衆議院

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第7号 平成19年5月7日(月曜日)

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平成十九年五月七日(月曜日)

    午前十時開議

 出席委員

   委員長 保利 耕輔君

   理事 大島 理森君 理事 河村 建夫君

   理事 小坂 憲次君 理事 鈴木 恒夫君

   理事 中山 成彬君 理事 野田 佳彦君

   理事 牧  義夫君 理事 西  博義君

      赤池 誠章君    井澤 京子君

      井脇ノブ子君    伊藤 忠彦君

      稲田 朋美君    稲葉 大和君

      猪口 邦子君    大塚 高司君

      亀岡 偉民君    木原 誠二君

      鈴木 俊一君  とかしきなおみ君

      中森ふくよ君    丹羽 秀樹君

      西本 勝子君    馳   浩君

      平田 耕一君    広津 素子君

      藤井 勇治君    松本 洋平君

      安井潤一郎君    山内 康一君

      若宮 健嗣君    川内 博史君

      北神 圭朗君    田島 一成君

      田嶋  要君    高井 美穂君

      西村智奈美君    松本 大輔君

      横山 北斗君    笠  浩史君

      伊藤  渉君    大口 善徳君

      石井 郁子君    保坂 展人君

      糸川 正晃君

    …………………………………

   議員           田島 一成君

   議員           高井 美穂君

   議員           藤村  修君

   議員           牧  義夫君

   議員           松本 大輔君

   議員           笠  浩史君

   総務大臣         菅  義偉君

   文部科学大臣       伊吹 文明君

   国務大臣

   (内閣官房長官)     塩崎 恭久君

   内閣官房副長官      下村 博文君

   文部科学副大臣      池坊 保子君

   文部科学大臣政務官    小渕 優子君

   政府参考人

   (総務省自治行政局長)  藤井 昭夫君

   政府参考人

   (文部科学省生涯学習政策局長)          加茂川幸夫君

   政府参考人

   (文部科学省初等中等教育局長)          銭谷 眞美君

   政府参考人

   (文部科学省高等教育局長)            清水  潔君

   政府参考人

   (文部科学省高等教育局私学部長)         磯田 文雄君

   政府参考人

   (文部科学省スポーツ・青少年局長)        樋口 修資君

   衆議院調査局教育再生に関する特別調査室長     清野 裕三君

    ―――――――――――――

委員の異動

五月七日

 辞任         補欠選任

  西村 明宏君     中森ふくよ君

  原田 憲治君     大塚 高司君

  二田 孝治君     藤井 勇治君

  やまぎわ大志郎君   広津 素子君

同日

 辞任         補欠選任

  大塚 高司君     丹羽 秀樹君

  中森ふくよ君     西村 明宏君

  広津 素子君     やまぎわ大志郎君

  藤井 勇治君     二田 孝治君

同日

 辞任         補欠選任

  丹羽 秀樹君     原田 憲治君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 政府参考人出頭要求に関する件

 学校教育法等の一部を改正する法律案(内閣提出第九〇号)

 地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案(内閣提出第九一号)

 教育職員免許法及び教育公務員特例法の一部を改正する法律案(内閣提出第九二号)

 日本国教育基本法案(鳩山由紀夫君外五名提出、衆法第三号)

 教育職員の資質及び能力の向上のための教育職員免許の改革に関する法律案(藤村修君外二名提出、衆法第一六号)

 地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案(牧義夫君外二名提出、衆法第一七号)

 学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案(笠浩史君外二名提出、衆法第一八号)


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     ――――◇―――――

保利委員長 これより会議を開きます。

 内閣提出、学校教育法等の一部を改正する法律案、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案及び教育職員免許法及び教育公務員特例法の一部を改正する法律案並びに鳩山由紀夫君外五名提出、日本国教育基本法案、藤村修君外二名提出、教育職員の資質及び能力の向上のための教育職員免許の改革に関する法律案、牧義夫君外二名提出、地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案及び笠浩史君外二名提出、学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案の各案を一括して議題といたします。

 この際、お諮りいたします。

 各案審査のため、本日、政府参考人として総務省自治行政局長藤井昭夫君、文部科学省生涯学習政策局長加茂川幸夫君、初等中等教育局長銭谷眞美君、高等教育局長清水潔君、高等教育局私学部長磯田文雄君、スポーツ・青少年局長樋口修資君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

保利委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

保利委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。横山北斗君。

横山委員 おはようございます。民主党横山北斗です。

 まず冒頭、大臣と文科省にぜひお伺いしたいことがございます。

 男の子のあこがれの職業が、生命保険のアンケートによれば、三年連続プロ野球選手であったと。そのあこがれを追っかけてきた学生たちが、今、本人たちが予想していない環境に突然追い込まれているという今の高野連の状況の中で、文科省として、大臣としてどういうふうにお考えか、お聞かせ願えればと思います。

樋口政府参考人 お答え申し上げます。

 今回、日本高野連の調査におきまして、専大北上高校が日本学生野球憲章で禁じられております野球に関する特待生制度を設けていた事実が判明したことを受けまして、日本高野連におきまして、加盟校に対し調査を行ったものと承知しております。調査結果につきましては、高野連加盟校四千七百六十八校のうち、延べ三百八十四校が憲章違反に当たる特待生制度を設けていたと聞いているところでございます。

 野球を含め、高校の運動部活動は、学校教育の一環であることからも、ルールを守ることは大切なことであると考えております。文部科学省といたしましても、今回の調査結果を踏まえまして、日本高野連を中心に適切な高校野球の運営が展開されるよう、今後、関係者の対応を見守ってまいりたいと考えておるところでございます。

伊吹国務大臣 高野連の規則というのは、これは高野連が決めることですから、文部科学省が云々すべきことではありませんが、一般論として、政治家として先生の御質問にお答えをしたいと思います。

 野球以外は、こういう、スポーツの特待生制度というのはあるんですね。そして、それはアマチュア規則に反するという規定に必ずしも各連盟の規定ではなっていないです。それから、成績がいいという人にも特待生の制度がありますから、高野連がこの社会一般の風潮を考えられて、このことについてどう対応されるかということが、私は一つ大きなポイントだと思います。

 ただ、人の親あるいは孫を持っている者の気持ちからしますと、親元を離れて、大勢の野球の能力のある者を集めて、それで校名を上げようというのは、私は、少し教育の本筋から離れているんじゃないかという気はしますね。できれば、おのおの親元から通われた学校の中で、野球の能力がいい人を特待生制度として認めてあげて、そして、親元でみんなが高校生活を送りながら、学校間の技量を競う、これがやはり本来のアマチュア精神のあり方であって、私は特待生制度そのものが悪いとは思わないんです。しかし、今の大人たちの、特に野球少年を扱う態度というか姿勢というのが本当に教育者として正しいかどうかは、私は少し疑問に思っております。

 いずれにしろ、先生がおっしゃるように、全く制度その他について知らなかった少年が被害者になるということはやはりできるだけ避けるというのが大人の、特に教育に携わる大人の責任かなというふうに思って私はこの問題を見ておりましたので、担当局長は一応、文部科学省としての建前論を申しましたけれども、できるだけ生徒に被害の及ばないように、できればお話をしたいと思っております。

横山委員 私は、大臣の御答弁は正論だと思っております。明快な御意見を述べてくださいまして、ありがとうございました。

 それでは、質問に移らせていただきます。

 まず、教員免許状につきまして、四月の二十六日の参考人の意見陳述の中で、教員免許状を与えるまでの学習年限に関して、拡大することを是とする積極的な意見が出ました。例えば六年制にするにしても、大学院に進学するにしても、そういうことをもし設けた場合に、新たに二年間退職までの年数が早まる、生涯賃金に影響が出るじゃないかという御意見が、この委員会の中でも、反対意見の中で出されたと思います。

 これは実際、例えば大学院進学から退職まで、それから大学院に進学しなかったケースを含めて、もちろん、先生になってからの出世の仕方によっても給与というのは当然違ってくるわけですけれども、モデルケースとして見た際に、給与面、とりわけ退職金まで含めた生涯賃金というのはどういうふうになっているんでしょうか。文科省にお尋ねします。

銭谷政府参考人 教員の生涯賃金のお尋ねでございますけれども、公立の小中学校の教諭につきまして、現時点で、大学卒業後、つまり学部卒業後、二十二歳で採用された方と、大学院修士課程を修了後、二十四歳で採用された方を、いわゆるモデル給料表に基づきまして試算をしてみたところでございます。これは、本給に教員に支給される諸手当、退職金も含んで計算をしてみたところでございます。

 まず、大学卒業後、学部卒業後、二十二歳で採用されて、六十歳まで三十八年間勤務をし、教諭のままで定年退職をした場合でございますけれども、これは合計で二億五千四百八十二万円と試算されております。内訳は、現役時の給与の総額が二億二千七百六十五万円、退職手当が二千七百十七万円でございます。

 それから、大学院修士課程を修了後、二十四歳で採用されまして、三十六年間勤務をいたしまして教諭の身分で定年退職をした場合、合計で二億五千百八十七万円という試算でございます。内訳は、現役時の給与総額が二億二千四百七十万円、退職手当が二千七百十七万円でございます。

 したがいまして、単純に生涯賃金を比較すれば、勤務年数が二年長いことの影響が大きいため、大学卒業後に採用された教諭の方が二百九十五万円高いということになります。もちろん、二十四歳の時点で、大学院を卒業して教員に採用された方は、その時点で比較をすれば、学部卒業で三年目を迎える先生に比べると本給は高いのでございますけれども、三十八年と三十六年というこの年数の違いが生涯賃金に影響しているということでございます。

横山委員 大学からストレートで行った方が三百万ぐらい生涯賃金の方は高くなるということで理解いたしました。

 しかし、現実に、教員採用試験で現役合格、そういう言葉が適当かどうかわかりませんが、学部四年生のときに教員採用に受かり、そして二十二歳の四月から教壇に立つという学生がどれぐらいいるのかということを考えてみましたときに、私の知る限り、二年、三年、四年と、いわゆる浪人といいますか、続けて受験する学生はざらにいるのではないかと思っております。

 では、小学校、中学校など、合格者の平均年齢が幾つなのか、少なくとも二十一・何歳なんという年齢ではないと理解しておりますが、今、全国平均お幾つぐらいなのでしょうか。それと、その受験回数、現役合格であれば一回で受かるわけですけれども、そうでない人が大勢いると私は思っておりますので、では受験回数の方は平均すると全国平均何回ぐらいなのでしょうか。お聞かせください。

銭谷政府参考人 まず、平成十六年度の学校教員統計調査によりますと、教諭として採用された方の平均年齢でございますけれども、小学校で二十七・五歳、中学校で二十八・六歳、高等学校で三十歳ということになっております。

 大学卒業後すぐに採用されている方の割合につきましては、平成十八年度の公立学校教員採用選考試験の採用者数に占める大学新規卒業者の割合ということで出してみますと、これは二六%でございます。つまり、教員採用になった方のうち二六%の方が大学を卒業してすぐ採用されている、大学卒業後数年経過している、二年以上経過している人の割合が七四%ということでございます。

 なお、先ほど申し上げました、採用された方が教諭として採用されるまでの間の受験の回数、これについては、ちょっとデータがございませんので今お答えできないのを大変申しわけなく思っております。

横山委員 恐らく、今、平成十六年というデータということですと、少子化の影響などで教員養成が抑制されてきた中での厳しい数字かなというふうに理解いたします。

 私が自分で知っている限り、もうそれよりさらに三、四年前がやはり二十六・何歳ぐらいでした。つまり、大学を卒業して、小学校が二十七歳、中学が二十八歳、高校が三十歳ということであれば、大学院に進んで修士、博士とストレートで大学の先生になって大学卒業後五年かかりますから、それとほとんど変わらない年齢であるということになります。

 私の周りにも、大学を卒業した後にもちろん教員、学校の先生になりたいと思って、学部の間一生懸命、小学校教員養成コース、中学校教員養成コースで勉強し、受験をしたけれども受からない、それで一年浪人する、二年浪人する、その間アルバイト、家庭教師をやったり、あるいはもう全然そういうのと違うコンビニエンスストアなどで働いて、そしてまた二年、三年と受験してもなお受からないという学生が非常に多いわけですね。

 それが今、話を聞くと、現役合格はいわゆる四人に一人しかいないんだ、七割以上の人が二年、三年浪人しているという現実がある以上、私は、そうであるならば、例えば法科大学院をつくりましたときに、これはもちろん法曹三者の数と質の拡大を第一の目的としておりまして、また同時に、一つの目的としては受験回数を減らすというようなこともあったと思います。

 どうなんでしょうか。民主党案のように、大学院に一たん入学させて、学部四年は四年で終わった後、さらに教員を目指す者は大学院に進み、そこで二年間勉強して、より教員になる資格者を絞るような格好の中で教員養成をしていった方が、現実に照らして見たときに、ただ受験回数だけ三回、四回と受験して、二十七歳でやっと受かった、二十八歳で受かったというよりは、二十二歳で卒業後、二十三、二十四の二年間大学院でしっかり学ぶ、そしてより若い年齢で教員に採用していける民主党案の方がすぐれているんじゃないかなと思うんですけれども、現実に照らして、大臣、どのように考えますか。

伊吹国務大臣 法科大学院の話とは少し筋が違うと思いますね。司法試験の受験資格というのは、一般的な教養試験を通れば別に小学校卒業生だって受験資格はある、それを、二十二年から、原則として法科大学院卒業生に限定をしたということだと思いますから、少しこれとは性格が違うと思うんですが、先生がおっしゃったような立場から考える考え方と、私はむしろ、教員の資質向上という面から、修士を将来的には受験資格にするというのは一つの考え方だと思うんです。

 ただ、現実問題からいたしますと、六十歳定年を前提として人事管理が行われているわけですね。そうすると、六年と四年で二年のブランクができますね。六十歳でやめていったときに、大学院の修士課程を受験資格とした場合、二年間のギャップが生ずるわけですよ。その間の教員の人事の管理をどうするかという問題が一つ当然出てきますね。

 それから、大学院修士課程まで行って、二年分余分に授業料を払って教師になるんだという方がどの程度なんだろう、これは現在の教職課程の大学院修士課程卒業者の採用割合から見るとかなり難しい問題が出てくるなという二つの観点があると思います。

 ですから、将来的に、修士課程を終えても教師になりたいという教師の処遇、それから社会的な評価の確立、こういうものと両々相まって、先生の御提言が現実のものとなってくるんだと思います。

 ですから、私は、理想論としては、教師の資格を考えるときに、修士を受験資格とするという参考人の方の御意見の陳述はある程度理解しますけれども、行政を預かっている立場からすると、理想と現実の調和を常に求めながら現実に対処していかねばなりませんので、やはり将来の検討課題として御提言を受けとめさせていただきたいと思っております。

横山委員 わかりました。実際、二十七歳ぐらいまで浪人して、三十近くなってもまだ受験するという学生をどうやって救済していくのかな、より明確に進路を示せる方が私はよろしいかなと思ったんですけれども、大臣のお話はお話として御理解いたしました。

 では、次の質問に移らせていただきます。

 私も、実態に照らせば、大学院進学後に教員というものがいいと思います。しかし、実際、今の教育学部に設置されている大学院は、一年目に単位を修得し、そして二年目に修士論文を作成する。これが、民主党案のように一年間を丸々教育実習に充てるとなると、一般論として、二年での修了というのは難しくなると私は思います。そういう場合、例えば、今の教育学部の教育学研究科の大学院の修士課程と、目的そのものを例えば研究主眼から教育主眼に変えていくのかとか、そういうことも問われてくると思うんですけれども、この点、民主党案の提出者としては、どのようなお考えを持って意見を出されたのでしょうか。お尋ねします。

田島(一)議員 横山委員の質問にお答えいたします。

 私ども民主党の案では、教育学部を六年制にするという考え方ではございません。御指摘いただいたとおり、現在の学士四年制にプラスをして修士の二年間、合計六年間という考え方に基づいてつくらせていただいた案であります。

 この修士課程では、もちろん、御指摘のように学位は授与いたしますけれども、修士論文を必須課題として課すことは考えておりません。もちろん、今おっしゃっていただいたように、一年間は丸々現場での教育実習に充てさせていただきますので、どちらかといえば、教育職員を職業人として育成していくという考え方から、専門職大学院としての位置づけで今回の六年制の大学院を考えておりますので、どちらかといいますと、教育者を育成する現在の大学院教育研究科とは一線を画しているというふうに御理解をいただけたらと思います。

 なお、教職大学院を重視していくことは、教育学部以外の学部出身者でも現在は教員になれるという開放制を必ずしも否定するものではありません。一般の学部を卒業された方でも、教師になりたいと考えて、大学院に二年間入っていただき、一般免許状を取得していただくという選択もしっかりと確保していきたい、そのように考えておりますので、御理解ください。

横山委員 よくわかりました。私、民主党なのに知りませんでした。どうも申しわけありません。確かに、学部を四年間で卒業して、その間に進路を変える人もいますから、六年制というのはよくないと思っていたんですけれども、そういうふうにお考えということで。申しわけありませんでした。

 では、続きまして、今度は幼稚園教諭につきまして、同じく民主党提出者にお尋ねいたします。

 この委員会でも、幼稚園に関しては現行のままでもいいのではないかという考えが示されました。実際、短大を出て、幼稚園に数年勤めた後、結婚退職をしていく方が、七割ぐらいでしょうか、大勢いるということを考えますと、一気に大学院修了までというのは、ちょっとその差が大き過ぎるのではないかという気がいたしますが、この点、民主党としてはどのようにお考えだったんでしょうか。

田島(一)議員 お答えする前に、民主党の教育区分について少し説明をさせていただきたいと思います。

 現在の教員の免許状制度と私ども民主党の案とは、大きく違う点が一点あります。私どもの案、第四条の中で、現在の幼稚園と小学校を合わせて初等教育諸学校という区分に入れております。そして、中学校と高等学校、中等教育学校を合わせて中等教育諸学校、そして、それに加えて特別支援学校、大きくこの三つの区分に分けさせていただきました。これは、子供の発達段階に適切に対応していくための区分というふうに、まず冒頭、御理解をいただきたいと思います。

 横山委員が先ほど質問の中でもおっしゃってくださったとおり、幼稚園の教員の現在の学歴別の区分を見ますと、平成十六年度で約八割の方が短期大学卒業者であるという事実は私どもも理解をしております。また、現在、二年の短期大学の教育課程を修了し、つくことができる幼稚園の教員が、我が党案では約三倍の六年間必要だということから、その負担感を懸念する声があることも、私どもも検討してまいりました。

 しかし、先ほども申し上げたとおり、子供の発達段階に適切に対応していくということを考えていきますと、今日、子供たちを取り巻く状況また環境の変化を照らし合わせてみれば、やはり履修単位をふやして資質能力を高めていくことは必要ではないかというふうにも考えましたし、幼児教育がそういう点では非常に大切だということが各界の知見のある方々からも指摘をされていることは御承知のとおりだと思います。

 もう既に御承知とは思いますが、現在、小学校一年生で授業が成り立たなくなっている、いわゆる小一プロブレムという問題が起こっております。幼稚園の段階では問題視されなかったさまざまな課題が小学校に入った途端明るみに出てくる。この現状を考えてみますと、幼児期の心理発達等に関した豊富な知識等がやはり知見として非常に必要ではないか。小学校に進学をしてからも、幼児教育の部分に専門的に理解をした先生方がいらっしゃるかどうかによって、こういった小一プロブレムという問題解決には相当大きく寄与するのではないかというふうに考えております。

 一方、御指摘いただきましたとおり、短大を卒業して数年勤務した後に結婚して退職されるという方が多いことも私どもは認識をしておりますが、ただ、今日の職業形態等々からして、これは政府として、また私ども民主党として、お勧めできるライフスタイルかどうかという点については、いささか疑問を感じております。

 六年間、みっちりと教員課程そして大学院で研究を積んでいただき、その持てる力を幼児教育の分野で、わずか数年ではなく末永くしっかりと発揮していただき、問題が多いと言われている幼児教育に力を発揮していただくことこそ今求められていることではないか、そう考えるものでありますので、委員が御指摘いただいたように、やはり幼児教育を抜本的に改革するといったことから、大変大きな挑戦と御指摘いただくかもしれませんけれども、私どもは現在の免許課程から六年間という大きなハードルを設けさせていただきましたので、御理解をいただきたいと思います。

横山委員 幼稚園なら幼稚園、小学校なら小学校、現行制度のままで何か少し手直しをするというのではなくて、時代の変化に応じて子供たちが、確かに、昔であれば小学校六年生の我慢の度合いが、今は小学校一、二年生ぐらいの我慢しか六年生ができないとか、そういう時代の変化とか、そういうもの、あるいは平均寿命みたいなものも含めて、幅広く教育の体系全体を見直していく中でこういう考えが出てきたのだということで、大変よく理解できました。私も、うちに帰ってもう少し民主党案を勉強してまいります。

 では、次の質問に移らせていただきます。

 教員免許状の取得の要件に、民主党案のように大学院の修了を加えるにしても、それから、十年間の有効期間による更新制を導入する場合でも、それから教職大学院にしても、目的はみんな教員の質を高めるという、その一点にあろうかと思います。

 しかし、私が問題としたいのは、その際の大きな問題として、受講する側の現役の教師じゃなくて、受け入れ先の大学の先生たち、この人たちが果たして教えるに足るだけの能力を有し続けているかどうかということも、非常に難しい問題ではありますけれども、問題にしなければならないと思います。野球でもサッカーでも、優秀な選手を集めても、監督、コーチがしっかりしていなければ強いチームになっていかないように、教える側の問題を私は大変重視しております。

 そこで、まず文部科学省にお尋ねしますが、そういう際、例えば国語なら国語教育を、数学なら数学教育を施します、各大学におられます教科指導法担当の大学教員の主な前職はどのようになっているでしょうか。答えられる範囲でお聞かせください。

銭谷政府参考人 お尋ねのございました、教員養成課程におきまして国語や数学などの各教科の指導法を担当する教員の前職、前歴でございますけれども、やはり多いのが、以前からその大学等で教鞭をとってきた大学教員という方が多いわけでございます。それ以外の者といたしましては、義務教育諸学校などの退職校長の方とか、あるいは退職教員の方がいらっしゃいます。それから、指導主事や学校教育担当課長などの教育委員会の関係者などの経歴を持つ方がいらっしゃいます。

 各教科の指導法を担当する教員の中での割合でございますけれども、これは全国的なデータはないのでございますが、サンプリングをちょっととってみましたら、平成十八年度に課程認定等の審査を受けました大学、七大学を抽出して調べたものでございますけれども、前職がもともと大学の先生であるという方が七割ぐらいでございます。それから学校の退職校長、退職教員、あるいは教育委員会の職員であったとか、そういう方々が約三割ぐらいといったようなのがサンプリングでは結果が出ております。

横山委員 その点に関連いたしまして、もう一つお尋ねしたいんですが。

 そうしますと、退職校長先生とか教育委員会をやっておられた方とか、そういう方々というのは、結局、現場で教えてこられて、その現場感覚をこれから先生になろうとする人たちに教えていく、そういう役割が期待されていると思うわけですけれども、その点は間違いありませんか。

銭谷政府参考人 先生おっしゃったとおりでございます。

 特に、退職された教員とか校長先生でこういう大学の教員養成課程において各教科の指導法を担当している教員について考えてみますと、公立学校の教員としての在職時代から、その教科の研究会とかそういうところで恐らく中心的な役割を果たしてきた方が多いのではないかなというふうに思っております。

横山委員 わかりました。

 それで、四月二十六日の参考人の意見陳述の中でも、参考人の方から、子供の姿、子供社会の変化に敏感な教員養成が図られなければならない、社会の変化を取り込んだ実践的指導力が必要だ、こういうことをお二人の参考人も述べておられました。しかし、改めて述べますと、現場感覚を失う教員では、それはできないと思います。

 具体的に言ってしまえば、大学の先生になって十年、二十年経過しているうちに、やはり自分が教えていた時代と今現場の教師たちが悩んでいることというのは当然ずれが生じてくるわけで、それを理論の上でしか学んでいない人と現場を知っている人とでは、やはり指導力に大きな差が出てくるだろうと私は思います。

 この点、そういう現場感覚を失わないためにどういう方法があるだろうかということで、教職大学院をつくるときに、私は、小坂前文部科学大臣にお尋ねをしたところ、小坂先生の方からは、任期制というものがある、そういうものをきちんと利用して現場感覚を失わないようにしたらいいじゃないかという御発言がありました。私も、大変いい、アイデアというか、御意見だと思って伺ったわけです。

 この点、教育基本法のときにも伊吹文部大臣にもお尋ねいたしました。基本的に御賛同いただいておるわけですけれども、来年スタートする教職大学院で、では、そういう面での教員人事というのは、各大学に対して何か反映されているものはあるのでしょうか。

清水政府参考人 御指摘のように、教職大学院制度は、専門職大学院設置基準、関係省令の改正を三月一日に行いまして、この六月末の認可申請に向けて、各大学で設置の検討がなされているところでございます。

 教員の任期制については、設置基準上は特段の規定を設けておらず、その活用自体は各大学の判断にゆだねているところでありますけれども、先生御指摘のように、教職大学院におきましては、とりわけ学校現場の実態に即した教員養成を行う、実践的指導力を備えた教員を養成するという観点から、専任教員のうち四割以上は実務経験を有する実務家教員であることとされているところでありまして、そういう意味でも、任期制の活用は有意義であるというふうに考えております。

 例えば、各大学の設置構想では、この実務家教員について教育委員会と人事交流を行う、現職の方の人事交流を行うということによって、一定の期限を区切りながら、すぐれた指導力を有する教員等を派遣してもらうということを検討している大学も多く、そういう意味で、任期制の活用もこれから進んでいくものと考えております。

横山委員 どうも御答弁ありがとうございました。

 四割が実務家だと。来年スタートする際には、もちろん、その現場感覚をしっかり反映してやっていけると思います。それが五年、十年たつうちに、またおかしなことにならないように。

 例えば、国民的ドラマとなった金八先生というのは、その後何回も何回も再放送されていますけれども、実際、国立大学法人の教育学部長で、私が高校生ぐらいのときにやった番組をいまだにとらえて、将来の金八先生を目指して頑張ってくださいと言い続けている人がいますから、そのあたりの感覚のずれが生じないように、任期制を利用するなどしながら、特段の御配慮を続けていただきたいと思います。それは、要するに、十年講習の場合とかも含めて、よろしくお願いいたしたいと思います。

 次に、十年ごとの免許状更新講習を大学が行うことにつきまして、そうなると、これを今例えば教育学部なら、その卒業した大学の方にもう一回戻ってというようなことを構想しているというお話を先般の委員会で文部科学省の方から御説明がありました。

 となると、当然、仕事が忙しくなってくるだろうなと思うんですが、一時期、教員養成系大学を少子社会の進行に伴って整理統合しようというような案が出ていたと思います。この考え方というのは今どうなっているんでしょうか。文部科学省にお尋ねします。

清水政府参考人 先生御指摘のことについては、平成十三年の国立の教員養成系大学・学部の在り方に関する有識者会議の報告に関するものと思っております。

 その報告は、当時、国立の教員養成系大学・学部において、小規模な学生定員の教員養成課程が増加してまいりました。そういうことにより、教育への支障、すなわち、教員組織が、教員養成に必要な組織を編成するとほとんど余裕がなくなり、免許教科等がございますので、新たな教育課題に対応するための教育研究体制を組むことが困難であるというような状況を踏まえ、その充実強化を図るという観点から、一学部当たりの学生数や教員組織がふさわしい規模となるよう再編等を進めるという提言を行ったものでございます。

 具体的な再編統合につきましては、例えば、具体的な複数の大学・学部を統合するという形態もありましょうし、また、小学校教員養成機能は各大学に残すものの、中学校、高等学校等、他の教員養成機能については他の大学との役割分担をするなどのケースもあわせて提言されたところでございます。

 これを受けまして、関係大学間でさまざまな検討が行われたところでありますが、例えば、平成十六年度には島根大学教育学部と鳥取大学において再編が行われ、鳥取大学は教員養成を目的としない学部を強化して、教員養成課程を島根大学の方に移管したというふうなケースがございます。

 現在、再編統合を具体的に検討している教員養成系大学・学部は今のところ承知しておりません。しかし、教育の充実強化の必要性というのはやはり現在でも課題であると認識しておりますし、そういう意味で、地元の関係機関との十分な意思疎通、理解と協力を得つつ、各大学において自主的な検討がなされることが必要であるというふうに考えております。

横山委員 そうしますと、今のことと関係してもう一つお伺いしますが、では、この十年講習みたいなものが始まるから、一たん前に出た、小規模大学だから充実強化のために整理統合が必要だというような考え方がなくなるということではなくして、より一層機能強化のために進む可能性もあるという理解でよろしいのでしょうか。それで、そういうことを改めてまた文科省として提案していくということもあるんでしょうか。

清水政府参考人 基本的な考え方は、平成十三年の検討会議で示されたあのとおりでございますし、私どもとしても、いろいろな契機をとらえて、例えば教職大学院もそうでございますけれども、そういう中で、例えば学部の養成課程をどうするのか、あるいは先生御指摘の教育学研究科一般修士課程の部分をどうするのか、そして、今現有の教員組織で、あるいは免許更新講習への対応も含めてどう対応していくか、そういう課題の中で、充実強化という観点の中から各大学で御検討いただく事柄であろうと思っております。

横山委員 よくわかりました。

 ただ、現場でといいますか、教育学部の教職員に対しましては、十年講習が始まると、また新しい学部再編が必要になるのかとか、教員配置が必要になるのかとか、そういうさまざまな対応に追われてくることになります。ですから、より学生への指導、そしてみずからの研究のできる環境を整えていくためにも、その点の理解というのが、私は国立大学法人の教育学部の現場などでは進んでいないと思います。

 今の段階でまた十年講習が始まれば、では、あんな考えは吹っ飛んでしまって、各学部ごとに先生をふやしていかなきゃいけないのかなとか、そういう感覚の方が強いと思いますので、その点の理解を深める方法を何らかの形で文科省としてとっていただければなと考えますので、よろしくお願いいたします。

 それでは、次の質問に移らせていただきます。

 十年講習というものを考えたときに、地方には教員養成系の大学というのが一つしかないところというのは非常に多いわけです。東京とか大阪とかに来れば、それは私学にも国立大学法人にもあるいは教員養成専門の国立大学などもあります。しかし、地方に行くと、例えば青森県なんかでいえば、弘前大学の教育学部が唯一であって、あとは、よその私学は高等学校の教員免許を取ることはできますけれども、小学校とか、まして幼稚園課程とかになると唯一の教員養成機関になります。

 そういう場合に、私ちょっと思ったんですけれども、例えば三十二、三歳のころに大学の助教授である人のゼミ生で、青森県内の小学校の先生になりました、中学校の先生になりましたと。二十二、三歳でなった学生が十年たったときに、大学の先生の方は教授になっていて四十三歳、小学校、中学校の先生になった子ももう三十三ぐらいになって、十歳ぐらいの年の差で、年一回ぐらいゼミのOB会とかで集まったりしていたりもするわけですよね。十年たったら、また先生のところに勉強に行くよ、またおまえ、おれの学生かという関係がそこでできるじゃないですか。それで厳しく指導できるかなというような思いはあります。ましてや、五十三、四十三になると、どっちが老けているかなんてもうわからないですよ。

 そういう関係というのも私はできてくるんじゃないかなということを、心配するというか、考えましたときに、教員養成学部を持たない大学で十年講習のための何か講座だけを設けてやるとか。結局、一つしかないわけですから、卒業後もまたそこに友人、友達感覚で戻ってくるようなものになるよりは、教育学部を持たなくても十年講習のための講座を設けたり、そういう教職大学院のようなものを設立するようなことを認めても、そういうのもありかなと。

 もちろん、つくるためには大変な努力を要すると思います。しかし、その点の考えは今の段階であるのかどうか、文科省の方にお尋ねしたいんですけれども。

銭谷政府参考人 免許更新講習を開設する主体についてのお尋ねでございますけれども、教員免許は、大学での国の定めた基準に基づく所要の単位取得を前提に授与しているものでございますので、免許更新講習の主たる開設主体も、教員養成課程を有する大学、これがやはり中心になるというふうに想定をいたしております。

 ただ、御案内のように、いわゆる教員養成課程以外で教員養成を行っている、教職課程として認定を受けている大学も八百以上あるわけでございますので、教員養成課程ではございませんけれども、教職課程として認定を受けている大学も免許更新講習の主体にはなり得ると思っております。

 それから、免許更新講習は、卒業した大学で講習を受けなきゃいけないということではもちろんございませんので、その勤務地等に応じましていろいろな大学の中から選択をして講習をするということになるのかなと思っております。

 それから、先ほどちょっとお話がございましたけれども、更新講習の際の修了認定についてでございますけれども、これは厳格に行う必要がございますので、客観性、公正性を確保するために、単に講習の受講のみで更新をするという制度にはしないわけでございます。免許更新講習の修了認定基準というものを省令において明確化いたしまして、修了認定の方法として、筆記試験、実技考査等の実施等を今予定をしているところでございます。

横山委員 自分の卒業した大学に戻らなければならないということではないというのは、もちろんそうだと思います。ただ、その地方にそこ一校しかなければしようがないというのもありますので、よそで免許を取って。

 実際、どこの学校でも、経済学部があれば社会科の先生養成、理工学部があれば理科の先生養成、そういうコースがあるわけですから、設立を認めてですね。そうすれば、より通学もまた楽になるだろうし、さまざまな便宜が図られるようによろしくお願いいたします。

 それで、では教員養成に関しまして最後の質問なんですけれども。

 これは運転免許証に例えるとまた変な話になるかもしれないんですけれども、十年後に研修の時間、民主党案百、政府三十時間。これは時間の長さとかその内容とかいうのはまた、もっともっと話が煮詰まって高まってくるとは思うんですけれども、ふだんでも研修とかやっている学校の先生たちにしてみれば、単純な話ですけれども、頑張った者と頑張らない者とが一律というのもどうかなと思ったりする部分があるんです。私、別に民主党案に逆らうわけではございませんが、例えば、中には三十時間で済む人もいれば、百時間受けないとという人もいるというならわかるんですね。一律三十時間とかいうことに関してはどうなんでしょうか。それまでの努力ということもあろうかと思いますけれども、大臣、いかにお考えでしょうか。

伊吹国務大臣 先生の御質問は、両方、十時間でもいいし、六十時間の人もいるという意味ですね。

 まず、今回御提案しております更新制というのは、原則論として言えば、知識、技能を十年ごとに刷新していただきたいということですから、個人でよく勉強しておられるとか、そういう例は確かにあると思います。運転免許とは違うと思いますけれども、十年間無事故、二十年間無事故は講習時間が短いという例は確かにあるんですけれども、本来の知識の更新という趣旨からいいますと、原則やはり三十時間は受けていただく。

 ただ、例外的に、今回御提言をしております九条の二の三項というのがございまして、省令の定めるところにより、個別に都道府県教育委員会が認めることとなる受講の免除者という規定があります。これは省令において全国統一の基準を決めなければならないんですが、まず法律を国会でお認めいただかねばなりませんし、その過程で今先生がおっしゃっているような議論も出てくると思います。

 いろいろ聞かせていただいて、例えば優秀教員として文部科学大臣が表彰した者、あるいはまた校長、教頭、教育長等、教諭を指導する職にあって成績が優秀な者とか、そういう規定によって、受けなくてもいいという人は若干出てくるようにはしたいと思います。逆に、三十時間受けて、先ほど参考人が御答弁申し上げましたように、必ずしも認定に至らないような方は三十時間をもう一度受けていただかなければなりませんから、結果的には六十時間になりますね。何度も受けられて、どうしても認定を受けないという場合は、これは教職員の公務員の特例法等の運用によって、やはり分限の対象になってくるという形で処理をしていくということだと思います。

横山委員 ただいま大臣が御発言されましたとおり、十年ごとに技能を磨いてほしいということからすれば、三十でもあるいは百でもいいかなと思います。ただ、この法律が出て、もちろん反対している人たちが大勢いるわけで、その人たちからすると、この三十時間というのが何かペナルティーの感覚があるんだと思うんですね。ですから、それなら短くてもというような考えも出てくるんだろうかなと思いますが、今のようなお考えが現場の先生たちの間にきちんと広まって、三十時間よりさらに百時間の方がいいということがより広がって、現場の先生たちの間で周知徹底されて、より質の高い教育になっていくことを強く望みます。

 質問がすいすい終わりましたので、私の方からはこれで終わらせていただきます。ありがとうございました。

保利委員長 次に、石井郁子君。

石井(郁)委員 おはようございます。日本共産党の石井郁子です。

 地教行法の一部改正に関する法律案について、特に第四十九条「是正の要求」、五十条「文部科学大臣の指示」についてきょうはお尋ねしたいと思います。

 改めてお聞きしますけれども、この是正の要求、指示について、地方自治法の二百四十五条の五で「是正の要求」、また二百四十五条の七で「是正の指示」というのが定められているわけですね。にもかかわらず、地教行法の四十九条でこうした「是正の要求」、五十条で「文部科学大臣の指示」というのが明記されましたが、これはどのような理由によるものでしょうか。ちょっと簡潔に御答弁ください。

伊吹国務大臣 まず、お尋ねの地方自治法の二百四十五条の五の是正要求をした例はございません。それはなぜかというと、教育基本法の十六条に決められております国と地方公共団体の役割の分担というのは、基本的には指導、助言、援助によってあるというのが、これは私は当然のことであると思いますし、今までその範囲内で対応してきたということです。

 しかし、今回、四十九条の是正要求は、地方自治法の是正要求とは少し違うんですね。これは、まず是正の具体的内容を明示して是正要求をするということ、そして同時に、是正の要求の内容を、教育委員を任命された首長、それを承認された地方議会に必ずお送りをするということによって、本来の地方自治の力を発揮していただいて、憲法に規定されている、共産党の皆さんが一番大切にしておられる憲法に保障されている、教育を受ける権利の侵害というような深刻な事態に対処したいということでございます。

石井(郁)委員 確かめますけれども、これまでは、国からの是正の要求あるいは指示は出されなかったということですよね。それは、今までの自治法と今度の新しいものとは違うんだというのが御答弁かと思うんですけれども、しかし、今まではとにかく出されなかった。その出されなかった理由というのは何でしょうか。

伊吹国務大臣 それは三つございます。

 先ほど御答弁申し上げたように、やはり指導助言というものによって、地方自治の力を期待しながらやっていくということが一つ。それから、是正要求を地方自治法によって行っても、是正の具体的内容をどうするかということは地方自治体の判断にゆだねられているので実効性に非常に問題がやはりあるということ。そして、今回の未履修あるいはいじめの問題を見ておって、地方自治の力というものがどこまで発揮されているかということについて、やはりいろいろ国民間に議論があること。この三点をカバーするために今回の改正をしたということです。

石井(郁)委員 少し具体的に、もっと踏み込んでお尋ねしたいと思いますけれども、その四十九条がこのように書いていますね。「都道府県委員会又は市町村委員会の教育に関する事務の管理及び執行が法令の規定に違反するものがある場合又は当該事務の管理及び執行を怠るものがある場合において、児童、生徒等の教育を受ける機会が妨げられていることその他の教育を受ける権利が侵害されている」という規定になっていますけれども、これはどのようなことを想定しているんでしょうか。

伊吹国務大臣 それは、一つの、例えば未履修あるいはいじめというような例があったとしても、それに対して、都道府県教育委員会、市町村教育委員会、あるいは学校がどのように対応しておられるかというのは一つ一つ事例が違いますから、今ここで具体的にどのようなことと明確に申し上げるということは非常に難しいと思いますけれども、例えば、せっかくのお尋ねですからあえて申し上げれば、未履修の状態の学校があるにもかかわらず、教育委員会がそれを放置しているようなケース、あるいは、教育委員会が実施を決定した国の学力テストを教職員が妨害しているにもかかわらず、教育委員会がそれを傍観し放置しているようなケースというのは、やはり憲法に保障された、児童生徒が教育を受ける権利が侵害されているものになると思います。

 おっしゃりたいことはよくわかっておるんですが、その場合においても、おのおのの学校、教育委員会が努力をしているのかしていないのかということによって、ケース・バイ・ケースになってくるということです。

石井(郁)委員 一つ一つのケースというのをずっと挙げるのは難しいだろうと思いますが、しかし、だからこそ、やはり余り幅を持っても大変だ、また、具体的に絞るのもいかがかといういろいろな問題があると思うんですね。

 この問題は、地方からも、地方団体もやはり大変反対をしてきた問題だと思うんです、地方分権法を超えているじゃないかと。そして、教育の分野だけ、これは国の権限を強めるのではないかという問題があるわけですよね、今まさにそういう法案として出されてきているわけですから。

 そういうことで反対をしてきまして、それを説得するために、今お話しのように、いじめ隠しがあったじゃないか、未履修の問題が放置されてきたじゃないかということで、これは国の権限を強めなければ困るんだというような御説明をされてきたかというふうに思うんですよ。理由としては、今そのようにされています。先ほどそれに一つ学テも加わりましたので、これはこれとしてまた伺いますけれども。

 しかし、私は、今まさに学テのことを大臣がお触れになったように、本当にいじめ隠しとか未履修対策に類するためだけにこの四十九条が設けられたのかどうかということについては多くの皆さんがやはり疑問を持っておられる、本当にそのためだけなのかと。だから、その例だけなのかということになるわけですよ。

 それで、最初の御答弁にありましたけれども、いじめ隠しや未履修問題は、これはもう数年前からあったことですよ。そして、文科省も、役人の方々、一部かどれくらいかはありますけれども、関与されたりしてもいらっしゃったという問題でもあるわけですね。

 だから、こういう問題をきっかけとして、いわば口実的に、文科省が自分たちの権限強化と焼け太りにやはり使っているんじゃないかというのは、これはある新聞もそのように書いているところがありますよ、これは。だから、文科省の権限強化、焼け太りに使っていることになるんじゃないかという点で、私は本当に、いろいろな意味を含めて、これは許すことができないと思いますし、国民からしても到底納得できるものではないということをまず強調しておきたいというふうに一つ思います。

 きょうは、次にただしたい問題がございまして、その四十九条について、今申し上げたように、国民と国会には、いじめ、未履修問題があるんだという説明なんですけれども、教育再生会議にはもっと違う説明をしているんじゃないでしょうか。それで、文科省としてどのような説明をされてきたのか、ちょっと御報告していただきたいと思います。

銭谷政府参考人 教育再生会議に、今回の地教行法改正案四十九条について具体的に説明したということはなかったと思っております。

石井(郁)委員 四十九条ということではないかもしれませんけれども、実は、私、驚くような文書をちょっと見たんです。

 これは、四月二十三日に文部科学省が教育再生会議に提出した、報告された文書というのがありますけれども、これは地教行法も含んで「教育三法案の持つ意義」なんです。「教育三法案の持つ意義」という文書になっています。「教育現場を一新させます」というものでございます。

 そこにはこのように書いてあります。「教育は、国民の代表であり国権の最高機関である国会が定めた法律に従って実施されねばなりません。国は、子どもの教育を受ける権利が法律に従って守られているかを確認し、守られていない場合には是正する責任があります。」そして、次にこうあります。「教育委員会が未履修問題を放置したり、国旗・国歌を指導しないなどの著しく不適切な対応をとっている場合には、文部科学大臣が具体的な措置の内容を示し、「是正の要求」ができるよう法律上明記します。」まさに四十九条のことを書いているじゃないですか。

 「国旗・国歌を指導しないなど」、だから、君が代・日の丸の実施については是正の要求を出すということも明記しているんですよ。日の丸・君が代の指導について是正の要求に踏み出す、こういうことはこれまで全くありませんでした。それをやろうということですか。(発言する者あり)

伊吹国務大臣 よろしいですか。

 国旗・国歌は反対じゃないんでしょう、法律で決まっているわけだから。

 まず、先生、改正地教行法四十九条の「是正の要求」というのは、教育委員会が法令や事務処理に怠りがあり、児童生徒等が教育を受ける権利に明白な侵害がある場合に行われるということは、これはもう先生も、現在提案している法律を御理解いただいていると思います。

 したがって、教育委員会は今までもそういう指導を、文部科学省は直接学校現場に行うなどということはあり得ないわけで、各教育委員会は、学校教育法とその下部の告示である指導要領に基づいて、国旗の掲揚、国歌の斉唱については、今までも所管の学校を適切に指導し管理してきておられるわけですよ。ですから、一般的に、是正の要求というものは必要がなかったからしていないわけです。したがって、必要があればもちろんいたします。しかし、必要が今までなかったからしていないわけです。

 したがって、例えば、国旗掲揚だとか国歌の斉唱を一切行わない高等学校があったという場合は、法令で定めているわけですから、その場合には教育委員会に、指導要領どおり、つまり国会でお決めになった学校教育法の下部法律である告示どおりやってくださいということは、これは当然是正要求をしなければなりません。

 しかし、今までのところ、問題が起こっているのは、そういうことで問題が起こっているのではなくて、各教育委員会の指導のあり方、学校への指導のあり方について問題が起こっているから、東京都の教育委員会と例えば教職員組合との間に訴訟が起こっているのであって、文部科学省は今の教育委員会のあり方について改めて指導を行う必要は現在のところはありません。

石井(郁)委員 いや、確認しますけれども、では、四月二十三日に、これは文部科学省提出なんですよ、教育再生会議に。これは出していますよね、ホームページにちゃんと出ておりますから。しかし、ここにはっきりと書いているじゃありませんか。申し上げたとおりに、「「是正の要求」ができるよう」だと、「不適切な対応をとっている場合には、」。未履修問題だけじゃないんですね。未履修の放置だ、国旗・国歌を指導しないなど不適切な対応をとっている場合に是正の要求ができると書いている。

 とにかく、このこと自身は大臣も御存じなかったんですか、こういう文書が出されたことについては。

伊吹国務大臣 十分存じております。私が了承して出させております。

 そして、今申し上げたように、国旗の掲揚とか国歌の斉唱が一切行われないような学校があった場合は、これは明白に指導要領の違反ですから、それは是正の要求をしなければなりません。しかし、現実にはそういうことは起こっていないんですよ。

 ただ、問題は、教育委員会が、こういう形の国歌の歌い方をしなければならないとか、こういうところへ国旗を掲げなければならないとか、我々が申し上げている以上の一段の指導を各教育委員会が学校にしておられることについて、学校、教職員組合が、それは少し自分たちの考えと違うということを司法で争われているのであって、国会でお決めになった学校教育法とその下部法律である告示について争われた事例というのはございません。

石井(郁)委員 いや、四十九条が、「生徒等の教育を受ける機会が妨げられている」「教育を受ける権利が侵害されている」、こういう文言になっているわけでしょう。そして、その例として、未履修の放置だということが挙がって、もう一つが、今言ったように国旗・国歌を指導しないということにありますから、それでは聞きますけれども、そういう、入学式や卒業式で日の丸・君が代を上げたりどうしたかというようなことは、これは教育の侵害に当たるんですか、そういうこととして考えているんですか。

 あるいは、先ほどは学テの問題についても言われました。私はこれも大変驚きました。学力テスト、これは地方で行う権限があるじゃないですか、まさに地方の自治の範囲で行われるものですよ。これも今度は、文科省が行えと言う、是正の要求になるというふうにも先ほどお聞きいたしました。

 やはり、そういう意味では、地方の自治、地方の教育の自治あるいは教育委員会に対する文科省の是正ということが拡大していくということになっていませんか。

 その教育権の侵害ということについてもう少し、日の丸・君が代の問題にかかわって、これが子供の教育権の侵害ということになるのかという問題、いかがですか。

伊吹国務大臣 これは先生、日本の統治のあり方からいって、国会で決められた法律、そしてその法律の一部を構成している告示、これによって教育は行われるわけですから、これが守られない場合、あるいは国会で決めた意思というものが何かの力によって曲げられることこそ不当なる支配であるというのが教育基本法の審議の際の我々の理解であったと思いますし、私も、そのような答弁をいたしております。

 したがって、学習指導要領に反する行為を黙認するという教育委員会、あるいは、もちろん全国の学力等の試験は、教育委員会として受ける受けない、自由に決められるんですよ。だからこそ愛知県の犬山市の教育委員会は受けられなかったんですよ。しかし、受けると決めた限りは、当該教育委員会の所管の中の一部の小学校において教職員組合が反対闘争してそれを妨害したときに、それを全く放置している教育委員会のあり方というのは、子供の学ぶ権利をやはり侵害していると考えざるを得ないんじゃないんですか。

 教育委員会が受ける受けないということを指導する、是正要求をするという権限は文部科学省には一切ありませんよ。ただし、教育委員会が受けると決められた限りは、教育委員会傘下の学校について教育委員会がしっかり管理責任を果たしていただくというようなことは、これはもう当然のことだと思います。

石井(郁)委員 私は、子供の教育権の侵害ということがあるので非常にこれは重大だと思っているんですよ。

 大臣は事あるごとに、国会でお決めになって法律があるからそれを守れ、こうおっしゃいますけれども、やはり、子供の教育権という意味でいうと、国民の権利、子供の権利ということでいうと、まさに内心の自由というのは最大の権利として守らなければならない権利じゃないですか。その権利を侵害するという問題こそが、やはり私はこの中で重大だというふうに思うんですね。だから、本当に内心の自由というのは侵してはならない権利ですよ。それを法律の名で侵していいのかという問題もあります。

 私は、今回、学習指導要領に書けば、何でも教育委員会、学校は言いなりにならなければならないのかという問題としても、これによって恐ろしい仕組みがつくられるという問題としても大変重大だと考えているわけでございます。

 日の丸・君が代の問題については、改めて言うまでもなく、国会で決めたときには、法制化は、義務づけは考えていない、国民生活に何ら影響はないということはあったわけですけれども、今こんな形で、もう是正の要求だと。学習指導要領が今度は法的根拠を持つということになって義務づけられるということになれば重大な変化が生じるという意味で私は大変問題にしているところでございます。

 あと幾つかありましたけれども、時間が来ましたので終わりたいと思います。やはり、国家による、国家の権限の強化ということがこの地方教育行政についてもひどく色濃く出ている、重大な問題となっているということで、この法案は廃案以外にないということを強く申し上げて、質問を終わります。

伊吹国務大臣 教育権という言葉については、やはりこれをかなり詰めて考えなければなりません。

 日本共産党の考えておられる教育を受ける権利、受けたくない権利というものをおっしゃっているんだと思いますが、憲法には、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」公共の福祉に反しない限り云々とありますから、学習指導要領という国会が決めた法律の中で国民は教育を受けるという、やはりその範囲の中での自由というものがあるのであって、受けないとかどうだとかという、あるいは学習指導要領に書いてあるものは我々は受け入れないんだというような考え方に立てば、国家の秩序とか国家の教育というものはできないんです。

 これは先生はそうじゃないとおっしゃるかもわからないけれども、それはお互いの持っている政治の理念、あるいは国と国民との関係、これによってみんな違ってくるわけですから、先生のお考えは先生のお考えとして私は決して反対はいたしません。しかし、我々の考えが全く違うんだということをおっしゃられると、それはまた困るんですよね。その点はお互いによく議論して、先生の御意見もきょうは承らせていただきましたから、我々の意見も聞いていただいて、一方的な報道にならないようにお願いしておきます。

石井(郁)委員 もう終わりますけれども……

保利委員長 申し合わせの時間が来ておりますので、ごく短くお願いします。

石井(郁)委員 今後の議論にゆだねたいと思っております。お聞きしました。

保利委員長 次に、保坂展人君。

保坂(展)委員 社民党の保坂展人です。

 きょうは、教育再生会議でいろいろ議論をされている、その議論が子育て中のお母さんたちにもかなり波紋を呼んでいるんですね。例の親学の提言の問題。これは正式にどこまでどう出てきているのか後でお聞きしていきたいんですけれども、まだ、その報道ぶりも、新聞によって一部中身が正確に伝わっているのかどうかもわからないんですが、私は長年子供の教育の問題から、十数年前のあの、早期教育といって、生まれたらすぐ読み聞かせをして、カードを見せて、音楽そして外国語をシャワーのように聞かせてというのをゼロ歳からやったお母さんたちをずっとインタビューしたことがあります。途中で挫折をしたり、うまく優秀児、英才児ということで表彰を受けたりしたお子さんをさらに追跡していくと、思春期にバーンアウトしているケースがかなり多かったんですね。

 実は、育児は孤立をしておりますから、育児産業というのがございます、その産業の中には、早期教育の教材を買うと、いつでもどこでも電話をすると教えてくれる、そしてマニュアルのカードが全部ある。例えば、生まれたら、赤ちゃんをこの方向に寝かせなさい、まず朝はカーテンをあけて、右手を頭の下に置いて、太郎ちゃんおはようと目を見詰めながら抱き起こすんですよというマニュアルをそのとおりやっていた。そういうマニュアル時代ですから。しかし、マニュアルはえてして現実と合わない部分も出てきて、公園で過ごすのがいいというマニュアルどおりにやっていたら、強風の日でだれも周りにはいなかった、でも私はいた、こういう例もありました。

 そこで、まず、下村副長官に来ていただいていますね。子守歌を聞かせ、母乳で育児、こういうふうに伝わっていますが、子守歌もいいでしょう、そして母乳で育児も、これはだれも反対しないんですが、かなりやはり母乳が出ないことで悩んでいる女性、お母さん、多いですね。

 どういう意図なのか、これをちょっと解説してもらえますか。

下村内閣官房副長官 お答えいたします。

 教育再生会議の中での話だというふうに思いますが、第二分科会、ここは規範意識・家族・地域教育再生分科会という会ですけれども、ここにおいて、家族や子育ての重要性などについて議論が行われ、保護者や地域社会に幅広くメッセージを出して、子育ての大切さや具体的な行動を呼びかけるアピールを出すことについての意見も出されたものと承知しております。

 先ほど委員からお話がございましたように、各報道によってまちまちですが、必ずしも正しい報道がされていないようにこの再生会議から聞いております。これは、子育てに関するアピールについては、その具体的な内容について決定されたわけでなく、引き続き議論が進められているものと承知をしているところでありますし、再生会議の中で、今の御指摘のことも含めまして特定のことに踏み込んで強制をさせるような提言というふうには承知をしておりません。

保坂(展)委員 これは政治家同士の議論ということで、総務大臣にもちょっと伺いたいんですが、次の提言として報道されているのに、授乳中にテレビをつけない、そして五歳から子供にテレビ、ビデオを長時間見せない、こういうのがあるんですね。何で五歳なのかがちょっとわからないんですけれども、これはもしかすると間違いかもしれないんですが、しかし、これもちょっとよく考えてみると、では、ラジオで音楽を流すなんということはよくあることでありますよね。テレビもいろいろ多チャンネル化していますから、今、ゆっくりした音楽を流しているテレビ局もございます。

 音楽と授乳なんというのはかなり深い関係があるんですが、これはどういう意図だと思いますか。

菅国務大臣 突然の質問でありますけれども、私は、それぞれ意見というのはあるというふうに思っていますから、これによって特別肯定をしよう、そういう内容でもないというふうに思っておりますので、さまざまある意見の中の一つじゃないかなというふうに思います。

保坂(展)委員 伊吹大臣、今のお二人にお聞きした点も含めて、三番目には、企業は授乳休憩で母親を守るというのもあるんですね。

 日本のような狭い国で、大都市、通勤ラッシュがございますよね。ですから、確かに、職場で仕事を継続したい、そして保育室は完備してほしい、授乳は別に授乳休憩という札を立てるんじゃなくて自然に行き来をするというような環境が整備されれば、これはいいだろうと思いますが、他方で、そういう環境じゃなければ、育児休業を男女ともにしっかりとっていくというのが少子化対策をめぐるこれまでの議論だったかと思いますけれども、これらの点について、同じくどう感じておられるか。

伊吹国務大臣 私は、先ほど石井先生とのやりとりでもいろいろお答えしましたけれども、やはり統治のシステムとして、決まったことはきちっとやっていただく、しかし、そのことについてその人が内面的にどう思っているかということを強制したり評価するということは私は反対なんです。

 ですから、ライフスタイルのあり方とか、あるいはまた、例えば道徳教育云々というようなことも言っておられるやに聞いておりますけれども、例えば、ワシントンが桜の木を切ったときにどうだとか、かつて二宮尊徳はこういうことをしたということを教えることは私は非常にいいことだと思いますが、しかし、そのことについてどう行動したか、それにどう対応したかというのはその人その人の価値観によりますから、そこまで強制をするということができるのかなと思って実は私はあの提案を聞いていたというのが正直なところです。

保坂(展)委員 大臣の感覚とそこは一致をしているんですが、他方で、教育再生会議は、我々が大臣の言われる国権の最高機関で、基本法以来、かなり教育をめぐる根本的な命題について幾つか重要な議論をしているさなかに、一方でこういう話がある。道徳教育の話も出ました、また大学九月入学制なども言っているようですね。

 ここは官房長官がいらっしゃってからまた聞きたいんですが、ちょっと下村副長官にもう一点、親子でテレビではなく演劇などの芸術を鑑賞するという、これはいかがなものかな、こう思うわけですね。演劇を見ることは反対じゃないですよ。ただ、その場に浅利慶太さんがいて、二十五万人の子供に無料で見せよう、それじゃ演劇だ、こういう話になったんだとすると、いささかこれはアンバランスじゃないか。音楽や舞踏や美術はどうだったんだ、伝統と文化、こういった古典芸能もいいですよ、それからお祭りやスポーツを見に行くのもいいでしょう。そういうふうに挙げていくと切りがないんですね、これ。どこへ行こう、どこへ行こうと。

 何で演劇が入ったのか。どうですか。

下村内閣官房副長官 お答えいたします。

 保坂先生らしくない質問ではないかというふうに思います。

 教育再生会議でいろいろな委員の方がどんな議論をされようが、それはまさにそれぞれのお考えの自由でありまして、いろいろな意見が出ることは、自由闊達な議論として、それを批判するのはどうかなと思いますし、また、今の御指摘の部分も、再生会議として結論を出して、ではそのようにしましょうということで具体的なスケジュールをつくっているということではありませんから。これは子供たちの、子育てのためにいろいろなことをやったらどうかという提案の中の一つであるというふうに承知しています。

保坂(展)委員 例えば、母子家庭における児童の養育の扶助も削減されているわけですね。演劇はいいけれども、とてもやはり、チケット代も高いし、なかなか行けないよという声もある。学校や保育園でむしろやってほしいという声もありますね。

 下村さんにお聞きしたいのは、いや、演劇を入れたから悪いと言っているわけじゃないんですよ。なぜ演劇だけなんですかと言ったんです。同時に、そういうふうに列挙していくことは不適当ではないのかということを、これは伊吹大臣もそういう意見だったと思いますけれども、つまり、子育ての理念とか大筋を示したりすることはよくても、ああしろこうしろという話になっていくとこれはちょっと違うんじゃないですか。

 そこは考えはどうですか。

下村内閣官房副長官 お答えいたします。

 ああしろこうしろという結論にはなっていないと思うんですね。今議論している最中でもございますし、また、具体的な提言をどんなふうに盛り込むのかというのはまだこれからの段階ですし、承知をしておりませんが、ただ、いろいろなことについて議論があるのはこれは問題ないというふうに思います。

 その中で、具体的な、それぞれの経験の中からいろいろな提言をされるのは、最終的にそれをどうするかというのは文部科学省なり教育委員会あるいは地方自治体がいろいろ御判断されることだと思いますが、再生会議の中でいろいろな議論があるのは、これは別に問題ないことだと思います。

保坂(展)委員 では、もう一点聞きますけれども、乳幼児健診に合わせて自治体が親学講座を実施する、こういうのも入っているようですね。この親学講座という内容がまずわかりませんし、これを義務化するべきだ、そういう声もあると報道にはあります。ぜひここに出てきて、本当は直接聞きたいんですけれどもね。ですから、せめて山谷さんでも来ていただくと本当にありがたいんですけれども。(発言する者あり)そうですね、下村さんもかんでいる。

 では、質問します。

 こういう発想だと、今、指導力不足教員とかいうことで、教員の人事にかかわる重要な問題も議論されていますけれども、この親学講座を修了しない親は教育力不足保護者とかいうようなことで、レッテルを張られたり集中講習しろとか、そういう話にもなりかねないんじゃないですか。これはどこにブレーキがかかっているんですか。

下村内閣官房副長官 お答えいたします。

 そのような危惧は全くあり得ないことだというふうに思います。先ほど伊吹大臣からもお話がございましたが、教育再生会議の中でいろいろな提言をされるというふうに思いますが、それを強制するとか、あるいは内面まで入るとかいうような議論がされているとは承知しておりません。

 その中で、親学の議論もされておりますけれども、先ほど委員が御指摘がございましたが、今、育児の孤立化ということが言われている中で、そういう、希望する父母の方々に親学というものを示す、しかし、それを受けるか受けないか、どのように活用するかどうか、それは各家庭あるいはその親御さんの判断であるというふうに思いますし、一つの目安としてそういう提言がされるということは、それは好ましいことだというふうに思っております。

保坂(展)委員 官房長官が戻られたので。

 この教育再生会議の第二次報告というのはいつ、どういう形で出るんですか。ちょっと計画を語ってください。

塩崎国務大臣 一月に第一次報告が出ましたが、第二次報告は五月の終わりごろというふうに聞いております。

保坂(展)委員 それまでこの委員会で議論しなきゃいけないなということを強く思いますけれども。

 官房長官、今、この親学の提言を、順番にいろいろ気になるところをやっていたんですが、最後に出てくる、一点評価というか、私はこれは大事だなと思うのは、遊び場確保に道路を一時開放、こういう内容があるんですね。

 ここは、遊びというのは物すごく大事だというふうに私は思っています。いじめの問題でも、子供たちが、我々の時代のように、当たり前に外で異年齢で遊んで、いろいろなトラブルを起こして、失敗したり謝ったりけがをしたり、それから年下の者をいろいろ保護したり、いろいろなドラマがありました。「スタンド・バイ・ミー」という映画を見ると、今の子供たちは、大昔の、自分が体験したことのない世界を見ているような感じで見ているんですね。我々の世代は、多分懐かしいなと思って、いろいろな冒険、いたずらをしたなと。しかし、そこの部分は日本は全く議論してこなかったんですね。

 これは自然保護の問題ととてもよく似ているんですけれども、海はすべてをのみ込んでくれる、浄化してくれると、ごみをどんどん捨てていた時代もあったですね。子供は遊びの天才だという言葉が逆用されて、子供たちの遊び空間というのは非常に脆弱化してきている。

 しかし、だから道路を一時開放というのはややちんまりし過ぎている提言だなと私は思いますね。道路だけ開放してもだれも来ないわというのが今の日常であって、むしろ、そういう、子供たちの自己肯定感とか、人間関係が混乱したときに調整に乗り出したりとか、言いにくいけれども謝ったりとか、そういう場面を、イギリスなどではドラマの時間という、演劇ともまた違うんですけれども、身体表現、お互いの関係の組み直しみたいなことを見事にプログラム化して子供たちとやっていますよ。劇団の人も入ったりしている。大体イギリスの小学校には劇団があったりしますからね。

 そういうようなことで、遊びの問題というのをもう少しきちっと見たらどうか。いわゆる規範意識とか思いやりとか道徳というレベルで今の事件や問題行動は必ずしも起きていない。ここはいかがですか。

塩崎国務大臣 子供は遊びの天才だというお話を承りましたが、まさにそのとおりだと思うし、自分たちを振り返ってみると、別に何か用意されているわけではないものを遊び道具にしてしまう、あるいは遊び場にしてしまうということをやってきたような気がします。

 道路を遊び場にするというのを聞くと、何か本当に寂しいなという感じがするわけであって、つまり、そういうところを遊び場にしないといけないほど遊び場がなくなっている町というのがどうなんだろうかなという感じがいたします。

 親学の話が先ほど来出ていますが、そもそも親たるものは何たるものかということを教えないといけないということは、多分親から教わっていないのかもわからないということも考えなきゃいけないし、子守歌を教えてもらわないと自分の子供に歌えないという、これは、では親はその子に教えなかったんだろうかということも考えざるを得ないわけであって、いろいろ、押しつけは考えていないはずであるこの教育再生でありますけれども、何でこんなことまでやらなきゃいけないのかという今の問題のやはり重さというのは考えなきゃいけない。

 子供たちはやはり自然に自分たちで遊び場を探すような、例えば町づくりとかそういうところも考えていかなければいけないし、学校環境づくりというものも考えていかなければいけないのかなというふうに思って、なかなかこれは根深い問題があるがゆえにこういう一つの考えが出てきているんではないのかなというふうに感じておるところであります。

保坂(展)委員 東京の世田谷区で始まったんですが、冒険遊び場運動というのがありまして、公園の一角を、ターザンごっこやたき火やべいごまや、いろいろなことができる空間にして、これは、地域の人が実行委員になって、けがやトラブルは自分たちで解決する、行政に訴えない、こういうルールでやっているんですね。そういうことも参考にしてほしいと思います。

 それでは、最後に官房長官に伺いたいんですが、この提言には当たり前のことも書いてあるんですけれども、やや誤解を呼びやすいようなことも書いてあるし、僕は、最後の、思春期からは自尊心が低下しないように努めるというのは、もうはっきり言って間違いだと思います。

 なぜかというと、自尊心というのは、思春期で何とかしようと思って間に合うものじゃないです、これは。いろいろ、いじめやあるいは厳格な家庭で育った子の中で、まじめ過ぎて、内向していろいろ苦しんでいる子たちと私も会ってきましたけれども、自尊心というのは思春期からではもう全く遅いんですね。これは私は、いろいろなことを言っていい、いろいろな意見があっていいというレベルの話じゃないと思っているんですよ。

 つまり、教育再生会議という一応安倍内閣のお墨つきで、内閣が、我々国会の議論から遠く離れてやっているわけですね。やっていることの内容をもしかすると法案化するかもしれない、そういう位置にいるわけでしょう。だとすると、これだけちょっと整理されていない、ごちゃごちゃな、与党からも余り評判がよくないような提言については、これは余り変なものを出して親たちを混乱に陥れたりとかするべきじゃない。意図として、子育て環境をよくしたいんだという意図はあるんでしょうけれども、余りにも未整理。その点、ちゃんと仕切り直ししませんか、これは。

塩崎国務大臣 御心配ありがとうございます。

 教育再生会議も、それぞれ自分たちのお考えをしっかり持った方々がお集まりをいただいて、なおかつこれは安倍総理の声がけで集まっていただいている方々ばかりで、なおかつ伊吹文科大臣も私も入っているわけであります。したがって、最終的なこの報告書の中身については、今いろいろと御批判もありましたけれども、御評価をいただけるようなものにするべく努力をしていかなければいけないし、私も、それなりの、メンバーとしての責務もあるんだろうというふうに思っておりますので、引き続いて、いいものにするために頑張っていきたい、こう思います。

保坂(展)委員 官房長官に、前にちょっとフジロックの話をやりかけて時間で終わったので、ちょっと続きをしたいと思いますけれども、フジロックという大イベントがあるんですね。苗場で行われています。十万人が参加するんですね。

 私は、おととしかな、友人に、行った方がいいよということで招かれまして、忌野清志郎さんとかのステージを見て感動したんですが、私よりずっと若い世代がそこにいるんですよ。山の中ですから、五つか六つのステージがあります、道は狭いんですね。しかも、どしゃ降りの雨でした、だから坂道の泥道で危ないんですね。そこを整然と数万人が、だれ一人抜かす人間もいなくて、ゆっくり移動していくんですね。そして、ごみは三百人のボランティア部隊が徹底的に分別して、環境対策ということでやっていて、イギリスを初め海外から招聘されたミュージシャンが驚くんですよ、日本というのはどういう国なんだと。つまり、こんなに、いわばだれかが笛を吹いて統制しているわけじゃない、みんなが協力して、そうやって見事に動いてという姿というのは世界じゅう余りないそうなんですね。

 そういう部分について我々はもう少し自信を持っていいんじゃないか。つまり、規範意識はない、崩れている、だめだ、教育はもうピンチだ、子供たちはもう無力感が漂っているという面も一部ありますけれども、しかし逆に、そこで足りないのは、余りにも調和を図り過ぎて、自分の意見を、ここは、場の空気を読むということを子供はよく言いますよ。空気を読み過ぎて意見が言えなくなっちゃう、言えなくなっていることが続いたうちに自分の意見が何かがわからなくなっちゃう。むしろそっちの方に、もっと冒険しろ、もっと挑戦しろというようなことを、そのメッセージが欠けていると思いますね。

 いかがですか、今、安倍内閣の教育改革の中で、ロックも好きだったでしょうし、そういう世代ですから。どうですか。

塩崎国務大臣 ウッドストックもたしか雨が降っていたような気がしますが。

 今御指摘のような、整然とした、特に環境に優しい人たちがたくさんボランティアで働いているという姿は大変いいことだと思いますし、阪神大震災のときにもボランティアが全国から集まって復興活動、救援活動に当たってくれたというようなこともある。

 したがって、すべてが、何か全部だめになったというようなことを考えているわけではなくて、かつてよかったものがいつの間にかよくなくなっている、あるいはよさが欠けてきている、そういうようなものはやはりもとのよいものに戻さなきゃいけないし、そして、よさを失ったところはやはりもう一回回復しなければいけないし、新たにやはりよさをつくらなきゃいけないところも多分あるんだろう。

 そういうようなさまざまな問題を私たちは目の前にしながら、今、美しい国というのは何なんだというのは、千差万別、一億三千万通りぐらいきっとあると思うので、それをみんなで知恵を出し合いながら、いいものはさらに伸ばし、そして欠けているものは復活させ、そして、ないところにいいものを新たにつくり出すということをみんなで一緒にやろうじゃないか、そんな気持ちで安倍内閣はやっているわけでありますので、教育再生においても同じように努力をしていきたいなというふうに思っております。

保坂(展)委員 終わりますが、親学提言はぜひ見直していただいて、もしどうしても出すという場合は、ぜひこの委員会でしっかり議論させていただきたいというふうに思います。

 終わります。

保利委員長 次に、糸川正晃君。

糸川委員 国民新党の糸川正晃でございます。

 本日は、まず、私学のことについてお尋ねをしたいと思います。

 私が昨年、中学校の未履修をお尋ねしたところ、これは私学の学校だけが未履修の状態にあったというようなこともございました。そこで、今まで私学の果たしてきた役割、ここについてお尋ねをしたいと思います。

 例えば中高一貫というのは、今では各地の公立校でも導入をされておるわけでございますが、私立では随分と前から、特に進学校におきましては一貫教育というものを行ってまいりました。また、帰国子女の受け入れ、こういうものにつきましても、公立学校の受け入れというものが十分でなかった。そこで、私学は、相当な受け入れ体制を整えて、しっかりと取り組んできたというのも事実だというふうに思います。

 このように、公立校で不十分な部分、これを補うということは、建学の精神に基づいて独自の教育がなされる私立であるからこそできたのかなというふうに考えております。このように、私学が果たしてきた役割の重要性について、まず大臣の認識をお伺いしたいと思います。

伊吹国務大臣 先生も私学の雄である慶応大学の御出身ですから当然のことだと思いますが、大学生の八割は私学なんですね。高校生で大体三割、義務教育になるとさすがに少なくなって、中学では七%程度、小学校では一%、幼稚園児はまた八割という、それだけの人がともかく私立に在学をして、公教育の大きな分野を担っていただいているわけですね。その中で、建学の精神というのがありますし、先生がおっしゃったような、それに基づく独自の特色ある教育を施しておられます。

 ですから、さきの教育基本法の改正の際も、御承知のように八条というものを設けて「私立学校」という項目を新たに時代に合うように起こしたということは、御理解いただいているとおりの、私学の評価をしているという理解でいいと思いますが、同時に、後ほど御質問があると思いますけれども、建学の精神と何をやってもいいということはやはり違うと思いますので、そこのところだけはしっかりと押さえていきたいと思います。

糸川委員 建学の精神については後ほど質問させていただきますが、次に、私学が、大臣何度もおっしゃられていますけれども、知事部局の所管であるということについて質問いたします。

 私立学校については、昭和三十一年、地方教育行政の組織及び運営に関する法律、これが制定される前の、昭和二十三年に制定された旧教育委員会法においても、当時、私学教育委員会を設けるべきとの教育刷新委員会の提言もある中で、教育委員会の所管としないで首長部局の所管とされてきたわけでございますが、まずこの点について、なぜこのように私立学校が首長部局の所管となったのか、この歴史的な意味も含めて大臣にお尋ねしたいな。これは、私が何度も質問している中で、常に大臣が、これは首長部局の所管なんですよということを何度もおっしゃられていますので、ぜひここをまずお答えいただきたいと思います。

伊吹国務大臣 当時は私も小学校に入るか入らないころですから全くわからないんですが、先生の御質問があるというので、少し古いものをひもといて読んでみますと、戦前は、御承知のように、地方長官と言われる知事の所管のもとに市町村立学校も私学もあったんです。戦後、先ほどおっしゃったように、教育委員会に私学を移管すべきではないかとかいろいろな議論があったことはどうも確かなようです。しかし、結果として知事部局の所管に残ったわけですね。

 その理由は、これははっきりしたことはわかりませんが、当時の教育基本法は私学という項目はなかったです。それでわかるように、私学という数は極めて当時は少なかったんですね。ですから、教育委員会の所管にしてしまうと軽んじられるんじゃないかという心配をされる向きがかなりあったというようなことは書かれています。

 それからもう一つは、やはり今おっしゃっている建学の精神というか、私学の自主性ということを考えると、公立学校を所管する教育委員会とは別の所管にしておいた方がいいんじゃないかというようなことが当時書かれておりますが、私も、なぜ知事部局に残ったのかという決定的な理由はわかりません。

糸川委員 大臣、しっかりとお調べいただいたということで、ありがとうございます。

 このように、結局、重要な意義を有している、そして、教育委員会の所管に属しない私立学校について、一部では、大臣おっしゃられるように、問題もあるのではないのかなということも指摘されております。

 私、もうこれは先ほどもお話しいたしましたけれども、例えば昨年発覚した未履修の問題について、私立の方が公立校よりも高い割合であったとか、これが独自性だということであるならばまた考え直さなきゃいかぬのでしょうけれども、独自性ということと、先ほど大臣がおっしゃられた、建学の、何をしてもいいんだということとはまた話が違うわけでございまして、この点、大臣が、私が本会議で質問したところ、建学の精神を持っている私立学校においても、国民の血税である私学助成を受けておられ、公教育の一端を担っている限りは、法律をきちっと守っていただく体制をつくらねばならない、このように発言をされていらっしゃいます。

 このフレーズ、これはたびたび大臣が語られておられまして、また、その趣旨については、私もおおむね異論はないのではないかなというふうに思います。

 ただ、問題は、その発言に見合った内容が今回のこの法律案に果たしてあるのかどうか、その点が問題になっているわけでございます。

 今回の規定は、知事が教育委員会に対し助言、援助を求めることができる、こういうことに限られておりまして、教育委員会から積極的に知事に働きかけるような体制整備というのはなされなかったと思います。また、大臣が是正の要求及び指示を行えるのは教育委員会に対してであって、私学を所管する知事に対しては、たとえ私学に通う児童生徒等の教育を受ける権利が侵害されているような場合にあっても、本法律案では四十九条そして五十条の対象にならないのではないかなと思います。

 大臣の答弁によりますと、総理の指示、これは、地方自治の本旨を大切にしながら、知事部局において必ず法律が守られるような体制をつくるんだ、こういうことにあったようでございますが、この今回の法律案におきまして、その指示にかなうものは私は読み取ることができないのではないかなというふうにも思います。

 この私学に対する行政の関与のあり方、そして、総理の指示である、知事部局において法律を守らせるための方策、これについてもあわせて、総務大臣そして文科大臣の見解をお伺いしたいと思います。また、私学において、児童の教育を受ける権利、そして生命の危険が生じた場合の文部科学省の対応について、あわせて文科大臣にはこの御所見をお伺いしたいと思います。

菅国務大臣 まず、未履修の状況などを考えたときに、私学といえども、教育の最低限の水準というのはやはり確保する必要があるというふうに、これは当然のことだというふうに私も思います。

 しかし、私学というのは、建学の精神だとか独自性、そういうものを発揮する中で、現在までも知事部局が関与してきたわけでありまして、今回、知事部局が新たに、私学に対応する際に教育委員会に対して助言、援助を求めることができる、そういうことによって、学習指導要領についてこれは適しているかどうかとか、専門性というものをやはり、私は、知事部局はそういう意味で掌握することができるだろうというふうに思っています。そういうことによって私学に対して一層専門的、教育委員会の知見を生かしながらの関与ができるんではないかなというふうに思います。

伊吹国務大臣 先生のお立場に立つと、やや生ぬるいということだと思いますし、私学の立場に立つと、随分国が手を突っ込んできたというふうに思っている人もいるようです。まあ、諸説あるときは中庸をもって善とするというのが、大体私はそういうふうに考えて事に当たってきているわけなんですけれども。

 まず、総理はよく考えて指示を出されたと思うのは、現実を考えますと、やはりこれは、知事部局が所管をしているけれども、未履修の問題その他を含めて、知事部局にいわゆる指導主事その他、私学の教育課程そのものについてチェックをしたり発言をしたりする人が本当にいるのかなということをよく考えておられると思うんですよ。ですから、総務大臣と私に御指示のあったのは、そのような体制をつくれとは言えないんですね、地方自治ですから。を促していくようにという指示をもらっているわけです。ですから、まず総務大臣と協力してそこはやらなければならない。

 同時に、専門家は教育委員会に多々いるわけですから、知事が、本当に考えて、足らざるところがあれば教育委員会に頼むことができるという規定を今回置いたわけですね。

 何より大切なことは、そういうことがやれない知事は、まず住民の代表である議会で徹底的に糾弾をするというのが地方自治のあり方なんですよ。それを糾弾できない議員を落とすというのが本来の民主主義のルールなんですね。これが全く機能していないから国会がこういう議論をせざるを得ないということに私は問題があると思います。

 したがって、そういう残念なケースが生じた場合は、当然、現在の法律の中で、都道府県知事に対しては是正せよという一般的な是正要求はできますよね、これは。現在の地方自治法の中で。それと同時に、地教行法の中で、知事に対して指導、援助、助言というのは四十八条によってできますから、これは、今までより、児童生徒のことを考えて、必要な場合は総務大臣と協議をしながら、少し従来よりは積極的に対応しなければいけないのかなという印象を持っているということです。

糸川委員 もう時間ですので質問はいたしませんけれども、大臣、私も別に私学に対して積極的に大臣が関与してほしいということではなくて、私も私学を卒業したわけでございまして、できれば自由な教育というのがいい、望むというふうに思いますけれども、ただ、学習指導要領を逸脱しているですとか、最低限ここはやってほしいという国の思いというものがあって学習指導要領というものを設定している、ところがそれに合っていない教育をやっている、これはやはり指導すべきに値するのではないかなというふうに思っております。

 ですから、きょうはもう質問いたしませんが、私学の中学校が本来設置しなきゃいけない必修科目を設置していなかったということもございましたね、あの辺についてどのような対応をとられているのか、また次回質問させていただきたいというふうに思います。

 ありがとうございました。終わります。

保利委員長 この際、暫時休憩いたします。

    午前十一時五十九分休憩

     ――――◇―――――

    〔休憩後は会議を開くに至らなかった〕


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