衆議院

メインへスキップ



第7号 平成18年11月6日(月曜日)

会議録本文へ
平成十八年十一月六日(月曜日)

    午前十時二分開議

 出席委員

   委員長 森山 眞弓君

   理事 稲葉 大和君 理事 河村 建夫君

   理事 斉藤斗志二君 理事 鈴木 恒夫君

   理事 町村 信孝君 理事 中井  洽君

   理事 牧  義夫君 理事 西  博義君

      赤池 誠章君    井脇ノブ子君

      石原 宏高君    岩永 峯一君

      宇野  治君    上野賢一郎君

      臼井日出男君    小里 泰弘君

      越智 隆雄君    大塚  拓君

      金子善次郎君    北村 誠吾君

      木挽  司君    坂井  学君

      篠田 陽介君    島村 宜伸君

      杉村 太蔵君    平  将明君

      戸井田とおる君    土井  亨君

      中山 成彬君    西川 京子君

      橋本  岳君    馳   浩君

      鳩山 邦夫君    林   潤君

      原田 憲治君    平口  洋君

      藤田 幹雄君    松浪健四郎君

      松浪 健太君    松本 文明君

      御法川信英君    森  喜朗君

      矢野 隆司君    若宮 健嗣君

      菊田真紀子君    北神 圭朗君

      小宮山泰子君    武正 公一君

      西村智奈美君    野田 佳彦君

      羽田  孜君    古本伸一郎君

      松原  仁君    松本 大輔君

      横山 北斗君    斉藤 鉄夫君

      坂口  力君    石井 郁子君

      重野 安正君    保坂 展人君

      糸川 正晃君    保利 耕輔君

    …………………………………

   議員           笠  浩史君

   議員           藤村  修君

   議員           大串 博志君

   議員           武正 公一君

   文部科学大臣       伊吹 文明君

   国務大臣

   (内閣官房長官)     塩崎 恭久君

   国務大臣

   (少子化・男女共同参画担当)           高市 早苗君

   内閣官房副長官      下村 博文君

   財務副大臣        田中 和徳君

   文部科学大臣政務官    小渕 優子君

   厚生労働大臣政務官    菅原 一秀君

   政府参考人

   (内閣官房内閣審議官)  山中 伸一君

   政府参考人

   (財務省主計局次長)   真砂  靖君

   政府参考人

   (文部科学省大臣官房長) 玉井日出夫君

   政府参考人

   (文部科学省大臣官房文教施設企画部長)      大島  寛君

   政府参考人

   (文部科学省生涯学習政策局長)          田中壮一郎君

   政府参考人

   (文部科学省初等中等教育局長)          銭谷 眞美君

   政府参考人

   (厚生労働省大臣官房審議官)           草野 隆彦君

   政府参考人

   (厚生労働省職業安定局次長)           鳥生  隆君

   衆議院調査局教育基本法に関する特別調査室長    清野 裕三君

    ―――――――――――――

委員の異動

十一月六日

 辞任         補欠選任

  井脇ノブ子君     橋本  岳君

  稲田 朋美君     石原 宏高君

  猪口 邦子君     原田 憲治君

  大島 理森君     赤池 誠章君

  海部 俊樹君     金子善次郎君

  佐藤 剛男君     平  将明君

  中山 成彬君     松本 文明君

  西川 京子君     松浪 健太君

  森  喜朗君     土井  亨君

  やまぎわ大志郎君   御法川信英君

  渡部  篤君     小里 泰弘君

  土肥 隆一君     小宮山泰子君

  野田 佳彦君     松原  仁君

  横山 北斗君     武正 公一君

  保坂 展人君     重野 安正君

同日

 辞任         補欠選任

  赤池 誠章君     大島 理森君

  石原 宏高君     越智 隆雄君

  小里 泰弘君     杉村 太蔵君

  金子善次郎君     矢野 隆司君

  平  将明君     大塚  拓君

  土井  亨君     森  喜朗君

  橋本  岳君     井脇ノブ子君

  原田 憲治君     木挽  司君

  松浪 健太君     西川 京子君

  松本 文明君     中山 成彬君

  御法川信英君     やまぎわ大志郎君

  小宮山泰子君     土肥 隆一君

  武正 公一君     横山 北斗君

  松原  仁君     菊田真紀子君

  重野 安正君     保坂 展人君

同日

 辞任         補欠選任

  越智 隆雄君     坂井  学君

  大塚  拓君     佐藤 剛男君

  木挽  司君     林   潤君

  杉村 太蔵君     渡部  篤君

  矢野 隆司君     藤田 幹雄君

  菊田真紀子君     野田 佳彦君

同日

 辞任         補欠選任

  坂井  学君     篠田 陽介君

  林   潤君     平口  洋君

  藤田 幹雄君     宇野  治君

同日

 辞任         補欠選任

  宇野  治君     海部 俊樹君

  篠田 陽介君     稲田 朋美君

  平口  洋君     猪口 邦子君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 政府参考人出頭要求に関する件

 教育基本法案(内閣提出、第百六十四回国会閣法第八九号)

 日本国教育基本法案(鳩山由紀夫君外六名提出、第百六十四回国会衆法第二八号)


このページのトップに戻る

     ――――◇―――――

森山委員長 これより会議を開きます。

 第百六十四回国会、内閣提出、教育基本法案及び第百六十四回国会、鳩山由紀夫君外六名提出、日本国教育基本法案の両案を一括して議題といたします。

 この際、お諮りいたします。

 両案審査のため、本日、政府参考人として内閣官房内閣審議官山中伸一君、財務省主計局次長真砂靖君、文部科学省大臣官房長玉井日出夫君、大臣官房文教施設企画部長大島寛君、生涯学習政策局長田中壮一郎君、初等中等教育局長銭谷眞美君、厚生労働省大臣官房審議官草野隆彦君、職業安定局次長鳥生隆君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

森山委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

森山委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。井脇ノブ子君。

井脇委員 おはようございます。自由民主党の井脇ノブ子でございます。

 今回、我が国の教育の根本理念を定める教育基本法案の審議に加えていただくことになり、まことに光栄であると同時に、このような重要法案の審議に参加することに身の引き締まる思いでございます。精いっぱい努めますので、どうぞよろしくお願いします。

 まず、政府提出の教育基本法案についてお尋ねいたしたいと思います。

 現行の教育基本法が制定されたのは昭和二十二年、我が国は戦後の混乱期の最中であり、生きることさえままならない時代でした。現行の教育基本法の前文には、我らは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設する決意を示したと述べ、その理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものであると規定しております。当時の人々の国家再建の決意、そして教育に対する期待がはっきりと読み取れます。

 それから我が国は奇跡の経済発展を遂げることになりました。テレビ、洗濯機、冷蔵庫のいわゆる三種の神器の普及、新幹線の開通、東京オリンピックの開催などにより、我が国は高度経済成長を実現し、生活水準は向上し、先進国の仲間入りを果たし、現在に至っています。

 こうした我が国の発展の原動力となったのは、まさしく教育の力、とりわけ現在の教育基本法のもとに発展した義務教育を初めとした学校教育と社会教育などによるところが大きいと思います。我が国の発展は、まさに教育基本法とともにあったと言っても過言ではないと思います。

 しかし、今、教育はさまざまな問題を抱えています。学校、家庭、地域といった教育の担い手が、それぞれ課題を抱えています。このような構造的な問題に対処していくためには、教育を根本から改革し、新しい時代を切り開く人づくりを行うことが必要であると思います。

 そこで、教育基本法を改正する必要が出てくると思いますが、伊吹文科大臣にお伺いいたします。今回の改正により、具体的にどのような人間の育成を行おうとお考えでしょうか。御見解をお聞かせ願いたいと思います。

伊吹国務大臣 先生御自身が教育者として多くの若者を教育しておられるので、私自身からこういうことを申し上げるのも甚だ僣越だと思いますが、我々が提出しております法案の第二条に教育の目標ということを明記しております。ここに書いてあるような資質を備えた日本国民をつくっていく、これが教育の基本だ、目指すところだと思いますが、具体的に言えば、やはり、体が丈夫で、そして知恵があって、そして徳があるという人間をつくる。そして、人はそれぞれやはり得手不得手がございますから、その特性が伸び伸びと伸ばされるような環境を整備していく。国際社会になっておりますので、日本人としてのアイデンティティー、つまり我が国国民が、民族が大切にしてきた伝統、文化、こういうものをしっかりと身につけて、同時に国際感覚のある日本人、こういう日本人を目指すために今回法案の改正をお願いしている。

 現行法も、先生の御評価のように、大変立派な法案でございます。しかし、これは率直に言ってどの国へ持っていっても通用する法案でありまして、日本にはやはり日本の固有文化、伝統、社会規範みたいなものがありますし、これだけ大きな国際的な国になっておりますから、国際社会に出ていった場合にどういう対処ができるかとか、そういうことも含めて法案の改正をお願いしたいと思っている次第です。

井脇委員 ありがとうございました。

 我が国の未来のためには、今お答えいただいたような目指すべき人間像を着実に教育の実際に反映させていくことが必要と考えますが、教育基本法の改正を踏まえて今後どのような取り組みを進めていくのか、伊吹文科大臣にお伺いしたいと思います。お願いします。

伊吹国務大臣 まず、日本は法治国家でございますので、あらゆる政策、制度というのは法律が基本になっております。

 したがって、教育についても、教育のまさにこれは基本法の審議をお願いしているわけで、この教育の基本法の審議を、法治国家の日本の国権の最高機関である国会でまず方針をお決めいただく、議決をいただく。それに従って、基本法を実現していくための各法律がございます、例えば学習指導要領の根拠になっている学校教育法とか、こういうものを教育基本法に合わせて改正していく、そして同時に、それに今度は政令がくっつき、そしてまた通達、大臣告示みたいなものがその下にくっついていく、それを毎年毎年の国と地方自治体の予算で裏づけをしながら現実の政策が進んでいく、こういうのが日本の政策遂行のプロセスでございますから、今の先生の御質問に対するお答えからすれば、まず国権の最高機関で基本方針をお認めいただくのがこの法案だということでございます。

井脇委員 よくわかりました。ありがとうございます。

 次に、日本国教育基本法案の民主党案についてお伺いしたいと思います。

 民主党案を拝見しますと、政府案と相通ずるところが多く、教育基本法を改正することについては我々と同じ思いなんだなということを感じますが、ただ、民主党案には、読むとちょっと違うところがありますので、お答え願いたいと思います。

 例えば、民主党案の第四条は学校教育について規定しておりますが、政府提出の教育基本法案あるいは現行の教育基本法と比べますと抜けているものがあります。それは、学校の設置者に関する規定です。

 政府案や現行法では、学校の設置者は、国、地方公共団体、法律に定めた法人であることを明記しております。これはとても重要な規定です。学校というものは、公の性質、すなわち公共的な性格を有するものですから、国民の税金を使うことができるのです。その設置者はだれでもいいというものではなく、安定的、継続的にきちんと教育を行うことができる担い手に制限されてしかるべきだと思います。

 しかし、民主党案には、第五条に公の性質という言葉は出ていますが、学校の設置者についての規定はありません。だれでも学校が設置できるということになりますと、しっかりした経営ができない学校が出てきて、そうなると、何の罪もない子供たちがトラブルに巻き込まれます。社会的混乱が生じるおそれが十分あると思います。こうした重要なことを教育基本法に規定しないということはどういうことでしょうか。御答弁をお願いします。

笠議員 井脇委員にお答えいたします。

 私どもは、今委員御指摘のとおり、学校の設置者について、現行の教育基本法の、「国又は地方公共団体の外、法律に定める法人のみが、これを設置することができる。」という規定を削除いたしました。

 この理由は、学校の新規参入を促すことによって、健全な競争原理の導入により、教育の場にもっと活力を生み出していく必要があると考えておるからでございます。そして、このことにより、教育を受ける側はより多様な選択肢を持つことができるようになるわけです。当然ながら、新しい学校の多くは私立学校になるでしょうから、私どものこの日本国教育基本法案の第九条において建学の自由ということを明記させていただきました。同時に、私学の振興を規定させていただいております。

 委員御指摘のような心配については、私どもも大いに議論をいたしました。当然ながら、だれもが勝手に自由に学校がつくれるというわけにはいきません。ですから、この第九条の中で、建学の自由はあくまで教育の目的の尊重のもとに最大限尊重される旨を規定しているところでございます。加えまして、別に法律を定めて、一定の基準そして条件といったものを整備させていただくことも明記させていただいております。

 御承知のとおり、現行では、新たに学校をつくろうという人たちにとってはハードルは大変高いものになっております。他方、不登校児のための学校をつくろうというNPOの団体の動きでありますとか、フリースクールを広めようという活動を初め、今まさに、多様な教育の機会や子供たちにとってより望ましい環境を提供しようという志を持った人たちがふえて、そういう機運も高まっており、具体的な試みも始まっております。

 こうした中で、私どもは、この日本国教育基本法により、私立学校を中心とした新しい学校づくりというものを積極的に支援していくことは大変重要なことだと考えております。

 委員みずからが学校法人を設立され、長く教育者として子供たちをこれまで育てて、また教えてこられたという御経験からも、そうした私どもの思いについては御理解をいただけるのではないかと考えております。

井脇委員 よくわかりました。

 九条にそのように具体的に出ているということでございますので、また、学校法人というのはとても大事でありますので、私も自分が学校法人を持ってとても苦労しておりますので、法人の明記がないということでちょっと心配をしたところでございます。

 次に、民主党案の第七条第一項についてお聞きしたいと思います。

 ここには、「何人も、別に法律で定める期間の普通教育を受ける権利を有する。」として、外国人にも教育を受ける権利を認めています。私は、日本国民の教育の基本を定める教育基本法に外国人に関する規定まで設ける必要があるのかとの疑問を持ちますが、それは民主党さんのお考えなのでしょうか。

 問題は、その後に、「国民は、その保護する子どもに、当該普通教育を受けさせる義務を負う。」と続くことです。つまり、普通教育を受ける権利は外国人も含めた何人も有していますが、保護者が子供に教育を受けさせる義務は国民しか負っていないことになります。

 そうなりますと、普通教育について、国民は権利と義務を負っているけれども、外国人は権利はあるけれども義務がないと読めますが、本当にこれでいいのでしょうか。御答弁をお願い申し上げます。

藤村議員 結論から申しますと、本法案では、外国人は権利はあるけれども義務がないという委員御理解のとおりでございます。

 まず、日本にも多くの外国人の方々が住まい、学齢期の子供さんたちもたくさんいらっしゃいます。時代は変わりグローバル化が進み、協定締結により、例えばフィリピンなどからも看護師さんや介護士さんが日本に働きに来ようかという、そんな時代になりました。そんな時代の流れの中で、今までやや島国根性とやゆされたような閉鎖的で日本国民のみが住みやすい国をつくるのではなく、住まう者皆に優しい国にしたいという思いがございます。ですので、ここでは「何人も、」とし、外国人にも権利を保障したのでございました。

 また、一九八九年に国連総会で採択され、一九九四年に日本も批准いたしました児童の権利に関する条約がございます。その第二十八条一項に、「締約国は、教育についての児童の権利を認めるものとし、この権利を漸進的にかつ機会の平等を基礎として達成するため、」以下ずっと続きます、とあります。批准しているからにはこれも一つ従うべきではないかと考えております。

 では、なぜ外国人に義務を課していないのかという点であります。

 日本に住んでいても、例えばインターナショナルスクールに通う、あるいは自宅で教育を望む、あるいは母国に子供は帰して教育をしたい、さまざまあると思います。そういうことから、外国人の子供さんたちに日本の義務教育を受けさせることを義務として課すことは行き過ぎではないかということで、こういう法案になった次第であります。(発言する者あり)

井脇委員 今も、後ろから言っていました。押しつける必要はない、外国だからと言っておりますけれども、「何人も、」となっておりますから、国民は権利と義務を、これは日本人でありますから、外国人には権利はあるけれども義務がないというようなことを今説明がありましたので、これがちょっとまだ理解がいきませんけれども、ここのところ、何としてもどうか……(発言する者あり)まだ一年生でよう突っ込めません。

 そういうことで、私も、モンゴル、チベット、インド、ネパール、ブータン、インドネシアの地震の、親の亡くなった子供を引き受けて、高校三年間教育を施しております。百二十人、今引き受けておりますから、このことについては非常に一生懸命になっておりますので、「何人も、」となっていますから、外国人に義務がないということ、外国人は権利だけであるということがちょっと、非常に困っておるところでございます。納得がいかないのでございますが……(発言する者あり)そうしたら文部大臣に御答弁をお願いします。

伊吹国務大臣 基本的には、権利というものは必ず義務によって裏づけられているというのは、これは法理の基本なんですね。ですから、外国の方も、日本国内で必ずしも公教育を受けさせる必要はないけれども、自分の国に帰るなり、あるいは、日本の法律による公教育ではないけれども、例えばアメリカンスクールだとかどうだとかという、自国法によるところの学校の教育は必ずこれは子供に受けさせる義務がある。少なくとも、ビザを取られ、パスポートを持たれ、日本に入ってきておられる限りは、日本の主権の範囲の中ではそういう、やはり私は公正であるべきだと思います。

井脇委員 わかりました。今よくわかりましたけれども、民主党はそこのところ、そうしたら、もし法案をつくるとしたらぜひ何か考えていただきたいなと思いますが、藤村先生、お願いします。

藤村議員 もう先生おわかりのとおりで、義務教育の義務というのは、もちろん保護者に義務が課せられているのと、それから教育委員会等行政側にも義務があるわけであります。そういう意味では、例えば、今ブラジルからたくさんの方が来ていらっしゃいますが、実は、ブラジルが日本にブラジル学校をつくっているんですね。やはりそういうところへ通うという親の選択もあろうかと思います。ですから、その辺を、そこに義務づけをして必ず日本の学校に通いなさいとすると、相当無理が出てくる。

 一方、教育委員会の側にとっても、学校つまりを運営する側にとっても義務があるわけですから、その外国人の、ブラジル人の子供をポルトガル語で当初教えないといけないというのは、これは大変また負担と無理が出てくるということから、もちろん外国人の方は日本で税金を払っていらっしゃいますので、日本の学校に行きたければ行ってもらおう、これは今の文科省の姿勢もそうなんですが、我々はそこで、それをきちっと権利として認めていくというのが我々の法案でございます。

井脇委員 ブラジルの例が出まして、実態がそうだということで、現実には今のような話でございますが、これはもうここまでにしておきます。

 今は国際化になっておりますから、この問題は、外国人の教育についての権利義務でありますけれども、文科大臣からも方針を聞きましたし、そのような方向で進めていっている今の姿を理解していきたいと思っております。

 次に、民主党案には、教育に長年かかわってきた私から見ますと、例えば民主党案の第十七条には、「すべての児童及び生徒は、文化的素養を醸成し、他者との対話、交流及び協働を促進する基礎となる国語力を身につけるための適切かつ最善な教育の機会を得られるよう奨励されるものとする。」と規定しております。

 私は、国語力というものは、我が国の教育の根幹をなすものでありますから、特に基礎的な国語力は、奨励ではなく義務教育において徹底されるべきものであると考えますが、奨励程度でいいのでしょうか。民主党の藤村先生、御見解をお聞かせください。

笠議員 藤村委員にかわって、よろしいでしょうか。

 私どもは、本当に委員と同様の認識でございますから、教育基本法の中にあえてこの「国語力」ということを盛り込ませていただきました。

 二十一世紀を生きる力として、対話力、コミュニケーション力は重要でございます。とりわけインターネット社会においては、卓上のパソコンであるとか、あるいは携帯電話などで二十四時間世界とつながり、情報が発信される、あるいは受信されるわけですが、この中では、やはり主流は英語ということになっていくと思います。しかし、その前提はやはりみずからの言葉、いわゆる母国語、そして国語、この日本語であります。英語教育も重要ですが、やはり日本語を習得せずに英語の世界に入ってしまうことは阻止しなければならないと考えます。

 さらには、キレる、引きこもり、不登校などといった問題も、他者との対話がうまくいかないことがきっかけとなる場合も多く見られます。だからこそ、私どもは、教育の中で国語をしっかりと学ぶことが大変重要であると考え、民主党案十七条の情報文化に関する教育の中であえて国語力についての条項を盛り込ませていただきました。

 井脇委員に御理解いただきたいことは、この基礎的な国語力が義務教育において徹底されることは、学習指導要領で、本来、国語が小学校、中学校で必修科目になっていることで明確になっているはずです。にもかかわらず、現実は、子供たちが話す日本語の乱れ、読み書きの力が低下しているのが現状です。むしろ、私どもはこうした現状を深刻に認識しているからこそ、現行の教育基本法には書かれていない国語力について、あえて教育における最高法規である基本法の中に盛り込むべきであると考えた次第です。

 そして、もう一つ加えさせていただくならば、国語力というのは、学校の授業でのみ十分に身につくようなものではなく、みずから進んで読書をし、あるいは人の話を聞き、人や社会について考え、経験する中で培われる全人格的な能力でもあるわけです。こういった学校教育にとどまらない広い学びは、徹底というよりは、国が徹底という形で関与するようなものではなく、やはり奨励されるものではないかということで、あえて教育基本法案の中では「奨励」という文言を使わせていただいたわけでございます。

井脇委員 最後に、民主党の法案の性格について質問したいと思います。

 民主党は、教育基本法の改正は憲法を改正してからだとかねがね主張しておられますが、ならば、なぜ今回、民主党として改正案を提出したのでしょうか。教育基本法の改正について党内がまとまっていないのではないかなという気がいたしますが、いかがでしょうか。民主党の提案者の藤村先生、お願いします。

藤村議員 御指名をいただきまして、ありがとうございます。

 まず、党内がまとまっている云々の御心配をいただいたことを大変ありがたく存じます。ただ、はっきり申し上げれば、党内でまとめたからこそ議員立法で提出をするということでございますし、また、九月の小沢代表再選の当時に、小沢代表の公約として、日本国教育基本法を制定するということをはっきり掲げ、そしてそれを皆で支持したという経緯もございます。

 また、憲法との関係で、なぜ提出したかということでございますが、憲法論議の方が我々はやはり先であるという主張はずっとしておりまして、新憲法のもとで教育基本法も見直しが行われてしかるべきとの考えをとってきました。ただし、政府は先に教育基本法を改正するとの考えで法案提出されてきましたので、民主党としては既に党独自で、これは何度もお見せしますが「憲法提言」、我々も憲法のことをずっと詰めて考えてきておりますので、「憲法提言」のこの内容を先取りする形で独自の日本国教育基本法案を取りまとめた次第であります。

 現行教育基本法について、日本国憲法が一九四六年、昭和二十一年十一月三日に公布され、第三章、国民の権利及び義務の中の第二十六条において、国民の基本的人権の一つとして教育を受ける権利が規定され、保護する子女に普通教育を受けさせる義務と義務教育の無償原則とが憲法に明文化され、これを受けて、教育の基本となるべき理念及び原則を法律で定めようと、こうしてつくられたわけであります。つまり、教育基本法というのが憲法の条文を実現するための理念、原則を定めようとしたものであるというのは御理解いただけると思います。

 平成十二年一月、第百四十七回国会で衆参にそれぞれ憲法調査会が、広範で深遠なる調査を五年にわたり行い、平成十七年四月、第百六十二回国会で報告書が出されており、日本国憲法に関する調査特別委員会が第百六十三回国会の平成十七年九月から設置され、現在は国民投票法が国会に提出されている状況であることを考え合わせると、国会においてはやはり憲法内容の変更に伴う教育基本法の検討であるべきではないかなという思いは今も残っております。

井脇委員 ありがとうございました。

 私は、現場からの声で、教育基本法に関連して、教員の質の向上について文科省並びに文部大臣にお聞きしたいと思います。

 教育の荒廃が叫ばれる中にあって、教育のあるべき根本に立ち返り、一人一人を大切に、個性を重んじ、真心ある立派な人間の育成を目指して、理想の教育を実現すべく、教育の現場で三十六年間汗をかいてまいりました。その経験から確信を持って言えるのは、教育は魂の伝達であり、感動の触れ合いがなければならないこと、教育は情熱あるすぐれた指導者が必要であり、特に教員の質、人間力によるところが大きいと思います。

 政府案第九条には、教員の心構えとして、「学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない。」と規定しております。さらに、すぐれた教員を確保するため、その使命と職責の重要性を踏まえ、養成と研修の充実を図らなければならないと規定しております。

 教員の質の向上を図るためには、養成、採用、研修の各段階において適切な手だてを講じなくてはなりません。その意味で、政府案第九条に規定する理念は教育のあるべき本質を見事に言い当てていますが、我々国会議員は、こうした理念を法律にきちんと規定するだけでなく、この理念をどのように教育の現場で具体化していくかということを考えていかなければならないと思います。

 このような観点から、政策提言の意味を含めて、まず、教員の質の向上について幾つか質問させていただきます。

 すぐれた教員を得るには、まず、養成段階で、すなわち大学における養成課程、カリキュラムの編成でございます。すぐれた実践力を身につけさせる必要があります。そのためには、教育実習の充実が不可欠です。教員の実践力は、子供の触れ合い、魂の触れ合いの中からしか研さんできないと思います。

 そこで、文科大臣にお尋ねいたしますが、教員養成課程における教育実習のあり方、教育実習の実態、どの程度の学年からどの程度の時間をとって教育実習を今まさに行っておるか、お伺いいたしたいと思います。

伊吹国務大臣 先生よく御存じのように、教員養成は二つの系統の大学で行われております。教員養成を専門的にやる学校と、一般学校においても教員資格を取ることを開放いたしております。

 確かに、学校現場では、一番大切なことは先生と児童との間の信頼感、先生のお言葉で言えば魂の触れ合い、そこから出てくる共通の感動というか、そういうものがなければやはり人間は自己成長しないわけですね。もちろん、知識がなくて教えてもらっちゃ困るわけですから、知識は知識でマスターをしてもらわねばなりませんが、国立の教員養成学校では、先生が今おっしゃったように、触れ合いの大切さということで、大学の一年生のときから実習をやっております。しかし、一般の大学では、大体三年生から四年生にかけて実習をやるというのが普通でして、一年生からやるだけの、率直に言って受け入れの力がまだ備わっていない、力というか設備その他も含めてですね。あるいは、大学のサイドの教育のあり方等から見てそれだけの力が備わっておりません。

 そこで、来年度予算で、教員養成改革のあり方をもう一度、先生のおっしゃったようなことを考えておるわけなんですが、考え直してみようということで、予算要求を今いたしております。ここで少し調査研究をさせていただいて、やはり大きな効果が上がるようでございましたら、もちろん大学側の負担、学生側の負担も大きくなると思いますが、一般大学においても実習的触れ合いは少し時期を早めてやることを考えなければならないかなという気がしております。

井脇委員 ありがとうございます。大変うれしくなりました。

 今まで百名ぐらい、私は教育実習生を引き受けてきました。これは二種類の中の一般の方でございますが、その教育実習の時間が不足していると思います。学生は、できるだけ大学一年生、二年生のときから教育実習を経験し、大学にまた戻り、高度な知識を身につけ、そしてまた実習を行うという繰り返しを通じて真の実践力を身につける必要があると思っております。

 学校を経営しておりますが、先ほども言いましたように、これまで何百という実習生を引き受けて、もう本当にすばらしい教員になるなという素質は持っているなと思っても、実習時間が短いために、今までは四年生で二十一日間だけなんですね、それだけで学校の教員の免許を取るというのですから、これはもう、授業の前日までに指導案をつくり、そしてそのとおりに授業をすることだけで精いっぱいで、子供との触れ合いを通じて教員という職業のすばらしさを知ったり、先輩教員の苦しみや悩みや、また子供の喜びや教育の喜びや、そういうことに向かい合う姿を見て教員の厳しい現実も知るという段階までいかないんです。ただ自分が板書して、一生懸命その四十分の授業を展開するだけの二十一日間で終わってしまっておるわけです。そのために、大学生活全体を通じて何度も実習を経験させることによって、もっと高い実践力を身につけ、学校現場に送り出すことができると思います。

 そうなりますと、一般の大学の教職課程をとっている人も大学二年生ぐらいから教育実習を義務づけられるような手だてを講ずるべきだと先ほど文科大臣からも見解をいただきましたので、私は、これで随分、胸が喜びでいっぱいでございます。

 もう一つは、先ほどから、安倍政権の中で、教員免許の更新制について十年間のスパンを言っていらっしゃいますけれども、私は、子供の発達は三年が一つの節目、小学校が三年生、また、四年から六年までの三年がもう一つの節目、中学三年、高校三年、まさしく節目に学校段階が組織されていますが、教員はこの節目までに責任を持って子供と一緒にいるべきと思っていますが、教員にとっても三年が節目と思っております。

 だから、免許更新のスパンが、三、三足して六年ぐらいを基準とすれば大変すばらしいものになるのではなかろうかと思っておりますが、十年はちょっと長くて、三を三回に一年足して十年ということになりますから、十年は長いな、六年から七年ぐらいがいいと思いますけれども、やはり十年とか五年とか、きちっとしたところがいいのかなとも思ったりしますが、私としては六年を基準と考えておりますが、いや、文科大臣はいかが考えておりますでしょうか。よろしくお願いします。

伊吹国務大臣 安倍内閣は最大の政策課題として、やはり教育の再生というか、これからの日本を担う国民の人間力の向上、頭と体とそれから心、この三つのバランスのとれた人間をつくらなければ、どんな経済や社会保障の改革をしても、それを使う人は日本人なんですから、いいかげんな使い方をすれば非効率になります。ですから、教育改革を最大限の政策課題と掲げたのは私は当然のことだと思います。

 いろいろな改革の方向がございますので、一つは、先生が先ほど来おっしゃっている、やはり教育現場を預かる教員の質をどう確保するかということです。これは、十年というのは中教審が一応文部科学大臣に示してくれた案なんです。再生会議も今別の観点からいろいろ協議をしておられます。

 今先生のお話を伺っていると、教育現場を預かっておられる御意見だけに、なかなか説得力があるなと思って私聞いておりましたが、いろいろな意見をこれから伺って、再生会議からも意見が出てくると思いますから、何年にするかは最終的には私が責任を持って判断して、立法府に改めて法律としてお伺いしたいと思います。

井脇委員 もう時間がなくなりました。十五題、頑張っておったんですが、時間がなくなりましたので終わりたいと思います。

 本日は本当に教育基本法に関連してさまざまな御質問をさせていただきましたが、我が国の教育は問題をたくさん抱えております。二十一世紀を切り開く美しい日本、また、心豊かでたくましい日本人の育成を目指すためには、教育基本法を一刻も早く改正し、教育再生の初めの一歩として必要であると思います、本委員会での議論をしっかりと行い、今国会で速やかに成立をお願い申し上げまして、終わりたいと思います。

 ありがとうございました。

森山委員長 次に、坂口力君。

坂口委員 質問に入らせていただく前に、伊吹大臣、そして官房長官、高市大臣、それぞれおめでとうございました。お祝いを申し上げるのが遅くなりましたけれども、お祝いを申し上げたいと存じます。

 伊吹大臣はひょっとしたら財務大臣かなと思っておりましたけれども、文部大臣におなりになって、初め少し驚いたところもございましたが、しかし、いろいろな問題が起こってまいりまして、適切に対処していただいて、大変よかったと思っている次第でございます。

 きょう、私がいただいております時間は二十分でございますので、そんなに多くをお聞きすることはできないというふうに思いますし、教育問題というのは私素人でございますので、少し基本的なことをお聞きさせていただいて、教えていただければというふうに思っております。

 教育というのは、すぐに結果の出るものではございません。長い期間をかけて、そしてその結論が得られるものでございます。戦後六十年の間に築き上げてきました日本の現状を見ますと、いろいろの問題点を抱えながらではありますけれども、しかしここまで成長してきたわけでありますから、戦後教育の果たした役割というものもやはり評価はしなければならないのであろうというふうに思います。

 臨時教育審議会におきましても、第四次答申の中で、「我が国近代教育が数多くの困難な事情を克服し、とくに教育を担当する当事者が教育の水準を維持・発展させてきた努力は十分評価しなければならないが、同時に以上のような教育の歴史的変遷のなかで時代や社会の変化への対応が十分できなかったことなどにより、今日、教育上の諸問題が生じ、今次の教育改革へと連なることとなったことを認識しておく必要がある。」これは二十年前の話でございますけれども、こういうふうに述べてあります。この考え方は、今もそんなには変わっていないのであろうというふうに思っております。

 そこで、戦後教育の中で何がよくて、何が悪くなったのか。いろいろ、文部科学省から出ておりますものを読ませていただきましたり、にわか勉強でございますけれども勉強させていただきましたが、その何が正しくて何が正しくないのかというところが明確に書かれたものというのをなかなか見つけることができ得ませんで、私の不勉強かもしれません、なかなか見つけることができなかったものですから、その辺のところをどんなふうに大臣がお考えになっているか、まずお聞かせいただければ幸いです。

伊吹国務大臣 これはもう、坂口先輩がお読みになって的確にわからないなとおっしゃるのは、みんなが持っている共通の感覚だと私は思います。というのは、教育というのは、やはり理想の日本人像とかこういうものは、おのおのの個人の人生観とか価値観によってみんな違いますね。ですから、なかなか一つの的確な答えは出てきにくい分野でございます。

 この場で保利先生に御質問をいただいたときに、現行の教育基本法を廃案にせずに、これを全面改正するということをおっしゃって、私は、なるほどなと思って聞いておりました。それは、戦後、現行の教育基本法というのが日本全体に果たした、また教育的に果たした役割はやはり非常に大きなものがあったと思います。

 教育に限定して言えば、やはり日本の児童の学力基準というのは、OECDの調査を見ても、ほぼベストファイブに入っております。このごろ、やや自国語の理解、表現力の部分が落ちてきているのは残念なことですが。そして、これだけの社会を大きな混乱なく経済成長をさせて、ここまで福祉その他の面で充実ができたのも、やはり日本人の資質があればこそだと思いますから。特に、公平に、親の所得だとか地位と関係なく、学力が比較的平均しているという国は日本しかございません。これは、やはり戦後教育の大きな成果として評価をしなければならないと私は思っております。

 しかし、同時に、それはそれとして、かなり時代の変遷がございまして、国際化が大きく進んだ、長寿化が進んだ、核家族化が進んでいる、少子化が進んでいる、こういう中で、地域社会あるいは家族というものの教育力が非常に低下をしてきている。そしてまた、日本人のアイデンティティーというか、パスポートを持って仕事をしなければならない国際社会の中にいや応なく組み込まれているということを考えますと、現行法案の中に書かれていないことをかなり書き込まなければならない。

 だから、戦後教育が悪いというのじゃなくて、むしろ、戦後教育が時代の変遷に追いつかなくなって、足らざるところを補っていくというふうに私は考えておりまして、保利先生がここで御質問になったのを聞いて、なるほどなと、私は、実はこの法律の成立過程に濃密には関与しておりませんでしたので、保利先生の御質問でいろいろ教えられるところがございました。

坂口委員 ありがとうございます。

 確かに、文部科学省が書かれておりますこの教育白書などを拝見いたしましても、今までの教育が不十分である、あるいは、足りないところがあるという表現になっておりまして、今までの教育が根本から間違いであるというふうに書かれたところはないというふうに思います。文部科学省が考えていることと逆のベクトルで、方向が違うというようなことは一切書いていない、不十分であるということが書かれている。

 ここでもう一つお聞きをしたいわけでございますが、時代の環境というのは変化をしていくわけであります。時代に教育が合わなくなったというふうに言いますときに、確かに現在の社会に過去につくられた教育制度というのが合わなくなっている部分があるのかもしれない。しかし、例えば、現在の教育制度を現在に合うように仮にしたといたしましても、現在育つその子供たちが将来成長して、そして日本を担ってくれるときには、また社会は変わっておるわけですね。

 私なんかのように戦中派ですと、戦争中に受けた教育なんというのは、全然今ともう合わないわけですね。合わないけれども、そのときに学んだことを大切に守っているということだと思います。

 いわゆる教育を学ぶときと、それを支えとして活動するときというのは、絶えずタイムラグがある。それをその時代に合わせた教育にするという意味はどういう意味なのかということを思うわけですが、御感想ありましたら、ちょっと聞かせていただきたい。

伊吹国務大臣 まず、これから育っていく児童には、やはり現時点に適合した一番ふさわしい教育を受けさせる。しかし同時に、現行の教育基本法にもこの教育基本法にも一章起こして「社会教育」という章があるんですね。

 ですから、坂口先生は戦前の教育をお受けになっていますけれども、それ以上に、先生の日常活動の中で自己研さんを積まれ、そして生涯教育を、御自分では意識しておられないかもわかりませんけれども、こういう国会で、例えば厚生労働大臣として御答弁になっている中で、先生御自身が鍛えられ、先生御自身が大きくなっておられるということ、これがやはり一番大切なことで、人間は生涯にわたって学んでいくわけですけれども、学びのスタート時点だけはやはりその時点に合った教育でスタートをさせたい、こういうことでございます。

坂口委員 わかりました。ありがとうございます。

 これは事務方の方に一つお聞きをしておきたいと思うんですが、文部科学省の教育白書の中に、現在の教育には、社会経済の変化や子供を取り巻く環境の変化にうまく対応できない状況が見られます。このような教育をめぐるさまざまな問題に対応するためには、学校を中心とした制度改革や施策の充実とともに、学校、家庭、地域を含めた社会全体の中で教育のあり方を見直していくことが求められていますと。

 もうそのとおりだろうというふうに思うんですが、学校の中で、現在、いじめがありましたり、あるいは不登校がありましたり、時には殺傷事件が起こったりと、さまざまなことが起こってくる。学校の中に起こっているそうしたことは、現在の社会現象がそういうふうになってきているからそれが学校にも伝播してきているというふうにとるのか、学校の中での教育の混乱というものが社会に影響を与えてきているというふうにとるのか。

 これは見方はいろいろあると思うんですが、少なくとも文部科学省がお書きになっているものを見ると、社会環境の変化というものによって学校の中もいろいろ影響を受けているので、そこをよく見ていかなければいけない、こういう意味でお書きになっているように思いますが、そこはそれでよろしいですか。これは長い歴史の間のことでございますので、文部科学省等の中で……。大臣からお答えいただければ、恐縮でございますが。

伊吹国務大臣 現行の教育基本法に書いてございませんで、今回書いておりますのは、例えば、今未履修が問題になっております高等学校というのは、両方にしっかりした記述がないんですね。それから、大学は、現在の基本法にははっきりとした章が起こされて書いてありません。しかし、これからはまさに知恵比べの時代ですから、これは明確にやはり書かないといけないと思いますね。

 それから、今先生がお読みいただいた白書の中の家庭の部分については、現行の教育基本法では、社会教育の中に家庭教育というのはちょっと触れられているだけです。しかし、今回の内閣提出の法案には、家庭教育というのは一章を設けて明記しております。つまり、こういうものをかなり基本法の中に書き込んで立法府でお許しをいただけると、それにぶら下がっていく各法律、あるいは政令、通達、予算措置が非常にしやすくなる、こういうことを考えて記述をしたんだろうと思うのでございます。

坂口委員 御指摘を受ければ、確かにそうかもしれないというふうに思いますが、少しその辺のところを事務方の方で整理をしていただきまして、わかりやすくお示しをいただくことができればというふうに思っております。大臣から御答弁をいただきましたので、ありがとうございました、結構でございます。

 今も履修不足のお話が出ましたけれども、最後に、もう時間がありませんから新しい問題に入るわけにいきませんので、これはあれでございますか、今も学習指導要領でしょうか、そうしたもののお話も出ましたけれども、これはもう少し、高等学校におきます学習指導要領なりそうしたものをつくり直していくといいますか、書き直していくといいますか、もう少しそこは明確にしていくというふうにお考えになっているんでしょうか、この混乱を今後起こらないようにしていくために。そのお考えをお聞かせいただければと思います。

伊吹国務大臣 今回は、率直に申せば、学校教育法に基づく指導要領どおりの授業を高等学校でやっておりませんでしたので、緊急避難的に、指導要領は変えずにその救済策を与党内で協議し、野党ともお話し合いをして、各教育委員会、そして、私学を管轄しております知事に通知をしたということです。

 先生のお尋ねの意味が、大学の入試と指導要領の必修の云々が合わないということを念頭に置いていらっしゃるとすれば、これは、大学入試の科目が少な過ぎるんじゃないかという意見もあるわけですよ。逆に、今のような少ない状況でも、必修との間のバランスがとれないじゃないかという意見もあるわけです。しかし一方、今度は、高等学校で実社会にお出になる方からすると、高等学校の授業内容は不十分じゃないかという説もあるんです。

 だから、両方の説がございまして、これはやはり広く、一応、国民各層、つまり中教審を中心として意見を聞いて、教育基本法を通していただければ、その理念も念頭に置きながら、指導要領を変えなければならないところがたくさんありますので、その中でまた検討し、各政党にも御意見をお伺いしたいと思っております。

坂口委員 ありがとうございました。

 時間がもうあと一分ぐらいしか残っておりません。本当は高市大臣にも少子化のことで一問お聞きをしたいというふうに思っていたわけでございますが、聞きましたら、それは厚生労働省だ、それは文部科学省だと言われまして、事務方はなかなかうるさくて、大臣に聞こうと思いましても、うまく聞けなくなってしまったものですから、もうそれじゃやめるかということになってしまったわけですが、何か一言、思っておみえになりますことがありましたら、一言、何でも結構ですからお答えをいただいて、終わりにしたいと思いますが、何も言うてなくて申しわけありません。

高市国務大臣 御配慮いただきまして、ありがとうございます。

 私は、今の少子化の現状というもの、それから核家族化、こういったものが家庭教育に及ぼす影響というのは非常に大きいんじゃないかなと思っております。

 特に、私たち子供のころは、兄弟、弟や妹の面倒を姉、兄が見たり、それで割と幼児の時期の育ち方、何に注意すればいいか、そんなことを自分で体験したものでございました。また、私の家も両親が共働きでしたが、一緒に住んでいた祖父が、例えば、人に迷惑をかけてはいけないとか、そんなことをしたらおてんとうさまの下を歩けないとか、絶対にうそをついちゃいけないとか、いろいろなことを教えてくれた、そんなふうに思っております。

 ですから、やはりこの少子化の問題ということも、一つは家庭教育をより充実していく上におきまして大事なんじゃないかな、こんなことを考えております。

 いずれにしましても、孤独な子育てをしているお父さんやお母さんがいらっしゃったとしたら、それをうんと応援していく、そのために頑張ってまいりたいと思っております。

 ありがとうございます。

坂口委員 ありがとうございました。終わります。

森山委員長 次に、古本伸一郎君。

古本委員 おはようございます。民主党の古本伸一郎でございます。

 各大臣、そして民主党の提出者におかれましては、連日の御対応、大変お疲れさまです。

 冒頭、今般のいじめによる、みずから命を絶たれた、それぞれの亡くなられた生徒の皆さんの御冥福を心よりお祈り申し上げ、そして、御家族の心の痛みいかほどかということに思いをいたしながら質問させていただきたいと思います。

 まず、学校教育と社会という切り口から少し整理をしなければならないことがあるというふうに思っております。

 何か悪いことがあると、どうも学校の責任になる、あるいは先生が悪い、こういう非常に単純な理屈で議論があるわけでありますが、では、例えば投票率が低い、あるいは政治に関心がないといって、教育が悪いと余り声は上がりません。むしろ、私たち政治家自身が魅力がないんだとか、あるいは政党が魅力が、政治が悪いからだ、こういうふうになるわけであります。

 まだあります。例えば脱税がある、ライブドア事案のようなことがある。そうすると、学校が悪い、先生が悪いとだれも言いませんね。むしろ、そのやった本人が悪い、あるいは税、会計制度が悪い、そういう仕組みの話になります。ところが、いじめがある、これは、学校が悪い、先生が悪い、非常に単純な議論になるわけであります。

 この投票率、そして脱税の問題、これは実は学習指導要領に書いてあります。もうこれは大臣に申し上げるまでもありません。例えば租税に関して言えば、これは小学生からしっかり書いてあります。国民としての権利及び義務については、参政権そして納税の義務などを取り上げて指導するようにと指導要領に書いてあります。中学になればさらに書いてある。役割と国民の納税の義務を理解させる。高校に上がればさらに書いてあります。

 政治に関して書いてあるか。これも大変書いてあります。これは、指導要領に基づいて指導した結果の評価の観点及びその趣旨の手引書、指導要録の書き方です。役所の方からいただきましたが、政治に関して言えば、これは丁寧に書いてあります。意欲・態度、技能・表現、知識・理解、それぞれにおいて、これは小学第六学年において、我が国の政治及び国際社会云々、「我が国の歴史と政治及び」つまり政治の必要性が書いてある。

 そこで大臣にお尋ねします。いじめについては何か指導要領に書いてあるんでしょうか。

伊吹国務大臣 いじめそのものについて、指導要領に書いているということはないと思います。

 しかし、いじめ、弱い者をいじめちゃいけないとか、あるいはお互いに共生して生きていかなければいけないという精神については、どう教えるかということは、具体的なことは政府参考人からお答えさせますが、それは指導要領のあらゆる場面にちりばめられていると思います。

古本委員 今回の未履修の問題もそうですが、結果として、試験に出るから勉強する、あるいは大学が、入試の傾向がこういう傾向があるから、そこに合うように高校は勉強の準備をする、これは私立、公立問わず、高校受験に関して言えば、中学生はそうやって勉強する。そうやって、さかのぼってくれば、出るから勉強する。これは、先ほど来諸先生方が議論を重ねているとおりであります。

 ところが、このいじめに関して言えば、実はこれは、行動の記録というのが通信簿の右側に大体ついていますね。行動の記録の評価項目及び趣旨ということで、例えば思いやり・協力、生命の尊重、勤労や奉仕。恐らく、大臣がおっしゃったのは、こういったことで包括的に書いている、こういうことだと思うんですが、ありますよ。これは全部読み上げると大変ですが、温かい心、助け合う、感謝の心、生命を大切にする、相手の立場に立つ。これの一体どこにいじめという三文字が入っているんでしょうか。

 もっと言います。この際、書いていかないとわからないんじゃないでしょうか。

伊吹国務大臣 先生も労働組合の御経験があると思いますが、労働組合の目的は、賃上げを確保することが実際問題としては大きな目標になっておりますが、そのことを労働組合の目標として掲げているという成文はないんじゃないでしょうか。労使の間の協調、そして適切な配分を受けるということがやはり基本であって、それと同じように、いじめという現象をどうするかということを、それは、書くというやり方も一つあると思いますよ。それは私は否定しません。しかし、教育というのは、いじめをなくするために教育をしているわけじゃなくて、いじめというのは一つの現象なんですから、包括的な人間形成の中で、そういうことの起こらないようにする、これがやはり教育の本来の私はあり方だと思います。

古本委員 実は、調べますと、何を教えるかというのは指導要領です。国が、まさに小中とそれぞれの段階によって、公示行為として大臣が出されておるわけですね、責任を持って。これは国として責任を持ちます、何を教えるか。

 一方、これに書いてあることに沿って、では何を学んだか、習熟状況やあるいはどういう態度で学びに接したか、立ち向かっていったかということが、これは評価の仕方になろうかと思いますが、テストでやるのか、それこそ作文を書いてもらうのか、日ごろの学習態度から見るのか、実は現場に任されています。そうですね。任されているんです。

 何かを教えなさいということは国が決めて、それをどのように教えたかをチェックする。チェックという言い方は不適切かもしれませんが、習熟を確認していかなければいけませんので、これは現場に任せている。ただし、確認のときの留意点ということで、先ほど申し上げた要録があるわけですよね。これは、文科省の初等中等教育局長の通知ということになりますね。ただし、これも、必ずしもこれでなければいけないというわけではなくて、参考にしてくださいという程度だというふうに理解をいたしています。いいですか。

 つまり、教えることは、国がある意味、ナショナルスタンダードとして決めている。それを習熟したかどうかの確認は、ある意味現場に任せている。だけれども、実際の評価という段取りになると、この通知が出ている。そして、結果、最終的に卒業をさせるかどうかの認定は学校長が行う。要するに、それぞれの段階で、国と現場という関係に、さらに間に教育委員会が入ってまいりますね。きょうは、教育委員会の話は時間があればやりたいと思いますが。

 つまり、教えなさいということが決まっている以上、これはやります。だけれども、実際にやれたかどうかの確認は、現場に任せていては、先ほどの行動の記録のように、これはすぐれて道徳的なことを規範として書いておられると思いますが、これを守れる人に育ったかどうかを、小学六年生の段階で卒業し送り出せているのか、中学三年の時点で送り出せているのかということを確認するところまでは、ある意味、拘束力なり強制力がないわけですね。もちろん義務教育ですから、落第という概念はないと思うんですが。このままで本当にこのいじめの本質的な問題に対峙ができるんだろうかと。

 つまり、いろいろ申し上げましたが、今の日本の若い御家庭の保護者の方々、受験に出るといったら教えるんです。あるいは試験に傾向と対策とあるなら、それはやるんです。でも、試験に出ないことは関係ないんです、優先順位として。したがって、この道徳やら、あるいはこの行動の記録やら、こういうものは、もう少しどちらかにはっきりさせた方がいいんじゃないか。つまりは、国が教えなさいということまで決めるんであれば、その評価も含め、卒業も含め、全体に横ぐしを刺すべきじゃなかろうかという議論も一方である。もう一方で、地方に任せてはどうか、現場に任せてはどうかという議論、両方あると思うんです。責任の所在の明確化ということだと思います。

 教育再生会議で、文科行政の頂点に立たれた小野次官も、再生会議委員として、いいことをおっしゃっていますね、卒業時点で学生の質を保証すべきだと。この道徳に関して、すぐれて保証できているんだろうかという思いを強くいたすわけであります。

 そういう思いから、いじめという三文字を本当にこの要領に書かなくて、さらには要録で、生徒の皆さんが一年の歳月を経て、一歳、一年年をとって、そしてお姉さんやお兄さんの後ろ姿を見ながら追いついていく、そして育っていくということのチェック、確認をする要録に、そういった観点は入っていませんね。いじめということでは書き切っていない。この際、もうこの状況を見れば判断をするときに来ているんじゃなかろうかと思うわけでありますが、御所見を求めます。

伊吹国務大臣 よくぞ聞いてくださいました。まさにそのところが問題なんですよ。

 であるからこそ、義務教育あるいは高等教育については、国として一定の基準を持って、ここまで教えたから高等学校卒業生である、あるいは義務教育の修了者であるという基準は、やはりこれは要るんですね。ですから、国が、安倍総理が所信の表明でも言っておりましたように、すべての児童に基本的な学力と、今先生がおっしゃった規範意識を保障する機会を与えたい、こういうことを言っているから、国がやはりそこは関与せざるを得ないわけです。

 ところが、現実はどうなっているかというと、もう御承知だと思いますが、確かに国は基準を示しております。しかし、その基準を地方の教育委員会あるいは学校長に強制し、それを強制したことどおりできているかという、何というんでしょうかね、検証権限、がないわけですね。具体的に行政をやっていくためには、人事権であるとか予算の執行権であるとか、あるいは措置命令権であるとか承認権であるとか、こういうものがないわけですよ。ですから、今おっしゃっているような、最後に、検証できないじゃないかと、私はこれは確かに先生の御指摘どおりだと思いますよ。

 しかし、今度は、だから国がもう少し関与した方がいいという意見と、先生がおっしゃったように地方に任せた方がいいという意見と。民主党案は、私は非常によくわからないんですが、読んでみたんだけれどもよくわからないのは、教育の最終的な権限は、義務教育については国にある、しかし、教育の実施権限を首長に渡す。そうすると、首長は選挙で選ばれておりますから、特定政党が支配している町もあります。それから、ジェンダーフリーを極めて強く訴えておられる首長もおられます。そういうところに教育権を渡すというのは私は余り賛成ではないんですが、しかし、民主党案は、国に教育の責任はあるけれども、教育の実施権は地方に渡そうという構成になっております。私は、どうもそれじゃうまくいかないように私自身は思いますが、いろいろな考え方があるでしょう。

 ですから、ここで議論をしていただいて、国民の御判断を仰いで、私はもう少し教育行政に、権限があるところに結果責任をとるという原則があるわけですから、これははっきりさせる必要があると思います。

古本委員 民主党案の話も触れていただいたんですが、これは、この委員会で諸先生の御議論をずっと拝聴していますと、大臣のおっしゃるところのイズムのある人が首長を務めている可能性が高いわけでありまして、そういう人に任せていいのか、こういう議論になりますが、でも、現実問題、教育委員会の委員さんは最終的に首長の長が任命していますね。現状においても、間接的に市長さんや町長さんの、ありていに言えば息のかかった人が教育委員さんに入っておられるわけでありますから、その議論は今もってファイアウオールはないと私は理解しています。

 それを申し上げた上で、せっかく民主党の話が出ましたので少しお尋ねをしておきますが、これは、明らかにいじめ問題は、恐らく都道府県偏差、あるいは地域偏差、あるいは学校間偏差があると思います。そういう意味では、よりきめ細かな指導要領あるいは要録の自主運営を地方にゆだねることによって、実は、文法や計算を覚えることも大変大事でありますが、まずもって生きるということの大切さ等々を学ぶことが喫緊の課題であるという地域や学校が現実問題あるわけでありますから、その意味では、各教育委員会にある裁量権がゆだねられ、民主党の場合は教育委員会を少し再編しようということを提案しておりますが、その方がより現場主義になっていいんじゃないかという立場から先ほどお尋ねしたわけであります。

 その辺は、民主党提出者の方、何かコメントありましたらお願いいたします。

藤村議員 今、多分、地方の教育行政という観点から御質問があったと思うんですね。伊吹大臣が疑問に思うという点も、我々も、ですから今後、地教行法という、地方教育行政に関する法律というものの組み立て方で相当大きく変わってくると思います。

 我々は、非常に大ざっぱに大きく言えば、普通教育において、特にナショナルスタンダードであるとか財政であるとか、そして行政の全体の法体系をつくるのも国でありますから、それらをきちんと国が責任を持つということでございますが、しかし、教育というのは一番、現場の中で何が起こり、何を教え、そしてどういう困難に立ち向かうかという、やはり現場の中で責任を持ってやっていただく部分が大半であろうと思います。

 そういう意味で、学校理事会というもので、今の学校、やや閉ざされたと言うと語弊があるかもしれませんが、学校の中でのみ教育が行われるのではなくて、その地域の方、あるいは保護者、そしてもちろん学校の校長さんも含めて、さらに地域の教育の専門家、そういうことが入っての学校運営、そこに大半の権限、もちろん責任も果たしていただく。そして、かつその学校を経営する、運営する責任というのが首長にある。

 さっき古本委員がおっしゃったように、現状が、今の教育委員会制度が、もう三十年来、形骸化されていると言われ続けて、まだ大きく変わっていない、また、今回の政府提案も、今の教育委員会制度を多分温存というか引き続きやろうという考え方でございますので、やはりそこに大きくメスを入れるというのが今回の我々の新法でございます。

伊吹国務大臣 今藤村先生がおっしゃったことと私はそんなに違う感じを持っていないんですが、結局、民主党案の場合は、教育の責任は国にある、しかし実施権は首長にあるということを言っておられるわけですから、藤村先生がおっしゃったように、国にあるということをどこまで基本法以下の法律で担保するのか、そして、地方の首長に教育権を譲るということは具体的にどういう内容を譲るのか。これをやはり詳細に詰めないと、公平な議論はできないんです。

 ただ、国に権限があるといって実施権をすべて地方に譲っちゃった場合は、今のように教育委員会をかませて、そして首長が確かに教育委員を指名しますが、これは議会の承認を得なければなりませんよね。そういういろいろな民主主義の手続をかませているわけですよ。そういうことから考えると、監査委員会的という表現で組織を置くことを考えていらっしゃるようですが、やはり首長の関与権というものはかなり強くなるんじゃないかという印象を私は受けています。

 これは、今藤村先生がおっしゃったように、公平に言うためには、その基本法以下の下位法をどのように民主党案を前提に構成していくかということによって違ってくるわけですから、そこのところは少し補足させていただきます。

古本委員 もちろん議会の承認もありますが、議会もまさにイズムの殿堂でありまして、そこの多数会派の意見によって決まるわけでありますから、それも実はファイアウオールは現状はないと私は理解いたしております。

 その上で、今個別法の地教行法等が出てまいりましたが、この委員会では、累次にわたりまして大臣みずから、基本法は理念法である、したがって理念を論ずる場である、個別具体的な各法は別途それぞれの担当の委員会でやるという御趣旨のことをおっしゃっておられますが、これはそれでいいと思います。

 しかしながら、いじめという切り口からきょう質問してまいりましたが、現実問題、道徳やらあるいは行動の記録等、それぞれの生徒の皆さんにどのような教育を受けさせるかということは、これはすぐれて指導要領に書いてあるんです。そして、それを評価する記録として、ポイントにあるのは要録として国が出している。

 したがって、これらの根拠法でいけば学校教育法、教育委員会であれば地教行法、それぞれの議論を今後にゆだねるとはいえ、ある程度の道筋は、このタイミングで大臣の腹の落としどころを確認しておかないと、この入り口の理念法である基本法を相わかったというわけにはなかなかまいらないわけであります。

 その意味で再度お尋ねいたしますが、例えば、人に優しくて、本当に弱い者を助け、親孝行して、そして年長者を敬う、先生のことをまさに教師と仰ぐ、そういうある生徒さんがA君としていて、一方で、全くそうじゃない、道徳的には恐らく、今道徳の評価はないですが、仮に評価がついたならばもう三角かバツであるというB君であるにもかかわらず成績は優秀である、算数はよく解ける、漢字はよく知っておると。これは、結果的にどっちの子が、今後どうなっていくかということを考えると、もちろん後者が評価されるわけですよね、今の仕組みによると。

 でも、これは毎日ですか、実は「「いじめ自殺」十六件」、もっとほかにあるんじゃないかという報道も出ています。もちろん文科省はとっておられると思いますが、潜在的な、こういう遺書等々を精査すれば、ほかにまだまだあると思います。

 こういう、まさに胸が張り裂ける思いで全国の関係者がいらっしゃる中で、この際、道徳という切り口でもう少し指導要領を、そして、その習熟度あるいはその行動の記録をフォローしていく要録を見直していく御決意はいかがですか。そして、その心は、この教育基本法の中、今回の政府案の中にうたわれているんでしょうか。うたわれていないのであれば、これは今からでもいいですから、今後こうしていくんだということを、御決意をお聞かせ願いたいんです。

伊吹国務大臣 これは教育特別委員会で、この委員会に教育基本法の御審議をお願いしているわけですが、その御審議の過程で、委員がどういう御質問をなさるかということは、これは理事会で協議をしてお決めになることに当然我々は従ってお答えをするということですから、それは先生御遠慮なく、御質問があるのならしていただいたら結構だと私は思います。

 安倍総理も所信表明で申し上げているように、基礎学力と規範意識ということを言っていますね。規範というのは何だろうというと、先生のお言葉で言えば道徳ということになるのかもわかりません。

 この規範というのは、教育論がだれにでもできるというのは、まさにこういうところにかかっているんですが、何が人間社会のために必要なのかというのは、その人の人生観、価値観によってみんな違ってきますが、かなり共通のものがあるわけですね。各国共通のものがあります。各国共通のものは今の教育基本法にしっかりと書かれていると私は思います。

 しかし、日本独自のものがあるわけですよ。日本には日本の規範意識というものがあります。これは、日本の長い歴史の中でビンテージを持って醸成されてきた日本特有の文化の結晶のようなものですね。アメリカという国は、各国の規範意識を背負ってきた人が移民をもってつくった人工的な国ですから、一つの規範でなかなかやはり割り切りにくい国であるから、法律が社会の秩序の根幹に入っている。日本はやはりそうじゃない。そういうものは今回の教育基本法の中にかなり色濃く書かれているわけですね。

 ですから、当然、この法案が国会でお認めいただければ、学習指導要領等を含めて、何を教えるんだ、先生のお言葉で言えば道徳について、もう少し指導の範囲、あるいは教えるべきことを書き直すような御提案を中教審等からいただいてつくっていく、こういうことです。

古本委員 小学六年間で何を学ぶか、これは、恐らく基本的に読み書き計算を学ぶ。ここに、読み書き計算にプラスアルファで、やはりいいことと悪いことの区別がつくような人間として育てていっていただきたいと思うわけですね、学校現場で。加えて、もちろん、家庭教育の話は後ほどやりたいと思いますが、あるわけですよ。

 したがって、この要領がある限りは、これを所管されているのはあくまでも大臣でありますから、今官房長官お戻りになられましたが、もちろん中教審それから再生会議等々から、どういう役割で機能していくかということを、これは少し確認をしておきたいわけであります。

 実は、教育再生会議の会議録も拝読いたしますと、大変いい御意見をそれぞれ委員の方々はおっしゃっておられます。ところが、法律を決める現場はここでやっているわけですね。そして、中教審はもちろん、文科大臣がそこから答申を受けている、こういうことなんでしょうけれども、我々、それより先立ってこの基本法を議論しているわけです。したがって、腹の持ち方として、昨今のこのいじめ問題に直面するに当たり、大臣としてどういう腹のくくり方をされて、今後、このことに対し大臣としての思いをなさっておられるのかということを尋ねているんです。中教審からいずれ上がってくるのでそれを見ますって、それはらしくないと思います。

 そういう意味で、再生会議で決めたことが今後どういう関係になっていくかも含めて、少しお尋ねをしたいわけでありますが、その際、論点を明確にしておきたいと思います。

 昨今のいじめの問題は、もちろん複合的にいろいろなことが絡んでいます。が、少なくとも今の生徒たちというのは実は素直なんです、と私は信じている。その意味では、試験に出るから勉強しなさい、試験に出るから塾に行きなさい、そして将来何になりたいかって、しっかりした子は持っていますが、もやっとした中で大学まで行くわけですよ、あらかた。感覚でちょっと申し上げていますが、統計学的に言っていませんよ。

 つまり、そういう中で、この要領にもっと道徳という切り口を書く、あるいはそういうように腹をくくっているという何かがないと、これはなかなか変わりません。小学校、中学校はぎりぎり道徳という欄がありますが、高校の指導要領には道徳というのはもう目次にさえ載っていません、これは。まさに、社会人としての第一歩を踏み出す直前まで来ている高校生において、むしろ後退しているんじゃなかろうか。実は道徳の未履修です、これは。道徳の未履修のままで、実はここまで至って卒業し、十八で世に出ていっているわけです。

 電車の中で、大臣、満員電車に乗ることがあるかどうかわかりませんが、それはそれは、電車は社会ですね、社会そのものをあらわしますね。本当に、お化粧し、お化粧をすること自体は悪いと言いませんが、はばからずにやっていますよ。

 それから、この間なんか、すごいのを見ましたね、中央線ですけれども。中学生ぐらいの、見るからに中学生の男子が無言で立っていました。傘をかけていまして、その傘がちょっと後ろにぴゅっと伸びたんですね。そうしたら、後ろに立っていた中年男性、読書していましたが、二人ともドア際に立っていた、その傘がぽっと当たったんです。どうしたと思います。当たった途端にけり倒したんです、その子を、後ろからどんと。次の駅で無言のままおりていって、それで、その傘を持っていた中学生はにやりと笑いました。まあ傘が当たったのが事実であれば済みませんの一言もなかったし。これが現実なんですよ。非常に矮小化させて言うとよくありませんが。

 したがって、これは、道徳という切り口はやはり小学生ぐらいのときから、本当に一年生、二年生から、いいこと悪いこと、きちっとけじめをつけて覚えていくという、体をもって覚えていくということを決めないと、これはなかなかできません。そういう思いから、一方で私どもは地方に任せると言いつつ、根っこにあるところはしっかりやった方がいいんじゃないか、そういう立場で申し上げています。

伊吹国務大臣 これは、先生の御議論を聞いていると本当に私は共感を覚えます。

 しかし、民主党の中の皆さんが同じ意見でしょうか。つまり参議院の方々も含めて。つまり、道徳を守らなければならないとか、いいこと悪いことはというお話をされると、だれもそのとおりだと思うんですよ。それは私もそのとおりだと思います。

 いいことの中身、悪いことの中身、先生のおっしゃっている道徳、これは一人一人のやはり価値観……(古本委員「はっきりしているんです、いじめなんです、いじめ、はっきりしている」と呼ぶ)いやいや、だから、価値観、例えばいじめをやらないような心を持たせるための具体的な項目、このことに触れると、おれはそういう考えじゃないという人が必ず出てきますよ、これは。

 だから、私は、今の教育基本法の中に日本の伝統的な規範の重視だとかということはたくさん書いてあるわけだから、それを受けて中教審に尋ねますと言ったのは、まさにそういう意味なんです。私は、ここで私の意見を言えば、必ずおかしいじゃないかという不規則発言がどこかから出てきますよ。日本の仕組みはそういう仕組みで成り立っていないんですよ。だから、注意深く答えているんです。

古本委員 大臣のおっしゃらんこともよくわかりますが、文部科学行政の頂点にある方なんですから、もう少し腹くくってもいいんじゃなかろうか、そういうことでお尋ねをしてまいったわけであります。

 今の要録の話で、一点失念していました。これを指摘しなければなりませんが、実は、日本語の乱れということを、我が党案、民主党案であれば、しっかりやっていこう、こういうお話でありますが、実は、乱暴な言葉遣いというのが、私は、ある意味、いじめの始まりにあるような気がいたしておりまして、例えば、大臣、きもいという言葉を御存じですか。わかる。わかっていただく。うざいという言葉はわかっていただく。最後のとどめが、死ねというのはわかりますか。これは三点セットですよ。まず最初にきもくなるんですよ。きもいと言われ、そして、あんたうざいと言われ、そして、死ねですよ。こんな日本語、どこに載っているんですか。要するに、これ、どこか指導要領に載っているんですか。

 ちなみに、その君の評価をする要録を見ますと、ありますよ。国語の、評価の観点及び趣旨で、話す能力。例えば、第一学年、第二学年ですと、「相手に応じ、経験した事などについて、事柄の順序を考えながら話したり、大事な事を落とさないで聞いたりする。」話す・聞く能力ですね。第五学年、六学年になると、「目的や意図に応じ、考えた事や伝えたい事などを的確に話したり、相手の意図を考えながら聞いたりする。」これ、どこにも、年長者を敬って話しかけましょう、敬語を使いましょう、相手の傷つくことは言わないようにしましょう、小学生ですよ、これが書いていないから、別にこれで成績が決まらないからやらないんじゃないですか。

 つまり、これはもう少し、この日本語の問題を取り扱っていく上で、乱暴な言葉遣い等々、これを直していくために、大臣はどういう心構えがあるんですか、心づもりがあるんですか。

伊吹国務大臣 先生の御意見を伺っていると、あらゆることは学校で教えられるという前提に立っておられるんですよ。子供は、まず、日本語がしゃべれるのは、学校で教えてもらっているからしゃべっているわけじゃないんですよ。学校教育以外のところから言葉はいっぱい入ってきます。こういう言葉はしゃべっちゃいけないというようなことは、一つ一つ一つ一つ、端から端まですべて書くのが指導要領じゃないんですよ。基本的なことを指導要領に書いて、あとは学校の先生の常識で教えるんですよ、そんなことは。指導要領に一から百まで書いちゃったら、身動きとれなくなるし、漏れることはいっぱいあるじゃないですか。その中で、どうも何か、現場で起こってまずいことについては、書いていないじゃないかと。そうじゃないんじゃないんですか。

古本委員 いや、これは誤解があるようであります。これは、書いていないからだめなんだと言っているのではなくて、結果として、学校の勉強がよくできる子が社会の成功者になっていくんですよ。これは、教育の機会均等等々、もう諸先生方、意見は一緒ですよ。結果的に、塾に行って、そしていい学校行って、それで上がっていって、最高学府出て、こうなっていくわけです。こういうのがあるわけです。そのときに、言葉の大切さという問題点があるんじゃないかと言っているんです。(伊吹国務大臣「断定しちゃだめだよ、それは」と呼ぶ)いえ、それは私の考え方で聞いているわけですから、大臣はやじらないでくださいよ。珍しい大臣ですけれども、余りやじらぬでほしいんですが。

 いや、これは、書いていないからいけないんじゃないか、書かなきゃ終わらないんじゃないかと言っているんじゃないんです。これは、結果として、書いていることは学校の先生は一生懸命やるんです。でも、書いていないことまでやるゆとりがないんですよ。

 では、聞きますよ。公文式に通っている生徒の割合を御存じですか。

銭谷政府参考人 公文式に通っている子供の割合について、私は承知いたしておりません。

 先ほど来のお話をお伺いいたしておりまして、ちょっと事務方にも御説明をさせていただきたいんですけれども、学習指導要領は基本的に先生が教えるべき事項について基準を示しておりまして、その結果の評価の話がずっと出てまいりましたけれども、指導要録につきましては、各学校がそれぞれ生徒の学習と生活の記録を保存するものとしてつくることになっておりまして、私どもはその様式を参考例として示しておりまして、記入自体は各学校長が行うということになっております。

 道徳につきましては、指導要録上は、いわゆる評点はつけないということにはなっておりますけれども、行動の記録ということで、その子供の活動をよく見て、その学年の目標に照らしてよく達成されているという子供については各項目ごとに丸をつける、そういうことで評価をする。評点はつけませんけれども、評価はする。

 ですから、学校教育は、やはり知徳体そろって教育をするということでやっているところでございます。

古本委員 要するに、町村筆頭も横にいらっしゃいますが、この辺みんな優秀な人ばかりですよ。今の子たちは、読み書き計算がなかなか、これは公教育ですよ、公教育の小学校課程において、やはり分数が入ってくるぐらいからだんだんちょっと落ちこぼれていく子は落ちこぼれるんですよ。そういうところを塾がサポートしているのは現実問題あるわけですよ、そういう仕組みが。そこに行くために親御さんはパートに出て働くわけですよ、塾代を稼ぐために。そして、明かりの消えた暗い家に子供さんは帰ってくる。そして、何のことはない、お母さんはパート代をそのための塾のお金に充当する。

 そういうふうに回っていっている中で、学校教育におけるそういう部分も、もう少しきめ細かな部分があっていいんじゃなかろうかという立場からお尋ねしているわけでありますので、これは書いていないからどうだということではありませんので、そこは国が関与し、要領、要録があるわけです。ある以上は、今以上に、いじめ問題に直面する現在、もう少し議論があっていいんじゃなかろうかという立場から質問してまいったわけでありますので、何も、そんなものに書いていないからどうのこうのと言われたら管理社会になるという趣旨のことで先ほど語気を荒げておられましたが、理路整然とした大臣らしくないと思いますので、申し上げたいことはよく理解をしていただきたいと思うわけであります。

 さて、残された時間で、安倍総理もおっしゃっておられる子供の生活習慣についてお尋ねをしてまいりたいと思うんです。

 実は、義務教育の小学校、中学校における学習時間を、民主党政調調べということになろうかと思いますが、単純に逆算しますと、これは事実ですから、逆算をすれば大体日当たり二時間ぐらいになりますね。学校だけじゃないと大臣がおっしゃったのは、私はよくわかっているんです。一方、御家庭でテレビやインターネットに触れる時間というのは、民主党の教育基本法の冊子をまた読んでいただけるとありがたいですが、あの中に参考データで出ています。四時間なんです。

 つまり、学校で先ほどの読み書き計算を教えてくださる先生からの、その時間に倍してテレビやインターネットを見ています。テレビというのは、スイッチを入れたら、切るのはなかなか勇気が要ります。おもしろいですから、見たい。これは生活習慣ですよ、テレビを家に帰って何時間見るというのは。スイッチを切るということ、あるいは何時間までだよと決めるというのは、極めて家庭での教育ですよね。

 こういう話になってくると先ほどの話に戻ってくるわけでありますが、分数が解けなくなってわからなくなったときに、親が見てくれるという子と、塾にやらせてもらって塾で補習してくるという子と、あるいは兄弟が教えてくれる、そして、それこそ夕暮れになっても一緒に居残ってやってくれるという先生もおるのかもしれません。いろいろな状況がある中で、これは、現実問題、学校と家庭というウエートでいけば、明らかに家庭におる時間の方が長いですよね。家庭におけるそういう、何かに接する時間という切り口で申し上げればそういうことだと思うんです。もちろん寝る時間も入れたらということになりますが。

 そうしますと、家での学習習慣というのは物すごく大事だと思います。例えば、大臣は共働きの家庭の教育力が低下しているという趣旨の御発言をされていると思いますが、できるだけ学校で読み書き計算はわかるように完結し、特別にピアノを習わせたいとか、ある意味、情操教育のところはおけいこ代ということが発生したとしても、本当に公教育の小学校のこの要領に書いておられることを履修する限りにおいては、できれば塾に行かずに学び切っていただきたい、そう思っておられるかどうか。もしそうならば、その分、大臣がおっしゃるとおり、なるほど、共働きせずに、お母さんも塾代を稼ぎにパートに行かずに済む、こういう話になるんですが、その辺はどういうお考えからこういうことをおっしゃっておられるんでしょうか。

伊吹国務大臣 どうぞ、発言したことを、いろいろな人が自分の解釈で、今もいろいろ教育指導要領の話その他ありましたが、私が申し上げたのは、私は先生と同じ意見なのは、読み書き計算などというものは、本来学校できちっとマスターするようにすべきだと思います。家庭の教育力が落ちているというのは、私が申し上げたのは、家でそんなことを教える力が落ちているということを言ったわけじゃないんですよ。

 つまり、御家庭というのは、基本的に、やはり人間として生きていくための基本的なルール、しつけ、これをしっかりするところですよ。ところが、残念ながら、お父さんもお母さんもパートで、補習のお金を稼ぐためにパートに出ているかどうかは、これは断定的には言えませんよ。いろいろな要素で出ておられる方がおられます。私の娘などもフルタイムで仕事に出ておりますが、どうもこれは、何も孫の塾通いのお金を稼ぎたいために出ているわけじゃなくて、塾には行かせておりません。しかし、社会に出ることによって、異なる価値観に女性としても触れて、そして女性として人間的に自己成長したいから社会に出ておられる方もたくさんおられるんですよ。

 だから、自分の判断だけですべてのことを決めつけずに、いろんな形で社会に出ておられる、これが日本の現実です。そのことが結局子供の、今の切り口で言えば、いじめだとかなんかをしないように、弱い人をどうするとか、さっきから先生がるるおっしゃったようなことをしつけていく家庭の力が落ちて、それを現場の教師にみんな押しつけるというのは、これは教職員の人たちに気の毒じゃないかということを言ったんです。

古本委員 大臣が今おっしゃられる話はよくわかります。ただ、一点、決めつけちゃいかぬよという、また御指導をいただいたんですが、厚生労働省の大臣官房が出しておられるパートタイム労働者総合実態報告によると、働く理由の第一、女性の場合、家計の足しと書いてありますよ。第二が生活維持のため等々です。ですから、これは家計の中に教育費という観点ももちろん入っているわけで、何も極めて主観的に言っているわけじゃなくて、一応こういうことも見ながら質問しているわけですから、余りそう、逆に質問者に対して断定的に言わないでいただければありがたいなと思うんですけれども。

 その上で、さらにありますよ。教育費の捻出の仕方というのも、これもまた国民金融公庫が出している資料ですから、政府系の機関ですから、これも中立性のある資料と思っていいでしょうか。これによれば、教育費の捻出方法、一つには、教育費以外の支出を削る、そして預貯金を切り崩す、残業時間をふやし、パートで働く時間をふやす。そしてどうやって節約するかというと、レジャーや旅行を我慢する、食費を削る。上位の順位からいうとそういうことなんですよ。これは国金庫の調査です。だから生っぽいデータだと思いますよ。

 情操教育を目指して、いろんなところで、日本というのはいいところがある、全国を旅行に連れていってあげたい、それを削って塾ですよ。今食育が叫ばれていますけれども、しっかり御飯をつくって食べさせてあげたい、それを削って塾ですよ。だから質問しているんです。

 だから、そういうことも余り決めつけずに聞いていただきたいですし、こういうバックデータが、公的機関が出しておるものの裏づけがある中で、なおお尋ねするわけでありますが、理想は、そうやって、読み書き計算、そして、いいこと悪いこと、少なくともこの場にいる皆さんであれば、何がよくて何が悪いかぐらいもうわかりますよね。そのことぐらいは家庭でもやるし学校でもやっていく、両方でやっていく、これはいいと思うんですが、そのときに、残念ながら、分数が解けなくなった生徒さんが、親御さんもパートに出て見てあげられないとなったら、塾にやらすしかないわけです、現状はそうなっているんです。

 そのことに対し、大臣としては、やはりある意味でのナショナルのミニマムとして、学校の先生のもっと残業時間の面倒、これは本当に気の毒ですよ。家庭訪問から何から、本当に限られた財源と言われて、そういう中で一生懸命先生方、現場で先頭に立っておられる方が大勢いらっしゃいます。そういう中で、今言ったような読み書き計算プラスいいこと悪いことの基本的なことを身につけるということについては、改めてこれは公教育の責任としてやっていかなければいかぬと私は思います。だから、ずっとこのお話を言っているんです。わかっていただけましたか。まだだめですか。

 その上で、もう一点だけ加えると、実は、サラリーマン世帯にあっては所得の捕捉率一〇〇%です。したがって、所得税が約十四兆から十五兆ありますね。このうち、勤労性所得、つまり源泉徴収組が約八割ぐらいあるんでしょうか。そういう皆さんが納めた、サラリーマン以外の方ももちろん納めておられますが、こういう所得税を初め、あまたの税で集めた結果、教育財源、学校の先生の分も含めて年間約七兆強あるというふうに理解していますが、これは実は、補習的に塾にやらせている御家庭が大変多いということは、結果として二重の負担になっているんですね。一たん税を納め、そしてその担税者の理解が得られる教育行政になっているだろうか、それは大事だと大臣もおっしゃっておられる。その上でさらに塾代を払うということは、これはある意味で二重の負担なんですね。そういう意味も込めて、きょうは、そういう基本的なところを学校できちっとやっていくんだと。

 それは家庭も大事ですよ。でも、現実問題、こうやってパートに出ているんです。家の明かりは消えている御家庭があるわけです。そういう立場で申し上げたんですが、御所見があれば、ぜひ、説教せずに教えてください。

伊吹国務大臣 いや、実は、一方的に決めつけられて説教されましたので、そうではないということを申し上げたわけです。先生、もう言葉のやりとりはやめたいと思いますが、塾へ行かすためにパートに出ているとおっしゃったから、パートにはいろいろな目的があるよと言ったんです。これは組合の交渉じゃありませんからね。

 ですから、先生がおっしゃったことは私はよくわかります。しかし、同時に、先生の小学校、中学校のときはどうだったでしょうか、あるいは四十代、五十代の方はどうだったかと思いますが、やはりできない子もいたけれども、もちろん今五日制になっていますけれども、大体、分数ぐらいは学校を出るときには、できない子も、二、三十年前はみんな、マスターして出ていましたよ。

 だから、教員の質の問題だとか家庭の問題だとか、いろいろなことが複合して今できているわけですから、学校では教師がかわいそうだ、大変だ、すべてきちっと教え込まれているけれどもということでもないんじゃないかと思いますから、みんなでいろいろな知恵を持ち寄って、子供のために、先生がおっしゃったように、少なくとも最低限の、安倍首相が所信表明で言ったように、先生の御主張のように、基礎学力は学校でつけられるように、私も努力をしますから、みんなで知恵を出し合いましょう。

古本委員 ただいま大臣の御決意を承ったというふうに受けとめたいと思います。

 そしてその上で、残された時間でもう一、二点。

 実は、教育再生会議の中で、これは現在の東大の総長が言っておられることだと思うんですが、本質をとらえる知というのが大事だというのと、他者を感じる力が大事だということと、先頭に立つ勇気ということを言っておられるんですね。こういういい話はぜひこの場で聞きたいんです。

 委員長、この際、中央公聴会を含めてしっかり、理念はいいんです、理念を議論するその先には具現化する具体的なシナリオが要るわけでありますので、まだまだ議論したいんです。きょう、もう時間切れとなりましたが、ぜひ中央公聴会のお取り計らいをいただきたいんですが、いかがでしょうか。

森山委員長 地方公聴会ですか。(古本委員「中央」と呼ぶ)中央。

 理事会において相談いたします。

古本委員 ありがとうございます。

 そして、この総長が言っておられることを私なりに解釈しますと、本質をとらえる知というのは、これはやはり、なぜ、なぜということを繰り返して、探求していくということだと思います。そして、他者を感じる力というのは、例えばで申し上げれば、電車の中で座れば隣にはだれかがいるわけで、他人を感じよう、自分だけじゃない、そういう基本的なことだと思うんです。そして、先頭に立つ勇気ということでいえば、まさに今、全国で、実は潜在的にあるんじゃなかろうかと言われている、こういう、まだあるかもしれないこのいじめの、そして本当にみずから命を絶つ、こういうことを教室で見、聞き、触れている子供たちが、やはりこれはおかしいということを言う勇気を持つ。そして、そのことを指導する勇気もお互いに持っていかなきゃいけない。これは地域社会とかいろいろなこともあるんでしょうけれども。ただ、現場で事は起こっていますから、そういう意味では、この先頭に立つ勇気というのはまさに言い得ているなと思って、これは拝読しました。

 ですから、こういうことをまさに高等教育の最高学府の総長が言っておられるということは、これは再生会議の中で、大学が崩壊しているという切り口で言っておられる委員の方もおられるようですね。大学の四年間で何を教えて、何を学び取って、そして出口である社会の扉をたたいていくということをさかのぼっていったならば、高校、さらに中学、進学率から考えればそれぞれが大学を最終的に目指す、それぞれの過程で何を教えていくかということは、すぐれて国がガイドラインは示しつつも、最後は現場で、学校の先生の裁量でやっていくということもよくよくわかった上で、きょうはお尋ねしてまいりました。大学からのところをもう少し整理しながら、どういうことをそれぞれの過程で、小、中、高と、議論をしていくかということは、公教育の魅力を取り戻すという意味で立て直しが必要なんじゃなかろうかと思っているんですが、最後に大臣の御所見を求めたいと思います。

伊吹国務大臣 全く、最後に意見は一致いたしております。

古本委員 理念法であるということでこの基本法の議論に参画いたしておりますが、これは最終的には地教行法や学校教育法で具体的にうたい込んでいかなきゃならない話でありますから、中教審やそれぞれの御専門の場に議論は譲るとしても、我々は、教育の責任を学校現場に求めちゃいかぬと思っていますし、家庭教育だということで議論をすりかえてもいけないと思っています。これは、行き着くところ、実は教育に責任はなくて、政策的な責任、あるいはその政策の責任を教育に求めてはいけない、私はそう思っていますので、今後ともより深い議論を求めて、質問を終わりたいと思います。

 ありがとうございました。

森山委員長 午後一時から委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。

    午前十一時五十九分休憩

     ――――◇―――――

    午後一時開議

森山委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。

 質疑を続行いたします。野田佳彦君。

野田(佳)委員 民主党の野田佳彦です。先週の月曜日に引き続いて、質疑をさせていただきたいと思います。

 きょうの午前中に、我が党の古本委員がいじめによる自殺の問題を中心に議論をされていました。北海道、福岡、そして岐阜等、いじめによる大変痛ましい自殺事件が報じられておりますけれども、それに対する事実を隠ぺいしようとしたり放置しようとしている教育委員会の姿、あるいは、御遺族の前では平身低頭していじめを認めて謝罪をされているにもかかわらず、その後の記者会見では前言を翻して、最後の渾身の力を込めた遺書を手紙と言ったりメモと言ったりしている校長先生やあるいは教育現場の責任者の姿を見ると、我が国の教育界というのは、これは断定をするとまた御指導いただきかねない、断定では言いませんけれども、残念ながら、この一連の動きを見ていると、組織防衛と自己保身ばかり目立っていて悲しいなと私は思います。

 加えて、きょうこの後、私は未履修の問題も取り上げたいと思いますけれども、高等学校における必修科目の未履修問題も大変広がりを見せて、今社会問題化をしています。先週の段階で、文部科学省がようやく、国立、そして公立、私立五千四百校を調査し公表した結果は、五百四十校で未履修があったということでございましたけれども、この事態についてできるだけ掘り下げて質問していきたいと思うんです。

 例えば、ここでも何回か委員会で例が取り上げられましたが、五泊六日の修学旅行で授業を受けて世界史を履修させたことにした、これは埼玉県だったでしょうか、そういう私立の高等学校があったり、とても信じられない理由づけをしていたわけです。オーストラリアの旅行といったって、オーストラリアというのはまだ建国の歴史の浅い国です。その国を五泊六日で旅行してそれが履修とされるんだったら、それは教科書も先生も要りません。これからの世界史の担当はJTBか近畿日本ツーリストでいいわけで、そんなまさに信じられない事態が全国の中で広がっているわけなんですね。

 これは、文科省が出した文書でも、生徒はすべて被害者であるということなんですけれども、基本的には、現場の校長先生、裁量権を持っているわけですから、この人たちの責任がやはり厳しく問われるし、しかも、やったことは、教育委員会に虚偽の報告をしたり、あるいは大学や企業に出す内申書についても虚偽があったりという、やっていることはこれは偽装であって、ことしの初めに大変大きな問題になった耐震強度の偽装で姉歯元一級建築士がやったことと根っこは私は変わらないと思うし、それを見逃した教育委員会というのは、イーホームズとほとんど変わりがない。何かそういう事態になっているときに、大抵の校長先生が、前の私の質問でも触れましたけれども、よかれと思ったと言っている。

 いじめに対する対応でこれだけいろいろとずさんさを露呈している現場、そして同じように未履修でこれだけルール破りをしている現場、そこにいらっしゃる、まさに教育界の一番の、何というか柱となって支えている人たちが、実はこれは全部戦後教育を受けてきた人たちなんです。いじめに対する対応もルール破りの未履修も、その責任ある立場の人たちは、みんな戦後教育で教育を受けた人たちが今子供たちに教育をしているわけですね。その意味では、戦後教育を、一定の成果はあったと思うけれども、やはり根本的に見直しをする時期だなということを、これらの事態を踏まえて私は改めて強くそういう思いを持った次第でありまして、だからこそ、これは教育の基本にかかわる、根本にかかわると思っています。

 その意味で、いじめによる自殺であるとかあるいは未履修の問題についての、この事の重大さに対する大臣の御認識をまず問いたいと思います。

伊吹国務大臣 文部科学大臣という立場ではなかなか言えない私の心境を、先生がすべて正確におっしゃっていただいたと理解しております。

野田(佳)委員 簡潔な御答弁をいただきました。

 私は教育の根本にかかわる議論だというお話をさせていただきましたけれども、だとすると、この事態の推移を見守って、当面の調査だけではなくてやはり抜本的な対策を講じる、そしてこれからの日本の教育の根本にかかわる現実問題を踏まえた方向性を出す前に教育基本法の議論が完結をするべきではないと私は思っていまして、この間は、教育再生会議でやっている議論を待ってから教育基本法の議論をしよう、あべこべだと言いましたけれども、同時でもいいと思うんです。同時でもいいけれども、議論の終結は、私は、まだ慎重な議論を経てからであるべきだと思っています。

 言ってみれば、今起こっていることは、教育界ではいろいろなことがいつも起こりますけれども、さっき申し上げたように、教育の根本にかかわる、戦後の教育の見直しにつながる大きな事例であって、例えが妥当性があるかどうかわかりませんが、大震災が今起こって、今は火を消そうというところですよね。火を消した後にその教訓を生かして災害対策基本法であるとか防災計画を練るのと同じような状況だと私は思っています。

 いつまで審議をしますかと大臣に聞いてしまうとまたこれはおかしな話になりますから、そういう認識を私は持っているということを前提に進めさせていただきたいと思いますので。いいですか。どうぞ。

伊吹国務大臣 先生の、最初、私の思いを全くそのとおり吐露していただいたことについてはもう私は何ら異議はございませんが、二度目におっしゃったことについては少し考えが違います。

 それは、今起こっていることは、ある程度教育の制度、あり方等にかかわってくることでありますけれども、その多くは、やはりその任に当たる人の規範意識というんですか、今先生が隠したとかずるいとかおのれを繕うとかおっしゃったことにかかわっているので、制度や仕組みは、この基本法を通していただいたら、まさに各法律において処理すべきことであって、それはまた改めて事態の推移を見て、必要な、例えば教育委員会のあり方だとか、そういうことまで含めてやるのは、これは別途の法案でやるわけですから、先生の例で言えば、大震災が起こった、後、どうするかを見きわめて災害の法律をつくり直すんだというんじゃなくて、大震災が起こったときは、個別の対応はその大震災の教訓をもってやるんだけれども、大震災が起こったときに人間はどういう気持ちでやるべきかという基本的な考え方は、それは、結果を見るなんというようなゆっくりしたことをやっていては私はとても追いつかないと思います。

野田(佳)委員 お答えを求めていなかったんですが、お答えをいただきましたので、これはちょっと反論をしなければいけないと思うんです。

 そもそも、伊吹大臣がこの教育基本法改正案を提案されました。その提案理由の説明を見ますと、いろいろ書いてあるんですが、「現行の教育基本法については、」云々、そして「科学技術の進歩、情報化、国際化、少子高齢化など、我が国の教育をめぐる状況は大きく変化するとともに、さまざまな課題が生じており、教育の根本にさかのぼった改革が求められております。 この法律案は、このような状況にかんがみ、」と。だから、個々の課題と、まさに教育の基本にさかのぼった改革と基本法の関係というのはやはり明確にあるはずと御認識をされて提案をされているわけであって、あわせて、「教育の目的及び理念並びに教育の実施に関する基本を定める」ということですから、単なる理念法だから理念だけ議論すればいいというんじゃなくて、教育の実施にかかわる根本の問題だと思いますので、当然、この教育基本法の議論と今起こっている重大な問題は密接不可分だと私は認識をしていますけれども、御見解はいかがですか。

伊吹国務大臣 それは、今起こっている事態は確かに許されざるべきことですが、今の制度や仕組みがあるから起こっているという面は私は必ずしも否定しませんけれども、先生が何度もおっしゃっているように、これはその任に当たる人たちの、まさに戦後六十数年積み上げてきた、公教育を含めた教育の中からその任にある人がいるわけですね。その人たちの規範意識を直さないとこれはどうしようもないことですから、やはり私は、早くこの法律を直していただく、これが一番大切なことだと思っております。

野田(佳)委員 冒頭に申し上げましたとおり、いじめの問題で対応されている現場の人たちも、未履修の問題でルールを破った人たちも、戦後教育のこの教育基本法のもとで、その理念のもとで育ってきた人たちであって、だから、今おっしゃったように、任に当たる人だけの問題じゃなくて、その戦後の歴史の中で育てられた人たちだという位置づけなんです。だから、当然のことながら、基本法の議論の問題と今現実に起こっている問題は不可分であるということをさっきから申し上げているんですが、多分これはちょっと平行線で、もっと具体的な問題をいっぱい聞きたいんですけれども、ちょっと入り口のところで議論をする……(伊吹国務大臣「締めくくりの答弁をしましょう」と呼ぶ)そうですか、本当に締めくくりですかね。では、お願いします。

伊吹国務大臣 ですから、先生、これは逆に考えると、今の状態を考えながら、教育基本法をもう一度つくり直してというか修正をしたから、では現実が変わるかといったら、やはり変わらないんじゃないでしょうか。

 むしろ、問題は、今出している、民主党がお出しになった対案についても私はそういうところがあると思うんですけれども、まさに今のような規範意識のない状態を放置していてはいけないんじゃないかという前提で書かれているわけですよ。ですから、これは民主党案であろうと政府案であろうと、これをできるだけ早く通して、それに基づく次の法案の整備をし、もろもろの政策措置をしながら改めていくべきことで、教育基本法をもう一度つくり直して出したからといって、戦後六十数年の教育を受けてきた人に教育をされた人にまた教育をされた人にまた教育をされている人、その人に生んでもらって、またその人に生んでもらって、また育ててもらった人たちの信条が、教育基本法を今の事態を考えてつくり直して出したから、何かそうすぐによくなるというものじゃやはりないんですよ。

 だから、基本法は、民主党案もそういうふうに私は評価していますし、自民党案もそうですが、今のままじゃだめだろうという前提でお互いにつくられているわけですから、これを直して、早く規範意識のある日本人、特に教育者を取り戻す。これだって、先生、できてから結果が出てくるのには三、四十年かかるんじゃないですか。そして、その間に今の人を少しずつ直していかねばならない。これは迂遠な作業ですから、余りゆっくりせずに、スピード感を持ってお互いにやりたいものです。

野田(佳)委員 本当はもっと先に進みたいんですけれども、今の御議論でもちょっと私は納得できませんで、基本的には、現実に起きている、いろいろな細かい問題はいいですよ、だけれども、大きな問題だという認識をしているテーマがあったときに、一番ベースになる法律とのかかわりというのを常に検証していくべきで、演繹と帰納の話みたいになってしまって、これは切りがないかもしれませんけれども、私はそういう認識を持っているということでございます。

 その上で、具体的な質問をさせていただきたいと思うんですけれども、今回のこの未履修問題がこれだけ広がりを持つ以前に、実は過去にも高等学校における未履修問題というのは明らかになったことがあるんですね。この委員会でも大臣もお話をされました。たしか、これは、九九年の熊本、それから二〇〇一年の広島、二〇〇二年の兵庫など。このときには、単なる一校ではなくて複数校、その当該地域では未履修が明らかになったわけです。

 ということは、この間、感度の話をしましたけれども、このときに感度のいい文科省だったならば、とことん全国の実態調査をしておくならば、今回のような広がりを持つ深刻な事態にはならなかったと私は思うんですが、なぜそのときにしっかりと事態を把握し、調査しようとしなかったのか。これは私は、その責任にかかわる部分だと思いますので、お答えをいただきたいと思います。

伊吹国務大臣 私は当時の大臣でありませんでしたので、必ずしも当時のことを正確に代弁できるかどうかわかりませんが、今先生が御指摘になった各県の事案は、各県の教育委員会を通じて文科省に報告をされてきておりました、後で聞いてみると。

 そのときに、確かに今回のような全国的広がりがあるんだということを認識しておれば、感度を持って調査をすべきだったと思います。そうすれば、もう少し早く、これほど大きなことにならない間に把握できたかもわかりません。しかし、当時の認識としては、単一の県から報告が来ていて、そして、個別校のことであったのと、直接の指揮監督権がないから、こういうことで処理をしたらどうだということにとどめておったというのが現実だと思います。

 ですから、まあ結果論、いい言葉が思い当たりませんが、後からの、結果が出てからの批判としては、それはもう甘んじて私は受けなければならないと思いますね。

野田(佳)委員 当時、一校や二校ではなかったんですね。二〇〇一年の広島でたしか十四校ほど、兵庫県はたしか五十数校だったと思うんです。しかも、時期が近いですよね、二〇〇一年、二〇〇二年。だとすると、当然のことながら、周辺はどうなっているのかということをやはり調べるべきだったろう。その当時大臣じゃありませんから、ここでこれ以上批判しませんが、今、少し反省めいたお言葉もありました。

 ということならば、お聞きをしたいんですけれども、最近、中学校の履修漏れが報道されつつあります。松山の私立の中学校、あるいは大阪の枚方における、これは十数校、今、履修漏れではないかという話が出てまいりました。小中学校の履修漏れを調べろという質問主意書も出ているようですし、せんだっては、松本政調会長もそのことに触れていました。数年前に高等学校の履修漏れが複数出てきたときに調査をしなかったことに対して反省をされるならば、今こうやって中学校で現実に履修漏れという事態が少しずつ発覚してきているときです。感度をよくするならば、やはりしっかりと今これを調べるべきではありませんか。

伊吹国務大臣 失礼しました。さっき、一校、二校と言ったのは、一県、二県という意味です。特定の県に限定をされていたので、その県の教育委員会とのやりとりをしていたと報告を受けたということでございます。

 それで、中学校は、先生がおっしゃったように、履修漏れというのは二、三、既に報道されております。この中身を見ますと、例えば、習字の時間に毛筆でやるべきところを毛筆を省略しちゃって硬筆でやったとか、こういう事案がありまして、それから、家庭科の事案を省略しているとかですね。

 しかし、総じて言いますと、中学校というのは義務教育でございますので、高等学校のように生徒による選択の余地は非常に少ないんです。ですから、高等学校のようなことは起こらないと思いますが、しかし、先生からも御注文を随分いただいておりますよね。まず一つは、数年にさかのぼって高等学校の状況を調査するべしと。それから、今のまた御注文もいただいた。

 やはり、限られたマンパワーで仕事をしておりますので、まず、これも先生から御指導をいただいている、私はそのとおりだと思って、それをまずやれ、こう言っているのは、七十時間以上の履修漏れの人の場合、百五十時間、百四十時間以上の人もいるわけです。二百十時間以上の人もいるわけです。その人たちは、一応現実を考えて、七十時間の授業でくくっておるわけですね。しかし、七十時間の授業でくくって、残り、例えば二科目であれば、三十五時間、三十五時間ずつ授業をさせて、残り三十五時間をどういう扱いにするんだと。これが二科目じゃなくて、今度は三科目になると、七十時間を三で割るわけですね。そうすると二十何時間だと。これによって、残りをどういう授業で、どういう形で、レポートだけでいいのかどうするのか、その辺の細やかなことをまず高等学校に通知をしてやらないと、これは受験を控えてのこの忙しい時期に、現場は全く混乱するわけです。今その作業を鋭意詰めております。

 これができましたら、先生から今度御注文のあった、過去にさかのぼっても調べなければなりません。今のことも、サボるということは、私が大臣をしている限りはさせませんから、必ず調べさせます。できるだけスピード感を持ってやりますが、少しお時間の余裕をいただきたいと思います。

野田(佳)委員 調べるということについてはお約束をいただいたというふうに理解をさせていただきます。

 実は、これは高等学校の履修漏れともやはりかかわりがある話だと思っていまして、というのは、これは本当にどうなのかというのは、これは実態はわかりません、それこそ調査が前提ですけれども。小学校や中学校で余り楽にさせちゃったから高等学校の教育課程に影響が出ているなんと、よく識者が言われていますよね。

 本当にそうなのかということは、小学校や中学校からも履修漏れが出てきた、これは違う話になってくるわけですから、やはり傾向はつかまないと、受験生のころ、よく参考書に傾向と対策とありましたが、傾向をつかまないと本当の対策というのはできないと思っていますので、今お約束をいただきましたからそれは了としますが、ただ、これはこの高等学校の履修漏れとも関係していますから、余り悠長な話ではないということはぜひ御理解をいただきたいというふうに思います。

伊吹国務大臣 午前中にも御党から御質問がございましたときには、もう小学校では先生は忙しくて大変だ、そして、しかし分数もできない、だから補習に行かざるを得ないという御質問がありました。今はやや楽をさせ過ぎているという御質問の趣旨ですが、小学校、中学校で……(野田(佳)委員「という人がいる」と呼ぶ)いや、という人がいるという説もあります。ですから、余り悠長に構えているわけにはいかないことはよくわかっておりますし、これはやはりよく調べませんと、先般来お話が出ているような、学習指導要領そのものをどう考えるかという議論につながってまいりますから、それはもうできるだけスピード感を持ってやります。

野田(佳)委員 できるだけスピード感ということで、一回目よりはさらに何か前向きな御答弁になりました。

 それよりももっとスピード感を持ってやっていただきたいのは、大臣も先ほど触れられましたけれども、過去にさかのぼって、高等学校においてどういう状況で履修漏れが起こってきたのかということでありまして、これは先週の月曜日の際にも質問をして、そのときに前向きな御答弁をいただきました。

 この委員会に報告をしていただきたいということを私申し上げまして、そのことは理事会の協議事項になっていますから、その協議を待ちたいと思いますが、報告をするかどうかは協議事項ですが、調査を間違いなく速やかにすることは文科省のお仕事でございますので、先ほどの小中学校の問題よりももっとスピーディーに、当理事会で提出されることをお約束している以上は、これこそスピード感を持っていかないと、この議論はずっと終結しないという事態になり得ると私は思っていますので、その辺は改めて確認をしたいと思います。

伊吹国務大臣 先生は国対委員長までおやりになっていますから、質問の向こうにある落とし穴を私は十分理解して答弁をいたしております。

 できるだけスピード感を持ってやりますが、いつ、どのような形でそれを処理するかは理事会の御判断にゆだねます。

野田(佳)委員 余り国対的な判断では質問をしておりません。今、私は現場の委員で、日本の、まさに今の教育の信頼を回復するためにはどうしたらいいかという視点でスピーディーな調査を要請しているということでございます。

 さらに具体的な問題でいきたいと思うんですけれども、とりあえず、先週の段階では高等学校で五百四十校履修漏れがあったということですが、その後、何か後からまた履修漏れがあったような話も出てきています。

 その個別のことを一つ一つ申し上げませんけれども、履修漏れかそうではないかという判断を各都道府県の教育委員会がやられておりますけれども、どうも、同じような事例で解釈が違うケースがあるようですね。これは、一番何か具体的なものは読みかえというもので、必修科目をほかの何か受験に資するような科目に読みかえて、例えば、情報だったら情報を数学の授業に置きかえてやっていた、それを履修したと認める教育委員会もあるようだし、だめだという教育委員会もあるようなんです。

 ただ、そうすると、五百四十校というのは正確じゃなくて、教育委員会の解釈によって結果が違ってしまって、補習を受けなければいけない生徒と受けなくてもいい生徒が出てくるという、私は、これまた新しい不公平が生じていると思うんです。この読みかえについては、私は、やはり基準というものを文科省が明確に示すべきではないかと思いますが、いかがでしょうか。

伊吹国務大臣 そういうことも含めて随分たくさん御注文を先生からいただいておりますので、優先順位をつけまして、文科省で処理をいたします。

野田(佳)委員 これは至急に整理をして、何か、いっぱい注文しているつもりはないんですけれどもね、大事なことを絞ってお尋ねをしているつもりでございます。

 あわせて、これは読みかえだけではなくて、中高一貫校で、中学校で高校の必修科目になっているものを先取りして勉強して、そうしたら、高等学校では履修していないからだめだと言われるケースと、認めるケースというか、これは何か微妙にちょっとニュアンスの違いはあるようなんですが、こういうのも散見をされるようなんです。

 例えば、中高一貫校で、茨城の私立高校では、これは履修漏れになったんですかね。群馬県の私立高校では、これは履修漏れではないと判断をされている。いわゆる中高一貫教育というのは、いろいろちゃんとした理念があると思うんですが、現実に起こっていることは、なるべく前倒しで中学で勉強をして、高校三年のころはもう入試に専念できるようなことにするというのが大体一般的に行われているのではないかと思うんです。その中高一貫校を、文科省は、どちらかというと推進をする立場でこれまで来られていますよね。

 その中高一貫校の中でも、中学校で前倒しで勉強したけれども高等学校の単位では認められないとか、いろいろなケースが今生じています。だから、これまた、五百四十校で、あるかどうかという解釈が、またそれぞれの自治体、都道府県の教育委員会で違ってきている、そういう現状があると思うんですが、その辺についてもきちんと整理をしていただきたいと私は思いますけれども、いかがでしょうか。

伊吹国務大臣 きょうは、政府参考人は一切だめだと先生がおっしゃったので、私がすべてお答えをしておりますので、きょうの御注文を一つ一つ今秘書官が書いておりますから、帰りまして、そのことは正確に伝え、指示をいたしたいと思います。

 ただ、一つ御理解いただきたいのは、私立高等学校というのは、文科省からするとまことに調査のしにくい、また難しい法的立場にあるということはもう先生よく御存じだと思います。戦前のいろいろなことがあったからだと思いますが、戦後の反省を加えて、これを文科省の教育委員会という流れから外してしまっているわけですね。各都道府県知事が文教課等を通じて実際は見ておられる。しかし、残念ながら、指導主事というものを学科について置いておられない県もあるわけです、今回調べまして。ですから、解釈だとか何かということはやはり非常に微妙になってきているのはおっしゃったとおりだと思います。ですから、できるだけ実態把握に今の私の権限の中で努めさせていただきたいと思います。

野田(佳)委員 政府参考人を御依頼しなかったというのは、基本的にはやはり政治判断にかかわる問題でぜひ前向きな御答弁をいただいて、文科省のしりをたたいて、たたいてとこの間表現をされましたけれども、そういう思いから、政治家同士の議論として具体例で申し上げているわけなんですが……(伊吹国務大臣「来ても答弁させませんから」と呼ぶ)はい、ありがとうございます。その方が私はいい議論ができると思っています。

 その中で、さっき申し上げた読みかえ、それから中高一貫教育の推進とこの履修漏れとの関連。これは一言で言うとグレーゾーンなんですね。グレーゾーンの中で補習をさせるのかさせないのかという大変受験間近において決定的に大きな差が出てくる事態になっているわけで。これは基本的には、今るる大臣がお話をされたように、文科省としても限界はあったかもしれませんけれども、ただ、このグレーゾーンの解釈については、各都道府県教育委員会も国の指導を求めたいという今気持ちなんだろうと思います。そこはきちんと整理をされて、考え方を文科省としておまとめいただくということが必要だという意味でお尋ねをした次第です。

 もう少し履修漏れの問題でいきたいと思うんですけれども、当面の処理方針を先週の段階で発表されました。そこで出てくるのは、生徒はすべて被害者という前提でという文章がありました。これは安倍総理もこういうお話をされたと思いますが、生徒はすべて被害者ということを公式に文科省が文書で出しているわけですね。被害者がいれば当然加害者がいると考えるのは自然です。では、加害者は一体だれであって、どういう責任があるのかということの方針もこれから決めていかなければならないと思いますけれども、これについての大臣のお考えをお聞かせいただきたいと思います。

伊吹国務大臣 まず、法理の基本的な法哲学を学んだときに教えられることは、権限のあるところに責任ありということです。したがって、学習指導要領というものを作成して、全国一律、私学を含め、制度がどうであろうと、チェック機能があろうとなかろうと、どれだけの権限が文科大臣にあろうと、ともかくこれを全国一律これでやってもらいたいということがうまくできなかったという結果責任は私が負わねばなりません。

 その上で、権限はどこにあるかというと、学校のカリキュラムの編成権、それから卒業の認定権は各学校長に今現在の法制のもとではございます。それから、その学校長が間違ったことをしたときには、これは人事権を持ち、予算権を持っているものがそれを正さねばなりません。これを持っているのは各都道府県の教育委員会ということだと思います。

 そして、特に教育委員会と校長との間で、御党からも何度も質問がありましたが、なれ合っていたのか本当にだまされたのか、これは詰めなければならないですね、個別の。どこかの時点で、このことについてはやはり私学を所管している都道府県知事と教育委員長には注意を喚起しなければなりません。

 あの処理案が、民主党も含め各党に御説明ができた段階で、通知という形で全国に発出いたしました。その際に私は、私信でございますけれども、都道府県教育長に、今回のゆゆしい事態をしっかりと受けとめて、使命感を持って教職員を指導してもらいたいという文書を出しております。どの程度各都道府県教育長がそれを受けとめていただいているか、少し推移を見守りたいと思います。

野田(佳)委員 教育長の中にも、元校長先生をやられたときに履修漏れをやっていたという何か事例もあるようで、これは本当にさかのぼっていかないと、平成十八年度の関係者だけの責任を問う話ではなくて、さっきの調査の話になりますけれども、だれがどこから何を始めたのか、そういうある種パンドラの箱があいちゃったという話がありましたが、私はそこは少し丁寧に詰めていくということが大事であると思う。

 もう一つは、公立と私立の違いですよね。都道府県知事との協力というのは当然必要だと思うんですが、その都道府県知事の中で、最近、私学で履修漏れが発覚した県においては、私学助成をカットするというようなペナルティーを考える、検討するような言及をされているケースもあるようなんです。私学の問題というのは確かに言いにくいところがあるのかもしれませんけれども、この考えについては、大臣としてはどのようにお考えですか。

伊吹国務大臣 法律的には全くそのようなことは可能だと思いますし、私学助成をカットするやり方でやるのか、当該校長に対する人事権がこれは私学の場合は率直に言ってございませんので、唯一のペナルティーというと今先生がおっしゃったところへ戻ってくるんだと思いますから、一応、ある程度の落ちつきが見えた段階で、私学についてはどういうペナルティーを科されるのかも含めて、ちょっと意見を聞かせてください。

野田(佳)委員 公立と私立の間に不公平感が出てもいけないと思いますけれども、ただ、私立のペナルティーが私学助成のカットだと、結果的にはこれは保護者や子供たちが迷惑をこうむる話になっていくわけで、この辺は本当に広くいろいろな方の御意見を聞いて、これはなかなか万人が納得する方法というのはないのかもしれませんけれども、これはやはりせっかちな対応ではなくて、本当にいろいろな方の意見を聞きながら御判断をいただいた方がいいんではないかなというふうに私は思います。

 ちょっと履修漏ればかりで時間を費やしてしまっておりますけれども、これはまた文科委員会でも、いじめの問題と履修漏れの問題については集中審議が水曜日にあるということですし、加えて、それは一回だけではないだろうと私は思っておりますので、またその場で詳しくその後の問題を質問していきたいと思います。

 教育基本法の話にしたいと思うんですが、これも具体の問題にかかわる前に、ちょっとまた入り口の問題で気になっていることがありまして、そのことを改めて確認したいと思うんです。

 十一月の一日の我が党の土肥隆一委員の質問、憲法と教育基本法との関連で意見を述べられました。これは正確に議事録を読み返しますが、現行の教育基本法は、日本国憲法が生まれてすぐに決められた、いわば憲法に準ずるような基本法でございましたという発言があるんです。それに対して大臣は、これは逆でございますという話をされまして、これは施行の問題にこだわって、そして、日本国憲法はずっと後だと言われました。その後、松本政調会長の質問の一番最後の場面でまたこの話が出まして、ずっと後だというのは訂正をされました。

 だけれども、私はこの御認識はちょっと違うのではないかなと。土肥議員が聞いた、やはり日本国の憲法が定まってから教育基本法ができたという認識は、私はこれは正しいと思うんです。あえて施行がどうのこうのと、修正をする話ではなくて、この認識は政治家として基本的に持っていて全く私はおかしくないと思うんですが、改めて大臣の見解をお伺いしたいと思います。

伊吹国務大臣 これは私が先生に申し上げるまでもないことですが、決められた法律というのは、国民あるいは個人との関係で権利義務その他が生じてまいります。これは、御党の岩國先生が御質問になったときは、私の判断が正しいと民主党内の岩國先生はおっしゃいました。つまり、施行の時期は、これはもう明らかに教育基本法の方が先なんですよ。

 そして、現行の教育基本法は、既にこんなことを私が申し上げるまでもなく先生よく御存じのように、制定文はどうなっているかというと、「朕は、枢密顧問の諮詢を経て、帝国議会の協賛を経た教育基本法を裁可し、ここにこれを公布せしめる。」とありますね。つまり、枢密顧問官だとか帝国議会というのは旧憲法の組織なんですよ。

 ですから、施行の時期その他も含めて、そのことをいろいろ総合的に考えると、やはりこれは念頭にあったということは全く私は否定しませんよ。否定しませんが、国民との関係でいえば、先に出てきたのは教育基本法で、おくれて出てきたのは憲法であるということは、法理上全く私は間違いじゃないと思います。

野田(佳)委員 土肥議員も松本政調会長も施行の時期は当然わかっているわけです、当然のことながら。教育基本法は二十二年の三月三十一日、日本国憲法の施行は五月三日。だからその差があることは当然わかっています。

 だけれども、日本国憲法ができて、あるいは確定して、生まれて、それから教育基本法ができたという認識は、これは私は、施行がどうのじゃなくて、生まれたかどうかです。出生届を出したのは確かに後ですよ、憲法の方が。生まれたのは間違いなくやはり憲法の方が先ですよ。

 なぜならば、国会での審議は、昭和二十一年にもう憲法の審議をやっていますよね。だから、二十一年十一月三日に公布しているわけです。その十一月三日の公布の後に、教育刷新委員会であの法律案の概要をまとめました。その概要には、さきに憲法を改正云々という前文から始まっているし、そのことがあるから現行の教育基本法も前文に「日本国憲法を確定し、」という言葉が出てくるわけであって、先に憲法は間違いなく存在をしているという認識でないと、私はおかしな議論になると思いますよ。

 施行の話は、それは確かに年表を見ればそのとおりなんですよ、施行は。だけれども、政治家が、この立法府にいる人間が、日本国憲法が、国会審議は二十一年ですから、教育基本法の審議は二十二年三月ですから、どう見たって日本国憲法が先に定まっていると認識をして発言することを、文科大臣があえて修正をすることは全くないと私は思いますが、いかがですか。

伊吹国務大臣 これは先生、やはり法治国家である限りは、生まれたのは届け出た日なんですよ。

野田(佳)委員 いや、それは違いますね。

 教育基本法の内容は、日本国憲法が公布をされた後に、相当にやはり変わっています。あのGHQの、いろいろとあの交渉の中で、前文の伝統の精神が削られたり、女子の教育が男女共学になったり、宗教教育のところも変わって、それは昭和二十一年の十二月から教育基本法の議論をする三月までいろいろなことがあったんです。

 だから、憲法が定まってから、教育基本法の内容はかなりいろいろと変化もあります。間違いなく教育基本法は、日本国憲法が定まった後に内容が定まってきている、こう認識するのが当然ではないでしょうか。

伊吹国務大臣 いやいや、それはもう先生のおっしゃっていることも私はよく理解しております。私の言っている法理的なことも先生は理解していただいていると思います。

 ですから、お互いに、率直に言えば、憲法ができていない段階で教育基本法を審議するのはおかしいという質問が次々出てまいりますから、民主党御自身も教育基本法の対案をお出しになっているわけですから、そこのあたりのことをひとつもうお互いによく理解して、この問題はお互いに議論させていただいたらいかがでしょうか。

野田(佳)委員 いや、私はそんな簡単な問題ではないと思っていまして、というのは、大臣の御発言はたしかその施行にこだわっていて、その法理的な考え方は私は正しいと思いますよ、施行の考え方は。だけれども、政治家があるいは日本国国民が、日本国憲法ができてから教育基本法だと認識することをあえて修正を求めるという姿勢は、憲法と教育基本法の関係をしっかりとわかっていないというふうに私は思うんです。

 具体的に申し上げますと、昭和二十二年の三月十四日に、現行の教育基本法を当時の高橋文部大臣が提案されています。その提案の文章を見れば、もう一目瞭然なんです。民主的で平和的な国家再建の基礎を確立いたしまするがためにさきに憲法の画期的な改正が行われたのでありましてというところから提案理由は始まるんです。

 そして、新憲法に触れる部分はたくさんあります。新憲法に定めております教育に関係のある諸条文の精神を一層敷衍、具体化いたしまして、教育上の諸原則を明示いたす必要を認めたのでありますということに、ここにもう改正をされた、確定をしたという前提で、この国会で、昭和二十二年に当時の文部大臣が説明をされているわけなんです。

 そして、もっと言うと、これは個別の条文と教育基本法の関連でも丁寧に質問をされていまして、第三条、教育の機会均等のくだりにおきましては新憲法第十四条第一項及び第二十六条第一項の精神を具体化いたしましたと。そのほか、義務教育についても男女共学についてもさまざま、新憲法との関連の中で現行の教育基本法の提案理由を説明されているんです。

 だから、施行がどうのという議論じゃなくて、明らかに、日本国憲法が生まれて、存在して、それを踏まえて教育基本法の議論があったということは、やはり素直に認めていただきたいと思います。いかがですか。

伊吹国務大臣 それは、先生、やはり法律というものは施行されて初めて効果が出るわけですから。先生のおっしゃっていることはよく理解します。おっしゃっている作成の経緯だとか何かはよく理解しますが、法律は、作成段階でこうだったとかああだったとかということを言い出したらこれはもう法律にならないので、やはり法律というものは施行されて初めて国民との間の権利義務関係が生ずるわけですから、やはりここの法理の原点だけはしっかりしておかないと、先生がおっしゃっていることも作成過程もよく理解した上で、私は私の立場を理解していただきたいと思います。

野田(佳)委員 だから、伊吹大臣の施行にこだわる話は、それはもうわかりました。わかりましたけれども、だったら、日本国憲法が先にできてそのもとに教育基本法があるという話をしたことを否定することはないでしょう、幾ら何だって。それが普通の、この提案理由なんかを見れば当然じゃないですか。その否定の箇所は、私は撤回をしてほしいと思います。

伊吹国務大臣 それは、できてということは、施行しないとできないんですよ、法律というのは。案文をつくっていったり審議をしたりするということとは別ですから、それは。法理論的に言えば、やはり施行して初めて法律というのは生まれるんですよ。

野田(佳)委員 一々施行がどうのというところから、教育基本法の施行が先だったから日本国憲法は後だというその認識で、法理論は、それは施行はそうですよ。だけれども、政治家が国会審議にかかわって、国会では先に憲法を決めているわけですね。その後に公布があったわけですね。政治家がそういう発言をすることを否定することはないじゃないですか、幾ら何でも。それは常識的に判断をしてほしいと私は思います。

伊吹国務大臣 ですから、今先生がおっしゃったことを法の作成過程の論理を踏まえて御発言いただくのなら、私はそれは否定いたしません。

野田(佳)委員 頑固な人ですね。

 だって、率直にだれもが、法の論理とかなんとかということじゃなくて、実態として憲法が先に生まれていて、そして、提案理由もこうやって当時の文科大臣が言っているわけですから。だから、日本国憲法ができてとか、生まれてとか、確定してとか、いろいろ言い分はありますよ。少なくとも、今の教育基本法の前提は、日本国憲法が確定してと書いてあるわけですから。それを否定する話は変ですよということを言っているんです。せめて、否定をしないで、そこの部分は修正をしてほしいと。

 大臣の施行の議論はわかります。だけれども、政治家があるいは一般の国民がそういう認識を持つことを法理論的には何とか何とかだというのは、そういうことで一々撤回を求めてやる話ではなくて、その認識は正しいと私は思っているので、今の発言はもう少しやはり修正をしていただかないとと思います。

伊吹国務大臣 これはもう、先生が私の法理論を正しいと思っておられるんなら、私に撤回しろとおっしゃるのも私も困るわけでして、だから、お互いに理解し合えばよろしいんじゃないですか。おっしゃっている気持ちはそうだということであれば、私はその御発言をそのまま受けとめます。

 ただし、これは、やはり法というのは手続を踏んでできているわけですから、手順、手続に沿った御発言をいただいているのなら、私は全くそのことに何ら異議はございません。

 ただ、生まれるという言葉は、法律的にはないんですよ。法が誕生するということは、施行して初めて誕生するんですよ。だから、これは私が大学で教わった法理の根本ですよ。

野田(佳)委員 私もしつこい性格で。

 では、日本国憲法が確定しと言った政調会長に対する御答弁は修正されますか。

伊吹国務大臣 政調会長と土肥先生の御質問をもう一度正確に教えていただけますか。

野田(佳)委員 まず、時系列で言うと土肥さんからですよね。土肥さんは、教育基本法というのはまさに、現行の教育基本法は日本国憲法が生まれてすぐに決められた、いわば憲法に準ずるような基本法でございましたと言う。政調会長は、これを生まれたと言うだけではなくて、確定をしたという言い方をされています。確定をしたという言い方は、まさに今の、現行教育基本法の前文に出てくる言葉です。そのことについての確認についても、時系列で追って、日本国憲法は後だった、ずっと後ではないけれどもという修正でとどまっているんですから。

 だから、これは今の日本国憲法の、まさに前文に書かれての確定ですから、確定まで否定したら、本当に変なことになりますよ。

伊吹国務大臣 それはちょっと、先生とも思えない御発言だと思いますよ。

 一番最初に土肥先生がおっしゃった、日本国憲法が生まれてとおっしゃったから、私はそれは違うということを言ったわけです。生まれた後で教育基本法が出てきたからという趣旨のことをおっしゃいましたからね、それは違うということをおっしゃったんです。そのことをめぐって、松本政調会長が御質問になっているんですよ。土肥先生の御質問に対して文科大臣はこう答えたろう、そして、後で確定という言葉を加えておられるわけですよ、松本政調会長は。

 だから、私は、土肥先生の御質問に対してこういう考えでこうだということを答えているわけですから、もしも土肥先生が、確定をした後にとか、あるいは作成した後にとかいう御質問をしておられたんなら、今先生がおっしゃったような非難を私におっしゃっていただいて結構ですが、ちょっと違うんじゃないですか。

野田(佳)委員 だから、土肥さんのその生まれたという解釈をどうとるかというのは、それはありますよ、生まれたという解釈。でも、その認識を根本的に誤りだと言うこと自体は私は変だと思いますけれども、まあまあ、いいんですよ。だから、それはまた違うから。

 だけれども、松本議員は、その一回目の土肥さんの質問を踏まえて、日本国憲法が先に確定をされた、それは土肥さんとは少し言いかえている部分もありますかもしれませんが、そのことを何回も大臣に聞いています。でも、大臣に聞いているけれども、施行の問題で終始をされて、ずっと後ではないというところの修正しか終わっていないんです。

 ということは、だから、土肥さんの質問と別個に、改めて松本さんも聞いているはずですけれども、そこの修正を私、ちゃんとされていないというところ、あれ、もう五分前になっちゃった。(発言する者あり)いやいや、本当に、そうなんですよ。(発言する者あり)いやいやいや、何か変だな。何か、理路整然と的を外されているような気がしますけれどもね。

伊吹国務大臣 いや、野田先生、理路整然と私を攻撃されるからそういうことになるんであって、土肥先生がおっしゃったのは、生まれた後でとおっしゃったから、それはちょっと違いますと。ずっとという言葉を使ったのは私の間違いだったと思いますが、それは違いますと。それを受けて、松本政調会長が、御党の政調会長が、るるそのことについて、おまえ違うじゃないかとおっしゃったから、いやいや、施行日のということを申し上げたので、後で松本政調会長は、質問の主題のところへ確定という言葉をつけ加えておられるわけですよ。

 だから、主題は、あくまで土肥先生の生まれたという言葉の法律的な当否がどうだという議論をずっとしてきたという思いで私はおりますよ。

野田(佳)委員 要は、実態として、では整理します。土肥さんとか松本さんとかいろいろ話しましたが、私の質問として聞いてください。

 実態として、日本国憲法が確定をして、そのもとに今の教育基本法があるという認識でいいですね、それは。

伊吹国務大臣 最初からそういう法理に基づいた御質問の内容であれば、私は何らそれは否定いたしておりません。

野田(佳)委員 ここは法理の教室じゃないですから、まさにこれからの国のあるべき姿にかかわる教育の議論の場で、生まれたと言ったからだめというような伊吹ゼミでは困りますよ。

 僕は、もう時間がなくなっちゃいましたから、先の問題として、本当は、建学の自由とかバウチャーとか、大事な議論をしたかったんです。官房長官とか副長官、お招きいただいたのは、バウチャーの問題を聞こうとしたんです。(発言する者あり)いやいや、まだやめませんよ、もちろん、やめませんよ。やめませんが、時間配分からいうと、これはもう、ちょっとバウチャーの話をするのは、足りなくなってしまいました。

 したがって、ちょっとそれは通告の順番を飛ばしまして、余り質問が来ない高市大臣に、これはずっと無視するのは、シカトですから大変いかぬと思いますので、家庭教育の問題を質問して、本当に申しわけございませんけれども、バウチャーはちょっとまた別の機会でやらせていただければというふうに思っております。

 民主党案も家庭教育の項目を置いております。それから、政府案にも家庭教育を置いてあると思うんですけれども、家庭教育というのは、物すごく私は大事だと思うんです。そのことの認識は、与野党ともにあると思うんですね。ともにあると思うんですが、問題は、家庭教育の家庭、実際は今、何でもやはりお母さんが主導になっていて、我々もPTAの振興大会なんか行くと、千人ぐらい集まっているけれども、お父さんはほとんどいないです。どうやって父親にかかわらせていくかということが大変大事だという認識を持っています。本当はもっといろいろなことを聞きたかったんですが、絞って今言っているんですけれども。

 これは本当かどうかわかりませんけれども、教育の教、教えるという字は、父親の父を書いて、その下に子供を書いて、右隣に交わる、交通の交と。父子の交わりが教育の原点という説もあるんです。それぐらい私は父と子のかかわりの中で、きっちり家庭教育の中で規範であるとかしつけであるとかということを教えていくことは大事だと思うんですが、大事な情報は、大体お父さんが忙しくて、子供となかなか交流できない。

 私は、二十年ぐらい前に、インスタントカメラを使って写真を撮ってもらって、放課後の子供たちが何をやっているかという研究をしたことがあるんですけれども、当時一番出てくるのがロボットとかおもちゃなんですね、今だったら多分インターネットとかゲーム機だと思うんですが。それで、友達が余り出てこない、家庭が余り出てこない。お母さんはそれなりに出てくるんだけれども、お父さんの姿というのは、子供たちがインスタントカメラで撮っている場面にはほとんどなくて、たまにかかとの裏か何か出てきて、これがお父さんだと言うんです。寝ているんです。大体、お父さんの写真というのは、マグロの水揚げのように、横たわっている姿が何枚かあるぐらい。それぐらい家庭の中での父親不在なんですね。あ、もう時間になっちゃいました。

 ということで、父親を呼び込むための家庭教育のあり方、これは少子化担当の御担当分野は家庭教育の支援も担当だと思いますので、御見解をお伺いして、質問を終わりたいと思います。

高市国務大臣 確かに、家庭教育の重要性ということは、政府案にもそれから民主党案にもしっかりと認識されている、そういう意味では、今の教育基本法よりもはるかに、一歩も二歩も前進という案が両方から出てきたと認識しております。

 父親の家庭教育参加でございますけれども、これは、新しい少子化対策にも、それから少子化対策大綱の現実的な運用を決めております子ども・子育て応援プランの方にも盛り込まれております。これからは、まずは事業所に対して、父親が子育てのために休暇をとったり短時間の勤務をするようなことについての協力をお願いする。それから、父親の家庭教育に関して、全国各地でいろいろな団体がノウハウを持って、おやじの会というのも有名になっておりますけれども、運動されておりますので、そういったところへの支援も含めて考えております。

 頑張ってまいります。

野田(佳)委員 どうもありがとうございました。終わります。

森山委員長 次に、武正公一君。

武正委員 民主党の武正公一でございます。

 教育基本法の改正案について質疑を行わせていただきます。お手元には、理事会のお許しを得て、資料を配付させていただいております。

 きょうは、大きく分けて二つの点で質疑を行ってまいりたいと思います。

 一つは、いじめ、未履修の問題、その根源に、責任の所在が不明確である、これがあるのではないのかというふうに考えておりますので、教育基本法改正案を出されておりますが、やはりこの点が今改正案では解決し得ていないということを指摘すると同時に、特にそれは、民主党案が、各地方公共団体の首長さんに権限と責任を与える、いわば分権、一方、政府案は、引き続き中央集権、こういうような対比の中で、やはり権限、責任の所在を明らかにするべきであるということで、まず第一点。

 そして第二点は、民主党案では十四条で職業教育ということをしっかりと条文として項目を設けておりますが、政府案では二条一項二号で勤労を重んずる態度を養うということで設けられている限りでございまして、安倍内閣にあっては、再チャレンジを掲げ、ニート、フリーター対策を掲げている内閣として、この提出法案、やはり職業教育に関する項目が軽いのではないのか、こういった点を、今の現状を踏まえて質疑をさせていただきたいと思います。

 そこで、まず、資料をごらんいただきますと、これはもう既に文科省さんから提出をしていただいている資料でございますが、いじめを主たる理由とする児童生徒の自殺者数、平成十一年以降ゼロだよということでございます。

 二ページ目にはいじめの発生件数の推移が出ているわけでございますが、既に調査票で指摘をされておりますように、いじめについて、三項目、弱い者に一方的に、攻撃を継続的に、深刻な苦痛を感じている、これがいじめの条件である。あるいはまた、自殺者についての理由が、一つだけ選択しなさい、あるいは、理由が不明な場合はその他の欄に記入することということで、平成十一年以降、小中高、自殺者はゼロというお手元の数字でございますが、その他については、平成十一年自殺された方の中で、百六十三名がその他。以下、百四十七名中八十一名、百三十四名中七十九名、百二十三名中七十三名、百三十七人中八十七人、百二十六人中七十九人、百五人中六十二人というのがその他の項目ということでありまして、これは調査のやり方の改善がこの平成十一年から今日に至るまでなぜできなかったのか、こういったところがやはり指摘をされるわけでございます。

 既に、文部科学大臣におかれましては、いや、文部科学大臣というのは都道府県教委に対して指導助言しかできないんだよ、こういうような答えに終始をされておりますが、なぜ、この八年間、自殺者ゼロ、こういう答えに対して、いま一度調査の精査あるいは項目の精査、これができなかったのか、御認識を伺いたいと思います。

伊吹国務大臣 過去のことについては、私は就任して一カ月でございますから詳しくは、批判することはできませんけれども、現時点で見ると、この数字がやはり実態を必ずしも的確にあらわしているものではないと私は思います。

 民主党の皆さんも、このいじめの問題が大きく報道されてからいろいろ御質問をいただいていますが、当時は、やはり政治そのものがこのことについて今ほどみんなが熱心に思っていなかったということは私は正直に受けとめて、そして、今先生からるる御質問があった調査票のあり方なども、自殺というのは多様な要件でできるものであるだけに、今のような調査票をやっていれば、いじめによる自殺の数というのは当然少なく報告されてくると私は思います。

 ですから、もちろん、きのう私はあるテレビに出て、いろいろな立場の方の話を伺いますと、やはり学校として恥をかきたくないとか自分の立場がどうであるとかというのが学校の立場あるいは教育委員会の立場。しかし、そういうことを言っている中で、子供が苦しむだけでございますから、調査のやり方だとか何かについては、謙虚にやはり文科省は受けとめて、少し質問書の内容も、今先生がおっしゃっていただいたようなことで、その他に丸がつかないように、考えてみろということを今指示してございます。

武正委員 きのう私もテレビを拝見しました。都道府県教育委員会に言うことはできるとぽろっと言っておられましたが、指示をしているということは、もう指示をしたということですか。

伊吹国務大臣 私が指示をしたということは、都道府県教育委員会に出す調査書について少し考えてみろ、調査書の書き方を考えてみろということを文部科学省の担当者に指示したということです。

 申すまでもございませんが、先生はよく御存じだと思いますが、指示権は一切文部科学大臣にはございません。

武正委員 この点は、この後ちょっとやりとりをしたいんですね。

 さて、今のやりとりの中で、みんなが余り関心を持っていなかったというようなことをぽろっと言われたんですが、私はやはりそれは所管大臣としていかがなものかというふうに思います。

 国会は、いろいろな関心事項、外交、安全保障から経済その他、たくさん多岐にわたっておりますので、それぞれ所管委員会もありますし、また、その時々に応じて、それぞれの公党が重視をする政策というのはやはり変化をしてくる。ただ、一時このいじめ問題が大変な関心事となって国会が取り組んだ、それが多分七、八年前のころかなというふうに思っております。それが証拠に、文科省もこのいじめに関する件数の調査の方法を変えている、ちょうどその時期に重なるわけでございます。

 ですから、やはりそれは所管大臣あるいは所管省庁がしっかりとそれを見続けて、絶えずいじめに関する行政を改めていく、これが当然でありまして、それができていなかったことを国会あるいは世間の関心ということで言われるのはいかがなものかというふうに思うわけでございます。

 そこで、今の点でありますが、地方自治法、御案内だと思うんですが、二百四十五条の四の第一項に、それぞれの所管大臣はという項目がございます。「その担任する事務に関し、普通地方公共団体に対し、普通地方公共団体の事務の運営その他の事項について適切と認める技術的な助言若しくは勧告をし、又は当該助言若しくは勧告をするため若しくは普通地方公共団体の事務の適正な処理に関する情報を提供するため必要な資料の提出を求めることができる。」これがあって地教行法というものがあるわけなんですけれども、私は、これを見る限りにおいても、文部科学大臣がそれぞれの普通地方公共団体に対して大変強い権限を持っている。

 重ねて、地教行法では、指導助言と言われますが、指導、助言、援助、これは四十八条一項。そして、三項では、都道府県教育委員会に対して指示。私は、指示というのも強い権限だと思っています。都道府県教育委員会を通じてという仕組み、これが三項。一項は、直接地方公共団体に対して。市町村にも直接できるよというのが一項、三項は都道府県教育委員会を絡ませてという、この二つのやり方があるということは教育行政の一つ特徴だというふうに思いますが、地方自治法でも、最初触れましたように、二百四十五条の四第一項で、直接、助言そしてまた勧告、勧告というのは非常に強いと私は思います、資料の提出を求めることができるということです。

 さらに、五十三条では、文科大臣、都道府県教育委員会は必要があるときは調査ができると。この調査権限というのも、直接それぞれの市町村長、市町村に対してできるわけでございます。それがさっきの一番目の仕組みでございます。そして、第二項では、都道府県教育委員会を絡ませて指示ということでございます。五十四条二項では、文科大臣は報告の提出を求めることができると。

 私は、地方自治法に加えて地教行法でもこういった強い権限があるというふうに認識をしておりますが、この点、指導助言しかできないんだというような文科大臣の相次ぐ答弁はいかがなものかと思うんですが、御所見を伺いたいと思います。

伊吹国務大臣 法律構成にかかわることでございますので、委員長のお許しをいただいて、後ほど政府参考人から法律の条文は説明をさせたいと思いますが、もう先生すべてわかって質問しておられるから、ありていに言いますと、今先生がおっしゃった地方自治法による権限は、平成十一年まではきちっと教育委員会に関する諸法の中にあったんですよ。それを、地方分権の法律を通す中で、地方自治法へ移しちゃったわけですね。

 なぜ移したのかというのは、地方分権のためです。移したという立法府の基本的なそのときの立法意思を考えると、これは、今先生がこういう事態になったからそういうことをおっしゃいますが、では、今度その自治法の規定を発動して、私が内閣総理大臣にまず要請をして、内閣総理大臣が地方自治体にそのことを言った場合に必ずここで起こることは、中央の国家権力の教育への介入だという反対論が必ず起こります。必ず起こります、それは。ですから、文部科学省の人間も、やはりそのあたりは非常に慎重に慎重に運営している。

 だからこそ、私自身も、何でこんなことができないんだ、もっとしっかりやれということは再三省内では言っておりますが、この十一年の地方分権法の改正法の趣旨からいきますと、やはり、かなりこの運用は慎重でなければならないというのが私の考えです。

武正委員 平成十一年は自民党政権のときの法律でございます。また、地方分権を進めるということは、伊吹大臣においてもやはり変わらない考えだというふうに私は理解をいたします。しかも、一括法の中で例えば教育長の承認事項などが外れたにしても、他の省庁と比べて、私のこの六年間の国会での感想ですが、警察行政と文部科学行政ほど中央集権的な行政はないな、これが私の印象でございます。

 しかも、それが二つのルートで、今言ったように、直接市町村長、市町村に指導、助言、勧告、援助ができるというルートと、間に都道府県教委を絡ませるルート、こっちは指示であります、二つのルートを持ちながら、やはり文部科学省の教育行政というのは、中央の意向が地方に大変しっかりと伝わる、こういった仕組みになっている。例えば全国の市長会がそのことを認識していて、だからこそ教育委員会の置く、置かない、これは選択制にしてほしい、こういう要望を出しているわけでございます。

 ですから、先ほど、首相にお願いして首相からやってもらうとか、国家統制に当たるのではないのかという疑念を生じるということでしたが、私は簡単なことを言っているのであって、このように七年間いじめによる自殺者がゼロということが出ていて、それがなぜ文部科学省が、おかしいな、もう一回調査をやり直ししようよ、あるいはこういった形でどうなんだいということをこの間やってこなかったのかということを指摘しているわけでございます。

 今も、省内では命じたということでしたけれども、私は、速やかに都道府県教委あるいはまた各市町村長に、それこそ調査を求めることができると地教行法でもうたっているわけですから、やはりこれだけ今関心のあるこのいじめの問題あるいは未履修の問題、なぜ文部科学大臣が先頭に立って直接聞かないのか、あるいは都道府県教委に指示をしないのか、これは大変疑問でありますが、いかがでしょうか。

伊吹国務大臣 私は、就任してから、これはおかしいと思って、質問書の内容等を変えろということを指示したわけです。

 今までの歴代大臣も調査はしておるんですよ。調査はしておるんだけれども、学校が結局教育委員会に、先生の感覚からいえば違う事実を報告しているわけですよ。自殺の原因は多様にあります、それは。だけれども、自分たちの学校が悪く思われたくない、あるいは自分たちの立場を守りたい。教育委員会がうその報告をつかまされて、それを文部科学省はみんなもらって、そのままやっておるわけですよ。

 だから、先ほど指示だとか指導だとかという言葉がありましたけれども、行政をやる立場からいいますと、それは、警察行政は、本部長の任命権は国家公安委員会にあるわけですよ。ところが、教育委員会の場合は教育長の承認権まで奪われてしまっているわけですね。そういう状態で、調査をしていないなんということは、ちょっと私は困ると思いますよ。調査はしているんですよ。しているんだけれども、上がってきた書類が、結局、教育委員会がだまされた書類をそのまま集計して、だまされておるわけですよ、私から言えば、文部科学省がゼロという答えを国会にお出ししたり公表しているということは。

 だから、そこのところに、これが本当なのかもう一度チェックをしてみろとか、あるいは調査書を変えてみるとか、そういうことは大いにやるわけで、文部科学大臣として就任して一カ月の私が先頭に立って何もしていないというような御発言は、やはりちょっと私は不本意ですね。

武正委員 ぜひしていただきたいから、こうして指摘をしておるんです。(伊吹国務大臣「それならそう言ってください。何もしていないということは」と呼ぶ)いや、何もしていないということは言っていないと、議事録を見ていただければわかると思います。

 さて、今の御答弁ですと、学校長が虚偽の報告をしている、こういうふうに受けとめたんですが、そのとおりでしょうか。

伊吹国務大臣 私は、わざわざ前に言葉を挟んでおりますよ。先生の感覚からいえばゼロというのがおかしいということであれば、これは学校長が必ずしも原因を正確に把握せずに教育委員会に出してきている。それを各教育委員会がそのまま、調査をかけているんですから調査に対する報告として文科省へ持ってくる。その文科省はそれを集計して、ゼロということをやっている。

 だから、虚偽かどうかは、それは幾つもの要因があるわけですから、どの原因で自殺をしたかとかということは、見る人によってみんな違います。しかし、先生がおかしいとおっしゃったから、おかしいとおっしゃるから、先生の感覚からいえばと私は言っているわけです。

武正委員 では、大臣はおかしいと思われますか。

伊吹国務大臣 私は、現実を見る限りおかしいと思います。おかしいと思うから、調査書の変更だとか何かを指示しているわけです。

武正委員 おかしいと思う大臣からして、なぜこうしてゼロというのが上がってくるのか、その原因はなぜだと思いますか。

伊吹国務大臣 ゼロが上がってきたのは、それは私が大臣のときじゃありませんから、どういう理由で上がってきたか、それは、私自身、過去のことを推測してお答えすることはできませんけれども、大勢の人の意見を聞いてみて推測するに、先ほどから何度も申し上げているように、自分をよく見せたい、自分の学校は恥をかきたくない、そしてまた報告が上がった教育委員会も、御党から田島先生でしたか質問があったように、その教育長はかつて同じ仲間であったとか、いろいろなことが複合的にあるでしょう。

 しかし、私は、現実から見ると、このゼロという数字はやはり違うんじゃないかということを言っているわけですよ、事務局に。であるからこそ、先生がさっきおっしゃっていただいたように、調査書の書き方だとかなんかももう少し変えて出せよということを指示しているということです。

武正委員 伊吹大臣がおかしいと思われたその原因が、自分をよく見せたい、あるいは、そうした教育委員会も報告を受けても、それを、その方がいい、問題ができるだけ発生しない方がいい、こういったことだと言いましたが、文部科学省の責任というのはあるんでしょうか。おかしいなと思われた、このゼロという数字が上がってくるについての文部科学省の責任というものはいかがでしょうか。

伊吹国務大臣 教育委員会の報告を、私は着任して一カ月しかおりませんけれども、私が見たって、それは大騒ぎになったから後講釈的に私はおかしいよと言っている立場で、大臣はずるいよとみんなに言われるかもわかりませんが、後講釈的に、私が見た、これだけ騒ぎになって見ている立場から言うと、おかしいと。それは、後講釈的に言えば、おかしいものを放置したのは責任はあるでしょう。もう一度調査をかけなかったとか、先生がおっしゃっているように調査書を見直さなかったとかいうことはあるでしょう。

 しかし、根本はやはり、責任を逃れて言っているわけじゃないんだけれども、今の法理からすると、余りにも現実離れした数字があるときに、各学校にまで手は入らないんですよ、文部科学省としては。ですから、これは人事権があるとかあるいは予算権があるとか、先ほど警察行政のことをおっしゃいましたけれども、県警本部長は国家公安委員長が任命する、実質は警察庁長官のところで人事が決まっていくとかということによって、ある程度の中央統制がある。しかし、同時に、地方自治体警察ですから、予算の大部分は地方に、地方議会の議決を経て行われるという仕組みになっているわけですね。

 ですから、私は、文部科学省には、後講釈で言えば、もう随分責任があると思います。それはもう全く責任がありますよ、こんな、事実と違うと私自身は思っているから。しかし、私自身はそう思っていますが、多様な自殺の要因の中で、大臣が勝手に思い込んであんなことを言っているけれども違うという意見の人もあるかもわからないんですよ。だから、そのときの報道の流れだとか世論の流れの中で、一義的に私は、文科省の役人を責めるのはちょっと気の毒だなと思いながら、調査書を直せよとか、ここはこうしなくちゃだめだ、今まで何でこんなことほっておいたんだと、総じて言えば、先生と同じ気持ちを持っているということです。

武正委員 文科省に、そうしたゼロという答えが上がってくる方が都合がいいということが、もしかしたらあったかもしれないと私は思います。つまり、文科行政からすれば、あれだけ大騒ぎになって、いじめ問題に文科省が取り組んだ。さあ、調査しましたら、いじめによる自殺者ゼロ。これは文科省の責任を問われなくて済むな、文科行政うまくいっているな、こういったことで、それを許していたことがあったのではないかなというふうに、もしかしたらあるかもしれない。これは指摘をさせていただきます。

 改めて、先ほど触れたように、地方自治法では、大臣は、地方公共団体の事務の運営その他事項について適切と認める技術的な助言もしくは勧告、そしてまた資料の提出を求めることができるんですよ。そしてまた、地教行法では、繰り返しますが、指導、助言、援助を直接地方自治体に与える、あるいは、五十四条の二項では報告の提出を直接求めることができるんですよ。

 ですから、私は、こうした権限があるんだから、もう就任されて一カ月でございます、これだけ大きな問題になっていますから、文科省内での指示ではなくて、やはり直接、大臣として与えられた権能を発揮して、地方自治体あるいは都道府県教委、そこに資料提出、あるいは調査を速やかに行うべきだと思いますが、いかがでしょうか。

伊吹国務大臣 先生もやはり野党の中の政治家としてかなり経験を積んでおられるからよく御存じだと思いますが、この地方自治法による措置命令権というものが今まで発動された事例がございますか。一度もありませんよ。そして、これの発動の条件は、各所管の国務大臣から内閣総理大臣に要請をして、内閣総理大臣が発動するんです。

 ですから、このことの発動はやはり、権限があるからといって、なるほどいじめの問題の調査には有効かもわかりません。しかし、そのことを発動した途端に、そのことから起こるいろいろなマイナス面がたくさんあります。これは地方分権の趣旨とどういう関係になるのか、あるいは国の教育統制その他についてどういう御批判をこうむるのか。それをやはり、権限、権力というものを持っている者は副作用が生ずるということを恐れながら、きゅうきゅうとして、この太刀を抜かないからこそ値打ちがあるんですよ。

 ですから、今持っている法律の中の調査あるいは助言その他の権限を使っているわけでして、これは、先生を含め野党すべてが、この権限の太刀を抜いていいという国会の御意思があるのならともかく、私はそういうことはやるべきじゃないと思います。

武正委員 同じように地教行法にそうした項目があるわけですね。そして、先ほど言ったように、地教行法で都道府県教育委員会に対して指示ができる、それから報告の提出を直接求めることができる。これも文科大臣が総理大臣を経由しないとできないことですか。

伊吹国務大臣 いや、先生が地行法にあるとおっしゃるから私は申し上げたわけです。

 ですから、権限をどこまで使うかについては、何事だって長所と短所はあるんですよ。批判する方は短所のことだけ、これをやればこんないいことがあるよとおっしゃるけれども、必ずそれに対する反作用というのはあるんです。

 だから、行政を預かっている者は、副作用と効果、つまり、小泉改革だって効果と副作用は必ずあるわけです。批判する立場になれば、副作用だけの批判はできます。しかし効果が、だから、抗がん剤に副作用があるからといって抗がん剤を飲まないわけにはいかないわけですよ。抗がん剤を飲んだらその副作用を最小限に抑えるべきであって、抗がん剤が有効じゃないよ、抗がん剤をやめてしまえよという議論にはやはりならないんですよ。

 それがやはり行政を預かっている者のつらいところであり、現実的な判断の中でやっていることですから、先生のお気には染まないと思いますけれども、十分スピード感を持って、先生の御期待に沿えるように私は私なりに頑張ります。

武正委員 そうであれば、きのうもテレビで発言されているように、都道府県教育委員会に対して指示、これは速やかに行っていただきたいというふうにお願いをしておきます。

 さて、ちょっとこのいじめ問題で時間を費やしてしまいましたが、お手元の方に資料を御用意しております。三ページ目、ごらんをいただきたいと思います。

 先ほど触れたように、民主党案は職業教育ということをしっかりと項目で打ち立てております。民主党案は、十四条、職業教育、「何人も、学校教育と社会教育を通じて、勤労の尊さを学び、職業に対する素養と能力を修得するための職業教育を受ける権利を有する。国及び地方公共団体は、職業教育の振興に努めなければならない。」。

 一方、政府案は、第二条一項二号で、「個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。」ということで、この間、当委員会では、この職業教育について尋ねると、政府から、職場体験をキャリア・スタート・ウイークとして実施とか、スーパー専門高校、専門高校などにおける日本版デュアルシステム推進事業の施策を実施などが答弁で出てくるばかりでございますが、私は、先ほど冒頭触れたように、安倍内閣が、再チャレンジ、しかもニート、フリーター対策を掲げるのであれば、この教育基本法改正で、それこそ職業教育を条文にまでやはり打ち立てるべきではなかったのかなというふうに思うわけでございます。

 そこで、まず、学校におけるスクールカウンセラーについて、その実態について伺わせていただきます。

 スクールカウンセラーが、全国の一万校の中学校に配置をということで、今四千百四十人、スクールカウンセラーに準ずる者が千百八十一人、平成十七年度五千三百二十一人配置をされております。スクールカウンセラー四千百四十人のうち、臨床心理士の資格を持つ者が三千七百四十五人、九六%ということでございますが、ただ、この臨床心理士のスクールカウンセラーについて、やはり現場の教師からすると、満足度という点ではまだまだという点も指摘をされているわけでございます。

 スクールカウンセラー養成プロジェクト代表、都留文科大学心理臨床教室河村研究室の協力での平成十四年十月から四十七都道府県、一万四千人の調査によりますと、ニーズと満足感の乖離ということで、一番乖離が大きいのは、学校組織へのコンサルテーション、学校組織に対する助言ですね。二番目、暴力などの反社会的行動をする子供の問題。三番、外部の専門機関と連携するための窓口としての機能。四番、児童生徒及び保護者に対する講話、話をすること。五番目が、良好な人間関係のある学級集団の育成の仕方、あるいはLD、ADHDの子供の問題ということで、やはり現行のスクールカウンセラー、まだまだ現場の教師からすると満足感が満たないところがあるよ、こういった調査でございます。

 まず、文科大臣にこのスクールカウンセラーについてお話を聞きたかったんですが、ちょっといじめで時間を要しておりますので、この点は、文科大臣へのやりとりはまた後にさせていただきまして、財務省、副大臣でございますか、お見えいただいておりますので、お手元のこの資料、三ページでございますね、これは財務省がつくられた資料というふうに聞いております。財務省が平成十六年六月公表された予算執行調査、スクールカウンセラーについての調査を財務省がされております。これをお手元に資料としてお配りしておりますので、ごらんをいただきたいんですが、三ページ目でございます。

 ちょうど2の真ん中をごらんいただきますと、平成十三年度と十四年度の一校当たりの問題行動件数の減少率についての比較というのが、まず一番上に表がございます。この表を比べますと、スクールカウンセラーのみを配置する自治体は、配置校、未配置校、その減少率は余り変化がないのに対しまして、準ずる者を全体の三割以上配置する自治体は、配置校は三割減、未配置校は一七%減ということで、差が出ております。あるいはまた、その次は、それぞれのその配置率と減少率との相関関係。それで、一番下の表が、調査研究内容をどの程度活用しているか。都道府県内の他校との情報提供割合は一割にとどまっている。

 こういった指摘を財務省がしまして、右側に提言として、例外的位置づけとされているスクールカウンセラーに準ずる者、すなわち臨床心理士以外、もっと拡大すべきではないのか、あるいはまた、配置先でとどまっている情報をもっと活用すべきではないのか、こういったことを挙げているわけでございますが、これについて、財務副大臣、この点、間違いないのかどうか、そしてまた、こうした指摘を行って、その後どのようなやりとりを文科省とされているのかを伺いたいと思います。

田中副大臣 お答えをいたしたいと思います。

 今委員の御指摘のとおり、私ども財務省が調査を行いましたところ、資料に示されたとおりの内容になったところでございます。

 もう既に委員御存じのとおり、スクールカウンセラーの制度については、極めて私たちは、いじめの問題であったり不登校の問題等について効果がある、このように認識をしておりまして、重点的に取り組んできたところでございます。

 数字の上でも、お話ありましたように、平成七年の三億円から今日は十八年四十二億円まで拡充をしてきておりますし、お話ありましたように、当初は百五十四校であったものが一万校、すべての中学校を対象にしてきておりまして、我々はその効果を大変重く受けとめてきたところでございます。

 確かに、この数字を見るときに、準ずる者の方が数字が高かったり、また、三割以上準ずる者がいる自治体が三〇・四というような数字になっておりまして、極めて私もこれを見ていろいろと考えるところ大でございました。少し考えれば、程度の重い学校にいろいろとカウンセラーが行っていたり、いろいろなことがあって、最初からハードルが高いところの数字が十分あらわれていないのかな、こういう思いもするわけでございますが、委員のおっしゃっていることは私はごもっともだ、このように思っております。

 私たちは、今まで、準ずる者の数字を、文科省さんは三割という数字で置いておられましたけれども、もう少し拡大してみたらどうだろうか、こういうふうなお話をいたしまして、私が仄聞するところ、四割まで拡大をされた、このように承っております。

 以上でございます。

武正委員 先ほど触れたように、五千人で千人ですので、まだ二割にとどまっている、平成十七年度ですね、私は承知をしているわけでございます。やはりもっともっと拡大をしていくべきだということで、財務省からの指摘があったわけでございます。

 そして、きょうは厚労省もお見えでございますが、政務官に伺いたいと思いますが、厚労省もこの職業教育の充実ということで就職のミスマッチを解消しようと、希望するところになかなか就職できない、あるいは仕事を見つけるにもミスマッチがあるということで、第七次職業能力開発基本計画でキャリアコンサルティングということを打ち上げて、総合雇用対策、平成十三年九月二十日策定で、「五年間で五万人程度のキャリア・カウンセラーの養成を目指す」、こういうふうにうたっているわけでございますが、このキャリアコンサルタントについて、カウンセラーについては、今三万六千人、ことしで五万人の目標に達しなきゃいけないんですが、現行三万六千人ということで、まだちょっとなかなか難しいかなということも伺っておりますし、あわせて、キャリアコンサルタントの資格を取るキャリア形成促進助成金、これは当初厚労省さんは四億円つけたんですが、初年度三千万円、二年度目、八億六千万円つけたんですが、六千万円ということで、今八千万円のそうした助成金になってしまっているわけでございます。

 それこそ、厚労省さんがキャリアカウンセラー育成ということで旗を振りながら、なかなかそれがまだまだ道半ばである、こういうことを言わざるを得ないわけなんです。その理由は、文科省さんと厚労省さんの連携が実はされていない、この職業教育について。わかりやすく言うと、学校までは文科省、学校を出たら厚労省、でも、今やもう、学校を卒業して就職して、もう一回また学校に戻ってから就職するとか、非常に複雑な就職への過程をたどっておりますので、文科省、厚労省の連携が欠かせないというふうに思うわけなんです。

 ちょっと時間の関係もありまして、政務官に伺いたいんですが、キャリアコンサルタント研究会というのがあるというふうに伺いました。委員十八名で構成されておりますが、この人選、どのように人選を行っているのか。特に私は文科省との連携が欠かせないと思うんですが、例えば文科省にその人選をお願いしたり、例えば十八名ですから、半々、文科省と一緒にやっていたり、そういったことをしているのかどうか、お答えをいただきたいと思います。

菅原大臣政務官 委員御指摘の、キャリアコンサルタント、五年間で五万人というこの計画、過去四年間、三万六千人の実績を上げてまいりました。その数からいうと、年度末までには四万八千ぐらいになるのかなと計算上では計算できるわけでございますが、さらに年度末に向けてしっかり頑張っていきたいと思っております。

 御質問の、このキャリアコンサルティングの研究会のいわば観点、そしてまた人選の方法ということでございますけれども、キャリアコンサルティング研究会は、平成十三年に、キャリアコンサルティングを担う人材養成の拡大等を目的といたしまして、この分野の学識者を中心に設置をいたしました。しかし、それだけではまだまだ足りないという御議論がございまして、現在、学識経験者以外にも、労使あるいは実務家の方にも御参加をいただき、この普及促進や専門性の向上に向けて御議論をいただいているところでございます。

 御指摘のありました厚労省と文部科学省との連携につきましては、現実問題、この研究会あるいはその下部の研究会におきまして、文部科学省からオブザーバーとして、あるいは推薦をいただいて、委員を募り、そうした方々にも積極的に御意見をいただいております。

 いずれにいたしましても、文部科学省と厚生労働省、さらに提携を深めて、この趣旨に沿うべく努めていきたい、このように思っております。

武正委員 具体的な人数を伺いたいんですが、キャリアコンサルタント研究会、十八名の委員中何名が文科省の推薦として委員になっておられるのか。あるいは、キャリアコンサルティング普及促進委員会、委員十五名中何名が文科省の委員として推薦をいただいているのか、お答えをいただきたいと思います。

菅原大臣政務官 お答えをいたします。

 まず、キャリアコンサルティング研究会の方につきましては、文部科学省からの推薦、筑波大学の特任教授一名でございます。あわせまして、オブザーバーとして当然文部科学省からもおいでをいただいております。

 また、キャリアコンサルタント資質確保体制整備委員会につきましては、これは文部科学省からは御推薦いただいておりませんが、オブザーバーとしてやはり役所の方からもお越しをいただいて、議論を重ねているところでございます。

武正委員 事前に事務方から聞いたら、キャリアコンサルティング普及促進委員会には、鹿嶋千葉商科大学教授一名、これは文科省から推薦いただいたんだというふうに聞いておりますが、いずれにせよ、十八名中一名、十五名中一名ということで、私は、もっと文科省さんが積極的に、厚生労働省さんがやっておられる、キャリアコンサルティングということで就職のミスマッチを解消しようというこの研究会に、もっとたくさん入っていただいた方がいいんじゃないかなというふうに思うんです。

 伺うところでは、何か、文科省さんにお願いをしたんだけれども、どうも余り色よい返事がなくて、一名もしくはゼロということになったというふうに伺っているんですが、これは詳細は文科大臣も余り御存じないというふうに思います。やはりこうした点が、実は省をまたいだ職業教育、それこそ雇用のミスマッチ、あるいはこれからニート、フリーター対策にとって大変欠かせないというふうに考えるわけでございます。

 そこで、文科省さんが進路指導主事という、これは学教法施行規則五十二条の三で置いておられるわけでございますが、今現在、平成十七年、中学校で九千六百六十二名、高等学校で四千四百九十二名おりますけれども、この進路指導主事の在任期間を調べてみますと、平成十六年度で、中学校で一年目の進路指導主事が三五・六%、高校で二〇・六%、二年から三年在任をしている進路指導主事が中学校三四%、高等学校で三五%ということで、三年以内という進路指導主事としての在任期間が中学校で約七割、高校で五五%ということなんです。

 まず、大臣にちょっと伺いたいんですが、就職の七五三というのはお聞きになったことはございますか。ちょうど今、七五三のシーズンでございますので、伺いたいと思います。

伊吹国務大臣 いや、存じません。教えてください。

武正委員 中学、高校、大学を卒業して三年以内に離職する方の割合が、七割、五割、三割、これを就職の七五三と言われるそうでございます。

 すなわち、学校のときに、この会社に行こうということで、中学であれば進路指導主事の指導も受けたでしょう、あるいは高校でもいろいろ学校でセミナーがあったりして選んだその就職が、三年以内に離職する割合が、七割、五割、三割ということでございます。これは、やはり学校における進路指導あるいは職業教育がまだまだ不十分であるということだというふうに思うんです。

 そうした意味で、先ほどの進路指導主事が私は大事だと思うんですけれども、在任期間が短いんですね。三年以内が七割とか五五%じゃなくて、それこそもうちょっときちっと進路指導主事として勤められるようにすべきではないのかなというふうに思うんですが、この就職の七五三も踏まえて、中学校、高校における進路指導主事の在任期間について、大臣としての御所見を伺います。

伊吹国務大臣 ちょっと教えていただきたい。よくわからないんですが、三年以内に離職する何が七割、何が五割、何は三割なんでしょう。それがよくわからない。

 例えば、大学を出て就職した人で三年以内にやめる人は何割とか、高校を出て何割とか、中学を出て三割とか、そういうことですか。

武正委員 もう一度説明をいたしますと、中学を卒業して就職をした方の七割が三年以内に会社をやめている、高校を卒業して就職した人の五割が三年以内にその最初の就職先をやめている、大学を卒業して三年以内に三割がやめているということでございます。

伊吹国務大臣 よくわかりました。

 今先生おっしゃった、中学で七割、高校で五割、大学で三割という離職は、進路指導が適切じゃなかったからやめた人も入っているでしょう。しかし、同時に、就職をしたけれども自分で新しいビジネスをやりたいという人もいるでしょうし、また、もう一度学校へ戻りたいという人もいると思います。いろいろ個人的な事情があると思います。

 しかし、おっしゃっているように、進路指導主事というのは、言うならば学校全体として、自分たちの預かっている個々の生徒の進路を適切に指導していくまとめをするような方ですから、できるだけやはり手なれた人がいいといえば、私はそれは間違いないと思います。

 しかし、先ほど来申し上げているように、学校の人事権がございませんので、文部科学省には。ですから、指導主事については、やはり手なれた人をできるだけ長く置いてもらいたいというような、今先生がおっしゃっておる指導というんですか、要請というのか、そういうことはやれないことはありませんから、今の御意見は受けとめさせていただきます。

武正委員 進路指導主事について、この六年間ほど文科省さんとやりとりしているんですが、まずその実態把握をされていないということに驚くんですね。今言った、在任期間が三年以内だ、中学校七割、あるいは五五%という数字も、財団法人日本進路指導協会の数字でございます。

 先ほど来、調査の話あるいは主事の話がございます。やはり、子供たちの就職あるいは再チャレンジ、これを掲げておられますので、ぜひ、今、現行法で認められている進路指導主事、これを遺憾なく活用していただきたいというふうに思うわけでございます。

 そのときも、進路指導主事についてというペーパーもいただいたんですが、その出典は、昭和五十二年、文部省、中学校・高等学校進路指導の手引、進路指導主事編ということで、つまり三十年間、この中学校・高等学校進路指導の手引が、新しいものが出ていないんですよ。この分野が非常に弱いなというふうに、残念ながら言わざるを得ないんです。

 これは、速やかに現行に合わせて、先ほど大臣が言われたように、現行、産業構造も含めて非常に変わっております、あるいは、子供たちの意識も。やはり、この中学校・高等学校進路指導の手引をいち早く、三十年間そのままではなく、つくり直すべきだと私は思いますが、この点はいかがでしょうか。

伊吹国務大臣 ちょっと、私も細かな進路指導の、今の、五十二年から変わっていないというものの内容がどういうものか、まことに申しわけありませんが読んだことがございませんので、先生の御指摘を受けて、帰ってみまして、目を通してみたいと思います。

武正委員 そこで、専門高校の現状と課題についても触れたかったんですが、先ほど少し触れたスーパー専門高校、あるいは日本版デュアルシステム、これをやっていますよということで、この委員会では答弁があります、職業教育について聞きますと。

 ただ、スーパー専門高校も、四年目を経て予算が二億円ということでございますし、日本版デュアルシステムに至っては、当初一億一千万円だった予算が、ことしは八千万円に減額をされているということもありまして、職業教育あるいは専門高校の充実強化、こういったところが、やっているよという割には、あるいは、職場体験五日間、中学校で義務づけているよといっている割には、予算面などでもやはり後退をしている。

 これは、教育基本法改正案にきちっと条文として職業教育というものを入れていかないと、大臣が言われるように法治国家ですから、法律、条文に基づいて行政は仕事をし予算をつけていきますので、私は、やはりここが民主党案と比べて残念ながら弱いな、こういうふうに言わざるを得ない点でございます。

 そこで、資料でごらんをいただきたいんですが、これは、資料の四、五、六、七に、NPO日本教育カウンセラー協会というところが、「教育カウンセラーの配置に関する趣旨」ということでペーパーをつくっております。五ページ目をごらんいただきたいと思いますが、ここに、「子どもたちに提供するもの」という、グラフというか表がございます。

 先ほど来話が出ておりますスクールカウンセラーというのは、臨床心理士が九六%ということで、いわゆる対症療法ということでいいますと、一番右側の、問題を抱えた子供たちに対する対応ということが主になってまいります。これは、アメリカで発達したガイダンスカウンセリング、発達心理学あるいは教育心理学ということでいうと、やはり、一番最初の一番、まずすべての子供たちに対して、それこそ文科省さんの言う生きる力、将来どんな職業につくのか、そうした進路、こうしたことも含めて、きちっとカウンセリングを行っていく必要がある、このように私は考えておりまして、過去、民主党は二度、ガイダンスカウンセラー法案ということで法案を提出してまいりました。

 これは、民主党の日本国教育基本法第十四条の趣旨に沿ったものでございます。内容は、学校教育法を改正して、「専門相談員は、専門的知識をもつて、教諭、養護教諭等と連携して、児童の心理相談又は進路相談に応じ、指導及び助言を行う。」これは、二十八条二項、栄養教諭の下に加えるということでございます。

 理由といたしましては、「小学校、中学校、高等学校等において、いじめや不登校等の問題等に対応するとともに、児童、生徒等が適切な職業選択その他の進路決定を行うための指導ができるようにするため、専門的知識をもって、教諭、養護教諭等と連携して、児童、生徒等の心理相談又は進路相談に応じ、指導及び助言を行う専門相談員を置くことができるようにする必要がある。」ためということでございます。

 こうしたスクールカウンセラーに加えて、やはり進路相談ということでこうした専門相談員を置くという考えについて、まずは文部科学大臣、そしてまた官房長官、それぞれ現在の進路指導あるいは職業教育への取り組み、あるいは先ほどお話がありました、厚労省さんと文科省さんとのそうしたある面引っ張り合い、こうしたことも踏まえて、こうした専門家を置くということについての御所見を伺いたいと思います。

伊吹国務大臣 先生が御指摘になりましたように、現在、中学校と高等学校には進路指導を行うための進路指導主事というものを法定上義務づけております。これは学校の教員がこれに当たっているわけですが、その期間が長い短いの先ほど御指摘がありました。これはよく受けとめておきたいと思います。

 同時に、教員以外の人をここへどのように入れていくかは、まずはやはり教員のOBだとか職業の実績のある人とかいろいろな人を、アドバイザー役というんでしょうか、運用の妙を得てやはりまずやってみて、効果があるということであれば法律的な義務づけに進むというのが順序じゃないかと思っております。

 それから、文部科学省と厚生労働省との間にどういうやりとりがあったのか私はよくまだ存じませんが、先生のおっしゃっているようなことであれば、お互いによく話し合って、カバーできる範囲はカバーし合ってやっていったらいいと思いますから、余りセクショナリズムにならずにやらせるのが我々議院内閣制で入っている者の責務でございますので、それはよくわきまえておきたいと思います。

塩崎国務大臣 今、伊吹大臣の方から、中学、高校で教員を充てて進路指導をやらせている、こういうことで現行制度が成り立っているわけでありますが、先生が法改正案を出しておられることはよくわかっているところでございます。

 今、教員を充てていることに加えて、各地方公共団体などがキャリアカウンセラーなどをこの任に充てるということもやっているわけでありますが、とりあえず、今のところ、政府として先生御提案のような形での法改正は考えておりませんけれども、先生御指摘のポイントは非常に重要であって、キャリアをどう、みずから築き上げるために相談をする人がいてくれるかということは大事だろうと思いますので、そういった点については工夫をやっていきたい、このように考えております。

武正委員 効果があればという文科大臣のお話ですが、先ほどの財務省の総括調査票にあるように、いわゆるスクールカウンセラーに準ずる者、これによる効果がある、こういったこともありますので、ぜひこうした臨床心理士以外、そしてまた今盛んに、問題が起きてからじゃない、問題の前に対応しようという、そうした動きも教育関係者の間に進んでおりますので、キャリアカウンセラー、キャリアカウンセリングという点もぜひ取り入れていくべきだということを指摘させていただきたいと思います。

 最後に、お手元に、七ページの資料でございますが、これは私の選挙区でもあるさいたま市の小中学校で、人間関係プログラムというのを行っている、ロールプレーですね。こういったことを何で学校でやらなきゃいけないのというお話があるんですが、ここを見ていただくと、「週末遊ぶつもりで買ったゲームソフトを、先輩から貸してほしいと言われた場合」に、どういうふうに対応したらいいか、これはロールプレーでやるわけですね。

 ここに書いてありますが、「1状況をよく把握し、2自分の感情や考えをまとめ、3円滑に意思を伝えるための代案を示し、4トラブルなく関係を築く、という「四段階話法」を念頭に置きながら授業は進む。」と。

 こういったことをしなきゃいけないのかという御指摘もありますが、これは総合的学習でやっているようでありますが、ただ、やはり先ほどのキャリアカウンセラーの皆さんによれば、こういったこともしっかりと、私はキャリアカウンセラーは教諭の方がやっていいと思っておりますので、教諭の方がきちっとそうしたことを学ぶことによって、特別の時間でなくてもこういった対応ができるようにしていくべきではないかということも付言して、私の質問を終わらせていただきます。

 ありがとうございました。

森山委員長 次に、西村智奈美君。

西村(智)委員 民主党の西村智奈美でございます。

 この教育基本法に関する特別委員会、前通常国会から数えまして、参考人質疑も含めてですけれども、四回目の質問に立たせていただくことになりました。まだまだ、実は、私自身は政府案に関する逐条の審査もできておりませんので、きょうは、これからということで、具体的に少し入っていきたいと思っております。まだ実は、内容的あるいは手続的にも積み残したことはたくさんあるんですけれども、またそれは同僚の委員、そしてまた後日機会をいただいて質問をさせていただきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いをいたします。

 さて、まずは、いろいろあるんですけれども、教育の機会均衡という点から、第四条について伺っていきたいと思っております。これは自民党の鳩山邦夫議員が六月にも質問をされておられますけれども、障害児の教育についてであります。

 私が条文を拝見しておりまして、第四条の第二項、「障害のある者」ということで特別に抜き出して規定をされておるわけであります。なぜこれは特出しされたのか。中教審の答申が、「障害のある子どもなど教育を行う上で特別の支援を必要とする者に対して、その必要に応じ、より配慮された教育が行われる」というふうに記してある関連かというふうにも思ったんですけれども、それであれば、「障害のある子どもなど」ということになっているわけですから、ここはきちんと、その中教審の答申どおり記載されてもよかったのではないかと思いますけれども、あえてここが「障害のある者」ということで特別規定になった、その理由を伺います。

    〔委員長退席、河村(建)委員長代理着席〕

田中政府参考人 お答え申し上げます。

 法案第四条第二項の新設の趣旨についてのお尋ねでございますけれども、この趣旨は、障害のある者に対しまして、障害の状態に応じて、より配慮された教育が行われるよう、国や地方公共団体が積極的に必要な支援を講ずる旨、規定しておるところでございます。

 御指摘のように、中央教育審議会におきましては、「障害のある子どもなど教育を行う上で特別の支援を必要とする者」と述べられておるところでございまして、子供のみならず、障害に応じて特別な支援が必要な者という意味で「障害のある者」と規定しておるところでございます。

西村(智)委員 特別に抜き出されたことの理由、明快なお答えはなかったというふうに思います。この点について重ねてお伺いをいたしたいのと、それから、今、能力に応じた教育とおっしゃいましたでしょうか、「能力に応じた教育」ということですとこの条文のとおりであるわけなんですけれども、これは現行法の「能力に応ずる教育」と何が異なるのでしょうか。その意味が変わるのか、変わらないのか。「能力に応じた教育」、それから「能力に応ずる教育」、これは多少ニュアンスが違うのではないかと思っております。

 つまり、「能力に応ずる教育」と申しますと、個々人の能力には違いがある、それを前提にして、その発達を保障するために必要な教育を提供する、提供しなければならない、そういうことを意味するものとして理解されてきたと承知をしておりますけれども、「応じた」と変えた理由、あわせて伺いたいと思います。

田中政府参考人 お答えを申し上げます。

 先ほど申し上げましたのは、中央教育審議会の答申では、障害のある子供など教育を行う上で特別な支援を必要とする者、こういうふうに書かれておるわけでございますので、障害のある子供など特別な支援を必要とする者を「障害のある者」というふうに書かせていただいておるところでございます。

 それから二つ目には、「能力に応ずる」を「能力に応じた」と変更した理由についてのお尋ねでございますけれども、これは法制的な面から近時の立法例に倣ったものでございまして、「その能力に応ずる」と「その能力に応じた」は同じ意味でございます。

西村(智)委員 意味は同じだということで確認してよろしいですね。先ほど私が申し上げたとおりの「能力に応ずる教育」、能力の発達の必要に応ずる教育である、同じ意味だというふうに理解してよろしいですね。確認をしたいと思います。

田中政府参考人 「能力に応ずる」とは、その教育を受けるに必要な能力を有しているということでございます。

西村(智)委員 まあ、ここのところは非常に微妙な言い回しで、文言を合わせるということであったと今御答弁ありましたけれども、意味が変わらないのであれば、文言もそんなに変える必要はなかったんじゃないか、私はそういうふうに考えております。

 ここのところは、国際的な流れになっております、いわゆるインクルージョン、今社会科学の分野では、ソーシャルインクルージョン、社会的包摂という言葉が一つのキーワードになっておるようでありますけれども、障害児者の教育についても、インクルージョン教育ということで、世界的な主流になっております。子どもの権利条約、これは政府的になじまないということであれば、児童の権利条約と呼んでいただいても構いませんけれども、そこの第二条では、既に障害による差別の禁止を導入しております。

 ですので、ここのところは、障害を特出しにすることよりも、例えば第四条の第一項「人種、信条、性別、」、この後に障害などというふうに入れまして、特出しにする必要はなかったのではないか。これは、子どもの権利条約を批准したときに当然入れるべきものだったというふうに私は思うんですけれども、そのあたりについてはどのような御見解でしょうか。

田中政府参考人 法案第四条一項におきましては、法のもとの平等あるいは教育を受ける権利を保障するため、すべての国民がひとしく教育の機会を与えられ、教育上差別されない旨を規定しておるところでございまして、このような趣旨にかんがみれば、ここに障害を規定することなく障害の有無による差別も許されないものと解しておるところでございまして、今回の改正に当たりましては、二項によりまして、特に国、地方公共団体が、積極的にそういう必要な支援を講ずる必要があるということを明確に書かせていただいたところでございます。

西村(智)委員 これは善意に解釈してよろしいんですね、そのように、御答弁どおりに。大臣、いかがですか。

伊吹国務大臣 結構だと思います。

西村(智)委員 鳩山邦夫委員の質問に対して、これは当時の小坂文部科学大臣でありますけれども、「児童生徒の就学先の決定については、保護者等の意見をこれまで以上に十分に聞くようにしていく方向で積極的に検討をしてまいる」ですとか、あるいは「障害のある子供とない子供の交流及び共同学習ということに一層の推進を図ってまいる所存でございます」というふうにお答えになっておられます。これはどういうふうに解したらよろしいのでしょうか。

 つまり、国連の子どもの権利委員会から、この間、日本はインクルーシブ教育を早期に実現するようにということで、何度となく勧告を受けております。この答弁がこの国連の子どもの権利委員会の勧告に沿った答弁である、そしてまた法案も同様である、そういう理解なのでしょうか。

田中政府参考人 児童の権利条約に基づきまして児童の権利委員会が設けられておりまして、ここが児童の権利条約に関するフォローアップをされておるわけでございますけれども、その中で、教育、これは余暇・文化活動というのも書いておりますけれども、教育及び余暇・文化活動において、障害がある児童の統合をさらに促進することというような勧告も出されておるところでございます。

 これを踏まえまして、文部科学省におきましては、小学校や中学校において、障害のある子供、障害のない子供の交流の機会を設け、積極的にこういう交流をするということを促進するために、学習指導要領上もそのような文言を設けますとともに、この児童の権利委員会に対しても、そのようなお答えをしておるところでございます。

西村(智)委員 子どもの権利委員会にそのような報告を出しているというのは、一体いつの報告ででしょうか。

田中政府参考人 平成十七年三月一日現在で、このような報告を出していると承知しております。

西村(智)委員 政府の報告を子どもの権利委員会がどのように受けとめているか、それについては、またそちらの方の評価を待たなければなりませんけれども、私は、率直に申し上げて、日本のインクルージョン教育というのはかなり立ちおくれているというふうに言わなければいけないのではないかと思っております。

 実際、この答弁にもありますとおり、例えば、障害のある子供とない子供の交流及び共同学習ということに一層の推進を図っていくというふうに答弁しておられますけれども、実際に交流とか共同学習がどういう実態で行われているか。多くは、分離されている状態の中で一年に一度か二度、何か学校の行事などがあったときに交流の機会を持つということにしかなっていない、これが多くの教育の現場での実態ではないかと思います。

 そういった交流教育というような機会が少ないということは、これは、いわゆる知的障害者の施設入所率の国際比較にも、随分と、ある種はっきりと反映されておりまして、例えば、先進国、スウェーデン、アメリカ、イギリスなどと比べますと、日本の知的障害者十万人当たりの施設入所率はこの間ずっとふえてきている、ほかの諸国は減っているにもかかわらずであります。

 また、一部には、そういった障害児者とのインクルージョン教育が学力の低下につながるのではないかというような指摘があるわけでありますけれども、OECD諸国のPISA調査などを見ますと、実際には、統合教育、インクルージョンが積極的に行われている国の方が、言ってみれば学力は確保されているというようなことになっているわけであります。

 もっとここのところは、はっきりとインクルージョン教育を推進していく、その方針を明確に示すべきではないか。この条文をもう少し詳しく読み込んでいけばそういうふうになるんだとおっしゃるのかもしれませんけれども、ここのところは、国際的な流れにいささか逆行しているのではないかというふうに思いますが、見解を伺います。

田中政府参考人 教育基本法の規定は教育全体を通ずるものでございますので、そういう学校における措置も含めまして、教育基本法では、全体として、障害のある者が必要に応じてそういう特別な支援が受けられるようにするという旨を規定させていただいておるところでございます。

西村(智)委員 いや、何もお答えになっていないと思うんですけれども。

 大臣、いかがでしょうか。日本のインクルージョン教育、ここでしっかりと進めていくためにも、今回の教育基本法の審議はより慎重であるべきだというふうに考えますが、いかがでしょうか。

伊吹国務大臣 今回の教育基本法の審議は、より慎重であるのではなくて、より積極的にあるべきだと私は思います。

 それで、先生が今御質問になっている子どもの権利委員会との関係でいえば、小坂さんがいろいろ答弁をして、そしてその答弁を受けて、保護者の意見を十分聞かねばならないというのが現行の学校教育法の政令からやはり抜けておりますので、それをつけ加えるように今準備をさせております。

 それから、今の、国や地方公共団体が積極的に必要な支援を講ずる旨を四条二項に書いているわけですが、これは財政その他の措置のことを書いているわけで、先生がおっしゃった、いろいろなことは教育基本法に書くのがいいという先生のようなお考えもあるでしょうし、この法律で、四条二項等を踏まえて、福祉の部分も含んでおりますから、各法律においてこれを整備していくかどうかは、これは立法技術、立法政策上の問題だと思います。

西村(智)委員 それでは、第四条の第二項、お伺いをいたしますけれども、「その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるよう、」とあります。その「障害の状態に応じ、」とは、一体どういう意味でしょうか。

田中政府参考人 お答えを申し上げます。

 「その障害の状態に応じ、」ということは、まさに、その教育を受ける段階にあって、その子供のあるいは大人の有しておる障害の状況でございます。

西村(智)委員 「その障害の状態に応じ、」もう少し説明していただけますか。これをここに入れたということは、理由があるわけですよね。一体どういう意味ですか。どういう理由で入れたんですか。

田中政府参考人 お答えを申し上げます。

 まさに、その障害の状態に応じて特別な支援が必要であるかどうか、したがいまして、障害があってもほとんど支援の要らない方もいらっしゃるかもわかりませんけれども、障害の状況に応じて必要な支援を講じよう、そういう意味でございます。

西村(智)委員 それでしたら、これはなくても通じるのではないですか。仮に「障害のある者が十分な教育を受けられるよう」であっても、何も問題はないと思いますけれども、重ねて伺います。

田中政府参考人 その障害の状況に応じというのは、その障害というのは、それぞれ一人一人状態が違うわけでございますので、それぞれきめ細かな配慮をするという意味でございます。

西村(智)委員 小坂大臣の答弁も読んでおりまして、障害のある子供とない子供の交流及び共同学習ですとか、就学先の決定については保護者の意見をこれまで以上に十分に聞いていく、これを小坂大臣はもしかしたらインクルーシブ教育というふうにとらえておられるのかなというふうに思うわけなんです。もっとこの意味では、積極的に、もう少しインクルーシブ教育というものが実現されるのだという答弁があるのであれば私は納得をするんですけれども、ちょっと今のお答えですと難しい。インクルーシブ教育が逆に後退するおそれがあるのではないかということを私は強く懸念いたします。

 ここのところは、やはりもっとしっかりとした答弁をいただかないと、私としては賛同はできませんし、また、改めて、この部分の修正などについてもぜひ検討していただきたいと強くお願いをいたします。

 時間もありませんので、次の項目に移りたいと思います。

 第九条でございます。第九条は「教員」のところであります。少し飛ばさせていただきました。

 現行法の教育基本法、実は私は、一つここでとても好きなフレーズがありまして、それは何かと申しますと、第六条の第二で「法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であつて、自己の使命を自覚し、」と、「全体の奉仕者であつて、」というこのフレーズを私は非常に愛しておりました。ここは憲法の十五条にも公務員、全体の奉仕者としての公務員というものも規定をされておりますが、これが教育基本法の政府案、第九条になりますと、今度は削除されているわけであります。「全体の奉仕者であつて、」というそこの部分が削除をされております。

 これは、憲法十五条との関係ではどういうことになっているんでしょうか。また第九条の、ここで言うところの「学校の教員」といいますのは、私学の教員についても適用されるのかどうか、伺います。

田中政府参考人 「全体の奉仕者」を削除した理由についてでございますけれども、御指摘のように、現行の教育基本法では、学校教育が公の性質を持ち国民全体の利益のためにその職務を遂行すべきであるということから、国公立学校のみならず、私立学校も含めて、教員を全体の奉仕者として位置づけておるところでございます。

 この全体の奉仕者は公務員を想起させる文言でございまして、現に憲法第十五条におきまして、「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。」旨が規定されておるところでございます。

 したがいまして、今回、私立学校が学校教育において果たしている重要性にかんがみまして、私立学校の条文も新たに起こさせていただいておるところでございますけれども、教員の規定には、公務員を想起させる「全体の奉仕者」との文言は削除をしておるところでございますけれども、学校教育が公の性質を持つものであることや、そのような学校教育を担う教員の職務の公共性は従来と変わるものではないと考えておるところでございます。

西村(智)委員 それでは第二項でありますけれども、第二項、その教員についてはということで、途中省略をいたしますと、「養成と研修の充実が図られなければならない。」というふうに締められております。養成と研修というのは今回初めて加わった項目でありますけれども、そもそも研修については、教育公務員特例法、ここの中で既にもう規定をされております。それが今回、基本法の中に研修について新たに規定したということになります。私の理解はこうです、基本法という理念法があってそのほかの関連法案が幾つかある、その中で既に特例法で規定されているものをわざわざ基本法という理念法に引っ張り上げてきた。

 この理由は一体何なんでしょうか。なぜ特例法で決められているものを新たに基本法に追加しなければならなかったのでしょうか。

田中政府参考人 お答え申し上げます。

 教育は、教育を受ける者とその人格的な触れ合いを通じて行われるものでございまして、単なる知識や技術の伝達にとどまらないわけでございます。したがいまして、教員は、まさにそういう専門的な能力を高めると同時に、人格を磨いていくことが常に求められておるところでございます。そして、今日の教育を取り巻くいろいろな問題の中で、教員に対する資質の向上が国民の大きな期待となっておるところでございますので、教育基本法の中にも、国公私を通じて教員として、こういう研修それから修養に努めなければならないことを明記させていただいたところでございます。

西村(智)委員 いや、おっしゃっていることはわかるんですよ。教員の資質の向上のために研修が重要です、それはそのとおりだと思います。それが、その特例法の中で決まっていることを、なぜもう一度わざわざ基本法に引っ張り上げてこなければならないのか。考え方を伺っているのではなくて、私は、法制的に、技術的になぜそういうことをする必要があるのかということについて伺っています。どうですか。

田中政府参考人 一つは、技術的な面で申し上げますと、教育公務員特例法というのは、これは公立学校の教員に今適用しておるわけでございますので、これに関しましては、国公私立教員全体に対してこういうことを努力義務として課させていただきたいということでございますし、やはり今日、教育の根本を定める教育基本法の中に、そういう教員の使命というものを明確に書かせていただいたということでございます。

西村(智)委員 今重要なことをお伺いいたしました。特例法の中では公立学校の教員について定められている、今回、基本法の中にこの研修が入ったということは、私立学校の教員に対しても努力義務としていただきたい、そういうことですか。もう一度お願いします。

田中政府参考人 九条一項は、国公私立を通じた教員に対して努力義務を課すものでございます。

西村(智)委員 私学には建学の精神があります。そことの関連はどういうことになるのでしょうか。この政府案の中では私立学校ということについても書かれておりますけれども、それとの関連で、そこはよろしいという整理をしておられるのですか。私はちょっと乱暴な気がいたしますが、いかがでしょうか。

田中政府参考人 学校教育は、国公私立学校ともに公の性質を持つものでございまして、そこで教壇に立たれる教員の方々におかれましては、絶えず研究と修養に励んでいただくことが大切だと考えておるところでございます。

西村(智)委員 何といいますか、木で鼻をくくったというのはこういうことをいうんでしょうか、ちょっと納得がいきませんけれども。今私は、私学の教員についても努力義務規定だということで、ちょっとびっくりしたんですけれども、非常にマイルドな書き方なんですけれども、知らないうちにいろいろなものが入ってきている。

 これが今回の教育基本法の根本的な問題で、今まで現行の基本法で何がどこまで達成されてきたのか、これがきちんと分析されないままに、このように何かいろいろなものが入ってくる。しかも、新しい法律をつくるのではなくて改正だというようなこのやり方は、私は、本当に政府の立法機能もいよいよここまで来たかという感じがするんです。

 質問に戻りますが、「自己の崇高な使命を深く自覚し、」とあります。「崇高な」というのと「深く」という文言が新たに記載をされております。これは何を意味するのでしょうか。

    〔河村(建)委員長代理退席、委員長着席〕

田中政府参考人 お答えを申し上げます。

 改正案第九条第一項におきます自己の使命、すなわち教員の使命とは、先ほども申し上げましたけれども、教育を受ける者との人格的な触れ合いを通じ、単なる知識や技術の伝達にとどまらず、教育を受ける者の人格の完成を目指して、その育成を促すことにあるわけでございます。

 したがいまして、教員には、専門的知識や技術の習得だけでなく、豊かな人間性や深い教育的愛情など、全人的な資質、能力が求められておるところでございます。特に近年は、一部に指導力不足の教員でございますとか、教員の不祥事が見受けられるわけでございまして、まさに学校教育が抱える課題が一層複雑化、多様化する中で、教員の資質向上が国民から一層求められておるところでございます。

 このような状況におきまして、教員は改めてその重要な使命を深く自覚する必要があるということから、ここに「自己の崇高な使命を深く自覚し、」と書かせていただいておるところでございます。

西村(智)委員 現行法の第六条第二項、「自己の使命を自覚し、」ここには、先ほど政府参考人が答弁をされたような社会の要請は、では反映されていないということになるんでしょうか。

田中政府参考人 ただいま申し上げましたような、教員に対する国民の期待を踏まえまして、そこに「崇高な使命を深く」ということで強調させていただいておるところでございます。

西村(智)委員 強調ですね。いわゆる修飾語である、こういう御答弁だと思います。

 これは、本当にごまかされちゃいけないと思うんです。教育基本法は理念法で、これですぐさま教育の現状がよくなるわけではない。この委員会で何度となく答弁をいただいてきた文言であります。これを第一歩にして新しい関連法の改正を行い、そして教育の環境を整える。もう本当に何度も、耳にたこができるほど聞かされてまいりました。

 しかし、例えば子供が授業中に私語をしているときに、静かにしなさいと言って、一たんは静かになるかもしれませんけれども、それで静かにならないのが子供の実態といいますか、学校教育の現場だと思います。修飾語で幾らきれいな言葉をつけ足しても、それが実際に達成しようと、目標に向かっていく、その環境づくりをもあわせてしなければ、これは一体全体、絵にかいたもちといいますか、幾らきれいに着飾っても、幾らきれいな絵をかいても、言ってみれば高ねの花、達成できるような状況が整っていかないということであれば、これは全く意味がないわけでございます。「自己の崇高な使命を深く自覚し、」という文言に、私はそのおそれを非常に強く感じます。

 多くの教員は、自己の崇高な使命を深く自覚していると思います。であるからこそ、朝早くから夜遅くまで多くの仕事を抱え、たくさんの報告書を書き、子供たちの個別の対応に走り回っている。私の周囲にも教員をしている知人は何人もおりますけれども、家まで仕事を持ち帰ったり、自分の子供と遊ぶ時間を削って、自分の子供の世話をする時間を削って学校での仕事に対応しているというような話、本当にたくさん聞かされております。

 この政府案の第九条、私は、ちょっとそういった教員の皆さんに対しては、大変厳しいものになるのではないか、そういう懸念をしております。それはどういうことかと申しますと、第九条の第一項であります、「絶えず研究と修養に励み、」というふうに書かれております。これは現行法にもなかったことで、新たにつけ加わった項目でありますけれども、実際に今多くの教員は、いわゆる燃え尽き症候群、バーニングアウト寸前になっている教員が多くいます。今、例えばメンタルヘルスを壊して休職している教員の方は何人おられますか。その教員の方、あるいはもう本当に燃え尽きそうになっている方々に対して、「絶えず研究と修養に励み、」というこの基本法が一体そういった教員の方々にどういう影響を与えることになるのか、これは本当に私は懸念をしております。いかがでしょうか、どういう見解でしょう。

田中政府参考人 お答えを申し上げます。

 先生御指摘の、教員が大変多忙感を持っておったり、あるいはいろいろな疾病にかかられておる、そういうことに関しましてはきちんと手当てをする必要があると考えておりますが、それと同時に、教員の中でも、自分の思いがなかなか子供に伝わらない、自分の教育方法、昔どおりの教育方法では子供がついてきてくれない、そういう問題を抱えている先生方も結構いらっしゃるのではないかというふうに私どもは認識しておるわけでございまして、そういう先生方のニーズに即した適切な研修の機会が与えられることが非常に重要であろうと思うところでございます。

西村(智)委員 ですから、余計に追い詰められていくのではないですか。「絶えず研究と修養に励み、」というようなこの文言は、私、非常に今多忙をきわめる教員の人たちに対して大変大きな影響を与えることになると思います。

 大臣、いかがでしょうか。このあたりの見解について伺います。

伊吹国務大臣 先生、教員にもいろいろあるんじゃないでしょうか。もし先生がおっしゃるような崇高な使命を持ってやっておられる教員ばかりなら、なぜ九万近くの未履修の生徒を輩出させるんですか。やはり基本的に、先生の今おっしゃっているような立派な、家へ仕事を持ち帰ってまでとおっしゃっているような立派な先生であれば、この「崇高な使命」だとか何かという理念的なことを書いてもらったもとで自分たちは仕事をしているという誇りが一層大きくなると私は思いますね。

 そして、過労になるとかどうだということがあるのならば、それはそれで考えなければいけないことがあるけれども、では、憲法に崇高なことが書いてあるからといって、そのとおり実行している日本人がほとんどいないから、今のような問題が起こるんじゃないんですか。

西村(智)委員 過労になるようだったらそこは考えなきゃいけないというのは、これは私はびっくりいたしました。大臣の答弁とは思えません。大変に驚きました。

 過労の先生とともに過ごして、そして学習の状況に影響が出るのは、またその教員とともに過ごしている子供たちであります。子供たちの教育環境を整えるという点からも、教員の状況を万全にしておくというのは、これは国のやらなければいけない大変重要な責務であると思いますし、今の大臣の、教員が過労になるようであれば考えるというのは、大変私は驚きました。伊吹大臣にそういう発言があるかという感じで受けとめておりますが、そこのところは大変重要なテーマ、問題であるというふうに思いますので、ぜひ今後の審議の中でも明らかにしていかなければいけないと思っております。

 さて、続いて第十条について伺いたいと思います。

 第十条は家庭教育についてでございます。小坂大臣も前通常国会の中で何度となくこの第十条について答弁をされまして、ここは、「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって」というふうに条文は続いているわけでありますが、大臣の答弁でも、そうではあるけれども、家庭教育の自主性は尊重していきます、しかし、個々の家庭における具体的な教育内容については規定するものではないというふうに答えておられて、新しい法律をつくることも別に意図していないというふうに答弁をしておられるわけでありますけれども、一点伺いたいのは現行法との違いでございます。

 現行法の第七条第一項、ここは「家庭教育及び勤労の場所その他社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によつて奨励されなければならない。」というふうに書いてあるわけでありますけれども、今回の政府案第十条と一体何が異なるのでしょうか。多少具体的に書いてあるというレクのときの御説明だったんですけれども、ここを具体的な記述にしたその理由について伺います。

田中政府参考人 お答え申し上げます。

 現行法におきましては、第七条一項で、社会教育と並んで家庭教育が規定されておりまして、「奨励されなければならない。」という書き方になっておるわけでございますけれども、今少子化が進みまして、家庭教育の重要性が言われておる中、改正案では家庭教育について独立した条文を設けまして、第十条一項で、保護者が子の教育について第一義的責任を有し、その役割を明確にしておるところでございますし、第二項では、家庭教育の自主性を尊重しながら、国や地方公共団体による家庭教育への支援を講ずることについて規定をしておるわけでございます。

 したがいまして、従来は奨励するということしか書いておらなかったわけでございますけれども、「家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めなければならない。」というふうに積極的に規定しておるところでございます。

西村(智)委員 重要であるということは、それはそのとおりだと思います。だから具体的に記述した、そして国と地方公共団体の役割を明記したと書いてありますけれども、これは現行法第七条でも同様に読めるのではないでしょうか。「国及び地方公共団体によつて奨励されなければならない。」何が違うんでしょうか。私にはやはり疑問であります。

 質問は、政府案の第十条第一項であります。「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有する」とありますけれども、この意味するところ、これを伺いたいと思います。

田中政府参考人 改正法第十条一項の趣旨についてでございますけれども、「子の教育について第一義的責任を有する」とは、家庭は教育の原点であって、基本的な生活習慣あるいは倫理観、社会的なマナー、自制心あるいは自律心といったものを養う上で重要な役割を担っておりますことから、その旨を明確に規定をさせていただいたところでございまして、これを言いかえれば、家庭はすべての教育の出発点であるという意味でございます。

西村(智)委員 家庭はすべての教育の出発点であるということであります。

 実は、先ほどちょっと触れました子どもの権利条約にも、親の、何といいますか、教育権などについて規定がございまして、例えば第五条です。

 これは外務省の訳文がちょっと面倒なので、わかりやすい文章でかみ砕いて読ませていただきますと、第五条には、親は、子供の心や体の発達に応じて適切な指導をしなければなりません、国は、親の指導する権利を大切にしなければなりません、こういうふうに、子どもの権利条約第五条、国が親の指導する権利を大切にしなければならないというふうに書かれてあります。これは、先ほど政府参考人が答弁された、家庭が教育の出発点であるということと重なってくると私は思います。

 それでは、第二項にあります「家庭教育の自主性を尊重しつつ、」といいますのは、どの範囲まで自主性を尊重しつつというふうな、どの範囲までカバーするんだということになるのでしょうか。

 何を問題にするかと申しますと、つまり、家庭というのは教育の出発点である、例えば宗教観あるいは世界観、こういったものの形成にかかわるその価値は、それを子供が形成するときに、やはり家庭というのは深くかかわりを持つことになります。そういった、家庭で形成にかかわってきた宗教観や価値観のほかに、今度は、学校で学習するいわゆる科学的な知識や認識、それと相まって、子供のその人なりの価値観というものができてくるわけであります。

 ですから、親の教育する権利、この自由を保障するという意味は、いわゆるその宗教観や世界観について、そのかかわる価値に影響を及ぼすことと同時に、学校教育にも親が、保護者が参加していける、こういうことを含むというふうにならなければならないというふうに考えますが、いかがでしょうか。

田中政府参考人 「家庭教育の自主性を尊重しつつ、」ということでございますけれども、国や地方公共団体は、例えば子育てに関する講座を開設する、あるいは家庭教育手帳などを配っておりますけれども、子育ての悩み等を抱える親への情報の提供、相談事業、こういうものを支援事業として国や地方公共団体が行うよう努めなければならないということをこの二項は規定しておるところでございます。

 したがいまして、個々の家庭におきます具体的な教育の内容、方法、そういうものは各家庭でお決めになられることでございまして、その内容等について国が何らかの基準を定めたり、そういうことを考えておるところではございません。

西村(智)委員 いや、だから、自主性はどこまでカバーするんですかと私は伺っているんですけれども、いや、それは国がやるところはここだけで、何ら家庭に強制するものではありません、こういう感じの御答弁なんですけれども、もう一度お願いできないでしょうか。

 例えば、家庭教育、家庭のかかわっている宗教観や世界観、あるいは学校とのかかわり、これが施策とぶつかるときは、これはどういうことになるんですか。どちらが優先しますか。

田中政府参考人 お答え申し上げます。

 国が家庭に対して、いろいろな支援で講習会を開いたり、子育て手帳等を配付したりして、そういう家庭教育の支援をさせていただいておるわけでございますけれども、それのどこを取り入れるか、それは御家庭においてお決めいただく、これが家庭の自主性だと考えております。

西村(智)委員 どうも答弁いただいていないような気がするんですが、ちょっと時間が迫ってまいりましたので、また先に進ませていただきます。

 この第十条の第一項はまた、「生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるもの」と書いてあります。努めるのが親の責務であるというふうに記載をされております。それでは、仮に少年非行やあるいは子供がニートという問題になったときに、これは親の責任、少年非行やニートという問題が発生したときに、それが親の責任に帰するということをこの条文は意味しているのでしょうか。細かい話を言いますと、自立という字は立つという字ですので、経済的な自立も含むと思います。ニートというのはそれと違うものであるということからすると、これは親の責任に帰するということになるのかどうか、その辺を伺います。

田中政府参考人 お答え申し上げます。

 第十条におきましては、御指摘のように、「生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。」ということで、保護者の責務を書かせていただいておるところでございますけれども、同時に、法案の第五条をごらんいただきたいと思うのでございますけれども、第五条の二項で、「義務教育として行われる普通教育は、各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うことを目的として行われるものとする。」このように義務教育の目的の中にも入っておるところでございまして、子供たちを育てていく上では、家庭のみならず、学校、地域、それぞれ役割を十分果たしていくことが大切だと考えておるところでございます。

西村(智)委員 またすりかえられてしまったような気がするんですけれども。完全にすりかえられていますよね、これ。

 この十条の第一項が親の責務であるということは、少年非行やニートなどの問題が発生したときには、では、親の責任に帰するということを意味しないということですか。

田中政府参考人 子供たちが非行に走らないように、あるいは将来自立していけるように育てることは家庭の責務でもございます。

西村(智)委員 そうおっしゃるのであれば、重ねて聞かなければいけないのは、親の第一義的責任の履行を規定しているということからであります。親に第一義的な責任があるというふうに規定されているときには、これは恐らく常識的な考えで、納得していただけると思いますけれども、親による第一義的責任の履行を可能にするような経済的及びその他の援助義務が国にあることをはっきりと規定するべきではないか。それはいわば国際的には常識的な考えであると思います。

 午前中の古本委員の質問にもありましたが、例えば労働条件の改善、こういったこと、これが、子どもの権利条約の第十八条、日本政府は一九九四年に批准をしております、そこにも書かれていると思いますけれども、この点については改正案に含まれるのでしょうか。

田中政府参考人 例えば、今、家庭教育について言えば、家庭教育に必要な支援というものは、国及び地方公共団体が支援しなければならないという書き方で、国及び地方公共団体に、学校教育に関しても家庭教育に関しても社会教育に関してもそのような規定を置いておるところでございまして、そういう、家庭教育の支援あるいは社会教育や学校教育の充実のために、国及び地方公共団体がそれぞれ必要な施策を講じていかなければならないことをこの教育基本法案で規定しておると考えておるところでございます。

西村(智)委員 いえ、局長、私の質問の意味をわかってお答えになっておられますよね。わかってわざとそういうふうにお答えになっているんですか。

 私は、親の第一義的責任の履行を可能にする経済的あるいはその他の援助義務が国にあることを規定すべきだというふうに思います。だって、そうでなければ、家庭に子供の教育のスタートはあるわけですから、そこのところをまずしっかりと確保するということは、これは基本法の中になければいけないと思うんですけれども、どうなんでしょうか。

田中政府参考人 例えば学校教育で申し上げますと、義務教育につきましては、どういう御家庭でもきちんと子供たちが義務教育を受けられるように、これは無償にしておるわけでございまして、それに必要な財源措置を国及び地方公共団体で講じておるところでございます。

西村(智)委員 今、でも、就学援助ですとか教材の補助など、随分と対象家庭はふえておりますよね。生活保護世帯も急増をしています。そういう中で、やはりここは必要なポイントではないか。大臣、いかがでしょうか。(発言する者あり)

伊吹国務大臣 いやいや、ちゃんと答弁せないけません、それは。

 先生が今御質問になっているのは、伺っていてよくわかります。

 それは、家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めねばならない、この範囲がどこまでであるかということは、この基本法に書くのではないんですよ、立法技術上は。これは、立法政策として、あるいは予算措置として、この理念法を参照にして予算でどこまでやるか。あるいは、例えば、この条項があれば、できるだけやはり、私の考えで言えば、両親は早くうちへ帰った方がいい。そうするならば、労働基準法をそれに従ってどういうふうに考えてもらうか、これは労働基準法に落ちてくる問題なんですよ。それをまた厚生労働省にどう働きかけるかというのは、この法律が通った後の文部科学大臣の責任なんですよ。

 だから、細かなことまで一々一々この理念法、基本法にどこまでどうだということを書くかどうかというのは、それは先生のようなお考えもあるでしょうが、それはあくまで立法政策上の提出者の判断にゆだねられている問題なんです。

西村(智)委員 いや、私は、親の第一義的責任の履行が規定されておるので、それを伺っているわけなんです。

 その履行が可能になるような状況がどうやってつくられるか、これは基本法といえどもやはり重要なテーマだと思います。子どもの権利条約の中でも、この点については細かく規定をされておりますので、ぜひ再考をお願いしたいと思います。

 きょうの質問は、最後にもう一点伺いたいことがございます。

 第十六条の関係でありますけれども、第十六条は教育行政についての規定なわけでありますけれども、この中で、第一項「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、」というふうにあります。「この法律」、これは教育基本法ということですので、これはわかります。「この法律及び他の法律」とありますけれども、まず第一点目は、この「他の法律」というのはどの法律のことを指すのでしょうか。それが第一点。

 もう一つ、きょうの最後の質問は、仮に強行採決などによって可決、成立した法律であっても、その定めるところにより教育を行うことになるのでしょうか。

 二つ、伺います。

田中政府参考人 それでは、お答えを申し上げます。

 改正法案第十六条の「他の法律」とございますのは、学校教育法や私立学校法など学校教育に関するもの、それから、地方教育行政の組織及び運営に関する法律あるいは文部科学省設置法など教育行政に関するもの、それから、社会教育法、図書館法など社会教育に関するもの、あるいは生涯学習の振興のための推進体制の整備等に関する法律など生涯学習に関するもの等がございます。

伊吹国務大臣 強行採決云々のところはちょっと参考人には答えさせられませんので、私からお答えをいたします。

 強行採決というのは一体何なんでしょうか。これを定義しなければなりません。そして、各国会法あるいは議事規則、あるいは我々の院は名誉ある先輩の慣例によって動いております、その慣例の中で成立した法律は当然それに従うのが国民の義務だと思っております。

西村(智)委員 強行採決の定義、それでは、また後ほどきちんと整理をして大臣に質問をさせていただきたいと思います。

 時間になりましたので、終わります。ありがとうございました。

森山委員長 次に、石井郁子君。

石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子です。(発言する者あり)ありがとうございます。

 まず、高校未履修問題についてお聞きをいたします。

 公立、私立を含めますと、全国四十五都道府県、五百四十校、八万三千七百四十三人が未履修という大規模な数に発展しているわけです。この問題で、文部科学大臣は、結果責任があると責任の一端をお認めになったと思います。同時に、教育委員会そのものが、学校の管理者である校長等の報告にだまされていたと答弁をされていたというふうに思うんですね。

 そこで、具体的に伺いますが、これは福島県の富田教育長が未履修の実態を知りながら黙認していたという発言がございました。このように言っています。週五日制で授業の枠が減る中、高校の進学のためやむを得ないという考えがあった、私の責任で申しわけない、問題があるという認識はあったが一番よい形で変えられなかったと言っています。これは静岡、福島、長野の教育長も、就任直前まで有名高校の校長をしていらしたということがあって、いわば必修逃れの実態というのは知っていたわけですね。ですから、これだけ各県にまたがって未曾有に行われていたということを見ますと、教育委員会がだまされていたというよりは黙認していたということではないのでしょうか。いかがでしょう。

伊吹国務大臣 石井先生、これはやはり各県の実態によってかなり違うと思いますが、教育委員会がだまされていたのか、だまされていたふりをしていたのか、結果的に文部科学省がだまされたのか、これはおのおのの県の実態によって違うと思いますが、どのようなことであっても、やはり九二、三%の児童はまじめにやっているわけですから、こういうことは私は許されないことだと思います。

石井(郁)委員 ちょっと島根県の実態を申し上げたいと思いますが、県立高校は分校を入れて四十二校です、そのうちの四五%、ほぼ半分に当たる十九校で必修逃れというのがありました。私立高校でも二校で起きています。この島根県の教育委員会は職員の二割に当たる四十一人が高校教員出身者であります。だから、いわば裏カリキュラムというのが高校で公然の秘密となっている。ほとんどの教員が知っているわけですね。それらの高校と県の教育委員会が人事交流も行っているわけです。だから、全く知らないでは済まされないということが一つ言えると思います。

 さらに、平成十七年の三月に学力調査、今問題の学力調査で、全公立高校を訪問しています。実態把握をして、そして意見交換も行っているということなんですね。だから、県の教育長も、黙認していたと言われても仕方がないというふうに述べています。

 まず、この事実はお認めになりますか。

銭谷政府参考人 私どもの調査では、島根県につきましては、ただいま先生がお話ございましたように、公立高校四十二校のうち十九校で未履修ということがございまして、私どもへの報告では、高校から教育委員会への報告が、いわば間違った、偽りの教育課程表が提出をされていたということは把握をいたしております。

石井(郁)委員 先ほど大臣は、だまされていたのか、だまされたふりをしたのかとおっしゃいましたけれども、やはりだまされていたという問題では済まない、いわば黙認していた、ここが重大ではないんでしょうか。

 その点でいいますと、文科省から今の島根県の教育委員会に出向した方々がかなりいらっしゃるんじゃないかというふうに思うんですね。もう時間の関係で私の方からちょっと調べた点で申し上げますと、二〇〇〇年の一月現在で、加藤弘樹体育局競技スポーツ課長補佐が島根県の教育委員会高校教育課長として出向です。二〇〇一年の一月現在では、谷合大臣官房総務課専門員が高校教育課長として出向、二〇〇三年まで同氏が高校教育課長を務めています。二〇〇四年には松永、これはちょっと読めませんが、初等中等教育局の教育課程課教育課程企画室長補佐がやはり高校教育課長となっています。二〇〇六年の一月現在も、同氏は高校教育課長を務めています。

 ですから、こうして見ますと、島根県の高校教育課というのは文科省の出向先ポストになっている、いわば固定している、こうも言えるわけですね。このことは、同様に福岡県の高校教育課も文科省の出向先指定ポストとなっているようであります。

 こういう方々が文科省に帰ってきているわけですよ、出向ですから。私は、文科省も黙認してきたと言われても仕方がないと思いますが、いかがですか。

銭谷政府参考人 現在までに公立の高等学校で未履修がありましたのは全国で三百十四校でございますが、そのうち三百十二校が教育委員会に対しまして、いわば偽りの教育課程表の提出をしていたということでございます。

 今、島根県の例を出されましたけれども、今回の未履修問題におきましては、先ほど来申し上げておりますように、高校の校長が教育委員会に対して虚偽の報告を行っていたことによるものが今申し上げましたようにほとんどでございまして、私としては、教育委員会として本当に事前に把握をしていたというふうには承知をしていないわけでございます。

 なお、今後、その点につきましてもよく調べていかなければいけないとは思っておりますけれども、文部科学省が事前に知っていたということはございません。

石井(郁)委員 私はやはり、そういう答弁に終始するというのは本当に問題だと思うんですね。

 つまり、学校長が虚偽の報告をしているんだ、教育委員会がだまされているんだ、文科省は知らなかったんだ、こういうことでは済まないですよ。私は、本当にこういう答弁をするというのは、やはり許されないと思うんですね。

 きょう私、資料を提出いたしましたけれども、これはことしの予算委員会の提出資料によって作成したものでございますが、課長以上で都道府県教委に出向している方が二十六名いらっしゃる。それに市町村の教育委員会を含めますと三十六名が出向しています、これはきょうの資料ですね。

 その中には、香川県の教育委の教育長、佐賀県の教育委員会教育長、広島県の教育長などとともに、島根県、高知県、福岡県、高校教育課長として仕事をしているんですよ。だから、文科省の出向者は高校教育課長ですよ。こういう高校の未履修の実態というのは当然わかるじゃないですか。ですから、私は、文科省の役人が状況を知りつつ黙認していた、こう言わざるを得ないと思いますが、いかがですか。

 私は、文科省の責任は重大だと思います。文科省として、まず事実関係をきちんと明らかにして報告していただきたい。

銭谷政府参考人 今回の未履修問題につきましては、私どもも大変大きな問題だと思っております。

 ただ、事実関係を申し上げますと、かつて、長崎県それから熊本県、広島県、兵庫県におきまして未履修の事例があったのは事実でございます。その点につきましては、特に広島県、兵庫県の問題は平成十三年度の話でございますので、私ども、その後、各種の説明会あるいは指導主事会議等におきまして、こういう未履修があってはならないということをきちんと指導してまいったところでございます。

 そういうこともございましたので、私どもとしては、必履修科目の未履修があるというふうには思っていなかったわけでございますけれども、今回こういう事態に至りましたので、今後、その背景、原因等につきましてはよく分析をして、今後に備えたいと思っているところでございます。

石井(郁)委員 だから、過去にもそういう実態があったということは知りつつ、一定の指導もされたということですから、その後その指導が生きていないという問題も一つあると思います。

 それで、私は大臣に再度伺いたいと思うんですが、こういう実態が、事実関係が出てまいりました。これをもってなお、教育委員会がだまされていたということで終わるんでしょうか。私は、そういう大臣の御答弁は訂正していただかなくてはいけないと思いますが、そしてまた、これほどの文科省の出向者、県の高校教育課長、教育長等々に出向している、この実態についてどのようにお考えか、お聞かせください。

伊吹国務大臣 先生、私は、だまされていたとだけ申したわけではございませんよ。その後に、だまされたふりをしていたのかもわからないということをつけ加えております。

 つまり、おのおのの県によって少し事情がやはり違うと思うんです。先生は先ほど、ある県においては、未履修を今回行った進学校の校長先生が教育長になっているということを御指摘になりましたね。この教育委員会は明らかにだまされたふりをしたと私は思いますよ。文科省から行った人間は校長先生の経験も何もないわけですから、どういうことが高校で起こっていたかわからない。わからないけれども、ある程度先生がおっしゃっていたような実態は把握していたのかもわかりません、率直に言って。あるいは把握していなかったかもわからない。だから、これは断定的にどうだこうだということは、私は県ごとに違うと思いますから、少しやはり、民主党からも御提案があったように、過去の問題その他を調べる中で、今の御注意も拳々服膺してやらせてみたいと思います。

石井(郁)委員 この段階では、だまされていた県と、だまされたふりをしていた県と、あるいは文科省が状況を知っていたという県もあるだろう、出向者との関係で。その辺について、私は、きちっと当委員会にやはり事実関係を報告していただきたいと思います。

 これは、委員長、お諮りいただけますか。

森山委員長 理事会において相談いたします。

石井(郁)委員 次に、義務教育段階でも未修問題が顕在化しつつある、これは大変重大問題だというふうに思いますので、きょうのところは一点伺いたいと思うんですね。

 中学校の学習指導要領には特別活動という時間がございます。これは、年間の授業時数三十五時間、三年間で百五時間となっているわけでありますけれども、こういう特別活動というのは、学校の中で、子供にとってはやはり大変楽しい、また人間形成にとっても重要な時間だというふうに思うんですね。だから、人格形成の大きな成長の場、今問題になっているような子供同士のコミュニケーション、あるいは異年齢の交流だとか、あるいはまた文化的な情操を養う等々においても、教育基本法で言う人格の完成という目的に照らしますと、やはり大変重要な時間だというふうに思うんです。

 ところが、今、私ども問題にしていますけれども、学力テスト、テストという体制が中心になって、また学校選択制とそれがリンクされているという状況の中で、私は、先日も取り上げましたが、東京都の足立区の実態をちょっと調べてみました。

 そこでは、朝学習とか放課後学習、サタデー学習、サマー学習、ウインター学習等々、さまざまな学力向上対策というのがとられているわけですけれども、その一方で、この特別活動というのが廃止ないしは縮小されているという実態がわかりました。例えば、遠足六時間が廃止です。文化祭は十二時間も廃止です。こういう時間というのは、準備を入れるともっと膨大に準備時間というのはあるんですね。それから音楽鑑賞二、三時間の廃止、また自然教室が十八時間も廃止なんですね。これは準備も入れますと二十八時間だと聞いていますけれども、こういう縮小の事態というのが起きているんですよ。必修の時間ですよ。それが縮小されている、私はこれも大問題だというふうに思います。

 それで、大臣に伺いますけれども、結局、今の政府提出案で教育基本法が改悪されていきますと、こういう学力テストの結果公表と学校選択制というのが全国に展開するわけですから、しかも、それはまた予算とリンクしていくということになりますので、そうなると、義務教育段階でもこういう特別活動を中心とした未履修問題というのが起きざるを得ないんじゃないのかというふうに思いますが、この点、大臣はいかがお考えですか。

伊吹国務大臣 先生、これは、教育基本法が通ればすべて足立区でやっているようなものが全国に広がると断定をされますが、私はそうじゃないと思います。

 それで、先生と私は意見を同じゅうするところもあると思います。それは、できれば教育の分野に私は市場原理は持ち込むべきじゃないと。しかし、競争と効率化は教育といえどもきちっとやっていただかなければならない。それは社会保障であれど、教育であっても、これは市場の原理には今の日本の法制もゆだねていないんですよ。しかし、ここは国民の、納税者の税金でもって動いているわけですから、その税金をやはり効率的に使うという意識だけは教育の現場も持ってもらわねばなりません。

 だから私は、市場原理を入れるということは反対ですよ。できればそうならない方がいいと思うけれども、効率ということを、税金を効率的に使うんだということを余り否定しちゃうと、これはやはり納税者を納得させるということは非常に難しくなりますから。なるほど、効率、効率ということを言わなくても、みんなが自覚を持って教育現場を動かしていただくような校長であり、教諭であり、教職員組合であってもらえば一番いい姿だと私は思います。

石井(郁)委員 きょう、ここで大臣とこの問題できちっと議論をするという時間が残念ながらないんですけれども、市場原理は教育にはなじまないと言われながら、しかし、大臣は結論の部分で、効率化は必要であり、だから学力テストの実施も結果公表も必要だということをやはり容認しているんじゃないでしょうか。ということがやはり見える、聞こえるわけでございまして、そしてまた、教育振興基本計画には、これまでも問題にしましたように、数値目標でその効果をはかる、成果をはかるということが出ていますから、そういうことにつながっていくのではないか、それは本当に中学校の教育あるいは高校の教育をゆがめていくことになりはしないかという問題として、私は、教育基本法の政府案がそういう危険を持っているということで申し上げたわけでございます。

 さて、きょう私は、本当に少ない時間の中なんですけれども、政府案、民主党案ともに、やはり条文の審議にもぜひ入りたいと思っているんですが、きょうはその一つの例として、ちょうど先ほど来も質問がございますので、第十条の家庭教育の問題で、ちょっと一問だけなんですけれども、伺っておきたいというふうに思います。

 政府案が改めてこういう家庭教育について規定をされたということですけれども、私が問題にしたいのは、子供の教育について、第一義的責任を親が、保護者が有するということはあるんですが、「生活のために必要な習慣を身に付けさせる」とか「自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。」等とありますが、教育の根本法でこういう親の責任の内容を規定する、明文化する、このことは本当にどういう意味を持つのだろうかということなんですね。これは、私はやはり、あるべき家庭とかあるべき子育てというものに踏み込んで政府が規定をする、国が規定をする、そして、それはやはり、家庭への関与、介入ということになりかねないという問題を指摘しないわけにいかないわけであります。

 それで、きょう聞きたいのは、具体的なんですけれども、基本法ですから、根本法ですから、その下位法というものを、家庭教育についての、こういう規定に沿って何か具体化する、下位の法律というものを置くお考えがあるのかどうかと伺いたいと思います。

伊吹国務大臣 私自身は、今のところそのような考えは持っておりません。しかし、世論の動向を見きわめて判断をしなければならないかもわかりませんが、私は、今のところそんな考えは持っておりません。

 そこで、家庭教育というのは、しかし先生、この条項には同時に、家庭の自主性を尊重しという言葉をきちっと入れているわけですよ。ですから、例えば思想、信条、宗教にかかわるようなこと、例えば、やはり共産主義に基づいた子供の教育は私はやりたくないけれども、それをやりたいというイズムの方もおられるでしょう。そこへは介入はしないということを明文化しているわけですよね、家庭の自主性を判断しと。だから、そこのところまで、先生、御心配になることはないんじゃないでしょうか。

石井(郁)委員 私は、そういう自主性という一言があるからいいという話にはならないだろうと思っているんですよ。やはり、家庭や子育てという問題について、国の関与のあり方が問題だというふうに思っています。

 それで、きょう少し具体的な話でお聞きするんですが、教育再生ということを安倍内閣は掲げておりますから、補佐官や官房副長官もおられます。きょうは私はその方に質問しませんけれども、ちょっと問題にしたいことがありますのは、教育再生担当の山谷えり子氏は、平成十六年の十一月二十四日、参議院の少子高齢社会に関する調査会で、このような発言をしているんですね。ブレアも子育て命令法という法律をつくりまして、親は子育てをちゃんとしようと、不登校の親に罰金刑までするような、そんなことをやっています、日本はどう探っていくのか検討していただきたいという質問です。

 ですから、教育基本法改定というのは、日本でこのような法律をやはり準備するつもりなのかという、ここから読み取らざるを得ないわけですよ。一つはその問題です。

 そして、私はきょう新聞を見て驚きました。これは下村官房副長官がこういう発言をしているんですね。「母親は働かず子育てを」と。これは、どうですか。(発言する者あり)そうだと、とんでもないですよ、そういうことは。働くか働かないかは、まさに個人の選択の自由じゃないですか。この中では、保育所の入所待機児童解消問題、なかなか進みませんよ、だから、これは本当にいいのか見直すべき時期だと、だから、もう子育ては母親がやれという話ですよ、これは。私はこういうことを、今後のこの家庭教育に関係して、やはり教育最優先の安倍内閣のその責任者がこういう方向でいくのか、これは本当に重大だというふうに思います。

 それで、きょうはこの当事者に私は質問通告しておりませんので、この際、私ども野党の側は、首相補佐官の山谷えり子氏はぜひ当委員会に出席を、お出ましいただきたいということを強く要望していますけれども、それがかないません。しかし、これは本当にしてもらわなくちゃいけません。このことを強く、ちょっと委員長にお諮りを願いたいと思います。

森山委員長 理事会で相談いたします。

石井(郁)委員 それで、残りの時間なんですけれども、きょう私の資料にもう一つ入れましたけれども、現在国会で審議中のこの政府案でございますけれども、今同時に、文部科学省内に教育基本法改正推進本部幹事会というのが存在しているようです。教育基本法成立後の改正すべき法律、振興基本計画、これを検討しているというんですね。

 ここに九月二十日の議題と配付資料がありますけれども、ここに「教育基本法改正推進本部幹事会」という資料があります、設置要綱として。それで、「教育基本法改正後に行うべき教育振興基本計画の策定等について、検討する。」とありまして、構成員として尾山大臣官房審議官など十二名で構成されているとあります。これは間違いありませんね。

伊吹国務大臣 これは、先生、事実関係を申し上げますと、民主党案になるのか、自民党案になるのか、理事同士の話し合いになるのか、この法律が通った場合、どのような法改正その他が必要なのかを大臣である私に教えろという指示は私がしております。

 しかし、今配っていただいたような資料は、私のところにはまだ、私は就任してから指示をしているので、私はそれを見たことはありません。先生から見せていただいて初めて。だから、これが文部科学省の資料かどうなのかは、ちょっと出所をやはりここで明らかにしていただかないと、私はお答えをすることはできません。どこからご入手になったのか。

石井(郁)委員 きちんと入手をしております。この文書は間違いありません。けさ、ちゃんと理事会で御承認もいただきました。

 それで、びっくりすることが、ここにありますように、法案成立と成立後のスケジュールまで書いてある。これは来年のことまで書いているんですよ。それで、十一月中には教育基本法が成立と書いています。十一月中です。だから、これはもう参議院を通っているという前提で書いてあるわけです。とんでもないじゃありませんか。今、国会で審議中であります。国会軽視も甚だしいと言わなければなりません。

 私は、文科省と、いわば政府がこういう形でここまで作業をしていくというのは、教育の政治的中立性を侵すものでもありますし、本当に国会としては黙視できないというふうに思いますし、こういう作業を本当に直ちにやめるべきだと思いますし、どういう事実経過になっているのかきちんと報告していただかなければ、やはり教育基本法についての質疑は続行できないと思います。

伊吹国務大臣 それは、石井先生、先ほど申し上げたような経緯があって、ここで私は、理念法が通れば、あと閣法あるいは政令、いろいろ御答弁を申し上げているけれども、具体的な項目としてどういうものが上がってくるのかを検討して私に教えろということを私は指示はしておりますが、大体、先生、だって、ごらんになったら、今私、見てわかりますが、十一月中なんて、教育基本法は通るんですか、私はよくわかりませんけれども。まだ参議院もございますよ。

 だから、先生、このペーパーは、確かにそうだ、正当に入手しておるとおっしゃいますが、どなたからだれが御入手になったかをやはり理事会ではっきりしていただかないと、文科省の資料として、大臣である私にも報告していないようなものを日本共産党が入手しておられるなんというような、局長を持っている大臣としてはまことに遺憾でございます。

石井(郁)委員 もう時間ですけれども、これは六月二十六日につくって、九月二十日改定ですから、大臣はまだ御就任になっていないと思います。しかし、ここまで構成員、これは皆さん、どうですか、大臣官房の名前がこんなふうに上がっているんですよ。これがちゃんとした資料だということは、もうこれを見ただけでおわかりいただけると思います。

 私は、大変遺憾な、重大な事態だというふうに思っておりますので、きちんとしたしかるべき答弁をお願いして、以上で終わります。

森山委員長 次に、重野安正君。

重野委員 社民党の重野安正です。

 あらかじめ通告しておりますので、その内容に沿って質問いたしますが、時間が限られておりますので、もしかして最後まで行き着かない場合もありますが、そのときは御容赦いただきたいと思います。

 この間、この特別委員会で、政府が目指しております教育基本法の改正案について、各党それぞれの立場から多面的に議論されてまいりました。

 私は、九州は大分県から来ているわけでありますが、大分県というところは、全国有数の過疎地域の多い県であります。山あり、谷あり、半島あり、そういう地形がもたらす大分県的な現行教育に対する希望あるいは不満というものがあります。私は、教育基本法の改正論議は、そういう現実に立脚をした議論であらねばならぬ、何らか空中で空中戦をやっておるというふうな受けとめをされるような議論ではよくないと思う。

 そこで、私は、きょうはこの教育基本法に直接触れませんけれども、ある現状を報告しながら、今文科省が目指しておる幾つかの具体的なテーマがありますが、どうするかという質問をしていきたいと思います。

 まず、学校選択制の問題であります。

 今、学校選択制が全国的に、一部教育委員会においては既に行われておりますが、この学校選択制が行われている法的根拠、あるいは実施状況、具体的内容、まずこの点についてつまびらかにしていただきたい。

銭谷政府参考人 御説明を申し上げます。

 まず、学校選択制の法的な根拠でございますけれども、学校教育法の施行令で、市町村の教育委員会は、その市町村が設置をする小学校あるいは中学校が二校以上ある場合は就学すべき学校を指定するということになっております。それで、学校教育法の施行規則におきまして、市町村の教育委員会が就学すべき小学校または中学校を指定する場合には、あらかじめその保護者の意見を聴取することができるという規定がございまして、この規定がいわゆる学校選択制の根拠になってございます。

 現在、学校選択制の具体的内容としては、幾つかのパターンがあるわけでございますけれども、例えば、当該市町村の中のすべての学校のうち希望する学校に就学を認めるという自由選択制のものとか、あるいは、市町村の中に幾つかのブロックを設けまして、そのブロック内の希望する学校に就学を認めるブロック選択制とか、幾つかのやり方がございます。

 ただ、通常は、先ほど言いましたように、二つ以上の学校の中から事前に保護者が希望する学校を表明いたしまして、これに基づいて市町村の教育委員会が就学する学校を指定するというやり方が基本でございます。

 それから、三点目でございますが、実施状況でございますけれども、現在、自治体内に二校以上の小学校を設置している自治体、これは平成十六年十一月時点でございますが、二千五百七十六自治体のうち、学校選択制を導入している自治体は二百二十七自治体、八・八%でございます。それから、同じく市町村内に二校以上の中学校を設置している市町村、これが千四百四十八でございますが、このうち、学校選択制を導入している市町村は百六十一市町村、一一・一%となっております。

重野委員 今具体的に数字が出されましたけれども、大まかに言って一割か、こういうことになるわけです。

 ところが、具体的に見ていきますと、例えば、東京の品川区あるいは文京区、こういうところで、品川の場合は中学でありますが、ある学年の入学者がなくなったというところが発生した。私はその現地に行って確認したわけじゃありませんよ。この制度は一つの自治体で二校以上学校があるという前提があるわけですが、この制度を仮に今全国化した場合に、極端なマイナス面が、私が今言うように、入学者がゼロになったというふうなものが出現をしてきたということは、この制度のいわゆるマイナス面として一つあるんじゃないか、そういうふうな受けとめができるんじゃないか。

 そこで、そういう東京であらわれた現象について、文科省はどういうふうな把握をし、どういうふうな考え方を持っているのか、この点についてお聞かせください。

銭谷政府参考人 御説明を申し上げます。

 いわゆる学校選択制につきましては、やはりメリットもあればデメリットもあるということがあるわけでございます。今、先生からもお話ございましたけれども、デメリットとしては、学校と地域のつながりが希薄になるおそれがある。それから、今お話しのように、極端な場合には入学希望者がゼロになるといったようなことから、適正な学校規模を維持できない学校が固定化をするといったようなおそれがあって、学校間格差が発生するおそれがある。それから、過疎地では導入が困難といったようなデメリットもあると思います。

 先ほどお話のありました入学希望者がゼロであった中学校、都内に数校ございますけれども、そこは即廃校ということではなくて、その年は当該学年ゼロで運営をして、翌年に向けて学校がいろいろ努力をして、また生徒が入ってきたというケースも報告をされております。

 いずれにいたしましても、学校選択制については、一方で、特色ある学校づくりと、教育の質の向上とか、保護者の学校への関心が高まるといったようなメリットもあるわけでございますけれども、私ども文部科学省としては、やはり地域の実情等に即して、市町村の教育委員会の判断ということがまずあるべきだということで、全国一律にこれを導入する、義務づけるということは、やはり適当ではないのではないかというふうに考えております。

重野委員 今お認めになりましたけれども、入学者がゼロになった、そういうことが現に起こったという点の評価ですね。それは、進める文科省がそもそも期待したことなのか、いや、それはやはりよろしくないということなのか、はっきりしてください。

銭谷政府参考人 この学校選択制については、いろいろな見方があると思います。例えば、あの学校はひどい学校だという学校へ何で学校指定を受けて行かなきゃいけないのか、もう少し歩けば評判のいい学校が同じ公立でもあるじゃないかといったような素朴な見方から、学校選択制ということを考えたところもあると思います。

 先ほどちょっと申し上げましたけれども、学校選択制というのは、保護者や児童生徒の選択や評価を通じて特色ある学校づくりとか、あるいは、保護者自体の学校への関心が高まって、ある意味で学校と保護者の連携の強化につながるといったようなメリットがあるわけでございますけれども、同時に、先ほど来申し上げておるように、非常に希望者が少ない学校は、ある意味ではますます活動が活発化しないで、そこの学校にいること自体が子供たちにとってもいい結果を生まないとか、あるいは、もともと小学校、中学校というのは地域が育ててきたわけでございますので、その地域とのかかわりが薄れて、本当に学校と地域のよりよい関係ができないとか、こういうデメリットもあるわけでございます。

 学校選択制をやっていくうちに、そういう学校間の多少の格差が出てくるということは容易に想像できるわけでございますが、要は、学校選択制は、それぞれの学校がそういう中でお互いに自分の学校の特色を出し合っていく、そしていい教育を競い合ってやるというところにあるわけですので、やはりそういう条件を、それぞれ導入するところはよく考えて導入していかなければならないのではないかというふうに思っております。

重野委員 まだこの仕組みは始まって間がないわけでありまして、今私が指摘をしたような問題が既に起こっている。したがって、この制度をどうしていくかということについては、やはり私は、厳密に、慎重に、冷静に、現状把握、そして検討をすべき大きな課題であろう、このように考えますので、そういうスタンスで今後とも対応してほしい、このように思います。

 次に、教育バウチャーについて先ほど来議論がございました。来年の三月までに結論を出すこととしているというふうに承知をしているのでありますが、これは公立のみならず、私立の場合の扱いはどうなるのかという点について聞いておきたいということ。それから、文科省は、この教育バウチャーに関する研究会、どういう方向にその結論を定義づけようとしているのか、その点についてまず聞いておきたい。

田中政府参考人 お答え申し上げます。

 教育バウチャーに関しましては、昨年の十月に文部科学省で、外部の有識者も加えました教育バウチャーに関する研究会を設けまして、研究、検討を行っておるところでございます。

 現在まで、海外事例の実態把握等を中心に研究、検討等を実施してきておるところでございますけれども、その中で諸外国の状況を見ますと、それぞれの国の制度導入の背景がさまざまでございまして、教育バウチャー制度そのもののとらえ方が国によって、あるいはその地域によって異なっておる、また、諸外国の中には導入の効果の検証が必ずしも十分になされていない例もかなり見られるというようなことで、明確な定義を持って検討しておるわけではございません。

 今後とも、教育バウチャーの定義も含めまして、同研究会において研究、検討を重ねてまいりたいと考えております。

重野委員 それでは、来年の三月までに結論云々というのは、私の勘違いということでいいんですか。出すんですか。今の答弁では、まだまだ相当に時間がかかると私は受けとめたんですが。

伊吹国務大臣 これは先生、私が文部科学省の責任者ですから、私からお答えをいたします。

 いろいろなことが話題になったり議論になっておりますから、調査研究をして、いいか悪いか、いろいろなことを第三者から聞くことは結構だと思います。しかし、今現実問題として、このバウチャー制度を入れようということになれば、当然法改正が必要になりますよ。そして、立法府にお尋ねしなければなりませんから、来年三月なんということは私は全く責任者として考えておりませんし、立法府も、自信を持って、出てきたものを、御自分の御判断をそのとき述べていただく機会が当然ございます。

重野委員 はい、わかりました。

 そこでもう一つ、今度は、この教育バウチャーに関する研究会でない、教育再生会議、ここにおいてもこのバウチャー制度を検討課題としている、こういうふうに承知をしているんですが、これはどうなるんでしょうか。文科省に置かれた研究会と、それから内閣に設置された教育再生会議、これが同時にこんな議論をして、どういう結論が、違った結論になったら、これはどうなるんですか。

塩崎国務大臣 何度も御答弁申し上げておりますけれども、教育再生会議では、幅広い教育に関連する議題について総理を交えて議論しよう、こういう会議でございます。したがって、今御指摘の教育バウチャー制度というのも出てくる可能性はもちろんありますけれども、もっともっと大きな話をするわけで、仮に提言として出てきた場合でも、今、伊吹大臣から御答弁を申し上げたように、文科省において法改正をしなければならないということになりますから、当然、また文科省の方で受け取っていただいた上で、その提言をどうこなすかはまた文科省の判断にかかるということだと思います。

重野委員 この問題は大変大きなテーマになることはもう明らかでありますし、これはやはり多面的に、重層的に真剣に議論して、そしてどうなるか、結論を待たなきゃならぬ、このように思いますので、そこら辺は十分踏まえていっていただきたい。

 それから、さっき議論いたしましたが、この学校選択制の問題ですが、これは一つの地域に複数校なければできないわけです。そうしますと、私の地元なんというのはもう典型的な過疎地域の多い県でありまして、例えば、私の家のあるところは、昔の五つの村が合併して一つの町になって、それが平成の今度の合併で市と一緒になって市を形成する、こういうことになったんですね。もちろん、かつては、そのすべての町や村に小学校、中学校があったんです、僕ら覚えていますね。しかし、それが最終的には、今の状況では、小学校一校、中学校一校に、こうなっていくんですね。

 そういう地域においてこの教育バウチャーなんか言っても、これはやはり何かよその話みたいな感じなんです。だから、そういう地理的な状況というものをやはり文科省もしっかり踏まえて議論しないと、大都会においてはこの議論が現実感を持ってとらえられるかしりませんけれども、面的には、大多数の地域においては全く対象にならぬ、こういうことが出てきます。そこら辺をやはり十分にとらえていかなきゃならぬと思うんですね。例えば、全国で平成十七年度までの十年間で小学校及び中学校の廃校が、小学校が二千百六十七校、中学校が六百三十四校、二千八百一校が廃校になっておる、これが現実なんです。

 まず、この点を確認したい。この二千八百一という数字を確認したい。

 それから、その廃校に伴って影響を受けた子供の数が大体どれぐらいあるのか。廃校というのは行政の結果ですよね、行政判断ですから。この間、それによって影響を受けた子供たちの数がどのぐらいおるのか、これを把握しているのかどうか。

銭谷政府参考人 ちょっと一言先ほどの答弁につけ加えさせていただきたいのでございますけれども、簡単にしますけれども、学校選択もバウチャーも、学校をよくするための一つの方法として考えられているわけでございますけれども、先ほど申し上げましたように、地域によりましていろいろな事情があって、本来は、やはり各学校ともきちんと条件整備をして子供を迎え入れるというのが今の制度の考え方であるということをまず申し上げておきたいと思います。

 その上で、過去十年間において廃校となった小中学校の数でございますが、ただいま先生からお話がございましたように、小学校、中学校合わせまして二千八百一校でございます。

 廃校により影響を受けた子供の数でございますけれども、これは、廃校時点での廃校に属する子供の数だけなのか、統合した先の子供の数も含めるのか、いろいろあるものですので、ちょっと私ども、子供の数というのは取り出して把握はしていない状況でございます。

 ただ一点、数字だけ申し上げますと、平成十七年度に廃校になりました学校は、この二千八百一校のうちの三百八十五校でございます。三百八十五校の学校に在籍をしておりました子供は、二万二千五百四十一人ということでございます。

 ただ、この子以外にも統合等によりましていろいろ影響を受ける子がおりますので、全体的な影響を受けた子供の数ということでは把握をしていないというのが実情でございます。

重野委員 今、十七年だけで二万二千五百四十一という数字です。ですから、既に統合されて通学している子供の数を入れれば、相当な数になると思いますよ。これは、私は、行政課題として極めて大きな数字だと思います。

 そこで、もう一度確認いたしますが、これは総務省の数字でありますけれども、七百三十九の過疎町村において、小学校、これは分校ですが、平成十四年度の分校数が百八十六分校あるということです。これは平成二年が三百十五ですから、百二十九減っておるんですね。これは、合併が進んでおるということの裏返しの数字だと思うんですね。

 分校というのは、もう言うまでもなく、本当に数が少なくて、複式とか、やはり教育条件は、都市に比べれば、やはりどんなに言っても劣っていると私は思うんですよ。まさっている部分もあります、教師との関係とか。だけれども、やはり複式学級なんかになりますと、どうしても問題があります。

 そういうふうな点がありますが、最も大きな問題は、通学距離が著しく遠距離になるということですね。この点、学校の統廃合により児童たちの通学距離が著しく延びていく、いわゆる学校統廃合の議論のときに、そういうファクター、そういう要素を文科省の中で議論したことがあるんでしょうか。

銭谷政府参考人 学校の統廃合は、やはり学校として一定規模を有しまして、そこに必要な教職員を配置して教育を行う方が教育的な効果があるという観点と、それから、もちろん子供たちの通学の便という観点、幾つかの観点があろうかと思います。

 お尋ねの通学の便の観点につきましては、文部科学省としては、これまでは、おおむね小学校は四キロ、中学校は六キロ程度の距離というのが一つの統廃合に当たっての距離感覚かなということは言っておりますけれども、あわせて、統廃合に伴うスクールバスの助成ということも文部科学省として実施をいたしております。

重野委員 問題は、今言いました四キロ、六キロという数字ですが、これは、調べてみますと、昭和三十一年十一月十七日にそのことが出されているんですね。三十一年、もう随分これは昔の話です。その後、昭和の大合併が進められ、そして今、平成の大合併が進められているという、自治体をめぐる環境は劇的に変化していますね。そのことが結果として、この四キロ、六キロというのが現実に合っているのかどうなのかという議論を文科省の中でしたことがあるのかどうか。確かに、今、私の地元なんかにおいても、大変な経費を負担していますよ。

 ちなみに、大分県においては、十年間で五十四校の統廃合が行われました。これによって、通学距離が違うわけですね。したがって、それをカバーするために五十八台のスクールバスあるいはタクシーの借り上げ、そういう対策を講じております。

 その所要時間がどうなのかというのを調査いたしましたら、平均しますと、車で平均三十二分。六十分かかっている、そういう自治体もあります。一時間ですよ。昔は、子供たちが連れ合ってわいわいがやがや言いながら、通学途上にあるおじいちゃん、おばあちゃんから声をかけられて、あいさつをしながら行くのが学校に登校していく風景ですよ。今はバスです。全然そんな機会はありません、そういう遠距離通学の子供たちは。そういう現状というのを教育的な見地から見てどう評価するのか。

 私は、この通学という問題一つとってみても、都会と地方、過疎地域という、機会均等と言うけれども、教育基本法で、すべからく、すべて平等にその恩恵というか行政の影響を受けるべきだ、当然だと言っているけれども、通学という面一つとってみても、平成の大合併、自治体の、いわゆる行政の都合ですよ。子供の都合じゃありませんよ。その結果、子供たちがそういう状況に置かれているという現状をこのまま看過していいのか。これはどういう対策を講じたらいいのか、文科省としても真剣に検討するべきではないかと私は思うんですが、その点についてはどうですか。

伊吹国務大臣 先生のお地元の大分は私も好きな県ですから時々行きますが、おっしゃっているような実態がかなりあることも理解しておりますが、同時に、私の地元の大都会の京都市においても、中心部は五校、六校が廃校になって、一校になっております。ですから、先ほど政府参考人がお話ししたのは、必ずしもすべてが田舎の状況ではないということだと思います。

 それで、御承知のように、学校の設置、統廃合は、基本的に設置権限のある当該自治体の判断をもって行うわけですけれども、できるだけ子供たちが不利にならないように、スクールバス云々ということを申し上げておったと思いますが、私たちもそれは全力を尽くしたいと思います。

 ただ、スクールバスその他の経費は大変なものがあると思います。しかし同時に、分校を置いておいた場合の経費はこれまた大変なものがありますね。これは納税者の最終的な判断として、どこまでが統合して先生がおっしゃっているような形でバスその他で通学するか、受忍の範囲がどこまでかということなんですよね。ですから、そのことは、できるだけ距離は私は小さくした方がいいと御指摘のとおり思いますが、ある程度やはり地方自治体の裁量権を認めませんと、これは学校設置者が何のためにあるかわからなくなりますから、この両方をよく理解した上で、先生の御心配のことを少しでも減らすように努力させていただきます。

重野委員 今大臣も申されましたけれども、そういう方向が現実的に実行される、そのようになるよう期待をいたしまして、質問を終わります。

 ありがとうございました。

森山委員長 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後五時一分散会


このページのトップに戻る
衆議院
〒100-0014 東京都千代田区永田町1-7-1
電話(代表)03-3581-5111
案内図

Copyright © Shugiin All Rights Reserved.