衆議院

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第8号 平成17年7月29日(金曜日)

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平成十七年七月二十九日(金曜日)

    午後一時十六分開議

 出席合同会議員

   会長 与謝野 馨君

   会長代理 仙谷 由人君

   幹事 長勢 甚遠君 幹事 丹羽 雄哉君

   幹事 柳澤 伯夫君 幹事 武見 敬三君

   幹事 枝野 幸男君 幹事 城島 正光君

   幹事 小川 敏夫君 幹事 坂口  力君

      伊吹 文明君    鴨下 一郎君

      田村 憲久君    武部  勤君

      津島 雄二君    森  英介君

      阿部 正俊君    国井 正幸君

      田浦  直君    小宮山洋子君

      中塚 一宏君    古川 元久君

      山井 和則君    横路 孝弘君

      朝日 俊弘君    峰崎 直樹君

      山本 孝史君    井上 義久君

      福島  豊君    冬柴 鐵三君

      遠山 清彦君    山口那津男君

      佐々木憲昭君    仁比 聡平君

      阿部 知子君    近藤 正道君

    …………………………………

   衆議院厚生労働委員会専門員            榊原 志俊君

   参議院常任委員会専門員  川邊  新君

    ―――――――――――――

合同会議員の異動

七月二十九日

 辞任         補欠選任

  鈴木 俊一君     森  英介君

  丹羽 雄哉君     田村 憲久君

  片山虎之助君     阿部 正俊君

  中島 眞人君     国井 正幸君

  五島 正規君     山井 和則君

  小池  晃君     仁比 聡平君

同日

 辞任         補欠選任

  田村 憲久君     丹羽 雄哉君

  森  英介君     鈴木 俊一君

  阿部 正俊君     片山虎之助君

  国井 正幸君     中島 眞人君

  山井 和則君     五島 正規君

  仁比 聡平君     小池  晃君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 年金制度をはじめとする社会保障制度改革(国民年金と生活保護の関係)について


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     ――――◇―――――

与謝野会長 これより会議を開きます。

 年金制度をはじめとする社会保障制度改革について議論を進めます。

 本日は、国民年金と生活保護の関係について、各党からそれぞれ十分以内で発言していただいた後、議員間の自由討議を行います。

 それでは、初めに各党から発言していただきます。

 まず、森英介君。

森議員 自由民主党の森英介でございます。

 前回に引き続きましての意見陳述で甚だ恐縮でございますけれども、本日のテーマの国民年金と生活保護の関係について申し上げたいと思います。

 まず、社会保障制度の体系における両者の基本的な性格と役割分担について申し上げます。

 生活保護制度は公的扶助の仕組みであり、貧困の事後救済、すなわち救貧施策の役割を担っています。つまり、現に貧しい状況にある人を事後的に救済し、最低限度の生活を保障する制度と言えます。

 一方、公的年金制度は社会保険の仕組みであって、貧困の事前予防、すなわち防貧施策の役割を担っています。ある程度収入がある現役期間中に、国民の共同連帯によって、老後に貧しくなることを予防する制度と言えます。

 各国の社会保障の歴史を振り返りますと、まず救貧施策が整備され、その後に、社会経済が発展する中で防貧施策が整備されるのが一般的のようでございます。我が国でも、昭和二十年代までに生活保護制度が整備され、高度成長期に入った昭和三十年代の半ばになって国民皆年金が達成されました。

 このような公的年金の一階部分である基礎年金と生活保護とは、国民生活の基本にかかわる社会保障給付としてその給付水準が比較されることがあります。

 現在の基礎年金の満額水準は月額約六・六万円、夫婦で約十三・二万円で、全国一律です。これに対して生活扶助の基準額には地域差があって、最も低い地域の六十五歳単身世帯で約六・三万円、六十五歳夫婦世帯で約九・五万円であり、最も高い地域の六十五歳単身世帯では約八・一万円、六十五歳夫婦世帯で約十二・二万円となっています。単身世帯では基礎年金の方が少し低くなる地域もありますが、全体的には、生活保護と比べて遜色のない水準になっています。

 ただ、制度の性格や役割が違いますので、おのずから給付水準の考え方も違いますし、受給に当たっての要件などが大きく異なっています。

 基礎年金は、現役時代に築いた生活基盤や老後の備えなどと合わせて、老後の自立した日常生活を下支えするものです。お金の使い道は受給者の自由な判断にゆだねられています。

 これに対して生活保護は、自立した生活に必要な生活基盤を全く持っていない人に対しても最低限度の生活水準を保障できるように給付水準が設定されています。ただし、その受給に当たっては、言うまでもなく、資力調査などさまざまな制約があります。

 例えば、年金制度では、年金の支給と貯蓄額は無関係であり、支給に当たって貯蓄額の調査が行われることはありませんが、生活保護は、原則として貯蓄を活用した後でないと給付は受けられず、受給に当たっても資力調査が行われます。

 また、年金制度では、年金の受給に当たって子供などに連絡や確認が行われることはありませんけれども、生活保護では、扶養義務がある人に対しては扶養照会が行われ、子供などによる扶養が優先されます。

 さらに、年金制度では、年金を受給することで資産の保有を制限されることはありませんが、生活保護では、不動産、自動車などについては、仕事に不可欠な場合などを除いて、原則として保有できません。

 加えて、生活保護を受給している間は、収入や扶養義務の履行状況などについて調査、確認が継続的に行われますし、受給者は、収入の申告、勤労の励行、支出の節約などの義務等を負っていて、自立のための取り組みに参加するよう指導されます。

 このように、公的年金と生活保護は、制度の性格や意義、さらには受給要件、実施方法といったあらゆる面で異なるということについて、国民の皆様によく理解していただく必要があると考えます。

 さて、このように公的年金と生活保護にはさまざまな違いがあって単純には比較できないわけですが、今後のあり方を考えるに当たって、そもそも老後生活はどうあるべきかという原点に立ち返って、その上で、それを支える社会保障制度はどうあるべきなのか、基本的な考え方を申し上げたいと思います。

 まず、老後生活のあり方の原点について、私は、今後の我が国における高齢社会を活力あるものとするためには、自立自助が基本という社会的なモラルにのっとり、尊厳ある自立した老後生活を目指すべきと考えます。

 そのような基本的な考え方に立てば、高齢社会を支える年金、医療、介護などの社会保障制度についても、自立自助の考え方に立つ社会保険の仕組みを基本とし、最終的にそれらだけでは生活できない場合に、公的な扶助である生活保護によって支えるという考え方に立つべきだと考えます。

 事実、現在の高齢者全体を見てみましても、生活保護を受給している方は二%程度にすぎません。公的年金や自分の貯蓄などで自立的な老後生活を設計している高齢者の生活意識がうかがえるところであります。

 さて、民主党の提出されている法案には、社会保険方式の所得等比例年金と並んで、これを補足する形で全額税財源の最低保障年金が規定されておりますが、以上のような考え方に立った場合、基礎年金との比較において最低保障年金をどう評価しているかについて若干申し上げたいと思います。

 民主党の法案では、最低保障年金の額は、高齢者等がその生活の基礎的な部分に要する費用を賄うことができるよう、一月につき原則として七万円を下回らない範囲内において定めるものとされております。一方、基礎年金は、先ほど申し上げたように、満額で月額約六・六万円です。全体的に生活保護と比較して遜色のない水準であって、今後とも、基礎年金は、基礎的消費支出などを勘案して、意味のある水準であることが肝要であります。

 しかし、同時に、基礎年金の給付水準は、現役世代の保険料負担とのバランスの中で決まってくるものであります。第一号被保険者の保険料額は、現在は月額一万三千五百八十円、将来の上限額が月額一万六千九百円とされておりますが、仮に給付水準を引き上げようとすれば保険料額も引き上げる必要がありますので、国民の皆様方に難しい選択を迫ることになるということを忘れてはなりません。

 次に、現役時代に所得が少なくて保険料を免除されていた人の場合は、その期間中は国庫負担相当分だけになりますので、満額水準よりも少なくなります。生活保護の基準額を下回るような基礎年金では実質的な国民皆年金とは言えない、だから税財源の最低保障年金が必要だという意見もあるでしょう。

 しかし、前回も申し上げましたとおり、我が国の国民皆年金は、職業や所得水準にかかわらず、すべての国民に自立自助の精神に立つ社会保険方式の公的年金に参加する道を開くという、いわば機会の保障を基本に据えて工夫を凝らしたものでありまして、結果の保障ではありません。

 例えば、現役時代にずっと生活保護を受けていた低所得の人でも、一定年齢、例えば六十五歳になったというだけで途端に月額七万円もの最低保障年金を、資力調査もなく税金から一律にもらえるという制度体系が本当に適切なのでしょうか。現在でさえ社会保障給付が高齢者に偏っているという批判が強いところに、これからの少子高齢社会で、そのような政策は果たして若い世代の理解が得られるでしょうか。私としては疑問を感じるところであります。

 また、仮に所得把握が不十分なままで最低保障年金を導入すれば、現役時代に不正に保険料負担や税負担を逃れた上、高齢になると、資力調査もなく七万円の最低保障年金を満額受給するようなケースが生じかねません。これでは、まさに正直者がばかを見るという結果になります。

 結局、税による最低保障年金は、救貧施策である生活保護と防貧施策である公的年金の両者の性格をあいまいにした中途半端な仕組みになっているのではないかと考えざるを得ません。

 なお、全額税財源の最低保障年金ですから、これに内在しているさまざまな問題点、すなわち、税負担を高齢化に伴って確実に引き上げられるのか、現在基礎年金に回っている四兆円を超える事業主負担をなくしてしまってよいのか、また、他の社会保障の財源との関係をどうするのかといった諸問題があることも指摘しておきたいと思います。

 次に、生活保護との関係について申し上げます。

 前回から申し上げているとおり、老後の生活設計に当たっては、社会保険の仕組みにより、みずからが行った拠出と納付実績に応じた権利として年金を受給し、尊厳ある自立した老後生活を送るという生活設計が重要です。ところが、老後生活に対する意識が低い人は、いざとなれば老後は生活保護を受ければよいと考え、年金については安易に未納、未加入になりがちです。真に必要なときに生活保護を受給することは国民の権利ですが、だからといって、自分の老後を安易に生活保護に依存する生き方が容認されるわけではありません。また、無年金者や低年金者が必ずしも低所得者とは限らないことにも留意する必要があります。

 未納、未加入が生活保護への安易な依存につながるように考えるものであり、適用、徴収対策に取り組むとともに、社会的に批判されるべきとの認識を徹底していく必要があると思います。

 また、生活保護制度についても、保護を受けている世帯への訪問などを通じて収入や扶養の履行状況など生活の状況を十分確認する必要がありますが、こうした取り組みが十分行われないため、不正受給が生じたり、生活保護は年金と同じという意識を生んだりしている側面があります。生活保護制度の運営の適正化を図り、そのような誤解を払拭することが、生活保護制度にとっても年金制度にとっても必要と考えます。

 生活保護制度については、制度が発足してから半世紀余り、大きな見直しがなされておりませんでした。しかし、最近では、七十歳以上の高齢者に一律に加算されていた老齢加算が段階的に廃止されているほか、今年度からは自立支援プログラムの導入が推進されるなどの見直しが実施されています。今後さらに、保護の適正な実施のための被保護者の義務や地方自治体の権限等の見直し、生活保護を受給している世帯の自立に向けた支援の強化、さらに、低所得世帯との均衡を図るための生活保護基準の定期的な検証などが必要であり、積極的な見直しを検討すべき時期にあるのではないかということも指摘しておきたいと思います。

 最後に、公的年金と生活保護は、老後の現金収入という意味では一見似ているようですが、以上申し上げてきたように、よって立つ考え方や実際の運用の仕方は全く異なります。国民が、老後、安易に生活保護受給に流れるような方向は防止しなければなりませんが、無年金や低年金の人が生活保護受給に流れる可能性があることを理由に、老後の生活設計の基本となる公的年金を税金頼みの仕組みに置きかえることが健全な社会保障の体系と言えるかどうか、疑問を感じるところであります。

 みずからの拠出に対応した権利として年金を受給し、尊厳ある老後生活を送ることができる社会を築くことが我々の責務であると申し上げて、時間を超過いたしましたことをおわび申し上げまして、私の発言を終わります。

与謝野会長 次に、横路孝弘君。

横路議員 民主党の横路孝弘です。

 国民年金制度については、ここで大分議論をしてまいりまして、その結果、大分問題点も整理されてきたのではないかというふうに考えております。制度上に大きな問題があるということが明らかになったのではないかと思います。

 一つは、国民年金は他の年金制度と違って定額制です。一万三千五百八十円ということで、これも、初めスタートしたとき自営業者のウエートが高かったわけでございまして、自営業者の所得の把握が難しいというようなことで定額制になったわけであります。

 しかし、今、定額制になったがゆえに、自営業者のウエートが減って、そして、パート労働とか失業している方とか、自営業者のウエートが大体四分の一ぐらいですから、それ以外の人々がふえてきています。

 ここでも議論されてまいりましたが、パート労働というのは全体の労働者のうちの二五、六%を占めていますが、その半分は月収が十万円以下ということでありまして、月収十万円としても一万三千五百八十円の負担というのは非常に大きな負担になるわけでして、そのことが未納者を拡大している大きな要素になっていると思います。

 自営業者の所得の把握が難しいということですが、最近の状況をいろいろと調べますと必ずしもそうは言えないのでありまして、捕捉率はもう九割以上だというような指摘もあるわけであります。いつまでも自営業者の所得の把握ができないできないということだけをただ漠然と主張されて、国民年金制度を含む年金の一元化を否定するというのはいかがかなと思っております。

 もう一つの問題点は、給付の水準が低いことです。他の厚生年金、共済年金に比べても給付額が低い。

 その理由は、自営業者が中心で、自営業者には定年制がないから、いつまでも働くことができるからということなどもそのときの給付水準を決める一つになっていたのではないか、このように思っております。

 こうした意味で、国民年金制度そのものの持っている問題点が多く、未納問題というのはなかなか解決されない状況にあるということを前提にして議論を進めさせていただきたいというように思います。

 まず、国民年金は、したがって満額受け取っている人は非常に少ないということで、国の年金給付に関する統計が制度ごとに分かれていますから、基礎年金、それから厚生年金、共済の重複給付を受けているかどうかの具体的な実態が把握されていないために一人一人の年金受給額は不明ですが、先般この合同会議に出された資料の老齢基礎年金の平均受給額を見ますと、平成十六年三月末の全体平均は五万二千二百六十一円でございました。そして、月額四万円未満の受給者が五百二十八万人もおり、月額一万円に満たない者も十三万人を超えているということも統計の上から明らかになっております。満額は六万六千円でございますけれども、実際の基礎年金の給付水準というのは極めて低いわけでございまして、これでは、給付の時点でも国民皆年金が実現されているとは言えないわけであります。

 しかも、会計検査院の検査で明らかになった、無年金及び将来無年金になるだろうと想定される人も八十万人以上に上るというような数字や、未納者を含めた状況を見ますと、そもそも、この国民年金制度自体が非常に制度上の問題を抱えているということが言えるわけであります。

 生活保護は、これは憲法で決められた生存権保障の具体的な施策でありますから、資力の有無などの調査はありますけれども、必要な者に対して、生活や住宅、医療、教育、介護などの面で補うように給付されるわけです。政府は、資産、能力すべてを活用してもなお生活に困窮する者に対する最低生活の保障であるというように言っておりますが、最近の生活保護の状況を見てみますと、非常にふえてきています。

 ふえてきている状況を見ますと、やはり高齢者世帯での増加が大きいんですね。生活保護を受けている人の七割は一人世帯でございます。それから、半分程度が高齢者世帯だということでございます。例えば、年金だけでもって生活している人は、最近の介護保険の負担、医療費の負担増といった点を考えますと、病気になったら途端にすぐ医療補助を受けなければいけないということになって、生活保護へ行かざるを得ないという状況にあるわけでございまして、それは一つは、国民年金の給付の水準のところにも非常に大きな問題があるということを言わなくてはならないと思います。

 最近は家庭の中の介護力というのが弱くなっています。家庭の中の状況を見ますと、一九八〇年には、夫婦と子供という家庭が四二%、一人住まいというのは一九・八%、夫婦だけというのは一二・四%でしたが、これが二〇〇〇年になりますと、夫婦と子供が三一%、単独住まいが二七・六%、夫婦が一八・九。

 将来、二〇二五年になりますと、完全に単独、一人住まいというのは三四%ですから、各家庭の三分の一は一人住まいになるんですね。夫婦と子供というのは二四%で、夫婦だけというのは二〇%ということでありますから、ますます家庭の中のいろいろな支えるパワーというのは弱くなっていって、公的なバックアップの仕組みというのが、生活をしていく上でますます大きな意味を持ってくるということになるわけであります。

 したがって、生活保護の状況というのをよく見なければいけないわけでして、今、三位一体改革の中で、その内容というのは、財源論を中心にして国の補助率をこれまでの四分の三から下げていこうということでございますが、本来、生活保護というのは国が責任を持って行うべき施策でありまして、地方が権限を分担できる範囲というのはないと考えるべきであります。

 これでもって地方に押しつけてカットされたら、今生活保護を受けている人たちというのは一体どうやって生きていくことができるのか。

 就労支援ということを言われますが、その他世帯では確かに就労支援をする意味合いというのは強いと思いますが、高齢者世帯とか障害者世帯でありますとか、それから、母子世帯はかなり働ける人はもう既に働いているわけでして、そこの意味合いというのは、政府が言うように、そのことによって本当に問題の解決になるのかといえば全然ならないということを言わざるを得ないというように思っております。

 国民年金は、満額受給しても県庁の所在地における生活保護の扶助額を下回っております。そんな状況の中で、生活保護に行かざるを得ないような年金受給者がふえてきているということで、ここの基礎的なサービスの提供をどうするのか。

 国民年金の老齢基礎年金のところがしっかりと提供されるようになれば、生活保護、特に高齢者世帯の生活保護というのを減らすことができるわけでございまして、そこのところをしっかり考えていくということになりますと、年金を一元化していくことによって問題の解決を図っていかなければいけない、このように思っております。

 日本における生活保護と外国の生活保護との違いはどこにあるかといいますと、制度を利用する者の構成にございまして、圧倒的に日本の場合多いのは高齢者世帯でございますが、諸外国は高齢者よりも現役世代の利用率が高いわけです。つまり、失業率と保護率の相関関係が高いと言われていまして、この理由は二つの考えがあると言われています。

 一つは、現役世代が生活を再建するための支援策として生活保護が機能している。生涯にわたって生活困窮状態になることのないように、就労面を含めた支援策として機能させようとしているという点が一つ。もう一つは、高齢期の生活を支える年金の施策を充実させることによって生活保護を受ける状況に落ち込まずに済むようにしているという点が日本と諸外国との違いだということが言われております。

 先ほど申し上げましたように、日本において高齢者が生活保護の申請をするきっかけになるのは、健康状態の悪化、病気になってということが非常に多いと言われております。辛うじて生活費を捻出できるというような状況では、健康を害して医療にかかろうというときには生活保護を申請せざるを得ない。それほど国民年金の受給額には余裕がない状態だ。

 生活保護受給世帯の三分の一は年金受給者のいる世帯、六十五歳以上の比率は生活保護世帯の半分になっているというようなことで、現在の年金制度が、低年金者の発生を回避できない欠陥を内包していることを示している。そういう意味では、やはり社会保障制度全体の再構築をすべきではないか。

 先ほど申し上げましたように、家庭の中で親を扶養するということが困難になっている現在、高齢期にあっては、本来年金などが世代間扶養の中心的な機能を果たすべきではないか、このように考えております。

 今まで述べてきたような問題点を解決するためにも、あるべき国民皆年金制度確立をしっかりしていく、そして、年金給付額を、高齢期の生活の基礎的な水準を満たす額として、現役時代に構築した蓄えを活用することで生活がしっかりと実現できるようにする必要がある、このように考えております。

 時間が来ましたので、以上でございます。

与謝野会長 次に、坂口力君。

坂口議員 坂口でございます。

 先輩、各党の意見とできるだけ重ならないようにお話を申し上げたいと思ってまとめてまいりましたが、やはりある程度重なるところもございますが、お許しいただきたいと思います。

 日本は今、少子高齢社会と財政の厳しい中で、将来にわたりまして社会保障負担に耐えられるかどうか、各分野で議論をされているところでございます。今後、抜本的な子育て支援対策が講じられて合計特殊出生率が回復したといたしましても、今後三十年間は、既に減少した少子化の影響を受けざるを得ません。ましてや、子育て支援対策を行っても多くを望めない事態が続いたときには、高齢化の進展と相まって、社会保障負担の重みは一層加速するものと思います。

 日本が多民族国家への選択をするのであればこの問題は解消される可能性がありますが、その選択をしない限り、負担と給付の関係が問い続けられるものと思います。

 さて、こうした日本における環境の中で、国民は、自立自助の精神にのっとり、自助努力を重ねて生きる社会をつくり上げることが肝要であります。このことは当然のことながら社会保障制度にも影響するものであり、前回も議論になりましたが、共助、公助の前に、まず自助の精神が必要であると私は考えております。

 老後への備えは最も代表的なものであり、国民年金を含む公的な年金は、長寿という喜ばしい偏差値が生じたときのために自助努力を求めるものであります。世代間の助け合いであると同時に、自身のためにも必要な制度であります。別な言葉で言えば、自助自立の考えに立った個人を社会連帯の精神で支援することを基本的な考え方としております。

 年金だけでなくて、現役世代に構築した生活基盤、例えば自宅でありますとかその他の資産でありますとか、そうしたものを初め、貯蓄などを含めまして、自立した生活を送ることを基本としています。

 昭和三十六年、皆年金制度が発足いたしました年、高齢者世帯の被生活保護率は二三・三%でありましたが、平成十五年には五・〇%に低下しておりますのも、年金制度の充実が大きく影響しているものと考えます。ただし、高齢世代が増加しましたために、先ほど横路議員からも御指摘になりましたように、生活保護世帯に占める高齢世帯の割合は最近増加いたしまして、四六・四%と増加をいたしております。

 生活保護につきましては、御承知のとおり、自身の所得や資産、貯蓄、さらには親族の扶養、公的な給付等を活用してもなお生活保護水準に達しない場合に給付されるものでありまして、心ならずも生活保護水準に達し得ない方々に対する救貧機能を担っているものであります。

 したがいまして、将来に備える自助努力の年金と、現在の救貧状態を救う生活保護制度とは全く次元の異なるものであり、対比をして考えることはなかなか難しいのではないかと思います。

 しかし、それにもかかわらず、今回、国民年金と生活保護の関係が取り上げられましたのは、現在国民年金に未加入、未納者がふえていることから、これらの人が高齢化したときに被生活保護世帯がふえる可能性があるとの心配があるからだと思います。

 私も、現状を放置しておけばそのような危険性が現実になる可能性を否定するものではありませんし、むしろ心配を共有する一人でございます。しかし、だからといって、自助努力の必要のない年金制度をつくることに結びつけてはならないというのが私の考え方でございます。

 未納、未加入者の中で、パートや有期雇用者あるいは派遣労働者など、いかなる形態であれ雇用されている人々には厚生年金を適用するように改革を進める必要がございます。自営業者に対しましては、健康保険等との連携を図りながら、強制徴収も含めて加入を促進する必要があります。これも前回議論になりましたが、ニートのように働く意欲のない若い人たちには、勤労意欲を高めて技能訓練の機会を提供するなど、手厚い対応が求められます。

 また、日本経済のあり方そのものにもメスを入れて、日本企業四百七十万社と言われておりますが、その中で四百十万社は小零細企業でございますので、そうした企業の経営者とそこに働く人たちに対しまして手を差し伸べ、よりよく発展させる道を創造する対策が必要であるというふうに思います。

 以上のように、雇用に恵まれない若い人たち、あるいはまた雇用が安定していない人々への対応は最大限努力する一方におきまして、安心できる老後はみずからの努力によって達成すべきことを繰り返しあらゆる方法で説得するのが、私たち現役時代の役割であると考えます。

 国民年金の保険料をすべて税金に置きかえ、将来への安心を与える方法は、一見、問題解決に有効な手段であるように思われますが、どんな税金であれ、税であります以上、強制的に徴収するものでありまして、国民の負担を減らすものではありません。ましてや消費税に置きかえることになりますと、逆進性もありますし、既に保険料を支払った人も負担するということもございますし、また、企業負担部分も国民負担になるところもございます。税金は、経済変動によって徴収の格差が生ずることも覚悟しなければなりません。また、今後の少子化対策や医療費の増大を考えますと、たとえ消費税を導入するにしましても、すべてを年金に投入することは不可能だと思います。

 国民年金に税金を投入するにしましても一定割合にとどめ、それが二分の一なのか、伊吹先生がおっしゃった四分の三なのか、いろいろ考え方はあるというふうに思いますけれども、それは一定限度にとどめて、一定限度はみずから納める保険部分というのをやはり残すことが必要ではないかというふうに思いますし、老後に対する自助努力を高めることになるわけでありますが、負担の割合は、所得に比例した応能負担も考慮に入れていいのではないかというふうに思っております。

 国民年金の財源を、目的の明確な保険料から税金に切りかえ、生活保護との境界を不明確にすることは、アリとキリギリスの例えもありますように、国民をキリギリス化させることになりはしないかと私は心配をするものでございます。

 日本の直面する財政状況を考えますときに、徹底したむだの排除でありますとか構造改革を行うといたしましても、三十兆から三十五兆という国債発行分を削減できるわけではありません。苦しくても負担するところは負担をして、個人個人が自助の精神を持ち続けることが少子高齢社会を乗り切る基本であると考えます。

 今回の国民年金と生活保護の関係で、予定されました四回の議論が終わることになります。今後は今までの議論を整理してもらうことになりますが、私は、前回も申し上げましたとおり、各党の考え方を俎上にのせるのはいろいろ差し支えもありますので、一元化の元祖ともいうべきスウェーデン方式を一度取り上げて、日本の制度としてなじむものであるかどうか検討することは、国民の皆さんの年金に対する理解を深めるためにも重要ではないかということを御提案するものでありまして、そうした点を御提案申し上げて、私の発言を終わりたいと思います。

与謝野会長 次に、佐々木憲昭君。

佐々木議員 日本共産党の佐々木憲昭でございます。

 この合同会議の席上で、たびたび、最低保障年金と生活保護がどう違うのかという発言が与党の議員から出されております。言うまでもなく、この二つの制度は根本的に違うわけであります。

 生活保護は、生活保護法第一条にも明記されておりますように、みずからの資産や能力その他あらゆるものを活用してもなお健康で文化的な最低限度の生活水準に至らないときに、その不足分に限って、税を財源として生活を助けるというものであります。

 その際、貯蓄など本人の資産、他の公的制度の活用、子供など扶養義務のある者の扶養などが厳格に調査されるわけです。この資力調査によって資力があると判断された場合には、まずその活用が優先され、それでも最低限度の生活に至らないときに初めて、その不足分に限って支給をされるというものであります。

 これに対して、公的年金、国民皆年金制度というのは、現役世代において働いて収入を得ていた者が高齢により収入を失うということを補てんする性格を持っており、受給時の個々の生活状況にかかわりなくすべての国民に支給される、権利性の強い仕組みであります。

 制度の趣旨も運用も違うこの二つの制度が、我が国では深い関係を持たざるを得なくなっております。つまり、前回も指摘しましたように、大量の無年金者、低い額の年金者を生み出す貧弱な国民年金制度によって、余りに多くの高齢者が、資産、能力その他を活用してもなお生活が維持できない事態に陥っているからであります。

 それは、高額過ぎる保険料、二十五年という長過ぎる納付期間によって、低所得者を制度から排除する事態をつくっているからであります。これは国民年金が発足時から持っていた欠陥でありまして、そのために、今、数十万人の無年金者が生まれ、月額三万円、二万円など低い年金しか受給できない人が数百万人に上っているわけであります。貧しい年金が、多くの高齢者を生活保護が必要な事態に追い込んでいると言わざるを得ません。これは、先進国の中でも異常な事態であります。

 日本では、生活保護受給者の四七%が高齢者世帯であります。ドイツではこの割合が五%程度であります。他のサミット諸国でも、公的扶助の受給者の中で高齢者はごく少数であります。

 なぜでありましょうか。他の先進国には年金の最低額を保障する制度や全額国庫負担の最低保障年金制度があって、高齢者が資力調査つきの公的扶助に頼らないで生きていけるからであります。年をとれば、働く能力が低下し、収入を得にくくなるというのは当然であります。そうなっても、公的扶助に頼らず暮らしていくために公的年金があるわけです。

 だから、かつて社会保障制度審議会は、たびたび、現役世代に資産を蓄えられない低所得者のためにこそ国民皆年金が必要だと勧告したわけです。ところが、実際には、低所得者が制度から排除されて無年金者になり、あるいはわずかな年金しか受け取れず、生活保護に頼らざるを得ない。これでは、公的年金、国民皆年金の存在意義そのものが問われていると言わざるを得ません。今の状況を放置すれば、将来大変なことになりかねないわけであります。

 六月三十日のこの合同会議で指摘しましたように、パート、アルバイト、派遣などの不安定雇用、失業中の若年フリーターは四百十七万人であります。現行の年金制度では、これらの若者の多くは、基礎年金の満額六万六千円すら受け取る見通しが立たないわけであります。こうして生み出された大量の無年金、低額年金者すべてに生活保護を支給するとなったら、それこそ巨額の財源が必要となるわけです。しかも、これらの無年金、低額年金者が生活保護を受け取れるのは、さきに述べたように、本人の預貯金、他の公的制度の活用、扶養義務のある家族の有無などを厳しく調べた後というのが今の生活保護行政であります。

 我が党が提案する最低保障年金というのは、一定の年齢に達した高齢者であればすべて加入したものとされ、年金水準を底上げする財源が確保されれば、あとは本人が払った掛金に応じて額が上乗せされるというものであります。こうしてこそ、高齢者は、貯金を使い切る必要も家財を売る必要もなく、それを有効に活用しながら生活を営めることになります。他の先進国では、こういうやり方で高齢者の生存権そのものを保障しているわけであります。

 二〇〇一年八月、国連の社会権規約委員会は、日本政府に対し、公的年金制度に最低保障を導入することを求める勧告を出しました。過酷な保険料徴収で低所得者を排除し、無年金、低額年金者を生み出すことを、国際社会も日本の年金制度の重大な欠陥と見ておるわけであります。

 なお、今の日本では、膨大な無年金、低額年金者が生活保護によっても救われていないという現実についても指摘をしておかなければなりません。

 この半世紀、政府はたびたび、適正化政策の名で、保護費節減に向けた支給抑制を生活保護の現場に押しつけてまいりました。特に一九八〇年代以降、政府の強力な指導のもと、面接時点で申請をはねのける水際作戦、要保護者のプライバシーを侵害するような資力調査、わずかな貯金や家財を理由にした申請の却下、さらに保護打ち切りといった事態が全国で横行しているわけであります。

 一九八七年には、東京荒川区で、生活保護を打ち切られた七十八歳の女性が福祉事務所あての抗議の遺書を残して自殺する事件が起こりました。一九九一年、横浜市では、老いた兄弟が生活保護を受けられないまま餓死しているのが発見されました。この七年間、高齢者の自殺は毎年一万人を超え、医療、介護の費用を払えないことを苦に心中事件も起こっているわけであります。

 国民年金のみ受給の高齢者は九百万人に達しておりまして、生活保護を受けている高齢者世帯は四十七万世帯にすぎません。生活保護からも排除されているというのが実態ではないでしょうか。

 その上、政府は、生活保護の老齢加算を削減する、来年には廃止するということでありまして、生活保護の削減がどんどん進められております。財界団体の日本経団連は、年金の支給額にあわせ保護費自体を削減するよう要求していますが、このような方向は、国民の生存権を根底から脅かすものであります。

 一昨日、全国十四の政令市で構成する指定都市市長会がありました。都内で開かれたこの総会で、大変重要な提案が採択をされました。それは、生活保護の抜本改革に向けての提案であります。この提案によりますと、生活保護受給世帯に占める高齢者世帯の割合が半数を占めるに至っていると指摘をしまして、経済的な自立が困難な高齢者にとっては最低限度の生活保障が必要だと述べております。その上で、具体的な提案として、生活保護制度の対象から高齢者を除いて、保険料の支払いを必要としない無拠出制で、受給要件を一定年齢の到達とする最低年金制度を創設することを求めております。この声にこそこたえるべきではないでしょうか。

 無年金、低額年金者を生み出し、多くの高齢者を要保護に追い込むような今の年金制度を抜本的に改めて、日本の将来のために最低保障年金制度の実施に足を踏み出すべきだ、このことを強調して、発言を終わります。

与謝野会長 次に、阿部知子君。

阿部(知)議員 社会民主党・市民連合の阿部知子です。

 冒頭、きょうは坂口議員がアリとキリギリスのお話でしたので、私は、古来日本で言われております、はえば立て、立てば歩めの親心という言葉がございます。子供は、本来歩く能力を持っております。そして、その歩く能力を最大限引き出すために、大きな、温かな支えが必要である。そのことが逆に本来の自助の能力ももっともっと高めていくという意味で、私は、これは、日本という国が抱えた非常に大切な文化であり、考え方であると思っています。

 過剰に自助が強調されれば、もちろん坂口議員のことをそうとらえたのではなくて、私は大変尊敬しておりますから、今の財政諮問会議などで自助、自助、自助と言われると、本当のみずからの力を出してもらうためのセーフティーネット、受け皿なしでサーカスをやらされるような自助ではみんな墜落死してしまいます。今、社会保障のここの場で話されることは、公助、共助の仕組みをもう一度どうやってつくって、多くの国民、私は必ずしも、今の若者たちがサボってぐだぐだしていて、その結果働かないんだというふうには思っておりません。子供たちが自尊心をはぐくまれない、セルフコンフィデンス、自己確信が持てない状態に社会全体が追い込んでいる側面もあると思いますので、冒頭申し添えたいと思います。

 そして、その上に立って、私は、この年金合同会議、各党の御尽力で回を重ねて、このたび一回の区切りは迎えると思いますが、この場に生活保護と年金という問題が取り上げられ、皆さんで論議されたということを高く評価したいと思います。

 実は、厚生労働省の中でも、生活保護の見直しという形で言われても、本当に年金問題と現状をリンクさせて話されることはなかったし、ほかの場で、政治の土壌でこの問題が話されることがなかったと思います。少子高齢化という未曾有の時代に急速に突入していく我が国において、皆さんの熱心な論議がここに一つのこのテーマを持てたということに、この会の会長初め皆さんにも私はお礼を申し上げたいと思います。

 そうした上で、そもそも年金制度と生活保護制度は、先ほど佐々木憲昭議員がお述べになりましたように、趣旨、目的が異なるものでございます。生活保護は、最低限度の生活費に不足する場合に限ってその部分のみを補てんするという、いわば補足性の原理というものに乗って成り立っており、また、そのゆえに、生活保護の給付に際しては、その方が預貯金や保険、不動産などがないというミーンズテスト、資産調査を受けねばならないとなっております。これに対して、基礎年金の給付に対してはもちろんミーンズテストはないし、また、その方の財産、所得とは無関係に、加入年限によって給付が権利として生じてくるというものでございます。

 しかし、これらの原則は、現状において大きく形を変えてきてしまっています。なぜなら、昭和六十年以降減少傾向にあった生活保護の給付世帯は、平成七年以降非常なスピードで急増しておりまして、各議員お述べですが、平成十六年十一月現在で百四十三万五千人余り、百万世帯を超えておりますし、その中の四十七万四千二百四十世帯、四六・五%、現状では五〇%になるかもしれません、の方々は六十五歳以上の高齢世帯。高齢者数にしても五十二万五千百三十一人で、三八・二%となっております。

 また、給付のありようにおいては、医療扶助と介護扶助がかなりのウエートを占めております。医療扶助百十六万人、介護扶助十五万人で、その医療や介護のために生活保護の給付をしている額が、約二兆円以上の生活保護給付の半分を上回っております。

 このことは、一つには、高齢者年金制度が不備であり、高齢者がみんな生活保護になだれ込む、あるいは医療保険制度で、せんだっても申しましたが、国保などのいわゆる保険料の未納問題から、最終的には生活保護でその医療給付部分を出さざるを得ないという方がふえてきてしまっておる。この悪循環をどこで断ち切るかというのが、この場の論議の成果であると私は願っております。

 さて、この会議の当初の目的でありまして、また、我が党が主張してまいりました基礎年金と言われるものが果たしてどのくらいの額であれば暮らし保障年金になるかということで、それを生活保護の給付水準と比べた場合に、その積算根拠からして非常に問題になると思います。

 先日も御紹介しましたが、八五年当時、基礎年金部分の一元化ということを目指しました折に、厚生省が基礎的支出としてそのときに参考にしたものは、食料費、住居費、光熱費、被服費でございました。この八五年段階の年金給付の基礎的支出に含まれていないものは、教養娯楽費、交通通信費、保健医療費、交際費などになります。

 このうち特に私がここで申し述べたいのは、医療保険の保険料も払っておられる高齢者の現状と、さらには、介護保険が平成十二年度から導入されて、介護保険の保険料も納入しておられるわけです。すなわち、八五年の積算根拠はこれらのことが考慮されていないゆえに生活保護の基礎給付費よりも低く算定され、それが一貫して改善されてきていないという現状があります。また、交通費に至っても、やはりどこに行くにもお足の問題がございます。これも生活調査で、十六年のものを見ますと、一万二千二百五十円でございます。

 これらを総計しますと、都市部においては八万円の後半が基礎的暮らし年金の保障額でないと、今言った最低限度の項目が賄えないというふうになっております。全国平均で、我が党は八万円と試算いたしました。

 ところが、厚生労働省の試算等々は、高齢者単身世帯で考えた場合には、基礎年金給付の満額を上回ってこの生活保護基準があるから、逆さにそれを下げようと本末転倒の論議を展開し、先ほど佐々木憲昭議員が御指摘になったような事態が生じてきてしまいます。

 まずは、年金制度をきっちりさせないと、あるいは医療保険制度の空洞化を阻止しないと、生活保護に本当に過重な負担がかかり、そこで削減が当たり前のように行われてきてしまうという悲しい現実を生むと思います。

 さらに、今国会で審議されている障害者自立支援法でも、繰り返し申し述べましたように、自己負担を求めるものであります。であるならば、その前に、きちんとした所得保障の問題は、いずれの年代においても最大限、我が国の社会保障政策の中できっちりと論じられるべきだと思います。

 我が党がこの年金問題について財源といたすべきところは先回申し述べましたので、企業の総人件費に対してかける社会保障税を繰り込むべきだということと考えていただければ結構です。

 そして、今後、若者たちの今の働き方だと、年金の保険料を納めていない、あるいはパートなどの働き方で非常に不安定な収入で、将来の低年金、無年金問題が大きく社会に影を落としてくると思います。

 私は、先ほど坂口議員の御提案で、スウェーデン方式をみんなで検討しようという非常に前向きな、さすが坂口先生と思って聞いておりましたが、もう一つお願いは、パートの加入問題というところを早急に、それぞれ何を第一とするかの思いはおありでしょうが、論じていただきたいと思います。また、ILOなどで年金のあり方ということも、これは企業負担の問題も含めて指摘が多々あるところでありますから、それもあわせて今後の課題として、皆さんでお知恵を寄せていただければと思います。

 ありがとうございます。

与謝野会長 これにて各党からの発言は終わりました。

    ―――――――――――――

与謝野会長 引き続き、議員間の自由討議を行います。

 一回の発言は三分程度で、会長の指名に基づいて、所属会派と氏名を名乗ってから行ってください。

 なお、発言時間の経過については、三分経過時と、その後は一分経過ごとにブザーを鳴らしてお知らせいたします。

 それでは、御発言のある方は、お手元のネームプレートをお立てください。

古川議員 民主党の古川元久でございます。

 きょうは国民年金と生活保護の関係というテーマでございますが、先ほどから、生活保護についてはミーンズテストがあるということが述べられているわけなんですけれども、社会保障制度の改革の中で、一般の国民、確かに生活保護を受けるにはかなり厳しい資産調査も受けなきゃいけないと言われている一方で、かなりそのミーンズテストが甘いのではないか、なぜこの人が生活保護を受けているのか、そういう疑問も持たれているというのが実際ではないかと思います。

 そういう意味では、私は、この年金問題を初め、政府が個々人の生活に社会保障給付という形で何らかの手を差し伸べるに当たっての基本的な前提の環境整備が必要ではないかというふうに思うわけなんです。

 ここの議論で何度も、我が党が提案をしております年金制度において所得把握ができないのではないか、そもそも自営業者も含めて正確な所得把握などは不可能なんだ、そういう意見がいろいろな方から出されたりしておりますけれども、もし、ずっとそういう状況を仕方がないということで許すのであれば、本当に社会保障制度、今財源的にも非常に厳しくなっている中で、効率化をさせていかなければいけない、本当に手を差し伸べなきゃいけない人にきちんとした手が差し伸べられるような社会保障制度にしていかなければいけないというふうに考えたときには、今のように、言ってみれば中途半端な所得把握の制度の中で、その中途半端な形で生活保護を初めとするいろいろな社会保障給付が行われているとすれば、それは、社会保障制度全体の効率化ということから考えても、そして国民の間の公平感ということから考えてもやはりおかしいのではないか、私はそう思わざるを得ません。

 社会保障制度全体を本当に効率化させて、必要な人に必要な手を差し伸べる。それには当然、所得などの部分は、プライバシーというよりも、きちんと社会保障を受ける前提としてその部分は明らかにされる、そして明らかにされるような仕組みを整えることがあるべき姿ではないのかというふうに思います。

 ですから、私は、ぜひここで、これから年金制度を考えるに当たって議論していただきたいと思うのは、所得比例年金、我々が提案しているものに対して、そもそも所得把握などできないんだということを言うのであれば、年金制度だけでなくてほかの社会保障制度の本当の意味での効率化というものもできないわけでありまして、ぜひそこは、ほかの社会保障制度全体の効率化をするためにも、ではどうしたら所得把握できるのか、そういう形で議論を進めていくべきだということを提案させていただきたいと思います。

福島議員 本日のテーマは、国民年金と生活保護の関係ということでありますが、今までの議論を聞いておりましてまず確認をしたいことは、一元化の議論もありますけれども、一方で最低保障年金の問題がある。この二つは直ちに結びつく話ではない、これを確認するということが大事だというふうに私は思います。

 最低保障年金の問題は、この会議で繰り返し指摘されたのは、現に高齢者で無年金の者であるとか低年金の者、こういった方の生活保障は一体どうするんだと。これは確かに大切なことで、それに対しての答えをどう出すのかという議論なんだろうというふうに思います。

 最低保障年金を求める方は、こういった方は生活保護に移行していく、生活保護を受ける方で高齢者がふえている、それであれば最低保障年金を導入すべきだと。言ってみれば、生活保護の代替の政策としてこういうものを導入するという御主張なんだろうなというふうに私は思います。そういった一種の三段論法になりますが、ただ、そういう論理だけかという話ではないというふうに私は思います。

 むしろ、年金制度のあり方そのものをもう少し工夫するということは可能だと思いますし、そしてまた、何よりも大切なことは、生活保護と年金制度、これは性格が異なるものなんだということを明確にすることの方が大事だというふうに私は思っております。

 現に、未納、未加入の問題にしましても、保険料が払えるけれども払わない人、そしてまた、所得が低くて保険料が払えない人、これは、払えるが払わない人も比率としては非常に多いわけです。払えなくて払えない人が非常に多いというわけではない。この実態をよく見きわめる必要があると思います。

 ですから、年金の額が少ないということだけに着目して、そこのところを税金で補うというような考え方をとるということは、この現状を踏まえた場合に、果たして適切かどうかというふうに私は思います。

 そして、所得が低くて保険料が払えない人、これについてはさまざまな減免措置を前回の年金制度の改革で導入したわけでありまして、そのことによって対応ができないということを言っておられるのであれば、どう対応できないのか、具体的な事実を示していただきたいと私は思います。

 そしてまた、現に生活保護の中で医療扶助が非常に大きな比率を占めている、こういう実態もあるわけであります。単に所得保障の問題だけではないということでありまして、こういったことは医療保険や介護保険、介護保険については保険料の減免も今回の改革の中で導入いたしましたけれども、横断的に低所得者対策をどういうふうに構築していくのか、そういう観点があるわけでありまして、そういう議論をこそ進めるべきではないか。そしてまた、生活保護の抜本的な見直しの中でこうした社会保障制度との関係を整理すべきであろうというふうに私は思っております。

 どこのだれが負担したかよくわからない最低保障年金、私はこれはいかがなものかと思います。自助努力、みずからが負担をしてみずからが給付を受ける、この原則をやはり堅持していくべきではないかというふうに私は思います。負担は少なく、給付は多く、だれもがこういうことを政治の場では言うわけでありますけれども、日本の国家財政を考えたときに、そのような考え方で最低保障年金を導入するということであってはならないというふうに思います。

 以上です。

枝野議員 民主党の枝野でございます。

 今、福島先生のお話を伺っていて、あれっと思ったんですが、生活保護のかわりを年金にさせるのではないか、私はそれでいいんではないか。つまり、生活保護という仕組みは、本来は、なければない方が望ましい制度なんだ。まさに自助、共助、公助であって、本来は、各個人が自分の責任と自分の努力で生きていければ一番いいんだけれども、ところが、人間社会というのは必ずしもそうはできない。そうした中でお互いの助け合いという共助の仕組みがある。そして、そういうやり方の中でもどうしても救えないケースが出てくるからこそ、最後のベースとしての生活保護が存在をしているのであって、できるならば自助と共助の世界の中で、生活保護という仕組みを受ける人がいなくなる社会が我々の目指すべき社会なのではないか、私はそういうふうに思っています。

 そうしたことを考えたときに、まさに我々は、新しい制度、将来像、今すぐそうなるわけではありませんけれども、必ずすべての国民が所得に応じて保険料を納めてくださいと。それは前回来、何度もここで伊吹先生からお尋ねがありましたけれども、我々は、所得がゼロならばゼロ円という保険料をちゃんと納めてくださいと。

 少なくとも、自分たちが、この年金というお互いの助け合いの仕組みの中にきちっと当事者として参加をしてきたということを前提として、つまり、どこからともなく、何となく無条件に、何の努力もしなかった人もお金を受け取れるという仕組みではなくて、少なくとも自分の所得が幾らあるのかということをきちっと届け出て、それに応じて保険料を納めるという意思を、四十年超にわたって責任を果たしてきた人は、その助け合いの仕組みの中で、ミーンズテストなどの余計なことをしないでも最低限の老後の生活はやっていけるんですよ、こういう仕組みをつくっていくということは望ましいことではないか。

 そして、私はこういう仕組みをつくることによってこそ、例えば自助努力とかということが働くのではないか。つまり、老後の生活が生活保護であった場合には、例えば五十を過ぎ六十近くなり、ちょっとでも自分の努力で資産を蓄えておこうとか、あるいは自助努力による私的な生活維持のための保険に入ろうとかいうことは、そういうものがあれば生活保護は受けられなくなるし、そういうものがあれば生活保護がマイナスになっていくということで、どんどん、まあここまで来たんだからしようがないや、後はどうせ生活保護なんだからちょっとぐらい努力してもしようがないやというインセンティブが残念ながら今の制度では働いてしまいます。

 しかし、ミーンズテストは行わずに、きちっと、例えば一生の間無収入であった人でも権利としてこういう年金が受け取れるんだ、そういう中であれば、ほんのちょっとでも努力をして老後をより安定させるために頑張ろうという自助努力が、まさにミーンズテストなどがないからこそ私は働くのではないか。自助を促すという観点からも、できるだけ生活保護という部分を小さくしていくことの可能な制度を組み立てていく。

 我々は、基本的には高齢者についてのお話だけさせていただいていますが、同じような発想の中で、若年障害者の皆さんについてどうするのかということについても同じような理屈立てで同じような組み立てをしていって、生活保護的な、本当に全部チェックして、貧しいからここまでは最低限上げますよではなくて、自分が加わっている共助、助け合いの仕組みの中で、その参加者として加わっているからこそこれぐらいの給付は受けられるんだという権利性を持ったものとして、一番最低部分のところを確保していくということは望ましいことではないか、こんなふうに思っています。

山井議員 民主党の山井和則です。

 今の枝野議員の発言の趣旨とも近いわけですけれども、やはり生活保護というのは、ある意味で、できるだけその利用をする人は少なくならねばならないわけです。社会保障の一つの目的というのは、いかに生活保護に頼る人を減らしていくかということであると思います。そういう意味では、今の日本の年金制度あるいは昨年の年金改革というのは、生活保護を逆にふやしていくような流れに私はなっていると思います。

 与党のある幹部の方も、結局国民年金に入らなければその人は老後年金をもらえないんだから、それで仕方がないということを発言されたのを聞きましたが、やはりそれでは、払わなくて高齢になったら最後は生活保護になったらいいということでは、逆にこれはモラルハザードになっていくわけでもありますし、また同時に、国民皆年金という大看板をおろしてはならないわけであります。

 その意味で、生活保護をいかに減らしていくかという年金制度であらねばならないわけで、国民年金の未納、未加入にならない制度をきっちりとつくっていくことが重要であると思います。

 水準に関しては、国民年金だけで最低保障に係る国の義務を果たすわけではないので、生活保護水準よりも高くなければ憲法二十五条に違反するとまでは言えないわけですけれども、四十年拠出して生活保護以下ということであれば、当然払うインセンティブも働かないわけですから、やはり生活保護以上の水準が望ましいのではないかと思っております。

 高齢者の場合は貯蓄もあるからそれほどの高い水準は必要ないのではないかという議論もあるかもしれませんが、確かに多くの資産を持つ高齢者もいる一方で、世帯所得が百万円以下の高齢者の世帯では貯蓄ゼロの人が約三割もいるわけでありまして、明らかに生活が成り立たない、そういう制度ではセーフティーネットの役を果たさないと思っております。

 まとめになりますが、そういう意味でも、今のままの国民年金というもの、未納、未加入がこれだけ多い制度を放置して、そして、その方々がひいては生活保護にどんどん流れていきかねない、こういう制度を放置していくことは絶対許されないわけでありまして、民主党が主張しているような抜本改革が必要であると思います。

 また、一つつけ加えるならば、今障害者自立支援法も議論されておりますけれども、これも一歩間違えば生活保護をふやしていく、そういうふうな方向になりかねないのではないかというふうに私は危惧をしております。

 以上です。

柳澤議員 枝野議員の御発言、興味深く伺いました。

 消費税のゼロ税率みたいな話もされたわけですが、手続面のことなんですが、これを申告でやって、それの正当性、妥当性というものを調査するのかしないのか。

 私は、スウェーデンのみなし積立金の制度は、いわばそれを常に知らせることによって申告の実質的レベルを向上させようとしている制度とも見えるわけですけれども、枝野議員の今の、毎年恐らく申告させるんだろうと思うんですけれども、あるいは毎年ではなくて毎月でしょうか、いずれにしても、手続面のことを考えますと、これは膨大な行政コストがかかってくるのではないかとも思えるわけです。

 これは、今のこちら側の悩みでもあるんですけれども、自営業者とかあるいはフリーターというような人たちの所得課税の問題でもあるんですね。しかし、それは、所得税の税制の中ではある意味で割り切って、行政コストとの関係、徴税コストとの関係からいって、そこまでは到底やり切れないといういわば割り切りのもとであきらめているというか、そういう面があるんですけれども、枝野議員はそのあたりのことについてはどのようにお考えか、お話しいただければ大変幸いだと思います。

枝野議員 御指摘のとおり、コストの問題というのはきちっと考えなければいけないと思います。

 私は理念的に、収入がゼロならゼロと申し上げましたが、それは例えば、一定の枠をはめて、何十万円なり何百万円以下ならばゼロとみなして、保険料ゼロ円ということは理屈の上であると思うんですね。所得控除を所得税についてしているように、そこの部分は、そういうことをやることによって実際の徴収コストを下げるという部分はあり得ると思います。

 それから、その上で我々が一つ目玉なのは、納める側からすれば、税も保険料もお上にお金を預けるという意味では一緒なのに、今、ばらばらに納める、ばらばらに手続をする。すべてベースになる収入というのは、所得比例年金であれ所得税であれ、こういう所得がありました、それに対して、税の方はこういう仕組みでこういう納め方をします、保険料の方はこういう仕組みでこういう納め方をしますということをやるわけですから、数字をほうり込めば後は機械的に出てくるという世界のところで、一緒に届け出をして一緒に集めるという仕組みをとれば、さらに言えば、健康保険などについても、これは将来的な課題ですけれども、本来ならば一緒に効率的にやれた方がいいだろうと思うんです。その部分のところで、徴収コストについて一方で下げる努力をするということを組み合わせれば、私はそれほど大きな徴収コストの問題にはならないのではないだろうか。

 しかも、年金については、既に基礎年金の番号もついていますので、そうしたことでの一元管理ということは、技術的、コンピューター処理的にはそんなに難しくないというふうに思います。

 多くの場合は、ゼロなのか、それともかなり低い額なのかという人が一定層出てくるんだろうと思います。だけれども、それは、前回以来、伊吹先生から御指摘を受けているとおり、少しでも収入があれば保険料を納める、納めたことの対価なんだということを維持するためのコストとして理解できる線で、何とか僕はできるのではないか。

 もちろん、そういった技術的なことは、もしこういう仕組みで一緒にやりましょうと言っていただけるんだったらば、御相談をすべきことだとは思っております。

伊吹議員 枝野先生のお話を伺っていて、最低保障年金が権利としてという表現がありまして、民主党、リベラル政党という表現がいいかどうかはあれなんだけれども、やはり我々と、その権利としてというところが若干違うんじゃないかという気がしますね。どちらかというと、先ほど坂口先生がおっしゃった意見に私はむしろ共鳴を受けます。

 制度として年金制度が信頼を受けるのは、財政基盤がしっかりしていることと、もう一つは、やはり公正というかフェアネスということだと思います。だから、何度もここで議論があるように、二階建ての部分を払わなければ一階建ての部分はもらえない、これは私の感覚に非常に近いです。

 ところが、先ほど古川先生がおっしゃったように、二階建ての部分の所得の把握ができるかできないかというのは、一度ここは抜本的に専門家を呼んでただしてみる必要があると思います。今まで、それができないから定額という形で国民年金の保険料を処理してきたんだと思うんです。

 ですから、こういう方法で、同じようにやれるのならということは今枝野先生からあったんですが、私は、再三ここで申し上げているように、皆さんの最低保障年金というのは、国庫負担率一〇〇%だと考えればいいと思うんですよ。

 我々は、保険制度を分立させたままで、被用者がいる保険とそうじゃない保険と二種類を一緒にするのはやはりなかなか難しいだろう。しかし、基礎年金という部分では一元化をされているんだから、例えば三分の一から二分の一、皆さんは百分の百ですね、最低保障年金、だから、この我々の二分の一というのを四分の三なら四分の三に近づけていけば、その差はほとんど縮まってくるんじゃないのかなという気が私はして、再三御提案をしているわけです。

 そこで、本来、生活保護費とこの最低保障年金あるいは基礎年金を対比するべきは、私はやはりそこに入っている国庫負担だと思いますね。

 先ほど、森先生の御意見では、基礎年金の総額と生活保護費の間にはほとんど差異はないというお話があったけれども、国庫負担部分というのは、本来、自助努力ではなくて、だれかの税金をもらっている部分ですから、やはり自分が積み立てた部分は別なのであって、そうすると、現行の生活保護費と基礎年金の国庫負担分を一緒にしようとすると、仮に二分の一とすれば、基礎年金部分が物すごく大きく膨らんできます。そうすると、残りの二分の一の保険料で賄う部分が、特に自営業者の場合はとても耐えられないんじゃないか。だから、二分の一を将来四分の三にしたらどうなんだという提言をしているわけで、お互いの差を随分詰めようと思って私は提言をしているつもりなので、お互いに柔軟にその辺の詰めをしていっていただいたらいいんじゃないかと思います。

 以上です。

阿部(知)議員 本日のテーマが、基礎的暮らし保障年金、最低保障年金と生活保護であるという文脈にのっとって、もう一つ、実は、我が国の生活保護制度においては、生活保護費以下の低所得でお暮らしの方が多い現状ということも皆さんで認識を共有してほしいと思います。

 生活保護に至るのが非常に甘えてだらしなくて、それを悪用しているというような形でなくて、今はこの所得以下の低所得でお暮らしになる方があらゆる年齢でふえていて、森永卓郎さんが年収三百万円以下とお書きになって、次にまた二百万円、百六十万円と、もう百万円ちょっとで暮らす若者もふえています。

 こうした低所得の実態は、将来どんな制度設計をするにも、現状をきっちり見詰めた上で設計をしていかなければならないし、その意味で、繰り返し申しますが、年金制度における、多くの若者がパートや非正規となった現状での企業が負担すべき負担のあり方をちゃんと論じてほしいです。今、パートやアルバイトの方は、人件費として計上されないで、まかり間違うと物品費の方に計上されたりしております。社会保障を全然つけられないで働く若者が将来膨大に出てくるということは、やはりこの場の論議が現状と乖離してしまう危機を私は非常に感じます。

 では、社会保障制度の中で、いわゆる生活保護と年金との違いは何か。

 私は、やはり基礎的暮らし保障年金の部分に企業の社会的責任を組み込む、共助の仕組みを組み込む。伊吹先生は、公助を四分の三、税を四分の三で、それも一つの考え方で、もっと公助、共助は強められるべきと思います。でも、憲法二十七条、労働は権利であり義務であるということにのっとって、今、若い人たちがこの当たり前の権利と義務を実際に自分で担えない状態になっていて、それは、我が国が一九九〇年代後半から多くの非正規雇用という問題に直面し、そのことを社会保障制度と合体させていないところの問題と思います。

 フィンランドなどでも活用されている社会保障税という企業が担うあり方、これもぜひ折があれば皆さんに御論議いただいて、私は、切り詰めれば、それが財源的には生活保護部分との違いというふうに考えております。

 以上です。

峰崎議員 峰崎でございます。

 伊吹先生のお話を聞いていて、前にもちょっとお話をしたことがあるんですが、今、基礎年金、国民年金、四分の三という提案があったんですけれども、私、個人的に言うと、三分の一から二分の一に上げることについても実は非常に懐疑といいますか、余りこれはよくないのではないかというふうに思っているんです。

 それはなぜかというと、高額の年金をいただく方も、実は三分の一から二分の一の補助というふうに切り上がっていくんです。そうすると、四分の三ということになると、高額所得者になるとさらにそれが、もし疑問があれば後でまたいただきたいんですが、そういう意味で、私たちが最低保障年金というふうに言っているのは、非常に所得の低い人だけにこれを支給していこう、これは一律に、一〇〇%税額をべたでいくのではないよ、こういう意味で実は述べているわけです。

 そこで、私は前に、今の保険料というのは、定額制の場合はこれはまさに人頭税ではないかというふうに言っておりますから、これに比べれば消費税の方が、消費に比例するという点ではまだいいと思っているわけですが、所得に対して、これは年金目的の所得税じゃないかと。

 これを年金目的の消費税に切りかえれば、いいか悪いかというよりも、消費税というのは多段階にわたってすべての人から、最終的に消費者が負担をする。そういう意味では、本来ならば所得税の世界では払っていない世帯も、実は消費をすることによって税を払っていくわけです。これに目的税という区分経理ももちろん入ってまいりますから、当然、そういう目的、性格を持たせた消費税というものを導入することによって、実はこれはみずから納めているという権利性を発揮することが、私は、それは十分可能なのではないか。

 そういう意味で、民主党の主張している最低保障年金という、そこのところの、いわゆる所得捕捉をどう正確にするかという問題はまた別の問題として、そこで支給されている財源の問題について言えば、私は、消費税というものが目的税化すれば、これは国民皆年金というところにも一歩近づいていく非常に大きな要素を持っているのではないかなというふうに思っております。

伊吹議員 峰崎先生の御指摘に簡単にお答えしたいと思います。

 私が提案しているのは我が党の共通の意見ではありません。例えば、現行三分の一をいずれ二分の一にするということは党が決めております。それを私はいずれ四分の三ぐらいに、本当は二分の一でとめるべきだと私自身は思っているんですよ、しかし、現実を考えると四分の三まで持っていった方がいいんじゃないかと言っているのは、これは現在でいえば国民年金に当たる、二階建て部分の厚生年金の基礎年金部分なんですよ。そして、再三ここで言っているように、御党の提案と同じように、この国庫負担、税の部分については、所得制限をかけるべきだと言っておるんですよ、私の提案は。

 ですから、今峰崎先生がおっしゃったようなことが起こるのは、昭和六十一年の年金改革までは、厚生年金の二階建ての部分についてまで給付の四分の一について税を入れておったわけです。ですから、例えば、ほとんど税を払うほどの所得のない、町の零細な商店の方が汗水垂らして納めた所得税が、大企業の重役や部長で定年退職された方の厚生年金の給付額の四分の一の補助に回っておったわけです。

 その制度はまずいということで、六十一年に基礎年金だけに国庫負担を入れることになったわけです。基礎年金だけに国庫負担を入れるのは、全国民共通ですから、国民年金も厚生年金も。そして、その国庫負担について、私は、所得制限をかけて、所得の高い人はそれを遠慮してもらおうという提言をしているわけで、これは民主党の御提言と極めて近い提言だと私は思いますよ。

小宮山議員 私たち民主党が税調で考えている考え方は、納税をする人たちはすべての人が申告をする、それに対するインセンティブも働かせられるように控除の仕組みも考えていくということを考えております。

 だから、そういう意味からいたしますと、前回も御説明したように、所得がなければゼロ円の保険料を納付する。先ほど枝野議員が言われたことと同じことですが、そのことによって支え合いの年金の制度の一部を担って責任を全うする。その責任を全うしたことによって権利が生じるので高齢期に年金を受け取れる、そういう組み立てで考えております。

 そのときに、先ほどからあるように、ゼロ円とするのか低額にするのかという考え方が一つあるとは思いますけれども、例えば、今自営業者の皆さんも、国民年金の第一号被保険者は五百十一万人に対して、農業者も含む自営業者の納税者は二百万人というように、自営業者の多くは納税をしていない。ということは、所得がないとみなされているというようなこともございますので、それを年金の場合にゼロ円とするのか低額にするのかということは考え方がまたあるかとは思いますけれども、私たちはそういうことで権利を持って受け取るという言い方をしているわけです。

 きょうのテーマでいいますと、高齢期にはまず年金を受け取って、それだけではどうしても最低限の生活ができない場合には生活保護ということで、少しでも生活保護を小さくしていく、そういうことが必要なのだと思いますので、前回も申し上げましたけれども、ちょっと整理としてそういう考え方を述べさせていただきました。

古川議員 民主党の古川です。

 先ほどの柳澤議員の所得把握のお話で一言申し上げたいと思います。

 私たち、年金の抜本改革をするに当たっては、その制度設計の中で、税制の抜本改革も同時に行われなければだめだというふうに考えています。

 そういう中では、当然時代に合った税制のあり方、ですから、今までのように、多くの人がサラリーマン、しかも一つの会社から給料をもらっている、そういうときには、会社の中で源泉徴収して、年末調整までしてしまって、ほとんどの勤労者は申告しなくてもいいという制度がよかったのかもしれません。しかし、これだけ職につく人が多様化して、収入の得方も、稼得の方法もかなり多様化している。人によっては二カ所、三カ所から、ダブルインカムやトリプルインカムの人もいるわけです。そういう中で、今のような形で全部、ある会社の中で、メーンに働いているところの中で年末調整までやってしまって納めるのがいいのかどうか、そこは根本的にちょっと考え直すときに来ているんじゃないかと思うんですね。

 フリーターの人たちの収入をどうやって把握するのか。やはり、それには基本的には申告納税で、自分たちでちゃんと申告をしてもらう。もちろん、それは一切の源泉徴収を否定するわけでなくて、アメリカなどでもほとんどの申告というのは還付してもらうために申告するようなものですから、そういう意味でも、基本的に納税者の皆さんに申告するチャンスを与えて、その中で税に対する意識を持ってもらうことがまず一つ大事なことだと思っています。そういうことまで含めて年金の抜本改革をやらなきゃいけないだろうと思っています。

 そしてまた、消費税も、実は今免税点が一千万になりました。これは柳澤議員とかそちらに座っている方々には釈迦に説法になるかと思いますが、売り上げが一千万ということは、普通の小さなところでいうと、仕入れとかを抜くと、収入でいうと大体二百万ぐらいじゃないかと思うんですね。そういうところは、今までだと所得税は課税最低限以下とかでかかっていないような人たち、そういうようなところまで今や実は消費税の課税対象になってきている。ですから、そうなりますと、そういう人たちも当然税務署なんかも所得を把握しなきゃいけないわけですね。

 今後、この消費税、我々も年金目的消費税で三%というものを提案しておりますけれども、当然私どもは、消費税の引き上げをするというときには、免税点が高ければ高いだけ益税の問題がありますから、やはりこれを下げていかなきゃいけないだろうと思っています。

 ですから、これがどんどん下がっていけば、例えば五百万の売り上げということになれば、割合からいったら、それこそ収入でいうと百万というような人まで収入が把握されるということになるわけですから、そういう意味でいきますと、所得が把握できていない、把握しなくてもやむを得ないというふうに取り扱われる層が、抜本的な税制改革をやっていく中では極めて小さくなってくるんじゃないか、あるいはならざるを得ないんじゃないか。

 そういう中で、じゃ、フィージブルな年金制度というのはどうかと考えれば、所得に比例してというので、そこまで把握したところで所得に比例した保険料を納めてもらうということであれば、国民もそれは不公平というふうには感じないんじゃないか、そういうふうに私どもは考えております。

坂口議員 先ほど阿部先生からございましたパートのお話ですが、これは前回の年金改革でも先送りになってしまった問題で、私も大変残念だと思っているんですが、そのときに、スーパーなどの経営者の皆さん方が大変だからといって反対されるのはわかるわけですが、それだけではなくて、パートで働いておみえになる皆さん方の多くの方から反対陳情が実はあったわけでありまして、これは私は予測しないことでございました。

 それで、パートで働いておみえになる皆さん方は御希望になっているんだというふうに思っておりましたけれども、これは三号被保険者の皆さんとの関係もあるのかなと。御主人がお勤めになっていて、百万か百三十万か、その辺のところ以内で働いておみえになるという方がおって、そういう皆さん方からすれば、それはそういう選択なのかなというふうに思ったわけであります。これは、先ほど古川先生がおっしゃったように、税制との絡みもあって、ここはよく整理をしていかないといけない話ではないかというふうに思っております。それが一つ。

 それから、低所得者にだけゼロ円にするということになりましたときに、共済年金なり厚生年金を個人単位にするかどうかですね。国民年金は個人単位になっています。だから、ここはいい。厚生年金、共済年金のところは世帯単位になっていますから、例えば三号被保険者の皆さん方を所得なしと見るのか、それともそうは見ないのかというようなことは、これはなかなか重要な問題になってくるものですから、進めていきますときに、その辺の整理をしないと話は前に進みにくいなというふうに思っております。

 以上です。

佐々木議員 高齢者の最低生活をどう保障するかという保障の仕方でありますが、私、先ほど、政令指定都市市長会の提案を御紹介しましたが、これを少し具体的に見ますと、こういうふうに言っているわけです。

 生活保護制度の対象を、高齢者の部分についてはそれを外す。そして、その高齢者の部分に生活保護制度とは別建てで、新たに低所得高齢者の生活保障制度を創設する。その生活保障制度の内容として、最低限の所得保障を行うために、最低年金制度を創設する。その内容は、無拠出で、一定の年齢の到達を受給条件とする、つまり、一定の年齢に到達した場合には最低年金を保障する。こういう提案なんですね。

 これは政令指定都市の市長会の提案でありまして、一定の合理性があるというふうに思っております。これは大いに検討する必要があるのではないか。

 そこで、我々が提案している最低保障年金制度でありますが、この市長会の提案と共通するんですけれども、いずれにしても、厚生年金、共済年金、国民年金の共通の土台として、全額国庫負担による一定額の最低保障額を設定する、その上に、それぞれの掛金に応じて給付を上乗せするという制度であります。

 これを最低保障額月額五万円からスタートさせようというのが私どもの考えでありまして、こういう制度が実現しますと、現在の無年金者には、月額五万円の最低保障年金が支給される。現在、二万から四万ぐらいの国民年金の受給者にとっては、この五万円に加えて、支払った保険料に相当する一万から二万を上乗せしますので、月額六万から七万が受け取れる。現在、国民年金の満額六万六千円を受け取っている人は、同様に五万円に三万三千円上乗せしますから、八万三千円が受け取れる。こういうような考え方で、厚生年金についても一定額までは同様の底上げを行う。

 この財源ですけれども、五万円の最低保障を実現するために必要な財源として、国庫負担を二分の一にするための二・七兆円のほかに、新たに約五兆円が必要であります。この財源として、道路特定財源の一般財源化を初めとする公共事業費、歳出の見直しを行うということ。それから同時に、歳入の面で、法人税率がこの間ずっと引き下げられてきました、あるいは所得税の最高税率の引き下げというのがありまして、これは見直されておりませんので、この点を見直していくということ。したがって、こういう形で財源を確保する。

 消費税に頼るというのがどうも何回も出てくるわけですが、我々はそれは反対であります。なぜかというと、消費税というのはもともと逆進性を持っていて、これは先ほど坂口先生もお認めになったように、低所得者ほど負担率が高くなるというものでありますので、福祉の考えからいうと逆行するということです。

 そういう意味で、福祉の財源として、高齢者の生活を圧迫するという税制については我々は反対でありますし、目的税化しますと、その金額を上げようとすると税金が重くなる、税金を軽くしようとするとサービスが低下する、こういう悪循環になりますので、これも我々は賛成できない。何度も繰り返し言っておりますが、これは改めて言っておきたいと思います。

山本議員 民主党・新緑風会、山本孝史でございます。

 この場における議論でいつも若干の混乱を生じているのは、現行制度を前提に話されている方と、新しい制度をイメージして話している方と、その場がそれぞれに絡み合うものですから、うまく議論が重なってこないのかなというふうに思います。

 現行制度を前提にきょうの議題で申し上げれば、今回の改正で、私、何回も申し上げておりますように、基礎年金の性格が、マクロ経済スライドがかかることによって変わりました。マクロ経済スライドを二階にかけることについては私は一定の評価をしますが、一階部分までかかってしまったがために、基礎年金とは何かという考え方が変わった。予算委員会での御答弁で、年金局長は、従来の積み上げ方式ではもうないのです、これは一定額を支給するものになったんです、こういう御説明をされました。基礎というのじゃなくて、ある普遍的な年金ということに、ここは性格が全く変わってしまったのだと思います。

 そうしますと、次に出てくる問題は、補足性の原理が生活保護にあるということですね。どうしても二十五年以上払わないともらえない、四十年でようやく満額になる。そしてまた、それでも水準が生活保護よりも低いということになると、現行制度ではなかなか保険料を払うインセンティブが働かなくなってくるのではないか。そうしますと、基礎年金もマクロ経済で下がる、生活保護水準が高いからというので、多分、財政上悪いから生活保護も下げるということになってきて、両方がともに下がっていくという形に今の与党の考え方ではなるのではないかと思います。

 そういう意味で、一体低所得者というのがどこにどういうふうに生まれてくるのかということについてのもう少しきっちりとした議論が要るのではないかと思います。

 それともう一つの問題は、阿部先生と意見が一致しますが、基礎年金はバーチャルな制度なんですね。これは単なる財政調整をしているだけなんです。給付は払った月数で一元化されていますが、納付の仕組みは一号、二号、三号でそれぞれに違う。ここに世代内において大変に不公平が残っている。これをどう解消するかというときに、やはり一元的な負担の仕組みを考えるべきではないか、こう申し上げている。

 ところが、サラリーマンと自営業者の間での所得の捕捉は、どこまでいっても両者で理解が一致しないのではないかと思います。なぜならそれは、経費をどう外すか、給与控除をどう見るか、事業の控除をどう見るかによって、所得というものは一致しているかもしれないが、もともとのものは違うのかもしれない。この差をどこまで埋め切れるのか、どこまでいったら両者が合意できるかという努力をしてみようというのが古川さんの御提案だと私は思っています。

 その意味では、いろいろな税制の改正はしなければいけない。納税者番号にしても、あるいは全員が申告納税をするという仕組みもやはり考えなければいけないのではないかと思います。

 歳入庁構想を申し上げているのも、なぜ国税庁が社会保険庁と一緒になるのが嫌なのかなというふうに思いますが、しかし、そこはそういう歳入庁構想を考えてみるべきで、伊吹先生、なぜできないとおっしゃったのか、ぜひお答えもいただきたいと思います。

 そういうことで申し上げているのは、一階と二階の保険料を分けるというのは一つの考え方なのではないか、現行制度を前提にして考えるならば。そうすれば、阿部さんがおっしゃったようなパートタイマーに対する適用の問題も、保険料率が下がるという意味において、事業主も、あるいは御本人もパートでも払うという意識が出てくるのかなというふうに思うので、そこは現行制度を前提にすればそういう考え方ができるかもしれない、こう申し上げている。

 スウェーデン方式はスウェーデン方式でいろいろな議論がありますけれども、日本型のスウェーデン方式を考えなければいけないと思うので、必ずしも今のスウェーデン方式がすぐ日本でできるとも思わない。

 申し上げているように、できるだけ、税制であれ何であれ、合意できる部分の整理というものもこの議論の到達点として少しなさるのが次に対する議論の進め方としてはいいのではないかと思っております。

 以上です。

冬柴議員 公明党の冬柴鐵三でございます。

 きょうは国民年金と生活保護の関係が議題だと理解しておりますが、憲法二十五条、言うまでもなく、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」それを保障するのが生活保護であると思います。

 生活保護の場合には、その個人によって、給付の額、決められる額が非常に大きく変わります。例えば住んでいる地域ということで、現行法では六つの地域に分けまして、その必要な住居費用というものが計算されて、金額が違います。東京で住んでいる場合と富山で住んでいる場合では大きく違います。そしてまた、その個人によって、義務教育を受ける子供たちを扶養している人たちには教育扶助もしなければなりませんし、もし病身であれば医療扶助も受けなければならないし介助扶助も、また出産の扶助も受けなければならないということは、非常にその人によって受給する金額というものは個性的であります。

 そしてまた、その人が資産を持っているかどうか、資産ということは固定資産でございますが、また貯蓄があるかどうか、あるいは民法上の扶助義務を持つ親族があるかどうか、その人の所得はどうかということによっても金額が左右されるわけであります。

 したがいまして、これは二十五条がある以上、この制度はどこまでも維持されなければならないわけでありまして、その拠出するもとは、国が責任を持っている以上、税で賄われるということになります。

 現在の生活扶助、平成十五年の実績で見ますと、生活扶助本体の部分は八千百八十二億円のようでございます。ところが、医療扶助は一兆二千三百六十一億円、そして、先ほど言いましたような個性的な部分で、住居とか住んでいる場所が違うとかいうようなことで払われる金額がそれ以外に三千三百三十八億円。そういう構成になっているものを、国民年金、そのうち基礎年金あるいは最低保障年金というもので画一的に保障できるはずがないわけでございます。

 したがいまして、これは、民主党さん案におきましても、月額七万円という一つの基準が法案の中に書かれておりますが、人によってこの七万円ではとても生活ができない部分が生じてくるわけでございます。

 したがいまして、我々は、この年金、これを社会保険制度でやる以上は、拠出と給付というものを画一的に、その掛けた年度とかそういう計数はありますけれども、定めざるを得ないわけでございます。保険である以上は、保険危険とその生ずる確率に基づいて保険料が計算されるからでございます。

 これは、坂口さんもおっしゃって、また与党の先生方がおっしゃるように、自助というものを、健康なときに老後に備えようという精神のもとに払える金額を払っていこうという精神で立案されているわけでございまして、生活保護を受ける人のものをそれで代替しようとか、そういう精神であってはならないのではないか。あくまで自分が老後に備えて一生懸命やる、そして受ける金額が生活をするに足らない場合にはその差額分は生活保護で受けるということはいいとしましても、あらかじめ画一的に保険の制度で生活保護を受ける人の部分まで置きかえるということは妥当ではない、私はそのように思うわけでございます。

 以上でございます。

伊吹議員 山本先生からお尋ねがあったのでちょっとお答えしておきますが、歳入庁がなぜだめなのかということを私は言っているわけじゃないんです。歳入庁というものをつくればすべてが解決するという御理解は無理ですよということを申し上げております。

 つまり、問題は二つあると思うんです。

 仮に、納税者番号でも社会保障番号でもいいですが、これを付して把握しようとすれば、資産は把握できるんですよ。それから、サラリーマンの場合は、働き方が徐々に変わってくるというお話がありましたが、源泉徴収される所得税は把握できるんです。しかし、歳入庁がある国であっても、やはり事業所得というものはすべて申告制なんですよ。収入と経費をおのおの申告してやるわけですね。

 これを完全に公平という形で担保するということは不可能だと思いますが、やろうと思えば、かなり完全なところまで近づけます。しかし、そのためには、税務職員をどれぐらい増員しなければならないか、そして、毎日毎日事業所にどれだけの税務職員が入ってきて日常の業務が混乱してくるかということを考えると、つまり、病理学としては正しいけれども臨床としてはなかなかやれないなということがかなりありますよ。そういう前提のもとで、歳入庁という言葉だけを出せばすべてが解決するというわけじゃありませんねということを申し上げておるわけです。

 それから、せっかくの機会ですから、先ほど古川先生がおっしゃったのがやはり私は一般の国民の感覚に近いんじゃないかという気がするのは、本件とは直接関係がありませんが、生活保護費の認定率、これはもちろん失業だとか年齢構成によって違いますが、府県単位で見ると二十倍以上の差がありますね、同じ日本国で。そして、町村は府県が認定をしますが、市以上は市が認定しますから、市で見ると百五十倍の違いがありますね。

 これは、私は、三位一体のこととも絡んで、国税を預かっている、我々国会議員は全員そうですから、そういう立場から見ると、地方にやはりある程度のことはお願いをしないと、なかなか納得が得られない分野じゃないかなという気がしております。

枝野議員 先ほど来、所得の捕捉についての議論が出ておりますので、これはこれで一つのテーマとして取り上げてやらなきゃいけないと思うんですが、せっかく出てきておりますので。

 私は、昨年の法案の審議のときにも何度も申し上げたんですが、確かに、所得の捕捉というものを一〇〇%完全にやるということは、人間の営みですから、あり得ないということはよくわかっています。ただ、少なくとも、特に政府・与党の皆さんが、現状は所得の捕捉ができていないんですということを堂々とおっしゃる、これは、野党の側から言うのだったらわかるんですが、私は大変不思議なんですね。

 つまり、現状でも所得税というのは、現状の所得の捕捉状況を前提としてかけているわけですよ。所得の捕捉が不十分である、サラリーマンと自営業者では捕捉が全然違うんだということをみずからお認めになりながら、所得税をおかけになっているということになるわけですね。

 まだ年金は、例えば我々の提案では、納めた額によって将来受け取る額が変わってくる。ごまかして少ししか納めていなければ、将来受け取るのも少ないんだ、最低保障の部分で補われる分は別としても、所得比例の部分はそうなっているわけですから、捕捉率に若干の違いがあった、ごまかしがあったとしても、まだ本人からすれば納得ができるというか、そういう部分があるわけですが、税については、たくさん納めたから見返りが大きいという制度じゃないわけですから、まさに所得の捕捉が全然違っていて、それが容認できないほどの不公平であるならば、所得税という制度自体が成り立たないということになるわけですね。

 さらに言えば、先ほど古川さん、冒頭のところでおっしゃっていましたけれども、今もその不十分な、不公平な所得の捕捉に基づいてさまざまな給付を行っているわけですよ。何とか手当、そういったものを出すかどうかとか、あるいは、細かいところまで私も把握していませんが、保育所に入れるとか入れないとか、そのときに幾ら授業料を取られるのか。全部現状のサラリーマンとそれ以外では不公平であるということを前提にした所得捕捉でやっているということを、与党の皆さんがお認めになっているということになるわけですね。

 もちろん、不公平がないと言うつもりはありません。我々もそこのところは直していかなきゃならないわけですが、でも人間の営みだから、そうはいってもある程度割り切らないとできないことはある。では、そのときに、所得税であるとか、あるいは何とか手当とか何とか給付とか、そういうことについてアンバランスな中で行われているということと、所得比例年金で、納めた額に応じて将来受け取るという相関関係がある中で捕捉にある程度の事実上の違いがあるということと、どちらがより容認可能な範囲なのかといえば、私は年金の方がずっと容認可能ではないかというふうに思っております。

 もしこれが年金すら所得の捕捉が違うからだめだということだとすれば、所得税という制度自体をやめないといけないんじゃないのかな、あるいは自営業者は定額の所得税を納めていただくという発想になられるのかな、でないと私は論理的一貫性がつかないと思うんです。

 以上です。

津島議員 きょうは、お互いの意見がとてもよくわかる、いい会合でございました。

 それで、幾つかつけ加えて申し上げたいんですが、枝野先生などから所得の把握の問題で非常に率直な御指摘がありまして、相当部分、私は共感するものであります。

 ただ、一つ考えていただきたい。申告でさせればいいだろうと言っていますが、今、自分で頭で考えて、所得控除、経費控除をいろいろやって、所得が最低限以下だなと思う人は、そもそも申告もしていない。膨大な人口になっております。年金にかかわるところは、ここが大事なんです。ですから、今の申告している人の間の公平がどうかという議論は、これは先生の言うところのあれですけれども、もう少し下のところ、年金に係る部分、ここでは控除のあり方、給与所得控除というものが一体どうなのか。実額控除と、つまり事業所得者は実額控除でいきますから、このアンバランス、この制度問題にまで実は入り込んで議論しなきゃいけないだろう、これが一点。

 それから二番目に、きょうの議論で、生活保護と最低保障年金の議論をしていったら、限りなく、公助の世界がいいじゃないか、こうなってきた。阿部さんだけはちょっと、企業税、ノルウェーの企業税、これはアメリカの社会保障税だってそうですよ、同じで、これは共助の世界ですよとおっしゃった。つまり、スウェーデンの制度は、基本的には共助の世界ですよ。公助の世界ではありません。下にずっとくっつけた部分、最低所得保障の部分だけ公助の世界だ。

 ですから、公助でいくか、共助でいくかということは、もうちょっと議論しなきゃいけない。それは、僕は、坂口先生が提案されたように、スウェーデンの制度を一つの参考にして、徹底的に議論をしてみる必要があると思っております。

 三つ目に指摘したいのは、なぜそういうことを言うかと申しますと、年金で一番大事なのは、世代間、グループ間の公平感です。新しい制度を入れようというときに、当然この問題が非常に厳しくなってきます。これまで掛けていた人、掛けていないけれどもかなり従来よりもいい年金をいただける人、その財源は何なのか。これも答えを出さないと、ここの議論だけでは国民は納得してくれないだろう。

 以上、三つだけ御指摘申し上げておきます。

与謝野会長 それでは、時間も参りましたので、本日の自由討議は終了することにいたします。

 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後三時十六分散会


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