衆議院

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第3号 平成16年3月25日(木曜日)

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平成十六年三月二十五日(木曜日)

    午前九時一分開議

 出席小委員

   小委員長 保岡 興治君

      小野 晋也君    下村 博文君

      平沼 赳夫君    船田  元君

      森岡 正宏君    綿貫 民輔君

      計屋 圭宏君    古川 元久君

      増子 輝彦君    山花 郁夫君

      赤松 正雄君    山口 富男君

      土井たか子君

    …………………………………

   憲法調査会会長      中山 太郎君

   憲法調査会会長代理    仙谷 由人君

   最高裁判所事務総長    竹崎 博允君

   最高裁判所事務総局総務局長            中山 隆夫君

   最高裁判所事務総局行政局長            園尾 隆司君

   参考人

   (北海道大学大学院法学研究科教授)        笹田 栄司君

   衆議院憲法調査会事務局長 内田 正文君

    ―――――――――――――

三月二十五日

 小委員土井たか子君同月十一日委員辞任につき、その補欠として土井たか子君が会長の指名で小委員に選任された。

同日

 小委員古川元久君及び増子輝彦君同月十八日委員辞任につき、その補欠として古川元久君及び増子輝彦君が会長の指名で小委員に選任された。

同日

 小委員大出彰君同日小委員辞任につき、その補欠として山花郁夫君が会長の指名で小委員に選任された。

同日

 小委員山花郁夫君同日小委員辞任につき、その補欠として大出彰君が会長の指名で小委員に選任された。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 最高法規としての憲法のあり方に関する件(憲法保障)


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     ――――◇―――――

保岡小委員長 これより会議を開きます。

 最高法規としての憲法のあり方に関する件、特に憲法保障について調査を進めます。

 本日は、参考人として北海道大学大学院法学研究科教授笹田栄司君に御出席をいただいております。

 この際、参考人に一言ごあいさつを申し上げます。

 本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人のお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じます。

 本日の議事の順序について申し上げます。

 憲法保障、特に、憲法裁判制度及び最高裁判所の役割について、まず、最高裁判所当局から説明を聴取いたします。次に、笹田参考人から御意見を三十分以内でお述べいただきます。次に、参考人及び最高裁判所当局に対する質疑を行います。

 なお、発言する際はその都度小委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は小委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。

 御発言は着席のままでお願いいたします。

 それでは、まず、最高裁判所当局から説明を聴取いたします。最高裁判所事務総長竹崎博允君。

竹崎最高裁判所当局者 最高裁判所事務総長の竹崎でございます。

 本日は、当憲法調査会での説明の機会を与えていただきまして、まことにありがとうございます。

 本日御説明いたします事項につきましては、お手元に項目だけお配りしてございますが、これはあらかじめ事務局を通じまして当調査会の御要望を伺ったところに従って準備したものでございます。やや話が細切れになろうかと思いますけれども、御容赦いただきたいと思います。

 まず一番最初に、最高裁判所の事件処理の実情について少し御説明申し上げたいと思います。

 最高裁判所の裁判官は多忙であるというのが一般的な認識でございまして、また、過去に裁判官を経験した何人かの方が、多忙のゆえに憲法問題等について十分検討する時間的余裕がなかったといった趣旨の話がなされたこともございます。

 最高裁判所に提起されます事件数は、平成十五年の統計で申しますと、民事・行政事件が三千百九十件、刑事事件が二千六百七十五件、合計五千八百六十五件に及んでおります。最高裁判所は、一定の場合には大法廷で審理することが必要とされておりますが、通常は五人の裁判官によって構成される三つの小法廷で事件を審理することとされておりまして、先ほど申し上げた事件数を三つの合議体で審理するわけでございますから、一人当たり年間二千件近くもの事件に関与するわけでありまして、多忙であることは否定できないと思われます。

 憲法判断かどうかという点はさておきましても、重要な判断により集中できるような態勢がとられることが望ましいことは言うまでもありません。そこで、これまでにも、最高裁判事の負担を軽減するため、さまざまな改革案が検討されてまいりました。

 その一つのアプローチの方法は、最高裁は憲法のもとで、大きく言って二つの機能を果たすことが求められている。一つは、従来の大審院以来果たしてきた、三審制のもとでの最終審として下級裁判所の判断をチェックして法令解釈の統一を図るという機能でございまして、もう一つは、憲法で与えられた法令の憲法適合性を判断するという機能でございます。最高裁判所に提起される事件の大多数はこの前者の類型の事件でありまして、その処理が裁判官にとって大きな負担となっているのであるから、この大審院的機能を果たす部門と憲法判断の問題を扱う部門とを分離してはどうかという観点からのアプローチでございます。

 ところが、平成十年の民事訴訟法の改正はこれらとは視点を変えまして、最高裁判所に提起されております民事事件の多くが、極めて緩やかな上告理由のもとで、どちらかといえば安易な上訴が行われており、しかも、そのすべてに対して重い判決という形式で対応することを求められていることが裁判官に必要以上の負担を強いることになっているのではないか、そういう認識のもとに、次のような改正を行ったわけであります。

 第一点は、上告理由を、憲法違反を理由とするほかは、例えば裁判所の構成が法律に従っていなかったときなどの重大な六種類の手続上の違法に制限をするということ。第二点は、上告理由が明らかにそのいずれにも該当しない場合には、決定で上告を棄却することができるとすること。第三点は、従来、上告理由とされていた単なる法令違反の主張については、最高裁が法令の解釈に関する重要な事項を含むとして上告受理の決定をしたときのみ判断を示せば足り、そうでないときは不受理決定で事件が終局するという三点の改正でございます。これによりまして、大多数の事件は軽い決定で処理されることになりました。

 資料の一をお配りしてございますが、ちょっとごらんいただきたいと思います。これによりますと、法改正前の平成九年というところをごらんいただきたいと思いますが、上の欄でございます。終局事由として判決終局が二千九百七十三件ということになっておりまして、これを上告の理由で見ますと、憲法違反という上告理由に対するものが十件、それから憲法違反の主張がされてはいるけれども、実質上は憲法違反に当たらないと判断されたものが三百三十六件でございます。それから、単なる法令違反が二千七百十六件、合計三千六十二件で、基本的にはこの大半が判決で処理をされていたということになるわけであります。

 先ほどの改正後、これは昨年の数値でございますが、下の段、平成十五年の段をごらんいただきたいと思います。四千七百五十三件終局しておりますが、そのうち判決で処理をされたものが百四十七件で、四千五百二十五件は軽い決定という形式で処理をされたわけでございます。これは、判決で処理されたものが、憲法違反についていいますと二十五件ということになるわけでありますが、この数値に照らしましても、実質的な判断を必要としない事件がいかに多数最高裁に提起されているかということがおわかりいただけるのではないかというふうに思うわけであります。

 判決で処理をするということになりますと、どうしても一つ一つの論点に対して答えなければならないということで、相当の手間を必要とするわけでありますが、決定で取り上げないという判断をすることになりますと、非常に簡易な処理ができるということで、残った実質的な判断を要する部分に精力を集中できるということになるわけであります。この改正の意義は、最高裁判事にとりまして非常に大きな意味があるというように受けとめられているようであります。

 これは民事事件についての改正でございますが、このような傾向は刑事事件についても同様でありまして、刑事事件の上告理由は憲法違反と判例違反に限られておりまして、例外として、法令違反等であっても原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認めるときは職権で原判決を破棄することができるとされているわけですが、実質的な判断の対象とされているのは、全事件のうちの約二%程度であるというふうに言われております。

 ただ、それにしましても、判決で応答するか、あるいは決定で処理するかというような点につきましては、全裁判官が合議をして判断しなければならない。そういう意味では、負担が重いことは否定できませんし、それからまた、事件数は今後さらに増加することが予想されます。既に刑事事件につきましては、地裁レベルでは終戦直後の混乱期を除いて過去最高となっておりますが、最高裁でもこれを受けて新受事件が急増しつつあります。最高裁判事の負担につきましては、常時検討を加えていく必要があるというように考えられます。

 ただ、一言つけ加えさせていただきますと、いかに最高裁判事が多忙でございましても、そのゆえに必要な憲法問題の判断が不可能であるということはないというのが、現在の最高裁判事の大方の意見ではなかろうかというように思っております。事柄の重大性からして、最も重要なことに必要な精力を傾けるのは当然のことだからでございます。

 それでは、過去に、多忙であるがゆえに憲法問題等の判断になかなか取り組めなかったという発言があるわけでございますが、それはどうしてかという点があるわけです。この点は個々人の判断の問題でございまして、何とも言いかねる点がございますが、例えば学者出身の裁判官の方などについていうと、憲法判断を行うに足りる、言うならば納得がいくだけの自分としての調査研究がなかなか尽くせなかったという心情を述べておられるのではなかろうかという思いもするわけでございます。

 以上が、第一点の最高裁における事件処理の実情についての御説明でございます。

 次に、最高裁判所裁判官の選任について御説明したいと思います。ただ、この問題は、申し上げるまでもなく、内閣の専権に属する事柄でございまして、裁判所側で御説明できますのは、これに関係する一部の事実でしかないということをまずお断りしておきたいと思います。

 最高裁判所裁判官の任免につきましては、最高裁判所長官は内閣の指名に基づき天皇が任命し、その他の裁判官は内閣が任命するとされ、その任命の要件としては、裁判所法上、識見の高い、法律の素養のある年齢四十年以上の者の中から任命することとされ、うち少なくとも十人は、十年以上高裁長官もしくは判事の職にあった者、または二十年以上これらの者を含む法曹の職にあった者であることが必要とされております。

 法がこのような任命要件を定めましたのは、最高裁が法令の憲法適合性を審査する終審裁判所であることから、識見が高く、法律の素養のある人物であれば、法律家でない者がその一員に加わっていることはその権能を果たす上で望ましいと考えられると同時に、先ほど申し上げましたように、最高裁判所が法令解釈の統一を図る上告裁判所としての機能を果たすという面では、相当数の法律家が必要であるというふうに考えられたからであろうと思われます。

 実際の任命におきましても任命前の職業が考慮されているようでございまして、欠員が生じた場合の後任者の任命に際しましては、その出身母体に応じて、裁判官、弁護士、学識者と三つのカテゴリーが意識されているようでございます。裁判官といいますのは、下級裁判所の裁判官出身者と見られる者でありまして、現在は六人でございます。弁護士出身者は四人、残り五人が学識者ということでございまして、これには大学教授、検察官出身者、行政官、外交官出身者などが含まれております。

 任命は内閣の専権でございますが、最高裁判所がその機能を十全に果たすためには各小法廷の人的構成がいずれもバランスのとれたものとなっていることが必要であり、そのため、任命が行われる際には、各小法廷の事件処理の状況やその構成など、最高裁判所の実情を踏まえて、最高裁長官が総理大臣に直接面会し、こうした状況を御説明し、後任の候補者の出身分野、最高裁判事としての適格性などについて意見を述べることが慣例となっております。

 その際、最高裁長官は、裁判官、検察官、弁護士出身者などにつきましては相応の情報を持っていることが少なくないわけでありまして、そうした候補者の場合には、任命が内閣の専権に属することを踏まえつつ、必要な限度で候補者の人物等について説明をされているということのようでございます。

 次に、裁判所の人的、物的態勢ということで、司法予算について御説明申し上げます。

 我が国では、司法予算が国家予算の〇・四%しかなく、そのため司法が十分に機能し得ていないとか、あるいはこれと逆に、司法予算が少ないことが司法が十分に機能し得ていないあらわれであるといった議論をなされることが少なくございません。

 そこで、まず、主要国の全予算、国家予算に対する司法予算の比率を比較してみたいと思います。

 資料の二番目をごらんいただきたいと思います。これは、日本、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスの各国につきまして、わかり得る範囲で国の予算総額と裁判所あるいは司法に関する予算額とを対比したものでございます。

 これは二〇〇三年度の数値でございますが、ドイツのみ二〇〇二年度の数値です。日本は〇・三九%ということですが、ちなみに、ほかと比較する上で、便宜、法務省予算も加えた比率で見ますと、一・一四%ということになっております。

 アメリカの場合、これは連邦と州と双方で運営されておりますのでなかなか比較ができないんですが、連邦予算だけの関係で見ますと、連邦予算二百六十二兆余りのうち、裁判所関係予算が六千六百九十七億ということで〇・二五%、司法省も含めた比率でいいますと一・二九%ということになります。

 それから、イギリスは〇・六七%でございますが、イギリスは非常に高いようでございますが、実は裁判所関係予算のうちの四五%は法律扶助関係予算でございまして、この法律扶助関係予算を除きますと、その他の運営関係は〇・三%ということになるようでございます。

 ドイツ及びフランスは、いずれも裁判所予算は司法省の所管のもとにありまして、この中には司法省関係予算が含まれております。それを含めて、ドイツでは連邦が〇・一五%、もっともドイツの場合は州の予算もございますので、これで全体を評価することは難しいと思います。フランスの場合は一・八%ということになっております。

 司法制度を予算面から諸外国と対比して見ていくということは一つのアプローチの方法であろうと思うわけでありますが、制度が非常に異なる上に、データの同質性も問題であって、現状では必ずしも有効な方法とは言えないように思われるわけであります。司法制度の機能は、私どもとしては、やはり一つ一つの事柄について法の要請が十分に果たされているかどうかという分析的な検討が不可欠であろうというように考えているわけでございます。

 これとの関係もございますが、二割司法という点について、一言御説明させていただきたいと思います。

 これはいささか実証性の乏しい議論ではないかというように私どもは思っているわけであります。二割司法という言葉、これが使われるようになったいきさつは必ずしもはっきりいたしませんが、もともとは、報道機関の一部で、国民の二割程度しか一生のうちに司法制度と関係を持つことがないのではないかという趣旨で使われたことがあったようでございますが、平成五、六年ごろ、司法試験制度の見直しが検討されている中で行われたアンケート調査の結果、法的紛争が起こった場合に弁護士に相談した人の割合を調べましたところ、これが二割程度であったという結果から、法曹人口の不足を端的に表現する言葉として用いられ、これが、さらに司法制度改革の過程で、本来、法的に解決されるべき紛争の二割しか適切に解決されていないのではないかといった用法に拡大され、この言葉の出どころとなった調査とは離れたものとなっていったように思われるわけであります。

 したがって、この用語に余り厳格にとらわれることは必ずしも適当ではなくて、むしろ紛争解決の手段としての司法作用の充実強化の必要性を指摘するものとして理解すべきではないかというように私どもは受けとめているわけでございます。

 いずれにしましても、司法制度を国民がより利用しやすく頼りがいのあるものとするため充実強化を図らなければならないということは、今回の司法制度改革を支える大きな思想でございまして、この観点から、真に国民のためになる改革を実現していく必要があると考えております。

 そのための大きな方向として、一つは、司法に関与する人的態勢を強化すること。そのため、法科大学院の設置を初めとする法曹養成制度を見直し、また、裁判所にとっては裁判官の給源を拡大し、多様な人材を確保すること。二番目は、裁判迅速化法の制定に象徴されるような、より迅速で適切な裁判制度を実現すること。三番目は、国民の司法への参加を進めること。この三つが重要であろうと考えているわけであります。

 この関係で一言つけ加えさせていただきたいと思います。司法、とりわけ訴訟による問題の解決は、ある意味ではかたい解決方法でございまして、より国民が利用しやすい司法制度を実現するという観点から、このかたい司法手続を中心に置きつつ、その周辺部により簡易で柔軟な方法を用意していくということが必要であろうと思われます。

 既に、裁判所では一部このような試みを進めているところでございますが、例えば、訴訟手続の簡易化ということから簡易裁判所に導入された少額訴訟制度は、従来のように期日を重ねるのではなくて、一度の審理で判決まで終えることとしておりますが、これまでのところ利用者には非常に好評でありまして、事件数も増加しております。

 また、平成十四年度には、初めて民事及び家事の調停事件総数が訴訟事件総数を超えたことからもうかがわれますように、同じ裁判所の手続でも、より柔軟な調停がますます活用されてきていると言うことができるように思われます。

 さらに、司法制度改革の過程でもADRの活用の推進が検討されておりますが、今後、裁判との適切な連携を保ちつつADRの活用が図られれば、全体としての司法的解決の枠組みを大きく広げることになるであろうと思います。

 また、もう一方で、各種の手続への裁判所の関与が積極的に進められているという点も申し上げておきたいと思います。

 裁判所は、本来は司法機能を果たすべき機構でございますが、近時、例えばDV法あるいは触法精神障害者に対する医療措置といった司法以外の事務に対しましても、裁判所の関与が求められるケースが増加してきております。純粋な司法作用だけでなく、事柄によっては、手続の合理性あるいは透明性、さらには双方の関係者の利害の公平な判断といった裁判所の持つ特質がその関与を求める理由となっているのではないかと思われるわけであります。

 裁判所としては、今後、現在の司法機能を一層充実させていくとともに、このような新たなニーズに対応し得る態勢を築いていかなければならないと考えているわけであります。裁判官の採用や養成の過程を見直し、また裁判員制の導入等を図っていくのも、そのような多様なニーズに対応する多様な人材を確保していくという観点から、すべて関連し合っている事柄であろうというように受けとめているところでございます。

 最後に、裁判官の独立に対する憲法の保障と裁判官の報酬の引き下げの問題について御説明申し上げたいと思います。

 裁判官は、憲法上、良心に従い独立してその職権を行使し、憲法及び法律にのみ拘束されると、極めて重い自律性が課せられているわけでございます。裁判が常に相対立する双方の言い分を聞くことから成り立っているということを考えますと、裁判官の中立公正が強く求められ、当事者から見ますと、裁判官が公平に自分の主張に耳を傾け、ただ、その主張するところの真実か否かのみを判断してもらいたいと考えるのは当然でありまして、公平公正こそ裁判の基盤でございます。

 ただ、そのことは必ずしも容易なことではないわけでありまして、最終的には一人一人の裁判官の資質、これは、常に自分の信ずるところに従って判断をするという勇気と、それを支えるだけの平素の自己研さんに帰着する問題であろうと思うわけであります。裁判官はその良心に従って判断しなければならないというのは、そういう意味での最終的な裁判官個人の問題であるという問題の核心を示すものであろうと思うわけであります。

 この最終的な裁判官個人の独立を制度的に保障するものとして、裁判官は、裁判により、心身の故障のために職務をとることができないと決定された場合を除いては、公の弾劾によらなければ罷免されない。裁判官の懲戒処分は、行政機関が行うことはできないと、まず基盤となる身分に対する保障を行い、さらに、裁判官は、すべて定期に相当額の報酬を受ける。この報酬は、在任中、これを減額することはできないと、報酬についても手厚い保障が行われているわけであります。さらに、その周辺部が、司法行政の独立という面で保障が担保されているわけでございます。

 ところで、平成十四年、十五年と二度にわたり裁判官の報酬が減額されました。これは、憲法七十九条六項、八十条二項が禁止していることではないのかという疑問が当然生ずることであろうと思うわけであります。

 裁判官の報酬につきましては、現在、裁判官報酬法で定められているわけでありますが、その基本的な構造は、裁判官の経験年数に応じた段階的な給与システムをとり、国家公務員の給与にスライドする方式がとられてきました。裁判官も国家公務員であり、職務の特殊性はございますが、基本的にはこれに沿った給与体系が望ましいと考えられてきたわけでございます。その意味で、憲法の母国であるアメリカのように、裁判官の給与をポストを考慮しつつ固定したものとし、昇給という概念が基本的にはないといった制度とは大きく異なっているところでございます。このようなシステムをとっているため、毎年の人事院勧告によって公務員の給与の引き上げが図られる場合には、これに応じて裁判官報酬法の改正を行ってきたわけでございます。

 その場合の手続といたしましては、裁判所は内閣の構成員ではございませんし、閣議にも出席いたしませんため、独自の法案提出権がございませんので、裁判所に関する立法は法務省に法改正を依頼するという形式で行っておりますが、この立法依頼は重要な司法行政上の事務でございますので、毎年、裁判官会議の議を経てなされているわけでございます。そこで、これらの両年につきましても、人事院勧告に沿った減額の立法依頼をすることの適否が裁判官会議に諮られたわけでございます。

 裁判官の報酬について、今回のような形で引き下げが問題となったことはありませんで、学説の上での考え方も、このような場合であっても裁判官の報酬を引き下げることは憲法に違反するという考え方と、裁判官に対する報酬の保障も裁判官の地位及び独立を確保するために設けられたものであって、今回のような人事院勧告という制度にのっとって国家公務員全体について給与の引き下げがなされるような場合には、司法あるいは裁判官の地位ないし独立とは関係がないから減額しても問題とならないという二つの考え方があるわけでございますが、裁判官会議でも、その憲法適合性について慎重に議論した結果、今回のような場合には、裁判官の地位ないし独立にかかわる問題ではなく、減額改正の立法を依頼することはやむを得ないという結論に達したので、これに沿った措置をとったということでございます。

 裁判官会議のこの方針は、いわば立法依頼を行うための司法行政上の判断でございまして、仮に、これに対して例えば裁判官の一部から憲法違反を理由とする訴えがなされた場合には、最終的には司法権の最終判断者として最高裁判所で議論されることがあるのはもとよりでございますが、その場合、司法権の主体としての判断が先行する行政判断に拘束されるものでないということも当然でございます。ただ、裁判官の構成メンバーが同じでございますと、同じ結論となる確率が高いであろうというように思われるわけでございます。

 以上、簡単ではございますが、御関心のおありの事項と思われる点について、一応の御説明をさせていただきました。

保岡小委員長 以上で最高裁判所当局からの説明聴取は終わりました。

    ―――――――――――――

保岡小委員長 次に、参考人から御意見を聴取いたします。

 笹田参考人、お願いいたします。

笹田参考人 北海道大学の笹田でございます。

 先月来、体調を崩しておりまして、この委員会にお誘いいただいたときに、何とか行かなければと思い、ようやくここにたどり着いて、ほっとしております。非常に名誉ある委員会でございますので、その責を果たしたいと考えております。

 まず、今、最高裁判所の事務総長の方からお話がありまして、私も非常に勉強になりました。いろいろとおもしろい指摘をいただいて、ありがたく思いました。そういいましても、私も一応原稿等書いておりますので、それを見ながら話を進めさせていただきます。

 まず、「はじめに」とレジュメの方に打っておりますが、現状認識でございます。これは、とりわけ、二〇〇一年六月に司法制度改革審議会意見書が出まして、この審議会では違憲立法審査権をさほど取り扱わなかったのですが、しかし、こんなふうに述べております。

 「この制度が必ずしも十分に機能しないところがあったとすれば、種々の背景事情が考えられるが、違憲立法審査権行使の終審裁判所である最高裁判所が極めて多くの上告事件を抱え、例えばアメリカ連邦最高裁判所と違って、憲法問題に取り組む態勢をとりにくいという事情を指摘しえよう。上告事件数をどの程度絞り込めるか、」「大法廷が主導権をとって憲法問題等重大事件に専念できる態勢がとれないか、等々が検討に値しよう。また、最高裁判所裁判官の選任等の在り方についても、工夫の余地があろう。」と述べています。

 審議会の会長を務めました佐藤幸治教授は、今の点につきまして、後に、憲法事件がともすれば一般の事件の処理の中で埋没しているのではないかという根本問題があるとも言われています。

 ところで、事件を最高裁の中で大法廷に回付するケースについて少し話を述べておきますと、非常に少ないということはよくおわかりだと思います。この点について、先般おやめになりました千種最高裁判事、この方は恐らく裁判官出身の判事だったと思いますが、毎日小法廷事件に追われていると大法廷の審理に時間をとることが難しくなり、事件を大法廷に回付しにくい状況になると述べられております。私は、やはり、この大法廷回付が少ないということも、一つ考えなきゃならないことだと思います。

 次に、憲法裁判の現状についてですが、これはよく、法令違憲の少なさ、すなわち五種六件の判決しかないという指摘がございます。したがいまして、この点につきましてはここではあえて言う必要もないかと思います。

 一点だけ、私の見ますところ、最高裁判決の中には、憲法規範、憲法規定を出してもいいのに出さなくて、法律の言葉で、あるいはまた違う言葉で解決を図られたケース、これが幾つかあるということがあります。判決の妥当性は、私は、非常にそれでよろしい、いいなと思いますけれども、何か、我々から見ると、あえて出していないのではないかな、外から見るところではそういうふうに受けとめるときもございます。そういうことが一つあるということでございます。

 また、裁判を受ける権利について一言述べておきますと、これは、司法の役割、そして憲法裁判と密接に絡み合い、全体として一つの流れをつくる重要な要因であります。したがいまして、裁判を受ける権利の保障が停滞しますならば、その流れもよどむことになりかねません。実は、最高裁判例を見ますと、裁判を受ける権利についての理論レベルというのは、昭和三十五年の訴訟、非訟の大法廷決定以来、ほとんど変化がないということがやはり私は気になります。

 次に入ります。違憲審査制成立の経緯でございます。この点につきましては、本テーマからいきましても、1と3はとりあえず後で何かございましたらということにしまして、2、最高裁判事の任用資格ということにお話を合わせていきたいと思います。

 憲法、裁判所法制定過程を見ていきますと、GHQは、法律家、法律専門家以外の人物を入れることに強い懸念を表明しました。それに対し、日本側はそれを抑えまして、現行の裁判所法四十一条、「識見の高い、法律の素養のある」に落ちつきます。これは、枢密院、すなわち枢密顧問官や貴族院勅選議員を想定します枢密院と、従来の大審院とは違う裁判官を想定します学者委員、弁護士会、司法省の側の見解がくしくも一致したわけでございます。最高裁判事のうち五名については、「識見の高い、法律の素養のある」ことを条件とした上で、法律専門家以外の人物がつく可能性が生じました。法律の専門的な知識は要求されておらず、かえって、識見の高いことが要請されております。実は、ここには、最高裁をどのようなものとして構築するかという問題があるわけでございます。

 比較法的に見た場合、違憲審査権を行使する裁判官の任命資格を非法律専門家に開放するのは例外に属します。その例外の一つでありますフランス憲法院について見るなら、憲法裁判官の任命については、いかなる資格、条件、基準も存在しないので、社会のあらゆる分野から憲法院に裁判官としてやってくると言われております。もっとも、衆議院の憲法調査会の資料で見ますと、法律家出身が八割ということでございますから、やはり法律家出身がふえているということは確かなようでございます。ただし、フランス憲法院に申し立てを行うことができますのは、大統領、首相、元老院議長、国民会議議長の四名、六十名の国民議会議員ないし元老院議員でございます。市民には認められておりません。また、大統領が一たん審署した、サインした法律の合憲性は問えません。非常に限定されたわけであります。また、提訴権者も市民は排除されております。

 ともあれ、我が国の最高裁判所裁判官の任用資格というのは、実は比較法的に見て非常に特徴的なものであると言うことはできると思います。

 次に、少し話を先へ進めさせていただきます。

 二、違憲審査制が活性化しない原因。冒頭、司法制度改革審議会意見書の話から話を始めまして、意見書もそういうふうな書き方をしておるわけですが、我々にとっては、伊藤正己先生というのはどうしても英米法の先生というイメージがまだ残っておりますけれども、最高裁判事を十年近く務められまして、本をお書きになった。そして、これが非常に大きな影響を与えた。我々も非常に影響を受けました。1から5までみんな読む必要はございません。私の観点からいって、注目すべきはやはり3、4、5ということになります。

 3処理件数の多さからです。ここは、先ほどの事務総長のお言葉と少し違うのかなということでございます。ただ、小法廷にあっては通常事件の最終審という意識が強く、憲法の裁判所であるという考え方は生まれにくいという点は、これはどうなのかなと。それと、大法廷回付を回避する傾向があるということは、総長の方からの話には出なかったのでございますけれども、年間一件程度しか出てきませんので、それはどうなのかなという気がいたします。そして、次の点、顔のない裁判官。どの裁判官に当たってもほぼ同じような判断が期待される裁判官を理想とするのが我々の国である、そこでは少数意見は出ないということでございます。これはまた後で触れたいと思います。

 次に、最高裁の任務と負担ということを、戦前の大審院と比較してみたいと思います。

 一ページ、レジュメの方を見ていただきますと、整理しております。大審院は、担当する事件は民事と刑事事件でございました。最高裁は、それに行政事件と労働事件が加わっております。裁判官数は、若干のぶれがございますけれども、五十名前後と言って差し支えないでしょう。最高裁判所は、十五名プラス調査官の方が三十名以上いらっしゃいます。この調査官も若手ではございませんで、いわゆる第一線の裁判官がいらっしゃるということでございます。そして、大審院は違憲審査権はなかった。最高裁は違憲審査権があります。

 さらに、この点、一つ特徴的なことではありますが、戦前は司法省が人事権を握っていたわけですね。そこで、裁判所の地位が非常に低かったわけです。それもありまして、戦後の司法制度改革の中では、裁判所が人事権もすべて握ります。そういう点がやはり特徴でございます。

 このような最高裁への権限はやはり一元的集中であるというふうに、従来のものと比べると、あるいは比較法的にも見ていいと思います。それは、明治憲法下において地位が低かった司法の強化という、それ自体は大変正当な目的を持つものでございました。しかし、法曹一元あるいは陪・参審を導入することなく職業裁判官制度がとられたために、結果として、最高裁を頂点とする一元的な司法システムがつくられることになったわけでございます。これは、少ない裁判官数で効率的に事件を処理するものでありまして、後に最高裁によって、全国的に統一された、等質的な司法という言葉で語られるものであります。しかし、これは民事、刑事の事件を念頭に置くものであろうかと思います。解釈者の個性が出てこざるを得ない憲法事件には、もしかしたら抑制的な意味がなかったか。これも、外から見ている研究者として、そういうことを考えるときがございます。

 2、この点が先ほどの最高裁からの御説明と重なるところと重ならないところが出てきて、私は直前にあのお話を伺って、おっと思ったところでございます。

 ポイントは、平成十年の上告制限導入による変化でございます。平成九年の既済件数を見ていただきますと、民事、行政が三千三百四十四件、刑事が千四百三十四件で、合わせて四千七百七十八件でございます。これは最高裁判所のホームページ上から作成いたしました。そうしますと、最高裁判所長官は大法廷のみですから、裁判官一人当たりが三百四十一件。これは主任でございますから、小法廷全体では千七百五件ということになります。これは大変厳しかったという説明でございました。これが、平成十年の民訴法の改正によってかなり楽になったという話が先ほど出てまいりました。

 その前に、件数から見ていきますと、改正後は三千三百三件。これは、一つの原判決に対する上告事件と受理事件を一つにして一件、刑事事件が実は千件ふえていますから二千四百九十五件で、五千七百九十八件でございます。ただ、上告受理事件を除きますと四千八百七十八件になります。さらにその上に、民事・行政事件については判決によって終了する事件が激減しましたし、より簡易な形式でございます決定事件がふえておりますので、かなり楽になったというお言葉は、そうかなというところもあります。ただ、一方で、上告受理事件が実は二千四百十九件という大変な伸びを示しているわけです。したがって、このあたりの負担というものは無視して私は一応数字をつくって言っているわけですが、多分無視できない数字ではないかなというふうに考えます。

 次に、先ほど総長の方から、最高裁判所の過重負担について、おやめになった方々の回想録については実はキャリア出身の裁判官でない人が多いのですよということをおっしゃられまして、私もそうだなという気がいたしました。

 例えば、田中二郎先生、元判事ですが、私は恐らくほかのどの職場に比べても一番つらい職場じゃないかという感じがしましたねという大変すごい感想を漏らされておりますし、島谷六郎元判事も、午前午後の昼間の時間はもとより、公邸に帰ってからも夜遅くまで記録を読まねばならなかった、六十歳代後半の人が多い裁判官にとってはまさに重労働であったと述べられております。この方も弁護士さんではなかったかと思います。それと、最近では、大野正男元判事、この方も弁護士さんでございますが、仕事の量とそれに費やされる時間から見ると圧倒的に持ち回り審議の記録読みが多い、その中には新たな発見がないわけではないが、ほとんどの事件は原判決どおりでよく、最高裁の出る余地はない、最高裁の仕事は自分の出る余地のないことを確認することなのだろうか、そういう疑問が仕事をしている間にわいてきたことも否定できないと述べられております。

 こういうものは、恐らくキャリアの出身でない裁判官の方々の感想だろうということでございます。先ほど総長の方が、裁判官の感想をお尋ねになって、そんなことないよということをおっしゃいましたけれども、恐らくそういう裁判官はキャリア系の裁判官の方々であって、若いころからずうっとお仕事を続けられて、上告審の役割については大変に通暁されているベテランの方々、それに対して私が今挙げている方々は、先ほどから述べています、それ以外の方々が入られてされている人です。例えば、その中に例外的に、多分、学者型裁判官とよく言われます中村治朗元判事がいらっしゃいますが、この方は、仕事が厳しかったということをおっしゃっていると思います。

 最高裁を考える上で、これはある意味で重要なポイントではないかなと私は思うわけです。すなわち、上告審的機能というものに通暁している裁判官の方々は恐らく苦痛を感じられないというふうな読み方はできないのかということでございます。

 それでは次に、3二重の役割ということでございます。

 上告審であり違憲審査についての最終審であるというのがよく言われることでございます。我が国の最高裁判所は、この二つの役割を担っております。

 それでは、ほかの国はどうかといいますと、ドイツでは、違憲審査は連邦憲法裁判所、そして五つの連邦最高裁判所が上告審でございます。民・刑事が通常裁判所、行政事件が行政裁判所というのがございます。アメリカの場合はどうかといいますと、我が国での上告審の多くを州の最高裁が担っております。さらに、裁量上告制がございますので、最高裁判所は、年間百件とか言われているフルオピニオン、すなわち完全に意見を書くもので済んでいるというように言われております。

 このように見ていきますと、我が国の最高裁判所は、私は、大きな、非常に過大なと言ってもいいかと思いますが、任務を背負っていると思うわけです。その結果は、やはり上告審としての機能に傾斜したものとならざるを得ないと思います。

 先ほど人的構成の問題を、最高裁の御説明にありました、弁護士さん四名、裁判官六名、学識経験者のうち、検察官が一名、法制局長官が一名、行政官が二名、学者が一名。しかし、つい先年までは検察官が二名いらっしゃいましたが、やはり見るところ上告審的機能に配慮したものになっていると思います。

 この点について、実は、司法制度改革推進本部に置かれております法曹制度検討会というのがございますが、その中で委員を務めておられます佐々木大阪地裁判事は、現在最高裁が担っている職責、役割を果たすためには、多数の民事事件、刑事事件の処理が必要であり、人事の本質からいえば、そのような観点から見た適格者を充てざるを得ないと率直に述べられております。

 それでは、次に、違憲審査活性化のためのさまざまな試みというところに入ります。

 まず、上告制限でございます。これは現在、平成十年から始まっておるわけですが、当然、最高裁の負担軽減が目的でございます。重要な事項を含むと認められた事件についてのみ上告を認めるわけです。決定でよいわけです。ですから、これはかなり負担軽減になると言われております。

 この問題についていろいろと意見がございますけれども、私は、やはり、顕著な負担減になるのか、少しぐらいの負担減では恐らく厳しいのではないかと。目に見える形での負担減というのがございますれば、それは違憲審査活性化のための大変有効な方策だと考えております。

 アメリカはどうかといいますと、アメリカは権利上訴というものをもう認めておりませんで、すべて裁量上訴に変えました。ですから、最高裁判所は、仮に憲法判断を求められても、ペンディングにして、まだ早いよとか、そういう形でとめることができる。ですから、件数が少なくていいわけですね。

 ところが、我々の国ではどうかといいますと、憲法八十一条は、終審裁判所としての最高裁と言っております。つまり、二つが予定されておりますね、始審と終審という。と同時に、裁判を受ける権利というものを言っておりますから、やはり最高裁への上告ということは、これは当然予定されているわけですね。だから、アメリカのようにはいかないということであります。

 次に、憲法裁判所でございます。この点について最近非常に議論が出ていることは承知しております。私の意見を述べさせていただきます。

 速やかな判断を下し得るのが憲法裁判所であるということが一つだろうと思います。したがいまして、抽象的審査にあります。ただ、ドイツの憲法裁判所の状況を見れば、この速やかな判断がいつでもよいのかということは注意が必要ではないのかと思います。さきに取り上げました伊藤元最高裁判事は、なぜ今まで支持してきたアメリカ型から憲法裁判所だと言ったのかという根拠について、裁判所が政争の場となる、政治的争いの場となる危惧が現在ではほとんどなくなったと言っております。しかし、政策問題を裁判所が真っ正面から扱わなければならない裁判の政治化、これは本当に消えたのでしょうか。私はそうは思えません。

 次に、もう一点、ドイツにおいては、憲法裁判所の判例を念頭に置いて立法過程が営まれるという意味での政治の裁判化が語られております。恐らく、この局面では、こちらの方が重要であります。法案をめぐって連邦議会で負けました党派が憲法裁判所への提訴を行う、あるいは旗色の悪い党派がドイツ連邦憲法裁判所の名をほのめかすということが起きていると言われることがあるのですが、これは、連邦議会内の政治対立が、抽象的規範統制によって、あるいは機関争訟によって、速やかに憲法裁判所に持ち込まれているとも言えます。ここに政治の裁判化の例を見ることができます。

 こうなると、どこが問題になるかということですが、立法者は、議会は、法律専門家の助言を受けつつ、憲法裁判所の判決がどうなるかを予測しないといけません。予測をしつつ法案を準備する、こういう作業が実は入り込まざるを得ないということであります。連邦憲法裁判所に政治問題の全面的解決をゆだねますと、恐らくこのような代償が出てくるということ、これは議会制にとって果たしていいことなのかどうか、そういう気が私はするわけでございます。

 一方、市民が訴える一般的な憲法訴訟について言いますと、裁判所による具体的審査が機能しなければ、速やかな判断とはいきません。今、仮に三審制に憲法裁判所を組み込むという、憲法異議の訴えというものがありますけれども、やりますと、実はこうなりますと今より長くなりそうでございます。そうしますと、憲法裁判所案については、やはりもうちょっと私は検討を重ねていきたいと考えております。

 それでは、お手元に配付されましたドイツの連邦憲法裁判所の一九九九年の事案処理件数一覧表をぜひ見ていただきたいと思います。これは、ドイツ憲法判例研究会がつくりました「ドイツの憲法判例」というものの中から出してきたものでございます。

 実は、ドイツの件数も最近すごくふえておりまして、憲法裁判所をとっておりますドイツでも、裁判官はとても負担増に悩んでおります。もちろん、先ほどから出ておりますように、私たちが読むのは学者の先生方の書いたものですので、ドイツでも悩んでいるのは、かつてベッケンフェルデという人がいたんですけれども、学者型裁判官の人なのかなと、先ほどの事務総長の話を聞いてふと思ったのですけれども。ともあれ、その負担は大変重たいと言われております。

 そこで、見ていただきたいのは、注目されました、ドイツ連邦軍のNATO域外派兵の合憲性が争われた事件でございます。これは機関争訟と言われるものです。上から五番目でございます。GGというのは基本法、憲法のことでございますが、そこが規定しているわけです。それを見ていただきますと、九九年は二件でございます。さらに、連邦議会の野党や、野党が多数を占めるラント政府が提起することの多い抽象的規範統制でございますが、これは四件でございます。

 それに対しまして、市民が、国民が公権力による基本権侵害を要件としまして憲法裁判所に憲法異議の訴えを出してくる、これは、具体的な権利侵害をもとにして裁判所に出すので、我々の国と非常によく似ているところでございますが、四千七百八十九件でございます。実は全体のおよそ九八%がこういう人権侵害を理由とした裁判なわけでございます。

 ドイツの憲法裁判所の名声というのは、実はこの人権裁判についてかなり踏み込みますので、それに対してやはり国民の側から支持を集めているところも大きいのではないかなと私は考えております。

 そういたしますと、仮に新しい裁判所を設けるコストを考えてみた場合、国家財政上の問題でありますが、この件数というのはやはり無視できないのではないでしょうか。ずっと年代的に見ていただきますと、ここ二十年ぐらいの間、そんなに大きなずれはございません。

 この関連で、私は、話は少し違いますけれども、アメリカ型の司法に属します、憲法裁判所ではないカナダの最高裁判所において行われております参照意見制度に注目していただきたいと思います。この制度は、実は本院の「米国、カナダ及びメキシコ憲法調査議員団報告書」二百十九ページで紹介されておりました。先生方が行かれてカナダの最高裁からいろいろ聞かれたところでございますが、この中で紹介されております。これは、「連邦政府からの諮問・照会に対し、最高裁判所が憲法解釈、連邦法・州法の解釈・合憲性、連邦政府及び州政府の権限問題等を審理し、勧告的意見を出す」というものでございます。

 ここで注目されますのは、カナダの最高裁は、これはアメリカ型、我々の最高裁判所と同じスタイルの裁判所でございますが、抽象的な憲法問題を判断するために最高裁自身を抽象的違憲審査に適合したような憲法裁判所的な組織に変えなかったという点でございます。むしろ、抽象的要素を含んだ照会制度の審理手続を、司法裁判所手続になじむような形へと何十年もかかって変えてきたというところでございます。これは、私は、大阪市立大学の佐々木教授の研究成果によっておりますので、専門家ではございませんけれども、非常に注目していいと思っております。

 また、アメリカの州においても、類似の勧告的意見の制度が三つぐらいの州で存在をしております。憲法で規定しているのは七つぐらいあるはずですが、法律レベルで規定しているのが三つ。そして、憲法、法律でしていなくてもやっているのが一つございます。

 憲法部については、時間の関係でちょっとはしょらせていただきます。

 では、私が考えております機構改革の案、隣に最高裁判所の方、非常にやりにくいのでございますけれども、役目柄言わせていただきます。上告審機能と違憲審査機能を切り離すということがポイントでございます。

 レジュメの四ページを見ていただきますと、つたない図でございますけれども、こういう図をつくってまいりました。「現行」と「笹田案」と、おこがましいのでございますけれども、そういう名前をつけております。

 最高裁、現行のものは違憲審査の最終審と上告審ですね。笹田案でいきますと、違憲審査の最終審であって、準抽象的違憲審査制的制度、これをやはり入れていきたい。大法廷と三つの小法廷ですけれども、これを一つの合議体にしたい。さらに、上告審機能をばっさり削るということです。残すものは、判例変更と新しい法律問題という、本当に最重要のものにとどめるということです。

 十五名の判事を九名の判事に減らす、ワンベンチでやるということですね。現在は、やはり上告審機能に配慮した人的構成というのをとっておりますので、九名の判事になりますと、違憲審査機能に配慮した人的構成を考えていい。

 さらに、調査官は、現在三十名強の中堅判事がいらっしゃいますが、もちろんこれも人数を減らしていって、私は、九名の中堅判事の方はやはり重要な、恐らく大変な戦力でしょうから、しかし、若い人たちを、これからロースクールもできて若手の法律家たちが次々出てきますので、その方たちをここに張りつけていただきたい。

 特別高裁はどうするかというと、四審制でございまして、ここで実は、東西二カ所で、一裁判所三十名程度の判事で構成して、憲法問題のえり分けを行うということになります。最高裁へ持っていくものと、自分のところでやってしまうもの。一般上告事件もそうでございます。えり分けをやってもらいます。従来の最高裁判例で片がつくものはここで終わり、しかし、従来の最高裁の判例からいくとちょっとおかしいと思うところは上げていただく。

 訴訟当事者の側からいきますと、特別高裁からさらに上告ということは、民・刑事については、これは考えたらやはりまた同じことになります。したがいまして、ここでは権利上告、特別高裁の方でお決めになるというシステム。さらには、事件の移送ということがあります。

 憲法問題は、最後までいかざるを得ません。しかし、ここでスクリーニングをやっておりますので、それで最高裁の方はかなり簡単になるんじゃないか、こういうふうに考えております。

 事案によっては、選挙訴訟のように一審を高裁とする訴訟も考えられていいと思います。高裁、特別高裁、最高裁というようなことも考えられていい。ただ、二審は必要だと思います。それは、事案の解明及び憲法八十一条が終審の裁判所と言っておりますので、そうだと思います。

 「おわりに」に入ります。

 今日のテーマであります違憲審査制についてその停滞ぶりが言われておりますが、それは最高裁のみにその責任を負わせるのはフェアではありません。以上述べた改革の試みは、立法なくしては不可能だからであります。

 私は、最高裁の違憲審査機能と上告審機能の切り離しがポイントであると考えますが、その最もラジカルなものが憲法裁判所であります。私は研究生活をドイツの連邦憲法裁判所の判例分析から始めておりまして、大変恩義も感じておりますし、親しみもあります。しかし、これまで述べてきましたように、まずは最高裁の機構改革によって違憲審査の活性化を図る方が我が国にとってはよいのではないかと考えております。ドイツ及びアメリカの憲法裁判は、戦後さまざまな改革を経て現在の形を得ておりますが、我が国の最高裁判所制度は、上告制限が実現した以外は、実はその二つの国と比べますと大きな変容を受けておりません。

 今まで述べてきたことをまとめますと、レジュメの方にありますように、こういった複合的プランということですね、それによって改革を考えていくべきなのではないかということです。とりわけ、基本は最高裁判所の上告審機能の大幅な軽減、それによって、最高裁裁判官の役割は何か、最高裁裁判官を選ぶときの基準は何か、これが明快になってきます。そうしますと、裁判官の任命諮問委員会とか、国民審査のときにも姿形がわかってくるんではないか、我々にとって。そのように考えているわけです。

 どうやら時間が来たようでございます。御清聴ありがとうございました。(拍手)

保岡小委員長 以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

保岡小委員長 これより参考人及び最高裁判所当局に対する質疑を行います。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。中山太郎君。

中山会長 自由民主党の中山太郎でございます。笹田栄司参考人にお尋ねをいたしたいと思います。

 ただいま、最高裁判所の機構改革に関し、また、海外の憲法裁判所の状況についてお話をちょうだいしました。私は、この衆議院憲法調査議員団の団長として、平成十二年から十五年にかけて、ヨーロッパ、アジア及び北中米の各国を訪問して、これまで、在外公館からの聞き取り調査も含め、二十七カ国の憲法事情について見聞を広めてまいりました。

 この二十七カ国のうち、ほぼ半数に当たる十三カ国が、違憲審査権を行使するための独立した憲法裁判所を設置しております。

 その内訳は、ヨーロッパ諸国で、第二次世界大戦以後の新憲法制定に当たって憲法裁判所を設置したドイツ、イタリア、フランスの三カ国、国家体制の移行に伴う新憲法の制定に当たって新たに憲法裁判所を設置したスペイン、ベルギー、ロシア、ハンガリー、ルーマニア、チェコ、ポーランドの七カ国、そして、アジアにおいては、タイ、インドネシア、韓国の三カ国であります。

 その中でも特に目を引くのが、ドイツ、イタリア、スペイン、韓国などの、独裁政権や軍事政権を経験した国家、また、ロシアを初め社会主義政権を経験した東欧諸国が、いずれも憲法裁判所を憲法保障のかなめとなる機関として設置しております。

 なお、ヨーロッパにおいては、国際司法機関による国境を越えた人権保障への取り組みもなされています。例えば、一九五三年発効の欧州人権条約には、現在、四十一カ国がこれを批准しており、同条約に基づいて欧州人権裁判所が設置されております。

 私どもが訪問したロシアでは、平成十三年現在、欧州人権裁判所に対して、ロシア市民から約二千件もの訴えが起こされていると聞いております。また、現に制定の作業が進められているEU憲法草案においても、EU域内を管轄する司法裁判所が設置されることになっているようであります。衆議院の憲法調査議員団が訪問したドイツの憲法裁判所は、現在までに五百件を超える法律に対して違憲判決を下しており、カールスルーエは連邦議会よりもよい政治をするとまで言われることがあるとのことであります。また、フランスの憲法院は、国民の間に、民主的自由や人権を守る機関という評判が高まっており、そのような評判を誇りに思っているところであります。さらに、韓国の憲法裁判所は、議会が真正面から取り上げようとしてこなかった、伝統文化や国民意識に内在する差別や不平等の問題を是正することについて、多くの成果を上げてきたとのことでありました。また、最近では、大統領の弾劾裁判を韓国の憲法裁判所は行っております。

 また、憲法裁判所は、単に憲法の番人であるにとどまらず、フランスやイタリーでは国民投票の監視機関、タイでは汚職防止の機関、韓国では大統領に対する弾劾機関として権限を持つなど、各国の民主政治にとって重要な役割を担っていると私どもは認識をいたしました。もちろん、その一方で、米国のように、独立した憲法裁判所を設けることなく十分に違憲審査制が機能している国があることも承知をいたしております。

 こうした諸外国の違憲審査制の実情や憲法裁判所の機能に照らして、我が国の最高裁判所及び憲法裁判が抱える問題点は、我が国と同様に単一の司法体系を有する米国などと比較した場合、どのようなところにあるのか。

 きょうはいろいろとお話を承りましたが、私ども議会人として絶えず感じますことは、憲法解釈、これは、内閣法制局長官が法案をつくるときに違憲問題について十分審査をして、内閣が法案を出してまいりますけれども、最高裁判所の行政に関する違憲判決の件数が余りにも少な過ぎる。我々の目から見て、一般国民の目から見て、この憲法の条項について、現実の社会におけることが果たして憲法にぴしっと規制されているかどうか、ここが国民の大きな疑問点であります。

 このような疑問点を解明していって、国民のための違憲審査制というものが確立できるようにしていくことがこれからの大きな問題ではないか、こういうふうに思っております。

 次いで、最高裁判所にお尋ねをしたいと思います。

 昨今、公害などの環境問題に関するさまざまな紛争、医療過誤に端を発した諸事件、遺伝子操作などの生命倫理にかかわる事件、IT化の進展に伴う諸事件など、科学技術や医療技術といった自然科学の分野に密接にかかわる事件が増加の傾向にあるように思われます。

 例えば、医療の関係での訴訟件数は、平成五年に四百四十二件であったものが平成十四年には八百九十六件と、この十年間に倍以上の伸びを見せております。また、知的財産関係の訴訟も、特許庁による審決の取り消しを求めて起こされた訴訟件数が、平成五年には百九十九件であったものが平成十四年には六百三十六件と、飛躍的に増大をしてまいりました。

 あるいは、一九六〇年代後半に相次いで起こされた、水俣病訴訟を初めとする四大公害訴訟に端を発する公害関係訴訟は、研究者によれば、一九七〇年代には、最高時、累計で約一千件が裁判所に係属されたということでありますが、今なお、年間ほぼ百件以上の訴訟が新たに起こされているところであります。

 これらの分野に関する事件は、日本国憲法が制定された当初においては想定されていなかったような、いわゆる新しい人権ではないかと私どもは考えております。

 一九八〇年代以降に新しく制定または改正された諸外国の憲法の中には、例えばスイスや南アフリカの憲法のように、生命倫理や環境保護に関する規定を有するものが多く見受けられます。知的所有権の保護についても、フィリピンやロシアなど、多くの国がこれを憲法に明記しております。私は、このような諸外国の事例は、二十一世紀の人権保障を考えていく上で大変示唆に富むものであると考えております。

 また、昨今の事件の中には、従来の憲法理論の見直しを求められるような事件が多いことも特徴的であります。例えば、インターネットの発達は、情報の伝達、共有などにとって飛躍的な進歩をした反面、個人情報に関するデータベースが大量に流出したり、特定の個人に対する誹謗や中傷が極めて匿名性の高い状態で全世界に流布されるもの、個人の人権にとって回復しがたいダメージを与えている事件が散見されます。例えば、先月発覚したヤフーBB個人情報流出事件では、約四百六十万人分もの顧客データが流出したとのことであります。

 また、いわゆる電子政府の構築を進めていくに当たって、より一層の個人情報の保護を図るなど、我々政治部門に身を置く者が取り組まなければならない課題もございますが、司法の分野にあっても、例えば、裁判所間のネットワークや、裁判所と弁護士会、弁護士事務所とのネットワークの構築など、インターネットの発達に即した対応が求められるようになってきていると存じます。

 この点に関して、大阪大学の松井茂記教授は、その著書「インターネットの憲法学」において、表現の自由については最大限の保障がなされなければならないとの前提のもと、インターネット法ないしサイバースペース法というような独自の法領域を確立し、さまざまな分野の研究者や実務家が議論を尽くす必要があると提言しております。

 一九八九年に大阪と東京で起こされた薬害エイズ訴訟は、一九九六年に民事訴訟では和解が成立いたしましたが、それと相前後して起こされた刑事訴訟は現在なお係争中であります。このような裁判の長期化は、憲法三十七条の定める迅速な裁判を受ける権利を侵害するものと言っても過言ではないと思います。

 私は、歴史の流れに即した人権の保障を図っていく上において、自然科学の分野に知見を有する法曹の養成は喫緊の課題であると考えております。現在のところ、我が国には、全裁判官の中で理系出身の裁判官が八名しか存在しないと伺っておりますが、最高裁判所としては、現在、こうした分野に関する事件について司法判断を下すに当たり、どのような体制をとっていかれるのか、また、裁判所や弁護士事務所などとの情報ネットワークの構築はどの程度まで行われているか、そして、今後これらの諸点についてどのような体制の構築を考えているか、お尋ねを申し上げたいと思います。よろしくお願いします。

笹田参考人 中山先生の御質問の一点目、日本とアメリカと比べて、アメリカはとてもいろいろな事件の違憲判決が出ている、同じスタイルなのになぜ日本はできないのかという趣旨でよろしゅうございましょうか。

 それは第一には、まずアメリカの場合は連邦制をとっておりますから、日本のような単一の司法制度とは違いますね。だから、州の法律を裁くということが非常に多いと思います。

 それと、訴訟要件が、この調査会の報告書のところに出てきますけれども、やはり我々の国は厳しい、なかなか訴訟に上ってこないということがあります。

 前に、中山先生、お読みいただいてありがたく思いましたけれども、日経新聞に書きましたときに、大陸法的な土壌に英米法的なものを入れた、その後、ではどうするんだというのが、何か私の見ますところ、見えてこないわけでございます。やはり日本独自の何か救済というものを考えていかないと、アメリカでもないドイツでもないというところに落ちてしまうんじゃないか、そういう気持ちが強くいたしております。

 そういうこともありまして、実は、客観訴訟、例えば住民訴訟とかございますけれども、そういうものを法律でふやしていくということもお考えになっていただきたいと思います。法律で、やはり立法府がそういうものをつくり出していただきたいということ、そして、今進行中であります行政訴訟法の改正問題につきましても、やはり国民の側が訴訟を提起しやすいような形のものをぜひおつくりいただきたいと思っております。

 以上でございます。

竹崎最高裁判所当局者 御指摘の点、二つに分けて御説明申し上げたいと思います。

 まず、会長御指摘のとおり、いろいろないわば先端技術、科学、そういうものに対して、裁判所としてどう対応していくかという点でございます。

 これは、これまで長いこと、例えば鑑定手続を利用するとか、あるいは、知的財産関係についてだけ限定して言いますと、裁判所調査官の調査ということはありましたけれども、多くは裁判官個人の努力にゆだねられてきたというのが続いてきたところでございます。

 ただ、私どもも時代の流れに応じてこれをフォローしていくということで、二十年ほど前から、司法研修所におきまして、これは裁判官に対する知識の付与と研修の一環といたしまして、それぞれの時代における最先端の問題についてかなり集中的な研修を行ってきております。その中には、例えば医の倫理あるいは老人医療、資源エネルギー、生命、臓器移植あるいは環境問題あるいは大脳生理学、そういった、その当時その当時における最先端の問題を取り扱う。これは、参加者は大体数十名でございますが、約一週間のカリキュラムを組み、いわば我が国の第一人者の方に講義、講演あるいは見学、ディスカッション等を行うという、かなりぜいたくなプログラムを組んでやってきたというのが唯一の方策だったかと思います。

 ただ、最近では特に、御指摘のような医療それから建築関係、特別の知識を必要とする事件が非常に増加しておりまして、この問題につきましては、まず医療集中部あるいは医療専門部というのを現在六カ所の裁判所に設けまして、医療事件を専門に扱う体制を組んでおります。

 また、医療及び建築につきましては、特に鑑定が非常に重要になってくるわけですが、学者の協力が得やすいように、医学界及び建築学界と裁判所との間で連携をとりまして、情報の交換あるいは鑑定人の選定手続、そういうことが円滑に行われるように努めてきているところでございます。

 また、知的財産関係につきましては、いろいろ御指摘をいただきまして、このところ急激に体制の整備を図っているところでございますが、現在出されております法改正で実現いたしますと、知的財産に関する独立した高等裁判所が設置されるということで、体制の充実強化が図られるのではなかろうかというように思っております。

 また、現在、これはもう既に法律は通ったわけでございますが、本年度からスタートするものとして、専門委員制度というのが採用されました。

 専門委員制度と申しますのは、いろいろな分野における専門家の協力が、鑑定という限られた手続だけではなくて、より広範な次元で協力が得られるようにということで、非常に多数の専門分野から、全国で約七百名程度の専門家を裁判所専門委員として任命いたしまして、需要が生じた場合にはその協力が得られる体制を組むということになって、現在、その選定作業、選任作業を進めているところでございます。

 また、先ほど御指摘のとおり、理系出身の裁判官、現状では非常に少のうございますが、今回、法科大学院の中には、いわゆる法学部以外の学部出身者ということが求められておりまして、そういう人たちが法曹に育ってくれば、裁判官についてももっと自然科学のバックグラウンドを備えた人が確保できるであろうというように思っております。

 いずれにいたしましても、こういう最先端のニーズに適切に対応していくというのは、私ども非常に重要な問題だというように考えております。

 もう一点の、いわゆるIT化の問題でございますが、裁判所も、政府の電子政府計画の一環に加わりまして、将来、インターネット、ITを利用した裁判手続の進行ということを研究課題として取り組んでまいりまして、本年四月にはその基盤となります認証システムの構築が行われるということになっております。

 ただ、裁判手続につきますと、IT化を進める上での障害というのは実にたくさんございまして、例えば一定の手続については公判廷といったところで公開の手続をとらなければならないとか、あるいは証拠調べ等についても一定の方式が定められているとか、そういったことがございます。

 それから、技術的にいいますと、一つの事件が、例えば訴訟事件などでいいますと、非常に簡単に、一回で終わる場合もあれば、何十回も係属するという、いわば類型としての管理が非常に難しいものがございまして、できるだけ類似のものといいますか、類型的な処理のしやすいものから着手しようということで、現在、これは平成十七年度からということになりますが、オンライン化による督促手続の処理ということに向けて作業を進めておるというところでございまして、これらの実験といいますか、その結果を踏まえながら順次拡大する努力を続けてまいりたい、こう考えております。

保岡小委員長 次に、古川元久君。

古川(元)小委員 民主党の古川元久でございます。

 最高裁及び参考人におかれましては、大変に貴重な御意見を聞かせていただきまして、ありがとうございました。

 まず、笹田参考人にお伺いしたいと思います。

 先ほど参考人は、違憲審査制の活性化のための複合的なプランということで幾つか提案をしていただきましたけれども、これは現行憲法のもとでの法律改正を前提としての議論なのか、あるいは憲法改正までも含めた議論なのか、その点を確認させていただきたいのと、もし憲法を変える、新しく書きかえるとすれば、そうした場合にもこうした形での改革がいいのか、それともドイツのような憲法裁判所を設けて、その憲法裁判所の機能を、先ほど笹田参考人が言われたような形で、うまく機能する形に規定することによって違憲審査制の活性化を目指すというのがいいのか、その点についてまずお伺いをしたいと思います。

笹田参考人 私のここに書いています複合的なプランは、現行法レベルで可能でございます。

 ただし、ただしでございますが、三の法律上の解釈を広げていくと、客観訴訟はどこまで認められるかというのは、実は現在の最高裁判例ですと恐らくここまでは認めてくれないだろう、そういう意味では、現行法解釈の枠内ではないのかもしれませんけれども、少なくとも憲法改正なしでやれるということです。

 今先生のお話で、ではこの憲法改正でどうかというのを、私一つ考えておりましたのは、国民審査という制度がございますね。国民審査をどう考えるのかというのは、非常に不要論というのが最近多いようでございまして、ただ、国民審査不要論というよりも、国民審査をうまく使うことによって、ドイツのような、裁判官は非常に民主的な基盤を強く持ちます。連邦議会から本当に、政党で決まって、この先生が行きますというふうになります。ところが、日本の場合、そこまでする必要はないわけでして、今のバツのやり方を変えまして、そのことによって、例えば有効投票数を決めまして、最高裁裁判官が少なくとも国民的な基盤を持ったというぐらいのことは可能かなと思っております。

 もしも憲法改正となりますと、やはり十年は長いのではないかな。何せ任期が今六年ぐらいですから、一回国民審査を、直近の衆議院選挙ですから、ほとんど何もしないままに受けて、何もしないままに退官されるということになりますね。ですから、私は、本当は五十代の後半ぐらいにおなりになって、そこで一回受けて、六十代で一回受けられるというのがベストだと思います。それはなかなか難しいかもしれませんけれども、やはり十年は長いかな、五年かなというふうに考えております。

古川(元)小委員 先ほどお伺いしたもので、もし憲法を改正する、そういう判断をした場合にも、憲法裁判所は置くというふうにはお考えにならないということですか。現行の状況ということでしょうか。

笹田参考人 私の立場は、まず今の制度は、実は可能性を含めて十全な展開をしていないと思っています。ほとんど今まで大きな改革を経ておりません。したがいまして、それをやって、それがもしだめなら、私は憲法裁判所ということは考えます。

 以上です。

古川(元)小委員 今、笹田参考人の方から国民審査の件がちょっとありましたので、最高裁の方にもお伺いしたいと思うんですが、この国民審査については非常に形骸化している。実態的に、国民審査をするときにバツをどの人につけるかというのは、ほとんどもう思いつきでしかない、一番最初に名前がある人が一番バツが多くなる、そういう状況。これはやはり形骸化していると言わざるを得ないと思うんですけれども、この国民審査について、今、笹田参考人の方から、例えばとありましたけれども、最高裁としてどのように認識をしておられるのか、もし御意見があればお聞かせいただきたいと思います。

竹崎最高裁判所当局者 国民審査につきましては、開票の際には最高裁事務総長が立ち会うこととされております。また、その結果は、私ども、総務大臣から通知されました結果を最高裁判所の裁判官会議に御報告しておりまして、各裁判官が厳粛に受けとめておられるというように考えておるところでございます。

 私ども事務方といたしましては、何といっても、きちんとした判断の材料が国民に提示されるということが必要なんであろうというように考えておりまして、国民に各裁判官の実像を受けとめていただけるように今努力をしているところでございます。

 平成十五年の今回の国民審査に際しましては、総務省と連絡をとりまして、国民審査法施行令を改正し、これまでございました掲載文の字数制限とか写真の使用制限、こういうものを廃止していただきまして、少しでも充実した記載ができるようにという努力をしたわけでございます。その趣旨を審査を受けられる各裁判官にお伝えし、いわば、どちらかといえばフリーなスタイルでそれぞれの思いをその審査公報に書いていただける、個性的なものにしようということを試みたつもりでございます。

 それからまた、一般的な情報提供といたしまして、最高裁判所で開設しておりますホームページに各裁判官のプロフィールを掲載しておりますが、この点につきましても、今までのものよりはもっと充実したものが掲載されるようにということで、それぞれの裁判官の御理解を得るように努めているところでございます。

 以上でございます。

古川(元)小委員 笹田参考人にお伺いしたいと思いますけれども、先ほど笹田参考人のお話の中で、憲法裁判所、ドイツの例を引きまして、政治の裁判化というお話がございました。そうなってはいけないからというような御指摘だったかと思うんです。

 ただ、日本の現状を考えてみますと、憲法解釈をめぐって、特に憲法九条などをめぐって、非常に政治的な問題になることが多いわけなんですが、今までは、司法の部分がそうしたものに対して判断をしないがために、行政権の一部である内閣法制局が、そういう一般の国民の目に触れる部分では、ある意味で、最終ではないんですけれども、事実上最終的になるような憲法の解釈権を持っているかのような扱いがされてきた。

 これは、そういう意味でいうと、行政というものが、行政の一部である内閣法制局がそうした解釈をして、政治的にもまさに拘束されるような形でその解釈が使われてくるとなると、これこそ本当に、曲がった意味で、ちょっとゆがんだ意味で、政治の裁判化といいますか、裁判ではないんですけれども、内閣法制局という行政権が事実上司法の役割を果たしてしまっているというような現状が今あって、私は、そういう状況に比べれば、憲法裁判所という司法の機関が、きちんとした抽象的な違憲審査、憲法解釈というものを示した方がいいんじゃないかと思いますけれども、今の現状の内閣法制局のあり方を含め、そこでも、今、参考人はこうした憲法裁判所の問題の方が大きいというふうに考えておられるのか、その点について御意見はいかがでしょうか。

笹田参考人 法制局の問題は、非常に大きいというのは認識しております。私の考え方は、少なくとも裁判所のルートへ乗る、統治機構に関しては本当に少ない、こういう現実がまずあります。もう乗らないようなことになっているわけです。ですから、先ほどから言っておりますような参照、照会の制度とか、幾つかの客観訴訟的なものをつくって、ある種のものは裁判所のルートに乗せるということもお考えになってはいかがなんでしょうか。それが一つ。

 もう一点、ドイツの場合は、私はやっぱり憲法裁判所のことを少しやっているせいもあるんですけれども、憲法裁判所にこんなことを決断させるというのは、ある意味で裁判所にとってはどうなんだろうと思うときもあるんです。これは、やっぱり最終的には国権の最高機関の方で御決断されるケースではなかったかと。ですから、そこについては何か次元がちょっと違うものがあるかのように思います。

古川(元)小委員 その点なんですけれども、ただ、我が国は法治国家ですよね。そうすると、最終的には法のもとですべてのことは決められなきゃいけないと思うんですけれども。

 例えば、アメリカの二〇〇〇年の大統領選挙を見てみますと、まさにあれは司法が最終的に大統領を決めたようになっているわけでありまして、もしあそこで裁判所が判断できなかったら大統領さえ決まらないという、国家として体をなさないという状況が起きてきたんじゃないかと思うんです。

 そういう意味では、私は、最終的なところは、法の支配、法治国家という意味では司法が責任を持つということが必要だと思いますということを申し上げて、時間が参りましたので終わらせていただきたいと思います。

 ありがとうございました。

保岡小委員長 次に、赤松正雄君。

赤松(正)小委員 公明党の赤松正雄でございます。

 きょうは参考人の皆さん、大変ありがとうございました。

 まず、先ほど笹田参考人もおっしゃっていましたけれども、今の最高裁判所の仕事について、過重であるかどうであるかということについての見方が、事務総長との間で若干の違いがあったかなという気がする問題について、最初に事務総長の方にお伺いしたいんです。

 先ほど、実際に最高裁判所の裁判官の皆さんに聞かれた場合に、過重であるというふうなことは余り反応としてなかった、むしろ、いわゆる学者出身の皆さんの中にそういう意見があったかのように思うというようなお話がございました。私は、先ほど来のいろいろなお話を聞いて、また、若干つけ焼き刃的にいろんなことを勉強させていただいた上で思いますのは、今、十五名の判事さん、それにプラス調査官三十名強の中堅判事と。先ほど、学者の皆さんは御自分の学者時代の仕事に比べて調査がなかなか難しいという話がありましたが、そういう点では、調査官の皆さんのいわゆるフォローアップというか、支える行き方というものがもう少しうまく活用されたら、そういうことは起こらなくなるのではないのかなという印象を受けましたが、まず事務総長にその点について確認をしたいと思います。

竹崎最高裁判所当局者 若干先ほどの御説明であるいは舌足らずかと思いますが、先ほども申し上げましたとおり、最高裁判所の裁判官の現在の仕事は極めて多忙であるということについては間違いないわけでございまして、これは、民訴法の改正が行われましてもその点は変わりないわけでございます。

 では、例えば一件一件につきますと、負担の軽重で、そういう意味では軽くなったはずなんだけれども、なぜ全体として負担が重いのか、あるいは多忙なのかといいますと、実を言えば、一件が早く処理されますと全体としての審理期間が短縮される、そうすると、残っている他の事件、この処理が当然そこではかかってくるということになるわけで、言うならばローテーションが早くなる。そういう意味で、全体としての繁忙感ということについては大きな変化はないというふうに私は思っております。

 そのあらわれが、例えば、事件がふえておりますけれども、未済件数は、この制度を導入いたしまして減少してまいりました。それからもう一点、平均審理期間も減少してきております。そういう意味では、一件にかける負担が減る分だけ、たくさんの事件が処理されるようになってきている、あるいは早く処理されるようになってきている。そういう意味での繁忙感は、やはり変わらないものがあるであろうというように思っております。

 ただ、そのゆえに憲法問題が十分議論できないかということにつきましては、必ずしもそうではないのではないかということを申し上げただけでありまして、決して、裁判官は忙しくないということを申し上げているつもりではございませんので、その点は誤解のないようにしていただきたいというように思います。

 それから、先ほども申し上げましたが、調査官が重要でないかという御指摘で、これはまさに御指摘のとおりだろうと思います。

 さっき申し上げましたように、非常にたくさんの事件が係属しておりますが、その中で、全員が集まって審議をし、意見を交換して判決で対応するという件数は、本当に全体の数%でしかない。そうすると、その前のふるい分け、これがどういう種類の事件であるのか、どの程度の取り組みを必要とする事件であるのかということの調査といいますか、それが非常に重要になってくるわけであります。もちろん、その調査結果に完全に依存するわけではありませんけれども、その調査が的確に行われるということが、その後の負担を大きく左右することになるわけであります。

 その役割を果たしているのが、一つは最高裁判所の調査官でございまして、この調査官の態勢の充実ということは、私どもも極めて重要であろうと思っております。本年度からまた調査官を二名増員する予定にしておりますが、これは最高裁判所の事件が増加したことに対応する措置ということでございます。

赤松(正)小委員 ありがとうございました。

 笹田参考人にお伺いしたいんですが、先ほど、この四ページにあります笹田案、非常に興味深く拝見、またお聞きいたしたわけですが、これは私、際立って素人考えで思いますのは、特別高裁なるものを設けていわゆる一般上告事件をも担当させて、そういう一つの段階を新たに設けて、そして今の最高裁がやることについて、現状を一つの合議体にして、九名の判事、調査官は九名にする、それを若手にする、それで、上告審機能については限定されたものにして、違憲審査の最終審としてのいわゆる準抽象的違憲審査制の部分をより強化する。こういう案なんですが、笹田先生の書かれたものについて、一部だけですが読ませていただいて、いわゆる憲法裁判所を導入するのではなくて、今の現状の中身を改革していくということは、非常に私は賛同するんですが、その際に、こういうことはどうなんでしょうか。

 つまり、特別高裁なるものを設けないで、今の最高裁のありようというものを少し変えてみる。先ほど事務総長も若干の調査官をふやすというお話をされましたが、調査官の活用とか、つまり端的に言うと、最高裁における上告審機能と、それから、より憲法の違憲審査についてのものに特化したものとに、いわば二つに分ける。憲法部ということについて、先ほど時間の都合上余り参考人はお触れになりませんでしたが、憲法部というものをつくる、あるいは、つくらないにしても、機能を分けて、最高裁の中の審理というものを効果的にあらしめる、今懸案になっている部分が解消できるようにするという案はいかがでしょうか。

笹田参考人 時間をはしょって言えなかったところを、これで少しフォローさせていただきます。

 畑尻教授がかつて憲法調査会で報告されたことだと思います。畑尻先生のお仕事からいろいろ私もインスパイアされているんですが、私は、ちょっと幾つか、この案を考える上で疑問もないではないんです。

 まず第一は、憲法部による違憲判断だけで、大法廷での違憲判断は要らないのかという点。裁判所法十条を考えていく、あるいは八十一条を考えていくと、やはり違憲判断では大法廷が基本ではないのかというのが一つ。

 第二点は、憲法部に属さない最高裁判所上告部裁判官ができるわけですが、その方々に国民審査は要らないのか。要るとしたら、しかし国民審査設置の趣旨からいかがなものか、実際に審査することは国民に可能でしょうかというようなことが出てきます。

 そして最後に、制度政策の場面でいきますと、憲法問題のみを扱う部というのは、ドイツのあれでいきますと具体的規範統制のところになるんですが、実は、先ほどの表をもう一度見ていただきますと、この憲法部構想が対象としております具体的規範統制は二十件から三十件程度しかないのですね。ですから、仮に日本は多いですよと言われても、制度設計という側面からいったときに果たしてどうなんだろう、そういう気がいたします。

 と同時に、これはドイツの連邦憲法裁判所のリンバッハ前長官が言っていましたけれども、ドイツもすごくそれで負担増で苦しんだときに、事件の種類を憲法的なものに絞り込んだらどうですかと言ったら、いろいろな法律問題に直面する利点があるんですよということを答えております。いろいろな事件を裁くことによって憲法問題がわかるというのは、私はやはり現行のシステムのいいところではないかと感じております。

 以上です。

赤松(正)小委員 ありがとうございました。

 今度はまた事務総長にお伺いするんですが、先ほど同僚委員の質問のお答えの中に、国民審査のありように関して、裁判官の実像をもっと知ってもらうための努力をしている、インターネットを通じてもプロフィール紹介とか、その発言の個性性とか、そういう個性をどう出していくかというお話がございました。

 一般的に言われている裁判官の皆さんの、いわゆる独立性というか自律性ということを強調する余り、そのお立場からやむを得ない部分はあるんですけれども、一般的に国民の間にある最高裁判所の裁判官、判事の皆さんの、よく言えば孤高性、悪く言えばおたくっぽいということが、いろいろな部分で、一般的に我々が目にする書物で、例えば「裁判の秘密」という本を読んだんですが、そこではかなり激しく書いています。

 こういったことに対して、先ほどのことだけでなくて、もう少し新たなる努力が必要じゃないのかなという、裁判所の方としてのいわゆるプレゼンテーションというものがあっていいんじゃないかと思うんですが、もう時間が来ましたので短くて結構ですから。

竹崎最高裁判所当局者 非常に難しい御指摘だと思うんですが、基本的に言えば、最高裁の裁判官が職務上自分を理解してもらうということは、いわゆる判決の中でどういう意見を書いたかということが一番大きな判断材料になるんであろうと思います。そういう意味では、最高裁判所につきましては、多数意見でない場合には、個別意見、補足意見ということを付すことができるようになっているわけでありまして、それらを通じてどのように理解していただけるかというのが本来の姿であろうと思いますが、そのほかに、例えば、いろいろな外部との関係で、講演をするとか、そういう対外的な活動をどの程度やっていくかという問題、この辺は諸外国の最高裁判所のあり方とあるいは違う点があろうかと思いますが、なかなかまだ組織的にはそういう問題について十分内部的なコンセンサスがあるとは言えない状況だろうと思います。

赤松(正)小委員 ありがとうございました。

保岡小委員長 次に、山口富男君。

山口(富)小委員 日本共産党の山口富男です。

 まず最高裁から説明を受けたいんですが、お配りしていただきました資料一なんですけれども、上段と下段で、上告事件で、憲法違反の主張をしているが憲法違反に当たらないと判断されたものが三百三十六から約三倍余り、九百二十五に上がっている。この事情はどういう事情があるのか。それからまた、これは憲法にかかわりますよという、恐らくそういう訴えがあると思うんですが、それはどういう条項にかかわる訴えなのか。何か分類や特徴があれば示していただきたいと思います。

竹崎最高裁判所当局者 先ほどの資料一で、平成九年と十五年を対比していただきまして非常に顕著に違っているのは、主たる上告理由のところに三百三十六件というのが九百二十五件と非常に膨らんでおります。

 これは、先ほど申し上げましたが、上告の理由が制限されて、憲法違反ということでなければ裁量上告ということで、決定で必要なときだけ審査される、こうなったがために、いわば上告をする際に憲法違反であるという主張を付加するようになった。だから、実は裁量上告の申し立てをするものに並行的に憲法違反であるという主張を付加するようになりまして、これが膨らんだわけでございます。

 例えば、これはちょっと資料にはお出ししておりませんが、平成十五年度の上告受理事件、申し立て件数三千百九十件について見ますと、上告のみを申し立てているのは七百二十二件で、並行申し立てといいまして、上告受理の申し立てとあわせて憲法違反を申し立てているというのが、実は千六百四十件。つまり、五割がそういう事件ということになってくるわけです。これは、上告理由が制限されたがゆえに、いわば付加的にこれがつけ加えられたということの結果ではないかというように思っております。

山口(富)小委員 その内容的な分類はあるんですか。

竹崎最高裁判所当局者 中身の点については、その内容的というのはどういう種類のということでございましょうか。ちょっとそこまで今数値は持ち合わせておりません。

山口(富)小委員 続きまして、憲法裁判所なんですけれども、私は、現行憲法の違憲審査制の活性化こそが必要であって、改正を伴う憲法裁判所についてはその導入に否定的なんです。最高裁の方では、憲法裁判所については現在どういう見解をお持ちですか。

竹崎最高裁判所当局者 これは立法政策あるいは憲法上の政策に関する事項でございますので、最高裁判所の事務当局としては御意見を申し上げることを控えさせていただきたいと思います。

山口(富)小委員 全く検討していないということなんですか。

竹崎最高裁判所当局者 内部的に、もちろん私どもそれなりの検討といいますか内部の調査等は行ってはおりますけれども、裁判所として、こういう政策的な問題について、特に事務当局、今申し上げるということは適当ではなかろうというように思っております。

山口(富)小委員 これは単なる政策問題ではなくて憲法問題ですから、慎重によく考えていただきたいと思うんです。

 笹田参考人に二点まとめてお尋ねしたいんですが、現在の日本の司法の大きな問題というのは、やはり司法の独立の弱さにあると思うんです。その背景には、最高裁等の任命制にかかわる政治的利用の問題、それから、よく司法官僚制と言われますけれども、特に下級裁判官に対する厳しい統制があるという現状があります。きょう、最後の複合的なプランのところで最高裁裁判官の任命諮問委員会の設置が提案されましたけれども、これはこうした現状を改革するものになるのかという点。それからもう一点は、批判を受けている司法官僚制についてどういう考えをお持ちか。二点、お願いいたします。

笹田参考人 まず最初の点で、任命制の問題でございますね。これにつきましては、現在幾つかのプランが恐らく進行中のように思います。

 内閣の司法制度改革審議会意見書が、やはり昭和二十二年の任命諮問委員会制度について、これは参考になると言いましたし、ただ、具体化はしませんでした。さらに、法曹制度検討会が司法制度改革推進本部に置かれまして、同検討会がその検討を行いました。どうも一致に至らなかったと。一致に至らない理由は何かというと、違憲審査権を最終的に行使するという裁判所に焦点を当てればいいのか、上告審機能に焦点を当てればいいのか、どっちに当てるかによって裁判官が違うからということのようです。

 ですから、私は、この問題は、やはり現行の最高裁判制度を、最高裁判所を前提として、限界があると思います。ただ、限界があると申しましても、人事の客観性、透明性の確保ということからは一歩前進なわけでございます。やはり、最高裁裁判官の選任基準あるいは役割論に踏み込むことなくしてこの問題をやっても、その点についてはそれほどの発展はないのかなと考えております。

 もう一点が、司法官僚制の問題でございます。この司法官僚制、司法行政をどうするかというのは本当に難しいと思います。

 日本国憲法の制定過程を、裁判所法の制定過程を眺めていったことがかつてあるんですけれども、そのときに、日本の司法行政を形づくった人の話を聞いたり読んだりいたしました。

 最初、一つは、出発しているほかの省庁の行政的なものにしてしまったのがいけなかったのかなという点、つまり司法には司法独自の行政があるのではないかというのが一点でございます。もう一点は、当初、裁判所の事務局は、いわゆる充て判というんでしょうか、裁判官を充てるというのをやめていたそうなんですが、検察の方で充て検をやったために、給料の差が出ますので、途中から充て判になってしまった、これはまずかったなという発言をその弁護士さんはされておりました。

 司法行政というのは、私はやはり一般の行政とは違う。内閣は国会に対して責任行政を負っていますけれども、やはり司法行政というものは司法権の独立を中心にしてお考えになっていく。だけれども、じゃ裁判官会議が復権すればそれで終わりかというと、これもない。そんなにもう簡単な時代ではないと思います。

 内部にいる者ではないのでよくわかりませんけれども、本当に複雑になっておりますので、やはり最近いろいろな外部の委員会等々ができておりますよね、下級審の裁判官の任命等々。ああいうものについて、やり方を、この前終わりましたけれども、やはりこれからもどんどんどんどん改善していただいて、司法制度改革は、一回ではなくて、どんどん改善していただくことによって私は変わるんじゃないか、変わってほしいと思っております。

山口(富)小委員 私も、司法制度改革の中でこの司法官僚制の問題はやはり改革が求められる非常に大きな問題だというふうに思います。

 先ほど笹田参考人から、ドイツの憲法裁判所について、現状で裁判の政治化と政治の裁判化という指摘があって大変興味深く聞いたんですけれども、ドイツの場合、ナチス時代に、司法が一種の、悪法も法ということで憲法秩序をみずから壊すという痛苦の経験を持ったと思うんです。憲法裁判所の導入というのはそういう歴史的経験ともかかわってくると思うんですけれども、そのあたりについて見解をお持ちでしょうか。

笹田参考人 その点につきまして、やはり私はあったのだろうと思います。そんなに詳しく見たわけではありませんけれども、戦後のドイツ憲法史をちょこっと見る限りでは、どこの裁判所に、どこにこういう機能を持っていただくかという議論があったと思うんですね。そのときに、既存の裁判所はだめだという認識があったようです。そういったときに、まだ手つかずでつくられていませんでしたので、憲法裁判所ができ上がってくる、そういうのはあったように思います。

 実はこれは日本でも同じでございまして、最高裁判所をつくるときに、やはり、大審院でいいじゃないか、枢密院でやろうじゃないか、こういう議論はずっとあるわけですね。だけれども、やはり新しい違憲審査権をつくるのだから最高裁判所という新しい家をつくろうというのがあったわけで、これはやはり、そういう新しい本当に重要な司法権の機能ですので、司法制度、裁判所も新しくというのは、ドイツに限りませんで我が国もやっているようです。

山口(富)小委員 時間が参りました。ありがとうございました。

保岡小委員長 次に、土井たか子君。

土井小委員 きょうは、ありがとうございました。

 先生の御見解を承っておりますと、先ほどは憲法の改憲を前提とした御意見でないということが非常にはっきりおっしゃっておられますので、私はその立場に立ってただいまから承りたいと思うんです。

 統治行為論がありますね。最高裁判所の今まで行われてきたいろいろな事例の中でも、わけてもこの統治行為、いわゆるポリティカルクエスチョンと言われるこの中身というのが判例の上では一例二例ではございませんで、大体解釈としては何だか固まった感すらあるような中身なんですけれども、実は、このことによって随分憲法の、最高裁判所が本来果たさなければならない役割というのはゆがめられていっていると思うんです。

 八十一条を見ましても九十八条を見ましても、最高裁判所が、実は憲法に適合して国政が行われるということに対しての保障ということの意味からすると、非常に大きな存在意義があると私自身思うわけですね。少なくとも、基本的人権の保障、条約及び国際法規の遵守、それからやはり公務員に対しての憲法尊重擁護の義務、そういう問題について憲法の規定が強調したり義務づけたりするというだけでは十分じゃないので、現実に国家行為の合憲、違憲が問題となったときに、これを有権的に決定し得ることにしておかなければこれは実効性がないというふうに思うんですね。

 したがって、そういうことからすると、国家行為の合憲、違憲の決定権をいずれかの国家機関に与えるという必要がある、このことを、我が憲法は最高裁を指定しているというふうに私自身思うわけで、裁判官の独立と地位の保全については、下級裁の場合については、同じく最高裁の裁判官と同様に定められているわけですけれども、しかし、国民審査というのは、合憲、違憲決定権を有するがゆえに最高裁に対して特に認められる、保障されているというふうに理解しなければならないんじゃないかと思っております。

 今の憲法に対して、八十一条の、最高裁自身が今まで培ってきた判例の中での解釈でなくて、素直に憲法自身を見れば、ここに「一切の」という表現がございますが、それはもう単に表現じゃなくて法律用語だと思いますけれども、この中身が具体化されることによって、今非常に問題視されている憲法裁判所が必要かどうかという問題だとか、それから違憲立法審査権というののありようがどうかというふうな論議だとか、そういう問題が、私は、現行憲法を遵守するという立場を、改めて素直に八十一条を読むときに、実効性あるものに必ずなると思っているんです。

 この統治行為という問題に対して、笹田先生自身どのようにお考えになっていらっしゃるかというのをお聞かせいただければと思います。

笹田参考人 統治行為論というのは、恐らく、最高裁について言えば、純粋に使ったのは一件だけで、もう一つはちょっと変形して使っているように思います。したがいまして、最高裁判例だけを見ますと、特にここ最近、そう明確に使われていないかと思います。

 ですから、私は、この議論は、例えば衆参両院の自由裁量の問題であるとか、議院自律権の問題であるとか、そういう観点で切れるものは切っていって、やっぱりなるべく使う場面を少なくしたい、少なくしていくという方向に考えております。とはいいましても、全くなくならないかというと、それはそこまで断言できるあれはまだ持っておりませんけれども、ただ、活動する場面を減らしていくということ。

 そして、先生今おっしゃいました憲法八十一条の「一切の」ですけれども、私は、これはやっぱり、多くの事件を積み重ねていってそこから抽出していくということが大事なことですから、一つ一つの小さな事件に目を向けていく必要がある、それが広い意味では憲法保障につながるのではないかなと考えております。

 以上でございます。

土井小委員 二〇〇一年六月に出されました司法制度改革審議会の意見書を見ましても、最高法規性に対する保障という意味で今の司法制度の問題を考えましても、やっぱり基本にあるのは憲法に対する認識だと思うんですよ。日本国憲法に対してどのように認識し、それを意識して、職務を遂行する際に遵守するという義務があるわけですから、したがって、それを生かしていかなきゃならないということだろうと思うんです。

 司法試験をパスして司法修習を受けるわけですけれども、この修習制度の中で、研修の機会にどれほど憲法というのが問題視されているかというのは、実はこれは少し問題じゃないかなというふうに私自身思っていますが、現状はいかがですか。

竹崎最高裁判所当局者 司法研修所の教育の非常に基本的な考え方といいますのは、法律実務家として必要な基本的な法的思考力とかあるいは分析能力を身につけさせるという点が主眼でございまして、しかも、その手法としまして、基本的には、実際の事件を素材として、その事件の中に含まれる法的な問題を抽出し、それをどう法的に展開していくかといったダイナミズムがとられているわけであります。前提として、当然のことながら、大学の法学教育それから司法試験過程を経ることによって一定程度の基本法についての知識があるということを前提としているわけであります。

 ただ、憲法についての理解というのは、これは法律家としての基盤でございますので、それらのプロセスの中で、できるだけ憲法上の問題が含まれている場合にはそれを抽出して、どういう形でそれが具体的な法的な問題としてあらわれているのかということを検討させるということは意識的にとられております。例えば刑事関係の手続では、そういうことが独立した行為ということではなくて、一つの課程の中に埋め込まれているということがございます。

 では、独立したカリキュラムとしてはどうかということになりますと、それほどはございませんで、これは選択制でございますが、セミナー形式で憲法講義を行っているとか、あるいは現状では憲法訴訟というテーマで裁判官による講義を行うという程度でございまして、独立してはその程度の取り扱いということになっております。

土井小委員 どうもそこのところ、寂しい限りだという声がよく聞こえてくるんですね。

 それで、やっぱり司法修習期間というのは非常に大事だろうと思いますが、任官試験までの間にどれぐらいそういう機会があったかということを尋ねてみますと、余りないと言うんですね。これはやっぱり、いずれにしましても、裁判官になるにしても検察官になるにしても、それから弁護士になるにしても、基本の基本ですもの。

 わけても、裁判官になるという希望をなさる方というのが、これは年々ふえていますか、いかがですか。

竹崎最高裁判所当局者 年々ふえているかどうか、ちょっと正確なところはわかりかねますが、おおむね最近では百名少し、百名を超える程度の人間が裁判官を志望しているというように理解しております。

土井小委員 少ないんですよね、大変に。やっぱり圧倒的に多いのは弁護士志望でしょう。

竹崎最高裁判所当局者 数の上ではそういうことになっております。

土井小委員 やっぱり裁判官の数というのが少ないために、一人の担当される件数が非常に多いようなデータというのが目につくわけです。

 先ほどお話しになっておりました裁判官についての人事をめぐる問題。これは、司法制度改革審議会の意見書の中身を見ましても、なかなか具体的にここについて触れてあるという箇所がないですね。

 それで、これも今までは、裁判官の評価とか人事の問題というのが、もともとそれぞれの裁判所の裁判官会議の審議事項というふうにされていたのが、一九五五年十一月に下級裁判所事務処理規則が変更された、それからさらに、五六年から実施された裁判官の勤務評定などによって大変これは変わってきて、現状においては裁判官会議というのが有名無実化しているということが言われますけれども、こういう問題に対してはどのように考えていらっしゃいますか。

竹崎最高裁判所当局者 まず、裁判所の建前で申しますと、先ほど御指摘のとおり、それぞれの裁判所における司法行政事務はそれぞれの裁判所の裁判官会議が行うというのが建前でございます。

 ただ、ここでいいます司法行政事務といいますのは、言うならば、その庁における固有の司法行政事務というように考えられるわけでありまして、例えば会計の日割りであるとか、あるいは事務の分配であるとかそういうことで、裁判官人事、特に裁判官に対する評価というのが、そのそれぞれの裁判官会議にゆだねられていたものではないというように理解しておりまして、これはやはり任免権を持っております、あるいは任免権というよりも指名権を持っております最高裁判所が、人事の評価については一元的に管理をしてきたのではないかというように思っているところでございます。

 ただ、この司法制度改革の過程で裁判官人事の問題が取り上げられまして、私どもも、裁判官につきましては、これまでもそうでありますが、これからますます重要な職責を果たしていかなければならないというように思っておりますので、そういう意味での裁判官人事のあり方について、国民的理解を得ることは必要であろうと。

 ただ、事柄の性質上、本人のプライバシーの関係もありますから、その調和を図りながら、言うならば、国民的理解の得られるような人事体制を築いていく必要があるということで、今回、新たに、最高裁判所規則によりまして、裁判官指名諮問委員会という委員会を最高裁の外に設けたわけでございます。

 また、裁判官の人事評価につきましても、一定の評価のシステムを明らかにいたしまして、例えば、裁判所の外部からの意見についても根拠のはっきりしているものについてはこれを受け付けるとか、あるいは人事評価の結果は希望があれば本人に開示をする、また人事評価をするに当たっては評価権者が本人と面接をするといった手続の透明化を図っているところでございます。

土井小委員 司法権の独立の保障というのは、やはり裁判官の独立性というのが守られていないとそうならないわけですから、今のは非常に大事な問題というふうに思います。

 と同時に、修習課程の中でどうか憲法の課題にしっかり取り組んで、そういう機会を十分に設けていただきたい、このことを申し上げて終わります。

 ありがとうございました。

保岡小委員長 次に、小野晋也君。

小野小委員 自由民主党の小野でございます。

 質問は笹田参考人に行いたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

 まず、具体的な点、二点でございますが、一点目は、国会における定数不均衡違憲判決の問題でございます。

 これはもう既に幾つかの判決が出ております中に、違憲状態であって、そしてそれに基づく選挙は違法である、しかしながらその選挙は無効としない、こういう形で折り合いをつける判決を出しているわけでありますが、この判決が出されました後に、国会というのもいろいろな状況が起こり得るわけでありますから、違憲状態とされた定数の是正を国会自身が行い得ないような事態がもしあった場合、ないしは裁判所がいきなり選挙の無効ということを宣告するような事態がもし起こったような場合、これは、個別的効力説だとかいろいろな、そういうようなことで特定の部分を否定するということはあっても、この定数是正の問題というのは国会自身の成り立ちの問題でありますだけに、国会の存立が否定されるような事態が起これば、この定数是正すらできないというふうな事態が起こりかねないわけであります。

 もしも、そのような形で、違憲状態で是正がかなわないというふうな状況が生まれるという事態が想定された場合、法的にどう考えたらいいのか、これが一点目でございます。

 それからもう一点、具体的問題は、憲法改正の問題でございます。

 御存じのとおり、国民投票法案の問題が今俎上にのって、どういう形でこれから展開するかという段階になっているわけでありますが、憲法の中に改正項目がきちんと制定されておりながら、それに対する具体的な取り組みが法律として定められていない状態が制定以来五十数年間にわたって続いてきているということは、これは立法不作為ということであり、違憲状態を引きずってきているというふうに解釈されかねない問題だと我々は理解しているわけでありますが、先生はどういうふうな御意見をお持ちでございましょうか。

笹田参考人 本当に二つとも難しい御質問で、即答できかねるところもございます。ですので、私論的にしかもちろん言えないわけです。

 定数是正の問題で事情判決を出されましたのは、結局、先生がおっしゃいましたように、こうしないと国会が成立しないという非常に難しいことで、だから、ここでもある種、非常に最高裁の中で知恵者の方がいらっしゃったとも思います。新しいスタイルをとられたわけです。例えば、恐らく国によっては議会に対して裁判所で線引きするところもあるかもしれませんけれども、我が国はとてもそういうことは考えられないと思います。

 選挙無効で時間を切って、例えば、何もしなければ二年後に選挙無効だよという将来効判決も考えられるかもしれません。これなんかは少数意見なんかで出てきておりますけれども、そういうものであれば、例えば一年半後、しかし、それでもしなければ無効にするわけですから、同じような問題が起きます。では、最高裁判所に定数問題を全部、でも、これは恐らく不可能だろうという気がいたします。

 そうしますと、やはりこれは国会でやっていただくしかない。最高裁は、やはりこういう場合には強く違憲だと言って、国民の皆さんの注意を喚起して先生方を動かす、そういうことじゃないでしょうか。

 もう一点、国民投票。非常に難しい問題でございます。

 まず、憲法に附属していて、この五十年来できていない、これは立法不作為ではないかと。立法不作為といった場合には、だれの権利が侵害されたのかということもありますから、国民のある種選挙権の行使ということになるんでしょうか。

 私が思いますに、国民投票法はやはり必要な法律だろうと思います。思いますけれども、この五十年余りつくられなかったがために、それに象徴的な意味がついてしまった、そういう気がいたします。これは政治的な問題かもしれません。ですから、象徴的な意味がついてしまって、それをやることによる政治的ないろいろなリアクションが出てきているので、そっちの方が私は非常に気になる。

 だから、本来ならば最も早い時期につくっていただければこんなことにならなかったとは思いますけれども、そういう感想を持ちます。

 以上です。

小野小委員 おっしゃられるとおり、非常に難しい問題でございまして、後者の問題はむしろ国会自身として判断すべき問題だと私どもも考えている点ではございます。

 引き続きまして、違憲審査の問題でございますけれども、憲法そのものの不備を問いかけるような判断というものは最高裁判所において行い得るものであるか否かという点をお尋ねしたいと思うんですね。

 御存じのとおり、この憲法の文言そのものは、かなり包括的な表現をしておりますだけに、個々の問題については幅がかなり広いものがあろうかと思います。端的に言えば、憲法九条の問題等をめぐりましては、かなりの議論が行われてきた部分があったわけであります。

 これだけ正反対の判断を許す憲法の条文というものは憲法としていかなるものであるかということの議論というのは、当然起こり得るものだと私は思うんですね。こういう憲法そのものを最高裁判所は是正を求めるということは可能なのであるか否か、この点について御見解をお聞かせいただきたいと思います。

 これは笹田さんじゃないと、竹崎さんにはちょっとお答えできないと思います。

笹田参考人 またまた難しい質問が。

 憲法そのものの不備を問う違憲訴訟、この不備という意味ですけれども、不備の意味をちょっと説明していただけませんか。

小野小委員 私が今主張させていただいておりますのは、憲法というものが、その幅ですね、法律を立法するにしても、賛成であっても反対であってもどちらでも立法は可能である、また行政が両方向についてその行為を行うことができる。

 先ほど憲法九条の問題を挙げて、かつては、自衛隊の存在そのものが妥当であるか否であるか、この部分も憲法九条の解釈をめぐって両方に分かれていた。こういうふうに、拡大解釈を行えばいかようにも解釈できるような条文で憲法がつづられているということについて、それは憲法として不備ではないかというふうな形の指摘がなされた場合、いかがでございましょうかという問題でございます。

笹田参考人 わかりました。

 まず、憲法規範がリジッドにつくられないということは当然のことですね。憲法規範は、民事法等々に比べますと長い期間通用するものですから、余りにもかちかちにつくりますと、それは通用期間が短うございます。したがいまして、その性格上、憲法規範はやはり緩やかな文言を使うというのは、これはもう大体そのとおりでございます。

 もちろん、国によっては極めて細かい憲法規定をつくっているところがございますが、それは例外でございまして、やはり緩やかな、したがって、時代が変われば違う呼び方も可能であるかのような憲法規定は、時代によってある程度読み込み方が少し違ってくるかなというものもあるかもしれません。だけれども、それには恐らく限界がある。やはり解釈に幅というか枠がありますので、その枠を破るようなものであると、それはとてもまずいということです。

 したがって、憲法の文言が明確でない、したがって明確にしろというのは、おっしゃることはよくわかりますけれども、憲法の性質上、民法とかに比べますと明確でないというか、そういうところに特徴があるとしか私は今のところ言いようがないのでございます。

小野小委員 そういう御意見というのは当然でございましょうけれども、しかし、現実の問題として見れば、例えば自衛隊の存在の問題も、今、過去の問題になったわけでありますが、これを、憲法上正当なものであるか否であるか、これはどちらかしかないわけでございますね。

 そういう問題に対して、憲法の規定が非常にあいまいであるがゆえにこういう混乱を引き起こしているのだということを、最高裁判所が、憲法上の不備によってこういう問題が起こっているのだからその是正を求めるということを、勧告というんでしょうか、何か意見することは可能なのでありましょうか、どうなのでしょうか、こういう問題でございます。

笹田参考人 今の質問で、最後、よくわかりました。

 余り考えたことがなかったものですから、確かに、おっしゃられると、そうだなという部分がありまして、その件、検討をさらにさせていただきたいと思います。

小野小委員 以上で終わります。

保岡小委員長 次に、山花郁夫君。

山花小委員 民主党の山花郁夫でございます。

 最高裁にお尋ねをしたいと思います。

 中身の話に入る前になんですが、国会の方に最高裁をお招きしても、なかなか長官がおいでになることはなくて、昨年も法務委員会で、司法制度改革関連のことなのでということで、与野党の理事、そして法務委員長の山本委員長からも、長官にお出ましいただけないだろうかという話があったんですけれども、事務総長初め、皆さんおいでいただいたことがあったんですけれども、そのとき、憲法上少し問題があるんじゃないかという御意見であるやに聞いたんですけれども、その点は、何か御見解があるんでしょうか。

竹崎最高裁判所当局者 最高裁判所の長官というのは二つの性格を持っていると思います。一つは、最高裁判所裁判官会議の主宰者である司法行政の代表者としての立場と、もう一つは、いわゆる司法権行使の最終審である最高裁判所の長官としての立場と、二つあると思います。

 この二つを、言うならば、一人の人間が兼ねているわけでございまして、最高裁判所長官が、例えば国会のような場で意見を申し上げるときに、それは、司法行政の主体としてはもちろんそういう立場にあるわけでございますが、同時に、裁判権行使の主体の立場としては、そこで申し上げることが、例えば司法権、裁判体としては適切ではないということもございますので、そういう意味で、司法行政上の問題につきましては、事務総長以下の各局長、また一部、課長までが最高裁判所長官代理者ということで、御要望におこたえするという体制がとられているわけでございます。

山花小委員 しかし、きょうも、事務総長も、先ほどの議論の中で、こちらの立場から申し上げるのはいかがかというような形で、やはりその辺は分けて答弁されているわけですから、長官においでいただいても、そういう答弁を分けることも可能なのではないかと思うことが一つであります。

 あと、代理としてということなので、それはそれで法的には理解できないではないんですが、ただ、こういった審査の際に、例えば、先ほどから出ております、最高裁の判事は大変多忙であると。ただ、それがゆえに憲法判断を行うことは不可能ではないというのが多くではなかろうかというような御推察の御意見をいただくよりも、やはり当事者の方から伺った方が、笹田参考人は大変素直に、先ほどはキャリアの方とそうでない方とで違うのかなという感想をお述べになられておりましたけれども、私は余り素直ではないのかもしれませんが、事務当局の方が来て、いや、あの人たちは忙しいからそんな判断をやっている時間はありませんよとはとても言えるわけがないので、やはり直接伺う機会があればな、このように思います。

 これは感想ですので、御検討いただく機会があれば、ぜひお出ましいただくことを要望したいと思います。

 ところで、先ほども、多忙であるという一つの理由で、上告事件が大変多いという話がありました。ただ、制度として例えば上告事由をシャットアウトするというのも一つなんでしょうけれども、今の司法制度改革の議論の中で、一般に裁判を利用された方のアンケートを見て大変驚くのは、裁判に対する満足度が非常に低い。これは、勝った人も含めて、勝訴側も、必ずしも半分が満足していないというケースがあります。

 それこそ、具体的な事件あるいは裁判所の名前を挙げると不都合がございますので伏せますが、最近、ある弁護士さんも言われていたケースですけれども、起訴された日に、もう判決を言い渡したい、訴状からも有罪は明らかでしょうということを弁護士さんに言って、弁護士さんが、いや、ちょっと待ってというふうに言ったら、え、争うんですかと大変嫌な顔をしたというケースがあったと。その弁護士さんに聞くと、いや、そんな珍しいことじゃないですよ、最近はと。

 こんな状態ですから、そうなってくると、満足していないがゆえに、最終的には何とかして最高裁まで、要するに、気が済むまでやろう、最高裁に行こうとするためには、何とかこじつけてでも憲法違反だと言って行こうとするから、それがすべてだとは申しませんけれども、一つそういう側面があるように感じます。

 昨年成立いたしました裁判の迅速化に関する法律案の中でも、迅速化というだけではなくて、充実をしっかりという話が随分出ておりました。法務委員会ではありませんのでこれ以上申し上げませんけれども。

 つまりは、憲法判断を行うことが不可能ではないというおっしゃり方でしたけれども、必ずしも、それに十分時間をとろうというだけの余裕も十分あるかと言われれば、いや、それもしんどいかなという話なんだと思うんです。その辺の、審理の充実、一審から充実をするということについては、引き続き御努力をいただきたいと思います。これも意見ということです。

 笹田参考人にお伺いをしたいと思います。

 憲法保障ということで申しますと、昨日も東京地裁で立法不作為に対する違憲判断が出たりとか、司法判断で憲法問題が、少ないことは少ないですけれども、全くゼロとは言えない状態ではあります。

 ところで、先ほど、裁判官報酬の減額の問題について最高裁から御意見がありました。七十九条六項、八十条二項では、「報酬は、在任中、これを減額することができない。」と留保なく言い切っているわけで、減額については憲法違反ではないかという疑義も、学術的にも提起をされておりますし、議会内でも、そういう意見の会派もあるところではあります。ただ、最高裁の行政判断としては、今回の減額をするという法律については了とするということではあるけれども、後で司法判断になったときにはまた別の判断があり得るかもしれないという御意見がありました。

 それが一つと、話は少し変わるんですけれども、ここのところメディアをにぎわせている事件があります。講学上、司法的事前抑制と言えばよろしいのでしょうか、裁判所による出版物等の事前抑制の問題です。北方ジャーナル事件が典型例かと思いますが、北方ジャーナル事件は公職の候補者が原告ということでした。今回は、一応私人という形であります。

 私、個人的には、名誉権とは異なり、プライバシー権の場合には事前抑制はあり得るものだと思っております。つまり、名誉と違いまして、社会的評価が問題となるケースではなくて、イギリスの法律の格言にもありますけれども、真実であればあるほどライベルの程度は大きいということですので、迅速な人権救済のためには、出版物の事前抑制も、もちろん要件はいろいろあるんですけれども、あり得るのかなと思っております。

 ただ、なぜこの話と先ほどの裁判官の報酬の話とつなげて申し上げたかというと、これはいずれも、ほかの憲法判断のケースとは異なって、裁判所が、事案はちょっと異にするにしても、みずからの判断に対して憲法判断を行う。みずからといいますか、裁判所が、司法権が、その内部組織の問題に対して司法判断を行うという構造になるわけです。つまり、行政に対する司法統制、あるいは立法に対する司法統制ということではなくて、司法権内部で一回判断したものについて、例えば出版物の差しとめを命じた地裁、高裁に対して最高裁が判断をする、あるいは最高裁の裁判官会議で了としたものについて司法判断を行うという形なわけです。

 こういったケースを考えてみると、現行の裁判所の系列内で裁判、司法判断を行う、憲法判断を行うというよりも、ドイツ型の形でやった方が国民の目から見てわかりやすいのではないかということと、特に司法的事前抑制、出版物に関する場合には迅速な解決が要求されるのではないかと思います。そのように考えるんですけれども、改めて、メリット、デメリットについてお話しいただきたいと思います。

笹田参考人 非常に現代的なテーマで、難しいお話なんですが、まず、北方ジャーナルもそうですけれども、今回の文春の事件もそうですが、裁判所の仮処分がございまして、それに対して異議が出て審査するというものと、司法行政上、最高裁判所が裁判官会議でお決めになったことを不満に思う人がとりあえず訴訟を起こすというのは、やはりちょっと類型が違うと思います。それが第一点。

 それと、ドイツから見た場合ということの意味がちょっといま一つわからなかったのですが、少し敷衍していただけませんでしょうか。

山花小委員 つまり、具体的事件・争訟性を前提として、現行の三審制的な形で上に上がっていく形よりも、最初に、例えば地裁レベルで仮処分があった、これが憲法違反かどうかということについて、例えば憲法裁判所があって、そこで決着をつけてもらった方が迅速な解決のためには資するのではないか、こういう趣旨です。

笹田参考人 わかりました。

 そのスピードということを言った場合に、ドイツ型で憲法裁判所にこれを持ち込んだ方が最終決着は速いんじゃないかという御趣旨のようでしたね。

 裁判所の方々、ここにいらっしゃいますのであれですけれども、この手の仮処分の決定に対しては、かなりスピードが速いと認識してよろしいですよね。ですから、ドイツ型の憲法裁判所に行かなくても、日本の場合、仮処分というのはすごい速いと思うんですね。

 それと同時に、私は、この段階では、疑問に思うのは、一言だけ言わせていただくと、この仮処分手続がどういうふうな組み立てをしているのか、そっちの方が実は興味がございます。つまり、手続保障がどうなっているのかとか。これは実は、訴訟と非訟ということをよく言いますが、ここは訴訟であり、なおかつ決定手続であるという領域です。訴訟判決というのはわかりやすいですけれども、訴訟でありながらこれは決定なんですね。だから、決定手続というのは簡単なものでいいと先ほどからずっと言っています。そういったときに、こんな重要な事件でどのぐらいの手続保障を出せばいいのか、しかし、一方で迅速な解決が必要だといったときに、バランス論を考えるときに、やはりこれは実は憲法の問題であると私は思っておりまして、今先生の御質問から喚起されまして、そういうことをちょっと考えておりました。

保岡小委員長 次に、下村博文君。

下村小委員 自民党の下村博文です。

 笹田参考人にお聞きしたいと思います。

 先ほど小野委員から立法不作為のお話がございまして、私もこれに敷衍してお聞きしたいと思いますが、今もお話が出ましたが、きょうの朝刊、各メディアでも、学生無年金障害者訴訟ということで、立法不作為を違憲認定したということで出ておりました。

 我々の資料で、これは憲法調査会の事務局が用意している資料なんですが、この中で立法不作為についての項目があるんですけれども、この中では、十ページなんですが、

  憲法の諸規定に基づき、又はその解釈により、国会が一定の立法をすべきことを義務付けられているにもかかわらずそれを怠っている場合、その不作為が違憲審査の対象となるかという問題がある。

  いかなる立法をすべきかは、国の「唯一の立法機関」である国会の判断に委ねられるべき事項であり、したがって、立法の不作為が直ちに裁判所による違憲の判断を導き出すものではない。しかし、立法不作為により個人の権利が侵害されたとして国家賠償請求を求める場合、立法の不備に起因する違憲状態についての訴訟で人権侵害を主張する場合等において、基本的人権の保障の観点から、1立法をなすべき内容が明白であること、2事前救済の必要性が顕著であること、3他に救済手段が存在しないこと、4相当の期間が経過していることを要件に、立法不作為が違憲・違法と認められることもあり得るとするのが通説の立場である。

こういうふうに書いてあるわけであります。

 私、立法の立場にいまして、立法の不作為というのはかなり実はあるんじゃないかと私自身は思っているんですね。ただ、それが、今ここに言っている、即違憲に、あるいは違法に当たるかどうかというのは、このような要件があるかどうかということにはなりますけれども、しかし、大きな時代の変化の中、必ずしも立法機関である我々が、国民の人権という立場、あるいはそれ以外のことも含めて的確に法改正をしているかどうかということを考えると、十分に追いついていない分野が多々あるのではないかというふうには思っているわけです。それが、ここで言う違憲になる立法不作為であるかどうかというのは別ですけれども。

 しかし、それにしても、今回の学生無年金障害者訴訟というのは、ある意味では私は司法の方の見識だというふうに思うんですね。今まで、司法消極、そして行政優先というのが我が国の中でやはりあったと思うんですね。司法が国会とか内閣といった政治部門に対して消極的な姿勢であったということは事実だというふうに思うわけでありますけれども、参考人はこの立法不作為についてどんなふうにお考えになっておられるか、また司法の姿勢についてどうお考えか、お聞きしたいと思います。

笹田参考人 立法不作為というのは、若干教科書的な説明をいたしますと、昭和六十年の在宅投票制度廃止違憲訴訟で最高裁が出しまして、これはかなり厳しい判決でございました。それで、研究者の中では、国家賠償訴訟でこの手のものを争うのは無理かなという意見さえ出ておりました。ところが、御存じのように平成十三年のハンセン氏病熊本地裁判決が出まして、あれが高いハードルを乗り越えたという評価でいいかと思います。

 ですから、今回の事件もそうでして、総じて立法不作為については、特に国家賠償法でそれを争うということ、国家賠償法の裁判多いですから、それに対して非常に最高裁の方は厳しかったかと思いますが、最近、下級審の方で幾つか目立っているものが生まれ始めていまして、これは非常に評価してよろしいことではないでしょうか。そういうふうに考えております。

下村小委員 同じ視点から、歴史の流れの中での人権をどう考えるかということで、先ほど中山会長からもお話がございましたが、一つの象徴的なこととして、例えば環境権ですね。これは、我が国の憲法の中で、制定当時は想定されていなかったことでありますけれども、この時代の中で、やはりこの環境権という視点の中から人権を考えるということでは、これはある意味では私は立法不作為に当たるのではないか。そういう意味では、憲法を改正することによって例えばこういうこともきちっと入れるということは、これは当然のことであるというふうに思うわけでありますが、この環境権というのを、立法不作為という視点から、あるいは憲法改正という視点から、どのように参考人お考えか、お聞きしたいと思います。

笹田参考人 まず、立法不作為というのは、憲法上の規定に違反しているということが、憲法上立法義務が存在しているということですので、環境権というものはこれからつくろうというお話でございますので、恐らく後者の方、環境権を人権規定として入れるべきではないかという御質問の方にお答えを中心としてさせていただきたいと思います。

 私ももちろん、このことを、環境のすばらしさとか大事さを否定する人というのは、やはりこれは少ないだろうと思います。環境が非常に大事であるということは、もう子供たちと話をしていても、常に、本当にそう思います。そういうところが一つと、しかしながら、人権と言われるものは、ある意味では、だれの人権なのかというのがはっきりしないとまずいところもございます。例えば環境権でございますと、この浜の美しさを残したいといったときに、では、この浜は、百キロ離れたところから来る人はだめなんですかとか、では、年に二回飛行機でやってくる人はどうですかとかいう人権の享有主体というところが、実はまだよくわかっていないところでございます。

 ですから、これはドイツですけれども、環境は大事だというのは、一つの国家の目標規定というような形で憲法に入れている。目標規定なのだ、だからそれに基づいて法律もつくっていくんだ、そういう形で、ガイドラインとして機能している、そういう側面はございます。ですから、私も、環境が何らかの形でそういうふうに憲法上評価されるというのは、非常にいいことだと考えております。

 以上でございます。

下村小委員 先ほど参考人から行政訴訟法のお話が出ましたが、今国会でこれから出される予定でございまして、自民党の中でも、若手議員の中で、行政訴訟法をもっと国民が使いやすい便利なものとして活用できるような改正をしようと。

 これは、それだけ国民の権利というのが、行政に対して訴えるということで、法廷の場、司法の場で、より開かれるということは、ある意味では逆に、強い行政体あるいは強い国家、それをつくることにもつながる。つまり、成熟した民主主義というもとでは、それぞれがフェアな立場の中できちっと議論することによって権利等をきちっと明確にするという意味では、積極的に行政訴訟を活用することによって、先ほど申し上げた、行政優先ということでない中での、この国の本当の意味での成熟な民主主義の発展につながる。

 それが同時に、例えば成田の問題等を含めて、早く国が、あるいは自治体もそうですが、責任を持って行政執行しなきゃいけないということでの、裁判の場で決着をつけることによって、逆に促進されるという部分もあるし、また、不当な行政行為についてはきちっと、それを個人あるいは住民の立場として訴えるということもできるんではないか、そういうふうに個人的には考えているわけであります。

 これから議論されることですが、参考人として、この行政訴訟法についての改正点等で何か問題提起があれば、お話をしていただきたいと思います。

笹田参考人 行政訴訟制度の見直しというのは、今先生おっしゃいましたように、このたび国会にかかりまして、大変議論されるだろうと思います。

 私は、ここの発想として、実効的な保障というのを本当によくこのペーパーの中でお書きになっています。国民の権利利益の実効的な救済、実効的な保障、それが行政訴訟のためには必要なのだというのが本当によく出てきます。

 私は、一つ驚くといいますか、残念に思いますのは、これがドイツでありますと、ドイツは、基本法十九条四項というのが裁判を受ける権利でありまして、膨大な判例がありまして、大変なものになっております。日本には裁判を受ける権利はほとんどないです。この問題がやはり僕は大きいと思います。ドイツでありましたら、これは基本法十九条四項の保障する実効的な救済の観点からというのが絶対に出てくるわけです。日本ですと、実は裁判を受ける権利というのが出てこないわけです。この辺の、裁判を受ける権利と訴訟法というのがどうもリンクしていないのが今の現状のように思われます。

 ですから、先ほどから言っている、憲法の保障ということを考えた場合に、裁判を受ける権利というものは、手続法と密接に結びつく憲法条文でございます。したがいまして、この実効的な救済というのは、やはり憲法の三十二条を考えて訴訟法をつくるという視点を入れていただきたいと考えている次第でございます。

 以上です。

保岡小委員長 これにて参考人及び最高裁判所当局に対する質疑は終了いたしました。

 この際、一言ごあいさつを申し上げます。

 笹田参考人におかれましては、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。小委員会を代表して、心から御礼を申し上げます。(拍手)

    ―――――――――――――

保岡小委員長 これより小委員間の自由討議を行いたいと存じます。

 一回の御発言は、五分以内におまとめいただくこととし、小委員長の指名に基づいて、所属会派及び氏名をあらかじめお述べいただいてからお願いいたします。

 御発言を希望される方は、お手元にあるネームプレートをお立てください。御発言が終わりましたら、戻していただくようにお願いいたします。

 発言時間の経過については、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。

 それでは、ただいまから御発言を願いたいと存じます。御発言を希望される方は、ネームプレートをお立てください。

船田小委員 自民党の船田でございます。

 きょうは、最高裁に関するさまざまな角度からの議論を聞かせていただいて、大変参考になりました。前からもちょっと感じておりましたが、最高裁でなぜ、憲法問題、特に違憲判決あるいは違憲に関する審査が少ないかという理由を、きょう、かなりはっきり理解することができたと思っています。

 やはり上告審、一般の上告審が非常に数が多くて、そちらにかかわる、あるいはその負担が非常に大きい、そのために、最高裁として違憲審査にかかわる部分が相当少なくなる、こういうことだろうと思います。

 確かに、平成十年、民事訴訟法改正におきまして、いわゆる上告制限、最高裁は、憲法違反あるいは判例違反、そういう案件を優先的に扱うこととし、法令違反についてはその手前で制限をする、あるいは、判決によらない簡潔な方法として決定ということでその案件の処理をする、こんな平成十年の上告制限というものをやったわけでありますが、そうであっても、まだ最高裁の負担が非常に大きい、これはきょう初めてわかったところでございました。

 やはり最高裁の一つの大きな機能である違憲立法審査、これをきちんとやっていくには機構改革が当然必要だろう、私自身もそのように思っております。ただ、よく言われている憲法裁判所、これを独立機関としてつくるということについて、もちろん、これは現状を打開する非常に有効な手段とは思いますけれども、いろいろ解決すべき点が多いのではないか。

 例えば、個別事件との乖離ということが起こり、憲法裁判所での議論が抽象論に終わってしまうのではないか。あるいは、先ほども参考人等から御指摘がありましたように、またドイツの例にもありますように、裁判の政治化あるいは政治の裁判化、そういう問題点なども指摘をされました。私は、今にわかに価値判断をすべきではないと思いますけれども、やはり憲法裁判所の前に、機構改革としてなお改善できる余地があるのではないかというふうに感じております。

 参考人は、特別高裁を設けて、最高裁の手前で憲法違反のスクリーニングを行う、あるいは一般上告事件をそこで扱う、こういうことで役割分担をすべきである、こういうお話でございましたが、特別高裁については、ちょっとやはり憲法問題にかかわる部分では四審制になる、こういったことなど、事件の長期化がそのことによって起こってしまう、そんな危険性もあると思っております。

 現実的な対応としては、やはり最高裁の現在の枠組みの中での機構改革、例えば憲法部をつくる、あるいはまた、これはたしか昭和三十年代、三十二年ごろに裁判所法の改正案が出されて国会の解散で廃案となったと聞いておりますが、最高裁の小法廷を活用して、ここで専ら一般上告審を行って、そしてそれ以外の部門、大法廷を中心として違憲審査問題などを主に扱っていく、このような方策をとる、これは極めて現実的な方法で望ましいことかな、このように思っております。

 ただ、憲法裁判所の独立した機関としての役割、これにもやはりなお魅力を感じているところでありまして、広範なさらなる議論が必要なのかな、このように感じております。

 以上でございます。

仙谷会長代理 私は、かねてから申し上げておりますように、法の支配を貫徹しようとすればといいましょうか、私ども民主主義というものに価値を置く国家においては、法の支配をまず原則的に貫徹しなければならないと思っているわけでありますが、その法の支配を貫徹させようとすれば、憲法保障の最後のとりでである司法の場といいましょうか、司法的な判断をする場が、健全にかつそれなりに機能を果たさなければならないというふうに考えておるところであります。

 そういう観点から、現在の日本の憲法裁判の実態を見てみますと、まず第一番に、具体的な争訟事件にならなければ憲法判断ができないという構造的な問題の第一番目の問題があると思います。

 第二番目の問題は、具体的な事件が提起されて、いわゆる提起者の側から違憲の主張がなされても、違憲判断をしなくても、あるいは憲法判断をしなくても判決が書ける場合には憲法判断をしないんだ、こういう傾向が非常に多いということになっているわけであります。

 このことによって、直接的な人権侵害あるいは間接的な人権侵害、あるいは法律、制度、政府、公的なセクターの行為について、国民がこれは憲法基準に照らして非常に問題だというふうに問題提起をしようとしてもできない、あるいは、しても裁判所が判断を回避してできない、しないというようなことで、憲法に対する、あるいは法律に対する諦観とでもいいましょうか、シニシズムが発生しているというのが現在の状況ではないだろうかというふうに思っております。

 時代が、そして社会の構造、あるいは人々のライフスタイルまでもが変転をし、かつ問題が多岐にわたり複雑になってくる、こういう時代においては、人権保障の問題も、先ほど会長が質問の中でも提起をされておりましたけれども、私は、あらゆる具体的な方策が考えられなければならないと。この憲法保障の問題は、人権侵害に対して、より機能的、有効的な、制度的に保障するものはないかということをまず一つ考えるべきであろうと。

 それは、パリ原則に基づく独立の準司法的な審判機関である人権委員会、こういうものを早急に立ち上げることも必要でしょう。あるいは人権裁判所という観点でもいいのかもわかりません。さらに、これは準司法的ではありますけれども、先般のこの調査会で学習をいたしましたオンブズマン、あるいは子どもオンブズマンというふうなことは、日々の新聞記事を見るだけでも緊急の課題になっているのではないかと私は考えているところでございます。

 そしてさらに、憲法裁判所が必要だというふうに私が考えておりますのは、先ほど申し上げました、ガバナンスの中での立法府あるいは行政府、そこで行われる、あるいはつくられる法律や制度や、あるいは総理以下行政の各責任者の行為というものを、直接、抽象的なレベルにおいてでも争うことができる、つまり、憲法裁判所のような制度を、憲法裁判所をつくらなければ、法の支配というのは貫徹しないし、国民の憲法シニシズムあるいは法律に対するシニシズムというのはますます増幅するだろうというふうに考えているところであります。

小野小委員 きょうの竹崎事務総長のお話の中にあった問題について、一言コメントさせていただきたいと思います。

 事務総長からのお話の中に、二割司法ということについての問題を指摘される御発言がございました。何か懸案を抱えたときに、それを実際司法的な場において解決しようと思う人が二割しかいない、こういうところからこういう言い方がされてきたという御紹介でありました。その路線に乗って、今司法改革が行われ、国民の司法ということがしきりに言われているわけでありますが、ここで、本当にそういう路線だけで物事を考えていいのかということについて、私は疑問を持っているわけであります。

 例えば、私どもの地域での一つのケースでございますけれども、小さな村の話であります。問題が起こって、憲法上に問題を惹起するものではないかということではあったわけでありますが、村内でその議論をしながら解決しようと思っていたところが、マスコミの皆さん方や弁護士の皆さん方が、これは憲法上の問題をはらんでいるんだから訴訟にぜひ訴えろというふうに強く勧めて、そしてそれが裁判の場に持ち込まれて、結果的にその村の中の人間関係が随分おかしくなってしまうというケースがあったわけであります。

 私は、司法の場で解決するということは、最終的手段としては当然こういう機能が社会に必要だと考えておりますが、人間相互が話し合いを行うことによって自律的にその解決が得られるならば、あえて司法に問いかける必要がないというのも、また一つの良識として社会の中に持つべきなのではないだろうかと思います。お互いが権利主張をやり合って、お互いがその権利において譲り合わないがゆえに裁判の場でしか解決できないという社会が、果たして本当に社会として進んだ社会なんだろうかという基本的な大きな疑問を持っているわけであります。

 ですから、前の別の会のときも、憲法の中に権利主張をするということは、当然これはあっていい話でありますが、同時に、自己抑制と調和を尊重する精神というようなものも、憲法の中に書き込むことを通して、人間が、法のみによって律せられるのではなくて、人間そのものの持つ力によってよりよい社会をつくっていけるんだというふうなことを示すのが人間尊重主義なのではないか、こんな思いもするところがございまして、この司法のあり方ということについて、その基本的な部分でもう一段の御議論が必要ではなかろうか、こんな思いを持った次第でございます。

山口(富)小委員 日本共産党の山口富男です。

 私は、三点発言したいと思います。

 第一は立法不作為の問題なんですけれども、何回か発言しておりますが、国民投票法にかかわっての私の見解はもう既に述べたとおりです。きょう問題になりました学生無年金者の問題なんですけれども、これは、各党が集まりまして議員連盟をつくって、今その救済のための立法措置を検討しているところですので、そのこともあわせてまず紹介しておきたいと思うんです。

 それから二点目に、憲法の性格にかかわるわけですが、日本の場合は、硬性憲法と言われるように、時代の流れの中で憲法の条項についていろいろな読み込みは確かにできるわけですけれども、やはり解釈は非常に厳格であると。その点で、自衛隊について言いましたら、やはり憲法九条からいってこれは違憲の存在ですし、それは、公法学界の多数説が今もその立場だし、下級審の判例では、憲法違反の存在であるという明確な判例が出ておりますから、やはり問題になるべきは、憲法の規定があいまいという立て方じゃなくて、それに反して政治がつくってしまったという、そこがやはり問われるべき問題だというふうに思うんです。

 それから三点目は、憲法裁判所及び日本の司法にかかわる問題なんですけれども、参考人にもお聞きしたんですが、ドイツの場合の憲法裁判所というのは、やはりナチス時代に、司法が、悪法も法であるということで、みずからワイマール憲法の憲法秩序を壊してしまったんですね。その点についての徹底的な戦後の反省が行われて、ドイツの場合は、基本的に裁判官はナチス時代に務めた方は全員いなくなったわけです。日本は、そこが、司法の戦争責任は不明確だったわけですけれども。

 そういうもとで、どういう形で憲法秩序を守るのかという問題意識から生まれた制度が憲法裁判所であったというふうに思います。それに対して、日本の違憲審査制というものは、やはり人権保障が出発点にあると思うんです。

 会長代理から発言がありましたように、法の支配というのが非常に大事なわけですけれども、私も昨年九月にアメリカに行きまして、一緒に最高裁を訪ねたわけですが、そのときに大変驚いたのは、最高裁のど真ん中にマーシャル長官の大きな黒い銅像があったことを今でもよく覚えております。そのときに、日本語のパンフレットで「アメリカ合衆国最高裁判所」、こういうパンフレットをいただいたんですが、そのほとんどは、なぜアメリカで違憲審査制という制度がとられているのかと。マーシャル長官が、当時、一八〇三年、ちょうど今で言うと違憲審査制が生まれて約二百年になるわけですけれども、法の支配という点でどれだけの意味を持ったのかという、人物紹介以外は大半がそこに込められているんですね。

 きょう、笹田さんが、一つ一つの事件や事例を検討する中でこそ憲法の判断はできるんだということを強調されましたけれども、やはり人権問題というのは個々の事例としてあらわれてきますから、違憲審査制度のよさというのは、下級審から始まって、一人一人の裁判官が非常に高い志を持って、みずからの良心と憲法と法律に基づいて独立して裁くというわけですから、そこのところをきちんと機能させるための手だてを考える必要があると思います。

 その点では、きょう、最高裁の多忙という話もありましたけれども、そういう現状もよく踏まえて、今後の司法制度の改革ということは考えていく必要があるなというふうに感じました。

山花小委員 民主党の山花郁夫でございます。

 済みません。先ほどはちょっと、参考人との質疑の中で時間がなかったものですからわかりづらかったかもしれないんですが、もう一度少し発言をさせていただきたいんです。

 何を言いたかったかというと、つまり、今回、昨年も出ましたけれども、裁判官の報酬の減額をするという法律があって、これに対して裁判官会議は一回オーケーを出しているわけです。ただ、それはあくまでも司法行政上の判断だから、不満を持つ裁判官が、これは憲法違反だ、減額した分をよこせという、国家賠償請求訴訟なのか、不当利得返還なのかちょっとわかりませんが、そういった訴訟を提起したときには、今度は司法裁判上の判断として、憲法違反であるという判断は一般論としてはあり得ますよと。ただ、最高裁のメンバーは、司法行政上の判断をした人たちと一緒ですから、同じ判断をする可能性が高いでしょう。こういう話なんです。つまり、最高裁が同じメンバーで、立場は違うとはいえ、一回判断していることについてもう一回憲法判断をしろといっても、恐らく同じ話になるのではないかと。

 実は、北方ジャーナル事件というのも、これは、ある北海道知事の候補者が北方ジャーナルという雑誌の出版物の差しとめの請求をして認められた事件なんですが、あの事件は大変有名なんですが、有名な判例になっているのは損害賠償請求訴訟なんです。つまりは、満足的仮処分で行って差しとめまで、最高裁、一回行っているんですよね。これについて、あれが憲法違反だということで争われて、最後は最高裁の大法廷で判決がおりるわけです。

 類型は全く違うというお話で、私もそうは思うんですけれども、ただ、そういう法律の専門家の話ではなくて、一般の国民から見たときに、最高裁が、自分たちで一回判断したことをもう一回憲法判断をしている。常識的には、自分たちがやったことを憲法違反だと言うわけはないのではないかというのが普通の感覚ではないかというのが私の論旨でありまして、そうだとすると、国民の目から見たときには、最高裁とは別に憲法判断をする機関があった方が理解は得やすいのではないかという話であります。

 それと関連する形で、仮処分のケースでは、むしろ、地裁、高裁、最高裁と行くよりも、実体判断についてはドイツ型の形で提起をしてもらった方が処理は早いのではないかという問題意識でありました。

 ただ、笹田参考人は、その手続の話をされていたんですけれども、名誉権と違って、プライバシーのケースでは、プライバシー権に基づく差しとめの請求の場合には、むしろ実体判断の方を重視しないと、やや技術的な話になりますけれども、例えば、手続が債務者審尋を経ていないであるとか、あるいは非訟手続によっているであるとか、あるいは満足的仮処分の形によっているということを理由として、手続が違法であるから検閲に当たる、あるいは事前抑制禁止の原則に当たるとして出版物を公表してしまうということがあるとすると、実体問題として、書かれている中身が明白にプライバシーを侵害するものであって、これを公表すると取り返しがつかないような重大な結果が生ずるようなケースでも公表しなければならないという、私は、余り合理的でない結論だと思うんですが、そういった結論になってしまう可能性があるのかなと思っております。

 したがって、例えばの話、仮処分の手続については、司法裁判所の系統できっちりと債務者審尋なりなんなりやってもらうという手続は一方で進めてもらって、他方で、憲法裁判所というのが適切かどうかわかりません、違う機関の方で手続問題とは別に実体問題をきっちり判断してもらって、そこで差しとめが妥当か否かということを検討するというのも、一つの制度としてあり得るのではないか、このように考えます。

 以上です。

計屋小委員 民主党の計屋圭宏でございます。

 私は、最高裁判所の問題点と憲法裁判所の必要性について話したいと思います。

 最高裁判所は、具体的な争訟事件が存在しないときは憲法判断がそもそもできないわけであって、現行憲法下では、憲法の番人としての積極的役割を期待することは、機構として無理な面があると考えております。

 内閣による憲法のなし崩し的な拡張解釈については、具体的事件が起きない限り、積極的に合憲、違憲の判断をする機関としての役割を果たす機構が存在しないわけであります。憲法裁判所による違憲の判断が出たら、それをもとに、違憲状態を解消させるため、国会が、当該憲法自体の改正を必要とするならば、その方向で改正作業を進めることが、憲法を生きたものにし、その形骸化を防ぐ本来の姿のはずであります。

 具体的争訟事件を前提とする場合には、最高裁の判決が出ても、その効力が及ぶのは第一審で原告、被告、当事者となった者であり、仮にその法律について違憲判決が出たことによっても、その法律が世間一般に無効となるものではない点があり、現行の最高裁には限界がある、こういうふうに考えているわけです。

 ですから、やはり憲法裁判所というものが必要と考えるわけでございます。

土井小委員 きょうは、笹田参考人からの御意見で、現行憲法を改憲することなく、憲法に対して違憲、合憲の判断がただいまの裁判制度の中でも約束できる論調でありました。私はその意見に賛成なんです。

 八十一条という条文を見れば、「一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」と最高裁判所を規定しております。

 冒頭に、最高裁判所には二つの性格があると。一つは、終審裁判所である、言うまでもないんですが。もうあと一つは、違憲審査権を持っているとよく言われるんですね。違憲審査権というのは、実はこれは不正確な表現でございまして、八十一条を見れば、違憲、合憲決定権を有するというふうに素直に理解しなければならないのではないか。しかも、私は先ほども発言の中に申しましたけれども、法文上、法律、命令、規則、処分ということに対して、「一切の」ということがございます。したがって、例外なく、法律、命令、規則または処分に対して適合するかしないかを決定するという権限を最高裁判所が持っているわけであって、それを今現実において実行している、していないという問題は、この第八十一条という条文を誠実に行っているか行っていないかという問題認識にかかるわけなんですね。

 したがって、現実から八十一条を見るんじゃないんであって、八十一条というのを実効性あるものにしていかなきゃならない。そうしたら、それはどうしたらいいか。現行憲法の中で、門前払いを最高裁判所がしたときに、五二年の十月のことですけれども、警察予備隊の違憲訴訟を提起して、これに対しては却下という取り扱いだったわけですから。したがって、門前払いをしたり、そして、きょうも少し取り上げて言いましたけれども、少数意見もありながらいわゆる統治行為論を展開する。高度の政治性を持っている問題に対しては司法権の行使はなじまないという例の論法ですね。こういうやり方というのは、本来は、憲法を遵守するという立場を九十九条で義務づけられているわけですから、これは、本来は認められないやり方を今、現行憲法の中で最高裁判所がやっているというふうに認識せざるを得ないわけなんですね。

 そうすると、現実は、補強していくのにどうしたらいいかという問題が、恐らく提訴すると門前払いとか、また、統治行為論を展開されて司法権を行使しない姿勢というのが出てくる可能性もありますから、私は、こういう問題を補強することのために、行政訴訟法というものの中身を充実させていくということも一つの方法だというふうに思っております。

 ありがとうございました。

中山会長 自民党の中山太郎です。

 平成十二年五月二十五日の憲法調査会で、当時、千葉最高裁判所当局者が統治行為論という関係について答弁をしておられます。

 一つは、砂川事件の判決に対して答弁をしておられます。「この砂川事件は、日米安保条約の合憲性が問題になった事件でございまして、最高裁は、我が国の存立の基礎に極めて重大な関係を持っております高度に政治性を有するものについては、一見極めて明白に違憲、無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外である」というふうに明言をしておられます。

 もう一件は、昭和三十五年六月の苫米地事件、衆議院の解散手続を憲法七条に基づいて行った合憲性の問題ですが、「最高裁の判決では、直接国家統治の基本に当たるような高度に政治性のある国家行為、こういうものにつきましては裁判所の審査権の外にある、そして、その判断はやはり主権者である国民に対して政治的責任を負うところの政府や国会、最終的には国民の政治判断にゆだねられているものと解すべきである、こういう判断をいたしました。」こう言っているんですね。

 ここで一つ、今、土井先生もおっしゃいましたように、一つの最高裁の考え方の基本があるんです。これをどういうふうに国民のために乗り越えていくかということについて先生は御発言になりましたし、私どもは、そういう意味で、最高裁には、国家の基本に関するようなことは審判外の問題だ、判決をおろせない、こういう考え方があるということも考えておかなければならない。そのためにどうするかということについては、またこれから御論議をいただく。先ほどから憲法裁判所の必要性を仙谷先生も言われましたし、そういう問題を含めて、オンブズマンの問題もそうですが、私どもは、これから問題点を解決する、現在の憲法のどこに問題点があるかということの調査ですから、そういう意味で調査を充実していく必要があろうかと思っております。

    〔小委員長退席、小野小委員長代理着席〕

小野小委員長代理 他に御発言ございますか。

 それでは、討議も尽きたようでございますので、これにて自由討議を終了いたします。

 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後零時七分散会


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