衆議院

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第5号 平成17年6月30日(木曜日)

会議録本文へ
平成十七年六月三十日(木曜日)

    午前十時開議

 出席合同会議員

   会長 与謝野 馨君

   会長代理 仙谷 由人君

   幹事 長勢 甚遠君 幹事 丹羽 雄哉君

   幹事 武見 敬三君 幹事 枝野 幸男君

   幹事 小川 敏夫君 幹事 坂口  力君

      伊吹 文明君    鴨下 一郎君

      鈴木 俊一君    田村 憲久君

      武部  勤君    森  英介君

      吉野 正芳君    阿部 正俊君

      田浦  直君    中島 眞人君

      岡田 克也君    中塚 一宏君

      古川 元久君    水島 広子君

      山井 和則君    横路 孝弘君

      朝日 俊弘君    峰崎 直樹君

      山本 孝史君    井上 義久君

      福島  豊君    冬柴 鐵三君

      遠山 清彦君    渡辺 孝男君

      佐々木憲昭君    吉川 春子君

      阿部 知子君    近藤 正道君

    …………………………………

   衆議院厚生労働委員会専門員            榊原 志俊君

   参議院常任委員会専門員  川邊  新君

    ―――――――――――――

合同会議員の異動

六月三十日

 辞任         補欠選任

  武部  勤君     吉野 正芳君

  津島 雄二君     田村 憲久君

  柳澤 伯夫君     森  英介君

  片山虎之助君     阿部 正俊君

  小宮山洋子君     水島 広子君

  五島 正規君     山井 和則君

  城島 正光君     岡田 克也君

  山口那津男君     渡辺 孝男君

  小池  晃君     吉川 春子君

同日

 辞任         補欠選任

  田村 憲久君     津島 雄二君

  森  英介君     柳澤 伯夫君

  吉野 正芳君     武部  勤君

  阿部 正俊君     片山虎之助君

  岡田 克也君     城島 正光君

  水島 広子君     小宮山洋子君

  山井 和則君     五島 正規君

  渡辺 孝男君     山口那津男君

  吉川 春子君     小池  晃君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 年金制度をはじめとする社会保障制度改革(公的年金制度の必要性)について


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     ――――◇―――――

与謝野会長 これより会議を開きます。

 年金制度をはじめとする社会保障制度改革について議論を進めます。

 本日は、公的年金制度の必要性について、各党からそれぞれ十分以内で発言していただいた後、議員間の自由討議を行います。

 それでは、初めに各党から発言していただきます。

 まず、鈴木俊一君。

鈴木議員 自民党の鈴木です。

 本日のテーマは、公的年金制度の必要性という大変基本的かつ大きなテーマでございますので、そもそも公的年金の意義とは何かということについて申し述べたいと思います。

 長寿化や人口構造の変化が進み、我が国の社会経済状況が大きく変化する中にあって、仮に公的年金がなかったとして、これにかわって国民が安心して老後を迎えることができる手段があるのかということについて考えてみたいと思います。

 第一に、本人の自助努力、例えば貯金や個人年金による場合はどうか。自分が何歳まで生きるかということや、自分が老後を迎える遠い将来の社会経済状況を予見することは難しく、これに個人で備えることは不可能と思います。

 我が国は既に世界一の長寿国になっておりますが、さらに、九十歳まで生きる方の割合は、男性で約二割、女性では約四割にも達しています。これでは幾ら貯金があっても足らないと思います。特に、引退後に収入を得る手段のないサラリーマンにとっては、自助努力のみで老後生活を賄うことは一層困難と言わざるを得ません。

 第二に、子や孫による私的扶養、例えば同居や仕送りによる場合はどうか。都市化が進み、同居率が低下し、子供の数も減っています。子供のいない高齢者の方々もたくさんいます。最近の内閣府の調査では、公的年金には依存しないで子供などによる私的扶養に頼ると答えた方は、六十代でも五%に満たない状況です。高齢者自身の意識も、家族に負担をかけたくないという方向に変化していると思われます。

 さらに、親が相当長生きするようになったので、その面倒を見る子供自身も高齢化をしています。例えば、九十歳の親を六十五歳の子が扶養する、あるいは孫が親と祖父母の両方を扶養するというケースを想像してみますと、恐らくそのようなことは期待できないと思います。こうして考えてみますと、子や孫による私的扶養だけではやはり無理があるという判断をせざるを得ません。

 また、職域や地域の支え合いによる場合も、職域や地域の助け合いという意識が希薄になる中、互助に全面的に頼ることはやはり限界があると言わざるを得ません。

 最後に、生活保護等の救貧施策による場合でありますが、生活保護は国民の最後のよりどころとも言うべきものです。受給に当たって、原則として貯蓄を持てない、資産を持てないといったさまざまな制約も伴いますから、自由な老後生活を送ることはできません。したがって、ほとんどの高齢者が生活保護を受けることを当然の前提とするような社会を構想することはできないと思います。

 以上、仮に公的年金制度がなかったとして、それにかわり得る手段があるかについて申し上げましたが、自助努力、私的扶養、地域や職域の互助、生活保護等、いずれもそれだけでは安心して老後を迎えることは困難です。したがって、みずからが老後に備えるという自立自助の精神に立脚しつつ、国民全員参加の社会保険という仕組みにより、年金の形で社会的扶養を行う公的年金の存在が必要と考えます。公的年金は、国庫負担や事業主負担があり、また、インフレ、バブル崩壊等の経済変動にも強い上、所得再分配の機能も持っていますから、私的年金に比べてはるかに有利で頼れる存在として、国民生活の中で大変有効に機能をいたしております。

 次に、年金制度を支える現役世代の立場から見た場合の公的年金の意義について申し上げたいと思います。

 現役世代、特に若い世代からは、保険料の負担ばかり押しつけられている、公的年金は頼りにならないといった声が聞こえてきますが、果たして本当にそうなのか。

 まず、現役世代にとって、公的年金は単なる負担なのではありません。公的年金があることによって、現役世代は、親の扶養の負担を心配せずにみずからの生活に専念できるといったメリットを享受しています。ともすれば保険料の負担ばかりに目が行って、この大きなメリットが忘れ去られているような感じがいたします。

 確かに、公的年金を頼りにしないという若い人々がふえていることも事実であります。その理由として、例えば、制度が複雑過ぎてよくわからないとの意見があると思います。この点は、これまでの経緯や現実を踏まえつつも、なるべくわかりやすい制度設計や運営に努めることが必要と思います。

 それから、不祥事が続くような政府が運営している制度は信用できないとの意見もあります。この点も、与党としては、社会保険庁をめぐるさまざまな問題にけじめをつけ、解体的な出直しを求めているところであります。

 さらに、賦課方式のもとで、若い世代ほど割を食っているとの意見があります。いわゆる損得論であります。全体として少子高齢化が進行する中では、世代間に一定の差が出ることは避けがたい面があることに理解を求めつつ、公的年金が私的年金に比べてはるかに有利で頼れるものであるという理解を広めていくことが必要だと思います。

 現在の年金受給世代は、公的年金が成熟する前に、自分の親をほとんど私的扶養で面倒を見てきた世代です。逆に、現在の若い世代は、年金受給世代が築き上げた豊かな社会を生まれてきたときから享受し、少子化の結果、教育や相続の面では逆に恵まれた世代とも言えます。若い世代が一方的に損をしているわけではないという認識を広めていくことが必要であると感じております。

 こうしたことを考えますと、いたずらに若い世代の不信感や不公平感をあおるような議論は、年金不信をさらに助長し、未納などの問題を一層深刻化させる方向に向かわせることを認識すべきです。そうではなく、若い世代に年金制度に対する広い視野を示していくことこそ政治の果たすべき役割だと思います。

 いずれにしても、公的年金は世代と世代の理解の上で相互に支え合って成り立つものでありますから、若い方々の理解を得ていくための改革は重要です。昨年の改正で保険料上限固定方式を導入し、際限なく負担が重くなるのではないかという不安を除去したのもその一環であると考えていただきたいと思います。

 最後に、企業あるいは経済の立場から見た場合の公的年金の意義について申し上げます。

 まず、企業には公的年金制度に対する社会的責任があるということです。企業は、我が国の社会を構成する一員として従業員の生活の安定のために責任を果たすべき立場にあり、公的年金制度への貢献もその重要な一つであるということを最初に申し上げたいと思います。

 次に、企業にとって経営上のメリットがあるということです。公的年金があることにより、従業員が、自身の老後や親の扶養のことを心配せず、安心して仕事に専念できます。また、企業組織の円滑な新陳代謝を図ることが可能となっています。

 三つ目に、消費活動を活性化しているということです。公的年金があることによって、高齢者の消費が支えられていることはもちろんでありますが、それだけではなく、地域経済あるいは国民経済全体における消費支出が支えられています。もし公的年金が頼りにならなければ、国民は一斉に貯蓄に向かってしまい、もらった賃金が消費に回らなくなってしまうおそれがあります。

 公的年金の保険料負担が企業や経済の活力を損なうといった議論がありますが、企業や経済にとって公的年金は単なる負担ではなく、必要不可欠なものであります。我が国の事業主負担は、欧米主要国の現状と比較して決して高いわけではありません。したがって、単に負担が軽い方がよいという一面的な負担逃れの議論に終始するのではなく、国民にとって頼りがいのある公的年金を将来にわたって持続できるよう、応分の負担に企業の理解を求めていくことが必要であると思います。

 昨年の改正で長期的な年金財政の安定を確立した今、与党として、今後とも被用者年金の一元化や年金サービスの向上に努めるなど、国民にとってわかりやすい制度運営を期し、国民の年金制度への信頼回復に努力していくつもりであります。

 次回以降、国民年金の位置づけなど本格的な議論に入っていくことになりますが、基礎年金は、全国民共通の世代間扶養の基盤を形成しています。この大切な基礎年金を、財政的にも運営の面でもいかにしっかりとしたものにしていくのか、また、その際どのような考え方をしていくのか、公平かつ現実的なのか、我が党として、さらに議論をしてまいりたいと思っております。

 以上であります。

与謝野会長 次に、岡田克也君。

岡田議員 それでは、私の方から、公的年金制度の必要性について申し上げたいと思います。

 まず、本題に入る前に、この場で、実質三回、きょうで四回目の議論が行われるわけであります。いろいろな議論が活発に行われていると承知をしておりますが、ただ、議論自身が余り進展をしていないということに対して懸念をしております。秋までに年金制度の抜本改革の骨格をつくるということが前提でありますので、その国民に対する約束を果たすべく、より真摯な努力が求められている、そのことを申し上げておきたいと思います。国会決議にもありますように、過去の経緯にとらわれずに、国民の期待にこたえるような議論をお互い実行していきたい、そういうふうに考えております。

 さて、公的年金制度がなぜ必要なのかという点について私の考えを述べたいと思います。

 今、鈴木さんが述べられたことについて、私はおおむね異論があるわけではありません。しかし、私なりの整理で少し申し上げたいと思います。

 まず、年金制度は、これは究極的には長生きのリスクというものに備える制度だというふうに思います。自己責任を徹底する立場に立ったとしても、しかし何歳まで生きるかということはだれにもわからないわけでありまして、極端な話をすれば、平均寿命以上生きた場合のリスク、ここについては、それを個人の責任でやれというのは非常に無理のある話ではないかというふうに思います。少なくとも、そこのところについて最低限の年金制度の意義がある。

 それに加えて、自己責任原則に基づいて、老後の生活についてみずからの資産形成によって賄うことが基本であるというふうには思いますが、非常に長期間の問題でありますから、その間の経済的な変動というのは予測しがたいことでありまして、そういったことに対する備えということも非常に重要なことだと思います。

 そういった観点での年金制度の必要性ということは、多くの国民の合意が得られるものではないかというふうに考えております。

 さて、先ほどの鈴木さんの話にも出ましたが、若い人の年金に対する不満といいますか、自分で備えた方がいいという話がございます。これは本当にそう思っているのかどうかということについて、一つは今の世代間の公平さというものが保たれていないことに対する不満感のあらわれ、それから政府のやることは信用できないという政府に対する不信感のあらわれ、むしろそういったものが先ほど申し上げたような発言になってきているのではないかと思います。

 しかし、冷静に考えれば、先ほど言いましたような長生きのリスクあるいは経済的な大きな変動、そういったことに対して、みずからそれに備えて対処していくというのは、若いときに大きな資産形成をした、することが可能であったごく一部の人を除いてはやはりあり得ないことで、そういう意味で、年金制度の必要性ということは強調しなければならないというふうに思っております。

 そこで、年金制度が必要であるという前提に立って、それが公的でなければならないかどうかという議論があると思います。私は、公的年金制度が必要であるという立場にもちろん立っておりますが、大きく言って二つの根拠があるのではないかと思っております。

 その第一は、先ほど言ったような経済変動などのリスク、しかも長期間のリスクでありますから、そういうものは民間だけで賄うことに本来無理があるということであります。四十年間保険料を積み立てて二十年以上にわたって給付を受ける、そういった長期間の間に何が起こるかということはだれも予想し得ないことであって、民間がそのリスクをすべて背負って制度を運営していくということには本来的な無理があるというふうに考えております。

 それから第二に、民間の年金制度ということになりますと、皆年金という前提が崩れるわけであります。これから高齢者人口はさらにふえていくわけで、二〇四五年には人口の三五%が高齢者であるということが予想されておりますが、この高齢者の生活の安定ということは、国にとって重要な責務であります。単なる自己責任の問題では論じられないところがあると思います。同時に、そういった高齢者が生活の安定を保障されているということは、社会的な安定の基盤でもあります。そういう意味でも、国においてきちんと対応すべき問題であるというふうに考えております。

 ただ、公的年金を考える際に、私は、重要なポイントが二つあるというふうに考えております。

 一つは、皆年金が必要だということであります。論理的には公的年金であっても皆年金でなくするということは可能でありますし、それから、現状は、皆年金の原則が崩れつつあるということであります。ここは何としてでも確保していかなければならない点だと思います。

 一部に、国民年金などを中心に、払わない人は受け取れないだけだからそれはそれでいいんだという議論がありますが、これはやはり公的年金制度の趣旨からいって、全くそれに合わないものでありまして、すべての人が年金を受け取ることができる、しかもそれが意味のあるだけの金額を受け取ることができる、そういった、無年金者や低年金者が限りなくゼロに近い公的年金制度というものが必要であるというふうに考えております。

 それから二番目ですが、公的年金である以上、公平さの確保ということは非常に重要な点であります。そういう意味で、公的年金制度が幾つかに分かれているということ、そしてそれぞれの負担と受益の関係が異なるということは、公的年金制度に求められる公平性の確保という観点から問題があるというふうに考えております。

 そして、もう一つ公平性という観点でいうと、世代間の公平性であります。先ほど少し述べたところでありますが、もちろん損得勘定で年金制度は論ずるべきでない、それは先ほど鈴木さんが言われたとおりです。しかし、余りにも大きな世代間の負担と給付のギャップというものは、やはりこれは公的年金制度としてはあってはならないことで、そのギャップを埋めていく努力ということは、国として求められているところだというふうに考えております。

 そういう観点に立って現状を見ますと、幾つかの問題点が浮かび上がってまいります。

 まず、皆年金ということに関して言えば、今、これは非常に危機的状況になっているというふうに思っております。人口推計とか、年金に関する公的年金加入状況等調査を見ますと、現時点において既に二百六十万人が未加入になっているというふうに推計されます。そして、現在の未納者を加えますと、未納者が四百四十四万人ということですから、合計七百万人が、近い将来無年金者になる可能性がある。これは時間がたつにつれてふえていく可能性もあります。

 先ほど言いましたように、払わない人はもらわなければいいというのは、公的年金制度の根本に反するわけでありますから、この無年金者をどうするかということは非常に大きな課題であると思います。

 国民年金などを中心に徴収対策を強化するということで御努力はいただいております。しかし、所得はありながら今後も加入の意思はないという人もたくさんいらっしゃるわけで、公的年金加入状況等調査によっても、五二%が、今後も加入の意思はないと述べているということでありますと、幾ら徴収対策を講じたとしても、そこは変わらないということになると思います。

 あわせて、非常に低額の年金者もそれ以外にたくさんいらっしゃる、月額二万とか三万という方もたくさんいらっしゃるということであります。

 そこで、生活保護との関係を一言申し上げたいと思いますが、私は、生活保護というのは、現役世代の生活保護と高齢者の生活保護というのは少し違うのではないかというふうに思っています。現役世代というのは、やがて所得を得る、それまでの一時避難的な制度というふうに考えることもできると思います。高齢者の場合には、所得を得る手段がありませんから、基本的に最後まで生活保護で見ていくということになるわけで、制度の趣旨がかなり違う。

 そして、このままいきますと、高齢者の生活保護の受給者はどんどんふえるという状況にあります。その財政負担もかなりなものが予想をされます。一方で、若い人たちには、いや、年金の掛金は払わずに、将来は、最悪の場合、生活保護でいけばいいやという一種のモラルハザードもあります。そういったことを考えると、やはり生活保護について、年金との関係をもう一度再整理する必要があると思います。

 最後に、公平性について一言申し上げたいと思います。

 制度間の不公平が、違う制度が存在することによって残っているということは、先ほど申し上げたとおりであります。フリーターやパートなど非正規社員の増加、所得の格差の拡大、そういった中で、年金制度が一部の恵まれた人、つまり正規社員の人たちだけのための制度になりかねないということに非常に懸念をしております。そして、これは単に今の厚生年金制度の改革だけで対応できる問題なのかどうかという問題もあると思います。

 他方で、国民年金については、個人事業主は資産のある人という前提は変わってきております。しかも、国民年金の加入者の中で個人事業主の割合は低下をしております。そういうことを考えますと、公平性の観点、それから、先ほどの若者の問題もありますから、そういった点について真摯な議論、そして改革が求められる、そういうふうに考えております。

 以上です。

与謝野会長 次に、遠山清彦君。

遠山議員 公明党の遠山清彦でございます。

 本日は、公的年金制度の必要性が議題とされておりますが、公的年金制度の必要性そのものが与野党の間の争点になるとは、この場にいるだれも考えていないのではないかというふうに思います。先ほど、自民党、民主党両党から御発言がありましたけれども、公的年金制度の必要性自体については、私は、公明党の認識も基本的にこれらと同様であるというふうに思っております。

 すなわち、長寿社会における長い老後生活の安定を図るためには、個人の貯蓄や子や孫による私的な扶養では大きな限界があり、個人の自立自助の精神に立脚しつつ、社会全体で支え合う世代間扶養の公的年金制度が必要不可欠となっております。与党としては、まさにこのような公的年金制度の必要性を十分に認識し、国民共通の財産である公的年金制度を将来にわたって持続させていくことが何よりもまず重要な政治の責任であるとの確信に立って、昨年の年金制度改革に取り組み、これを実現させたところでございます。

 また、本日、ここで改めて公的年金制度の必要性に関する議論を行うことには、もう一つ大きな意義があると考えております。それは、公的年金が多くの国民にとっていかに必要不可欠で重要な制度であるか、その重みを改めて確認することを通じて、今後、一層責任ある議論を進めていくべきであることについて共通の認識が得られるのではないかということでございます。

 現在、既に三千万人を超える年金受給者が現に存在し、年金を日々の生活の重要な支えとしている事実を考えれば、いかなる制度改革を行うにせよ、このような方々の生活の安定を脅かしたり、不安に陥らせるようなことがあってはならないと思います。

 本日は、民主党から岡田代表に御出席をいただいておりますので、ぜひとも申し上げておきたいことがございます。

 我々は、公的年金制度の必要性はもちろんのこと、現行制度にさまざまな課題があり、それが年金制度に対する国民の不信を招いているということも十分に認識をしております。だからこそ、国民生活の安定を支える公的年金制度を守るため、与野党の垣根を越えて、現行制度の問題点を検証して、さらなる改革の方向性を見出すとともに、年金制度の将来像についても新たな改革の可能性について協議することが必要であるということでこのテーブルに着いております。

 このような協議の中で最も重要なことは、現状の問題点を殊さらに誇張し、耳に残りやすい言葉で国民の不安や不信感を一層あおるかのような発言を繰り返すことではなく、これらの問題点を国民の立場に立って解決するための具体案を協議し、提示することであろうかと思います。

 例えば、きょうは岡田代表、そのようにはおっしゃっておりませんでしたけれども、以前おっしゃっておりました、未納、未加入の増加によって国民年金は既に壊れているといった御発言がございます。深刻な未納、未加入問題があり、これを克服しなければならないことは政府・与党も認識をしております。他方、現状の未納、未加入によって年金制度が財政的に破綻することはないということは事実でありまして、その信頼の上に約三千万人の国民の方々が年金を毎月受給し、また約七千万人の国民の皆様が年金制度にきちんと加入をされているわけでございます。

 もちろん、これまでの年金にかかわる議論の経緯に詳しい専門家から見れば、先ほど私が引用した御発言は、制度本来の趣旨が失われているという御主張であろうことは推察はできます。しかしながら、国民の立場からすれば、公党である民主党の代表者が国民年金は壊れていると声高に叫んでしまえば、文字どおり国民年金は壊れており、保険料を納めても払い損になるに違いないと考える国民がふえる可能性がございます。こうしてますます国民の不信感が強まり、年金制度から離脱しようとする者がふえれば、それによって最も被害をこうむるのは、無年金、低年金に陥ってしまう国民自身であると思います。

 大事なことは、不信、不安をあおるのではなく、どうしたら年金を一元化したとしても起こり得る未納、未加入問題を解決できるかということについて議論することだというふうに思います。

 私は、未納、未加入者の中には、公的年金と私的年金との違い、公的年金のメリットというものをよく理解されずに保険料を納めていない方も多いと考えております。例えば、基礎年金の給付には国庫負担があることにより払った保険料を上回る給付を受けられるということや、障害を負った際や亡くなられた際には障害年金や遺族年金が給付されることなど、こうした公的年金制度のメリットについて正しい理解を深めていただくことも必要であると思います。

 先ほども触れたとおり、私どもはこの協議の場を、現行制度の諸問題について具体的に検証し、その解決の方途を真摯に追求するとともに、年金制度の将来像について新たな改革の可能性を探る場所としてまいりたいというふうに思っております。こうした基本姿勢からも、私たちは、民主党の御提案される年金一元化について議論することを妨げるつもりはなく、むしろ早急に具体的な検討に入る必要があると考えております。

 民主党の御提案は、現行制度を一たんリセットして、全く新しい制度を立ち上げるという考え方であります。ただ、この場合、一たんリセットという状況に踏み出してしまうと後戻りはできない以上、一つ、リセットした後の新しい制度が本当にすぐれており、かつ確実に実現できるかどうか、二つ、リセットするまでの過去の経緯と新しい制度との連携がしっかりと確保できるかどうかといった点についてあらかじめ入念な検証を行い、万全の準備を整えることが絶対に必要不可欠であると思います。

 残念ながら、現段階での民主党の御提案は、その制度設計や財源の詳細について不明確な点が多く、年金制度の基本である財政的な持続可能性についての検証もできない、イメージにとどまっております。ですので、まずはこの改革イメージの具体的な内容を明確にすることによって初めて、ただいま申し上げたような多面的な検証を行うことが可能となるのではないかと考えます。

 ところで、この点に関して、去る六月二十二日の衆議院決算行政委員会において、岡田代表は次のように発言をされております。引用させていただきます。

 まず国民年金を含めた一元化が可能かどうか、そのことの議論が先だと。それをきちんと見きわめた上で、もし可能ということになったときに、では手順としては共済と厚生年金を先に行うということもそれは選択肢ですよ。しかし、まず議論すべきは、国民年金を含めた一元化が可能かどうかのしっかりした議論なんですよ。

 引用を終わります。

 この岡田代表の御発言を伺う限り、現在の岡田代表のお考えは、我々の認識と基本的には異なっていないと思われます。まさしく国民年金を含めた一元化が可能かどうかをきちんと見きわめるためのしっかりとした議論が必要なのであり、そのためには、国民年金を含めた一元化を、現状における民主党の御提案のようなイメージの段階から進めて、その具体的な内容を明確にした上で、入念な検証を行うことが必要なのではないでしょうか。

 民主党の御提案を前提に申し上げてきましたけれども、一元化された年金制度という案を検証するという意味で申し上げれば、それのみにこだわる必要もないと思っております。スウェーデン方式をもとに議論するということでも構わないと思います。

 いずれにせよ、国民年金を含めた一元化について、具体的な内容を明確にした上で、その実現可能性を議論することを私は提案したいというふうに思います。これから、幹事会で御提示になった四つの論点を順に議論して終えるのを待つのではなく、本日の議論も踏まえまして、次回の国民年金の位置づけの議論の回からでも、可能ならばこうした議論に入るべきではないでしょうか。

 このことを幹事会の場で御検討いただきたいということをお願い申し上げ、私の冒頭発言を終わります。

与謝野会長 次に、佐々木憲昭君。

佐々木議員 日本共産党の佐々木憲昭でございます。

 国民皆年金がスタートして四十年になります。にもかかわらず、公的年金の必要性が若者を中心とする国民に疑われ、それをテーマとして国会で議論されている、こんな国はサミットの諸国を見てもないのではないかと思います。なぜ若者に公的年金への不信が出てくるのか。それは、制度改定のたびに支給開始年齢が先延ばしになることへの不安、保険料流用への怒りなど、さまざまな理由があると思います。しかし、最大の問題は、若者の生活や就労の実態と今の年金制度が余りにもかけ離れているところにあるのではないかと思います。

 今、若者が置かれている実態は、年金も払えないし、もらえないという深刻な状況であります。先ほど公明党から不信感をあおるなといった発言もありましたけれども、現状を正確に認識するということが議論の出発点であります。

 具体的な実態はどうか。パート、アルバイト、派遣労働者、それに働く意思のある失業者を合わせたいわゆるフリーターは、十五歳から三十四歳の世代で実に四百十七万人に上っております。その数は、団塊世代のサラリーマン約五百万人に匹敵する規模であります。これらの若者は厚生年金に加入できない状況にあります。

 民間の研究機関の一つでありますUFJ総研は、二〇〇四年、フリーターの賃金と年金について調査をしております。

 それによると、標準的な正社員の平均年収三百八十七万四千円、これに対して同年齢のパートタイム労働者の平均年収は百五万八千円にすぎません。約四分の一であります。ここから年間十六万円、二〇一七年以降は二十万円になりますけれども、それだけの国民年金保険料を二十五年間払い続けないと年金を受け取ることができない。

 年金を受け取る金額はどうか。フリーターは、月六万六千円の基礎年金のみであります。それも四十年間保険料を納付できた場合に限ります。二十五年ですと四万二千円です。納付期間が二十四年十一カ月までなら年金の受け取りはゼロになるわけであります。

 フリーターから正社員になれる人は少なく、若年フリーターが大量の中高年フリーターになり、その人たちが保険料を払えず、基礎年金さえ受け取れない高齢者になる、そういう危険性をこのUFJ総研のレポートは指摘をしているわけであります。

 この背景には、政府・与党がフリーターやニートの急増の原因を若者の意識の問題だというふうにとらえて、いわば若者自身に責任を転嫁してきたことに問題があったのではないか。その結果、ここまで深刻な事態となったわけです。

 内閣府国民生活白書も、フリーター急増が若者のライフスタイルや志向によるものではなく、主に企業側の要因であることを認めております。

 最近では財界の側も、若年層の雇用問題が深刻化した最も大きな原因の一つは、若年層に対する求人の不足、多くの企業が雇用調整を行ったことが若年層の雇用問題を深刻化させた可能性は否定できないと言わざるを得なくなっております。例えば、日本経団連、二〇〇五年経営労働政策委員会報告がそれであります。

 内閣府の若年無業者に関する調査では、求職活動、学校教育、職業訓練を受けていないいわゆるニートについて、求職活動をしていない理由、最も多いものは何かと聞いたところ、病気とけがだと指摘しております。

 NPO法人派遣労働ネットワークの調査によりますと、派遣労働者の契約期間は約七割が三カ月未満であります。ことし二月にフリーターの実態がNHKの番組で取り上げられました。それによりますと、請負労働者の雇用期間は半年であります。極めて短いんですね。こんな雇用形態が横行する中で、若者が二十五年以上保険料を払うという展望がなかなか持てないというのが実態であります。

 この合同会議に提出されました資料で見ましても、第一号未加入の理由のトップは、「保険料が高く、経済的に支払うのが困難」となっております。この合同会議に提出されました「「年金に関する一万人基礎調査」等に関連する既存の資料」、この二ページのところでありますが、これを見ますと、国民年金保険料の未納理由を見ましても、払えないというのが断トツのトップとなっておりまして、回答者の六四・五%を占めております。多くの若者が、公的年金を自分は払えないしもらえない制度とあきらめているのが実態ではないかと思うんです。

 こうした問題を解決するためにはどうすればいいか。大前提として、若者の雇用労働条件を抜本的に改善、向上させるということが当然必要であります。同時に、二十五年間保険料を払わないと年金はゼロ、基礎年金だけでは生活ができない、こういう事態をどう克服するかという点、つまり、膨大な無年金、低年金者を生み出す年金制度の仕組みそのものをもう一度見直すということが必要ではないかと思います。

 少なくとも、まず第一に、受給資格の取得期間をアメリカ、イギリス並みの十年程度に短縮する。さらに、抜本的な解決策として、他の先進諸国のように最低保障年金に踏み出すべきだと思います。そうしますと、現在フリーターを余儀なくされている人も、無年金になる心配はなくなるわけであります。また、保険料を払えば、その分最低保障分の上に給付が上乗せされる、したがって、年金によって老後の生活を安定させる見通しがその分開けていくわけであります。保険料を払おうというインセンティブもそこで働くようになります。

 揺りかごから墓場までという社会保障の基本理念確立に大きな役割を果たしたイギリスのビバリッジ報告、これは一九四二年のものでありますけれども、社会保険による所得保障について、加入者から保険料を取る以上、最低生活、ナショナルミニマム以上の所得を保障すると主張をいたしました。そうでなければ、保険料を納め続けていこうという国民のインセンティブが働かない、結果的に制度が崩壊するというふうに考えていたわけであります。今まさに日本が陥りつつあるのは、このような状況ではないだろうか。

 これまで政府・与党は、こうした最低保障年金制度をつくることに背を向けてまいりました。また、民主党案によりますと、無年金、低年金者をすべて救済するというのではなく、四十年後に最低保障年金を完成させるというものになっております。

 若者の中の、公的年金の必要性そのものを疑っているというこの現実を重く受けとめて、速やかに無年金、低年金者をなくす制度、そういう方向への改革を真剣に検討すべきだということを指摘しまして、発言にかえたいと思います。

与謝野会長 次に、近藤正道君。

近藤議員 社会民主党の近藤正道でございます。

 本日のテーマは公的年金制度の必要性ということでございます。

 今ほど、るる各党の代表の皆さんからお話がございました。基本的に、私どもも公的年金制度の必要性について異論はございません。おおむね同感できる点、多々多いわけでございまして、その充実こそ今行わなければならない、そういう立場に立っております。そういう意味で、この必要性を強調するためにも、改めて現在の公的年金制度の危機的な状況をもう一回確認することが必要ではないか、私はそういう立場で申し上げさせていただきたいというふうに思っています。

 「年金をはじめとする社会保障制度に対する国民の不安・不信は根強いものがある。この事態をわが国社会の将来を左右する重大なことと受け止め、国民の信頼と安心を確保するための改革を実現することが政治の責任である。」こううたいまして、衆参両院の決議を受け、この合同会議はスタートいたしました。

 この間、私どもの阿部知子議員が、私どもの基本的な考え、年金の一元化、暮らし保障年金とその財源、そして社会保障税、こういう考え方をベースに私どもの改革案、このことによって年金制度をより充実させると、私どもの考え方を提起させていただきました。

 その上で、私どもは、年金制度の不安、不信を解くためには、まず年金制度の現状について共通の認識を持つことが必要である。そのためには、まず国民年金の空洞化の問題、ここにしっかり向き合う。そのことを通じて年金制度の必要性、もう一度、今の時点、時代でどうあるべきなのかということを考えるべきだ、こういう提起をさせてもらったつもりでございます。そのことを通じて、公的年金を不安と不信から安心と信頼の制度に改革していく道筋が見えてくるのではないか、こういうふうに思っているからでございます。

 改めて申し上げますけれども、年金の空洞化は極めて深刻でありまして、もはや一刻の猶予もなりません。今回の合同会議に提出されました資料にも明らかなとおり、平成十六年度、国民年金の納付率は、社会保険庁が一生懸命頑張ったにもかかわらず目標値を二%も下回り六三・六%、こういう状況でございます。しかし、全額免除者や学生免除者はこの中には入っていない。これらの者を分母に加えるならば納付率はさらに一〇ポイント下がるわけでありまして、実際の納付率は約五三%になるわけであります。国民年金は実質およそ半分の人しか納付していない、その必要性をだれもが認める中で、これが現状でございます。

 しかも、年代別に見ますと若い人の納付率は極めて低い。二十歳から二十四歳は実質三八・六%、二十五歳から二十九歳で実質四〇・二八%、四十歳代になって初めて納付率が実質五〇%、つまり、この年代に来て初めて納付率はやっと平均を上回る、こういう状況でございます。

 賦課方式というものは信頼がなければ成り立たない制度であります。一・二八の出生率、瞬間最大風速かどうかわかりませんけれども、二年連続して国の予想を下回りました。少子化が急速に進行する中で、公的年金に対する信頼は、今ほど来お話がありましたけれども、若い人を中心に大きく失われておる。公的年金不要論の声さえ聞かれているわけでございます。

 少子化が進む中で、年金制度は壊れている、崩れている。先ほども、壊れているか、崩れているか、壊れていないか、こういう議論がありましたけれども、常識的に考えれば壊れている、こういうふうに見るのが普通常識というものではないでしょうか。これは各種調査の結果からも符合しておりまして、このことから目をそらしてはならないんではないでしょうか。

 また、これも既に他の議員の皆さんからこの間指摘されたところでありますが、今や国民年金のモデルも完全に変質をしている。

 一定の資産を持って、定年のない自営業者の占める割合、国民年金の中で四分の一程度に落ち込んでおりまして、年収二百万以下の人たちが三割強。若者に至っては、厚生年金からはじき飛ばされた、平均月収七万とか八万とか十万とか、こういう人たちがパート、フリーターという非正規雇用の状態に置かれている。ニートや無職の人たちを含めますと、月額一万三千五百八十円の保険料を支払うこと自身が困難になってきている、これが現実でございます。

 しかも、こうした人たちの多くは、本来厚生年金の対象とされるべき人たちでありました。それが、厚生年金保険料の企業負担増にたえ切れず厚生年金を離脱する雇用主の対応とあわせて、保険料を免れたい、こういう思いでパート、フリーターとなった人たちでございます。実際、ここ数年の厚生年金加入者の若者の減少は極めて顕著でありまして、過去七年間で二百万人も減っている、こういう現実がございます。

 このように、空洞化は国民年金だけでなく厚生年金でも深刻な事態となっておる。これは年金財政にも深刻な影響を与え、低所得者の現状を考えれば、国民年金の定額保険料の不合理も浮き彫りになってきているわけでございます。あおるとかあおらないとかではなくて、真剣に事実と向き合っていかなければならないというふうに思っています。

 いずれにいたしましても、若者を中心に、四百万とも、あるいは計算によっては七百万人とも言われる膨大な年金未納、未加入者が存在していること、また、極めて低額な所得の人たちが存在しているということは、現在の年金の支え手を減少させているだけではなくて、間違いなくそれが将来の無年金の予備軍として形成されつつある、こういう深刻な事態を我々に突きつけております。これは、公的年金、国民年金の危機でございます。与党の皆さんもこの点を深刻に受けとめておられ、この会議でも、きょうもそうした発言もありました。しかし、そうはいっても与党の皆さんから示される対策は、結局のところ、徴収方法の強化、全額免除者をふやすという小手先のびほう策でしかありません。これでは空洞化はとめられない、歯どめもかけられないわけでございます。

 社会保険庁は二〇〇七年に国民年金納付率八〇%を目指すと言っておりますけれども、若者の納付率が五〇%、全く半分がそっぽを向いている状況の中で、この八〇%というものが絵そらごとであるということはだれの目にも明らかでございます。

 公的年金の命は国民皆年金であり、無年金者を出さないという点にあります。私たちは、国民年金という旗を高く掲げながら、その上で、その時代と社会に合った制度、仕組みを目指してきました。

 無年金者の存在は、この国民皆年金の理念を足元から掘り崩すことになっております。いわゆる学生無年金障害者訴訟におきまして、国は、国民皆年金とはすべての国民が加入できる年金制度の整備を意味するものであって、全国民に無条件で年金給付がなされることを意味しない、こういうふうに言いました。別のところで、無年金者とは保険料納付をサボっていた人だ、こういうふうに言っている政府高官もおります。実態を無視した、文字どおり冷たい官僚答弁としか言いようがありません。

 国は、この論理のもとでろくな対策もとらなかった。先ほど来、公的年金のメリット、必要性、その宣伝等の話もありましたけれども、こういうことをきちっとやっていれば、こういう無年金者の増大をあるところで抑制できたのではないか、こういうふうに思っています。単に制度を整えるだけでなく、現実に無年金者を出さない強い意思のもと、確実に無年金者を出させない施策をしっかり講じなければ、年金の必要性を議論しても意味がない。それが国民皆年金の実現であり、私たち政治に携わる者の責任ではないでしょうか。

 昨年の年金改正の結果、このままでいけば無年金者がさらに大量に出現するおそれがあります。第一義的に追求されるべきは、給付と負担のバランスに配慮することより国民皆年金の理念をしっかりと守ることであり、年金空洞化にストップをかけ、無年金者の発生を極力防止することだと思います。

 私どもは、公的年金の必要性を痛感し、国民皆年金の理念を重視し、無年金者を出さないために、すべての公的年金を一つの制度にして、最低保障部分、つまり基礎年金部分については社会保障方式から税方式へ転換する、こういう政策を打ち出しました。この際、全く新しい制度につくり直すべきと主張しております。それが年金の一元化であります。

 確かに、一元化については、新制度への移行をどのように行うかなど、さまざまな問題もあります。しかし、国の真の国民皆年金を今度こそ実現するためにも、一元化の方向をしっかりと打ち出す、それが今、深刻な空洞化の現実を前に、この国の政治に求められていることではないかというふうに思います。

 以上でございます。

与謝野会長 これにて各党からの発言は終わりました。

    ―――――――――――――

与謝野会長 引き続き、議員間の自由討議を行います。

 一回の発言は三分程度で、会長の指名に基づいて、所属会派と氏名を名乗ってから行ってください。

 なお、発言時間の経過については、三分経過時と、その後は一分経過ごとにブザーを鳴らしてお知らせいたします。

 それでは、御発言のある方は、お手元のネームプレートをお立てください。

阿部(正)議員 きょうは片山参議院幹事長の代理ということで、発言はちょっと控えようかなと思っていたんですけれども、改めて、公的年金制度の必要性ということでございますので、四十年間社会保障関係にかかわってきた者として、一言言わせていただきたいというふうに思います。

 二つ申し上げます。

 一つは、公的年金といいますのは、いわば国民連帯の象徴でございます。世代間扶養と言っておりますけれども、私は、世代間扶養というのは、動物として人類だけが果たしている機能だと思っています。ほかの動物では親の世代が子の世代を扶養するという姿は一般的でございますけれども、逆の、後世代が先世代を何らかの形で扶養するというような仕掛けを持っているのは人類だけでございます。それが文明発祥のときからずっと続いてきたんだと私は思います。過去において日本においても、戦前はどっちかというと家制度でありました。あれが世代間扶養の役目を果たしてきたというふうに私は思っています。

 現代における世代間扶養の一番の柱は何かというと、まさに公的年金ではないかというふうに思います。したがって、公的年金というのは、私は、全体の連帯の輪の中にあって、それを維持し、レベルはそれぞれ時代と地域によって違いはあると思いますけれども、高度に発達した経済社会の一つの道具立てとして公的年金は不可欠であるというふうに思っておりますし、それがなければ逆に世代間扶養が果たせないわけですから、いわば人類廃業だ、言い方はちょっと極端かもしれませんけれども、そんなふうに思います。

 そして、公的年金の大きな役目の一つは、私は終身年金だと思います。先ほど岡田代表が長生きのリスクという言い方をされましたけれども、私的年金と公的年金の最大の違いというのはそこでございます。終身年金だということでございます。

 一年間もらって亡くなった方も、二十年間生きた方も、片や二千万、片や二百万というようなことで、それでもいいという世界でございます。これは、世代間扶養を基礎とするいわば連帯の輪ということでしか実現できません。公的年金だけが年金なのでございまして、私的年金ということは私はあり得ないと思っています。むしろ年金ではないというふうに考えてもらった方がいいのではないかというふうに私は思います。

 それは、年単位の給付金としてどうするかというのが年金であるという意味じゃありませんので、そこはどうぞ御理解いただいた上で御論議いただければと思っております。

 それからもう一つは、国民連帯でございます。社会保障は、年金だけではなくていろいろございます。医療保険、介護保険等もございますので、そうしたものへの参加というのを国民の義務として、私は一つの保険証にしてもらいたい。セキュリティーナンバーと言ってもいいかもしれません。そういったふうな参加の輪に入ることが国民として一つの義務であり、それがあるからこそ将来の社会的なサービスもさまざま約束されてくるのではないか、こんなふうに思います。私は、それは早急に実現できる話ではないか、こんなふうに思いますので、そうしたことを前提にして未納の解消等々を模索するということが方向ではないか、こんなふうに思います。

 以上でございます。

古川議員 民主党の古川元久でございます。

 きょうは公的年金の必要性についてということで議論が行われておるわけでございまして、各党とも公的年金の必要性については一致をしている、そこでは最低限の共通の認識というのはあるんじゃないかと思うんですが、公的な機関、政府が年金制度を運用する意味というものは何なのかということをもう一度根本にさかのぼって考え直すことが必要なんじゃないかと思います。

 今、阿部議員の方から世代間扶養というお話がありましたけれども、これは、阿部議員よく御承知のように、今の公的年金制度は、積立方式で一番最初は始めたわけですね。それがいつの間にか修正積立方式のような形になって、今はもう賦課制度だという形になって、最初と説明が変わってきてしまっている。

 これは社会の情勢に伴ってそういうことが起きてきたんだろうと思いますが、当初、今でもかなり、最近では少し変わってきたかもしれませんけれども、つい最近までは、多くの国民の皆さん方が、今自分がもらっている年金は過去自分が積み立てたものを返してもらっているという意識を多くの方が持ってきた。そういう事実があったということも、我々は今現実として認識をしなきゃいけないんじゃないかと思うんです。

 そういう形でこれまでやってきたこと、そしてまた、今後の日本の社会、今迎えている大きな構造変革、それは議論がいろいろ出ておりますからあえて申し上げませんけれども、就労構造やあるいは雇用形態というものも大きく変わってきている、そしてまた家族形態も大きく変わってきている。そういう中で公的な形で年金制度を仕組むとしたらどういう制度がいいのかということをやはりゼロベースでまず考えることが必要じゃないかと思います。

 遠山議員の方からは、今年金をもらっている人たちに対する信頼を確保することが大事だという話がありました。もちろん、それは非常に大事です。ですから、今もらっている人たちに対する支払いをどうきちんと確保していくかという問題、それと、これからまだ保険料を何年も払わなきゃいけない、我々の世代はまだ二十年以上払わなきゃいけないわけです。もっと若い人たちは、これから年金制度に加入して保険料を払おうとする。そういう人たちの立場に立って、では、どういう制度であれば信頼をして保険料を払おうという気になるのか。

 今年金をもらっている人たちに対する支払いをどうやって確保するかということと、そして、これから保険料を払い込む人たちの立場に立って、どういう制度がいいのかということは、私は、これは議論として分けてきちんと考えるということはできるんじゃないか。それを一緒くたにすることが非常にまた問題をわかりにくくすることにもなっているんじゃないかと私は思います。

 この場においては、これまでの過去の経緯にとらわれずということで議論をしておるわけでありますけれども、もう少し過去の経緯のところの中で、お互いに批判するのではなくて、どこでどういうふうに、ある意味で、いつの間に積立方式だったのが賦課方式になっていったのか。あるいは、基礎年金をつくるというときに、実は、国民年金で財政的に厳しいところを厚生年金と一緒にすることによって、一階部分を一緒にするということによって財政的にこの両方を共有化させたことが問題を非常にわかりにくくさせている。また、厚生年金加入者の人たちにとってみると、自分たちが国民年金の未加入者とか未納者を支えているんじゃないか、そういう不信感を生んでいる、そういうところもあるんじゃないかと思います。

 そういう意味では、過去の制度改正、ここまで国民の不信を高めるに至った制度改正、どういう経緯で、どういうことだったのか、そこも含めて考えた上で、そして、未来の視点に立って未来の日本の社会を考えれば、こういう公的な仕組みの年金制度こそ国民が求めているものだ、そういうものをこの場で示すということが政治の役割じゃないかということを申し上げて、発言を終わりたいと思います。

    〔会長退席、仙谷会長代理着席〕

坂口議員 きょう岡田代表の話を聞きまして、今までの中では一番共通点の多い話だったと思います。非常に聞きやすい話だったというふうに思っております。

 九月までというお話を前回もされたと思いますし、きょうもまたされましたが、そんなにこれは日程的にはないんですね。六月も終わりでございますから、七、八、九と三カ月しかない。

 きょうも公的年金制度のそもそも論に入っているわけですが、こう決めていただきましたので私も了解いたしましたけれども、もうここのところは共通しているんだろうと私は思うんですよ、公的年金の必要性というものは。もう少し具体的にその先のところへ議論を進めていかなきゃいけないんだと思うんですが、そこのところの、政党間といいますよりも、それぞれの議員の皆さん方の思いに若干の違いがあるんじゃないかというふうに私は思います。そこをこれからもう少し具体的に進めるのならば進めていかないと、なかなか九月には間に合わぬですよということなんだろうと思うんです。だから、もしも九月という限定を切られるのならば、それまでのスケジュールというものを少しつくって、そして逆算して話を進めていかないと、なかなか終わりにならないという気がいたします。

 それからもう一つ、社民党の近藤さんの方から御発言ありまして、確かに若年者等問題があるわけであります。

 税制でというお話でありますが、保険料で取るか税でいただくか。私は、税金だったら安全かといえば、余りそう思っていないんです。これは私個人の意見ですけれども、保険料の方が安定していると私は思うんですね。(発言する者あり)いや、取りやすいという意味ではなくて、税というのはそのときそのときの経済状況によっても非常に変化しますから、私は保険料の方が安定しているというふうに思いますけれども、ここは議論しましょう、これから議論するところですから、こだわって言っているわけではありません。

 それで、税にしたらいいと。これは強制的に取るということですね。強制的に取るということですし、消費税で取るということになれば、それは国民の側の負担料がふえるということですから、そこのところは了解をして言っていただいているのかどうかということだろうと思うんです。

 ブザーが鳴りましたから、これだけにしておきます。

阿部(知)議員 社会民主党・市民連合の阿部知子です。坂口力先生の後に指名していただいてありがとうございます。

 今の坂口先生のお話を受けた形でなるべく話したいと思いますが、実は私も、坂口厚生労働大臣であったころ、同じ審議で年金を取り上げさせていただいたときに、大臣と私が期せずして一致した点がありました。前大臣はお忘れだったかもしれませんが、それは、国民年金の加入者増の分析において、今三十代が非常にふえておるという実態でございます。

 このデータについて、坂口前大臣は、これはちょっと深刻だなというふうにおっしゃっていただいたと思いますが、三十代と申しませば、これから四十年、フル、満額掛けても六万六千円。多くの三十代の方が、果たして今後、老後をそういう形できっちり暮らしていけるかということも含めて、今なぜ公的年金をもっと充実しなきゃいけないかというお話を私はさせていただこうと思います。

 私ども社民党が、国民年金の現実を踏まえて、その理念も含めて壊れているのではないか、確かに制度はあるのですが空洞化しているのではないかと申しますその大きな意味は、本来厚生年金受給に当たる方たちが多く国民年金に流れてきておる。保険料というものと税とどちらが損得かという言い方をすれば、一番安定的に分がよいのはこれまで厚生年金でございました。働く者が保険料を支え合って、共助の仕組みがしっかりとしておりました。しかし、そうしたところから多くの方が国民年金に、本来であればその制度設計の、昭和六十一年に国民皆年金をやっとこさつくったその制度設計の理念から大きく逸脱してきております。

 ちなみに数値だけ申させていただきますと、国民年金一号の被保険者のうち、現在、三十から三十九歳の方は一九・九%にふえております。ちなみに、これが平成五年では一五・九%。どんどんどんどんこの層が国民年金の一号になっておる。若い層ももちろん多うございます。若い世代は、二十歳代が三二・一%。そして、三十から三十九歳の方の国民年金の未納理由の第一が、先ほど共産党の方も御指摘でありますが、保険料が高くて払えない、六七・九%、六八・三%でございます。

 これだけ多くの方々が加入し、なおかつ収入が少なくて保険料が払えないという現実を見たときに、私どもは、今新たに、まず第一は、やはりパートの厚生年金加入問題、働き方が崩れてきている、その中でいかに私どもが社会的安定を図るかが第一でございます。そして、中長期的には一元化という、働き方の多様化に見合う年金制度を早急に確立していただきたいと思います。

    〔仙谷会長代理退席、会長着席〕

横路議員 一般的に、よく、高齢者というのは資産を持ってお金を持っているというイメージがあるわけですが、内容をよく見てみると必ずしもそうではありません。公的年金というのは高齢者世帯にとって大変大きな役割を果たしていまして、平成十六年の数字ですと、公的年金や恩給のみで生活をしている世帯が六一・二%占めているんですね。平成四年は四六%でした。毎年毎年、年金だけで生活している人のウエートというのは高まってきて、つまり、ほかで所得が稼げないようになってきているという意味で、今、平成十六年の数字ですと六一・二%、六割の高齢者の世帯が年金だけで生活をしているということでございまして、年金の持っているウエートというのは非常に大きなものが現実にあるんだというように思います。

 そして、その所得や資産を見てみますと、年収三百万以下の所得の人というのは六割超えていまして六二%、二百万以下の方が四三%ぐらいおられる。貯蓄の方でいきますと、貯蓄ゼロ世帯ということで一時議論されましたが、全体で、貯蓄を持っていない世帯というのは二二・九%。これは二〇〇四年の数字ですけれども、あるんですね。六十歳代の人はどうかというと、貯蓄ゼロ世帯が二〇・七%、七十歳以上で二二・三%。若者の二十歳代は三六%が貯金を持っていませんから、それに比べると持っていますが、しかし、それにしても、貯蓄ゼロ世帯が高齢者世帯で二割を占めている現状というのは、私どもしっかり直視していかなければいけないのではないか、このように思っております。

 正規社員として会社に勤めた人、厚生年金、それから公務員として働いた人たちというのはそれなりの、給付額を見ましても一定のものがあるわけですが、それ以外の人々、つまり、それは国民年金が対象としているところでございますが、やはりそこに年金制度の問題点があるというように思っております。

 国民年金制度の問題点は、一つは定額制であるということ、もう一つは、厚生年金、共済年金に比べて給付額が低い、この二つが大きな問題点です。

 先ほど来議論がありましたけれども、今、パート労働というのは全部の労働者の大体二五、六%を占めています。その二五、六%を占めているパート労働の月収は、半分以上の人が十万円以下なんですね。そうすると、例えば十万円で一万三千五百八十円というと一三・五八%の掛金になりまして、厚生年金は企業の負担もありますから、結局国民年金の方が負担率でいうと倍の負担をしているということになるわけです。ですから、厚生年金に入っていて、失業して、今度は奥さんと二人、国民年金に入らなきゃいけないというような負担増ということは、やはり大きな問題点になっています。これは一つどうしても直していかなければいけない点。

 もう一つは、給付金額が低いというのも、自営業者の人が多いから、自営業者は定年関係なしに働けるからということで給付金額が低いというような経過はございますが、これももっと生活実態に合わせて引き上げていくことが必要だろうと思います。

 この次に国民年金の議論をするということで、これはお願いなわけですが、私は冒頭に申し上げたんですが、一元化というときに、自営業者の所得把握が難しい、所得把握をするためには納税者番号制度を導入しなければいけない、それは難しい、したがってだめだという議論があったわけです。冒頭に私は、最近は自営業者の所得捕捉率というのは上がってきていますよというお話をしましたが、これは平成十五年の三月に内閣府の政策統括官のところで、「所得税における水平的公平性について」ということで調べた政策分析のディスカッションペーパーというのがあります。これを見ますと、一九九七年の段階で、自営業者の捕捉率は九四・七%、農業者の捕捉率も八一%ということで、トーゴーサンとかクロヨンと言われたのは、どうも一九七〇年代の分析に基づくものだということのようでございますので、国民年金を議論するときに、ぜひ国税、地方税の税の関係者を呼んで実態についてしっかり話を聞いて、皆さんが前提として誤解されているところがあるわけですから、それが解消されれば皆さん方もきっと年金の一元化に向かって同意をしていただけるものというように思います。

 それが最大の障害のように今までの議論の中でございましたので、その点を申し上げて、ちょっと長くなりましたが、発言を終わります。

伊吹議員 自民党の伊吹です。

 きょうは総論的なお話ですから、各党そんなに意見が違わないと思いますが、問題は、これをどう具体化していくか、具体化していく場合の実現可能性、そして今までの制度を混乱させないということ、これがやはり一番大切なところだと思います。

 古川さんが、前々回かな、働き方の態様が随分変わってきているということをおっしゃって、私もなるほどなと思って伺っておりました。だから、個人の年金番号で個人ごとに管理して、そして背中に今までの積み立てを背負わせながら動かすという制度は私はぜひつくらないといけないと思いますが、その背負うものが、単一の年金制度でなければいけないのか、今までのように分立したものでなければいけないのか、ここは非常に問題があると思うんですね。

 この前の与党の提案した年金改革というのは、私はこれで終わりのものだとは思っておりません。ありていに言えば、胃から出血しているのをとめて、これは坂口当時の大臣も否定はされないと思いますが、その後、いずれ抜本的な手術をしなければならない。その抜本的な手術をするやり方をどうするかということです。

 横路さんの今のお話の中で、私はもっともだなと思って伺っていたんですが、年金というのは既に一元化されておるんですね。共通の基礎年金というものがあって、厚生年金からも加入者一人当たり一万三千五百八十円をそこから拠出する、そして国民年金からも拠出する。厚生年金では、そこから上のものを二階建てとして処理している。

 古川さんは先ほど、これをごちゃごちゃにしちゃったのが大変な間違いだというお話がありましたが、私が初めて当選したとき、昭和六十一年の国会でこの改正が行われました。これは一九八六年ですね。私がそのとき非常に感銘を受けたのは、保険料に対して国民の税金を入れるためにはそれなりの仕組みをつくらないといけない。つまり、あらゆる人が同じように入れた年金の恩恵を受けるからというので、基礎年金制度というのをつくったわけです。

 それまでは、厚生年金に給付額の四分の一の税金が入っておりましたね。これは、大メーカー、大銀行の部長、重役の人の年金に、厚生年金に入れない自営業者の八百屋のおじさん、肉屋のおばさんの汗水垂らした所得税が四分の一入っていたということなんですよ。これはまずいというので、基礎年金というものをつくって、四分の一を三分の一にして、国民すべてに税金の投入額を均てんしたというのが今の制度なんですね。

 ですから、私はこの制度を大切にして、ぜひこれを魅力ある商品にする。つまり、横路さんの先ほどのお話ならば、これをもう少し手厚くして、そして三分の一は、いずれ二分の一になるといっているのを四分の三まで税を入れていく。ここの四分の三の部分に所得制限をかけるということになりますと、そんなに私は民主党の言っておられる案とは違わないと思うんだけれども。

 岡田さんに、この前、第一回目に党首として来られたときにここで話された中で、私、もう一つわからなかった。多分、もしそれがクリアできるのなら、私の言っている案とそんなに違わないなと思っているんですが、クリアできるかどうかという前提で伺いますと、最低保障年金の上に乗る部分、この部分の保険料を払わないと最低保障年金ももらえないのか。もらえないということになると、無年金者は相変わらず残ります。もし払わなくてももらえるというのであれば、最低保障年金は、先ほどまさに岡田さんがおっしゃった老齢生活保護費になるんですね。ここのところの関係をぜひ教えてもらいたいなと思っております。

冬柴議員 きょうは公的年金の必要性ということが大きな課題になっておりますが、少子高齢社会において、民法による私的扶養ということはほとんど期待できないということは万人の認めるところであって、その意味で公的年金制度が必要不可欠なものである。すなわち、少ない子供たちが長く生きる両親の生活を支え、療養介護することは不可能だということは、国民すべてが認めていることだろうと私は認識をいたしております。

 そういうことを前提とすれば、人は皆若くして元気なときにみずからの老後に備えなければならない、すなわち自立自助の精神をすべての人が持っていただく、これが必要になってくると思うわけであります。

 そのために、国家の政策としてどうこの自立自助の精神にインセンティブを与えるのか。若い人たちがこれに白けて、こういうものについて入らない、無年金あるいは未加入者というような人が出てくるということは、自立自助の精神についてもっと認識をしていただくための政策に努力をしなきゃならないということになるのではないかと思います。

 私は、現在三分の一ですけれども、これが二分の一、国民年金において公的な資金が投入されるということを前提とすれば、これほど有利な年金制度というものはないわけでありまして、どんな私的な保険会社がテレビコマーシャルで有利なことをうたったところで、我々のこの年金制度にまさる制度をつくることはできない、このようなことを思うときに、若い人たちにどう自立自助の精神の涵養を我々が政策的に求めていくかということが大事ではないかというふうに思います。

 その意味で、この現在の制度におきましても、障害者年金あるいは遺族年金というような、私的な会社ではつくることのできないすぐれた制度を持っているわけでありますから、そういうことも理解していただくような政策が必要であろう、私はそのように思います。公的年金の必要性は万人の認めるところであるということを結論的に申し上げたいと思います。

 話は変わりますが、私は、一言岡田代表に申し上げたいと思います。

 私は、今回が五回目だと思いますが、四回の出席をいたしております。一回は、六月六日には欠席をいたしました。これは月曜日でした。決まったのは恐らく木曜日か金曜日でした。私は、地元でどうしても仕事があって、こちらに出席ができませんでした。夜しか上京できませんでした。したがいまして、差しかえ要員をお願いして、委員長の許可をいただいて、その人にずっと座っていただいて出席をしたわけでありまして、私は、私がこの委員会に不熱心であるというそしりを受けるいわれは全くない。あなたは、調査もせずに、テレビの前で、私が不熱心であるかのごとくおっしゃったけれども、それはぜひ回復をしていただかなければならない、このように思います。

 私は、二回目のときですけれども、冒頭発言をまじめにいたしました。みずから筆をとり、推敲を重ねて、まじめにこの問題について取り組んだつもりでございます。よく読んでいただきたいと思います。

 以上、発言をいたします。

与謝野会長 今の点を私から申し上げておきますと、そのような非難がされたとしますと、委員の差しかえ自体というものが不可能になります。各党は、御出席以外の方にも、専門的な知識を持った方もたくさんおられるわけでございますから、委員の差しかえということは、必要な場合が生ずるということはやはりおわかりをいただかなければならないと思っております。

峰崎議員 いろいろたくさんお話を聞いているうちに、最初はやはり公的年金は必要ですよという話をしようと思ったら、もう大体そこらは合意できているなと思うんです。

 そこで、一つは、鈴木俊一先生が最初に出されたとき、聞いていて、本当に、世代間の公平というところで、人口がどんどんふえたり高度成長をやっているときは、ある意味では今の賦課方式というのが成り立つ。これが、人口減少社会になるとそれはなかなか成り立たないけれども、さっきおっしゃったとき、やむを得ないとおっしゃったわけです。

 実は、坂口先生、日本経済研究センターからこの三月に、昨年のいわゆる年金改革がどのような効果を持ったのかということを、推計値ですけれども出しているんです。その結果をずっと調べてみますと、これは年金だけに限っても、一九四〇年生まれの方とことし生まれた方との生涯におけるいわゆる格差は、この改正によってどのぐらい縮まったのか。改正前は七千百万円の差が六千二百万円と、九百万円、年金だけで実は少し縮まった。しかし、その差は余り縮小していないんですね。年金財政そのものは非常に好転しているけれども、そういう世代間の格差というのは非常に大きな格差が依然として残されている。その意味で、私は、この格差はやむを得ない格差とはなかなか言えないんじゃないかなと。

 そういう意味で、国民年金の問題を空洞化の問題を含めてやっていますが、厚生年金ももちろん空洞化しているけれども、そういう改革が余り効果を及ぼしていないのではないかなというふうに思っていますから、私は、その点はやはりきちんと世代間の公平ということを追求する必要があるなと。

 そこで、先ほど来のお話を聞いていて、税と保険料の関係なんですが、伊吹文明議員は税の専門家であるので、こんなことを言ったら笑われるかもしれませんが、少し発想を変えてみたらどうか。

 つまり、保険料というのは、一つは、厚生年金なんかの場合は、これは目的所得税じゃないか。つまり、保険ということに絞った所得税じゃないですか、目的税じゃないですか。あるいは国民年金でいえば、これは人頭税ですよ、月一万三千三百円、少し上がりましたけれども。それを目的消費税に変えたら、これは所得、消費、資産と課税対象がありますが、所得から消費へ、大きな間接税への流れを含めて、これを目的税にするということで、実はそこは、大変今まで難問だった問題がクリアできるんじゃないんだろうかというふうに思えてなりません。

 そういう意味では、先ほど四分の三まで税でいいじゃないかとおっしゃったんですが、私は、四分の三まで来たら四分の四まで来て当然だし、そのときにいわゆる消費税というものを目的消費税という形できちんと位置づければ、そこはいわゆる三号被保険者問題だとかさまざまな問題をかなりクリアできるんではないかなというふうに思えてならないわけであります。

 その意味で、先ほど生活保護の問題とも関連、出てまいりましたけれども、これは私の個人的な見解なのかもしれませんが、一般の税を使うのと目的消費税を使うのと分離して考える必要があるんじゃないか。

 つまり、一般の税を使うということは、これはやはりよほどのことがないと、つまり、例えば資産を持っていませんねとか、ミーンズテストが行われるわけでありますが、しかし、スウェーデンなんかでやられている場合にはミーンズテストがございません。そうすると、それは何かというと、我々がこれは年金にかけるんですよというふうに持っていったものをそのまま適用しているわけでありますから、そこは、私は、いわゆる誤解があるのではないかな、そこのところはよく厚生省から言われるんですが、そのように思っています。

 それで、先ほどの話を聞いて、厚生省と財務省の間で、厚生労働省が持っている権限というのは、年金保険料を上げることがどうか、税ということになると財務省の権限になる。私は、そこのところは、目的税ということをきちんと明確にしながら、余り目的税をつくることは賛成しませんけれども、その点はこの委員会の中でぜひ論議をしてみたい点だと思っております。

 以上です。

井上議員 きょうは公的年金が必要であるか否かというそもそも論で、今ごろこういうことをやらなければいけないのかなということを率直に思っておったわけですけれども、きょうは皆さんのそれぞれ御議論をお伺いしておりまして、大変大きな意義があったなということを実感いたしました。

 それは、公的年金が、岡田さんは長生きのリスクとおっしゃいましたけれども、私はリスクとは思っていませんけれども、長生きを前提にするということと、それから経済変動に対応していくということを考えますと、やはり公的年金は必要であるし、公的年金以外に老後の生活の柱になるものはない。ここは、そういう意味ではコンセンサスができているんじゃないかというふうに思います。

 それからもう一点、世代間扶養というのが基本的な考え方で、ということは、賦課方式が年金の基本であるということも、ちょっと共産党さんがおっしゃった、最低保障年金に納めた保険料に応じて上乗せをするとおっしゃった意味は、これは積立方式なのか賦課方式なのかちょっとわかりませんけれども、おおむね賦課方式であるということが恐らくコンセンサスとして合意ができているんじゃないかなというふうに思います。

 ということを考えますと、負担可能な水準と給付の水準のバランスをとらなければいけないわけですけれども、人口構成は時代によって変わっていくわけでございますから、ある世代にとっては負担が重くなる、ある世代にとっては負担が軽くなるということは、ある程度これは避けられない。ということを考えますと、どういう年金制度を仕組むにしても、やはり現役世代の人たちの年金に対する理解というものをあらゆる手段を通じてきちっとしていくということが、年金制度を安定させる大前提になるんじゃないかなというふうに思うわけでございます。

 そういう意味で、せっかくきょうこうした議論をやったわけでございますから、公的年金が必要であるということ、世代間扶養として賦課年金方式が基本的なコンセンサスであるということを確認して前に進むということが、私は、きょうやった一つの大きな意味じゃないかなということを思いますので、その点についてもぜひ御検討いただければありがたいな、このように思います。

与謝野会長 委員の方に申し上げますが、今札を立てている方以外御発言がなければ、今札を立てている方のみをこれから三十分以内に指名することにいたしますが、御希望があれば、今のうちに札を立ててください。

 それでは、二名の方が立てられましたので、八名の方に三十分以内でやっていただきますので、三分という時間は厳守していただきませんと全員が発言できませんので、そのように御承知おきをいただきたいと思います。

山本議員 公的年金制度を否定する人はここにはいないと思うんですが、問題は、公的年金の範囲と給付水準の問題だと思います。

 老齢年金に合わせて障害者の生活保障を年金で行うのかどうか。保険方式で行えば、無年金障害者が出ることは避けられないというふうに思います。二階部分をどうするか。民営化の主張もありますし、自営業者に二階が必要かどうかということもあります。任意加入の国民年金基金をどういうふうに位置づけるのかという問題だと思います。

 それから、水準の問題ですけれども、特に基礎年金の水準の問題だと思います。高齢者がすべて生活保護になっては困ると鈴木先生は最初におっしゃいましたけれども、しかしながら、一万六千九百円まで上がり続ける保険料、あるいは今回導入されました多段階免除制度を使いますと、低年金者が制度的に生み出される、貧しい人は一生貧しいままだということになってしまう。

 二十五年間の加入期間という問題もありますし、マクロ経済スライドが基礎年金にも適用されたという問題もあります。要は、無年金、低年金者が制度的に発生してくるという制度になっている。このことをもってして、やはりこの国民年金制度、基礎年金制度は機能不全に陥っていると言っても私は過言ではないというふうに思っております。

 問題は、年金の性格に対する共通の認識だと思います。積立方式でスタートしましたけれども、今は修正賦課方式になっている。そういうふうに考えますと、社会的扶養を行っているという言い方は、実は、税を使っているという言い方とほぼ等しいと私は思います。有利か不利かという言い方をするのは、これは社会保険の考え方に基づいた発想でして、こういう意味では、それぞれの立論の仕方が違うというふうに思います。

 見かけ上であれ何であれ、積み立てに依存している社会保険方式と賦課方式に基づいている税方式、この二つの考え方を年金制度の中でしっかり整理をするということが私は必要だと思います。

 坂口先生がおっしゃいました社会保険料の方が取りやすいという部分は、これは低年金者が出てもよいということを言っているのと私は同じだと思っております。要は、低年金になるのは個人の責任だと言うのかどうか、あるいは、国がどこまで責任を持つべきだ、国の責任はどこにあるのか、このことについての共通認識が私はやはり一番重要なんだと思っております。

 阿部先生がおっしゃいました社会保障制度番号、ソーシャルセキュリティーナンバーですが、私はやはり、基礎年金番号を活用しながら、こういった制度の整備をしていくことも大変重要だと思っていまして、早くやらなければいけないことは早くやっていこう。それは、今やっていかないと、数年先では間に合わないということがいっぱいありますので、そういう意味では、いろいろな御提案、賛成できる部分がありますから、そういうことの実現に向かって議論していくべきだと思います。

 繰り返しますけれども、公的年金の範囲はどこまでかということについての個々人の認識を一致させることが大変重要だと思います。

 以上です。

中塚議員 民主党の中塚です。

 きょうまで皆さんの議論を聞かせていただいて、きょうのテーマ、公的年金制度の必要性ということですけれども、冒頭、やはり与党の御発言の中で、昨年の改正が抜本的であったとか、あるいは、これで安定的に持続可能な年金制度になったというお話があったわけなんですが、確かに、現行の社会保険の年金方式というものを維持していくという意味では、昨年の改革によって、それはできたんだろうと思うんですね。

 というのは、人口動態とかあるいは雇用形態とか就労構造とか、そういったものを一切ネグって、保険料を上げ、年金の給付を下げるということであるならば、確かに、社会保険方式はずっと続けていく、現行制度をずっと続けていくということは可能だと思うんですよ。

 ところが、そういったことで果たして本当に、本来の年金の持っている意義といいますか意味といいますか、年金によって私たちの老後を含めた人生設計がちゃんと描けるのかどうなのかということについては、全くもって答えは出ていないんじゃないのか。だから、公的年金の必要性というのは、それは議論がないというふうにさっきからおっしゃるけれども、与党の皆さんのおっしゃる公的年金制度の必要性というのは、現行の保険制度、現行の年金制度を維持するということでしかないんだという感想を持ちました。

 その上で、改めて、特に基礎年金の、私どもは消費税の目的税化ということを言うわけなんですが、先ほど与党の委員から、税だと負担が大きくなるというお話もございました。でも、そもそも年金というのは、総給付額が確定してしまえば、あとは、その財源をどういうふうに調達するか。それは、いかに公平に調達をして透明に使うかということでしかないわけですから、公平というのは、もちろん働き方の問題とか家族の問題とか、いろいろな意味での公平というのを考えなきゃいけないんですけれども、保険自体がやはり特定財源的な性格を持っているんだと私は思います。

 皆年金ということは、要は保険料も皆で負担をするということなんですから、そういった意味で、消費税という選択肢を排除するということはあり得ないと思いますし、加えて、財政の問題についてなんですけれども、消費税方式と生活保護との関連ですが、平成十七年度の予算は、生活保護費が二兆円近くにも上っている。国の手取りの消費税が大体一兆八千億ですから、そういった意味で、消費税の一%分ぐらいは生活保護に使われている。将来無年金者が出た場合に、結局、生活保護で手当てをするということになってしまうと、私は、それこそ二〇一〇年代初頭のプライマリーバランス回復なんて夢のまた夢なんじゃないか、そういうふうにも思うわけです。

 そういった意味で、国民本位の年金制度を組み立てるということが、ひいては財政の健全化ということにもつながっていくのではないのか、私はそういうふうに感じております。

枝野議員 先ほどから、特に最初に鈴木先生が世代間のお話をされました。私も、その話は理屈の上ではもっともだと思うんですが、ここにいる人間みんな、二人を除いて、ほとんど四十歳以上です。今の若い世代の皆さんは、我々と明らかに時代認識が違っています。

 つまり、先輩世代よりも自分たちの世代の方がいい生活ができる、よりハッピーになるということを信じていれば、ある部分で負担が大きくなってもしようがないわねというようなことは成り立つんですが、明らかに、今の若い世代のかなりの部分は、自分たちは先輩世代よりも悪くなっていく中で生きていくのではないかという物すごく不安の中に置かれています。財政赤字が一番典型ですけれども。

 そうしたところの中で、あなたたちは、年金のところでは損をするけれども、トータルで考えれば得もあるんだからいいじゃないという話は、理屈の上では正しいと私も思うんですが、実は説得力を持っていないというのが若い世代の年金離れを生んでいる。この人たちに対して、年金を納めるということについて納得をさせないといけないということが大事なポイントなのではないかと思っています。

 そこで、保険料を納める側あるいは税で負担をする側の観点から公的年金制度の必要性を考えると、私は二つにちゃんと分けるべきだと思います。

 一つは、個人として考えたときは、最初、先ほど来ずっと出ていますとおり、長生きのリスク、平均寿命より長く生きちゃったときには自分で貯金をしていただけでは何ともならないということになるわけですし、それから経済状況、貨幣価値が変わったのに対応できないという意味で、このリスクを分散させる、これはいわゆる保険という概念で成り立ち得る話です。

 ただ、公的に年金制度を行うということのもう一つの意味は、やはり社会の安定。つまり、高齢者で仕事もなくて収入もないという人たちをうば捨て山に捨てることのできる社会ではありません。この人たちがちゃんと生きていけるようにするために、社会全体としてコストを負担しなきゃなりませんねと。

 そのときに、では、収入もなくて自分で用意していなかった人は全部生活保護でいいのかというと、これはこれで、みずから準備をしてきた立場からすればとても納得できないということになりますから、この個人としてのリスクの分散と社会としての安定がここで初めて結びついてくる。

 つまり、最低限のところは、個人のリスク分散としての年金制度をちゃんと自分で持って、そして将来の生活の最低限の安定をしてください、それでも足りない人たちがいる部分については税できちっと支えましょうよ、こういう話になっていくのが負担をする側からいって納得できる仕組みではないのか。特に、社会としての安定ということを考えたときには、やはり低所得者層がある程度自助努力的な、つまり保険方式、保険概念に基づく年金を持っているにもかかわらず、それでは少ないから何とかしましょうよという、補うという概念でなければ、備えてきた人、資産を持っている人、高所得の人からすればとても納得できない。

 ということになると、やはり問われるのは国民年金のところで、今未納、未加入が言われている人とかパート、アルバイトの人だということになっていくわけで、この部分のところを、きちっと最低限、一定程度の所得に比例した年金を持って、それがあるんだけれども足りないから税でやりましょう、こういう概念が要るんではないかということを申し上げたい。

 最後に一点だけ。先ほど来、税が入るから得だという議論がありましたが、これは私は違うと思います。つまり、納める方からすれば、保険料であれ税であれ、どうせ自分たちが将来負担するんでしょうというのはみんなわかっていますから、結局こんな制度はだめだよねという不信を受けているんだということを考えないといけないというふうに思っています。

 以上です。

水島議員 民主党の水島広子でございます。

 私もきょうの議論をまた伺っておりまして、ぜひ先輩の皆様にお願いを申し上げたいと思うんですけれども、まず、きょう、不安をあおる、あおらないという議論がございました。もちろん、それに対しては、私は現状を正しく認識するということが大前提として必要なことだと思うんですが、そこにさらに追加して、精神性について語るのであれば、ここで必要とされていることは、やはり協調の精神をいかにして引き出せるような議論ができるかということであると思います。

 年金については、私は、自立自助という言葉が先ほどございましたけれども、この世代間扶養の仕組みを見ますと、自立自助の仕組みというよりは協調の仕組みだと思っております。それについて、損得という言葉がきょうも出てきているわけですけれども、ぜひこれを世代間扶助の、本当に助け合いの制度としてきちんと持続していけるような議論が必要だと思います。

 今、年金について一般の方々とお話をしますと、大きく言うと、世代間の対立構造に持ち込まれていたり、また、特に第三号被保険者をめぐっては、本人たちが望まないレベルでの対立構造が続いてきたというような悲しい歴史がございます。そんな中で、いかに年金を、不毛な対立構造から、人々が本当に喜んで協調し合えるような枠組みとして提供できるかというところに政治の責任があると思っております。

 そのためには、まずは制度の信頼性と公平性を確保して安心を与えることによって、それぞれの人が喜んで、進んでお互いに助け合おうという気持ちを持てるような仕組みをぜひつくっていく必要があると思っております。そういう意味では、国民年金の現状を無視するわけには到底いかないというふうに思っております。

 既にもう議論になっておりますけれども、本来の概念からいって対象となるべきではないパート労働者の方たちなどが今ここに入っているわけであって、昨年の改正でも、坂口前大臣がきょういらっしゃっておりますが、政府としてはパート労働者の加入の拡大の必要性を認めながらも、実際のところは、経済界からの反発が強くて実現できなかったということでございます。実際に個々の事業主の方たちとお話ししても、これは大変難しい課題であることは私も感じておりますけれども、そうであれば、やはり年金の枠組みそのものを変えなければいけないと思っております。

 今のように制度を分立させている場合には、政策判断として制度を分立させるというときには、やはり当事者からのよほど強い希望がなければそのような制度はつくるべきではないと思いますし、今年金制度に関して必要とされているのは、分立ではなく普遍的な制度にすべきということを、当事者の方たちが今の国民年金制度を望んでいるわけではないということから考えましても、私は普遍的な制度へと変える必要があると思っております。

 なお、先ほど枝野議員の方から若い世代の話がありましたけれども、私、若い世代、特に議員という立場から言わせていただければ、今までの経緯の議論というのも大変勉強にはなってありがたいんですけれども、やはり一刻も早く民主党案を俎上にのせていただいて、現状に合った年金制度を議論していただきたいということを最後に一言お願い申し上げたいと思います。

佐々木議員 今までの議論をお聞きして、やはり公的年金制度の必要性ということについては、各党ともさまざまな角度から、これはもう当たり前のこととして議論されたと思います。

 例えば、先ほど私は若者の立場から申し上げましたけれども、高齢者の生活実態を見ましても、二〇〇二年度の国民生活基礎調査によりますと、高齢者世帯のうち、公的年金以外に収入がないという方が全世帯の五七%で、年収三百万円未満の世帯では七一%。先ほど横路議員も若干触れられましたけれども、やはり年金なしに生活できない、こういうのが実態であります。しかし、それが非常に低い、あるいは無年金の方が広範にいらっしゃる。したがって、そこをどう解決するかというのが課題であろうと思うんですね。

 我々は最低保障年金制度というもので底上げを図るという主張をしておりますが、そこで問題は、一体その財源をどうするのかということであります。

 先ほどから税か保険料かという話がありますが、例えば最低保障年金という主張を我々はしておりますが、それはやはり税である。しかし、その税を一体だれが負担するかが問題だと思うんです。今、消費税の増税ということを当たり前であるかのような議論が行われておりますけれども、我々は、それはおかしいんじゃないか、反対であると主張しております。

 なぜかといいますと、税制というのはさまざまな角度から検討しなきゃならない。例えば法人税、所得税あるいは消費税、この全体の税制の中で一体どのような仕組みが望ましいかということを議論しなければならない。以前に、坂口さんが大臣のころに税の議論をしたような記憶がありますが、その場合、なぜ消費税でなきゃならぬのかという話をしましたら、いや、消費税だけではなくて、法人税、所得税も含めて検討するんだ、こういうお話がありました。しかし、その後、政府の実際の検討を見ますと、法人税は下げられてきました。四二%の基本税率が三〇%、あるいは最高税率の引き下げがあった。しかし、消費税は引き上がったままで、さらにこれはふえていこうとしている。最近は、政府税調は、さまざまな給与・扶養控除を縮小する、あるいは定率減税については縮小廃止と。

 何でサラリーマンや庶民にそんなに負担を負わせなきゃならぬのか。これだけ収益の上がっている大企業の負担はなぜ軽減を続けなきゃならぬのか。高額所得者はずっと減税のままで、果たしてそれでいいのか。やはりこういう議論をしっかりやらないと、税全体の構造といいますか、そういう問題をやっていかなければならないのではないか。もちろん歳出の問題もあります。しかし、歳入の面での税のあり方というのは何も消費税だけじゃないんです。そういう点をはっきりさせなきゃならぬということを申し上げておきたいと思います。

岡田議員 まず最初に、先ほど坂口議員が、私が九月というふうに発言したというお話がありました。私は秋という趣旨で申し上げましたので、秋が十月なのか十一月なのか、いろいろ議論はあると思いますが、そこはそういうふうに申し上げておきたいと思います。

 さて、私は、この合同会議は国民が非常に期待している重要な会議だというふうに考えますが、今まで余り進展がなかったことは残念だと冒頭申し上げました。例えば、合同会議で議論すべきものとして、共済と厚生年金の一元化の具体論について議論すべきだとか、あるいは国民年金についてどうやって二分の一まで国庫負担を持っていくか、その議論をすべきだというような発言もあったと記憶しております。そういった議論がここに期待されているのではなくて、より大きな改革の議論が期待されている、そういうふうに私は理解をしております。

 きょうも公明党の遠山さんの方から、国民年金について壊れているという私の発言について、不安感をあおるものだというお話がありましたが、私は、この会議に求められているのは、年金制度について、現実から国民の目をそらしてしまう、そういうことではなくて、やはり政治家である我々がその問題の本質に切り込んで、そして、それを改革していくという姿勢をしっかり見せること、そのことを通じて、年金制度について、あるいは政治についてしっかりと信頼感を取り戻していくということが重要だというふうに思っています。

 きょうの議論全体をお聞きしまして、私は、おおむね前向きなものだったと思いますが、特に、与党側からの坂口議員と伊吹議員の御発言は、今までにない前向きなものがあったというふうに思って、大変評価をしております。

 ぜひ、よりよい年金制度をつくるためにどうしたらいいかという視点でこれからもしっかりとした議論を続けていく、その責任は我々にあるということを最後に申し上げておきたいと思います。

田村議員 今もお話をいろいろとお聞かせいただいておったわけでありますが、世代間の不公平という問題が出てまいりました。

 ただ、これは民主党案も、前回お話をお聞かせいただきますと完全積立方式ではないということがわかったわけでありまして、それぞれの個人勘定を金額をそのまま張りつけて積み立てていくわけではありませんから、当然のごとく、お金はバーチャルな世界で積み立ててある。人口構成が変わってくれば、将来的には、今約束してある給付金額、保険料、これをそのままフィックスしていこうと思いますと、どこかでまた税を入れるか何かしなきゃもたないという制度なのであろう。

 いずれにいたしましても、制度を変えるにしても何にいたしましても、以前の、今もらっている方々と同じような形にはなりませんから、やはり人口構成というものは、社会保障のあり方から考えれば、医療も、それから介護もそうでありましょう、世代間で不公平というものはやはりある程度生まれてきても仕方がない。これは人口の構成の変化でありますから、そこはある程度許容していただかなければならないのだろうと思います。

 それからもう一点、ニート、フリーター等々の問題が出てまいりました。厚生年金の適用拡大という問題で、例えばフリーターの方々それからパートの方々、これは一つ考え得る可能性があるのかな、このように思います。

 問題は、自営業者も含めて、未納者がいるという話が非常に大きくなっています。これは、民主党案、ぜひとも具体的な話を教えていただきたいのは、民主党案にいたしましても、例えば所得捕捉で、本当に納番で所得が捕捉できるかという問題はあると思います。納番を入れても完全には捕捉できないのだと思うんですが、捕捉できたとしても、源泉徴収ならば保険料を取れますけれども、そうじゃない限りはやはり取りに行かなきゃならない。そうなってきたときには、やはり未納者というものが出てくるわけでありまして、そこはいい方法があればまた教えていただければ。具体的な案がちょっとまだわからないものでありますから、そこのところを教えていただければありがたいと思います。

 最後に、税の問題が出ました。

 これは、民主党案と社民党案は多分違うんだと思います。民主党案は、お話しのとおり、保険料を払わなければ多分もらえない。それは免除になる方々はいるとは思いますけれども、保険料を払うだけの所得がある方が保険料を払わなければ最低保障年金をもらえないという話だと思います。

 社民党は、もらえるのかな、そういうふうな気がいたしております。そうなると、特に社民党案の場合は、先ほど峰崎先生が言われたミーンズテスト、これは弱い方々を国全体でどう支えるかと考えたときにどう割り切るかの部分だと思います。例えば、資産はたくさんある、しかし所得がなかったから納められなかった、もしくは、遺産相続でばっと資産が来た、こういうときに、こういう方々まで最低保障年金のような概念で国民全体がその方の給付を負担するべきなのであるか。ここは割り切りが必要な部分であろうと思いますので、これからいろいろな議論をさせていただく必要があるかな。

 我々自民党も、国民年金の金額自体が、特に満額もらっている方はまだぎりぎりかなと思っておりますが、そうじゃない方々、多段階免除者、特に、言われたとおり、これから給付金額が非常に抑えられてまいりますから、これと生活保護との関係。全くフリーライダーで生活保護をもらう方々と、免除があったにしても、ちゃんと保険料は納めていた、それで生活保護を受ける方々、これが全く違うという議論はたえられるのかなというような思いがございまして、これからその部分は大きな改革をしなきゃならぬな、こんなふうに思います。

福島議員 公明党の福島豊です。

 本日は、公的年金の必要性ということで議論が行われたわけでありますが、各党、この点については基本的に認識を一致することができたというふうに思います。

 公的年金というものは必要であるし、必要であればなおさらのこと、将来にわたってこれを維持していかなければいけないということなんだろうというふうに思います。

 国民の年金に対しての不信、不安、こういうものはさまざまなものによりますけれども、この国会という場でコンセンサスが得られたことについて、国民に明確に一つ一つ発信していく必要がある、公的年金制度は将来にわたって堅持されるものだ、こういうような確認をこの合同会議で行っていくことが必要だというふうに私は思っております。

 次に、二点目でありますが、先ほど水島先生から、民主党案を早く俎上に上げていただきたい、こういう話でありますが、私どもも賛成であります。

 ただ、俎上に上げるに当たりましては、伊吹先生から御指摘がありましたように、最低保障年金というのは高齢生活保護なのかどうなのか、こういう基本的な事柄について明確にしていただいた上で、この合同会議の場に明らかにしていただければ。

 それ以外にもたくさん指摘されたことはありますので、俎上に上げるということはそういうことを明確にすることが前提であるというふうに申し上げておきたいと思いますし、それは期待をしておりますので、次回までとは言いませんけれども、できるだけ早く示していただきたいというふうに思っております。

 一元化という話でありますけれども、現在の年金制度に、例えば国民年金の空洞化、問題があるということを否定するわけではありません。しかし、それは一元化ということによってしか解決できないかということになると、話は別であるというふうに思います。

 就労形態の多様化ということについて現行の厚生年金が十分対応できていない、これも事実であります。非正規労働者に対してどのような厚生年金の適用を行っていくのか、これがこの場でもコンセンサスが得られればいいのではないかというふうに私は思っております。そういうことによって、空洞化について、一方の側からこれはぐっと抑えていくことができる。

 そして、一方はやはり徴収なんです。そこのところは、先ほど御指摘ありましたけれども、社会保障番号、これはぜひコンセンサスを得るべきだというふうに私は思っておりますが、社会保険の一元的運用、医療、年金、また雇用も入っていいと思いますけれども、そういう姿というものを早く示して、こうした空洞化に歯どめをかけるということが必要だ。

 先ほど、崩壊と、事実を示すことが必要だという岡田代表の意見がありましたけれども、崩壊しているということではなくて、こういう危機をどう乗り越えるのか。公的年金が必要だ、こういう前提に立っているわけでありますから、そういう方向で発言をすることが政治家としては極めて大切ではないかというふうに私は思います。

 そしてまた、国民年金の額の問題とか保険料の問題があります。これは生活保護との関連で整理をしなければいけない点は多々あるというふうに思います。

 そういう具体的な事柄についてより議論が深められることを期待して、私の発言を終わります。

与謝野会長 それでは、時間も参りましたので、本日の自由討議は終了することにいたします。

 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。

    午前十一時五十八分散会


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