衆議院

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第4号 平成19年4月25日(水曜日)

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平成十九年四月二十五日(水曜日)

    午前九時開議

 出席委員

   委員長 保利 耕輔君

   理事 大島 理森君 理事 河村 建夫君

   理事 小坂 憲次君 理事 鈴木 恒夫君

   理事 中山 成彬君 理事 野田 佳彦君

   理事 牧  義夫君 理事 西  博義君

      赤池 誠章君    井澤 京子君

      井脇ノブ子君    伊藤 忠彦君

      稲田 朋美君    稲葉 大和君

      猪口 邦子君    小野 次郎君

      亀岡 偉民君    木原 誠二君

      鈴木 馨祐君    鈴木 俊一君

      鈴木 淳司君    関  芳弘君

      とかしきなおみ君    土井  亨君

      西村 明宏君    西本 勝子君

      馳   浩君    原田 憲治君

      平田 耕一君    福田 良彦君

      藤田 幹雄君    二田 孝治君

      馬渡 龍治君    松本 洋平君

      やまぎわ大志郎君    安井潤一郎君

      山内 康一君    若宮 健嗣君

      岩國 哲人君    川内 博史君

      北神 圭朗君    田島 一成君

      田嶋  要君    高井 美穂君

      西村智奈美君    松木 謙公君

      松本 大輔君    横山 北斗君

      吉田  泉君    笠  浩史君

      伊藤  渉君    大口 善徳君

      石井 郁子君    重野 安正君

      保坂 展人君    糸川 正晃君

    …………………………………

   議員           藤村  修君

   議員           牧  義夫君

   議員           田島 一成君

   議員           高井 美穂君

   議員           松本 大輔君

   議員           笠  浩史君

   総務大臣         菅  義偉君

   文部科学大臣       伊吹 文明君

   国務大臣

   (内閣官房長官)     塩崎 恭久君

   内閣官房副長官      下村 博文君

   文部科学副大臣      池坊 保子君

   厚生労働副大臣      武見 敬三君

   文部科学大臣政務官    小渕 優子君

   政府参考人

   (内閣官房内閣審議官)  山中 伸一君

   政府参考人

   (総務省自治行政局長)  藤井 昭夫君

   政府参考人

   (総務省自治行政局公務員部長)          上田 紘士君

   政府参考人

   (文部科学省生涯学習政策局長)          加茂川幸夫君

   政府参考人

   (文部科学省初等中等教育局長)          銭谷 眞美君

   政府参考人

   (文部科学省高等教育局長)            清水  潔君

   政府参考人

   (厚生労働省大臣官房審議官)           荒井 和夫君

   衆議院調査局教育再生に関する特別調査室長     清野 裕三君

    ―――――――――――――

委員の異動

四月二十五日

 辞任         補欠選任

  亀岡 偉民君     土井  亨君

  松本 洋平君     馬渡 龍治君

  やまぎわ大志郎君   関  芳弘君

  山内 康一君     藤田 幹雄君

  笠  浩史君     吉田  泉君

  保坂 展人君     重野 安正君

同日

 辞任         補欠選任

  関  芳弘君     福田 良彦君

  土井  亨君     亀岡 偉民君

  藤田 幹雄君     鈴木 馨祐君

  馬渡 龍治君     松本 洋平君

  吉田  泉君     松木 謙公君

  重野 安正君     保坂 展人君

同日

 辞任         補欠選任

  鈴木 馨祐君     小野 次郎君

  福田 良彦君     鈴木 淳司君

  松木 謙公君     岩國 哲人君

同日

 辞任         補欠選任

  小野 次郎君     山内 康一君

  鈴木 淳司君     やまぎわ大志郎君

  岩國 哲人君     笠  浩史君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 政府参考人出頭要求に関する件

 学校教育法等の一部を改正する法律案(内閣提出第九〇号)

 地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案(内閣提出第九一号)

 教育職員免許法及び教育公務員特例法の一部を改正する法律案(内閣提出第九二号)

 日本国教育基本法案(鳩山由紀夫君外五名提出、衆法第三号)

 教育職員の資質及び能力の向上のための教育職員免許の改革に関する法律案(藤村修君外二名提出、衆法第一六号)

 地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案(牧義夫君外二名提出、衆法第一七号)

 学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案(笠浩史君外二名提出、衆法第一八号)


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     ――――◇―――――

保利委員長 これより会議を開きます。

 内閣提出、学校教育法等の一部を改正する法律案、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案及び教育職員免許法及び教育公務員特例法の一部を改正する法律案並びに鳩山由紀夫君外五名提出、日本国教育基本法案、藤村修君外二名提出、教育職員の資質及び能力の向上のための教育職員免許の改革に関する法律案、牧義夫君外二名提出、地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案及び笠浩史君外二名提出、学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案の各案を一括して議題といたします。

 この際、お諮りいたします。

 各案審査のため、本日、政府参考人として内閣官房内閣審議官山中伸一君、総務省自治行政局長藤井昭夫君、自治行政局公務員部長上田紘士君、文部科学省生涯学習政策局長加茂川幸夫君、初等中等教育局長銭谷眞美君、高等教育局長清水潔君、厚生労働省大臣官房審議官荒井和夫君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

保利委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

保利委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。川内博史君。

川内委員 おはようございます。川内でございます。教育再生特で初めて質問をさせていただきます。どうぞよろしくお願いを申し上げます。

 私はまず、この委員会の質疑の初日に我が党の菅代表代行と安倍内閣総理大臣及び伊吹文部科学大臣との間で教科書検定に係る議論がなされたわけでございますが、その件に関して引き続き、若干疑問の点もございますので、政府の御見解というものを明らかにしていただければということで質問をさせていただきたいというふうに思います。

 まず、本日の質問のために昨日私の部屋に教科書課長さんがお見えになられ、御説明をいただきました。それによりますと、教科書検定では毎年九月ごろ、文部科学省の職員である教科書調査官が、教科用図書検定調査審議会の委員や専門委員あるいは教科書調査官、教科書調査官は文部科学省職員でございますが、これらの方々の調査結果を取りまとめ、調査意見書という行政文書を作成し、この審議会に提出をするというふうに承りました。

 ことし大きな問題になりましたのは、第二次世界大戦、沖縄戦における集団自決に係る日本軍の関与というものが記述から落とされたと、検定がなされたということが大きな問題になっているわけでございますが、昨日承ったところによると、平成十七年、昨年度の検定においては高校一年の日本史の歴史教科書が検定をされたその段階では調査意見書には何らの意見も付されていなかった、沖縄戦の集団自決に言及する意見はなかった。しかし、平成十八年度の検定においては調査意見書に意見が付されたというふうにお聞きいたしました。この事実関係に間違いがないかどうか、まず確認をさせていただきたいと思います。

銭谷政府参考人 教科書検定は、教科用図書検定調査審議会の専門的な審議に基づき行われるわけでございます。

 お尋ねの件につきましては、平成十七年度の検定では、今年度と同様の記述に検定意見は付されていないところでございます。本年度の教科用図書検定調査審議会におきまして、最近の議論等を踏まえて、検定意見を付すことが適切だと判断をされたものでございます。

川内委員 教科書課長さんは、この調査意見書は行政文書であるので、情報公開法に基づく請求があれば個人名や会社名を伏して公開をする、公開をしなければならないというふうに御説明をいただきました。

 そこで私は、平成十七年度の調査意見書と平成十八年度の調査意見書を、国政調査権に基づく資料請求をさせていただいたところ、昨晩深夜、局長と大臣の決裁がとれないので現時点においてはお出しすることはできないというふうな御回答をいただきました。きょうここには初等中等教育局長も文部科学大臣もいらっしゃいますので、この二年分の調査意見書を御提出いただきたいと思いますが、いかがですか。

銭谷政府参考人 教科書の検定の際、教科用図書検定調査審議会が開催をされて、そこで専門的な調査審議が行われるわけでございますけれども、この審議会では、通常、審議会の各委員による調査結果及び委嘱をしております専門委員それから教科書調査官の調査結果を教科書調査官が調査意見として取りまとめまして、それに基づいて審議が行われるわけでございます。そして、検定意見につきましては、その審議会として議論をした上で意見を付すかどうか判断をする、そういう審議の進め方が行われております。

 それで、この調査意見書でございますけれども、これは審議会の議論に供するものとして提供しているわけでございますけれども、その取り扱いにつきましては、結局、審議の結果原案のとおりの場合もあるかもしれませんが、通常はそうでない、いろいろな審議の結果を踏まえて検定の結果が出るものでございますので、この調査意見書の提出につきましては、私ども、今どのように取り扱うべきか検討させていただいているところでございます。

川内委員 どのように取り扱うべきか検討しているという、行政文書ですから、個人情報は消していただいて構わないですが、大臣、これは出してくださいと言われたら出さなきゃいけないんじゃないですか。

伊吹国務大臣 担当の課長がどういう答弁、答弁というか、御説明をしたかも私は報告を受けておりませんというよりも、菅さんとのこの前のやりとりでもお話をしたように、私はこの教科書検定というものにできるだけ、できるだけというか、最後の検定権者にはなっているんですよ。しかしそれは、いろいろな場に出ていって、表現がどうかと思いますが、双方の方からしかられる立場にあるだけであって、私が積極的に、そのどちらがいいとか悪いとか言う、もし大臣が言えばですよ、これは怖い国になるんですね、日本は。そういう国であってはならないと私は思いますし、また、家永裁判以降の流れというものもそういう、最高裁判決に従って行われていますから、私は検定調査会の検定結果について口を差し挟んだこともありませんし、どのように運営されているかということについても、あるいは運営方法についても、口出しをしたことがありません。

 ですから、今局長が答弁したことを一度よく部内で局長から聞いてみましょう、先生の御提言ですからね。

 そして、法律上出さなければならないものであれば、法治国家だから出す。しかし、出すかどうかということについて、これが本当に行政文書なのかどうなのかということも含めて、もちろん、私の部下が先生に申し上げたことですから、間違っていれば私の責任でございますけれども、そのことも含めて、法制的に検討させてください。

川内委員 この調査意見書については、私は御提出をいただけるものというふうに思いますので、しっかりと御検討の上、私が次にここに立つまでの間にいただきたいというふうに思います。

 それでは、この調査意見書に基づいて審議会の中で審議をされて、修正意見というものが取りまとめられて、教科書会社に通知をされるわけでございますが、この沖縄戦に係る記述について修正意見はどのような修正意見がついたのかということについて教えていただきたいと思います。

銭谷政府参考人 先ほどの調査意見書につきましては、先ほど申し上げましたように審議会の審議のために供した文書でございますので、審議会自体が非公開で行われている審議会でございますので、その辺も含めまして、私どもよく検討させていただきたいと存じます。

 それから、十八年度検定におきましては、申請のありました図書につきまして、十点の日本史の申請がございまして、沖縄戦の集団自決につきましては八点に記述がございました。そのうち七点に検定意見を、教科用図書検定審議会において議論をして、付したものでございます。

 検定意見といたしましては、申請図書の記述につきまして、沖縄戦の実態について誤解するおそれがある表現であるという検定意見、これは、七つとも共通した意見として付されているところでございます。

川内委員 すべての記述について、共通して、沖縄戦の実態について誤解を受けるおそれがあるという意見をつけた。沖縄戦の実態について誤解を受けるおそれがある、これは、具体的にはどのような誤解を受けるおそれがあるというふうにお考えになられたのかということについて教えていただきたいと思います。

銭谷政府参考人 私は、教科用図書検定調査審議会の審議に基づく審議会の意見につきまして、事務方として御説明を申し上げるということで、お話をさせていただいているわけでございます。

 それで、従来、沖縄戦における渡嘉敷島及び座間味島での集団自決につきましては、その島の日本軍の隊長が住民に対し集団自決命令を出したとされ、これが通説として扱われてきたということでございます。この点について現在さまざまな議論があるということでございます。

 例えば、近年、当時の関係者等からこの隊長の命令を否定する証言等が出てきているといったようなことがあるようでございます。また、沖縄戦に関する研究者の近年の著作等におきまして、軍のこの隊長命令の有無というのは明確ではないというような著作もあると承知をいたしております。さらに、平成十七年八月に、従来の通説におきまして集団自決の命令を出したとされてきた元隊長等から訴訟が提起をされたというふうにも承知をいたしております。

 これらを契機といたしまして、教科用図書検定調査審議会におきまして、改めて専門的な調査審議を重ねた結果、検定意見を付すことが適当と判断をされたものと理解をいたしております。

 つまり、教科用図書検定調査審議会といたしましては、今回のその検定意見の趣旨というのは、教科書の記述としては、通説とされておりました軍命令につきまして……(川内委員「言いかえちゃだめだよ。隊長の命令です」と呼ぶ)隊長の命令について、その有無について断定的な記述を避けることが適当であるという判断をしたものだと思います。

 つまり、通説というのが、隊長命令があった、それが日本軍の命令ということになっているわけでございますので、この日本軍の命令の有無について、いずれかに決めるということではなく、また日本軍の関与や責任を否定するという意味でもないというふうに教科用図書検定調査審議会の専門的な審議は解したというふうに理解をいたしております。

川内委員 隊長の命令があったかなかったかということが誤解を受けるおそれがある、これについては争いがあるという御説明であった。他方で、軍の関与あるいは責任というものを否定するものではないということでございます。

 それでは、このことを一つ確認しておいた上で、教科書検定調査審議会のメンバーについてちょっと詳しくお尋ねをいたしますが、先日の菅代表代行と伊吹文部科学大臣との議論の中では、文部科学大臣は、きょうも先ほどおっしゃられたわけですが、教科書はイズムに左右されてはならないのだということをおっしゃっていらっしゃいます。私もそのとおりだと同意をいたします。公正に、客観的に、学問的に立証されていることを記述していくということでなければならないというふうに思います。

 それでは、お尋ねをいたします。

 この審議会の中に文部科学省職員である教科書調査官の方々も参加をされ、議論に参加をするわけでございます。先ほど御説明があったとおり、調査意見書というものをこの教科書調査官がお取りまとめになるわけでありますが、文部科学省における日本史の教科書調査官は何人いらっしゃいますか。

銭谷政府参考人 文部科学省におります教科書調査官で、まず、地歴、公民、この社会科を担当している教科書調査官は十六人でございます。その中で、日本史を特に専門としている教科書調査官は四人でございます。

川内委員 その四人の教科書調査官の中で、日本史の中の近現代史の御専門家は何人ですか。

銭谷政府参考人 教科書調査官はいろいろな学問、研究の経験のある方が任用されているわけでございますけれども、日本史につきまして例えばこの分野だけとか、そういうことではなくて、幅広く日本史について研究をしてきた方々、また、そういうことを調査官になりましてからも勉強するという方を任用するようにしていたと記憶をいたしております。

川内委員 それはそのとおりだろうというふうに思います、学者さんというのはそれぞれに専門の分野を持っていらっしゃるわけで。

 では、特に近現代史をお得意にしていらっしゃる、大学での勉強とかあるいはその後の研究生活の中で近現代史を研究していらっしゃった教科書調査官は何人いらっしゃいますか。

銭谷政府参考人 先生、大変恐縮でございますけれども、教科書は、古代から近現代まで、それぞれの学校段階に応じまして日本史の教科書は記述をされているわけでございます。ですから、教科書調査官は、例えば、小学校の歴史も担当いたしますし、中学校の歴史的分野も担当いたしますし、高等学校の日本史も担当するということで、日本史を主として担当する調査官が共同して調査に当たって、それぞれ分野、詳しい分野あるいは今勉強している分野、いろいろあると思いますけれども、全員が分担、協力をしながら教科書の専門的な調査に当たっているということでございます。

川内委員 いや、私は教科書調査官の担当を聞いているのではなくて。そりゃ、担当は日本史の教科書全般について担当するわけですよ、四名が。担当はそうですよ。その教科書調査官のそれぞれ得意とする分野を聞いているわけで、近現代史を得意とする教科書調査官は何人いますかということを聞いているんですよ。

 私が聞いていることがおかしなことであれば、委員長、私に注意してください。

 理事、ちょっと。

 これに答えないというのはおかしいですよ。教科書調査官が四人いる、その中で近現代史を特に得意としている人は何人ですかと聞いていることに対して、いや、それは答えません、担当はすべて担当するんですという答えは答えじゃないですよ。

伊吹国務大臣 川内先生ね、先生のねらっておられる質問の意図はわかります。しかし、例えば、私は率直に言って文部科学行政は素人なんですよ。だけれども、党内で社会保障のことをやったり税制のことをやっているから。といって、私は税制の専門家かと言われれば、私はやはり専門家じゃありません。学者とは違うわけですから、役人や政治家というのは。

 もちろん、私は、社会保障の分野をやったり税制をやったりしていても、自民党の政治家としてゼネラリストなんですよ。それと同じように、教科書調査官というのはどの分野をやっていようと役人なんですから、みんなで知恵を出し合っていろいろなことをやっていくということであって、どこの分野を勉強していたとか、あるいは学校の先生のように、特定のイズムを持って歴史を語るというような立場にある人じゃないということを理解してやってください。

川内委員 では、聞き方を変えます。

 日本史の教科書調査官四名の中で、かつて民間の研究者であった時代に文部科学省の近現代史の科研費補助金を受けていた方が何人いますか。

銭谷政府参考人 大変恐縮でございますが、今手元に資料を持ち合わせておりませんのでお答えできない次第でございます。(川内委員「私が調べて知っていることをあなたが知らぬわけないじゃない、局長でしょう」と呼ぶ)

保利委員長 川内君、御質問をお続けください。

川内委員 ちょっと……(発言する者あり)いや、だから一人しかいないんですよ。近現代史の日本史の専門家は一人しかいないんですよ。だけれども、それを私が、では一人しかいませんねと言って、そうですと言いますか。一人しかいませんよね。そうですか。

銭谷政府参考人 大変恐縮でございますが、私、その一人一人、科学研究費を受けたかどうかというのを今承知をしていないんでございます。大変恐縮でございます。

川内委員 では、この質疑の時間中に調べてくださいよ。で、答えてください。そんなのすぐわかるでしょう。わかんないわけないですよ。全然質問にならないですよ、これでは。(発言する者あり)いやいや、大臣が、教科書検定がイズムに左右されてはならないとおっしゃるわけですよ。それがイズムに左右されているのではないかという問題意識で聞いているんですよ、公正か否かということについて。いいですか。

 では、ここは文部科学省はまだ答えていないということが前提だけれども、近現代史の専門家は一人しかいないということを私が勝手に決めつけたという上でお聞きします。

 新しい歴史教科書をつくる会という会がございますね。文部科学大臣は何の関係もないとおっしゃられたけれども、新しい歴史教科書をつくる会という会が執筆をした歴史教科書がございます。検定に合格していますね。その歴史教科書の執筆者と同じ研究グループに属する方がこの近現代史の教科書調査官であるということはお認めになられますか。

銭谷政府参考人 大変恐縮でございますが、ちょっとわかりかねます。

川内委員 では、新しい歴史教科書を執筆、監修した伊藤隆さんと教科書調査官である村瀬信一さんは師弟関係ですか。

伊吹国務大臣 川内先生、御質問は何を意図して質問しておられるか、私がそこに座っていれば同じようなことを言うだろうという思考の回路は私はよくわかります。しかし、何度も申し上げているように、教科書調査官が最終的に検定意見を付せる立場にはありません。

 それから、その……(川内委員「調査意見書を取りまとめると答弁しているじゃないですか」と呼ぶ)いやいや、ちょっと待ってください。私は委員長の御指名を受けて、議場内整理に従って答弁をしているわけですから、議場内整理に従って発言をしましょう。

 そして、今、例えば、一方的に川内先生が、それじゃ自分で決めつけて質問をしますとおっしゃったけれども、同じグループにいたから、その人が一人で教科書検定に影響力を振るって、そして物事を決めちゃったというのも、これも独断じゃないんですか。(川内委員「僕、決めつけていませんよ、その関係を聞いているだけなんですから、今のところは」と呼ぶ)いやいや。

 委員長、どうぞ御発言のあるときは御指名をしてあげてください、私は今答弁をしているわけですから。

保利委員長 まず御答弁をお聞きください。

伊吹国務大臣 ですから、科研費をもらっていたから何か文科省の意図が働いたと言わんばかりのことをおっしゃるけれども、そんなことは全く関係ありませんよ。どこの団体でだれと勉強していようと、そんなことは教科書検定とは何の関係もありませんよ。

川内委員 いや、大臣、私は大臣のことを尊敬しているから今まで強い口調で申し上げなかったけれども、大臣は、この前、うちの菅代行に、藤岡さんであれ教科書をつくる会であれ、教科書検定調査審議会とは何の関係もありませんよと言ったんですよ。何の関係もありませんよと言ったんですよ。教科書をつくる会の執筆者であり監修者である方と教科書調査官の方が関係があるんですよ。関係があるから、何の関係もないという答弁はおかしいんじゃないですかということですよ。

 いいですか、それをしっかりと理屈をつけたいのでいろんなことを聞いているわけですよ。いろんなことを聞いている。私は何も全然決めつけていませんからね。おかしいとか、だめだとか、そんな言葉は今まで、三十分たっていますけれども、一言も使っていませんよ。おかしいとか、だめだとか、いけないとか、改めるべきだとか、そんなこと言っていませんからね。これはこうですか、こうですかということを、事実関係を聞いているだけです、今まで。

 それについて誠実にお答えいただけないから、はぐらかしていかれるので、それはおかしいでしょうと今初めて言っているわけですね。大臣、おかしいと思いませんか。

伊吹国務大臣 私は川内先生を尊敬していますから大きな声は一度も出したことはないのですが。

 私が菅さんに申し上げたことは、藤岡さんであれ教科書を考える会であれ、そのことが教科書検定とは何の関係もありませんし、そういうところから影響を受けることはありません。ですから、いいですか……(川内委員「言葉をかえているじゃないですか。教科書検定とは関係ありませんと言っていないです。審議会と関係ありませんと言っているんですよ」と呼ぶ)ですから、審議会の運営とは関係はありません、それは。

 いいですか……(川内委員「運営とも言っていないです。審議会と関係ないと言っているんです」と呼ぶ)

保利委員長 御答弁をよくお聞きください。

伊吹国務大臣 あなたがおっしゃっていることは、教科書を考える会だとか何かでおつき合いがあれば、それが即審議会に影響があるとか関係があるとかとおっしゃる論理は違いますよと言っているの。(川内委員「関係があると言っていないじゃないですか、まだ」と呼ぶ)いやいや、だけれども、さっきそうおっしゃったじゃないですか、師弟関係にあるとか。(川内委員「師弟関係だって関係でしょう」と呼ぶ)師弟関係にあることが、なぜ検定調査会と関係があるんですか。

川内委員 私は、事実関係を確認しているわけで、師弟関係にあると。その方が教科書検定調査審議会の日本史の取りまとめに当たられる教科書調査官であるという事実関係を確認しようとしているだけで、その事実について肯定されるのか否定されるのか。私は、それをもっていけないとかいいとか言うつもりは一切ないですよ。

伊吹国務大臣 あなたが今おっしゃっているのは、調査官のことをおっしゃっているんでしょう。(川内委員「いや、調査官は審議会のメンバーです」と呼ぶ)いやいや、ちょっと待ってくださいよ。それは、調査会の審議というのは、最終的には、審議会の委員とそして特別委員との間で検定意見というのは付されるんですよ。(川内委員「臨時委員」と呼ぶ)臨時委員ですか、臨時委員と。ですから、調査官は、そこへ参考の資料を出し、審議会には参加をしますけれども、審議委員ではありませんよ、最終的には。だから私は、審議会とは何の関係もありませんと申し上げたので、どこが間違っているんですか。

川内委員 審議会と何の関係もないという……(伊吹国務大臣「ありませんよ」と呼ぶ)何の関係もないという答弁は、私は訂正をすべきだと思いますね。審議会に調査意見書を提出し、そしてまた事務方を務める教科書調査官ですからね。それが何の関係もないと言い張られるのは、私は、若干言葉が過ぎるのではないかというふうに思いますし、これまでの議論の中で、文部科学省がこの教科書検定調査審議会の中でどのようなことをされていたのかということは、事実関係は大体、お認めにはならなかったけれども、明らかになったのではないかなというふうに思います。

 それでは……(発言する者あり)いや、これは学校教育法と関係があるんです。それでは、本題の、日本軍の関与があったのかなかったのかということについてお尋ねをいたします。

 せんだっての菅代表代行と伊吹文部科学大臣との議論では、軍の関与について、あったのかなかったのかということを議論されていました。議事録で確認しました。しかし、先ほどの局長の御説明では、誤解を受けるおそれがあるというのは、隊長の命令があったかなかったのかということの争いがある、軍の関与や責任を否定するものではないという御答弁でした。これが審議会の意見ですということでございました。

 したがって、私は、軍の関与があったのかなかったのかについては、軍の関与はあったという立場で議論を進めたいと思うんですが、その論拠は、まず、厚生労働省が所管する援護法、これは昨日、決算行政監視委員会の分科会で厚生労働省に確認をさせていただいていることなんですけれども、戦傷病者戦没者遺族等援護法の中でこの集団自決をされた方々というのは処遇をされていらっしゃるわけですけれども、厚生労働省としてこの集団自決をされた方々をどのように処遇していらっしゃるのかということについて御説明をいただきたいと思います。

武見副大臣 この戦傷病者戦没者遺族等援護法でございますけれども、これは、国と雇用関係または雇用類似の関係にあった軍人軍属または準軍属が戦争公務等により障害の状態となったり、または死亡した場合に、障害年金、遺族年金、そして弔慰金等を支給するものでございます。

 軍の要請や指示により直接戦闘に参加した者それから戦闘に協力した者につきましては、援護法においては「戦闘参加者」に該当し、準軍属として処遇されております。沖縄戦でこうした経緯で集団自決に追い込まれた住民については、この「戦闘参加者」に該当するものとして援護法が適用されております。

川内委員 援護法の根拠条文、適用条文を読んでいただきたいと思います。

荒井政府参考人 お答え申し上げます。

 援護法の第二条におきまして、「この法律において、「軍人軍属」とは、左に掲げる者をいう。」という中の第三項で、「この法律において「準軍属」とは、次に掲げる者をいう。」、その二号において、「もとの陸軍又は海軍の要請に基く戦闘参加者」ということになってございます。

川内委員 続けて聞きますので、どこかその辺にいてください。

 この条文上の……(発言する者あり)だって、時間がもったいないじゃないですか。条文上の「戦闘参加者」とは、自決、自殺という行為そのものをもって戦闘参加者になるという理解でよろしいでしょうか。

荒井政府参考人 お答え申し上げます。

 戦闘参加者は、軍の要請に基づくという前提がございます。したがいまして、自殺、自決をもって戦闘参加者とする場合にございましても、軍の要請、指示に該当することが求められます。

川内委員 それでは、その陸軍または海軍の要請によりという部分でございますが、これは隊長の命令があったかなかったか、隊長の命令の有無ではなく、例えば、手りゅう弾を渡されていた、あるいは常々兵隊さんから、米軍が上陸してきたら自決するしかないのだと聞かされていたというその全体状況、軍の関与をもって認定しているという理解でよろしいでしょうか。

武見副大臣 沖縄戦での集団自決に追い込まれた住民がこの「戦闘参加者」に該当するかどうかを判断する際に、全体の経過の中で隊長の命令があったということはやはり重要な要素になってきております。ただし、隊長の命令がなかった場合も、軍の要請や指示により直接戦闘に参加した者や戦闘に協力した者と認定される場合には戦闘参加者に該当するものと考えられている。

 なお、渡嘉敷島やそれから座間味島においては多くの住民が集団自決に追い込まれたわけでございますけれども、これらの方の認定は隊長の命令というものになっているわけでございます。そして、戦闘参加者に該当する者については、厚生労働大臣の裁定により、その遺族に年金及び弔慰金が支給されている、こういう経緯になっているということでございます。

 隊長の命令を認定した上で戦闘参加者に該当するとされた事例が現実には大多数になっておりまして、それ以外の事例というものは少数というのが現状の調査の結果でございます。

川内委員 隊長の命令がなくても認定をされている例があるということを確認させてください。

武見副大臣 少数ではございますが、ございます。

川内委員 隊長の命令があった場合には、これはもう軍の命令、軍の指示ということになります。隊長の命令がなくても認定をされているという例があるというのは、これは全体状況として軍の関与があったということを認定し、援護法の対象にしているということになるわけです。

 ということは、日本国政府としては、沖縄戦において集団自決に追い込まれた方々というのは、隊長の命令があろうが、あるいはなかろうが、全体として軍の関与によってその状態に追い込まれ、そして集団自決に至ったという認定をし、年金を支給し、弔慰金を支給しているということになるということでよろしいですよね。

荒井政府参考人 お答え申し上げます。

 先ほど副大臣から御答弁したとおりでございますが、具体的に、隊長の命令以外で認定されたケース、これは沖縄本島の方のケースでございますが、例を申し上げますと、部隊本部の兵隊がやってまいりまして、当時の地域の区長さんを通して、直接口頭で陣地の構築と集団自決を指示され、その後、米軍に抵抗した部隊の兵とともに住民の方が集団ごうに帰って、各自渡された手りゅう弾によって集団自決したというケースがございます。

 また、先ほども答弁ございましたように、私ども、そのケースをいろいろ探してみたんですけれども、極めて少ないケースではございました。

川内委員 いや、だから私が言っているじゃないですか、隊長の命令があれば、それはもう明確に軍の指示なんですから、それはそうでしょうと。しかし、全体集合の中で、隊長の命令があろうがなかろうが、軍の関与というくくりの中で認定をし、年金を支給し、弔慰金を支給しているのですねということを確認しているんですよ。私の理解が間違っているなら間違っていると言ってくださいよ。

荒井政府参考人 お答え申し上げます。

 隊長の命令というのは、一連の経過の中で軍の要請があったかどうかという意味では、非常に大きな要素だというふうに考えております。

 ただ、それがなかったケースにおいても認定はされているというのがこの援護法の運用の経緯でございます。

川内委員 これは文部科学大臣、伊吹先生、従軍慰安婦問題で狭義の強制性と広義の強制性という言い方を安倍内閣はされるわけでございますけれども、それとこの集団自決の問題というのは何か似ているなと思うのは、内閣のお立場として、狭義の強制性と広義の強制性ということを何か使い分けていらっしゃるのかな。

 私は、隊長の命令があったかなかったかにかかわらず、これは全体状況として、軍の関与があったがために集団自決に追い込まれた。それを政府としても認定し、軍とのかかわり、沖縄においても手りゅう弾を渡された、あるいは兵隊さんから常々言われていたという証言は数々の資料から明らかにされているわけで、隊長の命令の有無は今争いがあると思います。しかし、大きく軍の関与という観点で見たときに、軍の関与はあったというのが援護法を運用していらっしゃる政府の立場、政府の認識ではないかというふうに思います。私の認識は間違っていますでしょうか。

伊吹国務大臣 川内先生が自分の認識を持つことは何ら間違っていませんが、それが真実かどうかについてはいろいろ意見があっていいと私は思います。

 私、菅さんとのやりとりでも再三申し上げたように、沖縄の方が今次大戦の中で悲惨な目に遭われたということについてはだれも否定していないです。私は強くそのことを認識しております。しかも、その後、日本の安全保障上大切な基地のほとんどを沖縄の人たちが背負いながら、今日まで我々の安全を守っている日米安保条約を担保してくだすっているつらさということも私はよく理解しております。

 そして、政府参考人も答弁をいたしましたように、軍の関与がなかったということは一言も言っていないんですよ。しかし、軍の関与があったから、すべての人たちがそれによって自殺をしたというのは一方的じゃないかという検定意見が付されたということであって、今川内先生が御質問になって厚生労働省が答弁をしたのも、隊長が認定をするというときはそれは当然でございます、それ以外に極めて少数ございます、こういう答弁をしているわけですね。その少数については、隊長ではないけれども軍の兵士が来て、その兵士がざんごうか何かの構築を命じて、そして手りゅう弾を渡して、一緒に防御戦を戦って、その兵士が亡くなったときに一緒に亡くなっているケースということを審議官は言ったわけでしょう。

 ですから、集団自決をされた方がすべてそれでは援護法によって認定をされているんですかという質問を先生が発しられて、援護局がそのとおりだという答えをすれば先生の論理は筋が通るんですよ。だけれども、私はそういう答弁はしていないと聞いておりましたけれども。ですから、私は、軍の関与はなかったなどと一言も検定審議会は言っていないと思いますよ。だけれども、軍の関与があったからすべての人が集団自殺に追い込まれたということは必ずしも史実に正しくないんじゃないかという意見を付しただけだということだと思います。

川内委員 私の質疑の冒頭で局長から審議会の意見として、考え方としてお聞きしたのは、隊長の命令があったかなかったかについて論争がある、軍の関与と責任は否定していないということですよね。私は、軍の関与を否定していないということについて、援護法を援用してそのことを確認したんです。

 さらに、教科書の記述について検定意見が付されたのは、隊長の命令があったかのように想起をさせる記述については、これはいけませんねということになるわけですよね。隊長の命令があったかなかったかは、今論争があるわけですから。日本軍の関与、責任を否定しないという審議会の御意見なんですから。隊長の命令があったかのように教科書に記述をされることについては、これは控えてくださいというのが審議会の御意見ではないかというふうに思いますが、そうでしょう。

銭谷政府参考人 まず、沖縄戦における渡嘉敷島及び座間味島での集団自決につきまして、通説というものがございます。この通説は、日本軍の隊長が住民に対して集団自決命令を出したとされております。これが通説として扱われてきたわけでございます。

 今回、教科用図書検定調査審議会で専門的な調査審議の結果出されました検定意見というのは、このような通説を前提とした場合、申請図書の記述が、日本軍の隊長が集団自決を命じたものと理解されると考えられる、そういう記述でございましたので、審議会におきましては、教科書の記述としては、そういう隊長命令があったかなかったかについて断定していると誤解されることを避ける記述とするとの判断がなされたというふうに理解をしております。

 ですから、仮にでございますけれども、隊長の命令がなかったという記述が書かれて申請をされた場合にも、これは事務方の推測で恐縮でございますが、検定意見が付されることになるのかなというふうに思っております。

 それで、ちょっとまとめて申し上げますと、今回の検定意見というのは、隊長の命令はなかったとしたものではありません。そこがどちらとも断定できないのではないかということの見地から意見を付されたものだと思っております。

 なお、教科書には、先ほど私、日本軍の責任や関与を否定するものではないと審議会の方も理解していると申し上げましたけれども、記述といたしましても、日本軍が住民をごうから追い出した、日本軍が手りゅう弾を配った、スパイ容疑で殺害された住民もあったといったような記述がございまして、こういった記述には審議会として検定意見は付していないところでございます。

川内委員 それでは、「日本軍によって壕を追い出され、あるいは集団自決に追い込まれた住民もあった」、この記述は隊長の命令を想起させますか。「日本軍によって壕を追い出され、あるいは集団自決に追い込まれた住民もあった」、これは隊長の命令を想起させますか。

銭谷政府参考人 私、事務方でございますので、検定調査審議会の意見をそんたくしながら申し上げているわけでございますけれども、軍の命令という場合、通説では隊長の命令があったというふうに解されておりますので、そこをそういうふうに誤解されるおそれがあるというのが検定審議会の意見だと理解をしております。

川内委員 ほかにも教員免許法とかたくさん聞きたいことがあるんですが、ちょっと私の質問の仕方が悪かったのか、きょうはこの話題に終始したわけです。

 最後に、検定権者の文部科学大臣にお伺いをいたしますが、沖縄戦における集団自決の書きぶりについて、隊長の命令があったかなかったかについては現在争いがある、したがって、隊長の命令があったかのような書きぶりはしてはならない、それは私も理解いたします。

 しかし、審議会の御意見としても、軍の関与あるいは責任は否定するものではないと。さらに、日本国政府としては、援護法上は、隊長の命令があったという認定を現在でもし、年金を支給し、弔慰金を支給しているという状況である。

 そういう中で、争いが起きていることについては、学問的、客観的に記述をしなければならないので、教科書については隊長の命令を想起させるものは控えてくださいということは理解いたします。

 しかし、軍の関与なり責任というものについては否定をしないとおっしゃるのであれば、「日本軍によって壕を追い出され、あるいは集団自決に追い込まれた住民もあった」という書きぶりは、私は、軍の関与あるいは責任というものを、それこそ審議会の意見なり意向に沿った書きぶりであるというふうに思います。ここから日本軍を消せ、消さなきゃいけないということは全然ないというふうに思うんですけれども、この記述ぶり、日本軍によって集団自決に追い込まれたという書きぶりについて、きょうの一時間の議論を通じて、やはりそれは日本軍を消さなきゃいけないんじゃないのということになるのかどうか、検定権者としての文部科学大臣の御意見を賜りたいと思います。

伊吹国務大臣 まず、援護行政上のことを先生はおっしゃっていますが、私はさっきから何度も先生にお願いしているのは、集団自決をされた方がすべて援護法上の認定を受けておられますかという質問をぜひ発してくださいということを再三お願いしているんですよ。もし、すべて認定をいたしましたという答えであれば、これは日本軍の関与があった、命令ではないけれども関与があったという援護法上の証明になります。しかし、集団自決された方をすべては認定していないはずですよ。そこに問題があるということなんです。ですから、私は、今先生がおっしゃったことに対してここで、そう思います、あるいはそうではありませんと答えてはいけない立場なんですよ、文部科学大臣として。

 いいですか、もし……(川内委員「いや、答えてもいいんですから」と呼ぶ)いやいや、そうじゃありません。それは、もし民主党政権ができて、川内さんが文部科学大臣になられて、検定教科書について、こうだ、いいとか悪いとか言われる日本では、私は子供を小学校へやりたくありませんね。

川内委員 どうもちょっとごまかされているような気がするんですが……(伊吹国務大臣「ごまかしていない」と呼ぶ)ごまかしていますよ、大臣。

 私は、きょうの質疑は非常に不満足ですし、また次の機会にしっかり準備をして、議論させていただきたいというふうに思います。

 どうもありがとうございました。

保利委員長 次に、山内康一君。

山内委員 自由民主党の山内康一と申します。

 昨日全国学力テストが実施されまして、無事に終了したということで、今回の全国学力テストは、今のところ、報道等によると、非常にいい問題が多くて、高い評価を受けているようでありますが、私も、このような全国学力テスト、こういった学力調査をやった上で、実態をしっかり把握した上で教育政策を考えていく、教育のあり方を議論していく、そういった意味でも、今回の学力テストの実施について高く評価いたしたいと思います。

 その観点から、最初に、学力に関する基本認識について、政府と民主党提出者両方に同じ質問をさせていただきたいと思います。

 まず、学力に関して、政府の文書でも民主党の法案でも、学力低下が大前提というような議論が進んでおりますが、一体、具体的に、だれの学力がどの程度下がっているのか、あるいは、いつごろから学力が下がっているのか、もっと言うと、例えば小学校の理数科が下がっているのか、国語が下がっているのか、あるいは全体的に下がっているのか、そういった学力に関する現状認識について、まず第一問。

 そして、同じく、続けて、学力が下がっているとして、その場合、何で学力が下がっているのか、その認識についてお尋ねしたいと思います。

銭谷政府参考人 児童生徒の学力につきましては、さまざまな見方がございますし、数字だけでははかれない側面もあろうかと思いますが、小学生、中学生、高校生を対象にOECDやIEAなどが実施をしております国際的な学力調査の結果を見ますと、世界の中で少しずつ日本の位置が低下をしているという状況がございます。

 例えば、非常に古くからやっている調査として、IEA、国際教育到達度評価学会というところが実施をしている数学、理科の教育動向調査がございます。日本は、全体的に見て上位にはございますけれども、小学校の理科、中学校の数学は、前回より得点が低下しているといったようなデータが出ております。それから、PISAの調査、これは高校一年生が対象でございますけれども、OECDのPISAの調査では、読解力が低下傾向にあるといったようなことがございます。また、日本の小中高校生に通じて言えることですけれども、国際的な比較におきましては、いわゆる学習意欲といいましょうか、勉強することが楽しいとか、学ぶ内容に興味があるといったようなことに対する回答率が低いといった状況がございます。

 また、なぜ下がっているかということでございますけれども、必ずしも一概には言えないとは思いますけれども、家庭や地域社会が担っていた教育力、しつけ力の低下でございますとか、あるいは、学校において、いろいろ期待されているわけでございますけれども、その学校が、子供の主体性を重視する余り、教えるべきことをきちんと教えていないといったような指導上の課題がございますとか、あるいは、社会が豊かになって、子供を取り巻く環境が変化する中で、子供たちの学習意欲といいましょうか生活意欲といったようなものが低くなっていること、テレビやゲームの影響といったようなこともあるのかなと思っております。

 いずれにいたしましても、私ども、子供たちの学習意欲というものを高め、基礎的、基本的な知識をしっかりと身につけた上で、それを活用してみずから考え、判断し、行動できるような、そういう力を身につけるような、そういうことを今後、今も努力しておりますが、今後ともさらに努めていかなければいけないと思っております。

藤村議員 山内委員にお答え申し上げます。

 今、認識的には、文科省、伊吹大臣もたびたびお答えのように、数字的に少し下がっているのではないかということと、それから、実感として、どうもこのごろの子供は勉強していないんじゃないか。これは、家庭における勉強の時間が何年か前から比べて相当減っています。そういうことから見て、学力が低下しているのではないかというのは、感覚的には確かにそういうことがわかります。

 ただ、PISAなどの国際調査でも、毎回重点分野を置いて、時間や問題数もその時々で違いますので、単純に何年のPISAと去年のPISAとというふうに比較ができないということで、学力低下がきちんと、いわば数字的に検証できるという状況ではないと思っております。昨日の全国の一斉の学力テストということで、これが積み上げられていくときに割に正しい検証ができてくると思います。

 加えて、やはり、学力とはそもそも何かというそもそも論にも今我々は頭を働かせないといけないと思います。文科省がしきりに基礎、基本の部分をどのようにするかということをおっしゃいますが、では、基礎、基本の部分だけで学力は向上するのかということも単純には言えないと思います。どうしても、社会的には、目に見えるペーパーテストの点数とか偏差値などに目が行きがちですが、やはり、学校でしっかりと培うべき力というのはそれだけではないというふうにも我々は考えております。

 もう一つ、原因ということで、原因については、先ほどの局長答弁と我々も認識的には近いんですが、我々、一つ注視したいと思っているのは、PISAなどでも見られる傾向として、言語能力というものがどうも低下しているのではないか。それは、一方で、何年か前までの子供の読書量、本を読む、このことが相当減ってきた。最近、しかし、読書運動が起こって、少しふえてきている数字もございますが、そういうことが原因ではないか。

 国語力というのが基礎、基本に本当にしっかりとあってこそ、算数の問題も日本語で聞くわけで、実は、最近問題が理解できないという、これは学力の低下と言えるかもしれません、そういうことが起こっているとも聞いておりますので、私どもにとっては、教育基本法の去年の議論もございましたが、やはり国語力というものはしっかりと今後充実させねばならないのではないか、これが本当に基礎、基本ではないかな、そのように考えております。

山内委員 まず、文科省の今のお答えに関して、通告はしておりませんが、社会が豊かになったから学力が下がっているというような話がありましたが、そうしたらこれはどうしようもない話で、対策の打ちようがないし、そもそも、北欧諸国のように、パーキャピタGNPでいうと日本よりも高いか同じぐらいの国では別に学習意欲は低下していないわけであります。

 そういった意味で、学力がなぜ下がっているか、その要因の分析というのが余りにも感覚的で、余りにも根拠のない理由のように思いますが、いかがでしょうか。

銭谷政府参考人 先生お話しのように、子供たちの学力と、その要因、背景分析というのは、実は、これから私どももっともっとやっていかなきゃいけないことだと思っております。

 例えば、私ども、抽出でございますけれども、名称は教育課程実施状況調査という名前でございますけれども、抽出のテストもやっております。

 その際に、例えば、朝食を毎日食べる児童生徒は学力が高いとか、基本的な生活習慣が身についている子供、こういう子供がやはり学力が高い傾向にあるとか、あるいは、学習への意欲、関心が高い児童生徒の方が得点が高い傾向が見られるとか、いろいろと、子供たちの生活や学習状況、これと学力の関係、こういうものが少しずつ分析ができ始めております。

 昨日実施をいたしました全国学力・学習状況調査におきましても、こういった、児童生徒の学力、学習状況をきめ細かに把握、分析をして、子供たちの生活や学習状況と学力の関係とか、こういったものについてしっかり私ども検証し、分析をしていきたいというふうに思っております。

山内委員 今のお答えに関してちょっと思ったんです。生活習慣に責任を押しつけると、学校は責任がないということになるのかな。

 それから、意欲低下の問題がありましたが、意欲が低下しているというのは問題だ。では、意欲をどうやって上げるのかということを文科省はどのようにお考えなのか。

 私、個人的な意見ではありますが、意欲というのは、ある程度、学校で学んでいる内容がどうやって生活に関連づけられるか、あるいは、学校を出た後に、どうやってその学んだことを社会の中で、仕事をしていく中で位置づけられるか、そういった関連性というか妥当性みたいなものがあればもっと意欲が持てるんじゃないか。

 そういった観点から、意欲低下を防ぐ方法というものについてどうお考えなのか、お聞きしたいと思います。

銭谷政府参考人 大変重要な御指摘をいただいたわけでございますけれども、私ども、やはり子供たちの学習意欲を喚起していくということは非常に大きな課題だと思っております。

 通常、私ども努力をしておりますのは、子供たちに目標を持たせながら達成感とかあるいは知的好奇心を育てていくということが学習意欲につながっていくんだろうと思っております。

 先般改正をいただきました教育基本法におきましても、教育の目標として、例えば、職業及び生活との関連を重視する、そして勤労を重んずる態度を養うといったことが掲げられております。例えば、総合的な学習の時間などを通じまして、職業や生活との関連、今自分が学んでいることが今後の自分の人生あるいは生き方にどうかかわってくるのかといったようなことを子供たちに考えさせ、関心を持たせ、そしていろいろな体験をさせていくといったようなことも非常に大事なことではないかなというふうに思っております。

伊吹国務大臣 山内先生、大変大切な御指摘だと思います。

 これは、私たちは今教育の分野の議論をしておりますが、教育の分野だけの議論ですべて今の答えを出せるかというと、やはり決して私はそうじゃないと思うんですね。ですから、政治家として、先生も私も、日本社会のこれからのあり方をどう考えていくかという中で整理をしていかなければならない。

 だけれども、この場が、教育再生の特別委員会として教育三法の審議をお願いしているという立場からしますと、まず、当然憲法があるわけですよね。憲法のもとに教育の基本を考える教育基本法というものを、さきの国会で六十年ぶりに改正していただいた。その改正教育基本法の六条には、今先生がおっしゃった、「自ら進んで学習に取り組む意欲を高める」という教育の憲法的規定があるわけですよ。それを受けて、今回国会に提出している学校教育法という法律の改正案の三十条二項に、「主体的に学習に取り組む態度を養う」ということが書かれているわけです。

 ですから、先ほど政府参考人が申しましたように、目標を持たせながら達成感や知的好奇心を高める。

 そして、先ほど来先生が御主張になっているように、習得した知識を現実の課題に適用する教育活動というものを、今まで、いわゆるゆとり教育、総合学習という仕組みの中で、学習指導要領という学校教育法の下部の告示でもって教える内容を書いてきたわけですね。この総合学習というものがいいのか悪いのか、いろいろな評価が今言われております。また、告示で総合学習というものを規定してその内容を書いても、具体的にそれを今度どう教えるかというマニュアルのようなものを各先生に渡しているわけですね。

 ですから、きょうここでも先生の御議論もひとつ、日本の教育の将来のために大切な議論がこれから行われるわけですから、その議論もいただきながら、いわゆる告示である学習指導要領を、法案が通った後どう書いていくのか。そしてそれを、学校だけじゃなくて、地域社会と家庭でどう分担しながらやっていくのか。まさに今その作業の最中に我々はお互いに携わっているんだという立場で私も先生の御意見を伺わせていただいておるというわけです。

 これだという答えは、あればすぐできるわけですよ。教育というのは、なかなかこれだという答えが出ないだけに、いろいろな御意見を国会の場でも承らせていただいて、学習指導要領と、それを実施するマニュアル、これをつくっていきたいと思っています。

山内委員 主体的な学習が必要だということはよくわかったんですが、さっき、学力低下の原因の一つが主体的な学習を重視し過ぎた余りだというような答弁があったように思いまして、若干矛盾を感じますが、それはちょっと時間がないので置いておきまして、今度、今話題の教育再生会議の議論について内閣官房の方にお聞きしたいと思うんです。

 今の教育再生会議の中身の議論を見ていると、非常に量の議論が多いのかな。教育の質と量を分けて考えると、量の議論、つまりは授業時間を一〇%ふやすべきだという提言が出てきておりますが、それに関してちょっとお聞きしたいんです。

 そもそも、授業を一〇%ふやせば学力が上がるという保証があるのかどうかということ。日本よりも授業時間が少ないフィンランドの方がPISAの成績はいいわけでありますし、あるいは逆に、そもそも一〇%の根拠は何なのか。八%でもなければ一二%でもない、なぜ一〇%なのか。そういった根拠になる情報は何かあるのか、あれば教えていただきたいということです。

山中政府参考人 教育再生会議の第一次報告のお尋ねでございますけれども、教育再生会議の第一次報告におきましては、まず、授業時数を一〇%増加するということが提言されております。先生御指摘の点はその点だと思います。

 再生会議のこの第一次報告におきましては、しっかりとまず授業時数を確保しようということで、これは例えば、現在の学習指導要領でございますと、その前の学習指導要領に比べまして、小学校の国語では、年間千六百一時間だったものが千三百七十七時間でございますとか、算数では、千十一時間でありましたものが八百六十九時間でございますとか、かなり減っているということがございます。基礎、基本をしっかりと徹底して、その上でしっかりとした発展的な学習でございますとか質の充実を図っていこう、それにしても授業時数というものが少な過ぎるのではないかという議論があったところでございます。

 第一次報告におきましても、この量の問題、それによって基礎、基本をしっかりと反復徹底するということ、またその上で、あわせて、得られました知識を生かす能力、こういうものをしっかりと身につけてもらおう、また、時間だけではございませんで、教科書についても、発展的学習とか補充的学習、こういうものをしっかりと充実してもらおう、また、先生の資質能力というものもしっかりと高めていただく、こういうものを総合的に、いろいろな手だてを使っていただくことによって子供たちの学力というものをしっかりと上げていこう、そういう提言になっているところでございます。

 また、一〇%でございますけれども、これにつきましては、例えば、先ほど御指摘にありました国際的な比較でございましても、OECDの中でも日本の今の小学校あるいは中学校の授業時数は低い方のレベルになっておりまして、一〇%程度上げますと大体平均的な、多い国、平均的な国、少ない国ということになりますと、その平均的なレベルというものになる程度でございます。

 また、一〇%程度の増加ということについて、いろいろな工夫によって今の学校の中でもそのような取り組みをやっている、そういう例も紹介されたところでございますが、そのようなことも踏まえまして一〇%という提言を行ったところでございます。

山内委員 大変よくわかりました。

 事前に通告している質問、時間がないので幾つか飛ばさせていただいて、日本の今の教育政策の研究の状況についてお尋ねしたいと思います。

 先ほど来、日本の教育に関するデータの蓄積が余りないということが言われておりました。やはり、教育政策をつくっていく上でも教育を議論していく上でも、まずちゃんとしたデータがないと議論の前提が合わないということで、地に足のついた政策をつくっていくためにも、やはりきちんと調査研究の蓄積をつくっていくということが必要ではないかと思います。

 イギリスでもアメリカでも、よその国の話ばかりするとまずいのかもしれませんが、比較的、政策論争のもとになるデータはしっかりしている印象を受けます。イギリスでは、ニートの問題が問題になったときに、まずニート対策の社会実験といいますか、小規模なパイロットプロジェクトを何年かやってみて、その成果を受けて初めて全国展開していく、そういった慎重かつ具体的に、科学的に成果が検証された政策を導入していく、そういう態度が非常に好ましいと私は個人的に思うのであります。

 日本の文科省は、これから先、どのように教育政策に関する調査研究を行っていくか。あるいは、今はもうどの省庁でも政策評価をやるようになりました。教育分野の政策評価をどのように進めていくか、これからの方針についてお伺いしたいと思います。

加茂川政府参考人 お答えをいたします。

 教育政策の推進に当たりまして、基礎となるデータあるいは裏づけとすべき調査研究にしっかりと立脚した取り組みがされるべきだという御指摘は、全くそのとおりだと私ども思ってございます。

 そこで、これまでも、文部科学省といたしましては幾つかの取り組みをいたしておりますが、例えば、冒頭委員が高く評価をしていただきました、昨日の全国学力・学習状況調査がその代表的な取り組みと言えるかと思います。児童生徒の学力、学習状況を把握、分析して、教育の結果を検証した上で改善に役立てようとする取り組みの代表例でございます。

 また、これまでも、教育課程の改善について実証的な資料を得るために、研究開発学校制度というものを活用してまいりました。これは、学習指導要領の基準によらない教育課程の編成、実施を認めまして、新しい教育課程、指導方法についての開発研究を行うものでございます。具体的に、こういった成果を踏まえまして、新しい教科もしくは学習の時間等々の成果が実際に実施されておるわけでございます。

 それと、これからの取り組みでございますが、私どもの組織としましては、国立教育政策研究所というものがございます。ここでは、先ほども話題になっておりました国際共同研究、例えばOECDで行われましたPISAの調査、あるいはIEAの調査といった国際的な共同研究がございますが、この教育研究所を通じて参加をいたしておるわけでございます。教育政策の企画立案のための基礎的な調査研究ということをこの場を通じて行っておるわけでございます。

 また、この研究所では、それに加えまして、教育課程の実施状況調査、あるいは研究指定校の事業などを通じまして、さまざまな調査研究を行っておるわけでございまして、一つは、この研究所を活用する中で、さまざまな実証的なデータあるいは基礎的な裏づけを得たいと思っておるわけでございます。

 政策評価につきましても、基本的に、さまざまな方々の意見を聞きながら取り組んでまいりたいと思っておりますが、基礎的には、今申しました取り組みをもとに進めていきたいと思うわけでございます。

山内委員 学校評価が法律で規定されても、実際、学校評価、教育評価を専門に行える人材というのがまだ日本には非常に不足しているというふうに聞いております。また、これから行政のあり方も、中央政府ががっちり決めて、地方は従え、そういう時代じゃないんだと思います。そういう点で、事後チェックというか、政策評価をこれからもっと力を入れていただきたい、予算や人員の面でもぜひ御配慮いただきたいと御指摘しまして、次の質問に移ります。

 続きまして、民主党の法案提出者にお尋ねいたしたいと思います。

 まず、民主党の法案の中で、教員の免許制度についてお尋ねします。

 民主党案では、学校の先生になるためには修士号が必ず必要になるということでありますが、大学と修士で合わせて六年間学校に行かないと学校の先生になれないという状況は、学生の立場からすると、非常に家計を圧迫してしまうということは間違いなく言えると思います。

 家がそれなりに経済的に豊かで、六年間大学に行かせてもらえる、そういった家庭の子は学校の先生になれるけれども、なかなか経済的な事情で六年学校に通えない人たちがいる。そういう人はどうしても学校の先生になれなくなってしまう状況が生まれるんじゃないか。例えば、奨学金制度が充実したとしても、二年間余計に学生生活を送れば二年間分の給料をもらえなくなるわけでありますから、そういった機会費用まで入れると非常に経済的なハードルが高くなってしまう。その結果として、学校の先生になるのは、それなりに家がお金持ちの人しかなれない。

 そういった意味では、民主党の言っている格差是正に逆行するような法案ではないかと思わざるを得ないんですが、その点について御見解を伺いたい。

藤村議員 学士を取得してさらに二年ということで、明らかに物理的時間が延びるわけで、先生御指摘のように、現在の免許制度より負担がふえるという意味ではそのとおりだと思います。

 ただ、教員というのが、次代を担う子供たちの教育を行う上で、児童生徒に対して最も直接的に影響を及ぼすということは間違いないと思いますし、逆に言えば、子供を持つ親の立場、保護者の側から考えれば、その専門職としての高度の専門性、そして豊かな人間性が非常に強く求められていることも事実であります。

 また、医師が六年制で、これは長い歴史があるようですが、加えて、近年、獣医師あるいは薬剤師も、今養成も六年制になったことなども考慮して、この際、我々としては六年制に踏み切ったところであります。

 実は、これは、人材確保法という、よい人材を集めるために、法律が、昭和四十九年だったと思います、もう三十年以上前なんですが、できたときに、これは自民党の文教の中心のメンバーの皆さんの中から、その際にセットとして、実は修士というのは検討されたということを私ども先輩からも聞いております。以来三十年を経て、いよいよ機は熟したのではないか。

 やはり、先生にちゃんと高い専門性を持っていただきたい。先ほどおっしゃったフィンランドの例は、授業時間数は日本より少ない、でも非常にいい教育がされているのは、実は二つのポイントなんですよ。フィンランドは修士の先生なんです。それからもう一つは、二十人ぐらいの少人数学級です。このことも考慮をしております。

 それから、経済的負担の点では、これは政策上の課題ではございますが、教員になる人を、やはりこれはある程度優遇的な奨学金制度というものを当然今後考えていかねばならないと思っております。

山内委員 薬剤師、医師と教員というのは全然違うと私は思うんですね。なぜかというと、医師なり薬剤師は、資格を取ればかなりの割合で、それなりの給料がもらえる仕事につける。そういった意味で、国家資格の力が強いという言い方は変かもしれませんけれども、それなりに収入に直結しているということがあると思います。

 それに対して、今、公立学校の採用試験の採用者の割合を見ると、去年のデータでいうと、約十六万人、公立学校の採用試験を受けました。それで、合格したのがわずか二万二千人です。一四%しか、学校の先生になりたくてもなれないわけですね。六年間も教育投資を行った結果、わずか一四%しか学校の先生になれないということは、八六%の人たちは、ある意味で教育が浪費になってしまうというような、そういうロスがあるんじゃないかな。

 修士を取ったら必ず学校の先生になれる、必ずとは言わなくても、せめて九割、八割は先生になれるという保証があれば、六年の教員養成課程に行こうかなという気になると思います。しかし、わずか一四%の確率しかないにもかかわらず六年間の修士課程に行くというのは、ちょっと無理があるんじゃないかなと思います。

 それから、今御指摘ありましたが、日本では教育学部を出て学校の先生になれない人は結構いっぱいいて、普通にサラリーマンで、銀行員になったりメーカーに勤めたりしている教員養成課程出身の人はいっぱいいると思います。しかしながら、日本社会というのはどうしても新卒採用中心でありますので、四年制の教育学部を出た後メーカーとか、サラリーマンになる人は結構いるんですが、ただ、もう二年修士に行ってしまうと、六年教育学部に行って、銀行員になりたいんですと言っても銀行は雇ってくれるかというと、かなり厳しいと思うんですね。

 教育分野に限って言えば、学歴が上がれば上がるほど職業選択の幅は逆に狭まるということが言えなくもないと思うんですね。下手して博士号なんか取ってしまうと、博士号を取った後サラリーマンになりたいと言っても、採用係は何だろうと思ってなかなか雇ってくれないというのが、実際、社会的な現実じゃないかと思います。そういった意味で、志望する学生の側からすると、非常にリスクをふやす結果に必ずつながると思うんです。

 そういった労働慣行も踏まえて、このような制度がワークするのか、御所見を伺いたいと思います。

藤村議員 先生になる人の側から考えるか、あるいは子供を持つ保護者の側から考えるかという、その視点の違いが一部あると思うんですが、ただ、先生の御指摘は、教員になる人をちゃんと、今後我々の制度で人材が確保できるかという意味では重要な御指摘だと思います。

 今、開放制といいまして、八百ぐらいの大学で教員養成課程があり、いわゆる資格を取るという意味ではさっきおっしゃった数字。そして、今現在でいえば、教員の免許を持つ方は多分五百二十五万人ぐらいいらっしゃいます。実際先生をしているのは百万人ぐらいですから、そういう意味では相当の差があるんです。

 この差はむしろ今後埋めていくといいますか、まさに修士に、教員を本気で目指して、四年の大学を出てから、我々の方はいわゆる教員養成の専門の修士ですが、その中で、かつ一年間実習を、我々、法律には書いておりませんが、現場実習を一年間していただく。そういう意味では、そこまで行った方は本当にほとんどが教員になっていっていただけるのではないかということも制度上は考えております。

 そういう意味では、基本的には、子供を持つ全体の親、そして次代を担う子供を養成するという観点から、より高い専門性、より高い教養、より高い人間性などを培っていただくための修士制度に踏み切ったというところでございます。

山内委員 非常に修士に対する過剰な期待というか、学歴信仰、学歴病みたいなものを私は感じるわけであります。

 むしろ、今ある教員養成学部の中で、教員の、先ほどおっしゃったような一年間の教育実習というのは僕はすごくいいアイデアだと思います。それも学部でもできないことはないんじゃないかな。あるいは、一年じゃなくても、八カ月かもしれない、九カ月かもしれない、そういった、まず既存の制度をもう少しワークするようにしていくということから入った方がよりフィージブルなのかなという気がいたします。

 学歴社会というのは修士号が絶対のような印象を受けるんですが、例えば、一たん現職教員になった後にオン・ザ・ジョブ・トレーニングもあり、また、夏休み等の現職教員の再訓練、イン・サービス・トレーニング等を通して、時間をかけて養成していくというようなオプションもあるんじゃないかと思う中で、修士の学位にこだわり過ぎると、後で同僚の伊藤議員から質問の分担で行くと思うんですけれども、そういう意味で、修士を絶対視するということに関して私は疑問を感じるので、その点について、もう一度済みません。

藤村議員 学位そのものの意味はほとんどないと思っております。

 大事なのは六年制と我々は最初に打ち出して、ただ、現状、今、開放制で、各大学の教員養成の課程が四年で、八百以上もあるということからすると、六年制にいきなりしなさいというのはこれこそ実際的でないものですから、教員養成の修士にその後行っていただく。

 何より大事なのは、さっきも申しましたように、五年目に、四月から翌年三月までの一年間、例えば小学校の学級の副担任などとして現場の実習をそこでしていただく。そこでみずからの教職への適性や子供との接し方、さまざまなみずからの問題意識や課題など、本当にこの一年というものが非常に重要な一年になるであろう。そして、それをまとめる二年目が六年目になります。

 今の、現状の四年では、実は、教育実習は二週間、あるいは多くても四週間ですね。それしかとれないというのも現状で、カリキュラムは非常に密になっておりますから。そういう意味では、少し、六年間の幅の中でやっていく、こういうことでございます。

山内委員 今の現行の教員養成学部の研修が非常に短いというのは本当に私も同意いたします。ぜひ文部省の方でも改善をお願いしたい。まずは学部教育の改善をお願いしたいと思います。

 続きまして、時間がないので次の質問に行きます。学校理事会制度についてお尋ねしたいと思います。

 基本的な方針について学校理事会の承認が必要という部分に関しては私も賛成いたします。ただ、教育課程の編成に関しても学校理事会が承認をしなくてはいけないという規定になっているかと思うんですけれども、やはり、教育課程というのはかなり専門的なものであって、レーマンコントロールの原則はあっても、教育課程、教育の中身まで父兄や一般の方が口を出すというのは非常に難しいんじゃないか。先ほどから、民主党の案に沿って言えば、教員というのは大変専門性の高いプロフェッショナルであるわけで、プロフェッショナルがやるべき領域に余りにも一般の素人が口を出し過ぎるというのは、ある意味危険じゃないかな。

 例えば、軍事とか防衛の例に例えると、シビリアンコントロールという言葉がありますが、シビリアンコントロールで政治家が、シビリアンが軍事全体の方針を決めるのはともかくとして、現場の戦争の仕方、戦術、あるいは、ミサイル、どっちのミサイルがいいか、そういうことまでは絶対シビリアンは口出ししないと思うんですよ。

 そういった意味で、もう少し、教員の専門性を信頼するのであれば、余りにも細かいところまで、あるいは、教育課程の定義も明らかでありませんが、イメージからすると、教育の中身まで父兄が口出しするというのは非常に危険な要素があるんじゃないかと思うんですが、いかがでしょうか。

牧議員 お答えを申し上げたいと思います。

 御承知のように、教育課程の編成というのは、学習指導要領にまず基づいてこれは編成されるわけですね。私どもが申し上げております学校理事会の構成員として、学校長あるいは教員、また教育に関する専門家というものが当然そこに含まれているわけで、そういった意味で、私どもはそういった懸念は余りしていないというのが実際のところです。

 保護者だとかこういった人たちが危険だという前提にもちろん立っていないということもございますし、そういった懸念そのものは私どもはないと思わざるを得ないわけで、むしろ、そういった方々のいろいろな創意工夫等も勘案しながら、なるべく現場の声に沿って教育課程の編成というものもあってしかるべきだ。

 最初に申し上げたように、学習指導要領があり、先ほども議論になりましたけれども、教科用図書検定というものを経た教科書を使っているわけですから、そういった極端なことに関する懸念はいたしておりません。

山内委員 私が危険と言っているのは、イデオロギー的に危険とかいう意味ではなくて、例えば算数を教えるときに百升計算を使うのか公文式のメソッドを使うのか、そういうテクニカルな選択とか純粋に教育の技術的なところとかまで、このイメージでいうと、学校の理事会の一般の方が口出しをするのかなという印象を受けるんですけれども、その点についてはいかがでしょうか。

牧議員 基本的には、学校長のそういった方針に対する承認ということを学校理事会がするわけですから、そこら辺のところは、大筋の方針というのを、最初申し上げたような、教育の専門家も入れて、教員も入れての中での議論の中でそういった方針が決まっていくということですから、極端にこの学校だけは全然変わった教育をするということは私どもは想定いたしておりません。

山内委員 もう余り時間がないので、学校理事会についてちょっと意見だけ言わせていただくと、例えば学校理事会の理事にどんな人がなるのかというときに、恐らくは、両親、どちらかというと、それなりに時間に余裕があって、それなりに子供の教育に熱心で時間を割ける、そういう親が中心になるのかな。逆に言うと、例えば片親の世帯、あるいは非常に経済的に苦しくて、なかなか教育問題まで時間がいかない、そういった親の意見というのは代表しにくいんじゃないかなと、この理事会の案だと思うんですけれども、そういったところの御配慮はどうされているんでしょうか。

牧議員 大変いい御指摘だと思いますけれども、ただ、私どもは、それぞれの現場においてこれは決めることですし、学校長あるいは首長の判断のもとに学校理事会のメンバーも決めるということですから、そこら辺はそれぞれの現場における判断で私は結構だと思います。

山内委員 わかりました。

 ちょっと通告していた質問を外して、さっき思いついた質問を民主党さんにさせていただきたいと思うんです。

 教育基本法案の九条だったと思うんですけれども、「建学の自由及び私立の学校の振興」というところで、将来のバウチャー制導入を踏まえて規定を盛り込んだという御説明がありますが、そのバウチャー制度について、通告していないので、お答えできる範囲内で、細かい数字は求めずにお尋ねしたいと思います。もしお答えいただければお答えいただきたいと思うんですが。

 バウチャー制度を導入するということに関しては、このバウチャーというのは非常に教育学界でも賛否がいまだに分かれておりまして、どんな目的をもとにどの程度バウチャーを導入するかというのでかなり選択の幅があります。それから、バウチャー制度を導入すること自体は教育の質を上げる目的もあれば、供給量をふやすという意味でもバウチャー制度はそれなりに有効でありますし、あるいは、バウチャー制度を導入している国の中でも、低所得者だけにバウチャーを配るような制度もあるし、いろいろな制度があるわけであります。

 そもそもバウチャー自体はたしかミルトン・フリードマンの「選択の自由」の中で出てきたような、そういう極めて自由主義的な、市場主義的な発想からきているものを、格差是正を党是とする民主党さんが持ち出しているところに若干素朴な疑問を感じておりまして、そういったバウチャー制度というのは、恐らくは、うまくいった学校は伸びていくかもしれません、しかしながら、うまくいかないところはもっと悪くなってしまう。結果的に、特定の学校は伸びるけれども、そうじゃない学校は悪くなって、格差が拡大する。

 あるいは、日本国内の地方と都市の問題を考えると、地方においては、恐らく、選択しようにも通学圏内があるのでそんなにうまくいかない。あるいは、都市部においても、特に新しい住民がいっぱい越してくるような都市部においては、実は小学校というのはコミュニティーの最後のよりどころのような側面がありまして、それを崩壊させてしまうのがバウチャーではないかなと思いまして、そういったことに関してはどうお考えなのか。

藤村議員 今、私学のところから引き出してバウチャー制度というふうに聞いていただいたので、それが正しいと思うんです。

 すなわち、我々は公立の学校でバウチャー制度を求める考えはございませんで、今、公立と私立で、実は国が負担する公費というものは、ちょっと数字はあいまいですが、公立に、今一人当たり約八十万円ぐらい公費を出している。ところが、主に私立の高校ですね、私学には多分二十万円ぐらい、四分の一ぐらいであろうと思います。その差を埋める部分が私どもはバウチャーではないか。

 つまり、国が普通教育、高校までの教育に最終的に責任を持つという場合に、財政的な責任ということでは、私学に行く人が、公費が、国から出される部分が非常に少ない。それが私学と公立の格差になっているわけです。一方、今、高校が、私学が多分三割近くあると思うんですが、実は私学の、高等学校における役割というのは非常に重いわけです。にもかかわらず、三割の方々は、国費、公費について、それなりにいわば手当てされているけれども、四分の一程度でしかない。この差を埋めるのが私どもはバウチャーではないかなと考えております。

山内委員 後ろの席の井脇委員は賛成のようでございますが。

 政府にも同じ質問を、ちょっと時間が延びちゃいますが、政府側にも御答弁をお願いいたします。

銭谷政府参考人 バウチャー制度についてのお尋ねでございますけれども、いろいろな方がこの問題を提起しておりまして、文部科学省におきましても研究会をつくって研究はしているところでございます。

 ちょっと状況を申し上げますと、義務教育である小学校、中学校につきましては、市町村に学校の設置義務を課し、その市町村内の子供は必ず受け入れるだけの整備を公立の小中学校はしているわけでございますので、非義務の学校の場合と、バウチャーについてはやはり状況が違うのではないかと思っております。

 幼稚園、高等学校については、公立、私立の割合、幼稚園は八割、高等学校は三割私立ということでございますので、そういった中で、この問題についていろいろな考え方があろうかと思っております。今研究中でございます。

伊吹国務大臣 どうぞ御遠慮なく質問してください。

 今、民主党の提案者の藤村先生がお答えになったのと先生が御質問になっているのは、ちょっと食い違っていると思うんですね。民主党の案のために公平に言えば、私学に対してバウチャーを入れる。

 国公立の、特に義務教育についてバウチャーを入れるのは、やはり、市場で決定された効率性とか価値を超えるものを教育というのは分担している部分が多いですから、例えば今御指摘になったコミュニティーの維持だとか、貧富の差によらずに最低限の教育を与えていくとか。ですから、公教育にバウチャーをすぐ入れるというのは、私は、責任者としてはやや否定的です。ただ、私学をどうするかということについては、これはバウチャーになじむ部分は私はかなりあると思います。

 ただ、公立と私立との差を、投入している公費が違うから、それを埋めるのがバウチャーだといっても、その埋めるだけの財源はどこかから持ってこなくちゃいけませんよね。それと同時に、公私の差を埋めるのであれば、建学の精神というものをどこまで認めるかということもこれまた議論をしなければならないですから、やはり政権を預かっている方は、そういうことをいろいろ配慮しながらトータルなバランスとして案を出しておりますので、御質問される方からいうと、特に与党の若手の先生方からは、やや歯切れが悪いなという御批判を我々は受けるんじゃないかと思うんですが、これは政権を預かっている者の宿命のようなものなので、先生もどうぞ、その一員としてよろしく御協力をお願いいたします。

山内委員 大変勉強になりました。

 ありがとうございました。

保利委員長 次に、伊藤忠彦君。

伊藤(忠)委員 自由民主党の伊藤忠彦でございます。

 私は、実は愛知県選出の議員でもございますので、やはりちょっと冒頭に、昨日行われました全国学力テストについて、大臣から少しお話を伺っておきたいと存じます。

 この全国学力テストは、中山大臣において復活をされた制度で、四十三年ぶりに、昨日、二百三十三万人の方が全国一斉に受けられたわけでございます。

 私の認識は、今こうしてここで、三法の改正を含めて日本の教育の制度を、教育基本法のもとに、いろいろな意味で今の時代に合わせていこう、こういう議論をしているときに、やはり、私たちがこれまで教えてきた子供たちの学力、成果というものがどこら辺にあるのかということについてきちっとしたデータとして持っておくことの重要さは、私は、受ける子供の側、そしてまた父兄、そしてまた教育現場にいる教師、並びに行政をつかさどる皆様方含めて、全員の宝としてこの成果は重要であったというふうに認識をいたしております。

 この点につきまして、四十三年ぶりに実施をされました全国学力テストのことについて、テストの意義と、そしてまた大臣の御感想、御所見を最初にお伺いしたいと存じます。

    〔委員長退席、小坂委員長代理着席〕

伊吹国務大臣 ただいま先生が御指摘になったとおりの意図を持って我々はこれを実施したわけです。そして、教育委員会単位では、残念ながら、先生のお地元ではないかもわかりませんが、愛知県の一教育委員会を除いて全国すべての教育委員会が、先生がおっしゃったような、教育委員会の立場、文部科学省の立場というよりも、これは憲法に規定する大きな公共の福祉のためにやっているわけですから、それを理解して参加をしていただき、トラブルなくここまで来られたということを、一応胸をなでおろしているということです。

 あとは、個人情報の保護の観点を重視しながら集計をいたしまして、そしてよく分析をして、単に学力だけではなくて、学ぶ意欲とか、学力の後ろにある諸環境をかなり調べておりますので、これをどういうふうに学習指導要領に具体化し、学校現場へおろしていくかという大切な資料だというふうに理解をしております。

 これは単に、生徒に、どのあたりの到達度になっているかということももちろん大切かと思います、自分の学校がどうなっているか、自分の地域がどうなっているか、大切だと思いますが、国家百年の計の中でこれをどう使っていくかという観点、これが一番大切なポイントだと私は思っております。

伊藤(忠)委員 今、大臣から御所見を伺いました。まさに、この学力テストの結果を、国家百年の大計である教育の今の現場に、どのように素材として加工し、そして使っていくことができるかというところが重要なポイントだということであります。

 ここから先は、私の私見として、この点について一言申し述べておきたいのは、私どもの愛知県の一市町村が、このテストを受けることについて自主的に御辞退をした。これは、地方自治の原則からいけば、任意でどうでしょうかと言われていることでありますから、お受けをしないということも一つの判断としてあろうかと思いますが、実は、この市町は首長さんがかわりました。そして、以前の首長さんが指名をした教育委員の中から互選をされて教育長が選ばれました。新しい首長さんになって、やはり全国の学力テストを受けた方がいいのではないかという意見をぶつけました。

 なぜこの市長さんがこのことをぶつけたかといえば、激しい選挙戦の中で、多くの市民の人たちから、自分たちの子供のためにも、自分たちの子供の位置づけのためにも、将来のためにも受けさせてやってほしいという声を聞いて、選挙に勝ち残り、そして、その答えを出すべく実はぶつけたわけであります。

 しかしながら、前の市長さんが選ばれた教育長さんが、これを、ここだけは実際の言葉を使って言えば、政治が教育に介入をしてはならないということを言って拒んだわけであります。

 私の認識は、この委員会で何度となく伊吹文部大臣が、だれが政権を担っても、子供の教育は、政治の激しい戦争に翻弄されることなく、すばらしい日本人をつくっていくために介入させてはならないということを何度もここでおっしゃいましたけれども、私に言わせれば、この教育長の言葉の政治の介入と文科大臣がおっしゃった政治の介入はちょっと違いがあるのではないかというふうに思っております。

 そこで、私は、今度の三法の中で地方教育行政の組織及び運営に関する法律の中において、教育における国の責任の果たし方の中に、実は、教育委員会への是正の要求というところがございます。今度の学力テストは任意ですからここには当てはまらないわけでありますけれども、もしこれからも、先々、私たちの国の教育の全体を見ながら、どういう学力をどのようにつけさせていくことが一番大事なのかということについて、実際に教育を受けている子供たちがどの状況にあるかということは、やはり全体を調べておくことは極めて重要だと思って、このことについて、このテストそのものについて義務化をしていく段階が来たときにこの法律の意味合いが出てくるのかなと思ったりしております。

 したがって、私は、今度の改正の中で、こうしたことも含めて、今度の学力テスト、私どもの愛知県の一つの市は、大変大事な試みもしてくれたし、私たちが考えるべき課題を一つ与えてくれた。じっくりと、文科省としても、また地域としても考えさせていただく課題だなというふうに思っておりますので、ぜひ、しっかりと見詰めていただきたいというふうに思っております。

 ところで、私の地元は知多半島でございまして、その中に、東海市というのが私の選挙区にございます。東海市の市民の誇りと言われている方に、江戸時代最大の教育者の一人と言われた細井平洲という人がいます。ここの中におられる方で細井平洲さんを御存じの方がおられれば幸いでございますが、彼は、江戸時代の一七二八年に、私どもの東海市の荒尾というところに農家の次男として生まれました。その後、苦学を重ねながら、実は全国で各藩の学問の先生として、愛媛県ですとか熊本県ですとか和歌山県、奈良県と、いろいろなところで招かれて教えておりました。そして、一七六四年、平洲が三十七歳のときに、あの、山形県の、米沢藩の後に藩主となる十四歳の上杉鷹山の先生として迎えられて、平洲は全力を注いで鷹山に教育を与えた方であります。

 上杉鷹山は、後に十七歳で藩主となって、平洲の教えを実行して、人づくりを通じて農業や産業の振興をし、当時窮乏をきわめていた藩財政を一代で立て直した名君とうたわれているのは、ここにおられる皆様方、よく御存じだと思います。さらに申せば、アメリカのJFK、ケネディ大統領すら、尊敬する一人に上杉鷹山を挙げたわけでございます。

 この細井平洲さんの教えを、実は亡くなられた後に上杉鷹山がまとめた冊子がございます。これが嚶鳴館遺草という冊子でございます。この嚶鳴館遺草という冊子は、ちなみに、かの西郷隆盛も熟読し、これはすばらしいと言った冊子だと言われております。その中に、こういう言葉がございます。人はただ教え次第なるものゆえに、教える人を選ぶことが最初第一であるという文言がございます。これはすなわち、人は教育によって善人にも悪人にもなるんだ、だから、教える人を選ぶことが一番大事なことなんだということであります。

 私は、郷土の先輩であるこの細井平洲先生の言葉に基づいて、教員免許に関します部分について、閣法の件、そして民主党の法案にそれぞれ御質問をさせていただきたいと思います。

 まず初めに、先ほど同僚の山内議員からも質問がございましたけれども、修士を経て、一年の実習を経て教職員に持っていこうとする民主党の案なんです。

 この点について、ちょっと私も同様の疑問を持ってお伺いをしたいと思っておりますのは、今現在、四大卒業後に大学院に進学をしようとする人たちというのは、学部卒業者の中で大体一一%と言われております。そしてまた、小中高等学校の教員の学歴区分をざっと見てみますと、四年制大学卒が大体八五%を占めていると言われております。これを一気に修士の卒業生に変えていくというのは、私は大変なことだな。

 例えば、私が四年制大学で学んでいたとして、周りがどんどん就職していく中、教員を求めて二年残るかどうしようかと悩み、なおかつ、一年に学費が大体、平均で六、七十万かかるでしょうか、八十万前後かかるでしょうか。この金額を二年、どっちにしても払って、修士で学んで、それで教員採用試験を受けて実習を受ける、そして教員になるということ。私は、現代の世の中で、これが本当に現実的なのかな。

 生徒を取り巻く環境を含めても、教職につこうとする意欲がある人たちが、余りに教職に実際につくまでの道のりが長いために、むしろこのことは、さまざまな理由から、教職につくこと自体をなえさせてしまうんじゃないかという気が私はしてなりません。確かに、長い間の教育、実施することはいいのかもしれませんけれども、しかし、就職に当たっての道のりが長過ぎるというのは、果たして本当に現実的なんだろうかということを思います。

 それから、幼稚園の教職の先生方の実態を皆さんよく御存じだと思いますが、八割方は短大卒であります。この八割方短大卒で来ている幼稚園のところも含めて六年の教育を受けて出てこないと教職になれないとすると、これはもともと短大の人たちの多くが幼稚園教育に向きたいという人たちも多かったこの中で、世の中の短大はばたばたとなくなるでしょうし、こうした幼稚園の教員に対して、しばらくの間恐らく途絶えるかもしれない人間の供給力というものをどうお考えになるんだろうかということで、私は、この民主党の修士を経てというところに大変疑問を持つわけであります。

 この辺のところを民主党案の提出の皆様方はどうお考えになっておられるのか、まずお聞かせをいただきたいと存じます。

藤村議員 伊藤先生にお答え申し上げます。

 先ほども少しお答えをしていた部分と重複いたしますけれども、教員になる側から考えるか、たくさんの子供を次代を担う子供として育てる親、保護者、社会の側から考えるかという視点の違いが多分あるかと思います。

 我々は、やはり教員は、次代を担う子供たちの教育を行う上で、児童生徒に対して最も直接的に影響を及ぼすものであり、保護者の側から考えれば、専門職としての高度の専門性と豊かな人間性が求められることにかんがみて、また、医師に加えて、近年、獣医師や薬剤師、専門が違うとおっしゃいますが、いずれにせよ、高度の専門職という意味では、やはり六年制になったことなども参考にしながら、この際、ある意味では踏み切った、こういうことでございます。

 これも何度も申し上げておりますが、人材確保法をつくって、今現に存在しますが、よい先生を集めようという法律を三十年以上前につくられた。そのときにも実は修士ということは考えられたので、それから三十年を経てですから、先生は時期尚早とおっしゃいますが、我々は、機は熟したのではないかという考え方でございます。

 もう一つ、幼稚園のことでありますが、今、やはり幼児教育の重要性というのが非常に大きくクローズアップされていると思います。昔から三つ子の魂百までとは申しますけれども、やはり教育の基礎が幼児教育にあるということを非常に大きく我々はクローズアップしているところです。

 最近、お聞きだと思います、小一プロブレム、小学校一年生の問題ということで、授業時間中に私語が絶えなかったり歩き回ったり云々ということで、小学校の初めの段階からなかなか授業がうまくいかない。それはやはり幼児教育のところできちっとやるべきであろう。ですから、小学校での教育のことも理解している先生が専門的で豊富な知見を持って幼児教育に当たってこそ、幼児教育がやはり格段によくなるのではないかと思います。

 もちろん、現代におきまして、短大卒の二種免許の幼稚園教諭の方が多い現状もあると思います。しかし、専門的な知識の上に実際の経験を積み重ね、よりよい幼児期の教育の実現にやはりこれはこの際踏み切りたいという、非常に一歩前へ出た考え方でございます。

 人が教育を受け始める幼児期、人生における教育を受けるスタートに当たる幼児期こそ、ある意味最重要と考えて、これは初等免許ということですので、幼稚園と小学校の一体の免許でございますので、両方がわかる先生を今後育てていきたい、こういうことでございます。

伊藤(忠)委員 やはり現状がございますから、その現状の中で現実的な部分を考えたときに、いささか、確かに理想は理想でありますけれども、現場を考えたときにこれがどうであるかなという疑問は私自身はぬぐえないところだなというふうに思います。

 政府案でも民主案でも、講習の間隔というのは、平たく言うと、十年で一致をしておられるんだな、これは同じところなんだな。恐らくこの十年というのは、法定研修が十年でもありますし、このことを土台にしてそれぞれ考えられたのではないかと思うんですけれども、講習時間が、政府案では三十時間、民主党案では百時間と、かなりの開きがあるわけでございます。

 それぞれこれはお伺いをしたいと思うんですが、まず、三十時間、百時間の算定の根拠となることというのはどんなことだったんだろうか。それから、私は、もちろん時間の長さじゃなくて、中身がとても大事だというふうに思っております。この講習の中身で一体全体どんな成果を上げようというふうに考えておられるのか。それぞれこの案について御説明をいただければと思います。

    〔小坂委員長代理退席、委員長着席〕

銭谷政府参考人 免許更新に当たりましての更新講習の時間でございますけれども、昨年七月に出されました中央教育審議会の答申の中では、中身の伴った、教員にとってもその後の成長に意義のあるものにするために最低三十時間程度が適当ということが提言をされ、それを受けて、今回、法案としてお願いをしているものでございます。

 やはり更新講習の内容が大事でございまして、使命感や責任感、教育的愛情に関する事項、社会性や対人関係能力に関する事項、幼児児童生徒理解や学級経営等に関する事項、教科、これは教科指導、指導方法、いろいろございますけれども、教科の内容等に関する事項、そして最新の教育に関する動き、例えば発達障害が最近多いからそういうことについて学ぶとか、そういった最新の知見というものを含めて三十時間の講習を構成していくということが必要だと思っております。国会における御審議も踏まえまして、中身はさらに詰めていく必要があると思っております。

 また、講習を行う実施者につきましても、国の方で一定の基準をつくりまして、そして認定をした上で実施をしていただくということが必要になってこようかと思います。

 また、更新講習を受ける教員につきましても、この内容を修了し修了認定をもらうということによりまして、教員がその時々で必要な知識、技能を身につける、そして自信と誇りを持って教壇に立てるということが可能になるわけでございまして、そういうことを目的としているものでございます。

藤村議員 政府と大きく違う点は、政府は、十年研修は十年研修でそれぞれの目的を持って行う、今の御説明のように更新研修は更新研修、目的が違うということで、そうすると、実は、十年ないしその辺の人がダブることもあり得ます。私どもはもうはっきりと、十年研修というものを、まさに教員のレベルアップをしていただくための刷新、リニューアル研修と称して、今の法定十年研修制度、これは十年教育経験者研修と呼んでおるようでありますが、まさに現場の教員の方の更新講習のような形で修了認定をしたいということであります。

 三十時間で今おっしゃったことができるのかなというのは、少し物足りないと思います。やはり、我々は、一応百時間という想定は、三十時間というのはリニューアルすべき、時代の変遷に伴う共通した教育研修、それからさらに三十時間は模擬実習、模擬演習など、それから四十時間はそれぞれの教科に関する研修ということです。

 実は、現在十年研修として行われているのは、各教育委員会単位ではございますが、これは、一つの例でいいますと、社会教育研修一日間、生徒指導研修四日間、選択研修三日間、教科指導研修四日間、計十二日間をセンターで座学で集めてやっているという以外に、実は八日間の現場での実習も、それを研修として、十年講習として行っている。二十日間ぐらい、一日五時間とすれば百時間ぐらいのボリュームになりますので、やはりそのぐらいやっていただきたいなというのが希望でございます。

伊藤(忠)委員 ちょっと一つ確認をしておきたいんですが、民主党案でも、法定研修の十年とこの十年目の研修と、それぞれ受けていただくではなくて、一致させるんですね、一つにする。だから、法定十年研修はもうなくして、やるということなんですね。これは非常に大きく違うと思うんですね。やはり機会を多く持った方がいいのではないかというのは私の私見であります。何回か受けていただく機会を持って、自分を見詰め直す機会があった方が私はいいのではないかというふうに思うんです。

 民主党案の皆さんにもう一つこの研修の件でお伺いをしたいんですが、先ほど、修士を出られた方が教員として上がってくると。これが、いずれは毎年十万人もの人たちが百時間ずつ大体受けていただくという数字になるんですけれども、やはり修士を出てきた先生ということになれば、それなりに高いレベルの講師陣といいましょうか、あるべき講習の中身みたいなものを用意していかなければならないんでしょうけれども、こんなレベルのものを百時間も受けていただくことが、例えば講師の確保でありますとか受け入れの体制ですとか、講習の実施そのものが可能なのかなというのが私の率直な疑問なんです。

 そこで、できれば民主党の法案提出者の皆さんに、もう少し今藤村先生がお話をいただいたところを詳しく、どんなふうにされるのかなということを教えていただければ幸いです。

田島(一)議員 御質問にお答えをしたいと思います。

 先ほども藤村議員の方が御説明あったんですけれども、大学院修了の先生方を相手にしていただく講師陣ですけれども、現在、もう既に十年経験者研修ででも実施されているところではありますけれども、大学であるとか大学院と連携をし、その大学が既に実施をされている学内の研修、講習会等を利用するという方法もあります。それとあわせて、大学また大学院から講師を派遣いただいて、その先生について勉強するということも選択肢でありますし、それ以外にも、民間ではNPOであるとか企業から、カウンセリング等々専門家をお招きして講習をしていただくということも考えられます。

 ですから、大学院を修了されたからということで、その学歴に見劣りするような講師陣というのは、現在のこの十年経験者研修の実施状況と比較をしても、決してその学歴に見劣りする講師がいるということはあり得ないのではないかというふうに私どもは考えておりますので、大学や大学院の先生方、また民間組織の活用で十分に対応できるのではないか、そう考えております。

伊藤(忠)委員 今いみじくも民主党の皆さんが、現行施行されている十年研修についてはおおむね結構だという御評価をいただけたのではないかと思うわけですが、百万人を超える教員が今おられる中で、十人に一人が一斉に講習を受けるということになったときに、三十時間と百時間の差というのは私はここにあるのかなと思うんですが、百という数字の意味合いは、実際に学校で教育現場に立たなければならないときまで含めて実は及ぶんじゃないかという気がするんですね。三十という数字は、実は、学校教育現場で実際に子供を教えている時間ではないところできちっと本人が余裕を持って受けられる時間だなというふうに私は理解をしているんです。

 それで、両案に改めてお伺いをしたいんですけれども、それぞれ、これだけの人数が講習を受けることによって学校現場にはどんな影響が出るのでしょうか。もし、その穴埋めが必要だと思われる方の法案提出者の方々は、その穴埋めについてどう考えておられるのかなということをちょっとお聞かせをいただければありがたいです。両案ともに教えてください。

銭谷政府参考人 免許状の更新講習につきましては、文部科学大臣が認定をいたしました教員養成課程を有する大学を中心として実施をしていただくということを今考えておりますが、実施につきましては、土曜、日曜や長期休業期間中の講習開設、これを基本としたいと思っております。

 したがいまして、このような実施体制でまいりますと、三十時間ということでございますので、特に代替教員の確保といった特別の措置は必要ないのではないかというふうに考えております。

田島(一)議員 先ほども答弁してあったことなんですけれども、今回のこの研修の百時間のうち、七十時間というのは、新しい知見であるとか知識、技能、そして子供や教育の概論に関する講座であります。

 この中身については、随分以前にも答弁がありましたけれども、通信教育であるとかオンデマンド教育、また放送大学等を活用する中で、実際に一堂に集めてやるということを極力少なくする。言ってみれば現場への影響を少なくする配慮を、今こそこういった新しいツールを使っていくということでこの七十時間の部分を埋めていきたいというふうに考えています。

 ただ、残る三十時間、これに関しては、やはり、模擬授業等々でありますから、現場に出てやっていただかなければなりません。そういう意味では実際に研修現場に出ていただくわけですけれども、ただ、一例として、現在行われている十年経験者研修、こちらの方も、実は平成十七年度で、年間約十七・九日間、校外研修に費やしていただいています。少なく見積もって、一日もし五時間というふうに計算をしますと、年間で約九十時間校外研修を実際に今積んでいらっしゃるというわけですから、少なくともこれよりは、ここまでかかることはない。

 ですから、現在の教育現場への影響力を委員はどのように評価されているかはさておいて、少なくとも現在よりも過度に負担を強いるということはないというふうに私どもは考えております。

伊藤(忠)委員 時間の認識はそれぞれあると思いますけれども、私は、とにかくこの研修そのものが実際の学校現場の教育に悪い負担にならないようにしなければならないということ、悪いという言い方はいけませんね、負担になっちゃいけない、負担になっちゃいけないけれども、しっかり受けて立派な教師になってほしい、こういう制度にならなければならないという点で進めていかなきゃいかぬというふうに思っておるんです。

 さらにもう一点、この講習の件で御質問を両案にさせていただきたいんですけれども、この講習は、無論ただではないと思うんですね。やはり講習は恐らく有料になるんだろうというふうに思います。そして、全国的な教育水準の向上の観点から導入をされるわけでありますから、国がどのように負担をする立場にあるのかということも含めて、両案の提出者にお伺いをしたいと存じます。

銭谷政府参考人 更新講習に要する経費につきましては、仮に年間十万人程度の教員の方が受講するとして、一人当たり三万円前後を要すると仮定をした場合、毎年約三十億円前後の負担が生じるということが見込まれております。

 教員免許は個人の資格でございますから、費用についても個人負担とするという考え方がある一方で、国あるいは教育上の要請から、特に現職教員につきましては、これまで予期していなかった負担となるという側面もございますので、一定の配慮が必要との考えもあろうかと思います。

 いずれにしても、今後、国会における議論を踏まえました上で、費用負担のあり方については検討してまいりたいと考えております。

田島(一)議員 講習にかかる経費についての御質問ですが、実際に申し上げて、非常に積算は困難な状況にあります。

 と申しますのも、すべての十年目の教員がこの十年目の講習を受けると限らないわけであります。法案をごらんいただくとわかるんですけれども、実は、八年以上の経験を持つ教員は専門免許状を取得することができるというふうになっております。この専門免許状を取得されると十年目の研修は不要ということになりますので、万が一、極端な例ですけれども、すべての教員がこの専門免許状を取得いただくということになれば、十年目の研修というのはゼロ、不要になりますので、経費もかかりません。

 したがって、私どもとしましては、できる限り教師にはこの専門免許状をお取りいただきたいというふうに願っておるところでありますし、万が一この専門免許状をお取りになられない先生が十年研修をお受けになられるとしても、少なくとも人数は俄然に減っていくわけでありますから、講習にかかる経費は、今御答弁がありましたけれども、政府がお考えになっている年間三十億円を大きく下回るのではないかというふうに推定をしております。

 自己負担についてですけれども、先ほどの質問に対してもお答え申し上げましたけれども、通信教育であるとかオンデマンド教育に加え、放送大学等をできる限り活用した講習を考えておりますので、研修を受けていただく個人の受講形態によって、一概に自己負担額は幾らぐらいになるか示すのは困難ですけれども、少なくとも自分の生活圏の中で受講する機会が大幅にふえるということから、精神的、肉体的な自己負担等々はかなり軽減できるのではないかというふうに私どもは考えております。

伊藤(忠)委員 今の民主党案の提出者の方から御答弁をいただいた中で、もしその負担がかかった場合に、国はこれに対してどう負担を負うべきかという点については、今僕はお聞きしたんですけれども、いかがでしょうか。どうお考えになっておられますか。

田島(一)議員 自己負担ということですから、もちろんそれは、個人が専門免許状を取る、もしくはそれを取らないという選択に基づいてそれぞれの進むべき道を選ばれるわけですから、一定、その個人については、自分が決定をし判断をするということから、受講に関しての応分負担というものは発生はしてくると思います。

 ただ、公務員としての職務命令等々にも絡んでまいりますので、その点については今後、詳細な部分については、どのようなあり方がふさわしいのかというのをまた国会等の中での議論を通じて検討を重ねていくべき問題ではないかというふうに考えております。

伊藤(忠)委員 ということは、閣法、内閣提出の法案の中においては、これはもうとにかく十年ごとに全員が受けていただく、その負担については、基本的に自己負担もあるけれども、やはり国として立派な教師をつくっていくことによって制度導入を図っているので、一部負担も含めて考えてまいりたい、こういう方向性と認識をしました。

 そして、民主党の提出の法案によれば、もしかすると、これは八年間、ここの文章によれば、八年間以上実務経験を受けて専門免許をもらえれば、だれも受けなくてもいいかもしれない世の中が来るかもしれないから、まずもって、とにかくお国が、例えば国がこれを負担することを含めて考えているわけじゃなくて、そこら辺のところはまだ先がどうなるかわからないので、今の段階では申し上げられないということなんでしょうか。こう理解をしてよろしいですか。先々、この国会、今の議論で考えていきたい、今の時点ではそこのところは申し上げられないというか、こういう言い方をしちゃ恐縮ですけれども、そういうことですね。

 私ども閣法の方が極めてはっきりしているものですから、もう一回、ちょっとそこのところだけしていただければ。

藤村議員 十年講習を実は我々は充てたいと考えておりますので、公務員の場合は、実は法定研修で、これは職務命令で出て、経費が出ます。そういう意味では、公務員は少なくとも我々の今の制度ではお金がかからない。

 あと、国立と私学の先生方についてどうするかを今後検討していきたい、こういうことであります。

伊藤(忠)委員 これは、私どもの閣法においては結構はっきりしてきているところだと思いますが、そこのところ、民主党案さんもこれからまたよく考えられるポイントなんだなというふうにちょっと理解をさせていただきます。

 それで、時間がないので、もう一個進めさせていただきます。

 私は、やはり教員の今度の制度改正、免許を含めてですけれども、よく言われておりますように、立派な教員をつくりたい、教員を排除していくことだけが能じゃなくて立派な教員をつくっていきたいという試みであるというふうに理解をしておりますけれども、学校教育の信頼を取り戻すために、免許の更新制によって教員の質の向上を図ることとあわせて、一面、いわゆる指導力不足の教員の排除策というのも実際には必要ではないかという気がいたしております。

 それはやはり、地域が子供を送り出している学校において、そのままその人たちを存在させているということがいかがなものかというのは、普通の常識として、もう今あれだけいろいろな事件も起きておりますから、そういうことがあるんだろうと思うんです。

 特に民主党案の方でお伺いをしたいんですけれども、こうした不適切な教員の人事管理というものの厳格化について民主党の皆さんはどうお考えになっておられますでしょうか。

牧議員 お答え申し上げます。

 私どもの新地教行法、民主党案の第五条においても、指導が不適切である教諭等がある場合に、首長は、研修、教諭等以外の職への異動等必要な措置を講ずるものとしております。

 もう一つ、私どもは、学校理事会を設置するという案でありますから、こういう不適切な教員に対する措置というのはより適切で、かつ迅速でなければいけないわけで、そういった意味で、本当に、学校理事会の中からの声等を、しっかり首長が迅速にその情報を得て対応できるということを想定しての話でありますから、そこら辺のところは、そういう形で担保されるものというふうに理解をいたしております。

 それと、指導力不足の問題というのは、第一義的には任命権者がいかに適切に対応するのかということが問題ですから、なるべく現場にゆだねられるべきものだというふうに考えております。

 ただ、では何をもって指導力不足とするのかというようなことも多分御質問されたいと思いますけれども、その辺については、全国一律のガイドライン等について、そういうものをつくっていくということについては私どもの法律案の中にこれを否定するものではございませんから、そこら辺の基準についてもまた今後検討をしていきたいと考えております。

伊藤(忠)委員 まだまだ本当は伺いたいことが山のようにあるんですが、最後に二つ、文科大臣にお伺いをしたいことがございます。

 今の、指導力不足教員についての厳格化というのは、私は、全国どこにあってもこうした教員への対応というのは一律に、当然に厳格でなければならないというふうに思っております。今回の改正によってこの厳格化というものが公正に、どのように行われることになるかということについて大臣にお伺いをしたい。

 それからもう一つは、私は常々、実は地方議会の県議会におったときから、自分のおります地域の教育長や教育委員会の人たちと話をしておりました。今般、実は、前の文部大臣である小坂先生が創設をされて、優秀教員の表彰を、ことしの二月の十五日に総理の出席のもとでやられました。七百六十五名もの優秀教員がおられた。これは本当に一つの朗報だというふうに思うんです。

 例えばアメリカなんかでいうと、各州で一人の立派な優秀教員を選び、最終的には全米で一人の優秀教員を選び、そして大統領からアワードをもらいながら、彼を目指して、いろいろな地域で、どうしたら自分の教育の仕方がもっとよくなるんだろうかということを頑張っている人たちが、ティーチャーたちがいるわけです。

 七百六十五人もいいんですけれども、やはり、例えば全国ですぐれて立派な教育を与えた人というのを一人に絞り込んでいくことをしつつ、四十七都道府県でも一人をつくりつつ、こうした教員の授業には、例えば文科大臣ですとかあるいは総理もごらんになりに行くというようなことを含めて、インセンティブを感じさせるような、そして、もっと子供に頑張ろうと思わせるような先生をつくり出していくための、こうした褒める制度というものについてもどうお考えか。

 厳罰化の部分と褒めるというところと両方あわせて、最後に大臣にお伺いをさせていただきたいと存じます。

伊吹国務大臣 まず最初に、先生の二つの御質問の前に、研修の費用負担につきましては、参考人が説明をいたしましたように、もちろん国の関与というのをある程度考えなくちゃいけないんですが、同時に、免許の付与者は御承知のように都道府県の教育委員会ですから、この辺にも少し御負担をいただくということは予算折衝の中で考えていきたいと私は思っております。

 それから、先生はもう地方自治に携わっておられたから申すまでもないですが、現在も、地方公務員法の二十八条で分限処分というのはきちっとできるんですよ、各教育委員会がしっかりしておれば。事実、しっかりして、不適切な、適格性を欠く教員を排除しておられる教育委員会もたくさんありますし、いろいろ、力の関係とか、あるいは教育委員会と組合との間の関係とかがあって、それは必ずしもうまく動いていない教育委員会もたくさんございます。

 ですから、今回、この研修制度はブラッシュアップする方の制度であって、同時に、教育公務員特例法の改正をあわせて出しているわけでして、その二十五条の二に、今おっしゃったような、指導が不適切な教員に対する人事管理システムの改善を図るための手続を国としてはっきりお示しをしているわけですね。

 それと同時に、二十五条の三において、任命権者は、指導改善研修の終了時において指導が改善されない場合には、免職等の必要な措置を講ずるものであるということを国会の意思として示していただきたいという提案になっているということです。

 しかし、これよりも大切なのは二番目におっしゃったことなんですよ。小坂大臣の発案もあり、安倍総理がことしは来ました、私も行きました。これは、全国の教育委員会から大変な、ありがとうという手紙がたくさん来ました。

 それと同時に、今、教員の給与の問題、それから忙し過ぎて子供に向かい合えない問題、この辺を、年末の予算編成に向けて、ぜひひとつ、野党の皆さんも力を合わせて、与党はもちろんのことですけれども、将来のために大きな一歩を私は踏み出したいなと思っているところです。

伊藤(忠)委員 ありがとうございました。

保利委員長 次に、伊藤渉君。

伊藤(渉)委員 公明党の伊藤渉です。月曜日に続きまして二回目の質問に立たせていただきます。

 きょう、午前中最後の質問になりますけれども、午前中の議論を聞かせていただいておりまして、山内委員の方からありました御議論の中で、学力の低下の問題ということがるるお話をされていました。

 あの議論を聞かせていただく中で、山内委員がおっしゃっていただいていたように、何のために学ぶのか、それがわからずに、自分の今までの人生を振り返っても、ある程度のところまでは、ある意味教えられてきたものを記憶するというような、これが今までの日本の教育の形になってしまっていたのではないかなという感想を私も持っております。

 ですから、今議論されている中で、ぜひとも、何のため、また、未来への夢、希望というものを子供たちに抱かせて、最終的には勉強しようという自発的なエネルギーをどう子供たちに与えるかということがとても重要なんだろうと思います。

 そういう意味で、当然、世の中全体、世界全体が競争社会にさらされているわけですから、競争というものも重要だと思いますけれども、それを取り入れる上で、今までやってきたいわゆる詰め込み教育というものにただ戻るだけであれば、それは極めて短絡的な発想でもあると思いますし、そういうことのないように、また深い御議論をお願いしたいと思います。

 私も、今前段で御質問いただいておりました伊藤委員と同じく愛知県の出身でもございますので、私は伊藤渉と申しますが、この全国学力調査のことを御質問しようと思いまして通告をさせていただいておりましたけれども、既に全く同じ内容で伊藤忠彦委員の方から御質問いただき、伊吹大臣からも御答弁いただいておりますので、この質問は控えたいと思います。

 その上で、今回の学力テスト、私の家の長女も小学校六年生でございますので受験をさせていただきました。ゆうべ電話で聞きましたら、まあ半分ぐらいできたかなというようなことを言っておりました。

 その中で、今回、学力だけにとどまらず、生徒質問紙、これは中学三年生のものを今手元に持っておりますが、以前もある委員の方から質問があったと思いますけれども、この内容は、極めて個人情報といいますかプライベートに近い内容で、例えば、家の手伝いはしていますかとか、食事をするときはテレビを見ないようにしていますかとか、家の人や学校の先生以外に大人の人から注意されたことがありますか。これは、仮に、大人がこういうものを書けともし言われたら、それは余計なお世話だとなりかねない内容を聞いているわけです。

 ですので、私の理解は、教育の環境向上に資するという一点でこれは重要であると理解をしておりますので、今後、この情報の管理の徹底、これはもう慎重の上にも慎重に行っていただきたいですし、間違っても漏えいをしただとかそういうことのないようにお願いをしたいと思います。

 これは通告はしておりませんが、よろしければ文部省、政府参考人の方から答弁をお願いします。

銭谷政府参考人 昨日行われました全国学力・学習状況調査では、質問紙の調査というのがございまして、ただいま先生からお話のございましたように、生活情報、家庭の状況等について調査をいたしております。

 この調査結果は、学力の調査結果と相まって、学力の状況分析のために活用するというものでございますけれども、個人情報の取り扱いにつきましては、これは本当にその安全確保に万全の措置を講じていかなければならないと思っております。

 今回の調査におきましても、これから回収をし、集計をいたします業者におきましてもその安全確保には万全を期するように、私ども、契約その他できちんと結んでいるところでございますし、また、万々が一にもそういう個人情報が漏えいするということがないように、集計に当たりまして細心の注意を払っていきたいというふうに思っております。

伊藤(渉)委員 ぜひともよろしくお願いをしたいと思います。

 では、引き続き、地教行法の改正に関連して質問をさせていただきます。

 まず、政府参考人にお伺いしますけれども、現場で聞くお話として、学校現場で起きた事故や問題の責任が直接教員個人へ追及をされる、こうした事例があるとお聞きをいたしました。よって、あるところでは、現場の教員が訴訟保険に入っている、こういうケースがふえている現状があるというふうにお聞きをしました。現実に教員個人が訴えられて判決が出ているケースもあると承知をしております。

 こういった今の現状、訴訟社会といいますけれども、教育現場もこの流れには逆らえないというか、こういうことが起こっていることについてどのように文部科学省として承知をされているか、御答弁をお願いします。

銭谷政府参考人 子供同士のトラブルなどによりまして、教員が、安全配慮義務に欠ける等として、その責任が問われる場合がございます。

 通常は、国家賠償法第一条に基づきまして、教員がその職務を行うに当たって故意または過失によって違法に他人に損害を加えたとして、当該教員が所属する地方公共団体に対して損害賠償責任を請求することが一般的でございます。その場合、教員個人については、故意または重過失がなければ求償されない仕組みになっております。

 また、教員個人の責任を問うために、民法七百九条に基づき、故意または過失によって他人の権利を侵害する不法行為による損害賠償を請求されるという場合もあろうかと思いますし、また、校長が監督責任を問われるということで、民法第七百十五条に基づいて、教員が第三者に加えた損害を賠償する、使用者責任として損害賠償を請求される場合もあろうかと思います。

 個々の事例に即して、いずれの責任を問うかということは一概には言えないわけでございます。

 教員自身が訴訟されたというケースにつきましては、ちょっと私ども、数等のデータは把握をしていない状況でございます。ただ、今先生からお話がございましたように、このような、学校における事故等において教員の責任を認定している裁判との関係、これはちょっとよくわかりませんが、訴訟費用保険を扱っている団体、ここに確認をいたしましたところ、教員の訴訟保険への加入者数というものは増加傾向にあるというふうに伺っているところでございます。

伊藤(渉)委員 ありがとうございます。

 何でもかんでも裁判、どっちが正しい、どっちが悪い、なかなかそう割り切れないのが世の中だと思うんですけれども、この流れは、非常に今の傾向性としては避けられないのではないかと思います。

 同じような話が医師の世界でもあって、特に、医師全体がふえている中で、産婦人科医、小児科医が減少している。この陰には、どんなに一生懸命やっても救えなかった命、それに対して訴訟を起こされて、例えば医師の責任を求められてしまうといった、要するに、私が危惧をするのは、一生懸命やっている結果として出てしまったものに対してもきちっと、いわゆる法律に従って厳罰が発生するということが、そもそも一生懸命やろうとする先生の意欲をそいでしまうのではないかということを私は恐れるわけでございます。

 そこで、文部大臣にお聞きをいたしますけれども、こうした学校現場で起きた事故や問題などの責任、これは教育委員会が負うのか、自治体が負うのか、学校長が負うのか、いろいろあると思いますけれども、こうした今の現状について、教育現場の現状について大臣としてどう思われるか、ちょっと印象をお伺いしたいと思います。

伊吹国務大臣 教育現場だけではなくて、日本社会全体として、どちらかというとアメリカニズムというかアメリカ的な、訴訟によってすべてを解決していくという流れに今なっておりますよね。こういう流れが日本の文化と合うかどうかということになると、私は先生と同じような考えを持っておりますけれども。

 ただ、そうであるからといって、学校現場のまじめにやっている先生が萎縮をされては困るわけでして、これは先ほど参考人が申しましたように、ケース・バイ・ケースですから、何かあるとすぐに先生本人に求償がかかってくるというようなケースについては、やはり教育委員会が前面に出て対応してあげなければならない場合もあります。これはまさに本当にケース・バイ・ケースで、全く自分の不注意その他ということもあるでしょうから、あるいは故意ということだってあるでしょうから。御注意があったように、学校の先生がそのことで萎縮をされないように、不当な言いがかりについては教育委員会が前に出て対応ができるように我々も促していきたいと思います。

伊藤(渉)委員 この件については、東京都のある地域では、ほとんどの先生方がこうした保険に入っているというお話も耳にしたりします。その地域では、実は競争原理というものが若干取り入れられつつあるというふうにお伺いもしたので、またその辺もしっかり調査をして、あるべき姿というのを見出していかなければならないと思います。

 地教行法、ちょっと話題がかわりますが、二十七条二項、これは、ここまでも質問ありましたが、教育委員会は、学識経験者の知見を活用し、活動状況の点検、評価を行うことというふうに新たに規定をされております。

 この教育委員会の評価のあり方については、これまでも、中教審でも、外部に評価させるのか内部で評価するのか、さまざま議論があったと承知をしております。もともと、この教育委員会制度の考え方の一つに、レーマンコントロール、すなわち、教育は地域住民によって、関心の高い分野であり、専門家のみが担うのではなくて、地域の住民の参加を踏まえて行われることが必要だというものでございます。

 これも大臣にお伺いしますけれども、改めてですが、今回の改正で、外部でも内部でもなく、教育委員会が学識経験者の知見を活用して、最終的にみずから活動の状況を点検、評価を行うこと、この考え方に至った経緯も含めて、わかりやすく御答弁いただければと思います。

伊吹国務大臣 教育は、与党の立場での御提案は、やはり、国が大きな枠組みについては責任を持つけれども、地方自治体と分担してこれに当たるという前提でございます。その中で、政治的中立性その他の問題がございますので、それと同時に、先生がおっしゃったように、地域住民の声を反映するという部分と、両々相まって教育委員会制度ができております。

 率直に言いますと、その仕組みは私は非常にいいんじゃないかと思うんですね。これが十分機能してくれればいいわけでして、残念ながら、必ずしも、地域住民ではあるけれども、御父兄の代表が入っておられない教育委員会が多いでしょうし、名士の方が多くて、忙し過ぎてとてもだめだということもあるでしょうし、ですから、どちらかというと、教育長というか事務局主導で物事が決まってしまって、そこに官僚特有の弊害が出てくるということがいろいろ残念な事件を引き起こしたということです。

 ですから、一つは、今先生がおっしゃったような評価の仕組みを入れて、みずからを見直してみるということ。

 それからもう一つ、これは、総理からこの法案を出すときに総務大臣と私に御指示があったのは、地方自治の力というものの源泉はやはり地方議会なんですね、地方議会が教育委員会をどう評価しているかということをしっかりと促してほしいということがございましたので、この法案をお認めいただければ、いずれ全国のしかるべき会議のときに、私たちも、また総務大臣からもそのあたりのお願いを地方自治体にするということになると思います。

伊藤(渉)委員 ありがとうございます。

 教育の指導的立場にある教育委員会、今回の法改正の中では、今大臣からも御答弁いただいたように、保護者の選任を義務化するといった規定も設けられております。指導的立場にある人にとって、私が思う大切なことは、一つは現場の声をきちっと吸い上げられるかどうか、その上で、現場に埋没せずに達観的な視点からきちっとそういった行政への指導ができる、ある意味、相反する二面をきちっとできる人がやはり指導的立場になるべきだと思っております。そういう意味では、今回の、このつくったシステムがきちっと機能するように私も応援をさせていただきたい、そのように思います。

 次に、ちょっと通告の順番とは変わりますけれども、何事も、最終的には人事がすべてを決していくと思います。そういう意味で、今回地教行法の三十八条二項で、少し細かい話になりますが、県費負担教職員の同一市町村内の転任については、市町村教育委員会の内申に基づき、都道府県教育委員会が行うこととするという条文が盛り込まれております。

 これはやはり、現場での声を聞きますと、現実にそのようになっているケースが既にたくさんあります。この点については、よい教員が集まる地域では地域の教育が長く安泰をしていく、一方で、平たく言えば、若干悪い人が集まってしまうとなかなかその状況から脱し切れないというような声を実は聞きました。これは、県の教育委員会と市の教育委員会のバランスというものも各都道府県ごとに違うんでしょうから、いろいろな要素がかみ合ってのことだと思いますけれども、まず、政府参考人にお伺いをいたします。

 地域による教育の格差、こういったものが生じないように、こうしたことの現場での運用についてどのような取り組みを行っておられるか、御答弁をお願いいたします。

銭谷政府参考人 今回の地教行法の改正案におきましては、同一市町村内の転任につきましては、都道府県教育委員会は、市町村教育委員会の内申に基づいて転任を行うということといたしております。

 他方、ただいま先生お話がございましたような、地域による格差の問題といったようなことも懸念されるわけでございますので、同じ三十八条で、都道府県教育委員会が全県的な観点から調整を行えるように、都道府県内の教職員の適正配置と円滑な交流の観点から、都道府県教育委員会が定める一つの市町村における標準的な在職期間などの基準に従って、県費負担教職員を他の市町村の学校に異動させる必要がある場合と、同一市町村内の特定の学校で緊急に対応を要する事件等の問題が発生をしてその学校に優秀な教員を集める必要があるなど、やむを得ない事情によりまして市町村教委の内申に基づいた県費負担教職員の転任を行うことが困難な場合は、内申に基づくことを要しないということにしているところでございます。

 やはりこれも一つのバランスの問題かと存じます。

伊藤(渉)委員 ありがとうございます。

 私ももともと企業に勤めておりましたけれども、働く人にとって、人事異動というのもなかなか生活に直結した大きな話でございまして、教員の異動希望についても、例えば、結婚などを機に異動を希望してもなかなか通らない、その結果、タイミングを逸してしまうというような現実もあるというふうに聞きました。

 この点については、ぜひとも、女性の視点も加味しまして、池坊副大臣から御答弁いただきたいと思います。

 もちろん教師でございますので、その第一義は、学年やクラスの状況、その責任の重さを考えていただくことは当然でございますけれども、一方で、やはり人間でございますので、こういった異動の希望も含めて、職場の環境の向上ということは非常に大事だと思います。働く環境がよければ、そこで一生懸命働こうと思いますし、できるだけのものを子供たちに提供していきたい、これが人間の心というものだと思いますので、そういったことについてどのように取り組んでいるのか、また、今後どのように取り組んでいこうとお考えか、池坊副大臣から御答弁をお願いいたします。

池坊副大臣 教職員の人事は、政令都市においては政令都市の教育委員会、都道府県においては都道府県の教育委員会が、その権限と責任において、それぞれの事情を考えながら行っております。

 では、それぞれの事情はどういうことか。たくさんございますけれども、同じ学校で、年齢が三十代、四十代、いろいろな年齢の先生がいらした方がいい、それから各教科のバランス、あるいはまた僻地と都市部との広域な交流、僻地ばかりというのもおかしいし、都市しか知らないというのも、同じ都道府県の中に僻地があったら、それはバランスよく配置された方がいいのではないか、あるいは、同じ小学校に長期間勤めますことは、それによるいい面もございますけれども、やはりマンネリになってしまうのではないか。それぞれの問題を大まかには考えております。

 今、個人的な家庭の事情等々のことをおっしゃいましたが、それは、校長がそれぞれの希望や家庭の事情なんかを勘案いたしまして、それを市の教育委員会に具申いたします。市の教育委員会は、それを受け取って、都道府県にきちんと内申として行っております。

 今おっしゃるように、教職員がと言われますときに、教職員の方々も、小学校、中学校、それぞれの年代の先生方がいらっしゃいまして、小さなお子様を抱えていらっしゃる先生もあるわけですよ。そういう方々は、一方で家庭教育支援の充実というならば、自分の子供に対してもしっかりとした家庭教育をしなければならないわけですから、それのバランスが私は大切だというふうに思うんですね。土曜日、子供がお休みだ、先生方はそのときに何をしているのだとおっしゃるような議論が土曜日お休みのときにありましたが、先生方もお父様でありお母様であるんですね。だから、しっかり自分の子供と向き合っていく、あるいは地域社会と向き合っていくということがありますので、私は、人事は、先ほども教育委員会のあり方が問題になっておりましたけれども、現場の声をきめ細やかに公平に聞きながら判断していくことが大切だと思うんですね。

 だから、余りにも個人の事情だけを優先すれば、それはバランスを欠くと思います。私は、すべてバランスというのが大切だと思っておりますので、これから教育委員会が現場の声を、それから個人の希望をきめ細やかに聞くということは最も大切なことだというふうに思っております。それを受けとめながら、総合的に冷静にどう判断していくかということだと思うんですね。

 今まで、そういうことに対して割と大ざっぱであったことは事実ではないかと思います。今後、働いていく教職員の方々にもそれぞれの事情があるんですから、それはきっちりと受けとめていきたいと思います。特に出産などを控えておりますと、それは教育委員会だけでなくて、保護者の方にもその理解というものが必要であるというふうに考えておりますので、そういう理解を深めながら、きちんと前進できるように頑張っていきたいと思います。

伊藤(渉)委員 ありがとうございました。

 異動ということに関係するかもしれませんが、以前に、青年海外協力隊に出かけた方で、戻ってからもまた先生を継続されているという方のお話を聞く機会がありました。その方、いろいろな御意見がありましたけれども、発展途上国で先生という仕事を経験してみて、この国がいかに恵まれているかということを改めて体験として実感した、そういう気持ちでまた子供たちに、この国でこうして生活できることのありがたさ、またこの国の大切さを本当に心から伝えられるようになりましたというような意見を聞いていまして、人事ということで、非常に先生は現場が大変ですからなかなか外に目を向ける暇がないと思うんですが、そういったほかの経験も積んでいただいて、また子供たちにそれをフィードバックしていくということに関しても、人事という問題も大変重要だと思いますし、トータルとしての職場環境の向上ということ、これはぜひとも取り組んでいっていただきたいと思います。

 時間がなくなってきましたので、聞けるところまで聞きたいと思います。

 前回の質問に引き続いて、文部科学大臣の指示ということについて、もう一度、きょう、総務省にちょっと細かく順を追って聞こうと思いましたけれども、多分時間切れに途中でなりますが、聞けるところまで聞きたいと思います。

 前回の質問で、この指示について、国民の生命身体または財産の保護のために緊急に自治事務の的確な処理を確保する必要がある場合等国が必要と認められる場合、これを限定してこの指示を可能にしたというふうに確認をさせていただきました。

 一方で、現行の地方自治法二百四十五の七に「是正の指示」というものがあります。これは、法定受託事務について、事務の処理が法令の規定に違反していると認められるとき、またあるいは事務の処理が著しく適正を欠いて、かつ、明らかに公益を害していると認められるときに、違反の是正または改善のために必要な措置を講ずべき法的義務があると解釈をされていて、具体的措置内容についても指示可能で、地方公共団体を拘束するもの、このように理解をしておりますが、この理解でよろしいかどうか、政府参考人、御答弁をお願いします。

藤井政府参考人 お答えいたします。

 地方自治法二百四十五条の七に規定する「是正の指示」についてのお尋ねでございますが、これは御指摘のとおり、自治事務ではなくて法定受託事務に対する是正の指示ということになってございます。

 この法定受託事務に関する是正の指示につきましては、これを受けた地方公共団体は、法令違反等の是正のために必要な措置を講ずべき法的義務が当然生じますし、特に、指示された具体的内容それぞれについてもそのまま従う義務があるということで、自治事務に対するものではないということで、大きく違うところでございます。

伊藤(渉)委員 総務省の方、そのまま立っていただいてもいいぐらい淡々といきたいと思いますが、できるだけ短く答弁していただけると一区切りいけますので。

 さらに、法定受託事務に対する是正の指示、これは最終的には国による代執行が可能である、こういう理解でよろしいでしょうか。

藤井政府参考人 これも結論からいくと御指摘のとおりということでございますが、ただ、地方自治法上は、代執行のためには、大臣による勧告、指示とか、あるいは高等裁判所の裁判を受けるとか、そういう手続を経て代執行をする、そういう手続になっております。

伊藤(渉)委員 地方自治法上、この法定受託事務の是正の指示については明文規定がありますけれども、先ほど一番冒頭、答弁もいただきましたが、自治事務について是正を行う指示については地方自治法を根拠として行うことができず、その関与のあり方については、二百四十五条の二、「関与の法定主義」に基づき、個別の法令の根拠を必要とする、こういう理解でよろしいでしょうか。

藤井政府参考人 これも御指摘のとおりでございます。

 二百四十五条の二というので法定主義が定められておりますが、あくまで地方自治法に書いてあるのは、どちらかというと原則的な物の考え方を書いているまででありまして、個別の根拠というのが個別の法律に必要であるということでございます。

伊藤(渉)委員 今回の改正の、この地教行法の五十条、「文部科学大臣の指示」とありますけれども、これは条文を見ると、「当該違反を是正し、又は当該怠る事務の管理及び執行を改めるべきことを指示することができる。」と規定をされております。あたかも、国による代執行が最終的には予定されている、地方自治法の二百四十五条の七の「是正の指示」のように見えますけれども、これはあくまで都道府県、市町村の自治事務に関する規定との理解でいいかと聞こうと思いましたけれども、最初にこれは入っていましたので、自治事務だとおっしゃっていましたので、これは省略します。

 よって、本条項は、国による代執行までが予定されている法定受託事務への是正の指示とは別で、地方自治法上の自治事務についての是正を行う指示として別に法律で定められたものであると理解をしますが、それでよろしいでしょうか。

藤井政府参考人 御指摘のとおりでございます。

伊藤(渉)委員 ありがとうございます。間に合いました。

 最後の質問を聞きます。

 であれば、地教行法第五十条、これは、特別な場合に限定的にされる国の関与のあり方である指示の範疇を逸脱した規定ではないかという議論もやはり今もあるわけですけれども、改めて、そうではないということを明快に答弁いただいて、私の質問を終わります。

藤井政府参考人 今の点については、これまで大臣からも何回か答弁いただいているところでございますが、今回の地方教育行政法の改正というのは、いわば内閣の最重要課題である教育再生の実現に向けた関係法制の改正ということでございますが、あくまでその自治事務に認められた関与の範囲、これは地方自治法で基本原則が定められているわけでございますが、その範囲内で行っていただいたというふうに認識しております。

伊藤(渉)委員 以上で終わります。ありがとうございました。

保利委員長 午後二時から委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。

    午後零時九分休憩

     ――――◇―――――

    午後二時開議

保利委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。

 質疑を続行いたします。西村智奈美君。

西村(智)委員 民主党の西村智奈美でございます。どうぞよろしくお願いいたします。

 今回の教育三法、提出の過程からしてかなり今までとは違う、多くの方がそのように見ておられると思います。

 そもそも、この教育三法に関する法案審議は、本来であれば文科委員会で行われるべきでありますけれども、ここのところは政治状況ということになるのでしょうか、特別委員会ということに相なったわけであります。

 率直に申し上げまして、かなり中央教育審議会と教育再生会議の役割分担が不明確だったのではないかというふうに私は拝見しております。多くの方がもうこれまでにも指摘をされたことでありますし、繰り返しにならないようにというふうには思うんですけれども、しかし、これは大事な点であるというふうに思います。

 まず、文科大臣にお伺いをいたしたいんですけれども、今回、この三法が提出されるまでに非常に短い期間で中教審の審議が行われたというふうに承知をしておりますけれども、大体一カ月ぐらいでしたでしょうか、この一カ月間の議論はどういうペースで行われてきたのか、かなり過密スケジュールであったというふうに承知をしておりますけれども、その点について大臣は今どのようにお考えでしょうか。

伊吹国務大臣 期間長きをもってとうとしとせず、内容充実しているをもってとうとしとなすということだと思います。

 日曜日も皆さん出てきて御審議をなすっておりましたし、多くの団体から御意見を聞いていただいたようでございます。審議会でございますから、一々大臣がその場に出て審議を監視するというのもいかがかと思いますが、私が伺っているところでは、大変濃密な議論をしていただいたと感謝を申し上げております。

西村(智)委員 これまで中央教育審議会というのは、大臣は先ほど長ければいいというものではないという御趣旨だったと思いますけれども、大体、その中教審の議論というのは一定の期間をかけて行われているわけでございますね、委員長も御存じだと思いますけれども。

 例えばということで、ちょっと文部科学省のホームページから、どういう期間でどういうことが審議されているのかということを見てまいりました。例えば特別支援教育を推進するための制度のあり方に関する審議、これにつきましてスタートをしたのは平成十六年の三月、答申が出ているのは平成十七年の十二月、一年半ほどの期間がかけられているわけでありますね。ここで見ますと、日曜日開催というのは見られませんし、大体、会議の開催自体も、前回の議事録が審議できるほどの時間的な余裕を置いて開催されているということが見られると思います。

 私は、今回の教育三法の改正に当たって問題なのは、大臣とは私は見方が逆でありまして、極めて短期間で、何といいますか、非常にアリバイ的に、中教審の答申を出すためのものとして無理無理に、この日程を詰め込んできたんじゃないか、そういうふうに思うわけです。一カ月の間で開催された会議、審議会は十二回、合計の審議時間が約三十一時間四十五分ということでありますので、これは非常に過密だと思いますね。

 そこで、大臣に改めて伺いたいんですけれども、この審議会の途中で、二月の二十七日、そして二月の二十八日に関係団体からのヒアリングが行われております。先ほど大臣もおっしゃいました。ここでいろいろなところからヒアリングがされておるんだと思うんですけれども、これはどういう目的で、どういう形で行われたのでしょうか。

伊吹国務大臣 まず、中教審は山崎会長という第一流の文化人を会長にいただいてやっておりますので、国会議員であっても、アリバイづくりという言葉は少し、先生、品性を持って慎んだ方が私はよろしいんじゃないかと思います。審議をしていただいている先生方にも失礼じゃないでしょうか。

 そして、私は、三十を上回る、四十弱の各団体から今回の三法についての意見をお伺いしたということは後で伺っておりますが、どういう内容であるかということは、私は大臣として一々審議会の審議に立ち会うということはかえって不適当だと思いますから、必要があれば事務局からいつでも御答弁をさせます。

銭谷政府参考人 教育三法につきまして中教審で議論を進めていく中で、その審議を深める観点から、初等中等教育分科会と教育制度分科会の合同の会議は、二月の二十八日に、これらの法案の内容に具体的な関係を有する教育関係団体、学校関係団体、合わせて三十九の団体から意見聴取を行いました。意見聴取は、三法案に関する検討事項の資料を事前に配付した上で、これに対する書面での意見を提出いただくとともに、日程の御都合のつきました三十団体からヒアリングを行ったところでございます。二つのグループに委員が分かれまして三十団体からヒアリングを行った後、全体会を開催いたしまして、両グループで出されました主な意見を確認の上、さらに審議を深めたところでございます。

 それから、大学分科会におきましては、二月の二十七日にヒアリングを実施いたしております。具体的な進め方といたしましては、八団体からヒアリングを行ったところでございます。

西村(智)委員 私は今どういう進め方でというふうに伺いましたので、局長の今の御答弁になったんだと思うんですけれども、今回の中教審の進め方は、むしろ委員の皆さんにとって本当に納得のいく経過だったのかということを私は申し上げたいわけであります。

 そうそうたるメンバーの方がいらっしゃるということも私は十分承知をしておりますし、本当に納得のいく議論をしたいと恐らく委員の皆さんも思っていたはずなんですね。それが国会の日程ということもありということで非常に急がなければいけない、そういう背景があったとすれば、それはよくないのではないかと思っているわけでありまして、そこのところを指摘したいわけであります。

 今局長から答弁いただいたヒアリングですけれども、仄聞いたしますと、ここのヒアリングに参加をした審議会の委員の方は極めて数が少なかったというふうに聞いております。半分もいなかったんじゃないかということでありますけれども、その点については今答弁がありませんでした。また私の方でもう一度調査をいたしまして、改めて伺いたいと思います。

 さて、続いて再生会議について伺いたいと思います。

 官房長官、この再生会議、ここも非常にそうそうたるメンバーが顔をそろえておられます。ですが、実際に教育現場をよく知っておられる方々が少なかったのではないか。こういうことは、マスコミあるいはこの委員会の中、文科委員会でも恐らく議論されたことであると思いますが、そういう指摘がされております。

 私もお顔ぶれを拝見いたしまして、ほかのテーマでも十分議論していただけるようなメンバーだなと思ったんですけれども、率直に言ってどうなんでしょうか、教育という課題を議論するメンバーとして、これは現場のことがよく反映されたというふうにお考えですか。

塩崎国務大臣 これの第一次報告で、「社会総がかりで教育再生を」、こう書いてあります。社会を構成しているのは先生だけではないわけであって、社会は人が構成しているのであって、いろいろな人がいるわけであります。

 この教育再生会議、我々としても、メンバーはどういう人になってもらおうかと、いろいろ考えたわけでありますけれども、やはり、単に教育だけを専門にされている方たちだけではなくて、アカデミズムあるいは経済界、芸術、スポーツ。社会を構成するいろいろな人たちが、今再生をしなきゃいけないような状態になっている教育をみんなで一緒に考えようじゃないかということで、幅広い観点から議論してもらおうということで、こういうメンバー構成に今回なっているということでございます。

 一方で、もちろん、教育のことを知っている方にも来ていただいているわけでありまして、現場の教師の出身、教育長など教育行政にかかわった人たち、あるいは企業の方でも学校経営とか教育委員をして教育にかかわっている人たち、そういうような人たちに、一人一人、私どもとしても丁寧にお願いをして、今回の会議を構成しているということでございます。

 けさほどの質問にも、伊吹大臣御自身が、私は教育の素人だ、こういうふうに言っておられました。そういう方が文科大臣をおやりになるわけでもありますから、やはり広い立場で教育というものを社会全体で考えていこう。こういうことで、我々としては、真剣な議論を今、教育再生会議にお願いをしているというところでございます。

西村(智)委員 官房長官が、うちの内閣の大臣は専門家ではありませんと正面切って言う国というのはほかにあるのかなと思いますね。

 先ほどの伊吹大臣の御発言を伺っているときも私そう思ったんですけれども、少なくともゼネラリストであるということ。これは私は、国会議員、地方議員もそうでしょうけれども、必要な資質ではあると思っています。しかし、大臣の任にあるうちに、私は素人ですと言うのは、これはちょっと、学校の現場の方々ですとか勉強している子供たちは、やってられませんよ。どうですか、伊吹大臣。

伊吹国務大臣 専門家であるかどうかというのはいろいろな観点がありますが、私はいわゆる文教族ではございません。広い意味での知識は持っているつもりでありますし、(発言する者あり)深いかどうかは人が判断してくだされば結構なことなんですが、教育というのは、やはり一番、リベラルアーツの深みと、それから歴史観と、しっかりとした人間としての厚み、常識を持っているということが、私は大臣として最大のポイントだと思っております。小さな、ちまちまとした、補助金がどうだとか、法律がどうだとかということよりも、もっと大臣として大切な資質が私はあると思っております。

 だから、細かなことを知っていなければ学校の先生がやっていられないなどということは、一度も私のところにはメールは来ておりません。いろいろな面で御答弁をしたり、テレビに映ったりしていることについて、賛成の立場、反対の立場からいろいろな御意見をいただいておりますが、いわゆる政界的玄人ではないからこそ言えることをたくさん言っていただいてありがとうという御意見はたくさん来ております。

西村(智)委員 文教族でないとおっしゃったことは、私は大変結構なことだと思います。いわゆる補助金ですとか、文教族というのは、どうなんですか、やられたんでしょうかね。補助金ですとか、そういったこととは無縁だと大臣がおっしゃったのは、これは非常にすばらしいことだと思います。

 ですけれども、やはり、大臣の任にある間は、教育、文部科学に一定の知見を持っていると思って、この議院内閣制の中で、閣僚の一人としてその任を担っていただいているわけでありますので、どうぞそこのところをよく認識しておいていただきたい。

伊吹国務大臣 日本という国の規範、伝統からして、おれは知識を持っている、私の意見はこうだといって、我を張っていろいろ言い募るというのがいいのは、ちょっと日本の文化ではないと私は思いますね。私が本当の意味で知識があり、どうかということは、多くの有権者や皆さん方やマスコミの人たちが判断してくださることでしょう。

西村(智)委員 官房長官は内閣の官房長官ですからね。大臣の今の御発言も、私はもう少し言っていただきたいんですよ。ですけれども、官房長官として、やはりさっきの発言は、これは、安倍総理が指名した大臣が不適格だというふうに聞こえますけれども。(発言する者あり)こんなことで余り時間をとりたくもないんですが。

塩崎国務大臣 いや、私は、伊吹大臣の言葉を引用しただけであって、それはもう当然のことながら、先ほど御自身が答弁されたように、言ってみればへりくだってお話をされているのはもう当然のことでありますから……(発言する者あり)そういうことで、伊吹大臣は御自身のことをおっしゃったということでありまして、ただ、いろいろなバックグラウンドの人たちに教育を議論してもらってやろうという我々の考え方は変わらないわけであって、伊吹大臣には、これまでの長い長いいろいろな方面での知見に加えて、もちろん教育に対するみずからの哲学をお持ちの方でありますから、それは謙遜しておっしゃっていることをそのまま直接お伝えしただけの話でございます。

西村(智)委員 質問に戻ります。

 再生会議での議論を文科大臣は、この間ずっと、その大局的な見地から議論してもらって、法改正は中教審でやるんだというふうに発言をされておられますけれども、では、逆にお伺いいたしますと、中教審で今回再生会議が議論してきたことというのは議論できなかったということなんでしょうか。中教審では再生会議で議論された中身は議論できないのだ、こういう理解なんでしょうか。

伊吹国務大臣 中教審の所掌というのは、当然、先生はもう国会議員として該博な知識をお持ちでございましょうから、国家行政組織法に基づいてつくられており、そして文部科学省設置法によってその内容が決まっておりますから、教育に関することについてどういうことを議論なさろうと、それは中教審の全くの自由です。ただ、これは文部科学大臣の諮問機関ですから、私が諮問をしているから審議をしてくだすっているわけですよ。

 再生会議というのは諮問機関でも何でもありません。これは、教育について意見をいろいろ述べていただくために閣議決定で決められた、むしろ、官房長官が先ほどおっしゃったように、広い立場でいろいろなことをおっしゃったっていいんですよ。そして、その中でどれをとるかとらないかというのは、それは立法府との関係で言えば、当然、行政府である内閣が憲法の規定によって判断するんですよ。もっと言えば、行政府である内閣の長である総理大臣がその中からいいと思ったものを内閣として立法府に御審議をゆだねたいと思われるわけでしょう。だから、この項目とこの項目とこの項目を、安倍さんが判断されて、中教審にかけていただきたいとおっしゃったから、中教審に総理の指示どおり私はお願いした。これは憲法の常識じゃないんですか。

西村(智)委員 仮にそうだとすれば、文科大臣が中教審にその諮問をなさればよかったと思うんですね、再生会議で議論をするようなテーマ、いわゆる教育再生全般について、というふうに私は考えるわけなんです。そのことはちょっと指摘にとどめたいというふうに思います。

 きょう私が中心的に伺いたいと思っておりますのは、この後の質問なんですが、地方分権との関係、そしてまた免許の更新制についてであります。

 昨日、実は、全国の首長さんたちが集まって、とある場所でシンポジウムが行われたそうであります。そこでどういうことが語られているかといいますと、例えば、現在の教育現場に強い危機感を持って、改革に向けて行動してきた人ほど、現在政府が行っているいわゆる教育再生改革には批判的である、それはどういうことかというと、余りにもやはり現場の実態を知らないということが理由だ、こういうふうに言われているわけなんですけれども、質問の第一点目は、地教行法の改正についてであります。

 地方自治法の二百四十五条の五。先ほど伊藤委員でしたでしょうか、質問がありました。ここで自治事務に対しても是正の要求を行うことができるというふうになっているわけですね。それとセットで、現行の地教行法の第四十八条で、指導、助言、援助、これを行うことができるとあるわけなんですけれども、実際に、この地方自治法の二百四十五条の五、それから現行地教行法の四十八条、これらの規定を受けて、今までに何件、どういう指導や助言や援助が行われてきたのか、この点について伺いたいと思います。

銭谷政府参考人 まず、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の四十八条には、文部科学大臣の指導、助言、援助にかかわる規定がございます。これは、国が、都道府県や市町村が行う教育に関する事務の処理が適正に行われるようにすることを目的として、指導、助言、援助ということが行われているものでございます。

 そして、この指導、助言、援助は、非常に日常的に行われているというものでございますので、何件という件数を申し上げる以上に行われているというふうに御理解をいただきたいと存じます。

 例えば、学校の組織編制、教育課程、学習指導、生徒指導、その他の学校運営に関しまして、指導という形で申しますれば、通知を発出したり、会議を通じて指導を行ったり、あるいは個別にいろいろ課題を抱えている教育委員会に対して指導をしたりするといったことが行われているところでございます。

 また、これらの事項に関しまして、いわゆる助言という形で、教育委員会からの照会に回答したりするということが行われております。

 さらに、援助という形で、研修会等を開催したり、手引書や実践事例集を作成して配付したりするといったようなことが行われているところでございます。

 それから、地方自治法の二百四十五条の五に規定がございます是正の要求については、これは地方分権一括法以降できたわけでございますが、この是正の要求ということを行ったということはございません。

西村(智)委員 二百四十五条の五、是正の要求というのは今まで行ったことがない……(発言する者あり)地教行法の四十八条についての指導、助言、援助は日常的に行われているということでありました。今自民党の理事の方から、そこが問題なんだというふうにあったわけなんですけれども、是正の要求を行ったことがないわけですよね。

 それで、私の問題意識は、今回改正法の中で、改正法四十九条それから五十条、これが条文として復活をしています。もちろん削除された中身とは違いますが、条項は復活をしていて、ここで、是正の要求の方式、それから指示ですね、こういったことが復活をしているわけなんですけれども、二つの物の考え方というか見方があると思います。

 つまり、是正の要求が今まで一度も出されていなかったのに、四十九条と五十条がつき合わさったことで、一体これでどうやってその実効性が出るのか、そういう問題意識。もう一つは、私はこちらの立場に立つんですけれども、四十九条と五十条がついたことによって、より国の関与が地方の教育委員会に対して強められるのではないか、こういう問題意識であります。

 文科大臣にお伺いをいたしますが、教育再生会議の第一次報告、ここで、済みません、ページで言わせていただきますが、十九ページです。括弧の三、丸の下の方二つで、地方自治法第二百四十五条の五などの規定による云々かんぬん、この規定をより実効あるものとして活用する、そして最後の丸は、地教行法の四十八条なんですけれども、これらの規定を適切に活用するというふうに書かれております。私はこれを読みまして、再生会議の報告書は、四十九条や五十条をつけ加えるということではなくて、むしろ、四十八条あるいは地方自治法の法の活用の方を言っているのではないか、こういうふうに理解をしたんですけれども、どうでしょうか。

伊吹国務大臣 再生会議がどういう意図でおっしゃったのか、私は再生会議の最終報告の起草のメンバーにも入っておりませんから、それはよくわかりません。

 ただ、先ほど来日本の統治のシステムの憲法上のあり方のことを申し上げましたが、安倍総理が最終的にいろいろな、中教審の、再生会議の提言あるいは意見等を参考にされて、御自分の判断として、官房長官と総務大臣と私とを官邸にお呼びになって御指示があったわけです。

 その御指示の内容は、教育長の承認制の復活はやらない、しかし、今御提案しているような二つの是正の、具体的な内容を付しての是正の要求ですから、これは従来の法律の内容とは違いますよ。先生、今回提案している法案をよくお読みいただいて。そして同時に、この是正要求をした場合には必ず、是正の要求の対象になった教育委員を任命した自治体の長、そしてそれを承認した地方議会にその是正の要求の内容を通知するということがついていると思いますよ。

 つまり、地方自治の力を最大限に発揮していただくことが一番いいことであって、地方自治の力が発揮できない、地方議会が議会として機能しない、そういう場合において、国民の代表が国会で決めたことが実行されない場合に、文部科学大臣がそれに対応できる措置を考えろということを総理がおっしゃったから、私は内閣の一員としてそのことを中教審にお諮りをして、実は、これは新聞に出ていたことですから率直に申し上げていいと思いますが、再生会議の委員の中には、中教審にかけずに法案化をしてくれとおっしゃった方がおられるんですよ。私は、それは、そんなことはできません、閣議決定でできている再生会議の御意見を私が法案化して立法府に出すなどということはできません、日本は日本の仕組みの中で法治国家としてきちっとやるんですと。

 だから、先生、これは、再生会議の意見は意見としてそれは結構ですが、判断をされたのは安倍総理なんですよ、そして我が安倍内閣なんですよ。そして、それを受けて、中教審にお尋ねをして、中教審の広い範囲の御意見を伺って、今まさに国民の代表である立法府にその審査をおゆだねしているわけですから、日本の統治のシステムどおりやっているということなんですよ。

西村(智)委員 私は、この六点目、七点目が求めているのが四十八条の法の活用ということではないかと伺ったんですけれども、その点については御答弁がいただけなかった。

 ちょっと視点を変えまして、改正法の四十九条と五十条について伺いたいと思います。

 これは、削除される前は全く違う条文だったんです。これが地方分権一括法で削除されて、第四十九、五十、この数字だけは残っていたわけなんですけれども、これが今回復活した。先ほど、自治事務についての是正の要求そして指示である。

 まず総務大臣に伺いたいと思いますけれども、地方分権一括法で削除されたこの規定が今回また新たに条文として、内容は違いますよ、ですが、出てきたわけです。これは、先ほどの自治事務に対する是正の要求あるいは指示ということを含めて、地方分権の趣旨に反するのではないかというふうに考えますが、総務大臣の見解はどうでしょうか。

菅国務大臣 私も総務大臣として、地方分権のもとに教育改革が行われる、このことは必要だというふうに思っています。

 ただ、そういう中で、これは六団体の皆さん方ともいろいろ話をしたわけですけれども、今回の改正というのは自治事務で認められる関与の範囲内である、そういう中で、地方分権がこれによって後退をすることもないというふうに私は考えています。

西村(智)委員 文科大臣の御見解はいかがですか。

伊吹国務大臣 これは先生、十一年の行政改革特別委員会のときはまだ先生は議員ではなかったと思いますが、このときいろいろなやりとりがあったんですよ。私はそのとき筆頭理事をしておりましたからよく事情は知っておりますが。

 ありていに言いますと、地方分権一括法でこういうことをする前は、地方公共団体に対して直接の是正要求ができる大臣は、法律上、当時の文部大臣だけだったんですよ。だから、そのことが地教行法に書かれていたわけです。他の大臣は、地方自治法により、内閣総理大臣を通じて是正要求がなされるということになっていたわけです。十一年の地方分権一括法による地方自治法の改正に伴って、各大臣共通の権限として是正の要求が規定をされて、そのために地教行法の規定だけが削除をされたわけです。そして、地方自治法の一般ルールに収れんするということになったということなんです。

 したがって、今先生がるるおっしゃった今回の四十九条に文部科学大臣独自の規定を置くことになっておりますけれども、これは、今おっしゃっておる地方自治法の二百四十五条の五に定める是正の要求を行う際の方式を定めているわけです。さっきおっしゃったように、文教行政にかかわる方式を定めている。このため、地方分権一括法以前の措置要求の復活という、先生はもうよく御存じで、内容は違うよとおっしゃっているから、あえて私が言葉を挟むのもいかがかと思いますが、地方分権一括法以前の措置要求の復活だという御意見は、これは法制的に少し違います。

西村(智)委員 先ほど総務大臣が答弁の中で、関与の範囲内だとおっしゃった。先ほど藤井局長もたしかそんな答弁だったと思います。地方自治、要するに関与の範囲内と認識していると局長はおっしゃいました。大臣の御答弁はそれよりもう少しまたあいまいで、関与の範囲内という、私たち、何かその中でというようなことだったんですね。

 そこで、はっきりさせておきたいんですけれども、つまりその、関与の範囲内だと認識している、そのことについてなんですが、つまり、そういう関与の範囲内だということを期待しているだけなのか、それとも総務省として求めていくなりのことをすることになるのか、その辺についてはどうなんでしょうか。

菅国務大臣 私どもは、これは地方自治法で定める関与の基本原則にのっとったものである、このように明確に考えています。そして、現に地方自治法では、国民の生命あるいは身体または財産の保護のために緊急に自治事務の的確な処理を確保する必要がある場合等特に認められる場合に、その中で、個別法では自治事務に対する指示に係る規定を設けることができるものとされておりますけれども、現に警察法だとかあるいは感染症予防法、こういうものは指示を行うことができるという、この範囲の中で認められておりますから、それと私どもは同じように考えております。

西村(智)委員 関与の範囲内と明確に認識しているということでしたけれども、仮に関与の範囲外の事象が起こったときには、これは総務省として何がしかのアクションを起こすということを御検討されていますか。

菅国務大臣 当然、この法律の中で認められることが自治法で決められておるわけでありますから、それ以外については私どももやはり認めないということです。

西村(智)委員 それ以外については認めないということであります。

 続いて伺いたいんですけれども、第四十八条、第四十九条、五十条、それぞれの中身の整理について答弁をいただきたいんですけれども、これは局長の方でしょうか。

銭谷政府参考人 先ほど来申し上げておりますように、地方における教育は各地方自治体が責任を持って行うということがまず基本でございます。そして、国の関与といたしましては、まず、先ほど申し上げましたように、地教行法の四十八条に基づきます指導、助言、援助ということで行うことが一般的なやり方でございまして、これまでも、またこれからも、これが原則ということになろうかと思います。

 一方、今回の法改正は、教育委員会が自浄能力を発揮できず十分な責任が果たせない場合に、まず地教行法の四十九条では、憲法で保障する国民の権利を守るために文部科学大臣が講ずべき措置の内容を示して行う是正の要求ということができる旨の規定を置くものでございます。それから、第五十条は、これも同様に、教育委員会がやはり自浄能力を十分発揮せず十分な責任が果たせない場合で、児童生徒の生命身体、これに危険が迫るような場合に、文部科学大臣が指示を行う、こういう規定を設けるものでございます。

 この第四十九条、第五十条の是正の要求、指示という規定は、極めて例外的に講じられる国の関与であるというふうに私どもは考えております。

 いずれにいたしましても、この是正の要求、指示、四十九条、五十条の規定は、先ほど来申し上げておりますように、地方自治法の考え方の範囲の中で規定をしているものでございます。

西村(智)委員 四十九条、五十条、ここの是正の要求、それから指示、この二つの法的な効力について、文言の説明も、きのうレクに来ていただいたときは、ちゃんとしていただいたんですけれども、局長の答弁にないので、あれ、どうしてかなと思うんですが。つまり、要求に従わなくちゃいけないのか、指示に対して何がしかの報告なりをしなければいけないのか、そのあたりを明確に答弁してください。

銭谷政府参考人 まず、地教行法の四十九条、五十条の規定についてでございますけれども、それぞれの規定に基づく是正の要求、指示を行った場合には、文部科学大臣が当該地方公共団体の長と議会にその旨を通知するということになっております。それは、やはり教育についての地方自治の自浄作用というものを期待いたしまして、教育委員の任命権者である知事、そしてその任命に同意を与えた議会にこのような是正の要求、指示を行ったということをお知らせをいたしまして、その自浄作用に期待をするというものでございます。

 それから、是正の要求を行った場合には、法令違反、あるいは教育委員会がなすべき行為を怠っている場合、子供たちの教育を受ける権利を保障するために是正の要求を行うわけでございますけれども、教育委員会は、是正、改善のために必要な措置を講じなければならない義務を負うわけでございます。その具体的な内容というのは、私どもは内容つきの是正の要求を行いますけれども、最終的には教育委員会の裁量になるということでございます。

 それから、指示につきましては、これは指示された内容に従わなければならないというものでございます。

西村(智)委員 是正の要求の方は、これはそれぞれの、自浄作用と今おっしゃいましたか自浄機能とおっしゃいましたか、そこに期待をする。ただ、教育委員会の方では必要な措置をとらなければならないということでありました。

 指示の方は、これは文言どおり、言われたとおりにしなければならないということでありますけれども、私は実は懸念をしております。

 指示、これも非常に限定された書きぶりにはなっているんですが、ここのところ、まだあいまいで明確になっていない。この点については後で伺いたいと思います。

 是正の要求というのも、実は、文部科学省からかなり強い調子で物を言われたというふうに地方の方は受け取るのではないか。

 つまり、現状は、これはもう多くの方が知っておられるとおり、文部科学省のどちらかというと管理的な行政が地方教育行政に対して、かなり明確な上下関係になっている。そういう現状からいたしますと、仮に是正の要求であったとしても、これはやはり現場に近い方は指示と同じような受けとめ方をするのではないか。つまり、是正の要求と指示というのは、結局同じ結果を生むことになるのではないかというふうに懸念をしておりますけれども、この点について、文科大臣と総務大臣の見解をそれぞれ伺いたいと思います。

伊吹国務大臣 指示と同じ受けとめ方をするとは私は思っておりません。しかし、調査だとかあるいは要請だとかということとは違って、かなり強い立場で物を言われたと受けとめると思います。受けとめてもらわなければ困るから、この法律をつくっているわけです。

 もし、先生がおっしゃっているように、本当に強い上下関係、統制権限があるのならば、なぜ文部科学省の職員がいじめの現場に行ったときに学校の現場へ直接行けないんですか。もし本当に上下関係が強くあれば、なぜ野田理事が何度も御質問になったり調査の依頼をされたような未履修の問題が平然と行われるんですか。そういうことがあるからこそ、強い言葉で言われたなと受けとめてもらいたいと思ってこの条項をつくっているわけです。

菅国務大臣 先ほど来いろいろ議論が出ていますけれども、指示は、生徒等の生命身体の保護のため緊急の必要がある場合と、これは明確に限定をされています。そして、是正の要求についても、教育を受ける権利の侵害がある場合に限りということであります。

 いずれにしろ、私は、今回の指示また是正の要求についても、私どもにとっては自治法で認められる範囲内である、そして分権とのバランスもよくとれている、そのように理解をしています。

西村(智)委員 総務大臣はすごく自信満々で両立できるとおっしゃいますけれども、また後で質問させていただきますけれども、私はそうはならないのではないかと思っているんですね。

 第五十条の指示の範囲について答弁をいただきたいと思うんですけれども。

 自治事務であっても指示ができるケースがあると。具体的に、この第五十条というのはどういうケースが想定されるのでしょうか。先ほど文科大臣は具体的な事例をおっしゃいましたけれども、そういった具体的に……(伊吹国務大臣「四十九条です、五十条ではありません」と呼ぶ)四十九条の方ですね。はい、理解をしております。五十条ではありません。五十条についてどういう具体ケースが想定されるのか、それについて答弁をいただきたい。

銭谷政府参考人 地教行法の五十条の文部科学大臣の指示でございますけれども、これを発動する場合には、一つには、教育委員会に法令違反があって、あるいは教育委員会の事務の管理及び執行を怠るものがある場合におきまして、児童生徒等の生命または身体の保護のため、緊急の必要があるときでございます。そして、他の措置によってはその是正を図ることが困難である場合に限るというのが指示の発動の要件ということになるわけでございます。

 そこで、第五十条の指示の場合の児童生徒等の生命身体の保護が緊急に必要な場合に該当するというのは、これはケース・バイ・ケースでございますけれども、例えば悪性の伝染病の予防のために学校を臨時休業しなければならないようなときとか、激しいいじめ等によりまして生命身体の保護が明らかに必要な生徒がいるようなときであるにもかかわらず、教育委員会が何らの措置も講じないで、緊急の必要がある場合、こういったことが想定されるわけでございます。

西村(智)委員 いや、具体的でなかったと思います。私は具体的なケースについてと申したんですけれども、それについては答弁がない。つまり、この規定で何が一体もたらされるのか、どういう状況がやってくるのかというのは、これは明らかでないということだと私は思っております。

 総務大臣に伺いたいと思うんですけれども、私、先月、総務委員会の方で質問をいたしました。この教育改革とそれから地方分権の関係について、いずれも両立できるし、そしていずれも強力に推進させることができるんだ、こういうふうに答弁をしておるんですけれども、私は、これまでの質疑を通じても、とてもそういうふうには思えない。むしろ、国の地方教育行政に関する関与の度合いというのが高まって、逆に地方教育行政が萎縮してしまうのではないかというふうに思うんです。ですので、これは両立しない世界の話ではないかと思うんですけれども、総務大臣はまだ、やはり両立するというふうにお考えですか。

 今、地方分権の推進委員会が開催されておりますよね。これは三年以内の立法を目指して、事務の移譲ですとか、どういった仕事を地方に任せるかという、地方分権に向けての積極的な話が進んでいるわけです。その分権委員会をつくる法律をつくった総務大臣として、本当にこれは両立できるとお考えでしょうか。

菅国務大臣 そういう質問であれば、当然、私はできるとお答えさせていただきたいというふうに思います。

 と申しますのは、先ほど来申し上げていますけれども、私どもが一番今回の法律について地方分権を推進できるかどうかということで考えたことは、やはり自治事務に認められるその関与の範囲内であるかどうかということを、私どもは一番、今回の法律をつくるについて考えたところであります。

 先ほど来申し上げますけれども、今回の指示だとか是正の要求というのはその範囲内である、私どもはこれを明確に確認をいたしておりますし、そしてこの是正の要求についても、教育委員会と同時に、自治体の長や議会にも行くわけですから、そこでもいろいろな議論がされると思います。そういう意味で私はこの地方分権と両立できるということを申し上げているのであります。

西村(智)委員 ただ、文科大臣の方は、地方教育委員会に対してより強く物が言えないようでは困ると先ほどおっしゃったわけですね。第四十九条、第五十条のところで、先ほど伊吹大臣はそうおっしゃいましたよね。そうしますと、先ほど総務大臣が非常に楽観的に、善意で答弁されたことと食い違ってくるのではありませんか。

伊吹国務大臣 それは全く食い違いません。私は、さっき先生が地方自治体はより強い立場で物を言われたと受けとめるのではないかとおっしゃったから、そういうふうに受けとめてもらいたいと思ってこの法律をつくっているんですと申し上げたわけですよ。地方の自治事務、例えばこれを法定受託事務に直して、そして今のような方向性をつくったのなら、おっしゃっていることは正しいと思いますよ。

 では、先生に逆にお伺いしたいけれども、あの未履修だとかいじめだとか、そのままの教育行政をほうっておいていいと思っておられるんですか。私はそんなことはないと思いますよ。それはやはり是正の要求をしなければならないし、そして指示をしなければならないときがあるわけでしょう。ですから、総務大臣がるるお答えしているように、これは何も自治事務を法定受託事務に直して立法をやっているわけじゃなくて、自治事務の範囲の中でその手続を規定しているわけですから、これは、立法論として少しそのあたりの構成を御理解いただいた上で御批判をいただきたいと思います。

西村(智)委員 私の質問について、どうも真意が伝わっていないんでしょうか。

 つまり、今の教育現場の問題を解消するために、四十九条、五十条によって、では本当に解決できるのかと。実際に現状を見たときに、保護者の皆さんや子供、それから子供たち自身、地域の皆さん、それから学校の教育関係者、こういった人たちが一緒に集まって議論をして、そこからやはり解決していかなければいけない課題だと思っているんですね。

 そういう流れ、いわゆる草の根、ボトムアップ式からこういう問題というのは解決が導かれるんだと私は思うんですけれども、今回の教育三法の中では、それとはどうも逆の方向を向いているのではないか、こういう問題意識なんです。ですので四十九条、五十条のあたりを伺ってきたわけなんですけれども、では、ちょっと見方を変えまして、政治論で伺いたいと思っています。

 中教審の三月十日の答申、ここは両論併記になっております。両論併記でこういうふうに書いてあります。「国が指示できるような制度を新たに設けることは、地方分権の流れに逆行するとの意見や、是正の要求を行った事例が無いのに、より強力な関与を設ける必要性は無い」との意見が付されております。

 また、規制改革会議、これは二月十五日に出されている見解でありますけれども、「地方分権等の流れに逆行する形で国の権限を強化し、文部科学省の裁量行政的な上位下達システムの弊害を助長することがあっては断じてならない。」と書かれています。

 地方六団体、二月二十七日に、教育委員会への国の関与の強化案に対する反論として、こういうふうに書かれています。「教育委員会の再生のためになぜ国の関与の強化が必要なのか、何ら論理的に結びつく説明や立証がなされていない。」

 こういうふうに指摘をされているわけなんですけれども、これについてどういうふうに大臣は御答弁になりますか。総務大臣から伺いたいと思います。

菅国務大臣 地方六団体とかいろいろな皆さんから、私にもそういう要望書がありました。

 そういう中で、やはり皆さんは、例えば教育長を文科大臣が任命するだとか、いろいろな意見が出てきた中で、この自治事務に対して、そういう性格が変わるんじゃないかなということで御心配をされたというふうに思っています。

 しかし、今回の決着の仕方は、先ほど来申し上げていますけれども、自治事務で認められている関与の範囲内ということで、このことについて六団体の皆さんも理解をしていただいていると思っています。

西村(智)委員 もう一点だけ伺いたいことがありますので、ちょっと地方分権の関係で伺います。文部科学大臣に伺いたいと思います。

 第二十四条の二でありますけれども、知事部局は、スポーツと文化のところに関する事務のいずれかまたはすべてを管理し、及び執行することができる、そういうふうにされたわけなんですけれども、私は最初、これは私たちの考え方に向けて一歩前進したのかなと。つまり、首長部局にこういった事務権限を移すということは、いわゆる教育地方行政の強化ということで、一歩前進したのかなと思ったんですが、この二つを規定したことで、所掌事務を将来的にこの二つに限定することになるのではないかという懸念を実は私は持ったわけなんです。今後の首長部局に対する事務の移行について、大臣の見解を伺います。

伊吹国務大臣 このスポーツと文化行政を移すというか、地域づくりの総合的推進などの見地からこれを首長に移譲するということについては、既に規制改革の閣議決定が行われているわけですね。ですから、この二つに限定することになるのか、あるいはもっとゆだねていくことがあるのか、それは国民が決めるんですよ、先生。国会が決めるんですよ。何も、私が限定するとか限定しないなんというようなことがあったら、えらいことになるんじゃないんですか。これは将来の国民が決めるんです、ここのところは。

 そして、いろいろ、現場のことを知らないとかというような不規則発言もさっきありましたが、少なくとも、私は、文部科学大臣になってから、現場の方との対話あるいは現場を見にいった回数は、失礼ですが、ここにいらっしゃる皆様よりはるかに多いと思います。

西村(智)委員 いえ、大臣の考え方を今伺ったのでありますけれども、はっきりとは答弁いただけなかった。

 私たちは、やはり教育はもっと地方分権をすべきだというふうに思っております。ただ、今回の教育三法の中にはそういう方向性が全くないということですので、民主党案も出しておりますので、御理解いただいて、ぜひ酌み取っていただきたいと思います。それで終わります。

伊吹国務大臣 私の考えを聞かれたということであれば、これは政治家としてのお答えとして理解していただきたいと思いますが、私は、何度も申し上げているように、知事部局にイズムの伴う教育行政の執行権を渡すべきではないと思っております。

保利委員長 次に、高井美穂君。

高井委員 民主党の高井美穂です。

 他の議員と重複するところは割愛させていただきます。そして、本日は、政府の提出された教員免許法の改正案についてのみ集中してお聞きしたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いをいたします。

 まず、改正のねらいについてお伺いしたいと思っています。

 中教審と教育再生会議の双方の報告書を丁寧に読ませていただきました。更新制を導入するという目的と意図が、トーンが少し違うような気がいたします。

 それについてまず官房長官の方にお伺いをしたいんですけれども、この教育再生会議第一次報告書、一月の日付になっておりますあのピンクのあれを拝見したんですけれども、その中に、「真に意味のある教員免許更新制の導入」ということで、更新制が必要であるということを書いた後に、ただし、十年ごとに三十時間の講習受講のみで更新するのではなく、厳格な修了認定とともに、分限の活用により、不適格教員に厳しく対応することを求めるというふうに書かれております。

 それに比べて中教審の方は、同じような文面で、教員免許更新制が必要であるというところの後に、その時々で求められる教員として必要な資質能力が確実に保持されるよう、必要なリニューアル、刷新を行うことが必要であり、そのために導入するんだということに引き続いて、更新制は、いわゆる不適格教員の排除を直接の目的とするものではなく、教員が時代に対応してやっていける前向きな制度であるというふうに書かれております。

 これは少しトーンが違うように思うんですが、まず官房長官、この厳格な修了認定とともに、分限制度の活用により、不適格教員に厳しくするというところの意図は本法案にかなり反映されているというふうに考えてよろしいでしょうか。

塩崎国務大臣 教育再生会議の第一次報告について今お取り上げをいただいたわけでありますが、結論から言いますと、裏から見るか表から見るかみたいな差は若干あるかもわかりませんけれども、基本的な考え方というのは変わっていないんじゃないかなというふうに思っております。

 これは、教育再生会議は当然文科大臣もお入りをいただいて一緒に議論しているものでございますので、どこにアクセントを置くかということは、それは多少の違いがあろうかと思いますので、先ほど文科大臣が御答弁されたとおり、教育再生会議は再生会議としての意見を提言するけれども、あとはまた、総理や文科大臣、私たちの考えもあって、さらに中教審に御議論いただいて、法律になって今出てきているという格好であります。

 しかし、免許更新制度の第一の目的は、やはり教員の資質の向上で、指導が不適切な教員の指導の改善とはなされていないというふうに考えておりますし、基本的には、今結論を申し上げたとおり、そう大きく変わっていないのではないかなというふうに思います。

    〔委員長退席、中山(成)委員長代理着席〕

高井委員 ということで私は理解します。

 次の、修了認定をどうするかということで、通告した最後の方の質問に大変大きくかかわってくる点ですので、伊吹大臣に確認をもう一度させていただきます。

 教育再生会議の意図もちゃんとここに入っている、中教審の意図と折衷案でなされたというふうに理解してよろしいでしょうか。

伊吹国務大臣 これは先生、両方をよく読まれて、鋭い御指摘をなすっているんですよ。このことをよく理解していただければ、再生会議が言っているとおりのことが現実の方向性のもとでうまくいかないときは、再生会議の言うとおりはしていないということの証左なんですよ、一つは。だから、この点を指摘してくだすったことは、私は、本当によく読んでくだすっていると思ってうれしく思っております。

 つまり、教員の免許の更新を使って、言葉は悪いですが、いわゆるだめ教師を排除するという考え方には少なくとも中教審の答申は立っていないということです。しかし、学校現場にふさわしくない先生は何らかの形で排除したいという再生会議の意見は、それは受けとめたという。だから、先生がおっしゃっているとおりのことを我々も考えてやっているわけです。

高井委員 承知をいたしました。

 そこで、教員にだけ免許を更新する制度にするという理由を、もう少し踏み込んで、これは伊吹大臣にお伺いしたいと思うんです。

 ほかの細かな、弁護士であるとか、医師であるとか、介護士であるとか、建築士であるとか、薬剤師であるとか、そういう多々いろいろな資格がございますけれども、実質、更新制度ではございません。時代に応じた資質、能力を刷新しなくてはならないのはどの資格においても同じだというふうに思います。建築士にしても大変この間から問題になりましたけれども、人が住む住まいのことですから命にかかわる。医師なんかもとりわけそうです。弁護士だって、裁判にかかわる、その判決により一生が変わるわけですから、命にかかわる大変重い職業である。

 それにもかかわらず、ほかの免許制度、資格制度と極めて異例な方式をこの教員にのみ、更新をまず入れるということは、これから資格制度を考える上で、ここが一つのくさびになって、大きく変わっていくというか、変わるスタートになる可能性もあります。

 そういう点からも、まず、教師だけがなぜ更新をしなければいけないのか理由をお聞かせください。

伊吹国務大臣 教師だけがそうしなければならないとは私は思いませんが、例えば医師、薬剤師、今先生がおっしゃった弁護士その他については、これはやはり所管大臣が、そのときの時代の要請、そして、内閣としては教育の再生ということを最重要課題に置いているわけですから、その内閣としての価値観の置き方を前提に、少なくとも公教育においてはやはりよき教師を得るということが第一ですから、そこを直したいと私どもは思ったわけで、他の資格についてどうするかというのは、おのおのの大臣あるいは国民世論が決めていくことだと思います。

高井委員 それで、その上でさらにお伺いをしたいと思うんですけれども、専門性をより高めるということは大事ですし、更新することで資質、能力を高めるということはより大事だと私どもも思っているからこそ、対案を出して、その中で、免許制度全般について考える中で、更新制度という名称ではございませんけれども、似たような形の、講習を受けるような制度にきちんとしております。

 そこで、大臣にさらにお伺いしたいのは、専門性を高めるために養成課程が大事だということは、先ほど来、民主党案と政府案との違いということ、午前中の自民党の委員の先生方の質疑の中でもある程度明確になってきたというふうに思います。

 それで、政府案は、免許制度そのものには変化はありませんよね。養成課程そのものにも今回変化はありません。更新講習をもってのみ資質を向上させることをまず目的としているというふうに考えます。

 そこで、今おっしゃったような意思で更新制度を導入されて、たった三十時間で、ここまで多様な現代の教育の要請にこたえるだけの専門性の資質向上が本当にできると大臣はお考えになっておられるでしょうか。

伊吹国務大臣 これは、講習の内容のつくり方、そして、受ける人の時代の流れに対する危機感、こういうものにもよるでしょうね。

 それから、養成の仕組み等についても午前中御質疑がありました。私は、もし実験室でやっているのなら、民主党案の方がはるかにすぐれていると思います、率直に言えば。しかし、現実は、実験室ではなくて、従来の経緯があって、国民負担を前提にしていろいろなことが行われているわけですから、どこかで折り合いをつけていかなければできないんですね。そのぎりぎりのところで、例えば、百時間というのは非常にいいと思いますが、午前中の質疑にあったように、授業に穴があかないようにどうするんだろう、修士というのはいいんだけれども、六十歳定年でやめていくということになると、二年間採用がおくれますよね、そういうところをどう考えるんだろうかとか、午前中御質疑があったいろいろなところを考えて、ぎりぎりのところを御提案している。

 ただ、民主党案も聞かせていただいて、法改正はしないけれども、もう少しやった方がいいんじゃないかなと思うのは、これは組合との折り合いがなかなか私は難しいと思いますけれども、正式採用までの準備期間をどの程度にするかということは、これはひとつよく考えなければいけない、それから初任者研修をどうするか、こういうことは、議論をしている中で、なるほどなと思って私は時々メモしているんです。

高井委員 まさに民主党案のみそがそこなんですね。本当に、養成課程を大事に……(発言する者あり)私、提出者の一人なので、次回、また一時間、時間をいただけるときに民主党案にたっぷり質問したいと思いますが、きょうは政府案にお聞きしたいことがいっぱいあるので、その三十時間講習の中身についても、詳細は決まっていないと思いますが、立法者の意思、行政府の意思として、どういう研修にしたいかという方向性を確認しておかないといけないので、それから費用の面に関してもまだまだちょっとお聞きしたいので、私はきょうは民主党案は、済みませんが、お許しをください。

 大臣は、たしか実験室とおっしゃいました。でも、野党の出す法案というのは、やはりどっちがいいか、野党は政権をとっていないんですから、当然のごとくして、ある意味で実験です。でも、私たちは政権をとったらそれができるという確信のもとに出しているつもりで、きょう出している法案は、私は実行不可能だとは思わないんですね。

 それはもちろん、大臣がけさほどおっしゃったように、さまざまな財政的なこともありますし、いろいろな背景との調整はありますが、やはり政治というのは、意思として、いつも大臣がおっしゃるように、やるかやらないか、こうしたいんだということはしていかなきゃいけない、そういうことだと思って私どもは出していますので、ぜひ御理解をいただきたいというふうに思っています。

 そこで、大臣もお答えになりたいと思いますが、その中身について少し踏み込みたいので、お許しください、また次の質疑の機会を楽しみにしておりますので。

 それで、多大なる、いろいろな費用なり時間なり、研究を重ねて今回この更新制を導入されると思うんですが、では、導入された後、効果の検証がやはり必要ではないかというふうに思います。効果の検証、要するに、導入されて例えば十年たちました、そういう段階で、十年間講習を受け続けた段階で教員のスキルがいかに上がったかと。

 政治ですから、やはり費用をかけてやることに対しては、どれほど効果が上がったとかいう検証は今後先々必要であると思います。そういう検証等もいかになさっていくおつもりなのか。教員の力量を、どれぐらい上がったとか下がったとか、現場がどれほどよくなったかどうかというのを見きわめるのは極めて難しいことではありますが、やはりそれは政策として必要だと思います。その点、いかがでしょうか。

伊吹国務大臣 公務員改革もそうなんですけれども、利潤という金額で表示されたものを扱っていない分野においては、能力というのはどういうふうにはかるかというのは、先生がおっしゃっているように非常に難しいです。利潤を上げても、結果的に、違法行為をして利潤を上げたり、法律に沿ったことをやっていても、やや恥ずかしいことをやって利潤を上げていれば、会社のトータルの価値を下げるわけですよね。それとよく似たことで、やはり教師の能力というのは、はかるのは非常に難しいです。

 ですから、結果的にそれがどういう形であらわれてくるかというと、例えば、全国学力調査をしたときに点数がよくなったとか、学校現場のいじめや荒れている学校現場が少なくなったとか、あるいは、一般に世論調査をしてみて、子供の教育に満足をしておられるという御家庭がどの程度ふえたとか、いろいろな尺度がありますから、私たちもそこは謙虚にいろいろな事後チェックというのをやらなければいけないし、先ほど来、素人か玄人かというような議論もありましたけれども、であるからこそ、余り教育の中身、細かなことばかり知っている人が教育を論じない方がいいという部分も私はあると思うんですね。

高井委員 この三十時間の研修の内容について少し踏み込んだ質問をさせていただきたいんですが、これはまず、全員、すべての現職の教員が同じ研修を受けるというふうに考えていいんですね。政府参考人で結構です。

銭谷政府参考人 免許更新のための更新講習でございますけれども、その時々で教員に必要とされる共通の最新の知識、技能、これを刷新するということを目的として実施をするものでございまして、まず、およそ教員として共通に求められる内容を中心に講習は行われることになろうかと思っております。教職として必要な、例えば情熱の問題、対人関係の問題、教科指導の問題、あるいは学級経営の問題、こういった教員として共通に求められる内容をまず中心とすべきであるというふうに思っております。

 ただ、同時に、年齢とか立場の違う教員が更新講習を受けるわけでございます。三十代で更新講習を受ける人もいれば、四十代で受ける、十年ごとでございますから、そういうこともあるわけでございますので、今申し上げましたような一定の基準を満たした上で、各講習開設者におきまして特色を生かした多様な講習が開設されることも望ましいという面もございます。

 こういった点を踏まえまして、共通性ということをベースにしながら、国会での御議論を踏まえて、講習内容についてどういう工夫が可能か、さらに検討してみたいと思っております。

高井委員 そこで、その国会での議論を踏まえてということで、中身をお聞きしたいんですけれども、今言ったように、共通のことがほとんどであるというようなお話でした。そして、その上で、かつ、少しずつ多様な要求にこたえるようにしたいというような中身だったと思います。

 ただ、たった三十時間という短い時間の中で、かつ、普通免許を持っている方全員ですから、もう言わずもがなですけれども、初等、中等、高等、旧盲・聾・養護学校の先生、幼稚園、別々の資格、別々の場所で教えている方が全員同じ講習をまず受ける。かつ、年齢も、先生になりたての方から、年配近い方もいますよね。恐らく、普通免許を持っている校長先生なんかも全員受けることになると思います。

 それが果たして、そういうふうにいろいろな違う先生方を一遍に集めて、同じ講習を三十時間受けることで、本当に資質向上がなされるでしょうか。もう少し中身について踏み込んだ研究をされるおつもりはありますでしょうか。

銭谷政府参考人 やはり、免許更新講習の内容につきましては、この更新制の趣旨にかんがみまして、基本的には学校種や教科の種類にかかわらず、およそ教員として共通に求められる内容を中心とするということが基本ではないかと思っております。

 具体的には、例えば教職の今日的役割、学校における同僚性の形成、家庭や地域社会との連携、子供の発達や課題の理解、学級経営、生徒指導、教育相談、教育課程の動向と指導のあり方などを中心に講習内容を構成することが適当であるというふうに思っております。

 ただ、このことは、先ほど申し上げましたように、更新講習としての認定基準上の内容になるわけでありまして、更新講習の開設主体がそれぞれ特色を発揮して、多様な講習が開設をされるということが当然に期待されるところでございます。

高井委員 これはもしかしたら、教員免許を持っていらっしゃる馳先生とかに教えていただいた方がいいのかもしれませんけれども、今言ったような講習の内容というのは恐らく、現場の先生で、ある程度一生懸命やっているベテランの先生方はもう当然のごとくして持っている知識であり、やっていることであるんじゃないかなと思うんですね。だから、どの程度の基準にさっき言った講習のレベルを合わせるのか。先生がピンからキリまでいる中で、よくできた先生にとっては、そういう講習を受けること自体、もっと子供と向き合う時間の方がいいんじゃないかという場合もあるんじゃないかと、私はそれを幾度となく懸念するわけであります。

 今中身のことについて少し触れられましたけれども、私は、今聞く限り、うちの娘はまだ小学校に行っていないですけれども、保育所の先生方を見ても、大体一般的によくできた方が多いですし、基本的な知識というか持っている方が多いのであれば、本当に目指す、大臣がおっしゃるより資質向上という面においては、かなりハードルの高いというか、すばらしい講習を組み立てない限り、本当の資質向上は望めないんじゃないかと思って懸念をしております。いかが思われますか。

伊吹国務大臣 同時に、民主党案で、百時間どういう研修をおのおのバラエティーを持っておやりになるのかなという懸念も私どもは持っておりますので、お互いにひとつ協力をして、法案が通ったらいい方向へやってみたらどうでしょう。

高井委員 我が党案は百時間ということで、全く政府の三十時間を前提につくっている法案ではございませんので、朝、藤村委員からも、法案提出者からも内容について御答弁があったと思いますので、承知の上で言われたと思うので繰り返しは申し上げませんけれども、現場研修も含めて入っている研修の制度なんですね。

 十年研修の例を参考にかなり研究されて組み上げたものなので、また、大臣がけさおっしゃったように、十年研修は十年研修として残すんだ、更新制の講習は講習で別なんだという、まずここからして違いますので、同じものにするとなると、では十年研修をどうするんだ、そういう話にもなってくると思います。

 十年研修との違いというか、位置づけについても少しお伺いしたいので、ちょっとこの後の質問に送らせていただきたいと思うんですが、免許更新制、この更新研修受講後の判定はだれがやり、どういう形ですることになるんでしょうか。政府参考人で結構です。

銭谷政府参考人 免許更新のための更新講習は、教職課程を持つ大学を中心に開設をすることにいたしております。そして、それぞれの開設大学につきましては、その講習内容等をきちんと文部科学大臣の方で見た上で開設を認定するということにまずいたしております。その認定された免許更新講習を開設する大学で教員の方々に受講していただくわけでございますけれども、講習の修了時点で、試験といったような形で修了認定をそれぞれの開設者が行うわけでございます。そして、その修了認定したものを免許管理者の方に届けて更新ができる、こういうことになっております。

高井委員 私は修了試験、免許更新研修受講後、試験をするというのを初めて聞きましたので、これは大事なポイントなのでお聞きしたいんですが、試験をするということで、そうしたら、その試験というのは、いわゆる全国学力テストのお話がありましたけれども、全国同じ、教員免許、受講された方が同じ修了試験、学力テストのような形で試験を受けるようなイメージでいいのかどうか、確認をしたいんですけれども。

    〔中山(成)委員長代理退席、委員長着席〕

銭谷政府参考人 これは、先ほど申し上げましたように、更新講習を開設した教職課程を有する大学等で、講習修了の時点で、筆記試験あるいは実技試験等の、認定のための試験を行って、そしてその修了を認定するという制度を考えております。

高井委員 もう一度確認したいんですけれども、講習の中身はほぼ同じものにするということだったと思いますが、試験は各大学ごとに少々異なるというふうなことも可能性としてあるんですか。

銭谷政府参考人 まず、二つのことがございまして、教職課程を有する大学が更新講習を開設するに当たって文部科学大臣はそれを認定する、それから、更新講習を修了したときに修了認定を行う。その場合、それぞれの開設者が修了認定を行うわけでございますが、その修了認定基準とかそういうものについてのガイドラインなり必要な基準というのはもちろん文部科学省の方で作成をするということになります。ただし、修了認定それ自体はそれぞれの開設者が行うということになります。

高井委員 ちょっとわかりにくいので、もう一遍教えてくださいね。それぞれの開設者ということは、一年間に全国で約十一万人が受けるような試験になるんですよね。十一万人がばらばらのところでいろいろ講習を受けます。その中で、一人一人受ける場所が違うときに、少しずつ試験の内容が違うという形になってしまうんでしょうか。

 私が最初聞いたのは、それこそ教員全国学力テストみたいなものをみんな受けるのかなと思ったんですが、これは大臣に聞きましょうか。では、政府参考人。

銭谷政府参考人 私ども、まず更新講習を行うに当たりまして、先ほど申し上げておりますように、更新講習を開設する教職課程を有する大学などについて認定を行うわけでございます。そういう認定の際には、それぞれの大学等で開設をする更新講習の内容に含めるべき事項ですとか細目とか到達目標といったようなもののある程度基準をつくって、それをちゃんと満たすところを更新講習の開設者とする。そして、その開設をした教職課程を持つ各大学で実際に更新講習を行っていただく。

 そして、ちょうど教員養成課程がそうでございますけれども、教員養成課程も必要な課程を修了して単位を認定すれば免許が取得できるわけですよね。それと同じように、更新講習をした場合に、私どもの定めますこういう基準に従ってしっかりとした到達目標、確認指標に基づいた講習を行っている、その各開設者、これは大学等が中心になりますけれども、そこが筆記試験あるいは実技試験等を行いまして、それぞれの更新講習の開設者が更新講習の修了の認定を行う、こういうことになります。

高井委員 これは冒頭に伺った厳格な修了認定をどうするかということに大きくかかわってくるので、きちんと確認をさせていただきたいんですけれども。

 今、筆記試験プラス実技のようなもの、両方を最後にするというふうにおっしゃいましたよね。ということは、大学の先生によって実技なんかの判定というのは少々変わってくることもあるでしょうし、筆記は全国同じということであれば、この人は能力があるかどうか、簡単に点数が出るようなものなんだろうと思います。違うんですか。

銭谷政府参考人 ちょっと私の説明が不十分かもしれませんが、更新講習の修了認定に当たっては、全国統一試験とかそういうことじゃないんです、これは各開設者が修了認定を行うんです。そのためには、きちんと試験をやっていただくという基準を私どもの方でつくるということでございます。

 その場合に、更新講習の内容として考えられている、例えば学校をめぐる、先ほど言いましたように最近の状況とか教職としての適性とか、あるいは最近の各種教育課題への対応ですとか、教科指導の問題ですとか生徒指導の問題とか、そういった、内容ごとにきちんと修了認定の基準というものを私どもの方でつくりまして、それに則して、更新講習を開設している各大学で、各分野ごとの内容が終了した時点で、いわば修了試験といいましょうか、筆記試験の場合もあるでしょうし、物によっては実技試験ということもあるかもしれませんが、そういう試験をやっていただいて、そして修了を認定する。

 ですから、何か、全教員対象の一律の、国が問題をつくった試験をやるとか、そういうことではないんです。

伊吹国務大臣 イメージとしてわかりやすく言うと、まだ法律が通らない前に私がいろいろ言うと立法府に対して失礼だと思って黙っておったのですが、大体のイメージとして申し上げますと、今教員免許を出すときと非常によく似たというふうに御理解いただいたらいいと思うんです。

 教職養成課程をどういうふうにするかという基準は、文部科学省が全国一律に決めております。そして、それに従って学校で授業を行われるわけですね。そして、その成績を判定して、学校が教職免許の基準に達したと認定をされれば、都道府県単位で免状の交付をしている。それと同じようなやり方でやっていきます。だから、基準とか最終的な研修の修了の確認とかいうことの基準は、すべて全国統一的にお願いをする。

 しかし、中に、例えば、こういうことについて必ず確認をしてくれということを申し上げたときのその確認の仕方について、いろいろ少しずつ工夫があったり違ったやり方があるということは、これは開設者にゆだねようということです。

高井委員 今のでよくイメージがつかめました。ありがとうございます。

 そこで伺いたいんですけれども。

 そうすると、この講習を受けて更新ができない人は余りいないのではないかというふうに感じています。今、教員の資格を大学で取って、それでも教師になれない先生が、ちゃんと教育実習とかきちんとした講習を受ければ必ず免許が取れるような仕組みになっているというふうに思うんですね。私は、適性というか、その人物をどうとかこうとか書き込んだりして報告したり、だめだとかだめでないとか書くものではないというふうに感じましたので。

 とすると、再生会議の言うことを取り入れられたという厳格な修了認定という趣旨は、より厳しく、講習をきちんと受けろという意味なんでしょうか。

 私は、ひょっとすると、厳格な修了認定をして、この再生会議が言うところの「講習受講のみで更新するのではなく、」「講習の修了認定を厳格に行う仕組みとする。」というふうに書いてあるので、この趣旨が入っているとするならば、最後のハードル、講習を受けてその後、最初は試験のようなものをイメージしていたんですが、そういうのをきちんと受けて通らなければ落とすんだというようなかなり厳しい更新制度にするのか、それとも、大体の人は、想定する限り、受けてきちんとやれば必ず通るというような、今の感じのお話だったらそういうふうに受けとめましたけれども、それでよろしいんでしょうか。

伊吹国務大臣 これは先生、もう一にかかって、修了認定にかかっているわけですね。ですから、修了認定をパスできなければ、随分厳格にやられたなと思う人もいるかもわかりませんし、修了認定を受けられた人は、普通にやっていれば研修はパスするんだなと思われるかもわかりません。だから、再生会議がどういう意味で、厳正なというか、ほとんど通すなという意味で言っておられるのか、それはわかりません、私は。

高井委員 官房長官、ここの趣旨のところはどうでしょうか。伊吹大臣の御答弁があったんですけれども、どのようにお考えか、お伺いします。

塩崎国務大臣 先ほど申し上げたように、教育再生をしようということで安倍総理がこの再生会議を立ち上げたときは、今大島筆頭から話がありますように、やはりいろいろ問題がある先生がいるけれども、そのままおられたりするということをどうするんだと。やはり子供には立派な先生にきちっとした教育をやってもらいたい、こういう思いが募っているわけです。

 そういうことで、教育再生会議で、教員免許につきましては、さっきの更新制の導入と「厳格な修了認定とともに、分限制度」と書いてありますが、今回も、今度御審議をいただいている法律も、さっき言ったように、裏から見るか表から見るかというようなところでアクセントの置き方が若干違うけれども、やはりいい先生に教えてもらいたい。ということは、大半がいい先生なのかもわからないけれども、若干そうじゃない方がおられたらやはり頑張ってもらおう、そして最後の認定で、統一的な基準で外れる方は少しやはり考えないかぬな、こういうことじゃないかと思うので、今回の法律と教育再生会議の考え方がそうかけ離れたものだということは私は思っていません。

高井委員 では、やはり、更新講習を受けても免許がもらえないという方も想定されているというふうに感じました。

 そうしたら、一年間十一万人ずつ講習するというのであれば、認定講習の最後のところを見る人の、要するに大学の先生や講習をした最後の先生方の、その先生一人一人を見る力というのが極めて高くないと、これはあれですよね。

 それこそ、最終的に国や教育委員会は、多分、こういう人たちが受けてこういう結果だったという報告を受けるという形だけでしょうから、実際にその先生がどれほど能力があるのかは、実際に研修をして認定判定をされた大学の先生であったり講師であったりする方の力量がかなり高く、この人はだめだとか、この人はよかったとかいうところを見きわめるような力量も先生自身がまた試されていくんだろうと思うんですね。先生というのは、教員ではなくて、教員を教える先生の方々が。まさにそこも手厚くしていかなくてはならないという、これは大変、人の力というのをすごく高めていかなければいけないんだなというふうに改めて感じたんです。

 それでは、例えば免許が更新できなくても講習を受け直すことができるのか。つまり、再チャレンジとか、その点についてはどうなんでしょうか。

銭谷政府参考人 更新講習を受けて修了認定を受けられなかった場合、それは講習の受け直しを可能にしたいと思っております。また、講習を受けていただくということになろうかと思います。

 なお、先ほど来のお話の中で、私ども、今回の免許更新制で大変大事なのは、やはり更新講習の質を確保するということだと思っております。ですから、今考えていることでございますけれども、先ほど来言っておりますように、講習内容とか修了認定の基準等を明確化して、個別審査によりまして開設というものを認定していくことをまずやっていきたいと思っております。

 それから、実際に、更新講習が終わりました後、受講者による講習自体の事後評価の実施とか、事後評価結果、こういうのを公表したりするとか、そういうことを通じまして更新講習の質の確保ということに心がけていきたい、また、そうしなければならないと思っております。(発言する者あり)

高井委員 いや、まさに更新講習の質の確保は何よりも大事なんですが、ちょっとさっきの、更新ができなかった人は、さらに受け直すことができるという御答弁だったので、もう一回踏み込んで言いますが、これは例えば何度でも受けられるようにするのか。いや、大事な問題ですからね、これは。

 かつ、例えば講習を受けました。その後に、土日とか長期休暇のときに講習が受けられるような仕組みにするというふうに法案の中では書いてあったので、例えば、万が一、先生が夏休みに受けました、認定講習がパスできませんでした、夏休み明けから担任の先生がいきなりかわるなんということはないですよね。そういうこととかも、受けられらなかったら受け続けることができるのか。例えば、そのときにその先生はどうなるのか、パスできなくてもそのまま教壇にその年度は立てるのかどうか、それをちょっと確認させてください。

銭谷政府参考人 まず、一度講習を受けて更新の修了認定を受けられなかった方は、先ほど言いましたように、講習の受け直しは可能でございます。また受けてまたという、そういう先生は余りいらっしゃらない可能性が強いと思いますけれども、そういう場合でも、また講習の受け直しは可能でございます。

 それから、私ども、土日の開設ということも考えておりますので、三十時間というのを分割して受けるという、そして分割して認定をして、それらを積み重ねて全体の修了認定になる、こういうことも方法としてあるのではないかと思っております。わかりますですか。全体三十時間分の六時間分をまず修了認定を受けるとか、そういう開設の仕方というのもあり得るのではないかと思っております。

 それから、通常、免許状の有効期間というのは年度末になっておりますので、更新できなかった先生は大体年度末に免許状を失効するということになりますので、年度途中に先生が免許状を更新できず失効するというケースはまずないんじゃないかな。ですから、更新の時期に差しかかった先生は、その年度末までの間にきちんと講習を受けていただいて、修了認定を受けていただくということになると思います。

伊吹国務大臣 地方公務員というか、教職員の分限は、言うまでもなく任命権者である教育委員会が判断するわけですね。そして、降任とか免職の事由というのは幾つか地方公務員法に書かれておりますけれども、「その職に必要な適格性を欠く場合」というのがあるわけですよ。ですから、私たちは、一番最初に、先生が鋭い指摘をされたというところが、まさに今御質問になっているところにかかわってくるわけです。

 つまり、免許の更新ができなかったからだめ教師と判断して即座にやめさせるという思想はとらない。しかし、地方公務員法上の分限にその職務の適格性を欠く場合というのがあるわけですから、何度も受けてうまくいかないような場合とか、あるいは、この研修とは関係なく、評定権者である校長の評定から、職務に耐えられないと判断をした場合とか、これは教育公務員特例法の分限手順、手続を書いてあるところへ今度は乗っかってくるという方向性にしているわけでして。だから、先生が一番最初に御指摘になったことを、私はさすがに鋭いなと思って聞いていたということなんですよ。

高井委員 まさにそこの分限のこともお聞きしたかったので、先に御答弁をいただいたわけなんですけれども。

 要するに、私も心配しているのは、例えば分限事由で適格性がないというふうに、教育委員会が一応任命権者ということで認定するわけですよね、分限事由かどうか。要するに、その時期によって子供たちにかなり影響があるのではないかということも懸念しているわけなんであります。

 では、これは分限事由に基づくためにやめさせるかどうかを決めるというのは教育委員会がするわけですよね。その時期がいつであるかは、多分それも教育委員会が決めるわけだろうと思います。この免許の、何度も何度も受けても、さっき銭谷さんからは、分割までして受けられるようにすると、そうなると、落ちる人はほとんど想定していないような、できるだけ全員ちゃんとできるようにするようなお話だったんですが、分限でやめてもらう人との兼ね合いというか、どういうふうに考えておられるのか、私はいま一つイメージがうまくかみ合わないんですね。

 その次に、時期ですね。例えば、三回受けても受からない人を、教育委員会が、分限事由に当たるから別の場所に行っていただこうということになる。そうしたときに、その時期。それは、例えばあと半年残っているのであれば、半年は子供たちに我慢してもらって、次の年の年度末のときにするとか。いずれにせよ、半年でかわることが子供たちにとっていいのか悪いのか、もうそれは極めて微妙なところだとは思うんですが、そういうケースとかが万が一あったらどうされるんでしょうか。

伊吹国務大臣 確かにこれはいろいろなケースがあると思います、質問としてつくり上げるというか、質問として出そうとすれば。しかし、それは民主党案についても同じことが言えるんじゃないんですか。

 ですから、要は、そういう場合が生じたときには、人事権者である教育委員会のやりくり感性が問われるわけであって、これは人事管理、人事政策上のうまさ、下手さというものによって処理していかざるを得ないので。何度といって、五度も六度も受けているのが分限上の理由がないなんということにはやはりならないと私は思いますよ。

 ですから、そういうところにまさに教育委員会の人事政策上の判断、どこをどうして、どこを埋めるか。これは、民主党も政権をおとりになれば、例えば文部科学省の人事をやるときには、当然、これはどうしようとかああしようとか、みんな考えてやるわけですから。それと同じことが先生についても言えるわけですね。

 ただ、一つ大切なことは、更新してだめで、そして何度も何度も受けている間はやはり教壇には立てないというのが私はごく常識的な判断だと思います。

高井委員 民主党案はもう少し仕組みが違っていて、三十時間ではなく、例えば補充まで想定したり、休職制度をとってまた専門大学に勉強に行ったりする制度まで仕組んでありますので。また民主党案でも同じことが起こるんじゃないか、それはないとは、ゼロとは言いませんけれども、もう少し仕組みを変えてありますので、またそれは別途の機会に質問をたっぷりさせていただきます。

 あと十分しかございませんので、まだ十年研修の件についてもちょっとお伺いしたいので、聞いておきます。

 それで、講習の内容は、さっき御答弁があった講習の内容がありましたが、できるだけ毎年毎年新しく更新をしていくんでしょうか。それとも、スタートしてから十年ぐらいは同じような講習、ガイドラインと中身の設定で進めていくおつもりなのか、それもちょっとお聞かせください。

銭谷政府参考人 免許更新講習は、その時々に教員に必要な知識、技能を刷新するためのものでございますから、常に見直しを図るべきものと考えます。

 このため、文部科学省の責任で、見直した内容を、あるいは基準の見直しといったようなことを、告示等によりまして世の中に示していく。

 ですから、内容の見直しというのは毎年やはり行っていかなきゃいけないと思っております。

高井委員 質の向上、中身、講習の質をきちんとしたものにするためにも、毎年見直しも大変大事でしょうし、かつ、笠議員の質問にお答えになられて、伊吹大臣が、現行の十年研修と今度の更新研修とは目的が違うということをお答えになっておられます。

 少し引用させていただくと、現行の十年研修の方は、自分が学校現場で教えて、この分野はさらに得意分野ということで伸ばしていきたいという人たちに行っている研修である。それに比べて、今度の教員免許更新の講習は、教員免許を持って現場にいる限りは必要最低限の時代に合った知識があるかどうかを確認し、向上させていくものという御答弁でした。

 これを読んだ限りは、私は、現行の十年研修の方は、自分に合った専門的資質をより向上させるためのもの、後者の方は、今回の方は時代に合った一般的資質を身につけるもの、どっちも資質向上という同じ目的だと思います。

 そこで、今後もこれを別々な制度としてそのまま残していくのか。さっき銭谷さんから御答弁がありましたけれども、毎年毎年講習の中身を検討していく、中身をどういうものにするかというのは、研究とたくさんの人員が必要で、かつ、講師となる先生方に、これを教えてくれということを、ガイドラインを全部毎年毎年配るのか、それぞれに通達を出すのか。講師になられる先生方も大変な力量が要ることであると思うし、毎年毎年キャッチアップしていかなくてはならない。

 かつ、十年研修の方も残されていて、十年研修の方も、ずっと何十年も同じというわけにもいかないでしょうから、これはこれで違う目的であるものだから、ずっと中身の研究もされていくということになるんだろうと思うんですが、これはこういう認識でよろしいでしょうか。

伊吹国務大臣 こういう認識というのがどういう認識なのか、ちょっと私、よくわからないんですが。あえて言えば、今回お願いしているのは必修科目、そして、従来からある十年研修というのは要するに選択科目、自分のとりたい科目という理解でよろしいと思いますし、だから、両方を教えておられる先生方は、おられないとは言いませんけれども、当然、講師の人は別々になると思います。

高井委員 つまり、講習の中身の鮮度を保つために研究をすることがかなり必要になってきますし、それはもう大変な作業だと思いますけれども、それをしていただけるという認識でよろしいかということだったので、多分そうだというふうに思います。

 そこでさらに、十年研修は、任命権者が教諭に対して職務の一環として実施するものというふうな規定になっていますよね。だから、研修費用はかからず、つまり自己負担なしで、研修期間中の給与も支払われるということでございました。十年研修の話です。今までの十年研修はそういうことでございました。

 そして、今回の免許更新講習においては自己負担も必要であるのではないかという御答弁が先ほど来ございましたけれども、趣旨としては資質向上という同じものを持っていて、かつ、免許を更新することは教壇に立つために必ず必要である。

 片や、十年講習は職務命令であるけれども、こちらの方は職務命令ではない。資格制度であるから自分で勝手にやってくれという部分も含まれているからこそ自己負担も求めるんでしょうけれども、一般の教員、生徒、教職より少し遠い人から見ると、同じように、自分の技能を向上させるため、資質を向上させるため、新しい知識を得るための講習なのに、こういうふうにやり方が全く違うというか、趣旨は似通った部分はありますけれども、お金を負担するかどうかも全く違うというのは、これは現場の先生にとって理解しやすいものなんでしょうか。

 私は、ちょっとこの差は、同じ研修という名でも、片や自己負担で、片や職務命令なので全部出してくれるというのは余りにもアンバランスさがあるのではないか。それだからこそ、民主党は、この十年研修と十年で講習するということをセットにするということも、そういうそごをなくすためにも考えたわけでありますが、いかがでしょうか。

伊吹国務大臣 やはり、今回お願いしている研修は必修科目ですから、率直に言えば、これをクリアできない限りは、最終的には職を失うわけですね。それはもう全然違うんじゃないでしょうか。つまり、職につくための要件を確認するのが今回お願いしているのであって、現在の十年研修というのは、免許の効力に何ら影響しない、資質の向上を目指しているということです。

 だから、どこまで自己負担をとるか、あるいは国が補助をするのか、免許の交付者である地方自治体が考えるのかというのは、これは将来の予算を前提とした制度設計の問題だろうと思いますから、それはいろいろ御議論いただいて、その御議論を前提に予算要求をさせていただきたいと思います。

高井委員 大臣のその御答弁どおりであれば、私はより一層、必ず受けなければいけない最低の資質としての方をよっぽど職務命令で受けさせるべきではないかというふうに私は思うわけですが、それは認識の違いで結構だと思います。

 ちょっと、時間がないので、最後に、お配りした資料の点だけ質問をさせていただきたいというふうに思っています。

 実は、けさほど、自民党の山内議員でしたか、その中で、修士にすると、なり手が減っていくんではないか、教員になりたい人が少なくなっていくんではないかというお話がございました。

 そこで、これは調査室からいただいている資料の中にもあるんですが、教員養成系学部の志願倍率、志願者数というもののデータが一枚目でございます。現在でも、修士にしようがしまいが、今は四年制で卒業ですから、四年制大学でもこうやって志願者がどんどん減っているという現状があります。

 片や、二枚目を見ていただきたいんですが、公立中学校教員の退職見込み者数、採用見込み者数の構図であります。教員の構成はかなり年代別にでこぼこがありますので、退職者がふえれば当然採用の枠がふえるというわけで、この図を見る限り、志願者は減っているにもかかわらず、採用はこれからふえるというふうに見込まれるわけでございます。

 だから、けさほど来あった、六年になったらなり手が少なくなるんではないかという懸念よりも、現在、現実的にこうやって志願者が減っている。この背景というのは、一つ分析するに、けさ伊吹大臣もお答えになっておられましたけれども、教員が忙し過ぎる現状も一つあるというふうに、教員という職自体が、最近の若い人たちにとって、すごく魅力的だ、なりたいというふうな感じになっていないのではないか。これは私の推測ですが、この数字を見る限り、懸念をしております。

 さらに、今回の更新制度が導入されまして、更新講習が認められなくて失効する可能性が高いと、ますますこういう不安定な仕事というのは、やはり魅力的じゃないな、学校現場の先生方、忙しそうだし、保護者もいろいろな方がおいでるしというふうなことに少し拍車をかけはしないかという懸念を持っております。その点についてはいかがでしょうか。

伊吹国務大臣 このことだけが理由かどうかというのはよく分析してみないといけませんし、分析しても多分わからないと私は思うんです。

 一般に企業の景気が悪いときは、公務員とか、特に教師の志望者は多くなります。当然向こうの求人が減りますから。だから、二つの観点で見ていかねばならないのは、一つは、いわゆる教員養成大学の入学倍率、これは十九年度で大体四・四倍という数字を今維持しています。それから、公立学校の教員の採用倍率は、教員でやめる人の数によって、先生がおっしゃったように都道府県で随分でこぼこがあります。しかし、小学校の全国平均でいえば、平成十二年は倍率が十二・五あったわけですね。だけれども、今は四・二にまで下がってきている。

 これはいろいろな理由があると思います。研修を付したからどうだとかというだけではなくて、やはり先生の仕事をトータルに魅力あるように力を合わせてやっていくということによって解決しなければならないでしょう。

高井委員 あと、ペーパーティーチャーの扱いについてとかもお聞きしたかったんですが、本日は時間がございませんでしたので、次回にさせていただきます。

 菅大臣にも、お聞きしたかったことの最後まで行けませんでしたので、また次回を楽しみにしております。

 ありがとうございました。

保利委員長 次に、石井郁子君。

石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子です。

 まず、学校教育法改正案についてお聞きをしたいと思います。

 四十二条が新設されております。このようにあるんですね。「小学校は、文部科学大臣の定めるところにより当該小学校の教育活動その他の学校運営の状況について評価を行い、その結果に基づき学校運営の改善を図るため必要な措置を講ずることにより、その教育水準の向上に努めなければならない。」とあるわけです。

 これは、小学校だけじゃなく、幼稚園、中学校、高等学校に準用される極めて重要な条文だというふうに私は思いますが、ここの「文部科学大臣の定め」というのは何を定めるんでしょうか。

銭谷政府参考人 学校教育法の四十二条で、学校評価について、「文部大臣の定めるところにより」、こうなっておりますけれども、この具体的な定めについては、これから十分検討しなきゃなりませんが、例えば自己評価の評価項目とか指標など、目安となる事項について定めるということを今後検討していきたいと思っております。

石井(郁)委員 これまでも自己評価というのは小学校、中、高等学校の設置基準で各学校に課されてきたというふうに思うんですね。今度はこれが法律で定められるということになりますから、極めて義務づけということでは課されるということになるんですね。

 今お話しのように、大臣が定める基準で評価をする、これは一律に評価をするということになるかと思うんですが、そうすると、評価基準によって各学校が達成目標を迫られていくということになるわけですね。そういう理解でよろしいですか。

 私は、国がいわば学校を統制するということにつながる大変重要な問題を持っていると思います。だから、その場合、評価項目を決める、その項目の何か基準というか、そこはどうなりますか。

銭谷政府参考人 先ほども申し上げましたように、今回の学校教育法の改正案の四十二条におきましては、学校評価の実施のあり方につきましては、文部科学大臣が別に定めることとしております。

 文部科学省におきましては、これまでも、各学校や教育委員会における学校評価の取り組みの充実に資するために、義務教育諸学校における学校評価ガイドラインというものを昨年の三月に定めまして、各学校が行う自己評価の評価項目、指標等、目安となる事項を示してきたところでございます。

 この改正法案がお認めをいただきましたら、文部科学省としては、各学校や教育委員会におきまして、その実情に応じて創意工夫しつつ学校評価への取り組みが行われるような、そういう学校評価のいわば評価項目、指標等の目安となるような事柄について検討を深めて考えていきたい、こう思っているわけでございます。

 かちかちとして、必ずこれでやらなきゃいけないとか、そういうものにするかどうかということではないというふうに思っております。

石井(郁)委員 評価項目は文科省としてお決めになるということは言われました。その評価項目の内容、その内容はこの委員会審議でお出しになりますか。その評価項目の、何を基準で評価をするのか。評価というのはそういうことですよね。どういう基準で評価されるのか、そういう評価の基準、その項目、こういう項目が入りますよということまではとにかく国が決めるということになりました。

 それで、ちょっと、少し具体的に何を問題にしているかということで伺いますけれども、既に言われているように、自己評価はもう各学校でありまして、それは各学校、自発的にやっておられますよね。文科省もガイドラインを出されているということなんです。

 これは、スクールマニフェストがつくられているある学校の項目を見たんですけれども、やはり、学力診断テストの正答率向上を目指すというようなことがあって、県の平均正答率より各教科五から一〇ポイントアップする。こういう、アップするという達成率が目標になってくるわけですね。つまり、数値目標化されて自己評価を行う。そうなると、当然教員評価もその中に加わってくるということがあります。学力向上で見ますと、平仮名と片仮名、一年生の漢字を読んだり書いたりできるというような項目が入ってきます。また、今大変、規律ということが学校でいろいろ強調されておりまして、その規律ある態度ということでは、あいさつや返事、身の回りの整理整頓ができるというようなことがある。また、体力の向上でも、元気に外遊びができる、毎時間五十メートル走を全力で走ることができるということです。

 目標をこういうふうに設定するということと達成度、結局、評価ですから、それが達成度という形で評価される、これが現場になっているわけですね。つまり、何%達成できたかというための評価項目になっております。だから、私は、そういう評価項目というのは非常に重要な教育現場での意味を持つというふうに思うんですね。

 最初に申し上げた今回の条文でいいますと、法律が、「教育活動その他の学校運営の状況について評価を行」う、だから教育活動の評価を行うということになっていますから、教育活動を、つまり何を指標に、どういう項目で評価するのかということになりますが、それを文科大臣がお示しになるということでよろしいんですか。

銭谷政府参考人 先ほど来申し上げておりますように、学校評価について文部大臣が定めるところにつきましては、現在ございます学校評価のガイドライン、こういうものをベースにしながら、私ども、さらに検討を深めていきたいと思っております。

 先ほど来、学力の問題とかいろいろ出ておりますけれども、この評価は、別に学力だけを評価するというものではなくて学校運営全般についてそれぞれの学校で評価をし、そして学校運営の改善を図っていただくというのが、これが目的でございますので、そういう観点に資するような文部科学大臣の定めというものを今後よく検討していきたいと思っております。

伊吹国務大臣 今も、先生がおっしゃっているように、設置基準で評価ということが決められているわけですが、必ずしも公表していない学校もありますし、自己評価はやっているけれども内容は千差ばらばら、いろいろあるということはよく御承知のとおりです。ですから、文部科学大臣が定めるのは、具体的な実施の内容あるいは公表のあり方、こういうものになると思います。

 したがって、文部科学省では学校評価の推進に関する調査研究協力者会議というのを今ずっとやっておりまして、まさに先生がおっしゃったような項目、基準、今参考人が申しましたようなことも含めて、どれを具体的に評価して自己評価をしていってもらうかということをやっているわけでして、例えば今先生が例に挙げられたような、何点をとればどうだとか、進学校に入ればどうだ、それで学校に序列がつくという、いつもおっしゃっているようなことまで私どもは別に前提にしているわけではありません。

石井(郁)委員 そういうちょっと矮小化をした御発言はされない方がいいと思うんですけれども。

 それじゃ伺いますけれども、「教育活動」とあるんですね。教育活動という中には授業は入りますか。

銭谷政府参考人 教育活動の代表的なものは授業だと思います。

石井(郁)委員 私は、やはり大変重大な問題だと思います。学校の授業、どんな授業かということも、国が決める基準のもとで評価の対象となるということですよ、そうでしょう。そうすると、この評価の項目にどういうものが入るのか、評価の基準に何が入るのか、それをやはり当然当委員会にきちんとお出しいただかないと、その是非をめぐって議論できないじゃないですか。

 これは、ぜひその内容をお出しいただきたいと思うんですが、その全容。これから決めるのではなくて、今、これからいろいろ検討をと言われましたので、どれを評価するかは検討だと言われましたので、やはり、委員会の審議ですから、ここできちんとお出しいただきたいというふうに思いますが。大臣。

伊吹国務大臣 それは先生、どうなんでしょう。立法府と、法案の提出者としての行政府、内閣との関係というのは、法案の御説明をする際にできるだけのことはやはり御報告をして御審議は仰ぐ、しかし同時に、日本の行政執行のあり方からすれば、政令、省令あるいは告示、一体となって形成される法律案については、国会の、大きな法案としての御了解のもとで行われているというのが日本の統治のあり方じゃないでしょうか。

石井(郁)委員 伊吹大臣は重要な場面ではいつもそういう御答弁になるんですけれども。国会がお決めになることですと言われるようなことがあったと思いますけれども。

 やはり、この条文は、「評価」をする、それは教育活動です、学校教育活動すべてが入ってくるということが一つ重要問題です。それだけにとどまらず、その結果、評価ですから結果があって、そして「必要な措置を講ずる」、そこまで文科大臣がされるわけですね。だから、結果の検証、そして必要な措置、一連のものとしてこの条文があるんですよ。文科大臣の権限、極めて大きなものがあるんじゃないですか。

 そして、私はここをなぜ重視するかといいますと、本当にこれは教育の本質に大変かかわる問題なんですが、やはり、教育内容については国家的な介入というのは抑制的でなければならないということは、前国会、昨年、きちんと議論をして、そして大臣もお認めになったことです。

 これは教育内容への国家的介入になりませんか。

伊吹国務大臣 ちょっと、私のこの四十二条の法文解釈は先生の解釈とは違うと思います。

 この四十二条の主語は「小学校は、」なんですよね。「小学校は、」でしょう。だから、「文部科学大臣の定めるところにより当該小学校の教育活動その他の学校運営の状況について」小学校が「評価を行い、その結果に基づき」、小学校が「学校運営の改善を図るため必要な措置を講ずることにより、その教育水準の向上に努めなければならない。」ので、文科大臣が学校運営の改善を図るために必要な措置を講ずるという法文にはなっていないんじゃないでしょうか。

石井(郁)委員 しかし、最終語尾は、「その教育水準の向上に努めなければならない。」ですから、小学校、ある学校が努めているか努めていないかということもこの評価の中に入るわけですよね。

 ということで問題にしておりまして、きょうはそれ以上のことを時間の関係であれですけれども、文科大臣の定めという評価項目、評価基準、これをぜひお出しいただきたいと思いますが、委員長、いかがでございますか。

保利委員長 文部科学省の御意見を伺わせていただきます。

 銭谷初中局長。

銭谷政府参考人 先ほど来申し上げておりますように、こういった評価の項目や指標など目安となる事項につきましては、この法案の審議における御議論も踏まえ、また文部科学省としても学校評価の推進に関する調査研究協力者会議で今いろいろ議論を深めているわけでございますので、私どもとしては、こういった審議を踏まえながらさらに検討を深めて、法案をお認めいただきました後には、こういう文部科学大臣の定めについて確定的なものをつくっていきたいと思っております。

石井(郁)委員 私はとても承服できません。

 やはり、こういう重大な問題で、省令にゆだねると大臣はおっしゃいましたけれども、省令には私たちは白紙委任できないと思うんですね。やはり国会でこれは審議すべき内容だというふうに思いますので、ぜひ、これは委員長、理事会でお諮りいただきたいというふうに思います。

保利委員長 後刻理事会において協議いたします。

石井(郁)委員 よろしくお願いします。

 もう残り時間でなんですけれども、きょう、私はもう一本、先ほど来議論の教免法関係を議論したかったんです。

 最初に一つ二つ確認だけさせていただきますけれども、指導力不足教員への対応というのは、二〇〇一年、地方教育行政法の改正で都道府県で既に実施されております。今回新たに、保護者の意見を聞くことなども義務づけていますけれども、多くの自治体では保護者も参加して指導力不足教員の判定に当たっているというふうに思うんですね。

 それで、指導が不適切な教員に対応するためにこの基準も公正なものでなくちゃならないというふうに私は考えますが、まず伺います。指導が不適切な教員、その定義はどのようにされているんでしょう。

銭谷政府参考人 指導が不適切とは、一般論として申し上げれば、第一に、教科に関する専門的知識、技術等が不足をしているため学習指導を適切に行えない場合、第二に、指導方法が不適切であるため学習指導を行うための技術や専門的知識が欠けていること、第三に、児童生徒の心を理解する能力とか意欲に欠けて学級経営や生徒指導を適切に行えない場合、こういったことが一般論として申し上げることができるのではないかと思います。

石井(郁)委員 この点についても、各都道府県、いろいろと定義の内容があるかというふうに思います。大変抽象的なものから具体的な内容まであるかというふうに思うんですね。

 そこで、その指導が不適切な教員には、私は、当然に、疾病、精神疾患などは含まれないと思いますが、これは確認できますか。

銭谷政府参考人 精神性疾患など心身の故障によるものであって、病状が回復をせず、今後も職務遂行に支障がある場合や長期休業を要するような場合は、今回御提案しております指導改善研修の対象とするのではなくて、医療的措置によって対処すべきものでございまして、任命権者におきまして適切に分限処分の対象とすべきものと考えております。

石井(郁)委員 分限にするというのも大変重大な発言なんですけれども。

 しかし、問題にしたいのは、指導力不足教員という定義で、現在、福島県とか大阪府など六府県・三政令市では、そういう精神障害等により指導力を発揮できない教員などを指導力不足教員という定義にわざわざ加えているというところが問題なんですよ。

 最初は、御答弁のようにそれは定義には入っていなかった。これは私も、前回の地教行法審議に当たって、この問題でいろいろ文科委員会で審議したことをよく覚えておりますけれども、精神疾患など病気については指導力不足教員の対象にしないということになっていました。

 それが今日このように入っているという点については、私は、文科省はその当時は、じゃうその答弁をしたのかということにもなりますが、この点だけ最後に確認をさせていただいて、時間が来ましたので終わりたいと思うんです。

銭谷政府参考人 先ほど来申し上げておりますように、いわゆる精神性疾患等の病気の場合は、これは任命権者において分限処分の対象にすべきものでございます。具体の判断は任命権者において適切に行われるべきものと考えております。

石井(郁)委員 今の答弁も大変重大な答弁だと思いますので、これはまた次回に議論したいと思います。

 以上で終わります。

保利委員長 次に、重野安正君。

重野委員 社会民主党の重野安正です。

 もう質問も終わりの方になりますと、もしかして重複する質問があるかもしれませんけれども、その点はひとつ十分踏まえた上で、賢明な答弁をお願いしたいと思います。

 まず、昨年の教育基本法の審議、これは平成十八年五月三十一日の質疑、議事録を見たのでありますが、教員について記したいわゆる今度の改正案第九条第二項、これについて、「法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であつて、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。」と定めていた従前の教育基本法第六条第二項を独立させ、基本的に引き継いだものだ、こういうふうに答弁をしています。つまり、新たな条文に照らして言えば、教員の「身分は尊重され、待遇の適正が期せられる」ものということになります。この点について確認しておきたいと思うんですが、いかがですか。

伊吹国務大臣 これは、改正教育基本法の質疑のときに私が申し上げたように、その精神は何ら変わるものではございません。

重野委員 それでは、さらに聞きますけれども、従前の六条二項にあった「教員は、全体の奉仕者」という文言が削除されて、教員の「身分は尊重され、待遇の適正」云々は引き継がれた。これをそのように読みますと、教員の定義というか性格というか、そういうものはこの法律の中で変わったのだ、こういうふうな理解をしていいのかどうか、その点を確認したいと思います。

伊吹国務大臣 変わっていないと考えていただいて私はいいと思います。それは、学校教育が公の性格を持っていることは先生も否定はなさらないと思いますし、そのような学校教育を担う教員の職務の公共性は従来と私は全く変わらないと思います。

 改正前の、今御指摘になった教育基本法の第六条第二項、これは、学校教育が公の性質を持ち、教員は国民全体の利益のためにのみその職務を遂行すべきものであるから、国公立学校だけではなく私立学校も含めて教員を「全体の奉仕者」という書き方をしたわけですね。

 しかし、社民党ですから特に大切にしておられる現在の憲法、これによれば、「公務員は、全体の奉仕者」であり、こういう記述がありますね。改正教育基本法九条においては、制定時に比べて、私立学校が学校教育に果たす役割が非常に大きくなりました。だから私立学校という条項も一つ立っております。そういうこともあって、公務員を想定させる「全体の奉仕者」という言葉を外したということであって、先生が御懸念になっているような意味で外したわけではございません。

重野委員 であれば、教員の身分の尊重、待遇の適正、これは具体的にいかなる意味なんでしょうか。

加茂川政府参考人 お答えをいたします。

 今お話ございましたように、改正教育基本法第九条第二項に規定しております教員の身分の尊重及び待遇の適正につきましては、改正前の教育基本法第六条第二項の規定を引き継いでおるものでございます。

 ここに言います教員の身分の尊重でございますが、教員の地位の尊厳を重んじるということでございます。例えば、この地位につきましては、教員が学校制度上もしくは学校教員制度上占める地位、制度的地位ということでございますが、こういった点について重んじられるべきであるということでございます。

 また次に、教員の待遇の適正についてでございますが、教員に特有の性格及び義務に比例して適正に、正当な待遇を受けるということを指すものでございます。

重野委員 地位を重んじる、身分の尊重ですね。それから待遇の適正というのは、教師の仕事に応じて、比例をして軽重があるんでしょうか。そういうふうな理解をいたしました。

 そこで、先ほど来、十年という問題が盛んに質問に出ておりますけれども、この身分の尊重ということと十年間の教員免許更新制、これはどういうふうにつながるのかという点があります。

 私も、質問するに当たっていろいろ、いわゆる免許職種というんですか資格職種というんですか、調べてみました。この教員免許であるとか医師の免許であるとか、いろいろな免許がありますけれども、そういう免許職種の中でこういう有効期限を定めているというのは余り目にかからないんですけれどもね。

 私は、教員という免許は、単にその免許の試験を受けて免許を取得したということからスタートして、その能力資質に、やはり教員の経験を積むことによってその厚みは増してくるものだ、このように思いますね。そういうときに、こういうふうな形をとろうという文科省の思いというのは那辺にあるのか、それを確認しておきたいと思います。

伊吹国務大臣 先ほど来先生とやりとりをしていますように、教員の職務の公共性から、その身分の保障ということは、私が答弁したとおりです。

 今取り上げられた教員免許というものは、これによって教師の身分を保障するという、つまり雇用関係が出てくるというものではないですよ、免許を持っておられても先生になっておられない方はたくさんいらっしゃるわけですから。だから、公教育を担う教員の資質能力を一定水準以上に担保しようという、国が大きな公共の福祉のために定めている制度ですから、免状を持っている人は教師になれるけれども、そして教師はすべて免状を持っていなければならないけれども、免状があるからすべて教師になれるというわけではない。

 したがって、教育基本法第九条は、先生が先ほどおっしゃったことを定めると同時に、教員の身分の尊重を言っている一方で、何と書いてあるかというと、「絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない。」ということを同時に書いているわけです。ですから、教員の資質能力の向上というものを担保するために、今回、十年の研修制というものを導入したということです。

 ですから、特に公教育は、私学においても、国民の血税で賄われておって、そしてそれは公共の福祉のため、憲法の言葉をかりれば公共の福祉のために行われているわけですから、憲法に書いてあるように、この憲法が国民に保障する自由と権利は、これを決して濫用してはならない、そしてそれは公益の範囲の、公共の福祉の中でのみ担保されるということですから、公共の福祉を前提に研修制というものは成り立っているということです。

重野委員 同じ、免許を必要とする医師の場合、その免許は人の命にかかわる極めて重たい免許ですね。例えば、免許職種の中で、とんでもないことをしでかした、常識外れなことをやったとか、それから医師の、その職種の道理に反する不当なことをやったとか、そういう場合に処分を受けますね、もう免許を取り上げるとか。それはあると私は思うんですね。

 しかし、今回、この教師の免許にかかわる問題のように、十年という時間を区切って、そこで改めてその資格がありやなしやを定める、区分けをするというこのことは、たくさんある免許職種の中で今回が初めてではないかなという認識を私はしているんですが、文科大臣の認識はどうなんですか。

伊吹国務大臣 私も、重野先生と認識を同じゅうしております。

 そして、例えば医師の免許をどう扱うかというのは、最終的には、そのときの社会情勢、国民の期待が那辺にあるかを判断しながらおのおのの政治家が判断をしていく、政策判断の問題だと私は思います。

 今国民が一番期待をしているのは、やはりよき教師に自分の子供を預けたいということだと思いますから、そこを担保するための制度としてお願いをしているということです。

重野委員 この問題の経過をたどってみますと、実はいろいろな経過があります。

 以前の段階において、こういう審議会の答申が出ておりますね。「現職教員に更新制の対象を絞ることができず、また、人によって研修内容に差異を設けることにも一定の限界があることから、教員の専門性向上のためという政策目的を達成するには必ずしも有効な方策とは考えられない。」こういうふうなことが審議会で語られているんですね。それでこの導入を見送ったんですね。それが、五年たって、今ここで、もう具体的に導入するという法案が提出され、個別の審議をやっておるわけですね。

 私は、ここのところが、また原点に戻る話になるんですが、何でこうなるの、そういう思いを払拭することができないんですね。その点をどういうふうに大臣は認識しているのかということです。

 それから、建築士、姉歯事件がありましたね。建築士法の改正が先般行われたわけですけれども、当初、一級建築士の再試験あるいは資格更新制を含むそういうものが検討されていたけれども、結局見送られた。他方、そういうふうな同じ免許職種が同時に進行しているというときになぜここだけが、そういう思いが私はどうしてもぬぐえない。その点について、くどいようですけれども。

 同時に、免許のこれが入った場合の管理体制というのは、大変な労働がかかるというかコストがかかってくると思うんですね。例えば、教師免許の保有者が受講する講習をどのように実施するかという一つの問題、あるいは受講する教師の負担にどういうふうな配慮がなされるのか、あるいは講習の開設時期、実施形態の工夫だとか。これは、あと一年の中に、整って、そしてスタートするということになると、私は簡単にはいかないと思うんですね。

 結局、そういうふうな事態が進行する中から、聞くところによると、教師を希望していたけれども、そういう状況の中であるならばということかもしれませんが、ちゅうちょする傾向があるという話、新聞報道がありました。

 そういうふうな経過を踏まえて、私は、いま一度文科大臣に、だけれども私はこう思う、そういう疑問に答える、そういう不信は払拭できたんですと、その確信をあえて聞きたいと思うんですね。

伊吹国務大臣 やはり、例えば、免許更新をしたくないという立場の教師の方あるいは団体の方からいえば、これはもうどうしてもその不信は払拭できないと私は思います。

 しかし、要は、どれだけ多くの国民が、よき教師によき子供を預けたい、そしてこの研修制度がやはりそれにこたえてくれるというふうにお考えになるかというところが、主権は国民にあるわけですから、かぎを私は握っていると思いますが、私の、審議会その他で接したり、来るメールを見る限りは、圧倒的に賛成論者が多いように私は思いますが。

重野委員 これは永久に平行線、もうここで打ち切ります。

 そこで、たくさん用意しておったのですが、もうあと五分を切りました。

 一つ、これを確認しておきたいんですね、これは、ぴしゃっとそれに対して教示したのかどうか。

 教育ワーキンググループ主査の草刈さんが、文科省あてに、「大学における単位取得等を基本とした現在の教員免許制度は効果的に機能していると判断しているか。その場合、その判断の根拠を、実証データがあればそれを含めご教示いただきたい。」ということを出しておるということですが、これに対してどのような回答をされたのか。

銭谷政府参考人 現在の教員養成制度は、課程認定をしました大学、これを教職課程と呼んでおりますけれども、そこの大学で一定程度の、国が定める単位を取得した場合に教員免許が授与されるという制度になっております。現在、全国で約八百を超える大学で、教職課程の認定を受けて教員養成を行っておりますが、これは現在十分機能していると考えております。(重野委員「出しましたか」と呼ぶ)

 答えそのものについての確認をちょっと後でさせていただきたいと……(重野委員「後でも報告してください」と呼ぶ)はい。

重野委員 時間がもうありませんから、あと二問あわせて。

 第四十九条と第五十条。「児童、生徒等の教育を受ける機会が妨げられていることその他の教育を受ける権利が侵害されていることが明らか」という文があるんですが、これは具体的にいかなる状態を指すかということ。それから、五十条は、「児童、生徒等の生命又は身体の保護のため、緊急の必要があるとき」とは、これは具体的にいかなる事態を指しているのか。

 また、そのような事態を文科省自体はいかなる手段で把握するのか。あわせて答弁願いたい。

銭谷政府参考人 第四十九条は、「児童、生徒等の教育を受ける機会が妨げられていることその他の教育を受ける権利が侵害されていることが明らかである」という場合、具体的には何かということでございます。具体的にどのような場合に該当するかはケース・バイ・ケースだと思いますが、例えば、未履修の状態の学校があるにもかかわらず、教育委員会が事態を放置している場合など、児童生徒が法令で定められた教育を受けることができない場合が該当するというふうに考えております。

 それから、第五十条でございます。第五十条は指示でございますが、児童生徒等の生命身体の保護が緊急に必要な場合に該当するのは、これもケース・バイ・ケースではございますが、例えば、悪性の伝染病の予防のため学校を臨時休業しなければならないようなときとか、激しいいじめ等により生命身体の保護が明らかに必要な生徒がいるときであるにもかかわらず、教育委員会が何らの措置も講じず、緊急の必要がある場合が想定されると考えております。

 また、そういう状況をどういう手段で把握するのかということでございますけれども、教育委員会に対する各種の調査やヒアリング、国民から寄せられた情報などに基づきまして、法令の要件に該当するか否かを判断するということになろうかと思います。

重野委員 時間が二十分という限られた時間でありますので、すべてをただすことができませんでしたが、機会があればまた文科大臣と議論したいと思います。

 以上で終わります。

保利委員長 次に、糸川正晃君。

糸川委員 国民新党の糸川正晃でございます。前回に引き続きましてまた質疑をさせていただきます。

 まず、学校教育法改正案によって創設されます大学等の履修証明制度についてお伺いをさせていただこうと思います。

 二十一世紀は知識基盤社会の時代というふうに言われております。高等教育、そして生涯にわたる教育は、個人の教養の面、経済発展や文化国家の追求の面、あるいは国際競争力の確保の面からも極めて重要であるというふうに思います。

 既に、産業界を初め社会の人材需要というものは、独創性、即戦力、そして基礎学力等、高度化そして多様化が進んでおります。また、人生やそして職業に関する選択の機会が年歴的に高くなる傾向が指摘されております。つまり、高等教育を受けることによる付加価値がますます注目される状況にあるわけでございます。

 このような状況では、人々が生涯のいつの時点でも自由に学習することができ、そしてその結果が適切に評価される教育体制というのを構築していくということが大変重要な課題になっているのかなというふうに思います。

 折しも、平成十七年一月の中央教育審議会におきまして、文部科学大臣に「我が国の高等教育の将来像」、これを答申し、社会人の再学習需要というものを踏まえ、また企業におけるキャリアパス形成というのを意識しながら、修士そして博士、専門職課程での履修形態等の対応というのを求められました。さらに、生涯学習の意識の高まりに対応して、履修証明が社会的に定着する可能性にも言及をしておるわけでございます。

 そして、本年の三月十日の中央教育審議会の答申では、改正教育基本法に社会の発展に寄与するという大学の基本的役割が規定されたことを踏まえて、履修証明制度が提案されております。

 この履修証明の制度を創設するに当たって、本制度が社会にどのような形で定着していくのか、そして大学がどのようにして社会に貢献することを期待しているのか、文科大臣にお伺いしたいと思います。

伊吹国務大臣 まず、どういうふうに定着していくのかというのは、これは国会の審議等も非常に大切な場だと思いますけれども、特に産業界、人材を使われる産業界から適切な制度だという評価を得なけりゃこれは全く話になりませんから、本制度の普及を図って、そして社会的な評価を高めるためにいろいろな方途を講じなければならないだろう。PRも必要だし、国会のこういうやりとりもまた報道してもらえば一番いいわけですけれども。

 そして、先ほど来おっしゃったように、改正教育基本法七条では、大学の目的として書いておる中で、社会への還元ということが書いてあるわけですから、それを受けて、各大学が地域や社会に、人材の養成をするという期待に柔軟に対応していくというのでしょうか、その期待を受けとめていく、そして社会人の多様なニーズに合った学習機会を提供する、そしてそれが今おっしゃった履修証明に反映されてくる、こういう手順を踏んで、社会に受け入れていただくように全力を挙げるということだと思います。

糸川委員 ありがとうございます。

 では、次に官房長官にお尋ねをしたいと思います。

 安倍総理が、本国会の冒頭の施政方針演説におきまして、勝ち組と負け組が固定化せず、そして働き方、学び方、暮らし方が多様で複線化している社会、すなわち、チャンスにあふれ、だれでも何度でもチャレンジできる、可能な社会をつくり上げることの重要性というのを訴えられたわけでございます。その挑戦する意欲を持つ人が就職や学習に積極的にチャレンジできるよう、全力を挙げて取り組む決意を表明されておられたというように思います。

 この履修証明制度が再チャレンジ支援の観点から社会にどのように貢献をしていくことになるのか、現時点における見通し、これをお答えいただけますでしょうか。

塩崎国務大臣 先生御指摘のように、この再チャレンジができるような社会というのは、言ってみれば、価値観の多様な社会、そして生き方も、ですから多様になっていく、そういう社会にすることによって、何があっても人生遅過ぎることはない、あるいはあきらめることはないということで、いつもチャンスがある、そういう社会をつくっていこうというのが総理の基本的な考え方だろうと思います。言ってみれば、暮らし方、生き方の複線化、あるいは引き込み線もあろうし、いろいろな形の生き方があるよということだろうと思うんです。

 今御指摘の履修証明制度、これは必ずしも社会人だけではなくて大学生にも当てはまることでもありますが、こういった、社会人などに対する学習機会をできるだけ多く提供して、そして、その学習成果を証明することによって生き方の複線化に資そうということだろうと思います。したがって、再就職あるいは昇進の際の評価にも使われることにもなりましょうし、学び直しの機会の拡大ということにもつながっていくんだろうと思います。

 それから、二月に、成長力底上げ戦略というのを私たち御提案申し上げましたけれども、これは、「人材能力戦略」の中で、その一環として、大学等における実践型教育プログラムの履修者に対して履修証明書を交付するとともに、ジョブカードというのを我々提案しておりますけれども、このジョブカードにその内容を、どういう履修をしたのかということを記載することによって、転職やあるいは昇進のばねになるということも我々考えているところでございます。

 したがって、今回のこの履修証明制度が他の関連する再チャレンジ的な政策と両々相まって、人生の複線化というか、そういうものにつながっていくように我々は期待をしているということでございます。

糸川委員 大臣、この制度に先行して、先行的な事例として、鳥取大学が行うイノベーションスクール、こういうような取り組みが挙げられるかなというふうに思います。

 ここでは、MOT、つまり、技術戦略と経営戦略を組み合わせた、技術戦略の人材を育成するために、パートタイムで、一年間に十二単位の、学位のないプログラムというんでしょうか、これが設定されております。

 このMOTイノベーションスクールについて、文部科学省で実際にこれをどのように評価されているのかお伺いしたいということと、その上で、履修証明制度の創設についての検討の経緯と本制度の事前評価、これについて御見解をお伺いしたいと思います。

伊吹国務大臣 先生から、このMOTというんですか、マネジメント・オン・テクノロジーという御質問があるというので、担当の局から私聞いてみたんですが、地域の産学官協同でやっている話としてはなかなかいい話だなという評価は持っております。

 御承知のように、十七年の一月の中教審の答申で、社会人の学習意欲の高まりなどに対応して、学位以外の履修証明の方法やその他社会的な定着を促進する必要性が指摘されている。それと同時に、昨年の改正教育基本法の審議の際にも、大学の目的として、教育と研究開発と社会還元という三つのことが国会でお認めをいただいているわけです。私は、履修証明というのを制度化していくという方向は今度の学校教育法の中に明記してありますから、大いに促進を、学位でない履修証明制度というものを促進していくということは時代に合ったことだと思っています。

糸川委員 この制度、これを社会に実際に根づかせていかなきゃいけない。そして、根づいていくためには、教育の質及び教育の成果、これが社会から評価されることが重要であるわけです。

 この制度の運用に当たっては、各大学の特色、これをしっかりと生かして、創意工夫に大いに期待するところであるわけですけれども、加えて本改正案の第百五条では、文部科学大臣の定めるところにより、大学が特別の課程を編成し、修了者にこの証明書を交付することになっている。それで、事前に一定の基準が設けられるということにされております。

 具体的に、どのような項目についてどのような基準等を検討されているのか、お答えいただきたいと思います。

清水政府参考人 履修証明につきましては、まさに先生御指摘のように、高度かつ多様なニーズにどのように柔軟に対応していくか、そういう意味で、各大学の創意工夫を促すということが重要な観点でございますので、法令上、文部科学大臣の定めとしては、必要最小限の枠組みのみを規定するという方向で考えております。

 例えば、一つは、教育課程の編成及び評価のための学内組織を設けること。評価をきちんとすることによってその質をどう担保していくかという観点でございます。それから、教育課程の内容、方法、全体の計画、履修の資格等をあらかじめ公表すること。さらには、証明書には教育課程の名称や内容、時間数、成績等を記載すること。そういうことを設けることを想定しておりますが、国会審議での御議論も踏まえながら、さらに中央教育審議会において検討をお願いしたいと思っております。

糸川委員 では局長、改正案の百五条において、大学の学生以外の者で特別の課程を修了した者に対し大学が証明書を発行することができることになっておるわけですが、一方、各大学において、現行制度に基づく科目等の履修生や聴講生、それから履修証明が交付される特別課程の受講者との関係というのはどのようになるのか、お答えいただけますか。

清水政府参考人 科目等履修生とは、大学設置基準の三十一条に基づきまして、主に社会人など学生以外の者を対象として、大学の学部あるいは大学院研究科等の正規の授業科目を履修させる制度でございます。科目等履修生には当該大学の単位が授与される、こういうことになるわけでございます。

 また、聴講生は、法令上の規定は特に置かれてはおりませんけれども、一般に、単位は授与されないものの大学の正規の授業科目を受講している者を聴講生というふうに称しているものでございます。

 履修証明制度の対象となる課程は、社会人などの学生以外の者を対象として特別に開設された体系的な科目のまとまりというものを想定しておりますから、それを受講するという点で、正規の授業科目を履修する科目等履修生、あるいは一般に言われている聴講生とは区別される、このような整理をしております。

糸川委員 今の答弁を踏まえて伊吹大臣にお答えいただきたいんですが、この履修証明制度は、さまざまな人々のさまざまな学習需要に対して学習機会を与え、その成果に対して証明を交付するものであって、主な対象者を社会人とする科目編成も当然予想されるわけでございますね、今の答弁からすれば。その場合、夜間や土曜日の開講等で大学の負担というのが増加する可能性があるのではないかなというふうに思います。

 こうした講座を開講するかどうかというのは各大学の判断でもございますが、例えば、大学の評価項目に履修証明制度の実施が含まれるようになれば、比較的規模の小さいなどの理由で体制を整えることが難しい大学でも、夜間ですとか土曜の講座の開設に取り組まざるを得ない状況が生じてしまうのではないかなというふうに懸念もあるわけです。

 本制度の実施に当たって、大学が従来行ってきた教育研究への影響にも十分留意しながら行っていただきたいというふうに思いますが、大臣の御見解をお伺いしたいというのと、もうほとんど時間がございませんが、もう一点。

 この制度を円滑に導入するために、制度の担い手である大学の意欲、これを引き出すことが肝要であるというふうに思います。大学にとって、本制度を実施することでどのようなメリットが生まれるのか、改めてこれも御説明をいただきたいと思います。

伊吹国務大臣 二点のお尋ねだったと思いますが、改正教育基本法では、教育と研究と、そして社会貢献ということが大学の目的ということですが、これは人によってウエートの置き方が違うかと思いますが、やはり私は、一番大切なのは、しっかりとした知識の厚みを持った知識人を社会に送り出すという教育だと思います。だから、ここのところが阻害をされて、履修証明のところだけに力を入れるような大学が出てくれば、それは大学の評価としてはかえって下がるんですよということをやはりよく自覚しておかなければなりません。

 しかし、同時に、先ほどの鳥取大学のように、地域との連携の中でいいものをやっておられるところは、どちらかというと、逆に大学の評価が上がってくるわけですね。しかし、それが本来の大学の機能を低下させていれば、結局、トータルとしての評価は下がってくるわけでしょうから、これはよく見て、そして、競争的資金の配分だとかその他において、何か勇気づけられるようなことがあれば、やはり厳重な審査の上、文科省も手を差し伸べたいと思います。

糸川委員 もう時間でございますので質問を終わりますけれども、ぜひ大臣、またそういういい取り組みをしていこうとしている大学に対しては積極的に支援をしていただきたいと思います。

 以上です。終わります。

保利委員長 長時間の御審議、ありがとうございました。

 次回は、明二十六日木曜日午前八時四十五分理事会、午前九時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後五時三分散会


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