衆議院

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第4号 平成16年4月22日(木曜日)

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平成十六年四月二十二日(木曜日)

    午後二時二分開議

 出席小委員

   小委員長 保岡 興治君

      小野 晋也君    下村 博文君

      平沼 赳夫君    船田  元君

      森岡 正宏君    綿貫 民輔君

      大出  彰君    武正 公一君

      計屋 圭宏君    古川 元久君

      増子 輝彦君    赤松 正雄君

      塩川 鉄也君    土井たか子君

    …………………………………

   参考人

   (北星学園大学経済学部助教授)          齊藤 正彰君

   衆議院憲法調査会事務局長 内田 正文君

    ―――――――――――――

四月二十二日

 小委員古川元久君同月八日委員辞任につき、その補欠として古川元久君が会長の指名で小委員に選任された。

同日

 小委員小林憲司君、山口富男君及び土井たか子君同月十五日委員辞任につき、その補欠として武正公一君、塩川鉄也君及び土井たか子君が会長の指名で小委員に選任された。

同日

 小委員塩川鉄也君同日委員辞任につき、その補欠として山口富男君が会長の指名で小委員に選任された。

同日

 小委員武正公一君同日小委員辞任につき、その補欠として小林憲司君が会長の指名で小委員に選任された。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 最高法規としての憲法のあり方に関する件(憲法と国際法)


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     ――――◇―――――

保岡小委員長 これより会議を開きます。

 最高法規としての憲法のあり方に関する件、特に憲法と国際法について調査を進めます。

 本日は、参考人として北星学園大学経済学部助教授齊藤正彰君に御出席をいただいております。

 この際、参考人に一言ごあいさつを申し上げます。

 本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人のお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じます。

 本日の議事の順序について申し上げます。

 まず、齊藤参考人から憲法と国際法、特に人権の国際的保障について御意見を四十分以内でお述べいただき、その後、小委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。

 なお、発言する際はその都度小委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は小委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。

 御発言は着席のままでお願いいたします。

 それでは、齊藤参考人、お願いいたします。

齊藤参考人 ただいま御紹介を賜りました北星学園大学の齊藤でございます。本日は、私のような浅学の者に発言の機会をいただきまして、大変光栄に存じております。

 本日は、憲法と国際法の関係について総論的に述べるとともに、特に、人権の国際的保障の枠組みやその履行の確保について、また、人権条約の国内法的な規範としての効力についてといった観点から陳述せよとのことでございます。

 憲法と国際法の関係についてということで検討されるべき内容は極めて広範でございますが、広く国際社会の中で、あるいは昨今の国際情勢の中での日本及び日本国憲法のあり方といった大きな問題につきましては、私の能力をはるかに超えておりますし、また、既に国際社会における日本のあり方に関する調査小委員会におきまして御審議のことと承知しております。また、本日は、特に人権の国際的保障に重点を置いて陳述せよとのことでございまして、時間も限られておりますので、既に安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会において御審議の内容と重複のないように、論点を絞りたいと存じております。また、私は憲法学を専攻しておりますので、研究の領域や観点にも限りがございます。

 そうしたことから、以下、お手元にお届けしておりますレジュメのような項目立てで申し述べさせていただきたいと存じます。

 なお、レジュメの原稿を事務局に提出いたしました後に、事務局から大変に行き届いた資料集、「「憲法と国際法(特に、人権の国際的保障)」に関する基礎的資料」をお送りいただきました。

 そこで、前半は、レジュメの目次では、「I.憲法と国際法」の総論的な部分でございますけれども、こちらについては、多少、用意のレジュメとは順序が前後いたしますが、この資料集の方を参照しながら御説明申し上げることといたします。後半、「II.国内裁判所と国際人権訴訟」のところは、資料集から離れまして、主にレジュメの記載に沿って愚見を申し述べることといたします。

 まず、憲法と国際法の関係について総論的にとのことでございますが、後半の国際人権法の国内的実施の問題を検討する上で必要な範囲で論じるということでお許しいただきたいと存じます。

 また、御承知のとおり、国際法の法源といたしましては、条約と慣習国際法とがございますが、本日は、条約に絞って検討いたします。

 一国の法体系において条約がどのように取り扱われるかということでございますが、国際法としての条約がどのように国法体系の内部に入ってくるかということが、まず問題となります。

 なお、人権保障を内容とする条約、いわゆる国際人権条約の内容の実現につきましては、少なくとも第一次的には、国内裁判所における国内的実施が重要であるとされるところでございます。

 条約の内容が国内においていかに実施されるかということを考える際には、従来から、その前提となる問題がるる論じられているところでございます。お手元の資料では六ページ以下に紹介がございます。

 ごく大ざっぱに申し上げますと、第一に、国内法秩序と国際法秩序とは全く異なる次元にあるのか、それとも同一の次元にあるのかということが論じられます。

 第二に、資料の九ページの図にございますように、条約は、それ自体が国法体系の内部に入ることはできず、国内法につくりかえられなければならないのか、それとも、次の十ページの上の図にございますように、国際法としての性質のままで国法体系の内部に入って、国内で適用されることができるのかということが問題となります。

 第三に、条約が国法体系の内部に入ってきた場合でも、条約の条文には抽象的なものや国家を義務づけるだけのものが多いから、そのまま国内裁判所で適用できないのではないかという議論がございます。資料では、ページが後ろの方になりますけれども、五十五ページに自動執行的という言葉が出てまいります。この問題でございます。

 これらの問題は、レジュメで申しますと二ページの(2)の1から3でございますが、長らく難しい議論がなされてきております。しかし、実際に国法体系において条約がどのように扱われているかという問題を考える上では、各国の憲法規定や国家機関の実行などの分析に力を注ぐべきであると考えるのが、近年の主流でございます。

 そこで、既に御承知のこととは存じますが、日本国憲法がどのように条約を取り扱うことと定めているかということを確認いたしたいと思います。

 まず、憲法第九十八条第二項は、日本国憲法における条約の取り扱いを考える上で極めて重要でございます。資料の一ページから、憲法第九十八条第二項の趣旨について記載がございます。資料の二ページから三ページにかけて述べられておりますように、この制定過程を見ますと、外務省が、資料の二ページの一番最後の行でございますけれども、「日本が条約・国際法を尊重する旨の規定が欠けることは好ましくない」として提出した案がもととなっております。

 さて、一般に、条約の締結は政府が行いますが、立法権を保護し、国家の対外作用の民主的統制のために、現代では、議会が一定の関与を行うことが多くなっております。日本国憲法もそのような仕組みをとっておりまして、条約の締結に際しましては国会の承認を経るということとなっております。

 国会承認の手続につきましては、予算の議決手続を準用しております。ここで留意すべきは、予算の議決手続は第五十九条が定めている法律の制定手続よりも厳格度が緩和されているということでございます。仮に衆議院と参議院が対立いたしました場合、法律制定の場合は衆議院の出席議員の三分の二の賛成が必要ですけれども、条約承認の場合は過半数で足りるということとなるわけでございます。

 国会の承認が必要とされる条約の範囲でございますが、資料の三ページから四ページにかけて記述がございますように、その内容を実質的に考えて判断されております。

 締結された条約は、憲法第七条の定めにより公布され、条約は国法体系において国内的な効力を獲得いたします。資料十ページの中ほどにございますように、一般的受容方式というふうに呼ばれる仕組みでございます。

 国内的効力を獲得した条約が国内法の秩序においていかなる地位を認められるかにつきまして、日本国憲法は明文の規定を持っておりません。憲法第九十八条第二項は、条約の誠実な遵守を要請しておりますけれども、通説は、このことから、条約は国法秩序において法律に優位する、法律よりも上にあると解しております。この点につきましては、幾つか難しい問題がございますので、後ほど論及いたします。

 レジュメでは三ページに参りまして、国法秩序において、条約と他の法形式との優劣関係がどのようになっているかという問題でございます。

 まず、憲法との関係でございます。資料では十四ページから説明がございます。

 資料の十五ページの「参考」というところにございますように、当初は、条約の方が憲法に優位するとする条約優位説が有力でございました。条約優位説の論拠のうちで重要なものは、十四ページの表の「主な論拠」というところの3でございます。しかし、条約優位説は、条約に対する過去の日本の態度についての反省ということを出発点としていたこともございまして、憲法に対する優位が認められる対象をすべての条約であると考えることになり、国際主義の射程の明確化が不十分なものとなってしまったと考えられます。

 条約優位説にかわって通説的な立場を占めることとなりましたのが憲法優位説でございます。憲法の方が条約に優位するという考え方でございます。憲法優位説の根拠、これも幾つかございますが、最も強力な論拠と考えられていますのが、十四ページの表の「主な論拠」のこれも3、その後半部分でございます。憲法改正手続と条約の締結手続を比べた場合、厳格な憲法改正手続に対して、条約の締結手続は、先ほど述べましたように、法律の制定よりも簡易な手続で足りる、そのようにして成立する条約が憲法に優位するとするならば、憲法と抵触する内容の条約を締結することによって、実質的に憲法を改正してしまうことができるということが強く主張されたのでございます。

 このようにして通説的見解となった憲法優位説でございますが、憲法優位には例外があるとする条件つき憲法優位説というものが登場いたしました。憲法優位の例外の内容及び根拠につきましては、幾つかの種類がございますが、詳細は資料の十五ページの後半から十六ページの記述に譲りたいと考えます。

 実は、この条件つき憲法優位説でございますが、政府見解は早くからそのような考え方をとっておりました。これに関する代表的な政府答弁が資料では十六ページから十七ページに掲載されております。

 なお、この憲法制定過程における金森徳次郎国務大臣の答弁において注目されますのは、条約を一律にとらえるのではなく、これを分類して対応を考えるという思考が憲法第九十八条第二項の文言との関係で説明されている点でございます。すなわち、資料の十六ページの下の囲みの中の下から三行目でございますが、「条約と云うものには、種々なる種類があろうと思うのであります。」とされておりまして、さらに十七ページに行きまして、囲みの中の最後の方でございますが、「此の二頁に於きましては、其の両方を含めまして、…そう云う種々なる関係を命令的に規定すると云うことは、なかなかやりにくいのでありますから、斯様な広い言葉を以て遵守すると云うことを書きまして、それから以下は解釈に依ってさせると云う方法に出でたのであります。」と述べております。

 金森国務大臣は、ほかの機会にもこの旨の答弁をしております。

 判例でございますが、レジュメの2の(1)の3に書きましたように、最高裁判所のいわゆる砂川事件における昭和三十四年十二月十六日の大法廷判決につきまして、資料では十九ページに記載されておりますが、十九ページの太字の記述にございますように、判例は憲法優位説の立場から、条約の違憲審査も可能であるとしたものと理解されております。多くの学説もほぼそのような見解でございます。

 なお、国法秩序における条約の地位は各国の憲法の定めるところによりますが、資料では二十ページ以下をごらんいただきますと、オランダとオーストリアでは憲法に対する条約の優位が認められております。ただし、両国とも、憲法と抵触する内容の条約を締結するときには、憲法改正手続に匹敵する手続を踏むということを求められている点に注意が必要かと思います。

 レジュメ三ページに戻りまして、(3)のところでございます。従来、憲法優位説が通説的見解となり得た強力な論拠は、憲法と抵触する内容の条約によって憲法が実質的に改正されてしまうことを防ぐということでございまして、それはレジュメの一つ目の黒丸のような事態を前提としていたものと考えられるのでございます。

 しかし、国際人権条約の規定と憲法の規定との関係を考えますと、いずれも人権保障という意味ではほぼ同じ方向を目指しながら、時に両者の間に相違が生じるというものでございます。そうしますと、両者が全く矛盾、抵触するという場合は必ずしも多いわけではございません。それよりもレジュメの黒丸の1から黒丸の3のいずれかの場合が多いと考えられます。中でも、国際人権条約の方が保障範囲が広いとか、規定の書きぶりが詳細であるという場合にどうするかということが問題となります。この点につきましては、本日の主要な問題の一つとして、後に検討いたします。

 レジュメの3に参りまして、法律との関係でございます。資料では、恐縮でございますが、ページを戻っていただきまして、十二ページのところでございます。

 国法秩序において法律と条約のいずれが優位するかということにつきましては、日本国憲法に明文の規定はございませんが、現在の学説は、ほぼ異論なく、法律に対する条約の優位を認めております。政府見解も同様でございます。その論拠は幾つか挙げられますが、いずれも必ずしも説得的ではございません。実際には、憲法優位説において、憲法に対する条約の優位は認められないとされたことの裏返しとして、法律に対する優位までは認められるというのであって、条約と法律との関係についての詳細な考察の結果としてではないのではないかと考えられるのでございます。

 レジュメの四ページの冒頭のところでございますが、憲法優位説が、憲法改正手続と条約締結手続との対比を根拠とするのであれば、前述のように、条約の国会承認の手続は法律の制定手続よりも簡単でございますので、手続の厳格さという点を根拠といたしますと、法律に対して条約が優位するとは言えなくなってしまいます。憲法九十八条第二項が根拠として援用されることもございます。しかし、例えば、憲法第九十八条第二項は、条約が法律に優位することを認めたものと解することが国際協調主義の立場から見て当然だとしながら、他方で、憲法が国際協調主義をとるといっても、条約が憲法に優位するという趣旨ではないとするのは、結論の先取りとも思われまして、いささか疑問が生じるところでございます。

 法律に対する条約の優位ということにつきましては、憲法の前文はもちろんのこと、条約を国内法と同様に公布することを定める憲法第七条、平和主義についての第九条、条約締結の簡易迅速な手続による国会承認を規定する第六十一条、時宜によっては事後に条約締結の国会承認を経るということをも許容している第七十三条の第三号、違憲審査の対象に条約を明示的に列挙しない第八十一条、最高法規たる憲法の下位に置かれる国法形式に条約を明示的に列挙しない第九十八条第一項、そしてこの第九十八条第二項などから読み取られる、日本国憲法の基本的な態度としての国際主義といったものを基調としまして、他の憲法上の諸原理との調和を求めた結果と解するのが整合的ではないかと考えるものでございます。

 条約が法律に優位するということは、法律を制定し、条約の締結に承認を与えている国会との関係で、難しい問題をもたらす可能性がございます。従来は、国会の承認を要する国際約束の範囲が問題とされてまいりましたが、ここでは、国会承認の重みというものが問題でございます。

 問題は三つございまして、第一に、法律の制定よりも簡易な手続で締結される条約が、国会の制定した法律に優位するということでございます。条約承認の案件についての国会での御審議が、仮に法律案の審議よりも簡潔になされるというようなこととなりますと、さらにこの逆転現象が強まるということになります。

 第二に、二国間の条約はもちろん、近年の多国間条約におきましても、政府や関係省庁が条約を起草する国際機関や国際会議の作業に積極的に関与するという場合が多くございます。このときに、政府が、条約の内容に政府の政策を盛り込むことに成功し、そのようにして作成された条約が簡易な手続で承認されて法律に対する優位を獲得する、さらに国内での実施に必要な法律の制定、改廃も、国際的に要請されている条約の関連法令の整備であるということで正当化できるということとなります。場合によっては、政府は、国会に法律案を提出するよりも、条約を作成してきてその承認を求めるという方法を選択するかもしれません。類似の問題は、EC、EUにおいても問題とされているところでございます。

 第三に、裁判所が、法律に対する条約の優位ということを根拠に法律を条約違反と判断した場合、国会は、通常の立法権ではその解釈、裁判所の解釈に対抗できないということでございます。法律と条約が同位、同じランクにあるならば、後法優先の原則、後からできた法の方が優先するという原則がございますので、後から国会が制定した法律が条約に優先するということになりますが、法律に対する条約の優位が認められているといたしますと、後から国会が幾ら法律を制定いたしましても、条約と抵触する場合は条約の方が優先するということになってしまうのでございます。

 日本の憲法学は、この法律に対する条約の優位というものを半ば自明のものととらえてきましたため、この点についての外国法との比較検討も必ずしも多くはございませんが、そもそも、憲法が法律に対する条約の優位を認めるという例自体、検討を要しないほど一般的と言えるわけではございません。

 法律に対する条約の優位を憲法の明文で規定している例としてすぐに思い起こされますのが、フランスの第四共和制憲法及びフランスの第五共和制憲法でございます。他方で、フランスの裁判所が、長い間にわたって法律の条約適合性審査を行うことをちゅうちょしていた、あるいは拒否していたということも、よく知られていることでございます。

 また、法律に対する条約の優位を定める憲法の規定が、国際協調主義といったもののみを基礎として成り立っているのかどうかということにつきましても、注意を要するところでございます。

 違憲審査において最高裁判所の示した憲法解釈を覆すには、国民代表である議会も憲法改正に訴えなければならないわけでございますが、そのような最高裁判所の権限というものは、憲法第八十一条に明文の根拠がございます。しかし、それでも、裁判所がどの程度の厳格さで違憲審査を行うべきかということは大きな問題でございます。法律が条約に適合するか否かの審査につきましては、憲法第八十一条に相当するような憲法規定はございません。かえって、後に述べますように、訴訟法上は、最高裁判所が法律の条約適合性審査には関与しないということとされているのでございます。

 国法体系における条約についての総論的な検討を終えまして、国際人権条約の国内的実施の問題に入りたいと存じます。レジュメでは、四ページのIIというところでございます。

 日本の国内裁判所の国際人権条約等に対する姿勢につきましては、レジュメの四ページの下の方でございますが、黒丸の1から3のような傾向が指摘されております。さらにこの黒丸の3のタイプは、アルファとベータに分類されております。これは、レジュメの末尾の参考文献欄に掲げました、参考文献の二番目、岩沢教授が指摘されている分類でございます。

 確かに、近年、国際人権条約を積極的に活用したとして高く評価されている裁判例もございますが、それらも、注意して見てみますと、必ずしも法律が国際人権条約違反であると判断したわけではございません。

 このような裁判所の姿勢につきまして、岩沢教授は、先ほどの参考文献の二番の中で、レジュメでは五ページの(3)の1、2のような評価をされております。かぎ括弧の中は、岩沢先生が御論文にお書きになっている部分を引用したものでございます。

 このような裁判所の姿勢ですけれども、国際人権法の違反を示唆しながら、結論としては訴えを棄却して、事態の改善を立法者にゆだねるというタイプの裁判例が存在していることに注目しますならば、裁判所は、法律の条約適合性審査を行うことに十分な根拠を見出せないために、条約違反の判断を避けていると考えられるのでございます。国会の制定した法律を条約違反と判断することは、結果としては憲法違反の判断に匹敵する効果を持つにもかかわらず、そうした権限を行使する根拠、条件あるいは限界といったものが必ずしも明らかではございません。

    〔小委員長退席、船田小委員長代理着席〕

 このように、法律に対する条約の優位というものを根拠として国内裁判所が法律の条約適合性審査を行うという仕組みが、期待に反して論理的にも脆弱であるといたしますと、さきに述べましたレジュメの三ページの2の(3)の黒丸の3ですけれども、「憲法よりも条約の保障内容が広範であったり具体的に詳細である場合」、そういう場合におきまして、国際人権条約の誠実な遵守のためには、国際人権条約の内容を違憲審査制の枠組みの中で実現していく、つまり、違憲審査制とのすり合わせといったものを考えなければならないと思われるのでございます。

 裁判所は、法律などが憲法に違反しないか否かを審査する権限を持っているのでございますが、その際に、国際人権条約を憲法解釈の基準として用いることによって、国際人権条約の内容の国内的な実施を図るという方策が考えられるのでございます。

 まず、憲法解釈に複数の選択肢があり得るという場合でございますが、このときは、可能な限り国際人権条約に適合的な解釈を選択するということが、日本国が締結した条約は、これを誠実に遵守することを必要とすると定めている憲法第九十八条第二項の求めるところにかなうものであろうと考えられます。

 複数の選択肢がある場合、条約に適合的なものを選ぶという考え方と截然と区別することは難しいところもございますけれども、憲法よりも国際人権条約の保障内容の方が広かったり規定が詳細であるという場合には、そうした国際人権条約の規定の内容を憲法解釈を通じて憲法の内容に取り込むということが考えられるのでございます。

 憲法の解釈基準として国際人権条約を援用するということは、憲法優位説の考え方のもとでは、国法秩序において上位にある憲法を、下位、下のランクにある条約を基準として解釈するということになりますので、そのことについて学説の一部には強力な批判もございます。

 しかし、日本国が締結した条約は、これを誠実に遵守することを必要とするという憲法レベルでの決定がございますので、国際人権条約の内容は、憲法解釈を通じて憲法に引き上げられ、取り込まれることになり、そのようにしていわば間接的な憲法的地位を獲得すると考えられるのでございます。

 レジュメの六ページに参ります。

 国際人権条約を憲法の解釈基準とすることにつきまして、憲法レベルでどのような考慮がなされ得るかという問題でございます。

 第一に、国際人権条約を憲法の解釈基準とするということを憲法の明文で規定している例もございます。しかし、国際人権条約の内容が憲法よりも保障範囲が狭いというものであったり、憲法と矛盾、抵触を生じるという場合も考えられますので、憲法条文で一律に解釈基準として指定するということは疑問があるかもしれません。

 そこで、例えばドイツ連邦共和国の例を見ますと、憲法であるドイツ基本法の幾つかの関連規定から、国際的な開放性あるいは国際法に対する友好的な態度といった意味合いでの国際法調和性といったものが、憲法の基本的な態度として認められるとされております。そして、これを基調としまして、国際法を尊重するというドイツ基本法の憲法レベルの決定として国際法調和性の原則といったものが導かれております。

 日本国憲法につきましても、同じように解することが可能ではないかと考えられます。日本国憲法の中にも、前に述べましたように、国際主義に基づく条項が少なからず存在しております。そうした日本国憲法の基本的な態度としての国際主義というものを基調といたしまして、憲法第九十八条第二項に示された、日本国が締結した条約は、これを誠実に遵守することを必要とするという憲法レベルの決定から、日本国が締結した条約の性質に応じて、当該条約に内在する要求を可能な限り考慮に入れるということが求められるのでございます。国際人権条約につきましては、憲法の条約適合的な解釈によって間接的な憲法的地位を認めるということが求められるかと思われます。これを国際法調和性の原則による要請と考えてもよろしいかと思います。

 違憲審査制とのすり合わせということを考える上で極めて重大な問題は、国際人権条約違反を理由としては最高裁判所に上訴することができないという問題でございます。

 レジュメの六ページのbの(1)のところに、園部元最高裁判事の見解を引用してございます。まず第一に、憲法では明示されていないような規定が国際人権条約にある、つまり、国際人権条約の内容が憲法よりも保障範囲が広いという場合には、国際人権規約に沿った憲法の解釈による。それも不可能な場合、つまり、国際人権条約を解釈基準としてその内容を取り込もうにも類似の憲法規定がない、取り込む先がないというような場合には、国際人権規約の国内直接適用を行うということでございます。

 確かに、一般的な考え方としてはそのとおりかと存じますけれども、国際人権条約違反を理由とする最高裁判所への上告及び特別上訴というものは認められないという問題が存在しております。かつては、民事訴訟法上の上告だけは可能でございましたが、平成八年の改正によって、上告ができるのは憲法違反を理由とするときに限られました。

 しかし、法令の解釈を統一する最上級裁判所としての任務、さらには法律の条約適合性という問題と憲法適合性という問題の平仄を確保するという観点からも、法律の条約適合性の問題に最高裁判所が全く関与しないというのは疑問でございます。また、法律に対する条約の優位が日本国憲法の基本的な決定であるとするならば、その実現を確保するということについて最高裁判所が等閑視するというのは果たして適切かどうかも問題でございます。

 レジュメの(3)のところで引用してございますように、「法律等の人権規約違反の主張を憲法違反に準ずるものとして扱い、上告理由に該当するものとすることによって、国内法整備のためのインセンティヴ効果を期待することができる」、樋口先生の見解でございますが、とされてございます。前述のように、類似の憲法規定がなくて国際人権規約に沿った憲法解釈をするということができない場合には、憲法第九十八条第二項を通じて違憲性を主張するという方法が考えられます。

 これは、必ずしも、あらゆる条約違反が直ちに憲法九十八条二項違反になるということを意味してはおりません。

 少なくとも、重要な条約の規定について、安易に憲法の規定と同一視したり、条約違反の主張に対して判断を示さないというような下級裁判所による条約の瑕疵ある適用、不十分な適用、あるいは無視といったものが存在する場合には、憲法第九十八条第二項に反するものとして最高裁判所への上訴を認め、それによって日本がその国際法上の義務に反すると評価されることを防ぎ、そしてさらには、そうすることによって、下級裁判所による国際人権条約についての尊重ないしは配慮といったものを確保するということが最高裁判所の責務ではないかと考えられるのでございます。

 レジュメの最後のページ、七ページに参ります。

 市民的及び政治的権利に関する国際規約、いわゆるB規約あるいは自由権規約と呼ばれるものでございますが、これにつきましては規約人権委員会と呼ばれるものが設けられております。

 規約人権委員会の一般的意見及び見解と国内裁判所の関係というものが近時問題とされております。日本はこのB規約の第一選択議定書をいまだ批准しておりませんので、日本についての個人通報が規約人権委員会で審査されて、それについての委員会の見解が示されるということはございませんが、問題は、ほかの国の事例についての規約人権委員会の見解や一般的意見、その中で示されたB規約の解釈が日本の裁判所でも考慮されるべきではないかということでございます。

 実際に、規約人権委員会の意見、見解といったものやヨーロッパ人権条約機関の判断を援用する主張が裁判所で増加しております。日本の裁判所の対応を見ますと、規約人権委員会の意見、見解を積極的に参照する裁判例、あるいは規約人権委員会で問題とされた事案とは事情が異なるとして直ちに退けてしまう裁判例、あるいはB規約の第一選択議定書をいまだ批准していない以上、日本に対しては規約人権委員会の意見、見解は法的な拘束力がないといたしまして十分に考慮に入れない裁判例などがありまして、裁判所の対応は揺れております。

 一般に、条約機関の判断の先例に従わないということをいたしますと、後に条約機関に申し立てがなされた場合に条約違反の判断を下されてしまうということが予想されますので、締約国の国内裁判所は、条約機関の意見、見解に適合的な解釈を採用することによって自国が条約違反と判断されることを避けようとする傾向が強いというふうに言われております。しかし、日本はまだB規約の第一選択議定書を批准しておりませんので、このような影響力を語り得る状況にはございません。

 ただ、そのような事実上の拘束力が及ばない場合であっても、規約人権委員会の意見、見解に最も適合的な解釈を採用するように国内裁判所が要請されているというふうに言えないかが問題でございます。

 ここで、規約人権委員会の意見、見解といったものの日本の国内裁判所における実効性の確保を考える際に重要でございますのが、るる申し述べておりますように、裁判所による違憲審査の枠組みにおいてB規約が活用される方法を探るということでございます。規約人権委員会の意見、見解が憲法の解釈基準となり得るかということを検討しておかなければならないということでございます。

 そこで、条約機関の意見、見解が当該条約において有する意味というものを考えてみますと、国際人権条約につきましては、締約国の国内裁判所において実施されるということが重要ではあるわけですけれども、条約の規定の解釈が締約国ごとに区々まちまちでありますならば、国際人権条約を結んだ意義というものは大幅に減殺されてしまうのでございます。したがいまして、原則として条約機関の示す解釈が遵守すべき条約の内容を示していると考えられるのでございます。

 B規約も、人権及び自由の普遍的な基準を定めるものでありまして、その規定の解釈を示す機関として規約人権委員会を設けているところでございます。この規約人権委員会によって示された内容というものが、第一次的にはB規約によって保護されなければならない内容と考えられるのでございまして、規約人権委員会がB規約の解釈を示すという仕組みがこのB規約にとって不可欠であるという理解を示しているものと考えられるのでございます。

 先ほど述べましたように、憲法の制定過程において、条約というものは種々なる種類があろうから、その条約の種類、性質に照らしていかに扱うかを慎重に考えなければならぬとされていたことも思い起こしますと、誠実に遵守することというのは、日本国が締結した条約の性質に応じて、当該条約に内在する要求を可能な限り尊重するということを意味していると考えられるのでございます。

 規約人権委員会が解釈を示すという仕組みを有するB規約を締結した以上、国内裁判所においても、規約人権委員会の意見、見解を可能な限り考慮に入れるということが、日本国が締結した条約は、これを誠実に遵守することを必要とするという憲法第九十八条第二項の要請にかなうと考えられるところでございます。少なくとも、条約違反の主張や条約機関の意見、見解の無視ないしは安易な取り扱いというものは、条約を誠実に遵守するという憲法の求めに反するものと解されるのでございます。

 なお、国内裁判所が規約人権委員会の意見、見解に従わなければならないとすることは憲法第七十六条第三項に抵触するという懸念が示されるかもしれません。しかし、規約人権委員会の意見、見解が解釈基準として援用されるとしても、それは、規約人権委員会の判断をもって有効な国内法を排除するということではなくて、それによって国内的効力を有する条約、さらには憲法を含む国内法の内容が確認されるということでありまして、裁判官が憲法及び法律のみに拘束されるという憲法の定めとは矛盾しないと考えられるのでございます。

 さらに本質的であるのは、規約人権委員会の意見、見解についての尊重ないし配慮というものは、憲法第九十八条第二項の求めに基づくということでございます。憲法第七十六条第三項は、裁判官は憲法に拘束されるとしております。規約人権委員会の意見、見解の尊重は、まさに、憲法が国際人権訴訟における国内裁判所の役割として要請するものであると考えられるのでございます。

 従来、規約人権委員会の報告や意見に法的拘束力が与えられていない以上、それをどのように生かすかは最終的には当事国の裁量にかかっていると理解されておりましたが、この裁量を憲法が統制している、コントロールしていると考えるのでございます。

 以上でございます。

 甚だ不十分な内容にもかかわらず、長時間にわたり御清聴いただきましたことに感謝申し上げます。ありがとうございました。(拍手)

    〔船田小委員長代理退席、小委員長着席〕

保岡小委員長 以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

保岡小委員長 これより参考人に対する質疑を行います。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。小野晋也君。

小野小委員 齊藤参考人には、憲法九十八条の関連でいろいろな学説の存在等についての御紹介を賜ったわけでありますが、これらの話をお伺いさせていただきながら、いま一つ整理がつかない部分がございますので、そんな点を少し御質問させていただきたいと思います。

 その一つは、きょうの論点の中心でございましたけれども、憲法ないし法律とこういう条約、どちらが優位に立つものであるかという点なのでございますが、多様な価値観があり、そして国際化が進展する中で結ばれる条約というのも、いろいろな条約が生まれてくることを考えますと、現実的問題としてこれから随分数多くお互いが整合性をとれないというような状況も生まれてくることが想定されるわけでありますが、そのとき、ならばいかにこれを解消すればいいのか、このあたりのお話を実はお伺いしたいと思うわけであります。

 私からの提案というわけではないのですが、一つの意見としては、例えば、憲法を今後改正するときに、憲法または法律に合致しない条約というのは結ぶことができない、こういうふうに明記すれば、国内的には、憲法に反する条約は結べないわけでありますから、当然先ほど来の話というのは生まれてこないわけでありますし、ないしは、法律に反する条約を結ぼうというときは国内法を直ちに改正せねばならない、こういうふうな規定を入れておくというふうな形でこの問題を回避するというようなことも考えられようと思いますが、これは御意見としていかがでございましょうか。

齊藤参考人 憲法、法律などの国内法の規定とそれから条約が抵触した場合のその抵触の解消の方法といたしまして、今お話がありましたのは、そういう抵触状態を事前に防ぐということの一方策として、憲法に合致しない条約は結ぶことができないとして、さらには、条約の締結の段階で憲法違反がないかどうかを審査するという仕組みがどうかということであったかと思います。

 これは、諸外国の例を見ますと、特に憲法裁判所を置いている国におきましては、条約を締結する際に、憲法との抵触が疑われる場合には憲法裁判所の判断を仰がなければならないという仕組みをとっている国もございます。

 また、今お話にもありましたように、もし憲法と条約が抵触するというふうに裁判所が判断した場合には、憲法の方を改正してからでなければ条約を締結できないというふうに定めている国もございますので、そのような方法はあり得るかというふうに存じます。

小野小委員 それでは、現状の日本国憲法のもとにおいて、憲法裁判所が設置されているわけではありませんから、事前にそれが公式な形で、憲法違反である、ないしはどこかの法律に違反するというふうなことは、もちろん、衆議院、参議院の法律関係の機関、また政府にもそれがございますから、それぞれのところでチェックはされるわけでございましょうが、その中にどうしても矛盾する部分が残ってしまうというようなことが起こった場合に、これはどう措置をするということが現状では最適の方法だと思われますでしょうか。

齊藤参考人 確かに、憲法裁判所のない国の場合、あるいは裁判所に勧告的意見制度のようなものをつくっていない場合、今の日本国憲法を前提といたしますと、御指摘のように、条約の締結に際しまして、外務省の条約局ですとか内閣法制局などが慎重に審査をしておりますし、もちろん国会の両議院で慎重に審議されるわけでございますけれども、それでも条約と国内法の抵触が問題になるというのは、実際に適用されてそれが裁判上問題になったという場合かと思います。

 裁判上で、例えば憲法と抵触をしていてこの条約が国内法上は適用ができないということになりますと、それでも国際法上の効力は残りますので、あとは、政府を中心といたしまして、相手国との間でその条約の改正あるいは廃止といったことをするなどといったような手続を踏むしかないというふうに考えております。

小野小委員 少し古い話になってまいりますけれども、この国際的な問題と国内の憲法ないし法の問題としていまだに日本の国の中で引きずっている大きな問題に、東京裁判の問題があると私は思うんですね。

 占領下において、戦勝国が中心になって、ほとんど戦勝国と言っていいと思いますが、戦争に敗れた国の戦争犯罪人を裁くというふうな形で行われたこの東京裁判というのは、果たしてその当時の国内法等に照らし合わせて妥当な裁判であったんだろうか否だったんだろうかと、いまだに我々もこの議論の整理がつかないままに現在に至っているわけでございますが、このあたり、齊藤参考人の専門分野ではないかもしれませんが、ちょうどきょうのテーマに関連するものだと思いますので、御意見をお聞かせいただければありがたいと思います。

齊藤参考人 東京裁判についてということでございますけれども、これは大変難しい問題で、私の理解の範囲では御質問に十分お答えできないところもあろうかと思うんですけれども。

 ただ、ポツダム宣言の受諾から始まりまして東京裁判などにつきましては、いわば空前絶後の出来事であったわけでございまして、それまでの国際法上の理論でも十分に説明できない部分がございましょうし、その後類例が繰り返されているというわけでもございませんので、比較検討が可能な場面も少ないところがございますので、恐らく、国際法学上も憲法学上もなかなかこれといった一般的な説明がしにくい面はあろうかと思います。

 ただ、例えばポツダム宣言の受諾などに関して申しますと、あれも事実上の力の優劣でいいますと非常に大きな差があったわけでございますけれども、ただ、国際法の一般的な考え方でいいますと、例えば休戦とか講和の条約の場合には、事実上、力の優劣が歴然としているということが通常でございまして、そのことによって直ちに国際法上の効力が左右されるということはないというふうに考えております。

 例えば、条約を締結に行った代表者個人に対して、その身体や安全等に対して危害が加えられるとか脅迫がなされるということがあれば別ですけれども、国家の間に力の差があるということは、これはしばしばあることでございますので、そのことだけでポツダム宣言の受諾のようなものが条約としては考えられないということにはならないというのが一般的な考え方かと思います。

 さらに進んで、東京裁判というものについて、これを国際法上、国内法上どう評価するかということにつきましては、私もちょっとまだ勉強不足でわかりませんので、これから検討させていただきたいと思います。

小野小委員 それでは、最後の御質問になろうかと思いますが、先ほども憲法裁判所の問題に少しお触れになられましたが、日本の現状に照らし合わせる中で、齊藤参考人の個人的見解といたしまして、憲法裁判所というのは設けられるべきものであるというような御見解でございましょうか。それとも、その他のお考えがありましたら、お聞かせいただきたいと思います。

齊藤参考人 憲法裁判所との関係で御質問でございますが、きょうの陳述の内容との関連で申し述べますと、憲法裁判所をつくった場合に、憲法裁判所に訴えることができる条件として憲法違反だけということになりますと、本日も申し上げましたように、国際人権条約違反を理由としては憲法裁判所に訴え出ることができないという問題が発生いたします。これは、実際にドイツなどでも問題があったところでございます。

 これは、いろいろな解釈等によってその問題をクリアしようということがなされているわけですけれども、実際に今、日本の最高裁判所でも憲法違反に絞り込むということで、民事訴訟法の改正を行った結果、似たような状況になっておりますので、もし仮に憲法裁判所といったものが考えられる場合には、そういった従来の問題点等においても考慮が必要かというふうに考えております。

小野小委員 どうもありがとうございました。

保岡小委員長 次に、武正公一君。

武正小委員 民主党の武正公一でございます。

 齊藤参考人にまずお伺いをしたいのが、条約は国内法に優先するという学説についてでありますが、今、政府もこういった考え方に立っているように見受けられております。ただ、いろいろこれは、留意する点あるいは条件があるのではないかというふうに考えております。

 というのも、今、日本国政府が未批准の条約が二百六十以上あり、そして、署名しながら未批准の条約が、昨年十一月末現在、十二あるということでございまして、先ほど来触れられております国際人権規約、B規約の第一選択議定書もその未批准の条約の一つでもあります。人権関連の条約が未批准ではないかという指摘を我が党もしておりますところでありますが、この二百六十以上の内訳を見ますと、特に八十三条約がILO条約関係といったことも非常に際立った特徴かなというふうに思っております。

 そういった意味では、すなわち、政府が国内法整備をしたくない条約は未批准のまま放置しているのではないかという疑い、あるいは、条約が未批准だから国内法は未整備でいいという言いわけにされる可能性がある。

 これについて、まず参考人の御意見を伺いたいと思います。

齊藤参考人 国際条約が法律に優位するということの第一の意味合いといたしましては、御指摘のように、法律の整備のためのインセンティブになるということがございまして、法律の整備が十分ではなかったりした場合、あるいは漏れがあった場合に、裁判所でそれが国内実施の問題となるというような手順かというふうに存じます。その意味では、条約の締結といったことが法律の整備にもたらす意味というのは非常に大きいというふうに考えられます。

 ただ、その際に、法律との整合性の問題で条約の締結をちゅうちょする。これは、法律といいますよりも憲法との関係で、例えば人種差別撤廃条約の批准が非常に遅かったというのは、憲法の表現の自由との関係であるということがしばしば指摘されていますし、そういったことはあろうかと思います。

 具体的に個々の、御指摘のような例えばILO関係の条約との関係で、国内の法律整備の進捗状況に合わせて条約の批准をおくらせたり考えたりしているのかどうかということについては、私もその点はよく存じません。

武正小委員 私の考えとすれば、やはり条約が国内法に優先する条件として、あるいは留保として、政府が条約の批准、未批准を、こういった言い方がいいのかどうかわかりませんが、恣意的に利用することがないようにというのが、条約が国内法に優先する前提条件というふうに私は考えております。これについては、参考人、今、御意見はちょっと難しいというお答えだったというふうに思います。

 ちょうど今国会でも、外務委員会でサイバー条約という条約の審議がありまして、これは衆議院を可決して参議院に送られておりますが、これも、これまでサイバー条約はわずか四カ国しか批准をしていない、日本が批准をすると五カ国になって、やっと発効するという代物でございまして、なぜここまで急がなければならないのかといったことが、やはり委員会でも議論になりました。また、今国会でも、電波法改正や有線電気通信法の改正など関連法案の諸整備が、一挙にそれぞれの委員会で同時並行で行われております。

 そういった中で、条約の中で、条約は署名をしてきて国会にそれを付議をするわけですが、何を留保するか、何を留保しないかというのは政府の方に決定権がある。だから、審議の中で、じゃ、これを留保しましょう、留保しませんというのは言いませんというようなことで、審議に供せられております。

 これが果たして本当に、条約は国内法に優先するというか、あるいは、条約締結は政府の専権事項である、国会は事前事後の承認ということでありますが、その留保、未留保、こういったことも政府のみに決定権があるんだ。これは、参考人として、こういったことをもう御存じなのかどうか。あるいは、これについて、私は、国会の審議ということに関して言うと、条約の承認に関して、国民を代表した国会の意を条約の、特に留保条件、何を留保するかしないかについてはなかなか影響が与えられない、こういったところが条約の問題点としてあると思うんですが、これについてどのように考えるか、お伺いします。

齊藤参考人 ただいまの、条約の承認の際に留保を国会で新たにつける、あるいは政府の原案にある留保を削るといったようなことが可能かということでございますけれども、従来は確かに御指摘のように、政府見解としては、国会が留保を付したり、留保を外したり、あるいは修正をつけ加えることはできないという立場をとっておりましたが、これは、国会の立法府としての権限を考えますと、必ずしも正しくないというふうに考えられます。

 かつての二国間条約のように、政府が相手国と交渉してきまして条文を詰めてきて、それで国会に承認を諮っているという場合は、国会で留保を新たにふやしましたり修正をいたしましたりしますと、相手国とまた一から交渉をし直すということになってしまいますので、こういった場合に留保や修正ができないということは一つ理由があり得ますけれども、例えば、既に国際会議等で文書がつくられている多国間条約の場合、これは、日本国が留保をつけるとかなんとかということによって条約の本文自体が変更されるということではありませんので、実際にその留保を付すことによって、まさに国内で法律に優位する効力を持って適用される規範の範囲、あるいは適用される規範の内容といったものが変化を来たすわけで、実質的には立法にかかわる問題かと考えられます。

 こういったことについて、つまり、御指摘のような、留保をふやす、あるいは、政府が留保しようと提案しているところについて、留保せずに国内法の整備を図るべきではないかというふうに提案するというようなことは、国会の権限の範囲内として考えられるというふうに思います。

武正小委員 これはまた国会の審議のあり方にもかかわってくるんですが、実は、条約というのは非常に複雑多岐な分野にわたっておりまして、今、国会では、衆議院の場合は外務委員会でその審議を行うんですけれども、関連する委員会が非常に多岐に及ぶ。ただ、外務委員会だけで審議をしておりますので、それも、条約が三つ四つ五つ、同時に審議をするようなやり方をとっておりまして、実際にこのやり方がどうなのかといったことも議論があるところでございます。

 そういった意味では、条約について、例えば連合審査が必要であるとか、やはり条約は一つ一つ丁寧にやるべきだ、そういった意味での、国会の立法府としての条約審議のあり方、これについてはまだまだ工夫が必要ではないかというふうに言われておるんですが、参考人、このことについて何か御意見がありますか。

齊藤参考人 今の国会の御審議の実際につきましては、これは私が申し述べるのも何か釈迦に説法なことになりますけれども、御指摘のように、仮に条約の審議といったものが、複数のものを一括して行うですとか、実際に内容について逐条審査を余り精密に行わないという形でなされるといたしますと、それによって承認された条約が、国内ではその後、法律よりも優位する効力を持って、しかも、国会が後から法律をつくってもそれに打ちかつ力を持ってしまうわけですから、先ほどレジュメで言いましたような逆転現象が強くなってしまうという問題がございますので、国会での審議というものは、具体的にどのような方策があるのかというのは私もよくわかりませんけれども、御指摘のような点は十分考慮していただく必要があろうかと存じます。

武正小委員 今度は条約と憲法との関係ですが、戦後、いわゆる条約優位説、そして、東西冷戦の進行、サンフランシスコ平和条約、日米安保条約を軸とする西側陣営入りで憲法優位説、これは憲法調査会事務局作成基礎的資料十五ページに書かれていることであります。

 今回、イラク開戦に当たって、首相が、日米同盟、国際協調の両立と申しました。そして、ある面、国連は助けてくれますか、アメリカは助けてくれるんですというような言い方をしておりましたところ、今回、アメリカ大統領の発言もあり、やはり国連中心だということで、首相の発言も、やはり国連中心だ、米英占領当局、CPAではなかなか難しかろうというような形で、ある面、政治的リーダーシップがぶれるということが見受けられております。

 すなわち、これはやはり、日米同盟の根拠となる日米安全保障条約、二国間の条約と多国間の条約、あるいは日米同盟と国際協調といったことでの、どちらが優位なのか、こういったことが問われているのが今イラクをめぐる現状だと思いますが、この点についてのお考えをお聞かせください。

齊藤参考人 今の御質問は、日米同盟と国際連合とどちらを優先的に考えるかというような御趣旨でよろしかったでしょうか。

武正小委員 国際協調でございます。

齊藤参考人 もしかすると、御質問の御趣旨から多少離れるかもしれませんけれども、国際協調あるいは国際協調主義という言葉が一般にも用いられていると思いますし、日本国憲法の、例えば前文ですとか第九十八条第二項の説明としても、国際協調主義あるいは国際協和主義といったものが憲法学の基本的な文献などでもしばしば使われるのでございますけれども、ただ、日本国憲法自身は、国際協調という言葉はその文字どおりには用いておりませんし、憲法第九十八条も、条約を遵守するということを言っているわけであって、どのような国際活動を行うかといったことを国際協調主義といったようなタイトルで掲げているわけではございません。

 国際協調主義という言葉が憲法学説上出てくるのは、当初の条約優位説が言っていた国際主義といったものが余りにも漠然としているということで、これを明確化するというような趣旨で言われていた部分もあるのかなと思いますけれども、ただ、その内容が多少漠然としていて、憲法九十八条が定めている国際法規あるいは条約を遵守するということよりは多少不明確な部分を含んでしまう部分があるのではないかというふうに考えております。

 もちろん、そういう憲法学上の問題とは別に、日本国の政策としてどのような形で国際社会に協調、協力していくかということは、これは政策の問題でございまして、憲法解釈の問題とはまたちょっと趣を異にするかなというふうに考えております。

武正小委員 ありがとうございました。

保岡小委員長 次に、赤松正雄君。

赤松(正)小委員 公明党の赤松正雄でございます。

 齊藤参考人には、大変にありがとうございました。

 先ほど、冒頭で御説明いただいたレジュメの中から二点、さらにもう少し説明を加えていただければありがたいなという箇所がございます。といいますのは、事務局からいただいた「国法体系における憲法と条約」、齊藤先生のお書きになられた本の中で二点、レジュメの部分のさらに一層詳しくお聞きしたいこととの関連がございます。

 一つは、レジュメの三ページの真ん中にあります「「条件つき憲法優位説」と「条約分類論」」というところの中に、「政府見解」として、「確立された国際法規」、それから「一国の安危にかかわるような問題に関する件」、「二国間の政治的、経済的な条約」、この三つに関する政府見解が出ているわけですけれども、これにかかわる、齊藤参考人の書かれている書物の中で確認をさせていただきたいと思うのは、この書物の五十ページであります。

 金森国務大臣が、条約に関する部分は学問によって発達すべき部分が非常に多い、学問で十分ひとつ内容をはっきりさせてほしいというようなことを言ったというくだりがあって、今申し上げたところは三十三ページです。五十ページにおいて、政府見解は条約分類論を展開したんだけれども、憲法施行後の政府見解の分類の内容について、多国間条約あるいは国際人権条約も言及されていないし、国際機構に関する問題にも触れていないということで、金森答弁が学説及び実務に対して期待した発展の要請を満たしているとは評しがたい、こういうくだりがあります。

 この政府見解、三つの見解については、国際法優先、条約優先、憲法優先と分類した上での政府見解を明確に述べてありますが、このときに想定されていなかった、その後に出てきた多国間条約、国際人権条約あるいは国際機構に関する、触れていないということについての現在の学説上の考え方を手短に教えていただきたいと思います。

齊藤参考人 御指摘のとおり、金森国務大臣の答弁を見ますと、九十八条二項のやや抽象的とも思われる書き方というのは、その後のいろいろな可能性を埋めていくという用意なのであるというふうに考えられるわけですけれども、政府見解は、今御指摘のような三種類を提示したというところにとどまっていようか、明確に出した形ではこういう形だろうと思います。

 学説の方でも、近年になりまして、条約はいろいろ種類があるので分類を考えなければいけないという見解が多少出てきておりまして、その中でも、お読みいただいてありがとうございます、私の本に書きましたように、多国間の条約であるとか、特に国際人権条約といったものについては多少扱いを考えるべきではないかといった見解が出ておりますけれども、まだ、大きな力を持つといいましょうか、通説的と言い得るほどには至っていないかなというふうに考えます。

赤松(正)小委員 次に、レジュメの六ページでありますけれども、「最高裁判所への上訴の方法」というところで、一、二、三、三つに分けて、「国際人権条約違反を理由とする最高裁への上訴の封鎖」、また「最高裁が関与しないことへの疑問」、「下級裁判所による条約の瑕疵ある適用または無視の統制」ということで、先ほど、非常に大事なことであるという御説明をるるいただいたんですが、これも、齊藤参考人の御著作の四百六ページの中にあるところで、ちょっと私自身も理解が足らないところがあるので、説明をいただきたいんです。

 齊藤参考人の本、読むのに大分苦労いたしましたけれども、四百六ページに、唯一私が感動した文学的表現に近いところがあるんですけれども、「最高裁判所は、未だ無意識の揺れの中にある」、こう書いてある。このくだりにいたく感動いたしましたけれども、この「最高裁判所は、未だ無意識の揺れの中にあると考えられる」「憲法第九八条第二項による方途は、最高裁判所によっても未だ完全には閉ざされていないと解することができるであろう。」というこの表現と、それから、レジュメの六ページの、ずっと流れてきて、「最高裁判所は監視すべきではないか。」というこの結論との関係というのは、どういうふうに理解すればよろしいんでしょうか。

齊藤参考人 拙著の大変悪文のところをお読みいただきましてありがとうございます。また、大変な読書家の先生にお褒めをいただきまして大変光栄でございます。

 御質問のところでございますけれども、この無意識の揺れ云々ということを書きました時点といいますか、ここで問題になっている判決の当時には、まだ、民事訴訟法上、上告が最高裁判所へはできた。法令違背、法令に反するということで上告ができました。その段階で、条約の違反が憲法九十八条二項違反であるという形をとって上訴をするという当事者が幾つかいたわけですけれども、その場合の最高裁判所の対応といたしましては、中身に入って条約違反ではないと判断する場合もありましたし、それは単なる法令違背にすぎないといって退けてしまう場合もありました。

 無意識の揺れ云々と言いましたのは、実際に起こっているものを見ますと、取り上げられて簡単ではあるけれども判断した場合もあるし、十分に取り上げられなかった場合もある。それが、最高裁判所が何か上訴のあり方との関係で意識をして理論的に分類をしていたというよりは、多少、その上告をする側の上告理由の書き方などにもよって対応が分かれていったということかなと思いまして、そのような表現をしているところでございます。

赤松(正)小委員 ありがとうございました。

 最後にいたしますけれども、ちょっと少し角度が違うというか、先生の直接の御専門ではないかもしれませんが、さっき武正委員からも出ましたイラクの問題に関することなんです。

 今回、イラクに自衛隊を派遣するという政治的決断を小泉総理大臣がしたときの根拠に憲法前文を挙げられたと記憶をするわけです。憲法前文を挙げて、もちろん、先ほど武正委員が言われたような、それに付随するさまざまなこともあるわけですけれども、集約的に、根拠は憲法の前文であった、そんなふうに思うわけですが、憲法前文に制約されるがゆえに、イラク・サマワにおけるところの人道復興支援ということに限定した形で自衛隊を出した、こんなふうに私は理解しているわけです。

 今、この一年ぐらいの間の中でこういう議論があります、ある一部の学者から。つまり、国際テロという、近過去において想定されなかったというか、自由と民主主義社会というものに対する大変な挑戦をする動きというものがある国際テロと大量破壊兵器が結びつく、こういう事態が今の地上の秩序を乱すということを防ぐために、対テロ防衛同盟という、国際テロに対する多国間の防衛を図るための条約を仮につくるということによって、対テロ防衛同盟条約をつくることによって、言ってみれば、憲法の九条の制約というか、直接的にかかわってこないんですけれども、憲法上この九条というものが想定する制約というものを脱却することができる。

 つまり、対テロ防衛同盟条約を結ぶ、そういう多国間条約を結ぶことによって、いわゆる近過去の国際法が想定していなかった事態に対して日本のあるべき責務というものを果たすという、それは、決して今の憲法が禁じているような、そういう武力行使をするという意味ではないんですけれども、直接的にそこに結びつくわけではないんですけれども、もう少し、いわば行動の自由というか、新しい事態における対テロ防衛同盟というものに、国際社会における多国間の条約という中で役割を果たしていくということができる。

 そうすることによって、それは憲法九条とは違う次元で、日本の役割、つまり、憲法改正をしなくても、その条約をそういう形でつくって、条約を結ぶことによって新しい日本の役割というものを果たすことができるということを主張する論者がいる、学者がいるんですけれども、それについて、憲法と条約の関係から齊藤参考人はどのようにお考えになるか、お考えを聞かせていただきたいと思います。

齊藤参考人 ただいま御指摘の対テロ防衛同盟条約といったようなものが、その名称のいかんにかかわらず、実質的な内容において、御指摘のように、武力行使をするものではなく、その意味で憲法第九条と全く異なる次元といいますか、憲法第九条が対象としている問題とかかわらないということであれば、これは当然に憲法第九条違反という問題はそもそも発生しないわけでございますし、対テロ防衛同盟条約という名称であったとしても、そこで盛り込まれている内容が、憲法第九条が問題としておりますような武力行使に係る内容を含むものであれば、それはもちろん従来の、例えば集団安保にかかわるような問題と議論は同じようになるだろうというふうに考えます。

赤松(正)小委員 ありがとうございました。終わります。

保岡小委員長 次に、塩川鉄也君。

塩川小委員 日本共産党の塩川鉄也でございます。

 きょうは、齊藤参考人に貴重な御意見をいただきまして、本当にありがとうございます。

 私は、憲法第九十八条二項のそもそもの意義について最初にお伺いしたいと思っております。九十八条の二項は、九条や前文とあわせて読み取ることが重要ではないかと考えます。九条で、戦争放棄とともに軍事力をも放棄する徹底した平和主義の立場をとり、前文では「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と国際協調の立場を明らかにして、九十八条二項でそれを具体的に表現したという点に大事な意味があると思います。

 そこでお聞きしますが、参考人は、この九十八条二項の意義について、特に、日本の過去の歴史問題も含めてどのようにお考えか、お示しいただければと思っております。

齊藤参考人 ただいま御指摘がありました、憲法九十八条第二項を、憲法のそのほかの条文、もちろん前文も含めまして、こういったものとあわせて読み取るべきではないかということにつきましては、私も基本的にそういう考え方を持っておりまして、御指摘のような前文、九条のほかにも、先ほど陳述の中でも申し述べましたように、日本国憲法の中には国際主義と評し得るような条文が多々ございまして、こういった条文の基礎にあるといいましょうか基底にあるような日本国憲法の考え方といったものを背景に置いて、九十八条二項の条文がどこまでのことを求めるかということを考えていくということは重要であろうというふうに考えております。

塩川小委員 特に、条約を無視して起こした過去の侵略戦争との関係で、私、この反省から生まれたという意味で、九十八条二項に大きな意味があるというふうに感じております。

 参考人から、砂川事件の判例を挙げて、条約も違憲審査権の対象となることが認められているとのお話がありました。九十八条二項の意義を九条、前文とあわせて理解するときに、日米安保条約の憲法適合性というのがやはり問題になると思います。日米安保条約の違憲判断について、私自身は砂川事件の一審判決を支持する立場ですけれども、全体としては、司法は積極的ではない立場ですが、学界ではどんな論議が行われているのか、この点についてお聞かせいただけますか。

齊藤参考人 一つ目の、侵略戦争等と言われた過去あるいはその反省ということと九十八条二項の関係でございますけれども、最初の方でも申しましたように、戦後初期のころの憲法学説、例えば宮沢俊義先生などの書かれたものを見ましても、九十八条二項を考える際に、戦前に日本が条約違反をしたということを国際社会から批判を受けた、そのことの反省が九十八条の二項のベースにあるということが書かれております。

 ただ、条約優位説は、そのことから、であるから直ちに全部の条約を憲法に抵触しても守らなければいけないというふうに帰結をしてしまったわけですけれども、条約にもいろいろ種類がございますので、一律に全部憲法より優位だと言ってしまうことは難しいところがありまして、そこは丁寧に分類をして考えていかなければいけないだろうというのが私の陳述の趣旨でございます。

 二つ目の、砂川事件のことでございますけれども、これはもう先生御指摘のようなことでございまして、憲法学説上の議論ということでございますけれども、これも陳述で申し述べましたように、砂川事件の違憲審査のあり方としては、御承知のような形で、裁判所としては積極的に判断をしない、政府、国会、あるいは最終的には国民の判断にゆだねるという態度をとったわけでございますけれども、ただ、注意が必要なのは、砂川事件の最高裁判決でよく引かれます「一見極めて明白に」という部分だけではなくて、その前後を、御承知のとおり読んでみますと、かなり踏み込んで詳細に判断をしておりますので、その点には多少注意が必要かなというふうには思っております。

塩川小委員 次に、齊藤参考人から、憲法規定と国際人権条約の規定との関係について、幾つかの類型に基づいての御説明がありました。

 日本国憲法の場合に、他国の憲法と比べても人権規定は大変内容が豊富だと言われておりますけれども、その際、国際機関が国際人権規約や人権条約をつくる際に、この日本国憲法が与えた影響というものがどのぐらいあるのか否か、その辺について、御認識、御見解があれば教えていただけますでしょうか。

齊藤参考人 国際人権条約の成立に際して日本国憲法の側が与えた影響という御質問かと思いますけれども、これは、国際人権条約それぞれ多種ある中で、それの制定過程といいますか、準備作業というふうに言われますけれども、それをつぶさに私も分析をしたわけではございませんので、どこにどういうようなことがあったかということは詳細には存じませんし、ただ、見ていけば、直接には日本国憲法がここにこう影響したということがなくても、日本国憲法が享有する立憲主義の考え方といったものが、同じ考え方を享有する国家によってそこへ反映されているという面はあろうかというふうには思います。

塩川小委員 二十五条の生存権のところで、国の責務など非常に積極的な値打ちというのは、広い普遍的な意味があるのではないかなというように私自身は感じております。

 そこで、日本国憲法には豊富な人権規定がありながら、日本は国連の機関から人権保障の状況に対して改善を求める勧告をたびたび受けております。

 例えば、公務員制度改革にかかわって、一昨年の十一月に、結社の自由委員会から、政府は公務員の労働基本権に対する現行の制約を維持するとの考えを再考すべきであるとの勧告も出されておりますし、これは、憲法二十八条には勤労者の権利を定めておりますので、この勧告は当然のものだと考えます。

 また、婚外子差別については、九三年にもその規定を削除すべきという勧告を受けておりますけれども、重ねて、ことしの一月には、子どもの権利委員会からも、婚外子に対するあらゆる差別を廃絶するために国内法を改正することとの勧告が出されています。これも憲法十四条の法のもとの平等から見れば当然のことだと考えます。

 これらは、憲法に定めがありながら、下位法によって制限されたり差別されたりという現状であります。

 そこで、内政に干渉しないという立場から、法的拘束力のない勧告という形式をとっていると思うわけですが、この国際機関からの指摘そのものは大変重いと考えます。こういう勧告を受けた場合に、政府としてはどういう努力が求められるか、その点についてのお考えをお聞かせください。

齊藤参考人 一つ目の、先ほどの御質問にお答えが不十分だった点でございますけれども、憲法二十五条といったものの御指摘があったわけでございます。二十五条のような社会権、生存権の規定は、日本国憲法の一つの特色でございますけれども、国際社会ではあのタイプの憲法規定を持っていない国もございますし、人権条約の規定の中でもなかなかないところがあって、ただ、人権条約の中で、生命についての権利、生命権などが規定にあるものがありまして、その生命権の解釈の中に、日本でいえば生存権に当たるような内容を読み込んでいこうという議論がありまして、あるいはそこに一定の影響があるということが言えるかもしれないということは、今伺いながらちらっと考えました。

 それから、次の日本国憲法の人権規定は豊富なはずではないかという点なんでございますけれども、確かに豊富に人権規定がそろっているということは言えますでしょうし、国際人権条約に入っているようなものは、憲法条文はかなりシンプルでございますので、明示的に書かれてはいなくても、解釈で導くことができるんだというのも多くの学説が言うところでございます。ただし、それでも、例えば自由権規約と日本国憲法の条文を比べてみますと、自由権規約の方がかなり詳細に定めている部分がございますし、日本国憲法にはそもそも入っていないというような条文もございます。

 あちらの方が二十年ほど新しくできておりますので、その分の新しい発展の部分もありますので、日本国憲法が豊富で、それで十分だというのは必ずしもどうかなという気がいたします。

 三つ目の国際機関、その条約の監視機関等から勧告を受けた場合ということでございます。実は、ヨーロッパ人権条約に加盟している国でも、人権裁判所とか人権委員会の管轄のもとになかった、裁判権を受け入れていなかった時代などは、やはり今の日本と同じように、自分の国には憲法の規定が整っているから憲法だけで十分だ、憲法の人権保障を十全にしておれば人権条約の方も同時に要求が満たされるというふうに考えている国々が少なくなかったわけですけれども、実際にヨーロッパ人権裁判所から条約違反の判決を受けますと、それで大変だということになりまして、憲法裁判所も何か対応を考えるとか、学説上もいろいろ対応が考えられるといったことがございます。

 日本はまだそういう国際機関、条約機関から、特に裁判所というような形で条約違反の判決を受けるという機会がありませんので、その意味ではまだ憲法だけで大丈夫ということでいられるのかもしれませんけれども、いつまでも国際機関、そういう条約機関の管轄権を受け入れずにいられるかということは問題でございますので、その段階では、いろいろ条約機関が勧告を出す段階で対応していくということは御指摘のとおり非常に重要だろうと思います。

 国際機関でもかつては、政府報告の結果であるとかいろいろな勧告について、その後の国内でそれがどれだけ実際に実現されたかということの監視が不十分ではないかという指摘があったわけですけれども、最近は、いろいろな機関でフォローアップの制度をつくって、本当に事後に措置をとっているかということを細かく監視していくというシステムをつくる方向にございますので、これも、もちろんそれぞれの条約の機関、条約の定めている仕組みによって差はございますけれども、いつまでも、勧告が出たからそれだけということでは済まないということかと思います。

塩川小委員 ありがとうございました。

保岡小委員長 次に、土井たか子君。

土井小委員 きょうは、先生、どうもありがとうございました。

 憲法と条約を統一的な法体系とする一元論の立場で、条約優位であるか憲法優位であるかという問題が常に問題視されてまいりました。

 実は、私は一元論の立場をとって今まで考えてきたことがないものですから、したがって、これは少し、いずれが優位であるかという問題をここで取り上げるということを横に置いておいて、基本的なことについて、二、三、先生のお考えをぜひ承りたいと思うのでございます。

 その一つは、まずもって、これは条約と言われている中身なんですが、必ずしも条約と呼称されるものに限らないで、広く、協定も、議定書も、約定も、それから憲章も、協約も、そして覚書も、取極も、それからさらには宣言という名称も、これは用いられているものを指して、広義に解した場合には条約というふうに呼ばれていると思いますが、それはそれでよろしゅうございますか。(齊藤参考人「はい」と呼ぶ)

 そうすると、必ず国会の承認が締結する際には必要なんですね、条約に対して。事前に、あるいは時宜によっては事後に必要なんですね。それで、この国会の承認を必要としている……

保岡小委員長 発言を求めてください、大事なところですので。

齊藤参考人 はい。済みません。

土井小委員 それで、事前に、あるいは時宜によっては事後に必要とする国会承認の対象になる条約の問題になってくると、これは必ずしも国会承認を、いずれも、先ほど申し上げた名称で取り交わしを既にしている、署名もしている、すべての条約に対して国会の承認を必要とするという取り扱いが今までにないんですね。それで、それがどうなっているかというのが、先ほどおっしゃっていた外務委員会でも随分長い間問題視されてまいりまして、先生御存じのとおりなんです。

 これは、実は昭和で言うと四十九年ですから随分古い話になりますが、二月の衆議院の外務委員会で当時の大平外務大臣が答弁をされまして、いわゆる大平三原則で整理していくという受けとめ方というのが今まで一般的となって、国会の場所では、条約の承認を必要とする条約という、中身としては大平三原則が常に問題視されてきたわけでございます。

 この大平三原則を見ていくと、いずれの条約が国会で承認を必要とするか、いずれの条約が国会承認を必要としないかという決め方は、この三原則に従って、行政サイド、つまり内閣がこれに対して取捨選択をするということに相なるわけで、国会が決定するということにはならないわけなんですね。したがって、これは本来は国会が決定することではないのかというふうに私は思うわけでございますが、つまり、承認を必要としている条約であるかどうかということですね、中身についても。いかがでしょうか。

齊藤参考人 先ほど途中で思わずうなずいてしまいましたけれども、条約というものがそのタイトル、名称にかかわらず実質的に判断される、いわゆる実質的意味の条約である、国際法のレベルでは、条約というのは名前にかかわらずその中身で判断するんだということは御指摘のとおりでございます。

 その上で、その実質的意味の条約、非常に広い意味での条約のうち、国会の承認を要するものを日本国憲法上は通常、国会承認条約という名前で呼びまして、それ以外のものを行政取り決めあるいは行政協定ということで、これは政府限りで締結することができる。憲法の条文で言いますと、七十三条第二号に基づいて政府限りで締結ができるという扱いを行っておりまして、その両者の分類につきましても、今御指摘のとおり、いわゆる大平三原則というものでやっているということでございます。

 その分類分けということでございますけれども、議会の承認等を要する条約というものと、それから政府限りで締結をできる行政協定という二種類に分けるというのは、これは別に日本国独自のものではございませんで、アメリカでもドイツでもあることでございます。

 実際上の必要を考えましても、例えば法律と政令、省令の関係のように、一々国会の御承認をいただかなくても、既にある条約を前提として実施できるもの等もございますので、そういったものについて政府限りで締結をするということは合理的な部分があろうかと思います。

 ただ、その分類分け、どこで線を引くかというのは、確かに御指摘のとおり難しい問題が多々発生するわけでございます。これも御承知のとおり、例えば旧安保のときは、行政協定として国会承認が要らないのか要るのかということで御議論があったと思いますけれども、その後、地位協定については、そのときの議論を踏まえて国会承認を経るという手続がされていると存じますし、その後、例えば本体の条約の実施措置を定める附属の行政協定等については、恐らく参考資料か何かの形で本体の条約と一緒に、直接承認の対象とはならなくても、提出されているように存じます。

 一律にここだという基準を明確に示すというのは難しいと思いますけれども、そのようなあたりで従来行われているのではないかというふうに思います。

土井小委員 先生おっしゃるとおり、これはまことに微妙で難しい問題だと思うんですけれども、しかし、少なくとも憲法の第九十八条から考えますと、憲法を国の最高法規と規定した上で締結した条約に対しては誠実に遵守するということを求めているわけですから、この文脈から考えますと、政府間で取り交わしてきたガイドライン、指針やあるいは今先生おっしゃるような行政協定等々について、条約と同等あるいは条約以上の重点を置いて行政を行うということは正しい行政のあり方ではないと思うんですね。だから、国のあり方に影響する重要な国際的行政措置というのは、新たな条約の締結という形をとるということが大事なので、いわば既存の条約があるならばそれの改正という形をとるということが当然必要なのではないかということが考えられるわけです。

 今私が申し上げたように、ガイドラインや行政協定などが、ただいまの現状でもそうです、条約と同等あるいは条約以上の重点を置くような取り扱い方が立法上もそのうちなされるということが続々と出てまいっておりますから、したがって、これは本来、行政のあり方からすると好ましくないということが私は言えるのではないかというふうに思っておりますが、いかがでございますか。

齊藤参考人 今の御質問の点を私なりに理解してお答えをいたしますと、一つには、条約を国会の承認を経るために内閣が提出するというのは憲法の仕組みでございますので、これは内閣の側が出すということは崩れないと思うんです。

 ただ、先ほども言いましたように、条約というものが法律に優位する効力を持っていて、さらには、今御指摘のように、条約という形をとらなくても、広い意味で国際的な合意あるいは他国との合意といったものが、非常に強い形で国内の立法を拘束するという場合が最近は多々あろうかと思います。例えば、首脳会談で他国と何か合意をしてきた、そのことによって何か国内法もつくらなければいけないとか、既存の国内法を廃止あるいは改正するという趣旨の約束をされてくるとか。そうなりますと、立法府で何か御審議をする以前に、もうこの法律は改正であるとか廃止であるということが決まってしまうというようなこともなくはないか、そういう可能性もあり得るかというふうに思うわけです。

 そういたしますと、今先生御指摘のような行政協定かというところだけではとどまらずに、もっと広く国会が、政府の対外活動といいますか、外交権あるいは対外権といったものの行使の状況を日ごろからつぶさに監視して、必要な統制をされるということが、今これだけ国際関係が緊密になっている中では非常に重要かというふうに考えるわけです。

土井小委員 今先生おっしゃったことが非常に大事だと私思いますのは、人権に関する国際条約というのが年々ずっと進歩発展してまいっております。それに比べますと、日本の締結するための措置というのが大変に時間をとっているということもありまして、人種差別撤廃条約などは三十年、これはずっと言われ続けてやっと、日本が締約国になるには三十年かかったわけですね。女性差別撤廃条約にしましても、子どもの権利条約にいたしましても、これはやはり先進国とすれば随分おくれた締結の仕方をしております。そして、ILO条約などについては、早く批准するようにという催促をどれほどいたしましてもなかなか遅々として進まないという実情もございます。

 そういうことを考えますと、今最後に先生おっしゃった、国会がこの問題に対してやはり意思表示ということを積極的にどんどんやっていくというのが大変大事なことだというふうに考えております。

 今の人権関係の条約に対して、日本の締結状況というのは余り積極的でないというふうによく言われたりするんですが、どのように先生はごらんになっていらっしゃいますか。

齊藤参考人 確かに、日本国が国際人権条約等について締結している数が少ないですとか、あるいは、締結したものについてもそれまでに非常に時間がかかるという指摘があることはおっしゃるとおりかと思いますけれども、ただ、これも他方で、国際人権条約を締結している数が多ければそれでいいかといいますと、必ずしもそうとは言えないというふうに思います。

 国際人権条約はたくさん結んでいるんだけれども、実際にその国の人権状況がどうかということになるといろいろ問題があるという国も多かろうかと思いますし、日本国の場合締結に時間がかかるというのは、御指摘の例えば人種差別撤廃条約につきましても、日本国憲法の表現の自由との関係が非常に問題となって、それの審査をしていたということでございますので、そういう国内法整備でありますとか国内法の関係というものを余り考えずに、とにかく早く早くというふうに結んでしまうということが果たしていいのかどうかということは、これもまた別途問題があるところでございますので、両方の考慮が必要かとは思いますけれども、確かに、今先生の御指摘のような面もあるいはあろうかというふうには考えます。

保岡小委員長 次に、下村博文君。

下村小委員 自民党の下村博文です。

 きょうは、貴重な機会をありがとうございます。

 参考資料の三十六ページを見ていただきたいと思うんですが、今の最後の質問に関連することから質問させていただきたいと思います。

 今のお話のように、この三十六ページの表のところに国際人権規約があって、社会権規約、A規約、これは日本は一九七九年に批准した。そして自由権規約、こちらの方は一九七九年に批准をしているんですけれども、この自由権規約の選択議定書、これはまだ批准をしていないということで、今、齊藤参考人からお話がありましたように、必ずしも我が国がこの人権について熱心でないということではないというふうに私も思うんですね。しかし、努力をしなければならない部分はたくさんあると思いますが。

 国内法の整備もされていないという部分もあるかと思いますけれども、この自由権規約の選択議定書がまだ批准されていないということの背景について、もうちょっと詳しく齊藤参考人の方からお話をしていただければと思います。

齊藤参考人 自由権規約は二つ選択議定書がございまして、恐らく第一選択議定書の方かと思いますけれども、第一選択議定書は、個人が規約人権委員会に通報できる仕組みを導入するものであることは、御存じのとおりでございます。

 これについて、我が国の批准がおくれている、あるいは批准がまだなされていないといいますか検討中であると言われることの理由として一般に言われていますのが、日本国憲法が定める司法権の独立との関係で問題がある、あるいは問題がある可能性があるということが大きな理由かというふうに思います。その点の詳しくは当局の方に御説明いただくのがよろしいかと思いますけれども、通常、そのような説明がなされているわけです。

 ただ、御承知のとおり、ヨーロッパでは、あれだけの人権裁判所のシステムがつくられて運用しているわけでございまして、まさに日本が今まで憲法学、憲法について比較の対象といいますかお手本としていた国々が、そういう制度を導入していて、司法権の独立が侵害されたという議論が必ずしも行われていないということから考えますと、そのあたりのところは多少どうなのかなという気もいたします。

下村小委員 この人権規約について、例えば、サミュエル・ハンチントンが「文明の衝突」という本の中で、一つは文明、これはその国の宗教観とか歴史観とか、トータル的なそういう文明史観ということの中で、この人権ということについて、考え方なりあるいは思いが必ずしも同じではない、かといって、それが人権無視ということでもないという、一つの文明的な観点からとらえているところもあると思うんですね。

 そういうことから、この人権規約等あるいは選択議定書等の批准をした国との分類の相関関係というのは、ごらんになって分析されたことがあれば、つまり、どういう国が締結をしているのか、していないのか、その文明との違いの中で。そういう観点から見た場合、相関関係があるかどうか、調べたことがあれば、ちょっとお話をしていただければと思うんです。

齊藤参考人 今御指摘の点でございますけれども、これは、締結して批准している国は、それほどはっきり差は出ているかといえば、必ずしもそうではない面も多いかと思います。

 ただ、条約の条文を起草します段階でどのようなことを盛り込むか、あるいはどのような規定かということになった場合に、いろいろな意見が出てきていて、その中に、あるいは今先生の御指摘のような考え方の対立というふうに読める部分もあろうかというふうに思いますけれども、ただ、今手元にそういう正確なデータがございませんので、これ以上細かくはちょっとお答えできません。

下村小委員 端的に申し上げますと、参考資料の三十八ページの最後の行のところですけれども、日本が一九九三年、自由権規約四十条に基づき人権委員会からいろいろと勧告を受けたことがあったと。その中に、死刑廃止への取り組み等があるわけですね。

 これは、死刑廃止の議連もあるわけでありまして、いろいろな方が国会議員でも入っておられますが、実際、世論調査等を見ますと、国民の九割ぐらいの方が、死刑はあっていいのではないか、またあるべきだということで、必ずしも死刑廃止については多くない、非常に少ないと言ってもいいかもしれません。

 これはどういうことかなということを考えると、日本というのは、文明あるいは宗教観ということでとらえますと、そこで死んでもうおしまいということじゃなくて、輪廻転生といいますか、肉体はそこでおしまいかもしれませんけれども魂は永遠だとか、例えばそういう宗教観といいますか、そういうのもかなり影響しているのではないかなというふうに思うわけであります。

 ですから、この死刑廃止への取り組みといっても、実際、九割が賛成しているのを、勧告があるからといってこれに締結をするということは、やはり国民の意識、世論とギャップをかなりしたということにもなるわけであります。

 そういう意味では、日本が人権意識がおくれているというふうにはならないし、また、政府の取り組みが大変に遅いともならないのではないかというふうに思うんですが、そういう観点からコメントがあれば、お答えいただければと思います。

齊藤参考人 御指摘の死刑廃止との関係でございますけれども、死刑あるいは生命観といったものをどう考えるかという難しい問題についてはお許しをいただくとして、しばしば問題になりますことは、自由権規約本体では死刑を禁止しているわけではございませんので、その中でコメントで問題になりますのは、死刑が法定刑として盛り込まれている犯罪の数が日本の場合多いということと、御承知のとおり、その中には本当に死刑をもってすることが必要なのかと思われるようなものもあるのではないかというあたりが問題になっているかと思います。

 そうしますと、死刑といったもの自体については必要である、あるいは死刑について廃止に積極的ではない考えが強いと仮にいたしましても、じゃ、犯罪の中でどれに法定刑死刑を盛り込むかということは、また別途考え得る余地があろうかというふうに思います。

下村小委員 今のことについてもうちょっと詳しくお聞きしたいんですけれども、御承知かと思いますが、あしたは衆議院の法務委員会で裁判員制度について可決をされる予定でございまして、この裁判員制度は、特に、裁判官と一般の市民が無差別で選ばれた中で一緒に裁判を行うということの中で、刑事事件、重大事件、ですから、かなり、死刑にかかわるような事件について、今度、一般の国民が裁判員として参加するということなわけですけれども、今のお話はよくわからなかったところがありますので、もうちょっと詳しくお話をしていただけますでしょうか、先ほどのお答え。

齊藤参考人 失礼しました。

 今ちょっと条文を持っていませんので、正確に挙げることはできませんけれども、刑法の中で法定刑、この犯罪の場合にはどういう刑罰というのが定められているわけですけれども、その中でどういう犯罪をした場合に最高刑として死刑があり得るかということの問題は、死刑を廃止するか存置するかという問題とは別に、どの犯罪について死刑を刑罰として定めるかという問題はあり得るだろうと思うわけです。

 その場合に、例えば、多くの国民が、極めて残虐な強盗殺人でありますとか大量殺人といった場合、これについてはやはり死刑をもってしなければ償うことができないのではないかと考えていたとしても、それよりは軽微な犯罪ですとか人の生命が直接問題にならない可能性がある犯罪について、それについても死刑が定められているということについては、同じように、死刑存置だということになるかどうかというのはまた別の問題ではないかということが先ほどの趣旨でございます。不明確で申しわけありませんでした。

下村小委員 では、終わります。

保岡小委員長 次に、大出彰君。

大出小委員 民主党の大出彰でございます。

 最初は、先生のお話の中にもありますが、法律に対する条約の優位を理由として国内裁判所が法律の適用を排除するということについて、憲法上に明文の根拠規定がなく、先例ないし理論にも頼るべきものがない場合、国内裁判所に法律の条約適合性審査を期待することには限界があるだろう、このようにおっしゃっておられるわけですね。

 このところで、最近、国際法の方の学者さんにお会いしましてお話をしたんですね。どうも裁判所は条約を適用しない傾向にあるという話をしましたんですね、国際人権規約の話だったんですが。そうしたところ、その先生は何とおっしゃるかというと、我々国際法学者は憲法をよく勉強するけれども、憲法学者が国際法を勉強しないことが裁判にも影響している、こんなふうにおっしゃっておりまして、あながちそう言えないこともないのかなと実は感触を得たんですが、その辺の、国際法学者からの、おちょくりかもしれませんが、そういう反応についてどのようにお考えでしょうか。

齊藤参考人 憲法学者が国際法を勉強していないかということについて、私が憲法学者を代表して反論するのも何かおかしな気がいたしますので。

 ただ、そういう面がもし言われるとすれば、今の、法律の条約適合性審査との関係で言いますと、特に国際人権条約と法律が抵触をしているという場合に、確かに条約の方が法律より上にあるわけで、上下関係があるわけですけれども、この上下関係のセットが、憲法と法律の関係と同じというふうに考えられるか、それとも法律と地方自治体の条例の関係と同じと考えるかという問題があろうかと思います。

 どういう趣旨かと申しますと、例えば、法律の場合は、どういう場合にどうということがかなり細かく条文に規定されていると思います。条例についても、この場合にはこうということがかなり細かく規定されている。そうすると、ある場合に、法律に書かれてある内容と条例に書かれている内容が異なっている、どちらを使えばいいのかということになった場合に、法律の方が上ですよということになれば、法律に書かれているとおりにやればいいということになるわけです。

 ところが、憲法と法律の関係で申しますと、憲法の条文は抽象的な書き方をしていまして、憲法を基準として、あるいは憲法に盛り込まれている価値といったようなものに法律が違反していないかどうかということを審査しなければいけないということになるわけです。そういたしますと、もちろん、先ほど言いましたように、裁判所が、立法府がつくった法律について審査をして、場合によってはこれを適用しないということをするわけですから、どれぐらいの厳しさで、どういう形でチェックをするかということを議論を詰めておかないと、これは大変困ることになるわけです。

 先ほどの、憲法学者が国際法を勉強していないということで言いますと、国際人権条約の規定が憲法の人権規定と同じように、そういった裁判で使うためには、いろいろとその審査のための基準ですとか厳格度といったものについて議論を詰めなければいけない。にもかかわらず、実際にはそれがまだ十分に行われていない面がありまして、そういう面で、憲法学の人が、憲法の規定については違憲審査基準ということでいろいろ議論しているけれども、国際人権条約については足らないのではないかということを国際法の先生がそうおっしゃったのであれば、そういう面もあり得るかなというふうには考えます。

大出小委員 しょっぱなそういう話をしたのは、国際人権規約等を見ていて、諸外国もそうなんですが、何でその水準まで諸外国の国内の中で人権が守られないのだろうかと考える方が多いわけですね。そんな中で、なぜこんないい条約があるのに、まだ批准していない国についてはすぐ批准しないのかと思いますし、適用しないのかなと思うわけですね。そして、国際人権規約自体が、条約であれば、セルフエクスキューティングですかのようなことで効力があるんだとすれば、即適用してもいいのではないかと単純に考えるわけなんですよ。

 そして、それと同時に、日本的に言えば、法律よりも条約が上だというのがどうも自明の理として考えているというようなことになると、なぜ適用が遅いのだろうか、こんなふうに考えるんですが、どのような御感想でしょうか。

齊藤参考人 今、お話の後半の方にありましたように、日本の例で申し上げますと、法律よりも条約が優位をしている、上のランクにあるのであるから、条約に違反するような、人権条約に違反するような法律は、裁判所が次々と、これは条約違反であるから適用しないということをすればいいではないかという御指摘ですけれども、本当にそれができるか、あるいはしてもいいのか、その根拠が十分に説明できるかというところが非常に困難な問題で、日本の裁判所がちゅうちょする理由もそこにあろうかと思いますし、先ほど陳述の中で少し申し上げましたフランスの裁判官がちゅうちょをしたというのも、やはりそういったところが背景にあろうかと思います。

 憲法の場合ですと、憲法と法律の関係で、法律の違憲審査をするということになりますと、これは憲法に基づいてやるということで、民主主義に対して立憲主義といったものを持ち出して正当化が何とかできるわけですけれども、条約の場合に、では、条約の条文にどこまで法律にまさるだけの民主的根拠があるのかということを考えていきますと、多少難しい問題にも突き当たる面がございまして、そうすると、裁判官として、立法府がつくった法律を、条約を根拠として簡単に適用しないと判断ができるか、あるいはどれだけできるのかということにはためらいが生じるのも無理がないところはあろうかという趣旨でございます。

大出小委員 そういう話なんですが、例えば、条例と法律を比べたときに、いわゆる条例の方が内容が濃くてというか、広かったりしまして、横出しとか言いますよね、それで認めていくことございますよね。同じように、国際人権規約との関係の中でも、どうも国際人権規約の方が、その国の人権を守ることよりも、普遍的な意味でもっと守っているではないかと思うようなことがあるわけですね。そういうときに、なぜ法律と条例と同じように、横出しでもいいですから、即解釈をしないんだろうか、そんなふうな思いがあるんですが、どうでしょうか。

齊藤参考人 今のお言葉をおかりして言いますと、上乗せ条約あるいは横出し条約というようなものがあった場合に、これを国内的にどう実施をして実現をしていくかということでございますが、これは、もちろん、それに抵触する法律があった場合、法律との関係で、条約の方が上乗せであるとか横出しであるといった場合であれば、これは法律ではカバーされていない部分で、法律と衝突するわけではございませんから、その部分を条約を直接適用するという形で問題の解決はできると思いますし、実際の裁判例でも、法律に規定はないけれども人権条約にはこう書いてあるからという形でその条約の内容を実施している例はございます。ここでは、法律と衝突をして法律を排除するという問題が生じませんので、先ほど言ったような困難な問題には余り行き当たらない。

 もう一つ、今の上乗せ条約、横出し条約といったものが、憲法との関係で、憲法の人権規定との関係で上乗せ、横出しであるという場合、これは、もちろん憲法よりも幅広く、あるいは厚く保障しているわけですから、その内容を直接裁判所で適用すればいいというわけでございますけれども、ただ、先ほど申しましたように、最高裁判所に上訴をする場合に、条約ということを争いとしてはいけないということがありますので、そうなると、上乗せ部分あるいは横出し部分といったものを憲法の規定の中に読み込む、あるいは、読み込む対象の規定が見出せないという場合には九十八条二項を使った方法でいくということが必要ではないかというのが陳述の趣旨でございます。

大出小委員 その辺のことで、いろいろなところで、上訴も可能とするような話が、例えば、憲法の規定と国際人権条約の規定の内容を安易に同一視して、国際人権条約違反の主張について十分な検討を行わない場合には、これを憲法九十八条二項違反として最高裁判所に上訴も可能とすることを考えるものであると、少し前段もありますが、おっしゃっておられるんですが、この場合の、上訴も可能とするというところは、訴訟法上整備をしろ、こういう意味なんですか。

齊藤参考人 もちろん、民事訴訟法なり刑事訴訟法なりを改正して、人権条約違反でも上訴できるようにするというのが恐らく正攻法でしょうし、そうなれば問題がなくなるわけですけれども、そうなされない場合、あるいはそういった改正がなされるまでの間にもいろいろ事件は生じますので、その場合の手当てといいますか、考え方として、憲法を使って考えるというのもあり得るのではないかというのが趣旨でございます。

大出小委員 最後になると思いますが、そのときに、今のようなことで上訴というのもありますが、国際人権規約を最終的に国内に直接適用するという話もなさいましたね。この直接適用というのは、自動執行とは別で直接適用する、こういう意味なんですか。

齊藤参考人 今御指摘の、条約の規定の直接適用可能性、あるいは直接適用という問題と自動執行性あるいは自力執行性、セルフエクスキューティングの訳語ですけれども、これの二つの概念が全く同じものであるか、それぞれに違う意味があるか、あるいは片方が含んでもう片方がそれよりより広いとかいうことの定義につきましては、これは国際法学上も、日本だけではなく、いろいろ複雑な議論がございまして、とても今ここで御説明し尽くすのは困難なんですけれども、一つの考え方としては、これは両方イコールだというふうに考えても説明は成り立つのではないか。

 つまり、裁判所で直ちに、その条約の条文だけを根拠として、その条約の内容を具体化する法律の助けをかりなくても裁判の結論を出すことができるという場合はあるだろうと思われますので、そういう場合の条約の規定を直接適用可能だ、あるいはセルフエクスキューティングだという形で説明することは可能だろうというふうに考えております。

大出小委員 ありがとうございました。

保岡小委員長 次に、森岡正宏君。

森岡小委員 私は、自由民主党の森岡正宏でございます。

 私が最後の質問者になりますので、長くかかりましたけれども、しばらくおつき合いをいただきたいと思います。

 私は、日本国憲法の制定過程にちょっと触れさせていただきたいと思うわけでございますが、ハーグ陸戦条約と日本国憲法との関係ですね。ハーグ陸戦条約の附属規則には、先生御承知のとおり、占領者が占領地の現行法律を尊重すべきということを定めているわけでございます。

 これは、主権国家がみずからの政治的、経済的または文化的システムについて他国の干渉を受けることなく自由に選択する、譲ることのできない権利を保持するという伝統国際法、憲法の自律性というものを確認したものだと思います。

 とすれば、占領軍主導のもとにつくられた現行憲法が、基本原則である国民主権でありますとか、国家主権でありますとか、ひいては伝統的国際法である憲法の自律性というものに反するんじゃないか。つまり、ハーグ陸戦条約違反じゃないかという考え方を持っている人がおりますし、私もそういう考え方に立つわけでございますが、先生のお考えはいかがでございましょうか。

齊藤参考人 日本国憲法が歴史上あのような形で制定をされたということとハーグ陸戦条約の関係、特にハーグ陸戦条約に違反しないのかということでございます。

 この関連では、日本国憲法の制定が明治憲法の改正という手続を踏んで行われたということの事情の一つとして、GHQの側が、新しく憲法をつくり直す、憲法制定会議のようなものをつくってやるということになりますと、ハーグ陸戦条約との関係が心配だというようなことがあったという指摘もあったりするわけですけれども、ただ、私もハーグ陸戦条約については十分勉強しておりませんので、正確なお答えができるかどうかわかりませんけれども、それについては、交戦中の占領時、占領地において占領行政が行われるわけですけれども、その場合の原則を定めているものと理解しておりますので、日本の場合は、戦闘行為が終わっていて、つまり、戦闘中の占領下ではないというふうに考えれば、必ずしもそういう問題ではないのかなというふうにも思われます。

 あるいは、もう一つの説明としては、ハーグ陸戦条約のあのようなものが存在している趣旨としては、戦争中に占領軍が占領地の人々の権利を無視するであるとか、そういったことをしないようにというのが根本的な考え方だとすれば、ポツダム宣言にうたわれたような内容を、日本政府もそれを受諾しているわけですから、それを実施するために行ったということが、根本的な考え方において、ハーグ陸戦条約の根本的な考え方と真っ向から対立するかというと、必ずしもそうではないという説明もあるいは可能かというふうには思っております。

森岡小委員 今おっしゃったポツダム宣言との関係でございますけれども、国民主権をうたっておる日本国憲法が、ポツダム宣言の受諾に基づいて、欽定憲法である大日本帝国憲法の改正手続を用いて制定されていると。そのポツダム宣言という、先ほど土井先生もおっしゃった、宣言だけれども条約、この条約に基づいて主権原理の変更をも伴うような憲法改正が行われたということを考えますと、日本国憲法自体が、先ほど先生がおっしゃっている条約優位説を前提とした憲法だということになりますね。

 ところが、この制定過程は、私はいささか不純なものがあるんじゃないかと思えてしようがないわけでございまして、ポツダム宣言の受諾が国民主権の要求を含むかどうかということは当時疑義があったことだと思います。また、ポツダム宣言がたとえ国民主権の要求を含むものであったとしても、受諾と同時に国内法上の根本改革を生じたと見るには無理がある。また、ポツダム宣言受諾後も占領下で明治憲法が正常に機能していたとは考えられない。にもかかわらず、明治憲法第七十三条の改正手続を用いて憲法改正が行われた。この根拠が薄弱じゃないか。いろいろ疑問点があるわけでございまして、力の優劣、圧倒的なものがあったと思いますけれども、この辺の事情について、先生はどういうふうに考えておられるでしょうか。

齊藤参考人 ポツダム宣言をめぐる問題につきましては、先ほども御質問がございましたけれども、やはり空前絶後の出来事でございまして、この間、国際法の研究者の先生とも少しお話をしたんですけれども、やはりこれを国際法学上どのように説明するかというのは、かなりいろいろ難しいところもあるようでございます。

 今の先生の御質問のすべてに十分お答えすることはできないのですけれども、ただ、本日の陳述の内容との関連で申し上げますと、先生が、ポツダム宣言が今おっしゃったような効果を発揮したのは条約優位説との関係があるのではないかという御指摘が途中であったかと思います。

 ただ、学説上も、ポツダム宣言あるいはそれに関して八月革命説などの説明をする際に、条約優位説ですとか、あるいは国際法優位の一元論が前提になっているという説明がされる場合があるんですけれども、これにつきましては、場合によっては国際法優位の一元論という議論についての混乱ないしは誤解が前提となっている場合もあるように思いますし、国際法優位の一元論ですとか条約優位説といったものを前提としなくても、ポツダム宣言から日本国憲法に至るその過程は説明が可能であろうというふうに考えられる点があろうかと思います。

森岡小委員 ポツダム宣言の受諾に関する日本国政府の申し入れに対しまして、連合国の回答が、いわゆるバーンズ回答、こう言われているわけでございますが、そこで、日本国の最終的な政治形態はポツダム宣言に従い日本国国民が自由に表明する意思により決定されなければならない、こう書いてありました。当然、憲法という国の政治形態を含む基本法の決定というのは、日本国民の自由意思によって決定されなければならない、こう解するのが自然だと思います。

 そのように考えていきますと、占領軍主導によって制定された日本国憲法の正統性はポツダム宣言からも導き出すことができないんじゃないか、私はそう言いたいわけでございますけれども、重ねて先生の御意見を伺いたいと思います。

齊藤参考人 今御指摘のように、日本国憲法の制定過程等を見た場合に、日本国民が自由な意思を持って行ったのではないのではないかと先生のように評価をする余地もありましょうし、そうではなくて、その後の経緯なども考えますと、日本国民はこれを自由に受け入れていたのだというふうに言う余地もあろうかと思いますし、これはどちらも説明は成り立つのではないかというふうに考えております。そのいずれがすぐれているかということについては、今私も用意がございませんし、本日の陳述の内容からも離れますので、そこについては遠慮させていただきます。

森岡小委員 私は、当時、日本国民が日本国憲法についてそのような見識を持っておったとは考えられないわけでございまして、やはり押しつけられた憲法だなというふうに考えているわけでございます。

 もう最後になると思いますけれども、ちょっと今集団的自衛権の問題がございますけれども、国連憲章と日本国憲法との関係におきまして、先ほどの御説明の中で、オランダとかオーストリアでは、国会の承認を求めるとき、国会議員の三分の二の承認を得られるというような、憲法と同じような承認手続をとればその効力が高められるんだというようなお話だったと思いますけれども、今日本では、集団的自衛権について、持っておるけれども行使できないという解釈が行われているわけでございます。

 国連憲章を承認するときに憲法改正と同じような手続をとっておったら、もっと国連憲章そのものの優位性といいますか、日本国憲法に対して優位性が高められる、そのことによって集団的自衛権に対する考え方、政府の考え方も変わってくるのかなと思ったりするわけでございますけれども、その辺について先生はどうお考えでしょうか。

齊藤参考人 ただいまお話にありましたオランダあるいはオーストリアの例でございますけれども、これは憲法優位か条約優位かということを考えます際に、必ずしも、それを一元的にといいますか、二つを割り切って考えられないところがございまして、オランダ、オーストリアというのは、確かに条約優位が認められる場合がある例でございますけれども、ただ、条約優位が認められる場合には、つまり、憲法に抵触する、憲法と衝突する内容がある条約を締結する際には、憲法改正に匹敵するだけの難しい手続を踏まなければいけない。完全に同じではないんですけれども、憲法改正に匹敵する手続を踏まなければいけない。

 その上で条約優位だと言っていますと、条約優位だと言っても憲法を改正したのとほぼ同じことになってしまいますし、あるいは、先ほど最初の方の質問でお答えした中にもございましたけれども、条約を締結する際に憲法と抵触する可能性があると思われるものについては、これはだれが申し立てることができるかというのはいろいろ規定があるわけなんですけれども、憲法裁判所にかけて、憲法裁判所がもしこの条約は憲法と抵触するというふうに判断した場合には、憲法の方を改正しなければ条約を締結できない。

 ではそれで、憲法を改正した場合には憲法と条約の衝突はなくなりますし、以後は国内的には憲法の方が優位すると言えるわけですけれども、憲法改正をしてしまうわけですから、そうなると、憲法優位か条約優位かということでは純粋に割り切れないということになろうかと思います。

 先生の御質問の後半の方のお話に行きまして、日本が国連憲章を結ぶときに、あるいはほかの条約を結ぶときに、オランダやオーストリアと同じように、憲法改正に匹敵する厳重な手続を踏んでおれば条約優位と解することができる場合もあったかということでございますけれども、ただ、オランダ、オーストリアのように、そのようにすれば条約優位になるというような憲法規定があるわけでもありませんし、そのような憲法上の慣行があるというわけでもありませんので、直ちにそうなるかというのは難しいところでございますけれども、ただ、憲法改正と同等の手続を踏むということであれば、そのことについての特別の規定がない日本においては、単純に憲法を改正すればよかったという結論になるかというふうに思います。

森岡小委員 ありがとうございます。終わります。

保岡小委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。

 この際、一言ごあいさつを申し上げます。

 齊藤参考人におかれましては、貴重な御意見をお述べいただき、ありがとうございました。小委員会を代表して、心から御礼を申し上げます。(拍手)

    ―――――――――――――

保岡小委員長 これより、本日の参考人質疑を踏まえて、小委員間の自由討議を行います。

 一回の御発言は、五分以内におまとめいただくこととし、小委員長の指名に基づいて、所属会派及び氏名をあらかじめお述べいただいてからお願いいたします。

 御発言を希望される方は、お手元にあるネームプレートをお立てください。御発言が終わりましたら、戻していただくようお願いいたします。

 発言時間の経過については、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。

 それでは、ただいまから御発言を願いたいと存じます。御発言を希望される方は、ネームプレートをお立てください。

船田小委員 自民党の船田元でございます。

 きょうは憲法と国際法との関係、あるいは条約との関係、非常に複雑な問題でございまして、討議をしろといいましてもなかなか難しい点がありますけれども、私なりの論点整理ということで、三つほどちょっとまとめてみましたので、参考に供したいと思います。

 憲法九十八条の第一項は、憲法は最高法規であるという規定、そして第二項が、これも先ほどもずっと話をしております、国際協調主義に基づいて日本も条約あるいは国際法規についてそれを遵守する必要がある、こういう二つの規定があります。

 過去の、この二つの規定をどう解釈するかという中で、一方では条約優位説、これは戦後すぐの、憲法ができて割と早い段階で条約優位という学説が主流を占めていた、しかし、だんだんと憲法優位説というものになってきた、こんな御指摘がございました。

 現在、政府の解釈によりますと、これは条件つき憲法優位説ということで、その条約の性格、そういうものによって、あるときは憲法が優位する、しかしあるときは条約が優位する場合もある、こういうケース・バイ・ケースの対応ということになっている、そういうこともうかがい知ることができました。

 ただ、やはりこれから憲法の見直しを行う、あるいは新しい憲法をつくっていこうというときには、この若干あいまいな状況というのをそのまま放置しておいたままで憲法の見直しをするというのでは、私は完結しないことであると思っておりまして、やはりその作業のときには、条件つき憲法優位説、これを言葉として出すかどうかは別としましても、そういう解釈が万人によって間違いなくできるようなそういう憲法の規定を設ける、あるいは九十八条に書いてあるような両論併記とは違った形をやはり私は書くべきであるというふうに感じております。

 それから、二番目の指摘といたしましては、先ほど来、国際人権規約を初めとして、各種の人権関係の条約、これが、日本は批准をすることが消極的ではないか、こういった意見が大分出されておりましたが、私は必ずしもそうではないと思っております。

 確かに、批准の項目が多ければ多いほど、それは日本が世界基準に近づいていくわけでありますから、それにこしたことはないのでありますけれども、例えば、国内法との調整がまだできていない、また、国内法がなかなか条約の条文に合わせられない、それを無理してねじ曲げていくということになると、これはやはり日本の行政あるいは政治におけるゆがみを生じる危険性もございます。

 やはり、あくまで日本の国が主体的にこのような人権関係の条約を見て、もちろん恣意的に取捨選択することはこれはよろしくないと思いますけれども、やはり国内の状況、我が国の現状、あるいは、先ほど下村委員からもお話をいただいたような、文化とか文明、そういったものと照らし合わせて、これは大丈夫である、これはいいのではないかというものについて、それはきちんと批准をしていく、あるいは国内法の整備をしていく、こういうことで、あくまで主体性を損なわない形での人権関係条約との調整をやるべきというのが二番目のことであります。

 最後の、憲法と各種人権の条約との関係でございますが、どうも人権条約の方が相対的に日本の憲法よりも広い範囲をカバーしているというふうに感じております。ですから、先ほどの話にもありましたけれども、憲法をこれから見直していくときには、やはりできるだけそのような国際的に認められた人権関係の条約を取り込んでいくということは、努力としては当然必要であると思っております。

 ただ一方で、人権条約、幾つかの中には、例えば差別唱道禁止の条約であるとか、戦争宣伝を禁止する条約であるとか、要するに、日本の憲法における表現の自由というものを制約するような部分も逆に一方ではあるというふうに考えておりまして、それとの調整というのはやはりきちんとすべきである、こう考えております。

 以上でございます。

    〔小委員長退席、森岡小委員長代理着席〕

武正小委員 まず、人権条約に対する日本の対応ということでございますが、先ほど、二百六十以上未批准の条約がある、八十三がILO条約関係という御紹介をいたしましたが、やはり、人権関係の未批准条約は二十七あるといったことを指摘させていただきたいと思います。

 それから、条約と憲法との関係でありますが、戦後すぐにはいわゆる条約優位説であったものが、今は憲法優位説である。やはり今の注目は、日米安保条約と憲法との関係ということだというふうに思います。

 昨年のイラクへの自衛隊派遣をめぐる首相の発言、日米同盟と国際協調の両立を図るんだというようなことが言われておりますし、また外務大臣にも、外交の指針というか、日本外交の二つの柱は何ですかと言うと、第一が日米同盟、第二が国際協調、このように言われるわけであります。

 私は、今の現憲法は、平和主義と国際協調、そして基本的人権の尊重といったことからかんがみますと、今のこの現憲法下における外交、安全保障といったことからいうと、やはり、憲法があって、国際協調があって、そしてその下位の概念に日米安全保障条約がその選択肢の一つとして条約として締結されているということでありますので、あだや日米同盟、国際協調が同じ概念である、同じところに並ぶ概念であるということはないということでありますし、国際協調、日米同盟の上位の概念である、これを当初から言ってきたのでありますが、ここに来て、アメリカ大統領の発言、そして首相の発言ということで、いや、やはり国連中心でありますと。

 こういったところを見ても、やはり、憲法があっての条約、すなわち憲法優位説というものがここに必要である、確かであるといったことの背景もここにあろうかというふうに考えるところでございます。

土井小委員 きょうのこの問題は、まず入り口のところで、憲法が優位か条約が優位かという問題が必ず論じられるんですけれども、これはつまり、憲法と条約の内容が抵触する、衝突を起こすという場面で、いずれに重点を置いて、上位として考えてこれを解決するかという問題のときに、現実的な、大変差し迫った問題になると思うんですね。

 しかし、それにつけても、憲法と条約、いずれが優位かという問題を問題にするときには、統一的な法体系とこの憲法、条約を考えた一元説の立場に立たないと、実はこれについて上位か下位かという問題は出てこないと思うんです。

 私、実は、条約は国際法だ、憲法は国内法だと。あくまで条約は条約であって、憲法は憲法だ、これを一元論として考えていくというのはどうも合わない、条約は国際法として考えるべきだし、憲法は国内法として考えていくべきだと。しかしながら、衝突を起こしたときにはどのようにこの解決を図るかということは、各国は憲法でそのための規定が置かれている。

 果たして日本国憲法の場合はどうかということになると、これは、憲法を上位に置いて考えなさいという条文は具体的にはありませんけれども、しかし、見ていくと、憲法の八十一条を見た場合に、条約についてはなるほど違憲、合憲の決定をするという権限はございませんけれども、しかし、違憲、合憲の法令審査というのは最高裁判所にも下級裁判所にもあるわけですね。その法令審査の結果、違憲であるという審査結果が出た場合は、最高裁判所が、そういう違憲の内容を持った条約を締結した国務行為については違憲、合憲の決定ができるのではないでしょうか。

 なぜかというと、八十一条の条文を見れば、そこには最高裁判所が違憲、合憲を決定する問題として「一切の法律、命令、規則」それから、その次です、「又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所」となっているわけですね。ここに言う「処分」というのはまさしく行政措置、あるいは国務行為を処分というふうに考えて、これは間違っていないのではないかと私は思うわけです。

 したがって、八十一条から考えて、この最高裁判所は、その結果、条約について憲法に違反している違反していないということの認識を持たないと、この処分に対しての違憲、合憲を決定するわけにはいかないということになろうというふうに思うんですね。

 ところが、現実は、そういうことを最高裁は今まで果たしておりませんで、きょうも話題になりましたけれども、砂川事件のときの最高裁判所の判決というのは、一見極めて明白に違憲であるということが認められない限りは、これについて違憲かどうかの審査をすることはできないというふうに言い切っちゃったんですね。

 しかし、その前提になった、あの、いわゆる世に言う伊達判決。この第一審の判決では違憲であるということをはっきりさせたんですが、ただ、違憲であるということを言ったのは、憲法裁判として違憲であると言ったのではないのであって、刑事裁判としてそこに適用される刑特法というのが、なぜこういう法律が存在しているかという由来を考えれば、安保条約を実行する法律として刑特法が考えられている。刑事特別法ですね。したがって、安保条約が違憲の条約であるならば、それを実行せんとした、特別に立法された刑特法も違憲の法律と言わざるを得ない。したがって、違憲の法律を適用して裁判を行うわけにはいかないといって、刑事事件でこれを適用しなかったわけでしょう。そこで無罪になったわけですね、あのときには。

 だから、刑事事件の中で違憲、合憲審査というのがそういう形で行われたということを前提にして最高裁に行ったときに、最高裁がこれを実効あるものにしなかったというふうに私は考えるという考えに立つものですから、きょうは、一切最高裁判所にはそういう権限がないので、改めてそういうことを憲法で明記すべきだという御意見に対しては、現に八十一条からすると、それは最高裁がなすべき中身として規定があるじゃありませんかというのが私の理解です。

大出小委員 民主党の大出彰でございます。

 私どもは、きょうの、条約の適合性というところで、憲法適合性ということで、法律が憲法に違反しているかしていないかということをやるわけなんですが、条約についても、私は非常に、特に国際法の条約ですから、ジュネーブ協定等を思ったときに、現実にそれがいろいろな事象としてあらわれているところを見たときに、なぜすぐに国際法が守られないのだろうか、あるいは、裁くところがないのだろうかと常々思っていました。

 特に、今回のイラク等を見ていますと、女性も子供もどんどん殺されていく、余りにも残虐なことがある、テレビには映らないけれども、ある。そう見たときに、ジュネーブ協定があるのにな、虐殺じゃないのかなと思うようなことがあるわけですね。

 そして、そうかと思うと、モスクというところにどんどん攻撃しているんですね。普通は、宗教施設ですから、あれをやればあれもジュネーブ協定違反だろうと思うのに、起こっているわけですよ。

 さらに、精密誘導弾といいながら落としているんですね。ところが、間違って落ちているわけですね。ところが、よく見ていると、間違って落ちたんじゃなくて、意図的に間違っているんじゃないかと思うようなところもあるわけですね。こういうのを見たときに、無差別殺人で、反するんではないかなと思うんですね。

 そうかと思うと、クラスター爆弾とかいろいろな爆弾がありまして、これはもう残虐兵器ではないかなと思うと、新しい爆弾だから残虐兵器の中に入っていなかったりとかするんですね。

 こういうことがどんどん起こっていて、それで、ではアルカイダはどうなっているかというと、キューバの、よく読めない、グアンタナモとかなんかいうところの基地のところに押し込められていまして、これは、だって、捕虜に対する取り扱いはこんなことでいいのだろうかと思うと、捕虜じゃないと勝手に解釈しているんですね。

 幾ら決めても現実的に進んでいないところを、どこの法律で裁いたらいいのか、どこの裁判所で裁いたらいいのかという、できるんならどこかでやってほしいというような思いで、国際法ということと国内というものが、国内というのは、一つ一つの国が独立しているものですから、定立しているものですから、そこですべてに、国連にうんと力があればまた別なんでしょうけれども、そうでもないところといいますか、そういう機構にはなっていないところがありますので。

 そういう意味で、国際法と国内法を見たときに、おかしいんではないか、何とかしなきゃいけないんではないかということがある。どんな解釈でもいいから、早くなるようにやっていただきたいなと思いながら、政治家で頑張ってまいりたいと思います。

 以上です。

森岡小委員長代理 他に御発言ございますか。

 それでは、討議も尽きたようでございますので、これにて自由討議を終了いたします。

 本日は、これにて散会いたします。

    午後四時三十二分散会


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