力に欠けているケースが多いのであります。これをどうするのかというのは非常に重要な問題であります。
 一例を申し上げますと、週休二日というか週五日制というのが始まったんですけれども、中央レベルからこの問題は出てきたわけであります。地方の現場では、保護者の皆さんは、週休二日にして子供たちは大丈夫だろうか、行き場がない子もいるよとか、学力はどうか、本当にそういう心配が出てくるのであります。私も子供が六人おりまして、まだ中学生もいるものですから、本当に心配なんです。土曜日を休みにして、地域の教育力で生きていく力を身につけるんだといって政府の方は説明していますけれども、ずっと見渡したって地域に教育力なんて本当にないんです。
 そういう現場の声が出るんですけれども、教育委員会はそういうことにはむとんちゃくでありまして、ひたすら上意下達、文部省の言うことをぱくぱく言うだけで、本来は地域の声を酌み取って国にぶつけなきゃいけない教育委員会が、先ほど言った当事者能力が欠如しているものですから、中央集権的な物の見方しかできない。
 では、それをどうするか。民主主義の仕組みがあると、例えば私だったら、次の選挙は大変だろうなとかいうことで一生懸命になるんですけれども、独立行政委員会の人たちは選挙もありませんから、余り鋭敏でない。保護者の皆さんは非常にもどかしさを感じる、無力感を感じる、こういうことなのであります。私は、この独立行政委員会というのは戦後アメリカから輸入された制度でありますけれども、そろそろ見直してもいいんではないかという気がします。
 では、どういうふうに見直すのかというのは、一つは、私たちは選挙で選ばれているわけですから、選挙で選ばれた長のもとで責任を持ってやるという体制にしてもらってもいいと思います。それは、私はやるだけの気概と自信を持っております。現に、私の鳥取県の隣の島根県に出雲市というところがありまして、出雲の市長さんは教育行政に非常に熱心な人ですが、もう教育委員会だけに任せておくわけにいかぬといって、教育委員会の仕事のうちの一部を、条例を改正して、自分のところに持ってきて仕事をする、そういうこともやっておられます。一見非常に無謀でありまして、文部科学省なんかは無謀だと言っておられるんだと思いますけれども、私は、一つの挑戦で試みだと思って注目して見ています。それも一つの方法。
 それから、もう一つは、それならば民主主義を徹底して、教育委員、公安委員を選挙で選んだらどうだろうかというのも一つの方法だろうと思います。私は、これでもいいと思います。選挙で教育委員会の委員を選ぶ、これはアメリカはやっておりますけれども、それも一長一短あるでしょうけれども、今よりはいいんではないかという気がします。
 こういう問題をぜひ御検討いただければと思います。
 もう一つつけ加えて言いますと、先般、外部監査制度というのがありまして、後でもちょっとお話ししますが、私のところの外部監査人が公安委員会を監査したんですけれども、結論は、公安委員会は形骸化しているという外部監査の結論を出しました。よく監査したと思いますけれども。実際、当たらずとも遠からずなんであります。どう形骸化しているかというと、警察本部長以下の事務局におんぶにだっこになっている、形骸化している、こういう話なのであります。
 それに対して、公安委員会の委員の皆さんは、みずから反論しないんです。大分おくれて反論しましたけれども、反論したのは、警察本部長が形骸化していないといって反論した。警察本部長以下におんぶにだっこになって形骸化していますよといって公安委員会が批判されたら、警察本部長以下が形骸化していないという反論をする、これがまさしく形骸化していることの象徴ではないかと私は思うのでありますけれども、まあ、実態はこんなものであります。
 やはり民主主義の不足というのがこの独立行政委員会には顕著に見られます。ぜひ、選挙で選ばれた長のもとで民主主義のもとに置くか、それとも、直接民主主義を注入する仕組みをつくるか、こういうことはこれからの課題ではないかと思います。
 次は、議会であります。
 地方議会は、国会と違って、かなり形骸化している面が実はあります。私は、知事に就任いたしましたときに、最初の議会で、表現は違うんですが、要するに、学芸会的なことはやりませんということを宣言しました。
 それはどういうことかといいますと、それまでの県議会というのは学芸会みたいだったんです。なぜならば、質問が全部決まっていて、答弁書もでき上がっていてそれを読む。その答弁書を聞いて、再質問もでき上がっていて、その再質問に対する再答弁もあらかじめでき上がっている。その再答弁に対する再々質問もでき上がっていて、再々答弁も決まっている。これをひたすら読み合うということを一生懸命やっていたわけです。何を答えるかじゃなくて、どれを読むかというのが一番の関心事で、読み間違えないようにしようという、時々読み間違いがあったりしましたけれども。
 そういう議会では全く意味をなさないわけで、議会というのはやはり議論をするところなんで、真剣に議論しましょうということで、私は、学芸会はやめましょうという話をしました。学芸会とは何だと大分怒られましたけれども、今は、我が鳥取県議会は非常に活発でありまして、もう学芸会的なことはほとんどなくなってしまいました。
 もう一つは、八百長をやめようという話を、これも表現は違いますけれども、ありていに言うと八百長をやめようという話をしました。
 八百長というのはどういうことかといいますと、議会が始まる前にあらかじめ結論は決まっている、議会の始まる前に全部多数会派に根回しをして、この議案はこう通すと決まっている。そうすると、後は質問をしても余り意味はありませんから、野球でいえば優勝チームが決まった後の消化試合みたいになってしまう。
 そういうことでは住民はだれも注目しませんから、結論を最初から決めて議会に臨むということはやめましょうということで、私は、議会が始まる前に議案を多数会派に根回しして全部通してくださいという、そういう意味での根回しはやっておりません。説明はしますけれども、拝む、頼むということはやっておりません。したがって、今は、私のところは、修正は頻々とありますし、それから我々の意に反した継続審議というのもありますし、私は一生懸命議案をつくって出しますけれども、皆さん方は意見が違っていれば修正していただいても結構だし、否決していただいても結構だという話をしたんですけれども、本当に否決されたこともあります。
 ですから、我が鳥取県議会はそういうふうに本来の議会にだんだんなってきているのでありますけれども、日本全国を見渡してみて、なかなか今の地方議会というのはそうなっておりません。やはり学芸会的な要素があったり、それから八百長的な部分があったりするのが現実であります。これを正すことが地方分権時代には一番必要だろうと思うんです。
 なぜならば、今までは中央が全部決めていて、地方議会では議論することは余りなかったのであります。特に税なんかはそうです。税という非常に重要な分野が、全部専決処分といって、議論をしないで、議会にかわって長が決めてしまう、こういうことが横行しているわけです。しかし、中央集権でなくて地方分権時代になってくると、これからは国が決めるんではなくて地方が独自に決めるということになると、だれが決めますかというと、最終的な決定権は議会ですから、議会が形骸化していてはいけない、議会の活性化が必要だということであります。
 そういう意味でいいますと、議会の制度を今見てみますと、余りにも硬直的であるということが指摘できます。地方自治法で事細かに決まって、議会というのは年に何回開いて、常任委員会はこういうのがあって、定数はこうでということを決めているんですね。そんなことを一々決めていただかなくても結構だと私は思うんです。それぞれ地方のやり方で決められたらいいと思うんです。定例会は年に四回と限ることはないと思うんです、六回やったって構いませんし。定数だってそうなんです。本当に、定数だって少なくてやろうというところがあってもいいし、それから、議員報酬の単価を低くしてでも多少多目に議員さんを選んでやってもいいし、それは選択の問題ではないかと私は思うんでありますが、どうも地方自治法は、あれこれあれこれ、手とり足とり細かいことまで決めている。何の意味もないと思うんです。
 特に、最近気になりますのは、市町村の議会のことでありますが、どういう人が選ばれるかという点であります。
 私は、今、市町村で何が問題かというと、例えば教育とか子育てとか、そういうことが非常に問題なんですけれども、そういうことに熱心な人が余り議会に登場しないんです。世の中というのは老若男女で構成されていて、老いも若きも、男も女もで構成されているわけで、それぞれに課題を持って、悩みを持っているわけで、そういうものがバランスよく議会に代表されて、議会を通じて政策形成に結びつくというのが必要だと思うんですけれども、代表されている人を見ると、総じて、老若男女のうちの老と男が地方議会は多いんです。
 老と男が多いと、それは住民の皆さんが選んだからいいんですけれども、結果としてどういうことが起きるかというと、老男の代表のフィルターを通すると、しゃばにいろいろある課題のうち、教育とか子育てとか環境とかITとか、そういうものがいつの間にか捨象されてしまって、農業とか土木とか、そういうところが色濃く大きく出てしまうという傾向があります。
 なぜそうなるのかというと、私が思うのは、市町村の議会の議員も、それからここの国会議員の先生方も、選ばれる資格は一緒なんですね、基本的には。私は、国会は、外交があったり防衛があったり非常に専門性があって、片手間でできる仕事は決してないと思います。ですけれども、市町村の議会の議員というのは、生活を実際にしている人たちを代表する、生活者の代表でありますから、そんなに国会議員の皆さんと同じような資格は必要ないと思うんです。
 例えば、今教育が問題だということになると、本当は、市町村の議会の議員の中に先生がいてもいいはずなんです。ところが、通常、公立学校の先生は公務員でありますから、公務員は一切だめよということになるわけですね。国会議員の先生方は公務員だめよというのは、それはいいと思うんですけれども、市町村の議会まで全部そうやって公務員はだめというようなことをして、本当にそれでいいのかどうかと思うんです。
 公務員はだめというのでいいますと、例えば私自身の問題も、非常に悩んだことがあるんです。私は、三年半前まで東京の目黒区民だったんですけれども、子供の小学校の参観日に行っていろいろ気がつくことがあるわけです。もうちょっとパソコンの新しいのを買わないと、こんなの時代おくれだなと思って先生に言っても、いや、区の予算がありませんからと、らちが明かない。それじゃ区議会議員にでも出て、区の予算を教育にもっと回すように言おうかと思っても、立候補しようと思ったら公務員をやめなきゃいけないわけです。
 仕事をやめて、のみならず、私は国家公務員住宅に入っていましたから、公務員住宅も追い出されてしまえば目黒区民でもなくなる。子供のために区の行政に参画しようと思ったら生活の基盤が全部なくなる、こういう地方自治制度、身近なところの市町村の地方自治制度は、私はおかしいと思うんであります。やはり、生活を実践しながら、今困っている問題を区の行政で解決してもらいたい、それを気軽にというか、余りハードルが高くなく物を申すことができる、そういう環境整備をしなければ、日本の地方自治は生き生きとしてこないんではないかと思うんです。
 それを、猫もしゃくしも全部一緒の条件にして、国会議員の先生方も都道府県議会の議員も区市町村の議会も、全部なべて同じような資格要件で、職業としての政治家でないとならないというような今の硬直的な仕組みはぜひ改めていただきたい。市町村の議会の議員はだれでもなれるというぐらいの、そういう仕組みにしていただければありがたいと思います。これは、我々ではできないんです。法律を改正していただかなければできないわけであります。
 次は、「監査制度」であります。
 監査制度は非常に重要だと思います。これは、先般のアメリカのエンロンの破綻なんかを見ましても、監査がいかにいいかげんであったか、それがあんな悲劇を生んだということだろうと思います。地方自治体でもそうでありまして、監査というのは、私は大変重要だと思っているんですが、総じて今まで軽視されております。刺身のつまぐらいにしか思っていない人が多いです。したがって、監査というのも、余り仕事せぬでええ、ちょろちょろっと適当な監査報告をしておけばいいというような傾向が強いです。
 総じて、監査をする側と監査をされる側とは精神的な一体性、同一性がありまして、余り客観的で緊張感のある監査をやっていません。これではいけないと思うんであります。やはり、緊張感のある監査がないと腐敗し、堕落をするということにつながります。
 私は今、できるだけ監査を遠ざけて、遠ざけてというのは、精神的一体感を持たないようにして、きちっと言うべきことを言ってくださいという話をしていまして、だんだんそうなっていますけれども、全国では必ずしもそうではない。監査と監査される側が精神的なぐるであるというケースが多いです。これを、ちゃんと制度的に緊張感を持つような仕組みにしなければいけないと思います。
 それはどうすればいいのかということでありますが、私は、監査委員こそ選挙をしたらどうかと思うんであります。選挙をすると、オンブズマンみたいな人が出てきます。それでいいと思うんです。自治体のむだ遣いをやめさせたいと非常に熱心な人が選挙で出てくれば、それにこしたことはないはずであります。ぜひこの監査委員の問題を取り上げていただきたいと思うんであります。今のままだと、身内のかばい合いになってしまいます。
 これは、我が国の企業も一緒ではないかと思います。企業で外部役員とかそういうものが必要だと言われているのは、やはり同じ文脈ではないかと思うんです。
 我が国の場合に、監査委員という実は立派な制度があるんですけれども、それが、精神的なぐるといいますか、一体感があってうまく機能しない。特に、監査委員事務局自体が腐敗をして、数年前にやみで金を使っていたというのが判明して、そこで選挙にしようとかいうようなことをやればよかったんですけれども、どういうわけか微温的にそこはそのままにしておいて、外部監査という、いわば屋上屋を重ねるような制度を法律でつくられたものですから、我々も今外部監査というのをやっていますけれども、しかし、本当は、監査委員という本体のところを活性化する方がいいと思うんです。そのためには、監査委員は選挙で選ぶということ、私はこれをぜひお願いしたいと思うんです。
 それは、実は私たちにとっては厳しいことなんです。選挙で選んだ、精神的一体感のない人がずかずかっと入り込んできて、どういう金の使い方をしているかと探るわけですから、結構つらい面はあるかもしれませんが、しかし、そのことが緊張感を生んで、長い目で見ると自治体の健全性をきっと保つことになるんだろうと私は思っております。
 次は、「地方財政」であります。
 今、地方財政は破綻寸前であります。もう破綻していると言ってもいいかもしれません。これは国家財政も同じだと思いますけれども。
 その原因はいろいろありますが、一番大きいのは、やはり政府が主導してきました景気対策であります、率直に申し上げまして。景気対策に地方団体も引きずり込んで、公共事業をさあ積み増ししなさい、単独事業で、起債でどんどんやりなさい、後で交付税で返してあげます。減税をします。国税だけで減税しない、地方税も減税させて、足らない分は赤字地方債を発行しておきなさい、後で交付税で返してあげます。こういう交付税を先食いする形でどんどん財政を破綻させてきているのが今日であります。これを断ち切らないと私はいけないと思います。もう本当に破綻寸前であります。
 今、鳥取県では、独自にできることとして、公共事業については、従来は、とにかく補助金がついたら全部やる、公共事業はすべていいということだったんですが、今はそうやっておりません。一件一件査定しまして、必要なものはやる。それから、補助金についても、必要でないものはやめるということをやっております。
 脱ダム宣言というのは私はやりませんでしたけれども、しかし、ダムを一つやめました、二百四十億円ぐらいだったんですけれども。これも補助金がついてずうっとやっていたんですけれども、これはやめました。必要がないからということであります。もちろん、必要なダムもありますので、必要なダムはやっております。でも、必要でないダムはやめています。そういうことをやっています。
 それから、「地方交付税と地方債」と書いていますが、これもさっき言いましたように、今まで余りにも地方交付税を頼りにしてハード事業をやり過ぎた嫌いがあります。いろいろな単独事業をどんどんやりなさい、特に景気対策でどんどんやりなさい、お金がないから今は地方債でやっておきなさい、後で交付税で返してあげます、有利ですよと。有利だから、地方団体は競い合うようにして単独事業をやるわけです。
 しかし、みんながそうやって、有利だからといって地方交付税をあてにした、先食いで、起債で、借金でやってしまうと、マクロで見ると実は最悪の結果になるわけであります。経済学でよく、ミクロでは最善の方法をみんながやったら、マクロでは最悪の結果になるという、合成の誤謬という言葉がありますけれども、まさしく今、地方財政ではその合成の誤謬が生じているんだと思います。これまでのように、ハード事業をどんどんやりなさい、交付税で裏打ちしてあげますよ、そういう仕組みは、私は早晩やめるべきだと思っております。
 特に、これまで地方財政はハード優先、ハード偏重で来ました。それは、交付税制度もそうなんですが、大きく地方財政自体がそういう傾向を持っていまして、例えば財政分析をするときに、ハード事業をやると、決算分析では投資的経費に使ったといって推賞されるわけです。ところが、教育とか人件費を伴うものにお金をつぎ込んだ場合には、消費的経費につぎ込んだといって少し非難されるような意味合いがあるわけでありますね。
 私は、地方財政というのは住民の皆さんのニーズに基づいてやることですから、ハードであってもソフトであっても、それは選択の結果だろうと思うんです。何もハードだけがよくてソフトが悪いというわけでもない。逆に、ハードが全部悪だというわけでもない。それはそれぞれの地域で選択をして、自分のところはこれを優先的にやる、その結果でいいと思うんであります。それを、政府がハードの方に地方団体を引っ張るような今までの地方財政の仕組みというのは、やはり是正をすべきだろうと思います。
 そういう意味でいいますと、今市町村合併を進めるということで、私は、政府が言っておられるのとは別で、市町村合併、特に町村の合併が必要だろうと思っているんですけれども、政府が市町村合併を進めるときに、またぞろハードで合併を引っ張ろうとされているわけです。合併すると合併特例債が使えて、道路ができます、トンネルができますよ、集会施設ができますよということで合併を進めようとしている。
 私は逆だと思うんですね。今、何で町村合併をしなきゃいけないのかといったら、専門的なスタッフがいないんです、環境だとか、ITだとか、教育だとか。これが本当に今貧弱なんです。こんな今の町村の規模で、スタッフのいない状態で、これからの地方分権の時代は乗り切れないだろうと私は思うんです。ですから、三つか四つがまとまって、少し規模を大きくする。そうすると、教育は教育、環境は環境、男女共同参画は男女共同参画で、それぞれの専門スタッフを張りつけることができる。要は、人材が必要だから合併した方がいいと私は思っているんです。
 ところが中央政府は、合併をしなさい、道路ができます、集会所ができますという、ハード事業ができますよと言ってやっているんです。また借金を重ねて、財政危機を助長する。何か、今やっておられることはずれているんではないかなという気がしてなりません。合併を推進するのであれば、人材がそろうような施策を応援する、そういう施策の方が現状にはかなっていると思います。
 それから、自主財源の強化の問題でありますが、片山総務大臣が五兆五千億円の税源移譲案を示されましたが、私は、あれは大筋正しいと思っています。今国庫補助金でもらっているものを、地方団体の立場からすると、補助金から交付税と税に振りかえて財源を確保するような、そういう仕組みにするということは、私は正しいだろうと思うんです。
 なぜならば、補助金がついたからやる、補助金がつかないからやらないという今の地方団体の行動様式というのは実にあります。ですから、補助金がついたから、本当は必要ないかもしれないけれどもやるという傾向がややあります。そういうものが補助金から一般財源に振りかわると、恐らくシビアな吟味が行われるようになります、地方団体は自分の金、自主財源を使うのは非常にけちでありますから。そういう意味では、補助金から一般財源に振りかえることによって、地方団体のけちなところがより分野が大きくなって、結果的に財政はスリムになると思います。そういう意味で税源移譲は賛成であります。
 ただ、総務省の構想が、補助金を減らして全部税という話だとすると、ちょっと我々としては賛成しかねる面があります。なぜならば、補助金はどっと、例えば鳥取県で三百億円減る、五兆五千億円に見合うものが。ところが、税収は百億円ぐらいしか来ない。そうすると、二百億円穴があくということになりますから、補助金を減らした分は税と適度な交付税とのバランスで財源移転をするということ、これをぜひお願い申し上げたいと思います。
 「地方税」でありますが、地方税が自治の原点であると思います。税を払った人が、自分の税がどこで何に使われるのかということを監視する、これが一番大切でありますので、自分の身近なところに税を納めて、身近なところで税の使い道を決めるという、これが一番大切だと思います。
 今、税の問題で幾つかあるんですが、一つは法人課税でありまして、都道府県の一番の税源は法人事業税であります。これは、法人の所得に課税をしております。したがって、景気が悪くなれば、赤字法人がふえれば、法人事業税は減ります、激減します。今そういう状態であります。しかし、今のような景気の悪いときほど都道府県の仕事はふえるのであります、雇用でありますとか。ですから、都道府県でいえば、お金はたくさん出ていくときに税収は入ってこない、こういうギャップがあるわけです。
 私は、市町村がうらやましいなと思いますのは、市町村は固定資産税と個人の住民税が中心でありますから、比較的安定的であります。非常にうらやましいと思います。都道府県の税の構造も、ぜひ安定的なものにしていただきたいと思うんです。
 そのためには何が必要かといいますと、一つの方策は、今検討されております外形標準課税。赤字の法人も黒字の法人も、なべて薄く広く納めていただきましょう、公平、平等にというのが一つの方策だろうと思います。
 ただ、それだけではありません。例えば、私は、もう一つの方策としては、地方の法人所得課税を国税の法人税の方に移譲して、そのかわり国税の所得税を住民税としてもらうというような、法人と個人とのエクスチェンジ、バーターというのもあり得るんだろうと思います。
 いろいろな選択肢があるだろうと思いますが、外形標準課税というのも一つの有力な選択肢であります。ぜひ、何らかの方法で都道府県の税収構造が安定的になるような、黒字の法人がふえたときはどっとふえるけれども、今のような状態のときには物すごく税収が減るというような、そういう変動の激しい税制は改めていただきたいと思います。
 それから、地方独自課税というのが今もてはやされておりまして、例えば横浜の馬券税でありますとか、どこだったか、東京都区内の自転車課税とか、買い物袋税とか、いろいろなものが出てきております。何か、これらが課税自主権の主役のように今言われておりますけれども、私は、ちょっと違った考え方を持っていまして、しょせんは地方独自課税というのは脇役にすぎません。今の地方の歳入歳出の大きなギャップを地方独自課税で埋めるというような考え方は、まず現実的ではありません。
 もちろん、地方独自課税も意味のある面がありまして、例えば、今私どもで考えていますのは水源涵養税なんて考えているんですけれども、これは、森を守るために水道を日常使う市民の皆さんが少しずつ、ちょっとでいいですから、お金を納めてください、そのお金を上流の水源地の方の森林の涵養に使います、そういうことを今考えているんですけれども、これはどっちかというと、税源目当てというよりは教育的効果、啓発的効果という意味合いがあります。
 ですから、そういう意味では有力な力を発揮することもありますけれども、しかし、大きな財源不足を地方独自課税で埋めたらいいというような考え方は現実的でないということを御認識いただければと思います。
 敷衍いたしますと、地方独自課税でありますから、いろいろなものが出てきます。今は、政府の方がそれをチェックしようとされております。私は、それはやめられた方がいいと思っています。
 といいますのは、役所が余りそういうことをチェックするんじゃなくて、本来はそれぞれの議会がチェックすべきことであります。ですから、東京都のホテル税でありますと、議会が厳密にチェックすべき問題であります。銀行税でもそうなんであります。
 議会がなかなか、東京都議会も余りチェック機能がありませんから、チェックされておりませんので、変な税が次々出てきますけれども、それならば、今度は司法の場でチェックすべきであります。納税者の方が訴訟を起こされて、銀行税は果たして訴訟を起こされましたけれども、司法の場で、それが法律にかなっているかどうか、納税者の権利を保護しているかどうかということをちゃんとチェックするということで、私は、余り政府がチェックされない方がいいんではないかという気がしております。
 「国と地方の関係」でありますが、小泉総理が、地方でできることは地方でやりなさいと言われています。私は、非常に賛成であります。ぜひ、地方でやることは地方でやりたいと思っております。
 ただ、逆に、国でやるべきことは国でやってもらいたいということもあるんであります。最近、地方から見ていますと、余りにも国がやるべきことをやらない、それから、やる場合でもまずくしかやらないというケースが多いです。ぜひ、国政の方も、地方でやることは地方でやりますので、国でやることは国でやる、そのことを国会の皆さん方がチェックしていただきたいと思うんです。
 一例を挙げますと、例えばこんなことがあったんです。
 昨年の四月から、私どもの鳥取県の米子というところに空港があるんですけれども、米子空港とソウルとの間に国際定期便ができることになったんです。山陰地方には国際定期便がありませんでしたので、これは鳥取、島根両県にとって非常に朗報なわけであります。ああ、よかった、こう思ったんでありますが、すぐには実現しなかったです。外交交渉で決まって、日韓の定期航空交渉で決まって、アシアナ航空という航空会社が乗り入れますということを決めて、よかったと思ったら、直ちにはできなかったんです。
 なぜかというと、これは国内問題でありまして、CIQ、すなわち入国管理とか税関とか検疫の体制がそろいません、ですからだめですと。外交交渉で決まって、相手の航空会社がやると言って、日本のCIQの問題、これはすなわち定数の問題であります、定数の問題でできませんという話なんですね。こんなばかな話はないと思うんです。一種のサービス産業でありますから、需要があって、だけれども店員がいませんから売りませんということと一緒なんですね。これがまかり通っている。
 私は、腹が立ったものですから、何回も東京に来まして、こんなことでは困るじゃないですか、空港にCIQの人員をちゃんと配置してくださいと。いや、国家公務員定数管理の何とかという計画がありまして、シーリングがありまして、だめですと。シーリングとか定数計画というのは手段でして、手段は目的よりも劣るはずなんですけれども、手段の方が今大きな顔をして、まかり通っていて、目的をゆがめてしまう、こういうことがあるんです。
 私は本当に承服できませんでしたので、去年の一月から三月の間に数え切れないぐらい東京に来まして、法務省に行き、大蔵省に行き、農林省に行き、厚生省に行き、それぞれ大臣や局長に談判をして、あっちがいいと言えばこっちが悪いと言い、どっちかで話をまとめるとこっちが腹を立てるとか、本当に難儀をして往生いたしました。ですけれども、まあまあ最後は、どなったりけんかしたりしながらも、四月から何とか必要最低限をつけてくれました。ですから、飛び始めましたけれども。
 こんなことをやっていたら、本当に日本はらちが明かないと思って、一計を案じて、去年の今ごろから、国会議員の先生方に働きかけまして、CIQ議員連盟というのをつくっていただいたのです、秋田の村岡兼造先生に座長になっていただいて。夏の概算要求から、国会議員の先生方の力をかりて、関係各省を呼んで概算要求の中に盛り込んでもらうというところから始めたのです。そんなことも我々が働きかけて、おぜん立てもいろいろさせていただいたのですけれども、でも、結果的に、去年の年末の予算編成のときには、地方空港を含めたCIQが三百人ぐらい増員になりました。画期的なことであって、私は感謝しているのです。
 ですけれども、そうまでしないと、国がやるべきことをやらないという、この構造はどうしたんだろうかと思うのであります。もうちょっと柔軟に、必要なところに定数とか予算が配分できるような、そういう構造にしていただきたい。これこそが構造改革だと私は思うのでありますけれども、地方から見ていまして、そういう意味での今の日本の中央官庁の持っている病弊である構造の改革は、何ら進んでいないなという気がいたします。
 余談でありますが、去年の一月から三月、本当に何回も私は東京に来ることを余儀なくされました。なぜならば、中央政府があるから、首都であるからであります。その首都でホテル税なんかかけるというものですから、私は腹が立って、ちょっと異議を唱えたのでありますけれども。いずれにしても、首都に余り何回も何回も来なくてもいいように、構造改革をしていただきたい。国でやるべきことは国でやるということをしていただきたいと思います。
 最後に、「親離れ、子離れ」と書いていますけれども、地方と国との関係は、まだ親離れ、子離れはできていません。地方団体の方も、何か事があったらすぐに国にお伺いを立てるという傾向があります。私は、今、県庁の職員にも、つまらないことは聞くなと言っております。
 もう一つは、政府の方も、地方団体に手とり足とりというのをぜひやめていただきたい。例えば、ちょっと申し上げましたけれども、県の方で機構改革をしたんです。農道と県道というのは、今まではそれぞれ土木部と農林部と別々のセクションでやっています、それは補助金の出口が違いますから。だけれども、やっていることは一緒なんです。技術も一緒なんです。だから、ことしからそのセクションを一緒にしたんです。それから、漁港と港湾も一緒にしたんです。
 そういうことをしましたら、霞が関からは物すごい、ちょっといわく言いがたいことがあります、縄張り争いの結果でありましょうけれども。どうして日本で一番小さい鳥取県の県庁の組織なんかにそんなに注目していただけるのか、そんなに暇なのかと思って、もっとやることあるでしょうと私は言ったんです。余りそういう、国が地方団体をあれこれ自分のことのように気にするということをぜひやめていただきたい。子離れをしていただきたい。このこともあわせてお願いを申し上げておきます。
 ありがとうございました。(拍手)
保岡小委員長 以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。
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保岡小委員長 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。伊藤公介君。
伊藤(公)小委員 自由民主党の伊藤公介でございます。
 きょうは、片山知事の現場からの非常に現実的な御経験の中からお話をいただきましたし、また、御経歴から、ある意味では税の専門家としての立場から、興味深いお話を伺うことができまして、心から感謝を申し上げます。
 国と地方との関係、これこそ今この国の構造改革のある意味では最も大事な改革であろうと私は思います。郵政の問題とか道路公団の問題も確かに構造改革の大事な点でありますが、恐らくこの国の構造を変えるという意味では、この関係をどういう形にしていくかということこそ日本の構造改革の最大のテーマであろうというふうにも私は思っているわけであります。
 一言でいえば、三千二百それぞれの市町村がみんな同じになろうという時代から、それぞれの市町村も都府県も違いをお互いに競い合う、そういう時代になっていくと思いますし、また、先ほど知事さんからもいろいろお話ございましたけれども、今まで補助金がついて、みんないろいろな仕事をやってきたけれども、何をやろうかではなくて、時には何をやらないかということも大事な指摘になってきているように私は思うわけであります。
 それにしても、国と地方との関係を考え、あるいは構造改革をしていくためには、文字どおり知事の御専門であります税の仕組みを変える、これがやはり私は構造改革の最も根源であろうというふうに思うわけであります。
 そこで、地方分権一括法によって、法定外普通税の導入が大変容易になりました。それから、法定外の目的税も新設をされることになりました。それが根本的な改革にはというお話もございましたけれども、片山知事さんと東京都の石原知事とのやりとりも大変興味深いやりとりですし、なかなかあっぱれだなというところもございました。ただ、私は東京に住んでおる者でございまして、一つの大きな問題提起をしてきたことも事実だと思います。そのことが、全国四十都道府県、二十三市町村で次々と独自課税をするということになってきました。
 まだかなり同じような税が多いのですけれども、鳥取県で産業廃棄物の処理税、水源涵養税などが検討されているというふうに新聞報道で見させていただきました。それぞれの都道府県が、それらしいいろいろな課税を今検討しているようでありますが、私は、このことが国を動かしていく大きな力になっていくのではないか、また、住民の皆さんが税に対して非常に身近に関心を持たれるということになってきているのではないかというふうに思います。
 それにしても、現行の法制度のもとでは、国が多くの税源を握り、自治体の自主財源が根本的に乏しいということは言えると思いますが、それらのことを含めまして、知事から、重ねてひとつ御意見を伺えればと思います。
片山参考人 法定外税は、私は、地方団体いろいろ試みはしたらいいと思うのです。いいと思うのですが、しょせん、大きな財源不足を解消するための手段としては、やはり脇役にすぎないだろうと思います。いろいろなアイデアがあって、それぞれ目的にされたらいいと思うのであります。
 私はむしろ、住民の皆さんが税をひしひしと感じる、税を通じて自治体の行政を見るという手段としては、法定外税もさることながら、本当は主要税目、例えば固定資産税とか個人の住民税とか、そっちの方が重要だろうと思うのです。
 といいますのは、今、それらは税率は一定であります。例えば、固定資産税だったら基本的に一・四%。仮に、今の硬直的な仕組みを改めて、例えば大きな箱物をつくるとか、普通の行政に上乗せして何かやるときには、固定資産税をちょっと上げませんかというような、逆に、行政改革をやって行政をスリムにして経費を下げる、そうしたときには固定資産税を一・四ではなくて一・三に下げますよとか、だったら行政改革をやらせてくださいとか、そういうような税と行政サービスの水準とがある程度連動するような仕組みがあれば、私は、住民の皆さんはもっと税に関心を持ち、税の背後にある行政に関心を寄せるんではないかと思うんです。
 といいますのは、今は、いろいろな箱物をつくるといっても、税率は変わりませんから、やらないよりやった方がいいんじゃないか、あった方がいいんじゃないかということでできてしまうんですね。ところが、大きな箱物をつくるときに、固定資産税がちょっと上がりますよということがセットしてあると、いや、それならそんな箱物は要らない、そんな税率を上げてまで要らないという動きが出てくる。これが私は健全な財政だろうと思うんです。
 今はそういう納税者の健全な力が働きませんから、何が財政の限界になるかというと、破綻するかしないかということが限界になってしまうんです。破綻するのならやめよう、破綻しないのならやろう。それは不健全でありまして、やはり税負担がふえるのならやめようというような、そういう健全な納税者意識が働くような仕組みにするには、むしろ主要税目を、標準税率は決めていいですけれども、それを上回るときには上がる、行革をやってスリムになるときは下がる、こういう相関関係を持たせた方がいいんだろうと思っています。
伊藤(公)小委員 時間がないですから簡単に伺いますが、先ほど知事さんのお話の中にもございましたが、今度総務省が改革案を出された、五・五兆円ですね。これは、所得税と消費税を地方税へ置きかえる、そのかわり自主財源をふやして、各省庁の補助金を思い切って削減していこう。これはかねてからいろいろ議論もあったところですけれども、地方交付税の抜本改革をしていかなきゃならないわけでして、税の大変長い御経験を持たれている立場から、地方交付税法の抜本改革について、一言だけ御意見を伺っておきたいと思います。
片山参考人 先ほどもちょっと触れましたけれども、私は、地方交付税がこんなにひどい状態になったのは、やはりハード優先で、ハードをどんどん地方交付税が後押しをして、地方団体の方も地方交付税の先食い、すなわち起債でやって、後で交付税で返してもらうという先食いを競い合うようにしてやった。そのことによって、国の交付税特会にも膨大な借金がたまりましたし、それぞれの地方も交付税を当てにした膨大な地方債の山で今埋まっているわけですね。
 ですから、地方交付税の改革の一番のポイントは、ハード事業を先食いしてまで後押しするというその仕組みをやめることだと思います。それによって、数年たつとかなり整序されてスリムになると思います。
保岡小委員長 次に、中川正春君。
中川(正)小委員 民主党の中川正春でございます。非常に興味深く聞かせていただきました。ありがとうございました。
 時間が限定されていますので、端的にもう少し御意見を聞かせていただきたいと思うんですが、一つは、議会と知事、首長の立場なんですけれども、これは大統領制ですよね。恐らく日本の歴史では、官選知事から、議会がお墨つき議会という背景の中から発展してきたという、このことがあるんではないかというふうに思っているんですよ。
 普通、大統領制ですと、議会は予算権と立法権、いわゆる議定議案、議員が発議する議案を積極的に取り込みながらやっていくことが前提になっているんですけれども、日本の場合は、逆に言えば、知事さんがあるいは市長さんが権限を持ち過ぎている、議会はお墨つきだけで機能していかざるを得ないという、ここに問題があるんじゃないかというふうに私は基本的に思っている。
 そこのところを、逆に権限のある知事の立場から見てどうかということと、もう一つは、地方議会こそ議院内閣制がふさわしいんじゃないか、いわゆるカウンシルみたいな、ヨーロッパでやられているような、それがふさわしいんじゃないかと私も常々思っているんですけれども、そこのところはどう思われますか。
片山参考人 最初に、地方団体は、今全国すべて、都道府県も市町村も大統領制をとっているわけですね。知事の権限が強過ぎるんではないかというお話ですが、確かにそういう面はないわけではないと思います。例えば、予算の提案権は首長にしかないわけです。議会にはないわけです。ですから、そういう面でいうと、アメリカの制度とちょっと違う。
 ですけれども、私は実際やってみまして、最後は全部議会で決めなきゃいけないんです。だから、議会が決定権、予算にしてもそうですし、決算の承認もそうですし、そういうものを、本当の権限を駆使すれば、議会が何と強いものかというふうに私は最近思っています。だから、修正もしょっちゅうされています。それから、廃案にされたこともありますし、去る三月の県議会では、条例案二本が先送りになりました。
 ですから、本当に議会が審査権を行使して、議会の権限を行使すれば、議会は随分強くなると私は思います。
 それから、議員立法も、従来なかったんですけれども、最近、鳥取県議会は議員立法がどんどん出るようになっていますので、日常化しております。
 それから、地方団体こそ議院内閣制、例えばカウンシル制なんかどうかと言われますが、私はそういうものがあってもいいと思うんです。日本のように全部一律に、北海道から沖縄まで全部同じ仕組みというのはやめた方がいいと思うんです。どこかは議院内閣制があり、どこかは大統領制があり、どこかは、例えば委任してやってもらうような制度とか、そういうのを選択してもいいと思うんです。そうしますと、いいところがあって、悪いところがあって、比較ができるわけですね。いいところがあればいいところをまねすればいいですし、そういう柔軟性や多様性のある地方制度にこれからすべきだろうと思っています。
中川(正)小委員 ここに来てやっとこの地方分権も具体論を論ずるステージになってきた。遅きに失するんですけれども、いずれにしたって、具体論が大分出てきました。さっきも片山試案、いわゆる総務省の方からの財源移譲の案が出ていましたが、私たち民主党もあれによく似た形を一足先に提案をしていたこともありまして、ぜひ具体案で進めていきたいなというふうに思っているんです。
 ところが、もう一つ欠落しているのは、これはぜひ市町村側あるいは県サイドから具体案を示していただきたいんですが、それは自主財源にしていけばいくほど調整機能をどうするかということがあると思うんです。
 基本的には、例えば所得税の一部あるいは法人税を移しても、鳥取県みたいなところは東京と比べるとぐっと財源が減っちゃうわけですよ。東京がひとり勝ちという構図が生まれてくる。これに対してどういうふうな新しい財源調整機能をつくり上げていくかということを具体的に示さないと、実現できないということに突き当たってくるんですね。そこのところは恐らく意識しておられるんだろうと思うんですが、もう少し掘り下げて語っていただけませんか。
片山参考人 先生のおっしゃるとおりでありまして、自主財源を強化するというのは理想でありますから、そういう方向はいいんですけれども、しかし、それは、今の我が国の現状を見ると、余りにも税源が偏在しておりまして、東京のひとり勝ちになることはもう目に見えておりまして、地方の方は、税源は移譲されたけれども税収はほとんどない、こういう状態になってしまうわけです。したがって、それらを調整する意味での財源調整機能が今まで以上に強化されなきゃいけない。自主財源を強化するということは、財源調整機能も強化するということだと思うんです。
 そういう意味からいいますと、私先ほどちょっと言いましたように、総務省のプランは五・五兆円の国庫補助負担金を減らす、それを税源として移譲するということになっていまして、それだけでは本当に貧富の差が拡大してしまうと思うんです。ですから、五・五兆のうち、例えば二・五兆とか三兆円を税源で移譲する。それは所得税から住民税への税源移譲ということが一番理想的ですけれども、そうやって移譲する。残りの二兆なり二兆五千億円は、交付税を充実させるということで地方に財源を移譲するということが必要だろうと思うんです。
 国庫としては五・五兆円の歳出が減ります。また、別途五・五兆円の税収が減るということでツーペイになる。地方の方も五・五兆円今まで補助金でもらっているところはなくなる。あとはそれをカバーするのは、地方団体ごとにばらつきが出ると思いますけれども、東京都なんかは全部税収で来る、鳥取県の場合は税収でちょっと来て、交付税で残りは来る、こういう財源調整機能が必要だと思います。
 ですから、今私たちは、総務省の構想には大枠賛成ですけれども、中身については異論を唱えています。
中川(正)小委員 最後に、私は、このまま進んでいって、国の権限を恐らく制限するような法律つくっていきたいというふうに思うんですよ、さっきのやり過ぎるなという部分で。そうなると、ナショナルミニマムというのは、恐らく中間自治体ないしは基礎自治体が保障していくという形になっていくんだろう。そうなると、どうも県が中途半端で、県から道州制に移していくという議論が必ず出てくるんだろうというふうに思うんですね。
 そのときに、私たちもさまざまな形で議論しているんですが、基礎自治体をさまざまな形というのは、五十万、百万都市を一つの基礎自治体にする、あるいは過疎地では三万、四万ぐらいの自治体しかできないとかという、そのいろいろな形態の基礎自治体を考えていくという前提からいくと、どうも道州制が国のかわりをしていくんだというふうな考え方が一つあるかと思うんです。
 もう一方で、そうじゃなくて、基礎自治体を無理やりにでもしっかりしたものにしていこうじゃないか。それを中心にして考えていくと、道州なんというのはそれを広域的に調整するだけの機能であっていいんじゃないかという、どっちに重きを置くか、いわゆる道州に重きを置くか、基礎自治体に重きを置くか、そんな具体的な議論というのも大切な部分だと思うし、日本の形を考えていく上に非常に大きな影響がそこで出てくるんだろうというふうに思うんですね。
 そうしたことを前提にして、将来のあるべき姿というのはどんなふうにお考えですか。
片山参考人 私は、今市町村合併進めていますけれども、その結果も決して一様にはならないと思うんです。非常に力のついた自治体ももちろんできるでありましょうし、それからどんなに合併したって、やはり弱小というところは残るんですね。それから、合併しないで頑張ろうという東北の方もありますから、恐らく小さいものは残るところもあると思うんです。それはそれでいいと思うんです。
 そうなったときに、じゃ、県の役割はどうかといいますと、県は、どんどん強くなって先に行く自治体は後押しをしてあげればいいので、あと、どうしても残った小さいところとか弱小のところを補完するという機能が出てくると思うんですね。
 今、義務教育は市町村の仕事になっていますけれども、例えば本当に高齢の過疎化が進行したようなところは、義務教育も逆に県に権限移譲してもらって、県が補完的にやる、そういうことがあってもいいと思うんですね。ですから、県は、そういう役割はこれからふえるだろうと思います。
 例えば、自治体が、三千二百が千ぐらいになったとしたときに、今の四十七のユニットの都道府県制はどうなりますかというと、これは見直さなきゃいけないと思います。その際に、先生おっしゃったように、じゃ、道州制かという、その道州制の意味合いが私は気になるんですけれども、道州制が、国家をブロックに分けて、国の出先機関的な要素を持つような道州制だったら、私は反対であります。
 そうでなくて、今の都道府県の四十七のユニットを、例えば二十にしようかとか十五にしようかという、それは道府県合併という形で、県が幾つかまとまって合併をした形で広域になるという形ならいいと思うんです。そうなった段階で、基礎的自治体の強いところ、弱いところありますから、弱いところを補完し、それから全体を調整するという機能を、規模を拡大した合併後の道府県がやっていく、こういう形になるんではないかなと思っています。
中川(正)小委員 ありがとうございました。
保岡小委員長 江田康幸君。
江田小委員 本日は、もともと行政出身であられながら、おかたいお考えではなくて、もう本当に鋭い、本来の地方と国のあり方を鋭く指摘されている御意見に感服しているわけでございます。
 きょうは、税の専門家でもあられる、私は税はほとんど専門でございませんが、そのことについて最初にちょっとお聞きしたいと思っております。
 先生の「税は自治の原点」という論文をこの前に読ませていただきまして、量出制入、すなわち、出るをはかって入るを制するというのが財政の基本原則であるということをここで述べられております。
 今までは、量入制出というか、そういう逆転した考えが横行していて、行政改革、事務処理の見直し、これを徹底して行って行政コストを軽減していけば、その結果として歳出は減ってくる。歳出が減れば、今度は量出制入の原則に従っておのずから歳入も減ることになる。逆に歳出がふえてくればそれは納税者の負担につながらなければならないという、この考え方を徹していくことが、やはり地方の方で必要な歳出、すなわち、政策は一体何なのか、徹底したそこの議論が行われて、必要なものには税の負担を住民にお願いする、こういう本来の原則を語られているんだと受けました。
 これが本来の姿であり、必要とされる政策の決定の方法であると思うんですが、実際には鳥取県の方では具体的にどのようにして、本来は逆転した発想が多かったと思うんですけれども、チャレンジされているのか、またどう成功されているのか。そこら辺の具体的なところをお聞かせください。
片山参考人 私、きょうここに出させていただいていると思いますが、論文の中では、これは税の世界の要は学会誌みたいなものですから、理論的なことを書いてあるのでありますが、なかなか、正直言って、我が国の今の制度の中では理論と実践とがぴったり一致するというわけにはいきません。
 それはなぜかといいますと、今の日本の地方財政の構造というのはやや異質なものがありまして、さっき言いました固定資産税の税率にしても、一・四%を例えば一・三にするとか一・三八にするとか、そうした途端に法律によって起債の発行権能がなくなってしまうということがあるんです。これは総務省が嫌がらせするとかじゃなくて、国会でつくった地方財政法によって起債が発行できなくなってしまう。
 したがって、全国どの自治体に行っても、固定資産税は一・四を下回る団体がないんです。どんなに行革をやっても下がらないんです。そういう仕組みが今あるものですから、行政水準とバランスをとりながら税を操作するということは、実際今できない仕組みになっているんです。そういう限界があるので、そこを取っ払ってくださいという話を今しているのが一つです。
 それからもう一つは、私は今、とにかく歳出というものが、税と連動しないで何と連動しているかというと、国の補助金とか有利な起債の許可とかと連動して歳出が決まってしまうという傾向があるものですから、そこをやめましょうと。補助金がついてもつかなくても必要なものはやる、必要でないものはやらない、有利な起債がついてもやらないものはやらない、そういうところで一件一件今査定をしていまして、しかもそれを情報公開しています。今までは量的管理で、議会にもどぼんと量的な資料だけで出して、あと走っていたんですけれども、それを丁寧な一つ一つの資料で出して、それで本当にこれは要りますか、要りませんかという今吟味をやっています。そうやって、歳出をできる限りスリムにする、要らないものはやめていくということを今やっております。
 そこから先、さっき言いましたけれども、じゃ、それで、例えば鳥取県のようなところで税率が下がるかというと、現実にはそんな下げるだけの余裕はもちろんありませんし、それから制度的にも、ちょっとでも、びた一文まけたら途端に起債がストップする、そういう制約がありますから現実にはできない。原理原則と実践との大きな差を痛感しています。
江田小委員 先ほども申されましたように、補助があればやる、補助がなければやらないというような消極的な姿勢ではなくて、知事が積極的に地方税のあり方にチャレンジしているのに、現実とのギャップもあるということを伺いながらも、これは積極的に国もまた地方もチャレンジしていかなければならないと思っております。
 もう一つ、先ほど、地方交付税の抜本改革について伊藤先生の方からも今御質問がございましたが、先生おっしゃられたように、ハード優先で、ハード事業の先食いをしないということが重要であるということでございましたが、もともと、先生、水平型の財政調整というか、各市町村、自治体の財政の格差をなくすためにもこれは必要と考えるわけでございますが、交付税と地方みずからの税というところのバランスを、鳥取県では今どのように考えて、その方向に持っていこうとされているのか、そこはお伺いできますか。
片山参考人 ちょっと今、御質問の御趣旨がよくわからない面もあるんですが、税が多い方がいいにこしたことはないんです。やはり、みずから取った税、それは取るときに痛みがお互い生じますから、納税者にも痛みが生じるし、取る側にも痛みが生じますので、そうやって痛みを生じながら取った税金の方が大切に使いますから、なるべく税の割合が多い方がいい。それで、税が多くなれば交付税は減りますから、それが望ましい。
 しかし、やはり現実には限界もあります。法人企業が少ないとか税源がないとかということで限界がありますので、その辺は、私のところだけではいかんともしがたい問題があるということは御理解いただきたいと思います。
江田小委員 時間でございます。ありがとうございました。
保岡小委員長 武山百合子君。
武山小委員 きょうは、現場の声を率直にお話しいただきまして、目からうろこが落ちたような状態で、本当にありがとうございました。かなりの国民が思っていることを、そのままずばりきょうはお話しいただきまして、ぜひ地元に帰ってこの現実をお話ししたいなという気になりました。
 早速ですけれども、私は埼玉県で、人口八百万近くを抱えております。私の選挙区は、小選挙区、五十四万なんですけれども、鳥取六十一万ということで、埼玉は九十二市町村あります。鳥取の場合は、市町村の数をお聞きしたいことと、例えば教育の問題一つ取り上げましても、各市町村で先生を採用する場合、任命権者というのは県で行いますよね。教育自体も、地方分権の中で地方が主体になって選んだ方がいいという考えを私個人は持っておるんですけれども、その二点についてお願いしたいと思います。
片山参考人 鳥取県は、三十九の市町村がございまして、人口は六十一万五千人であります。
 それで、教育の話をされましたけれども、鳥取県でも教育というのは本当に今最重要課題なんです。
 いろいろな問題があるんですけれども、一つは、私は、教育こそ現場中心でないといけない、地方分権でないといけないと思っているんですが、現実は逆でありまして、中央集権になっております。義務教育は市町村立になっているんですが、先生の任命と人事は県の教育委員会がやっているという実態もあるわけですね。私は、本当は教育というのは、学校現場がいかにうまく作動するかということが一番必要だと思いますので、現場の方により権限がなきゃいけないと思っています。
 というのは、例えば学校というのは一つの野球チームみたいなものですから、校長先生という監督をだれにしようか、それを保護者の意見も聞きながら地元の教育委員会が決めて、監督である校長が、ふさわしい先生、プレーヤーを集めてくる、こういう環境をつくってあげるのが本当は必要だろうと思うんです。ところが、今は県の教育委員会が広域的に人事をやっていますから、どうもとんちんかんな、ずれたような人事が行われたりする、使い勝手の悪いプレーヤーが配置されたりする。
 私は、いずれ市町村にそれを移すべきだと実は今主張しているんです。せめて市ぐらいは自分でやりませんかと。例えば鳥取市は、人口十五万ですけれども、小学校は三十あるんですね。三十ぐらいあると、自分のところで人事も回せるわけです。だからやりませんかと言うんですけれども、なかなかこれは両方乗ってきません。行く行くは、ぜひこれを市町村におろして、市町村の教育委員会で自信を持った人事ができるようにすべきだと思います。
 ただ、今の町村ですと、人口が一万とか八千とかのところで、小学校が一つ二つあるかというところで人事権を行使するということは、これはなかなか難しい面がありますので、広域的な調整が必要だろうと思いますけれども、ちゃんとした市なら、私は市でやれると思っています。
武山小委員 校長のリーダーシップということで先回文部科学委員会で議論しまして、そういう法案は成立したんですけれども、片や校長のリーダーシップというものをうたいながら、現実は校長の人事権というのはないわけですね。ですから、先ほどお話にもありましたように、市町村、県知事、首長さんの組織はいわゆる大統領制をとっております。しかし、議会がチェック機能を果たしておりまして、すべて大統領制で、アメリカみたいなある程度独善的にできない部分があります。両方のチェック機能が働いているものですから、悪い意味の相乗効果で、足かせになっているわけですね、校長先生がリーダーシップをとる場合。
 現場の声は、例えば、小さな問題として、この委員会では、校長先生がいい先生を確保したいというときに、人事権がないわけですね、校長に。ところが、校長のリーダーシップ、リーダーシップと片や言っていて、人事権は教育委員会並びに県が持っている、そういう足かせの状態で、どこをどう変えていったらいいと思いますか。
片山参考人 それは、まずは市町村の教育委員会の力量を強めることだと思います。
 今までは、市町村の教育委員会は県教委を見、県教委は文部科学省の顔色をうかがいという構図があるわけですね。それを逆向きにして、市町村が力量を持って、市町村が自信を持って、県教委にも話をする、学校もリードできる、校長が仕事がしやすいような環境も市町村の教育委員会がちゃんと整えてあげる、こういう教育委員会づくりをしなきゃいけないと思うんです。
 ところが、現実には、先ほど申し上げましたように、教育委員会を含めた日本の地方団体における独立行政委員会の制度というのは実に形骸化しておりまして、当事者能力が欠如しているところが多いのであります。だから、そこから直さなきゃいけないので、それを自治体の長のもとの、民主主義のもとに置くか、それとも、別途、教育委員会自体を民主化して選挙にするか、そういう抜本的な改革が必要ではないかと思うんです。
武山小委員 教育委員会は、校長先生が退職した後なりますね、ほとんどが。それから、去年法改正になりまして、PTA、すなわちお母さんたちの代表を入れるとか、いろいろ法改正は一歩一歩は進んでおりますけれども、アメリカの場合、例えば教育委員長は立候補して選挙で決めるわけなんです。私、ちょっとアメリカに長いこと住んでいたものですから。それで、その教育委員長が権限を持っていて、また、校長は校長で、管理だけするわけです。いわゆる校長の職業、校長として学校全体をよい意味の管理、と同時に、先生たちをきちっと、どういう状態か、それから子供の状態も、校長先生一人が、校長になったらずっと校長で退職するわけなんですね。そういうやり方をしているアメリカの場合はあります。
 しかし、アメリカの場合は、州の権限と市町村の権限とそれぞれ大変大きな力を持っておりますので、もう分権社会になっているわけです。ですから、隣の町と全く違う教育内容であったり、お休みも違うということが現場にあるわけです。そういう状態が日本でもあってもいいと思うんですよ、それぞれの地域、それぞれの市町村で違いがあっても。
 そういう違いを、今、片山知事は、それぞれの地域がそれぞれで生きていった方がいいというお考えですけれども、国はそうじゃないわけですね。画一的に、やはり法改正をして、上段から切り込んでくるという今状態なわけです。この原因の一番の大もとを変えないと、それが構造改革だと思うんですけれども、一番の大もとを変える構造的な問題点はどこにありますでしょうか。
片山参考人 それはまさしく霞が関にあると思います。霞が関の意識だと思いますね。霞が関のそういう構造問題を解決するのは、私は国会議員の先生方にお願いするしかないと思いますし、本来、小泉内閣の構造改革というのはそういう構造を改革するんだと私は思っていたんですけれども、なかなかそういうところにメスが入らないなと思って、ちょっと残念に思っているんです。
 本当に、霞が関の皆さんの、全国が画一でないと気が済まない、地方が多様性とかがあるとどうも何か気に入らないという、そういう意識をぜひやめていただきたいと思うんです。週五日制にするといったら、津々浦々やらないと気が済まない。私立学校までやらないと気が済まないといって、通達が来るわけです。それは、私立学校は私立学校ですから、私は、週五日制にしようとしまいといいと思うんですけれども、そういうことまでも全部しないと気が済まない。
 それで、地域によっては、受け入れ体制ができているところもあればできていないところもある。だけれども、全部護送船団的にやっていこう。そういう体質は、私はぜひやめていただきたいし、その意識が変わらなかったら、法律を変えればできると思うんです。法律を柔軟にしていただければいいと私は思うんです。
武山小委員 もう一言、最後に。
 現場の声が上に上がってこないという事実もあるんですね。市町村の教育委員会それから校長先生から県、国に、埼玉県の場合ですけれども、ほとんど聞いたことないんですね。でも、どの校長先生も今のお話はするわけです。ところが、教育委員会、県からはそういうお話が現実に余りないということは言えるかなと思います。その辺は、一言、どうでしょうか。
片山参考人 それはおっしゃるとおりです。それはなぜかというと、教育委員会の仕組みがデモクラシーじゃないからなんです。
 デモクラシーというのは、下から現場の声が、当事者の声が上がってくる、それが政治や行政に反映するのがデモクラシーですね。だから、選挙で選ばれた者は、できる限り現場に行って現場の声をくみ上げて政策に反映しようと、私もしています、先生方もされていると思います。
 教育委員会は民主主義が不足しているんです。独立行政委員会というのは民主主義が欠如しているんです。だから、現場の声が途中でとまってしまって、保護者はいろいろ問題を提起する、それから不満を言う。私なんかもそうなんです。私も妻も、子供の教育については本当に不満だらけで、言うんですけれども、それはせいぜいPTAの集会で、愚痴で終わってしまう。民主主義の欠如だと思います。だから、これをいかに民主主義化するかということだと思います。
武山小委員 どうもありがとうございました。
保岡小委員長 春名直章君。
春名小委員 日本共産党の春名直章です。
 きょうは、現場の実践を踏まえた大変貴重なお話を本当にありがとうございました。
 ところで、知事がこういう実践をされる際のバックボーンとして、憲法をどう受けとめていらっしゃるのか、お聞きしたいと思います。知事としての姿勢にどういうふうに反映しているのか。そのあたりの、大きなお話ですが、憲法調査会という場でもありますので、お聞かせいただきたいと思います。
片山参考人 これは申すまでもなく、憲法というのは日本の国の一番の最高法規でありますから、しかも法治国家でその法治行政の一翼を担っている私でありますから、憲法を最大限尊重するということであります。特に、地方行政をやっていますと、やはり基本的人権を尊重するという憲法の理念は行政の一番のバックボーンにしなければいけないと私は思っております。
 とかく役所の都合とか中央官庁の都合とかいろいろなことがあるんでありますけれども、何を最後のよりどころにするかというと、一人一人の住民の皆さんの人権がちゃんと保障されるかどうか、これが一番最後のところのよりどころになるんだろうと思って、そういう行政をやっています。
春名小委員 その人権の尊重をバックボーンにされるというお話で非常に大事な問題が、一昨年の十月六日に起こった鳥取県西部地震だったと思います。私も、鳥取県境の岡山県生まれでして、人ごとではありませんでした。私の実家は大変揺れました。
 それで、片山知事のとられた行政というのは非常に見るべきものがあると私は思っていまして、住宅再建なくして地域復興なしということをスローガンにされて、三百万円の住宅再建資金を提供するということを、思い切ってそういう手だてを打たれました。それに関する論文をいっぱい私は読んでいるわけなんです。
 その中の一つに、土木学会誌の二〇〇二年二月号の中で、「地方分権時代のまちづくり、地域づくり 震災復興のまちづくりを体験して」という論文がありまして、その論文の中でこういうくだりが出てくるんです。「住宅再建支援を行うことを事前に報告に行った私に、霞ケ関の官僚は「憲法違反だ。」と激しく非難した。しかし、「しからば憲法の第何条に違反しているのか教えてもらいたい。」との私の問いに対しては何らの答えもなかった」と述懐をされておられます。
 むしろ、知事がやられたことは、憲法二十五条、まさにバックボーンの人権の尊重というその立場を実践するという意味で、憲法を実践するという姿勢だったんじゃないかと私は思っているんですが、今の政治の仕組みとその辺の認識の違いというんですか、随分あるなと思ったんです。住宅再建の取り組み、この震災問題の取り組みを通じて、人権の尊重、そして行政としてやるべきこと、そこらあたりで憲法との関係でお考えになっていることを、やってこられたことをお伝えいただけたらと思います。
片山参考人 今御紹介いただきましたのは、一昨年の十月六日に本当に思いも寄らない大地震がありまして、死者はいなかったんですけれども、住宅が軒並みやられまして、しかも、そこは高齢化が非常に進行して、過疎化の進行したところで、勢い被災者もお年寄りが多い。自力では住宅再建ができない、ローンも借りられないという方々ばかりでありました。ほっておくと、皆さん、都会に出ている子供さんのところを頼って出ていかざるを得ない、そういう不安と動きが出ておりましたので、何とかしなきゃいけない。
 ところが、日本の制度を見てみますと、復興というのは、道路を直したり橋をかけ直したりがけ崩れをとめたりするのは非常に手厚いんでありまして、それはありがたいんでありますけれども、住宅に関しては何にもないんです。住宅金融公庫の低利融資というのはありますけれども、これは借りられた人にだけ恩恵があるわけで、御高齢の方は借りられませんから何も恩恵がないわけです。
 それで、これは何とかしなきゃいけないというので、私は考えて、これは、現場に立つとそうせざるを得ないわけです。霞が関に一応報告に行ったんですけれども、今春名先生の言われたようなことで、憲法違反だというようなことを言われて、本当に憲法の第何条に書いてあるのかなと思って、基本的人権の尊重というのは書いていますし、最低限度の生活というのも書いていますけれども、住宅再建の支援しちゃいけないなんて書いていないはずだから、私もかつて憲法を勉強したことがあるから聞いてみたんですけれども、答えがない。
 一種のマインドコントロールがあったんですね。神戸の震災のときに、住宅再建支援はできないということを政府で決められたんだと思いますが、その際にやはり一種のマインドコントロールがあったんだと思うんです。法的に詰めていったら何もないということがわかって、それで私は一安心したんですが、それでも、絶対やっちゃいけないという方々ばかりだったんです。
 実は、今そのころのことを思い出しているんですけれども、そのとき、西田先生が自治大臣をされておりまして、私は西田先生にも相談に行ったんです。それで、今のような現場の本当に切実な声を私は西田自治大臣に申し上げました。霞が関の大臣の部下の皆さんはみんな総反対でありまして、でも、大臣に私が申し上げに行きましたら、じっと聞いていただいて、最後に、わかりました、それは片山さん、おやりなさいと西田大臣はそっと言ってくださったんです。私はそれが非常にありがたかったし、心の支えになりました。霞が関の役人の皆さんは当時実に冷たかったですけれども、大臣が、やれ、やりなさいと積極的に推奨はしてくださらないまでも、黙認というか暗黙の承認をしていただいたというのは、私にとっては大変大きな心の支えでありました。
 ただ、霞が関の皆さんの名誉のために言っておきますと、その後現地に来ていただきまして、十月の二十日に財政局長も来られまして、現地を私は案内したんですけれども、現場を見ていただいた後、認識が変わりました。その後は、私は非難されなくなりました。逆に、いいことをされましたねと言う霞が関の役人の人もふえてきました。ですから、やはり現場を見ると変わるんだなと思いました。
春名小委員 その住宅再建のための予算をどういうふうに努力してつくられたんですか。
片山参考人 それは、幾ばくかの基金があったということもありますし、それからもう一つは、そのちょうど半年前にダムを一つやめていたんです。中部ダムというダムが鳥取県の中で進行していたんですけれども、二百四十億円ぐらいのダムの計画だったんです。これをやめて、ダムにかわる治水の機能を河川の改修でやるということにしたんです。そうすると、三十億か四十億で済むものですから、差し引き二百億円ぐらいがリザーブできた。
 それはもちろん現ナマがリザーブできたわけじゃなくて、将来使おうとしていたものを使わなくなったという意味でのリザーブなんですけれども、そういうことを半年前にやっていたものですから、この住宅再建支援に何ぼかかるか当時わからなかったんですけれども、例えば百億使ったとしてもそろばんは合うんではないか、そういう意味でのバランスはとれているんじゃないかなというのも一つの心の支えでした。
春名小委員 ありがとうございました。
 あと一点お聞きしますが、先ほど町村合併のお話が出たんですけれども、今、御存じのとおり、二〇〇五年までが期限で一千ぐらいにするということが目標で、そういう方針が政府としてあるわけですね、どう受けとめておられるか。
 それを実践する際に、先ほどのお話の中では、例えば人材をしっかり確保するために必要であれば、住民の中でそういうニーズ、必要性が出てきたときに合併ということは当然議論になると思うんですよ。ところが、パターンを上からつくらなきゃいけないわけですね、今、県にそういうことやってくださいとなっているわけですね。一千に近づけるということで、しかも期限が切られている。それから、その大きなあめとして合併特例債という、ハード事業をやれるからいいんだと。
 これはちょっと知事のお考えと反しているように思うし、私自身は、そういうやり方はまずいという認識を持っているんですが、どのようにやられているんでしょうか。
片山参考人 私は、県内の市町村に対して、政府のことをオウム返しといいますか、政府と同じような言い方で合併を進めるということはしていません。そうではなくて、確かに財政上の問題もありますから、これもよく考えなきゃいけないということは注意喚起します。
 それからもう一つは、県が今県内で進めようとしているいろいろな施策で、例えば教育の問題、文化行政の問題、環境の問題、子育ての問題、ITの問題、防災の問題、そういう今日的な課題について、今町村は実に脆弱であります。スタッフはおりません。ですから、そういうものをもうちょっとそろえなきゃいけない。そのためにはやはり、もうちょっと規模を大きくして力量のある町村にしなきゃいけないということを、今それは訴えています。そのためにも合併を考えてください、こういう物の言い方をしています。
 ところが現実には、政府の方は財政問題が専らでありまして、合併したら何年間かは特例があるよとか、それから合併特例債でいろいろなハード事業ができるよ、こういうお話なので、政府のおっしゃっていることに私は非常に違和感を感じています。なぜならば、財政危機を救うための合併であるならば、財政危機を進めるようなハード事業をやれやれというのは矛盾していると思うんですね。
 それから、さっきも言いましたけれども、今合併が求められる町村というのは、余りにも規模が小さくて専門的なスタッフがそろっていない。ですから、どちらかというと、合併というのは人材とかソフトの面で進めなきゃいけない、にもかかわらずハード事業を進める。こういうずれを非常に感じています。ですから、そういうずれも、私は、町村の皆さんには申し上げながら、合併をみずからの問題として、えさとは直接関係なく考えてくださいという話をしています。
春名小委員 どうもありがとうございました。
保岡小委員長 金子哲夫君。
    〔小委員長退席、伊藤(公)小委員長代理着席〕
金子(哲)小委員 社会民主党・市民連合の金子でございます。
 きょうは、私も生まれは島根県でございますので、隣の県、いわば過疎県の出身で、今は広島におりますけれども身近な思いでお話をお伺いしました。
 合併の問題についてもですけれども、私は、過疎の問題ということが、広島県においても、今は国の中でも、いわば過疎と言われる地域が、人口比でいえばもちろん少ないわけですけれども、面積的には圧倒的だと思います。
 私も、先ほどお話がありましたように、一昨年の鳥取県西部地震のとき、二度ほど鳥取県西部地域を回らせていただいたんです。そのときに私は、西伯町の町長とお話ししたときに、今住宅の問題、知事はああいう英断を下されたわけですけれども、それと同時に、例えば用水の問題も、用水が崩壊をして、谷筋を、水を引くのに、結局、それをもし直さなければ、高齢化が進んでいる中で、個人の負担を考えると、たとえ一割といえども金額的には非常に大きな金額になる、しかし、それでもやらなければ、そこの一部落全部が崩壊をするということになるんだというお話でした。
 そして、なぜ一生懸命やるかといえば、コミュニティー崩壊を防ぐと同時に、今町に働いている人たちがいつか必ずそこにまた帰ってくる、その帰ってくるような町を今自分の代では絶対残さなきゃいけない。だから、この災害復旧というのは、今のとりあえずの問題でもあるけれども、将来の問題でもあるんだというお話を伺いまして、本当に過疎に悩んでいらっしゃる町の町づくりということに非常に心を砕いていらっしゃる。
 私は、広島県の地域の中でも、過疎の問題でお話をお伺いしたとき、今のような合併が進んでいくと、本当に今の町の単位の中でコミュニティーづくりがどれだけしっかりしているかということがなければ、結局、合併をしていけばさらに過疎を促進していく結果になるんじゃないかというお話を伺ったんです。
 それで、先ほど知事のお話でも、ハードからいわばスタッフ、人材のお話がありましたけれども、私は、必ずしもその問題は合併でなくても、今例えばごみ処理、消防などで広域で既にやられている課題があると思いますけれども、そういった意味で、特に高齢化が進んでいる過疎地における地方自治とのかかわりでいいますと、合併というよりも、むしろそういうことでもっとカバーできる問題があるのではないか。そして、そのこと自身がもっと今住んでいる人たちの安心というものをつくっていくことになるのではないかというふうに私自身は思っておりますけれども、どう考えてみても、過疎地域で合併しても過疎の対策には全くならないように思えてならないんですけれども、知事のお考えをお伺いしたいと思います。
    〔伊藤(公)小委員長代理退席、小委員長着席〕
片山参考人 町村合併を過疎という観点から考えた場合に、合併という問題だけでは解決にならないのではないか、もっと、例えば一部事務組合のような広域化というのもあるのではないかというのは、それはそのとおりだろうと思います。
 現にこれまでも、幾つかの数カ市町村が集まって広域的な事務を、例えば消防とかごみ処理とかやっていますので、それも一つの方法だと私は思います。実際に、広域的に仕事をしているのを見ますと、例えばごみを処理するとか日常の救急とか消防とかの問題はつつがなくこなせると思います。特段問題はないんですが、先ほど出ていました地震のときなんかに消防をどういうふうに動かすかなんてなると、そういう平時ではないときになると、リーダーシップだとかそういうものが大きな要素になってくるんですね。
 そういうときには、この一部事務組合の方式というのは、やはり民主主義が不足しているなという感じがするんです。中途半端なんですね。直接民主主義で選ばれた人からちょっとわきに寄ったような組織でありますから、やはり弊害があるなと。選挙で選ばれた人から遠くなるに従って、だんだん官僚化が進むという面もあります。ですから、一部事務組合、広域化も時と場合ではいいんですけれども、すべての問題の解決にはならないし、住民から縁遠くなるなという感じはします。
 それから、では、合併が本当にいいのかというと、私は、さっき言いましたのは、今の町村の五千や八千の規模では、ちょっとこれからの地方分権時代の今日的な課題を真っ当にこなすには難しいですよという話を申し上げて、ですから、もうちょっと大きくなった方がいいですよ、では幾らぐらいですかと言われれば、二万か三万。できれば三万欲しいけれども二万でも結構ですという話をしているんですけれども、では、国が言っているように二十五万とか三十万はどうかと言われると、これは私は余り賛成しないんです。
 といいますのは、市町村というのは身近な行政主体ですから、余り縁遠くならない方がいいと思うんです。特に、しかも高齢化、過疎化が進行したところは、一番頼りにすべきは役場でありますから、その役場が一日がかりでバスに乗っていかなきゃいけないというのでは困るのでありまして、やはり、ほどほどの身近なところに市町村というのはなけりゃいけない。ですから、ある程度もうちょっと力量をつけてもらいたいなというのと、それから、身近なところにあってもらいたいなというところとのバランス、この兼ね合いをどう考えるかということだと思うんです。ですから、そういう意味では、五千とか八千の町村が三つか四つ集まるぐらいが郡部ではいいのではないかなと思って、私はそういうことを今申し上げているところです。
金子(哲)小委員 ありがとうございました。
 きょうのお話のテーマには全然出てきませんでしたけれども、鳥取県は、環日本海交流ということで、かなり積極的に、いわば国際的な関係も地方自治の立場から進められようとしておりますことを聞いております。そういった中における地方自治が果たせる役割、特に北東アジアの中にあっての役割というようなことについて、知事の今お考えになっていることがあれば教えていただきたいと思います。
片山参考人 私のところは日本海という海に面しておりまして、従来は裏日本と呼ばれて、太平洋側に比べてハンディキャップがあったんですけれども、最近の国際情勢の変化でアジア大陸との交流が活発になってきますと、日本海に面しているというのは一種のハンディからメリットになってくる、そういう時代の変化を今痛感しています。
 従来から、環日本海交流、特に対岸諸国である韓国、それから中国でも吉林省とかそういうところとの交流をやっているんですけれども、それを通じて感じますことは、基本的には私は外交だと思うんです。国と国との関係というのは外交が一番大切だと思うんです。外交によって信頼関係を築く。
 ところが、国と国との外交関係というのは、いいこともありますけれども、のどに刺さったとげみたいなものがやはりあるわけでありまして、それは日韓の関係もあるし北朝鮮との問題もあるし、ロシアとの問題もあれば中国との問題もあるわけで、そのとげがなかなか抜けないで外交がうまく進まないという面も私はやむを得ないのだろうと思うんです。そういうときに、とげと関係のない自治体というのは、それを忘れるわけじゃありませんけれども、ちょっとわきに置いて、人と人との交流をやろうと思えばできるわけで、私は、そういう面での補完的な機能というのは自治体にあるんだろうと思うんです。
 自治体交流を通じて私たちがやっていますのは、例えば子供たちの交流、若い人の交流とか、それから文化とかそういう面での交流を今やっているんです。文化なんかの交流をやりますと、本当に、言葉は通じなくても、文化という共通のコミュニケーション手段でお互いの相互理解が進み、そしてそのうち相互信頼に進んでくる。今、鳥取県は韓国の江原道というところとやっているんですけれども、これは私、自慢するわけじゃありませんけれども、恐らく日韓関係の中では自治体間の交流では一番量的にも質的にも進んでいると思います。
 本当にお互い信頼関係があって、去年、教科書問題とか靖国神社の問題でわあっとなりましたけれども、我々のところはどうしたかというと、量的に物すごい交流をしているものですから、ですから中止とか延期になったのも量的に全国で一番多かったのですけれども、淡々と延期をして淡々と復活をして、今何にも問題はありません。そういう関係に今なっておりまして、非常に信頼関係が強くなっております。
 私は、全国の自治体が、いろいろな可能な範囲で、多様な、自分の持っている地域の特性とか人材とかそういうものを活用しながら、政府の外交を基軸にしながら、それを補完する意味で多面的なチャンネルを持つという努力をぜひしていただきたいと思いまして、我々もまたこれからやっていこうと思っています。
金子(哲)小委員 最後に一つだけ。
 きのうも特別委員会の地方公聴会で既に参考人として御意見をお述べでございますので、有事関連三法案にかかわって、人権の問題とか地方自治にかかわる部分もこの法案の中にあると思いますけれども、最後にもしその点についての知事の御見解があれば、お伺いをしたいというふうに思います。
片山参考人 私は、有事法制について、自治体の長という立場からいうと、何らかの枠組みをつくっていただきたいとかねがね思っておりました。自然災害については知事の役割は明定されているわけでありまして、市町村とか他の機関との関係はある程度知事がリーダーシップを持って災害対策に当たれるということはあります。ですから、地震のときも私も自信を持って災害対策本部長を務めることができました。
 しかし、有事の際、要するに自然災害でないとき、例えば不審船がありましたけれども、あれが地上に展開されたような場合に、我々は一体何をすればいいのだろうか。住民の皆さんと一緒に逃げるわけにいきませんし、そのときに知事、自治体の首長は何をして何ができないのかということは、やはりある程度明定しておいていただきたいということを思っております。ですから、有事の法制というのは必要だと私は思っています。
 ただし、今の法制がいいのかどうかというのは、これはいろいろ議論のあるところでして、例えば、自治体の長である知事は何かしなきゃいけないということは今度の法律で書かれるのでありますけれども、実際に何ができるかというのは今空白になっているわけで、二年以内に考えると言われても、じゃ、二年以内に何かあったときに、ないと思いますけれども、あったときにどうすればいいのか。責任だけあるけれども何にもできないという状態が二年続いて、二年後に今の政治情勢がどうなっているかわかりませんから、例えば法律ができなかったりすると、ずっと責任だけ負わされて何も手段がない、そういう状態になるのは困るなと思って、きのうはそういうことを中心に意見を申し上げました。
金子(哲)小委員 ありがとうございました。
保岡小委員長 西川太一郎君。
西川(太)小委員 私、まず参考人におわびを申し上げなきゃいけません。
 あっせん利得罪の提案者でありまして、きのう採決の予定がきょうにずれ込んだものですから、質疑に答弁をしたり採決に加わったりしたために、参考人のお話を直接伺う時間がなかったことを心からおわびを申し上げます。しかし、私、政策秘書やその他、御協力をいただく皆さんから参考人の陳述を正確にメモをいただいておりますので、それで質問をお許しいただきたいと思います。
 自治省御出身で全国の知事になられた先輩や皆さん、大勢いらっしゃいますけれども、しかし、片山さんは非常にブリリアントに輝いて頑張っておられると私は敬意を表したい、こう思っております。つまり、自治省で得られたことをそのまま地方に持ち込むのじゃなくて、そのことをある意味では反面教師にもしながら、本当の地方の自主性、民主主義というものを確立しようとしておられる姿に敬意を表したいと思います。というのは、知事がお書きになった論文やその他を、私、この間随分読ませていただきました。
 そこで、きょうは二点お尋ねをいたします。
 一つは、地方財源、自主課税権といいますか、この問題であります。
 私は、知事が梶山自治大臣の秘書官のころ、東京都議会の自由民主党の政調会長でありまして、いろいろなことを自治省に交渉した際のことをよく覚えております。私どもは、地価が狂乱したときに、固定資産税を下げたいと、しかし自治省はなかなか御許可をいただけなかった。当時二十種類ぐらいありました地方税のほとんどが、知事がその税率すら決めることができない。憲法に地方自治が短い文章で規定をされているけれども、実態としては自治省支配であるということは、私ども地方議員として強い不満を持っていたわけでありました。そして、都市計画税を減税することだけが都知事にできる権限でありましたので、これを財源にして固定資産税を下げ、土地価格高騰の中で少しでも都民に対するバッファーをつくったという経験を持っております。
 こういう経験に立って、知事に私はお尋ねをしたいと思いますのは、地方分権の推進というのは、自治体の自主財源の確保は不可欠であるという御主張、全く同感であります。そして、地方が課税権を確保する、ぜひそういう方向に持っていかれるべきだと思いますが、これについての御見解と、また、昨今、東京や大阪の銀行税の問題とかホテル税の問題、いわゆる自主課税というのがいろいろと国との間にそごを来しております。これについてどう思われるか、このことをまず伺いたいと思います。
片山参考人 課税自主権が大切で、税を中心にした地方財政が理想的であると私は思っているものですから、先生おられませんでしたけれども、そういう持論を展開いたしました。
 ただし、税源だけを今移譲されますと、貧富の差が非常に拡大しますので、そこのところをやはり、別途、調整手段としての交付税制度を強化するということが必要だと思います。もちろん、交付税制度にはハード優先、先食い制度というものがありますので、そこを整序しながら、整理しながら、交付税本来の姿に戻して、財政調整機能を強化するということが必要だと思います。
 先生がおっしゃった、東京都が固定資産税を下げられないのは変ではないかというのは、私も実はそう思っていました。交付税が行っている団体ならともかくとして、交付税の世話になっていない団体が自分のところの税率を下げたいと言ったときに、下げちゃいけないと言うのは何としても変なわけでありまして、それはやはりおかしな制度だと思うんです。
 私も今先生の話を伺っていて昔を思い出したのですけれども、当時の鈴木都知事が来られて、固定資産税はおろか、都市計画税でさえ下げちゃいけないと当時自治省は言っていたのですね。それで、鈴木都知事が、都市計画税ぐらい下げてもいいじゃないかと言って談判に来られて、当時の梶山大臣が、役所はだめだと言っているよという話を何回か言われた後で、でも、平将門というのが昔茨城にいて、これが地方主義者で、やりたいことをやったから、都知事もやられたらいいのじゃないですかというようなことを言われて、知事は非常に喜んで帰られたというのを私も今思い出しましたけれども、それで東京都の都市計画税の税率を下げるというのはたしか実行されたのだと思います。
 私は、税率を自治体の首長というか議会が自主的に決められる仕組みにすべきだと思うんです。もちろん、税を下げたから、じゃ、その分、交付税で補てんしていますよという横着な仕組みをつくっちゃいけませんから、交付税はある程度一定のところで決めて、あと、穴があいても下げるかどうかというようなことは自治体の方に任せるべきであると私は思います。
 それから、銀行税とかが東京と大阪で出ていますけれども、課税自主権の行使としていろいろな税が出てくるのはいいと思うんです。それは創意工夫で出てきたらいいと思うんですが、やはり中には変なものも出てくる可能性があります、それぞればらばらでやりますから。その変なものが出てきたときに、納税者にいたずらにしわ寄せが来るとか人権が侵害されるとかいうことがあっちゃいけませんから、それを別途チェックするシステムが必要だと思うんです。
 それは、一つは、今国が協議とか法定協議とかでやられていますけれども、国がやるんじゃなくて、私は、まず議会がやらなきゃいけないと思う。ああいう銀行税のようなものはいけませんよ、憲法十四条違反ですよということを議会がちゃんとチェックしなきゃいけないと思うんですが、都議会はやられなかったので、それならば今度は司法がスピーディーにやらなきゃいけない。司法は二年ぐらいかかっていますけれども、もうちょっと早目にちゃんと始末をしなきゃいけない。それは、ある意味では司法改革になるんだろうと思います。そういうことをされれば、私は、いろいろなところでいろいろな税が総花的に出てきても、いいものは残るし、悪いものは議会や司法でチェックされるしということになるんだろうと思います。
西川(太)小委員 国の方も、自主税源を移譲するという総務大臣のような御見解と、やはり交付税の改革が先だという財務省のような考え方があって、若干そごを来しているのかなという印象を持ちます。
 それはそれとして、もう時間がないので、もう一点だけ。
 今も、あっせん利得罪の審議の中で、地方議会の議員の私設秘書もこれに加えるべきだという野党の提案があったりいろいろして、そういう際に、地方議会のあり方についての議論が若干ありました。参考人のお書きになったものを拝見すると、圧倒的多数の給与所得者が議会に参加できるようにすると。
 十数年前ですけれども、NHKのテレビで、地方自治は民主主義の学校であるというジェームス・ブライスの言葉も知事はお引きになっていますけれども、イギリスのある小都市で夜間に議会を開いているという例を私はそのテレビで見て、自来、そのことを、小さい規模のところならそれができるんじゃないかということを主張しているんですけれども、地方議会の活性化ということについて、ほかの方の時間に食い込んでは御無礼でありますので、簡単にコメントいただければと思います。
片山参考人 地方議会、特に生活者に密着した市町村の議会は、もっと生活者が気楽に出られるようにしなきゃいけないと思うんです。市町村の議会でさえ専門的な職業政治家でないと出られないという今の、国会議員と同じ資格を要求するというのは、ちょっとやはり時代錯誤だろうと思います。生活で困っていることを議会に出て反映させるような、そういう市民、国民の行動というものが可能になるような仕組みにしなきゃいけないと私は思います。
 そのためには、夜間とか日曜にやるというのはあるんですけれども、これは一種の小手先と言ったら失礼ですけれども、夜開けば市民が議員に出られるというものでもないんですね。そうではなくて、今の自治法とか公職選挙法の規定を変えて、だれでも出られるような、公務員でも出られるような、学校の先生でも出られるような、そういう柔軟な仕組みにしていただくか、もしくは、それぞれの地方団体でそういう資格を決められるような柔軟な地方自治法、公職選挙法の規定にするか。いずれにしても、今のような、全国一律で、国会議員の先生方と同じ資格を市町村の議員に求める制度はぜひやめていただきたいと思っています。
西川(太)小委員 ありがとうございました。
保岡小委員長 森岡正宏君。
森岡小委員 私は自由民主党の森岡正宏でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
 先ほど来、片山知事さんから地方自治に対する熱い思いをお聞かせいただきまして、私も大変新鮮な思いで聞かせていただいたわけでございます。こういう今おっしゃったようなことを、先ほど霞が関に対する批判も入れながらお話をいただいたわけでございますが、みずから霞が関での官僚としての体験を持ち、そのころから今おっしゃったような思いを持ちながら来られて、それを今実現しつつあるのか、それとも、知事になられて初めて、地方というもの、霞が関におったときと随分違うなという思いで取り組んでおられるのか、その点、簡潔にお話しいただければありがたいと思います。
    〔小委員長退席、葉梨小委員長代理着席〕
片山参考人 私は霞が関に二十四年と九カ月いたんです、その間、もちろん地方に出たり入ったりしていましたけれども。大臣秘書官を終わって課長級になって課長になったころ、やはり霞が関というのはずれているなというのを痛感しました。それは、私、いろいろな現場を出たり入ったりしていましたし、薄々は感じていたんですけれども、課長ぐらいになって自分で政策判断ができるようになって、委員会なんかで国会にも出るようになったときに、本当に役所の論理と自分の考え方とが大分違うなというのを痛感しました。
 ですから、知事になってから急にこういうことを言い出したわけではなくて、私がきょう申し上げたようなことは、実は役人時代に大論文を書いたことがあるんです。きょうのその資料にはおつけしておりませんけれども、役所時代に課長をしておりましたときに論文を書いて、私がきょう申し上げたこととか、私が今鳥取県で実践していることは大体そこに書いてあるわけであります。そのときには、役所の中で大分いろいろ異論、反論がありましたけれども、私はありがたいなと思ったのは、当時の自治省は、そういう変な論文を書いても粛清とかはありませんでしたし、そういう意味では非常にありがたかったなと思っています。
森岡小委員 先ほど西川先生の方からちょっとお触れになりましたが、議会について、先ほどユニークなお話をいただきました。根回しもいたしませんよ、また学芸会的なこともやりません、八百長もやりませんよというようなことで、私たちから見たら見事な議会対策をやっておられるなという感じがするわけでございます。自信に満ちているなという感じもするわけでございます。
 実際のところ、ほかの都道府県へ行けば、絶えず根回しをやりながら、多数派工作をやって一つ一つ条例を通したりしておられる、予算を通したりしておられる。そういうことが目につくわけでございますけれども、今の憲法の制約を前提としても、首長さんと議会との関係について制度的に見直すとしたらどうすればいいのか、率直な御意見をお伺いできればありがたいと思います。
片山参考人 私は、今実践していまして、今の地方団体のいわゆる大統領制で、首長と議会との関係で根本的な欠陥があるとは思っていません。運用が悪いんだと思うんです。運用が、結果的に、与党的なものを首長が持って、その与党的なものと根回しをしてしまえば、あと少数会派は議会でいろいろ質問はしますけれども、全部最初に物事を決めて押し切ってしまう。そういう運用の仕方をしているので、全国の通例見られるような議会になってしまうんではないかと思うんです。
 そもそも大統領型でありますから、与党とか野党というのは本当はないわけで、是々非々なわけですね。是々非々で常にやっていけば、そういう運用をしていけば、私は、本来のいい意味での首長と議会との関係になるんではないかなという気がします。そういう意味で、私は、多数会派と根回しをして、最初から全部物事を決めてしまうということはやっていないんです。
 それは一種しんどい面もありますけれども、長所の方が多いです。根回しをするということになるといろいろな弊害がありまして、職員の顔が暗くなるんです。というのは、二枚舌、三枚舌を使わなきゃいけませんし、それから、根回しをするということになると、これはちょっと言葉は悪いですけれども、宴会の席順を決めるようなところがあって、だれを一番最初にしなきゃいけないかとかそんなことばかりに幹部職員が気を使うようになって、本当の仕事をしなくなってしまうんですね。今、根回しもしないで、意見があったら言ってください、修正があったらやってくださいと心底みんな言っていますので、非常に表情が明るくなるんですね。
 それからもう一つは、根回しをしなきゃいけないというのは、何か欠陥があるんだろうと思うんです、議案という商品に。根回しをしなければ認めてもらえないというのは、やはり何か欠陥があるんだと思うんです。本当に優良な品でありますと、根回ししなくても受け入れられるということじゃないかなと思います。
 もちろん、私なんかも、当てが外れて思わぬ修正を食らったり、それから当てが外れて議案の先送りになったりしますけれども、それはそれで私はいいんだろうと思っています。
森岡小委員 先ほど、独立行政委員会につきましても片山知事さんの見事な持論を展開していただいたわけでございます。私も同感に思うことが多うございまして、今、公安委員さんにしても教育委員さんにしても、何か名誉職のような形で、知事さんがこの人ならばいいだろうというようなことでつけて、その人たちは知事さんの顔色ばかり見て、先ほどおっしゃったように当事者能力がなくなっているということは事実だと思うんですよ。
 ですから、これを活性化するということは大変大事なことだと思うわけでございますけれども、先ほど、例えば教育委員を公選にしたらというようなこともおっしゃいました。そういうことをやったら、これまた教育委員の中にイデオロギーの対立とか政党間の対決とかそういうことを持ち込んでしまうんじゃないか、かえってそういうことをするとうまくいかないんじゃないかなと私は思ったりするわけでございますけれども、そのことについても御意見をお聞かせいただきたいと思います。
 教育についてもう一つ申し上げたいんですけれども、先ほど来お話が出ておりますように、片山総務大臣の試案については私も大変評価しているんです。国庫補助金をなくしていく、これもすばらしいことだと私は思います。評価しているんですけれども、しかし、問題になっているんじゃないかなと思うんですけれども、義務教育の国庫負担金、教員の給与を国が二分の一持っている。これを今のままでいいのか、それとも地方に移した方がいいと思われますでしょうか。その辺、知事さんのお考えを聞かせていただきたいと思います。
片山参考人 最初に、教育委員会の問題でありますけれども、教育委員会制度ができている由来は、いわゆる中立性を保とうということなんですね。私たちが勉強した地方自治法の解説書によると、政治的中立性を保たなきゃいけない、教育というのは中立でなきゃいけないと書いてあるんですけれども、私はちょっと違うのではないかなと最近思うのは、さっき武山先生の話がありましたけれども、アメリカは教育委員会制度をとっていて、実は、選挙でありますから極めて党派的なわけですね。民主党系の委員がいたり、共和党の委員がいたりする。どうもアメリカの中立性というのは、政治的中立性じゃなくて、宗教的中立性からきている教育委員会制度のようであります。
 ですから、私は、日本も教育委員会が政治的に中立でなきゃいけないということを余り言う必要はないのではないかなという気がするんです。何となれば、私も、政党は無所属でありますけれども、選挙で出ていますから極めて政治的な存在でありますし、国の大もとの文部科学大臣も、今は役人上がりの人ですけれども、本来は政治的な存在でありますから、ひとり地方の教育行政機関だけが政治的中立でなきゃいけないという理由はないと思うんです。私は、大いに選挙でやって、党派性のある人が出て、その中で複数で物事を決めていくということも、しかも、オープンな場で決めていくということは必要ではないかなと思います。それからもう一つは、そうじゃなくて、首長に任せていただくということがあってもいいと思います。それは選択だと思います。
 それから、税源移譲の関係で、国庫補助負担金を地方に移すというときに、義務教育国庫負担金をどうするのかという話がありますが、私は、国庫補助負担金の中で、地方の財政運営を一番ゆがめているのは補助金の方だと思うんです。補助金がつくからやる、補助金がつかないからその仕事はしないという、選択をゆがめている面がありますから、まず補助金の方から一般財源の方に移すべきだと思っております。
 しからば、今、小中学校の二分の一出してもらっている義務教育の負担金はどうかというのは、負担金がもらえるから教員を雇うとか、負担金がもらえないから教員を雇わないという問題では基本的にはないわけで、負担金というのは教員の数によっておのずから決まってくるわけでありますから、地方財政をゆがめているという面はそんなにないと思います。
 ですから、考えようによっては、負担金でもらってもいいし、それから制度が変わって交付税という形で保障されてもいいし、それも選択の問題だろうと思っています。いずれにしても、まず優先的に整理すべきは補助金の方からだと思っています。
森岡小委員 時間が参りましたので、終わらせていただきます。どうもありがとうございました。
葉梨小委員長代理 永井英慈君。
永井小委員 御苦労さまです。民主党の永井英慈でございます。
 ずっとお話を伺っておりまして、ちょっと私は角度を変えてお話を伺いたいと思うんです。
 今、鳥取県は六十一万五千人の人口を擁しておられるということでございますが、私は、八百五十七万の神奈川県の選出議員でございます。なお、御承知のように、神奈川県には横浜という三百五十万の巨大な都市がございます。私は、すぐその隣の百三十万の川崎の市民でございまして、そういう地域から、神奈川県議会へ十二年間議席を占めました。
 大都市の人口集中の問題について、あるいは産業の過剰な集積等について、いわば、大都市過密の問題を中心にやってきたのは当然のことです。逆に、片山知事さんは、六十一万という、どちらかというと、農漁業の過疎の地域のリーダーとして、政治家として御活躍をされてきた。地域の格差、人口の偏在、経済力の偏在、産業の蓄積の格差、偏在が何とあるかということを実は身にしみて感じておりました。そういう視点から、この日本という国をもう少し突き放して考える必要があるんじゃないか。
 一点。我が国の人口は約一億三千万、百八十数カ国ある中でも十指に入る人口巨大大国であります。面積はというと、先般、東西ドイツが統一をされました。統一をされて、おおよそですけれども、ドイツが国連加盟国の中で六十か六十一番目。そのところに我が日本は国土の面積が位置されているんですね。そう見ますと、巨大な国で、しかも、経済力、産業力については、私が申し上げるまでもない。
 この国が、中央政府、中央に巨大な権限、財源も含めて集中をさせて、この国家の運営をやってきました。ところが、最近言われていることは、強大、過大なこの中央集権体制が行き詰まってしまった。裏を返すと、地方制度も行き詰まってしまった。
 私の認識では、国家財政の危機と言われますけれども、国家財政と地方財政は一体なんですね、大まかに見れば。ですから、国の財政の危機は地方の財政の危機と私は考えておりまして、中央によるさまざまな規制、関与が地方自治体に行われてきたことは事実でございます。しかし、そのシステムは、実は成功のシステムでもあったと私は思います。
 とりわけ、一九七〇年代、八〇年代、世界じゅうが目をみはるような、奇跡と言われる経済の成功をおさめたわけであります。間違いありません。この成功をおさめた統治の構造、統治のシステム、あるいは公共サービス、行政サービスを提供する仕組み、これがうまくいっていたんだけれども、ここへ来て行き詰まってしまって、それが経済の停滞やら不況を長引かせることやら、あらゆるところにこの弊害が出て、閉塞感が充満しているんじゃないかという感じがするんです。片山さんの今までのお話のように、地方分権、地方の自立、地方の主体性というのはまさにそのとおりだと思うんですね。
 そこで、今私が申し上げたことで、具体的に地方分権をきちっとやって、それが地域の活性化や地域の政治や行政にダイレクトに、すきっ腹にお酒を飲めばきくように、ぱんと成果が上がるような仕組み、それを具体的にやっていかなければいけないと私は思っております。地方分権、地方分権と叫びながらも、なかなか進まない。法律もできた、一括法もできてスタートしたけれども、なかなか進まないというのが実感でございまして、全国知事会とか市長会とか町村会とか、こういった地方の六団体と言われるような団体が立ち上がらなければ、私はこれは動かないと思うんです。これが一点。
 また、角度を変えます。六十一万の鳥取県、八百五十万の神奈川県、二つの政令市があります。政令市には行政区があります。私の川崎、川崎区、幸区、中原区としましょう。人口が二十万、二十五万ありながら、自治権がないんです。単なる行政の窓口と単なる些少な行政サービスの事業しかやっていないんです。
 ということで、総合的でいいですから、その辺のところを、この国の形を明確に、具体的に変えていくにはどうしたらいいか、お話をいただきたいと思います。
片山参考人 先生がおっしゃった、地方分権が、二年前に法律はできて、権限移譲も行われて、もっと言えば、機関委任事務が廃止されたとかいろいろあるんですけれども、では、それで世の中が大きくがらっと変わったかというと、そんなことは決してないんですね。多少、権限が移ったとかありますけれども。
 私は、地方分権を大きく進めるのは、そういう制度改革ももちろん必要ですが、一番大きいのは、やはり意識改革と実践だと思うんです。それを今私たちはやっているし、やらなきゃいけないと思うんですね。その積み重ねが大きく変えると思います。
 それから、地方から国に対して、変なことは変だよとちゃんと言っていくこと、今までは長いものに巻かれろで、国から出てくるものを、何か変だなと思いながらも、まあ、しようがないやと思ってやっていたんですけれども、最近、私たちは異を唱えることにしています。
 BSEの問題でも、三十カ月以上のものを検査しろと言ってきたんです。何でですかと言ったら、いや、EUがそうしているからと。でも、我々は、消費者に近いところにいると、三十カ月以上のものを検査して出るのはいいけれども、三十カ月未満のものは消費者はどう思うだろうか、どう答えたらいいんですかと聞いたら、厚生労働省からは答えがないんです。最後は、何回も聞くと怒り出して、国がいいと言っているんだからいいじゃないかという。
 そんな答えしか出てこないので、では、我々はもう独自に全頭検査します、全部検査しますと言ったら、今度は、そんなことはさせない、そんな勝手なことはしちゃいけないと言って、三十カ月以上の牛を検査するために厚生省から売ってもらうことになっていた検査キットも売ってやらないとかいって、嫌がらせを受けたりしたんです。そうこうしたら、ある日突然、全頭検査しなさいと言って、一体どうなっているんだろうかと思ったりもする。まあ結果はいいんですけれども。
 そういうことで、全頭検査になったのは、実は私たちが異を唱えたからなんです。そうやって、国に、変なことは変ですよと言っていくという意識と実践が私は必要だろうと思っています。
 それで、さっき、なるほどなと思ってお伺いしたのは、川崎市は、一つの区で二十五万もあって、民主主義がないというのは、そのとおりだろうと思うんですね。何でそんなことになったかといったら、大きな合併をされたからなんですよ。私は、合併が大き過ぎると思うんです。今、政府は、大きくなれば大きくなるほどいいと言っていますけれども、うそがあるんですね。大きくなり過ぎたら、縁遠くなってしまって、身近なところに民主主義がなくなってしまう。それが今、大都市、政令指定都市でそういうことが顕著にあるんだろうと思うんです。場合によっては、大きな都市を分けるなんということもこれからあり得るんだろうと思うんですけれども、それは差し出口であります。
 それから、六団体が一緒になって立ち上がらなければとおっしゃいましたけれども、六団体も実は護送船団でありまして、必ずしも地方分権の担い手にはなり得ないところがあると私はにらんでいるんです。東京都と鳥取県では利害が全然違いますし、それが全国知事会で一緒になっても迫力がないんですね。やはり、それぞれの地域地域から地方の実情を訴えて、かつ実践していくということだろうと思います。
永井小委員 ありがとうございました。
葉梨小委員長代理 次に、渡辺博道君。
渡辺(博)小委員 自由民主党の渡辺博道でございます。最後の質疑者となりました。
 本日は、片山知事のお話を聞かせていただいて、大変参考になりましたが、実は、鳥取県というと二十世紀ナシの生産量日本一というところでありますが、この二十世紀ナシの発祥の地は千葉県の松戸市でありまして、私は、その松戸市選出の国会議員でありまして、本日は、大変親しみを覚えて聞かせていただいたところでございます。
 その中で、実は私も市の職員を経験してございます。かつて、三十年前でありますが、松戸市においては、すぐやる課という一つの課ができました。この課ができたときには、全国、大変一世を風靡したということで、各自治体からの訪問等が、大勢の方にいらしてもらいました。
 そうした中で、地方自治体のあるべき姿というものは一体何だろうかなということがそこに問題提起となったというふうにも思います。実際に、今、地方分権の時代だと言われておりますが、地方分権というのは、まさに住民自治、住民をいかに幸せにしていくか、住民の生活を安定していくか、こういったものが大変重要だというふうに思っております。
 そうした中で、憲法には、地方自治の本旨という形の表現がございます。片山知事におかれましては、この憲法上の地方自治の本旨という意味をどのように御理解していただいているのか、その辺をまずお聞かせいただきたいと思います。
片山参考人 冒頭、松戸市には大変お世話になっております。二十世紀ナシは、今、鳥取県で本当に大きく花開いておりますけれども、導入いたしましたのは一九〇四年でありまして、千葉県松戸市、今では松戸市二十世紀が丘字梨元町という大橋小学校の校庭でありますけれども、そこが発祥の地であります。近々、感謝の碑を建てる計画にしておりますし、鳥取県出身の元横綱琴櫻が部屋を松戸市に今構えておりまして、大変縁の深い市であります。ありがとうございます。
 地方自治の本旨というのは、これは、実は憲法上非常にわかりにくい文言でありまして、いかようにも解釈できるんだろうと思います。私は、憲法で学んだときの本旨というのは、それなりに講学上の本旨というのを学んできたつもりでありますが、今実践をしておりますと、どうも憲法学者が書いているのとはちょっと違うのかなという気もしております。
 要するに、一人一人の住民の気持ちを大切にして、それを行政という場で具現化する、そういう仕組みを制度的に保障するのが地方自治の本旨ではないかと思っております。したがって、それは国が護送船団的に、これが地方自治だよといってしつらえて決めるのではなくて、それぞれの現場、当事者に近いところで、住民の願い、住民の要望、住民の不満というものをくみ上げて行政をつくり上げていく、そういうプロセスを制度的に保障する、それが地方自治の本旨だと私は今理解しております。
渡辺(博)小委員 そうした中で、先ほど知事のお話にありました、地方議会という機能が形骸化しているというお話がありました。ある面では、地方議会というのは、まさにこれから地方分権の中で大変重要な役割を担っていくということだと私は思いますが、なかなかそれが議論に、議員の皆さん方の資質の問題もあるかもしれませんが、なかなか充実してないということでありますが、それでは、そのためにはどのような形でやっていったらいいのか。
 先ほどお話がありましたけれども、これは鳥取県としての一つの取り組みだと思いますが、全国にひとつ発信をしていただきたいなというふうに思います。
片山参考人 私、本当にこの三年間、議会と真剣に向かい合ってきまして、私も議会にいろいろなことを投げかけて、議会も呼応していただきました。最初は、さっき申し上げましたように、学芸会という話をしたら非常に反発もあったりしましたけれども、今は全くそういうことはありません。もう学芸会でなくなりましたから。
 それから、議員立法も、実は、当初は、議員の皆さんから、知事はこういう条例をつくるべきではないかという質問がよくあったんですね。私は、それに対して、大変失礼を顧みず、条例をつくるのは皆さん方の仕事じゃないですかと言って、答弁でそういう差し戻しみたいなことをして、最初は随分皆さん怒っておられました。けれども、最近は、よし、ではわしらもやったろうといって、議員立法がどんどん出てくるようになりました。
 そういう実践をぜひ知っていただきたいというので、私も、全国都道府県議会議長会で一回講演をさせていただいたり、今度、来月は全国市議会議長会で講演したりするんですけれども、鳥取県の実践、取り組みを紹介していきたいと思います。
 それからもう一つは、そうはいっても、やはり制度的な改革が必要だろうと思います。その制度的改革は、特に市町村議会で、先ほどから何回も申し上げておりますけれども、要するに、老若男女がバランスよく出られるような仕組みを保障しなきゃいけない。わけても生活者、特に今子育てとか教育過程にある子供を持っていて、いろいろな悩み、行政に対する要望を抱えている人たちがなるべく数多く市町村議会に出られるような、そういう仕組みが望ましいと思うんです。
 それをじゃどうやればいいかといったら、まあ夜間やればいいというようなものはありますけれども、私は、例えば、今の市町村の議会の定数を半分にして、今のような議会の仕組みを半分の定数でやって、今地方議会は一院制でありますけれども、残り半分でもう一院つくって、本当にだれでも出てもいい、それで報酬もない、費用弁償だけというような、本当に市民が出るような、そういうもう一院をつくるとかというのも一つの案ではないかなと思うんですけれども、それすらも全国一律にさあこうしなさいと言って、また総務省が法律をつくってやるんじゃなくて、そういうことをそれぞれの地方で実践したいところは実践できるような、そういう枠組みをつくっていただければ大変ありがたいなと思っています。
渡辺(博)小委員 今、知事のお話は、全国一律的な自治体をつくるのではない、各自治体の自主性に任せていこう、これがこれからの二十一世紀の地方分権のあるべき姿だというお話だと理解をしております。
 そうした中で、先ほどの憲法に戻りますが、「地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。」というふうになっております。地方自治法という形の法律で事細かに今すべてを規定しているようなことがありますが、まず、この地方自治法の中で一番のネックとなっている部分は一体何でしょうか。
片山参考人 いろいろありますけれども、先ほど来の議会との関係でいいますと、やはり細かいことまで一律に決め過ぎているということだと思います。もっとおおらかな地方自治法にしていただきたい。
 どうして鳥取県の議会の定数は四十名とかそういうことを国が決めなきゃいけないのか、それからどうして定例会は年四回ですよということを決めなきゃいけないのか、大きなお世話だと思うんです。そんなことは、それぞれ自治体のチャーターというか、自治体の憲章とか自治体の基本条例みたいなもので、自治体の合意で決めたらいいと思うんです。
 それは一例でありますけれども、そういうふうに、もうちょっと柔和な、柔軟な、多様性を認めるような仕組みにすることが地方自治の本旨にかなうんだろうと思っております。
 実は、地方自治法も非常におおらかなところもありまして、議会も、例えば議会をつくらないでもいいという規定もあるんです。町村総会でもいいですよというのがあるんですね。スイスの民会みたいなものですけれども、アメリカのタウンミーティングみたいなものですけれども、そういうものでもいいですよという規定が実はあるんです、古い規定ですけれども。
 ですから、小規模の村ですと、議会を置かないで、町民全体が集まって、町民総会をやって決めるという仕組みが片や認められているんです、どこもやっていませんけれども。ところが、議会を置くとなったら、途端にがんじがらめの制度にしてしまうんですね。物すごいおおらかな、何でもいいよ、町村総会でもいいよという制度がありながら、一たん議会をつくるとがんじがらめにしてしまうという、この矛盾があるものですから、もうちょっと多様性のあるものにしていただきたいなと思っています。
渡辺(博)小委員 地方自治体で大事なのは、やはり財源だというふうに思います。この財源の問題については、先ほど各委員の方からいろいろなお話がありましたけれども、特に地方交付税についてですが、今まではハードの面に偏重しているというようなお話がありました。でも、交付税そのものの内容が極めて複雑であるという実態があるわけですね。この部分の改正も私は必要ではないかなというふうに思っておりますけれども、いかがでしょうか。
片山参考人 それはそのとおりだと思います。
 その交付税をさらにいたずらに複雑にしているのが実はハード事業との組み合わせでありまして、このハード事業をやると何割は起債が認められて、その起債の元利償還は何%が交付税に算入される、何年度発行分はどうで今年度発行分はこうでと、物すごい細かいことがまるで補助金のような仕組みで交付税の中にビルトインされています。ですから、私は、まずハード優先のところをやめる、交付税を先食いするところをやめるということをやっただけでも随分簡素化しますし、それから交付税がスリムになると思います。
 それから、もう一つは、ハード以外の部分もかなり複雑な要素はありますけれども、これはいたし方ない面もあるということはぜひ御理解いただきたいと思いますのは、先ほど来言っていますように、税源の豊富な東京や神奈川みたいなところと、鳥取県や島根県みたいなところはやはり事情が違います。
 例えば、教育を行うにしても、子供たちがたくさんいるような地域で行いますと、学校を一つつくっても、大勢子供が集まりますから、そうすると、一定の体育館をつくると、子供たちたくさん利用できますから、一人当たりに直すとすごく割安になるわけですね。ところが、鳥取県とか島根県のようなところは、人口が希薄ですから、学校をつくっても、子供たちが少ない。しかし、だからといって、体育館も犬小屋みたいなものをつくったらいいというわけじゃありませんから、やはり人並みの体育館をつくりますと、一人当たりの単価はすごく高くなる。
 そういう人口の多寡による規模の利益の大小というのはどうしてもあるものですから、そういうものは調整していただくシステムがないと、本当は、鳥取県なんかだったら人口一人当たり幾ら幾らとかといって決めてしまうと、義務教育すらできなくなってしまうことになるんです。
 ですから、そういう意味での規模の大小による調整、人口の多寡による調整、それは必要だろうと思うんです。これが本当の地方交付税の一番のねらいなんですね。そこだけは絶対に忘れないようにしていただきたい。余分な夾雑物ははいでいいです、ハード事業でいろいろまぶれついているようなものは。ですけれども、交付税の一番基本の、本当に税源の偏在しているところ、人口の多寡によって違いがあるところ、それをうまく調整して財源を保障するという機能だけは、ぜひ国会議員の先生方には忘れないでいただきたい。そこのところを押さえていただいた上で簡素化をするということは、私は必要だろうと思っています。
渡辺(博)小委員 時間が参りましたので終わりにしますが、知事、ぜひともこれからも頑張っていただきたいと思っております。
 ありがとうございました。
葉梨小委員長代理 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。
 この際、一言ごあいさつを申し上げます。
 片山参考人におかれましては、貴重な御意見をお述べいただき、ありがとうございました。小委員会を代表して、心からお礼を申し上げます。(拍手)
    ―――――――――――――
葉梨小委員長代理 これより、本日の参考人質疑を踏まえ、地方自治について小委員間の自由討議を行いたいと存じます。
 一回の御発言は、五分以内におまとめいただくこととし、小委員長の指名に基づいて、所属会派及び氏名をあらかじめお述べいただいてからお願いをいたしたいと存じます。
 小委員の発言時間の経過につきましてのお知らせでございますが、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせしたいと存じます。
 御発言を希望される方は、お手元にあるネームプレートをこのようにお立てください。御発言が終わりましたら、戻していただくようお願いいたします。
 それでは、ただいまから御発言を願いたいと存じます。
西川(太)小委員 保守党の西川でございます。
 私は、永井議員と同じ時期に首都圏の地方議会に身を置いておりました経験から、先ほど委員各位からも御指摘がありましたように、憲法に規定されている地方自治の精神をもっと、先ほど本旨というお言葉が渡辺委員からございましたけれども、それを膨らませる意味でも、税源の移譲のみならず、もっと伸び伸びと政策決定、条例決定、こういうものができるようにするべきだ。こう思う一方で、例えば環境問題などについての上乗せ、横出し規制というものが間々行政の効率化を妨げているという指摘もあったりして、非常に私は悩んでおりますけれども、しかし、総体的にもっと地方に権限を移譲していくべきだ。それは地方の能力を信用して、これを移譲していくという前提に置くべきだ、こういうふうに思っております。
 憲法を改正する場合には、そういう観点の努力もしていかなければいけないと愚考いたしております。
中野会長代理 直接、憲法の条文との関係ではありませんが、先ほど武山さんがアメリカの例を引かれたりしまして、ちょっと思い出したことがあります。
 例えば、都市の再開発をいたしますときに、私が見たのはボストンでしたけれども、市役所の方で再開発する土地を全部まず買収してしまう。そして、更地にするところまでは役所がやる。それをどう活用するか。コンペ方式で、ディベロッパーに市役所の方で条件をつける。例えば、お年寄りの住宅は何戸、低所得者用住宅は何戸、そして公園は何%というような条件をつけて、そしてコンペに出す。そして、人集めのための、求心力をつけるための目玉として、この再開発地帯には保健所の支所を置くとか、一例ですが、そういうふうにしていくシステムができている。
 これなどは日本でまだ採用されていないところでありますが、そういうことについての財政的な、また権限的な裏づけというものをもっと地方自治体につけていく必要が日本にはあるんだろうというふうに思います。そうしますと、これが本当の民活ではないか。
 もちろん、固定資産税が、日本の場合は土地本位であります。アメリカの場合はフロア主義ですから、フロア面積が広ければそれだけ固定資産税がたくさん入る。よって、再開発をしたときに少々自治体が投資をしても後で固定資産税で取り戻せる、こういうシステム上の改革が必要なんだろうと思います。
 あと、教育委員は選挙制度になっている。教育費が我が市は高過ぎる、学校を建てるのを延期して教育費負担を減らしますといって立候補する教育委員候補者もいるという、日本では考えがたいようなシステムがありますが、これなども、これからの時代は、そういうシステムはもっと考えられていかないといけないんだろうな。
 あとは、小さな市の場合は、助役ではなくて、シティーマネジャー制度を採用しているアメリカのシステムなども一つの参考になるだろう。
 憲法の条文というのは、地方自治についての項目が少ないのですが、少なけりゃ少ないで、もっと権限を地方にゆだねる項目が一項目厳然として光っておればいいという整理の仕方が必要なのではないかという感想を持ちます。
今野小委員 私は、この地方自治に関する調査小委員会のメンバーではありませんで、きょう、差しかえというシステムでここに来ておりますが、人権調査の方の小委員会でありまして、この間、そこに出席して、我々のところについている小委員の小を取るべきだという話を人権のところでしましたけれども、小委員会の委員だからといって小委員ではないのでありまして、大委員でもないんですけれども、ただの委員だと思います。それは一つちょっと思ったことですけれども。
 地方分権を実現するための諸課題ということについてきょうはお話を伺いましたが、地方が元気であるためには、みずからのことをみずから決めるというのはもう定説のようになっておりまして、私は、去年の夏に東ティモールに行きまして、国のことを決めるための初めての制憲議会選挙ですかの議員監視団として行きました。
 そのときに、東ティモールのおばあちゃんたちは盛装をして、持っている洋服の中の最高にいいものを着て、そして、七時からだというのに朝五時から出かけていくんですね。この生き生きとした喜びを目の当たりにしたときに、自分たちの地域のことは自分たちで決めるんだという喜びを本当に体であらわしていて、そして、投票率は、ちょっと数字忘れましたけれども、八〇%だったか九〇%だったか、かなり高い投票率で、ほとんどの方が投票に行った。それぐらい、自分たちの地域のことは自分たちで決めたいというのは、どこの地域に住んでいる人でもあるわけであります。
 そこで、私は、今、国会で話題になっている有事法制のことについてちょっと話をしたいんですけれども、有事法制は、よく見ると地方自治の侵略なのではないかと思います。
 地方にかわって代執行を国がすることができる。たとえ武力攻撃を受けたとしても、地域のことは地域が、時には国にお願いをしなければいけないこともあるかもしれませんけれども、まず先端にあるのは地方でありまして、その地方がどうしたいかを国に要請するというのが本当なのではないかと思います。
 実は、武力攻撃を受けたときの対処法ですが、自衛隊法八十一条だったと思いますけれども、都道府県知事は、治安維持上重大な事態と認めた場合、やむを得ない必要があると認めた場合には、当該都道府県の都道府県公安委員と協議の上、内閣総理大臣に対して、自衛隊の出動を要請することができるというふうにあります。そして、それを受けて、内閣総理大臣は、自衛隊等の出動をし、また、都道府県知事は、それが収束した場合には、内閣総理大臣に対して、もう出動結構ですと言うことができる。
 そういう意味では、大変地方の主権というものを尊重した、地方の意思というものを尊重した法制になっているのではないか。それをわざわざ覆して、有事法制をつくり、地方自治の侵略という形をとる必要はないのではないかと思っております。
 以上でございます。
伊藤(公)小委員 きょうは、片山参考人とたしか春名委員ですかね、ちょっと御意見のやりとりがありました。
 今、有事法制、国が一朝有事のときには、国と自治体あるいは個人がどのように対応していくかということが議論されているわけですけれども、地方自治体にとって一朝有事というのは、もちろんそういう国家的なケースも大事な場合ですけれども、災害に遭ったときどうそれに対応するかということが法律上非常に大事な点だと思います。
 阪神・淡路大震災があって、先ほど意見のやりとりの中に、当時の西田大臣が大変温かい御配慮をされたというやりとりがございました。しかし、法整備の上でこれで十分なのかというと、私は、依然として多くの問題を残していると思います。
 つまり、あの阪神・淡路の大震災のときに問題になりましたのは、今、日本は、厚生省だと思いますが、災害に遭ったときの弔慰金制度というものがございます。もし亡くなった場合、あるいは体に障害を持った場合、それぞれそれに対する補償といいますか、そういう見舞金制度もございます。
 しかし、住宅については非常にそこが難しかったと思います。つまり、我が国の政府は、一貫して私有財産に対する補償はしないという原則を貫いているわけでありますが、アメリカは、ノースリッジのあの大きな災害のときに、これは大統領の決断で、二百万、三百万という、とにかく立ち上がるための資金を出された。
 今申し上げたように、大きな災害に遭ったときに、亡くなられる方や、障害を持たれてしまうということは、立ち上がっていくために大変困難なことでございますが、生きていて、例えばの話ですけれども、住宅ローンを抱えたその住宅を失うということになりますと、まさに人生はゼロからのスタートではなくて、大きなマイナスからスタートしなければならない。しかも、それが、もう定年になっていて、ようやく退職金で住宅を建てた、その住宅が災害でなくなるということになりますと、もはや家族は立ち上がることすらできないという状況になるわけでして、こういうときの地方自治体が対応しなければならない災害時に対する法整備ということは、もう一歩国も考えていくべきではないかということを私はずっと問題提起として持っているわけであります。
 その後、議員立法で、当座の百万円程度のものを出すということには国の方でも前進をいたしましたけれども、やはり大きな災害に遭ったとき、一人一人の国民の皆さんが立ち上がっていくための支援というものを、法整備を私はしておく必要があるんじゃないか。
 もし私が市長なら、私がもし知事であったら、やはりそういうことに対しては、どんな災害が起こるかもしれませんので、非常に大事な問題だと思いますので、きょうのやりとりを伺って、一つ私からも意見として申し上げておきたいと思います。
平井小委員 きょうお配りいただいた資料の中で、片山知事の論文の最後の方に、「税は自治の原点」という論文ですが、「納税者の責任と選択によって、税負担は高いがそれだけ水準の高い行政サービスを享受する地域もあれば、」その反対に「行政サービスの水準は低いが税負担も低いことに満足する地域があってもよい。いずれにせよ、納税者が自らの判断で選択するのだから、「身の丈に合った」行政が展開されるようになるに違いない。」このように片山知事はお書きになっておりますが、私も最近、地域でいろいろな合併問題等を議論しているのを聞いておりまして、そのように思いました。
 日本全国、行政サービスがすべて同じようなものである必要はない時代になってきた、そのように思っておりまして、合併論議というのは、どうも今、国なり県なりが財政が厳しいということで地域の方々に問題提起をしているんですが、地域の方々にとって、その合併というものが手段なのか目的なのか、そのあたりをもう一度整理しなければ、おかしな合併もあるなというふうに最近思います。
 そこで、私、かねがね思っていますが、日本の国の中で、例えば、経済合理性に基づき、そして時間のスピードも速い都市というものがあれば、その反対に、経済合理性は余り意識しないで、地域で豊かに、経済至上主義ではなく、緩やかな時間の中でゆったりと暮らす幸せもあるのかな。つまり、憲法十三条で言われております幸福追求権は、国民の権利として最大の尊重を必要とするとされているわけですから、その幸福追求の手段というものを一つの種類にする必要はないわけで、今は都市なり地方なりで変わってきているのではないかなというふうに思います。
 例えば、十八世紀から二十世紀の人文科学で一番の発見と言われている市場原理という言葉一つを考えてみても、この市場原理というものに国民全員が参加できるような日本では私はないというふうに考えております。
 勝者と敗者を決めて、そこで資源の配分を決めるという、もう一方で、道徳哲学に基づく思想であったり福祉という思想、それが日本の社会の中で今まではちょうどいいかげんで進んできたという見方もあるんですが、そのこと自体が、日本という国を同じ色一色で塗ってしまうような時代ではもう全くない。つまり、昔の列島改造論のような、日本全国を均衡のある国土の発展という目標のために開発する時代でもない。そのことを最近、痛切に感じ始めました。
 そういう意味で、それぞれの地域が自立した政策に基づき、その地域に住む方々の幸せをつくる仕掛けをつくるというようなことが望まれるわけで、そういう面から考えていきますと、今政府が進めようとしている、例えば合併問題であるとか電子政府、電子自治体の問題というのも、これは日本全国を一斉に電子化するという話ではなくて、電子化というものを効率的に使える地域は使う、場合によっては電子化しないという地域が出てくるということも想定するべきものなのであろうというふうに思っています。
 その意味において、日本全国で、それぞれいろいろな手段、いろいろなアイデア、いろいろな方法を講じて、これからは日本の国のあり方を考えていく時代が来たということを強く認識したということであります。
 以上です。
春名小委員 先ほどの伊藤委員のお話の続きになるのですけれども、百万円の個人補償がようやく議員立法でできましたが、その経緯を見ますと、住民の皆さんの粘り強い運動によって初めて困難な扉を開いたということだったと思います。
 その後、行政の、片山知事の努力などによって、個人の財産は補償しないという牢固な考え方を、災害の実態から解決していくという、憲法の理念に沿った解決の方向に今道を開きつつある、そういう段階に私は来ていると思っていまして、その点で、片山知事がおっしゃっていた話で、私はなるほどと思ったことなんですけれども、今、政府は、個人の財産は私有財産の国であるから補償しないという立場にずっと立たれているわけですね。
 しかし、片山知事がやってこられたことは、住宅の再建もなくして、個人がいなくなって、どうして公共が守れるのか、地域の再建があるのかという話をされているわけです。住宅はプライベート、橋や道路はパブリック、そんな枠組みじゃない。住宅を再建し、個人の生活を保障することによって初めて公共性が守られていくということが大事なんだということだと思うのですよ。
 それから、もう一つは、個人の生活が再建されないということは、まさに憲法二十五条がつぶされているということですので、その憲法二十五条を守る、その導きからも、この百万円の個人補償なんというのはまず出発点であって、そういう方向で憲法を息づく方向に前進させていくということが、まさに鳥取県の経験から今問われているのじゃないかと思いました。
 それを踏まえて、最後に、九十二条で住民自治、団体自治、地方自治の本旨ということが明定をされていて、その自治の内実をいかに二十一世紀に現実化していくかという大変大事な示唆と先駆的な取り組みが片山知事から言われたことですので、そういう方向でこれから努力をすることが大切だなと実感しております。
 以上です。
金子(哲)小委員 社会民主党・市民連合の金子でございます。
 自然災害における国家の補償という問題が今論議になっておりますので、そのことと関連をしながらお話をしたいと思います。
 私は、この問題は、地方自治体が考えるべき問題なのだろうかということをまず第一に考えます。
 自然災害がたまたま同一の地域にあったときに、例えば県をまたがった場合に、差が出るというようなことがあり得ていいのかという問題が実は私はあると思います。そうして見ますと、国家がもっと政府としてかかわるべき問題ではないかというふうにまず思います。
 私は、自然災害の問題について、もちろん、今の制度をより発展させて補償していく方向に行くべきだということを前提にしながら、実は、今有事法制の問題が論議をされておりますけれども、そのこととの関連で言いますと、そうした有事の際、有事というのは戦時という意味になりますけれども、その際の補償というものをどういうふうに考えるかということが私は重要になってくると思います。
 第二次世界大戦、過去の戦争においては、一般の戦災者、いわば非戦闘員の被害者に対しては、国は何らの補償をしていない。亡くなった命に対しても失われた財産に対しても補償をしていない。
 私は、自然災害と違って、これは政治のかかわりの中でこういういわば被害を受けたというかかわりでいけば、もっと国がこのことについて責任を持たなければならないというふうに思うんです。災害以上に、私は政治の責任は大きいんではないかというふうに思います。今度の論議の中でもその点については余り触れられておりませんし、その点について、この有事法制の中でも明確に規定をされておりませんけれども、私自身は、国家がさまざまな国民の生命や財産を守るということを前提とするならば、まず失われた人々の命や財産に対して、政治の延長線上で起きた事実に対して国が謝罪をし補償するのは当たり前のことではないか。そのことがまずやられる国家にならなければ、本当の意味での国民の生命や財産を守る国家とは言えないのではないか。
 その意味で、自然災害の問題と同時に、そうしたいわば政治の延長線上で起こってくる有事にかかわっての、一般国民、一般市民の被害、命に対する補償、償いというものについて、もっと国は積極的にというよりも、そこを起点にして考えるべきだというふうに私は思っております。
 その点の論議が、今ちょうどたまたま自然災害の問題で地方自治とのかかわりの意見が出ておりますので、これは地方自治という問題ではありませんけれども、国民の生命や財産を守るという立場から考えると、今まで歩んできた道が余りにも国家としての役割を果たしてきていない、そういう中で、有事法制の論議も、そういう視点からの論議が不足をしているんではないかと私は思えてならないということを申し上げたいと思います。
武山小委員 皆さんのいろいろお話を聞く中で、ちょっとアメリカのことで思い出したものですから、お話ししておきたいなと思いました。
 私が、アメリカで一九七三年から九三年まで、二十年間ニューヨーク近郊で生活しました。その生活の中で、住宅街に住んでおりまして、たまたま私の家がカーブになっておりまして、子供が学校に通うのに、向かい側に移らないとスクールバスに乗れないわけです。そのときカーブになっていたものですから、死角になっておりまして、車がスピードを持って走ってくるときに車が見えないものですから、向かい側に行くことができない。
 それで、日本で言う自治会というところにストップサインをぜひつけていただきたいということをお話ししましたら、本当に自治会の会長さんが見に来て、これは確かに死角になって子供が向かい側に渡るのに、スピードが出て車が走ってきたときに見えない、危ないということで、それが事実だということがわかりまして、二週間でストップサインがついたのです。
 私が日本へ帰ってきまして、地元からいろいろお話を聞く中で、首都圏と言われるある町の道路で、二台交差できるかなという程度の幅の道路の横にU字溝というものがついておりまして、スピードを持って車が走ってくると、子供たち、朝晩の通学にU字溝に落ちてしまうというわけなんです。そこに行かないと、危ないと。そのU字溝さえも、ふたを閉めてくれと地域の代表である町会議員の方に頼んでも全然やってくれない。それから町に言いに行ってもやってくれない。そのうち住民は疲れてきて、何回言ってもそれを取り上げてくれない。子供たちの交通事故にまでつながるわけですね。雨の日は傘を差して、そしてそこに落ちるわけですよ。
 ですから、そういう住民のニーズというものが、本当にわがままな提言なのか、わがままじゃない提言なのか、それはもちろんきちっと調べて、一つ一つケース・バイ・ケースで対応していくべきことだと思うのです。それが、まさに地方自治の中で解決するべきことが、実態は、現実は行われていない。先ほどお聞きしましたら、やはり議員さんが高齢化、老齢化、そして公共事業、農業関係、まさにそのとおりなんですよ。生活者の視点の教育とか、介護とか、そういう部分で意見を言う方が非常に少ない。そういう現実があるということをお話ししておきます。
中野会長代理 地方自治の話をすると、憲法と関係のない話もどんどん出てきてしまって、少々戸惑うときもあるんですが、ふと思い出しますのは、やはりアメリカは、ある意味では、開拓村の集合体が一つの国を構成したといういきさつがあると思いますし、ヨーロッパですと、都市国家を中心にして国が成り立っていったという歴史がある。日本の場合は、ある意味では、明治維新以後ですと、廃藩置県が一つのきっかけになったと思いますが、国家の概念も、ヨーロッパとアメリカと日本では違いますし、地方自治の概念でも違っているんだろう。
 そういう意味で、せっかくの憲法調査会ですので、また機会を見て、単に地方自治ということだけではなくて、国家の概念、そしてまた、その中での地方自治の概念というのを、基本的に一度まとめてお話を聞いたり議論したりする機会が持てればというふうに思います。
葉梨小委員長代理 ほかに御発言ございませんか。
 それでは、討議も尽きたようでございますので、これにて自由討議を終了いたします。
 本日は、これにて散会いたします。
    午前十一時五十六分散会


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