衆議院

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第3号 平成18年10月30日(月曜日)

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平成十八年十月三十日(月曜日)

    午前十時一分開議

 出席委員

   委員長 森山 眞弓君

   理事 稲葉 大和君 理事 河村 建夫君

   理事 斉藤斗志二君 理事 鈴木 恒夫君

   理事 町村 信孝君 理事 中井  洽君

   理事 牧  義夫君 理事 西  博義君

      井脇ノブ子君    稲田 朋美君

      猪口 邦子君    岩永 峯一君

      上野賢一郎君    臼井日出男君

      大島 理森君    大塚 高司君

      海部 俊樹君    篠田 陽介君

      島村 宜伸君    関  芳弘君

      戸井田とおる君    中山 成彬君

      西川 京子君    馳   浩君

      鳩山 邦夫君    藤井 勇治君

      藤田 幹雄君    馬渡 龍治君

      松浪健四郎君    松本 文明君

      森  喜朗君  やまぎわ大志郎君

      若宮 健嗣君    北神 圭朗君

      土肥 隆一君    西村智奈美君

      野田 佳彦君    羽田  孜君

      鳩山由紀夫君    古本伸一郎君

      松木 謙公君    松本 大輔君

      横山 北斗君    笠  浩史君

      斉藤 鉄夫君    坂口  力君

      石井 郁子君    志位 和夫君

      保坂 展人君    糸川 正晃君

      保利 耕輔君

    …………………………………

   議員           鳩山由紀夫君

   議員           笠  浩史君

   議員           武正 公一君

   議員           高井 美穂君

   議員           藤村  修君

   議員           大串 博志君

   内閣総理大臣       安倍 晋三君

   総務大臣         菅  義偉君

   文部科学大臣       伊吹 文明君

   国務大臣

   (内閣官房長官)     塩崎 恭久君

   国務大臣

   (少子化・男女共同参画担当)           高市 早苗君

   内閣官房副長官      下村 博文君

   政府参考人

   (文部科学省生涯学習政策局長)          田中壮一郎君

   政府参考人

   (文部科学省初等中等教育局長)          銭谷 眞美君

   政府参考人

   (文部科学省スポーツ・青少年局長)        樋口 修資君

   衆議院調査局教育基本法に関する特別調査室長    清野 裕三君

    ―――――――――――――

委員の異動

十月三十日

 辞任         補欠選任

  岩永 峯一君     藤井 勇治君

  臼井日出男君     藤田 幹雄君

  北村 誠吾君     関  芳弘君

  佐藤 剛男君     篠田 陽介君

  渡部  篤君     大塚 高司君

  田中眞紀子君     松木 謙公君

  横山 北斗君     鳩山由紀夫君

  石井 郁子君     志位 和夫君

同日

 辞任         補欠選任

  大塚 高司君     馬渡 龍治君

  篠田 陽介君     佐藤 剛男君

  関  芳弘君     北村 誠吾君

  藤井 勇治君     岩永 峯一君

  藤田 幹雄君     松本 文明君

  鳩山由紀夫君     笠  浩史君

  松木 謙公君     田中眞紀子君

  志位 和夫君     石井 郁子君

同日

 辞任         補欠選任

  馬渡 龍治君     渡部  篤君

  松本 文明君     臼井日出男君

  笠  浩史君     横山 北斗君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 政府参考人出頭要求に関する件

 教育基本法案(内閣提出、第百六十四回国会閣法第八九号)

 日本国教育基本法案(鳩山由紀夫君外六名提出、第百六十四回国会衆法第二八号)


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     ――――◇―――――

森山委員長 これより会議を開きます。

 第百六十四回国会、内閣提出、教育基本法案及び第百六十四回国会、鳩山由紀夫君外六名提出、日本国教育基本法案の両案を一括して議題といたします。

 この際、お諮りいたします。

 両案審査のため、本日、政府参考人として文部科学省生涯学習政策局長田中壮一郎君、初等中等教育局長銭谷眞美君、スポーツ・青少年局長樋口修資君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

森山委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

森山委員長 これより質疑に入ります。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。大島理森君。

大島(理)委員 十三年ぶりの質問でございます。自民党が野党時代に、予算委員会でこの場に立たせていただいて以来でございます。よろしくお願いします。

 毎日のように、子供たちの教育をめぐる環境について、あるいは現実について、大変悲痛な報道がございます。まず、その問題について文部科学大臣の今の対応、現状その他をお伺いして、そして、それらと密接に関係ある基本法について御質問を申し上げたいと思っております。

 子供たちがいじめという問題について、それらに関連するであろうという原因について、自殺をする、生命のとうとさ、生きることの意味、私たちは今、政治家だけではなくて、学校の現場も、国民全体も、深刻に考えなければならない問題だと思っております。総理のおっしゃる美しい国ということはきっとそういうことに対するストレートに投げかけた問題だと思っておりますが、一体、今日報道される、あるいは現実的にあるいじめという問題と自殺という問題、これらを文部科学大臣としてどうとらえて、そしてどのように考えておられるのか。

 さらに、もう一つは、未履修の問題でございます。これもまた、私ども、基本法の与党内の議論をしていくときに、大変な議論をいたした経過の中で、高校教育のあり方、まあ、これは後に申し上げます。しかしながら、今喫緊に、やがてすぐそこに来る受験という現実の問題を考えたときに、未履修の子供たちも、既に履修して大学の受験という、人生において最も緊張する場面を迎える子供たちにとっても、ある意味では、これはどちらも被害者。

 したがって、これは、根本的な問題はこれまた私どもは考えなければなりませんけれども、今どういう現状で、そして、文部科学省としてどのように対応しようとしておられるか、明確に、できれば早く現場に指針を出していただいて、子供たちに、あ、こういうことで私どもが心構えを持って、そして来年の受験に向かえばいいのか、日々こういうことをすればいいのかと。

 そして、もう一つお願いをしたいのは、もちろん、さまざまな報道をするのが報道の仕事でありますけれども、私の地元でも、子供たちにまでニュースの取材をされて、あるいは既卒者まで取材をされて、そして子供たちに一つの不安みたいなものが起こっている現状を考えますと、そういう大人社会も、この場面は温かく見守ってやる、そういうことも私は必要だと思います。

 この未履修問題について、今の子供たちに対してどのような基本的な姿勢で伊吹大臣はお取り組みになろうとしているのか。加えて、もう一つ大事なのは、先ほど申し上げましたように、既卒者の子供たちにまで取材をしている、あるいはそういう問題をどうするかという問題を投げかけている。この既卒者に対しても、どのような基本的な方向をお持ちになろうとしているのか。

 我々は与党の協議会で、できるだけ早く基本的な方針を出してください、こうお願いしたところでございまして、この問題について、伊吹文部科学大臣の方針をお伺いしたい、このように思います。

伊吹国務大臣 先生から大きく分けて二つのお尋ねがあったと思います。一つは、大変悲しい出来事ですが、いじめの問題。きょうもまた岐阜で悲しい事件が報道されております。

 私たちも、子供のころを考えますと、ああ、自分もああいうことをしていたのがいじめだったのかなとか、あれをやられたのはいじめだったのかなというのを思い出します。いつの時代にもどこの集団にもあることだと思いますが、最近の状況で非常に残念なことは、子供を守ってやらなければならない教師あるいは教育行政全般を管理監督している教育委員会等がいじめをむしろ主導したり、あるいはまた、自分たちがよく思われたいと思って校長や学校関係者や教育委員会がこれを隠すという傾向がございます。これはもう大変ゆゆしいことでして、私たちとしても、できるだけ早くいじめの兆候を発見して、隠すことなく、お互いに子供を救っていく、そういう基本方針を関係者に伝達いたしております。

 時代がやはり大きく変わって、三世代一緒に住んでいる家族はほとんどございません。それから、共働きになっておりますから、子供が家庭の中でいろいろ訴える相手が非常に少なくなってきております。ですから、学校に重荷がかかっているということは、みんなが理解をしながら考えてあげなければいけないと思いますが、できるだけ関係の者が、隠したりせずに、命をしっかり守るという原点を持ちたい、これが私の認識でございます。

 それから、二番目は高校の未修の問題でございますが、御承知のように、国立、公立、私立合わせまして五百四十校の高等学校がございます。この中で私立の調査が今まだ完了いたしておりません、あすまでには当委員会で発表できると思いますが。公立では、四千四十五校のうち二百八十九校、つまり七・一%において未履修がございました。これを人数に直しますと、三学年の生徒は百十六万人おります。このうち、未履修の公立の生徒は八十一万のうち四万七千人でございます。この人たちは、自分の責めに帰さない理由で、先生が言うがままに勉強をしていたら必修を取りはぐれて高校を卒業できない、高校を卒業できないと大学に実は進学できないという大変気の毒な状況に直面しておられます。

 それからもう一つは、実はこの百十六万人のうち、未履修の人は大体六%か七%で、残りの人は学習指導要領どおりのカリキュラムを組んだ学校で勉強しておられる。つまり、受験科目について、深掘りをせずに教えてもらいながら、深掘りをしてもらった生徒と一緒に同一大学を受験しなければならない。だから、正直者に損をさせるというわけにはこれはなかなかいかないんですね。

 ただ、筋張った議論だけをしていると、自分の責めに帰さない六%、七%の高校生が途方に暮れちゃう。この間のバランスをとらなければならない。だから、まさに先生がおっしゃったとおり、高校生、三年生は全員被害者なんです。そういう認識のもとに現実的な解決を図るようにということを総理からも承っております。これは午後、野党の皆さんのこの件に対する御意見も伺った上で、与野党の御意見をすべて伺った上で具体案を考えて、いずれここでまたお諮りすると思います。

 それで、それが解決をいたしましたら、その前提に立って、先生がおっしゃった、既に卒業している人の資格を救済する方法、それから今年度でいえば、不十分な調査書、つまり内申書で既に推薦入学を果たしている人もおりますから、この人たちの扱い、これはやはり権利に係ることなので、法制局とも今協議をしながら法制的な詰めをきちっとしておりますので、いずれスピード感を持って御報告をいたしたいと思っております。

大島(理)委員 未履修の実態といたしまして、大臣、幅が非常にあるんだろうと思うんです。現時点において、大臣のもとにある調査、大体何単位足りないのが何%ぐらいで、あるいはこのぐらいのものがこのぐらいという、もし数字等がございましたら、私ども与党でも御相談があればまた議論できると思いますし、野党の皆さんも、もしこれから質問するに当たって、そういう実態を見て判断するに大事な事実だと思いますので、もし大臣、今の時点で、もちろんこれからも私立高校の問題があると思いますが、未履修の中身の実態をちょっとお伝え願えればありがたいと思います。

伊吹国務大臣 最初に、ちょっと失礼でございますが、先ほど国立、公立、私立合わせて五百四十と私申し上げたように思いますが、五千四百八校でございますので、済みません。

 それで、国立は十五校ございまして、二千八百二十六人の三年生がおります。これは学芸大附属と言われる、ここは未履修の生徒はおりません。

 それから、公立は四千四十五校で、三年生の学生が八十一万二千七百六十七人おります。七十時間以内、つまり二単位ですね、一科目。一番最小の単位ですが、これを未履修になっておる学生が三万七千二百五十四人。それから、七十時間から百四十時間の人が八千七百二十二人、それから、百四十時間以上の人が千百十八人。これは公立でございますから、私立がこの数字に加わってまいります。私立の生徒は三十四万六千ですが、三年生は。これは、かなりの数字がここに加わってくると思います。この数字は、あすには御報告できると思います。

大島(理)委員 七十時間、二単位、この子供たちが非常に多い実態はわかりましたが、私立高校の実態もこれから見なければなりません。

 そこで、大臣、スピード感を持って行う、こういうお話がございました。早く子供たちに自分たちが学ぶ方針を立てさせなきゃなりませんし、責任問題だとかあるいは根本的な問題というのは、これから我々も議論いたしたいと思います。

 できるだけ早く、ひとつ法制局とも相談し、総理からも、公平なルール、基準というものを持ちつつも、柔軟にある意味では対応するような指針をちょうだいしたと言われていますので、まあ遅くとも今週中には明確に出さなきゃいかぬと思うんです。

 伊吹大臣、私は尊敬する政治家でございますし、決断もすばらしいものがございます。今を救う、子供たちにしっかりとした、落ちついた形で高校三年の最後の学生生活を送らせてやる、こういうことで、いま一度その結論を出す目安を伊吹大臣にお答えいただきたい、こう思います。

伊吹国務大臣 総理から私にございましたお話は、未履修の生徒もそれから履修をした方の生徒も、大学を受験するためにどうなるかということを心配している。できるだけこの心配を取り除いて、マスコミその他の、先ほど御示唆になったようなことから解放して、受験あるいは高校生活最後に集中させられるように、今週中という先生の御示唆でございますが、法制的な詰めを行いまして、先生の御示唆に従えるように、できるだけ早く、これは午後の質問もちょっと聞かせていただいてからにさせていただきたいと思います。

大島(理)委員 この問題だけでも、一時間議論すればできると思いますが。

 そこで、この問題も含めて、教育基本の問題に入りたいと思います。

 総理は、美しい国をつくるという大きな方向性、目標を私どもにも示し、国民の皆さんにも訴えられました。そこで、若干時間を食ってしまいましたので、なぜ教育基本法を変えるのか、与党の関係者の一人として、これから思いをちょっと申し上げてみたいと思いますし、また、民主党の皆様方も、なぜ教育基本法を変えるのか、この問題についてさまざまな議論をして法案を提出されたと思います。

 教育基本法を変える、この理由は私は三つあると思っておるのでございます。

 一つは、戦後、一九四七年、昭和二十二年、教育基本法をつくったときの国民の思い、あるいは日本という国の現状と今の現状の大きな変化、先ほど伊吹大臣がお話しされました。後でその実態を改めて申し上げたいと思います。

 第二点は、今起こっている、子供たちの環境、教育の場面におけるさまざまな問題、今の高校の問題もそうでございます。今の子供を取り巻く環境をどのように考えているか。その実態を考えましたときに、教育の根本をどう考えるかということを私どもは考えなきゃなりません。

 第三点は、私は、やはり当時の、教育基本法をつくられた戦後間もなくの日本の最高の知的レベルの先生方の議論、その中にすさまじいほどの戦前への反省があった上で、しかし、その上において、残念ながら、今私どもが日本の教育を考えたときにつけ加えておかなきゃならぬことがあるという現行基本法の問題点もあるということだと思っておりますし、私ども与党の中で議論をしたときも、同じような共通した認識を持ったと思うのであります。

 そういうことからして、総理は「美しい国、日本」をつくろう、そして教育の再生こそ大事だ、こうお話しされました。その中に自律という言葉を使われました。私は、もう一言で今三つの理由における問題の核心をついた言葉だと思いますが、いささかちょっと、私なりに改めてのことでございますが、その三つについて、与党として七十回、ましてや小渕内閣、森内閣そして小泉内閣、安倍内閣と、この四内閣において教育基本法が議論された、その理由を国民の皆さんとともに共有しながら、そして民主党の皆さんとも共有しながらこの結論を出す、そのことだと思うのであります。

 そこで、まず第一点は、資料を皆さんのところにお渡ししておりますが、昭和二十二年と今、何が違うのでありましょうか。これはもう総理以下鳩山さんも先生方も御存じのことだと思いますが、ちょっと国民の皆さんに改めてこの数字の六十年の変化をお話ししてみたいと思うのであります。

 昭和二十二年、人口は七千八百万、今は一億二千万ございます。平均寿命、男子、五十歳、今は七十八歳であります。合計特殊出生率、昭和二十二年、四・五四、今は一・二五人であります。そして、先ほど大臣がお話しされました一世帯当たりの人数が、当時は四・九二人、今は二・六八人。高校の進学率、当時は四二・五%、今は九七・七%。体格、身長とかいろいろございます。GDP、当時は百十億ドル、今は四兆五千億ドル。もちろん貨幣価値の問題もありますし、あるいはまた為替の単価の問題もありますが、約二百倍から三百倍、四百倍になっている。このような変化の中で、日本社会に何が起こったんだろうか。先ほど、生きるということを私申し上げましたが、私たちが生きるという意味におけるすべの外部化がどんどん進んだと私は思うのであります。

 外部化とは何ぞや。教育も福祉もあるいは食べることも、人間が生きる上での外部化。例えば、ゼロ歳児の保育ということが当たり前の議論になってきている。幼児教育あるいは福祉、これもどんどんどんどん外部化になってきている。その外部化が進行する中で、先ほど伊吹大臣がお話しされたように、教育の世界において家庭の教育は一体どうなるんだ、そういうことをもう一度考え直そう、こういうこともいたさなければなりません。

 大事なことは、心まで外部化になっていないかということだと思うんです。ですから、総理は自律という言葉を使われたと思うのであります。日本人は大変すばらしい努力をして、大量生産、大量消費という構造の中で、さまざまなすばらしい成果を上げてきた戦後ですが、生きる上での外部化というものが進んできたということが言えるんだろうと思います。

 さて、二つ目の、子供たちの実態をちょっと申し上げたいと思います。

 皆さんのお手元には、大変申しわけありませんが、きょうは配付しませんでしたけれども、一つの調査として、知識の国際比較、これはOECDが平成十五年に調査したのでありますが、数学的活用能力、前回一位であったものが、日本が六位になった。読解力、前回八位が十四位であった。そのように、知的な面でそういう結果が出ていますが、しかしながら、まだ日本の子供たちは頑張っております。世界の中でのトップランクにいることは事実ですが、そういう実態がある。いろいろ申し上げるとたくさんございます。

 もう一つ申し上げたいことがございますが、子供たちがお父さんを尊敬しているか、この調査がございまして、日本、トルコ、そしてアメリカ、残念ながら、日本の子供は、トルコやアメリカの子供たちに比べて半分以下でございます。日本の国を誇りに思うか、これもやはりそうなのであります。そういう子供の実態というものを考えてまいりますと、やはり何か、今考えなきゃならぬさまざまな実態が一つあるということも申し上げたいと思うのであります。

 そして最後に、今ある教育基本法の問題は何があるか。これは、実は我が党も与党も民主党も、ある意味では同じ思いだと思うのであります。私ども与党、ちょっと私なりに、議論した結果としての共通認識だろうと思いますが、いささか申し上げてみたいと思いますのは、この基本法を中核的につくられた、そして参加したその方は、日本の最高裁長官をやられた田中耕太郎先生でございます。田中耕太郎先生のさまざまな本と当時の議事、議論を聞いていますと、先ほど触れましたように、戦争のすさまじい反省というものがそこにあって、もちろんそこには占領体制であるということもあって、今の教育基本法は二つの原則が脈々と流れていると私どもは思っております。

 それは何かといいますと、今の基本法の目的の中に人格の完成ということが書いてある。それからもう一つは、田中先生みずからがお話ししておりますが、教育権の独立ということをおっしゃった。この二つの大きな哲学が今の教育基本法の底辺に脈々と流れているというふうに私どもは考えたわけでありますし、また、そう理解していいんだろうと思います。

 そこで、今起こっている教育問題、基本法は倫理法だから今起こっている問題と関係ないと言う人もニュースでちょっと見たりします。これは間違いなんです。

 戦後六十年、まさに人格の完成、田中耕太郎先生流に言いますと、神に近づけることだとも言っております。人格の完成と教育権の独立というこの本来崇高な理念を、それぞれの人が、ある意味ではとり方をいろいろにとって教育の現場の混乱を起こしてきたという事実も私どもは反省しなければならないと同時に、教育の基本というのは何かというと、一人の個人を社会化すること、社会に巣立って生き抜く力をつけることだと思うならば、教育はすぐれて社会全体として一個人を社会化することであると私は思っております。

 その根本法である教育基本法のしっかりとした立て直しをせずして、今さまざまにある問題、例えば、私どもは与党として、なぜ六・三制を外したか、基本法から。議論していく過程の中で、義務教育、普通教育という問題が六・三でいいのか。もっと言えば、今の高校の実態を見たときに、親も社会も、すべての人が、大学へ行く一つの過程だというだけでこの高校教育を認識しているところがあって、しかし、高校教育というのは一体どうあるべきかという根本から考えなきゃいかぬ。そういう大きな問題を含めて、六・三制という問題は今後議論していこう。

 あるいは、家庭という問題、今の基本法にはありません。子供の、幼児の教育、この重要性を認識しながら、もし社会が教育の外部化を進めていく場合に、いま一度家庭教育というものの第一義的な重要性を訴え、そして、そういう状況の中でどう政府が施策として支援するかということが重要ですよということで、つけ加えました。

 何よりも大事なことは、先ほど、人格の完成。しかし、人格の完成ということは、とかく、戦後教育の中で、その個人のあり方のみを考えればいい、そこに、独立権というこの思想をかなり曲解しながら、学校現場は私たちだけのものだという形での問題点等々があったわけでありますから、人格の形成と同時に、教育の目標が個人の社会化とするならば、社会とのかかわり、国とのかかわり、まさに公民をどう育てるかという問題点が戦後の教育に残念ながら薄かったという共通した認識を私どもは持って教育の再生を図らなきゃならぬ。そういうことが私どもの案であり、民主党の皆さんの案も、私はかなりそういうところが共通した認識になっていると思います。

 三つ大きな理由があると申し上げましたが、一つは、もう一度申し上げますけれども、この六十年間の変遷における我々日本人の教育のあり方をどう考えるかという基本法を考えなきゃならぬという一つ。今起こっているさまざまな問題は、それぞれに対処しなければならないことは対処しなければならないこととしながらも、そこの根本法を、だから見直さなきゃならぬという問題。

 そして、田中耕太郎先生初め南原繁先生、すばらしい、知的に最高の方々がつくった教育基本法であったとしても、そこには残念ながら、社会の形成者としての人間をどう育てるか、公民として日本人をどう育てるかという視点がなかった。これは、みずから基本法の解釈を書いておる本の中にもきちっと書いてあります。つまり、歴史と伝統、あるいは国を愛す、あるいはまた社会の参加者としての責任、こういうものが私たちがつくった教育基本法に足らざるものであったとみずから昭和三十五年の解説書の中にも書いてあるわけです。

 ある意味でそれは、戦後のあの時代から、もはや戦後ではないと言われた昭和三十年代のそのときに、あの田中先生ですらそういう思いを持ったときに、この六十年間、残念ながら我々政治はこの基本法を変えることにちゅうちょした。今このチャンスだ、このときにやらなきゃならぬ、これが私どもの与党としての基本法を変える理由なわけであります。

 そこで、総理に改めて、総理は、今教育の、美しい国の教育再生という問題に取り組まれる、その決意と同時に、文部大臣にも、鳩山さんにも、私は、今……(発言する者あり)高説がどうだこうだと言っていますが、基本的に考え方、問題点は同じだと思うんです。そして、そのときに大変な議論をされたと思います。私の会館の前には、基本法反対という方々がデモしておられます。しかし、そういうさまざまな問題を乗り越えた鳩山さん以下皆さんは、基本法の改正あるいは新しくつくり直す基本法の案を責任を持って出された。ここです、責任を持って出されたんです。したがって、そういう立場から、なぜ基本法を改正するのか、鳩山先生のお気持ち、民主党の基本的な考え方もお聞かせ願いたいものだと思っております。

安倍内閣総理大臣 今大島先生から、なぜ教育基本法を改正するかということについては大体もう既に御説明があったわけでございますが、現行の教育基本法につきましては、教育の機会均等を実現していく、この理念を実現することによって日本の国民の教育水準は飛躍的に向上したと思います。そして、そのもとに今日の日本の発展があるのも事実であろう、こう考えているわけであります。

 しかし、この六十年間、大島先生が御指摘されたように、大きな変化がございました。科学技術が発展する、あるいは少子高齢化が進んでいく中にあって、地域あるいは家庭における教育力が低下をしているのも事実であります。その中で、モラルが低下をしていく、あるいはまた学ぶ意欲が低下をしているという指摘があるのも事実でございます。

 特に、その中で、これはもう何回か私もこの場で官房長官時代に答弁をしたのでございますが、いわば損得を超えるいろいろな価値について、子供たちがよく認識をし、そのとうとさを理解することも大切ではないか。公の精神、あるいは家庭の教育における重要性また責任、地域とのつながり、こうしたものを踏まえて、やはり新しくつけ加えるべき価値、あるいはこの姿勢というものを、むしろこの二十一世紀にふさわしい教育基本法をしっかりとつくっていく、このことが重要ではないか、このように思うわけでございます。

 政府案をぜひともさらに御審議いただきたい、そして成立を期していきたい、このように考えているわけでありますが、まさに、志ある国民を育て、そしてそれによって品格ある国家をつくっていく、これが我々の改正の目的でございます。

伊吹国務大臣 もう大島先生の御質問内容と総理の答弁で、私の答えることはほとんどありませんが、先生おっしゃったように、やはり現行の教育基本法ができたときと比べると、まず、東西冷戦構造というのはもう全くなくなっております。東洋の片隅の小さな国であった日本は、今や世界第二の経済大国になっております。経済的に大きくなったということで、先生のおっしゃった外部化、つまり、家族の中で自分たちでみずからやっていたことを金で買える国になったということ、税金を納めれば、介護も年金もそして自分たちの両親の扶養も皆パブリックセクターがやってくれる国になったということですね。

 そういう中で、豊かになることはいいことだと思いますが、制度あるいは日本人の気持ちがかなり変容してきているんじゃないか、それがやはり現実のいろいろな事象としてあらわれてきている。

 おっしゃったように、これはまさに教育の基本法でございます。ですから、基本的な考え方を、先生が御示唆になったように時代に合うように直し、それに従って、例えば学校教育法、教育委員会の諸法、そしてその他の教育に関するもろもろの法律をやはり時代に合うように直していく、それに応じてまた学習指導要領や政令、通達等を見直していくということによって、現時代に合った、そしてハンチントン流に言えば、日本というのはやはり一国一文化の極めて異質な国ですから、この中で私たちが守ってきた規範というか、祖先から脈々と受け継がれてきた、社会を律する、法律を超える大きな価値をもう一度日本社会に取り戻したい、これが私はこの基本法をお願いしている考えでございますし、御示唆のとおり、民主党も同じような時代認識を持って法律をお出しになっていると考えております。

鳩山(由)議員 大島委員にお答えを申し上げたいと思います。

 まず、この委員会には弟の邦夫議員もおりますので、フルネームで呼べと弟が申しておりますので、鳩山由紀夫でございます。

 お答えを申し上げたいと思っています。

 今、高邁な理念を大島委員から伺いました。私もそのお話に耳を傾けておりました。若干申し上げることがあるとすれば、その高邁な理念と現実の政府提出の教育基本法案が本当に整合をとれているかどうかというところであります。

 私どもは、それなりに我々の知恵を働かせていただいて日本国教育基本法案を提出申し上げたところでございまして、先ほど大島委員からお話がありましたような三つの視点、例えば、今日的な課題にうまく合っているものが改正案としてできているかどうかということも真剣に私どもは考えまして、現場主義というものを徹底させようと。現場をよく勉強させていただいて、現場の悩み、例えばいじめの問題がありました、最近は未履修の問題も出ています、やはりこういう問題に対応できるような仕組みをつくらなきゃいけないということでありまして、その思いを込めて、すなわち、今日的な課題に対応できるように私たちは最善の努力をいたしたというのが一点ございます。

 それから、大島委員は「三丁目の夕日」をごらんになったかどうかわかりませんが、安倍総理はごらんになったというふうに伺っております。あの時代、すなわち、物がまだ必ずしもなかった。しかし、だからこそ、敗戦後我々は真剣に、あるいは我々の父親や母親は真剣にその時代に生きてきた。一生懸命汗をかいてきた。その汗が子供に伝わって、お父さん、お母さんも頑張っているなら自分も一生懸命頑張らにゃならぬと。大島委員も私も同じ団塊の世代でありますが、その世代の我々もそれなりの思いで真剣に学んできた。学ぶことによって、この国の発展のためにも尽くすことができるのではないかと。さまざまな思いを持ちながら頑張ってきたと思います。

 しかし一方、物が豊かになり過ぎてくると、今度は逆に、子供たちには、もうお父さん、お母さんに頼らなくてもというか、最初から生まれながらにしてそれなりの暮らしができるということになりますと、果たして教育というものの意義はどこにあるのか。

 先ほどお話がありましたように、まさに心という部分、そのところが失われがちになってきてしまう。何でも物が豊かになればいいではないか、あるいはお金もうけすればいいではないかという風土ができてしまう。あるいは、そういう人たちの子供さんの教育の時代になるということでありまして、そうなると、むしろ、豊かさが最初からある親たちですから、子供に対して、子供を教育するということは非常にある意味で手間がかかる、大変な仕事であると思います。しかし、今度は、なかなか面倒くさいことはやりたくないな、先ほどお話があったように、できるだけ外部に任せてしまおうと。外部というのは学校も入ると思います。学校などに全部任せてしまおうという発想になってしまってきているのではないか。そこに私は大変危ない部分が出てきたんだと思っています。

 したがって、簡単に言えば、親の権威というものが失墜をするような状況になった。それは、情報が豊富になったことにもよって親の権威が失墜をしてきた。それと同時に、先生の権威というものも同じように、情報が豊かなんですから、すなわち、先生が我々の時代は絶対だと思っていたものが意外に絶対ではないということがわかってきたという子供たちになりますと、学校へ行って勉強したって大しておもしろくないじゃないかという話になりがちになってしまう。

 そういう時代的な変化に合うような、問題がさまざま起きてきているわけですから、その問題に対応できるように教育基本法を私たちは考えてきた。まさに家庭というものが教育の原点であるということを私たちは民主党の日本国教育基本法案の中に盛り込ませていただいているのも、そのとおりでございます。

 あと、いろいろと申し上げたいとは思いますが、時間的に余裕がありませんのでこのぐらいにさせていただきますが、最初に申し上げたように、高邁な理念に沿って我々の方がむしろ努力をさせていただいているものですから、日本国教育基本法案というものをぜひ参考にしていただいて、さらによりよい日本国というか教育基本法をおつくりいただくように努力を願いたい、そのことをお願いします。

大島(理)委員 私は立派な答弁だと思います。問題意識はかなり共有していると思います。

 今、私は、えらい褒められましたが、偉くも何でもありません、客観的なことを申し上げたんですが。そういう理念に基づいて、例えば、私どもは教育の目的を、人格の完成と同時に、社会の形成者としてのその自律と責任を持つ人間になろうとか、家庭教育とかということを申し上げました。書いてあるわけです。

 そこで、鳩山由紀夫先生にさらにお尋ねいたします。

 よりよいものをつくろうではないか、こうおっしゃいました。私どももその思いは同じなんです。つくったからすべてが一〇〇%正しい、こう確信はしておりますが、しかし、前国会で町村筆頭理事が、協議会をやろう、こう問いかけられました。私は、これから中井理事と町村理事の間でこの運営は理事間同士で話をされると思います。しかし、今さまざまに起こっている子供の教育の、あるいは私たちの問題を一つ一つ考えていきますと、根本法であるがゆえに、これをお互いに謙虚に話し合いながら成案をまとめる、あるいは立法の最高機関として結論を出すことこそ政治の最高の責任じゃないでしょうか。

 鳩山由紀夫先生が今、私どもの案もよく読んでと。私は三回ぐらい読みました。しからば、もう一度伺います。これから審議を尽くして、鳩山由紀夫先生がおっしゃるとおり、もし我が方与党から、さあ話し合いましょう、大体議論の整理ができました、こう言った場合にそれを受けますか、受けませんか。

鳩山(由)議員 私たちは、言うまでもありません、時間の引き延ばしをしたいとか、そういうつもりで考えているわけでは全くありません。したがいまして、先ほどから委員からお話がありましたように、よりよいものをつくるということには当然のことながら協力をするべきだと考えております。

 そこで、ただ一番大事なことは、当たり前の話ですけれども、よいものをつくるという努力を国民の皆さん方に十分に理解をしていただくということが何より大事なことです。教育というのは、国民の皆さん方に、特に子供たちはそうですが、親たちも含めて、最も影響を受ける根本の法案を今議論しようというわけであります。今その時期で議論をしているわけでありますが、私もさまざま地域を回っておりましても、必ずしも、我々の法案もそうですが、政府提出の法案も、わかった、おれたちはこういうのを理解しているというふうな話は余り聞いていません。大事なことは、これは国民の皆さん方に理解をいただきながら進めるということが何より重要なことだと思っています。

 したがって、私は、公党間で勝手にもうまとめましょうという話ではなくて、むしろ衆参両院に教育基本法調査会というようなものでもしっかりとつくって、そこで議論を詰めていく必要があるんじゃないか。むしろ、いじめの問題とか、あるいは新しく出てきた未履修問題などは、皆さん方の政府提出法案を見ても、どこがそこの解決であるのか見えない。我々の中には、その部分をかなり取り入れさせていただいている。

 そこで、だからお互いに議論をして、協力し合いましょうと申し上げているわけであります。ですから、その議論を我々は決して、当然のことながら、妨げるとか、協力しませんと言っているわけじゃありません。しかし、国民の皆さんにしっかりと見ていただくということがもっともっと大事な話だということで、やはり時間をかけて議論することが重要だと申し上げております。

大島(理)委員 鳩山由紀夫先生は、民主党の最高責任者のお一人です。皆さんも法案を出しているんです。いいですか。我々は、立法機関の最高機関たるここで民主党の案も議論しているんです。与党がまとめ、それを受けてくだすった政府案も議論しているんです。ですから、国民の前で議論しているんです。議論して議論して、そしてお互いにいいものをつくろう、こういう思いがあるというなら、そういうふうな話をされることも政治の責任だと思うんです。国民の皆さんに理解をいただくことが、それが責任だと私は思うんです。

 そして、私たちはそれぞれに自分たちの案を、自分の選挙区、国民に説明して歩いております。皆さんもそうだと思うんです。そういうことをしながら、よりよいものをつくるための努力をし、しっかりとした結論を出すことこそ、今や政治の最高責任じゃないでしょうか。

 したがって、法案をこれからつくるんじゃないんですよ。民主党の皆さんもつくっているんです。だから、通したいと言っているんです。だから、通したいと言うなら、通す努力をして、そしてやればいいんです。何らかの案に民主党の案も生かすというのも一つでしょう。議論して議論して議論して、どうしてもそこがまとまらないといったら、立法府の中で一つの結論を出すというのが私たちの責任でしょう。

 ですから、そういう観点に立って、政治経験豊かな民主党の中井理事初め理事の皆さん、そして我が方の与党の理事の皆さん、ぜひ、ある一定の議論をし、そして議論がある程度整理された暁には、そこは、現場の政治家としてわかるでしょう。そういう中で、国民に向かって、立法府たる我々が、責任政党たる我々が、どう責任を果たすかという観点に立って、この問題にもはや結論を出す国会だと私は思うんです。

 したがって、もう一度、鳩山由紀夫民主党の責任者に私は御決意をいただきたい。

鳩山(由)議員 皆様方の、特に与党の中にも、柔軟に対応しようとおっしゃる方々と、いやいや、やはりこれは政府提出法案をそのまま通さないといかぬとおっしゃる方がおられるんです。私はそれを知っています。そうじゃまずいんです。やはり与党の中でもしっかりと議論をしていただかないと。

 そして、我々、もしですよ、日本国教育基本法案そのままで結構だという話をしていただけるなら、もうあすにでも成立させていただいても構わない、そのぐらいの、少なくとも政府提出法案がいじめの問題とかあるいは未履修の問題などに全く対応ができていないのに対して、私たちは現場を中心に議論してきましたから、そういう問題も十分に対応できるような法案になっているんです。

 したがって、我々の法案、三度お読みいただいたのは大変ありがたいと思いますが、ぜひ、皆さん方がお読みをいただいて、よしわかった、これに賛同すると言っていただければ、結論をすぐに出すこともできますし、基本的に、我々の考え方の方が哲学的にすぐれているという思いがありますだけに、そのところを皆様方が議論していただいて、おまとめいただければ、十分にこの国会の中で成立させていただいてもいい、そう思っております。

大島(理)委員 鳩山由紀夫先生に再度お願いをします。

 民主党の案を最善だと思うからそれを評価してくれというのなら、民主党の案で採決したらいいと思うんです。現実はそうじゃないでしょう。あなただってもう何年も政治家をやっていて、むしろ、今一番最善の民主党の生き方は、皆さんがすばらしい案と自分で言っておられる案を、協議の上、政府案と、どこにどう影響させるかということをお考えになって活動した方が世のため人のためだと思います。

 ですから、自分たちの案が最善だ、これしか選択がないといったら、これは採決しかないんです。それは、政治の現実として私はそうだと思います。

 ぜひ、私は、そういうふうな方向を向くかどうかわかりませんが、議論をされて、この国会で結論を出す、そのためにどうするか、責任ある野党としてその姿勢を心から強く鳩山さんに申し上げて、質問を終わります。

 よろしくお願いします。

森山委員長 次に、鈴木恒夫君。

鈴木(恒)委員 自由民主党の鈴木恒夫でございます。

 今質問をされました大島さんが大臣のときに私は総括政務次官をいたしておりまして、鈴木さん、あなたは少し民主党案を中心に質問をしてくれという分業の命令がございましたので、そのつもりで立たせていただきます。

 私は、総理は御存じかどうか、小学校に入りましたのが昭和二十二年でございます。つまり、現行教育基本法の一期生みたいなものでございまして、同期生には久間章生大臣、麻生大臣、古賀誠さんとか、そうそうたる方々がいらっしゃいます。

 私、これから質問いたしますけれども、余り時間がありませんで、二十分足らずしか時間がありませんが、私の質問ぶりなどをごらんになって、やはり現行教育法は少し学力を不足させたなとか、少し礼儀が足らぬなとかお感じになるかわかりませんが、これは冗談でございますけれども、後で御判断をいただきたい、そう考えております。

 私は、自民党と公明党による教育基本法改正の検討会の最初からのメンバーでございます。七十回にわたって、きょうは保利先生お見えでございますが、斉藤公明党政調会長によれば保利ゼミといいまして、七十回、二時間ずつ、ほとんど、本当に詰めた議論をいたしました。正確に申しますと、後ろの方は大島座長になりまして、これは大島塾みたいなものでございましたが、最初からのメンバーでございます。

 教育基本法の改正は本当に私も宿願でございまして、自分の体験からも、本当に真剣な議論をやってまいりました。私は議論の中で、総理は美しい国づくり、こうおっしゃっておりますが、失礼な言い方を申し上げれば、私はもっと早くから、日本の美風をよみがえらせなきゃいかぬ、こういうことを言っておりました。日本の美風、つまり、足るを知るとか恥を知るとか、さまざまな日本の伝統、文化が生んだ日本独特の気風というものがあって、これが欠けてきたところに一番大きな問題がある。

 今日のいじめの問題もそうです、あるいは必修科目の履修漏れの問題もそうです。子の親殺し、親の子殺し、その他の社会現象を見ても、本当に嘆かわしくて、国会議員の一人として後世に申しわけない、もっとしっかりやらねばと教育論議にほとんどのエネルギーを費やしてまいりました一人として、まず冒頭、総理に、教育改革、再生に関する決意を、手短で結構でございます、まず御発言をいただきます。

安倍内閣総理大臣 私も、鈴木委員が長年にわたってこの問題に真剣に取り組んでおられましたことを知っております。そういう本当にたくさんの真剣に取り組む方々の成果として、現在政府が提出をしている教育基本法の改正案があると思うわけであります。

 先ほども答弁をさせていただきました。近年の教育の状況を見れば、多くの国民の方々が教育を変えてもらいたい、そういう思いであることは間違いないと思うわけであります。その中で、この六十年間の変化の中で、やはりこの基本法を変えていくことが極めて重要であると思います。

 特に、我が党の教育基本法の改正案の中には、公共の精神の重要性、教育の目標の中に、また前文でもうたってあるわけでありますが、教育の目標にも書いてあるわけであります。また自律の精神等も書いてある。こうした点がまさに今欠けているのではないか。このような指摘もある中において、特に公教育、だれでもが通うことができる公教育を一日も早く再生していかなければ格差は拡大をしていく、そういう危険性が増加していくわけであります。

 その意味におきましては、この教育の再生、改革は我が内閣におきましては最も重要な課題である、このように認識をしておりますし、必ず責任を持って取り組んでまいります。

鈴木(恒)委員 ありがとうございました。

 鳩山由紀夫幹事長にぜひお答えをいただきます。

 私は、鳩山さんと当選同期でございまして、一期生のころから政治改革の議論を真剣に一緒に積み重ねて、ユートピア政治研究会なるもので、友情も厚いと考えておりますが、先ほど鳩山幹事長は、この教育基本法の改正について、時間をかける、しかし引き延ばしはしない、こうおっしゃいました。

 引き延ばしはしないんですね。一言で答えてください。

鳩山(由)議員 議論を徹底する必要はありますが、時間的な引き延ばしなどをするつもりは全然ありません。

鈴木(恒)委員 民主党の法案の中に、前文に「日本を愛する心を涵養」、こうあります。個人主義への行き過ぎの反省から書かれたと聞いておりますが、それならなぜ本文に書かないのか。

 時間がありませんので続けて申し上げますが、日教組は、ことし五月の書記長談話の中で「「内心にかかわることを法律で規定すべきではない」と主張してきた。それが、前文であろうと、条文であろうと法律に規定されることには問題がある」、こう書記長談話にございます。四日前の大会でも、何としても改正は阻止をすると、何と非常事態宣言をされました。国会デモに対して七人の民主党議員が請願を受け付けていらっしゃいます、この日教組の請願に対して。

 日教組の組織率はだんだん落ちてまいりまして、民主党の有力な支持母体の一つでありますが、私の承知するところ、ことしの十月段階はまだ数字が出ておらないそうでありますが、昨年の十月段階、二九・五%と、ついに三〇%を切りました。しかし、現場に日教組の組合員はまだ三十万三千八百五十六人おります。いいですね。衆議院に日教組出身の議員は一人もおられなくなりました。しかし、参議院には五人いらっしゃいます。この有力な支持団体が、前文だろうが条文だろうが許さぬ、これを阻止する、こう言っていらっしゃる。

 民主党の皆さんは、内心を強制するわけにはいかないから涵養という言葉を使ったんだと言われます。何か土に水がしみ込んでいくように、愛国、国を愛する心をしみ込ませるんだと前の国会でも答弁していらっしゃる。しかし、三十万何千人かの日教組の教職員が現場にいて、どうして水がしみ込んでいくんですか。御答弁いただきたい。

鳩山(由)議員 日教組には日教組のお考えがあると思います。ただ、私どもは民主党であります。民主党として日本国教育基本法案を提出しているわけでありまして、したがいまして、私たちは私たちの考えを通していくということだけであります。

 あとさらにお尋ねがあれば、同僚の議員が答えさせていただきます。

鈴木(恒)委員 それはもう本当の、答弁のための答弁でしかありません。三十万人の方々が組合に所属しながら現場で教育に当たっているんですよ。それが、内心の問題に、条文であろうと前文であろうとだめだと言っていながら、どうしてしみ込んでいくのかわからない。

 前文は私の大先輩である西岡先生が書かれたように聞いておりますけれども、仮に民主党案が通ることを前提にして、すべて日教組出身の議員も含めてまとめ上げた真剣な議論とは、実は私は思いません。その証拠に、これは日教組から私の耳に入ってきた言葉として、民主党案の提案は、政府案に反対し、それを成立させるというよりも、廃案にしていくための対策ととらえている、こう日教組の幹部は言っているんですよ。真剣な法律案の提出とはとても思えない。しかも、前文にそんな問題がある。

 いかがですか、藤村さん、長年の友情に水を差すような答弁を求めますけれども、御答弁いただきたい。

笠議員 鈴木委員にお答えいたします。

 とらえていると言われても、私も、西岡元文部大臣らとこの法案を取りまとめさせていただきました。確かにいろいろな御意見はありましたけれども、我々は、最終的にこれを、全議員の開かれた議論としてこの日本国教育基本法案をまとめさせていただいたことは全く間違いのない事実でございます。

 そして、もちろん、政府の改正案に対しても、あるいは私ども日本国教育基本法案に対しても、教育基本法自体を全く見直す必要はないというような意見を持っておる方は日教組の中にも、あるいは国民の中にもおられると思います。そうした方々については、我が党案が成立をしたら、日教組の、組合の職員ということに限らず、しっかりと御理解をいただけるように説明をしてまいりたいと思っております。

鈴木(恒)委員 民主党案の中身について、幾つか問題があるんですけれども、一つだけ指摘をして、御答弁をいただきます。

 前国会での議事録をよく精査いたしますと、民主党案の条文解釈と小沢党首との考え方に大きな差が一つございます。例えば、今必修科目の履修漏れの問題がございますが、これに関連して、国と地方の役割分担の議論が当然出てくる、教育委員会のあり方を初めとして。

 そこで、国と地方の役割分担について、藤村さんは、ことし五月二十六日の答弁で、教育の基本は水準の維持ということがあるから、学習指導要領であったり検定制度、これは教科書の検定制度だと思いますが、これはナショナルスタンダードをやはり国が責任を持ってつくるんだということを言っていらっしゃって、環境をつくるのはまさに最終的に国の責任だ、こう理念として説明をされております。

 しかし、小沢党首は、これは今もホームページにまだ生きているはずでございますが、「義務教育については国が最終責任を負うと同時に、」と言っていらっしゃる。「負うと同時に、」「各地方自治体で自ら教育内容を決めて、」とも言っていらっしゃる。全然違いますね。国が最終責任を持つのじゃなしに、小沢さんは「と同時に」、こう言っていらっしゃる。

 これから、例えば、小沢さんは教育委員会も改正してと言っていらっしゃるんですけれども、ここの整合性が私にはとても理解できない。(発言する者あり)失礼なことを。こういう失礼なことを言うから、教育基本法を直さにゃいかぬのです。テレビの方々はやじが聞こえませんけれども。

 委員長、ちょっと注意を喚起してください。

森山委員長 御静粛に願います。

鈴木(恒)委員 藤村さん、短く御答弁いただきます。

森山委員長 武正公一君。

武正議員 鈴木委員の御質問にお答えいたします。

 民主党の考えは、地域のことは地域で、地方のことは地方で決める、これが基本なんです。そして、なおかつ、この法案では、国民の学ぶ権利を保障して、その地方自治体の首長が権限と責任を有する、こういうふうにしているわけであります。

 なおかつ、最終的な責任は国が負うとしておりますのは、先ほど来御指摘がありましたこの学習指導要領、そしてまた予算の確保、これをうたっているのであって、やはり責任の所在が現行法制あるいは今回の政府案では不明確である、こういったことから、まずは地方自治体の首長に権限、責任を、しかし、最終的な責任は国が負う、それは学習指導要領あるいは予算である、こういうふうに言っております。

 なおかつ、民主的な運営については、学校理事会というものをしっかりとつくっていって、それを担保しようということでありますので、小沢代表の発言は、我々の出している法案と一切、いささかもそごはございません。

鈴木(恒)委員 この辺は、これからの議論にまちたいと思います。

 私は、冒頭申し上げましたように、一刻も早く、一日も早く教育の憲法を直して、そして日本の社会の正常化を図りたい、もうこのことを本当に真剣に考えております。いろいろ議論をして、家庭の役割、大学教育、総理の言われるイノベーションを進めるためにトップクラスの頭脳もつくらねばならぬし、もう本当に教育にまたれるものは多いのです。

 教育基本法を早く仕上げて、鳩山さん、ぜひお願いしますよ、一日も早くつくりましょうよ。そして、大きな国民運動を与野党一緒になって起こして、こんなみっともない劣化社会を一日も早く蘇生させる。

 私は、もう次の言葉も実は考えているんです。国民運動を起こすときに、どんな宗教も、どんな団体も、どんな会社も、どんな家庭も、いいですか、これは後で総理に感想を聞きますから。私は、ワンフレーズじゃありませんけれども、人に優しく自分に強くというのはどうだろうと。これならだれも文句言わぬだろうと。人に優しければ、地球環境も含めて他者に対してのいたわりの気持ちなど、日本の伝統、文化がはぐくんできた気持ちもわかる。自分に強く、少しは痛めつけられたって敢然とはねのけて自分を確立していく強さを持たねばならぬ。七転び八起き、人に優しく自分に強く、こういう国民運動を起こせば、まだまだ日本は大丈夫だ。

 総理、この間、私は押切もえさんという方と、これは藤村さんと一緒につくった法律なんですけれども、文字・活字文化振興法というのをつくりまして、読み書きの力を強めにゃいかぬということで、藤村さんと一緒に塩崎官房長官に、「木を植えた男」を総理にお届けしました。

 押切さんと一緒にちょっと過ごしてみて、すごく礼儀正しい、頭の回転の速い、私は今の若者は我々の時代に比べて決して劣っていないとこの押切さんのことだけでも言える。松井秀喜見たって、イチロー見たって、きのうの安藤美姫見たって、スポーツに限らず、文化、芸術その他、もう日本の若者はすばらしい能力を持っている。しかし、一番欠けているのは、自己規律といいますか、公共心といいますか、おまえね、人様のことをまず考えな、あるいは、金持っているやつが強いなんて思うな、金で買えないものがとうといんだと我々は教わって、教育基本法のもとで育ってきました。

 時間が参りました。どうぞ、先ほどの鳩山由紀夫さんの引き延ばしはしないという言葉も含めて、総理のこの基本法改正に関するお気持ちを最後にもう一度語っていただいて、私、質問を終わります。

安倍内閣総理大臣 民主党も、教育改革のためには教育基本法の改正が必要である、この認識は同じものだ、このように思うわけであります。まさにこの教育の再生、改革は待ったなしでありまして、国民の要望もそうではないか、このように思うわけであります。

 既に相当長い時間を費やして議論を行ってきたわけでありますが、この教育の再生のためにも、ぜひともこの教育基本法の改正を、さらに深く議論をいただき、速やかに成立を図っていただきたいと思いますし、我々政府としても全力を傾けてまいる決意でございます。

鈴木(恒)委員 ありがとうございました。これからも真剣な議論を重ねさせていただきます。

 ありがとうございました。

森山委員長 次に、西博義君。

西委員 公明党の西博義でございます。

 きょうは、約五十時間の審議を通常国会でやった上に、臨時国会で具体的な議論が再開をされました。真剣な議論の上に、一日も早く新しい教育基本法が成立することを心から望んでおります。

 先ほど大島先生からもお話がありましたが、冒頭、高校の履修漏れの問題について大臣にお聞きをしたいと思います。

 約一週間前に発覚をしたこの問題が、日々全国規模で明らかになってまいりました。昨日あたりは文科省として、今も大臣から詳細、数字が上がっておりましたように、具体的な学校の数、生徒さんの数等も上がっておりますが、来年の受験を控えた生徒、保護者にとっては特に衝撃的な問題ではなかろうか、こう思っております。

 我々もこの問題に対して、きちっと詳細、事実を明らかにしなければならないのは当然でございますが、何よりも、大事な時期でございます。いたずらに不安をあおるようなことのないように、事態を速やかに収拾をしていただいて、落ちついた環境の中で受験勉強に取り組んでいただくというのが基本的な考え方でございます。

 大臣も早速、先ほどもお話ありましたように、今週中ぐらいにはきちっと大臣の責任のもとにおいて解決策をお示しする、こういうお話でございました。

 実はこの問題、やはり表面だけではなくて、さまざまな教育に関する問題をかなりはらんでいる問題であろう、私はそう思っております。すぐにすべてが解決するということにはならないかもしれませんが、まず当面する課題についてきちっと対応をしていただきたい、このように心から考えているところでございます。

 先ほども話がありましたように、生徒の側からすると、学校並びに先生からの指示のとおりの履修をやってきて、不履修という形で今急に発覚をしたということですので、彼らには直接責任はない、これは当然のことでございます。ただし、このことを計画した学校並びに校長、教育委員会の関与は今後の問題だと思いますが、これは今のこの学校教育に私は大変な不信感を招いた、このことは事実ではないか、こう思うんです。

 そうなってまいりますと、やはり、教育委員会もそうでございますが、その教育行政を預かる文科省、とりわけ大臣の、責任と言ったら厳しいかもしれませんが、あり方というのも、大変これは重要な問題をはらんでいるというふうに思います。私は、決して、大臣が責任あるからどうこうと言うつもりはございません。ただし、教育行政を預かる一人として、率直に、今の生徒また関係者に大臣としてのお気持ち、これを表明していただければというふうに思いますが、いかがでございましょうか。

伊吹国務大臣 御承知のように、高等教育は、国が基準、基本を示し、それに従って都道府県が、ほとんどは都道府県ですが、私立もございますが、高校の設置者となり、教員の人事権を持ち、管理運営をいたしております。しかし、統一的な基準を示しているのは学習指導要領でありまして、これは大臣告示でございますから、その告示どおり守られていなかったということは、私に管理権、人事権がないとしても、やはり結果責任の一端を私が負わねばならないと思っております。

 そのために、まず総理から私にお話があったのは、未履修の生徒だけが実は被害者であるのではないよと。未履修の生徒はどういうことになっているかというと、受験科目を濃密に教えてもらって、受験以外の必修科目を未履修なんですよ。その生徒さんと、決められた学習指導要領どおりやっている生徒さんは、同じ大学を受けなければならないということが起こってくるわけですから、全員が被害者なんですよ、学生は。ですから、その不安を、一刻も早く、そういう見地に立って取り除くようにと。

 ですから、未履修の方々を必ず卒業できるようにしてあげる、同時に、履修をした人たちに、正直者がばかを見たという気持ちにならないようにやっていかなければならない。これをスピード感を持って早くやって、今一番受験を前にして精神的に不安なときでしょうから、その不安をまず取り除くということ。もちろん、地方の高等学校の教育行政を預かっている人の責任云々というものはございますが、これは先生、ちょっと火事場で原因を追及する、もちろん後で検証はしなければいけないんですが、まず火を消すこと、これに全力を挙げて、やらせていただきます。

西委員 大臣から心強いお言葉がございました。責任の一端は私にもあるという、私は実はその言葉をお聞きしたかったんです。子供たちに対して、だれが被害者、そう言えば、今の当事者、高校生、特に受験を控えた皆さんは、みんなが被害者ということになるかもしれません。その被害者に対して、もちろん、保護者、すべていろいろな関係者、広げればたくさんいらっしゃると思いますが、その人たちに対して率直な責任者としてのお言葉をちょうだいした、このことがやはり私は教育にとって大変大事なことではないか、教える立場、教えられる立場ではなくて、一人の人間としての本当の生の姿を、また生の発言を子供たちに伝えていく、このことが教育の根幹ではないかと思うものですから、私は一言申し上げさせていただきました。

 今後のことでございますが、種々今週中にまた御検討いただくということでございますが、まず全体として、すべての高校生に対して、卒業できる道を開く、これは当然の、このことによって落第ということのない、こういうことは確約をしていただけるのではないかというふうに思います。

 同時に、補習授業を行うというような、いろいろな作業がございます。そのときには、このことによって補習を受ける生徒が過度に負担となったり、また逆に、不公平になったりということのないような考え方をぜひともしていただきたいというふうにお願いをいたします。

 余りかたくなになることはなくて、例えば時間数の問題とか単位の問題とか、さまざまな要件があると思いますが、もう既に半分以上の授業時間数が経過しているものですから、柔軟に対応できるように、ぜひともこのことについてはお願いをしたいと思います。

 同時に、学校長の責任についてはもう既にお述べいただきましたが、このことについては後日やはり何らかの形できちっとした対応が必要だと思いますが、まさしく今の現実の対応を最優先していただく、こういうことでお願いをしたいと思いますが、文部科学大臣のお考えを再度お願いいたします。

伊吹国務大臣 先ほど来、私申し上げましたように、まず、全生徒が被害者であって、正直者がばかを見ては、これはいけません。しかし、同時に、そのことだけを貫く余り、自分に責任がなかったのに卒業できないなんということは困るわけですね。それで、卒業させるためには、学習指導要領というものはございますから、補習はやはり受けていただかないと私はいけないと思うんです。ただ、受験の前の時期でございますから、非常に難しい時期でございますので、既に学習指導要領どおりやられた方と余りアンバランスが生じないように、かつ、過重な負担にならないように、極めて難しいことを今法制的に詰めておりますので、先生の御示唆もひとつ承って、午後からも各党の御意見があると思いますから、承って対処させていただきます。

西委員 ありがとうございます。

 当面は、受験生、保護者の動揺を鎮静化させる、しかも、これは時期を失することなく早くやっていただくということが大事かと思いますので、精力的な御検討をお願いしたいと思います。

 この問題、単に現場を責めればいいということでは、これはとどまらないと思います。私たちが新たな課題を突きつけられているのではないかという気もいたします。いわゆるひずみが学校教育の中に起こっているという、その現象の一つではないかと私はとらえております。

 今回、教育再生会議のメンバーの一人に入っておられます陰山英男立命館大学教授が書いた論文ですが、「受験が子どもをバカにする」、こういう論文が最近出ております。かなり刺激的なタイトルなんですが、受験エリートが大学に入ってから伸び悩む傾向がある、その理由として、受験勉強で頭脳が疲弊している、疲れている、こういうことを指摘しているわけでございます。

 それにとどまらずに、詰め込み教育は、言ってみればCPUの処理能力が不十分なまま、つまり、計算をしたり、またそれを処理したりというような、そういう脳内の機能が不十分なまま、ハードディスクに無理やり大量のデータを送り込むようなものだ。コンピューターの例を挙げて言っているんですが、記憶だけを詰め込む、データだけを詰め込む、しかし、それを処理する能力がない、こういうことをおっしゃっているんですが、子供たちにゆがみが出るのも当然と言えるだろう、こういうふうに述べておられます。

 この点について、私も全く同様の認識を持っておりますが、子供の脳を疲れさせて、そして、子供特有の好奇心、それから感性というものを枯渇させて、さらには、さまざまな問題行動の要因になるようなそんな教育、これは私たちの目指す教育ではない、こういうふうに思っております。

 現実に、経済的な要因による格差だけではなくて、いじめ、不登校、それから学力低下、問題教員、児童虐待、さまざまな問題がございます。フリーター、ニートの増加など、我々、数多くの課題に直面しているわけですが、一方では、教育行政については、市町村教育委員会の形骸化も指摘されています。また、学校現場の先生方の創意工夫が十分に発揮できていない、こういう問題もまた一方ではございます。

 そんなことを解決するために、公明党は九月三十日に新体制が発足いたしましたが、この出発に当たって、三つの視点で教育改革に取り組もう、しかも最優先課題の一つだ、こういうふうな意気込みで今出発をしたところでございます。

 まず第一に、人間のための教育、これを目指していきたい。人間のための教育というのは、先ほども指摘がありました、戦前の富国強兵、それから戦後の経済至上主義のように、教育を国家の手段として位置づける国家のための教育とは違って、一人一人の子供の無限の可能性を開いて、子供の幸せ、それ自体を目的とする教育、これが第一点でございます。

 二つ目は、現場を重視した教育でございます。教育の現場である学校や地域、家庭こそが重要である、そして、教員や保護者、子供たちが実際に抱える悩みを直視して、解決に向け最大限の努力をする。

 第三には、社会に開かれた教育でございます。教育の迷走の一因は社会の教育力の低下にある、家庭や地域、学校の教育力を高めるためにあらゆる施策を結集して取り組んでいきたい、こう考えております。

 その点について、私どもの政策ですからどうということではないんですが、大臣、今申し上げましたことにつきまして、私ども、与党として全力で頑張っていく覚悟ですが、大臣のお考えもあわせてお願いを申し上げたいと思います。

伊吹国務大臣 今先生がおっしゃった三つの点ですが、先ほど陰山先生のお話が出ましたが、受験万能、知識万能でやるだけでは、これは人間を受験のための機械というか、マシンにみなした教育をやっている。しかし、やはり人と人との触れ合いの中で、人格の大切さ、そして、先ほど来いろいろ御意見が出ていた、大切な自由には必ず規律というものが要る、守るべき権利には必ず義務が伴うとか、こういう人間として大切なことを一緒にやっていく。それから、地域社会の中でどう教育を再生していくか。それから、もう一つおっしゃいましたね、二番目の……(西委員「現場です」と呼ぶ)現場、これは今まさに起こっていることを見れば、これは民主党さんだけじゃなくて、だれでもが現場の大切さというのは考えているわけなんですよ。それを制度的に改革していくための教育の基本を定めたのが、今回お願いしている教育基本法ですから、私は、今、西先生がおっしゃった考えは、文科省を預かる者として全く異論はございません。

西委員 今、現場のことに即しておっしゃられました。教育基本法はあくまでも教育の基本を定めるものである、その基本に立って、それぞれの現場の課題を解決するために教育基本法というものを制定するんだ、全く同じ気持ちでございます。そういう意味では、熱心な議論の上に、一刻も早く成立をさせていただきたいというふうに思います。

 先ほどもちょっと陰山先生の話も申し上げましたが、実は、イギリスのトインビー博士、もうお亡くなりになりましたが、有名な歴史学者ですが、学ぶということは、人間が本来持っているヒューマニティー、人間性ですが、人間性をより高めていくことである、大臣がまさしくおっしゃられたとおりでございます。学ぶということの意義というのは人間性を高めることなんだ、こういう言葉、私は全くそのとおりだな、こういうふうに思うんです。

 最近読みました、「素晴らしい親 魅力的な教師」こういう本がございますが、これはアウグスト・クリという精神科医で科学者の方ですが、こういうふうに述べております。私たちは、子供たちに余計な情報を与えて、子供たちの知性の働きや生きる喜びを妨げ、子供たちの頭脳を使い道のない情報の貯蔵庫にしているのですと。よく似た趣旨だと思います。

 それで、この人は、十の教育法、十点にわたっての教育法を述べているんですが、例えばこんなことがございます。教室には落ちついた音楽を流すように。例えばクラシックなんかを流したらどうだと。これはもうオフィスなんかでも取り入れられていることですが、こういうこと。それから、机の並べ方についても、円形にしたり、馬蹄形、U字形にしたり、きょうは教室形でございますけれども、そういうふうな工夫があって、お互いが、生徒同士が、身近な関係にすること、これも大事ではないかと。それから、いろいろな、何とかの法則とかありますけれども、この法則を教えますけれども、その人の人生、その人がどういう環境にあって、どういう思いでこのことを、この法則を見出したのか、何に疑問を持ったのか、こういうことを教えることが大事なんじゃないかと。もう一つは、少しの時間でもいいから、教師自身が味わった挫折、成功、悩みや夢について率直に生徒に語ることが大事だと。

 私は、先ほどちょっと申し上げたかったのは、大臣が今の状態について率直に皆さん方に申し上げていただくということが大事だという趣旨は、そこにもある。大人と子供ではなくて、人間対人間の触発、お互いの理解の中に教育は進んでいくものだ、こう思ったからでございます。

 かなり、一見遠回りのように見える取り組みですが、結果的には私は教育の問題の本質に迫っている言葉じゃないかというふうに思っておりますが、総理、このことについて御感想がありましたら、ちょっと一言お願いをしたいと思います。

安倍内閣総理大臣 大変示唆に富んだお話をいただきました。

 やはり、教育については、現場、これはまさに教室であり、また家庭であり地域であろう、このように思うわけであります。特に、教室で子供たちがどういう先生に出会うか、これは人生にとって大変大きな問題であり、大きな影響を与えるわけであります。多くの先生方は、まじめに子供たちのために教壇に立っておられるんだろうと思いますし、私もすばらしい先生と出会いました。そこで教師がその人格を子供たちにさらしてぶつけていくということも、これはやはり人格形成においては重要ではないか、こう考えるところでございます。

 その中で、一生懸命頑張っておられる先生、あるいはいろいろな工夫をしておられる先生方に対して正しい評価をしていくことも、これは必要ではないか、こんなように思うわけでございますが、ただ単に詰め込み教育だけではなくて、人格の形成を図っていく、本来の教育の目的に沿って、我々も、まずはこの教育基本法の改正を行い、そして教育再生に全力を傾けてまいりたいと考えております。

西委員 実は私、この仕事になる前に、二十年間和歌山にある工業高専の化学の教師をやっておりまして、そういう意味では、こういうことを言いながらも、内心反省もあり、また教師としての楽しみといいますか、全くわからなかった物事の考え方を生徒がわかり、そしてそれを応用していける、ちょうど、私たち親が自転車の後ろを押していきながらぱっと放して、子供が一人でぱっと自分で乗っていけるようになった、その瞬間が、一刻一刻、教えるという行為を通じて子供たちに伝わっていくのが目の前に見えるという、本当に味わえない楽しみといいますか、また役割を果たさせていただいたなというふうに思っておりまして、また、教育について今後も全力で頑張っていきたい、こう思っております。

 ちょっと前置きが長くなりましたが、具体的なことに入っていきたいと思います。愛国心の問題でございます。

 今回の教育基本法案において、教育の目標というところで、我が国と郷土を愛する態度を養う、こういう規定に関して、この国ということについては、統治機構を含まないという法解釈が前回のこの特別委員会でも既に確認をされております。過去において、国家の優先が行き過ぎたために国民が有する基本的人権などのもろもろの権利が制約されたという教訓は忘れてはならないものであり、この点はしっかり押さえていかなければならないと考えております。

 小泉前総理も既に答弁されておりますが、このことに関連して、通知表などを初め、内心の自由を評価することはないということも再確認をさせていただきたいと思いますが、総理の方から御答弁をお願い申し上げます。

安倍内閣総理大臣 我が国は、自由と民主主義の価値、これを憲法によって、また多くの国民が共有をしているわけでありまして、統治機構としてのこの国を愛せという概念は、まさにその価値と相反するものであるのは当然のことでございまして、我々がこの教育基本法でうたっている、国を愛する態度を涵養していくということについては、これは当然統治機構は含んでいないわけであります。

 また、学校の評価において、この国を愛する心情について、内面に入り込んで評価するということは、これは当然ないわけでございます。いわば、国を愛する心情を持っているかどうかということを評価するわけではなくて、あくまでも、日本はどういう伝統や文化を持っているんだろうということを調べたり勉強したり研究したり、そういう姿勢について、学習する態度を評価するということではないかと思います。

西委員 ありがとうございます。

 国を愛すべきだと子供に教えたり語ったりということが大事なのではなくて、本質的には、子供が愛せる国を大人がつくっていく、こういう責任を我々自身が持っているんだという気概が必要ではないかというふうに思います。

 教育基本法の改正を受けてどのような教育改革を行っていくかということが今後の一つの焦点になっていくと思いますが、現在の教育関連の法令、大きく分けますと、たくさんありますが、学校教育法それからいわゆる地教行法、地方教育行政の組織及び運営法、こういう二つの法令を中心に学校教育は回っている、こう考えてもいいかと思います。

 この二つの制度は、戦後の日本の教育に大変大きな役割を果たしてまいりました。このことについては私も高く評価をしております。しかし、時代が変わって社会の変化に対応できない側面もありますし、法制度そのものがそういう面もありますし、制度自体の疲労といいますか硬直化の部分も見られるように思います。生徒自身もまた大きく変わってきております。この学校教育法及び地教行法が抱えている構造的な問題、これを見出して、時代に対応した新しい制度をつくっていく、こういうことが今後の課題であろうというふうに私は思っております。

 一つの問題点として、学校教育法の中で、学校以外に子供たちがいるところがなくなってしまうという問題を少し取り上げたいと思うんです。

 何を申し上げたいかといえば、一つは、いじめ、不登校等で学校に来られなくなった、そういう子供たち。もう、親も子もどうしたらいいんだということで、行き場がなくなって追い詰められた状態になってしまう。これは結局は、学校へ行くということしか選択肢がない。今は若干、フリースクールとかそういうふうなものがぼつぼつありますが、一般的にはそういう隘路にはまり込んでしまう。また、二つ目は、外国人等の、日本以外の人たち。アメラジアンの皆さんもそういう状況に置かれているように思います。また、三つ目は、障害を持った人たち。この人たちはもちろん今の学校制度の中に位置づけられてはおりますが、特に高等学校等においてはなかなか同一には論じられない側面がある。こういうことを今申し上げたいわけでございます。

 そういう意味では、今の公教育に、やはり学校教育というものの縛りが強過ぎるがために、若干の不備があるんではないか、こういう感じがしております。学校教育法上、居場所がなくなる子供たちの問題についての総理の御見解をお願いしたいと思います。

安倍内閣総理大臣 ただいま委員が御質問になられました、居場所のない子供たちに対してどう対応していくかということでございます。

 これは、やはり戦後の六十年の大きな変化の中で出てきた一つの課題であろう、このように思うわけでございまして、政府といたしましても、そういう子供たちに対してどう対応していくかということは、今極めて重要な課題でありますから、我々も重要な課題として受けとめ、対応していかなければならない。そうした子供たちにどう対応していくかということも含めて、教育再生会議の中でも議論していかなければならないと考えております。

西委員 関連して、大臣の方で何かコメントがありましたら、お願いいたします。

伊吹国務大臣 今総理がお答えしましたことで基本的なことは述べたと思いますが、先生がおっしゃった三つのケースは、すべて社会における極めて少数派のお立場の人たちなんですね。しかし、日本国憲法においては、すべての国民は教育を受ける権利を持っているわけですから、この少数派の人に、多数派の納税者の理解を得ながらどうしていくかということは、一番大切なことです。

 ですから、不登校の子供には、例の御承知の適応のための教室がございますし、カウンセラー等の方策がございます。外国人は、やはりこれは日本語をまず教えて、後、義務教育に引き取るという、今やっている政策がございます。それから、最後の、障害を持っておられる方々についても、できるだけきめ細かく、やはり憲法を守っていく前提で対応する施策がございますので、それを充実し、同時に、先ほどお話しのように、やはり現場で温かく対応するように、教育委員会等にも引き続き私から話したいと思っております。

西委員 ありがとうございます。

 時間も余りございませんので、最後、教育委員会の強化のことについてお伺いをしたいと思います。

 教育学者の尾木直樹教授が最近「尾木直樹の教育事件簿」という本を出しまして、これは、文部科学省が発表した問題行動の調査速報に関して疑念を呈している。要するに、一つの表面的な事件を掘り下げていくと、思わぬ原因とかそういうものが次々と掘り出されてくる、こういうことを彼は言っているわけです。

 そこで、いじめが減少しているというデータに対して、やはり現実離れした調査結果、表面だけの調査結果こそが今の学校の閉鎖性をあらわしているように思えてならない。今回の不履修といいますか、履修をしていないという現象も、そのままきちっと公にならなかったということも、ある意味ではそういうことかもしれません。少しでも少なく報告したい、問題のない姿を見せたい、こういう学校並びに行政の気持ちのあらわれではないか、こういうふうに彼は述べているんです。

 いじめによる自殺事件でも、教育委員会がその本来の役割、責任を十分果たしていないと思われるケースも出てきております。また、小さな町なんかでは、教育委員会が、十分対応できないほど、組織的に貧弱である、こういう側面も見えてきております。

 一方では教育委員会廃止という議論がございますけれども、私は、この教育の中立性という大事な立場を保つ上でも、逆にこれは、制度的な装置として教育委員会を残すと同時に、充実していかなければならない。これが大事な今の考え方ではないかというふうに思っております。

 そんな意味で、これから教育委員会のあり方、それから権限、役割等について十分検討は必要であります。また、教育委員会の責任等についても、今まで以上に自覚をしていただくことは大事だと思いますが、今こそ抜本的に充実、拡充をしていく、強化をしていくときではないか、私はこう強く感じておりますが、文部科学大臣のお考えをお聞かせ願いたいと思います。

伊吹国務大臣 私も、文部科学大臣をお引き受けして、文部科学省へ行ってみまして、地方と文部科学省の、特に義務教育、高等教育に対する関与のあり方について、率直に言って大変問題があると私は思っております。

 先生おっしゃったように、教育に対する政治の中立性ということがございますから、これは、地方自治体の長も、私たち議院内閣制で政府を預かっている者も、みんな選挙で選ばれておって政党のイズムを持っておりますので、教育委員会制度というのは、やはり置いておかなければいけないだろうなと、私は基本的に思っておるんです。

 今回の未履修の問題、いじめの問題等を見ても、率直に言ってまことに責任感がない、私から言わせると。制度を考えるということは一つ大切でございますが、どんな制度改正をしても、それに携わる人の心構えと責任感がなければだめなんですね。ここのところを、どうしても精神論だけでいかない場合は、やはり制度的にかなり見直しをしていかなければならない。特に地方分権法において、教育長の当時の文部大臣の承認権がなくなっておりますね。それから、今回のように、間違ったことに対する是正要求権が地方分権の建前でなくなっております。

 そういうことも含めて、民主党さん案、自公の案、いろいろな案がここへ出ているわけですから、ひとつ立法府の場でいろいろ御議論をいただき、それを参考にしながら、先生がおっしゃっているように、強化の方向をとっていかなければいけないと思います。

西委員 教育委員会という存在は、教育が基本的に地方分権という立場で運営をされている以上、大変重要な位置づけにあると思います。今後、さまざまな議論があると思いますが、お互い真摯な議論の上で、今回のこの教育基本法、一刻も早く成立することを望みながら、私の質問を終わらせていただきます。

 ありがとうございました。

森山委員長 午後一時から委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。

    午前十一時五十三分休憩

     ――――◇―――――

    午後一時開議

森山委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。

 質疑を続行いたします。鳩山由紀夫君。

鳩山(由)委員 民主党の鳩山由紀夫でございます。

 午後の方は質問を申し上げたいと思っております。

 もう先ほどからさまざま議論がありましたが、昨今、連日のようにいじめが起き、そして大切な命が失われてしまっております。御冥福をお祈り申し上げるとともに、このようなことがこれから決して起きていかないようにするためにはどうすればよいのか。一つは、応急的な手当てというものも大事だと思っております。ただ、同時に、根本的になぜこういうことが起きてしまっているのかということを問い詰める必要もあろうかと思いますし、その中で、制度でしっかりと担保をすれば、こういったいじめあるいはいじめによる自殺をされる方、そういう方が少なくとも大きく減少する可能性はあろうかと思っています。

 私たち民主党の日本国教育基本法案は、基本的にこのような現場の、いじめとか校内暴力その他、また学力の低下もありますが、こういったさまざまな今日的な課題にも対応できるように、我々として英知を結集してつくらせていただいている案であります。政府の提出法案とも比較をさせていただきながら、ぜひ民主党案に対して国民の皆さんも理解を深めていただきますように、そして、早く大きなさまざまな問題がなくなっていくような努力をしてまいりたいと思っております。

 その前提として、伊吹文部科学大臣にお尋ねをいたします。

 まずは、大臣御就任をお祝い申し上げます。うちのおやじ鳩山威一郎は、生前大変に伊吹先生を尊敬しておりました。その影響もあり、私も大臣を尊敬申し上げております。大いに御活躍をなさっていただければと思います。

 ただ、就任早々の御発言で、あるいは十分に大臣としてなれておられなかったということなのかもしれませんが、記者会見で不適切な発言を、九月の段階でなさっておられる、その件に関して、やはり冒頭伺わなければなりません。

 その会見の中で大臣は、この教育基本法案の審議の時間、日程的なことに関して尋ねられたんだと思いますが、普通この程度のボリュームの法案であるならば、七十時間か八十時間で十分であると、審議時間に関して大臣の方から、このぐらいで十分であるということを記者会見で答弁をしておられます。

 審議時間を決めるのは私ども委員のメンバー、国会のメンバーでございます。確かに大臣も、国会議員でおありになることは事実でございますが、大臣としての発言としては不適切であると申し上げなければなりません。このような答弁をされたということに関して、ぜひこの場で謝っていただきたい。正直に謝って、やはり大臣としては不適切だったというふうに謝っていただければ、次の質問に入らせていただきます。

伊吹国務大臣 鳩山先生のお父さんは、実は私が尊敬を申し上げているわけでして、私が大蔵省という役所へ入りましたときに、私の保証人になっていただいた方です。ですから、私の生涯についてはお父様の保証のもとにあったわけでして、先生のお父様が立候補されたときも、当選されたときも、私の父のようにうれしかったことを覚えております。

 そこで、今御質問のございました、私が大臣に就任後の記者会見で、教育基本法改正について成立時期などを含めどのような考えを持っているかという記者の質問に対して、私はこの法律とは申していないんですよ、普通、一般論で言えば普通ですね、この程度のボリュームの法案であればと申し上げているので、別に教育基本法のことを直接言及したわけではないんです。

 しかし、野党第一党である民主党の、しかも幹事長である鳩山先生が私の発言についてこの場で、教育基本法のこの法律について言及した、審議時間について言及したという印象を持たれたとすれば、それはやはり、発言はもう少しさらに一般論的表現を使えばよかったと思いますが、まことに遺憾なことであったと思います。

鳩山(由)委員 今、遺憾であるという意味で謝罪をされたと承りました。

 これ以上申し上げるつもりはありませんが、この程度のボリュームということ、このという言葉は、やはり何か想定をする相手があるからこの程度のボリュームとおっしゃっていることは間違いないわけでありまして、教育基本法案のことをおっしゃっていることは、これはだれの目にも明らかだと思いますので、余り前置きを長くなさらないで素直にお話をされた方がよろしかったのではないかなと申し上げておきます。

 ただ、これ以上申し上げるつもりはありません。やはり、例えば国政で重要な責任を担っておられる方が必ずしも間違いを間違いと認めないというようなことがテレビを通じて子供たちに映るということも、これがまた教育をおかしくさせてしまう一つの原因になりかねないわけでありますから、先ほどの遺憾であるという言葉をちょうだいさせていただいて、ぜひ国政の中で大臣の役割と、あるいは審議をしていく我々の役割というものをしっかりと見分けていただければと思っております。

 さて、安倍総理にお伺いをしたいと思っております。

 安倍総理は、これは小泉前首相と同じように、憲法を改正すべきだということをさまざまなところでお話をされております。憲法と教育基本法という関連について私がかつて小泉前首相にお尋ねをしたときに、小泉首相は、憲法もそして教育基本法ももう六十年近くたっている、だからつくるに当たっては、やはりそのぐらいの中身の、すなわちこれから数十年もつような中身にしたいという話がありました。

 一方、その当時の小坂文部科学大臣にお尋ねを申し上げたら、いやいや、これはまず上げていただくのだ、そして、憲法改正というものが数年後になされたときに、その中の教育の議論も当然されるでしょう、そこで変更がされるならば、またそのときに教育基本法を変えればいいではないですかと。すなわち、憲法改正をあと五、六年というタームでお考えになっておられるとすれば、教育基本法をまた今変えたとしても、五、六年もてばいいんだという答弁を当時の小坂文部科学大臣はなさったのであります。

 そうなりますと、中身が大分変わってくる話でありまして、数十年もたせるべく教育基本法を改正議論するのか、あるいは数年間もたせてまた変えればいいのかという議論、どちらの立場を総理はおとりになりますか。

安倍内閣総理大臣 憲法とこの教育基本法の関係でございますか。

 現行の憲法と現行の教育基本法の関係においていえば、憲法の理念を教育の場において、教育において具体化するということが教育基本法の中にも書かれているわけでございまして、密接にかかわりがある、関係がある、こう言ってもいい、このように思います。

 また、政府提出のこの教育基本法の改正案におきましても、前文において、日本国憲法の精神にのっとり、この法律を制定する、このように書いてあるわけでありますが、しかし他方、憲法を先に改正しなければならないということでは必ずしもない、このように思います。憲法と密接にかかわりのある法律は他にもあるわけでございまして、これらすべての法律の改正が憲法改正の時期との関連で制約を受けるわけではないということは当然のことであろう、こう考えております。

 まさに、この新しい時代にふさわしい教育基本法を改正し制定せよというのが国民の声ではないか。その国民の皆様の要望にこたえて、新しい時代の精神をつくっていくことについてふさわしい教育基本法の改正案を我々は提出しているところでございますので、しっかりとした議論と速やかなる成立をお願いしたい、こう考えております。

鳩山(由)委員 私がお伺いしたいのは、憲法を改正なさるという意欲を持っておられる、当然ながら、憲法の中において教育の議論も当然されなければなりませんし、多分教育の中身も、憲法の部分でありますが、変わってくるものだと思います。私はそう考えております。

 憲法改正を議論されるというのであれば、自分自身の心の中に、私はこういう憲法をつくりたい、その中の教育はこうありたいという思いをお持ちだと思います。例えば、私は、私見ではございますが、自分自身でこういう憲法をつくってみたいなという思いで勉強いたしたわけでございます。そういうことで申し上げて、それなら安倍憲法論の中で、教育編、教育に関してどこを、このままでよいのか、あるいはやはり憲法をここの部分、教育の部分でも変えた方がいいな、そう思っておられるのがあれば、ぜひ教えていただきたい。

安倍内閣総理大臣 自由民主党においては、昨年、立党五十年を機に、既に新しい憲法の草案を書き上げているわけでございます。しかし、いずれにいたしましても、現行憲法と比べてみましても、民主主義、主権在民、あるいは自由、そして基本的な人権、そうした基本的な考え方はこれは変わりがないわけでございます。

 自由民主党の憲法草案もそうであります。平和主義もそうでしょう。そうしたものを当然この教育基本法を通じて具体化をしていくということではないか、こう思っているわけでございまして、我々の既に出しているこの草案と私どもが出している改正案は、基本的にはそれによって矛盾が生じるものではない、こう認識をしております。

鳩山(由)委員 私は必ずしもそうは思わないもので、ですからお尋ねをしているわけであります。

 例えば家族の問題。憲法をつくる際に、これは安倍総理も持論であろうかと思いますが、アメリカの意向というものが強く反映をされた、そして家制度というものが復活されるということに対して強い抵抗がアメリカから示された。したがって、憲法の中に家族というものに関する記述はありません。

 こういった部分、例えば、最近非常に起きている、子供が親をあやめてしまったり、逆に親が子供をあやめてしまったり、家庭の中の家族のきずなというものが今は言われておりますが、そういったものが非常に危ない状況になってきている、その遠因の一つに、憲法の中にも例えば何も家族のことがうたわれていない。

 私は、例えば、こういった家庭というものは社会の基礎的な単位として尊重されなきゃならないとか、何かそういう憲法の案文があって、条文があって、それに合わせて教育基本法においても、やはり家族というのは大事だね、家庭というものを尊重しなきゃいけないね、そのためにはこうした方がいいねという部分を書き直すべきではないか。

 そういう意味で、憲法と教育基本法というのは結びついているものであって、憲法を議論して、そしてその中でやはり教育も変えなきゃならないという議論があって変えるべきではないか、こういう質問に対してどのようにお答えになりますか。

伊吹国務大臣 総理から基本的なことをお答えいたしましたが、今回提出しております政府の案におきましても、憲法の精神にのっとりということは書いてございますので、新たな憲法が制定された場合に、先生が今家族のことをおっしゃいましたが、現行提出しておるものでカバーできないほど細かなことは、教育基本法というのは理念法でございますから、細かなことはそう記述されていないと私は思いますし、もし、憲法をしっかりつくらなければ基本法を出せないということであれば、民主党御自身が既に対案である法律をお出しになっているわけですから、教育の現状から見て憲法改正まで教育基本法の改正を待てないという意識は、やはり両党が共有しているんじゃないでしょうか。そこのところを大切にこれから議論をしていったらどうかと思いますが。

鳩山(由)委員 私どもの日本国教育基本法案の前文に、お読みになったと思いますが、「日本国憲法の精神と新たな理念に基づく教育に日本の明日を託す」というところで、実は、現在の日本国憲法と、そして新たな理念というものをさらに新たな憲法の中に盛り込んでいく必要があるだろうということを想定して、私どもは両方をにらみながらつくらせていただいているということを申し上げておきます。

 いま一つ、この家族の話に関しては、政府案にも多少は触れておられます。そのことは理解をいたしているつもりであります。教育の原点が家庭にあるということは小泉前首相の持論でありました。その部分は、実は民主党の教育基本法の改正の中に盛り込まれている部分でございます。

 もう一つ、実は憲法とどうしても絡む話は、教育というものは一体だれのためのものだ、教育を受けるという権利は、それならば日本国に住んでいる人たちのものなのか、あるいは日本の国民だけのものなのかという部分、これは、憲法の中でも、あるいは教育基本法の中にも、すべての国民というふうに記述をされています。私たちは、ここはすべての国民ではなくて、さらに広く、日本に在住している外国の方々でも大いに教育をしたいという人たちにも広げていくような、そういう発想を持っています。その発想も、当然伊吹大臣もお持ちだと思います。

 ならば、本来ならば、憲法の中に、すべて国民は教育を受ける権利を有すると書いてありますが、そうではなくて、何ぴともと、あらゆる人々に対して門戸を開放してありますよということを憲法にうたって、そして、その憲法に合わせる形で教育基本法を正されるということが原理的に筋ではないかということを私は申し上げております。

 そのことに関して、御見解があれば伺います。

伊吹国務大臣 先生が今御指摘になったことは一つの考え方であって、私は、それを否定するもの、その考え方自体がおかしいと言うつもりはありません。

 日本国の憲法そして日本国の教育基本法を我々国会の場で議論しているわけですから、基本的には、日本国の納税者がどのような教育を期待しているか。そこにさらに、教育の現場で広く、現在やっているように、日本の言葉をマスターした人を日本の学校へ入れていくというやり方もありますし、御存じのように、各種学校として外国人の方々が日本で授業をやっておられるやり方もありますから、日本にいるすべての人を包合するかどうかは、これは国民にやはり多様な意見があって、先生のような御意見も一つの意見だと思いますが、それが国民の今多数の意見になっているんではないんじゃないかという気が私はいたします。

鳩山(由)委員 そこは、大変驚いた答弁をいただきましたが、私どもはやはり、日本に行きたい、そして日本で働きながら勉強したい人もたくさんおりますし、あるいは日本でさまざまなことを学んで帰りたいという方々もたくさんおられるでしょう。あるいは、そういう魅力ある国にしていかなきゃならない。そのために私は、憲法でも、広く何ぴとに対しても教育を受ける権利はありますよとうたうべきだと思いますし、そしてそこに合わせるように教育基本法も改正すべきだと思っています。

 そこは、すべての国民というふうにまだ政府提出法案の方にはなっているものですから、非常に気がかりでありまして、ぜひこれから、まだ時間もありますので、そういう間でも御検討いただければと思って申し上げておきます。

 それでは、なぜ今教育基本法なのかというところで、これは法案が提出をされたときに何度も提案理由として書かれている言葉でございますが、政府の改正教育基本法の提案理由の中で、現行の基本法については、昭和二十二年以来、半世紀以上が経過している、この間に科学技術も進歩し、また情報化が進み、あるいは国際化、さらには少子高齢化という流れが起きてきている、こういうものに合わせて教育の根本的な部分も改革をしていかなきゃならないというふうにうたわれています。非常にもっともらしい文章で、その部分に関してはよろしいでしょうね。確認でございますが、よろしいと見て結構ですね。

伊吹国務大臣 提案をさせていただいた提案理由として、最初提案をいたしました小坂文部科学大臣の提案理由に書いてあるのは先生の御指摘のとおりですし、私も、継続審議になっておりますので、前回の提案理由どおりの御説明を申し上げました。

鳩山(由)委員 そこでお尋ねをいたしたいのでありますが、その中で、少子高齢化という部分に関しては、確かに改正教育基本法の中で生涯教育という項目で述べられておりまして、それがすべてだとは思いませんが、生涯教育の必要性というものの中に少子高齢化の時代に即した教育という部分を読み取ることができると思います。

 それでは、それ以外の部分、例えば科学技術が進歩をした、あるいは情報化が進んだという部分、それによって教育の改革が必要で、教育基本法が改正されるというふうにうたわれているわけでありますならば、科学技術の進歩や、あるいは情報化というものに即してどこが変わっているんでしょうか。政府の提出法案の中の条文で、ここのところでそれを読み取るんだというところがあれば教えていただきたい。

伊吹国務大臣 科学が進歩し、情報化が進み、そしてそれが起動力となって経済が大きくなっていく中で、午前中に自民党の大島委員が御説明になったように、私たちのライフスタイルが大きく変わってきている。御承知のように、大島議員は外部化ということをおっしゃいましたが、その大きくなった経済の中で、家庭でやっていること、あるいは自分でやっていたことが金銭であがなわれる、あるいは税、保険料を納めることによってパブリックセクターがそれを代替してくれる、こういう中で、何か他人に依存する、他人の税に依存する、こういう社会風潮がある現実、こういうことについて、もう一度自立自助ということを見直していこうと。

 こういうことは一つの例だと私は思いますが、やはりいろいろ社会の客観状況が変わってくることによって、現実が、昔の基本法を前提としてつくられた学校教育法その他で追いつかなくなってきているということを例示的に表示したんだと思います。

鳩山(由)委員 例示的に表示をするという、何かお題目のように、最近さまざま法案が提出されるときに、科学技術の進歩とか情報化とか国際化、少子高齢化と、お題目で唱えられているんですけれども、本当はその一つ一つが重要であって、それにあわせて、では教育基本法もどこを変える必要があるのかという議論が私は必要だと思います。

 そういう意味で申し上げれば、私どもの日本国教育基本法案の中には、いわゆるインターネットなどが子供の中にも盛んになって、そうなると、バーチャルな世界とリアルな世界が何か混同してくる、そこはコミュニケーションという立場から見ると、それによって世界じゅうにコミュニケーションが広がるという見方と、逆に、インターネットの世界だけにこもってコミュニケーションがなかなか難しい子供たちができてしまう。これは大変大きな新しい問題だというふうに我々は教育基本法の改正の中でとらえて、だから、ここの部分の人間関係を適切にしていこうではないかと。ですから、そのために、いわゆるコミュニケーション能力というものが高められる部分、あるいは阻害される部分というものをきちんと教えることが大事ではないかというようなことも、我々は教育基本法案の中に入れさせていただいているわけです。

 やはり科学技術の進歩とか情報化というのは、単なる、トータルの流れの中で例示的にとおっしゃるけれども、やはり問題がいろいろ起きているわけですから、そういう問題に対して即応できるような教育基本法に私はするべきではないか、我々の考え方はそうなっているということ。

 もう一つ申し上げれば、国際化というところも、同じように多分例示的にお話しされたんだと思いますが、私はやはり、国際化の流れの中で、国と国との間が、けんかをするのではなくて、ともに生かされているんだという共生の精神というものを国と国の間にきちっと持とうではないかとか、さまざま、他国とか他国の文化というものを理解しようじゃないかということを、私たちは前文の中に入れ込ませていただいています。国際化ということを具体的にとらえるならば、何かそういう、本来ならば、政府の提出法案の中にもきちっとそこの文言というものを、あるいは精神というものをしっかり入れる必要があるのではないか。

 もう一つ言えば、その国際化の中に、国際人権規約というものがありまして、これは多分何度もうちの同僚議員から話が出ておるのでお聞きになったと思いますが、ルワンダとマダガスカルと日本が留保している部分がある。それは何かというと、高等教育の漸進的な無償化、高等教育もただにしていこうじゃないかという世界の流れ、こういう国際的な流れがあります。それに対して三国が留保をしている。ある意味では、まじめに考え過ぎているというところがあるのかもしれませんが。

 私は、高等教育も幼児教育も基本的に無償化の方向を目指すべきだと。少子高齢化ということの対策を考えるのであれば、まずそこのところを、幼児から義務教育もそう、その後の高校も大学も基本的に無償化、いかにして負担を減らすかというところに大変大きな力点が置かれなきゃならないんじゃないか、私どもは教育基本法の中でそういうふうにうたっているわけであります。それが、国際化の流れの中で我々がたどり着いた一つの結論でありまして、その件に関して大臣はどのようにお考えですか。

伊吹国務大臣 まず、国際化の点については、諸外国との間に、共生していくというか友愛の精神であるというか、これは一つの流れがあると思います。

 しかし同時に、今回の公明党、自民党で審議をしていただいて政府が提出している案の一番の要点は、東洋の本当にちっぽけな敗戦国がこれだけ世界の中の大きな国になって国際社会の中に躍り出た限りは、まず、日本の文化に特有な日本人のパスポートをしっかり持って海外に出なければならない。ですから、日本の伝統あるいは社会規範について多くを言及しているというのは、まさにそういう意味だと御理解をいただきたいと思います。

 それから、先生がおっしゃった高等教育の無償化については、これはテレビで、今の先生の御発言だけでは誤解があるといけませんので。全体の条約の中で高等教育の無償化を留保しているのは、先生がおっしゃった三。しかし、例えば条約そのものをアメリカは批准しておらないのですよ。

 つまり、このことはどういうことかというと、やはり、中学校を出て、あるいは高等学校、高等学校までは御承知のように普通教育でございますから、高等学校を出て働きに出ている人がおりますね、その人たちが源泉徴収をされた所得税で、大学に行った人をすべて無償化できる状態では今まだ日本はない。

 これは、いろいろ考え方があります。先生のようなお考えも一つの考え方として私は否定するものではありませんが、そこは、国民の判断からすると、やはりここまで無償という話を持っていくのはやや難しいんじゃないかというのが日本の立場だったと私は思います。

鳩山(由)委員 アメリカの例を出されたわけであります。確かにアメリカはそうであろうかと思いますが、百五十カ国を超える国が批准をしていることもまた事実でございまして、その中で留保しているのが三カ国あるということであります。

 私はやはり、世の中の流れは何もアメリカに従うという話ではなくて、本当によいものであれば世界の流れに大いに沿うべきであると思いますし、その中で、今、家庭の中において、学力の格差というものが経済力の格差と結構比例しているという話がありまして、その意味での経済的な格差が学力格差を招いてしまうということにならないように、やはり幼児教育から高等教育まで含めて、私どもは、民主党としては、これは今すぐに一発でということはなかなか無理だとしても、漸進的に無償化になるように努力をするべきではないかということを申し上げておきます。それは私は非常に大事な部分だと思いますし、公共事業その他さまざまなところ、あるいは無駄遣いというものをもっとなくすことによって、一番大事な子供の教育の部分の予算が、お金がないからということだけで切り捨てられてはとても情けない、そのように申し上げておきます。

 さて、残り時間が減ってまいりましたが、いじめの話を申し上げてまいりたいと思います。

 後で、野田委員の方からは、いわゆる高校生の必修科目の未履修の問題を扱わせていただこうかと思っておりまして、私の方からは、いじめのお話を申し上げます。

 私は、ちょうど一週間前に、北海道の滝川市江部乙というところの小学校六年生の女の子が、残念ながら昨年の九月に自殺を図られて、命を絶ってしまった、その御家庭のところにお邪魔をしてまいりました。お悔やみを申し上げてまいりました。大変残念な話であります。すなわち、三年生のころから彼女はいろいろないじめに遭っていた。遺書が七通出てまいりました。その遺書の中に書いてある。五年、六年になってそれがまた激しくなった、そして、六年のときに、ついに教室の中で首をつって命を絶たれてしまったのでございます。心からお悔やみを申し上げたいと思っています。

 私はお線香を上げに参りまして、そこで、お父さん、実際に申し上げると妹さんのお子さんということでありました、でも、両親ということになっておるようでありますから、御両親のところに参りましたときに、文部科学省もこのことに関して聞き取りに来たようだ、しかし自分のところにはまだ来ていないという話を伺いました。

 文部科学省のお役人さんが滝川に来られていろいろな事情を聞かれたときに、学校とか教育委員会とか、むしろ責任がある側の話を伺って、被害を受けられた御家庭のところになぜ行かれなかったのか。やはり人の心ですから、責任が全部文部科学省にあるということを私は申し上げるつもりではありません、そうではなくて、行かれるのであれば、まず最初に被害者のお宅に行ってお線香の一本を上げてから、いろいろと事情を聞かれる方がよろしかったのではないか。

 これからいろいろとまだ自殺の案件というものは多いと思います。文部科学省自身が、おれたちには責任がないんだから行く必要はないよという話じゃなくて、心の問題として、お線香一本上げる心というものをぜひ履行していただきたいと思います。大臣、いかがですか。

伊吹国務大臣 先生の今の御注意を拳々服膺して対応したいと思いますが、率直なところ、最初、今おっしゃった滝川市の件と福岡には文部科学省の役人が調査に参りました。そこで、これは釈迦に説法でございますが、現行の教育の法制上の整備からいうと、文部科学省が直接、市町村の学校の教師に接触するということもなかなか難しい法制になっているわけですよ。だから、役人が行ったから、先生が今おっしゃったように、しゃくし定規な対応をしたんだと私は思います。

 特に、滝川の事件は、一年前にお気の毒な状況になった後、それを隠していたという流れの中で、隠していた人たちを中心に聴取をしたと思いますが、これを聞いて、私はこれはいかぬと実は思ったわけです、おっしゃるように。それで、隠しているんじゃなくて、今起こっている、今起こった福岡の事件については、お役人に行かせるとどうしてもやはり法律どおりのしゃくし定規な人にしか会ってこないから、政務官を派遣したわけです。

 政務官が行ってお焼香をさせていただいたんですが、後でこれはいろいろお話を伺ってみると、お焼香に行くと、やはりカメラ、マスコミが大変な勢いでついてくる、そのことが御遺族のお気持ちを乱さないかどうかということも政務官はやはり非常に心配しながらやっておりました。

 ですから、今先生の御注意のように、伺うときは、マスコミやその他周辺の状況等を考えて、心温かく対応できるようにこれから指導したいと思います。

鳩山(由)委員 前向きな御発言をいただいたと思っております。ぜひそのように、しゃくし定規にはかることではなくて、心を持った対応をお願い申し上げたいと思います。

 私が残りの時間で申し上げたいことは、このようないじめの問題などは今に始まった話では当然ありません。当然、教育基本法を議論するときに、政府の法案においても、また私どもが議論をしている法案においても、いじめの問題などは一番大きな問題として、どうすればこういった問題が起きなくなるだろうかということを考えてまいりました。

 私は、先ほど伊吹大臣にも申し上げましたが、今回の滝川の話を伺うにつれ、いろいろな憤りというものが出てまいりました。すなわち、あらゆるところで隠ぺい工作が行われている。学校側としても、教師としても、このいじめというものが見つかってしまうことによって評価を下げられてしまうとこれはまずいということで、いじめというものあるいは自殺ということすら認めようとしていなかったわけです。そういうものはなかったものだというふうに彼らもしたい、そして市の教育委員会も同じようでありまして、しばらくの間、こういったものが見つかったらやはりまずいなということで、ささいな言葉や行為の受け取り方は人によってさまざまで、いじめを裏づける決定的な事実は出てきていないなどということを最初言っておったわけであります。

 遺書が七通残って、教室の中でみずから命を絶たれた女の子が何をそこで死をもって意味するかといえば、いじめがあったということは、これはどう見ても客観的に当たり前の話であるにもかかわらず、それを教育委員会も認めようとしなかった。そして、北海道の教育委員会に遺書のコピーを市から提出した、そのコピーをどこかになくしてしまった。北海道に至っては、まさに言語道断のことを行っているわけであります。

 こういったていたらくはどこにあるのかというと、結局責任のたらい回しで、どこに責任があるのかが明確でないものだから、先生も、校長先生も、あるいは市の教育委員会も、あるいは北海道の教育委員会もできるだけ自分ではないように逃げ回ってしまって、わからないよということに、うやむやにしてしまう。だから最後は、あなた方さえ、すなわち被害者の方々に、あなた方さえ泣き寝入りしてくれればこういう話は表ざたにならないで済むんですよみたいな話になってしまう。とんでもない話だと思いませんか。

 なぜこういうことが起きてしまっているかということは、やはり今までの教育基本法、一番の根本的な原理の中に、どこに責任があるのかという責任の所在が必ずしもはっきりとしていなかったことにあるのではないか。

 私どもは、これも先ほどから出ている話でありますが、最終的な責任、それは国が持つというふうに規定をします。最終的な責任というのは、いろいろな法律をつくったり、財政的な措置を行う、あるいはナショナルミニマムといいますか、どうしてもこれは日本の中で統一させておかないとまずいという部分に関しては、そこはやはり国が最終的な責任を持とう、しかしそれ以外のことに関しては、地方公共団体の首長が責任を持って教育行政を行わなければならないというふうにうたっておりまして、今回の問題でも、例えば滝川市に責任というものがある、こういう問題に対しては国の前に滝川市に大きな責任があるぞということを自覚してもらわなきゃいけない。それが必ずしも見えていないものだから、みんなで逃げ回るような話になってしまっている。

 これを、責任が教育委員会にあるという話が一時出ておりましたが、教育委員会にも確かに責任はあると思います。しかし、五、六人の教育委員の人たちにすべての学校のすべての教室にどういういじめがあるかなんという話を、必ずしもこれを全部見ろということは不可能な話だと思っております。

 したがって、私たちは、一つは、先ほど申し上げたように責任というものを明らかにする。すなわち、どこに責任があるかということを教育基本法の中にきちっと書き入れるということが一つ。そして、その責任の中で教育委員会のあり方は発展的にこれは解消させていただいて、そうではなくて、オンブズマン、オンブズパーソン制度のようなもので、市が責任を持って行っているはずの教育行政、何かおかしいことがあるんじゃないか、おかしいことがあればそれをきちんと見抜きなさいよ、責任を持って処理しなさいよということも含めて、監視、監査をする立場のオンブズパーソン制度というものをつくることが必要ではないか。もう時間があと五分になってまいりましたから、そのことを。

 さらに申し上げれば、これは伊吹大臣もきのうどこかでお話をされたというふうに伺っておりますが、学校運営が、みんな隠そうという話になるわけですから、外からしっかりと学校運営に関しても関与させる必要がある。我々はむしろ、学校運営に関しても、単なる学校関係者だけではなくて、保護者とか、あるいは地方のその地域の方々とか、あるいは教育というものを専門としている人たち、そういう人たちを巻き込んで学校運営に当たらせる、そうすることによって、内部で隠してしまおうじゃないかという話にならない、いじめの問題にしても未履修問題にしても、これはちょっとおかしいんじゃないかということを、学校関係者が幾ら逃げようとしてもそうはさせないよという方向で学校の運営がなされるのではないか。

 私たちは、この三つを教育基本法の中にむしろしっかりとうたっていくことが大事ではないかということで、現場を勉強させていただいて、我々としての結論では、このようなことを法案の中に入れているわけであります。

 本来ならば安倍総理にもお尋ねしたいところでありますが、まず伊吹大臣からお答えを願いたい。

伊吹国務大臣 民主党からも対案として法案を出していただいている内容についての御示唆であったと思います。出していただいている法案を私がまたここで批評いたしますと、一番最初の御質問のようなおしかりを受けてはいけないんですが、率直なところを申し上げたいと思います。

 それは、まず学校の評価。これは、内部評価あるいは外部評価、それからさらに学校選択制というのも一種の評価ですね、バウチャーというところまでいっても、これも一種の学校の評価です。いろいろな制度が現実に行われていますが、それがうまく機能しているかどうかということが一番の問題です。そして、先生の今の御提案は一つの御提案として私は受けとめますが、何事も、永井荷風が「断腸亭日乗」の中に言っているように、新しいことを試みる者あれど、何事も利害相半ばするものなりで、長所と短所は裏腹なんです。

 ですから、先生がおっしゃったようなことをしますと、特定の政党によって地方の首長は選ばれます。ですから、首長が特定のイズムを持って政治を管理するということ、これは具体的に今お話しになったのはアイデアとしてお話しになっていますが、国がシビルミニマムをどこまでやって、そして地方自治体にどういう教育権を渡して、学校及び法案の中にあった学校の運営理事会みたいなものにどういう教育のところまでを扱わせるかという具体案がないと、ちょっとこれはいいとか悪いとかというのをにわかに論じて失礼なことになるといけませんが、基本的に言うと、私は、選挙で選ばれる首長に教育権をストレートに渡すということについては極めて懐疑的な気持ちを持っております。

鳩山(由)委員 それは自民党さんの政治が地域によってそういう方向になっているということなのじゃないかと思うんですが。私どもは、例えば民主党推薦の首長さんがなったときに、民主党のための行政あるいは教育行政をしろなんということは、一言もそんな思いは持たない。これはまさに公正公平な行政、教育というものを行わせるために私たちは大いに改革をしなきゃならないということで申し上げておるので、ただ、そうではない、悪意を持った首長がなった場合どうするかみたいな話というのをおっしゃるのかもしれません。

 ただ、ここは大いに勉強する必要がありますけれども、それぞれが切磋琢磨してある程度自主性を与えていくことによって、切磋琢磨の中によりよい教育行政というものを生む力が必ず生まれると思っております。

 おっしゃったとおり、全部、私どもの方が百点だということを自信を持って申し上げるつもりはありませんが、しかし、少なくとも今の政府が出しておられる教育基本法に関して、どこを見ても、例えばいじめの問題、あるいはこれから野田委員からお話がありますような未履修問題に関しての解決策を読み取ることができないんです。私たちは、少なくともそういうものに対して方向性というものを示しているということをしっかりと申し上げて、時間が参りましたので、私からの議論とさせていただきます。

 ありがとうございます。

森山委員長 次に、野田佳彦君。

野田(佳)委員 民主党の野田佳彦でございます。

 早速質問に入りたいと思いますが、質問の第一点は、戦後教育を総理はどのように総括するかということでございますが、お答えをいただく前に、私の私見を申し上げたいと思います。

 間違いなく戦後の教育で、読み書き計算、こういう基礎学力を伴った人たちがたくさんふえて、それが日本の戦後の復興と高度経済成長の大きな要因となって、一定の成果があったと私は思いますし、加えて、勤勉な国民がたくさんいたおかげで、町工場や商店街の本当に隅々で努力をして、改善をして今日の日本をつくってきたと思います。その意味では、戦後の教育というのは一定の成果があったと私は思うんですが、ただ一方で、大事なものを教え忘れたり、しっかり教えていない部分もあったように思うんです。

 そのことを端的にお話をされたのが、私が尊敬をする会田雄次先生であって、この間、文科委員会でもお話をしましたけれども、四十年ほど前に、京都大学を卒業する学生の前で会田雄次先生がおっしゃったというお話がありました。それは、君たちが各方面のリーダーになったときに、この国の将来は心配である。なぜならば、君たちは歴史をしっかり学んでいない、二つ目に宗教を学んでいない、三つ目に人の道、倫理を学んでいない。歴史、宗教、人の道、倫理、これを学んでいない人たちが国のリーダーや地域のリーダーや会社のトップになるようなとき、この国は危うい、こういう心配をされていたそうです。

 私は、このお言葉はかなり今思い当たるのではないかなと。きちんと今日本で歴史が教えられているか。日本史一つとっても、せいぜい「散切り頭をたたいてみれば文明開化の音がする」とか、鹿鳴館で踊るぐらいで大体終わってしまって、近現代史はちゃんと教えられていない。日本とアメリカが戦争をしたということを知らない若者たちもいるということであります。

 歴史がきちんと教えられていない、二つ目は宗教、そして倫理。これは、先ほど来、鳩山幹事長が取り上げられたいじめの問題にもかかわることでありますし、ことしに入っていろいろと騒動になりましたあのライブドアであるとか、村上ファンドであるとか、こういう経済事件も含めて、私は、こういう問題と無関係ではないと。

 この後で取り上げる未履修の問題もまさにそうなんですね。未履修の問題の根幹は、あの校長先生たちがひとしく言っている言葉は、みんな生徒のためによかれと思ったと言うんです。これは完全に履き違えています。総理は、教育は学力と規範の両方に力を入れていこうと、教育再生会議でもそれをテーマにしていますけれども、学力の結果が直近に出ることに一生懸命数字を出そうとして、肝心なルールを教えない、規範を忘れたということなんですね。

 事ほどさように、会田先生が残された言葉というのはとても重たいと私は思うんです。その点について、安倍総理大臣、戦後教育をどのように総括されているのか、まずは第一点としてお尋ねしたいと思います。

安倍内閣総理大臣 戦後の教育について言えば、機会均等という理念のもとに国民の教育水準は格段に向上した、これは委員が御指摘されたとおりでありまして、教育水準の向上こそ日本の戦後の経済発展を支えてきたものではないか、このように思います。また、個人の権利あるいは自由、民主主義、平和主義、こうした理念についての教育が行われたのも事実であります。

 他方、これもやはり委員が御指摘になったとおり、道徳であるとか、あるいは倫理観、あるいは自律の精神、こうしたものがおろそかになってきたのではないかという感覚を私も共有するものであります。自由に対しての責任、権利に対しての義務、そうしたものもしっかりと子供たちに教えていく必要があるわけでありますし、また、情報がはんらんし、豊かになっていく中においては、自分みずからを律する精神がなければならない。かつての時代よりも大変誘惑は多いわけであります。そうした情報の多い中でいかにみずからを律していくか、こうした教育を行っていく必要があるであろう。

 こういう中において、戦後の教育は一定の成果を上げ、意義もあったわけでありますが、二十一世紀にこそふさわしい教育基本法が必要であるという考えのもとに、御党も改正案を提出されたわけでありますし、政府としても改正案を提出させていただいた次第でございます。

野田(佳)委員 私が申し上げたかったことは、要は、歴史観、宗教観、人生観、倫理観、いわゆる観を養うという教育ができていない。これは決して入試で出てくるような分野でもないし、加えて、テストでなかなか点数であらわせない分野です。それ以外にも、思いやりだとか、礼節だとか、正直だとか、うそをつかないとか、これは数字ではあらわれない大事な価値ですが、そのことをきちんと教えてこなかったことというのが、今、私は大きな問題になってきているというふうに思っています。

 その要因は何なのかというと、これは安倍総理が本当は一番詳しいのかもしれませんが、やはり教育基本法の成立過程だと私は思います。間違いなく、GHQの影響下のもとで、日本人の美風という言葉が午前中ありましたけれども、そういうものをきちんと教えることを避けてきた基本的な流れがあったんだろうと私は思います。

 それを、改めて、いいものはいいとして継承しながら、新しい文明をつくるために、ITの時代や国際化の時代に対応するために、この日本がしっかりと、どっこい生きていける国をつくるために、やはり教育のあり方を議論するという今の段階だと私は思っておりまして、その意味では、現行の教育基本法の改正案というやり方の政府案よりも、むしろ新しい時代にふさわしい、過去のいいものを引き継ぎながらもやはり新法として提案をしている民主党案の方が、形だけではなく、私は内実を伴っていると思うのです。

 そのことを踏まえて、私がとやかく言う前に、きょうは提案者がいらっしゃいますので、民主党案と政府案、ここが違うということを、わかりやすく、明快に、元気に御答弁ください。

高井議員 元気に答弁をさせていただきます。

 民主党案は、まず前文で、我が国が直面する課題について、「人と人、国と国、宗教と宗教、人類と自然との間に、共に生き、互いに生かされるという共生の精神を醸成する」、この必要があるということをうたっております。

 そして、共生やコミュニケーションのために必要不可欠なアイデンティティーの醸成を法全体を通じた基本的理念の中に盛り込み、アイデンティティー形成に不可欠な日本の人々の言語、文化、郷土、歴史、風俗、習慣などの総体としての「日本を愛する心」という言葉を「涵養」ということで明記をいたしました。

 その上で、政府案と異なる点を六点だけ申し上げます。

 第一に、第二条で、何人に対しても生涯にわたって学ぶ権利を保障することとしております。これは、政府案には対応する条文はございません。

 第二に、現行法や政府案では明らかになっていない学校現場の一義的責任について、現場の運営自体は、これは第十八条に書き込んでおりますけれども、保護者や地域住民、学校関係者から成る学校理事会が主体的、自律的に行うこととしております。その上で、普通教育の最終的責任は国が負うということを第七条で明記しております。さらに、現在その機能を十分に果たしていないと思われる教育委員会を発展的に解消し、いわゆる教育行政を監査するオンブズマン的な組織をつくり、行政の中に担当部局を設けて行政上の権限を首長に一元化するとしております。

 第三に、宗教の意義の理解を深め、生きる意義と死の意味を考察することを教育上重視するということを第十六条で明記をいたしました。政府案は宗教教育を条文に盛り込んではおりますものの、民主党案のように命のとうとさなどについては踏み込んでおりません。

 第四に、情報教育について、インターネット社会がもたらす影響、光と影を理解し、活用できる能力を習得させるということを第十七条に明記をいたしました。

 第五に、これらの施策を確実に実行するための予算を安定的に確保するため、公教育の財政支出について第十九条で対GDPの教育予算比率を指標として掲げました。

 最後に、予算にも関連しますけれども、幼児教育の無償化を第六条で、そして第八条で高等教育の無償化をそれぞれ漸進的に導入するということを盛り込みました。

 他にもまだ細かい部分はいろいろございますけれども、今申し上げた点でも、現行法や政府案に入っていない部分、足りない部分を多く取り入れております民主党案のすばらしさを理解していただけたかと思います。

野田(佳)委員 提案者の大変御丁寧な御答弁で何となくイメージがわいてきたと思うんですが、私なりにもう少しかいつまんでまとめさせていただいて、多分、これは民主党内で全部が共有しているかどうかわかりません、私が読み込んでの民主党案のよさなんですが、一つは、やはり明確に心の教育に触れている教育基本法だと思います。

 先ほど内面に踏み込む話について御批判があるという御指摘がありました。でも、私は、あえて心の部分に触れる必要がある時代だと認識をしています。

 これは、思い出すのですけれども、学生時代に、三十年ぐらい前ですかね、教育雑誌を読んでいましたら、雪が解けたら何になるという、これは有名なエピソードらしいんですが、そういう設問があって、雪が解けたら水になるというのが答えらしいんですけれども、春になると答えた女の子がいて、春になると答えたらバツだったと。だけれども、これは正解不正解を超えた、雪国の少女だったらあってしかるべき心だなと私は思ったんですね。

 そういうものを大事にする教育というのが私は必要だと思っていまして、民主党の前文から含めて、心は物すごく入ってくるんです。「美しいものを美しいと感ずる心」とか、この後時間があったら議論をしたいと思いますが、「日本を愛する心」、心と態度の違いは後で明確にしたいと思いますが、そういう意味で、心の教育に踏み込んでいる教育基本法であるというところに一点意義があるということ。

 それから、もう一つは、そんな抽象的な話だけではなくて、先ほどのいじめの問題、あるいは履修漏れの問題で、今問題になっているのは教育委員会の役割であるとか、だれが責任を持つのか。責任は、今ばらばらですよね。あるいはそのほかに、例えばいじめの問題だったら、宗教とか命をどうするか。

 民主党の日本国教育基本法では、今起こっている問題についてどう考えるかという、よりどころになる基本的な考え方は私は出ていると思うんです。一方、政府案はそれはないですね。ないから、どうなっているか。結局、大事な問題はみんな教育再生会議にぶち込んでいるじゃないですか。いじめもそうです。履修漏れの問題もそうです。バウチャーもそうです。みんな教育再生会議ですね。それはやはりおかしいですよ。全部これは教育の基本にかかわる大問題。

 具体的に起こっている問題をどう考えるかということをしっかりやった後に、その後に私は教育基本法を考えてもいいのではないかなと。そのことの方が、安倍総理はサッチャーの教育改革を大変参考にされているようですが、これはサッチャーがつくり、それをメージャーが引き継ぎ、労働党も引き継いでいる、そういう教育改革案、教育基本法でできませんよ。

 そのためには、私は思うんですが、大事な議論を今教育再生会議でやっているんだったら、その議論を待ってからしっかり教育の基本の基本法を議論しましょうよ。その方が実があると思います。そうじゃないと、私は、あべこべのことになってしまうと思います。安倍内閣、あべこべ内閣じゃ困るんですよ。

 ということから、私は基本的な問題としてこういう問題提起をしておきたいと思いますが、今るるあった高井さんの御説明、そして私の解釈なりの今説明を通じて、民主党の日本国教育基本法案、安倍総理はどのように全体的な評価をされていますか。

安倍内閣総理大臣 民主党の教育基本法の改正案におきましても、この六十年の時代を経て新たな教育基本法が必要であるという認識を持った、これは我々の認識と同じでございます。

 そして、その中で、例えば国を愛する心を涵養していくという規定もあります。しかし、政府案におきましては、それは前文ではなくて本則に規定をしているわけであります。また、公共の精神についても、これは前文にも、あるいはまた教育の目標にも書かれているのが政府案でございます。そしてまた、教育委員会について、これはやはり政治的な中立性においての認識が我々の考え方と民主党側とは少し違うのではないか、このように思うわけであります。

 いずれにいたしましても、大切なことは、やはり、こうした今いろいろな問題が起こっている中にあって、教育基本法を改正するべきであるという認識で与党も、また民主党も同じ姿勢であるということは大事なことではないかと思います。

伊吹国務大臣 この前、文部科学委員会で先生と歴史教育のやりとりをしまして、ほとんど意見が一致してしまったように私は思って、大変心強く思ったんですが、今回の、今大切なことはすべて再生会議にぶち込んじゃってというお言葉には、いささか、私、ちょっと違う感じを持っております。

 これは教育の基本法でございますから、この基本法にどこまで書き込むかということは立法政策上の問題だと思います。あと、これを受けて、教育基本法や、あるいは教育委員会の法律や、教科書の検定の法律や、それに従う政令、告示、いろいろございます。

 教育再生会議は、例えば家族の復権などという話をするということになったら、これはとても文部科学省の枠を超えてしまっております。ですから、そういう議論をしていただくと同時に、教育の分野でも従来のやり方、考え方ではだめなところはやっていただいたらいいわけですが、その多くは、基本法に書くべきことよりも、むしろ各法において受けとめて現実に反映させていくことが多いんじゃないかと思います。

野田(佳)委員 本来ならば、民主党の日本国教育基本法案についての総理見解をこれから個別に一つずつ聞いていこうと思っていましたが、今文部科学大臣が急にお出ましをいただきましたので、一挙に履修漏れの問題をちょっと先にやらせていただきたいと思うんです。

 というのは、先々週の金曜日、確かに大臣御指摘のように、私は日本史の必修化論を唱えて、今の現状をどう思うか、どう改善するかという視点で大臣の答弁をいただきました。確かにそのとき大変前向きな御答弁をいただいて、週末はとても気持ちよかったんですけれども、でも、その質問が出て、その翌週から出てきたのは、必修の科目の議論をしていましたが、日本史の必修どころか世界史の必修も履修していない、要は世界史も日本史も履修しない歴史軽視の現状というのがよくわかってきました。

 これは歴史だけではありません、あらゆる分野なんですね。ということの問題なんですが、私は、まずこの問題は、一学校の、一地域の問題だったら、校長先生が謝罪をする、これでいいと思います。あるいは、見逃していた教育委員会の問題でいいと思います。しかし、規模が、この規模の問題は後でちょっと正確にお聞きしたいと思っていますけれども、文部科学省の実態調査は大体遅いですよね。メディアは、四十一都道府県で七万人、八万人がもう一回履修しなきゃいけない状況だということになっているんです。報道の方がどんどん早いのに、文部科学省はこれからようやく私学の調査をしようということでしょう。大体スローですよね。それで不正確ですね。さっきの数字を改めて聞きたいと思っていますが、非常に私は文部科学省という存在感が今なくなってきていると思うんです。

 この問題は、さっき言ったように、一地域のケアレスミスの問題とか一部の不心得者がいた場合だったら学校長の責任とか教育委員会の責任でいいと思います。だけれども、これだけ日本じゅうで、あっちこっちで起こっていて、しかも生徒のためによかれと思ってやったという人がいっぱいいるんですね。これは、一部の地域や一部の学校や教育委員会の問題じゃありません。国の責任です。文部科学省の責任なんです。

 総理はいいんです、これはもう文科大臣でいきますけれども、文科大臣は、午前中は責任の一端には触れたようなお話があったと思います。この問題はきっちり実態調査をして善後策を出す、その前に、あなたがやはり国民の前に謝罪をすべきだと思います。

 そうじゃなければ、これから補習を受ける生徒たち、これは全く多分教育効果はありませんよ。みんな内職するでしょう。先生も教えがいがないですよね。そんなのやっても意味はない、意味はないといっても、でも形の上ではやらなきゃいけないんですよね。全く教育効果がないことをやらせよう。その生徒達もかわいそうだけれども、一方で、ほかの子供たちはちゃんと学習指導要領に基づいて必要な授業時間を受けて、そして受験をする子供もいっぱいいるわけです。この子たちも、大臣がおっしゃるように、これは不公平感を味わったら本当に気の毒なんです。

 そういうことも含めて、今日本じゅうの問題になっているときに、国のトップが、文科省のトップが、教育委員会が悪いとか校長が悪いとか言っている場合ではなくて、まず文科大臣として、この現状に対して陳謝の気持ちをあらわして、そして善後策を講ずるということを宣言すべきではないですか。

伊吹国務大臣 まず、先生の御発言の順を追ってお話を正確にしたいと思いますが、歴史軽視じゃないんですよ。

 これは、先生がこの前おっしゃったように、例えば、日本史で受験をする人は、世界史が必修であるにもかかわらず世界史を受講せずに日本史を深掘りして、受験のために有利な授業をしているんです、現実は。ですから、日本史も世界史も教えていないんじゃないんですよ。世界史を必修にしているにもかかわらず、これは試験を受けないからといって外しちゃって、受験に有利な日本史を深堀りして教えたというのが現実なんです。

 まず、私の責任ということですが、これは、全国一律の教育水準を維持すべく告示というものを出しているわけですから、これは、その告示が守られなかった責任は私にあります。ただ、学校の運営権については、文部科学大臣は口を出せない現状になっておりますよ。(発言する者あり)それから、同時に、民主党案がいいという不規則発言がありましたが、今度は、それに口を出せるようにしたら、国家管理という御批判が必ず出てきますよ。

 そして、高等学校の教員の人事権は、基本的には都道府県教育委員会と政令市の教育委員会にあります。そして、学校の運営権は校長にあって、それを総括しているのが都道府県教育委員会だという構成、そして、全国一律の基準をお願いするというのが文部科学省の立場で、それを担保するには、調査あるいは援助、助言という立場でやっておりますので、それは、私たちが口出しできないということの部分は非常に残念というかもどかしい気持ちはあります。

 多くの高校三年生すべての諸君ですね、正規のとおりやっていた人は、深堀りをせずに試験を受けない世界史を履修して受験に臨まねばならないということですから、もちろん深堀りをしてもらった人は卒業できないという不安感を持っているわけですから、両方の方々に私は文教行政の責任者としておわびをしなければならないということはこれは当然のことだと思いますが、それにしても、もう少し、権限を持って実際当たっている人はしっかりしてほしい、これも私の気持ちです。

野田(佳)委員 最後はおわびのような言葉がありました、いろいろありましたけれども。もちろん、ほかの責任にも触れられていましたが、基本的に、おわびがあったという前提で進めたいと思うんです。

 文部科学省は助言だとか指導だとかおっしゃっていました。調査が前提だと言っていました。では、調査がどうなっているかです。きょうの午前中の大島委員との質疑でいろいろ数字を出されて説明をされたんですが、これはおっしゃっていることがわからないんですよ。

 学校の数、国公、私立合わせて、最初五百四十校と言ったのは、その後に訂正されました。これは議事録にも残っています。問題は、では一体何校で、三学年の生徒は何万人いるのか。百十六万人と出てきたり、未履修の公立の生徒は八十一万人のうちの四万七千人ですとか、さっきから分母がころころ変わっています、百十六万と八十一万。そして、だから未履修の率も七・一とか六とか七とか、この基本的な数字ですら混乱をしているわけです。これはとんでもないことだと思います。

 加えて、私立をまたまとめるわけですよね。さっき申し上げたように、遅い、不正確です。問題の認識ができなくて、何で問題の解決ができるでしょうか。これは今回だけの問題ではありません。いじめによる自殺の把握もだめだった。もっと翻ってみると、多分十年前だったと思いますね、NHKスペシャルで学級崩壊の番組がありました、スペシャル番組。これは物すごい反響のあった番組でした。そのときに、文部科学省は学級崩壊というのを知らなかった。把握していませんでした。

 事ほどさように、現場で何が起こっているかわからないし、調査能力がない、それが文部科学省だと私は思います。役に立つところが役所なのに、役に立たないところになっている。だったら、防衛庁を防衛省にするという法案が今出ているけれども、文部科学省はその程度のことだったら、もう文部科学庁にしたらどうですかというぐらいに、私は今回、文部科学省のこの先ほどの調査の報告ですらいいかげんだと思いました。

 御見解があればお答えください。

伊吹国務大臣 正確に聞いていただいた大島議員は正確に理解していただいたと思います。

 まず、はっきりと数字を申し上げます。

 国立は十五校ございます。公立は四千四十五校ございます。私立は千三百四十八校ございます。合計が五千四百八校です。

 そして、国立は十五校すべて調査を終えておりますが、未履修の生徒はおりません。それから、公立は四千四十五校ございます。このうち、未履修の学校が二百八十九校です。その比率は七・一%です。

 そして、私立については、先生御指摘のとおり、遅いと私は思います。金曜日、土曜日、事務局のしりをたたいて、御承知のように、公立は各都道府県教育委員会、政令市の教育委員会が所管しておりますが、私立は知事です。知事が所管しております。知事部局に今検討させておりますので、検討というか調査をさせておりますので、あすにはこれを申し上げることができます。(発言する者あり)そして、また今不規則な御発言がありましたが、あしたと言って、どうなったんだと言われると困りますが、あしたまでに返答を必ずするように、知事部局にお願いをしております。正確に申し上げます。

 それから次に、生徒数です。

 国立は二千八百二十六人おります。これは未履修はおりませんから、ゼロ人です。公立は八十一万二千七百六十七人の三年生がおります。このうち未履修の生徒、つまり、先ほどの二百八十九校、七・一%の生徒が四万七千九十四人、これが五・八%です。公立の生徒の五・八%です。

 私立がこれに乗っかってまいりますから、多分、先生がおっしゃっているマスコミの七万とか八万という数字は、この四万七千に、あす正確な数字を、各都道府県知事からとりました数字を乗せれば、先生のおっしゃっている数字に近い数字になりますが、マスコミはすべての都道府県を調査しているわけではありませんので、私どもが正確な数字をできるだけあす先生にも御報告いたします。

野田(佳)委員 数字については整理を……(発言する者あり)いやいや、午前中の議事録を後で御本人が見てください。混乱をされていますよ、ということはまず指摘をしておきたいと思いますけれども。

 私立も含めて、明日しっかりとした調査が出てくるということは理解をしました。理解をしましたが、今の御発言にも文科省の体質があらわれていましたよ。だって、私学の調査をするのに、しりをたたかなきゃ動かなかったというんでしょう。変じゃないですか、そんなの。感度悪過ぎますよ、それは。一々そんなことをもう言いませんけれども、調査ができないことを言いませんけれども、だけれども、実態把握の話があってから、さっき申し上げたように、どう解決するかということが出てくるんです。その上で、今は、どれだけ未履修があったか、今年度はでしょう。

 私が調べなきゃいけないと思っているのは、どの学校は何年前からかということを全部把握することです。これ、大事ですよ。いつから始まっているのか、そこが、なぜ始まったかという究明をする最大のポイントだと思うんです。何年もルール違反をした学校の校長が給料をもらっていたんですね。そんなことも含めて、私は、何年からこういう未履修がそれぞれ起こっているかを詳細に調べて、ここに報告すべきだと思いますが、いかがですか。

伊吹国務大臣 先ほど来お話を申し上げていますように、文部科学省は、間接的に、権限を持って学校を運営している人に基準を与えたり助言をしたりする立場になっているわけです、方向性は。これを直接やると、なるほど、先生がおっしゃったように、極めて迅速に対応できるという利が生じます。しかし、同時に、間違って運用された場合は、これは教育の国家管理というそしりがまた出てくるから、いろいろな観点から考えて、今のような仕組みをつくっているわけです。

 私学はまた、建学の精神というのが御党の案にはありますけれども、これはなかなか、直接やるということについてはいろいろな御意見があるために、都道府県知事にゆだねているわけですね。

 ですから、確かに、感度が悪いと批判を受ければそうかもわかりませんが、感度が悪いのを、感度を正すために政党政治で私が大臣に行っておるわけですから、しりをたたいてしりをたたいて、やっとここまで来たということは御理解ください。

野田(佳)委員 しりをたたいてしりをたたいてが回答じゃ困るんです。

 先ほどの質問は、何年前からそれらの学校はそういう未履修が起こった、それをちゃんと調べてここに報告をするかということを聞いているんです。

伊吹国務大臣 もちろん、過去の数字についても、これは過去に未履修のまま卒業して資格を校長が付与した人、この方を扱うことをどうするかということは当然やらねばなりません。ただ、どこまでどういう資料を出すかについては、理事間で協議をしていただきたいと思います。

野田(佳)委員 では、委員長に御要請をしたいと思います。

 今大臣にお願いをしました未履修の実態というものを、過去にさかのぼって、何年からどういう地域でどういう学校で起こっているか、そういう詳細な報告を文科省が委員会に提出するように、委員長のお取り計らいをお願いしたいと思います。

森山委員長 理事会において協議いたします。

野田(佳)委員 という基本的な資料、データがあって初めて私はこの議論というのは成り立つと思うんですが、そうはいっても、もう起こっている問題ですから、そしてもう受験の時期は迫っているわけですから、短期的には、どういう方針でこの善後策、救済策をとるかということが問われています。

 もう一つは、やはり中期、長期で、なぜこんなことが起こったのかということを考えていかなければいけないと思うんですが、まだ短期的な方針は、週内というお話がありましたけれども、まだお取り決めではないようですから、ここでお尋ねしてもしようがないなと思います。

 その上で、むしろ中長期の方向性の話なんですが、今回、先ほども私お話し申し上げましたとおり、この根が深いのは、進学のため、生徒のためによかれと思ったという発言が飛び交っているし、それを許容する空気もあるんですね。私は、それは違うんではないかなと。よかれと思ったことは、まさに学力で、結果を出す当面の短期目標だけなんです。

 もう一つは、きちんとルールを守っている人たちがいっぱいいるときに、それが安易に認められたら、まさに日本の教育の信頼が問われることになりますので、そのバランスをどうとって、そして二度とこういうことが起こらないようにするかということが大事であって、教育現場の責任ある人が、よかれと思ったということをもう言うなと思いますね。規範精神が全くありません。

 そういうことを私は……(発言する者あり)今あったとおり、ことし起こった偽装とか時間外取引とかと全く根っこは同じなんです。数字で結果を出そうとする。会社は利益率や売り上げはありますよ。数字を追います。生徒も確かに偏差値やテストの結果は大きいでしょう。だけれども、それ以上に大事なことを教えようというのが、この教育基本法の議論の一番大事な議論じゃないですか。

 そのことについて、これはちょっともう総理にお聞きします、大事なことだと思いますので、総理にお聞きをしたいと思います。

安倍内閣総理大臣 未履修の問題について、その原因については、やはり委員の御指摘のように、いわば短期的に受験においていい成果を出そうという結果、起こったことであります。しかし、それはまさにルールを破ることをむしろ学校側が奨励した結果になっているわけでありまして、一番大切な規範意識、規範について子供たちに教える資格そのものが問われてくることにもなるわけでありますし、また、道徳を教える資格そのものが問われてくることになる、私もこのように思います。

 また、なぜ、それではそもそもそうした必修が決められているかといえば、義務教育を終えて、そして高校においてさらにそれを発展させ、幅広い教育を行い、また教養を身につけるということになっているわけでありますから、それを横に置いておいて、まさに受験だけに絞った結果であった。つまり、この根本のところを、学校も根本に立ち返って考え直す必要があると思いますし、その責任は極めて大きい、こう考えております。

野田(佳)委員 基本的には、さまざまなそういう調査の結果を踏まえて、文部科学委員会ではこの問題の集中審議を要求していると思っていますので、その結果が明らかになり次第、早急に委員会を、これはちょっと委員会が別なので、我々は強く希望をしておきたいというふうに思います。

 その上で、教育基本法の本体の問題に、もう残りわずかになってしまいましたので、また安倍総理に、大事なところだけお尋ねをしたいと思うんです。

 これは通常国会でも議論になったかもしれませんが、日本を愛する心を涵養する、これを我々は我々の法案の前文に入れています。前文ということは、法案全体にかかっている大事な精神だということです。一方で政府案は、これは我が国と郷土を愛する、途中文章がありますけれども、態度を養うと。

 この議論はいろいろあったと思うんですが、やはり心と態度なんですけれども、先ほど、日本国教育基本法では心という文字があって、その理念が強く書かれていると申し上げました。政府案は、態度が多いんですよ、態度が。今の国を愛する態度もそうなんですけれども、第二条の目標に書かれていること、いっぱい徳目が書いてあるんですが、真理を求めるとか、勤労を重んじるとか、生命をとうとぶとか、環境を大事にするとか、みんな態度を養うんです。

 態度を養うというのはどういうことかというと、これは、例えがもしかすると総理に失礼に当たるかもしれません。総理は、大学在学中、むしろ貧乏というか質素な生活をされていたと仄聞をしたことがあるんです。これは多分、安倍家の立派な教育方針か御自身の律する気持ちの強さか、いいことだったんだろうと思うんですが、ただこれは、本当にプアだったわけではないですよね。これはプアルックだったと思うんです。これは、態度を養うというのはルックです、みんな。本質じゃないんですね。ルックばかり、見せかけばかりなんです。

 民主党の案は、心を涵養と、涵養についての定義は、先ほどされた方がいらっしゃいました、水がしみ込むように徐々に養うと。同僚の松本大輔議員は、要はだから、エルビス・プレスリーの名曲「愛さずにはいられない」という状況にしていくんだと説明をしていましたけれども、まさにそうだと思うんです。

 態度を養うのは、見せかけだけで、形だけだと思います。その意味では、内実のある民主党案の方がはるかにすばらしい、この一点をもってもすばらしいと私は思いますが、総理の御見解を改めてお聞きしたいと思います。

安倍内閣総理大臣 与党と政府の案におきましては、我が国と郷土、そして他国を尊重する態度を養うということを、これは前文ではなくて本則に入れているわけでありまして、我が国を愛する、この愛する発露としての態度があるわけでありまして、その正しい態度も含めて子供たちに教えていくべきであるということでございます。決してこれは、途中の心を教えない、また心そのものが存在しないということでは当然ないわけであって、国を愛する、また郷土を愛する心があって初めてそれが態度に出てくる。まさに、愛する気持ち、心、心情の発露としての態度が出てくる、そういう教育を行うべきである、このように考えております。そして、政府案としては、これを前文ではなくて本則に入れるべきである、こう考え、本則に入っているわけであります。(発言する者あり)

野田(佳)委員 いや、余りわかりやすくないですけれども。

 同じような視点で、民主党の日本国教育基本法案十六条では、「生命及び宗教に関する教育」という位置づけがあって、まさに命のとうとさ、人が生きる意味、こうしたものをしっかりと押さえた項目であると同時に、「宗教の意義の理解」とか「宗教的感性の涵養」、こういうものが大きな項目になっている。これは物すごく大事で、政府案の方は一般教養でとどまっているんですね、宗教知識教育。

 私は、一般教養の知識教育を持った人たちが宗教らしきものにかかわってどんなことがあったのか、これを思い出してほしいんですが、例のオウム真理教によって坂本弁護士さんの一家が殺されて、そして御遺体が山に埋められました。あの御遺体が山に埋められたときの状況というのは、自分たちが食べたカニの食べ殻を一緒に入れているんですね。カニの甲羅や足や何かと一緒に遺体を埋葬している。これは、宗教を語る資格は全くないんです。全くない人たちがこういうカルトにはまったというのは、宗教の一般教養はあったでしょう、みんな高学歴の人ですから。それを超えて、宗教の意義、生きる意味、死ぬ意味、あるいはいとおしさ、痛わしさ、慈しみ、そういう本格的な感性というところを養う入り口まで持っていかなければいけないと、私はあのときにも思いました。

 それは、その意味では民主党の方が踏み込んでいる案です。これは、安倍総理、どういうふうにお考えですか。

安倍内閣総理大臣 民主党案におきましては、「生命及び宗教に関する教育」の規定は、生命のとうとさや宗教教育の重要性から規定された、このように理解をしておりますし、また、ただいま委員が御指摘のとおりでありますが、政府案も第二条第四号に「生命を尊び、」このように規定をし、第十五条には宗教教育について規定をしておりまして、その点は共通ではないか、このように思います。

 また、主要宗教の歴史や特色、分布などの客観的知識である「宗教に関する一般的な教養」を新たに規定いたしております。また、現在においても、学校において、自然や生命の神秘といった人知を超えるものに対する畏敬の念についての教育を行っているわけでありますが、こうした教育も、当然今後とも続けていくわけであります。

 こうした教育とあわせて、宗教について子供たちに学んでいただきたい、こう思っております。

野田(佳)委員 今、愛国心の話とか宗教教育の話をしました。要は、これは、連立が大事だから妥協した話じゃないですか。

 多分、ここの、特に自民党の議員の皆さんはみんな腹八分目だと思っているんですよ。伊吹大臣、前に派閥総会で言ったそうですから。六分目、七分目という人もいるかもしれない。腹八分目の法案で五十年、百年の大計なんというのは失礼だと私は思っていまして、まさに未来の国民を考えて、一〇〇%、おなかいっぱいのものをつくろうじゃありませんか。

 そのことを強く申し上げて、時間が来ましたので、質問を終わります。

森山委員長 次に、笠浩史君。

笠委員 民主党の笠浩史でございます。

 私も、ちょうどさきの通常国会以来、この教育基本法に関しての議論に、民主党案を作成いたしました一人として、答弁もし、またこの議論にかかわってまいったわけでございます。

 まず、きょうは、安倍総理になりまして、本当にこの教育特、初めての本格的な質疑が始まるという日でございますので、まず初めに、総理の認識を幾つかお伺いいたしたいと思います。

 まず第一には、そもそもこの教育基本法、さきの国会で当時の小坂文部科学大臣等々からは、憲法との兼ね合いで、もし今度新たな憲法改正が行われたということになって、そこでそごが生じるようであれば、そのときにはまた教育基本法を変えてもいいんじゃないかというようなお話もありました。

 しかしながら、この六十年、教育基本法というものが、教育の現場の基本的な方向性あるいは理念、哲学といったものを盛り込む、本当に私は、憲法に準ずるぐらいの大きな大事な法律であろうと思っております。

 今、安倍政権として、まさに今、国会に提出をし、この議論を、継続審議でございますが、この改正案は、そうした位置づけ、これから三十年、四十年しっかりと、やはりこれは、今の教育の現場の問題、あるいはこれからの教育の現場のあり方、あるいは教育の方向性というものを定めて、やはりそれは政権がかわるたびにころころ改正をしていくたぐいのものではないという位置づけなのか、この重みというものについての御認識をまずお伺いいたしたいと思います。

    〔委員長退席、町村委員長代理着席〕

安倍内閣総理大臣 この教育基本法というのは、これはまさに教育理念、そして基本原則を定める、教育については根本法でございます。そういう意味におきましては、極めて重要な法律であると認識をしております。

笠委員 そこでお伺いをいたしたいわけですが、きょう午前中の質疑の中でも、自民党の大島委員の方から我が党の鳩山幹事長の方に対しましても、いいものをしっかりと一緒につくろうというようなお話があったわけです。我々は、まず申し上げますが、いたずらに時間を稼ぐとか、反対のための対案では全くございません。我々は本当に、この日本国教育基本法案をそれでいいとおっしゃるのであれば、あした採決してもいい、そういう思いは改めて申し上げておきたいと思います。

 ただ、総理にそこで確認をしたいんですが、今、政府の改正案がある、我々の民主党案がある。では、これを、本当にいいものをもっともっと議論してしっかりとつくっていこう、そのためであれば、今提出している改正案を例えば一度取り下げる。そして、もちろんベースとしては、この改正案、我々の日本国教育基本法案があるでしょう。両方取り下げて、しっかりと国会の場で調査会なり小委員会なりの開かれた形の中で議論をしていくというようなところまでの思いを持たれているのか。これは、まず総理に確認をさせていただきたいと思います。

安倍内閣総理大臣 私どもが政府案として提出をさせていただいておりますこの改正案は、与党において相当、何十回も議論を重ねてきたものでございまして、その中で成案を得て、政府として自信を持って当委員会に提出をさせていただいております。ですから、深い議論、広い議論の中において速やかにこれを成立させていただきたいと思うわけでありますが、もとより、委員会は国民の前に公開されているわけでございまして、きょうの委員会もNHKによって全国に放映されているわけでございます。国民の目の前で議論をしているということにおいては、この委員会、さきの国会からかなり深い議論を国民の目の前でしてきたのではないか、このように認識をしております。

伊吹国務大臣 総理が御答弁になったことですべては尽きておりますが、今委員がおっしゃったように、民主党は民主党の対案を一番いいものだと思って、自信を持ってお出しになっていると思いますよ。

 そして、政府の方も、与党の中でさんざん議論を重ねて、最良のものとして出しているわけですから、両方取り下げて委員会をつくるというのなら、憲法に規定された国権の最高機関としての立法府というのは一体どうなるのかということをやはり考えて、私たちは、自信を持って先生方に、国民から選ばれた最高の機関としての役割を国民の前に示していただいて、そしてその結果を見て、次の選挙でやはり審判を受けていくというのが民主主義の原則なんじゃないでしょうか。

笠委員 国民の審判を受けるべく、私は、去年の郵政民営化などに比べれば、本当に今大臣がおっしゃったように、確かに大きなテーマであると思います、それは総理次第でしょうけれども。

 そこで私、確かに、さきの通常国会で五十時間近くの議論をいたしました。その中で、いわゆる愛国心の問題であるとか、あるいは宗教的な感性の涵養の問題等々、いろいろな議論がありました。

 しかし、やはり政権がかわって、前は小泉総理が、これは安倍総理がまだ幹事長代理だったころですか、少々、小泉さんは教育に対しては、その思いはちょっと自分に比べると強くなかったというようなことをおっしゃっていましたが、安倍総理は少なくとも、政権をみずからが担われて、この教育の問題が一番の自分自身が担うテーマだ、そして教育の再生があって初めてこの国を再生することができるということをおっしゃっているわけですから、しっかりとこの委員会でも、議論は、例えば今国会とか言わずに、本当に議論をしていかないといけないテーマはたくさんあるんだと思います。

 私どもは、きょうちょっと御許可いただいてお配りをさせていただいておりますけれども、民主党として、この「教育のススメ」という冊子を、実はさきの通常国会が終わりまして作成いたしました。それは、きょうここにお集まりの委員の先生方でも大勢の方が感じられていることだと思いますが、やはり教育のことについては多くの国民の皆さんが関心を持っておられる。不安も不満もいろいろあるでしょう。しかしながら、教育基本法と言われるとぴんとこない、そういう方がやはり多いんですね。それは我々の責任もあると思います。

 私どもも、ではこの教育基本法が変わることによって実際に現場はどうなっていくのか、あるいは、今自分たちが抱えている、きょうもいじめや未履修の問題等々ありますが、そういったことに対してどうこたえていくのかということをやはり議論していかなければ、なかなかわからないわけですよね、正直。

 今回、教育再生会議というのが政府の中にできましたけれども、私たちは、実はこの前の国会が終わった後に、教育再生本部、鳩山幹事長を本部長にしてつくりまして、先ほどのこの「教育のススメ」を持って全国で六十カ所以上で、これからまだ予定しているところもありますが、今、私たち民主党の案で実際現場をこう変えたいんだという思いを説明し、また、いろいろな議論、いろいろな意見を伺っているわけです。

 であるならば、やはりそうしたことによって初めて、世論調査なんかでも、確かに今、教育基本法を見直していこうという機運はこのデータでもかなり高まってきていると思います。しかしながら、この国会にこだわるべきではないという方々が六割いたり、もう少しいろいろと、じっくりと議論をすべきじゃないかというような意見が多いのも確かなんですね。それはやはりわからないんですよ、まだ。

 ですから、例えばこの特別委員会の中でも、今度安倍政権ができました、そして教育再生会議の中で、先ほど来あった重要な、バウチャーの問題であるとか、あるいは今度のいじめの問題であるとか、不履修の問題、あるいは九月入学の問題、さまざま、いろいろな課題がここでやはり整理をされていくということのようですから、では、どういう方向性を持ってやっていこうとしているのかということ、そのこととこの教育基本法の改正案というのがどうつながってくるのか、そこのあたりをやはり出かけていって、しっかりと四十七都道府県なりで、我々民主党も出かけていきますし、場合によっては社民党さん、共産党さんだって、反対かもしれないけれども出かけていけばいい。そういう中でしっかりとした議論というものを行っていくような努力を当委員会としてすべきだと思いますけれども、これは大臣、いかがにお考えでしょうか。

伊吹国務大臣 先生も報道関係のお仕事をしておられたので、正確な情報を大勢の人に理解していただいて、そして物事の本質をやはり理解していただく、これはもうおっしゃっているとおりだと思います。

 法案を与党の中で審議をして以来、公明党、自民党においても、既に選挙区やその他にいろいろな広報をいたしておりますし、政府としても、タウンミーティング、文部科学省の広報、そして総理の持っておられるメディア等においても、教育のことについてはかなり熱心にいろいろ表示しておられます、ごらんいただいたと思いますけれども。

 できるだけ御示唆に従って、私たちも、多くの方にこれを理解していただいて、一刻も早くやらにゃいかぬという世論調査が多くなるようにしたいと思います。

笠委員 今、伊吹大臣からは前向きな御答弁をいただきました。ぜひ一刻も早く、早期に成立をさせるべきだというような世論が盛り上がっていくような形の十分な審議をやっていくべきであるということを改めて求めておきたいと思います。

 今お話があったんですが、盛んに与党の中で、三年間ですか、十名の方、七十回。ただこれも、さきの国会のときに、本当にどういう議論があったのかというところがやはり我々も知りたい。そして、しっかりとそれを出していただいて、それをもとに文部科学省がまとめ上げたのが今回の政府案であると私は理解をしているので、そのまさに七十回の議論、その中の過程が大事なのは、やはり立法者の意思というか、そういったものが非常に重要ではないかと思うんですね。

 先ほど伊吹大臣は、どこまで書き込むか、これは非常に立法政策的な問題であるというようなことをおっしゃいましたけれども、我が党の中でも、当然議論の中でさまざま、これも書き込むべきじゃないか、これも盛り込むべきじゃないか、いろいろな議論があったわけです。その中で、これはやはり教育基本法に盛り込むべきではないとか、あるいはこれはもう下位法令の整備でいいんじゃないかとか、やはりそういったところのものを具体的に出していただかなければなかなか見えてこないわけですね。

 先ほど、宗教教育、これをどうしていくかという問題、我が党は踏み込んでおります。しかしながら、自民党と公明党の与党の中で、これは恐らく自民党の方は強く主張し、公明党は恐らく消極的な意見の中で、あの文言でまとまったんじゃないかと思うんですが、そこでどれぐらいの、どういう過程での議論があったのかというようなことも含めて、やはりきちっとこれを出していただきたい。そのことを、一つ私お伺いしたいのは、文部科学大臣は、そのすべての過程というものを読んでおられるということでよろしいんでしょうか。

伊吹国務大臣 すべての過程は、私は率直に言って読んでおりません。しかし、これは先生、ぜひ御理解をいただいておかなければいけないのは、それを出せとおっしゃるのは、政府におっしゃるのは無理だと思います。我々は、与党の協議会でまとまったものの最終案をちょうだいしておるわけです、内閣として。そして、それに従って法制局との間に協議を行って、今回お願いしている法案を出しているわけですから、それの審議のプロセスについては、これは、むしろ党と党との間、筆頭理事間のお話とか、いろいろなそういうルートのお話だろうと思います。

笠委員 その点についてはまたこの特別委員会の中で、立法に携わった方々からどういう意見を伺うのかということは、この点については、委員長、今後お取り計らいをお願いいたしたいと思います。

町村委員長代理 いろいろな問題は理事会で協議をいたします。

笠委員 それで、きょうはこの教育基本法の問題でございますので、確かに、この法案自体を我が党案と政府案と比べてみると、ある程度同じような似通った部分、あるいは似て非なる部分、あるいは全く違っている部分というのが幾つかあるわけでございます。

 その中で、具体的に私の方では、きょうもいろいろと未履修の問題等々で問題になっておりますけれども、やはり一番大きいのは、教育の行政、これの責任、権限、これが今あやふやになっています、あいまいになっています。だから、いろいろな問題が起きたときに、混乱が生じたり、あるいはそれぞれが隠そうとしたりということは、きょうかなりの議論があったわけですけれども、この教育行政のことについてまずお伺いをいたしたいと思います。

 安倍総理は、この普通教育、義務教育における最終的な責任というものはどこにあるのか、どこにあるとお考えなのかをまず端的にお伺いをいたしたいと思います。

安倍内閣総理大臣 国民が教育を受ける権利を保障していく上において、法律によって国と地方が適切に役割を分担し、協力して教育を実施していくべきである、こう考えています。

 具体的には、国は、全国的な教育制度の構築、全国的な基準の設定、教育条件の整備、地方に対して必要な指導、助言、援助を行う役割と責任を担っています。一方、地方は、地域の実情に応じて実際に教育を実施する役割と責任を担っているということでございまして、このそれぞれの役割の中でしっかりとその責任を果たしていくことが重要である、こう考えています。

 この役割を分担しているということは、責任が放棄をされているということではなくて、それぞれが責任を持って役割を担っているということではないかと思います。

笠委員 それぞれが責任を担っていれば今回のような問題にはならないわけですよ。むしろ、それぞれがきちんとした責任を担い切れていない。その中には当然のことがあるんですね。

 先ほど来、文部科学大臣が、これは、指導であるとか助言であるとか調査であるとか、やはりいろいろと起こって、一つの学校のことじゃない、全国的にいろいろなことが起こって、それを文科省として実態把握しようと思っても、なかなか教育委員会とじゃないと一緒に学校の現場に行けない。そういったときに、もちろん、日ごろのいろいろな、はしの上げ下ろしまで一々文部科学省が出ていってというのは私もくみしません。しかし、何か起こったときには、やはり国が最終的な責任を持ってこの教育行政に当たるということは、そもそもは、安倍総理もそういうお考えなのではないかなというふうに私は推察をいたしておるところなんです。

 きょうは下村副長官の方にもおいでをいただいておるんですけれども、副長官も、私も長らくいろいろな形で、超党派の中で、この今の教育基本法のあり方とかさまざま議論させていただいてきたんですが、先般も、副長官になられても、しっかりと国が最終的な責任を負うべきである、あるいは教育の行政のこのあり方について、国そしてまた都道府県、地方の教育委員会、そして学校現場というところのばらばらな行政が行われている問題が大変根本的な今やはり見直していかないといけない点であるということをおっしゃっているわけですけれども、下村副長官は、そういう意味では我が民主党の日本国教育基本法案の方が、この点についてはですよ、少なくとも賛同されるのじゃないかと思いますけれども、いかがでしょうか。

下村内閣官房副長官 お答えいたします。

 笠委員とは、お話がございましたように、超党派の教育基本法改正促進委員会で議連としての教育基本法案をずっと議論してまいりましたので、共通認識のところが多々あるというふうに思います。

 そういう中で、今御指摘がございましたが、義務教育において最終責任をどこが持つか、あるいは地方の教育行政のあり方ということについては、私自身、さきのこの特別委員会で民主党案について質問したこともございます。民主党案の七条で教育における最終責任、それから十八条で教育行政ということで項目がございましたが、このときにも質問させていただきましたが、その関連、民主党案でも私がそのときお聞きした中では、まだ十分な理解が私自身は得られなかったというふうに思っております。

 そういう中で、今回の政府案でございますけれども、第十六条の第二項で、国は、全国的な教育の機会均等と教育水準の維持向上を図り、総合的な教育施策を実施すべきというふうに規定しており、教育行政における国の責任は今回の政府案で明確に規定されているというふうに考えます。

 また、教育行政についての私の発言でございますが、文部科学省と都道府県の教育委員会、区市町村の教育委員会、そして学校現場、これが四重構造のもたれ合いで責任転嫁がされているところが今まであったのではないか、このことについては、先ほど伊吹大臣からお話がございましたが、今後、それぞれがきちんと責任を果たせるようなその制度のあり方について見直すべきであるというふうに考えております。

 私としても、そういう見直しをしながら、これは政府案の中で行うということであるというふうに思っておりますし、政府案が最善のものであるというふうに思っております。

笠委員 やはり、官邸の中に入って、安倍総理のまさに教育の右腕として活躍されるお立場からすれば、今お話を伺っていても、ちょっと歯切れが悪いなというふうに、まさに心と態度の問題ですね。

 その中で、下村副長官のお話の中でも今はなかったですけれども、例えば、先ほど伊吹大臣が、地方自治体の首長にその権限を私どもは任せていこうと、そのことについて、これは政党の代表だというような御答弁が先ほどあったんですけれども、まさに選挙というのは、どの党の推薦があるにしろどうにしろ、やはりこれは有権者、国民が選ぶ、首長というのは当然そうでございますから、今のように、教育委員会、これは任命制ですから、一般の住民の方々、国民が直接には選ぶことはできないわけですね。ですから私たちは、民主的な運営という中で最も民主的な方法というのは、やはり、選挙で選ばれた首長に責任を持たせることが大事ではないか。ただし、選ばれたからといって何をやってもいいというわけではないので、教育委員会を廃止するかわりに、これのチェックをしっかりとしていくような機関をきちっとつくっていこうということを繰り返しこの法案の中にも述べておりますし、やはりそうしなければ、今の少なくとも都道府県教委と市町村の教育委員会のあり方の関係であるとか、小さな市町村で教育委員会が機能するのかということと同時に、三百万を超える横浜のような市もあるわけですね。そういったところで本当に六人の教育委員会で、果たしてすべてを、きちんとその行政に責任を持つことができるのかとか、さまざま課題はあると思うわけです。

 ですから私たちは、やはり首長さんにしっかりと責任を持って、さらに言えば、やはり学校の現場ですよね、学校の現場が今回のこの不履修の問題でも、生徒さんが、うちの学校はまだ出ていないけれども、実は必修科目を学んでいないというような、そういう声も表に出てきています。

 つまりは、学校の中でも隠していこうという体質があるときに、学校を地域に開いて、学校理事会をしっかりと設けて、もちろん保護者の皆さん、あるいは学校の校長先生、そして、そこに地域の方々もかかわっていただいて、責任を持ってもらう、そして、それを開いた上で、やはり評価もしていくんだということの方が私はすっきりとするんじゃないか。

 これを六十年間、確かに五五年体制ぐらいまではまだよかったのかもしれません。しかし、今さまざまこれだけ問題が多くなってきた中で、この基本にかかわる部分は、明確に教育基本法の中で、やはり明記をしておくということが大事ではないかと私は思いますけれども、大臣の御所見をいただきたいと思います。

伊吹国務大臣 先生の御提案は一つの提案だと思います。それ自身が賛成の人、反対の人、いろいろいると思います。

 あらゆる制度には、やはり長所と短所があるんですよ。中選挙区にいろいろ弊害があるからというので中選挙区を直して小選挙区にしたら、何か小選挙区には小選挙区特有の弊害があるという議論が結構多くなってきているのと同じように、先生が今おっしゃった、それでは、地域の監査をする人たちがどういう構成でどういうふうに選ばれてくるのか、あるいは学校の理事者というのはどういうふうになるのか。

 地方の首長といっても、私は先ほど御党の鳩山幹事長の答弁に一度たりとも民主党の首長がというようなことを申し上げなかったんだけれども、民主党が首長になったらそんなことはしません、こうおっしゃっているわけだけれども、特定のイズム、例えばジェンダーだとかなんかを持っている首長がいるとか、あるいは大阪、私の地元にも、そういう特定の政党のイズムを持って町政を運営している自治体もあります。だから、長所と短所は両方にあるんです。

 ですから、先生のおっしゃっている仕組みがすべてきちっと理想的な人によって運営されていればおっしゃることが担保されますし、また、今の教育委員会制度だって、すべてが使命感と自分の責任感を持ってきちっと事に当たってくれて、先ほど野田先生がおっしゃったように、校長にまさに規範意識があれば今の制度だってうまくいくんですよ。

 だから、どの制度の方が、人間というのは弱いものですから、弱い気持ちが多く出ないかということを考えて最後は決めなければ、仕方がないんじゃないでしょうか。

笠委員 今おっしゃったように、完璧な制度というものはないかもしれません。しかし、我々は、いろいろなプラスとマイナスを考えたときに、やはり日本国教育基本法案で盛り込んだ、国が最終的な責任を持つ、そして教育委員会を廃止する、首長、そしてそれを監査する委員会あるいは学校現場に、もっと権限を校長にまさに持たせていくということがあるべき姿だということで御提案しているわけですね。

 であるならば、先ほど下村副長官の方からも、そういったことも含めて、今の政府案でもいろいろそういうことも含めてできるんだ、もしやろうと思えば。しかし、まさにそこあたりの姿が今教育再生会議なりで議論をされていくというのであれば、やはり一つの方向性をしっかりと政府として出していただいて、その上で、そのことも含めて議論しないと、最初に申し上げたように、わからないわけですよね、この教育基本法の問題というのが。

 今どういう方向性で大臣が、教育再生会議、官邸との間で文部科学省がどうなのか私はよくわかりませんけれども、では、大臣としてはどういう形の教育行政がいいとお思いなのか、考えられているのかをお伺いいたします。

伊吹国務大臣 まず、先ほど来申し上げておりますように、教育の基本法なんです、これは。教育の基本法にどこまで書き込むかということは、これは立法政策上の問題です。

 そして、先生が今おっしゃっているような議論は、この大きな、基本法の許容される範囲の中で、いろいろ議論が行われるでしょう。それで、教育委員会の、今の法律のどこをどう直すかという形で立法府に御相談をしていくということで、立法府はそこで御意見をおっしゃるということであって、そのものすべてを教育基本法の中にどう書くか、あるいはそこは各法に譲るかということは、これは立法をどういう形で構成していくかという立法論の話なんですよ。そこのところをぜひ御理解いただきたいと思います。

笠委員 私が申し上げているのは、書き込む書き込まないの議論ももちろんあるんですけれども、やはりその方向性を具体的に出し合って、最後それを書き込むかどうかというのは、またこれは当然あるでしょう。しかし、そこあたりの具体的な姿をしっかりと示して、それを議論することこそが、まさに国民的な、ああ、なるほど、やはり教育基本法の改正というものは必要になってくるんだ、あるいは、新しい教育基本法をきちっとつくっていかないといけないんだという議論につながっていくんじゃないかということを申し上げているわけですね。

 もう一つ、その点でいいますと我々特徴がございますのは、政府の中には書き込んでいなくて我々が書き込んだ問題として、やはり教育にはしっかりとお金をかけていこうと。これは、まさに総理が教育に力を入れていくんだと。お金がかかります、これは。しかし、残念ながら、このところの教育予算というものは減ってきているわけですね。そして、その中で、まさに家計に占める教育費の割合というものはどんどん上がってきている。

 少なくとも我々民主党案の中では、義務教育は憲法によって無償であるということになっているわけですから、このことをしっかりと教育基本法の中で、授業料を徴収しないということではなくて、それ以外にかかるお金についてもなるべくきちんと国として責任を持っていくようにしていこうじゃないかというようなところまで私たちは踏み込み、あるいは、高等教育あるいは就学前の教育について、やはりお金をかけていくんだと。これは予算をどうするのかじゃなくて、人にお金をかけていく、子供たちにお金をかけていく、使っていくということはまさに政治の責任としてやっていくべきじゃないかということで、そのことをあえて盛り込ませていただいているわけですけれども、その点について、これはぜひ総理に率直な感想を伺わせていただければと思います。

安倍内閣総理大臣 教育再生につきましては、私の内閣の最重要課題に位置づけております。まさに教育への投資こそ未来への投資である、こう認識をしております。その中で、教育の内容を充実させるための予算は当然必要ではないかと考えております。

 と同時に、歳出歳入一体改革を進めることも極めて重要である中、きっちりとめり張りをつけながら、必要とされる教育に対する予算は伸ばしているというめり張りも大切ではないか。

 いずれにいたしましても、私は、未来への投資は積極的に行うべき、そして教育こそ未来への投資であるという認識を持って、内容の充実に当たっていきたいと思います。

笠委員 まさに教育というのは、一つは量、お金をしっかりと必要なところにはかけていくということと、その質を高めていくことと、あとはやはり情熱だと思っております。これは、学校現場のみならず、家庭教育においても、あるいは地域においても、あるいは我々政治家も、また行政も含めて。

 そういう中で、やはりお金をかけていくということ、しっかりとこれを担保していくようなことをこの教育基本法を見直す機会にあえて盛り込んでおいた方が、教育熱心な、教育に対して非常に熱心に取り組む政府のときにはいいでしょうけれども、何かあったときに、そのお金が削られていくということになりますと、まさにこれは、三十年、五十年、しっかりと未来を見据えた教育基本法をどう考えていくのかという議論ですから、その点を私はやはりきちんと盛り込んでいくべきではないかというふうに強く思っております。

 そこで、この点についてはぜひ御検討をいただきたいと思いますし、ぜひとも文部科学大臣の方にも、そのことは本当に、先ほど、省から庁にした方がいいんじゃないかという野田委員の指摘がありましたけれども、やはりこれは、今の義務教育の国庫負担の問題にとどまらず、全体としてどれだけのお金が公的に必要なのか。これは地方がその財源を持つのか、あるいは、国が、我々が最終的な責任は持って、そのかわり、使い方についてはしっかりと地方にお任せしましょう、あるいは学校の現場にもっと予算権を渡していくということも将来考えてもいいんじゃないか、そういうところまで今後の議論として進めさせていただきたいと思います。

 それで、きょうは菅大臣の方にちょっとおいでをいただいておりますので、地方行政を預かる立場として、この教育委員会のあり方について、私どもは廃止すべきだということを考えておりますけれども、首長にも権限を持たせる、その点について、総務大臣のお立場から御所見を伺いたいと思います。

菅国務大臣 委員御承知のとおり、教育委員会につきましては、二十八次の地方制度調査会の答申におきまして、地方の自主性、自律性を図るべきである、そういう観点から、必置規定を見直して設置の選択制を導入すべきである、こういうことが答申されています。それを受けて、文部科学省にその内容をお伝えし、また検討をお願いしている。

 さらに、去る七月の骨太二〇〇六におきましては、当面、委員長の権限を首長へ移譲する特区につきましては、実験的な取り組みを進めるとともに、抜本的な改革を行うこととして、早急に結論を得るべきである、こういうことになっております。

 地方公共団体の組織に関して、私は、可能な限り地方公共団体が自主的に判断をするべきであるというふうに思っています。

 さらに、地方の声に真摯に耳を傾ける中で、分権が一層進むように努力をしていきたい、こう思います。

笠委員 今、菅大臣の方、御答弁があったわけですけれども、きょうは総務大臣にお忙しい中おいでいただいておりますので、一点、きょうはテレビで全国中継されておりますので、どうしてもちょっと確認をさせていただきたいことがございます。

 それは、私もその問題に取り組んでいるんですが、「しおかぜ」。拉致の、特定失踪者の皆さんの調査会が、先般、予算委員会で私どもの中川正春委員から大臣に質問させていただいて、大臣が、これを政府として国内放送できるように、そのことに前向きな答弁をされたわけですけれども、ちょっと混乱していると思うんですね。

 これは、NHKで、命令放送でやる話ではもちろんありません。NHKが現在KDDIから借りている送信所からの放送になる。現実として、その周波数というものの新たな割り当て、これができるのかどうか。同時に、仮に割り当てがあったとしても費用がかなりかかるというふうに伺っているわけですけれども、そういった費用負担も含めて、この「しおかぜ」の国内からの放送をしっかりとやるというような趣旨でおっしゃったのかどうかの確認を、その実現性のめどをお伺いいたしたいと思います。

菅国務大臣 私は、北朝鮮工作員によって拉致されて自由を奪われ、そして今この時点でも、まさにさまざまな制約を受けて不自由な生活をされている、場合によっては生命の安全さえも脅かされている、そうした人たちに、やはり日本の家族も国民も国も見捨てないで必ず救出するというメッセージを北へ与えるというのは、今まで帰ってこられた人たちの話の中でも、それが一番勇気を持てた、生きがいを持てた、そういうふうに聞いています。

 ですから、できることは何でもやりたい。もちろん法律の中であります。そこの中の一つが、この「しおかぜ」の問題であります。

 確かに、周波数の確保については、これは私ども総務省で決められることではありません。国際的なルールにのっとって、国際電気通信連合、ここに決定権があるわけでありますけれども、さまざまな調整をする中で、私どもは全力でこれについては取り組んで、獲得できるように頑張っていきたい、まずこのことが一つであります。

 さらに、現実的に、これを放送するとすれば、先ほど笠委員が言われましたように、NHKの八俣の送信所、ここを実は借りて放送するしかないわけであります。現在、個々の費用について、どれぐらいなのか、そういうことを前向きに検討している状況であります。

 以上です。

笠委員 時間が来ましたので、私の質問を終わりますけれども、最後に、まさに私も英国調査団の一人として、超党派で行ってまいりました。安倍総理が、サッチャー改革を原点にすると。しかし、この教育改革、きっかけをつくったのはサッチャー政権であるけれども、ブレア政権によって花開いていくということを、私ども民主党がかわっていずれこの教育政策をしっかりと花開かせるということをお約束いたしまして、私の質問を終わらせていただきたいと思います。

町村委員長代理 次に、牧義夫君。

牧委員 民主党の牧義夫でございます。

 民主党に与えられた時間、残りの最後の時間を使わせていただいて質問させていただきたいと思います。

 まず、ちょっとこれは質問通告にはございませんけれども、先ほど来、いじめの話ですとか、あるいは未履修の話、さまざまな観点から質問がされたわけで、これは必ずしも教育基本法と、関係がないとは言いません、たまたまこの議題で、我が党案がこれについてどうこたえられるか、あるいは政府案が、この基本法を政府案どおり改正したところで、こういった問題の本質の解決に向けて、果たして本当にこたえられるんだろうか、そういったこと、関連する質問のいい材料にはなったとは思いますけれども、やはり、この教育基本法の議論をするに当たっての本来的なテーマではないと私は思っております。

 この件について、先ほど伊吹大臣からも、まだ調査の足りない部分についてはすぐにでも調べて、あすというお話がございましたけれども、これはぜひ、特にテレビの中継が入って、広く国民の皆様方に、教育基本法、六十年に一遍のこの改正でございますから、政府案が一体どういうことを目指しているのか、あるいは私ども民主党案がどんなものなのか、しっかり国民の皆様方に理解をしていただくいいチャンスでもあったと思いますから、このテレビ中継、また順次、何回かやっていただければと思いますけれども、こういったもったいない時間というのを、私はできたら過ごしたくない。できれば、これは所管の委員会があるわけでございますから、ぜひ、いじめの問題あるいは未履修の問題、しっかり文部科学委員会において即刻集中審議をしていただきたいと思うわけであります。

 これについては、それは行政じゃなくて国会が決めることでしょうと、多分、今伊吹大臣はそういう御回答をしようと身構えていたと思うんですけれども、それは、やはり大臣としてのお考えをお示しいただきたいと思うわけです。

 この基本法のあり方、今も、基本法に盛り込むべきものとそうじゃないもの、立法論があるとおっしゃいましたけれども、まさに、そうじゃないとおっしゃるのであれば、その部分についての本当に真摯な議論を一刻も早く文部科学委員会で私どもがしっかり展開していく。それこそが、もちろん、この特別委員会の役割も国民の負託にこたえるために重要なものでありましょうけれども、やはりそちらももっと喫緊の課題であると思うわけでございますけれども、いかがでしょうか。

伊吹国務大臣 先ほど鳩山幹事長からは、一般論として審議の時間のことに言及したことについても御注意をいただきましたので、今お話しのことは、全く国会で決めていただかねばならないことだと思います。

 ただ、非常に大切なことでございますし、特に未履修の問題は、このことが報道されましてから、週末にかけて、土日があったということもありますが、私自身も非常にもどかしく思っておりますので、できるだけ早く数字を出して、先生方に御議論いただきたいと思っております。

 そして、先生がおっしゃるように、どういうふうに仕分けして、教育基本法の問題と関連して御質問しておられる先生方もいらっしゃいますから、そのことについて私が口を出すことは少し慎ませていただきたいと思います。

牧委員 今の大臣の言葉を信じさせていただいて、一刻も早くしかるべき場での対応をしていただきたいと思います。今週中にも文部科学委員会を開いていただくなりなんなり、それは私の希望として申し上げさせていただきたいと思うわけでございます。

 さて、本題に入りたいと思うわけでございますけれども、きょうは、この国会が始まって、そしてまた安倍政権が始まって初めての教育基本法についての議論でありますから、総理がかわって、内閣がかわって最初の、スタートの議論、そういう場にふさわしいというか、まず基本の、土台の部分から私は入らなければならないと思いますし、民主党の鳩山幹事長の質問も最初そういった憲法との関連といったところから入ったように、やはりまず総理の基本的な認識からお示しをいただく、そして、この教育基本法というものがこの国の憲法に準ずるものであるということをしっかりと国民の皆様方にも認識していただけるような、そんな議論を展開していただきたいと思うわけでございます。

 そういった意味で、まず入り口の部分から申し上げれば、やや重複をすると思うんですけれども、もう一回ざっと前国会の部分について私はおさらいをしておかなければならないと思います。

 六月十八日に前国会が閉じたわけでございます。小泉政権最後の国会が六月十八日に閉じたわけですけれども、これだけ重要な法案がその六月の会期末のほんの一カ月ちょっと前、五月の連休に入る、ゴールデンウイークに入る前に提出をされて、実質審議入りをしたのは連休明け、しかも五月の半ば過ぎだったと思います。この間、十三日間の国会における議論があったわけです。

 私、先ほどからお話を聞いていて、政府の中で七十回にわたって議論が闘わされたんだ、そしてまた国会でも国民注視の中で議論がされてきたというお話がありましたけれども、まず、その辺の入り口の認識からかなり隔たりがあると私は言わざるを得ないわけで、その辺のところをどのようにお考えになっているのかなということをまずお聞かせいただきたいと思います。

    〔町村委員長代理退席、委員長着席〕

伊吹国務大臣 与党内でどのような意見があったか、何時間議論したかというのは、これは国権の最高機関として国会で御議論になる場合に、政府を構成していない政党の皆さんには率直に言ってそれは関係がないことだよとおっしゃれば、そのとおりだと思います。

 しかし、この間に、教育基本法の改正をする必要性その他については、率直に言うと、かなり外にわかる形で自民党も議論していたと思いますし、民主党におかれても、あれだけの法律をお出しになっているんですから、かなり濃密な議論が当然行われておったと思いますし、それをこの国会の場でお互いに突き合わせて、国民のためにどういう議論をしていただくかということにしていただければ実りが多いという意味で大島委員やなんかはここでおっしゃったんじゃないかと私は聞いておりました。

 そして、既に五十時間の審議は行われているわけですから、私が特別委員長をやりました行革特別委員会とか、あるいは地方に権限を分与する法律だとかは、かなり国家の統治の基本に係る大きな法案でございましたので、そういうことをも御参考にいただいて、各党間で御協議をいただくべきことだと思っております。

牧委員 残念ながら、まだ国民的な議論とは言いがたいと私は思います。

 今回、新しい安倍政権が誕生して、私は、ここで一つのターニングポイントかなと実は思っているんですよ。

 私は、安倍さんという人は、実はそう嫌いなタイプではありません。変な意味じゃないですよ。正直申し上げて、政治家として信頼をする政治家の一人であります。同世代ということも、あるいはあるのかもしれません。総理の方が四つほど年長ですけれども。

 昭和三十年代、四十年代という、日本の社会がだんだん経済成長を遂げる中で自信を回復していく。安保闘争なりなんなり、いろいろな波乱はあったと思いますけれども、総じて、大きな意味での日本人が成功体験を重ねた、そんな時代に多感な少年時代を送ったのが安倍総理であり、私でもあるわけです。東京オリンピックは私、小学校一年生のときで、大阪万博が中学校一年生のときですから。どうでもいい話ですけれども。そういう中で少年時代を送った、共通のいろいろな思いは多分あるんじゃないかなと思うんです。

 そういう中で、今度、新しい安倍総理が、例えば、官房副長官に下村さん、文教担当で任命をされました。また、総理補佐官として山谷さん、私も立派な方だと思っております。そしてまた、この特別委員会が設置されれば必ず出席をされるという役回りの少子化担当の高市大臣も、大体同じく、今までの、さっき議連の話も出ましたけれども、教育基本法の議連ですとか、あるいは日本会議にかかわる議連等々でいろいろな発言を聞いていて、これは安倍総理も間違いのない人選をされたんだなと私なりに思ったわけです。

 共感の持てる、そういう方たちにこの教育改革の重責の一翼をそれぞれ担わせて安倍政権がスタートしたということですから、それは安倍政権の一つの大きな意思表示だと私は理解をしましたけれども、いかがでしょうか。総理、いかがですか。一つの意思表示として私は受けとめたけれども、いかがですか。

安倍内閣総理大臣 今、牧委員と私は大体同じ世代だという御指摘をいただきました。下村副長官も私と同い年でありまして、高市大臣は私よりも大分若い、このように思うわけであります。

 まさに日本が敗戦から高度成長に至る。国民が生活実感として、だんだん豊かになっているなと。冷蔵庫が入ったり自動車を持ったり、あるいはクーラーが家に入っている。こういう物理的な達成感の中で、しかし、今ここに来て、果たしてそれだけでよかったのかどうかという反省があるわけでございまして、経済的な豊かさを追うだけではなくて、人生に大切なもの、人間の豊かさにとって大切なものは何なんだろうか、このことを今みんな本当に真剣に考えているのではないだろうか。

 それから、例えば公共の精神である、そしてまた日本が培ってきた伝統や文化であったり、歴史であったり、そして郷土であったり、そうしたものにもう一度目を向け、その大切さを認識する。そして、そのことを子供たちに教えることは極めて重要である。その観点から、我々はこの教育基本法の改正案を提出させていただいたということでございます。

牧委員 私は、その人事が一つの決意のあらわれかどうかということをお聞きしたんです。

安倍内閣総理大臣 人事につきましては、この教育基本法の改正を含め、教育再生、教育問題が極めて重要であるという観点から人事を行ったつもりでございます。

牧委員 今、総理のお話を聞いて私もやや安心をした部分もございますけれども、だからこそ、ここで中途半端な妥協はしないでいただきたいなと切に思うわけで、後ほど時間があれば申し述べますけれども、今私が伺った人事について、一人一人の態度じゃなくてその心をしっかりと確認すれば、恐らく、またやじが飛ぶかもしれませんけれども、民主党案の方が私は考え方としては近いんじゃないかなと思います。

 だからこそ、安易な妥協はしないで、これから何十年という法律ですから、そこら辺のところをぜひ心に刻んで、これは私も質問する前に、やはりしっかり、これは失礼に当たるから、「美しい国へ」ですとか対論集だとか、総理の本も読ませていただきました。書店で購入をさせていただきましたけれども、その内容とこの政府案とが本当に合致しているのかな、それを私は強く思わざるを得なかった。その率直な感想を申し述べさせていただいて、本当にこれでいいのかなということをまず冒頭申し上げさせていただいた次第でございます。

 そして、どうして妥協をしないでいただきたいと申し上げたかといえば、先ほど来これも質問の中でも出ておりますけれども、そもそもここに至るまで本当にオープンな議論が積み重ねられてきたのか。

 私は、途中までそれはあったと思うんです。小渕政権の時代の教育改革国民会議、そして、それを受けて中教審で議論があったわけです。そして、中教審の答申が出た後のこの三年間、ぱたっとそこからトンネルの中に入ってしまって、この間に与党内での七十回に及ぶ会議があったわけですね。この会議に参加した人の名前すら一部しか私たちにはわかっていないというのが実情ですし、この会議録を出してくださいと前国会でもさんざん、再三にわたってお願いを申し上げて、最後に出てきたのは、何月何日に会合を開きましたというカレンダーのようなものだけでございました。

 どんな議論がそこで闘わされたのか、全く私たちにもわからないし、恐らくここに座っておられる自民党、公明党の皆さんの中でも大半の人が政府案が出てきて初めてこの法案を目にしたんだ、これはもう紛れもない事実でございますから、ここで本当の意味での議論をあと何十時間、何百時間重ねて、そして国民の皆様方の前できちっと中継をしていただく、そういうことができるのであればそれはそれでいいかもしれないけれども、私は、安倍総理には一つの、教育が一番大事だということを所信の中でもおっしゃっておりましたから、しっかりそこら辺のところを貫徹していただきたい、そんな思いを申し述べさせていただきたいと思いますけれども、何か私が申し上げたことについて反論なりなんなりあれば、おっしゃってください。

安倍内閣総理大臣 教育基本法を改正するというのは、これはもう大変な作業であったわけでありますし、また大変困難な試みでもあった。

 かつては、この教育基本法改正というのを国会のスケジュール、政治スケジュールにのせるということは夢のまた夢であった時代が随分あります。例えば、自由民主党は、それはある意味、結党以来の一つの悲願であったわけでありますが、これがなかなか大変だった。しかし、やっとその機会をとらまえて、そして与党の中で相当の議論を行いました。

 確かに、相当の激しい、けんけんがくがくの議論があったのも確かであります。議論を行う中で、だんだん熟成されていく中にあって、確かに産みの苦しみはあったわけでありますが、大変いい子が生まれた、このように我々は自信を持っているわけでありまして、この政府案をぜひともさらにこの委員会において深く広く議論していただいて、速やかに成立をさせていただきたい。今まで我々が必要だったものがやっとできた、こう考えております。

牧委員 深く広くというところは、私も全く異論はないわけでございます。深く広くですね、それをお願いしているわけで、早期成立を目指しますと、拙速に妥協していただきたくない、それを私は申し上げているんだということをぜひ御理解いただきたいんですよね。

 やっとチャンスが訪れたと。やっとチャンスが訪れたというのはわかります。私たちも同感です。だけれども、このチャンスは今を逃したらなくなるものじゃないんですよ。これからまだまだあるんですよ。たまたま、去年、自民党さんは総選挙でたくさん議席を得たかもしれない。だけれども、これが減ったってチャンスはまだまだあるんですよ。だって、我々だって、この基本法改正、しっかり、これは単なる政府案をつぶすためじゃなくて、我々の対案も出して、問題意識は共通のものを持っているわけで、これはどっちに転んだってこのチャンスがなくなるというものではないわけで、何でここで慌てるのかなと思いますけれども、どうして慌てるんですか。(発言する者あり)

 おくらせているわけじゃありませんよ。私は……(発言する者あり)ちょっと待ってください。私は、別にやじに答える筋合いではありませんけれども、今、後ろから、おくらせているという発言があったので、あえて申し上げますけれども、何もおくらせているわけじゃなくて、先ほど幹事長からも申し上げたように、憲法に準ずるこの法案、法律、政府案においても「憲法の精神にのっとり、」と書いてございます。そしてまた、安倍総理は、五年以内に私たちの手で私たちの憲法をつくり上げたいんだとはっきりと意思表示をされているわけで、私たちは、その期間の中で一緒に議論をしながら、国会に常設の委員会なり調査会を設けて、そこで議論を重ねていきましょう、それを言っているのに、それがいたずらにただおくらせているということになるんでしょうか。(発言する者あり)

 私は、別に後ろの人に答えてもらいたくて聞いているわけじゃなくて、そういう考え方もあるんじゃないですか。そういう考え方も、総理、できないでしょうか。ちょっと答弁をお願いします。

安倍内閣総理大臣 私も伊吹大臣も、いたずらにおくらせているとは全く申し上げていないわけでありまして。しかし、さきの国会において五十時間議論されてきたのも事実であります。

 もし、今、与党が慌てている、急いでいる、あるいは拙速でも構わないと思っているんであれば、もうさきの国会で恐らく成立をさせようとしていたわけでありますが、それはやはり、教育基本法だから、それではいけないということで、二国会にまたがっても、また二つの内閣にまたがっても、国民の目の前でもう少し議論をしていこうということになったわけでありまして、そして、このきょうの委員会におきましても、全国民に中継される中、我々もそろって出席をし、こうして議論をしているわけでございます。

 だんだん議論も深まりつつあるわけでありますが、その中で、繰り返しになりますが、この教育基本法を変える必要があるというのは、まさに与党も政府も、そして民主党も同じでありますし、そして、御指摘のように、随分類似点もあるのも事実でございます。ということは、さらに議論を深めていけばこれは結論に達することができるのではないか、このように期待をいたしております。

牧委員 それで、もう一つ、これは、きょうはあくまでも初日ですから、これからの議論の土台、土俵をやはりきちっと確定しておくべきだと私は思っております。(発言する者あり)今、まあやめておきましょう、一々答えていたら時間がなくなっちゃいますから。

 やはり、しっかり国民的な議論を深めましょうという認識は一緒だとわかります。そうしたら、この議論の土俵をまず、まだまだもめている部分があるんですよ。これは、あるいは総理にお答えいただく、あるいは文科大臣にお答えいただくべき話ではないとあらかじめわかっていると申しますけれども、ただ、例えば今回、総理の文教担当補佐官がいらっしゃいますよね、山谷さん。こういう方に私どもはぜひこちらにお出ましをいただいて、やはり教育再生会議を取り仕切る立場でもあるわけですから、そういう方のお話も聞きたいと申し上げているんですけれども、それがどこでストップがかかっているのかわかりませんけれども、それがかなわない状況になっております。

 これは、やはり国民の皆さんにも恐らくわかりづらいと思うんですよ。これは特別に総理の補佐官が任命されて、教育担当であるという方がいて、それで、例えばいじめの問題でも、先ほど文科大臣の答弁の中にも政務官を行かせましたというお話がありますけれども、補佐官も行っているんですね。これはどういう立場で行っているんですか。

塩崎国務大臣 総理補佐官は、あくまでも総理を補佐する立場で、言ってみれば総理のスタッフとしているわけであります。政府の立場を説明する、そういう役割ではなくて、いわゆるラインではないということでございますので、総理に対してベストアドバイスをするというのが役目ということでございますので、国会の答弁は、政府の立場を説明する際に政府の立場を代表する者が出てくるというのが筋だろうというふうに考えております。

牧委員 政府の立場を説明するのはそれはわかりますよ。ただ、この大事な議論をする中で、総理の補佐官が、教育担当の補佐官がいるわけでしょう。それはまた別問題だと思いますけれどもね。では、総理に対するアドバイス、助言をするために、現地へ赴いてこういう状況でしたという報告をするためにこれは行かれたんですか。

 ちょっと待ってください。総理というのは行政全体のトップですよ。だから、助言を求めるなり調査を命ずるなり、それは総理が政務官でも事務次官でもだれにでも指示できるわけでしょう。その上に、屋上屋を重ねたのか重ねていないのか、それは別の議論として、こういう文部行政担当の補佐官を任命されたわけですから、私たちは別に不自然な話じゃないと思いますよ。ここに出てきていただいて、その方に質問をさせていただきたいということがなぜできないのか。

 これは、補佐官という立場はそれは内閣法に基づいてその立場があるんでしょうけれども、国会法にはその人間が答弁に立つということが書いてない、多分そうおっしゃるのかもしれないけれども、それを妨げるものではないんですね。ここで答弁しちゃいけないとは国会法にも書いてないわけで、私たちが求めているにもかかわらず、それを拒否される理由というのがどこかにあるんであれば説明をお願いしたいと思います。この補佐官の位置づけというのは非常にわかりづらいと思うんですよ。

 例えば、これは全然別の話ですけれども、小池百合子さん、この大臣補佐官は安全保障担当ということですけれども、着任早々ハドレー大統領補佐官にお会いになっているんですね。今回の訪米というのは、そのときの訪米ですね、日米同盟の基盤である信頼関係を高めるために、官邸とホワイトハウスのより強固なパイプを構築することに加えて、安倍政権の考え方、政策などについて説明をし、また、日米関係、国際情勢について幅広く意見交換をするという目的で行ったという回答なんですけれども。

 そうすると、補佐官と例えばこの場合ですと外務大臣ですとか、その立場の違いというのが非常にわかりづらいわけですし、この際、きちっと整理をしていただいて、やはりこれから議論が始まるわけですから、幅広く、深くこれからこの国の百年の計を立てるわけですから、その議論の土俵の部分についてはしっかりまず決めていただきたい。総理のお考えをお聞かせいただきたいと思います。

安倍内閣総理大臣 これは、委員はもうわかった上で御質問しておられるんだろう、このように思うわけでありますが、補佐官制度は、今までも制度としてございました。そして、今官房長官から御説明をしたように、総理の補佐をする立場として助言等を行う、まさに総理のスタッフ、官邸におけるスタッフでございます。

 この教育の問題におきましても、私はこの教育の問題を極めて重視しております。教育の再生もそうです。しかし、この教育の問題というのは、もちろん主管の官庁は文部科学省でありますが、子供たちをめぐる問題は文部科学省だけではなくて、他省庁にもこれはまたがってくるわけでございまして、そういう中において、総合的に補佐をしてくれるスタッフとして山谷補佐官を任命したわけであります。そしてまた再生会議の事務局長も兼ねているということでございます。

 また、今たまたま小池補佐官のことについて言及されたわけでありますが、もちろん外交においては外務省が一元的に外交を行うわけでございますが、米国の場合は、ホワイトハウスにホワイトハウスの補佐官がいて、スタッフがいるわけでございます。基本的には官房長官が米国の安全保障担当の補佐官と連絡等を取り合うわけでございますが、一方、官房長官はなかなか出張しにくいという側面もあり、やはり会って、新政権ができた中において、この安保条約、また同盟関係について、日米関係について、新政権の考え方等をまず説明しておくことは重要であろう、そういうことも兼ねて出張したような次第でございまして、もちろん、二重外交、二元外交にはなっていないということでございます。

 いずれにいたしましても、いろいろな分野の問題において総理に助言をする立場であって、総理を通してそうした考え方や政策を実現していくという立場でございます。

牧委員 総理に助言をするぐらいの見識のある補佐官ですから、ぜひ、私どもが質問のお願いをしたときにはこちらに出てきていただけるようなお取り計らいをしていただけるよう、お願いを申し上げたいと思います。官房長官、いかがですか。

塩崎国務大臣 繰り返し、総理補佐官の役割、それから法律上の位置づけは内閣法を読んでいただければわかりますが、国会で呼ぶ呼ばないのお話は、やはり国会のお決めになることでありまして、我々としては、政府の立場を説明する役割ではないというふうに考えておりますので、国会への出席というのは必要ないんではないかというのが私たちの考えです。

牧委員 こんなことで平行線で行ったり来たり議論していても時間がもったいないので、ここでやめますけれども、これは、私たちの認識は、ぜひ出てきていただきたいということだけは申し上げておきますし、それが最後までできないという官房長官の答弁であったということを重くしっかりと受けとめさせていただきたいと思います。

 次に、もう余り時間もございませんので、本来、この基本法のいろいろなポイントがありますけれども、それはこれからの議論として、せっかくきょうは総理に御出席をいただいておりますから、まず総理の口から、多分、その教育基本法というのは、総理が言われるところの美しい国を実現するためのものであると私は解釈するんですけれども、そうですよね。そのことと、その総理が言われる美しい国とはどういう国なのか。そしてまた、この政府案のどの部分で総理の言われる美しい国が実現を見るのか、そこのところを教えてください。

安倍内閣総理大臣 私が目指す美しい国は、これは、まさに活力があふれ、そしてチャンスにあふれ、そしてまた優しさにあふれた、世界に開かれた国でなければならない、このように述べてきているところでございますが、こうした国をつくっていくためには、教育の再生が、また教育こそ根本ではないか、こう考えているところであります。

 その中で、この美しい国について、一つは、自然や歴史や文化や伝統を大切にする国でなければならない、このように申し上げております。政府案におきましても、伝統の継承が述べられているわけでございますし、そしてまた、我が国や郷土を愛する態度を涵養するということも述べられているわけでございます。

 そしてまた、自由な社会を基盤に、規律を知る、凜とした国でなければならないということを述べているわけでありますが、この規律の大切さ、また公共の精神について、これは政府案にも述べているわけでございます。

 そしてさらには、成長するエネルギーを持ち続ける国でなければならない、こう書いております。そのためにも、高等教育も重要でありますし、また私学の振興についても重要でしょうし、そしてまた職業についても、この教育基本法、この政府案についても、職業の位置づけも書かれているわけでございます。

 そしてまたさらには、世界から信頼され、愛される、リーダーシップのある国でなければならない、このようにも述べているわけでございますが、他国を尊重するということも書き込んでいるわけでございます。そういう意味におきまして、真の国際人を育てていくことも重要ではないか、こう思うわけでありまして、そうした美しい国をつくっていくためには、教育を再生していくことは、これはもう絶対的に必要な条件ではないか、こう考えているところでございます。

牧委員 ちょっと、わかったようなわからないようなお話で、これは、この美しい国をつくるためには教育の再生が必要だ、そうおっしゃるわけですよね。ではそれが、今回の政府案によってこの美しい国が実現する、今までの教育基本法では実現しないけれども、今度の政府案では実現するというのはどこなんでしょうか。

安倍内閣総理大臣 現在の教育基本法では実現しないとまでは申し上げませんが、しかし、今申し上げましたように、私が申し上げているこの美しい国の骨格をなす概念と、新しく私どもが提出をしているこの教育基本法の改正案の中に盛り込まれた要素は密接不可分であるというふうに申し上げているわけであります。

 一番目に、例えば、自然や文化や伝統や歴史を大切にする国である、このように申し上げたわけでございますが、この伝統の継承というのは、新たにこれは前文の中に入っている概念でございます。また、伝統、文化の尊重、我が国と郷土を愛するということを教育の目標の中に書いてあるわけでございます。このように、やはり、自分の生まれ育った郷土や地域を大切にするということは、基本的な態度として必要ではないか、こう考えているところでございます。

牧委員 美しい国というのはいいんですけれども、果たして、今現在、この国が美しい国と言えるのかどうなのか、そして美しい国に向かっていると言えるのかどうなのかということを私なりに考えると、一つ気になったのが、総理が何度か、所信表明の中でもおっしゃいましたけれども、努力した人が報われる社会、そういうことを再チャレンジに関連しておっしゃっていたと思います。

 私は、努力した人が報われる社会ができればおのずから美しい社会に向かっていくんだろうと思うわけで、これは当たり前の話なんですよね。政治家として、努力した人が報われる社会をつくっていくというのは、これは共通の、当たり前の責務だと思います。

 ここで、私、一つ問題提起したいのは、努力した人が報われる社会という当たり前の話よりも、むしろ気をつけなきゃいけないのは、努力しないのに報われる人がいるということが、変な言い回しですけれども、私は、非常にこの国にとってよくないことなんじゃないかなと思うわけです。

 別に総理が努力しないで総理になったということを申し上げているんじゃなくて、例えば、日銀の福井総裁が一千万投資して、一年間で一四%近くに上る利回りを得ている。あるいは、フリーター、ニートという人がいっぱいふえています。今、もう現在五百万人になんなんとする数に上っていると聞いていますけれども、そういう人たちというのは本当に所得があるかないか、年間所得二百万にも満たないという人が大勢いるわけですけれども、一方では、一日じゅうパソコンに向かって、今週は何千万もうけた、何億もうけたという人たちがいっぱいいるわけですよね。

 こういう状態を放置して、努力した人が報われる社会をつくるのも大事だけれども、変な言い回しかもしれないけれども、努力しないのに報われる。それは、ライブドアの事件やら村上ファンドの事件やら、こういったことも、こういう場合、引き合いに出してもいいと思います。そういった社会というのをどうするのかということにも同時にしっかり取り組まなければ、ここでこんな教育基本法の議論なんかしていても、全く意味のない机上の空論になってしまうと私は思いますけれども、できたら総理にお答えいただきたいと思います。

伊吹国務大臣 総理は総理の提案されたことを御自分で賛美するのは非常に難しいと思いますから、私がちょっと言葉を挟ませていただきますが、努力をした人が報われるという社会でなければなりませんが、努力をしていないのに報われる人がいてもこれはいけません、先生おっしゃるとおり。しかし、同時に、努力はしたけれども報われないという人がいてもいけないんですね。ここはやはり、今回の教育基本法と総理の美しい国に共通して存在するのは、ハンチントンが言っているように、日本という、一国一文化という、祖先の永遠の、悠久の営みの中でできてきた我々の法に書かれざる規範、伝統的な文化の中から出てきた規範のようなものを大切に教えられる教育基本法にしていこう、それが安倍総理の言っておられる基本的な、美しい国の根本だと私は思いますから、そこは間違いのないように理解してあげてください。

牧委員 いや、その理想はよくわかります。私も共有するものですけれども、これはここで議論する話じゃないかもしれないけれども、特にこの五年何カ月かの間に、こういった状況というのはどんどんどんどん悪い方へ悪い方へ加速しているわけですよ、現状は。だから、これは教育の話とは違うけれども、やはり、これまでの経済財政諮問会議で行われてきたような議論の延長線上でやっていくとこの国を過ちますよ、こんなところで教育基本法を話していても意味のないものになってしまいますよということをつけ加えさせていただきたいと思います。時間がございませんので、総理がいるところでしておきたい話だけ、今、一方的で大変恐縮でございますけれども、させていただきました。

 それと、せっかくきょうはテレビ中継も入っておりますので、ちょっと簡単に。民主党、民主党案も出ております。民主党案が成立の暁に、やはり地方教育行政法ですとかあるいは学校教育法ですとか、具体的に法改正、これをしっかり整備していかなければならないという認識は持っているはずでございます。私たちが何も、対案を出して、政府案を邪魔するために対案を出したんじゃなくて、しっかりとこれは議論をして法律を成立させてこれを施行させたい、その暁には、具体的に地教行法やら学校教育法やら、その他関連の法案、改正が必要になってくるということまで準備をしていると思いますけれども、おおよそどんな準備が進んでいるか、お答えください。

藤村議員 牧委員の時間がもう残り少ないので余り長々と申しませんが、関連法案、今どういうふうな検討状況にあるかということであります。

 我々の方の十八条で地方の教育行政を大きく変える、このことは事実でございます。そして、その中で、いわゆる地教行法あるいは地方自治法、これらの改正を今検討しております。一番大きいのがやはり地教行法なんですが、まず地方自治法で、教育委員会の設置義務を削除し、それから教育事務を首長のもとに置き、そして、教育オンブズマンとも言える、仮称ですが、いわゆる教育監査委員会のようなものを設置するというのが地方自治法。それから、その上で、今度は地教行法については、我々、学校が責任を持って運営するのは、やはり地域の皆さんが参加するという学校理事会の制度がございますので、地教行法にこの学校理事会の権限、業務内容、委員の構成、任免等についてきちんと規定を新設するということで、今法案づくりが進んでいるところでございますので、近々にまた御披露できると思います。

牧委員 ありがとうございました。

 質問を終わります。

森山委員長 次に、志位和夫君。

志位委員 日本共産党を代表して、安倍首相に質問いたします。

 この間、福岡県、北海道の学校で、子供がいじめによって自殺に追い込まれた事件が相次いで明るみに出ました。きょうも、岐阜県の中学校二年生の女子生徒の自殺が報じられております。きょうは、この問題とのかかわりで、教育基本法改定の問題点について総理にただしたいと思います。

 この問題での国民の不安は大変に強いものがあります。子供が学校に行っている間が不安だ、ただいまという声を聞くまで落ちつかない、こういう声が多くの父母から寄せられてきておりますが、これは極めて深刻な事態だと思います。福岡県の中学校二年生の男子生徒は、いじめられてもう生きていけないという悲痛な遺書を残して命を絶ちました。

 私は、いじめによる子供の自殺というのは、教育の場では絶対にあってはならないことだと思います。この点は総理も同じ気持ちだと思いますが、いかがでしょうか。端的にまずお答えください。

安倍内閣総理大臣 いじめの問題というのは、これは昔からあるわけでございますが、昨今の、いじめによって子供が自殺に追い込まれる、これはもちろんあってはならないことである、このように認識をしております。

志位委員 どうすればいじめ自殺をなくせるかという問題です。

 文部科学省は、十九日に全国の教育委員会の担当者を集めて会議を開いております。

 ここに、文科省が会議で配付し説明した、「学校におけるいじめ問題に関する基本的認識と取組のポイント」と題する文書がございます。これを読みますと、いじめについては、どの子供にも、どの学校においても起こり得るものであることを十分認識すべきだと強調するとともに、学校を挙げた対応として、次の二点が強調されております。

 一つは、いじめの早期発見、子供からのいじめのサインを見落とさないことであります。文書では、いじめの問題については、その件数が多いか少ないかの問題以上に、これが生じた際に、いかに迅速に対応し、その悪化を防止し、真の解決に結びつけることができたかが重要となる、こう強調されております。

 いま一つは、教師集団が協力し合って問題を解決することの重要性です。この文書では、各学校において、校長のリーダーシップのもとに、それぞれの教職員の役割分担や責任の明確化を図るとともに、密接な情報交換により共通認識を図りつつ、全教職員が一致協力して指導に取り組む、いじめの訴え等を学級担任が一人で抱え込むようなことがあってはならないと強調されております。

 要するに、いじめの件数が多いか少ないかよりも、いじめを早期に発見し、教師集団が協力し合って問題を解決することが何よりも大切だと言っていると思います。

 私は、文部科学省のこの方針は、この限りではそのとおりだと考えますが、総理の御見解はいかがでしょうか。

安倍内閣総理大臣 ただいま委員が指摘されたように、このいじめというのはどんな学校でも起こり得るでしょうし、まただれにも起こり得る。この認識のもとに、これは、いわばいじめの件数がどうこうということではなくて、大切なことは、そうしたいじめが起こったときに、それを隠ぺいしようとするのではなくて、直ちに対応するということが重要ではないか、こう考えています。

 その中で、また教育委員会のチェック機能が働いていくよう、そのあり方についても早急に議論をしていく必要もあると考えております。

 また、今後、規範意識をしっかりと身につけさせ、教育を充実させ、そしていじめを防止することに努めていく必要もあるでしょうし、そしてまた、悩みを抱えている子供たちに対してスクールカウンセラーの活用など、そうした相談体制の充実を図っていく必要もあると思います。

 また、ただいま委員が指摘をされた、文部省が出したこの方針をしっかりと実行していくことは当然であろうと思います。

志位委員 今、総理は、いじめの件数がどうかという問題ではなくて、対応が大事だと言われました。そのとおりだと思います。

 ところが、現実はどうなっているか。いじめの件数が多いか少ないか、これで学校と教員を評価するという事態が全国で起こっているというのが実態です。

 二年生の男子生徒がいじめに苦しんで自殺した福岡県筑前町の中学校では、事件後、この数年で七、八件のいじめがあったことが明らかになっておりますが、報告ではゼロとなっておりました。福岡県では、県の教育委員会が市町村の教育委員会の指導主事を集めた会議で、いじめは一件もあってはならないと強調され、全県の学校への徹底が指示されていました。そのもとで、私たちが県内の教員や父母に直接お話を伺いますと、いじめを明かせばだめ教師と評価されかねない、いじめがあると校長や教師がマイナス評価になる、こういう風潮がつくられてきているということを伺いました。

 同様の事態というのは全国でも起こっています。先日、TBSテレビで放映されたみのもんたさんの「朝ズバッ!」という番組で、次のような現役の教師の声が紹介されました。自分の恥も含めてファクスします、現在、自己管理シートというものがあって、各教師が目標を立てて、どれだけ研さんに励んだかを管理職が評価するものです、ここに自分の学級にいじめがあるなどと書こうものなら、神経質な管理職なら書き直しを命ぜられます、ほとんどは上をねらっていい報告をするんです、自己管理シートの評価が悪いと給料に反映するんです。こうして物言わぬ教師がどんどんつくられていく。

 さらにもう一つ。これは東京新聞の特集記事でありますが、いじめが隠されてしまう実態を告発しています。そこで紹介されている東京都内の中学校に勤める女子教師はこう述べています。最近は、いじめを同僚教師に相談できない雰囲気になっている、学校が管理社会になってしまい、いじめを表ざたにすると、自分の業績評価に響いてしまうので、教師が一人で抱え込んでしまう、それだったら、最悪の事態があっても、いじめには気がつかなかったと言う方がまだましということになってしまう、こういうことを言われています。

 総理に伺いたい。これは、いじめの件数が多いか少ないかで、結局学校と教員が評価されている。こういうやり方がいじめの実態を見えなくさせ、教師集団が協力してこれに対処することを困難にさせている原因の一つになっているんじゃないでしょうか。いじめの件数が多いか少ないかというやり方で学校と教員を評価するというのは、私は、いじめ克服の上でも有害なやり方だと考えますが、総理の見解を伺いたいと思います。総理、どうぞ。

伊吹国務大臣 志位先生がおっしゃるようなことだから隠ぺいが行われているのか、それとも、教師が規範意識を持っていないから、自分をよく見せようとして隠ぺいしているのか、これは見方があります。そして、仕事には目標を立てて、いじめならいじめを減らしていくということを、だからやめろというわけにはいかないんですね。

 だから、今御指摘のあるようなことにならないような運営は心がけるように教育委員会に我々も話しますけれども、だからといって、目標を立てていじめを減らすやり方はやめろということは、私はちょっと本末転倒だと思います。

志位委員 結局、いじめの多寡、多いか少ないかで評価するというやり方を押しつけたら、教師をそういうところに追い込んでしまうというこのシステムを私は問題にしているわけですよ。

 私は、教育基本法の改定との関係でいいますと、この基本法を改定されたらどうなるか。国が教育振興基本計画をつくる、そしてそれを全国の学校に義務づけることになるわけです。

 ここに、中央教育審議会が二〇〇三年三月に教育振興基本計画のひな形として発表した文書がございます。それを見ると、数値目標がずらっと並んでいますよ。そして、いじめについても、五年間で半減という数値目標が書かれております。私は、この文書の中で、いじめ問題について書かれているのはほかにないかなと思ってよく読んでみましたけれども、書いてあるのは半減という目標値だけなんです。

 私は、こういうやり方で全国の学校にもし義務づけられたとしたら、それこそいじめの件数の多いか少ないか、それだけを物差しにして評価がされてしまって、結局、学校と教師が、いじめの問題を本当にありのままを報告し、そしてその実態に即して対応する、これを妨げてしまうんじゃないか。政府も、会議を開けば、いじめの件数の多寡じゃなくて対応が大事だと言っているわけでしょう。ところが、実際は数値目標だけ押しつける。こういうことをやったら、私は、いじめの実態が水面下に隠れてしまって対応ができなくなる、こう考えますが、今度は総理、どうですか。

安倍内閣総理大臣 しかし、いじめの実態があるのであれば、いじめを減らすべく努力するのはこれは当然のことであって、とりあえずその中でこういう目標を立てましょうと。しかし、そういう目標を立てた中にあって、それを隠ぺいするというのはまた別の話であって、それはもう教師こそそんなことを、そういう規範から外れることをやってはいけないのであって、そのためにどういう工夫をしていこうかということすら考えない先生がいることも問題でありますが、まずは、そういう目標を立てたら、どう子供たちに向き合っていけばいじめが減っていくかということを先生方にも考えていただかなければいけない。

 もちろん先生にすべてを担わせるのは大変かもしれませんが、しかし、学校全体、あるいはまた地域や家庭も一緒になって連携をしながらやっていこうという中にあって、先生がリーダーシップを発揮していくことは、当然これは求められることではないかと思います。

志位委員 いかなる場合も、教育現場がありのままの事態を隠ぺいしたりすることは許されない、これは当たり前のことです。ただ、そこに追い込んでいくようなシステムを私は問題にしている。

 私は、政府のやっていることは矛盾していると思いますよ。いじめ自殺という深刻な事態が起こったら、全国の担当者を集めてそこで意思統一することは、いじめの発生の件数の多い少ないよりもどう対応するかが大事なんだということを言っておきながら、教育基本法改定で押しつける目標というのは数値目標だけだ、これではかるということになったら、私は克服に逆行するということになると思います。

 もう一点、考えるべき問題は、いじめの温床の問題です。いじめがどうして起こるか、それは道徳心の問題などだけで説明がつく問題ではないと私は考えます。子供たちが非常に強いストレス、抑圧感にさらされている、そのはけ口としていじめという行動を起こす、ここに原因があるということは多くの調査結果が示していると思います。

 ちょっとこれをごらんいただきたいんですが、これは、北海道大学の伝田健三助教授のグループが二〇〇三年に、小学生と中学生の中でどのぐらいの割合で抑うつ傾向、ストレスが見られるかを調査した結果であります。この調査は、政府の科学研究費補助金による研究で、地方自治体も協力し、三千を超える子供たちからの回答をまとめたものです。

 それによりますと、抑うつ傾向、うつ病となるリスクのある子供の率は、小中学校平均で一三%に及びます。多くの子供たちが、何をしても楽しくない、とても悲しい気がする、泣きたいような気がする、生きていても仕方がないと思うなど、心の叫びを訴えております。抑うつ傾向というのは、小学校平均でいいまして七・八%、中学生平均で二二・八%、中学三年生になりますと、一番右ですが、三〇%にも及びます。これは欧米の子供たちと比べても約二倍の極めて高い数値であります。

 首相の認識を伺いたい。日本の子供たちが非常に強いストレスにさらされている、これがいじめやいじめ自殺の温床になっているという認識はありますか。ストレスといじめの関係です。

安倍内閣総理大臣 この問題は、専門家に分析をしていただかないと、なかなか一概には答えようがないわけでありますが、委員が指摘をしておられるのは、いわばいじめる方にストレスがあっていじめているということなのでしょうか。(志位委員「いじめが起こる原因です。温床になっている」と呼ぶ)

 昔から、例えば私の子供の時代にもそういういじめがあったわけでありますが、しかし、その中でみずから命を絶つという子供はほとんどいなかったのも事実でありますし、いじめのスタイルも今とは随分違っているかもしれませんし、そういういじめがあると、そんなことはやめろと言うだれかがあらわれて、子供たちの中から何人かでもうそれはやめようということになって、そんな長い期間それは続かないというのも、そういうこともあったのではないか、このように思うわけでありますが、今はややそれが変わってきたということと、子供たちがみずから命を絶つという現状について、それがストレスとの関係ということについては、私は今の段階では何とも申しようがない。

 しかし、このいじめの問題と子供たちが命を絶っていくということについては、教育再生会議においても、この対応策について今議論をしていただいているところでございます。

志位委員 今、いじめとストレスの問題について私が伺ったのに対して、何とも言えないということでしたが、否定はされませんでした。これはもう多くの調査結果が示していると思います。

 子供がなぜこんなひどいストレスにさらされているのか。ストレスの原因というのは、私は、もちろん社会の原因、家庭の原因、さまざまだと思いますが、学校教育の上では、子供たちを競争に追い立てて、勝ち組、負け組にふるい分ける。この教育が一番の原因ではないかと思います。

 例えば、東京都では、都段階と多くの市区段階で一斉学力テストが行われ、結果が公開されています。それが学校選択制とセットで進められ、点数で学校が序列化され、いわゆるよい学校には子供が集まり、悪い学校とされたら子供は来なくなる。学校は、学力テストで少しでも上位になろうと、いかにテストでよい点数をとるかの対策に追い立てられます。

 それが子供をどういう状況に追い込むか。私は、東京のある区の関係者に直接お話を伺いました。この区では、小学校二年生以上のすべての子供に毎年一斉学力テストを行わせ、学校ごとに結果が公表されています。一斉テストでの点数を上げるため、授業時間が際限なくふやされている。正規の六時間の授業のほかに、朝学習、放課後学習が行われ、サタデースクールといって土曜日に補習授業が行われ、サマースクールといって夏休みに補習授業が行われ、ウインタースクールといって冬休みにも補習授業が行われています。

 子供は遊ぶ時間を奪われて、楽しみにしていた自然学校、遠足、音楽鑑賞会、文化祭、学芸祭なども削減、廃止され、授業にかわりました。過去に出題された問題を何度も繰り返す、練習させるなど、テストでいかによい点数をとるかだけが最優先され、子供が疲れ果てている。学校の保健室は、定員五百人程度の小中学校で、一日述べ五十人から百人の子供でいっぱいになっているということも私は聞きました。

 首相に私は伺いたい。子供に耐えがたいストレスを与えている一番の原因は、まさにこういう子供を絶えず競争に追い立てて序列づける過度の競争主義にある、ここをこそ改めるべきであって、教育基本法を改定したらここがますますひどくなる、ここに問題があるというふうに考えますが、いかがでしょうか。

安倍内閣総理大臣 いろいろな意見がございまして、一部には、一部にというか、識者の中には、いわばゆとり教育によってカリキュラムが少し中身が薄くなり過ぎたのではないかという意見もあるわけでございまして、基本的には、公教育の場において高い水準の学力と規範意識を身につけることができるように、そういう条件を整備していくことは我々の責任であると考えております。

志位委員 競争とふるい分けからは、本当の学力は育たないと思います。子供たちに物事のわかる喜び、探求心を育てていく中でこそ本当の学力が育つと思う。安倍首相の言われるような教育再生プラン、全国の学校に一斉に学力テストをやらせて序列をつける、こういうやり方からは、私は本当の学力は育たないと思います。

 そういう点では、教育基本法の改定というのは、まさに勝ち組、負け組に義務教育段階から子供をふり分ける、絶対にやってはならないことだ。これは廃案を求めて、私の質問を終わります。

森山委員長 次に、保坂展人君。

保坂(展)委員 社民党の保坂展人です。

 安倍総理、きょうも朝のニュースでいじめ自殺のニュースが流れました。バスケット部の中で人間関係に悩んでいた、女の子が残したメモには、これでお荷物が減るからね、何もかももう頑張ることに疲れました、こういうメモがありました。

 私は、ぎりぎりまで頑張って、もちろん学校も部活も大事ですけれども、命以上に大事なことはありません。もうこれ以上やっていけない、学校に行ったらもう自分は生きていけないという状態になったら、一たん一時避難をして、とりあえずその危険から身を遠ざけて心の傷をいやすということが必要かと思うんですね。その点、総理、どうお考えですか。

安倍内閣総理大臣 こうした自殺を防ぐためにも、例えばスクールカウンセラーをさらに充実させて相談体制を構築していくことは必要でしょうし、つまり、いじめられている子供たちが学校に行くか、あるいは死を選ぶかという選択に追い詰められないように、対応していくことが重要ではないか、これは学校もそうでしょうし、家庭や地域で対応していくことが必要ではないかと思います。

保坂(展)委員 そういったカウンセラーの方がいなくて、あるいはだれも周りが気づくことができないで追い詰められた場合は、これは命の方を選びなさいということだと思いますが、最近、話題になっておりますこのいじめ自殺ゼロの数字について、総理の考えを聞きたいと思っております。

 きょうの例もそうでしたけれども、いじめかどうかということについて、学校の方ではなかなか説明が二転三転をするということがあります。この間、全国で起きている事態は、お子さんを亡くした親としては二重のショック、つまり、我が子が亡くなったというショックと、そのことはいじめ自殺ではないんだということで報告がされていかない、こういう二重のショックだと思います。

 この間、話題になっていますが、九九年以降、文部科学省では、いじめ自殺の件数は一件もない、ゼロである、こういう統計を出されています。総理はこれを信じますか。

安倍内閣総理大臣 文部科学省が行っている調査については、教育委員会からの報告を数値としてまとめたものであると思います。私は、この数字は実態を反映していないと思います。

 要は、大切なことは、まず実態をよく把握することであって、教育委員会においては、いじめが起こったら、それは隠ぺいするのではなくて、調査に協力をしてもらって、つまり、いじめを隠すのではなくて、まず把握をして、そして対応していくことが重要でありますから、正確な数字を報告するように促していきたいと思います。

保坂(展)委員 今、総理が、実態を反映していないというふうにお話しでしたけれども、こちらのパネルの方に、いじめはゼロなんですね。いじめはゼロなんですが、実際に、いじめではなくて、友達との不和、そして今度は、世をはかなむ、厭世ですね、嫌になった、こういう数字は結構多いんですね。九九年以降の七年間で、友人との不和が十四件、そして厭世が五十四件あります。足すと六十八人のお子さんがこの分類の中では亡くなっているわけなんですが、総理はこの六十八人の中にいじめの犠牲者が含まれているかもしれないとお感じになりますか。どうですか。

伊吹国務大臣 文部科学委員会でも先生からこの件について御指摘がございまして、その際もお答えを申し上げましたけれども、自殺に至る動機というのは極めて、一つの理由でなかなか割り切れないんですね。今おっしゃった、いじめとそれから友人との不和と厭世、これをどこへ分類していくか、教育委員会や学校当局からすると、いじめというのはどうも学校の責めに帰する理由として強く出るんじゃないかという懸念があるんだと思うんですね。どうしても、先生が御指摘のように、それがゼロという数字が出てきやすい統計になっている。

 だから、総理が今おっしゃったように、これはやはりおかしいということを私も文部科学委員会で御答弁申し上げたように思っておりますので、教育委員会に、特に先生からあのとき御指摘があったのは、新聞に報道された事案ですね、について今問い合わせております。もう一度ですね。

保坂(展)委員 こちらにいわば文科省への報告の用紙がございますけれども、主な幾つかの理由、例えばいじめ自殺なのか、友人との不和なのか、厭世なのか、あるいはわからないからその他なのかということについて、一つしか選んではいけないんですね。こういうことになっています。

 文科大臣に伺いますが、北海道滝川市のケース、これはどういう項目で報告されていたんでしょうか。

伊吹国務大臣 これは、今の先生の分類、お示しいただいた分類のその他で報告をされております。つまり、教育委員会としては自殺の原因がわからないという報告をしているわけですね。

 しかし、率直に申し上げて、その後、遺書があり、遺書に書かれている内容があり、それをしかも教育委員会や学校当局が隠ぺいをしていたということですから、その他に分類するというのはやはり私は適当じゃないと思います。

保坂(展)委員 さらに言えば、これは総理にも後で御意見を伺いたいんですが、文部科学省のいじめの定義なんですけれども、「自分より弱い者に対して一方的」「身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、」「相手が深刻な苦痛を感じているもの。」この三項目を満たしているかどうか、これは極めて限定的で狭いんですね。

 私、八〇年代の半ばから約十年ぐらい、いじめに遭っている子供たちあるいはかつて遭っていた若者の声を随分聞いてきました、ジャーナリストとしてでありますが。その場合、いじめの犠牲になる、あるいは亡くなる子の中には、身長も大変大きくて、スポーツマンで力も強くて、むしろ外見からはいじめる側なのかな、こういう子だっていますね。それから、継続的ということですけれども、一挙に、一瞬のうちにいわば仲間外しなどが行われる場合もある。あるいは、この厭世のところが大変多いんですけれども、いじめを受けて心の傷を持った場合、なかなかこの傷が回復しない。したがって、家にずっといる時間があったり、あるいは保健室登校という形で保健室にいたりして、しかし、なかなかその傷が大きくて、亡くなってしまうという場合もあります。

 ですから、このいじめの定義も含めて、文科大臣、見直して、しっかりまず実態を明らかにするということを急いでほしいと思います。

伊吹国務大臣 いじめというものの定義をどうしたらいいかというのは、少し専門家の意見も聞かねばなりませんので、心理学者その他の意見も聞いてみて、直す必要があれば適当に、先生のおっしゃったような措置をとりたいと思います。まず専門家の意見を聞かせてください。

保坂(展)委員 専門家の意見ももちろんですけれども、子供たちで、いじめに遭っている子、今苦しいという子、そして今うちの子が大変なことになっているという親御さん、その生の声をまず聞いていただきたいんですね。そこが一番の原点だと思いますが、いかがですか。

伊吹国務大臣 これは、それを聞くということはもちろん大切でございます。しかし、個別に聞いたことをもって全般的ないじめの定義とできるかどうかについては、やはり専門家の意見を聞かねばならないと思います。

保坂(展)委員 私は、明らかに痛ましい亡くなり方をしたお子さんたちの事件が、いじめゼロになってしまった理由を、どうしてゼロになってしまったのかということを解き明かしていただきたいということを強く要請したいと思います。安倍総理どうですか。

安倍内閣総理大臣 確かにそのとおりでありまして、大体、まずいじめがゼロだということというのはあり得ないというふうに、感覚として受けとめなければならなかったかもしれない、こう考えております。

 文科省が調査したのに対して、教育委員会がこういう数字を挙げてきたわけでありますが、結果として実態を反映していないということは、問題に対処する上においてもこれは問題でございますから、どうしてそういう回答になったかということについての調査を行うのは当然のことでございます。

保坂(展)委員 いじめというのはいろいろな理由で始まるんですね。人より足が遅いとか、あるいは人よりおくれてしまうというだけがいじめの理由じゃないんですね。速過ぎる、あるいは何でもできてねたましいというようなこともあります。いろいろな理由でいじめが起きますけれども、比較的わかりやすいのは、みんなと違う、そこがいじめの理由になる場合が多いと思います。

 そこで、こちらに用意しました、日本の国際化社会、進んでいます。外国人の子供たちが一体どれだけふえているのかというと、法務省の在留外国人統計、これによりますと、これは五歳から十四歳といってちょっと学齢の区切りと違うんですが、それ以外の統計がないので使わせていただきましたけれども、ふえていますね、在留の外国人のお子さんたち。しかし、他方で、文科省の発表している学校基本調査の小、中、外国人学校の生徒数はむしろ減っているということがあります。そして、AとBの差が開いてきているんですね。

 いわゆる外国人の子供はふえているけれども、未就学児童がふえているんじゃないだろうかと思えるんですが、文科省の方で、この外国人のお子さんの未就学児童問題、把握されているでしょうか。

伊吹国務大臣 統計として、今先生がおっしゃったような状況が生じていることは把握しております。そして、御承知のように国際人権規約がございますから、ぜひ義務教育に入りたいという方は、公立義務教育の学校に無償で受け入れている、この条約に応じて。

 だから、それにもかかわらず、おっしゃるように差が開いていくというのは、経済的な理由なのか、あるいは語学上の問題があるのか、いろいろなことがございますから、現在、ポルトガル語など五つの言語で就学ガイドブックのようなものを作成したり、努力はしております。

 だから、その原因が語学の違いによるのか、経済的理由によるのか、親の意識によるのか、いろいろな理由があると思いますが、先生のおっしゃったような実態があるということは把握いたしております。

保坂(展)委員 実は、こちらの今の数字なんですけれども、外国人統計と学校基本調査の差が大きいのは、今ポルトガル語という話が出ましたけれども、日系ブラジルのお子さんたちがふえている。いわばブラジルの外国人学校というのは各種学校にもどうも認められていないようなんですね、現状では。ということで、この統計の中の外国人学校にも載ってこない。

 もしかしたら、そういうお子さんたちの中にも、あるいはこの外国人の子供たちの中にも、今ここで話題にした、いじめの被害などに遭って学校に行けないという事情があるのかもしれない。早くこの実態を把握していただきたいということを重ねて申し上げたいと思います。

伊吹国務大臣 すべての外国人の児童のまず把握をしなければなりませんから、今先生がおっしゃっていること、地域ごとにできるだけの努力をしてみたいと思います。

保坂(展)委員 残り少ない時間になりましたが、安倍総理に伺いたいんですが、今回の教育基本法改正案、あるいは教育基本法案でしょうか、ここは、第二条、教育の目標を定めていらっしゃいますね。この中で、この委員会でもさんざん議論をしました、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、」こういった表現、そのほかの幾つかもかなり列挙されて、教育の目標を二条に掲げられています。

 これは、この教育基本法案すべてに係る目標なんでしょうか、条文すべてにまたがる目標なんでしょうか。

安倍内閣総理大臣 この教育基本法の第一章の第二条でございますか、教育の目標でございまして、豊かな情操と道徳、あるいはまた自主及び自律の精神、公共の精神、生命をたっとび、自然を大切にし、環境保全に寄与する態度を養うこと等々が書いてございます。その後、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」。

 これはまさに教育の目標でございますから、この目標に向かって教育を行っていくということになります。

保坂(展)委員 教育の目標だと思って読んでいたんですが、何度も条文を読んでいくうちに、新設の、例えば家庭教育あるいは幼児教育などの条項もございますよね。そして、家庭、学校、地域のネットワーク、相互連携、こういうものもあります。ここも含めた目標なんでしょうか。そうじゃなくて、学校教育に絞っているんでしょうか。

安倍内閣総理大臣 私どものこの教育基本法の改正案におきましては、学校と地域、家庭が連携をしていくことの重要性も書いているわけでございます。つまり、教育は、義務教育だけではなくて、人生を通じた教育という観点からとらえている、こういうふうに理解をしております。

保坂(展)委員 前回、この特別委員会で小坂大臣は全部包括していると答えて、その後で、いや、教育に絞っているというふうに答えているんですね。

 私は、すべて包括しているのであれば、家庭で子供が生まれたとき、あるいは生涯学習で七十代、八十代の方が何か取り組まれるときにも、このいわば愛国心条項、これも全部、すべからく国民に網をかけて掲げているんですよということであればこれは重大だと思いますが、それでよろしいんですか。

伊吹国務大臣 愛国心条項とおっしゃいましたが、それは先生の規定であって、我々は愛国心条項というものは設けておりません。

 ただ、先ほど来お話がありましたように、日本の歴史、文化をとうとんでいくような気持ちを養う、事実関係を的確に教えるということを記述しているわけです。

保坂(展)委員 大変危険があるということで、我々としては、教育基本法を変える必要はないという立場でこれからも議論していきたいと思います。

森山委員長 次に、糸川正晃君。

糸川委員 国民新党の糸川正晃でございます。

 さきの通常国会に引き続きまして、また教育基本法の議論をさせていただく機会をいただきましたことを感謝申し上げます。

 今、自殺問題をずっときょう一日やっておるわけですけれども、教育基本法というものを議論する中で、どうもやはり、教育基本法の「教育の目的」というものを見ていると、今度新しくつくる政府案というものも「教育は、人格の完成を目指し、」ということをうたっているわけですね。人格ということを言っている。そしてまた、第二条では「生命を尊び、」ということまで言っているわけです。その中で、いじめの問題はやはり人格の形成の中で非常にさまざまな問題を起こしている。そしてまた、教師の教育ということも考えますと、このいじめの問題というのは非常に広い意味でいろんな教育にかかわってくるんじゃないかなというふうに考えております。

 そこで、まず伊吹大臣にお伺いしたいんですけれども、現在問題となっているこのいじめ問題、これを今度の教育基本法の中でまた我々議論していくわけですけれども、命の問題ですとか、学校教育の、現場の教育の問題、そして学生に対する教育の問題、こういうことを含めて、今どのようにお考えなのか、お聞かせいただけますでしょうか。

伊吹国務大臣 いじめというのは、学校だけではなくて、集団のところで人間が主役である限りは起こりがちのものでございますけれども、特に教育の場でこれが起こり、そして未来を持っている子供の命が結果的にそれで損なわれるということは、本当に悲しいし、ゆゆしい問題だと重大に受けとめております。

 そこで、今先生がおっしゃったように、我々内閣が提出しているこの基本法は、先生が今御指摘になったように命のとうとさ、その他のことについて記述しておりますが、一番大切なことは、やはり、日本人が築き上げてきた法律を超える、法律よりもっと強い規範の意識をみんなが共有できるような教育の基本をまずつくりたい。そして、今の教育基本法も、これはどこへ持っていっても私は恥ずかしくない教育基本法だと思います。

 しかし、日本にも通用するし、アメリカででも通用するし、イギリスででも通用するのであって、日本には日本の特有の規範があるということをやはり日本社会で生きていく人たちに教えていく。それがみんな身についてくれば、弱い者をいじめるというのは恥ずかしいことだ、みんなで共生していくんだと。さっき民主党の野田先生がおっしゃったように、ルール、法律を守るのは当然だけれども、法律を守らなくたって、恥ずかしくてやっちゃいけないことは何なんだということをやはり教える教育基本法であってほしい、これが我々の大きな、提案した一つの願いでございます。

糸川委員 きょうは政府参考人に銭谷局長においでいただいておるわけですけれども、先ほどからこのデータの問題、今、総理も御答弁の中で、実態にそぐわないデータだったというようなお答えもあったわけでございます。平成十七年の一年間で自殺した児童生徒数については、文部科学省の調査では百五人、警察庁の調査では二百八十八人、これも公表差に、実際に差があるわけでございます。このことに対してどういう認識をされているのか。

 それから、仮に、この調査の対象及び方法の違い、こういうものによって集計数が異なるのであれば、実態をより正確に把握するということもあって、何らかの対策というものが必要になってくるのではないか、改善策ですね。

 また、先ほどの、平成十一年から平成十七年度において、いじめによる自殺者がゼロ人だと。これは、総理、先ほど実態にそぐわないという御回答があったと思うんですけれども。

 実際、銭谷局長はもうこのデータが正しいというふうには御認識されていないと思うんですけれども、何でこういうふうに、総理も、これは実態にそぐわないのではないかと。普通に考えれば明らかにこれは実態にそぐわないというふうに思うものをデータとして挙げて、そしてそれを大臣に見せたのか。こういうことは、やはり現場サイドとして、どういう認識であったのかというのを今御答弁いただけますでしょうか。

銭谷政府参考人 自殺の件数の把握につきましてお尋ねがございました。

 私どもの調査は、自殺をされたお子さんの保護者の方からいろいろお話を伺いながら、学校が把握をし、教育委員会を通じて報告をいただいているものでございます。自殺そのものにつきましては、警察庁の調査は、警察による検視、事情聴取の結果を集計したものでございます。このように調査方法の違いがございますので、まず自殺全体の件数について文部省と警察庁の調査結果が違うということがございます。

 それから、自殺の原因につきましては、私どもの調査は、自殺の主たる理由を一つ報告してもらってきておりましたので、非常に調査としてわかりにくいというか、内容がうまくわからない調査になっていたと反省をいたしております。実態をその意味で正確に反映していなかったというふうに今認識をいたしております。

 文部科学省としては、自殺及び自殺の理由につきまして今後より正確に把握をする必要があると思っておりまして、現在、ことし設置をいたしました児童生徒の自殺予防に向けた取り組みに関する専門家から成る検討会を設けておりますけれども、この検討会等で専門家の方に十分御議論をいただきまして、この調査方法、実態把握の方法について今後工夫をしてまいりたいと考えております。

糸川委員 そうすると、いじめの事件の背景には、実際に国と地方との教育の仕組みのために、教育委員会、それから学校、こういうものがそれぞれ責任を果たしていない、あるいは果たせないのか。国と地方の教育の仕組みの上にこういうものが果たせないんじゃないか。

 政府案においては、国と地方の役割分担の明確化、こういうものがうたわれておるわけでございますが、子供の命が実際に脅かされる、こういうような事件に対応していくためには、教育委員会への国の指導というものがさらに強められる体制づくりであったり、それから、直接学校に、先ほど大臣は、なかなか自分から言える環境にないんだというふうにお話しになられたわけです。ということは、教育の責任者として、だったらそれを改善された方がいい、私はそういうふうに考えるわけで、そういう仕組みづくりを考える時期にもうなっているのではないかなというふうに思うわけですけれども、いかがでしょうか。

伊吹国務大臣 先生がおっしゃっているとおりだと思います。

 それで、今回の教育基本法では国と地方とが分担をしてと書いてございますが、それを受けて、教育委員会を置きながらこれを強化していくのか、民主党案のように、漸進的に教育委員会を廃止して、そして地方自治体の長にその権限を渡していくのか、教育委員会を強化する場合に国がどの程度関与するのか、これは立法政策としては教育基本法にまで書き込むことではないと我々は判断しているわけです。これは、まず教育基本法が通れば、それを受けて教育委員会の法律その他の改正をいずれ立法府の御審議にゆだねたいと思っております。その中で考えていきたいと思います。

 この際に、やはり余り強くすると、教育への国家介入じゃないかという御批判が一方で出てくるんですね。余り弱くすると今のようなことになります。そのときそのときの事件にあって、おまえ何しているんだといって私は怒られるわけですね。強化をすると、おまえ何しているんだといって怒られる。そういう非常につらい立場にあるということは御理解ください。

糸川委員 つらい立場は重々承知の上なんですけれども、それでもやはりリーダーシップを発揮していただくということを考えれば、生命をたっとびというふうにおっしゃられるんですから、やはりそこはしっかりと大臣として守っていただかないといけないのではないか。教育委員会との関係だけではなくて、やはり学んでいる学生に被害を与えることはどうしても容認できることではございません。

 先ほどから、いじめが発生することはどの世界でも仕方がないことだ、その後の対処はどういうふうにするのかということを伺っておるわけですけれども、例えば教師や校長先生に実際に相談しても解決されないとか、そうなると追い詰められていってしまうわけですね、学生の場合。今回の学生も恐らくそうだったと思うんです。このような場合、校長に対して実際指導できる機関、すなわち教育委員会の役割、これは先ほどから見直す必要があると私も言っているわけで、大臣も幾らか肯定的な話なんだろうと思うんですけれども、例えば、教育委員会に児童が直接被害を訴えることができるいじめ相談窓口、こういうような仕組みをしっかりと設けていただいて、これを周知徹底していただく、そしてまた、教育委員会が主導して学校へ解決に向けた努力を促していく体制というのを全国において整備する必要があるのではないか。

 何でかといいますと、私、今回いじめ問題をいろいろ勉強いたしましたら、いじめが発生したところまでは調査をするわけなんです。ですから、いじめの発生件数は皆さんデータを持っていらっしゃると思うんですが、これをどういうふうに解決していったとかいうことのデータというのはほとんど、私も要求したんですが、なかなか出てこない。いじめをどうやって解決しているのか、学校でどういう取り組みをしているのかというペーパーを教育委員会は恐らくもらっていないんじゃないかなと思うんですね。だから、そこの部分をしっかりと取り組んでもらわないと、解決が大事だと言っていてもそういうもののデータも何もないということになっているのではないかなと思うんですが、いかがでしょうか。

銭谷政府参考人 ただいま先生からお話ございましたように、ポイントはやはり二つございまして、一つはいじめの予兆を見出し、早期発見するということがあると思います。そのためには、やはり相談窓口をしっかり整備するということが大事だと思います。現在、教育委員会あるいは教育センターにかなり相談窓口は設置をされているわけでございますけれども、そのことがよく子供たちに知らされていないということがございますので、先般の緊急の会議でも、相談窓口の子供たちへの周知ということをぜひやっていただきたいということを強く申し上げたところでございます。

 もう一点、実際にいじめが発見された後の対応でございますけれども、いじめはどこまでいったら解決したかというのがなかなか見えにくいということは事実でございますけれども、担任に加えまして、学校全体で取り組んだり、教育委員会の方がいろいろな支援をするということが大事なわけでございまして、そのためのマニュアルを各県でも整備しつつありますけれども、私どもの方でもそういう観点から支援をしてまいりたいと思っております。

糸川委員 私も、マニュアルは見せていただきました。やはりしっかり取り組んでいるなという姿勢はわかるわけです。ただ、それは生徒にとっていかがなるものなのか。先生は取り組んでいる姿勢だというふうに、それは教育委員会は見るのかもしれませんが、それだけではなくて、学生が、ちゃんと周知徹底して、いじめに遭った、その場合どういうふうに対処してくれるのかということをやはりそれは指針としてお示しいただかないといけないのかなと。

 今回の福岡の例でも恐らく使われなかったんではないかというような文部科学省の答えがあったんですが、実は、スクールカウンセラー、これは、文部科学省ではいじめ対策の一つとしてスクールカウンセラーの配置というものを掲げていらっしゃるわけでございます。

 このスクールカウンセラーは、心理に関する専門家を学校に配置して、そして子供たちの心のケアを行う制度ということでありまして、その効用を否定するわけではございませんが、むしろ、どうも今回も、事後的に、例えば学校でこういう被害があった、そうしたら周りの子供のケアのために使っていく、もちろんそれも一つの使い方だと思うんです。ただ、事前に、やはり学校の中でいじめに遭っている、親御さんも含めて、そのカウンセラーにしっかりとカウンセリングを受けられる体制、この体制づくりというものをしていかなきゃいけないんではないかなというふうに思います。

 そうすると、今、特にスクールカウンセラーというのは主に臨床心理士、これは民間資格でございますが、が担っておるわけでございます。その発言力にもおのずと限界があるんではないかなというふうに考えておるわけでございますが、今後、その担い手である臨床心理士については、大臣、ぜひ国家資格として公認していただいて、位置づけを明確にする必要が今度は出てくるんではないかなというふうに考えておるわけでございます。

 積極的に、そういう中で、国家資格を持っていただいたり、民間でもあれなんですが、しっかりと研修なり行っていただいて、スクールカウンセラーの位置づけを確立する必要があるんではないかなというふうに思うんですが、いかがでしょうか。

伊吹国務大臣 スクールカウンセラーを充実していくという方向は、私は先生と全く同じでございます。

 国家資格の問題については、これは御承知だと思いますが、学校現場でスクールカウンセラーのような役割を果たしている方と、ドクターとの関係がこれは非常に微妙で、医療の分野で活躍しておられる方とがおられまして、その辺の意見がなかなか率直なところ合わないわけなんですね。

 ですから、これは厚生労働省と文部科学省とで少しその辺をすり合わせて、国家資格の問題も検討させていただきたいと思います。

糸川委員 ですから、厚生労働省との、もうそろそろ、いろいろあつれきの問題もあるんでしょうけれども、そのために、今この問題を取り上げさせていただいたわけでございます。

 最後に、総理大臣に質問をさせていただきたいんですけれども、もう、きょうこの質問が最後でございます。

 いじめによる自殺問題ですとか、それから高校での未履修問題、こういうものに対して、行政に対して、実際、今、国民の信頼が低下しているんではないかなというふうに思います。御承知のとおり、こういう教育の問題は国の根幹でありまして、総理がうたっていらっしゃいます「美しい国へ」、こういう著書の中でも教育の再生について書いておられるわけでございます。改めて、国民が信頼する教育問題に対してどのように取り組んでいかれようとしているのか、御見解をお伺いしたいというふうに思います。

安倍内閣総理大臣 このいじめの問題も、未履修の問題についても、学校側が正しい事実をきちんと報告しなかった、あるいはそれを隠ぺいしようとしたということは極めて重大な問題である、このように思います。

 そしてまた、教育委員会においてもそうしたチェック機能を十分に果たし得なかった。現在の法律の中においてしっかりと責任を果たしていくように、どうしたらそうなっていくか、今後の対策としてそれも含めて教育再生会議の中でも議論をしていきますが、この教育再生のために何をなすべきか、対応をしっかりと考えてまいりたいと思います。

糸川委員 ありがとうございました。しっかりと、今後もこの教育基本法のあり方そしてその中身について議論をしていきたいというふうに思います。

 ありがとうございました。

森山委員長 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後五時一分散会


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