衆議院

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第1号 平成15年2月6日(木曜日)

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本小委員会は平成十五年一月三十日(木曜日)憲法調査会において、設置することに決した。
一月三十日
 本小委員は会長の指名で、次のとおり選任された。
      石川 要三君    近藤 基彦君
      下地 幹郎君    谷本 龍哉君
      中川 昭一君    中山 正暉君
      山口 泰明君    桑原  豊君
      今野  東君    首藤 信彦君
      中野 寛成君    赤松 正雄君
      藤島 正之君    春名 直章君
      金子 哲夫君    井上 喜一君
一月三十日
 中川昭一君が会長の指名で、小委員長に選任された。
平成十五年二月六日(木曜日)
    午後二時一分開議
 出席小委員
   小委員長 中川 昭一君
      近藤 基彦君    下地 幹郎君
      谷本 龍哉君    中山 正暉君
      桑原  豊君    今野  東君
      首藤 信彦君    中野 寛成君
      赤松 正雄君    藤島 正之君
      春名 直章君    金子 哲夫君
      井上 喜一君
    …………………………………
   憲法調査会会長      中山 太郎君
   憲法調査会会長代理    仙谷 由人君
   参考人
   (拓殖大学国際開発学部教
   授)           森本  敏君
   参考人
   (法政大学法学部教授)  五十嵐敬喜君
   衆議院憲法調査会事務局長 内田 正文君
    ―――――――――――――
二月六日
 小委員井上喜一君同日委員辞任につき、その補欠として井上喜一君が会長の指名で小委員に選任された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 安全保障及び国際協力等に関する件(非常事態と憲法)


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     ――――◇―――――
中川小委員長 これより会議を開きます。
 この際、一言ごあいさつを申し上げます。
 先般、小委員長に選任されました中川昭一でございます。
 小委員の皆様の御協力をいただきまして、公正円満な運営に努めてまいりたいと存じますので、何とぞよろしくお願いいたします。
 安全保障及び国際協力等に関する件、特に非常事態と憲法について調査を進めます。
 本日は、参考人として、拓殖大学国際開発学部教授森本敏君及び法政大学法学部教授五十嵐敬喜君に御出席をいただいております。
 この際、両参考人に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人のそれぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にしたいと存じます。
 次に、議事の順序について申し上げます。
 まず、森本参考人、五十嵐参考人の順序で、非常事態と憲法について、特にテロ等への対処を中心に、お一人三十分以内で御意見をお述べいただき、その後、小委員からの質疑に対しお答え願いたいと存じます。
 なお、発言する際はその都度小委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は小委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
 御発言は着席のままでお願いいたします。
 それでは、まず森本参考人からお願いいたします。
森本参考人 委員長、憲法調査会安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会にお招きをいただき、大変光栄に存じます。安全保障を専門としている者として、当小委員会において、非常事態と憲法、特にテロ等への対処を中心として所見を述べたいと考えます。
 まず、与えられた表題のうち、非常事態という言葉の取り扱い方についてでございます。
 必ずしもこの非常事態という言葉には明確な定義があると理解しておりませんが、去る昭和三十九年七月に提出されました憲法調査会の報告書には、既に昭和三十年代、この問題について当時の憲法調査会で議論が行われ、そのときには、非常事態と緊急事態という二つの概念を討議し、その際、非常事態というのがむしろ広い概念であり、それには、いわゆる戦争、つまり有事以外に、内乱ないし大規模な暴動、あるいは大恐慌などの経済的混乱、自然災害、伝染病の蔓延等いろいろな、いわゆる一般の言葉で言う緊急事態に含むすべての事態を非常事態、すなわち平常ならざる事態と概念し、非常事態の方が緊急事態よりも広い概念として扱っているという議論が行われています。
 しかし、もう一つ物の考え方があって、そうではなく、非常事態というのは、緊急事態という広い概念の中で特に重大かつ深刻な事態を非常事態というのであって、むしろ緊急事態という概念の方が広い意味であるという議論もあり、この二つの概念の取り扱いについては、この報告書では両論が併記されているというふうに考えられます。
 いずれにせよ、その事態に対して憲法上の規定があるかないか、あるいは必要であるかどうかということについても、この種の非常事態あるいは緊急事態に関する基本的な法規定が現行憲法の中にないことが憲法上の欠陥であるとの指摘が行われている一方、そうでは必ずしもなく、本来、かかる事態に対する国家のありようは憲法上の規定を必要とはせず、国家として存続する限り当然国家がなすべき義務であって、そのような規定を設けることによって、むしろ国家が強権を発動し、あるべき姿から逸脱するという懸念が表明されていることから、緊急事態あるいは非常事態に関する憲法上の規定は必要がないという議論がともにあり、この両論が併記されているということであります。
 このことは、今日においてもいずれにせよ未解決の問題であり、非常事態という概念と緊急事態という概念と、さらに有事法制が議論されるに至って有事という概念と、三つの概念をどのように整理をするのかということと、いずれにしても、このような各種の事態に関する憲法上の規定が真に必要であるかどうか、あるいは、必要であればどのような規定が設けられるべきかということについても、我々は今後十分議論する必要があるのではないかと考えます。
 したがって、きょう与えられた命題であるこの非常事態というのを申し上げる際、以下の議論は、非常事態を平常ならざる事態、すなわちこの憲法調査会で言う非常に広い概念であると考え、非常事態の中には緊急事態及び緊急事態以外の有事、すなわち戦争あるいは内乱のような事態を包括的に考える説明として非常事態を取り上げ、理解し、その非常事態というものに憲法がいかなるかかわり方をしているのか、あるいはするべきなのかということについて議論を申し上げたいと思います。
 さて、一方において、憲法とは別に、既にある既存の国内法、特に自衛隊関係法、あるいは治安関係法、災害関係法等の中には、有事というものと緊急事態とを区別し、緊急事態というのは、有事ではないその他の国家の緊急事態として、例えば災害やテロというものを含むように既にある法律は説明されております。このことは、この言葉の概念として、あくまで有事というものと緊急事態とを区別し、緊急事態には有事が入らない、すなわち緊急事態とは、有事ではないその他の国の緊急な事態を緊急事態といって、そこは一線を画して法律ができているのではないかと考えます。
 いずれにしても、この二つの概念についても法律の中で明確にされているわけではありませんが、安全保障会議設置法を見る限り、少なくとも緊急事態と有事とは区別されて概念されているのではないかと考えます。
 明確なことは、このような有事であれ非常事態であれ緊急事態であれ、現在の憲法に基本的な規定がないということが国内法の整備をおくらせてきたということにあると考えますので、私個人は、かかる事態における基本的な国のあり方について憲法に条文がないことは、現在の憲法の基本的な欠陥の一つではないかと考えます。
 恐らく、想像でありますが、この憲法が発布された時点、すなわちアメリカがこの憲法の草案にかかわった時点でアメリカも国家安全保障法がなかったわけでありまして、したがって、戦後の日本に、有事であれ緊急事態であれ、しかるべき、国家もしくは内閣総理大臣に権限が集中することを排除しようとして、憲法にかかる条文を明記しなかったのではないかと推察します。しかし、このことについては、個人的推察であり、何ら実証できる証拠があるということではありません。
 さて、このように非常事態と憲法については、繰り返しになりますが、非常事態という概念が必ずしも明確でないにせよ、いずれにしても、非常事態というのは相当に広い概念であり、平常でない事態、すなわち平時でない事態を包括的に概念する言葉であるとした場合、その場合の憲法のあり方については今申し上げたとおりであります。
 一方、テロ等への対処という問題については、これは有事法制の審議の過程で議論されたことで明確でありますけれども、テロという事態そのものに国家として対応するための国内法は既に既存の法律の中で明記されているということでありますが、しかし、よく考えてみますと、テロというものの主体は国であるというよりむしろ組織、機構あるいはネットワークであることが多く、そのテロの活動及び様相も極めて複雑化あるいは過激化しておりまして、今後、テロと大量破壊兵器が結びつくという脅威が国際社会のみならず日本にとっても最大の脅威であることは明確であると思います。
 このようなテロに対応するためには、国家は、防衛力だけではなく、国家の産業、社会のシステム、国内の治安、出入国の管理、科学技術、情報、あるいは資金の凍結など、国家として持っておる総合的な機能を一貫した方針のもとで有機的に機能させなければ、テロへの対応を効果的に発揮することはできないわけで、この点についてアメリカは、既に本土安全保障省を新設して、国家の安全保障体制をテロと大量破壊兵器の脅威に対応するものとして包括的に体系づけようとしていることは、御案内のとおりでございます。
 このような国の総合的な活動をさらに機能的に統合するためには、まず何といっても国内法の整備が必要であり、さらにこの法体系に基づいて国のシステム、社会の体制のあり方を確立し、同時に、これに参画する国民の意識を啓発し、国民を訓練し、かつ理解を深めるということが何よりも重要であります。
 このような総合的なテロ対策というものを行うためにはまず国内法をきちっとしたものに整備することが一番重要でありますけれども、その際、国内法の整備という観点からいえば、現在議論されているいわゆる有事法制の中にはテロに対応する法律が必ずしも整備されているというわけではなく、現在の有事法制の中心的課題はあくまで国家に対するいわば武力攻撃というものを中心とする対処法でありまして、したがって、これから我々が考えるべきことは、このような国の有事に対する法制を整備すると同時に、テロや災害等の問題については、既にある国内法を包括的に取りまとめて緊急事態もしくは非常事態であると概念し、これをすべて国家として統一された活動を行うに必要な法体系を整備し直す必要があるのではないかと考えます。
 そのためには、一つは、憲法上の規定があることが望ましいわけですが、しかしそれは期待してもすぐにできるということではありませんので、憲法上の規定ができるまでの間まず取りかかるべきことは、国家として、この種の非常事態に包括的に対応するための安全保障基本法を制定するとともに、この安全保障基本法に基づいて、有事については有事法制、緊急事態については緊急事態法制という二本立ての法体系をつくり、あくまでテロや大規模な自然災害などの問題については、後者に述べました緊急事態もしくは非常事態という事態に対応する国内法制として、既存の法律をその中に包含する形で法整備をもう一度整理し直すという必要があるのではないかと考えます。
 言葉の使い方について言えば、非常事態というのは、非常事態宣言という言葉からくるイメージが非常に国家の強権を発動するかのような印象を一般の国民に与えかねないので、やはり非常事態という言葉で法律をつくることは必ずしも賢明ではなく、したがって、結果としては、緊急事態というものに対応する法体系を有事法制とともにつくり、先ほど申し上げましたように、既存の法律をこの緊急事態法制の中に包含し、有事法制と緊急事態法制の二つの法体系を取りまとめる国家の基本的なあり方として安全保障基本法をつくり、その安全保障基本法には、むしろ、国内外の緊急事態だけではなく、国外の事態に日本としてどのような貢献をし、参画をし、国際協力を行うかという国家の安全保障の基本的なあり方を含めた包括的な法体系をその上につくっていくということがよいのではないかと考えます。
 もちろん、憲法上の規定が新たにできれば、その憲法上の規定に従って、この安全保障基本法並びに基本法に基づく有事法制と緊急事態法を整理し直すということは必要であるかもしれないと考えます。
 いずれにしても、テロへ対応するためには、まず国として法体系を整備することが最も重要でありますが、同時に、法体系だけではなく、情報の機能を強化し、国として、関係諸機関、特に防衛あるいは自治、警察、消防、地方公共団体等が保有する各関係機関を総合的に調整する機能を官邸に持ち、統一された一貫性のある指示のもとに有機的にすべての活動を運用できるよう、国としての体制のシステムをつくり上げるということが必要であると考えます。
 同時に、これらの活動をさらに有効にするためにはどのようにしても国民の全面的な理解と協力が不可欠であり、そのためには、単に国民の協力を求めるだけではなく、国民に必要な協力を求めるための、国民の義務あるいは国民の持っておる権利について現行憲法のもとで明確にするということが法整備を行う際特に必要であると考えます。
 アメリカは、御案内のとおり、テロへの対処については、昨年六月ブッシュ大統領がウエストポイントで行った演説のごとく、先制行動によるプリベンション、すなわち予防という対応によってテロへ対応しようとしていますが、国際法上の考え方からいえば、このような対応の仕方が国際社会の幅広い協力を得られるとは必ずしも思われず、したがって、我が国としては、アメリカに協力をすることは必要でありますけれども、国内におけるこの種のテロへの対処について、従来のような自衛権の概念だけで対応できるとは考えません。
 したがって、まず重要なことは、法整備をするというプロセスを通じて、テロに対応する新たな抑止の戦略を考え直すということもとりわけ必要であると考えます。
 以上が、非常事態と憲法について、特にテロ等への対処を中心とする法体系の整備を課題とする考え方につき、所信を申し述べたつもりでございます。ありがとうございました。(拍手)
中川小委員長 次に、五十嵐参考人、お願いいたします。
五十嵐参考人 五十嵐です。
 事前にレジュメを配っておりまして、少し追加いたしまして新しく皆さん方に配らせていただきましたので、それに基づいて私の意見を述べたいと思います。
 なお、あわせて、先生方のところに事前に「都市は戦争できない」、私が最近出版いたしました本を資料として提出させていただいております。今から申し述べますデータや数字などについては、その本に基づいて説明しておりますから、途中で少しページ数などを入れてお話しさせていただくかもしれません。
 私は、非常事態と憲法について、次のように考えております。
 一つは、今森本参考人がおっしゃいましたように、憲法には非常事態の規定が幸か不幸かとにかくございません。しかし、非常事態は絶えず起こり得るという前提で物事を考えるというのが前提であります。
 非常事態について、いろいろ定義の仕方が難しいですが、とりあえず私はこの本では、地震、水害、原発、テロ及び戦争、有事というものを取り上げております。あとはこれに伝染病など、別のレベルでの非常事態が起こることもあり得ると思いますけれども、一応この五つを考えました。強いて分類しますと、地震や水害はやや自然現象から発生するものでありますし、原発やテロやあるいは戦争というのは人為的なものから起こり得るということであります。
 これに対しては、ほぼ共通して、それぞれ局面は違いますけれども、例えば、予防をする、それから事態に対処する、避難をするというふうに考えますと、非常に多くの共通現象もあるだろうということを考えまして、一括してこういう非常事態について対処の方法を考えていきたいということです。
 私なりに憲法やこういう災害対策についていろいろ勉強させていただきましたけれども、一つだけ従来の議論に決定的に欠けているものがあるということを最近感じるようになりましたので、こういう本をまとめました。
 それは、こういう非常事態はどういうところで起こるかということでありまして、少なくとも、一九八〇年代以降、正確に言いますと、通常、農村人口が一〇%を割った社会を都市型社会と言っておりますけれども、これはすべて都市型社会で起こる現象であるということを留意したいということであります。従来の議論は、どちらかといいますと、どういう場所で起こるかということについてはやや突っ込まないで議論をしてきたのではないかというふうに思っています。
 都市型社会というのはどういうことかといいますと、基本的には、私たちの生活、生まれて死ぬまでほとんどが依存型社会になっているということであります。ここに幾つか、食料、エネルギー、情報、道路、鉄道などのインフラ、あるいは行政や議会、あるいは裁判所、そして保険機構や教育、医療など、私たちが暮らす上で、生きていく上で必要なものはすべて、自分一人では処置できない、相互がネットワーク化され、かつ依存し合う体制になっているということであります。
 これをもう少し詳しく見ていきますと、恐るべき状態がわかってまいります。そのデータを、先ほど申し上げました「都市は戦争できない」という本の資料二百四十四ページに、幾つか都市のデータを挙げてあります。
 これは、主として、東京を中心として、東京が地震に見舞われる、あるいは東京が水害になる、あるいは東京に近いところで原発事故が起こる、あるいは東京でテロが起きる、あるいは東京が戦争の対象になるといったときに、東京というのは一体どういうものだろうかということを数字で見たものであります。
 人口でいいますと、膨大な人口がとにかくここに集まっているということは言うまでもありません。
 それから二番目には、いずれにしても、災害があった場合に食料等が問題になりますが、東京では、〇・〇〇〇二%は稲作を行っておりますけれども、食料はほとんど生産しておりません。それから、二百四十三ページに食料依存率を挙げておりますけれども、ほとんどがもう東京は他の国あるいは他のところに食料を依存しているということであります。
 それから、エネルギーを見ましても、電気、ガス、上水道の使用量・供給量でいいますと、東京は圧倒的に使っている。電気もガスも上水道も、自前ではなかなか東京は調達できないということであります。電気の自給率とか東京電力の発電所数など、あるいは石油などについて、そこに載せておきました。
 それから、常時、東京は二十四時間眠っておりませんで、路線の混雑率などを見ておきますと、乗車率は二〇〇%を超える路線が幾つもあるということであります。
 それから、通勤・通学による東京二十三区の人口動態を見ますと、流入人口が三百三十万人に対しまして、流出人口が五十五万人であります。これは、災害が起きたときに待機人数という形で問題になってきますけれども、こういう形で膨大な人口が移動しているということであります。
 あるいは、二百三十九ページから二百三十八ページにかけまして、本社機能を持つ事業所数、あるいはIT産業、あるいはマスコミ等についてもこういうデータ、東京にほとんどが集中しているということを挙げておきました。もちろん、金融やデパートなどもそうであります。
 それから、物流などを見ておりますけれども、物流も、大半がトラックによる物流でありまして、八八%であります。
 それから、一万人以上の収容の興行施設などを見ますと、東京競馬場、大井競馬場、国立競技場、東京ドームなど、東京にはたくさんの人口が集まる収容施設があるということであります。
 それで、申し上げたいことは、こういうところにもし非常事態が起きたら一体どういうことになるんだろうかということについて、最近、徐々にいろいろなデータが発表されるようになりました。その一つとして、東京都が最近行っている地震の想定というものについて申し上げたいと思います。
 東京都の地震の想定は、阪神・淡路大震災と同じような程度の地震が来たとき、しかも土曜日の夕刻六時ごろということを前提として、あの阪神・淡路大震災と同じような地震が来たときにどうなるだろうかということを想定しております。
 少し数字を挙げさせていただきますと、家屋の全半壊が、区部、東京二十三区内で十二万、多摩で二万生ずるというふうに言われています。火災が八百二十四件発生するだろうということです。それから、ライフラインを見ますと、断水が三十三万、停電が百十五万、ガスの供給停止が百三十二万です。それから、死者が七千百五十九人、負傷者が十三万人発生するだろうということです。さらに、避難者というものがありまして、区部で百二十六万人、多摩で二十五万人発生するということです。
 ただ、このデータには幾つかの集計し切れていないところがございまして、一般的に総合いたしますと、幾つかこれにつけ加えなければいけない問題がございます。
 その一つは、不特定多数の集まっているところ、例えば、先ほど言いましたように、デパートとか競技場だとか、あるいは地下街だとか映画館だとか、それから野球場などに人が集まっているときにこういう地震等が発生すると、恐らくだれもが手がつけられないパニックになるだろうということであります。特に、自動車の炎上というのが危険物でありまして、自動車が炎上しちゃいますと、救急態勢も全くとれなくなるということです。
 それで、これを少しさらに、時刻を、今、土曜日の夕方六時という前提で数字をシミュレーションしているんです。これも、平常時の例えば午前中とか午後とかという形にしますと、もっと別なことが起きてまいります。
 先ほどの土曜日の夕方六時を前提にしますと、学校に一応いないという前提になっていますけれども、平常時の午前中など起こりますと、小学校や中学校や高校や大学等で授業をしているということになってまいります。もちろん官庁でもいろいろな人が働いている。それから、その他いろいろなところでいろいろなことが機能しているということになります。
 数字はこの本の中に書いてありますけれども、学校等については、倒壊する可能性がある学校は非常に多く、半分以上が倒壊するだろうと言われておりまして、ここでの事故が非常に懸念されます。
 おおよそ見ますと、多分、ライフラインがすべてとまった状態で、約十六万人ぐらいの死者や負傷者が最低でも出る。それから、百五十一万人という避難者が出る。さらに言いますと、三百七十一万人の帰宅困難者、例えば丸の内でストップしちゃってうちに帰れない、三百七十一万人ぐらいの帰宅困難者が出るだろうということであります。
 非常事態に対処するということは、これに対して何ができるかを考えるということでありまして、これは容易なことではありません。一般的には、対策を講じてもパニックしかないだろうというぐらいのことしか思い浮かばないぐらいの、ほとんど想像を絶するような状態になるのではないかというふうに言われております。
 今は地震について申し上げましたけれども、さらに、これが原発などになると、原発は、いわゆる幾つかの事故の想定がありますけれども、ちょっとした事故になりますと日本全域が原発の放射能を浴びるということになりまして、全く対処の方法がございません。
 あるいはテロについても、これはどこをねらうかということもありますが、例えば原発がねらわれたり、あるいはダムがねらわれたり、あるいはその他の重要インフラがねらわれたりすると、こういう事態が直ちに生じるという事態になってまいります。
 だから、憲法と非常事態を考えるということは、都市型社会ではこういうことを想定して何かを考えるんですよということを改めて確認したいということです。基本的には、対処のしようがないという前提で、なおかつ、しかし必死の努力をするというのが、憲法と非常事態を考えるということの意味ではないかというふうに私は考えております。
 そこで、ここに緊急事態関係法令集というのがありますけれども、こういう法令集全体を見まして、日本の緊急事態法制に関してどういう問題点があるかということを幾つか申し上げたいと思います。
 一つは、都市型社会における今のようなイメージでどうも法律をつくられていないんじゃないかという感じがするということであります。
 要するに、地震には地震、洪水には洪水、原発には原発に対応した個別対処の方法は規定してありますけれども、これら全体を予防し、かつ全体に対処し、さらに避難をさせて復旧するという全体のイメージで、こういう非常に大型の非常に深刻な事態にどう対応するかという形での法制はなかなか見つからない。むしろ農村型社会、つまり、今から四、五十年前、日本がこれほど都市型していなかったときに、もっと基本的に言いますと自給自足を前提としたような社会での個別対処の法律がここに集大成されているんじゃないだろうかというのが、日本の法体制を見たときの私の印象であります。
 二番目は、さらにその内容にかかわりますけれども、こういう災害が起きたときに、どういう形でだれが一体イニシアチブをとり、だれが責任をとるかということについて、基本的なやはり欠陥があるような感じがいたしました。
 これは、最近の例でいきますと、阪神・淡路大震災に対する緊急出動というものについて、どのようにいわば総括するかということとかかわるわけでありますけれども、日本の場合には現地主導というイメージはほとんどございません。むしろ中央省庁を中心として、国が前面に立つという形になっております。
 さらに重要なことは、その国というのは何かといいますと、確かに内閣総理大臣を中心とする対策本部が設立されるわけですけれども、内容的には、各省各課各室ごとに同じような事態を同じようにやっていくということになっておりまして、これは後でFEMAの人にインタビューした結果としてお知らせいたしますけれども、非常にむだがあるし、それぞれの各課各室が何をやっているかお互いにわからないという欠点が生まれてくる。つまり、縦割り行政が非常事態に関しても貫徹しているという感じがいたしました。これは具体的に後で申し上げます。
 もう一つは、現場が上からの指示待ちになっておりまして、動ける仕組みになかなかなっていないということであります。
 これも後で申し上げますけれども、ニューヨークが一昨年テロに遭ったときに、ニューヨーク市長がどのような行動をとったか、あるいはそれはどのような法的権限に基づいて行われたかということと、神戸市長なり兵庫県知事がとり得た内容というのは雲泥の差があるというのは、やはり危機対応に関する思想や制度や日ごろの訓練の差が如実にあらわれているんじゃないかというふうに思います。
 ましていわんや、これに対して市民が参加していくというようなイメージについては、従来の危機管理法には全くございません。
 しかし、あの阪神・淡路大震災のときの市民あるいはNGOの活躍とか、あるいはこの間のニューヨークのテロのときのNGOや市民の活躍を見ますと、恐らく、今後の危機管理体制は市民やNGOの参加とか訓練なしには到底考えられない。
 先ほど言いましたように、地震の際でも百何十万人の避難をしなければいけないとか、三百万人を超える帰宅困難者をどう処理するかなんというのは、国や自治体ではとてもできることじゃありませんで、それぞれがみんないい意味での兵士にならなければとてもこの事態を乗り越えられないというふうに思います。
 この間も、どこか新聞報道で、地震が起きて帰れなくなったときに、自分のうちに帰れるかどうか歩いてみようというのがありまして、何か訓練が出ていましたけれども、ああいうことが常時組織化されていなければ到底この事態に対応できないと思いますが、従来の日本の危機管理法制には、こういう市民やNGOの法的位置づけとか権限とかなすべき対応とかがほとんど触れられてないというような三つの欠陥があるというふうに思いました。
 これを少し具体的に申し上げたいと思います。
 まずテロ対策でありますけれども、これは、二〇〇一年のニューヨークのテロがありまして、日本政府も動きました。この内容について、この本の二十三ページに、どういう対応を日本政府はとったかということを表でまとめてございます。ちょっと恐縮ですが、二十三ページを見ていただくとありがたいと思います。
 これは、二十四ページを見ていただくと、厚生労働省、農林水産省、郵政事業庁等々がどういうことをするかというふうにいろいろ書いてありますし、さらに、厚生労働省のテロへの対応と担当課というのをここに表で挙げてあります。
 さらに、二十七ページを見ていただきますと、脅威の評価、被害情報の集約、原因物質の分析・特定、治療関連情報の提供、専門家の派遣等、被害者への対応まで、警察庁から環境省までだれが対応するかということを一覧表にまとめました。
 これを見ますと、それぞれの省庁が同じことを、視点は少し違うんでしょうけれども、非常に重複し合っていて、だれが本当の中心セクターになるかということはこの間のテロ対策では必ずしもよくわかりません。
 さらに、これをもっと敷衍して言いますと、とにかく、非常事態が起こりますと、内閣情報センターが活躍し、内閣総理大臣を頂点とする対策本部が官邸につくられまして、さらに現地が必要ですと現地対策本部がつくられて、その指揮を全体的に総理大臣が対策本部長である中央が行うというふうになっておりますけれども、これでは多分、地震を含めた、テロまで含めて、全体的に対応できないだろうというふうに私は思っております。
 さらに、自衛隊のテロに対する位置づけも、全体的な脅威の評価、被害情報の集約あるいは原因物質の特定などの作業とあわせて、どの部分をどのように受け持つかということについてはほとんど明確ではありませんで、いわば武力事態が起きたときにどのように自衛隊は武力を使うかということで、非常に限定的、ピンスポットでやっておりまして、全体の、例えばテロ等の災害が起きたときにどうするかについては、自衛隊についても必ずしも明確ではないという感じがいたします。
 これは、どこでこういうことを言えるかといいますと、ニューヨークのテロのときとの対比を見ていただくと、その差が一目瞭然になるということであります。それについては三十三ページに、「ニューヨークはどうしたか」ということで、日本のテロの対応の組織や論理と、ニューヨークのテロの対応についてを比較してあります。
 非常に大きな違いを申し上げますと、一つは、ニューヨークは、皆さんテレビ等で御存じのとおり、ニューヨーク市長が中心になりまして、いわば大活躍をしたということであります。ニューヨーク市に限らず全体的、どこでもそうでありますけれども、アメリカの場合には、自治体の中に非常事態管理室と緊急作戦センターというのを常時設置してあります。こういう非常事態が起きますと、市長がリーダーシップを持って、ここからいよいよ対処に移るということになります。なお、この間のテロの場合には、家族支援センター、さらにNPO、ボランティアとの連携が非常にスムーズにいったというふうに報告されております。
 これは、何もテロ対応だけではなくて、阪神・淡路大震災の前にノースリッジの地震も起きましたけれども、その報告書を見ると、全く不意打ちではなくて、私たちの対応は準備されていたということを言っております。日本の場合は明らかに不意打ち対応というような感じになっておりますけれども、常時、アメリカの場合にはこういう非常事態に対するシステムができておりまして、今言いましたように、非常事態管理室と緊急作戦センターや、家族支援センターあるいはNPOやボランティアとの連携がいつも絶えず設置されていて、訓練されているということであります。ここが中心になって動きまして、さらに州政府と連邦政府がこれを支援するという形になります。
 それも、さらに具体的な役割が決まっておりまして、州政府の場合には有害物質の調査、セキュリティー確保のための州兵の派遣、それから物資輸送、インフラ整備などなどであります。さらに連邦政府になりますと、陸軍による瓦れき撤去、それから連邦緊急事態管理庁、FEMAのレスキューチーム、それから連邦環境保護庁の大気汚染調査など、要するに、現地がまず中心になりまして、さらに州政府はこういう役割を負う、それから連邦政府はこういう役割を負うという形で、危機管理体制がちゃんと組織的に整備されているということであります。
 日本の場合は逆でありまして、現地は余り準備がないままに、上の方に対策本部をつくりまして、ここに各省庁を集めまして、各省庁がさらに各課に分かれまして、各室に分かれて、上からしようとするという形になっておりまして、どうも緊急事態に対する質的な差があるというふうな感じがいたします。
 これは、一応テロ対策を例にとって言いましたけれども、非常に不安なのは原発、原発事故などについては、テロの場合にはこれが標的になるということがよく言われているわけですけれども、ほとんど対応策が考えられていない。要するに、どうしたらテロから原発を守れるかというようなことについては対応策なしというのが今のところではないだろうかというふうに私には見えました。
 それで、少しこの機会をかりて積極的な提案というものをさせていただきたいと思いますけれども、幾つか申し述べたいと思います。
 一つは、危機対応については、やはりどこかに権力の集中をするということは非常に重要であるということであります。同時に、これは権力でありますから乱用の危険もありますので、事後点検という体制をちゃんとやらなきゃいけないということです。これは、自衛隊を考える場合にも同様なことがあるだろう。事後点検というのは、いわゆるシビリアンコントロールということであります。
 こういうことを前提とした上で、アメリカのFEMAの組織とドイツの憲法から、少し日本の国民皆で、全体として考えた方がいいのではないかということをそれぞれ参考にしながら、少し積極的提案をさせていただきたいと思っています。
 一つは、このレジュメでいきますと、「具体的な提案」というところであります。
 都市型社会を前提とし、危機管理を考える場合に、私は有事には備える必要があるというふうに思っております。それは、当然自衛隊も入れて有事には備える必要がある。先ほど言いました、この有事というのは、非常事態全体を含めて、地震災害から原発事故を含めて全体のことを言っておりますけれども、備える必要があるということです。
 二番目には、にもかかわらず、もう戦争はできないということを覚悟すべきであるということです。都市型戦争に耐えられる戦争は、もうどんな内閣でもどんな政府でもとてもできないと私は思っています。戦争をしないで有事に耐える方法、この都市型社会を全体的に改めるためにどうするかといいますと、要するに、有事に当たりまして、市民の生命、自由、財産を守るための方向でその万全を期す方法を考えるということであります。そのためには、まず予防というものをやっておかねばなりませんで、この予防についても日本は極めて議論が不足しておりますし、現実的成果も諸外国の期待から見ると極めて少なかったのではないかというふうに思っております。
 この内容については、いろいろなところで言われていますので省略いたしますけれども、国連安全保障体制というものについて日本はもうちょっと積極的に参加すべきである。外交も、危機管理について積極的に展開すべきであると思います。それから、自治体とNPOの協力も必要である。さらに、国際人道法に基づく刑事裁判所の構想についても日本は積極的な役割を果たす。国外的に言えばそういうことであります。さらに言いますと、ハーグ条約と美しい都市は戦争できないというふうになっておりますので、こういうことも批准を急ぐべきだし、対応すべきである。あるいは、ジュネーブ条約と無防備都市などについても考えるべきである。これらをさらに前提とした上で、非常事態を含む有事法制全体を考えるべきであるということであります。
 まずどういうことを考えるかといいますと、一つは、ドイツ基本法というものの考え方を参考にできないだろうかということであります。ドイツ基本法については百八十五ページに書いておりますけれども、御承知のとおり、ドイツは一九六八年、憲法第十七次改正におきまして、緊急事態法制というものを憲法に明記いたしました。私がこれから申し上げることは、だからすぐ憲法を改正せよというわけではもちろんありませんし、そう簡単にできないとわかっておりますけれども、しかし、思考の方法としては、これは参照にしてよろしいだろうというふうに思っております。
 一つは、非常事態というものについて明確なくくりをつけて、ちゃんと位置づけをするということであります。憲法にする方が私は望ましいと思いますけれども、憲法にできない場合には、先ほど参考人も言っておられましたように、安全保障基本法とかあるいは危機管理法とかをつくるときにきちんと対応したいということです。
 ドイツの分類を見ますと、これがそのまま日本に当てはまるかどうかわかりませんけれども、四つに分けております。非常に参考になると私は思いました。
 一つは、自然災害及び特別に重大な災害事故であります。先ほどの冒頭に申し上げました私のあれでいきますと、地震や水害などについて、あるいは原発事故などもここに入るというふうに見ていいだろうということであります。二番目は、自由な民主主義的基本秩序に対する危険、国内における内乱というものを想定した規定であります。三番目は緊迫事態でありまして、四番目が防衛事態です。防衛事態というのは、要するにドイツ連邦が武力をもって攻撃される事態ということを想定しておりまして、緊迫事態というのは、そこまではいかないけれどもその危険性がある程度というところで分類をしております。
 この四つを通じて何を一番ドイツは考えたかといいますと、先ほど言いましたように、一方で限りなく権力を首相に集中する必要がある、しかし一方でそれは激しくチェックされなければならないという規定を同時的に成立させようということであります。
 チェックの方法から簡単に言いますと、例えば防衛事態になりますと、首相はオールマイティーの権限を持ちます。しかし、それはあくまで議会の承認に基づいてということでありますが、議会が機能することが非常に困難になる場合が予想されますので、合同委員会、日本でいいますと衆議院と参議院から成る少数の合同委員会の承認をもちまして、連邦首相に権限が集中されるということであります。その場合、連邦首相は、少なくとも国民の持っている基本的人権のうち財産権についてはかなりの制限を課すことができる、同時に、新しい立法をすることができるということが決められております。
 ただし、この権力の集中に対しまして、幾つかのチェック規定がございます。一つは、基本的に、もし権力者が国民の意思に反しまして権力乱用に走る場合には、国民には抵抗権というのが認められるというのが第一であります。
 第二番目には、首相がとるそれぞれの措置について、憲法裁判所というところで、憲法に適合するかどうかについてチェックするということであります。
 三番目は、あらかじめ言いましたように、議会のあくまで承認が前提になっている。ただ、この議会は正常な議会ではもうないということであります。
 四番目は、日本の有事法制などを考える場合にも非常に重要だと思いますが、制限できる基本的人権と制限できない基本的人権について、あらかじめきちんと憲法で書き込んでいるということであります。
 ちなみに申し上げますと、ドイツが防衛事態に至りまして制限できる基本的人権というのは、職業選択の自由、これは徴兵があり得るという前提だからであります。二番目は所有権で、財産を没収することもあり得るということです。それから、移転の自由を禁止する。それから、集会の自由を禁止しております。しかし、それ以外の思想、信条の自由とか出版、報道の自由とか教育の自由だとかというようなことについてはすべて制限できないというふうにしておりまして、制限できる基本的人権を制定しているということであります。
 要するに、非常事態というものを法的に考える場合に、どこかで権力の集中をし、どこかでその乱用を禁止する規定をはっきりするべきであるということです。できることとできないことをそれぞれあらかじめ規定しておくことによって、全体として国民参加のもとで、非常事態に対して対応をするということであります。これを日本の非常事態法といいますか危機管理法といいますか、それをつくる場合に参考にしたらいいだろうというのが第一点であります。
 二番目は、しかし、こういう法律ができるまでの間に、いろいろな危機が起こり得る可能性があります。とりわけ最近言われておりますのは、先ほどの参考人も言っておりました、やはりテロなどは日本でも当然起こり得る、このままイラク戦争などが激化しますとテロなども起こり得ると当然言われておりまして、この法律の規定を待たないで、何らかの意味での対応を準備しなきゃいけないということであります。
 この際、非常に参考になりましたのは、FEMAの人の意見であります。これは私の大学院チームとして改めてFEMAに行きまして、インタビューをしてまいりました。このFEMAのレオ・ボスナーさん、百九十七ページに書いておりますけれども、この人は日本に来まして、日本の危機管理体制について点検をいたしました。四つの欠陥というものを指摘しております。
 一つは、日本政府には具体的な災害対策計画がないということであります。抽象的な法律規定と、危機が起きたときに総理大臣を頂点とする先ほどのような対策本部をつくるというだけでありまして、系統的な危機管理、災害計画がないというのが第一であります。少し学問的な話をしますと、日本の中央集権的な官僚体制について、ある外国の学者は、日本には中心がない、センターがないということを言っておりましたけれども、この危機管理体制のときに、まさにそれがずばり該当するということであります。
 二番目は、先ほど言いましたように、政府の関係機関は互いに関係を持っていない。要するに、省庁ごと、各課ごと、各室ごとですから、それぞれほかと全然関係を持っていないので、お互いに何をやっているかが全然わからないということを言っております。特に、このボスナーさんが指摘したのは、政府機関と自衛隊の関係がより一層希薄であるということを言っております。
 それから、官邸の危機管理体制はいかにも貧弱であるということを言っております。先ほどアメリカの国土安全保障省ですか、あれは十七万人の体制、FEMAを中心としてつくるわけですけれども、CIA等を除いても十七万人体制ですが、多分、日本の危機管理の、その内閣総理大臣官邸につくられる対策本部というのはせいぜい五十名から百名ぐらいであり、これは臨時につくられるということでありますから、恐らく貧弱である、アメリカから見るとそう言うのは当然だろうということであります。
 最後に、重要なことは、訓練体制が全くないということであります。これは、私どもの大学にいろいろな実際に災害対策をやっている現場関係者おりますけれども、しかもみんな、市民が重要とかNGOが重要だと言いますけれども、具体的にどこでどのようにするのかということに関する訓練体制というのが全くございません。たまに、一年に一回ぐらい防災の日というのがありまして、そのとき何かをするんですけれども、それではとても現場対応ができないというふうに言っております。
 先ほど言いましたように、都市型では、何百万人という人たちがいろいろな意味で危機に直面するときに、こういう全く訓練体制のないままで対処いたしますと、単なる暴徒化、パニック化、もう手をつけられなくなるだろうと言われておりまして、これは、レオ・ボスナーさんもこのことを特に強調していたようであります。
 そこで、彼らが言っていることは、危機管理を単一の政府機関に集約すること、二番目は、具体的で包括的な災害救助計画を策定すること、三番目は、国レベルの危機管理講座と研修センターを設けること、四番目は、各機関の連絡調整、特に政府部門と自衛隊の連絡調整が必要だというのがFEMAの方の日本の危機管理体制に対する意見であります。
 私は、最終的に、危機管理法、これはどういうレベルで分けるか、国外と国内という分け方もあるでしょうし、先ほど言いましたように有事と非常事態というふうに分けるやり方もあるでしょうし、あるいは自然災害と人為災害という分け方もあるでしょうが、その分類は別にしまして、何らかの意味での包括的な、今言ったような御指摘を踏まえた危機管理法が必要であるということが第一点であります。
 第二番目に、改めて危機管理庁の設置というものを提案したいということであります。
 恐らく、法律をつくったままでは、現実あす起こるかもしれないそういうものに対してとても対応できないので、内閣官房、内閣府、総務省、国土交通省、厚生労働省、警察庁、消防庁、海上保安庁、そして自衛隊などを含む危機管理庁などをつくって、単一組織にして危機管理体制をつくるべきであるというのが私の提案であります。
 以上です。どうもありがとうございました。(拍手)
中川小委員長 ありがとうございました。
 以上で両参考人の御意見の開陳は終わりました。
    ―――――――――――――
中川小委員長 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。下地幹郎君。
下地小委員 五十嵐参考人、森本参考人、本当に貴重な御意見ありがとうございました。
 私の方から少しばかり御質問をさせていただきたいと思っております。
 森本参考人にですけれども、九月の十一日にテロが起こって、国際的な安全保障の枠組みがある意味ではパニックを迎えたかという感じがしておりますけれども、テロは無国籍であるし、テロはもう犯罪ではなくて戦争だというふうなことがよく言われるようになってきたわけであります。しかし、我が国は、このテロの原因であります貧困だとか経済格差だとか、そういうふうなものにこれからも力を入れて、こういうテロが起こるという原因そのものを絶えず根絶していくことにも力を入れていかなければいけないというふうに私は思っているわけであります。
 さて、その根絶をやるという作業と同時に、テロが起こった場合に、私たちがどういうふうな役割を担うのかということも非常に大事になってくるのではないか。そして、私たちがその役割を担うときに、私は、国連決議というものと憲法というもののそういう関係というものをもう一回整理しておくことが必要かなというふうに思っております。
 国連決議を行って初めて私どもの国がその協力をできるというふうな体制をつくるべきではないだろうか。今の状況を見ますと、国際紛争が起こり、国連決議があって、それからPKOの法律をつくったり、テロ対策措置法をつくるという、ある意味では、私たちは場当たり的な状況で法律をつくって対応している、時限立法でつくったりということを言っておりますから、森本参考人がおっしゃるように、その緊急事態法とか非常事態法とかという法整備をしっかりとしておくことは非常に大事だろうというふうに思っております。
 しかし、武力行使と一体というふうなことを言われたときに、今よく問題になりますけれども、イージス艦の派遣の問題だとか、これのレーダーにおけるその資料がアメリカ側に行ったら、これは武力行使と一体だという話があったり、燃料補給に関しても一体だという話があったりしながら、国民がなかなかわかりにくい状況になっていると思うんです。
 そういうふうな中で、私は、憲法の中で、この国連決議が行われた際に、今の武力行使と一体というその表現ではなくて、もう少し日本が多くの理解を得られながら協力ができるという仕組みを、貢献ができる仕組みをつくるべきではないかというふうなことを考えているんです。
 そういう意味でも、国連決議があった場合には我が国は積極的に協力ができる、そのときにその基準を憲法の中できちっと定めておくということが必要ではないか。国際平和というふうな視点だけじゃなくて、その国連との関係をどういうふうにして憲法の中に書いていったらいいのかということを一点、ぜひお教えいただきたいというふうに思っております。
 それと、二点目ですけれども、緊急事態法における国民の権利保護という意味で、私は、これは非常に大事だと思っております。私も選挙区に行って有事法制の話をするときに、こういうふうな答え方をさせていただいているんです。有事法制というのはまさに、拡大解釈をしなくて、できることはこうやってできますよ、できないことはこれはできませんよという、有事だということで拡大解釈で物事が進まなくて、皆様にわかりやすいような仕組みをつくるために有事法制は必要だというふうなことを私は言っておりまして、ある意味では、国民の自由だとか権利だとかというのが緊急事態という名目のもとで侵害されるようなことがないということも、有事法制の逆にとらえ方だというふうなことを私は言っているわけです。
 そういうふうな中で、緊急事態法制というのを森本参考人の方はどういうふうにお考えになっているのかということを二点目にお聞きしたいと思っております。
 そして、三点目であります。先ほど国民の理解という言葉を三回からお使いになったところを見ておりますけれども、私が見ている範囲で、国民の理解という中で、私たちは日米安保条約に基づいて物事を進める、テロにおいても有事においても関係は深いものがあって進めなければいけないという中において、私は、日米の真のパートナーシップを考えた場合にも地位協定の改定はやるべきだというふうなことをずっと訴えているんですけれども、参考人の考えを聞かせていただきたいと思っております。
 そして、最後になりますけれども、五十嵐参考人にですけれども、私、阪神大震災のときに十日余り向こうでボランティアでやらせていただきました。そのときに、指令のなさといいますか、だれに頼って指導を受ければいいのかというふうなことを悩んだ経験を持っているわけであります。今おっしゃいました危機管理庁というふうなことの中で、そういうふうな危機管理庁をつくるということで、消防、警察、ある権限をここに移して危機管理をするということで、この問題はしっかりと地方自治体との連携の中で十分に解決できると思われるか、その辺のところをぜひお伺いさせていただきたい。
 この四つをお願いします。
中川小委員長 四点の御質問ありましたが、それぞれ、じゃ森本参考人からお願いいたします。
森本参考人 御質問のうち三点について簡単に私の所見を申し述べたいと思います。
 その第一に、いわゆる国連決議に基づく我が国の貢献について基本的な仕組みをつくるべきであるという問題提起は全く同感でありますけれども、そのためにどうすればよいのかということについては、そもそも日本の法解釈は憲法と国際法について憲法優先という考え方に立っておりますので、国際約束に基づいて何らかの約束事あるいは条約もしくは協定を我が国が締結した、あるいは国連決議が仮にあったとしても、日本国憲法の枠の中でしかできない。裏返して言うと、日本国憲法というものがすべての行動規範の基準として優先されるという考え方に立って、今まで現実の行動もしくは政策ができてきたのではないかと考えます。
 他方、我が国の戦後の安全保障、外交防衛政策というのは、基本的に、我が国の国益を追求するためにいかなる行動をとり、いかなる政策を進めるべきかということよりも、憲法の枠の中で何ができるかという選択肢を単に取り上げるという方法で政策が進められ、議論してきたと思います。つまり、本来国としてどうあるべきかということをオプションとして挙げるのより、憲法の枠の中で何ができるかというオプションを挙げて、その中からどれかを選ぶという政策議論しかしていなかったんだろうと思います。
 その場合、政策を担保する国内法がない場合は、先生御指摘のように、場当たり式ということではありませんが、その都度国内法を整備してずっと対応してきたんだろうと思います。
 これは、英米のような実体法の国とは相当違って、ありていに言えば、英米は、政治決定者が国家の意思を決断して、そして国益を追求するためにあることを行い、それが法的にどういう立場に立つかについてはそれぞれの国の議会が法則面から審議をすればよいという話であって、まず決心が先にありきという考え方なんですが、我が国の法体系はあくまで法律上の根拠がないことはできない。したがって、何かをやるために法律上の根拠を新たにつくるためには法整備をするという、その都度その都度、事態が起こるたびに、法整備をどうすればよいのかということで政策の議論をしてきたんだろうと思います。
 その日本が実定法を持っておる英米と同盟関係を結んできたということも、これまた非常に歴史の皮肉だろうと思います。私は、そのことが同盟関係をしばしば難しくしてきたんだろうと思います。例えば、今まであった日米同盟の危機というのは、すべて日本が同盟関係を進めるために国内法を整備できるかできないかという瀬戸際に立ったときに必ず同盟が危機に瀕しているということで、これは国が持っておる法体系というものに深くかかわりがあるんだろうと思います。
 先生御指摘のように、したがって、国連決議があって、それを実行するために日本がどのような仕組みをつくるかということについては、最も望ましいのは、憲法の中に国として国際協力の面については国連決議に基づく国際協力を積極的に進めるという根拠条文が設けられて、それに基づいて個々の国際約束に基づく我が国の政策ができるというのであれば非常によいわけですが、そのような条文がないわけですから、あくまで憲法の枠の中で何ができるかというオプションが選択される、あるいは選択をするということでずっと政策が続いてきたんだろうと思います。
 つまりこの問題は、したがって、憲法上の規定がまずあるということが必要で、憲法の規定がもしないのであれば、先ほど私が申し上げたように、日本の憲法の枠の中であらゆる事態に対応する基本法というものを設け、その基本法の中に、例えば国連安保理決議に基づく具体的な国際協力については国連決議に基づいて、例えば国連事務総長の要請があれば日本国として憲法の枠の中で必要な協力を進めるという、基本法の中に一項設け、それに基づいて、有事の場合は有事法、緊急事態の場合は緊急事態法というものを、基本法に基づいて個々の対応を法律の中に決めて、その都度その都度、事態が起こるたびに新たな法律をつくらないで済むように対応するという方法しかないのではないかというふうに思います。
 第二の問題については、これは国民の権利義務、つまり国民のいわゆる権利、基本的人権などを保護するために緊急事態における法制とどのように調和を図るかということについては大変難しい問題なんですが、私は基本的に、有事法制を含む緊急事態、広い意味での非常事態法の中で、国民の自由とかあるいは権利を拘束する範囲とは、あくまで国民の安全を守るということに直接、間接的に寄与するという限りにおいて、国民の権利とかあるいは自由とかというものを抑制したり規制したりすることができるということだろうと思います。
 したがって、私は、有事法制において国民の権利を保護するのは、まさに国民の安全のために保護するのであって、国民を規制したり行動を抑制したりするのではなく、それがひいては国民の安全につながり、自由を守るということになるという限りにおいて、その事態に際して、やむを得ざる場合、ある限られた時間、ある限られた場所、ある限られた条件下において国民の権利あるいは自由が規制もしくは禁止されるということにとどめられるべきである、こういう説明にして法律が整備されるべきであると思います。
 最後の……
中川小委員長 恐縮ですが、両先生にお願い申し上げます。一質疑者が十分でございますので、どうぞひとつ御配慮のほどをよろしくお願いします。
森本参考人 申しわけありません。
 地位協定の改定については、私は、地位協定の改定とは具体的に何を意味するかによると思いますが、もし地位協定第十七条、つまり裁判権の問題を意味する場合には、現在の地位協定を日本国民の権利を守るよう改定することが適当なのではないかと考えています。
 現在の地位協定は、そもそも、一九四九年のNATO地位協定をモデルにしてつくられたものであり、当時の国家関係と、現在のホストネーション、それから配備といいますか、この場合アメリカとの関係は、基本的に変質していると考えるものでございます。
 以上でございます。
    〔小委員長退席、近藤(基)小委員長代理着席〕
五十嵐参考人 危機管理庁の可能性といいますか、期待可能性をお聞きだと思いますので、若干答えさせていただきます。
 ノースリッジ沖地震と阪神・淡路震災のときの対応、あるいは阪神・淡路震災の場合と今回のニューヨーク・テロの対応を、それぞれ、時間別、主体別に検討いたしました。それによりますと、大きな差が出てまいります。一つは、時系列ごとに、災害発生時三分以内、あるいは三時間以内、あるいは一日たったとき、あるいは三日たったときにどういう事態が起こるかということがある程度想定されておりまして、その時間ごとに、市民がまず何をなすべきか、それから小さな自治体が何をなすべきか、日本でいえば都道府県が何をなすべきか、あるいは国が何をなすべきかということが、あらかじめわかっている場合と全くわかっていない場合では、大きな差が出てまいります。
 先ほども言いましたように、アメリカの場合に、もちろん自然災害も起こりますし、人為的災害も起こり得る。これは共通なんですけれども、あらかじめその対応が準備されているかいないかというのは、決定的に、死者の数でも被害の拡大にも大きな影響を与えるだろうというふうに私は思います。
 日本の場合にも、危機管理庁を設置し、仮に都道府県を主体としてそういう危機管理体制を再構築すれば、かなり対応については差が出てくるというふうに思っています。
近藤(基)小委員長代理 次に、首藤信彦君。
首藤小委員 民主党の首藤信彦です。
 時間が限られておりますので、まず五十嵐参考人にお聞きして、それから森本参考人にまたお聞きしたいと思います。
 私、今政治家をやっておりますけれども、もともとは危機管理の研究者でありまして、こういう問題を十数年前にはやっておりました。それで、FEMAを日本に紹介した先駆者の一人だと思うんですが、やはり九〇年代になりますと、この問題が重要だということがわかりまして、経済企画庁でも、賢い人がいて、安全で安心できる社会ということで、経済企画庁でも調査をやりました。
 そのとき私が副主査でやりまして、災害想定なんというのも、例えば高速道路の上には車が走っていない、走っていても地震でも壊れない、壊れてもガソリンが流れ出ない、ガソリンが流れ出ても火がつかないというばかな想定をしておりまして、大地震が起こっても東京で七人しか死なないとか、そういうような話をしていたんです。しかし、ちょっと研究してみれば、日本の都市部で地震が起こったら、もう膨大な死者が出て、しかも死者が何日も何日も出続けるということがすぐわかったわけなんですね。
 そのときにどう対応しようかということで、もう当然のことながら、日本版FEMAをつくれとか、九〇年代の初頭に盛んに言っていたわけですが、まだ全然そういうことにならないんですね。なぜならないかの一つの大きな問題というのは、やはり憲法との問題が非常にありまして、ともかく憲法というのは、最後に変えていくものではなくて、緊急事態法制をしようとすると、一番最初の入り口でひっかかってしまう。
 例えば、日本にはドイツのように住居法、住宅法というものがなくて、住宅はこういうものですよという定義がない。ドイツだったら、例えば阪神大震災で問題になった長田地区みたいなのは、救急車が入れない、消防車が入れない町は、町とみなさない、家とみなさないと。ですから、ドイツではその当時、そういうものをつぶして公園にしたり道路にしたりしていたわけですね。そうしますと、結局何が問題かというと、一番最初の段階から、もう既にドイツでもそうでしたけれども、憲法と抵触してくる、私的財産権とも抵触してくるわけですね。
 それから、同じように、もう一つの場合は、火事になったら救急自動車が入れなくてたくさん人が死ぬんだから、ここは住宅ではありません、だから出ていってください、家は壊しますというのは、予防的な考え方なんですね。ということは、要するに予防法理といいますか、将来こういうことになるかもしれないから、あなたは、ここはだめよという私権の制限をしなきゃいけない。
 そういうことを考えますと、この緊急事態法制というのは、今までの法制の法理をもう百八十度変えて、最初からつくらなきゃいけない。そういうものは実際できないわけであります。したがって、十年たっても二十年たっても、FEMAが出てきてからもう随分になりますけれども、絶対に日本では日本版FEMAは出てこないわけですね。
 ですから、そういうものに関して、例えば五十嵐参考人だったら、もう本当に、緊急事態法制を御提言されておりますけれども、それだったら、一番最初のページから憲法改正を声高に叫ばないとできないんじゃないかと思うんですけれども、御意見はいかがでしょうか。
五十嵐参考人 どういうふうに憲法を改正するかは別にしまして、私自身は、憲法については議論すべきであるということであります。
 きょうはちょっと皆さんに紹介しませんでしたけれども、「市民の憲法」という本をつくりまして、いろいろな角度から日本国憲法についてはメスを入れる必要があるというふうにまず第一義的に提言いたしました。
 特に憲法九条を考えていたときに最も重要だと感じたのは、どうも従来の知的オピニオンリーダーの意見を見ると、危機管理に対してやはり九条から考えるという思考方法が、言葉をもっとやわらかく言いますと、そこからしか考えないというふうになっているのが、非常に日本の危機管理体制の障害になっていたんじゃないかということを率直に思いました。
 私は主として公共事業などをやっておるんですけれども、例えばダムによる治水というものをだんだん否定しまして、ダムによらない治水をするときに、ここには住んじゃいけないとか、ここはばあっと川があふれたときに遊水地にするとかいうことを考えなきゃいけない。外国はみんなやっておるわけですけれども、日本の場合には土地所有権というのがありまして、これが非常にネックになる。端的に言えばそういうことがありまして、もうちょっとプラグマチックに憲法も危機管理体制も考えられないだろうか。もっと学問的な言い方をしますと、政策型に憲法論議も変えるべきであるというふうにずっと思っておりました。
 そういう観点から、首藤委員の議論についても承知しておりましたけれども、なぜそれができないんだろうかということについて、実は不思議です。むしろ皆さん方国会にイニシアチブをとっていただいて、政策型対応をしていただきたい。とりわけ地震対応とか原発対応というのはあした起きるかもしれないんですね。これがこのままでいいとはとても思えないし、場合によったら立法不作為かもしれないと思うぐらい国会の対応はおくれていると私は思います。阪神大震災と同じようなことがまたあした起きて、あのような死者が起きたときには、国会の責任が問われる事態になっていると私は思っております。
 その危機対応を中心として、だから、憲法論まで議論を、別なレベル、別な視点から発展させるべきである、憲法もワンセットで私は一緒に考えたい、そういう意見です。
首藤小委員 ありがとうございました。
 まさにおっしゃるとおりでありまして、そういうことで、私も政治家になりましたけれども、なかなかこれも変えられないんで、政治家もやめようかなと思っているところですけれども、それぐらい難しいという問題があるわけですね。
 ちょっと余談ですけれども、じゃ、何をやるかというんですけれども、政治家だけではなくて、やはり実務家も教育も全部変えていかないとなかなかできないということでありまして、これはこのまま続けて、そういう方向で、ぜひ五十嵐参考人ともいろいろ話し合いながら、いろいろな意見を統合して、ともかく一歩でも前へ進まないと、十年前にはこういう提案をしたけれども、また目の前でこんな事故が起こりましたと私たちは言わざるを得ない。ですから、何らかの形でそれは進めていきたい。
 時間が限られておりますので、申しわけございませんけれども、森本参考人には一点だけお聞かせ願いたいと思うんです。
 日本の問題は、例えば緊急事態法制でも有事法制でもそうですが、ある意味で外国軍が恒常的な基地を持って日本に存在するということですね。
 例えば、国によっては、外国軍の基地あるいは駐留というものを憲法で禁止している国もあるはずなんですが、こういう緊急事態において外国軍の存在があった場合、日本では、例えば日本国としては緊急事態と考えなくても外国軍は緊急事態として考える、あるいは、日本は特定の国家と緊張状態になくてもその外国軍が緊急事態にあるという、主権において非常に複雑な構造が日本においてある。特に、世界に類がないほど巨大な基地と、しかも軍事的な、戦略的な重要度を抱えているわけですが、そういう条件において、有事法制というものはどういう今までとは違う設定をして我が国の国民を守っていくのか、その点について御意見をお伺いしたいと思います。
    〔近藤(基)小委員長代理退席、小委員長着席〕
森本参考人 時間がありませんので、途中の議論を全部省略して結論だけ申し上げると、先生御承知のとおり、一般国際法上、駐留する外国軍隊というのは、国内法の規定に従うという義務を負わないというのがルールでございます。
 したがって、例えば、在日米軍なるものが緊急事態もしくは有事に日本の国内法にどのような規制を受けるかということについては、日本が平時の場合、日米地位協定がある限りでありまして、それ以外の有事の場合にこの地位協定の条項がすべて適用されるとは限らないということです。裏返して言うと、有事の場合に米軍は日本の国内法の規制を受けずに自由に行動できるということだと思います。
 その場合に問題は、日本国民の安全、日本国民の権利をいかようにして守るか。つまり、国家国民の安全と駐留する軍隊の自由権とをどのように調和するかということが、有事法制の最も機微で難しいところであると思います。
 この点については、したがって、有事法制の中で、武力攻撃事態法が成立した後、国内法を整備するプロセスの中で米軍の法制に係る整備が行われるわけですけれども、その場合に、単にこれは国内法だけではなく、日米間で基本的な取り決めを本来して、それを担保するに必要な国内法を整備するということになると思います。その場合に、その日米間の取り決め及びその国内法は、今申し上げたように、米軍の行動を規制するための法というものと、もう一つは米軍の行動を支援するための法というものと、つまり、日本から見た場合に、ネガティブな側面とポジティブな側面と両方が一つの法体系、一つの約束事の中に入ってくるんだろうと思います。
 しかし、これにはなかなかいいモデルがありませんので、例えばNATOにはNATOの、これは公開されていない協定というのがあると思いますが、その協定をある程度モデルにして、日米間で別途の取り決めをして、それに基づく国内法を整備するということになるのではないかと思います。
 以上でございます。
首藤小委員 ありがとうございました。終わります。
中川小委員長 次に、赤松正雄君。
赤松(正)小委員 公明党の赤松正雄です。きょうは、お二人の参考人の御意見、大変にありがとうございました。
 まず、森本参考人にお伺いをいたしたいと思います。
 先ほどの冒頭のお話の一番最後の部分で、大変に私は、興味を引いたといいますか、大事なことをおっしゃったと思います。というのは、一昨年の九・一一から今日に至る事態の流れの中で、要するに、自衛権の概念だけではもはや対応できない、そういう事態が起きている、そういう流れの中でテロに対応する抑止の力というものを考える必要がある、こういう意味合いのことを森本参考人はおっしゃいました。
 私も実はこのことがずっと気にかかっておりまして、旧来的な個別的自衛権とかあるいは集団的自衛権というふうな概念でもってどう日本がこの事態に対応するかということについて考えるには非常に限界があるな、そんなふうに思っておりましたときに、非常に参考になる意見を聞いたというか、拝見した。これは森本参考人も御承知であろうと思いますけれども、山崎正和さん、劇作家でありますが、大阪大学の名誉教授、今、東亜大学の学長をされております山崎さんがいろいろなところでお話しになっております。
 例えば、手元にあるのは、読売新聞の「地球を読む」の中で、要するに、いわゆる国家間の紛争、国際紛争というものは今や想定できがたいという事態が起きている。そういう意味で、九条というものを真正面から議論するということにもはや余り意味がない。そんな流れの中で、要するにこう言っています。
 「憲法九条は「国際紛争」解決のための戦争を禁じているが、ただの犯罪組織との闘いは国際紛争ではない」「戦争放棄の前提として、憲法は世界各国の信義に期待している」けれども、「定義上、犯罪組織に「信義」は期待できない。公海上の海賊と同じく、撲滅の国際協力に加わるのが、むしろ日本の信義の発揮だといえよう。」
 こういう言い方の中で、要するに、相手は犯罪組織なのだから、文明世界でもって反テロ同盟というものを築くことが大事じゃないか。そういう反テロ同盟を築いた上で、先ほど引用しましたように、撲滅のための国際協力活動に日本が参画する。そこには、旧来的な意味、先ほど参考人がおっしゃったような自衛権の概念というよりも、またこれは違う概念、私が前にいろいろどういうネーミングにしたらいいかなと思ったんですが、仮に反テロ権とか反テロ対策、撲滅権でもいいんですけれども、そういった概念を使ってやるということによって、旧来的な九条による拘束というものを逸脱することができるんじゃないかというこの考え方に対して、森本参考人はどのようにお考えになっておられるか。先ほどおっしゃった、自衛権の概念だけでは対応できない、テロに対応する抑止の力を、こうおっしゃったことと今の山崎さんの言っていることと共通点があるかどうか、この辺についてお考えを聞かせていただきたいと思います。
森本参考人 これまたわずかな時間で結論をお話しすると、テロの事件の後、アメリカを中心として抑止の理論というものが極めて変質しつつあることは御承知のとおりであり、従来、懲罰的抑止というもの、すなわち、Aなる主体がBに第一撃を加えた場合、Bがこれに対して報復をするということによって行う抑止の概念は、テロのような主体には適用できないという状況が起こっているために、懲罰的抑止という考え方をやめて、いわば拒否的抑止という、テロのような、ある主体が何らかの攻撃をする蓋然性が強く、かつ、その意図と能力をあわせ持っている場合、これらに対する拒否的な抑止によって未然に防ぐという抑止の理論を採用しなければ国際社会の安定は維持できないという抑止の理論の変質というものが起こりつつあるのではないかと思います。
 したがって、そのことは、例えば我が国に対する武力攻撃、安保条約第五条に言う武力攻撃を前提にしたいわゆる我が国の自衛権の行使という概念を少し改め、武力攻撃に至らないような、つまりテロのように、必ずしも明白に、つまり、国連憲章上、武力攻撃とは概念しがたいような低レベルの攻撃に対しても、国家として自衛権を発動して行動しなければこの種のテロに対応できない場合、従来の抑止の理論をこれまた変えて、拒否的抑止という概念を自衛権行使の手段として適用できる方法を考えたとすれば、自衛隊の運用の仕方、あるいは国全体の自衛力だけではなく、例えば、先ほど申し上げたように、テロに対応する方法というのは、経済だとか資金だとか技術だとか情報だとか、あるいは防衛力だとか外交というものをトータルで国として有機的に機能させなければ対応できないことは明らかなので、そのような国家としての総合力を発揮してテロに対応する、国家としての拒否的抑止の概念というものを自衛権の中に包含するような形にしなければ、これからのテロに対応できないのではないかという趣旨を申し上げたわけで、その意味では、山崎先生の趣旨と全く同じことを私は申し上げたのではないかと思います。
 以上でございます。
赤松(正)小委員 では、今の件について、五十嵐参考人はどのようにお考えになりますか。
五十嵐参考人 言葉の定義をちょっと除外しまして、これをやるとまた時間がかかりますので、結論だけ言いますと、私は、テロに対応するのに、私のイメージでいきますと、危機管理を中心としていろいろな、自衛隊を含めた対応をするというのは当然だろうというふうに思っています。ただ、それは、従来のいわば集団自衛権とか、いわゆる自衛権そのものの論議とはちょっと別な局面になってきて、必ずしもそれとはミックスさせないで議論した方がいいというのが私の意見です。
赤松(正)小委員 五十嵐参考人に引き続きちょっとお伺いいたしますが、この「都市は戦争できない」の五十嵐参考人が直接お書きになられた部分だけ事前に読ませていただいたんです。そんな中で、要するに、今、政府提出の有事法制、有事法、いわゆる有事法案に対しまして、かなり否定的なことをお書きになっているといいますか、先ほど私が申し上げましたことと関係するんですが、国家間の紛争というものは余り起こり得ないということに立って、そういう準備ではなくて、いわゆる非常事態、それ以外のテロだとか自然災害とか、さまざまなそういう事態に対する対応を急ぐべきだ、こういうふうにおっしゃっているようにお見受けしたんです。
 先ほどのお話の中でも、最後の部分で、危機管理庁の構成等に自衛隊も含めてありますけれども、あるいはこの二ページ目に、「双方には質の違いがある。自衛隊はほんの一部。」こういう書き方をしてありますけれども、要するに、自衛隊の持っているノウハウとかそういうものについては余り力点を置いておられないという印象を受けるんです。
 まず一つは、今急ぐべきは、政府が考えている、あるいは私たちも参画してつくった有事法制ではなくて、そこで欠落しているというか、現行法制で対応したり、いろいろしようとしている部分をもっと強化しろということなのか。もう一つは、危機管理庁における自衛隊の役割というのはどういうふうに考えておられるのか。二点について。
五十嵐参考人 二つに分かれていますので、二つに分けて答えます。
 現在というか、前国会で提案された有事法制というのは、私は大きな欠陥があると思っています。それは、戦争イメージが、農村型社会を前提として、国家と国家が武力で争うという前提に立ったイメージでの有事法制であると読みました。その二つともおよそ現実離れしている。要するに、外国軍隊が日本に上陸するというような、国家の主権と主権をかけたような戦争は起こり得ないだろうということが一つと、それから、そういう形での戦争は日本はできない、都市型社会はできないということであります。
 しかし、そういうこととは別に、テロ等を含む非常事態は現実に存在するわけでありますから、それに対する対応は必要だということでありまして、その対応を見ると、日本の組織、法制度、訓練を含めて、ほとんど今できていない。そういう意味では、そちらの方を非常に重要視すべきであるということであります。
 二番目の、自衛隊の機能とか能力についてどう思うかということ、非常に重要な素質を持っていると思いますが、しかし、テロ対応ができたときに、テロを防ぐための自衛隊の役割というのはそう大きくはなくて、テロが起きたときにどうするかということに関しては、基本的自治体と市民がどう対応するかである。そういう意味でいえば、テロ犯を捕まえるというところには警察もありますし自衛隊もありますけれども、こちらの対応の方についてはほとんどイメージがまだなされていないので、こちらの方もより重要であるということであります。
赤松(正)小委員 委員長、一つだけお願いします。
 前半の部分ですけれども、いわゆる考えづらいということはあったとしても、それは私も認めますけれども、万が一の場合において必要な有事法制というものも必要ない、そういうことでしょうか。
五十嵐参考人 どこまで一体危機状態を想定するかというと、無限大に安全な方法はありませんので、とりあえず危機管理庁を発足させて、その中で国内的な危機あるいは国外的な危機についてどう対応できるか、そっちを先行させたらどうだろうかということです。
 つまり、万が一に備えてやると、無限大、議論の終着点が見つからないといいますか、そういう感じがするので、私の提案は、その議論は余りしたくないということです。
赤松(正)小委員 終わります。ありがとうございました。
中川小委員長 次に、藤島正之君。
藤島小委員 自由党の藤島正之でございます。
 まず最初に両参考人にお伺いしますけれども、昨年秋にアメリカに行きましたときに、実は関係者が、先ほど森本参考人の資料にありましたけれども、米本土安全保障省がもうすぐできるんだといって非常に誇らしげに言っていたんですけれども、これは本当に有効に機能するのかどうか。十数万のでかい世帯で、中身は結局、縦割りになっているのをただくっつけただけみたいなものなんですけれども、本当に有効に機能するのかどうか。あるいは、我が国にこういうものが本当にうまく適用できるのかどうか。あるいは、もし我が国にこういうものをつくるとしたときに大きな何か障害みたいなものがあるのかどうか。この三点についてお二人にお伺いします。
森本参考人 要領よく結論だけを申し上げると、必ずしも有効とは思われないが、アメリカの戦略は本来アメリカの本土を守るようには考えられていなかったので、すなわち、アメリカの本土を守るためには、前方展開戦略と同盟戦略によって侵害をする敵を遠方において閉じ込め、結果としてそれがアメリカの本土に影響が及ばないようにするという戦略をずっととってきて、米軍はアメリカ本土を守るようには配備されていなかったという従来の考え方をやめて、国としてトータルなシステムをつくるという発想が、将来アメリカの国家戦略と同盟国の関係に大きな影響を与えるのではないかと考えます。有効であるかどうかということについて私は非常に疑問に思っているが、それはこれからアメリカの戦略に大きな影響を与えるであろうと思います。
 二番目に、しかし、この制度はあくまでアメリカの大統領制という特殊なシステムの中で初めてできるので、これをそのままの形で日本に適用することは余り効率的でなく、かつ現実的でもないと思います。
 したがって、その障害は、一番重要なことは、仮に内閣総理大臣に権限を集中させるとしても、それを実行するための運用体、すなわち、例えばある新たな庁あるいは総理府、内閣、そのような組織、機関が果たして、警察あるいは自衛隊、自治、消防、地方公共団体、日本のすべての国家行政関係機関を一元の指揮のもとに統括し、危機管理の体制がとれるかどうかということが一番大きな問題で、日本の制度によく見合うような新たな制度を考えなければ、そのままの形では適用できないと考えます。
 以上でございます。
五十嵐参考人 私どもが現在入手し得る情報を前提としてでありますけれども、私もネガティブです。
 三つの目標と四つの機能というようなことをやっておりますが、目標自体は、一つはテロ攻撃を防ぐ、二番目は米国内の脆弱性を軽減する、第三番目は、テロ攻撃が起きた場合にそれを復旧するという形の目標はいいと思いますが、それぞれなすべきこと、国境・交通の保全、緊急事態への対応、化学・生物・核兵器に対する対応、情報分析・インフラ防護となっているんですけれども、これは非常に過剰、センシティブでありまして、あらゆる基本的人権を無視する可能性がいくという事件がたくさん起こっておりまして、アメリカはいいかどうかわかりませんけれども、少なくともこれを日本に持ってくるのは余りふさわしくないというふうに私は思っております。
藤島小委員 森本参考人にお伺いしますけれども、先ほど赤松委員の方から質問があった件とほぼ似たようなところなんです。テロに対して反撃する場合ですけれども、先ほど森本参考人は拒否的抑止という言葉をお使いになったんですけれども、かつての議論として、よくマイナー自衛権の問題という形なんかでも議論になったことがあるんですね、国内では。
 ただ、この問題は、テロの問題とまたちょっと違っているわけで、今後、やはりちょっと今までの普通の自衛権とは違った意味での、国際法上の何か権限みたいなものがあってしかるべきじゃないかなという感じが先ほどの議論のようにあるんですけれども、この点について、我が国だけの議論ではないと思うんですね。国際的には、この方向といいますか議論は今どういうふうな形になっているんでしょうか。
森本参考人 国際社会の中でこの問題についてどのような議論がなされているかは、詳細には知りません。アメリカの中で行われている議論だけはある程度わかりますが。
 この拒否的抑止なる考え方が一般国際法上適用できるかどうかということについては、国家安全保障戦略のあり方との関連においてアメリカの議会で集中審議が行われ、そのときの議論の中でも賛否両論あるわけですが、現在の共和党政権に近い専門家はすべて、従来の懲罰的抑止の論理はもはやテロのような主体には有効でない、成り立たないということについては、ある種のコンセンサスがあるというふうに理解しております。
 以上でございます。
藤島小委員 あと、有事に対する諸外国の規定ですね。これについては、あるパターンみたいなのがあるのかどうか、ただ適宜その国の考え方でばらばらになるのか、そういったばらばらなものも、みんなまとめてみると何かパターンみたいなのがあるかどうか。その点について、五十嵐参考人、聞かせてください。
五十嵐参考人 最近、「法律時報」という雑誌で「憲法と有事法制」という膨大な作品が発表されています。これに諸外国の危機管理に関する法制が収録されておりまして、これをざっと見ますと、非常に各国の事情を反映してばらばらです。統一的な法典上の解決策はない。ただ、どこでも危機管理については意識しているということです。
藤島小委員 では、最後にもう一問ですけれども、自治体の長の協力というのがなければこれはなかなか成り立たないわけですけれども、先般の神戸の災害のときも、兵庫県知事がなかなか自衛隊に対して災害派遣要請を出さなかった、そのおくれが相当の被害を拡大した、こういうことになったわけなんですが、これは、有事についても、今、政府の方は各首長さんの協力を求めるためにいろいろやっているわけですけれども、この首長さんの個人的な考え方で協力する、しないというのは、これはとんでもない話じゃないかなと思うんですね。
 したがって、ある程度きちっと拘束力のある規定を、これは本当に、有事の場合あるいは災害の場合、両方必要なんじゃないかというふうな感じはするんですけれども、これは両参考人に御意見をお伺いしたいと思います。
森本参考人 これはむしろ、いわゆる地方公共団体の長、自治体の長の責任と権限にかかわる問題で、必ずしも有事法の問題ではないと考えます。
 したがって、首長にそのような責任あるいは責任に伴う権限というものを与えるためには、自治関係の関係法を整備して、そのような総理大臣との指揮関係というものを明確にするという必要があると思います。しかし同時に、責任を明確にするということは権限もついて回りますから、権限を行使するに必要な、いわば手足というんでしょうか、あるいは法律もしくは予算上の措置あるいは要員等、これに付随する問題は非常に幅広い問題に発展するのではないかと考えます。
 したがって、単に総理大臣と例えば県知事との指揮関係を法律上規定したらそれで済むというものではなく、私は、大変地方自治のあり方の根本にかかわる問題なのではないかというふうに考えます。
五十嵐参考人 私も全く同意見でありまして、ちょっと二つに事態を分けて整理させていただきたいと思います。
 政府が想定するような有事がもし発生したとすれば、そのときに自治体の知事さんが裁量権を持つというのは、事実上考えられないだろうと思います。その前提はどういうことかというと、敵の国権の発動たる武力本隊が日本国土に上陸したという場合に、各地方自治体のいわゆる自治があるかという議論は、もうほとんどナンセンスに近いと思っています。
 ただ、それとは別に、地震やその他のいろいろな危機管理が起きたときに一番重要なことは、自治体にどういう権限があるのかということが実は余りはっきりしないのです。この権限と責任をはっきりした上で、それで、後でそれを国の方がバックアップするという体制に変えて、裁量権があるかないかという議論をするのはいいんですけれども、今のままで構成しますと、ただ、先ほど冒頭に申し上げましたように、物理的な現象としては、官邸に対策本部ができて、上から指令が来て、これを法的に解釈すると自治事務か法定受託事務かという議論をするんですけれども、その前に、第一義的に権限と責任を持っているのは自治体である、これとこれとはできますよということがあって、それをサポートするという議論に組みかえないと、今の現行法制を前提として今の危機管理に対するイメージで議論をしても、ほとんど収穫がないというのが私の意見です。
藤島小委員 ありがとうございました。
中川小委員長 次に、春名直章君。
春名小委員 日本共産党の春名直章でございます。
 お二人の参考人には、本当にきょうはありがとうございます。
 まず、森本参考人にお伺いしたいと思うんですが、先生がお書きになった「有事法制」という冊子を読ませていただいて、そこの二十九ページに、今政府が提案している有事三法案について、その提出の理由づけの第一に「日米防衛協力ガイドライン上の要請がある。」と。まず周辺事態という外堀を埋めて、内堀である有事法制には後で取りかかるという段取りになった、アメリカに対する日本の義務でもあり、新ガイドラインのための作業は有事法制が完了しなければ終結しないのであるということを述べていらっしゃるわけなんです。
 そこで、今の有事法制とアメリカの動向ということでお伺いしたいと思うんですけれども、御承知のとおり、今、イラクへの先制攻撃という問題が大きな問題になっておりますし、それから、昨年の国防報告では、唯一の防衛は敵に対して戦争を行うことだ、最良の防御は適切な攻撃であるというような中身の、先制攻撃ということを採用するという戦略に今アメリカはシフトしていっているわけですね。そういうもとで、この有事法制というものがどういう役割を果たすことになるのだろうかということを危惧せざるを得ないわけなんですね。
 この点、アメリカの今の動向と日本の有事法制、今の戦略との関係、これをどういうふうにごらんになっているのか、少しお伺いしたいと思います。
森本参考人 先生の御質問ではございますが、基本的には、有事法制と、今アメリカがやるかもしれないイラクへの対応とは直接の関係がないというふうに私は考えて、頭の中はそういうふうに整理しています。
 といいますのは、まず、有事法制に言う有事というのはあくまで日本にとっての有事でありますので、有事あるいは周辺事態には当たらないアメリカのイラク作戦というものが日本の有事法制との関係で関係があるのかというと、直接の関係はない。
 他方、アメリカは、先制攻撃を単にやるという新しい抑止の考え方をそのままの形でイラクに当てはめようと必ずしもしているのではなく、これはアメリカの同盟国の大変強い意向もあり、アメリカの国内世論との関係もあり、できるだけ国際法にのっとってこの問題を解決したいとして、国連で累次の安保理決議を通すための努力をずっと昨年の夏から行ってきている。
 当面は、安保理決議一四四一に基づく査察が行われ、その査察の結果がいずれにせよ追加的に二月の十四日に報告されるということなので、アメリカは、一切の国際法を無視して先制攻撃で問題を解決しようとしているのではなく、あくまで国際的な協力と支援のもとに国際法上の根拠をつくってこの問題を解決したいと今まで外交上の努力を続けてきたんだろうと思います。そのことと、さっき申し上げたように、日本の有事法制、ガイドラインとは直接の関係はないというふうに考えております。
春名小委員 私も直接リンクしているというふうに質問しているわけではございませんで、例えば周辺事態と武力攻撃事態は重なり合うというふうにもうはっきり政府が答弁されておられますし、周辺事態というのは、アメリカがどこかに介入して、そして日本の安全を脅かす事態になったときに起こる事態、それとリンクするというふうになっていますし、それから有事法制そのものの中に、アメリカへの協力条項というのははっきりうたわれております。
 したがって、アメリカを抜きにして有事法制ということは、この構想というのはないんですね、今の有事法制三法案には。ですので、アメリカの動向がそういう動向になっているので、どういうことになっていくんだろうかということをお聞きしているわけでございます。
森本参考人 仮にの話でありますけれども、我が国周辺、例えば朝鮮半島で将来紛争が起こるということを仮説として考えてみて、それが仮に我が国にとっての周辺事態である、あるいは周辺事態が発展して武力攻撃事態になるというようなことについては、これはその事態が、周辺事態及び武力攻撃事態とオーバーラップするというか、重なる事態も理論上は起こり得るだろうと思います。
 しかし、この有事法制とガイドラインとの関係というのはどういう関係になっているかというと、そもそもガイドラインというのは、いろいろな事態、これは有事であれ平時であれ、いろいろな事態に日米がどのような防衛協力を進めるかといういわゆる一般的な大枠、指針でありますので、大枠と行動の基準をああいう形でガイドラインにしたわけであります。
 これを実効性のあるものにするために、それぞれ、この場合は、アメリカは国内法がありますので、日本の場合は国内法がないので、日本の国内法を整備する必要があると日本が主体的に考えて国内法を整備する際、まず周辺事態という事態に対応する法を一九九九年五月に周辺事態法で規定し、しかし日本が武力攻撃を受けた場合の法体系というのは、今まさに有事法制という形で取り組んでいるわけです。
 この有事法制は、日本に対する危機管理上の法体系と同時に、それに対応する合衆国軍隊に日本がどのようなかかわり方を持つかという法体系と両方あって、先ほど御答弁申し上げたように、米軍とのかかわり方については、米軍が日本有事のために行動するこの米軍の活動に日本としてどういう協力ができるかという法律と、それから他方において、日本の国内法に縛られない米軍が自由に活動することに係る日本の国民の安全だとか権利義務にかかわる法体系と、二つが日本の国内法上の整備として取り組まなければならない法律なんです。その前者の方については、まさにガイドラインの有事関係法なわけです。
 つまり、地理的に言うと、日本の外側の日米協力は周辺事態法、日本の内側の有事事態については有事事態に関する日米関係法、この二つが完了して初めていわばガイドライン関係法が終了する、こういう論理立てにして説明をしようとしているわけです。
 以上でございます。
春名小委員 非常事態、緊急事態といいますときに、有事、大規模災害、テロ、それから不審船の問題とか、その他いろいろな区分けができると思うんですが、有事というのは武力攻撃という問題なんですよね。その武力攻撃の可能性というのは、今参考人の森本さんもおっしゃいましたけれども、周辺事態が発展していってそういう可能性などが起こってくる。そういうことのたてりで今度の法案というのが私、出されているというふうにどうしてももう見ざるを得ないものですから、参考人もそう思っておられるのじゃないかとは思うんですけれども、そういう点では、少しちょっと違うんじゃないかという本来的な印象というのを私、持っているんですね。
 それから、それと同じ質問になるんですけれども、五十嵐参考人は本の中で、先ほど赤松さんも御質問されていましたが、今の武力攻撃事態法、有事三法案は、ちょっと非現実的といいますか、そういう性格のものじゃないかというふうな評価をされていると思うんですけれども、その点についていかがでしょうか。
五十嵐参考人 そのとおりでありまして、要するに、私どもなりに有事法制の前提となる事態はどういう事態かということについて、ヒアリングや調査やいろいろ行いました。具体的に、いわば昔の言葉での仮想敵国はどこだろうかということを検討した結果、多分、今日この時点で外国の軍隊が日本の本土に上陸するということはあり得ないということです。
 もしそういう事態があり得たら、ほとんど日本の自衛隊も壊滅し、あるいはアメリカ軍も壊滅するというような状態ですから、そのときに、もう有事法制なんて考えている暇もないし、考えること自体がナンセンスであるというふうに思いました。
春名小委員 時間が参りましたので終わりますが、日本国憲法は平和的生存権、これを高らかにうたって、その意味で、大規模災害だとかさまざまな国民の命を脅かすような問題について、やはり憲法の要請に沿って対策をしっかりやる、そういうことが必要です。
 ただ、軍事的な対応という問題は明確に区別していまして、憲法九条と前文によって、安全を守る上でも非軍事の対応をするんだということを宣言しているわけですね。そのことが私は区分けとして大事じゃないかなと思っております。
 以上です。
中川小委員長 次に、金子哲夫君。
金子(哲)小委員 社会民主党・市民連合の金子です。
 きょうはお二人のお話ありがとうございました。
 非常に今日的な問題で森本参考人にお考えをお伺いしたいんですけれども、国連でパウエル長官の発表がイラク問題にかかわってありまして、あの発表ではイラクへの米軍の軍事行動の根拠とはなり得ないというのが、今や世界的にはかなり大きな世論になっていると思いますけれども、端的にそのことに簡単にお答えいただきたいということ。
 それから今、米国によるイラクへの軍事行動が必ず展開されるだろうというその見方も大変強いわけですけれども、その点において、少なくとも国連の新たな決議が必要だという意見と、いや、疑いがあれば行い得るんだという意見とがあるように思うわけですけれども、少なくとも、新たな国連の決議が軍事行動にとって必要だというふうな点についてどのようにお考えか、まずお聞かせいただきたいと思います。
森本参考人 結論を申し上げると、イラクが累次の安保理決議に違反して国連の査察に非協力的態度を示し、かつ、しばしば妨害をしてきた事実を安保理決議一四四一はこれを認め、そのことに深い遺憾の意を表明し、さらに、イラクが今回の安保理決議一四四一に基づく査察に対して非協力的態度をとったり、あるいはイラクの違反行為が明らかになった場合には、この安保理決議には深刻な結果を招くと書いてあると思います。
 従来、イラクに関する安保理決議には、深刻な結果を招くという表現が今までの安保理決議にも使われており、イラクが安保理決議に非協力的態度をとった場合、英米両国は今までも何らかの武力行動をとってきたわけで、とらなかったことはないと思います。これは、一九九六年、九七年、九八年以降、すべての安保理決議を実行する際、それに従わなかった場合、例えば限定的な航空爆撃その他の軍事行動をとっていると思います。一度もとらなかったことはないと思います。
 私は、今回のパウエル長官の説明は、いわばこのアメリカの持っている独自の情報を内外に示すことによって、イラクが今回の査察に非協力的態度を示し、何らかのものを隠しているという証拠を示すことによって、イラクに最後通牒を突きつけるとともに、国連安保理のメンバー国そのものにこれで最後の手段であるということを示すという、政治的な目的を含んでいたのではないかというふうに考えます。
 したがって、十四日に行われる新たな報告がどのような結果になるか必ずしもわかりませんけれども、少なくともアメリカは、現在までの安保理決議で十分であり、これ以上新たな決議を必要とせず、いつでもイラクに対する武力攻撃が可能であるという立場を崩しておらず、私は、これでよいといいますか、これで間違いがないのではないかというふうに考えます。
 それは一体いかなる決議かということを個別具体的に聞かれれば、やはりそれは一九九〇年の安保理決議六七八にさかのぼるのではないかというふうに考えます。
金子(哲)小委員 ありがとうございました。
 五十嵐参考人にお伺いしたいのです。
 先生は最初に、非常事態ということで地震とか水害、原発、テロ、戦争と五つのものを挙げられて、人為的なものと自然現象ということをおっしゃったわけですけれども、この非常事態の論議のときに、どうしてもそこが混同して、今有事法制も出ていることもあって、すべての問題で、私は、あえて混同して論議をされているのかよくわかりませんけれども、やはりきっちりと分けるべきだというふうに思っています。自然災害というものと人為的な現象というものは明らかに、原因を絶つという意味では差異があるというふうに思います。そうしますと、やはりそれを分けて考えるべきだという、先生もそういうお考えだと思うのですけれども。
 さてそこで、特に自衛隊の問題なんです。先ほどもお話があった、例えば地震とか水害などに対する日本の対応、緊急性対応が非常に弱いということはありますけれども、先ほどもちょっと質問が出ましたけれども、知事の自衛隊に対する出動要請という問題もありました。私は、この問題の中に、大きな問題としては、今の自衛隊のありよう、自衛隊法の中のありよう、私ども社民党はこれに対して、災害対策用の別組織をつくるべきだということを、また自衛隊をむしろ縮小していってそういうものを強化していくべきだということによって、もっと自然現象に対する、そういう非常時というか緊急事態に対しては対応をとるべきだというふうに考え、その方が日本の今の憲法の中にあってより効果的だし、その方がより現実的だというふうに考えていますけれども、先生はその点についてどうお考えでしょうか。
五十嵐参考人 社民党のそういう政策は読ませていただきました。問題は、どのくらいリアリティーがあるかという問題だと私は認識しております。私自身は、自衛隊に関して軍縮をすべきであると思っておりますし、自衛隊も一部、災害に対して出動することもあり得るというふうに思っています。ただ、その際、別組織ができるまで動かないという議論だとすると、これは間に合わないという意見であります。
金子(哲)小委員 森本参考人にぜひお聞かせをいただきたいと思いますけれども、今、抑止力論が出ました。新しい形に今変わってきたんだということが言われておりますけれども、従来、抑止力論に立って、例えば核兵器の場合は、結局のところ、膨大な、人類が何度も死ななければならないほどの核兵器の保有を現実的には進めていったという側面は否定できないと思うんですね。特に、被爆国日本としては憂慮すべきことだということで指摘がされてきたと思うのですけれども、抑止力論の持つそういう危険性というもの、そして今お話のあった、新たな形といえども、拒否的抑止といえども、やはりそれに対するまた新たな反撃の準備というようなことによる危機というものを拡大していくという矛盾を必ず抱えているように思うのですけれども、その点についてのお考えはどうなんでしょうか。
森本参考人 この抑止の理論の変質が一番明確にあらわれるのは、むしろ通常戦力ではなくて核戦略なのではないかと考えます。従来、懲罰的抑止は、あくまで敵の第一撃に対して第二撃の報復を戦略核、攻撃戦力によって行うということによって抑止をしてきたわけだと思うのです。従来から、例えば相殺戦略だとかあるいはいわゆる相互確証破壊だとかといった累次の核戦略はすべて第二撃の報復によって核の抑止をやるということであったので、したがって、核戦力の基本的な構成は、いわゆるトライアドといって、攻撃戦力の三つの柱であるICBMとSLBMと戦略爆撃機というものから構成されてきたことは御案内のとおりであります。
 ところが、そういった報復によって懲罰的抑止をやるという考え方をやめて、いわば拒否的抑止という考え方を取り入れますと、攻撃戦力だけではなく、敵の攻撃に対して防御ができるというシステムというか能力を同時にあわせ持つということによって、攻撃をする力と、それから防御する力と、それからこの二つの能力を支える基盤的ないわゆるインフラ、あるいは情報、産業インフラといった基本的なプラットホーム、この三つを新しいトライアド、すなわち、攻撃戦力だけではなく、攻撃戦力と防御戦力と、その二つを支える基盤戦力、この三つをもって新しい三本柱として核の抑止をやるという考え方に現在移りつつあるのではないかと思います。
 その結果が、ABM条約の廃棄と、ミサイル防衛の進展というのでしょうか、あるいは開発というものを意味するということになり、そのことが例えば同盟戦略や同盟への拡大抑止にどのような影響を与えるかということは、これは相当深刻に再検討する必要があると思いますが、私は、報復による抑止という考え方より、今のように、新しい拒否的抑止のように、攻撃と防御と、それからそれを支える基盤戦力という三つの柱でできた新たな戦力構成の方がむしろトータルな国家の安全保障を担保するのにより効率的な方法なので、むしろ国際社会を不安定にするのではなく、安定させるのではないかと考えます。
金子(哲)小委員 ありがとうございました。
中川小委員長 次に、井上喜一君。
井上(喜)小委員 私は、保守新党の井上喜一でございますが、森本参考人に三点ばかりお伺いをいたします。
 第一は、森本参考人のこのメモの一番にあることで、有事・非常事態・緊急事態の場合におけるしかじかの対応等々原則的事項を憲法で書く、こういうことが書いてあるのです。
 私は、全体を仮に危機管理という言葉であらわすとしますと、すべての状態ですね、非常事態とか緊急事態とか有事、この緊急事態について、憲法で明らかにしないといけないと思いますのは、一つは国家権力の行使についてであります。
 いろいろな事態が起これば、国は当然それに対して対応する義務があると思うのでありますが、その対応の場合に、国家権力の行使について、例えば武力を使うというような場合の制約ですね、あるいは、都道府県知事等々の指揮命令権ですね、これなんかを付与するとか、そういうような、これは自治体の長の権限の制約でありますけれども、そういうのを規定する。それからもう一つは、国民の権利を制限したり、義務を新しく課すことですね、これについての規定を置く、こういうことではないかなと思うんですよね。
 恐らく憲法で規定するのは、危機管理につきましては、そういったことも森本参考人もお考えだと思うのでありますが、私が申し上げたいのは、この有事と非常事態と緊急事態の場合を分類して、それぞれの事態に対応する形で、今申し上げました事項に関連することを憲法で書く、こういう意味で言っておられるのか。あるいは、もっと包括的に言っておられるんだけれども、その中を分類すれば、有事にも対応でき、非常事態にもあるいは緊急事態にも対応できるようなことを書くというような意味なのか。おわかりですか、私が言わんとすることは。それを一つお聞きしたいんです。
 私は、どちらかといいますと、やはり一本であらゆる事態に対応できる、そこの国家権力としての限界とか国民の権利義務、権利を制限したり義務を課する、そこの限界ですね、そういったのを書いた方がいいのではないかというふうに思うんですが、いかがですかということです。
 二番目は、国家安全保障基本法のことがありますが、森本参考人はこの法律の中の法律事項というのは何を考えておられるのか、明らかにしていただきたいということです。
 三番目、これは、有事法制その他危機管理についての法律の整備とか実態、こういった整備が非常におくれている。これは、国民の意識がそういうことを整備するというような状況になってこなかったとか、あるいは国会も動かなかったとか、いろいろなことが考えられますけれども、私は、これはやはり、とりわけ憲法九条があるというようなことがこういう危機管理の体制の整備をおくらせたんではないかと思うんですが、これについての御意見をお伺いいたしたいと思います。
森本参考人 いずれも非常に基本的な御質問ですが、時間の制約もありますので、要領よく話をしたいと思います。
 私は、きょうの御設問ではありませんが、憲法九条はいずれにせよ改正する必要ありと考えるものですが、憲法九条第一項は、これは不戦条約から始まった国際社会における基本的な戦争放棄の趣旨をうたったものであり、手直しの必要はないが、憲法九条第二項をもし改正するとすれば、その中に自衛権の保持と自衛力の保持を明記すれば、必然的にそれは有事における基本的なあり方を憲法の中に書き記すことになり、改めて有事、次第の云々を憲法の中に規定する必要はない。例えば、表現はよろしくないのですが、我が国は自衛権を有する、自衛のための自衛力はこれを保持する、細部については法律に定めると一行書けば、それで有事における体制は憲法上の根拠と規定ができ、後は法律をつくればよいという話だというふうに思います。
 他方、自衛権だけでは説明できない緊急事態、例えば災害その他は必ずしも自衛権ということではありませんので、その条項とは別に、憲法の中に、国家の緊急事態については内閣総理大臣がその責務において国家の機能を統括する、国民は必要な協力を行う、細部は法律で定める、こういうふうに書けば、自衛権の行使とは別のいわゆるその他の緊急事態に関する憲法上の規定ができ、二つがそろうのではないかと思います。それが、私の第一の問いに対する答えです。
 第二は、実はPHPの「ボイス」に、安全保障基本法とは何かという非常に長い論文を去年出して、その中に、安全保障基本法のモデルを、条文の中に全文書き込んでございます。後ほど先生に送りたいと思います。
 三点目は、私はこういうふうに考えているんです。
 つまり、日本人の危機管理意識の低さというのは何に起因するんだろう、これは三つあるのではないかと。
 一つは、日本の置かれた歴史的なあるいは地政学的な環境。つまり、言葉は非常によくないのですが、島国で、領土が他国と接しておらず、本格的な本土の外国軍隊の侵略を、こういうふうにまた言うと物すごく怒られることがよくあるんですが、本土の本格的な外国軍隊の侵略を歴史的に経験していない国民が、危機管理というものに比較的緩やかな意識をずっと持って、歴史的に我々はこの島に過ごしてきた。これは憲法九条とは関係ない話であります。そもそも論の問題だと思います。しかし、憲法九条を議論するのであればそれは正しいと思いますが、それはこの五十年の話であって、もっと歴史的な、国民意識に起因するものが一つある。
 もう一つは、私は、日本人に恥の文化というのが依然として、中世以降入ってきて、これは儒教に起因するものだと思いますが、これが日本の危機管理を非常に損なっている。
 裏返して言うとどういうことかと言うと、例はこれまたよくないのですが、阪神大震災のときにだれがどのようなミスマネジメントをし、だれがどのような判断を過ち、どのような間違いを犯したかということは、決して記録にも残さず、人は口にしないんですね。そして、だれがどのように苦しんで亡くなっていかれたかという、それぞれ苦しまれた人々の経験だけが教訓として残って、だれがどのような判断の過ちをしたかということを民族の教訓として残さない。これを繰り返しているから危機管理が定着しないのではないかと思います。
 この二つは憲法九条とは関係ない話。それが、私が国家の危機管理、日本の危機管理がなかなか根づかない原因をもし挙げるとすれば、以上三つなのではないかというふうに考えます。
 以上であります。
井上(喜)小委員 終わります。
中川小委員長 次に、近藤基彦君。
近藤(基)小委員 イラクの問題に関しては、森本参考人は、もう既にテレビその他で我々重々よく承知をいたしておりますので、イラクの問題もちょっと聞きたいんですが、最初に五十嵐参考人に、お話の中では憲法そのものとのかかわりというものを余り、短い時間でしたから、なかなかお話しできなかったんだろうと思いますが。国家緊急権、森本参考人はもう明確に憲法の中にも示すべきだと参考文例まで今お話しをいただいたんですが、五十嵐参考人の方はその辺はどうお考えになり、そして、今入っていないわけですが、憲法改正をして入れるにしても随分時間のかかることで、その間にもし緊急事態が起こった場合に、これは現憲法を超えてやれるかどうかという判断が学説的には非常にいろいろ飛び交っているんですけれども、五十嵐参考人はどうお考えでしょうか。
五十嵐参考人 国家の緊急事態について憲法に規定すべきかどうかについていいますと、私は、規定すべきだという意見です。ただし、この憲法調査会を含めまして、憲法の論議をすると、ここだけが異様に膨れ上がりまして、トータルに現行憲法が抱えているさまざまな問題点がどちらかといえば捨象されがちだというふうに私は見ておりまして、これだけを突出的に憲法に規定するという意見には反対です。もっと重要な問題が山ほどありまして、そういう意味で憲法はトータルに見直すべきであるというのが私の意見であります。
 それから二番目、私は法律家でありますから、憲法を超える事態はそれはできませんと思います。だから、どういう事態を想定して言っていらっしゃるかわかりませんが、仮に九条の解釈があって、自衛隊をどこまで動かすことが合法かどうかという、合憲かどうかという議論であるのかもしれませんけれども、いずれにしても、憲法九条の解釈に幅がありますが、憲法を超える事態は到底許されませんと思っています。
近藤(基)小委員 これは、具体的に話し出すと、どうしても行き着くところは大体似たような議論になってきますので、明文化すべきという、その明文の仕方は別にしても、明文化すべき、ある程度入れ込むべき、多分入れ込むにしても、憲法の中ですから基本的な部分を入れ込んで、あとは細かいところは法律でという話になるんだろうと思います。
 イラクの問題出たんですけれども、これはお二方にお聞きをしたいんですが、去年、小泉総理が北朝鮮へ行って、北朝鮮の国家的犯罪、北朝鮮の代表といいますか、元首、大統領といいますか、朝鮮労働党の委員長という言い方をしていますけれども、だれが見ても他国でいえば大体大統領的な、あるいは国家元首的な人の発言として拉致の問題が明らかになった。
 拉致の問題というのは、お二方のお考えを聞きたいんですが、我々は国家主権が侵されたと思っているぐらいなんですが、こういう事態というのは、緊急事態あるいは非常事態の枠の中にはまるものなのかどうか、もしお考えがあったらお聞かせをいただきたいと思います。
五十嵐参考人 短い時間で簡単に結論が出そうもありませんので、この点については追ってよく考えて勉強させていただきますとしか答えようがありません。
森本参考人 私は、拉致そのものが国家の意思によって組織的にかつ大規模に行われたとすれば、それは間違いなく緊急事態であるということだと思います。だから、このことは、例えばあるケースが起きて、人数が少ないとか多いとかということではなくて、必ずしも大規模に行われたものではないという場合に、国家としてこれを緊急事態とみなすかどうかについては、必ずしもそれには当たらないというふうに考えます。
近藤(基)小委員 私は新潟県で、今お帰りになっていただいた五人の方の三人が私の選挙区におられて、なおかつまだ御家族がお戻りになってきていない。これに対処する場合、各国の人たちにいろいろなお願いをし、同意を――北朝鮮は、百九十カ国ぐらい世界にある中で、百五十四と実は国交がある国であります。日本は、逆に言うと一カ国だけ国交がない国であるんですけれども。
 そういうことを考えながら、今現実、百五十四もの国交のある国が、国家犯罪を認めた国を、本来どおりの、国交があるといっても、国交のやり方とか中身というのはいろいろ千差万別なんですけれども、これに対して、例えば国連に、安保理じゃなくても結構なんですが、我々が持っていく要素が、今森本参考人の話ですと、国家的な緊急事態かどうかはちょっと判断しにくいぐらいの規模だという話でありますが、私らはやはり、国民の安全を守るという部分の緊急事態ということでかんがみれば、国家としてそこまで持っていってもおかしくないぐらい大きな問題だろうと実は思っているんですが、どうも政府の対応は、当事者国同士だけの話をどうも前面に出し過ぎて、いろいろなことをやっていらっしゃるんだろうと思うんですが、それがことごとく、ではどこかの国がかわりに北朝鮮に対して、拉致の問題に関して、おい、何とかしろやと大向こうに訴えたような話は一向に聞こえてこないということでありますので、だからそのぐらいのことをしてもいいぐらいに思っているんですが、では、国連に持っていくということだけのことでも結構なんですけれども、いかがお考えでしょうか。
森本参考人 この問題は、事柄の内容が人間の基本的な人権あるいは人道並びに国家の主権にかかわる重大事なので、当然日本は、この問題は国連にしかるべき提訴をして、国際社会に訴え、かかる行為が現行国際法に著しく違反する行為であるということを堂々と主張するべき問題であると思います。したがって、日本政府は、人道その他の委員会にこの問題を提訴し、かつ国際社会の理解と協力を得てこの問題を解決しようという手続をしているんだろうと思います。
 他方、この問題を安保理という場に仮に上げることができるとしても、安保理という場は御案内のとおり非常に特殊な場で、この問題を上げた場合、日本は当然、安保理の常任及び非常任理事国ではありませんので、したがって、日本の外交イニシアチブの枠から外れたところで合意ができ、コンセンサスができ、手段と措置が決まるということで、それが必ずしも日本の国益に合致するような方向になるかどうかということが定かでない場合、必ず日本の国益に合致するような結論が生み出されるという確証がない限り、安保理にこの問題を提訴し、持っていって、この日本国の手を離れて、諸外国のコンセンサスが全く例えば日本にとって不利益な結果となって、確証はない、あるいは必ずしも国家にとって重大な問題とは考えられない、あるいは単なる犯罪行為であるとぱっと形がついてしまうと、かえって日本が窮地に陥り、得策ならず、そういう判断が政府の中にあるのではないかと私は推量しております。
 以上でございます。
近藤(基)小委員 五十嵐参考人は、この問題に関して勉強するというのは……。
五十嵐参考人 国民の一人としてはいろいろ意見を言いたいんですけれども、専門的知見というのは私はありませんので、お答えを差し控えさせていただきたいということです。
近藤(基)小委員 どうもありがとうございました。
中川小委員長 次に、桑原豊君。
桑原小委員 五十嵐参考人のこの著書でも触れられておるわけですけれども、ドイツ基本法のいわゆる緊急事態関連部分ですね、これにかなり高い評価をされておられると思いますけれども、私も、ドイツと日本、同じようなさきの戦争の体験をして、そして、その反省の中からこういった有事に対していろいろな考え方が生まれてきた。そして、二度とああいう戦争を起こしてはならない、こういうようなことを踏まえて、ドイツの場合は、対話をするということを前提にしながらいろいろな制約を加えていく、こういう立場をとっているわけでして、ある意味じゃ、日本で考えていく場合に大変参考になると私も思うんです。そこで、その中で特に、そういった事態の認定から始まって、いわゆる軍隊の出動、そういうものについて常にドイツの場合、連邦議会、これが深く関与している、そういう仕組みになっておりますね。
 日本の場合は、確かに自衛隊の出動については国会の承認、こういうことになるわけですけれども、ある場合によっては事後承認ということになるわけですし、それから、その承認の仕方もいわゆる対処基本方針というものがあって、その中にそういった項目が一つ入っている。その対処基本方針というのは、むしろ国会以前にいわゆる内閣で閣議決定して公示していく、こういうたぐいのものですから、既に走り出したものを事後承認する、こういう形になるわけですね。
 そういう意味じゃ、非常に不完全な、不十分な国会の関与ではないか、こういうふうに私は思うんですけれども、この点について、森本参考人そして五十嵐参考人、日本のこの国会の関与とそしてドイツのあり方とを比べて、どういうふうな感想をお持ちになっておられるか、それぞれお聞きしたいと思います。
    〔小委員長退席、近藤(基)小委員長代理着席〕
五十嵐参考人 基本的な危機管理に対する思考方式としては、ドイツ型は非常に参考になると私は思っております。特に、法治国家のあり方として、ドイツというのは、やはり私たちの法律のある種の源泉でもありますから、非常になじみやすい。アメリカやイギリスよりも、私が調べた限りではドイツ型の考え方はなじみやすいと思っています。
 ただ、日本とドイツとの間では幾つかの点で大きな相違がありますので、そのまま導入はできないというふうには思っています。どこが相違があるかといいますと、一つは、ドイツでは憲法九条がないということです。基本的に軍隊の位置づけがまずあるということです。そこが違っております。日本の場合は九条がありますので、特に自衛隊を出動させる場合には、ドイツよりもはるかに面倒な議論や仕組みが必要であるというのが一点です。
 二番目は、議会が、これは議院内閣制のもとでドイツと日本を比べた場合に、さまざまなことがありますけれども、ややドイツの方が議会のコントロール権が強いという感じがいたします。正直言いまして、日本の議会は議院内閣制のもとで議会のコントロール権は弱いと思っていますので、議会だけでチェックできるとは思えません。
 三番目の違いがありまして、これは憲法裁判所というのがあるかどうかというのが、非常に大きく物事を考える際の重要事項になると思います。憲法裁判所というのは、先ほどちょっと紹介しました「市民の憲法」というもので、私自身は憲法裁判所を導入すべきであるという意見でありますが、日本の裁判所とドイツの憲法裁判所を比べるとやはり雲泥の差がありまして、日本の場合には、権力乱用チェックシステムとしての現在の裁判所は余り期待できないということであります。
 それから、最終的に、これが一番ラジカルな相違じゃないかと思いますけれども、ドイツの場合には、国民の抵抗権、権力に対する抵抗権というのが憲法で規定してありまして、これがいわゆるファシズムなんかに移行するときの非常に大きな担保になっているということだと思います。日本の場合も確かに国民主権という形では書いてありまして、前文を見ますと、憲法をも場合によったら変える権限を国民主権というのは持っているということまでは前文では規定してあるんですが、各章の条文にいきますと、あらゆる基本的人権の根底に国民主権に反する政府を倒す権利がある、いわば革命権に近いような議論だと思いますが、これは欠落しております。
 この四つの差がありまして、思考方式としてはドイツ型も非常に参考になると思いますけれども、なおその四つの大きな意味で差異がありますので、日本の場合にドイツ型の緊急事態法制をつくる場合には、もうちょっと日本型に合わせて検討しなければいけないことがあるというのが私の意見です。
    〔近藤(基)小委員長代理退席、小委員長着席〕
中川小委員長 森本さん、つけ加えることはありませんか。
 桑原君。
桑原小委員 比較されて、どういう感想をお持ちかということなんですけれども。
森本参考人 確かに、日本は、日本の法律や政治体制を考えるときに、先ほど申し上げたように英米法をよく参考にしがちなのですが、特にアメリカの例えば戦争権限法などは全く手続法でありまして、こういったいわゆる制度、英米のような実体法の制度というのはなかなか取り入れられず、私は、日本に取り入れられるとすれば、やはりドイツ基本法が一番参考になると思います。
 先ほど五十嵐参考人の御説明のとおり、日本の場合は日本国憲法がありますので、その違いが最も大きく、日本のこの種の手続については、いわゆる立法府である国会に対して責任を負っている内閣というもののあり方からして、ドイツ基本法とは相当に性格が違うものであるというふうに考えております。
 以上でございます。
桑原小委員 もう一つ、この有事法というのは、そういう事態において国民のさまざまな、財産や権利、命、そういうものを守っていくというふうに働くと同時に、結局、逆に、国民のそういうものを侵すということについての危険性もあるわけですね。両面の危険性が出てくるわけですね。そのときに、どこまでその制約が可能であるのか、そして、どれ以上やっちゃいけないのか、そこら辺にきちっとした線を引くということ、そしてまた、ちゃんと守られるようにいろいろな仕組み、運用をきちっとやっていくということ、それが非常に大事だというふうに思うんですね。
 そういう意味じゃ、ドイツの、この中では、いわゆるいかなることがあっても守らなけりゃいけない人権と、それから、いろいろな手続のもとで一定程度制約はやむを得ないとする、そういうものと、そこを明確に分けて法律で規定している、こういうやり方なんですが、私は、これも一つ大きな参考になるんじゃないかというふうに思うんですけれども、こういうやり方を日本でとるということができないのかどうか。できないということはないとは思うんですけれども、なぜそれが、今出されているものにはそういうものはないわけですけれども、そういったことについてどう思われるかということが一つ。
五十嵐参考人 ドイツでは、制限してよい基本的人権と、絶対に制限してはいけない基本的人権をあらかじめ区分しております。総じて言いますと、財産権の自由に関しては、事後的に裁判等で復活できるということを前提にして制限可能と見ております。しかし、精神的自由については絶対に制限不可能だという考え方に立っているようであります。日本の危機管理体制を考える場合にも、基本的にはこの考え方でよいのではないかと私は思っております。
 一言だけつけ加えますと、現在の政府が出している有事法制は、個々の原則があいまいであり、かつ精神的自由についても、有事法制の構造を見ていきますと、とめどもなく戦時中の総動員体制に近いような権利制限まで行きかねない危惧があるというふうに考えております。
森本参考人 私は、この問題については、今の五十嵐参考人の考え方と少しく違います。
 国民の権利義務をどのように制限するかということについては、国民個々に持っている基本的な人権とか自由の内容とか性格に立脚して区分するのではなく、本来それは不可能に近い、むしろそうではなく、起こり得る状況とか事態に立脚して区分せざるを得ない。例えば事態や状況が極めて深刻で、残念ながら、多くの国民の安全を維持するためには、ある特定のところ、ある特定の状況下にいる一定の国民の権利義務を著しく制約せざるを得ないということは大いに起こり得る。したがって、むしろ状況や事態に立脚して国民の権利あるいは自由を制約するという規制にせざるを得ない。
 しからば、それはとめどもなく規制が行われるではないかということについては、私は、事後、国民が自由にそのことについて政府の措置を例えば訴え、客観的にそれが審査され、あるいは証明され、その制約がより多くの人の安全を確保し、維持するためにやむを得ざるものであったかどうかということは、別途、司法機関その他が判断すべきものであって、そのときそのときに、個人が持っているこの人権は制約できるが、この人権は制限できないというふうには法律の中ではなかなか書きにくいものではないのかというふうに考えております。
桑原小委員 どうもありがとうございました。
中川小委員長 次に、谷本龍哉君。
谷本小委員 自民党の谷本龍哉でございます。
 森本参考人、五十嵐参考人、長時間本当にお疲れさまです。最後の質問者でございますので論点もほとんど言い尽くされておるんですけれども、少し質問させていただきたいと思います。
 一問目は、ちょっと仮定の話に対するお二人の考え方をお聞きしたいと思うんですが、日本がテロ攻撃を受けたときの状況についてなんですけれども、確かに、戦争が起こらないようにとか、テロを根絶するために日本が国際舞台で最大限努力をする、これは必要なことだと思います。ただ、それでも一〇〇%それらがなくなるということはまず考えにくいのではないか。そういう中で、現状は、貧困や経済格差からテロ組織ができる、中にはそれを支援する国もあるという状態が続いています。ただ、これから先もしかすると、支援するだけじゃなくて、それを活用しようとする、あるいは、テロ組織自体が傭兵的な性格を帯びるような可能性がないとは限らないと私は思います。
 先ほど、国家間の紛争というのはなかなか起こりにくい、これは事実だと思います。その理由は、非常にコストがかかる、あるいはリスクがある、面と向かって戦いを挑めばやり返される。であるならば、国の中には、それを避けて、そういう傭兵的な性格のあるテロ組織に資金を流すことだけによって特定の国にダメージを与えよう、そういうことを考えるところが出てこないとも限らない。
 そういう場合に、もしその標的に日本がなった場合、これは形としてはテロが起こるわけですけれども、実際には傭兵を雇った戦争と変わらない、実質的には戦争と変わらない、しかしながら表面的にはテロである、こういう状況が日本で起こった場合に、現状の日本の制度、法律の中で一体どういう対応ができるのか。全くそのお金を流している国がわからない場合にはどうなのか。もしそこに資金を大量に提供しているという事実がはっきりと証拠として判明した場合にはどうなのか。その中には、例えばそれは実質上戦争であるから自衛権の行使ができるという判断ができるのか。その辺のお二人の考え方をお伺いしたいと思います。
森本参考人 これはまさに仮定のお話なので、こちらも仮定でしか議論がなかなかできないのですが、そのテロなるものが日本の国益をどのように侵害するような事態になるのかということによると思います。
 例えば、一人だけがある一人をテロにしようとして入ってきたという場合は、自衛権を行使してやるということについては必ずしもなじまないので、したがって、あくまで仮定の問題としてしか我々は考えられないのですが、仮にそれが大規模で、ある特定の主体が明確な意図を持って日本の国益あるいは国民あるいは領土を侵害するということが何らかの方法によって明白であるというような場合には、これは私は、国家は自衛権を行使してこれを排除し、同時にこれを国連に提訴するということができるのではないかと考えます。
 ただし、この場合、国家の主権というものをどのような形で行使するか、すなわち自衛権を行使するに値する行為であるかどうかということについては、よほど慎重にしなければ、自衛権の行使という問題を拡大解釈するということは国際法上は大変危険な行為なので、したがって、十分に慎重にやりながら、まず重要なことは、これを排除し、その証拠を突き詰め、そしてこの問題を国際社会の中に持ち込むという方法しか今ないのではないか。
 つまり、その三つの方法というのは、実はそれぞれが大変難しく、初めはだれがどのような意図を持って日本にしかけてくるのかということが判然としない場合、相当に情報収集の能力が高くなければこの種のテロを未然に防止したり排除するということは不可能であります。そういう意味では、情報機能の強化と、それから、資金というものがテロ活動の最大のモチベーションといいますか、要するに要因だということを十分にわきまえてテロ対策を進めておくということによって未然に防止する、あるいは抑止の機能を強化するということしか今はとり得ないのではないか、このように考えます。
五十嵐参考人 どういう事態を想定するかによって答えがおのずと違いますが、非常に抽象的ですが原則論を考えるとすれば、私は、国際法のルールにのっとって対処するということであります。
 その一番重要なことは、テロは、程度にもよるわけですけれども、私の考えでは基本的に戦争ではありません、テロの定義にもよりますけれども。そういう場合には、国際刑事裁判所というものによって裁くというのを国際法的なルールにして、そこが第一義的に管轄をすべきであるというふうに思っております。どうも日本で議論をするときに、直ちに日本の自衛権になってすぐ自衛隊と、こういうふうに言われますけれども、まず原則、国際法のルールにのっとる、それから国際刑事事件として裁くというのを確立すべきであるというのが私の意見です。
谷本小委員 では、最後の質問者でございますので、お二人、もし何か最後に言い残したことがあれば、一言ずつ言っていただければと思います。
五十嵐参考人 冒頭に申し上げましたけれども、憲法には非常事態に関する規定はありませんが、非常事態は起こり得ます。これに対する有効で具体的な対処をするのは国会の責務であるというふうに考えておりますので、ぜひ鋭意検討なさっていただきたいと思います。
森本参考人 私は、やはりこの種の問題を解決する基本的な法的枠組みとして、現在の憲法の中に規定がないということがすべての問題を難しくする原因のうち最大の原因なのではないかと考えます。その意味において、やはり国家の緊急事態あるいは非常事態に対する国の取り組み方を憲法の中に条文として書き込むという必要があると思います。
 しかし、では、その憲法というものの手続をするまで何もできないのかというと、決してそうではなく、国としてこのような各種の事態に取り組む基本法なるものをまず整備して、この基本法に基づいて、国のあり方といいますか、国の体制づくりをきちっとするということによって国民の安全を守り、国民に意識を目覚めさせ、かつ国民に必要な訓練を行うということが不可欠なのではないかと思います。
 私は、そのために、一番卑近な例として、政府及び民間の実務者がみんな集まって、いろいろなケーススタディーというんですか、シナリオをつくって、図上演習というんですか、シミュレーションを一度やってみて、どういうケースが起きると、どういう法律上の欠陥があり、どういう事態になるのかということを、例えば政府、それから専門家、それから地方公共団体の責任者並びに立法府の方々がみんな集まって、幾つかのシナリオをつくって、シミュレーションをしてみて、問題を整理して、それをベースにして議論をするという運動をしてもよいのではないかと考えます。
 以上でございます。
谷本小委員 以上です。ありがとうございました。
中川小委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。
 この際、一言ごあいさつを申し上げます。
 両参考人におかれましては、貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。小委員会を代表いたしまして、心から御礼を申し上げます。(拍手)
    ―――――――――――――
中川小委員長 これより、本日の参考人質疑を踏まえまして、小委員間の自由討議を行いたいと思います。
 一回の御発言は、五分以内におまとめいただくこととし、小委員長の指名に基づいて、所属会派及び氏名をあらかじめお述べいただいてからお願いをいたします。
 御発言を希望される方は、お手元にあるネームプレートをこのようにお立てください。御発言が終わりましたら、戻していただくようお願いいたします。
 小委員の発言時間の経過につきましてのお知らせでございますが、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせしたいと存じます。
 それでは、ただいまから御発言をお願いいたしたいと存じます。
中山会長 本日、両参考人からの御意見を拝聴しまして、私どもが平素、いろいろと議論をし、あるいは各党で考え方の、政策の基本的な理念の違いの間にいろいろと対立も起こったり、論争も起こったりしてきたのが日本の政治の現実だったと思います。しかしきょう、こうして、政党関係じゃなしに、専門家をお招きしてお話を聞きながら、我々国会の責任というものを改めて参考人から追及されたと思います。
 そういう意味で、どういう方法をとれば、この国に住む人が安全で、そして幸せな生活が確保できるのか、こういったことについてやはり党派を超えて議論をすることが極めて必要である、私はそういうふうに感じておりました。
 きょうの参考人の御発言に対して、各党からいろいろの角度から御意見が出ましたことも、私どもには大変勉強させていただいたことと思います。我々の間の論議を一層高めてまいりたい、このように考えております。
 きょうはどうもありがとうございました。
中川小委員長 他に御発言はございませんか。
 中山会長から最初にして最後のおまとめをいただきました。
 それでは、討議も尽きたようでございますので、これにて自由討議を終了いたします。
 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後四時五十四分散会


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