衆議院

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第3号 平成16年11月25日(木曜日)

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平成十六年十一月二十五日(木曜日)

    午前九時開議

 出席委員

   会長 中山 太郎君

   幹事 近藤 基彦君 幹事 福田 康夫君

   幹事 船田  元君 幹事 古屋 圭司君

   幹事 保岡 興治君 幹事 枝野 幸男君

   幹事 中川 正春君 幹事 山花 郁夫君

   幹事 赤松 正雄君

      伊藤 公介君    大村 秀章君

      加藤 勝信君    小西  理君

      河野 太郎君    坂本 剛二君

      柴山 昌彦君    渡海紀三朗君

      永岡 洋治君    野田  毅君

      葉梨 康弘君    平沼 赳夫君

      二田 孝治君    松野 博一君

      松宮  勲君    三ッ林隆志君

      三原 朝彦君    森山 眞弓君

      渡辺 博道君    青木  愛君

      稲見 哲男君    大出  彰君

      岡本 充功君    鹿野 道彦君

      小林千代美君    鈴木 克昌君

      園田 康博君    田中眞紀子君

      高井 美穂君    辻   惠君

      中根 康浩君    長島 昭久君

      計屋 圭宏君    古川 元久君

      馬淵 澄夫君    村井 宗明君

      笠  浩史君    和田 隆志君

      渡部 恒三君    太田 昭宏君

      佐藤 茂樹君    福島  豊君

      古屋 範子君    山口 富男君

      照屋 寛徳君    土井たか子君

    …………………………………

   公述人

   (足立区議会議員)    白石 正輝君

   公述人

   (会社員)        篠原 裕明君

   公述人

   (電気機器メーカー人事課長)           平塚 章文君

   公述人

   (団体職員)       山田 淳平君

   公述人

   (大学生)        青龍美和子君

   公述人

   (無職)         森  信幸君

   衆議院憲法調査会事務局長 内田 正文君

    ―――――――――――――

委員の異動

十一月二十五日

 辞任         補欠選任

  平井 卓也君     小西  理君

  松野 博一君     三ッ林隆志君

  園田 康博君     高井 美穂君

  長島 昭久君     村井 宗明君

  古川 元久君     岡本 充功君

  福島  豊君     古屋 範子君

  土井たか子君     照屋 寛徳君

同日

 辞任         補欠選任

  小西  理君     平井 卓也君

  三ッ林隆志君     松野 博一君

  岡本 充功君     古川 元久君

  高井 美穂君     小林千代美君

  村井 宗明君     長島 昭久君

  古屋 範子君     福島  豊君

  照屋 寛徳君     土井たか子君

同日

 辞任         補欠選任

  小林千代美君     園田 康博君

    ―――――――――――――

本日の公聴会で意見を聞いた案件

 日本国憲法に関する件


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     ――――◇―――――

中山会長 これより会議を開きます。

 日本国憲法に関する件について公聴会を行います。

 この際、公述人各位に一言ごあいさつを申し上げます。

 本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じます。

 議事の順序について申し上げます。

 まず、白石公述人、篠原公述人、平塚公述人の順に、お一人二十分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。

 なお、発言する際はその都度会長の許可を得ることとなっております。また、公述人は委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと思います。

 御発言は着席のままでお願いいたします。

 それでは、まず白石公述人、お願いいたします。

白石公述人 おはようございます。御指名をいただきました足立区議会議員の白石正輝でございます。

 本日は、憲法調査会に、私、地方議員の一人という立場で発言する機会をいただきまして、心から厚く御礼を申し上げます。ありがとうございます。

 私も、昭和四十六年に初めて地方議員にさせていただいて以来、地方自治の進展、確立こそが民主政治の根幹なんだという考え方を持ちまして、今日まで三十数年間の議員活動をさせていただいておりますけれども、今の憲法を見ておりまして、私たち地方議会という立場からいうと、幾つか改正していただかなければならない点があるなというふうに考えないわけにはいきません。

 私が大学に入学したときには、まさに六〇年安保でございまして、憲法改正などということを口に出しますと、あれは右翼なんだ、こういうようなことを言われて、とてもとても憲法改正というようなことを言えるような状況ではございませんでした。

 あれから四十年、戦後もう六十年になるわけですけれども、最近の世論調査等を見てまいりますと、特に、高校生、大学生、二十代、三十代、四十代の若い皆さん方の中に、憲法を改正すべきだという御意見が過半数を占めているという状況を見ますと、やはり、六十年間一度も憲法改正について国会が態度を示さなかったことについては若干問題があったのかな、こんなふうに思います。

 また、先般の読売新聞の調査、国会議員の皆さん方に読売新聞が調査をした結果が発表されましたけれども、二〇〇二年には自由民主党が、改憲、九六%賛成、二〇〇四年には同じく九六%、民主党は六七%だったところが七七%に上がっている、公明党は七一%が八三%に上がっているというこの現実を考えると、国会議員の皆さん方の中にも、大部分が今の憲法のままでいいというふうに考えておられないのではないかな、こんなふうに私どもも思います。

 そうした中で、まさに戦後六十年、国際情勢も大きく変わっておりますし、昭和二十一年、日本が憲法を公布した際には、敗戦ということで、日本の国力は全くなく、外国に与える影響などというのは全く考えられなかった時代に憲法が公布され、制定されたわけですが、今の日本の経済力等を考えると、国際貢献というようなことを考えれば、まさに世界が日本に大きな期待を寄せているんだということを考えなければならないのかなというふうに思います。

 そこで、まず第一点でございますけれども、日本の天皇制について。

 今の象徴天皇というのは、日本の長い伝統や習慣から考えますと、まさに日本に合った考え方なのかなというふうには思いますけれども、昭和三十一年の政府の憲法調査会では、象徴天皇といえども元首の地位にあると解釈しても構わないということが一致して言われているというふうに聞いておりますし、昭和三十九年の外交関係に関するウィーン条約等国際法上、慣例上、天皇は元首として扱っていられる。特に外務省は、外交関係上は天皇を元首扱いにしておりますし、諸外国も天皇を元首として遇している現実を見ますと、やはり天皇陛下の立場を明確にすべきではないのか。象徴天皇といいながらも、やはり国際法上、国を代表するという意味で、天皇を元首という立場で規定すべきではないのかな、こんなふうに思います。

 次に、第九条でございます。

 第九条の平和主義、このことについて、今の国際政治を見ますと、日本の憲法が平和主義をうたっていることは、まさに将来にもこの憲法の平和主義を守らなければいけないことについては当然のことであろうと私も思いますけれども、平和主義、日本の平和を守るということが、自国のみの平和を守るということでは決してないというふうに私どもは思います。

 特に、日本は資源がない国であって、国際貿易をしっかりやっていかなければ日本の国民の福祉向上は全く望めないということを考えたときに、国際平和というものをしっかり念頭に置いた平和主義を今後掲げていかなければならないのではないか。世界の平和の中にまさに日本の平和があるという考え方からまいりますと、国際平和というものにより一層日本は貢献をしていかなければならないのではないかというふうに私どもは思います。

 また、日本国が、今後も長く国民のために存在し、平和主義、基本的人権をしっかり守っていくためには、日本の憲法を守っていかなければならない。日本の憲法を守っていくためには、日本という国を外国の侵略から守らなければならないのは当然のことでありますけれども、今の日本国憲法第九条の規定をこのまま文字として読めば、本当に自衛権はあるのかな、自衛隊を持って本当にいいのかなというのが、基本的には国民の素朴な疑問だというふうに私どもは思います。

 こうした部分を単なる憲法の拡大解釈だけで運用するということについては、やはり国民の不信というものをぬぐえないのではないか。そういう意味において、憲法九条二項にただし書きとして、他国からの不当な侵害に対する自衛の戦力は、これを保持することができるということを明確に規定して、自衛軍または国防軍の存在をはっきりと国民に示すべきではないのかな、こういうふうに思います。

 先ほど申し上げましたように、日本の平和は世界の平和の中にある以上、国際協力をしっかりと推し進めていかなければならないのは当然のことですから、国連主導の国際紛争解決に参加できるように九条の改正をすべきだ。九条三項に次の条項を加えたらいかがなものかと思うのです。前項の規定にかかわらず、国連の要請があった場合は、国際紛争を解決する手段として武力の行使をすることができるという、国連主導型の国際紛争解決に当たってはあえて武力の行使もできるんだ、こういうことを規定するべきであると私は思います。

 次に、私ども地方自治を担当している立場として、特に私有財産の権利の制限についてもう少し明確にすべきではないのかな、こういうふうに思います。

 日本国憲法では、第二十九条に「財産権は、これを侵してはならない。」こういう規定がありますけれども、この規定が、例えば私どもの地方自治体で計画的に道路をつくる、計画的に交通網を整備するようなときに、どうしても、私の土地は先祖伝来持っているんだから絶対に売らないんだ、こういう中で、土地収用がまことに困難なために道路が途中でとまってしまっている。東から来ている道路が、二百メーターぐらいどうしても土地収用ができないで、そこだけなくて、その後また西の方に行っている。こうしたことによって周囲の交通が大変に阻害されている現状を見ますと、土地所有権に対する制限についてはもう少し厳しくすべきではないのか、公共の福祉による利用という部分についての制限をより一層厳しくすべきではないのかな、こういうふうに思います。

 こう言うと、土地収用法というのがあって、土地収用委員会で土地収用すればいいじゃないかという御発言があろうかというふうには思いますけれども、地方自治の政治の中で土地収用法、土地収用というのを発動するのはなかなか難しいことは、皆さん方もよく御存じだというふうに思います。

 足立区七十余年の歴史の中で土地収用をかけた例はまだ一度もありませんし、今大変問題になっている道路も、もう二十一年間地主の説得に当たっておりますけれども、地主が全く聞く耳を持たない。しかも、そこに生活していない地主なんです。全く生活していない地主。そうした地主が全く聞く耳を持たないという中で、道路が開通しない。道路が開通しないために環七が大変に混雑をして、一キロ進むのにひどいときには一時間ぐらいかかってしまうというような道路状況、交通状況にある。この道路ができると、この道路は環七の約五百メーターぐらい北にできますので、この道路を利用して、二通りの東西交通ができるということになっておりますけれども、現実問題としては、地主が全然売らない。

 ということで、私は、憲法第二十九条第一項を、国民の生活に必要不可欠な財産権は、これを侵してはならないと。今は「財産権は、これを侵してはならない。」こういう形で規定されている中で、なかなか計画的な道路それから公園、交通網、こうしたものの整備が全くできないという現状を考えたときに、何とか、この土地の特に所有権に対する制限についてはぜひもう少し厳しくしていただければありがたいなと思うと同時に、第二十九条第二項中に「財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。」というふうに書いてありますけれども、地方自治体の基本条例の中でこれを定めることができるというふうに憲法を変えていただければ、各地方自治体が地方の実情に合わせて、今、私どもの足立区も住民基本条例を策定中でございますけれども、その住民基本条例の中に盛り込めるような、そんな考え方ができればまことにありがたいというふうに思います。

 今、国の方で、三位一体の改革という中で、地方に大幅に権限を移譲しよう、こういうふうに国の方は考えてやられているというふうにお伺いしておりますし、私ども地方自治体としては、一日も早く三位一体の改革が実現して、権限の移譲はもちろんですけれども、権限にあわせて財源をしっかりと地方に移譲していただきたい、こういうふうに思います。

 そうした中で、地方自治をもう少ししっかりと確立していく、地方自治を明確にしていくためにも、地方政府と言ったら語弊があるかもしれませんけれども、地方政府に近い形の地方自治体を新たにつくってはいただけないものか。これは、今よく言われておりますけれども、道州制という言葉が適当かどうかわかりませんが、今の都道府県単位をより一層大きくした中で、道州制、今の東北地方とか関東地方とかというような形の一つの大きなまとまりにして、財源をしっかりした形で計画的な広域地方行政ができるような組織をつくっていただければまことにありがたいというふうに思います。

 なお、今私どもがいろいろと地方で政治を行っていく中で、例えば一般的な大型の交通、バスを通すには、どうしても赤字になって、交通機関が乗ってくれない。そうした場合に、今、足立区では、コミュニティーバスという形で六系統のバス路線を走らせておりますけれども、こうした六系統のバス路線を走らす中においても、なかなか国の許可がおりないという中で、新設路線を新しくつくっていくことについてもなかなか厳しい状況があるわけですけれども、こうしたまさに住民生活に直結しているような問題については、私たち地方にぜひ任せていただきたいなというふうに思います。

 そうした意味で、地方自治体の権能、権限を明確にするために、自主立法権を地方自治体に与えてはもらえないものか。道州制については、国の権限を侵さない範囲内において、法律に優先する基本条例を定めることができる、こういう規定を追加することができないものか。基礎的自治体においては、国または道州の固有の権限を侵さない範囲において、法律または道州の条例に優先する基本条例を定めることができる、こういうことを加えることができるかどうか、お考えをいただきたいなというふうに思います。

 先ほどの天皇制でございますが、一つ申し忘れましたけれども、今、男女平等というのは当たり前の国民の考え方でございまして、天皇はまさに国民統合の象徴であるという考え方からすれば、現在、皇統男子に限るような状態で天皇が規定されているというふうに思いますが、私は、男女平等が国民の中に当然の権利として広く行き渡っている今の日本の国内において、天皇を男性に限る理由は全くないというふうに思います。天皇は女性、男性を問わず皇統に属する方から選ばれるという形で決めていただければまことにありがたいなというふうに思います。

 何といっても、戦後六十年間、憲法を一度も改正してこなかった国というのはまことに珍しい国だというふうに私は思います。同じ敗戦国のドイツ、イタリアにおいても、戦勝国のアメリカ、イギリス、フランスにおいても、数度にわたって憲法が時代に合わせて改正されているということを見てまいりますと、まさに時代のニーズに合わせて、今まさに二十代、三十代、四十代の皆さん方が五〇%以上憲法改正に賛成しているこの現実を見るときに、憲法改正はまさに国会議員の皆さん方の責務であるというふうに思います。

 なお、憲法改正に当たっては、現在の、三分の二の国会議員の賛成がなければ発議できない、こういうことになりますと、三分の一プラス一という勢力を持っていれば憲法改正は一切できない、こんなことは私は許されることではない、こういうふうに思います。国会議員の皆さん方の二分の一以上の賛成があれば憲法改正は発議できるというような形で改正をいただければまことにありがたいと思います。

 以上でございます。まことにありがとうございました。(拍手)

中山会長 次に、篠原公述人、お願いいたします。

篠原公述人 御指名いただきました篠原裕明と申します。

 私、まだ弱冠二十三歳でございまして、ことしの四月に大学を卒業したばかりでございます。会社員という肩書ではございますが、ほとんど学生のような立場でしかお話ができませんので、その点をお酌みおきいただいて、お話をさせていただければと思います。

 本日は、このような大変権威ある憲法調査会にお招きいただいたことを、心から御礼を申し上げたいと思います。

 国会は、この五十年間、さまざまな役割をしてきたと思うんですが、落ちついてこの国の形を考えるということは余りなかったのではないか、日々政府から提出される法案を処理していくことにきゅうきゅうとしていたのではないかなと。そういう中で、中長期的な視点に立って議論をされている先生方、そしてまた、大変有益な資料をつくられている事務局の皆様に敬意を申し上げたいと思います。

 私、きょうはまず国会、行政監視を中心にというふうなテーマでお話を申し上げるのでありますが、日々このような活動をされている先生方の前でお話を申し上げるのは大変恐縮でございます。その点はどうか御容赦いただいて、お話を聞いていただければと思います。

 私、国会が空洞化しているという意見をよく聞きまして、私自身もある意味それは当たっているのかなというふうに思います。

 例えば、今国会に提出されました独占禁止法という法案がございますけれども、きのう何かニュースでは継続審議が決まったということですが。政府部内での調整に一年から一年半ぐらいかかっているわけですね、公正取引委員会、日本経団連であるとか与党であるとか。そういうところでほとんど利害調整がなされてしまって、済んだものを国会に出してもらっても、直すところがほとんどなかったり、一つを直せば全体を直さなければいけなかったりして、結局は、ほとんど政府が提出したままの形で法案を通すことが多いのかなというふうに思います。

 実際、国会に提出される前の方が、国会に提出された後よりも法案に対する新聞記事というのが多くて、世の中がどういうところに注目しているのかというと、やはり政府の中での調整に目が行っていて、国会の中には全然目が行っていないなというのが一つあります。

 やはり、一つこれは、国会が余り政府が提出してきた法案に対して修正を行っていないという現状が、そういう国会に対する無関心につながっているのかなというふうに思います。

 その一つの原因は、政府の法案というのは、現在、もうほとんど完璧な形で出てきているわけですね。条文形式が整って、既存の法体系との整合性を整えて。これは、例えば建物でいえば、鉄骨も組み立てて内装も整えて、もうあとはかぎを渡すだけという状態で、では、今ここから何か直しますかと聞かれているのと変わらないわけです。

 本当に国会で直すことを予定しているのであれば、もっと法案はシンプルな形で出してくるべきではないのかなというふうに思います。それはどういう段階で出すのか、法案大綱なのか、法案要綱なのか。法案要綱といっても大体はもう形ができている状態なんですが、もう少し国会で直すのだという前提のもとで法案を政府も国会もつくっていかなければならないのではないかというふうに一つ思います。

 また、法案の形式に関しましても、最近は法律を読んでも一体どういうものなのかよくわからない、特に運用がどういうふうに行われるのかわからないような法案が多いわけですね。政令であったり省令であったり、次官通達、局長通達、課長通達、それを見ないと全くどういう運用をなされるのかわからないような法律が多いわけです。そういう中で、国会はやはりもう少し細かく法律で規定しなさいというふうに政府に対して注文をつけることも必要なのではないかというふうに思います。

 政府を監視するに当たって、一つ有益な手段とされるのが議員立法でございます。

 特に九〇年代の半ば、土井たか子さんが衆議院議長をやられていたあたりで、大変、議員立法が重要だということが叫ばれて、それ自体は私も賛同をいたすのですが、何が何でも議員立法でなければいけないんだという考え方は、議院内閣制をとる我が国においてはちょっと外れているのかなというふうに思います。やはり基本は、議院内閣制である以上、政府が出してくる法案を国会が審議するのでありますが、やはり政府として提案しにくい法案もございます。そのような法案について、野党なり与党の有志の議員が立法府の立場から議員立法をされるというのが一番いいのではないかというふうに思います。

 レジュメにも書いてありますが、民主党の皆さんがいる中で恐縮なんですが、一時期、対案としての議員立法というのを大変重視された時期があったと思うんですが、これははっきり言って議院法制局の大きな負担になっていたと思うんですね。一つの委員会の担当について議院法制局、二、三人しか担当がいない中で、ほとんど審議をされずに流されていく法案をたくさんつくるということは、これは政治的な意味は大変あると思うんですが、現実的な視点からいえば、ちょっとむだもあるのかなというふうに思います。

 そうした意味で、対案は対案なんですけれども、ことし民主党が出された年金法案というのは、大変プログラム法的で内容がよかったのではないかなというふうに思います。ここにも書いてありますが、橋本行革の行革基本法は、内閣官房の方で起案をしたものではありますけれども、大枠を定めた上で細かい法律を改正するステップを踏んでいるんですね。このような形がやはり国会が提出する議員立法にはふさわしいのかなというふうに思います。一つ一つの法案の、ここをどう変えますよという、一々法案改正文を書いていたら切りがないわけで、そういう細かい部分は官僚に任せて大枠を議員立法でつくる、そういうような慣例がこれから強くなっていけばいいなというふうに思っております。

 ちょっとレジュメが前後するんですが、国会は九〇年代の後半に決算行政監視委員会というのができまして、それとともに会計検査院に対して検査を要請することができるようになったと思います。

 しかし、実態はどうかと申し上げますと、先生方御存じのとおり、まだ二件しか検査が発令されていないわけでございます。衆議院一件、参議院一件。これは大変もったいないお話だと思います。会計検査院もなかなかの調査力を持っているわけでありますから、国会と会計検査院がもっと連動してさまざまな調査を行うべきではないかというふうに思います。

 それとともに、会計検査院は今、内閣からもある程度独立した機関でございますが、諸外国を見ても会計検査院的なものは、アメリカにしてもイギリスにしても議会に属しているわけでありまして、今の宙ぶらりんな会計検査院の立場ではなくて、この際、憲法改正を考えるに当たっては、会計検査院を国会の附属機関にするということもひとつ視野に入れてはいかがでしょうか。

 次に、内閣法制局についてお話をさせていただきたいと思います。

 憲法調査会でも、さまざま、この憲法の有権解釈権はどこにあるのだというお話がされてきたと思います。建前で申し上げれば最高裁判所なんでしょうが、現在の、具体的な訴訟がなければ憲法判断できないという状況であれば、抽象的な法体系を重視している日本、事が起きる前にどうなんだ、どうなんだと。九条の解釈は、集団的自衛権を有しているのか、有していないのか、集団的自衛権を有していないならば、こういう戦闘のときどうなんだ、どこまでがやっていいのか、やっていけないのかと。

 事が起こる前にいろいろな判断を重視する、抽象的な法体系を重視する我が国において、具体的な訴訟がなければ憲法を判断しませんという最高裁判所の権限では、やはり事実上、内閣法制局に判断をゆだねざるを得ないこの状況はいたし方ないのではないのかなというふうに思います。

 憲法改正を視野に入れるのであれば、私は明確に、憲法裁判所を創設すべきだと思いますし、現在の状況は明らかに法の不備、憲法の不備であるというふうに思います。日本の法体系と憲法裁判の前提となっているものが明らかに違うと思います。

 短期的な解決策としては、内閣法制局の長官に国会議員をするなどして、長官職の政治的責任を明確にしていく必要があるのかなというふうに思います。一応、内閣法制局の主管大臣は内閣総理大臣でありますが、法制局の判断がおかしいからといって内閣総理大臣を罷免するというのは、内閣総辞職に追い込まれる可能性がありますので、それは、はっきり言って余りできないわけですね。そういう意味で、内閣法制局の政治的責任をより明確にするには、長官職に国会議員を持ってくるのが一番早いのかなというふうに思います。その際、国会法の三十九条の兼職規定を改定する必要がございます。

 また、同様に、議会にも議院法制局という大変有能なセクションがありますが、こちらも内閣法制局に対しては余り力がなさ過ぎるのではないのかなというふうに思います。この際、議院法制局も局長職を国会議員にして、内閣法制局と議院法制局が政治家同士で議論できるようなシステムをつくってはいかがかというふうに思います。内閣法制局と議院法制局は、今はだんまりを決め込んでいるような状況、たとえ何か国会で内閣法制局の見解がおかしいという議論が起こっても、議院法制局は黙ったままですし、内閣法制局に対して異議を申し立てるシステムがございません。これを打破するために、法制局の中に国会議員を送り込むというのも一つの解決策ではないかと思います。

 しかし、もっと大きい視野に立てば、やはり憲法裁判所を設立する、今の最高裁では抽象的な憲法裁判はできないというお話が憲法調査会の中でもございましたので、やはり、この際、憲法裁判所を設立する必要があるのではないかなというふうに思います。

 こうしたときに、憲法裁判所は司法なのか、第四権、また違ったものなのか議論は分かれますが、司法が政治的な場に入ってくるのは司法の正当性をゆがめるというような御議論がございますが、では、果たして本当に最高裁判所がこれまで憲法判断を避けてきてばかりいるのかといったら、合憲判断は山ほどしているわけですね。違憲判断はあくまで余りしていないだけであって、今の最高裁判所も十分政治的な色彩を帯びていると思います。この点で、憲法裁判所をつくったら司法が政治に染まってしまうみたいな議論は当たらないのではないのかというふうに思います。

 そうした点も含めまして、国会でさまざまな、法判断であったり条文化であったり、そういう、今まで法制局の中であったり政府部内で行われてきた部分を、国会のこういう委員会や小委員会の場でできれば、より透明性が高まり、また、日本では全然盛んになっていない立法学のケーススタディーの積み重ねにもなっていくのではないのかなというふうに思います。

 そうしたときに一つ考えなければならないのは、やはりそうやって実質的に、修正を前提にしたり、ここで条文化をしていくには、やはり審議日数が今よりも当然必要になってくるわけですね。正直申し上げまして、今、余り重要でない一般的な法案は、大体、委員会審議、三時間か四時間で終わっているのが実情だと思います。そういう中で条文化をしていくような作業をしていくと、大変審議がきゅうきゅうとしてしまうと思います。

 ですので、この際、憲法改正を考えるのであれば、国会の会期というものも考え直さなければならないのかなというふうに思います。はっきり言って、私は非効率だと思います。会社も二十四時間、テレビで会議をできるようなシステムを備えているこの時代に、今は会期じゃないから何もできないなんというのは、ちょっと古い考え方、中世の王様の時代の議会なのかなというふうに思ってしまいます。この際、一年を通して国会を開けるようなシステムにしていくべきではないかというふうに思います。

 また、諸外国が法案の審査にどれぐらいの日数をかけているのかも一つ重要な研究論点ではないかなというふうに思います。

 今までは、基本的に、政府や与党の先生方に対して意見を申し上げたような形なんですが、野党の先生方にも、ちょっと一つ注文を申し上げたいのであります。

 行政監視、政府の監視というのは、大変、国会の重要な機能ではありますが、委員会において大臣の出席をやたらと今求めているような現状がありますが、やはり大臣は、第一には省内、各省の政策の企画立案が第一の仕事でありまして、国会に来てばかりいるのは本末転倒ではないのかなというふうに思います。国会の委員会で縛られて外遊にも行けない、省内の政策の把握もできない、そういうようなことがあるのは余り有益ではないのかなというふうに思います。

 イギリスに関しても、委員会においては、政務官、副大臣がどんどん答弁をしております。大臣の出席にこだわるというのは、皆様方が政府に回ったときに、やはり大変大きな足かせになるのではないだろうかなというふうに思います。

 また、大臣といっても生身の人間ですから、以前の大臣やずっと前の大臣の答弁との一貫性をつつくのもいかがなものかというふうに思います。より活発な議論をしていくには、多少の発言ミスがあってもいいのではないのかなと。そういう点で、もう少し野党の先生方には鷹揚になっていただいたらいいのかなというふうに思います。

 私、最後に国会の事務局についてもお話をさせていただきたいと思います。

 今、参議院と衆議院で事務局は独立しているわけですが、独立性は審議であくまで担保すればよいのであって、こういう後方支援に関しては、統合できるものはどんどん統合していった方がいいと思うんです。法制局にしても、片方の法制局だけだと七十人強ですが、両方合わせれば百五十人弱になるわけですね。それぐらいあれば、やはりもっと大きい仕事ができるのではないかと思います。国会図書館も、衆議院、参議院、どちらへも対応していますよね。ですから、衆議院と参議院の事務局、法制局を統合することも不可能ではないのではないかというふうに思います。

 最後に、憲法全体についてなんですが、戦後六十年となって、国家統治の前提、基本システムが、やはり終戦直後とは異なってきているのではないかと思います。ですから、憲法と現実が乖離しつつあるのであれば、やはり改正するのが一番だと思います。

 しかし、憲法九条、大変大きく議論の分かれる分野でございますから、そうした部分は後回しにして、実務的な改正を先に行うべきではないかというふうに私は思っております。

 そのときに、国会と内閣の関係がどのようであるのかというのは一つ重要なテーマであるというふうに思います。憲法の条文には直接関係のない部分でも、国会と内閣がどのような関係であるのかというのは議院内閣制においては重要なテーマでございますので、ある程度、どういうものであるのか、前提をしっかりとお考えになった上で新しい憲法を考えていただければというふうに思います。

 ありがとうございました。(拍手)

中山会長 次に、平塚公述人、お願いいたします。

平塚公述人 ただいま御紹介いただきました平塚と申します。

 私は、現在、電気機器メーカーで人事全般に関する業務を担当しております。

 初めに、私にこうした機会を与えていただきましたことに感謝いたしますとともに、何分にも、このような席でお話しさせていただくことにはなれておりません。また、法律の専門家でもありません。場合によっては、まとまりのない、浅薄な内容のお話をさせていただくこともあろうかと思いますが、御容赦、よろしくお願いいたします。

 私は、平成十二年の「憲法調査会に望むもの」というテーマの論文も提出させていただきました。その内容は、現在も憲法調査会のホームページ上に掲載をしていただいております。それから四年ほどたちましたが、いま一度、その内容も含めて、この場をおかりして、一市民の意見として直接お話をさせていただきたいと思います。

 まず、現行憲法が制定されるまでの過程について、及び個々の条文に関する解釈や見解の相違、また改正の要否や具体的な内容についてもさまざまな意見の違いがあり、この憲法調査会を含め議論されていることと思います。これらの点については、私は、ここで自分の意見を述べることは控えさせていただきたいと考えます。

 さて、戦後半世紀以上にわたり、この憲法のもとに国の統治がなされ、私たちの社会生活や経済活動が行われてきました。この憲法に基づいて決められているそのほかの多くの法律に及ぼす影響や国民の生活などを考えても、その存在と価値を否定することは不可能であると思います。

 しかしながら、その半世紀以上私たちが変えずに守ってきた憲法の中にも憲法の改正を認める条項が定められており、当然、この改正についての議論を否定することもまた憲法の趣旨に反するわけであります。

 本憲法調査会も、来年には当初決められた五年という期間を終えるということでありますが、立法機関である国会において、その論議が必要に応じてなされるべき状態にあり、将来においても、その改正を常に視野に置いた対応をすることは、当然ながら否定すべきものではないと考えます。

 次に、改憲手続についてなんですが、このように、憲法改正に対しての論議、さらには提議ということについては否定されるべきでないと考えますが、最終的には、本憲法上には、その改正には国会における各議院総数の三分の二以上の賛成による発議と国民投票の過半数による承認が必要とあるように、改正の際には必ず国民投票が実施され、国民による直接投票による判断が必要とされています。

 この国民投票については、どの範囲の国民を有権者とし、どのような方法で実施し、さらにその結果をどう判断するかなど、その具体的施行方法についてはあらかじめ明確にされていなければならないものであり、今後、国会内においても早急に検討されていくものと思われます。

 ただし、どのような投票率であっても、その過半数の国民が可とすれば改正が承認されたとみなすべきであるのか。つまり、近年の国政選挙における五〇%をやや上回る程度の投票率における過半数によって改正が承認されたとみなすべきであるかどうかについては、ぜひ議論していただきたいというふうに思います。

 次に、憲法に関する教育についてなんですが、現在、ごく普通の市民が一般に成人になるまでの間に、憲法について直接触れる機会というものはどれくらいあるものなのでしょうか。この憲法調査会においでになる委員の方々も思い返していただきたいと思います。

 小学校の社会科の中で、また中学校での公民の授業や高校での政治経済という教科において、その一部分で取り上げられている程度と記憶しています。そして、その中で、将来国民投票をすることになるすべての国民が必ず受けるのは義務教育の期間に限られるため、高校で受ける学習については前提とすることはできません。つまり、義務教育では、憲法についての教育というものは非常に少ないのが現状です。

 さらに、その小中学校で教える教員の憲法に対する知識や理解度についても、出身大学等において専攻した学部がさまざまであるなどのことから、その差が大きいことも予測され、これだけの内容によってすべての国民にある程度の憲法に対する知識が備えられるとはとても考えられません。

 憲法の各条文にはどんな意味があるのか、何が定められているものなのかを本当に理解している人はどれだけいるのでしょうか。一般市民の中には、憲法とそのほかの法律との違いがどういうものなのかわからないといったことは決して珍しいことではないのです。

 このような現状を踏まえると、仮に国民にその判断をゆだねた場合に、発議から実際に国民投票が実施されるまでをどれくらいの期間にするかにもよりますが、改正に際して、その時期だけに応じた意見やはんらんした報道、部分的に知り得る情報などだけにより判断してしまうことになり、本当に正しい改正の是非を問うことは難しいのではないでしょうか。

 そこで、憲法について、どれほどの割合の有権者が自分自身で判断でき得る知識と考えを持ち合わせているものであろうか。この問題をまず考えてみるべきであり、その調査を反復的に、継続的に実施しつつ、その理解度のレベルを上げていく施策を講じていくことは国としての義務であり、また、それらを理解していくことが国民にとっての義務であると考えます。

 とかく法律と名のつくものは、さまざまな分野の法律的な専門的知識を持つ一部の人のみしか理解できないという印象がありがちです。

 私自身には、業務を行う上で、労働法、安全衛生に関する法律、あるいは税法などは日常的に関係してきます。これらの法律も、根底には憲法を基本に制定されているものであります。これらの法律はたびたび改正され、また、新たな関連法の制定も非常に多く行われます。こうした場合、企業では、各行政省庁にかわりその内容を一般従業員に周知しつつ、必要に応じわかりやすく解説し、理解してもらうように努力するわけです。

 しかしながら、憲法については、一般の国民の生活に直接的にかかわるという印象は非常に少なく、知る機会というものも余りあるようには思えません。逆に、憲法についての難しい内容の議論が繰り返され、そうした部分だけの報道がされても、かえって一般の国民からは遠い存在へと押しやってしまう、そういう危険性があるように感じられます。

 こうした状況から、これからの憲法教育についてでありますが、憲法というものをもっと一般市民が身近なものとして認識できるような仕組みをつくることが今の社会にとっては必要であると考えます。特に、これから日本を支えていくべき若い年齢層への憲法に対する理解度、関心度を高めていく、そうした教育の必要性を非常に感じるものであります。

 昨今、学校を卒業し就職しても、三年もたたないうちにやめてしまうという若い人たちが多く存在し、問題化しています。厚生労働省も、インターンシップ制度などを推進し、こうした問題に対処しようと努力されているようです。

 学生という自由で責任のない立場から、今までイメージしてきたことのない社会人という責任ある立場へのギャップに適応できないことが問題なのです。もちろん、昔とは違い、常に身近にインターネットなどを通して多くの就職や転職に関する情報があふれています。そうした理由もあるでしょう。しかし、私には、多くの学生たちが、何となく就職活動を行い、就職する決断も、そしてやめる決断も非常に安易に判断しているように感じてなりません。

 私は、延べ二十年近く、採用担当者として多くの就職活動を行っている学生たちと接してきました。最近、私は、就職活動中の学生に対して一人一人に、まず、どうして就職するのか、どんなことをしたいのかしっかり考え、その上で、自分で判断し、そのことに責任を持てるようになってほしいと話すようにしています。それが本当にやりたいことにつながるのなら、フリーターという選択もあえて否定すべきではないとも考えます。

 二〇〇四年版の「労働経済の分析」、いわゆる労働白書によると、十五歳から三十四歳の若年層のうち、二〇〇三年のフリーターは前年より八万人多い二百十七万人、ニートは五十二万人に上るということです。ニートの数は、総務省の労働力調査をもとにすると、二〇〇二年は四十八万人と推計、この一年間で四万人ふえたというデータが報道されています。ニート、つまりノット・イン・エデュケーション・エンプロイメント・オア・トレーニング、学生でもなく、職業訓練もしていない無業者のことです。仕事をせず、就職意思もないけれども、本来は働くことのできる若い人たちのことです。

 今や、多くの分野で貴重な労働力となっているフリーターについても、選別化が進み、以前のように気楽に、好きな時間に好きなように働けるという状況ではなくなってきました。ニートは、フリーターにもならない、なりたくないという人たちであり、就業意識の点で大きくフリーターとは異なります。厚生労働省は、これらニートに対する就職支援として、パソコンの使い方や建設機械の操縦法など、就職に向けた基礎的能力を養う合宿型の若者自立塾の開設等を来年度から全国で行おうとしているということであります。

 こうした就業能力の支援や労働環境の整備も大切ですが、日本は法治国家です。それより前に、日本の憲法上には職業選択の自由があると同時に、勤労の権利と義務、ひいては納税の義務などがうたわれている。これらを果たすことによって社会は成り立っていることなどをしっかりと認識させ、理解させる必要があると考えます。

 その一つの方法として、義務教育の過程において、憲法というものにできるだけ触れる機会をふやし、憲法を通じて社会の仕組みを教えていくことが必要であると考えます。

 これは、例えば小学校では、道徳の時間などを使い、身の回りの例に当て、自由という概念の考え方、公共の福祉については、みんなに迷惑のかかることは好き勝手にできないこともあるといったように、易しい事例を織りまぜ、少しずつ憲法の内容に触れながら子供たちに考え方を伝える時間をつくる。さらに、中学校の三年間では、十分な時間をとり、最終的にはすべての内容を一通り学習できるようにするべきであると考えます。時には法律の知識のある専門家に憲法を講義してもらい、権利、義務についてなどを含めて、一人一人にそれらを自分のこととして考えさせることが大切なのではないでしょうか。

 この憲法を理解させるための教育を、すべての国民が受けなければいけない義務教育において実施することが、憲法改正の必要性について判断しなければならないときに、その時期だけにクローズアップされた一元的な意見、報道、先ほど言いましたように、部分的に知り得た情報などのみにより判断されることを避けることにもつながると考えます。それはまた、憲法を知ることによって、納税などの国民の義務や公共の福祉といった、本来一人一人の国民が常に考えるべき問題の原点を理解させることへとつながるものであると思います。

 憲法を通して、物の考え方にも、そのとらえ方によりさまざまな意見があってもよいということを教えることも非常に重要な教育の一つであると考えます。その一方で、偏った内容の思想や指導で教育されないようにすることもさらに重要であることは言うまでもありません。

 最後に、法律というものは、それを知らない人たちには適用されないというものではありません。将来国民投票を行う国民一人一人が、憲法というものをよく知らなくても、その判断をしなければなりません。五年後の平成二十一年には、司法に裁判員制度、いわゆる参審制も導入される予定とのことであります。一般市民が司法にも参加できることになるわけです。このことは直接憲法に関係するわけではないのですが、できるだけ早く、憲法というものが、国民一人一人のもっと身近なものとして考えられる位置に置かれることがさらに重要になってきているものと考えます。

 以上で、私の意見とさせていただきます。ありがとうございました。(拍手)

中山会長 以上で公述人からの御意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

中山会長 これより公述人に対する質疑に入ります。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。柴山昌彦君。

柴山委員 自由民主党の柴山昌彦でございます。

 本日は、公述人のお三方におかれましては、お忙しいところ朝から御出席をいただき、貴重な御意見を賜りまして、本当にありがとうございました。

 白石公述人より、順次、今お述べいただいた所見について若干質問をさせていただきたいので、よろしくお願い申し上げます。

 公述人は、天皇制につきましていろいろと御見解をお述べになりました。元首の問題についても、また公述人お述べにならなかった天皇の権限についてもいろいろと意見の分かれるところではありますが、今、最後にお述べになった女帝の問題、これについて少し質問させていただきたいと思います。

 この女帝を認めることについて、これはきちんと推進していくべきだという御意見だったんですが、これを憲法上も全く男女平等の取り扱いということで位置づけるべきであるかどうか、これについて公述人はどのようにお考えですか。

白石公述人 私は、憲法上もはっきりと位置づけるべきだというふうに思います。私どもの地方自治体でも、男女共同参画社会の条例をつくって、男女が平等に社会に参画するんだということをはっきりと条例上、第一条に明記してございますので、そういう意味でいえば、天皇の地位も憲法上明記すべきだというふうに思います。

柴山委員 ありがとうございます。

 それでは、例えば将来女帝が誕生した場合に、職務が行えないときにこれを補佐する摂政、これは、今、皇室典範では皇太子の立場にある人が摂政をするということになっているんですけれども、女帝の御主人に当たる方を優先するのか、それとも現行の皇室典範のように皇太子となる人が行うべきなのか、これについてはどのようにお考えですか。

白石公述人 私は、天皇の制度そのものはやはり皇統に基づくというふうに考えておりますので、摂政についても、少なくとも皇太子が摂政をすべきだというふうに思います。

柴山委員 確認ですが、それはもちろん、皇太子たる地位の方が女性でも同じ、そういうことでよろしいわけですね。

白石公述人 それは全く同じでございます。

柴山委員 次の質問に移らせていただきます。

 憲法第九条、これについてお伺いしたいと思います。

 先ほど公述人は、自衛隊を軍隊に位置づけるべきだ、また、国際紛争を解決する手段として、武力の行使も認めるべきだという御見解でした。個人的には、最終的にはそのような方向も私は十分検討に値するというように思っておりますが、先ほど来、憲法の改正には、各議院の三分の二以上の議員の発議が必要で、また国民の過半数の同意が必要だという高いハードルがあるわけです。

 このようなハードルの中で、今公述人がおっしゃったような御意見というものが受け入れられる見通しというのをどの程度考えていらっしゃいますでしょうか。

白石公述人 先ほど、読売新聞の各党の国会議員に対するアンケート調査の結果についてちょっと触れさせていただきましたが、自由民主党は九六%改正に賛成、民主党も七七%が賛成、公明党が八三%賛成という中で、私は、憲法改正そのものについては大方三分の二の賛成は得られるのかなと。

 ただ、九条について言えば、なかなか難しい部分がありますけれども、これも新聞の世論調査ですが、国際貢献などの今の憲法では対応できない新たな問題が生じているので憲法を改正すべきだという意見が六二%あるということで考えますと、国際貢献について言えば、少なくとも国民の過半数は賛成していただけるのではないか。

 しかも、今の憲法の前文にも書いてありますけれども、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」、こういう形で前文にも書かれているように、まさに日本がこれだけの経済大国になった以上、国際貢献をしなければならない責任はますます大きくなっている、このことについては国民の皆様方の御理解は得られるものというふうに考えています。

柴山委員 ありがとうございます。

 また、九条二項の部分で、公述人の御意見として、自衛のための戦力は保持することができるという御見解でしたが、他国からの不当な侵害に対する自衛ということには、いわゆる密接な関係国に対する集団的自衛権、これは含まれるとお考えでしょうか、どうでしょうか。

白石公述人 これもまた日本国憲法の前文にあるんですけれども、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、」この後が問題なんですが、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」もしこの決意が本当であれば、日本という国は本当に独立国なのかということを疑わないわけにはまいりません。

 そういう意味でいえば、他国の侵略から断固として国民の生命、財産を守ることについては当然の国の義務ですから、このことについて当然、それは軍隊と言いますか国防軍と言うか自衛軍と言うか、名前はどういう名前でも結構ですけれども、日本国民の命と財産を守るための組織は必ず必要だ。

 それでは、日本国が一国で日本の平和を守れるかということになれば、これはもう全く不可能なことはだれが考えたって当たり前ですから、集団的自衛権もこの中に入るというふうに思います。

柴山委員 さらに、緊急事態の憲法のあり方について、国家緊急権を憲法上位置づけるべきであるという見解もあります。また、被爆国日本のあり方として、大量破壊兵器、また核兵器についての非核三原則、これについても明確なスタンスというものを打ち出すべきではないかという意見もあるところですが、これについて公述人はどのようにお考えでしょうか。

白石公述人 大量破壊兵器並びに核の廃絶は、まさに日本だけではなくて、世界の念願ですから、悲願ですから、このことについては明確に打ち出すべきだというふうに思います。

 なお、国家非常事態については、当然いろいろな状態が想定されますけれども、そうした事態になったときに、国会を召集してすべて国会の決定に従うというようなことで本当に国の安全、国民の安全が守れるかということになれば、国家非常事態を想定した条項、条文はあってしかるべきだというふうに思います。

柴山委員 次に、私有財産の制限についてお伺いしたいと思います。

 公述人は、なかなか進まない区画整理あるいは土地収用等を念頭に置かれまして、それを制限するという明文を設けるべきだという御主張だったわけですけれども、具体的に公述人のような条文の体裁にした場合に、具体的なその収用等の手続をどのようにすればよいとお考えですか。先ほど、土地収用委員会が有効になかなか機能しないというような御主張だったと思うのですが、例えば、議会の多数決で少数者の財産権、これは必要不可欠な財産には及ばないとはいえ、それを剥奪するような決定もできるというような形でお考えなのか、公述人の御意見を伺いたいと思います。

白石公述人 現在の土地収用法では、例えば成田空港の問題もそうですけれども、過激派に収用委員が襲われるという中で、千葉県の収用委員会は収用委員全員が辞任をしてしまって、収用委員会そのものも存在しないというような、こんな異常事態が現在の法律のもとでは現実に起こっている。

 このことを考えたときに、私は、ある意味で土地というのは領土ですから、国を形成する基本の三原則の一つ、領土ですから、これを個人が、絶対に公の福祉に使わせない、どうしても賛成しない、どうしても売却に応じないということであれば、基本条例の中で、これを議会の決議によって売却、収用ができるという形にすべきではないのかな。

 収用するといいましても、現在では、民民売買より民官の売買の方が高い値段で収用しておりますし、民民売買の場合は、例えば建物があった場合は建物を取ってから売買するというのが今の習慣ですけれども、私ども例えば足立区と民の売買の場合には、建物もそっくり買い取るということですから、古い建物も、現実には坪数に応じて、新規の建物が建ったら幾らになるかということを前提にした形で、土地も建物も営業権もすべて補償して買い取るということですから、私は、私有財産の侵害には当たらない、こういうふうに思います。

柴山委員 ありがとうございます。

 それでは、地方自治の議論に移りたいと思います。

 まず、今、地方公共団体の長の多選の禁止を法律上設けるべきではないかという議論がなされていますが、これについて公述人はどのようにお考えでしょうか。

白石公述人 私どもの地域では、四選以上した首長は足立区にはおりませんけれども、足立区の四選目の首長で一番大きな問題になったのは、四選もしますと、執行機関、部下をどうも自分の言うことを聞く、言いなりの部下を集めてしまう、こうした嫌いがややあって、常に行政は区長のイエスマンになってしまうということを考えますと、私は、首長の多選は禁止すべきだ、このことが地方自治体、地方政治の活性化に必ずつながっていくというふうに考えております。

柴山委員 基本条例と国の法律との関係についてお伺いしたいと思います。

 国の固有の権限ということで恐らく公述人が考えられているのは、司法あるいは外交、刑罰といったような全国的な事務だと思うんですけれども、それ以外の自治事務に関連する事項であっても、例えば公害の規制ですとか河川法による管理などについて、国全体の利益や他の地方公共団体の利益を配慮した形でのやはり国の法規制というものは当然想定されると思うのですね。

 そのような中で、徳島市公安条例事件の判決というものが昭和五十年に出ていて、法律と条例との抵触関係については、ただ文言上比較するだけではなくて、その趣旨とか目的、内容とか効果をきちんと判断して決めるべきだ、つまり矛盾、抵触があるかどうかを決めるべきだという判断がなされていますが、このような判断で、例えば上乗せ条例ですとか横出し条例というようなものの適法性を妥当な形で解決できるのではないかと思うんですが、公述人はどのようにお考えでしょうか。

白石公述人 私は、今言うような形の中で、もちろん条約とか司法とか、こうしたものについて国の権限を地方自治体が侵すというようなことは考えてもおりませんけれども、そういう意味で、例えば河川などという広域的な問題については、先ほど私の方からお話しさせていただきました道州制というような形のものを導入していく中で、一地方自治体というよりは、新たにつくった道州制の中で広域的な行政については解決していくべきだというふうに考えております。

 例えば、私ども足立区、東京都の水道の主な供給源は群馬県でございまして、群馬県は関東地方ということで、利根川の流域全体で広域団体をつくって、利根川河川の管理等については、たくさんの県と市町村が合同で利根川水域を管理するというような形もやらせていただいておりますが、そうした意味で、道州制の中でその部分は解決していくことの方が妥当なのかなというふうに思います。

柴山委員 どうもありがとうございました。

 続きまして、篠原公述人にお伺いしたいと思います。

 行政の監視ということを中心にさまざまな有益な御提言をいただいたわけなんですけれども、そもそも政府の法案についてなかなか修正が難しいというようなお話があったんです。今、内閣の法案提出権、これは解釈上認められているわけですが、もちろん国会法の中でもそれを認めるような記述がありますが、これについて、国会議員が法案提出権を独占するべきであるというような議論がなされております。これについてどのようにお考えでしょうか。

篠原公述人 もう数十年ぐらい前の憲法学の中では、内閣に提出権があるのかどうかというのが大変盛んに議論されたと思うんですが、やはり、議院内閣制というのをとっている各国を見ていても、内閣が、政府が法案を提出するのは、もうこれは議院内閣制である以上は当然のことだと思いますので、私は、必ずしも国会議員が法案提出権を独占する必要はないのではないかというふうに考えます。

柴山委員 それでは、次の質問です。

 先ほど公述人は、国会、もちろん委員会も含めて、審議が非常に形骸化している、空洞化しているという中で、立案段階から、いわゆる法律がまだ大綱の段階から議論を進めていくべきではないかというような御示唆をいただきました。ただ、当然のことですけれども、与党と野党、大分基本的な考え方が違う議員がたくさんいるわけで、そのような中で、いわゆるガチンコの形で議論をしていっては、とてもでないけれども時間が足りないというような意見も出ているところでございます。これについてどのようにお考えでしょうか。

篠原公述人 政府が提出する法案も、例えば人事院勧告によって公務員の給与を改正するような法案であったりとか、そういう事務的な法案もございますので、そういうものはある程度ここで、平場で議論するのは妥当ではないのかもしれないんですが、年金改革法案のような場合はやはりもう少し政府・与党は柔軟に対応することができたのではないのかなというふうに思いますし、すべての法案を一から立案していくというのは難しいと思うんですが、やはり暗黙の了解としてこれは重要法案であるぞというのは、国会議員の先生方の中ではある程度の合意がある法案があると思うんです。その点に関しては、やはり一から議論できるようなシステムを整えていった方がよいのではないのかなということでございます。

柴山委員 例えば、代替案として、現在の委員会審議を、論点ごとにきちんと整理をして柔軟に修正を考えながらやっていくというような形で、もちろん一たん成文となったものを修正するというのは御指摘のとおり大変難しいわけですが、もう少し審議の進め方いかんによっては内容が実質化するのではないかというような考えも私は持っているんですけれども、これについてはどのようにお考えでしょうか。

篠原公述人 全くそのとおりだと思います。

 私がこの数年間の国会の中で記憶に残っておりますのは、一番最初の有事法制のときに、民主党の枝野委員と自民党の久間議員がさしで理事懇で話し合って修正案を最後にまとめられたというのが記憶に新しいんですが、でも、あのときは、何か採決の直前になって急に与野党で、議事録上ですよ、議事録上では、急に与野党で合意をして修正案をぱっと出しましたというような形になっているわけですね。論点ごとに、では、ここをこうしましょうという議論は議事録上は残っていないわけで、もう少しそうした部分が表に出るようなシステムにしていくべきではないのかなというふうに思います。

柴山委員 次の質問に移りたいと思います。

 今、憲法調査会では議会オンブズマンについていろいろと議論をしているわけなんですね。今公述人の御意見によると、国会内の決算行政監視委員会の機能を充実させて、行政に対するチェック機能を果たすべきだというような御提言だったと思うんですけれども、オンブズマン構想についてはどのようなお考えをお持ちでしょうか。

篠原公述人 これに関しては、九〇年代後半に、これは、今の民主党じゃなく多分以前の民主党になると思うんですが、日本版GAO、行政監視院構想みたいなものを提出されて決算行政監視委員会ができたと思うんですが、そのときに委員会調査室が調査局に格上げされて、予備的調査というのができるようになって、また、それとともに先ほど申し上げた会計検査院に対して検査の要請ができるようになったわけですね。その今の制度が十分活用されていない中で、また国会オンブズマンという新しいものをつくって陣容をふやすというのは、やり方としては余りスマートではないのかなというふうに思います。今ある会計検査院への要請や予備的調査といったものを、もう少し活用していく必要があるのではないのかなというふうに思っております。

柴山委員 具体的には、例えば陣容を拡大するべきだとか、あとは一般市民からの告発とかそういうものを幅広く受けたり、調査を外注したり、そういうような形が考えられると思うんですけれども、何か具体的なプランというものがもしあれば、お聞かせいただきたいんです。

篠原公述人 この決算行政監視委員会のことに関してですか。

 やはり、国会が行政に対して全面的にいろいろ監視をしていくというのは難しいと思うので、テーマを三つなり四つなり決めて、それについての報告書をつくっていくことなのかなというふうに思います。一般国民から意見を受け付けるというのは今の決算行政監視委員会でもやっているはずなんですが、やはり、さまざまな意見、質のいいものからちょっとおかしいかなと思うようなメールやお手紙が来ているようですので、そこはちょっと工夫をしなければいけないのかなというふうに思いますが、一般国民から直接意見を受けるという点に関しては、私は余り前向きな気がいたしません。

 しかし、例えば予算委員会でやっているような政府追及というのは本来決算行政監視委員会でやるべきであって、あのようなものを決算行政監視委員会で議論して、もう少し国会内における決算行政監視委員会の権威を高めていかなければならないのかなというふうに思います。

 それと、例えば、かつて薬害エイズというのがありまして、菅厚生大臣がリーダーシップを発揮して資料が出てきたということがありましたが、あのようなわかりやすい事例が国会と政府の間で起これば、これは一つ、いいのかなというふうに思います。

柴山委員 ちなみに、私も決算行政監視委員会に所属しているということを申し上げて、次の質問に移りたいと思います。

 憲法解釈について、司法が抽象的な憲法判断を下せない現状であるということで、大変問題があるというような御提言があったかと思いますが、これについて、憲法裁判所を設けるというプランと、あとは、先ほど議院法制局と内閣法制局との対決というようなお話もちらっと出たんですが、議会の中で憲法委員会を設けて、それで憲法問題について議論をするというような構想も実は持ち上がっています。

 こういった動きについて、公述人、どのようにお考えでしょうか。

篠原公述人 議会の中に憲法委員会をつくるということは、これは大変よろしいことだというふうに思います。冒頭にも申し上げたのですが、基本的に、日々政府から出される法案を処理していくことに通常の委員会はいっぱいいっぱいになってしまっていて、憲法といった中長期的な視点を議論する場が余りに少ないのではないのかなというふうに思います。

 そういう意味で、委員会という国政調査権を発動できる政治的なバックボーンの中で憲法を議論できる場ができるというのはいいことだと思います。

柴山委員 最後の総論の部分で、事前調整型から事後調整型という御提言がございました。緊急性のあるものについては、例えば国会の同意などを事後的な承認ということに回すことは考えられるんですけれども、それ以外に、例えば公述人は、政令、通達にちょっと多く規定されているというような御発言もあったんですが、事前の国会のコントロールを、例えば委任の程度をより絞っていくというようなことを考えるのは非現実的だと思われますか。

篠原公述人 済みません。もう一度御質問いただけますか。

柴山委員 失礼いたしました。

 統治システムの事後調整型がこれからは重要だということについてなんですが、例えば議会の行動に対する承認、これを、例えば緊急案件については事後的な承認で足ります、ただし、事前の承認も、やはり今、余りにも行政に幅広い裁量が与えられ過ぎているのではないかという批判があると思いますが、これについて、このままでよいとお考えでしょうか。

篠原公述人 それはまさにおっしゃるとおりでございまして、これは、国会と政府の関係というよりも、政府内の問題であるのかなというふうに私は思っております。政府がやたらと憲法とか法律とか判例とかで政策に二の足を踏んでいる、そういうのではなくて、もう少しアメリカ型に、政策を積極的に打ち出して、政府の政策が違憲であるという判決は余りよくないんですが、とりあえずやってみるという姿勢がもう少し政府の中において必要なのではないのかなというふうな意味で書いております。

 そういう意味で、議会が政府に対して事前に承認を行うとか、そういうことに関しては、やはり行っていくべきものは行っていくべきものであると思います。今のイラク特措法に関しても、やはり事前に国会の承認ができるような法制度であった方がよかったのではないのかなと個人的には思っております。

柴山委員 最後に、ちょっと小さな論点かもしれませんが、国会の会期制ですけれども、イギリスなんかで誕生したように、通年国会だと、なかなか議員が腰を落ちつけて政策について勉強する機会がないですとか、有権者と接触する機会が余り多くとれないとか、そういうような問題もあるというような形で議論されております。

 また、衆参法制局の統合については、憲法四十八条、五十五条、五十六条などで各院の自律性というものが明確にうたわれている以上、なかなか難しい部分もあるんじゃないかなというような、恐らく反対の意見がそれぞれ出てくるのかなというように思いますが、これについて、最後に簡単に御意見を伺いたいと思います。

篠原公述人 まず、院の自律性についてなんですが、これは、先ほども発言の中で申し上げたのですが、審議において自律性が保たれればよいのであって、事務局とかの後方支援に関しては統合しても問題はないと思います。速記の方に関しては、近く衆参統合されるようなお話がございますので、これは考え方の違いなのかもしれませんが、進めていこうと思えば進めていけることなのかなというふうに思います。

 会期についてですが、これはやはり先生方の選挙等々の御都合もあるかとは思いますが、今の制度は余りにも、ちょっと柔軟性を欠くのではないのかなというふうな認識でございます。

柴山委員 大変どうもありがとうございました。

 続きまして、平塚公述人にお伺いしたいと思います。

 公述人がお述べになられました、国民投票の具体的施行方法についてはあらかじめ明確に規定しなければいけない、また、その制度の前提として国民の憲法に対する理解度を高めていかなくてはいけない、ともに大変ごもっともな御指摘だと思いました。

 その上で、ちょっとお尋ねをしたいんですが、例えば義務教育課程で、憲法の問題を、充実して教育の中に、プログラムに取り入れるということになりますと、先ほど公述人御自身ちらっと触れられたところなんですけれども、教師によって、その持っている思想ですとかそういうもののばらつきがどうしても憲法教育にも反映されてしまうのではないか、政治的なバイアスというものが、特に教員はいろいろな団体に所属しているわけですけれども、その団体の基本的な考え方というものが、教員を通じて、まだ批判能力の少ない子供たちの教育に反映されてしまうのではないかという懸念が出されるところじゃないかなと思いますが、これについてはどうお考えでしょうか。

平塚公述人 全くそう思います。一番怖いなと思うのは、そこだと思うんです。

 ですから、教師の思想によって教えるのではなくて、できるだけしっかりしたテキストをやはりつくるべきだと思います。その内容も、特に小学生のうちは、そんなに思想的な見解の相違ということが出るような内容を教えるのではなくて、要するに、日本という国自体がそういった憲法を持っているということを教えていかなければ、まず、そういったものがあること自体、義務教育が終わった時点で頭の中から飛んじゃっているという若い人たちが今多いんじゃないかなと。

 ですから、一番私が言いたいのは、日本という国にはこういう憲法があるんだ、そういうことが頭に残るような形の教育をまずはしてもらいたい。ですから、その詳しい内容の教育は、小学校の時点では多分そうはできないと思います。

柴山委員 私も全く同感でございます。ありがとうございます。

 続きまして、公共の福祉といった問題を教えていくべきだと。特に、先ほど公述人、人に迷惑をかけることはいけないというような教育、あるいは道徳の教育、これを充実させていかなければいけないというようにお述べだったと思います。

 ただしかし、今、人に迷惑をかけなければ、自分がたばこを吸おうが、人に煙で迷惑をかけなければいいじゃないか、援助交際をやって、人に迷惑をかけなければいいじゃないか、そういうような反論をする子供がいるわけですね。

 個人の権利を最高のものとするという価値体制が今大変揺らいでいるような印象を私は受けるんですが、これについて公述人はどのようにお考えでしょう。

平塚公述人 全くそのとおりです。若い人たちと話すと、やはり日本は自由だと。自由という意味が、何でもやっていいという自由というふうに考えている人たちが非常に多いんじゃないか。

 ですから、これは一例として公共の福祉という言葉を私は入れましたけれども、人に迷惑をかけるということが何なのかということ。子供たちは、例えば、先ほどおっしゃいましたとおり、人に迷惑をかけなければ何をやってもいいんだと。何をやってもいいということ自体が自由と履き違えているところがあるので、世の中にはいろいろなルールがあるんだということを教える意味でこの一例を述べたまでであって、公共の福祉が必ず迷惑をかけるということでもないと思うんですよ。ですから、これは単なる一例です。

柴山委員 ありがとうございます。

 続いて、仮に将来、憲法を改正するに当たって、どのような形でその手続をとらなければいけないのかということについてちょっと御意見を伺いたいと思うんです。

 特に、公述人がおっしゃったような、憲法に対する教育が十分になされていないで数年以内に仮に憲法改正が行われるような場合に、憲法を一括して改正案を国民に対してイエス、ノーを問うということが果たしてどれだけ意味があるのか。逐条で賛否の投票をさせるべきではないかというような意見も出されます。その手続というか、国民投票のあり方、これについて、公述人、もし思うところがあればお考えを聞かせていただきたいと思います。

平塚公述人 私自身としては、憲法が、全面改正ということがいきなり行われること自体は余り想定できません。ですから、全面改正ということについては、ちょっと意見は、私自身、ここでは述べられないんですが、仮に複数の条文改正とした場合に、一件一件の条文ごとに是非を問わなければ、例えばこちらはいいけれどもこちらは反対だといった意見の場合に、非常に混乱すると思うんですね。ですから、その点については、各個別にやはり是非を問うべきだと思っています。

柴山委員 ありがとうございます。

 最後に、公述人は人事課長として長年仕事に携わってこられたわけなんですけれども、職務につかれて間もないころと現在とを比べた場合の面接に来る学生の気質にどのような変化が見られたか。また、それに関連して、教育あるいは職業の導入をどのような形で行っていったらいいのか、そういうような問題について、ぜひ御経験から意見を伺えたらなというように思います。

平塚公述人 これは私見なんですが、私もずっと管理職をやっているわけではありませんので、最初のころの自分の感覚と今の感覚との違いは、来る学生さんたちが非常に受け身である、こちらから提供するものを非常に待っている。ですから、受け身の態勢で来るのと攻めの態勢で来るのと、非常に自己アピールをする方と、昔は自己アピールする方が非常に多かった、今はとりあえずはまず受け身で来るということが非常に印象深い点の違いです。

 最近、学生たちも、先ほども申し上げたとおり、離職率が若い人たちは高いというふうに今世間では評判になっているんですが、評判という言い方は変なんですけれども、そういうふうなことがよく言われるんですが、それに対して厚生労働省も、いわゆるインターンシップというようなことも導入されている。

 ところが、このインターンシップというのが、日本の場合には約二週間なんですよ。二週間で就労体験をしなさいということで、果たしてできるのか。二週間という時期、一週間五日間ですから、正味十日です。十日間で就労体験をするということをまず受け入れられる企業の実態としては、やはり大企業、それなりの余裕がある企業でなければ受けられないわけですね。

 そういった企業に仮に二週間足らずの就労体験をするといったところで、どういったイメージを描くのだろうか。周りの人間は、はっきり言ってお客さんとしてしか扱いません。実際、二週間で仕事を見せるとか教えるということはできませんので、絶対むだだというふうには感じていませんので協力はさせてもらっていますが。ただ、大企業で受け入れてもらった学生たちが、いざ就職活動をして、果たして、中堅企業もしくは小さな会社に入ったとしたら、どうでしょうか。今まで自分たちが見てきた会社との実態の違いにまずギャップを感じるはずなんです。これに耐えられなくなってやめていくという方たちも結構多いというふうに私自身は考えます。

 ですから、私自身は、自分の会社に来る学生、逆にこの方は結構だと思う学生についても、一通り、あなたとしては、しっかり考えて、自分の目で見て自分の道を決めた方がいいというアドバイスを最近するようにしています。

 情報としては、インターネットが今学生たちの間ではかなり重要な情報になってしまっています。このインターネットというのは非常に便利なんですが、我々企業の方から提供する内容だけで学生さんたちは判断してしまいます。それで、来て、私はたまたま理工系の学生を採用することが多いんですが、特に人と話す機会を嫌がります。面接も嫌がります。電話をかけるのも嫌がります。携帯電話になれているために、だれが出るかあらかじめわかっているという情報については安心して話しますが、だれが出るかわからないという固定電話については、まず嫌がります。こういった学生さんたちがもうほとんどです。

 世の中に出ると、コミュニケーションをとれない学生さんたちが非常に多いということがやはり問題になります。ですから、情報として、一方通行しかしない情報がはんらんしている現在、今後もまたこういった学生さんたちがふえていくんだろうと。今一番問題になっているのは、やはりこういったコミュニケーション能力ということだと考えています。

柴山委員 今の教育のあり方として、やはり、仲間としっかりコミュニケーションをするということが少ないですとか、あるいは在学中に社会実習のような形でアルバイトですとか、あるいは外国に行ったりして経験を積ませる、そういうことが重要でないかというような意見がいろいろ出ているところでもありますが、最後に、これに対する公述人の御意見をお伺いしたいと思います。

平塚公述人 インターンシップという制度とまたつながるんですが、私個人としては、こちらで提供したインターンシップという制度のもとに企業に行かせるということは、あくまで受け身なんです。ですから、言葉は悪いんですが、嫌々来ている学生さんもいるわけなんですね。これは、自分たちで行きたい企業を見つけるということも含めてインターンシップということを考えるのが前提だと思っているんです。

 ですから、学校によっては、今、必須としてインターンシップをやっている学校もあります。こういった学校が人気があるそうです。要するに、学生さんたちも、学校側が自分たちが社会勉強をさせてくれる場を提供してくれるんだというふうに考えているわけですね。これではやはり就業体験にはならないと私は思うんですよ。

 ですから、その辺のことをよく考えた上でいろいろな制度をつくっていただきたいんですが、現実は、企業側には受け入れなさいという指針が数々出てきますので、それについてはやはり問題があるというふうに私は考えています。

柴山委員 以上で私の質疑を終わります。どうもありがとうございました。

中山会長 次に、馬淵澄夫君。

馬淵委員 民主党の馬淵でございます。

 本日は、公述人のお三方、お忙しい中お越しをいただきましてありがとうございます。

 私は、昨年の総選挙で初当選をし、この国会にやってまいりました。この衆議院議員を志し二〇〇〇年選挙に出馬するまでは、長年ビジネスの世界に身を置いておりました。その意味におきましては、きょうお越しいただきました皆さんと同じ目線で、いわゆる市民の目でこの国の形あるいは憲法のあり方というものについて考えてきたと思っています。そして、昨年の十一月以来、この永田町に来てみますと、ここでも憲法というのは大きな議論の的になっております。かく言う私も、民主党の一期生の仲間に呼びかけまして創憲を考える一期生の会という勉強会をつくり、仲間と議論を重ねている中でおります。

 しかし、一歩この永田町の外に出ますと、国民の間で憲法についての議論というものが本当に沸き上がっているかというと甚だ疑問であります。かつて明治時代に大日本帝国憲法が、あるいは戦後に日本国憲法、現行憲法がつくられたとき、そのときには憲法ブームともいうべき国民の中での関心の高まりというものがあったというふうに私は思っています。そんな中で、皆さんが日ごろから憲法について考え、そして御自身の意見を述べようということ、このことをお考えになってこうしてお忙しい中来られたということは、本当に最大限の敬意を表したいと思うわけであります。

 そこで、私はお三方にぜひお伺いをしたいなと思っておりますのが、きょう、この公聴会、どこでどういう形でお知りになったのかなということであります。

 今回のこの一般公募の六名の公述人、これを憲法調査会ホームページで見ますと、この公述人の皆さん方の選定に当たっては募集を行ったということで結果が公表されております。これを見ますと、応募総数は三十通、うち封書が十四通、電子メールが十六通とあります。これは、広報の伝達が十分でなかった、あるいは平日の昼間に学校や会社を休んで来なければならないこと等、さまざまな理由はあるかとは思うんですが、私は、それにしても、この応募総数を見ますと少し少な過ぎるのではないかなという気がしてなりません。

 そこで、二つ目の御質問でもあるわけですが、お三方にお伺いをしたいんです。国民の憲法への関心を高める、先ほど平塚公述人などは憲法教育ということをおっしゃりましたが、まずその以前、それよりも現時点で憲法に関する議論に火をつけていくためのアイデアといったものがあればぜひお聞かせいただきたい。

 この二点をお三方からお聞かせいただけますでしょうか。

    〔会長退席、枝野会長代理着席〕

白石公述人 私は、たまたま、先ほども申し上げましたように、三十数年間地方議員という形で仕事をさせていただいておりまして、そういう意味でいうと、ほかの一般の皆さん方と比べればいろいろな意味で情報をキャッチできる立場にいるということでございまして、憲法調査会で公聴会があるという話についてはことしの初めごろお伺いをして、三月か四月の時点でも一たん応募をさせていただいております。五月のときにはいろいろと国会の方がお忙しいらしくて公聴会の数が少ないということだったようなことを聞きましたけれども、秋もまたあるということで再び応募させていただいて、おかげさまで選ばれたということでございます。

 二つ目の質問ですけれども、憲法に対する関心を高める方法があるのかということでいえば、それ以前の問題として、政治に対する関心が本当にあるのかということの方がもっと私は重要な問題ではないのかなと。

 私どもの地方自治体にしても、地方の議員、首長を選ぶときに五〇%前後の投票率ということで、このことについて住民の皆さん方がなかなか政治、社会、そうしたものに関心を持っていただけない。地方自治体としてはでき得る限りのことはやらせてもらっているような気がするわけですけれども、現実問題としてはなかなか関心を持っていただけない。特に若い皆さん方の投票率、二五%台ということですから、このままいったら大変なことになるのかなというふうに思いますが、正直言って、具体的にこれというアイデアを持ち合わせていないというのが正直なところでございます。

篠原公述人 私の場合は、この公聴会を知ったのはインターネットでございます。春も募集があったのは存じ上げておりました。春はちょっとスケジュール等々の関係で出さなかったんですが、今回はスケジュールが合いそうだったので、電子メールにて応募をさせていただきました。

 私も白石公述人と同様の考え方で、憲法以前に、政治に対する意識がやはり低いのではないのかなというふうに思います。

 やはり一つの要因としては、税金が源泉徴収されていて、税を納めているという、税をたくさん取られているという意識はあっても、きちんと自分でみずから納めているんだというそのプロセスが省略されてしまっているために、政治に参加しているという実感を余り持たないで、政治は別世界のものだというふうな感じを多くのサラリーマンは持っているのではないか、そういう意味で、自営業の方の方がよりやはり政治意識が高いのは、みずから青色申告等々で税金の額を計算し納めているからではないのかなというふうに思います。

 そういう意味で、確定申告を全国民がしていくことが一つ解決策なのかなとも思いますし、また、自分の税金の一〇%ぐらいは、どの省庁、またどの行政分野に配分してくださいと意思表示をするようなシステムをつくってもこれは一ついいのではないのかなというふうに思っております。

平塚公述人 私は、平成十二年の、先ほども申したとおり、記念論文に応募をさせてもらったんですが、これは新聞の広告か記事かちょっと今覚えていないんですが、偶然見たものに対して応募してみようと思いました。そういった関係があったので、ホームページがあるというところで、時々のぞくというところで本日のこういった公述をできる機会を得たわけなんです。

 私がこういうところで公述しているという話を、もしくは憲法調査会のホームページに載っているという話を会社の中で言われたことは一度もありません。私、そうありふれた名前じゃありませんので、多分見ている人間がいれば何か言ってくると思うんですが、言われたことはありませんし、周りにその点に触れられたことは一回もありません。要は、ここの存在自体もそれほど知らないんじゃないかなというふうに考えています。実態はそういうことです。

 では、どうしたらそういったことが周知できるのかというふうに考えたときに、一つの手段ではとても無理だと思います。我々も、例えば自分の企業を学生にアピールしたいというときにはいろいろな手段を使います。もちろんホームページも使います、いわゆるダイレクトメールというのも使います、口コミも使います。何か斬新的なことをやらない限りはやはり差別化ができないために、いろいろなことを考えます。

 例えば、極端な話なんですけれども、一家に一冊憲法条文を配ってしまうとか、あとは、例えば、非常に危険なんですが、何か憲法に関する調査を、投票まではいかなくても、そういったものを自治体に任せてやってしまう、きめ細かくやってしまうというようなことを、何か非常に思いつかないようなことをやらない限りはこういった存在を周知させることは難しいというふうに考えています。

馬淵委員 大変、現状というものをお聞かせいただいたなと思います。政治に対する不信、これはもう本当に昨今、もうこの十数年、いや、もっとさかのぼってからも続いているのかもしれません。この政治不信に対しての私たち政治家が真摯に取り組む姿勢というものをまず真っ先に御提示しなければならないというのは肝に銘じていかねばならない課題と思っております。

 先ほどのお話の中でも、確定申告等によって納税者の意識を持つことが政治参加への大きな原動力となるという御示唆、これも大変意義がある言葉だというふうに思います。また、意識調査など、こうした方法もということで、ぜひ衆議院憲法調査会の事務局の皆さん方にもいろいろと御検討いただけたらというふうに思います。

 さて、皆様方の公述の本論についてのお尋ねをさせていただきますが、まず、白石公述人にお伺いしたいと思います。

 白石公述人は、天皇につきまして、天皇は日本国の元首として明記すべき、このように主張されております。私自身も、天皇が国事行為を行い、対外的に国家を代表する場面も多々あり、元首としての要素を持つことというのは十分に認められると考えます。しかし、私自身は、明記することに固執する必要はそれほどないのではないか。

 そもそも、この問題というのは、元首というものの概念規定いかんによるものだと考えております。元首というのは、英語で言えばヘッド・オブ・ザ・ステート、これは、もともとは統治権を総攬し、行政権の首長であると同時に対外的代表権を持つ君主を、国家を一つの有機体、人間のような形に例えて、国家の頭、すなわち元首と呼んだのがその始まりだと言われています。

 かつて王が国を治め、そして対外的にも王が国を代表していたような時代であれば話は極めてシンプルでありますが、現代では、国家の対外的関係もさまざまな機関の活動を通じて形成、維持をされるようになってまいりました。元首という観念自体、それがどれほどの意味があるのかということも言えるのかと思います。

 白石公述人におかれましては、それでもやはり元首と明記していくことが必要である、あるいは反対に、明記されないということによる容認しがたい不都合というものがありとお考えであれば、ぜひその理由をお聞かせください。

白石公述人 私は、地方自治を長くやらせていただいたおかげさまで、今般藍綬褒章をいただいたわけですが、十一月十五日に皇居にお伺いをして天皇陛下に御拝謁をしてきた際にも、天皇陛下から親しくお言葉をいただいたときに、日本の天皇制というのは本当に、二千年以上の長い歴史の中で国民の心の中にしっかりと根づいているんだな。当日参加した皆さん方の姿を見ていて、本当に天皇制はしっかりと日本の国民の中に根づいているな。こうしたことを日本国民統合の象徴という形で、象徴天皇として規定しているわけですけれども、天皇陛下が国を代表して外国等に行かれるときに、間違いなく元首として処遇されているんだということの事実を見るときに、私は、諸外国にも非常にわかりやすい形で憲法上規定しておくべきだというふうに思います。

 規定しなければ実害があるのかということについては、日本人の気持ちの中にしっかりと天皇陛下の立場が刻まれている以上、実害があるかないかということで言えば、特に実害があるとは思いませんけれども、やはり、諸外国に出ていかれたときの諸外国の待遇が、はっきりと元首として明記されていた方が外交上好ましいなというふうに思います。

馬淵委員 受章の件はまことにおめでたいことと存じます。

 今のお話の中で、容認しがたい不都合というものは存在はしないが諸外国に対してはという御意見でありましたが、諸外国の場合、例えば英国でありますと、王室とそして内閣というもの、こうした形で権威と権力というのが分かれております。今日の議院内閣制においては、私自身は象徴天皇制という形で、権威と権力、これが分かれる形で今とらまえられていることは、これもなかなかよい形ではないかなというふうに考えております。

 今、御意見や理由をお聞かせいただきましたが、白石公述人におかれましては、続いての御質問をさせていただきたいと思います。

 私有財産の制限につきましてですが、まず私は、現行憲法におきましても、財産権というのは公共の福祉によって一定の制限を受ける、そして条例でこの財産権を制限することも認められていると考えています。

 これは、先ほどのお話の中に環七の渋滞という現実の問題として本当に不都合が生じているということ、これはしっかり受けとめなければならない課題ではありますが、最高裁の判例でも、奈良県ため池条例事件というのがございまして、条例も法律として十分認められるという形で、現在では判例でも一般に認められていると私は考えております。

 一方で、歴史的な背景を考えますと、国家権力からの個人の財産権の侵害というものに対しては、本当に長い歴史の中で、これを何とか防ぐということが培われてきたのではないか。つまり、財産権の不可侵性というものは、ある一定の配慮は必要だなと私は考えます。ですから今回、公述人のお話の中で、財産権を侵害するということに対してのさまざまな明記というお話がありましたが、私はむしろ、何をもって公共の福祉とするのかということの方が重要ではないのかと考えます。

 そこで、お伺いしたいんですが、ある事例の中で、つい最近、十月二十七日ですが、東京高裁で決定がなされた事例がございます。これは、東京の国立のマンションの件です。二年前に東京の国立で十四階建てのマンションが建設されまして、景観を著しく害するということで訴訟が行われました。二年前は、東京地裁におきまして、十四階建ての建物の七階以上、高さ二十メートル以上を撤去せよという、こういった判断がなされ、この判決は、景観というものに対する利益を重要だとした判例として大変注目をされました。またその後、ことし六月には、良好な景観というのは国民共通の資源、資産だということで景観法も成立をしております。

 しかし、この十月二十七日、国立のマンションの裁判、景観訴訟については、二審の東京高裁で、景観の利益とマンションの一部撤去、これも認めないという正反対の判断を下したわけであります。この正反対の判断を下す、すなわち司法の判断においても非常にこの公共の福祉に供するというものがどういうものなのかということについて困難な問題である、判断が難しい。ここについて、この財産権の制限ということ、それには実は公共の福祉がどういうものなのかということの判断にかかわる、しかし、この公共の福祉の判断ということも非常に難しいということを勘案して、白石公述人、この事例についてはどのようにお考えでしょうか、お考えをお聞かせください。

白石公述人 今の事例については、私どもも例えば、環境権という中で環境保全という考え方からすれば当然、景観条例、景観についての地域の権利というものについては、私は明確にあるというふうに思っております。

 私が先ほど言った私有財産の制限というのは、特に計画的な都市計画における土地の独占的な私有権というのをどこまで認めるかというところであって、例えば先ほど環七のことも言いましたけれども、私どもの方で西新井という大きな駅がありまして、そこで大きな工場、五万坪の工場が移転するという中で、せっかくの五万坪の工場が移転し土地が出るんだから、駅前を再開発しようと。これは東京都で防災危険地区に指定されている駅前なんです。

 そこで、住民の皆さん方にお話しして、大多数の住民は賛成した。一割に満たない地主が反対したためにどうにも間に合わなくなって、駅前再開発が現実にはできない。東京都で災害最危険地区に指定されている地域が、せっかく大工場が移転して、移転する移転先まであるのに、私は駅前から絶対動かないという一部の土地所有者によって阻止されてしまってできなくなってしまったというようなことを考えたときに、私は、少なくとも土地所有については公共の福祉の考え方をもっと厳しくすべきだと。

 しかも、この財産については、先ほど申し上げましたように取り上げるわけではないわけです。当然、民間同士で売買する以上の補償額を出して土地開発に協力していただくということですから、このことについてはやはり厳しく規制すべきだと思いますし、地方自治体の基本条例の中でその部分を制定するような方向で検討していただけないかということです。

馬淵委員 白石公述人がおっしゃっている事例などに関しましては、ある意味では、公共の福祉というものが明確になり得るものではないかというふうに思います。私は、そうしたものについては、当然ながら公共の福祉は優先されるべきである。ただし、この公共に資するというものがどういうものなのか、そこの議論というものがあいまいにされて、私有財産権、この私権の制限というものが安易に行われてはならないということをお伝えしておきたいというふうに思います。また、条例等につきましては、先ほど申し上げたように、最高裁の判例で、法律も含むという形での一般の認識があるかというふうに思います。

 時間も余りございませんので、次に、篠原公述人にお伺いをしたいと思います。

 議員立法の役割について、先ほど、プログラム法の有効性ということで、私ども民主党の年金法案の提出については大変御評価いただき、ありがたく思っておりますが、こうしたものや、あるいは政府が取り上げないテーマを拾い上げるということで、私も議員立法の役割というのは非常に大賛成なんです。最近では、○○基本法という議員立法もふえていますし、政府が取り上げないテーマという部分に関しましては、今国会でも、高齢者をねらった違法な年金担保融資を禁止するための貸金業の規制等に関する法律、これは、もう一つ私が所属します財務金融委員会でも委員長提案という形で法律案が提出されるという動きでございます。

 こうした議員立法というものが実際上動いているわけでありますが、篠原公述人は、対案としての議員立法の提出は、成立可能性が低く、有用性も低い、再考の余地がある、このように御指摘をされています。しかしながら、私は、野党第一党である民主党としては、この指摘は謙虚に受けとめなければなりませんが、今日の二大政党制的状況というのは、我々が目指す政権交代可能な野党第一党ということを考えたときには、ただ単に政府案を批判するに終わらない、対案を示していくというのは非常に重要ではないかというふうに思っております。

 もちろん、多数決の論理の中では、決まらない、そのまま成立することはあり得ませんが、対案を示すことで国民の前に争点を明示する、そして、場合によっては審議を通して対案の一部を、野党の主張を修正という形で盛り込むことが可能です。去る十九日も、この国会で、無年金障害者に対する特別障害給付金の支給法案というのが、厚生労働委員会で修正の上、可決をされております。この修正は、法案の附則に、在日外国人などを支給対象に加えるかということを今後検討し、必要と判断した場合は措置するという条項をつけ加えたものでありますが、これは我が党が対案で出したものに対して、主張を取り入れたものであります。

 私は、対案というものに対しては、有用な意見を見出す余地があるんではないか。このことを考えますと、二大政党制ということを考えていくと、篠原公述人は、議員立法の意義というのはそれでもなお小さいとお考えなんでしょうか、お考えをお聞かせください。

篠原公述人 民主党が対案を重視される姿勢は私も理解はできるんですが、必ずしも法案という形で提示しなくても、論点を提示すれば済む問題ではないのかなというふうに思うんですね。ですから、何か、対案といえば、すぐ法律案を出さないといけない、対案を出しなさいという政府・与党の物言いに対して、それに対して素直に法律案を出すというのはちょっと、戦術として余りうまいものではないのかなと。論点を出して、それをもとに論点で話し合えばいいのではないのかというふうに私は思います。

馬淵委員 大変御示唆に富んだ御意見をいただいたというふうに思います。きょう出席している委員、肝に銘じておきたいと思います。

 篠原公述人におかれましては、先ほどのお話の中では、通年国会、会期の問題をお話しされました。この会期の問題に関しまして、私も国対の副委員長として、通常国会、ずっと携わりまして、会期不継続の原則ということで、会期末になりますと、重要法案を人質にとってというような形で、さまざまな与野党の攻防がございます。

 実際にはそうした場面を国民がどのように感じるかということもあるんですが、これは、国会法ということで、憲法から少し離れてしまいますが、先ほどの公述の中にございました通年国会、現実の国会の運営というものを眺めたときに、通年国会というのは本当に必要だということで強くお感じになられていますでしょうか、この辺はいかがでしょうか。

篠原公述人 必ずしも年じゅう国会を、毎週本会議を開いて、毎日委員会を開いてということを私は想定しているのではなくて、日程、特に会期末の日程調整で大変むだな時間を浪費している。国民の目から見れば、はっきり言ってむだな議論にしか見えないんですね。やはり、政策とちょっと次元の違った政治的なお話し合いで、永田町では意味があるのかもしれないんですが、一国民として見ると、余り理解のできないものが多いというふうに思います。

 そういうむだな議論をなくすという意味で、いつでも会議を開けるよという制度にしておいた方がよいのではないのかなという意見でございます。

馬淵委員 篠原公述人におかれましては、行政監視という機能をしっかり持ってほしいんだということをおっしゃっておられたというふうに私は感じておりますが、その点におきましては、先ほどのお話の中にもありました、大臣の委員会出席等におきましても問題があるのではないかという御指摘でありましたが、ここに関しては、私は、ある意味で、行政監視という部分で、大臣の責任ある答弁、これは逆に求められることもあるのではないかと一方の考えとして思っております。

 済みません、時間がもう迫っておりますので最後の質問になりますが、平塚公述人の方にお尋ねをしたいと思います。

 憲法教育についてでございますが、先ほど、冒頭私も、どのように周知徹底できるかということでお話を伺ったわけでありますが、私自身、公教育ということについては、二〇〇〇年の選挙以来、訴えを続けておりました。昨今、シチズンシップエデュケーションなる言葉があちこちで見られるようになりました。いわゆる市民性教育というものであります。これは、義務教育の中にこの市民性教育というものを盛り込んでいく。イギリスなどでは、これはもう既にそのようにプログラムされております。市民性教育というのは幅広い概念でして、大変難しいのですが、消費者教育であったり金融教育であったり、法教育、議会教育、こういったものがあります。例えば法教育などの点でありますと、今日、政府も若干動いておる。この法教育は、既に司法制度改革審議会の中でも、学校教育における司法の教育を充実させることが必要だということで、法教育研究会なるものが立ち上がっております。

 こうした動きというのは私も十分歓迎すべき点だと思うのですが、ただ一方で、学力低下が問題とされている今の教育の限られた時間の中で、具体的に憲法教育を学校教育の中に取り込むというのは非常に難しい問題があるのではないか。そのあたりについて、平塚公述人は、具体的な何かお考えがあればお聞かせいただけますでしょうか。

平塚公述人 一番問題なのは、余り難しい教え方をして、憲法とか法律は難しいものなんだという観念を植えつけてはいけないということだと思うんですよ。ですから、小さいころからお話をしてもらうという話を先ほどしましたけれども、常に時間割りの中に入れて、憲法の時間というようなことではなくて、例えば、小さいころには、一学期に何回か憲法の時間をつくるとか、そういった形で、頭の中に憲法というものが残ることが必要なんじゃないかなと思うんですね。

 私も子供がいるんですが、当然学校は忙しいわけですよ。そこにまた憲法を入れろというと、また忙しくなってかわいそうだなという気は私もします。ですから、そこにどれくらい入れていくかというのを、ある程度入れて、その後どういうふうにするかということを考えていったらいいんじゃないかなというふうに思うんですね。余裕を持って、例えば、先ほど言った公民だとか社会科の中で憲法の領域をふやしていくというやり方もあると思うんです。ですから、まずは始めなければ何も起こらないといった観念で私はこういった考え方を述べているわけです。

馬淵委員 ありがとうございます。

 もう時間もなくなってまいりましたが、お三方におかれましては、本当に、そうした現実の、現場のところからの憲法議論というのをこうした場に来ていただいてお話しいただけるということ、これを、この調査会だけではなく、帰られまして、職場や地域の自治会やあるいは御家族、さまざまな範囲の中で、憲法議論というものを皆様方に戻られた現場でしていただくことが、私は、政治あるいは憲法というものに対して国民がより意識を深める大きな一助となるのではないかと思います。そのことをぜひお願いしておきたいと思います。

 最後になりますが、申しわけございません、篠原公述人、先ほど有事法制の修正協議についてお話しされましたが、枝野さんと久間さんということでありましたが、これは前原さんと久間さんということで、ちょっと一部訂正をさせていただきます。

 お三方、本当にありがとうございました。私の質疑を終わらせていただきます。

枝野会長代理 次に、古屋範子さん。

古屋(範)委員 公明党の古屋範子でございます。

 三人の公述人の皆様、本日は、お忙しいところ国会までわざわざおいでくださり、貴重な御意見を述べていただき、大変にありがとうございます。

 本日は、私、この憲法調査会におきまして初めて質問をさせていただきます。私も、昨年十一月に初当選をいたしました新人議員でございます。

 現在、私は神奈川県の横須賀市に住んでおります。横須賀市は、国際情勢をまさに直接肌で感じる町でございます。九・一一同時多発テロが起きましたとき、横須賀には米軍の基地がございます、私たちはベースと呼んでおりますけれども、このベースのゲートのセキュリティーが一気に上がり、その周辺が渋滞し、横須賀市の中心部は全く交通麻痺を起こしました。また、その後も、イラクに派兵、その米軍の満ち引きというようなものも現実に日々空気で感じているような地域でございます。また、自衛隊もありまして、イラク派遣の折には護衛艦もお見送りをいたしました。また、神奈川におきましてはキャンプ座間も抱えておりまして、現在の米軍再編問題、こういった問題に関しましても非常に関心を持ち、また注視をしているところでございます。

 我が公明党は、先日、十月三十一日、結党四十周年の党大会を行いまして、ここにおきまして、平和主義を守る、憲法九条の堅持、そして新たな平和主義を創造する、世界の平和貢献、また、さまざま世界の民生の安定に貢献をしていく、国際貢献をしていくというような基本路線を確認いたしました。

 冒頭の意見陳述、また先ほどのお二人の委員とも重複する部分もございますが、私が最もお伺いしたい観点に絞りまして、順次質問をさせていただきます。

 まず、白石公述人、冒頭ですが、憲法九条と国際貢献のあり方についてどう思われるか、お伺いいたします。

白石公述人 先ほども申し上げましたように、日本という国は資源のない国でございまして、資源を輸入して、加工して諸外国に売るという、貿易があってこそ初めて成り立つ国家でございます。そのためには、まず資源の供給国の政治が安定しなければならない。また、輸出国の政治が安定しなければならないという意味でいえば、一国平和主義は全く考えられない。そういう意味で、私は、国際平和を維持するためにも、日本がもっとより積極的な立場で国際平和に貢献していくべきだというふうに考えております。

古屋(範)委員 ありがとうございました。

 ただいま非常に話題、関心事となっておりますのがイラク自衛隊派遣、十二月十四日の期限を迎えようとしております。これに関しまして、延長すべきかどうか、これはお三方にそれぞれお伺いしたいと思います。

白石公述人 私は、何度も申し上げておりますように、日本の平和は世界の平和の中にしかあり得ない、特に資源のない日本にとって、中東の平和、中東の安定はまさに日本の存亡にかかわる問題だというふうに考えております。

 今、イラクで大変な命の危険を顧みずに復興支援に努力されている自衛隊の皆さんや御家族の皆さん方のことを思うと、個人的な感情から言えば、早く逃げてきた方がいいかなというふうには思いますけれども、撤退というのは危険から回避する、逃げるというだけのことですから、そういう意味でいえば、我が国の自衛隊はイラクの復興のために最善の努力をさせていただいているんだということを考えれば、必要最小限度日数までは駐留すべき、撤退すべきではない、こういうふうに考えております。

篠原公述人 私は、まず、イラクに自衛隊を派遣したという枠組み自体には賛成をしております。国際的な協力を日本という国がなしていくのはやはり国益にかなうことだというふうに思います。しかし、法律の問題になると、やはり憲法との問題で、正直に、素直に憲法を読めばわかりにくい部分が多々あるなという違和感も持っております。

 今回の、派遣を十二月に撤退すべきかどうかに関しては、私ちょっと、きちんとした根拠を持って申し上げられる自信がないんですが、しかし、あいまいな法律のもとで派遣されている自衛隊の皆さんには同情の念を感じております。

平塚公述人 私も、こういうことについて意見を述べるという用意は心の中にありません。ですから、ここで意見を述べてくださいということに対して、個人的な意見を述べることが果たして私はいいのかどうかということもあると思うので、ちょっと控えさせていただきたいと思います。

古屋(範)委員 ありがとうございました。

 次に、平塚公述人にお伺いしてまいります。

 公述人は、冒頭の意見陳述の中でも憲法に対する教育の必要性というようなものをお述べになりまして、私も非常に共鳴をしております。小学校、中学校、そういった義務教育においてこういった憲法教育をもっと取り入れるべきであるというお話、これも私も賛成でございます。

 現在、選挙におきまして非常に投票率が低い、これは、とりもなおさず私たち政治家、国会議員の側に責任があるというふうに感じております。選挙民の皆様の厳しい監視の目にさらされている、あるいは議員としての活動が厳しく評価をされる、こういったものが私どもに対して非常に大事であるというふうに感じております。それこそが私たちにとって、自分を律し、また議員活動に邁進をしていくための非常に大切なものであるというふうにも感じております。

 私も高校生の子供がおりますけれども、母親が国会議員でありますので普通の家庭とはもしかしたら違うかもしれませんが、政治問題、さまざまなことに対してかなり長い議論などもいたします。しかし、若い方々は、政治に余り関心がない方々も多い、ましてや憲法というものが非常に遠い存在かもしれないというようなことを考えますと、義務教育を卒業して後、大学生あるいは社会人となり、また、そのときに選挙における投票権というものを得ることになる。そのような二十歳を過ぎた時点におきまして、そのような世代に、どのような形で政治に対する関心、あるいはさらに憲法というものに対して関心を持っていただけるか。先ほどのお話にも幾つかのサジェスチョンがございましたけれども、この点に関してどうお考えになるか、お伺いいたします。

平塚公述人 質問がかなり漠然としているので、どういう答えをしていいか私も迷うところなんですが、当然、本来でしたら、年齢がある程度高い人たちに憲法について知ってもらう方がいいとは思うんですね。ただ、その人たちがはっきり言って憲法に触れているかという問題、先ほどから述べているんですが。私自身も、実は学生のとき法学部におりました。ただ、社会に出て二十数年たつわけなんですが、卒業後、憲法自体を手元で見たことはありません。見ようとする必要性も感じたことは余りありません。この現実をどうやって解決していくかというところだと思うんですよ。

 当然、日ごろから、いわゆる労働六法だとか安全衛生法だとかというのは身近に置かなきゃいけない。当然講習会も、実は午後もそういう講習会に出なきゃいけないんですが、そういった講習会は日常的にある。最近は、特に指針だの、いろいろなものがたくさん出ているという印象が非常に深いわけなんですね。

 いろいろな法律が成立して、いろいろな法律も施行されて、周知するということもいろいろされているんですが、憲法についていえば、そういった情報がほとんど何もないんじゃないか。これは、私は一企業人としてそういった情報が非常に入ってくるという立場にあるということもあるんですが、実際に日本がこの憲法で統治されているということ自体がもう頭に残っていないというふうにしか考えられない。

 個別の税法、または、最近ですといわゆる社会保険関連の法案というのは、通った時点でかなり周知されます。それについては興味を持っている人間もたくさんいます。ただ、根底にまずは憲法があるんだということを何かにつけて周知していく努力が必要なんじゃないか。すべて日本の法律というのは憲法が根底にあるんだということをどうにかして周知していかないと、法律、法律が全部ばらばらで運用されているというふうな観念が非常にあるんですね。日本は、憲法に反する法律はでき上がらないんだということも多分わかっていないんじゃないかなというふうに思います。

 ですから、法律を審議して、周知して国民に知らせるときに、必ず根底には憲法があるんだということをつけ加えた形でどうしても周知していかないといけない、こういうふうに考えます。

古屋(範)委員 ありがとうございました。

 次に、篠原公述人にお伺いしてまいります。

 国会の行政監視の強化について、一つには、決算行政評価等の事後的な監視に力を入れるべきである、またもう一つには、各委員会と決算行政監視委員会の連携が必要である等の意見を述べられていらっしゃいます。私も、この視点は大変に重要であるというふうに考えております。

 これまでの国会は、どちらかといいますと立法、予算策定の機能に傾き、事後監視、その統制機能はとても軽視されてきたのではないかと感じております。このことはさまざまな形で識者等により指摘をされているところですが、私は、国会は法律や予算を審議し決定するだけでなく、それがどのように実施され、どのような成果があったのかを把握していくことが大切であると考えております。すなわち、立法、予算等で決定した政策の実現がどの程度なされているのか、それを把握し、次の段階の政策に生かしていくこと、むだや不正があった場合、翌年度の予算で自動的にその分を削減するなど大胆な方策を打ち出す必要があると考えております。

 そのためには、会計検査院の一層の機能強化が必要であり、私ども公明党も決算検査の充実に力を注いでまいりました。今回、会計検査院は例年より一カ月近く早く報告をまとめ、報告が出されました。今まで年明けの通常国会に提出されていたことを考えますと大きな前進であると思いますが、国会では精力的に決算審査を行い、来年度予算の編成審議に生かしていかなくてはならないと考えております。

 国会ではこのように改革も、徐々にではありますが進んでいると思いますが、今後の行政監視機能のあり方について、会計検査院のさらなる機能強化による対応が可能なのではないかと考えますが、この点について御見解を伺います。

篠原公述人 私も、会計検査院が機能強化をして国会と連携していくことが一番だというふうに思っています。

 その際にやはり一番重要なのは、決算行政監視委員会には、むだな予算を削減するんだ、それがやはり第一の機能だと思うんですね。補助金をふやしたり、予算をふやすというのは政治の生理でありまして、事後的に、黙っていてもふえていくものだと思います。それを食いとめる役割を決算行政監視委員会でできればいいのではないのかなというふうに思います。

 イギリスのNAO、アメリカのGAOでも、GAO、NAOの予算一ドル当たり何ドル削減しましたというような成果を明確に出しています。そういう成果が決算行政監視委員会なり会計検査院なりで出していければいいのではないのかなというふうに思っております。

古屋(範)委員 ありがとうございました。

 時間でございますので、以上で質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。

枝野会長代理 次に、山口富男君。

山口(富)委員 日本共産党の山口富男です。

 きょうは三人の公述人の皆さん、御意見ありがとうございました。

 私は、公述された順番に即して、皆さんから出された意見に即して質問してまいりたいと思うんですけれども、まず白石公述人にお尋ねいたします。

 天皇につきまして、元首であることを明確にするというお話があったんですが、日本国憲法で元首の規定が入っていないというのは、これはもうごく自然なことで、憲法規範において元首とは何かというのは極めて明確なことになっているからです。元首というのは行政上の長であり、対外的に国家を代表するものということになっておりますから、各国憲法においてそれが明示されていようがいまいが、日本の場合は総理大臣がそれに当たるというのがごく普通の理解だと思うんです。そこからいきますと、きょう白石公述人がお述べになった天皇が元首であることを明確にするといった場合に、それはどういうことを元首として指されているのか。少し示していただきたいと思います。

白石公述人 先ほども申し上げましたように、昭和三十一年の政府の憲法調査会において、象徴天皇とはいえ、天皇の地位は元首であると解釈されるということが述べられた後も、外務省等については、外交関係については、少なくとも元首扱いをずっと今日までしてきた、諸外国においても天皇については元首扱いを今日までしている現状を考えて、私は、これは明確にすべきだというふうに思っているわけでございます。

山口(富)委員 今おっしゃられました、外務省が外交関係上元首扱いにしている、そこが問題であって、憲法でいえば第七条の第九号に「外国の大使及び公使を接受すること。」という国事行為が定められているわけですけれども、これも内閣の助言と承認によるという限定つきのものであって、いわゆる元首にかかわる権能では全くありません。

 私は、昭和三十一年の憲法調査会という話がありましたけれども、それは恐らく、今はこういう会合ですから、現物を見ていないんですけれども、いろいろな意見の中の一つとしてそういう解釈もあり得るという話であったんじゃないかと思います。少なくとも、憲法上からいけば、元首の規定をする以上、それが行政の首長であり、国家を代表するということになれば、日本国憲法上も、ごく普通の憲法解釈からいっても、天皇をこれに充てるというのはとてもできない話だというふうに私は思います。

 二つ目に白石公述人にお尋ねしたいんですけれども、九条にかかわって、九条の第三項に次のような中身をつけ加えるということで、前項の規定にかかわらず、国連の要請があった場合は、国際紛争を解決する手段として武力の行使をすることができるという提案だったんですが、二点聞かせていただきたいんです。

 一つは、ここで言われている国連の要請というのは一体何なのか。それからもう一点は、国際連合の憲章は、国際紛争を解決する手段としては武力の威嚇または武力の行使はこれを禁ずると明確に述べております。となりますと、国連の要請があって、しかも国際紛争を解決する手段として武力の行使をすることができるということになりますと、その国連の要請とは何か、そして国際紛争を解決する手段として武力の行使または威嚇を禁止した国連憲章との整合性はどうとるのか。この二点、示していただきたいと思います。

白石公述人 まず一つ、国連の要請という部分ですけれども、一般的に考えれば国連の決議であろうというふうに考えております。

 なお、国連の憲章の中に武力による威嚇等を禁じるという形で書いてあるということでございますが、六十年の歴史の中で、国連軍が出場して、少なくとも、全面的なという形ではありませんが、部分的戦争を現実に行っているという実情があるということについては委員さんも御存じであろうというふうに私は思っております。

山口(富)委員 国連の決議といった場合、それが総会の決議なのか、安保理決議なのか、かなり重大な問題になると思うんですが、少なくとも、国連ができましてから、憲章上に基づく正規の国連軍というのは組織されたことはありません。

 今言われたことは、恐らく国連憲章の第七章にかかわる国連の強制措置の問題だと思います。しかし、これは、その事態が世界の平和と安全にとって極めて重大な事態だということを国連安保理が認定したときに初めて発動されるものであって、これについて言いますと、これは国際紛争を解決する手段としての武力の行使とは全く別物だという整理をきちんとしなければ、こういう改定の方向では、日本国憲法が今の国際社会に太刀打ちできなくなってしまうというふうに私は思います。

 それからもう一点は、日本が一九五〇年代に国連に参加した際に、当時の政府が、これは国会でも説明しているわけですけれども、国際連合が定めている軍事的な強制措置についても、日本の場合は憲法九条がありますから、これに参加することはしないということを明確にして国連に加わってきていますから、それを変える方向に足を踏み出すというのは、国際的、またアジアとの関係でも、いわば日本の対外的な公約を消してしまう道に入るというふうに私は考えております。

 それから、白石公述人にもう一点お尋ねしたいんですが、地方自治の問題なんです。私、よくわからないのは、自主立法権を強化するということと、もう一つは、法律に優先する基本条例を定めることができる規定を加入するというふうになっているんですが、この二つはどういう関係にあるんでしょうか。

白石公述人 法律そのものは全国を視野に入れた法律でございまして、地方自治体はそれぞれの地方自治体の少なくとも特色があるという部分で、地方自治体がどうしてもこの地方の開発、発展のため、住民福祉の向上のために必要な部分であれば、法律を超えた、いわゆる横出しになりますか、超えたということになると、上になるということになるのかもしれませんけれども、特定地域の住民自治の福祉のためにはたとえ法律を超えてもいたし方ないのかなというふうに考えております。

山口(富)委員 日本国憲法は、第八章で、明治憲法と違って初めて地方自治を定めたわけですけれども、そこでも、地方公共団体について九十四条で法律の範囲内で条例を制定することができるという問題と、九十五条で当該自治体にかかわる問題で国が特別法などをつくる場合には住民の意見を聞かなきゃいけないという定めを持っておりますから、私は、今の公述人の提案の方向でいきますと、九十四条、九十五条の具体化という方向で十分問題は解決できるものだというふうに感じます。

    〔枝野会長代理退席、船田会長代理着席〕

 続きまして、篠原公述人にお尋ねしたいんですけれども、一点は、憲法判断の問題なんです。きょうのお話ですと、日本の法体系が大陸型の法システムだ、司法が抽象的な憲法判断を下せない現状が憲法の欠陥と言えるんじゃないかという指摘だったんですけれども、少なくとも日本の場合は、裁判所に違憲審査権を設けておりまして、現実にはこれが十分に行使されていないわけですね。

 先ほど、その判断に当たって政治的な色彩をかなり最高裁は帯びているという指摘もありましたけれども、憲法判断が司法分野で十分行われない背景に、一つが、最高裁などの任命制にかかわる、いわば公述人がおっしゃった政治的色彩が入れ込まれているという問題と、もう一つは、裁判官自身の自由、独立というものが十分確保されていない、これは専門分野では司法官僚制とか言われたりしますけれども、こういうところに主要な原因があると私は見るんですが、この点についてはどういうお考えですか。

    〔船田会長代理退席、枝野会長代理着席〕

篠原公述人 正直申し上げて、私は、司法について、裁判官の現状であるとか、そういったものを詳しく勉強したことがございませんので、その点に関しては、私、意見をきちんと申し上げることができないです。

山口(富)委員 日本の場合の違憲審査制というのは、アメリカ型に似ているわけですけれども、憲法裁判所といういわば特定の憲法判断だけをするという部分をつくるのではなくて、あらゆる裁判を通じて、個々の裁判官が憲法と法律、そして自己の良心に基づいて憲法判断ができるということをとっているんですね。ですから、非常に志は大きいんですよ、司法分野にかかわる人は全部憲法に基づく判断をきちんとやる力を持ちなさいということですから。ですから、私は、日本の場合は、憲法に定められているその方向、制度というものがきちんと活用されるようにしていくというところがやはりかぎだというふうに考えるんです。

 それからもう一点、行政監視の問題で、これは非常に大事で、国会も努力をしているわけですけれども、先ほど、オンブズマンにつきまして、国会の場合、今、会計検査院の改善だとか、行政監視機能の今の力の改善で当面やったらどうかという話だったんですが、地方行政の分野で随分オンブズマンが入ってきていますよね。これについてはどういう評価をされていますか。

篠原公述人 やはり規模の問題があるのかなというふうに思います。一億二千万を対象にしたオンブズマンと三十万都市のオンブズマンでは、やはりできることが違うのではないのかなというふうに思います。

 そうした意味で、やはり、地方のオンブズマンが活発に活動されていることは地方政治に対していい影響を与えているとは思うんですが、国全体でオンブズマンをやるというのは、ちょっと日本の規模で考えると難しいのではないのかな。諸外国の規模も、日本の県単位ぐらいの人口の国ではオンブズマンがあるかもしれないですが、これだけの規模の国でオンブズマンがあるのかなというのは、私、調べてはいないんですが、ちょっと疑問に思うところです。

山口(富)委員 確かに、オンブズマンの場合は行政の規模の問題もあるんですけれども、各国でかなり普及しているんですね。私たちも、国会の附属の機関としてオンブズマン制度を設けるべきだという提案をしております。

 では、最後に、平塚公述人にお尋ねしたいんですが、きょう冒頭で国民投票の話が出たんですけれども、九十六条に基づいて、日本は非常に厳格な憲法改正規定を持っているんです。三分の二以上の議員の賛成が必要だという問題と、過半数の国民の賛成が必要だという国民投票を定めているんですが、この厳格な規定については評価されているんですか。

平塚公述人 要するに、この法律についていまだ実施したことがないわけですよ。ですから、実施する前にこれについて評価するというよりも、非常に勝手な意見なんですけれども、実施してみて初めて評価が出るんじゃないかなと。現実に三分の二の賛成が得られない、現実に過半数の賛成が得られないという現実がおかしいから、ではこれについてはもうどうにか変えろというのを、実施する前にここを変えてしまうということは全くナンセンスな話で、まずこれについて、現実に合わないかどうかというのはやってみなければわからないという考え方もあるんじゃないかなと。

 約六十年間、日本の憲法が施行されて今まで来たわけですから、何らかの、要するに変えるという意見が出て当たり前のことで、ただ、ここについて、まず、これが厳し過ぎるとか、これが易し過ぎるとかということで変えてしまうのでは、一番最初の考え方としては間違っているんじゃないかなというふうに思っています。

    〔枝野会長代理退席、会長着席〕

山口(富)委員 時間が参りましたので、終わります。ありがとうございました。

中山会長 次に、照屋寛徳君。

照屋委員 社会民主党の照屋寛徳でございます。

 最初に、白石公述人にお伺いいたしますが、私は、象徴天皇制を変えて、あえて天皇を元首として明文化すべしという意見には賛同できません。きょうは何名かの委員から白石公述人に質問がありましたので、私は端的にお伺いいたします。

 白石公述人が日本国の元首として改正すべきと言う場合に、例えば、御承知のように大日本帝国憲法の四条で「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬」する、こういうふうに書いてありました。そもそも元首というのは、統治権があり、行政権の長であって、国家を代表して対外代表権を持つ、これが元首だと私は理解をしておりますが、白石公述人は、統治権を総攬し、行政権の長であって国家を代表する、そういう元首としての権限を持った天皇を明文化すべし、そういう意見なんですか。

白石公述人 日本国の天皇制というのは、委員御存じのように、二千年も続いている中で、天皇が直接政治を統治した時代というか年代というのは非常に短い歴史しかないわけでありまして、現在の日本国憲法の象徴天皇という立場について、私は、今までの日本国の天皇制のあり方からいえば、まさに、天皇は統治はしないというのが基本的な伝統であろうというふうに思っております。

 私が申し上げる元首というのは、対外的な部分で、国を代表するという天皇の国事行為等がございますので、そういう意味でいえば、元首という形の方が明確ではないかな、はっきりするんじゃないのかなということで申し上げているわけでありまして、統治をするという考え方は全くございません。

照屋委員 平塚参考人、先ほど憲法教育のお話をしておりましたが、私は、学校現場だけじゃなくして、憲法教育というのは非常に大事だろうというふうに思っております。

 本当に憲法改正が成功するのは、国民一人一人が憲法の内容を理解した上で、自分の意見で判断して、よりよい憲法を求めたときだろうと思います。私自身は、護憲の立場であって、現在の日本国憲法を改憲する必要はない、むしろ二十一世紀の新しい時代に日本国憲法の理念、精神は国際社会の規範たり得るというふうに考える立場であります。

 そこで、憲法教育にしても、まさに、日本国憲法の三原則は何か、そういうことを覚えさせる、こういうことではなくして、なぜそのような三原則があるのか、その根底にある価値観とは何かということをしっかり理解した上で、自分でそのような価値観に対して賛否を表明できるようにすることが大切であろう、こういうふうに思うわけであります。要するに、国民自身が自分の意見で憲法判断できるように教育すべきである、こういうふうに私は思っておりまして、このような国民への啓蒙や教育を怠っての憲法論議には、自分たちだけで何とかしようとする政治家の傲慢性がむしろ感じられる、私はこういうふうに考えております。

 したがって、日本国憲法を変えるかどうかという主役ももちろん国民自身であるということを忘れてはならないというふうに思っております。憲法というのは、あくまでも国民がみずからつくって、そして、公務員を含めた国家権力に対して守らせるべきものであるということをしっかりと自覚した上で改正論議をすべきだというのが私の考え方であります。

 そこで、先ほども山口委員からお尋ねでありましたが、日本国憲法の最高法規性を確保するための手段として、日本国憲法はいわゆる硬性憲法という技術を設けているわけですね。九十六条、憲法の改正手続の問題であります。

 憲法改正には「各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。」こういうふうになっておりますが、先日発表された自民党の憲法改正草案大綱の素案、これによると、各議院の三分の二ではなくして過半数の賛成に変える、あるいは、国民投票を実施しなくても各議院の三分の二以上の賛成で改正案を成立させることができると。要するに、硬性憲法である日本国憲法の九十六条の改正手続を緩和しよう、こういうことが述べられておりますが、それについて平塚公述人はどのようにお考えですか。

    〔会長退席、枝野会長代理着席〕

平塚公述人 私、その全文をすべて見たというわけではありませんので、はっきりとは申し上げられないのですが、そうした意見もあって当然だと思うんですよ。いろいろな意見があるということが、国民に対してもそういった考え方が周知される一つの原因にはなると思うんですね。ですから、私は、そういった意見、そうではない意見、さまざまな意見があると思うんですね。それがあるということ自体をやはりいろいろなことで周知していくべきだ。

 ですから、最近は、国政選挙が実施されると、大体、各政党が憲法に対する見解をいろいろ述べられています。こういったことは必ず必要だと思いますし、それぞれの立場でいろいろな意見があるということを国民も知るべきだと思うんですね。それに対して判断するのが最終的に国民である。ほかの法律は、我々が委譲した各議員の方たちで、国会で決めていただいた法律があるわけです。ただ、この憲法に関して言えば、最終的には我々一人一人がそういった判断ができるという仕組みになっているわけですから。いろいろな意見があるということについて言えば、全くそれは当たり前のことだというふうに考えています。

    〔枝野会長代理退席、会長着席〕

照屋委員 同じ質問ですが、白石公述人にお伺いいたします。

 今、平塚公述人にもお伺いしました、九十六条の憲法改正手続の要件を緩和する、それについては白石さんはどういうふうに思っておられるでしょうか。

白石公述人 私は、かつて、足立区で区長の不信任を出すときに大変苦労をいたしました。というのは、首長の不信任は、四分の三以上の賛成を得ないと正式には発令できないわけです。そうすると、四分の一プラス一人がいれば、全く住民と意見が合わない首長でも次の選挙まで四年間待たなければならないという大変厳しい状況を経験させていただきまして、たまたま、共産党を除く全党の協力をいただいて、不信任が成立して、出直し選挙をやらせていただきました。

 同じように、現状に憲法がどうしても合わないな、憲法を改正した方がいいというのが国民の過半数の世論になっているときに、国会の三分の一が反対すれば、憲法改正の発議もできない。このことについては、私は、国会が国民の意思を無視している、意識を無視しているというふうに考えざるを得ないということで、国民投票を前提として過半数で発議ができるというのは、まさに民主主義の基本ではないかなというふうに考えております。

照屋委員 それでは、篠原公述人にお伺いをいたします。

 憲法を改正する場合に、限界説として、限界があるんだ、日本国憲法の三原則とか、あるいは九十六条の国民投票の要件を廃止するようなことはできないんだという説と、それから、無限界に憲法は改正できるんだというふうな学説も一部にございますけれども、篠原公述人はどういうふうに考えておられますか。

篠原公述人 私自身の考え方といたしましては、いわゆる限界説と言われるものではないのですが、やはり憲法の条文によって、重く見られるべき条文と、簡単に変えてもよい条文の二種類があるのだということが私の理解でございます。

照屋委員 篠原公述人にお伺いいたしますが、国民投票を経ないで、国会議員だけで憲法改正ができるんだ、そういう考え方について、あなたはどう思いますか。

篠原公述人 私は、その点に関しては反対でございます。今の憲法において国民投票が実施されていない状況において、国民投票の規定がない憲法になっていくということには反対であります。

照屋委員 篠原公述人にお伺いいたしますが、仮に憲法改正の案が発議をされた場合に、国民投票の方法としては、各条文ごとに国民投票すべきだ、あるいはもうまとめて改正するかどうか、それだけで事足りると考えますか。どちらでしょうか。

篠原公述人 私は、今度憲法改正をするに当たっては、さまざまな部分で変えなければいけない部分、それは、憲法九条以外の実務的な部分で、私学助成の問題であるとか、さまざまあると思います。そうした部分を一括でやるというのは物理的にも大変難しいのではないのかなというふうに思いますので、今のお答えに関しては、条文ごとに賛否を表明するような形が望ましいのではないのかというふうに思います。

照屋委員 私は、基地の島、沖縄選出の国会議員ですけれども、沖縄では、一九四五年から一九七二年までアメリカの軍事支配下に置かれて、日本国憲法が全く適用されない、無憲法下の状況にありました。当然、そのときには渡航の自由もありませんでした。そういう中で、私たちは、一九七二年に平和憲法のもとに復帰をしたわけですが、復帰して三十二年たちました。今、在日米軍の七五%が、依然として沖縄に集中をしております。

 私は、憲法九条は、一項、二項とも改正をする必要は全くない、日本は軍隊や軍事力によらなくても国際貢献も十分にできるという考えなんです。

 平塚公述人にお伺いいたしますが、憲法九条を改正して集団自衛権が行使できるようにしたらどうかということについては、平塚公述人はどのようにお考えですか。

平塚公述人 私は、この点についての意見は差し控えさせてもらいます。

 ただ、現実に憲法自体がほかの法律との矛盾が露呈した場合に、今後さらにそれが広がっていくということについては、憲法上、やはり問題があるというふうに考える点も出てくると思うんですよ。ですから、現実を否定するのか、憲法を否定するのか、どちらかの選択をしなきゃいけないといったときには、やはりそれはいろいろな議論が出てくるというふうに考えます。

照屋委員 では、九条を改正して集団自衛権を認めるべきだという意見について、篠原公述人の意見を聞いて、終わりたいと思います。

篠原公述人 私は、九条に関して明確な意見を持ち合わせておりません。

 しかし、今の心情を言葉にするのであれば、国際政治という力の関係の中で、ただひたすら平和を唱えているというのは、国際政治の現実を見ると、ちょっと違うのかなというふうに思います。

 しかし、一人の国民として、一市民として考えたときに、やはり私の世代、「火垂るの墓」とかを見た世代なんですけれども、戦争の悲惨さ、また戦争になったときの人間性の変化、それはアブグレイブ刑務所でのアメリカ人のイラク人に対するいろいろな虐待であったり、そういうのを見ますと、戦争というものの恐ろしさというものも感じているものであります。

 今、結論は出ておりません。

照屋委員 終わります。

中山会長 これにて公述人に対する質疑は終了いたしました。

 この際、一言ごあいさつを申し上げます。

 公述人各位におかれましては、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただき、ありがとうございました。憲法調査会を代表して、心から御礼を申し上げます。(拍手)

 午後二時から公聴会を再開することとし、この際、休憩いたします。

    午前十一時五十五分休憩

     ――――◇―――――

    午後二時五分開議

中山会長 休憩前に引き続き会議を開きます。

 日本国憲法に関する件についての公聴会を続行いたします。

 この際、公述人の皆様に一言ごあいさつを申し上げます。

 本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただき、まことにありがとうございます。それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じます。

 議事の順序について申し上げます。

 まず、山田公述人、青龍公述人、森公述人の順に、お一人二十分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。

 なお、発言する際はその都度会長の許可を得ることとなっております。また、公述人は委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。

 御発言は着席のままでお願いいたします。

 それでは、まず山田公述人、お願いいたします。

山田公述人 山田と申します。

 本日は、このような機会を与えていただき、まことにありがとうございます。

 これから憲法に関する幾つかの論点につき、日本国民の一人として、不勉強ながら、意見を述べさせていただきます。

 今から述べる意見の中には改憲を前提としたものがありますが、無条件で改憲すべきだと言っているわけではありません。しっかりとした議論の上で、憲法の趣旨にも合致するような国民投票法がつくられた上、適切な改憲の手続、方法等によって改憲が行われる場合に、この部分は改正してもよいのではないかという点をこれから幾つか述べさせていただく次第です。

 まず初めに、新しい人権に関して述べさせていただきたいと思います。

 新しい人権に関して、憲法制定後五十年以上がたち、プライバシー権など、当時では想定されていなかった権利を認める必要が出てきています。このような中で、憲法十三条の解釈によって権利として認めるのは不十分ではないかと思います。守られるべき権利は明確に憲法で保護を与えるべきではないでしょうか。

 確かに、法律や解釈によって権利性を認めれば十分であるとも思われます。しかし、憲法は国家権力の乱用を抑制し、国民の権利を守る基本法であり、国法体系の中で最高法に位置しています。このような憲法の中で権利性を認めることは大きな意味があるのではないでしょうか。なぜなら、法律や解釈によって認められている権利であっても、それらの改正、変更等により、比較的容易に権利として認められなくなってしまうことは十分あり得るのではないでしょうか。また、法律や判例を読んだことがない人はいるかもしれませんが、憲法を読んだことがない人はいないはずです。このように、憲法というのは我々にとってとても身近なものです。

 よって、憲法の中で権利として明確に定めることは、国民にとっても大きな意味があるのではないでしょうか。プライバシー権などは、人格的生存に不可欠な古くから認められるべき権利であり、もはや新しい人権とは言えないと思います。

 次に、国会に関して意見を述べさせていただきます。

 国会に関して、二院制をやめて一院制にすべきであるという意見があります。確かに、現在の制度だと参議院の権限が十分ではなく、必要がないようにも思われます。しかし、だからといって参議院を廃止すべきだとは思いません。思うに、参議院は、審議を慎重にすることによる多数の横暴の回避、国民の多様な意見や利益の反映などのために存在すると思います。

 しかし、参議院で比例代表選挙と地方区選挙が採用され、衆議院にも比例代表制が導入されるようになり、選挙制度において両院は以前ほど差がなくなってきています。そのため、参議院の政党化現象が顕著になってきており、先ほど述べたような参議院の役割を果たすことが難しくなってきているのではないでしょうか。このような現状では、参議院不要論が唱えられるのは十分理解できます。

 しかし、だからといって、現在参議院が十分に役割を果たせていないことを理由に廃止するというのは反対です。むしろ、選出方法の改正や権限を強化もしくはその特殊性が生かせるような役割を担わせることによって、参議院の存在意義を高める必要があるのではないでしょうか。参議院が良識の府としての本来の役割を果たしていくことを望みます。

 次に、内閣に関してです。

 内閣に関して、首相公選制にすべきであるという意見があります。無論この制度は、憲法六十七条一項との関係で、憲法改正によらなければ実現不可能です。確かに首相公選制は、民意を反映でき、首相が強力なリーダーシップを発揮できるので、行政の円滑化などにつながり得ると思います。

 ただ、具体的にどのような選出方法によるのかなどが十分に議論されていない現在において、時期尚早ではないでしょうか。加えて、現在のように国民が必ずしも主権者としての自覚を十分に持っていないならば、国民の人気投票になってしまうおそれすらあると思います。かつて、最も民主的な憲法を持っていたドイツで国民の選挙によって独裁者が誕生したという事実を忘れてはならないと思います。

 次に、裁判所に関してです。

 司法に関して、憲法裁判所を設置すべきかどうかの議論があります。憲法裁判所が設置されれば、現在最高裁判所が持っている違憲審査権を与えられることになりそうです。この違憲審査制は、少数者の人権保障を図るために必要不可欠なものです。しかし、現在までの最高裁判所による法令違憲判決は五件程度であり、憲法判断が必要な場合であってもその判断を避けることもあり、違憲審査制が十分に機能していないと言われています。

 だからといって、憲法裁判所を置くことによって直ちに違憲審査制が機能するとは思えません。今まではしばしば、必ずしも必要がないのに違憲の主張がなされ、本当に憲法判断が必要な事案にスポットライトが当たらず、結果として違憲審査制の実効性が損なわれることがありました。この違憲審査制が機能するかどうかは司法制度全体の問題であり、国民がどのようにこの違憲審査制を利用するかにもかかっていると思います。

 次に、地方自治に関してです。

 地方自治に関して、現在の都道府県を廃止し、道州制にするべきだなどの意見があります。そもそも地方自治の本旨は、民主主義の基盤の育成、中央政府への権力集中を防止するためにあると思われます。

 確かに道州制などの地方自治体の再編成は行政の効率化につながるかもしれないが、住民自治、団体自治のためにはむしろマイナスであると思います。なぜなら、歴史ある地方自治体を統合することにより、住民の地方自治への参加意欲が減退し、郷土を愛する心が失われるおそれがあるからです。このことは、現に市区町村の合併によって起こりつつあるように思います。例えば地方選挙での投票率の低下などを見ても、このことは明らかにあらわれているのではないでしょうか。

 もし地方自治体の再編成を行うのであれば、以上のような地方自治の本旨に最大限配慮すべきであると思います。

 最後にまとめさせていただきますと、憲法は国民にとって最も基本的かつ重要な法であります。そのような憲法を改正する際には国民投票が必要であるのはもちろんです。無論、ただ国民に投票の機会を与えれば十分というわけではありません。国民に十分な情報や討議の場が与えられることが必要不可欠です。今後も、憲法調査会にはこのような役割を果たしていっていただきたいと思います。

 簡単ではありますが、以上で発言とさせていただきます。ありがとうございました。(拍手)

中山会長 次に、青龍公述人、お願いいたします。

青龍公述人 私は、早稲田大学法学部三年の青龍美和子と申します。

 今回、憲法調査会が公聴会の公述人を募集していると聞いて、知識はまだまだ不十分ながら、日本の一大学生として、私がふだん感じている平和への思いや、平和を実現するために憲法九条が必要だと考えていることを、どれだけ影響があるのかはわかりませんが、国会議員の方々に伝えたいと思いました。まさか自分がこの場に出られるなんて想像もしていなかったので、非常に緊張しており、うまく伝わらない部分があるかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。

 まず、なぜ九条について意見を述べようと思ったかというと、私が日本国憲法の中で一番好きな条文が九条だからです。私は世界から戦争をなくしたいと思っているのですが、その気持ちにストレートにこたえてくれるのが日本国憲法九条だからです。

 私は、小さいころから、テレビアニメや本などで戦争を描いた作品に触れ、戦争は悲惨なものだと知り、戦争は嫌だという気持ちは持っていました。高校を卒業して大学受験のために浪人していたとき、アメリカで同時多発テロが起こりました。ビルに飛行機が突っ込んでいく映像を生中継で見て、これは大変なことになった、これから世界はどうなってしまうのだろうと不安になりました。

 その後、アメリカがアフガニスタンに攻撃し、私が大学に入ってからもイラク戦争が起こりました。テロや戦争で一般の市民が何の理由もなく殺されたり傷つけられたりする様子を、私が生きているこの時代に同時に起こっていることとしてテレビの映像や写真で見てきました。自分と同じ人間の命が、テレビの映像を通してですが目の前で奪われていく様子、しかも何の罪もない子供たちなどの弱者が犠牲になっている様子です。

 この前も、イラクのファルージャで行われている掃討作戦の中で、無抵抗の人を米兵が殺しているシーンをテレビのニュースで見ましたが、目を覆いたくなるほどにひどかったです。戦場ではだれが敵だか味方だかわからず、常に疑いを持ち、少しでも抵抗すれば攻撃する。ふだんは何でもない普通の人も、戦争に行くとそういう行動をとらざるを得なくなり、殺された人の命はもう二度と戻らず、失われた手足は前と同じようには一生動かない。何かと攻撃する理由をつけても、結局犠牲になるのは一般市民であり、子供です。戦争はただの無差別殺人です。攻撃をする兵士も普通の人間の感覚を失います。戦場では人間が人間でなくなります。これが戦争なんだと改めて実感しました。

 そして、戦争が起こって何かよくなったかといえば、何もよくなっていない。むしろ、攻撃された方からの憎しみや復讐の気持ちが募り、テロも頻発するようになって危険が増した気がします。私は、戦争の当事者になったこともないし、幸い当事者になる危険もなく生きてこられたのですが、そういうふうに同時代に戦争というものを見る中で、たとえどんな理由があっても、テロや戦争という暴力によって物事を解決しようとするのはおかしいんじゃないか、どこにも戦争のない平和な世界に生きたい、そういう思いを強く持ったのです。

 では、どうすれば戦争のない世界が実現できるのだろうかと考えていたときに、日本国憲法九条と出会ったのです。憲法は中学や高校でも習いましたが、余り詳しく教えられませんでした。大学に入って憲法を学んで、初めて九条の条文を全部読んだとき、これだと思いました。特に、第二項です。戦力は保持しない、これこそ戦争を世界からなくす一番の道だと思いました。すべての国が軍隊も武器も持たなければ、どの国も戦争を起こすことはできない、そういう単純な発想ではありますが、戦争をなくす根本からの解決策を九条は提起していると思いました。さらに、憲法の生まれてきた歴史や条文の意味を大学の授業などで学んでいくにつれて、やっぱり九条は、ほかの条文を満たすための基本にもなっており、日本国憲法全体を知る上で欠かせない条文だと感じました。

 今の憲法が誕生した背景には、過去に日本が起こした侵略戦争への反省と、その戦争によるアジアや国内のたくさんの犠牲者の知恵と願いがあると思います。私が今まで学校で教わってきたところによると、日本は太平洋戦争のとき、自衛のため、国益のためという理由で戦争を始めました。これは正当な理由とされました。戦争という言葉すら使われませんでした。その結果、中国や朝鮮半島を初め、アジアの多くの国々に甚大な被害を与えました。日本でも、空襲や原爆で莫大な数の犠牲者を出しました。

 私は、広島の被爆者の方に被爆体験を聞いたことがありますが、核兵器の恐ろしさや残酷さを知ったと同時に、お話の中で、とにかくもう二度と私と同じ経験を、原爆を落としたアメリカ兵も含めて、だれにもさせたくないと言っていたのが印象に残りました。戦争で愛する人を失った人や被爆して今も後遺症に苦しんでいる人、戦争の被害者たちは、報復や復讐など求めず、ただ、同じつらい経験をもう二度としたくないし、未来に生きる人たちにさせたくないと思っているのです。

 憲法九条は、この戦争の教訓として、被爆者や戦争被害者、体験者の思いを酌み取って、戦争、武力の行使、武力による威嚇を放棄し、正しい戦争など存在しないということを宣言したのだと思います。さらに、戦力を持たず、何か問題が起こったら、言葉による交渉などの平和的な手段で解決することが同じ過ちを二度と繰り返さないための最良の手段だと判断したのだと思います。

 私は、九条の示すこの方向は間違っていないと思います。今の憲法ができてから六十年近くたつそうですが、日本は他国と武力紛争を起こしてはいないし、侵略されてもいません。そもそも国連憲章でも武力の行使は禁止されていて、世界では全体的に戦争で紛争を解決することが否定されてきてはいるのですけれども、それでも武力紛争は世界各地で起こってきたし、日本がそこに巻き込まれないで来たのは九条があるからだと思います。私がこうして戦争によって命を奪われる危険もなく生きてこられたのも、憲法九条があるからだと思います。

 今、日本の自衛隊がイラクで危険な目に遭っていますが、それは、自衛隊が武力を持って海外に出ていくことが九条に反するからです。九条に反する行動をとると、周りの国からは不信感を抱かれ、日本国内では攻められるんじゃないかという恐怖感が出てくる、だから軍備を整えなければならない、こういう悪循環が生まれてきます。九条と逆に動けば動くほど、戦争をする状況にどんどん近づいていっている気がします。

 また、日本の憲法九条は、日本国内での役割だけでなく、世界でもその役割が発揮できる機会がこれからふえていくと思います。今世界では、ヨーロッパのEUや東南アジアのASEANなどのように、地域的な連帯が生まれ、お互いに協力し合って平和的に問題を解決しようとする動きがふえてきています。

 ほかにも、例えばイラク戦争のときには、攻撃が始まる前から、世界じゅうの圧倒的多数の国々でイラクへの攻撃に反対する声や批判が上がりました。イラクに大量破壊兵器があるという理由で最初は攻撃が開始されたわけですが、十分に調査も行われないまま、本当にあるかどうかも不明なまま始められ、平和的な手段で国際紛争を解決しようとうたっている国連憲章にも反するという批判が世界の多くの国々から出ました。イラクに派兵した国の中でも、国内で批判の世論が盛り上がって、撤退する国が相次いでいます。武力や暴力という手段ではなく、話し合いや相互の信頼関係を築くことで物事を解決しようと訴えたこの国々の態度は、まさに日本国憲法九条の想定したものです。そこから見ると、九条は、このような世界の流れにも沿った、現実に合った条文だと言えます。

 それでも、戦争は始まってしまったし、現に今も戦争は続いていて、攻撃するための武器や軍隊がある限り、武力紛争は絶えません。そこで、九条の第二項が輝いてくると思います。今は国連憲章にも戦力の保持を禁止する条文はありませんが、日本の憲法九条二項のようなルールが世界共通のルールになれば、戦争はなくなるはずです。

 もちろん、すべての国が今すぐに武器を捨てるのはそう簡単にはいきませんが、現実の世界では、小型核兵器やミサイルなど、人を殺すための道具がまだまだ開発され、使われています。しかし、国連には軍縮のために協議する場もあり、核不拡散条約などの国際法で、ある一定の武器をつくることを制約されている部分もあります。戦力を持つことを規制する、禁止する流れに国際社会はもう既になっているし、これからも徐々に進んでいくと思います。日本国憲法九条はそれをリードしているのです。

 日本がその方向を国際社会の舞台でもっと大胆に提起し、積極的にアピールすれば、戦力を保持しないという流れは速さを増すでしょう。なぜなら、過去の戦争によって多くの犠牲者を出し、また唯一の被爆国であり、その結果として憲法九条を持っている日本だからこそ、ほかの国に訴えるときに抜群の説得力を持つからです。憲法九条の示す方向に世界を導くことで、国際社会での日本の地位は高く評価され、他国からの信頼も得、やがては武器もなくなり、平和な世界の実現につながるのではないかと思います。

 今憲法を、特に九条を変えようという動きがあるようですが、私のように、戦争を世界からなくしたいと思っている学生や、そのために憲法九条が必要だと感じている学生は少なくないと思います。

 例えば、イラク戦争が始まってから、日本でも高校生が、戦争はいけない、九条を守れと何千人も集めて集会を開いたり、デモをしたり、人文字をつくったりしていました。私はその様子をテレビや新聞で見たのですが、私より年下の大勢の高校生が平和を願って行動していることに感動しました。

 私の周りでは、ふだん友達と憲法や戦争がどうだとか政治の話をすることはほとんどないので、ほかの学生が何を考えているのかはよくわからない部分もあるのですが、私が入っている憲法を学ぶサークルの中では、私よりももっとうまく九条の魅力を説明できる人が多くいますし、今回、私が憲法調査会の公聴会に出ることになったことを伝えると、サークルの仲間からも思いを託されました。

 大学には、世界各国から、特にアジアの国々からの留学生も多く学んでいて、私自身は交流する機会が余りないのですが、今の学生は、早くから自分のふだん生活する場が国際化しており、そのような国際的な交流の場面でも九条を考える機会が多いです。だから、みんなそれぞれ多様な考えを持っているとは思いますが、いざ、九条を変えて、戦力を持って戦争をできるようにすることになったら、多くの若い学生は、そういう国際的な交流関係を考慮して、抵抗感を抱くだろうと思うのです。

 以上、私が述べてきたことは、理想論だと言われればそれまでなのですが、理想を現実にしようと努力もしてみないで、理想だからとあきらめるのは私は嫌です。だから、私は、自分も含めた、これから社会に出て日本や世界の未来を担う大学生が、将来、日本の憲法九条を誇りにして世界で活躍することを望んでいますし、私以外の若い学生も同じように望んでいることを信じたいと思っています。

 以上です。ありがとうございました。(拍手)

中山会長 次に、森公述人、お願いいたします。

森公述人 定年退職して十五年、年金で暮らしています。森と申します。

 私は、学者、研究者ではありませんので、私の生活の体験を通して感じていること、日本国憲法を大事にしていただきたいことの意見を述べさせていただきます。

 私は現在無職です。老後の生きがいに結びつく活動の中から、全日本年金者組合の中央執行委員長に選ばれています。この組合は、結成十五年の若い組織で、四十七都道府県に組織があり、自治体を単位とする支部に六万七千人を超す年金生活者が加入しています。すべてボランティア活動で参加をしています。もちろん、私も無給で中央執行委員長の任に当たっています。

 まず最初に、憲法は私たちの身近にあることを述べたいと思います。

 私たち年金者組合の綱領は、冒頭に、「日本国憲法は、すべての国民が個人として尊ばれ、平和のうちに生存する権利を保障しています。 私たち全日本年金者組合は、この憲法の理念を守り発展させ、より自由により豊かに生きていける社会をめざします。」と活動の目標を掲げています。私たちは、相互の助け合いから、高齢期を安心して暮らすための知恵、そして国や地方自治体への要請などに取り組んでいます。

 特に、高齢期の要求は、国の社会保障制度にかかわるものが中心となるので、日ごろの話し合いの中で憲法九条と二十五条がすぐ話題に上るのが通例です。これほど、日本国憲法は私たちにとって身近なものになっているのです。それだからこそ、私たちの活動は、憲法の指し示す方向に沿って活動し、生きがいを見出し、長寿を喜び合い、幸福を求める営みを続けていると思います。

 日本国憲法公布から五十八年、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意して以来、日本国民は銃を持って他国を侵略し、他国民を殺傷することはありませんでした。こうして、私たちは、我らの安全と生存を保持し、焦土と化したこの国の復興に努めました。私も鉄鋼産業労働組合の運動に参加する中で、鉄鋼経営者連盟の方々とともに鉄鋼復興運動に取り組んだことを思い起こします。こうして、働く者の団結に支えられながら、経済を復興し、長寿社会を実現しました。

 ここで私は、私の体験を述べたいと思います。

 一九四五年八月十五日、工場の広場に集められた私たちは玉音放送を聞きました。戦争が終わった、命が助かった、安心して寝られるという喜びが噴き上がってきましたが、それと同時に、今までのおれはどうなるんだ、何だったんだというむなしさ、息苦しさに襲われ、わけもなくどなり、あたりをたたき回り、涙しました。しばらくしてから、私は、貧乏は嫌だ、貧困は戦争への一里塚だと考えるようになり、その年の暮れには労働組合の結成に参加するようになりました。十七歳になったときのことです。

 私は、世界大恐慌の一年前の一九二八年の生まれですが、小学校一年のときに、父は商売ができなくなって東京の荒川放水路のほとりに引っ越しました。その翌年、日中戦争が始まりました。王道楽土などの宣伝で満蒙開拓の夢が語られ、果ては、大東亜共栄圏と東南アジアを視野に入れた領土拡大、侵略が八紘一宇の名のもとに進められました。農村の青年の圧倒的多数が、貧しさからの脱却を求めてこの道に動員されたのです。

 私の同級生、当時十五、六歳の将来この国を背負って立つであろうすぐれた人材が、陸海の特別幹部候補生、特攻隊に次々と志願し、命を落としました。私もまた、東京連隊区司令部で検査を受けましたが、乙合格となって入隊を免れ、命を長らえました。こうして日本国民の三百万人、アジアの人々二千万人のとうとい命を奪うことになったのです。私たちは、再びこのような過ちは繰り返してはならないのです。

 私が労働組合の結成に加わったとき、私の父は、会社から、息子が労働組合の活動をしないよう説得してくれと呼び出しがありました。私たちは戦争をやめさせることができなかった、そして今、息子たちが新しい道を探している、私には息子の行動をやめさせる資格はないと会社の申し出を断った、こう私は会社の幹部から伝えられました。

 その父も、戦後の食料難と医薬品の不足などで五十三歳で他界しました。父の死から私に、戦争と飢餓、貧困をなくすことの宿題を与えられたと考えています。

 教師たちもまた、戦争に協力し、協力させられた痛恨の思いを込めて、教え子を再び戦場に送るなの決意を新たにしたと聞いています。そして今、陸海空、港湾の労働者の皆さんも、平和でなければまともな仕事はできないと、憲法九条を守る誓いを新たにしていると聞きました。

 一九四六年十一月三日公布された日本国憲法を私たちは喜びを持って迎えました。「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」と憲法前文は締めくくっています。

 次は、九条をめぐる問題です。

 人類は、二十世紀の前半に、第一次と第二次の世界大戦で六千万人に及ぶ犠牲者を出し、国土は破壊され、人権は奪われるという痛ましい経験をしました。そして、その反省の上に、再び私たちの間で戦争は起こさない、平和を実現するために国際連合が誕生したのです。日本国憲法もまた、こうした戦争の犠牲の上に、平和と民主主義への熱い思いと努力に支えられて生まれ、半世紀を超えてますますその輝きを増していると思います。特に憲法九条の理念は日本国民に深く根づいており、国際的にもその輝きは増しています。

 ところが、小泉首相は〇五年十一月までに自民党の改憲案を作成することを指示し、日本経団連も国の基本問題検討委員会を設置するなど、改憲に向けての動きが活発になっています。私は、こうしたことがこの国の進むべき道を誤らせるものではないかと危惧しています。日本と世界の人々を再び戦争の惨禍に巻き込むことのないように、憲法九条を守ることを訴えたいと思います。

 一九九九年にオランダのハーグで開催された世界平和市民会議では、公正な世界秩序のための基本十原則の第一項で、各国議会は、日本の憲法九条のように、自国政府が戦争することを禁止する決議をすることが採択されたことは広く知られているところです。

 日本も加盟する東南アジア友好協力条約の第二条、基本的原則のd項は、平和的手段による不和または紛争の解決、e項は、力による威圧または力の使用の放棄をうたい、憲法九条と同じ理念です。この条約の締約国は十四カ国、世界の人口の四割を超える二十九・三億人が住む地域で平和的な秩序を実現しています。

 ことしの広島市長平和宣言では、「日本国政府は、私たちの代表として、世界に誇るべき平和憲法を擁護し、国内外で顕著になりつつある戦争並びに核兵器容認の風潮を匡すべきです。」と述べ、長崎市長平和宣言も、「世界の皆さん。今、世界では、イラク戦争やテロの頻発など、人間の生命を軽んじる行為が日常的に繰り返されています。私たちは、英知を集め、武力ではなく外交的努力によって国際紛争を解決するために、国連の機能を充実・強化すべきです。」と訴えています。

 政府は、これらの訴えにこたえて行動するときではないでしょうか。再び日本を世界の孤児にしないために。

 憲法改定を言うなら、憲法の指し示す理想と目的がどこまで実現できたのか調査し、検証し、その到達点を明らかにするのが国民に対する責務と考えます。それが憲法第九十九条、憲法尊重擁護の義務だと私は考えます。

 憲法十三条、個人の尊重、幸福追求権、公共の福祉、二十五条、生存権、国の社会的使命にかかわって、私たちの要求の立場から見てみたいと思います。

 ことし六月三日、多数の傍聴者の目の前で起こった参議院厚生労働委員会での年金改革法案強行成立のときのことですが、この日の委員会は小泉首相出席のもとに年金改革法案の審議を与野党合意の上で行っていたもので、与党議員の質疑が終わり、これから野党議員の質問が行われようとしたとき、審議打ち切りの動議が出されました。そして法案の採決が強行されましたが、私どもから見ると、これが国権の最高機関、国の唯一の立法機関の姿なのかと情けなく、残念に思いました。

 それは、スケジュールどおり進行していた審議をなぜ時間前に打ち切らなければならなかったのか、また、なぜ、質問を予定していた三人の議員に質問をさせなかったのか、あるいはさせたくなかったのかなど、国会の外にいる国民には疑問が残るばかりです。

 そのようにして強行成立させた年金改革法ですが、後に、法施行するためには四十カ所に上る修正を加えなければならなくなったと報道され、国会を通さず官報で告示するという前代未聞の出来事に驚いています。

 しかも、この年金改革法は、この国会で成立した後は、国会を通さずに保険料が年々引き上げられる仕組みなど内容の異常さ、さらに、法案審議の過程で小泉首相を初め閣僚や議員の中に保険料未払いの実態が出され、その解明も決着しないまま採決を強行するなど、年金に対する国民の不信と不安は募るばかりです。

 年金問題が参議院選挙の大きな争点となったのですが、第二次小泉内閣の発足に当たってマスコミが実施した世論調査の中で、七割を超す国民が年金改革法のやり直しを求めています。当然の要求だと思います。

 年金改革に当たって、政府は、年金の危機の要因は少子高齢化社会を迎えたこととしています。この少子高齢化社会は自然現象ではなく、社会の力で克服できるものだということです。

 一九六〇年代後半から七〇年代最初の時期、団塊世代の人々が働き始めたころ、私は、「ポストの数ほど保育所を」の要求を掲げて、お母さん方や女性教職員の皆さんとともに市役所にお願いに行ったことなどを思い出します。この運動は、女性の職場進出と合わせて主要な都市で行われたと思いますが、もしこの要求が全国的に実現していれば、現在の少子高齢化時代はなかったのではないかと考えます。

 昨日、ある新聞の社説に「出生率が上がった町で」というのがありました。それは静岡県長泉町で、人口四万人弱の町で、十年ほどの間に出生率が〇・一上がり一・七二になったとし、そのわけは、「増えつづける共働き家庭の求めに応え、町立、私立合わせて五カ所の保育所を設けている。親が共働きなのに保育所に入れない子どもはいない。母親が専業主婦の家庭には、子育て支援センターと六カ所の幼稚園がある。」ことを紹介しています。

 同じように、女性の働く場に、直営の福祉・健康施設をつくった結果、出生率が一・八二になった兵庫県五色町の例を紹介しています。

 こうした取り組みを国家的に取り組んだのが北欧の国、スウェーデンだと思います。会長さんなど先生方も視察に行かれたそうですが、私も三たびこの国を訪問し、いろいろ勉強になりました。

 この国は、第二次世界大戦に不戦の伝統を守り抜き、黄金の六〇年代と言われた経済発展期に、また高齢化率一四%台となったときでもあり、国民的な大論議となったと聞きました。そして、スウェーデン・モデルなどと言われる改革、老人福祉政策が打ち出された一方で、女性の社会参加と少子化の克服が表裏一体のものとして論議され、出産・育児施策の四本柱、女性の労働市場、両親保険制度、児童手当制度、保育所サービス、住宅手当などの政策が数年にわたる論議で打ち出されたと聞きました。

 そして、急激な後期高齢化に歯どめをかけ、女性の就労率は、九九年、七四・八%になったこと。特殊出生率、九三年には二・〇、しかし、二〇〇〇年、一・五五と若干減少しています。これは若年労働者の失業が影響していると思われます。いずれにせよ、このスウェーデンの取り組みは教訓的です。

 日本国民は、昔から勤勉が美徳とされ、みずから働くこと、人としての営みを拒否する人は一人もいないと思います。もし不幸にしてそのような事態になったとき、その克服の道筋を日本国憲法は照らしています。

 二十一世紀は、日本国憲法の理想と目的を実現する世紀。再び過ちを犯さぬよう、歴史の教訓を踏まえ、ともに進もうではありませんか。

 以上で終わります。ありがとうございました。(拍手)

中山会長 以上で公述人からの御意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

中山会長 これより公述人に対する質疑に入ります。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。葉梨康弘君。

葉梨委員 三人の公述人の方々、私どももこういった国会で質問をさせていただくと大変緊張するんですけれども、きょうは本当に緊張されているのかなというふうに拝聴しておりましたが、立派なプレゼンテーションで、本当に御苦労さまでございました。

 もちろん、おのおのの意見について深めるということ、これもしていかなければいけないんですが、きょうは一般公募の公述人の方々であるということで、まず、総論的なこと、つまり、国会あるいは政党に何を期待するのかということをお聞きした上で、それぞれの意見に沿いまして、また御質問をさせていただきたいと思います。四十五分とってありますけれども、簡潔に、思っているところを答えていただければと思います。

 まず一つは、国民とともに憲法ということを議論していくことの意味でございます。

 衆議院の憲法調査会の一般公募の公聴会、何回か開かれているわけですが、この衆議院の憲法調査会でも各党それぞれおりますけれども、いろいろな立場の方がいらっしゃいます。

 もちろん、私自身は、我が国の平和主義だとか、あるいはこれを具体的に世界に明らかにする、あるいは自分勝手主義でない形で、しっかりした人権の原理、これは自由、平等、博愛ですけれども、これを明定しなきゃいけないだろう、そして、やはり我が国としての生きざまというか、そういったものを示すという意味からも改憲が必要だという立場をとっております。ただ、もちろん、この調査会にはいろいろな立場の方がいらっしゃるわけです。

 ただし、しかしながら、一つ大事なことというのは、国民それから国会が、国民の皆さんと一緒に、今、公述人の三人のそれぞれの御意見の中にもございましたけれども、もっと憲法を身近なものとして考えていくこと、これは非常に大事なことだと思います。そして、国会自身も国民に開かれた形で物を考えるということ、これはすごく大事なことじゃないかなというふうに思います。

 そこで、ちょっときょうの公述人の方々にお聞きしたいんですけれども、きょう、この公聴会があって、こういうような手段で意見を述べることができるということをどのようなメディア、あるいはどのようなことを通じてお知りになりましたでしょうか。それぞれ三人、簡単にお答えいただきたいと思います。まず、山田さん、青龍さん、森さん、その順でお願いいたします。

山田公述人 大学時代、自分は法学部でして、そのときから憲法のゼミをとるなどして憲法問題には興味がありまして、インターネットで衆議院の憲法調査会の活動というのを見させていただいて、その中で、今回このような意見募集があるということを見まして、それで簡単な気持ちで応募させていただいたのが初めで、それで幸いなことに選んでいただいて、この場に来た次第です。

 以上です。

青龍公述人 私は、公述人を募集しているということは自分で調べたわけじゃなくて、ふだん私は法学部で憲法を学ぶサークルにも入っているということで、そういう活動をして応援してくれている先輩から、こういうのがあるから応募してみないと言われて、じゃ、せっかくの機会なので、自分が本当に選ばれるかどうかは自信がなかったんですけれども、応募しました。

森公述人 私は、ホームページ、苦手なものですから。といっても、年金者組合の組織の中でそうした活動をしているセクションもあります。そこから公述人を公募しているよという呼びかけがありまして、こたえて申し込みをいたしました。

 以上です。

葉梨委員 ありがとうございました。

 そういうところかなというふうに私自身も感じております。インターネット、あるいは法学部のサークルのお友達から、それから年金組合の同士の方からというようなお話だったんですが、お三方とも、例えば、新聞で見てとかテレビで見てという方が一人もいないんです。

 どうしても国会というと、何かマスコミの方々ですと、魑魅魍魎が住んでいるような報道をされることが多いんですが、本当に魑魅魍魎がいるのかどうか私はわかりませんけれども、こういった憲法調査会において一般国民と本当にひざを突き合わせながら憲法のことを考えているという活動、もっともっとやはりマスコミでも取り上げていただいて、そちらもいらっしゃいますけれども、いく必要があるんじゃないかというような考えを持っておりますが、この考え方について、お三方それぞれ、山田さん、青龍さん、森さん、お考え方があれば御意見をお聞かせ願いたいと思います。

山田公述人 最近、新聞等でようやく憲法改正問題とかそういったものを見かけるようにはなったんですけれども、やはり私の周りを見てみましても、新聞等では、興味ある人しか読まないということであったり、読んでいる方は余り多くはないと思います。テレビに関しても、最近は出てきていますけれども、やはりそんなに大々的に憲法問題というのは取り上げられてないのではないかというのが自分の認識です。

 以上です。

青龍公述人 私ももっとマスコミとかテレビとかCMとかやったらいいと思うんですけれども、私の周りにもすごく私より優秀な人がいっぱいいるし、憲法に対して意見を持っている人もすごくいっぱいいるので、そういう国民の意見をたくさん聞こうと思ったらやはり広く知らせていくべきだと思うし、こういう場はすごく貴重な場だと思うので、もっと多くの機会を国民に与えてほしいと思います。

森公述人 御質問のように、ぜひ積極的にマスコミで取り上げていただきたいなと思います。

 実は、私、申し込みをした後に事務局の方から資料をたくさん送っていただきました。そして、若干目を通したわけですけれども、実は、大部分がマスコミに報道されていないということを感じたわけです。それで、マスコミの報道は、そうした意味では、何というんでしょうかね、若干より好みをなさっていらっしゃるんではないかなと思ったりしているので、この辺のところは、いかがでしょうか、ぜひあからさまに中身が報道できるようにお願いをしたいなという思いです。

 以上です。

葉梨委員 お三方、ありがとうございました。

 私も全く同意見でございます。憲法というものをこれから変えていこうという立場からも、あるいは今の憲法でいいんだという立場からも、やはり最終的にはこれは国民あってのことですから、国民的な議論を本当に深めていくということはすごく必要なことだなというふうに思っております。

 次に、お三方から、政党の役割ということについてちょっと御意見を承りたいんです。

 私ども自民党が、改憲、憲法改正、これを立党以来の党是としているということ、これについてはお三方それぞれ御認識されているだろうというふうに思っております。

 ただ、改憲といっても、具体的にどういうような、先ほど申し上げましたとおり、改憲をするかしないかというのは、最終的に決めるのは国民であって、決して自民党ではございません。ただ、国民とともに考えるためには、改憲改憲ということを党是で言っているんだったら、具体的にどういうふうに変えたらいいのかとあなたは思っているんですかと言われたときに、政党としての答えがなければいけないんじゃないかというような考えを私は持っております。

 そこで、改憲をする立場か、あるいは護憲、護憲というか今の憲法でいいという立場か、それぞれ立場の違いはあると思いますけれども、改憲を党是としている、そういう政党が具体的な改憲の道筋を示すということ、これについては、それは示して国民の判断を仰いだらいいじゃないかという考えなのか、あるいは、示さないままで改憲改憲というふうに抽象論を言っていた方がいいと思われるのか。どちらをいいと思われるか、お三方からそれぞれ御意見を承りたいと思います。

山田公述人 民主党とか自民党とか、公明党もそうかもしれませんけれども、改憲なり、創憲なり、そういった加憲なり、いろいろな立場で論議をしているというのはわかるんですけれども、やはり具体的にどうなるかということを示していただかないと、結局、言葉とか、そういった表のことしか我々にはわからないので、やはり具体的に、改憲であればどのように変えるのか、そういったことを示していただきたいと思います。

 つい先日、自民党でも改憲の大綱の案が出たりしていますけれども、そういったものを、しっかりと国民がアクセスできるように、報道とかされていますけれども、そういった条文の全文をしっかり国民に開示するなど、そういったことをして具体的な情報を与えていただきたいと思います。

 以上です。

青龍公述人 私も、改憲をするというのなら、具体的にどういうふうにするのかというのを公表してもらわないと、いいのか悪いのかというのも判断できないと思うので、その点では具体的に道筋を示してほしいと思います。

森公述人 私、冒頭申し上げましたように、やはり今、憲法が五十八年の歴史を経て、一体どこまで行ったのか、その到達点、総括をそれぞれのお立場で明確に示していただくということが一つは必要かなというふうに考えています。その上に立って、それぞれの立場から積極的に提案をされるということは、これは当然のことで、そこはしっかりと国民的な論議ができるように手だてを講じていただきたいなというふうに思います。

 以上です。

葉梨委員 ありがとうございました。

 お三方とも、今までの公述でもそれぞれ、憲法を多少は変えていくべきじゃないかという意見もあれば、やはり今の憲法をそのままにした方がいいという意見、いろいろとあったかと思うんですが、少なくとも政党が、それぞれ、国会というのも政党が基本で動いているわけですから、その政党が改憲を考える、創憲を考える、加憲を考えるのであれば、具体的にどういう形をということを国民に示していくということは、それぞれお三方とも必要であるというような御意見だったろうと思います。

 そこで、実は、多分この報道は間違いじゃないかというふうに思うんですけれども、十一月二日の朝日新聞で次のような報道がございました。正確を期すためにちょっと読み上げさせていただきたいと思います。

    憲法改正の具体的動き次の総選挙後

    民主、政権交代優先

  国会での憲法論議が大詰めを迎える中、改正に向けた動きが具体化するのは、早くても次の総選挙以降となる情勢となってきた。民主党が今年夏の参院選での躍進を受け、総選挙での政権交代を優先し、憲法問題では急がない方針に転換したためだ。自民党改憲派は国民投票法など手続き法の整備だけでも進めたい考えだが、公明党には慎重論がある。

  衆参両院の憲法調査会は来年の通常国会で五年間の調査を終え、最終報告を出す。自民党はこれを受け、手続き法の整備を進めるとともに、来年十一月には党の改正草案を公表。民主党を巻き込む形で改憲発議に必要な衆参の三分の二の勢力を固め、「早くて三年」(中山太郎・衆院憲法調査会長)での実現という日程を描いてきた。

  民主党も参院選前は憲法改正を「政権選択選挙」の大きな争点と位置づけていた。が、参院選は憲法が争点にならないまま勝利。党内では、次の総選挙では社会保障などを正面に据え、一気に政権獲得を目指すべきだとの判断が大勢になった。

  同党の岡田代表は十月三十一日、「これから二、三年は政権交代の話だ。憲法改正論議は進めていけばいいが、実現はもう少し先の話だ」と記者団に語った。小沢一郎前代表代行も九月、岡田氏に「総選挙の争点が憲法改正になれば、社会保障を争点にしたくない自民党の思うつぼだ」と伝えた。

  公明党も慎重姿勢を強める。神崎代表は「政権交代をかけた総選挙を控え、自民、民主の憲法問題での協調は難しい」「国民の共鳴ができたところで改正すればいい」としている。

ただ、最後の公明党というのは、この自民、民主の協調は難しいと言われているだけなんですが。

 ここで、皆さんに一つ申し上げなければいけないのは、例えば、具体的な名前は申し上げませんけれども、ある党の幹部の方は今の九条でも集団的自衛権を認められ、この間、中曽根公述人がこちらでお話もされましたけれども、総理が一言、今の憲法のままでも集団的自衛権は行使できると言ってしまえばそれで済むんだという話を、実は、中曽根元総理がここの場でおっしゃったんです。ただ、今の自民党政権はやらないでしょうけれども。

 政権交代が起こる、そして政権交代になったときに、具体的に今の憲法をどういうふうに変えていくのかとか、解釈をしていくのか。つまり、後でもちょっと議論をいたしますが、今の憲法については解釈の幅が極めて多くて、九条の二項が戦力不保持といっても、核兵器も持てるし、あるいは集団的な安全保障も行使できるし、多国籍軍への参加もできるというふうに解釈している方も現実にいらっしゃるんです。

 それが妥当かどうかは別として、それぞれの党が、やはり憲法についてはどういうような解釈をするのか、あるいは、その解釈がもしもぎりぎりとか、ちょっと今の憲法にそぐわないとすれば、具体的にどういうような改正の方向を考えるのかということを提示しないで総選挙を戦って政権交代が起こるということについて、これは極めて危険な状況じゃないかというふうに私は思っております。

 その点について、私自身は、やはり総選挙前に、少なくとも具体的な解釈の内容とか、あるいは、改憲を考えているんでしたらその方向づけを具体的に国民に示して総選挙を戦わなければいけないんじゃないかという考えを持っておりますけれども、お三方からそれぞれ御意見を承りたいと思います。

山田公述人 おっしゃられているとおり、選挙後に憲法問題を議論するのであれば、具体的に、それぞれの党がどういった憲法の解釈をしているか、どういった立場かということをあらかじめ説明することは必要だと思います。

 以上です。

青龍公述人 私もやはり、選挙で憲法に対してどういう対応をとるか、そういう政党を国民に選ばせるべきだと思うので、総選挙ではそういう具体的な方向を示してほしいと思います。

森公述人 おっしゃっている意味が十分理解できないんですが、どんな事態であれ、政党はそれぞれの政策を国民に提示する、それで合意に基づいて諸活動を行うというのが当然のことだと思うんです。

 したがって、総選挙の前とか後とかというのは、それはまた別個の事柄ではないかなというふうに思います。

葉梨委員 ありがとうございました。

 ただ、今御質問したものの前提として、あくまで新聞記事ですから、これが事実だということで質問をしたわけでは一切ございません。

 ただ、しかしながら、今も公述人からの意見にもございましたとおり、やはり国会、政党に対する役割ということでは、それぞれが具体的なものを示して、そして、あくまで国民が主人公ですから、国民の判断を仰いでいくということの姿勢が私も必要ではないかなというふうに思っております。

 それでは、それぞれの意見陳述に基づきまして、具体的な論点について、幾つかお伺いをしていきたいと思います。

 まず、山田公述人からお話を伺いたいと思います。

 山田公述人、プライバシー権というのを例に挙げまして、新しい人権が必要であるというようなことをおっしゃられましたけれども、そのほか、山田公述人のお考え方の中で、もしも憲法が改正された場合に記載されるであろう新しい権利としては、どのようなものを想定されておりますでしょうか。

山田公述人 プライバシー権と似ているんですけれども、肖像権だとか、あとは、できるのであれば環境権、そういったものも記載されてしかるべきだとは思います。

 以上です。

葉梨委員 ありがとうございました。

 そこで、これはちょっと、山田公述人と議論というよりも、御意見をまた承りたいんですが、確かに今、多くの分野で、例えばプライバシー権、名誉を守る権利だとかあるいは肖像権、それから環境権、そういったものが新しい権利として必要ではないか、そして、さらには、これは時代の変化の中で必要なのではないかというようなことが言われているわけなんですが、もともとの憲法における権利概念というのは、少し法律用語的になってしまいますけれども、これは、国家がそれぞれの人権を侵すというようなことを防止するために、国に枠をはめているわけなんです。

 そこで、プライバシー権ということだけをまず例示に挙げられてお話しされたので、場合によっては国家が個人のプライバシーを侵すということもあり得るので、それで冒頭質問をさせていただいたんです。

 例えば、ほかの肖像権ですとかあるいは環境権、環境権も特に日照権なんかからいろいろと出てきている。プライバシーも多くの場合そうだし、それから肖像権、それから環境権ということについては、国家に侵される人権ということではなくて、むしろ、例えば日照権の場合だったら、大きなマンションが隣でできました、これは他人の経済活動によって侵される。それから、プライバシーの権利ということであれば、国家に侵されるという場合も場合によってはあるかもわからないけれども、多くの場合は、非常に下世話なペーパーといいますか、そういったものによって侵される。あるいは、肖像権などの場合で言えば、例えば今話題になっていますアイドルコラージュの問題にしても、これは個人が侵すというような形で、国家というよりも、何か他人が人の権利を侵しているというような感じを私は持っておるんです。

 その点について、山田公述人から、感想で結構なんですけれども、御意見を承れればと思います。

山田公述人 確かに、憲法というのは、国に対してのそういった規範というのが大原則だと思いますけれども、やはり憲法の中にそういった権利を明記することによって、先ほど申し上げたように、憲法というのは国民にも触れる機会が非常に多い法律ですので、その是非はともかくとして、憲法の中で記載するということは、国民に対しても、そういったことはやってはならないんだということを、抑制と言うと変ですけれども、ひいては国民を守ることになるのではないかと考えました。

 以上です。

葉梨委員 ありがとうございました。

 その意味では、私も、方向としては同じような考え方を持っているんです。といいますのは、今も申し上げましたとおり、国と個人の関係もさることながら、最近では個人と個人の関係も相当出てきております。特に、いろいろな形で、基本的人権というのが逆に誤った意味で解釈されているんじゃないかというような感じを持っているんです。

 先ほど、人権の基本理念ということで、自由、平等、博愛ということを申し上げましたけれども、その最後の部分の博愛という意味での、他人に対する思いやりというのが今の社会で欠けているのではないかというようなことが私の問題意識です。

 ですから、権利、新しい人権ということを考えるときに、その新しい人権を幾つかとらえてそれを規定するとともに、やはりそういった他人の権利を侵害してはいけない、あるいは、言い方をかえれば、他人の権利を尊重しなければいけない、そういったような理念を憲法の中でもうたっていくという考え方については、山田公述人はどのようにお考えでございましょうか。

山田公述人 確かに、基本的人権は大事だとか、そういった博愛というのは大変大事だと思いますけれども、それが行き過ぎると、国が義務的に課してしまうということにもなりかねないので、大事なことだと思いますけれども、あくまでやはり憲法というのは国民の権利を国から守るものですので、国民に対して義務を課すことも必要かもしれないですけれども、本来のそういった性質のものとは違うと思うので、そこら辺は余り過度に行き過ぎるというのは避けるべきだと思います。

 以上です。

葉梨委員 いろいろとその点については御意見があるところだろうと思います。

 実は、今の憲法というのは極めてわかりづらい体系をとっていまして、先ほど、他人の権利を侵害しないということを申し上げたんですけれども、現在の十二条、十三条にもございます公共の福祉という言葉があるんですけれども、公共の福祉に反しない限りにおいて権利は行使しなさいというような文言がございまして、その公共の福祉というものの意味は、憲法のいわゆる今の通説では、他人、要は、人に迷惑をかけるなということの意味だという通説になっているらしいんですけれども、なかなかそこのところが必ずしも文言として理解されていないようなところもあるようでございます。

 ですから、その意味で、新しい権利というのを明定して、そこの中で私権調整みたいな形をやっていくという考え方も当然あるでしょうけれども、幾つか、これから考えなければいけない論点なのかなというふうに今私自身は考えております。

 次に、山田公述人にもう一点伺いますが、先ほど、憲法裁判所については時期尚早であるというような意見を述べられました。ただし、違憲審査ということについては、二ついろいろと実は問題がございます。

 一つは、あからさまな統治行為論というのをとって、裁判所が、通常の一般の裁判所ですと、憲法を主としてやっているものじゃないものですから、あからさまな統治行為論というのをとって裁判所自身が憲法判断を回避してしまうという問題が一つあります。

 それから、もう一つは別の問題で、例えば事件が係争になっているときに、その事件についての本文ということではなくて、裁判の場合、傍論というのがありますが、傍論でこれは憲法違反だというのを書いてしまう。ところが、今の裁判制度ですと、それが事が憲法判断にわたることであっても、つまり、事件の争いがあるというところの本文については、例えば原告の側が勝っている、負けているというのがもうそこで確定しちゃっている場合には、これを上に上げてその部分についての判断を仰ぐことができないんですね。

 ですから、そのような意味で、いろいろと検討していく必要があるんじゃないかということを私自身は思っていますけれども、今の二点のような問題がある。

 ですから、今すぐにかどうかということは別として、やはりそれも踏まえて、私自身は、憲法裁判所のあり方というのも検討していくべきじゃないかというふうに思っているんですけれども、山田公述人の御意見を承りたいと思います。

山田公述人 この中で、確かに憲法裁判所は時期尚早とは言いましたけれども、それは、私の勉強不足かもしれませんけれども、これがつくられることによって、どういう制度になるかも含めて、どういった利点があるのかということがいまいちはっきりしなかったのでありまして、具体的にこの憲法裁判所をつくることによってどうなるのかというのが見えなかったためにこのような意見を述べた次第ですので、具体的にどうなるのかということを示していただければ、その点は、憲法裁判所というものを、あってもいいのではないかというふうにも今は感じております。

 以上です。

葉梨委員 ありがとうございました。

 次に、青龍公述人に伺います。

 ずっと聞かせていただきまして、世界から戦争をなくしたい、その気持ちについてまず敬意を表します。そして、ただ同時に、ぜひとも青龍公述人に御理解をいただきたいのは、世界から戦争をなくしたい多くの学生がいると同時に、多くの自民党議員もいるんだということをぜひ御理解いただきたいというふうに思います。

 その上で、ちょっと公述人から御意見を承りたいんですが、今自衛隊というのが存在しているということは御理解いただけると思いますが、自衛隊の存在は憲法違反だと思われますでしょうか、どうでしょうか。

青龍公述人 今、自衛隊がイラクとか海外に派遣されたりとか、そういう状況はもちろん憲法違反だと思うし、あと、九条をそのまま読めば、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」と書いてあるものだから、自衛隊自体も私は違憲だと思います。

葉梨委員 違憲だという考え方があるというのもよく承知しております。私の大学時代の憲法の先生も同じに言われておりました。

 ただ、今主な政党で、自民党、民主党も含めて、それから九四年、当時社会党ですけれども、社民党、それから共産党さんはどうだったか、ちょっとあれですけれども、ほとんどの政党が今……(発言する者あり)公明党さん。ごめんなさい。公明党さん。大切な与党を、私自身、緊張しておりまして、申しわけございません。

 公明党さん、それから民主党さん、それから社民党さんを含めて、自衛隊を合憲だというふうに認識しているという状況については御存じでしょうか、青龍さん。

青龍公述人 はい、存じております。

葉梨委員 そうなりますと、先ほど青龍公述人がお話しされたように、字義どおり九条二項を読んでいけば違憲であるという意見があるのは承知しておるんですが、先ほど青龍公述人、こういうようなおっしゃられ方をしたんです。つまり、憲法に反する行動をとる、それで不信感が生まれる、不信感が生まれるとさらに反する行動をとる、さらに不信感が生まれる、悪循環の連鎖である。少なくとも自衛隊について、青龍公述人は違憲だというふうに解釈をされている。

 そうなりますと、自衛隊が存在していること自体が反する行動ということになる。そのこと自体、あの九条二項がありながら多くの政党が自衛隊を合憲だとしているということ自体、つまり、九条二項と自衛隊の存在自体が諸外国に対して不信感を与えているということはあり得ないというふうに考えますでしょうか。

青龍公述人 少なくとも、今の自衛隊は、イラクの国民からも不信感を抱かれていると思うし、アジアの国の人たちからも警戒はされていると思います。

葉梨委員 ありがとうございました。

 イラクだけではなくて、自衛隊の存在自体なんです。

 実は、これは私の個人的な経験なんですけれども、九四年に村山富市さんが首班に指名されたんです。そのときに、私はインドネシアのジャカルタの日本大使館というところに勤めておりました。それで、カウンターパートになりますのが大体軍人の方が多かったものですから、当時の、先ほどもASEANの話がありましたけれども、ASEANのいろいろな軍事的な連携とかそういったこと、そんなこともお話をしたりもしたことがあります。

 そこで非常に印象的に言われたんですけれども、当時五五年体制のちょっと壊れた最後のころだったものですから、自民党がまず第一党、それから社会党が、新進党ができる前でしたから社会党は第二党でございました。第一党が自衛隊については合憲という、それから、第二党が自衛隊については違憲という、そういう状態の中で、自衛隊が装備も含めて非常に抑制された形になっていたというふうに彼ら自身は認識していたらしいんです。

 ところが、九四年に社会党も政権に加わったところが、急に、今まで違憲だ違憲だと言っていたのが、合憲だというふうに言い出してしまった。そこで、九条二項、確かにあるんだけれども、日本という国は一夜にして何でも変えられるというか、本当にそれが平和憲法なのか、むしろそれはミステリアスな憲法なんじゃないかというようなことを言われたことがあるんです。

 ですから、もちろん青龍公述人の考え方は考え方として、またここで議論するつもりは特にはないんですけれども、一つの考え方として、やはり日本の平和主義を世界に対して明らかにするためにも、今自衛隊がある以上は、自衛隊についても具体的に、どういう歯どめをかけていくんだ、私たちはこういう活動をしていきたいんだということを、今の九条二項を読んだだけではわからないわけです。

 それを、憲法なのか、あるいは別の形なのかは別として、本当に世界に明らかにしていく、具体的に明らかにしていく必要性が私はあるという考え方なんですけれども、青龍公述人はどうお考えでしょう。

青龍公述人 確かに、自衛隊が今存在していて、政府も合憲と言っているんですけれども、でも九条二項と矛盾していて、だから九条に合わせてこれからだんだん縮小していきますとか、そういうことを世界にアピールするというか示していけばいいんじゃないかと思います。

葉梨委員 軍縮の努力というのは各国でやはりやっていかなきゃいけないし、日本がリーダーとなっていくということについては、私もそれは大賛成なんです。ただし、縮小するといっても、自衛隊がある以上は、具体的なその活動の歯どめというのは何も示さないで、あしたからやめますということだったら、それもあるかもわからないんですが、必ずしも、徐々に縮小ということだったら、周りの国はちょっとわからないんじゃないかなという感じも持つかなという印象をちょっと持ちました。

 その次ですけれども、あと五分ほどになりましたので、森公述人に、次の点をお伺いしたいと思います。

 ずっと、るる年金関係、いろいろな形でお聞かせいただきまして、戦後大変御苦労されたということを感じております。それで、特に森公述人が引かれました憲法二十五条でございます。

 二十五条については、第一項で生存権、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」というふうに規定されております。しかし、二項ですけれども、これはむしろ国の社会保障ということですが、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」というような規定になっている。それは釈迦に説法で、御存じのとおりだろうと思います。

 ただし、この間を埋めるものということですが、先ほど森公述人、大変いいことをおっしゃられまして、互助、今まで互助の助け合いの精神でやってきたんだと。この生存権について、互助という概念が今の憲法にはないんですね。一項は、生存権が認められる、それから二項は、国がやらなければいけない。みんなが助け合っていこうという考え方というか、そういった条項がないんですけれども、その点については、森公述人はどうお考えになりますでしょうか。

森公述人 本来、社会は、共同して成立をしているものですから、それぞれに基本的な人権を認めるというところが前提になって進められていると思います。したがって、健康で文化的云々という部分を、その権利を保障するために、国が生活部面について増進に努める、向上に努めるということを実践する場合に、やはり十三条の基本的な人権を軸にして進めていくものだというふうに私は思っています。

 それで、つけ加えるならば、互助という部分で、用語の問題ではなしに、実際に地域社会をつくっていく場合に、協力し共同をする、お互いの立場を認め合うという部分から、政策の場面になった場合に互助という考え方が生まれてくるのではないか。

 したがって、憲法の条文の中で、互助という言葉がなくても、日本国憲法のこの規定に基づいて、活動それから施策は十分展開できるのではないかなというのが私の考え方です。

葉梨委員 ありがとうございました。

 ただ、私個人的には、ちょっと最近は自分勝手主義というのが過ぎるのかなと。やはりみんなで助け合っていくという、新潟の被災地でも、おれおれ詐欺だとか窃盗だとか起こっています。助け合いということは必要かなということを思っておりますが、時間になりました。これからもまた皆さんといろいろと議論を深めていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

 きょうはありがとうございました。

中山会長 次に、和田隆志君。

和田委員 民主党の和田隆志と申します。

 三人の公述人の方々には、本当にお忙しい中、きょうこちらの方にお越しいただきまして、本当にありがとうございました。きょうは、一日ずっと六人の方の御意見を聞く場となっておりますけれども、午前中から出席をしておりまして、やはり憲法を考えていくのには、国会議員という輪の中だけではなくて、本当に幅広い国民各層の方々の御意見を聞くことの重要性というのは、普通の法律審議にも確かに大事ですけれども、それ以上に大事なんだなということを実感しながらお聞きしておりました。三十分ほどの限られた時間でございますので、先ほどの葉梨委員の御質問にお答えいただいた部分をできるだけ省きながら、またお考えについての御意見、深めてまいりたいと思います。

 そこで、実は、きょうこうやってお三方に公述していただくに当たりまして、我々委員の方にも簡単なお三方の意見発表のメモをいただきました。それもありましたので、私の方では、できるだけ日々の国会審議を自分の有権者の方々を中心に公表しながら御意見をいただくということを姿勢としておりますので、昨日までにこのメモの、また自分なりの要約をつくりまして、いろいろな方々に御意見を求めてみました。インターネット上でやるものですから、返ってくる返事は、どのような階層の、どのような年齢層の方々から返ってくるのかはちょっとわからないんですけれども、本当にお三方の御意見、非常に貴重だと思います。

 正直申し上げてこんなに反響があるとは思いませんでしたけれども、全部でやはり一千通ぐらいインターネット上でお返事が参りまして、正直申し上げて賛否両論本当にさまざまございました。である以上は、本当に国民各層の御意見がそれだけ多様にわたっておるという現状を、我々審議している委員としても認識しなければいけないのかなと思って、きょう臨んだ次第でございます。

 そこで、そういった中から、インターネット上でもいただいた意見を御報告しながらお三方にさらなる御意見をちょうだいしたいと思いますけれども、まず最初に、全体として憲法についてどのようなお考えをお持ちかということをお聞きして、その後、後半で、各公述人の方にいただいた御意見の分野を中心に御質問させていただければと思っております。よろしくお願いいたします。

 そこで、最初は、この日本国憲法というものをどういうふうに考えるかということなんですけれども、それぞれいただいたメモからは、御自分の思いが、一つの分野、複数の分野にわたって、やはりこの分野は大事だから今の日本国憲法の文言を大事にしろだとか、今のままではなかなか意を尽くせないからもっと正確を期せだとか、いろいろな御意見があろうかと思います。インターネット上でも、この今ある日本国憲法のそれぞれの趣旨、それからその趣旨に基づいて書かれている文言についてどのように考えるかを、ぜひもう少し公述人の方々に深掘りしてお聞きしてみたいというような意見がたくさん参りました。

 そこで、その中で思っていらっしゃる部分を取り上げていただければと思いますけれども、それぞれお三方、御意見で述べられた分野が、最初の山田公述人と、あとのお二人の青龍公述人と森公述人とでは分野がちょっと違うように思われますけれども、御自分がお述べになった分野以外のところの憲法の規定も全般的にごらんになりまして、今の日本国憲法が実現しようとしている日本国の社会についてどのような評価をしておられるかの御意見をちょうだいできれば幸いでございます。

 順番の方は先ほどの発言順にお願いできれば幸いでございます。よろしくお願いします。

    〔会長退席、枝野会長代理着席〕

山田公述人 例えば、日本国憲法の前文とかを見てみますと、やはり理念的にはすばらしいもので、こういったものを守っていかなきゃいけないとは思いますけれども、実際に、今の現状だと理念だけになってしまっていて、九条も含めまして、やはりうたっている理念とかそういったものはすばらしいと思いますし、守っていかなきゃいけないとは思いますけれども、それと実際の社会が今すごい離れてしまっているように感じるんですね。だから、そういった点をどうするか。

 だからといって、改憲すべきだというわけではないんですけれども、その現状との差というのを埋めるためにどうすればいいのかというのは、憲法全体を見てみまして感じるところです。

 以上です。

青龍公述人 私は、憲法全体というところから見て、やはり国民主権と基本的人権と平和主義という三つの柱があってというのを高校生のときとかに習ったんですけれども、それは、今や歴史の過程を経て、普通の国が、普通の国というか、そうじゃない国もあるんですけれども、持っているそういう大事な柱だと思うんです。九条は結構世界でも珍しいとは思うんですが。だから、そういう大事な柱があるからやはりすばらしい憲法だと思うし、憲法の目指している社会も本当にまだ実現できてはいないとは私も思うんですけれども、そういう方向で実現していくべきだと思います。

森公述人 私は、憲法は、先ほども述べましたけれども、私たちのこれから先の道筋をきっちり示しているのではないかというふうに思います。

 したがって、逐条的に検討を加えて、現状と合わない、あるいは現状がそうなっていないという部分を多く見かけますね。そこで、私ども年金者組合はかんかんがくがく論議をしながら、一歩一歩憲法の理想に向かって接近するにはどうしたらいいのかという論議をしているんだと思うんですね。

 そういう部分でいいますと、やはり戦争の世紀を超えて、反省をして、これからの平和な、そして豊かな、地球的な規模でそれを実現するということを指し示しているという点で、物すごい力を持って国際的に訴えかけていると思うんですね。あの五五年体制、米ソの冷戦の時代でも、日本は、自衛隊を組織せざるを得なかったけれども、外国に行って侵略をし云々ということは絶対できなかった。ここにやはり日本に対する国際的な信頼が高まったのではないのかな、それがまた一つ日本の経済的な復興に大きく結びついていっているんだろうというふうに私は考えています。

和田委員 ありがとうございます。

 お三方それぞれ、日本国憲法に対して、私なりに解釈しますと、やはり日本国民としてそれだけの憲法を持っていることの自負心はお持ちになっていただいているようで、それをこれから先、本当にこれを維持しながら発展させる方がいいのか、もうちょっと詳しく変えた方がいいのか、そういったところでまた意見がそれぞれ分かれるのかなという気がしてお伺いいたしました。

 ここから先、日本国憲法というのは何も一条文だけでなくて、前文から始まってずっと百条ぐらいの条文がありまして、そんな中で日本国民の進むべき道を希求しているというふうに私も考えておりますけれども、全体として我々が考えなければいけないのは、憲法を改正する関係の条文というのは、国民の皆様方の総意を我々として酌み取った上で、国会議員が相当数賛同して発議をし、つまりは提案し、その提案について国民の皆様方に御了承を得なければいけないというふうになっております。

 その際に、少し今までの質問にはなかったかと思いますが、御意見としてちょうだいできればと思うのは、実際にこういったシチュエーションを日本国はまだ経験していないわけです。国民の皆様方から見たときに、国会議員が発議するときの発議の仕方なんですが、これは日本国憲法を、今ある条文をすべて、条文として維持したいものは維持して、変えたいものは変えた案にして、それを一つのセットにして提示することを望んでいらっしゃるか、もしくは、今いろいろお話しいただいたのでもさまざまな御意見ありましたけれども、各条文について、例えば幾つかの選択肢を設けて、どのような方向で改正するということを意見として求めてほしいと思っていらっしゃるか。

 まだまだほかにもまたいろいろなアイデアがございましょうが、憲法改正をもしそういうふうな手続に乗っけていくとすれば、どのような内容で進めていけば一番皆様方の御意見を反映しやすいとお考えでしょうか。これをお三方からお伺いできればと思うんです。

山田公述人 セットでというか一括で、例えば九条と新しい人権を加えるとか、そういったものをセットでやるとなると、必ずしも国民の意思というのは反映されないのではないかと思います。

 ですから、やはり条文ごとに、それぞれの条文で、その方法はちょっと具体的には難しいと思いますけれども、この条文はどうなのか、その条文ごとに国民の意見を、意思を問うような方法が望ましいと思います。

 以上です。

青龍公述人 私も、一括して意見を求めるんじゃなくて、各条文ごとにどういうふうに変えるのかというのをちゃんと明確に示して、その上で判断させてほしいと思います。

森公述人 同様な意見です。

和田委員 ありがとうございました。

 実は私自身、こういったことをお聞きするのは、昨年まで国家公務員をやっておりまして、もしこういった手続をするとすれば、恐らく政府全体で相当な作業量になるだろうなということを想定して御質問したんですが、ただ、意外だったのは、お三方ともお述べになったとおり、インターネットで募集した意見でも圧倒的多数が、やはり各条文について意見をおっしゃりたいという国民の方々が多かったという現実でございます。

 そうだとすれば、これは技術論としては相当難しいことになるんだと思いますけれども、私が、そのインターネットの集計結果、それから今お三方にお述べになっていただいた結果から考えて、なかなか憲法改正というのは一朝一夕にはいかないものだなというのを実感した次第でございます。

 民主党としてというよりは、まだ私も個人の勉強の段階でございますけれども、やはり憲法というのは、それだけ国民の皆様方が御関心を持っていただいているということには一人一人の国会議員は自信をつけつつも、その条文一つ一つに対してきちんとした考え方を持てるまでに至っていないということを反省しながらこれから勉強にいそしまなければいけないなというふうに考えております。

 ここから先は、ぜひ、お一方お一方順番にちょっとお伺いできればと思っております。

 まず、山田公述人にお願いしてよろしいでしょうか。

 先ほど来、幾つかの項目にわたって御意見をいただいております。全体として見れば、国の統治機構に関する御意見、それから先ほど来出ました人権に関する御意見、そういったものがあったように思いますけれども、まず、統治機構に関して全体的にどのようなイメージを持っていらっしゃるかということについて、もう少しお聞かせいただければと思います。

 先ほどは、国会の二院制についての御意見、それから内閣の機能のあり方についての御意見、司法についての御意見がありました。まず、今山田公述人がお考えになっている理想的なあり方というんでしょうか、今の日本は、立法、行政、司法という三機能を分けて、それぞれの機関が担当しておる、ただし、立法と行政については議院内閣制が成立しておって、その中の抑制均衡関係の中で今までの行政、立法が行われてきたという関係にございますが、例えば、日本と違う制度をとっておるのは、有名なのはアメリカの大統領制でございますけれども、アメリカの大統領制などをニュースや新聞等でごらんになりまして、どのように評価されますでしょうか。

 先ほど、首相公選制になったときにはちょっと人気投票になっちゃうんじゃないかというような御意見だったように思いますが、今のアメリカ、つい先ほど行われましたが、どのようにお感じになりましたでしょうか。

山田公述人 最近のニュースで思い浮かぶことはその大統領選挙なんですけれども、やはり、主に二人の候補者がすごい接戦を繰り広げているという状況で、前回、前々回の大統領選挙も含めまして、物すごい接戦の中で大統領が選ばれているということですね。一部で票の集計が適切であったのかとか、そういった疑問が出ていますとおり、私から見ますと、果たして本当に公平になされているのかなという素人的な疑問がわいてしまうので、その辺、アメリカの制度が、これが完全だとは思いませんし、そういった選挙制度なり、そういったのは永遠の課題なのかなというふうにも感じます。

 以上です。

和田委員 ありがとうございます。

 今お聞きしていて、山田公述人のイメージとしては、アメリカの大統領制はあの国にとってはうまく機能しているというような評価でいらっしゃいますか。

山田公述人 そうですね。表向きでは機能しているというか、機能させているという感じに見受けられます。

 以上です。

和田委員 ありがとうございます。

 本当に、イメージ論でお聞きするのは大変恐縮かもわかりませんけれども、確かにアメリカの大統領制、この前選挙があったばかりでございますけれども、本当にその選挙を通じて政策論がぶつかり合って、国民の皆様方が選択された結果としての今の結果があるのかということについては、いろいろな御意見があると思います。

 ただ一方で、我々が憲法をどういうふうに、改正をするのかしないのかも含めて考えていくかというところに立ち返って考えてみますと、公選、いわゆる皆様が選ばれるということの裏腹には、皆様方の御意見を直接反映したいという御希望があってのお話。それを実現しようと思ったら、やはりある程度人気をとらなきゃいけないのも確かでしょうし、かつ、政策として、本当はまだ細々としたニーズはあるにせよ、大きく二つの主張に整理していって、その主張の中のどちらをとっていただくのかということを選んでいくように整理せざるを得ないという現状もあるのかもわかりません。

 そういった意味では、今の日本の議院内閣制が本当に機能すれば、それはそれでいいのかなという御意見も多々あるわけなんですが、その点については、今山田公述人は日本の国会と内閣との関係において満足していらっしゃいますでしょうか。

山田公述人 そうですね。満足というと、不満がそれほどあるわけではないですけれども、やはり二院制ということになりますと、参議院が何であるのかというのがいまいちはっきりわからない、どういう役割なのかというのがわからないという疑問はありますけれども、日本の議院内閣制が合っていないから大統領制にすべきだとか、そういったことはなくて、やはり今ある議院内閣制という枠組みの中で、具体的にどうしろというと難しいんですけれども、よりよい方向に変えていくというのが好ましいのではないかと思います。

和田委員 ありがとうございます。

 そのような貴重な御意見を承りましたので、我々の制度をつくる側において、今の議院内閣制のメリットとデメリット、それから、本来ならできているものを、まだできていないからこれからやれるように改善する、そういった工夫を考えていかなきゃいけないのかなと思ってお聞きしました。ありがとうございました。

 それでは、青龍公述人の方に御質問させていただければと思います。

 先ほどは、本当に大学生として純粋なお気持ちで、世界に再び戦争を起こさせたくないというお気持ちを、本当に熱意を込めて語っていただいたことに感動しました。

 実は、私も広島県の出身でございまして、小さいときから、このメモに書いていただいた、過ちを二度と繰り返さないという文言、原爆記念ドームの碑の文言でございますが、それを小さいときから読んできた人間の一人でございます。そういったことで、おっしゃっている思いというのは本当に共有させていただきます。

 そこから先、これを憲法との関係でどのように考えるかということに移るわけですが、前も私、広島県でもそのような議論をさせていただいたことがあるんですけれども、このような御意見をお持ちの方々のすべての方に共有できる一つの理想として、世界で悪くない方、罪のない方が命を落とすことのないように、望ましいのはゼロですが、それを最小限に食いとめるための方策を考えなければいけないということだと思っておりまして、それが憲法の条文では戦争の放棄という形であらわれているんだと考えております。

 そこから先、やはり日本全国を見渡してみると、幾つか意見があるのは現実でございまして、例えば、戦争を起こさないということ、その一言を言えばどなたも特に違和感はないんですけれども、では、ほかの方が、自分は全然悪くないんだけれども、一方的にやってきたときにどうするんだと。もしくは、本当に戦争を起こさせないためには、抑止力という用語がよく使われますが、皆さんがそれぞれ、自分は攻められたときにはちゃんと防ぐぞというようなことをおっしゃることも世の中あっていいのではないかという御意見があるからこそ今議論になっているわけです。

 今、青龍公述人のお考えをもう少し詳しくお聞かせいただくとすれば、全世界にもう本当に武器を持った人間がいないのが理想像でございますが、現実にいる以上どうするかという観点からした場合に、それでも、日本はもう戦いません、全く自分は手にとるものはございませんということで、理想を追求すべきだという御意見もあるのが現実なんですが、青龍公述人の御意見はどんなところにありますでしょうか。

青龍公述人 私も、今現在、武器とか兵器を持った国がいっぱいあるし、そういう集団もいっぱいあって、危険だとは思うんですけれども、そういう人たちとか国とかも、何の理由もなく、ただ気ままにというか、攻撃してみようかなと思ったからしたという、そういうのはないと思うんですよ。何かしら理由があって、普通の犯罪者もそうですけれども、そういう理由があって攻撃したり、武力に訴えようとするわけで、だから、どんな理由があるのかというのを考えて、そういう暴力とか武力とかを使わずに解決する方向というか道を模索していくのが理想というか、今国際社会もそういう方向で動いていると思うし、そうしていくべきだと思うし、九条はそのためにも役立つ条文だと思います。

和田委員 ありがとうございます。

 本当に、青龍公述人のお話をお伺いしていますと、若い方の純粋なお気持ちがひしひしと伝わってくるだけに、我々としても、こういった方々が日本にもたくさんいらっしゃるということを前提に、本当に慎重に考えていかなきゃいけないのかなという気はいたします。

 一方で、現実的に世界にまだまだ武器を持っている方がいらっしゃる以上、どうやって日本国民を守り抜くかといった観点も必要欠くべからざる観点ですので、そういったところとの整合性を将来とれるような憲法論議にしていきたいなと思ってお伺いいたしました。ありがとうございました。

 そこで、残りわずかになってまいりましたが、森公述人の方にお伺いしたいと思います。

 森公述人の方からも九条に関する御意見を中心にお述べいただきましたけれども、そんな中でも、御意見をお伺いしていますと、いろいろな歴史的背景にかんがみた場合に、やはり九条の文言の重さは大変なものがあるというような御意見のようにお伺いしたのですが、実際に、九条の文言をごらんになっていただいて、今のこの条文が一番ベストで、これを守っていって、あとは解釈で日本国があるべき姿を希求しろというような御意見でいらっしゃいますでしょうか。

森公述人 御質問のとおりです。本当に、この第九条二項は特に潔いと思うんですね。日本の国民性をよくあらわしている。要するに、平和を希求するのに、平清盛じゃありませんけれども、武器を懐にして平和を唱えるということは偽りですから、それを一切やらないということを国際的に宣言をしているということで、私はこの文言はこのとおり守っていく必要があるし、それから、現在の国際情勢もそのように動いている。

 今、武器を持つ国があることは、もう圧倒的にありますよ。しかし、二十世紀から二十一世紀にかけて、国際連合が生まれ、いろいろな条約が生まれて、国際的な、世界的な運動が起こっている中で、武器を行使するということの、実際上そのことは手足が縛られているんだというふうに思いますし、特段に、日本と北朝鮮の平壌宣言に基づく協議などなどを見ていますと、ますますこうした可能性が大きくなったなということを実感しているところです。

 以上です。

和田委員 ありがとうございます。

 以上、お三方にそれぞれの御意見の分野で、また深掘りしたお考えをお聞かせいただきましたが、私の、きょうお伺いした感想、実感として申し上げますと、やはり国民各層の方々のお考えは多岐にわたっているなと。それぞれ貴重な御意見ではありますので、それらを本当にどうやって我々として集約していくのか、重い課題をいただいたなという感じがしております。

 本当に、憲法について変えるのか変えないのかという結論というのは、これらの意見を全国でお伺いしてみて、それらの大きなお声がどこにあるのかというのを冷静に判断させていただく過程を通じてでしか結論は出てこないのかな、そういった意味でまだまだ時間がかかるのかなという気がしてお伺いしました。

 何分にも本当に時間のないことでございますので、まだまだお伺いしたい点は多々ございますけれども、またきょうの御意見を生かさせていただきたいと思います。

 きょうは、どうもありがとうございました。

枝野会長代理 次に、福島豊君。

福島委員 公述人の三人の皆様には、大変貴重な御意見をお聞かせいただきまして、ありがとうございました。

 幾つかの具体的な事柄に対してどう行動すべきかということをお聞きしたいと思っているんですが、お三人の方に、例えば、北朝鮮からミサイルが撃ち込まれて東京に被害が出たという場合にどういうふうに日本は対応すべきなのか、この点についての意見をお聞かせいただきたい。

 そしてまた、先日、中国の潜水艦が領海侵犯をいたしました。これは大陸棚の開発等々とも関連をしていると思いますが、今後こういう事態が頻発するときに日本政府としてはどのように対応すべきか。

 この二つについて、山田公述人、青龍公述人、そして森公述人、それぞれ御意見をお聞かせいただきたいと思います。

山田公述人 ミサイルを撃ち込まれるおそれがあるとか、そういった不審船が現に入ってきているという状況になってしまって、本来ならばそういった状況に至る前に何とかしなきゃいけないというのが大事だったのではないかと思いますが、実際こういうような危険がある場合に、果たして確かに手をこまねいているということは主権国家としてそれは問題があると思いますので、じゃ、どうすればいいのかということになると、ちょっと私はわからないというか、だからといって戦力を持つなり、場合によっては攻撃をしかけていいのかということにもならないので、そこら辺はすごく難しいところだと思います。

 以上です。

青龍公述人 北朝鮮から本当にミサイル攻撃がされて東京にとおっしゃっていたんですが、それは、やはり予測のできないことだし、起こってからしかわからないので、そのとき対応するとしか言えないんですけれども、現に北朝鮮に関しては六カ国協議とか行われていて平和的に解決しようという流れができているので、私は、北朝鮮からそういうミサイル攻撃がされるということは予想はできないし、そのためにミサイル防衛とかもするべきではないと思います。したとしても、実際に起こったときに防げるかどうか、そっちもわからないです。

 あと、中国の潜水艦が侵入してきたとか、そういう事件もあって何か危機感があおられているような気がするんですけれども、これは、何で中国の潜水艦が日本の領海に来たのかという原因が、私はまだちゃんと調べていないせいもあってわからないので、そういう原因をちゃんと究明して、中国の政府にもなぜだということを問いただすべきだと思うし、そういう潜水艦があるからといってこちらから攻撃するとか、そういうのはだめだと思います。

森公述人 二つの御質問ですけれども、北朝鮮のミサイル攻撃、もし万が一これがある事態ということを考えてみますと、どれほど外交努力の結果が悪かったかということになろうかと思います。しかし、そのことを抜きにして、具体的には六カ国協議などなど今進行中ですけれども、それを無視して攻撃を下す、恐らく北朝鮮に対する国際的な弾劾、これは激しいものがあるだろうと思います。したがって、これを仮定するということは、現状では私にはできないな、攻撃があるとは思えないということが一つ前提です。

 それから、領海侵犯の部分で、これは明らかに責任を認めてという回答が来ていますし、そのことによって戦争の危機が訪れるというふうにはならないというふうに思います。

 あくまでも日本としては、いろいろな紛争は外交努力でということで進める以外にないのではないのかと思います。

福島委員 きょうは、山田公述人、また青龍公述人、大変若い世代の方がお越しいただいて私は感激をいたしているわけでありますが、今の日本の若い世代の方にとって日本国憲法というのは意識の中ではどういう位置づけになっているのかなと。一般論でどのくらいの人が日本国憲法の全文を読んだことがあるんだろうか、こういうアンケートも余り見たことがないのでありますが。そしてまた、小学校、中学校、高校、大学と教育を受ける過程の中で、いつどのような形で憲法について語られているんだろうか。こういうことに率直に興味があるわけでありますが、山田公述人、また青龍公述人、今の若い世代にとっての日本国憲法の位置づけというのかを、簡単にお聞かせいただければと思います。

山田公述人 憲法というのは中学三年ぐらいのときにだれしもが公民の時間で条文を見たりとかそういったことはしましたし、どういったことをやるかというと、憲法九条を丸暗記してそれを書かせるとか、そういったことをやった記憶がありまして、でも、それが果たして意味があるのかというと、ただ覚えただけじゃないかということで、先生も余り憲法について理念的なことは教えてくれなかった気がするんですね。

 大学時代になって、自分は法学部だったから憲法を勉強する機会がありましたけれども、そうでないと、憲法も含めてそういった法律というのは勉強する機会というか読む機会がなかなかないのではないかなというのが自分の意見でありまして、そうなると、若い人の認識の中では、憲法って大事だと聞いているけれども、じゃ実際どういうものなのかと聞かれたときに、よくわからないという人は非常に多いのではないかと思います。

 以上です。

青龍公述人 私も今の若い世代の人たちの中では憲法全文を読んだ人はほとんどいないと思うんですけれども、やはり意識としてもそんなに余りないのかも、よくわからないですけれども。今、憲法を変えるとかそういうのが新聞とかでも大きく報道されていて、すごく関心が高まっていて、あと、イラク戦争とかもすごくまだ長く続いているし、それに対して私たちのような若い世代の人たちがどう思うかというのは、考えていると思うんですよ。そのときにやはり憲法の問題というのが出てきて、少しでも憲法というのが、九条がどういうものなのかというのは、何となくだけれどもわかっていると思います。何か済みません、こんな答え方で。

福島委員 大変興味深く聞かせていただきました。特に興味深かったのは、憲法九条をそのまま丸暗記をして、テストに出るんでしょうか、わかりませんけれども。私は、何事によらず、丸暗記ということではなくて、やはり議論すべきなんだろうと。そしてまた、中学校、高校においても憲法について議論するということがやはり要るのではないのかなと。どういう角度で議論するかということはあると思うんですけれども、率直に、例えば国際社会の政治のあり方、そしてまた日本国の歴史、こういうものを真正面から見据えて、いろいろな意見があります、この調査会でもいろいろな意見が提示されているわけで、決して一方通行で丸暗記するというようなかかわり方ではいけないのではないか。私はそんな思いがいたしますけれども、山田公述人の御意見をお聞きしたいと思います。

山田公述人 やはり、日本の教育全体を含めてそうかもしれないんですけれども、どうしても暗記を結局求められて、逆に、暗記をしてしまえばテストとかは大丈夫という感じなので、そこに問題があると思います。

 確かに、おっしゃられているとおり、そういったものよりも、実際議論し合ってお互いの意見を聞き合い、それをあるときは尊重し合ったり、あるときは議論したり、そういったことが若い世代、特にこれから教育を受ける人にとって大事な教育、もちろん憲法を含めた教育だと思います。

 以上です。

福島委員 青龍公述人にちょっとお聞きしたいんです。

 ちょうだいしました意見の概要についても、九条の方向が間違っていない証拠に、憲法ができてから六十年間、日本は他国と紛争を起こしていないし、他国から侵略されてもいない、こういうお話があるんでありますけれども、この戦後六十年間の日本の外交的な安定といいますか、それは端的に言うと、冷戦構造のもとでアメリカと同盟関係があって、その構造そのものが安定をしていたからだ。逆に、今さまざまな地域的な紛争にかかわる、そしてまた日本が判断を迫られなければならなくなったのは、こうした冷戦構造の安定した構造の枠組みが失われて、地域的な緊張がそれぞれのところで高まっている、こういう話が私は国際政治のむしろ一般的な議論だというふうに思うわけでありますけれども、法学部でいろいろと勉強しておられると私は思いますので、こういう認識についてどうお考えか、お聞かせいただきたいと思います。

青龍公述人 日本が憲法九条があるから安定してきたというのもあるんですけれども、一方で、アメリカとすごく同盟関係があって、今も自衛隊はアメリカと一緒にイラクに行っているし、逆に、冷戦構造とかそういうことは詳しくわからないんですけれども、アメリカに言われるままについていっているような気がして、小泉首相もアメリカのやることには何でも賛成だし、それが私は、今日本もそうだし世界も危機というか不安定になっている原因だと思います。

福島委員 ありがとうございます。

 最後に、森公述人にお聞きをしたいのであります。

 戦前、なぜ日本はあのような道をたどってしまったのか。例えば、日中戦争、十五年戦争とも言われておりますけれども、その途中で進路を変える可能性というのは幾たびかあったのではないか、また、日米開戦にしても、必ずしもこれは開戦をしなくても回避することはできたのではないか、そんな思いが後から歴史を学ぶと私はいたしますけれども、公述人はどのようなお考えをお持ちか、お聞かせいただければと思います。

森公述人 私、歴史の専門家でないので深くは検討しておりませんけれども、先ほど私、冒頭に貧困と飢餓、それと私の生まれた翌年が世界大恐慌だったという話をしました。とにかく、後発国の日本が軍事大国になって国際的な侵略を防ぐ、あるいは資源を大東亜共栄圏で獲得するという大義名分で始めたというふうに考えています。そうして国民、国家総動員というんですかね、本当に思想動員の状況であそこまで追い込んでいった。私が戦争が終わったときに半狂乱の状態になったというのも、実はそうした部分の一つのあらわれだろうというふうに思います。そういうふうになったときに、日本の国会が本当に民主的に運営をされていればこれを防ぐことができたのではないのかなというふうに思います。

 勇気を決して国会で発言をされた議員さんもいらっしゃるというふうに聞きましたけれども、しかし、全体として政党政治がなくなって大政翼賛会になってしまった。天皇の命によってやるということがこうした惨たんたる事態を招いたのではないのかな、これが私の歴史の教訓といいますか、大きく反省しなければならない点だなというふうに考えています。

 以上です。

福島委員 どうもありがとうございました。

 以上で終わります。

枝野会長代理 次に、山口富男君。

山口(富)委員 日本共産党の山口富男です。

 きょうは、公述人の皆さん、どうもありがとうございました。皆さんの大変思いのこもった陳述について、今後私も憲法を考える際の糧としていきたいと思いました。

 陳述された三人の方の順に沿ってお尋ねしていきたいんです。

 まず、山田公述人にお尋ねしますが、きょうは、憲法について考える場合、とにかくしっかり議論してくれよということで、新しい人権を初めとして地方自治まで五つの分野にわたって意見があったんですけれども、一つお尋ねしたいのは、この中に憲法の平和主義は含まれていないんですよね。そうすると、山田公述人は、九条や前文に込められた日本国憲法の平和主義について、今どういうお考えをお持ちなんでしょうか。

山田公述人 別に、あえて触れなかったというよりも、とりあえず結構皆さん平和主義に関してはいろいろおっしゃる方が多いだろうなということであえて書かなかったんです。自分も、やはり九条の理念というのはすごい大事だと思いますし、守っていかなきゃいけないと思いますが、先ほどちょっと話に出たように、理念と今の実際の社会はどうなのかと考えると、やはり今のままそういった解釈によって無理に、例えばいろんな、自衛隊なりそういったものを認めているというのは、ちょっと疑問が残るのではないかと思っています。

山口(富)委員 先ほどの質疑でも、自衛隊を憲法上どう位置づけるのかという話がありましたが、私たちは、これは明確に憲法に反するという立場ですけれども、現状と憲法との間に差が生まれた場合には、立憲主義としては、憲法を大事にする立場からは、憲法の側に事態を引き寄せて解決するというのが基本だと思いますので、今指摘されました危惧の点でも、やはり戦力の点でいえば段階的な解消というのを憲法は求めてくるというふうに私は思うんです。

 それで、もう一点、山田公述人にお尋ねしたいんですけれども、きょう冒頭で、憲法というのは大変身近なものなんだという指摘があったんですが、こういうことを強調される具体的なものというのはあるんですか、こういうことを感じたというようなものが。

山田公述人 あくまで、ほかの法律と比べるとやはり憲法というのは一番我々にとって聞き覚えのある法律ですし、先ほど申し上げたように義務教育の中では少なくとも一回は学ぶことになっている法律ですから、そういった意味で身近であるということを申し上げましたが、やはり、実際的に、かといっていろいろ情報が与えられているかというとそこは疑問を持っています。

山口(富)委員 では、続いて青龍公述人にお尋ねします。

 きょうお話を聞きながら、各世代に戦争体験というのはあるんだなというのを感じたんですね。

青龍公述人のお話ですと、今日のイラク戦争をめぐって憲法について考えるきっかけになったということだったんですけれども、例えば、私の父や母の世代というのは太平洋戦争なんですね。私の場合ですと、やはりベトナム戦争なんです。中学校、高校、大学の初期もそうだったんですけれども、私たちの世代でいうと、あの戦争は何なのかということを考えながら日本国憲法に接近したんですね。

 それで、まずお尋ねしたいのは、今度のこのイラク戦争をめぐって、やはり学生の皆さんや若い人たちの間でいろんな動きがあったという紹介もありましたけれども、憲法との関係で、これは今世界で起こっていることに対して、もっと正面から何が起こっているかつかまなきゃいけないよとか、憲法について読んでみようとか、そういう一つの新しい体系が生まれている、そういうふうに見ていいんでしょうか。

青龍公述人 はい。私のサークルでも、そういう憲法九条の問題とか積極的に取り上げて、ほかのサークルと討論会をやったりもしたし、行動していこうという動きもあると思います。現に、イラク戦争が始まったときとか、一周年のときも何かいろいろやっていたのを見ました。

山口(富)委員 もう一つ、中学、高校までは憲法はちょっとわきに置かれたようですが、大学に入って勉強したということなんですけれども。大学に入って憲法を勉強されて、九条の話はきょうお聞きしましたけれども、例えば、読んでみて、ああ、ここはいいなとか、ここは知らなくて新しい発見をしたとか、そういうおもしろさがあったと思うんですけれども、それはどういうものがありましたか。

青龍公述人 九条以外の条文もすごくおもしろいなと思ったところはいっぱいあるんですけれども、特に前文とか、前文の第一項から、今とっている授業でやっていて、日本国民が憲法を制定することを、「主権が国民に存することを宣言し、」と書いてあるのとか、天皇が象徴天皇ということは国民が主権を持っているということなんだというのとか、具体的に余り思い浮かばない部分はあるんですけれども、勉強といってもそんなにしていないので。今は、ほかの国の憲法と比べて日本国憲法を見ていくという授業をとっていて、そういう中でも新しい発見がいろいろあって、学ぶのはすごく楽しいです。

山口(富)委員 日本国憲法は生まれてから五十数年たつわけですけれども、ですから、そのときに憲法をつくった人たちは、今元気な方は少ないわけですよね。

 しかし、この憲法というのは、将来に向かって世代が次から次へと、平和主義や基本的人権、国民主権というものをきちんと引き継いでいってほしいという中身がたくさん書いてあるんですが、今の青龍公述人の経験ですと、やはりこの憲法というのは若い学生の皆さんにも、今青龍公述人も何カ所か挙げて、ここはおもしろかったという話だったんですが、そういうことをつかみながら、若い世代としてこの憲法を次に引き継いでいく、そういうふうな力はあるんだということを思われているんですか。

青龍公述人 はい、そうです。これから私も大学を出て社会に出るという点で、この憲法を引き継いでいきたいと思っているし、生かしていきたいと考えています。

山口(富)委員 では、青龍公述人に最後の質問なんですが、きょうは九条を大事にしてくれという話がありました。私も賛成なんですが、その立場で、今日本の政治としてこういう仕事をやってほしいと。例えば、非軍事の立場に立てば、環境問題でも難民問題でも、いろんな仕事ができると思うんですが、こういうことをもっとやったらどうかという提案は何かありますか。

青龍公述人 日本は経済的にも発展していて、技術とかもすごく発達しているし、教育も行き届いているし、すばらしい人材がそろっていると思うので、本当に、医療の面とか、難民問題もそうですけれども、具体的に余りうまくは言えないんですけれども、そういう、持っている技術を存分に生かせる分野でもっと活躍してほしいと思います。

山口(富)委員 では、続いて森公述人にお尋ねします。

 きょうのお三方の中では唯一憲法が生まれたときに日本に暮らしていた方ですけれども、一九四六年から七年にかけてこの憲法が生まれたときに、先ほど喜びを持って迎えたという簡単な特徴づけがありましたけれども、実際、どうでしたか。憲法が生まれたときにどういう気持ちでこれを読んだのか、あるいは、受けた感じといいますか、そのあたりを少し教えていただけませんか。

森公述人 終戦の翌年の十一月三日ですか、公布をされた。しかし、その瞬間は余り喜びはなかったんです、正直言って。

 そして、実は、その翌年の二・一ストがあって、それがマッカーサーの命令で中止をされた。この悔しさたるや、戦争が終わったのにまだ私たちは思い切ったことができないのかな、これが敗戦かなというふうに、がっくりいくんですね。ところが、そうこうしているうちに文部省が夏休みの段階で「あたらしい憲法のはなし」というのを発行して、二学期に入って私の妹などがこれの学習を始めた。それで読ませてもらったら、本当にわかりやすいんですよ。それで、帝国憲法なんというものは、「朕惟フニ」のぐあいで、こういうふうに押しつけられた。一つ一つ解明をされるという教育はされていませんでしたので、本当にこれは喜びでした。

 それで、一つ一つ生きていく方向というのがこの条文の中から伝わってくるんですよ。先ほど私は、憲法九条、潔いと言いましたけれども、本当にあの瞬間、気分がぴったりいきまして、本当にこれは、おれも戦争責任を負わなきゃいけないけれども、これからやることはこれこれだというのを実感したんです。

    〔枝野会長代理退席、会長着席〕

山口(富)委員 きょうは、森公述人、お隣のお二人の方が若い立場から憲法の大事なところをお話しなさったんですけれども、年金者組合ということで、当然高齢者の皆さんとの日常の触れ合いが多いと思うんですが、高齢者の皆さんとの関係での憲法の議論と、それから、きょうお隣の青龍公述人を初めとした若い皆さんとの憲法とのかかわりと、何か感じた点はありましたか。

森公述人 若い人たち、私が新しい憲法を勉強しよう、読もうというふうになったその状況、それを今改めて、文科省ですか、そうしたところから強く普及をする努力をしてもらいたいなと思うし、それから、その学習の中で、本当にここまで到達したというふうなことを実感としてつかんでほしいな、そういうふうに、要するに、政治を背負っている世代が、本当に若い人たちにそういう心がけで向かってほしいなというふうに思ったことが一つです。

 それから、年金者組合の中では、こんな立派な憲法を持っていながら、そしてまた、おれたちがこれだけ活動し、運動していながら、なかなかそういうふうにならない部分について、焦りを感じるな、生きているうちに平和のことを訴えたいというのが年金者組合の思いです。

中山会長 時間が来ておりますので。

山口(富)委員 まだ紙が来ていないんですが――来ましたか。

 では、最後に一つ、せっかくですから若いお二人の方から、今、森公述人からそういう感想がありましたけれども、簡単に、森公述人のお話を聞いて、感想があればそれぞれお話しください。

山田公述人 確かになかなか、我々自身に普通には年配の方とお話しする機会がないので、今後は世代を超えて議論し合う、そういったことが必要ではないかと思います。

 以上です。

青龍公述人 私も、今の森公述人のお話を聞いて、すごく私たち若い世代に願いが託されているなと思って感動しました。

 これから憲法九条とかを生かして頑張っていきたいと思いました。

山口(富)委員 ありがとうございました。

中山会長 次に、土井たか子君。

土井委員 きょうは、お忙しい中、お三方においでいただいて、聞いておりまして非常に感銘を受ける御発言を、私は肝に銘じなきゃいかぬなというふうに思っております。森さんとは、私、全く同時代を生きてきましたから、だから共感を非常に持つんです。

 お三方に率直な御意見を、まず最初に、ぜひ聞かせていただきたいのは、あと、私は持ち時間十五分ですから、我慢してください。公述人としてこの憲法調査会にいらっしゃるまでに、衆議院の憲法調査会というのを外からごらんになっていてお感じになることが恐らくおありになったと思うんですね、印象を持っていらっしゃったと思うんですよ。いざ、きょうは現場にいらっしゃってお感じになったことは、国会の外から見ておられたことと一緒、ばっちりだったか、また大変違っていたというふうに今お感じになっていらっしゃるのか。そこを率直に聞かせていただきたいんです。

 ただ、一つだけ申し上げると、途中で大分、みんなそれぞれ多用なものですから、席が減りまして、定足数ぎりぎりで私も冷や冷やしたんですが、私は、僣越ながら、お三方に本当にその辺は申しわけないなという気持ちでいっぱいなことをお伝えした上で、聞かせてください。どうぞ。

山田公述人 しばしば今までの議事録等を見させていただいているんですけれども、いろいろ勉強することが多かったというのがまず見てのことなんです。ただ、実際こういうふうに来させていただく機会を与えていただいて、実際皆様の御意見を聞くことによって、さらに、ああ、憲法調査会はこういったことをやっているんだなとか、そういった一般的な感想ですけれども、またもっと憲法について考えてみようというように気持ちを新たにした次第です。

 以上です。

青龍公述人 公述人に選ばれるまでは、憲法調査会というのがあるのは知っていたんですけれども、どういうことが議論されていて、公聴会もどういうふうにやっているのかというのは余りよくわからなくて、イメージも抱けなかったんですけれども、衆議院からいろいろな資料が届いて、議事録とかを見ていると、すごく厳しい質問がいっぱいされていてどうしようという感じで不安だったんですけれども、来てみると、意外と和やかにやられているんだなと思って、すごく私たちの意見を聞いてくれてありがたいと思いました。

森公述人 大変今でも緊張しています。

 出席の状況について、この前の公述人の暉峻先生が冒頭に発言したのを思い起こしているんですけれども。

 しかし、やはり具体的な論議といいますか、やりとりになって、わかりやすい中身だったなというふうに思っています。

 したがって、期待するのは、そのわかりやすさをぜひ全国に報道していただきたいなと。今まで新聞報道の枠組みで、憲法調査会、名前がかたいですから、非常に肩が凝る思いで報道を読んでいたんですけれども、報道が何か、何かを突っつくような、先ほど最初の先生が御質問になったような新聞記事の報道の仕方ですので、あれは役に立たないんですよね。ぜひその辺のところは、きょう私が実際に参加した、述べさせていただいたこの雰囲気とは違いますので、そこのところをしっかりとお願いをしたいなというのが感想です。

中山会長 会長として申し上げておきますが、きょうまでも、院の調査会の討論はすべて議事録にとどめおきまして、ホームページで、全部インターネットでおわかりいただけるようにいたしておりますので、これも和文と英文と両方やっております。そういうことで御理解をいただきたいと思います。

土井委員 山田さんに一問聞かせていただきたいんです。そして、あとお二方には同じことについて聞かせていただきたいんですね。

 山田さんは、きょうは新しい人権という問題について指摘をされたんですね。それで、確かに、日本国憲法ができたときには意識されていなかった、例えばプライバシー権、環境権というふうなことが昨今非常に取りざたされておりまして、条文にこれを具体化すべきであるという意見もあちらこちらから聞こえてくるわけなんです。

 ただ、これは、私が思いますのに、憲法の条文に明文化したからそれは実現できるというふうに考えたら、違うんですよね。幾ら条文に明文化されておりましても、そのことを具体的に現実のものにする努力をしないことには実現しないわけでしょう。

 だから、その点は山田さんが、権利として認めるのでは、憲法十三条の解釈によってやるのが不十分だというふうにここに書いてあるんですね。不十分だとおっしゃるのは、これは恐らく憲法に明文化しなさいという意味で、それを明文化されない限りは権利としては明確に保障されたことにならないという意味でおっしゃっているのではないかと私は思うんですが、間違っていたら指摘してください。

 ただ、私は、今の現行憲法の中で取り上げてこのことを生かしていこうとしたら十分可能だと思っているんです、憲法自身を変えなくても。むしろ変えるべきは、こういう人権尊重ということを徹底して、これは立法もそうです、裁判もそうです、行政もそうです。努力をしていかなきゃならないという姿勢をもっと強く持つべきだというふうに私は思うんですよね。だから、現在の憲法を変えなければできないとは思いません。

 最近はその辺に非常にこだわって、焦点がそこにあるんじゃない、むしろ九条に焦点があるんだけれども、いや、プライバシー権、結構ですよ、環境権、結構ですよと。それは、権利として憲法で明文化していくということに手をかしましょう、協力しましょうという声というのも一面あるわけですから、その点は私は要注意と思いながら今申し上げているわけで、今の現行憲法のままで、憲法十三条から考えれば十分、おっしゃっている新しい人権というのも取り上げて問題にできる。そして、それを立法すればいいんです、法律で具体的に。保障ということがどうしても法制度として必要だということになれば。いかがですか。

山田公述人 私、別に改憲論者でもありませんで、冒頭の方で申し上げたとおり、仮に改憲ということになるならば、こういった点はどうだ、こういった点はどうかということを申し上げた次第で、おっしゃられているとおり、法律でそういったものを定めてそれでうまくいくというのが私自身もそれは一番だ、それはもう思うところです。

 以上です。

土井委員 ありがとうございました。

 あと、お二方に。

 今、この憲法調査会というのがなぜつくられたかということをよくいろんな方に聞いてみますと、憲法を変える必要があるからでしょうとおっしゃる方が多いんですが、ここは改憲の場所でないんです、御存じのとおり。私は、憲法を変えなければならないというときはこういう状況のときではないと思っているんですね。むしろ、国民の皆さんが、どうしても憲法を変えるということが必要だというふうなことを意識されていて、具体的にそういうことに対して非常に熱のこもった状況が動いているということだろうと私は思うんだけれども、そういう状況にただいまのところは見渡す限りなっておりません。国会と大分乖離しているということが思われるんですね。

 つまり、国会の外にいらっしゃる方々は、国会の方をごらんになって、もっと憲法を大事にしてほしい、憲法を誠実に実施してほしいという思いでいらっしゃる方が非常に多いと思うんです。わけても、憲法第九条なんというのは典型的だと私は思うんですね。あの戦争の中をかいくぐって私は生き残って、それで大きくなったものですから。したがって、そういうことからすると、この第九条というのは、涙の出るぐらいの思いで公布されたときには受けとめましたし、施行されるときに当たって、これからしっかり頑張らなきゃという思いというのは、私の青春時代の思い出ですよ、それ自身が本当に。

 だから、そういうことからすると、まず憲法に対しては、九十九条の条文、きょうもおっしゃったけれども、尊重擁護するという義務がしっかり政治の場所にいる人たちにはあるわけですからね。それがまず大事で、そうでないと、変えると言ったって、いい方向に変えることができない。本当に変えようというときには、悪い方向に変えられたら、これは私たちの望むところではないとおっしゃる方が恐らく圧倒的多数だと思いますね。

 だから、そうなると、今の状況下では、それは変える時期でない、むしろ、まずは憲法を尊重擁護するということをやるべきときだ。そして、憲法については、やはりしっかりこの憲法を大事にしてこそ、もっとよい憲法を考えることができると私は思っているんですが、それに対して、お二方の御見解をひとつ聞かせていただきたい。

青龍公述人 おっしゃるとおりだと思います。そうですね。

森公述人 私も全く同感です。憲法を変える条件といいますか、一つ一つ現行憲法の到達点を見ていくと、変えるという部分が見当たらないんですよ。要するに、実現をしなければならない、多くの皆さんが思っているし、そこに向かってお互いに努力しようよというのが私どもの仲間の、みんなの気持ちなものですから、変えるという点では同意しかねるし、むしろ現行憲法を守って発展させるという思いでいっぱいです。

 以上です。

土井委員 ありがとうございました。

 先ほど申し上げたとおり、森さんとは同時代を生きてきたわけですから、おっしゃることに対して理屈以前の共感というのを非常に強く持ちます。それと同時に、理屈に対しても同じような思いだなというふうに私はきょうは本当に痛感いたしました。

 そして、若いお二方というのは、若い人からこういう意見を聞くということになると、私はやはり希望がわいてきますね。ありがとう。本当にありがとうございました。

 終わります。

中山会長 これにて公述人に対する質疑は終了いたしました。

 この際、一言ごあいさつを申し上げます。

 公述人の皆様におかれましては、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただき、ありがとうございました。憲法調査会を代表して、心から御礼を申し上げます。(拍手)

 これにて公聴会は散会いたします。

    午後四時五十五分散会


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