衆議院

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第3号 平成15年4月3日(木曜日)

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平成十五年四月三日(木曜日)
    午後二時四十八分開議
 出席小委員
   小委員長 中川 昭一君
      近藤 基彦君    下地 幹郎君
      谷本 龍哉君    中山 正暉君
      野田  毅君    山口 泰明君
      桑原  豊君    今野  東君
      首藤 信彦君    中野 寛成君
      赤松 正雄君    藤島 正之君
      春名 直章君    今川 正美君
      井上 喜一君
    …………………………………
   憲法調査会会長      中山 太郎君
   憲法調査会会長代理    仙谷 由人君
   衆議院憲法調査会事務局長 内田 正文君
    ―――――――――――――
四月三日
 小委員近藤基彦君及び谷本龍哉君三月十八日委員辞任につき、その補欠として近藤基彦君及び谷本龍哉君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員今野東君三月二十日委員辞任につき、その補欠として今野東君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員桑原豊君三月二十七日委員辞任につき、その補欠として桑原豊君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員金子哲夫君同日委員辞任につき、その補欠として今川正美君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員石川要三君同日小委員辞任につき、その補欠として野田毅君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員今川正美君同日委員辞任につき、その補欠として金子哲夫君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員野田毅君同日小委員辞任につき、その補欠として石川要三君が会長の指名で小委員に選任された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 安全保障及び国際協力等に関する件(国際協力)


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     ――――◇―――――
中川小委員長 これより会議を開きます。
 安全保障及び国際協力等に関する件、特に国際協力について調査を進めます。
 本日の議事の進め方について申し上げます。
 まず、野田毅君及び首藤信彦君から、国際協力について、特にODAのあり方を中心に、基調となる御意見を順次二十分以内で述べていただきます。
 次に、各会派一名ずつ大会派順に十分以内で基調発言者に対する質疑または発言を行い、その後、小委員間の自由討議を行います。
 それでは、まず、野田毅君。
野田(毅)小委員 本日は、国際協力、特にODAのあり方を中心としてというテーマについて私見を述べさせていただくとともに、ここは憲法調査の場でございますから、憲法に関する若干の問題提起をさせていただきたいと思います。
 人、物、資本、新しい技術、情報などが国境を越えて移動し、国際的な相互依存関係が一層強まっております今日においては、どの国も他国との協力関係なくして存立することは困難となっております。そして、国際社会全体の発展と繁栄が自国の発展と繁栄に密接なかかわりを持っている以上、各国ともに国際協力に重要な位置づけを与えていることは当然であります。
 二国間の関係においても、また地域内の関係においても、国際協力が実施されているところでありますが、国連を通じた国際協力の話を抜きにして、国際協力を語ることはできません。そこで、まず、国連を通じた国際協力のあり方や、これに対する我が国の関与のあり方について少し触れておきたいと思います。
 国連体制と日本ということについて申し述べたいと思います。
 今回のイラクに対する大量破壊兵器の査察や武力行使をめぐって、安保理の常任理事国の中で、アメリカ、イギリス、そしてフランス、ロシアなどの対立が表面化して、国連としての対処方針をまとめることができなかった、その結果、戦争に突入したことは御承知のとおりです。そこで国連安保理事会の権威や問題対処能力に疑問符が付されたことは明らかであります。また、このことによって、国際秩序のあり方や方向性、今後どのような形で国際社会における平和と安全を維持していくのかということについても問われておるということだと思います。
 国連が、第二次世界大戦の戦勝国、すなわちアメリカ、ソ連、イギリス、フランス、中国という安保理常任理事国を主体として戦後の世界平和と秩序を維持することを目的としたシステムであることは、周知のことであります。しかし、現実には、国連の発足後間もなく米ソ間の冷戦構造が顕在化したことから、国連が、国際社会における平和と秩序維持の主役というよりも、米ソの協議において示される解決の枠組みを補完する役割を果たしていたと言えます。また、冷戦構造崩壊後も、湾岸戦争で国連の多国籍軍が形成され、国連の役割への期待は一時高まったものの、その後、コソボやアフガニスタンの事例に見られるように、国連をバイパスする形で武力が行使されてきました。
 このような経緯を踏まえれば、国連の役割が、今般のイラクの問題において初めてその機能不全が明らかになったというわけではなく、もともと、その発足の当初より多くの問題を抱えてきたのではないかと考えられます。
 そこで、なぜ国連がその機能を果たすことができなかったのか。国益と国益とが衝突する国際社会におきましては、その複雑な調整を図るということはもともと至難のことであります。国連がその期待にこたえていくことができるよう各国が、だからこそ真剣な努力をしていくということがこれからも重要であると思います。
 このような考え方から、現行の国連システムの問題として、幾つかのことが挙げられると思われます。
 第一に、拒否権の問題であります。
 現在、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国という五大国のみに認められた拒否権については、国連の意思決定に際して大国間の利害調整を最優先するという意味合いを持ったものと理解しておりますが、この拒否権があるがために、機動的かつ実効的な意思決定が阻害されているのではないか。また、五大国の国益によって国連としての意思決定が左右されることは、今般のイラク問題をめぐる事例からも明らかになったことであります。しかし一方で、拒否権がもしなければ、ではアメリカはどう対応するんだろうか。国際連盟のケースも十分念頭に置いて、論議を重ねていかなければならないというふうにも思います。
 二番目に、安保理の構成をめぐる問題、すなわち、安保理の枠組みや非常任理事国の選出方法がこのままでよいのか、あるいは常任理事国が五カ国のみでよいのかという問題も指摘されております。
 そういう点で、非常任理事国が地理的配分を考慮した形で現在選出されておるわけですが、その中にはODAの対象国とされている国もあるわけでありまして、今回の問題につきましても、いわゆる中間派の動向を見ますると、本当に主体的な判断が、あるいは行動ができるのかというような疑問が呈されていることも事実であります。
 また、我が国は、国連に対して、アメリカに次いで全体の二割程度に当たる額を拠出している。しかも、アメリカ、ロシアなどが分担金を滞納しているというような状況の中で、日本は毎年きちょうめんにきちんと約束を果たしておるわけです。そういう日本が、国際の平和と安全の維持という国連の主要任務に関する意思決定にどの程度かかわっていくことができているかということは、問題なしとしないということでもあろうと思います。
 第三に、冷戦構造崩壊後の国際情勢の変化への対応が難しくなってきているという問題があります。
 国連は、基本的には、国家対国家との関係から生ずる紛争の解決を図るという前提で構築された機関であります。しかし最近、冷戦構造の崩壊後、地域問題や民族問題に起因する紛争、あるいはテロという新たな危険が生じてきております。また一方で、安全保障の概念についても、国家を中心とした安全保障のほかに、人間一人一人を大事にする人間の安全保障という考え方が唱えられるようになりました。
 このような新たな問題に対して、国連としてどのようにかかわるのか、その解決のためのスキームや確立された原則というものがいまだ十分でないのではないかと考えております。
 このような国連の機能不全をとらえて国連無用論を唱える声もありますが、私は、国連の役割には限界もあるが、それでもなお、その機能を充実強化して、そのために国連体制を再編成すべきであるという考えを持っております。
 そして、先ほど指摘しました点を踏まえれば、まず我が国としては、敵国条項の撤廃とともに、安保理常任理事国入りを主張していくことは当然だと思います。また、拒否権をめぐる問題、非常任理事国の選出方法等の安保理の構成の問題を初めとする安保理改革を推進して、安保理の意思決定における民主的かつ実効的なプロセスを確立することが重要であると考えております。その上で、時代の変化に対応した国連の機能というものを考えていくべきではないでしょうか。
 その中で重要なのは、国連決議の実効性の確保の問題でもあります。
 国際連盟の制裁システムが、経済制裁を中心としたものであったというようなことから十分な機能を発揮し得なかったことを受けて、国連憲章においては、第七章以下で軍事的手段を含む強制措置を定めております。しかし、これが実効的に機能しているかどうかというと、必ずしもそうではない。また、PKOという国連憲章が想定していなかった手法というものも登場してきている。その手法が多様化してきていることは御承知のとおりであります。
 二十一世紀における国際の平和及び安全を維持していくためには、現行の国連体制を再編成して、紛争予防や紛争後の復興を含めた紛争解決のための多様なシステムを国連体制の中に位置づけ、これを実効化していくことが重要であり、現在、そのための検討を国際社会全体として始める時期に来ている、このように考えております。
 今や世界第二の経済大国となって、国際社会において責任ある立場にある我が国が、このような国連体制の再編成などに向けた動きに積極的かつ主体的に関与していかなければならないことは言うまでもありません。しかし、その際、幾つか考えておくべきこともあると思います。
 それは、一つは、日本国憲法と国連のかかわりは世界でも最も強いものの一つだろうと思います。特に、国連憲章の調印が昭和二十年六月二十六日、発効の時期が昭和二十年十月二十四日、すなわち、もう既に連合国においては、日本の無条件降伏の前に、戦後の世界秩序形成の合意ができていたということであります。しかも、当時の米ソ関係は、まだ亀裂が表面化していなかった。そういう環境の中で、日本の憲法制定の際に、そのような国連の役割に対する理想主義的な期待が込められていた。そういう国連憲章が頭にあって日本国憲法が制定をされているというこの事実過程は、しっかり我々は頭に置いていく必要があるのではないかと思っています。
 日本が国連にどうかかわっていくかという点で考えるべき第一の点は、そういうことからすれば、憲法改正という問題をしっかりと見据えていかなければいけない一つだと思います。
 我が国は、国連改革を推進し、その機能を充実させる一方で、安全保障の問題については、国連にすべてをゆだねるのではなくて、第一義的には、みずからの国はみずから守るということを基本に安全保障を組み立てるということは、独立国として当然のことでございます。この点で、現行憲法は規定の仕方が不明確なために、自衛隊の合憲性についてすら今なお議論の余地を残しております。したがって、みずからの力でみずからを守るということを憲法上もきちんと整理した上で、日米同盟のあり方や国連の平和維持機能というものを多角的に考えていく必要があると思います。
 また、我が国が安保理常任理事国入りを求めていくというのであれば、今以上に国際社会の平和と安全の維持に責任を負うということになるのは当然です。その際、現行憲法の枠の中で、このような責任を果たし得るか否か。したがいまして、安保理常任理事国として積極的な役割を果たしていくという観点からは、憲法改正というものを視野に入れる必要があると考えております。
 国連とのかかわりのその次に申し上げたいのは、旧敵国条項であります、さらにまた多額の国連分担金の出し方の問題であります。
 旧敵国条項の撤廃を強く求めるというのは当然のことでありますし、また、先ほど申し述べましたが、分担金の計算の方法も問題がありますが、拠出のあり方について、凍結などを含めて、場合によってはその対応の仕方において見直しをしていくということも必要なのではないかと思います。
 また、以上申し述べました国連の平和構築機能等とは別の問題として、国連の役割は、経済、文化、教育、衛生、環境、人権、開発等々の分野で極めて重要な役割を担っております。この分野において国連が積極的にその役割を果たしてきたということは、評価すべきことだと思います。この分野においては、我が国も、国連を通じたODAを拡充するということで、積極的に活用していく必要があるものと思います。
 次に、ODAに関して述べたいと思います。
 我が国のODAは、開発途上国の安定と発展が世界全体の平和と繁栄に不可欠という認識のもとに、環境保全や地球規模での持続可能な開発を図りつつ、途上国の自助努力を支援することを基本として、広範な人づくり、経済社会基盤の整備、基礎生活分野の整備等を通じて、開発途上国の資源配分の効率と公正やよい統治を図り、その上に健全な経済発展を実現することを目的として実施されているものであります。我が国は、ODA大国として、アジアを初めアフリカ、中南米、中東地域等の開発途上国の安定と発展や貧困の削減に大きな貢献を果たし、国際社会から高い評価を得てきたものと認識しております。
 私は、ODAには、供与する側から見れば、普遍的価値の追求という側面と国益の追求という現実主義の側面とが共存しているものと認識しております。
 普遍的価値の追求の側面とは、人道的見地から開発途上国における飢餓と貧困を解消し、開発途上国の安定と繁栄を達成することにより世界全体の平和と繁栄を確保するということであります。
 他方、現実主義という側面は、地球規模の課題に取り組むことによって国家の国際的な信頼性を高めるとともに、途上国の安定と発展に貢献することを通じて緊密な関係を築き、相互の信頼性を高めることによって自国の安全と利益を図るということであります。
 したがいまして、ODAについては、国際的に果たすべき人道的責務であると同時に、我が国の対外戦略を支える重要なツールとして位置づけられるべきものであって、その意味で、現在のODA実施の目的や方向性については、基本的にはそのとおりであると思います。
 しかし、これまで我が国のODAがこのような二つの側面をともに満たす形で実施されてきたかどうか、反省と見直しの必要性が指摘されているところであります。
 ODAの予算は一兆円近くに上っております。二〇〇一年には世界一のODA大国の座をアメリカに譲りはしましたが、一九九一年から二〇〇〇年まで十年間、我が国は常にトップドナーでありました。特に、インドネシア、タイ、中国等のアジア諸国に対しては、資金協力の面においても技術協力の面でも、それぞれ多大な援助を実施してきたところであります。
 そのような中で、ODA供与の対象国、特にアジア諸国の国民から我が国は感謝されてきたのか。経済大国としての思い上がりから、単なる金のばらまきになり、ODA供与の対象国内において、金を出してもらって当たり前といった風潮を助長することとなってしまっていないか。バブル崩壊後の長引く経済不況と財政悪化の中で、ODAを実施し続けることに国民の理解は得られているのか。こういった点を踏まえて、見直しを行っていく必要があります。
 我が国の今後のODAのあり方を考えるに当たっては、このような我が国のODAに関する諸問題を生じさせている原因を検討し、その打開策を講じていくことが必要であります。その意味で、今般のODA大綱の見直しの議論の方向性については、大筋において賛成するものであります。
 まず、ODAの戦略に関する問題であります。
 先ほど申し上げましたように、ODAには普遍的価値を追求するという側面と国益を追求するという面がありますが、これまで、国益を追求するという側面との関係において、ODAの位置づけが若干不明瞭であったのではないかということが指摘されてきました。このような指摘を踏まえた上で、現在、政府においても議論が進められているところであります。
 援助を受ける国や地域に対して我が国が何を期待しているのか、まず明確にする。そして、そのための手段としての人的交流、貿易、投資、文化政策、外交努力等と並んでODAが位置づけられるものであります。長引く経済不況のもとに、ODA予算への国民の目も厳しく、ODAの多くは税金で賄われるものであるといういわば納税者の視点を踏まえた上で、限られた資源をいかに効率よく活用し、最大の効果を上げるかという視点が必要です。また、国益を重視し、外交の幅を広げるためにも、ODAの質を向上させなければなりません。
 このような観点からは、戦略性を持ってODAを実施することが必要であって、大きな目的を達成するためにODAが適切な手段である場合にこれを積極的に活用していくという発想が必要でしょう。
 そのための具体策として、昨年末に取りまとめた党の方向では、第一に、追求すべき国益についてさまざまな角度から議論を深め、また、ODAの普遍的価値の側面とのバランスを図るなど、ODAの基本的な目的を再定義すること、第二に、分野別の重点事項を明確にすること、第三に、東アジア諸国との連携強化を図るなど、アジア諸国の経済状況を踏まえたODA戦略を再構築するとともに、ODAを戦略的に実施するための国別援助計画を策定すること等を挙げております。
 委員長、恐縮ですが、ちょっと時間超過しますが、お許しいただけないでしょうか。
 次に、ODAを実施する際の概念の問題であります。
 貧困、環境、衛生等の地球的規模の課題に対するODAの実施という観点からは、人間の安全保障、平和構築、国際開発理念、被支援国の自主性、能力開発等の概念が重要になってくるとされています。見直しの議論においても、これらの分野に対する重点的なODAの実施の検討がなされるようでございます。
 さらに、ODAをいかに主体的判断に基づいて実施していくかという問題があります。この点についても、要請主義について再検討して、少なくとも要請以前に日本側の意向や判断を伝える手段を考慮するという方向性が打ち出されております。政策協議を強化するということを通じて、総合的なニーズにこたえていくということが大変効果的なことになろうかと思います。
 次に、国民の理解を求める努力、先ほど申し述べました幾つかの問題点がございます。そういう点で、その理解を求めていく上で、一つは、相手国において、ODA実施の結果、どのように民生の安定や自立に役立っているかなど、きちんとした評価をするということがなされなければいけませんし、そのことがまた国民に対して十分な説明がなされるということが、もう一つ大事な視点の一つであろうかと思います。
 最後に、ODAの政策決定にかかわる関係政府機関の相互の関係について、省庁縦割り行政の弊害の指摘がございます。ODAの政策立案、実施体制については、外務省が調整の中核となって……
中川小委員長 野田君、時間が来ておりますので、簡略にお願いいたします。
野田(毅)小委員 関係府省間の連携を強化していくということについては、特に注意をして対応しなければいけない問題点であります。同時に、政府と実施機関との間の連携だけでなくて、実施機関相互の連携関係も大切にする必要がございます。これらを通じて、総合的なODA政策の策定、実施、評価能力を高めていくことが求められております。
 ODAにつきましては、以上で私の意見を終えさせていただきたいと思います。ありがとうございました。(拍手)
中川小委員長 次に、首藤信彦君。
首藤小委員 民主党の首藤信彦です。
 国際協力、すなわち、我が国の資源をどのように国際の平和あるいは貧困対策、福祉の向上、そうしたものに、国際協調そして国際協力、それを深めることによって貢献していくかということであります。それに対して我が国の資源を移転するわけですが、PKOも含め、この問題に関してはさまざまな要素が含まれます。きょうは、課題に従い、その中でもODAのあり方を中心として話していきたいと思います。
 一時は、一兆円を超え、国民一人当たり一万円と言われたODAですが、最近では、外務省スキャンダルにより国民の支持を失い、政府失政と景気後退を受けて減少している、そうした傾向があります。それでもいまだに九千億円程度の水準にあるわけですが、しかし、よく考えてみれば、なぜ国民の税金がODAという枠組みで他国の国民のために使われるのか、その憲法上の根拠はどこにあるのかということは、必ずしも明確ではないように思われます。
 そこで、最近では、ODAをより短期的な国民利益やあるいは国益に直結させようという主張が強くなってきています。また、縮小し続ける原資、資金を外交手段に有効に活用しようとすることによって、いわゆるODAの戦略性というものが最近強く主張されるようになりました。
 そこで、ここではODAの憲法上の根拠に基づいて意見を述べたいと思います。
 日本の憲法についてですが、修正を頻繁に行う諸外国の憲法と異なり、日本国憲法がこれまで無修正で来たことは、その特質の一つであると言うことができると思います。その背景は、両議院の三分の二の発議と国民投票による過半数の賛成など、主として、その改正手続のハードルの高さが指摘されてきましたが、私は、むしろ、第二次大戦という未曾有の惨禍の後に、国際平和を希求する社会において、過去の政治システムと断絶した基本法システムをつくり出した、すなわち、憲法成立時の国際状況が生み出した高い精神性、先見性、そして国際性こそが、日本国憲法が原形を変化することなく今日に至ってきた理由であると考えております。
 すなわち、憲法に込められた自由平等概念、差別撤廃、人権擁護や福祉向上、そして国際平和主義など現代社会の中心テーマの先取りこそが現憲法、もとの憲法の寿命を延長してきた、そういうふうに考えております。
 そして、本来、国内的な規範である憲法の前文に、諸国民との協和による成果、人類普遍の原理、さらに、世界の専制と隷従の排除、圧迫と偏狭の排除をうたい、国際社会において名誉ある地位を占めたいという意思を持ち、恐怖と欠乏を追放して、平和のうちの生存を世界の国民と分かち合うという国際性や、今流に言えばグローバル社会における人間の安全保障を求めているところにこの特質があると思います。
 憲法の本文に明文規定のないODAでありますが、私はここにこそODAの根拠が求められるべきであろうと思っております。
 現在、平成十四年のODAを見ますと、九千百億円に達しているわけですが、その起点というものは、人類の普遍的な価値に基づく国際協力や海外援助ではありませんでした。当初は、言うまでもなく、日本軍が占領したアジア地域に対する戦後賠償であり、占領と戦争が破壊したものに対する回復でありました。それは言うなれば日本の損害賠償行為であり、ある意味で国内問題であると定義することもできたわけであります。後にそれは経済協力という用語によって行われるようになりました。
 しかしながら、その用語自体は、もともとフランスなどの海外州、海外県、そういった植民地を抱える国が持っていた海外州、海外県への交付金でありまして、日本の海外援助とは異なっていたはずであります。
 しかし、次第に日本の経済協力は極めてタイド性の強い、言うなれば日本企業が受注することを前提とした要素が強いようになり、その意味では、国内的なものであり、また狭義の国益概念とも合致したわけであります。
 同様に、海外援助を自国の安全保障の一環と把握することも可能であります。要するに、海外援助は、それが主権国家においてそれを構成する要素に貢献する場合、すなわち、国益に直結する場合は、たとえそれが憲法上に明記がなくても認められるべきものでありましょう。
 問題は、ODAのタイド性が薄れ、人間の安全保障と言われるように、国際社会の新しいニーズに対応する援助であります。これは日本国の主権の外側への経済支援であり、また、憲法が成立した時期には想像もしていなかった要素でありますし、そうしたものに関して憲法的な根拠に疑義があると言わざるを得ません。
 このように考えると、現在日本において、いわゆる国益に直結しないものに九千億円の一部とはいえ、このような対象に支出を行うODAが法的な根拠に乏しいという指摘が出てくるのも当然であると考えます。
 そこで、改めて憲法前文の価値が出てくるというのが私の主張であります。憲法本文の中に海外援助に関する明文がなくても、その前文において、むしろそれを積極的に展開することが求められているからであります。
 このような前文の精神は、憲法が制定される過程における当時の世界の時代精神が強く影響していると想像されます。一九四六年二月三日のいわゆるマッカーサー三原則とされるものに、日本は紛争解決のための手段としての戦争及び自己の安全を保持するための手段としてのそれも放棄する、日本はその防衛と保護を今や世界を動かしつつある崇高な理想にゆだねるというのがあります。
 もちろん、その後に、個別的自衛権に関する部分は当然のことながら否定されたわけですが、この当時において、戦争と戦争の原因となる貧困や差別をも含めて世界的な枠組みで解決しようという理想主義的な考え方が存在したことを示しております。
 すなわち、国益や国家の内的な問題を世界全体の普遍的な問題として再定義し、それを世界枠の中で解決しようとする方向性が、ちょうどそれが、当時、急激に進行した冷戦構造成立の過程で無視されていったように、現在、冷戦構造が崩壊した後、その冷戦構造崩壊後の冷戦後世界において、再度その価値が重視されるべきではないかと考えております。
 冷戦後世界における、民族、宗教紛争、地域紛争や内戦、難民、避難民、核兵器の拡散、テロリズムの蔓延など安全保障上の問題、交通、通信手段の発達、カジノ化した経済、グローバリズムの登場、蔓延する貧困、遺伝子工学による食品の生産、エイズの蔓延、高齢化社会の登場など、冷戦後の十年間に発生した劇的な変化と社会変容は枚挙にいとまがありません。
 このような激変の中で、冷戦構造期に成立した国際機構もまた、制度疲労と機能不全を起こしています。それは、国連安保理だけではなく、ユニセフやUNDP、IMFやIBRDのように、設立、創設当初のミッションの変更を迫られている機関も、また、既存の国際機関がカバーしていない部分で新たに発生する問題もあります。私は、これを国際機構の失敗ととらえています。失敗というのは、一般に使われる失敗という意味ではなくて、いわゆる市場の失敗、すなわち、それが機能不全に陥っている、あるいは不存在であるという意味の失敗でありますが、まさに現在の世界は、そうした、国連も含めて国際機構の失敗というのが顕著化している世界であります。
 国際機構の変容と再編が求められているわけですが、同時に、日本のマルチ分野での資金提供、すなわち、そうした国際機関への資金提供というものも再検討する時期にあるということを指摘しておきたいと思います。
 現在、世界においてそうしたさまざまな新しい要素が出てきております。それは憲法制定時には存在しなかった要素でありますが、そうしたものに関して、これから、国際協調、国際協力というものも、そうした要素を勘案しながら対処していく必要があると思っております。
 例えば、安全保障と経済協力の相互連関性、あるいは、国家というものあるいは国境というものがどんどん変容していく、さらに、冷戦後に発生した地域紛争、いわゆる亜国家の紛争と言われるテロリズム、国家以下の主体によるそうした紛争行為、テロリズム、あるいは巨大化した犯罪集団。そのように、新たなアクターというものが国際社会に登場してきている。そして、その多くがまたいろいろな問題を引き起こしているわけであります。何よりも新しい要素としては、グローバルな視座というものが求められるということであります。それは、今までの国家間、国をベースとした国家間の関係だけではなく、我々が住んでいる地球全体を考える、そうしたグローバルな視座もまた登場してきています。
 そして、私たちの平和と安全という点においては、人間の安全保障という考え方が登場してきました。そこにおいては、安全保障の単位は国家ではなく家族や個人であり、またその家族や個人を脅かす要素というもの、脅威となる要素が決して他国の侵略ではなく、むしろ貧困などの経済問題であったりする、差別の問題であったりする、こうした視点が新たに登場してきているわけであります。
 同じように、そうした問題に対して国際社会がどのようにそれを改善していくかということで、ガバナンスとか民主化努力というものも、国際協力の大きな要素として登場してきております。そして、そうしたものを行うのが、今までの国家だけではなく、いわゆるCSOと言われるものが非常に重要な役割を演ずるようになりました。すなわち、国家と個人の間に市民社会組織というものがあって、これはCSOと言われるわけですが、そうした組織、いわゆるNGOでありますが、そうした非国家の、非営利の組織というものが登場し、それが現実にはこの分野での大きな要素となってきているわけであります。
 しかし、今述べてきたような問題は、当然のことながら憲法制定時には存在していなかったわけでありまして、新しく登場して我々がもう無視できないNGOに関しても、憲法八十九条において、国家の管理に帰属しないものに対してはそれに対しての資金提供ができないということで、日本ではNGOに対して直接的な資金提供ができず、したがってまた、日本が先進国の中では際立ってNGOの成長がおくれている地域であるということは皆さん御存じのとおりであります。
 このように考えまして、今こそ、国際協力、そして海外援助が我々にとって一体何であるかを考え、新たな定義を立て、国際の平和の創造と維持、そして回復のために私たちは今何をすべきかを討議すべき時期に来ていると思っております。
 これまで述べてきたことを前提に、以下の提言をしたいと思います。
 まず第一に、海外援助の理念、あり方について、平和維持活動、いわゆるPKO活動と同じように、憲法上の規定が必要だということであります。憲法の前文にこの理念が盛り込まれているわけでありまして、そこにおいて高い精神性の中でそうした国際協調のあり方が述べられているわけでありますが、それと同時に、やはり本文においても明文化する必要があると考えます。
 第二に、海外援助に関しては、ちょうどアメリカ憲法において、外国との協定などが大統領の権限ではなく議会の権限とされているように、何らかの議会の関与を明文化する必要があると思います。憲法というものが国際的な問題に触れているのは必ずしも多くないわけですが、アメリカ憲法においては、国際的な問題は大統領の権限ではなく、むしろ議会の権限とされています。それはアメリカ憲法が成立した時期の特殊な状況から出てきているわけですが、やはり、この海外援助に関しては議会のチェックということが必要となる、こういうふうに考えております。
 第三に、国益と世界益というか地球益というか、そうしたものをどのようにバランスさせるかというのが重要となるわけであります。場合においては短期的な政策目標において矛盾するような事態が存在するような現実にかんがみ、その価値基準を明確化し、その実行及び評価に第三者の厳格な監視を必要とする、そういうふうに考えております。
 こうした要素を憲法の中に盛り込んで、そして、我々の冷戦後世界において登場してきているさまざまな問題に対して、日本がどのように、そして私たちがどのように対応するかということをこれから早急に詰めていかなければならない、そういうふうに考えております。
 さて、現在、イラクにアメリカの攻撃が行われ、ほとんど無力な一般国民の上に大量殺傷爆撃が行われているわけですが、その遠因には、国家予算の四割を軍事費につぎ込んで軍事大国化したイラクにODAをつぎ込み、ひいては、世界平和への脅威と、六千億円とも言われる日本の不良債権を生み出した日本政府の責任も追及されるべきだ、そういうふうに思います。
 また、ODAが極端な貧富格差や特定階層の貧困化を放置している国に供与され続ければ、当該国の民主化も人間の安全保障も満たされず、さらに世界における欠乏と恐怖と紛争を拡大する可能性もあり、そうしたODAは現憲法下においても反憲法的であると言わざるを得ないというふうに言及しておきたいと思います。
 さて最後に、この意見をまとめるに当たって、憲法調査会事務局が用意した基礎資料集をいただきました。これは大変な参考になりました。これまでの事務局の努力にも謝意を述べたいと思います。望むらくは、このような資料がCD―ROM化されて、大学や高校あるいは市民団体の教材として広く活用されることを望みたいと思います。
 以上で終わります。(拍手)
中川小委員長 これにて、基調となる御意見の開陳は終わりました。
    ―――――――――――――
中川小委員長 それでは、近藤基彦君。
近藤(基)小委員 初めての試みのチャンピオン大会でありますが、それのトップバッターで質問するというのは大変やりにくいなと。参考人に質問だと、もう一生会わないかもしれないような参考人には気軽に御質問ができるような感じがするんですが、同じところでしょっちゅう顔を合わせている方に御質問をするというのは大変心苦しい話であります。
 まず初めに、野田先生に、二十分という大変短いお時間だったので、どうも最後の締めくくりというか、何かしり切れトンボみたいな形になったような気がお聞きしてしたものですから、先生のお話の最後の締めくくりで不足の点、もしありましたら、一言お話をしていただければと思います。
野田(毅)小委員 では、お許しいただいて、少し補足させていただきたいと思います。
 ODAに関してはもう大体のことを申し述べました。ただ、私は一言申し添えたいことがございまして、実は、唐突なようですが、四月二十八日という日、特別な意味を感じております。これは独立回復記念日である、そういうふうにしようということを私は提唱しておるんです。昭和二十七年四月二十八日をもってサンフランシスコ平和条約が発効して、GHQが我が国からいなくなった、いわば日本は占領軍の管理から独立をしたという日でございます。その意味を若い世代の胸のうちに思い起こすということも大事なのではないか。
 先ほど国連憲章の問題と日本国憲法とのかかわりについて少し触れました。いずれにしても、私は、個人的な話になるんですが、二十年たちました昭和四十七年に初当選したものですから、そのときに佐藤元総理が、沖縄が返るまでは戦後は終わらないというので、四十七年、戦後が終わった年だ、日中国交正常化もしたということであったんですが、やはり五十年経過して、なおかつこの憲法がその当時のままであるということは、本当に日本の戦後はこれで終わっているということにしていいのかどうか。改めて、自分の国は自分で守るという独立国として当たり前のことをわかりやすい形で憲法に規定するということ、このことだけはやっておかなければ、今日生きる政治家としての責務を果たしていないのではないか、そんな自問自答を繰り返しておりますということを、最後に時間があれば申し添えたいと思っておりました。
近藤(基)小委員 国連とODAという形で、野田先生、お話をいただいたわけです。私自身戦後生まれでありまして、現段階での国連の機構あるいは国連憲章なんかは読んで、頭の中だけで理解をしているつもりでおるんですけれども、国際連合が発足をする、当然時代背景もあったでしょうし、いろいろな各国の思惑があったんだろうと思うんですけれども、野田先生触れられておったんですが、その辺、発足当時のことを若干お聞かせいただけるとありがたいんです。
野田(毅)小委員 さっきちょっと国連憲章が調印をされた日にちをあえて申し上げました。それはまだ米ソの関係が、少なくともエルベの誓いなどでありましたように、いわば、先ほど首藤さんがおっしゃいましたように、これから大戦後の世界をもっと理想主義的な形の中で、夢を持って語っていた、そういう平和構築のために当時の連合国側が本当に理想を持って臨んでいた、その国際連合というものを基軸にして考えていた。日本は当然敗戦国でありますから、いわば国連に我が命を預けるという形の中で自分の安全保障を考えるというスキームになったことは、これは当時のやむを得ざることであったというふうに思っています。
 ただ、残念ながら、そういった理想主義的な事柄も、既に米ソの冷戦構造がスタートし始めてきて、国連の当初望んでいた理想主義的な形の中で平和秩序をしっかりと構築することはなかなかできなかったということは現実の経緯であったと思っています。
近藤(基)小委員 ODAについてなんですけれども、今日本、国内経済が大変疲弊をしている中で、海外に金をやるなら国内でもうちょっとしっかりしろとかいう意見も随分聞かれるようになってきているんですが、野田先生、首藤先生にお聞きをしたいんです。
 当然、出せるお金がなかなか絞られてきているという中で、戦略的にこれからODAを考えていかなきゃいけないんだろうと思うんですが、その出す優先順位をつけていかなければいけない。出す地域においてもそうでしょうし、あるいは、今までばらまきと言われていた、開発ということを重点に、それに日本企業がくっついていったという首藤先生のお話もありましたけれども、そうではなくて、あるいは環境、教育、福祉、日本で言われているようなそういったことに戦略的に出していかざるを得ないのかなという気が実はしているんですけれども、その辺、どういう優先的な、中の、金を出す項目、そしてどの地域に重点的にということを、もし戦略的なお考えがありましたら、野田先生、首藤先生と、お二方、よろしくお願いします。
野田(毅)小委員 この点で、今見直し作業が政府において、本年半ばごろまでに取りまとめをするということで始まっておることは御承知のとおりです。
 お話のとおり、まず国別にどうするかということがありますが、基本的にはアジアを中心とした形で考えていこうということが今自民党の中でおおむね検討した方向性になっているかと思っています。それからもう一つは、分野別にどう見るかという、これはお話のとおり、環境であったり、今までどちらかというと必ずしも絞り込めていなかったということをもう少し重点化をしていこう、国別、分野別に重点化をしていこうということでやっております。
首藤小委員 今までの開発が、決して余っているわけではないわけですね。世界には本当に貧しい地域がたくさんある。そこには、ダムをつくったり、あるいは工場をつくったり、そのための水路をつくったり、地盤整備をしたりする、そういう伝統的な開発への援助というのもまだ非常にたくさん残っていると思うんです。
 しかし、そうした今までの日本の行き方というのを考えると、日本の援助は何に向けられたかというと、端的に言えば、それは経済成長、その国の成長のために使われていった、そういうふうに思うんですね。ですから、それは大変重要なことだと思うんですが、そこからさらにいろいろな問題が発生してくる。例えば環境問題が発生したりするわけですから、当然それは我々の、成長に我々が貢献したと同時に、その成長の結果として出てくるさまざまな問題に対しても、私たちはODAを振り分けていかざるを得ない、それが我々の責任でもある、そういうふうに思うんです。
 ただ、一つ重要となってきているのが次の分野だと思うんですね。
 一つは、紛争の解決です。要するに、我々がどんなにいいものをつくり、どんなにすばらしい教育施設をつくりやっても、一回紛争になってしまいますと、それはすべて消えてしまう。我々がもう積み上げて、積み上げて、積み上げたその貢献というものが一瞬にしてなくなってしまうということを考えますと、やはり紛争を起こさせない、そして紛争が起こったならば、できる限り紛争を解決したり、それから紛争後平和再建、PCPBと言うんですか、そうした紛争になった地域をもとの普通の社会に戻していく、こういう分野に戦略的に、集中的に援助を使うべきだと私は思います。
 もう一つは、今問題となっているのは絶対的な貧困です。これは、今までにはなかったような貧困が世界を覆うようになりました。それは、物すごくたくさんの人たちが一挙に豊かになる。グローバリズムと言われるものによって、発展途上国においても、例えばタイなんかを見ればわかるように、一方では物すごい勢いで通信の近代化によって金持ちが出てくる、同時に、物すごいたくさんの人たちが世界各地において貧困階層になってきているわけであります。
 そうした絶対的な貧困、そういうものをなくしていかないと世界の平和というのは達成できないわけでありますから、私は、分野的にはこの紛争の問題、そして絶対的な貧困という問題にこのODAを振り分けて、日本の憲法の前文が目指している国際的な協調と世界全体的なレベルでの福祉の向上というものを目指すべきだ、そういうふうに思っております。
近藤(基)小委員 ありがとうございました。
中川小委員長 今野東君。
今野小委員 私は、この会議、議論の中で十分間の発言をさせていただこうと思いまして希望をいたしましたが、きょうは、その前に、基調発言をされました野田委員に一つお尋ねをしてから発言をさせていただこうと思います。
 野田委員のお話によりますと、国連の機能についてでありますが、特に、今行われているイラクの戦争ですけれども、イラクについて、国連が機能を果たせなかったということをおっしゃいましたが、私は、これは、国連が機能を果たせなかったのではなく、アメリカが国連を軽視し、みずからの利益をのみ追求して、結果として国連を無視したのではないか。一四四一の決議の中に、査察を評価したり、まだまだその果たすべき役割があったということを思いますと、むしろそのあしき方向に見切り発車したのではないかというふうに思うのですが、そのあたりに対する御意見をぜひお伺いしたいと思います。
野田(毅)小委員 いろいろな見方があろうと思います。
 いずれにせよ、客観的に見て、常任理事国の意見が一致しない限り安保理決議ができない、これは厳然たる事実であります。
 それから、いま一つ、今回のイラクの問題で、どっちが悪いということはあるんですが、いわゆるそれに先立つ幾つかの、湾岸戦争以来重ねられた国連決議にのっとって、イラクが、きちんとした査察の受け入れ、あるいは大量破壊兵器の廃棄、私は、見ておりまして、いわゆる査察チームが挙証する責任があるのではなくて、本来、イラク政府が国連決議にのっとって廃棄をしたということを挙証する責任はイラク政府にあるんではないか、何かそれをいかにも逆の物の見方をしていることが、結果として結論が違った方向に行ってしまったんではないかということを感じておりました。
 それから、いま一つは、査察を継続していればもっとよかったではないかという話もあるんですが、現にあれだけ大量の軍事的なプレッシャーがあって初めて協力が少しずつ行われてきたので、では、その軍事的なプレッシャーをアメリカ以外、例えばフランスがアメリカに取ってかわってそれだけのことをやり切れるのか、どうでしょうか。そのためのコストをだれが負担するのかというようなことを考えますときに、では、その国連決議の実効性をだれが担保するんですか。では、ここでアメリカが仮にプレッシャーをやめて全軍引き揚げて、あとは言葉だけで国連決議を守りなさいということを言って、では、その結果はどうだったんでしょう。そういったことを考えますときに、一概にアメリカだけを批判するということは当たらないのではないか。
 そういう意味で、国連決議をどうやって実効性を確保するかという、そのことに対するきちんとした議論が行われなければ、非常に形式論に過ぎてしまうのではないかと感じております。
今野小委員 そういうお考えとして、時間もありませんので伺っておきます。
 さて、ODAについてですけれども、我が国の憲法に、国際協調、平和主義がうたわれております。私は、ここにODA、政府開発援助を行う根拠があるのだと考えておりまして、ここに大きく異論を唱える方は少ないのではないかと思います。
 しかし、そのODAが、本来行うべき経済や技術や文化協力ではなく、さまざまな利権の温床となっていて、そうした意味の政治的色彩を濃くしているところであります。本来のODAの精神から我が国のODAの実態は外れていると言わざるを得ません。
 そこで、幾つかの意見を申し上げたいと思います。
 国民の多くは、今申し上げましたように、関係官庁、政治家、邦人コンサルタント、我が国の商社などの利権の温床となっているということで、ODAに対して深い不信感を抱いております。景気が長期低迷し、財政上の問題も大きくなっている中で、ODAのむだと利権構造を断ち切っていかなければなりません。戦略の欠如、箱物重視、現場ニーズの軽視、それから要請主義、環境破壊など、さまざまな批判をODAは受けています。ODAが、援助される国々、そこに暮らす人々から感謝され、日本が相手国との外交的信頼関係を築くためのツールとして成り立つことを、日本の国民に認められるように改善しなければなりません。
 二〇〇一年十一月に経団連が発表した「ODA改革に関する提言」でもありましたように、JICAの開発調査、各省の外郭団体、外部研究機関に委託して実施する調査情報の開示が十分ではありません。各種調査の関連が不透明なために、重複や無意味な調査が行われている可能性があることから、まず、開発調査のあり方にむだがないように、そのありようをチェックする必要があるのではないかと思います。
 それから、二〇〇二年の七月に、国後島の発電施設不正入札事件、これは記憶に新しいところでありますが、社員三人が逮捕されて、そのほか、モンゴルへの無償援助で政府高官に現金を渡した疑惑が発覚するし、社長、会長の辞任を招くなど、不祥事が相次ぎました。
 このように、商社やゼネコンが海外のODA案件を受注するために不祥事を起こすというケースがありますが、ODA絡みの不正を断ち切るには、要請主義の見直しが不可欠ではないかと思います。
 要請主義は、ODAの被援助国が邦人コンサルタントと契約をし、そのコンサルタントを通じて我が国の企業を選定し、契約を結び、そして、それらの商社や開発コンサルタントが計画した援助事業計画を被援助国が承認して、それを日本政府に持ち込むという、極めて不透明な邦人コンサルタント、我が国の業者、商社の不正を起こしやすい仕組みを透明性あるものに変えなければなりません。
 例えば医療機器のケースでは、国際協力事業団は、商社が受け取るマージンを総額の三%と指導しておりますけれども、仕込みの先行投資の高コストを回収するために二〇%ぐらい取っているという話も聞きます。さらに、アフターサービスを通じて市場拡大できるという効果もあるものですから、相手国政府の役人や日本の政治家にわいろを贈るということまで起こっています。
 こうしたことの温床がODA要請主義で、この構造を変えなければならないのではないでしょうか。
 また、NGOの役割についても話をしてみたいと思います。
 これまでのODAのあり方が非効率であったこと、重債務貧困国及びそこで深刻な貧困層にいる人々の問題がさらに大きくなっていることから、途上国の政府、地域を含む行政機関をパートナーとした従来の援助アプローチから、NGOを通じて草の根レベルの最も援助を必要とする部分に届くようなアプローチへと変換していくべきだと考えております。
 ただし、その際にも、NGOが外務省や関係省庁の監督に縛られ、民間固有のオリジナリティーや機動性を縛らないこと、またNGOが公的資金に過度に依存してしまうことなくアカウンタビリティーを果たせるような仕掛けが必要であるというふうに考えております。
 時間が参りましたので、今回はこれぐらいにいたしまして、次の発言の機会を待ちたいと思います。ありがとうございました。
中川小委員長 赤松正雄君。
赤松(正)小委員 野田委員そして首藤委員の示唆に富んだ大変にすばらしい報告をありがとうございました。
 お二方に私は三つ質問をさせていただいて、それで終われば終わりたいと思います。
 一つは、先ほどの野田委員の話にもありましたが、国家の安全保障と人間の安全保障というこの二つ、国家の安全保障から人間の安全保障へという流れが今いろいろな場面で指摘をされておりますけれども、それに対してどういうふうに国連がかかわっていくかなかなかまだきちっとした結論は出ない、こういうふうなお話を先ほどもおっしゃっておりました。お二方が人間の安全保障というものをどういうふうなイメージでとらえておられるのか。私たちも口にはするんですけれども、人間の安全保障のありようというものについてどう考えておられるのかを手短におっしゃっていただきたいというのが一つです。
 二つ目が、具体的な国としての中国、国連の安全保障理事会の重要なメンバーである中国に対するODAというものをどういうふうに考えておられるのか、どういうふうに今現状をとらえ、またこれからあるべきだと思っておられるのかについてのお考えを聞かせていただきたいのが二つ目です。
 それから三つ目は、先ほど一番最後に首藤委員が提案をされました、要するに三つの点、つまり憲法上におけるODAのありようというものを本文においても明文化すべきだ、前文にそういう理念があるけれどもというお話。あるいは、米国憲法のお話を出されたりしてのいわゆる議会の関与の明文化とか、そういうふうなお話をなさいましたけれども、憲法上の課題をめぐってさまざまな議論を展開しているこの調査会の活動もあるわけです。一方で、そういう憲法の明文を変えるという行為とは別に、ODA基本法というような格好で法律でそういうODAに対する取り組みを規定しよう、こういう動きがありますけれども、そういうODA基本法というふうなものをつくるということに対してどういうふうに考えておられるか。
 以上三つについて、野田委員からお考えを教えていただきたいと思います。
野田(毅)小委員 いずれも難しい問題なんですけれども、最初の、国家の安全保障から人間の安全保障というふうに変わってきた。貧困その他いろいろなテーマはかなり昔からあったテーマだと思います。人間としての尊厳をどういうふうに保持していくかという問題。
 ただ、これが最近特に強くなってきた背景は、米ソ冷戦が崩壊した後、国家対国家という構図から、だんだん国家ということから、部族間であったりあるいは一つの国の中におけるいろいろな問題があったり、そういう意味で、国を中心として物事をなしていくという時代ではなかなか対応しにくくなってきたということから、人間の安全保障という考え方、言葉として、まあイメージと中身がどこまでつながるかわかりませんが、私はそのように受けとめております。そういう意味で、人間の尊厳をどう大事にしていくかという、ここが中心テーマだと思っています。
 それから、中国へのODAのあり方については、いろいろな経緯があったことは確かです。ただ、本当に今までやってきたことが、ODAという言葉の中でやるのがよかったかどうか。経緯はもう周知の事実ですが、中国の日本に対する損害賠償請求権を放棄したということと裏腹の関係で、経済協力という名前でやってきたことは、これは確かだと思います。その中国がかなり軍事大国化してきたりさまざまなことがあるものですから、当然、今までのままの延長ではおかしいのではないかという見直しがある、これも当然だと思います。
 そういう点で、環境面等についてある程度ODAの内容を特化していくということ、今までのインフラ面からシフトしていくということは、日本の国益にとってもつながっていくことでありますから、内容を見直ししていくということが大事だと思っています。
 それからもう一つ、若干の誤解がありますのは、ODAとは言うけれども、円借款が多いんですね。円借款というのはまさに融資ですから、返ってくるわけであります。そういう意味での贈与ではないわけで、その辺が何か全部税金で賄われているようなイメージが若干あるものですから、そのトータル額の発表の仕方については多少工夫があっていいのではないかというふうに思っています。
 それから、ODAに関する基本法については、法律という形で固定化するのがいいのか、私は、そこへ行くまだもう少し前の段階でいいのではないかというふうに思って、大綱の形のままでとどめておくということの方がかえって機動的、弾力的な対応ができるというふうに思っています。
首藤小委員 赤松委員からの御質問ですが、最初の人間の安全保障ですか、なぜこんな考え方が出てきたかというと、それは冷戦構造崩壊後のさまざまな地域紛争から出てくるわけですね。
 例えば、ルワンダなどにおいては、これは百五十万人と言われるツチ系という人たちが殺されたわけですが、殺していったのはだれか、だれがそれを計画したかというと、国家がそれを計画したわけですね。すなわち、国家というものは必ずしも自国民を保護していくばかりではなくて、特定の民族関係、宗教関係において、あるいは特定の地域において、国家が個人の安全保障を奪っていった、そういうこともまたあったわけであります。
 それからまた、同じように崩壊国家という考え方がありまして、国家がどんどん崩れていっているわけですね。本来ならば、そこに住んでいる人たちの福祉や人権や、日本国憲法に見られるように、さまざまなことを国家が、あるいは政府がそれを実施していかなければいけないんですが、現実にはそれをするお金がない。あるいは、国家自体が崩壊していく、そういうふうな状況において、もう一度安全保障の単位を、国家ではなく個人や家族に求めようという考え方が出てきたんだと思うのです。
 これはしかし、また同時に大きな歴史の流れから出てくるわけです。というのは、なぜこんなに国家が重要かというのは、それは言うまでもなく、一六四八年のウェストファリア条約から、このときから国家というものが前面に出てくるわけですね。民族国家というものが成立してきて、それ以降は国家を理由としない、国家以外の理由で行われる戦争というものは禁止されてなくなっていくわけですが、じゃ、その以前にはどういうものがあったかというと、国家の前にあったものは、言うまでもなく神聖ローマ帝国とかあるいはキリスト教の世界というような宗教的な、超国家的な世界像があったわけであります。
 そこにある人たちは、自分はフランスに帰属しているというのではなくて、何々教団に帰属しているとか、あるいは自分の村に帰属しているとか、あるいは中東やアフリカでも現在見られるように、家族に帰属していたわけであります。したがって、現在のような国家というものが変質し必ずしも国民を守れない、あるいは国家そのものがもう存在しなくなっていく段階においては、もう一度人間や家族の安全保障というものをその単位でとらえていこう。そして、それもまた必ずしも人が攻めてくるとか他国が攻めてくるだけではなく、他国が攻めてきて殺されれば死ぬわけですが、その前に、飢餓になればみんな死んでしまう、水がなくなれば数時間で死んでしまう、そういった点を考えながら人間の安全保障を考えていこうという視点から出てきたものだと理解しております。
 中国のODAでありますが、私の発言の中にもありましたように、ODAにはやはり歴史がある、そしてその起点は、一番最初は、やはり戦後賠償から始まるわけであります。中国の悲劇というものは、要するに、その戦後賠償やあるいはいわゆる経済協力と言われる部分、そしてこれから新しい社会を目指すために中国と日本が協力してやっていこう、この三つの歴史的な概念が極めて短い時間の中にまぜこぜになっているというところに大きな問題があると思うんです。
 ですから、私は、中国への援助ということに関しては、一体、中国は何を求めているのか、それをまず中国側と話し合って、賠償はもう既に去り、経済協力においても中国自体がもう十分に経済力を持っているから必要はなくて、これからはアジアの安定と平和に両国がどうやって協力し合っていくか、そのために中国をどういうふうに支援するか、中国の足りない部門にどのように技術協力していくかというところに我々は集中すべきだ、そういうふうに考えております。
 それから最後に、ODA基本法でありますが、これはまさに赤松委員のおっしゃるとおり、私も賛同しております。今のODAに関しても、一体何でODAがあるのかということが憲法に明記されず、国民的な理解もないまま、何かあるたびにODAを減らせ、ODAを減らせと言うのは、どちら側にとっても非常に不幸である。
 したがって、一体、ODAはなぜ私たちの生活にとって必要なのかということ、そして、どのようにすべきかということをやはりODA基本法において書いて、それを将来、憲法が変わるときには、その内容を逆に憲法に置換するという憲法置換主義の立場で私はこの問題をとらえたいと思っております。
赤松(正)小委員 ありがとうございました。
中川小委員長 藤島正之君。
藤島小委員 自由党の藤島正之でございます。
 私は、国際協力の面でまず二つに分けて、安全保障面と、経済関係ということでODAとに分けて考えてみたらいいんじゃないかと思うんです。
 その中で、安全保障面でございますけれども、私は国連に大変期待しておったわけであります。特に米国一極になったこともありまして、前回の湾岸戦争のときは世界の意見が一致したわけでありまして、二極構造のときは、安保理事ではどうしても意見が対立するということで、一致を見られないケースが多かったわけですけれども、前回の湾岸戦争では一致しまして、今後そういう傾向が続くかなと実は期待しておったところ、今回イラク戦争でこういう事態になった。すなわち、野田委員の意見でいいますと、国連の機能不全ということなんですけれども、非常に残念なことだと私は思っております。
 その中でも意見が同じものは、今回の法的根拠について、実は、アナン事務総長は非常に疑義があると言ったのに対して、米国は自分流の解釈で、いいんだ、決議三つ並べて、総合して勘案すればいいんだというようなことで、そうすると、それじゃだれが本当にその正当性を解釈してくれるのかということになると、結局力のある米国の意見に押し切られてしまう。やはり世界というのはそういう力の現実だというのを非常に見せつけられたわけであります。
 そうなりますと、期待していたような国連の機能が今後も果たしていけるのかどうかということを私は非常に心配しておるわけであります。
 そんな中で、もう一回今の時点で有力な国が集まって新しいそういう機構を考えたらどうかというような意見もあるわけでありますけれども、確かに、先回のときもミドル6とか何かいろいろあるわけでありますけれども、ああいう国が、それじゃどれだけ世界に影響力があって、その賛否を判断するのか。その中にあって、我が国は常任理事国でもないし、非常任理事国でも今ないわけでありますが、そういう国連でいいのかどうか。
 私は、やはり安全保障面でも、我が国は、我が国の国益というものを非常にもっと出してやっていく必要があるんじゃなかろうか、そういうことを国連の場でもどんどん言っていく必要がある。
 今回の件についても、実は国連では国連大使が本国の請訓を受けて演説をしている程度でありますけれども、やはり外務大臣がきちっと行って、もっと影響力を発揮するようなことでないと、国連というものを我が国にとって本当に有効に使えるのかどうか。御承知のように、分担金は大変な額を持っているということを考えると、今後、我が国の国益の発揮という面で、安全保障の面でもっとしっかりやっていかなきゃいかぬのじゃないかな、そんなふうに感じている次第であります。
 それと、平和主義と国際協力の考え方の整理でありますけれども、軍事力というのは平和主義と反するというような考え方もあるようですけれども、そういうことであれば、米国が国際的に見て平和主義の国ではないのかということがありまして、私は、平和主義の中には一種の軍事力の行使というのも含まれるものがあるというふうに考えた方がいいのではないかな、そんな感じはしております。
 次に、経済的な面でのODAでございますけれども、ODAは、やはり開発途上国の経済開発とか福祉の向上に寄与することを目的として、先進国の政府が開発途上国の政府にいろいろな援助を供与する。結局、開発途上国の安定と発展、こういうふうなものに寄与することによって、ひいては自国の安全と利益を図ることができるというものがODAの本質であると思うんですね。
 最初にODAが出たときには、私はそういうものに沿って実は着実に行われてきたと思うんですけれども、その後、結局、外務官僚の惰性のままふえていった。それに私は、実は当時からずっと与党である自民党も乗っかったままで、ある一部に、それこそ悪乗りした部分もあるような、そこのチェックをきちっとしていなかった、本当に外務官僚が予算主義でどんどんふやしていったというところに非常に問題があったんじゃないか。ピーク時一兆七千億円でありますから、日本の防衛予算は五兆円まで達していないわけでありまして、その比較からいっても、膨大なものであるわけですね。
 これについて、初心に戻ってやはり考えていく必要があるんじゃなかろうか。特に国益等の関係で考えていく必要がある。
 というのは、今のような日本の経済の場合、フィリピンとかベトナム、インドネシアあたりまでは私はまだいいと思うんですけれども、中国とかタイとかインドになってきますと、本当に我が国のIT関係その他の産業でまさに競争相手になっている、そこにどんどん我が国のODAでつぎ込んでいる。まずこの面で国益という面と矛盾している面が一つあるんじゃないかということ。
 それと、皆さんおっしゃっているんですけれども、軍事転用の方に行っている部分がある。わかっていながらやっているということは、きちっとしているんじゃなく、ただ惰性でやっているだけで、本当にいいんだろうかというふうに感じるわけであります。
 それと、もう一つ大きなものは、事後評価をそれと絡んで余りやっていない。もうやりっ放しでそのままになっているというふうな感じがしてならないわけでありますが、この経済援助の国益の関係と事後評価の関係、これについて野田委員の御意見をお伺いしたいと思います。
野田(毅)小委員 御指摘のとおり、事後評価、私もさっきごくかいつまんでだけ申し述べたんですが、非常にこの点は大事だと思います。
 そういう点で、必ずしも十分なチェックができていなかった。全体的に多少、我々の反省の一つは、日本も経済大国になった、そういう点で、金に関することであれば比較的大らかな対応を、国民も政府も、世界に対してそういう雰囲気があったのではないか。そういう意味で、タックスペイヤーの視点からした場合に、やはり問題はあった、私は率直にそう思います。
 だから、これからはやはりそういうことがあってはいけないので、より国益と直結した形で、どういう評価になっているのか、それから相手国から見てどういう成果が上がっているのか、両面からのチェックが必要ではないかと思っています。
 それからもう一つは……
藤島小委員 国益との関係で、我が国の経済にぶつかるような、国の援助でやっているというのは国益に反するんじゃないか。
野田(毅)小委員 この点は、結局、分野をよく重点的に整備すべきだと思いますね。そういう意味で、さっきちょっと、分野別、国別ということの見直し。だから、例えば中国との場合であれば、もうそろそろ、インフラ整備とかいうのではなくて、むしろ、環境ということであれば、その環境破壊は日本にも悪影響が来ることですから、そういう意味での分野を少し厳選していくということが大事ではないかというふうに思われます。
藤島小委員 終わります。
中川小委員長 春名直章君。
春名小委員 日本共産党の春名直章です。
 きょうはお二人、大変御苦労さまです。
 最初に、野田さんと首藤さんお二人に端的にちょっと聞いてみたいんですが、日本のODAを考えるときに、ODAのゆがみで私は一番問題だと思っていますのは、人道的援助の分野が極めて小さい、弱いということの問題意識が一番あります。最もそこは大切な分野だと思うんですけれども、その点でお二人は日本のODAにどういう御認識をされているのかをお聞かせいただけますか。
野田(毅)小委員 今までの経緯は、さっきもちょっと触れたかと思うんですが、途上国の経済発展、いわば自立ができるような体制をどう構築するか、それに日本がどう寄与するかということですから、技術協力であれ、特にインフラ整備であったり、その種のものがやはり当初から大きかったと思っています。
 人道的分野というのは、なかなかそういった形で対応しにくい部分があったのではないか、当初。これは賠償からのスタートということもあって、昔のことですけれども、そういったものが、ソフトの手段が整備されないと、なかなかそこから先、相手国に行ってからお金の流れ方について結果としていろいろな問題を引き起こしたということは、我々の残念な経験があったと思います。そういう点で、わかりやすくするには、むしろプロジェクトごとにきちんとするという方がわかりやすかったという経緯があって、今御指摘のような見方が成り立つのかなと。
 だけれども、もうそういう時代は終わったんですから、先ほど来いろいろな話が出ていますが、人道的分野にもう少しきちんとした光を当てていくという姿勢をつくっていかなきゃいけないと思います。
首藤小委員 春名委員から、日本のODAには人道的援助が小さくかつ弱いという御指摘がありましたが、私は、そうではなくて、人道的援助がなかった、そういうふうに思うんです。
 それは、物によってはあるじゃないかと言われるかもしれないけれども、それは結果としてあったということで、なぜそれがなかったかというと、実は、日本は援助に関しては、それ以外も含めてですけれども、価値観を問われないことしかやらないということなんです。
 ですから、人道的に困っている人を助け合おうというのは、一つのその固有の価値観に基づいてやるわけですね。ですから、それは、ある人にとって見れば、例えばカンボジアで地雷で足をなくされた方も、我々から見ると、ああ、かわいそう、本当にかわいそうと思うんですけれども、カンボジアの人たちは意外と冷淡であったりする。それは、ある意味で、なぜかというと、仏教、それは本当の仏教ではないんですけれども、世俗的な仏教思想の中で、前世の行いの結果である、そういうふうに考える方も実はおられるわけですよ。
 ですから、人道的な援助だとやるには、やはりそれなりにどういう価値観でやるかということをきちっと決めなきゃいけない。ところが、決めることはしなかったわけです。人道的な援助を含めて、価値観に踏み込む援助は日本はやらなかったんです。そのかわり何をやったかというと、それは、経済で協力してみんなが豊かになっていけば、そういうものはみんなだんだんなくなりますよ、苦痛も減りますよということなんですよね。
 しかし、実はそれは、それもまた一つの価値観であったわけです。しかし、それを我々は没価値的な中立的なものだというふうに信じていたわけですが、今のこの世の中において、環境問題なんか出てくるように、それも一つの価値観であるということが実はわかってきたわけですね。
 ですから、今になって、どういう価値観を持ってこの人道的援助をするかということをようやく問い始めたということでありますが、それを超えていくのは、現在の官僚システムの中でなかなか難しいというのが現実であります。
 もう一つ、なぜそれがないかというと、それは、日本が例えば特定の貧しい人たち、特定の差別されている人たちに人道的な援助をしていくということは、まさに相手国政府の主権の侵害につながっていくわけですね。ですから、国によっては、そういう人たちがそういう状況に陥っていくという形をつくっている政府というのもあるわけです。ですから、そうした政府の価値観というか政府の主権に触れるようなことを日本はやらなかった。そういうベースで今まではやってきたわけであります。
 これは決して非難されることではなくて、不偏不党、中立というものは国連の大前提でありましたから、実はそれに従ってやっていたわけですが、最近の理論によると、そういう考えではなくて、そのことが実は、例えば目の前にいる最も人道的援助を待ち焦がれている人たちの命を救えないというところで、国連自体が、あるいは国際機関、あるいは各国自体が、ある程度価値観に踏み込んで援助しようというふうに現在では変わってきている、そういうふうに思います。
春名小委員 日本の人道的援助の弱さというのは、数字でも私も幾つか見てみたんですけれども、例えばBHN、社会インフラとサービス、農林水産業、それから開発的食糧援助、緊急援助という四つの分野、これを基礎生活分野と呼ぶんだそうですが、そのBHNの分野の援助が日本は二国間のODA全体の三〇・三%。ところが、DAC、開発援助委員会加盟国の全体の平均は四四・五%と、かなり差があるんですね。だから、人道的な分野に行く、そういう支援が非常に格差があるということ。それから、食糧援助の割合も、DAC加盟国の平均三・八%と比べると〇・四%しかないというようなことで、ちょっと改めて驚いたわけですね。食糧援助の割合も非常に低い。
 そこで、私は、憲法の前文との関係でいいますと、それから二十一世紀の世界の情勢を見ると、こういう分野にいかに支援を強めていくのかということは、日本のODAを考える上でも決定的だと思うんですね。
 そこで、お二人に最後に一問ずつ別の質問をします。
 野田さんのおっしゃった今後国益と戦略性の重視ということとの関係なんですけれども、今こういう実際ゆがみがあるとお話が出ましたけれども、経済インフラへのシフトがあって、社会インフラや人道支援というのがちょっとおざなりになってきたというのが今の現実だというふうにおっしゃったと思いますので、今見直しをされようとしている戦略性、そして国益という見直しの中で、この人道的な分野が光が当たって、有効に、さらに役に立つように進んでいくということになるのかどうか。それをどうお考えなのかということ。
 それから、首藤さんには、今野さんもおっしゃっていたんですけれども、日本の企業の利益最優先的なODAの使い方というのがすごくあるわけですよね。経済インフラで、円借款でほとんど六割ぐらいは入札を占めて、自分たちの利益になるというような仕掛けが非常にあって、社会的なインフラの方には回らない、人道支援の方がなおざりにされる。そういう構造を、二十一世紀、そこのところの見直しというのが私は表裏一体でうんと大事なことではないかなという印象を持つんですけれども、その点についてお二人からお願いしたいと思います。
    〔小委員長退席、近藤(基)小委員長代理着席〕
野田(毅)小委員 方向としては、ある程度そういう世界の最大の関心事ということを我々も当然視野に入れてやることになると思うんです。
 ただ、若干、この人道援助の定義が本当にどうなのかということはもう一遍見直しておく必要があるんじゃないか。では、食糧援助は多ければいいのか。むしろ自立を促進するということのために、毎年毎年食糧を援助していればそれで本当にいいのか。やはり自立できるような体制をどういうふうにつくっていくのかという視点がなければいけないわけですね。
 そういう意味で、人道援助が多ければそれでいいんだということにはならない。人道援助でも、その中身が非常に大事じゃないか。だから、人材の育成であったり、いろいろな教育の分野であったり、さまざまな人道にかかわる問題があると思うんですよ。
 例えば、ダムの建設にしても、いろいろな議論があるんですけれども、やはり電力というエネルギー源をきちんとした形でつくっておくということがなければ、実際、その地域全体の医療、福祉、教育、産業、さまざまな自立のためのインフラがないということで、やはりそういった部分も必要なんでしょうし、そういう意味で、必ずしも画一的には言えないところはあるというふうには思います。
首藤小委員 今の春名委員の質問ですけれども、最初の質問、ちょっと私誤解したところがあると思うんです。人道援助は、私の考えでは食糧援助みたいな、あるいはBHNはもう当たり前のこととして考えていたんですけれども、そういう御質問であったかなと思うんですね。
 なぜそれを言っていたかというと、食糧援助なんというのはその気になれば一生懸命やるわけですね。さっき言いましたように、だれでも飢えている人を見ればかわいそうということで出すわけですよ。しかし、それでいいのかというとまたいろいろな問題があるわけですけれども、その食糧援助に関してはやるわけですよ。
 例えば今度のイラクでも、紛争によって傷ついた人たちは恐らく食糧が足りないだろうといって、日本の過剰米を放出しようということになっています。しかし、例えばイラクのバスラにおいて孤立した人たちが本当に食糧がまず一番欲しいのかというのは、よくわからぬわけですね。ですから、この食糧援助というものは、もっと本当に真剣に考えないと、どういう形でどういう人たちに配っていくかというのは非常に難しい問題があるんです。このことをほとんど討議していないんですね。
 例えば、だれしも日本的な感覚でいいと思うのがあるんです。例えば井戸を掘る。井戸を掘れば、水が出てわあっと子供たちが喜んで、そしてJICAでもどこでも写真を見て、今まで三時間かけて水を運んでいたのがすぐ水が出ると喜んでいる。しかし、これが本当にいいのかというと、これはもう多くの方が御指摘のとおり、半乾燥地帯で井戸を掘るということは、その地域の水資源を徹底的に枯渇させることにつながっていくわけですね。絶対にやっちゃいけないことなんですよ。ですから、そういうふうに我々にとっていいことだというものが本当にいいのかどうか。
 例えば、食糧を配るということが、どんなにその地域におけるローカルな流通網を壊していくかということですよ。そこにいる悪徳商人だか何だか知らないけれども、ともかく背中に袋をしょって来る人たちの価値というものも、実は長くその地域の食糧事情を安定させるためには必要だということなんですね。
 それから、食糧を配るという点では、食糧が配れると思ったらとんでもないことで、食糧を配るには兵士が必要なんです。ともかく多くの食糧が本当に必要な地域では食糧を守らなければ、それはもう夜盗を含めいろいろな人たちが襲ってくるわけですから、当然のことながらそのセキュリティー対策が必要だ。そうすると、日本で一体本当に食糧援助なんてできるのかということが出てくると思うんです。
 ですから、その辺も実は、春名委員の質問に答えることにはならないかもしれませんが、やはりもっと現実をしっかり把握して、きちっと討議して先へ進むべきではないか、そういうふうに考えております。
近藤(基)小委員長代理 次に、今川正美君。
今川小委員 きょうは野田委員と首藤委員から非常に貴重な御意見をいただき、ありがとうございます。
 まず、限られた時間ですので、私が常々考えていることで、国際協力と憲法の国際協調主義なり平和主義に関して基本的な私の考え方をちょっと述べてみたいと思いますので、時間が許せばお二人から御感想等をいただきたいと思います。
 国際社会は、一昨年の九・一一米国テロ事件を契機に大きな変容を遂げつつあると認識しています。アメリカによるタリバン政権への報復戦争とか今回のイラク戦争は、私は明らかに国際法に反する行為だと思います。しかし、一面、こういう事件を契機に、これからの二十一世紀の国際秩序のあり方を模索するいい機会でもあるのかなと思います。
 言うまでもなく、国連の安保理機能は、長い間冷戦体制のもとで麻痺してきました。しかし、冷戦後既に十三年を経過して、とりわけ湾岸戦争後には、先進国の首脳はロンドン・サミットで国連中心主義ということを政治宣言までしているわけですね。しかし、これがこの方いつの間にか挫折してしまっている。すべての責任とは言いませんけれども、一番大きな原因として、やはり米国による一極支配が原因しているのではないかと思っているんです。
 米国は、昨年一月の大統領一般教書でイラクとか北朝鮮など特定の国を悪の枢軸と決めつけて、しかも同年九月のブッシュ・ドクトリンでは、端的に言って先制攻撃も辞さないとしました。今回のイラク戦争で、米国の大統領とか政権担当者は、言ってみれば国連安保理は怠慢だった、米国を支持する同盟国連合で悪を懲らしめる、そういうことまで言い切ったと思います。こうした米国の傲慢ぶりをこのまま放置すると、極端に言いますと、国連はつぶれ、大国支配の無秩序の世界が台頭しかねないというふうに私は懸念するんです。
 ところで、我々人類は、二十世紀に二度にわたる大変な世界戦争で五千万人とも七千万人とも言われる大変な犠牲者を出した末に、今ある国際機関たる国際連合をつくって、国連憲章で、国際紛争は平和的手段で解決する原則と同時に、各国の武力行使を原則として禁止しました。もちろん憲章第五十一条で個別的、集団的自衛を認めはしましたが、それはあくまでも例外的かつ暫定的なものであったはずです。
 しかし、この半世紀もの間、例えばNATOのような多国間軍事同盟とか日米安保のような二国間同盟が当たり前のように存続し続けてきました。日米同盟といえども、その根拠法である安全保障条約では、国連尊重をうたった上、第十条では、国連がしかるべき措置をとったら同盟解消を約束しているはずです。
 ですから、今こそ必要なのは、国連憲章の理念に基づく国際紛争解決のルールと、それを本当に実効あらしめるための国連体制の改革なり強化というものが必要なんではないかと思っているんです。
 確かに、国連というのは主権国家の連合体という限界性はあるかもしれません。その限界性を言うのはたやすいけれども、やはりここはひとつ我が国としても、これまでの国連のかかわり方で果たしてよかったのかどうかということをもう一度検証してみる必要がある。
 これから先に申し上げることは、我が社会民主党の基本的見解を超えることを、あえて私の個人的な思いも含めて申し上げたいんです。
 これからの国際秩序のあり方は、国連が唯一の警察官であるべきであって、そのために、各国は計画的に軍備を放棄する、最終的には。少なくとも各国の軍備は、国連軍の戦力水準を超えてはならない。それで、国連軍、あるいは国連警察軍と言ってもいいと思いますが、は公平であり、中立的な存在で、特別協定に基づく各国からの提供された兵力は多国籍ではなくて無国籍であるべきであって、当然その指揮権は、アメリカなどではなくて国連そのものに置かなければならないと思うんですね。その必要な財源というものは、各国が今申し上げたように軍備縮小していく、その軍縮、国防費削減分を国連に提供すれば十分間に合うのではないか。
 今申し上げたような構想が現実となったとき初めて、自衛隊をどうするかということも含めて、日本の人的な貢献と申しますかができるようになる、可能になるのではないか。これが憲法前文でうたう国際協調主義にも合致するのではないかと私は思うのだけれども、これも歴代政府の、内閣法制局も含む統一見解なり、我が党の見解を踏み越えるところです。
 つまり、憲法九条では、国際紛争を解決する手段として、いかなる武力による威嚇も武力行使もしないとうたっていますので、そこをどうもっと議論していくかというふうに思うんですね。
 いずれにしても、私は、以上申し上げたような歴史の教訓にもっと忠実でありたいし、これ以上アメリカの露骨な言い方をしますと従属国に甘んじるのか、それとも、平和国家としての先見性を示して行動することによって、まさしく憲法前文にある国際社会で名実ともに名誉ある地位を占めようとするのかが今問われているのではないかと考えておりますが、野田委員なり首藤委員の方からもし御感想等がございましたら、お聞かせください。
    〔近藤(基)小委員長代理退席、小委員長着席〕
野田(毅)小委員 崇高な理想をお話しいただいて、そういうことができれば、本当に国連軍ができればという思いを持つ人は多いと思います。
 ただ、発想は私ももちろん否定しませんし、そうなればいいと思いますけれども、現実にはなかなかどうでしょうか。
 特に、国連の意思決定、どれだけの国が入ってきて、それが国際社会の秩序にどのように貢献し得るかという場合の国連の意思決定のかかわりが、例えば米ソ、ソ連はなくなりましたけれども、現在でも、少なくとも五つの常任理事国が国益をかなり出していますね。
 仮に、もしそういうことでなければ国連が成り立たないとしたら、さっきちょっと触れましたけれども、拒否権をなくするという話になったら果たして国連はもつかという現実論、そういうことを考えた場合に、やはり限界はあるけれども、それを何とか、限界を少しずつ補完しながら、補強しながら、国連の役割をもっともっと高めていくような努力を一方でする。だけれども、限界は承知しているから、それを別途補完するような枠組みを我が国としては持っておく必要はあるということじゃないか、そう思いますね。
首藤小委員 今の今川委員の御質問ですけれども、問題提起は非常に重要な問題提起だと思うんですね。
 今の現状がおかしいというのはもうそのとおりでありまして、一国が軍事力で支配しているわけでありまして、イラクの大量破壊兵器をなくすためにやっているんですが、アメリカが使っているのはまさに大量破壊兵器、大量殺人兵器でありまして、こんなばかなことはないわけですね。
 では、国連に集中できるかというと、私は、多少国連なんか見ていて、国連にあるのは規模の不経済性というか、規模の不利益といいますか、世界でもたくさん、二百カ国ぐらいあって、もう主要なエスニシティーとか主要な言葉だけでももう何十とあるわけですね。そうなりますと、それを全部一カ所にやると、本当に同時通訳だけでもう何百人というのが必要となるぐらいに、やはり統合の不利益、統合の非経済性というのが顕著なんじゃないか。それが、その当時、やはり国連の理想がもろくもついえた、消え去った理由じゃないかと思うんですね。
 国連憲章は、それに対してやはり現実主義的なところを設けていまして、これが国連憲章第八章で、地域的な取り決めということになっているわけですよ。ですから私は、国連に集中する前に、まず地域で、同じような宗教に対する理解、要するに、イスラムはもうみんな悪魔だみたいなことじゃなくて、大体イスラムを信じている人たち、例えばスンニだろうがシーアだろうが、大体イスラムということを信じている地域の人たちとか、同じ儒教文化圏でも仏教文化圏でもいいんですけれども、そういうある程度共通の基盤があるところでどうやって平和を維持できるかという、地域安保的なのがやはり重要なのではないか、そのレベルからやはりスタートしていくべきだと思うんです。
 現実に、アフリカの紛争で最近コンゴというのがあるんですが、コンゴが、もう何十万人死んでもだれも気にしていないんですけれども、最近のコンゴ紛争というのは、コンゴの世界大戦と言われるぐらい、アフリカの各国がみんな兵を送ってやったわけですね。今の段階では、マンデラさんが出たりいろいろなことをやって、一応安定の方向に行っているわけですね。ですから、やはりアフリカのことはかなりアフリカの人たちが主体的に動くという方向をつくっていったりした方がいい。その辺のことは実はまだ全然開発されていない社会技術なので、そこのところをまず開発していくべきだ、私はそう思っています。
今川小委員 時間が参りましたので、終わります。ありがとうございました。
    ―――――――――――――
中川小委員長 次に、小委員間の自由討議を行います。
 一回の御発言は、五分以内におまとめいただくこととし、小委員長の指名に基づいて、所属会派及び氏名をあらかじめお述べいただいてからお願いをいたしたいと存じます。
 御発言を希望される方は、お手元にあるネームプレートをお立てください。御発言が終わりましたら、戻していただくようお願いいたします。
 発言時間の経過については、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。
 それでは、ただいまから御発言をお願いいたしたいと存じます。
中山会長 きょうは、お二人の委員から極めて意義のあるお話をちょうだいしたことを、まずお礼を申し上げておきたいと思います。
 私は国連憲章に基づく国連軍の基地というのが、現在、我が国にも七カ所ばかりあると思っているんです。中心的には横田が国連軍の基地になっていると思います。そこで三十人余りの兵士が作業をやっている。朝鮮半島に引かれている国連の休戦ライン、そういったものを含めて、我々の国も現実に国連軍の基地が存在をしていて、そして、このアジアの平和のために、国連が加盟国である日本の安全を守っているという現実をもう少し主権者である国民に知らせることが大切であるというふうに私は理解をしておりまして、このような安全保障の立場から、憲法上とのかかわりも含めて、この問題はぜひひとつ機会を改めて御議論を願えればありがたい。
 もし私の発言に御関心をお持ちの方は、御意見をお述べいただければ大変ありがたいと思います。
中川小委員長 それでは、まず中山会長の、何かあればということで、これに関しての御発言があれば、特に手を挙げていただければと思います。
中野(寛)小委員 今中山会長が言われましたことは、意外に知られていない事実を的確に御指摘いただいたと思います。
 いわゆる朝鮮半島の停戦協定の中で結ばれた国連軍というのは、形式上は存在をしている。ただ、それがいわゆる実効力を必ずしも伴っていない。しかし、何かあるときには、それぞれ派遣している国が会議を開いて、いろいろなアドバイスをしたりしているというその実態をもう少し国民が知ってもいいのではないかという気がいたしておりまして、さすが、会長に的確な御指摘をいただいたという感想を持ちました。
 せっかくの機会ですから、ちょっとそのまま引き続いて発言をさせていただきます。
 先ほど今川委員が最後に個人的な見解としておっしゃられたことですが、確かに突然聞きますと夢物語を言っているように思われるかもしれませんが、先般、中山正暉先生と私とで世界連邦の話をいたしました。大戦直後に湯川秀樹博士だとかいわゆる当時の物理学者が、地球を壊さないためにということで運動を始められた世界連邦運動というのがあって、国会でも当時、尾崎行雄それから初代の衆議院議長の松岡さんとかいろいろな方々が運動を起こされ、今でもその国会委員会というのはあるんです。そこではちょうど今川さんおっしゃられたことを、国連を発展させて、そして国連軍で国際警察の役割を果たし、それぞれの国々は軍隊を放棄してという、しかしそこへ持っていくためには現実論を解決しながら積み重ねていかないといけません。
 これを憲法との関係でいうと、私はドイツの基本法でよく例えますが、国の主権の一部を国際機関の決定にゆだねるというようなことなど、それから、この前、国際刑事裁判所の提案がありましたが、そういうふうなものをやはり積み重ねていって、そちらの方向へ構築をしていく努力が必要なのではないかなというふうに思っておりまして、これを単に夢物語にはしたくないな。そして、一気呵成にはいきませんから、いろいろな積み重ねの努力をやはりしていきたいな、そんな気持ちを持ちます。
 それから、きょうのテーマについては、いろいろな人がおもしろいことをいろいろな機会に言っていると思って、思い起こしながら聞いておりました。もう十年ぐらい前に国連へ行きましたときに、当時のユネスコの内紛を指して国連の幹部が言った言葉に、今の国連は少数の大国と多数の小国との間の葛藤ですという言葉を使われた方がいらっしゃった。これも非常におもしろいなと思います。しかし、その少数の大国の代表格であるアメリカが、多数の小国の数に物を言わせた主張に対して反発をし、なかなか思うようにいかないというので軍事行動を起こしたり、または国連の機関から脱退をしたり、分担金を払わなかったり、いろいろな抵抗を大国の方がするというケースだってあるわけです。
 そういう意味では、きょう野田さんからも大変貴重な御意見を聞いて、ほとんど内容的に私は異論はないわけですが、国連改革というのは、または国連民主主義というか、そういうものについて日本はもっともっと積極的に提言していく努力をしていく必要があるのではないかという感じがいたしておりますし、また日本国憲法もそうあるべきではないかという気がいたします。
 最後に、ODAについても、もう二十年ぐらい前のある古い言葉を思い出しました。
 これはシンガポールの当時のリー・クアンユー首相の言った言葉だと記憶していますが、当時の日本のインドネシアに対するODAを皮肉って、豊かな国の貧しい人のお金、すなわち日本国の国民の税金でという意味です、今ちょっと主客転倒している部分もあるかもしれませんが。そのお金で貧しい国の豊かな人をますます豊かにしているという言葉を言われたのをいまだに覚えております。すなわち、貧しい国、当時のインドネシアの特定の権力者たちをますます肥え太らせている。
 それは、まさに日本の初期の、今もなおその残滓が残っているODAの実態を的確に表現した言葉ではないか。そこからの脱却をいかに図っていくか、そして本当に必要なODAをどう構築していくかということは、憲法の問題とともに我々が考え続けなければいけないことだというふうに思います。
桑原小委員 国連の機能回復の問題がいろいろ議論されておりました。
 私も、国連というものが世界を一まとめにして、そして五大国の拒否権というものが一つの決定の仕組みの中に組み入れられているということの中では、一つの問題を解決していくときに全体が一致した結論を見出すというのは、なかなか難しいところがあるだろうと思うんですね。しかし、それはやはり、いろいろな面で補強しながら追求していかなければならない一つの大事な点だろうと思うんです。
 あわせて、先ほど首藤委員もちょっとお話しになりましたけれども、国連のブロックといいますか、いわゆる地域ごとに国連が一つのブロックをつくって、安全保障の問題なんかでも、既にNATOなんかは、ある意味ではそういうふうに国連がお墨つきを与えればブロック化することになるのではないかというふうに私は思うんですが、例えば日本が属する北東アジアなんかにおいてもそういう意味でのブロック化をして、安全保障をその地域の中でどう考えていくのか。これは、北東アジア以外にも、いろいろなところでそういうものがひとつ試みられてもいいんではないか。これは、国連を機能化させていく、そういう面でひとつ考えてもいいんではないかなというふうに思ったりもしております。
 それから、今、ODAの問題ですが、私は、憲法の戦争放棄であるとかあるいは国際協調主義あるいは平和のうちに生存する権利、そういったものを考えてみたときに、日本の考えている憲法から来る安全保障というのは、むしろ、自衛隊を持つとかあるいは日米安全保障でそれをやるとか、そういうことよりも、その先に、何というか、そういう考え方でどう日本の安全を保障していくのかというところに、憲法からストレートに来る考え方がやはりあるんではないかというふうに思うんです。
 そういう意味では、ODAというのは、まさに自衛隊や安保に匹敵する安全保障の一つの大きな手だてになる。それを、じゃ、どう実効あるものにしていくのかということになると、さまざまな問題があるわけですけれども、やはり現状は、何といいましょうか、いわゆる利権絡みであったり、あるいはせっかく援助したものが相手国の軍事の増強に使われたり、あるいはむだになったり、いろいろな面で、所期の日本の安全保障であるとかあるいは世界の平和、そういうものに直結するような形になかなかなっていない。
 私は、それをどうするかというふうに考えたときには、やはり、先ほど来問題になっている政策協議、相手国との政策協議のあり方とか、あるいは多国間の援助ということになればいわゆるそういう機構の民主化の問題なり、いろいろな機構内の政策協議の問題なり、そういうものをもっともっとしっかりとしたものにしていかなければならないというふうに思いますし、とりわけ重要なのは、その援助の結果をあるいは中間的にどう評価していくのか、そのルールと機構を国際的にきちっとつくっていかなければならない。そういうところが大事なのではないかな、こういうふうに今思っております。
 以上です。
中山(正)小委員 やはり、日本が思う国連に対する失望感みたいなものが最近大変きついんですね。
 さっき、朝鮮動乱のときの国連軍の話がありましたが、これは十六カ国、そのとき中国は国連に入っていませんし、ソ連が拒否権を使ったということで、十六カ国のいわゆる朝鮮動乱の国連軍ができたんです。
 ここに江藤淳さんの「日米戦争は終わっていない」という本があるんです。江藤淳さんはお亡くなりになりましたが、この中に、占領のときに日本に占領政策を、いわゆるSWNCC、占領委員会。これは、ステート・ウオー・アンド・ネービー・コーディネーティング・コミッティーという、SWNCC。この文書の第一号というのが今でも国連の敵国条項にぴったり合うんじゃないかという気がするんです。
 その第一部、「究極の目的」、この中に、「日本国に関する米国の究極の目的にして初期における政策がしたがうべきもの左のごとし。(イ)、日本国が再び米国の脅威となり、または世界の平和および安全の脅威とならざることを確実にすること」。これが「究極の目的」になっていますね。
 国連憲章の中に敵国条項が入っていながら、去年の日本の負担金というのは三百五億円ですね。私は、もう少し日本の政府もはっきりと言うべきで、アメリカの財務省証券を四十一兆円持っていて、世界でこれほどアメリカに協力をしている国家はないと思うんです。
 きょう中曽根大勲位の話を聞く機会が私あったんですが、きのうアメリカから帰ってこられて、シュルツさんが日本は核を持つのかと言ってきた。いまだに聞かれたと言うんですね。アメリカが日本に対して核を持つのかという疑問を、いまだにかつての政府の高官が持っていらっしゃる。
 私は、ODAというのを見ていましたら、非常に不思議な感じがするんですね。
 モンゴルに五、六年前に行ったとき、百二十八億。それから、私は何度もこの疑問を言っているんですが、何でアメリカと英国がビルマと言っている国に日本はミャンマーと名前をつけて、そこの軍事政権になぜ援助をしているのか。それから、かつてはアメリカと戦争をしたベトナムに対して、小渕さんが二回、九百八十億、二年続いて出しましたかね。それから、キルギスとかへ日本の援助の調査に行った人が人質になって捕まりました。考えてみると、中国の周りにずっと随分お金を入れているような気がしますし、だれかの世界政策の根底のお手伝いをしているんじゃないかしら。
 その真ん中で、かつて一九四九年に、アチソン秘密文書というのでは、朝鮮動乱の一年前に、日本の経済力を使って中国を大きくして、そしてソ連と分断する。この本の中にもマッカーサーが首になった理由を書いてありますが、満州に二十六発の原子爆弾を落とす、それから台湾軍を朝鮮動乱に投入する、そういうことをアメリカの上院の外交委員長と下院の軍事委員長に手紙を書いたマッカーサーは、中国を抱き込むというアメリカの大統領の方針に完全に逆らったことになったから首になったんです。
 戦争中に連合軍の司令官、国連軍の司令官が首になるなんて、こんな不思議なことはないわけで、私は、学生時代でしたが、アメリカ大使館の前へかわいそうなマッカーサーを見送りに行ったことがあります。今から思ったら、それは、アメリカの大統領がむしろ現場の指揮官の首を切ったという。今も、ラムズフェルドと現場がもめているなんという話を聞きます。
 いわゆるメソポタミアというのは、ギリシャ語でチグリス・ユーフラテスの真ん中の中の島という意味があるらしいんですが、世界最古の文明の発祥地ですね。そこで今度は国連軍でも何でもない軍隊がこうして戦争をしている。戦争をなくすための戦争だと言うから私はアメリカを支持したい、こういう気持ちはあるんですが、さあ、どこまでこれはいくのかしらと心配です。
 その中で、私は、宮澤内閣のときに、日本に核をなくすという究極の目的の国連機構を誘致したらどうですかと予算委員会で質問しました。広島の市長はすぐに手紙をくれました。ところが、日本では、どうも広島というとアメリカが怒るみたいなところがあるんですね。本当を言えば、私は、「牡丹灯籠」のお札みたいに、日本は核を持たないと言う限りは、日本には核攻撃ができないような組織をつくる必要がある。
 三百五億もお金を出しているのならば、国連の機構も分けて、国連大学みたいに教室も何もないのに大学の事務局だけ置いているなんてばかばかしい話ですし、それから、私は大阪の花博のときに国連の環境機構を持ってこいと提案しまして、これは成功しました。ですから、二分して、湖沼関係は滋賀県にいきました。大阪の花博の後には、環境問題の国連の水の機構があります。これも全く、何か水の瓶を並べているみたいな、はかない国連機構があるんです。
 私は、一番これから、日本は本当に世界を一つにするために、核のない世界をつくろうと思ったら、核をなくすというような国連機構を私は広島あたり、長崎あたりに持ってくる。広島や長崎は自分たちが原爆を落としたところだからぐあい悪いということで嫌がるのならば、何とかそういう機構を日本に持ってきて、日本は幽霊が入ってこないようなお札張りをする必要があるのではないか。国連に対して何か日本が主張をしない限りは、何のために国連にいるのか。
 中国の話も先ほど出ていますが、満州に二十億ドルも資産を置いてきたんですよ。そこに賠償金なんか取られるわけないんです。アメリカに戦争負けましたが、日本は中国には負けていません。岡村寧次将軍は九月十二日に、現場の岡村寧次司令官が日本参謀本部に、あなた方は米国に負けたんだから、我々は中国には戦争に勝っているから続けてやると言った関係があるんです。
 ですから、私は、郵政大臣のときに、これは日中条約に反対した国会議員たった五人のうちの一人でしたが……
中川小委員長 申し合わせの時間が過ぎております。
中山(正)小委員 はい。竹下総理大臣が、中山君行ってくれとおっしゃるから、私は、電話回線六十万回線と、それから天津―上海間の光ファイバーを中国に提供しました、郵政大臣として。ところが、そこで、上海―天津間で商売をやっているのはモトローラ、モトローラが電話事業、ああ、日本のインフラストラクチャーはアメリカの電話会社の下準備だったんだなという気がしたんです。
 ですから、私は、世界を一つにするという思想から、ぜひひとつ……
中川小委員長 中山君に申し上げます。もう一回発言する機会もございますので、よろしくお願いします。
中山(正)小委員 はい。お願いします。
 それでは、なかなか五分じゃ難しいですね。これからもう少し本人が満足するまで言わせていただくような、演説というのは本人が満足しないともともと終わらないものなんですけれども、途中でやめます。ありがとうございました。
今野小委員 きょうのこの委員会は、さまざまな意見が出て、またその意見も大きくいろいろなところに飛んでいったり、また希望に満ちた壮大な話であったりいろいろして、大変興味深く参加をさせていただきました。
 さて、日本のODA拠出額ですけれども、九一年から十年連続、世界一の座を占めていたわけであります。しかし、財政改革の流れを受けて、外務省ODA予算は、二〇〇二年度に前年度比一〇・三%減ですか、そして二〇〇三年度は前年比五・八%減と、削減が続いております。
 日本がODA削減の方向へ行く中で、二〇〇二年の五月、メキシコのモンテレーで開催された開発資金会議において、ウォルフェンソン世界銀行総裁が、ミレニアム開発目標のためには今後十五年間に四百億ドルから六百億ドルの支援が必要だと試算をして、先進国の理解を求めました。特にアメリカは、九・一一以降、開発途上国の問題により積極的に取り組む姿勢を打ち出しておりまして、二〇〇一年にはODA供与額、世界一となっておりますね。
 このように、テロ撲滅のためには、貧困、平和構築などのための取り組みが重要という認識が先進国の間で強まる中で、なおのこと日本のODAのあり方が国際社会から問われることになっております。日本も、商社や、あるいはその地域、国にかかわるコンサルタントが甘い汁を吸うという制度から、貧困撲滅や社会開発に役立つ援助へのあり方を考えるべきであると思います。そうした意味からも、ODA基本法というのが私もやはり必要であると思います。ODA大綱というのもありますけれども、これはODAにかかわる省庁によってつくられたもので、より客観的で国民に開かれたODAのあり方を定めていく必要があると思います。
 そうした中で、ドナーの優越的な視点を排除して、本当に必要なものを提供して信頼を得るODAを行っていかなければならないというふうに、きょうのこの委員会でなおのこと強く思いました。
 以上でございます。
春名小委員 首藤委員から、ODAの理念を前文だけではなく本文にも規定したらという御意見もありましたが、九条、それから九十八条の二項などで国際協調主義は憲法全体として担保されていて、その方向で進むということも多数でもあると思うのですね。ですから、新たな規定ということは、私は必要ないんじゃないかというふうには思っている。
 それから、国連の機能、役割が低下しているという、無力感というお話も出ましたけれども、最近、イラク戦争をめぐって、アラブ諸国が緊急の国連総会を開けという要求をしていますし、それからマレーシアも、緊急国連総会を開いて、国連の枠組み、国連中心に問題解決をという、そういう国々、流れも一方で強く広がってきているということ。そして、何よりも私は、国連のこの枠組み、平和のルールの枠組みから一方的にアメリカが飛び出したこと自身が大きな問題なんだということが今、問題の本質ではないかと思います。
 ODAの問題について、ちょっと一言だけ。
 一つは、日本のゆがみの問題なんですが、先ほども発言でしましたけれども、日本のODAが経済基盤整備偏重型になっていて、企業優先に使われているというのが大きなゆがみだろうと思います。
 二国間のODAの分野別配分を見てみたのですが、いわゆる道路だとかダムだとか発電所だとか港湾なんかの経済活動の基盤条件整備を進める経済インフラが三四%、それに対して、下水道や医療や教育施設などを進める社会インフラが一七%、こういう比率になっています。一方、世界を見てみますと、DACの平均で見ますと、経済インフラの方が一四・九、社会インフラの方が三二・四と、全く正反対なわけですね。なぜこんなことになるのか。
 やはり、経済インフラの多くを占める円借款での事業のその実施が、日本企業が受注する割合が非常に高い。大企業が関心を持っている十億円以上の事業の中で、約六〇%は日本の企業が落札しているというのがODA白書でも明確になっていて、そのあたりに日本のODAの一つのゆがみが出ている。
 もう一つは、やはりアメリカの世界戦略の補完的な役割を担わされているという面もあるのではないか。ソ連崩壊後、薄まってきている面はあると思うのですけれども。
 今、ちょっと調べてみますと、アメリカの軍事援助が多い二十カ国に対する日本のODAが、今から十二年前ですが、九一年時点で二国間援助の五〇%を占めていました。その後、下降線をたどっていくのですが、しかし、今でも三〇%前後を占めているということになっていまして、そこで、いびつさがあらわれているという面もやはりあるんじゃないかと思います。
 こういう二つのゆがみとの関係で人道的支援の分野にODAが進んでいかないという、やはり障害になっているというふうに私は思っていまして、二十一世紀のODAの改革ということを考えたときに、そのゆがみを正しながら、前文に示されたこの人道的支援の分野、それから二十一世紀の世界からの期待、国民の期待ということから見ても、そういう分野に進んでいくような改革をぜひ検討する必要があるなということを私は感じておりますので、発言させていただきました。
 以上です。
中山(正)小委員 再度の御指名ありがとうございます。
 私は、国連というのは、国家として存在する国を皆入れるべきじゃないか。私は中国の参謀本部に招かれまして、これは塩川訪中団のときですが、中国人民解放軍副総参謀長熊光楷上将に私は、台湾を国連に入れなさい、二千二百万の国を国連の外へ置いておいちゃいかぬ。東ドイツも国連に入って、そして東西ドイツ統一したではないですか、北朝鮮も今は国連に入って南北統一という話をしている、あなた方は日本から三兆円のODAをとっておいて、それで二十四発の原子爆弾を持って、三百十万の軍隊を養って、その近代化をしている、それでミサイルで台湾を一つにしようなんというのはとんでもない話ですよ、世界の前で、国連の中で一つになってください、そういう一つの中国は私は大賛成でございますと言って激論をいたしました。
 その意味では、選挙をして、民主化の徹底ということはアメリカもしきりに言っていますが、台湾、中華民国は、今、李登輝さんが台湾共和国という名前を提唱して、一番中国が嫌う独立論を世界の世論の中へ提示していらっしゃいます。私は、この世の中に存在する独立国家とみんなが認めるものは国連に加盟させて、そして議論を深めて、世界が一つになるような方式というのを打ち出していかないと、全く選挙をしていない二千数百名の代議員で選挙をして、それで指導者を選んだからといって、それが民主主義だと思っている錯覚を我々はここで打ち砕かなきゃいかぬと思いますし、それがかえって世界の平和のために、中国にもちゃんとした意見を私は提唱する根底を差し上げるんじゃないかと考えています。
 いろいろ国連の機能については疑問があります。北朝鮮への米の支援の問題もありますが、一トン三十万円する米を日本はWFPに四万円ぐらいで売っているわけですね。売った途端に、食管会計に二十六万円の赤字を出している。これは、国連に北朝鮮も入っているんですから、何とかこれを国連の窓口で、小泉氏が訪朝して窓を開いたその道筋は、物騒なイラクの次は北朝鮮だなんていうのを黙って我々は座視しているわけにいきませんから、何とか国連というものの機能に大いに、イラクの次に何が起こるのかという危惧に対して、私どもは多額の負担金を拠出している国として、私は、ちゃんとした議論をもっと政府はすべきでないだろうか、かように考えております。
 以上です。
中川小委員長 他に御発言ございますか。
 それでは、討議も尽きたようでございますので、これにて自由討議を終了いたします。
 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後五時三分散会


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