衆議院

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第4号 平成15年6月5日(木曜日)

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平成十五年六月五日(木曜日)
    午前九時二分開議
 出席小委員
   小委員長 杉浦 正健君
      伊藤 公介君    佐藤  勉君
      谷川 和穗君    額賀福志郎君
      葉梨 信行君    福井  照君
      島   聡君    中川 正春君
      古川 元久君    斉藤 鉄夫君
      武山百合子君    山口 富男君
      金子 哲夫君    井上 喜一君
    …………………………………
   憲法調査会会長      中山 太郎君
   憲法調査会会長代理    仙谷 由人君
   参考人
   (神戸学院大学法学部法律
   学科助教授)       窪田 好男君
   参考人
   (新潟大学助教授)    桜内 文城君
   衆議院憲法調査会事務局長 内田 正文君
    ―――――――――――――
五月二十九日
 小委員伴野豊君同日委員辞任につき、その補欠として中川正春君が会長の指名で小委員に選任された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 統治機構のあり方に関する件(財政)


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     ――――◇―――――
杉浦小委員長 これより会議を開きます。
 統治機構のあり方に関する件、特に財政について調査を進めます。
 本日は、参考人として、新進気鋭のお二人の学者、神戸学院大学法学部法律学科助教授窪田好男君及び新潟大学助教授桜内文城君に御出席をいただいております。
 この際、両参考人に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多用中にもかかわらず御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。参考人のそれぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にさせていただきたいと存じます。
 本日の議事の順序について申し上げます。
 まず、窪田参考人、桜内参考人の順序で、財政について、特に会計検査制度と国会との関係を中心に、両院制の問題を含め、御意見を三十分以内でお述べいただき、その後、小委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
 なお、発言する際はその都度小委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は小委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
 御発言は着席のままでお願いいたします。
 それでは、窪田参考人からお願いいたします。
窪田参考人 おはようございます。
 神戸学院大学法学部法律学科助教授の窪田好男でございます。
 本日は、この衆議院憲法調査会で自説を開陳する機会をちょうだいいたしまして光栄でございます。公共政策学という学問を学ぶ一研究者という立場から、本日は、国会の政策評価機能について申し述べたいと思います。どうぞよろしくお願い申し上げます。
 では、レジュメに従って陳述を進めてまいりたいと思います。
 まず、政策評価というものをどのようにとらえるのかということを申し述べたいと思います。
 一般に、政策評価とは、政策の有効性、費用対効果、弊害の有無、大きさなどをはかるものであり、決定、実施された政策の効果等を測定し、次の段階の政策形成にフィードバックさせようというものであるというように理解されているように思います。しかしながら、厳密に申し上げますと、政策評価には、今申し上げました意味合いの政策評価に加えて、政策の目的あるいは政府の方針、または政策それ自体を、自由や平等、民主主義、福祉、経済的効率性といった広く社会に受け入れられたような価値あるいは政治の目的というものに照らして評価するというタイプもあるように思います。一応、このような二つの政策評価、二つの類型と申しますか、レベルの政策評価があるということを確認したいと思います。
 なぜ、今現在、この政策評価というものが注目されるのか、その背景を三点挙げておきたいと思うわけでございます。
 その第一は、アカウンタビリティーというものが今重視されているということであろうかと思います。
 我が国ではしばしば説明責任というように訳され、用いられ、定着しつつあるように思います。しかしながら、説明責任と申しますと、あたかも、ある行為をなぜ行ったか、あるいはある結果についてなぜそのようなことになったのかということをとにかく説明すればいいというニュアンスが強く出るように思われ、結果を出すという、本来アカウンタビリティーというものが求めている内容を必ずしも的確にあらわしていないようにも思います。というような意味で、我々研究者の間では、説明責任という言葉よりもアカウンタビリティーという片仮名文字を用いておるわけでございます。
 いずれにせよ、そのアカウンタビリティーというものが、政策評価が注目される第一の背景であろうかと思います。
 そして、第二点につきましては、昨今、政策に対する需要は、質的にも量的にも増大しつつあります。また、時代の大きな変化のときというようなことがしばしば言われるわけでございますが、そうした中におきましては、効果であるとか費用あるいは弊害について不確実なままで政策を決定、実施せざるを得ない場合が多くあろうかと思います。
 例えば、今現在、少子化対策基本法というものが審議されていると理解しておりますが、少子化対策としてどのような政策をやることが本当に効果的なのか、必ずしもわからないままこの政策を設計し、決定、実施せざるを得ないのではないかと思います。そうした場合、政策評価というものを行って、現に行われた政策の効果、費用、弊害なんというようなものを測定、分析することが重要になってくるのではないかと思うわけであります。これが背景の第二点でございます。
 そして第三点、これは経済学の方で出てきたモデルであろうかと思いますが、プリンシパル・エージェント・モデルというものから政策評価の必要性というものが論じられる場合がございます。
 このモデルは何かと申しますと、主権者たる国民と国会、そして国会と内閣、内閣と官僚という関係をプリンシパル、これは無理やり日本語に直しますと本人ということになるわけですが、それとエージェント、これは代理人でございます、この関係として描くモデルでございます。本人が代理人を有効に統制、制御し、代理人が本人の負託にこたえるように統御する、そのような方法論として政策評価が注目されているわけでございます。行政監視ということと直接的につながるのではないかと思う部分でございます。
 では、政策評価がそのようなものであるとして、国会に政策評価が必要であるかというところに問題を進めてまいりたいと思うわけでございます。
 近年、政策評価につきましては、三重県を初めとする地方公共団体と省庁において行政の自己統制の手段として導入され、注目を集めておるわけでございます。また、それ以前から、会計検査院の方で行われる政策評価というものもあるわけでございます。
 会計検査院の検査の観点は、従来型あるいは基礎的なものといたしまして、正確性であるとか合規性というものがあるわけでございます。正確性というのは予算執行状況を決算が正確に表示しているかということでございますし、合規性というのは会計経理が予算や法律等に従って適正に処理されているかということを問う基準でございます。
 それに加えまして、近年、いわゆる三Eと呼ばれる検査の観点が導入されつつございます。それは、経済性、効率性あるいは有効性と呼ばれる観点でございます。経済性、効率性というのは、事務事業が経済的、効率的に行われているか、そして有効性というのは、事業が所期の目的を達成しているか、また効果を上げているかという観点であると会計検査院自身は説明しております。
 そのように、従来の正確性、合規性から、いわゆる三E基準というものに検査の観点を拡大することにより、会計検査院が政策評価機能を担う、そのような期待があるように思います。
 また、平成九年の国会法等の改正により、国会による会計検査・報告要請制度が創設されました。そこで、行政監視あるいは政策評価というものは、会計検査による三E検査及び行政機関が行う政策の評価に関する法律に基づく省庁の自己評価で事足りるのではないか、そのような理解も成立し得るように思います。
 しかしながら、私といたしましては、会計検査院による行政監視、政策評価には一定の限界があろうというように感じるわけでございます。それを三点ほどに分けて申し上げたいのです。
 まず第一点といたしまして、会計検査が政策や事業の有効性について、つまり国会の決定、政府の実施による政策、事業の有効性、効果があるかということについて評価するということは、国会や内閣の責任に属する政策決定権に介入しているのではないかという疑問が抱かれ得るのだという指摘が西尾教授から行われております。あるいは、これに類する自己認識が会計検査院自身にも、あるいは検査院の一部にはあるように思います。
 加えまして、アメリカの会計検査院であるゼネラル・アカウンティング・オフィス、いわゆるGAOというものが政策評価を行っていることを根拠とし、我が国の会計検査院による政策評価、つまり三E検査を推進しようという議論がございます。しかしながら、GAOは連邦議会の附属機関であります。それに対しまして、我が国の会計検査院は独立機関でございます。議会附属機関と独立機関では政治的な影響力に大きな違いが出るというように考えられ、その違いは、それぞれが評価をし、その出した結果、勧告というものが以後の政策形成に活用される可能性を大いに左右すると考えるわけでございます。端的に言って、議会と関係を持たない独立機関たる会計検査院は国会や内閣に比べ民主的正統性の点で劣り、その評価結果が活用される可能性も劣るわけでございます。
 よって、会計検査院による政策評価、三E検査とともに、議会もまた、みずからのアカウンタビリティーを果たすため、あるいはプリンシパルたる議会がエージェントたる内閣と省庁を有効に制御、コントロールするため、また議会、内閣、省庁の間にある政策にかかわる情報ギャップというものを埋めていくために政策評価を議会自身が行う必要があるのではないかと思うわけです。このことは、特に野党や、あるいは与野党を問わず小規模な政党、あるいは議員連盟の活動等において必要なのではなかろうかと考えておる次第でございます。
 では、ここから、かつて民主党によって提出された行政監視院設置法案を念頭に置きつつ議論を進めたいと思うわけでございます。
 行政監視院設置法案について簡単に振り返りますと、それは第百三十九回臨時国会に提出されたものでございました。その内容といたしましては、国会の附属機関として行政監視院というものを設置する。第二点といたしまして、行政監視院の権限を、国の行政機関の業務に対する監視等及び法律の制定または改廃等に関する意見具申というのを行う、そして、それらのために資料の提出の要求等を権限として持たせるというものでございました。これは国政レベルでも初めて、しかも、国会に政策評価機能を持つ機関の設置を提案するものとして非常に意義深いものであるとして注目したわけでございます。
 しかしながら、この行政監視院設置法案については、その提案を行った民主党に政策評価についてある種の誤解というようなものがあったと指摘せざるを得ないように思うわけでございます。
 それはどのような内容のことかと申しますと、端的に申し上げまして、政策評価を内閣や省庁の責任追及のツールとしてとらえたこと、それがあえて誤解と申し上げることでございます。さらに申し上げるならば、行政監視院設置法案におきましては、小規模な議員集団、ちなみに衆議院で二十名、参議院で十名の要求に応じて議会附属機関が、ある意味、独立的な行動主体として評価を行い、法律の制定や改廃について意見具申をするという内容でございましたが、あたかも議会の附属機関が裁判官や検察官のように法律の制定、改廃について判決と申しますか意見具申を行うということは、ある意味、議院内閣制のもとでは非現実的と言わざるを得ないのではないかというように考えたわけでございます。
 そのような政策評価が成立する、ある意味、国会議員でもない者が裁判官の判決がごとき政策評価を行う、あるいは責任追及を目的とする政策評価を行う、そういったことを可能とする条件は、以下の三点を満たさねば無理であろうと思うわけでございます。
 それは、まず第一点といたしまして、政策の効果、費用、弊害を正確にかつタイムリーに測定できなければなりません。また、ある政策の実施とその結果として発生した社会の変化、この二つの間の因果関係を正確に特定せねばなりません。さらに、一般的に政府の政策の目的というのは、あいまいに設定されるかあるいは複数の目的が設定される場合が多いように思います。有効性の評価と申しますのは政策の目的がどの程度達成されたかということを評価するわけでございますから、政策の目的があいまいであったり複数であったりするならば、正確な評価というのはなかなか行いがたいわけでございます。
 このような三つの理由から、だれが政策評価を行うにせよ、それが裁判官の判決のような形で評価を行い、国会であるとか内閣をその結果に従わせるといったことは困難であり、かつ責任追及が効果を上げるということもなかなか難しいのではないかと考えておるわけでございます。
 そういった点から、民主党が提案したこの行政監視院法案というものが仮に成立したとしても、ややうまくいかなかったのではないかと考えておる次第でございます。
 そして、その行政監視院設置法案は結果的に廃案という形になったわけでございますが、一方、行政監視院設置法案について自由民主党の方はどのような理解をしたのか。そして、その考えについて、私はかつて論文で、あえて強い言葉で無理解というようなことを書かせていただいたわけでございますが、その内容はいかなるものであるのかということをここで説明申し上げたいと思うわけでございます。
 一般に、行政監視院設置法案については、自民党議員の立場というのはおおむね反対であったというように、調査の結果、私は結論を下してございます。
 その反対の底流には次のような考え方があったとされております。すなわち、与党は官僚組織からデータの提供を受けることができます。であるがゆえに、議会に政策評価機関を設置する必要はない、このような考えであります。しかし、あえて自民党の無理解と断じましたように、これは早計な判断ではないかと思うわけでございます。
 政策形成あるいは政策の設計の各局面におきましては、関係各省庁から、それぞれの省庁の観点でいろいろなデータや所見が出ることと思います。しかし、それをもって直ちに政策実施の教訓よりくる絶対の真理と判断してしまうことは早まった考えではないでしょうか。なるほどそれらは、特定の省庁が特定の施策や事業に際し特定の判断をしたという限りにおいては真理であろうと思います。しかしながら、同じ政策について他の省庁は別の見方をするかもしません。現場からのデータというものは極めて貴重なものであるでしょう。しかしながら、同時に、他の反駁を許さない迫力というものを持つわけでございます。
 ですが、公共政策の策定におきまして、恐らく絶対の真理というものなど存在しないでありましょう。それだけに、一国の公共政策の立案と決定に責を担う国会は、省庁から提供されたデータを国会みずからによる政策評価によって得たデータと照合しつつ、一特定分野ということではなく、国政全体のかじ取りという国会独自の観点から総合・分析することが必要であると考えます。
 また、与党のみが官僚組織からのデータ提供を享受することは、確かに野党に対して短期的には優位をもたらすでしょう。しかしながら、中長期的に見れば、国会における審議の質を低下させ、野党の政権担当能力を奪い、ひいては国民の政治不信、議会不要論にもつながりかねず、与党にとってもこれは好ましいことではないと思います。
 また、平成九年の国会法等の改正における、国会において行政監視の役割を担うのは国民から国政を負託された国会議員で構成される各議院や委員会であり、したがって、行政監視機能の強化は、本来各議院や委員会の活動の活性化を通じて図るべきであるという考え方が、民主党との政策協議の中で行政監視院設置法案に反対する大きな理由になっていたというように理解いたします。
 こうした考え方について引き続き見てまいりたいと思いますが、差し当たり、一つのまとめといたしまして、政策評価を専門とする議会附属機関が不要であると判断したこと、これを指して、自由民主党が政策評価に無理解であったというように私は断じたいと思うわけでございます。
 では、その行政監視院設置法案が廃案となった後に、いわばそのかわりのような形で成立した国会法等の改正による改革、その内容について見てまいりたいと思います。
 その内容と申しますのは、第一に、衆議院決算行政監視委員会の設置であり、第二に、行政監視に資する制度の整備・創設、これは報告・記録の提出要求制度の整備、会計検査・報告要請制度の創設、会計検査の観点の明記、衆議院における予備的調査制度の創設及び衆議院事務局内に調査局を設置ということでございます。
 このうち、会計検査院にかかわることについては既に申し述べましたので、専ら衆議院決算行政監視委員会について申し上げたいと思います。
 この衆議院決算行政監視委員会のこれまでの活動について、同志社大学法学部の梅津實教授による観察というものを手がかりに、その活動の結果、議会附属機関が必要なのではないかという私の持論を申し述べたいわけでございます。
 梅津教授によりますと、決算行政監視委員会の活動というものは、決算の審議という任務の関係上、即応性に欠けるというような評価をまず下しておられるわけでございます。この点については、詳細は、参考資料としてお配りした論文の方をごらんいただければと思います。
 他の点について詳しく申し述べたいと思います。
 そして、第二点といたしまして、決算行政監視委員会でとられた対決的な審議スタイルにやや問題があるのではないかという指摘が重要かと思います。決算行政監視委員会には、本来調査委員会的な機能も付与されているはずである。にもかかわらず、委員会所属の議員が地道な調査の必要性を自覚していたかは判然とせず、むしろ議員たちが検察官のように、いかに政府の行為や政策が間違っていたかを告発し、責任を問われた政府は被疑者のようにただひたすらに自己の正当性について弁明するという審議スタイルが見られる。決算行政監視委員会で何らかの結論を導き出し、一定の手続を経てそれを国会の意思にし、それで行政側に特定の行為や事業を見直させたり是正させたりするという発想がない。いわば責任追及の場として決算行政監視委員会が使われているということで、国会みずからが決定した政策を制御するという発想にやや欠けているということが問題であるという指摘でございます。
 さらに、梅津教授は生き残った官僚というような指摘もなさっておりますが、これも省略いたします。
 さらに、アジェンダセッティング能力の貧弱さという指摘をなさっているわけで、これも引用させていただきますと、決算行政監視委員会の審議は専らマスコミ報道の二番せんじに甘んじており、マスコミの後を追ったものでしかないのではないかという疑問を抱かせているのである、議員みずからが考えた問題を、調査や外部からの証言などを参考にしながら地道に分析するという姿勢を持たなければ、委員会の審議は緊張感を失い、ひいては行政監視の効果も上がらなくなるに違いないと。
 最後に、意外と国民の間に衆議院決算行政監視委員会というものが知られていないのではないかという指摘があるわけですが、これも省略いたします。
 以上のような決算行政監視委員会の活動を通じまして、国会議員による評価、委員会による評価という発想自体は決して間違いではございません、むしろ正しい方向であろうと私も理解しておるわけでございますが、そこで行われる評価というものが、専ら政策それ自体、あるいは政策の目的についての特定の価値観を背景とした評価という、評価の第二の類型として私が最初に申し上げた形ということになっておるように思うわけでございます。そして、決算行政監視委員会の委員自身がその問題とすべき政策を発見し調査するといった活動が不十分であるという指摘なわけでございまして、こうした部分において委員の活動を補佐する、そうした国会附属機関が必要なのではないだろうかと結論できるわけでございます。
 加えまして、政策評価論という研究の観点から、もう少し政策評価を専門とする議会附属機関の必要性を補足したいと思います。
 政策評価において、政策の目的の評価はともかくとし、政策の効果、費用、弊害の評価、この場合は効果、費用、弊害の測定と分析ということになろうかと思いますが、これには専門機関の補佐が必要であるというのが、一般的な政策評価論の研究者の理解でございます。
 と申しますのは、政策評価を行う技術、それは政策の効果、費用、弊害を測定し分析するための技術であるわけですが、これは高度な専門性を要する技術であるからであります。よって、それらを専門とする議会附属機関というものをつくらないことには、決算行政監視委員会における評価の質というものは向上しないのではないかと結論できるわけでございます。
 しかしながら、政策評価において国を先導した地方公共団体では、政策、この場合は事務事業ということになりますが、事務事業の実施を担当する担当職員自身が自己評価として評価を行っているではないか、であるとするならば、なぜ国会に評価を専門とする議会附属機関が必要なのかという指摘があり得ようかと思います。そうした指摘に対しましては、残念なことに、地方公共団体の評価におきましても、先導自治体においては六年、七年といった評価の経験の蓄積があるわけですが、そういった地方公共団体におきましても、政策、施策、事業の効果、費用、弊害について、その測定と分析が正確に行われているという例は、まことに残念なことではありますが、まれであると言わざるを得ないからであります。
 そのような理由から、国会における政策評価が必要であるとするならば、その国会議員あるいは委員会による評価を補佐する政策評価を専門とした議会附属機関が必要であろうと思うわけでございます。
 そうした場合の議会附属機関でございますが、民主党の行政監視院法案が手本としたアメリカの会計検査院、GAOが初期に行った評価のスタイル、あたかも裁判官のように、政府が行った政策を評価する、そうしたスタイルの評価ではなく、議員や委員会が行う評価に必要な調査をサポート、支援する、そうしたタイプの議会附属機関が必要となってくるのではないでしょうか。
 あえてアメリカ連邦議会の附属機関の名前を挙げるとするならば、初期のGAOというよりも、CBOと略称される議会予算局、コングレショナル・バジェット・オフィスの方が、むしろ我が国の国会の政策評価を専門とする附属機関のモデルとしてより適切ではないかというように考えておるわけでございます。
 では最後に、最近、衆議院、参議院両院の役割分担、機能分化という観点から、憲法改正によって参議院を決算審査、すなわち政策評価のための院にしてはどうかという主張が見られるわけでございまして、この主張についてコメントを申し上げたいと思うわけでございます。
 まず、二院制のメリットといたしまして、法案審議の慎重性の確保及び衆議院、参議院、二つが性格の異なる議会として成立する、参議院が申し上げれば良識の府として成立するということが期待されている、そういうメリットが一般論として指摘されております。
 しかしながら、余り時間もございませんが、参議院につきまして、近年、参議院機能不全論と申すべき議論と、そこから発展して参議院不要論、参議院改革論という議論があるわけでございます。
 手短に申し上げますと、参議院機能不全論とは、近年は参議院議員の多くも政党に属しており、衆議院、参議院、両院で異なる採決がなされることも少ない、そこで、参議院は衆議院のカーボンコピーである、あるいは参議院はミニ衆議院になってしまっているというような意見も聞かれるわけでございます。
 このように、参議院が機能不全に陥っているという認識から、これを廃止し、衆議院のみの一院制を目指すべきだという主張も見られます。また、我が国が二院制をとるのは、イギリスのように議会制の長い歴史を持っている国の多元的議会構造の伝統を見習って、明治憲法体制下で貴族院と衆議院の二院制をとったことに由来するというように理解できます。それゆえ、日本国憲法第十四条で「華族その他の貴族の制度は、これを認めない。」と定めておるわけで、参議院の根拠づけというものは研究上も実は苦しいものがあるわけです。そこで、極端な論者の中では、イギリスにおいて貴族院反対論というものが強いのを見習い、我が国でも参議院廃止論というものを唱える、そのような人もいるわけでございます。
 参議院を不要とまで言わないにせよ、何らかの改革が必要とする主張は多く聞くことができます。そうした参議院改革論の一つとして、憲法改正によって参議院を政策評価のための院にしてはどうかという主張があるわけです。確かに、私としても傾聴に値する主張であるというように思います。
 しかしながら、考慮すべきは、参議院改革論というものも画一ではないということであります。ほかにも、さらなる選挙制度改革を行うことにより、慎重な決定、性格の異なる議会という二院制のメリットを追求すべきという主張も有力であります。また、一九八〇年代に参議院で与野党逆転現象が生じ、参議院の機能が見直されたという事実もございます。
 さらに、外国の例を見ますと、連邦制をとっている国家は二院制をとる場合が多いわけでございます。州という連邦構成単位を代表させる必要があるからであります。翻って我が国でも、地方分権改革の一環といたしまして、道州制の導入が論議されているのが現状でございます。そうした状況において、参議院不要論や参議院改革論については慎重な議論が求められるのではないかと私自身は考えております。
 そして、仮に参議院を決算審査あるいは政策評価のための院にするという方向で改革を行うとするならば、以下のようなことを申し上げたいと思うわけでございます。
 行政監視院設置法案及びそれ以後の国会改革、すなわち決算行政監視委員会の活動実績が示すように、議員による政策評価を中立的、専門的な立場から補佐する国会の附属機関をつくらない限り、十分に機能しないと考えられるわけでございます。参議院をそのように改革する場合についても言えるわけでございます。
 なお、衆議院の調査局につきまして、勉強不足ながら私は十分な情報を持ち合わせておりませんので、調査局の現状がその附属機関とどのようにつながってくるのかということについては、本日は判断を差し控えさせていただきました。
 以上で私の陳述を終わらせていただきます。ありがとうございました。(拍手)
杉浦小委員長 どうもありがとうございました。
 次に、桜内参考人、お願いいたします。
桜内参考人 おはようございます。
 新潟大学助教授の桜内でございます。
 本日は、この憲法調査会におきまして発言をいたします機会をいただきまして、光栄に存じます。どうぞよろしくお願いいたします。
 お手元に、「国家の意思決定と財政システムのあり方について」と書きましたペーパーを御用意しております。こちらに沿いまして議論を進めさせていただきたいというふうに思っております。
 まず、一枚めくっていただきまして、次のページに目次を書いております。これがきょう私から申し上げる内容の全体であります。
 私は、公会計という分野を専門としておる関係から、むしろ、日本国憲法第七章「財政」の章の全般に関しまして、財政民主主義あるいは財政立憲主義と言われるもののその大もとの点について、公会計の観点から申し述べたいというふうに思っております。
 目次のうち、上の方が、憲法を考える視点あるいは公会計とは何かという、ある種総論部分がございまして、そこから、政府と国民との関係の基本構造あるいは国民の位置づけ、財政立憲主義、それから民主制の二つのモデル、こういった点について、ややテクニカルな部分もございますけれども、なるべく問題の大もとをつかむような意見表明を行いたいと思っております。それから、パブリックガバナンスですとか、そのパブリックガバナンスというものは一体何かということと、それを生かした財政システムの設計というのはどうあるべきなのか、それから、本日の一つの大きなテーマであります二院制の問題ですとかあるいは会計検査制度との関連について最後触れていきたいというふうに思っております。
 では、次のページから意見を述べさせていただきます。
 まず、財政というもののシステムあるいは憲法上の制度を考える上におきまして、そもそも、憲法を考える視点あるいは統治システムというのを我々はどこまで我々の国の歴史や伝統に縛られあるいは縛られないのか、あるいは、この憲法調査会、私は今回参ります前に中間報告等いろいろ読ませていただきましたけれども、他国の制度を大変多く調べていらっしゃいます。これは比較憲法というような分野あるいはそのアプローチになるわけでして、これも非常に大事なことなんですけれども、きょうはもう一つの観点をお示ししたいというふうに思っております。
 箱の中に、左から、制度派的アプローチ、比較憲法的アプローチ、歴史学派的アプローチというふうに書いております。
 ちなみに、今ほど言いました比較憲法的アプローチというのが、他国の憲法上の制度等をいろいろ調べて、それを参考にしつつ、我が国に取り入れられる部分あるいは取り入れられない部分というのを見ていこうというようなアプローチであります。右側の歴史的アプローチと申しますものは、我が国固有の伝統ですとかあるいはこれまでの経緯等々を考慮いたしまして、それによって憲法がある種規定されてくる部分があるのではないかというふうな考え方であります。
 本日、私が意見として申し上げたいのは、この左側の制度派的アプローチというものでございます。これは、むしろ会計学あるいは経営学の観点から、国家の制度等につきましてどういうふうな意思決定が行われる仕組みがそもそもあるのか、その制度について、ある種ミクロ経済学的な手法を用いたりですとか、先ほどの参考人の御報告にもありましたようなプリンシパル・エージェントというふうな分析手法を用いて考えていくやり方であります。そういう意味で、基本的には制度派的アプローチに依拠して、きょうは御報告したいと思っております。
 次のページ、おめくりください。公会計とは何かということであります。
 まず、公会計の意義ですけれども、利益の獲得を目的とせず、または利益の多寡が成果の評価基準とはならない公共部門における経済主体の全般を対象とする会計技術、手法を指します。
 会計というのは、アカウンティングを訳した言葉ですけれども、これは責任の体系というふうに言うことができようかと思います。先ほどアカウンタビリティーという言葉が出てまいりましたけれども、これも責任というものに密接に関連した言葉であります。また、会計というのはもちろん勘定というのを使うわけですけれども、これをアカウントと言います。これは責任の範囲を画する単位であります。勘定が違えば責任の所在等々も違ってくるというふうなことであります。
 それがなぜ憲法上の統治機構と関係してくるのかということなんですけれども、そもそもの公会計という言葉の由来から申し上げますと、明治十四年に会計法というものが規定されております。また、旧憲法の第六章に「会計」という章がございまして、そこが今現在の日本国憲法におきます第七章「財政」に対応する章であります。ちなみに、マッカーサー草案の第七章「会計」と書いてありますけれども、マッカーサー草案の段階では、まだ「会計」というふうな言葉が使われておりました。
 なぜ「財政」という章が憲法上必要とされるのかということでございますけれども、そもそも「財政」という章が世界の憲法の中で出てきたはしりとされますのが、一八三一年のベルギー憲法であります。その前にもちろん幾つか憲法はあるんですけれども、ちなみに、アメリカの憲法の場合は、大統領、議会それから司法という三権の分立の中で、そのそれぞれの中で財政に関する部分が条文として取り上げられておりまして、財政というふうに全部一くくりにして一つの章にはまだまとまっていなかったというような状態にあります。
 公会計制度は、そういった意味で、国家の意思決定を財務面から規律するガバナンス構造の設計そのものに関連するというふうに言えるかと思います。ここで言うガバナンスと申しますのは、意思決定を行うものをどういうふうに規律していくのか、その制度上の仕組みを指します。それと、政府の受託者責任を明らかにする制度的なインフラとして機能すべきものだというふうに考えられております。
 ちなみに、受託者責任ということですけれども、次のページで説明したいと思います。
 ここに、政府と国民との関係の基本構造ということを図にして示しております。登場人物と申しますか、大事なポイントは三人、三者というかおります。受託者それから委託者、受益者、この三つであります。これを国の場合に当てはめて申し上げますと、まず受託者というのが政府に相当します。それから、国民というのが委託者ないし受益者というふうな位置づけになるわけですけれども、税金というものの位置づけをどう考えるのかというのが公会計上の一つの大きな論点にもなっておるんですけれども、ここでは、信託という考え方を前面に出して御報告したいと思っております。
 税金というものを国民が払う場合、それは政府に対する信託であって、予算というものを国会が議決することによって、政府自体に対して受託者責任を設定していくというふうに考えていくわけであります。政府は、その受託者責任の遂行といたしまして、その運用、処分に関する意思決定、あるいは政策形成、あるいは公共財等の財・サービスの供給等を行っていくわけですけれども、これ自体が受託者責任の遂行というふうに言えるわけであります。
 そして、それで話が終わるわけではありませんで、公的説明責任とここには書いておりますけれども、アカウンタビリティーというものが生じてまいります。これは会計上は会計責任というふうに訳される場合もあるんですけれども、受託者責任が設定されて、それを遂行した受託者の責任をどういうふうに解除するのかというふうな概念であります。アカウンタビリティーをもって、公的説明責任を果たして報告を国民に対して、これは委託者ないし受益者ですけれども、それに対して行った上で、了承を得れば、受託者責任が解除されるというふうな関係にあるわけです。ですので、アカウンタビリティーとは、財産管理者の受託者責任の存在を前提といたしまして、その受託者責任の成立から解除に至るプロセスを会計的に説明することを意味します。
 次のページをおめくりください。
 今申し上げました基本構造にかんがみまして、国民の位置づけというのがある程度決まってまいります。これは、信託説と呼ばれるものですけれども、そもそもこの信託というのは何だろうということですけれども、基本的には、英米法におきます信託概念に基づいております。
 ここに、コモンローあるいは普通法というふうなものが書いてありますけれども、ちょっとこの辺、細かいですが若干説明いたしますと、普通法の世界というのは、いわば法律の要件、効果が比較的はっきりしておる領域でありまして、もちろんイギリス法ですので判例法等もあるんですけれども、我々の通常の概念でいいますと、民法とか刑法とか、法律の要件と効果が比較的はっきりと明確なものを示しているとお考えいただければ結構だと思います。そのコモンローの世界では妥当な結論を得られない場面で、救済法として機能するエクイティー、これは衡平法というふうに訳されますけれども、その主要領域として信託というものが発達してまいりました。
 一つ例を挙げますと、戦争に行く人が、もちろんその家族等あるわけですけれども、自分が死んだときのために財産を未亡人等のためにとっておくということのために、知人等に財産を信託の形で譲渡するわけです。通常のコモンローの世界であれば、当然、所有権というのが移転してしまいますので、受託者がその財産を使い込んでしまったですとかという場合に戦争の未亡人等が救済されないというふうな、衡平に反するような結果がコモンローの世界では生じてしまいます。これを何とか助けてあげようということで、受益者としての戦争未亡人の権利を強化するというふうな法律構成をとります。それが、次の段に書いてありますけれども、受益者は、単なる債権者としてではなく、エクイティー上の物権、無体財産権のようなものですけれども、これを有する者としてより強い保護を受けるというふうな法律関係が設定されます。
 これが、社会契約の形をとりまして国家の統治構造について応用されましたのが、ここにあります、イギリスの名誉革命におきますロックの所説が始まりであります。その影響を強く受けましたのがアメリカの独立宣言でありまして、さらには、実は我が日本国憲法にもそれが相当程度色濃く反映されております。
 こちらに条文を挙げておりますが、前文の第一段、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、」ここで言う「信託」は、今申し上げました英米法の信託に非常に近い概念になっております。
 また、憲法十一条後段ですけれども、「この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」ここが非常に重要なポイントでして、実を申しますと、上の方にちょろっと書いておりますけれども、実は、受益者の設定というのは、まだ生まれていない者も指名することができるというふうに法律上解釈されておりまして、ちなみに、憲法上、基本的人権というのは、もちろん法律上の権利、法的権利ですので権利の主体というのが必要なんですけれども、そうしますと、将来の国民というのが基本的人権の主体となり得るのかというのが通常のコモンロー上の世界では問題となってきてしまうんですけれども、今申し上げました信託の考え方で、受益者が将来世代も含む、まだ生まれていない者も含むというふうな考え方からしますと、この憲法十一条の「現在及び将来の国民」というものが受益者であるというふうに、国民の範囲を比較的拡大して考えることができるという利点もございます。
 そういった意味で、国民は委託者として政府に対して、政府というのが受託者ですけれども、納税を行うと同時に、現役世代のみならず将来世代をも含めて政府の財政活動の受益者として位置づけられます。憲法上の統治機構と申しますものは、これは四十一条以下でありますけれども、受益者たる国民の利益、そのうち権利化されたものが人権というふうにされるものですけれども、これを守るために国家のガバナンス構造を規定するものというふうに言えようかと思います。
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 ここから、我が国の憲法上の財政の章におきまして一番の根本とされております、財政立憲主義あるいは財政民主主義とも言われますけれども、憲法八十三条、これについて御説明いたします。
 これも図にしておりますけれども、ポイントを最初に申し上げますと、二重のガバナンス構造が存在しているということであります。
 一つ目のガバナンス構造、これが左上の方にあります、国会と内閣との関係におきますガバナンスの構造であります。こちらにおきましては、強化されたガバナンスの範囲というふうに書いておりますけれども、要は、今の憲法におきまして八十三条、財政処理権限の国会中心原則というのがございますけれども、これは、予算の編成ですとかあるいはその他もろもろの財政処理に関しましては国会が最終的な決定権限を持つというふうな規定であります。どのような予算ももちろん国会が議決することは可能ですし、また、公債の発行ですとか、あるいは年金の制度の設計ですとか、国会がすべて決めることができるというふうな原則が八十三条であります。
 これは、後ほど若干説明いたしますが、明治憲法下においては、予算編成権というのは内閣、行政権の方にございました。これを、日本国憲法に変わりますときに、民主主義の一つの大きな柱といたしまして、この財政立憲主義ないしは財政民主主義というものが規定されたわけであります。
 そういう意味で、内閣を国会が縛る、内閣の意思決定、もちろん内閣には今現在も、予算を作成し、国会に提出するという権限が憲法上定められておるわけですけれども、しかしながら最終的な権限は国会がすべて持つということで、法規範としての拘束力を持って予算というものが国会で議決されてくるというふうな意味で、この内閣に対します国会の規律をつける力、拘束力というのは非常に強いというふうに言うことができます。そういう意味で、強化されたガバナンスの範囲ということが言えるかと思います。
 話がこれで終われば簡単なんですけれども、実はガバナンス構造はもう一つございます。それは、国民と政府との間のガバナンス構造であります。
 今ここで申し上げました政府というのは、内閣と国会、両方を含む概念であります。ちなみに、日本国憲法の中におきまして政府という言葉が使われるのはただ一カ所、前文の中にあるだけでありまして、これは、行政、内閣、立法、この三権すべてを指す概念であります。ここでは、内閣と国会、先ほど言いましたように、強化されたガバナンスの範囲双方を含みまして政府というふうに申し上げますけれども、それと国民との関係というのがもう一つのガバナンス構造として必要になってくるわけであります。
 もちろん、国民というのはいろいろな立場があります。左下にありますように、政府の財・サービスのアウトプットを予算を通じて配分してもらって享受する顧客としての国民の立場というのは当然ありまして、他方で、右側にありますように、委託者としての国民というのは税を納める側の国民でもあります。また、先ほど申し上げました、将来世代を含めまして、受益者としての国民という概念もあるわけであります。
 ところが、こちらの国民と政府とのガバナンスの構造が弱い場合には、なかなか国民が政府の意思決定を縛ることができないというような状況がどんどん出てまいります。そうした場合に、若干絵もかいておりますけれども、タックスイーターというふうな言われ方をしますけれども、政府の意思決定を、なるべく自分の利益にかなうようにその影響力を及ぼしていこうとする行動が当然見られるわけでありまして、そうしますと、予算編成の配分というものがどんどんゆがめられてくるというような現状が実際あるわけでございます。
 ここで問題としますのは、二つ目のガバナンス構造、国民と政府とのガバナンスの構造をどういうふうにとらえるのか、あるいはとらえた上でどういうふうに設計していくのかということを申し上げたいと思います。
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 ここに民主制の二つのモデルというふうに書いております。政府と国民との間のガバナンスの強弱ということを述べたいと思います。
 今申し上げましたのは、先ほどの図でいいますと二つ目のガバナンスの構造を指しております。内閣、国会あわせたところの政府と国民との間のガバナンス構造ということであります。
 直接参加モデル、強いガバナンスのモデルであります。実を言いますと、今現在はどちらかというとこちらに依拠した財政運営等が行われているかと思います。国民全員が直接意思決定に参加する形態、これは直接民主制ですけれども、あるいは国民全員が国民を代表する国会を通じて直接意思決定に参加するものとみなされる場合、これがこのモデルに相当いたします。
 このモデルに合致します場合、どうなるかといいますと、受益者、委託者としての国民は、意思決定者たる国会と、これは受託者ですけれども、完全に一体化しているとみなされるため、国会と国民との間でのガバナンスのメカニズムは不問とされる。
 これはどういうことかと申しますと、一〇〇%株を持っています個人企業のオーナーが、その会社が上げた利益等を、交際費で遊んだりどういうふうに使ったりしようとも、それは自分のお金だから自分の勝手だということで意思決定を縛るものは何もないわけですけれども、それと同じでして、まさに国民と国会が完全に一体化しているというふうにみなせるのであれば、どういうふうに予算を編成しようがそれは国会の勝手であるというふうな言い方ができるわけであります。
 ちなみに、ここで言う国民の範囲はやや狭くございまして、現実に意思決定に参加する意思と能力を兼ね備えた人々、これが有権者でありますけれども、現役世代の有権者に限定されます。
 ところで、実際にはどうもそういう強いガバナンスというのは働いていないんじゃないか、意思決定する人と意思決定に参加できない人というのはどうも分かれているんじゃないかという現実の認識が当然あるわけでして、それが下の間接参加モデル、弱いガバナンスとして認められるモデルであります。
 これは何かと申しますと、意思決定者と意思決定者以外の者に分かれてしまう場合、その後者の方、これは業績不振の意思決定者を解任する権限を留保するという形で、ガバナンスのメカニズムを通じて間接的には意思決定に参加するというふうなことが言えるわけであります。
 この場合、国民と政府の関係がどうなるかと申しますと、予算あるいは財政運営と申しますものは、実は時間軸上の資源配分という言い方がされるんですけれども、これは、先ほど申し上げました、将来への波及効果の大きい、例えば公共事業によってインフラ資産を形成するですとかあるいは公債を発行するですとかあるいは公的年金債務に関しまして年金制度を設計していく、こういうふうな将来への波及効果の非常に大きいお金のやりとり、資産、負債を持って将来と現在との間で資源をやりとりするという意味で、時間軸上の資源配分というのがあるわけです。
 そうしますと、予算編成を行う受託者としての政府というのは、もちろん現役世代のみから成る内閣と国会でありますけれども、これと、実は受益者としての国民というのは先ほども申し上げましたように現役世代のみならず将来世代も含めておりますので、意思決定者と受益者たる国民というのがどうしても分かれてきてしまうわけです。その利害は必ずしも一致するわけではないということであります。
 この場合、公会計制度というものを確立して、意思決定者たる政府の受託者責任の明確化というものを通じまして、政府と国民との間のガバナンスを強化する必要があるというのが一つの結論であります。最終的には、業績不振と評価された政府、こちらが恐らく政策評価とかそういった領域になろうかと思うんですけれども、その場合は、国民によってそういった政府は解任されてしまう、これは選挙に負けるですとか内閣がかわるというふうなことになろうかと思います。
 まとめて申し上げますと、内閣と国会との間のガバナンスは、財政立憲主義によって非常に強化されております。しかしながら、今申し上げました直接参加モデルであると仮定するのであれば、政府と国民との間のガバナンスは不問とされるのでありますが、他方で、実際にはガバナンスが弱く、間接参加モデルしか成立していないのではないかという場合であれば、政府と国民との間のガバナンスを強化する必要があるというふうなのが理論的な一つの考え方であります。
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 こちらは旧憲法下の財政システムとの比較を若干書いております。
 これも同じく図にしておりますけれども、ポイントは、実は二重のガバナンス構造のような小難しいことはありませんで、旧憲法下におきましては、非常にシンプルな一つのガバナンス構造で済んでいたということであります。ですので、予算編成を行う権限はもちろん内閣に当時あったわけですけれども、内閣は主権者たる天皇に対してもちろん責任を負って、それが一つのガバナンス構造を形成していたというふうなことが言えるわけです。シンプルで、これはこれでいいんですけれども、一番大きな問題点は何かと申しますと、実は国民というのがどこにも登場してこない構造にあった。それが、戦後の日本国憲法におきましていろいろな改革がなされた点であります。
 枠の中に細かい論点も幾つか書いておりますけれども、きょうは財政制度の大もとについて申し上げたいと思いますので、こちらは割愛いたします。
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 きょう何度もガバナンスという言葉を述べておりますけれども、特にこのパブリックガバナンスというものについて、内容を説明したいと思います。
 このパブリックガバナンスの意義でありますけれども、先ほどから出ています財政立憲主義との関係で、二重のガバナンス構造があると申し上げましたが、二つ挙げた二番目の方、国政上の意思決定者たる政府、これは内閣、国会両方を含む概念と思っていただければいいんですけれども、これは受託者です、これに対する国民、受益者ないし委託者ですけれども、国民による規律づけを意味します。政府の財政運営上の責任の明確化を通じまして、外部からの監視ですとか内部マネジメントにおける自己規律の向上を促す組織の構造とメカニズムを指します。
 そこで、予算とは何かと申し上げますと、財産管理者たる政府による財産の運用ないし処分の形態をあらかじめ定めたものであって、それによって政府の受託者責任を設定するものであります。
 ちなみに、内閣の受託者責任というのは、もちろん、予算を作成し国会に提出する権限がありますのでそういう責任があるわけですけれども、これは決算の会計検査報告を伴う国会の承認によって解除されるんですけれども、実は話はここで終わりません。
 先ほど言いましたように、政府と国民との関係の、ガバナンスの関係でいいますと、業績不振と評価されます内閣は、国民によって解任されるあるいは更迭されるという意味で政権がかわっていくということが、ガバナンスの理論からは言えるかと思います。
 ちなみに、先ほどイギリスの名誉革命のジョン・ロックのお話をいたしましたけれども、ジョン・ロックが抵抗権というのを言っております。実は、今言った内閣を更迭するというのは、この抵抗権の考え方を今の憲法上の言い方でいえばこうなるというのを申し上げた次第です。
 財政活動の現代的変容というのがございます。
 実は、昔の財政というのは、非常にのんびりしたものと言うとちょっと問題ですけれども、ある会計期間に調達した税財源をその期間内に全部使い切るというのであれば、現役世代の代表機関である国会がすべてを決めればそれで済んでいたわけです。自分たちが出し合ったお金を自分たちがどういうふうに使うように決めようがそれは勝手であると、これは当然の理屈であるんですけれども。
 ところが、財政活動の範囲が非常に広がってまいりますと、資産や負債という将来に対する波及効果を持つ、そういったストックのコントロールが、政府の財政活動の大きな部分を占めるようになってまいります。そうしますと、先ほど言いました時間軸上の資源配分、将来と現在との間での資源をどういうふうに配分していくのか、将来世代にどれだけの負担をお願いするのか、あるいは自分たちがどれだけ持つのかといった意味で、将来世代の利益をどう守るのかという問題が生じてまいります。
 制度上、財政運営上の意思決定者というのは、もちろん我々有権者なり、有権者からの選挙によって選ばれます国会議員、それから国会で、議院内閣制によって組織されます内閣、これはすべて現役世代から成っております。それと、先ほど申し上げました将来世代を含む受益者たる国民の利益というのは、必ずしも一致するわけではありません。その場合に、常に現役世代の意思決定を優先するような仕組みをとりますと、実は、財政立憲主義というのは現役世代の意思決定を完全に優先させるという原則でもあるんですけれども、これを形式的に守るだけでは、将来世代の利益を保護することはできないということであります。
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 今申し上げたように、財政立憲主義というのは憲法上の大原則でありますけれども、その形式的な適用だけでは、将来世代を含む受益者たる国民の利益を守ることはできない。したがいまして、国民の側、特に受益者たる国民、将来世代も含む国民からの、政府の意思決定をどうコントロールするのか、規律づけるのかという意味でのガバナンスの強化が必要となってくるわけであります。
 具体的には、財務諸表の体系と開示制度を定める公会計基準等の整備によります公会計制度自体の整備というのももちろん必要であります。また、財政活動を評価するための財務指標というものを開発いたしまして、それによって予算編成上の意思決定が適切であったか否かを検証可能としていくような、そういう行政評価との連携によります財政規律の確保ですとか、次はややテクニカルでありますけれども、予算を、一般経常経費等から成る経常収支勘定と、それからインフラ資産の形成ですとか公的年金制度の設計自体にかかわるような、そういう中長期的な影響の大きいもの、これを資本的収支勘定というところに区分した上で、特に中長期的な影響の大きい部分、勘定については複数年度の財政計画を作成するなど、こういった二つの予算をつくる。複会計制度というふうな言い方をしますが、これは現行の財政法四条にもその考え方が若干あらわれてはいるんですけれども、これをやや精緻化するですとか、よく言われます複数年度予算というものをそういった分野に適用させていくということも考えられます。
 財政運営上の意思決定者、これは現役世代ですけれども、その受託者責任を明らかにすることを通じてパブリックガバナンスというものを強化いたしまして、将来世代を含む受益者たる国民の利益を保護するということは、一見、民主主義というものの関係で微妙なところがありますけれども、これは実質的に財政立憲主義を補完することだというふうに言えようかと思います。
 最後のページに参ります。
 二院制とそれから会計検査制度というのが本日の一つの主題でありますので、その関係で一つ申し上げます。
 パブリックガバナンスを補強するもう一つのアプローチというふうにとらえられるかと思います。要は、将来世代の代弁者としての役割を果たす機関というものをどうつくるのか、あるいはそういった将来世代の利益を反映することのできる財政システムの設計ということであります。
 参議院ですけれども、やはり特定の選挙区を持っていますと、どうしても現役世代の利害関係に左右されてしまいますので、そういった選挙区を持たない憲法上の独立機関、旧憲法下におきましては貴族院ないし枢密院というのがあったわけですけれども、そういったものを想定いたしますと、そういう意思決定というのもある種必要ではないかなというふうに思っております。
 また、先ほど言いました予算を二つの勘定に分ける複会計制度を採用する場合、特に中長期的な影響の大きい資本的収支勘定における予算におきましては、参議院の予算編成上の権限をむしろ強化するということも考えられるかと思います。単に決算審査の権限を強化するだけでは、ガバナンスの観点からいえば、ちょっと力不足だというふうに思っております。
 それから、最後に、会計検査院の位置づけということですけれども、よく議院内閣制かあるいは大統領制かという行政権のあり方の違いによってその所属が変わってくるというような議論がされる場合が多いんですけれども、私は、むしろこれは予算の法的性格の違い、要は、予算編成権の所在が実質的にどこにあるのかということに左右されるのではないかと考えております。
 なぜならば、会計検査院が、単に決算の合規性だけではなくて、これは法規準拠性とも言われますが、適正性の観点から、いわゆる三E監査、経済性、効率性及び有効性といった政策上の判断の是非をも問うような監査を行うのであれば、予算編成権の所在しているところに附属させないと、そういう判断はそもそもできないということが言えようかと思います。
 ですので、予算が行政の一環であるとされた旧憲法下におきましては、当然、予算編成権が行政権にありましたものですから、行政権の中の独立した機関とされていたわけでありますし、これは非常に合理性のあった制度設計であります。
 他方で、財政立憲主義のもと、現行憲法下においては、先ほど言いましたように、国会が最終的に予算をすべて決定する権限がある、持つということであれば、会計検査院は国会に属する組織、機関として位置づけることも非常に合理性のあることであるというふうに考えられます。
 要は、公会計の役割というのは、将来世代の声なき声というものをなるべく数字であらわしていこうとするものであります。それによりまして政府の意思決定を国民が直接コントロールしていく、自分の利益を害さないようにしていくというふうな考え方であります。
 若干時間が過ぎました。以上で終わります。(拍手)
杉浦小委員長 ありがとうございました。
 以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。
    ―――――――――――――
杉浦小委員長 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。葉梨信行君。
葉梨小委員 自由民主党の葉梨信行でございます。
 きょうは、窪田参考人、桜内参考人、大変ありがとうございました。大変精緻な、整ったお話を伺いまして、感銘した次第でございます。
 窪田参考人からは、行政監視制度の提案が民主党から行われて、それが実を結ばなかった、その経緯並びに評価についてのお話がございまして、民主党並びに私ども自由民主党についていろいろ御意見を伺いました。
 その内容を伺っておりまして、国会のあり方というか、与党とか野党というより衆参両院を通じまして、国会の議論のあり方、国会の今の文化と言ってはおかしいんですが、そういうものが指摘されたような気がいたしまして、よほど審議の仕方、心構え等々を改めなきゃいかぬなという思いがいたしました。
 桜内参考人からは、公会計についての大変行き届いた御説明また御批判を伺いまして、一々ごもっともであろうと思います。
 特に私が感銘しましたのは、将来世代を含んだ財政運営をし、また決算をしなきゃいかぬ、こういうお話でございまして、特に今政府は、国、地方を通じまして大変借り入れが多い時代に、これをどういうふうに持っていくかということで我々議員は皆心を痛めておりますが、まさにそのことについてこういう視点からのお話を伺ったことは大変大事なことであったと思う次第でございます。
 桜内参考人からは、第十ページ、十一ページあたりがおっしゃることの結論であろうと思いますが、公会計制度の整備をしなきゃいかぬ、あるいは財政規律の確保と行政評価との連携、このことを御指摘いただきました。これは、窪田参考人のお話に通ずるものであろうと思うわけでございます。
 そして、きょう、お話を伺いましたことについて御質問をするというよりは、いいお話を伺ったという感想を申し上げたわけでございますが、両先生を通じまして、会計検査院のあり方をどうするかという御指摘がございました。
 会計検査院が今適切な使命を果たしておられることは事実でございますが、それだけでは十分でないであろう、また、今、財政民主主義の公会計を確立するという意味では、今のままよりは何か国会との関係を密にした方がいいのではないかという御意見も伺ったわけでございまして、そこら辺については、お話を我々議員がまた議員同士で議論をし、制度の改革というものにつなげていく必要があろうと思います。
 そこで、今の両先生のお話を踏まえまして、私ども、衆議院と参議院のあり方、機能の分担ということは、かねてこの憲法調査会でも議論の的になっているわけでございますが、一つは、参議院の機能と同時に、選挙制度をどうしたらいいのか。機能の分担ということは、どういう過程で選ばれれば理想とする活動をしていただくことができるか、こういうことにもなってくるわけでございますが、両参考人から、その点につきまして、きょうのテーマからはやや応用問題でございますけれども、参議院の選挙制度をどうしたら、今お話のあったような状況に持っていくためには最適であるかという御意見を伺いたいと思います。
    〔小委員長退席、谷川小委員長代理着席〕
窪田参考人 実は、私の発言の中では参議院の選挙制度改革という一つの案があると言うにとどめ、その内容に踏み込むことを巧妙に避けたわけでございますが、私なりには、さほどその分野についての研究の蓄積がございませんので、そのようなものとしてお聞きいただければと思います。
 一つには任期の延長、あるいは、桜内参考人の方で陳述なさったような、選挙区を設けないというような形が一つはあり得ようかと思います。しかしながら、私の陳述で申し上げましたように、両院の機能分化をするという際には、地方分権の行方というものが非常に大きな影響を持っておると思いますので、現段階では、その程度のことしか申し上げられないということになります。
谷川小委員長代理 桜内参考人、お願いします。
桜内参考人 参議院の選挙制度ということでございますけれども、まずは選挙区を持たないということを考える必要があろうかと思います。
 ただし、全国区というのは、もちろん、以前、制度としてあったわけですけれども、なかなかうまくいかなかった点があったということで恐らく今の制度に変わってきておるんだと思うのですけれども、そのあり方等々については残念ながら私もよく理解しているわけではございません。
 ただ、選挙する以上、もちろん政党というのは絡んでくるわけでありますけれども、できれば、そういった政党の意見に左右されることのない、かつ、選挙区として一つの地域の利害に左右されることのない、そういった選挙制度というのが必要ではないかというふうに考えております、なかなか難しいんですけれども。
 一つ、イギリスの例を申し上げますと、閣僚経験者、特に総理経験者等の経験を持たれたような方には参議院に入っていただくですとか、そういった意味での別の選挙のあり方もあり得るんじゃないかなというふうには考えております。
 以上です。
葉梨小委員 衆議院と参議院の機能の分担という意味、それから、会計検査院を組織がえし、あるいは行政評価の組織を国会に置くというときに、会計検査院を参議院の附属機関として置くということがどうかということを、実は素人なりに考えておりましたが、そうしますと、衆議院で予算の審議をして参議院は決算を行うということで、お金の使い道をはっきり、予算についても決算についても国会でしっかり行うという役割分担があったらいいのかなと思っておりました。
 桜内参考人は、この十二ページの第二項に、参議院の予算編成上の権限を強化することも考えられる、こういうことを言っておられますね。予算について役割分担というか、今のように衆議院で予算案について議論をする、参議院でも予算案について議論をする、こういうことをおっしゃっているわけでしょう。そうすると、決算というか、いわゆる会計検査院をどこへ置くかという問題もまた別になってくるかと思いますが、そこら辺につきまして、両参考人からお話を伺わせていただきたいと思います。
桜内参考人 まず申し上げますと、予算と決算との関係でありますけれども、公共部門の場合、予算の持つ意味合いというのは非常に大きゅうございます。これは皆さん御承知のところではあるのですけれども、理論上の受託者責任の設定ということが予算を通じて行われますものですから、決算というものは、結局のところ、予算に従ってお金をどう使ったのか。どう使ったのかというのは、単に正確に予算に従って使ったのかという合規性の判断というのが一番大きなものになってまいるわけでございまして、そういう意味では、せっかく国会の附属機関なりで、あるいは国会が議論していただくのであれば、むしろ政策上の是非を問うような議論をなされるのが本来的な姿であろう。
 それから申しますと、決算だけに絞って議論するというのは、国政に対する影響力という意味で、やや欠けるところがあるのではないかなというふうに考えておりますので、決算のみならず予算も議論するという仕組みは必要であろうというふうに考えております。
 さらにもう一つ申し上げますと、予算と申しましても、先ほど、二つに分ける複会計予算という制度を若干申し上げましたけれども、これは予算の性質上、ことし入ってきたお金をことしそのまま使ってしまうというふうな、ある種、毎年毎年の、そんなに考慮を要さない部分と、それから、将来世代に対する影響の非常に大きい部分、どこにインフラ資産を形成するですとか、あるいは年金制度の設計ですとか、そういった長期にわたる影響を持つ予算の部類がございます。これを、勘定科目を別にいたしまして、その意思決定の仕組みとして、例えば将来に対して影響の大きい部分については参議院により大きな権限を持たせるですとか、そういった議決の方法等も考えられるのではないかなというのが趣旨でございます。
窪田参考人 私の方からも、大筋におきましては桜内参考人と同じような意見になろうかと思います。
 まず第一点といたしまして、参議院を決算専門の院にするという場合、私の陳述の中で、同志社大学の梅津實教授の説を紹介しました中で、即応性に欠けるという部分について、決算の限界というものを指摘なさっておるわけです。すなわち、衆議院を予算審議を専らとする院とし、参議院を決算を専らとする院とした場合、第一点、参議院における決算の審議が、必ずしも衆議院で行われる次の予算審議にフィードバックされるということが保障されない、そのような心配がございます。よって、両院において予算も決算もやった方がフィードバックが行われるのではなかろうかと思う次第でございます。
 さらに、国会における決算審議と会計検査院との役割分担ですが、私といたしましては、現代の決算会計におきまして、正確性、合規性以外にも、有効性ということも検査していく必要がございますが、会計検査院がむしろ基礎的な正確性であるとかあるいはむだ遣いといったような部分をきっちりチェックしていき、国会においてはむしろ政策的な判断からその政策の結果を調べていく、そういうように役割分担をすべきではないのかなというように考えておる次第でございます。
葉梨小委員 どうもありがとうございました。
谷川小委員長代理 次に、古川元久君。
古川小委員 民主党の古川元久でございます。
 本日は、両参考人におかれましては、大変に貴重な意見をいただきまして、ありがとうございました。
 まず、窪田参考人にちょっとお伺いをしたいと思います。
 実は私、国会に当選をしてきまして一番最初に、きょうこの委員会室にもおられますけれども、仙谷当時の政調会長のもとで指示を受けて、法案づくりに取り組んだのが行政監視院法案でありまして、そういう意味では、私自身も非常に思い入れがある法案なんでございます。
 先ほど窪田参考人の方から、私ども理解に誤解があったという御指摘があったんですけれども、私も、当時を思い出してみますと、正確ではないかもしれませんが、もともとは、桜内参考人からも御指摘がありましたが、本来であれば、会計検査院が国会の附属のような形で位置づけられているような状況であって、そして国会がまさに唯一の立法機関として実質的に立法を行っていけるような体制をつくるためには、やはりそういう能力というものが国会に必要ではないかというふうに考えておりました。
 しかし、今の憲法の規定では、会計検査院は憲法上規定されておりまして、これを国会に持ってくるわけにいきませんし、そういう中でいろいろ考えて、ではどこにこの行政監視院の根拠を置くかというところで、たしか国政調査権というものに根拠を置いてこの法律をつくった。そういう意味では、今の憲法の制約があってああいう形にならざるを得なかったというところがあったというふうに記憶をしております。
 それともう一点、この日本の政治状況といたしまして、本来は、私は、先進国の政治というのは、与党も野党もそれぞれが政策立案能力を持って、その政策を競い合う、その姿を選挙で国民に問うて、どちらの政策が好ましいのかという判断をしてもらう、そういう政治スタイルがとられるべきであるというふうに考えますけれども、これまで日本が、政策立案能力があるのは官僚機構だけ、与党も、実は与党自身に政策立案能力があるんじゃなくて、官僚機構に乗っているから政策立案能力がある、そういう状況の中でやってきた。
 本来であれば、アメリカのように、あるいはヨーロッパでもそうなんですけれども、幾つか独立のシンクタンクみたいなものがあって、そういうところでいろいろな政策オプションが提示をされるという状況があればいいんですけれども、今の日本ではそういう状況はない。ですから、今の与党も野党におっこちれば、全く野党と同じような、今野党が政策立案能力がないと批判されるような同じことが、今の与党が野党におっこちても起きるというわけですね。ですから、やはりそういう状況を繰り返してはいけないんじゃないか。
 ですから、野党も、野党の立場でもしっかりとした政策立案能力を持てるような、そういう仕組みとして、日本の風土の中で、シンクタンクがまだ存在していないような状況の中では、議会にこういう行政監視院のような形のかなり力のある、評価だけじゃなくて、そうした政策立案能力まで持つような機関をつくるというのが、これが与党と野党の力の関係のバランスを保たせることになって、それがまた、政治が本当に国民に信頼を持ってもらえるようなそういう姿になるんじゃないかということで行政監視院法案を提案したというふうに記憶しております。
 そういった意味では、先ほどのお話の中では、議会の附属機関はアメリカの議会予算局のようなものでいいんじゃないかというお話がありましたが、仮に、憲法を改正するということで考えれば、先ほど桜内参考人が言われたように、会計検査院をそういう、まさに予算の決定権を持つ国会のもとに附属するような形で規定するということであれば、その方がいいというふうに窪田参考人はお考えか、あるいは、そういう状況になっても、これは別に会計検査院というのは第三者機関としてあって、議会の中にはもう少し弱い、今の調査局とちょっと御指摘のあった議会予算局とどれくらい違いがあるのか、余り今の調査局と変わらないんじゃないかというふうに私はちょっと理解をしたんですけれども、その辺のところのお考えはいかがでしょうか。
窪田参考人 ただいま古川委員のお説を拝聴し、大体私の本日陳述させていただいた内容と認識としては近いものがあるのではないかと思いながら伺いました。
 しかしながら、数点御質問があった点にお答えするのならば、まず、行政監視院法案においては、国会の附属機関とし、かつ独立の委員、三人ほどの委員を中心として、国会とはやや独立した形で、委員会がその法律、政策の問題点とか政策の提案というものを強く勧告していくという形であった。かつ、予算執行の正確性であるとか合規性といったような、いわゆる行政の不正の摘発のようなものと政策の評価というものを両方やるんだ、そういう行政監視院というものが構想されていたように思います。
 そこで、私が申し上げたのは、まず第一点、行政の不正の摘発というものと政策の評価というのは、どちらも大事ですが、明確に区別して、別の機関がした方がよろしいのではなかろうかと思うということを申し上げました。よって、例えば一つの方向性といたしましては、会計検査院はそうした予算執行の正確性やあるいは合規性というものをきっちり検査していく、そういう第三者機関という方向性もあり得ると思います。
 他方、議会の方に政策評価局というようなものを置いて、政策の効果、費用あるいは弊害といったようなものを調査し、議員、これにはもちろん野党あるいは少数会派というようなものを支援していく、あるいはそういった人たちでも使えるということ。行政監視院法案は、明らかに小会派あるいは野党のみが得をして、与党には余りうまみがないというような性格づけであったように思いますので、国会議員であれば、たとえ小会派であれ野党であれ使える、そうした意味で国会全体の政策能力を高めていく、そうした役割を果たす附属機関が必要ではないのかと思うわけです。
 そのような意味で、会計検査院を国会の附属機関にするといたしましても、政策評価的役割を担う部分と予算執行の正確性あるいは合規性といったものをチェックしていく部分、これは区別した方がいいのではないかと考えておる次第でございます。
古川小委員 次に、桜内参考人に御質問したいと思います。
 今の政治に対する国民の不信の中心は、我々の支払っている税金が非常にむだに使われているんじゃないか、それから、いろいろと国民負担率の話も出てきますけれども。私は、日本の国民というのは、きちんと自分たちの払った税金が使われるということであれば、何も負担を拒否するものではないと思いますし、また、先ほど来からお話もあったように、本当に将来世代まで考えた政治がきちんとやられるのであれば、それに対して負担をすることを拒否するような現役世代というものは、国というものが永続して、国民というものもずっと連なっていく、そういうことを考えれば、私はあり得ないと思うんです。ですから、そういった意味では、やはりきちんと税が適切に使われるようなそういう仕組みをつくっていくというのは、これは新しい国の形、そしてまた新しい憲法を考える際にも非常に大事なポイントになってくると思うんです。
 ですから、そういった意味では、私は、今私の党でも、また、そして政府・与党の方でも予算編成システムの改革というものが議論になり始めておりますけれども、この予算編成システムを憲法上もここまでは具体的に書くというくらいのところの、何か今のような、ただ単に予算を国会で議決するという、そしてまた予算については衆議院が優先するというような、そういう非常にシンプルな規定だけじゃなくて、予算の編成のあり方というものについては、新しく憲法を書くときにはもう少し書き込んでもいいんじゃないのかなと私などは思っておりますけれども、その点についての桜内参考人の御意見はいかがでしょうか。
桜内参考人 私も、公会計の制度の整備のみならず、実際に予算をどういうふうにつくっていくのかという意味での予算編成プロセスの改革というのも非常に重要だというふうに考えております。
 憲法上の規定としてですけれども、まず一つ言えますのは、今の憲法上、国家緊急権に関する規定が非常に少ないわけでありますけれども、それは財政上も言えておりまして、予算が年度内に成立しない場合の措置ですとか、こういったのが今の憲法には全く規定がございません。そういったのが結局のところ財政法上の暫定予算制度というところに落ちておりますので、こういうのは本来であれば憲法上ちゃんと書いておくべき事柄でありまして、それは最低限必要だと思っております。さらに言うとすれば、先ほど言いましたような複数年度予算の導入が可能になるような、そういった条文も必要かと思います。
 もちろん、憲法上規定しておりますいわゆる単年度主義と言われるものですけれども、これは毎年毎年国会がきちんと議決していくというものでありますので、財政計画として複数年度のものを、絶対だめだというわけではないと解釈されておるわけですので、今の憲法でも全く不可能というわけではないんですけれども、先ほど申し上げましたような中長期的な影響の大きい費目等に関しましては複数年度の予算というものを考えていくこともひとつ実際に明文化していくですとか、今言いました費目を取り出していくという意味でいわゆる勘定を複数化していくですとか、そういった方策というのは憲法上の規定としても十分あり得る、他国の例を見てもあり得るかというふうに考えております。
    〔谷川小委員長代理退席、小委員長着席〕
杉浦小委員長 次に、斉藤鉄夫君。
斉藤(鉄)小委員 公明党の斉藤鉄夫でございます。
 きょうは本当にありがとうございました。
 まず最初に窪田参考人に、これから私がお話しします体験についての御感想をお伺いしたいと思うんです。実は、きょう中山会長がいらっしゃっておりますけれども、中山太郎先生を会長に超党派で科学技術と政策の会というのをつくりまして、二つの法律の議員立法を目指しました。一つが科学技術基本法、もう一つが科学技術評価法でございます。
 科学技術基本法の方は、基本的に科学技術立国を目指して予算をつけていこうということで、お役所も手伝ってくれて、これは成立をいたしましたけれども、もう一つの科学技術評価法は、まさにある意味では行政評価という側面を含んでおりまして、国会の中に、まず科学技術そのものの評価、それから予算をつけた場合、その予算によって研究をされた、執行されたその政策がきちんと執行されたかどうか、こういう法律、これが科学技術評価法でございまして、こちらは実は大変、議論に議論を重ねましたけれども、結局つくられずじまいで、この科学技術と政策の会は解散ということになりました。
 成立に至らなかった理由はいろいろあると思うんですけれども、一つは、基本法のときは役所が一生懸命応援してくれましたけれども、この評価法のときはほとんど応援してくれなかったということもありますし、また、アメリカでの失敗、アメリカでも同様な法律があったんですけれども、結局うまく機能しなくて解散になったという経験がございました。これも一つの大きな要因になっているかと思います。
 結局、今どういうことが言われているかというと、やはり、評価というのはオープンな場での議論というのがなじまなくて、目ききが必要で、ある意味では職人的な目ききの人がやらないとそういうものはできないんだ、こんな雰囲気になっているんですけれども、こういう体験について、どのようにお感じになりますでしょうか。
窪田参考人 私どもの業界におきましては、大学評価、個々人の業績評価というような問題が出ておりまして、まさに学内でも似たようなことが言われております。そして、わき道から戻ってまいりまして、確かに、斉藤委員がおっしゃいますように、政策の設計ですとか評価というものには職人わざ、センスといったようなものが非常に必要とされる、そのようなものであると私どもも理解しておる次第です。
 しかしながら、政策評価と申しました場合、センスであるとか職人わざといったようなものが要求されるのは、ある意味、政策の目的という部分といったあたり、それを選び取る、今まさに日本の置かれた状況、将来の方向性、こうしたものの中から必要な政策というのを見つけていく、そういったものには必要であろうと思います。
 しかしながら、政策評価と申し上げる場合には、そうした政策レベルあるいは政策の目的自体が今必要なのか、今やるべきなのか、これでよいのかというレベルの評価のほかに、実際行った施策の効果をとりあえず測定し、それが所期の目的を達しているのかということをチェックする、そして、目的を達成していないのならば何らかの改善を加えていくというタイプの評価もあり得るわけでございまして、そうした評価であれば、職人わざであるとかあるいは世論の中で何となく方向性が定まるというものでは必ずしもなく、ある程度意識的に、ある法案が成立する前に、この法案の効果は絶対確実と言えないのならば、効果をほかの法案以上にモニタリングしていって、必要に応じて有効性の評価を加え、政策の改変をすべきだというように考えられるわけでございます。
 ちょっと、科学技術評価法につきまして、その詳細等はわかりませんので、それ以上突っ込んだことは申し上げられないのですが、一般論といたしましては、その効果が確実とは言えない政策も多い中では、その有効性について測定する、評価をするというのとはちょっとニュアンスが違うのですが、そうしたことが必要になってくるのではないかと思うわけでございます。
斉藤(鉄)小委員 ありがとうございました。
 この点については今のままでいいわけではないので、引き続き我々も努力していきたいと思っておりますが、また御指導いただきたいと思います。
 それから、両参考人にお伺いいたしますけれども、最近、政党の出す政策、公約、これに対しての評価ということでマニフェストということが前三重県知事の北川さんを先頭に言われておりまして、近いと言われている衆議院選挙で各政党、またマニフェストをつくろうかという動きがあるんですけれども、このマニフェストについての御意見、お考えをいただければと思います。
窪田参考人 一般的に、マニフェストということで、各候補者が財源の裏づけを持った数値目標を公約として掲げること、このこと自体には、私自身、好意を持って見ております。
 しかしながら、地方自治体レベルの話で申し上げますと、新聞等でもしばしば指摘されておりましたが、現職有利のそういったものである。すなわち、現職の知事であるとか市町村長であるならば、財政であるとか、何が政治的、技術的に実行可能であるのかといったことを踏まえてマニフェストを掲げることができるわけですが、新人の場合はそういったことがやや難しいわけでございます、ということは新聞でも指摘されています。
 そこで、自治体レベル等でマニフェストについて私が発言する場合には、自治体で行われているような行政評価あるいは事務事業評価というものを一層推し進める、あるいは公会計制度の改革を推し進めることによって、外部から来る新人であっても一定の実効性を持ったマニフェストを提示できる、そういうような状況を同時に政府、自治体側はつくっていく必要があるのだと思います。
 そして、国政レベルということで申し上げるのであれば、やはり、何らかの議会附属機関によって、いわゆる与党でなくても実効性を持ったマニフェストを出せるような体制、あるいはマニフェストを提示された有権者の側がその実効性のほどを政党ごと、候補ごとに比較対照できるような形での情報提供が求められる、そうした条件があって初めて生きてくる制度ではないかと思うわけでございます。
桜内参考人 私、マニフェストに関しましては、例えば、いろいろな政策が並んだマニフェストの一番最後のあたりに、その政党が政権をとった暁には数年後の姿としましてどういった財政状態等々になるかというのを、一定のフォーマットで公会計の基準に従って作成した財務諸表というのが後ろに載ってくるというものが、最終的には想定されるのではないかというふうに考えております。
 また、他国の例ですけれども、オーストラリアですとかは、総選挙の前に各党の政策というのを、もちろん数字はちゃんと出ていなかったりするのですけれども、これをきちんと精査いたしまして、むしろ役所の方が数年後の財務諸表はこうなるというのを選挙前に公表するというような制度をとっておりますし、そういったものを利用すれば相当いい制度になっていくのではないかなというふうに考えております。
斉藤(鉄)小委員 最後に桜内参考人にお伺いします。
 大変勉強になるお話をきょう聞かせていただいたんですが、財政立憲主義の図で、強化されたガバナンスに対して国民と政府の間のガバナンスは弱い、こういうことでございましたが、実感としては、最近は内閣が余り国会のことを、国会、与党とはもう関係ないんだというふうな、関係ないと言ったら言い過ぎですが、このガバナンスは非常に弱くて、我々は、今、世論調査等も大変精緻になってきておりまして、国民との結びつき、ガバナンスは非常に強くなってきている、こういうのが実感なんですけれども、この国民と政府の間のガバナンスが弱いということの説明をしていただけますでしょうか。
桜内参考人 国民と政府との間のガバナンスが弱いと申し上げますのは、憲法上の規定としてそういった仕組みになっていないというものを理論的に見たものでありまして、むしろ逆に、国会と内閣との間のガバナンスが強いというのは、今現在の、憲法八十三条に、あるいはその後に続きます条文等に基づきまして、国会が最終的にはすべてを決めることができるという条文上の、ある種、法実証主義的な見方によるものなんです。
 ただ、一つ言えますのは、内閣に対して直接的に国民からガバナンスをきかせていくというのも一つのやり方でして、これは内閣の政策自体を、これを少なくともお金で換算できる部分というものをきちんとした財務諸表のフォーマットに従って開示していく。今現在の公会計の基準の水準というのはなかなかそこまでは至っていないのですけれども、技術的には、相当な部分、解決されつつありますので、そういったものを国民に開示していくことによって、直接、国民と内閣、あるいは国民と国会というふうなガバナンスをきかせていく、強化していくようなことも十分考えられるのではないかなというふうに考えております。
斉藤(鉄)小委員 ありがとうございました。
杉浦小委員長 次に、武山百合子君。
武山小委員 自由党の武山百合子でございます。
 きょうは貴重な御意見をありがとうございます。
 早速ですけれども、なぜ今までに日本は政策評価というものが過去の歴史の中で行われてこなかったのか、それから生かされてこなかったのか、ぜひお二人に、一人ずつ見解をお聞きしたいと思います。
窪田参考人 なぜ日本で政策評価が行われてこなかったのかという問いでございますが、まず第一点といたしまして、いわゆるバブル経済のころまで、我が国の国家的な目的が、西洋に追いつく、あるいは経済的に一番、二番といったトップを目指すというような、いわば、国家目的として、欧米をモデルとして、そこにキャッチアップしていくということがあったようにございます。他国の経験を見て、他国でいろいろ試された政策を見て、有効と思われるものを取り入れていった。であるとするならば、改めて、効果があるかないかよくわからない政策というのではなくて、ある程度外国で効果があったものを取り入れていったということであれば、評価はそんなに必要なかったという認識が少なくとも政府の中にはあったのかなというように私は思います。
 もちろん、そうした状況においても私は評価は必要だと思ってはおるのですがということをつけ加えます。
 あともう一点言わせていただきますと、こうした形で政府政策の有効性や費用というものを厳密に測定していくというある種の政治的な文化というものは、必ずしも日本だけにないというわけではないように思うのです。よくよく見てみるならば、比較的、諸外国を見ても、そうした文化のあるところはやや少ないように思います。むしろ突出してアメリカに、ある政府の行為についてその結果はどうであったのかということを克明に調べていく、そうした政治文化がむしろアメリカに強く見られるのが珍しいというような様子であったようにも思います。
 しかしながら、では、なぜ今、アメリカ以外に、日本だけでもなく、世界的に政策評価というものへの関心が高まるのかとなりますと、やはり納税者の目が厳しくなってきたこと。税金の払いがいというようなものを納税者の側は非常に強く意識する。そして、政府の側は、その乏しい財源の中でなるべく有効な政策をたくさん打ち出していきたい。これは自治体でも同じだと思います。そして、先ほどから申し上げているように、いよいよ時代の変わり目の中で、どういう政策をやれば効果があるのか、必ずしも明らかではない。そうした中で政策を打ち出していくのであれば、フィードバックとしての評価というものの必要性が各国政府で認識されるようになってきているのではないでしょうか。
 やや雑駁ですが、私はそのように思います。
桜内参考人 私は政策評価の専門家ではないんですけれども、若干、思うところを述べさせていただきます。
 政治の基本的な目的というのは何かと申しますと、恐らく、国民の生命、自由、財産、これらを守ることが一番最初に来るのではないかというふうに考えております。
 では、これらを政策の内容としたものをどういうふうに評価するのかというのは、非常にこれはやはり難しい問題がございまして、恐らく、日本に限らず、政策評価の分野がなかなか発達してこなかったというのは、そういった測定のあるいは評価の難しさに起因するところが相当あるのではないかというふうに考えております。
 ただ、少なくとも、私のやっております公会計の領域ですとか、お金に換算できない価値を追求するのが政治であるけれども、お金に換算できるものは、せめてそのぐらいはきちんとやっていこうというふうな考え方から出発しているのではないかなというふうにも考えております。
 ですので、今後いろいろなアプローチというのはあり得ようかと思うのですけれども、政策評価というものが、評価の基準ですとか、あるいはそもそもの政策の目的ですとか、多様なものがある中で、どれほど客観的なものができていくのかというのは、ちょっと私、余り自信を持って、よほどよくなっていくというふうにはなかなか断言できないのではないかなと考えております。
武山小委員 世界第二位の経済規模を誇っておる国ですけれども、例えば、国の方で、社会資本整備一つを見ても、まだまだたくさんこれからそこに予算を入れていかないと社会資本整備が行き届かないというのが現実なわけですよね。そういう場合、例えば国の方は、年金資金の運用の失敗だとか、国の方の側でいえばそういう失敗があるわけですね。それから、地方に行きますと、都道府県や市町村でもいろいろな意味の政策の失敗というものはあるかと思うのです。
 例えば、国がワールドサッカーのために、埼玉県の場合ですと大きな施設をつくりました。それから、総合スポーツの施設として同じような施設を二つつくったわけですけれども、その施設が年間のいわゆる運営費に莫大な金額がかかるということで、もちろん将来のことも見越して政策はつくるわけですけれども、それができ上がった後の評価というものはもう極端な差なわけですね、それ一つを見ても。それから、地方では箱物といいまして経済成長のときにたくさんつくったわけですけれども、その維持運営、管理に大変またむだな出費をしなければいけない。
 そういう意味で、国民は納税者として、その情報公開がきちっとされていない部分もありまして、よくわからない、はっきりしない。
 それから、いわゆる地方がまだ主権になっていないものですから、いろいろな意味で、国の政策評価というのは、県にも市町村にもまだまだこれからこういうものが、言葉すらやっと入ってきたというような状態だと思うのですよね。
 それで、アメリカではGAOの制度がありますけれども、例えば州でそういうものをつくった場合どういうふうに評価をされているのか、例えばの話でお話しいただきたいと思います。
窪田参考人 アメリカの場合どのような評価が行われておるのかということですね。
 ただ、ちょっと幾つかのレベルがございます。一般論といたしまして、まず、アメリカであれ近年の我が国の都道府県レベルであれ、よく見られるのは、政策の全分野について一定の数値目標を掲げるというようなことをいたします。ベンチマーキングというように申しますが、というものをまず全体としてやっておくということがございます。
 例えばということで出てきたサッカーの競技場のような箱物についてはどういうことをしているのか。これはどちらかというと会計的な分野なのかなというようには思いますが、我が国でもアメリカであっても、一定金額以上を使う場合には建設のための費用と便益というものを比較対照するような分析をすることに大体法律上決まっていると思います。
 ただ、問題なのは、我が国の場合、往々にして建設費の見積もりが非常に甘く見積もられておったり、委員が御指摘になったように、運営費のことを切り離して、建設費と便益だけを対照するといったような、建設を認めさせるがための通過儀礼的な分析にとどまっている場合が多いように思います。ちょっと私はアメリカにおけるそうした公共事業のための評価という部分にはさほど詳しくはございませんが、そうした形で、事前に費用と便益の評価というのが行われているように思います。
 我が国でそうした評価をやる前、建設の前の段階では、やはり運営費も込みの箱物をつくるコストと、それによって得られる便益が大きいから、あえて平たい言葉で言うなら、もうかるからつくるんだというなら、そうした形の情報を政府は提示すべきでしょうし、今ワールドカップについて言われているように、いかに多くの赤字を出しても構わないんだ、あれは国際交流であるとか文化というもの、我が国の青少年の健全な育成を見据えた文化なんだ、これはJリーグの川淵チェアマン、今は役職がひょっとすると変わっておられるかもしれませんが、新聞に書いておられたのを読みましたが、そうした意見もあるように思います。
 そうであるならば、国際交流とか青少年の健全育成のための支出である、これこれこれだけの運営費と建設費がかかるが、それであとの判断は有権者、納税者にお任せするというような形での情報提供が必要なのかなと私としては思います。
武山小委員 済みません、同じ質問を桜内さんにもお答えいただきたいと思います。
桜内参考人 私は、武山委員御指摘の社会資本の整備等に関しまして、どういった政府の意思決定でもって、どこにどういったインフラ資産をつくっていくのか等々、それを国民の側からどういうふうに意思決定をコントロールないし規律あるものにしていくのかというのを、ある種、公会計の観点から申し上げたいと思います。
 そういった意味では、国民からのガバナンスということでもあるんですけれども、先ほど斉藤委員からも御指摘いただいたような意味で、昨今、いろいろな世論調査の方法ですとかが非常に精緻化しておりますし、さらには、今窪田参考人からおっしゃいましたように、費用便益分析というものも大分発達してきております。しかしながら、そこで出てくる結果というものを考えますと、先ほどから何度も言っておりますが、将来世代の利益を守るという観点からしますと、どうしてもそこの利益というものが反映された数値としての結果がなかなか出てこないのではないかというふうに考えております。
 ですので、現役世代の判断をどういうふうに国政の場に反映させるのかという観点ももちろん非常に大事なんですけれども、一方で、それと同時に将来世代の利益というものを考えていく上においては、幾ら直接民主制を仮にとったにせよ、すべての人が完全に意思決定に参加するという制度をとったにせよ、将来世代が意思決定に参加するというのはあり得ないものですから、どうしてもそういったガバナンス、意思決定を縛っていく、あるいは規律づけていく制度というものは必要ではないかなというふうに考えております。
武山小委員 ありがとうございました。
杉浦小委員長 次に、山口富男君。
山口(富)小委員 日本共産党の山口富男です。
 新しい世紀に専門分野を担う研究者の方からの意見陳述として承りました。
 まず窪田参考人にお尋ねしたいんですが、私は、国会の附属機関として政策評価の機関を設けるというのは賛成なんです。実は私たちも九七年に行政監視院の法案を出しまして、きょうは民主党の案が主な議論になりましたけれども、出したんです。やはり国会が、憲法に定められました国政調査権や行政監督権というものを補完し、補佐する上で、両院やあるいは常任委員会の意見に基づいてきちんと行政の監視に当たり、それを国会に報告するというようなことで制度設計をしたことがあるんです。
 まずお尋ねしたいのは、先ほど、地方政治における政策評価の問題で、これが力を発揮しているのはまれなんだというようなお話が、私の聞き違いかもしれませんが、あったように思いました。
 それでお尋ねしたいのは、地方自治体によく置かれているオンブズマン制度なんですね。私は、あの制度自体は大変意義のあるものだと思うんですが、それが効果を実際に発揮するかどうかはまた別の問題だと思うんですけれども、中央政治におけるオンブズマン制度についてはどういう評価をお持ちですか。
窪田参考人 お答えいたします。
 まず初めに、地方自治体レベルで行われている行政評価について、私の評価といたしましては、確かに、政策の効果であるとか費用の正確な測定という面ではやや難があると申しました。が、同時に、そうした幾つもの自治体に助言的な立場で制度設計に参加している者としては何ら意味がないということを申し上げているわけではない、そういうことは強調しておきたいと思います。それは、やはり住民に対しての政策の情報提供という意味が、はっきりと大きな意義として差し当たり挙げることができます。
 ということを申し述べた上で、本題のオンブズマン制度に移りますと、やはりそのオンブズマン制度につきましても、行政と対峙し、やや半裁判官的な立場で意見提示、意見勧告をした場合、それがどの程度受け入れられていくのかなという点にやや疑問があるわけですね。そうした意味で、オンブズマンということが言われるようになって久しいわけですが、果たして国民、住民の間でどれだけそのオンブズマンへの知名度が上がったかというと、ややまだ普及の途上にあるのかなというように思われるんです。
 そして、その原因がなぜなのだろうということになると、まことに申しわけないんですが、やや不勉強なままに終わっておって、何とも申し上げにくいという事情でございます。
山口(富)小委員 続いて桜内参考人にお尋ねしますが、財政立憲主義というのは、大体近代憲法をつくり出す契機になったものですから、私は、これは憲法の中でも独特の位置を占めると思うんです。衆議院と参議院、それぞれがやはり財政立憲主義の立場できちんとした仕事をするというのが私の基本の考え方なんです。
 きょうは桜内参考人から随分詳しいレジュメが出されましたので、少し私はこれに沿って幾つかお尋ねしたいんです。
 第一は、六ページのところなんですけれども、これは、日本国憲法を前提にしておりますからこういう整理だと思うんですが、英米法における信託概念という整理があったんですけれども、大陸法との関係では、大陸法の場合は随分違う考え方をするということなんですか。まず第一にその点をお願いします。
桜内参考人 大陸法の場合は、英米法上の信託に類するような考え方がそもそも存在しなかったということであります。
 ただ、もちろん、今現在、信託銀行等々、業務を行っておりますので、それは大陸法の概念に適合するような形で、若干変容させた上でつくっておるという意味で、先ほど若干申し上げましたような、受益者としての、生まれていない者を指名するですとか、そういった法律上の構成が、ややそこは異なってきております。
山口(富)小委員 二つ目にお尋ねしたいのは、八ページ目のところにあります、きょうは随分強調されましたけれども、時間軸上の資源配分のことなんです。
 ここでおっしゃっている時間軸はどのぐらいの幅なのか。例えば、現行憲法でいいますと、もうつくられて五十数年たちますけれども、参考人が考える時間軸というのはどの程度か、お尋ねしたいと思います。
桜内参考人 特に一定の期間として、例えば十年とか二十年ですとか三十年というふうには申し上げることはできないと思うんです。そういった意味では、数世代と申しますか、今現在の政府の意思決定によって例えば何らかのインフラ資産が形成される、国道が整備された、あるいは橋がつくられた、高速道路が整備されたというものが、その耐用期間というのは当然あるわけですけれども、その耐用期間というのが会計的には恐らく時間軸ということにもなるでしょうし、それを超えてもっと便益のあるような、例えば科学技術の開発ですとかそういったものもあり得るとは思いますので、一概には言えないんですけれども、そういったスパンじゃないかなと考えております。
山口(富)小委員 そうしますと、具体的な時間ということではなくて、一つの考え方としてこういう時間軸上というものを設定したということになるんですね。
桜内参考人 そこは、むしろ時間軸というのはファイナンス理論上は非常にかっちりした概念ですので、もちろん財務諸表を作成する場合には数字として計上していかなくちゃいけないものですから、何年の耐用年数で、どういうふうに割引率を用いるとか、そういった非常にテクニカルな部分というのはございますので、割にかっちりしたという概念というのは申し上げておきます。
山口(富)小委員 続きまして、九ページなんですけれども、旧憲法下の財政システムについては割愛しますということだったんですが、日本の場合は、アジア太平洋への侵略の問題等がありまして、結局一九四五年に財政上は完全に破綻するわけですね。そうしますと、この財政上の破綻というのは明治憲法下の財政システムの問題として起こっているのか、それともあの当時の戦争という特別の要因の中で起こった問題なのか、この点はどういうふうにお考えですか。
桜内参考人 答えとしては両方だとしか言いようがないんですけれども、財政システムとしましては、当時の特別会計の制度、今とほぼ同様のものがあったんですけれども、特に軍事目的の特別会計というのが非常に拡大してまいりまして、逆に言いますと、軍事目的の特別会計というのは国会での審議をほとんど経ないで決められていったという経緯がありますので、それが、システムの問題としていえば、システム上、そういった国会の監視なり国民のモニタリングというのはきかない制度であったというふうな欠陥は指摘することができようかと思います。
 ただ、軍事目的の特別会計がなぜ肥大化していったのかというのは、財政以前の問題として、戦争を行うですとか、そういった意思決定が政府として当然あったわけですから、そちらに起因するということが言えようかと思います。
山口(富)小委員 戦前のそういう教訓からいきまして、戦後の財特法が、特に国債の問題では非常に厳しい条件を設けたわけですね。今、日本は地方政治でも国政の問題でも非常に財政が大変なことになっているわけですけれども、この国債の発行という点ではどういう考えをお持ちなんですか。
桜内参考人 御承知のとおり、今現在、財政法四条という規定がございまして、国債の発行については、公共事業費、それから出資金、貸付金に関しては建設公債を発行することができるというふうな規定になっております。
 きょう私が申し上げました複会計予算制度というのは、実はほぼ同じ源から発するものでありまして、そういった国債の発行というのを、将来世代にちゃんと便益をもたらすような、そういう資産として残るようなものを形成するのであれば国債を発行していいというような、大まかに言うとそういう原則ですけれども、それをさらに勘定というものを使って明確に区分して、さらに、今現在一つ問題として指摘されますのが、例えば出資金というふうな、建設公債対象経費ですけれども、その出資金自体の定義が結構あいまいな部分がございましたので、そうしますと、そこの部分から支出がどんどん膨らんでいってしまうという経緯も実際生じたわけですので、そこのところを、より精緻に情報を開示することによって意思決定を正していくというふうな考え方に立っております。
山口(富)小委員 時間的には最後の質問になるかと思うんですが、欧米、アメリカは違うかもしれませんが、ヨーロッパなどでは、納税者の権利を認める納税者憲章的な法律をつくっていますね。アジアでもお隣の韓国がそういうものをつくっておりますけれども、私もそれは、日本の場合、税の取り立て等が大変厳しいですから、納税者の権利、それを保障する法体系というのは必要だと思うんですけれども、この辺についてはどういうお考えをお持ちですか。
桜内参考人 本日なかなかそこまで話がいかなかったんですけれども、納税者の側から政府に対するガバナンスをきかせていくというのは非常に大事な原則でして、タックスペイヤーデモクラシーとも言われております。
 というのは、きょう申し上げました将来世代の利益云々というところは、一番の前面に立つような中心的な概念というよりも、ある種民主主義を実質的に補完するための概念でありますので、まずは、実際にお金を拠出する納税者がみずからの意思をどういうふうに国政に反映させていくのかというのが基本にどうしても来ますので、そういった意味で、納税者憲章といったアプローチも非常に重要ではないかと考えております。
 ただし、繰り返しになりますけれども、それを補完するものとして、公会計の数字ですとかによって将来世代の利益を語らせるというような制度上の仕組みも必要だろうと考えております。
山口(富)小委員 どうもありがとうございました。
杉浦小委員長 次に、金子哲夫君。
金子(哲)小委員 社会民主党・市民連合の金子です。きょうはありがとうございます。
 窪田参考人にまずお伺いしたいと思います。
 きょういただいた資料の終わりのところで「政策評価は監視の道具ではなく、舵取りすなわち方針決定・意思決定の補助ツールとして実施中の政策の現状の分析とそれに基づく政策改善のための提言に用いられるときこそ真価を発揮する。」ということをお書きになって、その点は非常にそうだと思いますけれども、同時に、国民が求めているのは、ある種のやはり具体的な政策、実行されている政策に対して評価を求めているという面もあると思うんですね。
 それはきょうのお話でも、会計検査院にもできない仕事ということで、特に、会計検査院が単年度で見ていくというシステムの中で、とりわけ日本の公共事業などはかなり長期間にわたって進んでいくというような場合に、やはり途中にこの評価を入れていくことによって、例えば計画の中途での中止も含めた評価をしていくというようなことになりますと、ある意味での、監視とは言いませんけれども、かなり政策に決定的な影響を与えるような評価も必要ではないかというふうに思うんです。そういうような役割を持った政策評価のための機関というものが必要ではないかというふうに思うんですけれども、その点についてのお考えと、もし仮にそうであるとすれば、どういう構成のものというふうなことも、お考えがあればお聞かせいただきたいと思います。
窪田参考人 まず、政策評価の必要性ということは、ただいま委員がおっしゃったのとほぼ同様のことを私も思います。
 私が本日の報告の中で申し上げたのは、議員にあらざる、議会の附属機関が、裁判所のように科学的分析に基づいて、この政策は有効性がありません、だからおやめなさいというような形で、研究は確かにできます。なぜならば、私ども公共政策学者を名乗る者たちは、政策研究と称し、そのような研究を次々しております。一定の観点に基づいて、この種の事業にはもはや必要性がない、だからやめるべきだとか、あるいはこのような改善をするべきではないかというような提言を次々、それは一つの研究としてはできます。
 しかし、本当にその有効性がない、あるいは費用対効果が許容範囲を超えているといった問題について、科学的に唯一の正解を出せるだろうか、それは無理である。とするならば、議会の例えば附属機関が、議会と独立的に科学的に評価した結果、この事業は成功です、失敗ですというような判決を下してみても、恐らく現実政治への影響力というようなものはさほど大きくはならないと思うわけです。
 と申しますのは、例えば公共事業に関しましても、先ほど武山委員の方からあったようなワールドカップの問題につきましても、当初は、ある意味地域への経済効果というようなものを重視し、ワールドカップを誘致する。よって、例えば競技場をつくるというようなことを言っていた。ところが、現に運営費の面なんかで赤字が出てまいりますと、おもむろに、確かに地域経済効果というものも考えていたが、やはり重要なのは国際交流、文化としてのスポーツといったような面である、そして、そういった面では大いに成果が上がっているというような答弁が専ら政府側からは返ってきて、それはそうだという話に、一理あるといえばあるわけでございまして、一義的にワールドカップをある市が誘致したということが失敗だったという結論は出せないと思うわけですね。
 そうした意味で、たとえだれが行うのであっても、唯一の正解だとして、政策の成功、失敗という結論を出し、それを政府に強制するというようなことは恐らくしかねると思うわけです。であるがゆえに、政策の評価というものは、国会での審議、議員による審議、あるいは研究者によるそういう研究、あるいはマスコミ等による世論の誘発といったような形で行われていくべきものなのではないだろうかなと思うわけです。
 そういった意味で、私といたしましては、議会附属機関として政策評価を担う機関を設けるのであれば、それはシンクタンク的なものであって、あたかも政策裁判所、政策効果の裁判所のようなものであってはならないのではないか、あってはならないというよりは、そういうものをつくっても余り機能しないのではないかと考えておる次第でございます。
金子(哲)小委員 ありがとうございます。
 先ほど山口委員からもお話が出ましたけれども、国の政治と地方議会、地方行政と二つのかかわりがあって、より地方行政に関しては市民の参加ということが非常にやりやすいというふうに私は考えるわけです。最初に、きょうの前にお配りをいただいた資料の中に、「公共政策学」という、足立先生などの共著の資料をいただいた際にも、市民の参加ということが言われておりますけれども、今、先ほど余り進んでいないという話もありましたけれども、現状で、やはり市民による政策評価ということが、オンブズマンのことはとりあえずおいたとしても、全体としてどれぐらい、効果といいますか、今の日本の全体の中では行われているというふうにお考えでしょうか。
窪田参考人 お答えいたします。
 今現在、市民による評価がどの程度進んでいるのかと申しますと、まさにそうした機運が生じかけている、つまり言い方を変えれば、余り残念ながら行われていないという状況であろうかと思います。
 しばしば研究等では、例えばNPOによる評価というようなものが取り上げられるわけですが、その実態の多くは、行政が自己評価をしているのであればNPOもNPO自身の事業をみずから評価しようといったような形で、NPO事業の評価というような形になっている場合が多く、地方自治体あるいは国の政策の評価というところにはなかなか進んでいないように思うわけでございます。
 また、そこで行われていない評価というのは、政策の効果、費用、弊害をなるべく正確に測定し、効果のないもの、費用対効果の悪いものは見直していこうというタイプの評価でありまして、政策目的について、何らかの価値観に基づいて、今そういうことをやるべきではない、例えば防衛を削って福祉をせよとか、あるいは多少福祉に犠牲が及んでも構わないから防衛を今現在の国際情勢の中では強化せよなんというようなものまで政策評価といえば行われているわけですね。
 ただ、私の考えといたしましては、単純に政策の効果や費用だけをはかっていればそれで評価なのかといえば、恐らく不十分でしょう。他方、政策の目的、今日本が行うべきこと、あるいはある都道府県がやるべきことという政策の目的の話ばかりしていてもやはりだめで、効果、費用、弊害といったようなもの、そこには将来世代への配慮というものも当然含まれるべきでしょう。そうした二つが絡み合った評価というのは必要だと思うのですが、残念ながら、まだそういった面では余り動きは見られず、むしろ、研究者の使命としては、一体ではどうやって市民が評価をすればいいのかという、その方法論を考えていかねばならないのではないかとまだ思っている、そういうような段階だと思います。
金子(哲)小委員 最後の質問になると思いますけれども、桜内参考人にお伺いしたいと思います。
 先ほども参議院の、いわば憲法上の独立機関としてというようなことでお話があって、どういう人を想定されていますかという御質問がありまして、政府首脳経験者とか、そういう感じの御答弁をいただいたと思うんですけれども、むしろ、この提起をされている将来世代の代弁者としての役割を果たす機関という意味からいいますと、より国民を代表していくという性格を持たせることの方が意味があるのではないか。そういう意味では、今の参議院、選挙制度を含めた、国民の選挙という選択を受けて出た参議院という性格の方がより私はいいというふうに思うんです。
 今提起されたようなことであれば、先ほど窪田参考人からもおっしゃっておりますような政策評価とかといった観点からの別の機関とか、そういったことの中にそういう有識者の皆さんたちが入っていくということは想定できると思うんですけれども、むしろ逆に、次世代、将来世代の代弁者として利益を反映していくためということであれば、それを最も受ける国民の側の代表がそこの中にいるということの方がよりベターではないかというふうに思うんです。その点についてもしお考えがあればお聞かせいただきたいと思います。
桜内参考人 そこは確かにいろいろなお考えがあるところだと思います。恐らく、議論のポイントは、参議院の機能というものをどういうふうにまず定義していくのか、機能としてどうあるべきなのかというのを定義していくことかと思います。
 ですので、今お話にありました政策評価の機関というのを別につくるとか、そうしますと、一方で、参議院というのはおっしゃるように、国民の代表制というのをもっと突き詰めていくということももちろんあり得るでしょうし、ただ、こちらでちょっと例として挙げましたのが、旧憲法はおもしろいことに、貴族院のみならず枢密院というのが、国会ではなくて行政の内部でまた枢密院という別の制度がございまして、そういった意味では、特に議会の中にそういう独立性のあるもの、独立性といいますか、ちょっと世論から浮いたものをつくるのか、あるいは行政側の中でそういうものをつくるのか、どちらがふさわしいのかというのは、これは国全体の、立法、行政の間での権限配分、あるいは機能の定義の仕方等々によりますので、おっしゃるところも一つのお考えだと思いますし、より大きくは、こういった財政の話のみならず、議院内閣制がいいのかというところも含めまして、国全体の統治機構のあり方の議論として考えていければいいなというふうには思っております。
金子(哲)小委員 ありがとうございました。
杉浦小委員長 次に、井上喜一君。
井上(喜)小委員 保守新党の井上喜一でございます。
 両参考人、御苦労さんでございます。
 まず、窪田参考人からお伺いするんでありますが、国会というところは、いろいろな議論をしまして、だれがどういうような議論をしていいとか悪いとか、そういうことは一切ないわけであります。そういうことで、監査に関連いたしまして、野党の人がいろいろな攻撃をしてくるということは当たり前の話なんですね。特に議院内閣制ですから、与党の政策を実行するということでありますから、当然のこととして、やはり政府に対していろいろなことを言ってくるというのは当たり前の話でありまして、したがいまして、国会あるいは行政なんかに関する制度といいますのは、そういうことを前提にして仕組まれているわけですね。
 そこでお伺いするんですが、必ずしも私よく論点を理解できないんでありますが、参考人は、監査の機能、これはもっと監査の中身を広げるということも、それはそれでもいいんです、経済性とか効率性とありましたが、それはいいんですが、どこに置いたらいいのか。三つ考えられるわけですね。今のような中立の立場なのか、あるいは内閣なのか、行政府ですね、あるいは立法府なのか、どこに所属させた方がいいとお考えなのか、その場合の一番最大の理由は何なのか、それをお伺いしたいんです。
窪田参考人 お答えいたしますと、監査の機能が二種類あるというわけですね。その二つに分けて、それぞれ申し上げたいと思います。
 会計検査というふうに申し上げたいと思いますが、会計検査については、大体、近年、諸外国におきましても、伝統的な正確性及び合法性、合規性の監査、及び政策の効果があったかなかったか、費用は適正であったかといったような政策評価というようなタイプの監査の二種類を担うようになりつつあるということでございます。
 そこで、制度設計をするとするならば、その二つの監査の機能のうち、伝統的な正確性、合法、合規性を担うようなそうした監査については、外部の第三者、独立機関的なものでもよいのではないかというように私は考えます。
 それに対しまして、政策評価的な監査機能ということにつきましては、本日の私の意見陳述の中では、独立機関では、監査をしてもその結果が政治に余り反映されにくかろう、そういうような意味において、国会の中に置く、また、行政の方は自己評価ということで法律上既にもう評価をやっておりますので、行政も評価をする、議会も評価をする、そうしたふうにするのがよかろうと思います。
 その最大の理由を申し述べよということにつきましては、伝統的な正確性、合法、合規性と政策の効果、費用対効果といったものが、それぞれどの程度正確に推しはかれるのかということで変わってこようかと思います。
 正確性、合法、合規性というのは、かなり正確にはかれる、あるいは、きっちりと調べれば、衆目が一致するような結果が得られると思います。よって、第三者的なものでもいいと思います。もちろん、桜内参考人がおっしゃったような理由で、国会に附属ということもあり得ようかと思います。
 しかしながら、政策の評価というのは、結局、一つの評価ということで、論争的なものでございますから、議会にもあった方がよいし、行政にもあった方がいいし、そして、その外野たる研究者みたいなものもやった方がいい、こういうように考えておるわけでございます。
井上(喜)小委員 次に、桜内参考人にお伺いしたいんですが、この監査、最近日本は何でもかんでも、アメリカがこうやっているから、これはいいじゃないかというのが多いわけですよね。だけれども、こういう国の制度というのは歴史とか伝統みたいなものと密接に絡むものでありまして、ヨーロッパのああいった古い国の制度というのは結構参考になるんじゃないかと私は思うんです。ヨーロッパ大陸は、こういった監査、会計検査なんかを含めた、まあ監査でいいんですけれども、どういうような制度をとっているのか、お伺いしたいんです。
桜内参考人 私、正直申し上げまして、監査についてさほどやっておるわけじゃないんですが、私の知っておる範囲で申し上げます。
 ヨーロッパの国々の場合、もちろん国によっていろいろな制度があるわけですけれども、日本と同じような議院内閣制をとっておる国であれば、基本的には同じように、行政の側で独立した機関としての検査というのは当然行われております。
 ですので、今現在の制度自体が、よほど不合理といいますか、国際的に見て劣っておるものかといえば、そうでもなくて、むしろ運用上の問題として、先ほど窪田参考人からお話がありましたような、基本としての合規性の監査あるいは検査というものと、それから政策上の判断を伴うような三E監査と呼ばれる部分ですけれども、どこまで広げていくのかという問題は、ずっと前から指摘されておりまして、なかなか解決のつかない問題でもございます。
井上(喜)小委員 桜内参考人、時間軸で資源配分が行われる、こういう言葉を使っておられるんですけれども、確かに今、金を借り入れて金を使う世代と、それを負担する世代、これは違うわけですよね。そこにやはり何らかの関連を持たさないといけないということで、これは同じ世代に住んでいないわけですから一〇〇%はできないんだけれども、一、二の示唆がありますが、最低限どういうことをすべきなのか、あるいは何年先ぐらいまでのことはすべきなのか。例えば二十年なり、何か財務諸表なんかをつくろうなんというようなお話がありましたが、それは何年先まですべきなのか。例えば、年金制度なんというのは五十年の財政計算をやっているわけですよね。だから、そういう制度の立て方によって、それぐらいまでのものをきちっとつくって国会の議決を経るようにせよということなのか。
 現役世代と後年代の世代とを制度的につなげる、あるいは観念的につなげるような制度として最低限やるべきことはどんなことなのか、お聞かせいただきたいんです。
桜内参考人 おっしゃいましたように、時間軸と申しても、特に明確な基準があるというわけではございません。昔から、子孫に美田を残さずですとか、あるいは美田を残した方がいいのかという議論もあるぐらいですので、簡単には決められないんです。
 とはいいましても、例えばインフラ資産の例ですとかであれば、物質的な劣化の進みぐあいというのがありますので、耐用年数をある程度見ていくこともできますし、他方で、おっしゃいました年金の制度につきましても、これは、ある種決めの部分というのは非常に大きいわけですけれども、数世代にわたって五十年というのも一つの考え方でしょうし、もうちょっと長くとるのも一つの考え方であります。また、科学技術等の関係でいえば、ある種、無体財産的なノウハウの評価ですとか、どういうふうにやるかというのは、耐用年数も陳腐化等簡単にはわからないというのがありますので、伺っておるところでは、国債の償還年限は今六十年となっておりますけれども、そういう陳腐化等があるかないかよくわからない無体財産権等については、とりあえず百年と置いて計算を行っているというふうにも伺っております。
 ですので、政府の活動の対象の物を見てそういう年限をある程度決めでやっていくほか、今のところないのかなというふうな気がしております。
井上(喜)小委員 ありがとうございました。
 終わります。
杉浦小委員長 次に、伊藤公介君。
伊藤(公)小委員 自由民主党の伊藤公介でございます。
 まず最初に、両参考人にお伺いしたいと思います。
 いろいろ御議論がございましたけれども、これまでの議会のいわゆる行政統制は、事前統制である立法、予算策定の機能に傾斜をして、事後監視統制機能はかなりの程度軽視されてきたという御指摘があるわけです。議会が法律や予算を決定しても、それがどのように実施をされて、どのような成果を得たのかを十分把握することができなかった、議会の行政統制機能を強化して実効的な統制を行おうとするならば、事後監視によって得た情報を次の段階の事前統制に役立てていくということが必要だということが指摘をされているわけでありますが、今、国会は、これを見直ししていこうということで、いろいろな具体的な改革も行われていることは御承知のとおりでございます。
 どうも国会あるいは政党というものは、今までは、どちらかといえば、先ほどもちょっとお話ございましたけれども、高度成長の中でそのお金がどう使われたのか、また、どんどん税収が減っていく中で、何を削って何を優先していくかということが本当に今問われている。そういう中で、特にこのことが今強く指摘をされて、我々もこの改革をしなければならないということをひしひし感じているわけであります。
 要は、例えば国会対策なんということがあって、まず、予算委員会が最優先、予算を通すことが。そして、次には重要法案。決算委員会というのはいつも後回しなんですね。それで、二年間をまとめて決算するなどということを我々やってきたわけですから、そういう意味では、国会の取り組みとか政党のこの問題に対する認識とか、そういうことと、先ほど申し上げたように、国の税財源の今日の状況、そういうことが重なってきていると思いますけれども、それぞれ参考人からも御指摘をいただいているわけですけれども、今の制度というものを見直したり、やり方によって改革ができるのか、あるいは、御指摘もいただいているように、何らかの附属機関というものをどうしてもつくらなければだめなのか、そうすることがいいのかを、今までの御議論を整理するという意味で両参考人からもう一度お伺いしたいと思います。
窪田参考人 お答えいたします。
 私が附属機関が必要であるというようなことを申し上げましたのは、結局、政策の効果等を把握するためには一定の社会調査のようなものが必要であろう、そういった観点から、専門家、そうした技術を備えた人間による議員へのサポートというものが必要であろうという観点から、附属機関の必要性を申し上げたものでございます。
 また、決算行政監視委員会での決算を強化するというように、単純に話を持っていってしまいますと、結局、国会が議決し、行政が執行した決算について、それでよかったのか悪かったのかという点に関心が仮に集中したとするならば、容易に、今後のフィードバックと政策改善というよりは、あたかも責任追及という方に流れてしまうのではないでしょうか。それが議会とかやはり政治というものの姿ではないかと思うのです。
 私といたしましては、むしろ政策評価の国会における必要性ということで申し述べたいことといたしましては、決算行政監視委員会にとどまらず各種常任委員会において以前に決定した政策の効果というものを踏まえて今後の政策を考える、あるいは政策の効果とか実行可能性とかといったようなことを踏まえた審議というものが各種委員会で行われていく、そういった形での国会の文化のようなものが変わっていくことという点を期待しておるということでございます。
 私の政策評価の議論ということでは、繰り返しますと、政策評価というのはフィードバックであるとか政策の改善のためにあるものであって、あるいは、寿命の尽きたと申しますが、そういった政策を適宜改廃していくため、そういったことのためにやるものであって、責任追及を主眼に置くことは必ずしも得策ではないのではないかということをひとつ話の中心として申し上げたかったということでございます。
桜内参考人 今の点に関しまして、私の本日の報告の中では、制度の改変とそれから附属機関のいずれのアプローチも取り扱っておりますけれども、主眼とすべきはやはり制度の改革から始まっていっていいのじゃないかというふうに考えております。
 ただ、そこの制度の中にもいろいろな政府活動というのがございますので、その切り分けというのは必要であろうというふうに考えております。決算と予算とどちらを重視するのかというふうな考え方にもつながるんですけれども、仮に今後は決算を重視していこうというふうな方向をとるのであれば、それは行政なりの執行部門の裁量というのをある程度認めて、そこに活動の効率性を求めさせるというふうな考え方が必要になってまいります。
 ただ、政府の活動、先ほども若干申し上げましたけれども、お金に換算できる部分と、あるいは換算しても、赤字でもやらなければいけない、例えば緊張時におきます防衛支出ですとか、あるいは社会保障ですとか、赤字になってでも政府がやらなければならない事業というのは当然たくさんございますので、そういった部門に関しては効率性の追求ばかりでは、あるいは裁量を与えてコストを削減するというばかりでは、なかなかうまくいかないというのがございます。
 ですので、そこはやはり切り分けというのは必要でして、そこで私が申し上げておりますのが、先ほどの中でいえば、それに関連するのが複会計予算制度のようなものでして、一般経常経費予算のようなものに関しては、これはなるべく赤字が出ないようにすべきであろう。いわば企業会計の経営手法をある程度導入できる、効率性を追求できる部分ではないかと考えております。
 他方で、長期的な影響の大きい資本的収支の部分、これは社会保障制度の設計ですとかあるいはインフラ資産の形成ですとか、そういった部分の意思決定を金額として扱っていく勘定ですけれども、こちらに関しては、むしろ、赤字になってでも政府の責任としてあるいは国会の責任としてやらなければいけないというようなものを決定すべきところですので、そこも含めて、決算重視ということは裁量を執行部門に持たせるということですが、そこまでやってはちょっとまずいんじゃないかなというふうに考えております。
伊藤(公)小委員 先ほど窪田参考人、少し言及をされましたけれども、アメリカ連邦議会におきますいわゆるCBO、議会予算局の果たしている役割について、もう少し御説明をいただければと思います。
窪田参考人 アメリカの議会予算局が果たしておる役割ということにつきましては、資料として配られております私の「行政監視院設置法案とその挫折に見るテスト型政策評価の誤謬」という中に書いておいたことなんですが、その要点だけを申し述べさせていただきますと、アメリカの議会予算局と申しますのは、その任務は、定期的な経済予測、この部分については余り私のモデルとすべきというような、これは念頭に置いているわけじゃないんですが、定期的な経済予測、提出予定の法案にかかるコストの算定であるとか代替案、オルタナティブの立案、さらに、さまざまな議会委員会の要請に基づく政策分析、これは、政策対応を要するような問題がなぜどういう構造で発生しているのかというような分析であろうかと思います。問題の原因分析という意味での政策分析だと思います。
 さらに、これはアメリカの特殊な制度に起因する問題ですが、大統領が提案する予算の妥当性の分析でございます。大統領側からあえて提案してきた予算の妥当性の分析などをする。そして、そこに書いておりますように、CBO自身はみずからの仕事を政策評価とは考えていないということ、そしてまた、CBOの組織文化として、政策提言というものは行わない、その判断は議員にゆだねる。ただし、その判断すべき材料を官庁のかわりに、官庁というと議会附属機関も入るような気もしますので、官僚機構からの情報提供とは別口に、議会側の情報収集をし、議員に提供する、そういった役割を担う機関でございます。
伊藤(公)小委員 先ほど、たしか葉梨委員との間のやりとりもあったと思いますが、また御発言の中にもあったと思いますけれども、参議院に決算というものの責任を持たせるというような提案というかお話もあったかと思います。私自身は余り賛成でないし、今、衆議院と参議院、一院制にしようという会ができまして、私もそのメンバーに加わっているわけですが、私が初めて国会へ出てきてからずっと一貫して思っていますのは、私の地域に帰ると、参議院、要らないんじゃないですかという話を、もう何十回と皆さんから聞いているんですね。一般の人たちが、今の参議院、無意味なんだと。
 事実、最近、総理大臣の施政方針演説を衆参一堂で聞いて、そしてやったらいいじゃないかという提案もなかなか通らない。これは私は、与野党ともに、やはり日本の国会を本当に改革しなきゃいけないというふうに思っているわけでして、そのやめていった方がいいと思う参議院に決算の大事な部分をやらせようというのは全く反対でございまして、参議院がいいか衆議院がいいかということよりも、参議院をなくすというのはできないんですよ、参議院、各政党いますから。ですから、一院制にしようと言っているわけです。
 実は、大変恐縮ですが、お隣の中山会長も参議院から衆議院に移られて、多くの議員は参議院から大体衆議院に移るんですね。逆のケースは非常にレアケースです。つまり、参議院は意味がないということを議員さん自身が実証しているわけでありまして、私は、このことを非常に影響力のある両参考人、先生方にこれからも大いにひとつ御理解をいただいて、運動に広げていただければありがたいとお願いして終わります。
杉浦小委員長 次に、島聡君。
島小委員 窪田参考人、桜内参考人、ありがとうございました。もうあと私を入れて二人でございますので。
 まず、会計検査院というのが、国、公団、事業団の決算、補助金等の検査を行う憲法上の独立機関である。会計検査院法二十条に、「会計検査院は、正確性、合規性、経済性、効率性及び有効性の観点その他会計検査上必要な観点から検査を行う」とあるんです。つまり、今おっしゃった正確性、合規性はもとより、経済性、効率性及び有効性も入っているんです、もう既に。
 ということは、会計検査院が今までいろいろな検査報告を出してきて、それは、これでよしとして出してきたんでしょう、会計検査院が必要があると認めて、おかしいと思ったら検査するわけですから。それなのに、今、日本の公団とか事業団とかいうのは、とてもそんなきちんと、効率性及び有効性という観点から見ても、いいと私は思えないんですが、これは会計検査院の検査がおかしかった、そういうことでしょうか。お願いします。
窪田参考人 大変難しい質問かと思いますが、会計検査院、私なりの判断を示すならば、会計検査院は諸般の限界の中でかなりの御努力をなさっているのではないかとむしろ考えておる次第でございます。
 と申しますのは、そもそも検査対象そのものが政府の予算以外に特殊法人等と膨大でございまして、そのすべてを例えば正確性及び合法、合規性だけで、検査するだけも膨大な労力ではないかと思います。その上で、経済性、効率性、有効性という、次元の異なる検査も同時に行わねばならない。そもそも全体像を全数、悉皆的に検査することは無理であろう。その中で選択的に検査をなさっていくわけですね。ここで問題となってくるのは、先ほど申しましたように、正確性や合規性はわきに置いても、有効性や経済性、効率性という問題についてはなかなか唯一の答えというのは出せないわけでございます。
 となると、会計検査院はこれこれこのように有効性がないと判断したと申し上げたとします。これこれこういう目的に照らして有効性がないではないかという勧告をしたいと相手方に事前に言う。そうすると、相手側にヒアリングをすると、相手側からは、いやいやそうではない、これこれこういう大事なことをこの事業は実現しておる、例えば先ほどのサッカーの競技場は地域経済効果か文化かというような問題でございますね、という反論がある。
 そういった中で、いわば内閣や国会よりも民主主義の制度の中で正統性が劣る中で、できる範囲で、改善が実現できそうなものを中心に指摘していくのだというようなことを会計検査院の関係の方が何かの論文で書かれていたのを私は読んだような記憶がございますが、そうした限界の中で行っている検査でございますから、そういった中では御努力をなさっているのじゃないでしょうか。
 ただ同時に、国民世論からいたしますと、毎年会計検査報告が出たときには、新聞なんかで、それが不十分だという叱咤激励、激励なんでしょうか、単なる叱咤かもしれませんが、というようなものがあるのは承知しております。しかしながら、そうした経済性、経済性というのは結局、より安く行政資源調達ができなかったかという問題ですから、これは置いておくにせよ、効率性及び有効性といったような問題に関しましては、なかなか独立機関という立場で検査をし、それを相手方に強制的に受け入れさせていくということは難しいのではないかと思っているわけで、それが、議会附属機関が評価をし、また、行政も自己評価をする、そして外部で、究極的には国民が評価をする、こういう形がいいのじゃないかと主張しておるゆえんでございます。
桜内参考人 これまでの会計検査がおかしかったのかという問いに対しては、なかなかそこまで言い切るとかわいそうかなという気はするんですけれども。一つ言えますのは、法の欠缺と申しますか、こういった経済性、効率性、有効性というふうな文言、これは戦後すぐに入ったものでして、そういった意味ではよくできた法律と言えばよくできたものと考えるんですけれども、しかし、大事なことは、会計検査院の検査の観点として、経済性、効率性、有効性という三Eの観点が入っていたにもかかわらず、その基準がなかった、今までなかった、今もないんですけれども、というのが問題ではないかと考えております。
 これは恐らく、公会計の基準をだれが設定するのかという基準設定主体の所在の論点にも関連してくるんですけれども、少なくとも行政の執行に関する会計検査を行う以上、行政権の中で基準をつくるというのはややこれは自己矛盾ですので、別のところがつくらなくちゃいけない。それは国会なのかあるいは検査院のような独立機関なのかというふうな幾つかの選択肢はあるわけですけれども。
 そういった意味では、検査院がせっかく憲法上の独立機関でありながらそういった基準をみずからつくり出してこなかったという怠慢は責めてしかるべきだと思うんですけれども、そこまでなかなか思い至らなかったということもあるでしょうし、法律上の文言はあるけれどもうまく機能していなかったという意味では、例えば地方自治法にも同じような文言がございます。しかしながら、同じように基準がないものですから、美しい文言が条文上あるというだけで終わっているのが現状だと思います。
島小委員 美しい文言が法文上あるだけでは困りますので、と私は思っております。
 今、桜内参考人のお話はたびたび私は伺っておりましたんですが、なるほどなと思っておりましたのは、財政立憲主義は将来世代を含む受益者たる国民の利益を守れないと。もちろん、国会の議決ですから、国会議員が将来的なことまで考えてやればいいという話なんでしょうが、なるほどなと思うこともあります。今、井上先生がおっしゃった年金の問題も含めてでありますけれども。
 それで、経常収支勘定と資本収支勘定に分ければ相当それはカバーできるというのが御主張だと思うんですが、もっと長期な、もちろん年金保険というのは財政直結というわけじゃありませんけれども、そういうものをきちんとするためには、例えば八十三条という以外にどういうような立法措置をすればそれが可能になると思われますか。
桜内参考人 具体案と申しますとなかなかいい知恵が出てこないものなんですけれども、一つ言えますのが、今御指摘のあったように、勘定を分けて、その勘定というのは、きょう冒頭申し上げましたように、会計上は責任の範囲を区別する単位でもありますので、この勘定に関してはどこそこの機関が責任を持ってきちんと意思決定していく、あるいは、長期的な影響力の大きいそういう支出あるいは予算についてはどこそこの機関がきちんと責任を持って見ていく、その責任の態様、チェックをどうするのかというのももちろんございますし、そういったガバナンスの態様をそういう勘定ごとに設計していくというのは十分制度設計としてはあり得るんじゃないかなというふうに考えております。
 ただ、実際のところ、制度を整備しただけではうまくいかないというのもこれは現実の大変なところでして、そういった制度を設計するとともに、制度を設計したその趣旨等を広く世に知らしめてその運用をきちんとさせていくというふうな努力も必要かと思っております。
島小委員 私も最後に自分の意見を申し上げますが、私は参議院に行政監視院を置くという意見に賛成をしております。ただ、それは参議院の改革が伴ってのことでございます。
 御存じのように、参議院が、今三分の二条項を持っていますからかなり衆議院に対する拒否権を持っていることがありますので、そういう改革をした上で参議院を行政監視院化して会計検査院を置くというのは議院内閣制下でぎりぎりじゃないかなというふうに私は思っています。
 それから、もうちょっと具体的な話をしますと、参議院を一院制にするというのは非常に御見識だと思いますが、そういうような憲法改正案が出たときに参議院が賛成するだろうかという思いがありまして、そういうことも含めて、参議院の新しい独立、新しいあり方ということを考えて、私は参議院に行政監視院を置くというのがいいのではないかというふうに思っております。
 以上です。
杉浦小委員長 次に、福井照君。
福井小委員 お疲れさまでございます。もう最後ですから、リラックスしていただきたいと思います。
 まず、桜内先生にお尋ねと御報告をさせていただきたいんですが、随分田舎なんですけれども、県庁所在都市が選挙区なので、毎週毎週ミニ集会をやっておりまして、今、国民の要望は、衆議院にも将来にわたっての責任を求めているという実感がございます。部分的な、例えば医師会、歯科医師会の代表とか建設業界の代表とか、そういうことを求めているわけじゃなくて、この瞬間的にも、全人格性、そのバランスが求められている。そして時間軸にも、過去をちゃんと見ているか、そして時代認識があるか、そして将来のビジョンがあるかという、パースペクティブで、本当に、若者からお年寄りまで、年金からあしたの雇用まで、幅広い御質問と御要望があるんで、実感として、まず御報告をさせていただきたいというふうに思います。
 そうなんだけれども、行政の方がどうも自己完結的で、自分の行政分野だけカバーしていればいいというふうに閉じこもりがちなので、それを全人格まで広げていくのは国会とか県会の役割だと思います。そこで大事なのは、目的の重みづけの差をつけること、価値観の重みづけの差をつけること、コンプリヘンシブ・イコール・ナッシングということじゃなくて、総合的なんだけれども、重みづけをちゃんと変えている、差をつけるということが、施策、政策を立案する上で、特に国家を運営するという、今我々が背負っている使命に対して、目的を立てたり価値観を創造したりするという意味で大事かと思いますけれども、まず、そんな認識でいいかどうかというのが桜内先生に対する問い一。
 それから問い二が、非常にしようもないんですけれども、補助金の適正化に関する法律、補助金適化法というのがあって、例えば、小学校をつくることに対して国から市町村に補助金がある。しかし、不幸にして、例えば何年かたって廃校になる。それを老人ホームにしたいとか、小学校以外の目的で、だけれども公的な目的で、地域コミュニティーの幸せを、福祉を増進する上で使いたいということがあっても、目的外使用ということで、市町村から国に補助金を返せというのが適正化の法律でありまして、そのスコープとして合ってしまうので、それは法律を変えればいいという話かもしれませんけれども、しかし、今私たちが直面している社会というのは、そういう法律で構成されている。
 例えば、幅が一定の道路だといいんですけれども、少し、たまたま膨らんだ土地があって、道路用地として買ったけれども、その土地を民間に売って、住宅でも商業でもいいんですけれども、町の一つの機能として、売ればいいじゃないかという当たり前の議論に対して、補助金適化法というのがネックになっているということについて、単純な御感想で結構でございますので、どういうふうに思われるかということ。
 そして三番目が、土地なんですね。市町村でいつも困るのは、道路とかそういうのはいいんですけれども、箱物に対する土地の補助金とか、あるいは交付税交付金でもそうですけれども、国からの支援がないんです。それは多分、出て入るだけの、そういう公会計の考え方だから、多分そうなっていると思うんですけれども、今先生が十二ページでおっしゃったように、ストックとして管理をしていくという、会計を別にするという考えがもし基本にあれば、土地についても何がしかのそういう支援があるというふうに、波及するのかどうかという、これも感想で結構ですので、以上三点についてお伺いしたいと思います。
    〔小委員長退席、葉梨小委員長代理着席〕
桜内参考人 まず、第一点目ですけれども、行政の側がなかなかうまく動かない点、国会議員の方々がバランスを持って全人格的な御判断していただく、これは非常に大事なことだと思います。先ほどおっしゃいましたミニ集会の例ですとか、そういう活動を積み重ねていかれることによって、まさに、現役世代のみならず、将来世代に対しても思いをはせて政治を行っていっていただければ、いい国になっていくんじゃないかなというふうに考えております。
 私、いろいろ御指導いただいております、京セラの稲盛名誉会長のお言葉で、著作の中で、会計がわからぬで経営ができるかとたんかを切った文言があるんですけれども、私からしますと、公会計がわからぬで国家経営ができるかという意味で、衆議院議員、参議院問わず、ぜひ、こういった分野についても、今後は、大分発展しつつありますので、御理解いただければ、いい国家経営のツールにもなり得るんじゃないかなと考えておる次第であります。
 ただ、少なくとも、この公会計ですべてが片づくかといいますと、そうでもない部分が当然いっぱいありまして、先ほど申し上げたとおり、政治の目的というのは、金額に換算できない国民の生命、自由、財産、これをどう守るのかというのが最重要のものとしていえば、ある種、民主主義を補完する一つの大きな原理としてとらえていただければいいのかなというふうに思っております。
 第二点目ですけれども、補助金適化法の件ですけれども、確かにそういう事例が多くあるというふうに聞いております。私としては、これは理論上の話ですけれども、受託者責任を政府に対して設定していくやり方の違いではないかな。がっちりと受託者責任を設定しなくちゃいけない領域と、そうではなくてもっと柔軟に、ある程度の裁量を与えるべき領域との切り分けが、今のところうまくできていないんじゃないかなというふうな気がしております。
 先ほど何度か御質問いただきました複会計予算制度というのは、その切り分けの一つの視点としてお考えいただければ参考になるかと思っております。
 三点目の土地の件ですけれども、これはおっしゃるとおり、非常に大事な部分でして、実を申しますと、こういうふうな勘定区分等をなぜ設定しなくちゃいけないのかといいますと、これはおっしゃるとおり、土地あるいはそれ以外のストック、特に今現在ですと、不良債権の買い取り、不良債権、これは土地と同じくストックです。国から見れば、バランスシート上の資産に位置づけられるものですし、また、金融機関に対する資本注入、今回決定されましたけれども、これも金融資産として、当然のことながら政府の資産として計上されなくちゃいけない。これが予算上、どういうふうに計上されて、その意思決定を明らかにしていくという意味でいえば、土地と同様に、そういうストックの管理というものを今後はきちんとやっていかなくちゃいけないんじゃないか。
 逆に言いますと、バブル経済が発生し、崩壊していった中で、政府がきちんとした対応、一生懸命やってはいたんですけれども、なかなか改善しなかったというのは、こういうストックのコントロールに対する財政政策あるいは金融政策あるいは為替政策を含めたところの理解がやや薄かったんではないかなというふうな感想を抱いております。
福井小委員 窪田先生にどうしても伺いたいのは、サッチャー政権の事例なんですけれども、規制緩和で始まりましたんで、郊外のショッピングセンターの規制緩和をしました。そしていろいろな町でショッピングセンターができまして、その結果として、まさに波及効果として、いろいろな町で、地方都市の中心市街地が溶けてなくなってしまったということがあったんで、同じサッチャー政権のときに、郊外ショッピングセンターを規制したんです。規制緩和して、その同じ政権が規制して、立地禁止ということにして、タウン・センター・マネジメントということで、地方都市の中心市街地で、まず都市を守ろうということで。
 ですから、価値として、一般の消費者利益の最大化というよりも、その町に住むという価値の方が、あるいは町が存在するということの方が国家としては大事だということを、政権もイギリス国民も学習した。つまり、選択をすることによって、何がしかやって、次に波及効果を見て、マイナスも見て、選択するという学習、実地体験によってその価値観を体得したというのがあるわけですけれども、日本ではもうとにかく価値観の、今からつくるという時代認識だと私は思っているんです。そういう重みづけをつけるということに対する、余りにも逡巡するというのは民族性なのか、そういう手法がどこかに便利なのがあるのかどうか、根本的には価値観の問題だと思うんですけれども、そういう事例と今の日本の現状とを見て、ぜひヒンティングをよろしくお願い申し上げたいと思います。
窪田参考人 政治が一般的に追求すべきだと言われているような目的や価値観というのは複数あって、当然それぞれ、例えば自由をとれば場合によっては平等を阻害するとかいうような関係があるわけですね。そうした研究は、政治哲学というような分野で熱心に研究が進められているわけでございますが、残念ながら、万人が納得するような、例えば自由が一番で平等はそれに劣るなんというようなことを万人が受け入れられるような形で理論化しているということはないわけです。結局、現実の政策形成ではどうするとなったら、場合に応じ、それこそ職人のわざとして、その状況の中でどれを追求するのが今日本にとっていいのかというのを選び取るのは職人のわざである、あるいは、民主主義を通じた議論の中から生み出すべきものであるというようなことで片づけられておるわけですね。
 ですから、今回、資料としてつけている「公共政策学」という本でも第一章がそういう問題に充てられておるんですが、専ら、価値観の間に順番をつけよう、政治目的に順番をつけようという話。これは実は、費用便益分析というのは経済効率性というのを一番に置いているわけなんですが、そうしたものも受け入れられなかったという経験から、価値観の序列づけよりは、むしろそれ以外に、こういうガイドラインに従えばよい政策ができます、あるいは、大失敗をする政策ということにはならないでしょうということを詰める方向に行ったわけでございます。
 ですから、やはり、どういう政策目的を追求すべきかということについて理論的な正解というのを出すことはなかなか難しいと思いますので、政策評価ということで、だれか専門家、あるいはすぐれた研究者であればそういう正解が出せるという発想はやはり持ってはならないんだろうなと思うわけでございます。
福井小委員 終わります。
葉梨小委員長代理 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。
 この際、一言ごあいさつを申し上げます。
 両参考人におかれましては、貴重な御意見をお述べいただき、ありがとうございました。小委員会を代表して、心から御礼を申し上げます。(拍手)
    ―――――――――――――
葉梨小委員長代理 これより、本日の参考人質疑を踏まえて、小委員間の自由討議を行います。
 一回の御発言は、五分以内におまとめいただくこととし、小委員長の指名に基づいて、所属会派及び氏名をあらかじめお述べいただいてからお願いをいたします。
 御発言を希望される方は、お手元にあるネームプレートをお立てください。御発言が終わりましたら、戻していただくようお願いいたします。
 発言時間の経過については、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。
 それでは、ただいまから御発言を願いたいと存じます。
谷川小委員 きょうのお話は、私、非常に大事な時期に、今日本が直面している問題をえぐり出したというふうに考えております。
 既に、年間でいえば、この国の一年間の国家予算よりも、地方自治体が編成している全額の方が、額としてははるかに上がってきている。ヨーロッパでは地方自治体の赤字というのはないが、日本では今はとんでもない赤字を地方自治体が抱えて、そこから抜け出せない。その最大の理由は、戦後のあの混乱期に、昭和十五年にできた税制度をそのまま続けなければ仕方がないとやったために、中央へは非常にたくさんお金が集まるようになって、ちょうどそのときに経済成長になりましたから、何とかそれでやってきたが、その制度をそのまま残しておるが、世界にない補助金政治というのが戦後五十年の間にでき上がってしまった。
 このサイクルはどこかで切らない限り、きょう、二人の先生方が御発言になられました、結局、納税者が将来にかけて何を求めているか、これを実現するのが政策評価だと思うんですけれども、現在の憲法八十三条にあるような考え方、明治から今日までの中央集権的な発想をそのまま除いておいて、地方で政策評価をつくるシステムを導入しようとしたってそれは無理だ。やはり、ここでは憲法として、特に財政、国家の財政と地方の財政両方、正しい制度を我々議論していかなきゃならぬところへもう既に来ているんじゃないか。そうしないと、納税者の中で大変なあれが起こるんじゃなかろうかというふうに考えております。
 そういう意味で、きょう御発言いただいたお二人の御発言というのは大変時宜に合った貴重な御意見だったと私は考えます。
仙谷会長代理 十数年前に、イギリスで話をしたといいましょうか、当時のシャドーキャビネットの視察に行ったことがあるわけでありますが、そのときに、野党労働党、野党であったわけでありますが、野党でも、政策をつくるについては財政的な検討を経なければならない、財政的な裏づけのない政策は政策とは言わない、こういう原則を貫くんだとおっしゃっていました。
 日本は、ある意味で、現時点では、先ほどはしなくも斉藤さんがおっしゃっていたけれども、与党と内閣が一元化されていないといいましょうか、むしろ別物だという感覚で、与党も野党も財政的な検討を余りしないで、あるいは、むしろ財政的にはもっともっと使えというふうな傾向が相当強いように、野党の場合にはそれが無責任ということになって出てくるわけでありますが、政治といいましょうか、議会といいましょうか、これは地方議会もそうでありましょうが、そういう傾向が強いというところは反省材料だろうと思います。
 さらに、もっとこれを制度的に、現在日本の置かれた制度の問題といいましょうか、実態の問題との関係で、私が最近考えておりますのは、ある種の低成長といいましょうか、安定成長に入った日本の中で、そのことも相まって、当然のことながら税収の伸びがない。こういう時代の中では、政策は、ビルド・アンド・ビルドの政策は当然とり得ないはずであります。
 したがって、優先順位を決めて、優先順位が低いところは少々の犠牲を生じてもスクラップしていくということが伴わなければ、時代にふさわしいといいましょうか、あるいは、将来世代の望むであろうことをみずからの想像力の中でやっていくということはできないことは当たり前でありまして、ただ、そういうスクラップ・アンド・ビルドをやるについては、当然のことながら総括をしなければならない。総括は思いつきであってはならない。あるいは、ある種のマスヒステリーの中で現在の政策評価をやることもあってはならないと思います。
 そうなってきますと、やはり重要な資料は数字、きょう議論しましたような財政、会計上の数字というものが必要になってきて、これがやはりそういう改革に使用し得る、つまり総括の重要な材料となるような数字がつくられなければならない。そこがこの会計監査を含めた会計制度の問題であり、かつまた予算編成あるいは財政運営上の重要な資料の提供であると同時に、そのことが極めて重要なんだろうなと私は思っているところでございます。
 したがいまして、GAOの問題もNAOの問題も含めて、改めて、ここがこれからの、国家運営という言葉、先ほど出ましたけれども、政府の運営でありあるいは国会議論の極めて重要な課題である、部分的に改善できるものがあれば直ちに改善していくということが重要でありましょうし、憲法制度的に必要があればこここそ手をつけなければならない、そんなふうに考えた次第でございます。
    〔葉梨小委員長代理退席、小委員長着席〕
古川小委員 きょうはどちらかといいますと憲法の中でも地味な方の財政の話題を取り扱ったわけでありますけれども、今我が国が直面している、いつ財政破綻が起きてもおかしくない、人によってはもう既に破綻していると言う識者も多いわけでありますけれども、こういう状況というのは、我が国の歴史を振り返っても、そして世界の歴史を振り返っても、それまでの国家の統治システム、そうしたものが疲弊するときには必ず財政的にやはり破綻、問題が起きている。
 ですから、そういう意味では、時代が大きく変わるとき、そして従来の国家の統治の仕組みを大きく変えなきゃいけないときには、同時にこれは財政の仕組みというものも見直していかなければいけない。そういう意味では、どういう時代を新しくつくっていくかというときには、まさに新しい財政制度のあり方というものをきちんと決めていくということが、私はこれは非常に大事なことなんではないのかなというふうに思っております。
 そういう意味では、新しい憲法の形を考えるに当たっても、まさにこの財政のあり方、今も国、地方のあり方、また予算編成システムのあり方、そういった面での議論がされておりますけれども、従来の発想にとらわれない、新しい時代において財政というものがどういう役割を果たして、どういう形でその限られた資源、まさにきょうの桜内参考人の話でもありましたように、国民から信託を受けたその財政資源を有効に、しかも効率的に活用していけるような仕組みをどうつくるのかということは、私は、これから憲法調査会においても、きょう一回の議論というだけじゃなくて、これからの国のあり方を考える上でも、この財政の問題というものは、もっと、より研究していかなければいけない問題ではないか、そのような感想を持ちました。
中山会長 私は、実は参議院を十八年務めて衆議院に移ってきました。参議院時代に一番不思議に思ったことは、決算の報告書を二年分ぐらい固まってやるわけですね。一般の社会を見ておりまして、会社の場合は、決算報告を出さないと株主総会ができない。ところが、国会の場合、意外と決算委員会については関心が低いんですね。現在、参議院の決算委員会は割に衆議院の予算委員会並みに各閣僚を張りつけて頑張っておられますけれども、将来のあり方として、参議院の二院制をどのように機能の向上をさせるかということが一番大きな国民にとっては問題だろうと思うんです。
 国会議員の方は、やはり参議院の場合、六年間という時間帯が任期としてあるわけですから、意外と選挙に対する緊迫感が乏しい。だから、参議院が選挙をやる場合は、大体二年ぐらい前から準備に入ればいいんです。大体県内全部回ってくるのに一年はかかりますから。そんなことから考えていくと、衆議院の場合は、日々これ戦場という感じで、毎日緊張感に包まれながら、その地域の住民の意見というのをとらえてやっていかなきゃならない。
 こういう場合によく言われることは、税金のむだ遣いをやっているんじゃないかという声が言われます。特に、年金制度が確立されてから、一体国の財政というのはどうなるのかという長期の予測をしてくれという話が聞かれますけれども、非常に国民が一つの不安を持っているのは国家財政。これについて、参議院の機能をもっと活用する方法を衆議院側からも考えていく必要があるんじゃないか、私はそのように自分の経験から痛感をしております。
杉浦小委員長 他に御発言はございませんか。
 それでは、討議も尽きたようでございますので、小委員長として一言だけ発言するのをお許し賜りたいと思います。
 GAOとかGAOに類するものとかあるいはいろいろなものを国会に設けたらというような意見もございましたが、ここは各党おそろいでございますので、ぜひ御検討を賜りたいと思うんですが、政策評価というのはもう絶対国会審議のためにも必要だと思うんですね。もう手近なところで、今の国会の事務局のあり方も検討していただいたらどうかと思うんですね。
 例えば、法制局は衆参別々にあるとか、それから委員部のほかに調査室がありますね。かなり優秀なのが来ているんですよ。来ているんですが、何をやっているかよくわからないですよ。(発言する者あり)国会図書館もね。国会図書館、かなり優秀な人がいますよ。そういうのを再編成して、新しい時代のニーズに合ったように国会の運営を改革するということ。これは政党、与野党協議して進めていただいたらどうかと思います。新設するとかそんなことよりも、今いる人を使って今のニーズに合ったことをやるということが大事じゃないか、こう日ごろ思っておりますものですから。壇上に並んだあの古ぼけた人ね、ひな壇上、大臣の後ろに偉い人がもっと座っているでしょう。何か相当高給を取っている人のようですけれども。
 そういう改革、私は要るんじゃないかと思いますので、一言申させていただいて、自由討議を終了させていただきたいと思います。
 本日は、これにて散会いたします。
    午後零時十七分散会


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