衆議院

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第12号 平成18年6月8日(木曜日)

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平成十八年六月八日(木曜日)

    午前九時開議

 出席委員

   委員長 森山 眞弓君

   理事 岩永 峯一君 理事 小渕 優子君

   理事 河村 建夫君 理事 田中 和徳君

   理事 町村 信孝君 理事 大畠 章宏君

   理事 牧  義夫君 理事 池坊 保子君

      安次富 修君    稲田 朋美君

      岩屋  毅君    臼井日出男君

      遠藤 利明君    遠藤 宣彦君

      小此木八郎君    大前 繁雄君

      海部 俊樹君    鍵田忠兵衛君

      亀岡 偉民君    北村 誠吾君

      小島 敏男君    小杉  隆君

      下村 博文君    平  将明君

      高鳥 修一君   戸井田とおる君

      土井 真樹君    中山 成彬君

      西銘恒三郎君    鳩山 邦夫君

      福田 良彦君    松浪健四郎君

      松野 博一君    松本 洋平君

      森  喜朗君  やまぎわ大志郎君

      若宮 健嗣君    岩國 哲人君

      奥村 展三君    小宮山洋子君

      高井 美穂君    中井  洽君

      西村智奈美君    羽田  孜君

      藤村  修君    松本 大輔君

      山口  壯君    山田 正彦君

      横光 克彦君    笠  浩史君

      鷲尾英一郎君    太田 昭宏君

      斉藤 鉄夫君    石井 郁子君

      笠井  亮君    保坂 展人君

      糸川 正晃君    保利 耕輔君

    …………………………………

   議員           高井 美穂君

   議員           藤村  修君

   議員           笠  浩史君

   議員           達増 拓也君

   議員           武正 公一君

   議員           大串 博志君

   文部科学大臣       小坂 憲次君

   国務大臣

   (内閣官房長官)     安倍 晋三君

   国務大臣

   (科学技術政策担当)   松田 岩夫君

   国務大臣

   (少子化・男女共同参画担当)           猪口 邦子君

   文部科学副大臣      馳   浩君

   文部科学大臣政務官    吉野 正芳君

   政府参考人

   (内閣法制局第一部長)  梶田信一郎君

   政府参考人

   (内閣府政策統括官)   丸山 剛司君

   政府参考人

   (内閣府政策統括官)   林  幹雄君

   政府参考人

   (文部科学省大臣官房審議官)           板東久美子君

   政府参考人

   (文部科学省生涯学習政策局長)          田中壮一郎君

   政府参考人

   (文部科学省初等中等教育局長)          銭谷 眞美君

   政府参考人

   (文部科学省高等教育局長)            石川  明君

   政府参考人

   (文化庁次長)      加茂川幸夫君

   衆議院調査局教育基本法に関する特別調査室長    清野 裕三君

    ―――――――――――――

委員の異動

六月八日

 辞任         補欠選任

  稲田 朋美君     高鳥 修一君

  北村 誠吾君     福田 良彦君

  島村 宜伸君     松本 洋平君

  鳩山 邦夫君     土井 真樹君

  やまぎわ大志郎君   遠藤 宣彦君

  若宮 健嗣君     亀岡 偉民君

  奥村 展三君     山田 正彦君

  西村智奈美君     鷲尾英一郎君

  山口  壯君     岩國 哲人君

  石井 郁子君     笠井  亮君

同日

 辞任         補欠選任

  遠藤 宣彦君     安次富 修君

  亀岡 偉民君     若宮 健嗣君

  高鳥 修一君     稲田 朋美君

  土井 真樹君     鳩山 邦夫君

  福田 良彦君     北村 誠吾君

  松本 洋平君     鍵田忠兵衛君

  岩國 哲人君     山口  壯君

  山田 正彦君     奥村 展三君

  鷲尾英一郎君     小宮山洋子君

  笠井  亮君     石井 郁子君

同日

 辞任         補欠選任

  安次富 修君     やまぎわ大志郎君

  鍵田忠兵衛君     平  将明君

  小宮山洋子君     高井 美穂君

同日

 辞任         補欠選任

  平  将明君     島村 宜伸君

  高井 美穂君     西村智奈美君

    ―――――――――――――

六月八日

 教育基本法改正論議の慎重審議を求めることに関する請願(佐々木隆博君紹介)(第二七八六号)

 同(鳩山由紀夫君紹介)(第二七八七号)

 同(逢坂誠二君紹介)(第二九七一号)

 同(松木謙公君紹介)(第二九七二号)

 教育基本法の改悪に反対し、教育基本法を生かすことに関する請願(赤嶺政賢君紹介)(第二八五二号)

 同(石井郁子君紹介)(第二八五三号)

 同(笠井亮君紹介)(第二八五四号)

 同(穀田恵二君紹介)(第二八五五号)

 同(佐々木憲昭君紹介)(第二八五六号)

は本委員会に付託された。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 政府参考人出頭要求に関する件

 教育基本法案(内閣提出第八九号)

 日本国教育基本法案(鳩山由紀夫君外六名提出、衆法第二八号)


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     ――――◇―――――

森山委員長 これより会議を開きます。

 内閣提出、教育基本法案及び鳩山由紀夫君外六名提出、日本国教育基本法案を一括して議題といたします。

 この際、お諮りいたします。

 両案審査のため、本日、政府参考人として内閣法制局第一部長梶田信一郎君、内閣府政策統括官丸山剛司君、林幹雄君、文部科学省大臣官房審議官板東久美子君、生涯学習政策局長田中壮一郎君、初等中等教育局長銭谷眞美君、高等教育局長石川明君、文化庁次長加茂川幸夫君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

森山委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

森山委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。小杉隆君。

小杉委員 おはようございます。ようやく質問の機会を得まして、うれしく思っております。

 きょう終わりますと、この特別委員会の質疑も五十時間に迫る長時間の議論になります。非常に幅広く、奥深く、これからの教育はどうあるべきか、議論を闘わせてきました。森山委員長を初め与野党の理事の皆様には本当に御苦労さまでした。また、委員の皆様の本当に真摯な質疑を私聞いておりまして、非常に啓発をされました。また、参考人の質疑も三回に及んで、本当にそれぞれの専門の立場から含蓄のあるお話を伺い、私もかなり啓発された思いであります。

 今までの議論の中では、もう既に、この教育基本法の改正についての理念とか目的、目標、あるいは宗教教育、あるいは心、内面の問題ですかね、不当な支配というようなこと、あるいは現行法の成立過程の話、民主党案との比較というような、ほとんど論点は出尽くした感があります。

 私は、ずうっとここで聞いておりまして、今特に取り上げなきゃいけないなと感じた点に絞ってお話をしたいと思います。三点あります。これからの少子高齢化における教育、それから科学技術、さらには環境教育という点であります。

 まず、官房長官に伺いたいんですが、人口減少社会あるいは少子高齢化社会は非常に深刻であります。最近発表された出生率を見ましても、一・二五と、まあ、今までは何とかショックというふうに言われていましたけれども、もう何かなれてしまって、ショックという言葉すら余り聞かれなくなりました。

 この少子化のスピードが予想以上に進んでいるために、このままいきますと、今世紀の半ば、二〇五〇年には一億人ということになります。これは昭和四十二年ですか、四十年前の水準になるわけですね。さらに、二一〇〇年になりますと現在の人口が半減する、こういう深刻な状況であります。東京では、何と〇・九八という過去最低であります。

 このような状態がずっと進行していきますと、例えば年金も、せっかく、給付は現役時代の五〇%を下回らないとか、あるいは負担も一八・三%を上限とする、こういう取り決めも、これは画餅に帰してしまいます。

 やはり、これからこの少子化に歯どめをかけて、日本の経済がこれからも活力を持ち続け、そして安心できる社会をつくっていくためには、私は、非常に多くの課題を乗り越えなきゃいけないと思います。

 こうした事態について、安倍官房長官、政府の対策会議を主宰しておられます立場からどう認識しておられるか、まず伺っておきたいと思います。

安倍国務大臣 昨年、我が国は、こうした人口の統計をとり始めて以来、第二次大戦の一時期を除けば、初めて人口が減少に転じたわけでございます。出生数は百六万人、そして合計特殊出生率は一・二五と、いずれも過去最低を記録したわけでございます。

 このように、少子化傾向は極めて深刻な状況にあるわけでございまして、人口の減少ということになりますと、ただいま小杉先生が御指摘になったように、特に社会保障において、給付と負担のバランスで成り立っているこの社会保障において、給付するためには負担をする側のある程度の規模の人口が必要になってくるわけでありますが、その人口が減ってくることによって、一人当たりの負担はふえていく、そしてまた給付も調整しなければいけない、こういう問題が出てくるわけであります。

 もちろん、年金におきましては、一昨年、あの年金制度の改革によりまして、マクロ経済スライドを導入することによってある種安定装置は入れ込むことができた、こういうふうに言われているわけでありますが、しかしながら、この社会保障制度の問題またあるいは経済活動の問題におきましても、深刻な問題を惹起することは間違いないわけでございます。そして、それのみにとどまらず、日本を支える、社会の基盤である人口がどんどん減っていく。何とかこの傾向を私どもは変えなければならない、こう考えているわけでございます。

 人口減少ということについて言えば、出生率をたとえ回復をさせていくことができたとしても、子供を産む母数自体は残念ながら減ってまいりますので、人口そのものを反転するということはなかなか難しいわけでありますが、まずはこの出生率の低下に歯どめをかけなければならない、そのための少子化対策は、しっかりとこれは私ども政策として打ち出し、実行していかなければいけない、こう考えているところでございまして、猪口大臣を中心にただいま少子化対策に取り組んでいるところであります。

小杉委員 担当大臣の猪口大臣に伺いたいと思います。

 今月中に少子化対策を発表するということで、今相当煮詰めた段階だと思いますが、先日の政府の対策会議の専門委員会では、三本の柱を中心に議論されました。地域や家庭の子育て支援、働き方に関する施策、経済的支援であります。

 今度の教育基本法の改正でも、まさにこういった視点というものを含んだ内容となっております。例えば十三条では、学校、家庭、地域住民の相互連携ということがうたわれております。

 大臣に、これから進める少子化対策の基本的な考え方をお聞きしたいと思います。

猪口国務大臣 小杉先生にお答え申し上げます。

 今官房長官がお伝え申し上げましたとおり、昨年は初めて百十万人台ですね、出生数において割ったわけです。一方で、昨年後半から徐々に婚姻件数が上昇し始め、ことしに入りまして、この上昇基調が確実なものとなったと考えております。ですから、明るい兆しもうかがえるわけでございます。

 先生が今述べてくださいました三つの柱はいずれも重要であると考えており、抜本的に強化された少子化対策の案を今政府内で最終調整しているところでございます。

 そこにおきます基本的な考え方を述べてみたいと思いますけれども、まず第一に、子育て家庭は、子供の年齢ごとにさまざまなニーズや懸念を持っていることから、総合的、体系的、多角的に少子化対策を立案、推進する必要があるということです。第二に、子育ては、第一義的には家族の責任、そうではありますけれども、同時に、子育て家庭を社会全体で支援していくことが必要であるという考え方をとっております。また、保護者の経済力が概して低い乳幼児期の支援の強化など、新たな発想で取り組むことが必要であると考えております。

 そして、全般的には、子育て期の家族がともに時間を過ごすことができるよう、家族ということを重視していきたいと考えております。その中から、親子、夫婦で過ごす時間を強化できるよう働き方も見直す。これを、男女ともに家族の時間を大事にできるような社会のあり方、そのような改革を進めてまいりたい。同時に、共同参画の観点から、もちろん両立支援を重視していくわけですけれども、全般的には、社会の意識改革を家族とともに過ごす時間を重点化する方向で進めていくことが重要と考えております。

 官房長官が述べられましたとおり、時間との闘いの中にあると思います。第二次ベビーブームの方が今三十代前半にいるんですね。ですから、あと五年たちますと、これが後半に移動するわけです。ですから、この五年間で抜本的な強化策を政府として展開できないと、長期的には、先生の御指摘のような、一世紀かけて人口が半減するというようなことになりかねませんので、政府一体となって連携を強化し、強力に取り進めてまいりたいと考えているところでございます。

小杉委員 大体問題点はすべて網羅されており、対策もそれに沿って立てられていると思うんですね。今お話しのとおり、重層的、多面的取り組みが求められていると思います。

 私は、子供を四人、ほとんど家内が育てたんですけれども、おりますし、孫は五人おります。私、考えるのに、二〇〇七年問題で、団塊の世代がリタイアしていくわけですよ。そういう方々にこの子育てにどうやったら協力してもらえるか、こういったことを考えたらどうか。

 それから、人口減少になると、住宅も、今まで量はどんどん建ってきたんですけれども、空き家も出てきていますね、公団住宅とか公社とか県営住宅とか。そういうところに、例えば、二世代で住む人には、家賃の優遇措置とか、あるいは住宅ローンなんかも二世代、三世代住むところには優遇措置を講ずるとか、これは私見なんですけれども、そういうことも考えていくべきだということを私は指摘したいと思います。

 次に、科学技術について申し上げたいと思います。

 提案理由の一番最初に挙げたのが、科学技術の進歩。この六十年間の推移は非常な勢いでございます。日本は資源もない、食料もエネルギーも輸入に頼る、そういう国にとっては、今までもそうでありましたが、科学技術創造立国という宿命というか、それを基本としていかなきゃいけないと思っております。

 今度発表されました政府の科学技術白書では、少子高齢化と科学技術という視点から記述をされているわけですね。

 そこで、松田担当大臣に伺いたいんですが、人口減少、少子高齢化時代の科学技術の果たすべき役割、さらには、今回、第三期の科学技術基本計画の実行段階に入ったわけですけれども、これから国際競争力そして世界への貢献ということを考えていくと、やはり科学技術というものはもっと力を入れなきゃいけないと思っております。

 この第三期の科学技術計画の特徴というのは、一口で言うと何になるのか。第一期、第二期、いろいろありましたけれども、第三期の最も主眼としているところは何か、その点にちょっと焦点を絞ってお答えください。

松田国務大臣 お答え申し上げます。

 小杉議員御指摘のとおり、日本では、先進国で最も急速に今人口の高齢化が進んでおりまして、また人口減少が昨年から始まっております。

 国際競争が激しさを増していきます中で持続的な経済成長を実現するためには、生産性の絶えざる向上と国際競争力の強化が何よりも重要であります。おっしゃるとおり、資源の乏しい我が国が厳しい内外の環境の中で未来を切り開く道は、我々独自のすぐれた知恵の創造にかかっていると思います。その知恵の根幹が科学技術だ。科学技術の発展なくして日本の生きる道はないと思います。そういう意味で、世界最高水準の科学技術創造立国の実現に向けて、かねてから政府一丸となって頑張っているわけでございますが、今や一層頑張るべきときだと思っております。

 御指摘の第三期基本計画が、そういった状況を受けてこの三月二十八日に閣議決定されたわけであります。社会、国民に支持され、成果を還元する科学技術、あるいはまた、物から人へ、機関における個人の重視というのを基本姿勢といたしまして、今後五年間の投資総額を、一定の条件のもとでございますが、約二十五兆円と明示しております。一層効果的で効率的な科学技術投資や科学技術システムを実現するためのさまざまな政策を提示しております。

 主な特徴を若干申し上げさせていただきますと、一つは、社会、国民への説明責任の徹底と科学技術成果の還元という観点から、科学技術が何を目指すかという政策目標を明確に設定しておる点でございます。

 二つ目は、我が国における創造的な科学技術の未来は、我が国にはぐくまれ、活躍する人の力いかんにかかっている、そういう観点から、人材育成というものに最重点を置いておるということでございます。

 三つ目は、投資の選択と集中をさらに徹底いたしまして、ライフサイエンス等八つの分野ごとに五年間で集中投資すべき対象を明確に定めました分野別推進戦略というものを策定した点などでございます。

 第三期基本計画を受けまして、一層政府としても政府一丸となって頑張っていきたいと思っております。

小杉委員 一言で言うと、人づくりに物すごく力を入れよう、こういうふうに受けとめました。

 そこで、現在、小中高における理数科教育について、小坂文科大臣に伺いたいと思います。

 たびたびここの国会でも取り上げられますが、小中高の国際科学オリンピック、これでは、もはや日本は、中国、韓国よりも低かったと聞いておりますし、最近、日本の子供たちは、理科、数学に興味や楽しさを覚えていないのではないかと気になっているところでございます。

 そこで、科学技術創造立国に向けて、小中高等学校の理科教育をどのように強化する方針でしょうか。そして、総合科学技術会議、ここでは理数教育の抜本的強化が話し合われたと聞いております。理数教育、特にその中でも教科書の充実というようなことにどう取り組んでおられるのか、お答えください。

小坂国務大臣 今松田大臣から答弁させていただきましたように、世界に通用する科学技術系の人材を育成すること、これが二十一世紀の日本の発展に非常に大きな使命を担っている、こういうことでございますし、知価社会と言われる二十一世紀において、しっかりと科学技術を根づかせていくことが必要だと考えております。そういった意味で、今小杉委員が御指摘なさいましたように、小中高等学校における理数教育の充実を図ることが喫緊の課題だと思っております。

 現在のことからまず申し上げたいと思いますけれども、理数教育の教育内容につきましては、学習指導要領におきまして、児童生徒の知的好奇心や探求心を喚起し、思考力を育成する観点から、観察、実験などの体験的、問題解決的な学習を重視するとともに、理解が進んだ児童生徒については、選択教科や発展的な学習によって、より先へ、発展的に学ぶことができるようにしたところであります。

 文部科学省といたしましては、理数教育の振興のための施策である科学技術・理科大好きプランを実施しておりまして、理数教育については現在、中央教育審議会において、教育内容を充実することが必要との認識のもとに、学習指導要領の見直しについて具体的に検討を進めていただいております。あわせて、教科書についても検討をしていくことにいたしております。

 私は、基本的に理数というのは、理科が本当に大好き、おもしろいと思ってもらわないとリテラシーというのは向上しないんですね。ですから、まず小学校のときから、理科、科学というのはおもしろいものなんだなと、体験的にそれを学んでもらうこと、それが一番大切なことだと私は思っております。それが好奇心を発揚させ、そしてその好奇心でさらに先を学んでみたい、知りたい、そういう気持ちになって学びが進んでいく、こう考えております。

 そういう意味で、それを満足させるために、今の教科書だけではなくて、外国の教科書のように発展的な部分がもっとたくさん書いてあって、自分が進みたいときにはそこへ進めるように。日本の教科書は、自分で持ち帰って、独習できるようになっています。外国の教科書の場合には、教室に置いてあるような、非常に分厚い、百科事典のような厚さのものもあるわけですね。

 私は、心の教材のように副読的な教材というものを科学技術においてももっと充実すべきだと思っております。各教室に一冊はそれが置いてあって、そして、興味のある子はそれが見られるように、そしてそれが本当に必要ならば貸し出しができるような、そういう体制も整えて、いろいろなものが勉強できるようにすることがやはり理数教育には必要だと思っております。

小杉委員 先ほどから人材養成という言葉がたびたび出てまいりました。このまま少子高齢化が進んでいくと、研究者自体もどんどん高齢化していきますし、また、多様な能力を持ったそうした人材が不足してまいります。

 そこで、私は、やはりこれから若手と女性と外国人研究者を確保することが重要だと思うんですね。かつて、第一期計画のときにはポスドク一万人計画というものを掲げられましたが、その後、このポスドクの状況はどうなっているのか。それから、これから若手が活躍できるような、自立できるような環境をつくっていくにはどういう取り組みをしておられるのかということ。

 それから、ちょっと続けてやってしまいますが、大学なんかを見てみますと、学部とか大学院の段階では女性が、薬学系とか生物系を中心に多いんですね。ところが、教員になるとぐんと減ってしまう。その原因は一体どこにあるのか。結婚とか出産とかあると思うんですけれども、もっと女性が活躍できる環境づくりが必要だと私は思っております。それと、外国人研究者の受け入れ等についてどうなっているのか、まとめてひとつお答えください。

小坂国務大臣 先ほど、科学技術オリンピックについての御質問がございました。

 科学技術オリンピックは、近年、委員御指摘のように、日本の成績が芳しくないというお話もございました。ことしの科学技術週間において、私も、科学技術オリンピックに参加された物理、化学、生物、そして情報学、天文学等の参加者とお話をしました。大変に難しい問題を五時間もかけて解いたとか、大変チャレンジングな内容なんですね。ことしは、各国の出場枠の二十三名、限界まで申請を出しまして、みんなにチャレンジしていただくようにしております。こういったものを通じながら、さらに推進をしてまいりたいと存じます。

丸山政府参考人 お答えを申し上げます。

 先ほどからお話がありますように、日本の科学技術力の強化というものは、ひとえに人材の力にかかっていると言っても過言ではないと思います。その中で、今先生御指摘の、すぐれた若手研究者、女性の研究者、あるいは外国人のすぐれた頭脳、こういった多様な人材が活躍できる環境を形成するということが最も重要であり、第三期基本計画でもその点が指摘されているところでございます。

 今お話のありましたポスドク一万人計画、これは第一期の基本計画で推進してまいったわけですが、そこで、やはり若手研究者の活躍の場が少ないということが指摘をされまして、この第三期の計画におきましては、テニュアトラックという、すぐれた若手研究者に自立して活躍できるような機会を与える、それを支援する。そして、競争的資金における若手研究者を対象とした支援を重点的に拡充する、こういうこととしております。現に、第三期基本計画の初年度でございます平成十八年度からは、新たに科学技術振興調整費におきまして、若手研究者の自立的研究環境整備に取り組む九大学への支援を開始することとしております。

 また、女性の研究者につきましては、今御指摘のとおり、出産、育児等と研究活動の両立をどう図るか、これが非常に重要でございます。このため、競争的資金の受給における出産、育児等に伴う一定期間の研究の中断、あるいは期間の延長を認めるという措置を拡充することにしております。また、平成十八年度、今年度から新たに、科学技術振興調整費を用いまして、女性研究者の研究支援に対するモデル事業、こういったものを十大学で行うこととしてございます。

 それから、外国人研究者につきましては、やはり、すぐれた外国人研究者の招聘、登用を促進するためには、研究環境のみならず、住宅の確保、子弟の教育等々の生活環境にも配慮した受け入れ体制の構築、こういったものが重要だと認識しております。このため、外国人研究者の受け入れの円滑化を図るため、出入国管理制度のあり方について必要な見直し、あるいはその運用の改善というものについての検討を進めることとしてございます。

 今後とも、人口減少の中で、若手、女性、外国人、すぐれた多様な人材が活躍できるような環境整備に努めてまいりたいと考えております。

小杉委員 終始一貫、この科学技術分野の予算については、第一期十七兆円、第二期二十四兆円、第三期二十五兆円と、ほかの公共事業、ODAその他が大幅に削られていく中で、科学技術予算だけは例外的にふやし続けてきた。しかし、これだけ多額のお金をつぎ込んだのに一体どういう成果が上がったのかというのは、一般国民はやはり関心を持っているんですね。

 ですから、これは、成果というのはなかなかそう簡単には出ないので、長年月を要しますけれども、現状ではどのぐらいの成果が上がったのか、それは国民にやはり説明されるべきだと思うんですね。

 その点と、もう一つはこの予算、二十五兆円ですけれども、どうも今、歳出歳入一体改革、歳出見直しということで、かなり厳しい枠が来年度予算にはかかりそうであります。今の予測ですと、科学技術予算は一一%伸ばさないと今後の二十五兆円の予算は実現できない、こういう状況です。

 今年度、平成十八年度はわずか一・一%の伸びにとどまっております。こういう状況と、それから諸外国、特に最近はアメリカ、イギリスといった先進国、そして中国、韓国、ここ数年もう急速に科学技術予算をふやしてきております。今の現状で、この予算確保というのが非常に大変だと私は思うんですけれども、それについての決意なり見通しをお伺いしたいと思います。

松田国務大臣 お答え申し上げます。

 委員がおっしゃるとおり、科学技術の成果を国民にわかりやすくする。

 現在、経済はおかげさまで立ち直りつつございます。非常に力強いものを感じておりますけれども、その背景には、やはり過去十年間、他の経費が削減されるにもかかわりませず、科学技術に関して一貫してちゃんと支出してきたということも大きいと思います。

 例えば、今、一、二申しますと、垂直磁気記録装置という新しいハードディスク技術ができまして、それが、これから恐らく五年ぐらいの間には何兆円オーダーのイノベーションを起こすだろうと。現に、生産が既に始まっておりますけれども、そういったことが幾つも起こっておりまして、そういったことがやはり今、日本の経済のこの底がたさ、底がたい回復過程を可能にしておると私は認識しておりますが、そういったことも含めて、もっともっと国民にしっかり説明していきたいと思っております。

 それから、今後の予算でありますけれども、おっしゃるように、諸外国も大変、今や知の大競争時代、科学技術競争時代でございます。

 御案内のように、例えば、アメリカの過去五年間の科学技術予算の伸び率は年平均一一%でございます。中国は、二〇〇三年までの過去四年間の平均伸び率は、二割弱の予算の伸びを示しておるわけでございます。その他もありますけれども、時間の関係もありますので、一、二、例示を申し上げました。

 どの国も、正直、科学技術に対しては国家の最高戦略の一つとして大変な力を今注いでおるところでございます。おかげさまで、皆さんの力で、我が国政府も第三期二十五兆円という目標を掲げることができました。おっしゃるとおり、一一%でありませんと、この目標を達成することができません。そういう意味で、私ども、一生懸命頑張っていきたいと思いますが、科学技術こそが国の支えだということで、ぜひ皆さんの力で実現させていただきたく思うわけであります。よろしくお願い申し上げます。

小杉委員 環境問題については時間がなくなりました。私、文部大臣就任のときに、これからは子供たちに環境についての知識を深めてもらおうということで力を入れてきまして、それなりに、各省とも、子供の環境教育についてはいろいろなメニューをつくって取り組んでおられます。きょうはそれを一々説明を聞く時間がないんですけれども、今、京都議定書のマイナス六%の達成が非常に難しい状況なんです。特に、民生部門、我々の一般の生活、あるいは運輸部門、マイカーの運転、そういう部門が物すごくふえているんですね。したがって、幾ら産業部門が努力をしても、一人一人の意識、あるいは一人一人のライフスタイルが変わらないと、この問題は解決できない。

 そういう意味で、私は、もったいないとか、そういう精神が、ケニアのマータイさんがノーベル賞をもらいましたけれども、そういうことを子供たちに植えつける。そして、子供たちは吸収が速いですから、最近の子供たちは環境に非常に敏感です。だから、そういう視点をぜひこれからも教育の場で持ち続けて、充実をさせていただきたいということをお願いして、終わります。

 ありがとうございました。

森山委員長 次に、臼井日出男君。

臼井委員 この教育基本法審議も、大変充実した中でもって長時間にわたりまして審議がされてきているわけでありまして、五十時間を超えるような状況になってまいりました。また、参考人質疑も三日間とってございます。私もいろいろな委員会に出ておりますが、こうした参考人質疑、十分な時間をとってやるというのは、大変丁寧な審議でございまして、結構なことだと思っております。

 民主党さんも日本教育基本法案をお出しでございますが、きょうは、時間の関係で、政府に対する質問だけにさせていただきたいと思いますので、御了承をお願いいたしたいと思います。

 私は、若いときから文教常任委員会等に入りまして、教育問題、かなり一生懸命やってきた者といたしまして、この教育基本法改正の審議というのは、まさに待っていた時間でございます。そうした意味で、この質問に立てるということを大変うれしく思っております。

 この教育基本法、現法は昭和二十二年に策定をされたわけでございますけれども、これは必ずしも日本の自主的な策定ではなかったというのは、既にいろいろな審議の中で明らかになっているわけでございます。GHQの教育改革というものを担当いたしておりました民間情報局の介入のもとでつくられたのでございます。終戦後の日本というものが、再び立ち上がってくることのないような環境をつくっていくということを目標にいたしまして、愛国心の排除、あるいは伝統尊重の排除、宗教的情操の涵養の排除、あるいは男女共学というものにつきましても、両性の特性を考慮しつつというような文言が削除される、こういったいろいろな介入があったわけでございます。

 また、当時は、敗戦の混乱の中で食べることに懸命であった私ども日本人、教育というものを決してなおざりにしたわけではありませんけれども、教育というのは学校で先生がしてくれるものというふうに考えておった、また、教育というのは学校だけでするものだというふうな考えであった。これはやむを得ないことでございますが、そうした当時の教育環境からいたしますと、現在では、教育というのは、学校はもちろんのこと、家庭あるいは地域社会共同の力でもって子供たちを立派に育てていく、そういう意識が当たり前のことになってきたというのが現代でございます。

 この基本法の改正案には、現代社会が青少年の教育のために当然行っている、しかし現教育基本法には記述されていない多くの項目というのが入ってきております。このことは極めて私は大切なことで、ようやっとそういう時期が来たのか、よく六十年間そのままやってきたものだというふうに思うわけでございます。

 例えば、前文中にございます公共の精神、伝統の継承、あるいは道徳心、環境に対する態度、伝統と文化の継承、日本国土を愛するというふうな気持ち、あるいは生涯教育に対する考え方、障害者への教育支援、家庭教育、先ほど申し上げました学校、家庭、地域住民の連携協力、国、地方の役割、そして教育振興基本計画の策定。今まで実際にやってきたこともございますけれども、この教育基本法の中に盛り込まれていなかったもの、これをまさしく今度は盛り込むことができるというのは、大変うれしいわけでございます。

 小坂文部科学大臣、こうした基本法の改正に対する決意というものを冒頭に承っておきたいと思います。もうたびたびこのことにつきましては質問があるわけで、恐縮でございますが、よろしくどうぞお願いいたします。

小坂国務大臣 ありがとうございます。

 臼井委員のお述べいただきましたような、今日の教育基本法に補うべき理念も追加をさせていただきました。現教育基本法のすぐれた理念を引き継ぎつつも、今日の社会の直面している課題、日本の教育の直面している課題を解決するためにも必要な新たな理念、そして、この戦後半世紀たった今日求められる理念を追加させていただきまして、今回の法案の提出に至ったわけでございましす。

 今国会での御審議、先ほど御紹介をいただきましたように充実した御審議をいただいておりまして、国民の皆さんの理解も少しずつ進んでいると思うわけでございます。ぜひとも、今国会、もう会期は少ないわけでございますが、できるだけ審議を詰めていただきまして、そして、国会の十分な御審議の中で、速やかに多くの委員の皆さんの御賛成をいただきながらこの法案が成立させていただけるように、私も最善を尽くし、努力をさせていただきたい、このように考えておりまして、委員の御支援を心からお願い申し上げる次第でございます。

臼井委員 ただいま大臣のお言葉にもございましたとおり、この教育基本法がぜひとも成立をするように努力をいたしてまいりたいと考えておる次第でございます。

 この教育基本法改正というのは、もちろん、子供たちのためによりよい教育をということでつくるというのは当然のことでございますが、よく考えてみますと、これは、我々大人がどういうふうにして子供たちに教えていくかということであるわけでございまして、実は、この教育基本法を熟読玩味して実行しなくちゃいけないのは我々大人であるということが案外忘れられがちのような気もいたします。特に私は、現代の中でそれぞれの分野でもって頑張らなきゃいけないんですが、子供たちに直接接する先生方、この先生方の接し方というのは極めて大切な、重要なものがあると考えております。

 最近、私のところにはがきがたくさん舞い込んでまいります。もちろん諸先生方のところにも行っていると思うわけでございますが、そのほとんどがいわゆる日教組の支部員の皆さん方のはがきでございます。

 この教育基本法の改正の意義は、先ほど申し上げましたように、現在、教室では実際行っていること、しかし、肝心の基本である教育基本法には盛り込まれておらないことというのは大変多いわけでございまして、そうした意味では、お気持ちはわかりますが、しかし、今この教育基本法改正は必要であるということを考えますと、果たして、この手紙を一生懸命書いてくださっている先生方、こういう方々に、この教育基本法の精神とかそういったものをしっかりと理解してもらって子供たちに正しく指導してもらうということができるんだろうかということが、極めて心配になってまいります。

 近年、資料にもつけてございますが、生徒を指導する立場にありながら、国旗掲揚、国歌斉唱というもの、最も国民の基本的な決まり、これにも対応せずに懲戒処分等を受けている教師がたくさんおるわけでございます。例えば、十六年度は合計でもって百三十五名の方々がそういう形でございます。また、指導力不足を認定されまして再教育を受けている、そういう先生方も大変多いわけでございまして、資料二にございますが、平成十六年度では五百六十六名というものが認定を受けて、都道府県の教育委員会で再教育というか、そういうものを受けているということでもございます。

 馳副大臣、おいででございますけれども、直接子供たちに教育を与える教師にこの新法の精神というものを正しく理解してもらって、教育をしてもらう。では、従わない先生に対しては、一体どういうふうな姿勢でもって臨んだらいいのか。いろいろ難しい点があります。こういう点についてお考えをお聞かせいただきたいと思います。

馳副大臣 おはようございます。

 私も教員として現場に立っておった経験からすれば、定められた法律に基づいて現場において上司の命令に従って指導を行うというのは当然でありますから、それに従わない場合には、地方公務員法に従って懲戒処分の対象になるというのは当然であります。しかしながら、任命権者である都道府県の教育委員会の裁量に従って処罰される、こういうことになりますが。

 あと、この教育基本法改正案が成立しました暁には、当然、法律に基づきまして、振興基本計画また関連の学校教育法や学習指導要領などは見直しがされるということになりますから、速やかにそれに応じて、あらゆる会議、通達などを通じて現場の先生方に周知されるように、当然、同時に、ホームページなどを通じてほとんどの国民の方々に、どういう理念、どういう方向性で教育基本法が改正されたのかということが知らされなければならないと考えております。

臼井委員 ぜひともこの教育基本法の精神というものを理解していただきまして、もちろん、国を愛するという気持ち、これはいろいろな形があるわけで、これはそれぞれ個人の自由でありますが、しかし、教育全般には本当に全国民の協力が必要だということを理解していただいて、先生方にもしっかりと指導していただくようにお願いをしたいと思います。

 過去の審議におきましても、いわゆる愛国心問題に関連をいたしまして、内心の評価をどうすべきか、その是非についていろいろ議論がございました。これに対しまして、文科大臣の方からは、内心の評価はすべきではない、このことについてはしっかり指導しているという答弁があったように思うわけでございます。

 一方、資料にもつけてございますが、学習指導要領の中では、小学校、中学校、高校、それぞれ、国や郷土に対する、愛する心を持つことの大切さというのを、表現が違いますけれども、いろいろ述べてあるわけでございます。資料をつけてございますからごらんをいただければおわかりだと思いますけれども、例えば小学校学習指導要領、社会、第一、目標、我が国の国土と歴史に対する理解と愛情を育てるということですね。道徳、第二、内容の五、六ですが、郷土の文化と伝統を大切にし郷土を愛する心を持つ、伝統に親しみ国を愛する心を持つ、こういう指導要領ができております。

 そうすると、この指導要領に掲げられていることは生徒に指導していくということになるわけでございますけれども、それでは、これらの具体的な指導に基づいたものを、どのように成果というものを確認し、またそれを評価していくのかということはどういうことになるんでしょうか。

銭谷政府参考人 ただいま先生からお話ございましたように、現行の学習指導要領におきましては、例えば小学校の社会科、六学年の目標の一つとして「我が国の歴史や伝統を大切にし、国を愛する心情を育てるようにする。」と定めているところでございます。この評価に当たりましては、子供の内心を調べ国を愛する心情を持っているかどうかで行うものではないと考えております。国を愛する心情を育てるというのはあくまで教育指導上の目標でございまして、児童生徒の内心に立ち入るような評価を求めているものではないわけでございます。

 したがいまして、評価に当たりましては、具体的には、我が国の歴史やその中での先人の業績といった具体的な学習内容について進んで調べたり、あるいは我が国の歴史や伝統、文化などについて学んだことをもとに我が国の将来のために自分が何ができるか追求をしたりする、そういう、学習内容への関心、意欲、態度をあわせて総合的に評価し、そのことによりまして学習の成果を確認するということになるわけでございます。なお、このことは、教育基本法に教育の目標として我が国と郷土を愛する態度を規定することによっても変わるものではないと考えております。

 もとより、文部科学省といたしましては、本法案の趣旨を踏まえまして、各学校における指導の充実が図られるように努めてまいりたいと思っております。

臼井委員 なかなか難しいところだと思うんですが、目標であるということはおっしゃっていただきました。その評価というものは問題になりますが、ぜひとも実効は上がっているというようなことをしっかり把握、理解できるような方法でお願いをいたしたいと思います。

 条文についてお伺いをいたしたいと思いますが、第七条で大学という項目が新設をされております。かつての我が国の教育というのは、小学校から大学まで、いわゆる単線型であったわけでございますが、現在では御承知のとおり、専修学校、各種学校というのは、非常に御努力いただきまして、多くの方々が学んでいる。また、文科省当局もこうしたものに対してしっかり対応していただいておりまして、専門士というような称号も与える、また大学への連結、編入も認めるというふうに、複線型になってきているというのが現実であります。

 そこで、項目として挙げるならば、民主党さんの方にも出ておりますが、大学とするよりは、むしろ高等教育というふうにした方が幅広く、より現代に合っているんじゃないだろうかなと、率直にそう思うわけですが、なぜそれをあえて大学というふうにしたのか。そして、専修学校、各種学校の教育に対する考え方というものをどのようにして明らかにしていくのか、お聞かせをいただきたいと思います。

田中政府参考人 大学の規定についてのお尋ねでございますけれども、教育基本法は教育の理念や基本原則を規定する法律でございます。その性格にかんがみまして、小学校、中学校、高等学校、専修学校、各種学校といった個別の学校種類につきましては、学校教育法において規定することが適当と考えておるところでございます。

 大学につきましては、中教審でも御指摘をいただいておるように、知の世紀をリードするための人材育成を行う上で、今日非常にその役割が重要となってきている。また、大学は、研究と教育を一体として行う、大学の自治に基づく配慮が必要である、さらには国際的にも一定の通用性が認められている存在である、こういう固有の特性を有しておるところでございまして、これを踏まえまして、特に第七条に規定を置いたものでございます。

 御指摘のように、専修学校、各種学校は職業教育の中核的機関でございまして、法案第二条第二号では新たに「職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。」と職業教育の重要性を規定したところでございまして、今後、専修学校、各種学校の果たす役割はますます重要になると考えておるところでございまして、私どもといたしましても、そのさらなる振興に努力してまいりたいと考えておるところでございます。

臼井委員 国民みんなが活力を持って、誇りを持って教育に当たれるような環境づくりを、ぜひともお願いいたしたいと思います。

 現在の青少年の道徳心の低下、あるいはいじめ、不登校等の改善は、いろいろな方法があると思うわけでございますけれども、私はその一つの方法として、スポーツ、とりわけ武道等を通じて心身を鍛える、このことは非常に大切なことだと思っております。特に、武道は長い我が国の歴史の中で培われた伝統文化、こう申し上げても差し支えないわけでございまして、参考に資料をつけてございます、こども武道憲章。子供たちの心身ともに鍛えていくということには大変重要なものだと思います。

 ですから、大臣、私は、この中に、そういうスポーツのすばらしさ、有効性というものがどこかに一文でも入っていると、何か気持ちとして違うんじゃないかな。それでは、どこに入れたらいいかというと、私ずっと見ましたけれども、なかなか項目としてどこに入れるというのは難しいわけですが。

 例えば、各論になりますが、民主党さんの方にはコンピューター教育というものも入っております。何かそういうものも、私は決してこのスポーツは各論の部分とは思っておりませんが、入ってくればいいなというふうに思っておりますが、いかがでございますかね。

馳副大臣 スポーツ、武道を通じて心身の健全な発達を促すというのは、臼井先生、私も同様の考えでありますが、この文言こそ使っておりませんが、その目指すべき具体的な役割というのは、第二条の教育の目標のところで規定しております。

 具体的に申し上げますと、第二条第一号の、健やかな体を養うこと、第二号の、自主及び自律の精神を養うこと、第三号の、自他の敬愛と協力を重んずること、第五号の、伝統と文化を尊重する態度を養うこと、こういった面において具体的に規定をしているところでありまして、当然、こういう教育基本法の理念に基づいてスポーツ、武道の振興を図っていくというつもりであります。

臼井委員 御答弁いただくには最も適当な馳副大臣の方から、大変力強い御答弁をちょうだいいたしました。

 学習指導要領で武道についていろいろお決めをいただいております。日本の武道は九種目ございますが、残念ながら、まだその九種目すべてが学習指導要領の中に記載をされていないということもございます。いよいよあしたからサッカーワールドカップ始まりますけれども、スポーツを通じて心身を健全に育てていくことを教育の中でもって徹底していきますように、ぜひとも御尽力をお願いいたしたいと思っております。

 現教育基本法の第四条、義務教育年限につきまして九年という言葉が消えております。「九年の普通教育を受けさせる義務」という記述が消えているわけでございます。現在、幼児教育の無料化、無償化というのが大変話題になってきております、要望も強く出ております。したがいまして、私は、この義務教育年限を削除したというのは、将来を見越して適切な対応だったと思います。この考え方と少子化の中の幼児教育の振興について、大臣のお考えをお伺いいたしたいと思います。

小坂国務大臣 委員御指摘のように、現行教育基本法の制定時には、戦後の学制改革の中で義務教育の年限を六年から九年に延長することが喫緊の、かつまた重要な課題であったわけでございまして、そのことから九年ということをそこに明記したものと思われます。

 その後の社会の変化等を踏まえまして、義務教育に求められる内容も変化しております。この意味から、その年限の延長も検討課題の一つとして指摘をされているところでございまして、また、委員の御指摘のように、今後の幼児教育も踏まえてどうすべきかという、いろいろな議論がされているところでございます。

 そのような状況の中で、義務教育の年限は、教育の基本原則として教育基本法に規定するよりも、むしろ時代の要請に迅速かつ柔軟に対応することができるように学校教育法に規定することが適当である、このように考えられ、九年の年限を削除したところでございます。

 義務教育への就学年齢を引き下げて五歳児からの就学とすべきとの指摘もあるわけでございますが、これにつきましては、学校教育制度全般の、全体のあり方にかかわるものでありまして、何よりも、国民の幅広い理解を必要とする問題であるために、国民的な議論を踏まえて今後とも検討してまいりたいと存じます。

 また、幼児期は、生涯にわたる人格形成の基礎が培われる重要な時期でありまして、このような幼児期に行われる教育は、子供の心身の健やかな成長を促す上で極めて重要な意義を有するものと考えております。

 したがいまして、本法案の第十一条では、家庭や幼稚園等において行われる教育のみならず、地域社会において幅広く行われる教育も含めて、幼児期の教育の重要性を規定するものでありまして、あわせて、国及び地方公共団体がその振興に努めなければならない旨を新たに規定したものであります。

 今後とも、幼児期の教育の充実にさらに努力をしてまいりたいと存じます。

臼井委員 ぜひともその精神でよろしくお願いしたいと思います。

 猪口大臣にも御質問したいんですが、きょうは時間の関係で、もう時間が来ておりますので、またの機会にさせていただきたいと思います。ひとつ、ただいま話題に出ておりました少子化対策については全力を挙げて御尽力をいただきたい、このように思う次第でございます。

 いろいろ質問をさせていただきました。家庭教育の重要さというものは、子供が最初に出会う師は両親、こういう言葉がございますけれども、大切だと思います。この質問はまたの機会にさせていただきたいと思います。

 教育基本法具体化のための制度改正、ぜひとも、一日も早く本法が成立をいたしまして、この新基本法の理念、趣旨というものが確実に実行されますように、これからの議事のスムーズな進行というものを心から御期待申し上げまして、私の質問を終わらせていただきます。

 ありがとうございました。

森山委員長 次に、遠藤利明君。

遠藤(利)委員 自由民主党の遠藤利明です。

 六十年ぶりに改正される教育基本法、こうした委員会に出席し、そしてまた質問できること、大変光栄に思っております。

 この委員会の審議も、総論、各論、いろいろ議論が進んでまいりました。五十数時間を超えたということでありますが、ただ、国会の中でこれだけ議論をしているんですが、まだ国民の皆さんに浸透していないという声も聞かれます。国会の中だけではなくて、やはり地方に出かけていって地方の皆さんの声を聞く。当然ひとしく教育を受ける権利があるわけですから、そうした国民、多くの皆さんの意見を聞くという意味では、やはり地方公聴会を行って、そして地方でまた皆さんの意見を聞くということも大事かと思います。

 きょうお伺いしますと、地方公聴会を与党の方から提案した、にもかかわらず、野党の皆さんはまだ拒否しているということでありますが、いろいろな議論をしたいということであれば、なおさら地方公聴会もしっかりやって、そして地方の声をぜひ聞くべきだと思いますが、ぜひお考えをいただきたいと思っております。

 さて、私も、与党の検討会に途中から、少しでありますが参加をさせていただきました。私から見ますと、保利教授のゼミを一年間聞かせていただいた。保利法案というと、そのほかの方が大勢いらっしゃるわけですから、失礼になるかもしれません、まさしく保利先生の識見といいますか、大変敬服をしております。

 例えば、国。きのうの議論にありましたが、ランド、ステーツ、ネーション、カントリー、マザーズカントリー、パトリオティズムとかいろいろな言葉がありますが。それを一つ一つ議論されたわけですから、それをすべての条項について議論をされていたと。まさしくかなり詰めた議論がなされた、そしてそれをしっかり政府が受けとめてつくった議論だなと思っております。

 きょうこの後保利委員が質問をされますので、その前の質問ですから大変やりにくいわけでありますが、総論は保利委員にお任せをしまして、私は、幾つか気になる点といいますか、問題点、各論についてお伺いをしたいと思います。

 最初に、高等学校の教育についてであります。現行の基本法は、学校教育という中で義務教育だけは項目立てをしている。しかし、新しい基本法におきましては、義務教育からさらに幼児教育、大学、こういうふうな形で項目立てをしているわけでありますが、高等学校だけが実は規定をされていないわけであります。もちろん特殊教育とかいろいろありますが、押しなべて高等学校の教育はと。

 高等学校の教育とは何だ。後期普通教育をするんだと言われますが、後期普通教育というのは何だろう。そしてあわせて専門教育をやる。いま一つはっきりしないといいますか、すっきりしないといいますか、議論の中では、普通教育という名前を取ったらいいんじゃないか、そんな議論さえもあったと聞いております。

 そこで、最初に大臣にお伺いしたいんですが、高等学校というのは何を学ぶんだろうか、そして高等学校をどのようにこれから位置づけをしていかれるのか、そして同時に、新しく制定される振興基本計画ではどのように扱っていくのか、まず最初にお伺いをしたいと思います。

小坂国務大臣 遠藤委員御指摘なさいましたけれども、実は私も、大臣就任以前に、保利先生から高等学校というものの位置づけについて御高説を賜ったことがございます。それを思い出しながら今答弁をさせていただきたいと思うんです。

 現行の学校教育法におきまして、高等学校は、高等普通教育及び専門教育を施すことを目的とする教育機関として位置づけられているわけでございます。学校教育法の第四十一条に、「高等学校は、中学校における教育の基礎の上に、心身の発達に応じて、高等普通教育及び専門教育を施すことを目的とする。」と規定をされているところでございます。

 新制高等学校が発足した直後の昭和二十五年、四二%だった高等学校への進学率は、現在九七%を超えておりまして、また、そこに通っていらっしゃる生徒の皆さんの社会的な環境といいますか、通学の態様といいますか、この実態はさまざまなものになっておりまして、多様化した生徒の皆さんの実態に対応するために、文部科学省としては、単位制高校や総合学科の創設、中高一貫教育の推進、大学との連携の取り組み等を推進しているところでございます。

 そういった中で、現在、高等学校は、義務教育の基礎の上に、これをさらに発展充実させて、生徒にみずからのあり方や生き方を深く考えさせるとともに、将来の大学進学やあるいは職業選択の準備、こういったものを含めまして、各自の興味、関心、そして能力、適性、進路等に応じて、選択した分野の学習を深めさせて将来の進路を決定させる役割を担っている、このように考えているわけでございます。

 今後、教育基本法改正を受けました学校教育法の見直しや、あるいは、御指摘のございました教育振興基本計画の策定の検討の中で、このような高等学校の多様化の実態を踏まえつつ、高等学校のあり方についてしっかりと検討してまいりたいと存じます。

遠藤(利)委員 高等学校につきましてはまだまだ議論したいんですが、私に与えられた時間は二十分しかありませんので、また委員会でお伺いすることにしまして、二つ目は、専修学校についてお伺いをしたいと思います。

 先ほど臼井議員のお話の中にもありましたが、専修学校、実は、職業教育に関しましては、現行の基本法では、第一条に単に、単にといいますか、「勤労と責任を重んじ、」と、この大変短い言葉が書いてあるだけであります。しかし、今回の改正法案におきましては、第二条、教育の目標の中に、第二項、「職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養う」、そういう意味では、文章が長いからということではありませんが、大変重きを置いて書いている。

 最近、ニート、フリーターが大きな社会問題化をしております。例えば、少子化の問題でも、いろいろな研究機関の話を読みますと、ニート、フリーターは、当然経済力がないわけですから婚姻が少ない。婚姻が少ないということは、当然子供の生まれる比率も少ない。それによって二十数万人ぐらい影響しているのではないか、こんな議論もあるようであります。そういう意味でも、職業教育、いわゆる職業観というものを学校の中で、教育の中でしっかり教えていかなきゃならない。本来は、家庭が働く者のとうとびを教えなきゃならないわけでありますが、しかし、それにしても、学校教育の中でしっかり取り組んでいかなきゃならないと思っております。

 今、職業教育、大学、短大、もちろん高等学校でもやっておりますし、高等専門学校、いろいろな場所でやっているわけでありますが、専修学校につきましては、実は、現基本法ができた昭和二十二年にはこの制度がまだ制定されていない。御存じのように昭和五十一年に制定をされたわけですから、当然、現基本法の中では専修学校というのは全く想定、想像さえもされなかった制度であります。

 しかし、現在、実用的であるといいますか、大変就職もいいし、いろいろな意味で効率的な授業をしているということがあって、全国におよそ三千五百校、八十万人の皆さん方が専修学校で学んでいる。たしか大学が二百五十万ぐらいだと思いますが。そういう意味でも、短大の倍以上、そんな大きなウエートを占めているんではないかと思います。

 そこで、これも時間がありませんのでコンパクトで結構ですが、まず一つは、改正案の中では、どこにどのようにこれを位置づけているのか。そして二つ目は、職業教育の中核的機関、先ほど政府委員からも答弁がありましたが、中核的機関としての役割を果たしているこの専修学校の格差是正のために、そろそろ学校教育法の第一条に規定している学校として位置づけてもいいのではないだろうか。第三点は、教育振興計画では専修学校の振興策をどのようにしていくのか明確にすべきと思いますが、大臣の見解をお伺いしたいと思います。

小坂国務大臣 御指摘のように、専修学校は、学校教育法の八十二条の二項に規定をされているわけでございまして、実践的、専門的な職業教育を行う教育機関として、これまで産業界の第一線で活躍するスペシャリストを数多く輩出をいたしているところでございます。我が国の職業教育において重要な役割を果たしていることは論をまたないところと思います。

 今回の教育基本法の改正におきましては、教育の目的、第二条第二項に「職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。」としましてこれを規定し、専修学校も含めた職業教育の重要性を明らかにしているということは、今委員の御紹介いただいたとおりでございます。

 今後、学校教育法の第一条に規定する学校として位置づけられてはどうか、こういう御指摘もありましたが、専修学校は個人立、法人立、いろいろな態様も持っておりまして、個別の学校種について定める学校教育法の見直しの中で検討をさせていただきたいと考えているところでございまして、関係者の意見も十分に伺いながら検討を進めていく必要があると認識をいたしているところでございます。

 専修学校の今後の振興計画の中での取り扱いでございますけれども、専修学校が果たすべき役割が大変に大きいものであり、また、今日その態様が皆さんの中でも広く認識をされているところでございますので、そういったものを踏まえながら教育振興基本計画の中に規定をするという形で、委員の御意見等も踏まえながら今後さらに詰めていきたい、このように考えているところでございます。

遠藤(利)委員 ぜひそんな形の中で、私たちもしっかり議論をさせていただきたいと思っております。

 それで、いろいろ私も教育の勉強をさせていただいた中で、改めて、教育は人なりだなという思いをしております。

 実は、少し前に、私の小学校六年生のときの担任の先生が褒章を受け、お祝いに自宅をお伺いしたんですが、涙を出して喜んでいただきました。今八十歳になんなんとする年齢でありますが。やはり先生というのは、幾つになってもありがたいといいますか、とうといものだなということを改めて実感してまいりました。実は私の両親も学校の先生をしておったわけでありますが。施設も大事ですしシステムも大事ですが、やはり教育は先生によってほとんど決まるんだなと私は思っております。

 そんな意味で、教員の養成や、私どもも大変力を入れて努力をさせていただいておりますが、考えてみますと、教育が教員によって決まるということであれば、国の政治も国のリーダーであるトップによって決まってくるのかなと。

 きょう安倍官房長官いらっしゃいますが、実は官房長官と私は当選の同期で、かつて国対副委員長で一年間席を並べたわけでありますが、そのときに、日本の教育というのはすばらしいものだ、アジアの皆さんとそうした教育を通じて友好ができないものだろうか、そんな話をした中で、官房長官が会長になりまして、アジアの子供たちに学校をつくる会、アジアの子供たちに小学校を建設するあるいは寄贈する活動を一緒に、もう九年近くなりますか、させていただきました。もうかれこれ六校をして、ことしで七校になるかと思います。

 そうした活動も通じて、官房長官は、巷間伝わってくるところによりますと九月にはという話も聞き及んでおりますが、官房長官のそうしたアジア外交あるいは教育、特に教育についての思いをお伺いしたいと思います。

安倍国務大臣 先ほど先生が指摘をされたように、やはり先生の力というのは、極めて大きな力があるんだろう、こう思っております。

 先般も、北海道におきまして、再チャレンジ推進会議の出した中間取りまとめに向けて、再チャレンジをテーマにした若者との触れ合いトークを行ったわけであります。高校時代に暴走族に入っていて、人を傷つけてしまって、そして少年院に入った人が、少年院の指導教官の非常に厳しい指導に触れて、自分のことをこんなに真剣に考えている、心配をしている人がいるんだという、この指導のもとで人生が大きく変わった、こういうふうに話していたわけでありまして、彼は見事に立ち直って、今はフリースクール、つまり学校になかなか行けない子供たちを指導する立場になっているということでございます。そういう意味では、そういう人材を育てる先生の力は大きいな、教育の力は大きい、改めてそんなように感じた次第であります。

 日本が、明治維新後、見事に、短期間のうちに近代国家、列強の仲間入りをした。そして戦後も六十年、すばらしい国をつくることができたのも、基盤にやはり教育のいわばインフラがしっかりと整っていたからなんだろう、こう思います。そういう中におきまして、先ほど先生が指摘をされた、アジアの子供たちに学校をつくる議員の会でありますが、これは事実上、私というよりも先生がつくられて、今は私が形式的に会長を務めているわけでありますが、アジアにはまだたくさん、十分な施設もなく、十分な鉛筆や紙すらない地域の子供たちもいるわけでありまして、こういう人たちに日本ができることは、まず学ぶ環境を提供することではないか、こんな思いで幾つかの学校を一緒に頑張ってつくってきているわけでありますが、その子供たちの姿を見て、我々も学ぶべき点があるのではないかな、そんな思いもいたしました。

 後ろに座っておられる森総理とともにアフリカのケニアに参りましたときに、子供たちが土の上に座って、お互いにちびた鉛筆で、紙はちゃんとした紙がないので、地面に書いていた。その姿を見て、日本から不用になった鉛筆や紙を贈ろうということで、かなりたくさんの量を贈ったわけであります。

 しかし、そういう環境の中でも一生懸命目を輝かせて勉強しようという子供たちの姿に日本の子供たちにも触れてもらうことは、大きな意味があるのではないかというふうに思います。

 文科省におきましても、そのようなプログラムをつくっているというふうに聞いておりますし、また、議連の方でも、先生が中心になって、今度子供のサミットを開いて、日本の子供たちとアジアの子供たちの交流を進めていく。こうしたことを進めていくことによってアジアの心が一つになっていく、そして、教育を通じて心が通じ合い、さらに教育の基盤が整っていくということはすばらしいことではないか、こんなように思っております。

遠藤(利)委員 現地の子供たちの目が大変きらきらと輝いている。電気も水道も、本当に、鉛筆も紙もない中での授業ですけれども、目だけはすごいきらきら輝いている。日本の教育は、日本の子供たちはと思うと、ちょっとじくじたる思いをするときがあります。

 そうしたときに考えますと、なおさら教員の役割の重みを私は感じますし、吉田松陰、松下村塾は、決して立派な施設があったわけでもないでしょうし、立派な書籍があったわけでもないでしょう。ただ、吉田松陰という人間の心といいますか考え、それがこの日本をつくってきた、こんなことを考えますと、なおさら教員の存在の重さというものを感じる次第であります。

 時間がありませんので簡単に、項目的にお伺いしたいのですが、現行法では、第六条「学校教育」の中で、第二項に、法律で定める学校の教員はと。しかし改正法案では、第九条に、「教員」として改めて抜き出しをして項目を立てている。自己の崇高な使命あるいはその職責の遂行に努めなければならない、こんな形で教員を規定しているといいますか、教員の役割を書いてあります。

 ちょっと一言だけ簡単にお伺いしたいんですが、教員と教師、私は教師の方がいいと思いますが、大臣、いかがでしょうか。簡単で結構です。

馳副大臣 教員という言葉は、戦前から、明治時代から法令上使われてきた文言でありまして、どうかと尋ねられれば、我々、社会的通念上として求められるべき役割は教師、いわゆる師匠と弟子、人生の師、こういういろいろな言い方はありますけれども、教師という言い方がよいのではないかと思っております。

遠藤(利)委員 馳先生はまさに教師かなという感じがしますが。

 昔は師範学校なんですね。やはり社会的に崇高な使命というのはそれだけ、員と師というのは言葉が違うんです。やはりすぐれたる技術を持っている人が師なわけでありますから、法令上そうだということでありますが、例えばこれからつくる大学院、場合によっては教師大学院なんというのはどうだろうかなと。

 いろいろな授業のやり方があるんだろうと思います。理科教育だって、小学校の先生は文系がほとんどなんです。ですから、理数科の先生が小学校になれば、時代は本当は変わってくるはずです。だから、免許制度だって、必ずしも同じように全教科なんということはないかもしれません。

 あるいは、英語教育だって、小学校でやるといいますが、では、中学校と高校の英語というのは何をやっていたんだろう。だったら、大学の英語の試験をTOEFLでやりましょう、海外留学のときはTOEFLを使うわけですから、TOEFLで大学入学をやりますとしたら、自動的に、どんな形であれ、みんな英語教育を一生懸命やります。やりようは幾らでもあるんだと思います。

 ただ、そうした知恵を働かす、これは制度なんです。同時に、今、少人数学級とか習熟度学習といいますが、先生によっては一人内容差授業をやっています。できる人、まあまあの人、ちょっとおくれている人、それだけの能力があるんです。

 ですから、そういう意味で、これからやはり、フィンランドのような形になりますが、教職大学院として六年間、そして、できれば六年間のうち二年間は初任者研修も兼ねたインターン制度として取り組んで、しっかりそこで学んで、本当にいい人間を採用する。研修も大事ですが、いい人間を採用しなきゃだめなんです。

 そんな意味で、その採用の仕方、教職大学院について最後にお伺いして、質問を終わらせていただきます。

銭谷政府参考人 現在、中央教育審議会におきまして、教職大学院制度の創設を提言し、さらに検討を加えているところでございます。

 これは、学部段階で養成される教員としての基本的な資質、能力を前提に、大学院段階において力量のある教員を養成するための新たなルートとして創設を計画しているものでございます。

 この専門職大学院を卒業した学生の採用後の初任者研修等の扱いにつきましては、一部ないしは全部免除をするといったようなことも含めて、本当にすぐれた資質また能力を持った方が教育界に入ってこられるような、そういう制度設計を目指してさらに検討を進めてまいりたいと思っております。

遠藤(利)委員 どうもありがとうございました。質問を終わります。

森山委員長 次に、保利耕輔君。

保利委員 私は、ただいま残念ながら無所属の身でありますけれども、その私に一時間という貴重な時間をお与えいただいた委員長初め理事の皆様方に心から感謝を申し上げたいと思います。

 きょうはいろいろなことを伺いたいと思うんですけれども、今までの議論をいろいろ伺っておりました。今遠藤さんが少しおやりになったんですが、私は、中心的には教育の制度論を少しきょうはやってみたいと思っておるんです。

 その前に、官房長官がいらっしゃいますので、制度論とはいいながら、やはり多少理念にかかわった部分について簡単な御質問をさせていただきますので、御答弁をよろしくお願い申し上げたいと思います。

 少し前段がありますが、私自身が文教関係の委員あるいは議員となりましたのは、平成二年の二月二十八日のことであります。突然に文部大臣をやれと命令をされました。その前の職は自民党農林部会長でありまして、三期農林部会長を務めておったのが、文部大臣をやれと言われてびっくり仰天いたしました。新聞記者に言わせますと二・二八事件が起こった、二月二十八日のことですから、そういうぐらい意外であったのであります。

 そして、文部大臣として任命をしていただきましたのは、おいでの海部総理大臣でありまして、官邸に行きまして、文部大臣をやりなさいといって辞令をちょうだいいたしましたときに横におられたのが、あそこにおられます西岡先生であられた。西岡先生は、当時自民党の総務会長をおやりになって、それで内閣をつくる作業に入っておられたわけであります。西岡先生がにこにこ笑っておられまして、どういうつもりで私みたいな農林族を文教族に引っ張り込んだのかよくわかりませんが、とにかく大変お世話になりまして、文教の仲間入りをさせていただいたわけでございます。私は、それからずっとほとんど文教で通してまいりまして、農林の方のお手伝いをしながら文教を通してまいりました。

 文教ということで考えますと、いろいろな問題があるんですけれども、いろいろ御議論を伺っておりましたり、あるいは若い方々といろいろなお話をしておりますと、その人が生きてきた時代背景というのが考え方に大きく影響しているな、そんなふうに思うのであります。

 私は、実は小学校というところには行っておりません。小学校というのは、昭和十六年の四月一日から国民学校に改組されました。私は国民学校一年生でありまして、今でも覚えておりますが、みんなで勉強うれしいな、国民学校一年生というのを歌って、国民学校に入っておったわけであります。やがて、同じ年、昭和十六年の十二月八日に日米開戦、イギリスとも戦争という状態になりました。そういう時代ですから、もう随分古い経験をいたしておりますが、終戦は、小学校といいますか国民学校の五年生のときであります。ですから、私は、大部分を、小学校時代は戦時教育を受けたのであります。

 今、私自身が戦時教育というものについてどう思うかと聞かれたときに、それはいろいろなことがあったけれども、私はよく鍛えていただいたなと思っているのであります。確かに先生は怖かったです。げんこつで殴られて、歯が抜けるんじゃないかと思うぐらいたたかれたことも、小学生ですよ、今だったら大事件になりますが、そんなこともありましたが、よく鍛えていただいたなという感謝の念の方がむしろ強いのであります。

 それで、空襲というものも経験いたしました。何年だったか忘れましたけれども、たしか小学校一年生か二年生のときですが、東京にアメリカのノースアメリカンB25という爆撃機が飛んでまいりまして、超低空で入ってきて焼夷弾を落としたこともあります。見たら、アメリカの飛行機が飛んでいる、もう超低空で来ていますから、操縦士の顔が見えるぐらいの低さで飛んできておりました。大変だ大変だ、アメリカが来たと叫び回って、たしか町の中を歩いていった記憶があります。

 それから、昭和十九年に疎開をいたしまして、私の選挙区であります佐賀県の方に行ったわけでありますが、そこでも実は、地方の町でありますからそんなに大きな空襲はありませんでしたけれども、やはり石炭の積み出し港でありましたから、機銃掃射というのがありました。これは、何と表現したらいいのかわかりませんが、戦闘機が飛んできて機関銃を撃つぐらいだから大したことないだろうと思っておったら、それは大変な音でありまして、言ってみれば大きな雷が連続して落ちるような感じ、そのくらいの感じを受けて、うわっ、これは恐ろしいことだと思ったのであります。

 実は、そんな話、私はきょうだいが四人きょうだいでありまして、私が長男でありますが、すぐ下に妹がいる、その下に弟がいる、その下に妹がいる、ちょうど三年越しに男、女、男、女と生まれたのであります。そのきょうだいの中で、私が高校生ぐらいのときに、戦争中はこういうことがあってなという話をいたしますと、上の妹は幾らか記憶があるんでしょうね、うんうん、そういうことだったよねと。ところが、下の弟と妹は、お兄ちゃん、そんな戦争の話ばかりするけれども、おもしろくない、やめなさい、気持ちが悪いなんというような言葉すら吐かれたのであります。そういうことで、若干戦争の経験のある私と、弟、妹たちとの間には意識のずれがある、それはずっと来ていると思います。

 しかし、私は、これは間違いだったかなとつい最近思いました。何か。それは、実は、ここにいらっしゃいますが、稲田議員が終戦直後の情景というのをお話しになって、そういう中でできた教育基本法であるというお話をされたのであります。やはり、後から勉強してもその当時のことを体験したかのようによく勉強しておられるということは、大変すばらしいことだと私は思うのでございます。

 そこで、長い話をするのは恐縮でございます、はしょりますが、私は、戦争中の教育というのは決して嫌なものだけではなかったと思っております、きつかったんですけれども。例えば、教育勅語を暗唱させられた、こういう表現がありますけれども、私は好んで暗唱したのであります。小学校四年生のときはちゃんと全部言えて、言えることが誇りでもあったというようなぐらいであります。教育勅語をこの場で申し上げることは差し控えますが。

 しかし、昔の人はよく考えたものですね。教育勅語というのをそのまま教えることも一つの手でしょう。しかし、小学校の生徒に教育勅語の文言を一つ一つ解説してみてもなかなかわかりにくい。そこで、明治の時代ですけれども、教育勅語にかわるものとして、二宮金次郎の歌をつくって、それを小学校唱歌の中に入れて歌わせておったというのがあります。二宮金次郎の歌、今でも私は一番だけは覚えているんです。

  柴刈り縄ない草鞋(わらじ)をつくり、

  親の手を助(す)け弟(おとと)を世話し、

  兄弟仲よく孝行つくす、

  手本は二宮金次郎。

これはまだ三番まであるんですけれども、ちょっと省略させていただきます。学校の校庭には二宮金次郎さんがしばを背負って本を読んで歩いている姿というのが、私どもはもう焼きついております。

 そんな教育を受けていたんですが、もう一つよかったなと思うのは、非常にきれいな日本語というのを教えていたような気がする。それは、小学校唱歌というのを今ごろ見てみると、すごい文章だな、いい文章だな、きれいだなと思うことがあります。

 例えば、

  菜の花畠に 入日薄れ、

  見わたす山の端 霞ふかし。

  春風そよふく 空を見れば、

  夕月かかりて におい淡し。

こんな言葉を、小学校の三年生、四年生で歌を通して勉強しておった。

 あるいは、雨の表現というのもあります。

  降るとも見えじ春の雨、

  水に輪をかく波なくば、

  けぶるとばかり思わせて。

  降るとも見えじ春の雨。

こういうような歌。

 それで、私が申し上げたかったのは、戦争中の教育が何か本当に悪い教育ばかりしていたんだというような印象でおられる方もいらっしゃるでしょうけれども、しかし、私の経験からいえば決して悪くはなかった。随分鍛えていただいたな、いい言葉も教えていただいたなと思うのでございます。

 そこで、実は、本題に入ってまいりたいと思いますが、この教育基本法の中では、愛国心という問題が非常に大きく取り上げられました。マスコミが報道したのはほとんどこの部門でありまして、中でいろいろな議論をいたしましたが、丁寧に丁寧にマスコミの皆さんにはその都度記者レクをしておりましたけれども、ほとんど記事にならない。まことに残念だった。愛国心が出ると愛国心のところだけ、こういうことで意見が違うとか、そういうことが書かれたわけであります。

 それで、私は、実はこの愛国心については自分なりの経験がありますので、お話をしてみたいと思います。

 私はビジネスマンとして仕事をしておりましたが、その末期はフランスにおりまして、フランスで仕事をしておりました。五年間フランスに滞在して、ベアリングの仕事に携わっておったわけであります。そのときに、ある日男の人が訪ねてまいりまして、これは商売ですからベアリングの話をいたしました。その後、この人は日本人かなと思ったら、フランス語をべらべらおしゃべりになる。おかしいなと思ってそばの人に聞いてみたら、この人はカンボジアの人ですと言うんです。

 カンボジアは仏領インドシナだったと思いますから、フランス語が上手。フランス語のうまいその人が別れ際に何と言ったか。これは、私の気持ちの中に今でもすごく強く印象づけられている言葉の一つであります。それは、最後にカンボジアの方が言った言葉は、保利さん、あんたは帰る国があるからいいねと言われたんです。それを最初はわからなかったんですけれども、考えてみれば、帰る国をなくすということは大変なことだなと思った。

 もう一つは、満州から引き揚げてきた、ほとんど同じ年代の人に言われた言葉。それは、自分を守ってくれる人がいなかったんだよという言葉。私は、これは非常に強い印象としてとらえておるわけであります。

 そこで、愛国心については非常に熱心に説いておられた官房長官、そういう経験談をお聞きになって、あるいは御自身の、今拉致問題に一生懸命取り組んでおられる官房長官から、この愛国心というものは官房長官なりにどういうふうにお考えになっていらっしゃるか、伺いたいと思います。よろしくお願いいたします。

安倍国務大臣 私が幹事長時代に、与党の協議会で保利先生にいろいろと御指導をいただいたこと、今でも思い出すわけでございます。その際にも、愛国心の記述についてもいろいろと議論がございました。

 先ほど先生がカンボジアの方の例を挙げられました。私も台湾の金美齢さんからお話を伺った際、蒋介石政権時代に日本に留学をしていたいわば非国民党系の方々が、事実上パスポートも取り上げられたような状況の中で帰ることもできないしという中で、いかに国を失うと大変なことか、そのことをもっと日本人の人たちに知ってもらいたいという話を聞いたこともございます。

 アイデンティティーという言葉があるわけでありますが、我々はどこかに帰属をしていて、その帰属している例えば集団であれ民族であれ、そしてそれが国であるということによって、その国とかかわりを断つこともできないし、また、かかわりを断つことによって失うものは大変大きなものがあるわけでありますが、その中で、自分の求めるアイデンティティーの中において、歴史、文化、伝統、自分もその一部であるということをやはり人間というのは確かめたいんだろう、こういうふうに思いますし、そして、その一部である以上、そうした伝統や文化に誇りを持ちたい、このように思うのではないかと思います。

 もう亡くなられましたが、学習院大学の坂本多加雄先生がおっしゃっていたんですが、愛国心というのは両親に対する愛に似ているんではないか、父親の人生にはいろいろなこともあったけれども、やはりいとおしいと思う。こんなに自分を包んでくれた、愛してくれた。随分厳しい仕事も一生懸命頑張って家族を支えてくれたんだな。そんなことを自分が知ることによって、自分は父親の子供であるということを誇らしく思うし、そして自分のまさに帰属するものを確認することができる。しかし、長じてだんだん、父親にもこんな嫌な面もあったということを知るようになるわけでありますが、しかし、最初はやはり、そういう素朴に父親をいとおしく思うということが自分の人格形成には大切ではないかな。そして、だんだん知識を積んで、経験を積んでいく中で、父親にもいろいろな側面があったということも受け入れることにつながってくるのではないか。極めて抽象的な話でありますが、そんな話も聞いたことがあります。

 そして、やはり自分が帰属している以上、自分はその構成員として責任ある行動をとりたいというふうに思うでしょうし、そして国も、そういう国民に対してしっかりと国としての役割を果たしていくということが大切ではないだろうか。

 先ほど先生は拉致問題について触れられたわけでありますが、帰国された被害者の方々からお話を伺いますと、日本は一体いつになったら私たちを助けてくれるんだろうかということをずっと考えていた、こういうことでございます。そのときに初めて強く国を意識されたかもしれませんし、人間というのは、まるで空気のように感じているものを失って初めてその存在の大きさ、大切さに気づくのかもしれない、こんなような印象を持ったわけであります。

 将来の国際人を育てていく上においても、やはり日本というのはすばらしい国である、日本のために尽くした人もいれば、こんな偉人もいた、自分はその日本人として恥ずかしくない行動をとろうと国際社会の中で海外に行ったときに思えば、それは立派な国際人となっていくのではないか、そんなように思う次第でございます。そういう気持ちをやはりはぐくんでいくことが大切ではないか、私はこのように考えております。

保利委員 いろいろとありがとうございました。

 愛国心ということをどう扱うか、大変微妙な問題でありますけれども、平時に愛国心を説くということの難しさ、私は本当にそれをしみじみ感じておるわけであります。戦争中でありますとか、あるいは敵が攻めてくるとかというような状態のときには、おのずと愛国心というのはできてくるものでありますが、平時、何もないところで愛国心を説くことの難しさというのをつくづく感じておるわけであります。

 この問題を文部科学大臣にもお伺いしようと思いましたけれども、少し時間も足りませんし、また再三にわたって答弁しておられますから、そこは省略いたしたいと思います。

 あと一つ、官房長官に、実は宗教問題についてお尋ねしようと思いましたが、少し角度を変えます。

 今お話があって、日本の国というのはありがたい国だというような意味のお話をされたわけでありますけれども、憲法で言っております天皇、日本国民統合の象徴であられる天皇陛下の記事がこのごろよく出ます。けさはシンガポールにお立ちになるということで、NHKでも報道いたしておりました。この報道ぶりを見ますと、やはり皇室に対しての敬語の使い方というのをよくわきまえた報道になっていたように思います。

 ところが、あるとき新聞を見ましたら、こういう記事が出ておりましたので、これは私は非常に気になりました。

 天皇陛下お忍び、皇居外を散策。「天皇、皇后両陛下は十四日朝、皇居近くの北の丸公園をお忍びで散策した。両陛下は朝食前に皇居内を散策するのが日課だが、「外出」を伴った散策は極めて異例。宮内庁によれば、最近では〇三年八月に皇居外苑を散策して以来という。 両陛下は出かける際に同公園そばを通ることが多く、以前から公園内での散策を希望していたという。」あと少し続くんですが、省略させていただきます。

 こういうぐあいに、どうも敬語というのが全く使われていない、普通の記述状態。私が散策するならこれでいいです。だけれども、国民統合の象徴であられる天皇陛下の記事を書く場合には、やはり敬語を使うべきじゃないかなと。私は年をとっているからそう思ったのかもしれませんけれども。

 そのことについて、これはちょっと突然で大変恐縮なんですけれども、官房長官、敬語の使い方というのをどう思われるか、できれば御答弁をいただければありがたいと思います。それで、官房長官は、記者会見があるようですから、どうぞお出ましいただきたい。

安倍国務大臣 天皇陛下に対する敬語の使い方については、報道各社によって多少ニュアンスが違うんだろうというふうに思いますし、それぞれ報道各社で検討された結果なんだろう、こういうふうに思います。

 その使い方に対して政府はとやかく言うべきではないんだろうというふうに思いますし、それはそれぞれの各社の判断なんだろう、このように思うわけでございますが、私は、個人的には、今委員が御指摘されましたように、国民統合の象徴である天皇陛下であり、そして、この象徴である天皇陛下の存在というのは、この日本の長い歴史の中で、まさに我々がつづってきたつづれ織りだとすると、やはりこのタペストリーの中の糸として、我々はともに歴史を紡いできたというふうに考えるわけでございます。

 天皇陛下についてどのような表現を使うかということでございますが、やはり、そういう思いが果たして入っているんだろうかという印象とともに、違和感を感じられる方々もおられるのではないだろうかというふうに思います。

 敬語というのは、使い方としてはなかなか難しいわけでありますが、しかし、こうした文章を見ながら、敬語の使い方はこうなんだろうというふうに感じる方々もおられるんでしょうけれども、ここで敬語を使わなければ、一体、ではだれに対してそうすると敬語を使うのかなというふうにも感じるわけでございます。

 そういう意味においては、これはその感じ方を強制するわけではありませんし、日本はまさに自由で民主的な国であり、そのことを誇りに思っているわけでありますし、天皇陛下自体もそれを強制するということは全く望んでおられないんだろうというふうに思うわけでありますが、何となくそうした記述ぶりに、私は、政治家個人として、また国民の一人としては、少し違和感を感じるなというふうに思います。

保利委員 官房長官としては大変お答えをしにくいお立場にいらっしゃるだろうと思いますから、しかし、最後に言われたお言葉というのを私は大事にしておきたいと思います。

 官房長官は、もう記者会見でお立ちになられますので、どうぞ。

 この問題は、実はマスコミの記事というだけではなくて、教育的に大きな問題を含んでいるんじゃないかなと思います。それは、礼儀作法とか、昔流の言い方はしたくはありませんけれども、丁寧な言葉遣いとか、そういうものが教育の中の一つの大きな柱になるんじゃないかなと。

 しかし、日本国民全体の方々が、相当の人が読んでおられるこういう記事が出回るということは、天皇陛下に対してはこういう言葉遣いでいいんだというふうな印象を与えてしまうということを私は危惧するのであります。

 文部科学省としては、この敬語という問題についてどうお考えになっていらっしゃるか、大臣、お考えはありますか。

小坂国務大臣 最近、国語が乱れたということをよく言われます。それはすなわち、敬語の使い方の間違いとか、あるいは丁寧語と謙譲語、敬語というものの使い方がごちゃまぜになっていたり、いろいろな問題があります。

 私は、敬語というのをしっかり学ばせること、それは日本語の美しさというものを伝えることであろうと思いますから、やはりそれは愛国心につながることだと思うんですね。日本のすばらしさというものをしっかり認識すると、必然的にそのものを大切に、愛する気持ちが出てきますから。

 先ほどのお話の、愛国心を教えるときに、私は、歴史上の人物や郷土の歴史、あるいはそういった人物について学ぶこととあわせて、我々が今生かされているということを、生きるという言葉と生かされているという言葉、みんな、どういうふうに違いがあると思うかなというようなところから、自分の家庭、地域、そして国、そして人類全体というものに対して、そして地球というものに対して思いをはせるということが、やはり愛国心を培うことに資すると思っております。

 先ほどのお話、新聞の中に、これは新聞だから字数が限られているからで済まされる問題ではないと思います。やはり敬語というのは日本語としてちゃんと記述方式があるわけでございまして、字数の問題ではなくて、事実を伝える場合に、どういう方がその対象となっているかというものを認識させるという意味からも、敬語を使うべき方には敬語を使い、そしてまた、親しみを持つために使う言葉と敬語というものをうまくまぜて、そしてわかりやすく伝えるということが必要なんだろう、このように思っております。

保利委員 ちょっと前段の話が長くなっちゃって本当に申しわけありません。学校制度の問題について入りたいと思っておるんですが、その前に一つだけ。これは私の意見だけで申し上げておきたいと思います。

 宗教問題をどう扱うか、宗教教育問題をどう扱うかというのが非常に大きなテーマでありました。それは、文部科学省の役所流の答弁というのはいろいろあるだろうと思うんです。ただ、私がこれもまた経験をしたことで、自分自身が悩んじゃったことがありますので、そのことをちょっとお話し申し上げておきたいと思います。

 私の孫、二人いるんですけれども、今、小学校の四年生。その子が小学校一年生のころですが、お父さん、お母さんと一緒に、長崎県の二十六聖人がキリシタンとして殉教されたわけですけれども、その像が並んでいるわけですね、そこのところへ観光客の一人として行ったわけです。

 そのときに、その一年生の孫がしばらく立って見ていまして、こういう言葉を吐いたんですよ。これはとても意味が深いと思うんですが、こう言ったんです。お父さん、お母さん、信ずることは悪いことなのと聞いた。これは大きなショックでしたね。答えられなかったんです。

 要するに、宗教を信じたために残酷な、十字架にかけられたわけですね。そのことが、真っ白な一年生の頭の中にはそれを解説するだけの能力が何もないわけですので、信ずることは悪いことなのという言葉で表現した。これはさすがに父、母も答えられなかった。唯一の答えが、おじいちゃんに聞いてみましょうということでした。そのおじいちゃんが答えられなかったんです。それほど宗教とか信心とかという問題は微妙であり、難しい問題だということを私は学びました。

 同時に、子供の心というのは本当に純真で真っ白だなということですね。自分の感じたとおりに言ったわけですから。その言葉に意外に大人が答えられない。だから、文部科学省の役所の方がどういう解説をされるかわかりませんけれども、それを一年生の子供に言ったところで一年生はわかりません。どうこれに答えていったらいいか。これは、文部科学大臣も宗教教育ということを言う以上、やはり考えておいていただきたいな、そのことを要望だけいたしておきます。これは答えが難しいでしょうからあえて求めませんけれども。よろしいですか、何かお話ありますか。どうぞ。

小坂国務大臣 確かに難しいと思います。保利委員がお答えになれなかったのは、それは、それを深く慎重にお考えになって、どういう答えをしても、それがそのとおりには伝わらないという難しさを感じられたから答えられないとおっしゃったんだと思います。恐らく、ある程度のことはお話しになったけれども、それでは説明にならないなと思われたんだと思うんですね。

 私も、もしそういう場になったら何と言うだろうと今考えておりました。これも多分、それでは答えにならないと思いますが、信じるということは人間が強くなることなんだとおじいちゃんは思うよと。要するに、自分がその信じる何かを持っているということだから、そういう死ぬようなつらい目に遭わされてもそれを自分として耐えられた、多分そういうことじゃないのかなというようなことを言うのかなと思うんですが、事ほどさように、宗教的な情操という話になると本当に難しいと思います。

 ですから、やはり教育の現場における宗教教育というのは、一般的な知識とか、世界の中での流れとか、そういうものとあわせて、道徳的な観念の中での情操というものをしっかりと身につけさせることによって、それぞれの人がその環境の中で、それを加えた宗教というものについてのそれなりの情操を身につけていくということを補助的な意味で行っていくというのが、一つの教育の中での、これは決して今の方針というわけではないわけですけれども、そういう効果が考えられるかなと個人的には思います。

保利委員 信ずることは強くなることだというお話があって、これは孫によく伝えておきます。ありがとうございました。

 では、ちょっと本論に入ります。少し時間がなくなってしまいました。

 私は、この教育基本法の中で一つの大きな骨格になるものは、やはり義務教育の扱いだろうと思うんです。これは文部科学省に伺いますが、日本では、義務教育制度を施行していて、やっていて、六・三制のもとに義務教育が運営されていますね。学校教育法を見ると、小学校の目標というのも八項目きちんと例示してあります、中学校の目標も三項目書いてあるわけであります。義務教育では何をどう達成させるかという具体的目標というのはどこにどう書いてあるんでしょうか、あるいは書いていないんでしょうか。それをまず、これは初中局長かな、お答えを願いたいと思います。

銭谷政府参考人 現在の学校教育法におきましては、ただいま先生からお話がございましたように、小学校、中学校、それぞれにつきまして、その学校の目的と教育の目標を規定いたしておりまして、学校教育法の中では、義務教育全体の目的、目標ということについては規定をしていないという状況でございます。

保利委員 具体的に義務教育の目標というのは実はないんです。外国から聞かれたときに、日本の義務教育制度はすばらしいと言われるけれども、それはどういう目標を立ててやっていますかと聞かれたら、ありませんと答えなきゃならない。これはおかしいと私は実は思うわけであります。

 ところが、学校教育法の中で、小学校、中学校、目標がそれぞれ書いてある。私は、長いことこのテーマは、文部科学省にちょっと研究してみろということを言っておるんですが、答えはなかなか出てこないというのが実情であります。いわゆる六・三制という既成の制度を固定化して考えているのではないかなと。

 このごろ、小中一貫という言葉がありますが、小中一貫は確かにそのとおりですが、義務教育を一貫して考えるという考え方が教育社会の中にあっていいんじゃないかという感じが私はするのであります。ただ、運営上はいろいろあるでしょうから、前期、後期に分けたっていいし、いろいろやり方はあるでしょうけれども、考え方としては、義務教育制度というのを一本に考えて、そしてその目標をきちんと設定して、その目標に到達するようなカリキュラムをきちんと組んでいく。

 例えば、最近は英語の問題なんかいろいろありますけれども、小学校四年段階から始めて、六年になって一区切りついて、今度は別の学校へ行って別の先生から英語を習うという、それはちょっと、効率的に言えば余りよくないんじゃないかなという感じがしてなりません。そうすると六・三制否定論かということになりますが、そこまではなかなか行かないんですけれども。

 私は、日本の義務教育制度を効率的に運用するとすれば、やはり義務教育の目標を明示して、それに向かってカリキュラムを設立していく、そのときに小中の壁が邪魔になるということはあるでしょう、ここをどう考えたらいいかということを研究していくのが文部科学省にかけられた大きな課題だと思います。このことについて文部科学大臣はどんなふうな御感想をお持ちなのか、ちょっとお聞かせいただきたい。

小坂国務大臣 委員御指摘の問題意識は、私も共有できるような気がいたします。

 委員ほど詳しくはございませんけれども、改正案の五条第二項において義務教育の目的を新たに規定はいたしております。しかし、それを具体の中学校の目標、小学校の目標という形で学習指導要領に落としております今日の表現の仕方というのは、やはりもっと柔軟性を持って、一つの目標を、段階的にやるものではなくて、その全体を俯瞰した上で、それぞれの状況に応じて指導者の判断においてそれを指導していくべき問題なんだろうと思うんですね。その意味からすれば、小学校、中学校の目標というのは統合的にとらえて、その中で到達目標として規定していくのが一つの考え方としてあるだろうと思っております。

 中央教育審議会の「新しい時代の義務教育を創造する」という答申を、昨年十月二十六日、いただきました。私、就任して直後それを見せていただきましたが、国は義務教育の到達目標を明確にし、その質の保証、向上を図ることが必要であると提言されております。

 本法案の成立後、学校教育法等の関係法令の見直しの中でしっかりと検討させていただきたい、このように思っております。

保利委員 これは大変難しい問題だし、時間をかけて検討をしていただいて。

 六・三制というのは、御承知のようにアメリカの教育使節団のアドバイスによって入れられ、私が昭和二十二年の四月に新制中学一年生として新しい中学校に入った、そういう経験を持っておりますので、ここら辺のところは少し整理をするのが我々の役目かなという感じがいたしております。

 ところで、小中一貫あるいは義務教育一貫ということを論じてまいりますと、今度は中等教育という言葉を文部科学省は使っておる。中学校は第一段階の中等教育である、高等学校は後期の中等教育であるということで、前期、後期と分けて中等教育という言葉が使われているわけであります。

 ところが、中等教育の中身というのは一体何なんだ。これもやはり初中局長ですかね、お答えをいただきたいと思います。

銭谷政府参考人 通常は、中等教育という用語は国際的に広く使われているわけでございますけれども、学校教育段階を初等教育、中等教育、高等教育というふうに三段階に分けた場合の中等教育という意味で使われておりまして、日本では中学校と高等学校段階の教育を総称する用語として使われております。

 中等教育とは何かということでございますけれども、初等教育の基礎の上にそれぞれの個性、進路に応じた教育を展開し、一方、その後に控える高等教育のための準備教育という性格もあわせ有する教育段階と一般的には言われております。

保利委員 中等教育という概念は、教育の問題を論ずる場合に重要な概念であるかそうでないか、このことについて文部科学大臣の御所見をちょっと伺いたい。

小坂国務大臣 これは先ほども話に出ておりました、高等学校というものをどう位置づけるかということとも関係してくると思います。

 今局長が答弁させていただきましたように、中等教育が中学校及び高等学校段階の教育を総称するというのは、ではどこに書いてあるのかということになりますと、釈迦に説法でございますけれども、文部科学省設置法の四条七号におきまして、中学校、高等学校、中等教育学校、盲学校、聾学校、養護学校の中学部、高等部における教育を指す用語ということになっておりますので、ここで規定をされている以外には、中学校及び高等学校段階の教育を総称して中等教育という、こういう法律的な位置づけが明確にはなっていないと思うわけでございます。平成十一年度から、学校教育法の改正によりまして、中学校における教育と高等学校を一貫した中等教育学校という形で中高一貫教育が導入をされております。

 そういった意味で、この中等教育という言葉が、高等学校をそこに含むのか含まないのか、高等学校というものをどちらに、高等教育の前段階として位置づけるのか、中等教育の後期として位置づけるのか、これは非常に大きな違いが出てくると思っております。

 高等学校というのが人生の進路を定める重要な役割を担っているということも考えますと、職業的な訓練の場、あるいはそういった大学への接続としての高等学校の位置づけ、これを踏まえた上で中等教育という言葉をもう少しはっきりとさせる必要があるかな、こう考えております。

保利委員 私は、先ほど申し上げました自分の経験から考えてみまして、中等教育というのは非常に重要だなという感触を持っているわけであります。

 と申しますのは、中等教育というのは、恐らく十三歳から十八歳ぐらいまでだと思います。昔の中学校に入りますと、小学校を出て旧制中学に入りますと、先輩はひげが生えかかったお兄さん、おじさんと言ってもいいような中学の五年生がいる。そこへ小学校から入っていった坊やは、おお、すごいな、すごい先輩だなということで畏敬の念を持って上級生を見るというようなことで、人生の、何というのか、人間が形成される重要な時期にそういう経験をして、自分もいよいよ大人の仲間入りをしたんだという認識を持つというようなことを考えてこの中等学校制度というのができたんだろうと、自分ではそういうふうに勝手に思っているわけですけれども。

 そういう意味でいうと、中等学校というのは非常に重要じゃないかなと僕は思うんですが、しかし、今の制度上を見ますと、中等教育というのが中学校と高等学校に分かれている。何を中等教育という中で教えるのか、どういうプロセスで何を教えていくのかということの理念がないというような気がしてしようがないのであります。

 それは、戦争が済んですぐ、旧制中学を分解して、片っ方は新制中学にし、片っ方は新制高校にした、そういう非常に大手術をやりましたから、その残渣というのは今もずっと残っているんじゃないかな。そうすると、それを理念的にどう整理していくかというのは、まさに立法府でよく考えるべきことであって、ほかのどこもやはり考えてくれないんじゃないかなという気がして仕方ありません。役所というのはやはり立法府でつくった法律にある意味でいうと縛られて行政をするわけですから、その縛られている法律そのものを基本的に変えようという構想はなかなか出てこない。やはり立法府の中で議論をする中で、これはどういうふうに将来のためにしていくのかというようなことが非常に大事なんじゃないかなと思います。

 そこで、それをずっと突き詰めていきますと、先ほど遠藤委員もおっしゃっていましたけれども、あるいは初中局長からもお話がありましたが、高等学校というものの位置づけがどうも明白ではないというふうなお話があったやに伺いました。

 高等学校の処理の仕方というのは、処理の仕方と言っては失礼ですが、に対応するやり方としては、私は二つのことが考えられる。それは、高等学校を大学に入るための一つの準備期間である、大学予科という言葉が昔ありまして、私は内容はよくわかりませんが、大学に行って勉強をするための素地を高等学校できちんとつくる。したがって、大学では今教養課程というのがあるんだろうと思いますけれども、教養課程というのは高等学校の段階で全部済ませておく。そして、大学に入ったら、きちんと大学らしい専門教育をやっていかなきゃいけないんだろうと思っておりますが、そういうことについては私もいろいろ議論をしております。

 そこで、高等教育局長おいでですから、今のような考え方に対してどういう御所見をお持ちか、ちょっとお聞かせください。

石川政府参考人 お答えを申し上げます。

 高等学校における教育を、大学の教育の準備期間というような位置づけ、そして、今大学で行われております教養教育もそういったところで充実をさせていくというようなお話かというふうに受けとめておりますけれども、大学につきましては、学校教育法上、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究する場として規定をされておるわけでございまして、また、今回の教育基本法の改正案におきましても、高い教養と専門的能力を培う場として規定をされております。

 そしてまた、大学におきます教養教育というものは、従来より、高等学校において培った基礎的な素養の上に、広い視野を持って社会のさまざまな分野で活躍し得る基礎的な能力を身につけさせるものというような一つ位置づけがありまして、それと同時に、この教養教育というものが、専門教育の基盤を培うとともに、これと一体となって社会を支える人材としてふさわしい資質を養うために不可欠なものとして観念をされているというようなことで、基本的には、大学教育として実施されることが必要なものとして考えられてきておるというようなこともございます。

 そういった意味では、教養教育、大学で行われるそういった教育というのは、引き続き必要な要素として充実をしていくべきもの、このように考えているところでございます。

保利委員 私は、今の御説明には余り賛同いたしません。つまり、現状肯定なんですね。これはぐあいが悪いから変えていこうという発想は役所にはなかなかない。性質上、ないものでしょう。だから、必要なものは必要ですというふうな言い方しかできないんでしょうけれども、私は、高等学校を充実させる意味で、大学の教養課程でやっているものは高等学校で済ませなさい、そして、大学に入ったら本当に専門的な領域で勉強をしていく。その間には、多少社会常識的なものも取り込んで勉強しなきゃいけないことはわかりますけれども、しかし、一般論としての教養課程は高等学校で済ます、そう言えば高等学校の存在価値が随分出てくるんじゃないかなと私は思います。

 同時に、専門高等学校、例えば工業高校とか農業高校とかというものについては、三年間の履修期間では足りませんね。やはり高等専門学校のような五年制のところにそれは直して、これは県立の高校がほとんどでしょうから県立の高等専門学校にして、そして五年間で社会で働く方々を養成していく、そういう一つの実務教育になりますね。手に職をつけますね。それがニート対策の一つになるんじゃないかなという感じを持っているわけであります。ここら辺は制度の大改革ですからなかなか難しいことだと思いますけれども、学校教育法を再検討する場合には、そういうところまで含めて再検討をしていただきたいなと思うのであります。

 時間がなくなってまいりました。

 猪口大臣、ずっとお聞きになっていらっしゃって、今少子化の問題に取り組んでいらっしゃって、先ほども答弁を聞かせていただきました。大変御熱心にやっていただいていることをありがたく思います。せっかく教育基本法の問題をやっておりますので。

 男女共学というのを、今度は政府案ではそこを削除しております。男女共学というのは、戦後まさにこれは男女共学をやるべしということで取り入れられた文章だと思うんです。ところが、男女共学はずっとやってきましたので定着をしているという考え方から、もうそこまで述べる必要はないだろうということで外してあるわけです。しかし、世の中には女子校というのがあります。それから、男子だけの学校もあります。むしろ、男女共学は当然なんだけれども、女子校あるいは男子校というものを認めてもいいのではないかという議論もあったわけです。

 教育基本法に書くことかどうかわかりませんけれども、そういう議論について女性の大臣としてどういうふうにお考えになるか、ちょっと御所見をお伺いさせていただきます。

猪口国務大臣 保利先生にお答え申し上げたく思います。

 保利先生、今御指摘されましたとおりのことではないかと思います。

 そもそも現行法五条におきましては、戦前の教育制度におきます男女の制度的な教育面における差異を解消するということがあったと考えられまして、その歴史的な意義は果たし終えたという観点から今回規定しておりませんが、今日におきます基本的な考え方は、男女の共学については基本とした上で、別学を決して否定するものではないということではないかと思います。個々の学校におきます共学とするかあるいは別学とするか、これは、地域の実情、あるいは住民の意向、あるいは学校の特色に応じて設置者が適切に判断するべきものではないかと私は考えております。

 私自身は、今先生が議論されました中等教育は、女子校においてその教えを受けたわけでございまして、その学校の女子教育に人生をささげるという先生方のお姿、それによってしっかりと教育を受けたという思いも今思い出しているところでございます。

保利委員 一時間いただいて、時間がもうなくなってまいりました。最後に、私は教師論を申し上げたいと思うんです。

 私は教師論を考えるときに、またこれも私の気持ちの中に、ぐさっと刺さっているように大きく響いている言葉があります。

 それはソクラテスの言葉でありますが、ソクラテスは、教育は拒否に始まると言っております。あなたはもう勉強する必要ありませんよ、私のところなんか来なくていいですよと言って一遍断る。二回、三回、四回と熱心に教えてくださいと言ってきた者が本当の生徒である。これはソクラテスの考え方です。この説が正しいのかどうか私はよくわかりませんけれども、確かに先生と生徒の関係の本質をついているところがあると思うんです。やはり先生というのは教えてあげる、だから、それだけに先生の立場というのは非常に貴重な、大事な立場であろうかと思うわけであります。

 次の質問者もおられますが、私は最後に申し上げたいのは、長い間、教師の倫理綱領というのがありました。川上委員長は、これは歴史的な資料であって今日用はないんだというようなことを言われたことがあります。しかし、長い間、日本の教育界で先生方の一つの指針としてこの教師の倫理綱領というのは存在し続けたわけであります。

 そして、それに賛成された方もいらっしゃるだろうし、場合によっては反対された方もあるだろうと思います。そういうものが支配をしてきたと言ってはちょっと過言ですけれども、根底にそういう理念があったということを私はだれも否定し得ないと思うのであります。

 その内容というのを今ここで御紹介はいたしませんが、やはり、これから先生方はどうあるべきかということについては、相当な議論をしなきゃいけませんし、また我々も考えていかなきゃならないと思っております。

 このことについて、文部科学大臣の御所見を伺って、私の質問を終わりたいと思います。

小坂国務大臣 委員が御指摘になりましたように、日教組の教師の倫理綱領は、昭和二十七年六月に開催された第九回定期大会で決定された。しかしその後、今御紹介のありましたように、川上委員長、当時ですけれども、平成八年七月二十三日付の文書で、永久不変なものではなく、時代状況に規定された歴史的な文書であるということ、また、運動路線を確定する際の基準としてはこなかったことを通知したというふうに承知をいたしておりまして、このように、日教組として、教師の倫理綱領を過去の歴史的な文書として位置づけている、このことを私どもも認識させていただいて、そのように対処をさせていただきたいと思っております。

保利委員 大変貴重な一時間を与えていただきまして、まことにありがとうございました。心から感謝を申し上げ、また、民主党の皆様方が御提出になった法案に対して敬意を表し、きょうは質問ができませんでしたけれども、またいつの機会かに質問をさせていただきたいと思うわけであります。

 きょうは、質疑打ち切り動議が出るかなと思ったんですけれども、出ませんでよろしゅうございました。一時間、ありがとうございました。

森山委員長 次に、池坊保子君。

池坊委員 公明党の池坊保子でございます。

 四十六時間に及ぶこの委員会での質疑でございますが、私は、今国会ではこれが最後の質問になるのではないかと思いますので、一つだけ大臣に私が強く思っておりますことをお話しし、そして御答弁を伺いたいと思います。

 先回、公明党の太田委員が個人の尊厳ということに言及されました。人間の尊厳なくして公共の精神も培われないのだ、社会貢献もあり得ないのだと。私は、全く同じ思いを持っております。

 いろいろ調べております中に、敗戦から一年たった一九四六年、日本のために、自己犠牲を求めた教育を展開し、新しい理念をどう打ち立てたらよいかということを天野貞祐さんたちが議論なさいました。

 その中で人の尊厳について触れられた箇所がございました。東京文理科大学学長の務台さんが、公に仕える人間をつくるには、個人を一度確立できるような段階を経なければならない、それが日本には欠けていたのではないかとおっしゃり、それを受けて芦田均さんが、自分のために生きるならまだいいので、他人にすがって生きるような根性が日本人には非常に多い。ある方が、両方をあらわす言葉はないのでしょうか、自他とかと述べていらっしゃいます。

 これを見ますと、私は、個の確立とか自立とか個人の尊厳ということが日本人のDNAには欠けているのではないかというふうに思うのです。しっかりとした自分を持つこと、風評やイデオロギーに流されないで、自分の目で、自分の足で立ってこそ初めて、人は一人では生きられないのですから、人のために尽くそうとも思い、自他の心も、公共の精神も、そして社会貢献も私はできるのではないかと思うのです。

 制定当時の二十二年は貧しいでした。みんな必死になって生きてきたと思います。私は、豊穣の時代になって必死さがなくなってきた、それとともに、この個の確立ということもなくなってきたように思うのです。私は、共生という言葉は大好きですが、それは傷をなめ合うとかもたれ合うのではなくて、キョウは協力の協ではないかと思います。お互いに足りないところを補い合って新しい何かをつくっていくような協生でなくてはならないと思うのです。

 今の日本の現象を見ておりますと、パラサイトシングルというような社会現象にもなってきている、あるいは六十四万と言われるニートが出てきている。もちろんそれにはそれぞれの背景があると思いますから、一くくりで問題をとらえようとは私は思っておりませんけれども、やはりそこには、例えば、親が余りにも子供に干渉し過ぎるとか関与し過ぎる、そういう問題もあるのではないかと私は思うのです。これがある意味で、子供が親を殺してしまうような現象にもなっている。つまり、親と子の分離ができていないのではないかというふうに思うのです。

 昨日、参考人をお呼びいたしましたときに、日本青年会議所の会頭をしていらっしゃる池田さんという方が、どうしてニートが生きていくことができるのでしょうかとおっしゃったんですね。やはりそれは、ちょっと豊穣の時代になったからかなという気もするのですけれども、今、家庭教育の中にあっても地域の教育の中にあっても学校教育においても、ある意味では幼児期においても、社会全体が若者をどう自立させるか、これが問われている時代だと思います。

 つまり、自立する、個人の尊厳、こういうことがしっかりとされていなかったら、二十一世紀、国際社会の中で生きていくわけですから、例えば経済界を見ても、企業は海外のオーナーによって占められるということになってしまうかもしれません。ですから私は、もっと個人の尊厳とは何かということを学校教育などの中で教えていくべきであると強く強く主張申し上げたいのです。

 この法律案の中では、個人の尊厳をどのようにとらえ、個人の尊厳と社会の形成に主体的に参画する公共の精神や自立心との関係をどのようにとらえていらっしゃるのか、また、学校、社会の中でどのような形でこれを浸透していくべきかとお考えになっていらっしゃるかをお伺いしたいと存じます。

小坂国務大臣 委員のお話を聞きながら思いますのは、やはり日本というのは村社会であって、農耕文化の中でお互いの共同作業がありますから、そういう中で培われた、一つの日本の文化としての謙譲の美徳とかあるいは滅私奉公とか譲り合いの精神という中で、ともすると、個というものが確立されなかったというようにも一見見えますけれども、実際には、謙譲の美徳というのは、まずみずからの個があって、相手の尊厳があって、お互いの個の尊厳があって初めて謙譲できるわけでございますし、また、滅私というからには、私が確立をしていて初めてそれを殺すことができる、抑えることができると思います。

 そういう意味で、個人の尊厳とは、すべての個人は人間として何物にもかえがたく、その人格は不可侵であるとの趣旨で、憲法の基本的人権と同じ趣旨に立つものである、こう認識をされております。教育において、こうした個人の尊厳を重んじることは、憲法の精神にのっとった普遍的なものとして今後とも重要な理念であることから、現行法に引き続き、法案においても前文に規定することとしたわけでございます。

 また、公共の精神とは、国や社会の問題を自分自身の問題として考え、そのために積極的に行動するという精神をいうものでありまして、今後の教育において重要な理念として、法案の前文及び第二条に規定することとなったわけでございます。

 また、自立心は、自分だけの力で物事を行っていこうとする気持ちをいうものでありまして、法案では、教育の目標の一つとして、第二条第二号において自主及び自律の精神を養うことを規定しているほか、第五条で、義務教育において、社会において自立的に生きる基礎を培うとしております。また、第十条で、家庭教育において自立心を育成することを規定しているところでございます。

 人間は、教育において、個人の尊厳が重んじられ、自己の確立を図ることを通じて他者の尊厳をも重んじる態度をはぐくむとともに、他者とのかかわりによってつくられる社会を尊重し、さらには、主体的にその形成に参加する公共の精神を養うことへと発展するものと考えられます。さらに、こうした基盤の上に、自立して物事に対処しようとする自立心もはぐくまれるものと考えられるわけでありまして、今回の法案においては、これら人間として重要な教育の理念について明確に規定をしたところでございます。

 学校教育においてどのようにとらえられているかということにつきましては、学習指導要領に基づきまして、社会科や道徳、特別活動等を通じまして、ボランティア活動など体験活動の推進やキャリア教育、生徒指導の充実などによりまして、個人の尊厳の尊重のもとに児童生徒の公共の精神や自立心の育成を図っているところでありまして、今後、今回の法案の規定を踏まえまして、現場における取り組みのさらなる充実を図ってまいりたい、このように考えております。

池坊委員 大臣がおっしゃるように、日本のよき文化は、深い内容が込められているのです。でも、そういうことが忘れ去られ、ただ欧米の文化だけを取り入れた。欧米の文化にも深いいろいろなものが根差しているのですが、内容をきっちり吟味しないで表面だけを受けとめていくというのは、大変危険だと私は思います。これから二十一世紀を生きる子供たちがそういうことがないように、そういうことが、やはり世界の中できちんと生きられる日本人、また個人を育成していくことになると思っております。

 次の質問等々は先輩議員にバトンタッチいたします。ありがとうございました。

森山委員長 斉藤鉄夫君。

斉藤(鉄)委員 池坊理事の質問時間の残り時間を使わせていただきまして、質問させていただきます。

 まず初めに、先ほど池坊委員が、今国会で最後の質問になる云々という話がございましたが、私は、政府が今国会に提出された法案、政府として今国会で成立を図るべきである。民主党さんも対案を出されております。そして、その真摯な議論の中から、幅広い賛同を得られると私は今までの議論を聞いて感じておりまして、今国会で成立を図るべきだ。我が党の神崎代表も、先日の記者会見でその旨を言わせていただきました。

 残り少ない今国会ですが、いろいろな工夫をして成立を図るべきだ、このように強く私は思うわけでございますが、大臣、何か御所見ございますでしょうか。

小坂国務大臣 皆様の御協力によりまして審議が充実をしている、このように感じておりまして、できるだけ速やかに国会においての審議を通過させていただきまして成立を図っていただきますように、私としても最善の努力をさせていただきたいと存じます。

斉藤(鉄)委員 我々も最善の努力をしたいと思います。

 それでは、先日、前文及び第一条、教育の目的について質問をさせていただきました。次に、第二条、教育の目標ということについて、まだ論議されていない点について質問させていただきます。

 政府案第二条の教育の目標、その一番初めの文章に、「教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。」ということで、後、一号から五号まで目標が載っておるんですが、この前文に突然、「学問の自由を尊重しつつ、」という文章が出てまいります。高等教育や大学のところで出てくるのであればわかるような気もするのですが、ここに全体に係る形で学問の自由が出てきた理由をお伺いします。

小坂国務大臣 ここに規定をいたしました学問の自由とは、人が本来持っている真理探求の欲求が自由に行使できるということを踏まえたものでございまして、教育全般に関する重要な理念であると考えております。

 このため、教育全体を通じた教育の目標を掲げる第二条に規定することといたしまして、教育の目標の実現に当たっては学問の自由を尊重することを、現行法の第二条、教育の方針に規定されていることに続きまして、それを引き続き規定したものでございます。

斉藤(鉄)委員 全体に係る理由はわかりました。

 聞くところによりますと、学問の自由には三つの範疇があると。一つが研究の自由、それからその研究成果を発表する自由、そして教授の自由だそうでございます。この教授の自由ということを拡大解釈しますと、これは高等教育のところではなくて第二条の最初に出ている文章ですから、初中教育においても教授の自由がある、であれば、学習指導要領よりもこの教授の自由、先生が何を教えてもいいんだ、それは自由があるんだ、これは二条に書かれているんだ、こういう解釈にもなりかねません。

 この点はいかがなんでしょうか。指導要領とどっちが優先するんでしょうか。

田中政府参考人 初等中等教育段階におきます教授の自由についてのお尋ねでございますけれども、初等中等教育段階におきましては、児童生徒に授業内容を批判する能力がなく、また教育の機会均等や水準の確保が要請されることから、教員に完全な教授の自由が認められるわけではございません。

 このため、今御指摘のございましたような学習指導要領を初めとする教育課程の基準等を国が定めておるところでございますし、また、これらを踏まえまして、それぞれの当該学校におきまして、学校で教育課程を定めておるわけでございます。それぞれの教員は、その教育課程に従って教育を行う必要があると考えておるところでございます。

斉藤(鉄)委員 わかりました。学習指導要領が優先するということでございます。

 それから次、第二条の第一号、いわゆる知徳体を定めた第一号につきまして、知及び体については現行法にもございます。今回、新たに徳の項目が入った。「豊かな情操と道徳心を培うとともに、」ということでございますが、現行にない目標を入れたことと、ここで言う豊かな情操と道徳心の意味を改めてお伺いします。

田中政府参考人 法案の第二条第一号は、教育の目的のうち、教育全般を通じて基礎となるもの、今おっしゃっていただきましたけれども、知徳体、この三つの分野につきまして規定をさせていただいておるところでございます。

 豊かな情操と道徳心でございますけれども、情操とは、美しいものやすぐれたものなどに接して感動する心であり、また道徳心とは、社会における善悪の判断基準として一般に承認されている規範を守り、これに従おうとする心をいうものでございます。これらはいずれも人格完成において非常に重要なものである、そしてこれらを培うことが教育の基本的な機能であることから、新たに目標として明示をさせていただいておるところでございます。

斉藤(鉄)委員 次に、第二号でございます。

 この第二号の最初に出てくる「個人の価値を尊重して、」ということにつきましては、先ほど池坊委員からも質問がありましたし、今回議論されております。

 その次の、「その能力を伸ばし、」という文章がございます。

 実は、この教育基本法政府案の中に能力という言葉が全体で四回出てまいります。第四条、教育の機会均等のところで、「ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会」、こういう使われ方。それから、同じくその第三項で「能力があるにもかかわらず、経済的理由」云々という奨学金の項目。それから、五条の義務教育のところで「各個人の有する能力を伸ばしつつ」ということで出てまいりますが、それぞれ意味合いが少しずつ違うような気がいたします。

 この能力という言葉をもってして、能力主義、能力別教育、果てはエリート教育、競争主義をあおるものだ、こういう批判もございますけれども、今回のこの第二号に出てくる能力ということの意味、そして四条、五条での能力ということの意味、これについてきちっと定義をしておきたいと思いますが、いかがでしょうか。

田中政府参考人 法案の能力についての御質問でございますが、ここに言う能力とは、それぞれの個々人、教育を受ける者それぞれが備えるあらゆる能力を総称するものでございます。

 まず、第二条第二号の、個人の価値を尊重して能力を伸ばしとございますが、これは、教育によりまして個人のあらゆる能力を伸ばすに当たりまして、それぞれの個性や独自性に着目して行われるべき旨を定めているものでございます。まさにそれぞれの個人が持っている能力をできる限り、そしてまた調和的に伸ばしていこうということでございます。

 また、第四条一項は、憲法の規定を受けまして、すべての国民がその能力に応じた教育を受ける機会を与えられるべきことを定めておるわけでございますが、これはすべての国民に教育を受ける者の能力に応じた適切な教育を受ける機会を与えるという趣旨でございます。

 第四条三項では、教育を受けるだけの能力があるにもかかわらず、経済的理由で修学が困難な者に対しまして、奨学の措置を講ずる義務を国や地方公共団体に課しているところでございますが、この場合の能力も、特に優秀で高い能力を指すことではございませんで、それぞれがそれぞれの学校において教育を受けるに必要な能力を有しているということを指しておるところでございます。

 さらに、第五条第二項の各個人の有する能力を伸ばしつつ、この能力につきましても、教育を受ける者が持つあらゆる能力を発展させることを義務教育の目的として明示しておるものでございまして、いずれの条文の能力もいわゆる能力主義や競争主義の教育を目指すという趣旨ではございません。

斉藤(鉄)委員 ある意味では、個人に秘められている可能性といったようなニュアンスもあるということがよくわかりました。

 次に、同じ項で、その後段に「職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養う」ということがございます。中教審の答申にも、職業生活との関連の明確化、これを目標にきちんと掲げるべきだ、このように書いてございますが、ここで言う「職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度」とはどういう態度なのか、より具体的な説明をお願いします。

田中政府参考人 法案第二条第二号の「職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養う」の意味でございますけれども、若干趣旨を申させていただきますと、フリーターやニートが社会問題化しておる今日、これからの教育におきましては、子供たちに望ましい職業観あるいは勤労観、そして職業に関する知識や技術を身につけてもらうことが大変重要であると考えております。そして、一人一人の子供たちが自分の個性を理解して、主体的にその進路を選択できる能力や態度を養っていくことが非常に重要だと考えておるところでございます。

 このために、法案第二条第二号におきまして、みずから進んで働く精神に満ちた人間の育成を目指して、勤労を重んずる態度を養うことを教育の目標として掲げておるところでございますし、また、職業や生活との関連を重視した教育が行われるべきことをあわせて規定いたしまして、児童生徒の職業観、勤労観を育成するために、例えば職場体験を実施するなど、職業に関する知識、技術を身につけさせることを充実していこうとするものでございます。

斉藤(鉄)委員 意味は明確になりましたが、それでは、具体的にそれをどう実践するか、具体化するかということについてお伺いします。

銭谷政府参考人 教育基本法改正案の第二条第二号に示されました、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うことに関連して、現在学校で取り組んでいる事柄につきまして御説明を申し上げます。

 一つは、キャリア教育という観点から、子供たちが職業観、勤労観あるいは職業に関する知識、技能を学ぶという時間を、特別活動あるいは総合的学習の時間を中心に実施いたしております。

 具体的には、特に小学校における職場見学、それから中学校におきます職場体験学習というものを中心に、体験的な学習を取り入れて実施をしているところでございます。特に中学校におきましては、五日間以上の職場体験をキャリア・スタート・ウイークとして実施いたしておりまして、地域の協力体制の構築も図りながら実施をしているところでございます。

 なお、キャリア教育の推進とあわせまして、文字どおり職業に関する知識、技能あるいは職業人としての準備教育という意味で、職業教育そのものの充実も大事だと考えております。

 これにつきましては、特に専門高校におきまして、さまざまな取り組みを行っているところでございます。文部科学省といたしましても、スーパー専門高校あるいは専門高校等における日本版デュアルシステム推進事業等の施策を推進して、高等学校における職業教育の充実の推進を図っているところでございます。

斉藤(鉄)委員 わかりました。

 次に、第三号についてでございます。これは、猪口大臣と、それから民主党案に質問をさせていただきます。

 男女の平等というのが政府案には入っております。中教審の答申では、男女共学という項目はもう外してもいいのではないか、削除することが適当と書いてございますが、同時に、男女共同参画社会への寄与という理念を明確にすべきだとございます。この項目について、猪口大臣に、御感想といいましょうか、趣旨をお伺いいたします。

猪口国務大臣 政府案におきまして、二条の三号におきまして、男女の平等を重んずる態度と、明白に教育の目標として規定してございます。先生御存じのとおり、正義と責任の後に男女の平等を入れているわけでございまして、非常に重い扱いをしていると考えております。

 ここに申します平等とは、男女が互いにその人権を尊重しつつ責任を分かち合う、そういう文脈でございまして、そもそも憲法十四条におきまして、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」、性別により差別されないということが明記されているわけでございますので、男女平等の実現がこのように掲げられているところであり、この憲法の思想、そして教育基本法案におきます男女平等の趣旨は非常に重要なものと考えております。

斉藤(鉄)委員 ありがとうございました。

 民主党案には、中教審の答申である、いわゆる男女共同参画社会への寄与という理念を明確にせよということが盛り込まれていないように見えるんですが、この点いかがでしょうか。

高井議員 お答え申し上げます。

 我が党案では、第二条に何人に対しても学ぶ権利を保障し、加えて、第三条二項において、「何人も、人種、性別、言語、宗教、信条、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。」というふうに定めており、この項目で男女の平等を含むものであると御理解いただきたいと思います。

 恐らく女性の方はほとんどが経験があるのではないかと思いますけれども、教育の世界では、男女の平等という価値はほぼ実現されていると思っています。しかし、社会に出るときに初めて男女は平等でないという事態に直面することが多うございまして、やはり労働面や雇用面で男女の差別を是正しようということが実際的に大事であるというふうに思っております。

 そういう中で、現在、男女雇用機会均等法という法律がもうすぐ衆議院にかかり、審議がされるわけでございますけれども、慎重なる審査の上、適切な運用を望みたいというふうに思っております。我々は、教育の目的の一つとしてここにこうした形で羅列するよりも、実社会における男女の平等ということが大切であるというふうに考えておりまして、関連法制の整備に努力したいと思っております。

斉藤(鉄)委員 同じく第三号、それに続く文章に、「公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養う」とございます。ここは議論がもう既に出てきたところでございますが、中教審の答申にも、社会の形成に主体的に参画する公共の精神を盛り込むべきだ、このようになっておりますけれども、改めて、ここで言う公共の精神とは何か、定義をお願いいたします。

田中政府参考人 公共の精神についてのお尋ねでございますけれども、公共の精神とは、社会全体の利益のために尽くす精神、そして、国や社会の問題を自分自身の問題として考え、そのために積極的に行動する精神をいうものと考えておるところでございます。

斉藤(鉄)委員 次に第四号、「生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。」ということでございますが、この「生命を尊び、自然を大切にし、」というのは、第一号の「豊かな情操と道徳心を培う」ということとも深い関連がある、このような御答弁もございました。

 生命及び自然、この第四号の文章と第一号の豊かな情操という言葉、この関係性を問います。

田中政府参考人 法案の第二条第四号では、教育の目標として、主として、生命や自然、環境を大切にし、自然との共生を図るために必要な態度を育てるという趣旨のものでございまして、この生命をたっとび、自然を大切にする態度を養うとは、人間だけでなく、さまざまな生命あるものを守り、慈しみ、自然と親しんで豊かなかかわりを持つ態度を養うという趣旨でございまして、このことは、法案第二条第一号に規定する、豊かな情操を培うことにもつながるものであると考えておるところでございます。

斉藤(鉄)委員 そのこととも関連しますが、これ全体の意味、「生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度」、もう少し具体的に掘り下げてここを定義していただきたいと思います。

田中政府参考人 生命をたっとぶ態度とは、例えば、動物を飼育したり、あるいは植物を育てたりする体験を通じまして、生き物への親しみを持ち、これを大切にしようとする態度をはぐくむこと、あるいは自然を大切にする態度とは、人の手が加わっていない自然をむやみに破壊したりせずに可能な限り維持保全しようとする態度、また環境の保全に寄与する態度につきましては、国内にとどまらず地球規模で環境問題が重大となり、さまざまな環境を保全する活動が行われている中で、みずからがその活動に参加する、そして、間接的にでも、その考え方に共感し、自分の範囲内で貢献をしていくことも含めまして寄与しようとする態度を指すものと考えておるところでございます。

斉藤(鉄)委員 第五号につきましては、これまで議論がかなりされてきておりますので省略をさせていただきます。私自身も質問させていただきました。

 次に第三条、生涯学習の理念というところでございます。

 「生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、」という、現行法にもございますけれども、非常にわかりやすい言葉でございます。ここで言ういわゆる生涯学習とは何なんでしょうか。

小坂国務大臣 この生涯学習を生涯教育とおっしゃる方もいらっしゃるんですが、私どもは、生涯学習という形で規定をさせていただいております。それは、学ぶ者という形で、学ぶ者に着眼した概念として、一人一人が生涯にわたって、知識、技能、経験等を獲得するためにそれぞれの興味、関心に応じて多様な学習機会から選択して行うすべての学習活動でありまして、今日のように高齢化そして自由時間の増大、こういった環境の変化、社会的な変化を踏まえますと、学校教育、家庭教育、社会教育等による学習を包含する広い概念としてこれを規定させていただいたところでございます。

斉藤(鉄)委員 第十二条に、社会教育というのが、この生涯学習とは別に出ております。十二条に言う社会教育とは何なんでしょうか。

田中政府参考人 社会教育についてのお尋ねでございますけれども、社会教育は、教育のうち学校または家庭において行われる教育を除きまして、広く社会において行われる教育を指すものでございます。したがいまして、社会教育において学びます学習も生涯学習の一部をなすということになっておるところでございます。

斉藤(鉄)委員 そうしますと、生涯学習という大きな集合体があって、その中に学校教育がある、その学校教育に対する言葉として社会教育がある、そのほかに家庭教育がある、こういう理解でいいわけですね。

 民主党にお伺いするんですが、民主党さんの第十二条に、生涯学習及び社会教育ということで、「あらゆる機会に、あらゆる場所において、多様な学習機会を享受できるよう、社会教育の充実に努めなければならない。」こうあるんですが、これは生涯学習と社会教育をごっちゃにされていませんか。この文章ですと、いわゆるイコールに聞こえます。

藤村議員 斉藤委員も先ほどみずから御説明いただいたように、生涯学習というのは、生まれてから一生を通して人はずっと学ぶべきものだという概念でございまして、実は、私どもの今回の日本国教育基本法においては、そこを基本にさせていただいている。

 そこで、我々の方は、第二条学ぶ権利の保障、これは憲法二十六条からのまさに教育を受ける権利、これを具現化したのが第二条で、「何人も、生涯にわたって、学問の自由と教育の目的の尊重のもとに、」云々と書いておりますが、まさにこれが基軸になっているということでございます。

 それから、社会教育についての定義は、先ほど役所からもありましたが、私どもは、国及び地方公共団体が行う教育は、まさに一生かかって学ぶ大きな枠組みの中の一部である、その中にしかし、国及び地方公共団体は、学校教育とそれから社会教育というのを車の両輪にしていると。かつその後に、昭和二十二年当時には全く概念がなかった生涯学習という概念が出てきましたので、この生涯学習というのが我々が言う一生涯かかって学ぶことであり、しかし、その中で国及び地方公共団体が行うのは、社会教育の部分ではどうするかということ。

 社会教育に関しては、もう一つ、私ども十四条で職業教育の部分についても社会教育の役割を規定しておりますが、そういう考え方でありまして、決してごっちゃにしているのじゃなしに、法自体が、我々がまさに生涯学ぶというその方を基本にしているということでございます。

斉藤(鉄)委員 生涯学習と社会教育について、立て分けがきちっと今の議論でできたかと思います。

 次に、第四条、教育の機会均等ですけれども、ここはいろいろあるんですが、ちょっと時間がありませんので、最初の方だけ質問させていただきます。

 憲法第十四条の法のもとの平等の中に、人種、信条、性別、社会的身分または門地によって差別されないというのが出てまいります。

 教育基本法ではこれに準じて書かれているわけですが、門地という言葉、これは現在使われているのだろうか。だから、憲法には書かれているけれども、新しい教育基本法に残すことはどうかというふうな議論も随分あったわけですが、この門地という言葉の意味、残した理由、これをお伺いします。

田中政府参考人 門地についてのお尋ねでございますが、門地とは、戦前の華族のようないわゆる家柄を指すものと解されておるところでございます。

 現行憲法のもとで、「華族その他の貴族の制度は、これを認めない。」というふうにされておるところでございまして、今日において門地に相当するような制度はないではないかという御指摘があるわけでございますけれども、ただ、従来ございましたそういう門地に相当するようなものによって差別が行われてはならないわけでございます。こういう点から、現行基本法に引き続きまして、新しい基本法の中でも、門地による差別をしてはならないことを明確にしておるところでございます。

斉藤(鉄)委員 では、もう一問。

 「人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、」ということで、ほぼ憲法の文章と同じなんですが、憲法にない経済的地位という言葉がここに入ってまいります。これはなぜでしょうか。

田中政府参考人 お尋ねの経済的地位を規定しております理由は、第一項前段の「その能力に応じた教育を受ける機会」の能力の中に、これは、教育を受けるのに必要な精神的、身体的能力を指すものであって、経済的能力を含むものではない、すなわち、収入や財産による差別は許されないことを明確に規定するために、教育基本法では経済的地位を明示しておるところでございます。

斉藤(鉄)委員 時間が参りました。

 第四条の第一項まで今議論してきたところですが、引き続き議論したいと思いますが、ぜひ今国会で成立を図るべく御努力をいただきたい、このように思います。

 ありがとうございました。

森山委員長 この際、暫時休憩いたします。

    午後零時四分休憩

     ――――◇―――――

    午後一時四十二分開議

森山委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。

 質疑を続行いたします。小宮山洋子君。

小宮山(洋)委員 民主党の小宮山洋子でございます。

 本日は、私が民主党の中で子供政策の責任者を務めさせていただいている立場から、子供の視点から、三十分ではございますが、質問をさせていただきたいと思います。

 まず、政府案と民主党案を比べてみまして、私の目から見ますと、子供の視点、これがあるかないかということが非常に大きな違いなのではないかと思っています。

 その子供の視点をどのように盛り込んでいるのか、それがどこにあらわされているのかを、少子化担当大臣、文部科学大臣、そして民主党の提出者にまず伺いたいと思います。

小坂国務大臣 委員の御指摘の子供の視点でございますけれども、人間の教育という点を考えますと、個人の人格の完成を目指して子供の成長を促すのが教育だと思うわけでございまして、子供にとって何が必要で大切かということを考慮せずに教育のあり方を考えることはできないと考えるわけでございまして、そのような観点からすれば、私どものこの法律案全体に子供の視点というものは貫かれていると私どもは考えております。

 ただ、表現ぶりからするとそれぞれの違いはあるわけでございますが、それはいわゆる表現の手法の違いでございまして、理念的なものからいえば、私どもの法案も、教育というものを論ずる以上、子供の視点を忘れることはないというふうに思っておるところでございます。

猪口国務大臣 小宮山先生に御答弁申し上げます。

 今、文科大臣が答弁されたとおりでございますけれども、具体的には、教育の機会均等、第四条、生涯学習の理念及び学校教育、第三条、第六条二項、家庭教育及び幼児期の教育、これは第十条、第十一条に関する規定が政府案において盛り込まれましたように、子供の視点、本法案全体を貫くものでございます。

 子供を含みました国民の教育を受ける権利につきましては、憲法二十六条に規定されていますが、本法案におきましても、現行法に引き続きまして、教育の機会均等や、国や地方公共団体が、学校制度の構築や学校の設置運営などによって国民の教育を受ける機会の提供に努めなければならないという、より積極的な責務規定をしているのでございます。

 また、本法案におきまして、これに加えまして、生涯学習の理念、三条について新たに規定しておりますとともに、学校教育については、学校における教育が、「教育を受ける者の心身の発達に応じて、体系的な教育が組織的に行われなければならない。」ことなど、新たな規定も盛り込んでいるところでございます。

 さらに、子供の人格形成を養う上での非常に重要なものとして、家庭教育規定、第十条、また、幼児期の教育規定、第十一条を新たに規定しているところでございます。

高井議員 我が党案におきましても、もちろん子供の視点というのを一番大事に考えながら法案をつくりました。

 我が党案におきましては、第二条に、学ぶ権利の保障という規定を新設しております。これは、すべての子供が漏れなく学習する権利を享受する、そのためには、これを教育基本法に明示する必要があると考えまして設けたものであり、現行法や政府案にはない画期的な条文だと私どもは自負しておるところです。

 その他、第十三条に、特別な状況に応じた教育という規定を置いて、障害を有する子供にもひとしく教育を受ける権利を保障しております。

 また、第十七条三項では、「すべての児童及び生徒は、その健やかな成長に有害な情報から保護されるよう配慮されるもの」ということも定めて、メディアリテラシーの観点からも、子供の立場に立った、子供の視点に立った規定として設けておるところでございます。

小宮山(洋)委員 先ほど、小坂大臣の方からは手法の違いだというふうに御答弁ございましたけれども、私は、手法の違いというようなものではなくて、やはり、重点の置き方、軸足の置き方が子供の視点に立っているかどうかということの大きな違いではないかと思っております。

 そういう意味で、何点かについて具体的に伺っていきたいと思います。

 民主党案では、学校教育の中などに、「すべての国民及び日本に居住する外国人」というふうに明記をしております。外国人の子供たちも今非常にたくさん日本で学んでおりまして、昨年、平成十七年五月現在では、国公私立小中学校で六万三千人余りの外国人の子供たちが義務教育を受けているわけですが、政府案の国民という範囲にはこうした外国人の子供たちも入っているのでしょうか。また、入っているとすれば、それを明記されなかったのはどういうことかを伺いたいと思います。

小坂国務大臣 憲法第二十六条は国民の教育を受ける権利を定めているわけでございまして、現行教育法第三条も、この規定を踏まえて、人格の完成とともに、国家及び社会の形成者としての国民の育成ということを目的として、教育の機会均等など教育の基本的理念を規定しておるわけでございまして、本法案の第四条もこれを引き継いだものでございます。

 しかし、外国人児童生徒が希望する場合には、例えば公立の義務教育諸学校へ就学することも可能でありまして、日本人児童生徒と同様に教育を受ける権利が保障をされているわけでございます。

 したがいまして、御質問のような日本に居住する外国人につきましては、明記をしているわけではございませんけれども、日本における日本人児童と同様の教育上の取り扱いを受けることになるわけでございます。

小宮山(洋)委員 先ほど、私の最初の問いに対して民主党の提出者の答弁にもございましたが、民主党案には学習権ということが明示をされております。今回、この教育基本法を変えた方がいいのかどうかということは国民的な議論をしっかりしなければいけないと思っておりますが、私たちも、いろいろ盛り込まなきゃいけないものがたくさんあるということは、ここ数年かけて民主党の中でも議論をしてきまして、その中で、どうしても欠かすことができないのがやはり学ぶ権利、学習権ということだと思いますが、政府案は、拝見したところ、そうした文言はないように思いますけれども、この点についてはどういうふうにお考えでしょうか。

小坂国務大臣 先ほど申し上げた憲法二十六条では、子供を含めた国民に教育を受ける権利を規定しているわけでございまして、この教育を受ける権利とは、言いかえれば、国民各自が人格の完成に向けた必要な学習をする権利のことでありまして、特に子供においては、自己の学習に必要な教育を大人一般に対して要求する権利があると認識をしているわけでございます。

 こうした理念にのっとりまして、本法案では、現行法に引き続き、教育の機会均等を第四条として、国や地方公共団体が学校制度の構築や学校の設置、運営などによって国民の教育を受ける機会の提供に努めなければならないという、より積極的な責務を規定しているわけでございます。

 また、本法案では、これに加えまして、生涯学習の理念、第三条、学校教育、第六条において、心身の発達に応じて体系的な教育が組織的に行われなければならないことや、教育を受ける者がみずから進んで学習に取り組む意欲を高めることを重視して行われなければならないなどの規定を設けているところでございまして、さらに、家庭教育、第十条、また幼児期の教育、第十一条においても、子供の人格形成の基礎を培う上での重要な役割を果たしていることなどを新たに規定しております。

 このように、現行法及び本法案は、憲法に規定されている学ぶ権利を具体化するものであることから、学ぶ権利については特に文言として規定することはしていないところでございます。

小宮山(洋)委員 今の御答弁にあったことは全部、国とか地方公共団体あるいはさまざまなところがそういう場を用意するという、用意する側からの規定でありまして、心はそういうことかもしれませんけれども、政府案を見る限り、子供の権利として学べる学習権ということは見受けられない。そこのところが、そこを大事に明記した民主党案と違うのではないかというふうに思います。

 最初に申し上げた子供の視点ということで、一番そのことが顕著にあらわれているのは、子供にとっての最善の利益ということ。これは、御承知の子どもの権利条約、児童の権利条約の一番基礎になっている考え方です。この児童の権利条約というのは、御承知だと思いますが、国連の条約の中では最も多い国が批准をしている。現在、百九十二カ国が批准をしておりまして、そのために、各国の政府は、この条約の精神に基づいて法整備をするなどの実体を整える責任があるわけですね。

 民主党案の場合は、子供の視点から、子供にとっての最善の利益ということで、適切かつ最善な教育機会、環境の創出と確保、整備というように、学校教育、幼児期教育など複数の条文に、子供にとっての最善の利益ということを明記しております。これを明記した民主党の心というか考え方、並びに、そういうものが見受けられない政府案について、提出者と政府に伺いたいと思います。

高井議員 お答え申し上げます。

 民主党案の第六条二項におきまして幼児期の子どもに対する無償教育の漸進的な導入等も盛り込んで、私たちは、あくまで、親が経済的に豊かかどうか、そういうことを別にしましても、やはりすべての子供にはできるだけ教育、保育のいい環境が与えられるようにという観点で、あえて無償教育の漸進的導入という言葉を盛り込みました。

 現実的に、今、五歳児では二・六%の幼児が幼稚園や保育所に行かずに小学校に入学していると言われます。こういうふうな未就学幼児を抱える家庭には財政的理由というのもあるのではないかというふうに思いますので、できるだけ子供にとって居心地のいい場所を提供するという観点からこうした条項を盛り込みました。

小坂国務大臣 御指摘の児童の権利条約第三条におきましては、「児童に関するすべての措置をとるに当たっては、公的若しくは私的な社会福祉施設、裁判所、行政当局又は立法機関のいずれによって行われるものであっても、児童の最善の利益が主として考慮されるものとする。」と規定をいたしておりまして、我が国はこの締結国として、児童に関する措置をとる際の一般原則として児童の最善の利益が主として考慮されることが規定をされ、それを受けているわけでございます。

 我が国においても、この趣旨を踏まえて、児童一人一人を大切にした教育を行うことが求められている。この原則を踏まえておりますので、特に私どもは規定を設けておりませんが、こうした点につきましては、既に日本国憲法の教育を受ける権利や教育基本法の教育の機会均等など、現行の国内法制によっても保障されているところでございまして、特に新たにそういう文言を盛り込んでいないところでございます。

小宮山(洋)委員 先ほどから御答弁を伺っていますと、憲法に書いてあるからとかいろいろおっしゃいますが、それでは今回の教育基本法は何のために改正をするのか。やはり教育基本法を改正する以上、子供の視点というか、子供のしっかりした教育を受ける権利ということをしっかり明記すべきではないかというふうに私どもは思っております。

 それで、先ほど民主党の提出者からの答弁にも入っておりましたけれども、幼児教育につきましても、民主党案では、幼児期の子どもに対する無償教育の漸進的な導入ということを条文に入れております。民主党は、幼稚園と保育所を質を守りながら一本化しまして、すべての希望する子供たちに居場所をつくりたいという考え方を持っております。

 政府は、今回、認定こども園という、幼稚園と保育所を、機能をあわせ持つという法案ですけれども、ちょっと中途半端な形だと私どもは思っておりますが、そうしたものを提出されて、間もなくそれがスタートしようとしているわけですけれども、無償教育の問題、それから今度の認定こども園などの絡みで、幼児教育ということは今回どう位置づけられるのか、そうしたことをあわせてお答えいただきたいと思います。

馳副大臣 生涯にわたる人格形成の基礎が培われる幼児期に行われる教育は極めて重要であると考えております。

 文部科学省としては、希望するすべての幼児に対して質の高い幼児期の教育の機会が提供されるよう、幼稚園就園奨励費補助、私学助成を通じた教育費負担の軽減などの施策を通じ、幼児期の教育の振興に努めているところであります。

 幼児期の教育の無償化については、重要な政策課題ではありますが、財源のあり方等を含めた幅広い観点からの議論が必要な課題と認識をしております。

 また、認定こども園についてでありますが、本法律案第十一条に規定する幼児期の教育は、幼稚園、保育所等で行われる教育のみならず、就学前の幼児に対し家庭や地域で幅広く行われる教育を含めた教育を意味しております。

 認定こども園は、幼稚園、保育所等のうち、就学前の教育、保育と地域における子育て支援を総合的に提供する機能を備えるものを認定するものであります。認定こども園の教育活動は、本法律案第十一条の幼児期の教育に含まれるものであります。

 認定こども園の制度化により、就学前の教育機能の充実が一層図られることを期待しております。

小宮山(洋)委員 今のお答えは文部科学省的お答えで、保育所にいる子供のことは全く入っていません。そこを私たちは一緒にしなきゃいけないと。保育所であっても幼稚園であっても、本来、私たちはそこを一本化していったらいいと思っているんですけれども、その中で、とにかく学校へ上がる前の子供たちは必要な教育はひとしく受けられるようにすべきだ。

 そのためには、幼稚園は文部科学省、そして保育所は厚生労働省、縦割りじゃだめなので、今回のような小手先で千カ所ぐらいそれをつくってみようかではなくて、もっと抜本的に、それこそ子供の視点で統合する形で、質をちゃんと守りながら、そしてその質の中に教育もきちんと入れる。

 そういう意味では、今格差の問題もいろいろ出ておりますけれども、無償教育ということをぜひ幼児期についても考えていかなきゃいけない。せっかく教育基本法を変えるんですから、そういうものをきちんと盛り込むべきだというふうに考えております。

 それから、高等教育の無償化につきましても、民主党案では次第に導入していくということを明記しております。国連人権規約を批准している百五十三カ国の中で高等教育の無償化条項を留保しているのは、マダガスカル、ルワンダ、日本の三カ国だけになっています。

 日本の高等教育については家計負担が六割、アメリカでは三割、ヨーロッパ諸国は平均が大体一割ぐらいで、スウェーデンは負担がないというふうなことと比べますと、著しく日本では高等教育の家計負担が高い。この所得格差が教育格差にならないようにするためにも、こうしたことの導入が必要だと思いますが、いかがでしょうか。

小坂国務大臣 幼児教育につきましては、先ほど来、民主党さんの賛成をいただきまして、認定こども園法案等通過をさせていただきました。今後の本会議での成立を待つことになりますが、よろしくお願い申し上げたいと存じます。

 教育の機会均等の達成は大変重要な課題でありまして、ただいま高等教育の無償化につきましてお話がございましたけれども、親の所得など家庭の経済状況によって就学の機会が奪われないように、改正法案においても引き続き規定をしているところでございます。

 文部科学省におきましては、私立大学等経常費補助等を通じまして、各大学における学費の軽減に努めるとともに、日本学生支援機構による奨学金事業の充実を図ってきたところでございます。無利子、有利子合わせて、貸与基準を満たす希望者のほぼ全員に貸与が実施をされております。

 また、各大学におきましては、経済的理由等によりまして就学困難な学生に対する授業料等の減免を実施しておるわけでございまして、文部科学省としては、これらに対する財政支援を行っているところでございます。

 なお、高等教育無償化の御提案につきましては、高等学校卒業後、社会人として税金を負担している勤労者、勤労をされている方との公平の観点や、また、無償化のための財源をどのように賄うか等の点を考慮いたしますと、現時点では極めて難しい問題と考えておるわけでございまして、文部科学省としては、今後とも、高等教育を受ける機会の確保について適切な施策を講じてまいりたいと考えております。

小宮山(洋)委員 なかなか無償化が現実のものとならない中で、それではどうやって教育を受けるかといいますと、一方では奨学金の充実ということがあると思います。

 民主党の中では、義務教育終了までは子ども手当、これを大幅に増額する。財源のためには、税の控除を廃止して社会保障のサービス給付、子供にそれを全部振り向けるといった、少子高齢社会の中での税制と社会保障制度をあわせて考えた抜本的な改革を伴って、財源を伴って私たちは提起をしております。

 義務教育を終了した後は奨学金を大幅に充実と考えているんですが、この点は政府の考え方はどうでしょう。

小坂国務大臣 教育の機会均等の達成が大変重要な課題だという認識においては共通していると思っております。改正法案につきましても、この考えを引き続き規定をいたしているところでございますが、親の所得など家庭の経済状況によって就学の機会が奪われないように、先ほど申し上げたように、日本学生支援機構による奨学金事業については、これまでも充実を図ってまいりましたが、さらに充実を図るべく努力してまいりたいと存じます。

 また、私立大学等の経常費の助成等を通じた各大学に対する財政的な支援につきましても、今後さらに充実を期してまいりたいと存じます。

 なお、高等学校につきましては、すべての都道府県において奨学金事業を実施するとともに、経済的な理由により就学困難な高校生に対して、公立学校の授業料、入学金等の減免を行っております。私立高校についても、私立高等学校等経常費助成費等の補助を通じまして、学費の軽減に努めるとともに、都道府県が行う授業料減免事業に対して補助を行っているところでございまして、文部科学省といたしまして、教育の機会均等のために、奨学金事業を初めとするこれらの政策の充実に引き続き努力をしてまいりたいと存じます。

小宮山(洋)委員 先ほどから、幼児教育あるいは高等教育の無償化の問題、奨学金の問題、そうしたことが、やはり実質的な裏打ちがないと、幾ら学びたくても学べない状況というのがどうしても今のような経済状況やさまざまな格差が生じている中で出てきてしまう。教育基本法という教育の憲法も変えようということなんですから、それが実質的に、現実的に前進するもの、よくなるものでなければ、国民は一体何のための改正なんだと言わざるを得ないと思うんですね。

 もちろん、教育基本法もいろいろつけ加えたり変えたりした方がいいところがあるということで民主党も提案をしているわけですけれども、先ほどから財源のことがいろいろ出てきますが、そもそも子供をいつも後回しにして、子供への財源が足りな過ぎるわけです、日本では。それが少子化を生んでいると言ってもいいと思うんですね。

 ですから、教育の憲法とも言えるこの教育基本法を改正しようというからには、もちろん理念、土台の考え方をしっかりすることも必要ですが、日々の教育の現場はそれだけでよくなるわけではありません。そういう意味では、やはり財源をしっかり確保するというような覚悟があって、そのことがきちんと政府案の中にもあらわれていないと、何のための教育基本法改正かと国民は思うと思うんですが、いかがですか。

小坂国務大臣 教育の財源確保につきましては、小宮山委員の御指摘のとおり、私どもも充実に努めたい、そのように考えているわけでございますが、やはりここは財政状況というものがございますので、私どもとして努力をさせていただくとともに、財政当局と今後とも折衝を重ねるなど、今日の義務教育費の国庫負担制度等を堅持しながら、教育費全般の確保に今後とも努力をしてまいりたいと存じます。

小宮山(洋)委員 ぜひ、格段の御努力をお願いしたいと思います。やはり今、経済状況がこういうふうになっている中で教育基本法を改正しようというからには、理念だけではなくて、現実にこのことによって教育が保障されるという、その幅が広がらないと意味合いがないというふうに思います。

 それから次に、職業教育ということが非常に必要だと思うんですね。今、どんどんニートの幅も広がって、これは、学ばない、働かないじゃなくて、学べない、働けない子供たちがふえている。ニートになりますと、職業がなければ結婚もできない、結婚ができなければ子供も持てないということで、これは少子化にもつながっていることだと思うんですね。

 民主党は、職業教育を受ける権利ということをきちんと案の中に盛り込んでいるんですが、教育と社会に出てからの職業が結びついていないということが今の教育の大きな問題だと思いますが、その点について全く政府が言及していないというのはどういうことでしょうか。

小坂国務大臣 政府案におきましても第二条第二号におきまして、みずから進んで働く精神に満ちた人間の育成を目指して、勤労を重んずる態度を養うことを教育の目標として掲げているところでございます。

 また、同号におきましては、職業との関連を重視した教育が行われるべきことをあわせて規定いたしまして、児童生徒の職業観、勤労観を育成するため、職業体験を実施するなど職業に関する知識、技能を身につけさせることとしているわけでございます。

 また、御指摘のように、フリーターやニートが社会問題化をしている今日、これからの教育において子供に望ましい職業観、勤労観や職業に関する知識、技能を身につけさせることは大変重要なことでございまして、自己の個性を理解し、主体的に進路を選択する能力や態度をはぐくむための教育の充実にさらに努めていきたいと考えております。

 また同時に、中学生における職業体験教育等をさらに充実させて、適切な職業観を育成してまいりたいと存じます。

小宮山(洋)委員 もう一点、政治教育について伺いたいと思います。

 民主主義をしっかりと小さいころから学ぶ教育というのはぜひ必要だと思っています。やはり若者が政治に参画しませんと投票率も上がりませんし、これからこの日本で長く生きていく若い人たちこそ政治に関心を持つべきだと思うんですね。

 民主党案では、「国政及び地方自治に参画する良識ある真の主権者としての自覚と態度を養うことは、教育上尊重されなければならない。」と明記しております。政府案でも、必要な政治的教養は教育上尊重されるということが盛り込まれておりますが、この政治教育について、政府としてはどのようにお考えでしょうか。

小坂国務大臣 民主主義の社会にありましては、国民は国家や社会の形成者として諸課題の解決に主体的にかかわっていくことが大変重要なことであります、また必要なことであります。このため、教育基本法案におきましては、第二条におきまして、教育の目標として「公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。」を規定するとともに、第十四条におきまして、「良識ある公民として必要な政治的教養は、教育上尊重されなければならない。」と規定をしたところでございます。

 ここで言う政治的教養は、民主政治、地方自治など、現代民主主義の各種の制度、法令についての知識だけにとどまるものではなく、実際の政治についての理解力、批判力などを指すものでありまして、国家社会の形成や諸課題の解決にかかわっていくために必要なものでございます。

 また、委員が御指摘のように、この民主主義の社会にあって、子供のころから民主主義についての正しい理解を持つことは私も大変重要と考えておりまして、国会にいらっしゃる小学生の見学者等については、自分の地元いかんを問わず、できるだけ機会を通じて出まして、そして、民主主義って何だろうということを申し上げながら、そういった民主主義の若い皆さんに対する理解の促進に努めているところでございます。

小宮山(洋)委員 日本の場合は、なかなか政治教育というのはタブー視されておりまして、確かに政党教育をしてはいけませんけれども、民主主義の教育、一票一票で政治をつくっていくという教育は、本当に小学生ぐらいからきちんとしなければいけない。

 私は、たまたまアメリカの高校に一年行ったことがあるんですけれども、そこでは、選択ですけれども、アメリカ政治という時間をとると、毎日、政治問題についてのディベートでした。こういう教育を受けている子供たちと、そうでない、暗記をしているだけとでは全く違う。そうしたことにもぜひ及ぶような教育基本法であってほしいというふうに思うんですね。

 今、何点か子供の視点ということで伺いましたが、政府案にはなかなか子供の視点が見えません。やはり教育基本法を改正する以上は、軸足をぜひそこに置くべきだと考えております。子供や保護者が今何を一番教育に望んでいるかというと、教育現場で日々起きていること、そのことの現実的な解決ということなんだと思います。

 教育の憲法であります教育基本法につきましては、議論のスタート台として民主党も案を提示しておりますが、そして、政府案と両方あわせて国民的な議論をしっかりと時間をかけて行う必要がある。公聴会という話も出ているようですが、これは四十七都道府県全部回る、それぐらいのことで、しっかり時間をかけて国民と議論をして、本当に変えた方がいいということであれば、どこを変えるかということであって、永田町だけが熱くなって改革をしても、教育現場で保護者や子供が望んでいることにはならない、そのことを申し上げまして、ちょうど三十分になりましたので、私の質問を終わらせていただきます。

 ありがとうございました。

森山委員長 次に、中井洽君。

中井委員 民主党の中井洽でございます。

 文教関係での質問というのは僕はめったにありませんで、過去を振り返って、森総理のときに予算委員会で一度あったかな、それから、町村さんが文部大臣のときに予算委員会で一度やったかなというような記憶がよみがえっております。この特別委員会に入れていただいて、大変重要な問題についての議論、本当に勉強させていただいて、聞かせていただきました。

 いろいろな委員会にも所属してまいりましたが、また、いろいろなことも対応してまいりましたが、野党が提出した法案でこれだけ論議にたえられる法案というのは珍しいな、よくつくれたなと。後ろにおられます西岡さんに改めて敬意を表しますとともに、これをのみ込んだ民主党も大人になってきたと喜んでおります。

 同時に、与党の推薦人の参考人の方々、あるいは、ふだん民主党に余りいいことをおっしゃらない評論家の方々も含めて、自民党案よりもはるかにいいとお褒めいただいておりますし、総理までが、大変よくできておるんじゃないかと当委員会で冒頭言われるという非常におもしろい議論をやっていただいている。どうかこの調子で、国民的な盛り上がりのもとで合意を得られるように努力をいただきたい、こんなことを思いながら質問をさせていただきます。

 官房長官に、そういう意味で、我が党の案について、お読みになったかどうかわかりませんが、御意見、御感想、また御注意がありましたら、率直なところをお聞かせいただきたいと思います。

安倍国務大臣 民主党の提出された案につきまして、私どもの方で、政府案も政府案として提出をさせていただいておりますので、論評するというのも僣越かな、このように思っているところでございますが、ただいま委員がお触れになったように、西岡先生が中心になって素案を書き上げられたというふうに伺っております。

 西岡先生は、我が党におりましたときに、文部大臣あるいはまた総務会長も歴任をしておられます。その西岡先生が書かれた法案でございますから、我が党の法案であったとしても、これは余り大きな違和感はないという感想を述べる方々も多いというふうに思いますし、また、総理もおっしゃっておられますように、日本を愛する心を涵養し、祖先を敬い、子孫に思いをいたし、伝統、文化、芸術をとうとび、学術の振興に努め、他国や他文化を理解し、新たな文化の創造を希求すること、これはなかなか琴線に触れるところもあるかもしれない、このように思っておるわけでありますが、他方、政府の提出法案には、この心の琴線に触れるところをしっかりと本則の中に入れておりますので、御党のこのところは前文でございますので、そこは少し違うのかなという気がいたすわけでございます。

 ほかにもそれぞれ細部にわたっては違いもあるわけでありますが、それはこの委員会で議論を進めながら国民の目の前に明らかにしていく必要があるだろう、このように思っておるところでございます。

中井委員 我が党案で前文にうたい上げました、今官房長官がお読みいただいたところは、私は、どう考えてもこういう処理の基本法の方が国民全体にとっても理解しやすい、こう考えております。

 法律にもいろいろ、国を愛するという言葉が出てまいります。国旗・国歌法にも出てくるわけでございます。これを態度と変えるわけには少しいかないんだろう。また、指導要領というものをいろいろ見ますと、態度、それから愛する心と、それぞれに全く違う意味で数多く使われているわけでございまして、愛する心を態度とほぼ一緒だと言う総理大臣や小坂さんの強弁は少し違う。

 この法案を提出されるまでに三年苦労されて、そしてこういうぎりぎりのときに、まさか民主党はまとまらぬだろうと思って、与党内で妥協しておつくりになった。ここがちょっと私は、政府案は御無理がある、また、答弁もなかなか御苦労なさっておられる、こう思います。

 小坂さん、よく答弁を一生懸命やっていらっしゃるが、延長ないというころからちょっと元気がなくなってきたりしますし、あなたの答弁、なかなか頭のいい方だな、さすが我が大学の後輩だなと思いながら聞かせていただいておりますが、やはり役人の答弁を読んでいるときはおもしろくないね。これは大事な法律だから役人のつくった答弁も必要だけれども、やはり文部大臣としての見識を、別に堂々と議論していただいたらいい、僕はこう思っております。

 我が党の鳩山さんが、面従腹背ということもあると、ここでやめてしまわれました。面従腹背という言葉は常に使われる言葉でありますし、政治家というのはしょっちゅうそういうことをやっておるわけですね。

 あなたは有名な、また有力な自民党の郵政族議員でおられた。去年のあのときに、まさかあなたが郵政民営化に反対に回られるなんて僕は全然思わなかった。びっくりしました。僕はこの特別委員会で先頭に立って反対と言っていましたら、小坂さん……(発言する者あり)いや、賛成に回られると夢にも思わなかった。

 だから、小坂さんのお気持ちをそんたくすると、やはり心と態度は違うんだろうと。結果としては、その行動の結果、態度の結果、見事大臣の座を射とめられたんだから、政治家として僕は非難も何もしていません。しかし、態度と心はほぼ一緒だというのは到底通用しない、僕は、日本の常識、こういうふうに考えておりますが、以上の中からお答えをいただくことがありましたら、遠慮なしに答えてください。

小坂国務大臣 中井委員は、国を愛する心と態度に言及をされまして、案の第二条五号、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」、これは、態度ではなくて、心という方がいいのではないかという御主張でございます。

 これは文章の流れということもございますけれども、「伝統と文化を尊重し、」そして「それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する」というふうになってまいりますと、どうしてもこれを受ける言葉は態度というふうになるわけでございまして、したがって、条文として「態度を養うこと。」としたわけでございます。

 我が国の郷土を愛するということと、これは我が国を愛して、さらにその発展を願って、それに寄与しようとする態度のことでありますから、態度と心というものは異なるものと言う方もいますけれども、このような態度を養うことと心を培うことというのは一体として行われるものであることを述べてきたところでございまして、そのように御理解いただければ幸いでございます。

中井委員 幾ら聞いてもそんなところかと思います。

 民主党の方にお尋ねをいたします。

 少し前置きを言いますと、この教育の議論というのは、僕はもう国会、二十五、六年になります。先ほど、尊敬いたします保利先生が質問というか説法をなさって、本当に興味深くというか、本当にいいお話をいただいた、聞かせていただきました。私、初当選で初めて本会議に上がったときの議長様が、保利先生のお父さんの保利茂先生でございました。長くいるものだなと思っておりますが、大体この教育の議論を聞かせていただいていると、みんな、自分の哲学と同時に自分の時代の教育を語るんですね。非常におもしろい、楽しい。ああ、この人はこういう人だなと思えて、勉強になっているわけであります。

 私自身は満州の生まれでございまして、昭和二十一年、二十年じゃなしに二十一年の九月に、家族そろって引き揚げてまいりました。よく引き揚げられたと思っております。四つまでの写真というのは一枚もありません、全部写真を取り上げられましたから。

 そういう中でありまして、国というのは、統治機構というのは残酷なことをする、僕らは捨てられたんですから、残酷なことをするものだ、こう思っておりまして、私の父親は生命保険に入っておりませんでした。私も入っていません。全然信用していませんから。国会議員がそんなことを言うていいかどうかわかりませんが、信用していない。どうも、この年になって国会議員の年金を削るというのですから、やはり信用しない方がいいな、こう思ったりもいたしております。

 そこのところで民主党は、統治機構を思わせるような国という言葉を使わずに、日本、こういう言葉を使って、涵養するという言葉を後ろにつけて、そして前文に入れるという大変な工夫をされているわけであります。このことに対して中教審の鳥居会長は、過般、当委員会の参考人質疑で、日本という言葉が法律にふさわしいかどうか、こういうことを言われました。民主党案はよくできているけれどもという前提の中で言われました。大変気になっておりました。

 民主党の方、これについて何か御意見がおありですか。

藤村議員 中井先生には、御質問いただきましてありがとうございます。

 御指摘のとおり、過般の五月三十日の本委員会参考人質疑において、中教審鳥居会長が、「単にそれを日本というふうに呼ぶことが法律にふさわしいかどうか」という疑問を呈して、「私は個人的には疑問に思っています。」このようにおっしゃいました。

 私どもは、では、ほかに例がないかということではありますが、まず、日本というのは国号、国の名前であることは間違いない。それで、ちょっと調べてみたところ、ちょうど一年前に、自民党の皆さん中心で食育基本法というのを議員立法で通されましたが、ここには、前文のところに「地域の多様性と豊かな味覚や文化の香りあふれる日本の「食」が失われる危機にある。」こういう使い方をされております。あるいは国民の祝日に関する法律、これは「七月の第三月曜日 海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う。」と。海洋国である我が国と書いて当然なんですが、しかし、わざわざ海洋国日本と使われていた、こういう例もございます。

 私どもは、日本としたのは、まさしく我が国の伝統、文化、さらには郷土、自然など、社会的実在としてのこの日本を、単に国というだけでなく、これまで二千年にわたって連綿としてはぐくまれてきたこの日本を愛する心ということを言いたかったということで、使わせていただいたところでございます。

中井委員 政府案では、第一条冒頭、「教育は、人格の完成を目指し、」とございます。これは現行法と同じであります。私は数年前から、何回かこの現行法、教育基本法を読み直したのですが、物すごくきれいで、物すごく立派に書いているな、これは本当に現場で大変苦労するなということを実感として抱いてまいりました。その一番の思いはここであります、人格の完成を目指すのが教育の目的だと。

 人格の完成というのはどういうことを言うのでしょうか。また、大臣は、人格が完成したというのはどういう人だとお思いになっていらっしゃいますか。例を挙げることができますか。全然構いません、おっしゃってください。

小坂国務大臣 政府案第一条で言っております人格の完成は、現行法においても教育の目的とされておるわけでございますが、各個人の備えるあらゆる能力を可能な限り、かつ調和的に発展させることを意味するものである、このようにされております。このような人格の完成は、教育の目的として普遍的なものであることから、今回の法案においても引き続き規定することとしたものでございます。

 それでは、人格の完成とは、どのような人なのか例示してみろ、こう言われたら、これは私は例として申し上げる人はおらないわけでございます。すなわち、人格の完成というのは、私は神のことだと思うのでございますね。ですから、神のような全知全能を備えたものを目指すといっても、これは到底到達できるものではございません。だからこそ目指すのであって、それが実現するということは恐らく一生を通じてなし得ないかもしれない、しかし常にそれを目指せということで、「人格の完成を目指し、」と言っているんだと私は思っておるわけでございます。

中井委員 教育で神のような人格完成を目指すというのは本当にできるのでしょうか。また、そんなことが目標というような法律でいいものかと僕は思わざるを得ません。

 そういう意味で、民主党の法案を見ますと、「教育は、人格の向上発展を目指し、」と書いてあるわけであります。ここら辺は、僕の言うような意味での向上発展という形にされたのかどうか、また人格完成ということについてどう思われているのか、お聞かせをください。

藤村議員 私も、現行教育基本法の人格の完成と書いてあるところには、以前から相当抵抗があったということでございます。

 確かに、人格の完成が人生においての究極の目標であるかとは思います。ただし、これは必ずしも、教育だけで果たし得る、究極の完成に至るのかどうか。やはりさまざまな人生経験あるいは艱難辛苦、まさにそういう経験を経ることからそれに近づいていく、そういう必要条件ではないかなと思います。

 私、個人的には、実は人格の陶冶という言葉が大変好きで、党内的には相当主張したんですが、しかし、人格の陶冶という言葉は少々古めかしい趣もありまして、より今の皆さんがわかっていただく平易な書き方で、向上発展とさせていただいたところでございます。

 我々は、やはり死ぬまで、より高みを目指して研さんを重ねるのが人生ゆえに、永久に完成することがないものかと存じております。

中井委員 もう一つ同じような意味で、政府案、教育の目的、第一条「心身ともに健康な国民の育成を期し」と書いてあります。さらっと読めば、そのとおりでありましょう。しかし、副大臣みたいに体の元気な人もおるけれども、体の弱い方もいらっしゃる。身体的な御不自由をお持ちの方もいらっしゃる。「心身ともに健康な」とさらっと書いちゃうということが、どうなんだろうとひっかかっております。

 民主党のところは、「心身ともに健やかな人材の育成を期して」と書いてあります。これは一緒の意味なのか、あるいは何らかのそういう配慮があったのか、お聞かせをください。

藤村議員 御指摘の、私どもは、「心身ともに健やかな人材の育成」と書きました。

 よく健全という言葉が使われておりまして、そういうことにかわるのかなといろいろ議論をいたしましたところ、健全というのは、心身ともに健やかで、かつ異常のないこと、こういう意味のようであります。すなわち、心身ともに健やかというのは、何らかの障害を持つ子供においても表現可能な意味というふうに私どもはとらえております。

 それといいますのも、健やかというのは、ちょっと古い言葉では、これは「すくやか」の意で、「すくやか」とは、辞書で引きますと、すくすくと育つさま、そして健やか、また心がしっかりしているさまを意図しているのであります。

 そういう意味で、私どもは、「心身ともに健やかな人材の育成」とし、かつ十三条の方に障害を有する子供については触れておりますので、もし必要なら、また御説明させていただきたいと存じます。

小坂国務大臣 ここで申します健康というのは、一般に、病気の有無に関する体の状態、これは広辞苑でもそのように言っているわけでございますが、そのようなことをあらわしているものでございます。身体に障害のある方であっても、一定のその心身の状態を前提といたしまして、健康な状態を維持することは可能であると考えるわけでございまして、そういった健康なという意味の国民の育成をここで規定しているものでございます。

中井委員 今の答弁はよくわからない答弁でありました。

 今、民主党の答弁者の方が言われました、民主党の十三条、特別な状況に応じた教育という新たな、今までの基本法にない項目が立てられておって、その中に、障害を有する子供に対して、ともに学ぶ機会、自立、社会参加ということを明記して述べておられる。政府案は、「その障害の状況に応じ、十分な教育を受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならない。」こうなっております。

 法律でまた書くときに対応すればいいわというのがほとんどの文科省の答弁でありますが、私は、この点は、先ほどの心身ともに健康ということを含めて、政府案は少しお考えいただいた方がいいと思いますが、小坂さん、いかがですか。

小坂国務大臣 今後とも、御指摘のような考えを理解するよう努めることは一切否定はいたしませんが、私どもの法案の第二条第四項におきまして、「国及び地方公共団体は、障害のある者が、その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならない。」と定めておるわけでございまして、これは、障害のある子供など、教育を行う上で特別の支援を必要とする者に対して、その障害の状況に応じて、より配慮された教育が行われることが重要であると考えられることから、こうした子供を差別的に取り扱わないだけでなく、国や地方公共団体が積極的に必要な支援を講ずる旨を義務づけるものでございます。

 この条項は、障害のある児童生徒一人一人の多様なニーズに応じた教育上の支援について、小中学校の通常学級での対応を含めて、一層充実することを目指したものでございまして……(発言する者あり)失礼しました。最初のところで第二条第二項と申し上げたとすれば、それは第四条第二項と読んだつもりでございますので、訂正を……(中井委員「僕も読んだからいいよ、僕の読んだものをまた読み返していただかなくてもいいよ」と呼ぶ)はい、わかりました。ということでございます。

 なお、国際社会においては、障害のある子供とない子供がともに学ぶ教育、いわゆるインクルージョンという大きな流れがあるということも認識をいたしております。

 文部科学省としても、障害のある子供の教育について、障害のない子供と交流や共同学習を推進しているところでございまして、今後とも一層の充実を図ってまいりたいと考えております。

中井委員 冒頭申し上げましたように、小坂大臣におかれましては、小坂大臣のお考えでどうぞお答えいただいて何も差し支えありませんので、文科省の、質問と違う答弁をべらべらお読みいただかなくても結構だ、こうあえて申し上げます。

 時間で、これをやろうかやるまいかとさっきから迷っているんですが、民主党案には、宗教的感性の涵養という言葉が入っております。十六条の三項であります。与党においては、またあるいは中教審におきましても、宗教的情操の涵養ということについてかなりの論議があった。それを結局盛り込まないという形で、基本法の案が出されているわけでございます。

 その根幹は、やはり特定の宗教のための宗教教育の禁止、その中で、すべての宗教のための宗教教育、宗教一般を宣伝する目的で行われる教育ということについては、これは教育上好ましくないんじゃないか、こういったところから、おとりにならなかったんだろうと私は拝察をいたしております。

 過般、公明党の方が、我が党の提案者に対しまして、この宗教的感性の涵養ということは、これは道徳じゃないか、伝統じゃないか、こういう言い方をされて、宗教的感性というのをわかっていないんじゃないか、こういう御判断でございます。また、その前には、私どもの党の土肥議員も、この点に関して質疑をされました。なかなか、一つの神様を信じてそれ以外を信じないという人と、日本独特の多神の世界とは随分違うんだなと思って、僕は聞かせていただきました。ローマ帝国も、多神、最大のときには四十万ぐらい神様がいたらしいんですが、日本はやおよろず、もっと大きいのかもしれません。

 そういう中で、日本は営々と柔軟に、民族としていろいろな宗教を受け入れて、一神教の方はおられるし、無宗教の方もいれば、多神教の方もおられるという社会で今日まで参りました。今残っていますいろいろな行事や伝統、こういったものは、すべて神事や宗教からきていると言っても過言ではない。例えば大相撲。大相撲のあのしきたりというのはほとんど、これは奉納ですから、神様に供えるわけでありますから、そういう信仰からきている、それがスポーツに今昇華している。

 こういったことを含めた日本人のあり方というのを、道徳とか伝統ということだけじゃなしに、生命やとうとさ、死の意味、こんなことを含めて、トータルで日本人として教えていくというのが、民主党の言われる宗教的感性の涵養ということなのかと私は考えていますが、いかがですか。

笠議員 まさに、今中井委員が御指摘のとおりでございます。本当に、やはり人間の力を超えたさまざまなものに目を向けることで、生きとし生けるものの命の大切さを知り、自分自身に謙虚にもなっていくことができるということで、他者への慈しみというものも生まれてくるものだと思っております。あえて私どもは、そういったことが今の時代大変重要であるということで、この宗教教育をもっと積極的にやっていくべきではないかということで、盛り込ませていただいております。

中井委員 私は、教育の中で大事なことだけれども、与党案、野党案にも、民主党の案にも載っていない、それをどういうふうに考えられるのかということで、これから幾つか質問をいたします。

 一つは、官房長官にお尋ねをいたします。

 ある新聞社のアンケートによりますと、学習塾に通っている公立の小学校の生徒四一%、公立の中学校の生徒七四・三%。私の郷里なんかでも、駅前のパチンコ屋を壊しているので、何だと思ったら、塾になっているんですね。塾というのが、すさまじくというかすばらしくというか、ふえている。子供さんは遊ぶ間もないぐらい塾に行っていらっしゃる。

 この塾というものを教育全体の中でどう位置づけて、どう考えておられるのか、これが議論の中で出てきていないんじゃないかと考えています。塾の経営者の団体というのは経産省だ。こういう体系の中で、本当に子供さんたちの一貫した教育、あるいは教育指導、方向、こういったものが打ち出せるんだろうかと僕は考えています。

 官房長官、保育所と幼稚園の所轄の違いについては、いろいろあります。塾についても、文部省だからいいとか経産省だから悪いとかは、僕は言いません。しかし、少しばらばら過ぎるんじゃないか。こんなことを含めて、政治家安倍さんとしてどのようにお考えになるか、お尋ねをいたします。

小坂国務大臣 現状だけちょっと説明をさせていただきたいと思います。

 御指摘のとおり、塾は経済産業省が所管をするということになっておりますが、今日、塾の役割を考えますと、これは教育と切っても切れない部分が多いのでございます。また、塾に通っている児童の安全といったこともございます。

 そういった観点から、文部科学省としては、私、大臣政務官に指示をいたしまして、塾のそれぞれの団体及び個別の塾との連絡のチャンネルをつくるという形で会議体をつくりまして、定期的協議をいたしております。

 こういうことで、組織的な、弊害の出ないような補完の取り組みをしておることだけ、事前に申し上げておきたいと存じます。

安倍国務大臣 塾につきましては、委員も御承知のように、教育関連法令に基づかない民間の教育事業者であるということで、経産省が所管ということになっております。

 このような中で、かつては、学習塾については、主として過度な塾通いを是正していくという観点から対応を行っていたわけでありますが、現在は、子供たちの学校外での学習環境の一つとして一定の役割を果たしているんだろうという認識の上に立って、必要に応じて学習塾団体と情報交換を行いながら、ここはやはり文科省としてもしっかり、今、文科大臣が答弁をされましたが、そういう観点からも、情報交換等を行いながら、全体として、今申し上げましたように、学習環境の一環として、学習に対する指導が正しく行われているかどうかということを見ていかなければならない、こう考えております。

藤村議員 私どもで、今、参議院に学校安全基本法という法律を民主党提案で提出しております。

 この際に、相当議論をした結果としては、学校にかかわる子供たちの立ち寄り先、これは当然、学習塾も入ってくるわけでありますので、我々は、いわゆる学校の安全を考える観点からも、学習塾も含めて、これは京都で大変な事件がございましたけれども、やはり教育の範囲で考えていくべきというのが現時点での答えでございます。

中井委員 ぜひ、基本法の中における学校教育なのか、社会教育なのか、地域教育なのか、こんなことを含めてお考えをいただきたいと私は思います。

 もう一つは、私は、幼稚園、保育園あるいは小学校、中学校ぐらいまでで一番大事なことは何かといったら、集団生活になじむということだと考えております。

 私も選挙をやっている身ですから、かなり人口の減っている地域へ行きまして、学校の合併がどうだとか何だとか言われます。二年ほど前も、もう二年間新入生がいない学校が統合だ、近所の団地の方へ行くのは嫌だから、何だかんだと言ってきて、座談会へ行ったら囲まれました。それはそれで頑張っているのに、それでは、ここにいる人はみんな子供を産んでくれ、こう言いましたが、平均六十八歳ぐらいですから。

 そこで通っている子供は小学校ですが、十六、七人では、集団生活ということになじまないまま次の学校へ行ってしまう。家でも地域でも学校でも集団生活というのを経験しない。僕は、ここのところを考えるべきだ、こう思っておりますが、集団生活のルールを身につけさせるんだというところは、それぞれ、政府も民主党も、どの項目でどう読んでいくんだろうか、あるいは、どういう対応をしようとされておるのか、お聞かせください。

小坂国務大臣 都市化や、現代は少子化が進んでおりますので、そういった影響によりまして家庭や地域のあり方が大きく変化しております。子供たちが日常生活の中で人と交流をしたり、さまざまな活動、経験を通じて、社会の一員として求められる規範意識や守るべき社会的なルールを身につける機会が減少しているというのがその問題の御指摘の部分だと思うわけでございまして、今後の教育においては、こうした規範意識やルールなど、社会とのかかわりにおいて重要な事柄を一層重視する必要があると考えております。

 私どもが子供のころは、道路に出れば近所の子供もいて、きょうは何をしようか、隠れんぼうをしようか、缶けりしようかと。缶けりというのはなかなか手軽な遊びでございまして、お互いに助け合ったり、あるいは相手を欺くために、どういうふうな方法をとってより長らく隠れていようか、こういうことで知恵を絞ったりする、そういう中に子供社会の一つのルールが築かれたり、また社会性を身につける上で非常に役立っていたと思います。

 そういう集団が形成しにくくなっているのが今日の大きな課題だと思っておりまして、法案の中で御説明申し上げますと、教育の目標として、第二条の第三号におきまして、正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うということを規定しておりますとともに、第六条におきまして、学校教育は、教育を受ける者が、学校生活を営む上で必要な規律を重んずることを重視して行わなければならないこと、またさらに、十条におきまして、家庭教育において、生活のために必要な習慣を身につけさせることについて規定をいたしておりまして、これらによりまして必要な規範意識、そしてまた社会生活の中での人との交わり方、学校における集団の中での個としてのあり方というものを学んでいくように法律の中では規定しているところでございます。

高井議員 御指摘のとおり、核家族化も進んで、私どもの子供の数は二人が平均ですので、確かに、集団生活として子供同士が切磋琢磨する状況が少なくなってきている現状は本当に御指摘のとおりでございます。だからこそ、集団生活において規範やルールを教育の過程で身につけるということがさらに大事になってきていると考えています。

 そこで、私どもの案としては、前文におきまして、「我々が直面する課題は、自由と責任についての正しい認識と、また、人と人、国と国、宗教と宗教、人類と自然との間に、共に生き、互いに生かされるという共生の精神を醸成することである。」と盛り込んでおります。そしてさらに、我々が目指す教育は、「自立し、自律の精神を持ち、個人や社会に起こる不条理な出来事に対して、連帯して取り組む豊かな人間性と、公共の精神を大切にする人間の育成である。」というふうに定めまして、教育基本法全体に通ずる重要な理念として位置づけております。また、第一条の目的規定の中にある「社会及び家庭の形成者たるに必要な資質」、こういう文言もこうした内容を指すものでございます。

 さらに、十条一項で、「家庭における教育は、教育の原点であり、子どもの基本的な生活習慣、倫理観、自制心、自尊心等の資質の形成に積極的な役割を果たすことを期待される。」と定めまして、第十一条では、「地域における教育においては、地域住民の自発的取組が尊重され、多くの人々が、学校及び家庭との連携のもとに、その担い手になることが期待され、そのことを奨励されるものとする。」と定めております。

 これらの規定に基づいた教育の中で、家庭、地域、社会の中で集団生活に適応する力がはぐくまれると考えております。できるだけ多くの大人に子供にかかわってもらうことで、子供を教育し、また大人も教育されるといういい社会を取り戻したいというふうに考えております。

中井委員 政府案も、また民主党案も、いわゆる義務教育九年という規定を取り払っているのがそれぞれ目立ちます。

 私は、昭和二十四年、小学校へ入りました。七クラス五十五人、小学校、中学校、田舎でございまして、すさまじい数でございました。選挙をやるときは、これほどありがたいことはありませんが。しかし、高等学校へ行く人は三分の一あったかなかったかであります。だけれども、今や九十数%高等学校へ行かれる。

 私は、中学校、高等学校も、中高一貫教育、そして義務教育五年だ、そしてその中で、職業の話から、福祉のボランティアから、環境に取り組む姿勢やら、いろいろなことを実践で学ばすという形が一番いいんじゃないか、こう教育問題では思ってまいりました。

 先ほど保利先生の御高邁な義務教育の制度の問題がありましたので、政府には聞かず、民主党の方では、この九年制を取り除いた要因、そしてどういうことを考えておられるのか、また私の中高一貫義務教育化、こういったことについてどうお考えか、お聞かせください。

達増議員 日本国教育基本法案では、第七条で普通教育及び義務教育について規定しておりまして、「何人も、別に法律で定める期間の普通教育を受ける権利を有する。国民は、その保護する子どもに、当該普通教育を受けさせる義務を負う。」というふうに規定しておりまして、御指摘のとおり、現行の九年間という定め方をせずに、別に法律で定める期間としております。

 これは当然、高校を義務教育に含めていくということを視野に入れた書きぶりでございまして、特にこの中高一貫校につきましては、私学はもちろん、公立でも非常に高い成果を、いい成果を上げている例が出てきているところでございますので、この第七条は直接中高一貫校の義務教育化を定めるものではございませんが、そうした中高一貫校の義務教育化の方向への発展を支える法案たり得る、そういう案となっております。

中井委員 総理は過日の委員会で、読み書きそろばんと二回ほど繰り返されたわけでございます。民主党の案の中には、新しい条項で、情報文化社会に関する教育という項目があり、その二項に国語力という言葉を書かれております。この情報文化社会に関する教育ということをわざわざ入れられたという、社会、現状に対する認識はどういうことで、またその中に国語力というのを入れられたのはどういう判断か、お聞かせをいただきます。

藤村議員 まず、二十一世紀が情報文化社会といいますか、あるいは、これは国際的に、ちょっと目まぐるしいほどのスピードで地球が小さくなっている、そういう認識で、二十一世紀はまさに情報文化の面で大きな発展、飛躍の世紀であることは容易に想像できます。

 そこで、民主党案において第十七条に、情報文化に関する教育という形で、これはいろいろな教育をやはり教育基本法では入れてほしい、入れるべきだ、意見はございましたが、これはやはり最優先のものとして、特に第十七条の第一項において、「すべての児童及び生徒は、インターネット等を利用した仮想情報空間におけるコミュニケーションの可能性、限界及び問題について、的確に理解し、適切な人間関係を構築する態度と素養を修得するよう奨励される」、まさに仮想情報空間が生のものと勘違いしている、そういうような現状に非常に危機意識を持って、こういうことを入れたところでございます。

 そして、今御指摘の、我々の方で国語力という言葉を使って入れました。これは、今のインターネット社会が、大いに世界の中で情報交換が促進される一方で、しかし、それが、やはりコミュニケーションの限界ということについても十分知っていただきたいということと、それから、卓上のパソコンで世界とつながり、発信し受信する中で、これはやはり主流は英語ということになると思います。ただし、特にその前提は、やはりみずからの言葉、いわゆる国語、日本語であります。これがきちっと習得されていないままに英語の世界に入ってしまう、それをぜひ阻止したいというか、そういうことを考えて、ですからここでは「すべての児童及び生徒」ということにいたしまして、つまり、小学校、中学校、高校、この範囲で、この人たちに対して国語力を身につけるための適切かつ最善な教育の機会を得られることを奨励する、こんな法文にしたところでございます。

中井委員 中教審の最近の答申においても、国語それから理数、そして英語、特に英語は小学校からという言葉が提言としてあるようでありますが、私ども、若い方々といろいろお話ししますと、新聞は読まない、本は読まない、それはそれで、非難はしているんじゃないですが、非常に寂しいことだと僕は思っております。やはり日本人として日本語をきちっと勉強する、こういうことが必要だし根幹だと考えております。ぜひ、政府におかれましても、国語がまず最初だという認識をお持ちいただきますようお願いいたします。

 時間がぎりぎりだと思うのですが、もう一問、ちょっと変わった形で質問いたします。

 僕は、今から三十年ぐらい、二十七、八年前ですか、大変尊敬するお坊さんで、ある芸術大学の学長さんが東京へ来られて、洽君、手伝えというから、何ですかと言ったら、当時文部省ですが、幾ら言ってもだめだ、大学、うちは美術部だ、美術と音楽なんだ、そこの試験に英語と国語をやれというんだ、一次試験。その落ちた人の中に美術と音楽のすばらしい人がいて、うちはそれが欲しいんだ、だから先に美術と音楽の試験をさせてくれ、これを幾ら言っても文部省がやらせてくれないというので、僕は、野党でしたが、二年がかりでそれを実行できるようにした記憶があります。

 三重県の高校、中学におきましても、実は、国体、四十二番ばかりだったんですね。私ども、知事選挙を勝って以来、ぎゃんぎゃん言って、例えば全日本で優秀な成績をおさめた大学生が郷里で教員をやりたいといったら、まず体育の実技からやれ、国語、数学の試験を先にやるんじゃないというようなことをいって、少し変えて、今三重県では実績を上げてまいりました。

 僕は、学校の採用等は、これは基本法とは直接関係ありませんが、そういった意味で、中高の専門職の先生なんかは専門職から試験をやっていく、こういうことも考えるべきだと思いますが、大臣、突然の質問でごめんなさい、どのようにお考えですか。

小坂国務大臣 私もおっしゃるとおりだと思いますね。やはり柔軟に対応すべきだと思っております。

 都道府県、指定都市の教育委員会では、体育や音楽や美術や、そういった専門教科の教員採用に当たっては、今御指摘がありましたように、筆記試験を免除するとか、それから特別選考の実施をするというような形で、スポーツや芸術の分野にすぐれた能力を有する方を教壇に立っていただけるようにしている、そういう教育委員会もあるわけでございまして、一般選考において、第一次選考から筆記試験のみならず実技試験を実施する、そういうところもあります。このように、多様な人材を確保するためにさまざまな工夫、改善が行われているところでございます。

 また、免許状を有しないけれども、すぐれた知識、経験、技能と教育に対する熱意を持つ人材を登用するための特別免許状制度の活用ということにつきまして、規制改革委員会の方からも提言がございまして、私も協議をさせていただきました。そういう中で、こういう皆さんに特別免許状を差し上げるときに、同時にそういう方の指名をさせていただいて、枠組みをつくって一定の条件を先に合うように設けておいて、それに応募していただくという形で採用させていただく、こういう柔軟な対応も図っているところでございまして、そういった形から、各地域のニーズに応じた教員の採用が行われるように、取り組みの事例を、それ以外の、そういったいい事例を他の都道府県に、教育委員会に提示するなどして、このさらなる拡大、工夫の促進に努めてまいりたい、このように考えております。

中井委員 教育行政についてお尋ねをします。

 現行法十条では、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。」こう書いてあります。これを、今回、政府案十六条では、「不当な支配に服することなく、」は残したわけでありますが、「国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。」というのは削除されております。

 この「国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。」という条項をもとに、アメリカ型の教育委員の選挙が行われたと言われているんではないでしょうか。昭和三十一年に教育委員会の選挙というのは廃止になって、今の教育委員会、首長が任命して議会が同意をするという形に変わりました。

 しかし、この項目を取り外したら、教育委員会というものをつくる論拠が政府の案の中にどこにも出てこないじゃないか。文科省は地方教育法何やらのどこやらに教育委員と書いてありますと言うけれども、それは法律の中であって、教育委員会制度という根幹をなすものの法的論拠がなくなるのだと私は思います。

 自民党さんが教育委員会をなくすというのなら、僕は大賛成であります。ところが、きょうの新聞を見ていますと、中馬行革相が、教育委員会選択制度導入を経済財政諮問会議で要求したら、文部大臣に拒否された、こう載っているわけでございます。教育委員会を続けてやる、あるいは強化するというお言葉が、過般の答弁でありましたが、どこにあるのか。私は、少しおかしい、こういうふうに思います。

 その点、民主党は、ばさっと不当な支配というところを切って、国の責任、首長そして理事会、こういうスタイルをおつくりになった。僕は、それは一つ本当に発想の転換、責任の明確化だ、こんなふうに考えております。

 小坂大臣、この点についていかがですか。

小坂国務大臣 教育委員会の問題につきましては、第十六条の教育行政におきまして、国と地方公共団体との適切な役割分担、相互協力のもとに公正かつ適正に行われなければならないとしているわけでございますが、教育委員会の設置など行政組織の具体的なあり方については、現行法と同じように規定はしておりません。

 しかし、教育委員会の設置等につきましては、地方自治法や地方教育行政の組織及び運営に関する法律によって具体的に定められているわけでございます。

 教育行政を教育委員会ではなくて長が行ったらどうか、こういう御意見もあるわけでございますけれども、教育委員会制度は、いわゆる合議制、あるいはレーマンコントロールと言われるような住民による意思決定ということが言われる中で、政治的中立性の確保、継続性、安定性の確保それから地域住民の意向の反映を図るものとして、地方教育行政の基本的な組織として定着をいたしておりますし、今日、教育委員会には、地域住民が参加してその要請に応じた教育行政を主体的に企画、実行していくことがますます求められていることから、今後とも、教育委員会は各都道府県において必置なものとして私どもは基本的に考えておりますが、その役割については、今後とも柔軟な取り組みもあわせて検討してまいりたい、このように考えているところでございます。

 むしろ、教育委員会については形骸化等が指摘される部分もありますが、私は、活性化を図ることによって、教育行政の今日的課題に的確に対応して、教育の機会均等や水準の維持向上を実現する行政組織として展開ができるように、さらなる改革を進めることが適切である、このように考えているところでございます。

中井委員 改革を言われる小泉内閣が、教育委員会やあるいは警察の公安委員会、アメリカの制度をまねして、全く日本流にして形骸化して、高い月給だけをお取りになって責任のない所在になっておる。こういうシステムをいつまでも残されて改革だと言われているというのは大いなる疑問だ、私はこのように考えております。

 最後に、私みたいに教育問題に素人の者に一時間お時間をいただきまして、まだまだ足りないのでありますが、びっくりいたしましたのは、例えば、学習指導要領を、どういう形で変えるんだと言ったら、平成十年に変えて、そして十五年にこれを小学校やらの教科書で使い始めて、ことしようやく高等学校の定時制で全部に行き渡った、こういうんですね。次は平成二十年の改訂ですか、これに取り組まなきゃならない。どうして変えると決めて五年もかかるんだと言ったら、教科書どうのこうのと御説明をいただきましたが、さっぱりわかりません。

 この教育基本法をおつくりになって、振興計画をおつくりになる、どういうタイムスケジュールで教育全体の諸問題に対応しようとされているのか。国民の皆さんは理念法だけではわからない、具体案が出て初めておわかりになってくるんだ、あるいは賛否が出てくるんだと僕は考えています。

 それぞれ、具体案をお持ちのところもあれば、これから議論をするというのもある。政府としてはどういう年数のタイムスケジュールをお考えになっているのか、また、民主党さんはどういうタイムスケジュール、どういう計画で振興に関する計画をおつくりになって実行しようとされているのか、最後にお聞きいたします。

小坂国務大臣 昨年の十月二十六日に中教審の答申をいただいております。これを踏まえた上で、現在、学習指導要領の見直しも着手をいたしておりますので、現行法のもとにおける学習指導要領の改訂はこの秋までに、秋というか、もう少しかかるかもしれない、年内にできれば行いたい、こう考えておるところでございます。

 また、新たな教育基本法の制定に係るタイムスケジュールにつきましては、法律の通過というものが見通せない段階でございます、今国会で成立をさせていただいたとすればという前提で申し上げ……(中井委員「無理な話をしちゃだめだ、そういうむちゃな話をしちゃだめだ、何年ぐらいかかるんだと聞いている」と呼ぶ)教育振興基本計画については、改正された後直ちに策定に取り組んで、そんなに長い時間はかけずにやりたいと思いますが、それに沿っての学習指導要領の改訂も、やはり半年ぐらいとか、そのくらいの短いサイクルで検討し、そして、できるだけ速やかに教科書に反映できるような体制をとっていきたい。

 また、教科書の検定制度についても、学年別にずれているんですね。このやり方を、私は少し長過ぎるのではないかと思っておりまして、もっと短縮を図ることができないかということは、就任以来、常に申しているところでございます。

武正議員 日本国教育基本法成立後、関連法案ということで、例えば地方自治法あるいは地方教育行政組織法などの改正の必要もございます。

 関連法の改正など、やはり一年ぐらいはかかると考えておりますので、速やかに改正するということで、一年内ということを考えております。

中井委員 終わります。

 ありがとうございました。

森山委員長 次に、岩國哲人君。

岩國委員 民主党の岩國哲人でございます。

 教育基本法、政府案及び民主党案それぞれについて質問したいと思いますけれども、まず、それに先立ちまして、本日の新聞に一斉に報道されておりますドミニカ移民の訴訟の問題についてお伺いいたします。

 けさから審議が行われておりますから、既にその他の委員の方からの御質問があったかもしれませんが、まず安倍官房長官にお伺いしたいのは、ドミニカ移民のこの問題は、国としての責任はどうなっているのか。日本国民を海外に放置したまま、その生命、財産に対する責任をとろうともせず、法律的な責任も拒否しようとする。法治国家といいながら国民を放置する、このような放置国家がどこにあるのか。拉致問題も大切であります。しかし、拉致というのは、よその国によって不幸にして拉致された人。自分の国の手を使ってわざわざ放置する。拉致問題以上に、国としてあるべきことではないと私は思います。

 放置か拉致か、放置と拉致の問題、このドミニカ移民について、放置国家であるこの状態を安倍官房長官はどういうふうにお考えになりますか。まずそれを簡潔にお答えいただきたいと思います。

安倍国務大臣 突然の御質問でございますが、判決の結果につきましては、外形上は国の勝訴となっておりますが、既に総理が記者のぶら下がり等で述べておられますように、国にとっても反省すべき点は多々あるであろう、そして、移民された方々のお気持ちを酌んで、また移民された方々のお気持ちに報いることについても、これは検討すべきではないか、このように考えております。

岩國委員 教育基本問題を論ずべきこの委員会において、この質問はどうかと思われたかもしれませんけれども、私の隣に座っておられた、きょうもこの委員席に座っておられる羽田孜元総理大臣、元外務大臣に、この問題について、これは国のあり方として非常に問題がある、これは子供たちにこの日本という国は責任を持つ国なのか、子供たちにこういう国を愛しなさいと言える国なのかどうか、まず一番最初に質問しなさいと私は言われましたので、この質問を取り上げさせていただきました。

 文部大臣も、子供たちに愛国心とか国を愛するとかいろいろな言葉が飛び交っておりますけれども、一番根本的に、今の日本の国の現状は、本当に子供たちに心からこの国を愛しなさいと言える凜とした国と言えるのかどうか、まずこの点をしっかりと政府としてお答えいただきたいのです。

 なぜなら、今、日本の防衛、自分の国を自分で守ろうとしない。他国の軍力によって守ってもらう。日本に、空軍あり、海軍あり、陸軍あり、海兵隊あり。フルハウスで、四点セットで、全部基地を提供している国が世界のどこにありますか。日本だけではありませんか。私が現在住んでいる神奈川県は特にそうです。その上、向こうから陸軍の司令部までやってくる。世界のどこの国に、アメリカの陸軍司令部まで受け入れて、そして陸軍あり、海軍あり、原子力空母あり、何でもあり。まさに五十一番目の州にふさわしい州になりつつあるのが神奈川県であります。こういう現状で、神奈川県の子供たちが、本当にこれは自分たちの国なんだろうか、日本の国を愛するというのはアメリカの国を愛すると同じことなのか、こう言う子供たちが出てもおかしくはないと思います。

 まず、今の日本は、子供たちに、安倍官房長官、本当にこの国を愛しなさいと言える現状であるかどうか。ないとすれば、今の政府は、愛してもらえる国にするためには何が欠けているのか、端的におっしゃってください。

安倍国務大臣 私どもの改正案で、国を愛する態度、こう申し上げておりますのは、再々答弁をしておりますように、今の政府、またいわば統治機構ということでもなく、また今の政府が行っている行政そのものでもないわけでありまして、連綿と続く日本という国、そして日本がたどってきました道のり、歴史、文化、伝統、そしてそこに住んでいた日本人、こういうものを総体的な価値として、この日本をいとおしく思う、愛するという気持ちから態度が出てくる、こういうことでございます。

 そこで、しかし、日本という国が自分たちが誇り得る、今の日本という国は誇り得る国だな、そのように素朴に思う、そういう気持ちになるということも、これは当然大切なことなんだろう、このように思う次第でございまして、今委員が御指摘になられた日米同盟の問題等々につきましては、もちろん私どもの側としては反論があるわけでありますが、国を愛する態度ということを入れていることと、今の現状の日本の政策についての整理についてはお答えをさせていただいたというふうに思います。

岩國委員 私は、日本とイギリスとフランスとアメリカ、四つの国で二人の娘に教育を受けさせてきました。四つの国、それぞれのいろいろな特徴があります。そういう父親としての体験、感想を踏まえて、この教育基本法の問題については非常に関心を持ってまいりました。

 先ほど質問いたしました、国民は、一方では拉致され、一方では国みずからの手によって放置、拉致と放置、こういう状態の国を私は尊敬できる国とはとても言えないと思います。教育基本法を論ずる前に、政府自身が、もっと凜とした国、自分の国は自分で守る、そういう気構えを見せること。家庭の中で、自分の家族を守ろうとしない父親を子供たちが尊敬しますか。私は、今の日本の現状は残念ながらそんな国ではないかと思います。凜とした国でない、いわば不凜の国、そんな国の現状を一日も早く改めることだと思います。

 次にお伺いします。

 官房長官は途中で記者会見で退席されるということですので、猪口大臣には後ほど質問したいと思いますが。

 まず、日本で最も大切な法律は憲法であります。その憲法に次ぐ基本法。たくさんありますけれども、その基本法の中で一番最初に制定されたのが教育基本法と承知しておりまして、それだけに、この教育基本法については大変大きな重みがあると思います。従属法としての教育基本法。基本法第一号であるがゆえに、教育基本法を論ずるときには、国の形がどうなっているかと。先ほど御質問いたしましたけれども、愛される国、今、日本の文化、小坂大臣も午前中からたびたび、日本の文化、日本の美しさ、言葉の大切さをおっしゃいました。

 国という字、どういう字が書かれているか。今使われている国と、日本国憲法が制定され、天皇陛下によって公布されたときの國の字と違っているじゃありませんか。その点は御承知ですか。

 天皇陛下が公布されたときの日本國憲法の國という字はどういう字だったのか。いわゆる旧漢字と言われ、しかし、今でも常用漢字の中に残っております。矛と盾で国と国民を守り、その矛と盾、武器は国外には出さないということでくにがまえで囲ってあるんです。いわば憲法第九条の、平和憲法の精神を、ダ・ヴィンチ・コードじゃありませんけれども、まさにジャパン・コードがこの一字に込められている、これが文字の文化なんです。そして、日本国憲法の国は、私はこの國であるべきだと思うんです。

 なぜそれが今、日本国憲法と、これは民主党の案にもその字は使われておりますけれども、憲法の名前を書くときに、安倍長官も自分のお名前を持っていらっしゃるように、安倍晋三の晋が、いつの間にか晋の字が新三に変えられた、みんな書きやすいと思って。不愉快に思われるでしょう。日本国憲法が泣いているじゃありませんか。天皇によって公布された名前が、深夜ひそかに、その隣の家の表札が書きかえられて、今この国が使われている。これについてどう思われますか。

安倍国務大臣 ただいま委員が御指摘になったのは、日本国憲法のこの国という字、あるいはまた教科書に使われている漢字もそうであろう、このように思うわけでありますが、これらは、いわば常用漢字表によることとされておりますので、常用漢字表に示す新字体の国を用いることが適切、このように考えております。

 ちなみに、岩國先生の國は、これは旧字体ということで、我々はもちろんそのように書いております。

岩國委員 常用体とか新しい字を使ってもよろしいといって、次々と新しい字に変わっていきました。橋本龍太郎首相、龍という字は、難しい字を今でも使っていらっしゃいます、御本人も、戸籍も。

 日本国憲法にも名前があるはずでしょう。天皇陛下が公布されたその名前を新しい字に差しかえていいという許可はどうやって取りつけられたんですか。国会の中の手続はどうなっているんですか。人の名前を勝手に変えてはならないと同じように、私の國という字も、法律が変わろうと何だろうと、それはだれによっても変えられたことはありません。

 日本で一番大切な法律の名前がこのように簡単に変えられていいのかどうか。二番目に、いいと判断したのはだれで、どういう手続をとったのか。三番目、最後、公布された天皇陛下の御了解は得てあるのか、だれがいつとったのか、それをお答えください。

小坂国務大臣 委員長の指名に従って、ちょっと説明をさせてください。

 昭和五十六年の常用漢字表の内閣告示につきまして、過日の六月五日の衆議院決算行政委員会の第二分科会におきまして、委員から同様の質問を私受けたわけでございます。

 その際に、いつ天皇陛下にというお問い合わせに対して、私、常用漢字表は五十六年十月一日の制定でございまして云々から、内閣告示の前に陛下に奏上がなされたものと考えておりますと申し上げましたが、訂正をさせていただきたいと存じます。

 天皇陛下への奏上は行われておらず、この場をかりて、この第二分科会における答弁の訂正をさせていただきたいとお願いを申し上げる次第でございます。

 なお、告示につきましては、天皇陛下への奏上は行われないものと承知をいたしております。

岩國委員 小坂大臣、いつも親切に御丁寧に答弁していただいて感謝しておりますけれども、天皇陛下にしかるべく奏上されたものと理解しておりますという小坂大臣のその御答弁は、事実とは異なってはいましたけれども、これが日本人の良識そのものなんです。私もそう思っていました。天皇陛下にお話しもしないで、天皇陛下が命名された日本で一番大切な名字を、姓名を勝手にだれかが取りかえたということは、私は許せないことだと思うんです。だからこそ小坂大臣は、そういう常識、良識に基づいて、奏上が行われたと答弁していただいた。

 しかし、奏上されていないとすれば、私は、これは大変天皇陛下に対して失礼ではないかと思うんです。天皇の地位について言及した法律は、ほかにはどこにもありません。天皇陛下にとって一番大切な法律は、天皇の地位を、国民統合の象徴、けさも官房長官おっしゃっていました、それをはっきりうたっているのは日本国憲法しかないんです。その天皇陛下にとって一番法律的に大切なもの、勝手に夜中に表札を書きかえるということは許せないでしょう。官房長官、御自身の所感をおっしゃってください。

 今からでも奏上されるのか。もうそれは説明ないままに通してしまうのか。これはアメリカじゃありません、イギリスじゃありません、文字の国、言葉の国の日本の憲法なんです。答えてください。

安倍国務大臣 一般に、字体を含め、法律の文言を改めるためには法律改正の手続が必要でありまして、その改正法を公布する場合には天皇に対する奏上が行われることとなりますが、これまで、字体を改めることを目的として法律改正が行われたことはございません。

 したがって、そのことについて奏上が行われたことはないわけでありますし、今後このことについて奏上を今行うという予定もございません。

岩國委員 字にこだわるようですけれども、私は、日本(にほん)の歴史と文化を尊重しと。文化の中の一番中心になるのは、私はこういった文字文化ではないかと思います。特にこの政治の世界では、言葉そのものが政治、政治は言葉なりと言われるぐらい。

 次に、もう一つ、国の形についてお伺いしたいのは、日本(にほん)と書いて、官房長官は日本(にっぽん)とお読みになりますか、日本(にほん)とお読みになりますか。猪口大臣は日本(にっぽん)とお読みになりますか、日本(にほん)とお読みになるか。小泉総理大臣はどういう使い分けをしておられますか。以上三点、お願いします。

安倍国務大臣 日本(にっぽん)が正しいか日本(にほん)が正しいかということでありますが、日本(にっぽん)、日本(にほん)の読み方は、一般に日本(にっぽん)または日本(にほん)と発音されておりまして、それぞれ広く通用しているわけであります。なお、日本(にっぽん)、日本(にほん)、両方申し上げますが、という国号は、遅くとも八世紀ごろには成立した、このように言われておりまして、日本(にっぽん)、日本(にほん)という読み方については、室町時代には既に両方の形が存在していたという説もあり、今日に至っているものというふうに承知をしております。

 そこで、例えば、小学生の唱歌には、文部省の唱歌には日本(にっぽん)と記されているものもあれば日本(にほん)とあるものもございまして、いわば、両方既にこれは一般的に人口に膾炙をしていると言ってもよろしいのではないか、このように思います。

 なお、日本(にほん)放送協会においては、それぞれ言い方を指導をしているようでございまして、例えば、かつての社会党は日本(にっぽん)社会党、共産党は日本(にほん)共産党と、このように言い分けるように日本(にほん)放送協会では決まっているというふうに聞いております。

猪口国務大臣 今官房長官がおっしゃいましたとおりで、私からつけ加えることは特別ございませんが、一人の政治家としては、一般的には日本(にっぽん)と発音することが自分としては多いと思いますし、海外では日本(にっぽん)と呼ばれることもまた多いと感じております。

岩國委員 それでは民主党にお伺いいたします。

 まず最初に、この法案に日本(にっぽん)国と、この三文字をおつけになったのはどういう意味があるのか。ほかの基本法に日本(にっぽん)国と冠した基本法は一つもないはずです。なぜこの法案にだけ日本(にほん)国というのがついているのか。

 二番目に、その日本(にほん)国というのを日本(にっぽん)国と読ませている。なぜ日本(にほん)でなくて日本(にっぽん)でなくちゃならないのか。この二点を簡潔にお答えください。

藤村議員 まず、日本(にほん)の国内法で、今御指摘のとおり、日本(にっぽん)国がつくのは憲法のみでございます。我々は、この教育基本法が教育のまさに憲法ではないかという思いを持っております。国の屋台骨を支える基本中の基本、まさに礎でありまして、その、いわば教育における憲法という考え方から、憲法並みの重きを置かれるものとして、あえて憲法でしか用いられていない日本(にっぽん)国を冠する法案名とさせていただいたところでございまして、読みとしては、私どもは日本(にっぽん)と、先ほど来いろいろな御意見ございましたが、この日本(にっぽん)国教育基本法というからには、これはやはり世界に発信していく。そういう意味では、今海外においては、ローマ字ではNIPPONと書きますし、お札にはNIPPONと書いてありますし、そういう意味では日本(にっぽん)と読む方が、これは海外に発信するという意味でも正しいのではないか。国号としての日本(にっぽん)ということを発音しているところでございます。

岩國委員 教育における憲法だから日本(にほん)国を冠すると言うのであれば、農業における農業基本法も、これは日本(にっぽん)国農業基本法。ほかにもたくさんいろいろなものがあり得ます。最近の食育基本法もその一つでしょう。

 ですから、私は、法律の中で、日本でたった一つという憲法であるからこそ日本(にほん)国がついているのであって、それに対して、別の基本法に日本(にほん)国を冠することは失礼な行為ではないか、そのように思います。私は、党内の意見でもそういうことは申し上げたでしょう。

 きょうの、午前中にも、そうした敬語の使い方について、お二人で散歩をされたときの記事の敬語の問題について、安倍官房長官の答弁を私は注意深く聞いておりました。私は、一定の敬語、そして敬意を払った文章こそ美しいものだと思うんです。

 法律の中にも長幼序あり。そういう、日本(にほん)国憲法に対抗して、わざわざ教育基本法に日本(にほん)国をつけることについては問題があるのではないかと思います。

 次に、日本(にほん)ではなくて日本(にっぽん)であるという民主党の答弁ですけれども、先ほど長官からも答弁いただきました。

 日本(にほん)か日本(にっぽん)か。確かにお金にはNIPPONと書いてあります。その日本(にっぽん)銀行はどこにあるか。日本(にほん)橋にあるんですね。日本(にほん)橋にあるところがNIPPONと書いてある。

 海外に対して、例えば小泉総理大臣は、安倍長官よく御存じだと思いますけれども、イラクへの自衛隊派遣を決定されたその後、記者会見で、日本(にっぽん)、日本(にっぽん)国、日本(にっぽん)国憲法、日本(にっぽん)国民と、日本(にっぽん)、日本(にっぽん)を繰り返されたんです。

 なぜ自衛隊が絡むと日本(にっぽん)になってしまうのか。これは決して学説がすべてそうではありませんけれども、戦時中、日本(にほん)と読む人は危険思想の持ち主とみなされて、当時の軍部は日本(にっぽん)という読み方を強制したという文献さえ残っております。

 しかし、これは恐らく少数意見の一つでしかすぎないかもしれません。私はそれをとっているわけではありませんけれども、日本(にほん)と日本(にっぽん)国についてはいろいろな意見が今でも存在するでしょう。

 安倍長官、天皇陛下は日本(にほん)と発音しておられますか、日本(にっぽん)と発音しておられますか。お聞かせください。

安倍国務大臣 陛下がどのように発音されたか、私の記憶は定かではございませんが、先ほど委員も御指摘されたように、日本(にほん)橋と言った場合は、東京の日本(にほん)橋は日本(にほん)橋なんですが、大阪にあるのは日本(にっぽん)橋でございまして、ですから、これは一概には。

 ちなみに、日本(にほん)銀行は日本(にっぽん)銀行と言う人もいるというふうに伺っておりますし、お酒は日本(にほん)酒で、日本(にっぽん)酒とは言わないわけでありまして、それはそれぞれに合わせて既に両方で確立されていると言ってもよろしいのではないだろうかと。

 小学生唱歌で富士は日本(にっぽん)一の山、こう発音するわけでありますが、日本(にほん)と発音する唱歌もあるわけでありまして、陛下がどのように発音していらっしゃるかということについては、私は承知をしておりません。

岩國委員 私は、宮内庁からすべて記録をいただきました。今、今上陛下は、即位されてから、即位のときも、即位十年のときも、それから古希のお祝いの席でも、公式の場ではすべて日本(にほん)としかおっしゃっていません。

 一昨日、シンガポール、マレーシア、タイ、これは一部新聞にも報道されています。NHKも放送しております。天皇陛下は二十二回、日本(にほん)、日本(にほん)国、日本(にほん)人、日本(にほん)の国民、日本(にほん)国憲法、大日本(にほん)帝国憲法、すべて通して二十二回、日本(にほん)です。皇后陛下も三回。

 天皇陛下も皇后陛下も、別に日本(にっぽん)という言葉を嫌っておられるわけじゃないと思います。しかし、あらゆる公式の場で、天皇陛下、午前中安倍官房長官は国民統合の象徴とおっしゃいました、国民統合の象徴であられる天皇陛下が、日本(にほん)ということを海外へのメッセージにも使っていらっしゃるということは、なぜそういうことに留意されないんですか。国民統合の象徴であれば、それに一定の敬意を払えと、その文章の中に、敬意を払うのは、天皇陛下がどちらを使っていらっしゃるかということぐらいは、内閣の一員なら私は気遣いをすべきじゃないかと思うんです。

 決して、私は、日本(にほん)で全部やらなきゃならないとも思いません。しかし、国民統合の象徴の天皇陛下が日本(にほん)という言葉を終始一貫使ってきていらっしゃる。それに対して、小泉総理大臣は、日本(にっぽん)、日本(にっぽん)、日本(にっぽん)の連発。あるいはこの委員会でも日本(にっぽん)という発音をされる方もあります。

 私は、こういう、閣内意見の不一致という言葉がありますけれども、君臣の意見不一致というのはもっと問題ではないか。私は、これが本当に尊敬される東洋の君子の国、凜とした国だろうか。書き方も二通りある、読み方も二通り。読み書きそろばんという、教育の原点ではありませんか。この読み書きそろばんの原点を論ずべきこれからの方向を決めていこうというときに、この読み書きそろばんでしっかりしているのはそろばんだけです。ホリエモンと村上ファンドだけじゃありませんか。書き方も二通り、どっち書いていいかわからない。そして、人の表札も法律の名前も勝手に書きかえてしまう。

 国号の読み方が二通りあって、それも、国民統合の象徴である天皇陛下が発音しておられることと違うことを国会議員あるいは行政の長である総理大臣も使っておられる。学校では、小学校一年生の教科書には日本と書いて「にほん」と振り仮名が振ってあります。子供たちが一番最初に手にする教科書には日本(にほん)なんです。ところが、三年生になると、富士は日本(にっぽん)一の山と日本(にっぽん)が出てくるんですね。混乱しています。これは、ある程度一つの基準というものを設けるか。国民統合の象徴である天皇陛下がそういう発音をしておられる、読み方をしていらっしゃるということについて、ある程度私たちは敬意を払うべきではないか。これは私見になります。それを申し述べまして。

 そして、質問があります。

 これは、予告してあります。世界の先進国でどこの国が、自分の国の国号、国号というのは一番大切なものです。皆さんも学校の教室へ入って、小学校一年生、二年生、新学期が始まるたびに先生が自分の名前を読んでくれる。これは教育の原点ですよ。先生は、生徒がだれであるかということを、みずから読み上げて確認される。これが教育の第一歩。人の名前をどう読むか、大切なことでしょう。日本という国号をどう読むか、これさえもいいかげんな答弁が繰り返されている。与党と野党でまた意見が違う。国号が二通りの読み方がある先進国の名前を教えてください。

小坂国務大臣 我が国の国号の読み方については、御指摘のように、一般に日本(にっぽん)、また日本(にほん)と発音されているわけでございますが、世界の国の中で、国号の読み方を二通り教えている学校、学校でそういうふうな教え方をしている、これについては残念ながら把握をいたしておりません。

岩國委員 文字の国、言葉の国と言われる日本が、失礼ですけれども、こういうざまなんですね。教育基本法を論ずる前に、我々は、まだまだ国の枠づくりをきちんとしなきゃならないという点を強調しておきます。

 次に、安倍官房長官、もう一問だけ。

 小泉総理は、内閣総理大臣に就任されて、そして米百俵の精神をおっしゃいました。これは、まさに日本に教育の時代がやってきた、また、そうでなければならないと国民は大変感動したんです。そして、米百俵の精神、その逸話は全国に知れ渡りました。米百俵から五年たちました。この五年間に米百俵はどれぐらい、今百五十俵か二百俵ぐらいになっていますか。

 こうして教育予算、どの予算を見ましても、いただいたものを見たら、小泉内閣の前よりも減っているではありませんか。米百俵の精神は、どのように小泉内閣五年間の成果に生かされたのか。端的に、幾らが幾らにふえたということをお答えいただけませんか。

安倍国務大臣 総理が米百俵の精神について述べたことは、これは、この故事にあるように、資源の少ない我が国においてはまさに人材こそ宝である、そして教育は国政上の最重要課題であるということで総理はおっしゃったわけであります。

 そして、その中で、公教育に対する公財政支出についてどうかという御指摘でございますが、教育に対する公財政支出について、諸外国と比較をいたしますと、OECDの調査によれば、我が国の学校教育費に対する公財政支出の対GDP比は、小泉内閣二年目の二〇〇二年が最新データとなるわけでありますが、二〇〇一年と比較しても変化はなく、他国においても大きな変化は見られないわけであります。

 なお、公財政支出の対GDP比については、国によりさまざまな条件が異なりますので、単純な比較が困難な面もあるわけでございます。他方、初等中等教育における在学者一人当たりの額を見れば、欧米諸国と遜色のない水準であるというふうに認識をしております。

 いずれにいたしましても、教育への投資は我が国の発展に欠かすことのできない未来への先行投資であり、必要な教育予算の確保に最大限尽くしていきたい、こう考えております。

岩國委員 この米百俵というのは、米百俵を食べてしまえということじゃないんでしょう。森内閣のときの六兆五千七百八十四億円、それからずっと今、五兆一千三百二十四億。どんどんどんどん右肩下がりの文部省の予算になっております。そして、文部省予算で見ますと、対GDP比で一・三%だったものが今は一・一%ぐらいまで下がっている。

 元気の出るような数字ではないんです。米百俵は結果的には失敗したのか。(発言する者あり)うそ八百というやじが出ておりますけれども、私はそういう下品な言葉は使いません。しかし、米百俵というのは、結果的には失敗したとお認めになるか、十分成果を上げましたと言えるか、端的にお答えください。

安倍国務大臣 今まで委員の御質問に対しては文科大臣からも答弁がなされている、このように思うわけでありますが、この五年間、教育に関しさまざまな新たな取り組みを行っているところでございます。と同時に、生徒数が減少する中にあって、一人当たりの教育費ということにつきましては、決してそれを減額していくということではないだろう、このように思っております。

 いずれにいたしましても、子供は国の宝、人材育成、教育には、今後とも、限られた財源の中でも全力を挙げて、そのための財源を確保するために努力していきたい、こう考えております。

岩國委員 子供の数が減ったから一人当たりの金額はふえていますよというのは、まるで社会保険庁のおっしゃっていることとちょっと似ているような気がします。分母が小さくなったから一人当たりの教育費がふえている、そういう面も評価してくれということかもしれませんけれども、これは、子供が減ったから一人当たりがふえたといって喜ぶんじゃなくて、子供が減る原因が、教育費の負担が父兄に多過ぎる、つまり、日本の子供は教育費の負担つきで生まれてくるから両親が育てにくいんです。

 そこで、猪口大臣に質問させていただきます。

 こうした教育費の国際的な負担が多過ぎる、これは、予算の中でも、GDPに対する比率を見ても、あるいは家計の中に占める教育費の負担、これはOECDが発表しております。そういうものを比較しても、どこからも日本は、他の先進国、あるいは、産業の面で、貿易の面で競争しなければならない国と比べて、教育費をしっかりと使っているという国にはなっていないんです。教育費が少ないから、子供を産みにくい、育てにくい環境が既にでき上がっているんじゃありませんか。

 少子化現象で、安倍官房長官の割り算のように、分母をどんどんどんどん少なくすることによって一人当たりの教育費予算が結果的にふえるというのは、これは全く逆じゃないかと思います。教育費にもっと国が責任を持つことによって、学校へ行かせやすい、高校まで、場合によっては大学までも、そういう教育費の負担がないから、子供を産んでも十分やっていける、そういうメッセージをお母さんたちに出すことが一番大切。

 にもかかわらず、赤ちゃんを産む、赤ちゃんがお母さんから生まれてくる、その段階で赤ちゃんの出産費を無料化しようというのは、言ってみれば入り口だけの話であって、入り口から十八歳まで、赤ちゃんが生まれたら両親というのは、私の場合もそうですけれども、少なくとも十八歳まで責任を持たなきゃいけない、産んでしまえばいいというわけではありませんから。

 十八歳まで、赤ちゃん一人が生まれた場合に、平均的にどれだけのコストがかかるのか、それを計算されたことがありますか。当然それは計算された上での出産奨励とかいう発想を出していらっしゃるんでしょう。まず、一人の赤ちゃんが生まれたら、十八歳まで、公立の小学校、中学校、高校、公立ベースで行った場合に、幾らかかるのか、どういう数字が出ておりますか。

猪口国務大臣 少子化対策といたしましては、さまざまなことを総合的に組み合わせて行わなければならないのですが、教育費が過重な負担を保護者にかけているという指摘は多々受けております。

 したがいまして、奨学金の充実は大きな柱となっております。また、先ほどからの米百俵の御議論の中のことでございますけれども、平成十三年から十八年まで、奨学金につきましては六九%の増加となってきておりまして、この分野を特別に重視し、発展させてきたということを申し上げさせていただきます。

 また、少子化対策についての御指摘は、岩國先生の御指摘を十分に踏まえまして、教育費につきまして、今後、保護者の負担の軽減についても政府内で調整していく決意ではございます。

 また、推計をしたことがあるかとの御質問でございますけれども、民間機関がさまざまな推計を出しています。その場合、例えば、幼稚園から大学までほとんど公立に行った場合、あるいはほとんど私立に行った場合、いろいろな推計がございますが……(岩國委員「公立の場合だけで」と呼ぶ)公立の場合だけでございますか。十八歳までではちょっと把握しておりませんで、大学まで公立に行った場合ということで大体千五百万と推計されている民間の推計がございます。

 政府といたしまして、国民世論、世論調査等に基づきまして、どのようなニーズがあるかということに基づいて政策を策定しているところでございます。

岩國委員 では、民主党にお伺いします。

 民主党案で最も私は高く評価したいのは、こうしたお金の面をしっかりと基本法の中にうたい込んでいこうと。

 日本は、国の形がおかしい。凜とした国とはとても言えない。次に、それでは、お母さんがお金をしっかり出してくれる国なのか、教育費を。お父さんは自分の家族を守ろうとしない、それが日本の現状。国が教育費を出し渋り、よその国よりも教育にお金をかけない。民主党は、その点をしっかりと、GDPあるいはその他に換算して、財政的に国の責任を明示していこう、私はこれは高く評価したいと思います。

 ところで、どういう数字を想定してこの法案を提出しておられるのか、GDP比どれぐらいが適切と考えておられるのか、それをお答えください。

大串議員 お答え申し上げます。

 ただいま御指摘いただきましたように、我が国の教育に関する公財政支出が非常に低い、国際的に低いレベルにあるということにかんがみまして、我が党の法案におきましては、十九条二項において「国内総生産に対する教育に関する国の財政支出の比率を指標として、教育に関する国の予算の確保及び充実の目標が盛り込まれるものとする。」となっておりますけれども、この具体的な数値に関しましては、必要な予算が安定的に確保できるように今後検討していきますが、一つの目安としましては、教育機関に対する国と地方を合わせた公財政支出の国内総生産に対する比率、OECDのデータで見ますと我が国は三・一%となっておりまして、OECD諸国並みの四・七%、あるいは米国並みの五%といった水準を目指して予算を確保していく必要があるというふうに考えております。

岩國委員 これは、一般的な教育コストの国家の負担が少な過ぎる、家計費の負担が多過ぎる、外国に比べて。日本では子供を産みにくい、学校へ行かせにくい、そして、十八歳まで、二十二歳までのコストのほとんどは家計が負担しなければならない、私はこれを一日も早く是正すべきだと思います。

 それに加えて、この小泉内閣の三位一体、地方分権、これが学校教育における地方分権、私は反対です。義務教育、公教育は国家が責任を持つべきであり、そうすることによって初めて、島根県の子供も、青森県の子供も、東京の子供も、東京の会社に勤務するときに差別感情が生まれないんです。島根県は貧乏な県だから、多分半分ぐらいしか勉強してこなかったのが隣の席におるのか、そういう差別感情で私は見られたことがないのは、今までは国がきちっと責任を持ってきたからだ。これからは、地方分権。地方によって、豊かな県と豊かでない県のばらつきが出てくるでしょう。つまり、地方自治体ごとの地域経済格差というものが出てくる。

 島根県は、小泉内閣が始まる前は、東京が一〇〇とすれば六〇でした。五年間の、その最初の二年間に五五に落ちています。山口、岡山、七〇でしたが六五に落ちています。二年間で五%の所得格差が拡大しています。あと二十年間小泉内閣が続いたら、島根県はなくなってしまうんです。

 これぐらいの地域格差がどんどん広がっている中で、教育コストの負担というのが地方にとって特に重くのしかかってくる。だからこそ、文部大臣も猪口大臣もしっかりと、この教育予算、特に公教育については国がしっかり責任を持つという方向を打ち出すべき。地方分権だから何でもかんでも、それに乗じて教育負担も地方の自治体に押しつけようと。豊かな地方をつくってくれる小泉内閣ならともかく、所得格差をどんどん広げている状態においては、これは危険な思想だということを申し上げざるを得ません。

 大変残念ですけれども、私の時間が終了しましたので、後は同僚の山田委員に譲りたいと思います。

 ありがとうございました。

森山委員長 次に、山田正彦君。

山田委員 私の方からきょうは食の教育を中心に質問させていただきたいと思いますが、最初に、このところ凶悪的な子供の犯罪がかなりふえております。酒鬼薔薇聖斗の、土師淳君が亡くなって以来、これが平成九年ですから、平成十五年には、私の住んでいるところの長崎、そこの西浦上中学校の、種元駿ちゃん、さらに平成十六年、これは御手洗怜美さんが同じ小学校六年生の女の子に殺されるという痛ましい事件が起こったわけですが、こういうふうに非常に次々と子供の凶悪事件が起きてきているわけです。なぜこういうことがこの十年ぐらいこうして発生してきたのか、それについて、文部大臣、お答えいただければと思います。

小坂国務大臣 御指摘のような子供の起こす凶悪事件、これは、本当に皆さんニュースを見るたびに、どうしてこんなことが起こるんだろう、何か日本が変わってきたのかな、こう思う方も多いと思うわけですね。その原因分析については、警察、また国家公安委員会等、それぞれのところで検討されておるわけです。また、少子化担当大臣もそういった意味では研究をしておられます。

 文部科学省として今の御質問に対応して申し上げますと、原因の背景の一つとしては、しつけの問題などによって学校や家庭において規範意識が十分に身についていないこと、また、社会体験や生活体験の不足などによって社会性が十分に身についていない子供がふえた、物質的な豊かさの中で他人への思いやり、人間相互の連帯感が希薄化しているということ、それから、情報メディアへの過度ののめり込みや過激な表現によって死や生に対する現実感覚の希薄化が生じるおそれがある、まあ、バーチャルな世界になってしまう、さまざまな要因が複雑に絡み合っているものと考えられるわけでありまして、学校、家庭、地域において、社会とかかわる体験や自然体験、また、子供たちに善悪の判断など規範意識や倫理観、社会性、命の大切さや他人を思いやる心などをしっかり身につけさせることが必要と考えております。

 ここから先は対策になりますので、今、原因はどのようなところにあるかという御質問ですから、最近のゲームやテレビ、そういう中における過激な表現、また、その中における命の大切さといったものが軽んじられるような表現、そういったものに触発される部分も少なからずあるのではないかというふうに考えております。

    〔委員長退席、町村委員長代理着席〕

山田委員 長崎の西浦上中学で起きた種元駿ちゃん事件も、そして同じ長崎の佐世保の大久保小学校の事件も、私も長崎県選出の代議士なものですから、こんな分厚い資料を送ってまいりました。その中には、いわゆるチャットというんですか、メールの、そういったものをだれがどれくらいやっているかとか、そういう分析とか、今大臣がおっしゃったようなことはすべて書いてあったわけですが、しかし、これで本当にその原因がつかめているのか。私はそうは思いません。

 私がきょう配付しました資料一を見ていただきたいと思います。

 この写真です。この写真の中に、これは平成九年の五月二十五日の酒鬼薔薇聖斗事件の学校の塀が見えますが、そこにいわゆる子供さんの首がのせられてあったという大変痛ましい、学校を日刊スポーツが当時撮った写真なんです。この写真を、これらのことをこの中に見ていただきたいんですが、玄関の下にプランター、植木鉢があります、ところがここにはもう半年も一年も前の枯れた花しかありません。見てください。ここを、小坂大臣と同じ長野県の、上田市の大塚貢教育委員長が行って、つぶさに見てきた話を聞いたところ、全く学園を歩いても花が一つもなかった、花がなかった、殺伐としておったということです。

 その下の写真を見てください。これは、佐世保市の怜美ちゃん、残念ながら同じ小学校六年生で亡くなってしまいましたが、この怜美ちゃんのいた大久保小学校です。ここも、本来なら花が咲き乱れているところです。前が五月ですから。あの友が丘中学校ですね。下の写真、これも同じ、六月の五日なんです、この写真を撮ったのが。これは毎日新聞が撮った写真ですが。これも全体像なんですが、見ていただきたいと思います。六月なら花が本当は咲き乱れていなきゃいけないんです。全く、公園に花一つありません。その中に、もう一つ気をつけていただきたいんですが、手前のところに滑り台があります、一個。この滑り台しかなかったというわけです、子供の遊ぶところは。

 子供にとって大事なのは、美しいものを美しいと体を通して言えるような心。きょう本会議場で亀井先生の追悼の詞にありましたが、美しい心と書いたお孫さんの書を大変大切にしておられたと。そういう、美しいものを美しいと思えるような心、そして、いわゆる生き物を大切にする心、こういったものが全く欠けておった。

 この大塚貢教育委員長の話ですと、子供の事件が起きると必ず私は一週間か二週間以内に行きますと。行って、見てみると、すべてこのように花一つない状況の学校が多いということなんです。いわゆる教育の最も大事なのはこういうところじゃないかと。そう思います。

 次のページの写真を見ていただきたいと思います。これは教育委員長が、これまで真田町の教育長をなさっておったわけですが。B小学校、ここは本当にきれいに花が植わっております。次の二枚目の写真ですが、A小学校。ここは、都市部の小学校ではよくあることですが、コンクリートだけの学校。そういったところで、花をつくるような広さもないところ。ここを、上の写真にありますように、一つ一つのプランターに見事に花が咲いておりますが、これは子供たち一人一人が、一つの植木鉢を、土づくりから、花の種から咲くまでやったということなんです。

 では、そのような結果、どういう学校になっていったかということを少し話させていただきますと、大塚先生が行った中学校で、校長として行ったときの話ですが、クラブの部室で、体育クラブですけれども、床は土が見えないくらいにたばこの吸い殻がいっぱいあった。中学校でです。これは、小坂大臣、長野県の話です。荒れた学校だったわけです。そして、夜中に暴走族が学校の廊下をバイクでぎゅうっと走って、そして、廊下にはタイヤ痕がいっぱいあったというんです。

 そこで、花ももちろんなかったんですが、花をその先生が植えられていった。最初、その花が潰されたというんです。それを植えかえて植えかえていったら、四月に赴任して、校長さんですね、七月になったら、もうその花園に入る人がいなくなった。みんながやはりきれいなものをきれいとして感ずるようになったという話ですね。

 そして、どうなったかといいますと、この学校で、それまでの荒れた学校の、いろいろなむちゃくちゃな子供たちがいっぱいいたわけですが、それがなくなったというわけなんです。全くなくなったというわけです。そして、みんなが花をめでるようになって、土曜日も日曜日も家族連れで学校に来て、花に水をかけるようになったというわけです。

 実は、このことなんですが、今、子供担当大臣、お聞きになったと思いますが、そういう本当のところの原因は、今文部大臣が言ったことではなく、心の問題。

 その心の問題なんですが、自民党の今回の教育基本法には、そういった美しいものを美しいと思えるような教育について、何も触れられていないと思いますが、いかがですか。

猪口国務大臣 今、先生のお話、本当に私聞き入ってしまいました。非常に重要な御指摘をされたと思います。私も教育委員を務めていたことがございますので、小学校、中学校を美しく花で飾っていく、そして育てていく、そういうことの重要性は十分に認識しているつもりでございます。

 政府提出のこの教育基本法案でございますけれども、実に全般においてそのような考え方を書いているとは思いますけれども、より具体的には、例えば二条四号、「生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。」これなどには端的に、そのような表現がとられております。

 また、先生の御指摘のところは、例えば家庭教育においても、どのような小さな空間でも花をめでるというような部分も含まれるかもしれません。明示的にそれぞれの条文の中に書いてはいなくても、教育全般の目標のところに、今お伝えしましたようにこの二条四号のところに書いているということで、教育全般において、そのような生命をたっとび、自然を慈しむ、環境を美しく保つという考えはあらわれているものと考えます。

山田委員 確かにこの中の、教育の目標の第二条、私もつぶさに読んでみましたが、「生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養う」と。「態度を養う」とあります、これは。態度が先か、心が先かということは別にしましても、これでは私はどうかなと思うんです。

 もう一つ例を挙げさせていただきますと、先ほど小坂大臣がいわゆる家庭内の環境あるいは地域の状況、そういったもので非行に走る子供が多いと指摘されておりましたが、私はそうじゃないんじゃないかと。

 実は、やはり私もこういうお話を聞いたわけです。父親に女の人ができて、母親にも男ができて、そして家庭が崩壊した。その子供二人を預かった先生のお話なんです。兄弟二人ですね。その中で、先ほど言ったように非常に荒れた学校が全くたばこの吸い殻もなくなってきれいになった、花がいっぱいになった。その学校を卒業した子供は、もう小学校のときからたばこを吸って、暴力団とつき合って、それはそれは大変な非行の少年だったけれども、それから本当に立ち直った。家族だけの問題ではないと。一方、そのお兄さんの方は、学校のときは非常にまじめだったけれども、ちょうど中学校を卒業するときに荒れた中学だった、そのままだった、その後非行を繰り返したというんですね。

 だから、非行を繰り返すか繰り返さないかというのは、やはりその家庭の崩壊とか地域がという、そういう問題ではなく、心の問題、美しいものを美しいと思う心の問題だと思うんですが、民主党案ではその点についてどのようにお考えか、お聞かせ願えればと思います。

高井議員 御指摘いろいろとありがとうございます。

 まさに、民主党の日本国教育基本法案には、前文にその文言が盛り込まれております。読み上げますと、「我々が目指す教育は、人間の尊厳と平和を重んじ、生命の尊さを知り、真理と正義を愛し、美しいものを美しいと感ずる心を育み、創造性に富んだ、人格の向上発展を目指す人間の育成である。」このような美しい文章をこの委員会室におられるすべての皆様が自然に美しいと感じていただけるような教育のあり方も大事であろうというふうに考えております。

 この文言が盛り込まれた経過については、現代の、今ほど来御指摘がございました子供たちの心、そして大人の心も含めて、今の教育の中で何が欠けているのだろうという観点からさまざまな意見がございました。そこに求められる感受性の豊かさを、ごく自然に、素直な表現として、このように取り入れたものでございます。

山田委員 民主党案は、今、高井さんが御答弁になりましたが、私もこれを読みまして、本当にそのまま美しい心をはぐくむと書いてありまして、感動いたしました。この民主党案での教育基本法、これならば凶悪的な子供たちの犯罪というのもなくなっていくんじゃないか、そう思いますので、それをぜひ踏襲していただければと、そう思っております。

 それから、学校給食のことをお聞きしたいと思っております。

 今、学校給食は、ちょっと調べましたら、小学校で九九%、中学校で七〇%やっているようですが、大臣、そのうち和食、いわゆる御飯による学校給食はどれくらいの割合か、端的にお答えいただければと思います。

小坂国務大臣 学校給食の和洋のメニューの割合について、十六年度にサンプリング調査を行っております。その結果では、小学校における和食の割合が四六・八%、洋食の割合が三三・六%、また、その他というのがございますが、それの振り分けが難しいという意味でその他に分類したものがあるということだと思います。また、中学校におきましては和食四八・五%と、いずれも五〇%弱。そしてまた、洋食の割合は三三%程度というのが小中学校の数字であります。

山田委員 そういう中で、学校給食の役割というのは、私は農水の方を中心に今やっているわけですが、非常に重要だと思っております。

 中でも、先ほどの真田町の学校におきましては、学校給食で平成十年から米飯を始めて、そして、平成十四年に完全和食の米食にすべて切りかえたというんです。これは大変なことだと思うんです。

 私も、かつてPTAの会長をしておったころ学校給食の問題を扱ったことがありますが、給食会みたいなものがあって、そこから材料をとらなければ給食もできない。しかも、パンやハンバーガーとか、特に子供が好きなのは揚げパンとかソフトめんですね、中華めん、そういったものを非常に好んで、そういったものが中心になってきつつあるということなんですが、何で完全な和食で御飯制にしたかとその教育委員長に聞きましたところ、和食をやると子供が変わるというわけです。

 最初は大変な抵抗があった。まず、子供が嫌だと言うし、父兄も嫌だと言うし、みんなが嫌だと言ったんだけれども、その教育委員長さん、多分強引に押し切ったんでしょうが。それで、やってみると、まず第一に言えることは、キレる子がいなくなったと言うんです。普通、荒れた学校ですといろいろな形で暴れたり何なりしますけれども、あるいは先生に向かったりということがありますが、食べ物でこんなに変わるんですよと。そして、小魚、例えばイワシとかサンマとか、そういった魚を丸ごと食べられるようにしている。必ず魚を中心として、しかも骨を食べられるようにし、いわゆるミネラルとかカルシウム、そういったものを十分にとらせるようにしましたと。もちろん、みそ汁もですね。それによって、最初は学校給食の担当者も大変嫌がっておりましたが、子供たちが食べ残しも少なくなったし喜ぶようになったと言うんですね。

 大臣、お話を聞いて、私は今農水で自給率の問題をやっておりますが、みんなが、ここにも農水委員会のメンバーの皆さんも何人かいらっしゃいますが、米をいっぱい食べようとか米で自給率がなかなか達成できないとかいろいろ言っておりますが、大臣の地元の小さな町で完全和食で米を、しかも地産地消の米、これをやっておられるというわけです。

 大臣、ひとつ学校給食を抜本的に、もともと日本人に合った食事に、日本の子供たちが本来あるべきような姿の食事に切りかえていく気持ちはございませんか。

小坂国務大臣 今御紹介をいただきました長野県の真田町、私どもの隣の町なんですけれどもね。羽田先生のお地元になりますけれども。そこに限らず、私ども長野県の中でも一〇〇%米飯給食をやっているところもございます。

 文部科学省としては、米飯給食の実施について、自給促進ということもありまして、昭和五十一年に週〇・六回というのが平均でございましたが、促進を図りまして、昭和五十四年に一を超えまして、以降どんどん進んでおりまして、六十一年には二・〇を超え、そして平成十六年では、今一週間のうち二・九回、約三回近く米飯給食が実施されるようになりました。

 また、昭和六十年の十二月に出しました米飯給食推進についての文部省の体育局局長裁定で、大都市の実施回数の少ない地域においては、週一回未満実施校の解消を図る、それから週一回実施校については週二回への実施回数の増加を図る、既に半数を占める週二回実施校については週三回への実施回数の増加を図るという形で具体的に目標を定めて指導をしているところでございます。

 これに見られるように、私も昨年、食育基本法の提案をさせていただいて、皆さんに成立させていただきました。残念ながら、民主党さんは最後のところでちょっと御意見がまだ合わなかったようでございますが、しかし、趣旨には皆さんに御賛同いただいたと私はいまだに思っているんですが。

 そういった地産地消を推進しながら、自校方式の給食においては、米飯、それから地元の農協さんあるいは生産者と生産計画を交わしていただきまして、何月には何がとれるというのを事前に知らせていただく中から、給食にできるだけそういったものを盛り込むという努力もしていただいております。

 また、センター方式の給食におきましても、同じように、地域の生産組合と提携をしながら、地域の農産物を積極的に使うという取り組みをしていただいて、そうしますと、お子さんたちがまず見に行って、そして、ああ、地域でこんなものをつくっている、それが実際に給食に出てくるとその生産者の顔も見えてまいりますし、そういう中から、今まで食べたことのないものも喜んで食べるといういい効果が出ておりますので、今、山田委員御指摘のように、ぜひとも、今後とも、地産地消の推進、地域の農産物に対する理解を深め、そしてできる限りそういった食農教育についても推進をしてまいりたいと存じます。

山田委員 大臣もその辺についての御理解はあるようでございます。

 子供大臣、猪口さんにお聞きしたいと思います。

 今回そのような学校給食をやることによりまして、いわゆる貧血で倒れる子供とか生徒が非常に少なくなった、それから中性脂肪過多の児童生徒が極めて少なくなった、コレステロールが高い子供というのがゼロになってきている、そしてアトピー症が半分に減った、そういうデータを見せていただいたのですが、一つは、いわゆる地産地消、我が党で篠原議員が昔から言っていたことなんですが、地産地消で学校給食をやる。

 大臣、これは非常に大事なことだと思うのですが、学校給食における地産、いわゆる地場産物というのは、これをちょっと調べさせていただきましたら、例えば長崎県の場合は長崎県全体のものを、県産のものを使っている、そういう都道府県の県産、都道府県内産と言っていいんですかね、それを使用しているというのが二一・二%、今現在。ところが、本当の、例えば真田町だったら真田町のすぐそばの地産地消でできたものを使っているというところは、この統計から見ると、何%にしかならないんじゃないかと思います。

 そうすると、かけ声だけで地産地消、学校給食にと叫んでもどうしようもない。そして、今申し上げましたように、御飯食、和食にしても、望ましいと言うだけで、指導すると言うだけでもしようがない。

 やはり、本当にここは、学校給食を教育基本法の中にきちんとうたって、その方向を示す必要があるんじゃないか、そう考えるのですが、いかがですか。

町村委員長代理 山田委員、これは少子化・男女共同参画担当大臣の猪口大臣への御質問でいいんですか。小坂さんでなくていいんですね。

山田委員 はい。

町村委員長代理 それでは、国務大臣猪口君。

猪口国務大臣 私は、少子化・男女共同参画大臣でございますが、同時に食育担当大臣でもございますので、今の御質問に答えさせていただきます。

 まさに、私のところで取りまとめました食育推進基本計画というものがございます。これは、昨年の食育基本法の成立を受けまして、政府として基本計画を策定するという流れとなりますので、それを実施したということでございます。

 この食育推進基本計画の中におきまして、まさに先生御指摘の地産地消によります学校給食のこと、また、その前段階としてあるいはそれをフォローするような形も含めまして、農業体験の推進、そういう部分も含めてございます。

 せっかくの機会ですからお伝えさせていただきますと、まさにこの六月は食育推進月間でございまして、六月二十四日には初めての食育推進の全国大会が開催される、学校関係者も多数参加されることと思います。

 このように、国民的な取り組みを推進する中で、学校給食の充実、そして地産地消の推進、そして先生御指摘されました、できるだけ近いところからの地産地消、そこで顔の見える、生産者と消費者の、子供を含む関係を築いていくということを推進してまいりたいと思い、政府といたしましては、基本計画にのっとりまして、着実に推進していけるものと考えております。

山田委員 食育という言葉は、子供に何を食べろ云々しろという、そういう指導というのは、私は思い上がっているんじゃないかと思っていて、賛成じゃないんです。ただ、食農は非常に昔から関心がありまして、そういう意味では、地産地消と同時に、食農について、この前NHKでもやっておりましたが、高知県の南国市ですか、子供たちが農園に行って、土づくりから、種をまいて野菜をつくっていく、これは大変大事だと思うんですね。

 私も、かつてPTAの会長をしているときに学校農園をつくったんですが、ただ、どうしても、収穫のときだけ、芋の収穫とか稲の収穫とか、そのときだけだとだめですね。それが、いわゆる食育ではなく、食農だと私は思っているんです。

 そういう意味で、民主党でそういう食農についてどういうお考えか、お聞かせいただければと思います。

高井議員 私どもも、まさに山田議員おっしゃるとおりだというふうに思っておりまして、考え方を一にするところです。そして、食と農、それ自体が伝統と文化であると私は思っております。

 私の生まれた町の近くにも里山や棚田がありますけれども、そういう普通の日本の伝統的な風景が今は失われてきていることに残念な思いもいたします。私の地元の東祖谷山村という町が、集落、農村の町自体が国の重要文化財に指定されたんです。つまり、そういう普通の風景が失われている、だからこそ重要文化財として守らなければならない。失われつつあることは残念ではありますが、それによって皆さんが、食、農、住まさに一体となった伝統と文化を守っていくということに意識をはせていただければ、本当にうれしいというふうに感じています。

 そして、御指摘のとおり、何よりも大切なのは、食の現場で、学校給食という大事な現場で、その思いを実践することだというふうに考えています。その土地でとれたものをその土地で食べる、それをつくってくれた人に思いをはせ、その土地でとれた食べ物に対して思いをはせる子供たちが育つということは、本当に理想とするところでございまして、本当に気持ちを込めて私も聞いておりました。

 少なくとも、私は、地産地消という観点では、ぱっと考えただけで特に五つの利点があると思います。

 第一には、まず自給率の向上、これは当然だと思います。土地でとれたものを土地で消費する、国全体としても自給率が上がる。

 それから第二には、健康にいい。アメリカの方でも日本食のすばらしさというのが見直されているようなお話もございます。最近はメタボリックシンドロームの話もございますが、やはり和食というのはカロリーも低く、栄養価も高いということで、健康にいい。

 さらに、環境負荷が低いということです。油物をそんなにたくさん使わない。昔の家庭ではそんなに合成洗剤を使っていなかったというふうに思います。伝統食に戻すことで、環境負荷も低くなる。

 そしてさらに、安全面でとても有効ではないか。つまり、自分の土地に住む子供たちが食べるものは、やはり安心なもの、安全なものを提供しようと心がけるのが大人の常でございます。最近問題になっているBSEやポストハーベストの問題等は、まさに地産地消が進めば余り心配に当たらなくなるのではないかと期待いたします。

 そして、教育という観点からも大変利点があると思います。

 そのような認識のもとに、我々の教育基本問題調査会の中でもたくさん意見が出されまして、目的に盛り込むべきかという話もございました。しかしながら、目標として羅列するのではなく、詳細な条文を定めるのではなく、前文におきまして、人類と自然との間に、ともに生き、互いに生かされるという共生の精神を醸成するという点や、また、伝統、文化、芸術をとうとぶという点で読み込んで、あとは個別の法案で私どもも対応していきたいというふうに考えているところでございます。

山田委員 提案者の高井さん、小さなお子様もこれからですので、そういう意味で、いわゆる子供の給食とか食べ物には、ぜひひとつ政権をとってからも十分注意を払っていただきたい、そう思います。

 そこで、大臣、今お話ししましたが、食農という言葉は、南国市で食農教育を前からやっておりますが、やはり食育とは違うと思うんですね。例えば農業実習とかそういったこともあるかと思いますが、本当に子供たちが土を耕し、種をまき、苗を育てて、収穫までやっていくということ。アメリカにおいては既に、運動場をつぶして農園にしている、そういう学校もあるやに聞いております。

 そういう意味で、ひとつ大臣として、食農教育について十分な御配慮をお願いしたい、そう思っております。

小坂国務大臣 今、提案者の高井さんからお話がございました。お聞きしていて昨年の食育基本法の審議を思い出したわけでございますが、私ども答弁をさせていただいた内容と本当に一致しているというふうに思いまして、同じような考え方でみんなでやっていけば、食農教育、そして食育も推進できるな、こう思ったところでございます。

 私ども長野県は農業県でございますので、そういう意味で、私の地域を含めて、目の届くところであちこちで子供農園をやったり、まさに食農教育に取り組んでいるところが多いです。それから、例えば東京の武蔵野市、土屋市長さんは今は議員になっていらっしゃいますけれども、武蔵野市が実施しましたセカンドスクール、この受け入れも長野県で行っておりまして、都会のお子さんたちが来て、そして宿泊体験の中から農業体験をしていく、また森の体験をする。

 そういうようなことから大変に食に対する理解も進むと同時に、今お話がありましたように、地域文化についての理解、また、食物の好き嫌いがなくなるとか、それから、御指摘がありましたように、アトピーがなくなるような、体全体の体質改善にもつながっていく、いろいろな効果があるんですね。やはり地産地消の効果というのは、その地域ではぐくまれたものというのはその地域に住む人に非常に合っているものが多いということがあると思います。

 そういった意味で、食農教育を通じて、命の大切さ、また、我々が生かされているということについての認識をみんなに持ってもらうこと、教育上の効果は非常に大きいものと思いまして、私も、食農教育の推進にこれからも努めてまいりたいと存じます。

山田委員 皆様方に渡しました資料三を見ていただきたいと思います。

 実は、子供の教育にとって大事なことは、やはり学力です。最近、学力が落ちた、読み書きができない子が多くなった、そういったことを新聞等でお聞きしますが、塾に通っている子供が都市部においては七割から八割も多いと聞いております。

 ところが、やはり真田町の小学校、これは二年生の例ですが、教研式CRT、これは百二十万ぐらいの全国の子供を試験したその結果なんですけれども、これによりますと、塾に通っている子供は一〇%ぐらいしかいないというんですが、最初のA学校の二年生、国語のところの三番目、例えば「書く能力」、それを見ていただきたいんですが、全国平均が五五%なのに、八二%ある。「読む能力」、全国平均が四二%なのに六九%もある。「言語についての知識・理解・技能」、これは全国平均が九一%ですが、九八%ある。しかも、C評価、できないという評価が非常に少ない。ということは、学校教育が非常によくできているということなんです。読み、書く、あるいは数学でもそうですが、そういったことが、B小学校、C小学校、D小学校、四つしか小学校ないんですが、これを見ていただければわかりますように、全部がすべてすばらしいわけなんです。

 次のページをあけていただきたいと思います。

 この中で、指導の内容が、例えば二年一組、これは内容の聞き取りが劣っている、ではそれに対してどういう手だてをやっていくかということは、それぞれにおいてかなり細かく、厳しくやられているわけです。

 しかも、次の資料五を見ていただきたいんです。これは私も驚いたんですが、中学生、小学生もそうですが、生徒によって先生の授業評価をやっているわけです。授業の始め、終わり、ちゃんと正確であるかとか、それが問一ですが、ほとんど九割近くまでこの学校はうまくいっているわけですね。

 それで、問七を見ていただきたいんです。「今日の授業の内容はよくわかった。」、これが何と九割。見てください、大体わかると思うを含めますと九割いるわけです。ところが、この次の資料六を見ていただきたいんですが、文部科学広報、これの下の方のグラフを見てください。児童生徒質問紙調査、授業がわかるかどうか、前回調査との比較で、四一%、中学校。小学校が六一%。全然違うんですね、これは。子供に、先生の授業内容がよくわかるかどうか、そこまで評価して、それをすべての生徒に配っている。これは大変なことなんですが、もっと大変なことをやっておりました。

 保護者による学校の評価をやっているわけです。資料七を見ていただきたいんですが、「わが子は、いきいきと学校生活をおくっている。」もしくは「わが子は、学習内容を理解しようと意欲的に学習に参加している。」、これを父兄が評価するわけです。この評価をそれぞれの学校、父兄にすべて配付するというわけです。

 そうすると、先生も本当に一生懸命授業をやる。授業を一生懸命やると子供たちもおもしろい。そして、学力も向上する。学校給食もまさに地産地消で、完全和食でやっている。

 私は、本当にすばらしいと思って感動いたしました。いわゆる学校のあるべき姿は、小坂大臣の地元のお隣の町、そこの小さな町の教育委員長が、まさにすばらしい実験を試みている。私ども、教育基本法が何たるか、どれだけ大事かということの前に、私ども自身が、教育のあるべき姿、学校教育のあるべき姿、これをもう一回考えなきゃいけないかと思うんですが、安倍大臣、お見えのようですが、ひとつ、今のお話についてどう考えられるか、お聞かせいただければと思います。

    〔町村委員長代理退席、河村(建)委員長代理着席〕

安倍国務大臣 教育の現場においては、それぞれ丁寧な評価を行っていく、また指導を行っていくことが大切であろう、このように思います。子供たちの個性に着目をしてその個性を伸ばしていくという評価、これについては常にそのような方向でこれからも検討していかなければいけない、このように考えております。

山田委員 もう時間が参りましたので、これで私の質問を終わりますが、最後に一言だけ。

 民主党の教育基本法、よく読ませていただきましたが、よく考えられてできていると思います。自民党の教育基本法においてはまだまだ大事な肝心なところが抜けているんじゃないか、そういう意味では、どうかさらに検討し直してやっていただきたい、そう申し添えて、質問を終わらせていただきます。

河村(建)委員長代理 次に、笠井亮君。

笠井委員 日本共産党の笠井亮です。

 政府の法改定案の第二条をめぐって議論になっている内心の自由にかかわる問題で、幾つか質問したいと思います。

 私自身、参議院議員時代に国旗・国歌法の特別委員会の理事としてやっておりまして、質問したときのことを思い起こすんですが、当時の小渕総理は、児童生徒の内心にわたって強制しようということではございませんということで繰り返し強調されておりました。ところが、東京都では、児童生徒が結果として不起立だったときに教員が注意の措置を受けている、このことの意味についてまずただしたいと思います。

 私、ここに、ある都立学校の校長あてに都の教育委員会が出した注意という文書を持ってきております。卒業式における国歌斉唱時に結果としてほとんどの生徒が不起立であったことは、学習指導要領に基づき卒業式を適正に実施する立場にある校長として教職員に対し十分指導したとは言いがたい、今後このような指導がないよう注意するというふうに書いてあります。そういう注意であります。

 君が代については、生徒の中にもさまざまな意見があります。歌いたい生徒もいれば歌いたくない生徒もいる。だが、自分の好きな先生、大好きな先生が注意を受けることになれば、生徒の側もやむを得ず起立をする、歌うことにならざるを得ないということで、こうしたことを昨年の新聞でも大きく報じて、ある生徒が、君が代斉唱で生徒が座っていないかをチェックして先生を処分する、教師を人質にとった思想統制と私は考えていますというふうに壇上から発言したということが紹介されております。

 そこで、小坂大臣に伺いたいんですが、このように生徒が思想統制というふうに受けとめるような事態は教育上好ましいことだと思われるか、好ましいことではないというふうに思われるか、大臣の認識を伺いたいと思いますが、いかがでしょうか。

小坂国務大臣 国旗・国歌に関する法律の審議の際に、官房長官が見解を述べられております。それに基づいて、現場でどのような指導が行われているかということに関していろいろ御意見がありましたけれども、私はいまだに、官房長官の見解は国民の一般生活について述べたものであって、政府のこの立場には変わりはないものと認識しておりますし、また、現場において内心に立ち入った指導を行うというようなことは、これは適切ではない、このように思っております。

 したがって、そういう個別の事例に照らして、もし内心の指導を行っているというような状況があるようであれば、これは是正をしなければならない、このように思うわけであります。

笠井委員 今答弁がありましたけれども、そうすると、さらに確認したいんですが、教員が注意の措置を受けることで生徒が先生のためにやむを得ず起立斉唱をせざるを得ないということを、生徒自身が思想統制というふうにまで受けとめていることを、大臣としてはそのことをどういうふうに思われますでしょうか。ちょっと確認したいんですが。

小坂国務大臣 ただいま例に引かれました東京都の場合でございますけれども、学習指導要領では、入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえて国旗を掲揚するとともに国歌を斉唱するよう指導するものとするとしているわけでございまして、入学式、卒業式における国旗掲揚、国歌斉唱の具体的な方法は明示していないわけでございます。どのように国旗を掲揚し国歌を斉唱するかについては、一般的な社会通念に従った方法で、各教育委員会や各学校の校長において適切に判断されるものと考えているわけであります。

 この指導に当たって、校長が、職員の指導のあり方について、それを見た生徒がどのように感じるかということを御指摘でございますけれども、それがこの指導要領というものに基づいて適切な方法で行われているとすれば、それは是認すべきものと思うわけでございまして、それを生徒に正しく理解していただくように、それは決して先生を人質にとったり、何かそういうような形で指導しているわけではなくて、適切に、学習指導要領に従った、教育的な立場から環境を整えるために指導している、そういう学校長及び教育委員会の指導の範囲であるというふうに私は思うわけでございます。

笠井委員 指導の範囲とかそっちのことを聞いているんじゃないんです。高校生自身がそういうふうに受けとめているという問題を私は聞いているんですね。

 それで、国旗・国歌法審議のときに当時の有馬文部大臣も答弁しましたが、高等学校といいますと、やはり自我が発達してくる、そして社会性が発達してくる、みずから判断する力、能力というのを十分持っているということ、そういう世代であるということは共通して言えると思うんです。

 今私が申し上げたのは、たまたまその生徒がそういうふうに、人質にとられた、思想統制だと思っているという一つの例じゃないんです。

 これは、実際に昨年の卒業式、春のときに当たって、朝日新聞が二〇〇五年三月二十八日に掲載しましたある都立高校の卒業生の実名入りの談話であります。ここではこう言っております。「「圧力」は生徒にも及ぶことになった。生徒が「国歌斉唱」の起立を拒めば、担任教諭が厳重注意などを受けるおそれがある。私たち生徒は戸惑った。もし私たちが「国歌斉唱」の時に座れば、担任の先生に迷惑がかかると思ったからだ。」「卒業の日、私は悔しかった。都教委の不合理な処分や規定、そして、それらに対して無力であった自分に腹が立った。」というふうに述べているんです。

 だから、一人の例とかなんとかという話じゃないんです。高校生自身が、結局、結果として多くの生徒が座っていた、不起立であったということによって先生が注意を受けるということ、そのことを見て、そして、生徒が、それは本当に悩ましいことで、本当に悔しいことだけれども、立たざるを得なかった、思想統制に思ったというふうに感じているという問題です。生徒がこう受けとめるような事態が教育にあっていいのか。

 こういう事態について大臣はどういう認識を持っていらっしゃるかということなんですよ。

小坂国務大臣 学習指導要領のことは先ほど申し上げましたけれども、それに従って、現場の教員または教職員が、指導といいますか……(笠井委員「結果、立たないということについて、それ自体が問題だと」と呼ぶ)いや、教育的な、教育指導を行う場合に、適切な方法でやっていることは決して強制ではないわけですから。

 むしろ、おれは本当は嫌なんだということをその先生がどういう形でその生徒に伝えたかというのが逆に私は問題なような気がするんですね。

 要するに、指導して、担任なら担任、その先生が、自分たちが立たなければ後で何かをされるんだろうというようなことを考えるということは、すなわち、その先生が自分の内心では嫌だということを生徒に伝えているとか、そういったようなことが事前にあって、そして、先生は立ちたくないんだ、あるいは、君たちを立たせたくないんだというようなことがあって、初めて生徒はそういうことを推測するわけですから。

 したがって、そうでなければ、先生が、みんな、国旗を掲揚したときにはそれに敬意を表しましょう、あるいは、歌うときにはみんなで一緒に歌おうね、その方が楽しいよね、国歌だからねというようなことを言っていれば、それは普通に、自然に受け入れられるはずであるわけでございます。

 それが、そういった、先生がいじめに遭っているような印象を受けるというのは、ふだんのその先生がどのような接し方を生徒としているか、また、自分の国旗あるいは国歌に対する考え方をどのように伝えているかということがまた反映してきているのではないかと思うわけでございます。

 私としては、その教職員の内心の自由を侵すようなことに校長は立ち入っていないと思うわけでありまして、適切な学習指導要領の実施を職務上の権限において命令をし、そして、それに従っている先生の行う行動は決して内心に立ち入ったものとは考えておりませんし、また、それによる生徒の反応がそういうものであるということは本来あってはならないもの、そういうような形式で行われることは、私どもとしては想定をしていないところでございます。

    〔河村(建)委員長代理退席、委員長着席〕

笠井委員 教員がきっとそうであろうと推測してなんという話をしたらとんでもないですよ、大臣。今、この処分の理由、さっき言いましたけれども、促す指導をしたとかというのは一切ないんですよ。結果として斉唱時にほとんどの生徒が立たなかったということをもって、それだけで注意を受けているわけですよ。そういう問題なんです。今、教育の現場でこういう事態が起こっている。私は、これが生徒の内心にまで立ち入った強制でなくて何なのかと。

 国旗・国歌法の審議のときに政府はこう言いました。「指導の結果、最終的に児童生徒が、例えば卒業式にどういう行動をとるかあるいは国旗・国歌の意義をどのように受けとめるか、そういうところまで強制されるものではない」と言いました。さらに言いました、児童生徒に心理的な強制力が働くような方法でその後の指導等が行われるようなことがあってはならないと。そういうふうに言ってきたのに、そういうことが起こっているというわけなんですよ。

 私は、高校生を自主的な判断力を持った独立した人格として大臣は認めていらっしゃらないんじゃないかと。教師をいわば人質にとった形で生徒の起立斉唱を強制する、これは私は、立てと命令するよりもさらに卑劣なやり方だと思うんです。それすら心の痛みに感じられないということに私は強い憤りを禁じ得ません。

 さらに、いま一つの論点について伺いたいと思います。

 これは、もう一枚の東京都の教育委員会からある高校の教員あての注意であります。教諭はホームルームで生徒に対して、卒業式における国歌斉唱時に内心の自由があるので起立して歌わなくてもよいという趣旨の発言をした、今後このようなことがないように厳重に注意するというものであります。

 これは、立つななどと不起立を促した発言が問題にされたわけじゃないんです。教師自身が言っておりますが、内心の自由という問題、立つも立たないもあなたたちの判断だと述べた事実が厳重注意の対象にされている。小坂大臣、これは問題だと思いませんか。

小坂国務大臣 国旗・国歌というものをどういうふうに教えるのか、そこの現場の指導もそこの反応には影響が出てくるんだと思います。

 私は、教職として現場には立ったことはありませんが、立たせていただければ、私も現場に行っていろいろ皆さんにお話をしたい。やはりみんな、例えば、ワールドカップで選手たちがみんな歌っているよね、自分も一緒に歌いたいと思ったときに、歌詞も覚えていない、それではやはり困るだろう、一緒に歌えるときに歌えるように歌詞だけは覚えておこうねというような言い方をするとか、そういう指導というのはあると思うんですね。

 それを、一番最初に、まずこれから国旗・国歌について話すけれども、君たちには内心の自由があるから歌っても歌わなくてもいいんだよ、それを言ってから歌詞を教えるとか何かをしても、なかなか覚えるような下地はできてこないと思いますから、そういう前提を設けないで、まずは、日本の国には国旗があり国歌があるということを客観的に教え、そして、歌うか歌わないかは、最終的に、それは確かに、生徒がその場に応じた状況で判断をする場合もあるかもしれません。しかし、それをまず教師という指導的立場にある人が、君たちは内心の自由があるから歌を歌わなくても、歌わなくてもいいんだよなんという言い方は、やはりこれは逆の指導をしているというふうにとられてもやむを得ない場合があるのではないでしょうか。

 本来、学習指導要領に従った方法で適切にこういったものは指導していただければ、素直な気持ちで受け入れていただけるんではないかと思うのでございます。

笠井委員 大臣は、現場の指導について最初から疑ってかかっていらっしゃる。一番最初に内心の自由があるから歌ってもいい、歌わなくてもいいと言って、こういうふうに言ってこの処分が、この注意があったというふうに、御存じなんですか。最初から疑ってかかっていますね。学習指導要領にある、そして国旗・国歌は起立斉唱するものとするということであると。では、この現場でやっていらっしゃる先生はみんな、とにかくそのことに一切触れずに内心の自由の問題だけ言っている、そして注意を受けているというふうに思っていらっしゃるんですか。具体的に、そうだというふうに確信をお持ちなんでしょうか。

小坂国務大臣 それはいろいろな事例もあると思いますけれども、今、委員が御指摘になったような場合を私なりに想像すると、そういう感覚を持ったということを申し上げました。それが事実と違うのであれば、その事実をしっかり私もまた認識させていただきますけれども、それぞれの場において、学習指導要領をもとに、関係法令やその職務命令に従って教育指導を行っていただくということを私どもは期待いたしているわけでございます。校長が、学習指導要領に基づいて、法令の定めるところに従って所属の教職員に対して本来行うべき職務を命じることは当該職員の内心の自由を侵すことにはならないわけでありますし、また、そのことについて指導すること自体を教員がいじめられていると生徒が感じるとすれば、それに対する教員の態度というものがそのようにとられるような態度をとっているのではないかということも、これは思わざるを得ないわけでございます。

 そういった現場における指導というものを具体的な事例として一件一件見なきゃわからない話でございますが、ただいま委員が御指摘になったものを聞いたところで、私はそのような感想を持ったわけでございます。

笠井委員 こんなに大事な問題を想像とか感覚で言ってもらいたくないですね。教員の態度を最初から疑ってかかっていらっしゃる。私は、そういう形では、文部科学大臣としては本当に責任を果たせないと思います。

 安倍官房長官に伺いたいと思いますが、確認いたしたいと思います。

 国旗・国歌法の審議のときに、当時の野中官房長官、私も当時国会におりまして、鮮明に覚えておりますが、一九九九年の七月二十一日、衆議院の内閣委員会と文教委員会の連合審査で、「人それぞれの考え方がある」「人によって、式典等においてこれを、起立する自由もあれば、また起立しない自由もあろうと思うわけでございますし、また、斉唱する自由もあれば斉唱しない自由もあろうかと思うわけでございまして、この法制化はそれを画一的にしようというわけではございません。」というふうに答弁されていましたが、間違いありませんね。

安倍国務大臣 国旗・国歌については、長年の慣行として国民の間に定着していたものを、二十一世紀を迎えることを一つの契機として、国旗及び国家に関する法律においてその根拠を明確に規定したところであります。

 同法の成立に当たって出された内閣総理大臣談話にもあるとおり、この法律は、国旗・国歌に関し、国民に新たに義務を課すものではございません。国旗・国歌を国民がどのように受けとめるのかは最終的に個々人の内心にかかわる事柄でありますが、この法律によって、国民一人一人が自国の国旗・国歌について正しい知識を持ち、理解を深めるとともに、大切に取り扱うよう努めることに意義がある、このように考えております。

笠井委員 今の質問に答えていないです。官房長官がそういうふうに言ったかどうか、確認してください。

安倍国務大臣 当時の官房長官が述べられた談話についての理解については変わりがないということであります。

笠井委員 では、法律をつくったときに政府が国会答弁したことを教師がそのまま、人それぞれの考え方があるわけで、それぞれ、人によって、式典等において、起立する自由もあれば、また起立しない自由もある、斉唱する自由もあれば斉唱しない自由もあると生徒に対して伝えたら、これはいけないんですか、官房長官。

安倍国務大臣 ただいま、最初の答弁でも申し上げましたように、国旗・国歌法は、まさに民主的な手続にのっとって、君が代と日の丸は国旗・国歌であるということが定められたわけであります。そして、国旗・国歌に対して、一般常識として、世の中において、どういう態度、どういう敬意を表するかということを、当然、生徒たちに教えるということはあり得るでしょうし、そもそも、そこで歌わなければ歌詞は覚えられないわけでございますから、それは当然のことではないだろうか、このように思うわけでありまして、先ほど小坂大臣が答弁されたとおりではないか、私はこのように思います。

笠井委員 国会答弁のとおりに伝えたらいけないのかどうか、そのことを端的にお答えください。

安倍国務大臣 先生がどのように教えるかでありますが、先ほど申し上げましたように、国旗・国歌について、それぞれの国々はどのように相対しているか、どのように敬意を払っているかということを教えることは極めて重要であり、その機会が、例えば、これは始業式であったり卒業式であったりするのではないだろうか、このように思うわけでありまして、まずそのことを教えずに、最初に、立っても立たなくてもいいということを教えるということは、むしろ誤解を与えるということもあり得るのではないか、このように思います。

笠井委員 国会答弁で言ったこと自身を言っちゃいけないということになったら大変ですよ。国会での答弁が踏みにじられている、我々の国会審議は何だったのかということになります。法律をつくったときの国会答弁を学校で教師が伝えたら、それが厳重注意を受ける、およそ法治国家と言えないと思います。

 私は、今このまま教育基本法が改定されれば、内心の自由に立ち入るものになって、東京都でやられているようなことが全国に広がることが懸念されます。廃案しかないということを申し上げて、質問を終わります。

森山委員長 次に、保坂展人君。

保坂(展)委員 社民党の保坂展人です。

 実は、官房長官に質問があったんですが、ちょっと予定の方があるということで、小坂大臣に、先ほどの保利委員とのやりとりの中で、再チャレンジについてのお話がありました。触れ合いトークの中で、元暴走族だった少年が、少年院で厳しい教官に会って、現在はフリースクールにかかわっている、こういった紹介がなされました。

 何らかの理由で学校に行かなかったり、あるいは行けなかったり、あるいは中退をした子供たちが、フリースクールで、いろいろな、子供同士出会い、あるいは大人と出会い、そして、自分を取り戻したり、あるいは生きる道や方向を見出していくというようなことが現実にあると思いますけれども、それも再チャレンジかと思います。

 そこで、小坂大臣に、そんな役割を果たしてきたフリースクールや子供の居場所についてどうお感じになっているか、そこだけまず伺います。

小坂国務大臣 やはり人間は、どんどん環境とともに変化もしますし、考え方も変わっていくところがあります。したがって、いい指導者に会ったり、また、自分にいい影響を与える環境にあるときに、人は変わっていきますから、一たん何かがあったことをすべて前提として、その後の指導がそれにすべて拘束されるというのはやはりおかしいと思いますので、放課後の指導や何かにおいて適切な指導を受けて、そして、その人が、今度はいい方向に育っていくというのは大変いいことですから、そういう機会をたくさんつくってあげる、いろいろな人にそういう指導を受けられるような環境をつくってあげるということは、今日的に必要なことではないでしょうか。

保坂(展)委員 日本の教育システムは、よく単線型と言われて、例えば、受験のときに病気になってしまうということで受験ができなくて、その後かなり悩みを抱えて大人になっていく人たちも、かつてたくさんいたわけです。今もいるわけですけれども。そういう中で、いろいろな理由で一時期学校に行けない時期があっても、またその選び直しができるというようなことは、私は大変貴重だと思っているんですが、今回の法案で提案されている趣旨と照らして、それは変わりないのかどうかということを確認しておきたいと思います。

小坂国務大臣 今回の法案で、特段に、再チャレンジのあり方とかそういったものを規定して法律に書いてあるわけではありませんけれども、従来から、そういったことは取り組むべきこととして私どもも指導しておりますし、その考え方は変わりございません。

 むしろ私としては、複線型の教育のあり方というのは、私自身もふだんからそのように述べておりますし、経済的な事由によって塾に行けないお子さんたちに対してその機会を与えるようなそういう場を設けたいということで、少子化担当大臣また厚労大臣に御相談をしまして、厚労省の予算も教育委員会に渡していただいて、私どもの予算と一緒に使えるようにして、子供の居場所というものを拡大し、学童保育と子供の居場所の一体化を図っていく。これで全国的な展開ができるようなそういう施策も今進めております。

 そういった意味で、複線型の教育のあり方というものには私も同意をしたいと思っております。

保坂(展)委員 それでは、法案の中の概念について、幾つか続けて小坂大臣にお聞きをしていきたいと思うんです。

 現行法では、教育の目的と方針だったところが、今回、目的と目標というふうに変わっているわけですね。方針と目標。目標は目的を達成していくところの目当てなのかな、方針というと、道筋というか、その向かっていくべき道というか、そういう意味があろうかと思いますが、どうしてこのように変更されたのか、お願いします。

小坂国務大臣 現行法は、第一条におきまして、人格の完成と、それから、国家及び社会の形成者として心身ともに健康な国民の育成といった内容を教育の根本的な目的を掲げるという形で示しておるわけでございまして、「真理と正義を愛し、」など備えるべき具体的な事柄を規定いたしております。そして、この教育の目的を達成するための筋道や心構えを、教育の方針として第二条に示しているのが現行法の体系でございます。

 今回の法案につきましては、第一条を教育の根本的な目的に限定することといたしまして、この教育の目的を実現するために、より具体化した事柄を教育の目標として整理をして、第二条に掲げることにいたしました。すなわち、現行法第一条に規定されている真理、正義、個人の価値、勤労、責任、自主的精神といった具体的な事柄については、第二条の各号に整理をしたわけであります。

 また、現行法の第二条に教育の方針として規定されていた事柄についても整理することといたしまして、まず、前段の「教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。」とする規定は、第三条の生涯学習の理念として規定をいたしました。

 そして、学問の自由の尊重につきましては、第二条の柱書きに入れましたし、「実際生活に即し、」という文言は、「生活との関連を重視し、」と改めた上で第二条の第二号に移しました。また、それぞれ教育の方針と心構えとして規定をしているところでございます。

 さらに、「自他の敬愛と協力」という文言につきましては、第二条の第三号に教育の目的として規定をいたしております。

 また最後に、「文化の創造」という言葉につきましては前文においてこれを規定しているところでございまして、それぞれ現行法の規定を整理して、一条及び二条に掲げることとしたところでございます。

保坂(展)委員 大変丁寧な答弁をいただいたわけですけれども、私は、そこまで、どの語句がどこに行ったということではなくて、目標と方針という概念についてお聞きしたわけで、以下もそのような大くくりの質問ですから、そのようにお答えいただきたいと思います。

 第二条の教育の目標の全体の条文との位置関係なんですが、この教育の目標は、この二条以下、三条から最後までのこれをすべて包括していくものなのか、あるいは学校教育など、義務教育とかこういったところを中心に目標として置いているのか、ここはどうでしょうか。

小坂国務大臣 第二条の教育の目標は、このような学校教育、そういう大くくりで整理しますと、第二章の各条の規定において明らかにしておりますように、教育の目標の達成に中心的な役割を果たします学校教育については、教育の目標が達成されるよう教育を行うべき旨を特に六条の第二項に規定しているのに対しまして、家庭教育や社会教育については、教育を行う者に具体的な教育内容がゆだねられているとしている。このように、整理の仕方が若干違いますので……。ちょっと待ってくださいね。条文をちょっと見ながらやります。

 この第二条の教育の目標に掲げている以下の項目が三条以下の条文をすべて包括するものなのかという意味ですね。そういう考え方でいえば、それを含めたものでございます。

保坂(展)委員 今、答弁を伺っていて、大臣、よろしいでしょうか、社会教育とか家庭教育については、それはそれぞれが目的をみずからつくり出して行われていくものだというふうにおっしゃったような気がするんですが、そうするとちょっと矛盾をしてくるかなと思いますが、いかがですか。

 つまり、教育の目標として掲げているところはこの条文の中で幾らか限定されているんじゃないだろうか、すべてではないんじゃないかというふうに私はちょっと受け取ったんですが、先ほどの答弁で。いかがですか。

小坂国務大臣 もしかすると、ちょっと私が把握の仕方を的確にしていないのかもしれませんが、この三条以下の条文すべてを包括するものなのかということですが、それは、それぞれの項目によって、学校教育とか家庭教育、それによって若干の濃淡の差はありますけれども、これを一律に取り扱うという形で定める趣旨ではありません。

保坂(展)委員 というと、私がちょっと聞きたいのは、例えば家庭教育において、この教育の目標というところの五項目、徳目的なところ、これがすべてかかってくるのかどうかが知りたいんですね。それは家庭それぞれがやることであってということなのか、そこが、だから三条以下全部包括をするのかどうかというところの質問なんですね。

小坂国務大臣 わかりました。

 それにつきましては、家庭教育や社会教育については、教育を行う者に具体的な教育内容がゆだねられているという形をとっているわけであります。

保坂(展)委員 わかりました。

 すべてが含まれるというので、これはちょっと大変なことだなというふうに思いましたけれども、それは、社会教育や家庭教育においてはそれぞれにゆだねられるというお話でした。

 第三条の方にいきたいんですけれども、第三条は、新設された、生涯学習の理念というふうになっております。これを読んでみると、「自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない。」こうあります。

 ただ、この「国民一人一人が、」という書き出しなんですね、一番最初のところを見ると。そうすると、この三条というのは、だれがだれに対してつまり課している条文なのか。これは国民に対して言っているのか、あるいは教育行政に対して言っているのか、その辺をちょっと明確にしていただきたいと思います。

小坂国務大臣 この第三条の「国民一人一人が、」云々の項目でありますけれども、これはまず、科学技術の進歩や社会構造の変化によりまして、人々は絶えず新しい知識や技術の習得を求められているわけでありまして、生涯にわたって学習に取り組むことは不可欠である、こういう認識のもとに、また同時に、高齢化の進展や自由時間の増大ということを以前から申し上げておりますが、このような社会的な環境の変化に伴って、人生をより豊かなものにしたい、こういった観点から、生涯学習というものが非常に重要なものだという認識になっているわけでございます。

 このような変化を踏まえて、ここに規定をいたしましたのは、これはだれかに具体的な義務を課すというようなものではなくて、国や地方公共団体を初め社会全体でこういった理念を持って行うということでありまして、だれかに具体的な義務を課して、これをやれ、こういった趣旨ではないということでございます。

保坂(展)委員 そうすると、言葉というのは大変難しいんですが、豊かな人生とは何か、人格を磨くとは何かというと、それはいろいろな価値観があろうかと思いますし、また、一定の時期、のんびりしたいとか、今は自分の生き方をしたいというのは、憲法上それぞれ保障されているその人それ自身の選択だと思います。

 他方、国や教育行政が、国民が自己の、いわば際限なく生涯学んでいきたいという機会を得たいというときには、それはチャンスとして、機会としてあってほしいということだと思いますが、それでよろしいんでしょうか。

小坂国務大臣 例えば、自分たちが、時間ができた、しかし、今まで自分は仕事一筋にやってきた、もっと別の趣味を生かしてみたい、あるいは新たなチャレンジをしてみる、新たな職業についてみたい、そういったときに、そういうものをみずから学ぶような場が得られるような環境をつくる、そういう趣旨でございますから、社会や、いろいろな周辺の地方行政組織とかあるいは国の機関とかがそういったものを支援する体制をつくっていくということで、そういう趣旨でとらえていただいて結構でございます。

保坂(展)委員 では、小坂大臣、ちょっと簡潔にお願いしたいんですが、十三条の中に、「学校、家庭及び地域住民その他の関係者」。「その他の関係者」というのはだれを指すのか、具体的なイメージを列挙していただきたいと思います。

馳副大臣 当該地域に居住する人々のほかに、当該地域にある企業やNPO、関係行政機関、これは児童相談所や警察などになりますが、その当該地域における関係するあらゆるものを指すものであるというふうにとらえていただいて結構です。

保坂(展)委員 猪口大臣にお聞きしたいと思います。

 国際社会での御活動を長くされてきたと思うんですけれども、この審議入りのときから、私は、子どもの権利条約や国連子どもの権利委員会の勧告と、この政府提案の基本法との関係、これを何度か麻生外務大臣にもおいでいただいて聞きました。

 これはその精神においては合致しているということなんですが、六十年ぶりの政府提案の改正であれば、子どもの権利条約に、先ほど小宮山委員からもお話がありましたけれども、子供最善の利益であるとかあるいは意見表明権であるとか、子供自身が権利の主体として位置づけられている、こういった考え方が条文的にはないんですね。ここについてどう考えられるのか、答弁されたいと思います。

猪口国務大臣 児童権利条約の考え方は、我が国におきまして、まず日本国憲法、教育を受ける権利、あるいは現行の国内法制によって保障されていると考えております。

 そして、政府教育基本法案におきまして、個別に議論することも可能ですけれども、実際にさまざまなところを取り入れていると考えることができると思います。教育の機会均等の規定がございます。個人の尊厳の規定がございます。その他、家庭教育あるいは生涯学習の理念なども、今回、改めて規定したところでございます。

 また、この条約に基づきます最終報告というものもございます。そこに述べられている意見も、今回の基本法案につきましてはさまざまなところに織り込んでいると考えることができます。例えば、教師が研修を受けなければならないというようなところは九条にも入っていますし、個人の尊厳、前文におきまして規定しております。多くの指摘はそのような文言の中で十分に読み取ることができると解釈しております。

保坂(展)委員 見解は少し違うんですが、また議論させていただきたいと思います。

 小坂大臣、最後にお聞きしたいんですが、現行の教育基本法も英訳があります。ちょっと文部科学省に、今回の政府提案についての英訳が欲しいということで要望したんですが、まだできていないということなんです。日本国内初め、海外から、特にアジアを中心に、今、日本がどういう教育を目指そうとしているのかということを提案している立場ですから、この英訳というのはなるべく早く、我々、あるいは国会だけではなくて、公開をしていただく、そのことを約束していただけるでしょうか。

小坂国務大臣 御指摘は大変ごもっともだと思いますので、国際社会の中で日本がどういう教育改革をしようとしているのか、その基本になる理念はやはり教育基本法ですから、この法案が皆さんによって成立をさせていただきましたら直ちに作成作業に入って、速やかに英文の訳というものをつくっていきたい、こう思います。

保坂(展)委員 この審議中に出していただきたいという要望を述べて、終わります。

森山委員長 次に、糸川正晃君。

糸川委員 国民新党の糸川正晃でございます。前回に引き続きまして、本日も法案の条文について質問をさせていただきたいというふうに思います。

 先日、政治教育につきましては、最後に猪口大臣から、国民が国家及び社会を形成していく、そして諸問題の解決に積極的に関与していく、そのための能力、意義を深める教育が必要である、このようなことですとか、民主主義、憲法、地方自治についての知識を身につけることや、そして、それらが社会で達成されていく中でどのような苦労やとうとさがあったかということを教育で教えていくことがこの十四条の趣旨に込められている、このような説明をいただいたわけでございます。

 そこで、文部科学大臣にお尋ねをさせていただきますが、改めて、現行法に引き続いて政治教育を規定する第十四条の趣旨、これをお尋ねさせてください。

小坂国務大臣 民主主義社会にあっては、国民は、国家や社会の形成者として諸課題の解決に積極的にかかわっていくことが必要であります。

 このために、民主政治、憲法、地方自治等に関する知識を身につけて、まずその意義を理解することが必要であることから、第一項においては、教育において政治的教養を身につけるためにこれを涵養することが規定されているわけでありまして、また、公の性質を持つ学校における教育の政治的中立を確保するために、第二項においては、学校における、特定の政党を支持する、あるいは反対する党派的な政治教育を禁止する旨を規定したところでございます。

糸川委員 次に、現行法も同じなんですけれども、改正案は、国民ではなくて良識ある公民、このようにされておるわけでございます。しかし、この公民という語、この言葉自体が余り聞きなれない用語のように思うわけでございます。そして、公民として必要な政治的教養が尊重されるものというふうにされております。

 そこで、この良識ある公民と政治的教養の意味は何なのかをお聞かせいただけますでしょうか。

田中政府参考人 良識ある公民と政治的教養の意味についてのお尋ねでございますけれども、政治的教養につきましては、民主政治あるいは地方自治など、現代の民主主義の各種制度あるいは法令や社会規範等についての知識、それから実際の政治についての理解力、批判力といったものを指すものでございます。

 そして、このように、政治的観点から、公の立場に参画するために十分な知識を持って、健全な批判力を備えた国民という意味で良識ある公民と規定しておるところでございまして、言いかえれば、主権者たる国民という意味で使わせていただいております。

糸川委員 できれば、国民がわかりやすい言葉で明示される方がよろしいんではないかなというふうに思うわけでございます。

 次に、第十五条の宗教教育についてお尋ねをさせていただきたいと思うんですが、宗教教育に対する考え方につきましては、既に以前の質疑におきまして、大臣からも、客観的かつ積極的に指導を行っていくことが重要、このように御説明をいただいております。私も、学校で行われる宗教教育というものは客観的に行う必要があるというふうに思います。恐らく、そのあたりも配慮されて今回のこの改正案になっているのではないかなというふうに思うわけでございます。

 ここは大事なところでございますので、改めて、今回、宗教に関する一般的な教養、これについて規定した趣旨をお聞かせいただけますでしょうか。

田中政府参考人 宗教に関する一般的な教養を規定した趣旨でございますけれども、これは中教審で答申されておるところでございますが、宗教は、人間としてどうあるべきか、与えられた命をどう生きるかなど、個人の生き方にかかわるものでありまして、社会生活において重要な役割を持つものである。このような宗教の役割を客観的に学ぶことが大変重要でありまして、特に国際関係が緊密化、複雑化する中にありまして、他の国の文化、民族について学ぶ上で、その背後にある宗教に関する知識や理解を深めることが必要である、こういったことから、本法案では、主要宗教の歴史や特色、世界における宗教の分布など、客観的な知識である宗教に関する一般的な教養を教育上尊重することを新たに規定しているところでございます。

糸川委員 しかし、一方で、これまでの学校現場では、例えば宗派教育の禁止、この規定を拡大解釈して、ややもすると宗教に関する教育、これにいわば腰が引けていたのではないかな、こういうふうにも言われているわけでございます。

 私は、これからの国際社会で活躍できる日本人というのは、外国人に文化を伝えられる、そういう日本人である必要があるのではないかなというふうに思うわけでございます。今回、宗教に関する一般的な教養、これを加えることで、今後は学校現場で適切な形での宗教教育の充実が図られていってほしい、このように思うわけでございます。

 そこで、小坂大臣にお尋ねさせていただきますが、今回のこの改正を踏まえて、学校現場において、具体的にどのような宗教教育の充実を図っていくのか、お聞かせいただけますでしょうか。

小坂国務大臣 まず、現行の学習指導要領における宗教に関する記述としては、小学校の社会で、大仏造営の様子だとかキリスト教の伝来について述べる、あるいは中学校の社会で、歴史的な意味における仏教の影響等について述べる、あるいは高等学校の公民の倫理等の時間において、人生における宗教の持つ意義とか日本人に見られる宗教観などについて述べておるわけでございます。

 また、歴史における宗教の役割、あるいは世界の宗教の分布など、宗教に関する知識や宗教が社会生活において果たしてきた役割などについては、今後とも引き続き指導をしていくわけでありますけれども、今後は、今回の改正趣旨を踏まえて、学習指導要領そのものの見直しも必要と考えております。

 その際、その中においては、例えば中学校の社会科などにおいて、世界の各地域における宗教の特色や宗教の社会生活における役割についての記述をさらに盛り込むなど、指導を充実する観点から今後検討してまいりたい。一般的教養としての宗教に対する正しい知識を持ってもらうこと、それによってまた自分の周辺に対する宗教というものに興味を持ってもらって、それをみずから学んでいただく、そういう宗教に対するかかわりが必要か、このように考えております。

糸川委員 宗教に関しましては、次回以降、また細かく質問させていただきたいと思います。

 本日は、次に進ませていただいて、第十六条についてお尋ねをさせていただきたいと思います。

 私は、以前の質疑でも申し上げましたとおり、教育は国がきちんと責任を持ってやっていかなければならない、だからこそ、この教育行政に関する規定というものは非常に重要なものだ、このように考えておるわけでございます。

 まずは、不当な支配に服することなく、この規定についてでございますが、この文言をめぐっては、これまでもさまざまな議論があって、あたかもこの教育行政のみが不当な支配の主体であるかのような印象を与えるため削除した方がよいとか、一部の者によってこの規定が曲解されてきた、こういう経緯などを踏まえると削除すべきだ、このような指摘があるのではないかなというふうに思います。しかし一方で、教育の不偏不党性というんでしょうか中立性というものは今後も重要な理念であって、削除すべきではない、こういう意見もあるわけでございます。

 これらの両論の意見がある中で、今回の法案では、現行法に引き続いて、あえて「教育は、不当な支配に服することなく、」こういうことを規定されているわけでございますが、なぜこの文言を削除しなかったのか、その理由について、大臣、お答えいただけますでしょうか。

小坂国務大臣 今委員がお述べになったようないろいろな議論がなされてまいりました。特に、一部の教育関係者等によりまして、現行法の第十条の規定をもって教育行政は教育内容や方法にかかわることができない旨の主張が展開されてきました。しかし、このことにつきましては、昭和五十一年の最高裁判決におきまして、法律の命ずるところをそのまま執行する教育行政機関の行為は不当な支配とはなり得ないこと、また、国は、必要かつ相当と認められる範囲において、教育内容についてもこれを決定する権能を有することが明らかにされました。

 そういった意味で、今回の改正に当たりまして、「教育は、不当な支配に服することなく、」と引き続きこれを規定するとともに、「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。」として、法律の定めにより行われる教育委員会等の命令や指導などが不当な支配ではないということが明確になるということで、この規定を入れることにいたしたところでございます。

糸川委員 先般、私が教育における国の責任について質問した際には、文部科学大臣からは、実際の教育については、分権改革、これを進めながら、国は教育の機会均等ですとか全国的な教育水準の維持向上をしっかり確保する責任を果たす、このような説明をされたわけでございます。

 私も、今回の教育基本法案については、明確にされたこの理念、これを学校現場において適切に反映させていくためにも、教育、特に義務教育については、機会均等、これをしっかりと確保しながら全国的な教育水準の維持向上を図っていく、こういうことが大切であるというふうに思っておりますし、格差社会などといったことが言われる中で、これからはますますこのような国の役割がきちんと果たされなければならないと思うわけでございます。

 そこで、義務教育についてお尋ねをさせていただきたいんですが、義務教育における機会均等の確保及び全国的な教育水準の向上、これを図るために、国としては具体的にどのような取り組みを行っていくのか、お聞かせいただけますでしょうか。

銭谷政府参考人 義務教育の機会均等やその水準の向上のために国が取り進めております措置でございますけれども、第一に、学習指導要領によりまして全国的な教育内容の基準を設定しております。第二に、義務標準法や人材確保法、教員免許制度や法定研修などによりまして、優秀な教員を必要数確保するための制度の確立を図っております。第三に、義務教育費国庫負担法等によりまして、必要な財源を保障するという措置を講じております。第四に、授業料無償、教科書の無償給与、就学援助制度等によりまして、すべての子供に就学の機会を確保するための取り組みを行っているところでございます。

 なお、今後、あわせまして、全国的な学力調査の実施や学校評価システムの構築などによりまして、質の保証ということにも取り組んでまいりたいと思っております。

糸川委員 ということは、やはり教育における国の責任、これはしっかりと果たされなければならないというふうに思うわけでございます。

 次に、第十七条、教育振興基本計画についてお尋ねをさせていただきます。

 今回のこの法案に掲げられた教育に関する理念や基本原則、これは非常に価値があるのではないかなというふうに思うわけでございます。私は、これらの理念や基本原則、これをより実効性があって国民に期待されるものにしていく観点からも、今回の法案に政府として新たに教育振興基本計画を策定することが規定されたことは歓迎すべきことであるというふうに考えておるわけでございます。

 そこで、文部科学大臣にお尋ねをさせていただきますが、まず、教育振興基本計画の条文を新設した趣旨についてお尋ねをさせてください。

小坂国務大臣 教育改革を実効あるものにするためには、我が国の教育の目指すべき姿を国民の皆さんに明確に示して、その実現のためにどのような形で教育を振興し、改革していくか、その道筋を明らかにすることが重要だと考えたわけでございまして、このために、今回の改正により明確にされた新しい教育の目的や理念をさらに具体化する施策を総合的、体系的に位置づけて実施することが必要だ、このようにして、そこで、本法案において教育振興基本計画の根拠としての第十七条を設けることとしたものでありまして、教育基本法が改正をされ、そして基本計画の根拠規定が設けられた後に、本条に基づきまして直ちに教育振興基本計画の策定に取り組んでまいりたいと考えております。

 なお、教育改革を推進するためには、国と地方公共団体がそれぞれの役割を果たすとともに、連携協力することが重要であることから、第二項におきまして、地方公共団体に対しても計画を策定するよう努める規定を設けたところでございます。

糸川委員 ものづくりもまちづくりも、その担い手というのは人であって、その意味で、人づくりの源である教育は我が国の最重要課題である、行政もですけれども、こういうふうに思うわけでございます。

 近年、科学技術ですとか環境、こういう政府として重要な政策課題については、基本法に基づく基本計画が策定される状況であります。私は、政府として教育を重視する、そういう明確なメッセージを示すためにも、今回の本法案というものの成立後、成立するのであれば、直ちに教育振興基本計画の策定に取りかかるべきであるというふうに考えるわけでございます。

 また、今回の法案は、今日の社会情勢にかんがみて特に重要と考える理念ですとか基本原則を明確化したというところから、新たに今回策定される基本計画も、しっかりと、的確で充実した施策を盛り込む必要があるだろうというふうに思うわけでございます。

 本来でしたら、策定スケジュールなんかも聞きたいんですけれども、もうほとんど時間がございませんので、今後の日程の関係も恐らくあるでしょう、今回で一たん休むのかどうかわかりませんけれども。

 今回、第九十二回の帝国議会の高橋誠一郎文部大臣の法案立案の理由について述べられている文がありましたので、ちょっとそれを最後読ませていただきたいと思うんです。

 今日の場合、殊に先程一言致しましたやうに、教育勅語の捧読が廃されて居りまする際、一部に於きましては、又国民の可なり大きな部分に於きましては、思想昏迷を来して居りまして、適従する所を知らぬと云ふやうな、状態にあります際に於きまして、法律の形を以て教育の本来の目的其の他を規定致しますることは、極めて必要なことではないかと考へたのであります、思想が安定致し、殊に一代の大思想家、大教育家と称せられるべき者が現はれまして、何人も之に従ふやうな大指針が、方針が定められて居りますならば格別でございますが、なかなか斯くの如き者が現はれないと致しまするならば、暫く法律の影を以て教育の目的、其の外を規定致すことが必要ではないかと斯様に考へまして、本案を立案した次第でございます、

私は、今日の時代、まさに我々国民にとって新たな教育の目的や方針の確立が必要となっている点で、現行法制定時と同じ状況であるのではないかなというふうに思うわけでございます。

 本日の質問で改正案について基本的な質問をさせていただきましたから、次の機会からまた、民主党案も含めて、今日の時代において新たな教育の目的や方針、それが十分なものかどうか、また、具体的に学校教育や社会教育においてそれがどのように反映されていくのか、さらに突っ込んだ点についてお尋ねしていきたいというふうに考えておりますので、そのことをあらかじめ申し上げまして、本日は終わらせていただきたいと思います。

 ありがとうございました。

森山委員長 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後五時四十八分散会


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