衆議院

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第5号 平成15年7月3日(木曜日)

会議録本文へ
平成十五年七月三日(木曜日)
    午後二時開議
 出席小委員
   小委員長 中川 昭一君
      近藤 基彦君    下地 幹郎君
      谷川 和穗君    中曽根康弘君
      中山 正暉君    葉梨 信行君
      桑原  豊君    今野  東君
      首藤 信彦君    中野 寛成君
      遠藤 和良君    藤井 裕久君
      藤島 正之君    春名 直章君
      植田 至紀君    井上 喜一君
    …………………………………
   憲法調査会会長      中山 太郎君
   憲法調査会会長代理    仙谷 由人君
   衆議院憲法調査会事務局長 内田 正文君
    ―――――――――――――
六月十二日
 小委員藤島正之君五月八日委員辞任につき、その補欠として藤島正之君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員井上喜一君同月五日委員辞任につき、その補欠として井上喜一君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員石川要三君同月十一日委員辞任につき、その補欠として河野太郎君が会長の指名で小委員に選任された。
七月三日
 小委員近藤基彦君、藤島正之君及び金子哲夫君同日委員辞任につき、その補欠として近藤基彦君、藤井裕久君及び植田至紀君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員河野太郎君、谷本龍哉君、山口泰明君及び赤松正雄君同日小委員辞任につき、その補欠として葉梨信行君、谷川和穗君、中曽根康弘君及び遠藤和良君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員藤井裕久君及び植田至紀君同日委員辞任につき、その補欠として藤島正之君及び金子哲夫君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員谷川和穗君、中曽根康弘君、葉梨信行君及び遠藤和良君同日小委員辞任につき、その補欠として谷本龍哉君、山口泰明君、河野太郎君及び赤松正雄君が会長の指名で小委員に選任された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 安全保障及び国際協力等に関する件(憲法第九条)


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     ――――◇―――――
中川小委員長 これより会議を開きます。
 安全保障及び国際協力等に関する件、特に憲法第九条、戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認について調査を進めます。
 本日の議事の進め方について申し上げます。
 まず、近藤基彦君及び藤井裕久君から、憲法第九条、戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認について、自衛隊の海外派遣をめぐる憲法的諸問題を含め、基調となる御意見を順次二十分以内で述べていただきます。
 次に、各会派一名ずつ大会派順に十分以内で基調発言者に対する質疑または発言を行い、その後、小委員間の自由討議を行います。
 それでは、まず、近藤基彦君。
近藤(基)小委員 自由民主党の近藤基彦でございます。
 本日は、自衛隊の海外派遣をめぐる憲法的諸問題、すなわち、現行憲法が制定されて以降、最大の論争を生じさせてきた憲法九条をテーマに意見を述べさせていただくとともに、若干の提案をさせていただきたいと思います。
 最初に、九条を議論する際の前提となります、我が国をめぐる現状についての認識を述べさせていただきたいと思います。
 現行憲法が制定されてから五十有余年の月日が経過し、その間、我が国をめぐる国内外の環境は大きく変化してきております。
 まず、国内に目を向けますと、我が国は高度経済成長を経て、世界第二位と称される経済大国となりましたし、また国民の間に民主主義が定着し、その熟度は非常に高いものとなっております。
 次に、国外に目を転じますと、憲法制定時において既に顕在化していた冷戦構造はソ連の崩壊とともに終えんし、現在では米国が唯一の超大国として存在しており、このため現在の国際秩序の安定にその存在が大きな貢献を果たしてきております。そして、我が国は、戦後半世紀以上にわたり、米国中心の国際秩序の最大の受益者でありました。
 また、人、物、資本、情報等が国境を越えて移動するグローバル社会のもとにおいて、国際的な相互依存関係が一層深まってきている一方で、貧富の差の拡大、大量破壊兵器の拡散等、グローバル化のいわば負の側面が現出しつつあります。
 さらに、九・一一米国同時多発テロ事件以降、イラク問題、北朝鮮問題等を初め、これまでの国際秩序を根本から揺るがすとともに、我が国の平和と安全に対する直接的な危機が現実のものとなるような問題が生じております。
 このように、我が国をめぐる国内外の環境が大きく変化する中で、現行憲法は、その制定以降、ただの一度も改正されることなく今日に至っております。確かに、戦後我が国が紛争において一人の国民も死なすことなく、また一人の人も殺すことなく来たこと、経済成長に向けて邁進することができたことなど、現行憲法がこれまで我が国の平和と繁栄のために果たしてきた役割については一定の評価をし得るものと考えます。
 しかしながら、現行憲法は、本調査会での議論でも明らかにされましたように、ハーグ陸戦法規で、占領地の法律の尊重が定められているにもかかわらず、占領下においてGHQに半ば押しつけられたもので、世界平和の脅威とならないよう戦力不保持及び交戦権否認を定めるとともに、精神的な武装解除のために国民の精神改造を図ったものであります。
 このことは、日本国民以外はすべて平和を愛する諸国民であり、日本さえ悪事を働かなければ世界は平和であるという当時の世界認識を背景としており、日本が他国から侵略や攻撃を受けるということは全くの想定外でありました。五十有余年後の今日、我が国には北朝鮮からの脅威が突きつけられております。
 このように、現行憲法によって今日の複雑かつ急激な国際情勢の変化に対応していくことは限界に来ていると考えざるを得ません。
 他方で、九条二項において戦力の不保持が規定されているにもかかわらず、現実にはイージス艦四そうを初めとする装備を有する自衛隊が存在しており、多くの国民が支持しているところでもあります。
 また、湾岸戦争以降、PKO協力法、周辺事態法、テロ対策特措法、武力攻撃事態法、そしてイラク復興支援法案という我が国の安全保障及び国際協力に関する一連の法律が制定されようとしております。
 このような現状が意味するところは、自衛隊発足後、しばしば解釈改憲を積み重ねることによって国際情勢に対応してきた結果、憲法規定と解釈運用との乖離が顕著になってきているということであり、これは法治主義という近代法の原則に照らし不誠実な対応であると考えます。
 そして、このような乖離に拍車をかけている理由の一つが、内閣法制局が憲法解釈権を独占し、政治がこれに服従しているかのような実態ではないかと考えます。
 私は、憲法解釈というものは、内閣法制局の解釈に縛られるのではなく、政治家としての責任において示すものであり、また、憲法規定と現実との乖離が顕著となった場合には、憲法改正の是非を国民に問わなければならないという姿勢こそが政治の本来のあるべき姿であると考えます。
 このように考えますと、何か事態が生じる都度に解釈改憲を積み重ねた上で法整備を図るというこれまでの方法には問題があるのであって、今日の国際情勢の変化に対応していくためには、やはり憲法改正を視野に入れた上で、第一に、万が一の事態に備え我が国の防衛体制を整備するとともに、第二に、国際の平和及び安全の維持にかかわる責任を果たすため、あらゆる分野における国際貢献を一層推進していく必要があると考えます。
 それではまず、防衛体制の整備と憲法改正の問題について具体的に考えてみたいと思います。
 近年、国際情勢は緊迫度を増してきております。北朝鮮によって拉致問題、ミサイル発射問題、核兵器開発問題等が引き起こされてきております。特に北朝鮮による核兵器保有は、日本に対する脅威を著しく増大させるものであり、NPTに違反しても制裁されないとの先例ができれば、世界的に核拡散が助長されることになりかねません。また、一昨年には、唯一の超大国である米国を標的とした九・一一事件が発生いたしました。
 このような中で、多くの国民がミサイル攻撃やテロを現実の脅威として感じていることは事実であります。国の主権を守り、また国民の生命財産を守ることが政治の責務であることにかんがみれば、このような国民の不安を解消するためにも、万が一の事態が生じた場合であっても万全の対処を行うことができるよう防衛体制を整備することは当然のことと言えます。
 そもそも国防とは、みずからが属している国家共同体を、みずからの生命を犠牲にしてでも守ることであります。国家が自分のために何をしてくれるかではなく、国家に対し自分は何ができるかという姿勢こそがその基本に置かれるべきものであります。また、国家とは、前の世代から受け継ぎ、みずからの世代を経て次の世代に受け渡していくという連続性のある歴史的所産であるということを指摘しておきたいと思います。
 憲法九条をめぐっては、これまで、我が国は自衛権を保持しているのか否か、自衛権を保持しているとして、その発動に当たって一定の武力行使は認められるのか否かといった議論がなされてきました。
 これらの点に関して政府は、九条によっても自衛権は放棄されるものではなく、またその発動に当たって自衛のための必要最小限の武力を行使することは認められると述べておりますが、依然としてこの種の議論が繰り返されてきているということは、安全保障という国家としての根本問題について、国民の間での完全なコンセンサスがないということでありまして、このことは、万が一の事態が生じた場合に、国家は国民を十分に保護することができるのか、また、防衛行動を行うに当たって国民全体からの信頼や協力を得ることができるのかという疑念にもつながるものであり、問題と言わざるを得ません。
 したがいまして、国家として当然に保有している権利と、国家として国民を守るという姿勢とを明らかにするという観点から、我が国が自衛権を保持していること、防衛活動を担う主体として自衛隊が存在すること等を憲法上明確に位置づける必要があると考えます。
 また、先般、多くの会派からの賛成を得て、有事関連三法がようやく成立いたしました。これら有事法が成立する以前には、仮に万が一の事態が発生した場合に、自衛隊は超法規的な行動に訴えざるを得なかったのではないかということを考えれば、有事法の整備はむしろ遅過ぎたのではないかとの思いもあります。今後は、残された課題であります国民保護法制及び米軍との関係に関する法制についても早急に整備を図る必要があると考えます。
 ところで、これらの有事法は、統治機能の変更、一定の人権制約等国家の基本に関する事項を内容とするものであります。どのような有事においてどの程度の権限を首相に移譲するのか、また、どの程度の人権制約が認められるのかといった事項は、諸外国の憲法を見てもわかるとおり、本来、国家の基本法たる憲法にその基本を規定すべきものであります。
 翻って我が国の憲法を見ますと、緊急事態に関しては、わずかに五十四条二項に参議院の緊急集会が定められているにすぎず、危機管理意識の欠如した憲法と言わざるを得ません。したがいまして、外部からの武力攻撃、大規模自然災害をも含めた非常事態の要件、対処行動の手続、非常事態においても侵害してはならない人権の種類等に関する基本的事項を定める条項を憲法上設ける必要があると考えます。
 その際、国会等のコントロールを及ぼすことによって首相による権力の乱用を防止する必要はありますが、しかし、厳格な規定を設けることによって首相の裁量の余地を狭め、その結果かえって国民の利益が損なわれることのないよう、慎重な制度設計が必要であると考えます。
 さらに、日本の防衛は我が国一国だけでなし得るものではありません。したがいまして、引き続き我が国の安全保障政策の基軸として日米同盟を維持し発展させていく必要があり、このことは、将来的にアジアにおける地域的集団安全保障を構想する上でも重要になってくるものと考えます。
 もっとも、我が国は、集団的自衛権について保持するが行使できないとされており、通常の同盟関係における共同防衛の責務を果たせない現状にあります。しかしながら、このような憲法解釈は非常にわかりづらいものであります。
 国連憲章五十一条では集団的自衛権が固有の権利として国家に認められておりますし、また、サンフランシスコ平和条約五条(c)項では「連合国としては、日本国が主権国として国際連合憲章第五十一条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有すること及び日本国が集団的安全保障取極を自発的に締結することができることを承認する。」と定められておりますことから、このような解釈はむしろ誤りであるとも言えるのであって、これを正すべきであります。その上で、政治の責任において、主体的判断に基づき、国民の利益に沿う形で集団的自衛権を行使することを通じて、対等かつ双務的な日米関係を築いていく必要があると考えます。
 以上のような防衛体制の整備及びこれに伴う憲法改正を行うに際しては、近隣諸国からの批判や懸念が当然に予想されるところであります。しかし、ヨーロッパにおいては、歴史上悲惨な紛争を繰り返してきたドイツとフランスとが相互の信頼醸成措置を通じて対立を解消し、統一ヨーロッパを目指す動きの原動力となっており、この動きは、現在、ヨーロッパ憲法を制定する段階にまで至ってきております。
 このことを踏まえますと、我が国も、防衛体制の整備等を図ると同時に、近隣諸国との間で信頼醸成を図るための措置を講じ、アジアにおける地域協力の道を固めていく必要があると考えます。
 次に、国際貢献の推進と憲法改正の問題について考えてみたいと思います。
 冷戦構造が終えんした現在においても、世界各地で紛争が生じており、多くの民衆が犠牲となっております。これらの紛争は、グローバル化が進展する中で、我が国の平和と繁栄に直結する問題となっていることから、決して我が国と無縁のものではありません。
 一国の安全は外敵の直接的な脅威に対処するだけで確保されるものではないのであって、地域や国際社会全体の秩序の安定をいかに確保していくかが重要となっております。また、我が国は、世界各地で生じている紛争を解決するための意思と能力を有しております。これらのことを踏まえれば、我が国が国連のPKOを初めとする国際の平和及び安全の維持に関する取り組みに対し相応の責務を果たすべきことは言うまでもありません。
 冷戦構造のもとでの紛争は、国家対国家という形において生じるものでありました。しかし、今日生じている紛争の多くは、民族、宗教、貧困、環境破壊等に起因するものであって、主権国家という枠組みでとらえ切ることのできないものであります。これらの事態に対処するためには、人間一人一人の生存、生活、尊厳に対するさまざまな脅威への取り組みを主権国家の枠を超えて国際社会全体として強化していく上での新しい価値観が必要となるのであり、その意味で、人道上個々の人間の安全保障に着目した人間の安全保障、いわば人道上の安全保障という考え方が重要になってくるものと思われます。
 ここで、現行憲法の平和主義について考えてみたいと思います。
 戦後、国民は、平和と軍事を根本的に対立する概念としてとらえ、軍事力が平和を壊す道具として用いられることへの警戒心があったことは、戦争を体験した国民の感情として十分に理解できるものではありますが、国際社会の現実を見れば、平和や安全は最終的には武力により担保されることもあり得るものであります。
 今後、我が国としては、平和と安全を最終的には武力により担保することもあり得るという立場に立った上で、人道上の人間の安全保障という考え方を未来志向のより強靱な平和主義の形として提示し、国際の平和及び安全の維持に向けた取り組みに積極的に関与していく姿勢を示す必要があると考えます。
 人道上の人間の安全保障に基づく国際貢献とは、一人一人の人間の豊かな可能性を引き出し、意義ある生活が送れるよう、政府、NGO、国際機関等が連携して基本的支援を行うというヒューマンエンパワーメントの側面とともに、その支援が実施される地域での社会秩序の維持に関し、第一義的な責任を負う国家がその機能を発揮する十分な能力と意思を有しない場合において、その支援について正当性が担保されるときには、軍事力の提供をも含む支援を行うことによりヒューマンエンパワーメントを実現するというプロテクションの側面を有するものであります。このような考え方は、国際法上いまだ十分に確立されたものではありませんが、その必要性にかんがみれば、今後検討を進めていかなければならない問題であると考えます。
 九条は、憲法制定当時の国際情勢を反映し、国家対国家という形での武力紛争を前提として規定されたものであります。また、現在の政府見解によれば、自衛権の行使以外の場合における軍事力の行使や支援を禁止するものであるとされます。これらにかんがみれば、人道上の人間の安全保障に基づく国際貢献を実践するに当たっては、やはり憲法改正が不可避のものとなると考えます。
 以上のことを踏まえまして、私は、次のような憲法九条の改正に向けた若干の提言をしたいと思います。
 まず、その前提として、九条一項に定められました侵略戦争放棄の理念、これは一九二八年に締結されました不戦条約において示されたものでありますが、我が国が原加盟国としてその締結に尽力したことを強調しておきたいと思います。
 その上で、第一に、九条一項の侵略戦争放棄の理念は堅持した上で、我が国が国際社会の平和及び安全の維持に積極的に関与していくという立場から国際貢献を行うに当たっての理念として、人道上の人間の安全保障の考え方を具体化いたします。
 第二に、いわゆる一国平和主義から脱却する意味でも、国際社会の現状に沿わない戦力の不保持及び交戦権の否認を定める同条二項を削除した上で、個別的であるか集団的であるかを問わず自衛の権利を保持するとともに、これを行使できることを明記し、また、我が国の防衛と国際貢献を担う主体として自衛隊の憲法上の位置づけを明確にいたします。
 第三に、侵略、大規模自然災害等の非常事態における首相への権限集中、人権の保護や制約等に関する非常事態条項を新たに設けることといたします。
 なお、九条は前文に掲げられたいわゆる平和主義を受けた規定であるとされていることから、九条の改正を検討するに当たっては、あわせて前文の見直しが必要であると考えます。
 以上申し上げました九条の改正案は、私の試案でございますが、今後憲法調査会での調査を進める上での一助にしていただければ幸いであります。
 今後は、二十一世紀という新しい時代の日本にふさわしい、世界に誇るべき国民のための憲法の制定に向けて、早急に議論を深め、合意形成を図っていく必要があると考えます。
 また同時に、憲法改正手続について定める憲法九十六条の規定を具体的に実施するための法律が整備されていないことは、国民の半数以上が賛成しているとされる憲法改正に向けた意思を無視するものであって、いわば立法の不作為に当たるとも言えることから、憲法改正のための国民投票法等関連法律を直ちに整備させる必要があると考えます。
 以上をもって私の基調発言とさせていただきます。ありがとうございました。
中川小委員長 次に、藤井裕久君。
藤井(裕)小委員 本日は、私ども自由党の安全保障に対する考え方、ひいては憲法第九条に対する考え方を述べる機会を与えていただきまして、小委員長初め皆様に心から御礼申し上げます。
 私どもは立党以来、将来を見据えた日本国家の国際社会でのあり方、国内体制などを世にお示ししてまいりました。例えば、立党の年に「日本再興へのシナリオ」をつくりましたし、本調査会の設置と軌を一にいたしまして「新しい憲法を創る基本方針」、当然新しい憲法をつくるという前提であります。そして、その十二項目のうち重要な一つである安全保障の基本方針につきましては、これを法制化して、平成十四年及び本年提出させていただいているのが安全保障基本法であります。
 戦前の日本、特に昭和の時代は、事の起きるたびにその場の事態を繕うような形で対応に終始して、基本的な安全保障政策あるいは軍事戦略のないまま国家主権の究極の発動である軍隊の行動を決定し、結果として国家の基本的方向を誤ったと言わざるを得ません。昭和十九年のインド・インパール作戦の展開を経て、昭和二十年の終戦を迎えるに至ったのはその最後の局面であったと思っております。
 戦後の日本においても国家安全保障の基本原則が確立していないのは、戦前の反省が生かされていないと言われてもいたし方ないと思います。あえて言えば、昭和三十二年閣議決定された国防の基本方針、四原則というのがあります。平成十一年、自自連立において、安全保障の基本原則を確立し、すなわち平成版安全保障の基本原則を策定しようということで合意をいたしました。結果として自由民主党の中に反対が出てこれが実らなかったのは、返す返すも残念と思っております。
 しかし、翻って考えてみますと、これらの基本部分は新しい憲法に明記するか、少なくとも安全保障基本法において世間にお示しするべきものであると考えます。閣議決定の基本原則というもの以上にしなければならないという意味であります。それは、国の平和確立の基本を日本国民にお示しするとともに、国際社会、なかんずく近隣諸国の信頼を得るためにも必要であると考えております。
 私どもは、安全保障に関する三つの基本的原則を提起しております。
 一つは、自衛権は国家の基本的責務であることを明確にした上で、その行動は抑制的、限定的でなければならないということであります。
 第二番目には、戦後の日本の中核である日米共同防衛体制を堅持しなければならないということであります。
 第三は、二十世紀における二回の大戦によって築かれた国連中心の国際平和秩序に積極的に参加することであります。これが結果として日本、世界の平和を確保する上の大きなとりでになっていると考えられるからであります。
 以下、この三項目につき述べさせていただきます。
 第一の問題でございますが、一つには、他国の侵略に対し国の安全と国民の生命財産を守ることは国の根源的かつ崇高な使命であるにかかわらず、憲法上これを明確、積極的に規定していることがどこにもないのであります。
 憲法の前文には、その顔であるにもかかわらず、みずからの国はみずからで守るたぐいの規定は全くありません。あるのは、「諸国民の公正と信義に信頼し」、「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」、「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」という国際協調の理念を述べているのみであります。
 また九条には、侵略戦争をしてはならないとの規定はあります。当時のアメリカのマスコミが、この憲法は日本の憲法ではなく日本に対するアメリカの憲法だと言っておりますし、また、これはユートピアだ、日本が悪いことをしなければ世界は平和になるのだとも言っております。それもむべなるかなであろうかと思っております。
 このような、整合性もとれていない、また国家の根源的責務も規定していないのは、現行憲法がGHQにより策定されたことから来ていることは否定できません。
 昭和二十一年二月、一週間で二十人余りで作成したことに加えて、その前提となったマッカーサー三原則、世に言うイエローペーパーでありますが、戦争放棄条項には、侵略戦争も自衛の戦争もともに放棄させると提示されております。
 日本では必ずしも評判のよくない人ですが、民政局次長のケーディスが、これは余りに非現実的だと言って、勝手に九条は侵略戦争だけがだめだと書きかえちゃったというのがありますが、これは史実であります。
 また、その九条の文言も、国際紛争を解決するための戦争を放棄するという難解な文章になっています。これもマッカーサー原案が、先ほども出ましたが、一九二八年の不戦条約の引き写しだからであります。その不戦条約は、ケロッグ・ブリアン条約と言うようにアメリカとフランスの主導で成立したものであり、肝心の母国では当時、これは自衛戦争も否定しているのではないかという批判をされております。侵略国は必ず名目をつけて攻めてくるわけでありまして、その例は枚挙にいとまがありません。この侵略に対する自衛のためであっても、国際紛争解決の手段と言われかねません。
 確かにこの言葉は、現在国際法的には侵略戦争であるということが確立していますが、普通の中学生ぐらいが素直に読んで理解できるような文章にしなければいけないと思います。
 国際紛争を解決するための戦争というのが侵略戦争であるということを十分御承知になっておられました芦田均さんが、そのための戦力は保持しないという、いわゆる芦田修正を出されましたが、当時の状況ではこれがもう限度だったと思います、よくおやりになったと思っておりますが、その後政府は、自衛のための軍隊すなわち自衛隊をも戦力でないとの見解を示して、せっかくの芦田修正ができたにかかわらず、いまだに戦力なき自衛隊ということを言い続けております。それも国民の普通の常識では考えられないことでありまして、新しい憲法をつくるときにはこのような誤解のないよう明記すべきであるということを申し上げたいと思います。
 いずれにしても、GHQ憲法の翻訳であるから訳文は難解であり、日本語に必ずしもなじめないというのが事実だろうと思います。
 戦後、参議院議員を務められました文豪山本有三先生が、なぜ政治家になったのかと問われたのに対して、日本語の憲法をつくりたいからだと言われたことは、我々は心すべきことだと思っております。
 このように、自衛権を国家の崇高な権利として明確にした上で、その行使の限界を示すことも反面極めて重要だと思います。それは、戦前の無原則のまま、ただただ自衛の名において戦線を拡大したという歴史の反省でなければならないと思います。
 あえて言えば、明治の山県有朋は、自衛とは生命線と利益線があるということを言っておられますが、この発想は、ロシア・ロマノフ王朝以来のツァーリズムの北方脅威への対応であったということは事実でありますが、結局、明治四十三年の日韓併合であるとか、昭和七年の満州国建設とか、引き続く熱河作戦を招来したことは否定できません。また、昭和十二年の廬溝橋事件以降の事態は、本来の自衛とは全く関係ない、オーストラリア攻撃だとかインド・インパール作戦なども展開されているのは、これは論外ではないかと私は思っております。
 我が党は、この反省の上に立ちまして、具体的には、直接侵略があったとき、または、そのまま放置すればそのおそれのある場合に限って、他に方法がなく、必要最小限において自衛のための武力行使を行うということを明言しております。新しい憲法には、ぜひそのことを明記すべきであると思います。それが同時に、現行憲法九条の基本的精神の流れに沿ったものであると考えております。
 なお、これに関係して、シビリアンコントロールの重要性について一言申し上げます。
 シビリアンコントロールにつきましては、現行憲法では六十六条に、総理、国務大臣はシビリアンでなければならないとの規定のみがありますが、実は、本来、総理大臣の自衛隊に対する最高指揮監督権というものは、これは自衛隊法に置いておくものではなく、より具体的に憲法に規定すべきものであると考えております。
 戦前、昭和六年、満州事変に際して、日本の朝鮮軍司令官が、中央の参謀総長にも、あるいは陸軍大臣を含めた内閣にも報告しないで鴨緑江を渡河し、汚名を残したのは、日本にある歴史であります。
 反面において、昭和二十六年、朝鮮戦争では、連合軍最高司令官マッカーサーが、本国の意思に反し、中国本土爆撃を主張して、トルーマン大統領に罷免されたということも、逆に銘記すべきことだと私は思っております。
 第二は、日米共同防衛体制の堅持であります。
 日米関係は、ひとり安全保障のみならず、経済、文化など多方面にわたり、相互に密接に連携し合う間柄であると思います。明治以来、先進民主主義国と同盟関係にあるとき、我が国は平和であり、それが繁栄の基礎となってきたと思います。日英同盟は、大正デモクラシーの花を咲かせました。戦後の日米同盟は、平和のうちに戦後の復興を果たし、繁栄の道を開きました。
 大正十年日英同盟解消後は、日本はひとり独自の道を歩み、昭和八年には国際連盟を脱退し、昭和十五年にはナチズム、ファシズムとの日独伊三国軍事同盟を締結して、結局、破局の道を歩んだと思っております。
 今、世界は、国際平和秩序の中で、そのような同盟関係を結んでいるのが現状であります。
 日米共同防衛体制の基礎をなすのは、日米安保条約であります。この条約の第一条には、それぞれの関係する国際紛争を国際連合憲章の定めるところに従って解決し、つまり、国連を表に立てております。武力による威嚇、武力行使は、国際連合の目的に両立しないもの、いかなる国の領土保全、政治的独立に対するものに使ってはならないということを言っておりまして、残念ながら、今の総理が、国連を中心とする国際協調体制と日米安保体制を対立するように世間にお問いかけになっているのは、やや事の本質が違うのではないかというふうに考えております。
 なお、昭和三十五年の日米安保条約の改定に伴う安保国会においては、集団的自衛権論議というのが行われておりますが、自衛権は、本来、個別、集団というものを一体としてとらえるのが国際常識ではないかと考えております。国連憲章、平和条約、日米安保条約など、すべて一体的、包括的な取り扱いをいたしておりますし、国際司法裁判所でも、これは国際慣習として成熟していると判示をいたしております。
 これに対して、日本政府は、昭和五十六年、あえて集団的自衛権を特別に取り出して分けて、そこは保有しているが行使しないとの見解を示しております。この考えは国際法秩序の流れにそぐわないものであると私は考えております。
 なお、次に述べる国連主導のもとに行われる集団安全保障と、今申し上げた自衛権の一環としての集団的自衛権は、本質的に異なるものであり、前者は、ある程度国家主権の制約を伴うものだと考えておりますが、後者、つまり集団的自衛権は、主権の行使そのものであるというふうに考えておりますから、その政策判断によってその行使の限界を定めることは当然だというふうに思っております。
 既に述べましたように、私どもは、自衛権は個別、集団に関係なく抑制的に考えるというふうに申しておりますが、日米安保条約がその地域を極東に限定しているのも、この考え方が基礎にあるんだと私は考えております。
 第三が、国連主導で行われる国連平和活動についてであります。
 これは、国際社会そして我が国の平和と安全が守られる基礎であり、国際社会の中の主要国である日本がこれに積極的に参加することは当然のことと考えております。
 国連平和活動とは、集団安全保障とも言われておりますが、具体的には、国連軍、またその変形である多国籍軍、さらにPKOと称される国連平和維持活動であり、いずれも国連の決議により活動するものであります。この仕組みは、二十世紀の二度にわたる世界大戦を経て、何千万という犠牲者の上に成り立った貴重な財産だと私は思っております。
 第一次世界大戦後に成立した国際連盟では、侵略的行為を行ったものに経済制裁を行うという仕組みはございましたが、一九三五年、昭和十年でありますが、ムソリーニのイタリアがエチオピアに侵入したときには、これを発動したにかかわらず、それを阻止することはできませんでした。経済制裁には限界があるという趣旨であります。
 また、一九三八年、昭和十三年には、ヒトラー・ドイツが、オーストリーを併合した後、チェコ・ズデーテン地方に侵入をいたしたのに対して、ミュンヘン会談において、英国のチェンバレン、フランスのダラディエという両首相は、これらの侵略行為を平和的に阻止しようとしましたが、結局、できませんでした。
 英仏の両首相は母国では平和の天使として迎えられましたが、結果としては、一時といえども、ヨーロッパはナチズム、ファシズムの席巻されるところとなったのは、これも歴史的事実であります。
 この歴史的教訓の上に立って、一九四四年、戦勝四カ国、つまり米英中ソがダンバートン・オークスで会議を持ち、その骨組みをつくって、翌年、国連憲章としてまとめられたのが、戦後の国連を中心とする国際平和秩序であります。
 それは、各国の自衛権発動のほかに、原則としては、武力行使、戦争は違法であるということを決めつつ、国連の決議があった場合には、国際社会の制裁として、侵略者に対し強制的武力行使を行い、その行動を阻止することができるという仕組みであります。
 世間では、その仕組みが一九三一年と一九三九年にあれば、あのような悲惨な二次大戦にはならなかっただろうと言われております。一九三一年というのは、日本の満州事変であります。一九三九年とは、ドイツのポーランド侵入であります。
 日本が国連加盟国でありながら、現在この仕組みに参加することに否定的であることは、国際社会の一員として残念であります。日本政府は、昭和五十五年、憲法九条のもとで自衛隊の海外派遣による武力行使はできないと表明しております。私どもは、日本が、昭和三十一年、無条件に加盟した以上、加盟国の一員として国連憲章を遵守し、国連の決議があれば国連の平和活動に参加するのが国際的義務であると考えております。
 憲法九条は、国の自衛権の限界を定めるものであって、国連の平和活動を規制するものではないと考えております。憲法の規定でも、前文は国際協調主義を強く打ち出し、憲法九十八条では、一項で、この憲法に反する法律、政令などは無効であると述べた上で、二項では、国際条約、国連憲章などはこの一番の中心だろうと思いますが、これを遵守しなければならないということを言っております。加えて、憲法八十一条の最高裁判所の違憲立法審査権では、条約を除外しております、条約は対象としておりません。
 新しい憲法をつくるときには、一層このことを明確にするためにも、国連の平和活動、いわゆる集団安全保障への参加を明記すべきであると思います。
 次に、PKOと称せられる国連平和維持活動に触れさせていただきます。
 この根拠規定は憲章上ありません。あえて言えば、憲章第一条の平和を維持すること、そのための脅威の防止、除去のため有効な措置をとることにあると言われております。また、第六章の平和的解決と第七章の強制措置の中間だから憲章六・五章だと言う人もいます。
 この仕組みの源流は、第一次中東戦争後の、将校が一人一人参加して軍事監視をするということにあるのは事実でありますが、実際は、一九五六年、第二次中東戦争後の、スウェーデン人のハマーショルド事務総長、そしてピアソン・カナダ外相など、いずれもノーベル平和賞を受けた人を中心に、世界の英知の結集としてつくり上げたものであって、国連憲章上に明確な規定こそないけれども、世界平和のためには非常に重要な仕組みであると考えています。
 特に、そのときの原則で、今言われているような停戦合意とか、強制的措置はいけないというふうに言われておりますが、大事なもう一つは、国際性ということが強調されております。それは、P5という国だけでなく、広く世界の国に参加してもらいたいということを訴えているのであり、多くの国が現在参加しているのもその結果だと思います。
 現在、この伝統的PKOは任務を拡大して、さらに変質して、重武装、強制武力行使などを行うケースも出てまいりましたが、我が国は、この活動の意義を十分わきまえて、積極的に参加すると同時に、PKOの本来のあり方、強制的措置とかあるいは強制的武力行使というものの行き過ぎを是正するようなことで貢献していくべきだと思います。
 最後に一言でございますが、国際的行動に参加する以上、武器使用も国際水準であるのは当たり前のことであるということを申し上げて、私の発言を終わらせていただきます。
中川小委員長 これにて、基調となる御意見の開陳は終わりました。
    ―――――――――――――
中川小委員長 それでは、まず、谷川和穗君。
谷川小委員 私は、二、三点、特に藤井先生に質問をさせていただきたいと思います。
 今の国連の平和活動について最後のところでお触れになられましたが、そのときに、集団安全保障体制といいますか、この考え方にもお触れになられました。
 まさに、自衛権の中に集団的とか固有的とかそれはないのであって、ただ、日本の国においては、自国が攻撃を受けていないにもかかわらず云々というのが入るわけですが、集団的自衛権の場合には、最も信頼する相手国に攻撃があった場合のことを言っているのであって、自国に攻撃があろうがなかろうがそれは全く関係ないにもかかわらず、この解釈が出ました。
 これは内閣法制局の解釈であって、したがって、憲法に関係ない話かもしれませんが、藤井先生は、これから先、国連の平和活動に対して、国連は集団的自衛権の大変まとまった国際機関だと私は思っていますが、日本のこの解釈、自国に攻撃を受けないときでも集団的自衛権で出られるというふうに御判断なさっているのか、それともこの解釈を変えるべきなのか。変えるとすれば、内閣法制局の判断を変えるべきなのか、それとも思い切ってそこは憲法でしっかり書くべきなのか、どちらをお考えになっているか、それをちょっとお尋ねしたいと思います。
藤井(裕)小委員 今おっしゃったとおり、日本の解釈は他国と違うんですよ。今おっしゃったように、自国が攻撃されていないにもかかわらずというのが、日本の法制局といっていいのか、日本の政府といいましょうか、解釈なんです。
 NATO条約第五条にはそういうことは書いてないんです。他国が攻撃されたときは自国の攻撃とみなすんですね。そういう意味で、私はNATO条約的な考えの方が正しいと思っているのが一つ。
 ただし、さっき申し上げましたように、集団であれ個別であれ、自衛権は抑制的でなければならない。だから、日米安保は、私はあれは集団的自衛権の発動だと思っておりますが、これも極東に限定していますね。ですから、そういうものも含めて、やはり地域的限界というものは厳格にして、一部の方が、集団的自衛権を認めるとアメリカまで行くんじゃないかという、ちょっとはっきり言えば非常識な議論も出ているようですが、そこがまさに、集団であれ個別であれ、限定的、抑制的でなければいけない、こういうことであります。
 それからもう一つちょっと、国連の平和活動とおっしゃいましたが、これは全く次元の違うものだと考えております。国連の決議によって、日本は主権をある程度譲渡して、そして国連の指揮下で活動する活動であるというふうに考えております。
谷川小委員 ありがとうございました。
 もう一つ国連に関してお尋ねしたいんですが、国連の安全保障理事会の機能についてお尋ねをしたいんです。
 実は私はテポドン騒ぎのことを今思い起こしているんですが、あのときに日本の国連大使は小和田さんであって、小和田さんは、日本の安全保障上これは非常に大きな問題だということで、安全保障理事会で北朝鮮に対する決議を取りつけようと思って大変努力をされましたが、ついにそれは成功しませんでした。中国が大変大きく反対をしたわけです。
 現在、日本は非常任理事国じゃございませんけれども、北朝鮮の核の問題が浮上してきていますが、アジアから選ばれている非常任理事国はシリアとパキスタンですが、シリアは北朝鮮からミサイルを買っている国ですし、パキスタンはウラン濃縮技術を提供したのではないかと見られている国です。さらに、アフリカから選ばれている三国のうち、北朝鮮を承認している国もございます。
 したがって、核の問題で議論をしているときにもいろいろ問題が起こるかもしれませんが、ましてや、拉致問題みたいなものと一緒になって、アジアの安全を守るときに安全保障理事会が本当に動けるのかどうか。
 安全保障理事会の中には、ポケットビトーという有名な言葉がありますが、すべての国は、特にビトーを持っている五カ国は、自国の国益に従って行動しているのであって、したがって、安全保障理事会の組織とか今までの慣習だとか慣行、そういったものを改めない限り、すべて自国の安全を安全保障理事会の決議に任せるということは、国家としては話の通るべきものではない。堂々と主張はすべきであるけれども、国連中心外交と一口に言うけれども、十分考えて行動しなきゃならぬことだと私は思うんです。
 したがって、さっき先生がお話しになられました、日本の国の安全保障の基本原則を憲法に規定することが大事だと言われたことは、必ずしも国連だけの問題じゃなくて、日米関係もそうだし、それから日本と近隣諸国の関係もそうなのであって、それにプラスしての国連ということであって、現在の日本の国の憲法の、特に九条のあの解釈というようなものは、これは何とかしないと、日本が近隣諸国から信頼を受けることもできないし、ましてや、信頼醸成機関をつくることも非常に難しいと思いますが、その点についていかがでございましょう。
藤井(裕)小委員 まず、今の国連の仕組みが、さっきダンバートン・オークスの話を申しましたが、要するに、アメリカのルーズベルトとイギリスのチャーチルと中国の蒋介石とソ連のスターリンでつくり上げたものなんですね。ですから、相変わらず日本は今敵国です。そういう仕組みの根幹は直さなきゃいけないということは、あらゆる場を通じて努力すべきだと思います。
 だが同時に、理事国のあり方、これもお話ありましたが、拒否権というものが、特に一国ということになりますと、ただの一国だということになると、どうしても利益で動くことが多いと思いますね。本当に世界の良識として行動していただきたいんだけれども、一国の利益になることは間々あることだと思うのです。そういう意味において、私は、拒否権というものは今の仕組みを変える必要があるということと、常任理事国というのはまだ戦勝国の世界ですね、P5は。そういうことなども含めて、これから、私は、一部の人が国連の機能は低下したよと言うけれども、そうあってはならないし、そのときには、こういう問題もあわせて、関係諸国とよく協力してやっていかなければならないと思うのです。
 特に、核だとかテロだとかいう問題は、こういう外敵が侵入してきたときの話とは全然違うんですね。それを、今そういう仕組みがないから、いや、テロのときはあれは後方支援だからいいとか、はっきり言えば、憲法のすき間と御自身がおっしゃったようなことになっているわけですが、そうじゃなくて、こういう問題は外敵が侵入してきたときとは全然違うんだという、やはり新しい仕組みをつくらなければいけないというふうにも思っております。
 それから、憲法の中で安全保障のことをいろいろ書くときには、私は、やはり国連は非常に大事だから、これは明記しなければいけないと思うのです。国連の平和活動というものが非常に大事であるということは明記して、これに参加するんだ、憲法の今の九条の解釈はだめだと。だめだという書き方はありませんけれども、そういう前提に立って、国連の平和活動を明記する必要があると思います。いろいろな民間の方の中には、三項を入れて、国連の平和活動を三項で書けという御議論もありますが、そういう技術的な手法はともかくといたしまして、何らかの形で今お話の出たようなことを明記する必要があると思っております。
谷川小委員 では、最後に一問。
 レーニンはかつて半国家という言葉を使いましたが、ちょっとこれと間違えてはいかぬものだから、最近、半主権国家という言葉がある、半分しか主権がないという国家。これは宗主国に対して持っている主権に対して言われている言葉ですが、日本の国は、現行憲法で見ると、半主権国家じゃないのか。特に安全保障の問題を鋭く指摘する方はそういうことを言われますが、これについて何か御感想があれば、最後にお尋ねをいたして、私の質問を終わります。
藤井(裕)小委員 一番初めに申し上げたことに尽きているのでございますが、みずからの国はみずから守るという規定は憲法上何にもございません。侵略戦争はやってはいけないよということと、みんなと仲よくしなさいということは書いてあります。しかし、みずからの国はみずから守ることが崇高な使命であるということは一言も書いてありません。
 今谷川委員のおっしゃったこととイコールかどうかは別といたしまして、冒頭申し上げたように、自衛のためには崇高な使命である日本人の責務を果たさなければいけないということを新しい憲法には書くべきだというのが私どもの考えであります。
谷川小委員 ありがとうございました。
中川小委員長 次に、今野東君。
今野小委員 民主党の今野東でございます。
 初めに、私に与えていただいている時間、十分でございますから、近藤先生、藤井先生にちょっと考え方をお尋ねして、その後は私の発言とさせていただこうと思っております。
 まず、近藤、藤井両先生にお尋ねしたい点でありますが、この延長国会ではイラク特措法を議論しておりまして、まさに本日採決されようとしているわけでありますが、その法案の柱は、自衛隊をイラク復興支援のために海外派遣することにあります。政府の説明では、自衛隊が米英部隊の後方支援に徹して、活動は非戦闘地域に限るために、海外における武力行使を禁じた憲法の規定には抵触しないというふうになっております。
 しかし、イラク現地の情勢は、果たして非戦闘地域が存在するのかどうか非常に疑わしいものであります。小規模の戦闘が多発する状況で、アメリカ軍兵士の死者数は、三月二十日の開戦から七月一日までに二百人を数えております。特に、五月一日の大規模戦闘の終結を宣言してからの死者は、私の確認しているところですが、六十三人と、連日死者を出しているわけです。事実上、戦闘は終結していないわけですね。
 このような状況下では、非戦闘地域に限って自衛隊を派遣するから憲法違反ではないという理論はどう考えても成り立たない。小泉政権がこのような憲法九条の解釈を続けていくことは立憲主義国家としてゆゆしき事態ではないかと思っているわけであります。
 特に憂慮すべきなのは、このつじつま合わせとも言える原因がアメリカの圧力にあることです。国際協調を軽視して、軍事力により自国の利益を実現しようとする現アメリカ政権の要求に引きずられるように日本の外交、安全保障政策が決定され、そしてまた、平和憲法が示している日本の平和国家としての外交、安全保障政策がアメリカ政権の要求によってゆがめられているということは、日本の将来に大きな問題を残しかねないと考えております。
 この憲法九条の解釈と、そしてつじつま合わせとアメリカの圧力について、両先生はどのようにお考えなのか。時間がありませんので、申しわけありませんが、できるだけ短いところでお話をいただければと思います。
近藤(基)小委員 現在審議中でありますので、この憲法調査会で中身に立ち入っていいのかどうかというのはちょっと私も判断に迷うところでありますが。
 九条との絡みで言えば、私自身の試案としては、そういったことに適切に対処するために変えましょうと申し上げておったのですが、現段階でのイラクの復興支援、アメリカに引きずられるとおっしゃいましたけれども、前段はどうかわかりません、戦争のきっかけ、当初というのはわかりませんが、現在の復興支援という形で申し上げれば、アメリカ、イギリスだけではなく、いろいろな国で今、復興支援に赴いているわけであります。ですから、そういうことを考えれば、国際的な復興支援ということだけに関して言えば、国際的な合意のもとで今支援を行っている、そこに日本が当然参加をすべきであるだろう。
 果たして自衛隊にそれだけのニーズがあるかどうかというのは、相手国と言われている国が今あるのかないのかという議論もまた一つあるのですけれども、国際的な協調で支援をしている各国からのニーズが恐らくあるだろう。例えば、水だとか物資の輸送だとかあるいは医療だとか、いろいろなことがまだまだ、ああいう国ですから当然足りないわけでありますので、そういった足りないところを補うべく、しかも、完結できる自衛隊が行くのが一番いいんだろうと思っております。
 戦闘地域かどうかというのは、私自身が行ってみて調査したわけではありませんが、与党の調査団の話では、非戦闘地域というものは存在すると話を聞いておりますので、そういったところでの復興活動に尽力すべきだろうと私は思っております。
藤井(裕)小委員 今の点に限定して申し上げた方がいいのかもしれませんが、一つ申しますが、私どもは、国連の決議があって、特にさっきから話が出ていますPKOですね、PKOは、ハマーショルドの時代から、治安維持ということは非常に大きな仕事なんだと。ですから、国連の決議があるならば、そういうものに参加するということは、自衛隊であっても、本当に自衛隊が必要ならば、何の問題もないと私は思っております。
 それからもう一つ、アメリカの圧力云々ですが、これは、現実にないと言ったらうそだと思いますよ。ただ、やはり、さっき申し上げましたように、日米安保の話をしました。日米安保は極めて重要な一つの仕組みだと思いますが、それと余り連動させるということがまずいんだと私は思います。日米安保は日米安保でがっちり守っていかなければいけない。しかし、日米安保があるから国際法ルールからやや逸脱してもいいんだというのは論理的におかしいと思います。
 あえて加えさせていただきます。アメリカという国は本当は懐の深い国です、非常に懐の深い国なんですね。それはもう少し、二百何十年の歴史から見なければいけないと思います。そういうアメリカというものを長い目で信頼するということは、同盟国として大事なことだと思っております。
今野小委員 今の藤井先生の、PKOというのは非常に大事なので、国連のPKOのもとでならば出してもいいのだという発言、これには私も同調するところであります。
 以下は私の意見とさせていただきますが、もともと、日本の憲法の根底に流れる思想とアメリカの現政権の思想というのは相入れないものでありまして、アメリカの現政権の思想は力による先制を正当化したホッブズの理論を実践しているものと説明されることがあるわけですね。一方、日本の憲法の流れには、恒久平和のための国際協調主義にそのもとになるところを置いているわけでありまして、これはむしろ、現アメリカ政権がしばしば対立している国連やEUにより近いものではないでしょうか。こういう違いを根本にはらんだままアメリカの政策的な圧力に取り込まれていくということは、決して日本のプラスにはならないと考えます。
 今回のイラク特別措置法による自衛隊派遣はその典型であります。大量破壊兵器がいまだ見つかっておりません。アメリカ、イギリス両政府部内において、イラク攻撃前に大量破壊兵器について情報操作が行われた可能性さえも指摘された両国会で調査が行われているときに、なぜ、それらの国が占領していると言える危険な地域に日本の自衛官たちを派遣する必然性、必要があるんでしょうか。
 アメリカという国と協調しなければならないということはもちろんであります。アメリカとの協調という点で最も焦点となってくるのは、集団的自衛権の行使の問題です。
 集団的自衛権は自然権であるが行使できないという政府解釈は妥当ではないという理由から、集団的自衛権の行使を認めるべきだという議論がありますね。この意見の根底には、日本もアメリカの軍事行動に対して戦力を提供すれば、国際協調の点で評価されるし、より対等な関係をアメリカと持つことができるという考え方があるんでしょう。
 しかし、日本は、アメリカ軍に対して、基地の駐留経費として毎年六千億円もの国民の税金を予算として拠出しているわけです。さらに、日米安全保障条約の六条では、「極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。」と、米軍の行動のために、在日駐留軍の使用を認めてもいるわけです。第五条では、日本の領域下への攻撃はアメリカの利益にも反することと明記されておりまして、安全保障条約がアメリカの権益にかなうものであることが認識されているわけです。
 したがって、現在の安全保障条約が片務的だと卑屈になる必要は全くないわけであります。そういう中で、これ以上日本がアメリカの国益のために貢献する必要はないとは言いませんが、しかし、そこでは日本という国のより主体的な判断があるべきではないかと考えます。
 小泉政権は、立憲主義国家の政権担当者として、日本国憲法の理念と憲法九条をもう一度しっかり胸に刻むべきだと思います。現行憲法が第二次世界大戦での日本の侵略行為と悲惨な結末の深い反省の上に書かれたものであることを決して忘れてはなりませんし、日本の歴史的歩みとしてその経験をしっかり受けとめてこそ、日本の外交、安全保障政策のあり方が見えてくるのだと思います。
 憲法九条改正の議論の中には、もちろん安全保障条約を通じたアメリカとの協調を念頭に置いた意見もありますけれども、それとは全く逆に、アメリカの現憲法への影響を断ち切るために改正すべきだという意見もあります。しかし、時の幣原喜重郎首相が非常に強い平和主義的……
中川小委員長 今野君、約束の時間が経過しております。
今野小委員 はい、済みません。
 思想を持って憲法作成に当たっていたという事実を考慮すれば、この憲法が日米の合作であるという憲法学者たちの評価は妥当だとは思われます。
 現在のように、立憲主義国家の政権につきながら、ぎりぎりまで憲法九条の解釈を曲げ、都合のいい解釈をすることの限界が来ていると私は思います。国民が、日本の安全保障政策は九条を踏まえた平和主義をとるべきなのか、戦争のできる国への変貌を遂げるべきなのか、決断する時期に来ていると思います。小泉政権及び自民党が民主主義と立憲主義を守るというのならば、憲法九条について、またその存廃について発議すべきではないでしょうか。戦争のできる国になるのか、憲法九条を変えるのか、我々は、国民の重大な選択を求めるべきときに来ているのではないかと思います。
 時間をオーバーいたしました。失礼いたしました。
中川小委員長 遠藤和良君。
遠藤(和)小委員 最初に、藤井先生にお伺いしたいんですけれども、大変論理的でわかりやすいお話だったと私は理解いたしました。
 ところで、現行憲法の九条に即してお伺いをしたいわけですけれども、九条には、いわゆる戦争の放棄だとかあるいは戦力の不保持だとかあるいは交戦権の否認を明文化しているわけですけれども、この条文をどう考えるかという問題です。
 先ほど、お話の中で、国連との関係の問題がありまして、第三項を追加したらどうかというふうな学者の御意見の開陳があったんですけれども、ということは、一項と二項は今のままでも、政府が、例えば集団的自衛権の行使について政治判断をはっきりして、そして安全保障基本法のようなものできちっと担保していけば、憲法の改正は必要ないのではないか。あるいは、一項、二項はそのままに置いておいて三項を追加すれば、国連との関係は明確になる、そういうふうなお話と理解できなくもないんですけれども、憲法第九条について具体的にこのように考えているというお話がありましたら、教えていただきたいと思います。
藤井(裕)小委員 まず、基本的な話、さっきちょっと触れましたけれども、これは日本語じゃないんですね。小説でいえば、日本語の小説ではなく翻訳小説なんですね。これはやはり、そういうことは大したことでないと言う人もいますが、違うと思いますね。
 というのは、そういう精神論がもちろんありますが、わかりにくいんですよ。私は、中学生でわかる文章とさっき申し上げましたが、普通の中学生ならだれも間違いなく読めるような文章にしなければならない。それには、翻訳には限界があるということでございます。九条の中に至るところにそういう規定がございますが、一つ一つ言いません。
 それから、今の九条は国家の個別の自衛の話なんです。もちろん、個別の中には集団的自衛権は入っております。集団的自衛権というのは、一国家の問題でございます。問題は、今、遠藤さんお話しのように、国連の平和活動をどうするかという話なんですね。これは、本当は別条だと思うんです、本当に憲法を新しくつくるなら。考え方の基本が違うわけですね。
 個別の問題というのは、国家主権の問題なんですね。集団安全保障というのは、国家主権の制約なんですね。国連に入ることによって、ある種の国家主権は制約をされているんですね。集団的自衛権は、さっきお話出ましたけれども、どこまでやるかというのは自分の国が決めればいいことなんですね。どこまで出るかというのは自分の国が決めればいい。
 これは質的に全然違いますので、どうせ憲法をつくり直すならば、主権の制限である集団安全保障という国連の概念の方と、一国の自衛権であるところの、これは集団も個別も入りますが、一国の自衛の問題というのは本当は違うのじゃないかという感じは持っております。
遠藤(和)小委員 集団的安全保障措置の概念、哲学と集団的自衛権は全く違う概念だと私も思うんですね。そして、九条は集団的安全保障の概念については全く触れていないわけですから、憲法が全く触れていないことですから、何ら憲法違反にはならないし、むしろ憲法の前文が期待している話ですよね。ですから、これは憲法の改正をしなくても、当然、国連の集団安全保障措置に対して日本が積極的に参加するというのは、憲法が期待している行為ではないかな、このように私は思うわけですけれども、それでも改正が必要なんでしょうか。
藤井(裕)小委員 前文は、非常に次元の高い国際協調主義が書いてあると思います。この欠陥は、はっきり言えば、日本は日本人が守るということが一言もないという点でありまして、今、遠藤さんのお話は、そっちではない、こっちの方の話でございますから、その点はどうかということですが、極めて抽象的なんですね。もう少しやはり具体性がないと、基本理念は大事だと思います、基本理念と同時に、だから、国連の平和活動に参加するんだというあたりまで書かないと、やはりそれこそ中学生はなかなか理解しないのではないかと思います。
遠藤(和)小委員 そうすると、それはやはり九条に三項を設けるというふうな具体論になるんでしょうか。
藤井(裕)小委員 さっき申し上げたように、本質が二つは全然違いますから、できれば別の条がいいんだと思います。今申したように、憲法は国家主権の発動の話でございます。そして、それが制約的であるということは、私はぜひやらなきゃいけないと思います。国連の平和活動というのはある種の国家主権の制約でございますから、これは全然別の次元ではないかというふうに考えております。
遠藤(和)小委員 ありがとうございました。
 では、近藤さんにお伺いしたいんですけれども、近藤さんのお話の中で、九条について、それぞれどういうふうに考えていったらいいかという具体的な提案があったわけですけれども、国連との関連についてのお話がなかったように思うんですね。
 例えば、お話があった、人間の安全保障であるとか、あるいは人道上の安全保障というのが若干国連との関係があるのかなとは思うんですけれども、これは条文上、国連との関係というものは意識的に明文化すべきであるという考え方は持っていらっしゃるんでしょうか。
近藤(基)小委員 私個人としては、人間の安全保障という部分で、これは国連の正式な機関ではないんですが、人間の安全保障委員会という緒方貞子さんたちがお始めになった有識者の集まりという、大変国連に深いかかわりのある人たちばかりの集まりであります。
 そこの中でも、政治力あるいは武力、そういうものを包括的に、戦略的に行わなければいけない、それをグローバルな形で、国境を越えた形でという、ある種の国連軍を一つ進めたような形のものを提唱していらっしゃるということで、私自身は、未来志向の、より強靱な平和主義を形として提示をしていくならば、この部分を強調して国際貢献をしていくという意味で、あえて条項としてうたうというよりも、そういった国際貢献を行うに当たっての理念としてこの部分を、私自身、今はっきりと国連に関してどういうふうな条項をうたっていけばいいのか、文言としてちょっとわかりませんが、理念をきちんと見据えた上で、これから検討しながら具体的な文言を入れていきたいという意味での御提言であります。
遠藤(和)小委員 それから、集団的自衛権についての認識をお伺いしたいんですけれども、自衛権の中には、個別的自衛権と集団的自衛権がある。けれども、日本国憲法は集団的自衛権を認めていないというのが政府の解釈ですよね。そういう考え方ではなくて、認められているんだから全部認められているんだ、ただ、それを法律的に行使しないんだというお気持ちなのかどうか。
 それから、具体的に、ちょっと細かい話になるんですけれども、例えば、日本の港湾の中にいる米軍が攻撃された場合にそれを助ける、これは集団的自衛権になるんですけれども、それは行使して当然ではないかという議論があるんですけれども、そこについてどういう見解をお持ちか。あるいは、集団的自衛権というと、アメリカまで行くとか、当然そう拡大解釈できるんですけれども、集団的自衛権について抑止的にやる、ゼロではないんだ、こういうふうな考え方なんでしょうか。
近藤(基)小委員 いや、先ほど私もお話で触れましたが、集団的自衛権は当然認めるべきだ、第二項を削除して、これを行使できる、集団、個別問わずできることを明記しようという御提言をさせていただきました。
 日米同盟あるいは日米安保条約、これは極東に限定されているということなんですが、集団的自衛権を使えばアメリカ本土まで行けるのかという、これは、そのときの状況と、国際的な集団的自衛権のみで物事は考えられないんだろう、多分。もう少しグローバルな形で、国際的な合意形成とか、そういうのはもちろん必要なのかもしれません。ただ、突き詰めて、集団的自衛権だけを発動してアメリカまで行けるのか。それは、もし認めるとすれば行けるとお答えするしかないのかなということになりますが、ただし、やはりそれは、今のこういう社会でありますから、一国同士の話ではなくて、国際的な合意が当然必要なんだろうと思っております。
遠藤(和)小委員 ありがとうございました。
中川小委員長 春名直章君。
春名小委員 日本共産党の春名直章でございます。
 お二人、きょうはありがとうございました。
 まず藤井さんに、近くで済みません、日米同盟のことなんですけれども、今のアメリカの戦略をどうごらんになっているのか。つまり、今野さんもちょっとおっしゃいましたけれども、一国主義と批判されていますよね。そして、気に入らない国には先制攻撃、先制核攻撃も含めてやっていくという戦略をとっているわけですね。こういう戦略をとっているアメリカに日本が無批判につき従っていくという道が本当に日本の国の国民の命、安全との関係でもいいのかどうかということは、やはりきちっと見なきゃいけないことじゃないかと思うんですが、その点はどうお考えでしょうか。
藤井(裕)小委員 私は、今回のイラクへの攻撃は明らかに国際平和秩序を乱した、汚点を残したと考えております。そのことと、アメリカという国を見る目というものについて、私、さっき申し上げました。アメリカは、やはり懐の深いところが非常にある国です。
 例えば、国際連盟をつくったのはウッドロー・ウィルソンですよね。プリンストン大学の学長ですよね。頑固者と言われていますけれども、しかし、世界の平和秩序を初めてつくった人だと思います。それから、フランクリン・ルーズベルトは第二次大戦後に国際連合の基礎をつくった人ですが、これも日本の戦争の相手ですから、日本人にとっては評判悪いと言われてもしようがありませんが、しかし、やはり、そういうアメリカの人たちがこういう国際平和秩序をつくるために努力したことは間違いないんですね。そして、そのほかは一つ一つ申しませんが、アメリカはそういう懐の深いところがあるように私は思っております。
 ただし、今回の措置というものは、冒頭申し上げたように、国際平和秩序、なかんずく国連の平和機能に対して汚点になったということははっきり申し上げられると思います。
春名小委員 私も、世界戦略としてこういう方向をとっていることの危険性ということと、国内の中で民主主義を定着させる努力だとか、その点で、世界の中で果たしたアメリカの国民の役割というのは全く否定するものじゃないし、大事な点はあると思っております。その点は申し上げておきたいと思います。
 それから、近藤さんにお伺いしたいと思います。
 近藤さんは、発言の中で、歴代の政府が憲法について解釈改憲を積み重ねてきた、そして憲法と運用の乖離が起こっているということをおっしゃったと思うんですね。
 つまり、そうしますと、今、この国の現実は、今とってきたいろいろな対応、PKO法、周辺事態法、武力攻撃、テロ特措法、それから、必要最小限の自衛力という言い方で戦力ではないと言ってきたこと、こういうことが積み重なってきているわけですが、こういう今の現実は率直に言って違憲状態であるというふうに認識されているということでしょうか。
近藤(基)小委員 いわゆる解釈改憲が、その解釈をする人にとって合憲でありましょうし、それを政府として解釈をし、そしてその中で一つ一つの法律を積み上げてきた。だから、私自身が先ほど、政治がこれに服従しているかのような実態ではないか、いわゆるそう思われがちな部分が積み重なってきていると。ですから、そういった意味では、乖離に拍車をかけているといった意味が、そういうところに私自身はあると。
 今までつくってきた法律が違憲である、私はそうは思いません。この憲法を解釈するに当たって、その憲法を、その当時の社会情勢を見ながらそういった判断が起こってきているんだろう。しかし、もう既に限界に来ていることは確かなんだろう。だから、これ以上どうやって解釈を行えばどういうふうな形になるのかというのは、私にもその時点でしかわかりません。正直な話で言えばですよ。
春名小委員 大変正直な答弁をいただいたと思うんです。
 つまり、それならば、今日本の憲法で記された理念と現実がこれだけ乖離してきているのに、その違憲の状態を、違憲とは言いません、違憲の状態を、それ自身を正すという選択肢がなぜ出てこないのかというのを聞きたいわけですね。憲法の理念にどう近づけるかという選択肢は、今のお話では全然ないわけなので、どうしてそういう話が出てこないんでしょうか。
近藤(基)小委員 そのことについては、違憲であると私は全然思っていないんですけれども、要は、憲法の運用をしていく中で、安全保障あるいはそういった九条のことに限らず、そこだけを問題にするわけではないので別な部分でも、確かに実態的に憲法に沿って運用した方がいいんではないかと思われる部分はたくさんあると思います。ただし、現実的には、今の現実社会と五十数年前の社会との非常な変化も現実ある。そこでの乖離が生まれていることも、現実と憲法との乖離が生まれていることも確かだし、運用を怠って乖離した部分もあると思います。
 ですから、そういった意味では、もう少し丁寧に憲法を運用していく部分は必要であるだろうと思いますし、あるいは本当に現実社会と乖離しているのならば、それは直さなければいけないと思います。
春名小委員 現実の変化ですよね。それがあるから乖離があって、だから憲法がついていっていないというお話だと思うんですが、その点での議論に次に入ります。
 例えば、武力行使をやらない。憲法九条は、その武力行使をやらないということを戦力を持たないというところまで押し上げているわけですよね。武力行使をやらないということの歴史を見たときに、世界の到達点はどこにあるかということなんですけれども、一九二八年には不戦条約を結んで、戦争は違法であるというふうに明確にし、さらに、それでも不幸な戦争が繰り返されて、四五年に国連憲章で、武力の行使はやらない、二つの例外以外認めないという方向に進んできた。
 ところが、その原則をイラク戦争でアメリカが破ったものですから、世界の人民が怒り、フランスもドイツも怒って、そんなことじゃだめじゃないか、国連憲章をちゃんと平和のルールにしなさいという流れが今起こっているんじゃないでしょうか。そういう変化から見たときに、日本国憲法を、九条を変えなければならない合理性が私は見えないんですが、いかがでしょうか。
近藤(基)小委員 イラク戦争に関しての部分では、藤井先生が先ほどおっしゃったところに全面同意はいたしませんけれども、ある意味賛成する部分もあります。
 ただ、それだけをとらえて、今五十一条を守らなければいけないという議論が沸き起こっているという反面、大変な、例えば北朝鮮の脅威だとか、それは今のところ脅威という形で現実的に何が起こったということではない。しかし、かなりそういう意味では突きつけられてきているということも確かである。武力行使をしないこと、あるいは武力をもってして平和を行わないこと、これが一番理想的ではありますけれども、現実を考えれば、やはり、こういう民族紛争あるいはいろいろなところでの紛争が起こってきて、それの担保として、ある意味武力も使わざるを得ない部分は当然出てきているだろうと思っております。国家対国家の武力下の紛争が今はとりあえずないということはありますけれども、北朝鮮を国家と見れば、国家がそういった脅威を突きつけてきているということになれば、ある種、国家対国家という危険性が出てくる可能性もある。
 ですから、そういった意味では、国連憲章の五十一条のいわゆる集団的な自衛権、あるいは安保理が決議するまでという条件はついていますけれども、そういった意味では、きちんとした自衛権はやはり我が国としても持っておくべきだろうと思っております。
春名小委員 済みません、もう終わりますので一言だけ。
 大体お話を聞いていてわかったんですけれども、要するに、今の憲法で、武力行使がこの憲法ではできにくいので、やれるようにしたいというふうにやはり聞こえてくるわけでして、その点ではやはり、そうではない選択肢をどう知恵と力を尽くして日本が外交もやるし努力をするのかということが、私は憲法から要請されている努力の中身だろうというふうに思います。
 以上です。
中川小委員長 次に、植田至紀君。
植田小委員 社会民主党・市民連合の植田至紀です。
 きょうは、近藤、藤井両先生に貴重なお話をいただく機会を得まして、感謝申し上げたいと思います。
 まず、近藤先生に何点か端的にお伺いをしたいわけですが、先ごろ成立いたしました有事関連三法、これは現行憲法の枠組みと整合性を持っているというふうにお考えでしょうか。
近藤(基)小委員 私は、持っていると思います。特別委員に私も入っておりましたので、私は十分それは担保できているだろうと思っています。
植田小委員 そこで、私なり私の所属する社民党のこれにかかわる立場を今ここでるる申し述べる必要もないかと思いますが、逆説的に言った場合、仮に現行憲法との整合性をとろうと、とればとるほど、各先生がおっしゃっている本来の有事への備えということを考えた場合、不十分なものになりますね。その点どうでしょうか。
近藤(基)小委員 例えば、国民保護法制とかそういう部分でまだ入っていないということの話ならば、不十分というのは当然だと思っておりますが、その有事法の中でも、自衛隊、いわゆる自衛権をどうするのか。例えば、ミサイルが撃たれたとき、あるいは着弾しなければ自衛隊の発動はできないのかとか、まだ細かいそういった詰めは当然あるんだろうと思います。
植田小委員 といいますのは、有事というのは、言ってみれば、究極的に国家の主権が侵害される事態ということになるでしょう。そういう場合、日本の憲法自体にいわゆる国家緊急権というものは書かれていないわけです。
 すなわち、国連憲章で自衛権を認めているとか、憲法上も専守防衛はオーケーよというような解釈があったとしても、そもそも、そうした国家緊急権を発動しなければならない事態というものが想定されていないつくりになっている憲法のもとで、現行憲法をそのままにして有事法制というのは順序が違うだろう。
 要するに、有事法制をどうしてもつくりたいという立場からすれば、まず何よりも、国論を二分すべき憲法改正にかかわって、まずそのことについて国民に対して議論を起こさせる。その上で有事法制でしょう。現行憲法をそのままにした有事法制論議ということ自体が、少なくとも私は議論としては主客転倒しているんではないか。もちろん、私は憲法改正には反対ですけれども、少なくともそれが筋ではないですか。そういう主張をなぜなさらない方が多いのかと私は思うんですが、近藤先生、いかがですか。
近藤(基)小委員 私自身、個人的に、この有事法とちょっと離れるかもしれませんけれども、現行憲法の改正手続を、さっき話をした部分でも最終的にお話ししましたけれども、手続法を、改正したくても改正できないという今の状況が続いているわけであります。ですから、私自身は党内でも、早く改正法をつくってほしい。それがなければ、改正、改正と叫んで条文を例えばつくり直してみたところで、発議をするしないというところから、もう入り口論からつまずいてしまう。ですから、私は、党内でもあるいは党外でも、憲法改正のいわゆる手続を早急にすべきということは、ずっと主張をしてきております。
 それともう一つは、憲法を先に改正して、いわゆる緊急権がないんだからと。私も、今回の話では、改正をして緊急権を入れろ、非常事態の項目を入れろという話はしているんですけれども、ただし、現状、現実を考えれば、非常に危機的な脅威が、例えばミサイルが上空を飛んで、まあ発射実験だとはいえ、あるいは撃ち間違ったんだという話も実はあるんですが、日本を越えていってしまった、そういった万が一の緊急事態というものがもし予想されるならば、しかし、これは、何かあったときにはどうしようもないということで、超法規的にするわけにはいかぬということで、今回の有事法というのはそれなりにきちんと議論をされて成立したものだと私は承知しております。
植田小委員 ありがとうございました。
 今度、藤井先生に何点か、時間の許す範囲で伺いたいんですが、自由党さんの方では、既に四月十七日に安全保障基本法案というものが国会に、衆議院に提出されています。
 ちなみに、自由党さんの方は、有事関連法案には賛成されました。これは、見解のペーパーを見ていますと、与党と民主党によって政府案に修正が加えられたことによって、それを契機として賛成ということだろうと思うんです。とすると、その修正有事関連法案と自由党提出に係る安全保障基本法案というものは、それぞれその理念において同質であるというふうに理解させていただいてよろしいんでしょうか。
    〔小委員長退席、下地小委員長代理着席〕
藤井(裕)小委員 私は、この案については、よりましということで賛成したんです。全面的に賛成ではありません。よりましです。
 なぜかといいますと、さっきから申し上げているように、日本人の生命、日本の平和を守るには、これは個別自衛権の話なんですね。こんなものだけでは守れないんですよ。国連の平和活動というものが必要です。日米安保も必要です。そういうものが総合されて国民の生命を守っていこうじゃないかというのが我々のこの安全保障基本法の考えでありまして、今の有事法制というのは、その後のほんの一部しか書いていないんですね。ほんの一部なんです。
 つまり、はっきり言えば、それを余り言っちゃうといけないのかもしれないけれども、昭和五十二年に、福田総理の時代に、旧ソ連が北海道に上陸したときにはどうだといってずっと勉強された、その延長線であるということは否定できないんです。そういうのは一つの側面だけなんです。これで日本の安全そして日本人の生命は守れません。
 ですから、そういう意味で、我々は、安全保障の基本法からいうと違うけれども、それさえないのでは、直接侵略さえ何の手当てもないのではおかしいということで、今冒頭の言葉のよりましです。
植田小委員 次に、この自由党提出の安全保障基本法案の第一条の「目的」の中で、「この法律は、日本国憲法の平和主義及び国際協調主義の理念を踏まえ、」云々とございます。こういう目的条項になっているので、安全保障基本法案は、当然、現行憲法との整合性というものは十分持ち得るということでよろしいわけですね。
藤井(裕)小委員 そのとおりでございます。
植田小委員 とすると、修正有事関連法案については、よりましであると。ただし、よりましということは、当然、自由党提出に係る基本法案と有事関連法案が相矛盾し合うような要素を持っているわけではなくて、足りない部分が有事法制にはあるよということだろうと思います。
 そしてまた、安全保障基本法案と現行憲法は整合性を持っているということでございますので、少なくともそのことで乖離がそれぞれの間にない以上は、修正有事関連法案と現行憲法との間にも乖離も矛盾もないというお考えでしょうから、仮に、今後自由党としてこの問題を取り組まれる場合、こうした基本法案を提出するということよりは、むしろ有事関連法にそうした趣旨の条文を盛り込む改正を行いたいという意思をお持ちというふうに理解していいんでしょうか。
藤井(裕)小委員 例えば、一つの例を言いますが、さっきも一般論で申し上げましたけれども、自衛権というのはもう個別も集団もないんだ、一体なんだということを申し上げた上で、それは抑制的でなければいけないということを言いました。抑制的でなければいけないというのは、今の憲法の精神もその流れにあるということであることも発言いたしました。しかし、まずそういうことがわかりにくいんですね。
 ということは一つ申し上げておきたいと思いますし、さっき申し上げたように、今の段階において、今の与党が果たして国連の平和活動というものに理解を示していただけるか。私は、国連の一員でありながら国連の平和活動に参加しないというのは、国際社会の一員として恥ずかしいことだと思っております。それに、今の与党の方が理解していただけるのかということに非常に疑念を持っておりますから、修正という形よりも、我が党の案というものを有権者の方、世の中の方にお示しすることによって理解を得ることが先であると考えております。
下地小委員長代理 次に、井上喜一君。
井上(喜)小委員 私は、きょう、近藤、藤井両委員のお話を聞いておりまして、賛成するところも大変多かったのでありますが、この時間は、全部が全部、うまくまとまらないのでありますけれども、一応の私が今考えていることを申し上げたいと思います。
 日本国憲法というのは、御承知のとおり、昭和二十二年の五月に制定されたものでありまして、戦争に負けて、それから講和条約ができますまでの間に、講和条約の成立は昭和二十七年だと思うんですが、その議論は二十六年に大変行われたのでありますが、そのちょうど中間か、やや戦争直後の方に近い時期に制定されたものでありまして、当然のことながら、占領軍の意向というのが非常に強く反映されたものだと思います。これは憲法制定のプロセスから見てもそうでありますし、その中身を見ても私はそのように考えております。
 とりわけ、憲法九条の規定につきましては、その当時の状況が非常に強く、色濃く反映をしているんじゃないか、こんなふうに思います。九条については、いろいろな経緯があったようでありますけれども、またそれなりに理論的には構成はされておりますが、やはり日本に再軍備をさせないんだ、こういう考え方が基本になって規定されたものというふうに理解をされております。
 ただ、この規定が、字面を見ます限り、その後に出てまいります国際情勢と必ずしも合わなくなってくる、必ずしも整合しない、適切に対応できない、こういうような状況が出てきたと思うのであります。内閣法制局の方の憲法解釈も、そういう現実と憲法九条との規定をいかに整合的に理解をしていくか、こういうような考え方で出されてきたものじゃないか、私はこんなふうに思います。
 憲法で非常にはっきりしている点は、一つは、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては使わない、こういうことを言っているわけですね。つまり、侵略戦争をするためには使わないんだ、こういうことでありまして、そして、そのために、陸海空軍等の戦力は保持しないし、交戦権も否認する、放棄をする、こういうことだと思うんです。
 したがいまして、いわゆる自衛権ということについては憲法に明示の規定がない、これは明らかだと思うのであります。これを、法制局の解釈は、自衛権について明示の規定がないからこれは否認するものでないんだ、今こういう理解だと私は思うんですね。あるいはまた、別の方からいいますと、自然法、自然権の考え方からいいまして、自力救済というのは認められるものでありますから、そういう点からいっても、規定があるなしにかかわらず自衛権はあるんだ、こういう解釈もあろうかと思うんであります。あるいはこの両方かもわかりません。
 そこで、私は、これからはちょっと私の解釈なんでありますが、自衛権にいわゆる個別自衛権と集団的自衛権が含まれる、これは当然のことなんですよね。これは当然のことだし、今国連憲章にもそれらしいことを書いているということでありまして、したがいまして、私は、日本の憲法のいうところの自衛権の中には、自衛権が認められると言われるその自衛権の中には、個別的自衛権も集団的自衛権も含まれるものだというふうに理解をいたします。法制局は、集団的自衛権はあるけれども、その行使が認められないんだということでありますから、一応その両方の意味の自衛権が含まれている、こういう解釈でいいんじゃないか、そういう解釈をしているんじゃないか、こんなふうに思うんです。
 私は、どうも自衛権について明示の規定がないんだから、どういうような行使をするのかとか、どこまで行使が認められるのかというようなことは、九条に書いております趣旨をよく考えて発動をしていけ、こういう趣旨じゃないかと思うんですね。そういうことで、いわゆる個別自衛権の発動も集団的自衛権の発動も考えるべきじゃないか。
 そういうことを考えますと、集団的自衛権で、例えばどこか遠いところで何かありましても、のこのこそれに支援に行くなんというようなことは、これはあり得ない話だと私は考えております。そういうような理解を私はしている、こういうことであります。
 それから、日本の九条には、今日本がやっております国際的な平和維持活動のことは、これに関連する規定がないわけですね。私は、これもやはり入れるべきだと思うんですね。
 最近の状況、国際情勢の変化、あるいは、日本がそういうことにかかわってきておりまして、PKOの法律もできておりますし、アフガニスタンとかの支援の法律、また、イラクの法も、まだ成立しておりませんけれども、そういう法律なんかが検討されてきているという状況でありますから、私は、広い意味の国際平和維持活動についての規定は、これはないんだけれども、やはり置いた方が適当ではないか、こんなふうに思いますし、特に平和維持活動につきましては、より一般的な根拠法、何か事が起こるたびに制定をするということじゃなしに、そういう普遍的な、一般的な根拠になる法律をつくった方がいいということでありまして、そのための憲法上の規定を置いた方がいいだろうということであります。
 以上、そういうことからしまして、やはり安全保障の問題というのは、大変これは大事な問題なんですよね、今、大変いろいろな意見が出ておりますけれども。私は、憲法九条をきちっと改正すべきであるというふうに考えます。
 それは、自衛権、これは当然のこととして集団的自衛権を含むものでありますけれども、それを認めて、その行使の範囲を明確に憲法に規定をしていくことであります。二番目は、国際的な平和維持活動の根拠をここで与える、憲法上規定をするということであります。それから三番目は、当然のことながら、今の憲法にあります、侵略戦争なんかをしないという、これは当然のことでありまして、そのことも明記をする、こういうことであります。
 ただ、私は、国際連合との関係につきまして、これも確かに規定が要るんでありますけれども、これについてはまだ考え方がまとまらない。
 以上でございます。
    〔下地小委員長代理退席、小委員長着席〕
中川小委員長 よろしいですか。質問ではないんですね。
井上(喜)小委員 終わりです。
    ―――――――――――――
中川小委員長 次に、小委員間の自由討議を行います。
 一回の御発言は、五分以内におまとめいただくこととし、小委員長の指名に基づいて、所属会派及び氏名をあらかじめお述べいただいてからお願いをいたしたいと存じます。
 御発言を希望される方は、お手元にあるネームプレートをお立てください。御発言が終わりましたら、戻していただくようお願いをいたします。
 発言時間の経過につきましては、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。
 それでは、ただいまから御発言をお願いしたいと存じます。
仙谷会長代理 では、私の方から質問をさせていただきます。
 恐縮でございますが、近藤先生、それから遠藤先生、井上先生にお伺いするわけでありますが、とりわけ、今回のイラク新法との関係でございます。
 近藤先生がおっしゃったことを、仮にとは言いませんが、相当程度首肯したといたしましても、例えば、現在アメリカの軍隊というか軍が、そして、これから自衛隊がイラクという地に行こうとしておるわけでありますが、他国の軍隊が他国の領土内に存在することについて、これは、国際法的な根拠なしに存在するというのは、侵略という言葉が当てはまるというか、それ以外には国際法的な理解の仕方はないはずであります。
 つまり、他国の軍隊が、駐留とか進駐とかいろいろな言葉があるわけでありますが、他国の領土内に存在することにおいては、何らかの国際法的な根拠が必要なのではないか。つまり、相手国の要請とか、あるいは同意とかそういうことがある。
 つまり、歴史的に侵略と言われた行為であっても、日本の場合にも、これは、うそでもかいらい政権でも打ち立てて、そこから要請されたという形をとるというのが通常行われておったわけでありますが、今度は、そういうイラク政府とかイラク政府を僣称するものの要請すらなくて、アメリカは、現在、駐留というか占領行為を行っているわけであります。
 もしそういうことが許されるとすれば、あともう一つは、国際的な枠組み、つまり、現時点においては国際連合が決議をして、PKOというような形が必要であるとか、あるいは国際機関としての国際連合が、こういう観点からアメリカ軍の駐留、占領、あるいはそこでの軍事的な強制力を伴った統治が必要であるとか、何かそういう合理化をする根拠がなければ、そう簡単に、勝てば官軍、力が強いものはよその国へ入っていって軍事的に占領して統治すればいいという理屈は、これは少なくとも第二次世界大戦後は否定されている論理ではないかという気が私はしてならないわけであります。
 つまり、現時点で、日本の自衛隊が行こうとしておるわけでありますが、国内法的には、イラク新法という今回の法律をつくれば、まあ何らかのつじつまは合うのかもわかりませんが、国際法的に、これはどのような理屈で自衛隊がイラクという地に行けるのか、全くわからない。この問題が解けない。解けなくて、この間ずっと考えておるわけでありますが、解けません。
 そこで、そのことについて、今申し上げたお三方に御回答いただければ幸いでございます。
近藤(基)小委員 大変難しい話で、現状、アメリカが今、イラクの復興支援中心に米英で行っている。現段階で、いわゆるイラクの政府あるいはそれを代表する部門がないという段階であるのは確かだろうと思っております。ですから、イラク国というものからの要請を今求めるということは非常に難しい話なんだろう。ただ、それを仙谷先生の言い方で言うと、日本はかいらい政権をつくったと。
 現状、かいらい政権というものが認められるとは思えませんので、きちんとした政権なり、イラク人によるイラク人の国家を改めて国際合意の中でつくっていくという努力が必要なんだろう。それを当然してから、もしかすると復興という形を世界でとるということが筋あるいはルール、あるいはプロセスなのかもしれない。
 しかしながら、現状、今イラクを復興させなければ、今住んでいる方々、あるいはそういった人間の安全保障という観点から見れば、やはりそういった部分では世界各国が協調した中で復興に邁進するということも必要なんだろうと。それに、今苦しんでいる人がいるから何かのルールを先につくってそれでやれというよりは、やりながらでもそういった要請、あるいはイラク人民によるそういったものがつくられていくのではないか、私自身はそう考え、復興という形で、今、現状苦しんでいる人がいるならば、そういったこと以前にそういったものに力を入れながら、それは並行してできるのではないかと私自身は考えております。
遠藤(和)小委員 国連の安保理が、シリアは棄権をしたと思いますけれども、全会一致でイラク復興支援決議をした。これが、国際的に枠組みができたというふうに私は理解しております。
井上(喜)小委員 仙谷委員、法律を勉強されて、その中にこの国際法というのも勉強されたと思うんですよね。私もいろいろな法律を勉強しましたけれども、国際法ほどわからない法律はなかったんですね。全く体系的じゃないんですよ。ある部分をとってみれば大変理屈が通っている部分はあるけれども、全体の法秩序というような点から見ますと全くもって問題があるというところだと思うんです。
 ですから、私は、国際法を国内法と同じように、きちっとした秩序があって、それに違反したらもう明らかに法律違反なんだと。また、場合によってはそれを強制するような裁判所があればなおさら法秩序は守られるんだけれども、国際法なんというのはそういうものはないわけでありますね。ですから、私は、国際法というのは、確かにそういう国際法と言われる二国間ないしは多国間のルールはあるんですね、協定書があるんだけれども、それがきちっと守られるような、そういうような状況には必ずしもなっていないし、また、ある意味そういう約束というのは動くわけですよね、状況の変化によって動く。
 したがいまして、国内法と同じように、国際法はこうだからこの違反はこうだというふうに必ずしも断ずることはできないんじゃないか。私は、先生がおっしゃることはよくわかりますよ、そういうのが一番よろしいんです、それは否定するものじゃありませんけれども、だからといって、そうでなかったらいかぬのだという、いかぬといいますか、けしからぬというところまでは断じることができないんじゃないかと思います。
 確かに自衛のための戦争ですよね、あるいは国連が制裁をするような戦争というのは想定されていますが、アメリカのイラクに対する戦争も累次の国連決議にイラクが違反をした、そのことについて制裁を加えるというところで踏み切ったわけですよね。それでこのイラクを占領したということ。それから、今その復興支援に入っているわけでありまして、これも一応の国連決議はある。
 こういうことでありますので、そういうことを全体として見れば、見て、いいのかどうかというような判断を下すのが適切じゃないのかな、私はそう思います。
首藤小委員 民主党の首藤信彦です。
 国際平和ということに関しては、何か問題があると、すぐ軍隊を出そうという意見があるんですね。例えば今回のイラクの問題に関しても、米英軍以外にポーランド、そしてもう何十カ国も出している、だから日本も出せという論拠になっているんですけれども、国際社会あるいは国連決議の一四八三が要求しているのは、別に軍隊ではなくて、復興を助ける、あるいはまたその地域における経済水準を安定化させる、こういったものにいろいろ資源を提供してほしいというのが一四八三の趣旨だと思うんですね。
 ですから、求められているのはいろいろあるわけで、各国がではなぜこんなに軍隊を出しているかというと、別にアメリカ軍としても、そんなにいろいろな国の、モンゴル語とかエストニア語とか、いろいろな言葉をしゃべる軍隊が来てもうれしくはないんですね。しかし、残念ながら、そういった国は、ある意味で軍隊しか出せない。例えばJICAのようなもう大変な専門家集団も出せなければ、お金も出せないし、いろいろなものが出せない、そういう現実があるということだと思うんですね。
 翻って我が国のことを考えますと、自衛隊を出すのにいつももめるというそういう考え方は一つあります。しかし、我が国は十分に出しているかというと、これは出していないものがたくさんあるんです。例えば警察なんですね。今国際平和のためには、選挙監視にしろ、治安の回復にしろ、警察的な役割がすごく大きい。しかも、例えばかつてのフセイン体制みたいに秘密警察とか、要するに国民、市民を圧迫する警察ではなくて、いわゆる交番的なコミュニティー警察というものが非常に重視されているんですね。ですから、日本の交番制度などはわざわざJICAがお金を出したりして研修をしたり、あるいは各国でもKOBANというローマ字で書いたそういうコミュニティーポリスボックスを設けているところがふえてきている。
 実は、警察法においてもなかなか出られないんです。警察というのは、これはもともとどこもそうなんですが、国内的なものであって、国内の治安を担当する警察、あるいは、例えば国境警備隊も、国外で活動しちゃいけないという法律を設けているところが結構あるんですね。しかし、そういうものも実はこれからは国際の平和にとって非常に重要ではないかと思っております。
 ですから、日本の政府機関においても、警察もそうですが、実はいろいろなものを、いろいろな資源を提供していかなければいけない。特に人的資源がそうですね。
 例えば、今回のイラク戦争のきっかけとなったのは、フセイン政権がちゃんと国際的な義務を満たしていないのではないかという、UNMOVIC、それからIAEA、こうした査察が十分にできなかった、国際社会を満足させるような査察ができなかったわけです。しかし、これに、例えばUNMOVICにどれだけ私たちは査察官を派遣したかというと、これはゼロですよ。ですから、日本にはこれだけ化学施設があり、これだけ生物関係の、もう本当に生物兵器ぎりぎりのことを研究している人もたくさんおりながら、実は査察官を出していないんですね。こういうことにおいても、我が国は国際平和に実は貢献できなかったんですよ。
 ですから、私は、そういう意味で、日本の平和教育も含め、日本の政府機関においてはもっと積極的に国際平和に貢献する道があるし、そういったことにおいても法整備が重要だと思います。
 そして、最後に、今NGOがこれだけ活動しています。憲法においても、国際平和における国民の義務、国民の役割というものも実はこれからは明記していく時代になっているのではないか、そういうふうに思っております。
 以上です。
中野(寛)小委員 いろいろな動きがありますが、私は現在、国際社会で、先ほど国際法についての議論がありましたが、国際法が体系立っているかどうかということの疑問はありますが、しかし、言うならば、その集約として今日国際社会で有権的とほとんどの国が認めている秩序、集約点が国際連合だろうと思います。今国連にかわる世界秩序を維持し得る機能があるかというと、私はないと思います。
 ただしかし、この国連を通じた国際秩序について、物足りない、またはなかなか国連が有効に機能しないという目だるさを感じて、時に、みずからの力を利用して、独自で平和の押しつけをしている、その動きをし始めたのが今のアメリカの姿なのではないか、そういうふうに私は思っております。
 今回のイラクの問題も、そういう意味では、私は、国連が、何カ月間か時間を経ることによって、安保理が決議をし得たかもしれない。最初の決議から十二年間辛抱した、こう言われているわけですが、しかし、それが十三年待ってはいけないということもなければ、また、十三年待てばイラクが大量破壊兵器をより一層開発して国際社会の平和を破壊するという差し迫った危機というものの証明もないままに、今回のアメリカによる武力行使が行われたと私は見ております。そういう意味では、国連憲章違反なのではないのかと、やはり今でも思っております。
 アメリカがもともとそういう性格を持っていたというのではなく、例えば、クリントン時代は対話と抑止路線を歩んだ。ブッシュ政権にかわって、双方の核軍縮の努力よりも、むしろそれを飛び越えて、ミサイル防衛によって核兵器を無意味化するという戦略に変わり、しかし、九・一一テロがあって、今度は、その核兵器やミサイル防衛による抑止力ではなくて、未然に危険性をなくするという、未然防止のいわゆるブッシュ・ドクトリンへと事が発展をしていった。その結果、今回の行動がとられたというふうに思うのです。
 しかし、果たしてそれによって世界の秩序というのは今後平和裏に保ち得るのかということについては、大変危険性を伴っているというふうに思います。
 それらのことを考え合わせますと、我々としては、アメリカがたかが国連と言っても、日本はされど国連と言うべき立場にあるのではないのか。その努力が本当になされたかということが一つ。
 憲法に関して言えば、今日、それらのアメリカ流といいますか米英流、まずは時の政権が国益を考えて行動を起こし、その行動が憲法に、または法律の枠内かどうかということは後で議会などが考えるという米英流のやり方に、憲法の枠内で政策選択をすべきというヨーロッパ大陸流の方式をとっている日本が追随しているためにジレンマを起こしているというのが今の日本の姿だと思いますだけに、私は、やはりアメリカに対しても日本の限界をしっかりと踏まえた物言いということをきちっとやっていかなければいけないのではないか、こういう感じを強く持っております。
 そういう意味で、有事法制というのはまさに自衛権の枠の中だと私は思っておりますが、今回のイラクに対する自衛隊の派遣は、やはりアメリカのブッシュ式未然防止政策の一翼を担う、またはそれを支援するやり方、すなわち、明らかに集団的自衛権の行使と言っても過言ではない行動という意味でいかがであるか、そこをやはり日本国憲法に照らして改めて考えなければいけないことではないかというふうに今思っているところであります。
植田小委員 きょうお二方の先生から基調のお話を伺いましたところ、それぞれが包括的なお話でありましたので、とりわけ国際協調主義をどう実践していくかにかかわって、私なりにこの機会に意見を述べておきたいと思います。
 といいますのは、イラク戦争を見ればわかるように、いかなる立場から見るにせよ、国際連合の役割が問われていることは事実だということだからです。私自身は、その点について、大国の横暴をとめることができない現在の国連の限界を見ます。だからこそ、国連がその限界を乗り越えるべきであるし、やはりそういう具体的な作業を我々なりに問題提起していかなければならないと思います。といいますのは、一国の安全保障が一国で自己完結するわけではなくて、一国の安全保障というのは、常に多国間、ひいては国際社会全体で合意された国際協調主義とその実践によって担保されるからだと私は考えるからです。
 もちろん、これには逆の見方もあるかと思います。要するに、国連が紛争に対処できない、そういう世界状況にあるじゃないか、だから、そういう現実を踏まえるならば、特定の国家なりがその役割を代行する方が有効だ、例えばアメリカがその役割を果たす、そしてそれに日本も協力することが、我が国の安全を保障し、ひいては国際平和とその秩序の維持に貢献するのだというふうな考え方もかなり一般的にあるだろうと思います。もちろん私はそうした意見にはくみしませんが、現在の国連に限界を認める以上、かかる見解が述べられること自体は否定できないだろうと思います。
 そこで、課題は何か。国連の存在を否定したり、もしくは矮小化したりすることではないだろう。むしろ、これまで我が国における安全保障にかかわる議論が、憲法の理念に反するか否かを分水嶺に論じられたり、また、国際協調主義という言葉がしきりに語られながらも、国連憲章の理想に合致する国際連合のあり方というのはどういうものかということが必ずしも十分に論じられてこなかったのではないだろうかと私は思います。
 少なくとも、憲法前文や九条をいかにとらえるかとか、言いかえれば、護憲の立場に立つのか改憲の立場に立つかにかかわらず、国際平和及び安全の維持ということを否定しないのであれば、そうした任務を果たし得る国連の改革について我が国が先導的な役割を果たすこと自体、国際協調主義の理念そのものの具体的な表現であると私は思います。
 すなわち、国連による集団安全保障体制というものをどう確立していくのか。もちろん、これは現状において一朝一夕にできるものではないということは十分承知しているつもりではありますけれども、現実に、国連の安保理が、いわゆる大国、超大国の意向によって左右される、もしくは大国の意向によって国連が軽視される、こうした状況は、まさにアメリカ、イギリスによるイラク攻撃によって明らかになっているわけです。
 だからこそ、例えば国連安保理における拒否権等を含む大国の特権について見直すことを含めて、不断に問題提起をし続けることは決して無意味ではないし、むしろ、そうしたことに対して積極的に物を言っていくべきだろう。というのは、そういうことなしに、少なくとも、国際協調主義というものが国際社会において共有されることもないし、そしてまた成立し得ないだろうというふうに私は考えるからです。その点において、一点、私なりの考え方を述べさせていただきました。
 以上です。
中川小委員長 一回目の発言者をとりあえず優先させていただきたいと思います、春名君には申しわけありませんが。
 下地幹郎君。
下地小委員 国際協調という概念から考えて、この前私がここで発言をさせていただいたときにも、憲法の中に、国連決議、国連の役割というのを書き込むべきではないかという話をしたことがあるんです。しかし、その後のイラクの状況などを見たときに、国連というものに対する考え方が、これだけいろいろな見方が出ちゃったというところに、僕は問題があるというふうに思うんです。だから、今、植田さんが言うように、私たちが国連主義と言うならば、やはり国連改革をどういうふうにしていくかということはやっていかなければいけないというふうに私は思います。
 しかし、イラクの問題を見たときに、イラクの今の現状、アメリカが国連決議なしでもやったと言うけれども、イラクに私が行って感じたことは、あの国をなぜ国連があそこまで放置をしていたのか。フセインがあれだけ化学兵器を使って多くの人たちを殺害しているにもかかわらず、国連が何もしてこなかったところにも改革の余地があるというふうに私は思っておりまして、そのことをしっかりと私たちは国連の中で考えていかなきゃいけない。ある意味では、もっと国連が強制的に入れるといいますか、そういうふうなことをどうつくるかということも必要だと思います。
 それと、憲法の九条の中では、やはり我が国の安全保障というものをどう考えるかということも必要だと思っています。
 今は、前みたいに、見えるところからの攻撃によって我が国の脅威があるというふうなことにもならない。一国主義で安全保障を考えることはもう無理でありまして、ブロック主義で考える。アジア全体が平和にならなければだめだ。環境においても、中国で環境問題が起これば、それが黄砂の影響で日本にまで影響するのと一緒のように、全体のブロック主義で安全保障を考えるというふうになってきたときに、私たちは、もっと今の枠にこだわらない安全保障のやり方を考えなければいけない。
 そして、安全保障の脅威論というのは、ただ軍事力の脅威論だけではなくて、経済にも安全保障は影響する。この安全保障の脅威論を与えることによって、日本の経済にダメージを受けさせる。日本にミサイルを発射する可能性がありますよ、日本を攻撃する可能性がありますよと、そういう作業をすることによっても日本の経済が壊れることは、安全保障論においても経済との関係においても必要になってくるということを考えると、私たちは、もっと自分の国をどうやって自分で守るかということ、そして守れるような仕組みをどうやってつくるかということになってくると、集団的安全保障の問題などは、もう間違いなく論議をしながら結論を出していかなければいけないというふうに思っておりますから、そういうような論点をこの調査会でもっと論議すべきだと思っています。
中川小委員長 一回お待ちいただいたので、春名君。
春名小委員 近藤さんのお話なども聞いていまして、私が思っていることを一言述べたいと思います。
 一九九二年にPKO法ができましてから、九九年に周辺事態法、それから二〇〇一年にテロ特措法、二〇〇三年に武力攻撃事態法、そして、ちょうど今ですか、イラク新法が委員会で採択されたのでしょうか。自衛隊の海外派遣が可能になる五つの法律が次々とできていきました。
 九二年のPKO法のときには、それでも、憲法違反という意見を抑えるために、停戦合意、受け入れ国の同意、中立という三つの原則と、それを守らない場合は撤退、あるいは最小限の武器の問題、五原則が提案されました。
 九九年の周辺事態法のときには、後方地域で支援をするという概念を政府が持ってこられて、だから兵たん活動ではありません、武力行使とは一体になりませんという議論になりましたが、ただ、多くの識者も言っているように、これは戦争の一部を担うことになるんだと私たちは考えていまして、憲法違反ではないかというふうに追及しました。
 二〇〇一年のテロ特措法のときには、テロの根絶ということの名前で、率直に言えば、地理的にはどこにでも自衛隊が出ていけるという方向がはっきり出てきた。
 そして、二〇〇三年の武力攻撃事態法では、我が国という位置づけで、個別的自衛権の範囲でしょうか、周辺事態と武力攻撃事態がリンクする、重なるということも言われていますけれども、海外でアメリカの支援をしている自衛隊に、我が国だということでもし武力攻撃などがやられた場合には、それに対して、逃げ帰るのではなくて一緒に応戦できるというシステムをつくる。イラク新法に至っては、占領している領土に地上軍を初めて派遣する。
 そもそも、占領行政への協力というのが本当にいいのかという根本問題が問われていますし、同時に、PKOのときに初めて言われた、停戦の合意、受け入れ国の同意、中立、全くないわけですね、そういう保障が。こういう形で見てみますと、この十年余りの流れというので、まさに自衛隊の海外への派兵、派遣が憲法の枠をどんどん超えて進んできたという歴史がおわかりいただけるんじゃないかと思いますし、それは共通の認識だと思います。
 ですから、近藤委員が言われたように、このままでは限界だということで憲法を改正するという話が出てきているんだということが、きょうの議論であったと思います。中身は、軍隊としての明記によって自由に自衛の範囲ということを取っ払うことができる、二つは集団的自衛権の行使で、外国の軍隊と海外で武力行使がすっきりできるようになるということのために憲法九条ということをやはり考えなきゃいけない、こういう話になってきたというのが、きょうの話でもあったと思うんですね。果たしてそういう方向に進んでいいのかということが、今、日本が問われていることではないかと私は思います。
 世界の流れという問題も先ほど言いましたし、また、憲法九条の位置ということも言いました。そして、二十一世紀の日本の安全ということを武力の方向でゆだねていくという選択肢しか本当にないんだろうか。
 非軍事の分野での国際貢献、それから国連憲章のルールを本当に守らせる努力、核兵器の廃絶の努力、テロ根絶の世論や共同行動の努力、あるいは紛争解決のための非軍事の国際的な支援。そういうことが本当に今やられるべきことであって、そういう方向で進んでこそ日本の国民の安全や平和も命も守っていく、そういう国際的な環境をつくり、道義ある国をつくることができる道は本当にないんだろうかということを、今、真摯に議論する必要があるということを私は感じています。
 以上です。
中山(正)小委員 自民党の中山正暉です。
 いろいろ議論を聞いていまして、日本は本当にタイミングをすべて逸してしまったなと思います。
 自民党の方でも、国会議員のときには憲法改正をおれが総理大臣になったらすると言っていた人がいて、総理大臣になると、おれの在任中は改正しない。その繰り返しで、野党は野党で、冷戦構造で二つの対立点があった中で、日本にこういう武力を持たないという憲法があった方が革命がしやすいだろう、そういう魂胆と言っていいと思いますが、いわゆる敗北主義といいますか。
 国際主義と愛国主義、これは「毛沢東語録」の中で私がいつも大変興味を引かれることなんですが、自由主義国に生きる共産主義者というのは自国の戦争が負けるように祈れ、共産主義国に生きる共産主義者は自分の国が勝つように祈れと。日本人でありながら、中国の革命に協力をした野坂参三さんのことが書いてあります。
 野坂参三さんという人は、CIAのエージェントであったということで今はもう資格を取られていますが、昭和七年にアメリカからソ連に入って、岡野進、中国語ではカンエイジンという呼び名で呼ばれていましたが、今はもう延安の記念碑の中からも野坂参三さんの名前は消されたそうですけれども、そういう人が本当に国際的共産主義者としての愛国者なんだということが書いてあります。
 それ式に考えると、日本が戦争に負けて、昭和二十年の八月十五日終戦から日本を占領するときにも、ソビエトは、釧路と留萌の線を含んだところから北をよこせ、一番最初は福島からよこせと言っていましたが。こうして米国の占領軍が日本を占領したことで、日本は大変に救われました。分裂国家の悲劇というのは、ドイツは四カ国で分裂をさせられ、その東ドイツの中のベルリンというところもまた四カ国で分断されたためにドイツというのは大変気の毒な状態になったわけです。朝鮮半島もそうです、分断された。日本は、おかげさまで、アメリカという自由主義国家に占領されたためによかったんです。
 アメリカは、自分たちがいる限りは日本に戦争をしかける国なんてもうない、後はもう自分さえ世界の秩序を守ればいいと思っていたやさきに、昭和二十五年の六月二十五日、朝鮮半島にダレスという国務長官が行って、帰ってきて一週間目に戦争が起こったんですね。
 戦争が起こったときに、アメリカ軍だけではなしに十六カ国が国連軍を形成した。そして、結局、今、北朝鮮と国家としての交渉も長い間できなかったのは、国連決議百九十五号の中では朝鮮半島には韓国しかないと書いてあるんですね。一九六五年に日韓条約で結んだものにも、あの条約の中には、朝鮮半島には韓国しかないと書いてあった。そのすぐそばにいる日本としては、どうしようもできなかった。
 私は昭和四十九年に労働政務次官をいたしましたが、私の上司の大臣、大久保武雄先生、この方は最初は逓信省に入られたそうですが、後に海上保安庁初代長官になられました。
 私は、その大久保武雄先生から大変なことを聞きました。何とおっしゃったかというと、中山君、私は仁川上陸作戦に旧海軍を率いて掃海作業をやったんだと。こういうことをおっしゃって、今でも自分はオナラブルメンバー・オブ・ユナイテッドステーツネービーだと。ウエルダン、マッカーサーからよくやったという感状をもらったと。
 そのときからもう日本は朝鮮動乱に参加していたんですね。それはそうでしょう。朝鮮半島で何かえらいことになったら。特に、十二メートルの世界一の潮の干満の差がある仁川に上陸する、これはなかなか至難のわざであったでしょう。アメリカ軍ですら考えつかなかったのに、旧海軍の連中がその知恵を米軍に提供して、そして仁川上陸作戦をやって、それでやっと追い返して、そのために、今、三十八度線、不安定ですけれども、マッカーサーが、どなたかおっしゃった、満州に二十六発の原子爆弾を落とそう、そして台湾軍を朝鮮動乱に投入しようとしたときに、これはアメリカのトルーマン大統領が、ソ連と中国を巻き込んで世界戦争になるのが怖かったから、自分の司令官の首を切ったのが朝鮮動乱の最終的なものですね。
 これは後で、葉梨先生、御発言があるようですから途中で切りますが、また再度発言をさせていただくことをお願いをし、三船敏郎さんが、「仁川」という映画をつくりたい、あるパーティーで隣同士で座ったとき、だれか詳しい人いませんかねと言うから、私は大久保武雄さんを紹介したんです。それで、アメリカ、ハリウッド映画の「仁川」、仁川上陸作戦の「仁川」という映画ができました。これは日本では公開されておりません。これだけ見ても、なぜ日本で仁川上陸作戦に日本人が協力したことを伏せたか。これは大変な意味のあることですから。
 私どもは、ここで、自民党が長いこと政権を持って憲法改正に踏み切れなかった、その世界情勢、それからアメリカが中国を気にして日本の憲法改正を阻止した、それに対して周辺事態法とか武力事態対処法とかテロ対策法とか、大変な知恵を出して、反対をする野党に足を引っ張られながら、どうにかこうにか日本人の安全を保ってきたというのは、我が政府、今日まで続いてきた日本人の知恵の塊だと私は思っていますから、憲法改正の話をする、そのための憲法調査会では、もっと真剣に、本当にこれからどうしたらいいのか、そういう世界的な認識の根底を離れて、日本人のために、日本人がいかに幸せになるかということを、もう米ソの対立もなくなったんですから、思想的な対立というものを超えて、日本人の幸せを願うことが、私は、国連の活動に世界と日本が協調できていくような世の中になるんじゃないか、こう思っております。
 後でまた発言をさせていただきます。
葉梨小委員 春名先生のお話を伺っておりまして申し上げたいことは、近藤議員からるる陳述がありましたように、戦争に負けてから、日本人、日本国は平和主義で貫いてまいりました。日本が戦後五十七年、八年たつけれども、どこの国に侵略したこともないわけであります。むしろ、そういう侵略戦争は、中国とベトナムとか、中国とインドとか、あるいは朝鮮戦争とか、アジア、我が国の近辺でもたくさんありました。我が国は一切そういうことをしていないわけでございます。
 そしてまた、湾岸戦争以来、PKO法の改正といいますか、法律をつくり、三つも四つもつくってきた。一体それは何のためだったのか。それは、日本がアメリカに次ぐ経済大国になって、日本が、世界の平和、いろいろ騒乱があったり紛争がある地域を鎮圧したり、あるいは戦後復興を果たすために、日本が第二位の経済大国としての力に期待されている。平和主義の日本にその力をかしてくれという要請に対しまして、先ほど近藤議員が言われたように、憲法の中に大きな制約があるから、その制約の中で何とか国際的な要請を果たすために、次々と立法を行ってその責任を果たしているということであります。
 そして、我々、傍聴していらっしゃる皆様にも申し上げたいことは、そういうことで、我が国が侵略されるという危険は今までほとんどなかった。中国が大変なミサイルを持ち、あるいは北朝鮮が百基とかミサイルを持って、その標的として我が国を指しているというようなことは認識しておりましたけれども、最近までは具体的に発射できるような実力を持っているということもなかった。最近そういう状況が出てきたわけでございまして、我が国としては、そういう国際協力を行うと同時に、我が国自身を守らなければならないという国民のための大変緊急な要請が今ある、それにどう対応するかということが近藤委員からのあの意見表明であったと思うわけでございます。
 そういう意味で、春名議員のおっしゃることは、今の憲法上の制約ではできないじゃないか、できないじゃないか、それを何でやるんだとおっしゃるけれども、むしろ我が国が、経済大国として平和主義を貫きながら世界の平和に貢献すると同時に、我が国自身をしっかり守らなければならない。こういう国民の要請にこたえるために、ここで日本国憲法の第九条を見直そうという提案を近藤議員がされたわけでございます。
 我々は、何も侵略戦争をしようという意思はもうだれも持っていないけれども、我が身も守らなければならない、世界平和も守らなければならない。アメリカほか先進国、あるいはいろいろな国々が、そのような平和への意思を持っている国がたくさんございます。それらの国々に伍して我が国も、またその国際的な地位が向上し、経済力を背景として、大国としての責任を果たしていかなければならない。こういう何重もの要請に、憲法改正という手段をもちまして、堂々と対応していけるようにしようではないかというのが近藤委員の提案であろうと理解している次第でございます。
 ここで、今のままでどうするんだと責められるのではなくて、むしろ、もう少し堂々と、日本のあり方、日本の持っている平和主義を世界にさらに広めていくと同時に、我が身をしっかり守ろう。今、日本は守られなくてもだれも侵略しないというお話は、私はなんでありまして、アメリカとの安保条約を結んでいるから我が国は五十数年間平和でいられた、しかし人頼りだけではやはり不十分であるということが今深刻に認識されている、そういう状況の中の提案であろうと私は考えている次第であります。
桑原小委員 このたびのアメリカのイラクへの武力行使、これは今ほど来のいろいろな議論にもございましたように、最終的には、国連でのそれを容認する決議がないままに入った。特に、五つの国連の常任理事国の意見が大きく割れてそういう結果になった。そういう意味では、国連のそういうお墨つきを得ない違法な戦争であった。
 ところが、その戦争を実行したアメリカは、これは言うまでもなくその五つの大国のトップにある、そういう国でありますから、アメリカを非難する国連の決議というのは、これはアメリカの拒否権で、米英の拒否権でこれはできないということがはっきりしているわけで、そういう意味では、国連の中でこの問題の違法性に黒白をつけていく、そういう仕組みにはなっていないわけですね。
 そこら辺を、やはり国連の改革の中でどうしていくのか。これは今までもずっと議論されてきたわけですけれども、この点をやはり突破していかないと、本当の意味で国連の改革ということにはならないんではないかというふうに思います。
 それからいま一つ、大量破壊兵器の問題がこの戦争の目的として強く主張されたわけですけれども、結局、この存在というものがいまだに確認をされていない。そして、この大量破壊兵器についても、その確証というものも、さまざまな戦前に言われた情報というものが、どうも捏造されたものではないかとか、あるいはその情報が改ざんをされたんじゃないかとか、いろいろな疑惑が深まって、では最終的にこの存在が証明されなかった場合に、一体だれがどういうふうにして責任をとるのか。これも私は、やはりその戦争に問題があったがゆえに、なおその点をしっかりと解明していく仕組みというのが必要だというふうに思うんです。
 加えて、この戦争目的とこの戦争のあり方、目的を大きく超えて戦争の手段が行使されるというようなことがあってはならないわけですけれども、残念ながら、この大量破壊兵器の除去という問題がフセインの打倒に変えられていった。あるいは、劣化ウラン弾を初めとしてバンカーバスターやいろいろな新しい兵器がこの戦いで使われてまさに実験場と化していった、そういう問題もあるわけで、そこら辺すべてを、やはりちゃんと戦争目的とあわせて解明していくというふうな、これは国連とある意味では関係しながらも、国連とは別にそういう調査や裁きの関係、そういうものが本当に今求められているのではないか、私はこういうふうに思っております。
 それと、今回日本は自衛隊を送るということで、さっき委員会でそれが可決されたわけですけれども、私は、今回のこの自衛隊派遣には、そういう戦争の正当性がないということや、あるいは大義を失っている、そういう問題があると同時に、いわゆる交戦権の種々の権利の中の一つである占領というものに対して我が国が支援をしていく、それも実力部隊の自衛隊を送って支援をしていくという、初めてのそういうことになったわけですね。そこに一つの大きな、新たな問題というものがまた生み出されてきたのではないか。占領行政を支援すれば交戦国の一部に入るんだというような意見もありますけれども、そこまでいかなくても、交戦権を行使する交戦国を支援していくということになるわけですから、これはやはり今までになかった大変な問題だというふうに言わざるを得ません。
 憲法と現実の間にかくも矛盾をした、かけ離れた状況というものをどう埋めていくのか。憲法はわずかの条文ですから、世の中に起きているすべてのこと、そういうものを律していくということにはなかなかならないわけで、さまざまな現実の動きの中でいろいろなものができてくるわけですけれども、私は、それをやはり埋めていくために、今こそ基本法、特に国家の安全保障という問題と国際協力という問題について、自衛隊を特に動かしていくような場合にどうしていくのかという基本的な法律、考え方を明らかにして基本法をつくっていくということがやはり今求められているのではないか、そういうふうに思います。
中山(正)小委員 重ねて中山正暉に発言させていただいて感謝をいたします。
 アメリカが今現実の世界で大変ないろいろなことをやっているとおっしゃる皆さんが、一九四五年、戦争が済んだときのアメリカの世界戦略の中で、日本を永久に属国にして、もう二度と立ち上がらない、アメリカの言うことを聞く国にしようと思って与えた憲法を何で守ろうとされるのか、私はそれがまことに不思議でなりません。
 これから私は、二十一世紀、悲劇の予想をするならば、多分アメリカと安保条約を結んでいることは危ないではないか、だからアメリカも入って中国も入って、ひとつアジア全部で安保条約を結ぼう、このときが私は日本の悲劇の到来をするときだと見ています。それは、今考えてみると、先ほど朝鮮動乱の話をしましたが、逆に帰ってきて、今はイラン、イラク、北朝鮮、悪の枢軸。もし北朝鮮の問題がないのならば、遠いイラクとかイランとか、特に石油をイランで開発しようと思ったら、ライス氏からイランことをするなと、国の名前と同じになってしまいましたが、言われるような形になってきている。
 そんなところで何で我々は協力しなきゃならないかといえば、本当を言えば、核拡散防止条約を脱退した北朝鮮に査察を入れるべきですね、今。第一回の核拡散防止条約を脱退したときは、北朝鮮は三カ月の期限のうちに戻ってきましたが、今は戻ってきていない。
 私は、核拡散防止条約が国会で批准されたときに賛成討論をしました。賛成討論していいんですか、ほかの国はみんな核を持って、日本は持たせない。大国、特に今国連の分担金を、我々は一九・五%、アメリカが二二%、中国は一・五%、ロシアは一・二%しか持っていない国が核を持っている。国連の入場券というのは出している金ではなくて、核を持っているか持っていないかが入場券の資格でしょう。安全保障委員会の資格は核を持っているか持っていないか。
 だから本当は、核拡散防止条約を北朝鮮が脱退したならば、では日本も脱退しましょう、査察をしてくださらないなら日本も脱退しましょうぐらいの圧力ということを、私は外交用語ではないと思っていますが、圧力をかけるというならば、一番の最大の圧力は、日本は核拡散防止条約を脱退すればいいんですよ。それがどんなことかという世界に影響を及ぼす圧力になると思うんです。
 私は、その核拡散防止条約の賛成討論をするときに、松野頼三政調会長、このごろは何かいろいろな人にサジェスチョンをされて、今でも時々そこの東急キャピトルで食事をされていますが、松野頼三さんが政調会長でしたが、いいんですかと私が言ったら、中山君、いざというときは超法規、超法規、こうおっしゃいました。それはどういう意味なんだと。私は、それでは賛成討論をやりますよ、そのときが来たらちゃんとやりますね。私はそんな話をして賛成討論をやった記憶があります。
 今イラクに行っているアメリカの目的というのは何かといえば、それはイスラエル問題なんですね。イスラエルに千キロでミサイルの届くところといえばイラクですから。それは、いろいろな理屈をつけていますよ。しかし、アメリカは連邦法の二十二章の二千六百五十六号のfの(d)という、テロをやられたらやり返すという国内法をアメリカは自分で持っているんです。
 アメリカは世界の超大国として、世界の軍事費の中で三七%、日本のことしの税収と同じ四十四兆円を使っているんです。やはりそのアメリカが、中東を安定させることが世界の平和の一番の役に立つと思っているから、かつて第一次世界大戦のころは、バルフォア宣言とかサイクス・ピコ協定とか、それからサウジアラビアへ行って、いわゆるサウド王とファイサル・フラナガン宣言なんというような、とにかく定規で当てたみたいに中東をぼんぼん分けてしまった。その影響が今来ているわけです。
 しかし、PLOとイスラエルが仲よくなり始めたのは、アメリカがイラクを押さえたからですから。そういうアメリカの大戦略を読んで日本がどういうふうに対応していくかということを考えない限りは、日本は何もわからずに、そんなの、第九条を読んだら、本当は自衛隊の存在だっておかしいんですよ。では、自衛隊の存在を認めるためには憲法を改正するしかないじゃないですか。そういう突き詰めた議論が一つもない。そして、浮き世離れのしたような、世界じゅうでは憲法改正をどんどん現状に合わせてしている国、今、数は言いませんが、日本だけが五十数年間、世界情勢に合わない憲法を持って、それで浮き世離れのした議論をしているということに、私は本当にこれでいいのかな、どういうことなんだろうかと思っています。
 さっき野坂参三さんの話をしました。吉田茂と憲法論争をやったときに、国防の権利のない憲法には反対をするとおっしゃったのが共産党ですし、昭和二十四年に最初に憲法改正案を出されたのは日本共産党さんなんですから。その辺はひとつ共産党さん、戦後の共産党はアメリカがつくった共産党だと私は思っています。
 宮本顕治を刑務所から出したのも、全部マッカーサーの命令で、勅令で出していますね。それは、日本の天皇制打倒はできなかったから、共産党さんがそのころは天皇制打倒とおっしゃっていたから、共産党にやらせようと思ったから、進駐軍は共産党の収監されていた人たちを全部野に放して、そして共産党を非合法下から解いたのはアメリカのおかげなんですから。共産党さんも戦略のことをおっしゃるならば、アメリカにやられた、やられたと、今勝手なことをアメリカがしているとおっしゃるけれども、今から五十年ほど前にアメリカが勝手なことをして日本に押しつけた憲法のことをもっと真剣に考えるのが、日本国会議員としての使命じゃないでしょうか。
    〔小委員長退席、近藤(基)小委員長代理着席〕
藤島小委員 自由党の藤島正之でございます。
 先ほど来、近藤先生と葉梨先生の御意見に対してなんですけれども、確かに我が国は、我が国を守るため、あるいは国際的な協力はやらないかぬ。しかし、だからといって何でもいいというわけじゃないので、憲法の枠の中でなければいかぬわけですね。先ほど来伺っていますと、今の憲法では不十分だ、そういうことをやれない、したがって憲法改正をせないかぬ、こういうことをおっしゃっているわけですけれども、そうしますと、逆に言うと、今の憲法の中でやれないこと、そのやれないことも今回やろうとしているんじゃないか。例えば、先ほど桑原先生もちょっとお触れになったんですけれども、武力行使はできない、他国の武力行使と一体化することもやってはいけないということ、これが一つ。
 もう一つ、今までの政府・自民党の解釈では、占領地行政はやっちゃいけないと言っているわけですね。決議一四八三で言っているように、当局と言っているだけですが、当局というのはまさに占領行政をやっているそのものですね。今回そこに行って一緒になってやろうとするわけですから、これはまさに、一体化の議論と同じように、占領地行政を一緒になってやったら、憲法で禁じられていることをやるということに今回なるんじゃないでしょうか。そこの点はどうお考えなのか。
 同じように、今まで、危なくないところだとか、あるいは後方支援だとかいろいろな言葉を使っていますけれども、要するに、今の憲法でやっちゃいけないことをなし崩し的にやっているんじゃないか、そんなふうに思えるわけですね。だからこそ、逆に今の憲法ではぐあいが悪い、変えなきゃいかぬ、こういうことになってくるんだろうと思うんですね。葉梨先生のお考えもそうだろうと思う。その辺はどういうふうにお二人はお考えなのか、伺いたいと思います。
    〔近藤(基)小委員長代理退席、小委員長着席〕
近藤(基)小委員 占領地行政に加担をするということではないんだろう、行政機関、いわゆる行政の中に入るということで復興支援の自衛隊を派遣するということではないんだろう。いわゆるイラクの復興支援、イラク人による行政機構が、七月中には何とか設立をしようと努力をなさっている、並行してなさっていることとお聞きしていますけれども。ですから、そういった行政の中に入るというよりは、そういった復興物資の輸送とか、あるいはそういったインフラの整備。
 戦闘地域、非戦闘地域という枠組みになると、では、どこまでが戦闘地域でどこまでが非戦闘地域かという話、それはきっちり決めなきゃいけない話でありますけれども、それは法律が決まってからということですから、あすからになるのか、いつからになるのかわかりませんが、きょう衆議院の方は通ったということですから、七月末には何とか参議院の方でという思いはあるんでしょう。そうすると、八月に調査をしてという話になるんでしょう。
 しかし、与党の調査団に関して言えば、治安が悪いところはあるが、戦闘が起こっていない場所は非常にたくさんあるし、あるいは水その他輸送に関してのニーズもあるというのが、与党の調査団、野党とは若干見解が違うみたいでありますけれども。そういった部分で、決して占領行政に加担をする、それは、米軍のそういった物資を輸送するということ自体がもう既に米軍に加担をしているんだという判断ならば別ですけれども、イラク人の復興という大原則、あるいは、それが米軍のものではなくて、例えば別な、今支援に行っている国の場合はどうなのか、米軍だけではなくてという。
 我々は、人道的な復興支援ということに関して言えば、そういった復興支援物資を輸送してあげる、あるいはインフラの整備をしてあげるということは、非常に重要なことでもあるし、それと並行して、そういった行政機構がイラク人によってつくられていくということにも手をかしてもいいのではないのかなと私自身はそう感じておりますし、そういう思いで自衛隊を送っていきたいと思っております。
藤島小委員 葉梨先生にですけれども、今の答弁に対して、憲法に抵触しない部分は当然あるわけですけれども、際どい部分でかなり抵触する部分があり、そこは結果的に、なし崩し的に憲法違反行為をやっているということではないかということを指摘しておきたいと思います。
春名小委員 済みません、一言。
 葉梨先生に一つだけちょっとお聞かせいただきたいんですけれども、世界の平和、そして国際貢献、日本は国の力も大きいですので、二十一世紀に本当にもっともっと努力する必要があると思うんです。全く共通しています。ただ、それが非軍事の分野ではなぜだめなのかということが聞きたいのです。
 なぜ国際貢献イコール軍隊、自衛隊を出すということとイコールになってしまうのか。そこを、例えば国連に入ったときに、そのときに、非軍事の分野で、憲法を持つ国としてそこで活動する、国連の活動をやるんだということも宣言して入っているわけですよね。今日、そういう分野こそ一層もっと求められているわけですので、その点をぜひ率直にお聞かせいただきたいのと、中山正暉先生に一言だけ、私のことが出ていますので申し上げておきますが、アメリカが軍国主義のきばを抜くためにつくった憲法をなぜ日本共産党が守ろうとするのかという御質問があったんですが、軍国主義をなくすということでつくられたということは、それは真実だと思います。ポツダム宣言を受け入れて、その国の中でつくられた憲法です。
 同時に、アメリカだけがつくった憲法ではないということもはっきりさせておかなければなりません。世界の人々の声、そして日本国民の営々とした、一九四五年以前の日本国民の運動、そして憲法草案、いろいろな形で出てきました。そういうことも踏まえてつくられた憲法であって、そういう憲法だからこそ……(中山(正)小委員「それは違います」と呼ぶ)事実として言っておきますから。そういう憲法だからこそ、五十数年間にわたって日本国民の中で定着をしているという現実を見る必要があると思いますし、私は、もうずっと出ていますので言っておきますけれども、憲法制定経緯の議論をしたときに自民党の皆さんから出された教授、先生方の、参考人のお話の中でも、押しつけられた憲法だから今だめなんだというようなことを言っても非生産的で、そんなことは議論にならないということまでおっしゃっている方もいらっしゃるわけでして、そういう点もよく認識していただけたらと思います。
 それで、結局……(中山(正)小委員「違います」と呼ぶ)待ってください。一九四九年ごろから、アメリカ自身が一九五一年に結んだ講和条約と安保条約、朝鮮戦争を経て、その中でこの憲法そのものを変えていこうという方向に進んでいっているわけでして、そして五〇年に警察予備隊、こういう歴史があるわけですからね。そういう源流という問題も、私はよく見ておいてほしいなと。事実の問題としてお伝えしておきます。
葉梨小委員 日本の戦後の国際協力というのは、先ほど申しませんでしたが、国連分担金はトップクラスでございますし、ODAは最近まで世界一の金額を計上し、いろいろな地域に若い人が行っていろいろな教育訓練をやったり作業をしたり、そしてまた、お金で学校をつくったり病院をつくったり、あるいは道路を建設したりということをやってまいりました。
 そして、自衛隊を出すのは湾岸戦争からだったと思いますけれども、ほとんどというかすべて、一緒になって戦おうということで出動したことはないわけなんですね。そういうことで、軍事ということは、自衛隊が行っていることは事実でございますけれども、自衛隊の作業は、戦後の処理とか復興支援ということなんです。
 そして、先ほど民主党の先生も言っておられましたけれども、NGOが行けばいいじゃないかと。今度自衛隊が、五百人とか千人出すんでしょうけれども、NGOが五百人、千人出して、組織的な力として現地のお手伝いが効果的にできるかということがありますね。自衛隊というのは一つの組織を持っておりますから、機動力もあるし、あるいはお医者さんもついているしとか、効果的に国際援助、復興支援ができるということで自衛隊を出している。だからむしろ、自衛隊には違いないけれども、日本の若い人たち、団体訓練を受けた若い人たちが自衛隊員として参加している、こう私は素直に見るべきであろうと思っております。
中山(正)小委員 先ほど春名先生からの御指摘がありましたので。
 なぜそのときそれじゃ憲法に反対をされたのか、実に不思議の感に打たれます。ケーディスという、いわゆる憲法を日本に押しつけたときのメンバーの責任者がいました。マーカットという少将はドイツ系の弁護士でしたが、それがフィリピンに長くいて、フィリピンの憲法を焼き直して日本に押しつけたのです。そのマーカットとか、それからケーディス、このケーディスという人はアメリカ共産主義者で、彼はマッカーシーから追放されたんですね。それで、彼はアメリカへ呼び返されたんです。いわゆるマッカーシー旋風の影響を受けた人です。私はテレビで見ましたが、日本にいたときの最大の尊敬する政治家は野坂参三先生だったという発言をしております。
 ですから、私は、別に国会議員として共産党だなんだという、もう共産主義の本拠ソ連は崩壊した。ただ、中国が今共産党が一党支配で、そして経済が自由主義という不思議な国ができておりますから、これが一体どうなるのかということは大変気になるところでございます。
 最近、「ゾルゲ」という映画をやっております。この中でも、宮城与徳という絵かき、沖縄出身、この人が、アメリカ共産党から送り込まれてきた五百人の中の一人だという話が映画の中でも出てきまして、これは現実の話でございますから。その意味で、アメリカというのは不思議な国で、スターリンが一九三四年のいわゆるブハーリンなんかを粛清しましたときにも、トロツキーもアメリカへ亡命して、そしてメキシコで殺されていますね。ですから、アメリカはソ連の革命が起こったときには大変好意を持ったようです。どんどん資財と人間を送り込んだという。だから、世界じゅうが恐慌のときにソ連だけが大変な繁栄を誇ったというのは、アメリカが最初の共産主義政権ソ連ができたときには大変好意を示したという。
 ですから、これからの日本を考えるときに、我々は、世界のことはどうでもいいんです。日本が世界平和に貢献するために、どこかの国に支配をされた憲法なんかで、どこかの国に都合のいいような持っていかれ方をしないように、我々が新しく考える憲法を今の時代に合わせてつくったらどうですかということを申し上げているだけの話でございまして、そういう新しいものを、何でもかんでも改革だ改革だと言うのに、憲法だけがこのままでいいと言うのはおかしいのです。
 その中には明らかに、憲法九条、先ほどから議論がありますように、こんなもの、自衛隊があることすらおかしいんです、本当を言えば。現実にはありますね、十九万か十八万か。しかし、これは徴兵制度ではありませんから、いざというときに本当にどうなるのか。この間どこかの世論調査でやったら、どこかから来たら、六割は逃げる、四割は白旗を上げる、そういう時代になってきたわけですから、何とか日本が攻撃されないように、特に北朝鮮からボタンを押したら十分でミサイルが飛んでくるところに我々はいるわけでございます。それを、アメリカは北朝鮮を攻撃するときには中国との戦争が前提であるというようなことを中枢部は言っておりますから、アメリカは北朝鮮のときに本当に日本を守るためにちゃんと安保条約を発動してくれるのかどうか、これを懸念しないようなものじゃ、私は政治家じゃないと思います。
 ですから、政治家というのは医療の立場でいえば臨床医ですから、研究医じゃありませんので、今の日本の熱があるのかないのか、今平熱のときに、どんなふうにこれから細菌に侵されないように防御するのか、そういう臨床的な問題を私は憲法の中に組み入れていくべきだと思いますので、そのことだけ申し添えておきます。
中川小委員長 それでは、予定の時間も参りましたので、大変議論が白熱しておりますが、最後に、中山太郎会長。
中山会長 憲法調査会長の中山でございます。
 きょうは、与野党とも、みずからの、御自身の考え方、またそれぞれ所属する政党の考え方について、九条を中心に極めて冷静に御議論をいただいたことを、まず感謝を申し上げておきたいと思います。
 私は、やはり平和が一番好ましいということは、与野党を通じて同じだろうと思うんです。ただ、国際情勢は日々変わってきているわけです。それを見ないで自分の国のことだけ考えておったんでは、その国の国民は不幸になると思います。
 私は現実に、戦前、戦中、戦後を生き抜いてきた男ですけれども、この大きな歴史の流れの中で、この十二年間ほど大きな変化は戦後なかったわけです。つまり、第一次の湾岸戦争から今回のイラク戦争までの間、こんな大きな世界の変化はなかったと思います。
 世界は三極に分かれていたわけです。アメリカを中心とする安全保障のシステム、それから旧ソ連を中心としたシステム、ワルシャワ条約機構、それから非同盟、この三つに分かれていたと思うんです、大きく分けて。そういう中で、それぞれの国はやはりそれぞれに自分の国民の安全をいかに守るかということに熱心だったと思います。日本の場合は、敗戦から占領、そして講和条約の日に日米安全保障条約が結ばれている。そして、日米地位協定も結ばれた。
 こういう歴史の中で今日を迎えたんですが、私は、今まで各委員の御発言を聞きながら、戦後の大日本帝国憲法の改正から日本共産党の合法化、思想の自由、こういったことで、この日本に初めて近代社会の訪れた時代があったと思うんですが、それは平和のうちに来たんです。
 ただ、国連中心というものは、一九八九年の終わりから九〇年まではほとんど国連は機能していませんでした。米ソの対立が激しくて、そしてソ連の外務大臣のグロムイコさんが、ミスター・ニエット、絶えずノーと言う人だ、そして国連の安全保障理事国の中での常任理事国は五つの戦勝国ですから、このうちの一国が拒否権を発動しても、すべてあらゆる決議は否決されるわけです。
 こういった中で、日本に対してもドイツに対しても、旧敵国条項というものが国連憲章の中に現在も存しているわけです。二〇%近い拠出金を出した日本がこの国連憲章を変えてくれと幾ら国連で主張しても、国連の国々はこの敵国条項を排除することはできなかった。つまり、国連憲章をさわれば、それはパンドラの箱をあけたようなことになって収拾がつかなくなるというのが、私どもの経験から各国の連中が言い続けたことです。
 こういうことを考えていくと、今日の日本の中で、国民が、あらゆる政党の支持者を含めて、この北朝鮮の拉致問題というものが具体的に表面化してきた、それが証明された。こういった中で、初めてこの国の安全、ここに住む人たちの安全は果たして大丈夫かという不安が起こってきた。そこにさらに、北朝鮮で核の開発が行われているということで、この日本の上空を無警告で飛んだ北朝鮮のミサイルにプラスアルファで核弾頭という問題が新しく出てきた。
 こういった中で、やはり国会というものは絶えず国民の安全を目的として追求しなければなりませんから、私は、きょうのような御議論が粛々と行われたことは、国民のためにも大変よかったし、国会のためにもよかったと思います。戦後の日本の議会の中で、きょうのような議論が冷静に行われたことは初めてだったと思います。
 そういう意味で、参加をしていただいた、御出席いただいた委員の皆様方に、会長として心から厚くお礼を申し上げますし、傍聴された方も、ここで各党の冷静な意見、戦後史また歴史、そういったものもお聞きいただいて、きょう御参加いただいた傍聴者の方にとっても初めての機会であろうと思います。今後とも、我々国会議員は、党派を超えて、絶えず国民の安全を追求していく必要があるということを共通の認識として持ちながら、きょうの感謝の言葉にかえたいと思います。ありがとうございました。
中川小委員長 私も発言したいところでありますが、本日は、これにて散会いたします。
    午後五時一分散会


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