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第1号 平成14年11月28日(木曜日)

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本小委員会は平成十四年十一月七日(木曜日)憲法調査会において、設置することに決した。
十一月七日
 本小委員は会長の指名で、次のとおり選任された。
      伊藤 公介君    佐藤  勉君
      杉浦 正健君    西田  司君
      葉梨 信行君    平井 卓也君
      森岡 正宏君    筒井 信隆君
      中川 正春君    中村 哲治君
      永井 英慈君    江田 康幸君
      武山百合子君    春名 直章君
      土井たか子君    井上 喜一君
十一月七日
 西田司君が会長の指名で、小委員長に選任された。
平成十四年十一月二十八日(木曜日)
    午後二時開議
 出席小委員
   小委員長 西田  司君
      伊藤 公介君    佐藤  勉君
      杉浦 正健君    葉梨 信行君
      平井 卓也君    森岡 正宏君
      筒井 信隆君    中川 正春君
      中村 哲治君    永井 英慈君
      江田 康幸君    武山百合子君
      春名 直章君    金子 哲夫君
      井上 喜一君
    …………………………………
   憲法調査会会長代理    仙谷 由人君
   参考人
   (志木市長)       穂坂 邦夫君
    ―――――――――――――
十一月二十八日
 小委員井上喜一君同月十四日委員辞任につき、その補欠として井上喜一君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員土井たか子君同日小委員辞任につき、その補欠として金子哲夫君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員金子哲夫君同日小委員辞任につき、その補欠として土井たか子君が会長の指名で小委員に選任された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 地方自治に関する件


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     ――――◇―――――
西田小委員長 これより会議を開きます。
 この際、一言ごあいさつを申し上げます。
 先般、小委員長に選任されました西田司でございます。
 小委員の皆様の御協力をいただきまして、公正円満な運営に努めてまいりたいと存じますので、何とぞよろしくお願いをいたします。
 地方自治に関する件について調査を進めます。
 本日は、参考人として志木市長穂坂邦夫君に御出席をいただいております。
 この際、参考人に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人のお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと思いますので、どうかよろしくお願いをいたします。
 次に、議事の順序について申し上げます。
 最初に参考人から御意見を四十分以内でお述べいただき、その後、小委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
 なお、発言する際はその都度小委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は小委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
 御発言は着席のままでお願いいたします。
 穂坂邦夫君。
穂坂参考人 それでは最初に、基礎的自治体、市町村の状況あるいはまた現況、あるいはそれぞれ日ごろ基礎的自治体の長として思っておりますことをこの際申し述べたいと思います。
 最初に総論というような形で申し上げたいと思うんですが、御承知のように、憲法の九十二条あるいは九十四条、それぞれ基礎的自治体、市町村の行うべき地方自治の本旨、あるいはまたそれぞれ権能等についても定めていただいておるわけでありますが、二つだけいつも思っていることがあるんです。
 一つは、役割分担がさほど明確ではないということです。それぞれ憲法では規定をされていますが、ある意味では法律に丸投げをされている部分がございます。地方は地方の意思で自由に運営ができる、このように憲法では規定をされていますが、なかなか難しいもので、そういうわけにいきません。一つは、権能を明確にしていただきたい、そんなふうにいつも思っています。
 国は国としての権能があり、都道府県は都道府県としての役割があると思うんです。私ども基礎的自治体、市町村は、大変狭い権能ではありますが、それぞれ役割があります。できるだけ、今後、地方自治体が元気で、そして自由な運営をするためには、まずもってその役割を明確にしていただければなというふうに思っています。連邦国家の例を見ますと、それぞれリストアップされているとも聞いております。できるだけ、今後、先生方のお力で、憲法の趣旨に沿った明確な権能を明示していただければありがたい、こんなふうに思います。
 それともう一つは、その権能に基づいて自由な経営方法、要するに運営方法をさせていただきたいと思っています。私は、市長になりましてまだ一年五カ月です。市議会やあるいは県議会、それぞれ議長として経験させていただきましたけれども、思った以上に、地方自治体の長に就任いたしまして、まさにはしの上げおろしまですべて法律やあるいは通達やあるいは行政指導でそれらが細かく規定をされている。そういう意味合いでは、ちょっと窮屈だな、そんな率直な感じをいたしております。できれば、法律で最小限の事項を定めるほかは、地方自治体が自由に運営できるようにお願いをしたいというふうに思っています。
 私なりにその原因等々を考えてみますと、全国約三千二百の自治体があるわけでありますが、結局、国の方では、誤りをしないようにという親心もあるのでしょう。しかし、地方の実感から見ますと、別に保護者が必要だとは思っていません。
 それぞれ国政に携わるスタッフの皆さんが、できるだけ誤りのないように万全の策を講じよう、こういうような意味合いだと思いますから、至るところすべてが同じように同じ形で、誤りのないようにという、先ほど申し上げましたように、保護者的な感覚でおつくりになっているそれぞれ法律やあるいは通達やあるいは行政指導の中で、地方をある意味では守っているんだともとれるわけでありますが、三千二百の中には一つや二つはそれぞれ踏み越えるところもあるでしょう。
 しかし、そのマイナスよりも、同じような運営をしなければならない、自主性がそこに出てこない、このマイナス面の方が多いのではないか、こんなふうに思っております。できれば、先ほどの権能でも申し上げましたが、肝心なところ、これらを明確にする、あいまいでない形にする。同時に、三千二百が何も一緒の経営をしなければならないということも考えられませんので、自由さを与えてほしいというふうに思っています。
 レジュメに従いましてお時間の範囲内で申し上げたいと思うんですが、私は、市長に就任しましたときに、どんな職かなという思いもありました。実感も実態もそうでありますが、市長は明らかに、今の制度はメーヤーの制度でありますが、シティーマネジャーの方がよりぴったりくる。実は、ある会合でシティーマネジャーと言いましたら、英語の先生から、市長、間違っちゃ困りますよ、子供たちに悪い影響がある、メーヤーというふうに正確におっしゃってくださいという話がありました。でも、実態、実感は、市民がオーナーであり私はシティーマネジャーである、こんなふうに思い、位置づけています。そして同時に、実務家だなという感じがいたします。マネジャーであり実務家である、こういう実感と実態の中で、今市長を務めさせていただいております。
 企業的には、私どもの志木市は、六万六千人、九平方キロメートル、百七十三億円の小さい市でありますから、まさに中小企業の独占的サービス業、こうともとらえております。
 市長に就任しましたときに、やはり一つの組織というのはボトムアップが必要だ、職員の新しい感覚を醸成しよう、こんなふうにも思っておりましたけれども、やはり国も県も、国の方がもっと独創的だとは思いますが、県庁も市の方も余り変わりませんで、職員から新しい改革というのはなかなか出てこない。
 それは無理もないと思うんです。二十二歳で、二十年たって四十二、幹部職員として育ってきてはおりますが、少なくとも、すべてが前例主義、こんなふうに位置づけられておりますし、日常の業務がその範囲でやっておりますので、いきなり新しいものを考えようといったってそう簡単にいかない。
 今、志木市では少しずつ職員も育ってきておりますが、ほとんどがトップダウンという形で、いろいろな改革に取り組んでおります。随分古い昔になりますが、マックス・ウェーバーの官僚というものなどを読ませていただきましたけれども、やむを得ない、実態は何十年間も同じ前例主義でやってきましたから、少し時間をかけて職員の育成もしていかなければいけないのかな、こんなふうに会社のマネジャーとして考えております。これが一応実感です。
 二つ目でありますが、基礎的自治体の状況の中で、先ほども申し上げましたように、自治体の実感は、住民の意思に基づいて自由に固有的な経営をすることができる、こんなふうに考えておりましたけれども、そんな実感よりも、むしろ逆じゃないかな、そんな率直な思いもいたします。自由な運営や自主的な運営というのは狭められているとも思っています。これは、地方分権一括法が制定された現状におきましても以前とそう変わっていない、こんな実感がいたします。
 後ほど触れますが、市町村合併、私どもは六万六千、ささやかな市でありますが、一万人以下の小規模自治体等々の問題がありますけれども、これらについても手順が逆ではないのかなという思いも多少いたします。
 先ほど申し上げましたように、それらの不自由さというのは、完璧さを求める国の体質があるのではないかとも思っています。いろいろなところで、ある意味では、完璧さを求める余り形骸化をしている部分もあります。
 いろいろ議論が分かれるところでありますが、市町村にも教育委員会制度があります。これは、教育の中立性を担保するというのが大きな目的だと思いますが、現実的には、首長が教育委員を指名し議会にかけるわけでありますが、少なくとも、首長と全く意見の違う教育委員を議会に提案するということはありません。
 ですから、そういう意味合いでは、どこで教育の中立性、もちろん、制度上三名以上でありますか、無所属でなければいけないとか、教育委員は政治的活動をしてはいけないとかとありますが、包括的に考えれば、やはり首長の望む教育委員を議会にそれぞれ提案をしていくという形ですから、果たしてそれが機能的にも教育の中立性が担保できているのだろうか、建前と実態は多少違うな、そんな感じもするわけであります。
 さらに、例えば、学校でのITの授業なんかもありますが、これは小中学校だけではなくて高等学校もあるわけでありますが、ある意味で学校の独自性というものを、教育委員会でも多少遠慮なさっているんでしょう、余りうちはやりたくないと言えば、中途でお茶を濁しておけばいいという実態もかなりあります。
 私は、やるべきことは、国でも必要なことはきちんとやるべきだとも思っています。首長のそれぞれミスは、公選制でありますので、今、これだけ戦後長く地方というものを支えてきた市民の皆さんから見れば、もし失敗すれば首長は次の選挙で落とされるわけでありますから、それを覚悟しているとすれば、さっき言ったように、さほど保護者的な感覚は要らないのではないかとも思っています。
 とにかく、実感とすれば、基礎的自治体の現状は、本当に非効率的な運営をしなければならない、そんなふうな実感です。
 二番目に、それぞれの役割について申し上げたいと思うんです。
 先ほども総論で申し上げましたが、地方のやるべき仕事というのはそう多くないんです。担うべき仕事というのは、まさに限られた範囲です。担うべき役割は、国とは全く違うという実感を持っています。国は、国益というものがあるでしょう。あるいは、守秘義務といえども、私ども、もちろんどちらが高いとは言いませんが、守秘義務そのものは、ほとんど市民のプライバシーに関するもの、これだけだというふうに思っています。あと、ほかに秘密にすべきもの、守るべきものは全くありません。全部公開をしてもいい、そんな気持ちで今運営をしています。
 おかげさまで、埼玉県の情報公開の、いいか悪いかは別として、オンブズマンの皆さんの発表では、志木市は九十六点で第一位でした。中学校へ行きましたら、九十六点市長というふうに呼ばれましたけれども。
 先ほど申し上げましたように、その一つ、守秘義務だけをとっても、国の権能と市長の権能は明らかに違う、こんなふうに思っています。
 ですから、地方分権も、私は、ある種の手順が違うのではないかという懐疑的な意見もあります。ある埼玉県出身の分権の推進をされる委員の方ともお話をしたわけでありますが、国の仕事、都道府県の仕事、市町村の仕事を明確にしないで、いっぱいあるうちから小出しにこれは分権だといったって、そんなことが理論的に成り立つだろうかというふうな雑談をしたことがあります。できるだけ早く国民的なコンセンサスをいただく中で、あいまいなままでの分権から、役割分担を明確にした上での分権をし、地方の主権を認めていただきたい、こんなふうに思っています。
 今は、機関委任事務という言葉はなくなりました。分権法以来、たしか法定受託事務と呼んでいると思いますが、私は、このことについては全く当然だというふうに思っています。今の制度上からいえば、国が効率的な観点からも、市町村の自治体を通じて、これは国としてやらなければならない、こういうことはしっかりするべきだと思いますし、当然、強制力があってもいい、できるだけあいまいにしない方がいい。今の法定受託事務、要するに昔の機関委任事務についても、こんなような印象を持っております。
 できるだけ、分権ではなくて、地方の主権という位置づけをし、地方を解放してほしいなという、率直にそんな気持ちがあります。地方分権は、市町村の主権を認める、市町村の役割を十分定める、その中から、分権、あるいは主権というものが出てくるのではないか、こんなふうに思っています。
 今、地方自治法、あるいは施行令、戦後、ほとんどそのままで推移をしています。できるだけ地方の個性や特性を認めるような、そんな運営があればなというふうにも思います。
 一言で言えば、人口千二百万人の東京都、あるいは二百人の村、これらも同じ自治法を、数の大小や表現の仕方の違いはあります。例えば、副知事を助役と呼んだり、出納長を収入役と呼んだりすることもありますが、もちろん、地方の力で、収入役を置かないとか助役を置かないということがありますが、しかしその中でも、法条を同じように適用するというのはいかがなものか、これが非効率の原因。もちろん、それだけではありません。議会の制度もありますし、予算の立て方の問題もあります。基礎的自治体は中小企業の最たるものですから、できれば、公選による議会の設置、首長のあり方、二つぐらいでいいのではないかなという、率直に言って、そんな感じがいたします。
 財源移譲の問題もあります。権限移譲は、先ほど申し上げましたように、役割分担を決めていただければ、これはもう権限移譲はできたものと同じです。財源移譲のことも、私は、明確な主権を認める中で機械的に税配分をしていただく、このことがいいのではないかというふうに思っています。簡単に、ドライに、業務量は定まるわけでありますから、一定の算定方式で財源の分配を機械的にすることでいいのではないかというふうに思っております。人口も、そのとき、最大の要素になるのではないか、こんなふうにも思っています。
 それぞれの自主財源の差異、私の志木市は財政力は若干低い方でありますが、自主財源の差異についての補正、要するに地方交付税につきましては、今、業務量に応じてもありますが、もう最低限の補正をしていただければいい、実感として思います。そういうところから、地方の工夫や地方の努力が生まれると思うんです。
 財源の少ないところは、立派な市役所は要りません。例えば志木市も、もう市役所は雨漏りがする状況になってきました。でも、私は、もし市庁舎がもっともっとだめになった場合に、もう一回今の市庁舎を建てようなんという気はありません。財源に応じた仕方をすればいい、それが個性だというふうにはっきり思っています。豪華できらびやかな市庁舎なんぞは要りません。そういう工夫が自然発生的に生まれる、その方がいいのではないかというふうに思っています。
 特に、現行の地方交付税交付金、基準財政収入額と基準財政需要額の差異で交付額を決めるなんというのは、全くナンセンスだと思っています。私は、抜本的に改革をしてほしい、こんなふうに思っています。そうすれば、例えば、極端な話、無給の村長さん、市長、あるいは無給の議会、これだって生まれると思うんです。金がなければ仕方がない。しかし、もっとほかに、行政権力の行使と一緒に、基礎的自治体の役割というのはもっともっと大事なものがある、こんなふうに私自身は感じています。
 法定受託等々につきましての費用も機械的に算定すればいいのではないか、こんなふうに思っています。そして税財源、もちろん、六対四を四対六にするとか、あるいはもっと地方の財源を拡充すべきじゃないかということがありますが、私は、それはそんなに重要視していません。さっき言ったように、業務量に応じて機械的に判断をしていただければいい、そんなに難しいことではないと思っています。
 ただ、税配分の移譲については、単純さと透明性の高いことが必要だと思うんです。市民の皆さんも、交付税の配分方法、なかなかわからないんです。ですから、もっと単純明快で、透明性が高くて、あっさりしたものにしていただければよろしいのではないか、こんなふうに思っています。
 三番目の、基礎的自治体の意義と経営でありますが、先ほど申し上げましたように、私どもの日本が、戦後のあの敗戦から、民主国家に生まれ変わりました。そのときに、憲法ができ、地方自治法もそれに引き続いてできました。あの混乱期には、あるいは地方自治というのはどういうものかわからなかった時代には、今の自治法等々の役割というのは最も大事であったのかもしれません。
 しかし、もう市町村の市民は十分に経験を積んでいます。何十年間も同じ法律が同じように正しいとは思っていないんです。その役割はもう既に終わっているのではないか、こんな感じがしておりまして、何度も何度も言って恐縮ですが、国の関与をある意味では徹底して排除することも新しい時代の流れではないか、こんなふうに、時代の変化とともに考えております。
 公権力のささやかな行使も、市町村に課せられた大きな仕事の一つです。しかし同時に、もっと大切なことは、コミュニティー、地域社会を通じて、私たち市民が、隣人を愛するという心、お互いに助け合うという心、あるいはまた、自然を守っていこう、環境を大事にしていこう、人と人とが触れ合って、手を握り合って、そして助け合うという、私は、基礎的自治体にはそういう大きな使命と責務がある、こんなふうに思っております。
 さらに、国策というのもあるでしょう。それらを国民的なコンセンサス、特に国会は、まさに私たち国民の最大の立法機関であり、その方向を定めるところでありますから、その定めを国民的なコンセンサスというふうに受け取るならば、国で決めた理念や大切さを、実体的に市町村は市民と一緒に考え、その方向で一つの地域社会をつくっていく、このことも私は大事だというふうに思っています。国と地方は全然違う、お互いが違うものを見ている、そういうことではない、こんなふうにも思っています。
 よく議会等々でも話が出るんですが、私は、地方の基礎的自治体等々を見ますと、国で考えているように政党政治が機能しているとは思っておりません。市民の皆さんも、政党よりはむしろ人との触れ合いを大事にする、たまたまその人がどこかのところに所属をしている、そんな感じがして仕方がないんです。
 日本はまだ、そういう意味合いでは政党政治が成熟していないという言い方もあるでしょうし、あるいは、好きなことを言わせていただければ、地方自治体、地方の行政運営にはイデオロギーは必要ない、行政運営上は必要ない、こんなふうにも思っております。
 私たちは、自然や文化を守っていく、お互いが手をとり合っていく、お互いが慈しみ合う、そういう地域社会をつくっていく、そのことが国を愛していく、そういうものにきっとつながっていく、こんなふうに国とは違った意味での自負心を持っています。基礎的自治体の役割というものも、この際もう一度考えていただければありがたいというふうに思っています。
 私たちは、先ほど申し上げましたように、公選という責任のとり方があります。できるだけ今後、自己責任は地方がきちんととる、こういう風土をこれから私たちはつくっていかなければなりませんし、そのためには多様な運営形態を担保していただきたい、重ねて申し上げる次第です。
 こんなことを言うとしかられますが、国の財政が、私は国会議員じゃありませんのでよくわかりませんが、八十三兆円程度とすれば、地方自治体、都道府県と市町村の予算は百十二兆円というふうに聞いております。新しい効率的な運営をする、合理的な運営をしていく、三割ぐらいカットすれば三十兆円も四十兆円も、まだまだほかに使うべき財源はきっと出てくる、私はこんなふうに思っています。
 できれば、この際、地方自治体の権能に基づいた地方公務員のあり方、そういうものもあわせて考えなければならない時期が来たのではないか、こんなふうに思っています。
 過疎とか過密とか、財源があるとかないとか、それは地方の個性というふうに私はとっていいのではないか。国民はひとしく生活する権利がある、これも大切なことでありますが、等しい権利というのは果たして物資的なものだけだろうか。過疎には過疎のよさがあり、過密には過密のよさだってあると私は信じています。
 私は、先ほど申し上げましたように、公選そのものを大事にしながら、地方は徹底した情報公開をしていく、このことをいつも忘れないように、こんなふうに考えながら一年五カ月、市長としていつも執務をしています。
 市町村合併について若干触れたいと思うんです。
 私は、市町村合併は、今話題になっておりますような特区構想、これもありますが、市町村が自主的に考える、市民みずからが住む家を考えてみるという点では、まさに画期的なものである、画期的な命題であるというふうに思っています。市町村合併は、今までずっと、市民が町づくりをしていく上で、みずからが住む家の規模を決める、こんなことなかったんです。
 実は、志木市は、朝霞、新座、和光、志木という四つの市が法定協議会を今設置して、合併の是非を検討しています。来年四月には住民投票を行います。私は、一つの合併の意義は、住民投票するというところに最大の意義がある、こんなふうにとらえています。
 特区構想もさっきちょっと触れましたが、すごい地方にとっては衝撃的なことでした。今まで市町村は、どちらかといえば、先ほど偉そうなことを言いましたが、県の指示を待っている、国の動向を待っている、言ってみれば、口をあけて待っていれば何とか指導してくれるという状況でした。
 しかし、特区構想というのは、ほとんどだめでしたが、地方が考えたらどうですかと言われただけでも、身震いするほど緊張感が生まれました。そんな経験がないんです。法律を取っ払って、何かいい方法がありますかと言われたときに、さあと、市町村長は、私は市長ですが、本当に何があるのかなというふうに考えました。職員だって驚きました。そういう意味で、特区構想は、ほとんどだめだと思いますが、意義があったのかなというふうな感じ方をしております。
 この合併について、行政効率、財政基盤の強化、こういうものも取りざたされておりますが、私は、地方にとっては、地方のアイデンティティーを守ったりコミュニティーを醸成したり、そういうことが大きな役割で、その次が行政効率であり財政基盤の強化だというふうに思っています。
 ただし、私は、合併には全く反対ではありません。合併は市民が決めるものだ。政治家にはそれぞれいろいろな選択があるでしょうが、私は、私の固有の意思、それを政治家として市民に訴えるよりも、市民がみずから合併を判断する、それが間違いであろうとそうでなかろうと、そんなことはいいと思うんです。それが、もし合併したら新しいコミュニティーをつくる力になり、そして、そうでなければ、また単独の市として新しいコミュニティーをつくっていく大きな要素になる、こんなふうに考えています。
 理念なき合併を市民の方々が推進するのは余りよろしくないのではないかとも思っております。できれば、地方としての、あるいは国としての、都道府県としての二十一世紀の国家像を示していただければありがたい、こんなふうに考えております。合併は、市民参加と市民の意思で合併する、こんなふうにも思っています。
 それから、先ほどちょっと触れましたが、小規模自治体の話もあります。一万人以下の方々が随分今苦悩されていると思います。さっき言ったように、金がなければどっちかを選ぶ、全く原則どおりやっていけばそれぞれ地方は地方なりに考えるでしょう、そのことでいいのではないか、私はこんなふうに思っています。基礎的自治体をもう一度考えていただければありがたいなというふうに思っています。
 特に一言だけ触れたいと思うんですが、志木市は、東上線、有楽町線に近いところでありますから、ほとんどベッドタウンです。昔は企業社会、私は造語が好きなので企業コミュニティーと呼んでいるんですが、そこでずっとやってきましたが、今企業社会は明らかに崩れている。そして、市民が求めるものは企業社会にかわる地域社会、こんなふうに認識をして、大きく地域に戻ってきていただいている。もちろん、現職のお勤めの方々もそうであります。
 最後、三分になりましたので、志木市で今やっている地方自立計画についても若干、二、三分触れたいと思います。
 簡単に一言で言えば、この自立構想は、今の許された範囲の中で、地方の小規模自治体、私のところも入るというふうに信じておりますが、基礎的自治体のあり方を、公務員が行政サービスをするという二十世紀のずっときた概念を壊していこう。
 地方公務員は二十年間以上にわたって、今市民の説明会を開いていますが、できれば公務員はもう不補充にする、そのかわり市民の皆さんに行政サービスを担ってもらう、そのかわり、お預かりした税金は全部ではありませんが還元をしていく。要するに、公務員だけが担っている行政サービスを市民の皆さんにやっていただく、そんな共同体、そんなふうにもとらえています。
 これは、少子高齢社会、これらを考えますと、二十一世紀型の、もう新しい地方自治体の運営を考えるべきではないか、こういうことも入っております。国の財政の厳しさ、地方の財政の厳しさを考えますと、新しい運営形態があってもいいのではないかと思っています。もちろん財政効率だけではなくて、市民と市の乖離をしている姿を、もっと一体感を持ちたい、このことも自立計画の大きな目標の一つです。これからは市民と協働することによって、お互いに協力し合って働くことによって、新しい自治体をつくっていきたい、こんなふうに思っています。
 ちょうど四十分になりましたので、まだまだ言い足りない点もあるんですが、私の主張を、あるいはお話を終了させていただきます。どうもありがとうございました。(拍手)
西田小委員長 以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。
    ―――――――――――――
西田小委員長 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。森岡正宏君。
森岡小委員 私は、自由民主党の森岡正宏と申します。
 今、穂坂参考人から、大変ユニークな市政運営につきましていろいろなお話をいただいて、私も大変参考になりました。心からお礼を申し上げたいと思います。
 しかしながら、私の感想では、今小泉改革が行われている中で、地方の行財政改革についてもいろいろな提言がなされて、進められているわけでございます。片山試案というものが出されて、そして総理からは、国庫補助負担金とか交付税、そして税源移譲、これは三位一体で検討しろというような指示も出されております。しかし、現実にはなかなか総理の言うようになっていないということもございますし、税源移譲など財務省は全く認めようとしない、非常に難しいところに来ているなとも思いますし、小泉さんのおっしゃっていることについても、私も多少疑問に思っているところもあります。
 しかし、今参考人のお話を聞きますと、いや、地方自治体、特に基礎的自治体についてはもう中央は構ってくれなくていいんだ、できるだけ自由にさせてくれ、そして窮屈な保護者的な役割は果たさないでいただきたい、そして、財源も機械的に決めてくれたら最小限でいいよ、こういうお話でございました。そんなことでございますから、今進められている小泉改革とは大分かけ離れたことを市長さんお考えだなというふうに思えるわけでございます。
 そして、私の感想では、今市長さんがおっしゃっているようなことを進めていきますと、大変裕福な自治体とそうでない自治体とができる。住民とすれば、隣の町の住民は大変恵まれている、ところが私の方の町村は恵まれていないとか、そういう問題が非常に起きてくるんじゃないかなと。今果たしている地方交付税交付金の調整能力などをどういうふうに考えておられるのか、また、小泉改革についてどんな印象を持っておられるのか、その点をまず聞かせていただきたいと思います。
穂坂参考人 余りそう大きな差異はないと思うんですが、均衡ある国土の発展、あるいはまたお互いが同じ生活レベルを享受していく、部分的にはあると思います。例えば、国民健康保険の問題、介護保険の問題、ある意味では福祉なんかもあるでしょう。そういうことについては、やはりこれは国がやるべきこと、そして補完をするのは地方で私はいいと思うんです。しかし、都会と地方が同じような生活をする、これは私は、いろいろ意見が違うと思うんですが、違っていいと思っているんです。
 きのうもいろいろな各県の市町村長さんとか助役さんとかお見えになります。いろいろ話もしますが、私は、二十一世紀は、人間として生きるための最低のきちんとした全国民の保障、そういうものがあれば、あとは、隣へ行ったらばかでかいきれいな福祉会館があるとか、市民会館があるとか、市役所が立派だとか、うちは何にもないとか、それだっていいのではないかと思っているんです。
 例えば、私ども志木市はちっちゃいですから、東京と比べて、どんなに頑張ったっていい音楽を聞くことはできません。都内に行かないとだめです。ですから、私はそれぞれの個性があってもいい、守るべきシビルミニマムみたいなもの、これはきちっとやっていただく、あとは自由がいい、こんなふうに思います。
森岡小委員 市町村合併の問題について先ほどお触れいただきました。そのことについてちょっと私もお尋ねしたいと思うわけでございます。
 理念なき合併はよくないんだということをおっしゃいました。そして一方で、志木市も四市で合併構想が進められつつある、そして来年春には住民投票をやる、こうおっしゃいました。
 今、政府の考えでは、できるだけ小さな自治体を大きくして、そして三千二百ほどある自治体を千くらいにしていきたい、そういう考えを持って市町村に指示をしておるわけでございます。そういう考えと市長さんのお考えとは全く対立をしている。
 そしてしかも、穂坂参考人のお話を聞きますと、志木市では、先ほどの特区構想なども含めまして、非常にユニークな、いろいろな施策を考えておられる。例えば地方自立計画では、市民パートナーというんですか、一般の市の職員を段階的に削減していって、そして有償のボランティアを入れるでありますとか、それから学校教育では二十五人程度学級の導入をやるんだとか、いろいろなことを考えておられるわけでございます。
 四市との合併を進めようと一方でしておられる。しかし、市長さんは独自の構想を持っておられる。そういうことを考えていきますと、志木市は志木市でいいんだと、市長さんは、志木市は一つでいいんだ、小さな固まりでいいんだ、大きくする必要はない、本音ではそう思っておられるんじゃないかなと思いながら私は伺ったわけでございますけれども、その辺についての御感想を教えていただきたいと思います。
穂坂参考人 私は、多分先生の御意見とは違うと思います。
 私は、二十五人学級ですとか、幾つか新しい施策を出している。しかし、合併したときには、市民がいいか悪いかは決める。ですから、メニューという考え方です。多様なメニューがあればいい。合併したら、そのメニューをとるかとらないかは市民が決めることで、行政が決めることじゃないというふうにいつも信じているんです。
 ですから、今合併協議会やっていますから、いろいろあります、各市ばらばらの施策が。私のところは、例えば二十五人学級とかホームスタディ制度をすぐみんなでもってやろうよとか言っておりません。いいんじゃないかと。志木はこういう仕方をしている、ほかの市はこういう仕方、合併のときに、一年か二年かけてその辺は収れんをしていけばいいのではないか。それは、だれが決めるんじゃなくて、市民が決めるんだから。ただ、メニューが一つきりないよりは、よく言うんですが、パン屋へ行ったら、カレーパンもあんパンもいっぱいある、それでもって一番おいしそうなものを食べる、そういう材料であればいい。それは信じています。これが一点です。
 それからもう一点は、三千二百を千にするという話がありました。なぜするのかということが私は大事だと思うんです。それが行政効率だとか基盤整備だとかでは、余りにも小規模自治体、あるいはまた私どものような基礎的自治体の機能を何かぽっと抜いちゃって、そこは財政効率をきちっとすればいい。それではガリバーのようになる危険性がある。
 住民が選択するところに大きな意義がある。ですから、ぱかっとやってお金がなければ、合併の道を選ぶか、あるいは違う道を選ぶかはその市町村がやればいい。志木は自立計画なんかも立てていますが、合併をしても、今の格好をしていれば、例えば大きいところが非常に元気だなんということはありませんね。大きいところも背伸びし過ぎて、みんなグロッキーになっちゃっている。ですから、私は、新しい形は、してもしなくても、将来的には取り入れざるを得ない時代が来るというふうに思っています。
森岡小委員 時間が参りました。終わらせていただきます。
西田小委員長 次に、筒井信隆君。
筒井小委員 市長さん冒頭言われました、憲法上、地方自治体の権能、権限を明確にしてほしいという、その点についてまず最初にお聞きをしたいと思います。
 確かに、憲法八章、地方自治の項目を読んでみますと、極めて不明確、地方公共団体の組織と運営は、地方自治の本旨に基づいて法律で定める。地方自治の本旨というのは一体何だ、わけがわからない、こんなの規定がないのと一緒だ。私は、今の地方主権の時代において、これは明治維新以来の中央集権の名残だと思えるものですから、これだけでも、私は、憲法を改正すべきじゃないかというふうに考えている。
 地方主権の時代において、地方自治体の権限を明確に憲法上規定するべきだ。外国の憲法を見てみますと、結構明確に規定している。国によっては、憲法で、国に委任していないものは、それから、地方自治体に禁止していないものは、すべて地方自治体の権限だというふうに広く規定しているところもある。そういう方向でやはり考えるべきだろうというふうに思うのです。
 その場合に、市長さんの方で、特に市町村の権限としてはどういうものをイメージしているか、イメージがありましたらその意見をお聞きしたいのです。
穂坂参考人 市町村の仕事というのは本当に限定的ですね。一つは福祉、教育、環境、それから地域内の基盤整備、生活基盤整備というか都市基盤整備ともいいますが、大体その四つきりないんですね。しかも、全国をどうしてもしなければならないような、先ほど森岡委員の御質問にもお答えしましたが、そういうものを除いた中というとそうはないんですね。ですから、その中での経営をするんだったら、さっき言ったように、例えば予算の立て方はこうしなさいとか、財政の運営はこういうふうにしなくちゃいけないとか、私、議会の設置は必要だと思うんですが、何も、シティマネージャー制度だっていいと思うし、望むとあればメーヤーという制度でもいいと思うんです。
 ですから、権限は、連邦国家ですとほとんどリストアップしているような状況ですね。多分、ずうっと考えていけばその四つぐらいだと思うんです。その中で自由に市民税をお預かりして自由な運営をしていく。その中で、さっき言ったような基礎的自治体としてのどうしても大事なコミュニティーというものをつくっていく。それは、三十万だろうと百万だろうと、工夫によってはコミュニティーはつくれると思うので、そういうコミュニティーをつくっていく、連帯感をつくっていくというのが基礎的自治体の大きな責務の一つではないか、私はこんなふうに考えています。
筒井小委員 そういう権限を実際に行使するに当たって、もちろん財源が裏づけされなければいけない。地方分権一括法の一つの大きな欠陥は、財源の裏づけがないという点だろうというふうに思っています。財源の点に関しても、先ほど、財源移譲、それが透明性を持たなければいけないということを参考人、強調されました。
 財源移譲といった場合に、二つの意味があると思っているんですね。一つは税源の移譲、それからもう一つは、地方交付税のような調整交付金、調整ファンドの設立、この二つの意味があると思うのですが、まず最初の方の税源移譲。
 税源移譲としては、先ほど、余り重視していないというふうな趣旨の話があったかと思うのですが、税源移譲とは具体的にはどういうものを特に市町村の場合に考えておられるか、その点も、イメージがありましたらちょっと説明いただきたいと思うのです。
穂坂参考人 税源移譲の問題については、私は、さっきも触れましたが、決して軽視しているわけじゃなくて、権能が決まりますね、やるべき仕事、そうしたら、それを機械的に業務量で割っちゃえばそれでいいと思うんです。だから、さっき言ったように、人口が一つの大きな税源移譲の機械的な形でのファクターにはなるのではないか。業務量に応じてやる。
 それから、難しいのは、富めるところと、要するに市民税とか事業税が上がるところと上がらないところの格差ですね。それもやはり、私は、単純に、機械的に決定をしていただいて、そしてそこで配分をして、その配分に応じて市町村の形態や、やり方を考えればいい、こんなふうに思っています。
筒井小委員 今言った機械的な点は、この後お聞きしようと思っている調整交付金に関しては特にそう言えると思うのですが、税源移譲については、考えてみた場合に、今は、市町村の場合、固定資産税と住民税が一番比重が大きいと思うのですが、それが今地方に移譲されている税金といいますか、それ以外にどういう税が市町村に合うか、そのイメージが具体的にありましたらという質問でございますが、それはお任せということであればそれでも結構です。
穂坂参考人 今の地方の実感として、新しい税を考えるなんというのは無理です。今、疲弊して、大変厳しい時代に、いろいろありますが、うちの例を挙げると、新しい税を求めるというのは難しいというふうに私は見ています、規模も小さいですし。
 そういう中で考えますと、要するに、今、仕事をどこがどれだけやるというのを決める前に、例えば税源移譲をどうするかといっても、私は、元がなくてやろうといったって、国が多いのか地方が少ないのかといったって、なかなか難しい。ですから、逆に、権能とか仕事をきちっと明確にして、そこで機械的に、今地方で決められているのは、お話がありましたように、固定資産税とかそういうのがありますね。ですから、それは後からでいいのではないか、そこに付随して決めればいい、こんなふうに考えています。
筒井小委員 所得税の一部を住民税の方に移すとか、あるいは、今地方消費税がありますが、その税率をもう少しふやすとか、いろいろなことが考えられると思うのですが、そういうふうな意味で税源移譲した上で、しかし、それでも富めるところとそうじゃないところの格差が大きくなる、それで、地方交付税的なものが必要になってくると思うのです。
 今の地方交付税、ナンセンスだと言われたことに私も大賛成でして、基準財政需要額と基準財政収入額の差額を出す、こういう原則ですと、その地域が一生懸命努力して収入を上げたら、そうしたら地方交付税が減るんですね。その地域の努力を無にする制度ですよ。その地域、努力しちゃだめだという制度ですよ。ドイツでは何か憲法訴訟が起こっているみたいですが。そういう点でもだめだし、それから、機械的、自動的に決めるべきだと参考人がおっしゃる趣旨にも全く賛成で、地方交付税をふやしてくれ、これで払ってくれといって陳情しなければいかぬような、総務省の裁量権限を認めるような、こんな調整交付金制度というのは、これは全然だめだと思う。まさにナンセンスだと思うのですよ。
 そういう意味で、私も、自動的、機械的に決まる、そういう調整交付金制度を定めるべきだというふうに思っているわけですが、その具体的なイメージがもしありましたらちょっと出してほしいのです。
穂坂参考人 私の答弁はなかなか説明が悪いので申しわけないと思うのですが、私は、お互いの権能、やるべき仕事を決める、まずそれが一番最初だと思うんです。それで主権はお互いに認める。私ども、当然国の主権なんというのはすごい力であるというふうに思っていますし、必要だとも思う。ただし、地方のささやかな主権もある。そういうことで、役割をまず決める。そしてその次に、それでは今の税源のあり方が全体的にどうかと、地方と今度は国との配分の問題になってきます。その配分の大枠が決まれば、あとは機械的に、言い方は悪いんですが、業務量に応じてやればいい。業務量というのは、いろいろな経費の問題もあるでしょう。そういうことで、まさに機械的にやればいい。
 それからもう一つは、くどいようなんですが、富めるところと非常に財源が厳しいところの、シビルミニマムといいますか、どのところにきちっと置くんだというのを宣言していただく。地方は、富めるところと貧しいところは、ここまでは国がしますよ、ただしこれ以上はみんな努力でやってくれ、そういうことで、あっさりでいいというふうに私自身は考えているんです。
 お話がありましたように、今の交付税交付金の決定制度は、抜本的に、先生のおっしゃるとおり、私は変えるべきだ。あのことが地方の努力を失っている大きな原因だというふうに思っています。
筒井小委員 ありがとうございました。終わります。
西田小委員長 次に、江田康幸君。
江田(康)小委員 公明党の江田康幸でございます。きょうはいろいろな御意見を伺い、地方分権に関して、大変に参考になっております。
 幾つか質問をさせていただきたいんですが、構造改革というのが今非常に大事なときでございまして、そのキーワードはやはり地方分権、これがいくか否かだと思っております。むだを省いて効率よい行政システムを国も地方もつくり上げる必要がある。
 そういう中で、志木市長のところでは、行政改革の大胆なモデルとして地方自立計画というのを進めておられます。先ほどお時間がこの件に関してはなかったので、具体的な説明がございませんでしたので、まず、この御市で進められている地方自立計画の基本的な考え方と、具体的にどのように進められているか、また、先ほどから問題になっております地方財政、財源と、これからの税源移譲といいますか、そういうところとの関係性についてお伺いしたいと思います。
穂坂参考人 地方自立計画の基本的な考え方は、一つは、平たく言えば、市民から見た市が何か第三者機関じゃないかななんという錯覚、あるいは市長が市民よりも上位者みたいな感覚、そういうことが日々の中で感じられるんですね。それはそうではなくて、基礎的自治体というものはもっと一体感のある、極論を言えば、市民の税金で運営をしているんですから、一緒でいい、そんな感じがするんです。
 具体的に、例えば行政評価制度、これらがイギリスあたりから入ってきてうちでもやっているんですが、これ一つとっても、向こうは市役所がつくって市役所が採点して、それで市民が納得するんですね。ところが、うちでもしそれをやれば、役所が勝手につくって勝手に採点して、おかしいじゃないかという声が生まれます。それは離れているからだと思うんです。離れているのを、一体感を持ちたい、それが一つです。濃厚なコミュニティーというものをつくっていきたい。
 それからもう一つは、先ほども申し上げましたように、二十世紀のいろいろな非効率、今の国家公務員制度、地方公務員制度、それなりに培われていった行政運営体のあり方が、二十一世紀の右肩下がりになってくるとなかなか難しい。職員一人当たり、今地方の公務員、大体三億四千万かかるんですね、二十二歳から六十歳まで。それだけ大きなお金をかけて、果たして、これだけ今度は右肩下がりで少子高齢社会で、これだけある全国の自治体が全部やっていけるかということもあるんです。
 ですから、それは、大きくしようという、自治体を千にするとか五百にするとか、いいでしょう。そういう考え方もあると思うんです。と同時に、行政体そのもののやり方の経費を軽くしちゃおうというのもあると思うんです。それは、どちらを選択するかは市民が選択するものだと思うんですが、そういうローコスト、ローランニングコストの自治体でありたいということと、濃厚なコミュニティーを構築したい、その二つが基本的な考え方です。
 それから、税源移譲については、先ほどからお話がありますように、一点は、今、例えば消費税の率をもっと地方の方に移すべきだとありますね。あるいは、仕事は六対四で金が四対六だから、これを逆転してきちっとやってくれという案もあります。しかし、その以前に、もう少し役割分担の明確化をしてからそれをした方がわかりやすい。連邦国家のような粗っぽい考え方でいえば、仕事のリストアップ、これもあってもいいでしょう。そういうふうなことを基本にして税源移譲はするべきです。
 それから、何回も言っているように、富めるところと貧しいところの、人間としての最低のシビルミニマムをどこに置くか、これは国の方で決めていただければそれでいい。それは国が主体的にきちっと決めてもらえばそれでいいと思うんですね。それが国の仕事ではないかとも思っています。
江田(康)小委員 わかりました。
 もう一つ、時間がないので、市町村合併のことについてお聞きいたしますが、先ほども、合併は市民が決めるものだということで、市民の意思と市民の参加で、合併するにしろ、しないにしろ、決めていけばいいと。一応合併する方向で四市進められていると思うんですけれども。
 この住民への情報提供とか、議論の場づくりとか、そういうものがあってこそ、住民が、また市民が合併について判断ができるわけでございますので、首長が決めている部分とか議会で論議されているところ、そして、最終的には市民が決めるところ、こういうようなさまざまな議論の進め方がございますけれども、そういう点で、情報提示とか議論の場とか、今具体的に、強気の発言をされておりますので、進められているところを聞きたいと思うんです。
穂坂参考人 小規模自治体のは、今流されている一つのうわさみたいなもので言ったので、申しわけないとは思うのですが、要するに強制合併みたいなもの、それは私は反対です。しかし、普通の場合の合併の、例えば五十分の一の署名があれば法定の合併協議会をつくる、このことはいいと思います。それから、住民投票をつくったら、例えば一年以内とか、そういうものをやるというのもいいと思います。
 要するに、メリット、デメリット、これから私ども市民に説明するのですが、反対、嫌だなという市民から見れば、メリットはみんなデメリットになってしまうんですね。学者さんもそうです。それから、デメリットも、いや、こうすればちっともデメリットにならない、コミュニティーの規模の使い方の問題もあります。ですから、それは裏表どっちでもとれるんですね。
 しかし、やはり将来を見越して合併した方がいいなという、私は、これがいいとか、これがこうとかじゃなくて、そういう市民の感性でいいのではないかというふうに思っています。
江田(康)小委員 最後の質問でございますが、先ほどから税源移譲の話があっておりますけれども、今までの憲法調査会にも参考人として呼びました片山県知事とかほかの参考人の方々は、税源移譲が重要な残った課題であると申されますが、この税源移譲に関して、地方においては、本当に市民に必要な政策をやるためには、必要な政策が何で、必要でないむだなところが何か、それを決めたら、地方の方は地方税を上げてもそういうものをやるべきだ、そういうような地方独自の主体性を強調しておられました。
 こういう財源の問題に関して、市長が思われる最適なあり方についてもう一度お伺いしたいんですが、地方交付税との関係も含めて、簡単に。
穂坂参考人 私は県会議員長かったんですが、都道府県の立場あるいは都道府県のやるべき仕事と、基礎的自治体のやるべき役割とか仕事というのは明らかに違うわけです。地方自治体と国ほどの違いはありませんが、かなり違うという私の実感です。直接的に都道府県がやる仕事というのはさほどありません。さほどありませんというか、市町村から見れば全く異質なものというふうに考えています。
 ですから、私どもの基礎的自治体の立場からいえば、さっき言ったように、仕事をする範囲が全く、ほかとの調整なんかは余りないですから、要するに福祉とか環境とか教育とかそういうことですから、特に教育なんというのは、ある意味では国で負担をしていただくことは、これはどこでも教育の機会均等は必要ですから、そういうことを除いていく。教育は、この部分は国、この部分は現場、やっていくと、そうないんですね。ですから、多分、財源移譲についてそんなにぎいぎいという切迫感がないのかもしれません。これが一点です。
 それからもう一点は、やはり、くどいようですが、役割をきちっとした上で配分をしてもらう、私はそれでいいと思っています。
江田(康)小委員 ありがとうございました。
西田小委員長 武山百合子君。
武山小委員 自由党の武山百合子です。
 きょうは、地方主権という意味で先駆的なことをいろいろとやっているお話を伺いまして、ぜひ県とも国とも闘って、たくさん地方主権をかち取っていただきたいと思います。
 それで、先ほどお話を聞いていた中で、基礎的自治体の状況という中で、完璧を求める国の体質と形骸化ということですけれども、今どのような形骸化状況がありますでしょうか。ぜひ詳しくお話ししていただきたいと思います。
穂坂参考人 結局、決めれば決めるほど形骸化をする、あるいは建前と本音が分かれてしまう、そういう点がたくさんあります。
 例えば福祉の問題があります。福祉はいろいろ、特別老人ホームはこうつくりなさい、ケアハウスはこうつくりなさい、グループホームの施設はこうつくりなさい、国は細かく決めてあります。今度はだんだん下がってきますと、財源に限度がありますから、どこにでもばかばかつくるというわけにいかない、お金がないので。
 埼玉の場合だと、例えば私は志木というところですが、川越というのは電車で十分ぐらいかかるんです。そういう広いエリアの中で充足率がどうかというので設置数を決めてくる。お金で決めざるを得ないです。どんどんやったら、今度はお金が足りなくなっちゃいますから。
 ですから、建前はいいんですが、実態になってくると、お年寄りが志木市のグループホームに入っていて、今度は例えば特別養護老人ホームに入ると、十分も十五分も電車で行くような、車じゃ三十分も四十分も離れたようなところへ移っていかなければならない。あるいは、間に合っているような感じはするんだけれども、結果的にはさっき言ったように予算で、私ども病院もやっているんですが、医療の規制のベッド数は構わないんですが、福祉なんかの場合にもそういうことで規制がありますから、結局遠くに行かざるを得ない、そういうものが出てきちゃう。
 それから、結局は入れない。例えばショートステイなんかも、今もう十二月までほとんどいっぱいです、みんな入るので。在宅福祉の主役はショートステイだと私は思っているんです。しかし、それがもういっぱいでだめ。
 要するに、実態と机の上で考えたことと離れてきてしまうということがあちこち、教育にも、福祉にも、自治にも出てきている。ですから、もっと、そうじゃなくて、現場サイドで、認められるものはどんどん認めてあげる、そういうのがいいのではないかということで申し上げました。
武山小委員 今のお話の中身をもう少し突っ込んでお聞きしたいんですけれども、そういう場合、実態を無視するんですか。そして、国が地域の自主性を押さえつけるということに解釈できるんでしょうか。
穂坂参考人 無視するというよりは、市民の皆さんに我慢をしてもらう、そういう結果になります。
 例えば、介護保険も始まったばかりなんですが、志木市なんかでも約二億幾ら余ったと基金に繰り入れているわけですね。それは実態的に考えれば、市民が使うだけの施設がないものだから、我慢しちゃうから、結果論として余っちゃう、そんなように私は受けとめています。職員ともいろいろ話したら、市長、これは施設がないから、我慢してもらっちゃうから基金として残っちゃうんだ、そういうふうに感じざるを得ない、こんなふうに思っています。
武山小委員 もう少し突っ込んで聞きます。
 そうしますと、国の方はそういうとき、どういう態度をとるんでしょうか。それから県の態度ですね。
穂坂参考人 やはり、小規模自治体、市町村と国の距離というのは猛烈にあるんですね。物すごいあると思います。県の方も、ある意味では市町村が主体的にそういうものをつくりなさいという格好になっちゃいますから、ただし、つくりなさいというのと、生活圏域の中につくってもいいということとは別なんですね。ですから、そこのところは何か、私たちからは、何となくどこに責任があるんだかわからないように、うまい仕組みになっている。我慢するのは、市民。その一番もろに受けるのは、基礎的自治体、市町村。これは一緒になっちゃっていますから、結局窓口の職員の方がかわいそうだな、そういう感じがします。
武山小委員 どうもありがとうございます。
 それでは、もう少し細かいことをお聞きしたいと思います。
 教育の分野で、二十五人程度の学級を導入しているということですけれども、これは一クラス四十人から二十五人にしたということで、全国で初めて導入したということですけれども、この先生の人件費はどういうふうにして賄っておるんでしょうか。自主財源でしょうか、それとも、県が教育の場合は先生を採用いたしますね、形式的には。その財源というのはどこから出ておるんでしょうか。
穂坂参考人 財源は志木市の単独費です。
 ただ、私は県の方に、うちのところは全国知事会の会長をやっている土屋知事なんですが、私は土屋知事の決断をすごく、全国で初めてです、一市町村の申し出を上級官庁が尊重したのは。志木は二十五人学級、あるいは教科別少人数学級というところもありました。一括して、いい、あの方はそういう裁断、形の上じゃ教育委員会ですが、土屋知事の決断でしょう。それは評価しています。
 ただし、お金は出せないよと。それは県も苦しいのは私もよく知っていますから、それは私どもの自主財源でやっていこうと。そのかわりに、例えば私の公用車なんかはやめました。議長さんも、運転手委託等々はみんなやめちゃって、臨時の職員でやってもらう。もう三千万円ぐらいは、全部で二千五、六百万は浮いたと思います。そういうものを投入してやっていく。財源は工夫するよりしようがないと思うんです。別に黒塗りの車に乗らなくたって、そんな、高速道路を毎日ぶっ飛ばすような仕事じゃありませんので、それはそれでいいのかなと思っています。
武山小委員 ホームスタディー制度の導入、リカレントスクール制度の導入と、教育の分野でいろいろと新しい試みを行っている状況をこの資料で目にしましたけれども、この人件費もみんな自主財源でやっておるんでしょうか。
穂坂参考人 ホームスタディーとリカレント教育は、ほとんどがボランティアです。
 ホームスタディー制度というのは、心に傷を持ったり、それから登校拒否の方々を、ヨーロッパやアメリカの概念でいうホームスクールという概念で取り入れたわけです。すごいと思ったのは、例えば九州からですとか、自費でわざわざ飛行機賃を払って志木市まで来ていただける。それで、相談会にボランティアとして参加をしてくれる、子供たちを引き受けてくれる。大体九十人ぐらいの方が全国からボランティアとしてホームスタディー制度には参加をしてくれました。一日四百円ぐらいです。何で四百円か、ちょっと低過ぎるんですが、駅からこっちまで来るバス代という考え方。
 それから、リカレント教育も、全部ボランティアです。
武山小委員 時間です。ありがとうございます。
西田小委員長 春名直章君。
春名小委員 日本共産党の春名直章でございます。きょうは大変貴重なお話をありがとうございました。
 地方自治小委員会に来ていただいている参考人の皆さんに必ず私お聞きしていることがありますので、同様に聞かせていただきますが、先ほど少しお話出ましたが、日本国憲法の第八章に九十二条から地方自治というのが、これは大日本帝国憲法にはないものでして、初めて日本国憲法になってできたものです。世界では当時非常に先駆的なもので、そういう条項はなかったんですね、憲法には。そういう点から、第八章の地方自治の章について、日常の市政運営の中でどのように受けとめておられるのか。先ほど来も議論になりましたが、特に地方自治の本旨、それをどう市政運営に生かすといいますか認識されて生かしているのか、そのあたりをまずお聞かせください。
穂坂参考人 九十二条、九十三条、九十四条、私はもうそのとおりで、とても大事にすべきことだというふうに思っています。ただし、法律で丸投げですから、本旨や地方自治という、概念ですから、非常にそういう意味では難しい、そんな印象を持っています。
春名小委員 先ほどの武山議員のお話の続きなんですが、二十五人学級とホームスタディー制度なんですが、これは憲法二十六条に規定する教育を受ける権利を地方で具現化する注目すべき施策だと私は思っております。この制度をそもそも導入しようと思った動機、それから努力した点とか住民の皆さんの反応とか、そのあたりをお聞かせいただけませんか。
穂坂参考人 一つは、見て見ないふりをしないようにしようということです。それから、スポイルされる、先生から見ると視界に入らない部分が出ちゃうというんですね、子供たちが、四十人の場合に。七、八人が視界から外れるということは、先生は外れていいんですが、子供たちから見ると、その瞬間スポイルされる、そういう寂しさがあると思うんです。そういうことで、普通の感覚で、どこの先進国、普通で言えばその程度の人数ですよね。ですから、余り気負ったとかそういうのではなくて、少人数、私は県会議員のときからそういう主張を言っていましたので、そのままでいいだろう。
 それから、ホームスタディーというのは、日本の場合にはやはりこれもきっちり決めてありますから、施設主義というのが非常に強いんですね。例えば学校以外で、家庭でやるなんというと学校否定論につながってしまうという逆さまの心配論が出てくる。そんなことはないと思うんです。私は学校否定論者じゃないんです。簡単に言えば、二十五人学級は元気な子供たちを対象、それからホームスタディーというのは心に傷があるとかお体が不自由な方とかそういう方が、地方の行政からすれば同時にやらなくては不公平だという感じを持っていましたから、両方を、ちょっと時期はずれましたけれども、ほとんど年度内で始めました。市民も非常にいろいろな批評がありますが、今順調におかげさまで進んでいます。
春名小委員 私は非常にこれは注目していますし、全国に広がればいいなと思うような制度だということは申し上げておきたいと思います。
 それから、地方自立計画についてなんですが、私も、地方が国から自立することは当然の方向だと思いまして、一般論では大賛成なんですが、参考人のおっしゃる地方自立計画の素案とかそれからその後の案とか読ませていただいたんですが、行政サービスは公務員だけが行うという神話から脱却し、有償のボランティアとして市民に行政に携わってもらおうということが大きな柱になっているということだと思いますが、このアイデアには今いろいろな意見があるんじゃないかと思うんです。市民の説明会もされているということですが、どのような受けとめや反応なんでしょうか。
穂坂参考人 一つは、地方のこれからの長いサイクルの財源計画をもっと理解してもらわないと難しいというのが一点、それからもう一点はプライバシー、守秘義務の問題、こういうことがいろいろ質問等々であります。ただ、おおむね、今これだけ失業率なんかも高くなってきていますから、市が中心になって真っ正面から、ある意味でワークシェアということもあるものですから、そういうものについては理解をほとんどの方々にいただいているというふうに考えています。
 ただ、例えばNPOなんかも、わかっている市民と、NPOというのは何か、外国のことは全然わからないという人もいますから、やはりそういう点はもっと親切丁寧に、まだ続いておりますので、これからそういうことに留意をしないといけないな、こんな思いがします。
春名小委員 この文書の「計画の理念と目的」の中で、「憲法が保障する地方自治の本旨である真の住民自治を実現する」ということのためにこれを実施しているというふうに書いてありまして、非常に大事なことだと思うんです。ただ、少し議論になったらあれなんですけれども、住民自治というのは、住民の要求や願いを行政や施策にしっかり反映するというのが一番根本だと思うんですよ。
 私の認識違いであればいいんですけれども、市民を行政そのものに組み込んで仕事をしてもらって、そのことでコストを削減するというようなニュアンスに聞こえるわけなんですね。
 行政は行政として公共の仕事、教育や福祉について、先ほど四つぐらいしかないとおっしゃったんですけれども、責任をきちっと果たすということが問われるわけですね。それを、コストを縮減する方法として、ボランティアの方に有償でやっていただくというふうな、仕事の分け与えみたいなことに、受け皿みたいになっちゃうといいますか、下請といいますか、そういうニュアンスでもこれを読む限りとれるんですけれども、その住民自治との関係、そういうふうに考えられてやられているのか、どういうことなんでしょうか、これは。
穂坂参考人 全くそういうふうには考えておりません。要するに、市民が自分たちの地域を守っていく、つくっていく。まさに単純です。
 住民自治、私たちがやらなければならない行政サービスがあります。それはこれ以上もうバックできないんですね。例えば行政サービスをこれから半分にするということは、私はなかなか市長としてできない。そうすると、限られた財源の中でどうするか。あれもだめ、これもだめ、これも切り捨てでは、その中からコミュニティーというのは生まれないんですね。
 ですから、お金があればそういう必要はないと私は思うんですが、こういう右肩下がりの時代ではもっとオープンにして、そして、こういう状況ですよ、だからこういうふうにお互いにつくり上げましょうよというふうにしなければ、さっき言ったように私は実務家だと考えていますから、政治闘争して、何か国が悪いんだとか県が悪いとか、そういうことよりむしろ、こういう厳しい状況だからみんなでやりましょうよ、みんなが、若い人だって、腰かけだって、一年だって市役所の仕事に入るというのもいいじゃないですかというふうにも言っています。
 それからもう一つ、後でちょっと目を通していただければと思うんですが、そこで、安い労働力の対価というふうに考えたくないので、パートナーシップ契約を市と結ぼう、提案権を全部持ってもらおうと。業務そのものを、こんなものは要らないからやめちゃったっていいんじゃないかというのもあるでしょう、これは私たちの貴重な税金なんだから、抜本的にこういうふうに変えた方がいいんじゃないかという意見も出る、そんなのを期待もしているんです。
 昔、例えば民間のお勤めの方を市役所へ、民間の手法をまねしようなんて入れたことがあります。それは、百人に一人入れたって無理ですよ。ですから、ある意味では、私は市民の視点の方も、職員も信じていますけれども、今までいろいろな経験をされてきた方のサービスのやり方は、私は大事にすべきだろうというふうに思っています。
春名小委員 新しい試みでもありますので、ぜひ市民の皆さんの声をよく聞いていただきながら進めていただけたらと思います。
 最後になりますが、皆さんから質問も出ましたが、今、合併問題で、私は今の市長さんのお話を聞いていまして、こういう意見があるんですよ。合併しないと分権の受け皿にならない、権限の受け皿にならない、今の市町村の能力では無理だというのが一つの大きなイデオロギー、考え方になっているんですね。
 私はそうじゃないと。さっき手順が違うとおっしゃったんですけれども、私はそういう意味を言われたのかなと思うんですが、権限や財源を移譲することが先にあるんであって、それは自治体がそれぞれ努力をすればいいことなのであって、合併しないとその権限や財源を移譲しても無理だというふうな発想でやられることは、これはおかしいんじゃないかというふうに私は思っていまして、そういう点で、今進められている合併問題について、どういうお考えで進められているか、一言お願いしたいと思います。
穂坂参考人 やはり現状認識も必要ですから、そういう意味からすれば、ある種の見方からすれば、今の分権の受け皿になるというのも一つの理屈にはなり得ると私は思っています。しかし、今度は逆さまから見れば、今の御意見のように、全然違うじゃないかという意見もあります。
 私は、この間もうちの方で合併についてやったんですが、賛成の学者さん、反対の学者さん、中立の学者さん、そういう方々に、市民も一緒に入ってもらって、それで公開討論会をやりました。非常に活発な意見が出て、それぞれが、合併についてどうなのかなと一人一人が考えていただいて、少しずつ来ている、わずかですが。もっとこれを今後拡大して、みんなが考える合併にしたいと思っています。
春名小委員 どうもありがとうございました。
西田小委員長 次に、金子哲夫君。
金子(哲)小委員 社会民主党・市民連合の金子でございます。貴重な御意見をありがとうございました。
 ダブらない点から先にお伺いしたいと思います。きょう、一つの例として教育委員会制度のことをお話しになりましたけれども、教育の中立性が、今のような首長の皆さんが指名をされて議会がということで、本当に機能するだろうかというお話がちょっと出てまいりました。例えば、教育委員会制度をより中立性を保つために準公選制のようなものをやったらどうかという意見が一部にあるわけですけれども、その点についてお考えがありましたらお聞かせいただきたいと思います。
穂坂参考人 基本的にあいまいというのは余りよくないと思うんですね。これはどのことでもそうだと思うんです。決めるべきところは決める、それから自由にするところは自由にするというふうに、私ははっきりした方がいいと思っているのです。そうじゃないと、いろいろな意味で危険性がつきまとってしまうというふうな、全体的にはそんな感じなんです。
 今、教育委員会制度の話がありましたが、準公選制は、昔の中野区なんかでいっぱいありましたが、現況のままで、市長がそういう権限の中でやるんだったら、私は意味がないと思いますね。結局、今の法律は、予算の編成権は全部市長にある。施設も、市がつくって教育委員会に渡すという制度なんですね。やるんだったらその辺も、私は、いい悪い別で、あいまいじゃなくてきちっとやってから公選ということも、そういうことの上では理屈として成り立つ。しかし、今のままで置いておいて公選なんといったら、かえって混乱を呼ぶのではないか、そんなように思っています。
金子(哲)小委員 それではもう一つ、お話の中で、今、合併を含めて一万人以下の単位の基礎自治体に対して、権限といいますか、機能を一定に制限をするようなことが一部でも論議をされているようですけれども、手順の問題は別にして、そもそもそういうこと自身が地方自治のあり方からいって問題があるのではないか。
 特に、今市長おっしゃっていましたけれども、コミュニティーのより発展ですね。住民との関係からいえば、私自身は、合併によって大きなものをつくればいいという発想はどうかということを実は思っておりまして、そういうことからいいましても、最初に資料をいただいた中で、例えばヨーロッパではもっと自治体数が多いという話がありましたけれども、よりコミュニティーを高めていくという側面からいうと、ある意味では一万人以下のような自治体の方が機能的にはより果たすのではないかというようなことを思うんですね。
 そのこととあわせて、規模によって権能を変えていくというようなことは本来あってはならないというふうに思うんですけれども、その点について、もし御意見があれば。
穂坂参考人 そのことがやはり基礎的自治体は何をすべきか、国は何をすべきかということで、きちんと私は決めるべきだと思っている。あいまいだから何かおかしくなっちゃう。ただ、コミュニティーのつくり方も、私は私の意見がありますし、いや百万人の自治体だってコミュニティーというのは当然できる、こういう論理はありますね。例えば、地域単位、学校単位で新しいコミュニティーを創造していく、そういう手法もあるというふうに思っています。
 ですから、私、一番大事なのは、今度言いたかったのは、住民みずからが決める、そういう決めるという環境をできれば国がつくってからそういうものに持っていった方が、より地方の意思、住民の意思というのは生かされるのではないか、そういう手順の方がすてきじゃないかという意味で申し上げたわけです。
金子(哲)小委員 その点については私もそのとおりで、今進んでいる合併の論議そのものがどうも上から、私は広島におりますけれども、県の方がいろいろパターンを示して、それに基づいて合併論議をするというような進み方ですから、今参考人がおっしゃったように、むしろ下から、新しいコミュニティーとか自治体どうあるべきかという討論とは少しかけ離れながら、しかも何か合併特例債の問題など財政的なものもぶら下げながらやっているというのは、ちょっと本来の姿と違うように思うんです。
 それで、もう一つお伺いしたいんですけれども、今参考人は、合併の問題について住民投票を当たり前のように御意見をお伺いしたんですけれども、残念ながら、今進んでいる中では、むしろまだ条例をつくるところの署名から始めなきゃ当たり前のこともできないという状況があると思うんです。本来、私は、合併とか町にかかわる重要な問題、そういったものは住民投票である程度はやっていいのではないか、やるべきだというふうに考えておりますけれども、その辺は、合併問題などを含めて参考人のお考えをお伺いしたいと思います。
穂坂参考人 私は別に土屋知事の子分でも何でもありませんが、埼玉県は全くそういうことはありませんね。自由にやった方がいい、地方が決めるべきだ、知事もはっきり言っています。だから、そういう強制とか何とかというのは全く感じていません。
 四市の場合は、まさに青年会議所の皆さんが、一生懸命署名活動をやって、五十分の一集めて法定協議をつくった。それから、四市の市長も、住民投票が大事だからやっていこう。そういうことですから、私どもの場合には感じていませんが、今先生おっしゃるように、合併ぐらい、例えばいつもこんなふうに市民の皆さんに言うんです。四つのうちをぶち壊してでかいうちを一つつくるか、今までのちっちゃいうちがいいか、そのことを決めるんだから、それは住む人が決めるんで、市長や何かが決める問題じゃないとまで逆に言い切っているんです。
 ですから私は、いろいろな種類で住民投票が行われていますが、合併というのは最も住民投票が必要なものだと思っています。
金子(哲)小委員 それから、合併の問題でもそうです。プラスマイナスあるわけですけれども、やはり情報の公開ということが非常に重要で、私は、先ほどの公務員の守秘義務の話と関連すると思うんですけれども、まさにそのとおりで、市民のプライバシーは保護されなければいけないのは当然だと思いますが、それ以外の情報は基本的には公開をされていくというのが当たり前ですし、また、そのことによって初めて住民とのコミュニティーがより高まっていくというふうに思うんです。
 その点で、今の自治体における情報公開の状況を、参考人の市は別にしましても、現状、県議会にもいらっしゃったということもありますので、どのようにお考えでしょうか。そしてまた、何か国との関係などにおいてそれを阻害する要因が現在あるとお考えでしょうか。その点についてお伺いしたいと思います。
穂坂参考人 情報公開で国が制限するとか国の関与とかというのは、私は県議会のときも今も全く感じていません。
 さっきも言ったように、国は国としての情報公開の、してもいい部分としない部分とが、私は一市民としては、当然あるべき部分もある。あるべき部分もあるというのは言葉が変なんですが、要するに国益なんかの問題もあるでしょう。しかし、地方は本当にないんですよ。市民のプライバシーさえ除けば、あとは全部裸でいい、そう思っています。ほかの市も、手法に多少の戸惑いがあるというだけで、基本的には、隠しているんじゃなくて、手法にまだ理解が、なかなか全体で、職員とのコンセンサスや、首長が全体像をつかむのが若干苦手なところがおくれているのかな。本質的には、地方はないというふうに思っています。
金子(哲)小委員 どうもありがとうございました。
西田小委員長 次に、井上喜一君。
井上(喜)小委員 参考人がいろいろな地方自治につきましての経験をされた方と伺っておるんですけれども、私は、地方行政という中で、明治以降今日に至るまで、県の役割といいますか、これ抜きにしては地方行政というのは語れないと思うんですね。
 今、国があり、県があり、市町村がある、原則はこれですね。あと、若干の特例はあります。そうなっておりますが、私は、自治体の本当に自治能力を高めていく、そのためには、都道府県制を廃止する必要があるんじゃないか。つまり、自治体が国と向かい合うことによって、初めて本当の自治ができるんじゃないかと思うんです。
 といいますのは、今、都道府県が持っております権限とか予算、これが自治体に移るわけですからね。あるいは国が持っているもっとほかのものを移してもいいと思うのでありますけれども、そうすることによって本当に自前の自治体が出てくると思うんですよ。
 もちろん、警察とか教育関係、多少の特例を考える必要はあります。それはありますけれども、原則的に都道府県をなくしていくという方向を今や考えるべきときに来たのではないかと私は思うんですが、いかがですか。
穂坂参考人 今、道州制等々の問題も議論には少しずつなりつつあると思うんですが、ただ、今の国があって基礎的自治体があるという仕組みでしたら、やはり真ん中に、私は実感として、調整能力あるいは調整機能を持つようなものがないとうまくいかないんではないかなという、直観としてそんな感じがします。
井上(喜)小委員 もとより、確かにいろいろな調整機能を果たしているんですが、県が介在することによりまして、ある場合には抑えつけるあるいはゆがめるとか、ある場合には都道府県が非常に自治体の力を引き出していくというようなこともできるわけです。確かに、そういう多様な機能は持っていると思うんだけれども、私は、基礎的自治体の方で、今都道府県が持っております権限とか財源を受けて、市民に対する行政を行うようになる程度の規模にしておく必要があると思うのですね。
 私は、明治の時代に初めにできました市町村制というのは非常によく考えられた市町村制だったと思うのですね。ところが、道路が発達してくる、整備されてくる、モータリゼーションが非常に進む、あるいは通信手段が非常に発達するとか、あるいは雇用条件なんか、かつては農業が中心でありましたが、今やいろいろなところへ働きに出るというようなこと、また行政の効率化なんというようなことを考えますと、当然のこととして、今の市町村そのものの規模を含めたありようを再検討していかなきゃいけないと思うのですね。そんなことが自治体から出てきても私は当然だと思うんだけれども、なかなかそこまでいっていない。
 そういう中で、今町村合併が言われているんですけれども、国も、都道府県も、これは皆さん方の意向で決めるんですよということなんですよ。ところが、市町村長になりますと、町村合併を市民に問いかける場合は、私はこう思いますよ、合併のタイプとしてはこういう合併もあるし、こことの合併もありますというようなことを具体的に言わないといかぬと思うのですね。それは市民が決めるんですよと、確かに市民の意見は必要なんでありますが、どうもそれは逃げているんじゃないかと私は思うんです。やはり市長が、あるいは町長が、村長が意見を言う。しかし、最終的に決めるのは市民です、それはよくわかります。そういうことをやるべきじゃないか。
 私自身は都道府県制廃止論者なんですが、そういうことを前提にすれば、もっともっと積極的にこれらの問題に取り組むべきではないかと私は思うんです。いかがですか。
穂坂参考人 事実、いろいろ都道府県の機能をこれからもう少し明確にすべきだという感じはします。ただ、私どもの場合に、県からプレッシャーを感じるとか、県が横暴だとか、私は経歴が県議会出身というのもあるんでしょう、余りそういうのは感じないですね。
 むしろ、私は、都道府県があった方がいい、そういう論者なんですが、ただ権能をもう少し明確にしないと、ケース・バイ・ケースの中で、さっき言ったような、ゆがめる、例えば、国は市町村がやってもいいですよと言いながら、県が真ん中に入っちゃって、それじゃ国じゃなければだめだということになる。行ったり来たりという状況は、幾つか欠点として出ているということは否めないと思います。
井上(喜)小委員 自立計画をつくられているということでありますけれども、ワークシェアリングの話が出てくるんですけれども、具体的にどういう分野を市民と共同であるいは市民に任せるということになっているんですか。
穂坂参考人 例えば、公権力が伴うものがありますね。あるいは市民のプライバシーの根幹、例えば戸籍もそうでしょう、それから犯罪等々の部分もあります。そういうものはやはり専門の官、要するに現在の公務員がやるべきだろうというふうに思っています。それ以外、そういう除くものを先に考えれば、かなりの部分が外に出せる。要するに、市民と一緒にできる、こんなふうに思っています。ですから、将来構想としては、うちの六万六千で、病院を除けば、三十人から五十人専門官がいればそういうものはがっちりきちっとやる。ほかは市民の皆さんと一緒になってやってもらう、そういうことでいいのかなと思っています。
井上(喜)小委員 それはまだ検討段階なんですか、既にもう実施をされているんですか。もし実施をされているとすれば、どういう行政分野でされているんですか。
穂坂参考人 うちは十五年度から導入するということにしています。今市民説明会を地域的にずっとやっているところなんですが、基礎的自治体の中では、例えば、市役所の受付業務はボランティアが、うちは行政パートナーという呼び方をしていますが、それらを委託でやってもらうとか、それから広報はそういうところに委託をしちゃうとか、結構、局部的にはもうやっている部分がある。ただ、うちの場合には真っ正面から形を変えていこう。
 それからもう一つは、私なんかは、地方で、今この不景気ですとワークシェアリングというものを、専門官の仕事を一人ががばっとじゃなくて、生涯賃金が三億とか三億五千万とかというものを市民に分けて、実体的に元気の出る、しかも元気が出ると同時に、市民が、私たちがこれをつくっているんだ。それは当たり前で、税金で運営されているんですから。そういう実感をこの自立計画によって持ってもらいたい。ワークシェアリングもそうであります。
 もちろん、エコマネーもそれに導入する予定で、今プロジェクトチームでそれも検討し、来年の六月から、第一期は始めたいと思うんですが、そんな形で進んでいます。
井上(喜)小委員 現下の雇用情勢にかんがみ、大変示唆に富むお話だったと思うのですが、大体何人ぐらいの市役所職員の削減、金額としてはどれぐらいの削減効果が出てくるのですか。
穂坂参考人 今の試算ですと、二十年間、要するに公務員の場合には残念ながら終身雇用制が決まっておりますので、もちろん特区構想では、公務員の週休二日制でありますとか兼業禁止を特例措置でやってくれと言っているんですが、多分難しいでしょう。それを考えると、段階的に自然退職と定年退職をそこにどんどん入れていくという格好になります。それから委託事業、それを市民の行政パートナーにやってもらうという格好になると思います。もちろんNPO化も当然推進していかなくてはならない、そういう状況下にあります。
 そういうやり方でも、二十年で大体六十七億円ぐらい削減効果があるのかなと。もちろん市民にも、全部じゃありませんが還元をするということになっていますから、こういうことが数字としては出ています。
 それから、今手元に細かい資料がありませんが、二十年たつと職員の数と行政パートナーの数が逆転するというふうになっています。大体、三百五十人から四百人ぐらい、三百だと思います。
井上(喜)小委員 ありがとうございました。
西田小委員長 次に、平井卓也君。
平井小委員 きょう参考人のお話を聞いておりまして、非常におもしろいなというふうに思いました。
 参考人の経歴を拝見させていただきますと、県の職員、市議会、県議会、そして今、市長ということでありますが、ちょうど僕が二年前に、まさに不均衡を容認していきましょうという論文を自分で書きました。そのときの考え方と大変、同じようなところもあるし、部分的には違うところもあるのです。
 参考人の経歴を拝見させていただいて、今の思いに至った、今の市長としての仕事に至ったということをちょっと想像しますと、県議会であるとか市議会に限界を感じたのではないか。要するに、足りない部分があったのではないかというか、それを補完するものを何かつくりたかったのか、そんなふうにもちょっと想像してしまうわけですが、市民委員会というのは、これはいわば第二の市役所というような位置づけになっております。第二の市議会とも言えるわけです。そうなると、そのあたりの役割分担といいますか、市議会の機能とどのようにうまくコーディネートしていくのかなということについてちょっとお聞きしたいのです。
穂坂参考人 私は、県議会等々で限界を感じて市長に転身したということはありません。たまたま前の市長が勇退をしてということで、あいたという感じで、無投票でもありました。ですから、限界を感じてというよりも、むしろそういう機会があったのでということです。
 今何か、市長になると仕事をしなくちゃいけない、八時半から五時まで拘束されて仕事をしなくちゃいけないという感覚です。ですから、普通の会社のマネジャー、部長とか、中小企業の社長とか、そんなふうな感じです。これが一点です。
 それから、市民委員会の場合に、議会の皆さんもこれは賛成いただいて議決をしてつくったのですが、要するに、市民が市の主人公、市をつくっていくんだというのを条例化したのが、志木市市政運営基本条例というのがその前段であるのですが、それに基づいて市民委員会、第二の市役所をつくりました。もちろん、市議会ともいろいろな話になったのですが、厳しい意見もいただきますが、そんなに市議会としょっちゅうけんかなんかしているということはありません、非常に理解があって。
 ただ、こんなことは、議場ではありませんでしたけれども、例えば、私たちもやる、市民委員会もいいじゃないか、やろうよ、議会がノーと言うことだってあると思うのですね。それだけ議会というのは、小なりといえ、すごい権能を持っている。その議会としての権能は全然侵してないので、みんながいいと言っても、ノーと言えばいいので、例えば公共事業の市民選択権保有条例というのもつくってあるのです。うちが企画したもの一億円以上は市民の民意審査会にかける。でも、うちの議会は、一億円以上と言わないで、もうちょっと低いところまで民意審査会にかけた方がいいじゃないか、そういう意見さえいただきました。
 ですから、多分、うちの議会の見識は、市長がいいと言って、市民がいいと言ったって、おれたちがだめなものはだめ、そういうふうにはっきり権能を意識していただいていると思っています。
 ただ、ウオッチャー制度なんかつくりましたら、施行の期日がだめだといって、これを直せなんというのはあります。それは議会の意思ですから直す。修正も何度かいただいた。そういうふうな感じで進んでいます。
平井小委員 想像はできるのですけれども、実態として、市議会議員の皆さんも選挙で勝ってきているわけですし、二百五十二名ということですけれども、性別も職業も選ばれるエリアもみんな違うと思うのですけれども、そこでちゃんとした、市民全体の総意を代表できる市民委員会を構成するというのはなかなか難しいと思うのですが、そのあたりに独特の工夫か何か、あるわけでしょうか。
穂坂参考人 今までの最大の仕事が、志木市は事業として九百二十七事業をやっているのですが、それを全部、うちの職員も、若手職員を糾合して、九百二十七事業の検証をする。議会も特別委員会をつくっていただいて検証する。一部、三重県でおやりになりましたが、市議会レベルでは初めてでしたが、九百二十七事業を市議会でもやってもらう。それから市民委員会でもやってもらう。それに補完する形でアンケート調査も一部やりました。
 それは、ばらばらの意見です。だけれども、それは市長が説明責任をきっちり果たす。結局、市民委員会がこうだと言っても、全部オーケーじゃありませんので、だめだというときも判断上ではたくさんありますので、そのときには説明責任はきっちり果たそうという形で、その九百二十七事業を全部やったのですが、すごい削減にもなりましたし、お互いの権能がお互い理解できた、そんな過程もありました。
平井小委員 日本の国民というのは、何となく包括的な業務を前提とした地方自治というものになれていますから、自治体のあり方をみずから選択する主体的な意識というのはなかなか持っていないと思うのです。
 今、参考人の話をずっと聞いておりますと、みずからの責任においてみずからが決定するという大きな意識改革が大前提になっていると思います。これは市民もそうですし、恐らく市の職員もそうだと思うのですが、短時間にそこまでの意識改革というものができるのかどうなのか、またそのことについてどのような努力をなさっているのか、お聞かせ願えればと思います。
穂坂参考人 志木市はそういう意味では非常に恵まれているところだと思っています。六万六千人なんですが、ずっと前からお住まいの方と、志木ニュータウンという、本当に三千三百戸がばかっとできるようなものが混在しています。非常に市民参加が今まで高かったと自負しています。
 それから、いろいろ国の関係の方々、あるいは一部上場会社等々に関係のあった方々、マスコミの方々、たくさん、人的資源には非常に恵まれている、そういう背景があるということも一つ理由です。
 それからもう一つは、やはり常に出ていって、言葉で言って、日々努力をする。市長なんというのは決して上位者でもなければ何でもない、それを何回も言う。
 それから、私も就任以来、各自治会、うちは町内会というんですが、そういう地域ごとの何十カ所で市民との対話をする、そういうことで意識改革を日々していく、そういう努力はしています。
平井小委員 これから取り組まれると思うんですが、私もちょっとお手伝いをさせていただいておりますので、電子自治体のことについてお話を聞きたいんです。
 参議院の方でも一括法案が通りました。これで衆議院で通過すると成立するということですが、地方分権ということをとことん考えれば、我々のところは電子化は必要ないやと思えば、やらなきゃやらないでもいいわけで、それぞれの地方自治体が独自に取り組まれることだと思います。
 この電子政府、電子自治体の一番の目的は何かというと、業務の徹底的な見直しなんです。ですから、自治体の中で効率性とか透明性をいかに上げていくかということに電子化というものを手段として使えないかということで今推進しているんですが、市長はこういう面にも恐らく積極的に、情報公開のことなんか考えるとツールとしては非常に有効なので、どのように取り組まれているかということについてお聞きしたいんですが。
穂坂参考人 要するにIT、これについては、私は県議会のときもその議連の会長なんかもやっていまして、九十四人中八十八人ぐらい入っていました。しかし、一番感じたのは、むだが多い。要するに、それに精通している職員が少ないですから、メーカー、業者の言いなりというのが一つ。
 それから、ばらばらのまま始めちゃいますから、もともと情報システムというのは、連動して一つのものになってくるというのが大きな効果を発揮するところですから、その辺はすごく私は変えた方がいいと思って、市の関係も、必要性は認めるけれども、むだはとにかく直そうということで、素人が多いものですから、うちはかなり精通者の人でIT部会というのをつくってもらったり、情報システム検討委員会というのをつくってもらって、これが果たしてばらばらに入ってきて機能的に大丈夫かと。これは総務省から出たもの、これは何とか省から出たもの、そうなるとむだが多い。やはりその辺の統一をしていただいた方が、より効率的になるんではないかと思っています。認めることは認めています。
 それからもう一つは、住基ネットは、今私ども、問題調査会を市民の皆さんと、すべて公募で、検討会を開いています。それを待って市としての最終的な決断をしたいと思うんですが、少し不備があるんじゃないかなという気持ちはしています。
平井小委員 どうもありがとうございました。
 先ほどの問題意識はそのとおりだと思うので、ぜひ業者にだまされないようにITを導入をしていただきたいと私は思います。
 ですから、ゆっくり考えて、ゆっくり見て、今、国の方で、私の方で徹底的にむだをなくすようにしておりますので、御参考にしていただければと思います。
 以上です。ありがとうございました。
西田小委員長 次に、中村哲治君。
中村(哲)小委員 民主党・無所属クラブの中村哲治でございます。
 参考人におかれましては、非常に示唆に富んだ御意見を聞かせていただきまして、ありがとうございます。ほとんど私が思うところと一致しているのかなという思いで聞かせていただきました。
 その中で、本日は二点、さらに突っ込んでお聞きをしたいと思っております。一つは課税のあり方、もう一つは地方公務員のあり方でございます。
 まず、課税のあり方なんですが、先ほどから財源の話が続いておりますので、これは簡単にお話をさせていただきたいと思います。
 私が総務大臣にお話をさせていただく中で、今地方自治体の仕事の七割は国が法令でやり方を決めている、それだったら、大臣、その七割というものを早くほどいて、できる限り地方に任せたらいいんじゃないか、そうして、それと同時に、財源を移譲したらいいんじゃないかという話を私はさせていただきました。
 これは恐らく、参考人がおっしゃっていた点と違わないだろうと思うんですね。まず権能を決める、つまり出る方を決めてから入る方を決める、財源を決めるということなんですが、これを言うと、まず大臣は、景気が回復してからだ、今財源の移譲自体ができないから、景気が回復してからこれは検討するということを言っているんです。もう一方で、参考人の御意見では、右肩下がりというふうに認識しているのですけれども、私はこんな、景気を回復してからこの七割の権限、縛っているところを検討するというのは遅いんじゃないかなと考えますが、まずその点、いかがでしょうか。
穂坂参考人 さっき右肩下がりというふうに申し上げました。もちろん景気の低迷はありますが、実態的に、今の出生率がずっと続く限り、二〇〇六年ですか、そこからもう人口は減っていきますね。うちなんかはベッドタウンですから、しかもぶわっと人口がふえたのが、今五十二、三の方ですか、あるいはもう六十歳の方もいますし、要するに少子高齢が進んでくる。そうしますと、納税義務者は当然減ってきます。ですから、社会構造自体が、景気、不景気はまた別としても、右肩下がりになってくる。
 今までは、私どものような自治体がどんどん職員をふやし、事業をふやしていたのが、あるいはこんなちっちゃくても課ごとに会社があるとか部ごとに会社があるとかという、そういう縦割りの中でやってきました。それは右肩上がりでしたから、全部非効率性はそこに吸収をされた。しかし、今はそういう時代ではないというふうに考えています。
 特に、今地方が、節約して、あるいは工夫して、そういう財源を地方に使う、あるいはワークシェアに使う。景気が悪いのは、国だけじゃなくて、地方でできることはしたい、だからできるように制度を整えてくれればありがたい、こういう意味で申し上げているというふうに理解をしていただければありがたい。
中村(哲)小委員 関連して、課税のあり方というものについてどのようにお考えになっているのかなということをお聞かせいただきたいわけです。
 基礎自治体がほとんどのことができるようになったと仮定します、今はそうではありませんけれども。そういったときに、地方税と交付金と補助金という三つ財源があるわけです。私たちは補助金もできるだけなくさないといけないと思っているし、交付税の方も改革しないといけないと民主党は思っております。それはちょっと置いておいて、課税自主権を考えるときに、今の交付税とか補助金というものは、あらかじめ国がまず取っておいて、それを分配するという構造ですから、そうではなく、これがほぼゼロという形にして、まず地方が課税をするという形にする方が、住民が自分たちのお金で自分たちのことを決めていくということにつながっていくんじゃないかなと思います。
 ちょっと荒唐無稽な話かもしれませんけれども、まず国税がゼロであるということもイメージしてもらいながら、地方が地方税を、自分たちの町で上がる税金はこういうものがあるということで地方税を決めていって、そして集めたお金を国に納めていくような形、極論としてはそういう形もあると思うんですね。
 そういった形で、国が税制ですべて税金の項目を決めていくのがいいのか、今のようなやり方がいいのか、それとも、こっちはできるだけ少なくして、地方の方が、基礎自治体の方が税項目を挙げていくような条例のつくり方で課税をしていく方がいいのか、そのあたりについてはいかがお考えでしょうか。
穂坂参考人 やはり、ある程度基本的なことは国の責任でやってもらった方がいいというふうに私は思っています。地方にとって特殊なもの、基礎的自治体でもできるような分野、限られていると思いますが、それは自由でもいいと思うんですが、やはり、本来的には国が税制についてはある程度決める、私はそれでいいというふうに思っているんです。
 これが、例えば二百人とか、基礎的自治体の中には、三百五十万から二百人ぐらいまでたくさんあるわけですから、それが課税権を持ってもなかなか使いこなせないというのもあります。特に、所得等々に関すること、法人税等々に関すること、事業税もそうなんですが、査定権が地方の力じゃ余りないんですね。
 ですから、どうしても、国税で決まったものの付録品というか、そこを参考にして機械的に決めるというのがありますから、究極的には理論として私も理解できますが、いきなりというのはいかがなものかという感じがします。
中村(哲)小委員 極論で一つの例を挙げただけで、でも、そっちの方向に行くのがいいということで、押さえさせていただきます。
 次に、地方公務員のあり方についてお聞かせいただきたいと思います。
 先ほど参考人、マックス・ウェーバーの例を挙げられて、とかく職員というのは前例主義に陥りやすいと。そして、基礎的自治体のあり方を論じられる中で、今後、地方公務員のあり方も考える必要があるのではないかということをおっしゃいました。そしてさらに、先ほどから、有償ボランティア、行政パートナーのお話もされております。
 恐らく、参考人の頭のイメージというのは、行政職員というものは、ある意味、住民参加の先頭に立って皆さんを束ねていくというか、皆さんと情報共有を図っていくような、そういうイメージなんじゃないかなと思うんですね。
 地方自治体に行きますと、行政と市民が対峙するような意識の地方公務員が多い。とかくそういう形が多いわけなんですけれども、そのあたりのところ、地方公務員のあり方をどうすべきかということと、市長御自身が、市長になられてから、公務員の前例主義というところで苦労した点などございましたら、お聞かせいただきたいと思います。
穂坂参考人 私のイメージとすれば、国と基礎的自治体の権能は物すごい違う。ですから、基礎的自治体の経営は、これだけ身分制度に守られた地方公務員だけが地方の行政サービスをするという形を、私は変えるべきだと思っているんです。
 それは、どんどん税収が上がった右肩上がりの時代はよかったと思うんですが、戦後の動乱期みたいなときは必要だったと思うんですが、冒頭でも言ったように、少しずつ成熟しているわけですから、地方の収入に合ったやり方は、今の公務員制度でしたら一人一人の人件費が高くて、結局どこをやめるかというと、行政サービスをやめる、低くする。低くすれば、コミュニティーに少しずつでもほころびが出てくる。
 そういうことを考えると、やはり地方が自由な経営をするようにしたい。そこに、今の現制度を変えるわけにいきませんので、行政パートナー等々を入れて、そっくり市の形を変えていこうと、地方なりに。そのことによって、制度も後からついてくるんじゃないかな、そういう感じもしているんです。
中村(哲)小委員 時間が参りましたので、たくさんまだまだ聞きたいことがあったんですが、終わります。
西田小委員長 次に、佐藤勉君。
佐藤(勉)小委員 自由民主党の佐藤勉でございます。
 参考人には、大変お疲れとは存じますが、私で終わりでございますので、いましばらくお願いを申し上げたいと思います。
 私、栃木ということで、過疎地域も抱えている地域の選出でございます。そこで、志木市に直接関係のない観点からお話をさせていただきたいと思いますが、高齢化の問題でございます。特に、過疎地域では深刻な問題となっておりまして、地方分権が推進されている中で、今後、過疎地域と志木市のような都市部との格差が一層拡大していくということは間違いないことだと思われます。
 都市部の市長という立場から、このような格差にどのような観点で対応していくべきか、ちょっと志木市には関係ない話になってしまいますが、市長としての考え方をお伺いしたいと思います。
穂坂参考人 私どもの方にも、たくさんの過疎の町村長さんがいらっしゃいます。同じ基礎的自治体になると助役さんが多いんですが、そういうことでいろいろな話をします。
 私は、地方のよさというのは、これから二十一世紀、うちなんかでも地方に住みたいという人が結構出てきているんですね、ある程度になって。ただ、それは、生産がある程度終わって、預金を持ってそっちへ行くだけの話ですから、収入という部分では格差ということで、今おっしゃるとおりだと思うんです。
 格差というのは、どの部分でどういうものかというのはあると思うんです。教育とか福祉とか、特にその辺があると思うんですね。それを国の先生方が、どのくらいのところできちっとするかというのを決めて、そこで、交付税、今まで言っている補正措置、それらをもっと国民に見えるような形で、難しいでしょうが、ある意味ではアンダーラインをぴちっと決めちゃって、それでオープンで、これだけは当たり前だよと言えば、国民も志木市もそういうのは当たり前だよと言うと私は思います。
 ただ、そこの線がどこだかわからない。地方に行くと、例えば、あれ、すごい建物だなというとほとんど公共施設というのが、私なんかも県議会の視察に行くと目につきました。都市部の方のは、例えばうちなんかは中途半端ですから、あれっといっても、随分古くて、雨漏りするのかなという感じです。
 ですから、いずれ、どっちも悩みがあるんですが、私は、さっき言ったようなボーダーラインをぴちっと決めちゃって、そして国民的なコンセンサスを得ると言えば、都市部の人たちも、将来そこに住みたいという人が結構出てくると思います、うちは九平方キロメートルしかありませんので。
 ですから、そういう意味では、むしろ、今後、格差是正について国民的コンセンサスをとっていただく、国政の方でそういう努力をしてもらえればありがたいと思っています。
佐藤(勉)小委員 志木市の御案内をいただいたときに非常に興味深く拝見をさせていただいたんですが、公共事業市民選択権保有条例という条例があるようでございまして、一億円を超える公共工事については、議会に提案される前に、市民によって構成される民意審査会に付されるとのことであるというふうに書いてありました。
 この民意審査会の委員はどんなふうに選考されておられるのか、また、民意審査会の権限はどのようなものであるのかということと、もう一つ、市議会との関係はどんなふうな形になっているのか、お伺いをしたいと思います。
穂坂参考人 民意審査会の委員さんは全部公募です、全員。例えば、一億円以上の公共事業一つについて五人、全部公募です。もちろん、地域の方、それから学識の方、そういうことでやっております。
 それから、二つ目なんですが、権限は、市長は最大限尊重するということになっております。ですから、ある意味では、ノーという場合には、それは、計画はしたけれども、修正をしてもう一回そこへ出すか、やめちゃうかということで、逆に市長の執行権をみずからが縛っているというふうに自覚をしているんです。
 それから三つ目の、議会との関係なんですが、さっきもちょっと出ましたけれども、議会も本当にいろいろなことで討論がありました。ただし、私は議員の人たちと、むしろ格好いいじゃないかと。私も出す、民意審査がオーケーになった、議会は、こういう理由でこの計画はだめだよと。そのことによって議会の権能が市民にクローズアップをされる。それはやはり議会だって議会の良識があるわけですから、それはそれでいいんじゃないか。議会の権能をそぐとか、そうじゃなくて、私自身の執行権を縛るんだというふうな形で、いろいろな非公式の中で話はしてきました。
 ほとんどの方々の賛成をもらって、それも大多数、ちょっと一部ありましたが。でも一部の方も、そのものに反対じゃないと言っていましたから、こういう条例そのものについては全会みんな賛成。ただ、委員の報酬が高いの安いので怒られましたけれども、そんな状況です。
佐藤(勉)小委員 まだまだ御質問したいことはたくさんあるんですが、時間の関係で、この辺で終わりにさせていただきたいと思います。
 参考人にはこれからももっともっと頑張っていただくことを御祈念申し上げまして、質問とさせていただきたいと思います。ありがとうございました。
西田小委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。
 この際、一言ごあいさつを申し上げます。
 穂坂参考人におかれましては、貴重な御意見をお述べいただき、本当にありがとうございました。小委員会を代表して、心からお礼を申し上げる次第でございます。ありがとうございました。(拍手)
    ―――――――――――――
西田小委員長 これより、本日の参考人質疑を踏まえて、小委員間の自由討議を行いたいと存じます。
 一回の御発言は、五分以内におまとめいただくこととし、小委員長の指名に基づいて、所属会派及び氏名をあらかじめお述べいただいてからお願いをいたしたいと存じます。
 小委員の発言時間の経過についてのお知らせでございますが、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせしたいと存じます。
 御発言を希望される方は、お手元にあるネームプレートをこのようにお立てください。御発言が終わりましたら、戻していただくようにお願いをいたします。
 それでは、ただいまから御発言を願いたいと存じます。
春名小委員 日本共産党の春名直章です。短く二点だけ感じたことを申し上げます。
 一つは、今の憲法の八章に大枠しかなくて、全部丸投げになっているというお話が参考人からも出たんですが、確かに、書いてあることは短いわけですね。ただ、中身は、皆さん御存じのとおり、九十二条で地方自治の本旨が書いてあり、そして九十四条で自主財政権、行政権、立法権、これが明記されていて、それから九十三条に議事機関としての議会の設置ということが明記されておりまして、国と地方の関係が非常にすっきり示されているわけですね。
 問題は、この精神に沿って下位の法律がふさわしいものになっているかどうかというのが大事なので、その目から見たときに、参考人は、その下位の地方自治法などが手足が縛られ過ぎて、こういう自主財政権、自主立法権、自主行政権が十分発揮できていないという御指摘だったと私は認識しておりますので、その点の、下位の法律や運用を憲法の精神でどう改善するかというのがやはり大事なポイントであるということが第一です。
 第二は、先ほど同僚委員からもいろいろな質問が出ていましたが、今大きな、ホットな問題になっているのは、人口一万人以下の市町村の権限を縮小するという大変乱暴な案が出ていることについてです。
 昨日、全国町村長大会が開かれまして、私も行ってきましたが、その重点決議の中には、市町村合併は自主的に行うべきものであり強制しない、二つは、人口が一定規模に満たない市町村を小規模市町村と位置づけて権限を制限、縮小するようなことは絶対に行わないということが特別の決議として上がっています。
 もし一万人以下の市町村は、権限を事実上窓口サービスだけに限定するというようなことになっていきますと、これは憲法と地方自治の原理に根本から背くことになります。
 これは、例えば元自治省の事務次官の松本氏がこんな発言をしております。九十二条の地方自治の本旨というのは団体自治と住民自治である、この二つを要素とする地方自治の本旨に適合しない法律、例えば地方自治制度の実体的内容を破壊し、その本質的要素を奪うような法律は当然憲法違反ということになる、このように述べています。
 仮に地域の住民が合併を選択しないで、自治体として独立していく、運営していくという意思を持つ、しかし、そういう意思を持った市町村に対して、合併を文字どおり強制する、あるいは事実上自立した市町村として認めないというような法律とか制度、もしこれをつくるとすれば、まさに団体自治と住民自治が抹殺されることになりますので、これは憲法違反以外の何物でもないと思うんですね。
 今、地方自治小委員会では、こういう憲法の運用実態を正確に議論することが、調査することが大変私は大事になっておるというように感じております。
 以上です。
中村(哲)小委員 民主党・無所属クラブの中村哲治です。
 どなたも意見がないようですので、少し御意見を差し上げようと思っております。
 先ほど、地方自治の本旨について春名委員から、きちんとその趣旨に沿った地方自治法がつくられていないのではないかというお話がありました。私は、このことをもっと国会としては検討しなくてはならないのではないかと考えております。
 言うまでもなく、憲法の条文が不適切である、不十分であるというためには、立法でやれることはやったけれども、それでもなお条文を変えないとその目的が達成できないというときに、初めて憲法の条文の改正というものが必要になってくるのではないか。これは憲法学を学んだ者ならば自明のことでございます。
 にもかかわらず、地方自治法をほとんどいらわなくて、これは憲法の条文が悪いのではないか、そういったことの議論が、事地方自治に限らず多いのではないかという印象を私は持っております。
 今後の課題になるのではないかとは思うんですが、この憲法調査会で検討していく中で、現行法の問題がどこにあるのか、憲法の瑕疵と思われるものは、実は法律の改正によって実現することはできないのかということも、改めて検討する必要があるのではないかということを私は感じました。
 以上でございます。
平井小委員 きょう私が印象的だったのは、地方自治体の首長みずからが不均衡を容認したいというような発言だったと思います。これは、この地方分権を考えるときに、最終的なこの国のどんなイメージを持つか、つまり国家像です。それぞれ地域が、それぞれ地域の特性に応じて、しかし、行政サービスもそれぞれ違うし、もしかしたら税金も違う、そういうものを今の参考人はイメージされていたのだと私は思うんですが、これは自治体のあり方をみずから選択する主体的意識というものが国民にあるのであれば、ある時点でこのことはやはり整理していかなきゃいけない議論だと思います。
 一方で、シビルミニマムであるとかユニバーサルサービスであるとか、そのユニバーサルサービスの例えば中身であるとか、そういうものがいろいろとこれから議論になっていくんだと思うんですが、これからは、地方の自立、そして責任、そしていろいろな格差を容認するという方向に向かわざるを得ないのかな、私はそう思いました。
 そのような強い印象を持ちましたので、そういう議論が恐らく地方自治の本旨という中身の議論になってくるのではないかと思います。
 以上です。
中川(正)小委員 もうしばらくつき合っていただいて、ありがとうございます。
 さっきも、国と地方の役割分担といいますか権限をはっきりさせるべきだという市長さんからの主張がありましたが、今頭の中が整理されずに議論が進んでいるのは、機関委任事務を整理したということによって、地方分権が一つ二つ進んだんじゃないかという議論だと思うんですよ。これは事務事業ですから、本来はそう大して実益がないというか、実態は変わらないんですね。こういう事務事業と、それから許認可権ということ、それから課税自主権ということ、こういう話は比較的簡単に整理ができるんですね。
 ところが、一番ポイントは、いかにして法律の中でスタンダードというか基準づくりをしていくかという点について、日本の法律体系というのは、法律の大枠をつくっておいて、法律自体ではその詳細がわからないんですね。何でわかるかというと、その後の省令、政令できめ細かく、スタンダード、いわゆる事務基準をつくり上げて、そのやり方で地方自治体が実行していきなさいよ、こういう法律体系になっているんですね。
 ここのところを真剣に議論しないと、さっき申し上げた課税自主権の問題も含めて、幾ら事務事業のところを地方に移譲しても、その大もとになる企画立案部分、大もとの基準を国がつくり続けている限り、地方分権は成り立たないということだと思うんです。
 そこのところをやろうと思ったら、本当は、そういう一般基準をつくっていく国の権限を、ここまでしかできないという法律をつくるか、あるいは憲法で国のやれることを限定するか、そういうところまで議論が進まないと一つはだめなんだろうということと、それから、当面今の枠組みでやるんだったら、政令、省令のかわりに、これは地方自治体で条例でつくりなさい、政令とか省令というのはだめだ、これは条例で各自治体で議論することによって、具体的な基準づくりは自治体でやりなさい、そういう法律体系をつくり上げるか、どっちかなのかなというふうに今思っております。
 そういう意味で、国の権限を限られたものにしていくための憲法の見直し努力が今私たちに必要なんだろうというふうに思っております。
 以上です。
金子(哲)小委員 社会民主党・市民連合の金子です。
 私は、二つほど申し上げたいと思いますけれども、今穂坂参考人からのお話の中で教育委員会制度の問題が出まして、私も質問したんですけれども、建物の予算とかそういうものを市が持っているからという話が若干ありましたけれども、私は、それと教育委員を選ぶこととは別の問題だというふうに思います。今指摘もありましたように、教育の中立性をより求めていくためにはどのような教育委員の選び方が必要かということについてはもっと深めて論議をすべきだし、一つの方法として準公選制ということも重要な柱ではないか、それは教育財政をどこが持っているかということとは別の問題だというふうに私自身は考えております。
 それから二つ目の点については、春名委員からも指摘がありましたけれども、今一万人以下の単位の自治体の権限の問題がいろいろ論議されておりますけれども、そのことがもし延長されるということになると、私はやはり住民にとって平等の自治が保障されるということにならないというふうに思います。
 特にきょうの参考人のお話は、人口比をということを盛んにおっしゃっておりました。例えば、機械的な税配分とか、基礎は人口だというお話がありましたけれども、私は、日本の今の地理的条件からいうと、必ずしも人口比だけではすべてをできないと。やはり面積ということ、それから、私は広島におりますから、例えば瀬戸内海を考えれば、島という状況も考えてまいりますと、今度も合併をしますところがありますけれども、必ずしも合併しても一万人にも満たないという現実的な地理的条件、しかし、面積比からいうとすごい大きな面積を持つという状況があります。
 そういう意味では、先ほどコミュニティーというお話がありましたけれども、住民と自治体、地方行政とのかかわりをどれだけつくっていくかということになると、私はやはり一定の面積というものもどうしても必要だ。そうなってまいりますと、それに対する最低の保障すべき点を明らかにして進んでいくということは必要条件ではないかというふうに考えております。そのこと抜きにしては、地方分権を進めるといっても、平等の地方分権ということにはならないのではないかというふうな意見を持っております。
西田小委員長 他に御発言はございませんか。
 それでは、討議も尽きたようでございますので、きょうは長時間御苦労さまでございました。
 これにて自由討議を終了いたします。
 本日は、これにて散会いたします。
    午後四時三十八分散会


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