衆議院

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第4号 平成18年5月26日(金曜日)

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平成十八年五月二十六日(金曜日)

    午前九時開議

 出席委員

   委員長 森山 眞弓君

   理事 岩永 峯一君 理事 小渕 優子君

   理事 河村 建夫君 理事 田中 和徳君

   理事 町村 信孝君 理事 大畠 章宏君

   理事 牧  義夫君 理事 池坊 保子君

      井澤 京子君    井脇ノブ子君

      稲田 朋美君    岩屋  毅君

      臼井日出男君    遠藤 利明君

      小此木八郎君    大塚 高司君

      大前 繁雄君    海部 俊樹君

      北村 誠吾君    小島 敏男君

      小杉  隆君    坂井  学君

      塩谷  立君    島村 宜伸君

      下村 博文君   戸井田とおる君

      中山 成彬君    西銘恒三郎君

      西本 勝子君    鳩山 邦夫君

      松浪健四郎君    松野 博一君

      森  喜朗君  やまぎわ大志郎君

      若宮 健嗣君    奥村 展三君

      下条 みつ君    中井  洽君

      西村智奈美君    羽田  孜君

      藤村  修君    松本 大輔君

      山口  壯君    横光 克彦君

      笠  浩史君    太田 昭宏君

      斉藤 鉄夫君    石井 郁子君

      志位 和夫君    保坂 展人君

      糸川 正晃君    保利 耕輔君

    …………………………………

   議員           藤村  修君

   議員           笠  浩史君

   議員           武正 公一君

   議員           大串 博志君

   議員           高井 美穂君

   議員           達増 拓也君

   外務大臣         麻生 太郎君

   文部科学大臣       小坂 憲次君

   国務大臣

   (内閣官房長官)     安倍 晋三君

   国務大臣

   (少子化・男女共同参画担当)           猪口 邦子君

   文部科学副大臣      馳   浩君

   文部科学大臣政務官    有村 治子君

   衆議院法制局第三部長   夜久  仁君

   政府参考人

   (文部科学省生涯学習政策局長)          田中壮一郎君

   政府参考人

   (文部科学省初等中等教育局長)          銭谷 眞美君

   政府参考人

   (文部科学省スポーツ・青少年局長)        素川 富司君

   衆議院調査局教育基本法に関する特別調査室長    清野 裕三君

    ―――――――――――――

委員の異動

五月二十六日

 辞任         補欠選任

  臼井日出男君     西本 勝子君

  遠藤 利明君     井澤 京子君

  海部 俊樹君     井脇ノブ子君

  西銘恒三郎君     大塚 高司君

  鳩山 邦夫君     坂井  学君

  森  喜朗君     塩谷  立君

  羽田  孜君     下条 みつ君

  石井 郁子君     志位 和夫君

同日

 辞任         補欠選任

  井澤 京子君     遠藤 利明君

  井脇ノブ子君     海部 俊樹君

  大塚 高司君     西銘恒三郎君

  坂井  学君     鳩山 邦夫君

  塩谷  立君     森  喜朗君

  西本 勝子君     臼井日出男君

  下条 みつ君     羽田  孜君

  志位 和夫君     石井 郁子君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 政府参考人出頭要求に関する件

 参考人出頭要求に関する件

 教育基本法案(内閣提出第八九号)

 日本国教育基本法案(鳩山由紀夫君外六名提出、衆法第二八号)


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     ――――◇―――――

森山委員長 これより会議を開きます。

 内閣提出、教育基本法案及び鳩山由紀夫君外六名提出、日本国教育基本法案を一括して議題といたします。

 この際、お諮りいたします。

 両案審査のため、本日、政府参考人として文部科学省生涯学習政策局長田中壮一郎君、初等中等教育局長銭谷眞美君、スポーツ・青少年局長素川富司君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

森山委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

森山委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。岩屋毅君。

岩屋委員 おはようございます。自民党の岩屋毅でございます。

 きょうは、七時間コースのトップバッターということで、短い時間ですけれども、よろしくお願い申し上げたいと思います。

 超党派でつくっております教育基本法改正促進委員会という議員連盟がございますが、私はそこの事務局長を仰せつかっておりまして、今日まで同志の皆さんと一緒にこの問題に取り組んでまいりました。

 ここに名簿がありますけれども、本当にたくさんの先生方に参加していただいておりまして、衆参合わせて三百七十八名、衆議院は二百四十八名、参議院百三十名。自民党はもちろんですが、民主党の先生にも、あるいは国民新党の先生にも、無所属の先生にも、たくさん入っていただいております。森喜朗先生、西岡武夫先生が最高顧問でございまして、提出者であります笠先生にも事務局次長として御尽力をいただいておりますし、中井先生にも御指導いただきながら、勉強を進めてまいりました。

 この促進委員会も案を取りまとめているんですね。同僚の下村先生が起草委員長になられて、もう何十回も民間有識者の皆さんも交えて、立派な案をつくらせていただいていると思います。ですから、私の頭の中には、政府・与党案と民主党案と議連の案という三つの案があるわけでございまして、それぞれに大事なエッセンスが取り込まれている、こういうふうに感じているところでございます。

 したがって、一昨日小泉総理もおっしゃいましたけれども、本来、こういう法案は対決法案とすべきではない。決して党利党略は持ち込むべきではない、やはり国民の英知をこの議会において結集して成案を得るということであるべきだ。もちろん、これから徹底審議をするわけですが、審議の暁には、小異を捨てて大同につき、立派な成案を得る、こういうことでこれからの審議を進めるべきだ、こう思っておりますが、今私が申し上げた考え方に、政府並びに民主党の提出者、それぞれ異論がないかどうかお聞かせをいただきたい、こう思います。

小坂国務大臣 私ども、岩屋委員が御所属の教育基本法改正促進委員会の皆様のお考えにできるだけ近づくつもりで今回の法案の策定に当たってまいりました。

 そういった意味では、委員会のみならず、中央教育審議会の答申を踏まえ、そして、与党における協議会、検討会の最終報告も踏まえ、また、各地で行われてまいりましたタウンミーティングやあるいはフォーラムで賜った御意見も踏まえ、そういったものも踏まえた上での今回の提出でございます。

 教育基本法は、こういった御議論を踏まえた上で、今日我が国が抱える教育の上でのさまざまな課題、今さら申し上げるまでもないと思いますが、そういった課題について、新しい時代の教育の理念を明確にするとともに、これまでの教育基本法のすばらしい理念を継承しつつ、教育の構造改革、教育改革を抜本的に進めるための基本的な理念を明らかにするべく提出をさせていただいたものでございます。

 したがって、私としては、このような趣旨に御理解をいただきまして、この法律について、国会において十分な御審議をいただくとともに、同時に、速やかに国民の期待に沿って多くの委員の皆様に御賛成をいただけることを期待いたしているものでございまして、そのために全力を尽くしてまいりたいと存じますので、何とぞ、岩屋委員におかれましても、御協力また御推進のほど、お願いを申し上げます。

藤村議員 岩屋委員の御質問にお答え申し上げます。

 岩屋委員の教育基本法改正促進委員会における日ごろの御活動に敬意を表します。私どものメンバーも何人も参加をさせていただいておりますし、また、最高顧問に西岡参議院議員も入っている、こういうことを聞いております。

 そこで、今おっしゃった件、多くの議員の賛同を得てということで、特に憲法に準ずるというようなことであれば、憲法は三分の二で発議権でありますが、本当に多くの議員の賛同を得て、この教育基本法が今後五十年、六十年の日本の教育を築く基礎として成り立っていくという意味で、全くその御意見には賛同いたします。

 我々は、やはり、国民的な議論も含めて、国会において本当に大半の議員の賛同を得てできることが最も望ましい、このように考えておりますし、そのように努力すべきであると思います。

 ただし、民主党案と政府案という、今出ている二つだけについて申しますと、例えば入り口のところで、政府案は全部改正という現行法をベースにした改正案でございますが、民主党案は新法という形で、そういう意味では、その入り口のところから非常に、形からまず違うということがございますし、今後の審議でこれは徹底して明らかにしていく必要がございますが、おっしゃるその小さな相違、小異なのかどうか、この辺はぜひとも今後の審議で徹底して御審議をいただきながら解明をお願いしたいと思います。

 以上でございます。

岩屋委員 今もお話がございましたが、これは憲法に匹敵するような重要法案でございます。したがって、また、国づくりの基本は人づくりでございますから、それに関する根本法でございますので、できる限り多くの政党、できる限り多くの議員、また大多数の国民世論の賛同、支持を得てつくり上げることが私は大事だ、こう思っておりますので、そういう気持ちで私もこの審議に臨ませていただきたいと思っております。

 自民党の中の議論もなかなか最後まで厳しい議論が続きました。私も声を大きくさせていただいた者の一人であったわけでございますが、というのは、やはり、かねてから言われております三点について、必ずしも表記が十分じゃないのではないかということをめぐって最後まで厳しい議論が続いたわけでございます。

 一つは、愛国心の涵養ということに関する表記について。それからもう一つは、宗教的情操の涵養というものの表記について。もう一つは、いわゆる不当な支配という表記が残されたことについて。これをめぐって非常に厳しい議論を最後まで闘わせたわけでございます。

 したがって、この三点について、これから審議の中で我が党の同僚議員からもいろいろな意見が出るだろうと思いますが、私は、最初に申し上げたように、相違点を浮き彫りにする、民主党案と政府・与党案の相違点を浮き彫りにしたいというよりも、できるだけ共通点を見出したい、そういう気持ちでお伺いをしていきたいと思いますので、その旨御了解をいただいた上で、建設的な御答弁をぜひお願いしたい、こう思います。

 まず愛国心についてですけれども、一昨日、心と態度はどう違うのか、こういう議論がなされました。池坊先生から広辞苑の意味について御紹介もあったりしたわけですが、英語で言うとどうなるんでしょうかね。小坂大臣は非常に英語が御堪能なんで御存じかとも思うんですが、どう言うんでしょうね。心はスピリットかあるいはマインドか、態度というのはアティチュードということになるのか。いずれにしても、スピリットがあって、それがアティチュードにあらわれる、そういうふうに普通了解するんだというふうに私は思いますが、政府の説明では、態度というものの前提には心がある、したがって、態度というものは心も包含している、多分こういうお考えだろうと思うんですね。しかし、それと、やはり心というものはきちんと表記されるべきだという考えも一方にある。

 ただ、私はこういう議論に余り拘泥するのもいかがなものかなというふうにも感じておりまして、いっそのこと、心と態度を養うと書いてしまった方がもうわかりやすいんじゃないかと、そんなふうにも思うわけです。

 あえてお伺いしたいと思いますが、政府案があえて心というのを使わないで態度としたのはなぜか、心と書いたら何が問題なのか、そこをちょっと聞かせていただきたいと思います。

馳副大臣 愛するということは、まさしく私は心を表現するそのものだと思いますね。妻を愛する、心がこもっていないと、何を上辺だけで言っているのよ、こう言われることでありますし。

 ただ、これは第二条の条文のところですね。ここは目標を五つ並べたところでありまして、伝統と文化をはぐくんできた我が国を愛するということと、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与するということ、この二つ、そういう態度を養う、こういうふうな文章の構成にしておるわけでありますから、そういうことで態度を養うというふうに持ってきたというふうな理解をしていただきたいんですけれども、愛するという言葉そのものが心を表現していると理解をいただきたいというふうに思っております。

岩屋委員 言葉というのはいろいろな言い方ができるものでございますが、郷土や国を愛するというのと他国を尊重するというのは併記しているから、言葉遣いとしては態度ということじゃないか、こういう御説明でございました。

 深掘りをする前に民主党さんの方にも聞きたいことがあるんですけれども、民主党案が、国を愛する心、国と言わないで日本というふうに言ったのはなぜですか。

笠議員 今、岩屋委員の方から御指摘があったように、私どもも、いわゆる愛国心をめぐるこの表記について、党内でもやはりさまざまな議論がございました。

 そうした中で、結果として、国を愛するではなくて日本を愛するという形にさせていただいたわけですけれども、これは当然ながら、日本という言葉の中には、我が国の伝統、文化、さらには郷土、自然など、その社会的な実在としての日本を愛する心がやはり必要じゃないかということで、単に国ということに限らずに、これまで二千年にわたって連綿としてはぐくまれてきたこの日本を愛する心の涵養ということこそが大事なのではないかということで、前文の中に盛り込ませていただいたわけです。

 そうした心がはぐくまれることによって初めて、他者を慈しみあるいは他国を理解するというこうした共生の精神というものも醸成をされるのではないかということで、そのことで日本を愛する心の涵養とした次第でございます。

岩屋委員 言っていることはよく理解できますし、中身は同じなんだなという感じがするんですね。やはり国というのは、歴史、伝統、文化、人々すべてを包含した私は言葉だと思うので、殊さら日本と言わなくても、国と言っても同じなんではないか。そこにどういうこだわりがあったのかなという感じがいたしますが、これもまた機会を得て深掘りをさせていただきたいと思います。

 それから、民主党案で、日本を愛する心、しっかり書いていただいたのは評価したいと思いますが、前文に置いたのはなぜなんでしょうか。これは、前文に置いたから強制にならなくて、条文に置いたら強制になるんだ、こういうお考えなんでしょうか。それは果たして正当な判断なんでしょうか。その点、ちょっと聞かせてください。

笠議員 今、岩屋委員がおっしゃったようなことではちょっと私どもは違いまして、これはむしろ、前文に置くとか置かないとかいうこと以前に、私どもの日本を愛する心といういわゆる愛国心の問題というものは、当然ながら、上から一方的に押しつけられるものではございませんし、そうした強制的にまた押しつけてはぐくまれるものではないと私どもは思っております。

 そこで、私ども民主党として、なぜ前文に置いたのかということは、我々は、今回の民主党案、日本国教育基本法は、新法として、これから本当に四十年、五十年、しっかりと今のこれからの時代にふさわしい教育基本法をつくっていこうということで議論してまいりました。

 それから、中でもその前文を、もともとこの教育基本法というのは理念法でございますけれども、その中心となる理念、これからの時代にあしたを担うどういう人材を私どもが育てていくのかということをうたったのが、その中心になるべき理念がこの前文に盛り込まれているということで、前文の中において私どもは、日本を愛する心の涵養というこのことを盛り込ませていただき、宣言をさせていただいたということでございます。

岩屋委員 前文というのは大事なものですから、その中にしっかりそのことも書き込んだ、これはよくわかるんですが、政府・与党案も教育の目標というものの中にきちんと置くということは、何も強制をしようという発想でそうさせていただいているんじゃないんだと思うんですね。

 ですから、条文の中に教育の目標として愛国心、表記の仕方は別にしても、書き込むことがそれでは民主党さんは不適切だ、こういうふうにお考えなんでしょうか。

笠議員 私はやはり、この目的の中の目標、そしてそこに五項目、政府案の中では並んでいるんですけれども、その一番最後と言っていいんでしょうか、一番下に、一番最後の部分にこの文言が、表記がなされているわけですけれども、これは、ともすれば非常に限定されて、強制力を持って一部の人たちに使われる可能性もあるのではないか。むしろもっと言えば、やはりつけ足しのように五項目めに入っているということはいかがなものなのか。この理念の中心となすべきものでございますから、やはり前文の中にうたった方がいいのではないかと思っております。

岩屋委員 今まではそういう書きぶりがなかった教育基本法に、しっかりと教育の目標の中にきちんと位置づけたということなので、笠さんはつけ足しのようにとおっしゃいましたが、政府・与党案はそういう意図ではないということは御理解をいただいておきたいと思います。

 それから、今、民主党提出者さんがおっしゃったように、前文というのは非常に大事だと思うんですが、民主党案の結語は、「新たな文明の創造を希求する」、こう書いていますね。大体、文章というのは一番最後が一番大事なんですね。この「新たな文明の創造」というのはいまいちちょっとよくわからぬのですね、私、意味が。これは一体何を意味しているんでしょうか。

藤村議員 私たち非常に高邁な理想を掲げたということでございますが、余りたくさんのこと、今時間もそんなにございません、申し上げませんが、二十一世紀の今の日本やあるいは世界、特に先進国間においては、これまでの物、金を追い求めてきた物質文明主義への相当な反省がある、そして、やはり大きく転換が必要だ、これは共通の理解だと思うんですね。

 一つの例でいいますと、情報ネットワーク社会などというものが出現しておりますが、あるいは、日本でもこのところ非常に強く言われるのは、やはり文化の香り高い国をつくりたいということなど、すなわち、新しい社会を創造することが我々の新しい理念として求められていると考えます。さらに、当然引き続き、人間の尊厳や平和あるいは共生などの前文に盛り込んだ価値というものは、これはさらに高め発展させることが求められている。

 それらを調和して、民主党案の方では新たな文明という言葉を使いましたが、これは今から創造をするものでありますので、現時点でその新たな文明は何かと確定しているものではありませんが、世界の中の日本の立場で、これら求められる新しい社会や価値を探求し創造すること、このことが必要だと訴えたわけで、そのためにこそ人間の育成、すなわち教育の成果に依存すると考えております。

岩屋委員 言わんとされることは理解をしましたが、ただ、私はやはりこの言葉にはちょっと違和感があるんですね。やはり新たな文明の創造というのは、まさに教育の成果、国民の皆さんのさまざまな営みの集大成としてでき上がったものを他者によって評価されるものだというふうに思いますので、ここに、必ずしも意味が判然としないものを結語に置いているということについては、ちょっと私は違和感があるということを指摘させていただきたいと思います。

 それから、愛国心の涵養について政府の御見解を聞きたいんですけれども、一昨日の議論の中で評価のことが問題になりました。私は、やはり内心の自由の問題について、特にこの愛国心の問題については、学校で教えてくれればいい、きちんと教えてさえくれればいい、こう思っておりまして、それを、目安をつくって生徒個々人を評価するというのは、私は必ずしも適切ではないと。だから、共産党さんが紹介されましたが、もうあんな通知表はないんだということですが、ああいう福岡県の通知表にかつて見られたようなやり方は不適切だ、私もこういうふうに思っているんです。

 そこで大臣にお伺いしたいんですが、この教育基本法が成立した場合、愛国心、正確に言うと、政府案では郷土や国を愛する態度は、学校現場でどのように教えられることになるのか、また、評価というのはどういうふうに考えておられるのか、聞かせてください。

銭谷政府参考人 まず、現状を申し上げますと、現行の学習指導要領におきましては、例えば小学校の社会科の六学年の目標の一つとして、「国家・社会の発展に大きな働きをした先人の業績や優れた文化遺産について興味・関心と理解を深めるようにするとともに、我が国の歴史や伝統を大切にし、国を愛する心情を育てるようにする。」と定めております。

 具体的な指導の場面では、こういった目標を受けまして、ふるさとの歴史や昔から伝わる行事を調べたり、国家、社会の発展に大きな働きをしました先人、偉人や国際社会で活躍した日本人の業績などを調べ、理解を深めることによりまして、我が国の歴史などに対する理解と愛情をはぐくみ、国家、社会の進展に努力していこうとする態度を育てる指導が行われております。

 こういった態度は、国家、社会の形成者として必要な資質でございますし、また、これからの国際社会を生きていく上でも大切なものと考えておりまして、今後、本法案の趣旨を踏まえまして、各学校においてしっかりと教えられるように努めてまいりたいと考えております。

 それから、評価でございますけれども、児童生徒の内心を調べまして、国を愛する心情を持っているかどうかで評価をするというものではありません。あくまでも、我が国の歴史やその中での先人、偉人の業績といった具体的な学習内容について進んで調べたり、学んだことを生活に生かそうとしたりする姿勢を評価するというものでございます。

 このような評価の考え方につきましては、文部科学省としてその趣旨の徹底を図っているところでございます。また、このことは、教育基本法に教育の目標として我が国と郷土を愛する態度を規定することによりましても変わるものではないと考えております。

岩屋委員 おっしゃるとおり、もっと日本のすばらしいところ、ふるさとのすばらしいところをちゃんと教えてほしいと思いますね。学校の近くにある名所旧跡でも、神社であるとか仏閣であるということになると、教えない、だれも知らないなんということになっているわけですね。シュバイツァーも偉い。ナイチンゲールも偉い。だけれども、日本にも偉い人はたくさんいたわけですね。そういうことがきちんと教えられていないというのは私は問題だと思っておりまして、そういうことがしっかりと教育現場でできるようにしていただくためにも、こういう教育基本法の改正は必要だなとつくづく思うのでございます。

 それから、済みません、半分も行きそうにないんですが、順番どおりちょっとやらせてもらいたいと思います。

 政府案では、郷土や国を愛するということに続いて、他国を尊重する、こう書いていますね。ここで言う尊重というのは、当然のことながら、何も他国の統治形態を認めるとかいうような意味では全然ないんだろうと思いますね。やはり、自分の国を愛すると同様に、よその国に対しても、これを尊重して親善友好の心を持て、こういう言葉遣いなんだろうというふうに私は思っておりまして、理解をするという言葉だろうが、尊重するという言葉であろうが、それはまあ小異、小さな違いなのかな、こう思っているんです。あえて聞きますが、政府案が、他国を理解しというふうに言わずに尊重するというふうに言ったのはなぜですか。

田中政府参考人 他国を尊重とした理由でございますけれども、これは、他国の成り立ち、あるいはそれぞれの国が有しております伝統や文化などにつきまして尊重するということを全体として表現をしておるものでございます。したがいまして、御指摘いただきましたように、我が国の伝統や文化を重んずると同様に、他国の伝統や文化に対しても、これを尊重する態度を身につけさせようとするものでございます。

岩屋委員 民主党さんにもちょっと聞きたいんですが、民主党の幹部の先生は、鳩山先生だったと思いますが、他国を尊重するといえば、北朝鮮の現体制をも尊重せよということになるということをおっしゃっていますが、私はちょっと次元が違う話なのではないかなと思うんですけれども、今でもそういうお考えですか。

藤村議員 鳩山幹事長の言葉を今一部とられたわけで、政府案の二条の五の「他国を尊重し、」に対する発言であったと理解しております。この法文をさらに読むと、「他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する」ということでありますので、他国という言葉が具体的な一つの国を言っているのではないということは理解はできます。

 ただし、尊重というのは、とうといものとして重んじるという意味でありまして、中学生ぐらいになれば、では今の北朝鮮やそういうことも尊重するように教えられるのかという素朴な疑問を生じさせる可能性はあると思うんですね。このことは、やはり大人の論理で、それは次元が違うことだというのは論理ではございますが、やはり教育の主体である子供の視点から、この教育基本法も一つ一つ言葉を選んで、我々は注意深くつくっていきたいなと考えておりまして、民主党案においては「他国や他文化を理解し、」というところにしたわけでございます。

岩屋委員 ただ、これはまさに教育の基本法でございまして、この文脈の中で言う「他国を尊重し、」というのは、何も他国の統治形態に対する是非の判断、そういう価値判断を含む言葉ではないと解するのが私は普通なのではないかなと思いますので、そのことを指摘させていただきたいと思います。

 時間がなくなってきましたので、それでは、宗教的情操の涵養について、それぞれ一点ずつお伺いして終わりたいと思います。

 与党の協議の中では、学校で教えられるのは、あくまでも宗教に関する一般的な教養にとどめざるを得ない、宗教的情操というのは、特定の宗派を信仰したときに初めて得られるものであるから、そういう言葉遣いは適切ではないのではないかという判断があの与党協議の中ではされたんだろうと私は拝察をしておりますが、ただ、宗教に関する一般的な教養を教えるのは何のためか。最終的にはやはり宗教的情操というものを身につけてもらいたい、こういう心で、学校でもちゃんと尊重し教えよう、こういうふうになったわけなんでしょうから、私は、まさに教育の目標として、宗教的な情操を涵養するということをしっかり書いていいんじゃないか、こう思っておるんですが、政府案はなぜこの一般的な教養ということにとどめたのか、情操と書くと何が問題になるのか、これについてのお考えを聞かせていただきたい。

 それから一方、民主党の方は宗教的感性という言葉を使っていますね。私、余り聞かない言葉だと思うんですが、その宗教的感性という言葉の意味するところは何か、宗教的情操というのとどう違うのか、それぞれお答えいただきたいと思います。

小坂国務大臣 岩屋委員がおっしゃったように、宗教的情操を教えるということになりますと、その内容が非常に多義的でありまして、特定の宗教、宗派と離れてそれを教えるということは、なかなか、具体的に論じてまいりますと、難しいということがございます。そのようなことから、私どもの基本法では、宗教的情操というふうに記述することを今回は行わなかったわけでございまして、宗教は、人間としてどうあるべきか、与えられた命をどう生きるべきか、こういった個人としての生き方にかかわるものでありまして、社会生活の上においては大変重要なことでございます。

 このような宗教の役割を客観的に学ぶこと、これは大変重要でありまして、その意味から、特に国際関係が緊密化、複雑化する中にあって、他の国の文化や民族について学ぶ上で宗教を切り離してはなかなか学びにくいということがございます。そういったことから、宗教に関する一般的な教養を教育上尊重するということにしたわけでございまして、具体的に申し上げれば、主要宗教の歴史や特色、あるいは世界的な宗教の分布などを教わっていただく。

 そして、情操ということは、人間として豊かさを、人間としての厚みを増す上で非常に必要なことでございます。従来から、道徳教育の中にあって、情操について、人知を超えた存在というものに対する認識を持つこと、こういうようなことを教えることによって、あわせて豊かな情操を涵養したい、このように考えるわけでございます。

笠議員 今、岩屋委員おっしゃったように、岩屋委員もひょっとしたら私どもの方に考え方が近いのかなとちょっとお伺いをしていたわけですけれども、まさに私どもが宗教的な感性と言う中には、人間の力を超えたものであるとか、あるいは自然や万物に対する畏敬の念というものが今まさに必要ではないかということを考えております。

 昨今の相次いだ子供たちをめぐる非常に悲惨な事件を見ても、ひょっとしたら生死の意味すら実感としてできていないのではないかという子供がふえているように感じている。そういったところで、私どもは、この人間の力を超えたものに目を向けていくことで、生きとし生けるものの命の大切さや、あるいは自分自身に謙虚になることもできますし、そのことによって、やはり他者に対しての思いやりということも芽生えてくるものだと思っております。

 そして、では情操と感性とどこが違うのかというと、これはそんなに大きな違いというものはありません。ただ、私どもも、言葉をどうするのかということについては随分議論をしました。感性というものの意味は、真善美などの価値や意味を感じ取る心の感受性ということでありますけれども、情操よりもやや広い意味で使われているということと、現代的には、情操という言葉は法律用語としてはあるんですけれども、余りなじみがない。むしろ感性という言葉の方がすっと入ってくるのではないかということで、感性ということで使わせていただいております。

岩屋委員 終わります。

森山委員長 次に、大前繁雄君。

大前委員 最初に委員長にお願いを申し上げたいと思うのでございますけれども、私どもが今審議をいたしております教育基本法に関する法案でございますけれども、条文にいたしまして、政府案でも十八条、民主党案でも二十条余りでございます。そして、与野党の論点の違いも極めて明確ではないかと考えておりまして、これを一年も二年もかけて議論をせよという意見がございますけれども、私は、これは全くためにする議論であると思っております。ぜひとも、委員長におかれましては迅速な審議に心がけていただきまして、一刻も早い審議の進行をお願いいたします。

 それはともかくといたしまして、このようなシンプルな法案でございますので、答弁をいただく大臣ほか答弁者の皆さん方には、同じようなことばかりを尋ねて大変お気の毒だと思うのでございますけれども、辛抱強く答弁をいただければと思っております。

 私の最初の質問も、さきの本会議場でも、また水曜日のこの委員会質疑でも既に何人もの議員が質問されましたけれども、なぜ今改正が必要なのかという、いわゆるそもそも論から入っていきたいと思います。

 御承知のとおり、我が国は、明治以来、二度大きな教育改革を経験しております。

 一度目は、明治五年を起点とする一連の学制改革でございます。維新によって近代国家への歩みを始めた我が国は、明治四年に文部省を設置いたしまして、翌年には、国民皆学を目指し、全国を八大学区に分け、その下に中学区、小学区を設置する学制令をしきました。そして、明治十二年の教育令、二十一年の帝国大学令、中学校令、小学校令などの学校令。そして、明治二十三年十月の教育勅語公布に至るわけでございます。

 二度目は、昭和二十二年の現行教育基本法制定と、教育勅語の両院における失効確認決議、並びに諸法令の整備に見られる戦後教育体制の確立でございます。占領下という特殊な条件下での改革でございましたけれども、思い切ったアメリカ型の民主主義教育の導入が図られましたのは、御承知のとおりでございます。

 そして今、三度目の大きな教育改革として、六十年ぶりに現行教育基本法の改正が行われようとしているわけでございます。

 以上が大ざっぱな我が国の明治以後の教育史でございますけれども、過去二回の大改革は、いずれも顕著な歴史的事象が存在しました。最初のときは明治維新でございます。そして、二度目のときは、我が国未曾有の敗戦という大事変でございます。しかし、今回の場合は、特にそういった歴史的大事件があるわけでもないにもかかわらず、現行教育基本法を大幅に改めるのはなぜかという疑問が生じてまいるわけでございます。

 恐らく本当の理由は、私は、現行法制定当時、我が国が米国の占領下にあり、GHQの強制によって、当初、我が国当局者が作成した原案から重要な条項、例えば、歴史、伝統、文化の尊重とか、国や郷土を愛する心の育成といった日本人の精神的バックボーンが抜け落ちていたことを、おくればせながら修正しようという点にあると考えるのでございますけれども、この点、大臣はどのようにお考えか、お尋ねしたいと思います。

小坂国務大臣 大前委員の御見識に改めて敬意を表するわけでございますが、明治以来の教育改革の中で、今日、それではなぜ基本法の改革か。

 全体的に見ますと、今日、二十一世紀という新たな世紀に入ったということ、そして、IT社会という新たな流れの中で、グローバル化と呼ばれるような、世界の中での日本の位置づけというものが変革をしていること、こういったことも背景にはあるように思います。

 しかし同時に、委員が御指摘になったように、今日、倫理観の低下、そしてまた社会的使命感が喪失をしているのではないかという御指摘もあります。またさらには、日本が家族で仲よく暮らしていたという時代から比べれば、核家族主義というような形になってまいりまして、家族の崩壊というような現象も言われるようになってまいりました。また、都市化も進んでまいりました。こういったことが背景にあるように思います。

 戦後、日本の教育基本法の理念というものは大変に皆さんに普及をされまして、教育諸制度は国民の教育水準を向上させ、そして我が国の社会発展の原動力になってきたと私どもは考えております。

 しかしながら、教育基本法は、昭和二十二年の制定以来、半世紀以上が経過をいたしまして、ただいま申し上げましたような事象、それに加えて、科学技術の進歩、情報化そして国際化、少子高齢化、そういった事項が出てまいりまして我が国の教育をめぐる状況が大きく変化する中で、先ほど申し上げたような、倫理観の喪失に基づく道徳心や自立心、公共の精神、国際社会の平和と発展への寄与など、今後、教育においてより一層重視しなければならない新たな理念というものを規定する必要が出てきたと思うわけでございまして、このような背景から、今日、現行の教育基本法の役割を超えて、新たな教育基本法を制定し、これらの理念を明確にしてまいりたい、このように考えるところでございます。

大前委員 私が申し上げました未曾有の占領下における制定法に対する修正という理由、このことについては余り述べられませんでしたけれども、大臣が今申し上げられました我が国を取り巻く内外の諸環境の激変といったこと、こういったことが今回の改正の大きな理由であることは間違いないと思います。

 しかし、私は、今大臣が取り上げられましたが、それよりもさらに大きな改正を要する理由として、近年の我が国の憂うべき教育力の低下というのがあるのではないかと思っておるわけでございます。

 今回の政府改正案で、教育の目標として、第二条の第一項で、知徳体を明記されたということは、私は大変よいことだと考えております。教育力の定義にはいろいろございますけれども、とりあえずここではこの知育、徳育、体育、三つが相まって教育力だと規定いたしましたら、最近の我が国の教育力は、この知徳体のいずれの分野でも大変憂慮すべき状態にあると思います。

 例えば知でございます。

 先日、私は、京都大学の工学部電気科の同窓会が発行している洛友会という会報を読んでいて、大変ショックを受けました。翻訳を仕事にしておられるある会員の方が寄稿しておられるのでございますけれども、英国のフィナンシャル・タイムズの記事に、スイスの有名なビジネススクールが実施した大学の国際比較というのがあるそうでございますけれども、その中で、対象とした先進国四十九カ国中、日本はびりの四十九位だったそうでございます。

 その寄稿者は、人口が日本の半分しかない英国の大学の数は百三十一校にすぎないのに、日本は七百以上の大学をつくって、国も地方も親も随分無駄なことをしているというような言葉で締めくくっておられたわけでございます。この方が取り上げられた大学だけではなしに、小学校、中学校、高等学校のすべての段階で、近年の我が国の学力低下を示すデータは枚挙にいとまがないと私は思っております。

 次に、徳の面でございますけれども、これも皆さん方がおっしゃるとおり、大変深刻でございます。

 毎日、耳をふさぎたくなるような、子殺し、親殺し、人殺しの報道。それから、社会を指導あるいは監督、保安すべき立場にあるような教師とか警察官が不祥事を起こし、破廉恥罪を起こす。こういった日本社会に蔓延する深刻なモラル低下の理由は、いろいろ言われておりますけれども、ただ一つ共通していることは、根本的に言えることは、戦後六十年間、我が国の学校現場で道徳教育、モラル教育がほとんど実施されてこなかったということでございます。

 道徳の時間というのはございますけれども、ほとんど道徳のことはやっていない。最近はちっとはやるようになっているようでございますけれども、そういう、かつて、戦前でございましたら修身科という、これはいろいろ議論がございますけれども、正式の教科としてきちんと道徳を教えられていたんですね。こういうことをしなくなって、私は、その積み重ねが今の我が国のこのモラルの低下につながっているのではないか、そのように思っているわけでございます。

 それに加えまして体育でございます。

 日本の子供たちの体力低下は、年々貧弱になる一方でございまして、このことはあらゆるデータにあらわれております。

 私は、運動会シーズンになりますと、議員としてよく招待されて、中学校の運動会に行くのでございますけれども、プログラムの一番目に行われる全校体操、ラジオ体操ですね、まあ、あれを見てびっくりしますね。全員がだらだらと、まるで夢遊病者のような格好でやっているわけなんですよ。これが若者かなと思って、本当に情けなくなるんですね。人に見てもらう運動会ですよ。案内状まで出して人に見せようとする運動会で、プログラムの最初の全校体操一つきちんと指導できない。これは教育力の低下以外の何物でもないわけでございます。

 こういった知徳体のすべてに見られる深刻な教育力の低下、こういうことが果たして今回の基本法改正によって是正され得るのか、改善され得るのかということ、そこが一番大事なところだと思うんですよね。そういうことについての大臣の思いといいますか、意気込みをお聞きしたいと思います。

馳副大臣 改正教育基本法第二条第一項、先生御指摘いただいたとおり、知徳体について、教育の目標を明確に規定しているところでありますし、第十七条において、国は振興基本計画をつくらなければいけないですし、国会に報告をし、これも公表しなければならない。また同時に、地方公共団体が、その振興基本計画に応じて適切な振興策をつくっていかなければならない。

 当然、家庭教育も学校教育も社会教育も含めて、国として振興基本計画をつくり推進していきましょう、こういう姿勢を持つことになりますから、改善に向けての貴重な第一歩というふうに今回の法案を位置づけております。

大前委員 今挙げました知徳体という教育力の中でも、とりわけ国民の間で要望の高いものは、モラルといいますか徳育の充実でございます。

 私たち議員が町に出て、いろいろな集まりに参加をして切実に訴えられますのが、この惨たんたる日本人のモラル低下を何とかしてほしい、学校でしっかりとした道徳教育、倫理教育をしてほしいという声でございます。

 そこで、今回の基本法改正に当たって、この深刻なモラル、道徳、倫理の低下をどのように高めていくかということについて、二、三、お聞きしたいと思います。

 まず一点目は、法と道徳律の関係についてでございます。

 私は、今回の審議に参加するに当たりまして、衆議院の調査局がまとめた、現行教育基本法審議の衆議院及び貴族院の議事速記録、委員会議録を読ませていただきました。

 時間の関係でその詳細な感想は割愛させていただきますけれども、あの敗戦後の厳しい環境下で、今とほとんど変わらない問題意識、熱意を持って法制定に取り組んだ先輩議員や当局者の姿が目に浮かぶようで、大変印象的でございました。

 そんな中でも最も私が興味を持ちましたのは、基本法と道徳律の関係でございます。

 現行法制定当時、我が国にはまだ戦前の日本人の倫理を支配した道徳律、教育勅語が生きていたわけでございますけれども、多くの当時の議員が、法と道徳律は別物である、教育基本法ができても教育勅語は併存すべきである、仮に廃止されるにしても、それにかわる道徳律、道徳憲章が必要であると論じておられたわけでございます。

 この昭和二十二年当時の議員や当局者が抱いていた問題意識は、今、新しい改正案を審議する我々も全く同じであると考えるのでございますけれども、大臣はこの法と道徳律もしくは道徳憲章の関係についてどのようにお考えか、お聞きをしたいと思います。

馳副大臣 まず、事実関係を申し上げたいと思うんですけれども、戦後、大前委員のおっしゃるように、法と道徳律において、教育勅語の考え方も併存するというふうな意見があったということは承知しておりますが、参議院本会議において教育勅語等の失効確認に関する決議というものもされておりまして、そういったことからも、当然、教育勅語についての考え方というものは失効したと明確に国会において決議されているということは、まず確認をしなければいけないと思います。

 しかしながら、法律ですべて道徳も規定できるのかというと、これはまた別の問題になってくると思います。今回、五十九年ぶりに改正しようとする教育基本法において基本的な教育の目標等を定めることになるわけでありますが、では道徳に関しては具体的な徳目を定めて、それに、国が定めたことにすべて従えという筋合いものではありません。

 それを考えると、道徳ということに関して言えば、国が定めてそれにすべて従いなさいというふうな考え方であるよりも、例えば、民間の団体あるいはそれぞれの宗教団体等が、人として学ばなければいけない、守らなければいけない重要なことについて、やはり民間の中から沸き上がってくるものを、国民として、こういうことは守っていきましょうというふうにしていくのが私は一つの方針ではないかと思っております。

 例えば、全国都道府県には青少年健全育成基本条例といったものがあります。長野県にだけはございませんけれども、だからといって、長野県の青少年が健全に育っていないかというと、そんなことはありません。当然、青少年が健全に育成されるように、それぞれ都道府県、市町村において、必要な考え方とか人とのかかわり方、ルールといったものは制定されているのでありまして、それを守っていこうというふうな国民的な合意というものはあると私は思っております。

大前委員 国が定めてそれを守れというような、そういう意味での道徳憲章ではなくして、一般的にこういうふうにした方がいいという程度のものがいいと思うんですけれども、かつて期待される人間像とかいろいろ考案されたことがあったけれども、全部つぶれてしまったんですね。しかし、それは、今のような極端にモラルの低下が深刻化した状況では、私は事情がちょっと変わってくるのではないかと思うんですね。過去のような、そういう期待される人間像というようなものに似たようなものをまた今つくったとして、今の国民は余り反対しないのではないかなと思うわけでございます。

 そういった新しい道徳律を考案するに当たって、教育勅語のことについて、ちょっと私は、一般の誤解があるので解いておきたいと思うんですが、教育勅語というのは、よく封建主義、権威主義、国家主義のシンボルのように言われているんですが、よく読んでみるとそのような面はほとんどないんですね。実に自由で寛容、平等主義的で、かつ謙虚なんですね。

 私の古くからの友人で長い間教育勅語を研究しておられる平成国際大学の慶野義雄さんという人が最近本を出されまして、それを読んでおりましたが、その中でこのように書いておられます。

 教育勅語で唯一上下の要素を含むのは「父母ニ孝」、これだけだ、親孝行しなさいという。それ以外の、「兄弟ニ友」、兄弟は友人のように仲よくしなさい、「夫婦相和シ」、夫婦は仲よくしなさい、「朋友相信シ」、友達は信じ合えるような友達関係になりなさい、「博愛衆ニ及ホシ」等々、極めて家族主義的、博愛主義的であり、「恭倹己レヲ持シ」と慎みや謙虚さを教えて、「国憲ヲ重シ、国法ニ遵ヒ」として、専制とか個人支配を排しているわけでございます。

 ぜひ教育勅語の見直しをちょっとやっていただいて、基本法とは別の形で、例えば国民のモラル憲章のような形で、こういう教育勅語を参考にして、新しい道徳律を創設していただきたいと思いますけれども、この点についていかがお考えか、お聞きします。

馳副大臣 大前委員が指摘されるようなモラル憲章を国民に向けて制定するという考え方は、慎重に検討されるべきだろうと思います。

 先ほども申し上げたように、国が定めてこれを守りましょうという形がよいのか、今回改正案の中にも、第二条第一項には「豊かな情操と道徳心を培う」と規定しておりますし、第三項においては「公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。」というふうに規定をさせていただいております。こういった中で、まさしく振興基本計画、国が定め、国会に報告し、公表する、また地方公共団体もそれに応じて対応していく、こういう進め方の方が自然でよいのではないかというふうに考えております。

大前委員 今の日本の国のモラルの低下というのは実に深刻なものがございますので、私は、戦前というのはいろいろ批判されますけれども、モラルという面では非常に水準が高かったと言われております、日本人のモラルというのは。ですから、戦前のことをある程度参考にして、迷ったときは原点に返れといいますから、過去のそういうものを、いい点をとって現在の教育に生かしていただきたいと思います。

 時間が迫ってきましたので、もう一点、具体的な条文の中の文言についてお聞きをしたいんですが、第一条の教育の目的のところで、人格の完成という用語が現行法に引き続いて用いられているわけなんですね。この完成という用語につきましては、かねてから識者の間で問題があると指摘をされております。

 例えば、日本教師会教育基本法改正運動特別委員会委員長の上杉千年先生は、人格の完成した者とは、宗教的次元に置きかえると神ということになる、こうした到達不可能に近いものを教育の目的とすることは現実的でないと断じまして、完成という用語の使用を避けるよう提言されておられるわけでございます。

 私も、生涯教育という言葉もありますけれども、主たる対象がせいぜい二十前後までの若者に人格の完成を求めるというのは無理があるのではないか、この上杉先生の指摘は正しいのではないかと考えるのでございますけれども、どのようにお考えか、お聞きしたいと思います。

小坂国務大臣 私ども、第一条で書いてございます人格の完成を目指すということは、この法律全体を通じて、義務教育だけを述べているわけではございませんし、生涯学習という理念、また社会教育についても述べているわけでございます。そういう意味からいたしますと、教育の目的として、各個人の備えるあらゆる能力を可能な限り、かつ調和的に発展させることを意味するものでございまして、このような人格の完成ということは教育の目的として普遍的なものであることから、今回の法律においても引き続き規定することとしたものでございまして、この教育の目的は、学校教育のみではなくて、今申し上げたような、人間が人生を貫く中で、常に学ぶ、そういう気持ちを持って、自分が、神とおっしゃいましたけれども、あくまでも人間として人に尊敬されるような、そういう人格者たるべき、その人格の完成を目指して努力をするということを目指していただきたいという理念を掲げたものでございます。

大前委員 実を言いますと、この人格の完成という文言は、現行法の案文策定当時の文部大臣田中耕太郎氏の強い指示によって決定したと言われております。当初の案では、人間性の開発を目指し、となっていたそうでございます。田中文部大臣は熱心なクリスチャンであったそうでございますけれども、自己の信念に基づき、限りなく宗教的概念に近い人格の完成という文言に固執をしたと言われているのでございます。

 このことは、田中文部大臣自身が執筆された著書「教育基本法の理論」の中でもはっきりと述べられているそうでございます。

 私は読んだわけではございませんので、上杉先生の論文から孫引きで恐縮でございますけれども、引用させていただきますと、「人格の完成は、完成された人格の標的なしには考えられない。そして完成された人格は、経験的人間には求め得られない。それは結局超人的世界すなわち宗教に求めるほかは無いのである」と述べておられるわけでございます。

 こういった、いかに文部大臣であったとはいえ、クリスチャンとしての田中氏の信念を再び今回の改正法案に盛り込むのはいかがかということで取り上げさせていただいたわけでございますけれども、これをまたもとに戻せ、あるいは新しい用語に変えろというのも無理でございますので、将来の検討課題として今後とも研究していただくようお願いを申し上げまして、私の質問を終わりたいと思います。

 ありがとうございました。

森山委員長 次に、稲田朋美君。

稲田委員 自民党の稲田朋美でございます。

 いよいよ、戦後六十年を経て、教育基本法の全面改正という時期に来ました。私も、昨年当選したばかりの新人議員ではございますが、この時期にこの場所で、自由民主党の一員として、また立法府の一員として、教育基本法の全面改正の議論に参加できることの責任と使命を果たしたいと考えております。

 さて、今なぜ教育基本法を改正しなければならないのか、一体、現行教育基本法に何が欠けていたのかということでございます。私は、この問題を考えるに当たって、戦後体制をどう見るかという観点を避けて通ることはできないと思います。

 御承知のとおり我が国は、戦後約七年間、連合国の占領下にありました。その占領政策の目的は、二度と日本が連合国の脅威にならないということにありまして、言いかえますと、日本弱体化政策であったわけです。そんな中で制定されましたのが日本国憲法であり、その日本国憲法の精神を生かすための教育基本法であったわけです。そこでは、むしろ日本の伝統的な価値ですとか美徳などはすべて悪もしくは要らないものとされて、西洋的な価値観、個人の尊厳ですとか人権などといったものにのみ価値を置かれて、すべての法制度の改革がなされたと思います。

 戦後六十年たって、では何が起きたのか。六十年前に我が国は原爆を二つも投下されて廃墟になっても、そのときにはあって、こんなに豊かな日本になって失われたものは何だったのか。子供が子供を殺す、小学生が小学生を殺す、親が子供を殺す、子供が親を殺す、高校生が中学生を殺す。それから、人の命を犠牲にしてまで耐震偽装をするような建築士があらわれてしまう。日本人は、昔は建築基準法がなくても、自分がつくった建物に誇りと責任を感じて立派なものをつくっていた、そういった民族だったと思います。ですから、私は、この教育基本法の改正に当たっては、失われた日本人の心もしくは日本人の美徳、伝統、そういったものを取り戻す改革でなければならないと思います。

 占領は、昭和二十七年の四月二十八日にサンフランシスコ平和条約を受け入れて、我が国は主権を回復いたしました。その三年後に我が自由民主党も立党いたしました。その自民党の立党の「党の使命」でどう書かれているかと申しますと、占領下強調された民主主義、自由主義は、新しい日本の指導理念として尊重し擁護すべきであるが、初期の占領政策の方向が主として我が国の弱体化に置かれていたため、憲法を初め、教育制度その他諸制度の改革に当たり、不当に国家観念と愛国心を抑圧していた。党の政綱の一条では、「正しい民主主義と祖国愛を高揚する国民道義を確立するため、現行教育制度を改革する」というふうに立党の宣言ではなっていたわけです。

 私たちはこの場におりますけれども、ここの場にいる私たちだけではなくて、教育改革に取り組んでこられた先人の意思を受け継ぎながらこの教育改革に取り組まなければならないと思っております。

 こういった歴史的な背景から見ましても、教育基本法の改正は、憲法の改正と並んで、戦後体制のゆがみを是正して、失われた日本の伝統と美徳を取り戻す、そういった改正でなければならないと考えております。

 そこで政府にお伺いいたしますが、今のような観点からいたしますと、政府の前文の中に、「ここに、我々は、日本国憲法の精神にのっとり、」という言葉が入っていることに私は若干の違和感を覚えるわけでございます。なぜ今、日本国憲法の精神なのか。日本国憲法の精神を生かした現行教育基本法を改正するに当たって、なぜ日本国憲法の精神なのか。その日本国憲法の中には日本の伝統、文化というものの観点は全く入っていないわけですから、この文言を前文に入れるその趣旨についてお伺いいたしたいと思います。

小坂国務大臣 現行の教育基本法は、日本国憲法に定める理念を教育において具体化するための規定を多く含んでおります。現行の日本国憲法と密接に関連している法律であることから、「日本国憲法の精神にのっとり、」と規定されているわけでございます。改正後も、基本法は、日本国憲法と密接に関連しているというその性格そのものは変わらないわけでございます。

 委員いろいろと御指摘をいただいた中での、日本の美徳として今日我々が認識していたものが失われてきた、そういう御指摘は私も共感する部分もあるわけでございますけれども、今日、日本国憲法の精神と言われる中で、国民主権、それから基本的人権の尊重、平和主義、これらは、日本国民それぞれがやはり尊重すべきものとして重要な認識を持っているわけでございますから、この基本法案におきましても、「個人の尊厳を重んじ、」ということは前文で規定をし、そして、「平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた」「国民の育成」という、第一条にもこれを盛り込んだところでございます。

 憲法の精神を具体化する規定をそのように設けて、この「日本国憲法の精神にのっとり、」という文言を入れたわけでございまして、私は、このような中で、この新しい教育基本法にのっとり、今委員の御指摘があったような、家族としての相和する心とか道徳観の育成というものに努めてまいりたいと存じます。

稲田委員 それでは、今、憲法改正も議論されているわけですが、新しい憲法ができて、今の憲法につけ加えたいろいろな価値観も盛り込まれるというようなことになった場合、その時点で教育基本法も新しく制定された憲法の精神にのっとっていく、そのように理解してよろしいでしょうか。

小坂国務大臣 新しい憲法の精神に当然のっとることになると思います。

 もっと具体的に申し上げれば、その改正内容に応じて仮に教育基本法に不整合な箇所が生じたという場合には、当然のことながら改正が必要となる、このように認識をいたしております。

稲田委員 次に、今回の改正案では、政府による教育振興基本計画の作成が新設されておりますが、その趣旨についてお伺いいたします。

馳副大臣 教育基本法を改正するわけでありますから、それに従ってどのように実際に現場において教育を振興させていくかということを、国が基本計画を策定して国会に報告し、それを公表し、また、国だけが頑張ってやれ、やれと言っても意味がないのでありまして、地方公共団体、地方自治体と連携をして、責任もお互いに分担し合いながら役割を持ってやっていく、具体的な地方における振興計画も定めていただく、こういうふうな趣旨で考えております。

稲田委員 実際にはどのような内容が基本計画に盛り込まれる予定でしょうか。副大臣にお伺いいたします。

馳副大臣 具体的には中教審でも既に議論はされておりまして、五点ほど、ちょっと読み上げさせていただきます。

 一点目、信頼される学校教育の確立について、二点目、社会的要請が高い職業教育等の充実について、三点目、我が国の知的基盤社会を形成する大学、大学院教育の充実について、四点目、家庭、地域の教育力の向上、家庭、学校、地域社会の連携協力の推進について、五点目、生涯にわたる学び直し、再チャレンジの機会の充実など生涯学習社会の実現についてなど、これを例として中教審においても御議論いただいておりますので、今般の改正の論議も踏まえた上で振興基本計画を策定していくべきであると考えております。

稲田委員 幾らすばらしい基本法ができたとしても、それが実際に教育現場で生かされなければ何もならないので、そういった教育振興基本計画、期待しておりますので、よろしくお願い申し上げます。

 では次に、民主党案についてお伺いいたします。

 民主党案につきましては、前回、総理も前文の一部を読み上げられて、なかなかよくできているというふうに評価されていました。私も、例えば「美しいものを美しいと感ずる心を育み、」とか「祖先を敬い、子孫に想いをいたし、伝統、文化、芸術を尊び、」などという表現については、素直によい表現だなというふうに思います。

 ただ、先ほど指摘もありましたように、日本を愛する心といった場合、何で日本というそういうよそよそしい表現を使うのか。国とか祖国とか祖国日本とかそういう言葉を使えばいいのに、大阪や広島の教育現場では、国語と言わずに日本語というふうによそよそしい表現を使うということが問題になっておりますので、それと共通したようなものを私は感じるということでございます。

 ただ、前文にそのような愛国心というものを書きながら、なぜ本文に書かれないのか。民主党の第一条の教育目的を見ると、前文に書かれたそういったすばらしいものが全く生かされていないと思うわけです。むしろ、ちぐはぐと言ってもいいのではないでしょうか。例えば、「日本国憲法の精神に基づく真の主権者として、」の何たらかんたらの人材というのは一体どういった人なのかということが全くイメージとして浮かばず、そういった前文で書かれた具体的なものが全く本文のどこを見ても私は感じられないので、その点が非常に疑問に思うわけです。

 質問なんですけれども、なぜ、日本を愛する心を涵養するというような前文で書かれた愛国心が本文の目標、目的の中にきちんと書き込まれなかったのか、その点について簡潔にお答えください。

藤村議員 稲田議員にお答え申し上げます。

 立法者の意思ということでございます。我々は、前文というものは、まさに、非常に広い意味での教育、その意味で「広義の教育の力」という言葉も使っておりますが、非常に広い意味での教育についての理念を申し上げたところであります。

 一方、条文というのは、これは、国や地方公共団体が行う、まさに、広い意味の教育の中の一部の教育についての基本をずっと定めてある、こういうことでございます。

 それで、日本を愛する心については、既にもう平成十年告示の学習指導要領において、例えば小学校六年の社会で「国を愛する心情を育てる」とあり、あるいは五年、六年の道徳においても「郷土や国を愛する心をもつ。」とあって、具体的な、つまり、指導面において既にこれはある意味で定着しているわけであります。

 ですから、わざわざ何も条文で云々ということでなしに、我々は、基本の、まさに人間を育成すると前文には書いてありますが、その人間を育成するまさに精神、理念のところでそういう要素が必要であって、この前文すべてが、どんな人間を育成するかということについて触れているということでございますので、我々は、立法者の意思としては、前文あるいは前文からおりてきた条文という考え方ではないわけでございます。

稲田委員 しかし、たとえそんな立派な理念であっても、その理念がきちんと基本法の目標、目的、一条、二条に書き込まれなければ何にもならないんじゃないかというふうに私は思います。

 そこで、資料一、二なんですけれども、例えば朝日新聞によれば、前文に書かれて本文に書かれなかった意味について、条文にあるよりは強制力が弱いと民主党は説明すると書いてありますし、毎日新聞によれば、「条文に書き込めば内心の自由の規制につながる」というふうに書かれているわけですけれども、前文に書くのと本文に書くのとでは、その強制力が弱いとか、そういった内心の自由の規制につながらないとか、そういう何らかの違いの配慮を認めて本文に書かれなかったのではありませんか。

藤村議員 新聞がどのように評価されるかは、それぞれ新聞社のお考えだと思います。

 私どもは、強制力については、まずこれは、一般、共通して理解されていると思いますが、愛国心というものをそもそもこれは強制して押しつけて教えるものでないというのは、これは皆さんおっしゃることでありまして、当然そういう種類のものであるということでございます。

 そういう意味では、強制力云々という話は、そんなことはない、総理大臣もこの前、そんなものは押しつけて教えるものではないとおっしゃるとおりでありまして、我々もその考え方に賛同しております。

稲田委員 そうしますと、朝日新聞による、強制力が弱いと民主党は説明したというのは、これは誤報ですね。まあいいです。

 それで……(発言する者あり)誤報なんですね。

藤村議員 朝日新聞に聞いていただくのが正確を期すと思いますが、報道ですから、いろいろな新聞社がいろいろなふうに報道されていることは、これはもう皆さん御承知のとおりでございますので、誤報とかなんとかいうのを私の口から言うのも、また、そういうだれかが言ったことを報道されたということなのかもしれません。そういうふうに受けとめている方もいるのかもしれません。我々は、立法者の意思としてそういうことを考えたわけではございません。

稲田委員 そういうふうに説明されたかどうかという事実関係ですので、民主党が説明したかしていないかという問題だと思います。

 NHKの「日曜討論」でも、保坂委員の質問に答えて西岡先生が、強制力を伴うのではないかという質問に対して、そうした心配があるので、私どもはあえて前文で理念として盛り込むことにしたというふうに答えられておりますので、そういった意味では、強制力が弱いと判断して前文に盛り込まれたというのではありませんか。

藤村議員 まず、強制力について、そういうものは我々は全く想定しておりません。国を愛する心を押しつけて、強制して教えるべきものでないということは、もうこれはそのとおりの理解でございます。そしてまた、実際の具体の場面においては、先ほど申しましたように、学習指導要領においてきちんとまさに教育の現場では教えられているということでございますので、強制力が弱い、強いというのは、法制局にもちょっと聞いていただいたらいいと思いますが、その差は、我々、そんなに意識して立法者の意思としてここに前文に入れた、条文に入れなかったということはございません。

稲田委員 そうしますと、今までの御説明とは違って、強制力については、前文でも本文でも差異はないというふうにお伺いいたしておきます、きょうの御答弁については。

 では、衆議院法制局に聞きますけれども、前文に書くのと本文に書くのとでは法的にはどのような違いがあるのか、ないのか。また、法的に違いがあることが具体的にはどのような違いになってあらわれるのか。その点について御説明をください。簡潔にお願いします。

夜久法制局参事 失礼します。お答え申し上げます。

 法令、特に重要な法令の中には、本則の各規定の前に、その法令の制定の趣旨や理念などを述べた前文が置かれることがございます。

 この前文は、それ自体が直接に国民や国等に対して法的効果を有するものではありませんが、その法令の一部を構成しているものでありまして、その法令の各規定の解釈の基準を示す意義と効果を有するものと解されております。

 以上でございます。

稲田委員 そんな教科書に書いてあるような説明は私も知っているんですけれども、まあいいです。法的拘束力があるかないかで前文と本文とは違うんです。憲法の判例でも、前文をもとに訴訟を起こせないんです、本文をもとだと起こせますけれども。そういった意味で、全く法的には拘束力は異なるものであるというふうに考えるのが法的には正しいんですが、そうしますと、先ほどのお答えでは、何の違いもないと立法者は考えて提案されているとすれば、前文に書かれたことを本文にも書かれるべきだと私は思います。

 時間がないので次の質問に移りますけれども、小沢代表は民主党案について、教育行政は国の責任であるとうたっておりますというふうにおっしゃいました。確かに、七条では「国は、普通教育の機会を保障し、その最終的な責任を有する。」とありますが、四条では「学校の自主性及び自律性が十分に発揮されなければならない。」と書かれております。国、地方公共団体、学校の権限分担をどのように考えていらっしゃるのか、簡潔にお答えください。

武正議員 お答えをいたします。

 民主党は、民主党の憲法提言、あるいはこの四月、衆議院の行革特に提出した行革法案、それぞれ補完性の原理というものを骨子にしております。すなわち、身近な行政、これを地域のコミュニティー、特に基礎自治体、これが担って、それを県や国が補完をする。この考え方は、今回の民主党の法案でも基本的に踏襲をされております。

 しかしながら、国に最終的な責任を置くというふうに明言をしたのは、やはり、ナショナルミニマムとして機会均等の保障と水準の確保、これはきちっと国が最終的な責任を持つ。具体的には、例えば対GDPの比率、これを教育予算でしっかりと確保するというのもこういったところにもつながってまいります。

 また、学校のあり方についてのお尋ねでありますが、これについては、まずその前に、教育行政は地方自治体の長が行うと十八条の二項で明示をしておりまして、また三項、四項では、教育行政に関する民主的な組織整備、地方自治体が設置する学校を、主体的、自律的な運営を学校理事会制度で行うというふうにしております。

 ということで、国と地方自治体、そして学校、それぞれが責任を持つということでその責任の所在を明確にしたということでございます。

稲田委員 今の抽象的なお答えを聞いてもよくわからないんですけれども、少なくとも、民主党のマニフェスト、資料の三でつけているんですが、そのマニフェストの「現場主権と説明責任を確立します。」というところの中で、「教職員人事、予算執行、教育内容に係わる権限を、設置者である基礎自治体及び学校現場へ移譲します。」というふうにマニフェストには書かれているわけですから、教育内容について最終的に国が責任を負うということにはなっていないのではないかと思います。

 また、先ほどお答えのあった、GDP比で予算をつけるという民主党のお考えないしこの法案についてなんですけれども、私は、GDP比で教育予算を考えるというのは全くナンセンスだと思うわけです。なぜなら、GDP比で一六〇%も債務を抱えた我が国である。その分に応じた例えば社会福祉というのはあると思うんです。だって、国が繁栄して初めて社会福祉というのはあると思うんですけれども、しかし、防衛だとか教育だとか安全保障にかかわる問題というのは、それは、GDPの比率、相対的なものではかるのではなくて、幾ら貧しくても、教育や防衛やそういったものには予算をきちんとつけてお金をかけていく。日本は、やはり、貧しくても教育にきちんとお金をかけてやってきたから今の繁栄があるわけです。

 また、GDP比で先進国に比べて低いとおっしゃいますけれども、それは、日本のGDPが大きいからなんですよ。そういった相対的なものではなくて、そういう分に合わせてということではなくて、そういう絶対的なものとしてのきちんとした予算を確保するというのが、私は教育の予算では大切なのではないかと思います。

 官房長官にお伺いいたします。

 官房長官はいらっしゃらなかったんですけれども、冒頭に述べましたように、私は、この教育基本法の全面改正は、戦後体制の是正という意味があると思います。すなわち、占領下に制定された、個人の尊厳を第一に置いた憲法、教育基本法によって制定された戦後体制のゆがみということなんですけれども、官房長官はこの点はどのようにお考えでしょうか、戦後体制について。また、そのような観点から今回の教育基本法の改正の意義についてどのように評価されているか、お伺いいたします。

安倍国務大臣 いわゆる戦後体制の中において現行憲法もこの教育基本法も一定の意義を持ってきた、このように思うわけでありますが、戦後六十年経過して、社会情勢も大きく変化をしてきたわけでございます。

 また、その中で、例えば、これは政府としての見解ということではなくて私の政治家としての考えでありますが、自由民主党も、まさに結党の精神というのは、占領体制においてつくられた基本的な枠組み、憲法であるとか教育基本法というのはやはり自分たちで考えてつくっていこうということを、自民党は結党の際にこれは高々と掲げたわけでございますが、しかし、それはずっとこの五十年間、結党して以来後回しにされてきたのも事実ではないか、こう思うわけであります。そして、戦後六十年たったこの際、しっかりとした決意を持ってこの教育基本法の改正にも臨んでいるということであろう、こう思います。

 その中から、この教育基本法におきましても、例えばこれは、町村筆頭理事が冒頭の質問でも指摘をしておられましたように、個人の尊厳、個人の権利、個人についての言及、そして人類普遍の原理については言及があるけれども、そのまさに真ん中の胴体部分である、例えば家族とか、郷土に対する誇り、国に対する思い、あるいは伝統や文化、歴史、そういうものへの言及がないではないかという観点から、今回、前文にも、あるいはまた教育の目標の中にも、公共の精神あるいは伝統を継承等々の文言が入ってまいるわけでございます。

 そういう意味におきましては、まさにこれは、私どもが新たな未来を創造していくにふさわしい基本法の改正ではないか、こう思っているわけでありますし、それはやはり、この六十年間を今まである意味では反省した中においての結論でもあるんだろうと、こう思っております。

稲田委員 ありがとうございます。

 また、教育基本法は憲法と表裏一体と言われておりますけれども、官房長官は、政治家個人としてでも結構ですが、占領下に制定されたこの憲法、その制定過程との関係におきまして、現在の憲法改正についてどのようにお考えでしょうか。

安倍国務大臣 この憲法改正については、政府としての見解というのはもう今まで何回か述べる場があったわけでありますが、今、個人としての感想ということでございますので、個人としての感想を述べさせていただきますと、私はもともと憲法改正論者でございまして、私は三つ理由があるのではないかというふうに思ってきました。

 一つは、やはりこの憲法の制定過程において、占領下において、いわゆる当時の情熱に燃えた若きニューディーラーの方々を中心に原案がつくられたというこの制定過程にはやはりこだわらざるを得ないのではないかということも申し上げてきました。

 そして、六十年近くがたって、条文において現在の現状とこれは必ずしも合っていないものもある。時代の要請によって新しい価値も生まれてきた。

 そして三つ目は、やはり、私たち自身の手でこの憲法を変えていく、この時代を切り開いていく精神こそが新しい時代をつくっていくことにつながっていくのではないかということを申し上げてきたわけでございます。

稲田委員 ありがとうございます。

 最後に、民主党が新たな文明の創造ということをおっしゃっておりますけれども、私は、単に新しいものをつくっていくということではなくて、憲法も教育基本法もそうなんですけれども、よき伝統を取り戻しながら新しい基本法、憲法を創造していく、そういうことではないかと思っております。

 きょうはどうもありがとうございました。

森山委員長 次に、斉藤鉄夫君。

斉藤(鉄)委員 公明党の斉藤鉄夫でございます。

 いよいよ本委員会で一昨日から審議が始まりました。新しい人づくり、国づくりを目指して、本当に心も体も引き締まる思いでございます。どうかよろしくお願いをいたします。

 私は、まず、現行の教育基本法につきまして、公明党としてはこれを高く評価してまいりました。昭和二十二年、あの当時、いわゆる個の尊厳ということを高らかに掲げて、社会、国のための教育ではなくて、個人の人格の完成、幸せのための教育、教育のための社会、こういう新しい価値観を現行教育基本法は持ち、新たにしたわけでございまして、その法律がこの六十年間大きな意義を持っていたということを否定するものではございません。

 その上で、しかしながら、社会の変化がございました。この六十年間、私たち人類として、また日本国民として新たな価値観も得てまいりました。また、この現行教育基本法につきまして蒸留水という批判もありまして、どこの国の基本法かわからない、もう少しいわゆる土着性、地域というものの文化ということを考えた基本法にしてもいいのではないか、これも至極もっともなことでございます。

 そういう観点から今回基本法を改正するに至った、基本的な我が党の姿勢はそういう姿勢であるということをまずお話しさせていただきたいと思います。

 それから、非常に広範にわたっておりまして、今まで、一昨日、きょうと比較的少ない論点で議論されてきたように思いますが、ほかの論点を話したいんですけれども、少なくとも、これまでの論議で少し問題になった点についてきょうは質問をさせていただき、そのほかの論点についてはまた別の機会をいただきたいと思います。

 まず、国を愛する態度、我が国を愛する態度ということでございます。

 この間の新聞報道等で、与党の中で自民党と公明党が対立している、公明党が愛国心に反対している、このような報道がございましたけれども、これは正確ではございません。私どもも愛国心の大切さについては十分理解をしているつもりでございます。

 しかしながら、国を愛する心、国を愛する態度ということについて大変敏感に考える方もたくさんいらっしゃるということも、これも厳然たる事実でございまして、だからこそ中教審の答申にも、「国家至上主義的考え方や全体主義的なものになってはならないことは言うまでもない。」ということが最後にきちんと書かれているわけでございます。この点を明確にするためにはどのような表現がいいのかという視点から我々意見を申し述べてきたということを御理解いただきたい、このように思います。

 国には三つの要素がある。国土、国民、この国土、国民の中には伝統、文化ということも含まれているかと思いますが、そして統治機構、この三要素があります。国という言葉が今回の改正案の中にもたくさん出てきておりますが、第二条以外の国という言葉はすべて統治機構という意味で使われております。国や地方公共団体はこれこれこれこれしなければならない、この場合の国はすべて統治機構という意味でございます。

 そういう意味で、同じ国という言葉を同じ法律の中で使う上で、統治機構ということではないんだということをどのように表現するか、どうしたらそれが明らかになるかということでございますけれども、今回規定される「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」というこの国の中に統治機構が入っていないというふうに我々は解釈をしておりますけれども、文部科学大臣の答弁を求めます。

小坂国務大臣 斉藤委員には、教育基本法の改正に向けて、いろいろな場で御意見を述べるなど、御協力、また、それぞれの御見識を表明していただいていることに敬意を表したいと存じます。

 今委員がお話しになりましたように、我が国を愛するという言葉には、その前に「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国」というふうに書いてございますように、歴史的に形成されてきた国民、国土、そして伝統と文化から成る、言ってみれば歴史的な、あるいは文化的な共同体としての我が国というものを愛していくという趣旨でございまして、その中には、統治機構、すなわち今日の政府や内閣、こういったものを愛せということは含んでおりません。

 したがって、統治機構は含まないということを明確にしたつもりでございます。

斉藤(鉄)委員 いわゆるネーションステーツではなくカントリー、そういう意味の国、その意味が明確になった今回の表現、このように理解をいたします。

 ケネディの有名な演説、国のために何ができるかを問いたまえというあの国も、英語ではカントリーという言葉が使われております。先祖が営々とつくり上げてきた国土、文化、それらの共同体としてのカントリー、郷土と国という意味が明確になったと私は考えます。

 それから、態度と心ということについていろいろ論点になってまいりました。私は、全体を読みますと、態度の方がやはり適当なのではないか、このように思います。

 中教審の答申は二つ書いてございまして、一として、「まず自らの国や地域の伝統・文化について理解を深め、尊重し、日本人であることの自覚や、郷土や国を愛する心の涵養を図る」、それから二番目に、「さらに、」と続きまして「自らの国や地域を重んじるのと同様に他の国や地域の伝統・文化に対しても敬意を払い、国際社会の一員として他国から信頼される国を目指す」、そういう意識を涵養する。

 このことを書いたのが第五項だと思いますが、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」。愛するとともに発展に寄与すると来ますと、それを受ける言葉としては態度、そして、その態度の中にはもちろん心が入っている。心の入っていない態度ということはあり得ません。

 態度の方が適切だと思いますが、文部科学大臣の明確な答弁を求めます。

小坂国務大臣 今御指摘をいただきましたように、先ほどの委員のお話のように、まず、「我が国」というその前には「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた」というふうに続いて、そして、それを受けて「我が国と郷土」、やはり郷土というものも私どもの存立基盤でございます、そういった郷土を愛するとともに、その後にまたさらに、「他国を尊重し、」そして、世界の「平和と発展に寄与する態度を養う」、これは全部受けてくるわけですね。

 そうしますと、最後に心ではどうにもなりません。これらは、最後にこれらすべてを受けて「態度を養う」ということが語句としては適切なものであろう、このように考えるわけでございます。

斉藤(鉄)委員 明確になりました。よくわかりました。

 次に、宗教教育についてお伺いをいたします。

 宗教教育に関しましては、先日、そしてきょう、ともに大きな議論になっております。この問題は、中央教育審議会からも、有識者、宗教界からヒアリングを行い、大変論点になったところだ、このように聞いておりまして、時間をかけて丁寧な審議が行われたと聞いております。

 そういう意味でこの中教審答申を読みますと、「宗教は、人間としてどう在るべきか、与えられた命をどう生きるかという個人の生き方にかかわるものであると同時に、社会生活において重要な意義を持つものであり、人類が受け継いできた重要な文化である。」という基本的な考え方をまず明らかにして、したがってということで、盛り込むべき内容として、「宗教に関する寛容の態度や知識、宗教の持つ意義を尊重することが重要であり、その旨を適切に規定することが適当」、このように表現をされております。

 この答申が今回の政府案にどのように反映されたのか、これについてまずお伺いしたいと思います。

田中政府参考人 宗教教育に関するお尋ねでございますけれども、御指摘のように、中央教育審議会の答申におきましては、「宗教に関する寛容の態度や知識、宗教の持つ意義を尊重することが重要であり、その旨を適切に規定することが適当」と提言されたところでございまして、これを踏まえまして、基本法案では、現行法の宗教に関する寛容の態度や宗教の社会生活における地位に加えまして、宗教に関する一般的な教養を新たに規定しているところでございます。

 このうち、宗教の社会生活における地位とは、宗教が社会生活において果たしてきております役割やその社会的機能などの、宗教の持つ意義を含むものであります。また、新たに宗教に関する一般的な教養を規定することによりまして、主要宗教の歴史や特色、世界における宗教の分布などの、宗教に関する知識を教育上尊重すべきことを明確にしているところでございます。

斉藤(鉄)委員 この中教審の答申の報告書の中に、「人格の形成を図る上で、宗教的情操をはぐくむことは、大変重要である。現在、学校教育において、宗教的情操に関連する教育として、道徳を中心とする教育活動の中で、様々な取組が進められているところであり、今後その一層の充実を図ることが必要である。」このように書かれております。

 しかし、いわゆる条文に盛り込むべきというところの項目には入っておりません。「重要である。」という意見があったと書き、法文の中に盛り込むべきという答申にはなっておりませんけれども、このあたり、どんな議論があってどういう結論に達したのか、この点についてお伺いします。

田中政府参考人 中央教育審議会におきましては、宗教的な情操の涵養に関しましてもさまざまな観点から議論が行われたところでございます。

 具体的には、宗教的情操という言葉は多義的でございまして、その中には、宗教的情操は特定の宗教に基づかなければ涵養できないのではないかといった意見もございましたことから、宗教的情操をはぐくむことは大変重要ではあるものの、条文の中にはそれを規定することについて提言されなかったところでございます。

斉藤(鉄)委員 多義的な言葉であって、憲法に規定されている政教分離の規定との関連にも配慮して盛り込まなかったと。

 宗教的情操の涵養、これは私は非常に重要なことだと思います。私自身、仏教徒でございまして、豊かな人生を送るために宗教的情操がいかに大切か、そして、そのために私自身実践をしておりますし、また、子供たちにも豊かな人生を歩んでほしいからこそ、宗教的情操を持ってほしいという強い思いから、子供たちにも家庭の中でいろいろ教えているつもりではございます、なかなかうまくいきませんけれども。

 そういう中で、私自身実感いたしますのは、宗教的情操の涵養というのが、個々別々の具体的な宗教的な実践から離れたところにふわふわと浮いてあるものではないということでございます。

 宗教的な情操というのは、やはり宗教というのは祈りということが根本になりますけれども、祈り方とか、何をどう祈るかということは、まさに具体的な個別的な特定の宗派による実践を通して初めて情操ということが涵養される、こういう実感も私自身感じておりまして、子供たちに、宗教的情操というのがあるんだよ、これはこうこうこういうものなんだよということを言葉で言えるものではない。

 そういうことからいたしますと、宗教的情操が人生において非常に大きな価値を持つということは、私は宗教を実践していますから思いますが、そう思わない人もたくさんいらっしゃるかもしれませんけれども、そう思う私からしても、法文の中に書くのはやはり少し無理があったのかな、このように感じております。

 宗教的情操とは一体何ですかと聞きますと、先ほど笠さんも宗教的感性という言葉で答えられていましたけれども、人知を超えた力の存在、こういう言葉をよく聞くんですが、人知を超えた力の存在というのは、例えば、私たち、宇宙を学びます。宇宙とは何か、生命とは何か、物質、空間とは何かということを学んだときに、百三十億年の宇宙の歴史、地球の四十五億年の歴史の中で生命が誕生し、そして現在、我々が現実に存在している。

 なぜ我々が今現実にここに存在しているかということを考えると、ほとんど確率的にはもうゼロであるにもかかわらず現在ここに存在しているということは、ある意味では宗教ということとは別に、逆に科学を勉強すれば、勉強すればするほど、その奥の深さ、人間の力の限界、人知を超えたものの存在ということが明らかになってくるわけで、私は、あえて人知を超えたものの存在を宗教的情操ということであらわすのは適当ではないのではないか、このようにも思います。

 また、宗教的情操の涵養は、いや、山川草木すべてに聖なるものが宿るんだ、だから物を大事にしなきゃいけない、これも一つの考え方かと思いますけれども、宇宙の歴史からひもとけば、ここにこのものがこうやって存在することの不思議さというのは確かにわかるところでございますけれども、しかし、すべてに聖なるものが宿るとすべての人が考えているとも思えない。そう考えていない人もたくさんいる。そういうことを考えれば、ここで宗教的情操と言っていることの意味というのは一体何なのかなというふうに思うものでございます。

 ちょっと長々と話してしまいましたけれども、今回の政府案は中教審の答申からも後退したのではないかといった観点からの質疑もございましたけれども、私は、中教審の答申の趣旨が適切に反映されているのではないか、このように考えますが、文部科学大臣の明快な答弁を求めます。

小坂国務大臣 斉藤委員が今いろいろと御説明をされました宗教的情操、大変にいろいろな角度から御説明されましたけれども、最終的に、それでも尽くせないというようなことも含んでおられました。すなわち多義的だということでございます。

 宗教的情操という言葉は多義的でありますので、その中には、宗教的情操を説明するためには、特定の宗教を例に引いたりその教義に基づいたりしないと説明できないというような意見もありますから、今回の基本法では、そういうことではなくて、中教審に述べられた「宗教に関する寛容の態度や知識、宗教の持つ意義を尊重することが重要であり、その旨を適切に規定することが適当。」こういうような答申をいただきましたものですから、その一つ一つを忠実に私どもは守ってまいろうと思ったわけでございます。

 第十五条の頭にあります「宗教に関する寛容の態度」というのは、「宗教に関する寛容の態度」という語句そのものを引いて規定をいたしました。そして、それに続く、「態度や知識、」と言われておりまして、その「知識」の部分は「宗教に関する一般的な教養」という部分で条文で受けたわけでございます。そしてさらに、「宗教の持つ意義を」と書いてございますので、その「宗教の持つ意義を」ということを「宗教の社会生活における地位」ということであらわしたわけでございます。それで、「を尊重することが重要であり、その旨を適切に規定する」ということで、「教育上尊重されなければならない。」として第十五条の文章に受けてまいりました。

 このようなことで、私どもは適切に中教審の答申を反映したものというふうに考えているわけでございます。

斉藤(鉄)委員 同様の質問でございますが、官房長官に、宗教的情操の涵養に関して同様の質問をさせていただきます。

安倍国務大臣 中教審の答申との関係におきましては、ただいま小坂大臣が答弁いたしましたように、適切に反映されているというふうに考えているわけでございます。

 そして、宗教的な情操について、今斉藤先生から大変哲学的なお話を伺ったわけでありまして、まさにこれは多義的なものであって、条文化するのは難しいという中において、こうした、我々は、「宗教の社会生活における地位」ということで、「宗教の持つ意義」についてはしっかりと書き込んでいるわけであります。

 この宗教的情操を大切にするという人たちがたくさんいる中において、なぜそれはそうなのかということについては、これは、必ずしも法文上で教えるということではありませんが、道徳等の中に、生命の大切さ、共生について、そして自然の神秘等を教える中において、斉藤先生が今、これは人知を超えるものへの恐れがすべてではないということではございましたが、そういうものに対してそういう感性を持っている人たちがそういうものを大切にしている、また、そういう宗教的情操について大切にしているということに対する尊重ということについては当然教えていくこともできるのではないか、このように考えております。

斉藤(鉄)委員 宗教的情操が大変大切だという人たち、そういう人たちがいるということを教えていく、これは当然なことだと思います。

 それでは、これに関連いたしまして、今回、政府案に「宗教に関する一般的な教養」ということが新たに付加されました。具体的にどのような内容をお考えなのか、お聞きいたします。

馳副大臣 具体的には、世界における主要な宗教の歴史についてとか特色とか、また、我が国とのかかわりであるとか、そういったまさしく一般的な知識について理解を深めるということであります。

斉藤(鉄)委員 この新しい条文に基づいて、具体的には、今後学校でどのように進めていくのか。今、馳副大臣がおっしゃったことですと今までもやってきたような気がするんですが、新たにつけ加わる内容としてどんなものがあるでしょうか。

馳副大臣 具体的に私が申し上げるというよりも、今回の改正そして今回の議論を通じて全面的な改正といたしておりますので、中教審において学習指導要領を全面的に見直しをしていただくということになりますから、今回の改正の議論を通じて、宗教に関する一般的な教養といったことで、発達段階に応じてどのような内容がよいかということが中教審において検討されるべきものであると考えております。

 現状をちょっと申し上げますと、例えば、小学校の社会では大仏造営の様子とかキリスト教の伝来について、中学校の社会においては仏教の影響などについて、高等学校の公民においては人生における宗教の持つ意義や日本人に見られる宗教観などについて、学習指導要領に基づいて指導されているものでありまして、また、今回、いわゆる国際的な中においての宗教の役割とか特色とか我が国とのかかわりといったことが検討されて、学習指導要領に規定されるものと考えております。

斉藤(鉄)委員 ありがとうございました。宗教教育については以上でございます。

 あと五分ほど時間がございます。先ほど稲田委員の御質問にもございました前文でございますけれども、前文の全体についてはまた機会を改めて掘り下げて質問させていただきたいと思いますが、現行法と同様、「日本国憲法の精神にのっとり、」という文章が規定されております。「我々は、日本国憲法の精神にのっとり、」とは、現憲法の三原則、平和主義、基本的人権の尊重そして主権在民、この三原則にのっとり、こういう意味だろう。

 そういう意味では、先ほど、今度憲法が改正された時点においては教育基本法も改正されるんですかという御質問がありましたが、この三原則については、憲法が改正されたとしてもここは揺るぎないものだ、このように私は思っておりますので、そういう意味では、憲法が変わっても「日本国憲法の精神にのっとり、」というところはそのまま生きてくるんだろう、このように私自身は考えておりますが、憲法と密接に関連する教育の根本法という性格は今回の政府案においても変更されていない、こういう理解でよろしいでしょうか。

小坂国務大臣 おっしゃるとおり、今回の改正は、現行法の普遍的な理念を大切にしながらも、今日極めて重要と考えられる理念を明確にしようとするものでありまして、現行法の持つ教育の根本法としての性格は不変でございます。

 また、先ほど答弁を申し上げましたように、「憲法の精神にのっとり、」ということで、現行憲法が改正された場合にも、憲法と抵触するような部分がない限り、この基本法はそのまま維持されるということになるわけでございます。

斉藤(鉄)委員 ほぼ時間が参りましたのでこれで終わりますけれども、六十年ぶりの改正、ですから、今後また五十年、六十年と変わらない根本法をつくっていく、こういう意気込みで我々はこの審議に加わらなくてはならないと思っております。

 すばらしいものをつくっていきたいということを申し上げて、私の質問を終わります。ありがとうございました。

森山委員長 次に、横光克彦君。

横光委員 民主党の横光克彦でございます。

 今、修学旅行のシーズンでございます。多くの子供たちが国会見学に来ておりますが、きょうも本当に多くの小学生、中学生の皆さん方が国会の中を巡回しながら見学をしております。そういった子供たちの姿を見るにつけ、改めて教育の主人公は子供たちなんだなという思いがいたしておるわけでございます。

 今回、そういった中で、この教育基本法、子供たちに大変影響を与えるであろう、プラスであろうがマイナスであろうが、影響を与えるであろうこの教育基本法改正案の審議が始まっておるわけでございますが、残念ながら、子供たちは、この法案について、みずからのことであるにもかかわらず意見具申ができない。本来は子供たちの意見を聞くべきでありましょうけれども、そういったシステムになっていない。それだけに、我々大人の責任、とりわけ立法府に籍を置く我々の責任、さらに言えば本特別委員会に所属する委員の責任というのは大変大きなものがあるんだなと思っております。その役割、責任の重さを改めてきょうは全委員で確認し合わなければならない、そういった思いを冒頭お訴え申し上げておきます。

 ただ、残念ながら、先ほど与党の委員の中から、今回の法案、早急に成立させるべきであるという発言がございました。私は、とんでもない発言であると。総理でさえ十分な審議をと言っているこの重要な、憲法に準ずる法案を早急にということ、審議は十分でなくてもいいというようなことをおっしゃった。これは、先ほど言ったこの委員会の我々の責任というものをどう考えているのか、そのことを痛感していただきたい。私は大変軽い発言だなという気がしております。そのことを申しておきます。

 それでは質問に入らせていただきますが、最初は質問というより確認でございます。

 現行の教育基本法、これはその冒頭で「朕は、枢密顧問の諮詢を経て、帝国議会の協賛を経た教育基本法を裁可し、ここにこれを公布せしめる。」とされております。これは、昭和天皇が枢密顧問と相談してつくられた教育基本法が枢密院の賛成を経たので決定して公布する、こういう意味であると考えておりますが、それでよろしいんでしょうか。

小坂国務大臣 御指摘の「朕は、」で始まります公布文につきましては、立法手続が示されておるわけでございます。

 分解して御説明申し上げますと、諮問機関であります枢密顧問に諮詢しという、すなわち諮問するということでございますが、諮問しということ、そして、帝国議会の協賛を経て裁可、すなわち確定的に成立をさせ公布させたことが示されているところでございます。

 このような手続となっておりますのは、現行の教育基本法が、立法時には現行憲法が公布をされていたものの施行前であったわけでございまして、その立法手続は形式的に、現行憲法ではなくて大日本帝国憲法にのっとって行われたということに基づくものでございます。

 しかしながら、現行基本法は、内閣総理大臣のもとに置かれた教育刷新委員会の建議に基づいて、政府が案文を作成して、国会の衆議院、貴族院の議決を経て制定、公布されたものであります。

 そういう形で、公布文を受けて、形式的なものも踏まえて、しかしながら、立法意思としては、国会の衆議院、貴族院の議決を経て制定、公布されたものであることを御説明申し上げます。

横光委員 公布文ということでございますが、となりますと、現行の教育基本法、これはさきの天皇陛下のもとでつくられたものである、こう考えてよろしいわけですね。

 であるならば、この教育基本法を今回全部改正するということでございますが、天皇陛下がおつくりになった教育基本法を全部改正することについて、政府の見解をお聞かせいただきたいと思います。

安倍国務大臣 まず、御指摘の点でございますが、先ほど文部大臣から御答弁申し上げましたように、公布文にはその成立手順が示されておりまして、具体的には、立法権を行う天皇が諮問機関である枢密顧問に諮詢し、帝国議会の協賛、いわゆる賛成を経て裁可、すなわち確定的に成立させ公布させたことが示されているわけでありまして、このような手続となっているのは、現行教育基本法の立法時には現行憲法は公布されていたものの、施行前であったため、その立法手続は形式的に、現行憲法ではなく大日本帝国憲法にのっとって行われたためであります。

 しかしながら、現行教育基本法は、内閣総理大臣のもとに置かれた教育刷新委員会の建議に基づいて、政府が案文を作成し、国会の衆議院、貴族院の議決を経て公布されたものでございます。

 教育基本法につきましては、昭和二十二年の制定以来、一度も改定が行われておらず、今回の改正においては、前文を初め改正部分が広範囲にわたり、規定の追加等が大幅に行われることから、構成上、全面的に改めることとしたものであります。

 なお、この法律が公布される際に、公布文は何々法をここに公布するとするのが通例であり、本法案についても同様の公布文になるものと考えられるということでございます。

横光委員 お聞きしていないことまで答弁されました。

 今回、改正されるに当たって、政府が出された法案は全面改正であるということになっておりますが、なぜ新規立法ではないのか。つまり、百六十四通常国会、今国会の提出予定法案においては、提出予定以外の検討中のものとして、当初は新規立法とされていたんではなかったんですか。それが今回のような全面改正というふうに方向変えされている。この理由を説明していただきたいと思います。

田中政府参考人 事務的に御説明を申し上げます。

 委員御指摘のことし一月に取りまとめました提出予定法案調べにおきましては、改正形式を含めまして改正自体を検討中として提出させていただいておったわけでございます。このときから全部改正の方向で検討を進めておりましたけれども、全部改正の場合も新規立法の場合も、そのタイトルは教育基本法案ということになりますので、したがいまして、この一月の段階から、私どもといたしましては、全部改正の法案をお願いしたいということで検討しておったところでございます。

横光委員 説明がありましたが、常識的には、全部改正と新規立法はほぼ同じではなかろうかという認識をしております。

 さて、現行教育基本法、これは、これまでの各委員からの発言にもございましたように、憲法の制定を受けて制定されております。現行の教育基本法の前文には、「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。」中略「ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。」とあります。つまり、現教育基本法は憲法と一体のものであると言えるわけですね。

 したがって、もし教育基本法を改正するならば、それに先だって、あるいは同時に憲法論議をして、そしてその上で新しい教育基本法を制定すべきだ、こうすべきだというのが当然であると考えておりますが、いかがですか。

小坂国務大臣 先ほど来、答弁を申し上げておるわけでございますが、委員が御指摘のように、「憲法の精神に則り、」と書いてあるわけでございますけれども、現教育基本法も、先ほど御説明申し上げたように、公布されているが施行される前であったという状況、また、この教育基本法は、憲法を左右するものではなくて、一体的といいましても、その精神に基づいてつくられている。現行憲法の精神に基づいて今日の改正の教育基本法も案として提出をされているわけでございます。

 今後、憲法が新たに改正をされた場合には、その憲法と今回の改正案の間でもし矛盾するような点が生じるような場合には、この教育基本法をさらに改正するということで整合性が保たれる、このように考えております。

横光委員 憲法はそう簡単に変えられるものではないと私は思っております。

 たとえ国会で三分の二の勢力があろうとも、最終的には国民が判断するわけですから、これは非常に難しい問題である。ところが、この教育基本法は、国民が判断するわけではない、国会が判断する、しかも二分の一でやる。

 そういった意味から、教育基本法をまず改正しようと。そして、それが憲法に影響を与えるものではないと言いましたが、そんなことはないですよ。教育基本法に沿って今度は憲法改正ということも考えられるわけですので、そういった意味で、非常におかしい順序立てである。

 例えば、母屋を今建てかえようと論議している。母屋がまだ姿がはっきりしていないのに、離れを先に建てかえてしまうというような話なんですよ。普通ならば、母屋があって、そこにどう位置するか、どの程度の大きさかという離れをつくるのが普通ですが、離れを先につくって、後々母屋をつくろうというようなおかしな考えが今進んでいるんですね。どう見てもおかしいと思いませんか、大臣。

小坂国務大臣 見解の相違かもしれませんが、おかしいとは思っておらないわけでございまして、先ほど申し上げたように、憲法が改正をされたならば、その憲法と矛盾しないように、教育基本法はしたがって改正をされますし、今回の提出をさせていただきました教育基本法の改正案は、現行憲法のもとで改正案として提出をさせていただいたわけでございます。

横光委員 現行憲法のもとでと。

 確かに、前文で「憲法の精神にのっとり、」と掲げておられますが、現行の教育基本法と異なって、現憲法に沿わない部分が多いんじゃないんですか、全然違わないとおっしゃいますが。

 例えば、改正案前文においては、現行教育基本法は、日本国憲法の精神を受けて、憲法の理念の実現は、「根本において教育の力にまつべきものである。」と、非常に崇高な理念が掲げられている、ここが今度なくなっているじゃないですか。現憲法の精神に、どこにのっとっているんですか。全く違う形でできている。

 先ほどの自民党の皆さん方の質問でもございましたけれども、自民党には、今回の改正教育基本法をステップとして、そして憲法改正につなげたいという思惑が見えてくるんですよ。だとすれば、これは本来とは順序が逆である。憲法改正につなげたいがための教育基本法改正であるならば、まさに教育論不在の論議ではないかと私は思っております。

 もし、そうした憶測を打ち消したいのであるのならば、先に憲法改正を行い、その次に教育基本法改正を行うのが筋道であるのは当然でございます。国民のほとんどだってそう思うでしょう。その道筋が示せないのなら、これはもう、今回の教育基本法改正は憲法改正のための単なる踏み台という位置づけであるという憶測を裏づけることになる、そう判断せざるを得ないと思いますが、いかがですか。

小坂国務大臣 今回の教育基本法改正案の提出に当たりましては、一方で憲法改正論議というものも国会では議論されてきているわけでございますが、先ほど来たびたび答弁をさせていただいておりますように、現行憲法の精神にのっとり、今回の教育基本法の改正案も提出をされているわけでございます。同時に、民主党の教育基本法の改正案も新規立法という形で提出をされておりますが、これらも同じように、憲法と一体をなす教育基本法として、今日まであった現行基本法とその流れを一にしながらも、それを改正するという形をとっているわけでございまして、委員の御指摘ではありますけれども、私どもは、この教育基本法の改正案を今回提出することが現行憲法に違反しているとも思っておりませんし、矛盾をいたしていると思ってもおらないわけでございます。

横光委員 きょうは私、政府案について質問しておるんです。

 鳩山幹事長も本会議のときに、憲法と同時にこの問題は論議すべきだという主張をしております。まだまだそういった状況にあるわけですので、そして、さきの本会議で、鳩山幹事長の質問に対し、総理も、教育基本法は日本国憲法と密接に関連をしているという答弁をされております。そうであるならば、先ほど申し上げましたように、拙速な審議は許されないはずでございます。

 きょう、憲法改正の国民投票法案について、自公の与党案が出されるというふうに聞いておりますし、また、それにあわせて民主党案も出されると聞いております。このように、衆議院に憲法調査会が設置されて、国民投票法案というところまで来ておるんですが、ここには六年の歳月がかかっているんですよ。憲法調査会はこの五年余りの間、四百五十時間もの調査を行っております。

 それで、総理が述べておりますように、国民的論議を踏まえるためには、国民に対して教育基本法の論点や何が問題となっているか示す必要がある。教育基本法においても、教育基本法調査会、これを衆参両院に設置して、国民に開かれた議論を行う必要があると思っております。この点はいかがですか。

安倍国務大臣 教育基本法の改正につきましては、平成十二年の十二月の教育改革国民会議報告に提言されて以来、今日まで中央教育審議会における審議、意見募集や各種会議での説明などを行い、十分な議論を経た上で法案を国会に提出したところであります。

 総理は、五月十六日の本会議の審議において、教育基本法は日本国憲法と密接に関連してはいるものの、憲法改正を待たなければ改正できないという関係にはない旨答弁をしているところであります。政府としては、十分かつ迅速な御審議をお願いしたい、このように考えているわけでございます。国会に調査会を設置する等につきましては、これは国会でお決めをいただきたいと思います。

横光委員 結局、先ほど、密接あるいはほぼ同等の法案であると、憲法と教育基本法。その憲法では五年もかけて、ある意味では国民的論議を、憲法調査会をつくっていろいろな形の御意見を聞きながらやってきた。それに比べたら、余りにも今回の調査、均衡を欠くんじゃないんですか。やはりここも、現行案がある、政府案がある、民主党案も出た、そこで初めてもっともっと、憲法調査会のようなものをつくって国民的議論を巻き起こしていくぐらいの重要な法案であるということですよ。

 小坂大臣はどうなんですか。では、国民が教育基本法を深く知った上で、その上で改正を求めていると考えておられるんですか。

小坂国務大臣 ただいま横光委員は憲法と同等とおっしゃいましたけれども、私は憲法と同等ではないと思うんですね。(横光委員「一体です」と呼ぶ)一体とおっしゃった、そうであればいいと思いますよ。

 また、今回の教育基本法の改正について、私は、国民の皆さんがどう考えているか、それは委員もおっしゃったし、ほかの方もおっしゃっております。今日の社会状況、いじめや、あるいは子供が親を殺したり、あるいは親が子供を殺したり、あるいは子供が子供を殺すような、こんな事件が毎日、新聞で報道され、テレビで報道され、これを見るたびに私どもは心を痛めているんじゃないでしょうか。何でこんな日本になったんだ、こう考えているんじゃないでしょうか。

 そういう中で、これを是正するにはどうしたらいいんだ、昔の日本の美徳を取り戻すにはどうしたらいいんだ、それは教育ではないか、教育をしっかりさせろ、これを国民の皆さんは強く求めていると思うんですね。それが、今日、この教育基本法を改正せよという国民の大きな期待になっていると私は思います。

 この委員会の審議を通じ、国民の皆さんにしっかりと今回の教育基本法の改正の趣旨を御理解いただき、条文を御理解いただく中で、そういった今委員が御指摘になったような国民の教育基本法改正に対する正しい理解と要望というものが盛り上がってくると私は思っております。

横光委員 先ほど、さまざまな現状の問題点を羅列されました。確かに、そういった問題が教育にかかわることは間違いございません。しかし、そういった、教育基本法を変えればすべて直るのかというと、そうでもないという御答弁もございました。

 国民も、教育基本法改正には五〇%を超えるぐらいの賛成の状況を示しております。しかし、お示しした資料の一をちょっとごらんになっていただきたいんですが、どうですか。これが今、国民の声なんですよ。朝日新聞では、今国会では採決をせず、議論を続ける方がよい、七三%。毎日新聞では、今国会にこだわる必要はない、六六%。NHKでは、一のイ、今の国会での成立にはこだわらず、時間をかけて議論すべきだ、七六%。ここが国民の今の声なんですね。やはり、もっともっと議論してほしいという声が圧倒的なんですね。

 そして、大事なことは、PTA全国協議会の報告書です。ここで、いろいろ教育基本法への考え方が載っております。ここの三番で、答申を踏まえさらに協議した上で改正すべきか考えるというのが非常にふえてきているんですね。そして、教育基本法の内容についての認知状況、ここでは、三番と四番を見てください。見たり聞いたりしたことはあるが内容はよく知らない、本文を見たことがなく内容もよく知らない、合わせると八八・八%の方々が教育基本法の内容について余り知らない、これが現状なんですね。

 そういった中で上がってきたのが、もっともっと論議をして国民にも理解が深まるようにしてほしいというのが現在の国民の声なんです。河村大臣も、十年前から教育基本法のことは本格的に条文をしっかり精査を始めたというぐらい、私も、国会議員になるまで教育基本法を見たことがございませんでした。それが大体一般的な国民の状況であろう。ですから、もっともっと、教育基本法調査会等をつくって、そして、いろいろな形の意見を集約しながら、この教育基本法とはいかなるものかというのを周知、広めていく、これが今の国民に対する我々の責任だと私は思っているわけでございます。

 このように、今、もっともっと審議してやってほしいという意見は、まさに、教育基本法改正について政府にも国会にも白紙委任しているのではないということを国民は示しているんだと思うんです。この七〇%の多くの人たちがそういった声を上げているということは、何も国会とかあるいは政府にこの法改正を白紙委任しているんじゃないぞという声だと私は受けとめております。ですから、勝手にやってはならないぞという声であるということを我々は認識しなきゃならない。何でもかんでも数の力でやればいいというものでもない、国民をほったらかして、国民の理解を得られないままやったら大変なことになるということをしっかりと認識していただきたいと思います。

 そういった意味からも、私は、まだまだやるべきことはいっぱいあるだろうと、国民の皆様方にこの問題をしっかりと認識してもらうには。

 それは、まず一つはパブコメ、パブリックコメントでございます。これをやはりやるべきである。近年、法令の制定や改悪などを行うに際して、各省庁がパブリックコメント、いわゆる意見公募、これを行うようになっております。そういった意味から、私は、これをぜひやるべきだという気がいたしておるんですが、いかがですか。

小坂国務大臣 委員は各新聞の調査をお引きになりましたけれども、私どもは賛成が多いと見ておりました読売新聞、教育基本法改正について賛成、六六・七%、また、時事通信社によります世論調査、教育基本法の改正について賛成、五一%。これは、なぜか委員が御提出いただきました資料には書いていなかったわけでございまして、そういう形の中で、今、パブリックコメントを行うべきではないかという御意見がございましたけれども、この調査の中にもありますように、今日、条文を読むか、本文を熟読したかというような形でいえば、まだ十分な理解を得られておりません。これは、やはり審議を通じて国民の皆さんにどういう条文内容であるかを私どもとしては知らせなきゃいけないと思っております。

 ただ、今日の教育基本法の改正についての過程において、この必要性については、中央教育審議会における議論、そして一日中教審、あるいは教育改革フォーラムや教育改革タウンミーティングなどを通じまして国民の皆さんに広く訴えてきたところでございますし、現在も、インターネットを通じて、この法案の内容、改正の経緯等については広報に努めているところでございます。

 こういったものを踏まえながら、パブリックコメントの必要性についてもこの委員会で十分な御議論をいただく中で、公聴会等いろいろな形を通じて国会の御審議について御議論を賜れば幸いでございます。

横光委員 確かに、文科省は、教育基本法改正プロジェクトチームをつくって、意見、問い合わせを受け付けているようでございますが、文科省の「教育基本法案について」というホームページを見ると、何ですかこれは、文部科学省の住所とプロジェクトチームの内線番号等があるが、内線は一本しかありません。そのため、なかなかつながらないんですよ。住所の記載はあるものの、郵送により御意見を受け付けているのかは明記されていない。何より問題は、ファクス番号やメールアドレスについての記載がない。それからして、広く国民の意見を募ると今おっしゃいましたが、そういった姿勢がまるでうかがえないというようなことを示しているんじゃないんですか。

 なぜファクス番号やメールアドレスを明記しないんですか。これは受け付けないということなんですか。内線もふやして、もっともっと、国民の意見を聞くというコーナーがあるんですから、それを形あるものにしなきゃならないという気がいたしております。

 このように、非常に国民の声を聞かなきゃならない場はいっぱいある。あるいは、地方公聴会。これは、我が党の鳩山幹事長は、四十七都道府県でやるべきだと。百人……(発言する者あり)そういうふうに失笑が出ますけれども、これは笑い事では済まされない。それぐらいの覚悟で、広く国民の意見を聞く法案であるということを鳩山幹事長は申し上げているんです。百人の参考人が必要だ、これももっともな話であって、私は、地方公聴会、これは相当な数で行うべきであると思っておりますが、いかがですか。

小坂国務大臣 地方公聴会のあり方その他につきましては、国会のことでございますから、当委員会の理事会において委員長にお決めをいただくということが適切ではないかと思っております。

 また、文部科学省のファクス番号またメールアドレス等でございますけれども、各所に、御意見というところをクリックしていただきますと、メールが自動的に発出できる、そういうページに飛ぶようになっておりますので、そういったものを御利用いただく中で御意見を賜れば幸いでございます。

横光委員 この委員会が始まってからずっと大臣は、広くタウンミーティング等で意見を聞いたりしているということをおっしゃっておりますが、その数は微々たるもの、そして参加した人も微々たるもの。地方公聴会とは私は別物である、やはりここはしっかりとやるべきである。

 もしこれをしっかりやらなければ、この皆さん方が出している法案に「我々は、日本国憲法の精神にのっとり、」ということを書いておりますが、この「我々は、」というのが、単に自民党と公明党を指すにとどまってしまう可能性がありますよ。「我々は、」ということは、すべての国民の思いでしょう。ですから、与党のひとりよがりの改正案という判断をせざるを得ない。それを払拭するには、多くの人たちの声で、まさに我々のということが認識できるような、そういう状況をつくっていかなければならないと思っております。

 この法案は、十分多くの国民の皆様方の意見を聞きながら、そして論議をしながら、決してこのような国会の終わりに、わずかしかないときに出してくるような法案ではない、しかも会期延長してやるような法案ではない。臨時国会でもやるような法案ではない、まさに通常国会で冒頭から正々堂々とやるべき法案である。それぐらいの重い法案であるということを考えれば、今私が言ったようなパブリックコメント、地方公聴会、あるいは教育基本法調査会、こういうことを設定することは決して不可能ではないということを申し上げておきたいと思います。

 それでは、前回の、先日の質問でも、自民党の委員からも、拙速ではないかという意見もあるがという質問に対し、小坂大臣は、十分な審議を、またしっかりした審議をしながら、拙速ではなくても、しかも迅速な審議を進めていただく中で国民の要請にこたえたい。これは、ある意味では国会に対する行政の介入発言じゃないですか。

 こういった国会のやることにこういう、しかもこの文言をちょっと見ていただきたいんですが、十分な審議を、またしっかりした審議をしながら、拙速ではなくても、しかし迅速な審議を進めていただくと。十分な審議、しっかりした審議、拙速ではない、ここまではいいですよね。拙速というのは仕上がりが下手でもやり方が早いことですから、ここはしちゃいけない、ここまではいい。しかし、迅速な審議を進めていただく、十分な審議をしながら拙速な審議を進めていただくとはどういうことなんですか。(発言する者あり)まさにゆっくり走れと言うようなもの、ゆっくり早くと言っているようなもので、こんな難しいことはできない。十分な審議をしながら迅速な審議を……(発言する者あり)国語的にも、私は非常におかしい発言であると言わざるを得ません。

 こういうふうに、やはり、与党の方からもそういった声が出るぐらいの大事な法案であるということでございます。

 なぜ、ではこのようなときに出されたのかということは、すべては与党内の調整に手間取った結果、このような時期に出すようなことになったんでしょう。密室協議だと報道されておりますが、正直言って、中教審の会長さえも最後のところまではわからなかったと。まして与党の皆さん方も、これが公表されるまでは知らなかった人が多かったんじゃなかろうかと思っております。重要法案、重要法案といいますが、まさに、重要とは、政府・与党にとって重要でも何でもないんですよ、国民にとって重要であるということを私たちはしっかり認識してこの審議に臨まなきゃならない、このように思っております。

 それでは、先般の総理の御答弁についてお尋ねをいたしたいと思います。

 総理は、この法案ができたら、現在でもそうですが、評価する必要はないという趣旨の答弁をされました。

 そこで、まずお尋ねしますが、国を愛する態度、あるいは国を愛する心、あるいは国に愛着を持っている、そういった意味の思いが国民の皆様方には十分であるのか、あるいは足りないと思っているのか、あるいはそういった思いが低下し続けていると思っているのか。小坂大臣、そして安倍官房長官、それから猪口大臣、お三方に、今の国民の皆様方は愛国心に含まれるようなものは十分であるかどうか、足りないのかどうか、そのあたりをちょっと御見解をお聞かせください。

小坂国務大臣 日本が、国際化社会の中で、国際社会に出ていって問われた場合に、日本という国をしっかりと説明できる人が今どれほどいるだろうかということは、よくいろいろな場で議論がされます。私は、そういったときに、やはり、アイデンティティーということが言われますが、日本人がしっかりとしたアイデンティティーを持って国際社会で活躍をするためには、日本の伝統や文化、あるいは地理とか、あるいは地域の伝統、文化についてもしっかりとした認識を持っていることが必要だと思います。そういった点において、今日の若い人たちのそういった知識、また、そういったものの知識によって培われる心情というものは、以前の我々の若いころに比べて少し低下しているのではないかなという感覚を持つことは多いわけでございます。

 そういったことから、また、昔では起こらなかったような事件が起こってまいります。伝統の偉人の像を傷つけたり、あるいは日本の文化を象徴するような宝物を毀損したり、そういったことを見ますと、やはり、日本人がそういった日本の伝統、文化に対して持っていた思いが今日必ずしも伝わっていない部分がある、このようにも考えるわけでございまして、そういった意味をすべて含めて愛国心という言葉で表現されるとするならば、その愛国心という部分も少しずつ薄まってきたという感覚を持っております。

安倍国務大臣 我が国の郷土の歴史や文化や伝統について理解を深め、尊重し、そしてそれをはぐくんできた我が国や郷土を愛する態度を養っていくことは、国家、社会の形成者として必要なものである、そしてまた、ただいま小坂大臣が答弁したように、国際社会を生きていく上においても極めて重要である、そういう人物こそ真の国際人ではないかというふうに私も思うわけでございます。そのために、本法案におきまして、我が国と郷土を愛する態度を養うことを規定したわけでございます。

 ちなみに、本年五月の内閣府政府広報室発表の社会意識に関する世論調査によれば、今後国民の間に国を愛するという気持ちをもっと育てる必要があると思うかについて、そう思うと答えた人が全体の約八割、八〇・四%でありますが、八割を占めておりまして、本法案の改正は国民の要望にこたえるものであるというふうに思っております。

猪口国務大臣 今官房長官からお答えされたとおりだと思いますが、私は、日本国民には一般的に、国を愛する、そういう気持ちはあると思います。だからこそ、我が国は、そもそも戦後多くの困難を抱えながらここまで来たのだと思います。我が国は、無資源国であり、戦後の社会において敗戦からの再出発というまことに多くの苦難を乗り越えてきた。それができたのは、この国を愛する気持ちを私の親の世代、そして先輩の世代が持っていたからにほかならないと私は思うんですね。我が国は、世界第二位の規模の経済、そしてG8サミットの参加国、これも最初の六カ国の中に入っているわけですね。それだけの国を築けたのは、やはりこの国への愛があったからではないですか。

 だけれども、今心配なのは、そのような状態を続けることができるのかどうか。次の世代、そして子々孫々に、この国を愛する気持ちを持って、もし我々がそうでなければだれがこの国を愛して発展させてくれるのかということを伝えていかなければならないと思います。

横光委員 よくわかりました。まさにそのとおりだと思います。

 NHKの放送文化研究所というのが三十年にわたってそういった調査をされておる本があるんですね、三十年にわたって。これは、国の方でそういった調査をしているところはありますか。私は、NHK、いろいろ不祥事が出て問題になっておりますが、ちゃんといいことやっているなと思う。

 今お渡ししている資料の三をごらんになっていただきたいんですが、猪口さんがおっしゃられたとおり、まさに三十年間にわたって私たちの国の国民は国に対しての愛着心は高いんですよ。変わっていないんですよ。七三年から変わっていない。「日本に生まれてよかった」と思う人がずっと九〇%。おっしゃるとおりなんです。しかし、その愛国心というものは、この二番目も「古い寺や民家に対する親しみ」、これはまさに伝統文化でございますし、まさにこの愛着心、日本の国に対する思いというのはみんな高いものを持っておるんですね。

 ただ、それが、いろいろな形によって、心ということで、今非常に問題になっているのは、これが、押しつけ、強制、あるいは評価、処分、こういうことになってはいけないという状況なんですね。自然にみんな、法律に何もないにもかかわらず、これだけ高い人が愛国心を持っておる。それはオリンピックや、あるいはワールドカップや、さらにベースボールのクラシックベースボール、このあたりの日本の人たちの喜び方、あれはまさに愛国心の一つのあらわれでしょう。

 ただ、愛国心というのは、本当に、大きいか小さいか、強いか弱いか、あるいは高いか低いか、そういったふうに各人違うわけですよ。一律に皆同じ愛国心ということはあり得ないので、それぞれの思いが違うわけですね。ですから、そういったことは画一的に押しつけるものではないということで、愛国心は絶対に必要ですし、私もそれを否定するものでも何でもありません。ただ、今回の法案によって、これが強制につながることはないのか、評価につながることはないのかということがこの国会、この法案の大きな問題点の一つです。

 総理が先日、通知表で評価しているというこの現実を見たときに、これは、小学生に対して愛国心があるかどうか、私はそんな評価なんか必要ないと思いますねと答えられた。そして、現在福岡市での通知表はありませんよと答えられた。しかし、その直後に、いろいろなマスコミの調査、あるいは文科省も調査しているんでしょうけれども、福岡市だけじゃなくて、やはり多くの県で通知表で評価しているということが明るみになってしまったんですね。埼玉県では五十二の小学校、岩手や茨城、あるいは愛知県でもそういったことで評価しているという、通信簿でですね。これは、正直言って、総理は、そういうことは必要ないということで、現在福岡市でもやっていませんよということをおっしゃいました以上、こういって現在やられているところは、早急に、総理の発言の重みを受けて、そういったことは是正していくべきだと思いますが、大臣、いかがでしょうか。

小坂国務大臣 前回の委員会におきまして総理が申し上げたことは、国を愛する心情については、教育や日ごろの生活の中ではぐくまれるものであって、いかにはぐくむかという指導のあり方を学習指導要領の問題として考えるべき、こういう考え方であって、小学生が内心である愛国心がどの程度であるかということを評価などすべきではない、これは私もそのとおりだと思います。内心についての強さを評価でABCつけるなど、とんでもないことでございます。

 民主党の案にも国を愛する心を涵養するとおっしゃっているように、また委員もただいま述べていただきましたように、国を愛する心というのは、やはりだれもが持っていてほしい大切なものでございます。私どもの今回の基本法におきましても、伝統と文化を尊重し、それをはぐくんできた我が国と郷土を愛する心ということを規定しておるわけでございますけれども、これを評価するということにおいては、具体的な指導であります地域の歴史や文化について学ぶ、それから郷土の偉人や世界で活躍した日本人について学ぶ、こういったことを通じて、ああ、日本人というのは世界ですばらしいことをやってきたんだな、すごいな、自分も立派な日本人になりたい、そういうような心、全体としてそういうものがはぐくまれることを私どもは目的としているわけでありますし、評価に当たりましても、そういったことを自分として積極的に学ぼうとしているかどうか、そういうことを総合的に評価していくということでございますから、その心、内心について評価をするということではないということを明確に申し上げたいと思います。

横光委員 私が聞いたのは、総理がそういったことは必要ないと言って、現在行われていないと総理は思っていらっしゃると思う。それがいろいろなところで、実際、通知表で評価されていたということが今度明るみになって、いわゆる中身が、総理が見た通知表と同じ、国を愛する心情というのが、今回、埼玉県の行田市での中身と同じなんですね。

 である以上、そういったところで、同じような条文で評価するということは難しいわけで、総理も必要ないと言っているわけですから、そういったところが明るみになった以上、総理の言葉に従って、早急にそういったことは是正する、もうなくすということをやっていただけますねということをお聞きしておるんです。どうぞ。

小坂国務大臣 具体的な通知表の内容を見ましても、「我が国の歴史や伝統を大切にし国を愛する心情をもつとともに、平和を願う世界の中の日本人としての自覚をもとうとする。」という項目、観点項目がここに四つあるわけですが、その一番上にそういうことが書いてあって、これが問題だという御指摘もございました。

 しかし、この項目を評価する際に、いわゆる愛する心情を持つということだけを評価しているということではないわけですね。これは、そういった平和を願う世界の中の日本人としての自覚とか、我が国の歴史や伝統を大切にするとか、いろいろな項目を列挙してある中で、それ全体、総体としてそれに対して積極的に取り組んでいるかどうか、みずから調べて偉人の名前を知ろうとするとか、そういうことを総体として評価するための項目として記述されているわけでございます。

 通知表というのは学校長が自由に様式を決定することができるわけでございますから、そういったことが記述をされていることについて地域において御批判があれば、学校長もそれをしんしゃくすると思いますが、私どもとしては、そういった内心を直接的に評価するようなことをしてはならないということについて、学校長会議や、あるいは教育委員会の教育長の会議等を通じて、しっかりと今伝達をしているところでございます。

 そういったことを御理解いただく中で、一部に、そういった通知表の項目にもし行き過ぎがあるならば、それぞれの地域でそういうことを御指摘いただく中で、私どもも学校長たちの理解を求める努力をしてまいりたいと存じます。

横光委員 確かに、内心の自由を侵してはならないというのは、今の意見、総理も同じ思い。そして、総理が見た通知表で総理がそういった発言をされたのは、「国を愛する心情をもつとともに、」というふうな形で評価をしようとしていることで、これは必要ないと言われた。そして、今度明るみになった一つの学校の、行田市の小学校では、「自国を愛し、」という、まさに内心のことを評価している。

 全く同じ状況ですから、こういったものは、もちろん市民の反応も出てくるでしょうけれども、これは文科省としてやはり責任を持って、総理がこういったことを評価する必要はないんだと言って、内容が同じであるならば、早急に、他人任せにしないで、指導要領等でちゃんと対応して、通知を出して、こういったことは評価の対象にしてはなりませんよということを、ぜひ是正していただきたいということでございます。もう一度御答弁ください。

小坂国務大臣 評価の観点として、第一項目、自国を愛しているかどうか、第二項、国を何とかとか、そういう項目として評価を求めるのであれば、それはおかしいと思いますね。しかし、「我が国の歴史と政治及び国際社会での日本の役割に関心をもって意欲的に調べ、自国を愛し、世界の平和を願う自覚をもとうとする。」こういうように書かれているような場合、これは総体的に、我が国の歴史や政治や、そういったものをしっかりと調べて、そういう認識を持とうとしているかどうか、こういった全体的な態度を評価するものでございますから、内心について直接的な評価をしているというものではないと考えております。

横光委員 内心に直接的な評価をしているものではないと。そういうことで福岡市はなしになったので、それと同じ内容があるのでそこのところは同じような対応をしてくださいと言っているのであって、そこは責任を持っていただきたいということです。

 そして、これまでたびたび質問が出ていますが、この法案が出て、さらにそういったことが強くなるということはないでしょうね。

小坂国務大臣 先ほど申し上げたように、この基本法における記述が新たにそういった内心の評価につながることのないように学校長の会議あるいは教育長の会議等を通じて私どもとしての考えをしっかりと伝え、そして、それぞれの地域における学校においてそれが反映されるように私どもとして指導を行っているところであります。

横光委員 愛国心とかいう規定が盛り込まれていない今の教育基本法のもとででも、今言われたような、現場ではこれを通知表で評価させていることが表面化されたわけですので、これを条文化すればそうした動きにも法的な根拠を与えることになるという危惧が非常にあるわけですので、まず総理が言われたように、義務教育の子供たちに対してこういった評価の対象にならないんだと、それをしっかりと対応していただきたい。

 なぜ私がこういうことを言うかというと、資料の二を見ていただきたいんですが、これは平成十一年の七月二十一日、内閣委員会で国旗・国歌法が成立するちょっと前ですね。ここで、河合委員、これは公明党の河合正智委員ですが、この質問、「その場合、思想、良心の自由に係るような評価というのはどのように取り扱われておりますでしょうか。また、今後どのように取り扱われていきますか。」という質問に対して、御手洗政府委員は「思想、良心の自由にかかわる事柄につきましては、教育上もこれを最大限に尊重する必要はあろうかと思います。したがいまして、個々の児童生徒の思想信条にかかわることというのはこういった評定の対象にならないものと考えております。」と、このときには評価の対象にならないと答えておるんじゃないですか。それが現在はどっと多くの県、市町村で評価を通知表で行われているからみんな心配するわけでしょう。

 小渕前総理も国旗・国歌法のときには強制するものではないと何度も国会で答弁しておきながら、これがいろいろな形を使って強制につながって、評価につながって、最後は処分にまでつながっている。こんな現実があるだけに、やはりここは、総理の言った、義務教育の子供たちに対してはこういった内心の自由に対する評価は必要ないと明言されたわけですので、そこのところをしっかり文科省としては対応していただきたい、このことを厳に申し上げておきたいと思います。

 それで、内心の自由ということでは、総理も靖国の問題でこのことに触れております。まさに靖国は歴史の問題でもありましょうし、教育の非常に重い分野の課題だと思っております。官房長官、先日、サミット後に総裁選への出馬を正式表明するという報道がございましたが、これは仮定の話だから答えられないと言うかもしれませんが、もし総理になられたら靖国に参拝されますかどうか、お尋ねをいたします。

安倍国務大臣 総理になったらという仮定の質問についてはお答えを控えさせていただきたいというふうに思いますが、総理の靖国参拝については、国のために戦った方々のために手を合わせて御冥福を祈り、そして尊崇の念を表する、この気持ちは大切な気持ちであり、私も持ち続けていきたい、このように答えているところであります。

横光委員 総理もいつもおっしゃいます、二度と戦争をしない、そして、亡くなられた方々の御冥福を祈る。これをだれも否定している人はいないんですよ。だれも否定している人はいない。むしろ、そういった思い、気持ちは大切にしてほしい。

 ただ、総理という立場で約五年間もそういった行動のために一番近い国、中国、韓国と関係が悪い。私は、そう言ったからやめるべきだと言っているんじゃない。ただ、そういったことも考えなければ。今や中国は私どもの最大の貿易国である。さらに、これは中国や韓国だけの問題ではなく、今、国際的な問題になりつつある。

 アメリカでもこういった歴史観に対して批判が出始めている。アメリカの下院の国際委員会のハイド委員長が議長に、小泉首相はなおも靖国参拝を続けているので、小泉首相にアメリカ議会で演説させることは適当ではないというような見解を示したとか。アメリカでもこんな問題が話題になっている。

 そして、アジアでもいろいろな意見があります。マレーシアのアブドラ首相も、先日の朝日新聞のインタビューでは、日本と近隣諸国の間にある障害を除去しなければ域内平和と協力が影響を受ける、小泉首相の靖国神社参拝については国際社会でも批判的な論評や報道が大半であるというような、こういった意識を持っておるわけですね。

 私は何も参拝しちゃいけないとは……。ただ、総理大臣あるいは閣僚という日本を代表する人たちが拝むことは、それ以上の大きな意味合いを持つということでさまざまな批判が出る、国内的には政教分離の疑念も出てくる。ですから、総理をやめたら毎日でも参拝していってほしい。しかし、せめて総理でいる間はもっと大局的な形で私は対応していただきたい。

 ですから、とうとう経済界からも非常に心配する声が上がっております。こういった経済界の声も、私は大変勇気のある提言をされたと思っておりますし、そういった意味で、経済界の、参拝を控えてほしい、あるいは民間人を含む戦争の犠牲者を慰霊し不戦の誓いを行う追悼碑をつくってほしいという提言、まさに私は的を得た提言だと思っているんですね。この経済界の発言に対して、総理は商売とは別だというお考えを示しましたが、この点につきまして、安倍官房長官、どのようにお考えですか。

安倍国務大臣 総理は本件に関してこう答えておられるのですね。時として政治というのは単なる利益、いわば経済的な利益だと思いますが、利益だけを考えないで対応しなければならない問題もある、このように述べられたわけであります。

 また、経済同友会の提言については、別途関西経済同友会の提言において、一九七二年の日中国交正常化以来、内政不干渉の原則が確認されてきており、靖国問題など内政に関する諸問題については相互不干渉とすべき旨の提言がある。この関西経済同友会の提言も、私は、極めて見識ある提言だろう、こういうふうに思っております。

 いずれにせよ、日中関係、極めて友好な二国間関係であります。両国の首脳間の交流あるいは外相交流、先般も外相の会談が行われたわけでありますが、日本は常にドアは開いております。一つの問題があるからといって、すべてのドアを閉じてしまうのは間違っているのではないか、このように思います。

横光委員 確かにドアはあけておりますが、向こう側が玄関から入ってこれるような状況にないということも認識しなきゃならないと思うんです。

 商売と参拝は別だという総理の発言ですが、その一方では、経済界との連携は不可欠であり、経済財政諮問会議にも経済界の人がいっぱいおって、政策提言を受けて、政治と経済が一体となってここまで発展したという事実がありながら、片一方では都合の悪いときは商売と政治は別だというようなことは、私はちゃんとした発言ではないと思っております。

 安倍官房長官と私は実は五期生で、同期生です。同じ時期に政治家としてスタートしました。立場がそれぞれ一緒のときも違ったときもありましたが、安倍さんは生まれたときから総理大臣のお孫さんということ、私は貧しい農家の出ということで立場は違って、今や一番総理の席に近い人、私はただの平議員。これを別にひがんでいるわけじゃないんですが。

 ですから、私は、いずれ安倍さんは総理になられる方だろうと思っております。それだけに、私はひとつこの文章を読ませていただきますが、これをしっかりと総理大臣になられたときに思い出していただきたい、確認していただきたい。これを読ませていただきますので、ちょっと聞いてください。

 これは福岡県の大刀洗町の平田清人さんという九十歳の農家の方が西日本新聞にことしの一月十四日に投書した文章でございます。一分ぐらいですので、ちょっとお許しいただきたいと思います。

  一九四五年秋。のちの中国首相、周恩来司令官は軍の最高幹部を引率、南京郊外の台地にいた。遠くに、武装解除された多くの日本兵が祖国への引き揚げ港に向かって歩いていた。これを見ていた将軍たちは、いっせいに周司令官に対し「今こそ一千万人もの同胞を殺害した日本兵に対しうらみを晴らすべきだ。命令一下、機銃で全滅させる」と周氏の決断を迫った。

  ところが氏は「彼ら日本臣民もまた一握りの軍国主義者の哀れな犠牲者だ。戦火から解放され、やっと祖国に帰る彼らには食糧がないと聞く。軍庫を開いて彼らを救助せよ」と日本兵一人に米一升ずつ配布したという。

とあって、そしてこの平田さんは、

 一握りの軍国主義者のため敵味方、無数の人民が塗炭の苦しみをなめたが、体験者は日ごとに死亡して残りわずか。

  小泉首相はあえて靖国神社に参拝しているが、もし、彼が私たちと同じ年配で、戦争の惨苦を体験していたならば、戦争を指導、強行したA級戦犯をまつる靖国神社に参拝はしないであろう。

こういう意見を述べられている。この方に私は了解を得て、きょう読ませていただきました。今、九十歳で、朝晩散歩しながら、時間を見ては田畑で仕事して、大変お元気でいらっしゃるそうです。

 終わります。

森山委員長 午後一時から委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。

    午後零時一分休憩

     ――――◇―――――

    午後一時開議

森山委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。

 この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。

 両案審査のため、来る三十日火曜日午前九時、参考人の出席を求め、意見を聴取することとし、その人選等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

森山委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

森山委員長 質疑を続行いたします。牧義夫君。

牧委員 民主党の牧義夫でございます。

 六十年ぶりの教育基本法改正ということで、私も身の引き締まる思いでここに立たせていただいております。日本の長い歴史の中で、時あたかもこういうときに私も国会議員を務めさせていただいているということ、本当に光栄に思いますし、また、こういった場面に、委員各位、皆さんと一緒にこのはえある第一委員室に相集って議論ができるということ、これまでになくというか、これまで以上に国民の負託にしっかりこたえなければいけない、それと同時に、やはり将来世代への責任を私たちがしっかり果たしていかなければならないんだ、そういう思いをいたすときに、まさに身の震えるような、そんな事の重大さの自覚を今しているところであります。

 そういった意味もあって、この現行法の昭和二十二年の教育基本法案、これが議論された過程、先ほどの質問にもありましたけれども、私も私なりにこの議事録を読ませていただいて、当時の諸先達が、連合軍による制約の中ではありながら、本当に真摯に、将来を見据えて議論を闘わせてきたんだなということ、当時の先生方、先輩方のその息遣いまで感じられるようなそんな議事録でございました。

 これは、私がものぐさで、はしょって最初のところだけ言うわけじゃないんですけれども、たまさか、この休憩前、午前中に委員会で趣旨説明があって、午後から早速、休憩前に引き続いて審議が行われたわけであります。その冒頭のところの部分に私は感銘を受けたわけで、今回と違って、当時は議事もすんなり午後から入ったんだなと改めて思ったんですけれども、この最初の上林山委員の質問、そしてそれに答えた高橋文部大臣のこの一問一答に、現行のこの教育基本法の持っている問題点も含めて、その理念のすべてもこの一問一答に本当に集約されているなと思ったものですから、ちょっとあえてその部分を読ませていただくと、この上林山委員の質問の中で、

 教育基本法は、言うまでもなく一種の教育憲章であり、またそうあらしめねばならぬと思うのであります。しかし法律はあくまでも法律でありまして、私は本法の根底をなすものが、何となく足りないような感がするのであります。いわゆる教育基本法の根本をなす、根底をなすところの教育哲学ないしは形而上的な強い脈々とした要求というものが、本法を通覧いたしまして缺けておる憾みがするのであります。

こういうふうに質疑の中で申し述べております。

 これに対して高橋文部大臣は、また明快に答えております。

 これから先、文化的な平和国家を建設いたしますがためには、どうしてもこの個人の尊厳を認め、個人の価値を認めていかなければならぬというのが、私どものもつております確信であります。これをまず教育上の根本理念として取上げたのであります。迫力がない、乏しいとかいうような御意見に伺いましたが、かつての教育勅語のごとき荘重な言葉をもつて表現はせられておらぬかも知れないのでありますが、

云々という言葉があります。これは、質問も本当に正鵠を得た質問であると思いますし、この回答も、中身はともかくとして、実に明快な回答であると思います。

 ここでこの高橋大臣が言うような根本理念、この伝に倣って言えば、今回の政府から提出されております新しい教育基本法の根本理念というものは、一言で言うと一体何なんでしょうか。まず、文部大臣にお答えいただきたいと思います。

小坂国務大臣 戦後、日本が復興に当たって昭和二十二年に現行教育基本法を制定する、それに取り組まれた先達の真剣な思い、そして、我が国の発展を願い、その中にあって、人間として日本国民がどうあるべきか、そういうことを考えた上で、今御指摘のあったようなやりとりが行われて今日の基本法制定に至った。そういう意味では、大変重い議論であったと思いますし、我々の今置かれている立場も同じように大変重いものである、このように思うわけでございます。

 本法案の根本理念につきましては、本法案を貫く考え方を宣明する前文、すなわち、前文を置いたということでこの法案を貫く根本的な理念と趣旨を明らかにしているわけでございます。何を目指して教育を行い、どのような人間を育てるかという教育の根本的な目的を第一条に規定し、そして、前文においては、日本国民が願う理想といたしまして、民主的で文化的な国家、そしてその発展、また、世界の平和と人類の福祉の向上への貢献を掲げまして、その理想を実現するために、現行法を引き継ぎまして個人の尊厳を重んずることを規定するとともに、新たに、公共の精神の尊重、豊かな人間性と創造性や伝統の継承を規定しているところでございます。

 また、第一条、教育の目的では、各個人の備えるあらゆる能力を可能な限りかつ調和的に発展させることによって人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として心身ともに健康な国民の育成をすることを規定したところでございまして、これらが今回の基本法改正案の根本的な理念を申し上げるわけでございまして、二十二年の議論のように、個人の尊厳こそすべてを貫くその大前提である、その当時の理念も引き継いで、さらに、今日的な課題を解決するための理念を盛り込んだものでございます。

牧委員 個の尊厳のみを追求するんだということでは不十分だ、そういった意味では私どももその意識を共有するところでありますけれども、せんだってよりこの議論が始まって、たび重ねていろいろお話もあったと思うんですけれども、それでは、今の現行法が、これまでの学校運営やらあるいは教育行政を行うに当たって具体的にどのような支障が生じてきたか、現行法が起因となっているがために起こったと思われる支障、この辺についてどういう認識をお持ちなのか、大臣のお考えをお聞かせいただきたいと思います。

小坂国務大臣 今日、この改正に至ったその考え方の中で、現行法が起因するというふうに現行法のせいにするわけにはいかぬと思うんですね。それには、多くの社会的な変化、戦後の日本の発展、そして、さらなる発展を求めて経済活動を展開する中での世界の変化、グローバリゼージョンと言われるような世界全体の変化というもの、こういうものが大きく影響していることはあるわけでございますが、我が国の教育は、第二次大戦後に、機会均等の理念を実現し、そして、国民の教育水準を高めてその時々の時代の要請に対応してきた、また、人材の育成を通じて我が国の社会発展の原動力となってきた、そして今日、世界からも高く評価をされる日本というものを実現したということにおいて、大きな役割を担ってきたと思っております。

 しかし、戦後六十年が経過をして、科学技術も進歩いたしまして、少子高齢化など社会情勢も大きく変化する中で、昨今の教育の現場を見ますと、例えば、平成十五年三月の中央教育審議会答申において指摘された内容にありますように、一つ目は、青少年が夢や目標を持ちにくい状況の中での規範意識や道徳心、自律心の低下が見られる、このように指摘をし、さらに、いじめ、不登校、中途退学、学級崩壊などの深刻な問題や青少年の凶悪犯罪の増加、こういったものも挙げて、また、家庭や地域社会の教育力の低下ということも指摘をし、学ぶ意欲の低下などさまざまな課題が生じているとしているわけでございます。また、昨今、子供の虐待や、学校や通学路における事件が生じていることも大きな問題でございます。

 これらの課題に対応するためには、教育現場が直面する諸課題に対して迅速かつ的確に具体的な施策を講じていく必要がある。一方で、教育の根本にさかのぼった改革が求められているという認識を持ちました。

 このために、新しい時代の教育理念を明確にすることで国民全体の共通理解を図りつつ教育改革を着実に進めて、そして我が国の未来を切り開く教育の実現を図るために、この改正案を提案するに至ったわけでございます。

牧委員 教育の憂うべき現状というものについての認識があって、ただ、それが直ちに現行の教育基本法に起因するものではない、そのための、解決するためのいろいろな施策をとってきた、簡単に言えばそういう話だと思うんです。それは、我々もみんな一緒になってこれまで心を砕いてきたことだと思うんですけれども、したがって、この法案の中身、条文に入る前に、そこら辺のところからやはりしっかり確認をしておく必要があろうと思います。

 何の答えにもひょっとするとなっていないんじゃないか、私はそう思わざるを得ないわけで、中教審の答申にも、

  我が国の教育については、中央教育審議会、臨時教育審議会、教育改革国民会議等の提言に基づく改革をはじめ、様々な観点から不断の改革が行われてきた。しかしながら、関係者の努力による数々の取組にもかかわらず、我が国の教育は現在なお多くの課題を抱え、危機的な状況に直面している。

こういうふうに明言しているわけですけれども、そうすると、この答申や提言に基づいてこれまで行われてきた文科省の施策というのは、具体的にどういった施策になるんでしょうか。

田中政府参考人 昭和五十九年に臨時教育審議会ができて以降の御説明を若干させていただきたいと思うのでございますが、臨時教育審議会が昭和五十九年にできまして、四次にわたる答申を出したところでございますが、その中で、個性重視、生涯学習体系への移行、そして国際化や情報化等の変化への対応といった大きな三本柱の改革の方向性が示されたわけでございます。

 その中で、個性重視の観点で申し上げますと、学習指導要領を改訂いたしまして、新しい学力観あるいは自己教育力といったようなものを養成していく、あるいは大学入試センター試験の改革、大学設置基準の大綱化、生涯学習体系への移行で申し上げれば、単位制高校の制度化、夜間大学院制度の創設、そしてまた学位授与機構の創設といったようなことをやっておりますし、また、国際化、情報化の観点では、留学生十万人計画、あるいはJETプログラム、学校の教育用コンピューターの整備といったようなことに取り組んできたわけでございます。

 その後、平成八年、十年の中教審の答申に基づきまして、地方分権、現場の自主性の尊重ということで、教育長の任命承認制度の廃止でございますとか校長の任用資格の見直し、そして、家庭教育に対する支援なんかも行ってきたわけでございます。

 そして、平成十二年には教育改革国民会議がつくられておるわけでございまして、それに基づきまして二十一世紀教育新生プランを進めますなど、昭和五十九年以来、着々と改革を進めてきておるところでございます。

牧委員 そこら辺の、それはもう中教審が言っているように、数々取り組んできたというのはわかるんですよ。ただ、その数々の取り組みにもかかわらず依然として危機的な状況に直面しているということで、では、それはこの取り組みが足りなかったのか、それとも、ここはもう根本的な問題を解消するためには基本法の改正しかないのか、そういう認識なんですか。そこら辺のところをちょっと聞きたいんですよ。それとも、もっと次元の違った取り組みというのがあるのか。

田中政府参考人 ただいま申し上げましたように、昭和五十九年以降も着実に改革を進めてきたわけでございますけれども、やはり、こういう改革を進めると同時に、現在の教育状況を見ますと、根本にさかのぼった改革が必要ではないかと考えておるところでございます。すなわち、教育基本法まで立ち上って見直しを行いまして、国民がそういう共通理解を持って、そして、国民全体で社会全体の教育力を上げる中で教育改革を進めていくことが大変重要ではないかと考えておる次第でございます。

牧委員 確かに、それは言うとおりだと思います。中教審の答申に、「戦後の我が国の教育は、教育基本法の精神に則り行われてきたが、制定から半世紀以上を経て、社会状況が大きく変化し、また教育全般について様々な問題が生じている今日、教育の根本にまでさかのぼった改革が求められている。」こういうふうに述べております。また、「現行法には、新しい時代を切り拓く心豊かでたくましい日本人を育成する観点から重要な教育の理念や原則が不十分であり、それらの理念や原則を明確にする観点から見直しを行うべきである」とも述べております。

 そこで、冒頭の質問ともちょっとかぶる部分もあろうかと思いますけれども、この後で述べた部分、教育の理念や原則が不十分だ、「日本人を育成する観点から重要な教育の理念や原則が不十分であり、」という部分のその「理念や原則」というのは、一体どういうことを言っているとお考えになるか。これは、政府側と、法案提出者の方にもお聞かせをいただきたいと思います。

小坂国務大臣 一つは、今局長が答弁させていただきましたように、国民全体で、すなわち教育の一番のもとは家庭でありますけれども、同時に、学校、地域、それらが一体となって教育について考え、そして、それを実現するための努力を行っていくことが必要だと思っております。

 今回の教育基本法の改正に当たりまして私どもが原理原則として重視をしておるものの幾つかを述べさせていただきますが、我が国の未来を切り開く教育が目指すべき目的や理念、この中には、知徳体の調和がとれ、生涯にわたって自己実現を目指す自立した人間ということ、また、公共の精神をたっとび、国家、社会の形成に主体的に参画する日本人、また、我が国の伝統と文化を基盤として国際社会を生きるたくましい日本人の育成を目指し、引き続き改革を進める必要があるということであります。

 こうした観点から、今回の改正においては、これまでの理念に加えて、豊かな情操と道徳心、創造性、公共の精神、生命、自然の尊重、伝統と文化を尊重し、我が国と郷土を愛する態度などが重要と考える理念というふうに考えまして、これらを新たに規定することとしたものでございます。

藤村議員 牧委員にお答え申し上げます。

 昭和二十二年にさかのぼってもう五十九年になるんでしょうか、現行教育基本法がどういう役割を果たしてきたか、あるいは今何が問題かということの議論を始めていただいたことに敬意を表したいと思います。

 現状認識というか、今何が必要かということを考えるに当たって、我々は中教審答申による提言のもとで立法したわけではございませんが、そのやはり新しい理念、そして新しい原則、中教審答申では現行法に若干足りないのではないかともおっしゃっておりますが、そのことをやはり最初に我々は基本的に考えたところでございます。

 そして、民主党案においては、前文で、まさに理念一色ということではございますが、今前文を読んでいると長いものですから、少し簡略化して申し上げたいと思いますが、我々が直面する課題が、自由と責任においての正しい認識、また、人と人、あるいは国と国、宗教と宗教、人類と自然との間に、ともに生き、互いに生かされるという共生の精神の醸成が必要であるという現状認識でございます。

 そして、もちろん、現行憲法のもとに我々の目指す教育というのを理念として掲げているのは、人間の尊厳と平和を重んじ、生命のとうとさを知り、真理と正義を愛し、美しいものを美しいと感ずる心をはぐくみ、創造性に富んだ、人格の向上発展を目指すこととし、また、さらに続けて、自立し、そして自律の精神を持ち、ちょっとリツの字が違いますが、個人や社会に起こる不条理な出来事に対して連帯して取り組む人間性と公共の精神を大切にすること、さらに加えてもう一つ、人間像でありますが、日本を愛する心を涵養し、祖先を敬い、子孫に思いをいたし、伝統、文化、芸術をとうとび、学術の振興に努め、他国や他文化を理解し、そういう人材育成、人間育成をもって新たな文明を創造したい、これが理念でございます。

 そして、原則ということもお尋ねがございました。原則はそんなにたくさん挙げるわけにはいかないんですが、まず一つは、我々の今回の新しい法律において、憲法二十六条の教育を受ける権利を具体化するために、学ぶ権利の保障、それから、適切かつ最善な教育の機会及び環境の享受など、教育を受ける側の視点に立って取り組むこと、二番目に、世界人権宣言あるいは児童の権利に関する条約など、子供や教育に関するさまざまな国際条約にうたわれている原則を踏まえたものとすること、三番目に、命の問題、あるいはニート問題、インターネット社会の問題、現代的な問題でありますが、かつ、これは将来にかかわる大きな問題だと考え、これらに十分配慮をすること、そして四番目、最後でありますが、新しい時代に即した教育行政の考え方を我々なりに提示し、学校を中心とした運営の確立と、そして、最終的にはやはり国の責任を明らかにしたい、この四原則をもって今回の立法に当たりました。

牧委員 御丁寧な説明、ありがとうございます。

 理念と原則についての御説明を受けたわけでありますけれども、特にその理念の部分というのは、これまでの教育改革国民会議あるいは中教審における議論というのも、広く国民にも一定のところまでは知れ渡ってきた、ある程度の普及はしてきたと思うわけでありますれども、やはり私は、そういった理念の国民に対するメッセージ性というのも、多分にこれは重要な、特にこの法律については重要であろうと思うわけで、その意味で、この政府案、現行法と比べてそのメッセージ性にちょっと乏しいかなという感もあるんです。

 政府案は現行法の改正という形をとっております。民主党案は新たな新法という形をとっておりますけれども、例えば、そういった理念を条文の中で追加するだけで本当に国民の理解と共感というものが得られるのかどうなのか。そこら辺の国民に対するメッセージ性も含めて考えたときに、どのようにお考えになるか。やはりまたそれぞれ意見をお聞かせいただきたいと思います。

小坂国務大臣 私ども、今回を教育基本法の一部改正案とせずに、教育基本法の改正という中でこの全部改正を提案させていただきました。それはすなわち、委員がおっしゃるように、新たなメッセージ性を持った形で伝達をしようとする場合、一つは、法律の名前を変えて提案するというのも確かにあると思います。しかしながら、従来の中で、今日も大切にされた理念は継承としつつも、新たに加えるべきものを加え、そして全体を眺めたときに、並べかえたりあるいは強調したり、まさに委員がおっしゃったようなメッセージ性を持たせるためには、全部改正という形をとりながらも、やはり、これは教育の基本をうたったものであるということで、教育基本法という名称をそのまま使うことが適当である、こう考えたわけでございます。

 戦後の我が国の教育は、現行の教育基本法の精神にのっとって行われてきて今日の発展に至ったと思っております。そういった意味から、教育の現状と課題と、そして二十一世紀の教育の目標を踏まえて、そういった上で、今申し上げたように、個人の尊厳、人格の完成、平和的な国家及び社会の形成者などの普遍的な理念は今後とも大切にしていく。しかしながら、同時に、二十一世紀を切り開く心豊かでたくましい日本人の育成ということを考えるならば、公共の精神の尊重、豊かな人間性と創造性、伝統の継承などの意識や態度を涵養するとともに、生涯学習社会の実現などの理念を明確にすることが必要だ。そして、大学や私立学校の振興、家庭教育、幼児期の教育、学校、家庭、地域の連携など、現代において必要とされる条項を追加することなど、さまざまな改正追加を行ったところでありまして、このような新しい時代の基本理念というものを明確にするためには、そしてなおかつ、国民全体の共通理解を図る、そして国民全体による教育改革を進める、こういうことを考えまして、我が国の未来を切り開く教育の実現を目指すための教育基本法であるということを提案させていただいたところでございまして、これに基づきまして、広報活動とともに、教育振興基本計画というものを策定することを提案させていただきました。

 この教育振興基本計画によりまして、新しい教育基本法に基づく教育改革の推進のための準備としてしっかりとこの予算も確保し、そして、これらの基本法の改正に伴う周辺法律の整備、また教育振興基本計画等をにらみながら、私を本部長とする教育基本法改正プロジェクトチームというものも文部科学省の中に設置をいたしまして、この法案の広報など、国民に広く訴え、理解を求めるための組織固めもしているところでございます。

藤村議員 メッセージ性ということでございますが、政府の場合は全部改正ということで、その辺がちょっと弱いのかなと思いますが、私どもは、やはり新しい新法ということでございます。今小坂大臣もおっしゃった、名前を変えるというヒントがありましたが、我々は、日本国教育基本法、新法でございます。

 そういう意味では、大変この点においてもインパクトがあろうかと思いますが、先ほどもお答えしましたが、何より、ここにうたったその原則が、非常に現代あるいは近未来に即したもの、例えば、先ほど申しました、きょうまで長年議論をされた学習権、学ぶ権利というものを、これは憲法から来ているわけですから、やはりきちんと今回位置づけたということ、あるいは世界人権宣言、児童の権利条約など、国際社会の中での大きな共通項目、これを大きく取り入れたこと、それから現代的な問題、そして近未来にかかわる命のとうとさの問題や、あるいはニートなど新しい課題、そして、大きく時代を変えようとしているインターネット社会、これらにどう取り組むかなど新しい課題にも配慮したこと、それら大変新しいものをもってインパクトを与えるのみならず、先ほど政府もおっしゃいましたが、やはり旧来の伝統文化などなど、これは理念の部分で先ほど申し上げましたとおり、これもきちっと今後さらに発展させていきたい、こういうことで、大きなインパクトをもって今後皆様にまた周知、説明していきたいと思います。

牧委員 ありがとうございました。

 私がどうしてこういうことを聞いたかというと、やはりこの法律は憲法に準ずる法律であるというその重要性というのは、ただ単に言葉だけで憲法に準ずると言っているんじゃなくて、やはりすべての国民にかかわる法律であると。与党案では「人格の完成を目指し」、我が党は「人格の向上」という表現になっていたと思うんですけれども、いずれにせよ、私たちがこの世に生を受けて、どういう中に価値を見出し、どういう目的を持って生きていくのかということすべてにかかわってくる問題で、これは必ずしも子供たちの教育だけの問題ではないわけで、言葉を置きかえれば、日本人としての生きる規範というか、そういったものが一つでき上がる。そういう意味から私は、国民に対するメッセージ性というのも非常に重要であろうという観点から今質問させていただいたわけで、もう一つ言えることは、この法律の内容もそうですけれども、その成立過程、これはやはりきちっと大事にしていただく必要があろうと思います。

 中教審における議論の中でも、公聴会やらその他、そういったことに努めてこられたと思いますけれども、私は、今回の政府案のこの国会への提出のタイミングやら、あるいはその出方等々を考えたときに、正直、唐突という感を否めないわけでございます。これは、恐らく与党の議員の皆さんも、少なからずそういう感を持っている方がいらっしゃるんじゃないかなと私は思いますので、あえてちょっとここで、この法律がここに提出されるに至った経緯、それを簡単にちょっとそれぞれ、民主党案も出されておりますから、民主党の法案提出者の方からもお聞かせいただきたいと思います。

小坂国務大臣 今回、教育基本法改正案を提出させていただきましたのは、単に突然思いついて出したり、どこかから求められたからいきなり短期間に考えたというわけではないわけでございまして、具体的に申し上げれば、平成十三年の十一月に、中央教育審議会に、新しい時代にふさわしい教育基本法のあり方についての諮問を行ったわけでございます。

 それにさかのぼりますと、平成十二年の十二月には教育改革国民会議の報告というものがなされまして、ここでも提言をされております。ただ、私ども文部科学省としては、文部大臣が中央教育審議会に諮問するという形で十三年十一月にスタートし、以降四十回以上にわたります議論をいただいて、またその間には、一日中教審など、国民の意見を聞く機会も設けてまいったわけでございます。

 そして、平成十五年三月に答申をいただいてからは、教育基本法改正に向けた準備を進めるとともに、全国各地において教育改革フォーラムあるいは教育改革タウンミーティングを開催し、さまざまな手段を通じて国民や関係の皆様の理解や議論を深めつつ、教育基本法の改正についての取り組みを進めてまいったわけでございまして、また同時に、与党におきましては、平成十五年五月以来、与党教育基本法改正に関する協議会及び検討会を設けていただきまして、精力的な検討が進められ、本年四月には、教育基本法に盛り込むべき項目と内容についての最終報告がまとめられた、このように承知をいたしております。

 こうした五年以上にもわたるさまざまな取り組みを踏まえまして、今回の教育基本法の改正案を提出させていただく段取りになったわけでございます。

笠議員 私ども民主党でこれまでこの教育基本法の問題についてどういう形で議論を行ってきたのか、また、今回、日本国教育基本法案提出に至りました経緯を簡単に説明させていただきたいと思います。

 民主党では、平成十二年三月に教育基本問題調査会を設置して、新たな時代における新たな人づくりのあり方について、教育現場の抱えている問題を踏まえつつ議論を重ねてまいりました。同時に、先ほどありましたように、教育国民会議や中教審といった政府の中における教育基本法をめぐる議論を注視しつつ、教育基本法のあり方についても党内議論を積み重ねてきたわけでございます。

 そして、こうした議論を踏まえまして、具体的には一昨年に、鳩山由紀夫現幹事長が会長を務めるこの教育基本問題調査会になりまして、新しい教育基本法のあり方について具体的な検討に今度は入らせていただきました。このときには、自由党が二〇〇三年でしたか、通常国会に提出をした人づくり基本法案もまたベースに、参考にしながらの議論を重ねたわけでございます。そして、十一月からは調査会のもとに作業部会を発足させまして、各方面の皆様との意見交換も行いながら精力的に議論を行い、この結果を去年の四月七日に報告書として取りまとめ、国民の皆様に発表させていただいた次第でございます。

 そして、この報告書、「新しい教育基本法の制定に向けて」と題しておりますけれども、党内でもさまざまな議論がありまして、両論併記の部分もたくさんあったわけでございます。しかしながら、この段階であえてこれを広く世に問うことにいたしましたのは、まさに教育基本法の問題は教育の根本にかかわる問題でありますから、国民的な議論を喚起することが必要だという考えからです。

 そして私どもは、この教育基本法、当然ながらこの委員会でもさまざま議論が行われておりますけれども、憲法に準ずる大変重要な法案であるということで、衆参両院に調査会などを設置して、国会の場でしっかりと調査検討を行うように求めてまいりました。残念ながら、この間、そうした場は設置されず、与党内で進められている議論についても、一部報道で報じられるもの以外にはその過程やあるいは具体的な中身についても知ることができませんでした。

 そして今回、大型連休、ゴールデンウイーク前に突然政府改正案が国会に提出をされたわけで、こうした中で私どもは、先月二十日に、調査会のもとに、参議院議員である西岡元文部大臣を座長とする教育基本法に関する検討会を設置いたしまして、そして党内の全議員に呼びかけて、またさらには、出席できない議員にはそれぞれ別途意見を聞くなどいたしまして、この報告書をもとにして連日集中討議を行ってきたわけでございます。

 議論の中では、いわゆる愛国心問題などをめぐって激しい議論も交わされましたけれども、多くの議員の出席のもと、今の教育の現状を改善するための前向きな議論が展開され、最終的に今月の十五日に日本国教育基本法案の要綱がまとまり、その後、法制局と法案化の作業を進め、今週二十三日に衆議院に提出をさせていただいた次第でございます。

牧委員 ありがとうございます。

 私がこの質問をあえて申し上げたのは、大臣からの御説明ございましたけれども、やはりこれは、こういうことをやってきたよというその事象だけを時系列的に順を追ったものだと思います。

 ただ、私どもとしては、平成十五年三月の中教審の答申以来ことしの四月の与党合意に至るまでのこの間が全くのブラックボックスで、時折新聞でどこかがリークしたような記事が流れてきたりはいたしましたけれども、全くその中身が見えないわけで、その中身が見えないことにはこの委員会における審議の大前提もないということになるんじゃないか、そう強く主張をしてまいりまして、それがまた今日に至ったわけで、これは、もうここまで来たら、しっかりとこの委員会の場でそこら辺をつまびらかにしていただくしかない、そういう意味で質問をさせていただいた次第で、今のお話だけだと、これはまだまだ何もわかったようなわからないようなお話ですから、ぜひまた委員長にもお願い申し上げたいのは、参考人質疑もこれから順次入れていくということでございますから、その与党の協議の中で、その当事者の方、どういった議論が闘わされてきたのか、ぜひこの委員会の参考人質疑の場を設けていただいて、そこら辺の議論も、質疑もさせていただきたいと思いますけれども、いかがでしょうか。

森山委員長 関係の資料は準備できていると思いますので、配付させていただきます。

牧委員 委員長、よろしいですか。関係資料はざっと時系列的なものはいただきましたけれども、委員の皆さんにも多分お配りされている。されていない。

森山委員長 これから配らせていただきます。

牧委員 これからですか。それはいいんです。

 ただ、冒頭に私、昭和二十二年の、その息遣いまで感じられるようなこういう議事録を読ませていただいて非常に感銘を受けたわけでありますけれども、やはりこういう話というのは、その議論あるいはその審議の過程というのが大事だと私は思いますから、与党内での話というのも聞かせていただく場をここでつくっていただけませんかと、そういうお話を申し上げているのであります。

森山委員長 失礼しました。

 ただいまの御要求につきましては、理事会で協議させていただきます。

牧委員 ありがとうございます。

 そういうふうに申し上げると、それでは民主党内の議論というのは一体どうだったんだ、何か急にばたばたまとめたんじゃないかというような御意見もあろうかと思います。そこら辺のところは我々もしっかりとこの場でお話をしていただきたいと思うんですけれども、きょうは、ちょっとさわりのところというか、特にこういうところは何か議論があったんじゃないかというような、多分いろいろな興味のある点もあろうかと思いますので、とりわけ、この法案で特に取り上げられる例えば愛国心の取り扱いについてとかあるいは宗教心の涵養といったような問題について、もう一度民主党の方から、どんな議論があって、どういう結論に至ったのかというところをちょっとお聞かせいただきたいと思います。

笠議員 先ほど私がこの経過の説明をさせていただいたときに、あえて愛国心をめぐるということで、やはり、この作業部会報告書をまとめます段階におきましても本当にさまざまな議論がございました。そして、今回検討部会の中でこの法案をまとめるに当たっては、まずはやはり、この新しい教育基本法自体に国を愛するという表記自体を入れるべきではないんじゃないかという意見、あるいは、今の現行法のように、目的のところにしっかりと国を愛するというものを書き込むべきだという意見、そういったものはたくさんありました。

 ただ、私どもは、党内で議論をしておりまして、私もすべて事務局的に参加をしておりましたけれども、その中では、当然ながら、自然な形として国を愛する心というものを持つということはこれはもう大前提でございますけれども、それが強制的なものに何か結びつくのではないかという懸念を持たれている方々から、この法案自体に盛り込むことへの消極的な意見があったことは、これはありました。

 そして、最終的には、前文の中で、きょう、ちょうど先ほど牧委員の方からの資料にもありますけれども、この新しい教育基本法をつくるに当たって、明らかに今の現行法あるいは政府案に比べてこの前文というものが非常に長いものになっております。実は、議論の過程で、この前文についても、前文というのはもっと短くして、もっと目的をしっかりと何項目か書くべきじゃないかという議論もあったわけですが、我々としては、憲法に準ずる、そして新しい法案として出すからには、しっかりとその理念を、これからの教育のあり方についてふさわしい、あるいはどういう人間を育成していくことが大切なのかという我々の思いを、それをすべてこの前文の中に盛り込んでいこうということで、前文の中に、日本を愛する心の、しかも押しつけではない、自然と土の中に水がしみ込んでいくようにということで、この涵養という文言を西岡座長の方から提案させていただき、そのことについてはおおむねほとんどの皆さんの了解を得て、党としてまとめさせていただいたわけでございます。

牧委員 ありがとうございます。

 こういったそれぞれの審議の、議論の状況も話し合いながら、この場を有意義なものにこれからもしていっていただきたいと私は思います。

 その意味で、もうちょっとつけ加えて質問をさせていただくと、例えば私がお配りした資料があります。これは時系列で、教育改革国民会議の報告から閣議決定に至るまでの大ざっぱな表をつくらせていただいたんですけれども、これを見て皆さんよくおわかりになると思います。平成十五年三月に中教審の答申が出されて、もう翌年の六月十六日には、与党の教育基本法改正に関する協議会中間報告というのが出ております。中間報告の中身については、これはもう公になっているわけでございます。

 ただ、今回出てきた政府案を見ると、この十六年の中間報告、もちろん中身は両論併記の部分もありますけれども、よく考えたら、この三年間のうち、むしろ十六年の六月から後半の二年間、この二年間というのが私は大きいような気がするんですよね。中間報告と最後に出てきたものの違いというのはほとんどないんですよ。両論併記だった部分を、先ほど来お話に出ております、国や郷土を愛する態度を養う、そのときは、国を愛する心かあるいは国を大切にする心なのかこういった両論併記だったと思うんですけれども、そうすると、この二年間、国を愛する心なのか大切にする心なのか、そのことだけでこの二年間を費やしたのかな……(発言する者あり)もちろん選挙もあったかもしれないけれども、このことだけでこの二年間を費やしてきたのかなと、これを見る限り思ってしまうわけですよ。だから、その間どんな議論があったのか、そういうところをやはり聞かせていただかなければ本当に中身のある議論はできないと私は思いますけれども、いかがでしょうか。

 この間、我が党の藤村委員の質問でも、愛すると大切にするというのは同じなんだ、当時の、ポルトガル語のアモールというのを翻訳したら、大切にするということだから、愛すると大切にするというのは同じことなんだというお話でしたけれども、そういうことからすると、そのことだけのためにこの二年間を費やしてきたのかなと私は思わざるを得ないんですけれども、大臣、いかがでしょう。

小坂国務大臣 平成十五年の五月以来、与党では、この教育基本法の重要性にかんがみて、協議会及び検討会、中教審の答申を踏まえた議論というものが行われたと承知をいたしておるわけでございますけれども、私自身、今政府の人間でございますので、与党における議論というものについてお答えする立場にないわけでございます。

 いずれにしても、国会において法案の審議を進めていただくことを期待しておりまして、政府としては、法案審議のために今後とも適切に対応したい、これだけ私の意見として申し上げておきます。

牧委員 政府の立場としてはそこまでしか言えないと思いますけれども、もう一つ、そうすると、この四月十三日に与党合意ということで、四月二十五日、自民党部会、政審、総務会了承、この間、二週間足らずであります。他党のことをとやかく言うつもりはございませんけれども、この短い期間に大変だっただろうな、私は思わざるを得ないわけで、恐らく与党の大半の人たちが知らないところでこれがぱたぱたっとまとまって、そして連休前に何とか駆け込みで閣議決定、この日時、時間の経過を追っていくだけでそれはもう容易に想像できるわけで、それが、例えばきょうの午前中のこの委員会における質疑を聞いていても、自民党の皆さんの質問と公明党の質問とは、かなりやはり考え方にいまだに隔たりがあるままここに来ているんだなということが私なりによく理解できたわけでございます。

 ちょっとそこら辺のところで……(発言する者あり)法律の入り口にまだ入れないですよ、こんなんじゃ。四月十三日の与党合意を前に、各党部会に口頭で報告開始されたのが三月、ここから、協議に参加していない大多数の与党議員にとっては議論が始まったと思うんですけれども、これまでのこの三年間の与党内の協議会というのは、中間報告以外は完全オフレコで、資料もその都度回収されていたと聞いております。これで、この与党合意から二十八日の閣議決定に至る間の事情、これは大変だったと思うんですけれども、その間の事情をおわかりになる方、ちょっと教えていただきたいと思います。

有村大臣政務官 四月十三日に与党教育基本法改正に関する協議会におきまして最終報告が取りまとめられ、政府に対して御報告をいただきました。政府におきましては、この最終報告を踏まえ、文部科学大臣、小坂大臣の強いリーダーシップのもと、御指示をいただき、早速法案作成作業に取りかかりました。

 具体的には、各条文案をめぐって、内閣法制局との調整それから省庁間の調整を踏まえ、事務次官会議等を経て閣議決定がなされた次第でございます。

 以上が経緯でございます。(発言する者あり)

牧委員 今の私の質問に対する回答としては、今、与党席からも大変よくできましたという言葉があったとおりだと思いますけれども、せっかく有村政務官においでいただいたので、私はちょっと有村さんにお聞かせをいただきたいこともございます。別に私は、女性をいじめたり困らせたりすることをひそかな喜びとするような趣味はございませんけれども、やはり、午前中、岩屋議員の質問の中にもございました教育基本法の改正促進委員会、これは有村先生も役員を務められているわけであります。今、淡々とこの経過を御説明いただきましたけれども、本当にいいんでしょうか。私は、政治家としての有村議員の見解をお聞かせいただきたいと思うわけであります。

 岩屋議員のお話にもありましたように、この議連というのは、衆議院二百四十八名、参議院百三十名という、もうこれはそれぞれの院において過半数を超える議員で構成をされているわけで、私も実は入っておりますけれども、四月十一日、これは与党合意の二日前に決議もしているんですよね。

 特に、これは全部ざっと読んでもいいんですけれども、時間が余りないので、また折を見て皆さんにお配りをさせていただきたいと思うんですけれども、いわゆる宗教教育の部分、あるいは愛国心、そしてまた教育行政における不当な支配のそういった部分について、いわゆる三点の課題ですね、「政府与党においては、」その「三点の課題を解決して改正法案の不備を払拭し、一日も早く審議を開かれた国会の場へと移し、」とあるんですね。これは、一日も早くというのはわかります。その前に、この三点の不備を一日も早く払拭しということを決議しているわけですよね。

 私もこの議連の一員として言わせていただければ、それがまるっきりほごにされたような形で、そういった形で淡々と経過報告だけ述べられるわけですけれども、やはり私は、こういうことを、では何のために超党派の議連をやってきたのか。それはとりもなおさず、やはりこれは、党派を超えて私たちの将来世代への責任をしっかり今を生きる私たちが果たしていかなければならないからこそ、党派を超えて、議連で集まってこういった決議までしたわけですよ。森元総理そして西岡元文部大臣を最高顧問にいただいて、議論を重ねて、三百八十名になんなんとする衆参党派を超えた議員が一生懸命やってきた。これを全くほごにされて、もう人間不信ですよ。これから超党派の議連なんというのは、最後の最後ひっくり返されて、もう何の意味もないんだということになってしまうので、私は、そういった意味で、一言、これでいいんですかということをお聞かせいただきたいと思います。

有村大臣政務官 牧委員から御発言、心して拝聴させていただきました。私も、日本会議初め議連で一語一句もんできた一員でございます。私自身、今、挑戦する奉仕としての信念を持ちながら、私の現在の職責は、まさに国民性をつくる礎である教育に、それを日本の国家の最重要点事項にするというのが私の使命であろうとも思っております。

 そして、現在置かれている状況は、小坂文部科学大臣を支えてこの法案を一刻も早く成立させることが私に課せられた職責であり、その後、やはり私も、この経験を踏まえてさらによいものを志していくよう、これからも政治の活動を全うしていきたいと考えております。

 以上です。

牧委員 ありがとうございます。

 ただ、私は、時間の許す限り、順次聞いていきたいと思います。別に個人攻撃じゃなくて、まだまだ同志がいっぱい自民党内にもいるわけですから、お一人お一人の良心に私は訴えていきたいと思うことをここに宣言させていただきたいと思います。六十年後にこうやって議事録が残って、今から六十年後の人がそれを読んで、ああ、あのとき有村さんはこんな発言をしたと言うんですよ。そこら辺のところをきちっと思いをいたしながら、これからまた別の、今政府の立場におられる議員の皆さんにも聞いていきたいと思います。

 与党の方の理事さんからは、とにかく迅速にというお話がありまして、私どもは拙速な議論は控えるべきだということを申し続けているわけで、そこら辺の認識の違いがあるわけで、議論はもちろんした方がいいと思いますけれども、これは、平たく例えて言えば、今まで信号が青でゆっくり渡るチャンスがあったにもかかわらず、この間放置してきて、青が点滅し始めて、もう黄色になろうとしているときになぜ走って渡らなきゃいけないんだ、我々はそれを言っているんであって、もう赤になるかもしれない、そういうときに、やはりここは一たんとまってしっかり待つべきじゃないか、しっかりその中で議論すべきじゃないか。与党内の議論もまだまだ十分じゃないという感は否めないわけでありますから、我々は、そういった意味で拙速な議論は避けるべきだ、拙速な結論を導くのはよろしくないと言っているということを御理解いただきたいと思うわけでございます。

 中教審における公聴会等々、これまでの実績というのも、資料はいただいておりますので、ここであえてお聞きしたりはいたしません。パンフレット等についても、この中教審の答申については十万部、パンフレット四十三万部と、かなり精力的に国民に対する普及活動をしてきたんだなということを私思うんですけれども、この文科省の「なぜ今、改正するのか」という質問資料にも、国民全体で教育改革を進め、我が国の未来を切り開く教育を実現していくため、教育基本法を改める必要があると。「国民の皆さまの共通理解を図りながら、国民全体で教育改革を進め、」とあります。そういった観点から中教審も公聴会を重ね、こういった広報活動に努めてきたと思うんですけれども、そういった意味からすると、今回のこの政府案というのは、私は、中教審の答申からかなりかけ離れたもの、かなり変わり果てた姿になっていると思います。

 そういった意味で、この審議の間でも、公聴会も重ねながら、政府案というのはこういうふうに変わってきたよということもやはり国民の皆さんにしっかり知らしめながら、そういう手順を踏みながらやっていきたいと思うんですけれども、政府としての考え方をちょっと安倍官房長官にもお聞かせいただきたいと思います。政府として、やはりこれだけの重要な法案というのを、これは国会の、議会における専権事項だというふうにお話をされるかもしれないけれども、どういうふうに審議をしていくのが望ましいと思われるのか、ちょっと考え方だけお聞かせいただきたいんですね。

 というのは、ここへ来て、サミット後には総裁選がどうだこうだという話になってきて、本当にこれで本気で議論をする気があるのかないのかということも我々はちょっと疑問に思っているわけですよ。そこら辺のところを……(発言する者あり)失礼じゃなくて、ここは確認をしたいから聞いているのであって、お聞かせいただきたいと思います。

安倍国務大臣 委員会での御審議につきましては、ぜひ国会でお決めをいただきたいというふうに思いますし、政府としてあれこれ要請をするという立場にはない、このように思うわけであります。

 先ほど、民主党内におけるこの案についての審議については、比較的短い期間にそれなりに深い議論をされたというお話でございましたが、この政府案につきましては、与党で極めて長い期間に深い深い議論をした末、政府としては自信を持って提出をいたしたわけでございます。提出した以上は、私どもといたしましては、会期内にしっかりと御議論をいただき、御審議をいただいた上で成立を図っていただきたい、このように思う次第でございます。

牧委員 済みません、本来だと終わりなんですけれども、五分いただけるということで、せっかく官房長官いらっしゃるので、一つだけ。通告にないんですけれども、これは別に通告しなくていいお話だと思いますので、一つだけお聞かせいただきたいと思います。

 政府案で、国を愛する、郷土を愛する態度、これはずっとその後の部分にも係ってくるんですね、「他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」と。ということは、他国を尊重する態度というのがあるわけですね。それはどういう態度だと思われますか。

安倍国務大臣 もちろん、他国を尊重するというのは、個々の国々の政治体制をということではなくて、他の地域、他の国々はそれぞれ文化や伝統や歴史を持っている、そういう国々の生き方、あり方、あるいはそういう国々が持っている理想等を、違いは違いとして尊重していくことが大切ではないか、こういうことではないかと思います。

牧委員 そのとおりだと思います。

 ただ、私も、さっき靖国の話が出たので申し上げるんですけれども、心の問題というのは、これはもう内心の自由ですから、小泉総理もおっしゃったように、それは私は自由だと思いますし、他国からとやかく言われてどうこうする話でもないと思います。

 ただ、この法律で言うと、「他国を尊重し、」ということになると、尊重する態度ということになると、ちょっとこれ、そこら辺のところがひっかかってくるんじゃないかなと。尊重する心というのであればいいけれども、尊重する態度と言ってしまうと、では、他国が靖国だめだと言ったら態度であらわさなきゃいけないんじゃないかなというふうに思ったものですから、あえて……(発言する者あり)全然違うという話も聞こえてきますけれども、あえて言わせていただきました。

 質問を終わります。

森山委員長 次に、山口壯君。

山口(壯)委員 民主党の山口壯です。

 教育基本法に関して幾つも議論がありますけれども、いいお医者さんというのは、まず症状を見立てて、そしていい判断をして治療していく。そういう意味では、今の日本の教育にかかわることの何が問題で、それは一体何が原因で起こったのか、こういう見立てを間違わないように我々はしなければいけないと思うんです。そういう意味では、なぜ今出すのかという話もいろいろありますけれども、私は、さらにさかのぼって、少しリベラルという言葉を考えてみたいと思うんですね。

 私、本会議でも、米軍の再編のときに吉田茂さんの話をさせていただきましたけれども、吉田茂さんというのはリベラルな保守と言われている。何でリベラルだったのかな。リベラルは、もともとはキリスト教用語で、神様からの自由。どういう信仰をするかは、リベラルに自分の信仰を貫いていく、そういうこともあったようです。さらにそれが、国の強制からの自由、そういう意味も持ってきました。

 当時、吉田さんが外交官としてイギリスの大使をやっておられたときに、英米との戦争は絶対反対だと。当時の国はいかにも英米との戦争に向かうような雰囲気の中で、それにリベラルに反対していった。それが戦後、憲兵隊にとっ捕まったということが今度はマッカーサーに評価されて、こいつはリベラルなやつだから追放しないでおこうということで総理になった。人間の一つの皮肉な運命ですけれども。だけれども、リベラルで、なおかつ、吉田茂さんは天皇陛下にお会いするときは臣茂と言い、日本であることということを非常に大事にした。

 戦前から戦後にかけて国体の護持という言葉があります。日本が日本であり続けることを国体の護持という。そういう意味では、民主党の案に「日本を愛する心」、これを入れたのは、まさに日本が日本であり続けること、国体の護持、こういうことにもある意味でつながっていく、長い歴史のスパン、あるいは伝統のスパンを念頭に置いた発想なわけです。

 リベラルな保守ということ、これを、これからずっと続くであろう長い期間のこの委員会での議論の中で、じっくり、リベラルとは何か、あるいは愛国心をめぐって考え方を詰めていきたいと思うんです。

 大臣、具体的なことに少し入らせていただければと思います。今の文部あるいは文教行政体制です。

 この文教行政体制、先日も党首討論で小沢代表から小泉総理にいろいろ議論をさせていただいた、これが今回の法案の中でも一つのポイントだと思います。

 現在の教育基本法では、文教行政に関する責任体制はどういうふうに規定されていますでしょうか。

小坂国務大臣 まずもって、憲法二十六条には、すべて国民は、法律の定めにより、教育を受ける権利を有することを規定いたしておりますし、また、この権利を保障し、国民が教育を受けられるように、国は、法律に基づきさまざまな条件を整える責務を有していると考えております。

 このことを受けまして、現行の教育基本法におきましては、教育行政に対しまして、国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学困難な者に対して奨学の方法を講じなければならないこと、国及び地方公共団体の設置する学校における義務教育については授業料を徴収しないこと、国及び地方公共団体は、図書館、博物館等の施設の設置など適当な方法によって教育の目的の実現に努めなければならないこと、教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものであること、教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目的として行わなければならないことなどを規定いたしておるわけでございまして、国と地方の役割分担については特段の規定はございません。

 ここに言う必要な教育の諸条件の整備というものには教育内容等も含まれることについては、既に判例により確定しているところであります。また、第十一条におきまして、「この法律に掲げる諸条項を実施するために必要がある場合には、適当な法令が制定されなければならない。」ことが規定されておりまして、こうした法令において教育行政を担うべき具体的な責務が規定をされて我が国の教育行政の仕組みが整えられていると考えております。

山口(壯)委員 大臣、今説明していただいたとおり、最終的責任、これについてははっきりしていないように私には理解されるわけです。その点はいかがでしょうか。

小坂国務大臣 国と地方の役割分担によって教育行政というものが担われている、このように考えております。

山口(壯)委員 今の答弁でも、やはり、最終的責任というのはどこが背負うかということがはっきりしていない。そのままで今文部科学省が実際にはある意味で頑張っている、こういう図柄なわけですね。

 今度、民主党案。今回の民主党案の中で、いわゆる普通教育に関する責任の所在についてはどういうふうに規定されようとしていますか。

森山委員長 提案者はどなたが答弁されますか。

山口(壯)委員 では、もう一遍言いましょう。

 民主党に伺います。大串さん、頼みます。

 今、国の責任ということについて私は議論を始めたわけですけれども、今回、民主党の出された日本国教育基本法案の中で、普通教育に関して、国はどういう責任を負うというふうに規定されようとしていますか。

藤村議員 私どもは、普通教育において、国が最終的に責任を持つという基本的な態度でございますが、その意味は、まず教育は基本的に、一番子供たちや学校、地域に近いコミュニティーのところで基本的な運営が行われるということが理想であります。その意味では、法律の中に、学校理事会を置く、こういうことを決めております。これは全く新しい考え方だと思います。

 さらに、小学校、中学校、義務教育段階においては、設置者は市町村ですよね、だから、市町村における長が地域における教育の責任を持つということを決めております。今までの教育委員会ではなしに、市町村の長、これがいわゆるレーマンコントロールになろうと思います。選挙があります。

 一方、国はというときに、国の責任は、一つは機会均等ということがあろうと思います。これはすなわち、背景はお金。私、先日の質問でも図を示して申し上げましたように、教育の、特に義務教育費が全体で十兆円ぐらいですが、その七五%は人件費であります。そのまさに人件費、この基本の予算の確保という部分で国がきちっと責任を持つということ。

 それからもう一つは、水準の維持ということがございます。これが学習指導要領であったり、検定制度も一つかもしれませんが、国のナショナルスタンダードを、これはやはり国が責任を持って決める。

 大きく地方分権という単純な言い方ではなしに、教育の場合、やはり基本的に学校が主体となって自主自律の運営をしていただくけれども、そのまさに環境をつくるのは最終的に国の責任、こういう書き方、理念でございます。

山口(壯)委員 金は出すけれども口は出さない、こういう言い方にもなろうかと思います。

 ところで、大臣、政府案では、今回この点についてどういうふうに定められようとしていますか。

小坂国務大臣 政府案におきましては、法案の第十六条におきまして、教育行政について、国は、全国的な教育の機会均等と教育水準の維持向上を図る総合的な教育施策を実施すべき、このように規定する一方、地方公共団体は、地域の実情に応じた教育施策を実施すべきことを規定いたしているわけでございます。

 これはすなわち、教育を推進するに当たっては、国、地方公共団体の適切な役割分担のもとに、相互協力のもとにそれぞれ責任を果たすことが重要であるということを意味しているわけでございます。そしてまた、法案の第五条では、義務教育について、国と地方公共団体が適切な役割分担及び相互の協力のもとに、その実施に責任を負う、このように定めております。

 なお、国と地方公共団体の具体的な責任につきましては、学校教育法や地方教育行政の組織及び運営に関する法律など、個別の法律において明確にしているところでございます。

山口(壯)委員 だから、大臣、今回提案されている教育基本法改正案、この中ではどういうふうに規定されようとしているかということなんです。それをお答えいただけますか。

小坂国務大臣 ただいま法案第十六条を申し上げたわけですが、もう一度繰り返させていただきます。

 「国は、全国的な教育の機会均等と教育水準の維持向上を図るため、教育に関する施策を総合的に策定し、実施しなければならない。」「地方公共団体は、その地域における教育の振興を図るため、その実情に応じた教育に関する施策を策定し、実施しなければならない。」この部分でございます。

山口(壯)委員 第五条じゃないんですか。第五条で、「国及び地方公共団体は、義務教育の機会を保障し、その水準を確保するため、適切な役割分担及び相互協力の下、その実施に責任を負う。」第五条のことですね。

小坂国務大臣 後で議事録を読んでいただくとわかると思いますが、先ほどの答弁でも、このため法案第五条では、義務教育について、国と地方公共団体が、「適切な役割分担及び相互の協力の下、その実施に責任を負う。」と定めているということも申し上げたわけでございます。

山口(壯)委員 したがって、大臣、「国及び地方公共団体」と並立して書いていますから、結局、どっちが責任をとるかということがはっきりわからない仕組みになっているんですね。それから、責任を負うというのが、「その実施に責任を負う。」と、ある意味で部分的な責任になっているわけです。これは全体の教育に関する責任ということじゃない。実施に責任を負う。そういう意味では、国の責任というものがある意味で非常に部分的なものになっている、それを指摘したいと思うんです。

 私はいろいろ揚げ足をとる方じゃないですから、猪口さんはずっとお座りになっておられて、せっかくの答弁をしていただいたらと思うんです。

 今お聞きになられて、国の最終的責任、別に私は猪口さんの答弁で揚げ足をとったりしません、ぜひ、一般的な感想でも結構です、どういうふうに考えておられるか。いかがですか。

猪口国務大臣 お答え申し上げます。

 今、文科大臣がお答え申し上げたとおりでございます。

 また、教育につきましては、国も地方も、そしてまさにレーマンコントロールという考え方から、教育委員会も含めて、総合的に責任を果たしていく必要があると考えます。憲法に規定されているとおりの責任を力を合わせて果たしていくという、そのような解釈と精神が今までの体制の中にも存在し、そして実施が確保されていると考えております。

山口(壯)委員 今、猪口さん、総合的なということは、みんなでやればだれかが何とかするだろう、だれもしない、そういうことです。現実に、例えば戦前に、だれかが戦争をとめるだろう、だれもとめなかった。そういう意味では、だれが責任を持っているかということは、新たな未来を切り開く教育基本法案を考えるに当たっては非常に大事だと思うんです。

 今の文部科学省あるいは政府から出された教育基本法案には、国の責任をどういうふうに考えるかということがはっきりしていないと思うんです。大臣、いかがですか。

小坂国務大臣 これは、私が答弁しても、どうも理解していただくという気持ちになっていただけないようなんですが、まさに、委員御指摘になりましたように、法案の第五条それから第十六条の教育行政、ここでも述べられているように、国と地方が適切に役割分担をする中で総合的に、今猪口大臣の言葉をかりれば、総合的に憲法第二十六条の規定の義務を果たしていく、責任を果たしていくということでございまして、そういう意味で申し上げれば、さらに、具体的な責任の所在については学校教育法や地方教育行政の組織及び運営に関する法律というものでまた定めてあるわけでございまして、そういったものすべてを参照していただきながら責任の所在を御理解いただければ幸いでございます。

山口(壯)委員 実際に文教行政をやる立場からしたら、国の責任でおれたちはがんがんやるという気持ちが本当はあるはずなんです。この間の党首討論では、小沢代表の方から、民主党案では最終的責任は国が負って、そして地方公共団体が行う教育の政策に関しては自主的なものを尊重していく、こういう一つの考え方をお示しした。小泉総理からは、家庭に責任があるんだということをおっしゃった。これは、国が最終的責任を負わない、そういう意味でしょうか。

小坂国務大臣 決してそのような意味ではないということは委員御自身が御理解をいただいた上での御質問のようにも聞こえるんですが、教育の第一義的な責任というのは、やはりおぎゃあと生まれて最初に接するのが親でございますから、世の中におぎゃあと生まれて、生きていくためのその一番最初の、人間が生きるべき力を養う教育は親に第一義的に受けているだろう、そういう意味も含めてそういう言葉を使われたと思います。また、地域の社会そして学校がそれぞれ連携して教育に果たす役割を担っていく、このように考えるところでございます。

山口(壯)委員 今、第一義的責任ということを言われたわけですね。これは十条の家庭教育の中で言っておられることなんでしょう。この第一義的責任ということは、それは最終的責任ということとはまた違うんでしょうね、きっと。

 今、親のない子供とかあるいは親が経済的に苦しい子供とか、非常に状況が、言ってみれば格差が激しくなって、親がリストラを受けた子供たちというのは大変ですね。そういう意味では、親が第一義的責任を有するということでは足りないということは、大臣も私も認識は一致しているはずなんです。国が教育の環境を整えていく。そういう意味では、親に第一義的な責任はあったとしても、やはり最終的には、すべての子供たちにチャンスが与えられるようにしっかり責任感を持ってやっていく国の役割というのは私はあろうかと思うんです。大臣、いかがでしょうか。

小坂国務大臣 ここで言う親というのは、委員が御指摘のように、何らかの事故によって親御さんが亡くなられたとか、あるいは、親がリストラとおっしゃいましたけれども、子供を親がリストラすることは私はないと思いますので、何らかの事情で親が親としての責任を果たせない状況ということだと考えますと、そういう場合には保護者というものが設定されて、その子供を保護する立場の方が親にかわる教育の責任を果たしていただくことになると思います。

 しかし同時に、そういった親のないお子さんの保育そして育成に関しては、やはり国も保育というものを通じて地方公共団体に保育の義務を課して、そして保育の環境を整えていく、こういうこともやっているわけでございます。そういう中で、国が最終的な責任ということをおっしゃりたいんだと思いますけれども、あくまでも国と地方公共団体そして家庭、こういったものが相互に協力し、連帯しながら教育というものを実現していくことだと私は考えております。

山口(壯)委員 大臣、例えば国立大学というのは、昔、そういう名前であったわけですね。授業料も安かった。私のときでも三千円ぐらいのものです。今聞いてみたら、年間五十何万、すごいんですよ。私立大学が八十三万とかいう数字もあるみたいですから。言ってみれば、昔は、貧しいおうちでも、国立大学、安い授業料のところへ行けば何とかなるということもあったんでしょう。今、独立法人化ということで、そういう意味では国立大学のときと様相が全く違ってしまっていて、貧しい家庭から大学に進学するということ自体がある意味で難しい状況が出てきてしまっている。

 そういうことを考えた場合に、今、総合的に連帯して、国、地方あるいは家庭ということを言われたわけですけれども、私は、これからの日本の国づくりのことを考えたら、やはり国が、最後はおれが責任を持つ、こういうところが教育基本法の精神の中にあった方がいいんじゃないのかなというふうに申し上げるわけです。

 おととい総理からも、じっくり議論して共通点を見出しながらやってくださいという話もあったわけですから、そういう意味では、大臣、最後はやはり国が頑張って面倒を見ようというところの気持ちというのは、私は共通していると思います。いかがでしょうか。

小坂国務大臣 教育を受けられる環境を整える責任は国にあると思います。しかし、個別にだんだん分析していきますと、教育の内容についても国に責任があるんではないか、こうなってきてしまうわけでございます。

 教育の内容については、国というのは行政の部分がありますから、そういった点については必ずしも政府が思いのままの教育ができるということではないということも銘記しながら、教育がそれぞれ受けられる、憲法二十六条に保障された役割を担っていくということが国の責任だと思っております。

山口(壯)委員 国が普通教育に関して最終的責任を負う、これが民主党案の内容です。しかし、このことは、今、小坂大臣が心配される、例えば内容に関してまでいろいろ国が言うということとは少々違う規定に民主党の案ではなっていると思うんです。

 そういう意味で、民主党案としてはどういうふうにその点を配慮して書かれているか、御答弁いただけますか。

藤村議員 一般的な地方分権というイメージと、教育については私は相当新しいイメージを想定しないといけないと思うんですね。

 私どもの今回の法律の第十八条において、四項なんですが、「地方公共団体が設置する学校は、」公立の学校ですね、「保護者、地域住民、学校関係者、教育専門家等が参画する学校理事会を設置し、主体的・自律的運営を行うものとする。」というものを法文に書き込みました。すなわち、コミュニティ・スクールもその一つではありますが、学校運営、特に子供に一番近い学校運営について、これら四者の自主的、自律的運営をうたっております。

 一方で、第七条で、我々の方は、普通教育及び義務教育というところにおいて、「国は、普通教育の機会を保障し、その最終的な責任を有する。」としておりますが、さらに続いて、「国は、普通教育に関し、地方公共団体の行う自主的かつ主体的な施策に配慮し、地方公共団体は、国との適切な役割分担を踏まえつつ、その地域の特性に応じた施策を講ずるものとする。」

 ですから、政府案における国と地方の連携というのは当然のこととしてここに書き込んだ上に、でも、やはり最終的に国ですよということを、国が最終的な責任を有するというところであらわしたところでございます。

山口(壯)委員 非常によく整理されて、本当にありがとうございます。まさに法制局との議論の話ですね。例えば、小坂大臣、今大臣の心配されたことというのはああいう形でもって進められるわけです。

 せっかくだから、仲のいい馳さんに、ずっと座っておられるばかりだろうから。

 どうですか、馳さん、こういうことで、これからの二十一世紀の教育を開いていくときに、家庭というものが一つの責任をさらに負うということを我々は大事にしながらも、家庭に手の届かない教育の環境を整備するというところは、地域によって格差がないように、あるいは家庭によっていろいろ状況が違う中で、最後はやはり国が面倒を見てすべての子供にチャンスを与えたいなというところを私は今一生懸命大臣と議論していたわけですけれども、馳さんは、この法案を準備される中でどういうふうに思われますか。

馳副大臣 私も、親、また、親の欠ける子供は保護者ですね、親権を持つという意味で、一義的な教育に関する責任を持つというのは当然のことだと思いますし、教育行政という観点から見ても、国と都道府県、市町村、また地域における周りの方々が適切に役割分担しながら責任を果たしていくべきもの、そういうふうに考えております。

山口(壯)委員 馳さんは、基本的には今の実態を言われたわけです。だれが最終的な責任を負うか、正直言って今の法律体系では明確になっていないまま、文部科学省は文部省の時代から今まで頑張ってこられた。でも、その法律的な根拠というのははっきりしていないんですね。そういう中で、今回、教育基本法までいじるのであれば、国の最終的責任というものを明記した方がいいんじゃないのか、そういう議論です。

 これはこれからずっと長い間議論する委員会ですから、さらに次の話題に移らせてもらいます。

 大臣、現実に、例えば教育振興基本計画というのを十七条で入れられたわけですね。これまでは、教育基本法というのはある意味では理念法だった。理念というもので表現することによってわかりやすいという面があった。しかし、この十七条、教育振興基本計画というものを入れたことによって、理念法という説明がある意味で変質しているんだと思うんです。それは私は悪いことだと言っていません。しかし、そういう面がある。

 今回、この十七条をあえて入れられた趣旨というものはどういうことでしょうか。

小坂国務大臣 今回、教育改革を実効あるものとするためには、我が国の教育の目指すべき姿を国民の皆さんに明確にさせていただきますとともに、その実現に向けて、どのように教育を振興し、改革していくか、このことも明らかにしていくことが重要なことだと思っております。このためには、今回の改正により明確にされた新しい教育の目的や理念をさらに具体化する施策を総合的、体系的に位置づけて実施することが必要だと考えたわけであります。

 そこで、本法案において、教育振興基本計画の根拠となる条文を新たに設けることとしたわけでありまして、教育基本法が改正をされ、教育計画の根拠規定が設けられることによって、本条に基づいて直ちに教育振興基本計画の策定に取り組むことができるようになると考えております。

 すなわち、予算を要求したり、この基本法に沿っていろいろな具体的な施策を実施するには、一つの体系的な、そしてまた総合的な位置づけ、道筋というものを明らかにすることが得策だと考えるわけでございまして、そのような意味で、第十七条に教育振興基本計画というものを入れさせていただいたわけでございます。

山口(壯)委員 今お手元にお配りさせていただいた資料、「過去五ケ年の文部科学省予算の推移」、一番最新は十八年度の数字です、五兆一千三百二十四億円。

 これを五年間ずっとごらんになっていただいて、はっきり数字が物語っていることですけれども、十三年度は六兆五千が、十四年度にちょっと数字がこうなっても、その後ずっと、六兆三千に、六兆に、五兆七千に、五兆一千に、順番に着実におっこちてしまっているわけですね。歴代の、町村さんを初めとする文部大臣あるいは文部科学大臣の努力はあったでしょうけれども、現実に数字はこうなってしまっている。

 この中で、特に公立学校に入っている数字はどうなんだろうな。二番目の義務教育費国庫負担金、これは人件費ですけれども、それから、下の方の公立学校施設整備費、この二つを足した数字がどうなっているかな。やはり同じように、当然のことながら、ずっと減ってきてしまっているわけです。

 これはやはり、全体の財政状況というもので、ついつい、文部省あるいは文部大臣の方も、それはしようがないなという気持ちにどうしてもなりがちでしょう。そうすると、全体を縛る一つの大きな枠組みというものもどうかなという発想は、私はあり得ると思うんです。逆の意味で言えば、防衛費の一%枠というものも昔はありました。いいかどうかは別にして、それが非常に大きな意味を持ったことは確かでしょう。

 そういう意味で、教育に関する公財政の支出に対してできるだけ予算を確保する工夫というのは、今回、教育基本法ということで考えられると思うんです。民主党案では、この点、どういうふうに考えておられますか。

大串議員 今御質問いただきました教育予算に関する我が法案での手当てのあり方でございますけれども、今御指摘ありましたように、我が国における教育に関する公的支出の割合は他のOECD諸国に比しても低い状況にある、そういう認識に立ちまして、教育の質を高めていくためには制度面から財政的な手当てもしっかり確保していく必要があるということで、十九条の第二項におきまして、教育の振興に関する基本的な計画には「我が国の国内総生産に対する教育に関する国の財政支出の比率を指標として、教育に関する国の予算の確保及び充実の目標が盛り込まれるものとする。」というふうにしておりますし、また、二十条におきまして、政府及び地方公共団体は、十九条の計画の実施に必要な予算を安定的に確保しなければならないというふうに制度的に確保しているところでございます。

山口(壯)委員 これは法律の中でも基本法と呼ばれているものです。そういう意味では、例えば交通規則、スピードを決めるような法律とはまた別途違う意味を持っていると思うんですね。スピード違反であれば、五十キロをオーバーすれば違反が生じる。これはもう厳然とメーターではかればはっきりわかってしまう。そういう意味では、基本法の場合には、我々がどういうことを願い、それが十年後のみならず、二十年後、三十年後、場合によっては今回のように六十年後の、こうあってほしいと我々が願う気持ちを入れ込みたいわけですね。ですから、この法案、基本法の中で、言ってみれば、もともと米百俵の精神ですよ、それをいかにできるだけ具体的なものに近づけていきたいか、そういう願いというものは私はあっていいと思うんです。

 したがって、別に私は政府の案をこのままだめだという話をしているんじゃないんです。政府の方としても、これはぜひ一考に値することとして前向きに受けとめていただきたいし、まさにその共通点をじっくり議論する中で、十年後、二十年後のみならず、五十年後、六十年後のあるべき姿、あるいはあってほしいと願う姿を言う中では、私は、このことに関しては、ひとつ大臣、全体の政府の中で、あるいは場合によってはさらに広い枠の中で、一考に値することとして受けとめていただきたいと思うんですけれども、いかがでしょうか。

小坂国務大臣 今回の教育基本法案の中では、第十六条の第四項に「国及び地方公共団体は、教育が円滑かつ継続的に実施されるよう、必要な財政上の措置を講じなければならない。」と規定をいたしまして、今委員が御指摘のように、教育が大変厳しい財政のもとでもしっかりと財政的に担保されるような規定をこの基本法の中に盛り込んでいるところでございます。

 先ほど委員が御指摘をされました五年間の文部科学省予算の推移でございますけれども、この中には幾つかの勘案していただきたい事項があるわけでございまして、これは当初予算でございますので、余り大きなものではございませんけれども、施設費関係におきましては、補正予算として十四年、十六年、十七年度にそれぞれ増額が行われておる状況がございます。

 例えば、公立学校施設整備費は一千四百二十八億円、国立学校施設整備費は二千四百七十四億円を計上しているところでございます。また、義務教育国庫負担金につきましては、三位一体改革における補助金改革及び人事院勧告の減というものをその影響として受けているわけでございます。

 まだいっぱい申し上げたいことはありますが、いずれにしても、言いわけではなくて、私どもも精いっぱい、教育の水準と必要な教員定数の確保については努力をしているところでございまして、今後ともさらに必要な教育予算の確保に最大限の努力をしていくことは改めて申し上げておきたいと思います。

山口(壯)委員 そうですね、大臣、そこまで努力されているんですから。ただし、そこまで努力されても、結局、ある意味で全体の状況という中でここまで来ているわけです。

 ただ、これは、今まで六十年のスパンを考えてみますと、財政状況がいつもずっと厳しいわけじゃもちろんなかった。そういう中で、ロングレンジで見ても、だんだんだんだん教育に割かれる資源の割合というものが減っているということもあるわけですから、そういう意味では、我々が、どういう教育の枠組み、枠組みというのは資金の枠組みです、それについて考えていくかということの意味は私はあろうかと思うんです。

 今は財政状況が厳しい。しかし、これからみんなの協力でもってこれを乗り越えていこうとしているわけでしょう。それが遠い将来でないかもしれない。できるだけ近い将来にしたいわけですね。

 そういうときに、我々が、十年、二十年、さらに三十年を踏まえたときに、十六条の四項で言われているような必要な財政上の措置を講じなければならないという、ある意味で一般的にも私はとれてしまうんですけれども、具体的なものがあってもいいんじゃないかと思うんです。

 教育基本法を今まで、確かに現行基本法も、先人が相当努力し、汗を流して考えただけあって、ある意味で非常によくできた文言であることは間違いありません。それが、六十年間続いたことの一つの証左でしょう。ただし、それにもかかわらず、やはり教育の中でいろいろ、それが定めてあったんだけれども、できていないというところはいっぱいあるわけですね。ですから、できるだけ定め方に工夫をしていくというのが今の我々の責務であろうかとも思うわけです。

 もう少し具体的なことを最後にお聞きしたいわけですけれども、きょうは順番どおりに言っていないから非常に申しわけないと思うんですけれども、高等教育の無償化のことをちょっと話をさせていただきましょうか。

 お配りさせていただいている資料の国際人権規約という、字が小さいから見にくいかもしれませんが、二ページ目の十三条「教育に対する権利」という中の二項の(b)が中等教育で、(c)が高等教育ですね。(a)は初等教育です、「義務的なものとし、すべての者に対して無償のものとすること。」日本は、締結しているけれども、この(b)と(c)を留保している。(b)は中等教育、「種々の形態の中等教育(技術的及び職業的中等教育を含む。)は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入」、こういうことが書かれてある。(c)は高等教育、「すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入」ということが書かれてある。

 ただし、大臣、これはよく御存じのとおり、右側の真ん中にある第二条、締約国の実施義務というところを読んでみれば、三行目に「権利の完全な実現を漸進的に達成」、こういうふうに書かれてあるわけです。したがって、ある意味で理念法的な要素もあるわけですね。

 先日、私、大臣がなぜこれを留保したかということを聞いた場合に、これを留保している国というのは三つしかない、日本とそれからマダガスカルとルワンダですか。英仏独とか、もう全部、別に無償にしていなくても留保していないわけですね。

 だから、そういう意味で、私、これをいつまでもマダガスカルとルワンダと同じように引っ張る必要というのはないと思うんです。特にこれは、普通の予算だったら、文部科学省がつけてつけてと言うのをほかの役所が難しいですよと言う図柄があるかと思うんですけれども、これはむしろ、外務省初めほかのところは、もうどうですか、そろそろ文部科学省さんと言っている中で、文部科学省の方で一生懸命、いや、まだもうちょっと待ってくださいという話のようにもお聞きします。

 したがって、この高等教育の無償化という話は今回の教育基本法の議論の中でもある意味で関係してくるわけですけれども、大臣、政府として、この話に対して、全くどうにもならない話と考えておられるのか、あるいは、できればちょっとそろそろいろいろな違う観点も入れたいなと思っておられるのか。これはいかがでしょうか。

小坂国務大臣 この国際人権規約の締結国でございますけれども、よく、日本とマダガスカルとルワンダだけが当該条項を留保しているとも言われますが、アメリカはこの規約全体を締結しておりません。

 また、我が国においてなぜ留保しているかということでございますけれども、高等教育すなわち大学を無償化するという形になりますと、まず、社会人として高校を卒業してから働いて税金を納めている方々がいる、一方で、大学へ行って無償で大学教育を受けられる方がいる。これはまた、無償ということは、当然税金がその原資になっているわけでございます。

 そういう意味でいうと、無償化のための財源をどのようにして賄うかという点を考えると、公平感という点で非常に難しい問題があるな。委員御自身がこの点についてどうお考えになるかは、逆質問ができるような状況なら聞きたいと思うぐらいでございまして、私としては、今後とも、奨学金制度を充実させるなどによって、私立大学等の経費助成とあわせて日本学生支援機構による奨学金事業の充実で、今御指摘のあった無償化に近づくような、大学に行きたいという人はみんなが行けるという環境づくりを整備してまいりたいと考えております。

山口(壯)委員 大臣、ある意味で、最初から可能性をゼロとお考えになっておられるということを今御答弁で言われたわけです。

 これは不公平だというふうに言われますけれども、でも、現実に、私立大学にも二割から三割は国の補助でもってお金が入っているわけですね。そうしたら、既に私立大学ですら、行くこと、行かないことの間には、そういう大臣の言う不公平感というものは現実に今ですらあるわけですから、そういう意味では、もう既に程度の問題の話におっこちているわけです。

 あとは、二十年後、三十年後、四十年後、五十年後を見詰めて、アメリカの大学のように一年間二百万、三百万かかるような大学にしたいのか、それを奨学金だけで賄えるようなシステムがいいと思われるか、あるいは場合によっては、無償化ということも念頭に置いた大学のあり方というものを考えられるか、これは大きな分かれ道になりますから、ぜひ、大臣、これからじっくり議論する中で、この話についてもまた引き続き議論させていただきたいと思います。

 終わります。

森山委員長 次に、松本大輔君。

松本(大)委員 民主党の松本大輔です。

 二月二十四日の文部科学委員会で、我が党の笠委員の質問に対しまして、大臣は次のように答弁をされています。「社会環境が大きく変化している中で、中央教育審議会の答申にも、人格の完成や個人の尊厳など普遍的な理念は今後とも大切にしながら、伝統、文化の尊重、郷土や国を愛する心、公共の精神や学校、家庭、地域社会の連携協力など、今日極めて重要と考えられる理念や原則を明確にするために教育基本法の改正が必要という御提言をいただいております。」ということなんですが、これは中教審の提言というのを引っ張っていらっしゃるわけです。

 念のための御確認でございます。大臣御自身の御認識もこのとおりでございますでしょうか。端的にお答えください。

小坂国務大臣 繰り返しになりますので、今御引用されたような答弁と同様でございまして、中教審の考え方に沿った考えでございます。

松本(大)委員 先ほど引っ張りました提言の中には、伝統、文化の尊重、郷土や国を愛する心、公共の精神、こういった概念が盛り込まれておりまして、今回の与党案では、二条、教育の目標として定められているわけなんですが、先ほど、この中教審の提言にもあったのは、こういった理念や原則を明確にするために、このように書かれているわけでございます。

 この明確にするためにというのは、現行の教育基本法にはこういった理念や原則は含まれていないということなのか、それとも、含まれているけれども明確化の改正を行うのか、この点についてお聞かせください。

小坂国務大臣 現行法の第一条には、「真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、」といった、国民として備えるべき事柄、当時は徳目と言っていたわけでございますが、掲げられております。これらは、制定当時、昭和二十二年当時において特に強調すべき事柄を挙げたものでありまして、必要な事柄を網羅的に示したものではないとされております。

 今回の改正案については、今日重要と考えられる事柄を新たに教育の目標として明示することとしたものでありまして、これらの事柄は現行法の「人格の完成」の中にも含まれているものと考えております。今回掲げられた事柄は、従来より重要と考えられているものであって、既に学校教育においては、現行の学習指導要領に基づいて指導もされているところでございます。

松本(大)委員 今、大臣にも御答弁をいただきましたとおりでございまして、私も、現行法の制定時にどういう議論がされていたのか、帝国議会の議事録を拝見したんですけれども、これは含まれているということなんですよね。今おっしゃったような、あるいは私が引用したような、公共の精神とか愛国心とか伝統、文化の尊重というのは、このときも実は議論になっているんですね。

 念のため、ちょっと配付をさせていただいたんですが、例えば、お手元の資料一の四十四ページのところには、佐々木惣一さん、京大の法学者だと思いますけれども、四十四ページの下から二段目のところの右端なんですけれども、「祖国観念の涵養と云ふことに付きまして、政府は如何なる用意を持つて居られるかと云ふことを御尋ねして見たい」とありまして、これに対する答弁、四十六ページ、高橋大臣は、「「普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育」とありまするのは、健全なる国民、文化の創造延ひては健全なる祖国愛の精神の涵養を含むものと考へる」、このように答弁されております。

 さらに、荒川文六さん、九大の総長ですけれども、五十二ページの一番上の段の左から十行目ぐらいですか、「国家社会に対して犠牲、献身的の精神を持ち、奉仕的の精神に満ちた国民に日本国民をすると云ふことが、日本を平和的国家」云々、「さう云ふ精神に国民をすると云ふが為には、どうも完璧に現はれて居ないやうな風に思ふ」とおっしゃっているんですが、これに対して当時の高橋大臣は、「実際の国家及び社会の構成者、ギルダーと云ふやうな意味」というのは、これは多分ビルダーの聞き間違いだと思いますけれども、「意味も含まれて居るものでありまして、尚国家並に社会に対する奉仕の点は、後にありますやうに「勤労と責任を重んじ」云々と云ふ言葉で十分に現はされて居るのではないかと存ずる」というふうに答弁をされておりまして、公共の精神であるとかあるいは伝統、文化の尊重であるとか愛国心というのは、実は、現行教育基本法にも含まれているという答弁を当時の大臣はされていたというわけであります。

 では、含まれているのであれば、なぜ今回改めて明文化の改正をする必要があるのかというのが、当然、この質疑をごらんになられている国民の皆さんも、含まれているのなら何で改正するんだろう、なぜ明確化する必要、明文化する必要があるんだろうというふうに素朴な疑問をお持ちになられると思いますので、この点について大臣から御説明をお願いします。

小坂国務大臣 教育基本法が制定されて五十九年、約六十年近くがたって、社会の状況が大きく変化をして、道徳心や自律心の低下が指摘されるなど教育全般についてさまざまな課題が生じていることは、委員も御理解をいただけるところでございます。

 これらに対処をするためには、学校だけでやるのではなくて、家庭、地域社会を含めた国民全体が協力して教育改革に取り組む必要があると考えております。

 そこで、この教育の根本を定める基本法を改正する中で、国民一人一人が豊かな人生を実現し、我が国が一層の発展を遂げ、そして国際社会の平和と発展に貢献できるよう、将来に向かって新しい時代の教育の理念を明確に提示する、そのために、国民の共通理解を図りつつ、国民全体による教育改革を着実に進め、そして我が国の未来を切り開く教育の実現を期する、このような観点から、この理念を明確にするという形で規定をさせていただいたところでございます。

松本(大)委員 国民の共通理解を図るということなんですが、実は、この明文化すべきか否かという点も帝国議会で議論をされておりました。

 先ほど御紹介した佐々木惣一さんと大臣とのやりとり、それから荒川さんと大臣とのやりとりを受けて、大久保利謙さん、五十六ページのところをちょっと引用したいんですが、大久保利通公のお孫さんだそうであります。上から二段目、侯爵大久保利謙公なんですけれども、「「自他の敬愛」、或は「個性ゆたか、」それから「社会の形成者」と云ふやうな条項に、色々な意味があると云ふことは十分了解致しました」「果して一般の人が此の条項から、只今御質疑になりましたやうな問題が直ぐ出て来るか、」三段目に移りまして、「なかなか此の敬愛と協力と云ふ言葉から色々な問題を解釈することが、解釈は出来ますけれども、ちよつと普通の人が読んでも、直ぐぴんと来ないと思ふのです、」さらに進みまして、「私としては斯う云ふ重要な問題は、もつと具体的な言葉ではつきり書いて戴いた方が、一般の人が直ぐに能く分るのぢやないか、なかなか之を解釈する、解釈に依つて普及すると云ふやうな方法もありませうが、非常な手間が掛るし、分りませぬから、もう少しさう云ふ点も、必要なことは書いて戴いた方が宜かつたのぢやないか」というふうにさらに食い下がって御質問をされているんですね。

 そのときにでは何で明文化しなかったのかということですけれども、大臣は、その横なんですが、「極く大本を規定致しました基本法でございまするので、只今御指摘の点を特に明記すると云ふことを致さなかつたのでありますが、尚之に関しまする解釈其の他に依りまして、御話のやうな点を十分に徹底させて参りたいと考へて居るのでございます、基本法と致しましては、此の程度に止めて置いた方が宜いのではないかとも考へる」ということでありました。

 今、大臣の答弁は、なぜ明文化するのか、国民の共通理解を図るということでありますが、当時、帝国議会、現行法の制定時には、明文化すべきでないかという委員からの質問があった。一般の人にはわかりにくいじゃないかという指摘まであった。ところが、基本法なのでここにとどめておく方がよいのじゃないか、そのかわり、解釈その他で徹底いたしますというふうにおっしゃっているわけであります。

 解釈その他で徹底するというのが図られれば、先ほどおっしゃったような社会情勢の変化とかというものにもある程度左右されることなく一定の効果を見ているはずでありますけれども、まず、文科省自身は、文部省自身はこの答弁のとおり徹底されてきたのかどうかという点について、大臣の御答弁をいただきたいと思います。

銭谷政府参考人 ただいま先生お尋ねございましたように、現在の教育基本法は、本当にその根本的なところを記述いたしているわけでございます。

 それで、明文化されていないいろいろな理念というものがあるわけでございますけれども、それにつきましては、学校教育の場におきましては、学校教育法という法律によりまして、それぞれ小学校、中学校、高等学校における教育の目的、目標の中にさらに具体化をいたしまして、そして引き続いて、その学校教育法に基づきます学習指導要領におきましてそういった教育上重要な理念というものを明らかにして、これまで指導を続けてきたということでございます。

松本(大)委員 学校教育法に定めて、あるいはその他の方法によって徹底してきたというのは、非常に今の御答弁は具体性に乏しかったように思うんですが、ちょっと、その点についてはまた後でも再び聞きたいと思うんです。

 この帝国議会の議事では、大臣答弁にさらに納得せずに、先ほど御紹介した佐々木惣一さんという方が、五十八ページの上から二段目のところですけれども、「矢張り祖国観念の涵養を特に用意することが教育の方針として必要だと思ふのですが、如何なものでありませうか、さう云ふことに付て何か特別に用意をなされて居ると云ふことはないのでありませうか、」というふうにおっしゃっています。

 政府委員はそれに対して、「「個性ゆたかな」と申しますのは、日本的と申しますか、日本的な、又個人々々の個性を含めた意味に於ても日本的な豊かな文化を創造すると云ふことで、さう云ふ意味に於きましては、我が民族性、国家の成り立ちと云ふやうなことを十分考慮してある」とおっしゃっておりまして、さらに、上から四段目ですが、「教育の目的の中には色々な徳目、或は掲ぐべき必要なことがあらうと思ひます、」それから飛ばしまして、「有らゆる徳目を掲記すると云ふことは、必ずしも適当でないと思ひますので、それ等に付きましては「人格の完成」と云ふ中に包含してある訳であります、」というふうに述べられているんですね。

 つまり、祖国観念の涵養はやはり明記すべきじゃないかというふうにさらに食い下がられたのに、適当じゃないとこのとき文部省は答弁されているんですね。

 今回は、このときの答弁のとおり、解釈その他によって徹底されてきたというような御答弁、今政府参考人の方からありましたけれども、徹底されてきたのであれば、なぜ、五十九年前の方針どおり、明文化しないという選択肢もあるはずなんですけれども、当時は、五十九年前は、明文化すべきだというふうに議員からしつこく詰め寄られたのに、いや、明文化は必要ない、適当ではない、解釈その他で徹底しますというふうに答弁をされた。ところが今は、徹底はしてきたんだ、徹底はしてきたけれども、しかしどういうわけか、何か子供が変わっちゃった、社会情勢も変わっちゃったので明文化するんだというふうにおっしゃられているわけですね。

 過去の方針とか執行に問題があれば、百八十度違う政策をとられるというのはわかるんですけれども、徹底をされてきたのにもかかわらず、なぜ百八十度それと相矛盾する政策を、方針を今回おとりになられるのか、これは明らかに矛盾するというふうに考えますが、大臣、いかがですか。(発言する者あり)

小坂国務大臣 当時の議論も、委員の述べられたこと、それに対して答弁をする大臣、政府が、今読まれて委員御自身が思われると思うんですが、いろいろな方法をとってもなかなか徹底しないものだな、しかしながら、何にもやらないよりは、少しずつ少しずつでも前進していった方がいい。今委員は、百八十度違う、矛盾することとおっしゃいましたけれども、今回、その当時に議論されたこと、それをまた補充する意味で今回は明言しているということ、これは一つの流れの中にあるんではないかと思いますし、それを規定することによって浸透を図るという手法は、これは決して否定すべきものではないと思いますし、その当時の考え方と現在の考え方が違うからといって、これはまた非難されるべきでもないと思うんです。

 私どもは、今回の教育基本法の中に規定をしたことが少しでも多くの皆さんに理解をされ、そしてそれが守られるようにひたすら努力をするということが求められている、このように考えて、この審議を通じて、また、この法律を皆さんによって制定をしていただきましたならば、この振興基本計画等を通じて、この理念がしっかりと根づくように努力をさせていただきたい、このように考えております。

松本(大)委員 我が党は新法を提出しているぐらいですから、改正そのものに反対をしているわけではなくて、手続といいますかプロセスを踏まえるべきだというふうに考えているわけですね。やはりそれは、検証というのが先に立つべきだろうということです。先ほど、いや、それは反省なんだよというような不規則発言が飛んでいたんですが、まさに、だったら反省の言葉を先に述べるべきじゃないかなというふうに思うわけであります。

 確認なんですけれども、五十九年前の、明文化しないんだとされた答弁なり当時の方針というのは間違っていたというふうに、やはり明文化しておくべきだったというふうに大臣はお考えですか。

小坂国務大臣 当時と今日とを比較して今日の法案のあり方を議論するよりは、私どもが今回提案した趣旨をしっかり御理解いただいて、速やかに御承認をいただきたい、私はそう考える立場でございまして、したがって、皆さんの御質問にしっかりと答えて、御理解を得る努力を引き続きさせていただきたいと存じます。

松本(大)委員 御理解はしたいんですけれども、やはりそこには徹底的な議論が必要ではないかなというふうに思います。

 もしも、五十九年前の社会情勢にかんがみて、当時置かれていた状況にかんがみて、その方針自体は間違っていなかったんだとすれば、今日の状況をもたらしたものは、決定自体ではなくて、執行、その決定に基づいて執行してきた文部省の文部行政の要するにやり方、ここに問題があったから、決定自体は正しかったんだけれどもそうなっちゃったんだ、だから今回明文化するんです、こういうことですか。

小坂国務大臣 今日的な教育環境というものがどのようにして変化してきたか、それは、社会情勢の変化、世界における日本の位置づけ、経済的な発展、また核家族社会の出現、そして情報化の促進、いろいろな状況が全部かみ合ってきたと思います。

 ですから、今回も、それぞれの議論、今までの議論の中でも、この基本法を改正すればすべてがよくなるというものではないという議論もされておりますし、また、それはすなわち、この基本法に引き続き、国民皆さんが理解をして、そして、学校、地域、家庭がそれぞれ協力、連帯をする中で教育を推進する、そして、人格の完成を目指した、この基本法にうたわれた理念を実現するように努めるということだと思っておりますので、今委員が、過去においてこのような現行基本法の制定の中で議論されたこと、それが間違いであったかどうかというようなことを今のこの時点で評価しろということでございますけれども、それを評価するというよりも、私は、この今日の改正案についてしっかりと御理解をいただく中で、私どもの理念、そういうものを国民の皆さんにも理解いただいて御協力をいただきたい、そのためにさらに努力をいたしたい、このように思うわけでございます。

松本(大)委員 私、ここの明文化するという点については非常に重要な論点だと思っていまして、そうでなければ、では与党間で七十回以上も議論されていたのは一体何だったのかという話になるわけですね。ですからここにこだわっているわけですけれども、今、社会情勢の変化の例を挙げていらっしゃいました。核家族化の進行とか情報化社会とかということなんですけれども、私はやはり、検証作業を行うに際しては、まず外的要因から挙げられるというのはいかがなものかなという気がいたします。

 今の大臣の御答弁を伺っておりますと、テレビ番組、バラエティー番組で、売れないラーメン屋に鉄人が入り込んでいってそれを立て直すというときの何か主人の愚痴のような感じで、要するに、問題は社会情勢にあるんだ、周囲の環境が悪いんだ、おれはうまいラーメンをつくっているんだけれどもな、こんなふうにちょっと聞こえてしまうわけであります。やはり、検証をする際には、謙虚にみずからを振り返る必要があるんじゃないかなというふうに私は思います。

 五十九年前は、明文化はすべきでないとされた。解釈で徹底いたしますというふうにおっしゃられた。しかも、定めることは、具体的に掲げる、掲記するということは適当でないとまで言って、何度も食い下がった議員さんをそのときは退けられたんですね。それで今回は、徹底してきたんだけれども、何だか社会情勢も変化しちゃって、やはり明文化するんですと言う。当時の決定とはやはり正反対のことをされようとしているわけですから、決定にも間違いはないし執行にも間違いがないのであれば、通常、その政策を変える必要はないというふうに考えられるのが普通の方だと思うんですね。

 決定も間違っていなかった、執行も間違っていなかった、だったら何でそのときの政策を、方針を変えられる必要があるのかという疑問を当然国民の方はお持ちになられると思いますので、もう一度、社会情勢の変化ということではなしに、謙虚に今までの文部行政を振り返られた上での御答弁をお願いします。

小坂国務大臣 今日改正をするに当たって、まず、なぜ改正するかという点について、やはり外的要因を踏まえて御説明をしました。

 また、その内容の記述の仕方について委員は、もっと具体的に個別列挙すべきだ、こういうお考えなのかもしれません。私どもも、そういう考え方とある意味では似ているところは新たな理念として記述した部分でございまして、これは、委員が歴史を振り返られまして、当時、現行法の制定時にも同じような議論があって、そのような内容について書く、書かないの議論はあったんだ、それでも書かなかったことを今日なぜ書くのか、こう言われれば、これは時代の流れだ、一言で言えばそういうことになります。それはすなわち、その法律をどのように理解されるかという場合に、条文をしっかり書いて、そして、基本的な理念と言われる部分については明文化した方がいいだろうという今日的な考え方であります。

 私は、今委員がどういう趣旨で議論されているかよくわからない部分もあるんですが、その検証という部分においては、全国的な学力調査、こういうようなものも実施するということを決めました。これはすなわち、学力というものがどのように到達したかということを調べることもやはり必要だ、今日の教育の位置づけというものをいろいろな面から把握するという形でこの調査もするわけでございます。

 ただ、今、現行の教育基本法が果たした役割ということになれば、私は、今日の日本の発展、このような戦後の奇跡と言われるような発展を遂げられたのは、やはり現行教育基本法がその役割を大きく担ってきたというふうに思いますので、その役割はしっかりと評価した上で、さらに今後何が必要かという点において、新たな理念として、今さらまたあげつらいませんけれども、公共心とか自立心とか、今まで申し上げてきたような新たな理念をここに書き加えたところでございます。

松本(大)委員 やはり外的要因の列挙をされておりまして、これまでの文部行政、この執行の部分についての謙虚な反省、検証というものは聞こえてこなかったような気がしております。

 しかも、例として挙げられた学力の件でございますけれども、これは、この二条に新たな学習の目標として掲げられた、しかも、冒頭私が紹介したような公共の精神であるとか、伝統、文化の尊重であるとか、国や郷土を愛する心というのとは関係のない部分ではないかな、そこのところを何か、いや、これをやっているんですというふうに御答弁をされたんですが、私は、これは是正していくための取り組みとしては全く何ら関係のない部分ではないかなというふうに思います。

 先ほど来、当時の決定には間違いはなかったし、執行にも、取り組みにも間違いはなかった、要するに、社会情勢、外的要因が変化したんだという答弁を繰り返されているわけですが、私は、本当にやれることは全部やってきたのかという点をやはりもう一度考えなきゃいけないというふうに思っております。

 それは、お手元にもお配りした資料の後ろの方ですけれども、きょう午前中の質疑で横光委員も指摘をされていた教育基本法についての認識の調査なんですけれども、このページ数は百一ページと振ってあるんですが、資料二でございます。既に午前中の質疑の繰り返しになってしまいますが、これは、平成十六年、学校教育改革についての保護者の意識調査報告書、社団法人日本PTA全国協議会、平成十七年三月の実施ということなんですが、「あなたは、教育基本法の本文やその内容についてご存知ですか。」この質問について、その三段下、内容を知っている人は約一割である、八八・八%の人はよく知らないというふうにお答えになられているわけであります。

 先ほど政府参考人の方からも、徹底をしてきました、学習指導要領にも定めてまいりました等々おっしゃっていましたが、残念ながら、重要だと考えられていた理念や精神を徹底してきた、その大もととなっている教育基本法については、現行法ですよ、知らないという人が九割にも及んでいる。執行に誤りがなかった、これまでの文部行政、取り組みに誤りがなかった、しっかり徹底してきた、こういうふうにおっしゃるのであれば、なぜ、九割もの方がよく知らない、内容を知っている人が一割という状況にとどまっているんでしょうか。御答弁をお願いします。

田中政府参考人 御指摘のように、PTAの調査によりましては、平成十六年十月から十一月に行われたものでございまして、本文を見たことがなく、内容もよく知らなかったという人が約五〇%おるところでございまして、このことは残念な結果であろうと思います。

 私どもといたしましても、PTAの会議等におきまして、今回の中央教育審議会答申等を踏まえましてPRには努めてきたところでございますけれども、今後とも、しっかりとしたPR活動等、広報活動等、充実してまいりたいと思っております。

 ただ、一方で、同時期に、平成十六年九月に、新聞社等が加盟しております日本世論調査会が実施しました世論調査によりますと、教育基本法改正については六八%が関心があると回答し、五九%が賛成、反対は二三・三%にとどまっておるところでございまして、私どもといたしましては、少しずつと申しますか、我々、広報活動もやっておるところでございまして、国民の中にも教育基本法に関する関心が高まってきておるのではないかと思っております。

松本(大)委員 残念だというのは、非常に他人のような、第三者的な感想を述べられていたように思うんですけれども、どういう取り組みが足りなかったのかとか、何度も申し上げますが、みずからの取り組み、五十九年間あったわけですから、何が足りなかったのかというのを、まずはそこを語られるべきだと私は思いますよ。

 先ほど、アンケートを引っ張ってこられているんですけれども、改正そのものには反対をされていない方の方が多いというのは各種世論調査にも出ているかと思うんですが、ただし、きょうの午前中の質疑にもあったと思うんですけれども、毎日、朝日、NHKでしたか、六割から七割の方々はさらに議論すべきだというふうにおっしゃっているわけですね。議論した上で改正すべきかを考えるという方もふえている。

 このお手元の資料二の一番最後のところですけれども、「教育基本法改正への考え」というところで、平成十五年、十六年、十七年と、中教審の答申は十五年にあったにもかかわらず、三年たっても、早期に改正した方がよいという方は七%から八%で、ほとんどふえていないんですね。さらに議論した上でという方が七五%ぐらいで、これもまた変わっていない。減っていないわけですよ。取りまとめられた社団法人日本PTA全国協議会自身も、「「答申を踏まえて議論を深めた上で改正すべきか考える」や「改正する必要はない」といった、やや保守的な意見が多くなっている。」というふうにこのアンケートを総括されているわけですね。ですから、改正そのものに賛成だからといって、理解が深まっているんだということでは直ちにはそれはつながらないというふうに私は思います。

 何よりも、冒頭に申し上げました、残念だというふうに第三者的な感想をおっしゃられる前に、現行教育基本法すら九割もの方々がよく知らないというふうに至っているこのていたらくについて、文部行政、これまでの取り組みに誤りがなかったのか、そこのところは反省していただかないと、知らなかった国民が悪いのか、保護者が悪いのかという責任転嫁をされているようにも聞こえてしまいますので、PR、PRというふうにおっしゃっていたんですが、では、五十九年間のPR活動は一体どうだったのかということを、どのぐらいやられたのか、それは適正なPR活動だったのか、ぜひともそういうことをしっかりと振り返っていただく必要があるのではないかというふうに私は思います。

 きょうの御答弁等を聞いていらっしゃると、佐々木惣一さんとか荒川文六さんとか、やはり明文化しろというのをあそこで守ってくれていればなというふうに、だから言わぬこっちゃない、やはり文部省は当てにならなかったと、きっとあの世で泣いていらっしゃるんじゃないかと私は思えてしようがありません。

 徹底させると約束しておきながらそれを放置しておいて、子供に公共心や道徳心が足りないから、何か社会情勢が変わったから、だから明文化するというのは、私は、やはり検証不在の文部行政の特質を非常によくあらわした言葉じゃないかなというふうに思います。つまり、過去の取り組みについての検証を行わない、自分の怠慢を棚に上げておいて、過去の決定や方針をあっさりと覆してしまう、そのことが学校現場や多くの子供たちにさまざまな悪影響を与えている。これは、ゆとり教育をめぐる迷走ですとか学力問題をめぐる迷走も同じだと思いますよ、本質は。

 過去の総括や反省、検証がないままに過去の方針や決定をあっさりと覆しておいて、何ら矛盾はないじゃないですかというふうに強弁をされる、この無謬性といいますか、行政の無謬性を高らかにうたい上げて反省されないということこそがやはり最大の元凶ではないかなというふうに私は思いますので、まずそこに立ち返って、これまでの取り組みに誤りがなかったのかという点に立ち返ることこそ教育基本問題の解決の出発点であるということをここでは申し上げておきたいと思います。

 もう少し時間がありますので、大臣にちょっとお伺いしたいんですけれども。

小坂国務大臣 反省はないのかというお話でございましたから、時間もあるようですから少し答弁をさせていただきますが、私は、決してすべてのことに反省をしないで前に前にただただ進むという人間ではございません。私、日々反省の毎日でございます。きのうの答弁あれでよかったか、もっとわかりやすい答弁はなかったか、夜、床に入って悩むこともしきりでございまして、そういう中から、何とか皆さんに御理解いただく答弁を考え出そうと日々努力の毎日でございます。

 そういった意味で、五十九年間、文部省そして今日の文部科学省、全く反省がないのかといえば、これは、いろいろな反省をしながら、学校現場における教育の実効が上がるために中教審にどのようなお願いをして考えていただいたらよろしいのか、また、それによって答申を受けたことをどのように学習指導要領に反映し、また、校長会や教育委員会への指示、あるいは学校長を集めた会議等での指示等をどのようにしたらいいか、そういう中で反省をしてきたと思います。

 ただ、五十九年前の議論が今日までそれじゃ全く無効であったのかといえば、そうではなくて、やはり先ほど申し上げたように、今日の教育基本法が今日の繁栄を築いてきたことも事実でありまして、ただ、その間、道徳心というものは、その前に修身の教育を受けられた、教育勅語やそういったもので受けられた皆さんがまだ現役として働いていらっしゃって、そういった理念を伝えてこられたとか、あるいは、社会の中でもそういったものが社会規範となって、そして、我々もそういった社会規範の中で毎日の生活をしてきたことによって、教育基本法とかそういった法律を勉強することではなくて、日々の生活の中でそれを社会体験としてあるいは家庭教育として我々が受け継いできたということがあったわけですね。

 しかし、この家庭の教育力が低下をしてきた、そして社会の教育力が低下をしてきた。それはすなわち、少子化社会ということにあらわされるように、昔は近所で子供たちが集まって、その中に年の差がありました。そこに長幼の序というものがありました。そしてその中で、親分というような近所の先輩から、おまえ、こういうことをやっちゃいかぬぞ、ちゃんと下の者は面倒見ろよ、こういうことを教えられて、そしてまた稲作というようなものを通じながら、地域の助け合いというものもちゃんと継承されてきた。そういった文化が一つ一つ喪失されてきたということが今日の状況を生んできたというふうに思うわけですね。これを強調しますと、また外的要因にかこつけて責任逃れしたと言われてしまうんですが、このことについては、委員も、確かにそういうこともあるとお認めをいただけると思います。

 委員御自身が無謀なことをおっしゃっていることではないということも私も十分理解しながら、謙虚に委員の御指摘は自分なりに受けとめているつもりでございますが、今回の教育基本法において、新しい理念としてこの今日的な課題を解決するために具体的に盛り込ませていただいたこと、これはこの五十九年前の反省かどうかと言われれば、五十九年前のことがあって今日このようなことをしたわけではないので直接的な反省ではございませんけれども、今日の社会状況を見たときに何らか反省するものはないかと言われれば、やはり我々は、謙虚に今日の社会情勢を反省して、そして、あるべき日本の姿を目指して頑張るということだと思っております。

松本(大)委員 大臣から、日々あの答弁でよかったのかと反省の毎日を送っていらっしゃるという御答弁をお伺いして、やはり大臣を務められるような方でも、人格の向上、完成というのはなかなか難しいものだな、生涯学習の必要性を今の御答弁からも私は痛感した次第でありますけれども、さはさりながら、やはり、外的要因の指摘が主だったのではないかなというふうに思います。事務方をかばわれたいお気持ちはよくわかるのでありますけれども、私は、先ほどの現行教育基本法の精神の徹底についての取り組みについては、具体的な例に乏しかったのではないかなというふうに考えておりまして、では、一体全体、この教育基本法を改正して明文化することによって一体どういう効果があるのかという点が少し気になっているわけです。

 これは、先日の質問取りの際にも、また本日の大臣の御答弁にも、国民の共通理解が深まるんだというふうなお話がありました。それに加えて、私が事前に文科省にヒアリングをさせていただいたところでは、教育現場における適正指導の促進が図られるんだというようなこともおっしゃっていらっしゃいました。

 ここでちょっとお伺いしたいんですけれども、明確化することで国民の共通理解が進む、教育現場における適正指導も促進されるということは、逆に言えば、現状ではこの教育理念について国民の共通理解が得られておらず、教育現場において不適正な指導が行われているというふうに、逆に言えばそのように読めると思うんですけれども、具体例を挙げて御説明をいただきたい。

銭谷政府参考人 今回、新しい教育基本法によりまして、今日重要と考えられる事項が、特に第二条に五号、教育の目標として示されたわけでございます。今後は、この第二条に示されました教育の目標を踏まえまして、学習指導要領全体の見直しの検討の中で、各教科等にその具体的な、二条に示されましたいろいろな、公共の精神でございますとか伝統文化の尊重とか、あるいは勤労観の育成とかそういう事柄について、各教科等の具体的な教育内容の中にどういうふうに生かしていくのか、そのことを私ども検討してまいりたいと思っているわけでございます。

 例えば、これまで、公共の精神というのは道徳の内容として取り扱っていたわけでございますけれども、公徳心とか、友達と仲よくするとか、そういったようなことでそれぞれの発達段階に応じて指導してきたわけでございますけれども、今回、新しい教育基本法の教育の目標として明示されたことを受けまして、さらに具体的な指導のあり方について検討して、積極的な指導が各学校で行われるように取り組んでいきたいというふうに思っているところでございます。

 なお、先ほど、昭和二十二年当時の教育基本法の議論の中で、現在の教育基本法は特に強調すべき事柄を掲げたもので、必要な事柄を網羅的に示したものではないということ、それから、今回は、そういう普遍的な現在の教育基本に示されている目標に加えまして、今日重要と考えられている事柄を新たに教育の目標として明示をすることとしたというお話がございましたけれども、こういったことを踏まえて、教育基本法上に新たに教育の目標として示されたことを、私ども、学習指導要領の改訂等を通じまして、実際の現場でさらにその目標に沿った指導が行われるようにこれから努めていくことになると思っております。(発言する者あり)

松本(大)委員 今の不規則発言に私も同感でありまして、全く無関係の話を長々と答弁されないでほしいんですね。

 私は、要するに、国民の共通理解が進む、それから、教育現場における適正指導の促進が図られるというのが今回の効果であるとおっしゃるんであれば、改正前の現状ではそれが図られていないという具体例はあるんですかという御質問を申し上げたわけですけれども、残念ながら、延々とこれからどうなるという話をされて、現状どうである、現在の問題はどうなんだというところについては御答弁をされなかった。これはぜひ、ちょっと時間が中途半端なんでまた次回に譲りたいと思います。

 最後に、ちょっと大臣にお伺いしておきたいことがあります。

 冒頭から申し上げてきた公共の精神とか郷土とか国を愛する心とか、改正案の二条ですが、この同じ二条に道徳心ということが定めてあるわけですけれども、そこでぜひお伺いしたいのは高松塚古墳の件でありまして、国宝にカビを生やさせてしまった。カビの除去作業中に壁画を、国宝をですよ、損傷させてしまった。その損傷をわからないようにするために、何と、周囲の土をあろうことかその壁画に塗りつけてしまった。しかも、過ちを認めて発表するどころか、ずっと隠ぺいし続けてきた。さらに、このことを指摘されたときに備えて、あれを指摘されたらば、いや、これは経年による自然劣化だという説明用の内部資料を文化財部長承認済みという形で用意されていた。こんなとんでもない話が明らかになっているんですね。

 大臣、これは、道徳教育の必要性を説かれる文部科学省として正しい行動ですか。

小坂国務大臣 高松塚古墳の保存の問題につきましては、現在、調査委員会を設けまして、文化庁の関係者ではない第三者の方に入っていただいて今検討を進め、そして、すべての審議はオープンにさせていただいておるところでございます。そういう中で、今御指摘をいただいたような事項も明らかになってまいりまして、それもマスコミに対して発表させていただいたところでございます。

 そういった中で、隠ぺいをするような意図があったかどうか、それを今検証しているわけでありますけれども、そういう意図があったとすれば、私は決して許せないことだと思っております。そのようなことをすることは、まさに委員がおっしゃったように、道徳を教える文部科学省としてあってはならないことでございます。

 したがって、もしそのようなことがあれば厳正に対処したいと思いますけれども、現在調査中でございますので、その事実が明らかになった節に、また私の考え方を明らかにさせていただきたいと思います。

松本(大)委員 道徳教育の点もさることながら、この五項には、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、」と書いてあるんですね。伝統と文化にカビまで生やして、傷をつけて、泥まで塗ったのはどこのだれなんですか、大臣。これは、文科省自身は本当に伝統と文化を尊重して、我が国を愛しているのかと疑いたくもなりますよ。伝統と文化よりも組織防衛を優先したと思わざるを得ません。愛よりもメンツの方を優先したんだとすれば、飛鳥美人が余りにもかわいそうじゃないですか、大臣。

 これは、ぜひとも文科省内、真摯に反省をしていただいてこの法案に臨んでいただかないと、道徳教育の必要性をあんたに言われたかねえよというのが、恐らくは多くの国民の実感ではなかろうかということを申し上げまして、私の質問を終わります。

森山委員長 次に、志位和夫君。

志位委員 日本共産党を代表して質問いたします。

 教育基本法にかかわる議論を進める上で、この法律が一九四七年につくられた際の立法者の意思がどこにあったかを踏まえた議論が重要であることは、論をまちません。

 ここに、当時発行された「教育基本法の解説」という冊子の復刻版がございます。著者は、当時の文部省内に設置された教育法令研究会であり、その監修者は、教育基本法制定に直接かかわった当時の文部省調査局長の辻田力氏と、東京大学教授の田中二郎氏であります。私は、これは基本法の立法者意思を私たちに伝えてくれる第一級の文献だと思います。

 この冊子では、政治と教育の関係についても突っ込んだ考察を加えております。次のような印象深い一節があります。それを紹介し、まず大臣のお考えを伺いたいと思います。

 民主主義の政治も民主主義の教育も、個人の尊厳を重んじ、国家及び社会の維持発展は、かかる個人の自発的協力と責任によって可能であるという世界観の上に立ち、政治はそれをいわば外形的現実的に、教育はそれをいわば内面的理想的に可能にするものである。しかし、政治と教育との間には一つの重大な相異点が認められなければならない。即ち政治は現実生活ことに経済生活をいかにするかを問題とするのであるが、教育は現在より一歩先の未来に関係する。教育はあくまで未来を準備するのである。社会の未来に備えることが教育の現在なのである。この政治と教育との本質的な相異からして、政治が現実的な力と大なる程度において妥協しなければならないのに対して、教育は政治よりも一層理想主義的であり、現実との妥協を排斥するという結果が生ずるのである。民主主義に則る政治は、政党の発生を必然的に伴い、政党間の競争と妥協によって運営されるのであるが、教育はたとえ民主主義下においても、そのような現実的な力によって左右されないことが必要なのである。そこで政治と教育とが同じく国民全体に対して責任を負う関係にありながら、その関係に両者差異が認められなければならないのである。

私はこれは、今日読み返してみても、今でも通用する大切な考え方を述べたものと思いますが、大臣もそうお思いになりませんか。

小坂国務大臣 教育の果たす役割、それから我々が政治家として今日的な課題に日々対処をしていく姿勢、そういう意味では教育は、理想を求め、そして人格の完成を目指して行われるものですから、今御指摘のような考え方というものがあって当然だと思います。

志位委員 今大臣は、この考えは当然の考え方だとおっしゃいました。

 この解説では、今の文章に続けてこう述べております。「この趣旨を表すために」教基法第十条で「「不当な支配に服することなく……直接に……」といったのである。」こう述べているわけですね。

 大臣は、これは当然の大事な内容だとおっしゃった。そうだとすると、なぜ十条から、国民全体に対し直接に責任を負うという文言を削除するのか、私はこれは理屈が立たないではないかと思います。

 そこで、改めて大臣に聞きたいと思います。

 政府の法案が、現行基本法の十条、すなわち、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。」から、国民全体に対し直接に責任を負うを削除し、かわりに「この法律及び他の法律の定めるところにより」に置きかえているわけですが、置きかえたのはなぜでしょうか。その理由をきちんと説明していただきたい。

小坂国務大臣 御指摘のように、現行法では、教育は、不当な支配に服することなくと規定し、教育が国民全体の意思とは言えない一部の勢力に不当に介入されることを排除し、教育の中立性、不偏不党性を求めているわけでありまして、このことは今後とも重要な理念であると考えております。

 なお、一部の教育関係者等によりまして、現行法の第十条の規定をもって、教育行政は教育内容や方法にかかわることができない旨の主張が展開をされてきたところでありまして、このことに関しては、昭和五十一年の最高裁判決におきまして、法律の命ずるところをそのまま執行する教育行政機関の行為は不当な支配とはなり得ないこと、また、国は必要かつ相当と認められる範囲において教育内容についてもこれを決定する権能を有することが明らかにされているところでございます。

 今回の改正におきましては、最高裁判決の趣旨を踏まえまして、不当な支配に服してはならない旨の理念を掲げつつも、教育は法律に定めるところにより行われるべきと新たに規定をしたわけでありまして、このことによりまして、国会において制定される法律に定めるところにより行われる教育が不当な支配に服するものではないことを明確にしたものでございます。

志位委員 要するに、今の答弁は、法改定を行う理由として二つの点を言われたと思います。

 第一は、国会において制定される法律に定めるところにより行われる教育が不当な支配に服するものではないという主張であります。第二は、国は必要かつ相当と認められる範囲において教育内容についてもこれを決定する権能を有するというものであります。

 今の答弁は、その根拠を、専ら、一九七六年の最高裁大法廷におけるいわゆる学力テスト判決に求めております。

 この最高裁判決には私たちが肯定できない弱点も含まれておりますが、政府の法案は、この最高裁判決に照らしても説明のつかないものになっていると私は思います。

 以下、一つ一つ問題点を具体的にただしていきたいと思います。

 第一の問題です。法律に定めるところにより行われる教育が不当な支配に服するものではないという政府の主張について、検討したいと思います。

 政府が引用した七六年の最高裁判決は、判示事項の冒頭部分で、子供の教育の内容を決定する権能がだれに帰属するとされているかという問題について、二つの極端に対立する見解があることを指摘しております。

 その一つが、最高裁が次のように特徴づけている当時の政府、文部省の見解であります。それを読み上げます。

 一の見解は、子どもの教育は、親を含む国民全体の共通関心事であり、公教育制度は、このような国民の期待と要求に応じて形成、実施されるものであつて、そこにおいて支配し、実現されるべきものは国民全体の教育意思であるが、この国民全体の教育意思は、憲法の採用する議会制民主主義の下においては、国民全体の意思の決定の唯一のルートである国会の法律制定を通じて具体化されるべきものであるから、法律は、当然に、公教育における教育の内容及び方法についても包括的にこれを定めることができ、また、教育行政機関も、法律の授権に基づく限り、広くこれらの事項について決定権限を有する、と主張する。

これが片方の主張として紹介されております。

 最高裁判決は、この見解に続いてこれに対立する見解を紹介した後で、こう述べております。「当裁判所は、右の二つの見解はいずれも極端かつ一方的であり、そのいずれをも全面的に採用することはできないと考える。」こう退けています。

 すなわち、法律は教育内容と方法について何でも決定することができ、教育行政機関は法律に基づく限り教育内容と方法について何でも決定することができるという立場を、最高裁判決は「極端かつ一方的」と退けているわけですが、この事実は間違いありませんね。事実関係の確認です。

小坂国務大臣 そういう事実関係についての是非について、私はこの裁判そのもの全部学んでいるわけでございませんが、考え方として、私は、教育内容に対して国家的な介入については、政党政治ということでありますから、これは抑制的であるべきだというふうには思っております。

志位委員 政党政治が抑制的というのは、後でまた議論するんです。

 今の私が読み上げたことの事実関係はお認めになりますね。そういう判決事由が述べられているということはよろしいですね。そのイエスかノーかでいいんです。事実関係です。判決を読んできてくださいと私、言いました。

小坂国務大臣 判決の中には、そのように記述をされております。

志位委員 もう一つ聞きましょう。

 この最高裁判決は、教育基本法十条の解釈で次のように述べております。同条項、基本法十条が排斥しているのは、教育が国民の信託にこたえて、

 自主的に行われることをゆがめるような「不当な支配」であつて、そのような支配と認められる限り、その主体のいかんは問うところでないと解しなければならない。それ故、論理的には、教育行政機関が行う行政でも、右にいう「不当な支配」にあたる場合がありうることを否定できず、問題は、教育行政機関が法令に基づいてする行為が「不当な支配」にあたる場合がありうるかということに帰着する。思うに、憲法に適合する有効な他の法律の命ずるところをそのまま執行する教育行政機関の行為がここにいう「不当な支配」となりえないことは明らかであるが、上に述べたように、他の教育関係法律は教基法の規定及び同法の趣旨、目的に反しないように解釈されなければならないのであるから、教育行政機関がこれらの法律を運用する場合においても、当該法律規定が特定的に命じていることを執行する場合を除き、教基法十条一項にいう「不当な支配」とならないように配慮しなければならない拘束を受けているものと解されるのであり、その意味において、教基法十条一項は、いわゆる法令に基づく教育行政機関の行為にも適用があるものといわなければならない。

こういう文章がありますね。

 これまで政府は、この確定判決の中から、最高裁判決は法律の命ずるところをそのまま執行する教育行政機関の行為は不当な支配とはなり得ないとしているという部分だけ抜き出しているんですが、それはごく一部分であって、この文章の結論は、今読み上げたように、法令に基づく教育行政機関の行為も不当な支配に当たる場合があり得るということを述べているわけですね。この事実、確認しておきたいと思います。そう述べていることは間違いありませんか。事実関係の確認です。

小坂国務大臣 ただいま読まれましたこの(三)、その中での「これによつてみれば、同条項が排斥しているのは、」云々というところをお読みになったわけでございますが、それをさらにずっと追っていただきまして、その最後の結論に相当する部分、

 むしろ教基法十条は、国の教育統制権能を前提としつつ、教育行政の目標を教育の目的の遂行に必要な諸条件の整備確立に置き、その整備確立のための措置を講ずるにあたつては、教育の自主性尊重の見地から、これに対する「不当な支配」となることのないようにすべき旨の限定を付したところにその意味があり、したがつて、教育に対する行政権力の不当、不要の介入は排除されるべきであるとしても、許容される目的のために必要かつ合理的と認められるそれは、たとえ教育の内容及び方法に関するものであつても、必ずしも同条の禁止するところではないと解するのが、相当である。

としておりまして、先ほど述べられた部分を改めてここの部分で、教育が許容される目的のため必要かつ合理的と認められる場合には、それは禁止されるものではないと解するのが相当としているところでございます。

志位委員 とんちんかんなところを読んでいるんですよ。

 私が言ったのは、法律の命ずるところをそのままに執行する教育行政機関の行為は不当な支配とはなり得ないと政府が言っている、その部分の末尾が、十条一項は法令に基づく教育行政機関の行為にも適用があるものだと述べている、その事実を確認したんです。それは間違いないですね。

小坂国務大臣 この部分の記述のみで判断をするならば、それは「教基法第十条一項は、いわゆる法令に基づく教育行政機関の行為にも適用があるものといわなければならない。」と書いてありますから、そのとおりであります。

志位委員 そうしますと、政府の立場に大きな矛盾が生まれてきます。

 政府は、法律に定めるところにより行われる教育は不当な支配に服するものでないという主張を最高裁の判決から導き出しているわけでありますけれども、最高裁の判決は法令に基づく教育行政機関の行為にも十条一項は適用があると言っているわけですから、これは、最高裁判決の趣旨を踏まえると言いながら、その内容を百八十度ねじ曲げた、改ざんしたと言わなければなりません。

 次に第二の問題に進みます。政府が最高裁判決から「国は、」「必要かつ相当と認められる範囲において、教育内容についてもこれを決定する権能を有する」という文言を引用し、現行基本法十条を改定する根拠に置いていることについて検討したいと思います。

 政府はこの一文だけを引用し、最高裁判決はあたかも国が教育内容について自由な決定権を持つことを認めたかのように言いますが、判決はそうなっておりません。この一文に続けて最高裁判決は次のような見解を表明しております。

 政党政治の下で多数決原理によつてされる国政上の意思決定は、さまざまな政治的要因によつて左右されるものであるから、本来人間の内面的価値に関する文化的な営みとして、党派的な政治的観念や利害によつて支配されるべきでない教育にそのような政治的影響が深く入り込む危険があることを考えるときは、教育内容に対する右のごとき国家的介入についてはできるだけ抑制的であることが要請されるし、殊に個人の基本的自由を認め、その人格の独立を国政上尊重すべきものとしている憲法の下においては、子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入、例えば、誤つた知識や一方的な観念を子どもに植えつけるような内容の教育を施すことを強制するようなことは、憲法二十六条、十三条の規定上からも許されない

こう述べております。

 要するに判決には、教育内容に対する国家的介入は一切排除するとは言っていません、排除するとは言っていないけれどもできるだけ抑制的でなければならないと書いてあるんですね。これは憲法の要請として判決に明記されているものです。政府はこれは重く受けとめなければならないと考えますが、いかがでしょう。

小坂国務大臣 志位委員は判決をお読みになるときに、自分たちにとってといいますか、御自身のお考えに沿った部分だけをお読みになって、それに続く部分をお読みになっていないように思うんですね。

 例えば、今お読みになった最後の文、「憲法二十六条、十三条の規定上からも許されないと解することができる」とおっしゃいましたけれども、「解することができるけれども、これらのことは、前述のような子どもの教育内容に対する国の正当な理由に基づく合理的な決定権能を否定する理由となるものではないといわなければならない。」というふうに書いてございまして、今おっしゃったことは最後の部分で否定をされているわけでございます。

志位委員 これは先ほど言ったでしょう。国が教育内容に対して一切介入は排除されるという見解は、これは確かに最高裁の判決でも否定されていると、私さっき言ったでしょう。しかし、抑制的でなければならないと書いてあるわけですよ。これは最後の文章で、否定はされていませんよ。否定されているという見解ですか。最高裁の判決は、抑制は一切なくてもいいということを書いてあるということですか。そうじゃないでしょう。

 そこを聞いているんです。抑制的でなければならないというふうに述べていることを重く受けとめるべきだと言っているんです。ちゃんと答えてください。

小坂国務大臣 先ほど申し上げましたけれども、政党政治というものにおいて国家的介入についてはできるだけ抑制的であることが要請されるということは否定はされません。そのとおりでありますが、しかし、とする一方で、このことが子供の教育内容に対する国の正当な理由に基づく合理的な決定権能を否定する理由とはならないというふうに結論づけているわけでございますし、また、この判決は、あくまでも国民全体の意思を組織的に決定、実現すべき立場にある国が必要かつ相当と認められる範囲内において教育の内容を決定する権能を有することを前提としているものであることも事実でございます。

志位委員 今、答弁ではっきりと、教育内容に対する国家的介入はできるだけ抑制的でなければならない、このことは否定されていないとおっしゃいましたね。これは認められたと思います。つまり、この判決は、教育内容に対して合理的かつ一定の範囲内での関与はできる、しかし、それは抑制的でなければならないというのがこの判決なんですよ。

 その上で、最高裁の判決は、教育内容に対する国家的介入を抑制的にする保証を現行基本法のどこに求めているか。判決では、現行基本法第十条について、この条項によって「教育内容に対する行政の権力的介入が一切排除されているものであるとの結論を導き出すことは、早計」と確かに書いてありますよ。としながらも、次のようにも述べています。

 子どもの教育が、教師と子どもとの間の直接の人格的接触を通じ、子どもの個性に応じて弾力的に行われなければならず、そこに教師の自由な創意と工夫の余地が要請されることは原判決の説くとおりであるし、また、教基法が前述のように戦前における教育に対する過度の国家的介入、統制に対する反省から生まれたものであることに照らせば、同法十条が教育に対する権力的介入、特に行政権力によるそれを警戒し、これに対して抑制的態度を表明したものと解することは、それなりの合理性を有する

その後に続けてしかし早計だというところに文章はなっていますけれども、それなりに合理性を有するという判定もしています。

 すなわち、最高裁の判決は、教育内容に対する国家的介入についてはできるだけ抑制的であるべきだという憲法の要請を保障するものが現行教基法十条であると述べています。

 そこで、大臣に伺いたい。

 それでは、政府案は、現行基本法第十条を改変することで最高裁判決の言う教育内容に対する国家的介入を抑制的にする保障を取り払ってしまったのではないか。先ほど大臣は、この国家的介入は抑制的でなければならない、これは否定されない、そのとおりだとおっしゃいました。しかし、それを取り払ってしまったのではないか。そうでないと言うのなら、私は聞きたいんですね。今度出された政府案の一体どこに教育内容に対する国家的介入を抑制的にする条文、条項がありますか、具体的にお示しください。抑制的にする条文です。

小坂国務大臣 細部の議論に入ってまいりましたが、まず、具体的なとおっしゃいますが、それをお答えする前に、委員がお読みになった部分もやはり、最後の、早計とは言っていますがとおっしゃいましたけれども、そこに続く文章が重要なんで、ちょっと読ませていただきます。

 「また、教基法が前述のように戦前における教育に対する過度の国家的介入、」云々と書いてありますね、先ほど途中でお読みになりましたけれども、「これに対して抑制的態度を表明したものと解することは、それなりの合理性を有するけれども、このことから、教育内容に対する行政の権力的介入が一切排除されているものであるとの結論を導き出すことは、早計である。」ということで、これについては結論としてはそのようにはなっていない、早計だ、こういうふうに判示しているところでございます。

 その上で、私どもの現行法、この十条は、今回の規定の中でどのようになっているかということでございますけれども、今回のこの教育行政のことを記述をいたしております第十六条に、「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。」ということで、抑制的という意味は、「公正かつ適正に行われなければならない。」ということで明確に規定をされているところであります。

志位委員 適正かつ公正は抑制の保証なんかになり得ませんよ。どんな法律だって適正かつ公正に運営されなきゃならないのは当たり前で、しかもこれは、国と地方公共団体が適切な役割分担及び相互の協力のもと、公正かつ適正にやると言っているのであって、国が教育行政に対して関与をやる、介入をやる、決定する、それをやる際に公正かつ適正にやると言っているだけであって、国家的介入を抑制する文言にはなり得ないじゃないですか。どこにあるんですか。もう一回言ってください。これをもって言うつもりですか。

小坂国務大臣 ここに、十六条に規定してあることをもう一回読みますけれども、「教育は、不当な支配に服することなく、」と言っているんですね。「不当な支配に服することなく、」「適正に行われなければならない。」これは、すなわち、そういった意味で、不当な支配に服することなく適正に行われるということにおいて、そういった抑制的な、国家のいろいろな不当な支配というものも法律に基づかなければやってはならないという意味で、これは抑制的なものが規定をされていると解釈するのが適当だと考えております。

志位委員 今度は不当な支配をもってそれも抑制条項と言ったけれども、これは全くあなた方の論理破綻ですよ。だって、政府は、法律の定めるところにより行われる教育は不当な支配に服するものではないと主張しているじゃありませんか。つまり、政府は国の行為というのは不当な支配の範疇に属さないと言っている、だから、不当な支配と幾ら言ったところで国家的介入を抑制する担保にはなり得ないんですよ、あなた方の論理からいったら。

 この質疑を通じて明瞭になった問題があります。それは、最高裁判決も国家的介入は抑制的でなければならないと言った、そしてあなたもそれはお認めになった、にもかかわらず、この法案にはその抑制条項は一つもありません。すなわち、国家権力が無制限、無制約に教育内容や方法に介入できるというものであって、これは憲法の要請に反する、憲法の教育の自由、自主性、自律性に反する法律だということを強く主張し、そして廃案を求めて、私の質問を終わります。

森山委員長 次に、保坂展人君。

保坂(展)委員 社民党の保坂展人です。

 きょうは麻生外務大臣に、外交日程、お疲れのところでございましょうけれども、お越しいただきました。

 国連改革の柱として、国連人権委員会を廃止して、新たに国連人権理事会が生まれました。いよいよ六月中旬にはジュネーブで初会合が開かれると聞いております。日本が理事会のメンバー国になり、そして人権を柱にして国際社会で活動する、こういうことになると思いますが、今回提案の政府案に、人権や人権教育の言葉がなぜかありません。

 二〇〇四年二月二十六日の国連子どもの権利委員会の最終見解、これはたくさんの指摘があるんですが、この二十七をちょっと紹介しますと、児童の意見の尊重に関し、締結国、我が国が改善に向けて努力している点に留意しながらも、委員会は、依然として、児童に対する社会の旧来の態度によって、彼らの意見の尊重が、家庭、学校、その他の施設、そして社会全体において制限されている点について懸念をする。これは九八年の勧告でもこういったことが書かれています。

 そこで、麻生大臣にまず伺いたいんですが、麻生大臣はこの教育基本法についてはいろいろ御意見を以前からお持ちだろうと思います。今、先ほど紹介したように、国際社会の中で人権を大いに広げていくという立場に日本政府が立とうとするときに、六十年ぶりの大改正。私たちはこの基本法を変えなくていいんじゃないかという立場ですが、しかし、よしんば変えるのであれば、十二年前に我が国が批准した子どもの権利条約の精神、一言で言えば子供が権利主体であるという精神なんですが、この子どもの権利条約との兼ね合いにおいて、今私が申し上げた、今回提出の法案に人権ないし人権教育の文言がないということについて、まず所感をお述べいただきたいと思います。

麻生国務大臣 子どもの権利条約と今回の教育基本法との関連を聞いておられるんですか。

 今回の中に基本とか子供の権利が入っていないというのをどうかと言われても、それはちょっと、提出された文部大臣に聞いていただくしかないと思いますので、私が直接担当ではありませんので、その点は質問対象者を考えていただかないかぬところだと思っております。

 それから、子どもの権利条約との関係からいきましたら、子どもの権利条約というのは児童の権利条約というものだと思いますけれども、これは少なくとも、教育基本法との関係と聞かれても、児童の権利条約の精神と合致するものなんじゃないんでしょうか、基本的にはそう思っております。全然、反すると思ったことはありません。

保坂(展)委員 反するかどうかではなくて、今私が申し上げたのは、人権ないし人権教育を日本がこの理事会のメンバー国になって世界じゅうに発信していく、こういう立場に今いるわけですね。とするならば、例えば子供に関する、教育基本法、この大改正案だというのであれば、やはり日本政府が世界に向けて広げていこうとする人権教育という概念がなければいけないし、また、子どもの権利条約自身を国内法制化するという国もたくさんあるわけですね。例えば子供の権利基本法というものをつくっている国もあります。そういったことはお考えにならないんですか。

 ですから、外務大臣として、人権ないし人権教育を世界に広げるという立場からどう思われるのかということを聞いているわけで、小坂大臣には後ほどまた聞く機会がありますから、どうぞお答えください。

麻生国務大臣 条約に定められております権利義務というのは、国内でその実施をいかに確保するかという話なんだと思いますけれども、これは、基本的には各締約国に判断はゆだねられているということだと思っております。

 日本の場合、この権利条約を締結した当時を思い返してみますと、主要先進国の中で、この条約の締結のために児童に関する新たな包括的な法制度を創設した国があったとは承知いたしておりません。御質問のところで、いろいろこれは調べてみないかぬところだと思いますけれども、今言われたような御質問であれば、そのためにというのは例がないと思っております。

 また、日本の場合、権利とかそういったものに関しては、これまでも十分に、他の法律やら何やら、いろいろ教育に関するところ等々いろいろやってきておられるところなんであって、今回の教育基本法に書いていないから日本はその種のことに関しては甚だ不熱心だというようにとらえることはないと存じます。

保坂(展)委員 麻生外務大臣、細かいことについてお聞きしようとするわけではなくて、これは本当に基本の基本なんですけれども、今ある教育基本法は「われらは、」で始まるんですね。今度、政府提案のものは「我々日本国民は、」で始まるわけです。

 外務大臣にお聞きしますが、「われら」と「日本国民」とではどちらが幅広い範囲を指す言葉なのか。

麻生国務大臣 学校のときは国語は余り成績がよくなかったので正確な記憶はありませんけれども、「われら」と「我々日本国民」はどっちが幅広い定義かという御質問ですか。

 ウイとウイ・ジャパニーズだったらウイの方が広いと思いますが。

保坂(展)委員 明らかに「われら」の方が広いわけですね。

 人権教育あるいは人権に関して基本的なことを言えば、人権と基本的自由の擁護と推進のためにすべての国がこの責任を負う義務があるんだ。人権教育というのは、例えば、女性、子供、高齢者、障害者の問題に留意して、少数民族や外国人、HIV感染者など、あるいは刑を終えて出所した人たちに対する差別や偏見にも考慮を果たしていかなければならない、こういう原則でよろしいでしょうか。麻生大臣、国際社会の中でどうですか。

麻生国務大臣 通常、エイズ患者の話だかHIVの患者が突如出てきましたけれども、そういうものに関して差別なくやってきているというのは昔も今も変わらないところだと思いますので、今回この教育基本法が新たに出たからといって、それらに関する定義等々が変わるとはとても考えられぬと思っております。

保坂(展)委員 今申し上げたのは、私の意見ではなくて、二〇〇四年十二月にニューヨークで原口さんが日本政府を代表して演説されているところから抜粋して紹介させていただいたということです。

 そこで、昨年、麻生大臣は、今大変人気が出ているという九州国立博物館の開館記念式典におきまして、一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかないという発言をされて、その後、例えばアイヌの皆さんから抗議を受けたりとかいうことがあったと聞いていますが、この発言、真意はいかばかりだったのか。そして、今私が申し上げているように、日本国民あるいはそういった概念、少数者、マイノリティー、あるいは先住民族、そういうことを全部包括するんだ、国際社会では人権の概念ではもう日本政府も明確にそういう発語をしているわけですから、大臣のこのときの発言、どういう真意だったんですか。

麻生国務大臣 この教育基本法との関連で聞いておられるんですか。(保坂(展)委員「はい」と呼ぶ)どこが関連するんだか、ちょっともう一回教えてください。

保坂(展)委員 人権とは何かという話から入っているんです。そして、日本は人権理事会のメンバー国となっている。議長を目指す、こういう話もあるじゃないですか。そうすると、世界じゅうの人権教育をリードする、そういう立場にあるわけですね。おわかりだと思います。

 そうすると、麻生大臣の個人的なごあいさつであっても、今のような発言、そして、日本の北海道を中心に先住していたアイヌ民族から、いや、これは違うんじゃないですかという抗議を受けた、こういうこともありますので、ここは一点、どういう立場なのか、この発言について何かフォローするものがあるのか、あるいはこのとおりなのか、発言していただきたい。

麻生国務大臣 御質問が、何をお聞きになりたいかよくわからぬのですが、一国家、一文明、一言語等々は当然でしょうね、確かですから。今、そこまでは間違いないでしょう。

 そうすると、今、一民族のところにひっかかっておられるということですか。(保坂(展)委員「アイヌ語はどうですか」と呼ぶ)だから、一民族にこだわっておられるんですか。(保坂(展)委員「一言語です」と呼ぶ)ああ、一言語。

 私は九州におりましたので、熊襲も昔はいろいろよく言われたものだったんです。だけれども、そういった意味では、この種の話は、昔からそういった話は国ができ上がっていくまでの過程の中にいろいろあったんだと思いますが、少なくともこういった形で日本という国が主にきちんとしてまとまってできてきた背景というものを考えたときに、一般に言われていることを申し上げたのであって、ここが落ちているじゃないか、これも落ちているじゃないかと言われたら、多分もっといろいろ出てくる可能性があるんだと思っております。したがって、今申し上げた、その後の質問に関して、ああ、そういった意味でしたらと言って、たしかどこかで御質問を受けましたので、修正をしたというふうに記憶しますが。

保坂(展)委員 私は、麻生大臣に、人権や人権教育について、日本が世界に先駆けて提案する立場、それを引っ張っていく立場であってほしいと思って聞いているわけです。世界じゅうの人権なら人権教育という中では、先住民族の文化や言語、あるいはさまざまな差別があれば、それを除去していく責任というのはやはりその国の政府が負うんだということを確認したいんですよ。そういう意味ではどうですか。

麻生国務大臣 よろしいんじゃないでしょうか。

保坂(展)委員 実は、私の父も母もそして祖母も、私自身は一九五五年生まれ、ちょうど講和条約の、五五年体制と言われたその五五年生まれですから、戦争から十年たって生まれております。ですから、戦争の体験は当然ないわけですけれども、親やおばあちゃんから、かつての戦争について随分子供のころ聞きました。まだまだ戦争体験が生々しい時期に子供だったということだと思います。

 そして、学校の果たした力、どうして戦争になっていっちゃったんだというときに、我々は、つまり母とか祖母あるいは父は、教育勅語をそらんじていたし、学校というものの教育を疑うなんということはなかったと。日本は必ず戦争に勝つ、こう思っていたし、一時戦況がよくなくても最後には神風が吹く、こう思って信じていた。その際に、教育勅語という言葉をそういう形で親からあるいは祖母から聞いてきたわけです。麻生大臣は、そらんじられているということなんですけれども。

 さて、十日前に麻生大臣が教育基本法に関して講演されたという新聞記事を読んで、それは短い記事ですから真意もわかりません。そこでお聞きするんですが、教育勅語など、日本は昔から公徳心を涵養してきた。勤勉、向学心、向上心に加えてモラルがあったからこの国は治安がいい、こういう発言をされたそうなんですね。

 そこで麻生大臣に聞きたいのは、教育勅語によいところがあった、いい部分があったという発言の趣旨だと思いますけれども、全体を評価して、では、その教育勅語自身が持っていた問題、あるいは教育勅語が悪用されたということがあったのか。全体としてプラスのことをおっしゃったようですけれども、マイナスということについてどういう認識を持っているのか。小泉総理は、教育勅語復活、こういう声もありますよ、いや、そういうことでは一切ございません、こういうふうに本会議で答弁しているんですね。麻生大臣はどう考えますか。

麻生国務大臣 教育勅語を御存じないという前提でしゃべらせていただきますが、「爾臣民父母ニ」……(保坂(展)委員「世代が違いますから」と呼ぶ)いや、私の世代も教育勅語は受けた世代じゃないんですよ、お断りしておきますけれども。もう私の世代からないんだから。私の一世代前まで受けたはず、私の世代からない。ここだけちょっと勘違いしないでいただかないといかぬところですが。

 「爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ」ここまではいいんだと思うんですが、「天壌無窮ノ皇運」と書いてあるんです。皇室の運と書いてあって国運と書いていないというところが一番ひっかかるところなんじゃないでしょうか、教育勅語というもので。

 ただ、これは「朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ」こいねがっておられるんであって、天皇陛下が命令しておられるわけではない。「庶幾フ」というところが一番最後の結びになっておるという点も忘れないでいただかないといかぬところかと思います。

保坂(展)委員 とすると、麻生大臣も教育勅語の復活ということを目指す立場ではない。そして同時に、講演の中で紹介されているのは、これは講演というのも一部だけ紹介されますから、それは短い記事ですから、たくさん話されたんでしょう、恐らく。しかし、紹介されたのは、いい部分はあったというところですね。しかし、それは全体から見て、では、かつての日本が戦争に向かっていったときの教育の力、学校の力。疑うことは許さない、何か、この戦争は負けるんじゃないかと言ったら非国民だという声が飛んでくる、あるいは、声なんか飛んでこなくてももう震え上がる、こういう時代があったということとの関連で、いま一度、この教育勅語、教育基本法との関係において麻生大臣はどう認識しているのか、そこまで聞いて、とりあえず一まとめにしたいと思います。

麻生国務大臣 全然御存じないという前提で話をしろということだったので。

 基本的に、今申し上げましたように、少なくとも書いてあるところは、お父さんに孝行しなさい、兄弟は仲よくしなさい、夫婦は仲よくしなさいと、これはみんなまともなことが書いてあるんです、ずっと。だから、全然おかしいところはない、そこだけ読めば。

 ところが、「以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」というところが一番ひっかかるところなんですよ。そこが国運と書いてあればまだまだ話は違ったものだと思いますけれども、皇運と書いてあるから非常に問題があるのではないかという御指摘は当たっているのではないでしょうか。

 しかし、これをもって、教育勅語があったから戦争に入ったという、教育勅語と戦争に突入していったという直接の関係はなかなか見出せないんだと思いますが。

保坂(展)委員 平成版教育勅語をつくるべきだなんという声もありましたので、やはり過去の戦争に対する総括というのは厳密に行っていかなければならないというふうに思います。

 小坂大臣、担当大臣として、全く同じ、今の教育勅語と教育基本法の関係。本会議においていただいた答弁では、教育勅語は禁止をされたんだと。しかし、今、同僚議員からのいろいろなやりとりもあったように、衆議院と参議院でそれぞれ全会一致で決議をして、教育勅語については取り消しをした、そして教育基本法でやってきたということですね。それで今回の政府提案の教育基本法案。この三者の関係をわかりやすく説明してもらえますか。

小坂国務大臣 今、教育勅語の御紹介がありましたけれども、明治二十三年以来、およそ半世紀にわたって我が国の教育の基本理念とされてきたものであることは、もう委員も御存じのとおりであります。

 しかしながら、戦後の諸改革の中で、教育勅語を我が国教育の唯一の根本とする考え方を改めるとともに、これを神格化して取り扱うことなどが禁止されました。そして、これにかわって、我が国の教育の根本理念を定めるものとして、昭和二十二年三月に現行の教育基本法が制定されたわけでございます。

 そして、その後五十九年、約六十年がたって、社会情勢の変化、それぞれの教育現場における課題というものを考えるに、ここで新たな理念を持って教育基本法を改正して、全部改正によって、現行の教育基本法のすぐれた理念は引き継ぎつつも、新たな今日的要請に基づく理念を加えていくということでございます。

 先ほど委員も御指摘になりましたけれども、教育勅語そのものは、昭和二十三年六月十九日、衆議院、参議院、両院におきまして、排除、失効の確認決議が行われているところでございます。

保坂(展)委員 今、最後のところをお聞きしようと思ったんですが、答弁されたので。何か禁止されたということだけが強調されて、衆参両院で議決があって立法府における手続もあったということはしっかり確認をしていただきたいというふうに思います。

 小坂大臣と先日のやりとりで議論させていただいたこと、つまり、伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する態度を、こういった部分についてなんですが、小坂大臣は、先日、記者会見だったんでしょうか、適切な指導が行われている状況を把握する何らかの方法はとっていくというふうに述べられております。

 他方で、例えば愛国心評価みたいなことがあるのかというやりとりも先日ありました。これは小学生に通信簿をつけるみたいなことは幾ら何でもという話が総理からもあったと思いますが、このあたりは、具体的に本当に皆さん関心が高いところなんですね。

 どういう方法で、どういう内容で考えているのか、お示しいただきたいと思います。

小坂国務大臣 現行の教育基本法に基づく教育がどのような状況にあるか。それはすなわち、学力の低下ということが指摘されたことを例にとりますと、学力の低下というのは一体どのような形で現状があるのか、それを全国的な学力調査というものを実施することによって把握しよう、こういうものも一つございます。

 また、委員がむしろお聞きになりたいところというのは、国を愛する心とか、そういった二条の五項にあるようなことについて評価というものをする、こういうことは行うのかということについては先ほど引用していただきましたし、また、ほかの委員のところで答弁もさせていただきました。伝統と文化を尊重し、それをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、そして世界の平和と発展に寄与する態度を養う、このことについて、それらの事柄が総体的に評価できるような評価というものを行うんだというふうに申し上げました。

 これがそういうふうに行われるためには、やはり学校現場において、教育長やあるいは学校長がそういう認識を持っていただかなきゃいけないものですから、私どもは、教育長会議あるいは学校長会議、こういった場において、この教育基本法が皆さんによって成立をさせていただきましたら、現場においてそのような適切な指導が行われるようにそういう場を使って通知していく、こういうことでございます。

保坂(展)委員 一番大事なのは、その通達、通知の中身だと思いますが、きょうは麻生大臣にも来ていただいて権利条約の話を集中的に聞いたので、担当大臣である小坂大臣からも伺いたいと思うんです。

 例えば、子どもの権利条約、児童の権利条約の十二条には意見表明権、子供は、自分の見解をまとめる、それ相応の年齢に応じてですけれども、自己の意見を表明する権利があるんだ。あるいは十三条には表現、情報の自由。そして十四条には思想、良心、宗教の自由。これらが今回の教育基本法に、精神は合致しているんだと総理からも答弁をいただきましたけれども、例えば、時間がないので、十二条の意見表明権、子供が自分の意見を、発達、成長の段階に応じて、しかしなるべくそういう機会をつくっていく。こういう部分は、今回の法案にどこか表記されているんでしょうか、十二条。

小坂国務大臣 御指摘の条約の十二条、意見表明権、これについて、対応する教育基本法案の条文は何だ、こういう御質問でございますけれども、私どもは、児童の権利条約の第十二条の意見表明権や第十三条の表現の自由、あるいは十四条の思想、良心、宗教の自由等については、それぞれもう既に憲法の、思想、良心の自由あるいは表現の自由、信教の自由等で保障されていることでございます。ですから、今回の教育基本法の基本理念を定める際に、一々といいますか、各条に権利条約を引いて規定する必要はないと考えておりまして、特に規定はいたしておりません。

保坂(展)委員 先ほど麻生大臣が、何で権利条約と教育基本法なんだ、どういう関係なんだというふうに大分御不満のようでしたから、私、申し上げれば、やはり、この六十年間いろいろあったといういろいろの中に、世界的な子供観の変化というのがあったと思うんですね。

 六十年前は、子供が意見を表明する、そんなことは概念として余りなかった。そして、子供に意見を表明する権利があるんだよということに気づくだけで、まだまだ世界じゅうにも、国連の議論も、そこに至るまでにいろいろな変遷があったと聞いています。

 ですから、子供が子供の意見を表明していいんだ、そして、特に子供にかかわる環境、つまり教育環境、学校ということに、みずから子供がかかわる環境については特に意見を言うプロセスは保障しようじゃないかという合意が、国際社会、この子どもの権利条約の中でつくられてきたわけです。ですから、子ども国会も開かれていますよね。

 そういう機会は大分ふえてきたと思うんですが、大臣に伺いたいのは、教育基本法案の中で、この五年間の中で、子供の意見を、一般的に例えば大臣が小学校に行って子供と話した、そういうことではなくて、教育基本法というのをつくるんだ、君たち、どう考えるのかということをやってきたのかどうかということについてはいかがですか。

小坂国務大臣 この五年間ということをおっしゃっていただきましたけれども、先ほど来、他の委員のときに答弁申し上げたように、この間、タウンミーティングあるいはシンポジウムという形で教育の改革についての意見を、一般の皆さんからの意見も聴取をしてきたところでございます。

 また、今、そういうことではなくてとおっしゃった、まさに私どもが学校現場に行って、そして聞くということも、スクールミーティングという形で、前中山文部大臣そして私、それぞれ、副大臣また大臣政務官も含めますと、三百八十校の皆さん、学生、児童、そしてまたPTAの皆さん、また教員の皆さんとも、じかにお話し合いを進めてきたわけでございます。

 委員が御指摘のように、今回の教育基本法改正に当たって、教育基本法を改正するけれども、君たちどのような意見を持っているか、このような形では聞いてはおりません。しかしながら、今日の教育について、皆さんはどういうふうに今日の学校の中で教育を考えていますか、それはもっと簡単な言葉で申し上げると、今、学校の中で何かみんな不安があるかな、不満はあるかな、もっとこうしてほしいことはあるかな、このような聞き方で聞いておりました。そういった意見も踏まえた上で今回の改正の法案に対応しているところでございます。

保坂(展)委員 ぜひ、子どもの権利条約に規定された十八歳以下の、高校生でもいいです、中学生でもいいです、この教育基本法案について、あるいは現存の教育基本法について、どうなのかということを我々も聞いていきたい。審議中でございますから、まだ間に合うと思います。

 そして、教育基本法と子どもの権利条約の話を取り上げたのは、与党の中で、三年間七十回の協議の中でこのことが話題になったということを新聞記事で、ほんの片りんですが見たものですから、これは大事だという意味で、ここは本当に、一つ一つ、我が国が批准しているこの条約と基本法案、なおこれからも聞いていきたいと思います。

 きょうは、時間ですので、終わります。

森山委員長 次に、糸川正晃君。

糸川委員 国民新党・日本・無所属の会の糸川正晃でございます。

 先日は、総理に法案改正の理由ですとか教育改革への意気込みなど総括的なことについてお尋ねをいたしましたので、本日は、基本法案の各条項について順番に質問をさせていただきたいというふうに思います。

 本法案は、新しい日本をつくっていくために何とかよい教育を確立していく、そのような非常に重要な法案でございます。したがって、新しい時代の教育にふさわしい教育基本法にするため、我々国会議員が、国民の代表者をもって構成するこの国会の場において、この教育基本法案を国民の総意、いわば国民みずからのものとして定めるようしっかりと議論するとともに、十分な国民的議論を行って、よりよいものにしていくことが必要であるというふうに考えております。

 現行の教育基本法制定の際、当時の高橋誠一郎文部大臣がこんなことをおっしゃっていらっしゃいます。これを定めまするに当たりましては、これまでのように詔勅、勅令などの形式をとりまして、いわば上から与えられたものとしてではなく、国民の盛り上がりまする総意によりまして、いわば国民みずからのものといたしまして定めるべきものでありまして、国民の代表者をもって構成せられておりまする議会におきまして、討議確定するために法律をもっていたすことが新憲法の精神にかなうものといたしまして、必要かつ適当であると存じた次第であります、このようにおっしゃられているわけでございます。

 そこでまず初めに、これまで、この教育基本法改正について、国民的議論を活発にするため、どのような取り組みを行ってきたのか、また、今後どのように行っていくのか、文部大臣の決意をお聞かせください。

小坂国務大臣 これまでの活動の中で、国民的な議論を喚起するためにどのようなことを行ってきたか。

 そもそもは、平成十二年十二月に教育改革国民会議の報告がございました。その提言の中で教育基本法の改正について言及をされ、そのことが新聞等で報道をされました。国民の中にも、今、教育基本法についてのいろいろな議論が始まるんだなということがあったと思います。

 その後、中央教育審議会において精力的な御審議をいただいてまいりましたけれども、その中で、関係団体の皆さんからのヒアリングや一日中教審などの活動も通じまして、広く民間の御意見も賜る努力をしてきたところでございます。

 答申をいただきましてからは、教育改革フォーラム、教育改革タウンミーティングなど幅広く国民の議論を聞く機会を設けて、議論に参加していただいたわけでございます。

 教育基本法は我が国の教育の根本を定める法律でございまして、その意味で、この改正について国会の場においてしっかりと御審議をいただくとともに、国民の皆様の間でも改正の意義について議論がされ、十分な理解が得られるように、広報活動をしっかりさせてまいりたい、このように考えまして、教育基本法改革推進プロジェクトチームといった本部を私ども文部科学省の中に設置いたしまして、対外的な広報を含めて国会審議等に当たる、そういう部局もつくったところでございます。

 また、ホームページ等におきまして、この教育基本法の改正の中教審の考え方を初めとし、今回の改正案についてもホームページに意見を求める等、幅広く広報に努めてまいりたいと考えております。

糸川委員 ありがとうございます。

 現行の教育基本法は戦後教育の批判の対象ともなってきたわけでございます。一方で、その理念は戦後の日本の教育の発展に大きな役割を果たしてきたとも考えられるわけでございます。

 前回、そのような基本法の改正について、小泉総理から、時代が変わるにつれ見直す点もある、こういうことや、道義心、自律性が最近はかなり低下してきたのではないかと言われている、こういう御答弁をいただいたところでございます。

 具体的には、教育全般にわたって現在どのような問題が生じているのか、また、それを認識されているのか、これは文部科学大臣の御見解をお聞かせいただければと思います。

小坂国務大臣 私の見解、すなわち、この改革に当たりまして、中央教育審議会に諮問し、また、答申をいただいていることがございます。まずもって、その部分から御説明を申し上げたいと思います。

 学力低下の問題があって、十五年の三月の中央教育審議会の答申では、青少年が夢や目標を持ちにくい状況の中で、規範意識や道徳心、自律心の低下が見られる、また、いじめ、不登校、中途退学、青少年の凶悪犯罪などの深刻な問題が発生している、家庭や地域社会の教育力が低下をしている、さらには、学ぶ意欲が不十分だ、こういった現象が指摘をされておりまして、これらの指摘に加えまして、今日、我々が毎日テレビを見るについて、なぜこのようなことが、なぜ子供を親が殺すことになり、あるいは子供が他の子供を、いじめではなくて殺すところまでいってしまうようなことが毎日報道されなければいけないのか、一体日本の教育はどうなったのかという国民の皆さんの声そのものが、やはり今日の大きな問題として国民の間に認識をされている。

 そのことが、私どもにとって、今教育改革を進めるに当たって、その基本理念をしっかりと定め、教育基本法の改正によって国民の理解を得ながら改革を進めることが必要だ、このような認識に至ったわけでございます。

糸川委員 そうすると、これが、実際、今大臣がお答えいただいた問題に対応する内容になっているのか、今回のこの教育基本法の改正によってどのような人間の育成を目指されるのか、文部科学大臣のお考えをお聞かせいただければと思います。

小坂国務大臣 ただいま申し上げたことに加えてさらに申し上げるならば、グローバル化の進展とか情報化の進展、また科学技術が大きく進歩をしてきた、こういった社会的な変化というものもあるわけでございます。

 こういった変化に対応するために教育を行うためには、この基本法を改正し、我が国の未来を切り開く教育が目指すべき目的と理念を明らかにする、そのように考えまして、知徳体の調和がとれ、そして生涯にわたって自己実現を目指す自立した人間をつくる教育、また、公共の精神をたっとび、国家、社会の形成に主体的に参画する日本人の育成、また、我が国の伝統と文化を基盤として国際社会を生きる日本人など、二十一世紀を切り開く、心豊かでたくましい日本人の育成を目指して教育改革を進めていく、このように考えているわけでございます。

糸川委員 では、各条文について質問をさせていただきたいと思います。

 まず、前文についてお尋ねをしたいんですが、現行の教育基本法は前文を置いてございます。今回の教育基本法も、引き続き前文を置いて規定されております。

 引き続き前文を置いた理由というものがなぜなのか、お聞かせいただけますでしょうか。

小坂国務大臣 法律には前文を置くものと、法律といいましても基本法です、基本法には前文を置くものと置かないものがございます。今ございます基本法二十七本のうちの九本が前文を置いているわけでございます。

 前文というのは、法律の趣旨だとかあるいは目的または基本的立場を述べる文章でありまして、法律の制定の理念、理想を明らかにする必要があるとき置かれることが多い、このように認識をいたしております。

 その上で、現行教育基本法では、日本国憲法に基づく新しい教育理念を明らかにするとともに、その後に続く教育関係諸法令の制定の根拠となる教育の基本を確立する重要な法律である、このように現行法でも言っているわけでございまして、その趣旨を明らかにするために特に前文を設けられた、このように私は理解をいたしております。

 このような教育基本法の教育法全体の体系における位置づけは、今後とも私どもは維持していく必要がある、その重要性は変わらない、このように考えて、今回の改正案におきましても、教育の基本を確立し、その振興を図る観点から、新しい教育基本法の趣旨を明確にするために前文というものを設けさせていただいて、皆さんに訴えるところでございます。

糸川委員 教育基本法は大変重要な法律でございますから、私も、現行法に引き続いて前文を置くということは大変賛成でございまして、結構なことだというふうに思います。

 本法案の前文では、新たに、公共の精神、こういう新たな理念が加わったわけでございます。本法案の前文の趣旨、特徴について、大臣から何かお伺いできればと思います。

小坂国務大臣 改正案におきましては、日本国民が願う理想として、民主的で文化的な国家の発展と、世界の平和と人類の福祉の向上、このことに貢献することを掲げまして、その理想を実現するために、個人の尊厳を重んずることを現行法に引き続き宣言させていただいたところでございます。

 その上で、今後、我が国においては、知徳体の調和のとれた人間、公共の精神をたっとび、国家、社会の形成に主体的に参画する日本人、また、我が国の伝統と文化を基盤として国際社会を生きるたくましい日本人の育成が重要であるとの観点から、新たに、公共の精神の尊重、豊かな人間性と創造性、そして伝統の継承を規定するというふうにしたものでございます。

糸川委員 次に、法案の第一条についてお伺いをしたいと思います。

 今回の教育基本法の第一条では、現行法と比べると、社会において必要とされるべき資質が具体的に規定されていない簡潔な記載となっているというふうに感じるわけでございます。これは教育の目標を規定した第二条との関係があるのではないかなというふうに推測するわけでございますが、一部には、このような規定では何を目指して教育を行うのかわかりにくい、こういう指摘もございます。

 そこで、この点も踏まえて、第一条と第二条の関係について文部科学省の見解をお聞かせいただければと思います。

馳副大臣 御指摘のように、第一条では根本的な教育の目的といったものをうたわせていただいて、第二条において、具体的にどのような日本人、人間を目指すべきかということを書かせていただいた、こういうふうな分け方をしていただいたということであります。

糸川委員 ありがとうございます。

 現行の教育基本法では、教育の目的として、教育は、人格の完成を目指して、平和的な国家及び社会の形成者として、心身ともに健康な国民の育成を期して行うこと、それから、このような平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義、個人の価値、勤労と責任、自主的精神の徳目が求められる、こういうことが規定されております。

 今回の教育基本法の第二条では、現行法によって詳細に教育目標というものを規定しておるわけでございますが、どのような考えに基づいて実際に規定されているのか、また、今回の教育基本法案で新たに盛り込まれたものは、現在の教育では十分でない、こういうことなのか、お聞かせいただけますでしょうか。

馳副大臣 具体的に申し上げます。

 第一号では教育全体を通じて基礎をなすこと、第二号において主として個々人自身にかかわるもの、第三号として社会とのかかわりに関するもの、第四号として自然や環境とのかかわりについて、第五号として日本人としての資質及び国際社会とのかかわりに関することをそれぞれ規定しているものでございます。

 それで、現行法に規定されていた普遍的な理念を引き続き規定しておりますが、新たに、公共の精神、伝統と文化の尊重、また、今日重要と考えられる事柄を明示することによって、国民全体の共通理解を図りつつ、より一層指導を充実していくべきと考えて規定をさせていただいたところであります。

糸川委員 私も、今日において特に強調すべき具体的な資質として掲げられた目標というのは、いずれも非常に価値のあるものだというふうに思っております。

 しかしながら、実際の教育に目を向けてみますと、青少年の規範意識や道徳心、自律心の低下が指摘されているなど多くの課題に直面しているとともに、フリーターや、働いていない、現在教育も訓練も受けていないと言われるいわゆるニートと呼ばれる若年の無業者が極めて大きな問題となっておるわけでございます。

 そういうところから猪口大臣もこちらに座られておるわけでございますし、私自身、今日さまざまな社会問題がある、こういうふうに指摘される中で、この若年無業者という問題は、とりわけこの日本の未来を考えた上で大変大きな問題であるというふうに考えておるわけでございます。このような状況が続くということは、個人にとってはもちろんのこと、新しい時代に対応した人材の育成、こういうことを考えてみたときに、これは社会にとっても国にとっても大きな損失であるというふうに考えております。

 このような状況を改善していくためには、職業観ですとか勤労観ですとか、こういうものを身につけていくということが大変重要なことになるというふうに思います。

 現在、学校教育においてどのようにこの点について取り組まれているのか、文部科学省の取り組みをお聞かせいただければなというふうに思います。

馳副大臣 何のために勉強するのかということを理解すること、それから、勉強した後に、進学、その後に社会に出てどういう貢献をして、どういう生きがいを持つのかということを、やはり義務教育の段階において、勉強することと、そして社会人となって働くこと、その意義、また生きがいを理解することを結びつけて、教育の現場で理解してもらうことが重要であるというふうに考えております。

 具体的には、平成十八年度、ことしからキャリア・スタート・ウイークという事業を展開しまして、公立中学校においては五日間以上職場体験をしていただくという事業をやっておりますし、平成十六年度からも、小学校、中学校、高等学校、発達段階に応じて、職場体験、職場見学、またインターンシップ制度などの事業を展開しているところでありまして、まさしく、何のために勉強するのか、受験のためだけに勉強するのではない、社会に出て、また人間として必要なことは何なのかということを学ぶため、その意識づけをさせるように努力をしているところであります。

糸川委員 実際、そのような取り組みでニートと言われるものがなかなか改善されてこない、これが現実でございますね。ですから、しっかりとその辺は取り組んでいただいて、猪口大臣もいらっしゃいますので、またこれは次回にも聞きたいなと思いますけれども、しっかりとその辺は取り組むことで、職業観ですとか勤労観というものを身につけていただきたいなというふうに思いますので、よろしくお願いします。

 次に、今回の法案で新たに掲げられた目標の一つであります、日本の伝統ですとか文化の尊重、郷土や国を愛する態度、こういうことについてお伺いをしたいんですが、現在、世界有数の経済大国と言われている我が国は、その豊かさを背景に多大な国際貢献をするに至っております。これは、戦後、国民の努力によって我が国が目覚ましい経済発展を遂げたからだ、こういうふうに私は思いますが、この経済成長を支えたのは実際には人であって、その人づくりを担った戦後の教育というものが我が国の社会に大きな価値をもたらした、こういうふうにも思っております。

 グローバル化が進展しまして、外国が身近な存在となる現代社会におきましては、国際社会、こういうものとのかかわりの中で必要となる能力の育成に人づくりの重点を置くべきである、こういうふうに考えております。これからの国際化の時代を生き抜く日本人というものは、みずからのアイデンティティーの基礎となる伝統ですとか文化を尊重して、郷土や国を愛する心、あえて心と申させていただきますが、心を持つことが重要であり、このような資質を身につけた国民が国際社会へ参画していくことこそが我が国の未来の道を開くことにつながるんではないかなというふうに考えております。

 そこで、今回の法案におきまして、まさに今この時代に、なぜ、日本の伝統ですとか文化の尊重、それから郷土や国を愛する態度を規定されたのか、ここについて文部科学大臣の御見解をお聞かせいただけますでしょうか。

小坂国務大臣 御質問に答弁する前に、細かいことではありますが、さっきの副大臣の答弁の中で、中学校五日間のキャリア・スタート・ウイーク、これは、今年度と申し上げましたけれども、実は昨年度から実施いたしておりますので、訂正をさせていただきたいと思います。

 今回の改正案の中で、伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、そして世界の平和と発展に寄与する態度を養うというふうにしたのは、これはもうまさに、今、糸川委員がおっしゃられたとおり、いわゆるグローバル化と言われる社会の中にあって、日本人が海外に出て活躍をする、そのときに、日本人のアイデンティティーとして、しっかりとした歴史観、そして伝統に対する認識、日本の伝統文化というものをしっかりその知識を身につけていただくことが、やはり日本を理解され、また日本人が尊敬されるもとだと思うわけでございます。

 そういった意味からも、今委員がまさに御指摘になったとおりでございまして、グローバル化が進展する中の国際社会を生き抜いていく上で、我が国の伝統と文化についての理解を深め、そして尊重し、それらをはぐくんできた我が国や郷土を愛する日本人の育成が求められているという認識に立って、また同時に、国際社会の一員として、他の国を尊重し、そして国際社会で活躍できる、世界に貢献できるたくましい日本人を目指してもらう、こういう気持ちを込めて、この第二条五項に規定をしたものでございます。

糸川委員 実際のところでは、多くの方々が、口に出すことはなくても、国を愛する心ですとか郷土を愛する心というものは持っているのではないかなというふうに思うところではございます。

 例えば、オリンピックに日本の選手が出場されてメダルをとるとか、それからサッカーでワールドカップに行くですとか、そういうときに、多くの人の中で、人の心の中でしょうか、国を思う、こういう心が自然と沸き上がるのではないかな、このように思うわけでございます。これからの我が国を担う子供たちに対しましても、我が国や郷土を愛する心、こういうものを自然に身につけられるように指導を行うべきだ、こういうふうに考えるわけでございます。

 今回の教育基本法では、このような態度を養う、こういうことと規定されております。何で心ではなくて態度としたのか、文部科学省の御見解をお聞かせいただければというふうに思います。

小坂国務大臣 「伝統と文化を尊重し、」これは御理解いただけると思います。やはり伝統と文化を尊重するには、尊重するという心を持っているかどうか。それはすなわち、伝統の行事等を学んだ中で、今度はできれば自分も参加してみたいな、郷土のお祭りに自分も次は参加しよう、こう思うことで態度にあらわれてくるわけです。心がそういう形で態度にあらわれるということを考えますと、「伝統と文化を尊重し、」そして「それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、」そして「国際社会の平和と発展に寄与する」、こうなれば、このすべてを受ける言葉としては態度、こういうふうになるのが当然でございまして、「態度」という言葉を使わせていただいて、「養うこと。」としたわけでございます。

糸川委員 しかし一方で、このような指導が充実するにつれて、特に学校教育においては、児童生徒の内心に立ち入った指導ですとか評価がなされるんではないか、こういう懸念が出てきていることも事実でございます。

 その点も踏まえて、今後学校において、我が国や郷土を愛する態度、これを具体的にどのように指導して評価されていくのか、御見解をお聞かせいただければと思います。

銭谷政府参考人 具体的な学校における指導の状況でございますけれども、例えば、小学校三、四年のふるさと学習などにおきましては、ふるさとの歴史とかふるさとの偉人、昔から伝わる行事やお祭り、こういったものを調べたり、あるいは小学校六年生の社会科の歴史では、国家、社会の発展に大きな働きをした先人とか偉人とか、あるいは文化遺産、あるいは国際社会で活躍する日本人の業績、こういったようなものを調べて理解を深める、そういうことを通じまして我が国の歴史などに対する理解と愛情をはぐくみ、さらに国家、社会の進展に努力していこうとする態度を育てる、そういった指導が行われているところでございます。

 なお、評価につきましては、そういう活動を通じて、子供たちが国を愛する心情を持っているかどうか、それを内心にわたって評価するということではなくて、文字どおり、あくまでも我が国の歴史やその中での先人、偉人の業績といった具体的な学習内容について進んで調べたり、学んだことを生活に生かそうとしたりする、そういう姿勢、意欲、関心といったようなところを総合的に評価するということになるわけでございます。

糸川委員 そのようにおっしゃられましても、実際には不安に感じられる方もいらっしゃるわけですから、ぜひそういう不安を取り除いていただくということも、これは文部科学省としての責任ではないのかなというふうに思いますので。

 次に、第三条について御質問をさせていただきたいと思いますが、現行の教育基本法が制定された当時と比較いたしますと、日本人の平均寿命というものは大幅に延びておるわけでございます。このような現代におきましては、生涯を通じて社会の中で生き生きと自分を生かす、こういうことができるような社会、例えば、学校でうまく勉強できなかった学生も、別の仕事で自分を試してみたいと思っている勤労者も、再び社会で働きたいと思っていらっしゃる主婦の方も、それから定年後の新しい人生を模索されている高齢者の方も、決して遅くないんだ、やる気があれば学んで、それで力をつけて再チャレンジするんだ、このような社会を実現させるべきではないかなというふうに思います。

 今回の教育基本法の第三条では、生涯学習の理念について規定されておるわけでございます。そこで、大臣にこれをぜひお答えいただきたいんですが、私は、明るく楽しく学んで、元気に社会の中で自己実現を図っていく、こういうことが生涯学習だ、こういうふうに考えておるわけでございます。本法案における生涯学習の理念というものは実際何なのか、また、新たに第三条を規定した趣旨について、これに対して文部科学大臣のお答えをいただきたいなというふうに思います。

小坂国務大臣 第三条に生涯学習の規定を設けたのは、まさに委員が今御指摘になりましたように、一人一人が豊かな人生を送っていただきたい。

 高齢化社会の中で、人生の時間というものも昔に比べれば大きく延びてまいりました。そういう中で、改めて学び直したい、そして、より豊かな人生を送るためにさらなる知識を求めたい、こういう方々もふえてまいりました。そういった意味で、だれもが生涯にわたってあらゆる機会にあらゆる場所で学習ができる、そしてその成果を適切に生かすことができる社会の実現を図っていきたい、そういう理念を持って、生涯学習の理念を基本法の第三条に規定したところでございます。

糸川委員 ありがとうございました。これで質問を終わります。

    ―――――――――――――

森山委員長 この際、改めて参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。

 先ほど、両案審査のため、来る三十日火曜日午前九時、参考人の出席を求めることといたしましたが、諸般の事情により、午後一時から出席を求め、意見を聴取することとし、その人選等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

森山委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

 次回は、来る三十日火曜日午後一時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後五時四分散会


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