衆議院

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第4号 平成16年5月20日(木曜日)

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平成十六年五月二十日(木曜日)

    午前九時二分開議

 出席小委員

   小委員長 鈴木 克昌君

      近藤 基彦君    永岡 洋治君

      西野あきら君    野田  毅君

      二田 孝治君    森山 眞弓君

      稲見 哲男君    玄葉光一郎君

      辻   惠君    増子 輝彦君

      斉藤 鉄夫君    山口 富男君

      照屋 寛徳君

    …………………………………

   憲法調査会会長      中山 太郎君

   憲法調査会会長代理    仙谷 由人君

   参考人

   ((財)地方自治総合研究所理事・主任研究員)   辻山 幸宣君

   衆議院憲法調査会事務局長 内田 正文君

    ―――――――――――――

四月十二日

 小委員木下厚君同月九日委員辞任につき、その補欠として馬淵澄夫君が会長の指名で小委員に選任された。

五月十日

 小委員杉浦正健君同月七日委員辞任につき、その補欠として野田毅君が会長の指名で小委員に選任された。

同月二十日

 小委員山口富男君及び土井たか子君四月十五日委員辞任につき、その補欠として山口富男君及び照屋寛徳君が会長の指名で小委員に選任された。

同日

 小委員岩永峯一君及び馬淵澄夫君同日委員辞任につき、その補欠として西野あきら君及び稲見哲男君が会長の指名で小委員に選任された。

同日

 小委員古屋圭司君及び鹿野道彦君同日小委員辞任につき、その補欠として近藤基彦君及び増子輝彦君が会長の指名で小委員に選任された。

同日

 小委員西野あきら君、稲見哲男君及び照屋寛徳君同日委員辞任につき、その補欠として岩永峯一君、馬淵澄夫君及び土井たか子君が会長の指名で小委員に選任された。

同日

 小委員近藤基彦君及び増子輝彦君同日小委員辞任につき、その補欠として古屋圭司君及び鹿野道彦君が会長の指名で小委員に選任された。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 統治機構のあり方に関する件(中央政府と地方政府の権限のあり方)


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     ――――◇―――――

鈴木小委員長 これより会議を開きます。

 統治機構のあり方に関する件、特に中央政府と地方政府の権限のあり方について調査を進めます。

 本日は、参考人として財団法人地方自治総合研究所理事・主任研究員辻山幸宣君に御出席をいただいております。

 この際、参考人に一言ごあいさつを申し上げます。

 本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人のお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じます。

 本日の議事の順序について申し上げます。

 まず、辻山参考人から中央政府と地方政府の権限のあり方、特に課税自主権について四十分以内で御意見をお述べいただき、その後、小委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。

 なお、発言する際はその都度小委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は小委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。

 御発言は着席のままでお願いいたします。

 それでは、辻山参考人、お願いいたします。

辻山参考人 辻山でございます。

 大変な議論をされていることを承知しておりますが、御発言の機会を与えていただきましてありがとうございます。

 私、実は、自主課税権を中心としてということも含んでお招きにあずかっていると思いますけれども、あらかじめ申し上げておきますと、課税権自体についての見識はそれほどございません。事務、権限の配分に伴って適切な税源の配分がなされればよいということでございますので、とりあえず、現在、地方自治がどのような状況にあるのかということを御報告申し上げたいと思います。

 最初に、分権一括法が施行されて既に五年目に入りましたけれども、この分権一括法が地方自治に対してどのような効果を持ち得たのか、今持ち得ているのかという点について、何点か申し上げておこうと思います。

 御承知のように、五年前の地方分権改革は、行政統制と言われる分野を緩和して、できるだけ地方自治体の独自の行動を保障していくということでございました。その象徴は、実は通達による統制ということでございまして、国家行政組織法における訓令権が地方自治体を縛るということから解放していくということが行われたのでございました。

 そこで、通達という用語自体が廃止され、現在は存在しておりませんけれども、実は、それにかわって、技術的な助言、勧告という方式が採用されております。この技術的助言、勧告に変わった趣旨と申しますのは、各省大臣の訓令権を行使するまでもない、いわば自治体運営の指針とすべき内容については、これを見直し、通達による縛りを緩めていくということでございました。

 しかるに、現在提出されておりますこの助言、勧告というものは、ほとんど従来の基本行政通達と内容が変わらず、一部見直しが行われたにもかかわらず、ほぼ出版社において表紙を取りかえた状態で自治体では横行している状況がございます。各省が、一刻も早く、この従来から通用してきた通達が今日もなお必要であるかどうかということについて精査をすることが第一に肝要かと存じます。

 また、自治体の側も、とりわけ都道府県行政において、地方分権への取り組みの意識がまだ徹底していないと思われる状況がございます。一部の県においては、国からの通達等に対して、今でいいますと通知等に対して、この文書には拘束力はありませんというただし書きをわざわざつけて市町村に手渡すということをやっているところもございますが、多くのところは、これまでどおり、ほとんど市町村へ流すということが行われているようでございます。

 端的に申しますと、国の関与の項目に従えば、都道府県は国の各省から文書を受け取ったときには、これは不当な関与に当たらないかどうか、違法な関与ではないかどうかを判断し、それに当たる場合には、国地方係争処理委員会に申し出るなどの行為が必要でございますけれども、ほとんどそれがなされていない現状があるということも事実でございます。

 そういう意味で申しますと、実は、中央の各省及び都道府県を含めて地方分権改革が行われたのだということの意義をこれからもう一度徹底していくという作業が必要になっている、こういう状況にあるということを第一に申し上げておきましょう。

 第二は、いわゆる法定受託事務について、各省大臣は、そのよるべき基準を定めることができるということになっておりますが、このよるべき基準というものが従来の訓令権とどこが違うのかという問題がございます。このよるべき基準というものがどのような法形式をとって行われるかということについては、解釈の問題にされておりますので、時に告示、時に省令、時に政令という形で示され、それが自治体行政のありようを拘束するということが行われております。

 なぜ拘束するのかと申しますと、地方自治法第十四条によりまして、法令に違反する条例を制定してはならないということになっておりまして、この告示もまた法令に含むという解釈が展開されているからでございます。

 その点で申しますと、2のことでございますけれども、よるべき基準、いわゆる処理基準も含めて、国の法令の規律密度ということがもう一度検討されなければならないであろうと思われます。

 これはまさに、法律については、この国会のありように深くかかわるわけでございまして、改正された地方自治法においても、法令が地方公共団体の事務について規定をする場合、特に自治事務については、自治体の自由な活動をできるだけ阻害しないように立法上の配慮を求めている、これはまさに、国会自身がそのように判断をし、宣言した内容でございます。にもかかわらず、法令の規定はどうか。とりわけ、政省令以下の規律密度について、ほとんど国会での監視が行われていないのではないかということが心配されるのでございます。

 そういう意味でいいますと、地方自治法第十四条の、法令に違反しない限りという規定を、憲法第九十四条にそろえて、法令の範囲内でというふうに書き改めるという立法府の見識を求めたいというふうに思います。

 今回の分権改革におきましては、その効果として、議会がみずからの条例制定権を行使して、地域における議会の機能を高めていこうということが期待されたのでございます。この点につきましては、各地においてさまざまな自治条例が制定されるなどの動きが見られます。

 とりわけ、自治法第九十六条二項におきます議会の議決事項の追加ということについて、三重県から始まりましたけれども、幾つかの県が、みずからの議会の権限としてこれを追加していくという作業が進んでおりまして、そのような面からいいますと、議会の活性化というものには目をみはるものがあるということも言えるのではないかと思います。

 ただ、率直に申し上げまして、分権改革の本当の効果というのは、実は、これは新聞、雑誌等でも使われておりますけれども、分権時代と言われるような、いわば新しい時代を招来したのだという一種のムードと申しましょうか、観念の定着と言っていいのだと思いますが、そのことが、現在、各地における住民と行政との協働のあり方でありますとか、あるいは町づくりのあり方でありますとかということを含んで、自治基本条例を制定するという動きにつながってきている。

 このことは、実は非常に重要な観点でございます。とりわけ、自治基本条例につきましては、これを地方自治体の憲法となぞらえて、地方自治の基本原則と運営のルールをそこに定めていこうというような動きでございます。

 言うまでもなく、これは、市民の自治権というようなもの、あるいは市民もまた地域の公共サービスを担う主体である。つまり、政府にすべてを任せるのではなく、市民もまた地域の自治を担っていく主体であるというようなことを出発点にいたしておりますので、当然のことながら、この条例づくりというものについても、市民の積極的な参加、ワークショップ方式などが採用され、今、市町村及び都道府県におけるこの条例づくりのうねりというものは大変大きなものになってきている。これは、地方分権改革が断行されたいわば間接的な効果と言うことができるのではないかと考えているところでございます。

 このように、分権改革を断行されたことに伴う大変よい側面と、なお分権改革が地方に浸透していないという側面を指摘することができるのでございますけれども、最も懸念されることは、この分権型システムあるいは分権社会の創造というものに取り組む間もなく市町村合併のうねりに巻き込まれている自治体の多いことでございます。

 御承知のように、総務省の統計によりますと、ほぼ半数の市町村が合併協議会などの組織を設置し、合併の是非について議論しなければならないという状況に追い込まれている。共同通信の全国調査によりますと、ほぼ六割強の市町村長さんたちが、今回の合併について、財政的な困難が予想されるので合併しかないと答えている。合併をめぐる機運というのは、私に言わせれば大変水準の低いものになりつつあると思われます。

 合併というのは、やはり近隣の市町村が相語らってより広い範囲で新しい地域づくりをやっていこうということでなければならないと存じますけれども、残念ながら、現在の合併は、いわば財政的な困難のために、大きくなることでそれを回避していこうということに絞られている。このような状況の中で、あの地方分権推進委員会が示し、そして、国会で立法された地方分権一括法の各条項と精神を実行していこう、分権型社会をつくるために汗を流していこうという気持ちにならないのでございます。

 それはなぜかと申しますと、住民たちに働きかけ、住民自治の拡充ということを幾ら叫んでも、やがてそれが合併という形で新しい枠組みにされるのではないか、私は下世話にこれを、いわば地上げ状態、こう言っておりますが、分権の努力が地上げされてしまうのじゃないか、そのような懸念の中で、市町村は今とりあえず合併にどう対処しようかということに追い込まれております。まさに分権への努力どころではない、このことに私は大変憤りを感じるところでございます。

 それは一九九九年の国会で、たしか七月八日に地方分権一括法が成立していると思いますけれども、それから約一カ月後の八月六日、旧自治省の事務次官通達が出されて全国に合併の号令が発せられたということでございます。

 まず、分権をきちっとやっていこうということとの、順序が逆だということとは別に、分権一括法によって通達による統制をやめていこうではないかということを合意したにもかかわらず、この通達によって合併を進めようとした手法は、旧自治省、現在の総務省のとるべき方法ではなかったと私は考えているところでございます。

 ただ、今合併どころではない、あるいは合併もできない、近隣との間で話がまとまらないというような小規模の山間地の自治体において、実は本来の意味での自立ということを真剣に考える動きが出てきているということ、これは私はある種の皮肉かなというふうに思っているところでございます。

 大変厳しい行政の改革を行って、まさに身の丈に合った自治を実現していこう、そのためには、例えば、職員の数も減らす、あるいは議員の数も減らす、町長その他の役職員の給与も減らすというようなことを断行いたしまして、住民たちにも協働作業をお願いし、一緒に地域の自治をはぐくんでいこうではないかというようなことで汗を流している自治体、これらはおおむね小さいところでございまして、人口が数千人とか数百人と言われるところでございます。ある意味で、本当の自治ということがこのようなところで行われているということを御報告申し上げておきましょう。

 以上のようなことから、分権一括法のその後についての私の結論は、まだ残っている税財源のあり方、現在、三位一体の改革で手がついたわけでありますけれども、しかし、それが十分であるかどうかということも含めて税財源のあり方、さらに、申し上げた規律密度の監視機関、これは本来国会の仕事でございますけれども、私は、地方六団体も含めた政省令以下の規律密度について監視する機関をつくってもいいのではないかというようなことを考えております。

 さらに、地方自治法自体が、大きな分権改革を行ったにもかかわらず、まだまだ規定が細か過ぎるということがございます。この地方自治法の規定をもう少し大くくりなものにしていくということも含めまして、早急に第二次の分権改革というものを行う必要があるのではないかと考えております。

 ちなみに、私どもの研究所が中心になりまして、一九九六年から九七年、まさに地方分権一括法が検討されている過程で、地方自治基本法というものの構想を、全文四十何条でしたか、作成したことがございました。篠原一先生を委員長とする自治基本法研究会というものを構成いたしまして、地方自治の本旨を具体化する法律が必要だろう、地方自治法に優越する基本法が必要だという観点でつくったのでございます。ぜひ御一読の上、近い将来においてこれを制定されることをお願いしたいというふうに思います。

 さて、本日の主なテーマであります地方政府と中央政府との権限配分のあり方について意見を申し上げたいと思います。

 私は、自治権というものをやはり法律上も、できれば憲法上もはっきりさせていくということ、このことを優先すべきではないかと考えております。お聞き及びと思いますけれども、自治権というものがどのような内容のものであるかということは、実は地方自治の本旨という言葉をめぐって議論が展開されているわけでございます。

 例えば、大分県日田市における車券売り場の設置問題、これは、別府市が経営する自転車競技の場外車券売り場を日田市の中につくるということについて経産大臣が許可をしたということでございました。

 日田市では、まさにみずからの市域の中に、しかも日田市というのは古くから落ちついた自然環境の中で町づくりを進めてきた、まさに町づくりの自治ということについて非常に住民とともに歩んできたということが主張されておりまして、そのようなところへ、みずからの自治体の合意なしに、外からだれかが車券売り場を設置するという決定をする、そのことは自治権を侵害するのではないかというようなことが今裁判所で争われているのでございます。

 自治権というものは、一体どういう内容として構成すべきなのか。

 私は、一応原則としては、自治権というものには当該地方公共団体の区域内における全権限制というものをまず前提にしなければならないだろうというふうに考えております。そして、この自治権というのは、第一義的に、基礎自治体である市町村に与えられるというふうにしてはどうか。この自治権の内容というのは、どのような自治行政について責任を負い得るか、それぞれの市町村がこの仕事は私たちの仕事として責任を持ってやろうということを決定する権限と考えてはどうかということでございます。

 したがって、人々が生活する地域社会に生起するさまざまな課題、これをまず第一に市町村がみずからの手で解決できるかどうかということを判断し、それを市町村の事務として列記する。それが例えば、財政的行政能力の側面から無理だと感じたところは、それをみずからの事務として採用しないという権限、これを市町村に与えるべきではなかろうかと考えるわけでございます。その仕事はどこへ行くかというと、言うまでもなく、都道府県という地方政府の仕事ということになる。言ってみれば、補完性の原則と言われるものでございます。

 そのようにして、次第に市町村から県へ、県から国へという形で、より広域的で、より重大な事務については、上へという言葉が適切かどうかはわかりませんが、さらに広域的な政府の仕事として配分されていく。この補完性の原則を徹底的に組み立てていくということが、自治権というものの存在を明確にしていく作業ではないか。

 現在は、都道府県にも自治権らしきものがあり、市町村にも自治権らしきものがあり、それぞれがいわば調整をしながらやっているという関係でございますけれども、それにいわば優先順位をつけていくという発想が必要なのではないかと考えているのでございます。

 こういたしますと、現行の地方自治法で採用されている法定受託事務、つまり法の規定によって各団体が受託するという関係はなくなるということが想定されるわけでございます。都道府県の事務となったものはそれは都道府県の自治事務、市町村の事務として留保されたものは市町村の自治事務と考えるべきではないか。

 第二点目は、法令の適用除外ということでございます。

 先ほど御紹介いたしました地方自治基本法の考え方、この地方自治基本法の中には、自治体は自治基本条例を制定することができますよというふうに一応書こうということにしております。そして、その事務については、法令の規定を除外するという権限特例を認めてはどうかということでございます。

 この自治基本条例は、憲法九十五条を援用して、住民の投票によってその効果を発揮するということにしておりますけれども、同時に、これに伴って、法令の適用除外を明記する権限特例法というようなものの制定を求めたいというふうに考えております。

 どんな適用除外を考えているかと申しますと、例えば、基本条例の中で市町村議会議員あるいは市町村長の選挙権等について十八歳からの選挙権を認めるというような場合、これは現行の地方自治法及び公職選挙法に触れるということになりますけれども、そのような基本条例規定を置いたところは、公職選挙法の規定にかかわらず十八歳からでもよかろうというような考え方でございます。

 以上のように、もしかすると、ここは詳細に理屈を詰めておりませんが、最初に申し上げたように、市町村から事務を選択していくというやり方を徹底すれば、この適用除外という考え方は論理的に要らないのかもしれないわけでございますけれども、今のところ、ラフな設計としては、この法令の適用除外というのは意味があるのではなかろうかと考えております。

 憲法の第八章についての考え方を、次に述べようと思います。

 まず最初に、私自身は、今日の地方自治にはいろいろ問題はございますけれども、この問題あるいは将来についての課題というようなものは憲法規定の不備が原因だというふうには実は考えておりません。憲法規定の不備が地方自治の発展を阻害しているというふうには認識していないということでございます。そのことは、既に第一の項目で述べました、法令の規律密度、行政統制あるいは税財政制度の問題が長きにわたって集権的であったということに実は起因していると考えております。

 そういう意味で、地方分権改革が断行されたわけでございますけれども、なお指摘した点についての改善を進めていけば、相当程度、分権型の自治が実現していく可能性はあると考えているところでございます。

 なお、あえて今日における憲法改正ということを前提にして第八章について何らかのアイデアはないかと言われるならば、幾つか指摘することができそうでございます。

 例えば、憲法第九十三条が、地方公共団体に議会を置く、さらに二項で、その長、議会の議員は、住民の直接公選にする。これは、講学上、いわゆる二元代表主義をとっているのだ、こう言われておりますけれども、この憲法で定めた二元代表主義というものは、具体的な地方自治運営にどのような制約をもたらすのかということは明確でございません。

 例えば、二元代表制に基づく機関対立主義であるにもかかわらず、自治体議会の市町村長不信任案が認められており、市町村長からの議会解散権が認められているという問題、こういうこともございます。

 また、もっと大きな話で申し上げますと、果たしてすべての市町村が、大は三百四十万人を超える横浜市から、あるいは都道府県という団体、小は五、六百人という小さな市町村まで、すべて議会を置き、市町村長を別に選挙しなければならないかどうかということについても、自治体の選択に任されていいのではないかということが考えられます。もちろん、具体的には地方六団体の方たちにも御意見はあろうかと思いますけれども、検討の余地はあるというふうに申し上げておきます。

 さらに、二つ目については、これはかつて九十四条の議論を一九四五、六年に行った際に取りざたされたといいましょうか、原案で扱われたものでございますけれども、いわゆるチャーター制度と言われるもの、一度、この採用について検討してみてはどうかということがございます。

 先ほど申しました自治基本条例における法令の適用除外というようなことをイメージしているわけでございますが、ほぼ内容的にも近いものだと思います。アメリカ諸州で採用されているようなチャーター、このチャーターによって、それぞれの自治体の代表組織、取り扱うべき事務の一覧、それに要する経費の負担というような原則を書き込んでいって、これを国会によって承認していく、それによって自治権がそこに定立されるというような仕組みがあり得るのではないかということを考えているところでございます。

 三点目は、中央政府と自治体の責務ということでございますけれども、ここで申し上げようとしているのは、この国が連邦制を採用しないということであるならばという前提でございます。

 恐らく、憲法全体を見直していくという前提に立っても、連邦制を採用するためには幾つかの国民的合意が必要な気がいたしますが、もし、今日と同様、憲法を一つとし、つまり唯一最高の機関として国会を置き、これまでのように国家が国民のナショナルミニマムを実現していくという大原則を堅持していくということであるならば、現在の税財源配分に幾ら手をつけていっても、大きく是正される道はそうございません。というのは、戦後半世紀にわたって地方の資源は相当程度中央に集中しているのでございまして、税源を分散しても担税力がないのであります。

 したがいまして、今申し上げた連邦制への移行を考慮しないのであればという前提つきでありますが、相当程度、中央政府は地方の自治体に対する財政調整の義務を負わざるを得ないだろうと考えているのでございます。

 その点について、現在の三位一体改革というものはやや不十分である。なぜならば、税源が移譲される予定でございますけれども、どのようなシミュレーションを経ても、なお削減された補助金には到達しないという自治体が数多く存在するからでございまして、従来よりも財政の格差が広がるということが指摘されているのでございます。

 これが、もし憲法について、改正していこうというような合意のもとで何かアイデアを出せと言われるのであれば、以上のようなことを申し上げておこうと思いました。

 第四点目に、自治体の適正規模論ということでございますけれども、これは既にお配りしてあります意見の概要にありますように、何が適正な自治体の大きさであるかということについてはなお議論の余地があって、今進められているように、一万人未満についてはこれを整理していこうとか、あるいは十万人だったらいいだろうというようなこと、このように規模で議論することにはなお疑問があるということを申し上げようと思いました。

 要は、その規模の自治体がどれだけの自治をそこで実現していけるのかということでございますので、当然、財源や権限、事務の量などとの見合いで考えていくべきであろうということでございます。

 第二十八次の地方制度調査会が道州制の議論を進めるということにしているようでございますけれども、これについても、道州制とはどのような内容の政府形態であるのかというようなことについてもまだ明確でない状態で、一方で小規模町村の整理、一方で道州制という大変乱暴な改革が進んでいるということを懸念していることを付言いたしまして、時間が参りましたので、以上で私の意見陳述を終わらせていただきます。

 ありがとうございました。(拍手)

鈴木小委員長 以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

鈴木小委員長 これより参考人に対する質疑を行います。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。野田毅君。

野田(毅)小委員 辻山参考人、貴重な御意見、どうもありがとうございました。限られた時間ですので、お伺いしたい点はたくさんあるんですが、ポイントを絞ってお伺いしたいと思うのです。

 ちょうど五年前、地方分権一括法のころに私が担当の自治大臣をしておりまして、反省も込めたり、いろいろな複雑な思いがあるんです。

 特に今、合併問題、全国各地で大変苦労しているんですが、そもそも合併は、財政問題からアプローチするのではなくて、地方分権一括法に基づいて、地方の自治体の行政責任が飛躍的に重くなっていくんだ、それだけに、そうした行政の責任を考えた場合に、今までの人材であったり今までの行政のシステムで果たして対応できるのか、自治体行政の中身の質を高めるためには、そして同時に、それに伴って行政コストも多少効果的な形でなきゃいかぬ、同じ技術屋さんでも小さな規模では優秀な人材は入れられないわけですから、むしろそういった意味で合併というアプローチを実はしていた。つまり、分権一括法との裏腹の関係だった。

 ところが、最近は、むしろ財源面から、三位一体の改革という角度から、地方財政が厳しくなってきて、そっちの方から合併問題に話が、少し中心が変化しつつあるのかなという感想を実は持っております。この点について、所感があればお伺いしたいのが一つです。

 それから、何よりも、御指摘のございました課税自主権を含めて、地方自治というのは財政問題が根幹の一つだと思います。

 具体的に、お話ありましたように、税源を配分するといっても、もともと税源がないんですよね。それをどうカバーするか。そういう意味で、財源調整機能というのをどうしても国が中心になってある程度持っていかなければナショナルミニマム的な責任を果たせない、ここに非常に苦しい点がある。

 そういう点で、御指摘の中で、このナショナルミニマムの保障をする行政は、一義的に自治体が対応する、しかし財源は国の方でカバーする、これは一つの基本的な考え方だと思うのです。

 ただ、私は、かねてから感じていましたのは、地方税の決め方、地方税法で一括して国で決めてしまっているんですよね。だから、むしろ、地方税で決めるのは、交付税計算上の、基準財政収入の計算上の姿にしておいて、現実の適用は、超過であれそれより低くあれ、そこは自治体の条例によって自由度を与える、そんなやり方の方がかえっていいのではないかという思いがしているんですが、この点について御意見があればお伺いをしたい。

 とりあえず二点についてお伺いしたいと思います。

辻山参考人 第一の点でございますけれども、さきに提出された第二十七次の地方制度調査会答申では、これまでの基礎的自治体にかえて基礎自治体という用語を使いまして、その定義の中に、必要な人材も確保しているというようなことが指摘されていて、今私どもは、基礎的自治体と言ってきた市町村とは別の概念として、今野田議員がおっしゃったような力を備えた団体を考えているのかなというようなことを思っております。

 ただ、その場合に、周辺で、山間地で、例えば建築士とか保健師、そのような専門的な能力、あるいは都市計画、そのような職員を抱えられない自治体が、そのような能力を使うために合併をしましょうといった場合には、実は周辺化してしまうという問題が発生いたします。そこをどうするのかということを考えていかなきゃいけなくて、実は私は、先ほど申しましたように、それは都道府県が補完するという仕組みをどうにかつくれないかというふうに考えているところでございます。

 そして、市町村行政にとって、この人材の確保ということがいかに大事かということは御指摘のとおりだと感じているところでございます。

 第二点目の、私も先ほどの陳述で申し上げましたけれども、これは地方分権論としてどうかという議論がまだ残りますね。ナショナルミニマムを保障していく仕事は市町村でちゃんとやってもらいましょう、しかし財政的な手当ては国でやりましょうというと、従来から批判されているような財政による統制がまたやられるのか、こういうことになるわけですが、まさにそこは仕組みの問題でございまして、ナショナルミニマムの確保ということについて、今やられているような補助事業でやるかどうか。これを全額、例えば交付金制度のようなものに組みかえていくとかいうようなことが必要なのかもしれないなという気がしております。

 最後の、地方税法の扱い方についてでございますけれども、確かに、おっしゃるように、交付税の計算上の税目だけやっておいて、あとは、税率その他は自治体の条例で。本当に、そういう意味では、ある種嘆かわしい部分がございまして、税率を自治体で上げていくということに大変憶病といいましょうか、自治体ごとに、標準税率以上にちゃんと取っていこうよということの合意がなかなかとれないものですから、今のところ、そのような権限があるにもかかわらず、行使できていないというような部分がございますね。

 以上でございます。

野田(毅)小委員 いや、実は、最後の部分、非常に大事なところでして、それができなきゃ実は課税自主権を主張する資格がないということなんですね。

 本来、課税自主権を主張するということは、自分たちはもう少し課税をしたいのに、国の法律で、地方税法の中で税率だとかいろいろな課税の仕組みまで決めてしまっている、言うなら制限されているというようなことで、一定限度以上はもうだめ、だから課税自主権をよこせというのはいいんだけれども、今のようなお話がかなり現実には多いというこの実態の中で課税自主権の議論をしているわけですから、私は、それこそ自己責任で、交付税の計算上の世界だけにしておいて、そこから先は、取れなければ自己責任ですよというところに逆に追い込むぐらいの覚悟がなければ本当の課税自主権の議論には入れないんじゃないかという思いがしているんです。

辻山参考人 取れないところは自己責任というのは、先ほど申し上げたような意味でいえば、仕事も返上するということにならざるを得ないということになります。そうすると、ある意味では、住民から見て信頼するに足る市町村かどうかということも問われることになるわけであります。そういう意味では、実は市町村行政自体が大変厳しい状況にあるということを認識していかなきゃならないということになりますね。

 それは、地方六団体の方々におしかりを受けるかもしれないけれども、その考え方には私も賛成でございます。

野田(毅)小委員 終わります。

鈴木小委員長 次に、玄葉光一郎君。

玄葉小委員 辻山先生、ありがとうございました。

 幾つか申し上げたいと思いますけれども、一つは、今も話が出ておりましたけれども、現在政府が進めているいわゆる三位一体改革の評価についてお伺いをしたいと思います。

 知事会長が、異例だと思いますけれども、三位ばらばらの改悪とこれを称し、あるいは、増田岩手県知事は、この改革は国の財政赤字の地方への単なる押しつけだ、こういうふうに言う。正直、これまでの歴史の中ではかなり異例ではないかというふうに思っています。私自身も全く評価をしていない一人でございまして、例えば知事会が、補助金について九兆円廃止して八兆円の税源移譲をというところまで大胆に提言しているにもかかわらず、政府は一兆円というレベルで足踏みをしている。

 今議論のあった課税自主権という議論も、一言で言えば、既にもう法定で、それぞれの税源というのはほぼ決まっているわけですよね。ですから、今さら課税自主権と言われても、極めて限界があることはだれの目にも明らかなんですね。ですから、思い切った税源配分の見直しというものがなければ、どう考えても分権改革というのは進まない。

 したがって、今の三位一体改革というのは私としては全く評価をしていないというふうに思っておりますけれども、その点について一つお聞きをしたいということ。

 もう一つは、よく連邦制という議論があり、また道州制という議論が実はこの憲法調査会でもございます。

 先ほど参考人がおっしゃったとおり、これは連邦制の定義による、道州制の定義によると思います。私の理解では、連邦制というのは、いわゆる司法権をもそれぞれの州で有するということで理解をしています。そう考えると、多分連邦制への移行というのは現行憲法の改正では無理なんだろう、幾らこの日本国憲法を改正しても連邦制には移行できない、もし連邦制に移行するんだったらば、新しく憲法を制定する、全く違う憲法を制定するというふうに理解をしないといけないのかなと考えておりますけれども、その点についての御認識をお伺いしたいと思います。

 とりあえず二つだけお願いします。

辻山参考人 第一の点につきましては、実は、言っていることは一緒なのかもしれませんが、私は、三位一体の改革という組み立て方自身は正しいとは考えているんです、組み立ては。それはどういうことかというと、補助金による統制を減らしていって、地方の自主的な財源で自治をやる、これは正しいんだというふうに思うのですね。

 ところが、問題なのは、そのやり方がまだ確立していないものですから、補助金を削減した分の自主財源をどうやって確立するかということについてはっきり示されていない。しかも、示すとしても、所得税を移譲するにせよ、たばこ税とかいろいろ言われておりますけれども、結局、税の格差、担税力の格差が反映してうまくいかないだろう、この問題があるのだと思いますね。

 それともう一つは、なぜ四兆円かというのがありまして、知事会が指摘しているように、できれば、もし地方に必要な財源であるならば、それをやはり交付税財源の方で保障していくというやり方を基本的には考えるべきなんだろうという気がいたします。

 ただ、この背景にあるのは、各省がそれぞれの分担管理している事務を手放してくれないというのも当然あるわけですので、ここから先はまさに国会と各省との関係に期待をしているところでございます。

 第二点目の指摘、ああ、そうかと思いました。確かに、現行憲法の改正で連邦制を採用するというのはちょっと理屈上難しいのかなと。考えておりませんでしたが、御指摘のとおりだというふうに思いますね。

 少なくとも、いろいろな連邦制がありますけれども、私などは、やはり連邦制を考える場合には、憲法が分散されるという側面をちょっと強調したいものですから、そういたしますと、改正だけでは済まないし、それに私たちの国の場合には元首をどうするかとかいろいろ難しい問題を抱えていて、ぜひそこは御議論をいただきたいところだというふうに考えております。

玄葉小委員 二点目については、本当に連邦制、道州制の定義によると思うので、いわゆる連邦制だとそうなっちゃうのかな、通常言われているような道州制なら大丈夫なのかな、こういう私の理解なんですけれども。

 もう一つだけ、せっかくなので。

 最近、各自治体の中でシティーマネジャー制度というものを採用したいという自治体が出てきているんですね。でも、単純に考えると、そのシティーマネジャー制度というのは、憲法の条文にあるように、第九十三条に、地方公共団体の長、これは直接これを選挙する、こういうふうに書いてあるわけですね。多分、シティーマネジャー制度の場合はこれに当たらない場合が多いのではないか。まさに、その定義にもよるんですけれども。

 そうすると、より多様な自治体の形態というものを認めていくとすると、ここの条文は何らかの修正を加えないといけないのではないかというふうに考えておりますけれども、その点についても御認識をお聞かせいただければと思います。

辻山参考人 シティーマネジャー制を採用すると、憲法九十三条に違反するだろうかという議論がございますけれども、やりようによってはいけるのかなと。つまり、どんな権限を与えるかとか、地方公共団体の長は選挙するとなっていて、地方公共団体の長はいろいろな事務、権限があり、地方公共団体を代表するという権限があったりいたしますよね。そういうものを持たせないシティーマネジャーだったら抵触しないのかなという気はいたします。

 先ほど私が、もし憲法に踏み込んだ議論をせよというのであれば九十三条を見直してはどうかと申し上げたのは、その点も含んででございます、シティーマネジャー制の採用がもう少し懸念なくできるようになるのではないかというようなことも含めてです。

玄葉小委員 もう一つだけ済みません。

 先生のレジュメを拝見すると、基本的に憲法規定については、原則的に憲法規定の不備が地方自治の発展を阻害しているという認識はないと。

 そうなのかもしれないんですけれども、ただ、例えば地方税に関する規定は明示的にはないですよね、解釈で多分読んでいるんですよね、地方自治の本旨。だから基本法をつくれということでもあるのかもしれませんけれども。あるいは、さっきおっしゃったような補完性の原理とかですね。それに類するような規定をより明示的に、新しい憲法を書くあるいは憲法を改正するという場合は修正を加えていった方がいいんじゃないかと私などは考えていますけれども、それについてはいかがでしょうか。

辻山参考人 どうでしょうか。こうすればもっとよくなるという点は多々あると思います。思いますが、そうしなければ今の自治が窒息状態のままだよということではない、そういう認識でございますので、今御発言になられた税の原則とか、あるいは近年でいうと、住民と地方政府との関係の原則をちゃんと憲法上書くとか、できれば都道府県と市町村、道州制を入れるとなれば、道州制と基礎自治体の関係みたいなものも打ち立てる必要はあるのかなというようなことは考えております。そういう認識でございます。

玄葉小委員 どうもありがとうございました。

鈴木小委員長 次に、斉藤鉄夫君。

斉藤(鉄)小委員 公明党の斉藤鉄夫です。

 辻山先生、きょうは本当にありがとうございました。早速質問に入らせていただきます。

 国と地方の役割について、ナショナルミニマムの中でも最も大事なものの一つだと思うのですが、教育について、一つの具体的な例を挙げながら御質問させていただきたいと思うのです。

 といいますのは、私は文部科学委員会、それから党の文部科学部会長をしておりまして、特に今、義務教育費国庫負担制度の存続の可否というのが非常に大きな問題になっておりますので、この問題についてちょっと、まず最初にお聞きさせていただきます。

 このことについては、各党におきましても議論が真っ二つに分かれている。つまり、教育については、内容については地方のいろいろな特色、自由を生かすにしても、それを支える財政についてはあくまでもしっかりと国が責任を持つべきだ、これは憲法が保障するものであるという議論と、いや、教育も含めて、例えば義務教育費国庫負担のそのお金は一般財源化して地方に渡すべきだ、こういう議論がございます。私自身は前者の立場をとっております。

 私はアメリカに三年住んだときに、あそこは徹底した地方分権が進んでいまして、いろいろな選挙をするときに一緒に投票して、例えば今度学校にこういう制度を設けたいから、こういう施設をつくりたいから税金をこれだけ上げたい、その住民投票という選挙をやっておりまして、豊かなタウンシップは本当にすばらしい学校制度ができていますが、一歩境界を越えて貧しい町に行くと、先生の給料は半分で本当に貧困な教育という現実になっております。

 そういう意味で、教育という全体の中の一部の議論ですけれども、これについて先生のお考えをお聞かせ願えればと思います。

辻山参考人 大変きついところなんですけれども、どう考えたらいいでしょうか。

 今お話がありましたように、アメリカの教育は大変分権的ですけれども、同時に大変格差が大きいという御指摘がありましたね。そのことを日本の国民が受け入れるかどうかという問題だというふうに感じているんです。

 ですから、私は分権一括法のときにも、一度公述人で出たときにそのような意見を言ったと思うのですが、親たちの思いは、やはりほかの地域の人たちからおくれをとらないでちゃんと上の学校へ進めるような教育をしてほしい、こう考えているわけですね。その状態をどうやってつくり出すか、それを地方の負担によって生み出すということが、先ほどから申し上げているような意味でいいますと、大変難しい、そこがつらいところだなと感じています。

 かといって、では基本である教員の経費の半額までを国庫に依存していいのかどうかと思っておりますけれども、先ほど言いました、半分はミニマムだよというふうに考えていくべきじゃないかというふうには思っております。

斉藤(鉄)小委員 大変我々も悩むところなんです。

 例えば、学校図書費という項目がございまして、年間百三十億円ですか、学校図書を充実させるための予算ということで組んで、これはいわゆる交付税という形で渡すわけですけれども、交付税という形になりますと、計算をするときの一材料というだけになって、実際にお金が渡るときには、これが学校図書費ですという形では行きません。色のついていないお金で地方に行きます。

 あるところで、学校図書館協議会が各地方自治体に、こういうことで予算がすべて自治体に行っていますけれども実際に学校図書費に使われていますかというアンケートをとったところ、ほとんど使われていなかったという現実がございました。

 教育の大切さはわかって、教育を無視する首長さんがこれから出るわけがないと言いながら、実際経営者になってみると背に腹はかえられなくて、本来教育に行くべき予算がほかに回ってしまうという現実もあるということを考えると、ここは地方分権議論とはちょっと逆行するようになりますけれども、本来押さえるべきナショナルミニマムというのはしっかりと議論して、そこについては国がしっかり責任を持つという形にしておかないと、私も島根県の山奥の村の出身でして、きちんとした教育を受けさせていただいたと思っておりますが、まさにそういうナショナルミニマムを国がしっかり守っているということで私は育てられたという実感があるんですけれども、その点についていかがでしょうか。

辻山参考人 私がとても打たれた町長さんの話がございます。我々町村は、子供たちを教育して、やれ、やっと仕上がったわいと思ったら、都会へ持っていかれる、都会で働いてこの国のGDPを生み出していて、国税収入にも反映しているはずなんだ、だから私たちは子供たちの教育に金をかけっ放しになってしまうのか、その分はやはり交付税のような何らかの形で返してもらいたいという、交付税がそのような趣旨のものかどうかということは別にして、思いはやはりそうだろうという気がするんですね。

 したがって、交付税の持っている調整機能が落ちていくということが、一方では、今もお話にありましたような、学校図書費で予定されているものをほかの経費に回さざるを得なくなるような情けないことにやはりなっていく。

 そういう意味では、都市部に生まれて都市部で働く人がだんだんとふえていく中で、交付税制度を堅持しようという多くの声がなくなっていく状況の中で、もう一度原点に返って、交付税というような財政調整の根本的な意義を検討し直さなきゃいけないんじゃないかなという気はしております。

斉藤(鉄)小委員 最後に、先ほど玄葉委員のシティーマネジャーともちょっと相通ずるんですが、選挙と首長という関係なんです。

 選挙は、統治機構に正当性を持たせるためにどこかの段階では必ず必要だと思っておりますが、いわゆる首長さんというのは、その正当性を持った統治機構の長であると同時に、経営者でなくてはならないという観点が非常に強いと私は見ていて感じます。ところが、経営者の能力と選挙の能力というのは全く別でして、その乖離に今の日本の不幸の一つがあるんではないかなというふうなことを強く感じておりますが、この点について、ちょっと変な質問ですけれども、いかがでしょうか。

辻山参考人 特に異論はございませんが、それを、制度としてこのようにしましょう、例えば、市町村長は議会において選ぶか、または議会がシティーマネジャーのような、統括支配人のようなものを選任するか、このいずれかにしましょうというような制度はやはりまずかろう、公選でやる道も選択肢として確実に残す必要がありそうだという気はしております。

斉藤(鉄)小委員 ありがとうございました。

鈴木小委員長 次に、山口富男君。

山口(富)小委員 日本共産党の山口富男です。

 辻山さんから四つの柱で意見陳述いただいたので、その柱に沿ってお尋ねしたいんですが、まず初めに、分権一括法の効果についての現状についてかなり厳しい指摘がありました。

 振り返ってみますと、あの地方分権一括法の際に、法定受託事務といってもそれまでの機関委任事務の四割強が残っちゃう問題ですとか、それから、きょうも指摘されました処理基準とのかかわりで、結局通達行政が生き残るじゃないかという批判が非常に強かったわけですね。また、財源論の点でも、これでは真の分権にならないという批判があって、そういう批判と危惧が現実化しているというふうに受けとめました。

 地方分権というものは、本来、地域住民の権利を擁護して、地方自治の本旨を地域規模の政治で実現していくことに趣旨があると思うのですが、それに反する実態があるならそれを変えることが今の求められる地方分権になるという、反語的な言い方ですけれども、そういうことにもなるように思うのです。

 それで、お尋ねしたいのは、きょうの意見陳述ですと、結局、政府の側が、地方自治の位置づけの問題でやはりまだ大きな問題を抱えている、政府、特に行政の側がという認識が恐らくおありなんだろう。

 それからもう一点は、私が大変興味深く感じましたのは、住民自治の拡充の動きも同時に起こっているんだと。それは、まちづくり条例ですとか身の丈の自治というお話まであったんですが、そういう点では、憲法の定める地方自治の本旨という問題を具体化していける力量を地方政治がやはり持っているという認識をお持ちなのか、そのあたりをまずお聞きしたいと思います。

辻山参考人 現在、市町村の能力をそろえていこうという側面もあって市町村合併が進められているというふうに思いますけれども、依然として物すごい格差があるというふうに考えています。

 この格差を生み出しているものは、これまでのやりとりの中にもございましたが、一つは、どのような代表者を選んでいるか、選挙において本当にすばらしい経営能力を持った人たちが選ばれているかどうかという問題と、もう一つは、やはり住民自身が、行政に任せておけばいいのだという、それは古くから言われてきている、よらしむべしという行政の姿勢にもあるのですけれども、そのような住民との緊張感の差が今の地方自治体の格差になって出てきているだろうと思っていて、トータルとして、今の自治体は地方自治の本旨を実現していけるかどうかということになりますと、そこ以外には期待……(山口(富)小委員「主体がない」と呼ぶ)主体がないんですね。それを、例えば道州をつくったら道州制でもっといけるか、府県をもっと力をつけたらいけるか、いろいろなアプローチはありますが、結局は基礎自治体を強くしていくことしかないというふうには考えております。

山口(富)小委員 もう一点、地方自治基本法の問題なんですけれども、先ほどのお話ですと、篠原一さんを中心として四十数カ条のものを一回つくったことがあるんだというお話でした。当然、先ほどのお話でも、これは憲法の地方自治の本旨を具体化していくものになる、そういう趣旨だというのはわかったんですが、基本的な構想として、どういう柱立ての基本法をお考えなのか、何点か示していただけませんか。

辻山参考人 一応、柱はこういうふうに考えました。

 市民自治ということを基本に据えようということでございまして、そのために、具体的な条文としては、市民はこれこれの目的のために自治体を設立するという条文を置こうじゃないか、このことを基本にしたい。

 もう一つは、実は、この当時はまだ私ども、真の二元代表制を実現したいと考えておりました。問題は、真の二元代表制というのは何かということがわからないままにちょっとこれは走った部分がございますが。

 三点目は、地方自治制度自体を多様化していこうということでございまして、それは、先ほど九十三条について申し述べたように、全部が議会と首長かというようなことを含めて、少し、組織構成、代表構成まで含めた多様化があり得るかなということ。

 あとは、自治体行政の公正さとか透明性をどう高めるか。

 五点目に、日本国憲法に準ずる基本法でありたいというような基本原則を立てまして、つくってみたんです。

山口(富)小委員 辻山さんのレジュメの二つ目の柱で、権限配分のあり方にかかわってくるんですけれども、地方分権一括法のときに四百数十本一遍にやりまして、特に個別法の中では非常に問題があったわけですね。

 その一つに、特に沖縄県で必ず問題になります、米軍用地の特別措置法にかかわって、国の権原を事実上引き上げてしまうというか、そういうやり方がとられたわけです。私は、これは、憲法の九十四条に定めております、地方公共団体はその財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有するという部分にかかわってくる問題だと思うのですが、辻山参考人自身はこの点でどういう見解をお持ちなのか、聞かせていただきたいと思います。

辻山参考人 沖縄については、隣に照屋議員もおられてちょっとあれなんですけれども、要するに、地方公共団体というのは、その区域、国でいいますと領土、領土について排他的な統治権を保有しているかどうかという問題にかかわると思うのですね。

 先ほど、私、日田市の場外車券売り場のことで申し上げたときもちらっとそのことを考えたのですけれども、原則的にはあるのだ、しかし、憲法があって、日本国の政府には日本国領土の排他的支配権があって、その支配権とぶつかる場合にどう調整するかという問題だと考えているんですね。

 その意味でいいますと、九十四条の、財産を管理しという観点から、あの米軍用地特措法の権原の吸い上げといいましょうか、機関委任事務をやめて直接執行にしたということについて、違憲だというふうには実は考えていないんです。むしろ、その前の土地収用法の適用の仕方、ここが問題だというふうには考えています。機関委任事務制度の中であれを処理させようとしたやり方と考えております。

 ただ、今沖縄では、自治研究会というようなメンバーたちが、基地の用地についての県民の支配権みたいなもの、管理権みたいなものを何とか確立したいと考えているようでございまして、それは応援していこうという気持ちはしております。

山口(富)小委員 その問題にかかわるんですけれども、三つ目の柱で、憲法規定について、基本的な考え方として、憲法規定の問題では、あえてという言葉がありますから、きょうのお話をお聞きしましても、四つの条文、これは条文の数としては少ないと言われたりしますが、しかし、明治憲法の中でなかった初めての考え方を地方自治として認めて、大体、その制定過程では、九十二条、この一条でも画期的なものだという議論があったくらいですから、本当に大事なものだと思うのです。

 沖縄県の今のいろいろな動きを応援したいというお話もあったんですが、長い目で二十一世紀を見たときに、憲法が定めた地方自治の規定の問題、これはやはり非常に大きな意義を持っていくと思うのですが、皆さん方がやっている仕事の中で、憲法のこういう規定に基づいて、いわばこの約六十年間、いろいろな具体化があり、また法解釈でも多様な論争がありましたけれども、確定してきて、また判決の法理もある、いろいろな形で豊かになってきた規定部分の一つだと思うのですけれども、この現行憲法での地方自治の規定の果たした役割、それから、二十一世紀の地方自治を考えたときに、これの持つ意味、このあたりを最後に。

 私、質疑時間が来てしまいまして、本当は道州制の問題も聞きたかったんですが、その点はおきますから、二十一世紀の憲法に限って、地方自治の規定の意味について述べていただきたいと思います。

辻山参考人 決定的な意味は第八章を憲法に置いたということに尽きるわけですけれども、とりわけ、その第八章の中で、地方自治体を権力を行使する統治団体であるということを宣言したこと、この意味がやはり大きいかなという気がいたします。

 これからそれをどう考えるかという場合には、ここに与えられた統治権の範囲を確定していくこと、いつでも国の法律の範囲内において条例を制定できる、これも九十四条の規定なんですよね。だから、九十四条が、財産を管理し、行政を執行し、これが重要だったわけですが、それと、法律の範囲内で条例を制定できる、この三者を統合的にどう理解するか。うまくいかないようであれば、表現を変えるということも必要かもしれません。そのような意味で、部分社会ですけれども、統治をきちっとしていける権能を憲法上明記させていくということが必要なのかなという気はしております。

山口(富)小委員 時間が参りましたので、終わります。

鈴木小委員長 次に、照屋寛徳君。

照屋小委員 きょうは、辻山参考人、貴重な御意見を拝聴することができまして、心から御礼を申し上げたいと思います。

 限られた時間でございますので。実は、九八年に、辻山参考人を含めまして、多くの皆さんで「パシフィック・クロスロード―沖縄」という提言書がまとめられました。ちょうどその九八年には、自治基本法構想も公表された時期でございまして、私も大変興味深く読ませていただきましたし、中央政府と地方政府のあり方、あるいは憲法における地方自治のあり方を考える上で、大変参考になりました。

 それで、この「パシフィック・クロスロード―沖縄」の中で、「第五章 琉球諸島特別自治制の構想」を辻山参考人を中心としておまとめになっているわけでありますが、御承知のように、戦後、沖縄は、日本の施政権から分離をされて、アメリカの軍事支配のもとに置かれておったわけでありますが、復帰が実現するまで憲法が適用されませんでした。

 一方で、沖縄を統治しているアメリカは、自治は神話なり、沖縄の人に自治権なんてないんだというふうな高等弁務官の物騒な発言などもありましたけれども、そういう中でも、例えば主席公選、いわば知事の公選をかち取るような運動を続けてきたわけですね。だから、ある面で、復帰運動、復帰闘争というのは、沖縄の人たちにとっては自治権を獲得する闘いでもあったのではないかというふうに思っておりまして、そういう中で、独自の琉球政府という政府形態を持ちながら、独特の生活様式や文化を継承して、沖縄のアイデンティティーを確立してきたのではないかというふうに私自身は思っております。

 また、自治との関係でいいますと、沖縄独立論があったり、沖縄特別自治制論があったり、あるいは沖縄自治州構想などもございました。また、自治労が、自治労沖縄特別県制構想というのを発表したことなどもございました。

 辻山参考人にお伺いをしたいのは、地方分権一括推進法が成立をして、まさに地方分権が実践の段階というか、あるいは地方分権、地方主権の時代に突入した現在、参考人がおまとめになりました琉球諸島の特別自治制構想というんでしょうか、この中には、具体的な法律案の要綱まで発表しておられるんですが、現下の沖縄の自治の状況を含めてどのようにお考えか、御意見を賜りたいと思います。

辻山参考人 今、その冊子をちょっと見まして、ああ、そうだったなというふうに改めて思いましたけれども、現在、道州制の議論が華々しくあって、北海道道州特区の問題とかいう状況の中でこの議論をするのはちょっと誤解を受けるかもしれないのですけれども、琉球自治政府の構想は、恐らく、一国多制度、中でも、つまり部分的な道州制の実現のような側面をやはり持っていたのではないかと私は考えているんですね。

 詳細は今は忘れましたけれども、琉球自治政府憲法というようなことは多分発想していなかったのではないか。日本国憲法の中で、いわばある特別な自治権が付与される、それは法の執行についても、適用除外とか、本土の方と同じようにやらなくてもいいよというようなことも含めて考えられていた。そのことが、実は、分権一括法の中で、例の駐留軍用地の権原をめぐる論争、さっきございましたね、ある意味では、それに対する回答を、ああいう形で国の直接執行にするのではなく、琉球政府特別自治制の制定というような形で沖縄県に対して回答すべきではなかったか、そういうふうに考えているところでございます。

照屋小委員 もう一方の、地方自治基本法構想、これも一九九八年にまとめられたものでございますが、私は、この地方自治基本法構想というのは、「住民が自治体を設立する」、こういうような副題がついておりますけれども、市民が自己決定の主体になるという自治を確立する意味では、大変すばらしい考え方だなというふうに思っております。

 一つは、この地方自治基本法構想を実現する上で、現行憲法の改正というのは特に必要ないんじゃないかというふうに私は思っておりますが、それに対するお考えと、もう一つは、その後に、地方分権一括推進法ができました。その状況を踏まえた上で、現在的な自治の状況の中で、この地方自治基本法の持つ意味について、参考人の御意見をお伺いしたいと思います。

辻山参考人 地方自治基本法と憲法の関係ということで申しますと、今の憲法の第八章の規定をよりよく実現していくために地方自治基本法が必要だ、こういう観点でございますので、この基本法の内容を実現していくために憲法のどこかをさわるということは予定しておりません。

 それから、分権一括法とのかかわりでございますけれども、実は、最初にこの委員会を立ち上げたのは、分権推進委員会の勧告が出て、いよいよ分権法の時代が来るぞ、それに対処するための対案をつくるつもりで委員会をつくったのでございます。したがって、あの分権一括法にかえてこれを審議してもらいたいと実は考えていたわけなんですね。

 そういう意味でいいますと、分権一括法も基本的にはこれまでの行政制度の枠、立法の分権の枠の中でやはり処理されたわけですので、遅まきながら、もう一度この基本法をどこかで議論していただく機会があればいいなと感じているところでございます。

照屋小委員 最後に、手短に。

 復帰前に比べて、復帰後、沖縄の自治はむしろ衰弱したのではないかというふうな研究者の発言等もございますが、参考人は、復帰前と復帰後を比較して、沖縄の自治についてはどういう御感想をお持ちでしょうか。

辻山参考人 大変難しい御質問でございますけれども、今、第二期の沖縄の自治を考える時期に来たんじゃないだろうか。

 連続で見ますと、復帰後、やはり停滞の時期があったのかもしれませんが、若い研究者たちを中心として、第二期の沖縄の自治を考える気風というのが出てきているのではないかというふうに考えて、応援したいと考えているところでございます。

照屋小委員 ありがとうございました。

鈴木小委員長 次に、二田孝治君。

二田小委員 きょうは、貴重な御意見を拝聴いたしまして、どうもありがとうございました。私は、二つの点についてお尋ねいたしたいと思います。

 一つは、先生が先ほど、法令の適用除外ということをおっしゃいました。これは、九十五条の規定に関したことだと思うのでございますけれども、この九十五条というのは、やはり一つの地方の住民の意思を重んじるというようなこと、九十二条から、本旨に基づいて、法律でこれを定めるというようなことで、非常に地方自治の生きた一つの憲法上の規定だ、こう思っております。

 そこで、これは主に、特別法が適用される場合に住民にその可否を求める、こういう趣旨だと私は解釈しておるのでございますけれども、先生のこの適用除外の例によりますと、これは、住民側の方から、地方自治側の方から、むしろその地方に適した一つの法律を制定できる、条例を制定できるというふうに解釈いたしました。

 といいますのは、今、自民党の方でも、経済特区とかいろいろな特区の特別委員会がございまして、そこでいろいろなことが議論されておるわけでございますけれども、この許される範囲、そういったものはどのようなことをお考えでございますか。

辻山参考人 先ほど申し上げた意味でいいますと、国会の認証を得てというふうに考えております。

 先ほどチャーターのところで、処理する事務、税のあり方、代表機構のつくり方とかいうことを申し上げましたね。そのことと、このチャーターというのは自治基本条例とちょっとイメージがかぶるわけでありますけれども、その内容でいいかどうかということをまず住民に問い、住民の合意が得られたら国会の認証を得てそれが法的効力を発する、こういうふうに考えたいと思っているわけです。

二田小委員 そうすると、住民の認証を得た後に国会のまた新たな法律を制定する、こういうことになるのか。認めるということもちょっと変な感じに受けたのでございますけれども。

辻山参考人 例えば、アメリカ諸州におきましては、チャーターの原文をつくって州政府に上げていく、州政府でそれを議論して、いいじゃないかと。要するに、認定といいましょうか認証といいましょうか、そういうこと。最初は都道府県かなと思いましたが、同じ自治体でそれはやはりあり得ないというふうに思いまして。

二田小委員 一つの例としまして、未成年者の選挙権と公選法などと書いてございますね。そうしますと、各地方で年齢制限が違う、そしてまた選出の方法も違う、そういうふうな一つの整合性というものをどこに求めていくかという問題になると思うんですよ。そういったものはいかにお考えでございますか。

辻山参考人 整合性あるいは統一性を保持していくことよりも、多様性の方にちょっと注目したらどうか、こういうことでございます。

二田小委員 そうすると、統治の面からいきますと、そういうふうな重大な機構に関する問題が一つの整合性を持たないというようなことになりますと、極めて何か不都合な感じがいたすのでございますけれども、その点についてはどういうものでございますか。

辻山参考人 恐らく、それは国の統治ということにかかわって、除外できないものというものが確定されていくことになりますね。それは、ある意味、押し合いへし合いしながら、しかし立法権の問題ということにやはり整理せざるを得ないでしょうね。何でもやらせよう、ばらばらでいいじゃないかというわけにはいかない。

二田小委員 もうちょっと議論のあるところでございますけれども、時間の関係もございますので、この件はこれぐらいにしておきたいと思います。

 私は、若いころ、県会議員をやっておったのでございますけれども、この面からいきますと、市町村合併の進展による都道府県の空洞化論ということが書いてございます、これはそうだと思うのですよ。

 といいますのは、各単位で、自治体で行政能力がますます高まる。そうなってくると、今でさえ中核都市、それから政令指定都市、こういうところを抱える県においては、やはり県の仕事は非常に減っていっています。そうなりますと、県の予算とかそういうものは膨大なものでございますから、むしろ連邦制とか、それから道州制というようなものよりも、県の空洞化論が出てきて、そしてむしろ、府県制を廃止しようかという方向に行く方がもっと効率的なような感じもいたすのですね。

 こういう町村合併による、ますます広域化していくときの行政の効率性、それから機関委任事務も減っていく、そういうことになっていきますと、都道府県廃止論というものは、全く根拠のないような話でもなくなってくるんですけれども、この点についてはいかがお考えでございますか。

辻山参考人 メモにもございますように、一律に道州制、一律に府県廃止ということにはなりにくいだろうということで、地域によって違いがあっていいじゃないかというのが私の考え方でございます。

 その場合に考慮しなければいけないのは、府県を廃止してかわりに道州を置くといった場合、住民から見てどのような必要性があるのかという観点と、国の統治においてどのような必要性があるのかという両者の問題がございます。そういう意味では、うんと大都市ばかりのところは県がなくてもいいだろうと考えますが、中央の統治の側からはどうかというすり合わせが必要な気がいたします。

二田小委員 大阪市、大阪府を見ておりましても、私どもの東北でございますけれども、すぐ近県の宮城県を見ておりましても、むしろ都市の方が大きくなっているわけです。そして、その中で県があるということになってきますと、県というのは中二階なんですよ。そして、直接自治に携わっているのは各市町村になります。

 だから私は、道州制ということじゃなく、むしろ道州制も要らないんじゃないか、そして各自治体が直接国と折衝をし、そして自治を行うということに本当の地方自治というものの姿が生まれてくるんじゃないのか、そういうふうにも思われるので、今先生にそのお考えを聞いているので、道州制が必要だということではないんです。逆なんです。

辻山参考人 大阪の例も挙げられましたが、府県を廃止した場合に、ばらばらの市町村、大きかったり小さかったり、財政力があったりなかったりという市町村が直接住民たちに対する公共サービスを提供していくということで、ばらつきが出る可能性がございますね、力がばらばらですので。

 そうすると、勢い、統合ということが考えられます。言ってみれば、府県を廃止しても、結局、大阪市のような大きな自治体をつくっていくということが次に準備されていないと、市町村がばらばらなまま、多様性とはいいますけれども、十分なサービスを受けられない地域が出てくるということは避けなければいけないだろう。そういうところは府県が補完しておくということが必要だという考え方です。

二田小委員 いや、先生、私は、今の姿、現在のことを話しているんじゃなく、今の広域合併が進んでいくとそういう姿におのずから変わりつつあるんじゃないのかなという予感がするものですから、そのことを今先生にお尋ねし、議論を申し上げているのでございます。

 また後ほどにいたしまして、これは委員長、時間がございませんので、この辺にしておきたいと思います。ありがとうございました。

鈴木小委員長 次に、稲見哲男君。

稲見小委員 大変お世話になっている先生ですので、私の基本認識も少し述べながら、お考えをお聞きしたいと思います。

 朝のお話で、憲法規定の不備が地方自治の発展を阻害しているものではない、法令、税財政あるいは行政統制が地方分権の推進を阻害している、憲法改正によらずとも、法令なり税財政制度などの変更によって分権推進が可能、こういうふうな御認識であったと思います。私も確かにそう思います。

 しかし、その後、先生の方からもありましたように、地方分権推進委員会の勧告に基づく分権推進計画、分権推進一括法により一定の前進があったわけですけれども、第三の改革と言うにふさわしい画期的な分権改革とはなっていない、こういうふうに感じております。機関委任事務の制度は廃絶されたが、その実質と思想は劇的には変わっておらない、こういうことだろうと思います。

 二十一世紀臨調、新しい日本をつくる国民会議の皆さんが、問題の先送りを続けている日本はゆでガエル状態だ、このようなこともおっしゃっているわけですが、分権推進のための法制度の再編を分権革命として促進していくことが必要なのではないか、こういうふうな認識でございます。

 そのことで、他の皆さんからもあったかと思いますが、地方自治基本法の制定にかかわって、少しお伺いをしたいと思います。

 私も、自治基本条例の制定運動を全国的に拡大していく、このためには地方自治基本法の制定が重要だというふうに考えます。自治体が、国法の実施ではなくて住民の意思に基づいて条例により自治を行う、これが自治体の責務であろうかというふうに思います。したがって、自治体における自治基本条例の制定などが一番重要になってくる、こういうことだと思います。

 そういった自治体の側の運動を拡大するためにといいますか、それを励ますということも含めまして、辻山先生の提起をされている地方自治基本法、これは、ぜひそれに向けての議論を私も進めたいと思っておるわけです。

 先ほどもありましたが、あえてお聞きをしますが、そのエッセンスを、例えば憲法のところに規定をすることはどうか。例えば、法令の適用除外の問題とか幾つかあろうかと思いますが、その点、まずお聞かせいただければと思います。

辻山参考人 分権一括法との関係でいいますと、要するに、行政執行についての自由裁量を広げていこうということはやられたと思いますけれども、実は立法分権という意味ではほとんど見るべきものがなくて、それはまさに、この国会における立法権の範囲、立法の領域と、地方が条例によって立法していく領域とをもう一度考え直してみようじゃないかという必要がありそうだ。一般には立法分権というようなことを言うわけですが。

 そのときに、連邦制のように、地方に独自の立法権を憲法上与えていくかどうかというところまでは、実は議論していないんです、基本法は。国会で立法したにもかかわらず、地方で、これは重要だから法律の内容とは違うけれどもやらせてもらいたいというものについて、国会での認証をしていくような仕組みがあり得るのではないか、その受け皿として自治基本条例を考える、こういう仕組みに一応考えております。

稲見小委員 自治権という考え方なわけですが、私も、民主党の行政調査会第一分科会というところが交付税改革と税財源移譲の分科会になっております、そこの主査をしているわけですが、あわせて他の分科会では道州制を展望した地方分権というのが議論をされております。その場合、辻山先生が述べられた地方分権の本質であります自治権、これを本格的に定着、拡大をしていく、こういうことになろうかと思いますが、その自治権が住民に最も身近な基礎自治体に第一義的に付与されるということが重要ではないか、こういうふうに私は思っております。

 そういう意味では、住民の自治権の概念について現憲法には規定がありません。新たに住民の自治権規定と、自治権は第一義的に基礎自治体により実現をしていく、こういうふうな考え方はいかがでしょうか。

辻山参考人 一応、先ほど申し上げたように、自治権の中身は、地方自治の本旨という言葉の理解にかかわっているという認識なんですね。御承知のように、憲法ができてから今日まで、地方自治の本旨の中身が確定できないで来たということがありますので、御指摘のように自治権というものを憲法上明らかにするということが可能であれば、私はそれにこしたことはないと考えております。

稲見小委員 あと、徴税の仕組みなどについてなんですが、私の先ほど申し上げました分科会のところで、国の税金、それから道州の税金、それから国と道州の財源調整の税金、それから基礎自治体につきましての全国統一的な税金、さらに、基礎自治体が住民の多様な要望にこたえていろいろな仕事をしていくための独自の課税といいますか税金、こういうようなことを考えながら、徴税の仕組みをどうしていくのかというようなことを議論いたしております。

 それで、御教示いただきたいんですが、分権推進のために地方の課税自主権の飛躍的な拡大が必要だということであろうかと思います。今申し上げましたように、全国的な税構造に従いつつ、地方における自主的な課税権の本格的な拡大、こういうものにつきましては、憲法上の何か新たな規定というものが必要なのかというのが一つ。

 それから、私どもの検討の中で、徴税は道州で行って、国の必要分については国に上げる、国の税金の分と、それから国、道州の調整財源で国の取り分というのは納付をするというようなことを検討しておるわけですが、徴税を道州で行い、道州間の財政調整の仕組みをつくる、こういうようなことは、憲法規定上、今申し上げた検討課題ということとの関連でいいますとどうなるのか。

 徴税について、この二つの点をお教えいただければと思います。

辻山参考人 徴税権、徴税をどこでやるかということはさほど大きな問題ではなくて、課税権をどこが握るかということだというふうに考えるのですね。

 したがって、この国会の立法で課税対象が決まり税率が決まって、取りなさい、それを道州でやっても、余り道州の自治には結びつかないような気がいたしますね。むしろ道州に課税権を認めて、その中で、これは道州限りの税ですよというのと、何十%かは国の分を代行しています、そういう税の取り方が可能かどうかということだと思いますが、その場合に市町村の財政調整はどこがやるかという問題、やはり制度設計としては残りそうですね。

 基本的な立場で申しますと、市町村の財政調整を将来道州がやるということが全く不可能だとは考えておりません。

稲見小委員 ちょっと時間が少なくて十分私も展開できなかったんですが、今おっしゃったように、課税権、これを道州が持つ、あるいは独自の税金内容を基礎自治体が持つ、こういうふうな場合に、憲法上、今以上の規定を設ける必要があるのか、あるいは、辻山先生がおっしゃっているように、国で認証をすればそれで済むのかというようなことも少しお聞きしたかったんですが、もし短いコメントがあればその点だけお聞きをして、私の発言は終わりたいと思います。

鈴木小委員長 質疑時間が参っておりますので、簡単にお願いをいたします。

辻山参考人 認証にかかっていると思います。

稲見小委員 ありがとうございました。

鈴木小委員長 次に、永岡洋治君。

永岡小委員 自民党の永岡洋治でございます。

 きょうは辻山参考人の貴重な御意見を伺いまして、私、最後でございますので重複があるかもしれませんが、質問をさせていただきたいと思います。

 世の中の流れといたしまして、画一性とか平均化というところから、個性化あるいは多様化という時代に入っていると思います。恐らく、この地方自治の本旨という憲法に書かれた文言も、その内容が明確にされないまま今日に来ておりますけれども、中央集権体制から地方にその軸足を移して、税源も財源も人材も地方を中心にして国家を動かしていく、こういう時代に入ったことは間違いがないと思っております。明治維新のときに日本の人口は三千万でありましたけれども、一億二千七百万という現在の人口規模を考えますと、この国家運営というのが中央集権のみでは難しい、こういうことであろうかと思います。

 そこで、では、地方自治の本旨に基づいて何をやっていくかというのが恐らく議論の中心になると思うのですが、合併の問題で、先ほどの参考人のお話を聞いておりますと、やみくもに合併だけ進めることにはどうも賛成ができないという御意見だったと思います。

 ただ、私は、その点につきまして、地方が自立をして自分たちの持っている歴史的あるいは社会的財産というものを個性を持って生かしていくということになっていくためには、ある程度の自立した能力と規模というものが必要だろうと思うのですよね。そのときに、税財源とか課税自主権とかいろいろなことを言われますけれども、最大の問題は、地方に人材がどれだけいるかという問題ではないかと思うのです。

 残念ながら、中央集権体制のもとの今の行政の構造を見ますと、逆ピラミッドだと私はいつも考えておりまして、中央に人材が厚く、県、市町村に行くに従ってピラミッドは逆になっていくわけですね。毎年、山のように法律がつくられて、そしてまた予算がつくられまして、それをだんだん地方におろしていくと、最後は地方の一係員がその法律を何本も実施していかなければならないというような矛盾が生ずるわけです。

 そこで、先生とはちょっとそこは意見が違うのかもしれませんが、私は、地方の合併というのは、地方自治の本旨を実現していく上でどうしても進めなければならないことだと思っておりまして、少なくとも、二十万とか三十万という基礎自治体をつくっていくことを残念ながら中央主導型でやっていかなくてはならないのではないかという意見を持っておるんですが、この点につきまして、御意見をお聞かせいただきたいと思います。

辻山参考人 かなり原則的なことになるかもしれませんけれども、今お互いに使っている基礎自治体という言葉のイメージを確定しておきたいのですが、私が市町村と言うときには、言ってみれば、集落自治から発展してきたような共同社会を基礎にして、共同的な課題をできるだけそこで解決していこうというふうに考えております。

 そして、一方で、地方行政には能力も財政も人材も必要だということは承知しております。

 そうすると、その両者をどうやってうまく組み合わせるかというので、階層制であるとか、あるいは広域的な処理機構であるとかという工夫があり得るのではないか。根本にある共同社会そのものを御破算にしていくように束ねていくと、自治する人々の力といいましょうか、住民の力が育たないのではないか、そこを心配しているのでございます。

永岡小委員 ありがとうございます。大変よくわかります。

 ですから、どうも矛盾する二つのことを追求していかなければならないということなのですよね。住民自治という基本的なところ、末端に一番近いところで行政が行われる、しかしそれが効率性を持って行われなければならない、そういうことであろうと思いまして、私も全くそのとおりだと思うのですが、どういうプロセスでやっていくかということだと思います。

 先ほど来、道州制の問題というのが出ておりますが、私は、アメリカの地方自治の成り立ちと日本の地方自治の成り立ちというのはどうも全く違うのではないか、こう思っています。

 アメリカの大学に行きますと、州立大学では、我が州の自然、経済、あるいは誇るべき点は何かということを必修科目で教えますよね。つまり、州が基本的単位だということはよくわかります。

 それから、一八六七年にアラスカ州がアメリカの一州になろうとしたときに反対した州がありました。それはどこかというと、テキサス州であります。なぜ反対したかというと、これはもう明快な理由でありまして、州の規模が第二番目に落ちることに反対であった、こういうことだったんですよね。たしかそう記憶しております。

 そういう州という単位というのが、日本ではこれまで歴史的にありませんね。ですから、市町村というものの規模を大きくして地方の自治体の単位にしていくという方向は、これはもう旧来からの日本の歴史的前提としてあると思うのですけれども、道州制というものはどうしても通らなければならないプロセスであるのかどうかというのは、私はその前に県という組織が非常に中途半端なものになっているのではないかというふうに考えておりまして、その際、基礎自治体を強化していく、あるいはそこを基礎にして地方自治を行っていくときに、道州制というプロセスがどうしても必要なのか。あるいは、必要だとすれば、どんなことをそこに権能を持たせてやっていくのか。そこについて、もう一度お伺いをしたいと思います。

辻山参考人 私は、現在の道州制の議論というのは、反射的な要請でやっているだろうと思っています。市町村合併をやる、市町村の力がついてくると、県が同じようなことをやるのかということになって、県が中途半端になるから、もっと大きな組織にしたらどうか。

 問題は、恐らくアメリカの州憲法はほとんど、地方自治体は州が創造する、ミュニシパリティーとかタウンシップなんかは州の創造物、こう言われますよね、日本で道州をつくるときに、そのような地方政府の単位として発想するのかどうかということなんです。

 州というのは、古い話になりますけれども、律令のころにはありましたでしょう、阿波とか越後だとか備前、備中。あれは、日本六十余州とかというときの州で、読みはクニと読むんだそうですよ。その発想はかなり今の県より当然小さいわけですけれども、そういう意味では今日本で語られている道州制というのは、とにかく都道府県の単位より大きな地方政府というぐらいのことであって、それがどのような広がりの単位に責任を持つ、しかも何に責任を持つ政府かということも余り詰まっていないということの中で、余り私もそういう意味では踏み込んだ議論ができないです。申しわけありません。

永岡小委員 ありがとうございました。

 時間の関係で最後の質問になるかと思いますが、先生の御主張の中に、地方自治体の組織というものに、もうちょっと自由裁量の余地を与えていいんじゃないかという御主張があろうかと思います。

 私も、基本的には方向としては賛成でございます。なぜならば、現在の地方自治体に与えられている権限というもの、あるいは組織体制は非常に中途半端だと思うのですよね。中央政府は三権分立で明確であります。しかし、地方に行きますと二権しかありませんね。しかも、それが、二権分立なんですけれども、両方とも直接民主制で選ばれてくる中で、議会の権能というのが非常に弱い、あるいは明確でない。百条調査権などもありますけれども、しかし、十分にその権能が生かされるような状態にはなっていない。

 ですから、地方自治のあり方というのは、その規模あるいは地域の状況に応じまして、状況というのはいろいろあると思いますが、選択肢を広げていくという考え方は、非常にこれは合理性があるのではないかなと思っています。ただ、これは憲法改正を伴う問題ではないかと思っておりまして、非常に難しい問題であろうかと考えております。

 そこで、辻山参考人の御意見といたしまして、アメリカのモデルをいろいろお考えになっているのではないかなと思うのですが、委員会制なりあるいは市支配人制なり、いろいろな形があると思いますけれども、この点について、最後に御意見をお伺いしたいと思います。

辻山参考人 多様性の中には、御指摘のようなシティーマネジャー制とかいうような、アメリカに学ぶべきものが多いというふうに思いますが、実は、アメリカが、長、議会の両立主義といいましょうか、この本家でもあるわけでございます。

 日本でも、議会は住民の代表だ、長も住民から選ばれた代表だ、この二つの代表権をどうやって調整するかということに大変苦労されている現実を見ますと、それぞれの自治体で選択をして、その選択した形をチャーターなり基本条例の中に書き込んで、こんな政府構成でいったらどうか、その場合には、長を選ぶとすれば、長はこういう権限を保有し、強い長をつくるかどうかも含めて、そういうことを選択できるようにしたらどうかということなんです。

 御指摘のように、私、あえて憲法改正論議をするとすればという前提つきでございます。

永岡小委員 どうもありがとうございました。

鈴木小委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。

 この際、一言ごあいさつを申し上げます。

 辻山参考人におかれましては、貴重な御意見をお述べいただき、ありがとうございました。小委員会を代表して、心から御礼を申し上げます。(拍手)

    ―――――――――――――

鈴木小委員長 これより、本日の参考人質疑を踏まえて、小委員間の自由討議を行います。

 一回の御発言は、五分以内におまとめいただくこととし、小委員長の指名に基づいて、所属会派及び氏名をあらかじめお述べいただいてからお願いいたします。

 御発言を希望される方は、お手元にあるネームプレートをお立てください。御発言が終わりましたら、戻していただくようお願いをいたします。

 発言時間の経過については、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。

 それでは、ただいまから御発言を願いたいと存じます。御発言を希望される方は、ネームプレートをお立てください。

照屋小委員 私は、沖縄に住んでおりまして、沖縄、沖縄とこだわるつもりはございませんが、憲法と地方自治のあり方を考える上で、広大な米軍基地の存在というのがどうしても避けて通れない課題でございます。これは、ある面、この国の安全保障と地方自治の問題かもしれません。要するに、米軍基地には国内法が適用されないわけですね。国内法が及ばないわけであります。

 確かに、日米安保条約に基づく日米地位協定によりますと、アメリカ軍に対して国内法を尊重する義務が明定されておりますけれども、現実的には、アメリカ軍の方は地位協定の基地管理権を強く主張して、排他的な権利を主張しているわけですね。だから、結果的には国内法が及ばないというわけでありますから、当然、憲法で定められている地方自治もこの広大な米軍基地には及ばない、こういうことになるわけであります。

 例えば、課税自主権の問題が出ましたけれども、私たち国民と同じように軽自動車を利用している米軍人軍属とその家族たちは、軽自動車税を課税されないわけですね。これについては、沖縄県だけじゃなくして、知事会は課税ができるようにということを強く求めておりますが、いまだに実現をされておりません。要するに、日米地位協定によって、米軍人軍属とその家族にさまざまな特権とそれから義務を免除する仕組みになっております。

 もし沖縄県が自動車税を米軍人軍属に適用することになりますと、年間八億円以上の税収があるわけでありますが、それがままならないという状況にございます。あるいはまた、消防だとか救急車、いざというときに基地内を通れないということなどは、やはり自治のあり方からしても大変大きな問題をはらんでおるのではないかなというふうに私は思っております。

 もう一つは、米軍用地収用特措法の改正問題等、かつて国会での大きな議論になりましたけれども、これも実質的には、沖縄の米軍基地に適用されるというか、その土地の所有者である地主の皆さんに適用される法律でありますが、憲法九十五条の住民投票の実施は行われておりません。

 私は、自治を考える上で、現行の憲法第八章の地方自治制度を生かしながら、一国二制度というか一国多制度というか、そういうことも考える必要があるのではないか、まさに地方分権、地方主権という時代にこそ、一国二制度や一国多制度を憲法の枠内で生かしていくことが政治の責任ではないかな、こういう意見を申し上げたいと思います。

増子小委員 民主党の増子輝彦でございます。

 きょうの参考人のお話を伺いながら、まさにこの国のあり方の大事な要点は統治機構のあり方だなということを改めて認識したわけでございます。

 現在あるいは将来にわたる地方分権という形を考えましても、参考人の方からも話がありましたとおり、私は、やはり現在も将来も、政令、省令のあり方というものが極めて重要な問題ではないだろうかというふうに常に認識をいたしているわけでございます。

 特に、地方分権が進めば進むほど、先ほどの話にもありましたけれども、通達をやめるべきなのに、逆に今回も通達によって非常に合併というものについて大きな力が働いているということ、ここにやはり問題があるという認識は共有するものであります。これからやはり、地方分権が進めば進むほど、この一つに通達という問題が極めて重要な問題になってまいると思いますので、この辺の問題をきちっと私どもは精査をしながらやっていかなければならないということが第一点であります。

 第二点は、地方分権が進み、権限移譲、そして財源の移譲というものがどんどん地方に進んでいかなければ、地方分権本来のあり方というのはないわけであります。しかし、そこで一つ注意をしなければいけないのは、地方自治法による、いわゆる長が、議員が選挙で選ばれるということは当然のことでありますが、地方分権が進めば進むほど、地方の自治体の長というものの権限が強力に拡大をしていくわけであります。

 そうしますと、地方自治体の長が、選挙で選ばれたとはいいながら、長くやればやるほど権限が非常に強くなってくる。今でも多選禁止という問題が極めて大きな課題の一つになっているわけでありますけれども、この多選という問題についての弊害、あるいは、今申し上げました、権限移譲が進めば進むほど多選による権力の増大ということの歯どめを何らかの形でつくっていかなければ、ますます、大統領型の地方自治体の長が誕生しながら、そこにおける権限の拡大ということによって、独裁的な、あるいはいろいろな意味での弊害が出てくる心配というものを私は持っているわけであります。

 多選禁止、これは憲法上、多分、立候補の自由制限ということや基本的人権という問題にもかかわってくるのかなということもございますけれども、何らかの形で、この地方自治体の長の多選の問題、権限の拡大に対する一つの監視的なものをきちっとつくっていかなければ、地方分権はやったものの、中央官庁にかわる地方自治体の長の強力な権限というものによって、私は、むしろ地方自治がゆがんでいくという心配を大変持っておりますので、この辺の問題も、これからの議論の場の中に置いていく必要があるのではないか。

 とりあえずこの二点を、きょうは私の考え方として申し上げさせていただきたいと思います。

斉藤(鉄)小委員 東京一極集中ということが数年前言われました。それに対して、何らかの政治の面も力をつけて発言をして、東京一極集中を是正しなくてはいけないという議論が進んだわけです。最近、しかし、その議論が少し下火になってきている、首都移転の問題等を考えましても下火になっていると思いまして、非常に残念に思います。

 きょうの議論を通じまして、三位一体改革もそうですけれども、地方に、課税自主権等税源の移譲も含めて分権をしていく。やはりその根本にあるのは、基本になる経済についても、経済の中心が日本各地に分散をしているという形にならなければ、統治機構だけ分権を進めるといってもなかなか進まないのかなということをきょうの議論を通じて感じました。

 アメリカは分権型社会と言われておりますが、ニューヨークが経済の中心とはいえ、各地に経済の中心がありますし、大きな企業の本社も、本当に全米じゅうに散らばっております。日本はもうすべてが東京に一極集中、その中で、統治機構だけ分権といっても、なかなか現実には進まないなという思いがいたします。分権を実質的に進めていく上での、経済も含めた地方への分散ということも同時に考えていかなくてはいけないということをきょうの議論を通じて感じました。

 以上です。

中山会長 自民党の中山太郎です。

 私は関西でございますが、明治維新の廃藩置県のことを振り返ってみると、結局、山脈の頂上線で県を分けている、あるいは河川を境に県を分けているというケースが非常に多く見られるわけです。特に、私の住んでいる近畿圏地域は、そういう傾向が非常に強い。

 ところが、戦後、高速道路が随分建設されました。そして、通信の利用で非常に、ファクスとかいろいろで便利になってきた。しかし、個人生活で見ると、職住接近どころか、三重県から大阪へ働きに来る人がいる、京都から大阪へ来る人もいる、こういうことで通勤圏が拡大してきたわけですね。こういった中で、地方自治体の単位というものが、小さくなっているのか、逆に大きくなっているのか。

 そういうことを考えると、大阪の関西空港の周辺では、八つの町、市がある。そこへ高速道路を通すときには、各市の同意がなければ建設できない。地域の繁栄のために、非常に大きな矛盾点が出てきていると思います。

 だから、将来、道州制というかブロック制をしいていった場合に、例えば、大阪府の知事は、奈良県の財政事情とかあるいは産業構造なんというのは余りわからないんですね。兵庫県の人はまた、和歌山のことがわからない。しかし、生活圏は大体ネットワークされている。こういった矛盾をどこで解決するか。

 これはやはり、住民と地方政治の人たちが一緒に考えないといけない時代がやってきたのではないか、そういうふうに感じていることを一言申し上げておきたいと思います。

辻小委員 民主党・無所属クラブの辻惠でございます。

 先般、法務委員会で、行政事件訴訟法の一部改正案というのが通過しました。現在の行政権をどう統制していくのかということから、行政事件訴訟というものの意味があるということでありますけれども、非常に不十分な改正案であったというふうに私は考えております。

 例えば、きょう参考人が紹介されております大分県日田市の車券売り場設置問題について、中央官庁が勝手に日田市に場外車券売り場を設けた。これは、日田市にとって非常に歴史的な、町のありようを変える一方的な処分であるということで、日田市が原告になってこれの行政訴訟を起こしたわけであります。しかし、原告適格がないということで門前払いをされた、第一審も第二審も門前払いをされている。

 行政事件訴訟法において、原告適格を広げなければいけないとか、いろいろそういう問題意識で改正案があったわけでありますが、この日田市の例が救済されるような改正案ではない。もっと、機関訴訟とか団体訴訟とか、そういう訴訟も広く認めていかなければならないというふうに指摘されているところであります。

 行政統制が必要だということは、今申し上げた行政事件訴訟法の改正にもあらわれている。つまり、今の中央集中、東京一極集中の、そして行政権が非常に肥大化している、この現状の中で、いろいろなところで行政統制をしていかなければいけない。それはまさに、だからこそ、地方分権ということが重要であるということだと思います。

 基礎自治体にとどまらず、地方自治法の九十四条の言う住民自治、団体自治、その住民自治の意味をもっと発展させて、きょう辻山参考人がおっしゃったように、もっと身近な、下から行政的な合意をつくっていくということが必要なんだろうというふうに思います。まちづくり条例とか、いろいろな参加条例、協働条例ということの必要性を辻山参考人がおっしゃったというのは、そういう意味で非常に有益な指摘であっただろうというふうに思います。

 基礎自治体のあり方を考えるときにも、それは多様性を持ったものであるべきだというふうに私は思います。その意味で、二元代表制を原則とする規定を選択制にしたらどうかということも、またチャーター制度の採用を考えたらどうかという指摘も、基礎自治体における多様な自治のあり方を追求するという意味において、当然選択肢としてあるべきだと思います。

 要は、きょう参考人のおっしゃったことからすると、やはり自治権の概念というところをしっかりと議論して考えていかなければならないな、第一義的に、基礎自治体に事務とか権限の実施、執行する判断権を与える、ゆだねるということが重要でありますし、それと同時に、課税自主権とか条例の制定権についても、その自治権の概念をしっかりと確立する方向でとらえ返されなければならないというふうに思いました。

 以上を指摘しておきたいと思います。

鈴木小委員長 他に御発言ございますか。

 それでは、討議も尽きたようでございますので、これにて自由討議を終了いたします。

 次回は、来る二十七日木曜日午後二時から小委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午前十一時二十一分散会


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