衆議院

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第5号 平成15年7月10日(木曜日)

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平成十五年七月十日(木曜日)
    午後二時開議
 出席小委員
   小委員長 杉浦 正健君
      伊藤 公介君    佐藤  勉君
      谷川 和穗君    額賀福志郎君
      葉梨 信行君    福井  照君
      島   聡君    末松 義規君
      中川 正春君    古川 元久君
      斉藤 鉄夫君    武山百合子君
      春名 直章君    金子 哲夫君
      井上 喜一君
    …………………………………
   憲法調査会会長      中山 太郎君
   憲法調査会会長代理    仙谷 由人君
   国立国会図書館調査及び立
   法考査局政治議会調査室主
   任            高見 勝利君
   衆議院憲法調査会事務局長 内田 正文君
    ―――――――――――――
七月十日
 小委員井上喜一君六月五日委員辞任につき、その補欠として井上喜一君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員山口富男君六月十二日委員辞任につき、その補欠として春名直章君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員中川正春君及び金子哲夫君同月三日委員辞任につき、その補欠として中川正春君及び金子哲夫君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員春名直章君同日小委員辞任につき、その補欠として山口富男君が会長の指名で小委員に選任された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 統治機構のあり方に関する件(国会と内閣の関係)


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     ――――◇―――――
杉浦小委員長 これより会議を開きます。
 統治機構のあり方に関する件、特に国会と内閣の関係について調査を進めます。
 本日の議事の進め方について申し上げます。
 国会と内閣の関係について、国民主権と政治の基本機構のあり方全般に関し、まず、国立国会図書館当局より論点の説明を聴取いたします。
 次に、古川元久君及び井上喜一君から、基調となる御意見を順次二十分以内で述べていただきます。
 次に、各会派一名ずつ大会派順に十分以内で基調発言者に対する質疑または発言を行い、その後、小委員間の自由討議を行います。
 それでは、まず、国立国会図書館当局より説明を聴取いたします。国立国会図書館調査及び立法考査局政治議会調査室主任高見勝利君。
高見国立国会図書館専門調査員 まず、今回提出いたしましたA3四枚つづりの資料でありますけれども、資料一は、イギリス、ドイツ、フランス、アメリカ及び日本の政治制度に関するファクターを一覧表にしたものであります。資料二は、日本国憲法と明治憲法及び旧プロイセン憲法を比較対照したものでございます。また、資料三は、両院制に関する基礎データをまとめたものでございます。
 以下、若干の補足的な説明を行うことにいたします。
 まず、資料一の一番上の欄をごらんください。
 左端に「政治制度の類型」と書かれました欄でありますけれども、そこには、イギリス、ドイツ、日本について議院内閣制、アメリカは大統領制、そしてフランスはその中間の半大統領制であると表記されております。そこで、次のページにかけてざっとごらんいただきますと、この主要五カ国だけでも、その実定制度は実に多様な形を示していることがおわかりいただけるかと思います。特に、議院内閣制として一括されている制度は、議会と政府との関係が大変に複雑な組み合わせになっております。
 では、まず、そうしたその複雑な部分を捨象した制度の核心を構成するものは何かと申しますと、それは、権力分立という基本原理から導かれる立法と行政という二つの権力の間の緩やかな分立であるというふうに説明することができるのであります。そして、この点に着目いたしまして、議院内閣制は、大統領制という立法、行政の両権力が極めて厳格な形で分立した政治制度と対置されるのであります。つまり、議院内閣制と大統領制という二つの制度が分立の厳格度によって原理的に類別されているのであります。
 そして、この分立の厳格度の違いが制度上最も明瞭な形で示されるのが、資料一の一ページの下から二段目の「兼職」の有無に関する欄であります。
 そこでは、厳格な分立を組織原理とする大統領制のアメリカでは、閣僚と議員の兼職は許されないものとされております。これに対して、権力の緩やかな分立というよりは、むしろイギリスの場合には完全な融合という言葉も使われますけれども、そのイギリスの議院内閣制のもとでは、憲法習律上、閣僚は議員でなければならないものとされるのであります。
 ドイツの場合は、イギリスと同じ議院内閣制でありながら、憲法上、閣僚と議員の兼職に関する規定は置かれていないのでありますけれども、しかし、事実上、ほとんどの閣僚は、議員の中から、議員の身分を保持したまま選ばれております。これに対して、フランスでは、第三共和制以来、内閣の不安定は大臣のいすをねらって議員が絶えず政府を倒そうとしたために起こった、そういう反省から、議員の大臣病を断つという超然内閣の論理が働き、閣僚と議員の兼職はできないものとされているのであります。
 議院内閣制と大統領制という二つの制度を分かつ最も本質的なものは、しかしながら、分立の厳格度ではなくて、立法と行政との間の信任関係、責任関係の有無にあるものと考えるべきであります。このことは、資料一の「不信任・解散等」の対照表から読み取ることができます。
 アメリカの場合、徹底した権力分立主義の立場に立って、行政府と立法府とは法律的に別個の系統とされるところから、大統領は議会に対して何ら責任を負わない。したがって、大統領は議会から不信任されることもないので、議会を解散することはできないわけであります。つまり、大統領は、議会の信任の有無にかかわらず、その職を保持するのであります。そして、議会を構成する議員もまた、大統領が好むと好まざるとにかかわらず、その定められた任期を全うし得るのであって、任期中、大統領の手で議席を剥奪され、解散によって選挙人のもとに送り返されるということはないのであります。
 これに対して、イギリスでは、内閣は下院の信任を保持する限りその職にとどまり得るのであって、下院から不信任された場合、首相は内閣総辞職するか下院を解散するかのいずれかを選択することになるのであります。
 ドイツも、基本的にはイギリスと同じでありますけれども、憲法上、下院は後継首相を決めた上でなければ内閣不信任を表明することができないという、いわゆる建設的不信任の制度を採用しております。また、首相の解散権の行使についても一定の制限が付されておりまして、この点でイギリスと異なる形をとっているのであります。これは、ワイマール憲法時代に、議会の諸党派が倒閣では一致しながら後継首相について意見がまとまらなくて、長期間にわたって国政が麻痺してしまいまして、それがナチスの台頭を許す要因になった、そういう戦前の苦い経験に基づいて考案された制度であります。
 フランスの場合には、やや込み入っておりますけれども、大統領と下院はともに国民の直接選挙により選ばれますので、選挙の結果次第では、大統領と下院との間で、その支持する政党にねじれが生ずることも当然あり得るのであります。この点は、基本的にアメリカの分割政府と同じでありますけれども、しかし、アメリカの大統領制と違うところは、フランス大統領の場合には下院解散権が認められているということであります。大統領は、下院から不信任されることがないわけですけれども、それにもかかわらず下院を解散することができるというわけであります。大統領はまた、首相、大臣の任免権を保持しております。しかし、内閣と議会との関係ということになりますと、内閣は下院の信任がなければ円滑な国政運営を行うことができないことは、これはもとより当然のことであります。
 下院にとっては、内閣不信任制度が政府の責任を追及する有力な武器となるのであります。この武器を用いまして、下院が内閣に対する不信任動議を可決した場合、憲法上、首相は大統領に政府の辞職を申し出ることになっておりますけれども、しかし、それによって当然内閣が総辞職ということになるわけではないのであります。なぜなら、大統領には首相の辞職を受理するか下院を解散するかの自由な判断権が与えられているからであります。
 このように、議院内閣、責任内閣の論理の貫徹が大統領の権力によって阻止せられ得る仕組みになっているというのが、半大統領制と呼ばれるフランスの制度の特徴であります。
 日本国憲法も議院内閣制を採用しているのでありますけれども、当初、この制度が実際にどのような形で運用されるのか、不明なところがございました。
 どう運用すべきかが真剣に議論され、問題になったのは、一九四八年十二月に行われた最初の解散のときでありました。すなわち、このときの解散が憲法六十九条を根拠にして行われたため、国会の内外で、憲法上、首相の解散権に制約があるのかどうか、大論争となったのであります。この論争は、憲法第七条に基づいて行われた一九五二年八月の第二回目の解散のときにも再燃いたしましたけれども、しかし、その後七条解散が定着したこともありまして、原則として首相は自由に解散権を行使することができるイギリス型、もっともイギリスの場合では、解散権の行使につきまして憲法習律上、一定の制約があるというふうに考えられておりますけれども、このイギリス型に最も近いものとして、今日に至るまで日本国憲法に規定する議院内閣制の運用が図られてきたことは、これは言うまでもないところであります。
 ここで、資料二の帝室内閣制について一言コメントしておきたいと思います。
 これは、いわゆる君主主義に基づいて、君主の政府が議会に押さえつけられないように権力の厳格な分立を強調し、制度上も大臣は専らその任命権者たる君主に対して責任を負うとするものであります。
 この点で、帝室内閣の大臣はアメリカの大統領に直隷する閣僚に似ておりますけれども、しかし他方、君主の解散権はイギリス国王の大権と同じものと考えることも可能でありまして、そこでイギリスをモデルに、十九世紀後半から二十世紀初頭にかけて、プロイセン議会や我が国の帝国議会は、憲法上付与された法律や予算の審議・議定権、さらには、憲法上規定のないものでございますけれども、不信任決議権を武器にいたしまして、議会、特に下院に対する政府の政治責任をある程度実際に確立し、議院内閣、政党内閣をかなりの程度において実現することができたのであります。
 しかし、日本では、それが統帥権の独立に代表される、政府から隔絶した諸権力によって制約された枠内のものでしかなかったことは、明治憲法のたどった運命が示すところであります。これに対して、行政権は内閣に属するといたしまして、その行政権の行使について、内閣の国会に対する連帯責任を明記した日本国憲法第五章の諸規定はさきの反省の上に立ったものであることも、これもまた指摘するまでもないところでございます。
 次に、両院制についてでありますけれども、ここでは、議院内閣制、すなわち、下院選挙で多数を制した政党が下院を基礎に内閣を組織し、政権を担う統治システムのもとで上院の役割をどう考えるべきかということが一番の問題となります。下院と同様、公選議員から成る、いわゆる民主的第二次院型と言われる上院を採用する国家の場合には、特にそれは難しい問題をはらんでおります。
 ただ、その場合でも、連邦制の場合には、上院の存在理由についてまだ少しは説明が容易ではあるのですけれども、しかし、単一国家の場合には、上院はその存在自体が本質的に争いのある制度だというふうにもしばしば言われるところでございます。そこで、思い切って一院制にした方がよいのではないかという議論も有力に唱えられるわけでありますけれども、しかし、これに対しては、両院制論者の側から、一院制こそ本来的に問題のある、一院制も非常に問題のある制度だ、そういった批判がなされているところであります。
 このことは、資料三の二の「一院制・二院制の長所と短所」を比較した一覧表からも読み取ることができるのであります。
 例えば、一院制の長所とされる、効率的な審議、政策決定の迅速性というのは、これは両院制論者からいたしますと、一院の衝動的な行動をチェックできない、そういう短所として映るわけでございますし、それから、両院制の長所とされる拙速を避け慎重審議を行うこと、これは一院制論者からいたしますと、総じて、非効率で決定が遅延するだけだ、こういうふうに映るわけでございます。すなわち、一方が長所だと主張する点は他方にとっては短所、欠点とみなされる、そういうわけでございます。
 なお、両院制の採用状況は、資料として掲げました一の「二院制採用国の推移」が示すとおり、全体の約三分の一程度にとどまっておりますけれども、しかしながら、ここ七、八年の推移を見ますと、やや増加の兆しがあるようにも思われます。一院制の国家は数の上では圧倒しておりますけれども、しかし、それらは総じて人口規模の小さな国でありまして、規模の大きな国では、中国を除いてほぼ両院制でありまして、三の「主要国の二院制議会一覧」からも明らかなように、G8を構成する国はすべて両院制を採用しております。
 最後でございますけれども、この一覧から、一九八〇年代の半ばに政権交代があって、その結果、上院の存在感が増して、下院との間であつれきの生じましたカナダの例をごく簡単に御紹介しておきたいと思います。
 カナダの上院議員は任命制でありまして、その任命は、首相の助言のもとに総督が行うものとされております。一九八〇年代の半ばに実施された下院総選挙の結果、それまで長期間政権の座にあった自由党にかわって、進歩保守党が政権についたということから、上院と政府との間で党派的なねじれが生じ、緊張感が高まったことがございます。ここで注目しておきたいのは、その張り詰めた緊張状態の中で下院と上院とがおのおの主張した、みずからの権力の正当性の根拠についての議論であります。
 下院側の主張は、いわば選挙民主主義とでも呼ぶべきものでありまして、それは、要するに、政治権力とその行使の正当性は、直接、選挙により国民から授権されたマンデートに基づいて、下院で多数派及び少数派を構成する政党から派生するものであって、国民のマンデートを保持しない上院は、下院の意思をくじくだけの民主的な正当性と権力を保持しない、こういう議論でございます。
 これに対する上院側の主張でありますけれども、それはその時々の国民の多数ないし議会多数派の意思を超えた憲法的権威に訴えるものでありまして、それは、たとえ上院が選挙で選ばれたものでなくとも、その役割を果たすべき憲法上の義務を保持し、下院多数派を基礎とする政府が、憲法に照らしてその権力を踏み越えていると見た場合には、判断した場合には、単に消極的な抵抗にとどまらず、体を張ってでも積極的にそれを阻止する行動に出るべきだ、出る権限を有する、そういう議論でございます。
 しかし、この上院の見解にはかなり苦しいところ、無理なところがございまして、それは、立法府ないし政府の権力行使が違憲かどうかは、本来、違憲審査権を保持する裁判所が判断すべき事柄。カナダの場合にも違憲審査権を裁判所が持っております。したがって、それは上院の権限ではない、こういう反駁が容易に予測されるからであります。ただ、カナダの場合には任命制、終身制の上院でありますので、論者は、権力の正当性の根拠を直接、憲法的権威に求めざるを得なかったものと思われます。
 しかし、もしそれが公選制の上院であったならば、その権力の正当化論は、下院と同様に、選挙民主主義論に依拠することになるのではないかと思われるわけです。その場合、上院は、下院と同じ土俵、すなわち同じ国民から選出され、立法権を分有ないし共有する機関として、下院との違いをどのように示せばいいのか、どのように出せばいいのか、上院の役割をどのように果たせばいいのか、その選出の仕方をどのように工夫すればいいのかなどなど、難問が続出することになるのであります。
 そして、それは、当初、一院制であった総司令部案に対して日本政府が両院制を要求し、両院ともに公選とすることを条件にその要求が認められて参議院制度が発足したわけでございますけれども、この参議院制度発足以来現在に至るまで我が国において議論が積み重ねられてきたところでもありますし、これからも議論を重ねていく必要があるところではないかと思います。
 私の補足説明は以上でございます。(拍手)
杉浦小委員長 これにて国立国会図書館当局の説明は終了いたしました。
    ―――――――――――――
杉浦小委員長 次に、基調となる御意見を順次お述べいただきます。
 まず、古川元久君。
古川小委員 民主党の古川元久でございます。
 憲法を基盤に据え、国民主権と政治的リーダーシップによって支えられた確かな統治を築く、こうした視点から本日は意見を述べたいと思います。
 日本国憲法は、戦後半世紀を超える歴史の中で国民生活に深く浸透し、定着しつつあります。したがって、その基本精神と骨格を維持しつつ、新たな時代に立ち向かうにふさわしい内容を盛り込むための見直しを推し進めることが必要だと考えます。
 まず、国際社会の激動と変容に合わせて、日本国が世界の有力な一員として積極的な国際協力と自主的な責任を果たすことができるよう、リーダーシップに基づく統治が可能となる仕組みを模索すべきであります。また、現代憲法の基本たる国民主権を文字どおり貫徹するよう、より高い民主主義とより精緻な人権保障システムへと転換していくべきであります。この目的のために、日本国憲法の条文と憲法運用の実態の両面においてこれまでのあり方を再検討し、問題提起を行わせていただきます。
 まず、権力分立のあり方について申し述べます。
 ドイツ連邦共和国憲法は、第二十条二項において、権力分立と国民主権との関係を、「すべての国家権力は、国民に由来する。国家権力は、選挙及び投票によって国民により、かつ、立法・執行権及び裁判の個別の諸機関を通じて行使される」という形で明記しております。しかし、日本国憲法には、この権力分立に関する特別規定はなく、憲法第四章「国会」、第五章「内閣」、第六章「司法」によって権力分立の規定が推定されているにすぎません。そのため権力分立に関して議論が絶えず、その話題の一つに憲法第四十一条の国会の最高機関規定があります。当該規定が権力間の抑制と均衡を図るための権力分立論とは異なる原理をひそかに導き入れているのではないかとの議論が続いております。
 また、三権分立の基本型の中に行政を忍び込ませて、立法府や政治そのものの関与を排除して行政権を擁護する障壁としての論理を提供してきたという側面も見受けられております。これは、日本国憲法の権力分立論に関する解釈において、戦前の憲法解釈がそのまま援用され、超然たる行政権に関する解釈を引きずることになったことも否めません。
 こうした無用の混乱と恣意的な憲法解釈あるいは権力運用を避けるためにも、地方分権や独立の準司法機関等の位置づけをも考慮した権力分立に関する明示的な規定を設けることが望ましいと考えます。
 首相主導の議院内閣制の確立について申し述べます。
 そもそも内閣総理大臣は、選挙によって国民の多数の支持を得た政党のリーダーが国会で選任されたものであり、その選任された首相、内閣総理大臣が国務大臣を指名し内閣を組織するという首相主導型システムが、日本国憲法が採用する議院内閣制の姿であります。こうした解釈は、議院内閣制の母国イギリスでは当然のものであり、ヨーロッパ大陸における議院内閣制の国ドイツでもとられている理解であります。にもかかわらず、我が国の内閣運営及び内閣と議会との関係については制度的あいまい性を多く残しながら、専ら政府の一機関たる内閣法制局の解釈と戦前からの通念によって運用されてきたという問題を抱えています。
 例えば、憲法の統治原理をなす権力分立について、内閣イコール行政と議会イコール政治との間の分離、隔離を当然として、本来政治の領域たる内閣を戦前の超然内閣のごとき行政府の地位に置き、政治の関与を極力排除する解釈をとり続けてきました。また、憲法の規定に存在しない閣議なる用語をもって内閣総理大臣の権限を拘束し、その政治主導を大きく制約してきました。このため、憲法第六十六条第一項の首長たる内閣総理大臣の地位と権限が形骸化されている側面が少なくありません。
 これは、戦前の憲法解釈の後遺症にほかなりません。我が国における政府運営を首相主導型のものとするためには、首長たる内閣総理大臣の実質を阻害する憲法及び内閣法等の規定を見直し、首相の責任と指導性が明確となる法的枠組みを確立する必要があります。具体的には、内閣を主体とする諸規定を再検討して、首相、内閣総理大臣主体の規定へと変換する必要があります。
 まず、憲法第六十五条は「行政権は、内閣に属する。」としていますが、ここに言う行政権とは、本来、例えばカナダ一八六七年憲法第二章に言う執行権に相当するものであり、日本の行政組織法に規定されている行政とは全く性質の異なるものであります。
 執行権とは、行政をコントロールし、政治目的に向けてそれを指揮監督する権限を指すものであります。英語で言えば、執行権はエグゼクティブパワーであり、行政はアドミニストレーションと訳されます。日本国憲法のもととなった英文の原案では、この部分はエグゼクティブパワーとされており、執行権と訳すべきところを行政権と訳したことが、アドミニストレーションの行政との混同を招くことにつながりました。この区分があいまいなために、執行府の中に行政が過剰に浸透するという事態をもたらしています。例えば、本来政治任用で配置すべきポストであります首相秘書官や首席参事官を、役所の暗黙のルールに従って各省の出向者で補給するという形であらわれています。
 この執行権が付与されるのは、日本においては国会で選任された首相のみであり、国務大臣はその首相の補佐機関としての地位を持つにすぎないと解すべきであります。したがって、憲法第六十五条に規定される行政権すなわち執行権は、内閣総理大臣に属すると規定するのが当然と言えます。
 また、憲法第六十六条第一項では「内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。」とあり、第三項では「内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。」と規定されています。しかし、主体を内閣という顔の見えない機関に置いているのはいかがなものでしょうか。これは、本来内閣総理大臣を主体として書き直されるべきものであります。
 さらに、憲法第七十四条のいわゆる主任の大臣規定と連署規定は、首長たる内閣総理大臣の権限を強く制限するものとなっています。これは、戦前の国務大臣天皇補弼制の考えを引きずったもので、各大臣があたかも首長とは独立した形で権限と責任を持っているかのような仕組みをつくり出しています。これが、憲法に規定がなく内閣法において初めて登場する閣議という制度と相まって、各省庁の利益を代弁する主任の大臣に実質的な拒否権を与えることになってしまっています。この規定についても抜本的な見直しが必要であります。
 こうした憲法を初めとする諸規定に加え、戦後日本の政府運営は、自民党一党支配が長く続いたことも要因となって、与党と内閣の二元体制がとられてきました。その典型が与党の税制調査会であり与党審査であります。このことによって、政府の責任があいまいとなり、首相によって任命された国務大臣が党と省庁の利害代表として行動するケースもしばしば見られる要因となってきました。
 内閣と議会との関係についても、専ら与党が野党との駆け引きに対処し、内閣としての議会対応は二の次にされるという状態が続いています。このことが、国会に責任を負うべき内閣の姿勢をますますあいまいにする背景となってきたことは否めません。
 首相主導型システムをきちんと機能させるためには、この政府運営の二元構造を排し、内閣の一体的運営と責任の明確化が不可欠であります。このため、内閣以外の議員の行政への関与を厳しく制限し、行政のコントロールに関する内閣の主導性を確保するとともに、野党第一党に対してシャドーキャビネットの設置を義務づけ、一定の範囲での行政への関与を制限的に容認する仕組みを確立することも検討されるべきであります。
 次に、国権の最高機関の再定義について申し述べます。
 従来、国会が国政の基本方針を決定し、内閣がそれを執行するという、国会こそが政治の中心であるべきとの考えが、議会制民主主義の正しいあり方と解されてきました。しかし、このような理解では、現代社会において、内閣、特にその首長である内閣総理大臣が、政治の推進役となって政策を提案し、議会の同意を得てそれを実行に移していくという政治プロセスを的確にとらえることができません。
 したがいまして、現代社会における政治の中心は、批判、同意機関であり迅速に行動する能力を持たない国会ではなく、さまざまな情報に接し、また、その情報のもとに国政が必要とする政策を集約し得る立場にあり、さらに、現代社会において必要とされる統一的で一貫した指針のもとに迅速に行動する能力を持つ内閣ととらえるべきであります。
 政治の中心を内閣ととらえると、それに対して国会は次のような新たな二つの役割が重要になると考えられます。
 第一に、内閣機能の強化は、政策決定を官から政に取り戻すものであります。一方、強力な、首相、内閣のもとで統治が行われた場合、暴走の危険が生じます。そして、それを避けるためには、国会は政に取り戻された政策決定を強力にコントロールすることが重要となります。
 第二に、現代社会では、国民が国会を通じて国政をコントロールする前提として、国民に対してさまざまな政策についての争点が提示されていることが必要になります。この中にあって、審議を通じて国民に論点を提示していくという国会の争点提供機能がますます重要となってまいります。
 したがいまして、憲法第四十一条に言う「国権の最高機関」について、国会の行政権のコントロール機能や争点提供機能という国会の新たな役割を踏まえて再定義を行うべきであります。
 現行の二院制については、参議院の役割を大胆に見直し、例えば、参議院議員の大臣指名の廃止、衆議院における予算審議と参議院の決算審議などの役割分担、また、長期的視野に立った調査権原や勧告機能の充実などを検討すべきであると考えます。さらに、衆議院と類似する現行の選挙制度を改め、地域代表制を中心として、専門性をも加味した選任方法へと改革することも検討すべきであると考えます。
 次に、政党の憲法的位置づけについて申し述べます。
 現代政治は、政党を無視しては成り立ち得ません。このため、現在のドイツやフランスでは、憲法上の機関として政党を位置づけております。また、選挙制度に小選挙区制が導入されて、政党の公約を媒介として国民が政権選択をするチャンスが浮上されつつあるもとでは、国民主権との関係において政党の位置づけは飛躍的に高まっていると言えます。
 現行憲法は、政党に関する規定は持ちませんが、一般的には、第二十一条の結社に含まれるものと考えられております。しかし、議会制民主主義における政党の重要な地位と役割にかんがみ、政党に憲法上の地位を与えるべきであると考えます。政党は国民世論と政府との仲介者としての役割を担っています。憲法に政党のあり方を明示し政党の重要性を意識せしめ、もって政党の自由な活動と発達を助成することは、健全な民主政治の育成、発展のために必要であります。
 ただし、その仲介機能がゆがんでいては、国民世論に基づく確かな統治はできません。現代においては、政党のゆがみを正し、その公正さと透明性とを確保する仕組みを確立していくことが重要であります。
 したがって、憲法に政党の位置づけを明確にした上で、政党法を制定することが必要であると考えます。
 最後に、権力分立も首相のリーダーシップも二院制の見直しも、本日申し述べましたことはすべて、日本の統治機構を国民主権の実体にどう近づけるかという観点から、現行憲法のよさを踏まえた上で、さらに、時代の変化や国民の声により応答する憲法に発展させるために、今何が必要かという視点から幾つかの論点を提示させていただきました。委員各位の御意見をいただければ幸いであります。
 以上で終わります。(拍手)
杉浦小委員長 御苦労さまでした。
 次に、井上喜一君。
井上(喜)小委員 保守新党の井上喜一でございます。
 きょうは、国会と内閣との関係、国民主権と政治の基本機構のあり方全般についての問題の提起をしろということでございまして、いろいろなまとめ方があると思うのでありますけれども、私は、現行憲法あるいは関連の法律、そしてそれらの運用、こういうことにつきまして、私が日ごろ考えておりますことを取りまとめたということでございまして、いろいろな御意見があろうかと思いますので、また皆さん方の御意見もお伺いしたいと思います。
 まず最初に、制度の運用と改正についての検討の視点でありますけれども、日本の今の憲法制定後五十年以上がたっておりますので、この間、憲法が定着した面もありますし、問題が出てきたというような面も多々あると思います。
 言いかえてみれば、社会構造あるいは産業構造、非常に大きな変化が生まれてきておりますし、社会、経済ともにグローバル化の大きな波の中に現在あると言ってもいいかと思います。安全保障体制につきましても、米ソの対立が崩れて、今日のような状況になってきております。また、日本の国際社会の中での地位の向上、これも明らかにあったと思うのでありますけれども、それだけに国際社会に対して責任が出てきている、こんなふうに思います。国民の意識の変化も、個についての意識というのは非常に強くなってきていると思います。
 そういったことで、あらゆる分野におきまして、制度的な大改革を、時間を置かずに改革をしていく、迅速に実施をしていく、こういう状況だと思います。
 統治機構としては、私は、二院制のような、憲法上の問題もありますけれども、体系的には一応国民主権を基本にした制度ができ上がっていると考えておりまして、問題はむしろその制度の運用にある、こういうように認識しているものでございます。
 次に、議院内閣制であります。
 これは、内閣よりも本来は議会の、国会の方を議論に回すべきでありますけれども、一応、議院内閣制ということを言いますので、内閣を持ってまいりました。
 今は、内閣機能を強化しろ、こういう要請が非常に強いものがございますが、これは内政、外政ともにいろいろな問題が出てきておりまして、要するに、抜本的な、機動的な改革、対応が必要だということだと思いますし、まずもって、やはり責任の所在を明確化して、どの問題をどういうぐあいに変えていくのかということを明らかにしないといけないと思います。
 そういう意味では、官僚主導から政治主導へということが言われるのでありますが、まだ日本は完全にこの政治主導というところに来ていると思いませんけれども、しかし、この五十年の歴史を見ましても、いわゆる官僚が果たしてきた役割というのがだんだん小さくなってきて、政治が果たす役割が非常に大きくなってきていると思いますし、今そういった過程にあると考えてよろしいんじゃないかと私は思います。
 そういったことで、内閣総理大臣がより強いリーダーシップを発揮していくことが必要でございます。憲法上は大変強い権限ですね。これは前の旧憲法と比較してみますとはっきりするのでありますけれども、閣僚の任免権あるいは内閣各部に対する指揮監督権、非常に強いものがございます。
 ただ、問題は、我が国は、ややもすれば権力の二元化という傾向があるわけですね。これは、長く政権の座に着きました自由民主党に派閥があるというようなことも関係していると私は思うのであります。その派閥と総理大臣の関係あるいは全体等々の関係ということで、必ずしも権力が一元化しないんですね。今は政府・与党でありますから一元化しないといけないんだけれども、まだこれが二元化するような傾向、あるいは三元化するような、多元化するような傾向があるということで、これはこれから問題として解決していかないといけない課題だと思います。
 首相公選制の議論がありますけれども、私は、これは非常に問題が多いと思います。だれが選ばれるかわからない、あるいは立法府、国会との関係、大変調整が難しくなるんじゃないかと思いますので、これは時期尚早だと思います。
 それから次に、ポリティカルアポインティーですね。アメリカなんかの場合は、三千人ぐらいのポリティカルアポインティーがいると言われておりますが、日本もだんだんとこういう方に移行してくると思うんですね。
 今までこういう政府の中の人材というのは行政府が随分輩出してきたのでありますけれども、今や行政府だけではなしに、行政府以外でそういった適任者が出てきているということでありますので、今の内閣にも大学の先生が若干入るというようなことで、これはだんだんと多くしていかないといけないことだと思います。
 それから次に、議会機能の強化であります。まさにこれが一番大事なことでありまして、内閣の機能だけ強化をしておくということはやはりよくないので、対応して議会の機能も強化をしていかないといけないということで、この議会の方も、五十年来の傾向を見ますと、だんだん議会の機能が強化されてきている、こんなふうに思いますし、そういった傾向をさらに強めていかないといけないということであります。
 制度的には、内閣総理大臣は国会で選ばれますし、衆議院で内閣の不信任決議なんかもできるわけでありますし、内閣は国会に連帯して責任を負うということとか、あるいは議院が国政調査権を持つというようなことで、完全に内閣は国会のコントロール下にある、制度的には私はそうなっていると思います。
 人事院なんかの行政委員会があるんですが、これは内閣から一応独立しておりまして、内閣総理大臣の守備範囲に入っていないのでありますが、国会のコントロール下にはあるわけですよね。そういうようなことで、国会は非常に強い国政上の権限を持つということであります。
 ただ、内閣にも衆議院の解散権を持たせているわけですね。いわゆる七条解散というのがそうでありまして、これは多少歴史的なことと関係するかと思うのでありますが、行政府と立法府とのバランスをとらせているということであります。いろいろな議論があるかもしれませんけれども、これも一つの賢明なやり方じゃないかと私は思います。
 内閣は、連帯をして国会に責任を負うということでありますが、議会も、かつての議会と違ってまいりまして、与党、野党に分かれておりまして、与党の方は政府と一体ということで政府の政策を支持、推進する、野党はこれをチェックするような機能に変わってきていると思います。
 それから、議会の機能強化のために検討すべき事項が幾つかあります。
 私は、本会議で法案の趣旨説明とか質疑がありますが、これはやはり原則的に廃止をして、委員会審議を充実すべきじゃないかと思うんです。出席者を見ますと、そう大多数の人が出席しているように思わないし、また長い質問の場合は、大体質問が重なっているわけですよね。同じような質問をしているということでありまして、これを長時間本当にみんなが聞いているかといったら、この点についても若干の疑問があるということでありまして、私はそんなふうに考えます。
 それから、衆参両院の調査室、法制局、これは膨大な人がいるわけですよね。本当に多い。これを二つに分けるんじゃなしに、このスタッフを一体化してやった方がより効率的になると思います。もう事務量が両院で違ったりするわけでありますからね。本当にこれは国会議員のために活用すれば、もっともっとうまく効率化が図れるんじゃないか、こんなふうに思います。
 今よく審議拒否だとかそれに対する強行採決、これはまだあるのでありますけれども、これなんかも、やはり委員会審議を充実していけば、だんだんとこれは克服していくべき問題じゃないか、こんなふうに思います。
 審議での大臣答弁、これは昔と比べますと、確かに閣僚が答弁をするようになってきた。それだけ閣僚が自分の所管事項について勉強もする、理解も深まってくる、それで問題意識も出てきている、こんなふうに思いますけれども、副大臣、大臣政務官なんかはどうなんだろうかな、こんなふうに思います。
 クエスチョンタイムも、今は総理と野党党首でやっておりますけれども、本当にこういう形でいいのかどうか、もう少し検討の余地があるんじゃないかということであります。
 それから、議会機能の強化のためには、行政監視の中核的な役割を担っております決算行政監視委員会がありますが、あるいは予備的調査制度も、これは新設されたわけでありまして、こういった活用をしていく必要があると思います。
 それから、与党の法律案の事前審査制でありますが、これは私は、やはり政府・与党一体化の原則から、置いておいた方がよろしいんじゃないか、こんなふうに思います。
 三番目、政党であります。
 政党の存在は絶対必要でありますし、民意を政治に反映していく役割というものでありますから、大変重要で大きいわけであります。私は、憲法上にこの政党を位置づけるべきと思っております。やはり、政党に対する支援を考えていくべきだと思います。
 ただ、結社の自由の侵害の可能性もあるんじゃないかというような指摘もあるようでありますが、そういうことのないような形で、やはり政党とはいかなるものか、どういうことをすべきかというようなことを明確にして、必要な支援をしていくということがよろしいんじゃないかと思います。
 私は、日本はまだ政党のシンクタンクができていないと思うのでありますけれども、こういったものも置く必要があると思いますし、国としても当然考えていくべきことじゃないのかなというような感じがいたします。
 それから、二院制の問題であります。
 議院内閣制というのは、原則として衆議院の多数党の党首が内閣総理大臣に指名されるわけでありますから、その党の政策を実行していくということでありますから、衆議院の政党化は御案内のとおりであります。
 しかし、参議院が、これは衆議院に対して権限上は多少制約はあるのでありますけれども、予算あるいは条約、それから内閣総理大臣の指名等については衆議院優位になっておりますけれども、肝心の、根幹をなす法律については、これは参議院の同意なしには成立しないということでありまして、そういう意味では、参議院というのは非常に強い権限を持っていると思います。
 したがいまして、私は、こういった枠組みの中では、参議院におきましても衆議院と同じような政党化が進むことは必然だ、こんなふうに思っております。
 二院制をどうしてとっているのかということでありますが、二院制をとることによって国会の審議が慎重にできるんだというような説明がされておりますが、しかし、現実はどうなのかということです。私は、カーボンコピーなんということは言いませんが、どうもやはりそういう、審議を慎重にして参議院なりの成果が上がっているようなことは、それはあるでしょうけれども、比較的少ないのではないかと思います。しかも、政党化が非常に今進んでおりますね。選挙の制度も、私は衆参そんなに根本的な差異があるとも思いません。あるいは、外国の連邦制のように二院制をとる、そういう理由があるようにも思わない、こういうことであります。
 理論的に言いますと、一院制、二院制でそれぞれ理屈はあるんでしょうが、私は、現実に衆参の構成が違ったり、あるいは議決が違うというようなときには、やはりプラスよりもマイナスの方が大きい、つまり、無用の混乱が起こる可能性があるんじゃないかということでありまして、結論としては、衆議院の一院制の方がおおむねよいと言えるのではないかと思います。
 参議院をどうしても設置しないといけないというときには、成立した法律等の運用に当たっての意見を述べるというような諮問機関として置くのがいいんじゃないか、その場合は、例えば職能代表の人なんかを充てていくというのがよろしいんじゃないかなと思います。
 それから、選挙であります。
 選挙は民意を集約する機能と民意を鏡のように反映する機能をあわせ持つと言われているのです。ただ、今日のような大変動、大激動、大改革の時代にありましては、やはり政権交代が活発な、そういう政治制度の方が私はよろしいんじゃないか、必要じゃないかと思います。なかんずく、議院内閣制を活性化していくためには、選挙の結果、二つか三つの大政党が出てくるというような制度がいいんじゃないかと思います。
 現行の小選挙区制は所期の目的からいってどうなのかということは、まだ結論を出すのは早いんじゃないかと思うのでありますが、しかし、本来的には、制度がうまく機能すれば、二大政党化の方向を志向するのではないかと考えております。政権を競う政党が切磋琢磨をするというような単純小選挙区制度、こういったものを考えていった方がよろしいのではないかなと思います。
 それから、あわせて、やはり一票の格差、この是正は必要だと思います。
 それから、違憲立法審査権と国会であります。
 国会は国権の最高機関で唯一の立法機関だと言っているんですが、最高裁は一切の法律等についての違憲立法審査権を持つ、こういうことを言っております。私は、この前にも申し上げましたが、いわゆる統治行為については、最高裁の判断にまつのは必ずしも適切ではない場合がある、そういったことで、国内政治が国際関係に大きな関連を持つものもあります。いわゆる統治行為につきましては、国会に憲法裁判所を設置をして、この所管とするのがより適切じゃないかと考えるものであります。
 それから議決方法でありますけれども、衆議院と参議院では、特定事項において、単純多数決ではなしに三分の二等の特別の議決を要するということをしているわけですね。予算あるいは条約とか総理大臣の指名につきまして両院の決議の中身が違う、こういうような場合であります。私は、こういうのはやはり廃止をして、そういうような場合には、例えば両院が協議をして調整をするとして、これが調わないときはやはり再度の衆議院の多数決で決めるようにする方がよりスムーズじゃないのかと思います。
 憲法の改正手続につきましては、これは国民投票制度がありますから、発議は両院の、または衆議院の多数決によるものとすることなどを検討すべきじゃないのかな、こんなふうに思います。
 それから最後に、危機管理についてでありますけれども、これは内閣制度の運用で対応するというようなことに今はなっているのでありますけれども、私は、これはやはり憲法上、内閣に危機管理を所管する組織、権限等について、明確にした方がよろしいのではないか、こんなことを思っている次第であります。
 以上であります。(拍手)
杉浦小委員長 どうもありがとうございました。
 これにて、基調となる御意見の開陳は終わりました。
    ―――――――――――――
杉浦小委員長 これより質疑または発言の時間帯に入ります。
 それでは、まず、谷川和穗君。
谷川小委員 私は、内閣の国政上の地位について、古川委員にお尋ねをさせていただきたいと思います。
 行政法の講義というのが大学で行われるようになったのは、明治十九年、七年間にわたって明治の初期に留学しておったアメリカ留学から帰ってこられた金子堅太郎、後の伯爵が、これからの立憲政治を実施するなら、やはり一番大事なことはその運用にあるんだということから行政法の講義を始めたというのが初めだったというふうに聞いております。
 当時は、法律学という学問はあったけれども、行政学という学問はなかった。明治憲法の条文は極めて簡潔で、したがって解釈に幅を持たせることができた。そのことを、私自身は、それがあったからこそ大正デモクラシーというような花が咲いたと思っております。東洋の地に、ほかに類を見ないような、日本が世界に誇り得べき時代があったというふうに思っております。
 ところが、行政という面から見ると、明治憲法には内閣の規定はなかった。国務大臣は内閣という合議体を形成するものとはされていなかった。だけれども、一方、今度は立憲政治の方から見ると、憲法の運用を通じて政党内閣の実現も十分可能であるという判断がその当時から成り立っておったからこそ、憲法が成立してからわずか十年もたたないうちに、大隈重信は政党内閣の可能性について触れているし、議院内閣制の必要を説いて譲らなかった高田早苗が、聞きしにまさるよき憲法というような言葉を残しているし、自由民権の闘士と聞こえた植木枝盛も、この憲法によって西欧以外の国で初の立憲国家となり得ると、この明治憲法を祝福した論文を発表しております。
 問題は、当時の憲法学の泰斗の中に、明治憲法下の天皇を絶対君主国家の君主と同様のものと理解しようとする学説が相次いだということだったと思うんです。
 そこで、内閣の国政上の地位の問題なんですけれども、国会が開設されて十年もたたないうちに、大隈内閣のころ、そのとき既に陸軍は、反軍的な思想の持ち主が数多く内閣に参画するという理由だけで大臣を出さないというようなことをやりましたし、日露戦争後は、ロシアから賠償金を取り損なった、その上、韓国を併合したんだから防衛範囲が拡大したんだ、こういうときになぜ三連隊も縮小しなきゃいけないんだということで、時の陸軍大臣が、まあ、驚くべきことですが、あの憲法からいえば当然そういう手続かもしれませんが、明治天皇の崩御の年の秋ですけれども、大正天皇に直接辞表を提出した。これによって西園寺内閣が瓦解してしまった。
 たった一人の反対で閣内不統一、内閣の更迭を図れる。これが昭和五年、浜口内閣のときの憲法十一条の統帥権問題が引き起こった、後に日本がずうっと軍国主義へ進んでいってしまったということだったと思うんです。
 戦後日本憲法は、そういう明治憲法下の内閣制度の反省に立って首相の地位を強化したと言われておりますが、確かに、現行憲法の六十八条一項、二項はそれぞれ、大臣の任命権あるいは罷免権を総理大臣が握っておる、こういう格好になっておりますが、私が問題にしたいところは、七十三条四項に、「内閣は、」「一般行政事務の外、」「法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理する」。難しい言葉を使っていますが、今の日本の国の憲法でもこの掌理するというような言葉が書いてあるんですが、中学生はこれを読んで一体わかるのだろうかなと思います。
 いずれにしても、こういう条文があるけれども、その条文は、その前の七十二条の「内閣総理大臣は、」「行政各部を指揮監督する。」という条文とどうも一致しない、バランスを欠いておる、憲法の文言としては不十分である、私はそんな感じがいたしております。
 特に私が問題にいたしたい点は、日本は現在、第三の改革に直面していると言われておるんですけれども、明治以来、挙国一致の人づくり、それにはどうしたって協調が必要だということで、行政が日本の発展の中心にあって、それで行政指導だとか通達行政の根拠規定がいまだに国家行政組織法の中に存在するという国、どうもこれで果たしていいんだろうかと。まさに金子堅太郎翁が指摘した運用の面で、日本の国の現在の憲法においてすら、やはり、あの当時つくられた、あの敗戦の直後だった混乱期の占領下における憲法だということから、あるいは明治の憲法に対することの反省からそうなったのかもしれませんけれども。
 しかし、今日本を取り巻く中国を含めた東アジアの地域の発展は、まさに驚くべきほどのスピードで進んでおります。日本の決断が何においてもとにかくおくれるということが問題になっているにもかかわらず、やはり、憲法の中の行政に関する理解においては相変わらず過去の今までのものを引きずっている、さっき古川先生もその点についてちょっとお触れになって、私もまさにそうだと思っております。
 したがって、結論として、成文憲法を持つ以上、いつも常に時代に合わせたような改正に適応できなければ、現実との乖離が当然拡大して、ついには国民の幸せすら破壊することもあり得るんだ、あるいはおくれをとることもあり得るんだということを感じます。
 そこで、先ほどの古川先生の御発言、私は前段について大賛成なんですけれども、最後にお尋ねしたいことは、先生が御指摘されたことは、私個人からすると、できるだけ早く改正できるものなら改正していくことの方が二十一世紀における日本の発展につながるんだ、こう思うんですが、先生はどう判断されているか、それをお尋ねいたしたいと思います。
古川小委員 結論からいえば、おっしゃるとおりだと思います。一日も早く、今の憲法上、そうした問題となる点は改めるべきだというふうに考えております。
 少し付言させていただきたいと思いますけれども、私も、大学時代の行政法の講義を思い出しますと、今行政の実務についているような人のほとんどは、田中二郎先生の行政法の本を読んで行政法の勉強をしたんじゃないのかなというふうに思います。たしか、私の記憶が正しければ、田中二郎先生の本には、憲法が変わっても行政法は変わらない、そういうような何か言葉が、これはもともとはプロイセンか何かだったような気が、ちょっと記憶違いかもしれませんが、そういうようなことを学んだ覚えがあります。まさにここに憲法と行政法との本来の上下関係の倒錯というものが起きてしまっている。それがまた日本においては、先ほども申し上げましたけれども、政治で本来やる部分のところに行政が浸透してきたということを生み出してしまったのではないかなというふうに思います。
 先ほども私、申し上げましたが、今の日本の憲法では、これは意図的なのか、あるいは結果的にたまたまそうなったのかわかりませんけれども、エグゼクティブパワーとアドミニストレーションという、英語で言えば書き分けている部分をひとしく行政というふうに訳したというところがやはり混同を招いたんじゃないか。
 ですから、エグゼクティブパワーは、行政権というよりは、どちらかといえば執行権というふうに訳した方がやはりその違いが正しくわかると思うんですね。アドミニストレーション、日本で言う行政というのは、どちらかといえば、もう少し詳しく、別の言い方をするとすれば、執行とか管理というような意味であって、そこをやることが行政府の役割であって、内閣はエグゼクティブパワーとして執行権を行使するんだというふうにやはり明確に区別するべきであろうと思います。
 先ほど谷川先生からも御指摘がありましたけれども、国家行政組織法などというものも、これは同じ議院内閣制のイギリスやドイツには存在しておりません。
 なぜならば、本来、行政組織をどうするかということは執行権をゆだねられた首相が決めていいはずのものであって、首相がいじれないような行政組織というのは、本来その執行権を持っている立場からすれば、社長になったのに社長が自分の会社の組織をいじれないというのがおかしいのと同じことでありまして、ここのところはやはりもう少し柔軟に考えるべきではないか。首相がかわれば行政組織もその首相の意向に従って柔軟に変えられるような仕組みに、法体系にしていくということも考えなければいけないのではないかというふうに思います。
谷川小委員 ありがとうございました。
杉浦小委員長 次に、中川正春君。
中川(正)小委員 民主党の中川正春でございます。
 統治機構の議論をするたびに私自身がつくづく思うことが一つあるんですが、それは、憲法を戦後新しく導入していく過程で、形態的にはイギリス型の議院内閣制という形態をとりながら、運用の面でアメリカの大統領制の部分というものが、それこそ混乱された中で、いわゆる整理がつけられない中で私たちのシステムの中に入り込んできたということ、このことがあるんじゃないかなというふうに思うんですね。
 時代がよりずっと複雑になり、特に情報という面では、国民の中にさまざまな目覚めというかそんなものがあり、民主主義のあり方というのが大きく変わってきた中で、全体のコンセンサスとしては、やはり首相に対して多くのリーダーシップというのをこういう時代背景の中では期待すべきだ、また、そういうシステムに持っていくべきだということ。それからもう一つは、これは野党であるからということじゃなくて、真から、やはり政権交代のある、当たり前の民主主義といいますか、そういうシステムというのがこの国の中にもやはり統治機構の一つの重大な柱として存在すべきだということ。こういうことが一つのコンセンサスになってきているんじゃないかなというふうに思うんです。
 その上に立って考えていくと、先ほど非常に古川さんにいい整理をしていただいたと思うのですが、二点で私はいわゆるシステムとして克服していかなければならないところがあると思うのです。
 その一つは、さっき議論の中心になった、内閣というものの定義でありまして、これをいわゆるエグゼクティブパワーとして定義していく、これは大賛成でありまして、それと行政機構とを分けていく。これはもうイギリスでは、一般の行政機構の官僚と政治家が接触することさえ禁じているというような形できれいに、同じ組織がアドミニストレーションとエグゼクティブパワー、いわゆる内閣に分かれているということですね。これに私たちも注目をして考えていくべきだろうなということ。これが一つですね。
 それからもう一つは、いわゆるアメリカ式でいえば三権分立なんですけれども、恐らく議院内閣制でいけば、三権というよりも、議会の政権与党が丸々、それこそエグゼクティブパワー、内閣に入り込んでいく、そして責任をそこでとっていくというような、そういう形のものなんだろうというふうに思うんですね。
 そういう意味で、よくもう最近になってそのことが自覚をされて、自民党の中にある部会組織と内閣が二元的に運営をされている、そのこと自体が結局は責任の所在というものを明確化しないで、それぞれが逃げる形でといいますか、先送りする形で物事が決められていかない、はっきりとさせていくことができないという、そんなことをよく最近になって指摘されるようになってきましたけれども、そこに起因するところがあるんだろうと思うんです。
 そこで、私もそれぞれきょうの発言者の皆さんに改めてお尋ねをしたいというか、そこをどう考えていくかということを具体的にどのように認識されているか、改めて確かめていきたいのです。
 では、これを一元化していくことが望ましいであろうと。やはり政権与党というのは内閣に対して責任をとっていく、持っていく、そういう体制をつくるべきだろう、こういうことだと思うのですけれども、では今、保守党で参画されておって、具体的にはそれがどういう形で実現をされていくべきなのか、中で議論をしていられてどのようにお感じか、井上議員に改めてちょっとここはお聞きをしたいと思うのです。
井上(喜)小委員 今、政党も、中選挙区時代に生まれてずっと生々発展してきた政党、これが基本になっているわけですよね。それが、選挙制度が変わって、今日の中で多少変わってきているということだと思うんですよね。
 ですから、これは自民党の人に答えてもらった方がいいかと思いますけれども、やはりかつての派閥、派閥というのは、一つの選挙区から三人とか四人とか五人とか六人選んでいた、そういう結果として派閥が出てきたわけですよ。そういうものが今でも残っていて、その派閥がそれぞれ政権を目指すというようなことで、どうもうまく一本にまとまりにくい、そういう土台があったと思うのですが、私はこれは、小選挙区になってくる、しかも全部が単純小選挙区制の選挙区になってきたら、やはり変わってくると思うのですよ。まだそこまで現実の運用が、つまり、党の意識が一つになるというようなところまで来ていないと思うのです。
 そういうことになるためには、少なくとも予備選挙が導入される、自民党なら自民党、民主党なら民主党でチャンピオンを決めて戦う、それできちっと固まって戦うということになってくれば、私は変わってくると思うのですよ。ただ、まだ制度が変わったばかりだから意識がそこまで私はついていっていないと思うのですよね。だから、これは多少の時間がかかると思いますよ。こんな十年とか何年ではこれは解消できない問題ではないか。もうちょっと長くかかる。
 しかし、最終的には、こういう小選挙区制というのは予備選挙でチャンピオンを決めてやるという制度ですから、これが定着してくれば、権力の二元化とか三元化というのはだんだんと解消していくんじゃないか、私はそんな感じがしております。
中川(正)小委員 民主党は、そこのところにしっかりと焦点を絞りながら、次の内閣というのを組織して、そこで一元化をしていくということですね。政権についたときには、それが一元化をした形で入り込んでいくという体制にあるわけですが、そういう観点から見て、野党の立場から改めてこの問題を論じるとすれば、古川議員にも一言お願いをしたいと思うのです。
古川小委員 野党の立場といいますか、かつて私も役所にいて、役所の中から政策決定を見ていた、そういう面からいたしますと、ここのところは自民党の政策決定のところになってくるわけなんですけれども、やはり、閣議にかかる前に、各部会、そして最後、総務会を通らなきゃいけない、そういう仕組みがあるわけですね。今の場合ですと、多分与党間の、その後にまた三党の調整というのが総務会の前なのかどうかわかりませんがあるのだと思いますが、そういった意味では、実は、いわゆる政府と言われている中での政策の決定ルートが二元化をしている。
 例えば税制なんかでいいますと、与党の自民党でいえば、自民党の税制調査会としての税制改革大綱というのと、政府税制調査会の税制改革大綱というのが、二つ出る。これは微妙に関係をしていて、両者が調整をとりながら、しかし、少し違いをつけてみたいな、こういう非常にわかりにくいところがあるわけですね。
 ですから、やはり一つ大事なことというのは、政府・与党から出てくる発信というものはやはり一本に絞られなきゃいけないんじゃないか。あたかも、何か政府では書けないことの部分を、何か与党であれば責任がないからというような形で踏み込んで書いていく。私がかつて役所にいたころよくやったのは、政府税調の答申では書けないけれども、自民党の税調の方にだけは書いておく。そうすると、これで与党の方はおさまって、政府の方は、そこまで踏み込まないでいいからそれでまたおさまる。それは国民の側から見ると、一体どこまでやられるのかというのは、非常に政府・与党として進めるべき政策の方向性が明確でないというところがあって、やはりそこは、政府・与党から国民に対して発信されるメッセージというものは一本にまとめられるべきじゃないのかな、そんなふうに思います。
中川(正)小委員 時間が来たようです。ありがとうございました。
杉浦小委員長 次に、斉藤鉄夫君。
斉藤(鉄)小委員 公明党の斉藤鉄夫です。
 今、中川委員の質問に関連して、ちょっと別な質問を考えたのですが、それに続いて、政府と与党の意思決定のことについて、古川先生と井上先生の御意見がちょっと違うようなのでお伺いしたいんです。
 私は国対をやっているんですが、国対で教えてもらったことは、政府提案の案件であってもそれを通すのは国会だ、したがって与党の協力なしにその案件は国会を通らない。ということは、与党内審査というのは当然必要なことなんだ、こういうふうに言われて、ああ、そうかなと単純に思っていたんですけれども、そのことに関連して、井上先生は、与党内審査は当然のことなんだという御意見でした。今の、私が説明を受けた考え方、私の考え方で間違いないのか、先生もそう思っていらっしゃるのか。また、同じことの質問になるかもしれませんが、古川先生にもその点について御意見を伺えればと思います。
井上(喜)小委員 多分同じことを言っているんじゃないかと思います。つまり、政府が法案を提出する、そういう場合に、やはり議会で議論がされて最終的に可決されるんだけれども、そのときに賛成してくれるように、事前によく説明をして、直すところがあったら直して、与党が賛成するようにする、そういう意味で事前の協議制というのは必要じゃないかということを私は申し上げたわけです。
古川小委員 ここのところを先ほどから私やあるいは中川委員も申し上げていることなんですけれども、今の斉藤委員のお話だと、やはり政府と与党というのが分離しているんですよね。しかし、そこがやはり責任の所在とかを非常にあいまいにしているわけでありまして、議院内閣制というのは与党が政府を構成するんです。ですから、斉藤委員のお話の中で言う政府というのは、何か与党とは別に政府というのが存在する。それは多分、今までの問題になっている霞が関の行政、アドミニストレーションの部分の官僚群ということを意味するんじゃないかと思うんですが、官僚群というのが、与党が本来構成すべき部分とは別に存在しているかのような、そういう前提じゃないと今のような話は起きないはずなんですね。今の仕組みというのは、与党からしても、霞が関のお役所は自分たちとは別の存在というふうに認識をしているわけです。
 しかし、先ほどの私の話からすれば、内閣というのはエグゼクティブパワーであって、霞が関はそのエグゼクティブパワーのもとに、その指揮監督に従うアドミニストレーションなわけですよね。ですから、本来からすれば、そうした政府と与党というような対立などはおかしいわけですよね。
 会社で考えてみていただければわかりますけれども、社長がこうやってやろうと言ってそれで執行部で決まったことと、下の方の現場部門と意見が違うんだ、現場でこうだと言っても上の方の経営陣の方が違う、だからそこのところは調整しなきゃいけないなんというような会社では決してうまくいかないわけですね。当然、会社がうまく機能するという状況はどうかと考えれば、経営陣で決めたものを現場に落としてそれを実行させるというのが会社経営でも基本であって、これは私は国家の経営でも同じだと思うんです。
 そういった意味では、今の、まさに国対でそういう意識があるというそこ自身に、与党の皆さんも、自分たちが霞が関の上に立ってちゃんとそれを指揮監督する立場にあるということを忘れて、何かそれと同じ立場にあるかのような錯覚にあるからそういうふうな議論になってしまうんじゃないか、私はそういうふうに思います。
斉藤(鉄)小委員 今、古川先生のおっしゃったことはよくわかります。
 ただ、いわゆる官僚群としての政府というよりも、いわゆる政治家の集まりとしての内閣の考え方と、政治家の集まりであるところの与党、そこに多少のずれは当然あることもあり得る、こういうふうに考えれば、この政府と与党の間の調整というのは存在してもおかしくないというふうに感じるんですが、この点についてはどうでしょうか。
古川小委員 そこの部分は、もしやるのであれば、例えばイギリスなんかもそうなんですが、それは、大臣とか政治家の部分と与党の中の議員との間で議論をしてそこで決めたことを、要は、内閣から政府といいますか、官僚たちに回す。今のように、与党の、内閣にも入っていない議員が官僚と直接議論をしたりとか、具体的な政策の中身を決めるようなことをやっているということが私はおかしいと思うんです。
 それではなくて、与党の政治家の中のところで、しかも閣内に入っている人に対して与党の人がいろいろ意見を言う、それで伝えるということは当然あるべきことだし、あってしかるべきだと思います。ただ、大事なことは、そのことによって決めた政策の責任はすべてこれはその大臣が負う、やはりそういう仕組みが大事なんです。今の場合だと、大臣が言っていることと違う話が、部会とか何かの実力者のところで決まってしまう。ところが、その人は法律上で考えれば何の責任も負っていない。責任も負っていない人が実質的な政策決定権限、影響力を持つということがやはり私はおかしいと思うんですね。そこのところの政策的な影響力を持つのであれば、ちゃんとした法律上の権限がある人がそこは責任を持って決めるべきだ、そういう仕組みにしていくべきだと思うんです。
井上(喜)小委員 いや、ちょっと、非常に事実の認識で違うところがあると思いますよ。
 政府の中というのは、本来一つの組織だから、これは上下一体なんですよ。その政府の中が二元化しているとか、あるいは政府の下に国会がつくみたいな話、それはおおよそおかしいし、今現実にそういうことになっていないですよ。
 ただ、今の政治あるいは行政も含めて、非常に技術的なことが多くなっている場合もありますよね。ですから、それぞれのエキスパートの協力を仰がぬといかぬところもありますよ。それは当然あるわけですよ。しかし、それは当然のこととして、内閣、政府は一つなんですよね。その考え方に対して国会の方、与党が意見を言うというのは、これはやはり当たり前の話なのです。だから、答弁で事務官僚が答えたら、それは事務官僚に従属しているなんていうようなことじゃないと思いますよ。全く違う。
 それは、私も長いこと役所でやってきて、何十年もたつけれども、もうその力関係というのは物すごい変わってきていますよ。与党と内閣の関係、それから、内閣というか政府の中の、大臣、閣僚とそうでない人、下の下僚との関係は非常に変わってきていると思いますね。
 私は、だから、どうも今でも下の事務官僚が政治を牛耳っていてそれが思うとおりにやっている、そして二元化をしているなんていうようなことは、これは事実と違うと思いますね。それは例外的にそういうことがあったかもわからぬけれども、私はそうだとは思いませんね。
斉藤(鉄)小委員 私の質問時間でございまして……。
 古川先生に最初に聞こうと思っていたことがあるんです。もうあと一分しかないので簡単に聞きます。
 国権の最高機関、憲法第四十一条で国会に定められている。これは私、選挙によって選ばれた国民の代表たる国会が国権の最高機関というのは非常にわかりやすいものだと思うんですが、古川先生は、これを再定義して、やはり内閣としてとらえるべきではないか、このようにおっしゃったんですが、そうだとしたら、内閣の国権の最高機関としての権威の由来はどこになるんでしょうか。これを最後にお聞きいたします。
古川小委員 それは全く事実誤認で、別に私は、内閣を国権の最高機関にしろという話じゃなくて、国会の国権の最高機関ということの中の意味をもう一回再定義すべきだというふうに申し上げたんですね。
 つまり、今の国権の最高機関といっても、これは通説を御存じだと思いますが、単なる政治的美称だというので、別にそこに、実質的に国会に特別な高い権限を与えたものではないというのが憲法学の通説になっているんですね。単なるそういうことではなくて、もう少し国権の最高機関ということを、では実質的にどういう意義づけをしていくかということで考えたら、先ほど私も申し上げましたように、とにかく行政権をしっかりとコントロールしていくという視点と、国民に対して争点を提供していく機能、やはりその部分に重点を置いた、そういう意味を持ったものとして国権の最高機関である国会を意味づけする、新しい意味で意味づけすべきじゃないかというふうに申し上げたわけであります。
斉藤(鉄)小委員 ありがとうございました。
杉浦小委員長 御意見は、後で自由討議の際にどんどんおっしゃっていただくようにお願いしたいと思います。
 次に、武山百合子君。
武山小委員 自由党の武山百合子です。
 井上先生にお聞きしたいと思います。
 先ほど先生のお話で、官僚主導から政治主導に大分なってきたと。私たち、先生と御一緒のときに政府委員制度を廃止して政府参考人という形にしたわけですけれども、しかし現実は、我々委員会で大臣、副大臣と議論をする中でも、政府委員、形を変えて政府参考人になりましたけれども、そういう方にこちらが質問する人もいますし、また、この答えは政府参考人がいいということで答える場合もありますけれども、なぜ政治主導になっていかないのか、まだまだ。何が問題点なのか、先生、その辺の御説明をお願いします。
井上(喜)小委員 私は、政府委員制度が廃止になりましたが、あれは必ずしも廃止する必要もないと思うんですよね。要は、形式的な決定権だけじゃなしに、実質的な決定権を閣僚が持てばいいんですよ。それを政府委員で細かいことの説明をやらせたって、それは一向に構わないわけですよね。単に形だけ政府委員制度をなくしたらいいという話じゃないと思いますよ。なくしても、閣僚がだれかが書いてきたものを読んでおれば、それは閣僚の答弁でも、実際にはそうじゃありませんでしょう。だから、形式的に政府委員制度を廃止するんだったら私は余り意味がないと思うので、やはり実質的に、閣僚が勉強して中のことを理解して、決定権を持つ、そういうのを志向したんだと思うんですよね。
 だから、形式的なことは余り大したことないんですが、それでもなおかつ、今いろいろな問題は、やはり幾つか原因があると思いますよ。あるけれども、基本はやはりよく議員が勉強することと違いますか。よく勉強して、やるんですよ。ただ、議員は、勉強しろといったって限界があるわけですよ。ですから、当然その支援のスタッフなんかをつくって、今は個別に政策秘書とか何かありますけれども、実際には、政策秘書は政策の勉強なんかしていないというわけでしょう。だから、それも問題だし、私は、やはり党としてシンクタンクを持つべきだと思うんですよね。
 ですから、そういうやはり最近のような問題が起こってきて、しかも相当勉強しないと対応していけませんよね。だから、そういう今の時代に対応するような研究の体制を各党がとるということが必要なんじゃないかと思いますよね。だから、相当勉強しないと、やはり新しい制度をつくっていく、あるいは今の制度についての問題点を指摘するということはできないんじゃないでしょうかね。
武山小委員 スタッフの話が今井上先生から出ましたけれども、例えば韓国なんかは、制度が違いますので、韓国は大統領制、アメリカも大統領制で、韓国は六人たしか国会議員にスタッフがついているんですよね。日本の場合、今政策担当スタッフが一人いますけれども、実際はほとんど機能していないのが現実ですよね。試験を通った人は若い人が多いですし、いざ働いてもらうということになるとほとんどよくわかっていない、そういう現状なわけですね。アメリカは、下院はもう一億以上、スタッフとして出ている。これは、日本の国は、スタッフを機能させるために、やはり国が何らかの形でするべきだと思うんですね。
 政党のシンクタンクとか今出ていますけれども、政党も今、将来どう政治が政界再編になっていくかということで、もう少ないスタッフだけでやっているところもあるわけですよね。ですから、その辺は先生、どう考えますでしょうか。
井上(喜)小委員 それは、やはり私は、基本的に日本の国会議員はスタッフが足りないと思いますよ。選挙運動をやる、つまり選挙対策といいますか地元対策をやる人はそれなりに確保しているんですけれども、本格的な政策勉強をする、政策立案をしていくスタッフは少ないと思うんですよね。
 ですから、ある一定の、今のようなことでもいいんです、資格を与えてやはりかなりの処遇をする、そういうことでもう少し大勢のスタッフを持つようになったら、私も個人的にはいいなと思いますね。
武山小委員 また井上先生にお願いします。
 先ほど先生のお話で、クエスチョンタイムのお話が出たんですけれども、これは本当にいまだ軌道に乗っていない、そのとおりだと思うんですよね。その軌道に乗っていない理由というのは、もう余りにも議論が十分できない。すなわち、持ち時間が四分なんですよね。四分なんて考えられないわけですよね、どう常識で考えたって。ですから、やはり極端な話が、成熟していない日本というふうに言われるわけなんですよね、何一つとってみましても。
 それで、常識で考えても、四分で、質問して議論するなんということはできないわけですよ。しかしそれは数の論理で、結局数で全部仕切っているわけなんですね。それはもうクエスチョンタイムだけではなく、委員会でもそういうことがあるわけなんです。数で十分審議できないというのは、委員会でも同じなわけですよね。それがもう今の状態ですと、延々と今のところ続いているという現状なんですね。
 このクエスチョンタイムについて、先生、もう少し詳しく、どうしたらいいかというお話を、方向性をぜひお聞きしたいと思います。
井上(喜)小委員 やはり、クエスチョンタイムというのは、質問に対する答弁ですよね。そういうのをする時間だと思うんですよね。
 イギリスは最初、あれは十五分だったんでしょう。十五分で一週間二回やっていたのを一緒にして、週に一回で三十分でやったんですが、結構あれは見せるんですよ。なぜかといったら、やはり討論をするのが大体今だったらブレアと保守党の党首だとかというように二人、せいぜい三人ぐらいが討論をしないと、やはり議論は深まらないと思うんですよね。だから、今確かにずっと野党の皆さんがやりますから、あれは何と皆さん方は認識しているのかよくわからぬけれども、自由党なんかはそういう革新的なお考えをお持ちだから、結局、参加をする人の人数を制限してやっていったらもっと活発になるんじゃないですかね。
 だから、今までの委員会運営をそのままやっているわけでしょう。だからそれを多少変えてやるとかというようなことで、それは皆さん方がお考えになることじゃないかと思いますね。
武山小委員 皆さん方がお考えになることだということですので、もう少し突っ込んだお話をいたします。
 四分なので、我が党は、もうそんな四分でできないじゃないかということで、実は他党に上げた、そのとき。しかし、今度返してくれるかなと思うと、全然返してこない。そこは野党の責任じゃなくて、与党は数を持っているんですから、懐広くして、野党にもう五分でも十分でも上げたっていいじゃないですか。なぜそこを、時間を上げられないんですか。十分質問に答えたらいいと思うんですよ、与党は過半数持っているわけなんですから。ですから、そこの部分はやはり両方譲り合わなきゃいけないと思います。与党の方も、時間をもっと広げるべきだと思うんですよね。
 イギリスの場合は、政党が労働党と、幾つもないと思うんですよ。しかし、日本は政党があるわけですよね、これだけ野党が。そうしますと、全然やはり話にならないと思うんですよね、四分では。それに対する先生のお考えをぜひお聞きしたいと思います。
井上(喜)小委員 与党は全然質問をする時間はないんですよ。あれは皆野党の皆さん方だけが持っているんですよ。ですから、野党の中の話なんですよ。そんなだらだら長くやったってしようがないから、四十分の中で、では今回はどこの党とどこの党がやるとか、それは皆さん方の中で考えられたらいいことだと思うんですよね。だって、それをほかの党が言ったら、何だということになりますよ。議会というのは、やはり党と党の話し合いですからね。
 たった四分しかないので、四分上げているのにくれないなんというのは、それはやはり理不尽じゃないかというようなことをよく話をされたらいいんじゃないんですか。
武山小委員 それでは、イギリスの十五分というのは、やはり人口も全然日本と違いますので、日本とはまた全然別だと思うんですよね。そのとおりはこちらも導入していないと思いますけれども。
 今、時間をふやしたというお話もありますけれども、しかし、与党は数を持っているわけですから、その枠組みは、やはり与党の方で今決めてやっていると思うんですよね。ですから、やはり懐を広く持つべきじゃないかと私は思います。
 それから、最後になりますけれども、先ほど調査室の問題が出たと思うんですね。衆参両院の調査室、それから法制局の統合強化、議員のスタッフ機能というのは、これは本当にそのとおりだと思うんですよね。野党にとっては、シンクタンクもまた政策スタッフも少ないわけですから、大いにここが、ここの部分がもっとドラスチックに変わるべきだと思うんですね。実際に、調査室に頼んでいろいろ聞きましても、内容なんかは非常に役人の体質と似ているというか、細かいものを持ってくるわけなんですね、いろいろなものを。
 ですから、先生、これはどういうふうにもっとわかりやすくした方がいいと思いますか、機能を。
井上(喜)小委員 これは両院合わせて、法制局、調査室やりますと、四百人以上になるんじゃないかと私は思うんですよね。ですから、調査室だって物すごく充実すると思うんですが、御承知のとおり、調査室は調査室によりまして違います。非常にきちっとした仕事をする、きちんと問題を整理する調査室もあれば、率直に言って、案外ずぼらなところもあるんですよ。
 ですから、非常に差がありますから、それは皆さん方がやはりきちっと言わぬといかぬと思いますよ。これはおかしいじゃないか、こうじゃなしにこういうのを持ってきてくれとか言わぬといかぬと思いますよ。そうしないと、黙っていたらずっと安穏としているわけですから。これはどこもそうです。役所もやはり議会が黙っていたら余り仕事をしませんよ。それは国会の中だって私は同じだと思うので、やはりこうこうこういうことだということを具体的にわかるようにうるさく言って、仕事をしてもらうということじゃないのでしょうか。
武山小委員 どうもありがとうございました。
杉浦小委員長 次に、春名直章君。
春名小委員 日本共産党の春名直章です。二人の皆さん、どうも御苦労さんでした。
 古川さんに最初にずばりお聞きしたいのですが、日本の議院内閣制と、それから国会と内閣の関係ということで、きょう陳述いただきましたが、問題の所在が何かということでもう一回改めて確認したいのですが、官の政に対する優位、それから与党と内閣が分離している問題、こういうところに問題がある、こういう認識でいいのでしょうか。
古川小委員 結構です。
春名小委員 そうしますと、その上に立って議論をしますと、憲法上の明文の中にいろいろな不備があるのでこういう問題が起こっているというよりも、私の認識は、その運用に問題があるという認識を持っています。
 そういう点で、ちょっと議論をしたいと思うんですけれども、一つは、官僚機構が政治に対して優位になっているということについてで言いますと、それは国会と政党のやはり物的、人的力量のアップというんですか、そこに一にかかっているというふうに私は感じるわけなんですが、その点ではいかがでしょうか。
古川小委員 もちろん、運用でいろいろな調整とか改善できる部分はたくさんあると思います。
 ただ、より好ましい形ということでいえば、やはり先ほど私が申し上げたように、今執行権と行政権が混同しているところ、あるいは各大臣の権限が強くて内閣総理大臣がリーダーシップをとれなくて、結局、各大臣が拒否権を持つようなそういう状況をつくっている、そういう条文については、きちんとそこのところの内閣総理大臣のリーダーシップというものを明確化した方が、その方がきちんとした形で政治がリーダーシップをとって政府をコントロールしていく、そういう好ましい形によりスムーズに進んでいくんじゃないかというふうに思っています。
春名小委員 お話も出ましたけれども、内閣が行政権の主体というふうに新憲法でされたのは、明治憲法からの反省がやはり大きくあるわけですよね。立法、司法、行政の区別は明治憲法のときにもありましたけれども、実際は、行政権は全部天皇が直接やる、こういう体制になっていて、国務大臣が内閣という合議体を形成するものとはされていなかった。
 こういう反省から、日本国憲法は内閣を憲法上の機関として位置づけて、行政権の主体と位置づけるということをやっているんだと思うのです。その上で、私の認識では、内閣総理大臣のリーダーシップが発揮できない憲法上の内容にはなっていないと思うんですよ。
 例えば、六十八条には国務大臣の任命権とか罷免権がありますし、気に入らなければ罷免するという権利があるわけですし、総理大臣が内閣を代表するというのが七十二条にもありますし、総理が欠けたときの総辞職というのが七十条にありますし、総理が国務大臣の訴追に対する同意権というのが七十五条にありまして、その意味では、内閣の中でも内閣総理大臣のその権限というのは非常に大きいものが現行でもあるというふうに思うんです。そういうところの運用をしっかりすれば、その意味でのリーダーシップということは私はとれるんじゃないかなという印象を持っているので、これは意見として言っておきたいと思います。何か御意見があれば言っていただければと思います。
 それから、私、政と官の問題について、どうしても井上先生も含めてお二人にお聞きしたいのは、やはり政治と官僚機構の実質的分離のためにどうしたらよいのかというのは問題だと思います。
 政官財の癒着という問題を、やはりこの面からも本当に断たなきゃいけない。業界から献金をもらって、その意を受けて、与党の議員の皆さんなどが官僚に働きかける、官僚はその圧力を利用して自分たちの権益を守る、また近い業界に天下る、こういう政官財の癒着の構造が、最近でも、鈴木宗男さんの事件、坂井隆憲さんの事件、木村義雄さんの事件、さまざまな疑惑が引き続き噴出している。やはりここに癒着の構造、とりわけ天下り、企業献金禁止という問題に切り込まないと、本当の意味で国民主権の内閣制度、国会の制度、内閣制度といいますか、そこはやはりできないというふうに思うんです。そのあたりについて、御見解をお二人にお聞かせいただきたいと思います。
古川小委員 まさに、癒着構造を生んでいる一つの原因も、私は、政府と与党が二元体制になっているところにあるんじゃないかと思うんですね。
 なぜかといえば、献金をもらうという話がありましたけれども、法律的な責任ある所管の大臣が献金をもらってそれで権限を行使すれば、それはわいろに当たって完全に逮捕されるわけですね。ところが、権限のない立場にある人が献金をもらった場合には、職務権限がありませんから、それだけではわいろに当たらない。ですから、そういう人が影響力を行使できるような仕組みになってしまっているというのがまさに政官業の癒着と言われるようなそういう構造を生んでいるわけであります。
 だからこそ、私が先ほども申し上げたのは、要は、職にある者以外は官僚に対して影響力を行使するようなことは禁止する。とにかく官僚に対して影響力を行使する立場にある者は当然法律的な責任を持つ、その職務権限を持っている大臣であるとか、今であれば副大臣、政務官、そういう人たちに限る。そういうことになれば、そういう人たちが、もし万が一、何らかの人たちから特定の利益を得たりして権限を行使すれば、そこは明らかに収賄罪ということで、法律的にも罰せられる。そういうリスクをとっても権限を行使するのかどうか、そこの判断は、そういう責任がある立場にあるからこそ初めてそういう判断ができるわけでありまして、そういった点からも政府と与党という二元体制、これを一元化していかなければいけないというふうに考えております。
井上(喜)小委員 まず、前者の、内閣総理大臣のリーダーシップですね。これは、制度的にはきっちりしておりまして、完全に内閣総理大臣がリーダーシップを発揮できる、そういう制度的な裏打ちがあるわけですからね。ですから、いかにやるかということですから、これは、政治の土壌でありますとか、今までの歴史的な経緯だとか、いろいろなものが絡み合って、何でもかんでも自由にできないようになっているわけでありますから、だから、そういうところをだんだん直していかないといかぬと思います。権限として、制度としては、これはもうきっちりされていると私は思います。
 それから、二点目の問題、これは私、政官財の癒着とちょっと別の話で、いわゆる官僚組織があって、それから上に大臣がおって、例えば国会の答弁なんかにもお役所が出てくるというような、そういうのと政官財癒着とちょっと別じゃないかと思うんですよ。
 今、すべて閣僚が答弁できないような状況が多いんじゃないかと思うんです。閣僚によって違いますよね。ほとんど閣僚できちっと、ぴたっと合った答弁をされる方もありますし、少しどうかな、もうちょっと丁寧にやった方がいいんじゃないかなと思うような答弁をされる方もありまして、私は、いずれこれは閣僚が全部答弁できるようになってくると思います。そういう場合には、役所は別に国会なんかへ出てくる必要もないし、きちっと役所で大臣を補佐するようになると思うんですよ、これは。
 だけれども、そういうことと政官財癒着は別だと思うんですよ。どうせ行政の対象というのは、財界であったり中小企業であったり農業であったり、いろいろするわけですから、それは関係があるんだけれども、癒着は癒着問題として別途対処すべきじゃないかと思いますね。だって、今は確かに役所がいろいろな分野で、多少は、ずっと閣僚が前へ出てきてはおりますが、まだ残っていますからね。それをなくせば政官財癒着はなくなるかといえば、それはそうじゃないと私は思いますけれどもね。
春名小委員 政治と官僚の問題などについて議論する際には、やはり癒着という問題は、日本にとっては避けて通れない大きな柱の問題だというふうに私は思っていまして、別個とはとても思っておりません。それはもう見解の違いかもしれませんが。
 最後に、国権の最高機関という点について、古川さんにお伺いします。
 国会を国権の最高機関と位置づけ直すということで、二つの機能を重視するという御発言があって、国権の最高機関を内閣に移す意味ではないというふうにさっきおっしゃって、ああ、そういうことなのかと思ったんですが、国会を国権の最高機関にしているのは、やはり国民の代表、国民主権の原理の具体化だと思うんですよね。その点でいいますと、時間が来ましたので短く行きます、選挙制度というのは、民意を映す一番大事な、そういう意味では国民主権の具体化の一番大事な柱の一つだと思うんですね。
 そこで、今の選挙制度について、三つの点で簡単に言ってください。一つは、小選挙区制そのものなんですが、民意の集約になることはそのとおりかもしれませんが、多様な民意の反映という点ではやはり欠陥が強いのではないかという問題、大量の死に票が出るという問題についてどう考えるのか。それから、一票の格差が二倍を超える事態が続いている問題。それから、九割の国で実施している十八歳の選挙権がいまだに実現していない問題。こういう問題を解決することがやはり大事かなと思うんですが、どうでしょうか。
古川小委員 最後の二点、一票の格差の是正、そして選挙権の年齢を下げる、その点については全く私も賛成です。
 最初の点についてでありますけれども、死に票の問題をどう考えるかということなんですが、ここは、民意をどのレベルで吸い上げていくか、最終的には、国家として政策を決めるときには、一つのことしか決められないわけです。多様な意見があるからといって、ある同じ事柄について三つも四つもやるわけにはいかない。最終的には一つにまとめ上げていく。ですから、その一つにまとめ上げる過程、その過程をどういう形でやっていくのか。
 私は、二大政党という形の中で、いわば、先ほどの私の最初の発言でも、政党というものを、国民からの意思を吸い上げて、それを統治、政治の場、行政の実質的な政策決定に持っていく、そういう機能として位置づけるという話を申し上げましたが、本来は、政党が政党の枠内でいろいろな社会にある多様な意見を吸い上げて、その政党という中でだんだん、利害だとかいろいろな意見調整をして、そして最終的に国会の場に出てくるときには、二大政党のような形になってくればそれは大体二つの意見に集約されたような形で、ではそのどちらがいいのかという判断をしていくという形で民意というものを吸い上げていく。
 ですから、選挙制度、ただ死に票が全く少なくなって少数が分立すれば、それは国民の民意が正確に反映されることになるのかといえば、必ずしもそうではなくて、そこは別の、政党という中でその民意を昇華していくというあり方でも民意を政策に反映していくということは可能ではないのかなというふうに私は思います。
春名小委員 終わります。ありがとうございました。
杉浦小委員長 次に、金子哲夫君。
金子(哲)小委員 社会民主党・市民連合の金子です。
 お二人の先生には、ありがとうございました。お二人にお答えをいただきたいということで質問させていただきます。
 最近、参議院のある長老の先生が、来年の選挙には出馬をしないというふうにおっしゃった。これは、年齢の問題というよりも、むしろ今の国会のありようについて非常に疑問を持っていると。その一番最たるものは、いわば首相の諮問機関としての審議会やさまざまな委員会が設置をされますけれども、それにすべてのことがゆだねられて、何かあたかもそこで政策が決定されていくような形態というものが今進んでいるということを指摘されて、本来の国会もしくは国会議員としての役割というものがだんだん薄れていっているのではないかという指摘をされたというふうに私はある方からお聞きをしたんです。
 私も、今の国会の状況、先ほど来、内閣の役割や政と官の問題でいろいろお話がありましたけれども、特に小泉内閣になって顕著になっている、審議会とか委員会に依存をするというような今の政治の政策のつくりようということについていささか疑問を持っているんです。いわば議院内閣制との関係の中で疑問なしとしないわけですけれども、その点についてお二人の方から、どのようなお考えをお持ちか、お聞かせいただきたいと思います。
古川小委員 これこそまさに運用の問題じゃないのかなと私は思うんですね。
 今の小泉政権、これは小泉政権じゃなくて、審議会を多用するというのはもともとは中曽根内閣のころから始まったわけなんですが、これなども、本来からすれば、内閣が官僚たちを、自分たちの意向、必要だという考え方に沿うような人たちをきちんと政治的任用でも何でもして、そういう人たちをちゃんと政府のしかるべきところに当てはめていけば、役所と別にそういう審議会とかをつくって、そこで何か意見をつくり上げてそれをやるということは必要ないわけですよね。ですから、そうやって考えますと、これは、内閣がきちんと霞が関の官僚群を完全なコントロール下に置けていないことの一つの現象のあらわれとして審議会というものが使われ出したんじゃないのかなと私は思うんですね。
 ただ、一方で、それがだんだんと今度はまた役所の中に取り込まれていったりして、役所の考え方を審議会を通じて出してきて、あたかも外の意見を聞いたかのような、そういうやり方がとられたりもしているということで、審議会の形骸化ということも言われているわけなんですけれども、こうした問題もあるわけです。
 ですから、これは先ほど私もずっと申し上げておりますが、本来は与党の人たち、ちゃんと発言ができる人、そうした識見のある人、そういう人が内閣の中に入って、そこの中で政策決定にちゃんと参加をしていく、そういう仕組みにしていかなきゃいけないんだと思うんですね。
 勉強しなきゃいけないという話がありましたけれども、そこのところまで勉強していない人が今の場合は内閣やそういうところに入っているからこれは問題であって、本来は、そういう政策決定に参加するような人は、ちゃんとそういう部分についてしっかり勉強が済んでいて、そういうことについて判断ができる人が副大臣とか政務官で入って、きちんと国会でも答弁ができるような、そういう人が任命されなければならないはずだと思うんですが、そこのところがされていない、そこに私はやはり問題があるんじゃないのかなというふうに思います。
井上(喜)小委員 金子先生の質問をこういうぐあいに受けとめたんです。内閣総理大臣の権限がどんどん強くなっていったらどうなっていくかということなんですね。内閣総理大臣と各省大臣との関係がある種のバランスが保たれている場合は大した問題にならないんだけれども、ずうっと権限が集中してきた場合にどうなるかという、ここの問題じゃないかと思うんですよね。
 この間、事務局の人と話をしておりましたら、イギリスのブレアなんかも、ブレアの人気で労働党が勝っているわけですから、非常に権限が強くなった、それでブレアがいろいろな諮問機関をつくって自分でどんどんやっていくわけですよ。普通であれば、各省がまとめてきてブレアと話をするということになるんだけれども、各省をすっ飛ばして、極端に言えば、各省大臣がそれを知らない間に諮問機関をつくって、ばっと答申を出させて、実行するというわけですよね。指示をするということですよ。
 今、その方が言っておられるのは、ですから普通、総理が、おれはこういうことをやりたいから、ひとつ、おまえたちここを検討してくれよというのを各省大臣に指示をして、それなりにまとめてきて総理のところに上げていくということじゃなしに、諮問機関でまずどうだというような話になってくる。各省にずっと仕事をおろしていけば、その段階で党とあるいは国会議員と、その関係というか、ある種のディスカッションがあるわけですよね。だから、そういう人たちの意見をまとめて上に上げていく、それが最近なくなっているんじゃないか、あるいは少なくなっているんじゃないかというような御意見じゃないかと思うんですよね。
 これは非常に難しいところでありまして、余り各省に任しておきますと、のんべんだらりで事が進まない。といって、何でも、諮問機関なんてやりますと、今おっしゃるような問題もまた起こってくるわけですよね。これは非常に難しい兼ね合いの問題があるんじゃないかと思います。
金子(哲)小委員 ありがとうございました。
 次にちょっとお伺いしたいのは、今参議院でもイラクの復興支援法が審議をされておりますけれども、我が国の場合は特に、憲法との関係において、いわば自衛隊のシビリアンコントロールの問題がどう機能していくかということが極めて重要だというふうに思います。今回の法案の審議を見ておりましても、また事前承認の問題も先送りで、この法案を審議しているからいいんだというようなことで、それ自身がもう事前承認なんだという論法の立て方で与党の側の、政府の側の説明があったんですけれども、私は、ちょっと余りにも無謀な論議ではないかというふうに思っております。
 委員会の審議を通じても具体的な中身はほとんど明らかにならないまま現地調査とかすべてが、基本計画先送りになりながら、しかも、国会の事前承認は行わないというようなことになってきていると思うんです。特に憲法九条との関係でこの問題を、先ほども申し上げましたように、我が国はとりわけこのことについては極めて慎重でなければならないというふうに考えておりますけれども、だんだん、この法案の状況などを見てみますと、政府の、いわば内閣の側にすべてがゆだねられていくようなことにつながっていっているんではないかというふうに思っております。
 それで、民主党の場合、この問題については、原則事前承認ということでの修正案も含めて論議をされているようでありますけれども、その点について、今回の法案の審議に見られたような状況の中で、いろいろ法案、自衛隊派遣の問題はとりあえずおいたとしても、事前承認とかいうことは国会が責任を持つという意味でいえば、最低の条件ではないかというふうに考えているんですけれども、この点についてのお二人のお考えをお聞かせいただきたいと思います。
古川小委員 私は、だからこそ、先ほどの発言の中でも、国権の最高機関たる国会の意味というものをもう一回再定義して、特にその中での第一の機能として、内閣機能を強化するかわりに、そういう強力な内閣のもとで統治が行われた場合には暴走の危険が生じるんで、そこに対してはしっかりと国会の方が政治が行う政策決定を強力にコントロールできるような、そうした仕組みをきちんと整備する。
 ですから、先ほど来から議論がありますような、例えば内閣にあります内閣法制局、ああいうものをやめて、国会の中に、そうした法律判断について憲法的な視点から判断するような、そういう法制局の機能をもっと高めていくとか、調査権限を高めるとか、ここは内閣の、首相のリーダーシップを強めるのと、この裏返しとして、国会の内閣に対するコントロール機能、そういうものを十分に高めていく、そういう仕組みづくりというものが必要だというふうに考えています。
井上(喜)小委員 今、事件が起こるたびに、その国に対する支援の法律をつくり、その法律に基づいていろいろなことが実施されてきているんですよね。それで、一般法といいますか、恒久法をつくれというような意見がありますよね。もちろん、だから何かある種の基準をつくって支援をすることができるということだと思うんですが、そういうときには、恐らく基本計画、今のイラクの支援法で言うところの基本計画相当部分については国会の承認が要るんじゃないかと私は思うんですよね。
 ところが、イラクの支援法は、基本計画のことを書いておりますけれども、どんな部隊を何名ぐらい出すとか、どんな兵器を持っていくとか、どんな仕事をするかとか、そういうものをきちっと書くようになっておりまして、しかもイラクを支援する法律ですからね、あの法律が承認されれば、あとは、基本計画については事前に承認されなくてもいいんじゃないかと。ただし、あれはたしか二十日以内だったと思いますけれども、承認されなければ、それは引き揚げてこぬといかぬですからね、そういうことになっていますから、あの法律はあれでいいんじゃないかと私は思うんです。
 ただ、仮にも、将来、一般法みたいなのができた場合は、やはり地域によって違うんでしょうから、そこはやはり国会の事前承認というものが必要になってくるんじゃないのかなというふうに私は思います。
金子(哲)小委員 時間になりました。終わります。
    ―――――――――――――
杉浦小委員長 次に、小委員間の自由討議を行います。
 一回の御発言は、五分以内におまとめいただくこととし、小委員長の指名に基づいて、所属会派及び氏名をあらかじめお述べいただいてからお願いをいたしたいと存じます。
 御発言を希望される方は、お手元にあるネームプレートをお立てください。御発言が終わりましたら、戻していただくようお願いいたします。
 発言時間の経過については、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。
 それでは、ただいまから御発言を願いたいと存じます。
中山会長 両先生、御苦労さまでした。
 私、お尋ねしたいのは、きょうは国会と内閣との関係、こういうことがメーンテーマになって議論されているわけですが、憲法の発議権ですね、これが内閣にあるのか国会にあるのかという議論がございます。しかし、国会が国権の最高機関であるということですから、国会に憲法の改正の発議権があるんではないかというふうに私は思っておりますが、両先生のお考えをお伺いしたいと思うんです。
古川小委員 私もそのように考えています。
井上(喜)小委員 私はどちらであってもいいと思いますが、両方、これはできるんじゃないんでしょうかね。
中山会長 国会にあるという意見と、国会と内閣両方あってもいいんじゃないかという井上委員のお話ですが、これはこれから議論をしていったらいいと思うんです。
 もう一つお伺いしておきたいのは、憲法改正をする場合に、両議院の三分の二の発議がなければできない、こういう規定があるわけですけれども、第一回の憲法調査会の調査団がヨーロッパへ参りましたときに、ローマで塩野七生さんにお目にかからせていただいた。そのときに、三分の二というのは難し過ぎる、だから二分の一にしたらいいじゃないかという意見を言われたことがございますが、両先生それぞれ、ひとつ御意見あったらお聞かせを願っておきたいと思います。
 以上でございます。
古川小委員 憲法改正の手続のあり方についてはいろいろな考え方をしてもいいんじゃないのかなというふうに思っておりますけれども、私どもは党の憲法調査会の議論の中で、例えばというので、「憲法改正の発議権は国会議員にあると明記する、」「その上で、各議院の総議員数の過半数によって改正の発議を可能とする、」また、「各議院の議員総数の三分の二以上の賛成があれば、国民投票を経ずとも憲法改正を可能とする、」「ただし、国民主権の移譲など重要な改正案件に限定して国民投票を義務づけ、その場合、有効投票の過半数の賛成を条件とする、」そういうような考え方もあるのではないかということを議論しております。
 私は、この点についてはいろいろな形の議論を進めていけばいいのではないかというふうに考えております。
井上(喜)小委員 私のペーパーの五ページの六の「議決方法」の三にそれは書いたのでありますけれども、憲法改正には国民投票がありますので、私は、議院が、これは衆議院だけでもいいしあるいは両院でもいいのですけれども、単純多数決でよろしいのではないかというふうに考えております。
中山会長 どうもありがとうございました。
葉梨小委員 きょうのお話に直接関係ないかもしれませんが、両先生に伺いたいと思うんです。
 この小委員会で先日、新潟大学の桜内助教授をお招きしまして公会計の問題のお話を伺いました。国家予算あるいは地方団体の予算等についても、何かどんぶり勘定というか大福帳式で、民間のように会計原則にのっとってきちっとやっていくということが税金をむだなく利用するために必要だ、あるいは、年度、一年限りで予算を組んでいきますが、繰り越して二年間で予算を使うとか、いろいろな制度を取り入れたらどうかというような、そういう御提案であったと思いますが、お二人の見解をお伺いしたいと思います。
古川小委員 私も、先日の桜内参考人の意見に全く同感でありまして、そういう予算編成のあり方を可能にするためにも、内閣及び政府とそして国会との関係というものをもう一度整理していかなきゃいけないのじゃないのかなというふうに思うんですね。
 先ほどから私、何度もお話しさせていただいておりますけれども、国家運営というものを会社の運営と対比して考えるとすれば、内閣というのは会社のCEO、国会というのは株主総会のような位置づけにあるのじゃないかというふうに思われるわけです。
 ですから、そういった意味でいえば、国会の役割というのは、株主総会が果たしている一番大きなところの力とすれば、問題があればそのときには経営者の首をかえる、要は内閣を不信任するという形で経営者をかえる、内閣をかえるということで発揮される部分で一番中心になる。あとは経営陣がきちんとした経営をしているかどうかというところについてのコントロール、チェックをする機能を中心としていく。一方で、経営陣の方は、スピーディーに意思決定ができて、そして決めたことをきちんと行政各部、まさに会社でいえば現業部門だと思いますけれども、そういったところに指示してスピーディーに政策が実行できるような、そういう仕組みをつくっていく。それに適するような形で予算というものもちゃんとつけられていく。そういう形に日本の国の統治の体系というものを変えていかなければいけないのじゃないかなというふうに私は思っております。
井上(喜)小委員 最近、決算につきましては割かしいろいろな議論が出まして、例えば決算委員会を決算行政監視委員会に変えたり、いろいろな権限を付与したりしてくるとか、あるいは予備的調査もできるようになってきたのでありますけれども、財政を含めましてどういうような制度がいいのか、これは財政、決算通しまして。確かに財政というのは余り変わっていないと思います。明治の憲法のころから余り変わっていないと思うので、最近のような経済状況の中、本当にどういうのがいいのかよく検討すべきだと思います。
 だけれども、財政当局からいえば、余り野方図に財政の健全性が失われるようなことは困るということですから、そんなことを配慮しながら、しかし一番適したような財政の制度というのは何かということ、それは当然に考えていいのじゃないかと思います。
葉梨小委員 その件につけ加えまして、会計検査院を衆議院といわず両院の附属機関として、検証機関として使ったらどうか、こういうほかの方からの御提案もあった、私も提案してみましたけれども。これについての両先生のお考えを伺いたいと思います。
古川小委員 私は、国会の機能として、行政権に対するコントロール機能を強めていくべきだというふうに思っていますから、そういった意味では、会計検査院のような仕組みは、本来は国会のもとに置かれて、そのもとに運用されるのが好ましいというふうに思っております。
井上(喜)小委員 予算制度につきましては、アメリカと日本とうんと違っているわけですね。日本の場合は、一応政府が予算案を出す、憲法上そういうような規定になっているわけでありますけれども、アメリカの場合は、予算を決めるのは、歳出の中身を決めるのは議会なんですね。大統領の予算教書というのは、あくまで予算を議会がつくるときの参考資料、参考意見を言っているわけでありまして、大統領が予算を編成するのじゃないんです。
 だから、アメリカのGAOなんかは、あれは一種の監査制度ですね、あるいは評価制度なんかも入っておりますけれども、あれが議会の中にあるというのは当然のことだと思いますけれども、日本はその辺は少し違うのじゃないのかと私は思います。
葉梨小委員 あと、実は両院の問題ですが、両院の、二院がいいか一院がいいかという問題もございますが、私は、選挙制度が、範囲が違うだけで全く同じもので両院の議員が選出されている、これは改めるべきだと思いますが、両先生のお考えを伺いたいと思います。
古川小委員 先ほど私の発言でもさせていただきましたが、参議院の性質、役割というものを見直す中で、やはり選挙制度もそれに合ったような選挙制度に変えていくべきではないかと思っています。
 ただ、これはもう少し、本当は、できればこの国の形ということを考える中で思い切った、道州制も含めた、かなり地方に主権のような形で割り振った上で、参議院、名前は参議院なのか、あるいは別の名前の方がいいかもしれませんけれども、衆議院とは違ってもう一つの院はそれぞれの地域を代表するというような形で再構成する形に将来的には持っていくべきではないかというふうに考えております。
井上(喜)小委員 これは、半世紀間本当に参議院の制度をどうしたらいいのかということを考えてきました結果が今の制度になっているのじゃないかと思うんですね。ですから、なかなか、何かもっといい制度があるのじゃないかといいましても、どういう制度があるのか。
 それは、思い切って変えることは変えても、では、その制度自身の妥当性ですね。例えば、職能代表なんていったって、じゃ、どうやってその職能代表を選ぶんだとか、いろいろな問題がありまして、これは言うはやすいけれどもなかなか難しい問題じゃないのでしょうか。
葉梨小委員 道州制のお話が出ましたが、道州制をやる、やらない、やると決めるとすると、これは憲法で規定すべき事項であるか、それとも行政措置としてやっていっていいものであるか。その点について伺いたいと思います。
古川小委員 もちろん、私は、これは憲法でしっかりと書くべきだと思います。
井上(喜)小委員 道州制なんかは、憲法は地方自治というのが入っていますね、この規定との関連が果たしてどうなるのか。
 だから、道州制を国の機関みたいに考える場合は別でしょうけれども、そうでなしに、やはり都道府県制にかわるもの、あるいは都道府県の連合体のようなものとして観念をしてくるのは、やはり憲法上の問題になってくるのじゃないかなと思います。
葉梨小委員 ありがとうございました。
伊藤(公)小委員 諮問機関とか審議会とかいう話もございましたが、私は、今の小泉総理はたしか首相公選の中心的なメンバーで、総理になってからも首相公選制度を立ち上げることを当初発言されていたと思いますが、やっている手法が、恐らく今までの内閣とは違って、小泉さんは、どちらかというと大統領制の政治手法ではないか。
 それは、いろいろ御批判もあるところですけれども、みずから首相公選を主張してきただけに、むしろ自分はその認識で、さまざまな今までタブーとされてきた問題にチャレンジしているのだろうと思います。むしろ、そういうことを国民の皆さんも見ていられるのではないか。例えば、郵政にしても、道路公団にしても、都市基盤整備公団、あるいは住宅金融公庫など、恐らく今までのやり方だったら、少なくとも手をつけることも非常に難しかったのではないか。
 こういうやり方がいいかどうかはともかくとして、私は、やはり大きな改革をするときというのは、そういう強いリーダーシップというものがなければなかなかできないと思いますし、多分、これまでの五五年体制もそうだったと思いますし、政治は常に国対が中心で、非常に国対というものが大きな力があって、テーブルに出てきたときには既に大体日程が決まって、料理されていく。ところが、小泉内閣になってからは、料理しないまま、台所そのまま出してくるところがある。だから、国民の皆さんの方からすると、むしろ今までと違ってすべてが見える、舞台裏がよく見えて、何が渋滞になっているのか、何をしようとしているかということが、意外と皆さんはメディアを通じてわかるんじゃないか。
 この手法は、大統領制みたいなものは非常に行く方向がはっきりしているという意味で、首相公選制を私もその会のメンバーでやるべきだと言ってきた一人ですが、私は、小泉さんの今度のさまざまな改革に取り組んでいる手法というものは、むしろこれが首相公選などであったら、もっとはっきりと、もっとスピーディーにそれこそ結論が出ていくのではないかというふうに思うわけでありまして、そんなことを申し上げておきたいと思います。
 もう一つ、最近、衛藤さんなんかと、参議院をどうするかというと参議院の先生方の立場もありますので、一院制ということで改革に取り組んでみようという会ができて、我々もまだその学習を始めたばかりでありますから、一部始終わかっているわけではありませんけれども。世界で今百八十三カ国ですか、その中で一院制を既にやっている、あるいは一院制になったという国が百十二カ国あるわけですね。そうすると、二院制でやっているところは約三七・二%、むしろ二院制の国の方が少ない。もちろん、デンマーク、スウェーデンなどの国も一院制でやっているわけでして、きょうは、中山会長、参議院と衆議院を御経験されているわけですから、むしろ御意見を伺った方がいいのかもしれませんが。
 やはり私は、今の参議院は、改革をすべきだというよりは、今井上先生からもお話があったように、改革をするといってもなかなか難しい。それなら、むしろ本当に一院制にして、参議院を残すというよりも一院制にして、私は政治が真剣に誤りない結論を出していく、そういう一院制にむしろ大胆にやっていくべきではないかというふうに思いますが、改めて、一院制について御意見を伺えればと思います。
古川小委員 今のままの中央集権の仕組みで、地方は基本的に中央政府の下につくような形というように考えるのであれば、私も一院制でいいんじゃないかというふうに思いますが、将来のこの国の形として、道州制のような形で地方に自立権を認めて、その連合体のような形の、連邦制に近い国の形を考えるとすれば、その連邦的な形の日本の国をまとめていくという視点でのもう一院の存在意義というものは私はあるのではないかと。
 ですから、そこのところは、一院がいいのか、二院がいいのかというのは、今までの日本の国の形をそのままこれからも続けるのか、あるいは、今後は全く別の形を続けるのか、そこのところで、一院がいいのか、二院がいいのかということの議論というものも決まってくるのではないのかな、そんなふうに思います。
井上(喜)小委員 これは、理屈を言えばそれぞれ理屈は言えると思うんですけれども、どうも、経験に徴して言えば、やはり一院制の方がいいんじゃないかと私は思うんですよね。ただ、問題は、どうして一院制にするのか、ここですよね。なかなかこれは難しいですね。
伊藤(公)小委員 もう一言だけですが。
 もし万一、二院制だとするなら、例えば最近、東京の石原知事とか長野県の田中知事とか、もう政党、関係ないんですね。むしろ、自分の意思で物事を判断したり物を言っている。あるいは市町村長さんなんかも、我々、東京なんかでは、政党はもう要らないと言う人たちがむしろ多いですから、そういう方々の代表によって参議院というものを構成するなら、私はこれは違った意味を持ってくると思います。
春名小委員 春名です。
 お二人に、もう少し、質問を含めて発言をさせてもらいます。
 先ほどの、第九十六条の憲法改正条項の問題についてですね。この九十六条では、発議は、国会がこれを発議するということになっています。内閣はそれを行うということにはなっていないということ。それから、井上さんがおっしゃった、発議は衆議院の多数決によるなどとすることを検討したらどうかということについて、それ自身が憲法改正そのものでありますので、九十六条を通らないとできないという性格のものだということは言っておきたいと思います。
 さて、国会の機能強化、国権の最高機関としての位置づけとの関係で、これは井上さんにお聞きしたいと思うんですが、やはり、古川さんもおっしゃいましたが、行政のチェック機能、コントロール機能というのを一層充実させることがこれから大事だと思います、国会が。その点では、審議の充実というのはもう避けて通れないと思います。先ほどの、クエスチョンタイムが四分という話もありましたが、私のところなんかも五分か六分なものですので、同じようなものです。
 私、国会に来まして七年になりますが、とりわけ、省庁を大きく、大くくりで再編されて以降、たくさんの法案が出てきて、一つ一つの審議について非常に不十分で、非常に深みが足らないというか時間が足らないという中で、むしろ質疑は形骸化しているという状況が率直に言ってあるという認識を持っております。
 それから、副大臣、政務官制を導入し、政府委員制度をなくしたということですけれども、ただ、大臣や政治家の方が答弁をされていることが、今までの到達点を余り踏まえないで、またもとに戻すというような話が時々出てきたり、そういう意味では、審議の充実と、そして、争点を明記したり行政のコントロールをするという機能を、やはり与野党を問わずこの機能を重視する、努力するということは憲法からの要請でもあり、二十一世紀、非常に問われていると思うので、その点について、与党の側からも見て、御見解というか意見を聞かせていただきたい。
 それから、もう一つだけ。首相公選制について、お二人にお聞きをしておきたいと思います。
 先ほど井上さんは、時期尚早であるということで、否定的だというふうにおっしゃいました。私自身も、政党政治が衰弱するんじゃないかという問題、それから、一人の人物に強大な権限を与えるということが、社会の進歩との関係で本当にそういう方向でいいのかという、大きな視野で見たときのそういう問題等々、さまざまな問題があると思いまして、否定的です。その点についてもう一度お聞かせいただきたい。
 古川さんには、首相の権限を強化するということを重視されるということなんですが、そのことと、首相公選制というのを導入することとの関係をどう整理されているのか、そこら辺をお聞かせいただきたいと思います。
井上(喜)小委員 まず、国会の審議の充実、これは、今の省庁改革と関連して今の委員会構成ができたわけですけれども、今の省庁改革が本当によかったのかどうかですよ。非常にいいところもあると思いますよ。だけれども、余り大き過ぎるというようなことだってあるんじゃないかとか、そういう意味で、ある一定の期間経過すれば、中央省庁について、よくこれは再検討したらいいんじゃないかと私自身は思います。
 それから、国会の委員会ですけれども、これはまさに国会が決めることなんですよ。私らもいろいろな意見を言いましたが。だから、今の省庁単位の委員会がいいのか、多少そこは違えたような方がいいのか、これは国会でよく議論されたらいいんじゃないんですかね、今みたいに全然審議ができないじゃないかというような話、全然じゃなしに、余りできないというようなことになったら。そこはそういうように私は思います。だから、省庁の改革とそれとは別だという話ですよね。
 それから、首相公選制につきましては、私は、どうも日本の風土というのは根本的に、一人の人にばっと与えるというようなことがうまくいくんだろうかと思うんですよ。それで、立法府は立法府でまた選挙をするんですからね。ですから、ここはやはりある種の経験を経ないとね。まず、だからどういうことかと言ったら、内閣総理大臣のリーダーシップを強化して、本当に大統領的な総理大臣が出てきて、それがうまくやっていくというようなことになってくれば、それはそういうことに移行できるかもわからないけれども、今直ちに首相公選制にするというようなことは、基本的にやはり日本の風土がまだそこまで行っていないということとか、それから、今選挙をやったらどんな人が、いい人もそれは当選はしますよ。けれども、そういう人ばかりだという、そういう担保をすることはできないんじゃないかと思いますし、それから立法府との関係。ということで、私は、否定的であります。
古川小委員 首相権限の強化と首相公選制についてでありますけれども、私が考えておりますのは、要は、政党を憲法上もきちんと位置づけて、そのもとで政党中心に民意を吸い上げて、それを政治の場に持っていくということから考えれば、何も直接総理大臣を選ぶような首相公選制ではなくて、現行の中で、きちんと政党が選挙の後の首相候補をそれぞれ明示をして戦う。ですから、国民がそれぞれの選挙区で投票する一票は、その選挙区の代表を選ぶだけではなくて、その選挙区の代表者を選ぶ過程の中で、間接的ではありますけれども首相を選んでいくというような形で、首相が事実上公選に近いような形で選ばれるような形で、政党というものが選挙も戦っていくべきではないかと思うんですね。
 ですから、これは、民主党はかねてから、選挙というのは政権の選択、政権選択選挙。政権選択というのはどういうことかといえば、総理大臣を選ぶ選挙。ですから、ただ単に候補者を選ぶだけじゃなくて、その候補者が所属している政党、あるいは候補者が政党に所属していなければ、その候補者が自分は議員になったときにはだれに首班指名選挙で投票するのかと明示をして戦うことによって、そのもとで国民は総理大臣を間接的に選ぶことになっていく。そういうような仕組みをとっていけば、私はそこで首相公選制に近い効果は認められると思いますし、そういう中で、先ほどから私が申し上げているような、首相権限が、きちんとリーダーシップを首相が発揮できるような仕組みをつくっていけばいいんだというふうに思っております。
仙谷会長代理 きょうの議論を政治の相当大きい部分である資源配分といいましょうか、という観点から考えてみますと、従来やってきた各省庁あるいは各省庁の下につくという構造の市町村というふうな、あるいは各省庁の中は各部局に分かれている、それをあたかも代理人であるかのように主張する大臣と、この個別を寄せ集めれば、合成すればうまくいくという政治がついに終わったんではないかということを、私はつくづく感じるわけであります。
 よく聞く話でありますが、議院内閣制の典型であるイギリスの、現時点ではブレアでありますが、ブレア内閣は、ブレアとゴードン・ブラウン、二人がまず予算の大枠については決める、こういうふうに言われております。そのぐらいダイナミックな予算の大枠についての決定がなされないと、これは下から予算の積み上げを毎年毎年やって、ああ、八十兆円で足りない、足りるなんということを何年やったところで、この大きな時代的な転換をしなければならない時代には到底対応できていない。
 それが、現在の改革諸課題についての、各省庁と族議員が党の側におって、大臣、副大臣、政務官というのがそれほど改革方針を体現していない場合には、何か抵抗のとりでのようなものが各省庁の中にできて、これと内閣が対立しているのか敵対しているのか、よくわからない。小泉さんは、そこで指導力を発揮するのかと思えば、ほとんど、いや、まあ話し合ってもらえればいい、中途半端なところに落ちついていくというふうなことが、この間随分繰り返されてきているんではないかというふうに私は見ております。
 実は、これはきょうも問題になっております内閣と与党の一元化の問題でもありましょうし、首相府といいましょうか、内閣総理大臣を中心とする政治権力が一元的に国民の負託を受けて、責任を持って政治的な意思として資源の配分を決定していくということが行われていないという証左だと私は考えておりまして、私どもがもし政権をとれば、直ちに一期目に各省庁の予算と人員だけは大幅にスクラップ・アンド・ビルドする、そのぐらいの構えがないと、この時期の改革というのはできないんではないか。
 もしそれが必要だとすると、それにふさわしい首相権限の強化であったり、それにふさわしい、そういうことができる体制をつくっていくということが国会と内閣の関係でも必要なんだろうなと私は思っているところでございまして、このままずるずると各省庁から上がってきた予算と現在の定員、人員をそのまま維持しながら微増微減を続けていって、さあどこまでこの日本がもつのかというふうに私は考えておりまして、今与党を担っておる先生方については特にこのことをお考えいただいて、もし御所見があればいただきたいと思います。
井上(喜)小委員 半分ぐらい私今同意をいたすんですよね。確かに、大改革、大転換の時期にはもう来ているわけですからね。
 私は、そういうことをする場合は、やはり目標をきっちりと置かぬといかぬと思いますよ。目標をきっちり置く。なぜそういう目標をつくるのかということについての説明、これをきっちりする。それは、私は、何か総理大臣の権限を強化して、何か総理大臣が各省大臣と対決していけばいいじゃないかみたいな、それはどうかと思うんですよね。(仙谷会長代理「対決すればいいじゃないですか」と呼ぶ)対決じゃなしに、同意を取りつける。目標がきっちりしていて、その手段がはっきりしておれば、それは皆が納得するはずですからね。そういうように皆の同意を取りつけながら実施をしていくということが大事じゃないか、こんなふうに思います。
 今の時点でいうならば、目標の設定ですね。それは、ともかくいろいろな仕事があって忙しいから、ついつい先延ばしになるわけですよね。やはり大改革をやろうと思ったら、それなりの時間が要りますよ。だから、根本的にその辺は考えて、検討して、やはり目標をきっちりつくって、みんなに納得をさせた上で進めていく、これはもう必要だと思いますね。
伊藤(公)小委員 国会の機能を強くしていく必要があると思いますが、我々、いろいろ改革をしてきて、最近、副大臣とか政務官が答弁をする、そういうのを聞いていまして、非常にしっかりした人が政務官、副大臣になってきている。時には、民間出身の大臣よりもはるかに副大臣の方が明快に答弁するなんというケースもありまして、私は、そういう意味では改革は進んでいると思います。
 私は十年間野党を経験しているものですから、そういう立場もあるんですけれども、大きな官僚を向こうに回して我々が論陣を張っていくときに、やはり何といってもスタッフが必要だ。
 これは政治改革とも絡むんですけれども、私は、特にお二人の先生方に伺いたいんですけれども、これは各政党それぞれの協力がなきゃできませんが、政治とお金の問題がいろいろな議論をされてきました。私は、そうはいっても、議員の活動を支える政策秘書、これはやはり、きちっとした正式な試験を通った人、少なくとも三人から五人必要だ。アメリカのように二十人、二十五人まではいかないし、そこまではなかなか国民の理解も得られないかもしれないけれども、少なくとも三人、できれば五人ぐらいのきちっとしたスタッフをそれぞれの国会議員につけてもらう。
 そして、その政策秘書は、今のように研修を受けたらなれるという秘書ではなくて、きちっと試験を通った人。そして、その人は、その議員が議員をやめようとやめまいと、国が身分を保障している。これはアメリカですよね。ですから、落選をしても政策スタッフとして残っていくわけです。次のどなたかの先生に、私は外交の専門だと言って政策秘書になっていくわけですから。私は、この政策秘書の制度というものを、これはそれこそ超党派でやっていくということが一番、議員の活動がもっと強くできる道ではないかと。
 これは各党の協力がないと、また、お金がかかるとかという話になりますから、これは、私は皆さんの、各党の御協力をいただきたい。私は、実は政治制度改革の仕事をやっているものですから、ちょうど民主党さんもあれですし、御意見を伺っておきたいと思います。
仙谷会長代理 今の伊藤先生のすばらしい提案に全面的に同意いたしますが、その際に、これは試験もそうでございますが、私、今いろいろな政治改革的議論もしておる中で、もう一つ日本にとって必要なのは、企業と公務員の方々が休職をして政治スタッフになることができる。
 おまえは民主党に行ってやったからけしからぬとか偏向しておるとかという、この種の議論が日本はすぐ出るわけでありますけれども、そうではなくて、その間は、例えば民主党、仙谷由人のスタッフであるけれども、三年間なら三年間、それをやめればまた、もう一遍帰ることができる。それは、いわゆる公務員に要求されている中立性の問題とはレベルの違う問題だ、そういう考え方があまねく広く行き渡ることと、そういう休職してスタッフになり得るという制度をつくりませんと、いいスタッフというのはなかなか手にすることができないというふうに私は思います。
 そのことを通じて、もっともっとキャリアの方も政治スタッフの方々も、雇用の流動化と言うとはすっぱになりますけれども、要するに、人材が少々境界を越えて流動化するようにならないと、日本の政治というのはよくならない、あるいは知的レベルは上がってこないというふうに私はこのごろつくづく思います。
杉浦小委員長 小委員長としても賛成でございますが、井上先生は。
井上(喜)小委員 私は、政策秘書を三人から五人プラスするというのは、もう大賛成ですね。それぐらいはもう絶対に必要だと思います。
杉浦小委員長 会長、一言ございますか。
中山会長 きょうは、党派を超えて委員の先生方が、政策秘書を増強せないかぬという話、しかもそれは流動性がなければ、その人の一生の問題ですから。例えば、企業から出てくる場合には、退職金のときのあれが減るんですね。それとか、昇進に影響がある。こういう問題が深いところにもございますから、そういうものを同時に解決するような政策を立てて、国会議員が決断せないかぬ。それには、国民にも十分説明をする必要がある。私はそのように思っております。
杉浦小委員長 他に御発言はございませんか。
 それでは、討議も尽きたようでございますので、これにて自由討議を終了いたします。
 大変貴重な御意見を伺えて、本当にうれしく思っております。
 本日は、これにて散会いたします。
    午後四時三十五分散会


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