衆議院

メインへスキップ



第5号 平成18年11月1日(水曜日)

会議録本文へ
平成十八年十一月一日(水曜日)

    午前十時開議

 出席委員

   委員長 森山 眞弓君

   理事 稲葉 大和君 理事 河村 建夫君

   理事 斉藤斗志二君 理事 鈴木 恒夫君

   理事 町村 信孝君 理事 中井  洽君

   理事 牧  義夫君 理事 西  博義君

      井脇ノブ子君    伊藤 忠彦君

      稲田 朋美君    猪口 邦子君

      岩永 峯一君    上野賢一郎君

      浮島 敏男君    臼井日出男君

      江渡 聡徳君    大塚 高司君

      海部 俊樹君    北村 誠吾君

      島村 宜伸君    鈴木 馨祐君

      戸井田とおる君    中山 成彬君

      長崎幸太郎君    西川 京子君

      馳   浩君    鳩山 邦夫君

      藤田 幹雄君    馬渡 龍治君

      松浪健四郎君  やまぎわ大志郎君

      安井潤一郎君    若宮 健嗣君

      泉  健太君    黄川田 徹君

      北神 圭朗君    小宮山泰子君

      末松 義規君    田島 一成君

      田中眞紀子君    寺田  学君

      土肥 隆一君    西村智奈美君

      野田 佳彦君    羽田  孜君

      福田 昭夫君    古本伸一郎君

      松木 謙公君    松本 大輔君

      三谷 光男君    森本 哲生君

      横山 北斗君    斉藤 鉄夫君

      坂口  力君    石井 郁子君

      菅野 哲雄君    保坂 展人君

      糸川 正晃君    保利 耕輔君

    …………………………………

   議員           笠  浩史君

   議員           高井 美穂君

   議員           藤村  修君

   議員           武正 公一君

   文部科学大臣       伊吹 文明君

   国務大臣

   (内閣官房長官)     塩崎 恭久君

   国務大臣

   (少子化・男女共同参画担当)           高市 早苗君

   外務副大臣        岩屋  毅君

   政府参考人

   (内閣官房内閣審議官)  山中 伸一君

   政府参考人

   (内閣法制局第二部長)  横畠 裕介君

   政府参考人

   (内閣府大臣官房総括審議官)           土肥原 洋君

   政府参考人

   (内閣府規制改革・民間開放推進室長)       田中 孝文君

   政府参考人

   (総務省自治行政局長)  藤井 昭夫君

   政府参考人

   (文部科学省生涯学習政策局長)          田中壮一郎君

   政府参考人

   (文部科学省初等中等教育局長)          銭谷 眞美君

   政府参考人

   (文部科学省高等教育局長)            清水  潔君

   衆議院調査局教育基本法に関する特別調査室長    清野 裕三君

    ―――――――――――――

委員の異動

十一月一日

 辞任         補欠選任

  大島 理森君     江渡 聡徳君

  北村 誠吾君     馬渡 龍治君

  佐藤 剛男君     伊藤 忠彦君

  やまぎわ大志郎君   藤田 幹雄君

  渡部  篤君     安井潤一郎君

  北神 圭朗君     田島 一成君

  田中眞紀子君     小宮山泰子君

  西村智奈美君     福田 昭夫君

  野田 佳彦君     黄川田 徹君

  羽田  孜君     三谷 光男君

  古本伸一郎君     森本 哲生君

  松本 大輔君     末松 義規君

  横山 北斗君     松木 謙公君

  保坂 展人君     菅野 哲雄君

同日

 辞任         補欠選任

  伊藤 忠彦君     大塚 高司君

  江渡 聡徳君     大島 理森君

  藤田 幹雄君     やまぎわ大志郎君

  馬渡 龍治君     北村 誠吾君

  安井潤一郎君     鈴木 馨祐君

  黄川田 徹君     寺田  学君

  小宮山泰子君     田中眞紀子君

  末松 義規君     松本 大輔君

  田島 一成君     北神 圭朗君

  福田 昭夫君     西村智奈美君

  松木 謙公君     横山 北斗君

  三谷 光男君     羽田  孜君

  森本 哲生君     泉  健太君

  菅野 哲雄君     保坂 展人君

同日

 辞任         補欠選任

  大塚 高司君     浮島 敏男君

  鈴木 馨祐君     長崎幸太郎君

  泉  健太君     古本伸一郎君

  寺田  学君     野田 佳彦君

同日

 辞任         補欠選任

  浮島 敏男君     佐藤 剛男君

  長崎幸太郎君     渡部  篤君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 政府参考人出頭要求に関する件

 教育基本法案(内閣提出、第百六十四回国会閣法第八九号)

 日本国教育基本法案(鳩山由紀夫君外六名提出、第百六十四回国会衆法第二八号)


このページのトップに戻る

     ――――◇―――――

森山委員長 これより会議を開きます。

 第百六十四回国会、内閣提出、教育基本法案及び第百六十四回国会、鳩山由紀夫君外六名提出、日本国教育基本法案の両案を一括して議題といたします。

 この際、お諮りいたします。

 両案審査のため、本日、政府参考人として内閣官房内閣審議官山中伸一君、内閣法制局第二部長横畠裕介君、内閣府大臣官房タウンミーティング担当室長谷口隆司君、規制改革・民間開放推進室長田中孝文君、総務省自治行政局長藤井昭夫君、文部科学省生涯学習政策局長田中壮一郎君、初等中等教育局長銭谷眞美君、高等教育局長清水潔君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

森山委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

森山委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。保利耕輔君。

保利委員 おはようございます。

 理事諸公のお許しをいただきまして、一時間の時間をいただきました。委員長初め理事の皆さんに厚く御礼を申し上げたいと思います。

 また、連日この審議に参加をしていただいている委員の皆様、本当に御苦労さまでございます。

 また、三大臣おそろいでございますが、このたびは御入閣まことにおめでとうございます。

 一つだけ、大変失礼ですが印象を申し上げさせていただくと、伊吹大臣が御答弁なさるときに、大変理路整然と、何年文部科学大臣をおやりになっていらっしゃったのかなと思うぐらい非常に説明が明瞭でわかりやすい。その上、私が感心をいたしましたのは、官僚がつくりましたところのいわゆる答弁書というのを余りお持ちにならぬ。身一つで出てこられてあれだけ整然としたお答えをなさるということに、私は本当にびっくりしました。心から敬意を表したいと思う次第であります。

 ついでに申し上げては大変恐縮でございますが、官僚の皆様は、答弁を間違えちゃいけないという意味もあるんでしょう、答弁書を棒読みされるケースが多いのでありますけれども、私はお願いをしたいんですが、それは資料とかそういうものはきちんと調べなきゃいけませんから、それについて何も紙を持ってくるなとは言いませんが、理念的な問題とかそういう問題については、紙を読むのではなくて、できるだけ自分の考えでお話をいただきたい。文部科学省の責任者、最高幹部のお一人でありますから、その点はぜひお心得をいただきたいと思うのであります。ぜひよろしくお願いいたします。

 まず初めに、官房長官、せっかくおいででございますし、これから記者会見が始まりますので、一問だけ差し上げるというよりか、私からお願いがあります。

 安倍内閣が誕生いたしまして、美しい国をつくるんだというお話で、その解説も本会議その他でやっておられるので大変感銘を受けておるのでありますが、私はこういう例にぶつかったんです。

 これは、九州大学に留学をしております女の学生さんでありますけれども、九州大学で修士課程に入っていらっしゃる方がいる。その方が私の九州の事務所に訪ねておいでになりまして、そして本当に見事な日本語でいろいろお話しになったわけであります。

 この方は、スロバキア、昔はチェコスロバキア、一緒でしたけれども、今はスロバキアは分かれておりますね。そこの御出身の方でありまして、五年間イギリスへ行っていた。そして、イギリスへ行って何をしていたかと言ったら、イギリスで日本語を学んできたと言うんです。

 どうしてあなたは日本語を学んだんですかと聞きましたら、どういう動機で日本語を勉強するようになったんですかと言ったら、若いころ、学生のころ、スロバキアで日本の映画を見たと言うんです。恐らく、私が推定いたしますに、黒沢明とかあるいは小津安二郎とか、そういった方々の映画というのはヨーロッパでは随分出されておりますので、そのときにその映画の俳優さんがしゃべっておられる日本語の美しさというのに感動したと言うんですよ。そして日本語を勉強するようになった、こういうことを言っておられました。

 そういう点から考えて、今の日本人の日本語というのが崩れかけてはいないか、これが非常に心配であります。この教育基本法においても、伝統、文化を尊重するということが言われておる。日本語というのは、まさに二千年、三千年の間ずっとこの民族が伝えてきた立派な言葉でありますし、非常にニュアンスに富んだ、表現力の豊かな日本語であります。これをやはり日本人としては忘れてはならないと思うのであります。

 時代の流れですから、グローバル社会において英語を一生懸命使う、勉強する、これは結構であります。しかし同時に、そのすばらしい日本語を日本民族が忘れないようにしなければいけない、こういうことを感じております。

 安倍総理が美しい国ということを言っておられますので、それにあわせて、美しい国、美しい日本語、あるいは美しい国語ということを総理の頭の中に入れていただくように官房長官からぜひお伝えを願いたいのでありますが、官房長官の御所見をいただきたいと思います。

塩崎国務大臣 ただいま保利先生の方から、安倍総理に伝えるようにということで、美しい国の中でもとりわけ重要なのは日本語ではないのかということをおっしゃっていただきました。

 安倍総理が総理・総裁を目指すに当たって大事にしたことは、やはりこの国の形をどうするかということで、その国の形を美しい国という言葉に込めて総裁選を戦い、所信表明でも言い、そして、今日も美しい国を国づくりということでやってきていると思います。

 その中に日本語というものも入ってくるのは当然のことであって、歴史、伝統、文化、これを大事にしながら新しい国づくりをしていこう、国の形をつくっていこう、その際の美しい日本には美しい日本語がベースになるのは当然のことだと思っておりますので、その点について、今先生から御示唆をいただいたことをまたしっかりと伝えてまいりたい、こう思います。

保利委員 ありがとうございました。しっかりお伝えいただきたいと思います。

 そして、総理のお耳に入りましたらば、ちょっとお伝えをいただいたら、私はこのスロバキアの人に、国会の場であなたの名前を出して話をしたよということを言い、そしてその学生さんに感謝をしたい、私はそう思っております。

 官房長官、時間がもしあれだったらば、どうぞ。

 それでは、教育基本法の問題に入らせていただきます。

 前段ちょっとしゃべり過ぎまして、時間がもうどんどん押してきますので、直接いろいろな問題についてお話をいたしたいと思います。

 既にこの教育基本法が国会に提出されておりますけれども、そこに至る過程というのは、もう大臣も御存じのとおりであります。小渕内閣のときに教育改革国民会議ができて、それから中教審が答申をして、そして、その中教審の答申に基づいて与党で協議をして、与党としては教育基本法に盛り込むべき事項ということで政府にレポートを出し、それに基づいて文部科学省が作業をして、この法案ができたわけであります。

 私は、与党で協議を始めますときに検討会の座長を仰せつかりまして、長い間御協力をいただいて、検討会を進めてまいりました。その中で、最初に何を検討しようかということを考えたのでありますけれども、まず、教育基本法を考える場合に原則を立てようと、四つの原則というのを立てたのであります。

 第一は何かといいますと、教育基本法の改正法案は、議員立法ではなくて、政府提出法律案であること、これが第一原則であります。わかり切ったような話ですけれども、これはきちんと確認をしておかなければならない。

 民主党さんは議員提案で出しておられますから、これは議員立法になる。政府から出したのは、政府提出法律案である。だから、つくったのはおまえだとよく言われますけれども、そうではなくて、やはり政府が責任を持ってチェックをして、そして法案にして出しておられるということであります。これは最初の段階で確認をしたことであります。

 二番目に、改正方式をどうするかということでありました。一部改正でいくか、一部改正というのは、法案の骨格は残って、そして字句の修正が入るということであります。それから、全部改正でいくか、あるいは現行法を廃止して新法をつくるか、この三つの選択肢があったわけであります。そこで、改正方式については、一部改正ではなく、全部改正にすることということを確認し合いました。

 それはなぜかといいますと、現行法には大学の規定がありません。それから、生涯学習についても規定がありません。さらにまた、学生の七割が行っております私学についての規定もないわけであります。そのほかいろいろなことがありましたけれども、そうした大きな骨格をなすところを入れていこうということになると、一部改正ではできないなということになりました。

 そのときに、これは衆議院法制局と御相談をしたのですが、現行法を読んでみますと、勉強の過程で当然現行法を読むわけでありますけれども、その一番最初のところに何て書いてあるかというと、「朕は、枢密顧問の諮詢を経て、帝国議会の協賛を経た教育基本法を裁可し、ここにこれを公布せしめる。」と書いてあるわけであります。昭和二十二年当時に占領軍のもとでつくられたということが明確にここに出てくるわけでありますが、帝国議会で行われた。そして、今は恐らくないんだろうと思いますけれども、枢密顧問の諮詢という言葉がある。そういったことがあって、やや古い、これは文章としておもしろくないなという大変強い御意見が検討会の中でありまして、おいででございますか、海部元総理も非常に強くその辺については御心配なさっていらっしゃったわけであります。

 この公布文といいますか、公布文というのは法律ではありませんが、法律を施行する際に内閣がつける文章であります。この文章について、今度の政府提出法律案については、この文章が公布文としてそのまま残るのか、それとも新しい公布文がつくられるのか、ここはせっかく法制局からおいでをいただいておりますので、内閣法制局としての御意見をいただきたい。どういう公布文がつくられるのか。変わるのか変わらないのかだけでも結構です。内容がわかっていればある程度内容を、例えばほかの法律の例を引いておっしゃっていただいても結構ですが、御答弁をいただきたいと思います。

横畠政府参考人 お答えいたします。

 御指摘の部分は、旧公式令、今は廃止されておりますけれども、公式令という勅令がございまして、その第六条の規定によりまして、上諭として付された公布文でございます。一般に、その公布文は当該公布される法令の構成部分ではなく、公布文自体は改正や廃止の対象とはならないものと理解されております。

 ただいま御審議いただいております政府案を前提としてお答えいたしますと、教育基本法が全部改正された暁には、その全部改正された教育基本法、新たな教育基本法と言ってもよろしいかと思いますけれども、それが「教育基本法をここに公布する。」という新たな公布文をもって公布されるということになり、お尋ねの古い公布文は、全部改正された教育基本法の施行後は現行法の公布文としての意味を失うことになると考えております。

保利委員 ちょっと確認いたしたいんですが、変わるんですか、変わらないんですか、それだけ御答弁いただけませんか、もう一度。

横畠政府参考人 この上諭として付された公布文は、まさに現行の教育基本法が公布された際に、このようなものとして公布するという、いわば宣言をした文でございまして、それ自体を変えるという方法はございません。その意味で、形式的には残りますが、これは歴史的なものとして残る、そのように評価できるであろうかと思います。

保利委員 ちょっとこれは大事なところなんですが、今のお話を聞いてみると、「朕は、枢密顧問の諮詢を経て、」云々という文章は、この政府案についても残るというふうに解釈してよろしいんですか。

横畠政府参考人 ちょっと言葉が足りなかったかもしれませんけれども、新たな全部改正された教育基本法が成立した暁には、新たに「教育基本法をここに公布する。」という、いわばこれに取ってかわる新たな公布文が付されるということになるわけでございます。

保利委員 明瞭になりました。変わるということだというふうに理解をいたします。

 実は、今、二番目まで申し上げたんですが、全部改正をするということでやっておりますから、当然、この公布文も変わるということであります。

 三番目に考えました柱は、この法律は理念法であるということであります。

 詳しくは、もう少し細かく書いてあるんですけれども、ちょっと読んでみますと、「教育基本法は、教育の基本的な理念を示すものであって、具体的な内容については他の法令に委ねること」となっております。そういう事項を確認したわけでありますが、他の法令というのは文部科学省の中には幾つありますか。教育基本法を除いて、そのほかの法令というのは全部で幾つでありましょうか。

銭谷政府参考人 教育基本法の検討の中で、文部科学省関係で、この教育基本法に非常に深くかかわっている法律を調べたことがございますけれども、三十三本ぐらいあったと思っております。

保利委員 三十三本で、私の方で調べましても三十三本でございますので、間違いないと思います。

 それだけの、いわゆる具体的な事項を決めた法律というのが三十三本ある。その下に、もっと言えば学習指導要領、今問題になっている学習指導要領があるわけでありますが、この三十三本の法律の中に細かい事項は全部書き込んでいくということが、この教育基本法の改正作業に伴って当然出てくるわけであります。一番大きいのは学校教育法でありますが、これを改正していくということが当然作業として出てくるわけであります。

 実は、理念法であるということから、詳細な点についてはできるだけ下位の法律にゆだねていこうという考え方のもとに、これは理念法だから本当に骨格のところだけ示すんだよということを我々で決めたわけであります。

 第四番目の原則は、今の三番目の原則と大体通じるところがあるんですが、骨格だけを示すということになれば、当然簡素な法律になってくる。それで理念的な法律ですが、簡素にして、そして我々は勝手に格調高い法律にしようと。さすがに文部科学省は格調の高い法律を準備してくださって、ありがたいなと思っておるわけでございます。

 そんなこんなでこの教育基本法が提出をされまして、今日議論になっているわけでありますが、そこを確認したということは、私は非常に大事なことだったと思います。

 その事項は、平成十六年六月十六日の与党教育基本法改正に関する協議会でレポートとして出しまして、それは世間に公表されております。ここの中で改正の柱立てを考えた。全部で、現行法は十一条でありますけれども、十八条にしようということを柱立てという言葉を使って検討して、十八の項目に絞ったというか、ふやしたというか、そういうところへ持っていったわけであります。

 そのレポートをつくりました中で一番大事なことは、いろいろありますけれども、非常に大きな論点になった部分があります。それは何かというと、国を愛する心の部分であります。これは後にまた議論をさせていただきますが、国を愛する心の部分でありますが、この国ということの概念について大変大きな議論があったわけであります。

 国は領土と国民と統治機構という三つの要素から成り立っているというのは、これは学会の通説でありますが、国を愛すという場合に、統治機構を愛すということがいいのか悪いのかということが大変議論になりまして、安倍内閣はいい内閣ですけれども、安倍内閣を愛せよという教育を学校現場でするわけにはいかない。今の民主主義体制を大事にしようとかそういうのはいいと思いますけれども、統治機構である安倍内閣を愛せよということは、ほかの国でないことはないと思いますけれども、日本ではそれはできない話だ。そうすると、国の概念から統治機構を外そうということでコンセンサスを得ると、一体国というのは何なのだという議論というのはありました。それについては、議論は議論として、統治機構は外そうということで認識が与党間では一致をしたわけであります。

 さらに、宗教教育については、宗教が情操の涵養に果たす役割は教育上尊重されることを盛り込めという御意見があった。ところが、これはいろいろ考えてみますと、日本というのはキリスト教国とも言えない、あるいはイスラム教国とも言えない、神仏が混交し、そこにいろいろな宗教がまた存在をしているという非常に自由な宗教環境にある中で、宗教の情操の涵養といったときには何の宗教の情操かという問題もありますので、これは盛り込めといってもなかなか盛り込み切れないなという感じがあったわけであります。

 三番目は、教育行政の中の不当な支配に服することなくという点については、これは中教審も随分困ったようでありますが、不当な支配というのは非常に意味が漠然としておりますので、不当な支配という言葉は何か別の言葉に直したらどうだという中教審のお話もありました。しかし、いろいろ検討した結果、政府案では不当な支配というのが残っているわけですけれども、こういった問題を中間報告として問題点として出しながら、最後、大島座長のもとで取りまとめて、うまいぐあいにつくっていただいたというのが現実の問題であります。

 そこで、いろいろなことを申し上げたいわけでありますけれども、この教育基本法の中で最も大事な部分というのは、国を愛する心をどう扱うかという部分でありまして、マスコミの皆さんはほとんどこの国を愛する心をどう扱うかということに記事を集中させた嫌いがあります。したがって、義務教育はどうだこうだとかと大変な議論をしたんですが、そこは全部、記者レクをしているんですけれども、記事には一行もならなかったと思っております。

 それは、国を愛する心がイシューとしては非常に難しいイシューだったからマスコミもそこへ注目したんでしょうけれども、国民の方々はそれを見て、教育基本法の議論というのは国を愛することを教育基本法でやっているのかというふうに誤解をしたんじゃないかなという感じがいたします。私のところには毎晩毎晩電話がかかってきまして、これはおばさんと言っては失礼ですけれども、女性から電話がかかってきて、子供たちを戦場に送らないでください、戦争をする国にしないでください、教育基本法の改正には反対ですと、毎晩のように電話がかかってきたということがあります。

 それで、この教育基本法の改正が、子供たちを戦場に送るとか、あるいは戦争をする国にするんだとかいうようなことではないということを、これは文部科学大臣からひとつ御答弁いただけませんか。

伊吹国務大臣 この法案をつくるに際して大変御指導いただいて、指導的な立場にお立ちいただいた保利先生から経緯を話していただいて、私ども大変勉強になりました。

 先ほど先生がおっしゃったように、国は何から成り立っているかということなんですが、領土と、そしてそこにいる人間、つまり国民と、統治機構というお話がありましたが、法制的に考えるとそうだと思いますが、私は、やはり国と人と、そこで行われるもろもろの祖先から営々と続く国民の営み、その中の一つが私は統治機構だと思うんですね。営みの中から、いろいろな伝統的な文化、規範、あるいは私たちの日本に特有の申し合わせ事項のようなものが出てまいりますね。その中でイズムに直結する統治の部分だけをやはり慎重にお外しになったという理解を私はしたいと思うんです。であるからこそ、今度の改正法案には、伝統、文化ということが大変強く従来の法案と違って出ているのは、私はそういうお考えもあったのかなと思って今のお話を聞いておりました。

 ですから、これは、国の中でこれから教育をどうしていくかという、まさに先生のお言葉をかりれば理念法というか基本法でございますから、それだけ慎重な配慮をしている法律で、これから日本を担ってくれる児童たちの資質を高め、基礎学力を高めていくための法律なので、おっしゃったような戦争促進法などというものでは全く、それはもう先生もよく御存じで私に確認をさせておられるんだと私は理解しておりますが。

保利委員 戦争を促進する法律ではないと、もうこれは明瞭にお言葉としてちょうだいをいたしましたので、ありがとうございました。恐らく民主党さんも同じ考え方じゃないでしょうか。戦争に子供たちを駆り立てるつもりでこの法律をつくっているのではないと思うのでありますが、御意見があったらお伺いをしますが、いかがですか。

笠議員 今保利委員が御指摘のとおり、私どもも、この教育基本法を新たにつくる上で、間違っても子供たちを戦争に送るためにということではなく……(発言する者あり)今ちょっと発言が出ていますけれども、そういった文書、私のところにも恐らく法案提出者のところにも、同じようないろいろなファクスが来ておりますけれども、そういう思いではなく、まさに子供たちのために、私どもの日本国教育基本法案を取りまとめて新しい教育基本法をつくるということをこの場ではっきりと申し上げさせていただきたいと思います。

保利委員 大変結構な御答弁をいただきました。ありがとうございました。突然で済みませんでした。

 そこで、これはひとつ文部科学省に御意見を伺いたいんですが、政府提出法律案の中のこの部分を読んでみますと、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。」と書いてある。一方では、学習指導要領の中に、これもうまく書いてあるんですが、「我が国の文化と伝統に親しみ、国を愛する心をもつとともに、外国の人々や文化に関心をもつ。」というようなことが書いてあります、ほかにもまだあるんですけれども。

 この教育基本法が仮に政府案で成立をした暁に、教育基本法と学習指導要領が矛盾をする点はありませんね。これは銭谷局長から。

銭谷政府参考人 ただいまの先生からのお尋ねでございますが、私どもは、今の教育基本法の改正案と学習指導要領は軌を一にするものだと思っておりまして、矛盾する点はないと思っております。

 若干御説明させていただきますと、例えば、今の小学校の学習指導要領では、社会科を例にとりますと、社会科全体の目標として「我が国の国土と歴史に対する理解と愛情を育て、」こう書いてございまして、さらに六年生の目標として「我が国の歴史や伝統を大切にし、国を愛する心情を育てる」、こういうふうに書いてございます。つまり、学習指導要領におきましては、我が国の国土、歴史、伝統、文化といったことについて理解と愛情を深め、国に対する愛情を育てる、こういう構成になっておりますので、これは今提案されております基本法の考え方と全く同じだと思っております。

保利委員 そういたしますと、この教育基本法が何らかの形ででき上がって成立した暁には、学習指導要領のこの部分について直す必要は全くないというふうに解釈してよろしいですね。ちょっと、もう一度。

銭谷政府参考人 基本的には現在の学習指導要領の書きぶりで対応できると思っておりますが、ただ、指導要領につきましては、いろいろな表現について、あるいは重点の置き方とか、いろいろ工夫をいたしますので、一言一句直らないとか、そういうことではないと御理解をいただきたいと思います。

保利委員 そうすると、アウトラインとしては同じ線に沿っているということで、一言一句という問題になると検討しなきゃならない部分があるかもしれない、こういう御答弁と解釈をさせていただきます。

 そこで、せっかく学習指導要領にこれだけのことを書き込んであるんですが、学校の教育現場ではこの学習指導要領に基づいてどういう教育をしておられるか、これは文部科学省は調べられたことがありましょうか。僕は前にもこの問題は提起をしておるんですが、抽象的にはいろいろなことが言えると思うんですよ。

 例えばA校ではこういう教育をしているという具体例を調べたことがありますか、ないでしょうか。

銭谷政府参考人 私ども、実際の学校での教育の状況につきまして、どんなぐあいの授業を展開しているのか、特に小中学校について、いろいろと把握をいたしております。その中で、我が国の歴史や文化あるいは国土や歴史に関する理解と愛情を育てる学習がどのように行われているか、これは調べたことがございます。

 具体的にちょっと申し上げますと、例えば、小学校では、我が国の代表的な人物とか、あるいは郷土の偉人とか、あるいは国際的に活躍している人を調べましてその事績に触れていくとか、あるいは、郷土あるいは我が国に残るいろいろな文化遺産、そういったものについて調べて日本の歴史や伝統を理解する学習とか、さらに具体的に申し上げますと、例えば、道徳などでよく行われることですけれども、一つの例で厳島神社、これは世界遺産でございますけれども、その内容を調べまして、どういう歴史的な意味があるのか、また、厳島神社を文化遺産として守るために人々がどんな苦労、努力をしているのか、こういったことを学びながら日本の伝統や文化に触れていくといったような学習が実際に行われているところでございます。

保利委員 これは役所にいろいろ申し上げても無理があるかなと思いますけれども、今の御答弁では、少し、私が質問していることに、正確というかぴったり合わないんですよ。例えば伝統、文化を教えるんだということをおっしゃったけれども、国を愛する心というのをどうやって教えているかということが私の質問の趣旨なのであります。

 そこで、これは打ちかけにしておきますけれども、ある高校の先生が、私はこういうことで国を愛する心というのを教えておりますと言って例を引いたものがあるんです。これは、もう古いですけれども、西暦六〇〇年代の白村江の戦いのときの逸話を引いて、そして、唐の大軍が日本に攻め寄せてくるよという情報を、自分が中国で奴隷になって、そしてお金を得て、日本に知らせたという逸話があるんです。

 それで、その先生がそういう逸話を生徒たちに話をしてあげて、その後、非常にいい言葉を残しておられるのでちょっと御紹介をいたしますと、愛国心が大切だと言っても子供は聞かないが、確かに平和な時期に愛国心と言っても子供は聞かないが、具体的にその姿を提示すれば、国を愛するということはどういうことか、博麻、博麻というのはこれは人の名前ですけれども、中国に捕虜になっていた人ですが、この博麻の人生に対して、子供は体を震わせて感ずるのである、そういう文章があります。お持ちでなければ後からまたコピーして差し上げますが、そういった具体的な例をもって、やはり国を愛する心というのが学習指導要領に書いてあるんですから、現場で教えているという例がわかっていいはずだ、私はそう思っているわけであります。

 この辺は、せっかくここまで持ってきているわけですから、そして、教育基本法にも入れるという形になっているわけですから、どうぞその辺は注意深く見ておいていただきたいということを要請いたします。

 大臣、今の愛国心のことについてのお考えはございますか。

伊吹国務大臣 今先生のお話を伺っていまして、私が私の子供に昔話したことをちょっと御紹介しますと、かつて、中国という国は非常に日本の文化の父のような国と言われて、あちらで知識を取り入れるということは、遣唐使、遣隋使と言われて、当時としては大変名誉なことであったようですが、隋の国へ行こうというときに、大きな国へ行くことに非常に、遠い国でもありますし、恐れおののいていた人を励まして、山上憶良が詠んだよく知られている長歌があるんですね。先ほど先生は美しい国の美しい言葉ということをおっしゃいましたが、「倭の国は皇神の厳しき国」ということからずっと始まって、そして「倭の国は言霊の幸はふる国」と。日本という国はどこへ行っても日本語が通ずる国だけれども、中国は、大きな国かもわからないけれども、一つの言葉がどこでも通ずる国ではないよ、そういう国にいるんだから勇気を持って行ってこいと言って励まして詠んだ歌なんですよ。

 私は、これを私の子供が小さなときに、日本というのはこんなに特徴がある立派な国だから、こういう国に生まれたことを誇りとして立派な日本語をマスターしろと言っているんですが、時々横文字を使ったり、近ごろ乱れた言葉を使っているということですから、まあそう私も胸を張れたわけではないんですが、そういうことをやはり具体的に例示して学習指導要領をつくっていく、先生がおっしゃったことも一つの例だと思います。

保利委員 どうぞひとつ、これは安倍総理にも文部科学大臣から、そういったことで教育をしていくんだということをお伝え願えればありがたいと思います。

 そこで、今度の教育基本法について、義務教育のところで一番大きな変化は何か。基本法の規定で、今まで教育基本法の中に九年の義務教育というのが書いてあった、これを法律で定める一定の期間というふうに直しました。これはどういう趣旨で直したものなのか、お答えをいただきたいと思います。

田中(壮)政府参考人 義務教育の年限が現行教育基本法におきましては九年と書かれておるところでございますけれども、これに関しましては、与党の協議会におかれまして、今後、就学時期を早めることもあり得るのではないか、それから就学年限自体が延びることもあり得るのではないかというような御議論がなされまして、その中で、文部科学省といたしましても、この就学年限に関しましては学校教育法に譲ることにして、教育基本法改正案の中では、法律に定めるところにより、法律に定めるということで、学校教育法にゆだねておるところでございます。

保利委員 いわゆる義務教育期間の弾力性をこれによって持たせたわけですよね。

 そうすると、今は六・三制でやっているから九年であります。これはもう固定されたという意識が日本国民の中には多いと思うんですね。六・三制を否定するというのはちょっとどうかなという感じがある。

 しかし、考えてみると、やはり戦後、昭和二十二年に学校教育法が発布されまして、そして六・三制を導入するというのは、これはアメリカの教育使節団の指導でできたわけですけれども、どうもちょっと急いでつくったという感じがしてならないんです。それで、六・三制は今きちんと運用されているからいいんだという見方もありましょうし、制度疲労と言ってはちょっと言い過ぎかもしれないけれども、何か問題がありはしないかなというのを僕は感じているわけです。

 たまたま、昭和二十二年という年は私が中学校に入った年なんです。その年から義務教育になったんです。私が小学生のときは、中学に入るのには月謝が要るから、おれは中学には行けないという人が地方の方ではいました。私の友達、疎開していた先の友達はそう言っていました。だから、おれは小学校を卒業したら大工の手伝いをする、あるいは百姓をやると言っていた人がいます。だけれども、義務教育になったわけですね。だから無償で行けるようになったんです。非常に大きなよかった点だと思うんです。

 ただ、私は、この義務教育ということを頭を真っ白にして考えた場合に、義務教育九年間というのを六と三に分ける意味というのはどこにあるんだろうと逆に考えていくわけです。

 それは、小学校六年という厳然としたシステムがあり、アメリカの使節団の要望によって三年ぽんと継ぎ足した。せっかく五年で中学校といういいシステムがありながら、それを半分に切って、下を義務教育の中にくっつけて、それで義務教育でございますといって、小中の義務教育体制をつくった。しかし、考えてみると、そこの六と三の間にくびれがあるということは、義務教育全体から考えると不効率になっていやしないか。

 例えば、英語の勉強をするということになったら、仮に小学校の四年生からやるとしたら、四年五年六年やって、そして一たんそこで終止符を打って、中学へ入ってまたレッツ・ラーン・イングリッシュで始まる、そういうやり方よりも、小学校でやったらずっと中学まで一貫してカリキュラムを組んでいった方が効率的ではないかな、私はそう考えたわけです。

 大臣、この辺の御所見というか、お気持ちはどうでしょうか。ちょっと無理でしたらいいですけれども。

伊吹国務大臣 二つの面があると思いますが、一つは、子供の体及び知的な発達段階を六・三で切るのが適当かどうかという問題と、もう一つは、先生がおっしゃったような授業の一貫性と、両方の観点からこの九年の割り振りは慎重に考えないといけないと思いますし、今既に構造改革特区等でいろいろな実験的な試みが行われておりますので、いろいろなバランスを見きわめながら、教育基本法が今回変わればかなり柔軟に対応できる基本法になっておるわけですから、いろいろなことを考えていくべきだろうと思います。

 今すぐにどれがいいかというのは、私も子供の体力、知的な発達段階等の知識を持ち合わせておりませんので、専門家の意見も聞きまして、いずれ変えるということになれば立法府と御相談をするということだと思います。

保利委員 それは私も大臣と同じです。どうしたらいいかというのは、これから別のことです。ただ、九年間の義務教育というのを合理的に運ぼうとしたときにはどういうシステムがいいのかなという観点から、やはり物事を考えた方がいいんじゃないかなと思います。

 私は、平成九年の一月に「義務教育制度を考える」というパンフレットを出して、文部省の中で随分まきました。その中で、義務教育学校あるいは普通教育学校というような形にして九年制にしたらどうだというのを提唱したことがあるんです。ただし、先ほど大臣がおっしゃったように、体力だとかそういう問題があるから、運用上でどこか区分けをするとか、そういうことはいいと思いますけれども、全体の流れは一貫させた方がいいんじゃないかな、こういうことを私は思っておるわけでございます。

 それで、せっかく弾力的な条項を設けたのでありますから、この義務教育の年限はどうするのかというのは今後の大きな課題になってくると思います。また、なさなければいけない。それは、しっかり今後、どういう機関でおやりになるかわかりませんけれども、検討を進めるようにお願いをいたしたいと思います。

 そこで、この義務教育を一貫ということを言いますと、今度は、中等教育という概念があるんですね。それで、今の中学校は前期中等教育を授けるところということになっている。高等学校は後期中等教育を授けることになっている。両方とも中等教育というのでひっかかっているわけです。

 ところが、実態を見ると、中学と高等学校は別物になっているんですね。通常の県では、市町村立が中学校であり、大体において高等学校は県立が多いということでありますし、先生方も違うというような状況でありますから、中等教育ということがどこか行っちゃったかなという感じがしてなりませんけれども、中等教育は重要な考え方なのか、文部科学省の中で。

 文部科学省の中で、中等教育という考え方は非常に重要ですよ、例えば人生のある時期においてしっかり人間教育をやるところですよとか、そういうような位置づけはあるんでしょうか、ないんでしょうか。

銭谷政府参考人 ただいま先生からもお話ございましたように、学校教育段階を初等教育、中等教育、高等教育と分けて考える考え方がございます。中等教育は、まさに初等教育の基礎の上に、子供の個性とか能力がいろいろ多様化する中で、その進路等に応じた教育を行うとともに、高等教育に向けての準備教育の期間という、いわば教育においては非常に大事な時期だと思っております。

 ちょっと沿革的なことを申し上げますと、この中等教育というのは、いわゆる高等教育の準備教育の期間としての成り立ちと、初等教育の延長としての成り立ちと、複線型の成り立ちがありまして、それが一つの学校制度にだんだん統一されてきたというのが沿革的な動きでございます。現在では、前期の中等教育が義務教育になっている国が多い、こういうことでございます。

 いずれにしても、その中等教育の期間は、繰り返しになりますけれども、いわば初等教育の上に立って、さらに一般的な教養とか専門的な技能を身につける、そういう機能と、大学教育を受けるにふさわしい学力等を身につける機能と、こういう二つの大変重要な役割を担っているというふうに思っています。

保利委員 それは、中等教育全般を通じて、人格の形成とか、そういうことをやるというところでしょう。

 私は、昔の旧制中学というのはなかなかよかったと思うんですよ。小学校を卒業して中学に入りますと、ひげの生えたお兄さんと一緒に勉強するわけですよ、運動会をやったり何かして。おれたちもあんな大きい人間になるんだといって、お兄さんたちのやることを見るわけですね。そこに人間教育というのができていたと思うんですよ。ところが、戦後、これが二つに分かれちゃった。小学校を卒業して中学に入っても、お兄さんというのは中学校三年生まで。そうすると、自分たちと似たようなものだと。

 そういうようなこともあって、中等教育というのは非常に重要な概念だとは言いながら、今の制度上は中学校と高等学校に二つに分かれているわけですね。ここに何か不自然なものを感ずる。中等教育で行うべき事柄が区切られちゃっているというところに、私は非常に残念だなと思うところがあります。

 そういう意味でいうと、高等専門学校というのは非常にうまくできている。大臣も御存じだと思いますけれども、高等専門学校というのは評判もいいですね。ただ、国立がほとんどです。高等教育局長にもおいでをいただいておりますが、高等専門学校、特に工業高等専門学校を卒業した人たちは、一般の社会に出てから非常に評判がよろしい。

 どうしてかというと、中学を卒業して高等専門学校に入りますと、五年間、入学試験のことを考えないで、自分がこれからこれで生きていこうという勉強をするわけですよ。工業高校に行ってみますと、目を輝かせて油にまみれて実験をやっている生徒たちがいっぱいいます。三年で終わらせるのはもったいないなと僕は思うんですよ。

 それと、最近のニートなんかの問題を考えますと、手に職をつけさせなきゃいけない。そういう人たちをこれから日本はふやしていかなきゃならないというときに、高等専門学校の持つ意味というのは非常に大きいと思うんです。

 だから、高等専門学校じゃ嫌だといえば、それは大学に直したっていいと思いますよ、名称は。そして、またその上に幾らか積んでもいいと思いますよ。そうすると、高等専門学校に入る人は、義務教育を終わって一回、人生のうちで一回だけ入学試験を受ければ、人生が一応、手に職を持って過ごすことができる、そういうメリットがあるわけであります。

 この辺のところを文部科学省はもう少し力を入れて頑張ってもらいたい。国立の高専だけではなくて、県立でも市立でもいいと思いますけれども、そういった手に職をつけさせる教育ということも真剣に考えていいんじゃないかと思います。ここら辺の高等専門学校に対する取り組みについて、高等教育局長から御所見をいただきたいと思います。

清水政府参考人 高等専門学校に対する温かい御支援のお言葉、まことにありがとうございました。

 まさに御指摘のように、高等専門学校は、高等教育機関として実践的、創造的な技術者の育成、あるいは我が国の物づくり教育ということに非常に大きな役割を果たしているというふうに思っておりますし、またユニークな制度として評価も高い、このように認識しております。

 現況は、六十四校、国立が大半ということで、全体として在学生総数六万人にとどまっているというふうな状況でございますが、また、そういう高等専門学校教育の充実発展に向けて、いろいろな支援策を検討してまいりたい、このように考えております。

保利委員 もう時間がありません。今、高等教育局長、しっかり頑張るとおっしゃっている。前にも同じような答弁をいただいたのです。なかなかしっかりやれないんですよ。これは財務省の問題もあると思いますけれどもね。これは本当に力を入れる、これは日本の国のためですから、ぜひしっかりやっていただきたいと思います。

 私は、今の教育体制というのは、極端なことを言えば、受験型教育体制になっていると思うんです。極端なことを言いますと、幼稚園に入るときに試験がある、小学校に入るときに試験がある、中学校に入るときに試験がある、高等学校に入るときに、わずか三年間なんですけれども試験がある、大学に入ってまた試験、大学院に行ってまた試験、何回も試験をやっている。

 試験を通るための勉強を一生懸命やるのではなくて、この国のために役立つ、そして自分のために役立つ勉強をするというのが本当の教育の意味じゃないかな、私はそう思うんですけれども、大臣、そこら辺あわせて御所見を最後にちょうだいして、質問を終わりたいと思います。

伊吹国務大臣 今大変申しわけないことでお騒がせしている未履修の問題を見ても、先生がおっしゃったように、人格を陶冶して実社会で役立つ知識を教えるよりも、やはり次のステップへ進むための試験を通る教育になっているということの私はあらわれだと思います。

 先ほどおっしゃったように、普通教育という切り口よりも、今まではどうしても義務教育という切り口で九年間を切っているので、先生がおっしゃったような形になっていると思いますが、これからは、今高等専門学校のこともおっしゃいましたけれども、いろいろな学校の形態が組めるような、基本法の基礎的な作業を先生にもしていただいているわけですから、それを大切に、この法案が通りますれば、いろいろな諸法の整備等をまた中教審にお諮りして、そしてまた国会の場へお諮りして、進めていきたいと存じます。

保利委員 どうもありがとうございました。

 教育再生会議というのがせっかくできておりますから、そういった問題についてもやはり教育再生会議の中で話題にしていただきたいなと私は念願をいたしております。

 大臣の御活躍をお祈りして、質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。

森山委員長 次に、田島一成君。

田島(一)委員 民主党の田島一成でございます。

 保利委員の後、引き続き、一時間ちょうだいをいたしましたので、質問させていただきたいと思います。

 冒頭、急な通告で、大臣以下皆様には大変御迷惑をおかけいたしますけれども、先ほど保利委員からも質問があったように、今回のこの未履修をめぐっての問題は、本当に全国を大きく揺るがしている、そんな実態が明るみに出てまいりました。埼玉県のある私立高校は、六泊七日の修学旅行を世界史Bに換算していたという信じられない実態も明るみに出てまいりました。世界一周でもしに行ったのかなと思ったら、オーストラリアに修学旅行に行って、これで世界史Bの単位が取れたんだと。本当に、常識をはるかに超えた、余りにごまかしが横行しているようなこの実態が明るみに出てまいりました。

 恐らく大臣も、きのうの委員会の答弁等ででもお答えいただいたとおり、その責任の重さは随分認識をいただいていると思うわけでありますけれども、全国の高校における未履修の実態調査、もうこれは最終的な数字がほぼ出てきたやに聞いておるわけですけれども、この最終的な実態の報告というものをお示しいただけませんでしょうか。

伊吹国務大臣 それでは、お答えを申し上げます。

 既に理事会にけさ提出をいたしておりますので、御党の理事から御入手かもわかりませんが、広く国民の皆さんに知っていただくために、先生の御質問にお答えしたいと思います。

 まず、これは既に昨日御報告をいたしましたように、国立は十五校で、未履修はございません。それから、公立は四千四十五校で、うち三百十四校が未履修校がございます。それから、私立は千三百四十八校ございまして、二校だけがまだ回答が来ておりませんが、千三百四十六校のうち二百二十六校の未履修校がございます。ですから、総計いたしますと、高等学校は五千四百八校ですが、私立で二校返答が来ておりませんので、五千四百六校、九九・九%まで調査が終わりました。このうち、今申し上げました、未履修の学校の合計は五百四十校でございます。校数で見ますと、パーセンテージとして、残念ながら一〇%、一割にこういうことが起こっているということです。

 次に、生徒の数で申し上げますと、三年生の生徒は、国立で二千八百二十六人、これは一人も未履修の生徒はおりません。それから、公立が八十一万二千七百六十七人、未履修の生徒数は五万八百二十七人です。それから、私立は三十四万六千三百三十二人の生徒がおりまして、既に調査をいたしました対象校の生徒は三十四万五千八百三十二人です。このうち、未履修の生徒が三万二千九百十六人。合計をいたしますと、若干の、まだ調査対象になっていない生徒がおりますが、百十六万余の高校三年生の中で、未履修の生徒の数は八万三千七百四十三人となっております。この八万三千七百四十三人のうち、七十時間以内、つまり二単位以内の未履修の生徒が六万一千三百五十二人、残りが、七十時間から百四十時間以内の生徒が一万七千八百三十七人、百四十時間を超える生徒が四千五百五十四人ということになっております。

田島(一)委員 ありがとうございます。

 これがほぼ最終報告、私立の二校だけがまだだということですけれども、ほぼ最終報告というふうに受けとめさせてもらってよろしいでしょうか。

伊吹国務大臣 これは、数字が違って、後ほどまたしかられると困りますが、高等学校がすべて良心に従って教育委員会あるいは知事部局にしっかりとお答えをいただいているという前提であれば、これで間違いはないと思います。

    〔委員長退席、斉藤(斗)委員長代理着席〕

田島(一)委員 性善説に立たなければなかなか難しいというお話、これも上意下達でこれまでの文部科学行政を行ってこられた結果ですから、大臣のお立場からすれば、当然信じた上ででしか数字は出てこない、もちろんのことだというふうに思います。

 その中で、大臣も、今週中には今回のこの未履修問題に対して国としての対応策を示していくことを検討していくというふうにお考えをおっしゃったというふうに記憶しているんですけれども、この基本的な考え方、言ってみれば、どのように対応していこうというふうにお考えなのか、基本的なお考えというのをぜひ聞かせていただきたいのと、あと、もう既に補習を始めている学校もありますし、文部科学省としての見解や対応を待っている現場もあります、いつごろこれを発表される予定なのかもあわせてお答えいただけませんか。

伊吹国務大臣 再三申し上げておりますように、百十六万余の高校三年生のうち、未履修の生徒が八万三千七百四十三人と申し上げました。この人たちは、私が高校生時代のことを思い出しても、先生が教えてくれているものが学習指導要領に反しているカリキュラムを組んでおられるのかどうなのかなんて、田島先生もそうでしょうけれども、考えても見ずに、このとおり勉強すればいいんだと思ってやっておったと思いますね。ですから、しかし、あれはどうも校長先生以下のカリキュラムの組み方が、必修を外して受験に有利なところを深掘りして教えているという、他校の人に比べたらずるいことをやっているなんて思いも寄らないわけですから、これはやはり被害者と考えてやらねばいけないですね。

 それから同時に、では、残りの約百八万の、学習指導要領どおりまじめにやっていた学生は、受験科目についてはややハンディを背負って同じ大学を受けなければいけないわけですから、この人もやはり被害者と考えてあげる。全学生が被害者なんですね。

 ですから、それで今、受験期を前にして非常にやはり精神的にも不安定な時期ですから、私はもう今週中に結論を出して、そして、今週中に結論を出すといっても、これは御承知のように、文部科学省が直接、高等学校に対する設置権もなければ人事権も何もないわけですから、指導したり調査をする権限だけがあるわけです。先生は性善説だとおっしゃったけれども、調査をした結果について、間違っているからペナルティーを科す権限すら私にはないわけですから。ですから、一応こういう基準でやってくださいと。しかし、指導要領に反した場合は卒業させられないわけですから。ですから、こういう基準でやっていただければ卒業できるという指導要領の例外的措置を通達しないといけないんですね。だから、まず方針を決めて、議院内閣制でございますから与党内の調整もいたしますし、もちろん、ある程度の方向が決まれば民主党やその他の野党にも、これは教育のことですから、私はお示しをしないといけないと思います。

 それが終われば、これを通達として、高等学校にこうしてくださいと、公立については都道府県及び政令市の教育長、私立についてはそれを管理している都道府県知事に通達を出すわけです。ですから、できれば今週中に方針を決めて、金曜日が休みでございますけれども、木曜日付ぐらいでは何とか措置をして、これでちょうど十日ぐらいになると思うんです、この問題が出てから。できるだけスピード感を持って、不安を解消してやりたい。

 そのためには、中身について言えば、両方が被害者ですから、今未履修の人をそのまま認めちゃったら、まじめにやっている学生に対して示しがつかないですね。しかし、余り筋張ったことを言って、今申し上げたように百四十時間も補習をしろなんて言ったら、受験どころじゃなくなっちゃうわけです。だから、その間のバランスをとって、ただし、バランスをとって卒業させるためには、卒業という一種の権限というのか、卒業した資格に関することですから、法制的な詰めをみんなきちっとしておきませんと、後々いろいろな問題が出てくると困りますので、まず、今回受験する生徒についてどうするかということ、今申し上げたような基本的な考え方で、できるだけ無理のないように、しかし不公平が生じないようにするということが一つですね。

 それからもう一つは、既に推薦入学その他で入っている人もいるわけですよ、にせの調査書、内申書によって。今後、履修が追いつかないまま調査書、内申書を出して、推薦入学あるいは大学入試に臨む学生もいるわけですね。ですから、この人たちについてどう扱うかというのを大学当局にも通知しないといけないんですよ。

 それから同時に、野田先生から、過去のものについてもという。これはもう膨大なことになりますので。ちょっと、当面の火を消さにゃなりませんのでしばらく御猶予をいただかないといけないんですが、過去の人たちについても、今のままでは、卒業資格がないまま卒業資格があると学校長に認定をされた前提で大学生になっておられるわけですよ。この方々の救済の通知も出さねばならない。

 これをまとめて何とか今週中にやりたいと思っております。

田島(一)委員 きのうの野田委員の質問にもお答えをいただいたのも私も聞かせていただきましたので、理解はするんですけれども、では、実際、この既卒者について、非常に膨大だと今大臣も御認識をいただいていることをお答えいただいたわけですけれども、既卒者に対しての調査、それと公表も含めて、調査をされたらの話なんですが、これもやはり時間をかけてでもきちっとやられるというふうにお考えをお持ちなのか。

 それともう一つ、せっかくですから、この既卒者に対してはどのような形で未履修の部分を解決しようとするのか。基本的に不問とするのか、もしくは、もう一度、卒業されてからでも予備校みたいな形で学校が用意をして、その単位を履修することを勧めるような、そういう手だてをつくるのか。そのような方向等も、もしお考えがあったらお聞かせをいただきたいと思います。

伊吹国務大臣 これは先生、今、火事の火が燃えているときに、一年前、二年前、三年前、四年前、五年前、六年前に近所で、あるいは自分のうちでぼやがあった、その原因はどうだと言っていたら、今の火事が消せないんですよ。ですから、それは大切なことはわかりますけれども。しかも、これを調べるということになると、十年前はどうだった、十五年前にも実はあったよなんて後で出てくると、また調査漏れだとかいっておしかりを受けるわけでしょう。それではやはり困るので、ある程度の年限までを決めてさかのぼって、まず当面の火を消したところで、現実的に過去の数字を調べさせていただいて。これはまた、学校に、公立高校に聞くには、都道府県の教育委員会と政令市の教育委員会を通じて聞くわけですね。それから、私立については都道府県知事を通じて調査をするということになりますから、これはかなりの時間と膨大な日数を要しますが、申し上げたように、その結果が出れば、これは理事会の御決定に従いますということをこの前申し上げているわけです。

 そこで、既に卒業した方についてどうするかというのは、私はここで何度も御答弁しておりますから、先生が委員として聞いていただいているのなら何度も何度もの繰り返しになるんですが、御質問ですからもう一度申し上げます。

 行政法の基本原則からいきますと、本人の瑕疵によらずして得た資格については、よほど大きな事実認定がない限りはその権利は認められるということなんですよ。だから、これがよほど大きな瑕疵に当たるかどうかということは、まさに今、当面の問題についての処理をどうするかということが法制的に詰められればそれでオーケーということであるのならば、重大な瑕疵に当たらないだろうという法制局的見解が出ると思うんです。

 それが出ますれば、率直に言って今までの学校長の認定は間違っていたけれども、生徒に瑕疵はないからそのまま認めるという結論になるのではないかと、今のところまだ今の処理案そのものが最終的に固まっておりませんから、私は考えているんです。

田島(一)委員 実は、私の出身母校も先週末に未履修があったということが発覚をいたしました。非常に不名誉なことであり、私は実は高校はもう十数年前に当然卒業しているわけなんですけれども、私のときはどうだっただろうかとついつい気になったところであります。恐らく、ひょっとしたら、ここにいらっしゃる委員の方でも、そのようなことで御心配をいただく先生方もいらっしゃるかもしれません。

 別に完璧主義を貫こうとは思いません、しかしながら、このような形で、本来やらなければならなかった科目を勉強せずして私は卒業したんだ、そういう気持ちにさいなまれて卒業している人たちが随分この日本全国にいらっしゃるんじゃないかな。そう考えると、一定さかのぼって事実確認だけはやはり文部科学省としてされるべきではないかというふうに思うんですね。

 瑕疵があるないは、もちろん、大臣がおっしゃったとおり生徒に何の責任もありません、被害者であります。私たちも、学校の先生にこの教科をやれと言われて勉強してきたわけですから、それを受けて、当然単位も取って卒業したと思っていたら、何だ、この単位はにせものかというふうに、皆さん、卒業生の方で未履修が発覚した高校卒業生は感じているんだと思うんですね。

 そういった方々に対して、安心してくださいと言うだけではなく、実際事実はどのようになっていたのかを公表することは、私は、文部科学行政を預かる文部科学省として当然のことではないかと思うんですけれども、いかがでしょうか。

    〔斉藤(斗)委員長代理退席、委員長着席〕

伊吹国務大臣 正規の、必修科目をとって卒業していたのかどうかと不安にさいなまれている人に調査をして、そうです、あなたの不安のとおりでしたと言えということですね、御質問の趣旨は。それは、調査をすれば結果的にそういうことになると思います。

田島(一)委員 ではどうすればいいのかが、当然その次に来るんですよね。

 例えば、履修しなかった世界史もしくは芸術科目などなどを、完璧に自分は履修をして名実ともに卒業単位を取って高校を卒業したとレッテルを与えられるような手だてというものは、例えば生涯学習という範疇ででも十分に対応できると私は思うんですね。そういった、とにかく大丈夫ですよと安心を与えるだけじゃない、さらにそこに加えて、足りなかった部分をこのようにしてフォローしていきましょうというのも、文部科学行政の一環の中でフォローアップしていくべきではないかというふうに考えて申し上げたわけであります。

 今申し上げた、例えば芸術科目だとか保健体育、情報、家庭科という、言ってみれば受験に関係のない科目も高校の指導要領の普通教育科目の中には入っております。が、中には、こういう授業の単位を、時間を削って、いわゆる受験科目に集中させてきたという実態も実際出てきています。

 こういったことも、もう一度、後でまたぽろぽろ出てきて私たちが突っ込むということを随分大臣も御心配のような発言をされましたけれども、事実は事実としてやはり認めていかなければならないし、それに対応する手だてをきちっと考えていくのも私は大事だと思いますので、ぜひその点、今後の対応策として十分な見解、そして先ほどおっしゃったようにスピードがやはり大事だと思います。不安で揺れ動く受験生の皆さんにも一定の理解と納得をしてもらえるような見解をぜひ導いていただきたいということをお願い申し上げて、この項の質問はこれで終わらせていただきたいと思います。

 次に、教育改革のあり方という点で質問させていただきたいと思います。

 先月二十一日に東大の基礎学力研究開発センターが調査をいたしました、全国の公立小中学校の三分の一に当たる一万八千校の校長を対象に実施した調査であります。ゆとり教育の見直し、それから教員免許の更新制や教育バウチャー制など、政治主導で目まぐるしく提案されてきている教育改革についての調査であります。

 これの幾つかを紹介させていただきますと、小中学校の校長の約八五%が、今のこの教育改革が速過ぎて、速過ぎるというのは拙速の速という字でありますね、速過ぎて現場がついていけないと答えているのが八五%だということであります。中には、今回の政府提出の教育基本法の改正案に対しても六六%の小中学校の校長が反対をしている、そんな数字が出てきております。

 大臣もこの調査結果はごらんになられたかというふうに思うわけでありますけれども、実際に現場の先生方は、教育改革自体が学校が直面している問題に対応していない、そう答えた人も七九%に上っています。現場の声として、私は非常に意義のある調査結果ではないかというふうに思うんですけれども、大臣はどのように受けとめて対応していこうというふうにお考えか、お答えいただけませんでしょうか。

伊吹国務大臣 調査結果は、先生の御質問があるというので、私も取り寄せて見てみました。

 世論調査は、いろいろ御経験があるからおわかりだと思いますが、聞く相手、質問によって違う答えが出てくるんですよ。ですから、例えばこれは学校の校長を相手にしておりますね。そして今、その校長先生が今回の未履修の問題の実は直接の責任者なんですよ。広く一般国民に世論調査をした経済広報センターというところの調査では、八割の方が義務教育の改革が必要だというお答えも出しておられるわけです。

 例えば、基礎年金にかわるものとして、六万円までを保険料なしで上げますよという提案に賛成ですか反対ですかといったら、ほとんどの人は賛成すると思いますよ。しかし、そのための財源の議論に言及した質問をしたら、その答えは変わってくるでしょうね。やはり世論調査というのはそういうものだと思います。

 先生の今御質問になっているのは、今議論をお願いしている教育基本法のもとでこれから行われるものじゃなくて、今までの現法律のもとで行われている改革が速過ぎるといって、ついていけない、こう言っているということですよね。やはり現場の管理者というのは非常につらいもので、改革ということに対してどうしても、私でも自分の身の回りのことはどうしてもやはり変えたくないんですね。

 しかし、一番大切なことは、この問題は、納税者の負託にこたえているか、有権者の負託にこたえているかということを基本に考えていくのが、私は、現場の声ももちろん大切ですが、やはり原点じゃないんでしょうか。

田島(一)委員 私は、その現場を預かっている小中学校の校長先生の答えだと思って、重きを置いて、きょうは質問に取り上げさせてもらったわけであります。

 こうした調査だとかアンケートだとかの結果、すべて裏があるかもしれないと疑ってかかれば、私たちは何を手がかりにその根拠たるものを信じていいのか、いろいろと悩むところでもあるんですね。

 私は、すべてこの結果全体が今おっしゃってくださったような全国民の意見を反映しているというふうに大げさに取り上げようと思っているわけではありません。ただ、改革の必要性は認識されながらも、やはり速過ぎるということに対しての意見として今お示しをしたわけであります。

 改革は、当然スピードも大切であります。しかし、教育現場の直面する問題に対応していないという答えが出てきていることも、私はこれは一定、受けとめていくべきではないかと思ったわけであります。

 例えば、今申し上げたこのアンケートの対象は公立の小学校、中学校の校長先生でありまして、未履修問題の対象である高校の先生は入っていません。ですから、同じように責任を問える立場ではないという前提に立ってお尋ねをしているわけなんですけれども、現場の声になかなか耳を傾けてくれていない、もしくは現場を見詰めてもらえていないという不安の声が校長から上がってきているということは、先ほど御答弁で大臣もおっしゃったように、直接的な人事権等々の権限がない文部科学省が県の教育委員会や市町村の教育委員会というフィルターを通じてでしか御存じないという現状を、私は問題点としてしっかり認識しなきゃならないんじゃないかと思うわけであります。

 数字が多いから少ないからということを問題にしているわけではありません。現場の声が拾い上げられていない、現場がしっかり見られていないという現実の数字として出てきたものをお示ししたわけなんですが、いかがでしょう、大臣。

伊吹国務大臣 現場を大切にしなければならないという御注意は、先生のおっしゃるとおりだと思います。ですから、文部科学省の職員にも、現場の声にさらに耳を傾けるようにということは私からもよく指導したいと思います。

 ただ、一つ、例えば、この前福岡で大変悲しい事件がありましたね。その学校へ行くにも、もちろん痛ましい命を失われた御父兄にお目にかかるにも、やはり県のあるいは当該町の教育委員会と同席をしてでないと会えないんですよ、現在の法制は。あえて直接会いに行くということは、物理的に可能だと思いますよ。また、とらえ方によって、それを教育への中央の国家介入という御批判を意図的にされる方がおられますから。だから、法制上は非常にやはり慎重に扱っているということなんです。

 だけれども、現場を大切にしなければいけないということは事実ですね。私も、選挙区なんかで、別に文部科学大臣とか国会議員という立場じゃなくて、母校なんかへ行ったりしますから、そのときに校長先生と話をすると、やはり先生の言っておられるような悩みを持っておられる小中学校の先生もいらっしゃいます。それで、これは、教育委員会が非常にうまくやっているところは、小学校、中学校、非常にうまくいくんですよ。ここら辺のあり方も、今後やはり法制的にも考えていく必要があるだろうと思います。

田島(一)委員 ありがとうございます。

 実は、先ほども例にとらせていただいた調査結果の中に、家庭での基本的なしつけであるとか教員の指導力不足というのについても問うている、そんな調査があります。この結果をちょっとひもときますと、やはり小中学校の校長先生方は、どちらかというと一般教員の方よりも家庭の問題に非常に厳しい目を向けていらっしゃるという結果が出ています。家庭の教育力といいますか、家庭での基本的なしつけが深刻に欠如しているとお答えになった先生方が九〇%、そして、特に家庭での教育力がない、そんな家庭が存在しているとお答えいただいているのも九〇%に上っています。

 私、実は五年前に子供の小学校でPTA会長というのをやらせていただきました。PTAというのは、それこそ学校と家庭をつなぐ、そういう機能的な役割を果たしている存在だというふうに認識して、非常に忙しいながらもお役目を果たさせていただいた。一年間だったんですけれども。このPTAの総会というのを年一度やるんですね。しかし、その総会にすら出ていらっしゃらない保護者の方々がたくさんいらっしゃる。実際にPTAの総会に出ていらっしゃる御家庭の方、保護者というのは、もう家庭の教育力が十分についているような方ばかりが結局お越しになって、総会でいろいろな話を聞いてもらいたい、家庭でこういうふうに注意してもらいたい、そんなことを伝えたいなと思う人に限って御出席にならないんですね。授業参観なんかと抱き合わせたら出席率が上がるだろうかとか、いろいろと現場でも苦労をしてきました。授業参観にお越しになられたら、携帯のカメラをお子さんに向けて撮られる、○○ちゃん、こっちと言って、授業中ですよ。そういう実態からして、この小中学校の校長先生方九割が、家庭におけるしつけが深刻に欠如しているというふうにお答えになっているんだと思うんですね。

 私、教育改革、確かに現場では、速過ぎるからついていけないという答えもありましたけれども、一番メスを入れなきゃいけないのは家庭教育じゃないかなと。恐らく大臣も官房長官も、皆さんお感じになっていらっしゃると思うんですけれども、残念ながら、この家庭教育の部分にどこまで踏み込めているのか、私は非常に疑問に思うわけであります。この後に、今回の教育基本法案の第十条で家庭教育という項目がありますから、そこでまた再度問いたいと思っているんですけれども、本来、例えば家庭でやらなければならない社会的な規範だとかしつけといったものが、今学校に対して、やたら過大な期待として押しつけられているという現状があります。

 私、この間の文部科学委員会のときに大臣に、同じように、現場の先生が本当にしんどいということをお尋ねさせていただきました。これは何かといえば、教科の指導だけではなくて、しつけだとか、言ってみれば家庭教育でしっかりやらなきゃいけないことまで全部学校に押しつけられているという現状があるからだと思うんですね。

 こうした現状も踏まえ、家庭教育が何よりも大事だという現場の先生方の声も上がっている、そのことを受けて、今、家庭教育のあり方というのが本当に問われていると思うんですが、大臣、どのようにお考えかをまずお聞かせいただきたいと思います。

伊吹国務大臣 現状は、先生がおっしゃるとおりだと思います。

 どちらかというと、従来日本がとってきた考えというのは、私たちの人間社会を生きていく知恵、安倍総理流に言えば規範意識、こういうものは、別に法律で決められているわけじゃなくて、親から子、子供から孫へ、代々家庭の中で引き継がれてきたものなんですね。だから、しつけあるいは日本社会に生きていく基本的なルールは家庭で教える、そして、地域社会でそれを温かくくるんでいく、そして、学校ではどちらかというとそういうしつけのようなものではなくて学力をつけさせる、これが日本の従来の考え方ですよ。だから、先生がおっしゃっているとおりの考え方なんですね。

 ところが、先生がおっしゃっているように、しつけができるのに、何々ちゃんとか言って携帯で写したり、どこか遊びに行ってPTAに出てこないお父さん、お母さんもいると思います。しかし、社会の大きな流れとしましては、共働きになっちゃっているわけですよね。女性の方も社会に出ておられるわけです。そして、二人ともがPTAのときにそろっているかどうかということもありますし、また、子供が放課後家へ帰ってきたときに、勤めに出ている両親が家にいないというのは、これはもうほとんどの家庭の現実なんですよ。

 ですから、学校の先生は、確かに、それを学校の先生に多くのことを期待し過ぎて、学校の先生を責め過ぎていると私は思いますよ、事実。しかし、同時に、学校の先生も、おれたちがやれないのは家庭の責任だ、家庭の責任だと言っても、現実の日本社会の家庭というのはどういう状態になっているかということもやはり考えなくちゃいけないですね。

 だから、これは私は百年仕事だと思うんですけれども、家族の復権、地域社会の復権、こういうことを再生会議でぜひやってもらいたいと言っているのはそういうことなんですよ。ですから、家族の復権、地域社会の復権ということになりますと、三世代一緒に住める、地方での職業の、働きの場所がなければいかぬでしょう。それから、同時に、両親が早く帰ってくるためには労働法制の問題がありますね。家を続かせていこうと思えば、均分相続が適当かどうか、これは憲法にもかかわってくるわけですが、あるいは相続税の問題、その他いろいろなことにかかわってくるわけですね。だからこそ、私は再生会議があると思うんですよ。

 でも、これをもとに戻すのには百年かかりますよ。やはり教育はそういう長い仕事だと思って、お互いに地域と教師と家庭が相手に責任を押しつけ合って相手を非難している、一番の被害者は子供なんですよ。そういうことにならないように、今の社会の状況を大きく変えられないけれども、放課後、子供を御両親のところへ帰れないときには預かる、御承知のように今予算措置を講じたり、いろいろなことをしているわけですね。だから、みんなで知恵を出し合って、相手に責任を転嫁するのではなくて、おのおのの場で何ができるか、子供のために何ができるかという気持ちでみんなで努力をしてみたいと思いますし、先生にもぜひ御協力をいただきたいと思います。

田島(一)委員 答弁でそのようにまとめていただくとなかなか続かなくなってくるので、これも正直に申し上げますよ。私は、そういう意味では本当に大臣を尊敬しております。

 ただ、私は、決して、文部科学委員会の中で先生の高説を聞かせていただくだけですべてこの今の教育が抱える課題が解決できるんだったら本当に言うことないんですけれども、ただ、百年もやはり待っていられない、これも現実であります。当然、時間がかかることも理解はするものの、現実、今起こっている現場の課題、そして、先ほどおっしゃったように、学校の先生が、では今度は家庭が責任があるといってなすり合うような、それもまた解決策には何一つつながらないということもあります。

 だからこそ、多分、今回、政府案としてこの教育基本法案の中に、第十条、家庭教育という項目を設けられたんだと思います。この条文をひもといても、いずれも強制ではなく、努めるものであるという中身でありますから、当然それぞれの国民に呼びかけるにとどまっているわけなんですけれども、果たしてこの十条の家庭教育の項目で、保護者、そして家庭における教育やしつけというものが子供たちの人格形成の根本であるというふうに自覚して、実施、実践させることが本当にできていくのかどうか。やはりもう少し具体的な部分にまで踏み込み、イメージを国民にしっかりとわかっていただけるような、そういう取り組みが必要ではないかというふうに思うわけでありますが、この十条の中身について、そしてまたこの条文について、大臣としてどのような思いでこのような文章をおつくりになられたのか、お答えをいただきたいと思います。

伊吹国務大臣 先ほど来私が申し上げているように、大変難しい社会状況の変化がございますけれども、一義的にはやはり保護者が子育てに対する責任を負うということを明記しているわけですね。そして、十条一項では、保護者の子供の教育について、その一義的責任をしっかりとそこへ書いている。その責任を支援していくために、国や地方公共団体による家庭教育の施策が必要だ。

 だから、従来ですと、家庭教育を若いお父さん、お母さんに教えるのは、同居をしていたおじいさん、おばあさんなんですよ。ところが、核家族になっているから、それがもう全く途切れちゃっているわけですね。だから、地域社会でそれをどういうふうに補っていくかという、今いろいろな予算措置を講じておりますね。

 それと同時に、例えば、児童の家庭教育手帳をつくって配付しているとか、あるいは家庭教育に関する学習会をつくっているとか、情報はこういうやり方でいったらうまくいったとか、幼稚園だとか保育園のような子育ての拠点をつくって、しかも、幼稚園、保育園では学童保育だとか学童幼稚園のようなことをやって、つまり、かぎっ子の人を預かって、その間、家庭と同じような情操教育をしているわけですね。

 そういうことを中心に、百年追いつかない間の現実的な手当てをやっているということです。

田島(一)委員 具体的な施策を今ひもといていただきましたけれども、例えば、手帳を配付したり、そしてまた学習会を実施されていると言うけれども、実際にその評価というものが何一つ成果として上がってきていないのも現実なんですね。やられていることは事実として受けとめています。しかしながら、先ほど私どものPTA総会の話も引用したように、やはり学習会にまず来てくださらないということに問題を置かなきゃいけないと思うんですね。やることは悪くないですよ。ですけれども、それが実際に家庭教育の充実に成果として上がっていない、ここにやはり問題があるんだと私は思うんです。

 おっしゃったように、共働き、そして女性の社会進出に伴って、家庭教育が充実、充足できない、そんな御家庭が本当にふえてきたのも事実でありましょう。授業参観だって、それこそ平日に出てこいと言ったって無理ですから、私たちなんかは、土曜日に授業参観をするようにと、学校側と協力し合って、振りかえ授業をやってもらったり、そのような工夫も当然現場ではやってきているんですね。にもかかわらず、関心を持っていただけない。

 これは、やはり家庭教育をこの十条だけで当然充足できるものではないと思いますし、今学校が担っている子供たちのしつけであるとか、教育のジャンルでいえば道徳ですね、この道徳の科目の部分を家庭にしっかりと認識していただく。もっと乱暴な言い方かもしれませんが、道徳の授業というのをやめて、もう家庭に全部任せてしまうぐらいのことをやらないと、百年たっても変わらないんじゃないかとさえ私は思うんですよ。

 ちょっと乱暴な発言をして大変物議を醸すかもしれませんけれども、実際に、学校自体のこの現場の苦労と、そして家庭の教育の現状を考えたとき、例えば学習指導要領にある道徳は、もうこれは家庭教育でやるべきものだと思いますというぐらいの方針をお示しいただいてもいいんじゃないかというふうに思うんですが、大臣、どうでしょう。

伊吹国務大臣 先生、どうなんでしょう。PTAの会合に振りかえ授業をやってお誘いしても出てこられない、そして、出てこられたら携帯で何々ちゃんと言って写真を撮るお父さんとお母さんに、道徳教育、しつけをすべて任せるということはできるんでしょうか。だから、我々がやっていることにほとんどの人が出てこない。やることはいいけれども、効果が上がっていない。先生は、どうしたらできると思われますか。

 つまり、戦後、小学校から義務教育を初めて受けた人が今七十近くになっているんですよ。(発言する者あり)七十近くと申し上げておるんですが。それで、その方が子供を産み育て、そして産み育てられた子供がまた子供を産み育て、そしてその子供がまた子供を産んで、今小学校になっているわけですね。そして同時に、先生方も、その方に教えてもらった方にまた教えてもらって、また教えてもらって、また教えてもらった先生がやはり今先生になっておられるわけです。

 だから、教育というのは即効性が出ませんので、文部科学大臣というのは余り得な役割じゃないんですよ。しかし、必要な役割なんですよ。ですから、その点を御認識いただいて、やはりこの教育基本法もそろそろ、先ほど保利先生がおっしゃったように、耐用期間が過ぎているんじゃないかという認識があるから民主党さんも我々も法案を出しているわけですから、ここで建設的な意見をまとめて、早く児童を救ってやるというのが我々の役割じゃないでしょうか。

田島(一)委員 子供たちを救っていきたい、この気持ちに全く異論はありません。

 先ほど、どうすればいいのかというふうにお問いかけもいただいたので、僣越ではありますけれども、例えばという、事例としてぜひ聞いていただきたいと思います。

 私、道徳という授業、随分私も小学校のころから記憶に残っている、言ってみれば、人の痛みをわかることであるとか、人として人とのつき合い方などをしっかり教えていただく貴重な授業だったというふうに思います。

 小学校や中学校ではしっかりと教育指導要領の中に道徳というものが盛り込まれているんですが、残念ながら、親としての教育、親としてどのように子供たちをしつけ、そして家庭教育を進めていけばいいかということは、この道徳なりの授業では何一つ出てきていません。

 また、これを言えば学校に押しつけるのかというふうに言われるかもしれませんが、今、現実、大人、親に一番近い年齢といえば、この教育の中でいえば高等学校であります。高等学校の授業の中に道徳という授業はありますか。ありません。高校のときに、例えば道徳という科目ででも、子供を持つということ、親になるということをもし教育する時間でもあれば、もっと親としての自覚を持った、そういう保護者がふえていくのではないかと一案として思うわけであります。

 その別、もう一方では、教育指導要領とは教育現場の先生方向けの指導要領でありますが、家庭教育の指導要領というものがありません。道徳という科目がいいのかは別にして、子供を持つならば、母子手帳というものを持ちますが、母子手帳には子供の教育について深掘りはなかなかされていません。今、手帳を交付されている、学習会を開催されているというお話がありましたけれども、子供に対して家庭教育の指導要領といったものをおつくりになるということも検討できるのではないかというふうに思うわけであります。

 いろいろな方法が多分考えられるんですが、なかなか具体的に進められていない、それを学ぶ機会というのも個人の自由というか自発性に任せられているところがありますから、深掘りできていない、関心のある人しか来ないという現状だと思うんですね。

 素人発想ですけれどもこういうやり方を私などは考えるわけなんですけれども、大臣、いかがでしょう。

伊吹国務大臣 学校の指導要領を小学校からずっと追っていきますと、小中では道徳ということに言及して指導要領はつくられているんですよ。高等学校になると、公民の中でいわゆる社会人としての規範のような教え方に変わってきている、指導要領の書き方が。

 ですから、今先生がおっしゃった、家庭が大切だ、家庭教育が大切だと。私は、文部科学大臣という立場を離れれば、うちのしつけは先生とよく似ています、我が家の。家庭で厳しく子供をしつけています。しつけてきました。もう大人になりましたからね。しかし、義務教育については、あるいはその他の学校については、これは国会でお決めになった法律があるわけですよ。そして、法律の中で、国民の税金を入れながら、日本人として生きていく最低限の規範意識あるいは学力、安倍総理の言葉をかりれば、教えていくのが義務教育であり、さらに高校、大学といろいろな役割が規定されているわけです。ところが、家庭は、先生、やはりこれは法律で縛るべきものでは私はないと思いますよ。

 というのは、いろいろな生き方がある人たちが集まっているのが家庭であって、私は先生の意見に個人的には価値観を同じくしていると思いますが、多分、民主党の中でいろいろな立場の方がおられますね、その方々と今の御意見をすり合わせて民主党案として出していただいたら、私たちも大変心強いのですが。

田島(一)委員 あくまで前提として、私としてはということを申し上げました。ですから、当然、これが党の意見だとかという前提で申し上げたつもりはないので、誤解のないようにはぜひしていただきたいと思います。

 できるだけこういう場で、いろいろな、こういう提案とかも含めて、聞く耳を持っていただけるということは大変ありがたいことだというふうに私は思います。これからも遠慮せずに、できるだけ私自身も調査研究をして、この家庭教育のあり方というところはもっともっと深掘りをしていきたいというふうに思いますので、またぜひフランクな意見交換ができるようにお力をお貸しいただきたいと思います。

 時間もあと十分となりましたので、教育委員会のあり方についての質問に移らせていただきたいと思います。

 この未履修問題、そしていじめ問題を含めて、この教育委員会のあり方、当然、教育現場のあり方自体にも疑問を呈する声も随分上がってまいりました。

 そんな中で、今回、教育再生会議の方でも、教育委員会の活性化であるとか、硬直化している教育委員会制度についての議論を進めていこうというような、そんな発言も委員の方から出てきたというふうに聞いています。その一方では、規制改革・民間開放推進会議からも、教育委員会制度が、硬直化した文部科学行政の上意下達システムとかつて批判をされていたのに、教育委員会の権限強化ということを佐田担当大臣がお答えになっていらっしゃいます。

 それぞれ、この再生会議を御担当いただいている官房長官、また、きょうは佐田大臣にもぜひ聞きたかったのですけれども、何やら内閣委員会が重なっているそうなので田中室長にお越しいただいていると思います。それぞれ、この教育委員会の強化というものをどういうふうに進めていこうとお考えなのか、ぜひお答えをいただきたいと思います。

塩崎国務大臣 いじめの問題、そしてまた未履修の問題をきっかけに、改めてこの教育委員会のあり方について議論が活発になっているわけでありますし、教育再生会議でも出ております。まだ一回しか正式な会合をやっておりませんのであれですけれども、そこで出た意見の中でも、やはりいじめの問題においても十分な役割を果たしていないんじゃないか、あるいは、国と地方との間での役割も果たしていないんじゃないかとか、やはりあり方が随分問われていることは事実でありまして、今後、いろいろな意見の方が集まっていただいておりますので、さまざまな議論が展開されてくるというふうに我々は思っています。

 佐田大臣の御発言については、御本人から聞かないと私もよくわかりませんが、ここにおいても、これまでも長らくこの教育委員会のあり方について議論が重ねられてきたというふうに聞いておりまして、特区での扱いなどもこれまで出てきているわけでありますが、いずれにしても、これからさまざまな場でこの教育委員会の役割についてはさらに議論が深められるというふうに我々は思っています。

田中(孝)政府参考人 お答え申し上げます。

 規制改革・民間開放推進会議では、教育委員会の問題についてこれまでも審議をしてきました。去る七月に出されました中間答申におきまして、教育委員会をめぐる問題意識といたしまして、次のように報告書に書いてございます。現在の教育行政組織は、教育を受ける立場の学習者の期待や意見に対して明確な権限と責任に基づいて即応できる体制にない、すなわち学校長、市町村の首長、教育委員会並びに都道府県の首長及び教育委員会等が並列的、重畳的に存在し、学習者から見て権限と責任の所在があいまいになっているという問題意識がございます。

 こうした現状を改善し、権限と責任を明確化するための方策の一つとして、規制改革・民間開放推進会議のこれまでの提言は、地方教育行政の実施に当たる市町村に教育のパフォーマンスを改善するための創意工夫を発揮する余地を開こうというものであり、これが教育委員会の必置規制の見直しや特区における取り組みの推進という提言につながっております。

 しかしながら、いじめ問題の頻発を初め、教育現場の直面する課題を迅速に解決していくためには、地方の創意工夫のみに期待するのでなく、十分に機能を発揮していない教育委員会の改革に踏み込んだ検討が必要であるとの認識を佐田大臣は持っておられます。

 規制改革・民間開放推進会議は、宮内議長が辞任され、去る十月十九日に草刈議長が選出されたところであります。佐田大臣と草刈議長との意見交換において、佐田大臣のこうしたお考えについて草刈議長も了解されたと伺っており、今後、推進会議においては、いじめ問題等、教育の現場におけるさまざまな問題に対し教育委員会がその役割を十分に果たしていけるよう、必要な検討が行われるものと考えてございます。

田島(一)委員 発言された御本人、大臣がお越しいただけませんので、当然、その真意だとかはちょっとわからないんですけれども、これまでは、硬直化した上意下達システム、文部科学行政の上意下達システムを温存しているということで、教育委員会自体を、権限を首長に移そう、そういう動きでこれまで規制改革・推進会議の方は進んできていたんですね。設置義務ももう撤廃をしよう、そういう主張であったのが、どうしてここに来て、問題が大きくなってきたからといって、教育委員会の権限を強化しようというふうになったのか、この点、私は非常に疑問に思っているわけであります。

 また機会があったときに大臣の方にぜひ直接お伺いをしたいというふうに思いますので、この点、また主張をお持ち帰りいただいて、御意向をぜひお尋ねしていただきたい、そんなふうにお願いをしたいと思っております。

 もう時間もなくなってきましたが、最後、教育委員会の地方の現状というものをもう一度私は見て、ひもときたいと思うんですね。

 今、教育委員会のそれこそ現場監督といいますか、教育長にどういう方々がなっていらっしゃるのかという点に注目を実はいたしました。大臣の方で御承知になっているのかどうか、ちょっと聞きたいんですけれども、今、全国の自治体にある教育委員会の教育長さんはもともとどういう出身の方なのかというのを把握されていますか。

伊吹国務大臣 教育委員の中の一名を充てている、教育長についての御質問ですね、これはほとんどが、やはり学校現場というか、教員の経験者、あるいは教員の中から選ばれて教育委員会事務局という官僚機構の中へ入って、その中で栄進をきわめた人というのが現実だろうと思いますね。

田島(一)委員 私、一度大臣から御指示なさって、この現状をぜひ見ていただきたいと思うんです。

 教育の現場出身者がどれほど多いのか。実は、私の地元滋賀県の二十六の市町村の教育委員会を調べました。そうしたら、二人だけ、現場のOB、OG以外の教育長さんがいらっしゃるんですね。それ以外の二十四人は、結局元校長先生という方々がなっていらっしゃいます。

 今回、例えばいじめの問題、現場であったかなかったかが、現場の校長が発言したことが教育委員会に行って、またそれがいじめの事実はなかったというような揺り戻しが、教育委員会と現場の学校との間で、やりとりの中で発言が二転三転してきたという事実を考えたとき、私は、その教育長も現場の学校のOB、OGであるということから、言葉は悪いですけれども、結局、結託していたんじゃないかと。

 きのう、大臣も答弁で、学校現場の報告に教育委員会が、教育長がだまされたということをいみじくもおっしゃいました。なぜだまされるのかというよりも、もともとわかっていたんじゃないのか、仲間内だからということで、教育界全体が結局ぐるになっていたんじゃないかとすら思えてしまう結果が出てきているが、これは、教育長という主たるリーダーが結局現場のOB、OGであるから、癒着構造のようなものが歴然と残りつつあったのではないかというふうに私は思うわけであります。

 どうして民間の教育長なんかがもっともっと出てこれないのか。当然、現場をよく知っているという点では、大臣がおっしゃるように経験者は非常に有能だと思います。が、結局は、現場に力を入れ過ぎる余り、現場を知り過ぎる余り、このような隠ぺい体質がどんどんどんどん温存され続けてきたのではないかと思うんですが、大臣、いかがでしょう。

伊吹国務大臣 だまされたのか、だまされたふりをしたのか、その辺はよくわかりませんが、先生がおっしゃっていたような構造があることは私はよく理解しております。

 それと同時に、教育委員会は、先生も御承知のとおり、今は執行機関として位置づけられているんですよ。しかし、執行機関の中の事務局長的役割を果たしているのは教育長ですね。そして、その上の取締役会に当たると言ってもいいと思いますが、これが教育委員であって、取締役会長が教育委員長なんですよ。

 ところが、この教育委員と教育委員長という方が、事務局長というか社長執行役員というんですか、教育長をどれだけ監督し、チェックしているかということ、これにもう一つ問題がありますね。この人たちがどういう人たちなのかというと……(発言する者あり)今、不規則な御発言がありましたが、非常勤であり、大体名士の方であり、週一回あるかないかの会合に出てきておられるというのが現実なんですよ。

 だから、教育委員会の強化というのも、みんなお題目のようにこれを唱えますが、どういう形で強化をしていくのかというもう少し具体論に入っていく、そして同時に、国の関与をどこまで認めるのか、それから、地方の首長に移すなんてことは、失礼だけれども民主党案のようにしたら、私が申し上げているように、これは必ず政治介入を招くことになります。

 ですから、その辺のやはり歯どめを考えながら、どういうふうに強化していくかという具体論を、今先生がおっしゃった現実に即して、教育委員というのはどんな選ばれ方をして、どれぐらいの会議をしているのか、教育長というのは、先生がおっしゃったように、ほとんど現場となれ合う人たちの中から選ばれているという実態がいいのかどうなのかを含めて議論しないといけないと思います。

田島(一)委員 時間も参りました。私自身は、この教育委員会のあり方自体、民主党としてはもう教育委員会は廃止すべきだという前提に当然立っております。今、なれ合いが、こうしていろいろないじめの問題だとか未履修だとか、こういう問題を引き起こしてきたのではないかという前提に私は立たせてもらっております。

 教育委員会のあり方を議論していくことは私は全く大賛成でありますが、ただ、船頭が多過ぎて、規制改革会議ででもやっちゃうわ、また再生会議ででもやる、そして文科省は文科省で中教審ででもやっている。船頭が多過ぎることによって、結局また困るのは現場だと思うんですね。この現状もやはりしっかりと踏まえていただくことをぜひお願いしたいというふうにも思いますし、あと、問題点はまだまだやはり現場に必ずあるということ、ぜひこれを御認識いただいて、これからまた議論を深掘りしていきたいと思います。

 ありがとうございました。

森山委員長 午後一時から委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。

    午後零時四分休憩

     ――――◇―――――

    午後一時開議

森山委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。

 質疑を続行いたします。福田昭夫君。

福田(昭)委員 民主党の福田昭夫でございます。

 森山先生とは大変親しくおつき合いをさせていただいているところでございますが、きょうはできるだけ多くの質問をさせていただきますので、ぜひ、大臣以下ほかの方々にも、簡潔に御答弁をいただければありがたいと思っております。

 昨日総務省が発表した国勢調査の確定値によりますと、〇五年の、昨年の十月一日時点の総人口が一億二千七百七十六万人ということで、昨年の推計値に比べると二万二千人ほど減っている、また、ことしの十月の推計値と比べても一万八千人減っている、こういう話でございまして、我が日本もいよいよ人口減少の時代に入った、こんな報道がございました。そんなことを考えると、やはり、人口が減っても日本の活力が失われないように頑張るためには、何といっても教育が大切だ、そのように考えているところでございまして、そんな観点から質問をさせていただきますので、どうぞよろしくお願いを申し上げます。

 まず最初に、現在の教育における課題について、文部科学省としてはどのような基本的な認識をしていらっしゃるか、伊吹大臣の方からお伺いをしたいと思います。

伊吹国務大臣 これはもう多くの人が同じように考えておると思いますし、先生のお考えもそれに近いんじゃないかと思いますが、戦後の、九年の義務教育制度、そしてそれを国庫負担において賄ってきたという仕組みそのものは、これだけの経済成長を達成して、北アジアのちっぽけな国であった日本が第二の経済大国になったんですから、私は、それなりに評価するところも多かったと思います。

 しかし、同時に、戦後から今までの六十年の間に時代が大きく変わってきております。何よりも大きく変わったのは、東西の冷戦構造がなくなったこと、それから、富が飛躍的にふえたために、自分あるいは家族でやるべきこと、やってきたことが、お金を出せば、税を納めれば、保険料を納めればできるという国になっていること、それから、価値観が多様化した中で、家族というもののあり方が随分大きく変わってきたこと、国際社会の中で日本が日本人としてのアイデンティティーを持ってしっかりと行動しなければならないほど、日本は大きな国になり、国際的な中で欠くべからざる国になったこと、これらを考えると、戦後の教育基本法で行ってきた教育に、やや閉塞感があるというのがやはり現状じゃないかと思います。

 民主党におかれても、同じような現状認識をお持ちだからこそ、民主党としての教育改革の基本法に対する改正の対案をお出しになったと理解しております。

福田(昭)委員 ありがとうございました。

 それでは次に、安倍総理の基本的な認識について、塩崎長官の方からお願いをいたします。

塩崎国務大臣 安倍総理の教育に対する基本的な考え方というお尋ねでございますが、今の伊吹大臣の基本的な認識と大きく変わることはないと思っておりますが、とりわけ、総理・総裁を目指して総裁選挙を戦っている間にも、美しい国へということで、美しい国をつくりたいと。その美しい国を構成するのはやはり日本人、人でありますから、今、伊吹大臣からお話がありましたように、戦後かなりの部分はうまくいっていたけれども、どうもいろいろな問題がここに来て見られるということで、もう一回美しい日本人をつくるのはやはり教育だろうということで、いわば教育が一番の優先課題ということで、今日まで、政権が正式にスタートした後もこの問題が大事だということでやってまいりました。

 教育再生会議をつくったのも、少し狭い意味の学校教育というだけではなくて、規範意識がなぜ薄くなってきたのだろうか、あるいは国や地域や家族やそういったところのきずながなぜ薄くなってきたのだろうか、そんなことを含めて幅広く議論する場として教育再生会議をつくって、教育という広い意味での問題を議論し、この国を立て直していこうじゃないか、新しい国づくりをしていこうじゃないか、そんな認識ではないかなというふうに思います。

福田(昭)委員 ありがとうございました。

 伊吹大臣と安倍総理の考え方をお伺いいたしましたけれども、具体的にはいろいろな事件として事象があらわれているわけでありますが、いじめとか不登校とか校内暴力とか学級崩壊とか、さまざまな事件が起きているわけでございますけれども、そうした今の教育が抱える課題を解決するためには、教育基本法を改正しないとどうしてもできない課題だと思われるかどうか、お伺いをしたいと思います。

伊吹国務大臣 現場であらわれているいろいろな事象、その中には残念なものも非常に多いわけですが、先生御自身も地方自治に尽瘁してこられて、市長をお務めになり、また知事をお務めになった中で現場をつぶさに見ておられますので、私から現状のことについてはるる申し上げませんが、教育基本法を変えなければできないかと言われれば、私は必ずしもそれはそうではないと思います。今のままでもすべての教育に携わる者が規範意識を持ってしっかりと行動すればいいわけですが、なかなか、しかし先生、現実にはそれはそうはまいりません。

 やはり、先ほど来官房長官も申しましたように、総理も私も、現在の教育基本法を改正することによってこの基本的な法制を変えて、例えば、従来ない家庭教育の問題とか社会教育の問題とか、あるいは日本の伝統的な規範意識をもう少し覚せいしていくとか、こういうことを基本法に書いて、そしてこれを国会でお認めいただいた上で、その国会の意思に従って、これに付随する、先ほど保利委員から御質問があったように三十何本も関係法律があるわけですね、これをやはり統一的な基本法の認識のもとに変えていく。これが変えられれば、それに従って政令を公布し、大臣告示を出し、予算で肉づけしていく、こういうことでございますので、やはり教育基本法を変えていただかないと、統一的に同じ考えでなかなか進めにくいというのが認識でございます。

福田(昭)委員 塩崎長官の方にもちょっとお伺いしたいと思います。

塩崎国務大臣 基本法というのはやはり基本的な姿勢を明らかにし、また理念を唱える、そういう法律ではないかと思います。

 教育というのは、幅広くいろいろと議論が出ているように、学校だけではなくて地域もあり家庭もある。そういうようなところでの基本的な教育というものに対する考え方、姿勢というものを、戦後六十年たって、教育基本法も約六十年たって、やはり時代に合うものに変えていこうじゃないかと。そして、何といってもこれは法律でありますから、国民の代表たる国会で議論をする中でこの理念を新しいものにして、そして、それぞれの持ち場持ち場での教育というものにその基本的な理念を念頭に入れていただきながら教育を展開していく、こういうことではないのかなというふうに思っております。

福田(昭)委員 ありがとうございました。

 考え方はよく理解することができますけれども、しかし、そうした中で教育再生会議を設置したわけですよね、教育基本法の審議が始まっている中で。では、教育再生会議はどういうねらいで設置をされたのか、塩崎長官の方にお伺いをしたいと思います。

塩崎国務大臣 何度も御説明をし、御理解をいただいているんではないかと思いますが、教育基本法を早期に成立させようということは、もうずっと総裁選挙のときから、当時は安倍候補でありますが、唱えてきました。

 そして、もちろん所信表明演説でも、教育基本法については早期に成立をさせていただきたいということで訴えかけをしているわけでありますが、やはり個別具体的なさまざまな問題が出てきている中で、これから一体、文科省のみならずほかの役所を含めて、そしてあらゆる関係者がどういうふうにこの教育を立て直していくべきなのか、再生すべきなのかということをひとつ知恵を出してもらって、基本法の理念のもとにそういった具体的な政策についての御提言をいただこうという、言ってみれば、総理へのアドバイスをしていただく機関としてこの再生会議というのをつくったということでございます。

福田(昭)委員 気持ちはわかりますけれども、やり方、教育を再生するに当たってはやり方ですね、三通りあるかと思うんですよね。それこそ、演繹的にやっていくやり方、帰納的にやっていくやり方、あるいは教育再生会議と教育基本法の審議と調査と、両方同時に並行してやっていく、少なくともこの姿勢が必要じゃないかと私は思うんですね。先に教育再生会議ありきでは、ちょっと教育基本法の審議もこれは後回しにした方がいいんじゃないか、こういう論法になってしまうんじゃないかなというふうに思っております。

 実は、そのことを如実に語っていることがあるんですね。二点目の問題に入ってしまいますけれども、次の質問は、現行の教育基本法の位置づけと問題点についてお伺いをしたいと思います。

 まず、文科省の考え方について、伊吹大臣からお伺いをしたいと思います。

伊吹国務大臣 現在の教育制度というのは、先生御承知のとおり、憲法という国家の最大の法規があり、教育については理念法、基本法としての教育基本法があり、そのもとで動いてきているわけですから、これは先ほど申し上げたように、この理念法が時代に合わなくなってきている場合はやはり理念法を変えていただく、そして国会での、国権の最高機関としての国会の意思を、教育の分野についての意思を受けとめながら各法の整備をしていくということでございますので、現行の教育基本法は、それはそれなりの役割を果たしている、果たしてきた、そして今は、新しい革袋をつくり、新しい酒をそこへ注ごうという努力を与野党でここで交わしているという理解でございます。

福田(昭)委員 それでは同じ質問を、ぜひ安倍総理の考え方として、塩崎長官、お願いいたします。

塩崎国務大臣 基本的な考え方は伊吹大臣と変わらないと思いますけれども、やはり戦後、現行の基本法のもとでそれなりに日本は発展をし、また経済社会も成長をしてきたというふうに思っています。一方で、世界の中での日本の役割も変わり、そしてIT化も進み、日本は何といっても、当時は戦後直ちにスタートをしたといっても開発途上国だったはずでありますが、今や先進国ということであります。そして世界も変わり、ボーダーレスになり、日本の役割、防衛庁の防衛省昇格も今議論をしていただいておりますけれども、そういうように役割が変わってきた。一方で、人間の内面においては、規範意識の低下等々、先ほど来御指摘のある問題がたくさん起きてきた。

 こういった中で、もう一回この教育というものに対する基本的な考え方を再構築し直して、そして新しい時代にふさわしい教育のあり方というものを定めるべきではないのか、こういうことで、この教育基本法の改正というものを、かなり長い時間をかけて今日まで至りましたけれども、この国会でまたお願いをしている、こういうことでございます。

福田(昭)委員 かなり長い間かけてきたということでございますが、実は、平成十三年の十一月に、文科省が中教審に諮問しているんですね、文科大臣の名前で。最初が「教育振興基本計画の策定について」、そして二番目に「新しい時代にふさわしい教育基本法の在り方について」ということで、平成十三年の十一月に中教審に諮問をしているわけであります。

 ところが、これが諮問した内容と順番が入れかわりまして、平成十四年の十一月の中間報告、そして十五年の三月には答申が行われたわけでありますが、このときには、教育基本法のあり方が先になっちゃって、教育振興基本計画が後になっちゃったんですね。これはなぜでしょうか。お伺いをいたします。

田中(壮)政府参考人 事務的にお答え申し上げます。

 諮問のときにおきましては、先生御指摘のように、「教育振興基本計画の策定について」と「新しい時代にふさわしい教育基本法の在り方について」ということで御諮問させていただいたわけでございますけれども、中教審の審議の中で、教育基本法を改正したその上で、教育基本法にきちんと教育振興基本計画を位置づけた上で振興計画をつくろうということで、御答申においては、まず教育基本法のあり方について述べられ、その後で教育振興基本計画のあり方について御答申をいただいているところでございます。

福田(昭)委員 それは、私が想像するにですけれども、多分、文科省の考えとしては、教育基本法を変えなくても、教育振興基本計画をしっかりつくれば日本の教育の立て直しは可能だ、そう考えたんだと私は思うんです。ところが、学者ばかり集めた中央教育審議会ですから、学者の人たちは机上の空論で、まずは教育基本法から、こういう考え方が圧倒的だったんだと私は思います。ですから、午前中に我が党の委員が、現場の校長先生の考えとか教員の考えがちょっとわからないんじゃないかという、大臣にそういう質問もありましたけれども、まさに中央教育審議会のメンバーもそうだと私は思います。

 したがって、中央教育審議会で出た意見は、まず教育基本法から。これは学者としては当然の話だと思います。教育基本法を変えて、それに附属する三十一本の法律ですか、これを続いて改正する、これがまず基本、順番だと思いますけれども、しかし、もともとの文部省の考え方とすれば、その前に急いで対応しなくちゃならない、いじめを初めいろいろな問題がある、これをしっかりと立て直すためには、まず教育振興基本計画をつくる、これをつくれば教育基本法をいじらなくてもやれるということで諮問したんだと私は思うんです、これは。

 ですから、そんなことを考えれば、そんなことが実はいろいろな調査にも如実にあらわれているんです。実は私、文科省に、中教審の答申が出た後、文科省がいろいろなところで地方公聴会をやったりあるいはメールで意見を求めたりしたんですが、その結果について、教育基本法の改正について賛成が何割ぐらいあるんだ、反対が何割ぐらいあるんだ、内容を理解している人がどれぐらいあるんだ、理解していない人がどれぐらいいるんだということの資料をぜひ出してほしいと言いましたら、そういう資料はないと言うんです、これは。多分都合が悪くて出せないんだと思うんです。七千件ぐらい総数はあったそうです。その割合が実は発表されておりません。

 そうした中で、この分厚い資料を見ますと、ここに文科省が発表した資料が載っております。これの三百八十七ページでありますが、「平成十六年度学校教育改革についての保護者の意識調査結果」というのがあります。これは文部科学省がやりました。これはPTAの会員六千名です。小学一年生から中学三年生の保護者でございます。校長先生じゃありません。

 この方たちのアンケートを見ますと、「教育基本法の見直しについて中央教育審議会からの答申内容の認知状況」、平成十六年度でありますが、答申の内容をよく知っているのはわずか〇・九%です。さらに、おおよそ知っているという方は七・〇%。合わせても七・九%しかおりません。さらに、「教育基本法改正への考え」でありますが、早期に改正した方がよいという方は四・九%であります。さらに、答申を踏まえてさらに議論した上で改正した方がよい、これが二六%であります。合わせても三〇・九%、三割でございます。

 注目すべきは、平成十五年度と十六年度と調査をしているんですが、十五年度より十六年度の方が、実は反対がふえたり、理解が減っているんです。ということは、教育基本法の改正は慎重にというのが私は国民の意見じゃないかと思っております、基本的に。多分、都合が悪くて文科省は今までやってきたことを公表できないのかもしれません。都合が悪くなかったらちゃんと発表していただきたい、こう思っております。

 そこで、お尋ねを申し上げますが、今回教育基本法を見直す理由でございますが、国立大学財務・経営センターの市川昭午名誉教授の分類によりますと、教育基本法を見直した方がいいという理由が五つあると言われております。

 一つは、主権を制限された占領下に立法された法律で、日本人による見直しが必要とする押しつけ論が一つですね。それから二つ目が、現行法には紛らわしい表現があるという規定不備論。それから三つ目が、一連の教育荒廃現象が生じるようになったのは、教育勅語にあった愛国心や規範意識が現行法には規定されていないという規範欠落論が三つ目でございます。それから四つ目が、時代対応論でございます。これは先ほど伊吹大臣からも話があったかと思いますが、時代対応論。そして五つ目が、憲法改正を前提にした歴史的見直し論。

 この、押しつけ論、規定不備論、規範欠落論、時代対応論、歴史的見直し論、五つ、見直すべきだという理由があるようでございますが、文科省としてはどういう立場に立たれるんでしょうか。

伊吹国務大臣 まず先生、先ほどお示しをいただいた、内容を知らないという調査結果、これは、我々のPR不足も当然ございます。しかし、国会に籍を置いている我々でも、国会法の内容を知っているかと言われたら、知らないですよね、すべてを。憲法をすべて前文から知っているかといったら、それは知らないですよ。だけれども、いざとなればどういう条文かというのを取り出して見るわけですね。やはりそれは先生、基本法の内容をすべて知っているかと聞かれたら、知らないと答えるのが普通なんじゃないでしょうか。

 ですから、それをもって行き渡っていないというのはちょっと私はあれだと思いますし、しかも、そういう方々に教育基本法を変えた方がいいかどうかといっても、知らない人にいいか悪いかということを聞くという設問の仕方も、ちょっと難しいなというので先ほど私は先生のお話を聞いておりました。

 それで、私は先ほど来るる申し上げているように、やはり現状対応論というのですか、今の、これからの日本の子供と日本の国のために時代に合った基本法、規範法をつくりたい、これに尽きております。

福田(昭)委員 ありがとうございました。

 文科省がやった調査ですから、今度は、新しい文科大臣としては、よくしっかりと国民の認識が得られるような調査をされることを望みたいと思います。

 それでは次に、教育の定義及び本質についてお伺いをしたいと思います。

 まず、文科省の考え方について、大臣の方からできるだけ簡潔にお願いいたします。

伊吹国務大臣 教育というものについての御質問と理解いたしまして。これは多くの人によって、教育というものをどういうふうに定義するかというのは難しいと思いますが、私は、人間にいろいろな働きかけをして、その人間の能力、能力というのは知的な能力と同時に人間としての品性というのでしょうか、性格的なものを社会生活に合うように高めていく行為、これが教育だろうと思います。

福田(昭)委員 ありがとうございます。

 それでは、安倍総理の考え方について、塩崎長官にお願いします。

塩崎国務大臣 そのような大きな話は御本人に聞いていただくのが一番よろしいかと思いますけれども、今お話がございましたように、広辞苑を見ると、「教え育てること。」と書いてありまして、「人を教えて知能をつけること。人間に他から意図をもって働きかけ、望ましい姿に変化させ、価値を実現する活動。」と、まあ考えてみれば、今、伊吹大臣がおっしゃったこととそう変わらないことがここに書いてあるわけであります。

 英語でエデュケーションといいますが、イデュースという言葉は何かを引き出すという意味だと思うんですね。したがって、子供たちのいろいろな能力やいい点を引き出して、そしてまたそれを大きくして、社会に羽ばたいてもらう、そういうことをやる営みが一番大事な教育の原点かなという感じが私はいたしております。

 私は安倍総理ではありませんが、恐らく総理も、そういった子供のあらゆる能力を引き出して、それを大きくしていくということによって、社会の中でしっかりと生きていける人間を育てていくということを考えておられるんじゃないかなというふうに思います。

福田(昭)委員 ありがとうございました。

 教育については、なかなか定義をすると難しいんですが、おっしゃられることのとおりかなと私も思っております。

 そうした中で、教育の本質ですけれども、私は、教育の本質は自己教育だと思っているんですね。自分で自分を教育する、これが教育の本質だと思うんです。英語は使いたくないんですけれども、セルフエデュケーションだと思うんですね。あるいはセルフコントロールだと思うんですね。ですから、子供たちにやはり自己教育力を身につけさせる、そういう機会を提供するというのが教育の役割かなというふうに思っておりまして、そういった形での教育の再生というのが必要かな、こういうふうに実は考えているところでございます。

 そこで、次の質問でございますが、次の質問は、新しい国づくりと求められる人間像についてということで御質問をさせていただきますが、最初に官房長官の方にお伺いいたします。

 地方分権型の国づくり、安倍総理は美しい国だと言っていますが、そうじゃなくて、今我が日本は、平成三年のころから始まって平成十二年ですか、地方分権推進一括法ができて、地方分権型の国づくりが始まりましたが、まさにこの地方分権型の国づくりは、私は日本の新しい国づくりだと思っております。

 その地方分権を実現するためのキーワードが、よく言われるような自己責任、自己決定であります。こうした時代にはどんな人間が求められるのか、もし安倍総理あるいは官房長官に御意見がありましたら、お伺いいたします。

塩崎国務大臣 自己教育というお言葉を今先生お使いになっておられましたが、自己責任、自己決定というのがキーワードだというお話も今ございました。

 安倍総理が総裁選挙の公約などで挙げた中に、規律あるいは規範力というか、こういう言葉を使っておりまして、まさに自分を律することができるようにするためにも、教育というのがとても大事な役割を果たすわけであって、ましてやこれから地方分権が進んで、それぞれの地域には誇るべきものがたくさんあって、あるいは、場合によってはそこの地域で息づく価値観みたいなものもあるかもわからない、そういう中で、みずからを律しながら、そしてその社会の中できちっとした責任を果たしながら生きていける人間を育てていくことが、これからの地方分権の日本の中でとても大事なことだと思っています。

 したがって、この新しい教育基本法のもとで、それぞれ規範力もつけながら、家庭も、それから地域も学校も、それぞれ有機的に連携しながら子供たちを育てていきながら、今先生のおっしゃった自己責任も果たせ、自己決定もできる、そして、中央に頼らないでもその地域でしっかりそれなりの完結した世界を築き上げられるような、そんな人間をつくっていくということが、この新しい教育の中で必要になってくるのではないか、こんなふうに思います。

福田(昭)委員 ありがとうございました。

 私は、地方分権型の国づくり、社会づくり、これは本当に大変厳しい社会だと思っております。それは、自己責任、自己決定は、単に地方自治体にのみ実は求められているんじゃなくて、国民一人一人にも自己責任、自己決定が求められている。企業の皆さんはもちろんでありますけれども、地方自治体にも実は自己責任、自己決定が求められている。

 そのことをさらに具体的に申し上げると、まず、金融面ではペイオフがスタートいたしました。国は一千万の定期預金しか保証しませんよ、銀行がつぶれても自分の責任ですよ、自分の財産も自分で守ってくださいよという改正が行われておりますし、さらには、社会福祉の基礎構造改革も、これもまさに自己責任、自己決定が基本原理になっております。

 医療保険も介護保険も、さらには障害者自立支援法もそうですね。障害者自立支援法は余りにも自己責任を強く求めちゃったから、今苦しんでいる人がたくさん出てきておりますけれども、まさに社会福祉の分野でも、自己責任、自己決定を貫徹する構造改革が実は進んでおります。

 さらに、農業分野でもそのことが今進められようといたしております。来年から米づくりの新しい対策がスタートいたしますが、これも平成二十二年に米づくりの本来あるべき姿にするというんです、農林水産省は。これはかみ砕いて言うと、米づくりは、農家の皆さん、農業団体、農協の皆さん、自己責任、自己決定でつくってください、価格は市場に任せますよというのが米づくりの本来あるべき姿にするということなんです、実は。

 さらに、申し上げるまでもなく、地方分権は地方自治体に自己責任、自己決定でやってくれということでありますから、この地方分権型の国づくりに我が国の国づくりを大きく切りかえた、これは、私は、国民が本当にそのことを自覚してやらないと大変なことになると思っているんです、基本的に。ですから、そうした時代に耐え得る人間、そうした時代を乗り越えて活力を生み出せる人間、そういう人間をやはりつくっていく必要があると思うんですね。

 実は、そうした地方分権の時代に求められる人間というのは、基本は自立自助ですよ、自分で自分を助けるんですよ、その上でお互いに助け合いができる、相互扶助ができる人間、こういう人間がこれからたくさん出てこないと、とてもとてもこの地方分権型の国づくりはうまくいかないと私は思っているんですね。

 そこで、今度、伊吹大臣の方にお伺いをいたします。

 これは、伊吹大臣は大変聡明な方でありますから御存じかもしれませんが、江戸時代の末期に活躍された二宮尊徳翁が目指した人間像というのがあるんですが、もし御存じならばお話しいただきたいと思いますし、もし御存じでなかったら私の方からお話しさせていただきます。

伊吹国務大臣 先生は、御存じの上で私にお尋ねになるというのはちょっとひどいんじゃないかと思いますが、私が小学校のときからずっと教えられていたのは、みずから努力をし、朝早くから山へ入り、薪をとり、みずから努力をし、そして努力をした結果を最小限自分のものとして、多く残るものはできるだけ他に譲る、こういうことであったんじゃないかと思います。

福田(昭)委員 ありがとうございます。

 実は、私、寂しい思いをしたことがあるんですが、市長時代とか知事時代、文部科学省にお邪魔して、当時の次官とか生涯学習局長と話をしたことがあるんですが、全く二宮尊徳翁のことを知らなくて、実はがっかりしたことがあるんです。ぜひこれから文部科学省としても、もう一度参考にしていただきたいと思っています。

 二宮尊徳翁が目指した人間像というのがございまして、これは、たまたま私が市長を務めておりました今市市の市史、市町村合併で日光市になってしまいましたが、今市市の市史に書いてあるんですが、私の母校であります栃木県立今市高等学校の校長先生を長い間務められておりました森豊という、残念ながら亡くなってしまいましたが、森豊先生がまとめてくれたものなんです。五つあると言われておりまして、一つは実践者、働く人間であります。二つ目が自立する人間であります。三つ目が富む人間であります。豊かになるという意味の富む人間であります。四つ目が譲る人間であります。五つ目が道義ある人間でございます。この五つが尊徳翁が目指した人間像じゃないか、こういうことなんです。

 これを私流に解釈しますと、尊徳翁がおっしゃるには、人間は、まず自分を助けて、一生懸命働いて、自分の分度を決めて自立をすれば必ず豊かになれる、つまり、自分の収入の三分の二程度で生活すれば必ず豊かになれる、豊かになったら譲ることを考えなさい、譲ることというのは二通りありますよ、一つは自分や自分の子供や孫たちのために譲ること、もう一つは社会や他人のために譲ること、あるいは将来に投資をすること、そして、最後まで道義ある人間として生きなさい、こう言われているんじゃないでしょうか。

 こんなお話をさせていただいておりますが、私は、まさしく尊徳翁が目指した人間像、これは時代が変わっても変わらない、不易な人間像だと思っております。

 その実、日本が戦争に負けたとき、占領軍政府が置かれました。当時のGHQの新聞課長をしておりましたインボーデンという少佐が、戦後の復興は尊徳翁に学べという文章を書いております。その文章を読んでみますと、最後に、尊徳翁は近世日本が生んだ最大の民主主義者だと言っているんですが、最後へ行きますともっとすごいことが書いてありまして、尊徳翁の教えは真理だというんです。真理だから時代を超越して通用するものだということを、昭和二十四年にインボーデン少佐が書いております。

 私は、まさに我が日本も、それこそマッカーサーには日本の民主主義は小学校四年生くらいだというふうに非難された我が日本も、やっと一人一人が自立をして、自立をした人間同士がお互いに助け合うような民主主義社会をつくれるような状況に、戦後六十年たってだんだんなってきたのかなと思っております。

 しかし、そうした時代は、やはり一人一人がしっかり自立をしていくことが大事だ、自立をした上でお互いに助け合うということが大事だというふうに思っておりまして、ぜひとも文部科学省も、これから少しでも参考にしていただければというふうに思っております。

伊吹国務大臣 先生のお説は全くそのとおりだと思います。そして、特に地方分権時代ということをおっしゃいましたが、これは地方自治体も、コミュニティーとして自助努力、自己責任と同時に、住民は助け合って共生をしなければならないんですね。

 日本国民というのは、日本人はどちらかというと、ともに生きる、優しく助け合うということを他のヨーロッパ型の国民よりは大切にしてきた国民なんですね。ですから、先ほど来社会保障の分野でも農業の分野でもというお話がありました。確かに今助け合いだ。助け合いはいいんですが、もたれ合いになる可能性があるわけですね。もたれ合いになると、努力をしていた人が一方的にもたれかかられてしまう。だから自助努力、自己責任型の改革が今進んでいるんだと思うんですが、ここまで社会保障制度を、皆保険制度、皆年金制度、皆介護制度として持っているというその事実が、やはり日本は共生という価値観を非常に大切にしてきた国民だと思うんですよ。

 残念ながら、先生のおっしゃった自助努力、自己責任、それから、その上でお互いに助け合っていくという共生、こういう日本人の持ってきた伝統的な価値観というものが、豊饒の中での精神の貧困のように、少しずつ衰えてきている。これが、やはり今の日本社会の最大の問題でございますから、農業は、食料自給一〇〇%は結構なんですが、価格差はすべて税金で賄ってあげるというようなことをやり出したら、これはやはり自助努力の根底が、共生という意識だけで私は薄れてしまうんじゃないかと思います。

福田(昭)委員 ありがとうございました。

 我が党の教育基本法は、まさに共生、ともに生きるを基本として実はつくられております。

 話が農業の方も出てきましたので、食料自給率の方もちょっと申し上げます。これは話題がそれますけれども、この間農林水産委員会で私も、ぜひ米の輸出をするべきだ、こういう提案をいたしました。輸出をすれば食料自給率も上がりますので、これは一〇〇%も夢じゃありません、基本的に。そんなことだけつけ加えておきたいと思います。

 それで、時間もなくなってしまいますので、いよいよ公教育の再生について質問をさせていただきます。

 まず最初に、学校週五日制とゆとり教育について、三点質問をさせていただきます。これは時間の関係で、二つつづめてちょっとお答え願いたいと思います。

 学校週五日制の現状と、それから小中高における総授業時間数がどれぐらい減ったか、平成三年とそれから十四年、高等学校は一年ずれて十五年なんですかね、どれぐらい授業時間数が減ったか、その辺を簡潔にお答えいただきたいと思います。

銭谷政府参考人 まず、学校週五日制についてでございますけれども、公立学校は、法令上、土曜日が休業日でございますので、すべての学校で学校週五日制が実施をされております。ただ土曜日に、学校行事とか、希望する児童生徒を対象にいろいろな活動も行われている実態がございます。

 それから私立の学校でございますけれども、私立の学校の休業日はそれぞれの学校の学則で定めることになっておりまして、平成十六年度は、小学校が五九・七%、中学校が二七・九%、高等学校が四八・六%で完全学校週五日制が実施をされております。

 それから、小中高等学校の授業時間数の平成三年度と平成十四年度の比較でございますけれども、まず、小学校につきましては、一年から六年までの標準授業時数の合計は、平成三年度五千七百八十五単位時間でございましたが、平成十四年度は五千三百六十七単位時間でございまして、四百十八単位時間減少いたしております。

 中学校でございますが、一年から三年までの標準授業時数の合計は、平成三年度三千百五十単位時間に比べまして、平成十四年度は二千九百四十単位時間でございまして、二百十単位時間減少いたしております。

 高等学校における時間数につきましては、むしろ卒業までに必要な総修得単位数で比較をするのがいいかと思いますけれども、平成三年度と十四年度ではそれは同じでございますけれども、十五年度からは現行の学習指導要領が実施をされておりまして、これを比べますと、二百十単位時間減少いたしております。

福田(昭)委員 ありがとうございました。

 どうも、安倍総理も、学力の低下を防ぐような、逆に学力を高めるようなことを教育再生会議に諮問をしたようでございますけれども、まさに、学校週五日制が始まって、同時にゆとり教育がスタートしたわけですが、このゆとり教育は、私は大失敗だと思っているんですね、基本的に。(発言する者あり)まあ、黙って聞きなさい。

 これは大失敗で、まず何といっても、授業時間を減らした、これが大失敗だと思うんですね。小学校で、これは標準の時間ですが、実は約四百十八時間減った、中学校で二百十時間減った、高校も一年おくれて二百十時間減った。これは一日八時間とすると、八時間の授業はないかもしれませんが、五十二日とか、あるいは二十六日、要するに授業をやる日数が減ったということなんですね。これは大きなことなんですね。

 現場でどういうことが起きているかというと、ゆとり教育のために、逆に現場ではゆとりがなくなっちゃっているんですね。例えば我々の時代ですと、運動会をやるにしても、予行演習、総練習というのがあったんですよ。でも、今は総練習をやれる時間がないから、いきなり本番なんです。雨が降れば中止なんです。ですから、ゆとり教育は大失敗なんです、基本的に。

 ゆとり教育をまず文部科学省が失敗だと認めて、そこから教育を立て直すための対策を立てていかなかったら、私は、本当に公教育の再生、まず義務教育の再生から、できないと思いますが、いかがでしょうか。

伊吹国務大臣 ゆとり教育の評価は、人によっていろいろあると思います。これを導入した基本的な考え方は、最低限の学力、規範その他を身につけた生徒、学生が、現実の事象に対してその知識をどのように活用し、応用していくか。ですから、知識だけの詰め込みじゃなくて、応用のやり方をぜひ学んでもらいたいという意図があったと思うんです。

 さて、そこで、その考え自体は私は決して間違っていなかったと思います。ただ、現場でどういうことが行われているのかということですね。このゆとり教育のやり方、これはやはり少し考えていかなければいけないやり方もあるでしょうし、手前みそのことを言ってはいけませんが、比較的私の地元の京都市の教育委員会などは、この時間を使って非常にうまく動かしておりますね。

 ですから、少し、やり方の問題についてはいろいろなことを考えてみる必要があるんじゃないかと思っております。

福田(昭)委員 一番大切なのは、総授業時間数を確保することだと思うんですよ。今大臣がおっしゃったようなことも、実はいろいろな体験活動なども、すべてこれは授業時間の中で行われるんですよ。単に机の上で教科を教えるだけが授業時間じゃないんです、これは。ですから、安倍総理も、教育再生会議の方には授業時間数の確保なんというのも入っていますよ。いかがですか。

伊吹国務大臣 ですから、最低限の基礎学力、規範意識が身についていないままゆとり教育をやっても意味はありませんね、これはおっしゃるとおり。だから、現状で最低限の基礎学力がついているかどうか、このこともよく見きわめないといけません。

 ですから、来年、全国統一学力調査を実施いたしますので、これで一つ、ゆとり教育と言われるものがどういうことになっているかということを全国レベルで評定いたします。だからそれも見て、大変間違ったというか、学力がどんどん低下している現状であれば、先生のような方向に少しかじを切らなければいけないかもわからないし、これは少し学力調査等の結果を見させていただきたいと思います。

福田(昭)委員 私は、総授業時間数はもとに戻すべきだと思っています。その戻すべき方法は、夏休みとか冬休みとか春休み、これを減らせばできるんです。夏休みは四十日も要りませんよ。四十日も休んで、むしろ逆に、今保護者は共働きなんか多いんですから、夏休みに子供を四十日うちへほうっておくのは不安で不安でしようがないんですよ。

 ですから、そんなことを考えても、とにかくそんな長期間の休みは要らないと思いますから、休みを減らして、ですから現場では、総授業時間数が減っちゃうというので二学期制なんかをやって、少しでも時間数を確保しようと努力をしてきたんですよ。しかし、私は、二学期制は中途半端だと思うんです。三学期制で十分やれる。それは、夏休み、冬休み、春休みを減らすことによって十分実は可能なんです。そのことは既に、実は県立学校あるいは市町村立学校であれば、そこの教育委員会が学校管理規則を直して、校長先生がそれは十分できるんですよ。休みを減らしたりふやしたりできるんですよ。ですから、そういうことをしっかりとやらせるためには、やはり学校に主体性を持たせる、責任を持たせるということも大事なことですし、そういったことができるようなことになっても、なかなか今学校側が主体性を発揮しないということになっておりますが。

 学力は、多分調査してもそれほど落ちていないと思います。なぜかというと、学校で教えない分、今、塾がしっかりカバーしていますから。ですから、学力は落ちたとしても、それほど落ちていないと思います。相対的には多分落ちていると思いますが、そんなに私は落ちていないと思います。それは塾がやっているんです。そこをしっかり認識していただいて、これから本当に子供たちのための教育の再生というのを考えてほしいな、そのように思っております。

 それでは、次に、基礎学力の範囲と確保対策についてということでお伺いをしたいと思いますが、文科省としては、安倍総理大臣の方は高い学力という話ですけれども、しかし、しっかりとまず基礎学力を確保するということが大事なことだと思いますし、その確保対策についてどのように考えていらっしゃるのか、お伺いをしたいと思います。

伊吹国務大臣 まず大切なことは、日本人社会、そしていずれは、これだけグローバル化しておりますから、国際社会で生きていくやはり基本的な読み書き計算能力、こういうものを同時に生きていく上で適用していく能力、こういうものがまず必要だと思いますが、同時に、それらを身につける意欲、そして社会生活を行っていくための規範、こういうものがやはり基礎学力と考えていいんじゃないかと思います。

福田(昭)委員 ありがとうございました。

 時間がありませんので長くは話しませんけれども、そうした読み書きそろばんに加えて、ぜひ、市民としての力ということで、社会の基礎知識とかあるいは科学の基礎知識、そういったものを、特に中学生までの間にしっかり教えていただくような教科書をつくっていただくということが大事なことかなというふうに私は思っております。スウェーデンでは「あなた自身の社会」というようなことで、一人一人が社会でどんな位置を占めているかということを教えているような教科書もありますので、ぜひお願いをしたいなと思っています。

 それでは、次に、いじめ対策と心の教育についてお伺いをしたいと思います。

 これは、文科省がずっと今まで対策をとってきてもなかなか減らないのがいじめでございますし、また心の教育も、なかなか十分な教育ができない、そういう状況でありますけれども、今後どのようになさっていこうとしているのか、お伺いをしたいと思います。

伊吹国務大臣 いじめというのは、これはもう私どもが子供のころから、ああ、あれはおれがいじめていたのかなとか、あれはいじめを受けていたのかなと思い出すこともありますし、実社会でもあるわけですね。政界でもあるんじゃないかと思うんですけれども。

 やはりそういうことはあってはならない。特に、子供のようにまだ精神の発達状態が非常に未成熟な時代は、なかなかそれに耐えられないんですね。ですから、これをできるだけ早く見つける。本来は、これは午前中、田島先生の御質問にもありましたが、父親、母親が一番、あるいはおじいちゃん、おばあちゃんが一番子供と話しやすい相手であったわけですよね。ところが、残念ながら、いろいろな事情でそれが今はなかなかうまく機能していない。地域社会での見つけるためのいろいろな組織、あるいは地域社会で子供をくるんでいくためのいろいろな試みをしておりますが、これも率直に言って十分ではない。そうすると、すべての責任が学校へかかってきているというのが今現実だと思います。

 ですから、お互いに、大変なことはわかるわけですが、家庭と地域と学校が力を合わせて、子供のやはり苦しんでいる兆候をできるだけ早く見つける、先生、もうこれに尽きると思います。見つければ、お互いにそれに適当に対応できる人が、臨床心理士を含めて、対応するのがいいと思いますが、やはり一番子供に対応してやるべきは、父親であり、母親なんですね。これが今の社会の状況の中で非常に難しい状況になっておりますので、このことだけは私たちもよく認識をして、今度の教育基本法の、自公を含めた御審議を経て閣法として提出している中には、家庭教育と社会教育という条項を新たに設けているのもそういう趣旨でございます。

福田(昭)委員 ありがとうございました。

 時間の関係で、質問というよりは意見を申し上げさせてもらいますけれども、やはり今大臣の言われたことは、今起こっているいじめを何とか解決しようという対症療法だと思うんですね。これも大事なことです。本当に命が幾つも失われているような状況ですから、早く気づいて防止をするということが本当に今緊急に求められていることかと思います。

 それに加えて、私は、根本的な対策をとらなくちゃだめだというふうに思うんですね。そこがよく言われている心の教育だと思うんですが、心の教育も、やはりいろいろな、命を大切にする、あるいは宗教教育とかそうしたものをやったり、あるいは体験学習をやったり、そういったことを一つの何らかのプログラムとして組んでやっていく必要があるんじゃないかなというふうに思っております。

 今まで、文科省も心のノートか何かつくってやってきたという話は承知をしているわけでありますが、しかし、それだけでは何か足りないような気もいたしますので、先ほど私が申し上げたような、やはり自立できる、自分で自分を教育できる人間、こういう人間をどんどんつくっていくことかなというふうに思っておりますので、そういう観点からの心の教育というものをぜひ進めていただければというふうに思っています。

 それからもう一つ、やはり安倍総理が教育再生会議の方に教員の質の向上というようなことも掲げておりますので、この点もちょっと質問させていただきます。

 教員の質の向上、これも大事なことであります。これは教員になった人の質を向上させるということですから、大事なこと。それ以前に、まず特に幼児教育と義務教育、小中学校の教員については、今のような教員養成じゃなくて、本当に幼児教育あるいは小中学校の教員としての専門教育をやるような教員の養成をやらないと無理なのかなというふうに私は思っておりまして、その辺いかがでしょうか。

伊吹国務大臣 先生の御意見、総論として、私、大変賛同するところは多いです、さっきからお伺いしていて。それから、夏休み、冬休みもあんなにたくさん要らないだろうというのも、なるほどなと思って伺っていました。

 ぜひ、この点については民主党も党内にいろいろな意見があるようでございますので、ひとつ党内の御調整をいただいて統一的な御提案をしていただいて、そして一緒にやっていきたいと思っております。

福田(昭)委員 その話はきっとうちの執行部も聞いているでしょうから、これからまた話をさせていただきたいと思っております。

 まさに、それこそ戦前の師範学校を出た先生方、これはやはり教育に対する熱意というのがすごいんですよね。実は私の両親も教師でありましたが、全く、その熱意というのはやはり違うんですね。もうこれは釈迦に説法ですけれども、一番いい教師はどういう教師だといったら、やはり生徒のといいますか、子供の心に火をつける教師だというんですね。そういう教師が余りにも足りないような気がするんですね。ですから、本当に教育に情熱を持ったような先生を養成しないと、昔、でもしか先生という言葉がありましたけれども、そういう方ばかりではこれは大変だなということで、しっかりとした、やはり熱意のある、やる気のある教員をまず養成する、そしてそうした人たちを採用することが大事なことかなというふうに思っていますので、御検討いただきたいと思っています。

 いろいろ質問してまいりましたが、そろそろ時間が来たようでございますが、もうなくなってきましたか。

 最後に、まだまだ質問したいことはあったんですが、特に幼保一元化と幼児教育の無償化について。

 特に幼保一元化については、私は、幼稚園と保育園、これはどちらも教育機関であり厚生施設だ、そういう位置づけが大切だと思っております。所管は、文部科学省が保育園も所管する。そういう一本化をしないと、今回のような認定こども園をつくってもだめだと思います。やはりしっかりと、これは文部科学省が、保育園も一つの教育機関だ、そういう位置づけで所管をして、幼児のときから、子供のときから、小さいときから子供をしっかりしつけをして育てていくんだ、そういう姿勢が必要だというふうに思っています。

 最後に、なかなか質問が終わりませんでしたので、ちょっと総括といいますか、まとめをさせていただきます。

 私は、現在の教育が抱えている課題は、今まで論じてきたようにたくさんありまして、これらの課題は、実は教育基本法の改正がなくてもすぐやれる、対応ができる課題ばかりだと思っております、基本的に。そのためにきっと教育再生会議を立ち上げたんだと思うんですけれども、教育再生会議の議論は来年の十二月でまとめる、こういう話でございます。

 さらに、先ほど申し上げたように、国民がまだまだよく理解していない、全く。そうした中で拙速に教育基本法を決めていくということについては、ちょっと拙速過ぎるのじゃないか。私自身も教育基本法はしっかり改正した方がいいと思っておりますが、しかし、やはり五十年、百年耐え得る教育基本法でなければ、憲法に次ぐ大切な法律で、憲法の附属法という位置づけでございますので、やはり五十年、百年耐え得るような教育基本法をつくるということを考えると、まだまだ議論をして、先ほども申し上げましたが、やり方としては、帰納的にやるやり方もありますし、演繹的にやるやり方もあると思います。しかし、事は急を要しますので、少なくとも同時並行というのが私はいいのかなと思っております。

 これは本当に、そういった意味では、教育は国家百年の大計と申しますが、まさにそれほど大事な問題でございますので、ぜひとも、まだまだ私は個々の問題を、学校教育法なり、あるいは教育委員会をどうするかという地教行法の見直しとか、いろいろな大きな課題がございます。履修漏れの問題、そういったことだけじゃなくてたくさんありますので、そうした問題をどうするかということをしっかり方向づけをしてからでも教育基本法の改正は遅くはない、こう思っている一人でございまして、ぜひ再考いただければありがたいなというふうに思っている次第でございます。

 以上で終わります。ありがとうございました。

森山委員長 次に、土肥隆一君。

土肥委員 民主党の土肥隆一でございます。

 私は、日本の置かれている状況、あるいは現代社会が置かれている状況というものも考えながら、教育基本法をずっと見てまいりました。

 まず、大変唐突なお話ですけれども、伊吹大臣に、質問は送っておりませんけれども、もし伊吹大臣が子供に、私はなぜ勉強しなきゃならないのと問われたときに、何とお答えになりますか。

伊吹国務大臣 それは、おまえが生きていかねばならないからと答えると思います。

土肥委員 それでは子供は勉強しませんね。生きるということについて、まだ五年や十年しかたっていない子供に、生きるためだというのは意味のない話でございます。もう一度お答えいただけませんか。

伊吹国務大臣 私の子供は、私がそのように育てましたが、一生懸命勉強して、今日に至っております。

土肥委員 大変結構な、まれな幸せなケースでございます。

 世の子供たちは、なぜ勉強するのと言いますよ。私たち、答えを持っていないんですね、正直言って。立身出世なんて、末は博士か大臣かなんといったって、何の意味もないわけですね。だから、そこから子供は我々大人の領域から離れたところにいるというふうに理解いたします。

 高市大臣は今どちらへ行かれたんですかね。戻ってこられますね。

 それでは、もう一つ。では、せっかく官房長官いらっしゃるわけですから、官房長官、なぜ私は人を殺してはならないのと聞かれたときに、どうお答えになりますか。

塩崎国務大臣 それは、人の命はかけがえのないものだからです。

土肥委員 これも抽象的ですね。自分でよく自分の人生、十年や十五年の人生を考えて、かけがえのないものかどうかというのはまだ結論は出ておりません。

 高市大臣が来られたら尋ねようと思いますが、いないの。(発言する者あり)ないの。ああ、そうですか、わかりました。

 私は、それほどに今日の日本の大人も子供も置かれた状況が、非常に一義的に物が言えなくなっている社会現象を及ぼしていると思うわけでございます。

 私は、今日の社会をどう見るかというときに、皆さんも御承知かと思いますけれども、ポストモダンと言われている現代社会の一つの分析があるわけですね。大体一九七〇年代から始まった理論ですけれども、一九九〇年以降は私の言葉で言えばポスト・ポストモダンという時代だと思うのでございます。

 それは何かというと、ちょっと私、慶応大学の教授の論文を引き抜いてまいりましたけれども、一番目にこのポストモダンの特徴は、大きな物語の崩壊といいまして、つまり、今日、私たちが、共通の生き方とか考え方とかイデオロギーといったものが社会全体に通じなくなった、こういうわけです。そして、社会全体を規定するような共通の考え方がなくなってしまった、これが大きな物語の崩壊というのでございます。

 私は、教育基本法の論議をしていると、何か昔に返って、昔に返ってというか、我々が育った時代のようなことも考えながら、伊吹大臣はハンチントンの理論をお出しになって、日本が非常に特徴的な社会であるとおっしゃいましたけれども、これもポストモダンの考え方から外れていると思いますよ。

 そして、このポストモダンをもう少し言いますと、ごく簡単に言いますけれども、社会全体に対して調和的に物事が作用しなくなって、そして何を取り入れたかというと、強制的な管理体制に入った、これがポストモダンの特徴というのでございます。

 高市大臣がおいでになりましたので、大変聞きにくいんですけれども、ぜひ聞いてみたいと思うんです。

 今大臣には、なぜ人は勉強しなきゃならないの、それから、なぜ人を殺してはならないのと。高市大臣に、ちょっと言いにくいんですけれども、高校生が、なぜ援助交際をしてはいけないのと言われたときに、大臣はどうお答えになりますか。

高市国務大臣 失礼いたします。

 私が高校生に、なぜ援助交際をしてはいけないのと聞かれたときに、私がその人に答えるとしたら、性というのはとてもとうといものであり、私たちが御先祖様からずっとずっと受け継いできた命の源でもある大変厳粛な行為であります、これを金銭のやりとりの対象にするような行為というのは本当に人間として恥ずかしいことです、もっともっと自分を大切にして、たった一度の今しかない青春の時を生きてください、このように申し上げると思います。

土肥委員 高校生の半分ぐらいは理解できると思いますね。

 したがって、私が申し上げたいのは、もう一度申し上げますけれども、生活実態に、つまり子供たちの生活の意識も行動も、そして、あらゆるものを含めて、子供に密着した、あるいは子供を本当に理解して考えなければ通じない、そういう時代に入っている、それが私のポストモダン理論の援用なんでございます。

 ポストモダン、三つ言っておりまして、もう一つは、要するにコピーの社会だと言うんですね。もうすべては、コピーが始まって、コピーのコピーがどんどん流通して、インターネットの世界では、今やもうあらゆる情報が包含されたものにエンジンをかけて何でも取り出せる、それが本当だというふうに錯覚する時代だと言うんです。本当のところは何なのというところについては、もう関知しないというわけです。

 最後は、三つ目のことは、権力の構造が変わったと言うんです。もはや、法や規律による統制、人間の心の内面を必要とする統制が意味をなさなくなるんですって。そして、人間の内面を必要としない社会が生まれ、それを強制的に管理だけすればいいという社会になっている、完全に利便性だけが通用する状況だ、こういうわけです。

 私ども政治家は、今教育基本法をやっております。もういっぱい教育問題があるわけですね。押しつぶされそうになる、問題は山積している、それに何とかこたえようとする、これは今の現実のこの委員会の風景だと思うんです。私は、このポストモダンまたはポスト・ポストモダンの社会状況を見るときに、これはもう普通のやり方では日本の教育は再生しない。学校の教師の免許を切りかえをやらせようとか、先ほど専門的な教育をしろ、今度は、教師になる人は大学院教育を受けて、兵庫にも兵庫教育大学というのがございますけれども。それはなぜかというと、保護者のいわば知的レベルが皆大卒になっちゃったから、もう一つ上をいかないと教育ができないというふうな考え方なんですね。これは無理なんですよ。

 ですから、今の教員採用からいうと、難しい採用試験を受けて、そしていろいろな難関を突破して、面接もし、水泳もし、ピアノも弾き、そしてすっと教員になれればいいですよ。そして、全部大卒ですから最高の知的集団なんですね。この知的集団が問題だ、学校の教師が問題だといえば、採用したその教育委員会なり、あるいは教育行政全体が問われるわけでありまして、つまり、だれが悪いとか、ここに原因があるということを特定できない状況にありまして、社会全体を規律する思想がなくなってきた。さまざまな人間の生き方を、多様な生き方を認めるというようなことは、もう言えなくなってしまってきた。何があるかというと、これは非常に言葉は厳しいんですけれども、動物的な扱いを国民が受けるようになる、モダン社会というのはそうなんだと、それを政治家もやっているわけですね。そういうことを前提にして、私はきょうの質問に入りたいと思うんであります。

 例えば企業で、コンプライアンスというのが今流行しているのか知りませんけれども、経営者が社員に対してコンプライアンス、法的遵守。今は、企業に就職して三年後にどんどんやめていくんですね、新卒の学生たちは。三年後にどんどんやめるという。自分はやはりこの会社に向いていないと思う。そこへコンプライアンスだなんて言ったって、もうそんな話じゃないんです。あるいは、いつ首になるかもわからないような企業社会の中にいて、コンプライアンスだ、この国を担えということを言っても、それはもう無理な社会ですよというのがこのポストモダン理論なのでございます。私はこれは本当だと思うんですよ。

 今そうした中で法案を審議しておりますけれども、まず大臣にお聞きしたいのは、ハンチントン理論というのをお示しになりましたけれども、これは日本の固有な社会をうたったものですね。しかも、アジアというくくりではなくて、日本という、日本国だけの独立のくくりをしたのがハンチントンですけれども、これが今言いましたようなモダン社会に通じるような理論であるかどうかということを、ちょっとお考えをお聞きしたいと思うのであります。

伊吹国務大臣 まず、先生のおっしゃったポストモダンあるいはポスト・ポストモダンというのは、一言で言えば、価値観が多様化をして、コントロールのきかない社会になっているということなんですが、それを前提に、それは変えられないものだから、そこで何をやっても仕方がないということを言い出すのなら、先生も代議士に選ばれておられる意味は余りなくなるんですよ。やはり、正しい……(発言する者あり)

 ですから、先生がポストモダン、ポスト・ポストモダンの社会を位置づけておられるというその分析は一つの分析としてとらえますが、私たちは日本社会をこうあらしめたい、それはもう、イスラム文化においても、あるいはキリスト教文化においても、アフリカ文化においても、インド文化においても、中国文化においても、日本文化においても、ポストモダン的な流れがあることは否定いたしませんよ。否定いたしませんが、しかしその中で、日本なら、日本の文化というものの中で、私たちが祖先の営みの中から大切につくり上げてきたものを、少しでも先生がおっしゃっている人間のさがとしてのポストモダンという流れがあるのなら、ぜひ食いとめたいと思うから、みんながそういう議論をし、政治というものがあるんだと思います。

土肥委員 私は、ポストモダンは絶望主義だと言っているんじゃないんです。こういう社会現象がある中で、日本の政治や教育をどうするかということを考えなきゃいけない、それをハンチントン理論に閉じこもったらいけないというんです、私に言わせれば。日本の独特の文化だとかあるいは伝統だとか、そういうものを認識するのはいいことですけれども、これを法案に盛り込んだ途端に今の社会現象から外れてしまう、だから、やはりもっと詰めた議論をしなきゃいけないんじゃないですかということです。

 与党は、文部省の知力を最大限に活用して教育基本法案をおつくりになった。これはもともと修正案ということで私理解しておりましたけれども、全体を変えても修正ではあるようでございますけれども、しかし、随分積み残したものがあるなというのが印象でございます。それから、民主党案は、結局、今日の時代状況を何とか基本法に盛り込もうとして盛り込み過ぎたのではなかろうかというふうに思っているわけでございます。これは率直に申し上げます。

 つまり、伝統とか文化とかいうものは法律で規定できないんですよ。先ほどの質問のように文化とは何ですかと言われたって、まあ、日本の文化状況というのはすさまじいです。都々逸から始まって盆踊りまで、あらゆる文化が横溢しているわけでございまして、私は議員をやりながら、日本の文化状況というのは非常に多様な文化だなということを思っております。したがって、伝統というのもそうです。法文に入れたところで、それは何なのという話になるわけです。

 ですから、私が申し上げたいのは、本当に日本の教育の中で最低限必要なもの、そして教育行政が踏み出してはならないもの、これを決めれば、あとは三十三項目の省令や何やらが入っているわけでございまして、そこはそこでやっていいけれども、そこでも踏み外したらだめよという分だけをまずはまとめて、いろいろなものを盛り込むとこれは一般法になるわけでございます。

 例えば、要するに伝統とか環境とか自然とかいうのは、これはどうでしょうか。自然法といいましょうか、自然にある、それは日本の国民が営々として培ったものもあれば守ったものもある。だけれども、その自然法的なものをこの教育基本法に盛り込むと、これは自然法じゃなくなるんです。これは強制力を持ち、そして国民の生活に制限を加え、まして教育の現場に制限を加えていくものになるわけです。したがって、政府案と民主党案が出ておりますけれども、もっと詰めるべきだと思うんです。余りにも、先ほど言いましたような民族とか風土とかいうものを意識し過ぎ。それから、教育の今置かれている問題点、さまざまな問題点をそこに盛り込もうとする。

 そうではなくて、やはりそれは一つ一つ検討して一般法の中に含めていって、自然法的なものはなるべく省くというのを提案したいのでありますけれども、まずは文科大臣の方から。

伊吹国務大臣 先生のポストモダン理論から始まってのいろいろな御意見は、一つの先生のお考えだと思いますが、私たちはそういう考えをとっていないということです。ですから、これはもう見解が違うとしか申し上げようがないと思います。

土肥委員 では、民主党の方どうぞ。

高井議員 お答え申し上げます。

 土肥委員のおっしゃることはわかりますけれども、我々の考え方として、なぜこういうふうな法案を出したかということについて主に申し上げたいと思っています。

 おっしゃったように、ポストモダンの中で問題点の一つとしては、やはり物質文明偏重主義というか物質を重んじる主義、それが余りにも行き過ぎたんじゃないか、次のステップに踏み出すべきではないかというふうに我々は考えまして、まさに今子供たちを取り巻く環境は、皆さんと全く問題意識は同じで、いろいろな問題に直面していて変わりつつある。その中で、私たちは新法をつくるに当たって今何が求められているのか、つまり、生きる力そのものの本質とは何かということを考えながらつくりました。

 今までのやり方や考え方だけでは対応し切れない問題がたくさん出ております。本当に、土肥先生がおっしゃったように、やはり権力や経済といったハードパワーというような問題解決だけでは十分にやっていけないのではないか、限界が来てしまったのではないか、コミュニケーションとか知恵とか文化とかそういうソフトパワーとかいうべきものを活用していくことがより今の時代に必要なのではないかというふうに考えております。だからこそ、この物質文明主義を超えて、人間の尊厳や共生の精神、コミュニケーション、知恵、文化、こういうものを重んじて、情報を選び取って、ソフトパワーとして使う能力がある人間を育成していこうというふうな考えでつくりました。

 それこそが生きる力である、そういう情報をさまざまに分析して使う、そして次の世代を担っていく、こういうふうな生きる力を持つ新しい人間を創造する、これこそ新しい次の時代の文明を希求するということだという意味で、こういうふうに新法として提出をいたしました。

土肥委員 大変ポストモダンを勉強なさって、そしてそれへの対応策をお述べになったと私は思いますし、そうでなければ大したものでございます。

 つまり、例えばコミュニケーション、あるいはソフトパワーと今おっしゃいましたけれども、もうハードでは無理なんです。ですから、限りなく子供たちと教師はコミュニケーションを深めていく、限りなく子供のそばに立って耳を傾ける、これ以外に指導方法はないんです。情報は子供の中にある、悩みも問題も子供の中にあるんです。それを聞き出していくような、その方向をやはり国会でも了解しないと、やはり上からの押しつけの論理になる、実態に触れていない問題解決になる。それがソフトパワーなんですね。

 ですから、このポストモダンの問題点を解決するには、まさにそういう、今ある閉鎖されたコミュニケーション、一方的なコミュニケーションではなくて、基本的にコミュニケーションが一番大事なんだ、教育の中心なんだということを訴えて、そして、この子は理解できないとか、この社会はわからないとか、この問題はどうにもならないというような話では教育問題は解決しないんです。そういうことを私は申し上げているのでありまして、今の高井さんの答弁を高く評価したいと思います。

 もう一つは、このポストモダンの問題はやはり核の問題ですね。もう御承知のとおりでございまして、私は、核保有国がこうして少しずつふえてくることによって、いわば、ちょっと人生論的になりますけれども、終末的な現象を想像せざるを得ないわけでございます。そうした中での教育とは何なのかということを考えている次第でございます。

 それでは、少し現行法に即して御質問をしたいと思います。

 現行の教育基本法は日本国憲法が生まれてすぐに決められた、いわば憲法に準ずるような基本法でございました。ですから、どんな基本法であれ、日本国がつくり出した、日本の政府がつくり出した基本法は憲法の下位に属するわけで、憲法の下に営まれることであって、どんな修正案であれどんな新法であれ、憲法に外れてはいけないわけです。

 ところが、自民党さんでは、もう党是として憲法を変えるんだと。総理大臣は五年と言いましたでしょうか。憲法を今変えようかというときに教育基本法を提案なさるという意味は、その憲法の下位にある教育基本法、これはどういうふうに理解したらいいんでしょうか、お答えください。

伊吹国務大臣 先生ちょっと、現行の教育基本法の制定の経緯は御存じだと思いますが、これは日本国憲法ができる前にできておる法律でございますよ。ですから、日本国憲法ができてすぐという今御発言がありましたが、それは逆でございます。まずこの法律が、昭和二十二年だったですか、できまして、日本国憲法はずっと後です。

 そして、憲法の精神を体してもちろん教育は行われねばなりませんが、しかし、教育の基本というものと、これから改正されるであろう、あるいは改正できないかもわかりませんが、日本国憲法の改正を待たなければ教育の基本法がつくれないということでは私はないと思います。

 もしそうであれば、御党も憲法改正を論じておられながら今教育基本法の対案を出しておられるわけですから、民主党の提案者にも同じ御質問を一つ確認していただきたいと思います。

土肥委員 民主党に聞きます。

 民主党は、前国会の答弁の中で、四十年、五十年にたえ得る教育基本法であるというふうにおっしゃいましたけれども、それは、憲法改正とは全く関係なく四十年、五十年は続くだろうというお考えでしょうか。

藤村議員 土肥委員のポストモダン論と実は我々も近い考え方を、我々が出した、この日本国教育基本法発想に当たりまして議論したのは事実でございました。

 そして、今の直接的御質問は、我々が四十年、五十年というふうに前国会でもお答えしたのは、そういう新法をつくりたいし、あるいはそういう新法でなければならない、そういう確信を持って出したわけでございます。

 ただし、我々も当初、やはり憲法を今後考えていくわけで、それが変わっていく中で、教育基本法も当然その中身は左右されると。これは政府答弁でもそういうことをおっしゃっていますので、そういうことは事実だと思います。

 そこで、我々が前提としたのは、民主党が出しました憲法提言という、昨年の、二〇〇五年の十月三十一日に、我々の中での憲法論議をずっと積み重ねている中の中間的な憲法提言というものがございまして、この憲法提言を一つたたき台にして、こういう、将来の我々の憲法像を前提に、この新法をまとめたところでございます。

 当然のことながら、民主党案について、今後四十年、五十年の将来にわたって、日本の教育の基本法として恥ずかしくないものを取りまとめたと自負しております。

土肥委員 藤村先生にお尋ねしますけれども、そうすると、どんな憲法ができようと、この教育基本法はそのまま生きていくというお考えですか。それとも改正しなきゃならないんでしょうか。

藤村議員 どんな憲法ができようともという仮定では、その仮定のもとでは改正せざるを得ないかどうかも実はわからないんです。

 我々はこういう憲法を理想とし、こういう憲法ができるという前提でこの新法を出したということでございます。

土肥委員 では、大臣にお聞きします。

 憲法改正が行われたときに、この政府案の教育基本法はお変えになるんですか、お変えにならないんですか。

伊吹国務大臣 それは、そのときにどの政党が政権を持っていて、どういう形で野党と御協議を申し上げながら、我々が野党かもわかりませんし与党かもわかりませんが、三分の二の議決を得なければできないことでございますから、もしも、今の理念法としての、今回提出しております教育基本法が憲法とたがうことがあれば、当然変えなければならないでしょう。

 だけれども、たがうことは多分私はあり得ないことだと思っております。というのは、先ほど保利先生が御質問になったように、基本的な普遍的事実を記述するのであって、できるだけ条項を減らし、そして現実よりも理念を書くんだとおっしゃっていたのを考えると、そんなに、現在自由民主党が党内的に検討しておられる法案、あるいは民主党さんが、今藤村先生がおっしゃった法案と違ってくるという内容には私はなっていないと理解しております。

土肥委員 いや、私がこだわりますのは、政府案にしろ民主党案にしろ、一応、日本国憲法に従う、こう書いてあるわけですよ。では、日本国憲法が変わったときに、いかなる憲法でもこの教育基本法は生きていくのかということを考えるときに、そうはならないだろうと。やはり、日本国憲法がどのような政権で変えられたとしても、その憲法が持つ教育目標というのは当然変わってくる。したがって、今つくっている、審議している両案は、私に言わせれば、次の日本国憲法、改正すると言っているわけですから、までですねということを念押ししているわけでございます。

 もう一度お答えいただきたいと思います。

伊吹国務大臣 日本国憲法というのは、日本国の最高法規でございますから、将来改正された場合、万が一にも今御審議いただいている基本法と違うところが出てくれば、それは変えないといけないでしょう。

 しかし同時に、私は先生に伺いたいのは、手続その他においてもかなり時間が今現にかかっておって、しかも衆参両院の三分の二の議決を得なければならない、しかも国民投票という手続がある、そこまで教育の現状が待てるとお考えになっているのか。もしそうであれば、子供たちは今の教育基本法のまま放置をされて、どうしても現状に合わないものの中で苦しんでいる。これはやはり民主党、自民党かかわりなく同じ考えを持っているから法案を出しているわけでございますので、そこのところは現実的にお考えをいただきたいと思います。

土肥委員 それはわかるんですよ。

 だけれども、先ほどから言っておりますように、今の現実の問題を基本法に持ち込んだとて、何で僕は勉強しなきゃいけないのと言われたときに、その子とどういうコミュニケーションをとったらいいのかということです。なぜ人を殺してはいけないのと今の子供は言いますよ。それは、生命倫理だとかなんとか言えば答えはできるでしょうけれども、それすら解決にならないと私は思うんですね。

 ですから、両案があるんですけれども、何か、これこそ絶対的法案で、絶対譲れないというようなものじゃないと思うんです。だから、もうちょっと歩み寄るというか、もっとスリムにして、そして教育の現場でもあるいは行政でも踏み越えてはなりませんよということだけ決めれば、あとはたくさんの課題があるわけですね、それを一つ一つ応じていかなきゃならないと思っておりますが、大臣、何かありますか。

伊吹国務大臣 先生のお話をずっと伺っておりまして、先生は人を導いていただく手法についてお話しになっていると思うんですよ。我々は、国家の統治について国会は議論をしているわけなので、そこのところが少しやはり食い違っているわけですね。ですから、法律をつくり、制度をつくり、そしてそのもとで今先生がおっしゃっていただいているようなお気持ちで人を導くというのが現場の仕事なので、ちょっと論じている立場が私は違うように思います。

土肥委員 まさにそこなんですよ。

 国家の統治機構として、日本の教育はかくあるべし、教師はかくあるべし、子供たちもかくあるべしというなら、それはポストモダン思想からいえば、何も通じない、いい結果は生まれない。

 私が言いたいのは、この法案の、教育基本法ですよ、そこに、例えば子供たちの悲鳴に満ちた心とか状況というものをどこかでくみ上げてやるような基本法でないと、大臣がおっしゃるように統治機構の話なんだと言うんだったら、それは簡単ですよ。まさに、上から下へ次から次におろしていけばいいんです。だから、教育基本法というのはそういうものなんですかということも問うているわけです。

 その流れで、民主党案に幼児教育というのが出てまいります。ちょっと話は飛びますけれども、幼児教育のところに入りたいのでありますけれども、民主党案では幼児教育という項目を挙げながら、しかし具体的に今ある幼児教育の置かれた立場というもの、置かれた状況というものに密接に沿っていないんじゃないかということです。

 例えば、政府案では十一条、それから民主党案では第六条、現基本法には幼児教育というのはありません。与党案でございますけれども、幼児教育は大切だよといいながら、その他適当な方法でやる、こういう突っ放した言い方ですね。それから、民主党案の十条では、第三項で、適当な養護、保護、援助、これで幼児教育は終わっているわけですね。

 今虐待をされている子供たち、親から放棄されている子供たち、何も言わないんですか。こういう幼児教育というのは、単にその他のさまざまな施策でやりますよということでは、何か幼児の悲痛な叫びが閉ざされてしまっているような気がしますが、いかがでしょうか。大臣からお願いします。

伊吹国務大臣 先ほど来申し上げておりますように、ポストモダンではそういうことは通用しないというんなら、ポストモダンは全く無政府状態になってしまうんですよ。やはり、国というものがあり、そこに国民がおり、そして人間の営みがある限りは、それを温かく包み、そして動かしていくシステムというものが必要なんですね。

 ですから、そのシステムについて、法律あるいは予算、今の幼児教育でいえば、まさにそこに書いてございますように、幼児教育はこうこうこういうことで非常に大切なものだ、であるから、国及び地方公共団体は、幼児の健やかな成長に資する良好な環境を整備するとともに、その他というのは、例えば、幼稚園における教育はこうしよう、幼稚園への就園の奨励はこうしよう、図書館においての読み聞かせはどうしよう、こういうものを念頭に置いて書いているわけですが、そこで幼児の気持ちを聞いてやるときの態度が今先生がおっしゃっている姿勢なんですよ。

土肥委員 いや、だから、この法案は、幼児教育の担当者だけでなくて親も見るわけですよ、日本国教育基本法ですからね。ですから、親も見る、見てほしいわけです。そこで、やはり親もこれを読めば感ずるような、感受性を持てるような法文にした方がいいんじゃないのと。

 民主党の方にお聞きします。民主党はもうちょっと具体的に書いているんですけれども、これをちょっと詳しく御説明ください。

高井議員 御指摘のとおり、もう一歩踏み込んだ形では書いておりますが、先に申し上げたいのは、私は、虐待とか育児放棄とか、今起こっているようなことは犯罪だと思っておりまして、それはやはり関連法制並びにそれこそ処罰の対象としてきちんとチェックしていかなくてはならない、そういう具体的な細かいことまで日本国教育基本法に書き込むのは少しはばかられるというふうに考えておりました。

 そういう中で、我々は、第十条に、家庭における教育は教育の原点である、保護者はその養育及び発達についての第一義的な責任を有する、その他細々と少し書き込んでおります。「国及び地方公共団体は、保護者に対して、適切な支援を講じなければならない。」こういうこともはっきり書き込んでおります。

 これに伴って関連法制等をしっかり整備していきたいと思いますし、特に親の虐待等に関しては、平成十二年にできました児童虐待防止法により、きちんと子供たちの悲鳴をくみ上げる仕組みをつくってまいりたいと思いますし、そのために行政にも働きかけていきたいと思っております。

土肥委員 大変結構です。

 私は気持ちを言っているんです。法律といえども、統治機構といえども、そこにポストモダン的な状況をくみ上げていかないと。

 教育基本法というのは、戦後六十年、ほとんどだれも読んでいないんですね。保護者も読んでいないし、恐らく学校の教師も読んでいないんですよ。文科省も、一々教育基本法を引用して、これはこういうことですよなんて指導したことないと思うんですね。それで、六十年たって出てくる。

 だから、やはり国民の皆さんが読んで、ああ、日本の教育については政府はこういうふうに考えているんだなというふうにならなきゃならないというのが私の持論でございます。

 学校教育についても申し上げましょう。

 政府案では六条、民主党案では四条ですが、特に政府案についてお聞きいたします。

 第二項で、「教育を受ける者の心身の発達に応じて、体系的な教育が組織的に行われなければならない。」この体系的とか組織的とかというのはいかなる意味を持つんでしょうか。「規律を重んずるとともに、自ら進んで学習に取り組む」、これもここに出てまいりますけれども、何か教育現場を体系的に、組織的に認識して、そしてそれに対する適切な対処法があって、これで教育がうまくいって、教育現場は規律に豊かな、規律が守られた学校になるんだねというふうに読みますと、一体何事かと思うんですが、いかがでしょうか。

伊吹国務大臣 これはやはり先生、先ほど来申し上げているように、先生の社会の一つのルールとしての法律への考え方と、私どもが法律に対して考えている考え方の相違にやはり今の御質問は由来すると思いますが、やはり社会をつくっている限り、一つ、大きな社会の調和を保っていくのは法に書かれざるルール、規範、暗黙の申し合わせみたいなもの、もう一つは、やはり法律なんですね。

 ですから、その法律の中に書いているのは、義務教育、その上の高等学校、大学といく過程で、やはり身体の成長状況に合わせてカリキュラムを法的に組んで同じ基準の、それは、ポストモダンは価値観の多様化だから全く別だよ、それじゃとてもできないよといったら、これは無政府状態になってしまいますからね。やはり社会としては、しかも、そこで教育を受ける者も、やはり守るべき自由には規律というものがあり、権利には義務が伴うということを自覚して、国民の税金で教育を受けてほしいという理念を書いているわけです。

土肥委員 もう伊吹大臣と水かけ論はやめたいと思います。

 民主党は、その辺は言わないんです、組織的とか体系的とか言わないんですね。そのかわり情報を取り上げるわけです。情報の開示だというんですね。この情報と教育現場のあり方について御答弁いただきたいと思います。

藤村議員 学校教育という範疇で、実は政府案と私ども日本国教育基本法において、もう非常に大きな違いがあります。

 すなわち、学校教育においては大半の権能を学校現場に、それが学校理事会という形になりますが、そして国は、つまり政府はということになると思いますが、普通教育の機会を保障し、その最終的な責任を有するとして、例えば財政的な責任、それから教育行政など法整備の責任、それから教科書や学習指導要領など教育の水準の確保などについての責任は国が負う。一方で、学校の組織編制や教育課程、学習指導などなど、学校運営の大半の権限を学校理事会に持たせることとしています。これは非常に大きな違いであります。

 すなわち、学校現場における権限と責任は現在と比べ物にならないほどに大きくなります。それだけに、学校運営に関する情報公開が不可欠だと考えました。何より、その学校に直接関係のある保護者あるいは本人に、当然個人情報保護ということは留意しつつも、情報を開示し、説明責任を果たすというのがこの理事会に求められるし、学校運営に対して、さらにいろいろな方面からの点検あるいは関係者からの評価にさらされることが、開かれた学校、地域の学校ということになると思います。

 そして、国及び地方公共団体は、これら情報開示のノウハウあるいは点検方法、評価の基準等のあり方、情報収集、分析方法など専門的な知識を供与するなど支援を行うとしているものでございます。

土肥委員 学校理事会等についても私も意見があるんですけれども、ここでは申し上げません。

 先に進ませていただきます。

 与党案では生涯学習の理念という、第三条でございます。それから、民主党案では第十二条。ここで奇妙なのは、現行法の第二項に、「国及び地方公共団体は、図書館、博物館、公民館等の施設の設置、学校の施設の利用その他適当な方法によつて教育の目的の実現に努めなければならない。」これが、そっくり民主党案にも、ほぼ同じ形で与党案にも出ておるわけでございます。

 実は、地方自治法の改正で指定管理者制度というのがたくさん導入されておりまして、公的なプールであれ、あるいは体育館であれ、できるものは全部民間に指定して管理してもらおうという方向にあるわけですよ。にもかかわらず、その辺は全然頓着なく、現行教育基本法にのっとったというわけでございます。

 まず、きょうは総務省に来ていただいておりますが、指定管理者制度はどういうふうな意味で、そしてどの程度進捗しているのかを御説明ください。

藤井政府参考人 指定管理者制度についてお尋ねがありました。

 地方公共団体は、公の施設でもってさまざまな行政サービスを展開しているわけですが、この指定管理者制度というのは、従来、公の施設の管理を、いわゆる出資法人とか公共団体とか公共的団体とか、そういったものに限定していたわけですが、これを地方公共団体の指定する法人その他の団体ということで拡大したということです。その趣旨は、やはり従来の公の施設の管理、こういったものに民の発想、ノウハウ、そういったものを導入することによって、より住民にとって効果的、効率的な行政サービスを展開できるようにしたというところに意味があるかと思います。

 それから、導入状況についてのお尋ねがございました。

 あわせてお答えいたしますと、ちょっと古いんですが、十六年六月一日時点で、施設数でいけば千五百五十施設となっております。それから、若干カテゴリー的にお答えさせていただきますと、レクリエーション・スポーツ施設が三百五十二施設、いわゆる開放型の研究施設のような産業振興施設、こういったものが百三十三施設、水道等の基盤施設が百三十六施設、それから文教施設が三百八十施設、医療・社会福祉施設が五百四十九施設となっているところでございます。

 以上でございます。

土肥委員 時代はどんどん変わっているわけです。公共が今まで自分で運営しあるいは第三セクターで運営してきたものから、民間の、これは入札によるんですね、指定業者に管理が移管される。これはプログラムも考えるんです。

 そういう時代にあって、このまま残ったというのはどういうことでしょうか。大臣、お考えをお述べください。

伊吹国務大臣 別に、私は矛盾するものだとは思いませんが、今、政府委員が答弁しましたように、指定管理者制度というのは、地方公共団体が、公の施設の設置の目的を効果的に達成するため、その自主的判断と責任において利用するものですから、そうじゃないものも当然あるわけで、ですから、従来の図書館、博物館、公民館、そして「等」と、こう表示をしているわけです。

土肥委員 民主党はいかがでしょうか。

武正議員 土肥委員にお答えをいたします。

 利用者の利便性向上、公的施設の効率的利用、運営、これがやはり基本ということで、この指定管理者制度が進められております。そういった基本をしっかりと踏まえつつ、それぞれの地方公共団体の決定あるいは条例制定、そしてその中で今の原則をしっかり守っていくということで、その法案の趣旨とはそごがないというふうに考えます。

土肥委員 私の感想を言えば、安直だな、こう思っているわけです。

 最後になります。

 障害児教育でございます。これは政府案も民主党案もうたっているわけであります。民主党案で言うと、「特別の養護及び教育を受ける権利」というふうに言っております。教育基本法では、障害児を大切にしましょうということでございます。ところが、ことしの四月から発布されました障害者自立支援法というのがございまして、今大問題になっておりまして、きのうも障害者が一万人からの大動員をかけてやっております。

 これは、厚生労働省に、だれか来てくれと言ったら、今委員会をやっていて、だれも手がないというので断られたわけですね。それはもういいと私は言ったんです。

 端的に言えば、障害者を六等に分類しまして、一から六まで分類しまして、そしてその分類ごとに、その仕事なり、就職なり、作業なり、生活なりを用意する。それから、従来ある施設は、昼の部と夜の部と分けるんです。夜の部におれる人は、介護度というか分類四以上で、つまり重度だということですね。そして、五十歳以上、それは預かっていいけれども、あとはだめよと。何といっても、最後は応益負担。応能じゃない。応益負担で、一割払いなさい。重度であればあるほどお金がかかりますから、その一割は大きくなるわけです。三万にも四万にもなるわけですね。それはもう厚生労働委員会でさんざん議論されたことでありますけれども。

 一方でこういう施策が厚生労働省でとられている。今度は、この教育基本法では、もっと障害者、障害児を大切にして、その障害程度に応じて十分なお世話をしなさいと言いながら、そういうものが根こそぎ離れてしまっている。こういう省庁間の政策の違い。ここは基本法をやっているわけですけれども、そのすれ違いというかギャップというのは、一体どういうふうに教育基本法的に理解したらいいのか、大臣からお聞きしたいと思います。

伊吹国務大臣 今おっしゃった障害者の自立支援の法律は、これは先生御承知のとおり、どんどん一割の自己負担がふえていくわけじゃありませんよ。これは、やはり所得によって上限が決められておりますから、どんどんふえていくわけではありませんが、負担が従来のように無料であるというわけにはいかないと。

 これと、今ここに書いてある学校教育に関する条文との関係の御質問だと思いますが、これは、障害を持っている人たちも学校教育の場ではきちっと教育が受けられるようにすべきだという、まさに理念法としての理念を書いているわけで、あと福祉の分野の施策については、これは福祉の諸法令に基づいて行われているわけですから、学校の教育についてきちっと書く法律に福祉のことまで言及するというわけにはいかないと思います。

土肥委員 そうじゃないんです。この障害者自立支援法が定着しますと、学校教育、あるいは特殊教育、あるいは障害児教育、こんなものはもう意味をなさなくなるんです。なぜならば、すべては就労に向ける、この障害者自立支援法というのは、就労が最高の目的なんです。ですから、就労へ就労へと行くとすれば、もう高等養護学校なんかに行って勉強しているというような状態じゃないんです。いかにして社会に通用する、労働する障害者であり得るかということを、もう生まれた途端から考えなきゃいけないんです。それを学校で教育、教育と言っているから、ある意味で障害者が自立できない、こういう現状があるんです。

 ですから、私は、障害児諸学校というのは、いわば職業学校に、限られた、ハンディキャップを持つ人たちの職業学校にならない限り、この障害者自立支援法が満足のいくものにはならない、国民の理解するものにはならないということを勝手に申し上げまして、私の質問を終わります。

 ありがとうございました。

森山委員長 次に、末松義規君。

末松委員 民主党の末松義規でございます。

 この前、五月ですか、この委員会で宗教と教育について議論をさせていただきました。今回も、宗教と教育についてまた議論を続けさせていただきたいと思います。

 今まで、大臣も、また前大臣も、特定の宗教はやっちゃいかぬ、それは憲法にもそう明記されてある中で、当然、それは当たり前の話だろうと。もう少し言うならば、特定の宗教というよりは、特定の教団のことについて言ってはいけない、そういうことであろうと思うんです。

 そういった中で、これを余り強調すると、この前の委員会でも申し上げましたけれども、私も外務省にいたときに、中東でしたか、あそこは、イスラム教とキリスト教、それからユダヤ教を勉強しないと仕事も全然進まないというようなところで、日本の宗教について、神社神道と仏教の違い、そういったことを問われて、非常に戸惑って、説明できなかったという苦い体験がございます。

 そういった中で、余り、特定宗教の研究とかあるいはそれを学ぶ権利、これを過大に狭めていくと、これは全く宗教について語れない人材が、小中高、義務教育の小中、そして高校、また大学、こういったところで学ぶ機会を、例えば国公立であれば、そうなると、これはちょっとまずいんじゃないかなという気がするわけです。

 私も、職業という観点もあって、一生懸命に勉強させていただきました、宗教について。そう言うと、多分三点ぐらい私は感じているんですけれども、学問の探究ということであれば、特定の宗教というものについての説明を受ける、そういった権利はあるんじゃないかなということ。

 それから二番目は、歴史的な事実とかあるいは文化的な事実あるいは背景、こういったことに宗教の説明が必要な場合には、当然それは必要な範囲でやるべき話じゃないかな。

 三番目ですけれども、現代の政治的な問題あるいは社会的な論議、こういったものの解説とか説明、こういったことについては、教師はやはり説明すべきときは説明をしないと、これは学ぶ権利そのものもまた侵害されてしまう。こういうふうな個人的な感じを私は今持っています。

 その観点から大臣の方にお聞きをしたいんですけれども、宗教的な常識あるいは感性、一般的な教養ということでもいいでしょう、そういうことは、さまざまな宗教的な体験あるいは教育上の体験、そういったことを通じて育っていくような感じが私はしておるんですけれども、まず、ちょっと二つだけ質問させていただきたいのは、政府案によるこの二条の教育の目的の中で、豊かな情操という話がございます、これを目指せと。その中に、宗教的な情操というか宗教的な感性というのは入っているんでしょうか。これをまず、第一点から、お聞きします。

伊吹国務大臣 情操という言葉は、やはり何かに触れて、そして感動するというのか、そういう心のあり方だと思いますが、二条は一般論として記しておりますから、宗教というものは私は入っていないと理解すべきだと思います、宗教的情操というものは。

末松委員 そうなると、二条で大体、教育の目的、目標ですか、こういうことの中に宗教的な情操が入っていないんだという話になると、これは、この一般論ではくくれない、全く別のものとして宗教的な情操というものがあるというふうな理解でしょうか。改めてお聞きします。

伊吹国務大臣 まず、宗教的情操というものについては、別途、いろいろ、規定のところでお話し、お話しというか、お答えしなければならないわけですが、先生が最初ずっと挙げてこられたことですね、歴史的な事実の裏づけとしての。

 今の国際社会を見るときに、例えば、イスラムというものは幾つのセクトに分かれており、どんな教義の違いがあるからイラクでああいう状態になっているのか、こういうことは当然教えなければいけないですよね。ただし、心のあり方について、宗教、これも非常に難しい議論ですが、おのおのの心のあり方を変化させるというか、ある特定の宗教に、どういう表現がいいんでしょうか、布教をするというか、そういうような活動、これはもう、やはり国公立では憲法上の規定によって禁止されているという理解だと私は思います。

末松委員 確かに、私も、この教育の目標のところに、第二条ですか、布教というものは入らないんだろうなと。それはまさしくおっしゃるとおりだと思うんですよ。でも、布教の入らない中で、宗教的な、ある意味の、そこの心情、情操、こういったことが教育の目標に入らないというのも、それは変な議論だろうと。

 つまり、心のあり方というのは宗教的なものに非常に大きく左右されるわけです。例えば、人間が生まれる前は何だったのか、あるいは死んだ後はどうするのか、どうなるのか、こういったものは、その方の考え方、心のあり方、大臣が言われた心のあり方に非常に大きく作用するものでございます。そういったものについて、ここの目標ではそれは全く入らないんだよというのは、この政府が掲げている教育の目標の中で、幅広い知識と教養を身につけ、真理を求める態度を養う、そういったことは、この真理を求める態度にも、これはおかしいという気がするわけです。それは、大臣がそういうふうなことをおっしゃっているということは、私はそこはテークノートしておきます。

 ただ、ちょっと大臣に問いたいのは、そういったさまざまな宗教的な体験をする中で、人は心のあり方を変えていき、そして育っていくということでございますが、そこで、私、外交官の体験からいくと、そういう宗教的なものがぽこっと抜けた場合、それでいいのかということについてはいかがですか。

伊吹国務大臣 私は、先生がおっしゃっていることと私が感じていることと、そう大きく違いはないと思いますよ。(末松委員「だったら入っているよ」と呼ぶ)いやいや、それはそうじゃないでしょう。

 というのは、宗教というものは人生においてどういう役割を果たすものかとか、あるいは、特定の宗教が歴史上どういう役割を果たしてきたから現在の国際政治あるいは社会があるのかとか、日本の歴史の中でなぜ奈良仏教から天皇が逃げ出して京都へ来たのか、だから古い仏教は政治とのどういうかかわりがあったとか、そこで教えていたことはこういうことだから政治に介入をしてきたとか、そういうことをみんな教えるということは、私は何ら問題はないことであると思います。

 ただ、二条で一般論として規定している情操の中に宗教的情操というものが入るか入らないかといえば、私は入らないと思いますね。その場合に、宗教に感動する、だから、私からむしろ先生に伺いたいのは、宗教的情操というものを先生がどういうふうにとらえておられるかということ、これを御質問の中で教えてください。

末松委員 逆質問をしてきましたね。

 私が宗教的情操と言うのは、人間というものがどこから来てどこに行くんですか、そして、魂的なところは入るわけですけれども、転生輪廻とかそういったものの中の一環としてこの生を今楽しんでいるんですか、そういったことの人生観あるいは死生観、これを含めた中での感性、感じ方、これが心のありようを決めていく、そこが大きな情操でしょうと私は申し上げたい。

 それを私は申し上げた上で、では、大臣のお考えをもう一度お聞きしましょう。

伊吹国務大臣 例えば、生命の神秘とか、人間はどこから来たんだろうとか、宇宙だとか、こういうことについて、例えばカソリックにもいろいろな教派がありますが、カソリックのこの教派はこういう考えを持っている、そして、仏教ももうこれは無数に教派があるわけですが、あえて言えば、新しいタイプの仏教と小乗というか古いタイプの仏教では、生命のゆえんのものはこういうものなんだ、こういうことになっているということを教えること、教えるというのか、そういうものは、私は、それでもし感動する人がいれば、それは二条の中に含まれても別に構わないと思いますよ。

 ただ、それが、そういう感動を受けるものだからぜひあなたもこの感動を共有しようとかどうだとかということになってくると、これはいろいろ難しい問題があるということを言っているわけですよ。

末松委員 少し何か軌道を修正した感じですが、実は、今大臣のおっしゃったことは、例えば、奈良仏教は、移動してどうこう、政治とどうこうという、これは、仏教教団、つまり教団がどう対応したかということを主に言っているわけですよね。

 最初に申し上げたように、宗教そのものと、それに続く宗教教団がどういう形で対応してきたか。西欧では、法王というのがいて、キリスト教が政治を支配してきた、そういうのはあるわけですね。ただ、教団が、例えばネストリウス派を切ったとか、いろいろありますよ。そういった活動は、では、宗教そのものですか、教義そのものですかというと、それはちょっと違う、私にはそう思えるわけですよ。

 だから、その教団の中でのいろいろな対応を、歴史の中で、あるいは文化の中で説明することはいいじゃないかというのが大臣の先ほどのお考えであれば、それは私も考えが近いと思うわけです。ただ、大臣は先ほど、二条については一切入っていませんというお答えをされたので、それはちょっとおかしいなと思ったわけです。

 民主党の方にお伺いをいたします。

 民主党は、十六条で宗教的な感性の涵養ということをうたっているわけであります。これは、一般的教養という政府案よりもより踏み出したものであり、生の意義、死の意味、そういうことも書いていますが、その民主党の考えをここで改めて述べていただけますか。

笠議員 末松委員にお答えをいたします。

 先ほど末松委員の方からもお話がありましたように、まさに人間が生まれる前から、あるいは死んだ後にどこへ行くのか、そういったことも含めて、この死生観、人生観、そういったものをいろいろな形で、これは最初に申し上げますけれども、特定のこういう宗教、宗派がというようなことを、いいとか悪いとか、そういうことではなく、自然に身につけていくということは当然ながら大事なことで、あえて私どもが、さらに「生の意義と死の意味を考察し、生命あるすべてのものを尊ぶ態度を養うこと」ということまで加えて、この宗教的感性の涵養とあわせて盛り込みました背景には、やはり、今まさに、いじめによる自殺の問題なんかも当委員会でも大きな議論になっております。そのほか、昨今の子供たちをめぐるいろいろな痛ましい事件等々がある中で、ひょっとしたら、命の大切さというものすらが、実感としてそれを得ることができていない子供たちもふえてきているんじゃないか。

 インターネット社会、そういう中で、私たちがやはりこの命の大切さということをもっともっと重要視し、生命の深淵に触れたり、あるいは、みずからは見えない力によって生かされる力というものがあるんだ、そのことをやはり実感していく、そういったことが、これはともすれば哲学的な考察とも考えられるわけですけれども、やはり宗教に関する教育とともに重視をして尊重される課題であろうということで、踏み込ませて盛り込ませていただいたわけでございます。

末松委員 今、自殺との関連が出てまいりました。

 今、特定宗教、特定宗派の、この問題の一番の難しいポイントは何かというと、ぎりぎり考えていくと、宗教という宗教はないんですよね。すべてが特定の宗派であり、それが全部寄り集まった寄り合い世帯が宗教。例えば仏教なら仏教、あるいはキリスト教ならキリスト教、それもまた大きく言って宗教だ、あるいは自然だ、大自然だとか、いろいろな言い方があるわけなんですが、どこかから、富士山も、山を登るにはどこかから、吉田口から登るか何か、そういったところからやらないと、なかなか宗教的な情操あるいは感性というのは得られない、あるいはそういった知識というのは得られないねという私の感情があるわけです。

 そこの中で、自殺の問題が先ほど出ました。こういった場合に、校長先生が自殺されたり、あるいは生徒さんが自殺されたり、本当に悲しい出来事が続いておりますけれども、この場合、例えば生徒さんから教師が、自殺するというのはどういうことなんですか、あるいは、どうして生まれ、何で人間は死んでいくんですかというふうに問われた場合、これは、教師というのは自分の考えを述べていいものか。あるいは、これは自分自身の、末松が教師だったら、末松派という末松の考え方、これを述べていいものなのか。その点についてはいかがですか。

伊吹国務大臣 非常に難しいところでしょうね、率直に言って。これは、末松派という宗派があるかどうかは別として、どこから生まれてきたということ、人間が死んだ後どこへ行くかということについては、この宗派はこのような考えで述べている、この宗派はこのような考えで述べているということを生徒に教えるということは、私は構わないと思います。しかし、私はこの宗派を、末松宗を信仰しているんです、末松宗はこういう考えだからということになるとちょっと問題が出てくるということでしょうね。

末松委員 いや、例えば、何宗とか何派とか、それはいろいろな考えは自分の中にありますよ。人ですからね。そういった中で、自分が考えていることを表明するということは教師についても否定されないんだろうなと私は思うわけですよ。

 例えば、国際人権規約のB規約というのがありますね。第三部の十八条なんですけれども、そこで、何人も公的にも私的にも宗教または信念を表明する自由というものがあると書いてありますし、世界人権宣言も同じような趣旨のことを書いて、人権規約でも、自分の信念、信仰を表明することができると。これが国公立の教師だからできませんというのは、それはちょっと理不尽な話のように思うんですが、いかがですか。

伊吹国務大臣 いや、そんなことをできないというようなことは、全く政府も今まで答弁していないんじゃないでしょうか。例えば、先生の御専門のアラブの国を見れば、どういう宗教的背景で国家が成り立ってきているのか、その教義はどういうことなのか、この民族にはどういう宗教的背景があって今イラクでは宗派的対立をしているのかとか、そういうことを教えることは、別に今までもいけないと一度も言ったことはないんじゃないですか。

末松委員 ちょっと問題をもとに戻しましょう。私が言っているのは自殺の問題ですよ、そういう社会的な話じゃない。

 自殺はどういう意味を持って、生死というのはどういうふうに考えればいいんだと生徒が言ったときに、教師の自分の考え、私がひょっとしたらイスラム教徒であるとしたら、私はイスラム教に従った言葉を述べるでしょう。それは、神様のアッラーというのがいて、そこで自殺というのは許されないんだよと私は考えているんだということを、個人の信仰の表明ということで生徒に述べていいのかということを聞いているんです。

伊吹国務大臣 それは、イスラム教徒の教義ではこうこうこういうことであるから、結論的には命をみずから絶つことは認められないと教えているという事実をおっしゃることは別に問題ないでしょう。

末松委員 では、ちょっと今のをきちんと。

 それは、イスラム教徒はそうだろうと。いや、自分はどうだと生徒から聞かれたら、では、そこであえてイスラム教ではこうだ、仏教ではこうだと、こんなことは問わずに、自分の、ここはきちんと答えてくださいよ、自分はこうだということを、別にイスラム教徒と言う必要はないんですよ、もし私がイスラム教徒であれば。私が仏教徒であれば仏教と言う必要はないけれども、私は教師としてこう考えているよと。昔は多分そういうふうに言ってきたんだと思うんですね、おれはこう考えるよと。でも、そこが大きな問題になるんですかと素直に私は聞いているわけですよ。そこをちょっと、問題をそらさないで、大臣はどう考えますかということですよ。

伊吹国務大臣 今おっしゃっているのは、私の方からむしろ、質問の中で私の質問に答えていただきたいんだけれども、私のこれから申し上げることを質問の中で答える形で私に質問をしていただきたいんだけれども、私がこういうふうに考えるよということが、それが宗教と先生が認識しておっしゃるんですか、そうじゃなくておっしゃるんですか。

末松委員 さっきから申し上げているじゃないですか、それは。人間、生死をどう考えればいいんですか、死んだ後どうなるんですかというようなことは、宗教的な、形而上学的な、そういった分野に入ると私は思っているわけですよ。そうじゃなきゃ、自由に表明すればいい話だから。そこをどういうふうに教師の方は整理して答えればいいんでしょうかということを、つまり、政府としてどうここで考えるのかということを聞いているんです。

伊吹国務大臣 別に、それは自分の人生観として、自分の価値観として、こういうふうに考えているということをお答えになるというのは、先生はそれが宗教だという前提で御質問になっているわけですね。それは入るかどうかは人によって違うと思いますよ。私は、今先生がお答えになろうとしているのは、先生の人生観、先生の生き方を生徒に語っておられると。

森山委員長 ちょっととめてください。

    〔速記中止〕

森山委員長 では、速記を起こして。

 末松君。

末松委員 改めて問います。

 例えば私が教師だとしましょう。例えば今度は神社神道、本当に私はそれに従っている教徒、そういう宗派の人間だとしましょう。それで、生徒から、自殺ということがある中で、末松先生、こういう自殺について、あるいは、私たち死んだらどこに行くのか、ぜひ先生、教えてくれないかという話が教室であった場合に、そうしたら私はどう答えればいいのか。

 別に私は信教の、奉ずるものということを言わずに、私の考えは、例えば、要するに、今の世とあるいは隠り世とかそういったものがあるから、死んだらそちらの方に行くんだよというようなことで、転生輪廻的なものを私だったら答えると思うんですね。そういうふうに答えたら、後で、何だ、おまえ、神道の教義のことを言っていてけしからぬじゃないかと言われることが、それは困るよなと。それはだれが思ってもそう思うわけですよ。そういった場合に、私も自分の信仰というか自分の考えを表明する権利もある、それは個人として。であるならば、それは答えていいんでしょうと。これは国際人権規約B規約の十八条にも認められていますよね、日本も批准していますよねということでいいんでしょうと私は問うているわけですよ。

 ちょっとだけ言うと、大臣は、死んだ後そういったものについて宗教の、あなたは私に聞いた、私は宗教的な対象だろうと言った。あなたはどう思うんですかというのをあわせて言ってください。

伊吹国務大臣 先ほど来お答えしているとおり、教師が自分の人生観あるいは自分の心のあり方として、例えば、今先生の例で言えば自殺ですか、自殺について、人間が死んだらどうだよ、生きたらどうだよと言うことは、お話しになることは、さっきから申し上げているように、それは私は構わないんじゃないかと言っているわけですよ。

 ただし、今の例で言えば神社神道ですか、神道の教えで私はこう思っているから、君も私の意見に従った方がいいよとかそういうことはだめだということなんですよ。

末松委員 まあ、これでいくとまた堂々めぐりになりそうなんですが、では、また別の観点からいろいろと聞いてみましょう。

 私の選挙区で聞いた話なんですが、今、幼稚園で、食事をいただくときに、キリスト教の幼稚園なんですな、天にまします我らが神よと、それで、この食事を賜ってありがとうございますということを言っていたんだけれども、今はどうもその言葉が禁止されていると。そういうことがあるんだそうですよ。それで私も、えっと思って、これは私立の幼稚園なんですが、そういったことが実際にあるのかというのはどうなんでしょう。これは質問通告をしていますけれども。

伊吹国務大臣 私も、実は中学校はキリスト教の私立に行っていたんですよ。そこで食事の前にお祈りのようなことをさせられました。現在も、私立のお話をしておられるわけですね。(末松委員「ただ、補助金を通じてという話があったので」と呼ぶ)いや、それは、そんなことはあり得ないと思いますよ。あれば法律的に極めておかしなことになりますから、それはないと思います。

    〔委員長退席、稲葉委員長代理着席〕

末松委員 そこの説明で、その方が、補助金を通じてそういった何か圧力があるかのような話を私にしたので。

 では、今大臣がお答えになったように、そこはないということでいいわけですね。うなずいていらっしゃいますから、そうだと思います。(伊吹国務大臣「いやいや、ちゃんと答えましょうか」と呼ぶ)いや、いいです。それは私立学校、私立大学についても、補助金をやっているからそういった宗教的なことについて圧力を加えている、あるいは加えたという事実は承知していないということでよろしいですね。

伊吹国務大臣 私はそういう報告も受けておりませんし、かつ、私学助成その他の今の現行法体系のもとでそういうことをする、もし先生がおっしゃっているようなことがあるとすれば、それは許されるような規定はないと思います。

末松委員 その答弁に私は満足です。

 そうしたら、公立学校で生徒が、宗教、例えばキリスト教研究会、こういったものを立ち上げたいということで、先生あるいは学校側に許可を求めていった場合、宗教と教育の関係で、国公立ですね、そこは問題ないんだと言えますか。

伊吹国務大臣 それは、今おっしゃったキリスト教研究会というものがどういう活動をするかということにかかっていると思います。もちろん、キリスト教の教義あるいはキリスト教の歴史的に果たした役割、こういうことを生徒が研究をしたいということは、公立であろうとも全く可能だと思います。ただ、布教活動をするということが含まれていると、やはりやや疑義があると私は思います。

末松委員 どうも、大臣のおっしゃりたいことのポイントは、布教活動、他人に対してそれを勧めていく。布教という意味も、定義を後から大臣に聞くことになっているわけですけれども、そこがポイントだねということですが。その宗教の布教活動というのと、宗教に関する客観的な説明というんですか、それの違いというのはどういうことになりますか。

 ちょっと具体論で言いましょう。例えば、生徒がキリスト教の教義は何か、カトリックの教義は何ですかという質問をすること自体は禁止をされていないと思うんですけれども、それに対して教師がキリスト教の教義はこういうことですという話をしたら、これは違法な宗教的活動になりますか。

伊吹国務大臣 教義が……(発言する者あり)よろしいですか、よろしいですか、ちょっと、こちら、お話をしているわけですから……(発言する者あり)いやいや、末松先生の御質問にお答えしているわけですから。

 キリスト教の教義がこういうことだという客観的な説明をすることは何ら悪いことじゃない、悪いというか、禁止されることじゃないと思います。

末松委員 実は、前回の小坂文部大臣は、世界的な宗教の教義を教えることができるかと言ったときに、教義を教えることは、これは特定の宗教の布教活動に当たるおそれがあるということにおいて慎重になされるべき、したがって、それは個別具体的な範囲内で判断されるべきことではありますけれども、慎重になされるべきだという話になっているわけですが、それは教義ということを教えることは、大臣が今言われたように、そこは問題ないということを、ちょっともう一度確認させてください。

伊吹国務大臣 例えば、キリスト教の教えはこういうことを教えているよと、聞かれたときに答えるということはあって構わないと私は思いますよ。しかし、そのことから、それに価値観を持って答えるとか、キリスト教の教義はこういうことだけれども、これはこういうふうにいいものだとか、どうだとか、そこに主観が入ってきたりするといろいろ問題があるから、小坂さんはそのときそのときのおのおのの状況によって判断さるべきことだと答えているわけです。

末松委員 これも非常に難しいぎりぎりのことを言っていらっしゃいますけれども、要するに、価値観がなくて、そういった教義について答えていくというのは、普通の教師は本当に至難のわざだと思いますよ。ただ、そこで……(発言する者あり)

稲葉委員長代理 御静粛に。

末松委員 だから、教義そのものをやるということ、しかし、教義を言うことはいいというお話ですから、ある意味では特定の宗教的なものも当然教義という話になるわけですから、そこは、私自身からいけば、もっと制限的な答弁が返ってくるかと思ったんです。むしろ、これからの国際的な交流、そういったもの、日本人のアイデンティティーをきちんとしていく上では、それは私自身は歓迎する話ですが、ちょっと小坂前大臣とはニュアンスが違うなと私は思います。(伊吹国務大臣「いやいや、ちょっと勝手に思われては困ります」と呼ぶ)私はそこは、いいんです、私はそう感じるわけですから。いいですか。

 では、もうちょっと別の例でいきますと、国会議員が、例えば私がどこかの大学に行って中東なら中東の話をしていく中で、イスラム教の教義、あるいはユダヤ教の教義、そしてキリスト教の教義、これを教えていく、あるいは大学で講義をしました。これは別に問題ないということですよね。

伊吹国務大臣 ですから、先ほど来申し上げているように、自分が理解し、マスターをしているイスラムの教義というものはこういうものだということを客観的に述べることは、別段悪くない、禁止されていることじゃないと思いますよ。

 私だって、仏教の死生観はどういうものですかと聞かれれば、それなりのことを、私も海外に行って、四年いた間にいろいろ聞かれたら答えます。そして同時に、イギリスの大学で、神仏混交というのは一体どういうものだと。先生と同じようになかなか答えられなくて困ったけれども、帰ってきて、そのときに、密教というのはどういうものなんだろうということを、私なりに理解していることを、私の知識、教養として話しているということです。

 それが、宗教的情緒、情操を持って教祖的に話し、そして何々教はこんなにいいものだというような話になってくると問題なので、小坂さんは、そのときそのときの状況においてきちっと慎重に判断すべきものだと言っているのは、その話し方の問題なんですよ。(発言する者あり)

末松委員 話し方じゃないな、それは。

 客観的に事実を言う。ただ、私が今感じているのは、そういったことを、自分で学んだことを生徒に教える。別に大学に限らずですよね。そこで、高校であれ中学であれ、自分の学んできたことを教師が教えるということ、それが教義も含まれるんだということについては、私は、そこは政府の説明をそういう形で受けとめますし、私自身は、そういうことが必要だろうというふうなことは考えているわけです。

 では、もうちょっと社会問題系との関連で申し上げますけれども、靖国神社の考え方ですね。

 いろいろと論争があります。これに対して教師が答えていいのか、生徒から問われた場合。そのときに、前の小坂文科大臣の方は、「小泉総理大臣という方がお参りしたいと思うからお参りするんだろうねという答えで、それ以上に入らないというのが適切なことだと思っております。」とかいうのが彼の、この前の大臣の答え方なんですが、ちょっとここは私は首をひねらざるを得ないですが、大臣は、今の問いに対してどういうふうにお答えになられますか。(伊吹国務大臣「今の問いというのは」と呼ぶ)要するに、靖国神社の問題を……。

伊吹国務大臣 靖国神社の問題ということだけでは、ちょっと御質問の趣旨がよくわかりません。

末松委員 では、靖国神社について生徒が、靖国神社というのはどういうふうな意味を持って、そしてどういう教義を持っているのかというふうに問われたときに、それに対して先生がこの問題を説明し、解説することについては、そこは自由ですねということですね。

伊吹国務大臣 靖国神社にどのような教義というものがあるかは、ちょっと私は浅学にしてわかりませんが、神道一般の教義の中に含まれるんでしょうか。むしろ、靖国神社というものが、かつて国家管理の招魂社という一種の組織であり、その後、戦後それが宗教法人になってきて、祭られている者はこういう人たちが祭られているということを生徒に話すことは、何ら私は束縛を受けないと思います。

末松委員 それでは逆に、もうちょっと限界事例を話をしてみましょう。

 では、例えば私が教師だとしましょう。生徒の方から、末松先生は宗教的には何教を信じているんですかという問いがなされたときに、さっきの例でいくと、私は神社神道ですと言う。そして、それに対して、神社神道はどういうものですか、先生はどうお考えになっていますかと言ったら、それに対して私の信ずることをしゃべる。これも当然いいわけですよね。

伊吹国務大臣 末松先生はどういう宗教ですかと聞かれて、自分の信じている宗教をおっしゃることは、まず何ら問題ありませんね。そして、そこで先生の信仰の内容を教えてくださいと聞かれた場合は、小坂さんの質問でいえば、それは極めて慎重に扱うべきことだと思いますが、神道というものはどんな教義なんですかと聞かれれば、その内容について客観的に教えるというか、こういうことだよと言うことは、児童の心に自分の心を入り込ませない、客観的な教義の事実を述べるということは、別段、私はいいことだと思いますよ。

末松委員 では今度は、例えば学校で修学旅行とかに行く場合に、これも一回出た質問ですね、伊勢神宮とかそういった神社を訪れます。そして、そこからさらに神楽を体験しましょうということになったときに、先生が、それは特定の宗教に対して踏み込み過ぎだ、そういった神楽のようなものに生徒を連れていくべきではないというようなことが指摘されることもあるかもしれません。ないかもしれない。

 その辺は大臣は、宗教と教育の関係で、この法律ではどういうふうに考えておられますか。

伊吹国務大臣 客観的に神道というものの中に神楽というものがありますから、それを見に行こうということがあっても私は構わないと思いますが、見に行くことを強制することはできないと思います。

末松委員 何かこの前の……(発言する者あり)そうなんですよ、答弁が、この前は宗教的な、つまり文化的なものだけじゃなくて、宗教の行事とかそういったことに踏み入ってやることはたしかだめだと、私の方はこの答弁で聞いたと思うんですが、それはちょっと違うということですかね。

伊吹国務大臣 それは、先ほど来私が申し上げているように、宗教的行為の一端として神楽を見るということは、それは当然おかしなことになりますが、では、お祭りのおみこしを見に行っちゃいけないのかとか、みんなそういう、同じことじゃないんですか。(末松委員「公教育とは全く関係ないじゃないですか」と呼ぶ)何が。(末松委員「それは授業として行くということ」と呼ぶ)そうそうそう。例えば、私の地元に京都の祇園祭という、これは八坂神社という神社のお祭りです。しかし、そこに山鉾の巡行というのがあって、これは大勢の修学旅行生が見に来ておりますよ。ですから、神楽というものを宗教の一部として位置づけてそれを見に行くのか、あるいは、一つの文化行事的なものとして位置づけて見に行くのか、それはその教師が、先ほど来これはもう先生から意図的にいろいろ難しい御質問を私いただいているのはわかりますが、そしてまた、それが非常に大切なことであることもわかるんですよ。ですけれども、多くは答える方の心のあり方に関係するものですから、自分の宗教的信条を心のあり方として児童に伝えようという意図を持ってやる場合と、そうじゃない場合とを、やはり小坂答弁のように、そのときそのときの状況に合わせて慎重に判断すべきことであると言っているのは、まさにそういうことなんです。

末松委員 そうすると、心のありようを伝えると、伝えたいというさっきの質問は……(伊吹国務大臣「いや、心のありようはわからないから、それは」と呼ぶ)ちょっと待ってください。この心のありよう、要するに、さっき言った布教と、それから布教じゃない説明ですよね、それの違いをさっき答えていただけませんでしたけれども、それを答えていただけますか。その区別が……(伊吹国務大臣「布教と何ですか」と呼ぶ)布教と、それから教師の自分の考えの説明というんですか、そこの違いを、さっきから布教じゃないようにという形を大臣言っておられるんで、そこはよろしくお願いします。

伊吹国務大臣 まさにこれは言葉で言いあらわせないことですから、もし先生が御質問の中で私に教えてくださればありがたいことです。だから、慎重にやるべきだと言っているわけです。

末松委員 ちょっと、大臣、これは答えていただきたい。布教と布教じゃない説明ですよ。それはどこに区別があるんですかということは、私は質問通告でも言っているわけだから、そこは答えていただかないといけない。

伊吹国務大臣 布教というのはやはり自分の信じている宗教を他人に信じさせようとする行為です。だけれども、今、先ほど来先生がるる、生徒がこういう質問したら、こう言ったらどうなんだ、こう言ったらどうなんだとおっしゃっているそのときに、自分の信じていることを生徒の心の中に信じさせようという心があるかどうかということは外から見えないと申し上げているわけですよ。

末松委員 その考え方自体は、多分私の考え方にも近い考え方だと思うんです。

 私は、今質問していることで、私は逆に、宗教的なものを余り過敏にとらずに、むしろ教えていくべきだという立場から言っているわけでありますから、そこのところは、ただ、限界事例を教えてやらないと、教師も非常に臆病になってくるし、基準がわからない、そこを今言っているわけですね。

 だから、それでいくと、例えば神社であっても、お寺にしても、お寺に行ってお坊さんの話を聞いて、それをまた、例えば禅ということであれば禅を組むというようなことがあっても、それは教師がそれを文化だというふうにとらえるか、あるいはそこは宗教ととらえるかという中の、自由なことに任せられる、こういう話になりますか。

伊吹国務大臣 ですから、それは、その教師が、特定の宗教あるいは自分の信ずるところを相手の児童の心に信じさせようとする心を持っているかどうかによるんじゃないんでしょうか。だから、まさにその心を持っているかどうかということが言葉の端々とかいろいろなところに出てくるわけでしょうから、だから、小坂前大臣は、その時々の状況に応じて慎重に判断すべきことだという答えをしたんだと思います。

末松委員 これは確認ですけれども、では、大学で、これは皆さん基礎知識ができて、宗教研究というものをしていくという話になった場合に、私は、前の文科大臣の考え方でそれを延長して考えていくと、大学で宗教の教義を教えていくとか、そういうことはかなり制限的な形でとらえていくのかなと想像していたものですから。そこで教義を学ばなければ、例えば比較宗教学とか、そういった学問も成り立ち得ませんし、自分の学ぶ権利というものを全うできないということですから、そこは大学に入れば学問の自由を侵さないように、そこはさまざまな宗教を教師は教え、そして生徒は学んでいくということ、そこについては、研究とあるいは学問の発達ということについては全くそこは制限をする必要はないということでよろしいですね。

伊吹国務大臣 まさに今、先生が、さまざまな宗教とおっしゃいましたね。一つの宗教が世界に存在するわけじゃなくて、人間の心の赴くままに無数の宗教があります。その中で、世界を動かす、あるいは多くの人類の中に入っている大きな宗教を基本的に学ばなければ国際人としては通用しないでしょうね。そういう宗教の一つの教義ではなく、幾つかの教義を、これから国際社会の中に出ていって、私はもう先生と極めて、今話をしていて、意見が近いと思いますよ、お互いに海外にもいましたしね。日本ほど宗教的感覚の薄い、宗教的感覚が社会に浸透していない国民は少ないだけに、海外におられたからそういうものの大切さをよくわきまえて御質問になっているんだと思います。

 だから、大学でいろいろな教義を客観的に教えるということは、私は、何ら間違いは、そのことはおかしくはないと思います。その教師の心の中に、自分が信じている特定の宗教を何とか学生の中に浸透していきたいという心がですよ、これは見えないからわからない、心がもしあれば、これはやはり非常に問題になってくる。

 だから、こういう話は、私はもう少し、国際社会に出ていった場合どうなんだろうとかという広い立場でやっている。前の大臣とどこが違う、ここが違うということよりも、やはりしっかりとしてやっていく方が日本のために私はいいんじゃないかと思います。

    〔稲葉委員長代理退席、委員長着席〕

末松委員 私も、現大臣の考え、私自身はそこは近いものがあると感じます。ただ、大臣がかわって、そこで言葉に格差があるというのは、これはちょっとまずいと私は思うんですね。ですから、そこはきちんとした形で、今の伊吹大臣がそういう話であるならば、そこで統一していただく必要があるなと思うわけであります。

 ちょっと最後になりますから、これも同じようなことなので、一応質問の予定に入れていましたので改めて確認をいたしますけれども、日本で、例えば仏教の美術とか、あるいは伝統のそういった工芸、あるいは文化、踊りから始まってさまざまな、そういったことについて、基本的には仏教あるいは神社神道とか、そういったものと結びついているものが非常に多いわけですけれども、当然、大学であれば、それは研究ということであって、全く問題ない話だと思いますけれども、中学、高校でも、そういったことについて宗教的な背景がある場合には、その宗教的なものについてもしっかり教えていくということについては、そこは大臣としては問題ないというふうにお考えだろうと私は思うんですが、確認をさせていただきたいと思います。

伊吹国務大臣 宗教に由来するいろいろな、例えば仏具とか仏画だとか、そういうものについてという御質問ですか。(末松委員「ええ、文化的なその背景、中に宗教的なものが当然入ってくる」と呼ぶ)これは、この仏教ではこういうことに使っていたものであるとか、そういう客観的な事実を教えることは一向差し支えないと思いますけれども。

末松委員 今お話しになった中で、布教という、自分の宗教的な熱情、これを他の人にも広めていく、そういう心がない形での、そういった意味での、自分が認識している教義の本質とかあるいは自分が認識している真理とか、そういったことについてそれを表明するということについては問題がないということと私は受け取っているんですけれども、そういった意味で、私は、大臣が布教とは違う形でいけばいいということは改めて私自身がそこは納得をいたしまして、この質疑を終わらせていただきます。

 どうもありがとうございました。

森山委員長 次に、糸川正晃君。

糸川委員 国民新党の糸川正晃でございます。

 通常であれば、私、いつも最後の質疑者なんですが、本日はちょっと順番を変更いたしまして、少し気分を新たにやらせていただきたいというふうに思います。

 前回の質疑では、基本法の審議をさせていただくに当たりまして、現在問題となっているいじめの問題につきまして質問をさせていただきました。教育は、少年犯罪ですとか、フリーターそしてニートの問題といった若者にまつわる社会問題だけではなくて、活力に満ちた経済社会の構築とも密接なかかわりを有しているものでございます。まさに教育を充実させるということが、我が国の活性化につながるものではないのかなというふうに考えておるわけでございます。

 そういった意味でも、私は、現在安倍内閣が教育再生を最重要課題に挙げられているというようなことでございますから、そこは敬意は表するのですけれども、しかし肝心なのはその中身でございまして、先日の質疑の中でも、地方とそして中央とのあり方、どうも食い違いがあるようでございますので、その辺をしっかりと見詰めながら本日は質問をさせていただきたいなというふうに思います。

 まず、先日、私は憲法調査特別委員会の方にも所属をしておりまして、そこで中山委員長が憲法のあり方につきまして発言をされたものですから、ちょっとその点につきまして大臣に質問させていただきますが、日本国憲法は我が国の最高法規といたしまして、極めて重要な価値を持つものであるわけでございます。現在この委員会で審議が進んでおります教育基本法案につきましても、まさに憲法に準ずるというんでしょうか、憲法の精神にのっとって、この憲法の精神を実現する法律として位置づけられているというふうに認識をしております。この憲法の重要性につきましては、中山委員長が先日、学校教育において憲法教育の重要性というものを語られました。子供のときから学校で憲法教育を行うことにつきまして、文科大臣の御見解をお聞かせいただければというふうに思います。

伊吹国務大臣 それはもう、憲法というのは私たちの国の基本法でございますから、子供のころからこれを教えるというか、これに触れる機会をできるだけつくるというのは当然のことだと思います。

糸川委員 なぜそういうことをお話ししたかといいますと、学校の中で憲法のあり方を話をしないと、今後、憲法の改正論ということになるのか、それとも、手続法というところで今議論しているわけですから、憲法のあり方もしっかりと学生に教えなければならないというようなことを論じられたから、今こういう質問をしたわけでございます。

 そういうことを、今の大臣の認識を踏まえまして法案について質問させていただきますが、昨年度から我が国の人口が減少の局面にどんどん転換して、少子高齢化というのが予想を超えるスピードで進んでいっているわけでございます。その一方で、グローバル化であったり、そして科学技術、情報化の進展などによって、産業ですとか就業構造というものが急速に変貌するといった、我が国の社会構造が日々目まぐるしく変貌していっているわけでございます。

 これから我が国の国民は、特に若者は、そういった時代にこの国を背負って立っていかなければならないわけでございまして、ただ、しかしながら、我が国の社会は物質的に豊かにはなったんですけれども、その反面、核家族化であったり、そして地縁的なつながりの希薄化、こういうもので、精神面での貧しさというものが見え隠れしているのではないかなというふうに思います。そしてそれが、子供が親を殺し、そして親が子を殺す、こういう事件につながっているのではないかなというふうにも感じるわけでございます。

 私は、もちろん、教育基本法の改正をしたからといって直ちにこれらの問題が解決するとは思わないわけでございますが、しかし、事が起きてから対策をとる、こういうことではなくて、教育の根本というもの、根本から改革する、こういうことがまず重要ではないのかなというふうに考えておるわけでございます。

 そこで、大臣に改めてお伺いいたしますが、今回の改正によって、今後具体的にどのような人間の育成を行おうというふうに考えていらっしゃるのか、お考えをお伺いできますでしょうか。

伊吹国務大臣 まさに先生が御指摘になった、豊かな中でいろいろ問題が出てきているということをおっしゃいました。簡単に言ってしまえば、それを埋められるような日本人をつくりたいということなんです。

 もう少し具体的に申し上げますと、やはり知恵だけで人間は生きているわけではありませんし、体が丈夫でなければいけませんし、家族の一員として、社会の一員として、あるいは国の一員として生きていくために、バランスのとれた規範意識を持っていなければいけませんし、だから、やはり知徳体のバランスのとれた日本人、そしてこれだけグローバル化されて、昭和二十二年ですか、初めて今の基本法ができたときに比べると、東洋のちっぽけな国であった日本は、今世界で第二の経済大国になっているわけですから、日本人としてのアイデンティティーというんですか、日本としての基本的な文化あるいは伝統による人間としての品性、品格のようなものをしっかり備えた、日本人としてのパスポートを身につけた日本人を育てていく。そして、そういうことを常に人生のすべてのステージにおいて持ち続けて、向上心を持っている日本人、これが私はこれからの望ましい日本人の姿だと思います。

糸川委員 確かに人格の形成というものはしっかりと行わなければならないんでしょうけれども、行われていないから、今現在、こういういじめの問題が、それはどこでも起きると思うんですが、なかなか減っていかないという中には、やはりそういうところでの心の形成というものが足りていないのではないかなというふうに思います。

 今大臣がお答えになられたような人間の育成というものを行っていく上では、確かに本法案の改正というものもきっかけになるのかもしれません。ただ、大臣が先日の委員会で、しりをたたいてしりをたたいてということで、スピード感がどうもないように感じられて、一つの調査をするのでも本当にしりをたたいてしりをたたかないと動かないというような現状があるのではないかなと。

 そうすると、スピード感の改革ですね。法案を早くに改正しようという動きではなくて、その中身という話なんですが、どんどん改革をしていこうという動きの中に、まずは真の教育再生というものが実現される必要があるのかなというふうに思います。

 この教育基本法の改正を踏まえて、今後どのような取り組みを進めていくのか、大臣にお伺いをしたいというふうに思います。

伊吹国務大臣 先ほども民主党の土肥先生からポストモダンのお話がありましたが、教育現場でどういう意識を持ちながら対応していくとか、教育のあるべき、子供や児童に対する接し方をどうするかという前に、大きな枠組みをつくりかえないと、やはりなかなか難しいんですね。国家というのはそういう仕組みで成り立っているわけですから。

 そのことについて、いや、そんなことを言ってもポストモダンじゃだめだよというお話がさっきありましたが、私は、そうじゃなくて、法治国家というのはまず仕組みをきっちりつくっていく。そうすると、基本法というのは教育の憲法のようなものですから、すべての教育諸法、三十幾つと言われている教育諸法を時代に合うように変えていくためには、やはり統一的な理念というものが欲しいと考えているわけです。それを国会でまずお認めいただきたいというのが今回の教育基本法です。

 それができましたら、それに応じて各法律を改正していく。そして、その改正した法律にくっついている政令を直し、大臣告示である例えば指導要領を直し、そして、毎年毎年の予算でそれに刺激を与え、誘導をし、こちらの考えていっている方向へ持っていきたい。そういう順序で行政というか政策というのは動くものなんですね。

 現場で今度はそれを受けてどういう形で教師が対応するかどうだとかということは、先ほど土肥先生が教えてくだすったような内容のことじゃないかなと思って、私はお話を聞いておったんです。

糸川委員 そうすると、大臣、ちょっとこれは通告していないので、もしお答えになれたらでいいんですけれども、教育の最終責任者はやはり国にあるというふうにお考えでよろしいんでしょうか。

伊吹国務大臣 ですから、最終的な教育の責任は日本国にあるんです。それは中央政府にあるわけじゃないんですよ。日本国全体にあるんです。だから、この法律では、国と地方とが相協力してと書いた法律を我々は出しているわけでして、国と地方の役割分担の上に教育を行っていくということです。

糸川委員 ちょっとその辺は何とも言えないところなんですけれども、それはちょっと通告していないものですから、またの機会にさせていただきます。

 先日の通常国会の中でも、参考人質疑というものを行いまして、私もその中で質問をさせていただいたわけでございます。私が、現行法の存在意義と改正の目的、こういうものについて質問をさせていただきました際に、田村参考人から、現行法は基本的なことの規定なので、今おっしゃられたように、現場に影響がないと言われていることが大きな問題であるわけでございますねというふうに、そういう回答をいただきました。その中でも、日本の国がどういう教育をこれからしていくんだということをだれも議論していない、また、正面切って教育についてきちっとした意見を表明するということをしていない結果、今日が起きているんじゃないか、こういう発言がございまして、これは私の心にも響いたわけでございます。

 我が国の将来を考えるに当たって、今のままの教育では問題である、だから民主党案も含めて本改正案というものが提出されておりまして審議が行われているわけでございますが、国民の皆さんも、次世代を担う若者をどのように育成していくのか、そういうことも主体的に考えていかなければならないわけでございます。

 この問題は国民的議論というものが必要であるのではないかなというふうに思うわけです。それは今、私が大臣に、最終的責任は国にあるんじゃないのかと。例えば今回のような未履修の問題があったら、やはり大臣が最終的にどうするんだ、ああするんだという発言をされているようにも思うわけでございます。政府のやり方というものも、皆さんが注目するのはやはり大臣の発言に注目をしているわけですね。

 そういうことを考えていくと、国民的議論が必要だという発言を今私がしたんですけれども、そこには、これまでこの本法案の改正につきまして国民に対してどのような周知活動というんでしょうか、広報活動というんでしょうか、そういうものを行ってこられたのか、また、どのようにこれから行っていくのか、答弁いただけますでしょうか。

田中(壮)政府参考人 教育基本法改正についての広報活動についてのお尋ねでございますけれども、文部科学省におきましては、平成十二年十二月に教育改革国民会議から報告をいただきまして、中央教育審議会において精力的に審議が始められたわけでございますけれども、その中で、関係団体からのヒアリングあるいは一日中教審などを開きまして、広く御意見を伺ってきたところでございます。

 その中で、特に中央教育審議会が中間報告を出しました後、一日中央教育審議会や、教育関係団体からのヒアリングをしたわけでございますけれども、その中身に関しましては、中間報告に対して、この部分に対して賛成の意見としてどういうものがあった、反対の意見としてどういうものがあった、それから、反対でも賛成でもないけれども、ここに関してはこういう意見があった、それはきちんとまとめまして、今も文部科学省のホームページで国民に広く見ていただくようにしておるところでございます。

 答申後は、教育改革フォーラムや教育改革タウンミーティングなどを通じて国民的議論を進めてきたところでございますし、法案提出後におきましては、タウンミーティングまた教育改革フォーラム、あるいはさまざまな団体が主催されます会合等を通じまして、国民や教育関係者への法案内容の周知を行ってきておるところでございまして、今後ともその周知に努めてまいりたいと考えております。(発言する者あり)

糸川委員 今、全然知らないという声もありましたけれども。確かに、本当に知らない人の方が多いんじゃないかなというふうに感じておりまして、やはり国民的議論に発展させないと、憲法に準ずると言っているぐらいでございますので、改正をしていくという中で本当に危険性のないような改正を行わなければならない、その辺は十分注意をして行っていただきたいというふうに思います。

 もうほとんど時間がございません。大臣に最後に質問させていただく時間ぐらいはあるかな。

 最後に質問させていただきますが、今、法案第四条で、教育の機会均等に関連してお伺いをさせていただきたいんですが、これもさきの国会におきましては、私は本条を規定する趣旨について質問させていただいたところ、憲法の第二十六条、教育を受ける権利の規定を受けた現行法の第三条の教育の機会均等を引き継ぐものである、こういうような答弁をいただいたわけでございます。

 教育を受ける権利や教育の機会均等は教育における極めて重要な理念でありまして、こうした理念の実現を通じて国民の教育水準を高め、そしてそれが我が国の社会発展の原動力となってきたのではないかなというふうに考えるところでございます。

 しかし、最近、親の経済力の差が子供の学力に影響を与える、こういうような質問もいろいろなところで聞こえるわけでございまして、実際、懸念されているところでもあるわけでございます。

 私は、親が高所得者で、また教育に対して高い意識を持っている家庭では、おのずから子供の教育水準も高くなって、結果として子供自身も、高所得というんでしょうか、いい会社に入ったりというようなことがあるのではないかなというふうに考えておるわけでございます。これは所得格差の固定化につながって、ひいては社会不安というものを招きかねないのではないかなと。

 それから、きょう朝日新聞にも載っていたんですけれども、今回のような未履修の問題、そのときにも、今、岩手県の学生でしたかね、この投稿では、岩手県では塾なんかがない、だから学校が塾のかわりをして今回の未履修のようなことが起きるんだ、そういう、機会がどうも崩れているようなことがございます。

 ですから、そういう親の経済格差によっても学力の格差というものが生じる、いろいろなところでの格差というものが生じるんじゃないかなというふうに思いますので、そこについて大臣の御見解をお聞かせいただけますでしょうか。

伊吹国務大臣 教育においては機会均等が保障されているわけですから、特に義務教育においては、親の地位あるいは所得によって扱いが違うということはあってはならないわけですから、義務教育国庫負担金だとか、いろいろなやり方によってそれを担保しているわけです。大学や高校においても奨学金とかいろいろな施策を講じておりますが、これは必ずしも十分じゃない、それは思います。限られた税負担の中でやっていることですから。

 しかし、OECDの調査なんかを見ますと、日本はまだ比較的先進諸国の間では、親の所得によって児童、学生の学力差が一番少ない国なんですよ、日本は。これは、その傾向がだんだん、今先生が言われたように崩れていくことは、みんなでやはりこれは食いとめて、限られた予算をできるだけ教育に回していただくように、官房長官がいたらよく聞かせておきたいんですが、先生にもひとつ御協力を。

 それから、野党の筆頭理事さんもおっしゃっていますが、国会の場は、質問は別に通告とか何か、そういうことは一切関係なく、お聞きになりたいことをお聞きになったら結構でございます。

糸川委員 ありがとうございます。

 もう、質問通告がなくてもお答えいただけるということですから、その場その場で……(伊吹国務大臣「わかればね」と呼ぶ)いや、もちろん、そればかりということにはいたしませんが。ぜひ大臣、次はまた、せっかく先ほど大臣が、私が最終的に責任は国にあるのかという質問をいたしましたので、これについて次はしっかりと議論をさせていただきたいというふうに思いますので。(伊吹国務大臣「民主党は国にあると」と呼ぶ)はい、私も国にあるべきではないのかなというふうに思います。

 以上で、質問を終わります。ありがとうございました。

森山委員長 次に、菅野哲雄君。

菅野委員 社会民主党の菅野哲雄でございます。

 まず初めに、高校の必修科目の履修漏れ問題について、大臣の見解をお聞きしたいと思っております。

 多くの議論がされております。そして、きょうも理事会を通じて調査結果も出されておりますから、概要は把握しているつもりでございます。ただ、残念ながら、この問題をめぐって、茨城県の校長先生が自殺するという痛ましい事件も引き起こしている実態があるわけでございますし、また、先ほどの大臣の答弁においては、今週中に文部科学省で救済措置も検討するという答弁もこの委員会でなされております。

 私は、今の時期、受験を控えた子供たちに過度な負担や動揺を与えることのないような、そういう施策をしっかりとお願いしたいというふうに思っております。

 この委員会の審議の中で、大臣は、今回の問題について、みずからの結果責任というものを言及されております。ただ、その一方で、第一義的な責任は学校長あるいは地域の教育委員会にあるということも示唆されておりますし、教育委員会の権能の強化、国の指導監督権限の強化を主張されているようにも思えます。

 改めて、今回の未修問題の責任の所在とこれからの現状の解決の方向性について、今大臣として考えておられることをお示しいただきたいと思います。

伊吹国務大臣 まず、一般論として申し上げますと、責任というものは、みずからその責任をとらねばならない人間に、どういう表現がいいんでしょうか、行動する権利というのか、活動の力の源泉があった場合に、その活動によって失敗したらその人が最終責任をとるということなんです。

 ですから、もう先生がよく御承知のように、学校のカリキュラムの編成権とか、あるいは卒業の認定権というのは校長先生にあるわけですね。そして、その校長先生の人事権とか、学校の開設権とか、教員の人事権、あるいはまた予算の権限というのは、これは教育委員会にあるわけです。

 文部科学省には何があるかというと、その教育委員会を指導し、そして助言し、援助する、そして調査をする権限があるわけです。ですから、私ではありませんが、ポストとしての文部科学大臣が指導要領というものを出しておりますね。ですから、指導要領どおり行われていないということについては、私に結果責任があるわけです。

 調査権等を発動していろいろやっておりますが、今回の未履修の最終的な決定権限を持っている人はだれなのか、そして卒業の認定権限を持っている人はだれなのかということを考えると、おのずからその責任の所在は明らかになります。ここで私は、それがだれだとかかれだとかいうことをあげつらう気持ちはございません。

 ですから、被害者はすべての児童であるという気持ちを大切にして、一刻も早く、私の持っている権限の範囲の中で、こういうふうにしてもらいたいという指導を、公立を管理している都道府県の教育委員会、私学を管理している知事に私が発出をしたい、こう思っております。

菅野委員 現時点でどう大臣として考えているのかということはお示しいただけなかったわけですけれども、後でまたそこもお願いしたいというふうに思います。

 ただ、指導要領の中で必修科目を定めているわけでございますけれども、やはりこの部分と教育の目的である人格の形成という立場から必修科目というのは設けているんだというふうに思います。ただし、現実に今の高校がどういう状況になっているのかということから、今回の問題が生じたわけであるというふうに思います。

 というのは、高校がそれこそ、今までも多くの議論がなされていますけれども、予備校化してしまっているという問題がそこに存在するわけであります。そして、大学入試が競争の中で行われていて、高校間競争もどんどんどんどん進んでいる。そういうときに、履修科目と入試の実態の乖離というのが今回の問題で明らかになった、こういうふうに思います。ここをどう克服していくのか、このことが私は根本的な解決の道筋だというふうに思うんですけれども、このことを大臣はどのように考えているんでしょうか。

伊吹国務大臣 先生がおっしゃっているような側面があることは、私は否定いたしません。そして、高等学校の評価というものが大学の入試によってなされているというのは、まことに残念なことですね。しかし、同時に、全国で国立、公立、私立合わせて五千四百八校ありますが、五百四十校以外の学校は、この受験戦争の中でもきちっと法令を守り、しっかりとやっておられるということもまた認識しなければなりません。

 ですから、しっかりやっておられる人たちに正直者がばかを見たという思いをさせないように、つまり、未履修のところで何が起こっているかというと、先生がまさに御指摘になったように、立派な人間をつくっていくために必修を置いているにもかかわらず、それを履修させずに受験に有利な科目に特化して授業をしていたということなんですね。

 しかし、学生には何の責任もありませんから、この二つのバランスをとって、現実的には、やはり少し未履修の方々にはある程度の授業をきちっととっていただく、そしてとっていただくことによって卒業の資格を与えていかないと、現場は混乱しますから。しかし、余り未履修の人たちに大幅な配慮をし過ぎると、正直にやっていた、人数で換算すると九三%の学生が、おれたちは何でこんなばかな目に遭うんだろうと思いかねないわけですね。

 だから、まさに、そういうことを教えていただかなければならない高校の場でこういうことが行われているということは、やはり現場の先生方はよく反省をしていただきたいと私は思っております。

菅野委員 大臣、受験競争と教育の目的である人格の完成の間のギャップというのは、これは埋めていかなければならない大きな課題だというふうに思っています。

 人数でいえば七・二%、そして学校数でいえば五百四十校という数字は出ていますけれども、この五百四十校はどうしてこういうことを行ったのか、ここの根本的な原因というものを、やはり日本全体で、文部科学省全体でしっかりと議論し合って、そのギャップを埋める努力をしっかりと行っていただきたいし、今後の方向性についても、地域の保護者あるいは教職員、そして子供たちの現場の声というものもしっかりそんたくして、そして取り組んでいただきたい、強くこのことを申し上げておきたいというふうに思っています。

 そして、先ほども糸川議員からお話がございました。次の問題に移りますが、日本の教育を考える十人委員会の方々が、一万人を対象に義務教育に関するインターネット調査を行って、九月に提言を取りまとめました。そこでは、六三・六%、回答者の約三分の二の方が、学力の二極化、すなわち教育格差が進行していると答えています。さらに、そのうちの六六・四%の方々が、学力の二極化は所得格差を原因としていると答えています。

 大臣、先ほどの答弁においても、親の収入によって進学等で深刻な格差は見当たらない、あってはならないとお答えしているわけですけれども、恐らく国民の実感は全く別で、親の財布の中身が子供の教育あるいはその後の就労の方向性まで決めてしまう、このことを多くの国民が危惧しているというのがこの調査結果だというふうに思っております。

 この調査結果について、大臣の感想をお聞かせ願いたいと思います。

伊吹国務大臣 先生のおっしゃっているような傾向がだんだん出てきているということは、私は否定いたしません。

 しかし、例えばOECDの調査ですと、OECD全体では、保護者の学歴や職業等が子供の学力に与える影響ということからいうと、ドイツが一番高いんですね。それからイギリス、フランス、アメリカ、イタリアと来て、日本は極めてその影響が少ない国になっているんですよ。この少ない国になっているという日本の誇るべき特徴を維持していけるように、例えば、義務教育でいえば国庫負担金のやり方とか少数の履修の教室を設けていくとか、いろいろなことを文部科学省もやっておりますので、今の御指摘は拳々服膺させていただきます。

菅野委員 大臣と問題意識は共有しているというふうに思うんですけれども、なぜここに来てこのことが顕在化してきたんだろうかというふうなことを思ったときに、やはり私は、教育の場に、機会均等というかそういう概念をしっかり入れていかなきゃならないというふうに思うんですね。そして、親の所得に左右されないような条件というものをしっかりつくっていかなければならない、それは文部科学省としての、予算権限を持っていますから、そこの責任であるというふうに私は思っています。

 それで、先ほども糸川委員もおっしゃっていましたけれども、教育の機会均等、この理念の実現こそ今大変重要になってきているというふうに改めて申し上げておきたいというふうに私は思います。

 そこでお伺いしたいんですが、現行法の第三条「教育の機会均等」は、「すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならない」とされています。これは、子供の発達の必要に応じて教育がなされると理解されていますが、能力の格差を解消していく方向で教育の平等の実現を目指したものと考えているものであります。ところが、政府案の「教育の機会均等」をうたった第四条、ここでは、「すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、」云々とされているんですね。

 現行法と何が違うのかというと、能力の格差解消を目指したはずの「能力に応ずる教育」が「能力に応じた教育」と変更されていることです。政府案の「能力に応じた教育」とは、能力の格差解消ではなく、能力主義に立った格差教育そのものではないかと考えざるを得ませんが、なぜ「能力に応ずる教育」を「能力に応じた教育」へと変えたのか、その理由をお聞かせ願いたいと思います。

田中(壮)政府参考人 お答え申し上げます。

 これは近時の立法例に倣ったものでございまして、「能力に応ずる教育」と「能力に応じた教育」は、全く同じ意味でございます。

 例えば、現在第三条では、「すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる」、ここは「応じた」に変えておりますが、その後の「教育を受ける機会を与えられなければならないものであつて、」と、今は「ならないものであつて、」と現行条文には書いておりますけれども、教育基本法案には、「教育を受ける機会を与えられなければならず、」という、これも近時の立法例に倣ったものでございます。

 それから、現在の二項につきましても、「修学困難な者」とか「奨学の方法」と書いておりますけれども、基本法改正案の方では「修学が困難な」あるいは「奨学の措置」ということで、最近の表記方法に倣っておるところでございます。

菅野委員 何も変わるものじゃないということであれば、「応ずる」のままでいいんじゃないですか。表記法ということじゃなくて、ここは問題があると思うんですが、「能力に応じて」というのは、表現は憲法ですよね、田中参考人。それから、「能力に応ずる」が教育基本法なんです。だから、「応ずる」「応じて」。「応じた」という過去形にはなっていないんです。過去形にしたということに私は物すごい大きな意味を持たせているというふうにとらえているんです。

 どうして、「応ずる」のままで、あるいは「能力に応じて」という表現ではだめなんですか。ここをはっきりさせてください。

田中(壮)政府参考人 お答え申し上げます。

 現在でも、「能力に応ずる」というのは、港湾法という昭和二十五年の法律には、確かに今も「能力に応ずる」と書いておるところでございますけれども、近年つくられました、平成十七年の独立行政法人住宅金融支援機構法、これでは「能力に応じた」と書いておりますし、また、昭和六十年の労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の就業条件の整備等に関する法律、これにおきましても「能力に応じた」というふうに使っておるところでございまして、近年、この「能力に応じた」という言葉を使わせていただいておるところでございます。意味は同じでございます。

菅野委員 こまいところをずっと議論していっても仕方がないんですが、今なぜ私がこんなことを質問するのかというと、まず一つは、国民は教育格差の拡大を懸念している、にもかかわらず、政府は格差教育を推進しようとしているように見えるからなんですね。

 それが端的に出ているのは、教育再生会議で検討されようとしている幾つかの論点だと思っています。学校選択制あるいは教育免許更新制、教育バウチャーの発行。そして、これは教育再生会議の議論とは別ですけれども、二〇〇七年四月に予定されていますが、全国学力テストの実施。これらは、学校の格付、ランクに見合った予算措置、教員への能力給の導入など、教育に市場原理、競争原理を導入する手段と考えられていますが、大臣、今の、過去形にしたということと今の流れということをどうとらえているんですか。お聞きしておきたいと思います。

伊吹国務大臣 参考人が御説明をいたしましたように、これは先生、余り深くお考えいただかなくても、最近の立法例に倣っておるわけでして、責任者である私が、教育の機会均等と、差別を記述したものではないということを明言いたしますから、御理解ください。

菅野委員 大臣が今のしっかりした答弁で担保されるというふうには思いますけれども、やはり今の全体の流れが、教育に市場競争原理を導入しようとする、そういう流れが強まっている中で、こういう議論をせざるを得ないということを私から申し上げて、質問を終わらせていただきたいと思います。

    ―――――――――――――

森山委員長 この際、お諮りいたします。

 両案審査のため、本日、政府参考人として内閣府大臣官房総括審議官土肥原洋君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

森山委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

森山委員長 次に、石井郁子君。

石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子でございます。

 昨日、我が党の高橋議員が大臣にお示しをした文書でございますけれども、理事会におきまして協議をいただいて、きょう改めて本委員会に提出をさせていただきました。

 まず、この件でちょっと質問をさせていただきますけれども、これは青森県八戸で九月の二日、教育改革タウンミーティング八戸ということが内閣府主催で開かれました。その折に、現場に対して発言依頼があった。政府の今継続になっているこの教育基本法案、これについて賛成をするような発言をという依頼があったということで、これは大変重大な問題だというふうに考えておりまして、質問するわけでございます。

 この文書を見ていただきたいんですけれども、これは八月三十日、一枚目ですけれども、三八教育事務所というのは、三戸、八戸という、この管轄の事務所のことのようですが、ここから中学校の校長先生にあてて出されまして、「タウンミーティングの質問のお願い」と書いてあります。そこには、「いつも大変お世話になっております。多忙の所、誠に申し訳ありませんが、御協力をお願いします。当日に、二の質問をお願いします。質問者のお名前をお知らせください」ということまで書かれてあります。

 二というのは二枚目にありまして、これはいわば発言のひな形なんですね。一項目めは、「教育基本法は見直すべきだ」、時代に対応すべく見直すべきだという意見が書いてある。二つ目には、個の尊重の云々ということでも書いてある。

 それから三つ目、「教育の原点はやはり家庭教育だと思います。」この三行目ほどには、わざわざ「先ほどの大臣のご説明にあったように、」と、まだ大臣の説明を聞いていないと思うんですけれども、新しい教育基本法に家庭教育の規定が追加されたことは本当に大事なことであると思いますというように書いてあるんですね。

 さて、九月一日には、これは次の三枚目ですが、同じ校長にあてまして、青森県教育庁の教育政策課からまた出ております。「「タウンミーティング」に係る依頼発言について」ということで、別紙のとおり御協力くださいというふうにあります。その次のページに行きますと、さて、文部科学省、内閣府経由での依頼について、発言者を選んでいただきましてまことにありがとうございますというようなことで、さらに、注意事項がありますのでPTAの会長さんにお伝えいただきたいというようにあるんですね。

 これは、ごらんになっていかがかと思うのですが、やはり内閣府と文科省がこのような発言を行っていたというようなことについてお答えいただきたい。そして、発言内容まで示してそれらしく発言させるというのは、まさにやらせ行為そのものですから、いかがお考えですか。きちんとお答えいただきたい。

土肥原政府参考人 八戸で行われた教育改革のタウンミーティングについての御質問でございますけれども、タウンミーティングは、もう御承知のように、大臣等との自由な対話を目的に参加するものでありまして、さまざまな参加者が御自由に発言しているものでございます。

 このため、ただ、タウンミーティングにつきましては、会場からの活発な御意見を促すきっかけをつくる、そういうような目的で、地元や関係者の御意見を踏まえて参加者の発言の参考となるような資料を作成する、そういうような場合もございまして、地元の関係者にそういうふうな資料を提供する、そういう場合もございます。

 これは、タウンミーティングにおきます議論の活発化のために行っている場合もあることでございまして、本件タウンミーティングにおきましても、結果といたしましては、幅広い御自由な御意見をいただいたというふうに理解しております。

石井(郁)委員 結局、今の御答弁ですと、やはりこういう発言依頼を行ったということをお認めになったということですか。そこをはっきりさせてください、それは。いろんな形で、それはだから、この文書、このペーパーは、これは事実としてあるということを確認されたということでいいですか。それをはっきりさせてください。

土肥原政府参考人 全体の先生御配付の資料は、ファクスの送信票といったようなものもございまして、なかなかすべて内閣府が関与しているものでもございませんが、参考資料を作成したというところは内閣府が作成いたしたものでございます。

石井(郁)委員 きのうの新聞報道ですと、内閣府が、これは心外だと、こういうことがないようなこともありましたので、今訂正されたというふうに私は受けとめたいと思います。

 本当にこれは大変なものでして、最後のページのところ、依頼発言についての注意事項までありまして、このひな形、せりふの棒読みは避けてくださいとか、それから、お願いをされて、依頼されてというのは言わないでくださいとか、こういうことまであるわけでしょう。それで、自分の意見を言っているというふうに書いてくださいと。大変な手の込んだやらせなんですよ。

 これは官房長官にお聞きしますけれども、こういう教育改革のタウンミーティングを平成十五年の十二月からもう七回行っているんですよ。だから、そのほかのところでもこういうことがあったんじゃないかと言わざるを得ませんよ。そういう点も一つありますし、こういうやらせ行為がされていたら本当に大変なことですから、まさに民主主義を否定することを政府自身がやっているということでもありますし、こういう世論誘導を教育の基本法という問題でしているということは本当に重大な問題だというふうに思いますので、徹底して調査をして委員会にきちんと報告していただきたい、これは官房長官に御答弁をお願いします。

塩崎国務大臣 調査をして御報告申し上げたいと思います。

石井(郁)委員 それはちゃんと当委員会が開催中にぜひお願いしたいと思います。

 では、この件は以上で終わりたいと思います。(発言する者あり)私の質問時間は、この法案に関しての時間は極めて短いものですから、やはり私……(発言する者あり)

森山委員長 御静粛に願います。

石井(郁)委員 ぜひ、それは中井筆頭からもっと時間をいただかなくちゃいけないのでございますけれども、またにしたいと思います。

 それで、私はきょうは、安倍首相が教育再生を掲げておられる、教育再生の会議もできましたけれども、その問題と教育基本法案との関連、この点で少しお尋ねしたいと思います。

 安倍首相が教育再生として出されているのは、全国一斉の学力テスト、その結果の公表、それから学校選択制の全国的な拡大、また、国家による学校評価のための監査官の配置ということが言われていますし、学校の予算でも差別をつけるというか、配分を考えるというようなこともあったかと思うんですね。

 さて、その中で、私はきょうは、全国学力一斉テストの実施、その結果の公表、そして、これが学校選択制の拡大という問題とつながっているということがもたらす公教育への影響というか問題、そのことをちょっとお尋ねしたいと思っているんです。

 初めに、この学校選択制をとっている自治体は、現在のところ、公立の小学校、二百二十七自治体で八・八%です。中学校は、百六十一自治体で一一・一%にしかすぎません。そもそも通学区域制度というのはどのような趣旨で設けられたのか。これは、教育基本法の第三条の教育機会の均等によりますと、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければいけない、やはりそういう点から定められた制度だというふうに理解するわけですが、これでよろしいですか、文科大臣にお尋ねします。

伊吹国務大臣 小学生、中学生の進学の便その他を考えて決めていると思います。

 それから、安倍首相のという御発言がいろいろありましたが、これは安倍さんが個人的に出された本だとかいろいろなものを含めていろいろな発言が行われておりますが、もう総理になられたわけですから、政策として実現できるものは、その中から選んでやはりきっちりとやっていかねばなりませんので、安倍総理御自身がまだ総理になられる前に書かれた書物の中に書いてあることを総理となられてすべておやりになるという前提は、私は必ずしも御心配になることはないと思います。

石井(郁)委員 しかし、現実に既に学力テストの結果の公表とか、あるいはまた学校選択制というのは導入されていますから、そういうものが全国的に拡大していくのかと。政府は、全国学力テストはもう来年度実施する、結果も公表する方向かと思うんですが、そういうことは既にあるわけですよ。

 それで、具体的にお尋ねしますけれども、きょう私は資料も用意いたしましたけれども、学校選択制と学力テストの結果公表がリンクされたときに、何が起こるだろうかということですね。これは、既にもう導入されている東京で実例がいろいろ出ております。

 そのことなんですが、きょうお示ししたこの資料は東京足立区の場合でございますけれども、中学校名はもちろんA、B、C、Dと書いていますけれども、本当に点数の差というのは大変大きなものがある。それから、応募状況、人数も、応募人数と受け入れ人数の間で、中学校で倍率が出てくるということもありますね。

 こういうことですが、足立区では二〇〇一年から学校選択制が始まっています。ですから、もう五年前です。二〇〇四年からは、全都一斉学力テストに加えて区独自の学力テストも実施する。学校ごとの結果はもう公表されています。そして、学校の中でのクラスの順位もわかる仕組みになっているということなんですね。

 これは今示した表なんですが、その学力テストの結果、入学状況等々なんですけれども、この二枚目、グラフにしてみますと、学校名は書いていませんけれども、左側というのは上位六校です。上位六校はこのように生徒はふえているわけです。ところが、下位、右側にある学校は全部マイナスですよね。マイナスです。だから、こういう形で、いわば学力テストの上位校は選ばれる学校だ、そして生徒は集中する。下位の学校はいわば選ばれない学校ということで生徒数は減り続ける。ですから、これは義務教育段階でいわば勝ち組の学校と負け組の学校が出てきているという実態だと。

 大臣にお伺いしますけれども、こういうふうにして学校がいわば固定化していく、そして序列化、選別化が、固定化していくということはいいことなのかどうか。いいことということではないけれども、これは容認できることなのかということをお尋ねしたいと思います。

伊吹国務大臣 この分野ではもう石井先生は我々の大先輩で、いろいろ御経験を積んでおられる先生にこういうことを申し上げるのはなんなのですが、特に、義務教育段階で選別化を行い、学校に格差ができてくるということは、安倍総理が言っている、すべての児童に最低限の規範意識と学力を保証するということからいうと必ずしも適当なことじゃないんですね。

 しかし、同時に、必ずしも適当なことじゃないというマイナス面を受忍してでも、なおかつこういうことをやらなければいけない現状というものは、私は何度も言っているように、多くの納税者の負託にこたえられていない教育現場の現状というものを、携わっている者、私も先生も含めて、すべてが考えて状況を改善していけば、できれば格差、差別化ということは行われない方が私はいいと思います。

石井(郁)委員 ただ、やはりこういう現状が既にあって、この先も進んでいく、これが一体教育現場あるいは公教育に何をもたらすかということを見なきゃいけないなと思うんですね。

 それで、ここの区ですけれども、実際にやはり点数競争するわけですから、テストの点数を上げるために授業時間を大幅にふやしていく。それから、過去問、過去の問題ですね、これをテスト、テストで繰り返す。ですから平均点は上がるけれども、子供たちに本当に学力がついているんだろうか、一人一人としての子供に力がついているのかといえば、そうではない、これが現場のやはり実感なんですよ。私、ここは深刻な問題だというふうに思います。

 そしてさらに、この区が来年度から、東京都の学力テスト、またその区の学力テストというふうになっているんですよ。それに全国の学力テストもかかわってくるということなんですけれども、それを、頑張りぐあいというのを数値化して、Aランクの学校群は一〇%ぐらい、Bでは二〇%、C三〇%、D四〇%と四段階に分けるというんですね。なかなか念が入っているんですけれども。

 そして、実はそれは何のためかというと、予算配分をするということのようです。来年度から、学力テストの頑張りぐあいの結果で予算配分を行う。科目頑張り、正答率七〇%の頑張りということで、あくまでも、頑張ったかどうか、その評価、テストのできふできで予算に差をつけるということまで出てきているんです。

 私は、もう大臣に改めて言うのもなんですけれども、これは予算をつけてやるわけですから、学校間の格差をさらに拡大する、義務教育段階で、本当にこういうことをどう考えるのか、あっていいのかというような点でいいますと、もう一度大臣の御答弁をいただきます。

伊吹国務大臣 今、A、B、C、Dに分けて予算で格差をつけているというのは、東京都のことをおっしゃっているわけですか。(石井(郁)委員「足立区です」と呼ぶ)足立区のことをおっしゃっているわけですね。

 基本的に、先ほど来、もう先生が一番御存じのことですが、小学校の設置権者、人事権者、予算権者というのは率直に言って私ではございませんので、そのことは地方自治体の権限としてやっておられることですから口出しすることはいかがかと思いますが、文部科学省が来年予定している全国統一学力テストというものは、学校に数値的な差をつけるためにやるわけではございません。これは児童の学力の状況を全国的に調査して、今後の学習指導要領その他を考えていくためにやることです。ですから、文科省としては、統一的に学校別にこの点数を公表しろなどということを指導するつもりはもちろんありません。

 先生がおっしゃるように、やはり、特に義務教育段階では、できるだけ競争原理が入らない方がいいんですよ。だけれども、入れざるを得ない学校の荒廃の現状というものも同時に我々は認識をして、そして、今のことがどんどんどんどん進んでいくと先生がおっしゃったわけですが、教員もそして保護者も、全員が使命感を持って、進まないように努力をしていくというふうに受けとめたいと思います。

石井(郁)委員 大臣は、現実に学校の荒廃が進んでいるというふうにおっしゃいましたけれども、しかし一方で、非常に、学校をいい学校にしようと地域の人たちで協力して、教職員も、そしてそこにはいろいろなさまざまな研究者もかかわって、いい実践、進められていることもたくさんあるんですね。私は、そういうところももっと見ていただきたいということがまず一つございます。

 もう時間なんですけれども、官房長官にこれはぜひきょうは伺いたい。このことは、本当はもっと時間が欲しかったところなんですが。

 安倍首相の教育再生というのは、必ずしも、それがどう現実化するかというのはまだこれからだというふうにおっしゃいましたけれども、しかし、教育再生と一連の提案があるわけですよ、今後それはどうなっていくかというのは一つありますけれども。この問題と、教育基本法の政府案、今提出されている改定案とどう関係づいているのかという点をちょっとお聞かせいただきたいと思います。

塩崎国務大臣 このというのは、具体的にはどれを指しておられるんですか。教育再生会議と何の関係を……(石井(郁)委員「今政府提案の教育基本法案」と呼ぶ)

 教育基本法案と教育再生会議の関係については繰り返し申し述べたとおりでありまして、教育基本法は、あくまでも教育の大きな理念を六十年ぶりに改めようということで国会で御議論いただいて、これについては所信表明演説でも、できるだけ早く成立をさせていただきたい、こういうお願いをしているところであります。

 一方で、待ったなしでいろいろな問題がここで起きてきているわけでありますので、では、どういう対応を今教育を再生するために具体的にやるべきなのかということを幅広く議論してもらおうということで、官邸に教育再生会議を設けていろいろな議論をして、最終的には、中教審にかけるもの、あるいは別な役所で考えていただくもの、いろいろなものが出てくるかと思いますけれども、今は幅広い議論をお聞きしている最中、こういうことでございます。

石井(郁)委員 もう時間が参りましたけれども、まだ私の質問の趣旨がちょっと伝わり切れなかったようなんですが、再生会議と政府の法案との関係じゃなくて、今政府が進める教育政策の中身ですよね。例えば、外部評価を行いたいとかあるいは選択制を導入するとか、そういう問題は今出されている法案とはどう関係するのか、法案のどことそれは関係していくのか、そのためにこの法案は必要な法案なのかどうかというようなことを実はお尋ねしたかったんです。現行教育基本法をなぜ変えなきゃいけないのかという問題でもあるわけです。

 きょうはもう時間が参りましたので、次回に改めてさせていただこうと思います。どうもありがとうございました。

森山委員長 次回は、明二日木曜日午前十時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後五時六分散会


このページのトップに戻る
衆議院
〒100-0014 東京都千代田区永田町1-7-1
電話(代表)03-3581-5111
案内図

Copyright © Shugiin All Rights Reserved.