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第2号 平成14年7月9日(火曜日)

会議録本文へ
平成十四年七月九日(火曜日)
    午前十時開議
 出席委員
  法務委員会
   委員長 園田 博之君
   理事 佐藤 剛男君 理事 塩崎 恭久君
   理事 棚橋 泰文君 理事 山本 有二君
   理事 加藤 公一君 理事 平岡 秀夫君
   理事 漆原 良夫君 理事 西村 眞悟君
      荒井 広幸君    後藤田正純君
      左藤  章君    笹川  堯君
      下村 博文君    鈴木 恒夫君
      西田  司君    平沢 勝栄君
      保利 耕輔君    松島みどり君
      柳本 卓治君    吉野 正芳君
      岡田 克也君    鎌田さゆり君
      佐々木秀典君    日野 市朗君
      水島 広子君    山花 郁夫君
      石井 啓一君    藤井 裕久君
      木島日出夫君    中林よし子君
      植田 至紀君
  厚生労働委員会
   委員長 森  英介君
   理事 鴨下 一郎君 理事 鈴木 俊一君
   理事 長勢 甚遠君 理事 野田 聖子君
   理事 釘宮  磐君 理事 山井 和則君
   理事 福島  豊君 理事 佐藤 公治君
      岩倉 博文君    岡下 信子君
      上川 陽子君    木村 義雄君
      北村 誠吾君    後藤田正純君
      佐藤  勉君    自見庄三郎君
      田村 憲久君    竹本 直一君
      棚橋 泰文君    西川 京子君
      堀之内久男君    松島みどり君
      三ッ林隆志君    宮澤 洋一君
      吉野 正芳君    家西  悟君
      大島  敦君    加藤 公一君
      鍵田 節哉君    金田 誠一君
      土肥 隆一君    三井 辨雄君
      水島 広子君    江田 康幸君
      桝屋 敬悟君    樋高  剛君
      小沢 和秋君    瀬古由起子君
      阿部 知子君    中川 智子君
      川田 悦子君
    …………………………………
   法務大臣政務官      下村 博文君
   厚生労働大臣政務官    田村 憲久君
   参考人
   (東京都立大学法学部教授
   )            前田 雅英君
   参考人
   (関東学院大学法学部教授
   )            足立 昌勝君
   参考人
   (京都学園大学法学部教授
   )            川本 哲郎君
   参考人
   (全国精神障害者家族会連
   合会常務理事)      池原 毅和君
   参考人
   (元東京都立中部総合精神
   保健センター所長)    菱山 珠夫君
   参考人
   (東京医科歯科大学難治疾
   患研究所教授)      山上  皓君
   参考人
   (多摩あおば病院精神科医
   )            中島  直君
   参考人
   (社団法人日本精神科病院
   協会会長)        仙波 恒雄君
   参考人
   (北海道立精神保健福祉セ
   ンター所長)       伊藤 哲寛君
   法務委員会専門員     横田 猛雄君
   厚生労働委員会専門員   宮武 太郎君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律案(内閣提出第七九号)
 裁判所法の一部を改正する法律案(平岡秀夫君外五名提出、衆法第一八号)
 検察庁法の一部を改正する法律案(平岡秀夫君外五名提出、衆法第一九号)
 精神保健及び精神障害者福祉に関する法律の一部を改正する法律案(水島広子君外五名提出、衆法第二〇号)


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     ――――◇―――――
園田委員長 これより法務委員会厚生労働委員会連合審査会を開会いたします。
 内閣提出、心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律案、平岡秀夫君外五名提出、裁判所法の一部を改正する法律案及び検察庁法の一部を改正する法律案並びに水島広子君外五名提出、精神保健及び精神障害者福祉に関する法律の一部を改正する法律案の各案を議題といたします。
 本日は、各案審査のため、参考人として、東京都立大学法学部教授前田雅英君、関東学院大学法学部教授足立昌勝君、京都学園大学法学部教授川本哲郎君、全国精神障害者家族会連合会常務理事池原毅和君、元東京都立中部総合精神保健センター所長菱山珠夫君、以上五名の方々に御出席をいただいております。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、大変御多用中のところ御出席をいただきまして、ありがとうございました。ぜひ、それぞれの立場で忌憚のない御意見をいただき、私どもの審査の参考にさせていただければと思っております。よろしくお願い申し上げます。
 次に、議事の順序について申し上げます。
 まず、前田参考人、足立参考人、川本参考人、池原参考人、菱山参考人の順に、各十分程度御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑に対してお答えをいただきたいと存じます。
 なお、念のため申し上げますが、発言の際は委員長の許可を得ることになっております。また、参考人は委員に対して質疑をすることができないことになっておりますので、あらかじめ御承知おきいただきたいと存じます。
 それでは、まず前田参考人にお願いいたします。
前田参考人 このたび、このような場で発言の機会を与えていただきまして、委員長の先生を初め皆さん方に心から御礼を申し上げたいと思います。
 私は、刑法学者として刑法学会に所属して研究している一方で、法と精神医療学会というところの理事も務めさせていただいておりまして、この問題に関して若干研究しておる者として発言をさせていただきたいと思います。
 お手元にレジュメを配らせていただいたと思うんですが、それに従って御説明を申し上げたいと思います。
 刑法の世界では、保安処分につながる議論というのが一切できないような状況が長年続いてきたわけですけれども、ことし、刑法学会で、この法律案そのものを、厳密にはそのものではないですが、議論をする機会を得ました。議論の流れは大分変わってきていると思うんですね。学会としても、患者の意思に反するような自由の拘束というのは一切認めないという自由主義を強調する立場が一方であって、この考え方の極には措置入院も憲法違反であるというような議論があったわけですけれども、片一方で、非常に重大な事件が起こるたびに、もっと保安的な処分を徹底してやるべきであると。
 今度の池田小事件なんかもきっかけにして、徹底した保安処分の導入をというような議論もあるわけですが、学会の全体のコンセンサスとしては、その中間、中庸という言葉をそこで使ってあるわけですけれども、重大な犯罪を犯した障害者の治療を十全なものにするために具体的に手当てをする、そのことによって国民一般の安全感、安心感も守っていけるような法制度を模索する方向にだんだんまとまってきている、学会全体がそちらの方向に動いている。学者ですから、完全にまとまるということはあり得ないと思うんですけれども。
 従来、精神医療の世界を見ておりますと、外からですけれども、患者の治療という観点から、医療の観点からいって、いかに治療をするかというところにウエートがあって、精神障害者による犯罪もあるわけで、その犯罪の被害者にどう対応していくかという観点が弱かったのが次第に変わってきている。被害者保護立法なんかが進んでいく中で流れが変わってきていると思うんですが、そういう中でまさにそのバランスをどうとっていくかというところだと思うんです。その観点からこの法律案を評価させていただいたということでございます。
 今回の法律案が出てくる背景として、池田小事件の影響というのは、私はなかったとは申し上げないんですが、実質的にこの立法等の動きを要請したものとしては、もっと根本的なといいますか、日本の精神医療が抱えている構造的な問題があった。ただ、それだけではこんな立法案が動かなかったので、引き金としては、非常にとうとい犠牲というのは、これは軽視してはいけないと思うんですが、この池田小問題を解決するための立法的対策というふうに絞り込みますと、やはり問題がずれてしまうという感じがいたします。
 大きな要請としては三つあると思います。
 一つはノーマライゼーションの発展。これは、長年にわたって精神医療の先生方の御努力の結果だと思うんですけれども、治療が開放化されて、そこに統合失調症という言葉になっておりますけれども、分裂病の理解、それから疾病観が変化して治療方法が変化してきた。その中で、拘束する治療というものから開放的なものに変わってきたということでございます。
 ただ、この開放化によりまして、患者さんが外に出て侵害行為を行うということも起こってくる。私、法と精神医療学会でずっとおつき合いしていて、現場のお医者さん、病院経営者の方から見ると、最大の課題はノーマライゼーションを実質化するためにどういうふうに手当てをしていくか、それは非常に重要な問題だったと思います。最高裁まで過失責任を問うような判決が出てくる。その中でこの法案が要請されている下地というのはできてきたんだと思います。
 それから、措置入院がここ二、三十年の間に急変した。そこに書いてありますように、二十分の一になってしまった。これはいろいろな意味で変化したと思うんです。そこに挙げた経済措置等が消えていったということはあると思いますが、実際に六万人措置入院していたのが三千人になってしまったということの影響ですね。ですから、裁判官の目から見ると責任無能力だ、だけれども措置入院があるので身柄はある程度拘束できるみたいな安心感が、安心感というのはちょっとまずいんですが、あったのが、無罪にしてそのまままた社会に出てしまう可能性が非常に高くなっている。これをどうするかという意識は、強く法律の世界でも、それから医療の世界でもあったんだと思いますね。それに対してどう対応していくか。
 それから、そのもっと根本にあるものとして、精神医療の世界の中の一つの部門である司法精神医療、この問題に関しての人材の少なさといいますか、養成を怠ってきた。この問題がいろいろなところで問題点として出てきているんだと思います。措置入院判断についてもいろいろな問題が指摘されていると思います。
 こういう状況の中で、もう本当に限られた時間ですので結論的に申し上げますけれども、本法律案をどう評価するかということでございますけれども、私は、結論として、十分合理性のある、中庸を得た法律案であるというふうに評価したいと考えております。
 一部の議論としては、措置入院を実質化する、もっと措置入院を広げるということですけれども、精神医療の現場では、措置入院というのはどんどん治療という観点に純化してまいりまして、六万人から三千人に減ってしまった措置入院を、基準を変えて広げるというのは非常に難しい、いわばそれは時計の歯車を逆に回すような作業をやれと言っている形になると思います。もちろん、論理的には不可能ではないですが、リアリティーのある提案だとは私は思わない。やはり新しく、法案の目的にも規定されてありますけれども、重大な他害行為を行った者に対して適切な処遇を決定するための手続を充実させて、その結果として再犯の防止を図って、その社会復帰を促進するというあたりの政策的な提案というものが合理性があると思います。
 最後に、一番ポイントになる点が、御議論を伺っておりまして、活字になったものなど勉強させていただきまして、再犯のおそれが十分に認定できないんじゃないか、危険ではないか。これはいろいろな立場からいろいろな御意見があって、判断をするお医者さんの側で再犯のおそれなんて認定できないんだという議論をされる。
 ただ、先ほど申し上げたように、刑法の世界、それから精神医療の世界、両方、学会二つ見ておりまして、私は、どちらもちょっと誇張があるんじゃないか。少なくとも、大前提として、事実として認めておかなければいけないのは、世界の先進諸国の中で、同じような制度をどこの国でも持っていますが、やれないと言っているのは日本だけだ。日本のお医者さんの医療水準がそんなに低いのかということですね。もちろん、やれるやれないの問題ではなくて、それをすることによって人権侵害が起こるかどうか。いろいろな議論があろうかと思いますけれども、そもそも再犯のおそれのようなものは認定できないという議論の立て方といいますか、これは私は誇張があると思います。
 特に検察官通報、精神福祉法の二十五条などでは、現実に、過去の病歴とか生活環境などをもとにして、かなり実質的な他害の危険判断を行っております。それは精神科医が行っているわけで、決して、直前の病状を見て、緊急入院をさせなきゃいけないかどうかというような判断だけを現実に措置入院で行っているわけでもない。その意味で、私は、その再犯のおそれの判断は十分できると思います。もちろん、そのための努力、精度を上げる努力は必要だと思います。
 いずれにせよ、そういう司法精神医療の専門家を育てていくという意味も含めて、今回こういう制度をつくって、それについて予算をきちっとつけていくということが、日本のこの問題に関しての根本的な対応の出発点になるというふうに考えております。
 以上です。(拍手)
園田委員長 ありがとうございました。
 次に、足立参考人にお願いいたします。
足立参考人 時間がたった十分でございますので、言いたいことを言うために前置きはいたしません。原稿をつくってきましたので、原稿を読ませていただきます。
 昨年六月の池田小学校事件は、いたいけな児童が殺傷されたもので、非常に悲惨であり、大きな社会的関心を呼びました。その事件に対するマスコミの反応や小泉首相の発言により、触法精神障害者問題が大きくクローズアップされ、政治問題化しました。
 しかし、この問題は、政治的決着で済まされるようなものではありません。この問題の根底には、社会における精神障害者の生存権が深くかかわっています。この歴史の中で精神障害者はどのように扱われてきたのでしょうか。彼らは差別の対象とされ、隔離の対象とされてきました。彼らの病気に対し十分な治療が行われず、発症し、他害行為を行った瞬間に隔離されてきたのです。
 これでは共生社会の実現はできません。私は、本意見陳述において、精神障害者も我々の社会の尊厳を有する大切な一員であり、憲法が目指す民主主義社会において当然に共生すべき仲間としてひとしく生存権や幸福追求権を有するものであるとの立場から、社会的安全の確保という美名がいかに彼らに対する差別と排除に満ちた非理性的、不合理な虚飾であるかを明らかにし、精神障害者とともに共生できる社会を実現するための方策を提示したいと思います。
 精神障害者と思われる人によって惹起された重大事件が起こるたびに保安処分の検討が叫ばれて久しいものがあります。しかし、社会的現実の中で、精神障害者の行う重大事件は、一般人のそれとは比較にならないほど少ないのが現実です。では、なぜ保安処分の大合唱が起こるのでしょうか。それは、一般人は、行った行為の責任を問われ、刑罰を科されるが、精神障害者は、心神喪失者として刑罰に問われないことに起因しているように思われます。
 精神障害者に対する不処罰は、後で述べるとおり、啓蒙主義の所産である責任主義の原則からの当然の帰結なのです。それは、彼らには理性がないから処罰しないという、いわば一種の差別なのではなく、彼らに対しては刑罰よりも治療をより必要とし、治療がより効果的であるという、まさに近代的理性や合理性からする当然の帰結なわけです。これがいわゆる野放し論に見られるような一般の危惧感、不安感を誘発しているわけですが、こうした感情論によって刑事処分が正当化されないことは言うまでもないでしょう。
 刑罰は治療ほどの効果を持たないから、彼らに対する処罰やその代替としての拘禁は非理性的で不合理なものにほかならないわけです。精神障害者に罪の責任を問わないということは、差別を克服した寛容の精神の帰結なのです。それに加えて、繰り返しますが、彼らに対する処罰は不合理でもあるからです。
 さて、法案が規定する入院命令は、再犯のおそれという将来のために司法機関によって決定されるもので、保安処分にほかなりません。法案は、司法機関の中に精神科医師を加えることにより医学的判断を基礎とするので保安処分ではないとの立場であると思われます。しかし、この方向は、自民党プロジェクトチームで座長が提示した熊代案において明瞭に書かれている、裁判所による正義の回復を目指したものにほかなりません。
 ここで皆さんによく考えていただきたい、社会的安全の確保での社会とはだれにとっての社会かということを。
 そこでの社会は、多数者である一般人を対象としたものであって、精神障害者は含まれていません。多数者が民主主義という虚構の美名を盾にして、自分たちの価値を精神障害者に押しつけているにすぎません。それは多数者のエゴであり、少数者や弱者との共生を意図しない社会は、真の民主主義社会とは到底言えるものではないでしょう。
 こうした意味で、私は、精神障害者に医療や地域体制を含めた十分な配慮を行うことが先決であり、それへの第一歩を歩むべきであると考えます。その意味において民主党案がベターであり、その中に、将来への展望として地域開放医療の充実を明記すべきであると思います。
 私が最も訴えたいのは、あるべき市民社会についてであります。
 そもそも、近代市民社会とはどのような社会であったのでしょうか。近代市民社会の精神は、フランス国旗の三色旗で代表されるように、自由、平等、博愛を内に含んでいます。そこでは、あらゆる差別を寛容の精神によって克服し、平等の精神により社会的弱者との共生への配慮が行われてきました。前者、つまり寛容の精神は責任主義の原則となり、後者の平等の精神に基づく共生の思想は福祉政策となってあらわれてきました。
 このように、両者はもともと一体のものであり、本来、責任主義の原則は、精神障害者の処罰はむしろ不合理、非理性的であり、十分な治療こそ合理的であるとしてこれを求めていたのです。にもかかわらず、彼らに十分な医療の場を提供せずに今日に至ってしまったのです。それは、むしろ我々が近代的理性を実践し得なかったがゆえであり、責任は挙げて我々多数者の側にあると言わねばなりません。
 精神障害者に十分な医療を提供すれば彼らによる犯罪は極端に減少し、社会の中で共生できることをイタリアのトリエステが示しています。トリエステでは、十年間で司法精神病院に送られた者は四人にすぎません。また、そのうちの二人はトリエステ管外の人であり、トリエステの管内では二人にすぎません。
 トリエステでは、バザーリアを先頭とした先進的医療が行われました。そこでは、すべての精神病院が解体され、地域精神医療体制を充実させることにより、精神障害者は地域で生活するようになりました。つまり、バザーリアは、地域という空間としての精神病院を創設したことになります。それにより、クライシスコールの早期発見につながり、発症による犯罪が激減したことになりました。
 私たちは、この実例から何を学ぶべきでありましょうか。口で言う開放医療は簡単です。しかし、開放医療を目指すためには、トリエステのような地域医療体制の確立がなければなりません。
 私は、日弁連調査団の一員として、昨年十月、イタリアの保安処分施設を調査しました。司法精神病院であるモンテルーポ・フィオレンチーノでの非人間的取り扱いに非常なるショックを受けた後で、トリエステの地域精神センターを見学しました。これら二つの施設から受けた印象は雲泥の差があります。本委員会においても、両施設を見学され、トリエステのすばらしさと司法精神病院の非人間性をぜひ学んでいただきたいと思います。
 最後のまとめに入ります。
 法案は、医療の充実によりこのような犯罪に対処できるという立場に立っています。では、なぜその充実した医療をすべての精神障害者に提供できないのでしょうか。彼らが不幸にも違法行為を行ったことをとらえて、危険な存在だとその尊厳をおとしめながら拘禁の対象とするのではなく、なぜ、そもそも平等の精神による共生、連帯のための医療を実施しないのでしょうか。それが合理的である以上、それを不可能として拒否することは、まさしく我々の責任の放棄であり、精神障害者に対する差別と排除と言わざるを得ないでしょう。
 かつて、明治時代には、らい狂院が設立され、ハンセン病と精神障害が同列に扱われてきました。それが歴史の中でそれぞれの病院に分離されました。ハンセン病については既に国家的謝罪がなされましたが、精神障害についてはいまだに十分な治療が行われず、社会的に放置されています。歴史の中で、私たちは五十年後に精神障害者の人たちに謝罪しなければならないかもしれません。その謝罪を五十年待つ必要があるのでしょうか。今すぐにでも一緒に謝ろうではありませんか。私は、理性の府であり、国権の最高機関である国会に所属する議員一人一人にこのことを強く訴えて、意見表明は終わりにいたします。
 ありがとうございました。(拍手)
園田委員長 ありがとうございました。
 次に、川本参考人にお願いいたします。
川本参考人 京都学園の川本でございます。このような機会を与えていただいたことをありがたく思っております。
 私の専門は刑法と犯罪学、刑事政策でございます。十年以上前から、責任能力の問題とか犯罪者処遇の問題に関心を抱いてまいりました。また、六年前にはイギリスに一年間留学しまして、それ以降はイギリスとの比較研究にも関心を持っております。イギリスの施設は、一九九六年度と昨年の秋に十数カ所を参観しております。また、二年前から京都市の精神医療審査委員も務めておりまして、退院請求に関する患者さんの意見聴取も十数回経験しております。そのような見地から、若干の所感を述べさせていただきます。
 まず、結論を申し上げますと、今回の法案には基本的には賛成でございます。この問題は、約三十年前の保安処分をめぐる論争以降、先送りされて進展が見られなかったものですが、私は、本質は障害者の方の福祉の問題であると考えておりますので、一刻も早い解決をお願いしたいと思っております。
 その点で、今回の法案というのは、対象を心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者に限定されているわけですので、さらに、治療施設も厚生労働省の管轄とされておりますので、いわゆる予防拘禁を認めるものでないのはもちろんのこと、従来の保安処分とは異なるものでございます。したがって、対策の一歩としては評価できるものであると考えております。
 レジュメの、項目だけしか書いておりませんが、それに沿って説明させていただきます。
 次ですが、再犯のおそれに関しまして、あるいは裁判官の関与ということについては批判があるわけですが、これらについては次のように考えております。
 まず、再犯のおそれの判断は不可能であるという意見があるわけですが、現行の措置入院でも自傷他害のおそれを判断しております。また、諸外国でも同様のことは行われております。もちろん、諸外国でやっているから我が国で正当化されるというわけでないのは当然のことですが、例えば、ある精神科医によれば、確率的な危険性の判定、つまりリスクですね、リスクを判定するのは可能であると。ところが、危険性、デンジャラスネスというのを判定するのは、これは規範的なものだから裁判官にお願いしたらどうかということですね。つまり、リスクは連続線である、それをどこで切るかというのは規範的な判断だ、こういうような意見もあるわけです。
 次に、裁判官の関与に関しましては、裁判官の方では無理ではないのかというふうな批判がございます。私はそうは思わないわけですが、もし百歩譲ってそうであるとしても、裁判官の研修を行うというのが筋なのではなかろうか。裁判官ではできないからやめておけというような論法というのはおかしいのではないのかというふうに思っております。
 また、お医者さんが退院させたいというときに、裁判官の方が反対されて拘禁が継続するのではないのかというような危惧も表明されているわけですけれども、その場合というのは、今回のように不服申し立ての制度を整備することによって克服できるのではないかと思っております。
 そんなに意見が分かれるということは、私の精神医療審査会の経験からいってもないわけでして、むしろそれよりも、法律家がお医者さんの意見をサポートする、そして共同して責任を負うということの方が実際には重要なのではないかと思っております。現状では、お医者さんだけが責任を負うということですから、事故が起きた場合にお医者さんが責任を問われるのを恐れて退院させないというようなケースもあるということも御承知おきをいただきたいということです。
 次の指定入院医療機関ですが、政府案では、医師、看護師等を手厚く配置することとされております。これにつきましては、治療方法には変わりがないのではないかという御疑問があるようですけれども、イギリスの例を見ましても、治療方法、その内容自体は変わりませんが、形態は全然変わるわけですね。つまり、人手を手厚くするということによって保護室の利用というのが短縮されているというのが現実にございます。
 日本では人手がないわけですからどうしても、拘束するとか、あるいは場合によったら眠らせるというようなことになる。そうすると、患者さんの方は、どうして治ったかというのを体験できないわけですから、治療効果としても好ましくない、そういうようなことが言われております。詳しくは、また精神科の先生の方に聞いていただきたいと思います。
 基本的にはこのように法案には賛成ですが、若干、注文といいますか要望がございます。
 第一は、不服申し立ての制度です。先ほども触れましたけれども、これは非常に重要なものであろう。したがって、例えば、六十四条ですけれども、付添人、弁護士の方は保護者の明示した意思に反して抗告することができないというふうにされている、こういう点とか、ともかくもう一度再チェックをして、その不服申し立ての制度に遺漏がないようにお願いしたいというのが第一点でございます。
 第二点は、施設内と社会内の治療についてです。先ほど申し上げたように、イギリスの例を見れば、保安治療というのは十分な警備をするわけですが、多額の予算と多くのスタッフを投入する、そして手厚い看護を行うというわけです。そしてまた、目標は患者さんの治療と社会復帰ですので、地域社会内医療というのが重要であるというのは言をまたないことでございます。
 その点に関して、二つの要望を提示したいと思います。
 一つは、司法精神医学の充実です。幾ら多額の予算をつけましても、それを実行できる人が存在しなければシステムは機能しないわけですので、これの充実をお願いしたい。現在の我が国の医学部には司法精神医学の講座は存在しません。早急に専門家の育成に努めていただきたい。あるいは、現在の司法精神医療を担当されているお医者さんの一番の懸念というのは、後継者が育たないということである。非常に厳しい仕事ですので、それを希望される方がだんだん減っているというような現実もございます。
 二番目は、精神保健観察官の育成でございます。精神保健福祉士を予定されているようですが、本法案の対象者の処遇に経験を有する方を確保できるかどうかというのが重要な課題であると思います。現在の保護観察官の数は六百―八百というふうな数ですので、また、これを保護司の方が担当されるというのは恐らく不可能であろうと思います。そうしますと、大幅な増員が必要であるということですし、研修も要るということでございます。したがって、福祉に対する予算を十分につけていただけるかどうか、これが制度の運用を決定づけるわけですので、格別の配慮をお願いしたいと思います。
 そして、その次です。今までが、短期的といいますか、法案について賛成の部分と要望をつける部分です。
 最後に、今後の課題についてですが、第一に、精神医療の開放化。これは、我が国は民間病院が非常に多いわけですので、急激にベッドを減らすことは難しいだろう。しかし、五年、十年ぐらいでやはりそれを検討していただきたい。
 第二番目に、精神鑑定の問題がございます。今回の法案には関係がないわけですが、精神鑑定の充実、それは司法精神医学の充実から出てくるものだと思いますが、それを考えていただきたい。
 三番目に、責任能力、これの概念の変化もありますが、ちょっと時間がありませんので省略させていただきます。刑法学の今後の課題である。
 最後に、司法と精神医療の協働でございます。これは、裁判官の方でも、検察官の方、さらには弁護士の方あるいは学者にもそれに詳しい人が少ない。これをやはり養成していかなければいけないし、お医者さんの方でも、法律に詳しい方、人権に詳しい方というのがそれほどおられない。それを一層協力して充実させていかなければいけないということを申し上げて、長期的な課題でございますが、私の意見とさせていただきます。
 どうもありがとうございました。(拍手)
園田委員長 ありがとうございました。
 次に、池原参考人にお願いいたします。
池原参考人 おはようございます。池原です。
 お手元にレジュメをお配りしておりますけれども、人生は皮肉なものだなと思っているのは、見出しとして強調しようと思って網かけ文字にしたんですが、かえってモザイク文字のようになって、お見苦しくなって申しわけありません。
 たくさんのことを申し上げたいので、少し早口で申し上げることになると思いますが、よろしくお願いいたします。
 解説の二ページ目の方をごらんいただきたいと思いますが、私は、まずこの法案の持つ問題点を幾つか指摘させていただいて、その上で、この法案が現在刑事司法、精神医療の両面において持っている問題を改善する効果を持っているのかどうかということをお話ししたいと思います。
 まず第一の、この法案の問題点、与党案の問題点でございますが、この法案の処遇決定の重要な要件である再犯のおそれというのは予測不可能だという専門家の意見が非常に強いということであります。仮にそれがある程度できるとしても、全く過ちを犯さないということは不可能で、米国のジョン・モナハン教授によると、最適の予測条件下で、男性の場合六〇%程度の正確性を維持できる程度であるというふうにされています。
 重大な犯罪行為を行った精神障害者で、過去にも重大な犯罪行為を行った前科前歴を有する者は、犯罪白書によりますと六・六%程度でありますので、今、千人の重大な犯罪行為を行った精神障害者について、再犯のおそれに基づく指定医療入院機関への収容状況を検討いたしますと、表一のようになります。
 この再犯予測は予測可能性が六〇%で計算しておりますが、そのもとで、実に九〇%以上の人が、本当は再犯の危険性がないのに再犯の危険性があるとして収容されてしまった人ということになります。この割合は、再犯率を一〇%程度に引き上げて、予測可能性を九〇%の正確性があるものとして計算をしても、収容者のうちの五〇%は偽陽性者という結論になります。
 もし、刑務所の受刑者のうち少なくとも半数以上の者が、場合によれば九〇%以上の人が実は無実の罪で収容されているということになるとしたら、そのようなことをこの社会は許すのでしょうか。あるいは、がんの疑いがあるということで胃や子宮の摘出手術をしてしまったうちの五〇%から九〇%の人が実はがんでなかった、あるいは手術の必要性がなかった、そのようなことをこの社会は許すのでしょうか。精神障害者についてだけはなぜそうした事態が許されるのか、このことをよくお考えいただきたいと思います。
 二番目の問題は、再犯のおそれを要件とすることは、与党政策責任者会議のいわゆるPT報告書にもなく、医療上の判断基準にはならないということであります。
 このPT案では、「処遇は、より確実な治療効果・病状の判断の下で入退院や通院の要否が決定されるべきである」としておりまして、もともと再犯を要件とするような制度を考えていたものではありませんでした。
 この法案になってから、なぜ「再び対象行為を行うおそれ」というものが入ったのか理解できないところでありますが、一部の説明では、この要件は治療のための要件で、決して社会防衛をもくろんだものではないということであります。
 しかしながら、再犯の危険性は疾病の診断基準ではなく、再犯のおそれは病気そのものとは関係性が希薄な要件です。これを治療要件にすることは、この法律をつくろうとしている方々の意図や善意に関係なく、この法律ができた後の将来において、その医療が患者本人のためではなくて社会の安全のために行われるものであるというふうに解釈されてしまう危険性を払拭することができません。真に患者の治療を目的にするのであれば、将来における乱用やあるいは誤解を避けるために、ぜひ本来の目的にかなった形で、病状の重篤さあるいは重症度というようなものを要件とすべきであるというふうに考えます。
 三番目に、この法案では、犯罪事実、責任能力、再犯の可能性、いずれの認定についても憲法上の適正手続の保障がされておりません。
 しかし、これらの要件はいずれも刑事に関係した要件でありまして、しかも、この法案が医療を提供するものであるとしても、長期にわたって対象者の自由を拘束することになるという点は自由刑と全く変わりがありません。しかし、この法案は、その手続に憲法上の適正手続の保障をしないということになっているのであります。
 これは国際的な人権規約からも到底許容されないものでありまして、このままでは我が国の精神医療は再び厳しい国際的な非難にさらされることになるというふうに考えます。
 先週、私は、米国の法律家の会議に出席して、この法案にデュープロセスの保障がないということを報告いたしましたが、会場からは驚愕とどよめきの声が上がりました。
 また、適正手続の保障がされていないために、付添人の制度があるといっても意見陳述権が認められているだけで、その他の防御権はありませんので、有効な弁護活動ができるとは考えられません。
 このような問題点を含みながら、では、この法案は現在の刑事司法にあった問題を改善することになるのでしょうか。
 第一に、検察官の不起訴、起訴猶予の判断の前提になる簡易鑑定の適正化に改善が加えられていません。
 自由民主党のPT報告書によりますと、「検察庁において、責任能力に関する捜査を十分に行わず、安易に不起訴処分にしているのではないかとの疑念を生じさせている。」「責任能力の判断に関する医師の鑑定の信頼性に疑問が抱かれている。」このように指摘されています。しかし、この法案では、この点についての改善策は一向に示されておりません。
 また、この手続を行うと、対象者に対する医療の提供が現在より大幅におくれて、適時に適切な医療介入を行うことができません。
 この法案第三章の医療に関する章は、審理が行われている間の鑑定入院の場合についての医療を除外しております。ということは、審理が行われている間は医療が適切に行われないということであります。といたしますと、逮捕、勾留をされてから二十三日間、さらには刑事裁判を受けて半年、一年を経過して、そしてこの手続が行われるということになった場合に、非常に長期にわたって医療から引き離されるという結果を生じることになります。
 また、この法案では、精神障害者による犯罪行為を防げないということがあります。
 もっとも、自由民主党のPT報告書によっても、「精神障害者の犯罪率は、社会全体の犯罪率に比べ、かなり高いのではないかと一般に漠然と考えられているが、その認識は正確な資料によって改められる必要がある。」とされておりますので、刑事政策面で殊さらに精神障害者についてだけ再犯防止策を新設する必要は乏しいと考えられますが、仮にその必要性があるとしても、重大な犯罪行為を行った精神障害者の再犯率は六・六%にすぎませんので、今後生じる百件の事件のうち九十三件以上は防げないということになります。
 では、精神医療にあった問題は改善されたのでしょうか。
 措置入院制度は一向に改善されないと考えられます。なぜなら、この法案が成立しても、恐喝や脅迫、傷害罪の一部、さらには覚せい剤取締法違反を含む大多数の触法行為を行った精神障害者は、措置入院の対象になります。また、一般病院内では、暴力的な言動をしたり治療が難しいとされる患者の八三%が一般病院に残ることになります。つまり、一般病院の状況も措置入院の状況もほとんど改善されないということです。
 また、退院後の通院確保は非常に重要なことでありまして、保護観察官が行う精神保健観察は非常に期待が持たれております。
 しかし、保護観察官は全国で実働六百人程度、一人当たりの保護観察官が当たるケースは二百件ということになっておりまして、その専門性やマンパワーからも到底、通院確保を行うことは難しいと考えられます。
 また、この法案は、長期入院者十五万人、社会的入院者七万人、それから病床数が三十三万床を超えているという日本の特異的な状況を全く改善することになりません。
 さらに、四番目はちょっと飛ばしますが、五番目、こうした患者を抱える家族の支援や保護者の義務軽減が全く配慮されておりません。保護者制度の廃止は精神障害者の家族会の悲願でありますけれども、しかしながら、この法案はその方向とは全く逆行しておりまして、新たに保護者の任務を十三個新設しています。また、こうした患者を抱える家族の関係は疲弊し、破綻しているということが容易に想像されますが、それに対する支援策も全く示されていません。
 そして六番目に、この法案に基づく院内及び地域での医療内容について、厚生労働省は具体的な方針を定めておりません。非常に限られた病院で、さまざまな問題を抱えた患者さんが一緒に処遇されるという結果になることも想定されます。
 このようなさまざまな問題があると思いますので、ぜひこれは党派を超えた、本当に何が必要かという観点で、慎重な御審議を与党の方々にも野党の方々にもお願いしたいと思います。
 どうもありがとうございました。(拍手)
園田委員長 ありがとうございました。
 次に、菱山参考人にお願いいたします。
菱山参考人 法律問題などには全くの門外漢である精神科臨床医の立場から発言させていただきます。
 まず、従来の一般的精神医療が抱える特殊条件と現状の問題点ということについて。
 一つには、精神医療が対応すべき精神障害者には、その症状、病状の表現として生活行動上の偏りを呈し、それが周囲の人々の心理、生活面にさまざまな形で影響を与える場合が少なくありません。したがって、その症状、問題行動のよって来る理由やその症状改善への対策が明示され、周囲の人々の理解と協力を要請する手だてが十分講じられない場合には、排除し隔離してほしい対象として受け取られかねません。このことは、一歩間違えれば、精神障害者医療が、彼らの病状改善にとって最適の手だてを選択するよりも、周囲の人々の意向、短絡的な社会防衛的視点によって影響を受けることにもなりかねません。
 二つには、医療を必要とする精神障害者の中には、精神障害ゆえにその必要性を認識できず、自己の病状改善にとって必要な医療、援助を享受する権利を行使できない場合も生じます。したがって、医療を担当する立場の者にとっては、本人の自己決定を尊重するといった名目のもとに、本人からの要求があるまでは手を出さぬといった安易な受け身的対応に終始することは許されず、時には、その時点での本人の意向とは相矛盾する対応をも辞さぬ姿勢なしには医療責任は果たせぬということにもなります。このことは、まかり間違えば、医療側の請負主義、独善、あしきパターナリズムを招来することにもなります。
 以上のことからも、精神障害者医療の分野では、他の診療科以上に、ユーザーをも含めた幅広い領域、立場からの点検、チェックを保障する対策が制度的にも意図的に追求され、確立されていかなければなりません。
 三つには、重大な問題行動をも含めて、精神障害者が示す広義の症状は、彼らが罹患し抱える疾病や障害の質や程度のみによって規定されるものではなく、発症以前の長期にわたる生育環境を通して形成された人格特性や現在置かれている生活の場の状況、環境条件が大きく関与していることは言うまでもありません。診断、治療、処遇方針の策定、それに基づく医療実践に当たっては、これらを総合的に把握し、対応していく体制が不可欠であります。いわば、精神障害者をビオサイコソシアルな存在として総合的に受けとめ、対応していける精神保健医療体制の確立ということにもなります。
 少なくとも、現行の精神科特例に代表されるような劣悪な条件のもとで入院中心的に進められてきたこれまでの我が国の精神医療体制の抜本的改革により、危機対応、クライシスインターベンションを中心とした救急システムを初めとする初期治療から、心理、生活面への具体的な支援を含むリハビリテーションまでを統合した責任性、継続性、統合性を備えた保健・医療・福祉体制の確立を抜きにしては、我が国の精神障害者対策は一歩も進み得ないことをまず強調しておきたいと思います。
 今回の法律案審議に当たっても、以上述べてきたような精神障害者対策の拡充整備の一環という視点から御審議いただくことを期待している次第です。
 いま一つつけ加えるならば、不幸にして精神障害ゆえに心神喪失等の状態で重大な犯罪を犯さざるを得なかった精神障害者には、刑事責任は負わされるべきでないことは当然ながら、同時に、再び犯罪を犯さぬために、その要因となった精神障害を改善するために必要とする医療、援助を受ける責任はある。この権利と責任の両立によって、さらにはその責任を果たすための援助体制が準備されることによって基本的人権は存在し得るんだということを、医療担当者の立場からも確認しておきたいと思います。
 さて、心神喪失等の状態で重大な犯罪を犯す精神障害者の存在は、否定できぬ事実であります。その多くは、現在は起訴前鑑定によって、起訴前のいわゆる簡易鑑定によって、正規の裁判を受けることもなく、また、裁判を受けた場合にも、司法精神鑑定を通して精神障害ゆえに責任能力なしと判定されれば、その後の処遇はすべて医療の側にゆだねられることになります。その結果、現状の貧困な医療体制のもとでは、必要、適切な治療を受けられぬままに長期にわたって精神病院内に隔離収容され続けたり、十分な治療、アフターケア、生活支援対策も講じられぬままに退院となり、その結果、医療中断、病状再燃、生活破綻、問題行動再現といった経過をとらされている人々が数多くいるのも現状です。
 このような状況の改革、打開に向けての法制度の整備は、精神医療の立場からも当面の緊急課題の一つと考えます。もちろん、さきにも述べましたような、現行の精神保健福祉法の枠組みの中での保健・医療・福祉体制の拡充整備によって克服されていかなければならない部分が少なくないことも当然です。しかし、現行の保健医療体系のもとでは十分対応し切れない精神障害者の存在も否定できない事実であります。曲がりなりにも医学、医療の分野と司法の分野との相互補完的連携を視野に置いた今回の法律案は、多くの問題を残しながらも、一歩前進あるいは半歩前進と評価できると考えます。
 以下、再検討を期待したいと考える事項に限って、二、三意見を述べさせていただきます。
 一つには、以前より問題多しとされてきた起訴前簡易鑑定に関しては、ほとんど今回は触れられておりません。むしろ、重大な犯罪を犯した精神障害者に限っては、原則としてすべて正規の裁判と司法精神鑑定を受けさせること、同時に、逮捕から裁判終結までの期間を通して十分な医療を受けられることを保障するなどの明文化が必要ではないかと思います。
 二つには、不起訴や無罪となった精神障害者に対しての入院治療や通院医療などの処遇決定については、今回は裁判官と医師の合議体による審判制度が導入されておりますが、果たして二名だけの構成で的確な処遇決定が可能であろうか。精神保健福祉の専門家なども加えた、より充実した合議体制が考慮されるべきではなかろうかと考えます。
 三つには、さらに重要な問題として、処遇決定後の具体的な医療保障や継続的な処遇診断のありように対して、不明確、不十分な印象をぬぐえません。臨床医である私にとって最大の関心は、この法の制定によって、重大な犯罪を繰り返す傾向があり、かつ、一般精神病院では有効な治療が提供できがたく、処遇上にも困難を生じやすい精神障害者に対して、どこまで有効な治療が提供でき、その濃厚な治療的関与を通して、より的確な経過、予後の予測や処遇診断ができやすい条件を創設し得るかというところにあります。
 その意味からも、少なくとも一般精神病院よりも数段高度な医療スタッフや設備を備えた、十分な開放性や十分な環境条件の整備、例えば患者五、六人に医師は一人、患者一人に看護、臨床心理、福祉ワーカー、OTなどの技術系スタッフは二人以上などを配備して、大体二十床単位といったような、高度の条件及びマンパワーをそろえた国公立の専門治療施設を各都道府県に一カ所以上配置する規定ぐらいは明記されるべきではないかと考えております。
 第四には、通院治療に関連した問題です。
 通院治療の決定を受けた対象者については、通院を担当する指定病院で十分な医療が提供されるべきは当然ながら、同時に、他の一般精神障害者と同様に、地域におけるリハビリテーション活動の一環としての心理、生活面への支持、援助体制が不可欠です。一般の精神障害者にとっても活用できる地域資源も乏しい地域状況のもとで、重大な犯罪経験者とのレッテルが張られ敬遠されかねず、それだけに、劣等感やひがみ、社会に対して屈折した感情を持ちかねない彼らが、果たして、スムーズに地域資源を活用できたり、心理、生活面への支持、援助を受けていける条件をいかにして準備していくか、していけるのか。これは、病状悪化や生活破綻に伴う犯罪の再発を予防するという観点からも、見逃せない問題でもあります。
 今回の法案では、わずかに保護観察所が一定の役割を果たす規定があるにすぎません。これらの点に関しても、公立の精神障害者支援センターのような機関の設置なども視野に入れた検討が必要ではないかと考えます。
 以上、精神科臨床医の立場から若干の意見を述べさせていただきましたが、司法精神医学・医療の研究や実践経験の集積も乏しい我が国の現状では、いわゆる触法精神障害者の対策は、まさに試行錯誤の第一歩を踏み出そうとしている時期と言えると思います。それだけに、十二分な御審議をお願いいたすとともに、法律がもしも成立された場合にも、その後の試行錯誤的実践の集積を経て、抜本的見直しが三年ないしは五年後に行われることを明確にしていただくことを重ねてお願いいたします。
 さらに、触法精神障害者の今回の審議を通じて、むしろ、全精神障害者について医療、福祉の充実へのインパクトになるような、そのような御審議をぜひともお願いいたしまして、私の発言を終わらせていただきます。(拍手)
園田委員長 ありがとうございました。
 以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。
    ―――――――――――――
園田委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。吉野正芳君。
吉野委員 自由民主党の吉野正芳でございます。参考人の皆様方、よろしくお願い申し上げます。
 今からちょうど四年前になります、平成十年の五月二十九日、私たち、福島県いわき市なんですけれども、ここの市立病院で、精神科がございます、前に入院をしていた患者さんが退院をしまして、最近薬を飲まなくなったのでということで、お母さんと外来の方に参りました。そこで、三十四歳の若いドクターを刃物で刺しまして、そのドクターは一週間後ぐらいに亡くなってしまう、そういう痛ましい事件が起きました。お母さんもとめに入ったのですけれども、傷ついてしまいました。
 今度の参考人質問に当たって、私の仲間であります精神障害者を持った家族を訪ねてまいりました。これはおばあちゃんなんですけれども、娘さんが十三歳の年に発病して、自来四十年間、今、娘さんは五十三歳です、私より一つ先輩なんですけれども、精神障害の娘さんをいろいろ見守ってまいりました。
 このおばあちゃんの話を聞きますと、障害者は全く心は素直なんだというお話を伺いました。と同時に、物事のいいことと悪いことは全部承知しているということです。ですから、それだけに責任というものはきちんと障害者は持っているんだということを開口一番お話しになりました。
 もう一点は、私の娘はもう四十年間発病していますけれども、最初は隠しておりましたと。でも、そのおばあちゃんは十年前に家族会を、なかったものですから、つくりました。当時、十年前、十人でつくった家族会が、今四十名にふえております。いわき市は三十六万の大きな町ですけれども、家族会ができなかった三十年間というのは、暗いトンネルを自分一人でもがいて歩いていたみたいだ、家族会ができたら、仲間がふえて、何でもお話、情報交換ができて、本当によかったと。家族会をつくった一人なんですけれども、隠してはいけないということです。全部隠さないで、治療といいますか見守っていくという形。
 ですから、見ていると、そろそろ発作が起きるなというテンションの高い時期が来ますと、隣近所の方々に、ちょっとうちの娘テンションが高くなったから注意してくださいと、そこまで隠さないでお話をする。そうすると、道に落ちている危険なもの、ガラスの破片とかそういうものは隣の方々が拾って、逆に危険を未然に防いでくれている。そういう形で、隠さないで、地域で見守っていくことが一番精神障害者にとって大切なんだということを教えていただきました。
 それで、質問なんですけれども、まず川本先生に、そういう意味で、精神障害者は、善悪、いいことと悪いことは全部大体承知している、いわゆる責任能力といいますか、その辺は精神障害者というのはきちんとだれもが持っているんだというような立場で考えますと、日本国民として裁判を受ける権利という部分がありますけれども、事件を起こして、そして検察官の判断で不起訴処分という形になっちゃうと、裁判を受ける権利がなくなっちゃうわけなんです。この辺、先生はどのようにお考えでありましょうか。
川本参考人 先ほど責任能力のところは若干省略させていただいたのですけれども、責任能力概念というのは、先生御存じのとおり、認識能力と、それに従って行動できる能力という二つで構成されているわけですが、確かに、最近、責任能力概念が若干変わってきているという話はございます。
 当初ですと、従来、私も、教室で説明するときは、極端な例を出しまして、精神障害の方が錯乱状態でその行為をした、そうすると、是非弁別の能力、判断能力がないわけですから、わからない、責任能力がない、こういう説明をしていたわけですけれども、今先生御指摘のとおり、医学界の方でも、最近は、そういう能力はあるという例がふえてきている。つまり、制御能力の方に問題がある、判断はできるんだけれどもそれをコントロールできないんだという説明の方がふえているということを聞いております。先ほど申し上げたかったのは、そういう責任能力概念そのもの、それを今後、私ども刑法学界の方でも将来検討していかなければいけないというふうに考えているということでございます。
 もう一点は、裁判を受ける権利ですけれども、これは、そういう障害者の方の御要望はよくわかるわけですけれども、その要望に従って裁判を行うというわけにはまいりませんので、そういう意味では、裁判を受ける権利というのは認められないということでございます。
 ただ、今のような実態がございますし、ノーマライゼーションの問題で、精神障害者の方がちゃんと理解をされて、それで責任をとれるというのであれば、もちろんそれに従って裁判を行うべきだろう、このように考えております。
 以上でございます。
吉野委員 今の点ですけれども、足立参考人さんはどのようにお考えでしょうか。
足立参考人 責任能力云々の前に、責任主義の話ですね、同じことになりますけれども。
 私は、精神障害者が行った瞬間の話と、それから、長期的に後でそれをどう認識したかという問題とはやはり違うと思います。行った瞬間のその能力をいかに判定できるかの話になると思うのです。その行った行為の瞬間に、果たして本当に先ほどの弁識能力や制御能力があったんだろうか、私はやはり疑問に思います。
 以上でございます。
吉野委員 今度の法案を見ますと、入院という形で入院をします。そして、そこから治療を施して、よくなって退院、また裁判所の方で、最初から、入院ではなくて通院という形での方向を出す場合もありますけれども、いわゆる退院後、ここが私は一番大切な部分かなというふうに思うんです。
 それで、川本参考人、六月六日ですか、朝日新聞に書いていましたこの退院後の扱いで、保護観察所、これは池原参考人もおっしゃいましたけれども、今現在の保護観察所というのは、社会復帰を目指して刑務所を出てきた方々、また仮釈放された方々が更生をし社会復帰を目指すためにいろいろ努力をしているわけでありまして、保護観察官という方がいまして、そのもとに各地域に保護司さんという方々がおりまして、池原参考人おっしゃるように、本当に忙しい職場であります。そこへ、今度の精神保健観察官という新たな仕事ですね、これを加えたということは、今でさえ本当に忙しくてどうにもならないところへ新たな仕事をつけ加えたということで、本当に機能していくのかなというふうに私は思うんです。退院後はやはり受け皿でありまして、受け皿には、家族もいれば、県、市、保健所、保健センター、社会復帰施設、更生施設、救護施設、また、先ほど言った地域の住民の方々の協力もなければきちんとした社会復帰ができないわけでありますので、その辺の受け皿、もろもろの方々のいわゆるコーディネーターが保護観察所、精神保健観察官の仕事だと思うんですけれども、普通は保護司が地域にいて、保護司から相談を受けて上がってくるものの相談をしていればいいんですけれども、今回は、保護司さんは、地域にいる方々はおりません。そういう意味で、精神保健観察官一人の方に対してどのくらい人員の配置をするのが一番適当なのか、その辺、参考人の御意見を伺いたいと思います。
川本参考人 今の御質問についてですけれども、これはイギリスでも、マルチディスプリナリーというような形で、保護観察官の方と医師、看護師、PSWの方とかが全部共同して患者さんの治療に当たるという制度がございますので、私は、今回の案で精神保健観察官の方がコーディネーターになられるというのは評価できるというふうに思っております。
 今お尋ねの件でございますけれども、大体一年で対象になる患者さんが四百人ぐらい、精神保健観察官を各保護観察所に配置しますと五十人ですので、単純に割ると一人のケースロードは八人ぐらいということですから、今とは全然違うことになるだろうと思っております。ただ、各保護観察所にその精神保健観察官の方をやはり配置していただかないと、その数が少ないとつまりケースロードがふえるということですので、担当件数がふえるということですので、それは適切ではないのかなというふうに思っております。
 保護司の方ですけれども、これは長期的には、すぐではなくて十年後、二十年後になりましたら、保護司の方の研修をして、保護司の方にお手伝いいただくということは可能だろうと思いますけれども、私なんかも交通保護観察なんかでは講師をさせていただいたことがありますが、交通保護観察でしたら一般の保護司の方も、まあ研修を一、二回受けていただけば十分に担当できると思いますが、こちらの方はちょっと専門的なものですので、もし保護司の方にお手伝いいただくとしたらちょっと時間がかかるのではないか。けれども、将来的にはもちろん精神保健観察官の方自体の研修から保護司の方の研修という形で拡大していかなければならないと思っておりますが、差し当たりは、ともかく全国の保護観察所に精神保健観察官の方を配置していただけば、当面はそれでこなせるのではないかというふうに思っております。
吉野委員 今、全国五十くらいあると思うんですけれども、一カ所に一人の配置で大体当座は足りるというふうにお考えでしょうか。
川本参考人 もちろん、東京都、大阪市とか大都会については一人では無理だろうと思います。したがって、ちょっと五十人というのは訂正させていただいて、やはりそこは六十人ぐらいというような数は必要だろうと思っております。
吉野委員 普通の観察官がいて保護司がいる、そういうネットワークじゃなくて、もう直接、ダイレクトに精神保健観察官は対象者のところへ行って見なきゃならないものですから、私の福島県は本当に大きな県で、二百キロ、三百キロざらにあるものですから、現実に地域での保護司さんみたいな形の代理人といいますかそういう方々がいないとこの制度は本当に機能しない。特にまた、精神保健観察官という方がきちんとコーディネーターの役割を果たせるかどうかがこの制度のキーポイントに私はなろうかと思いますので、その辺も充実を図るように私たち努力をすることを申し上げまして、質問を終わらせていただきたいと思います。
 参考人の方々、本当にありがとうございました。
園田委員長 次に、日野市朗君。
日野委員 きょうは、参考人の先生方、本当に御苦労さまでございました。短い時間で本当に恐縮でございます。実は、我々も十五分しか質問時間がありませんで、単刀直入にお聞きをするしかないということで、失礼な言葉遣い等あるかもしれません。そこはひとつお許しをいただきたいものだ、こんなふうに思っております。
 私どもも、この法律案の審議に当たりまして、非常に迷うというよりは恐れおののきながら実はこの法案と対峙しているというところが現実であります。正直に申し上げまして、このような法律をつくって、人権の問題はどうなるのか、また一方では、社会の不安感、これにどのように対処していくのか、これはいろいろでございまして、非常に恐れおののきながらやっているということでございます。
 その一番の原因は、何といいましても、先生方皆さんお触れになりましたが、いわゆる再犯のおそれ、「再び対象行為を行うおそれが明らかにないと認める場合を除き、」と、非常に厳しい要件になっておりまして、私に言わせてもらえば、ないということを立証するというのは難しいんですよ、これは。ほとんど論理的には不可能だと言った方がいい。私も、実は弁護士でありまして、付添人なんかに出ていった場合、そういう対象行為の再犯のおそれがないということを立証するなんということは、これはできるのかねというふうに考えざるを得ない。
 それで、もう先生方皆さんこの再犯のおそれについてお述べになっておりますので皆さん全員にお聞きすればいいんですが、そうもまいりません。時間がありませんので川本先生に伺いたいんですが、先生は、この再犯のおそれについて、現在も措置入院について自傷他害のおそれについて判定をしているではないか、こうおっしゃいます。ただ、措置入院の場合は行政的な行為でして、これにはかなりの余裕といいますかアローアンスがあるんですが、これが、裁判所がやるということになりますと、しかも、ないということが明らかだということになってしまうと、それは明らかでなかったらこれはあることにしてしまうというのが論理的な流れじゃないかというふうに思いまして、私のそういう危惧に対して先生はどうお答えになりますか。
川本参考人 今の御質問についてですが、まず一つは、自傷他害のおそれというのは、今先生御指摘のとおり行政的なものですし範囲はかなり広い。今回は、重大な他害行為を行ったというものですので範囲は違うということと、それを丁寧にやろうということなんだというふうに私は理解しております。
 それと、明らかにないという場合を除きということになれば拘束する方にいくというのが論理的ではないかというお尋ねですけれども、私の精神医療審査会の経験でいいますと、そうは思っておりません。
 つまり、お医者さんがそこで自傷他害のおそれとか判断されるわけですけれども、大体私どもが判断していますのは、この状態でまだ病気があるのかどうかとか、そういうのを判定して、あるいは法律家の方が人権の問題で検討する。そういうことを考えましたら、そこで患者さんの治療を、社会復帰をやはりお医者さんも考えるわけですし、法律家の方も、拘束しようという方向で考える人は私は少ないと思っております。
 つまり、今の精神医療というのは、開放化の流れで、ノーマライゼーションですから、そういうおそれがあるから閉じ込めるというよりは、やはり社会復帰をしていただく、そちらの方が治療につながるんだという認識はあると思います。もしそれがないとすれば、それを広げていくのが筋だろう、こういうふうに思っております。
 以上でございます。
日野委員 川本先生も、非常に職務に忠実にそれぞれの方々が良心的に仕事をされるという前提がございますね。私もそれをあくまでも信頼したい。それがなければ本当に真っ暗やみじゃないかという感じもするんですが、これは、治安維持というのは大事だよ、こう思い込まれてだれかに仕事をされたらとんでもない話になることは、皆さんそこでは同意できると思うんですね。ただ、そういうときにも、それを実現していく制度というものが問題だ、非常に重大であるというふうに私は思います。
 この制度では合議体が形成されるわけですね、お医者さんと裁判官、こうなります。そこで、この合議体について、先生、デンジャラスネスについては裁判官にやらせろとおっしゃった、ここのところが私は非常に気になってしようがない。デンジャラスネスは裁判官にやらせろという、そこのところをもうちょっと詳しく御説明ください。
川本参考人 先ほど御紹介したのは、私が考えたことではなくて、精神科の先生がおっしゃっていることなんですけれども、それをもう少し補足いたしますと、その先生が言われるには、リスクというのは連続性のものであると。それについては、お医者さんはある程度の判断を現在でも自傷他害のおそれとかそういうところでやっている。ただし、それが明確に数値化されるものではないのは当然のことでして、大体といっても、六〇%とか八〇%とかそういう具体的な数字では出てこないし、さらにそれをどこで切るかという問題ですね。ということになれば、これは、お医者さんが六五あたりで切るんだとかそういうような判断は当然不可能である。そこは裁判官の方と相談してやっていったらどうかというのがそのお医者さんの意見です。
 それを一つ御紹介したのと、あとは、先ほど申しましたように、裁判官と医師の関係というのは、私なんかの理解では、先ほど申し上げたような、そんなにそこで厳しく対立がしょっちゅう起きるようなものではなくて、むしろ、やはり裁判官の方はお医者さんの意見を尊重される例が多いだろうと思うんですね。
 さらに重要だと思っておりますのは、私の経験で申し上げれば、裁判官の方とお医者さんの意見が一致している場合、つまり、二人とも退院は無理である、あるいは二人とも出したいというときに、そのときに法律家がサポートする。今の現状ですと、これはお医者さんだけが判断して、そして、もし事故があればお医者さんが責任を負われるという制度になっているわけですから、そこのところが、やはりお医者さんとしては法律家、司法の関与というのを求められるという原因になっているんだろうというふうに私は理解しております。
 以上でございます。
    〔園田委員長退席、森委員長着席〕
日野委員 私、さらにこの問題について非常に議論したいという意欲はいっぱいあるんですが、何しろ時間がございません。今のお話ですと、やはり精神科医さんは、これは、結果的に拘束に当たるような、対象になるその人物について自分としては責任を負いたくない、そういうところは裁判官にやってもらおうよという気持ちになっちゃっているんじゃないのかな。これで合議体として機能するのかなという危惧を私は非常に強く持ちます。
 その辺、私は議論をもっとしたいけれども、それ以上進むと時間がないので、私としてはそういう判断をせざるを得ないということだけ責任上申し上げて、そして、次の質問を前田先生にお願いしたいと思います。
 先生は、裁判官が入ることにより安定的、規範的評価が可能である、こうおっしゃっておられます。今、私と川本先生の議論の中にも、私の意見それから川本先生の意見、ちらちらと、この安定的、規範的評価という言葉で先生が表現されておられることなんかもかかわり合ってきていることはおわかりいただけると思いますが、病気のことについてはっきり言って無知です、法律家は。専門家じゃありません。専門家は何人かはいるかもしれないが非常に少ないと思います。その裁判官が入ることによって、何で、他害の危険または再犯のおそれ、これが安定的、規範的に評価できるんでしょうか。これはむしろ精神科のお医者さんの仕事ではないか、こう思います。いかがですか。
前田参考人 お答えいたします。
 精神科が専門家で法律家がある部分素人というのは御指摘のとおりだと思うんですが、責任能力の判定なんかでもそうなんですけれども、最終的に、さっきのリスクとデンジャラスネスの判断もそうなんですが、量的なもののどの程度のものを規範的な評価としてやっていくかという作業は法律家というのはある意味でなれているわけですね。
 やはり、日本の裁判官というのは非常に優秀であって、責任能力の議論なんかは、ある程度、一定期間学ぶことによって、この問題に関してこの程度のところで切っていくという判断力というのは持っていると私は思うんです。純粋に医学的に、二、三日後に発症するかどうかという判断だけの問題では私はないと考えております。
 安定的になるというのは、今でも、措置入院にしろいろいろな起訴前鑑定でもそうなんですが、地域差が物すごくある。お医者さんの個人差の問題というのはかなりあると思います。それに比べますと、法律家の方が比較的判断の振れ幅が小さいということで、安定的な判断ができるようになるのではないか。
 これは、共同作業でお医者さんと法律家がこれから積み上げていく作業だと思うんですね。法律家は素人なんだから一切この問題について決断ができないというふうに決めつけるのは、私は若干厳し過ぎるのではないかなと感じたということなんです。
日野委員 私、先生の講演したものが出版されたものを読ませていただきました。そこでも先生言っておられる。法律家というのはこういう判断の場合は非常にすぐれた能力を持っていると言われている。しかし、同時にこうも言っておられるんです。では、ほかにそういう役割を果たす人がだれかいるんですか、先生こう言っておられるのね。
 私は、ここのところに大きなやはり論理的な矛盾があると思いますよ。それは、だれかにそれをやらせなくちゃいかぬからこれは法律家にやらせると先生は言っておられるだけで、だれかにやらせなくちゃいかぬからというその前提の構え方、これが私はそもそも間違っていると思うんですよね。
 先生、そのことについてきょうは意見陳述なさいませんでしたので、そこのところを先回りして申し上げて恐縮だ。恐縮だが、さっきも言ったように時間がないので先回りして申し上げますが、その前提は私は間違っていると思うし、現実に法律家にそれだけの能力はありません。もしあるとすれば、長い間いろいろな事件をやってきたから勘がある。そういうときには勘が働くと言いたいと思ったら、この勘なんというものは大間違いだ。そんなものを厳正な法律的な手続をもって行われるそのプロセスの中に持ち込んじゃいかぬ。私はそう思いますが、まだ一分ばかりあります。先生、いかがお考えですか。
前田参考人 私は全く違う意見を持っておりまして、それは法律の判断というのはやはりある部分勘かもしれませんけれども、最終的には法律、国民の常識をくみ上げて、法的な規範的評価というのは、国民の常識はこうだという判断をする、そのプロというのが私は法律家だと思っています。
 法律家にそういう能力がないというか、そういうのを期待してはいけなくて、すべて国民が例えば投票で決めるとか、そういうことにしたらシステムは動かない。現実に、もちろんトラブルが今までなかったとは申し上げませんけれども、日本のいろいろな司法制度とか、法律家のそういう能力をうまく生かして、日本はうまくマネージしてきたと私は確信しております。
日野委員 そういう能力を求めるのであれば、評論家もいるだろうし、いろいろな健全な常識人というのはいるわけですよ。何も法律家を持ち込んできて法律手続でがちがちにするよりは、私は、この種の事例、出来事は行政の分野できちんとやることが正しい、こう思います。
 その意見を最後に申し上げて、時間ですから終わります。
森委員長 次に、漆原良夫君。
漆原委員 公明党の漆原でございます。
 きょうは、五名の参考人の皆様に貴重な御意見をちょうだいしまして、質問させていただきます。
 まず、前田参考人にお尋ねしますが、今回の政府案は、対象者の処遇の決定に司法的判断を加えるということが大きな特徴になっておりまして、保安処分だとかどうのこうの、いろいろな意見があるわけなんでございますが、まず第一番目に、裁判所が加わることの利点についてどのようにお考えか、御意見をちょうだいしたいと思います。
前田参考人 お答えいたします。
 直前の御質問にもつながることなんですけれども、こういう医療の問題に関しても法律との接点はございまして、法律家が責任能力判断その他を今までやってまいったわけです。
 今回の問題に関して、入院をさせるかどうかの判断について、お医者さんと一緒に法律家が加わってその基準をつくっていくということは、先ほど申し上げたんですが、判断基準の安定化。
 それから、もう一つ重要なポイントは、お医者さんの側では、どうしても患者の視点で、いかに治療するかというところだけでいく。もちろん、この法律は保安的なものを直接目指したものではございませんけれども、法律家の視点が入るということは、被害に遭った国民から見たらどう見えるかということも入ってくる。
 それが入ればすべて保安処分であるから、これは人権侵害だ、許されないというお考えもあろうかと思いますが、国民一般から見ますと、そういう被害に遭った人間の意識も入れた上で、人を殺して、責任無能力で無罪になった人を出していいかどうかというときに、本案では、間違いなくそれが治療にとって必要かどうかという一つの重要なフィルターを通すわけですけれども、そこに法律家が入るということは、いろいろな意味で非常に効果がある。
 基準が明確化するということ、それから、国民の納得のいく基準を導けるという意味でも、私は大変な前進だというふうに高く評価しております。
漆原委員 もう一点、お尋ねします。
 これは足立参考人から、今回の政府案は医療の名をかりた強制隔離法であるという大変厳しい御指摘がなされております。再犯のおそれを要件としたこと、裁判所がこれを判断すること、こういうことで、医療の名をかりた強制隔離法である、保安処分そのものであるというふうな御指摘がなされておりますが、これに対して前田参考人はどのような考えをお持ちでございましょうか。
前田参考人 もちろん、いろいろなお考えがあって、それぞれの立場ですが、私の立場としては、これは隔離というよりも、犯罪を犯した障害者にとってはより濃密な治療を受ける機会を得られて、しかも、その判断の前提として、従来の措置入院のときの判断以上にきちっとした資料を集めてやられるという意味で、非常に患者さんにとってもプラスの制度であるというふうに評価しております。
漆原委員 足立参考人にお聞きしないと不平等になりますので、足立参考人はこうおっしゃっています。再犯のおそれを要件とした途端に、その強制措置は実質的には保安処分とならざるを得ない。法律案は実質的には保安処分であり、しかも、犯罪事実及び責任能力の有無につき厳格な認定手続を省略した手抜きの保安処分と言わざるを得ない。
 この後段の部分ですね。犯罪事実及び責任能力の有無について厳格な認定手続を省略した手抜きの保安処分である、ここをもうちょっと詳しく御説明いただければありがたいと思います。
足立参考人 御説明いたします。
 対象行為の認定の話になります。
 つまり、今回の法案によりますと、事実認定期間、判断段階と、それから決定段階と、二段階方式になっております。この一段階目の事実認定のところで、さて裁判官は何を判断するのでしょうか。そのときに、法案をよく読みますと、それは、犯罪成立要件の判断ではなくて、この対象行為とされているものをしたかしないかの判断だけなんです。それは、専門的な言葉を使いますと、構成要件に該当する事実の証明で足りるような書き方になっております。
 そうしますと、それがもし、相手方が違法行為を行って正当防衛になったと仮定いたしますと、それは本来だったら犯罪にならない。構成要件に該当性があったとしても、違法でないから犯罪にはならないはずだと思うのですね。しかし、法案をよく読んでみますと、それは対象行為の有無を事実認定過程で問題にいたしますから、犯罪の有無という意味ではない。それは、責任能力の有無を除きまして、その犯罪の性質の有無は事実認定過程では問題にされていないということを、私はその言葉で申したかったのです。
漆原委員 ありがとうございました。
 次に、川本参考人にお尋ねします。
 今の話とちょっと関連するのですが、法律家が入ることによって、お医者さんの判断よりも法律家の意見の方が強くなる、したがって保安的な要素が強くなるんじゃないかというふうに御心配される向きがあります。
 参考人御自身が精神医療審査会のメンバーであられるということで、現在の実務においてはどのようになっているのか、今、指摘されるような心配な点があるのかないのか、その辺の話をお伺いしたいと思います。
川本参考人 お答えいたします。
 先ほど申し上げたのは、精神医療審査会で、退院請求が出ましたときに患者さんの意見聴取を行います。そこには、精神科医の先生と、ほかの委員、法律家委員とか専門の委員が行くということになっておりますけれども、そこの議論では、当然まずはお医者さんの診断を尊重し、そこにその法律家が若干のチェックを入れていくという運営でございます。
 さらに補足すれば、現場の精神科のお医者さんが、退院請求が出たときに、結局、精神医療審査会の方で意見聴取に来てもらう。そして、精神医療審査会の方が、その現場のお医者さんの判断をバックアップするかチェックするかという機能を果たしているわけですね。それについては、バックアップの方がはるかに多いです。もちろん、現場のお医者さんの判断がちょっとおかしいとか、そういう点に対して御意見を申し上げることはございますけれども、基本的には、むしろ現場のお医者さんを精神医療審査会という機関がバックアップするというのが実情であろう。
 そうであるとすれば、それをこの今度の法案に移しかえますと、精神科のお医者さんがまず判断されて、それに対して法律家がチェックをして、一緒に判断をする。
 先ほど、ちょっと違うことまで触れて申しわけないですが、お医者さんの責任逃れではないのかという御意見がございましたけれども、これは、今のお医者さんはすごい過重な負担をやはり強いられているわけでして、お医者さんが決して責任逃れをされようというものではなくて、司法の方にもやはり力をかしてもらえないだろうかというのが本音のところだろうと思っています。
 以上でございます。
漆原委員 もう一点、川本参考人にお尋ねしたいのですが、先生のお書きになったのを新聞で読んだ記憶がありますが、現行の措置入院制度ではいろいろ問題があるんだ、それを今回一歩前進させるという大きな意味があるんだというふうな新聞記事を読んだことがありますが、現行の措置入院制度の問題点を簡単に挙げていただければありがたいと思います。
川本参考人 お答えいたします。
 最大のものは、やはり都道府県によるばらつきであろうと思います。つまり、措置の数から期間から、そのあたりにかなりばらつきがあるというのは、各報道機関によって紹介されているところでございます。
 私が法案の方がベターであるというふうに考えておりますのは、民主党さんの案も、何か表面上は違う方向に行っているようですけれども、結局は、どうやって我が国の精神医療を改善しようかということをねらいとされているわけですので、言っておられることはそのとおりだとは思うんですけれども、各都道府県の措置入院の現状を改善していくというのには時間がかかるというふうに私は考えております。つまり、五年なり十年なり時間がかかるのであろう。そうすれば、それを待っているよりは、現在、専門病棟をつくって、まずは改善の一歩を踏み出すべきではないかというのが私の意見でございます。
漆原委員 続いて、池原参考人にお尋ねしたいと思います。
 先ほど報告書の中で、大変ショッキングな報告がございました。米国の法律家の会議に出席し、この法案にデュープロセスの保障のないことを報告しましたが、会場からは驚愕とどよめきの声が上がった、また、適正手続の保障がないため、付添人には意見陳述権のほかに本人を守るための防御権が与えられておらず、有効な弁護活動が行える内容になっていません、こういう御報告をなさいましたが、具体的に、適正手続の保障がないということは、どんなことをお考えになっておっしゃったのか、また、それを保障するためにはどうしたらいいのか、その辺の御意見をちょうだいできればありがたいと思います。
池原参考人 まず、この法律には、付添人側から、証人尋問権というものが付添人の側に与えられておりませんので、具体的な個々の証言について、反対尋問を通じて真実を明らかにしていくということができないことになっています。それから、対象行為そのものを認定する場合、同じ対象行為が刑事司法の裁判所で審理されるときは、いわゆる厳格な証明という法則が適用されて、弁護側の同意がない伝聞証拠等については証拠として採用されないという法則がかかりますが、しかし、本件の審理手続では証拠についての厳格な証明の法則がありませんので、基本的には、検察庁段階で作成されたすべての供述証拠が一括して裁判所に提出されるということになります。
 ですから、これは、通常の刑事手続に回された精神障害の方とこちらのいわゆる心神喪失者法案の方に回された精神障害の人を対比してみますと、証拠法則あるいは証人に対する反対尋問権、証人の申請権、こうした憲法三十一条以下のさまざまな規定がすべて用いられていないということになりまして、付添人としては、文字どおり付き添っているだけという結果になるというふうに私は思います。
漆原委員 その点につきまして、入院のために、治療のために身柄を拘束するという意味では現在の措置入院制度も同趣旨かと思いますが、現在の精神保健福祉法、これに対するデュープロセスの観点からの御指摘はいかがでございましょうか。
池原参考人 現在の措置入院制度は、基本的には、鑑定医の面前で現在症状としての自傷他害の危険性があるかどうかを認定されて、しかも最近では、その入院期間は三カ月程度という非常に短期の入院になっております。
 しかし、本法案に基づく認定行為というのは、そういう現在症状を認定するだけではなくて、対象行為、つまり犯罪行為を行ったか否かということ、責任能力があるのかないのかということ、それから再犯という、将来にわたって犯罪行為を繰り返す危険性があるのかないのか、こういう極めて刑事的な、犯罪に関係する事実の認定を行っていくということですので、非常にその点に大きな違いがあると思います。
 それから、これは評価の異なるところであると思いますが、例えば裁判による正義の実現という言葉を当初使われていたり、あるいは、重大な犯罪行為を行っているのにもかかわらず、責任能力がないということで刑事上処罰もされなければ、治療も十分に受けない、措置入院にもされないような事例があるというような立法動機からこの法案がつくられていこうとしていることを考えますと、少なくとも措置入院よりはこの法案に基づく入院処遇というのは相当長期になるだろうと私は予測しております。そういう意味では、両者に大きな違いがあるだろうと私は思います。
漆原委員 時間がなくなりました。
 菱山参考人にお尋ねできなくて本当に残念なんですが、通院治療については本法案の大きな目玉になっております。先ほど御指摘の件につきましてはしっかりと実施するように頑張っていきたいということを申し上げて、質問を終わらせていただきます。
 ありがとうございました。
森委員長 次に、佐藤公治君。
佐藤(公)委員 自由党の佐藤公治でございます。
 本日は、参考人の皆さん方には、お忙しい中このような時間をいただきましたことを感謝申し上げたいと思います。また、時間がない中なので、失礼なこともありましたらお許し願えればありがたいと思います。
 また、私の方から指名はさせていただきますが、もしも私の質問にどうしても一言申したいという方がいらっしゃいましたら、手を挙げていただけたらありがたいと思います。
 先ほどからのお話を聞いている中で、やはりこの賛否というものがほぼ確定をしているのかなという気がいたします。前田参考人はこの法案に賛成、足立参考人は反対、川本参考人も賛成、池原参考人は反対。
 そこで、私がちょっと聞き漏らした点もあるんですけれども、菱山参考人にお尋ねをいたします。
 先ほどのお話で、大変いい御指摘をされている部分もたくさんあったと僕は思います。そういうものを聞いていると、菱山参考人は本法案に関して賛成の方向なのか、条件つき賛成なのか、全くの反対なのか、こういう部分に関していかがでしょうか。
菱山参考人 お答えいたします。
 ちょっと初めにも触れましたように、原則的に、非常な問題はありながらも、一歩前進、半歩前進として私は一定の評価をする。ただ、その中で、臨床医の立場から見ますと幾つかの、十分検討し、再修正していただかなきゃならない問題があるということを御指摘したというふうに御理解願っていいんじゃないかというふうに思います。
 それから、もう一つ言えることは、これは今、第一歩であります。ですから、今後、十分にやっていく中で必ず矛盾が出てくるだろう。だから、その矛盾をさらに検証する中で変革していく、抜本改革していくというはっきりした条件をつけた上で、とりあえず現状よりはよりましな状況をつくっていきたいというふうに考えております。
佐藤(公)委員 菱山参考人の先ほどのお話の中で、やはりきちっと裁判所の方でやっていくべきだというようなお話があったかと思います。
 これから質問することは足立参考人と菱山参考人にお尋ねをしたいと思うんですけれども、足立参考人がおっしゃられた中、いろいろと大変いいことをおっしゃられていると思う部分があるんですけれども、ドイツや何かでは、やはり今、現状の二元主義というか二元制度というもの、こういうものが逆に差別というものを生んでいる部分があり得るんじゃないかという議論が多く出ていると思います。
 こういう部分でいうと、今の体制自体が逆差別というような状況をつくり出しているということがあり得るというふうにも思いますけれども、その部分はどうお考えになられますでしょうか。
足立参考人 私は、世界一般とかヨーロッパ全般という話は全然わかりません。ですけれども、私が体験したドイツやオーストリア、イタリアなどの話を総合いたしますと、みんなが一緒に生活できる、こういう共生社会を実現するためにどうしたらいいんだろうかということがやはり一番根底にはあると思います。それは、やはり共生をすることによって障害者も社会の一員であることが自覚でき、そしてともに生活できる。そうすると、それは実現しない方こそがやはり差別であると私は思っております。
佐藤(公)委員 菱山参考人、いかがでしょうか。
菱山参考人 まず、法律のことは十分わかりません、私自身の現状認識からいいますと、現在の精神保健福祉法体系の中で、犯罪を犯した方々の処遇は余りにも悲惨である、許されない反治療的な状況がある、その現状をどう変えていくかという事態でございます。
 それからもう一つは、初めに述べましたように、医学、医療のレベルでいいますと、やはり常にそこにはさまざまな矛盾がある。それを常にチェックされる、他の領域からチェックでき、そして審査されるという状況をどうつくっていくかということ。
 それからもう一つは、そこのところでやむを得ず医療が必要だというときには、どれだけ必要にして十分な医療ができる状況をつくっていくかというふうなことの視点から見ますと、現時点を変えていくということ。
 それから、先ほど申し上げたように、例えば治療処分的なものがあったとしても、それについては少なくとも三カ月ごとに十分にチェックできるとか、それについての利用される障害者からの異議申し立て、それからそれを受ける権利を有する、そういう点を十分に保障しなきゃいけない。
 ただ、言えることは、今回の法律の中で、そういう面から見ますと、特に通院の治療処分の問題、それから入院の治療処分についても、果たしてどんなものが提供できるかがあいまいのままで、ただやってはまずい。だから、やはりそこら辺を臨床医の立場ではっきりすべきだ。その実例が、先ほど言った特殊病院とか体制をつくるということ。それを抜きにして、いいとか悪いとか、私、臨床医の立場では言えない。やはりそれをしろということを強く望むということが私なりの立場でございます。
佐藤(公)委員 こういう話をしていくと、大もとのところの話になってくる。
 足立参考人にお尋ねしたいんですけれども、この国の政府に、今、社会保障制度、障害者の皆さん方に対しての基本的な方向性とか理念とかいうものが果たして本当にあるのかなという疑問を持つ部分があります。この辺、いかがでしょうか。
足立参考人 私は、先生の今の発言、全く同意いたします。というのは、やはり今の国の施策として、あるいは日本の歴史的な施策として、なかったと私は申し述べたいと思います。
 しかし、ないからいいのかという問題ではないはずなんです。やはり世界の中で、イタリアの北部や北欧では共生社会を実現しようと頑張っております。私たちがこれはできないはずがない。それは、障害者も一緒になって私たちと日常生活を送れるような社会ができるような国家施策こそ、やはり国会の場でつくっていただく以外に私はないと思います。
佐藤(公)委員 まさに、ノーマリゼーション、障害者の方々に対しての優しい言葉ばかりがあるんですが、やはり現実と理想というものが余りにもかけ離れている。また、そこには基本というものがちょっと今ないのではないかという思いが私もいたしております。
 そういう中で、今、諸外国の話が出たんですけれども、この次、川本参考人にお尋ねをしたいと思います。諸外国はできても、なぜ日本ができなかったのか、また前提がどこが違ったのか、簡単、簡潔にちょっと教えていただけたらありがたい。それが一点。
 もう一点は、先ほども、司法精神医学・医療というものがこの国には存在しないというか、ないというお話が出ました。また、そういう部分をより育てていく、また改善をしていくためには時間がかかるというようなお話もあったかと思います。では、こういうものがないのにこういう法律ができて果たしていいものなんだろうか。ないのであれば、それをきちんと確立させる、もしくはある程度の一定のレベルというものを考えてからすべきじゃないかというふうに単純に思うんですけれども、この二点、いかがでしょうか。
川本参考人 お答えいたします。
 第一点につきましては、諸外国の違い、私、詳しく調べたのはイギリスだけでございますけれども、そことの違いでやはり一番大きいのは民間病院だろうと思うのです。我が国の精神医療の入院治療の多くを民間病院が担っている。それをどうして長期的に減少させるような政策をとられなかったのかというのが私の大きな疑問でございます。
 したがって、先ほども申し上げたのは、時間がかかるであろうというのは、今民間病院を中心に三十三万人の入院患者さんがいて、いきなりそれを三万人にしなさいというのは、これは無理なことでございます。したがって、これから五年なり十年なり、今度こそやはりそこを減らしていただかないと日本の精神医療は変わっていかないというのが私の思いでございます。
 第二点ですが、先ほど申し上げましたのは、大学の医学部に司法精神医学という講座がないということを申し上げただけでして、司法精神医療を専門にされている方は何十人かはおられます。ただ、それが外国に比べると、そういう体制になっているので少ない。実際にイギリスで司法精神医療を一年なり二年なり学ばれたお医者さんがもう既に五、六名、最近おられますし、そういうので、必ずしも十分ではないけれども、我が国に司法精神医療を学んだ人が全くいないというようなことを申し上げたわけではございません。それと、あと、それをやはりふやしていくというのには若干時間がかかるであろう、ともかく現有勢力で今のところは道を切り開いていくより仕方がないであろうというのが私の意見でございます。
佐藤(公)委員 司法精神医学・医療というのが少ない。これは司法精神医学・医療とはまた違うのかもしれませんが、私も厚生労働関係でやらせていただいている中で、精神障害、知的障害を含めて、障害者の方々に関する大学系での研究というのが、いろいろと調べてみると非常に少ないのが実態だと思います。
 これは、私、調べていって本音を聞いていくと、結局は、お金にならない、注目を余り浴びない。どうしても注目を浴びる方向に人が行ってしまって、大変失礼な言い方かもしれませんが、メジャーかマイナーかといったらマイナーな分野だというのがだれもが認識をしている、先生方では思われているように私は聞こえたんですけれども、まさにそういう部分で、きょう教授先生が三人方いらっしゃるんですけれども、ここに問題点が非常にある部分があると思います。
 まず、前田先生、いかがお考えになられますでしょうか。
前田参考人 御指摘のとおり、やや医療の世界の中での位置づけが従来問題であったということは御指摘のとおりだと思います。
 ただ、徐々にではありますけれども改善していくでしょうし、今回こういう形で制度ができまして、ある程度の予算がついて、いろいろな意味での底上げ論というのがあると思いますけれども、全体を全部上げろとかいうよりは、具体的に司法精神医療の頂点としての中心となる病院が幾つかできるというようなことが、突破口として前進していく一つのポイントである、その意味で私は法案に賛成させていただいたということでございます。
佐藤(公)委員 済みません、時間がなくなってきましたので、足立参考人、川本参考人、申しわけございません、ちょっと意見はあれでございますけれども、続きまして、池原参考人にお尋ねをしたいと思います。
 先ほどのお話を聞いて、まさに患者さん、そして患者さんの家族への配慮、そういうことをいろいろとおっしゃられていたと思いますけれども、私は、やはりこういったことに関しては、被害者の方、または被害者の家族、または被害者の遺族の方々になるのか、こういう方々に対する配慮というのも本来あり、バランスをとりながらの法律というものがあるべきことだと思いますけれども、この被害者への配慮ということを考えた場合に、池原参考人、このたびの法律を含め、どう思われるのか、いかがでしょうか。
池原参考人 私も、被害者の方の立場には非常に心を痛めるところでありまして、ただ、二つのことを考えなきゃいけないと思います。
 今の法体系の中では、刑事訴訟法にしてもあるいは民法上の損害賠償制度にしても、被害者の方を総合的に救済するようなシステムというのがまだできていなくて、やや部分的に、犯罪行為を行った人を重罰に処すればそれで被害者の人が救われるのではないかとか、あるいは今回の法案のようなもので被害者の方に幾ばくかの安らぎを与えることができるのではないかというような、非常に矮小化された議論になっているのが大変残念です。むしろ、総合的な被害者救済、それは経済的な部分も含めて、あるいは精神的な、心的外傷をどうやっていやしていくかということも含めた総合的な施策の中で検討されるべき問題だと思います。
 そして、これは、被害者といっても本当にさまざまの方がいらっしゃいますので、十把一からげでどうだということは言えませんけれども、基本的にはむしろ刑事手続を厳正に行う。つまり、最初の問題に立ち返って、安易な不起訴とかずさんな簡易鑑定とかというのをなくすことによって、本当に裁判を受けるべき、処罰を受けるべき人にはしっかりとした責任をとってもらう、これが本来の、被害者の方に対する正しい社会のあり方であるというふうに思います。
佐藤(公)委員 もう時間が来てしまったんですけれども、簡単に、最後、菱山参考人、二人だと大丈夫かと不安だということをおっしゃられたんですけれども、では、二人じゃだめな場合はどうしたらよろしいんでしょうか。それだけお答え願いまして、最後としたいと思います。
菱山参考人 私は、よくわかりませんが、二人よりも、むしろ視点が違った、法律の立場、医療の立場、福祉の立場、そういう視点で合議するということの方が、よりその方についての処遇決定が出せるし、より十分に近づくんじゃないかという意味で申し上げました。
佐藤(公)委員 ありがとうございます。
森委員長 次に、木島日出夫君。
木島委員 日本共産党の木島日出夫でございます。
 五人の参考人の先生には、大変貴重な御意見、ありがとうございました。
 今回出されてきた政府案を総体としてどう見るか。政府案は、現行措置制度の中から、殺人とか傷害とか重大な犯罪を犯した精神障害者で再犯のおそれのある者を一部えり分けて、そして別の審判手続、判定手続に置き、そして別の処遇体系のもとに置く、そういう仕組みですね。
 ですから、私ども、賛成意見、反対意見、勉強しているんですが、大まかに言うと、賛成の皆さん方は、これは現在の非常に貧困な、余りにも貧困な措置制度の一歩前進になるんだという見方に立たれているようです。反対の皆さんは、いや、そうじゃない、この一部を切り分けて別の仕組みに置くことは、現状の貧困な仕組みを固定化するものじゃないか、そして一部えり分けられた皆さんに対する差別になるのではないか、そういうふうにお見受けするわけであります。
 いろいろな視点でこの政府案をどう見るかというのを、観点がたくさんあるので、私に与えられたわずか十五分で五人の先生から意見を聞くことはできないんですが、一つだけ、きょうはその中で共通の質問を五人の皆さんにしたいと思うんです。それは、この法案に賛成するか反対するかの一つの分岐点に、再犯のおそれを判定できるのか否かという論点が持ち出されているということなんです。
 大体、賛成する皆さんは、再犯のおそれは判定できるという立場であります。
 いろいろな論の中に、再犯のおそれと再発のおそれ、再犯のおそれは犯罪を再度犯すおそれ、再発のおそれは病気がもう一度出てきてしまう、それを再発のおそれという言葉に、非常に厳密に使い分けて、再発のおそれは医療判断であり、これは可能であり、現行の措置入院制度の自傷他害のおそれはまさにこの再発のおそれを判断しているんだという考え方に立つ。再犯のおそれというのはそうじゃない。これは法的判断であり、社会防衛的観点での判断であり、これが今回政府から出されてきた、裁判による再犯のおそれの審判なんだと。そういうふうに概念的に二つに切り分けて、そしてその結果、だから賛成、だから反対というような見方があるやに私承っているんです。
 私は、そういう見方でこの政府案に賛否を投ずるべきではないんじゃないかと思っているんです、個人的には。政府案が、本当に対象者の医療を充実し、社会復帰の体制が本当に保障されて目的どおりにいくのか、そうではなくて審判手続や処遇手続に相変わらずの人権侵害的な部分が色濃く残っているのか、それを見分けてやはり賛成すべきか反対すべきか考えるべきであって、再犯のおそれが可能かどうなのかというところ、余りそれで反対、賛成えり分けるべきではないのではないかというような個人的な立場には立っているんですけれども、しかし非常に重要な論点になっております。
 そこで、重ねて、端的に五人の先生に、持ち時間全部お与えしますから、再犯のおそれと再発のおそれの違い、また、措置入院における判定と本政府案の再犯のおそれの判定は違うのか、違うとすればどうなのか、可能なのか不可能なのか、それぞれの所見を、一人三分しゃべっていただくと終わってしまうんですが、よろしくお願いをしたい。
前田参考人 端的にお答えしますけれども、再犯と再発を分けること自体が一つのお立場だと思うんですけれども、病気が再発することによって同じまた犯罪を犯すおそれ、今度の政府案も、単純にこの人間がもう一回犯罪を犯すかどうかを聞いているわけではないわけですね。この病気を治療しなければ再犯するかどうかということを問題にした要件なわけですね。ですから、その再発と再犯の差は非常に小さい。
 また、もう一つ申し上げたいのは、現行の措置入院制度の中で、直前の、検察官通報で送られて暴れている人間ではなくて、ある程度落ちついてとか無罪になった人間について、将来どうなるかということをお医者さんがやっている判断の中には、先生がおっしゃった、分けた意味での再犯のおそれ的なものがかなり含まれて、それを現実にやっているじゃないか、それで日本はうまくコントロールしてきた。それを最近の医学の世界では、再発に極端に限定して、これしかやれませんよという議論をし過ぎているんだと思いますね。そこに誇張がある。
 法律の世界でも、そういう意味であいまいなものは、責任能力があるかどうかの判断とか、もっと言えば刑の重さをどのくらいにするかというのだって、みんなある部分アバウトです。それについて一定のガイドラインをつくりながらやってきたのが今までの考え方ですから、再犯のおそれというもの、ここで示されているものが判断できないとは考えないということです。
 ただ、この賛否の切り分けの仕方についての先生の御整理というのは私は全く同感です。この問題だけで決まるのではないという御指摘はそのとおりだと思います。
足立参考人 私は、ちょっと別の視点を考えております。
 というのは、この法案では、最初行った重大な他害行為と、その原因となった精神障害がそのままさらにまた続いていて、そしてそれのゆえに再び対象行為を行うことがいわゆる再犯のおそれという言葉になっております。これは法律的に厳格に言いますと、精神障害と対象行為を再び行うおそれというのは、因果関係が証明されなければならないはずでございます。果たしてこの判断ができるのだろうか。私は、これはできないと。医学的判断として考えた場合、精神神経学会の理事会の声明でも出ておりますし、医学的にできないという方が正しいのではないかと僕は思っております。
 ただ、日医の常務理事の人ができると書いてありました。そのできると書いてある、そのできる理由は、異常行動は予測できると書いてあるだけでありまして、再び対象行為を行うおそれの判定ができるとは書いてありません。
 とすれば、再犯のおそれができないのに法律家ができると言うことはどういうことかといいますと、それは先ほど前田先生がいみじくもおっしゃっておりましたけれども、司法的判断、規範的判断としてできるということで、この司法的判断、規範的判断でできるということは何を示すかといいますと、やはり先ほどから出ております、被害者の立場などを強調した国民世論のあり方によって、裁判官がそれをいかに加味しながらそこに判断として加えるかということにならざるを得ないと思います。それは結局のところ、裁判所による正義の回復という意味しかなくなってしまう。ですから、再犯のおそれは絶対に判定できないというのが私の立場でございます。
 それからもう一点の、措置入院との違いの問題がございました。
 措置入院の方は、先ほど池原先生が答えておりましたけれども、急性期の症状でございます。ところが、法案では、鑑定入院で三カ月間かけて判定すると言っています。三カ月かかって何を判定するんでしょうか。つまり、それこそ、この病気がさらにまた数年後に再発して、そして同じような行為を、つまり規定されている五罪種の行為をまた行うおそれがあるんだよということを言う。
 やはり措置入院はあくまでも患者本人の、当事者本人のためにつくられているものだと私は思っております。
    〔森委員長退席、園田委員長着席〕
川本参考人 お答えいたします。
 再犯のおそれと再発のおそれの違いですけれども、これも、先ほどから申し上げている精神医療審査会の退院請求のときにそういうような区別はほとんどいたしておりません。つまり、再発すればまた同じような行動を起こすであろう、そういう判断がつながっていると思います。ですから、再発と再犯というふうな分け方というのは通常行われていないし、私もその方が適当だと思っております。
 あと、措置入院の場合と本法案の違いというお尋ねですけれども、先ほどこれも申し上げたように、今回の場合は、鑑定をして丁寧に判断をするというところが大きな違いだろうということと、あと、やはりチェックが大事なんだというふうに考えております。
 よく長期的な判断とかそういうような御議論がございますけれども、結局、先ほどの精神医療審査会の退院請求の判断でも、退院請求が出てきて、患者さんを精神科医の方と私が二人で訪ねていってそこで意見聴取をして、実際オン・ザ・ジョブ・トレーニングみたいなことを私はしているわけですけれども、そういうときにどういう判断をされているのかというのは、先ほど申し上げたような判断をしているわけでして、つまり、今これで退院をすればまた同じようなことをするのではないかという場合は退院請求は認められない、そういう判断をしているわけですね。
 したがって、そこのところはある程度共通なんだろう、ただ、今回の場合はそこを丁寧に判断されるんだろうという理解をしております。
 それとあと、今、裁判官の判断で、規範的判断でほかの要素が入るのではないかというふうな御疑問もあろうかと思いますけれども、私の基本的な立場は、先ほど申し上げたように、この問題は福祉の問題だと思っております。そういう理解がふえるのは私は非常に好ましいことだろうと。もし裁判官の方が、私は裁判官の方は判断できると思っておりますけれども、中にはそういう知識が不足している方があるとすれば、それはそういう理解をちゃんとしていただきたい。
 精神医療審査会でも、当然、そういう関係者の方が世論に後押しされて、危険だから閉じ込めよう、そういう発想を持っていること自体が間違っているわけでして、それを正していくという点では、精神保健観察官の方とか裁判官の方とかあるいは検察官とか、そういう方たちがやはり皆関心を持っていただくというのが非常に必要なことなんだろう。今までは余りにもそれを見捨ててきたんじゃないのかというのが私の正直な思いでございます。
池原参考人 再発のおそれと再犯のおそれということですけれども、精神保健福祉法の方の措置入院制度というのを純粋に医療のための法律であるというふうな理解から考えるとすると、再発のおそれということで措置入院させるということは基本的には許されないんだろうと思います。
 むしろ、措置入院で自傷他害のおそれがあって医療及び保護の観点から入院の必要性があると言っているのは、あくまでも現在の症状を見て、現在症状から治療の必要性があるんだと。今は治っているけれども将来もう一回再発するかもしれないから入院させておこうとか治療しようということではなくて、現に症状を持っている、あるいは一見症状が治まっているように見えても、極めて近接した日時に、例えばきょうの夜とかあしたの朝とかここ一週間の間とか、そういうところで病状が再燃する、だから、それはある意味では再発したというよりは、ただ一時的に病状が隠れたというだけのようなときに本来の措置入院が行われるべきなんだろうというふうに思っています。
 これに対して、再犯のおそれというのは、そういう現在症状を問題にしているのではなくて、やはり短くても三カ月とかあるいは一年とか二年とか、そういう長さで問題を考えているだろう。実際に皆さんが、この法案をどう運用されるかということを想像してみられたときに、殺人行為を行って責任無能力だということで審判手続に回されてきた場合に、例えばここ一週間とか一カ月の間には再犯の可能性がないですからということで裁判所が却下の決定をするということを果たして想像できるでしょうか。
 あるいは、入院した後数カ月たった段階で、六カ月間は幾ら再犯のおそれが減っても退院はできないことになっていますが、六カ月たったので、全く再犯のおそれがないというふうに指定入院機関が考えたので、入院の継続をさせないという判断をした場合に、半年で出てくるということが果たして想像できるんでしょうか。
 恐らく、この法案を運用する、あるいは想像してみたときに、やはり殺人行為を行ったなら少なくとも五年とか七年は入院していてほしいという漠然とした期待がこの法案に込められていないかということを危惧しているわけです。
 そういう意味では、再犯のおそれというのと再発、あるいは病状が現に、一見隠れているけれどもすぐに今夜、あした、一週間先に出てくるぞという状態は、明らかな違いがあるというふうに考えます。
菱山参考人 まず、少なくとも、今回、再犯予測ができるかできないかなんということがこの法律が必要か必要でないかを決定する原因とは余り考えるべきじゃないという前提のもとで言いますが、医学的にいいますと、再発につきましても、先ほど初めに言いましたように、病状形成には、その人のかかっている疾病とか障害のみじゃなくて、その方がどのような状況にあるかという状況反応的な面というのがありますから、そういう点全体を含めて考えたときに、現在再発しやすい状況がまだ残っているか残っていないかはわかりますが、再発そのものは、明らかに半年後、一年後にするかどうかはできません。しかし、それを近づけようとする、これが医療の立場だと思います。そういう点で、ある面では不十分だけれどもできる。しかし、再犯のおそれというのは、これはあくまで犯罪ですから、医学、医療の面では、私は、再犯があるかどうか、再犯のおそれ、あるいは再犯予測はできません。
 ただ、以前にこのような症状のもとに犯罪を犯した、それと同じような症状が現在起こりやすいか起こりにくいか、そのためにはどのような処遇、治療が必要か、サポートが必要かどうかという判断はできます。しかし、再犯の予測は医学的な面ではできないんです。再犯と再発とは、そこでは一定のつながりがありますが、これは別の次元の問題として考えるというのが臨床の立場でございます。
木島委員 ありがとうございました。
 再発のおそれと再犯のおそれ、違うのか、因果関係の有無、非常に重要な論点が提起されたと思うんですが、残念ですが、時間が来ましたので終わらせていただきます。ありがとうございました。
園田委員長 次に、阿部知子君。
阿部委員 社会民主党・市民連合の阿部知子です。
 参考人の皆様には、長時間御苦労さまでございます。私が最後ですので、よろしくお願い申し上げます。
 きょう、五人の参考人の皆様のお話を伺ったうち、わけても前田参考人に私は中心的にお話を伺いたいと思っております。
 と申しますのも、今回、この法案の直接の立法根拠となるか否かはまた判断の分かれるところでございますが、世上あるいは政府の一部の方々にも、池田小学校事件との関連、池田小学校事件がある意味でこうした法案の審議を後押ししたということも私は否めないと思いますし、そのことをある意味で言及されておられたのが前田参考人ですので、極めて大事なことと思いますので、お伺いいたします。
 ここでは、参考人、池田小学校事件の意味とお書きでございましたが、果たして、池田小学校事件の問題点は何でございましょうか。
前田参考人 先ほど御説明しましたように、私の発表した内容というのは、マスコミ等で池田小学校事件が直接の原因でこの法律案が動いているように言われるけれども、実質的な意味でこの法律案をつくっていった日本の社会的状況といいますか事情を三つ申し上げて、ノーマライゼーションが発展してきたこと、それからそれに付随して措置入院制度の変質があったこと、さらに、それを支えるものとして司法精神医療関係者の少なさというか手薄さがあった、こういう問題を解決しなきゃいけないという実質的な問題に対してこの法律案がこたえているという意味で、私は合理性があると。
 ただ、こういうノーマライゼーションの動きの中で新しい法律案がぱっと出てくるというのは非常に難しくて、外国でもそうですし、日本の今までの立法でもそうだと思うんですが、例えばストーカー防止法なんかでもそうなんですが、きっかけとなる事件はある、ただ、でき上がった法律案が、きっかけとなる事件の問題解決に対して即対応するものであるかどうかというミクロの因果性というのは全く別だと思っております。
 私は、池田小事件がきっかけになった、その意味でとうとい犠牲の上に成り立つということを否定するものではありませんが、ただ、そこに近視眼的に引きずられて法案の中身を持っていくのは問題だということを申し上げたんですね。
阿部委員 私は、逆に、近視眼的に引きずられるという意味ではなくて、きちんと事実を踏まえることが精神医療の改善並びに皆さんのきょう御指摘の司法精神医学のあり方の改善にも結びつくと思いますので、あえて指摘させていただきます。
 私は、池田小学校事件は、やはり極めてずさんな起訴前の簡易鑑定にまず第一、起因しておると思います。今、この犯人とされる方は、いわゆる精神障害ということではなくて、普通の刑法の中での裁判という過程を踏んでおるわけです。この方が、経緯の中で、以前に簡易鑑定を受け、措置入院を受け、そうした病歴、繰り返されているがゆえに、社会的には、精神障害が起こす事件であるというふうな過剰なイメージを持たれて、差別、偏見を助長いたしました。私ども法にかかわる者は、逆に言うと、きちんとどこから手をつけたらこういう間違ったイメージが広がっていかないかということに一義的にまず任を置きたいと思うのです。
 二番目の質問ですが、前田参考人のレジュメの中に、「措置入院制度の変質」という一項がございまして、確かに、以前六万人おられた患者さんが現在三千人、措置入院制度で措置されている方の数は減っておりますが、なおどのような点が問題とお考えでしょうか。二点目、お願いいたします。
前田参考人 先ほどの池田小の問題については、私も先生と基本的な考え方は違わないということを申し上げた上で、措置入院制度についてお答えしたいと思うんですけれども、やはりこの六万が三千に減ったというのは医療の変化が一番基本にあるんだと思います。その意味で、減ったということ自体はノーマライゼーションの一つの象徴であって、また経済的措置というような、ある意味で不透明な部分というものを純化したというのは合理的だと思うんですが、ただ、現在でも、非常に重大な犯罪を犯して措置入院になるときに、審判を行うことの地域的な格差とか、それから時間的に与えられている余裕とか、不十分な面はあろうかと思います。そういう問題をある意味で解決するために、この法律案というのは一定の合理的な道をつけているというふうに私は評価しているということでございます。
阿部委員 私は、それがそのような役割を果たさないゆえにこの法案に実は反対の立場をとるものです。
 先生も既に御承知おきかもしれませんが、措置入院で現在三千人の方が措置されておるうち、二十年以上の期間病院に幽閉されている方が八百人余、四分の一は現行の措置入院制度でも二十年余を病院でお過ごしでいらっしゃいます。
 また、簡易鑑定について申せば、川本参考人の京都を例にとりますと、今ほとんどお一人のお医者様、簡易鑑定はお二人でなさいますが、お一人で百人なさっております。こうした簡易鑑定のあり方、やはり一人の判断あるいは限られた精神科医の判断は極めて問題をはらむ。それゆえに、例えば千葉県で行っております簡易鑑定では、グループ制にいたしましてなるべく多くの医者が、司法精神医学の発達のためにも、この司法鑑定の中に、簡易鑑定の中に加わって改善をしていくというふうな道を歩んでおります。
 やはり手をつけるべきは現行の措置入院制度と簡易鑑定。そして、その道がいかに遠く見えようとも、ここから切り込まない限り現状の措置入院の長期入院の方も安易な鑑定で、逆に言えば、こういうふうに池田小学校事件を起こすような方たちの問題も解決されないし、逆に、鑑定の問題性ゆえに、恣意的な鑑定によって裁判を受ける権利すら奪われている方も出てくると思います。
 私はその点きょう、参考人のお話を伺いながら、もしも問題意識を共有していただけるなら、先生方のお知恵をもってまず措置入院、簡易鑑定に切り込んでいただきたい。このことを改善せずして日本の三十三万人という膨大な入院患者さんの未来ももちろんないのですが、まず司法精神医学を言うならば、この点を私は強調したい。
 そして、最後に前田参考人と川本参考人にお伺いいたしますが、お二方とも、医者と裁判官の合議体をとるというお考えでございました。もしも合議体をとってこの二者の意見が食い違った場合はどうされますのでしょうか。前田参考人にお願いいたします。
前田参考人 その前に一言、措置入院の適正化というのはもう御指摘のとおりで、川本先生と私も同じ学会で法と精神医療をやっているわけですが、千葉のその先生に来ていただいて研究はやっております。措置入院制度の合理化というのは本当に喫緊の課題だと思っておりますが、こういう法律案の形でやるべき解決の仕方のほかにいろいろな方策があろうかと思っております。
 時間がありませんのでお答えしますけれども、要するに、合議体で議論をするというのは、これは食い違うと言いますが、話し合って結論を出していくということでして、先ほど川本先生が何度も御指摘になっていますように、現実から出発して考えますと、医療の側と法律の側が正面からぶつかり合うというのは非常に考えにくい。お互いに相補完し合いながら一番合理的な障害者の対応を考えていく、それがひいては国民の安心感、安全感、被害者の側の安心感にもつながる、そういうシステムとしてかなりいいものとしてでき上がっているという評価を私はしているということでございます。
川本参考人 私も同様でございます。
 もし万が一といいますか、どうしても結論が出なければ、それはまた別のメンバーで検討するとかそういうことは考えられるだろうと思っておりますが、今前田先生がお答えになったのと基本的には同様でございます。
阿部委員 私は、きょうのお二方のお話を伺いながら、やはりそのような合議体にすることによって逆に、どちらが最終責任をとるかが明らかでない体制がここに生ずると思うのです。
 例えば、医者の方は、再犯か再発かもさっき木島委員が極めていい質問をしてくださいましたので私はあえて言及いたしませんが、措置入院で要求されているもの、主にはその方の自傷他害で、それは再発ではございません。要するに、私は医者ですが、今私ども医療現場に課せられているものは、現在その患者さんをこのままで放置したらその方が危険であるかどうか、その方自身が危険であるか。それは、自分がだれかをけがさせることによっても生ずる危険ですが、そのようなものについて患者中心に判断する役割であって、再発して再犯を犯すか等々は、現在医者に課せられた任務ではございません。
 そこをリスク連続性という形で川本参考人はおっしゃられましたが、それはある程度認めた上で、デンジャラスかどうかを裁判官が研修も含めて学んだ上で判断すれば合議になると。言葉の上ではリスク連続性、デンジャラスネスとかいう形で極めてクリアカットに言われますが、実は、ある方がある状態に置かれて犯罪を犯すかどうかということは、極めてこれは刑法の上でも判断が難しい。そして、医療にはそのような判断スキームを持っておりませんので、ここで相違が生じた場合という例を挙げました。
 いずれにしろ、前田参考人に最後にお願いいたしますが、例えば先生がお引きになったイギリスでは、いわゆる保安処分とは申しませんが、こうした治療処分に対して再犯予測要件はございません。保安処分とは呼びませんが、イギリスの治療的な取り扱いの中では、再犯予測要件というのは述べられておりませんし、またドイツでは、むしろ司法の場で起訴が原則になり、すべてが公判で扱われて、むしろ裁判官の判断が主になっております。
 こうしたことについて、先生は、日本の精神医療の、ある種の精神科の医師たちの判断が再犯ということをがえんじないというふうに当初おっしゃいましたが、精神医学協会も反対声明を上げております折から、諸外国においても、私は先生の御認識のもう一歩先をお教えいただきたいと思います。
前田参考人 イギリスの御専門は川本先生ですので、私はちょっとあれなんですけれども、ただ、やはり、医療の側と法律の側が対立するのではなくて、その中で合理的な、この手の連続的な危険の量があったときにどこで切るかという判断は、お医者さんの側からも考えていただかないと困るんだと思います。
 それは医者の問題ではないとおっしゃいますけれども、やはり法律家と議論しながら、そこで新しいガイドラインをつくっていっていただかないと困るし、こういう法律案をつくるつくらないにかかわらず、私は、ノーマライゼーションが進んでいく中でこういう問題は別の形で必ず起こってきますので、そういう国民一般の、被害者の側も含めた規範意識をくみ上げた形での評価、そこに医者の側もコミットしていっていただかないと困ると申し上げたいと思っております。
阿部委員 済みません、一言だけ。
 ノーマライゼーションの基本は、お互いの信頼でございます。再犯の予測云々は、医師と患者の信頼関係に大きな亀裂を生みますので、その点で申し上げましたが、貴重な御意見ありがとうございました。
園田委員長 以上で午前中の参考人に対する質疑は終了いたしました。
 参考人の皆様方、きょうは、国会に出向いていただいて貴重な御意見をいただき、まことにありがとうございました。法務、厚生労働両委員会を代表して、心から御礼を申し上げます。
 午後二時より連合審査会を再開することとし、この際、休憩いたします。
    午後零時二十二分休憩
     ――――◇―――――
    午後二時開議
園田委員長 休憩前に引き続き連合審査会を開会いたします。
 内閣提出、心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律案、平岡秀夫君外五名提出、裁判所法の一部を改正する法律案及び検察庁法の一部を改正する法律案並びに水島広子君外五名提出、精神保健及び精神障害者福祉に関する法律の一部を改正する法律案の各案を議題といたします。
 本日は、各案審査のため、参考人として、東京医科歯科大学難治疾患研究所教授山上皓君、多摩あおば病院精神科医中島直君、社団法人日本精神科病院協会会長仙波恒雄君、北海道立精神保健福祉センター所長伊藤哲寛君、以上四名の方々に御出席いただいております。
 参考人の方々、大変御多用のところを国会に出向いていただいて、それぞれの立場で忌憚なき御意見をいただきたいと思います。私どもの審査の参考にさせていただきたいと思いますので、どうかよろしくお願い申し上げます。
 次に、議事の順序について申し上げます。
 まず、山上参考人、中島参考人、仙波参考人、伊藤参考人の順に、各十分程度御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑に対してお答えをいただきたいと存じます。
 なお、念のため申し上げますが、発言の際は委員長の許可を得ることになっております。また、参考人は委員に対して質疑をすることができないことになっておりますので、あらかじめ御承知おきいただきたいと存じます。
 それでは、まず山上参考人にお願いいたします。
山上参考人 限られた時間ですので、端的に意見を述べさせていただきます。
 私は、本法案を、困難な条件のもとでつくられたものとしては最善の案と評価して、不幸な事件の続発を防ぐために、一日も早く成立させていただきたいと思います。
 何よりも高く評価される点は、我が国の触法精神障害者に対して、初めて責任ある処遇が国の手によって行われることになることであります。
 触法精神障害者、中でも重大な事件を繰り返す人たちは、精神障害とともに、強い犯罪傾向をあわせ持っております。私の調査では、他害行為を何度も繰り返す精神障害者の約八割は、発病する前から何度も事件を起こしていた人たちです。すなわち、それまでは、事件を起こすたびに罪の大きさに応じて刑務所に入れられるなど厳しく罰せられていた人たちが、受刑中に発病するなどして一度精神病と診断されると、次の事件からは罪を問われることなく、司法の手を離れ、一般の患者として精神医療の側に送られてくるのです。このカラーの資料の図一の左上、濃く示した部分、そこに相当する人たちであります。
 欧米諸国は皆、このような一群の患者たちのために専門の処遇制度、施設を用意し、彼らを安全にかつ適切に治療するための努力を重ね、質の高い司法精神医療を確立してきました。右の図二―三のところにイギリスの例を示しておりますが、司法精神科の病床数が精神科病床数全体のほぼ一割を占め、患者一人当たりで見れば、一般病床に倍するスタッフや資金が投じられています。
 御承知のように、一般精神医療は今、ノーマライゼーションを目指す流れのもとで、患者に対する強制や制限を最小限にとどめる努力を求められていて、強い犯罪傾向を持つ人たちに適切に対応できるところではありません。そこに重大な事件を繰り返す精神障害者を送り込むことには最初から無理があるのです。そこで、触法精神障害者が司法の手を離れ、医療の側に送られてくる過程で、さまざまな混乱と悲惨な事態が生ずることになります。
 図二―二、右の上の図でありますけれども、ここに矢印で示しますように、Aとされた人は、一部の自治体立病院で試みられている司法精神医療を受けられますが、それはまだごくわずかです。Bのように、重大事件を起こしながら、入院すら拒否される人もいますし、Cのように、殺人の罪を犯しながら、一、二カ月で退院して再犯に至る者もいます。そこには詐病を演じて病院に逃げ込む人たちも含まれています。Dのように、入院中に職員を傷つけるなどして強制退院させられ、再犯に至る人もいます。Eのように、病院内で他の患者を殺害し、退院させたくてもさせられない事情があるということで、生涯おりのような保護室に閉じ込められている人たちもおります。
 矢印の経路を点線で示しましたが、我が国では行く先が相手次第でどこになるかわからず、それをフォローするシステムも全くないので、あえてそうしたものであります。
 このように、触法精神障害者に対しては、現在、およそ法治国家とは思えないような無責任な対応がされているのです。これに対し、新法では、処遇の決定は裁判所で行われ、退院後のケアについては保護観察所が責任を負います。私が、国の責任の明確化が最も評価に値すると考えるのは、このような認識に基づくものです。
 評価すべき第二点は、この法案の中で、おくれている我が国の司法精神医療の確立に必要な二点がしっかりと押さえられている点であります。
 一つは、専門治療施設の整備です。英国の司法精神医療をモデルとして充実した治療環境が整えられ、スタッフについても、困難な治療に取り組むのに十分なだけのスタッフの配置が国費によって保障されることになります。
 もう一つは、退院後のアフターケア体制の整備です。これには保護観察所が精神保健観察官を配置して当たり、専門治療施設のスタッフとの連携のもとで、従来にない責任あるフォローアップができるようになります。
 本法案では、そのほかにも、触法精神障害者への弁護人の付き添いや、被害者、遺族の傍聴権の保障など、懸案であった人権面への配慮もされており、改善される点は少なくありません。また、対応の難しい触法精神障害者を治療する司法精神医療の進歩は、一般精神医療にもさまざまな好影響を及ぼすものと思われます。
 ところで、この法案については専門家の間にも大きな意見の対立が見られます。具体的問題に入る前に、まずその背景について一言触れたいと思います。
 先ほど図の二のところの説明でも触れましたように、我が国の触法精神障害者の多くは、三十三万床という膨大な数の一般精神科病床の間に拡散していって、一般の患者として扱われ、その跡をたどることさえできません。触法精神障害者を司法精神医療の場に集めて診る欧米諸国とは異なって、我が国では、精神科医であっても触法精神障害者の全容を知る機会を持つ人は少なく、自分がたまたま経験した範囲でしかこの問題を知ることができない人が多いのです。全国調査に参加したり、触法精神障害者の治療を積極的に引き受けたりしている一部の医師はある程度実態を把握しているのですが、その数はまだごく少数です。また、欧米の司法精神医療の実情を正しく知る人も少ないことから、我が国の精神科医の中には司法精神医療の必要性についてさえまだ気づいていない人たちも少なくないのです。
 これに加え、この問題には、二十数年前に激しく争われた保安処分論争が暗い影を落としております。
 私は、平成十年から三年間、日本精神神経学会で精神医療と法に関する委員会の委員長を務めるなどして、触法精神障害者問題をタブー視する風潮を解消する努力をしましたが、三年前に学会でシンポジウムを開催したときに、保安処分反対を叫ぶ患者集団と称する人たちに壇上を占拠され、以来、彼らの攻撃の対象とされております。我が国の精神科医の間には、国による触法精神障害者対策を必要と感じている人がたくさんいるのですが、そのような事情もあって、公の場でそういう発言をできる人は少ないのです。
 最後に、争点の一つとなっている危険性の評価をめぐる問題についても一言触れたいと思います。
 本法案では、対象者が入院をさせて医療を行わなければ再び対象行為を行うおそれがあると認めた場合に入院命令を下すことにされていて、再び対象行為を行う可能性についてのリスクアセスメント、危険性の評価が問題とされるわけです。
 欧米の司法精神医療においては、危険性の評価は、患者の治療目標の設定や治療効果の判定あるいは社会復帰に向けての処遇基準の変更などに際して日常的に行われており、これを日本の司法精神医療の場で活用することには何の問題もありません。
 危険性の評価は、それほど厳密ではありませんが、精神科臨床の場で我々精神科医が日常的に行っていることでもあります。措置診察における自傷他害のおそれの判定や、事故を防ぐ目的での保護室への隔離、閉鎖病棟への収容も、しばしば危険性の評価に基づいてなされています。精神科医が日常の診療行為の中でみずからの責任を全うしようとすれば、これを避けることは許されないのです。
 レジュメに示しましたように、触法精神障害者の事件を繰り返している人たちの経過を見ると、今の一般精神医療では対応し切れないとみなされる事例がたくさんあることは否定できない事実であります。したがって、危険性の評価は、できるできないの問題ではなく、どのような評価基準をつくっていくかという問題なのです。ちょうど刑事責任能力の評価基準が精神科医と裁判官との間で長年かけてつくられてきたように、これから危険性の評価基準を両者の間でつくっていくことになるのです。
 最後に、もう一言だけ述べさせていただきたいと思います。
 触法精神障害者問題は制度的欠陥から来ているもので、処遇の責任を負うべきところがどこにもなかったために対応がおくれにおくれてきたことが問題であります。この状況に対して最も強く抗議の声を上げたいという気持ちをお持ちの方は被害者、遺族の方々なのですが、その方々も声を上げられないような事情がございます。
 私は、新法ができても不幸な事件を完全になくすることはできないと思うものですが、せめてそれを最小限にとどめる努力を尽くす責任が我々にはあるのではないかと思うものです。この制度的欠陥のもとで今も日々新たな犠牲者が生まれております。これを是正することができるのは立法府の皆様だけなのです。一日も早く法案を成立させてくださるよう心よりお願いして、私の意見陳述を終えさせていただきます。(拍手)
園田委員長 ありがとうございました。
 次に、中島参考人にお願いいたします。
中島参考人 中島でございます。発言の機会を与えていただいたことに感謝いたします。レジュメに沿って話をしていきたいと思います。
 まず、前提として前置きをさせていただきたいと思いますけれども、医療は本来、本人のため、患者さんのために行われるべきものであるということ、これがまず大前提であるというふうに思います。措置入院等を含む強制入院においても、この視点を忘れてしまっては医療としての本質を失うことになるだろうと思います。この点を前置きさせていただきまして、本論に入っていきたいと思います。
 問題点として大きく二つ挙げました。一つは、今山上先生も触れられましたけれども、再び対象行為を行うおそれというのがこの法案の一番根幹になっているわけなんですけれども、その判定は不可能です。欧米の研究をもとにしても、真の対象者より多くの本当は対象でない者を拘束することになります。再犯率が低いと考えられる本邦においては、さらに問題が大きく拡大されます。
 これについて若干述べていきますが、多数の偽陽性者が生まれるという問題があります。再び対象行為を行うおそれの判定は、これはもう原理的に一〇〇%行うことはできません。偽陽性、すなわち、本当は解放しても対象行為を起こさないにもかかわらず、おそれがあるというふうに判定されて拘束される人が必ず生ずるということになります。私は、この方々が少数であってもこれは許容されないと考えるものですが、実際にどのぐらいの数に及ぶかというのを考えてみます。
 英米の研究では、的中率、これは種々の研究によって異なりますけれども、およそ五〇から八〇%といったばらつきがあります。方法によってもいろいろなばらつきがあります。どういう方法でこの再犯予測を行うかによってもばらつきがありますけれども、どの集団にその方法を適用するか、どういうところを出てきた人、どういう犯罪を犯した人たちに適用するかによっても非常にばらつきがあります。このように、英米のように非常に多数の研究があるところでも未確立の問題です。本邦の集団には非常に研究が乏しいという状況がありますので、これがどのように適用されるのが適切であるのかということが全く白紙の状態です。
 それと、この的中率というのは、非常にわかりにくいんですが、予測がそれだけ当たるということを示しているわけではありません。すなわち、的中率七〇%というと十人に七人当たるというふうに思われるかもしれませんけれども、そうではありません。感受性、特異性が仮に両方とも七〇%だというふうに考えた場合、母集団の再犯率を二〇%とします。百人の母集団にこのテストを適用すると、百人の母集団で再犯率が二〇%ですから、実際に再犯を犯す人が二十人いるということになります。二十人のうち七〇%が正確に判定されるということになりますので、すなわち十四人が再犯を犯すと予測されることになります。そして、百人のうち八〇%は実際には再犯を犯さないわけですから、八十人のうち三〇%、一〇〇引く七〇で三〇%が誤って判定されるということになりますので、二十四人が再犯を犯すというふうに予測されることになります。すなわち、このテストを行うと、合計三十八人が再犯を犯すと予測されるわけなんですけれども、そのうち二十四人は、実は解放しても再犯を犯さない人です。六三%、十人に六人は誤った拘束ということになります。
 こうした問題は、実際にこのような制度が実践されている英米等でも非常に大きく指摘されている問題なんです。
 精神障害者であっても、その必要がないのに強制的に拘禁され治療を加えられることはあってはなりません。精神障害者が対象であっても、不必要な強制入院は損害賠償請求等の対象になります。自発的入院で済む人はそのようにすればいいし、外来治療で済む人は外来治療をしたらいいと思います。新法案では、強制入院の必要がない人を今述べたように多数強制入院させるということになります。
 それから、おそれの判定にまつわる別の問題、これは種々の議論があります。臨床の現場で経験則に基づいての判断は当たるか当たらないかの論争が、これはもう活発に行われています。これは治療効果の判定の難しさを反映します。
 そして、あと、精神病というふうにされると一般に暴力のリスクが小さくなるというデータが、これは非常に多数出ています。それから、再犯の予測因子として幾つかの因子が抽出されていますけれども、精神病者もそれ以外もこの予測因子の内容は変わらないという研究も多数あります。精神障害者のみを問題として取り上げることが合理的な根拠が非常に薄いことを示しています。
 それから、母集団の再犯率が低いと的中率が下がります。先ほどの計算を反復していただければわかると思います。再犯率は、これもいろいろな計算があるので一概に言えませんけれども、英米では十数%程度というふうにされていて、日本でも、これははっきりしたデータがありませんけれども、先ほど御意見をおっしゃった山上先生たちのグループの一つの例として七・一%というのがあります。重大犯罪はもっと低いと思われますけれども、日本の再犯率が単純に低いと言うことはできませんけれども、こういうデータからも、日本の場合には的中率がもっと下がるということが予測されます。
 そして、長期を予測しようと思えば、さらに不正確になります。これはアメリカの研究ですけれども、マキシマム・セキュリティー・ホスピタルズという、非常に危険な人であるということで拘束された人たちが、ある判決が出て九百六十六名が解放されたという事態がありました。その九百六十六名の方々がどんなふうになっていくかということが非常に注目されたわけなんですけれども、その中で二〇%しか実は再犯がなかったという研究があります。しかも、その二〇%の再犯も、大多数は非暴力的な犯罪であったというような研究があります。危険というふうにされていても、実際には危険でない人が非常に多いんです。しかも、その事実は解放してみないとわからないという、その誤りは解放してみないとわからないという問題があります。
 これは、逆に、本来は危険な人を危険じゃないと誤って判定して出された場合には、そこで何か、例えば犯罪を犯したということがあると非常に大きく報道される、そういうようなことがあることに対比して考えていただければすぐわかると思います
 それから、措置入院の「おそれ」と本法案の「おそれ」の問題に関して若干触れますけれども、措置入院における自傷他害のおそれというのと本法案の再び対象行為を行うおそれというのが混同して論じられる場合が多いので、それについて若干述べておきます。
 まず理念的なことを申しますと、措置入院は現在の症状に基づくおそれを判断するものです。法案は、これは将来のおそれを判断するものです。それから、実践的な面の問題があります。措置入院の大半は急性症状の消退とともに解除されています。ただ、現在の措置入院の判定も、問題がないというふうには私は考えておりません。現行の措置入院の運用も非常に問題があります。不当な長期入院の報告が少なからずあります。これには、私は精神医療審査会の機能を強化していくこと、それから実態調査が急務、とにかく急いで、必要な事態だと思います。
 それから、ここにオックスフォード精神医学教科書の記載というのを載せました。坂口大臣が判定可能の根拠としてオックスフォード精神医学教科書を引かれたと思いますけれども、このオックスフォード精神医学教科書は、むしろ予測の難しさ、あるいは予測にまつわる問題を真剣に検討したものです。精神科医が社会的にそれを求められることについて、精神科医の側の苦悩を示しているというふうに考えられます。ぜひ、記載を読んでいただければと思います。
 問題点の二点目としまして、新法案では、迅速な医療が保障されず、また医療の継続性が寸断されるという問題があります。
 (1)としまして、迅速な治療開始が不能になるということを述べました。時間の関係ではしょりながらお話ししますが、現在では二十三日間という逮捕、勾留期間の中で入院治療が始められる場合が多いわけなんですけれども、新法では、鑑定入院という二、三カ月の入院をさらに経て、この鑑定入院の期間には本格的な治療が始められないというふうに私は考えております、治療開始が遅くなります。
 それから、(2)として、退院が非常に困難になるという問題があります。現在でも、例えば私どもの病院に入院していてその方々が病状がよくなって退院するという場合に、精神病院からの退院であるというふうに言うと、非常に退院が難しい、アパートを借りるのが難しいという問題があります。
 そして、(3)として述べました、長期フォローは手探り状態になります。一番病状が重い時期、その時期が一番治療の取っかかりがしやすい時期なんですが、その時期を鑑定入院という形でみすみす逃すということになります。
 (4)でも述べましたけれども、基本的に、今の法案ですと、うまくいっている実践すらも破壊するという問題になります。対象行為を行った者に限らず、適切な精神科医療というのは、適切な人的資源及び施設の保障に裏打ちされた多様な実践と、それが適切に情報公開されて、選ぶ権利も保障されたところで成立すると思います。それこそがまず実現しなければなりません。詳しくは述べませんが、日本の精神科医療はこの状況からははるかにおくれたところにあります。
 本法案は、本来拘禁されるべきでない人を多数拘禁に追い込み、また治療をかえって悪化させるという問題があります。拙速な議論あるいは拙速な制度の構築は禍根を残します。慎重な御討議をぜひお願いしたいと思います。私も、もし必要があれば幾らでも協力する用意があります。
 それから、この問題に関して当事者の方々の御意見もぜひ聞いていただきたいというふうに思います。我々専門家も専門家としていろいろ意見を申し上げますけれども、例えば退院をめぐるいろいろな問題、地域でいろいろな苦労をしているというような実態に関しては、当事者の方々の意見の方が切実だろうと思います。
 御清聴ありがとうございました。(拍手)
園田委員長 ありがとうございました。
 次に、仙波参考人にお願いいたします。
仙波参考人 日本精神科病院協会の会長の仙波でございます。
 初めに、昭和四十九年の改正法案を初めとしまして、三十年近く紆余曲折の年月が流れております。ようやく、平成十三年に法務省、厚生省がこの問題の検討を開始された。そのやさきに、十三年六月に池田小学校事件が発生したわけでございます。
 この課題については、過去の確執やこの法律の複雑さ、困難さはあります。今回、新法は、触法患者に対する適切な処遇を決定し、症状の改善並びにこれに伴う再犯の防止を図り、社会復帰を促進することを目的として提案されております。我々は、現状解決の一歩前進のため、この法律の成立に賛同し、期待するものであります。
 今回、精神医療の底上げこそ必要という論がありますが、触法精神障害者対策を精神保健福祉法で実施することには無理があると考えております。私は、まず医療と司法の関与するこの新法を制定し、一方で精神保健福祉法の充実により精神医療改革に取り組む必要を感じております。二者択一ではなく、両方のことをやらなければならないと考えておるところでございます。
 問題点を申し上げます。現状であります。
 措置入院制度だけでは対応には限界があると我々は考えております。
 毎年、司法から措置入院制度で医療側は約八百人の患者さんを受けております。民間精神科病院で、新法の対象者である六罪に限りましても、措置指定病院である四百四十一会員病院、これは我々の会員病院でございますが、十三年九月一日現在で千九十三人が入院しております。
 現行制度には多くの問題があります。年々不備が目立ちます。医療の対応だけではもはや限界で、新たな手を打たなければ池田小学校のような事件が発生することは避けられない現状にあると認識しております。
 理由を申し上げます。
 措置入院は、精神障害者の自傷他害のおそれを基準として一律に適用される治療形態、行政処分であります。重大な違法行為を行った事実や他害の危険性が高度であることを基準にする特別な治療方式、治療環境、特別な入院費用も定められておりません。
 二番目。触法患者が不起訴となり、措置入院として現在受け入れておりますが、近年、措置入院制度は医療の視点で運営され、措置入院期間も極めて短くなっております。その結果、昭和六十年の措置率は九・〇%、三万人でございましたが、平成十二年ではその十分の一の一%、三千二百四十七人と減少しております。このように、かつての運用と著しく変わっております。
 三番目。しかし、一方において、現在、入退院の判断が事実上医師に任せられておりまして、病院管理者、精神保健指定医は過剰な責任を負わされていると言わなければなりません。また、これらの方の入院中の行動について、全例ではございませんが、暴力行為、威嚇的言動等医療管理上問題も少なくありません。一般の精神科病院の看護体制では、これを受けとめることは困難であります。
 次に、四番目。一般の入院者と触法患者が同じ病棟で治療を受けている現状でございます。これは早急に改善し、機能分化し、国公立に触法の専門病棟をつくるべきであります。
 五番目。現在の触法患者の対応は、司法から医療に丸投げされ、以後すべて責任を医療側で負っております。一切司法のかかわりのない現状であり、我々はかねてから医療と司法が相互補完する制度を要望したところであります。これが新法では大幅に解決されることを期待しております。
 新法について述べます。
 措置入院制度の問題を解決する幾つかの新しい制度が取り入れられております。
 一つは、裁判官と精神保健審判員という合議体で処遇を決定するということ、新しい制度であります。二番目、専門的治療施設をつくる。三番目、措置入院の管理者は裁判所に原則六カ月ごとの審査の申請を行う、そこでもう一度レビューするというところでございます。それから、退院後の問題でございますが、指定通院医療機関に通院し、かつ保護観察所の精神保健観察官から三年の観察を行うことになっております。私は、これからの事件を防ぐには、やはり医療中断を防止し、緊急入院必要時の手続等が具体的に極めて重要であると考えております。
 以上の項目につきまして、実務的な、円滑な運営をするためには、具体的な検討がなおこれから必要であろうと思っています。
 三番目に、再び対象行為を行うおそれについて述べたいと思います。
 法三十七条一項において、医師に依頼される鑑定事項として、その対象者が精神障害者であるか否か、二番目に、対象者が治療を受けなければ、どのような病状が持続し、人の生命、身体に危険を生じさせる問題行動を起こすかという可能性についてであります。これについては、専門家としての意見を求められているわけでございますが、その場合、特定の具体的な犯罪行為の厳格な種別、その時期について求められておるものではないと解釈しております。
 多くの精神科医は、症例によりますが、病状に関しては何らかのこれらの同等な対象行為の起こる予測は可能であると考えています。同様な予測は長年措置入院において行ってきましたし、なお、今回は病歴その他の資料を参考にできるので、精度が一層高まると思います。措置入院の予測と今回のものは、本質的には同一のものであろうと私は考えております。
 六カ月ごとの審査制度がそれに設けられ、裁判官と精神保健審判員の意見が一致したところで判定されるということになり、一方的に傾かない措置が図られているところは評価されると思います。
 四番目。国民の目から見てこの法はどうであろうか。
 国民は一般に、精神障害者は罪を犯しても罰せられない、だから危険な人々であると考え、精神障害者を避け、危険視する傾向にあります。これが心の病を持つ人々すべてに対する偏見につながります。新法により、犯罪を犯した者に対する国の対応が示され、専門の施設で治療を受け、退院後も観察される。このことにより国民の不安が解消され、同時に犯罪に関係ない大部分の精神障害者への見方も変わり、広く精神障害者が社会に受け入れられる素地が高まることを期待できます。
 このように、新法への期待でございますが、処遇が大幅に改善され、社会復帰が促進され、措置入院制度の問題点が改善されることは間違いないところであります。
 新法の制定によりまして、先進国から三十年おくれていると言われる我が国の司法精神医学が急速に進歩すると考えますが、進歩をした司法精神医学の知見、新法の運用の実態を踏まえて、よりよい制度にするための見直しも必要ではないかと思います。
 以上でございます。(拍手)
園田委員長 ありがとうございました。
 次に、伊藤参考人にお願いいたします。
伊藤参考人 私は、一精神科医として精神病院の現場で精神障害を持つ人々の治療に携わった経験から、今回の法案について反対の立場から意見を述べさせていただきます。
 私のこの法案に対する基本的な考え方については、資料四に示しましたように、全国自治体病院協議会常務理事を務めている時点で既に公表しておりますので、後ほどごらんいただければ幸いです。
 この法案には大きく分けて三つの問題があります。一つは、今なぜこの法案だけが優先して提出されなければならないのかという疑問です。もう一つは、この法案が成立しても、そのねらいである精神障害者による重大な事件の防止にはそれほど役に立たないということ、対象者の医療や社会復帰はむしろ後退するだろうということです。それから、最後のもう一つの問題は、これまで各方面から指摘されている簡易精神鑑定の問題、責任能力判断の問題、医療と司法の弾力的な連携、留置所や刑務所の医療の問題、これらの問題に対して解決の道筋が示されていないということです。
 以下、順次説明させていただきます。
 現在、国に最も解決が迫られている優先課題は、他害行為を行った患者も含めて、どんな重症な精神病患者さんにも十分な医療を提供できる体制を整備することです。
 我が国の精神保健施策は、長い間その姿がゆがめられております。収容という政策が長い間とられたからです。精神障害者の自立と社会参加の機会を奪ってきたと言えます。現在、三十三万人が精神病院に入院し、欧米諸国の二倍から六倍の方が入院しております。入院期間も非常に長くなっています。精神病院と一般の病院には、資料一に示したように、医師や看護婦で非常に大きい格差があります。そして、精神病院の個室に隔離されていたり、あるいは拘束されたりしている方が合わせて一万人以上おります。
 この法案が提出される過程で、過去に重大な他害行為を起こした患者さんが精神病院の隔離室の中に終日閉じ込められ、数年後にそこで亡くなった、特別な病棟をつくって専門的な治療を行えばこのような悲惨な例が救えるという主張がありました。しかし、過去に他害行為を起こしていない患者さんも適正な医療を受けられず、長期間隔離室から出られないまま保護室で亡くなることもあります。資料二は新聞等で明らかにされた精神科医療機関で起こった不祥事です。詳細な調査を行って、実態を明らかにする必要があります。もっと多数の患者さんがつらい状況の中で不慮の死を遂げている可能性もあるのです。
 それから、重大な他害行為を行った患者を一般の精神病院が受け入れることが非常に重荷になっている、あるいは、措置解除の判断が精神保健指定医に任されていて、解除後に事故があっても責任が負えないという意見があります。それは、現在の精神科の医療体制が十分整っていないためなのです。条件さえ整えば、重症な患者さんの治療に取り組むことができ、治療の途中で投げ出すようなことはしないはずです。
 現在、千葉の精神科医療センターでは、全病室が個室でできている病棟を持っており、千葉県の措置患者の相当数、少なくても四分の一以上の措置患者さんを受け入れています。このような病院が各地にできることによって、他害行為を行った患者さんだけを受け入れる特別な病棟をつくるということは要らなくなるはずです。
 六月七日の法務委員会で古田刑事局長さんは、確定的とは言えないが、精神障害者による事件は長期的には減少する傾向にあるという趣旨の答弁をいたしました。それならば、重大な事件を起こした患者さんの処遇にだけ焦点を置いた法律をなぜ今拙速につくる必要があるのかという問題があります。今、国が優先して取り組むべきことは、精神科医療の構造改革を行い、重症な患者さんもきちっと治療できる体制を組むことです。
 次に、二つ目の問題点ですけれども、仮にこの法案が成立しても、対象者の医療が円滑に行われ、社会復帰が進むとは思われないのです。また、この法案ができても、重大な事件の発生をほとんど減らすことができないのではないかということです。
 これまで集められたデータによりますと、精神障害による重大な他害事件の七〇から八〇%は初犯の方です。再犯の予防を目的とするこの法案では、重大事件全体を減らす効果は極めて限定されます。その上、再犯のおそれのある人を確実に選び出すことは不可能です。再犯防止効果を確実に上げるためには、おそれの判定基準を大幅に緩め、大きな網をかけなければなりません。多くの人が拘束される可能性があります。
 また、治療と社会復帰が順調に進むとは考えられません。入院命令あるいは通院命令のもとでは、医師と患者の関係の間に、常に再犯のおそれがあるかどうかという視点が入り込みます。効果的な信頼関係がそこではなかなか生まれないはずです。
 政府の答弁によりますと、指定入院医療機関では、対象者に対して認知療法、行動療法などを通して感情のコントロールや行動修正をするという技法を採用し、社会復帰を図るとのことです。しかし、それらの技法は心神喪失と判定された重度の精神病患者さんには効果がないと言われています。一方、人格障害には使用条件によっては効果があると言われていますが、人格障害の多くは通常責任能力があるとされるので、この法案の対象にならないはずです。
 さらに、この法案の欠点は、対象者の治療を特定の閉鎖回路の中に完結させようとしています。私たちは殺人を犯した措置入院患者さんの治療にも携わってきましたが、その場合でも、急性症状が軽快した段階でできるだけ早く措置を解除し、開放病棟に移ってもらうようにしてきました。被害妄想や幻聴が残っていて、時にはほかの患者さんとトラブルを起こすこともないわけではありませんが、それでもできるだけ自由な環境の中で信頼関係を築き、退院後も看護師や精神保健福祉士が支援し続けるようにしています。
 結婚して地域の人々や病院に支えられ生活している人もいます。たとえ重大な他害行為を行った患者さんでも、症状の移り変わりや本人の希望に合わせて治療環境を弾力的に変えていくということが最も社会復帰につながることです。
 この法律案では、処遇が終了したと判定されるまでは治療者も患者さんも再犯のおそれという枠組みから逃れることができず、本当に必要な治療条件を整えることができないのです。措置入院よりも長い期間指定入院医療機関にとどめ置かれることになります。このようなことで、治療上から見ても、本当に重大な事件を犯した方の治療が円滑に進むということは、この法律案では考えられないと思います。
 それから、もう一つ大事なことは、この法案によって精神障害に対する差別や偏見が助長されて、精神障害を持つ方の肩身がさらに狭くなるんではないかということを恐れます。
 この法案の三つ目の問題ですが、簡易鑑定、責任能力判断、医療と司法の弾力的な連携、留置所や刑務所の医療などにかかわるいろいろな問題の解決がこの法案では触れられていないということです。私たちは、資料三に示しましたけれども、重大な他害行為を行った患者さんの治療のあり方を考えるに際しては十分な調査をしていただきたいということを精神科医の団体全体として出しました。実証的なデータに基づいて検討していただきたいと思います。
 最後になりますけれども、一昨日、私は北海道の精神障害者の方たちが主催するシンポジウムに参加しました。約三百名の精神障害の方が集まっておりましたけれども、口々に自分たちの精神病院の入院体験のつらさを訴えておりました。国の収容政策が多くの人々の心を傷つけてきたのです。国はまず、これまでの精神保健施策の誤りを認めて謝罪して、先進諸国が持っているような差別禁止法を制定すべきです。その上で、重大な事件を起こした患者さんも含めて、すべての精神障害者に適正な医療とリハビリテーションを保障する精神保健・医療・福祉計画を立てなければなりません。それが今私たちに求められている最優先課題だと思います。
 以上です。(拍手)
園田委員長 ありがとうございました。
 以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。
    ―――――――――――――
園田委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。長勢甚遠君。
長勢委員 大変専門的なお話を聞かせていただきまして、ありがとうございました。極めて専門的なお話でありましたけれども、こんなにも意見が違うことに戸惑いを正直言って覚えております。
 世の中には、理論というか方程式は合っておるけれども答えが違っておるということはよく起こる事象でございますけれども、この問題は相当長い間議論になってきておって、特に十一年の改正の際には、「重大な犯罪を犯した精神障害者の処遇の在り方については、幅広い観点から検討を早急に進めること。」ということが当委員会、あるいは参議院でも、附帯決議もされておるわけです。こういうことが長年社会的に議論を迫られておったというのは、我が国において、心神喪失などによって不起訴あるいは無罪となった方々については、刑罰を受けることなく措置入院制度等によって処遇されている、この現状について、先ほど来参考人の方々からもお話がございましたが、医師に過剰な負担が負わされておるとか、あるいはこうした対象者と一般の精神障害者が一緒に処遇されておるための治療上の問題点だとか、また、重大な犯罪行為を行った方々についての処遇が明らかでないために、国民の間に何らかの、すっきりしないといいますか、そういう印象があるというか不安があるといったようなことが根拠になってこういう議論がなされてきたんだと思います。
 こういう中で今回この法案が出ておるわけでございますが、特に中島参考人あるいは伊藤参考人は、精神医療体制の強化というか改善ということを強調されておられるように伺いましたけれども、特に重大な精神障害をお持ちの方々について、今回の法律でも専門的な治療体系を統一的にやろうということも入っておることなどもありまして、今回の法案の問題点はよく御主張されておることは理解をした上でのお話でございますが、それでは具体的に、今の附帯決議等にもあったような問題点について、どうやったらどうなるのかということを少し教えてもらいたいな、また、司法と医療との関係についてどういうことがいいのかということを少し教えていただきたいと思います。
中島参考人 意見が違っているというのは全く御指摘のとおりでして、私は個人的には、例えば山上先生とは精神神経学会の法委員会等の場で議論を闘わせる機会を持ちましたし、私の、最後の方に参考文献を挙げましたけれども、「触法精神障害者の問題をいかに捉えるか」というこの論文において、山上先生のきょう御発言になった論点に関しては、すべてもう既に論理的に批判をしております。その論拠はすべて現行の制度の問題ではなくて運用の問題であるということを明らかにしております。
 そして、山上先生が挙げられた事例Aは、精神神経学会の法委員会として、これは検察庁の方の運用の問題であるということで、検察庁に対して抗議といいますか、少し運用に関して改めてもらいたいということを申し入れた事例でもあります。それは、山上先生が法委員会の委員長であったときになされたものであるというふうに記憶しております。ですから、これをもって制度の問題というふうに考えられるのは、私は誤りだというふうに考えております。
 そして、具体的な問題点ということに関しては、本当にいろいろな問題点があります。まず、いわゆる触法精神障害者の大多数は実は刑務所に入っているという問題があります。年間八百から千ぐらいはいわゆるM級、精神障害者として刑務所に入っております。
 刑務所の中での、例えば刑務所から出ていくときに、出た方の再犯という問題に関して、刑務所からのケアはほとんどなされていません。皆さん御記憶に新しいところもあるとは思いますが、例えば、覚せい剤によるフラッシュバックで、刑務所から出てすぐ、もう数日以内に再犯をするというような方々は多数おられます。そういう方々に対する刑務所のきちんとした医療的なケア、刑務所から出所するときにきちんと、例えば病院を紹介するであるとか投薬を行っていくとか、そういったことなんかが一つ行われていく必要があります。数の上でいうと、そういった問題が非常に大きな問題としてあります。
 そして、これは時間もありませんので繰り返しませんが、いわゆる精神科医療における底上げの問題。精神科医療、もう少し人的な問題を非常に大きくしていけばもっとはるかに、対応できることはもっともっとふえてくるというふうに思います。
 それから、司法と医療との関係についても簡単に触れますけれども、私どもは、基本的には、まず医療は迅速に、そして司法手続は慎重にというのが原則であるというふうに思っています。逮捕して、まず刑事手続に乗ります。その中で精神症状が出る方がおられます。そういう方たちの治療をまず優先してやったらいいと思います。例えば外科の治療なんかはそうですね。例えば、殺人を行った人が、その人もけがをしているような場合があります。そういうときには、外科の治療がまず優先されます。それで、外科の治療が終わった段階でまた逮捕されて、それで刑事手続に乗っていくというようなことがあります。
 精神科医療も同じです。急性期症状は迅速な治療を要します。まず治療して、その後ゆっくりと、刑事手続は慎重に行う必要があります、事実認定の問題がありますから。それをしっかり行っていく。今は、医療の方に押しつけられて、それっきり司法の方には戻せない。これは制度上そうなっているのではなくて、運用上そうなっているんですね。そこを改めていくということが必要だろうというふうに考えております。
伊藤参考人 この問題に関して、現在多くの問題があるということは認識しております。何らかの新しい対応が必要だろうというふうに思っております。その条件というのは三つ考えられます。
 一つは、司法と医療の間で判定をきちっとするということです。それは、現在、簡易鑑定とか起訴便宜主義で、検察官の判断で病院に送るかあるいは起訴するかというようなことが考えられているんですけれども、その場合に、簡易鑑定が非常にあいまいな形といいましょうか、ばらつきがあって、きちっと鑑定が行われていないということなんです。これは医療の問題です。医師の判定の問題です。それのためには、やはりきちっと鑑定センターというのを私はつくるべきだと思います。
 鑑定のところまでは司法の領域だと思いますけれども、そこはよろしいんですが、もしそこで医療が必要か司法の処遇が必要かという切り分けがきちっとなされた場合には、医療が必要な方は医療で、司法が必要な方は司法できちっとやる。中間的な施設は必要ないと思っています。それで、医療刑務所の医療をきちっと行う。それから、重症である病気のために犯罪に至った方は医療が責任を負うべきだ。その切り分けをきちっとすべきだと思っております。
 それから、もう一つの大きな問題は、司法施設の中に入っているときに精神病の症状が重くなったときに、執行停止をして医療機関に専門的な治療を受けるために送るようなことは、現在も運用上できるわけですけれども、ほとんどなされていない。そこに大きな問題があると思っております。
 それから、どんな重症な患者さんでも、本当に精神病が重くて医療的な配慮が専ら必要である場合には、今の措置入院制度をもう少しきちっと整備して、重装備できちっとできる医療体制を組めば、新たな処遇システムをつくらなくてもできるんじゃないか、そういうふうに考えております。
長勢委員 どうもありがとうございました。
 簡易鑑定等の問題点は、我々、党内で議論したときも問題になりましたが、その問題だけとおっしゃったわけではございませんが、そういう運用だけで国民全般が思っておるこの問題の解決になるのかなという疑問は私自身は持ちますが、ちょっと時間がございませんので次の質問に移らせていただきます。
 論点の一つは、おそれの問題が大変対立したお考えのように聞こえました。
 山上先生にお伺いをいたしたいと思いますが、中島先生、伊藤先生からは、こういうことをやるということを予測をするということ自体、大変間違いが多くて、大変危険なことであるという御趣旨だったと思いますが、山上先生とはそこら辺が大分違うような気がいたしました。そういう御意見についての御見解を改めてお伺いしたいのと、先生のお説の中に、司法精神医療が日本ではおくれておるということをおっしゃっておられました。司法精神医療ということは、我々は余りよく概念がつかめないのですが、一般精神医療というものとどういうふうに違って、これからどういうふうにしていけばいいのか、また、この法律によってそれがどうなっていくのかということについて教えていただきたいと思います。
山上参考人 司法精神医療というのは、先ほど紹介いたしましたけれども、事件を起こして、刑罰よりも医療に適しているという人たちがいるわけで、それを欧米諸国では一般の患者とは区別して、一般患者はできる限り短期間の入院で、地域で支える。イギリスですと一般の精神病床が全国で二万五千床ぐらいしかないわけですが、地域で見るけれども、事件を繰り返すような人は、きちんとしたもっと長期の、より根深い問題を持っているものですから、精神療法を中心とした、あるいはそういう問題行動を起こしやすいところとか、そういう特徴に注目した、そして本人が小さいころから学んでこなかった人間関係や生活の基本的なことまで教育、治療していくような経過の中で社会復帰させていく、問題行動を起こし続けた人をそうさせていくような治療システムを構築しているわけです。
 イギリスですと大体全精神医療ベッドのうちの一割ぐらいがその人たちによって占められて、そこに専門的な司法精神医療の医師、看護者、ソーシャルワーカーなどが活躍していて、日本でしたら、とても医療の対象にならない、あるいは医療刑務所に行ってしまうような人たちも、そこで治療して立ち直って社会復帰していっているという状況がございます。
 それから、今、おそれの評価の問題も質問の中にあったかと思いますけれども、先ほど少し詳しくお話しいたしました。言いかえればこれは危険性の評価の問題なわけでありますけれども、これは、精神科医療が決して避けられない、日常の診療の中で、本人が自分の責任をとり切れない状況で事故を起こす危険性がありますので、それは常にチェックしなければならないことで、それで開放病棟に入れるか閉鎖病棟に入れるか、時には一時的に保護室に入れるかとか、常に精神科医はそういう危険性の評価をしながら活動しているわけですし、退院の決定もそうです。そういうことで、日常的にされていることですし、特に司法精神医療の領域では、そういう安全の問題もありますから、特にそれは常にチェックをされることなので、司法精神医療の領域ではそういう危険性の評価というのはむしろ日常的に当然されることになっております。ですから、日本でそれを取り入れることに何の問題もないと思います。
 また、実際に、その危険性がどうなるかということに関しては、日本でも既に矯正の領域で、例えば無期囚が社会復帰、仮出所するときにその危険性をチェックして、こういう条件が改善されていればとか、そういう治療の目安にもなって、チェックしながら退院を目指すということで使われています。精神障害の場合には、それに少し違った、医療にかかわる問題を加味したチェックの必要が出てくると思いますけれども、それはどこの国でもされていることであります。
長勢委員 仙波先生にもおいでいただきまして、現場での御苦労の具体的な話も聞かせていただければと思ったんですが、時間になってしまいましたので、ひとつお許しをいただきたいと思います。ありがとうございました。
園田委員長 次に、土肥隆一君。
土肥委員 きょうは四人の先生方、大切な時間を割いていただきまして、ありがとうございます。心からお礼申し上げます。
 私も、多少、素人ではございますけれども、精神医療、精神病の患者さんあるいは病院などとのおつき合いがございまして、例えば大阪の大和川病院の問題で、非常な劣悪な治療が行われているということで、私も何度も国会でも取り上げて、ついに廃院になってしまったというので驚いているわけでございますけれども、そういう経験からいろいろなことを学びました。
 まず、患者さんは、みずから病を持っているわけですから、自分がどういう取り扱われ方をするのか、だれを信用していいのか、だれに頼ったらいいのかということが一番大事だというふうに思うのであります。
 中島先生がレポートの中でお示ししておられますように、逮捕されて、そして恐らく警察に連れて行かれて、二、三日間は留置されて、それから検察庁と出会って、不起訴にするか無罪にするかというようなことを判定して、それで終わったかと思えば、検察官の方へ回って、申し立てが行われて、そして裁判が行われて、その間に鑑定入院が行われたり、そしてやっと新法に基づく入院になるわけですね。これはある種の患者さんのたらい回しじゃないか。むしろ、心神喪失状態で犯した犯罪にどうすぐに対応したらいいのかということが大事であって、そしてなるべく早く精神科の先生に、あるいは主治医といってもいいでしょうか、出会って、そこから事の本質は何なのかということを考えていくべきだと思うのであります。
 しかし、今回この法律を見ますと、従来ありました措置入院の方がはるかに患者さんにとっては幸せだというふうに思いますが、中島先生の御感想をお聞きしたいと思います。
中島参考人 委員御指摘のとおりで、たらい回しという表現はまさに当たっているというふうに思います。鑑定入院の問題もありますけれども、それは先ほど述べましたけれども、指定入院医療機関は、全国にそう数多くつくられるわけではありません。全国に二つとか三つとか、多くなってきてもそれほどの数じゃない数になります。
 そうすると、どうしても自宅から遠いところへ入院させられるということになる可能性が非常に高いわけですね。そうすると、そこでの狭い意味での入院医療はできます。でも、それはあくまでも狭い意味です。入院医療というのは、入院で完結するわけではありません。退院する環境をどうやってつくっていくか、それによって初めてできるものです。そういったものが非常になおざりになるというのが今回の新法案の非常に大きな問題です。
 措置入院に関しては、現行では、いろいろな形で、不幸な形で措置入院になるんだけれども、措置入院で医療に入って、それでうまくいっている人たちが実際数多くおられることも、確かにおっしゃられるように事実です。
 ただし、措置入院にも私は多くの問題があると思っています。これは先ほども申し述べましたとおり、実態調査をぜひ緊急に行う必要があるというふうに思っています。私も、その一端ですが、今行っている最中であります。
土肥委員 今度の医療及び観察等に関する法律案というのは、こういうややこしい手続をぐるぐる経ながら、やっと何か落ちつくところに落ちつくというような感じ。第一、裁判所で精神科の先生と裁判官がいるわけでありますけれども、裁判所というだけで異様な雰囲気ですよね。
 どうなんでしょうか。心神喪失とか心神耗弱状態というのは、自分が犯しました犯罪というか傷害というか、そういうものを認識しているのでしょうか。山上先生、ちょっとお願いします。
山上参考人 認識している場合もありますし、自分が妄想的なものに支配されて、その意味を理解できない場合もございます。ただ、病気が回復していけば自分がやったことの意味はわかります。
 欧米の司法精神医療の施設では、そういう自分の失敗を反省して、そういう事件を繰り返さないようなところまでの治療がされますけれども、日本ではそういう対応がほとんどできないのが実情だというふうに感じます。
土肥委員 いろいろなケースがあるということでございますけれども、そもそも、心神喪失とか耗弱とかいうのは、その犯罪の責任を負えない、負うことができないという前提に立っているんだと思うんですね。そういう前提に立って不起訴ないしは無罪というようなことが出て、それをもう一遍裁判所に持ち込んで、もう一遍審理をし直す。
 私は、自覚がないから心神喪失、心神耗弱、そういう人を引き回して、そして判定とか裁判とかというのが一体成り立つのか、そういう素人なりの疑問を持つのでございますが、これは、伊藤先生、お願いします。
伊藤参考人 先ほど私が言いましたように、精神鑑定なり責任能力の判定なりを迅速にきちっとやることがまず第一だと思います。その後で、もし心神喪失ということで精神科的な治療を行わなきゃならないのであれば、措置入院。
 ただ、現在の措置入院の制度にも大きな問題があります。十分な治療ができる体制が整っているとは言えませんけれども、そこのところをきちっとして、人権も守りながら、きちっとした治療、しかも、途中で投げ出すような治療でなくて、最後まで医療の中で完結できる治療をしていく、そういうシステムが今一番大事だと思います。
 そういう意味では、迅速な治療ということを、もしその人の責任能力なしというふうにされたのであれば、それをどう保障するかが大事だと思います。
土肥委員 もう一つ理解しかねるのでありますけれども、心神耗弱、心神喪失状態で犯した罪が、徐々に、自分がやったんだな、悪いことをしたなというふうに思い返して、傷害を起こしたその事実がよみがえってくるんでしょうか。何かその場にいて、その時間に自分は刃物を振り回したんだというようなことが現実としてわかってくるんでしょうか。中島先生、お願いします。
中島参考人 これは種々の問題がありまして、認識に関しては、いわゆる責任能力に関しても議論がありまして、例えばメンズレアであるとか、責任能力論に関するいろいろな議論がありまして、いわゆる認識がある、ないということが責任能力のメルクマールであるという議論もあるんですけれども、今の日本の多くの判例ないし学者の立場はそうではなくて、いわゆる生物学的要素と心理学的要素ということで、そのときに善悪を判断する能力があったか否か、あるいは、その判断に基づいてその行動を制御する能力があったか否かということで判定を行うというのが現代の慣例というふうになっております。
 それで、そういうもとで言いますと、もとから自覚がある場合もあります。そして、その中で、悪いことを行ったということじゃなくて、自分は正しいことを行った、そのように考えておられる方、例えば妄想に基づいて行われている、あるいは被害妄想なんかに基づいてそういう行為を行われておられる方はそういう方が多いですね。そういう方々の中で、例えばいろいろな働きかけの中でそういったことが認識できてくるというような方々もおられます。
 それから、意識障害のもとでいろいろな触法行為を犯す方もおられます。私も鑑定例でありましたけれども、そういう方々はやはり記憶が戻らない。これは実際に、ある意味では脳の病気、本当の病気がそのとき急性期に起こって、そのときの記憶が全く残っていない。いろいろな形で喚起しようとしてもそれが戻ってこないということもありますので、そういう場合にはまた別な問題で、御本人がその認識をつくっていく作業の中で非常に苦しい思いをされるというような方もおられます。
土肥委員 もう一つわかりませんので、また時間をほかに見て、いろいろなドクターに聞いてみたいと思います。
 日精協の仙波参考人にお尋ねいたします。
 新法は非常に喜ばしいことだ、指定入院医療機関、つまり国公立病院において専門的治療を行うことがあるからいいんだ、そういうふうにおっしゃっておりまして、この指定入院医療機関を高く評価しておられますが、この日本の精神病あるいは精神病院の最大の母体である日精協が、何か一般精神病院をなさって、専門的なあるいは高度の治療はしてこなかったということになるんでしょうか。私は、日精協に対してもそれは非常に失礼な話じゃないかと。
 もし国公立でそういう病院ができるといったら、どういうふうに違うんでしょうか。精神病院としてどう違うかをお知らせいただきたい。
仙波参考人 お答えいたします。
 日精協は、触法の問題の約七割の患者さんを実際に我々の会員で引き受けている団体であります。
 そこで、我々が今回新法に対して賛成するのは、現在の措置入院でそれを受けているんですが、その治療についてこういう現象が起こるんです。例えば、触法を犯した人がいますね、それが我々の病院に来るという場合、同じ病棟にうつ病の人が入るわけですよね。そうすると、私たちがまずするのは、その人がこういう事件を起こしたについては言わないわけですね。結局、無名化してその問題について対応するということになります。
 本人は、意識する意識しないの問題がありましたけれども、訴えるわけですね、自分はこういうことがあったんだけれども、病院でいいだろうかと。それらについても医師が対応する。しかしながら、その問題はもう責任能力なしなんだからと説得するというふうなことで、我々が専門的に、司法的な観点から持つ精神療法的な取り組みに取り組むことはなかなか難しくなります。だから、別にして、それから専門的な治療をやはり行うということがあります。
 専門的な治療は何かというと、その事件に関して、ヒア・アンド・ナウ、そういう場でどうするかということも含めて精神療法をやる。他の諸外国ではそれをグループ療法でやっていますね、触法において。そういうことですから、それができないからということであります。
 それから、そういうことはやはり国の責任でやるべきではないのかという立場が一つあります。国の費用で、国の責任で十分な施設をつくってやるべきであろうというふうに考えておりますから、提案に賛成するわけでございます。
土肥委員 今のお話は、わかるのはわかるのでありますけれども、患者さんの七割を担う民間の精神病院が、極端に言えば、ちょっと言葉は悪いですけれども、ややこしいというか過大な責任を負わされるような患者さんは国で引き取ってくれ、そして、民間精神病院は一般的な精神病の患者さんのお世話をしますよというふうに聞こえるんですね。
 もし、人員がもっと必要だとか、設備がもっと必要だとか、あるいはもっと金をかけろというんだったら、厚生労働省みずから今回の、心神喪失状態で犯された、いろいろな重大な事故を起こした人のケアができるような措置をすれば、先生のところでもそれはできるんじゃないでしょうか。いかがですか。
仙波参考人 現在の制度の中で、確かに措置入院においてもそれだけの箱組みができておりません。その中で、今受けているわけですよね。
 だから、スタッフ、構造、その他のものをつくらなくちゃいけませんね。つくらなければいけないということは同感でございます。日精協にそういう施設が、金がたくさん来ればですね。それは現実的ではないんですね、今。そう人数が来るわけでございませんので、入院中の一%の人たちがぱらぱらと入ってくるわけですから。
 だから、私たちとしては、司法のこういうものについては国の責任ではないんだろうか、それは譲れない点であります。だから、国立病院でその施設をつくってというふうに主張するわけでございます。
土肥委員 もう時間が来ましたので終わらなきゃいけませんが、私は、これは天につばするようなもので、政府がこんな法案を出してきて、国公立で立派な精神病院をつくりますよ、民間の皆さんは安らかに病院経営をしてくださいというふうに聞こえて、要するに、政府の怠慢がこういう法案を生み出している。そういう中からいうと、これは本末転倒だと思うんですよ。今、私どもがやるべきは、措置入院もいっぱい問題があるとそれぞれの先生がおっしゃいました、だったら、それを徹底的に見直す。
 そして、国公立が特にすぐれた研究者がいるんですか。皆さん、ドクターとしてそれぞれの診療もしていらっしゃる。だけれども、国公立でつくったら、立派な先生がいて、立派な治療結果が出て、どんどん社会復帰ができるなんて到底思えない。恐らく、社会復帰なんていったら民間に丸投げしますよ、また。社会復帰施設を国立で持つなんということは考えられません。すると、民間の病院に投げる。
 言ってみれば、そういう責任逃れ、丸投げの法案じゃないかということを申し上げまして、多少腹に据えかねるお気持ちもわかりますけれども、お許しいただきまして、私の質問を終わります。
 ありがとうございました。
園田委員長 次に、福島豊君。
福島委員 本日は、参考人の先生方には、大変に御苦労さまでございます。
 まず初めに、私は、司法精神医療の確立ということが必要だ、この点を確認する必要があるんだろうと思っております。
 先ほどからるる御指摘ありますように、一般の精神障害者の方の犯罪を犯す率というのは普通の人に比べて決して高くない、むしろ低い、こういうことはよく認識をする必要がありますし、そして、精神障害と犯罪が直ちに結びつくわけではない、そういう偏見というものをこの社会の中から払拭する必要があるというふうに思っております。しかしながら、その中でなおかつ、あえて司法と精神医療というものが結びつく必要性がある、この事実というものからも目を背けてはならないということなんだろうと思っております。
 まず初めに山上先生にお尋ねしたいんですが、先生のお示しいただきました図でございますけれども、精神障害者の方の中には触法行為を重ねる人がいる、その中で特に重大犯罪の反復者の方もおられる、そこのところを強調しておられるわけでございます。
 司法と精神医療というものが結びつく必要があるというのは、まさにこういった反復される方がおられる、そういうグループというものが存在するということは否定ができないという認識に立って御主張しておられるのではないかというふうに思うわけでございますが、この点について再度御説明いただければと思います。
    〔園田委員長退席、森委員長着席〕
山上参考人 お答えいたします。
 図に示しましたけれども、一般の社会の中で何度も事件を繰り返してきた人でも、精神障害者というのは人口の一%程度に生じますから、そういう事件を何度も繰り返してきた人も同じように発病することがあるわけです。
 しかし、今、私たちが調査をして、精神障害者であって最もそういう事件を繰り返す人たちというのは、もう病気になる前から事件を繰り返していて、刑務所などで発病した人たちなんです。そういう人たちは、病気の一時的な症状は病院で対応できますけれども、事件を繰り返さないというところまで病院が対応できるはずもないので、すぐに退院させてしまったり、あるいは事故を起こして強制退院になったり、そういう問題が起きているわけです。
 こういう特に難しい人たちにきちっと対応する司法精神医療施設というのは、どこの国でも、欧米諸国は皆持っているものですけれども、日本だけはその対応がずっとおくれてしまったために、そういう一部の何度も繰り返す人たちをそのままにしているという状況があるわけです。
福島委員 この質問については中島参考人にもお尋ねしたいわけですが、要するに、諸外国には司法精神医療という領域が厳然として存在するわけです。ということは、そこにニーズがあるということだと私は思います。
 かつて保安処分の議論になったように、精神障害者の方に広く偏見を押しつけるような、そしてまた投網をかけて隔離をするというような考え方で行われてはならないことはもちろんのことでございますけれども、今山上参考人からお話ございましたように、そういうニーズがあればこそ、諸外国にはそうした領域が存在するのではないかと私は思うわけです。
 ですから、日本だけ精神医療の領域でそれがすべて解決できるのだというふうに御主張されるのか、その点について御説明いただきたいと思います。
中島参考人 私は、司法精神医療の必要性に関して否定するつもりは全くありません。ただ、どういう司法と精神医療の関連を持った領域が必要なんだろうかということに関しては、非常に議論が必要であるというふうに思っています。
 反復者の問題に関しては、いわゆる精神障害者じゃなくてもおられるわけですね。かなりおられます。私が在籍しておりました、横浜刑務所というところで医務官をしておりましたわけですけれども、そこは本当に反復者だらけといいますか、反復者が多数おられる。これはこれでまた、一つの非常に独立した問題をつくっております。精神医療だけの問題ではありません。
 それで、反復される方の事例を山上先生は挙げておられるわけですけれども、これも私の以前の論文で批判したんですけれども、この事象自体は、あるところでその人が精神科医療の方に入ってしまうと、その後は同種の犯罪を繰り返す限りずっと医療の方に投げられるということがいろいろな形で行われてくるんですね。同じような精神障害を持っている方でも、刑務所へ入っている人だとずっと刑務所へ入り続けるということがあって、例えば、私も横浜刑務所で多数診ましたけれども、非常に重篤な精神障害の方も多数おられました。
 このあたりは、一つは鑑定の問題です。入り口のところの、日本で最も多いのは起訴前の簡易鑑定ですけれども、その簡易鑑定をもうちょっと適正に行う、簡易鑑定で判定し切れないものはもっと本鑑定に流していく、例えばこれも一つの医療ですね。
 そして、刑務所の中でもっとやるべき医療がたくさんあります。欧米諸国ではもっと、種々システムはありますけれども、いろいろな形で刑務所の中での医療も行われるようになっています。日本はそのあたりも貧困ですね。
 そういったところの調査が必要ですし、改善が必要です。そういった意味での司法精神医療はぜひ必要だと私は思っております。
福島委員 先生の御主張されておることと今回の新法の考え方と非常に距離があるという話では恐らくないんだろうと思います。それは、両者が関与するということが必要だということを先生も御主張しておられるんだと思います。
 ただ、先ほど中島参考人から御指摘ありましたように、鑑定している期間の治療はどうするんだ、そしてまた、今おっしゃられましたように、矯正施設の中で治療というものがきちっと行われていないではないかと。特に後者の問題というものについては、適切な対応が私も必要だと思っております。前段の話については、この新法の中身にも絡んでくる話でございますので、この点について、山上参考人から、どのように御認識かお聞きしたいと思います。
山上参考人 鑑定期間あるいは決定が下されるまでの期間の医療に関しては、新法ではまだ不明瞭であります。まず責任能力に関する鑑定があって、その上で入院の必要性があるかどうかという判定がされるわけですけれども、恐らく、従来の責任能力に関する判定のときには治療が余り積極的に関与することはなかったのですけれども、既に一たんそういう病気の診断などがついて審判にさせる場合には、医療を並行してやることも可能ではないかというふうに感じております。
福島委員 わかりました。今後の議論の中で、その点についても深めてまいりたいというふうに思っております。
 そして、仙波参考人にお尋ねをしたいんですが、先ほども土肥委員の方から御指摘がございましたが、一般の精神医療の底上げというもので対応ができるんではないかという指摘がるるあったわけでございます。その点については、参考人から御指摘といいますか、御意見がありました。再度、その点についてのお考えをお示しいただきたいというふうに思います。
仙波参考人 精神医療の底上げは、もちろんのどから手が出るように私たちも切望しているところでございます。
 しかしながら、精神医療のフィールドの中に、触法の患者さんの一群のものについては、これは私たちが今までどうやっても、措置でやっても、この三十年の間、苦しみ苦しみ出した結論なんでございますが、新しくやはりこれは立ち上げていただいて、それから精神医療の底上げの整理が初めてできるというふうに私たちは位置づけております。そういうことで、この法律の立ち上げは、底上げのためにも、整理のためにも、国民のためにいい影響を及ぼすためにも、ぜひ必要ではないかと思います。
 精神医療はもうどんどん今広がっておりまして、老人から、メンタルヘルスとか、どんどん広がって、機能分化が必要なんですね。精神医療の中に、もう既に出現しておりますが、ストレスケア病棟、これは非常に患者さんが入りやすいといいますし、恐らく睡眠に関する専門病棟とか、そういうことも含めてどんどん機能分化していかなくちゃいけない。そういう意味では、これは差別をするんじゃなくて、機能分化の上でやはりそれを別建てにする。
 それで、先ほど申しましたように、触法の問題については国が責任を持ってやるべきだという主張は曲げられないと私は思っております。
福島委員 最後の御指摘でございますが、国がやるべきであるというのは、まさに大切な点だろうというふうに思います。山上参考人の資料にございますように、司法精神医療の領域のスタッフの密度というものは、一般の精神医療と比べてはるかに高い。そういう濃密な医療というものを民間が担えというのかという御指摘ではないかというふうに私は思っております。
 そういう意味で、そうした濃密な医療というものが必要であるのであれば、まさにそうした領域こそ公が担うべき、国が担うべき分野ではないか。決してそれは民間の医療機関というものをおとしめるということではなくて、役割を分担することなんだというふうに私も思っております。
 この点については山上参考人にもお聞きをしたいわけでございますけれども、諸外国によりましてもさまざまな水準があるわけでございます。我が国において新たにこうした専門の治療施設を設けるといった場合に、どういう水準を目指すべきなのかということについて御意見をお聞きしたいと思います。
山上参考人 国によってかなり違いますけれども、ヨーロッパではイギリスが恐らくモデルとなって、そこに近づくような、オランダとか、そういうかなり共通したレベルに達するように、司法精神医学の学会を、あるいは一緒に研修会などを持って努力しておりますので、それに近いものができていくだろうと思います。
 法体系は違いますけれども、ドイツでも、治療のレベルではイギリスにそれほど劣らないだけのものを、州によって違いますけれども、持っております。日本もそういうものをできるだけ目指すことが望ましいと思います。
 ただ、先ほど図で示しましたように、日本の精神医療は、三十三万床のベッドを持って、地域の支えがまだ足りませんから、まず構造が違うわけですけれども、司法精神医療が確立されれば、むしろ多くの病院の開放化を促して、また社会復帰もしやすくなるように、一般のベッドを減らす効果もあるんじゃないかというふうに私は思います。
福島委員 伊藤参考人にお聞きしたいんですが、法案が成立しても社会復帰が進むわけではないのではないかと。これは、法案を成立させた後にどのような医療の体制をつくっていくのか、ここのところがまさに大切なところだと思っております。
 そしてまた、不幸なことに法を犯してしまった精神疾患の患者さんも適切に治療が行われるということが、再犯の予防ということが書いてありますけれども、最も大切なのは適切に治療が行われるということだろうと私は思っております。
 そういう意味で、専門的な治療施設も大切でございますけれども、もっと大切なことは、退院された後にどういうふうにして治療を継続していくのか。その地域による支えということだと思います。
 それは、単に医療だけの問題ではなくて、生活を支えていくということも非常に必要でございます。住む空間も必要でございます。人間関係も必要でございましょう。そういうものをどういうふうにして我が国で築き上げていくのか。ここのところが欠けてしまえば、新法ができたとしても、社会にとって結果としてよかったということにならないのではないかと思ってしまうわけです。
 この点について、我が国の体制というのはまだまだ足りないところがあると思いますが、伊藤参考人の御意見をお聞きしたいと思います。
伊藤参考人 私も、地域医療がまだまだ不十分である、そのとおりに思っております。
 その理由としては、先ほど言いましたように、多くの方が長い間精神病院に入院していますので、地域の中の一員として認知されてこなかったわけです。ですから、まずは、長い間入院している方、社会資源が整えば退院できる方を大勢地域に迎え入れる、そういうシステムをつくることが非常に大事だと思います。
 それで、この法案との関係でいえば、もしこの法案が通って、重大な犯罪を犯してしまったような方だけが別枠で治療されるようなことになってしまうことが、地域医療を進めるのに役に立つどころか、私はむしろ、精神障害者の方はああいうことも起こして別の施設に入れなきゃならないんだというような、そういうことの方が世間の人には先に伝わって、そういう先入観が入っちゃうんじゃないかと。やはり、どんな重大な事件を起こしても、本当に病気で起こした方であれば地域で支えていけるんだよ、そういうことをやっていくことが本当に精神障害者の方の社会参加が進むんじゃないか、そういうふうに思っております。
 そして、現在、随分地域でいろいろな社会資源ができて、かなり重度な精神科の病気を持っている方でも地域で受け入れられるシステムが少しずつできてはきています。そういうものをまずどんどん伸ばすということが私どもに課せられた責任だというふうに思っております。
福島委員 参考人とは、入り口の部分と出口の部分でちょっと意見が違うんですが、いずれにしましても、当初の段階で司法と医療がきちっと連係するということで適切な処遇を決める。そして、それは決して隔離ということでもないし、またレッテルを張るということでもなくて、適切な医療というものが行われて、そして地域に戻ってくることができる、そういうシームレスの体制というものを築き上げていくことが大切だというように私ども思っておりますので、この審議を通してよりよいものができるように努力をしてまいりたいと思います。
 ありがとうございました。
森委員長 次に、佐藤公治君。
佐藤(公)委員 自由党の佐藤公治でございます。
 本日、お忙しい中、このような時間をいただきましたことを心より感謝を申し上げたいと思います。
 また、時間がないものですから、失礼がございましたらお許しを願えればありがたいとも思います。
 つきましては、私がきょう午前中から参考人の方々のお話を聞かせていただいている中で最も強く感じたこと、また頭の中で整理したことというのは、皆さんの思いというか考えの中で、何を一番優先にした考えを持って御発言をしているのかということになると思います。そこの部分が、最終的な賛成だ、反対だということに結論づけられているのかなという気がすごくする部分があります。
 これは、私の解釈が間違っていたらまた御指摘願えればありがたいと思いますけれども、山上先生のお話を聞き、またほかの方々のお話を聞き、すべて言っていることというのはみんな似たこと、同じような思いがあると思います。例えば、司法精神医学・医療の確立とか、精神医療の現場、人的資源の育成確保、また施設というものの増強、整備、改善、こういうことは皆さんが同じように思われていることだと思います。でも、何でかみ合わないのか。私自身思うことは、一番の優先順位が何かということに尽きるのかなという気がする。
 その中で山上参考人がおっしゃられていたのは、そういう医療現場もよくわかっている、これも変えていかなきゃいけない、でも一番優先しなきゃいけないのは、国民の安心と安全ということを考えた場合には、この緊急性、救急性、また危険性から考えれば、いち早くこれをやらなくてはいけないという視点なのかなと。
 また、中島参考人がおっしゃられていることも私もよくわかる気がいたします。しかし、その最優先というのは、やはり障害者の方々の人道的、人権的、そして、一人でも間違いがあっちゃいけない、こういう部分の優先的なことなのかなということから、仙波参考人、伊藤参考人も同じような仕組みの中でお話をされているのかなと。
 その優先順位ということからすると、賛成派、反対派、大変申しわけございません、山上参考人、仙波参考人、仙波参考人は一歩前進ということで三角から丸ということに考えさせていただけると、賛成と反対というのがはっきり分かれてくると思います。
 そこで、山上参考人、私が今こういうふうにお話しさせていただいた中で、やはり国民の安心と安全ということを第一優先に考える、そして、中島参考人がおっしゃられることも十分おわかりになっていると思います。そこら辺の優先順位に関していかがでしょうか。
山上参考人 私、今言われたことはかなり当たっているところがあると思います。私が一番強く感じておりますのは、本来なら防止できるはずのものが今の日本では防止できなくて犠牲者が生まれているということで、そこをきちっと司法精神医療を確立して、欧米諸国がやっているのになぜ日本ができないのかというのが第一にあります。
 私は精神障害者の人権の問題も非常に大切だと思っていますけれども、今の現状というのはそういうバランスが余りにも崩れていて、例えば精神病院でも毎年十人以上の方が事故に遭って死亡しちゃうわけですけれども、そういう状況をやはり改善していかなければならないんですが、加害者の側になる方の人権だけが強調されているように私は感じるので、やはりそういうバランスがきちんととれなければ国民の納得は得られないんじゃないか、私はそう感じます。
佐藤(公)委員 中島参考人にお尋ねしたいと思いますけれども、おっしゃられたことは僕はすごくよくわかるつもりでおります。しかし、では、山上参考人がおっしゃられている、まさに国民の安心とか安全、そして被害者の立場ということを考えたときに、果たして中島参考人が今までおっしゃられていたことがそのまますべて通るのかなという気もする部分もあります。
 おっしゃられることはわからないでもないんですけれども、中島参考人にお尋ねしたいんですけれども、国民のまさに安全や安心、そして被害者の立場を考えた場合にどう思われるのか。いかがでしょうか。
中島参考人 私の立場に関して、障害者の人権を重視する立場として御紹介いただいて、そうかなと思うところもあるんですが、私としては、基本的には適切な治療を最優先するというふうに考えております。
 そして、私も別に国民の安心や安全はどうでもいいというふうに思っているわけではなくて、事件を起こすこと自体も、障害者、病気の患者さんにとっては非常に不幸なことでもありますし、そういった面で考えても、事件をできる限り防いでいくということは、これは私も日常医療の場面でも基本的に行っていることでありますし、ただ、それで逆に、その人をむしろ過剰に拘禁していないかとか、あるいは薬の投与が多過ぎないかとか、そういったことは日々、問われれば私も非常に困ってしまうというような状況にあります。
 そして、私が申し上げたかったのは、この法案ができても、それによって国民の安心や安全が図られるというデータは全く存在しないということですね。これは先ほど伊藤先生からお話がありましたとおり、重大事件等の再犯というのは非常に少ない、数としては初犯が多いという問題があります。
 それと、被害者の問題というのは、これは非常にやはり切実な問題です。私も、山上先生ほどではありませんけれども、被害者の方々と接する機会、精神障害者によるいろいろな行為の被害者の方々を含めて、被害者の方々と接する機会が少数ですけれどもありました。実際、被害者の方々も思いはそれぞれ多様です。一様ではありません。ただ、そういう方々が非常に声を上げづらい状況にあるということは山上先生御指摘のとおりだというふうに私は思っております。そういう方々に対しても、本当に必要なものは何なのかということをきちんと議論していくということがやはり大事であるというふうに考えております。そういう中での国民の安心、安全ということになるだろうと思います。
 そして、先ほど私が申し上げましたとおり、例えば、精神病院から退院していくときに非常に困難を強いられる。このあたりは、やはり国民の方々のいろいろな、例えば怖いという認識を、それをそのままこちらのものとして受け取るのではなくて、そこに対して働きかけていく。こういうことが必要なんだということを申し上げていきながら、そして議論していきながら、あるいは問題が起こるときにはそれはきちんと対処していく。そういう中でこの問題というのは少しずつ解決されていく問題であるというふうに理解しております。
佐藤(公)委員 済みません、仙波参考人、伊藤参考人にもお聞きしたいんですけれども、ちょっと申しわけございません、次の質問に移らせていただきたいんです。
 中島参考人にもう一つお尋ねをさせていただければありがたいんですが、山上参考人のこちらの新聞記事の中の、まさに、「反対論の主張のように「完全な判定」が法規定の前提とされるのなら、自傷他害行為の予測に基づく措置入院や、判断能力の推理に基づく責任能力規定など、精神障害に関する現行法規の多くがその存在根拠を失うことになる」、ここの部分というのがすごく僕は大事な部分として挙げられると思います。
 先ほど中島参考人の大変にわかりやすい可能性、判定の説明がありました。こんなにはっきり判定を明確に説明された方というのは私は今までなかったように思います。これだけの判定のことを中島参考人は説明されたわけでございますし、また、措置入院とか鑑定ということに関しても早急に見直すべきだということも御指摘されておりました。
 そういうことからすると、判定ができない、できづらい、わからないという部分、また今話したような部分、こういう部分で、私は医療に携わっているわけじゃない、司法関係のプロでもございません、単純に素人が見て非常にわかりにくい部分があるんですけれども、その辺のあたり、中島参考人、いかが整理し、説明をしていただくことができるんでしょうか。
中島参考人 いわゆる措置入院の自傷他害のおそれと、この新法に基づく再び対象行為を行うおそれの問題に関しては、先ほど私が申し述べましたとおり、これはまず時間の問題がとにかく非常に大きな問題としてあります。
 精神科医は、現在の症状に関してはかなりの部分が、多くの人たちが一致して意見を述べることができると思います。措置入院に関しても、措置入院の適否に関してはその場で二人の精神鑑定医、精神保健指定医が鑑定することになっておりますが、その一致率は非常に高いというふうに考えております。それは、その場でのその人の措置入院が必要かどうかということに関しては比較的できている。
 ただ、これも一人もミスがないかといえば、私はそうは思っておりません。私も措置鑑定をやっておりましたけれども、その場で判定に迷ったことももちろんありますし、例えば、いろいろな状況の中で措置入院にせざるを得ない、そういうようなこともありまして、それで措置入院というふうにした場合もあります。
 そして、それが長期になりますとさらに問題が拡大していきます。その場での急性の精神症状があるなしに関しては一致しない率は非常に低いというふうに考えますけれども、長期にわたって、特に二十年以上の措置入院の場合に、こういうような方々に関しては非常に大きな問題が生じている可能性が高い。このあたりに関して調査が必要であるということは先ほど申し述べたとおりです。
佐藤(公)委員 こうしていろいろと参考人の皆さん方の本当に貴重な意見を聞かせていただいている中、まさにこれは二つの問題点とも、わかりやすく言うと山上参考人の考え方、本当に一人でも国民の方々の危険がないように安全な形をつくるべきだ、それが責務だ、また、中島さん、伊藤参考人の皆さん方のように、一人でも障害者の方々に差別があってはいけない、間違ってあってはいけない、こういう思いの両方とも僕は正しいと思うんですね。これをどうして並行してきちっとした両立ができるような社会にできないのか、これが一番の問題なのかなという気がいたします。
 そういう部分で私が思うことは、まさにこの国における社会保障制度、福祉、そして国のあるべき姿というのが明確にならない。場当たり的にやってきた政治家の責任というものは非常に僕は重いと思っております。やはりそういうものを真正面で議論をしていかない、逃げてきちゃったというのが実情なのかなと思いますが、伊藤参考人、いかがでしょうか。
    〔森委員長退席、園田委員長着席〕
伊藤参考人 確かに、いろいろな問題を私たちが抱えながら、それをきちっと現状分析して、どういう政策を国がとるべきか、そういうことにつながらなかったという意味では、私ども精神科医の責任も非常に大きいと思っております。
 この新法案に関しても、そういう総合的な観点からきちっと洗い直して、そしてその中で本当に必要なのかどうか位置づけていただきたい。もう少し現状分析、そして長いスパンを持って、精神障害の問題にどう取り組んでいくか。私は、十分時間を尽くして検討した、そういうふうにはどうしても思えないのです。
 そういう意味では、今からきちっといろいろな調査をし、現状分析をし、この法案、拙速につくるんじゃなくて、慎重な討議を皆さんでやっていただきたいというのが願いです。
佐藤(公)委員 もう最後になると思いますけれども、仙波参考人にお尋ねさせていただければありがたいと思いますが、お話の中で一歩前進というようなこと。これは午前中にもあった話なんですけれども、私が思うことは、一歩前進というのは、もしかしたら十年後十歩後退ということもあり得るのかな。つまり、一歩前進は、やはり一歩一歩前進し続けていることがいい法律になっていくのかなという気がしますけれども、この先、先ほどからもいろいろな御説明がございましたけれども、今後これをこういうことでやっていく、考えていくに際して、一番大事な継続してやっていかなくてはいけないことは一つ何かといったらば何でしょうか。
仙波参考人 やはり司法のこの問題は、日本は今まで司法精神医学の領域がなかったわけですから、司法から医療との間に領域がぱかっとあいているような感じなんですね。それはぜひ国の責任でやってもらいたい。だから、立ち上げることこそまずやることなんですね。
 それから、この法律を見ますと、新しい制度があれば、例えば、私たちが裁判官と同じに判定の立場に立つと、我々はどういうふうに判定するのかから、一々私たちがもう一度吟味していくような仕事がいっぱいあるわけですね。そういう意味では、非常に宿題の多い法律ではないかと思います。
 そういう意味では、いわば未熟児とは言わないけれども、それで生まれたようなことで、それをずっと成人に育てるまでに私たちは多くのことをしなくちゃいけない。それには医師も大きな責任を負いますし、成長には司法側も国も大きな責任を負うもので、これはふたをあけてみたら後退であるとは私は決して思いません。精神医療に対してよい影響を与えるものだと私は信じておるところでございます。よろしくお願いします。
佐藤(公)委員 もう終わりますが、私が思うことは、思いは皆さん一緒なのかなということが改めてわかったかな。法律ができることによって全体の底上げをする、全体の底上げをして環境をつくってから法律をつくる、どっちが先かということになっているのかなという気がいたします。でも、本日は、本当にありがたい御意見、ありがとうございました。
 以上で終わります。ありがとうございました。
園田委員長 次に、瀬古由起子君。
瀬古委員 日本共産党の瀬古由起子でございます。
 きょうは、参考人の皆さん、大変御苦労さまでございます。
 私は、今回提案されている法律で、触法の心神喪失者に対する医療がこの法律によって向上していくのか、そして、どんな医療が行われるのかということが大変大事だというふうに思っております。そこで、山上参考人と伊藤参考人に最初にお伺いしたいと思うんです。
 まず最初に、伊藤参考人の方からも御指摘があったわけですけれども、簡易鑑定の問題を含めて、実際には、検察官が不起訴処分などを決定する際の精神鑑定というものが極めて不十分である。逮捕されてから捜査中に治療がほとんど行われていない。留置場や拘置所に閉じ込められて、病状が一層進んでしまう。そして、結果としては安易な精神鑑定のみで不起訴処分にされるとか、事実上の強制収容であります措置命令で精神病院に収容されてしまう。
 こういう法案に触れられていない検察段階での精神鑑定や治療の継続の問題というのは、私はもっとここは重視しなきゃならない問題じゃないかと思うんですが、その点、山上参考人と伊藤参考人からお伺いしたいと思います。
山上参考人 今の簡易鑑定の現状にはいろいろな問題があることは事実だというふうに思います。それが、この今回の新しい制度のもとでは鑑定の内容も公開される形になっていくと思いますので、今の簡易鑑定の問題というのは、不起訴事例ですから記録が一切公開されないというところがあるので、こういうシステムが進めば改善されていく余地はあるだろうというふうに感じます。
 また、鑑定も重要でありますけれども、やはり鑑定した後の治療システムの問題がより重要でありまして、鑑定が幾ら正確にされたところで、大変難しい人たちの治療がきちっと対応できるようなシステムがなければ、また今までと同じようなことが繰り返されることになりますので、治療システムの構築が非常に重要であろうというように思います。
 それから、治療継続の問題は、特に触法精神障害者の場合には重要であると思います。私の調査したものの中でも、退院すると直ちにどこかへ住居を変えていなくなってしまうという人たちもたくさんおりましたけれども、やはり社会復帰のときに慎重な準備をして治療を継続すればかなり再犯を防げる可能性のあるものですから、治療をきちんと継続して、安心して社会生活が送れるだけの体制をする。今回の法律の中では、保護観察所あるいは精神保健観察官が中心になってその役割を果たしていくことになっておりますので、これは従来とはかなり違ったしっかりしたものになるんじゃないかというふうに期待しているところです。
伊藤参考人 今回の法律が運用されるようになりましても鑑定の問題は残ると思います。それはなぜかといいますと、合議体で判定されるように対象者として申し立てされてきたときは、既に鑑定が終わっているんです。その鑑定は従来どおりの精神鑑定とか、不起訴にするかどうかという問題は従来のシステムの中で行われていって、その後このシステムに入ってくるわけです。
 したがって、その前の段階が改善されてなければ、今の問題は最後まで残ってくるわけです。合議体で審判することは、先に行われた鑑定が正しかったかどうかとか、責任能力があるのかどうかということはもう既に終わってからの、この後、再犯のおそれがあって入院命令あるいは通院命令を下すかどうかという判定をする期間ですので、今議員が指摘された問題はこのまま残ることになります。
瀬古委員 では、その後の治療の問題なんですけれども、今回の法律の政府案では、現行の診療方針とか診療報酬にない治療が行える、厚い治療が行えるんだというお話もございました。
 それで、ここは仙波参考人とそして中島参考人にお聞きしたいと思うんですけれども、特別な手厚い医療をここでやることで、これはどなたも認めていただけると思うんですが、今の日本の精神医療は大変ひどい状況にある、これを引き上げる、全体を引き上げることになるのかどうか、この点はいかがでしょうか。
中島参考人 まず、この指定入院医療機関あるいは指定通院医療機関の中で手厚い医療が行われるかどうかに関しては、少なくとも法案には規定がありませんので、それがどう保障されるかというのが一つ疑問であるというふうに考えております。
 そして、手厚い医療が必要なのは、何もいわゆるこの対象行為を行った人たちだけではありません。いわゆる合併症の問題ですね、精神障害者で体の病気も持たれる方がおります。これらの方々には本当に手厚い医療が必要です。それから、思春期の問題。思春期の方々には本当に手厚い医療が必要です。私は県立病院に勤めていたときに、その必要性を非常に県に働きかけたり、あるいは実態調査をして論文を書いたりということを行いましたけれども、なかなかそれは実現しないというような実態があります。
 そして、実際に、いわゆる触法行為、殺人であるとか、今回対象とされている方々も、それで不起訴になってという方々が対象になっているわけですけれども、その方々も本当に種々いろいろな問題を非常に持っておられます。手厚い医療が必要なのは確かにそういう方ですけれども、御説明ありましたように、入院でかなり綿密な精神療法を行っていくことが適応な方もおられれば、むしろ社会復帰の方向、なるべくうちから近くのところに入院して、そこからいかに社会生活をサポートしていくかということを、入院の初期の時期からサポートしていくような体制が必要な方もおられます。いろいろな方々がおられます。そういう中での手厚い医療ということになると思います。だから、この法案で規定されている手厚い医療が、この対象とされているすべての方にプラスであるというふうに私は考えません。
仙波参考人 すべてのセクションにおいて手厚い看護は必要なんですね。手厚い人員が必要なんです。今、精神医療がひどいひどいと言われましたけれども、特例の問題も、第四次医療法改正から、現在では、一般科は看護が三対一でございますね。四対一、三対一をとっている病院は、日精協配下でもう七〇%に達しています。どんどん医療の質を上げるために、それは努力しているところでございます。御理解いただきたいと思います。
 それから、さて触法をやった場合に濃厚な医療とは何かということは、我々も大きな課題なんですね。少なくとも、私の体験では、司法精神医学的な、あるいは事件に関することは話題さえもしない、置いておかれるような状況が現在一緒のところなんですね。
 それから、やはり、事件が何で起こったのか、そのとき心理状態はどうなのか、またそういう同じ状態になった場合にどういうふうにあなたは防ぐのかというような心理的な療法は、これは諸外国でもやっているわけですね。そういうことを問われることなく退院していったらどうなるんでしょうか。また同じような状態のときに再犯が起こる可能性は起こってきます。
 再犯率は少ないといっても、なぜかというと、その間に血みどろな医療がかかわっているからです。医療が全く放棄してしまえばもっともっと再犯率は高くなるので、それは医療者はそういうことをさせません。そういうことにかかわった末に、やはり手から漏れたというか、条件が許されないときに再犯が起こるということもありますし、もう一つは、本人の性格の問題とか、攻撃性の問題とか、コントロールの問題とか、そういうやや特徴的なことに対応する治療も必要ではないか。それらを含めて濃厚な治療となるんではないかなというふうに私は思っております。
 以上であります。
瀬古委員 私も、実は民間の精神病院にソーシャルワーカーとして勤めておりましたので、民間の病院がどういう努力をなさっているかということも十分知っているつもりです。
 しかし、日本の精神医療の制度の中で、やはり診療報酬の低い、実態に合わない中で、そして、御存じのように、日本は海外と違って、もう圧倒的に入院している患者さんが多い。そして、社会復帰施設もまともに配置されていない中で、実際には病院の関係者も大変苦労されているわけですね。これを一気にやはり引き上げなきゃならないというふうに、私はもう本当に切実に思っています。そういう点でもお互いにいろいろ今努力をしなきゃならないなと私も思っています。
 そこで、今回の特定の医療機関で治療を受けた患者さんが外に出てくる、退院するという場合に、地域におけるケアの問題ですけれども、これもこの法案では保護観察所ということになっているんですが、これは実際にはもうとてもやれる状態でないというのは、現場の関係者からも切実な声が上がってきております。
 私も、先日、委員会で取り上げたんですが、社会復帰施設も、じゃ、どれだけあるかというと、全国調べてみますと、全国の市町村に社会復帰施設が一つでもあるというのが一割しかないんですね。大半はもうそういう社会復帰の施設がないまま特定医療機関から退院する患者さんが出されて、その後も、一対一なり濃厚な追跡の治療を受けてもらうということになるかもしれませんが、実際には、やはり、いろいろな社会復帰の施設、地域との連携、通院治療、そういう中で患者さんたちが社会復帰していく、そういうプロセスが大変重要だというふうに思うんですね。
 その点、結局、そういう社会資源やケアする体制が全体的に引き上がっていない中にこういう触法の精神障害者が外に出た場合には、やはりそこで確保できないという場合、またもとどおり再入院という形になってしまわないかということを私は大変心配しています。
 その点で、山上参考人と伊藤参考人に、ぜひ、実際には今の社会復帰の施設などの状況とあわせてどういうふうに考えたらいいのか、お聞かせいただきたいと思います。
山上参考人 おっしゃるとおりの状況があるわけですけれども、触法精神障害者の場合には、今、そういう受け皿もないところで、ほとんど何の制限もなしに退院して、そしてまた事件を起こしている人が一部にいることは、先ほどのレジュメでも紹介したとおりでございます。
 今回は、少なくとも、その後、退院の準備をし、そこでお世話をして、その監督する人がいるわけですから、そういう再発をしたり再犯しないで済むように、あるいはちゃんとその生活が成り立つようにというお世話をする責任のある人がいるわけですので、これが一つそのきっかけになって、イギリスなんかそうですけれども、司法精神医療の患者のための専門のホステル、グループホームをつくったりとか、そういうことをされていますけれども、そういうものができていくきっかけになるんじゃないかと思います。
 今までのように、何もそういうアフターケアのきちっとしたシステムがない状況よりは改善されるでしょうし、それが一つのモデルとなって、日本の一般の精神医療にも波及できる可能性があるんじゃないだろうかと私は思います。
伊藤参考人 保護観察所の中に専門のそういう精神保健福祉士を置いてアフターケアを行うということですが、私は、現状ではうまくいかないと思っています。
 二つの問題があります。
 一つは、やはりその患者さんが地域の中で再発せずに安定して生活できるという条件としては、専ら支えるという視点。再犯のおそれがあるんじゃなかろうかとか、また事故を起こすんじゃなかろうか、専らそういう視点で患者さんにかかわっていくということでは信頼関係もできませんし、そして、精神保健観察に当たる方も恐らく、自分で自信がなくなったら、どうも心配だからといって申し立てする、今通院の命令が下って入院でない医療を受けている方に関しても、自信がなくなって入院の医療に持っていってしまうんじゃなかろうか、そういう心配をしております。そういう意味で一つの問題です。
 もう一つは、保護観察所の置かれている場所の数とか、それから精神保健にかかわる方の人数の問題というのは、今明らかになっておりませんけれども、できるだけもともと生活していたところで支えていくというのが原則です。全然違うところでこういう観察に置かれてもうまくいかないと思います。できるだけ従来住んでいた地域で支えていくということにならないと思います。
 そういう意味では、地域ケアを充実するということをまずやらないで、こういう通院のシステムをつくってもうまく動かないんじゃないかというふうに心配しております。
瀬古委員 時間が参りました。
 参考人の皆さん、どうもありがとうございました。皆さんの御意見を十分参考にしながら、本当に慎重な審議をぜひ続けてまいりたいと思います。きょうはありがとうございました。
園田委員長 次に、中川智子君。
中川(智)委員 社会民主党・市民連合の中川智子でございます。きょうは、本当にお忙しい中、ありがとうございました。
 私は、ずっとハンセン病問題、いわゆるハンセン病国家賠償訴訟の原告の方々とともに闘ってまいりました。そして、あのときに、一つの大きな教訓として、隔離政策がいかに人権を侵害するか、そしてまた、ハンセン病の療養所もらい予防法も治療の名のもとに隔離をし、そして、いわゆる隔離政策をとったことによって、社会復帰を非常な困難に陥れたと同時に、国民とそして怖い存在だとして隔離された人々との間に埋めがたい溝をつくってしまったということを、私はハンセン病問題で痛感いたしました。
 今回もまた、この新法は、きっちりした治療をするんだということにおいての法の枠組みの中でつくられようとしているわけですが、私は、やはりこれが新たな差別法にならないか、隔離された後、きっちりした治療をされながらも、再犯の予測というものが一つの大きなハードルになって、長い間のその方の人生被害を生んでしまうのではないかということをとても心配しております。
 そのような思いの上で質問をさせていただきたいと思いますが、山上参考人、中島参考人に伺いたいんですが、これが新たな差別法にならないか、隔離政策が、幾ら治療のもとであっても、地域に生きていく、人として社会で生きることを阻害するものにならないかという私の不安に対してのお考えをお聞かせ願いたいと思います。
山上参考人 運用のされ方とか整備のされ方によっては、そういう危険性がないわけではありません。でも、そういうことをしないように、欧米の司法精神医療が目指しているような、社会復帰まで責任持って推進していくようなものにするのが私の願いでございます。
 そういう長期的な隔離というのは今の措置入院制度のもとでも起きていて、それはむしろ今以上に、やみの中で、五年、十年と入院を続けている人たちもいるわけでございます。それが、より公開された審判の場でチェックされながらされるんですから、より人権が尊重されるような形のシステムができていくでしょうし、あと、それを隔離を増強させるものにしないためというのは、私たちが、医療にかかわる人が努力するべきことであります。
中島参考人 新たな差別法であるということは、全く御指摘のとおりだと思います。二つの意味で新たな差別法であるというふうに考えております。
 一つは、地域の中での問題ですね。
 これは、私先ほど申し述べました退院のときに非常に大きな困難を強いられることになります。指定入院医療機関上がりであるという形でやはり地域の方からとらえられるということは当然あり得ることですし、そういう方で、不動産屋さんやあるいは大家さんがアパートを貸してくれるでしょうか。そういう問題があります。
 それからもう一つ、医療の中での差別であるというふうに考えております。
 私は、こういう問題で議論をすること自体、非常に苦しい思いをいつもするんですけれども、例えば殺人を犯した人、私の患者さんに数名おられました、そういう方々も私の患者さんなんです。もちろん治療法に関しては、これは個別、いろいろありますから、その人に応じた治療法をしていきます。これは別に、触法行為をした、しないということにかかわりありません。殺人を犯しているからといって、特別な治療をするということではありません。それぞれ皆さんに特別な治療を私はしているつもりです。私の能力の範囲と時間的拘束もありますから、その中でですけれども。
 ところが、この法律は、そういう人々をあえて全部取り上げて、別の処遇を行うということになります。そういう人たちが何らかの形で、この法案の制度から別のところへ出てきて、例えば普通の病院に再入院してきたときに、その中で患者さん同士の差別が生まれないかとか、そういったことだって当然考えなければならないと思います。
 私は、二重の意味で差別法だと思っております。
中川(智)委員 ありがとうございます。
 続いて、伊藤参考人に伺いたいんですが、再犯予測というのは、私は神様だってできないだろうと思っております。ましてや生身の人が、〇・〇〇何%あっても、やはりそれはわからないわけですから。そこで、一個の人間に対してそのような予測をすること自体が、非常に矛盾を生み、また悲劇を生むものだと思っているんです。
 ここに医師と裁判官の合議ということがございますが、私は、やはり弁護士というか司法の関与というのを、特にその事件なり経過を見てきた弁護士の関与というのが必要だというふうに思いますが、退院時の医師と裁判官での部分に対して、足りないというふうなお考えはありませんでしょうか。伊藤参考人に。
伊藤参考人 今回の合議体での審判に当たって、一応付添人がつくことになっておりますけれども、その付添人の役割というのは、弁護人の役割とは違いまして、反対尋問をするとかそういうことではありませんので、御本人の再犯のおそれに対する判定に対して誤りがあった場合に、それを正す機能を十分に備えているかどうかということは、ちょっとこの法案の中では疑問があるんじゃないか、そういうふうに思っております。
 それからもう一つは、先ほどから、自傷他害のときに精神科医は判定しているんじゃないかということがありました。既に中島参考人がその違いを述べてくれましたけれども、私はもう一つ、違う法律の体系の中で医師の判断を求められるというのは大きな違いがあるわけです。
 私どもがやっているのは、精神保健福祉法の中で、あくまでも本人の医療とか保健という中で自傷他害のおそれを判断しているわけです。今度は違う法律の中で行われるわけです。したがって、同じ精神科医でも違った状況の中で判定にかかわってきます。そこでは、当然、再犯のおそれがないかどうかというときに、絶対に再犯のおそれがないとは言い切れないという立場をとらざるを得なくなると思います。この法律がそういう法律だからです。
 そういう意味では、自傷他害のおそれを私たちが判定をしているからといって、だからこっちの判定をしても大丈夫じゃないかというのは、私は、そうじゃないというふうに申し上げておきたいと思います。
中川(智)委員 わかりました。
 続きまして、もう一度中島参考人に。先ほど簡易鑑定の問題に関して瀬古さんが質問をいたしました、山上参考人と伊藤参考人でしたが、この簡易鑑定が適正に行われているかどうか。
 これに対して私は、法務省の方も、実態調査すら、この間、単年度で出したばかりで、それさえもきっちりつかめていない状況の中で、これをこのままに置いてやっていくということに大変懸念をいたしておりますが、中島参考人、この簡易鑑定についてもう少し教えていただきたいんです。
中島参考人 簡易鑑定に関しては、非常に大きな問題が幾つかあるだろうと思っていますが、簡易鑑定すらなされずに不起訴になっている事例も非常に多数ある、しかも、いわゆる重大犯罪の中でも多数あるということをまず指摘しておきたいと思います。
 それは法務省の資料でも、私は日本精神神経学会の代表として、精神科七者懇談会のワーキングチームの調査チームの中心的なメンバーとしてこの調査に当たりましたけれども、その中でも非常に、簡易精神鑑定すら行われずに不起訴になっているという事例が多数あるということがあります。
 それからあと、簡易鑑定の内容に関しても非常に大きな問題があるというふうに考えておりますが、ただ、簡易鑑定の内容にはアクセスできないんですね、我々は。検討が非常にし切れないという問題があって、それで、我々は例えば病院にいて、簡易鑑定を受けた後で病院に入院してきた方々を漏れ聞いたりとか、そういう形でやるということになります。
 そして、このあたりの問題を実態調査しようとしても、法務省がデータを出してくれないという問題があります。その七者懇談会の方でデータを出してくれという話を出したんですが、幾つかの重要なデータをあえて出さないという形で回答が来てしまいました。それで、毎日新聞社で公開された、各都道府県別の簡易鑑定の実態を調べたものが掲載されたものがありますので、それをもとに私ども検討したことがありますけれども、都道府県ごとのばらつきが非常に大きいという問題があります。これの背景がどこにあるのかということを調査しなければならないんですが、そこも調査できないというありさまです。
中川(智)委員 続いて、仙波参考人にお伺いしたいんですが、きょうのこの資料の中で、現行制度には多くの問題があり、年々不備が目立ち、医療の対応だけではもはや限界だというふうにお述べになっていらっしゃいまして、先ほども、一生懸命今医療はやっているんだけれども、新たな枠組みとして今回の法律は賛成するというお立場を述べられました。
 報道によりますと、関係団体の賛否は、日弁連から日本看護協会、全法務省労組、国立医療労組、ほとんどの団体が今回の法案に対しては反対で、賛成しているところは日精協とそして日本医師会のみ。私は、やはりもうちょっと本音で、反対に、今のところでこういうところをきっちりしてくれたらばこんな新たな法律は要らないでちゃんとした医療はできるんですが、いろいろその辺の事情があって賛成するんだと、もうちょっと本音で賛成の理由を教えてください。
仙波参考人 本音で言えということなんですが、現在、精神医療はいっぱい問題を抱えているんですね。しかしながら、私たちが長年このことに取り組んでいまして、国立関係でやる医療の仕事は、触法関係をきっちりやること以外はないんじゃないか。急性期なんかも民間で実はできるんです、金さえあれば。そういうことで、これだけはやってもらいたい。これを整理することによって、こちらの方も整理を進める。今、開放化が進み、医療改革をやるには、やはり触法の問題が大きなネックになっておりますし、これをまず第一段階で打ち上げてほしい。そういうことです。
 他の団体がみんな反対しているのにと言うんですが、私にとっては、本当に真剣にこのことを議論してくれたんだろうかというふうな感じさえあります。一生懸命検討していた団体ももちろんあるんですが、単に予測ができないからこれは反対だと。それで、いろいろな問い合わせをいたしました。そうしたら、他の団体が言っているので、それにみんなよっているというところもありますし、私は、必ずしも団体の数によって成否が決まるものでもないと思っています。そういうふうに思っておりますので、よろしく。
中川(智)委員 単に予測ができないからということで反対ということでは決してございません、いろいろな方にお話を伺いましたが。今のが本音でしたら、お金の問題もかなり重いですねということを実感いたしました。
 先ほど、中島参考人、横浜の刑務所での医療ということに携わっていらっしゃったというお話がございましたが、刑務所内での医療体制、山上参考人のお話の中でも、やはり刑務所の中で発症する、それが連動していくということが深刻だというふうなお話がございましたが、私も、刑務所の中でのいわゆる精神医療の面で、もっとこの辺をきっちりすべきだと。現実のお話を伺いたいと思います。
 山上参考人に最後に、中島参考人の後に。
 今回のこの法案は、いわゆる池田小学校、私の本当に近所の小学校なんですが、池田小学校事件がきっかけになったと考えているんですが、法案をつくる方々は以前からこの問題はあったというふうにおっしゃいますが、今回の容疑者は今回の法案の対象者にはならないということが委員会ではっきりしました。この人格障害の問題に対して、一言コメントをいただきたいと思います。
中島参考人 矯正施設内の医療のことに関しては参考文献で挙げまして、「いわゆる「触法精神障害者」問題はどこへ行くのか」という本と「拘置所・一般刑務所における精神科医療」という論文の中で詳細を述べさせていただいております。
 時間が短いので端的に幾つかの点に関して申し述べますけれども、本当に必要な人に対して医療が行われていないという問題があります。御本人が医療を求めても、刑務所の職員の方々が、熱心な方々も結構おられるんですけれども、精神医学的な知識が全く教育されていないという実情のもとで精神症状を見逃していくということが間々あります。御本人たちが希望される場合もそうですけれども、希望されていなくて、例えば規則違反を犯して保護房へ入るというような形の中で精神症状が発覚して、それを私がたまたま、何らかの形でたまたま診ることによって発見するというような事態が非常に多くあります。
 そして、先ほど出所のときのことを私は申し述べました。出所のときに多少のケアがあれば、例えば、紹介状が一通あれば、あるいは薬が数日分あれば、あるいはフラッシュバックに関する知識がきちんと教育されていれば、出所直後の再犯が防げるという事例は多数あります。
 そういったことが全くケアされていない。これは、もちろん国民の方々にとっても、あるいはいろいろな方々にとっても不利益でありますけれども、その再犯を犯す方々にとっても非常に不利益なことであるというふうに考えております。
山上参考人 人格障害の問題、大阪の事件に関しては、本人が不起訴処分を受けて、そして措置入院をし医療を受けているけれども、ほとんどそれが本人の行動の矯正につながらないで、何度も問題を起こしながらだんだん追い詰められていってという経過を見るときには、やはりこういう司法精神医療がかかわっていれば対応できたのではないかというふうに私は考えます。
 それから、診断の問題に関しては、まだ裁判中でありますので確たることは言えませんけれども、もし人格障害があったとしても、日本の精神医療の現場では、その人格障害の上に妄想反応を起こしたり家庭内暴力を起こしたり、いろいろなことで医療にかかってきます。そういうときに、医療で対応していながら大きな事件になったときは、人格障害だから精神医療の対応でないという言い方は、本当はいいやり方じゃないだろうと思います。もっと早い段階できちんとした対応がされていれば防げる可能性というのは幾らでもあったのではないかというふうに私は思います。
中川(智)委員 どうもありがとうございました。
園田委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。
 参考人の方々、本日は貴重な御意見をいただきまして、ありがとうございました。両委員会を代表して心から御礼を申し上げます。
 本日は、これにて散会いたします。
    午後四時十九分散会


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