衆議院

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第9号 平成18年6月5日(月曜日)

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平成十八年六月五日(月曜日)

    午前十時開議

 出席委員

   委員長 森山 眞弓君

   理事 岩永 峯一君 理事 小渕 優子君

   理事 河村 建夫君 理事 田中 和徳君

   理事 町村 信孝君 理事 大畠 章宏君

   理事 牧  義夫君 理事 池坊 保子君

      井上 信治君    稲田 朋美君

      岩屋  毅君    上野賢一郎君

      臼井日出男君    遠藤 利明君

      小此木八郎君    大前 繁雄君

      海部 俊樹君    木原 誠二君

      北村 誠吾君    小島 敏男君

      小杉  隆君    島村 宜伸君

      下村 博文君    菅原 一秀君

      杉田 元司君   戸井田とおる君

      中山 成彬君    西銘恒三郎君

      鳩山 邦夫君    松浪健四郎君

      松野 博一君    松本  純君

      御法川信英君    森  喜朗君

      やまぎわ大志郎君    矢野 隆司君

      山内 康一君    若宮 健嗣君

      小川 淳也君    鈴木 克昌君

      田嶋  要君    中井  洽君

      西村智奈美君    羽田  孜君

      藤村  修君    松本 大輔君

      森本 哲生君    山口  壯君

      横光 克彦君    吉田  泉君

      笠  浩史君    太田 昭宏君

      斉藤 鉄夫君    石井 郁子君

      保坂 展人君    糸川 正晃君

      保利 耕輔君

    …………………………………

   議員           笠  浩史君

   議員           藤村  修君

   議員           高井 美穂君

   文部科学大臣       小坂 憲次君

   国務大臣

   (内閣官房長官)     安倍 晋三君

   国務大臣

   (少子化・男女共同参画担当)           猪口 邦子君

   文部科学副大臣      馳   浩君

   外務大臣政務官      伊藤信太郎君

   政府参考人

   (外務省大臣官房審議官) 佐渡島志郎君

   政府参考人

   (文部科学省生涯学習政策局長)          田中壮一郎君

   政府参考人

   (文部科学省初等中等教育局長)          銭谷 眞美君

   政府参考人

   (文部科学省スポーツ・青少年局長)        素川 富司君

   政府参考人

   (厚生労働省雇用均等・児童家庭局長)       北井久美子君

   衆議院調査局教育基本法に関する特別調査室長    清野 裕三君

    ―――――――――――――

委員の異動

六月五日

 辞任         補欠選任

  岩屋  毅君     井上 信治君

  臼井日出男君     山内 康一君

  遠藤 利明君     松本  純君

  小此木八郎君     御法川信英君

  大前 繁雄君     菅原 一秀君

  海部 俊樹君     矢野 隆司君

  戸井田とおる君    木原 誠二君

  西銘恒三郎君     上野賢一郎君

  森  喜朗君     杉田 元司君

  奥村 展三君     森本 哲生君

  山口  壯君     吉田  泉君

同日

 辞任         補欠選任

  井上 信治君     岩屋  毅君

  上野賢一郎君     西銘恒三郎君

  木原 誠二君     戸井田とおる君

  菅原 一秀君     大前 繁雄君

  杉田 元司君     森  喜朗君

  松本  純君     遠藤 利明君

  御法川信英君     小此木八郎君

  矢野 隆司君     海部 俊樹君

  山内 康一君     臼井日出男君

  森本 哲生君     田嶋  要君

  吉田  泉君     山口  壯君

同日

 辞任         補欠選任

  田嶋  要君     小川 淳也君

同日

 辞任         補欠選任

  小川 淳也君     鈴木 克昌君

同日

 辞任         補欠選任

  鈴木 克昌君     奥村 展三君

    ―――――――――――――

六月五日

 教育基本法改正論議の慎重審議を求めることに関する請願(小平忠正君紹介)(第二五八四号)

 同(仲野博子君紹介)(第二五八五号)

 同(荒井聰君紹介)(第二六三四号)

 同(三井辨雄君紹介)(第二六三五号)

 同(鉢呂吉雄君紹介)(第二六六七号)

 教育基本法改悪反対に関する請願(塩川鉄也君紹介)(第二七二七号)

 教育基本法改定反対に関する請願(塩川鉄也君紹介)(第二七二八号)

は本委員会に付託された。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 政府参考人出頭要求に関する件

 教育基本法案(内閣提出第八九号)

 日本国教育基本法案(鳩山由紀夫君外六名提出、衆法第二八号)


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     ――――◇―――――

森山委員長 これより会議を開きます。

 内閣提出、教育基本法案及び鳩山由紀夫君外六名提出、日本国教育基本法案を一括して議題といたします。

 この際、お諮りいたします。

 両案審査のため、本日、政府参考人として外務省大臣官房審議官佐渡島志郎君、文部科学省生涯学習政策局長田中壮一郎君、初等中等教育局長銭谷眞美君、スポーツ・青少年局長素川富司君、厚生労働省雇用均等・児童家庭局長北井久美子君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

森山委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

森山委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。鳩山邦夫君。

鳩山(邦)委員 おはようございます。

 答弁は何百時間かいたしたことがありますが、質問は十年ぶりで、質問は下手くそでございますから、お許しをいただきたいと思います。

 まず、民主党さんにお尋ねをしますが、私がこの国会の中で最も尊敬する政治家の一人は、西岡武夫先生でございます。文部大臣として大先輩、西岡文部大臣のころに私は自民党の文教部会長だったかな、あるいは、わずか六、七名で改革の会という会派を組んだとき、西岡代表のもとで私が代表幹事をやったとか、いろいろな経験がございます。したがって、私自身は、西岡武夫先生の西岡イズムと言ってもいいような教育論にいつも感銘を受けておったわけでございます。

 民主党さんの日本国教育基本法案を見ると、やはり随所に西岡イズムがちりばめられておりますから、読んでいて、ああ、これいいな、これいいなという部分は、多分この西岡イズムなんだろうと思うわけであります。

 そこでお伺いしますが、第七条三、「国は、普通教育の機会を保障し、その最終的な責任を有する。」と。最終的な責任を有するのは普通教育と義務教育だけですか。

笠議員 おはようございます。

 今、鳩山委員の方から西岡イズムというお話がありましたけれども、委員がおっしゃっている西岡イズム、どの部分がこの日本国教育基本法案の中にちりばめられているかは、きょうは西岡議員も後ろに傍聴されておりますので、また後ほど詰めていただければと思います。

 この第七条の部分、今御指摘がございました、普通教育、義務教育に国の最終的な責任が限定されるのかというようなお話については、もちろん教育全般にわたって国の責務というのはあると思いますけれども、特に今回この法案に明確にさせていただきましたのは、普通教育の機会を保障し、そして、その水準を確保するということについては国が最終的な責任をきちんと有するということを明記させていただいております。

鳩山(邦)委員 西岡イズムと私が申し上げますものは、教育というものはすべて国が最終的な責任を負うべきであるという考え方でございます。

 とりわけ、義務教育のようなものは国が責任を持ってとり行うべきであって、教育行政は地方分権型でもいいが、教育そのものについては国が責任を持つべきであるから、したがって、義務教育諸学校の教職員は全員フランス型、国家公務員であるべしというのが西岡先生の基本的なお考え方で、私は、昨年もその話を聞いて、日本もかくあるべしと思っているんですが、実際にはかなり逆の方向へ行っている。皆さんの十八条の教育行政というのは、全く西岡イズムと逆の方向を示していると思うんですね。

 地方分権ということは西岡先生も否定はされていない。しかし、義務教育諸学校は全員国家公務員でいけという西岡イズムはどこへ行ったんでしょうか。

笠議員 日本国教育基本法案の中では、義務教育についてのお金の部分、財政については、私どもも、十九条の二項でもしっかりと教育の振興に関する部分に明記したように、やはり責任を持っていかなければならないと思っております。

 ただ、すべての教師を国家公務員にするということが西岡イズムかどうかということについては、ちょっと私も承知をしておりませんので、また今後の議論かと思っております。

鳩山(邦)委員 私、次に憲法と教育基本法の関係についてお尋ねいたしますが、教育基本法が、憲法の附属法、従属法とは全く思っておりません。

 大畠筆頭理事がすばらしい資料をこの間御説明いただいて、大畠先生にはいつもアンコウの立派なものをいただいておりますけれども、大畠先生はアンコウだけでなくて憲法の方もお詳しいというか、非常に感銘しました。ただ、結論が全く私とは逆の方向になってしまうのですが、この間、鳥居会長は、戦後のどさくさという表現を使われました。私は、憲法も教育基本法も、残念ながら、そういうどさくさの中でできたために、日本的ないいものが失われていると思います。

 ここに、「日本国憲法」という台本というかシナリオがあります。これは、こういう映画をつくりたいというので「プライド」の伊藤俊也監督が書かれたものでございまして、できるだけ史実に忠実なようにチェックをいたしておりますが、要するに、日本国憲法制定の過程で、これが、イエローペーパー、マッカーサー草案、いかに日本人の考え方が無視されて、押しつけられてアメリカ型憲法ができ上がっていったかということを映画で、ドラマに仕立てたものがこの「日本国憲法」というものでございまして、これは今お金集めをしなければ映画はできませんが、私は、場合によってはこの映画の製作委員長を引き受けるかなというふうに思っているわけでございます。

 そういう中で教育基本法もできたわけですね。ですから、本当は、日本文明の、すばらしい、いいものが全部魂を抜かれるような形で憲法ができ、教育基本法ができた。小坂文部大臣、同意していただけますか。

小坂国務大臣 委員が御指摘なさいましたように、戦後の占領下で日本国憲法が議論をされ、また教育基本法も議論をされ、制定される経緯につきましては、過日の大畠委員の御質問、また、私どもも史料として勉強してきたわけでございますけれども、その経緯について、押しつけであったから日本には合わないものができたかといえば、必ずしもそうではないだろうと思います。また、日本人の精神というのは、憲法の改正及び教育基本法によって何か魂を抜かれるようなことになってしまったかといえば、日本の精神というのはそれほどやわなものではなくて、現行の教育基本法の中でも、人格の完成を目指し、国家、社会の形成者としての真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、こういった記述の中に我々は読み取ってきたわけですね。その失ってはならないものを必死に守ってきたと思うのでございます。

 ですから、そういう意味で、制定の経緯というものが、委員は押しつけられたもの、こういう御認識で提示をされ、多くの方々がそういう思いを持っていらっしゃることも事実であろうと思います。しかしながら、私は、押しつけられたものといって、押しつけられたという気持ちで法律を見ますと守る気がなくなってしまいます。むしろ前向きに、そういった経緯の中でみずからが制定したものという理解のもとに努力をしていくという立場でこの法律を読んでいるところでございます。

鳩山(邦)委員 残念ながら、私とは大分考えが違うんですね。

 私が申し上げたいことは、不易と流行という言葉はもう釈迦に説法でありましょう。その不易な部分で、変えてはいけない価値あるもの、それは、愛国心だったり、社会に参画することであったり、公共の精神であったり、道徳であったり、あるいは家族、この間、兄もそう言っていましたけれども、まさにこの日本の家族制度とか、いわゆるゲゼルシャフトかゲマインシャフトかといえば、利益共同体でない、精神の結びつきのゲマインシャフト的な日本のあり方をGHQは粉砕したかった。それは、不易の部分ではないか。その不易の部分を抜かれて憲法もでき、教育基本法もできているのではないか。

 したがって、流行の部分はあるでしょう。それは、幼児教育の問題とかあるいは私立学校の問題等の規定が今度新たに入るのはわかるんですが、この間、土屋正忠委員が質問のときに、今度新しく入ったものをばあっと羅列した。その中に、流行のものはいいけれども、不易、本来入っていなくちゃいけないものが抜け落ちておったと。そういう認識を小坂大臣はお持ちにならないんですか。

小坂国務大臣 文部大臣の先輩に私ごときが意見を申し上げるつもりもございません。先輩としての御見識は拳々服膺したいと思っておりますが、私は、現行の教育基本法の中でも、あえて記述しなくとも、日本人は一つの精神文化としてこれを受け継いでいくだろうと思ったがゆえに記述をしなかったという部分もあると思っているからなのでございます。

 それが、今日の社会情勢の変化の中で、そのような認識では済まなくなったのではないか、ここで新たに記述する必要があるのではないかということから記述を加えたというのが、今回の改正の中で盛り込んだ部分がそういった部分になってくる。それに加えて、新たな社会情勢の中で新たに生じた問題として記述した理念、これが、現行と今回の改正案の中での違いに相当する部分の一つの理由であろうと思っております。

鳩山(邦)委員 今の大臣の御答弁は、大変頭のいい文部科学大臣ですから非常にお上手な答弁ですが、この提案理由の説明が流行の部分しか書いていないんですよ。不易のものが抜け落ちておったから、これで魂を入れ直そうという部分が抜け落ちているものですから、この提案理由説明を書いた役人がいたら、ぶん殴ってやりたいと私は思ったんです、本当に。

 そういう気持ちの人間も多数いるということを、猪口大臣、いかがですか。

猪口国務大臣 私は、戦後、GHQの方々は、日本社会が強い精神性とそして高い文化性を持っているという認識を持ったと思います。そして、さらに付加しなければならないことについて明記するという考えで恐らくいろいろなことを進めたのではないかと思います。それで、まさに戦後、我が国は、日本的なるものを決して失ってはいない社会としてここまで来たのではないかと考えておりますが、この段階において特別に明記しなければならないことが生じてきているということは、文科大臣の答弁どおりであります。

 そして、家族のことについて先生御指摘されましたけれども、まさに十条において家庭教育を政府提出の法案で書いておりまして、「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、」云々というところは、明らかに明確なものでありますが、あえてこの段階で書く必要があるというふうな、このような判断がたくさんあると思います。

鳩山(邦)委員 やはり、多少私とは違うんですね。私は、不易のものが抜けていたことが、今日の漂流する日本、そういうふうに見えて仕方がない。

 そのことをもう早々見抜いている人がいるんですね。それは鳩山一郎という人でございまして、昭和三十一年の二月に、現行の教育制度は占領下という特異な情勢のもとに行われ、我が国の実情に即しない点もありますので、教育制度の改正が慎重を期すべきことは当然ですが、次代の国民の育成に重要な影響を与えるものでありますから、できるだけ早く改正したいと思いまして、憲法改正を待たずに提出したわけでございますと。つまり、祖父も、今と同じ、憲法を改正したい、教育基本法を変えたいと、臨時教育制度審議会設置法案でそのように述べているわけですね。

 それで、清瀬一郎文部大臣は、第一の方向は教育目的に関する反省だ。例えば国家に対する忠誠というものがどこにもない。いかに民主国といえども、国をつくっている以上、国に対する忠誠心は鼓吹すべきものであろうと思います。日本人は日本人としての伝統がある。この伝統を交えた日本の理想を描いて、それに近づくように国も進め、個人も進む、これが道徳なんですと。

 つまり、昭和三十年、教育基本法ができてまだわずか八年というようなとき、あるいは九年でしょうか、そのころに、この教育基本法には、日本の最もいい、不易な部分が抜け落ちておるぞ、こういうことを言っておったわけです。

 ただ、そこから民主党さんとは意見が違うのです。それには緊急性がある、早く魂をまた入れ直さなくちゃいけないので、憲法改正を待たずに教育基本法を改正しようと鳩山一郎は言ったということを、御党の幹事長によく教えておいてください。

 そういうことですが、例えば、金美齢さんが数日前に講演したのが新聞に出ておりますが、「日本人がしなくてはいけないことは、日本の伝統的価値や文化を基本に据えることだ」「約束を守る、和を尊ぶといった日本の美徳や倫理が、戦後六十年でどんどんおろそかにされている」「「国際」を無防備に受け入れるなかで、伝統がどんどん崩壊している。それは国際社会で勝負するもっとも大切なカードを失うことだ」、こういうふうに言っているわけでございます。

 ここに、昭和三十年一月一日の朝日新聞がございます。ここで再び登場するのが鳩山一郎という人でございまして、ここで何と言っているかというと、鳩山一郎は、総理大臣として、長期にわたる占領政治によって、我ら同胞は、とかく長いものに巻かれろ、権力には盲従せよとの観念に支配されて虚脱に陥り、民族の自主性を喪失したのではないかと思われる節が少なくないのであります。これを全面的に是正して、真に大国民たるの自信を取り戻すこと。国情に合わぬ占領政策を勇敢に修正を加える。人心を新たにして、同胞の向かうべき方向を決定したい。これが昭和三十年の文章でございます。

 私は、憲法と教育基本法の密接な関係はわかるし、これを議論するならば、ぜひそういう方向で、いいものを持ってきた日本、私は戦争責任というのはあると思いますよ。それで、その戦争責任、当時のリーダーたちは、多くの同胞を死に至らしめたという、もちろん他国民も含めて、そういう戦争責任はあると思うが、同時に、こんなすばらしい国が、無理な戦をして負けることによって、巧みに巧みに民主化という美名のもとで魂を抜かれ続けて、経済的には発展したけれども、経済成長の量に対して幸福の量が正比例関係にない、何か漂流するような、アイデンティティーを失うような今の日本というものをつくってしまった、そういう責任を戦争を引き起こした人たちには感じてもらいたいというような思いがあります。

 そこで、ここに資料をお持ちしたのは、これは、日文研、国際日本文化研究センター、梅原猛先生的、安田喜憲教授的な考え方を私なりにまとめたものでございまして、世界文明というのは、これは、ギュンツ、ミンデル、リス、ウルムという四回の氷河期が終わって、終わったのは一万四千五百年前です。五百年の間に植物は今のような状況に一気に遷移するわけですが、そこで既に、稲作あるいは牧畜、麦作の原型というのはできていくんです。五千年前、六千年前に生じたんじゃない。もう後氷期になってすぐに文明の二つの源流ができるんですね。

 「森の民」と「家畜の民」と書きましたが、これは植物文明、動物文明という比較でもいいんですが、要するに、稲作をやって森の中で暮らす、これが自然と共生する。永劫の再生と循環という思想の中で、太陽は、夜になると死ぬけれども、また朝よみがえるというような考え方、冬から春へ来るときも同じでございましょう。こういう森の中でいろいろなものを収穫する、あるいは稲をつくる。彼らは、土地を拡大する必要が全くありませんから、自然と共生して、同じ領地というか同じ土地の中で幸せに暮らすことができる。

 ここに書いてあるように、縄文文明は武器をつくることさえ知らなかった。あるいは中国の長江文明も武器すらつくる必要がなかった。しかも、病気がなかったわけですね。動物を無理に飼育しませんから、病気がない。はしかというのは、あれは犬の病気です、これを人間の世界に取り入れている。ハンセン氏病は水牛です。結核、ジフテリア、天然痘は牛です。インフルエンザは豚と鶏から人間はうつるわけです。縄文時代や、あるいは同じ自然と共生する民が住んでいたアメリカ大陸、インディアン、インディオは一切そういう病気はなかったわけですね。まことに平和だ。宗教的に言えば、仏教の山川草木悉皆成仏という考え方。神道、ありとあらゆるものに神を見る。要するに、自然界のすべてに対する畏怖ですね、道教が同様で。

 この間、小坂文部大臣はすばらしい答弁をされた。我々はこの大自然の中で生かさせてもらっていると。まさにその考え方がこの上の文明で、下の文明は、実は今日の科学技術文明を生んだのはこういう文明で、私は宗教に対して極めて寛容の態度を持っているわけですが、これは、別に宗教を批判しているわけでも、なじっているわけでもありません。ただ、一神教的ですと、どうしても、人間、愛を中心に訴え、人間のためには他を奪ってもいいというような。したがって、「敵を作る文明 和をなす文明」という本も出版されて、その出版された直後にあのイラク戦争が始まったときに、ああ、なるほど、自然と共生しない文明同士が戦争を始めたなという印象を私が持ったのは事実です。

 一番重要なことは、四大文明は、全部下の方の、自然を破壊する人間中心の文明なんです。長江文明というのは上なんです。自然と共生する文明。それを、夏王朝以来の、尭、舜、禹以来のいわゆる黄河文明は徹底的に自然を破壊したから黄砂が飛んでくるわけですが、彼らが南下して長江文明を破壊した。そのボートピープルが、鹿児島県のニニギノミコトが漂着した笠沙の浦にやってきた、こういうことになるわけでありましょうが、日本には、縄文時代以来、自然と共生する立派な文明があった。

 この文明原理はずっと根本において続いてきていますから、我が国の森林被覆率が六割を優に超すというのは、こういう日本のすばらしい文明のおかげであり、いろいろな方が日本人の美徳と言われるものは、やはり文明の質なんだと思うんですね。

 台湾人の蔡焜燦さんが、「台湾人と日本精神(リップンチェンシン)」という本を書かれた。それは、日本に統治された五十年はあったけれども、その後の白色テロ、国民党の五十数年よりはよかったということも書いてあって、日本人のいい点がいっぱいあったのに、今、日本に来るとみんな失われているじゃないかということを、金美齢さんと同様に言っておられる。

 この森の民由来の先進国というのは、実は日本だけなんですね。例えば、自然と共生するケルト人の古ヨーロッパ文明というのがあった。ゲルマン民族に追われてイギリスへ、イギリスを追われてアイルランドへ。そのケルト人の歌がエンヤさんのつくる歌であり、C・W・ニコルさんが日本でアファンの森づくりをやっているのではないか。

 私は、そういうすぐれた文明の担い手だった日本、そのことを理解させることがあって初めて、国を愛する心や態度が生まれるのではないか。それをとにかくこれからの教育では教えていただきたい。それが日本人の誇りになり、アイデンティティーになると思うのです。誇りもアイデンティティーもなかったら愛国心は生まれてこない、こう思うんですが、文部科学大臣、私の説明に合った答弁をしてください。

小坂国務大臣 鳩山委員の大変説得力ある文明論をお聞きいたしまして、なるほどと思うことが多々ございます。また、そういう御説明の中で今日の日本の失われた美徳というものを振り返ったときに、なるほど、おっしゃるような森の民、植物文明の中で築かれた、共生の、また協働の社会、ともに働く、協調して働く、そういう社会。言ってみれば、結いの精神で培われてきたような、日本の農耕文化の中で培われてきたものが今日失われてきたという反省に立てば、まさに御説のとおりである、こう申し上げても間違いないことだと思います。

鳩山(邦)委員 打って変わって、最後に一つだけ、障害児の教育の話をいたします。

 今度の教育基本法に、これは第四条の二項でしょうか、「国及び地方公共団体は、障害のある者が、その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならない。」とあります。この解釈についてお尋ねをしたい。

 私は、インクルーシブ教育あるいは統合教育、インテグレーションと呼ばれるような、要するに、障害の有無にかかわらず、まず一緒に生活をする、教育を受けるということが必要であろうと思っております。ところが、実際には就学前の振り分けというのをやる、親や本人の希望ではなくて、あなたはこうだからと。私は、就学前の振り分けはやめて、原則全部一緒に、今では特別支援教育というのがあるんでしょうが、そちらの学校というのは、全部普通の学校に受け入れるという姿勢を見せて、その中で、いろいろな状況に応じて、親や本人の状況や希望を聞いて、特別支援教室あるいは特別支援諸学校へ移すという方向にしたいと思うんですね。それは、障害者基本法の方にはそういうようなことがはっきり書いてあるので、この教育基本法、若干ニュアンスが違い過ぎる。

 したがって、障害のある者が、障害の状況はあなたはこうである、だからこっちへ行け、あっちへ行けという押しつけにこの条文が使われたらたまらないと思いますので、原則は障害児も一緒に教育をする、どうしてもできない人は、いろいろな親の希望を聞いて別にあれするというふうに大臣も考えているということをおっしゃってください。

小坂国務大臣 改正法の第四条第二項は、これまでの取り組みを踏まえまして、障害のある児童一人一人の多様なニーズに応じた教育上の支援について、小中学校の通常の学級での対応を含めまして、一層充実することを目指したものでございます。また、現在国会に提出しております学校教育法等の一部を改正する法律案におきましても、小中学校を含むすべての学校段階で特別支援教育を推進することを明確に規定するということになったわけでございます。

 その中で、そういった条件を踏まえた上で、共生社会の実現のための教育に課せられた役割には極めて大きいものがあると認識をいたしておりまして、特に児童生徒の就学先の決定については、保護者等の意見をこれまで以上に十分に聞くようにしていく方向で積極的に検討をしてまいる所存でございますし、また、障害のある子供とない子供の交流及び共同学習ということに一層の推進を図ってまいる所存でございますので、何とぞ御理解のほどお願いを申し上げます。

鳩山(邦)委員 いや、実際には、普通の学級に行きたかったのに行けなかったというお子さん方と、私は何度も何度もお会いをしているんです。そうすると、今の小坂大臣のおっしゃったような形ではなくて、希望を言ってもだめという感じで就学前の振り分けをやる。だから、原則、就学前の振り分けはやらないという方がいいと思うんですが、猪口大臣、いかがでしょうか。

猪口国務大臣 この政府提案で述べている四条二項のところは、文科大臣がお伝えしたように解釈されているものと思います。

 つまり、まず保護者の意見は徹底的に重視する、そして交流及び共同学習の方向性を、これは国連で議論されているインクルージョンの思想を取り入れ、そのように実質的な運営をしていくという考え方であると考えております。

鳩山(邦)委員 では、今の言葉を信じて、私の質問を終わります。

 ありがとうございました。

森山委員長 次に、若宮健嗣君。

若宮委員 おはようございます。

 私、昨年の九月に当選をさせていただきまして、大変貴重な、大きな節目のときにこの重要な委員会に稲田さんとともに入れていただきましたこと、本当に重く受けとめております。また、町村大臣も一番最初の御質問でおっしゃっておられましたが、歴代文部大臣が本当に多く、そしてまた、教育行政にも非常に深い御見識をお持ちの方々ばかりのこの委員の皆様方の中できょうこうして質問をさせていただく機会をお与えいただきましたことに、心から感謝を申し上げます。

 もう皆様方は、与野党の議員の皆様方、あるいは先日お見えくださいました参考人の皆様方、いろいろな場面で既にいろいろな多くの時間を、いろいろな議論を重ねてきておられるところであると思います。きょうこちらにいらっしゃいます議員の皆様方、そしてそれ以外の皆様方、そしてこれを聞いておられる傍聴席の皆様方、すべての方々がきっと同じ思いを持っておられるのは、私はこうではないかと思います。

 今育っている子供たちの目が、これは、人間だれしも、目は心の窓、あるいは目は口ほどに物を言うというふうに申しますが、目が生き生きとして眼が輝いているかどうかというのが、子供が本当に楽しく、明るく伸び伸びと生活をできているかどうかという大きな一つの尺度になるんではないかと思います。大人が、何をこうしてああしてと、確かに仕組みも大事だと思いますが、何よりも、当事者である子供たち、そしてその子供たちは、二十年後、三十年後には大人になり、また今度自分の子供たちに、果たして人間としてどうあるべきかを教えるのか、あるいは親としてどうあるべきかを語るのか、それが、今この教育基本法の委員会で議論されている初めの第一歩ではないかというふうに私は考えております。

 その中で、幾つかの点について本日は質問を申し上げます。

 まず、この三条の生涯学習について幾つか申し上げさせていただきたいと思っております。

 実は、私自身も二人の子供の父親でございます。高校一年生と小学校六年生と、まさにまだまだ育ち盛りの、いろいろ手のかかる、やっかいな年代の子供を抱えております。個人的なことで恐縮でございますが、娘は森山委員長のお嬢様に御指導を賜りました。ありがとうございます。それは余談でございますが、私は、これは、人と人、一人一人の個人個人も、それから、例えば政党であってもあるいはグループであっても、集団と集団、そして、大きくいえば国と国もこれは同じなんではないかなと。

 一つには、世界じゅうはやはり人間同士が結びつき、ともに共生して生きていかなければ生きていけないわけでございますが、まずはおのれを知るということが大事なんではないかな。自分を知る、これは、日本の場合ですと、日本人というのは一体何であろうかな、日本の国というのは何であろうかな。皆様方、大先輩方が多くの議論あるいは多くの御意見を述べておられますので私ごときが申し上げるまでもございませんが、まずは自分を知ることではないかな。そして、それをきちっと相手にお伝えして理解をしていただくことがその次ではないかな。また、相手のことを今度逆によく知り、相手のことを理解してあげる、これもまた大事なことではないのかな、このように思っております。これは、一人一人の個人も、それから集団同士も、そして国と国とも相通ずるものではないかなと考えております。

 そう考えましたときに、この生涯学習というテーマにつきまして、これは、一つの例で一企業のお名前を挙げるのはいかがなものかとは思うのでございますが、創業者の方はお亡くなりになっておりますので申し上げますと、松下幸之助翁の人づくり、御自分の会社は、私どもの会社は人をつくる会社である、あわせて電気製品をつくっておる、こうおっしゃっておられたのがはるか昔のことでございます。私はすばらしい言葉だと思っております。そして、そのもとにつくられた政経塾、これはまた、まさに社会人としてひとつ学校を出た後に、皆様方、志を持つ方が多く学ばれたところだと思います。自民党の議員の中にも卒業なさった方はたくさんいらっしゃいます。そしてまた、民主党の中にもたくさんいらっしゃるかと思いますが、これは非常に大きないい例ではあると思うんです。

 今、政府案でございます第三条の生涯学習の理念なんでございますが、国民一人一人が、自己を磨き、豊かな人生を云々というところでございます。この理念が明確に位置づけられたことというのは非常に大事なことで、高く評価ができるんではないかなというふうに思っておりますが、今回は、今後長い先を考えた上でどのような思いを込められてこの項目をお入れになられたのか、また、先ほどの例ではございませんが、この生涯学習というものに対しては、具体的にはどういった形で振興し、それをまた進めていかれようとしておられるのか、あるいは、もし何か問題点が既にはっきりとされておられますところがございますれば、お聞かせをいただければと思っております。

小坂国務大臣 若宮委員に今述べていただきましたように、やはり私どもは、人格の完成を目指すという、この教育基本法で述べられたように、日々努力をすること、そして、人は学ぶことによって死しても朽ちずというのは、これは佐藤一斎の言葉でもありますが、私ども、最近生活を見ますと、まさに長寿社会になったな。八十歳でも元気で活躍されている皆さんがいらっしゃる。私の近くには、九十六歳でもまだ福祉活動に現役で活動している方もいらっしゃいます。そういう社会を見るときに、人生五十年時代とはえらい違いでございます。

 そういう中で、自由時間もふえてまいりましたから、そういった高齢化社会、自由時間の増大した中で自分の人生をいかに有意義に生きがいあるものとするか、そういうことを考えたときに、我々は、常に自己研さんに努め、また、新たな知識を学ぶことによって自分の人生をより豊かに生きることができるだろう、また同時に、今日の科学の発展、そして社会の制度の変革、こういったものに順応していくためには、常に新たな考え方や制度、そして科学の進歩にその知識を取り入れる努力も必要であろうと思うわけでございます。

 このような観点から、この第三条におきましては、学校教育、社会教育等を通じて、だれもが生涯にわたって、あらゆる機会にあらゆる場所において学習でき、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られるべきであるというこの生涯学習の理念を、教育に関する基本的な理念として規定したものでございまして、この規定を入れることによって、学校教育、社会教育それぞれの場所において具体の施策がより有効に実施をされることになる、このように期待をするところでございます。

若宮委員 ありがとうございました。

 それでは、民主党の御提案をなさられた方に同じくお伺いさせていただきます。

 御党の十二条の部分でやはりこの生涯学習についてお考えが述べられておるところでございますが、私がちょっと拝見いたしますと、生涯学習と社会教育というこの言葉の差異といいますか、このあたりがちょっと不明朗になっているやにお見受けをするんでございます。また、今、小坂大臣からもお話しございましたが、この生涯学習の理念といったものについての言及がお見受けができないような形になっているかと思うんですが、このあたりは盛り込まなかったのか、あるいは何かしらお考えがあるのか、そのあたりをお聞かせいただければと思います。

藤村議員 若宮委員におかれましては、御質問いただきましてありがとうございます。

 人間は、生まれながらにしてというか、あるいは生まれ出る後に死ぬまで一生涯学ぶということは、もうまさにそれが生涯学習であろうと思います。ただし、御承知のように、生涯学習という言葉自体は割に新しいわけで、日本の法制度の中では、多分、平成二年に生涯学習の振興に関する法律ができた。一九九〇年でございます。ある意味では、この現行教育基本法ができた当時にはまだその生涯学習という概念はなかったんですね。

 政府案が現行法を改正するという観点からすると、その後に出てきた新しいこの生涯学習、これは大切ですから、生涯学習の理念を入れられたんですが、我々、新しく新法で出しましたものですから、まさにこの法律自体が生涯学習の基本的理念を第二条で書き込みをさせていただいておりまして、「何人も、生涯にわたって、学問の自由と教育の目的の尊重のもとに、健康で文化的な生活を営むための学びを十分に奨励され、支援され、及び保障され、その内容を選択し、及び決定する権利を有する。」こういうふうに、後ほど出てきた新しい概念をむしろ我々はこの法の中心に置いて新しく立法をさせていただいた。

 生涯学習は、学習者の自発的意思に基づくこと、あるいは学習者個人のニーズに応じて生涯を通じて行うこと、そして、スポーツ、文化、趣味、レクリエーション活動などにおいても行われるという基本的な視点が挙げられておりますし、社会教育というのは、昭和二十四年に社会教育法ができまして、日本の国及び地方公共団体が行う教育の、学校教育と社会教育というまさに車の両輪でありまして、それで進んできたんですが、その後に生涯学習という概念が出たわけで、生涯学習というのは、学校教育の部分も含むし社会教育の部分も含むし、そして生涯学んでいこうというものでございますので、我々は、新法だから、一番初めの二条でこの概念をまさにきちっと書き込んだということでございます。

若宮委員 ありがとうございました。

 それでは、次の項目に移らせていただければと思っております。

 実は、私は議員になる前に、都内の子供の小学校のPTAの会長や相談役あるいは学校評議員等々を仰せつかって、させていただいておりました。そういった観点からも、現実的な現場の声も含めた形での質問等々をさせていただければと思っております。

 続きまして、家庭教育について、これは政府案での第十条になるかと思います。いろいろな委員の皆様方から、いろいろな外的要因のせいにして今回変えるのはいかがなものかなんというお話し向きもございましたが、外的要因だけでなくて、やはりこの日本の国内が、当初、先ほど来お話しになります、制定された時期からいたしますと、産業でいえば、一次産業から二次産業、二次産業から三次産業へとこの比率が移っていった事実もございます。また、高度成長期に地方から都市部に人口が集中したがために家が足りなくなり、それを何とかするために団地を通勤圏にたくさんつくった。このつくった団地の住まい方が、それまでの住環境あるいは生活環境というのが大幅に変わる大きな原因になったんではないかなというふうにも考えております。

 昔ならば、例えばですが、御商売をなさっておられる方あるいは工場を経営されていらっしゃる方でしたら、下でお仕事をなさって、二階とかちょっと近くでお住みになっておられて、職住が非常に接近しておられた。あるいは農家の方でいえば、隣の田んぼがちょっと稲刈りがおくれているから、悪いけれども手伝ってくれないかと言えば、みんなで精を出して手伝いに行こうという助け合いの精神があって、いろいろなところでやはりコミュニティーとして生まれていたのではないかなと。

 家庭もまさにそうだと思うんです。接触の時間が非常に多かったと思うんですが、これが、仕事場へ通うというこの通勤地獄という言葉にもあらわれているんですが、いろいろな形での生活の変化が家庭にも大きな影響を及ぼしていて、いわゆるこの家庭教育ということに対して、非常に弱いあるいは低下してしまっているのが現状になっているんではないかなというふうに感じております。

 今回の改正でこの家庭教育というのをしっかり位置づけをする必要があるかと思っておりますが、この政府案の中では、家庭教育というものを適切に位置づけておられることに対しては非常に高い評価をやはりこれもいただけるものではないかなというふうに思っております。

 経済情勢や社会情勢の変化だけじゃなくて、少子化ですとか核家族化ですとか、いろいろな家庭のあり方そのものの変化が大きな影響を及ぼしているとは思うんですが、このあたりを踏まえて、家庭教育というものについて、国の支援のあり方や、これからこの基本法の後の施策のあり方も含めて何か実のある方策をお考えのところがあれば、お聞かせをいただければと思っております。

小坂国務大臣 委員御指摘のように団地社会というのは、委員がおっしゃっていて私はその感を強めたんでございますが、地域には道路があって、その道路はすべての道路がつながっておりますので、毎日そこを歩いていれば、人のうちの前を通過したりすることが必ずある。ところが、団地の生活というのは、上層階の方へ行くとか違う階段の階へ行くということはめったにないんですね。毎日のように通っていたそれぞれの地域の連帯というものが、顔を合わせなくなってしまう。そういうことから核家族化社会をさらに加速させるといいますか、地域の地縁というものを断ち切るような、地縁を形成しにくい環境をつくってしまったということが、まさに委員が都市化とも言われた、そういった中の一つの要因であると思いますし、また、少子化は地域の子供社会を破壊してしまいました。子供社会における長幼の序もあり、また助け合いもあり、また、遊びの中で学ぶ共同の社会という社会性というものも培うことがやりにくくなってきたという環境があったと思います。

 そういった地縁的なつながりの希薄化等によりまして、家庭の教育力というものもまた低下をしてきた。これは、保護者が社会全体で支えられるという仕組みからだんだん外れてきたということにもなるんだと思うのですね。保護者が社会の中にいれば、近所の人に自分の子供を見守ってもらい、また、そこのアドバイスによってさらに親としてのアドバイスを子供にすることもできる、また、一緒になって、地域と一体となって教育をすることができる、そういった環境が次第に希薄化してきた。

 これらのことから今回は、教育基本法の中においてこの規定を設けさせていただいたわけでございます。そして、家庭教育はすべての教育の出発点であり、基本的な倫理観や社会的なマナー、自制心や自律心などを育成する上で極めて重要な役割を果たすものであるという認識を示し、そして、家庭教育を推進するために具体的な施策として何をしているかというお問い合わせでございましたが、現在、私どもは、家庭教育手帳の配付、また子育て講座の開設、これは、妊娠期や就学時の健診等多くの親御さんが参加されるような機会を活用した講座の開設でございますが、そういった支援、また、ITを活用した、携帯電話等による子育て相談のモデル事業の実施等々を行っているわけでございますし、また、地域の住民の皆さんの協力を得て、学校の余裕教室や校庭等の場所を通じて放課後の子供さんたちの居場所をつくり、そこにボランティアの皆さんのお力をかりて体験活動や地域住民との交流活動を実施するなど、地域子ども教室の推進事業も実施しているところでございます。

 また、子供たちの基本的な生活習慣の確立のために、学校、家庭、地域、企業が連帯をした「早寝早起き朝ごはん」運動など、こういった生活のリズムを向上させるための施策、保護者や地域住民が学校運営に参加するいわゆる学校運営協議会、コミュニティ・スクールと呼ぶ方も多いわけですが、この創設をしたわけでございます。

 地域全体で子供の安全を見守る環境を整備するための学校安全ボランティアの養成、研修やスクールガードリーダーによる各学校の巡回指導等、地域ぐるみの学校安全体制の整備推進事業等々を通じまして、地域の教育力の再生そしてまた家庭教育の支援というものを行っているところでございます。

若宮委員 ありがとうございました。

 ちょうど私も、先ほどちょっと申し上げましたPTAの方のお仕事をさせていただいているときに、土曜日に、特に子供たち、その親御さんが、どうしてもやはり時間が余ってしまってゲームをやったりテレビを見たりといった時間に多くを割かれてしまうということで、チャレンジタイムという名をつけまして、いろいろなことに興味を持ってもらおうということで、囲碁ですとかパソコン、そしてテニス、英会話、ボランティア、これは、クリスマスに高齢者の福祉施設に子供たちを連れていって演奏をしたり交流を図るということで、日ごろおじいちゃま、おばあちゃまたちとなかなか会う機会のない子供たちとの接触を図ったようなこともございました。

 また、一番大きかったのが、これはごらんになった方もいらっしゃると思うんですが、きのうのNHK特集でもあったんですが、実は子供たちに、田植えと稲刈りを実行いたしました。近郊の田んぼをお借りいたしまして、五月あるいは六月あたりに田植えを、稲を植えました。そして、秋になりまして、十月だか十一月に、本当にかまを持って手作業で稲刈りをいたしました。そのときに子供たちが、東京の子供でございますので、ああ、土のにおいがする、草のにおいがすると叫んで、大声で大きなカマキリを追っかけていたのが、本当にこれが、ああ、自然がなくなっているんだなというのを痛感したような次第でございます。

 つくりましたのはモチ米でございまして、最後にこれを、一月に、みんなでつくったモチ米だからといってもちつき大会をいたしました。そうしますと、全員の子供たちが、自分がつくったお米なものですから、全く残さず、おいしくほおばったような状態でございました。

 これは、ちょっと触れましたきのうのNHKのニュースでもございましたが、高知県の南国市で、ごらんになった方もいらっしゃると思うんですが、小学校のお庭にやはり家庭菜園のような形でカブですとか大根ですとかいろいろなものを植えて、今、いろいろ偏食をしている、あるいは不健康になっている子供たちが非常に多いということでございますが、自分たちがつくった野菜を給食をつくってくださる調理の方にお渡しをしてつくってもらうと、野菜の嫌いな子供でも野菜をみんな食べる。この野菜を食べるというのは、体が健康になるだけではなくて、これだけの時間が食べ物をつくるのにかかるんだなという感謝の気持ちと、それから食べ物を大切にする気持ちというのがあわせて養われ、また、ともに作業をすることで、共同の社会ということの役割分担なり責任感というのも生まれてくるのではないかなというふうに思っております。小坂大臣のお話しになられた部分、さらに具体的な施策としてお進めをいただければと思っております。

 そこで、続きまして、ちょっとお時間も迫ってまいりましたので、次の課題に入らせていただきます。

 幾ら私ども、大臣、委員長を中心に法整備をきちっと皆様方で議論して詰めても、学校教育においては、教え手、子供と一番接触のある先生方、この教員の質の向上というのが非常に大事ではないかなというふうに思っております。

 私自身は、何が本当に正しいのか、そしてどの道を進むべきなのか、どうあるべきかというのを公正な目で見て指導できる人間、人物、これがやはり先生であるべきであり、ある意味でいえば聖職なんではないかな、次の時代をつくる人間をつくるお仕事をしておられるので、大切な役割だなというふうに感じておるところでございます。

 もちろん、先生といいましても、やはり先生の前に人間でもございますので、完璧な人間というのはいないかと思うのでございます。

 先日の松浪先生のお話にもございましたが、教え子が副大臣になられて、まさに教師冥利に尽きるところではないかと思っております。自分の教えた生徒が教育行政に携わり、しかも重責を担っておられる。これは、本当に教えがいのある、教師としては本当にうれしいの一言じゃないかなと思っております。

 今回の改正案で提示された教育を行うために、まずは、先生方が豊かな心と高い人格というのが必要とされてくると思うんですが、この教員の質を確保、向上させるためには具体的にはどのような施策をお考えでありましょうか、お聞かせいただければと思います。

馳副大臣 現在、中教審でも審議をいただいておりまして、七月には報告をいただく予定になっておりますし、文部科学省としても議論を進めておりますけれども、養成の段階、採用の段階、そして現職となっての研修の段階というふうな段階において、よりよい教員の質の向上が図られるようにというふうな観点から、例えば教職大学院を設置して、より専門的な中核となる教職員の人材を採用するべきではないかとか、また、教員免許更新制度ということで、一定の期間免許を与えて、特定の講習等を受けていただいて、その時々で求められる技能を持った教員が、常に不断の勉強、努力をしていただくようにすべきではないかとか、また、当然、採用に当たっても面接を重視したりとか、研修においてもより実践的な研修をしていただくとか、養成の段階においては、教職課程において、より実践的な、現場に即した教職の授業をしていただくべきではないか、こういうことを今検討いただいておるところであります。

 何よりも、実際に、期待される教師がその職責を果たしているのかということを考えれば、教員評価、これは自己評価であったりまた外部評価であったり、こういうものが行われた上でそれが処遇に反映されてもよいのではないか、こういう考え方から検討を進めているところであります。

若宮委員 ありがとうございました。

 それでは、教育行政の方にちょっとお話を移らせていただければと思っております。

 十六条に「国と地方公共団体との適切な役割分担」というのがございますが、現在、私も実際に学校評議員等々に入りますと、校長先生の人事の問題ですとかあるいは一般の教職員の方々の人事の問題で、ここではちょっと申し上げませんが、いろいろな個々具体的なお話、御相談等々も承り、御相談に御一緒に参画したこともございます。

 学校運営ということの仕組み、これはもちろん、小学校、中学校、義務教育も含めてトータルで考えなければいけないと思うんですが、現状での何か問題点、具体的にはここは変えた方がよろしいんじゃないかなというようなお考えがございますでしょうか。あるいは、今度の改正法によって、それがあればこれはどのような形で改善されていかれるというふうにお考えのところはございますでしょうか。お聞かせいただければと思います。

馳副大臣 一つには、分権改革というのがございまして、権限をできるだけ現場におろしていくべきである、こういうような観点から、昨年来議論もされておりますけれども、中核市などの一定の自治体、市区町村に教員の人事権をおろしていくべきではないか、こういった観点を中教審の答申でもいただいておりまして、現在、各都道府県それから指定の教育委員会等にお願いをして、人事権を中核市や一定の自治体におろした場合のいい点、そうではない点、いろいろな問題点を検討いただいて、この六月中にも報告をいただくことになっております。

 それを踏まえてまた制度づくりに取り組んでいきたいと考えておりますし、人事権については、今現在、中核市には研修権はございますけれども人事権がない、となるとどうしても、望ましい教員を養成しても、県が人事権を持っておりますから、あちこちに行ってしまうという不安もあります。逆に小さな町や村にとっては、そうなると、条件のいい中核市や一定の大きな自治体にばかりよい教員がとられるのではないかという不安もございます。こういった点をよく勘案して、ある部分、一定の人事調整機能を持たせた上でやらせた方がよいのではないかという意見もございますから、そういった点を十分聞いた上での制度づくりに取り組んでいくべきと考えています。

若宮委員 どうもありがとうございました。

 ちょっとお時間が来たようでございまして、幾つかまだほかにも民主党の方々にもお伺いをしたいところがあったのでございますが、お時間でございますので。

 やはり、最初にちょっと私申し上げました、これがそれこそ初めの一歩でございます。具体的な施策等々を実行に移していき、本当に実効性が高くなっていって、子供たちの眼がそれこそ輝く目になり、その子供たちが大人になったときに、初めてこのきょうの改正、改革というものがあらわれて効果が評価されてくるところではないかなと思います。先の長い話かと思いますが、一歩目、二歩目、三歩目と前に進んでいければというふうに、微力ではございますが思っておる次第でございます。

 本日はありがとうございました。これで質問を終わらせていただきます。

森山委員長 次に、太田昭宏君。

太田(昭)委員 公明党の太田でございます。

 教育基本法が今回改正ということになって、前文、そして一条の目的、二条の目標という構成になっている。現行法の目的ということと方針ということとなぜそれが変わったのかという、その前文、一条、二条の構成、そして、前文の、三つのパラグラフになっておりますが、これはどういう意味で三つに分けているのかという基本構成についてまずお聞きします。

小坂国務大臣 御指摘の法案の前文の構成でございますが、まず第一文におきまして、日本国民が願う理想として、民主的で文化的な国家の発展と、世界の平和と人類の福祉の向上、これらに対する貢献を掲げまして、第二文におきましては、その理想を実現するために推進すべき教育のあるべき姿をうたっております。最後の第三文におきまして、そのような未来を切り開く教育の基本の確立と振興という、この法律の制定趣旨を宣言しているところでございます。

 具体に申し上げますと、個人の尊厳を重んじるとは、すべての個人が他をもってかえることのできない人間として有する人格を不可侵なものとして尊重することでありまして、憲法の基本的人権の尊重と同じ趣旨に立つものでございます。

 また、公共の精神とは、国や社会の問題を自分自身の問題として考え、そのために積極的に行動するという精神を言うわけでございます。これまで日本人は、国や社会はだれかがつくってくれるものとの意識が強かったわけでありますが、これからは、社会全体のために行動するという公共の精神をたっとぶ人間を教育によってはぐくむ必要がある旨を前文に掲げたものと理解をいたしております。

 また、前文では、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進すべき旨を掲げております。伝統の継承とは、我が国の長い歴史を通じて培われ、受け継がれてきた風俗、習慣、芸術などを大切にし、それらを次代に引き継いでいくということであります。また、新しい文化の創造とは、これまでに培われた伝統や文化を踏まえ、さらに発展させ、時には他の文化も取り入れながら新しい文化を創造することを言っております。

 日本国憲法の精神とは、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義、いわゆる基本原則でございまして、今回の法案においても、「個人の尊厳を重んじ、」これは前文において規定をされ、また、「平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成」を第一条に掲げるなど、憲法の精神を具体化する規定を設けているところでございます。

 このため、今回の改正後も、教育基本法が日本国憲法と密接に関連しているという性格は変わらないものであることから、引き続き「日本国憲法の精神にのっとり、」と規定したものであることを御理解いただきたいと存じます。

太田(昭)委員 この方針という現行法の二条が目標という形になりということ、もしあれだったらお答えください。

 あわせて、中教審が、何項目か理念として盛り込みなさい、こういうことを言っております。私は基本的にすべて盛り込んだというふうに思いますが、中教審の提唱する理念との関係性について述べてください。

田中政府参考人 お答え申し上げます。

 現行の教育基本法におきましては、第一条で教育の目的を、そして、第二条では教育の方針ということで取りまとめておるところでございますが、今回、その教育の目的を達するために必要な事柄、重要な事柄ということで新たに盛り込む理念がかなりございました。したがいまして、第一条におきましては、教育の目指します根本の目的、これを第一条に教育の目的として書かせていただいておるところでございます。そして、この目的を達成するために重要な事柄、これを、第二条の教育の目標ということでまとめさせていただいておるところでございます。

 したがいまして、第一条におきましては、教育の目的の根本的なもの、すなわち、「人格の完成を目指し、」と同時に、「平和で民主的な国家及び社会の形成者として心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない。」ということで、目的を規定いたしておるところでございます。

 第二条には教育の目標ということでございまして、教育の目標につきましては幾つかの事柄を掲げさせていただいておるわけでございますけれども、第一号におきましては、まさに知育、徳育、体育ということで、教育全体につながる内容を書かせていただいておるところでございますし、第二号では、個々人に係る事柄を第二号でまとめておるところでございますし、第三号では、社会との関係、他人との関係ということで必要な事柄をまとめておるところでございます。また第四号では、自然との関係ということでまとめておるところでございますし、第五号では、日本人また国際社会との関係で必要な事柄をまたまとめておるところでございます。

 また、中央教育審議会から、新たにこの教育の目標として盛り込むべき事項が提起されておるわけでございますけれども、これに関しましては、それを踏まえまして、この教育基本法の改正案の中にきちんと盛り込んでいると考えておるところでございます。

太田(昭)委員 その理念の中核をなす、現行法の「個人の尊厳」、そして「日本国憲法の精神に則り」、そして第一条の「人格の完成」、これはいずれも継承された、こういうふうに言っていいんでしょうか。

小坂国務大臣 そのとおりでございます。

太田(昭)委員 そこで、その個人の尊厳の概念です。

 けさの鳩山先生がいらっしゃらないのは残念ですが、常に、憲法論争においても、そしてこの教育基本法においても、個人の尊厳というこの個人という概念、これがなかなか、猪口大臣も御承知のとおり、日本の中に個人の概念というのが定着しない。ヨーロッパから来たということは、そこから言えるんでしょう。憲法十三条の個人の尊厳、これも、いつの間にか個人が私人になっているのではないのかということが一つの論点としてあるわけですね。

 そこで、神、ゴッドの前にある存在としての人間というものが平等であるという、ある意味では、公共性とか公ということを人間学的に言うならば、神というものと人間という形に提示したゆえに、そこから出てきている個人という言葉がなかなか日本の文化あるいは伝統の中には定着しないということがあったということが一つの論点であったと私は思うんです。

 もともと、個人という概念の中には、インディビジュアル、それは普遍性というものを常に含んでいる。あるいはマルクスでさえも、類的存在という人間観に立つ。一人の私人の人間ということで言っているのではありませんが、日本はともすると、戦後、どうしても私人になる。私の権利、私の利益、そうしたことが優先されるから、これを少し直さなくてはいけないというのが一つ教育基本法論争の論点でもあり、そして、そこでの定義づけ、言葉の定義の問題であると思います。

 そこで私は、私人ということになってはならないけれども、混乱した議論がよく行われているけれども、全体に対して個というのがある。全体と個、公ということに対して私がある。個がだめで私になっているからじゃなくて、公と対置した個というものという概念でとらえて、個というものの尊厳を葬り去るということがあってはならないと。公と私、全体と個という四つの言葉の区分をしっかりした上で、その上で、個人の確立というものが極めて大事であるからこそ個人の尊厳というものがあり、その個人という言葉の後ろには、個人という言葉がわかりづらければ、それは人間という言葉に近い表現である。その人間というのは、一人の私人ではなくて、私が本会議の中でも申し上げたように、人と人との間というものの人間関係、社会、いわゆる東洋でいえば、世間というものを含んだ人間観という上に立っての、そうした意味合いでのこれが個人という言葉になっているというふうに私は思います。

 そこで、ここの言っているところの私人と個人ということと、そして人間ということと生命という、この私人とは何か、個人とは何か、人間とは何か、生命とは何かという、今の文脈の中での言葉の定義をおっしゃってください。

田中政府参考人 ただいま、個人、私人、人間ということでございますが、個人につきましては、先生がおっしゃっていただいておりますように、社会や集団を構成いたします一人一人の人間ということで、教育基本法の中では個人の尊厳ということで使わせていただいておるところでございます。

 したがいまして、個人の尊厳というのは、個人が、他をもってかえることができない、まさに人間として生まれたことによって有する人格、これを個人の尊厳というふうに教育基本法に位置づけておるところでございまして、憲法の基本的人権の尊重と同じ意味で使わせていただいておるところでございます。

 そして、人間という言葉につきましては、前文の中で「豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期する」という形で用いておりますけれども、これは、個人の尊厳を基調とした一人一人の人間の育成という意味で人間という言葉を使わせていただいておるところでございます。

 それから、私人につきましては、それぞれの人間個人が持つ一つの側面であろうというふうに考えておるところでございます。

太田(昭)委員 今の言葉で私は了解をします。

 「個人の尊厳を重んじ、」ということでの、他者も含んだ意味でのいわゆる思想的概念としての個人ということを、尊厳を重んじた上で、より幅広く、人と人との間というようなものも含んだ、公共という言葉を受けた形で「人間性」とか「人間の育成を期する」というふうに書いたんだという意味合いでよろしいですか。

小坂国務大臣 今、局長が答弁させていただいたとおりでございます。また、委員が重ねておっしゃったとおり、個人は、公人に対する概念である私人とは異なっておりまして、いわゆる社会や集団を構成する一人一人の人間(じんかん)とおっしゃった、それに着目した概念として用いているわけでございまして、前文の個人の尊厳に代表されるように、教育を行うに当たり尊重すべき重要な概念として、現行から引き継いでこの個人というものを規定しているわけでございますし、先ほどお問い合わせがございました、最後に生命についてということについても、本案では二条の第四号において、「生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。」と規定しております。ここで言う生命とは、人間の命のみならず、あらゆる生物の生命を尊重し、大切にする態度を意味するものであることを付言しておきます。

太田(昭)委員 私がなぜこういうことを言っているかというと、教育基本法は言葉が短いものですから、一つ一つの言葉というものをきちっと概念規定をしておきませんと、これがまた影響を与えることが非常に多くて、現場に行って、何を、どこの範囲で、どういう言葉遣いで教えたらいいのかということを確定するということは非常に大事なので、今、委員会の中でそうした論議も必要であろうということで私は申し上げているわけです。

 そういう意味で、今大臣から言った生命ということについては、先ほど鳩山先生からありましたように、いわゆる牧畜、麦作というような、家畜のための動物的な文明としての人間中心の文明では我々はないんですよというようなことをしっかり踏まえた上で、自然との共生概念とかいうような意味も含めて、しっかり生命ということが今回は目標という中に書き込まれているということを私は非常に評価をしたいというふうに思っています。

 そこで、公共の精神ということが書かれていますが、この公共の精神とは何かということです。

 今の論議の延長線でいいますと、実は、公共の公というのはいわゆる公(おおやけ)でしょう。それで、共というのは、たまたま公共で共というふうに言うんですが、私は、イメージ的には、公というのと共というのを分けた方がいいんだと。共というのは、ともにという共生概念、NPOやボランティアというような概念を含んでいるというような意味合いで公共。公という点も今の人間教育の中に欠けているけれども、共という意味も欠けているということが私はあろうと思います。

 そして、公共の公という字は、実は、下の方のムというのは私という字と全く同じことが書かれているわけで、私という字は、のぎへんにムと書いてありますが、このムのところがまさに私で、稲穂とかそういうものを自分で抱え込む、右なら右、左なら左で抱え込むという、ここにムという形が出るというところから出てきます。私ということを公という形で、八というのは開くという意味を持ちますけれども、開いていく。私というふうに終わらないで、公という形で開いていかなくてはいけないんだという言葉の中から公という字が出てきます。

 この公共の精神という公共の概念、私はちょっと申し上げましたけれども、ここのところの概念規定について、文部科学省として考えていることを提示してください。

田中政府参考人 公共の精神についてお尋ねでございますけれども、公共でございますので、先生おっしゃられたとおりでございますが、公共の精神としては、社会全体の利益のために尽くす精神、まさに国や社会の問題を自分自身の問題として考え、そして、社会の他の人々と一緒に協力し合いながら社会を形成していくということが今非常に求められているという観点から、今回の教育基本法の中に公共の精神を規定させていただいたところでございます。

太田(昭)委員 もう少し概念規定をしっかりやった方が、公とは何かとか国家とは何かという話につながりますから、いいというふうに私は思っています。

 その後に「伝統を継承し、」と言いますが、この後に「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、」というふうに出てきます。このところで、継承すべき伝統というものの概念規定、これは一体どういうことなのか。そして、新しい文化ということで、「伝統と文化を継承し」としないで「伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す」というふうに書いたのはなぜなのかということについてお聞きしたいと思います。

田中政府参考人 「伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す」という規定についてのお尋ねでございますが、伝統の継承、この伝統というものは、先ほど大臣の方からお答えされましたけれども、我が国の長い歴史を通じて培われ、受け継がれてきた風俗、習慣、芸術といったようなことでございまして、例で挙げますと、季節の行事でございますとか伝統芸能、あるいは伝統産業、伝承遊びといったようなことが考えられるんだろうと思いますけれども、そういう伝統を次代に引き継いでいこうという趣旨でございます。

 また、新しい文化の創造とは、これまでに培われた伝統や文化を踏まえ、さらに発展させ、時には他の文化も取り入れながら新しい文化を創造するという意味で規定をさせていただいておるところでございます。

 また、伝統の継承と書いておりますけれども、これは、伝統そして文化を継承するという意味で、代表して伝統の継承と書かせていただいておるところでございます。

太田(昭)委員 先ほど鳩山先生は、自然と共生する文明、こう言って、この間、参考人の時にも、日本の文明というのは違うということでハンチントンのことを引いた方がいらっしゃいますが、私は、ハンチントン理論というものについては、文明と文化をごっちゃにしている、こういうふうに思っています。

 日本のこの教育基本法の中で落ちついて教得るべきは、実は、文明としてあらわれるということのもっと懐の中に文化というものがあって、それが形としてあらわれて文明として一つの大きな塊をなしていくということからいうならば、二十一世紀は、文明の衝突というハンチントン理論というのを、敵をつくるというよりも、どちらかというと、文化の衝突というかなり小さなレベルでの宗教的なものも含めた対立ということを我々は考えなくてはいけないというふうに思っているわけですが、この文化というものをくみ上げながら人は生きていくんだよと。

 その意味では、自然と共生して、長江文明とかいろいろなものが流れてきたりというような日本の文化の、この間、総理とここで話をして、たった十分間しかできなかったんですが、愛国心という言葉のそこのところを強調しながら論議が続いているけれども、この伝統とか日本のすぐれた文化というものを本当に教育の中で教えていったりする、あるいは学び合っていくということが物すごく大事なことで、それが結果として、ふるさとや郷土や日本という文化というのはすぐれているな、私はこういうふうに思うわけです。

 それで、松本健一さんなんかは、文明を二つに分けませんで、むしろわかりやすく、泥の文明と砂の文明と石の文明というものの対立図式ということを言ったりして、なかなか刺激的な発言であるわけなんですけれども、私は、文化という言葉が、日本のすぐれた文化というものをどういうふうにイメージしているのかという、私が学校の先生だったら、どんなことを教えれば日本の文化はすぐれているというイメージがあるんでしょうか。

 例えば、韓国の李御寧という人が書いた「「縮み」志向の日本人」というのがありますね。それで、今も活躍しているそうで、最近はこの李御寧さんは、じゃんけんぽんの東洋文明、自然と共生する、人間中心という二つじゃなくて、自然と戦う文明、自然と共生する文明じゃなくて、そのあらわれの一つは、じゃんけんぽんという、白黒、コインの表裏じゃない形、そうしたこともこれは非常に根づいた。そして、農耕社会とかあるいは稲作とか、いろいろなことに和をつくらなくちゃいけないというところに培われてきた上に、そして一つの形としてじゃんけんぽんという形になってくる。こういう話なんかで、なるほどな、日本の文化というのはおもしろいものだな、それは日本だけじゃないんだねというような、文化の理解というのはある。

 うまや焼けたり、うまやが焼けたが、孔子は馬のことを問わなかった、なかなかの美談である、こういうふうに漢文で勉強する。しかし、うまや焼けたり、日本人は、人は大丈夫だったかというふうに聞くと同時に、大丈夫だったといった次には馬はどうなったかというふうに必ず聞いて、馬が亡くなったら日本人は一緒に泣く民族です。

 私は、すばらしいそうした文化や伝統というのを持ってきていると思いますが、ここはそろそろ、文化というもののすばらしさというのは一体具体的にはどういうふうなものを、個人個人で結構なんです、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を」といったことばかり論争しているけれども、では、具体的にどんなことを教えるのかというところに、先ほど鳩山先生が言ったような、文化というもののすぐれたところを教えるということが結果的には日本人としての誇りを持つことになる、私はそういうふうに思いますが、個人の見解で結構です、例えばどういうことをおっしゃっているんでしょうか。

小坂国務大臣 委員の御高説を拝聴しながら、本当に日本の伝統と文化というのは深いものだと思いますし、個人の見解でもいいからとおっしゃるように、個々人がそれぞれ自分の愛する郷土や国の文化の認識というのは、若干違いもあるかもしれません。

 私は、まず総括的に言って、それから個人的な見解を述べたいと思いますが、今回、この教育基本法で「伝統と文化を尊重し、」という中で言っていることは、学校現場では、ふるさとの歴史や郷土の発展に尽くした偉人、昔から地域に伝わる行事、こういったもの、また、地域の伝統芸能や文化財を見たり体験したり、こういう中から学んでいくもの、また、我が国の歴史や国家、社会の発展に大きな働きをした先人の業績を調べたり、それを理解しようと努めること、これによって培われるもの、また、我が国の文化遺産や美しい自然、茶道、華道を初めとした、いわゆる武道と伝統文化、能、歌舞伎などの伝統芸能について調べ、体験をすること、世界の中で活躍する日本人を調べたり、こういったことを通じて、日本の歴史や伝統、文化に対する理解と愛情をはぐくむ指導を行っているところでございます。

 私は、先ほど鳩山委員が御質問されましたように、私どもは、委員もただいま御指摘をされましたが、すべての生きるものに対して、その生命に対しての慈しみというものを日本人は持っている。これを日本人の文化遺産としてずっと受け継いで、そしてそれを今日もそれぞれ心の中に宿し、日々の生活の中で大切にしているということ、これそのものが日本の文化であろうと思いますし、そういったものを大切にする心、そういったものは受け継いでいきたい、このように思いますし、今学校で行われているそういった具体的な教育活動の中で、私どもそれぞれが大切にしているものを一つ一つ受け継いで、また、その足らざるものは、家庭において、地域においてそれぞれの立場で受け継ぐ努力をしていくことが必要かと認識をいたしております。

太田(昭)委員 もう時間がなくなりましたのできょうは終わりますが、一番最初の二〇〇〇年に、小渕内閣のもとで町村先生なんかと一緒に教育改革国民会議に出させていただいたんです。僕が印象に残っていた幾つかの発言がありましたけれども、浅利慶太さんが、修身という時間を形の上で教えるということよりも、自分が大事だと思うのは、むしろ今大臣がおっしゃったような、郷土の偉人とかそうした人たちの人生とかそういうことを教えるというような、修身よりも人生というような単元というか時間があったらいいなというようなことから、芝居とか芸術とかいろいろなことをお話をしてくださったことが非常に印象的です。最後にそのことだけ申し上げて、質問を終わります。

 ありがとうございました。

森山委員長 次に、牧義夫君。

牧委員 民主党の牧義夫でございます。おはようございます。

 私は、けさ一番に質問に立たれました鳩山邦夫元文部大臣のもとで、二十代の終わりから足かけ十二年間、苦節十二年ですね、青春のすべてをささげて務めさせていただいたものでありますから、先ほどの質問を聞かせていただいて、やはり大筋考え方は一緒だなと思い、また、あわせて、やはり鳩山邦夫元大臣も必ずしもこの政府案にもろ手を挙げて賛成ではないんだなということを改めて感じさせていただく中で、いわば意を強くしながら質問をさせていただきたいと思う次第でございます。

 先週、総理出席の七時間の質疑が終わって、ようやくこれから中身の議論が始まったんだなと思うわけでありますけれども、この法律というのはやはり理念法であるからして、いろいろな盛り込みたい理念、それはあると思います、先ほど不易と流行の話がありましたけれども。ただ、それを全部一通り盛り込めばいいというものでないことも、私は改めて政府案、民主党案を読みながら感じているところであります。

 先ほど太田先生のお話で、それぞれの用語についてのしっかりとした定義、これを確認することももちろん大事ですけれども、もう一つは、その文言の並び方ですとか、どこに重点を置いているのか、やはりそこら辺のところがきちっとしてないと、すべて盛り込まれているからいいというものではなくて、どこにプライオリティーがあるのか、一体この法律を通じて国民にどういうメッセージを送りたいのか、そこら辺のところがやはりはっきりしてなきゃいけないと思うんですね。

 そういった意味で、以前、総理がここにおいでになっての質疑の中でも、小泉総理は、民主党案、政府案、そう変わらないじゃないかということをおっしゃいましたけれども、私は、そういった意味で全然違うんじゃないかなということを申し上げなければならないと思います。総花的になる余りにそのプライオリティーがはっきりしないというのが一番まずいことだと私は思うんですね。

 そういった意味で、前にも私は質問のときに申し上げましたけれども、昭和二十二年の現行基本法の議論のときに、開口一番、当時の文部大臣がおっしゃったことは、今回の基本理念は個人の尊重であり個の尊厳である、一言で言い切っているわけですよ。私はそのときの大臣の答弁も覚えておりますけれども、まさにそのときの大臣の答弁は、今回盛り込みたい理念を総花的におっしゃっただけであります。私はちょっと期待外れだなと思ったわけで、今私が申し上げたような意味で、今回、この新しい教育基本法で一体国民にどういったメッセージを送りたいのか、一言でお述べいただきたいと思います。

小坂国務大臣 過日、今回の法律の理念と言われるものは述べましたので、ここでは、それに加えまして、今委員が御指摘になったように、私として、今ここで申し上げるとしてどうだということで新たに加えさせていただくならば、やはり家庭、地域、学校の連帯による教育。今日、地域の教育力が低下をした、あるいは家庭の教育力が低下した、学校における指導力が低下をしている、こう言われる中で、やはり家庭、地域、学校が連携をする中で教育というものはなされるものだということをここではっきりと訴えていきたい。これもその中の一つだ、また、大変に強いものだということを申し上げておきたいと思います。

牧委員 強いものがあるということはよくわかるんですけれども、これは例を挙げて、例えばの話をやはりしていかなきゃいけないと思います。一つのセンテンスにいろいろな理念を盛り込んでいくと、そのセンテンスの中で一体何が言いたいのかな、その意味合いが、一つ一つが逆に中和されてしまったり、意味が薄くなってしまったりする部分もあるということは私は否めないと思うんです。

 例えばの話、この政府案の第二条第五項ですね。「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。」この「態度を養う」というのは、この最初のところからすべてに係ってくるわけですね。そういうことですね。そうすると、ここで述べられている伝統と文化を尊重するということ、それから我が国と郷土を愛するということ、それから他国を尊重するということ、国際社会の平和と発展に寄与すること、これはすべて等価値ですか。

小坂国務大臣 すべて等価値というわけではございません。それぞれが持つ意味合いは違いますので、それを横に並べて価値を比較することはできないと思います。

 すなわち、他国を尊重するということと伝統と文化を尊重するということは、これは同じレベルでとらえるものでもないと思いますので、等価値ではないということをまず申し上げたいと思います。

牧委員 同じ意味でないものをあえて一つの文章にしたのはどうしてでしょうか。

小坂国務大臣 それぞれを尊重する態度を養うということでくくっております。

牧委員 ちょっとよくわからないですね。

 もう一つ、あわせて言うと、今の文言で、伝統、文化をはぐくんできたのは国なんですか、郷土や国がはぐくんできたんですか。私は、これは人がはぐくんできたと思うんですけれども、だから、この言葉をもうちょっと正確に言い直すと、先祖が営々と築いてきた誇るべき伝統、文化を有する我が日本国を愛する心を養うと言った方がよっぽどわかりやすいと思うんですけれども、いかがでしょうか。

小坂国務大臣 それぞれの表現ぶりがあるかと思いますけれども、尊重すべき伝統と文化を持っていること、それを尊重するとともに、同時にそれらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する、そういう心、これらも尊重し、また、今日の国際社会の中にあって、他国を尊重して、国際社会の平和と発展に寄与する、そういう人間が求められていること、こういったことから、これらをこのような形で並べて、そして、「国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」という形でくくらせていただいているわけでございます。

 これはすなわち、それぞれが個々にあるものではなくて、今おっしゃったように、伝統と文化をはぐくんできたのは人でございます。先人であり、今日の我々でありますから、そういった伝統と文化を尊重するとともに、この中には、それぞれの個々人の尊重というものを踏まえながら、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、そういった観点から、他国に対しても同じように、我々個々人が尊重し合うと同じように他国を尊重し、そして国際社会の一員として平和と発展に寄与する、そういった社会の形成者として、国の形成者としての資質というものを一つの目標としてこの中に定めてきている。その五項として、このような形でくくらせていただいていると理解をしていただきたいと思っております。

牧委員 ちょっと私には納得できないわけで、一つのセンテンスの中に、この国を愛する心と、それから他国を尊重する態度、これを一つにしてしまうというのは、どちらも私は大切な理念だと思いますけれども、あえて一緒にして、中和して薄めたというふうにしか思えないということだけ、もうこれ以上論争してもしようがないので、申し上げさせていただきたいと思います。

 それから、国を愛する態度というのは、これは今までも質問に出ていると思うんですけれども、教育の現場では具体的にどういうふうに変わるのかということを、ちょっと簡単にお願いいたします。

小坂国務大臣 それぞれのまず郷土ということからいえば、郷土の伝統、文化やそこに行われてきた偉人の活動、そういったものを学ぶ、我が国においても、同じような我が国の伝統においても、世界で活躍する日本人や我が国の偉人や伝統、文化、芸能等について、そういったものを学んでいく、こういうことでございます。

牧委員 そこで、今のお話で、例えば、歴史上の人物で、じゃ、こういう人は再評価されるんじゃないかというような具体的な、思いつくところで結構ですけれども、あったら教えていただけますか。

銭谷政府参考人 ただいま大臣の方からお話し申し上げましたように、歴史の学習におきまして、我が国の発展に貢献をした人物等を取り上げて、その人物等について学んでいくわけでございますけれども、今、学習指導要領におきましては、例えば、小学校では約四十二人の歴史上の人物を例示いたしております。実際の教科書におきましては、この四十二人の人物に加えて、さらに多くの人物を取り上げて学習しております。

 それから、これは六年生の場合でございますけれども……(牧委員「今じゃなくて、再評価されるということですよ」と呼ぶ)まあ、それぞれ実際に教科書に載る場合には、ただいま申し上げました指導要領に載っている四十二人に加えまして、適宜教科書発行者の判断におきまして人物は取り上げているという状況でございます。

牧委員 これも今事務方から聞いてもしようがないんですけれども、もうちょっと、四十何人じゃなくて、きちっと、我らが先達、誇るべき人間というものを、あるいは再評価される人もいると思うんです、そういう人も含めてきちっとやっていただきたいということを申し上げておきたいと思います。

 それともう一つ、他国を尊重する態度、これについては現場でどのように指導されるんでしょうか。

銭谷政府参考人 現在、小学校六年生の社会科におきましては、歴史学習をした後に、世界と日本ということで、世界の国々と日本のかかわりについて学習をしております。それぞれの国にはそれぞれの歴史と伝統があるということを踏まえながら、そういう諸国と日本との関係についていろいろと調べて学んでいくといったような学習が行われているところでございます。

牧委員 今の銭谷局長のお話だと、他国を理解する教育ということですよね。私はそういうふうにしか聞こえないんですけれども、それで十分だと思いますし、我が国には、他国の国旗を燃やしたりあるいは大使館を襲撃したりするような、そんな恥ずべきことをする人はいないわけですから、とりたてて何もこんなことを同格、同列で並べる必要はないと思うんですけれども、官房長官、いかがですか。

安倍国務大臣 確かに、委員の御指摘のとおり、我が国の国民は他国の文化を尊重している、そして敬意を表している、このように思いますが、この二十一世紀を担っていく、さらにその先の未来を担っていく子供たちを教育するに当たって、我が国の伝統や文化をしっかりと敬い、尊重する、また知識も深めていく、こういう態度もしっかりと養っていくということも大切でありますが、同時に、他国を尊重する、そういう気持ちもやはり養っていくことによってバランスがとれていくのではないかということではないかと思っております。

牧委員 お立場上、そういうお答えしかできないんだと思いますけれども、私、前もここに立たせていただいたときに、最後にちょっと官房長官に一言申し上げたんですけれども、私、やはりこの態度という言葉に非常にひっかかるんですね。

 例えば、二〇〇六年四月四日中国外交部の報道官の定例記者会見、この文書をたまたま見たんですけれども、これはちょうど昨年四月の反日デモから一年たった後のコメントなんですけれども、中日関係の今後にどんなことを期待するかというような話です。そういう中に、「日本の一部指導者が歴史問題で間違った態度をとり、靖国神社参拝を続けていることにある。」というようなことを書いています。

 「日本が靖国問題で間違った態度をとり、A級戦犯を祀る靖国神社の参拝を続けることは中日関係の改善と発展に役立たない。われわれは日本が間違いを改め、中日関係の改善と発展の条件をつくるよう改めて求める。」「われわれは、日本の指導者が中日関係の大局、アジア地域の大局を考え、歴史問題で正しい態度をとり、中日関係を改善し、発展させるよう希望している。」「中国政府の積極的態度を明確に説明した。」態度、態度と出てくるわけですね。

 だから、私、ここにこういう書き方をすると、またこれが一つの、日本はそういう態度をとっていない、教育基本法に書いてあるじゃないかとあえてつけ込まれる材料をどうしてこういうふうに入れるのかなと思うんですけれども、官房長官、いかが思われますか。

安倍国務大臣 ここで述べております外国を尊重する態度ということは、これは何も外国の言うとおりにせよということではないんだろう、こう思っております。

 今先生が御指摘された中国側の主張は、これは中国側の御主張なんだろう、このように思うわけでありますが、しかし、そういう主張どおりにするということではなくて、そういう主張を、ではお伺いをしましょう、例えば外相会談、首脳会談をやって、その場でよくお伺いをしましょうということが、まさに外国を尊重するということではないか。しかし、それをそのまま実行するということとは全く別なのではないだろうか。そしてまた、誤解があるのであれば誤解を解いていこうとする態度こそ、これは尊重しようとする態度である、私はこのように思うわけでありまして、先ほど委員が指摘されたように、外国の国旗を焼いてしまう、あるいは感情的な言葉を相手にぶつけるということは間違っているんだろう、このように思うわけでございます。

牧委員 大変苦しい答弁だったと思います。

 靖国にお参りをする心、気持ち、英霊に手を合わせる気持ち、そこの部分については恐らく諸外国は何も言わないと思うんです。ただ、態度で示してくれということをさんざん言ってくるわけですよね。だから、態度というのは心のあらわれなんだから、向こうはそういうふうに判断するしかないんでしょうけれども、私は、どうしてここで教育基本法に態度という文言をあえて使わなきゃいけないのかな、そういった観点からもちょっと疑問に思わざるを得ないということをつけ加えさせていただきたいと思います。

 教科書の近隣諸国条項の問題やらいろいろ質問しようと思いましたけれども、時間が余りなさそうなので、次の質問に行きたいと思います。

 我が国の人工妊娠中絶の事例、実態について、とりわけ未成年、特に中高生の実態について、厚労省からお聞かせをいただきたいと思います。

北井政府参考人 人工妊娠中絶件数の推移についてのお尋ねでございますが、人工妊娠中絶は、昭和三十年代におきましては百万件を超えておりましたが、一貫して減少してまいりまして、平成十六年度には約三十万件の手術がなされていると承知をいたしております。

 さらに、年代別の実施状況を見てまいりますと、三十代以上の方については一貫して減少しておりますけれども、未成年者につきましては逆に増加をいたしてきておりまして、これまでのところ、平成十三年度にピークを迎え、その後三年間においてはようやく減少傾向が見られるところでございますが、平成十六年度の数字では、二十歳未満の中絶件数、約三万五千件となっております。

牧委員 つまりは、昭和三十年代から減少傾向にあると。これはわかるんですね、やはり経済的な事情やらいろいろ当時はあったんだと思います。ただ、やはり聞き捨てならないのは、未成年者は逆にずっとふえてきたということで、三十代あたりが一番多かったのが、今やもうそれを十代の人たちの件数が抜くというような、本当に憂慮すべき状況に現在あるわけです。

 これを、では、教育の現場ではどのような指導をしているんでしょうか。

素川政府参考人 お答え申し上げます。

 人工妊娠中絶は、その心身に与える影響が大きいだけでなく、繰り返すことによりまして不妊症の原因の一つになるといった危険性も指摘されておりますし、重大な問題だと考えております。

 現在、高等学校の保健体育科におきましては、健康な結婚生活について理解させるとともに、人工妊娠中絶の心身への影響などにつきましても理解できるようにするということにしておるところでございます。

牧委員 いや、全く、大臣がどう思われるかはわからないんですけれども、私は本当に寒い思いがいたしました、今のお話を聞いて。それは、体にいいわけない。そんなことぐらい、学校で教えなくたって本人だってわかるでしょうし、家庭でもまず一義的には指導する義務もあろうかと思うんですけれども、どうしてそういう事態になっちゃいけないのか、もうちょっと根っこの深い倫理的な部分も私は学校できちっと指導すべきだと思うんですけれども、猪口大臣、どう思われますか。

猪口国務大臣 先生にお答え申し上げます。

 特に若年層の人工妊娠中絶の割合が多いということについて、深刻な問題と受けとめておりまして、発達段階に応じました適切な性教育の実施が必要であるというようなことは、男女共同参画基本計画の第二次版においても指摘しております。

 また、出産を望みながら妊娠について悩んでいる者に対する相談支援体制、非常に重要ではないかと考えております。適切な学校現場におきます性教育と、さまざまな支援体制、相談体制を強化する、そして、家族についての考え方もあわせてよく考えてもらうというような教育の仕方について推進していくことが必要であると考えております。

小坂国務大臣 先ほど局長の答弁がありましたけれども、高校での教育の前に、小学校、中学校で命の大切さというものをどう教えているかということがやはりその根幹にあるんだと思うのですね。我々が妊娠ということについてどう教えるかということです。

 それはすなわち、人間としての生命の芽が生まれたということですよね、育ったということです、それを摘む行為が中絶ということになるんだ。そのためには、母体の保護とかいろいろな理由があると思います、そういったものをしっかり理解した上でなされるべきものであって、安易に生命の芽を摘むようなことをしてはならない、そういう倫理観をまず植えつけること。それをしっかりと植えつけていけば、おのずから、そういうものに対しての尊重、そしてまた自然の摂理というものに対しての畏敬の念というものが出てくる。そういう中から正しい判断というものが培われてくると思いますから、やはりその根幹にあるものは、命というものに対して、生と死というものに対してしっかりとした考え方を養うということだと思います。

牧委員 今、大臣のお話を聞いてややほっといたしましたけれども、私は、やはりそこら辺の、今のお話、これは大臣のひょっとすると希望的な観測というか、恐らく学校現場ではそういうこともきちっと教えているであろうという、あくまでも推測の範囲かもしれません。

 実際に教科書を見ても、先ほどの局長のお話あるいは猪口大臣のお話を聞いても、ただ通り一遍の性教育だけなわけですよ。今の大臣のお話はもうちょっと別の観点ですね。これは学校のカリキュラムで言うと、今の大臣のお話、いやいやと言うけれども、どこに入るんでしょう。今の大臣のお話は性教育とは違うと思います。どこに入るんですか。

小坂国務大臣 小学校そして中学校の学習指導要領の道徳では、現在、「生命がかけがえのないものであることを知り、自他の生命を尊重する。」自他というのは、人ということに限らず、人類のみならず他の生物に対してもという意味だと思いますが、同様の記述が中学校の学習指導要領にもございます。

 このような点で、「自然の偉大さを知り、自然環境を大切にする。」すなわち、人知を超えたものに対する畏敬の念というものを学ぶと同時に、命のかけがえのなさというものを教える、このようになっております。

牧委員 そのとおり本当にきちっと教育していただきたいと思いますし、やはり教育基本法にそこら辺のところをきちっと位置づける必要が私はあると思います。

 一つの明確な価値判断をやはりこの教育基本法の中に示していただきたい。そうしなければ、これは、人に迷惑さえかけなければ何をやってもいいのか、あるいは法律に触れなければ何をやってもいいのかという次元と、倫理、道徳というのはやはり違うんだと思います。その価値判断をするための基準というもの、価値判断をするための座標軸というものがなければ、その価値の判断をできないんだと思うんですね。そのために、宗教的な感性、宗教的な情操を、これは特定の宗派だとかいうことではなくて、やはりきちっと教えていくことが私はできるんだと思います。

 昔は、おてんとうさまに顔向けできないとかいう言葉もありました、今は余り使わなくなりましたけれども。まさにそういう感性だと思うんですけれども、大臣、いかが思われますか。

小坂国務大臣 今回の基本法におきましては、教育の目標として、第二条の一項に「幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、」その後に「豊かな情操と道徳心を培うとともに、」と記述し、また第四項において「生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養う」、こう規定しております。

 そしてまた、これらを推進するために、教育振興基本計画というものを第十七条で規定しておりますが、この教育振興基本計画の策定等に当たりまして、今委員が御指摘になったような具体的なもの、指導計画を立てていくということ、そしてそれを受けて、学習指導要領の中でさらに、先ほども申しましたようなところに、委員のような御意見も踏まえながら記述をしていくことになる、このように考えております。

牧委員 やはり法律と宗教の関係、あるいは宗教と教育の関係というのは、難しい部分があろうかと思います。お互いにその限界というのがあると思います。

 ただ、いろいろな宗教絡みの、宗教団体の裁判の判例を見ても、宗教法人というものは法律的に解散させることはできるけれども、中身の教義については、これはいろいろな学説を見ても、最終的には国民の良心にまつしかないという判断なんですね。国民の良心にゆだねるんだ。では、その国民の良心というのはどこでつくるのかといったら、やはり教育の場であるわけで、そういった意味で、私は、教育基本法に、宗教的情操あるいは宗教的感性、これを養うということがきちっと明記されていないのは片手落ちだと言わざるを得ない。

 首をかすかに横へ振られましたけれども、そこだけ、私の意見を申し述べさせていただいて、時間が参りましたので、質問を終わりたいと思います。ありがとうございました。

森山委員長 午後一時から委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。

    午後零時二分休憩

     ――――◇―――――

    午後一時一分開議

森山委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。

 質疑を続行いたします。横光克彦君。

横光委員 民主党の横光克彦でございます。前回に引き続き質問をさせていただきます。

 まず、お手元に配付いたしました資料一をごらんになっていただきたいと思うんですが、先週の金曜日、六月二日に、地方紙でございますが、信濃毎日新聞でこのような社説が掲載をされました。

 なぜ地方紙の社説を取り上げたかと申しますと、この信濃毎日新聞の創業者は小坂文科大臣のおじい様がつくられたということ、そして、おじさんが社長をやられていたということ、大臣も恐らく大株主だと思いますが、いわゆる一族だと思うんですね、この信濃毎日新聞。そこの新聞がこのような、大臣が現在審議されている法案に対して真っ向から反対を表明している社説を掲げたわけですが、このことについて、小坂文科大臣のまず感想といいますか、どのような思いか、お聞かせください。

小坂国務大臣 まず、今御指摘なさいました信濃毎日新聞でございますけれども、我が郷土の新聞でございまして、この創設に私の祖父が関与をしていたことは事実でございます。また、社長も務めておりました。

 御指摘でございますが、私は、感想ということで申し上げれば、新聞というのは不偏不党なものであって、そして、信濃毎日新聞という会社の伝統は、桐生悠々という主筆がおりましたけれども、時の権力にこびることなく、論説は常に不偏不党であったという歴史、その流れをくむ新聞社として、何らそういった、私は決して大株主ではございませんが、しかし、そういった一族の関係とかいうことにこだわることなく、堂々たる社説を常に展開する、そういうことであろうという感想を持ちますし、その社説を読みますと、まず冒頭に、政府案、民主党案とも納得しがたい内容だと、両案ともに否定されてしまっているということにおいては不偏不党という立場かな、こう感想をいたします。

横光委員 新聞社というのは、ある意味では読者の代弁者でもあると思うんですね。そして、社説となりますと、これは新聞社の基本的な考え方を示しているものだと思いますし、社にとって私は心臓部分だと思うんですね。生命線だと思う。それほど重要なところでこういった主張をされた。

 一新聞の主張だということでございますが、大臣は、今、長野県では、英雄、偉人とまではいかなくても、県民の誇りである、そういったところまで、文科大臣という職責を全うされていることは恐らく長野県民の誇りである、このような認識を持っておると思うんですね。いわばおらが村の大臣、村はもう少なくなりましたが、おらが県の大臣である、そういった思いを持っていると思うんですよ。

 ですから、そのあなたが提案をされ、今審議されているこの教育基本法の改正案、これについては、新聞社はともかく、長野県民のほとんどの人たちは、心情的には、おらが県の大臣頑張ってほしいと応援していると思う。そういった意味では、この基本法も賛意を示すというのが普通ではなかろうかと思うんですが……(発言する者あり)いや、県民が賛意を示すというのは普通だろうと私は思う。自分のところから大臣が出ているわけですからね。

 そういったところで、生命線をしっかり持っている地元の新聞社が、長野県出身の大臣であろうが、我が社の一族の大臣であろうが、だめなものはだめなんだ、こういうふうにはっきり読者に向けて発表したわけですね。

 そして、よい悪いはそれぞれの判断ですが、よくこういうことを出したなというのは、基本法が提案されたときに、各社、それぞれの意見、賛否があるこの基本法に関しての社説を載せました。しかし、これは、ある程度審議が始まりました、そして審議の中身が少しずつ明るみになった時点で出したんですね。ただ教育基本法の文面を見ただけで出しているんじゃなくて、大臣や総理が答えられた状況を見ながらこういった意見を出した、ここが重要だと思うんです。

 ですから、最後のところ、「教育が多くの問題を抱えていることは事実でも、基本法を変えることでいい方向に向かうとは考えにくい。改正の必要性は認められない。」というのが、この社のこれまでの審議を見た上での現在のところでの考えだと思うんです。

 そういった意味で、私は、地元紙でありながら、同じ、小坂先生のおじいさんがつくられた新聞社がこういったことを出したということは非常にインパクトがある。問題点が非常にあるんだぞと言われたということを認識していただきたい。大臣、笑っている場合じゃなくて、こういった問題点があるんだぞということを認識していただきたい。でなきゃ、この社説の意味はなくなるわけですからね。こういったことを読者に問いかけているんだ、私はこのように思っております。

 それでは、次に質問させていただきます。

 私の先日の質問、私は、準憲法的な教育基本法である、であるならば、いわゆる親とも言える憲法が変わらないのに基本法を変えるのはおかしいではないか、筋道が違うではないか、こういったことで意見を申し上げたんですが、全くそれはかわされました。

 しかし、そのときに、現憲法が変わるならば、そのときに新しく教育基本法も改めてさらに変えるんだということを大臣はお述べになりましたが、それでよろしいでしょうか。

小坂国務大臣 基本的に、現憲法が改正された際に、今日改正をお願いしております教育基本法との間に憲法上疑義の生じるような項目が生じた場合、あるいは不整合があった場合には、教育基本法をその憲法に従って再度改正することはあり得るだろう、こう申し上げたところでございます。

横光委員 大臣、私への前回の答弁に、「「憲法の精神に則り、」と書いてあるわけでございます」と、私が指摘のように。そして、「その精神に基づいてつくられている。現行憲法の精神に基づいて今日の改正の教育基本法も案として提出をされているわけでございます。」と。そして、今言われました、整合性がないとか疑義が出た場合という矛盾というものがあった場合には、この教育基本法をさらに改正するということで整合性が保たれるという趣旨を申されたんですが、憲法の精神にのっとり、つまり、憲法の精神に基づいてこの基本法を提出されたということはお認めになっておるんですよ。現行憲法の精神に基づいて、これはお認めになったんですね。

 ところが、新たに現在の憲法が改正された場合には、中身の矛盾とか疑義とか整合性とかいう問題以前に、現在の憲法の精神に基づいてつくられている基本法であるということを認めている、新たにできた憲法だったら現在の憲法の精神には基づいていないわけですから、では、当然のごとく、新たな憲法の精神に基づいて改正されるわけですね。

小坂国務大臣 そのように申し上げたつもりでございまして、すなわち、憲法の精神にのっとりというのは現行憲法の精神にのっとっているわけでございますので、新たな憲法の改正をされた、もしもそのような時点に至ったという仮定で考えるならば、その憲法の中で、矛盾がなければ改正しませんよ、しかしながら、新たな改正された憲法と今回改正をお願いしております教育基本法の間に、もしそごするものがあれば、それは憲法が優先しますから、それに従って改正をするということになる、こう申し上げたところです。

横光委員 中身の矛盾とかの問題以前に、現行の憲法の精神にのっとってこれを出されたと言われたわけですから、当然、次の憲法は現行の憲法と違う憲法ができるわけですから、新たな憲法の精神にのっとって変えるということでしょう。中身がどうのこうのとか矛盾とかそういう理由じゃなくて、もともとのところが変わるわけですから、当然変わる、この理屈でいいですね。

田中政府参考人 教育基本法は日本国憲法の精神にのっとりつくられておるわけでございまして、今回の改正に当たりましても日本国憲法の精神にのっとり制定しようとするものでございますが、この日本国憲法の精神と申しますのは、国民主権、そして基本的人権の尊重、平和主義、また、教育に関しましては、法のもとの平等や教育を受ける権利を憲法が保障している、これを具現化しようとするものでございますので、こういう日本国憲法の精神に変更が来された場合には教育基本法を変える必要が出てくるんだろうと考えております。

横光委員 そういったところの根本は恐らく変わるということはないと思います、この三つは。それ以外のところで、その精神に基づいて教育に関係するところを今回こういうふうに変えるわけですから、新たな憲法だと当然また内容も変わってくるわけですよ。

 ですから、新たな憲法が、本来ならそっちが先だと私は言ってきたんですよ、それはそうじゃないと言うから、では、新たな憲法ができたら変えることになるんですねということを聞いておるんですよ。そういうことになるんですね。新たな憲法ができたらこの教育基本法もさらに再改正するとお答えになっておりますが、それでよろしいんですね。

小坂国務大臣 それはすなわち、改正された憲法と今日改正をお願いしている教育基本法の間に、ただいま局長が説明したようなことを中心といたしまして変更が加えられて、それによってこの改正をお願いしている教育基本法が矛盾する、この法律をこのまま維持しようとすることに矛盾が生じると判断された場合には改正をお願いすることになる、このように申し上げております。

横光委員 総理は、矛盾も何も、そういったことは一切関係なく、この基本法は数十年を見越したものであった方がいい、今後数十年は再改正の必要がない内容にすべきだという意見を述べられたんですよ。数十年、これは出したのは変える必要はないんだと。数十年ということは、十の上に数がついているということは、最短でも二十ですよね。長くて恐らく四十年、五十年。総理はそのあたりを目安にされておるんですよ。それぐらいの法案であるということを総理は言われておるんですよ。それを、大臣は、憲法が変えられたら変えると。

 であるならば、総理の言われるように、数十年、憲法は変わらないということでよろしいですか。

小坂国務大臣 私も基本的には総理と考えは同じでございまして、数十年変える必要のない教育基本法というものをお願いしたい、そういう気持ちでお願いをいたしております。

横光委員 そういう気持ちでお願いしていると言いながら、先ほどは、憲法がもし変えられたら、矛盾があったら変えると。全然整合性がないじゃないですか。

 もう一回、数十年変える必要がないと言うなら、憲法を変えられても変えませんとおっしゃってくださいよ。

小坂国務大臣 全然矛盾しないと思いますね。私どもは理想を申し上げて、数十年変えることのないように、そしてまた、改正される憲法も今回の教育基本法でお願いしている理念をそのまま貫いていく、基本的にはそういった範囲で憲法の議論がなされてきたかな、こうも考えているわけです。

 しかし、憲法を改正することは、これは国の基本法でありますから、多くの国民の皆さんの御意見、そして国民的な論議の中で確定していくものでございますから、今予断を申し上げるわけではございません。したがって、新たな憲法が制定され、もし、今日改正をお願いしている基本法との間に矛盾やそごが生じた場合には、その点を改めるために改正をお願いすることになるだろう、こう申し上げているところでございます。

横光委員 それでは総理の意見と違いますね。総理は、数十年変えないと言っておるんですよ。変えない内容である、そういう認識を示しておるんですよ。今、大臣は、矛盾があったら変えると言っておるんですよ。総理は矛盾とか何も言っていないんですよ、この内容は数十年を見越したものであった方がいいと。全然違いますよ。

小坂国務大臣 委員みずからがおっしゃったように、見越したものであるというのは、やはりこれは一つの予想であり、期待でありますから、そういう期待を私も同じように持っております。そういう理想に燃えてこの基本法を出したというふうに御理解いただいて、そして、しかしながら、憲法という国の基本法に反するようなものが出てきたら、それは変えなければいけません。したがって、そのときは変更をお願いすることになるだろう、こう申し上げているところでございます。

横光委員 何か、この問答を聞いていても、国民の皆さんはなかなかわからないんじゃなかろうかと思っております。総理は数十年変えないぐらいの法案であると言っていながら、大臣は、憲法が変えられたら、おかしいところがあれば変える。全然、閣内で私は意見が一致しているとはどうしても思えない。

 それで、大臣は、憲法が変えられたら改めて教育基本法を変えるんだみたいなことをずっと前から言っておりますが、私は逆だと言ってきたんですが、その裏には、何かちょっと、嫌な本音が隠されているんじゃないんですか。

 先週、自民党は、共謀罪について民主党案を丸のみする、こう言ったんですよ。ところが、その魂胆は、一たん成立させて、サミットあるいは訪米をやり過ごした後で再修正しようという思いでやった。しかし、与党である公明党からも、内閣の一員である麻生外務大臣からも、その提案を、それはおかしいじゃないかと異論が出た。このもくろみは、ある意味では失敗したわけですね。民主党がこのような不誠実な自民党の提案を拒否したのは、私は当然だと思うんですよ。

 この例で見られるように、今回も、この教育基本法においてもこうした本音が見えるんじゃないか。つまり、今回はとにかく改正したという実績を残しておいて、今大臣が言われたように、いずれ憲法ができたら変えるんだと言われているように、本当にやりたいことは憲法改正の後にしようとしているんじゃないんですか。つまり、現行憲法をもっと自分たちの都合のいい方向に改正したら教育基本法も思うように改正できる、そういうふうに考えているんじゃないですか。お答えください。

小坂国務大臣 教育基本法によって憲法の改正が縛られることは絶対にないと私は思っております。国民世論の中で幅広い議論をされて憲法の改正というのは行われていくと思いますが、そのように慎重に検討され、改正される憲法の内容を、今から、私ごときが、このようなものであると申し上げることはとてもできませんが、しかし、今日改正をお願いしている基本法の内容が、今後改正をされるであろう憲法の内容を拘束することは絶対にない、私はこのように思っております。

横光委員 共謀罪は、まさに、法案というより政局に絡めた動きが起きたんです。ですから、私は、教育基本法がそういった政局に絡まるような形で考えられていたのではとんでもないことだということを申し上げておきます。

 この法案の提案理由説明でございますが、この中で、「教育の根本にさかのぼった改革が求められております。」これはどういう意味でしょうか。

田中政府参考人 お答え申し上げます。

 ただいま、教育をめぐる環境が大きく変わりまして、教育に大きな課題が生じておるわけでございます。そういう中で、個々の課題につきまして対策をとってきておるところでございますけれども、同時に、やはり教育基本法までさかのぼって、新たな教育基本法、新たな教育の理念を明確にさせることによりまして国民の共通理解を図りまして、国民全体で、あるいは社会の教育力を高める中で教育改革を推進していこうということでございます。

横光委員 いや、それはいろいろな状況が変わったということはわかりますよ。しかし、それがすべて教育のせいなんですか。かなりの部分は、社会病理あるいは社会政策によるものじゃないんですか。そういったことまで含めて、こういったことを理由に、根本にさかのぼった改革、つまり、そのために教育基本法の全部改正をするという提案をされておるんですね。

 この全部改正をするという目的、国民一人一人が豊かな人生を実現し、我が国が一層の発展を遂げ、国際社会の平和と発展に貢献できるよう全部改正する、こう提案されたんですが、こういう提案理由だと、国民一人一人が豊かな人生を実現できなかった、我が国が一層の発展を遂げることができなかった、国際社会の平和と発展に貢献できるようにならなかった、だから全部改正にするんだ、こういうふうにも受け取れるんですよ。大臣、そこのところはどうですか。

小坂国務大臣 これまでも、社会の変化に対応し、また、戦後の情勢の変化に対応する中で、生涯学習の理念だとか幼児教育の対応だとか、やってきているわけですね。そしてまた、学習指導要領を改訂する中で、郷土や国を愛する、そういった心を涵養することについても取り組んできているわけでございます。

 しかし、今日、科学技術の進歩や情報化や国際化、少子化、核家族化、そしてまた、学級崩壊を初めとした学校現場におけるいろいろな問題点、こういったものを踏まえて、今日まで取り組んできたことそれぞれを、またここで、基本法を改正する際にどのように取り扱うかと考えたときに、やはりこれは、教育基本法の中でも、そういった理念、新たに求められている生涯学習や幼児教育や私立学校や、そういった事柄をしっかり踏まえた理念を明確にして、教育の根本としての基本法を改正することによって、教育現場においてしっかりと取り組んでいただけるような教育体系、法体系を推進したい、このような思いから全部改正をさせていただくというふうにさせていただいたところでございます。

横光委員 私も先ほど言いましたように、社会情勢は確かに六十年で変わりましたよ。ですから、いろいろな教育の分野においても改正が求められている部分があるということは否定しません。

 しかし、なぜ全部改正なのか。このようにあなたが言う以上、国民一人一人が豊かな人生も実現できなかったから、発展ができなかったから、平和と発展に貢献できなかったからというような趣旨に受け取られる。こういうふうにいろいろな負の部分ばかりをあげつらって改正しようとしているように私は思えてならないんですね。

 非常に、この六十年間の現行教育基本法のもとで行われた教育制度、これがどのような成果を発揮したかということも考えなきゃならないでしょう。そして、そういうものを認めるならば、そこを土台にして、一部改正あるいは部分改正という形で問題は解決できるにもかかわらず、全部改正である。全部改正ということは、これまでの六十年間の教育基本法のもとでの教育行政は全く否定するということにもなりかねません。

 午前中、鳩山先生が憲法のことを論陣を張られました、私とは考えが相当違うわけですが。要するに、憲法にしても、それに準ずる教育基本法にしても、この二つのもとで、この六十年間、私たちの国がどう変わったか、そこのところをちゃんと認識しなきゃならないんじゃないですか。

 二十二年の三月三十一日に公布された。そのときにはほぼ日本の国はゼロの状態だった、いろいろな面で。それから現在、どうですか。世界第二位の経済大国にもなった。ODA等で高水準の世界の貢献をしている。あるいは文化的な面はどうですか。ノーベル賞をいろいろな方が受け取る。音楽、絵画、映画、小説、あらゆるところで世界的な人たちがどんどんどんどん出ているんですよ。科学技術分野でもそうでしょう。科学技術分野でも、ノーベル賞の物理学賞、化学賞。あるいは宇宙飛行士。これだけ世界的にすぐれた人たちが出ている国はないんじゃないんですか。戦後六十年間の成果でしょう、これは。

 そういったことは一切棚に上げて、負の部分ばかり、否定的な部分を挙げて、変えよう、変えようと言う。圧倒的な肯定的なプラスの分野があるにもかかわらず。猪口大臣は先ほどちょっとそれらしきことをお認めになられましたけれども。

 とにかく、では、昭和二十二年の三月、四月に六歳だった方が、現在は、約六十年たったとすると六十五、六歳ですよね。これが公布されたころ中学生だったころを入れますと、七十歳前半の方たちが現在の教育基本法のもとでの日本の教育を受けておるんです。そして、今言われたような分野で、あらゆるところで日本は成長してきておる。これを変えるということは、根本的に、抜本的にとか全部改正ということは、全否定につながりませんか。いかがですか。

小坂国務大臣 民主党も幅の広い政党だということを改めて認識させていただきました、自民党も幅の広い政党だと思いますが。

 今御指摘のことを、民主党の皆さんも法案を提出されているということからすると、それも、新しい法律、新法として制定をする。全部改正でもないということになりますと、今委員が御指摘になった戦後の今日の発展、そして世界における日本人の活躍を全部否定することにつながらないか、そのようにも思うわけですが、決してそういう意味で出されたのではないと提案者の方々は思っていると思いますし、委員が御指摘になったことも、そういうことは知っての上で、あえて私どもに対して質問をされているんだと思います。

 そういうふうに考えて、私は、今日改正をするに当たって、二十二年法制定以来、半世紀が経過をしておりまして、先ほど申し上げられましたようなそれぞれの社会情勢、科学技術を初めとした変化、また、学校現場における課題、こういったものが指摘をされており、そういう中で、たびたび申し上げておりますが、将来に向かって新しい時代の教育の基本理念を明確にすると言いつつも、これまでに教育基本法がなし遂げてきた、今日の社会を築いてきた、その原動力となったいい理念、これまでの理念は引き継ぎつつ新たな理念を加えたということを申し上げているわけであります。今までの理念が間違っていたから全部改正をするというわけではなくて、これらの事象に対応するため、課題に対応するために、新たな理念を加えて法体系を整えたいと思ったわけですが、それには、新たに加えるものが非常に多いものですから、条文の追加という作業その他全体を見ると、全部改正という手続をとることが、今後の法律をお読みになる方々にも一番わかりやすく、国民の皆さんにも理解されやすいものになる、このように考えたところでございまして、そのような形で御理解をいただきたいと思います。

横光委員 今の説明もよくわからないんですね。理念は引き継ぐけれども全部改正するんだ。どうもよくわからない。

 とにもかくにも、現行の教育基本法が、先ほど申し上げましたように、戦後約六十年間の我が国に果たしてきた功績、これは素直にお認めになりますね。

小坂国務大臣 現行法が戦後半世紀にわたる日本の発展に寄与したことは一度も否定しておりません。私は、それを認めた上で、また新たな理念を加えることによって全部改正と申し上げているわけで、理念を引き継いでいるだけで全部改正と申し上げているわけではないわけでございます。

横光委員 それでは、ちょっと大臣。

 大臣は、先ほどもちょっと申し上げましたけれども、大臣にまでなられた。これはなかなかなれるものではない。もちろん、戦後の今の教育制度の中で、小学校、中学校、高校、大学と教育を受けてこられて、国会議員になられ、そして、何と文部科学大臣にまでなられた。ということは、これまで受けてこられた教育行政は、大臣にとっては間違っていなかった、こういうことですね。

小坂国務大臣 今日までの教育制度は間違っていないと思いますし、また、その中で、教育の単なる制度ではなくて、私を取り巻く多くの人々によって私は生かされ、育てられたと思っております。

 私は、個人的なことに関するお問い合わせですので申し上げれば、母を小学校の一年のときに入学と同時に亡くしましたから、小学校の五年生までは父親のみでございました。その間、うちのお手伝いさんや運転手さんにあっちこっちへ連れていってもらって自分の子供時代を過ごしてまいりましたし、近所の友人や先輩、そういう人たちに遊びを教えてもらい、そして多くの教育を受けてまいりました。

 そういう意味では、私は、学校教育ということもさることながら、これら地域における教育の力というもの、また、家庭といっても幅広い意味の家庭でございます、血縁の家庭ではないですけれども、そういった家庭における教育力というものに支えられて私の今日はあると思っております。

 私は、委員が御指摘のように、郷土の誇りというように言っていただけるような身分の者でもないし、また、そのような見識を持った者でもないと思っております。まさに浅学非才な者であると思っておりますが、それなりの努力をさせていただいて、今日、皆様にこうして大臣としての職責を全うできるように御指導をいただいているところでございますので、なお一層の努力をしながら、さらに皆さんの御理解を得たい、このように思っているところでございます。

横光委員 自分が受けてきた教育は間違いではなかったと、否定はされませんでした。当然のことでございます。

 安倍官房長官には通達はしていなかったんですが、自分が受けてきた教育についての評価をどのようにお考えか、ちょっとお願いします。

安倍国務大臣 私も、今まで答弁をしてまいりましたように、現行の教育基本法が果たしてきた役割も多かった。その上に加えて、必要な新しい概念、理念をつけ加えて、二十一世紀にふさわしい、二十一世紀また未来を担う子供たちを教育するにふさわしい教育基本法を新たに改正した、こういうことであります。

 私ども、学校での教育、小学校、中学校、高校、大学、それぞれあったわけでありますが、特に小学校、中学校時代にどういう先生に出会うことができるか、これは人格形成の上においても極めて大きいのだろう、このように思っております。

 私自身は小坂大臣以上に浅学非才の身でございますが、しかし、つい先般、私の小学校の担任の先生が、九十歳、卒寿を迎えられまして、五十歳を迎えた君たちにという最後の授業をしていただいたわけであります。みんながそこに集まって、その先生は、生徒を信じるというのが基本的な考え方の先生でございまして、その先生の指導によってどれぐらい我々は励まされ、勇気づけられたかわからないな、このように思っている次第でございます。

 そういう意味におきまして、今後、教育基本法とともに、子供たちを育てていく、指導していく先生の人材をしっかりと確保していく、育てていくことも重要ではないか、こんなように思っております。

横光委員 根本的に、やはりお二人とも、当然のごとく、現行の教育制度の中での教育を否定されることはもちろんありませんし、また、この委員会にも、委員長を初め、文科大臣を経験された方たちが十人ぐらいいらっしゃるということなんですね。いわゆるそういった日本の戦後の教育の先頭に立ってリーダーシップを発揮した人たちがいる。そして、そういった中で教育を受けた人たちがいる。そして、そういう人たちは、間違っていない、当然間違っていない。

 そういった中で、先ほど言いましたように、六十年間、教育基本法、そういう教育制度の根底があった中で、各界で世界的な国になっているということがありながら、その時期時期に責任を持っていながら、全部改正しようというんですから、国民からすると非常にわけがわからないんですね。そんな文科大臣のやってきたことを、では、ある意味では否定することになりはしないかという気がして非常に心配なんです。なぜ、現在の教育基本法をしっかりと認めた上でこのような全部改正という形に持っていったのか、私には納得いかないわけでございます。

 それでは次に、今回の基本法の中でやはり一番大きな課題だというのを先ほどの信濃毎日新聞でも書かれておりましたが、愛国心ということについてお聞かせいただきたいと思います。

 今回、この委員会で通知表の件が明るみになりました。そして、総理は、愛国心は評価対象とする必要はないと答弁されましたし、小坂大臣も、行き過ぎた評価は是正のための指導を行うべきという趣旨の答弁をされました。

 しかし、そうされた以上、文科省としては、全国的な通知表の実態調査を早急にやるべきだと思うんですが、前回のこの委員会での答弁では、やる予定はないということでございましたが、なぜ実態調査をやろうとされないんですか。

銭谷政府参考人 通知表でございますけれども、通知表は、各学校が各学校の責任におきまして適切に判断して作成をするものでございます。

 我が国を愛する態度の評価に際しましては、各学校とも、児童生徒の内心を調べ、国を愛する心情を持っているかどうかで評価するということではないと思っております。国を愛する心情、愛国心がどの程度かとか、そういうことを評価するものではないわけでございます。あくまでも我が国の歴史や伝統等に関する学習内容に対する関心、意欲、態度を総合的に評価するものでございます。

 このような趣旨の考え方につきましては、文部科学省としては、既にその趣旨の徹底を図っているところでございます。先月、今月にかけまして、小中学校の指導主事会議、高校の指導主事会議等で指導しているところでございます。

 こういったことから、文部科学省といたしましては、全国の学校における通知表の内容につきましては現在調査しておらず、今後も調査をすることは考えていないわけでございますが、評価の考え方については引き続き趣旨の徹底を図ってまいりたいと思っております。

横光委員 質問したことと違う答弁をしないでください。私は、愛国心、国を愛する内心の自由にかかわることと質問したのに、あなたは何で態度のことで答えるんですか。私は態度のことを聞いているんじゃないんですよ。

 総理が言われた、内心にかかわることは、愛国心を評価対象とする必要はないと。そういうことで、通知表が心の問題を評価しているということがはっきりしたので、全国的な実態調査をしなければ、総理がしてはならないと言ったことをどうして判断するんですか。小坂大臣だって、行き過ぎた評価は是正のための指導を行うと。実態調査が明るみにならなければ、行き過ぎたかどうかわからないじゃないですか。

 何で実態調査しないんですか。国旗・国歌法のときはすべて実態調査したんでしょう。今回もこういった問題が、総理の発言、小坂大臣の発言がある以上、どうなっているんですかと県教育委を通してやることなんか簡単にできるじゃないですか。なぜそれをやろうとしないんですか。態度じゃないんですよ。

銭谷政府参考人 通知表におきましては、子供の内心を調べ、国を愛する心を持っているかどうか評価するものではないと考えておりまして、そのことにつきましては文部科学省で趣旨の徹底を図っておりますので、特に調査をする必要はないと考えております。

横光委員 評価する必要はないということですが、それをそのとおりしているかどうかということをなぜ調べないのか。していないところがいっぱい出てきたんでしょう。福岡市から埼玉県、岩手県、茨城県、愛知県、きのうの朝日新聞では、千葉県までちゃんとこうして、相当の、四市で評価しているということが出たんですよ。

 ですから、あなたは周知徹底していると言うけれども、こういったことが行われているかどうかをまず調べて、そして、行き過ぎたところ、あるいは総理が言う内心の自由にかかわるところがあったら直すというのがあなたたちの役割なんじゃないんですか。それをなぜやろうとしないんですか。こうして、マスコミが発表する、あるいは各地域が自主的に発表する、こんな他人任せでいいんですか。文科省の責任放棄じゃないですか。

小坂国務大臣 通知表は、先ほど申し上げたように、学校長の責任でこれを自由な形式で記述することができるようになっております。ただ、その記述した内容が直接的に内心を評価するというような内容になっている。例えば、愛国心のあるなしを評価せよのような項目があって、A、B、C、これでは内心の評価につながる。

 しかしながら、委員が御指摘になったような、例えば、「我が国の歴史や伝統を大切にし国を愛する心情をもつとともに、平和を願う世界の中の日本人としての自覚をもとうとする。」これは実際に今委員が御指摘なさった福岡の通知表の例でございます。このような場合に、これを内心の評価として評価しようとすることは誤りであるということを私どもは指導しているわけでございます。

 具体的に申し上げれば、五月の十八、十九の小中学校の各教科担当指導……(横光委員「もう聞きました」と呼ぶ)もう御存じですか。御存じならば繰り返しませんが、このように、私どもは、具体的に学校長等に内心の評価をしてはならないということを申し上げているわけで、したがって、調査の必要はないわけであります。

横光委員 でありながら、こうして次から次へと、恐らく五月雨式に出てきますよ。だから、あなたの言うように、こういう福岡市のようなことがあってはいけないと判断するには、もともとの調査をしなければ判断しようがないでしょう。ああ、ここはちゃんとやっているなとか、あるいは、ここは愛国心にかかわるな、総理が言っているところにひっかかるなとどうして判断できるんですか、通達だけで。全国の学校からそういったことの状況を示してくれれば、簡単に、総理が言われたこと、小坂大臣が言われたことは早急に是正されるわけですよ。

 だから、こうして次から次から、先般、五月末に通達とか指導するというものをおっしゃったと言われましたが、その後、昨日、こうして四市で愛国心を評価しているという事実が判明している。それで、やはり保護者の間では反発や戸惑いも出てきている。学校では、内面の問題評価は難しいと学校から言われている、保護者への説明がしにくい、こういった事態が起きている。

 総理が懸念したことが起きておるんですよ。文科大臣が懸念したことが起きておるんですよ。それを是正するには、全国の調査をして、言われたことが、本当に内心にかかわっていないかどうかを調査して、それぞれの学校の通知表の内容がわからなきゃできないじゃないですか。そのことを言っているのであって、それをなぜ文科省はやろうとしないのか、他人任せでいいのかということをお尋ねしているんでございます。

小坂国務大臣 ですから、もう一度申し上げますが、五月十八、十九の小中学校、五月二十六日の全国連合小学校長会、また、六月一日の高等学校各教科担当指導主事、これらの日付よりも後にそういうことが行われているということを今お引きになった四紙ということが、ちょっと私ども、どの記事かわからないので申し上げているわけですが、この四紙というのは、今申し上げた日付以前の事実としてそれを指摘されているわけでしょうか。

横光委員 これは資料で渡せばよかったんですが、私も報道でしか知らないんですが、いわゆる千葉県の茂原市、我孫子市、鴨川市、南房総市の四市で計十六の……(小坂国務大臣「四紙というのは、紙じゃないんですか」と呼ぶ)市です。十六の学校で通知表で評価していたということが、朝日新聞の取材で明るみになった。

 これなんかは、マスコミがこれからあらゆる形で情報提供しますよ。そんな形で明らかになって、ここもやっていた、あそこもやっていたということがはっきりになるよりも、何で文科省が責任を持って行政責任としてやって、それで、総理が言われる、あるいは文科大臣が言われる懸念に抵触しなけりゃそれでいいんであって、抵触すれば、直していきなさいよと言うのがあなたたちの仕事じゃないか。それを、やる気はないなんて堂々と言っている。とんでもないことだと思いますよ、私は。

小坂国務大臣 今委員が御指摘になっていることは、私どもも、一部においてそういうことが行われているということから、全国の校長を集めた会議で説明しておるわけで、指摘を受けたところを一つ一つつぶしているわけではないんですね。一つあることは全部において行われるかもしれないという前提で、全国に対しての指示を行っております。

 これはすなわち、調査した結果何カ所あるということの把握よりも以前に、その調査の時間もかけずに直ちに指導に入ったというふうに御理解をいただきたいと思っております。

横光委員 指導に入ったということは、自主的に、では、内心にかかわることをやっていたかいなかったかということを文科省に報告するということですか。お聞かせください。

小坂国務大臣 これはすなわち、考え方を明確にして、そういうことの行われない、予防的な措置を行わせていただいた。要するに、内心の評価をしてはならないということを明言するように私も指示いたしましたし、それを踏まえた上で、指導主事等を集めて、通知表等においても、その評価をするときには、全体的な、伝統、文化を尊重する態度とかそういったものを評価するのはいいけれども、内心としての愛国心の有無を直接評価するようなことをしてはならないということを明確に指示させているところでございます。

横光委員 ですから、内心にかかわっているかどうかというのを指導だけで十分把握できて、是正できるのかということを聞いておるんですよ。

 例えば、お示しした資料二を見てください。上の段が福岡市で、総理が、これは内心の自由にかかわるから評価してはなりませんよと言ったくだりでございます。下が、その後に明るみになった通知表、行田市の小学校六年生の社会の。文言を見てください。前半も後半もほぼ同じことを、そして中間に、「国を愛する心情をもつ」、下の行田市の方は「自国を愛し、」と、「国を愛する心情をもつ」というよりもっと強いんですよ。自国を愛す、こういったことを書かれている。しかも、前半はほぼ同じ、後半も同じ。

 前半は、総理がこれは内心の自由にかかわりますから評価するのはやめるべきだと言った通知表ですね。行田市の場合は、これと全く同じでございますが、福岡市はやめております、通知表にこういうことを書くのを。では、行田市もすぐやめるように指示を出しましたか。

銭谷政府参考人 先ほど来お答えを申し上げておりますように、私どもとしては、いわゆる国を愛する心情につきましては、児童生徒の内心を調べて、それを評価するものではないという趣旨の徹底を、先ほど来大臣が申し上げておりますさまざまな会議で徹底しているところでございます。

 例えばこの行田市の例でいいますと、「我が国の歴史と政治及び国際社会での日本の役割に関心をもって意欲的に調べ、自国を愛し、世界の平和を願う自覚をもとうとする。」こういうのが評価の項目になっているわけでございますが、この項目につきましては、自国を愛しているというその内心を評価するものではなくて、意欲的に関心を持って日本の役割や歴史、政治について調べているか、そういう意欲、関心、態度を評価するということはあるわけでございます。

横光委員 そんな前後の文言の関連でごまかさないでくださいよ。では、上の方は、総理は、これは評価の対象になるからやめるべきだとなぜ言ったんですか。行田市の方がきついじゃないですか。何をいいかげんなことを言っておるんですか。では、これを総理に読んでもらってくださいよ。これは評価していることになるからやめなさいと必ず言いますよ。

 ですから、そういうふうに、いろいろなことで勝手に、評価していることにならないと。どこが評価していることにならないんですか。上が評価しているのに、下がどこが評価していることにならないんですか。そんな言いわけをするからおかしいのであって、しかも、全国の小学校ではどういう通知表をつくっているかわからなければ指導できないでしょう、幾ら徹底しても。何でこのあたりのことがわからないのか。委員長、わかりますか。わからないんですね。総理の言ったことが徹底できないですよ。文科大臣の言ったことが徹底できないんですよ。

 では、あなたたちは、総理とか文科大臣の言うことを聞かないんですか。

銭谷政府参考人 繰り返しになりますけれども、私どもが申し上げておりますのは、総理の御答弁、大臣の答弁を踏まえまして、国を愛する心につきまして、内心にわたって、国を愛する心を持っているかどうか、そういうことを評価するのは考えていないことなので、その趣旨の徹底を図っているわけでございます。

 御指摘の行田市につきましては、私どもも行田市に事情を聞きました。行田市のお話では、つまり、意欲的に我が国の歴史や政治について調査をしたり、意欲的な学習をしているかというその意欲、関心、態度について評価しておって、自国を愛する心を持っているかどうかという評価はしていないという返事でございましたので、それで結構だと私どもは思っております。

横光委員 そんなことを聞いておるんじゃないんです。どういった内容のもので通知表を出しているか、つくっているかということを何で調べないのか。そして、もし、そこで内心にかかわるもの、これはほとんどの国民は憲法で保障されているんですよ、思想、良心の自由は保障すると。そこにかかわるから総理も言われたんでしょう。それをいろいろな言いわけで、行田市の場合はこれは内心にかかわらないとか、勝手な言いわけをする。

 茂原市の文言もほぼ同じなんです。「我が国の歴史と政治及び国際社会に関心を持って追究し、国を愛し平和を願う心や国際理解が大切であることの自覚を持とうとする」。みんな前半と後半は大事なんです。やってほしいんです。我が国の歴史や伝統を大切にすることは教えてほしい。平和を願う世界の中の日本人としての自覚を持ってほしい。その間に、国を愛する心情を持つとか、国を愛すとか、そういった文言を入れているんですよ。そして、それは総理はいけないと言ったんです。小坂大臣も、内心にかかわっていたら行き過ぎているからいけないと。それを、かかわっているかどうかがなぜ、わかるかわからないかは調査しなきゃわからないと私は言っておるんですよ。ですから、これほど、今、現場の人たちあるいは保護者の人たちも心配していることなんですね。評価ということはまさに強制から来るものでございます。

 ですから、愛国心というものは非常に難しいんですよ。心の問題でしょう。目に見えないでしょう。まさに内心ですから、これを通知表で評価するというのはどだい無理だし、第一、愛国心を現場で教えることさえ私は非常に難しいと思いますよ。先生たちが現場で一番悩んでいるのは、これをどういうふうにして教えるかということなんですね。教えることさえ難しい。評価することはとんでもない。まず、教えることさえ難しい。

 ちょっとお聞きしますが、愛国心というのは、では、一体どういうことを愛国心というんですか。(発言する者あり)

 例えば、私が今言いましたように、非常に愛国心というのは、とらえようがないぐらい、そして、いつも言うように、この前の調査ではもう本当にほとんどの人が持っている。大きいか小さいか、強いか弱いか。

 例えば、イラクへの自衛隊派遣の問題が大きく国論を二分しましたね。あのときに、派遣すべきだという人が半分おった、派遣すべきでない人も半分おった、国民の中で。派遣すべきでない人の方が多かった。確かに二分した。派遣するべきだという人も、国を思う余り派遣すべきだという意見を言う。これは愛国心ですか、愛国心じゃありませんか。小坂大臣、どうぞ。

小坂国務大臣 国を愛する心というのは内心の問題でございますから、これは該当する、これは該当しないから評価する、評価しないという問題では基本的にないと思うんですね。ですから、それは政策的な判断、また、政治的な判断であろうと思います。

 したがって、それは愛国心があるから行うのか云々というようなことで、派遣される自衛隊員一人一人の内心を調査するとか、国民の皆さんがそのような内心を持っているかどうかを聞くということもできませんし、私は、あくまでも政治的、政策的な判断である、このように考えます。

横光委員 ちょっと私の質問と違った答弁になってしまったんですが、やはりイラクに派遣して行くべきだという人は、日本の国のためにはその方がいいということが根底に、日本に愛国心がある発露だと思うんですね。それから、派遣すべきでないという人たちも、やはり派遣しないで別な形で貢献すべきだ、日本の国はそうあるべきだ、日本の国を思う余り反対する、これも愛国心だと思うんですよ。これは両方とも愛国心だという認識、思いでよろしいでしょうか、大臣。

小坂国務大臣 例えば、それをどっちを愛国心と評価するかということを子供に聞いたとすれば、それは内心の問題だと思います。ただ、今委員が御質問したものをそのまま受け取りますと、それは外交的な評価あるいは政治的な評価として、そのような、国としてどの政策をとるかという選択の問題になってくると思っております。

 したがって、それぞれの政党とかあるいは国民の中でもそれぞれの御意見があるところだと思いますが、外交上そのようなことをすべきかどうか、あるいは、政党政治の中で政治上の判断としてそのような決断をすべきかどうか、こういうことになる、このように思いますので、国益という観点から評価することはあっても、内心上の愛国心の観点から評価することはないと思っております。

横光委員 私は、それほど愛国心というのは幅広いものであって、賛成の人も反対の人もそれぞれ国を思っての意見であって、同じ愛国心だと思うんですね。しかし、中身は全然違う。それほど難しい問題。これを学校で教えろというんですね。評価はいけませんが、教えろ。教えることだって大変難しいわけでございますが、お示ししました資料五の、各界の六人の方たちが一週間にわたって意見を述べております。それぞれの代表者ですので参考に読んでいただきたいんですが、非常にこの愛国、それぞれの年代によってまた意見が違いますし、とりわけ、渡辺淳一さんの一番下段のところ、やはり非常に心配されております。

 こういうふうに、非常に難しい問題を、現場で教えることさえ難しい、それを今回法律に書いたということは、現場がさらに混乱するんじゃないかという心配も非常にあります。やはりこれは、我々民主党が出したように、自然にしみ込むように身につくものであって、法律で明記してやるものじゃないという意見が圧倒的なわけでございます。

 この中で、例えば林真理子さんも、二段目の終わりの方、「ただ、「愛国心」という言葉が若い世代に広がる右翼的な動きをさらに助長したり、(日の丸・君が代の強制を進める)各地の教育委員会のおじさんたちをますます勢いづけたりしないかが、心配の一つです。天皇陛下も「(日の丸・君が代の)強制は望ましくありません」って、おっしゃってましたよね。」と、こういうふうにやはり心配されている。室井佑月さんは、最後、「愛国心って、野球やサッカーのワールドカップで日本を熱狂的に応援して、心がキュッてなる。そんな愛でいいと思う。」こういったのが国民感情なんですね。

 これからいよいよワールドカップが始まります。また日の丸を掲げて私たちは応援するわけでございますが、いわゆるそういった愛国心というのは、みずからの形で、上から押しつけられるものじゃない、そういう気がいたしております。

 最後に、ピュリッツァー賞を受賞したジョン・ダワー氏の言葉をちょっと申し上げます。愛国心には二種類あり、一つは、正しかろうが悪かろうが祖国を愛するという態度、もう一つの愛国心は、自分の国をもっとよくしたいので過去の失敗に学ぶという態度であり、より平和な世界を築いていくためには後者が唯一の道としております。これは、ピュリッツァー賞を受賞したジョン・ダワー氏の言葉でございます。

 終わります。

森山委員長 次に、田嶋要君。

田嶋(要)委員 民主党の田嶋要です。どうぞよろしく願いいたします。

 ふだんは総務委員会でございますけれども、一時間ちょうだいをいたしましたこと、感謝を申し上げます。

 まず、一番最初に、せんだって、私、総務委員会の方である法案の審議をさせていただいたときに、竹中大臣がその法案をしっかり読んでいなかったということをお認めになったことがございました。法案によっては膨大な量になって、私たちが役所の方から内閣提出法案の説明を受けるときの、そういったサマリー程度のようなもので大臣も説明を受けるのかな、そういうような印象を受けたわけでございます。

 せんだっての党首討論、小沢代表と小泉総理の党首討論、私も後ろでその質疑、答弁のやりとりを聞いておりまして、小泉総理、中身に関して余り御理解していただいていないんじゃないかということで、小沢代表の質問に対する答弁としては、すれ違いが大変印象強くありました。それを見ていた多くの方がそのように御印象を持たれたのではないかなと。小沢代表御自身も、その後の記者会見でもそのような趣旨のことをおっしゃっておられます。

 文科大臣にお伺いいたします最初の質問ですが、こういった、特に教育基本法でございますから、多くの方が御指摘しているとおり、憲法に準ずるような大変重要なものでございますが、その中身に関しては、一条一条、小泉総理はちゃんと改正の内容を御理解されておるということでよろしゅうございますか。

小坂国務大臣 私は総理ではございませんので、総理がどのような御認識をお持ちか私が答弁するわけにはいきませんが、一般論として申し上げれば、毎国会、百本近いといいますか、百数十本の場合もあります、百本を若干切る場合もありますが、法案が提出されます。その一条一条を全部理解しているかと言われれば、それはなかなか難しいと答えざるを得ません。

 したがって、審議の充実を図るためには、そういった逐条的なことについては、それぞれの担当大臣及び担当の政府委員というものも活用していただきながら政府としての一体的な見解を確認していただくとともに、それぞれ、質問通告等を行うことによってお互いに充実した審議に努めるというのが今の国会の審議のルールかと思っておりますので、そのような立場で私は理解をいたしております。

田嶋(要)委員 私も冒頭申し上げたとおり、あらゆる法律改正について、その条文すべてをということは現実問題として難しいだろうということは、私も無理もないという部分もあると思います。ただしかし、今回、さまざま出てきている法律の中でも、特にこの教育基本法の国の中での重要性を考えますと、この間の党首討論の答弁は大変、国民の目から見て違和感を感じる、驚くような中身ではなかったかなというふうに思います。

 もちろんそれは、小泉さん御自身ではないという御指摘もそのとおりでございますが、私は、担当の所管大臣として、やはり不十分な部分があれば再度しっかりと御説明をいただくという必要が、御責任が文科大臣にはあるかというふうに考えておりますが、せんだっての党首討論でそのような印象を多くの国民が持ちました。それから今日に至るまで、そのような形での担当大臣からのしっかりとした総理への説明をしていただいたでしょうか。

小坂国務大臣 教育基本法の本会議における趣旨説明、その後に委員会を開会していただきまして、総括質疑そして一般質疑を繰り返してまいりました。その状況につき総理に御説明を申し上げておりますので、その際に、議論になった主な点という点で、幾つかの事項を御説明申し上げているところでございます。

田嶋(要)委員 総理御自身の、実際に条文を読んでいただく、あるいは御理解を深めていただくことすら大変時間がかかるわけでございますが、しかし、今回の審議のプロセスというのは、このスピードというか、今回、通常国会の終わりに特別委員会という形で審議がされている状況を、非常に違和感を持って受けとめられている方も大変多くおると思います。

 そこで、お伺いしたいわけでございますが、通常であれば文部科学の委員会で行う、しかし、集中的に曜日を問わず開くことができる、こういった形でわざわざ特別委員会を設けて行っているということで、やはり多くの方から見れば、何でそんなに急ぐのか、そのような印象を強く持たれておると思うんです。そこに関して、かつて何度か御答弁されているかもしれませんが、改めて、どうしてこういう形で改正をしようとしているのか、その点をお伺いしたいと思います。

小坂国務大臣 なぜ今回改正法を提出するのかという点で申し上げれば、先ほど来申し上げた、戦後六十年たつ中で、正確には五十九年と言い直される方もいらっしゃいますが、戦後半世紀たつ中での社会的な環境の変化、少子化、今そういうことをお聞きになったんでしょうか。それとも、改正案を提出した理由ということではなくて、なぜ特別委員会かということをお聞きになったというふうに考えた方がよろしいんでしょうか。

 うなずいていらっしゃいますので、特別委員会でなぜ審議するかという点だけ申し上げますと、特別委員会を設置するということは、通常の委員会とは違って定例日がないということはおっしゃるとおりでございます。しかし、重要な法案であって、その審議に特に国民の関心があるという場合に、他の法案は常任委員会で審議をしつつも、特定の法案について、特別委員会を設置して国民の注目を集める中で審議の充実を図るということは、国会審議の中においてはたびたびあることでございます。

 私は、今回の教育基本法も、そのような観点で、国民の大きな関心を集めている法案であるということ、そして、その審議の充実を図るために総括質疑等における総理の出席を求めるということで、いわゆる重要広範と呼ばれるような、本会議における総理の答弁、そして委員会における総理の出席を求める、そういう審議を尽くすべきという観点から、また、審議の充実を図るために、他の委員会の定例日にかかわらず審議ができる体制をとるべきだという形でこの特別委員会ということを国会としてお決めになったこと。大臣としては、国会の審議のありようでございますから、国会の方でそのようにお決めになったというふうに理解をしているということを申し上げる立場でございます。

田嶋(要)委員 集中的に審議はできますけれども、しかし、世の中で過ぎ去っていく時間ということを考えてみれば、やはりそれだけ大変短い時間に圧縮した形になっておるというのも、私は現実問題としてあると思います。

 特に、この教育の問題というのは、恐らくここにいるすべての方が日本の義務教育を経て大人になっておる、ほぼ例外なくそうだと思います。すべての国民が直接当事者として経験をしてきている、そういう分野であるからこそ、やはり国民的な議論をしっかりと行っていくことが一番自然なテーマであろう、私はそのように思っておるわけでございます。

 そこで、そういった意味で、今回、継続ということになっていくわけですけれども、与党の中での審議ということではしっかりやられてきた、過去何十回も議論されてきた、そういう話でございますが、国民的な議論をこれまで文科大臣としてどのような形でやってこられたか、その点に関して具体的に御説明をいただきたいと思います。

小坂国務大臣 平成十二年十二月に教育改革国民会議の報告というのがなされまして、それまで幾たびにわたりまして、国会の質疑でも行われました教育基本法について、今日的な改正を行うべきかどうかという議論も踏まえて、教育改革国民会議の報告では、教育基本法を改正に向けて取り組むべきだという提言をされまして、それを受けて、平成十三年十一月には、中央教育審議会に新しい時代にふさわしい教育基本法のあり方等について諮問をさせていただいております。これは当時の文部大臣でございますが。

 その後、四十回以上にわたる中央教育審議会の御議論をいただくとともに、一日中教審など国民の声を直接お聞きする、出前審議会と申しますか、こういった一日中教審も開き、そして平成十五年三月に答申をいただきまして、教育基本法を改正すべきというその中で準備を私どもは進めてきたわけですが、その過程においても、全国各地で教育改革フォーラムあるいは教育改革タウンミーティングというものを開催し、進めてまいりました。

 また同時に、並行的に、与党におきましては、十五年五月以来、与党教育基本法改正に関する協議会及び検討会を設けていただきまして、精力的な検討が進められ、本年四月に「教育基本法に盛り込むべき項目と内容について」という最終報告が提出をされ、私どももそれを受けて、これまでの国民の意見並びに中教審の答申、こういったものすべてを踏まえて、この五年以上にわたる議論の一つの結実としての教育基本法改正案というものを取りまとめさせていただいたところでございまして、今日では、ホームページ等におきましての意見募集また説明、またこれまでも教育基本法改正についてのパンフレット、そういったものを通じて、国民の理解を得る努力、また国民に対する広報、国民の意見募集というものを行ってきているところでございます。

田嶋(要)委員 今、何年にもわたってそういう御努力をされてきたという御答弁でございますけれども、やはり重要な骨格がはっきり政府の方から示されてきたということを考えますと、例えばこの三カ月間あるいはこの半年間、この一年間の間にどのような形で、具体的にタウンミーティングをどのような頻度で全国各地でやられてきたか、その辺はいかがですか。

田中政府参考人 教育改革タウンミーティングにつきましては、平成十五年から実施しておるところでございまして、平成十五年に岐阜県、平成十六年には山形県、愛媛県、和歌山県、それから大分県で実施しておるところでございます。そして、平成十七年に島根県、静岡県で実施しまして、本年に入りまして大阪府で実施したところでございます。

田嶋(要)委員 だから、昔からいろいろやっておるというのはわかったんですけれども、私が質問しておるのは、大変重要な基本法の中に入ってくる文言が固まってきたのは、そんな三年も前の話じゃないわけですよ。そういう意味で、非常に重要なところが固まってきた、固まってきてからどれだけ集中的に全国でそういう精力的なタウンミーティングとかをやってきたかということを御質問しています。

田中政府参考人 ただいま、文部省の中にもプロジェクトチームをつくりまして、この中で広報活動にも努めておるところでございまして、法案を国会提出させていただいた後も、さまざまな都道府県教育長協議会でございますとかPTAの会議でございますとか、そういう会議で改正案の内容の御説明をさせていただいておるところでございます。それと同時に、文部科学省のホームページを起こしまして、そこの中で改正案の内容を公開しておるところでございます。

田嶋(要)委員 皆さん聞いておられると思いますけれども、こういう答弁を聞いて、やはり審議はまだ全然足りない、国民的な議論なんかまだ起こっていないですよ、まだまだ。それはもうこれからやはり、今プロジェクトチームを立ち上げられているということですから、まさにこれからしっかりやっていかなければならないというふうに私は思いますね。

 三年前、四年前から始めていたのは結構ですよ。しかし、私の理解はやはり、重要な文言が固まってきたのはまだまだ最近ですよね。それをこの特別委員会を開いて集中的にやっている。世の中から見れば、一体何でこんなに急いでやっているのか、これは私、素朴な疑問として出てくると思います。ぜひ、今まさに政府委員の方がおっしゃったように、そういった、しっかりとしたタウンミーティングなんかもこれから全国的に広げていかなければいけない、私はそのように思います。

 それで、民主党の方にも御質問をいたしますけれども、民主の今回の法案でございますが、今回対案として法案を国会の方に提出されました。その中で、当然、通常でしたら自分たちの法案を通過させる意思があって法案を出してきているわけでございますが、今回の民主党の基本法改正案の提出の意図に関してお知らせをいただきたいと思います。

藤村議員 田嶋委員の方で今政府にただしていらっしゃったと同じように、民主党におきましても、小渕内閣当時に、教育改革国民会議ができたほぼ同時期に、私どもは教育基本問題調査会というものを発足させた。以来、党内における教育の基本に関して種々論議をしてきた中で、昨年の四月には、この教育基本法について、新しく我々は教育基本法をつくろうと。憲法についても創憲という言葉を使っておりますが、我々、教育基本法についても、新しく教育基本法をこれはひとつつくろうということが去年の中間報告、四月でございました。

 以来、約一年間かけて今回提出した教育基本法を上程したわけでありますが、政府が出されたのが四月二十八日だったと思います。我々は五月になってからの提出でありますので、そういう意味では、政府案のこれは全部改正という現行法の改正、そして我々は全くの新法としての日本国教育基本法、これを並べて、今から本当に、一年かかるか二年かかるか、まさに国民的論議を起こしたい、そういう意図もございましたが、何より、我々の法律がやはり、これは新しい教育基本法として通していただきたいという気持ちでございます。

田嶋(要)委員 せんだっての鳩山先生からの発言、五月十六日ございました、これから一年、二年かけてという発言でございましたけれども。そういたしますと、この民主党の対案というのも次期臨時国会に出してくるとは思うんですが、その場合にも、法案の成立ということでは、これから一年、二年、じっくり時間をかけてというお考えであるということでよろしゅうございますか。

藤村議員 次期の国会のことはまだわかりませんし、私どもは、この国会において十分な審議がされれば、当然、最終的に採決ということになるんでしょうが、我々の考え方は、先般鳩山幹事長が御報告したとおり、まさに今両案が国民の前に明らかになり、これをまさに一、二年かけて国会で審議すべしという考え方でございますので、我々の案を掲げて、この次の臨時国会がどうということについてはよくわかりませんが、今後もいろいろ説明し、議論を巻き起こし、国民的な議論の中で決めていっていただきたいと考えております。

田嶋(要)委員 もう一点、政府と民主党両方にお伺いいたしますが、教育基本法に関しましても、調査会を開くべきという意見も大変多くございます。その点に関して、まず民主党の方から御意見をいただきたいと思います。

藤村議員 先ほど来おっしゃるとおりですが、教育基本法というのは本当に教育における憲法ということで、これはまさに教育の根本理念を示す、あるいは教育分野で最も重要と言える法律ですし、今後の日本の人づくりの方向性を示して、また進路も大きく変更をすることになるだろうと考えますので、広く国民的な議論と合意が形成される、このことが何より肝心だと思います。

 そういう意味では、先般、今も行っていますが、憲法を、憲法調査会を衆参に設置して、五年間の調査をずっとされてきた。そして今、特別委員会に切りかわって、いよいよ、また中身の改正云々ということが、議論が始まったばかりでございます。

 そういう意味では、それと本当に同じぐらいの位置づけで教育基本法というものがあると我々は思っておりますので、五年とは言いませんが、鳩山幹事長が申しましたように、本当に二年、三年ぐらいかけてこれはじっくり議論をすべき課題だと思っておりますので、ぜひ調査会を設置してほしい、そのことはずっと要望しております。

小坂国務大臣 私どもは、今回御審議をいただいて、できれば今国会で成立をさせていただきたい。できればという言葉を当初は申し上げておりませんでしたが、最近のいろいろな報道を聞きますと、今はそう申し上げた方がいいのかもしれませんが、私の立場としては、何としても皆さんの御理解を得て今国会において法律を成立させていただきたい、こう考えているところでございますので、今から調査会をつくってその審議をするというようなことは考えておらないわけでございますし、民主党の皆さんも、今国会に法案を提出され、並行して審議をしていることを考えれば、私は基本的にはそのような考え、私どもと同じような立場でないかな、こう推測をさせていただいているところでございます。

田嶋(要)委員 次に、大きな別のテーマとして、子供の安全、安心を高める取り組みということでお伺いをしたいと思います。

 言うまでもなく、残念な悲しい事件が相次いでおりますけれども、この関係の質問は猪口大臣にはかつて別委員会でさせていただきました。そういったところでございますが、まず最初にお伺いしたいことでございますが、文科大臣にお伺いいたします。

 今のようなさまざまな異常な事件が起きている、子供が被害者になる場合だけではなくて加害者になる場合もあるわけでございますが、そういった今の社会問題、この社会問題を解決していくかぎが文科大臣の視線から見られてどこにあるというふうにお思いになられているか、その御所見をいただきたいと思います。

小坂国務大臣 まず、児童生徒の通学路における安全を守る、また、学校における安全を守るという観点からすれば、地域の防犯力を高めて地域ぐるみで犯罪に対する抵抗力をつけるということ、それから、児童生徒がみずから危機を察知し危険を回避する能力を身につけさせる、そういう教育を行うこと、この二つが、そういう児童が被害に遭わない。また、加害者の立場になるかということを考えれば、これは命の大切さをしっかりと教えるとか、あるいは問題行動が起こったときに早い時点で指導に入るというようなことを行うとか、そういったことが指摘をされるところと思います。

 今かなり大くくりの御質問でございますので、その中で、地域の安全を守るという観点からすれば、地域の防犯力を高める、犯罪に対する抵抗力を高める、それから児童生徒の犯罪危機回避能力を高める、これが喫緊の課題であろうと思っております。

田嶋(要)委員 そういったさまざまな取り組みが大変重要だということは、青少年特別委員会の方でもいろいろと御議論をさせていただいているところでございますが、学校教育という側面でも、私は今、子供に関しての非常事態宣言を出してもいいような状況ではないかなというふうに考えておるんですね。

 前、猪口大臣ともお話をさせていただきましたけれども、青少年特別委員会の方ではCAPプログラムというような話も出まして、かなり全国でも盛んになっているという話もございます。これはもちろん、犯罪に巻き込まれないように子供たち自身が自己防衛力を高めていく、そういった内容のプログラムで、大変評価の高いものでございますが、私は、これをさらに文科省が後押しをして、全校で例外なくこういったものをしっかりと子供たちが身につけられるように、そういったさらに一押しの強力な国の旗振りが必要な時期に来ているのではないかなという感じがするわけでございますが、その点に関しましては、大臣はどのようにお考えですか。

小坂国務大臣 子供の安心、安全プロジェクトということで、文部科学省としても、そういうプログラムを組んで各学校に通達も出し、また指導も行っているところでございますが、委員の御指摘も踏まえて、なお一層の普及といいますか、施策の浸透に努力をしたいと思っております。

田嶋(要)委員 いろいろと御指導いただいておるのは承知をしておるところでございますが、やはり地域で見ますと、県によって大変盛んな地域とそうでもない地域がございます。そういったばらつきがあると、やはりまだ、一人一人の大切な命が奪われていく、そういった事件が後を絶ちませんので、ぜひ私は、科目として導入できるのかどうかわかりませんけれども、やはり例外なく義務教育の中で、短期間、例えば三年間の非常事態宣言の期間だけでも有効かな、そして、その後のことはその三年間を経て再検討してもいいのではないかなというふうに考えております。

 ぜひ、先ほど申し上げたCAPプログラムというのはあくまで一例にすぎませんが、そういったことをやらないと本当に、今でももう取り返しのつかない事態になっております。これからもう二度と、前回猪口大臣にも申しましたけれども、一人の子供もこれ以上犠牲を生まないというのは当たり前のことだと思います、現実的にはなかなか難しいかもしれませんが。では、すべての手を尽くしたかというと、頑張ります、頑張ります、これだけではやはりだめだと思うんですね。

 やはり具体的に、いろいろな現実的な壁はあるかもしれませんが、しかし、例えば、特区制度みたいなものと同じで、特別期間を区切るようなイメージ、場所を特区でやるというよりは期間を特別に区切って、これからの三年間を非常事態宣言、この三年間は非常に実用的なといいますか、自分たちの身を守る、あるいは加害者にならない、被害者にならない、そういったプログラムを期間を切ってでもすべての学校で普及させる、徹底的にやってほしいな、そのように思っておりますけれども、猪口大臣、一言ちょうだいをしたいと思います。

猪口国務大臣 田嶋先生にお答え申し上げたいと思います。

 先生御指摘のとおり、子供の安全を守るは大人社会全体の最優先であるべき責任であると思います。そして、少子化の観点から考えれば、生まれてきたすべての子供が、安全な環境でそれぞれ輝くような発展ができるように指導していくことができることが必要であります。そして、その考えに基づきましていろいろな早目の対応をするよう、私としても努力してきているさなかにございます。

 総理もお使いになった言葉なのですが、島田晴雄先生が魔の八時間という表現を使っております。これは、午後の二時から夜の十時までの八時間において子供が犯罪に巻き込まれたり、いろいろと大変な思いをする危険性がある時間帯ということで、これに対応するために今積極的に政府として調整をしている考え方の一つには、例えばスクールバスのような考え方も、民間にあるバスなどを活用し、また退職者などが運転などを市民ボランタリーに技術として供与してくれるようなそういう民間の創意工夫、善意も総合しながら、社会全体として導入することができるかどうか。

 あるいは、放課後の時間ということを考えますと、厚生労働省と文部科学省で力を合わせて、できれば来年度からすべての小学校において、放課後時間をより積極的に小学校の中において、もし家庭が欲すれば教育的な付加価値もつけられるような時間を、安全確保の観点とあわせて、過ごすことができるような対策を調整しているところでございます。

 ですから、今、特区に対しまして、特別時間区のような概念を、先生、教えてくださったわけですけれども、前倒しで、積極的に、できるだけ早く子供の安全確保、そして充実した下校後の時間あるいは放課後時間という観点から施策を進めて調整してまいりたいと考えているところでございます。

田嶋(要)委員 この間、合計特殊出生率が〇・〇四ポイント落ちて一・二五になって、そうしたら政府が、メッセージ性のある政策を打ち出さなきゃいけないというようなことをおっしゃっていたと思うんですけれども、やはりよっぽどひどくなると、ちょっと焦っておられるのかどうか。要するに、やります、やります、頑張りますでは、本当にもうだめなんですね、目に見える形でやっていただかないと。だから、先ほどは一つの例としてCAPプログラムを申しましたけれども、ああいったいいと言われているものは、多くの方々に支持を得られているものは、例外なく一度やってみる、徹底的にやってみる、そういうような思い切った施策をぜひお願いしたいというふうに考えます。

 続きまして、小泉五年間の教育分野での政策に関しての質問をさせていただきたいと思うんです。

 小泉さん、いろいろなところで、一回は前原前代表のとき、それから今回、鳩山幹事長、それから小沢代表、教育の議論をさせていただきました。そのたびに、小泉総理の御答弁としては、小泉内閣が教育に力を入れてこなかった、そういう批判は当たらない、教育軽視という批判は当たらないというような答弁があったわけでございますが、私は、改めて文科大臣にお伺いしたいと思います。

 文科大臣はそういう御専門ということで、責任ある大臣として小泉内閣でお仕事をされてまいりました。その総理の、五年間、自分は教育を軽視してきたわけじゃない、その答弁、それはやはりそのとおりだ、文科大臣のお立場から見ても、そのようにお認めになりますか、大臣。

    〔委員長退席、町村委員長代理着席〕

小坂国務大臣 小泉総理は、米百俵の故事を説いて教育の重要性を表明されました。以来、教育現場における数々の改革を提言され、また、それを受けて、私の前任者であられます中山文部科学大臣、そして私も今日まで努力をしてきたところでございます。

 例えば、教員の研修制度の充実、また、今日、免許制度についても改革を推進するという形にしておりますし、学校の耐震化の推進、あるいは、学校の安全、安心という立場から、子供安全プロジェクト、これは先ほども申し上げましたけれども、スクールガードリーダーとかスクールガードのボランティアの皆さんによる支援。そしてまた、今少子化担当大臣がおっしゃられましたように、路線バスを活用したりスクールバスの導入、また地域の安全マップ、またCAPを御紹介いただきましたけれども、危機回避教育、それから、子供の問題行動に対する対応の教室の実施を初めといたしまして、数々の取り組みをさせていただいております。

 例えば、教育現場における問題行動に早期に対応すべく、昨年九月には、新児童生徒の問題行動対策重点プログラム、こういったものも指導し、先ほど委員の御指摘のあったような、子供が加害者になるような事例も出てきている状況から、これらに対応するということも行ってきているところでございます。それぞれの現場の要請に応じた指導力の育成プログラム、それから、教職大学院大学、これはまだこれからでございますけれども、そういった政策等々、教育現場における改革を推進していただいているところでございます。

 私もこれを受けて、さらにそれを発展すべく、現在、ただいま委員の御指摘のあったような、子供の非常事態宣言とおっしゃいましたけれども、昨年、十七年の十一月二十二日の広島市内における女子児童殺人を初めといたしまして、今市における十二月一日、宇治市における十二月十日、長浜市内における二月十七日の事件、川崎市多摩区におけます三月二十日の児童の投げ落としといった事件、あるいは、五月十七日の下校途中の、今日、ようやく解決に向かいそうでありますが、こういった事件等数々の事件が相次いでいることから、まさに非常事態宣言と同等の普及を図るべく、あらゆる会議において、子供の安全、安心プロジェクトというものの推進をお願いしているところでございます。

 さらに申し上げれば、平成十三年七月に学校教育法、社会教育法の改正、また平成十四年一月からの指導力不足の教員の転職を可能とする制度の導入、また十四年四月に高等専門職業人の育成に特化した専門職大学院制度の創設、また十六年四月の国立大学の法人化、十六年九月のコミュニティースクール導入等数々の施策があるところでございます。

田嶋(要)委員 言葉で並べればどこの国の政府もそういうことを言うと思います。

 ただ、私が申し上げているのは、これも何度も御指摘がいろいろされているところでございますが、よく対GDP比の数字が示されますね。そればかり見るなとおっしゃるかもしれませんけれども、それをまず見ると、明らかに日本の政府だけが突出して少ないんですよ、パーセンテージが。このことを小泉総理にも二度、少なくとも二度、今回指摘がありました。しかし、小泉総理は、ほかの数字も見てくださいとおっしゃるばかりなんですね。ほかの数字を見てくださいといったって、まずその数字を指摘しているんですよ。

 だから、その数字を見て、文科大臣、おかしいと思いませんか。やはり手抜きをしてきたな、この五年間の教育に対する手抜きの結果、十年、二十年日本の復興はおくれますよ、そういう意味で。私は、その点をこの小泉五年間の最大の問題の一つだと思うんです。なぜこんなに手をこまねいてきたか、あるいはなぜこんなに手を抜いてきたか。責任ある大臣として、大臣まで同じ認識でおられるのか、いや、おれは実は内心腹が立っているんだ、そういうことなのか、そこを教えていただきたいということです。お願いします。

小坂国務大臣 教育予算の充実に関しては、私は非常に欲張りでございますから、まだ足りない、まだ足りない、いつでも足りないと思っているのは事実でございます。しかしながら、これは小泉内閣としての財政再建という方針もあり、またどの政府にあっても同じでございますけれども、財政の許す範囲内で施策を行うのは当然のことでございます。そういう観点から、限られた予算の中ではございますけれども、それを効率的に使うという視点で日々努力をしているところでございます。

 GDP比に占める割合という形で御指摘をいただきましたけれども、OECDの統計によります、またOECD平均の五・一%に対して日本の三・五%は低過ぎるではないか、そういった御指摘もあるわけでございます。

 これはたびたび答弁申し上げているように、GDPに対する公財政支出の割合が日本は小さいということ、また児童生徒の総人口に占める割合が小さいということ、また、私立大学ということで高等教育に占める私立の割合が非常に高い、高校では三割、大学では八割ということになりますので、こういった費用が公財政支出という形の教育費という形ではあらわれてこないということがございますので、公財政教育支出という中に含まれない数字が日本の場合には高くなっているために、含まれない部分が多いですから比率が低くなってしまう。こういう理由もあるということで、これがすべてで言いわけになるということではございませんけれども、まだまだ充実をしたいところがたくさんあることは事実でございます。

田嶋(要)委員 財源の問題は、それはもうどの国でも厳しいとは思います。しかし、例えば、これも指摘がされております国際人権規約における高等教育の無償化条項に関して、どの国も厳しい中で、やはり我が国は留保している数少ない国の一つだというのは、明らかに日本は余りそういった分野に関しては力を入れていないんだよということを世の中にアピールをしているような、そのような印象を私は受けるわけですね。その点、ぜひ、一日も早くそういったところで評判、名前が知れ渡ってしまうのは解消をしていただきたいというふうに私は思っておるところでございます。

 そして、同じGDP比の話の中でよく出てくる話として、生徒一人当たりの教育への財政支出はほかの先進国に比べて決して低くないということでございましたので、その論拠は何かということを私は文部科学省から資料をちょうだいいたしました。それを見ると、やはり低いのではないかと私は思うわけでございますが、その点、御説明いただきたいと思います。

 初等中等教育と高等教育に分かれております。今、大臣がおっしゃったように、それは、中には要素として若干日本が違う部分もあるかもしれない。けれども、それはそれぞれの国がそれぞれ特徴はやはりあると思うんですが、これは足し算すると、日本は恐らく一番低い国よりも四割低いですね、初等中等と高等を足し算しますと。やはりこれはおかしいですよ。これは、力を入れていないということをメッセージとして世界じゅうに言っているようなものです。日本にとって教育というのは一番後回しだ、そういうことを言っているに等しいと私は思いますけれども、細かい数字で恐縮ですが、いかがでしょうか、大臣。

田中政府参考人 一人当たりの公財政支出学校教育費でございますけれども、二〇〇二年の比較でございますが、初等中等教育に関しましては、アメリカが七千八百三十七ドル、フランスが六千六百十ドル、ドイツが五千二百七十ドル、イギリスが五千百八十七ドル、日本は六千十六ドルということで第三位になっておるところでございます。高等教育につきましては、ドイツが一万七十五ドル、アメリカ合衆国が九千二百六十六ドル、イギリスが八千五百十二ドル、フランスが七千九百五十ドル、日本は四千八百六十二ドルということで、五位ということでございます。

田嶋(要)委員 数字はわかっているんですけれども、全然少ないでしょうということを言っているんですよ。先進他国に比べて決して低くない、私はこれは間違った答弁だと思いますよ。決して低いんですよ。決して低いというのは日本語でおかしいですね、済みません。低いんですよ。

 こういうことを、国民には伝わらないですよ、党首討論のときもですし、それから本会議場での答弁ももうすり抜けているような答弁ばかりで、まずはそこを認めなきゃ私はいけないと思う。今までは力が入っていなかった、そういうことから、しっかりとした教育、あるいは教育基本法の議論も含めて全力でやっていかなきゃいけない、私はそのように思います。非常に残念な状況が今続いておると思います。

 そこで、お伺いをします。

 今回、教育基本法で、そういった観点からどのような重視を、教育にもっともっと力を入れていかなきゃいけない、そういったメッセージが今回の教育基本法の改正案の中に入っておるかどうかということでございますが、これはまず民主党の方にお伺いをいたします。

 民主党の改正案の中には、こういった教育支出、今までのことを深く反省をして、これからの日本が教育最重視で国を立て直していくんだ、そのことがこの改正案の中に盛り込まれているかどうか、その点を御答弁いただきたいと思います。

藤村議員 現行教育基本法が議論された昭和二十二年当時に、憲法で、義務教育は無償とするという大変画期的な条項が入った。そして、教育基本法においては、義務教育で授業料は徴収しないとした。そのときに、義務教育で授業料を徴収しないだけでいいのかという議論は相当あったようでございます。ただ、昭和二十二年当時は、まだまだ日本の経済的なもの、体力、非常に厳しい中で、しかし、英断をもって、義務教育、特に授業料は徴収しないとして、それも六年から九年に延ばしたわけです。

 そういう意味では、今回の教育基本法を変える際にはやはりそういう英断が必要だと我々は考えまして、私どもは、十九条に、教育の振興に関する計画というところの二項で、この計画には、「我が国の国内総生産に対する教育に関する国の財政支出の比率を指標として、教育に関する国の予算の確保及び充実の目標が盛り込まれるものとする。」とし、さらに、この基本法においては、予算の確保ということで、「政府及び地方公共団体は、前条第一項又は第四項の計画の実施に必要な予算を安定的に確保しなければならない。」とし、教育にはお金をかけていくぞというメッセージをここで発信させていただいたつもりでございます。

小坂国務大臣 私どもの方は、条文は同じ十六条なんでございますけれども、教育行政という項目の中で、「国は、全国的な教育の機会均等と教育水準の維持向上を図るため、教育に関する施策を総合的に策定し、実施しなければならない。」としております。同様に、地方公共団体も、「地域における教育の振興を図るため、その実情に応じた教育に関する施策を策定し、実施しなければならない。」としておりますし、また第四項におきまして、「国及び地方公共団体は、教育が円滑かつ継続的に実施されるよう、必要な財政上の措置を講じなければならない。」としているところでございます。

 さらに、十七条におきまして、教育振興基本計画を策定し、そして、計画的に教育基本法に規定された事柄が実施できるように、計画的な推進について定めているところでございまして、これらの規定をもって、今日まで努力してまいりました他の法律、例えば義務教育国庫負担法とかあるいは標準法とかあるいは教員の人確法と言われるような形で、予算面でも配慮されなければならない、給料面でも配慮されなければならない、こういった規定を設けながらその確保に努力をしているところでございます。

田嶋(要)委員 先ほどGDPとの比率の話をいたしましたけれども、そういたしますと、民主党案というのはそのことをしっかり現状認識を踏まえた上、そういった数値目標というんですか、教育にしっかりと財政的な配慮を行っていくということを明確にしているのではないかという理解でございます。

 それ以外に、幼児教育と高等教育に関する無償教育の漸進的な導入というのが六条と八条にそれぞれ明記をされております。それから、義務教育に関する保護者の負担の軽減というのが第七条の方では指摘をされておりますけれども、その中にもやはり同じ、教育にしっかりと財政的な力を入れていくということが表現をされておるのではないかというふうに推察いたします。その点に関しては、今申し上げた三点、どれも政府案には記述がないところでございますが、その点、大臣、いかがでしょうか。

小坂国務大臣 政府案では、第十一条におきまして幼児期の教育という形で、「幼児期の教育は、生涯にわたる人格形成の基礎を培う重要なものであることにかんがみ、国及び地方公共団体は、幼児の健やかな成長に資する良好な環境の整備その他適当な方法によって、その振興に努めなければならない。」と規定をいたしておりますが、この内容は、すなわち財政的な面の支援も含めた幼児教育に対する考え方をまとめたものでございます。

田嶋(要)委員 精神論としてはどちらも同じということかもしれませんけれども、やはり民主党の案の中に盛り込まれた文言の方がより踏み込んで、そして、現状の厳しい財政状況を踏まえつつも、しかし教育に関してはしっかりやっていくぞというメッセージ性、まさにそのメッセージ性が非常に強い中身になっているのではないかという印象を私は受けます。

 続きまして、教育委員会の関係に関しまして質問をいたします。

 これは、必置義務規定ということが現在ございまして、せんだっても総務委員会の方で地方自治法の改正というのがございました。その中でも、さまざまな答申等に、改正の中の一つとしてこの教育委員会の必置義務規定の廃止ということがございましたが、聞くところによりますと、総務大臣の御答弁によりますと、文部大臣の強い反対によってそれは改正の中には盛り込まれなかったというふうに伺っておるところでございますが、なぜこのような必置義務規定の改正に反対をされたのか、御答弁ください。

小坂国務大臣 教育委員会の役割から御説明するべきかもしれませんが、教育委員会には、地域住民の要請に応じた教育行政を主体的に企画し、実行していくことが求められているわけでございまして、それの推進を一層図る必要がございます。

 これまでも、特区において教育委員会の廃止を提案するものもあったこと、また、民主党の日本国教育基本法においては教育委員会制度の廃止が盛り込まれていることは承知をしているわけでございますけれども、教育委員会は、いわゆる首長、議会、住民とのチェック・アンド・バランスのもとに、多様な民意の反映と教育の中立性、継続性、安定性を確保するための地方教育行政の基本的な組織でございまして、国が制度の枠組みを定めているものであって地方の教育の担い手として不可欠なもの、こういう認識を私ども持っております。

 したがいまして、昨年の十月の中央教育審議会答申においても、このような考え方から、教育委員会をすべての自治体に設置することが必要と提言もいたしておりますし、私どもといたしましては、この教育委員会を必置義務から外すということは適当でない、このように考えているところでございまして、むしろ充実した教育行政を行えるように教育委員会の活性化を図ってまいりたい、このように考えているところでございます。

田嶋(要)委員 一方で、教育委員会の形骸化ということを指摘する声も大変私は多いと思います。これは、先ほどの話と同じように、一斉にということがいろいろな理由で困難であれば、やはり、今回は特区でございますが、特区のような形で、特に、過去に五回も希望を出しておる行政、自治体もあるというふうに聞いておりますけれども、そういったところだけでも試行的にやってみる必要があるのではないかなというふうに考えておるところでございます。

 特に、教育委員会の教育長や委員というのは、実質的にこれは首長による選任ということでございますので、さらに、教育予算の編成や執行に関する事務の権限というのは今でももちろん首長に権限が集中をされておるというわけでございますので、この必置義務規定の有無ということとその中立性というのは関係が余りないのではないかな、私はそのような印象を持っております。

 それに加えまして、公立小中学校における学校教育以外の事務、文化、スポーツ、生涯学習、そういったものに関しては、先行してこの部分だけでも規制の緩和を行っていってはどうか、私はそのように考えておりますけれども、いかがでしょうか。

小坂国務大臣 ただいま委員が御指摘のスポーツとか文化とか、こういった面について権限移譲をしてもいいのではないか、これは考えられる範囲内のことであろうと思っておりまして、私どもも検討してきたことがございますし、今でも行革担当大臣には御相談を申し上げていることでもございます。

 しかしながら、教育の人事権の問題についても可能な範囲内においては地方分権を進めてまいりましたけれども、教育のチェック・アンド・バランスと申し上げたところでもう少し御説明するべきだったかもしれませんけれども、教育というのは中立性を持っていなければならないということから、時の首長が特定の政党または組織の意思に基づいて行動しようとしたときにそれをチェックするのが議会であり、またその議会との対立の中でバランスをとっていくのは教育委員会の役割でございますので、教育委員会の役割は依然として必要なものという認識を持っているところでございます。

田嶋(要)委員 私自身は役割を否定しているわけではございませんが、しかし、形骸化の声も強い中で、やはりそれぞれの現場の判断に任せていく時期に来ているのではないかというふうな意見を持っている次第でございます。

 せんだっての党首討論の中でも、この教育委員会に関するやりとりがございました。民主党の小沢代表の方から、地教行法の第四十八条の指摘がございまして、教育に直接的な責任を負っておらず、指導あるいは助言、援助をする立場にすぎない文部科学省が実質的には日本の教育行政を仕切っている、こういったことの御指摘があったわけでございます。

 これは、世の中の多くの方は、教育委員会と文部科学省の関係、法律ではこういうふうに関係性が明記されているというところまでは、ほとんどの方は、国民的には知らないところだと思いますが、今回の教育基本法の中で、この指摘されたねじれというか矛盾点、ここに関しましては、政府からの教育基本法改正案の中でどのように解消されているか、あるいは全く触れていないか、いかがですか。

田中政府参考人 教育を推進するに当たりましては、国、地方公共団体の適切な役割分担と相互の協力のもと、それぞれの責任を果たすことが重要なわけでございまして、このため、法案第五条では、義務教育について、国と地方公共団体が適切な役割分担及び相互協力のもと、その実施に責任を負う旨を定めているところでございます。

 また、法案第十六条では、教育行政について、国は全国的な教育の機会均等と教育水準の維持向上を図り総合的な教育施策を実施すべきとする一方、地方公共団体は地域の実情に応じた教育施策を実施すべきことを規定しておるところでございます。

 なお、具体的な国と地方公共団体の責任のあり方につきましては、学校教育法や地方教育行政の組織及び運営に関する法律など、個別の法律において明確にされているところでございます。

田嶋(要)委員 今と余り変わらないだろうなという感じがいたしますけれども、この点、民主党の法案はどこが政府提出法案と違うか、その点を御指摘ください。

藤村議員 先ほど小坂大臣からも言っていただきましたように、私どもは、教育委員会を廃止するという考え方でございます。

 すなわち、国の責任を七条三項においてはっきりさせる。これは、財政的な措置、あるいはいわゆる行政、法律をつくっていく、仕組みをつくる責任、それから全国的な標準を定める責任、これらが最終的に国にある。

 そして、残りのいわば教育行政の施行に関することはできるだけ身近なところでということを考えておりまして、それはすなわち、昭和三十一年にいわゆる教育委員会法が廃止されたときに、それまでは選挙で選ばれる教育委員であったのが、そうでなくなった。先ほど政府からの答弁では、首長、そして議会、それから教育委員会、この三者がそれぞれチェック・アンド・バランスだとおっしゃった、そのバランスがその時点で崩れたと思います。そういう意味では、責任、特に設置者である市町村長、首長さんに教育のその地域における責任を任せるということ。

 さらに、十八条二項で、民意を反映した教育行政が行われるよう、選挙によって選ばれる首長の責任を明確にし、三項においては、現行の教育委員会を民主的な組織に改めること、これは教育監査委員会というようなものをイメージしております。

 そんなことから、教育の部局というのは、いわば市町村にそれぞれ合併していくということでございますので、ここは政府案と大変大きな違いであるかと存じます。

田嶋(要)委員 もう一点確認でございますが、これは、そうすると、民主党案では、教育の中央集権化ということを目指しているのではないということでよろしゅうございますか。

藤村議員 お金と組織と標準は国が最終的に責任を持つが、しかし、実施する主体は、まさに設置者である市町村が最も責任を持っていただきたい。まさに地方分権の考え方でございます。

田嶋(要)委員 最後に、数分でございますけれども、教員のことに関してもお伺いをしたいと思います。

 全然話は違いますが、せんだって、旭山動物園の関係の方とお話をしておりまして、多くの方がその名前は知っておると思うんですが、まだ行ったことはないんですけれども。なぜあんな小さな動物園が上野動物園に入る人を超えたかという話をしていたら、飼育係の人に、それぞれの動物をどう見せていくかということを全部権限を任せて創意工夫を引き出したというような話をお伺いいたしました。動物園の話と学校の話がそのまま通ずるとは思いませんけれども、しかし、なるほどなというふうに思ったわけでございます。

 学校の先生、これは一生懸命やっている方がおられる中で、現場の校長先生やいろいろな学校の先生とお話ししていると、やはり悪平等という指摘がよく出てきます。頑張っている人が多い中で、やはり、そうでない方とのいろいろな意味での違いをつけていくことが難しくて、現場の方々にやる気を失っている方が大変多いということを現状として伺っております。

 先ほど人確法の話もございました。あるいは免許更新制のお話なんかもいろいろと出てきておるわけでございますけれども、今後、私は、これは恐らく教育のいろいろな課題の中でも大変、最重要の一つである、教える側の問題だと思うんですね。しかも、みんな我々も教えられてここまで大人になってきているわけだから、今の状況、あるいは私たちが子供だったころの教えてもらった、そういったことを比較しながら、どうしていったら本当にいい形で教えていけるかということは、みんなが関心を持っていると思います。

 先ほど安倍官房長官の方からも、先生との出会いが人格形成につながった、こういうような指摘もございましたけれども、これからどのように教える側のいろいろな政策課題に取り組んでいかれようとされておるのか。

 時間が大変短くて恐縮ですけれども、その点に関して、大臣の方からちょうだいをしたいと思います。

小坂国務大臣 一生懸命やっていらっしゃる先生と問題のある教員との悪平等ということについての言及がありました。

 私どもとしては、十五年から十七年度までの間、教員の評価に関する調査研究をすべての都道府県と政令指定都市の教育委員会に委嘱をいたしまして実施をいたしました。その結果、六十二分の五十七、約九割以上の教育委員会が新たな評価システムに取り組んでいるということがわかりました。

 これらも踏まえまして、平成十八年度の新規事業といたしまして、学校の組織運営に関する調査研究を都道府県、政令指定都市の教育委員会に委嘱しているところでありまして、各教育委員会におきましては、この事業を活用するなどによりまして新しい教員評価システムの一層の改善、充実に向けた取り組みが進むようになる、このように考えておるところでございまして、これらの対策、また教員免許の更新制の導入、こういったことによりまして教員の質の向上をさらに図ってまいりたいと存じます。

田嶋(要)委員 いろいろな友人と話していますと、今の仕事をやめて先生をやりたいという人はすごく多いんですね。そういう意味で、非常に魅力ある仕事だと僕は思うんです。私も個人的にそう思うんですけれども、やはり小さい子供たちが本当に目が輝くようなそういう教育を自分も直接やっていきたい、そういう思いはかなり多くの大人が持っているのではないでしょうか。こういうときだからこそ、やはりその辺をしっかりと取り組んでいただいて、せっかくやる気のある先生が何かなえちゃうような、そういう今のあり方を少し変えていかなきゃいけない、私はそのように思っております。

 どうもありがとうございました。

    〔町村委員長代理退席、委員長着席〕

森山委員長 次に、保坂展人君。

保坂(展)委員 社民党の保坂展人です。

 小坂大臣に、きょう、同僚議員の質問からも出ておりましたけれども、行田市の通知表、こちらの方で、「我が国の歴史と政治及び国際社会での日本の役割に関心を持って意欲的に調べ、自国を愛し、世界の平和を願う自覚を持とうとする」という項目について、先日、小泉総理に、この項目をどう思うか、こういった質問をしまして、総理からは、一般的、全体的に考えれば、こういったことを日ごろの生活の中ではぐくんでいくことは必要だと思いますが、この子に愛国心があるかどうかという項目は私は必要ないと思います、こういった総理の答弁があったわけですが、この点、変わらないかどうか、大臣に確認をさせていただきたいと思います。

小坂国務大臣 その質問のやりとりは通知表に基づいて行われたと思っておりますが、通知表の表現をどのようにするかというのは学校長にゆだねられているわけでございまして、各学校における通知表の表現というものは、多様性があっても、それは是認すべきものと思うわけでございます。

 しかし、その中で、いわゆる内心の評価に当たるようなものを項目として掲げ、それに基づいて内心を評価するということはすべきでないと私も思っております。

 そういう観点から、愛国心の有無について評価項目を設け、それに基づいて内心を評価するということは避けるべき、このように申し上げているところでございます。

保坂(展)委員 先ほどの局長の答弁などでは、この行田市も、愛国心だけという項目ではないんですよね。歴史や政治や国際社会での日本の役割、その中に「自国を愛し、」ということが入っております。

 これは大臣に伺いたいんですけれども、こういう中でも、それは幾つかの要素の一つに「自国を愛し、」ということが入っているので、やはりこれが、いわゆる愛国心をどういうふうに評価したらいいのか、教師も非常に悩んでいるという声も紹介されていますけれども、こういう形での項目の立て方についてどうなのか、重ねてお願いします。

小坂国務大臣 通知表表現を具体的に個別に審査して認可をするとか、そういう規制を設けるつもりはないわけでございますので、基本的に、伝統と文化を尊重し、それをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに云々、こう仮に書いたとして、これについて評価をするという場合に、私どもとしては、そういう評価項目を書くこと自体否定するものではないが、その評価に当たっては、内心を評価することがあってはならないということを指導していくことになる、こういうことでございまして、表現そのものについては、学校長にゆだねてまいるということが私どもの方針でございます。

保坂(展)委員 内心の評価に至らないで評価をする、非常に難しいところだと思います。

 ちょっと角度を変えて、東京都の町田市で、これは二年前の十二月に、卒業式における国歌斉唱について、他の式歌と同様の声量で歌うことができるように指導すること、いわゆる声量の指導ということが言われて大変話題になりました。声の量ですから、子供たちが式で歌う声の量を大中小で分ける、こういうような話もあったり、あるいは、では何か機械で声の量をはかるのか、これは行き過ぎじゃないかという声もありましたけれども、これは一体どういうふうになったのか、答弁願います。副大臣、お願いします。

馳副大臣 事実関係を申し上げます。

 平成十六年十二月に町田市教育委員会から市内の小中学校長あてに発出された、入学式、卒業式などにおける国旗掲揚及び国歌斉唱の実施についての通知において、国歌については他の式歌と同様の声量で歌うことができるよう指導することが記載されていたと承知しております。これは、校歌など他の式歌よりも国歌の声が小さい実態があったのではないかと思われます。

 その後、平成十七年十二月に町田市教育委員会から発出された通知においては、既に各学校において声量について十分な指導がなされているとの判断から、声量に関しては記載がされなかったと聞いております。

保坂(展)委員 これは、国旗・国歌法を踏まえて、教育現場に余り影響がないんだという答弁でしたけれども、声の量をはかろうかという、実際にこれは福岡の久留米市では、大中小で校長や教育委員会の職員に聞き取り調査をして評価をするという例も指摘されていると聞いています。

 これら教育現場の現状を踏まえると、これは小坂文科大臣、もう一回戻りますけれども、この愛国心をめぐる問題というのはやはり大変深い問題でありまして、今回、基本法案の目標の中に我が国と郷土を愛する態度というふうに入っていますから、この目標に掲げたときに、例えば、これは総理にも問いましたけれども、愛国者を育成することになるのか、必ずしもそうではないのか、これはどうお考えでしょうか。

小坂国務大臣 具体的な指導に当たっての先ほどの声が小さいという話も、私は体験的なことで申し上げるわけですが、校歌というのは、大体が体育館の前に額に入って掲示されているんですよね。それで、歌詞を忘れても、見ればもう一度すぐ歌える。ところが国歌というのは、残念ながらほとんど掲示していないことが多いものですから、歌詞がはっきりわからないと、勢い声も小さくなる。そういったことが、式歌の中でちゃんと国歌の歌詞も覚えてもらいなさいという意味で指導したのか。そういったものも踏まえると、その現場にいないと、なかなか新聞の記事のことだけではわかりにくいな、こう思っているわけでございます。

 愛国者と愛国心ということでございますけれども、我が国の郷土や伝統や文化についての理解を深めて、そして、それによって必然的にそういった郷土を愛する心が培われ、また、それらをはぐくんできた郷土に対する愛着心といいますか、そういう心が芽生えて、それで形成されてくるわけでございますけれども、国家、社会の形成者としての必要な資質として、そういった国を大切に思ったり愛するというような気持ちを持つということ、これは大切なことだと私も思っております。

 このような意味で、そういうことは重要ではありますけれども、この第二条第五項において我が国と郷土を愛することを教育の目標の一つとして規定しているということは、これが、一つの型にはまった概念としての愛国者というものを画一的に生産しよう、こういう趣旨ではないことをまず御理解いただきたい。愛国者というのは、こういう場合にはこう反応して、それでこういう態度が常に表明されて一つの形にはまったもの、これが愛国者であって、それを育成する、こういうものでは絶対にない。それぞれの育った環境等によって郷土に対する愛も違いますし、それと同じように、国に対する思いというのもそれぞれに違う。したがって、愛国者というものは一概に規定できるものではない、このように思っております。

保坂(展)委員 官房長官に今の点についてやはりお考えを伺いたいんですけれども、つまり愛国心教育と愛国者との関係ですが、私どもの先輩議員、例えば田英夫議員がそうですけれども、戦争当時、ボートに爆弾を積んで敵艦に体当たりするという特攻隊員として敗戦を迎えたということで、お話を聞いていますと、やはり軍国少年であり、あるいは社民党土井前党首も、軍国少女、戦争に必ず勝つというふうに信じて、そしてそのことを疑うこともなかったと。

 戦後、例えば戦前の教育が、愛国心を強調し、愛国少女だったり愛国少年だったり、軍国少年だったり軍国少女をつくり出したということを踏まえて、やはりこの愛国心の教育を教育基本法に掲げることに危惧を覚えるという点でずっと議論させていただいているんですけれども、戦前の教育の愛国心教育と、今回の、今掲げられている、政府が提出しているところの、我が国と郷土を愛する態度を養う、こういう部分とどう違うのか、お考えを聞きたいと思います。

安倍国務大臣 私の印象では、むしろこの戦後六十年間、自分の国に対していとおしく思う、あるいは、自分が生まれた国を誇らしく思うという感情が否定される風潮が強かったのではないかという気がいたしているわけであります。

 つまり、国を愛する態度を涵養していく、あるいは国を愛する心でもいいんでしょうけれども、それはどういうことかといえば、日本という国の歴史や文化や伝統に対する知識を深めていく、そして自分をはぐくんできた郷土であり、そしてまた、それは文化、歴史の連続性の中にあるわけでありますから、それを総体的に、自分はその一部の中ではぐくまれてきたという認識のもとにいとおしく思っていく、そしてその中で、もっとその地域をよくしていきたい、その国に住む人たちに連帯を感じ、そういう同じ国に住む人たちのために力になっていきたいという気持ちではないだろうか、そして、そういう行動をとっていく人たちのことを愛国者と呼ぶのではないかと、こう思うわけでございます。ですから、それは人それぞれなんだろうというふうに思いますし、その発露の仕方はいろいろあるんだろうと、このように思うわけでございます。

 そこで委員は、いわば戦前と戦後、また、我々がこの改正案の中で表現したものの違いは何か、こう指摘をしておられるわけでありますが、国を愛する気持ちということについては、果たしてその違いがあるかどうかということを私はここで申し上げることはできないんだろうというふうに思うわけでありまして、それは教育の仕方には違いがあるんだろうと、このように思うわけであります。

保坂(展)委員 決定的に違っていてほしい、違っていなければいけないと思いますけれども、国を愛するといっても、そのときの政権、戦前であれば、軍部がやろうとしていることに対して批判や疑念やあるいは不信を持ったりするのは、やはり愛国心が足りない、国民としてだめだ、こういう教育だったんじゃないですか。

 これから日本は、そういう教育、まかり間違っても目指すというふうにはあってはならないと思いますが、その点はいかがですか。つまり、愛国心ということにおいては戦前も今の政府提案も変わらないんだ、こういうことですか。

安倍国務大臣 今、私どもは、自由と民主主義、基本的人権がまさに確保された世の中に生きているわけであって、それは大切な価値観として私たちが守ってきているわけでございます。その中にあって我々は、民主的な投票によって誕生する政権そのものを、また、その政権が行っている政策を含めて愛せとは、全くこれは考えるということはあり得ないわけでございまして、民主主義というのは、これは、国民の意思によって政権を選びそして政策を選んでいくわけでありますから、それぞれが自由に発言することが担保されているわけであります。

 保坂委員の党が政権をとって保坂総理が誕生したときに、我々自民党の党員に、保坂党首がやっていることをすべて愛して、それを無条件に受け入れろと言っても、だれもそれは従わないだろうと。これは当然のことであって、我々も皆さんにそれを強制するということは根底から考えられない。というのは、もうこれは、常識としてむしろそれは議論する必要すらないんだろうと、こう考えた次第であります。

保坂(展)委員 今、後段の例えというか、そんなことはないでしょうねということで、当然そんなことはありませんという答弁をいただいたわけですが、とすると、そこが戦前の教育は欠けていたという認識でよろしいですか。戦前の教育の問題点というのは、どこが問題だったんですか、官房長官。

安倍国務大臣 今、突然の質問でございますから、それでは、戦前のどの教育について御指摘をされているかということなんだろう、このように思うわけでございます。

 つまり、教育とそのときの社会的風潮あるいはそのときの政権の施策等々について、これはしっかりとここが問題であったと分析をしなければならぬだろうと、このように思うわけでございます。

 つまり、基本的には我々は、愛国心を内面に入っていって強制するということは全く考えていないということだけははっきりと申し上げておきたい、このように思います。

保坂(展)委員 文部科学大臣に伺いますけれども、愛国者というようなことをイコール今回の法案で目指しているわけではないということなんですけれども、いわゆる偏狭なナショナリズムということを心配する向きの中から、やはり愛国心が不足しているということを、これは現行の指導要領によって通知表があるわけですね。教育の目標ということで今回の法案が掲げられたときに、この指導要領も変わるかもしれない、また、その通知表を含めた評価のあり方というのも変わってくる可能性があるというときに、その愛国心というのは、それぞれの人がそれぞれの形で持つべきものであって、だれが足りないとか、持っていないからよくないとか、あるいは、それが全体的な評価に結びついたりというようなことがないのかどうかというのをずっと問いかけてきましたけれども、こういうことで、例えば今回の法案によって、愛国心教育とは愛国者を育成することだと非常に狭義に狭く解釈をして、学校現場でそういった教育を始めるというようなことが心配されると思うんですが、そういうときにはどういう指導を、意見を文科省として出すのか、お答えいただきたいと思います。

小坂国務大臣 愛国心というものをどのように教育するかということでいえば、それは、たびたび委員にも御答弁したと思いますが、郷土の歴史や伝統、そして民族的な行事やいろいろなものを自分たちで調べてみるとか、また、そういった偉人について勉強して記憶するとか、また、世界で活躍している日本人について学んだり、その人の人生というものをなぞってみたり、そういったことをする中で、日本人ってすばらしいな、自分の郷土ってすばらしいな、自分の郷土とともに日本という国そのものがやはりすばらしい国なんだなというふうに誇りを感ずる、そういった形の中からその愛する心というものははぐくまれてくるわけですので、具体的に愛せ愛せと言えば愛するかというと、そういうものではないわけでございますので、そういった教え方をするようなことはないと思っております。また、そういったことのないように指導もしていくつもりでございます。

保坂(展)委員 一点だけ、道徳を科目にすることを検討されるということをおっしゃっているんですが、これについては評価も伴うかもしれないと思うんですが、これについて一言だけ伺って終わります。

小坂国務大臣 まず、道徳についての先日の本会議での答弁は、教育改革国民会議報告においても小学校に道徳の教科を設けるなどの提言がなされていることから、学習指導要領の見直しの中で、道徳のあり方は引き続き重要な課題として検討する必要があるとの認識を示したものでありまして、学校教育課程における教科の一般的な性質としては、教科書を用いて指導するということ、また、児童生徒の学習状況を評価するということ、また、中学校では専門の免許状を必要とするといったことがあって、この教科指導というのは行われるわけでございます。

 したがいまして、道徳の評価に当たっては、現在でも数値による評価は行わないこととするなど慎重に対応しているところであって、今後とも引き続き、教科化を含め道徳のあり方を検討するに当たっては、評価のあり方などの課題について十分にあわせて検討することが必要であるという認識を持っております。そういったことで御理解を賜りたいと存じます。

保坂(展)委員 終わります。

森山委員長 次に、石井郁子君。

石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子でございます。

 現行教育基本法をなぜ今全面改定しなければならないのか、また、現行法のどこに問題があるのかということにつきまして今もって納得のいく説明がされていないというふうに私は思っております。きょうは、そもそも、この現行基本法の成立過程についてまずお聞きをしたいと思っております。

 六月二日から東京新聞で、「教育の原点 基本法改正を検証する」という連載が始まっております。その一回目が「米国の押しつけはない」というものでした。

 学校教育法を立案された安嶋弥さんという方が、事基本法に関してはCIE、民間情報教育局主導で制定されたものではない、CIEは基本法については積極的ではなかったと思う、日本側の発想だったというふうに述べられ、また、文部省の元学校教育局長日高第四郎さんという方が、「多くの人は、アメリカ人におしつけられたものであると、考えているように思われます」「わたくしは、当時現場にいたもののひとりとして、誤解であることを知っていただきたい」と後に記していたということがこの記事で紹介されていました。文部科学省、当時文部省ですが、元役人の方がこのような証言を行っているわけであります。

 そこで、大臣に伺いたいと思うんですね。教育基本法は米国から押しつけられたものと思っているのですか、あるいは日本人の手によってつくられたという認識であるのか、お答えいただきたい。

小坂国務大臣 今御指摘の東京新聞の記事そのものは読んでおりますけれども、この現行教育基本法の制定過程においてGHQのどのような関与があったか、あるいはなかったかについては、必ずしも明らかでございません。したがいまして、文部科学省としては、この問題についてお答えはできないと思っております。

 ただ、いずれにしても、現行の教育基本法は、憲法の精神に沿った教育の根本理念を示すものとして日本の政府の発意によって法案が作成をされ、そして帝国議会の審議を経て制定された、このことだけは明らかになっております。

石井(郁)委員 この教育基本法の作成者たちがどのようにして立法したかということについては、いろいろ後にも証言集等が出されておりますよね。今、新聞でお名前を御紹介した日高第四郎さんですけれども、このように述べていらっしゃるわけです。

 この教育刷新委員会そのものには明白な自主性が認められている。アメリカのオブザーバーも、その代理としての日本人のオブザーバーも入っていない。委員は全く自由に討議した。また、一般に、法律案の形式にして国会に出す前には、すべて総司令部の検閲とか承認を受け取らなければならないが、その際、往々干渉があったことは事実である。しかし、教育基本法の場合には、実際上の干渉はなかったのでありますという文章がありました。

 それから田中二郎氏ですね。この方が実際教育基本法の作成の中心を文部省の参事として担った方ですけれども、「教育基本法の成立事情」では、あの前文にしろ、そこに盛るべき内容にしろ、また内容の書き方にしろ、田中先生、この方は田中耕太郎元文相のことですけれども、を中心にして文部省内で検討し、内部的に固めたもので、教育基本法は日本で自主的につくったものと言っていいでしょうというふうに書かれているわけですね。

 大臣、御答弁ありましたけれども、文部科学省として、教育基本法は日本人の手によって自主的、自律的に作成された、このことはやはり明確にしていただきたいと思いますが、いかがですか。

小坂国務大臣 これは繰り返しになります。過日、大畠委員が民主党を代表されまして御質問された際にも、教育基本法の成立過程について、ファンダメンタル・ロー・オブ・エデュケーションという英文のドラフトもあるとか、いろいろと歴史的な資料等もひもとかれて見解を述べられました。

 私どもとしては、先ほど申し上げた答弁の繰り返しになって恐縮でございますけれども、その成立過程は必ずしも明確でない部分もございます。したがいまして、先ほど申し上げた、事実関係としての、日本政府の発意によって法案が作成され、そして帝国議会の審議を経て制定された、この事実だけを確認させていただいたところでございます。

石井(郁)委員 これは当委員会でも、やはり立法者の意思あるいは作成過程、それを示す会議録とか資料というのは大変重要だということを私たちたびたび申し上げておりましたけれども、そういう意味で、この会議録というのが現行教育基本法については残されておりまして、そして、やはり新しい教育についてのこの立法者の意思ということがるる述べられているんですね。そこには非常に熱い志や思いが込められている。日本人が自主的に本当に英知を集めてつくり上げられたということが伝わってくるわけであります。

 それで、私きょうは、その立法者の意思を示すことの一つとして一点確認をしておきたいことがあるわけですけれども、この「教育基本法の解説」という貴重な資料の中にはこのようなことがあります。「まず新しい教育は「個人の尊厳を重んじ」て行われなければならない。従来の教育は、極言すれば国家あって個人を知らなかったということができる。すべて教育は「国家のために」奉仕すべきものとされ、「皇国民の錬成」ということが主眼とされて、個人のもつ独自の侵すべからざる権威が軽視されてきたのである」ということがありますよね。

 そこで伺いたいのは、教育勅語との関係なんです。御紹介した教育基本法作成の中心を担った田中二郎氏はこのようにおっしゃっています。本法は、教育勅語にかわるような教育宣言的な意味と、教育法の中における基本法、すなわち教育憲法的な意味とを兼ね有するものと言うことができると。ですから、教育勅語との関係でいえば、やはり教育勅語にかわるという意味もあって教育基本法が制定された、文部省はそのような認識に立っていますか。

小坂国務大臣 委員が御指摘になりましたように、教育勅語が、二十一年の十月の文部次官の通牒によりまして、「勅語及び詔書等の取扱について」ということの中で、教育勅語を我が国唯一の根本とする考え方を改めると述べ、また、式日等において教育勅語の奉読を停止するということ、神格化するような取り扱いをしないということ、また、昭和二十二年三月には、教育勅語にかわり、我が国の教育の根本理念を定めるものとして教育基本法が制定された、このようにされていることからしても、そういった意味でいえば、教育の憲法ともいうべき根本理念を定めるものとして、また、教育勅語にかわって、戦後の教育の中で、今申し上げたような教育諸法令の一つの根底をなすもの、そういう位置づけで現教育基本法が制定されたと言うことができると思っております。

石井(郁)委員 いろいろな形で論議になりますので私はお尋ねをしているわけでございますけれども、教育勅語につきましては、一九四八年の六月十九日、これは、衆議院では教育勅語等排除に関する決議、参議院では教育勅語等の失効確認に関する決議ということがなされておりますね。微妙に内容は違いますけれども、私は、やはり今読んでも、大変重要だと思うんです。

 衆議院の決議にはこのようにあるんですね。「これらの詔勅の根本理念が主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を残すもととなる。よつて憲法第九十八条の本旨に従い、ここに衆議院は院議を以て、これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する。」

 また、参議院の方では、「教育の真の権威の確立と国民道徳の振興のために、全国民が一致して教育基本法の明示する新教育理念の普及徹底に努力を致すべきことを期する。」ということで、やはり、教育基本法に基づいて新しい社会の建設、国の建設、そしてまた教育の方向を見定めていく、また、新教育理念の普及、徹底が本当に大事だということが書かれているところであります。

 そこで確認なんですけれども、教育基本法の制定とともに、やはり国会の意思としてこういう教育勅語というのは廃止されたということは確認できると思いますが、一言お願いします。

小坂国務大臣 委員が御指摘なさいましたように、二十三年六月十九日に、当時の衆議院、参議院両院において、排除、失効確認決議というのが行われたことは事実でございます。

 また同時に、昭和二十二年三月二十日の貴族院の教育基本法案の委員会におきまして、教育勅語は、「日本国憲法の施行と同時に之と抵触する部分に付きましては其の効力を失ひ、又教育基本法の施行と同時に、之と抵触する部分に付きましては其の効力を失ひまするが、其の他の部分は両立するものと考へます、」またさらに、「それで詰り政治的な若くは法律的な効力を教育勅語は失ふのでありまして、孔孟の教へとかモーゼの戒律とか云ふやうなものと同様なものとなつて存在する」、このように解釈すべきではないか、すなわち道徳律の一つとしてこれはあるのではないかという見解も示されておるわけでございます。

 したがいまして、国会の意思としては、衆議院、参議院で排除、失効決議というものが行われたということは事実でございます。

石井(郁)委員 大臣が教育勅語をどのようにごらんになるとか思っていらっしゃるかということは私は尋ねていません。国会の意思として衆議院、参議院で失効、排除の決議をされたかどうか、この事実を確認したわけでございまして、余り余分な答弁をなさらない方がいいかというふうに思うんですね。それは確認いたします。

 私は次の問題なんですが、現行法が第一条で教育の目的ということをいわば簡潔に書かれていますよね。「教育は、人格の完成をめざし、」云々といろいろあって、自主的精神に満ちた心身ともに健全な国民の育成を期して行うということがあるんですけれども、この教育の目的を書いたということ、このことについて少し質問したいと思うんです。

 この点も、やはり基本法の発案者が、田中耕太郎元文部大臣ですね、その田中耕太郎自身が一九五二年のジュリストの創刊号でこのように書いています。教育基本法がなぜに教育の目的というような純教育哲学的事項に触れなければならなかったのかといえば、従来、我が国の教育法令が教育の目的を指示しており、そうしてそれが新憲法の精神に反しているということが多かったので、やむを得ない手段であったと。この教育の目的を書いたのは、本当にいわば戦前との関連でやむを得ない手段であったというふうに書いている部分に私はやはり大変注目をしなきゃいけないというふうに思うんですね。

 ちょっと申し上げたように、その教育基本法一条というのは、「平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、」というようなことで、やはり一連の価値観は入っているわけです。述べられているわけですね。だから、これというのは、入っていることに対しては、やはり教育勅語にかわる民主的価値観を盛り込むことが求められていた。しかし、新しい民主主義的な憲法のもとで、教育の目的としてふさわしいものでも、やはり教育の目的にこれ以上の内容をつけ加えるということは決してしてはならないというのがこのときの立場だったんですね。

 私、そこで大臣に伺いますけれども、やはり当時の立法当事者が国家による教育への関与の抑制という問題をこのように真剣に考えていたということについて、どのように思われますか。

小坂国務大臣 今回の提案の第二条におきまして教育の目標を定め、これは、個人の人格の完成を目指すとともに、国家、社会の形成者として国民の育成をするという教育の目的を実現するためにも、今日重要と考えられる具体的な事柄を挙げている。このことは、教育の目標を、国民の代表者により構成される国会の審議を経て法律として制定されるということが適切な方法である、こういう認識に立っているわけでございます。

 したがいまして、私どもは、教育に関する国の関与という点におきましては、これはあくまでも、憲法を初めとして法律によって定められた、そういったことについて、それを、行政的な手続に従って文部科学省として教育現場に対してその方向性を指示し、また、その法律の定めに従って行われた指導に基づいて各現場においてこれがなされること、これは、国による関与というよりは、法律に基づいた事柄の実行である、このように理解しているところでございます。

石井(郁)委員 私は、今の御答弁というのは、本当に大変逆立ちした話だと思うんですよね。法律に目標を書けば何でもできるんだ、法律に従って行政を進めたらいいんだという話になっているわけですね。今私が伺っているのは、この法律にこういう教育の目的とか目標を書くということの問題性を話しているんですよ。

 引用しています田中耕太郎は、「教育の目的に立ち入って規定するという異例を犯さざるを得なかった」、現行基本法もそういう異例を犯さざるを得なかったと。そしてその後、こういう現象というのはすぐ取り除くことができない、だから、教育基本法はすぐ変えようと思っていませんから、できないにしても、これを拡張、強化してはならないと言っているんですよ。これは一九五二年です。御存じのように田中耕太郎は、当時の発案者、そして最高裁の長官でいらっしゃいますよね。これを拡張、強化してはならないと言っているんですよ。

 それを、今度はどうですか。まさに目的ではなくて、さらに教育の目標にして、事細かに、いわば「態度を養う」という徳目を二十項目も挙げて列挙しているわけでしょう。事細かに徳目を挙げる、まさに拡張、強化になっていませんか。こういう点については、大臣としてどのように検討されたんでしょうか。

小坂国務大臣 教育の目標を法律で規定することによって、その教育の目標を人の内心にまで立ち入って強制しようとするものではありませんから、憲法の定める内心の自由に抵触するものではないと考えておりますし、それらの事柄をわかりやすくこの法律の中に明記することは、決してそれ自体が憲法に違反するわけではないわけでございますし、私は、抑制的かどうかという点においては、すべての事柄、法律を拡張的に解釈するというのはこれは行き過ぎであろうと思いますが、基本的には、その法律の範囲内にとどまるような意味でいえば、時のそれぞれの権力というものがそれぞれの時代の変遷の中でありますから、そういう意味では、ある程度抑制的に行われるということは私も考えておりますけれども、しかし、あくまでも法律で規定し、国民の代表たる国会議員の審議を経て決められたことというものを教育の目標として掲げ、それを教育の現場に浸透させること自体、それが違憲的なものであろうとか、あるいはなしてはならないことというふうには考えていないところでございます。

石井(郁)委員 私が伺ったのは、こういう目的規定あるいは道徳的な規定を法律に盛り込むことについては、やはり拡張、強化してはならないということについて本当に真剣に検討されたのかどうか、どうもその形跡はうかがえないというふうに思うんですね。

 そして今回の目標は、しかも、道徳心、公共の精神、伝統と文化の尊重、我が国と郷土を愛する態度等々、やはり国が徳目的な目標を決めるわけです。そして教え込むわけですね。さらに評価もするということになって、これは、憲法が禁止する内心の自由にやはり踏み込むことになるんじゃありませんか。これは非常に私は明白だというふうに思います。

 大臣に最後に一言ですけれども、法律ですから、やはり法律は、その特質からして強制力を持つものですね。そういうものをお決めになるということについて、大臣、いかがですか。私は、大変重大な問題をこの今回の与党案ははらんでいるというふうに思いますが、法律は強制力を持つんですよ。教育の問題でそういうことを決めるということがやはり内心の自由に反するということについて、時間が来ましたので、やはり憲法の保障する内心の自由に反するということを私は最後に重ねて申し上げまして、きょうの質問を終わりたいと思います。

森山委員長 次に、糸川正晃君。

糸川委員 国民新党の糸川正晃でございます。

 先週に引き続きまして、本日も法案の条文についてまた質問させていただきたいと思います。

 官房長官には私の質問はございませんので、どうぞ御退席くださって結構でございます。

 まず初めに、第十二条の社会教育についてお尋ねをさせていただきたいと思います。

 近年、心の豊かさを求める国民意識の高まりの中で、余暇活動、これをより豊かにしていく行動ですとかボランティア活動に参加をしたりですとか、ボランティアに参加するために必要な知識を得たり技能を身につけたり、こういう学習への期待がどんどん高まってきている。それから、ともに、長寿化、こういうものや、産業ですとか就業構造の変化の中で、生涯にわたって継続的な学習の重要性というものが高まってきているわけでございます。

 現行の教育基本法の第七条では社会教育について規定をされておりまして、本条に関して帝国議会の議事録を読んでみますと、戦後直後から社会教育の重要性が主張されていた、こういうことがわかるわけでございます。例えば、当時の永井議員の言葉なんですけれども、「教育といえば学校教育だけのような実情にあつたのでありますが、働きつつ学ぶ、あるいは子供の時からのしつけというような、また一生を通じての研究的な、あるいは学問的な雰囲気の中において実務をとるというような、そういう状態をつくり出すことが、きわめて必要なので、その意味における社会教育というものは、非常に重要になつてくる」、このように主張されておるわけでございます。

 今回の法案の第十二条におきましても社会教育について規定をしておるわけでございます。本条に言う社会教育とは何なのか、御説明いただけますでしょうか。

田中政府参考人 社会教育についてのお尋ねでございますけれども、社会教育とは、教育のうち、学校または家庭において行われる教育を除きまして、広く社会において行われる教育を指すものでございます。

 御指摘のように、近年、科学技術の進歩や高齢化、長寿化が進む中で、人々の学習需要が高まっております。そして、その内容が多様化、高度化しておるわけでございまして、本条は、このような需要にこたえる社会教育の重要性にかんがみまして、第一項では、広く社会教育が国及び地方公共団体によって奨励されるべきであることを引き続き規定するとともに、第二項では、国や地方公共団体による振興について規定をしているものでございます。

糸川委員 社会教育というものは大変に重要なものである、こういうふうに私も思うわけですけれども、国民の皆さんにとって、社会教育という言葉はどれほど身近に感じられるものなのかな。世間では、生涯教育ですとか生涯学習という言葉も聞かれているわけでございますし、今回の改正案でも、第三条に生涯学習の理念、こういう条が新設をされておるわけでございます。

 そこで、生涯学習と社会教育、これの関係について御見解をお聞かせいただければと思います。

田中政府参考人 ただいまお答え申し上げましたように、社会教育というのは、学校または家庭において行われる教育を除く、広く社会において行われる教育を指すものでございますけれども、生涯学習というのは学ぶ側に着目した概念でございまして、国民一人一人が生涯にわたりまして知識や技術等を獲得するために、それぞれの興味、関心、あるいは職業上、生活上の必要性に応じまして、学校教育そして社会教育等を通じまして、多様な学習機会から選択して行う学習活動でございます。したがいまして、社会教育によります学習も包含いたします広い概念でございます。

糸川委員 この法案の第十二条の第二項、これは「国及び地方公共団体は、」云々「社会教育の振興に努めなければならない。」このように規定をされておるわけでございます。

 戦後約六十年間、私は、社会教育というものは国民にとって大きな意味を持ってきたのではないかなと思いますが、最近はどちらかというと十分な振興策が講じられてこなかったのではないかな、このように感じるわけでございます。

 私は、学校教育はもとよりですけれども、それとともに社会教育、これは国民の身近な教育の機会、こういうこととして、もっともっと充実してほしい、このように思うものでございます。新たに設けられた規定ではございませんが、今回の改正を機に、この規定にありますように、国ですとか地方公共団体がその振興に本当に努めていただきたいなというふうに思っております。

 そこで、大臣にお尋ねをさせていただきたいんですが、社会教育を今後具体的にどのように振興していくおつもりなのか、お聞かせいただけますでしょうか。

小坂国務大臣 高齢化、そして自由時間のふえてきた今日、生涯学習という理念のもとに、それぞれがみずから学ぶということ、そしてまた、今日、子供の道徳的な側面においての社会教育の必要性というものも指摘をされるところでございます。

 社会教育にはかなり幅広い意味があるかと思いますけれども、今御指摘なさいましたように、国及び地方公共団体において、公民館などの社会教育施設を通じての社会教育の振興という観点で申し上げますと、私の地元の長野市の篠ノ井という地域の公民館活動が、昨年、公民館活動としての表彰を受けたんです。

 そこでは、地域の皆さんで、お花をやっている方はお花を教えに来る、囲碁をやっていらっしゃる方は囲碁を教えに来る。子供たちに囲碁を教えたり、あるいは奥様方が集まって、そしてお互いにお花を教えたりお茶を教えたり、また、お茶については子供たちにも教えたり、あるいは自分が自然学習の中で学んだもの、あるいは地域の歴史について講義を行う方、いろいろな人の教室がたくさん盛り込まれまして、そういった活発な活動、そして、講師も非常に広範な講師を招いて、常に何らかのそういう講演とか学習活動が行われているという意味で社会教育活動が非常に活発だということから、そしてまたユニークな取り組みがあるということから表彰されたわけでございます。

 都市化が進んでいる今日、御近所のつき合いも少なくなってまいりました。そういった意味で、地域のコミュニティー再生という意味も含めまして、国民一人一人がそれぞれの地域においてお互いに支え合いながらさまざまな活動を展開することが重要だ、このような観点から、文部科学省としても、地域づくりを推進するために、例えば、地域の大人たちの協力を得ながら子供の居場所づくりを行う。これは、さっき少子化担当大臣からお話がございましたが、学校の放課後の時間帯に、空き教室を使って、おうちに帰っても御両親のいないような一人っ子家庭のお子さんたちの居場所をつくるという意味、また、むしろ、御家庭があってもそこで過ごしたいというお子さんたちには、年齢差を超えた、学年を超えたつき合いができる場所としてそういうものを提供する、こういった活動も行われております。

 そういった具体的な施策を通じて地域活動を刺激しながら、地域における社会教育活動を推進していくということが必要だと考えているところでございます。

 また、防犯とか防災といった公共的な課題についての学習活動といいますか、地域の力の育成活動が各地域で積極的に展開されているところですが、そういった活動に対して、文部科学省として、関係省庁と連携のもとに、その促進に努めているところでございます。また、司法におきましては裁判員制度等も出ておりますし、警察との連携による防犯教育、あるいは、内閣府、国土交通省と連携した防災教育、こういったものも社会教育の一環として取り入れているところでございます。

 今後とも、文部科学省としては、法改正の趣旨を踏まえながら、各地方自治体と連携をとりながら、個人の要望や社会の要請にこたえる社会教育の充実に、また振興に努めてまいりたいと存じます。

糸川委員 ぜひ、今回の改正を機に、もっとさらに社会教育にしっかりと取り組んでいただければなと思うわけでございます。

 次に、第十三条の、学校、家庭及び地域住民等の相互の連携協力、これにつきまして質問させていただきたいんです。

 教育は学校だけで行われるものではない、学校とともに大事なのは、家庭、地域における教育である、これは前回までの質問でも何度も私は言っておるわけでございますし、改めて確認するところでもないと思うんですが、家庭におきましては、すべての教育の出発点として、特に、豊かな情操ですとか基本的な生活習慣、それから、家族や他人に対する思いやりですとか善悪の判断、こういう基本的倫理観ですとか社会的なマナー、自制心や自律心を養う、こういうことが期待されているわけでございます。

 また、地域社会におきましては、それぞれの地域が有する自然ですとか文化ですとか歴史ですとか伝統というものを背景として、異世代の人々との交流、こういうものによるさまざまな体験のチャンスを提供することによって、地域社会の構成員としての社会性、それから、公共心ですとか規範意識、勤勉性、自主性、創造性豊かな人間を、人間性というものを養う、こういうことが期待されているわけでございます。

 ところが、昨今では、同じ地域に住んでいる者同士でも、まさに他人行儀で、よそよそしくて、まして、子供は社会の宝、こういった言葉も実際にはもう忘れられてしまっているのではないかな。地域の教育力ですとか社会の教育力というものは現実的に崩壊の危機に瀕している、このように思うわけでございます。

 今こそ、家庭ですとか地域社会におきまして、人との交流ですとかさまざまな活動、経験を活発にして、敬愛ですとか感謝の念ですとか家族や友人への愛情、こういうものをはぐくんで豊かな人間関係を再構築して、そして、学校、家庭、地域の三者が一丸となって、二十一世紀を切り開く心豊かな日本人の育成に当たることが必要なのではないかなと思うわけでございます。

 そこでお尋ねをさせていただきますが、今回のこの第十三条において、学校、家庭及び地域住民等の相互の連携及び協力、このように規定しておりますが、この趣旨について御説明をいただけますでしょうか。

小坂国務大臣 この趣旨は、今委員が御指摘なさったとおりでございまして、子供の健全育成、そして、教育の目的を実現する上での学校、家庭、これらが大きな役割を担っていることからかんがみて、地域社会の果たすべき役割も非常に大きくなっておりますので、この三者がそれぞれに子供の教育に責任を持つとともに、相互に緊密に連携協力して教育の目的の実現に取り組むことが重要だ、こういう趣旨から、学校と家庭と企業や関係機関なども含めて、地域社会を構成する者がみずからの役割と責任を自覚するとともに、相互の連携協力に努めることについて、新たに十三条として規定を設けさせていただいたところでございます。

糸川委員 さらに、この第十三条では、学校、家庭及び地域住民に対して相互の連携及び協力を求めるものでございますが、国としてどのような施策を講ずるのか、お聞かせいただけますでしょうか。

田中政府参考人 学校、家庭、地域等の連携についてでございますけれども、文部科学省といたしましても、これらの連携につきましてさまざまな施策を講じておるところでございます。

 具体的には、例えば学校と地域との連携で申し上げますと、保護者や地域住民が学校運営に参画いたします学校運営協議会を設置可能とするための学校運営協議会制度、コミュニティ・スクールを平成十六年九月から施行しておるところでございまして、こういう活用を促進しておるところでございます。

 また、地域の住民の協力を得まして、学校の余裕教室や校庭等に子供たちが安全、安心して活動できる子供の活動拠点、居場所を設ける地域子ども教室推進事業に取り組んでおりますし、本年度からは、子供たちの基本的な生活習慣の確立のための機運を醸成するという観点から、学校や家庭、地域、企業等も含めまして、「早寝早起き朝ごはん」といった、子供の生活リズムを向上させるための取り組みにも取り組んでおるところでございます。

 そして、地域全体で子供の安全を見守る環境を整備するという観点からは、学校安全ボランティアの養成、研修、あるいはスクールガードリーダーによる各学校の巡回指導等を内容といたします地域ぐるみの学校安全体制整備推進事業にも取り組んでおるところでございまして、今後とも、学校、家庭、地域住民等の相互の連携協力を図る環境の整備に努めてまいりたいと考えております。

糸川委員 ありがとうございます。

 もうほとんど時間がございませんので、ちょっと先に進ませていただいて、第十四条の政治教育について一問ぐらいお尋ねをさせていただきたいと思うんですが、私は、そもそも、国民にとっての国家や社会のあり方というものは、変更ができないものではなくて、その構成員である国民の意思によってよりよいものに変わり得るものではないかなというふうに思うわけです。つまり、国民は、現在ある国家、社会のあり方に消極的に順応せざるを得ないという存在ではなくて、よりよい国づくり、地域づくりのために主体的、積極的に参画することを求められている、こういう存在であるというふうに思うわけでございます。

 しかし、これまでの日本人は、ややもすると、国や社会というものはだれがつくってくれたのか、だれかがつくってくれるのではないか、そういう意識が強いから、自分自身の問題として考えて、そのために積極的に行動しよう、こういう努力を怠りがちであったのではないかなというふうに思います。ここ数年の国政選挙ですとか地方選挙の投票率の低下、これも、国民の、国家ですとか社会への主体的な参画への関心の低さというものが端的にあらわれているものだというふうに思うわけでございます。

 しかし、我々人間は一人だけで独立して存在できるものではなくて、個人が集まって公共を形づくることによって生きていくことができるものでございます。

 私は、国家、社会の形成者としての国民を育成する、こういう教育の役割を再度見詰め直して、政治や社会に関する豊かな知識や判断力、批判的精神を持って、みずから考えて、そして公共に主体的に参画して、公正なルールを形成し、遵守することを尊重する意識、それから態度、こういうものを涵養することが重要だというふうに考えるわけでございます。

 もうほとんどこれで最後でございますので猪口大臣にまとめていただきたいんですが、御専門でいらっしゃる猪口大臣なんですが、これからの社会を担っていく国民として、今申し上げたような意識や態度を身につけるということは重要であって、ぜひ必要であるというふうに考えますが、これについての御見解をお聞かせいただけますか。

猪口国務大臣 まさに先生今御説明いただきましたとおり、第十四条、政治的教育についての規定は、これはそのことを示していて、現行法におきましても、そして政府案におきましてもそのように明記しているわけであります。

 やはり、民主主義社会にあって、国民は国家や社会を形成していく、そして諸問題の解決に積極的に関与していく、そういう能力あるいはそのことの意義を深めていく、そのような教育が必要であるという趣旨であると考えております。

 民主主義について、憲法について、あるいは地方自治、このようなことについての知識をまず身につけなきゃならない。そして、その深い意義、そういうことが達成されていく、あるいはそのような考え方が人間社会において共有されていくプロセスにおいてどのような苦労があったか、そして、それはどのようにとうといものであったか、そういうことも含めて教育として受けるということが重要であると思います。

 これは、言うまでもなく、公の性質を持つ学校におきまして、特定の政党の支持あるいは反対、そのような党派的な政治教育、これは禁止される必要がありますけれども、例えば、今十四条は教育基本法なんだけれども、憲法の十四条におきます、すべて国民は、法のもとで平等であって、人種、信条、性別その他云々において差別されない、こういう民主主義の規定の背後にどれほどの歴史的な努力があったかということも含めて、その意義を教育の中で生徒たちがよく理解していくというような機会が、この十四条に込められた趣旨であると思います。

糸川委員 ありがとうございました。

 終わります。

森山委員長 次回は、明六日火曜日午前八時四十分理事会、午前九時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後四時四分散会


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