衆議院

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第9号 平成19年5月10日(木曜日)

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平成十九年五月十日(木曜日)

    午前九時開議

 出席委員

   委員長 保利 耕輔君

   理事 大島 理森君 理事 河村 建夫君

   理事 小坂 憲次君 理事 鈴木 恒夫君

   理事 中山 成彬君 理事 野田 佳彦君

   理事 牧  義夫君 理事 西  博義君

      赤池 誠章君    赤澤 亮正君

      井澤 京子君    井脇ノブ子君

      伊藤 忠彦君    稲田 朋美君

      稲葉 大和君    猪口 邦子君

      小里 泰弘君    越智 隆雄君

      大塚  拓君    亀井善太郎君

      亀岡 偉民君    木原 誠二君

      清水鴻一郎君    篠田 陽介君

      鈴木 俊一君    高鳥 修一君

      とかしきなおみ君    西村 明宏君

      西本 勝子君    馳   浩君

      原田 憲治君    平田 耕一君

      二田 孝治君    松本 洋平君

      やまぎわ大志郎君    安井潤一郎君

      山内 康一君   山本ともひろ君

      若宮 健嗣君    川内 博史君

      北神 圭朗君    田島 一成君

      田嶋  要君    高井 美穂君

      西村智奈美君    松本 大輔君

      森本 哲生君    横山 北斗君

      笠  浩史君    伊藤  渉君

      大口 善徳君    石井 郁子君

      笠井  亮君    保坂 展人君

      糸川 正晃君

    …………………………………

   議員           藤村  修君

   議員           田島 一成君

   議員           高井 美穂君

   議員           牧  義夫君

   議員           松本 大輔君

   議員           笠  浩史君

   総務大臣         菅  義偉君

   文部科学大臣       伊吹 文明君

   国務大臣

   (内閣官房長官)     塩崎 恭久君

   文部科学副大臣      池坊 保子君

   総務大臣政務官      土屋 正忠君

   文部科学大臣政務官    小渕 優子君

   政府参考人

   (内閣官房内閣審議官)  山中 伸一君

   政府参考人

   (内閣法制局第二部長)  横畠 裕介君

   政府参考人

   (総務省自治行政局長)  藤井 昭夫君

   政府参考人

   (文部科学省生涯学習政策局長)          加茂川幸夫君

   政府参考人

   (文部科学省初等中等教育局長)          銭谷 眞美君

   政府参考人

   (文部科学省高等教育局長)            清水  潔君

   政府参考人

   (文部科学省高等教育局私学部長)         磯田 文雄君

   政府参考人

   (文部科学省スポーツ・青少年局長)        樋口 修資君

   政府参考人

   (文部科学省国際統括官) 瀬山 賢治君

   衆議院調査局教育再生に関する特別調査室長     清野 裕三君

    ―――――――――――――

委員の異動

五月十日

 辞任         補欠選任

  亀岡 偉民君     清水鴻一郎君

  木原 誠二君     越智 隆雄君

  西本 勝子君     高鳥 修一君

  安井潤一郎君     篠田 陽介君

  山内 康一君     赤澤 亮正君

  田嶋  要君     森本 哲生君

  石井 郁子君     笠井  亮君

同日

 辞任         補欠選任

  赤澤 亮正君     亀井善太郎君

  越智 隆雄君     小里 泰弘君

  清水鴻一郎君     亀岡 偉民君

  篠田 陽介君     安井潤一郎君

  高鳥 修一君     山本ともひろ君

  森本 哲生君     田嶋  要君

  笠井  亮君     石井 郁子君

同日

 辞任         補欠選任

  小里 泰弘君     木原 誠二君

  亀井善太郎君     山内 康一君

  山本ともひろ君    大塚  拓君

同日

 辞任         補欠選任

  大塚  拓君     西本 勝子君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 政府参考人出頭要求に関する件

 参考人出頭要求に関する件

 学校教育法等の一部を改正する法律案(内閣提出第九〇号)

 地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案(内閣提出第九一号)

 教育職員免許法及び教育公務員特例法の一部を改正する法律案(内閣提出第九二号)

 日本国教育基本法案(鳩山由紀夫君外五名提出、衆法第三号)

 教育職員の資質及び能力の向上のための教育職員免許の改革に関する法律案(藤村修君外二名提出、衆法第一六号)

 地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案(牧義夫君外二名提出、衆法第一七号)

 学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案(笠浩史君外二名提出、衆法第一八号)

 派遣委員からの報告聴取


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     ――――◇―――――

保利委員長 これより会議を開きます。

 内閣提出、学校教育法等の一部を改正する法律案、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案及び教育職員免許法及び教育公務員特例法の一部を改正する法律案並びに鳩山由紀夫君外五名提出、日本国教育基本法案、藤村修君外二名提出、教育職員の資質及び能力の向上のための教育職員免許の改革に関する法律案、牧義夫君外二名提出、地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案及び笠浩史君外二名提出、学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案の各案を一括して議題といたします。

 この際、お諮りいたします。

 各案審査のため、本日、政府参考人として内閣官房内閣審議官山中伸一君、内閣法制局第二部長横畠裕介君、総務省自治行政局長藤井昭夫君、文部科学省生涯学習政策局長加茂川幸夫君、初等中等教育局長銭谷眞美君、高等教育局長清水潔君、高等教育局私学部長磯田文雄君、スポーツ・青少年局長樋口修資君、国際統括官瀬山賢治君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

保利委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

保利委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。とかしきなおみ君。

とかしき委員 おはようございます。

 きょうは、質問の機会をいただきまして、本当にありがとうございます。どうぞよろしくお願いいたします。

 ここ数日間、ずっとこの教育再生委員会に参加させていただきまして、議論の方を拝聴させていただいております。きょうは、細かい話ではなくて、むしろ、本質的なお話、目指すべきゴールはどこなのか、教育によって育てていく人間とは、どういう人間になっていってほしいのか、そのための教育の中身はどうしていったらいいのか、今の教育が一体どこが問題なのか、その辺のお話をさせていただきたいと思います。

 実は、私、地方議員のときに商店街の活性化というのをさせていただきまして、このときに体験したんですけれども、いろいろ地方自治体が行っている政策は、現象に対応してしまう政策が結構多いわけでございます。

 特に、商店街の活性化といいますと、商店街が空き店舗が多いというと空き店舗に補助金を出したりとか、古くて汚くなったといえば道路をつくったり照明灯をきれいにしたりとか、大型店舗が出るというと進出しないように話しに行ったりとか、そしてイベントの補助をしたりとか、そういった、現象に対応していくとなかなか効果が出てこない。

 むしろ、本質的な問題が一体どこなのか、ここをしっかり見ていかなくてはいけないということで、そのときに商店街の皆さんに聞きましたところ、原因が、全部外側に責任を転嫁してしまう商店街の人たちの気持ちの方に問題があるということがわかってまいりまして、町おこしをしていくのには人の気持ちを興していくのが大切だということで、その方向で政策を組み立てていきましたら、効果が出てまいりまして、町を再生することができました。

 今教育で起こっております、いじめとか、落ちこぼれ、不登校、ニート、フリーターとか、教育の質の低下などの問題、これも、対処療法的な方法ではなくて、やはり、本質をしっかり見ていかないと効果は期待できないのではないかと思います。こうした現象が生まれる背景、ここをしっかり分析していきたいと思います。

 ということできょうは御質問させていただきたいんですけれども、現在の教育の荒廃の原因の根本は一体どこにあるとお考えでしょうか、そして、今回御提案いただいている教育三法の法案のどの部分がこの原因に対応しているのか、これは、政府側と、あわせて民主党案の提出者の方にも御答弁の方をお願いしたいと思います。よろしくお願いいたします。

伊吹国務大臣 非常に本質的な、大切な、まずみんなで確認しておかなければならないところからの御質問だと思います。

 どの国も、領土とそこにいる人間とで成り立っておりますので、その人間がしっかりしていなければ、今おっしゃった現象面での失敗はいろいろ出てきます。ですから、その現象面の失敗にモグラたたきのようなことをやっていくということも大切なんだけれども、主役が人間であり国民である限りは、国民のどこに欠陥があるんだということをはっきりとただしていかねばなりません。それは、随分と私は時間がかかることだと思いますが、とりあえず、学校現場をどう直していくのかということと、どのような人間を長い時間をかけてつくっていくのかという二つの観点が必要だろうと思います。

 そこで、これは豊かになった国ではどこにでも生ずる現象ですけれども、例えば、家族、地域社会、会社、国に頼らなくとも、何か制度があり、関係者が扶養してくれて生きていけるという状況になるんですね。そうすると、自分一人で生きていけるという気持ちにやはりなっていくわけです。ここのところをどう考えていくのかということが一つ。

 それから、もう一つ大切なことは、社会がやはり豊かになってきている中で、今のことが現象面にあらわれてきていることなんですけれども、三家族同居ということはほとんど難しくなって、核家族化になっております。同時に、人口が都会に集中しますから、地域社会というものではなくて、マンション、アパート社会というものになりますね。こういう中で、お互いの連帯感とかというものは非常に低下してきます。

 これが、長い目で見て日本という国をどういう国にしていくのかということはやはり考えていかなければなりませんし、日本という国がおかしな国になったときには、個として生きている日本国民一人一人の自主性を持った価値観というものを本当に維持しながら生きていけるだけの余裕のある国に将来なるんだろうかということも考えなければならない。

 したがって、何を教えるかということをまずはっきりとさせておかねばなりませんので、改正教育基本法を受けて、教える内容についてまず学校教育法の改正をお願いしているということです。それを教える先生の資質を維持したいということで、免許法と教育公務員特例法の改正を一本にしてお願いをしている。その全体を統括している文部科学省から学校現場に至るまでの行政の責任体制を明確にするために地教行法をお願いしている。こういう三法の構成でございます。

藤村議員 とかしき委員からの御質問は、まず、教育が荒廃していると。荒廃というのが、少し具体的に挙げられたのは、いじめや不登校や、落ちこぼれという言葉もありましたか、教育力低下などなどと。ですから、荒廃と言ってしまうと、これはちょっとどうなっているんだと我々の責任を問われかねないので、荒廃とまで決めつけるわけにはいかないんですが、教育におけるさまざまな問題があることは事実であります。

 その問題の根本的な原因というのが一体どこにあるかということで、今、伊吹文科大臣もお答えのとおりで、やはり時代が大きく変わっている、その中で、もちろん、今お話しのとおり、日本が経済的に大変豊かになってきている、あるいは生活の様態、形式が核家族化している、あるいは子供の数が減っている、そしてITなどの大変な科学技術の進展、それら幾つかの大きな問題による教育にあらわれるさまざまな現象、これが、荒廃とは言わないまでも、大きな問題点が幾つもある、こういうことであろう、認識はそのように考えております。

 我々は、それらの根本原因を、もちろんこれは教育の法律だけで正すことはできませんが、今回お出ししている我々の教育力向上三法というもので、一つは、やはり、何より最も子供たちに身近な先生の質をある意味では相当高くまで上げてほしい、この時代の変遷に十分に追いつける、あるいは追い越せる、そしてそれをリードできる先生をつくりたいということを教員免許法で我々の方では提示したところであります。

 それから、地域の教育力あるいは家庭の教育力というときに、これは、中央の国が幾ら太鼓をたたきリードをしたところでなかなかそれは難しいわけで、やはり地域でできることということで、我々の地教行法において、一番学校の現場に近いところが、地域の、そして学校を中心とする教育をみんなで考えていく。そういう意味では、学校理事会という制度、これは非常に画期的だと思います。そこでその地域の問題をさまざま解決していっていただきたいなということ。

 それからもう一つ、三本目ですが、我々は、環境整備法という法律で出しているのが、ここは多分この委員会の皆さんが同意される、しかし難しいともおっしゃるが、つまり、やはりお金をきちんとかけないといけない、環境を整備しないといけない、このことを我々はこの法律にきちっと盛り込んで、そして、特にお金の手当てについては、まさに国の責任ということをはっきりさせてこのさまざまな現象の解決に取り組んでいきたい。

 これが我々の法案でございます。

とかしき委員 御答弁ありがとうございました。

 私も同じように考えておりまして、実は、今の教育現場の一番の問題は、小さなコミュニティーの喪失、例えば、自分と他者との関係をどうとっていっていいのか、生徒と先生の関係とか、親子の関係とか、友達との関係とか、あと、自分が社会の中でどんな位置づけなのかとか、何のために生きているのかとか、そういったことがわからなくなっている。多分これは、心の問題ではなくて、道徳や公民の授業でもこれは解決しない問題で、もっと自分たちの位置づけ、コミュニケーションのとり方、そこら辺に問題があるのではないかと思います。

 実際、私も子供たちと話をしていると、何のために勉強しているのかと言うと、全然答えられなくなってしまうわけです。そして、教員の中にも、何のためにこの教育をして、実社会でこの教育はどの程度どういうふうに役に立つのかというのが具体像が見えないということで、逆に、それがまた子供たちにも混乱を起こしている部分がある場合もあります。

 ということで、やはり、教員に社会の現場について語っていただくというのが、教員だけに任せておくのもちょっと今は無理な時代になってきている。どちらかというと、社会全体が、みんなが総がかりで教育にかかわっていくぐらいの気持ちを持っていかないと、今、未来を担う子供たちの教育にはみんなで協力していかないとだめな体制なのではないかというふうに思っております。

 ということで、実際、社会に立った人たちが教育にかかわって、何でクラスメートと仲よくしなきゃいけないのか、五年後、十年後、自分たちの人間関係がどうなっているのか、社会になると友達というのがどういうふうになっていくのか、そして、社会人としての責務とか権限は何なのかとか、そういったことを、具体的な経験を持った社会人の人たちがもっと教育の現場に入っていって子供たちと一緒に語っていく、そういった場所が必要ではないかというふうに思います。あの先生の一言が今につながったという、そんな教育を目指していくべきではないかというふうに思います。

 そこで、では、教育現場で今求められている教員の理想像とは具体的にどんなものなのか、そして、今回御提案いただきました免許更新制度等、この教員の理想像に近づけるのにどんな効果が期待できるのか、お伺いしたいと思います。政府側と民主党提出者の両方にお願いいたします。

伊吹国務大臣 教員の資質あるいは知識、技能という言葉をよく使いますけれども、まず、免許法を出した最大のポイントは、やはり、十年ごとに、刻々と変わる客観情勢の中で生徒に教えるべき最新の知識をきちっとマスターしていただく、これは知識ですね、同時に、生徒を把握して、そしてその生徒に教え込む技術、技能ですね、これが両々相まって教師の資質というものになりますから、これをしっかりと身につけていただく。

 幾ら知識ばかりあっても、生徒を把握できない人はだめですし、生徒に人気があっても、教える内容がわかっていない先生じゃ困るわけですから、その辺のバランスがとれた教師像が理想だと思います。

藤村議員 教員の理想像という言葉もありましたが、しかし、国が教員はこうあるべしということを、もちろん、期待するという言葉では構わないと思いますが、国が押しつける教員の理想像にみんなはまってもらいたいということではいけないと思います。共通して求めるものは、それは、やはり基本的な資質の問題であろうと思います。

 我々は、その基本的なベースになる資質を格段にアップさせたいというのが私どもの教員免許法の改正でありまして、政府は、今、大臣答弁のとおり、十年ごとにリニューアルしてもらうというところにのみ注目をされたんですが、実は、資質の基礎は養成段階でございますので、そういう意味では、相当これは理想的に過ぎるという批判もありますが、しかしこの際、教員にはその基本的資質の部分で格段に高めていきたいというのが我々の免許法で、養成段階に、より注目をした。もちろん、十年ごとの講習というものも我々はこの免許法で入れたところでございます。

とかしき委員 ありがとうございました。

 私は、日本という国は資源が乏しい国でしたので、人によって国を成り立たせていこうといったことを命題にして、人間を非常に大切にして、有為な人材を育成していくことを伝統的に大切にしてきた国だというふうに思っております。ということで、気高い精神と卓越した指導力と、そしてもう一つ教師に求められるのは、人間力の豊かな教師であると考えます。

 この人間力というのは、最も崇高な仕事であるという強い使命感を持って子供の能力を引き出して人間性をはぐくんでいける、これが人間力だと思うんですけれども、この人間力を醸成するには、もちろん免許更新制は、最低ラインの資質を持った人をカットして、ある程度の資質を維持していくには非常に有益な方法だとは思うんですけれども、もっと伸びようという教師にはもう少し自主的な研修を設けていく、そういったものとセットで動かしていった方が効果的ではないかというふうに考えます。

 これをちょっと御質問しようと思っていたんですが、時間がないので御提案させていただきますと、例えば、ある程度働いた段階で、自分の足りないスキルとかいうのは大体気づいてくるものでございます。そのときに、自分で自主的に研修する、そういった応用力をもっとつけてもらう。自分が気がついたところ、人によって足りないところというのは必ず違ってくるわけですから、教師としてその足りない部分を自分の力で補っていく、そういった自主研修を、もうちょっとゆとりを持たせて、例えば一年間有休で自分で自分を育てる研修を考えていくとか、そういったことを組み合わせていく。だから、強制力と自主的なものとセットでいった方が私は教師の資質自身は向上していくのではないかというふうに考えております。

 時間がどんどんなくなってまいりましたので最後の質問にさせていただきたいと思いますけれども、最後のゴールでは、教育を施した後、では、一体どんな人間に育っていってほしいのか、世界で活躍できる人間とは一体どのような人間なのか、その辺について、こういう人間に育っていってほしいというその明確なゴールをお示しいただければと思います。伊吹大臣、お願いいたします。(発言する者あり)

伊吹国務大臣 今、筆頭理事から、前段の提案にもお答えしてという不規則発言がございましたが、確かにいい御提案だと思います。授業のスケジュールその他がありますから、それを見ながら人のやりくりはしなければならないと思いますが、しかし同時に、人間、随所に師があり、こうしてとかしき先生のお話を伺っている中にも私は足らざるものを教えていただいている、こういう気持ちを持ってやはりやるということだと思います。

 そこで、本題についてお答えをいたしたいと思いますが、先般の教育基本法の改正の第一条では、人格の完成と国家社会の形成者としての心身ともに健康な国民の育成というのを教育の目的に置いております。この目的を受けて、第二条に目標として、幅広い知識と教養、豊かな情操と道徳心、健やかな身体、能力の伸長、自主及び自律の精神、公共の精神、伝統文化の尊重云々云々と、他国を尊重する態度というのがありますが、結局、どこへ出しても恥ずかしくない、人間としての自己抑制と品性を持っている知識人、最低限の知識を持っている日本人を育てていく。そのためには、やはり日本人としてのパスポートというかアイデンティティーを持っていない限り外国人とは渡り合えませんので、そういうことが理想の国際社会の日本人だと私は思います。

とかしき委員 ありがとうございました。私も、アイデンティティーというのがやはり非常に重要だと思います。

 今の教育は、残念ながら、暗記と受験に非常に傾いてしまった教育になっております。しかし、世界の中で考えてみますと、むしろ、考えていく力、答えのない世界で自分で自分なりの答えを見出していく力、これが必要なんではないかと思います。日本の教育は、どうもここの部分がまだ力が及んでおりません。論理的な思考能力とか、リーダーシップとか、新しいことを発想する力とか、だれもやったことのないことに挑戦していくような勇気とか、そういったことがこれからの人材としては必要なんではないかと私は思っております。

 自治体の方もいろいろ試みをして、師範塾というような形で教師にこういった人間力、考える力をつける、教師自身にも、みずから論理的思考、アイデンティティーを持って、子供たちに自信と誇りを持って教育をしてもらうような、そういった教育システムを設けております。ということで、地方自治体の方も最近頑張って、教育で地域を栄えさせていこう、そういうふうに積極的に取り組んでいるところも多数出てきておりますので、政府の方からもそういった動きにぜひお力添えいただければと思います。

 ということで、これで終わりにしたいと思います。本日は、どうもありがとうございました。

保利委員長 次に、井脇ノブ子君。

井脇委員 おはようございます。自由民主党の井脇ノブ子でございます。

 教育再生に関する特別委員会での質問の機会を賜りまして、大変ありがとうございます。よろしくお願いいたします。

 最初に、去る三月三十日に教育再生三法が国会に提出されました。学校教育法の一部改正案、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部改正案、教育職員免許法及び教育公務員特例法の一部改正案でありますが、そのいずれも現在の公的な教育再生には欠かすことのできない改正内容を含んでおります。

 文科大臣は、本法案の提案理由で、学校教育の成否は教員の資質能力にあることが大きい、教員全体の信頼性を高め、全国的な教育水準の向上を図ることが重要であると述べられました。私も、教員の資質向上は急務であると思います。

 そこで、資質向上と言われますが、教員に対してどのような、先ほども、とかしき先生の質問でもありましたけれども、資質向上にどのようなことが必要であると思われるでしょうか、大臣の御答弁をお願いしたいと思います。

伊吹国務大臣 まず、やはり、生徒を教えるわけですから、生徒を把握する力、そして生徒から信頼を受ける雰囲気というのでしょうか、こういうものが何より大切だと思います。その上で、刻々と変わってくる客観情勢の中で、最新の教える知識をやはり持っておられる。ですから、知識と技能、この両方が相まって資質ということになると思います。

 職務に対する使命感、愛情、それから教職に対する強い情熱、言ってしまえば当たり前のことなんですけれども、当たり前のことをやるのが人間は一番難しいんですよね。ですから、それを常に持ち続けていただけるように、研修機会もつくりたいし、また、先生に対する社会的評価、あるいは、御努力なすっていることに対する我々のそれを理解しているということを示す何らかの手だて、給与とかですね、こういうものについてもやはりバランスがとれて考えてさしあげるのが、一方的に資質の向上を言うだけではなくて、大切なことだと思っております。

井脇委員 ありがとうございました。

 すばらしい情熱や愛情や把握力、そして学校、クラス運営の把握力、また、教え方の技術、新技術、高い知識レベル、生徒指導や進路指導や学習指導や、親との対応能力や、大変たくさんの能力が資質に必要だと大臣からもお答えいただきまして、本当にありがとうございました。

 社会に生きていくための最低限の能力を養うことがとても大事であり、昔だったら、最低読み書きそろばんをと言ってまいりました。このごろは、本当に先生が、情熱、愛情を注いでいく、子供に情熱を持って、愛情を持って、国家観を持って、すばらしい教員がたくさん育っていかねばならない。

 今回の大切な法案、教員の免許法に関して、大変すばらしい法案をつくり出したと思っております。

 そこで、学校教育の中では、教員の果たす役割が大きい。教員の資質の向上のためには、教員養成の学校、大学、養成の場のところから、また、採用の改善、現職研修の充実などの方策が必要でありますが、これまでも努力してまいりましたが、今回新たに、十年に一回、三十時間の更新講習を義務づけられております。

 教員の免許更新制を導入する意義につきまして、何回も聞いておりますけれども、改めて文部科学大臣の御見解をお伺いしたいと思います。

伊吹国務大臣 教員の資質あるいは先生方の情熱等については、むしろ、先生御自身が教育現場の指導者でおられますから、一番実感をしておられると思いますけれども、今は、我々を取り巻いている環境が変わっていくスピードが昔と比べてとても速いですよ。ですから、そういう環境の中でこれから育っていく児童生徒に教える最新の知識を持ってもらう、そして同時に、先ほど申し上げたように、教師としての指導力というか人間力というものにもう一度磨きをかけていただく、いろいろな成功事例を参考にしていただく、これが三十時間の研修の内容になると思います。

 研修を受けることも大切なんですけれども、同時に、研修を受けることによって、新たに教師自身の心の中にわいてくる自信ですね、これをもう一度持ち直して、誇りを持って教壇に立ち戻っていただく、これが私たちの今回の法案のねらいでございます。

井脇委員 ありがとうございました。

 高い知識と新しい技術を、この更新制を導入することによって教員がそのような力をつけていって、自信と誇りを持って、そしてまた社会の信頼性を養っていくということを大臣からお伺いして、大変すばらしい教員免許更新制だなということを思っております。

 教員が更新講習を受けることになりますと、百万人の小中高の公立の先生がいらっしゃいますが、年間で約十万人の教員が対象となりますが、しかし、教員の中には、更新講習を受講しなくても構わないほど、知識、新しい技能にすぐれた、優秀な方々も少なからずいらっしゃると思います。

 政府案では、これらのすぐれた教員について受講の免除をお考えのようでありますが、具体的にはどのような方が講習免除の対象になりますでしょうか。局長さん、お願いします。

銭谷政府参考人 免許更新講習の受講免除者でございますけれども、改正法案の九条の二の第三項に基づきまして、省令で定めるところによりまして、個別に都道府県教育委員会が認めることとなります。

 省令の内容はこれからきちんと検討していかなければならないわけでございますが、例えば、優秀教員として表彰をされた方とか、校長、教頭、教育長など、教諭を指導する職にある方などが想定されるというふうに考えております。

 いずれにいたしましても、国会における審議も十分踏まえまして、どういう方が受講免除者になるか、十分検討してまいりたいと思っております。

井脇委員 先日、文科大臣が大変すばらしい優秀教員の表彰を七百六十五名行いました。その選考基準といたしましては、学習指導をすばらしくしている人を三百三名、生徒指導と進路指導の方を七十名、そして体育とか保健とか給食指導がとても立派だという人を五十名、そして特に部活動の指導がすぐれておるという方を百四十名、それから特別支援教育をなさっている方の優秀な方を九十五名、その他八十三名で、七百六十五名の教員を表彰いたしました。

 また、私学についてはたったの十人です。私学はたったの十人です。悔しいというか、涙が出るような思いでございました。七百六十五名中、私学十名、わずか十名でございました、表彰が。(発言する者あり)いや、それは違うと思いますが。

 特に公立の小中が多く、十名の私学が特に少なく、このことに対しまして、今日の現状が、七百六十名くらいしか、百万人の中で表彰する方がこれだけしかいないということを、もうすごく、何というか、教育界に寂しい思いを、私はまた、一回目が東北からこっち、それから中部、それから九州とか、こう何回かに分けて七百六十五名ずつやるのかな、こう思っておりましたんです。二千人ぐらいは、最低二千百人ぐらい、三地区に分かれてあるのかな、こういうような表彰があるのかなと思ったら、全国一斉で百万人の中のわずか七百六十五名であったのであります。非常に現状が憂えてなりません。

 そういうこともございまして、特に私学がどうして十人ほどしかなかったかを一言聞きたいと思います。

伊吹国務大臣 まず先生、この制度は、私が大臣になりまして、総理も御出席になりまして表彰いたしましたけれども、それまではこういう制度はなかったんです。この制度をやるべきだと発案されたのは、実は、私じゃなくて、こちらにおられる小坂大臣なんですよ。私はもう、小坂大臣の決めていただいたことは非常にいいことだと思いまして、それでやったわけです。

 知事部局と全国の教育委員会に優秀な方をお願いしたんですが、結果的に、出てきた数字がそういうことだということなんです。ですから、やはり私は、知事部局には、単に私学助成を配分するだけではなくて、教育の内容についてかなり深く見る人を、総理の御指示があったように、地方自治体にも配置をしていただいて、私学からも積極的に推進していただきたいと思っております。

 それから、数も、一回目でございましたので、こういうことになりました。ですから、今後、決してこの数に限定するということではございません。

 それから、表彰式が終わりまして後、パーティーもなかったんですよ。初めてなのでこれは仕方がないことだったんだけれども、全国からわざわざお見えになっているんだから、大きな予算は要るわけではないので、来年からは、総理もお残りいただき、私も残って、せめて一時間ぐらいは少し皆さんとお話しする機会をつくって、まあ一度にうまいものはできませんから、徐々に徐々に直して、子育てのように大切に育ててまいりたいと思います。

井脇委員 ありがとうございました。ぜひお願いしたいと思っております。

 私学のことについては今聞きました。知事部局はいつも私も気になっているんです。知事部局で私学を指導する私学振興室というのがあるんですけれども、そこは三年ごとにかわるんです、全部。だから、専門官がいないんです。そういうことで、教育の内容を見る方、そういう者がいないものですから、私学協会というのは県ごとに違って、非常に力のあるところと、私学がない、和歌山みたいに六校しか私学がないところ、静岡みたいに六十九校私学があるところ、こういうように各県で皆違いますから、私学協会の力を入れているところと入れていないところとやはりあるわけでございます。そういう意味で、知事部局のあり方の中に、私学振興室の中にぜひとも先ほど言いました専門官を置いていただけると、三年ごとに転勤するわけでありますから、そこのところはちょっと大変だと思っております。

 最後になりました。もう一つ、大学の教員養成のあり方が最も重要であると私は思っております。

 特に静岡大学のように、三年で一度、四年で一度教育実習をする。もし私が今高校の社会の単位を取りますと、六十七単位取ります。その中で、教職二十三単位、それから教科以外が十六単位、教科が二十単位でありますけれども、教育実習の単位はたったの三単位なんです。三単位ということは、教育実習の一週が一単位ですから、二十一日間、三週だけが取ってよろしいという、その免許のですね。これはちょっと余りにも少な過ぎて、静岡大学みたいに二回あれば、三年生のときに失敗しても、非常に反省をして二回目にまた同じところに行ったら、ああ、この子は教育実習ですごくすばらしく伸びたなとできるわけでありますけれども、三単位でありますから非常に単位が少ないのです。

 小中は六単位なんです。高校は専門科の社会とか国語とか取るのが三単位なんです。これを何とかもう一回チャンスをふやしていただけたら、三単位、三単位で六単位になりますと、教育実習の単位がふえましたら大変伸びる。特に教育実習が大切である、私は大学の養成段階で特に重要であると思っておりますが、いかがと考えておるでしょうか、お伺いしたいと思っております。民主党さんもお願いします。

銭谷政府参考人 教育実習でございますけれども、平成十年に免許法を改正いたしまして、事前事後の指導を含めまして、中学校についてそれまで二単位プラス一単位の三単位だったものを五単位に増加をして、小学校と中学校は五単位、高等学校は今三単位ということで教育実習を実施しているところでございます。

 また、今先生お話ございましたように、教育実習は四年生だけじゃなくて三年生からやるというのが国立の教員養成系の大学学部ではかなり一般的になりまして、一年生から少しずつ現場に行くという大学もふえつつございます。教育実習につきましては、こういったことから、内容の改善充実ということを図っていく必要があろうかと思っております。

 ただ、単位の増加ということにつきましては、受け入れ体制などの課題もございますので、これは今後の検討課題というふうに思っております。

 なお、今回、法案ではございませんけれども、大学の教員養成につきましては、昨年の七月の中教審答申を踏まえまして、今後、省令で行うことになろうかと思いますけれども、教職実践演習という新しい科目をつくりまして、大学における教員養成教育の最後に課される科目として、教員として本当に必要な資質能力の全体を確認するといった内容の科目を設けることといたしているところでございます。

 また、教員養成を行う大学につきまして、きちんと教職課程の運営をしているのかどうか、このことについての是正勧告とか認定の取り消しの制度化といったことも考えて、しっかりとした教員養成が行われるように、省令以下でございますが、制度改正を今考えているところでございます。

藤村議員 井脇委員にお答えいたします。もう時間が余りないようでございますが、短くお答えいたします。

 先ほどのお話の中で、教員の養成は、養成、そして採用、研修、このことをおっしゃったと思います。実は、今回の政府案は、その研修のところの、十年更新研修ということにとどまっているわけですが、我々は、その養成の段階で、特に今おっしゃっている教育実習、現在二週間とか四週間が一般的でありますが、これでは学校側にとってもお客様扱いだし、本当に子供のさまざまな面をその短い期間でできるかというとそれは難しいし、だから、多分井脇委員も我々の一年実習というのは賛成いただくと思うんですね。

 ただ、それが現実的かという問題、後ほどの御質問にあったんですが、それを答えずに申し上げますと、今の四年間で、今、さらにもうちょっと研修させろという声は確かにあるし、それは考える必要はあるんですが、先生も御承知のように、今、四年間で相当密に種々の科目があって、これ以上無理だというのも現実でございまして、そういう意味で、我々の、修士、後のプラス二年のうちの一年を丸々現場で実習していただく、このことにぜひ御賛同いただければ幸いでございます。

井脇委員 時間となりました。ちょっとだけ、これはどう思っているかだけ大臣に一言聞きたかったんですけれども、大変時間がないので聞きませんけれども、私は、師範大学構想をずうっと練っておりました。これが教育改革の根本だと思っておりましたけれども、大臣はどう思っているかということを、また改めて別に聞きに行きたいと思っております。

 ありがとうございました。時間になりました。

保利委員長 次に、大口善徳君。

大口委員 公明党の大口善徳でございます。

 きょうは、質問の機会を与えていただきまして、ありがとうございます。

 伊吹大臣、原理原則をしっかり踏まえながら非常にバランスのとれた御答弁をずっと私拝聴しておりまして、大変成熟した政治家であるな、こう思っております。

 きょうは、まず、魅力ある教員の養成ということについてでございますけれども、今、教員の資質向上の総合施策として、養成、免許、採用、そして研修等々あるわけですね。そして、資質の保持と向上を図っていく。教員の免許更新制の導入もそういうことであると。

 先日の参考人の質疑の中で、梶田参考人が、教員について、「師であるということをお互い考えようと。お友達じゃだめなんです」、「したがって、身を持して、自省自戒をして、常に自分自身が人間としての先輩として、人生の先輩として、あるいは、例えば算数、数学を教えるにしても、算数、数学を教えるということを通じながら、やはり、人生を教えていけるといいますか、人間としてのあり方を教えていけるといいますか、そういう者にならなきゃいけないんじゃないか。そのために、常に研修し、努力し、繰り返しますが、自省自戒をしようということを申し上げております。 そういう意味で、私は、専門的な力量、これは当然ですけれども、その土台に、師であるということ、これを大事にしていきたい、」こう述べられているわけですね。また、他の参考人も教員の人間性ということについて述べられておりました。

 今般の教員免許更新制度導入は、教員に最新の知識と高い技能、これによって自信と誇りを持ってまた教壇に立っていただく、こういうことを何回も大臣は御答弁されておるわけでございますけれども、政府のこれまでの教員養成の考え方あるいは今後の施策の中で、このような、子供から慕われる、師と仰がれるような、そういう教員の養成についてどのように考えておられるのか、お伺いしたいと思います。

伊吹国務大臣 先生が今おっしゃったとおりだと思います。

 民主党案にもありますように、養成段階でどうするかということももちろん大切ですし、採用した後、一年間の試験任用期間というもので足りるのかどうなのか、これをまた長くすると身分が不安定だという批判が一方にあります。常に長所と短所を見ながらやっていかねばなりませんし、もっと、漠然としたことを言って申しわけないんですが、やはり社会の中のエリートと言われる人が教師の職を求めるというぐらいの社会的な評価と報酬ができれば一番これはいいわけでして、そういうことを少しずつ行政面で補っていこうというのが今回の研修制度で、必ずしもそれだけで十分だということは考えておりませんし、先生のおっしゃったような、資質を持っているということが一番教師として大切だということは、私も全く同意見でございます。

大口委員 菅大臣にお伺いしたいと思うんですが、今回の地教行法の改正案において、文科大臣から教育委員会に対して指示及び是正の要求についての規定が盛り込まれました。大臣も御答弁されていますように、これは地方自治法の原則の枠内、地方自治事務について認められた関与の範囲内、こういう御答弁でございました。この規定については、昨年の、いじめ、未履修の問題について教育委員会の対応が適切でなかったということの反省を踏まえたものだ、こう理解しております。

 しかし、地方における教育については、地方分権の観点から、地方の責任において地方においてチェックすることが重要である、こう考えております。地方自治体の長には、地方自治法第百四十七条の規定により統括代表権があり、教育委員会については、その構成員である教育委員を選任し、議会の同意を得て任命することとなっているわけです。また、議会は、教育委員会を監視する役目、役割を持つなど、自治体内でそれぞれの役割があります。

 こうした現行制度の中で、教育委員会の政治的中立性を担保しつつ、いじめや未履修などのこういう問題に対して地方自治体内でどのような対応方策があるのか、総務大臣にお伺いしたいと思います。

菅国務大臣 今、大口委員御指摘のとおり、地方の公共団体の長には統括代表権というのがあります。そして、現実的には、地方教育行政、この法案においては、教育委員会が生徒指導だとかあるいは教育課程というものは掌握しています。そして、その教育委員会の委員については、今御指摘のとおり、長が任命をする、そして議会が同意する、実はそういう関係になっています。

 さらに、長は、教育に関する予算だとか、あるいはその執行、条例提案、実はこういうものを行うことができますし、また、教育行政にそういう意味で一定の役割をこれは果たしている、そういうことであると思いますし、予算の作成に当たっては教育委員会から意見を聞く、こういうことになっています。

 いずれにしろ、やはり、地方公共団体の長と教育委員会とがお互いに連携をとりながらさまざまな教育問題に対処していくべきだろう、私はこのように考えています。

大口委員 よく連携をとるということが本当に大事だと、今回の一連の件で私も感じております。

 次に、副校長等の新たな職の設置についてお伺いしたいと思います。

 私は、今回の副校長、主幹教諭、指導教諭という新しい職の設置の一番大きな目的は、これによって教員が子供と向き合える時間を確保することだ、こう思っております。これは参考人の皆様も一様にそうおっしゃっております。

 大臣は、この新たな職の設置によって実際に教員が子供と向き合える時間を確保することができるようになる、こういうようにお考えなのか、お伺いしたいと思います。

伊吹国務大臣 最終的に各学校にどのような形でこれを配置していくかというのは、各教育委員会の、先ほど来先生がおっしゃった、まさに地方教育自治の中でなされるべきことだと思いますが、御承知のように、今、校長、教頭というのは確立した職としてあるわけですが、それ以外の先生は、職員室へ入るとみんな一緒だという雰囲気ですよね。ところが、一般社会、会社なんかだと、同じ平でも先輩後輩というのがあって、先輩は、いろいろ教えてくれる、そのかわり、飲みに行くと金を払わなくちゃいけないとか、いろいろなことがあるわけですね。そういう中で、まず若い先生方にいろいろなことを指導いただける立場を学校教育法上明確にしておきたいということが一つですね。

 それから同時に、教科をお持ちになるお立場の先生でも、教育に関する事務の中身について集中的にその先生がおやりになることによって、それ以外の先生方が生徒に向き合える時間をとっていただきたい、そういうことを考えているわけなんですけれども、全体としては、教職員の定数の問題をどうするかということがやはり一番大きな問題になってきますので、そこは、我々与党だけじゃなくて、民主党の先生方も含めて、年末に向かってひとつみんなで考えていただきたいポイントだと思っております。

大口委員 今大臣がおっしゃった中で、これからベテランの教師がどんどん退職していくわけですね。そういう中で、経験の少ない若手の教員が入ってくる、だんだん広き門になっていく、そういうことで、若い教員の方に対する指導をしていくという体制、これも非常に今回の改正では大事なことである、私もそういうように思います。

 そこで、こういう新たな職の設置について、教員の任命権者である都道府県教育委員会、それから、学校の設置者である市町村教育委員会、学校のマネジメントを行う、リーダーシップを発揮すべき校長、それぞれ、この新たな職の設置についての役割分担、それはどうなっていくのかについてお伺いしたいと思います。

銭谷政府参考人 副校長あるいは主幹教諭、指導教諭の任用に当たってのそれぞれの役割でございますけれども、まず、地教行法の三十九条に基づきまして各学校の校長先生が所属職員についての意見具申というものを行うわけでございます。それから、これを踏まえまして、地教行法の三十八条に基づきまして市町村教育委員会が都道府県教育委員会に内申を行った上で、最終的には、地教行法の第三十七条に基づきまして都道府県教育委員会が適任者を任命していく、こういう構造になっております。

 新たな職の創設に当たりましては、こういった関係者が十分に連携を図り、適切な配置がなされるよう運用されるということが重要でございますので、私ども、各都道府県で既に置いている県もございますし、そういった成功事例等を周知するなど、いろいろ配置を促してまいりたいと思っております。

大口委員 確かに、これまで学校の現場というのは、なべぶた形の組織だったんですね。ここに新たな職を設置する。こういうことで現場が混乱を生じないようにしなきゃいけませんし、また、学校の規模とか地域の環境、諸条件で、新たな職をどのように置くか、どのようなイメージを大臣がお持ちなのか。そして、国として、そういうことについてガイドライン等を出される気持ちがおありなのか。それから、今先行事例については御紹介するというお話があったわけですけれども、そのあたりについてお伺いしたいと思います。

伊吹国務大臣 おのおのの職の想定しております内容については今参考人がお話をしたとおりでございますけれども、一応、この法律が国会で議了をいただけますれば、今参考人が申しましたことも含めて、ガイドラインのようなものをお示ししたいと思っております。

 同時に、この職について給与をどういうふうにするかということは、これは非常にやはり大切なポイントなので、予算編成が伴いますから、そのことも念頭に置いて、そして、我々だけではこれは決められませんので、我々は三分の一のお金しか持っておりませんから、総務大臣とも御協議しなければなりません。

 そういうことを考えて、各教育委員会に我々の考えをお示しして、あとは教育委員会の自主的判断にまちたいと思っております。

大口委員 今局長の方から先行事例についてお話がありました。その先行事例から考えても、この新たな職の設置というのは必要だ、こういうことだと思うんですね。

 そこで、その先行事例について御紹介いただければと思います。

銭谷政府参考人 ことしの四月一日現在で私どもが把握をしている状況でございますが、副校長という職名を置いている地域は二十三の教育委員会でございます。それから、主幹教諭あるいはこれに類する職を置いている地域は十三の教育委員会でございます。それから、指導教諭あるいはこれに類似をしている職を置いている地域は十四の教育委員会でございます。

 それぞれ、その配置によりまして、どういう成果、効果が上がったか、いろいろございますけれども、特に副校長につきましては、やはり学校全体のマネジメント体制の強化が図られたということが非常に大きいと思います。

 また、主幹教諭、指導教諭につきましては、若手教員の授業改善の面で大きな成果を上げたり、あるいは、教員の意見を吸い上げるようにして円滑な学校運営に資している、そういったような成果の報告がございます。

 いろいろ課題もございますけれども、こういった事例について、私ども、今後、よく紹介をしていきたいというふうに思っております。

大口委員 次に、学校の評価についてお伺いしたいと思います。

 平成十七年度データによりますと、教員による自己評価、これは九七・九%の実施率、それから外部アンケートも含めた実施率が八三・七%、そして学校関係者評価については五一・九%、こういうことでありますが、公表率が非常に、例えば自己評価については五八・三%と低いわけですね。私学については二四%にとどまっております。それと、PTA全国協議会の調査によりますと、学校評価を実施していることを知らない保護者が七五・九%と全体の八割を占めている、こういうことであります。アンケートをとっている場合は八七%ということなんですかね。

 そこで、学校教育法改正案の第四十三条に規定していることもその対応の一つだと思うんですが、この学校評価の結果の公表率を高め、さらに、学校評価制度を正しく理解していただくための改善策、これにつきまして大臣の御所見をお伺いしたいと思います。

伊吹国務大臣 学校評価を公表した結果、その公表された評価を見て、学校に対して何を期待し、そして学校がどのように動いていくかというところが機能しないと、結果的に、公表を促しても意味がないわけですから、地域の方々の、公明党さんがよくおっしゃる地域との連携ということを考えて、去年の三月ですか、学校評価ガイドラインというものを策定して、学校便りやホームページの活用などによる自己評価結果の公表を促すということをやってきたわけですが、今回の改正案では、御承知のように、四十二条で、実施をする、四十三条では、保護者等に積極的に提供するということを、これは促し規定ですが、書いております。

 すべての学校が自己評価を実施することによって、学校自身がまたその批判あるいは評価にこたえて、おのおの工夫をして、そして保護者からも提案があり、そして一体となっていい学校をつくっていく、こういう方向が出てくるように促すということが一番大切なことだと思います。

大口委員 次に、学校評価の第三者評価についてお伺いしたいんです。

 昨年、平成十八年の九月から本年の一月まで、文科省で全国百二十四校の小中学校を対象に第三者評価の試行実施をした、こういうふうにお伺いしております。この第三者評価の現状や課題をどのように認識しておられるか、これが第一点。

 また、この学校評価には、自己評価、学校関係者評価、これは外部評価ともいいます、そして第三者評価があるわけでございますけれども、今回の改正、四十二条という話がありましたように、この四十二条の学校評価はどこまで含むのか、この三つの評価のどこまで含むのか。

 また、昨年の試行実施を踏まえ、第三者評価の今後のあり方について、大臣にお伺いしたいと思います。

伊吹国務大臣 どこまで含むかについては、これは予算上の問題もありますし、ともかくまず自己評価、それから地域の皆さん、保護者を入れた評価、これはまず最小限やっていただきたいと私は思っております。

 第三者評価につきましては、昨年は試行的に文部科学省がああいうことをやりましたが、これはやはり評価の内容をどうするかということをよほど慎重に考えないと、不当な支配という言葉もありますし、教育の国家管理ということも言われております。ですから、将来的には、できれば、政府がもちろん評価をしなければならないんですが、文部科学省から独立をした第三者的な八条機関のようなものができて評価が行われるということが私は一番望ましいんじゃないかなという気はします。

 しかし、すぐに予算あるいは行政機構等からそこまでいけませんので、慎重の上にも慎重を期して、いやしくも、イズムに関する評価とか学校の微妙な心のあり方に関する教え方の問題等については非常に慎重に対処をしていくべきで、私は、マネジメントのあり方についての評価を第三者評価についてはまず優先すべきだと思っております。

大口委員 時間が参りましたので、以上で終わります。

 本当にありがとうございました。

保利委員長 次に、田島一成君。

田島(一)委員 民主党の田島一成でございます。

 この特別委員会で初めて質問の機会をいただきました。限られた一時間ですけれども、大臣以下、よろしく御答弁をお願いしたいと思います。

 きょうも随分多くの中学生、小学生が国会見学に来ているのを、この委員会室へ来る道中、拝見しました。この子供たちが今回の教育三法の改正でどのような教育を受けるのか、また、彼ら、彼女らの保護者の皆さんが、どういった教育の中に子供たちがさらされていくのか、いろいろな不安を持っていらっしゃるのではないか、そんなふうに思いながら横目で眺め、この委員会室へ来たところであります。

 今、教育の現場に優秀な人材を確保することが大変重要な課題だということは、民主党案の提出者である我々も、そしてまた政府も、そしてこの委員会室にいる委員すべての皆さんの共通した認識だと考えます。しかしながら、現在の教育職員の現状を見れば、いわゆる不適格職員と言われて例えられるケースもあれば、個々の職員は相当努力を重ねているにもかかわらず、夢や希望、そしてまた誇りを失ってしまった現実に私たちは嘆かざるを得ない現状が続いております。魅力あふれる職業としてこの教育職員という職業を確立していく、そのことが何よりも私は先決だというふうに考えます。

 冒頭、大臣、質問に先立って、大臣としてのお考えをまず御開陳いただきたいと思います。

伊吹国務大臣 今の御質問の趣旨は、教師に対する評価というか、一般的な、社会的な雰囲気のようなものについてどう考えるかということだと御理解して、お答えをしたいと思います。

 再三申し上げておりますように、社会状況が非常に変わったので、今の先生は、かつての先生に比べて期待されていることが多くなり過ぎていると私は思います。

 それは、まず、家庭でなすべきことが、御承知のように核家族化と共働きということで、現実的にはほとんど機能ができなくなってきている部分があって、その部分を実は学校に期待をしておられる御父兄がかなり多い。それから同時に、そのことから必然的に起こってくる地域社会の崩壊のような問題の中で、地域がかつて果たしていた役割もまた果たせなくなり、学校に期待をしているという向きが多い。

 もちろん、そのことに対する反省から、放課後子どもプランであるとか、地域と一体になって学校を評価し、つくり直していくという民主党案的な考え方もあります。それは、いいものをみんなで酌み上げて政策の中に私は実現していけばいいと思いますが、学校の先生は、そういう意味では、かつての学校の先生よりも多くのことを期待されておられる。

 それからもう一つは、これは我々も反省しなければならないと思いますが、いろいろな調査や問い合わせを地方の教育委員会にお願いする、地方の教育委員会はそれを学校へ持っていかれる、それから同時に、県の教育委員会が市町村の教育委員会に対して、同じように調査その他を御依頼になる。

 この二つで、率直に言うと、先生はもう大変だろうと私は思いますね。

 ですから、確かにいろいろな理由があると思いますが、そのような大変な状態に先生がいるんだということだけはみんなが理解をしてあげないと、その中で失敗をすると大きく物事が取り上げられます、マスコミも発達してまいりましたから。しかし、まじめに黙々と問題を処理してマスコミ種にならないようにしている立派な先生の所業は、何ら報道されませんね。そうすると、やはり隠したいという気持ちが、人間、どうしても起こってくる。それがいじめの問題や何かに私は端的にあらわれたと思うんですね。ですから、単に学校の先生だけをどうこうするということで直る問題でもありませんし、行政そのものの筋、責任の所在をもはっきりしなければなりません。

 それから同時に、待遇、処遇、その他いろいろな面で考えていかねばなりませんし、先生にもまた頑張ってもらわねばなりませんし、私は、そんな感じを持って、今先生方の、責任を持つ職を務めているということでございます。

田島(一)委員 大変丁寧にお答えをいただきました。ありがとうございます。

 今答弁の中にもありましたとおり、現場の先生というのは、役職に限らず本当に大変な状況にある、このことは大臣もしっかりとお認めをいただいているということは、私どもも大変心強く思うところであります。

 この教育職の多忙感を解消する、先ほど大口委員からも質問がありましたけれども、政府案の中にあります新しい職というものが、一定その役目を果たすんだというふうに私どもも受けとめております。裏を返せば、子供と向き合う時間を確保するんだという耳ざわりはいい例えにもなるかもしれませんけれども、現実、副校長であるとか主幹教諭の導入の理由というのが、すべての教職員全体の多忙感を解消するのかなと思いきや、どうもこれは教頭先生の多忙感を解消することが第一の目的なのかな、そんなふうに実は受けとめられるところもあります。

 私が思いますに、先ほど大臣も御答弁でおっしゃっていただいたとおり、学校全体のこの多忙感を解消するためには、特定の先生だけのため云々ではなく、特定の役職だけを補うだけではなく、全体としての、例えば教職員の増員、また事務職やカウンセラーの導入といった、すべての学校にこれまでの法体系の中ででも十分に対応し切れるような中での対応策をとられることの方が本来優先すべきことではなかったのかな、そんなふうに考えますけれども、いかがでしょう。

伊吹国務大臣 参考人招致をしていただいた後、各参考人の意見陳述を私もずっと読ませていただきましたけれども、各参考人のおっしゃっているのは、やはり、生徒に向き合える時間をとるためには、この職を置くということに反対の意見はなかったんじゃないかというふうに、参考人の御意見は私は読ませていただきました。

 しかし同時に、全体として人をふやした方がいいことは、それは確かです。その前提として、やはり納税者の理解をとらねばなりませんので、学校現場でしっかりとした授業が行われ、御父兄が満足をしておられる教師が存在している、その先生方においてすら多忙で大変だという状況をまず納税者に示さないといけないでしょう、それは。

 ですから、そのために教員免許の法案だとかいろいろなことをやっておるわけですが、同時に、一つは、今おっしゃったように、事務のような仕事、あるいはかつては小使さんと言われていた人たちが、今、外部の警備会社がやっているように、お金だけを、予算を増額してお金をつけて仕事を外へ出すというやり方があるんですね。それから、OBの方や地域の方の御協力を得て、ボランティアですからほとんどお支払いはできませんが、若干のお金をつけて中へ入れてくるというやり方があるんですね。それから三番目は、今先生がおっしゃった、職員、教員の増員ですね。

 これは、財政の再建とかあるいは行革だとかというものとのバランスをとりながら、政治が最終的にどこにプライオリティーを置いていくかという決断をしなければならない分野ですから、これは法律の改正と当然予算措置を伴うわけですよ。もちろん前の二つも予算措置が伴いますけれども、前の二つはお金で済む話です。三番目は今までの法律を変えなければできません。その三つの組み合わせをどういうふうにやっていくかを、これは年末にかけて考えていくということだと思います。

田島(一)委員 それでは、具体的な、考えられている新たな職の中身について、参考人の方にちょっとお尋ねをしたいと思います。

 今回、副校長とあわせて導入されようとしている主幹教諭。主幹教諭というのは、イメージとして管理職というふうに位置づけていいのかどうか。そして、現行でも主任制がしかれているわけですけれども、この主任制については残すのかどうか。あわせてお答えをいただきたいと思います。

銭谷政府参考人 主幹教諭でございますけれども、命を受けまして校務を整理して、必要に応じて授業等も行うわけでございますが、主任との違いということで申し上げますと、主任は連絡調整、指導助言を他の教職員に対して行うという役割でございましたけれども、主幹教諭につきましては、自分の所管をする内容につきまして他の教職員に対しまして指示ができるというところが大変大きな違いかと存じます。その意味で、ある意味では管理的な仕事ができるということになるわけでございます。

 それから、主幹と主任の配置の関係でございますけれども、主幹教諭がそれぞれの学校におきましてどのぐらい配置をされるかということによって状況はいろいろ出てくると思いますけれども、例えば、今まで教務主任が行っておりましたような職務につきまして、これを教務担当の主幹教諭ということで配置をされた場合には、教務主任というのは必ずしも置かなくてもいいということになろうかと思っております。

 ただ、もちろん、学年主任とか、そういう方は別途配置をされるということはあるわけでございます。(田島(一)委員「残すんだね、主任制は」と呼ぶ)ええ、主任制は、すぐ廃止ということではなくて、残ります。残りますが、職務の内容によりまして、例えば、教務担当の主幹教諭あるいは生徒指導担当の主幹教諭といったような者がその学校に配置をされたという場合には、生徒指導主任とか教務主任というのはその学校では特に置かなくてもいいのではないかというふうに考えているところでございます。

田島(一)委員 主任制も残すということで理解をさせていただきました。

 現行の主任制度というのは、学校教育法の施行規則で、特別の事情がある場合、置かないことができるというふうになっております。今回、主幹教諭の配置によって主任を置くかどうか、これも都道府県の判断で決められるというふうに解釈してよろしいんですよね。

銭谷政府参考人 先ほども申し上げましたけれども、今回の主幹教諭制度によりまして、主任制度そのものを廃止するとか、変えるとか、そういうことは現在考えていないわけでございますけれども、先ほども言いましたように、教務に関する校務を担当する主幹教諭が置かれる場合、教務主任の行う職務については当該主幹教諭で処理をできるわけでございますので、教務主任を置くことは必要ないのではないかといったことを先ほど申し上げたわけでございます。

 省令の規定をどのようにするかということについては、今は特別な事情がある場合は置かないことができるということになっているわけでございますが、その辺の規定ぶりについては、私ども、今後よく考えていきたいと思っております。

田島(一)委員 そこが聞きたいところなんですよね。考えていきたいと、今この段階であいまいにおっしゃられると、結構現場は御苦労されると思いますよ。

 大臣、役職がどんどんふえてくるということで、自治体の教育長なんかは本当に今頭を痛めているんですね。これは一体どうなるんだろうか、主任は置かざるを得ないんだろうか、主任をやめて、それをたまたま指示ができる主幹教諭にさえかえればそれで済むんだろうか、いろいろな不安が今錯綜していますよ。私、先週末、たまたまPTAの役員の関係で教育長なんかと一杯飲む機会がありました。この余りにスピーディーな変化についていけないという嘆きの声を、皆さんしきりにおっしゃっていましたよ。

 教育現場で、例えば今の主任制度に問題があるというのならば、主幹教諭が指示をしなければならないんだという背景がしっかりと打ち出されているならばわかるんですけれども、主任制度も残しましょう、また、自治体によっては置くか置かないかは特別の事情によって自由にできますよ、こういうちょっとあいまいな感じで、また方向性についても、これから先、施行規則の中身についてはまた議論をしていくというお話ですけれども、ちょっとこれは、大臣はどのように受けとめてこれを御提案なさっていらっしゃるのか、お答えいただけますか。

伊吹国務大臣 これは先生、質問する立場によっていろいろな質問の角度があると思うんですよ。それは学校によって、学校の大きさ、規模、いろいろあります。ですから、今度はこういうふうにするんだと政府参考人が決めますと、学校の規模等によって違うじゃないか、地方の教育の自主権はどうなるんだという攻め方もまたできるんですよ。

 ですから、今非常に苦労しながら答えているのは、学校の大きさ、地方の特殊性、いろいろありますから、余りこちらが画一的な方向性を出すというのはやはりどうかなという気持ちが一方にはあるんです。しかし、大体この程度の規模の学校であればこういう形が望ましい、こういうふうにすることが理想であるというようなことは、きちっと指示というか、指示という言葉はいけないんですね、一種の援助、助言をさせていただきたいと思います。

田島(一)委員 この先、この詳細については政省令等ででもまた変わっていくんだろうというふうに思いますけれども、ただ、現場が混乱と不安にならない手だてだけはやはり絶対に考えていかなければならない。もちろん、役職が新たにふえることによって、そこに適切な人材が確保できるのかどうかという課題ももちろん出てまいります。

 私は、そういう点では、今回、主任制度と主幹教諭の制度、これまでは指導助言できるか、指示できるかどうかという違いだというふうに参考人は御説明をいただきましたけれども、今の主任制度の中ででも、運用を考えていく中では指示をすることも十分にできたのではないかというふうに実は考えていたところなんです。

 新たな役職を設けるだけで本当に学校現場が、冒頭申し上げた、子供と向き合う時間が確保できるであるとか、教職員の多忙を解消できるということにつながるかどうか、その点は非常にまだ不安を持っておりますので、この先また議論を重ねさせていただきたいと思います。

 特定の役職だけを設けて、それで学校の今抱えている課題がすべて解決できるなら言うことはありません。しかし、学校現場を見ると、それこそトップに立つ校長先生のリーダーシップいかんによって、その学校運営がうまくいっているところ、そしてそうでないところ、随分これがまちまちであることは、私が言うまでもないと思います。

 今、学校全体の中の雰囲気というのを、私は現場へ寄せていただいて思ったとき、先日の石井委員が参考資料で御提示されましたけれども、職員の中での教材研究であるとか、職員会議以外のいわゆる緊密連携を図る時間が確保できないということを随分危惧されている現場の先生方が多いことに私も驚かされました。

 これまででしたら、同じ学年の違うクラスの先生が困っていることを隣のクラスの先生が、一緒に教材研究をしましょう、これができていたのが、だんだんと、先ほども大臣がおっしゃったように、いろいろな事務手続等、事務処理、また書類作成等で時間が割かれて、肝心の子供たちに割かなければならない時間がどんどん削られているという問題を多分大臣も御理解、御認識いただいているはずだと思うんです。

 そう考えたとき、もちろん物理的な時間、人間、二十四時間しかありませんから、その時間をどうやりくりするかといえば、残業時間がふえます。残業時間の中でその時間を何とかしてやりくりしていこうとされるわけですけれども、考えてみれば、学校のトップリーダーである校長先生が、いわゆる適材適所、もしくは人員の適切な配置によってもう少し、ゆとりのある先生を忙しい先生のところに、少し仕事を分けてもらうようにするであるとか、学校としての一つの組織の経営力を今高めていかなければならないのではないかというふうに私は考えるわけでありますが、今回、校長制度という職については、政府案の中には何ら手だてが入っていないように思うわけであります。

 校長職というものを考えていくと、もう少し学校経営という部分にしっかりとメスを入れられる、そんな組織全体の改革が今回出されるべきではなかったかなというふうに私は考えるんですが、大臣は学校現場の組織の問題としてどのように受けとめていらっしゃるのか、お答えをお願いしたいと思います。

伊吹国務大臣 私も地元の学校や教育委員会と時々話をしたりしますが、やはり教育長のやり方、あるいは校長先生の資質によって随分と違うと思います。これはもう政党の総裁や党首によって政党の評価が違ってくるのとよく似たことですからね。ですから、校長先生、教頭先生の研修あるいは資質の向上についてはいろいろな自主的な取り組みがあって、また文部科学省もそれをバックアップしております、必要であれば参考人から詳細を御報告させますが。

 いずれにしろ、その校長先生が職員室の中で孤立をしないように守ってあげないといけないわけでして、やはり校長先生の意思、校長先生の経営力に従って学校が動いていくんだという組織体でなければなりませんから、そこのところはやはり教育委員会がしっかりとバックアップしてやらないと、一部の教職員組合その他の動きで左右されるというようなことがあってはなりませんので、そこは十分意を尽くしてやらせていただきたいと思います。

田島(一)委員 教師像としての改革、これについても決して異論を挟むつもりもありません。しかし、それとあわせて、学校づくり、いわゆる信頼される学校像みたいなものもやはりきちっと文部科学省としてイメージを描いていく、その中での改革が必要だったのではないかというふうに私は申し上げております。

 学校全体の中で、では、校長先生の資質といっても、そんなもの十人十色、皆さんいろいろなお考え方と経験に基づいた中で校長職についていらっしゃるんだと思いますが、必ずしも、現場の中で校長先生とすべての職員のコミュニケーションが円滑にいっているかというと、首をかしげるところがまだ多いように思います。中には、そのしわ寄せを全部教頭先生が背負っていらっしゃるケースもあったり、先ほどおっしゃった特定の一部の人たちの大きな声に翻弄されているケースもあるかもしれません。

 こうしたときに、校長とはどうあるべきなのかというのとあわせて、学校とはこういう組織でこれから運営していくべきだ、経営していくべきだということをしっかり示されていくべきだと私は思うんですね。参考人でも結構ですけれども、どのようなお考えをされてこれからの学校づくりを考えていかれるのかをぜひお答えいただきたいと思います。

伊吹国務大臣 先ほど、御党の提案者である藤村先生は、政府が考えている理想の教師像などというものは本来あってはならない、だけれども一般論として言えばというお答えをされましたね。だから、一般論として私もお答えをしたいと思いますけれども、それは、端的に言えば、親が、保護者が安心して児童生徒を預けられる学校である、そして地域の社会教育についても信頼を受けて中心になるべき学校である、それが本来の学校の理想像だと思います。

 それを実現するためには、校長先生の指導力の必要性もあるでしょう、それから、もちろん地域がどのように協力するかということもあると思います。御父兄も、参観に行ったときは、やはり子供に恥ずかしくない態度をとっていただかなければならないということもあるでしょう。いろいろなことが相まってそのことはできるわけでして、それを文部科学省がこういうふうにすべきだということを言うということは、むしろ藤村先生がおっしゃっているように、個別具体的なことに口を出すというのは、親学と同じように学校学のようなことになっちゃって、余り適当じゃない。ただ、組織体としてこうあってほしいということを一般論として今申し上げたということです。

    〔委員長退席、小坂委員長代理着席〕

田島(一)委員 一人だけの力というのはやはり限界があることは、私も当然理解をしております。しかし、先ほど大臣がおっしゃってくださったように、学校に子供たちを安心して預けられる環境をつくる、そのためには、学校全体としての組織力を高めていく、このことはやはり私は避けて通れないんだろうと思います。一般論というふうにおっしゃいましたけれども、それは、教師像というものを文部科学省が述べる、述べない、それとは別にして、学校の組織力としてのあり方というものが、例えば教育委員会それぞれがきちっとイメージをされた中で適材適所の人事管理をされているならば問題ないんですけれども、じゃ、学校というその組織の中で、校長がすべての教職員の労務管理であるとか組織運営の形態というものをきちっと把握してやっているのかというと、私はそこにもやはり問題があろうかというふうに思うわけであります。

 もちろん、理想論だけで片つくものでもありませんし、文部科学省がそれを指示されるのが適切かどうかというのはこれから議論もさせてもらえればいいかと思いますけれども、少なくとも、学校の組織体制のあり方、今回のこの人事の新しい職を設けられることにあわせて、全体としての組織のあり方というものにもぜひメスを入れていただきたい、考えをぜひお示しいただきたいということを、要望にとどめさせていただきたいと思います。

伊吹国務大臣 であるからこそ、今回の法律を国会の御審議にゆだねているわけで、先生がおっしゃったような状況ができるために職をつくっているわけで、先生がおっしゃっているような人事ができるために、市町村教育委員会の要望に従って都道府県は人事異動をしてもらわねばならないという条項をわざわざ入れているわけなんですよ。

 仕組みができましても、結果的には評定者がきっちりした評定ができているのかどうなのか、それから適正な人事配置ができるのかどうなのか、これはもう、何というんでしょうか、どの会社でもどの政党でも、あいつがなぜあんなところにいるのかなということはよくあるんじゃないですか。だから、そういうことをやっていたんじゃ、やはり組織体としてうまくいかない。だけれども、それは文部科学省が全国一律の人事管理をするわけじゃありませんから、やはりおのおのの人事管理者あるいは人事権者の資質能力にかかってくることですから、我々も、成功事例をお示ししたりあるいは研修のお誘いをしたりして、そのあたりの管理職の資質を高めるということをやっているということです。

銭谷政府参考人 校長にかかわります状況につきましてちょっと御報告をさせていただきたいと思います。

 校長がかわれば学校が変わるというふうによく言われるわけでございますけれども、学校における校長先生の役割というのは大変大きいものがあると思っております。

 よく、校長先生には二つの側面があると。一つは、教員の中の教員といいましょうか、いわゆる指導者としてのお立場というのがある。もう一つは、先ほど来先生が話題にされております、文字どおり学校の管理者としての、組織マネジメントの責任者としての立場というものがあるというふうに言われているわけでございます。特に最近、学校の組織力というものが問われているわけでございますので、校長先生には、マネジメント能力、あるいは危機管理能力、あるいは事務処理能力といったようなことも求められているわけでございます。もちろん、これらにつきましては、教頭や、現在では主任などが校長を補佐しながら各教員と協力をしてやっていくという側面があるのは当然でございます。

 今、各教育委員会が力を入れておりますのは、組織マネジメントに関する研修とか事務処理能力のための研修といったようなことを校長先生に対し実施をしております。私どもが把握しております限りでは、小中学校の校長に対する研修の中で組織マネジメント研修を実施しておりますのが、六十二の都道府県、政令市の教育委員会のうち、五十六の教育委員会でこういった研修を実施いたしております。それから、独立行政法人の教員研修センターというものがございますけれども、ここでは、地域の中核となる校長、教頭等を育成するための研修を実施いたしております。

 先ほど大臣からもお話がございましたように、私どもとしては、校長をめぐるこういう研修等につきまして、いろいろな情報を教育委員会あるいは校長会の方に提供しながら、それぞれの取り組みをいい方向に向かうように応援していきたいというふうに思っております。

田島(一)委員 現場では、やはり学校経営、マネジメントの力が必要だということに気づき出した。そのせいか、六十二の自治体の中で五十六が特化した研修を実施しているという御報告を今参考人からいただきました。

 地方の教育委員会がもう既にそのような取り組みをしているからそれでよしとするのか。それとも、二〇〇四年の十二月、中教審の初等中等教育分科会教育行財政部会の中での審議のまとめで「学校の組織運営の在り方について」と報告をされているのを私も拝見したところ、やはり、「学校運営を支える機能の充実について検討する必要がある」としっかり書いていらっしゃいます。スクラップ・アンド・ビルドの考え方も踏まえながら、整理合理化、会議のスリム化、組織内の見直し、そして、組織的な学校運営を支える機能の重要性をかんがみて、校長、教頭それぞれのもとで調整や、それから中間的な指導層の役割等を深めていくべきだというような趣旨のことも示されました。

 問題意識としては、やはり中教審の中でもしっかりと理解をされていて、この点については、文科省は、決してそれを全国画一に云々ではなく、いかに学校が機能的にその組織を運営していけるかを指導助言する立場には少なくともあるかと思うんですね。

 そういう点において、例えば、教育現場ですべての先生方にチェックというよりも目配り、気配りができるような組織体制をつくり直すこと、これが何よりもやはり大切だというふうに考えますし、その次の質問に実は用意をしておりました、現場の先生方が、過酷な労働実態を反映してか、心の病、また数多くの方々が精神疾患で苦労しているといった問題にも相当効果を発揮するのではないかという観点から、実は、学校組織のあり方をしっかりと議論してほしいということを提案申し上げてきたところであります。

 もう少し、これは学校に限らず、民間企業でもそうですが、職場の中でのコミュニケーションというのがしっかりと図られているところであるならば、こうした精神的に苦しんだりする方々は最小限に食いとめることができるのではないかと私は想像いたします。恐らく、学校現場も同じようなことではないかと思います。全体的に煩雑過ぎる今の事務処理分野を減らしていくこと、そして、学校長がすべての教職員に対して目配り、気配りできるような体制を整えていくこと、これは、この新たな職を設けられることだけで本当に解決できるのかな。

 もっと言えば、全体の人員を当然ふやす、それは当然納税者の御理解ということを大臣も先ほどもおっしゃいましたけれども、それに加えて、校長先生が学校経営のマネジメント能力をしっかりと身につけてから教育現場に出て、リーダーとして力を発揮していただくことが最優先だったのではないかなというふうに私は考えるわけです。大臣、今の現状の組織のあり方、これは、学校という組織の中で校長先生が発揮している力というのは本当に今十分だというふうにお考えかどうか、それもあわせた上で御所見をお聞かせいただけたらというふうに思いますが、いかがでしょうか。

伊吹国務大臣 十分の先生もいらっしゃるでしょうし、十分じゃない方もそれはたくさんおられると思います。それは、どこの会社でも、どの組織でも、当然そういうことはあるわけです。ただ、組織的にあるいは機構的にそれをカバーできる範囲は、できるだけそういう段取りだけはつけてあげたいということがまず一つです。だから今回の学校教育法の改正を御提言しているわけですよね。

 それからもう一つは、立派な管理能力のある校長先生もおられるでしょうし、しかし、そうじゃない方が任命されている例もあるかもわかりません。そういう方々については、いろいろな研修を各教育委員会もやっておりますし、校長会、教頭会の自主的な取り組みもありますから、文部科学省としては、それをバックアップしていくということだと思いますよ。

 だめな校長先生がいるじゃないかということは、どの組織だって、必ずしも課長として適当じゃない人が課長になっているじゃないかというのは、見る立場からいえばあると思いますよ。だけれども、できるだけそういう方が少なくなるように制度的にもバックアップしていくし、研修等もやっていく、これがやはり行政を預かっている者の責任で、あとは、どの人が適当な人だと思って評定をされ任命をされるかは、これはやはり評定権者と人事の任命権者の資質によらしむるところだと思います。

田島(一)委員 何か議論が余り深まらないような気もしております。ある意味、まだこれも課題の多い部分でありますから、この先議論をぜひ続けさせていただきたい。申しわけありませんけれども、次の質問に移らせていただきたいと思います。

 私どもも、今回は、教員養成課程の重要性を考える中で、免許制度で大きな改革の提案をさせていただきました。現在の教員養成課程における教育実習のあり方、先ほど井脇議員もお尋ねいただきましたけれども、この点について、私の方からもちょっと視点を変えてお尋ねをさせていただきたいと思います。

 先ほど井脇議員も、四週間で本当にいいのかということに対しては、随分、与党議員とは思えない怒りの声を上げていらっしゃったのに大変共感を覚えたところでありますけれども、今回、四月十七日の衆議院の本会議で馳議員が御自身の体験を交えて告白されたのを、私、大変強い印象を持って聞かせていただきました。大学を卒業していきなり教壇に立ったとき、自分に自信がなく、大いに不安だったと。いきなり教壇に立って自信がなく不安を抱える、これは、教師であった馳委員だけのことだというふうに大臣は思われますか。

伊吹国務大臣 人それぞれじゃないでしょうか、それは。馳さんはかなり肝っ玉のでかい人だけれども、そう思ったということは、大勢の人がやはり不安を持って教壇に立たれたということだと思います。

 先生だって、どうなんですか、初めてバッジをつけて質問されるときは。やはりみんな不安があるんじゃないですか。しかし、いろいろもまれながら、だんだんなれてくるんですよ。それで今のような厳しい御質問をなさるわけでしょう。だから、それはやはり経験によって磨かれていくということじゃないでしょうか。

田島(一)委員 私どもは、いわゆる議員実習というものを受けずに議員になっております。しかし、学校の先生というのは、教育実習といういわゆる現場の経験をして教壇に立っているわけですよね。しかし、馳委員ですら、自信がなく不安だったというふうに吐露されました。教育実習も経験されているはずであります。が、初めて教壇に立ったときは、不安と自信のなさに震えた。これが私は、いろいろな人がいらっしゃると今大臣は切り捨てられましたけれども、ほとんどの方がやはりそうだと思うんですね。

 教員という職にあこがれて、理想と希望に燃えて教員になった。しかし、現実、今大変いろいろな問題が起こっています。熱意に燃えてばりばりと教壇で子供たちと向き合う先生も当然いらっしゃるでしょう。しかし、あの難関の教職員の試験をクリアし、採用試験をクリアして教壇に立った途端、一カ月そこそこで教員をやめていく先生というのが非常にふえているんですね。これは承知されていますか、いきなりで、通告はしていませんけれども。

銭谷政府参考人 教員の場合は、採用されましてから一年間、初任者研修というものを受けて、その後、一年後にいわゆる試験任用を終わりまして正式採用になるということでございます。これが一般の公務員ですと六カ月ということになりますけれども、教員は、一年間、初任者研修という制度がございまして、指導教員がついて研修を行いながら教員としてのキャリアを積んでいくということになるわけでございます。

 それと、この初任者研修を終えまして正式に採用にならなかった先生というのがいるのは事実でございます。百九十人ぐらい毎年いらっしゃるわけでございますけれども、それは、途中でやめる方、それから、ちょっとこの方は正式に採用はできないという方もやはりいるわけでございますが、ただ、毎年採用されております教員というのは二万人前後いるわけでございまして、率としては低いことは事実だと思っております。

 大変妙なことを突然申し上げて恐縮でございますけれども、日本の場合、教員に採用されて数年でやめるという方はそれほど多くない国だと思います。私が承知をしている限りでは、例を挙げて恐縮でございますけれども、例えばアメリカでは、州によりましては、小学校の先生は採用後五年たったら半分ぐらいは職をかえるというところもあるやに伺っております。ですから、日本の場合、教員養成それから初任者研修、その後のさまざまな研修体制ということで、先生についてはかなり定着率は高いというふうに私は思っております。

田島(一)委員 通告もしていなかった質問だったので、大変申しわけなかったと思います。私は、決して多いか少ないかという議論をするのではなく、本当に希望に燃えて教職の道を選んだ人たちがわずか一カ月や半年で教壇に立てなくなってしまうという問題、これは人数ではなくて、そういう人が現にいらっしゃるということを、私たちは何としてもこれをゼロにしなきゃいけないな、そんなふうに私は思うんですね。

 無理だとおっしゃるかもしれません。ですけれども、少なくとも、希望者がこれだけいるのに、御苦労されてきた。また、それの発端は何かといえば、先ほど引用しましたけれども、教壇に立って自信がなかった、不安だったというところが私はそのスタートだと思うんですね。もっと先生……(発言する者あり)聞いてください、聞いてください。

 私が言いたいのは、教壇に立つ前に、自信を持って堂々と力を発揮してもらえる先生をやはりふやしたいんだ、そういうことなんですよ。だからこそ私は、教員養成課程の中をもっと充実させるべきだということから今回民主党の案を提出させていただきました。

 先ほど、教育実習がわずか四週間で本当にいいかどうかという議論も随分ありましたけれども、実際に私はもっともっとふやさなければいけないと考えます。

 しかも、教育実習の現場の状況等々を考えてみますと、教育現場は大変混乱をするんですね。

 私が中学生のときに、覚えておりますのが、担任は社会科の教師でした。その社会科の教師に三人の教育実習生がついていたことを記憶しています。しかしその三人とも、実は免許状を取得しようとしている科目は、社会科ではなく家庭科でした。家庭科の免許を取得しようという先生が、結局、現場の都合で家庭科の先生の指導につけず、社会科の先生についていたという現実を、私の経験で今思い出しています。

 今、教育実習という非常に大切な、貴重な四週間が、現場に行けば、その現場の都合で必ずしも学生たちの希望どおりの教育実習を受けられていないという現実にも私は目を向けるべきだと考えるんですね。大臣、その辺の、私の今申し上げたことについて、お考えを聞かせていただけたらと思います。

伊吹国務大臣 田島先生がおっしゃっていることは、一般論としては私は別に反対じゃありません。

 しかし、どの仕事においても、大卒あるいは高卒で仕事におつきになって、どうも自信がなかった、思っているとおりじゃなかったといってやめる人は必ずおりますよ。そして、失礼ですが、民主党案のように、例えば長期の研修、あと二年の養成期間をとって、一年間を教員養成に充てても、それが予算的あるいは人事管理的に現実的かどうかの問題は別にしても、その後初めて教壇に立った人が大丈夫かなと思って初めて子供に向かい合ったときに、心配をせずに教壇に立つほどふてぶてしい先生であってもらいたくはないと思いますね、私は。むしろフレッシュな気持ちを持って教壇に立ってもらいたいと思います。

 ですから、どんな仕事でも、新しい仕事につくときは、ましてや人間を相手に話をするわけですから、みんなやはり心配なんですよ。その中で一年間の教員実習を踏んで、そして磨かれ、練られ、そしてだんだん一人前になっていくというのがやはり本来の人磨き、人づくりの姿なんですね。

 もちろん、あと二年、そして一年の実習をとればいいですよ。一般の労働基準法では今六カ月ですよね、初任者の試験任用期間は。それを一年にするときには、野党は大変な御反対があったんですよ。なぜなら身分が不安定になるということで。しかし、それをお願いして、一年で今やっと始めているわけです。

 だから、先生のおっしゃっていることは、そうあってほしいですよ。しかし、あらゆる職、あらゆる人生では、先生がおっしゃっているような形にすべてをつくるということは、やはり人間というものは少し難しいんじゃないでしょうか。お互いにいい先生になろうと思って努力をするという気持ちを失わなければ、私は必ずいい先生ができてくるという希望を持って今の職をやっております。

田島(一)委員 私、教育論は十分に理解をいたしますよ。でも、教育実習の現状という点からすると、教員になってからの、力を発揮しようとしている、もしくは持とうとしている免許状と全く違う科目を受けている現状というのがあるわけですね。ここにやはりメスを入れなければ、教育実習自体がもう完全に形骸化してしまっているわけですよ。そこにぜひ問題意識を持っていただきたいということを私は今申し上げているんですね。

 参考人で結構です。どうぞ。

銭谷政府参考人 教育実習についてでございますが、小中学校の場合は四週間、高等学校の場合は二週間程度学校に行って実習をするわけでございます。

 私ども、やはり受け入れていただいた学校におきまして、もちろん中学校の場合であれば、それぞれの専門教科の実習をその学校の先生がよく面倒を見ていただく。それから、それ以外に、生徒指導とかあるいは子供たちの部活動とか、いろいろな活動について実際の経験を積んでもらうといったことが望ましいのは当然でございまして、そういうことを受け入れ先の学校にはお願い申し上げているわけでございます。

 同時に、送り出す大学の側も、言葉は悪いんですが、何か遊びのような感覚で教育実習に学生が行ってもらっては困るわけでありまして、実際に中学校の生徒がそこで学んでいるわけでありますから、やはり大学側も、学生を送り出すに当たって、教育実習について十分学生に意義を理解してもらって送り出す。また、実習中の大学側の対応、実習後の大学側の指導といったことも必要だと思っております。

 なお、先ほどお話の家庭科の先生が社会科に行ったというんですか、それは、もちろんその中学校全体でそれぞれの教科担当の先生がいるわけでございますから、実際の授業、家庭科の先生が社会科の授業をやらされたというわけではないと思いますので、家庭科の先生の授業を当然見たり、あるいは自分でも実習したりするということが望ましいのは当然のことだと思います。

 ちょっと詳しい事情がわかりませんので、またそれは後でよくお話を伺わせていただきたいと思います。

田島(一)委員 私が証人なんですよね。(発言する者あり)それはちょっとおいておいて。

 現実に、当時、例えば短期大学の学生というのは、いわゆる家庭科希望の学生たちが一気に押し寄せてきたと私は記憶しています。ですから、家庭科の先生というのは一人、二人しかいなかったから、当然家庭科の先生に全員がつくわけにはいかなかった。この物理的な問題も多分あったんだと思いますね。

 しかしながら、家庭科の教師を目指そうとしている先生が、自分で模造紙を書いてきて、黒板に張って、社会科の授業を教えていた、これも間違いない事実だったんですよ。過去のこととしてこれはあったとしてぜひ受けとめていただきたいし、現実にこういう問題があるかもしれないということは、ぜひ調査をしていただけますでしょうか。参考人、お願いします。

銭谷政府参考人 昨年七月の中央教育審議会の答申の中でも、教育実習の改善ということは指摘をされているわけでございます。先ほど私が申し上げましたように、送り出す側、受け入れる側、それぞれ連絡協議会等もつくっていただいて、やはり教育実習が成果が上がるようにしていくべきだということを中心に答申をいただいております。

 ただいまの先生の件につきましては、ちょっと私どももよく調べさせていただきたいと思いますけれども、基本的には、今そういう方向で教育実習の改善に取り組んでいるということを御理解いただきたいと思います。

田島(一)委員 時間も随分迫ってまいりました。

 もう一点実は用意をしていたのが、教員養成課程における附属学校の問題であります。

 この間、参考人の梶田先生にも実はお伺いをして、その問題点、随分御認識をいただいていらっしゃる様子を聞かせていただいたところであります。現在、四十五の教員養成課程を持つ大学、教育大学等々では、附属学校というのがあるわけですけれども、この附属学校のあり方も、これまで中教審等の中でも随分議論が重ねられてきましたが、今回のこの教育改革の中では、その問題の解決につながるような様子は全く見受けられておりません。冒頭、教員養成課程の国立大学の附属学校は何のために存在するのか、これをちょっと概念として整理をさせていただきたいので、お答えください。

清水政府参考人 国立大学の附属学校は、教員養成大学・学部に附属して、大学・学部の教育に関する研究に協力すること、そしてまた、学生の教育実習の実施に当たることを目的として設置されており、大学設置基準においては、例えば教員養成に関する学部・学科には附属学校を置かなければならないということとされております。

 また、各附属学校では、附属する大学・学部との連携のもとにではありますけれども、それぞれ学校としての研究課題を設定して、教材研究でありますとか授業研究を中心とする研究活動を進めているほか、例えば、これは歴史的な経緯もございますけれども、地域の公立学校等にもその研究成果を発表あるいは公開し、提供するなどして、そういう意味での地域の教育研究の向上にも寄与している、こういうことであろうと思っております。

田島(一)委員 現在、全国にあります教育大学の附属学校、この教育実習生を附属学校園で受け入れている状況というのは、これは文科省の方でようやく資料を出していただきました。すべての教育実習生を附属学校園で受け入れている大学、四十五校中、実はたった五校しかないんですね。北海道教育大学に至っては、学生の三人に二人は附属学校以外で教育実習を受けなければならない、こんな現実が実は続いているわけであります。

 この現実問題、現状を考えると、附属学校の存在意義が全く揺らいでいると私は思うんですけれども、どのようにお考えか、お答えください。

    〔小坂委員長代理退席、委員長着席〕

清水政府参考人 教員養成の課程において、それぞれの大学における入学定員と、それから附属学校のキャパの問題というのが一つございます。

 それと同時に、例えば教員養成系大学における附属学校の実習の状況についてちょっと触れさせていただきますと、通常、教員養成系大学では、免許取得に関して法令で定めたいわゆる教育実習四週間に加えて、むしろ、入学後のかなり早い段階で学校現場を知ってもらうためのいわゆるプレ実習、あるいは理論を大学で学んだ後に児童生徒の学校生活を観察して今日的課題を探るような観察実習とか、大まかに申し上げれば、全体として六週間から七週間程度実習を行っているというふうに承知しております。

 そういう意味で、実習のあり方の問題として、また多くの教員養成学部の課題として、実習それ自体について、学生の多くが公立学校に就職しているという実態にかんがみた場合に、児童生徒の資質能力が比較的均質である附属学校の教育実習もさることながら、多様な子供たちで構成されている公立学校で行う、あわせて行うというのもかなり多数の学校で実施されているという実態でございます。

田島(一)委員 だったら、附属学校じゃなくて、教員養成課程の教育実習、全部公立学校でやったらいいんじゃないですか。今、附属学校のこの問題、お配りをさせていただいた資料をごらんいただきたいと思います。これは、実は、四谷大塚という進学教室が発表している入学試験の私立・国公立中学の偏差値表であります。偏差値というのは物差しにならないと切り捨てられるかもしれませんが、大きくアンダーラインを引いたところが実は国立大学の附属中学校であります。

 筑波大の附属、これは教員養成課程ではないから参考にならないとお考えかもしれませんが、学芸大学の附属、世田谷、竹早、小金井、こういったところは、十分に教員養成課程の、これは附属学校でありますが、今や、この私立、国公立中学の中で、受験で入るには非常に難関校であるということをまず皆さんに御理解をいただきたいということで資料を配らせていただきました。

 均一な子供たちがそろっているということをいみじくも先ほど参考人はおっしゃいましたけれども、果たして、教員養成課程の附属中学校のこの偏差値を見て、均一な子供たちが集まっている学校になっているかどうか。どうお考えですか。

清水政府参考人 先ほどちょっと漏らしましたことについて、一言つけ加えさせていただきたいと思います。

 先ほど先生が御指摘いただきました調査で、教員養成系大学・学部に在籍して教育実習を受けた学生、十八年度の数字でございますが、六四%が附属学校での実習を受けているという実態がございます。

 それから、現実には附属学校がその目的、役割を果たすという観点から、それぞれについて、例えば選抜そのものについて一定の検査とあわせて抽せん制を導入するなど、特に小学校、幼稚園等では行われているところでありますし、先ほどそういう点を指して私が均質というふうに申し上げました。

田島(一)委員 大臣、お答えいただけますか。この現状をごらんになられて、附属学校が本当に均一な、いわゆる社会の縮図としての附属校になっているかどうかという問題について、大臣の御所見をぜひ聞かせてください。

伊吹国務大臣 偏差値から見るとそうなっていないという数字ですよね。確かにそうだと思います、偏差値から見ると。先生は切り捨てられるとおっしゃったから、切り捨てちゃいけませんが、私の個人的なことを言うといけませんが、うちの子供は運よくくじ引きに当たって教育大の附属に入っていたんですよ。(田島(一)委員「京都」と呼ぶ)いやいや、京都じゃありません、東京の。それで、一切受験の授業はしませんね、私の子供を見ていた経験からすると。ただ、やはりそういう意識を持っている家庭の人たちがくじ引きに参加をするので、どうしてもやはり偏差値が高くなるということは私はあるんだと思います。だから、あらゆる層の人がバランスをとってここへ人を集めているということではやはりないんじゃないかなという気はしましたね。

田島(一)委員 大臣のお孫さんはくじ引きだったとおっしゃいましたけれども、今、実はくじ引きを行われて入っている……(伊吹国務大臣「いやいや、お孫さんじゃないですよ」と呼ぶ)あ、お子様、失礼をいたしました。ごめんなさい。今くじ引きを実施しているところは東京大学の附属中学だけなんですね。それ以外はもう全部試験科目だけなんですよ。ですから、必ずしも希望者がだれでも入れる、運で入れるというような状況にはない。

 これだけの偏差値の高い学校へ入ろうとすれば、いわゆる塾にも行かなきゃならない、進学教室にも行かなきゃならない、そういった点では、家庭環境も相当恵まれた方でないと今や入れない学校になってしまっています。こういうところで学んだ、教育実習で入った先生方がこれが学校なんだと理解をして、現場、公立学校へ行ったときどういうようなギャップに悩むかも、課題として私はあると思います。

 もう時間が参りましたので、もっともっと深めたいところでありますが、次回、機会をいただいたときに続けてこの質問にさせていただきたいと思いますので、終わらせていただきます。

 ありがとうございました。

保利委員長 次に、川内博史君。

川内委員 おはようございます。川内でございます。早速質疑を始めさせていただきたいと存じます。

 前回は、学校教育法に絡んで教科書検定のことをお尋ねさせていただきました。本日は、前回できなかった教育職員免許法等についてお尋ねをさせていただきたいというふうに思います。

 まず、安倍内閣総理大臣が就任後、その所信表明演説においてこのように語っていらっしゃいます。

  私が目指す「美しい国、日本」を実現するためには、次代を背負って立つ子供や若者の育成が不可欠です。ところが、近年、子供のモラルや学ぶ意欲が低下しており、子供を取り巻く家庭や地域の教育力の低下も指摘されています。

私はちょっとここは認識が違うのではないかなと思いますが、中略いたしまして、

  すべての子供に高い学力と規範意識を身につける機会を保障するため、公教育を再生します。学力の向上については、必要な授業時間数を十分に確保するとともに、基礎学力強化プログラムを推進します。教員の質の向上に向けて、教員免許の更新制度の導入を図るとともに、学校同士が切磋琢磨して、質の高い教育を提供できるよう、外部評価を導入します。

  こうした施策を推進するため、我が国の英知を結集して、内閣に教育再生会議を早急に発足させます。

このように所信表明演説で語っていらっしゃる。

 教育再生会議は、我が国の英知を結集された会議体であるということだそうでございまして、その我が国の英知を結集した教育再生会議でどのような議論が行われていたのかについて、議事録を読ませていただきました。

 そして、その第一次報告を受けて、中教審で議論をされて法律案が提出をされたというふうに理解をしておりますが、では、中教審でどのような議論が行われたのかなと思いまして、中教審の教育制度分科会やあるいは初等中等教育分科会のサイトを見ますと、議事の概要は出ておりますが、二日前に確認したところ、議事録がまだアップをされていないようでございました。

 本日現在に至るまで、この中央教育審議会の教育制度分科会、初等中等教育分科会での本法律案に係る議論の議事録というものがアップをされていない、あるいは公開をされていないという理解でよろしいでしょうか。

銭谷政府参考人 お尋ねのございました今回の三法案に関する中央教育審議会の初等中等教育分科会及び教育制度分科会の審議につきましては、会議を公開するとともに、配付資料をホームページに載せ、そして議事概要を作成し、さらに議事録そのものについても作成をして、速やかにこれを掲載するようにしているところでございます。

 現在の時点でいいますと、議事録につきましては、まだすべての初等中等教育分科会と教育制度分科会の会議の議事録の公開にまでは至っておりません。関係団体などに御出席いただいた場合には、議事録についてはその団体の方に確認をしたりする必要があったり、いろいろ手続がまだございまして、現時点では、たしか、二月の二十五日までの会議については既に議事録を公開していたと承知をしております。

川内委員 二月の二十六日までの会議は議事録が公開をされている、しかし、それ以降についてはまだ公開をされておらないということでございますが、この議事録を公開したのはつい最近でしょう。私がつい最近確認したところではまだ全然議事録は公開されていなかったですが、私が指摘を前々からしておりましたから、受けて大急ぎでやられていらっしゃるんだろうというふうに思います。

 安倍内閣総理大臣は、教育再生会議の議事録について、

 教育を再生していく上において何が必要か、どこが論点か、そして私たちは何をやろうとしているかということを御理解いただくためにも当然、内容の公開、これはもうマストである、このように思っております。ですから、記者ブリーフィング、議事要旨のみならず、議事録も公開をしているところでございまして、

というふうに、議事録の公開はマストであるというふうにおっしゃっていらっしゃいます。

 他方で中央教育審議会は、審議会の情報の公開を定めた閣議決定の文書によれば、これは議事録を速やかに公開しなければならないというふうに書いてございまして、法案の審議の前提を欠く、どういう議論が行われたのかということをまずしっかりと国民の皆さんの前に明らかにせずして、成果文書だけ出して、それで法案を出しましたというのでは私は通らないのではないかというふうに思いますが、今に至るまで二月から三カ月たっているわけです。関係各所の承認がとれないというふうにおっしゃるのはちょっと理由としては通らないんじゃないかというふうに思いますが、何か一言謝罪ぐらいはしていいんじゃないですか。

 これは法案の前提ですよ。私は全部読みますからね。それを読まないと議論できないですよ。有識者の方がどのような意見をそれぞれおっしゃっていらっしゃるのかということを読んだ上で質疑に臨むというのがこれは当然あるべき態度だというふうに思いますが、どうですか。

銭谷政府参考人 まず、ちょっと訂正をさせていただきたいのでございますが、先ほど、二月二十五日まで公開をしているというふうに申し上げましたが、制度分科会、初中分科会としては、二月二十一日までの会議の議事録を公開いたしております。それから、二月の二十五日につきましては、これは、総会につきましては既に議事録を公開しております。それから、三月十日の総会につきましても議事録は公開をいたしております。

 それから、閣議決定のお話がございましたが、平成十一年の閣議決定につきましては、審議会の運営については次の指針によるものとする、こうございまして、会議または議事録を速やかに公開することを原則とし、議事内容の透明性を確保する、特段の理由により会議、議事録を非公開とする場合には、その理由を明示するとともに、議事要旨を公開するものとする、こういうふうに定められております。

 中央教育審議会は、会議につきましては、これは公開をして実施をいたしております。それから、先ほど申し上げましたように、議事要旨につきましては速やかに公開をいたしております。

 議事録につきましては、作業が遅いというおしかりをいただいているわけでございます。私ども一生懸命やっておりますけれども、委員の方に御自分の発言を御確認いただいたり、出席した多くの団体の方に発言を間違いないかチェックしていただいたり、そういったところにいろいろ時間がかかっておりまして、おくれていることは事実でございますので、これは急いで公開をしたいというふうに思っております。

川内委員 では、私に中央教育審議会の議論を見に来いと今おっしゃったんですか。会議は公開をしている、だからそこに見に来いとあなたは私に言うんですか。後で、どのような議論が行われたのかということについて、やはり国会で充実した質疑をするためには、議事録を速やかに作成し、公開していただくということが行政としてのお仕事なのではないでしょうかね。

 さまざまに言いわけをされるわけでございますが、もう一点、総理が、パブリックコメントも今回の教育再生三法案についてはしているのだということをおっしゃっていらっしゃいます。しかし、例えば、その中央教育審議会の答申に対してどのようなパブリックコメントをしたのかということを知りたくて教えていただきますと、結局、国民から意見を言わせただけ。

 通常、行政がパブリックコメントをしましたと言う場合には、国民からの意見を聞き、それに対して、政策に反映させるものは反映をさせる、審議会の議論に反映させるものは反映をさせる、そしてまた、その他の意見については審議会としての意見を付す、さらに、そういう手続を経た上で意思決定を行う、審議会の答申を決定するというのが、いわゆるパブリックコメント手続というふうに呼ぶものでありますけれども、今回、中教審がおやりになったのは、意見を言わせただけ。国民の皆様からどのような意見があったのか、それについて審議会はどう考えるのかというようなことも全く公開されていませんよね。

 手続としてやられていないというふうに思いますが、何か事情が説明できるものがあれば教えていただきたいと思います。

伊吹国務大臣 川内先生、法律をつくる場合はパブリックコメントの対象になっていないんですよ。それは御承知のとおりです。(川内委員「知っていますよ」と呼ぶ)いや、お話をしているんだから、きちっと話を聞いてください。

 ですから、最大のパブリックコメントは、国民の負託を受けてここへ集まっておられる皆さんの議論なんですよ。ですから、国会の審議の場に付する法律についてはパブリックコメントの対象にはなっておりません。それは、行政手続法をよく勉強しておられるから、御理解しておられるとおりです。そして、行政がやるべきものについて、国会にかけませんから、そのことについてパブリックコメントをしているんです。

 私は今パブリックコメント、パブリックコメントと言っておりますが、パブリックコメントという言葉は法律用語じゃないんですよ。何を示しているかということ。だから、安倍総理はどういう意味でパブリックコメントと言ったかはともかく、関係団体からは、四十八団体から中教審は御意見を伺っているんです。そして、文科省に三法の改正については千三百五十三件のメールが来ております。これはきちっと中教審に御報告しております。賢明な委員ですから、当然、それを参考にして御議論をなすっているんです。それを受けて今ここへ出して、最大のパブリックコメントに付しているということです。

川内委員 いや、そういう詭弁を弄されてもだめですね。私は、法律上の手続のことを言っているんじゃないですからね、行政手続法にのっとった手続をしなければならない性質のものであるなんてことは一言も言ってないですよ。

 総理が本会議答弁で、「パブリックコメントなども実施しており、」というふうにおっしゃっていらっしゃいます。パブリックコメントというふうに行政の方々が言う場合には、通常、いわゆるパブリックコメント手続をとるものであるというふうに国民は理解しますよ。パブリックコメントをしますと言うときに、この場合は意見を言わせるだけだ、この場合はちゃんと手続にのっとってやるパブリックコメントと、では言い分けてくださいよ。そういう詭弁を弄するのは私はちょっと理解できないですね。そんなことを私は言っているんじゃないですよ。

 では、意見を言わせただけの千三百五十件のメールを中教審の委員に見せてどのような議論が行われたのか。議事録は公開されていないじゃないですか。わからないで、そんなもの説明になっていないじゃないですか。国会が最大のパブリックコメントなんて、そんなこと言わないでください。

伊吹国務大臣 まず、ちょっと理事にお願いをしたいんですが、私も政府を代表してここで答弁をしておりますから、私が申し上げたことは、院内の発言については責任は問われませんけれども、詭弁という言葉については、私は理事会で諮っていただきたいとお願いをいたしたいと思います。やはり、お互いに信頼を持って、国民に選ばれた者として、品性を持って議論をすべきだと思います。

 私が申し上げているように、パブリックコメントというのは法律用語じゃございません、何度も申し上げているように。だから、安倍総理がどういう意味で申し上げたかは、私はそれは安倍さんじゃありませんからわかりませんけれども、安倍総理が言っておられるように、国民からの、各団体からの意見もきちっと伺っておりますし、千幾らの来た意見も、これは別にこちらが出せと言っているわけじゃないんですよ、それも必ず中教審にお渡しをして、中教審の委員の先生方はそれを参考にして御議論をなすっているんですから、詭弁だとかどうだとかと言われることは、私も、やはり私の名誉のために余り適切な言葉じゃないと思います。

川内委員 いや、議事録は公開しない。つい最近になって、指摘されて大急ぎでやる。そして普通は、行政がパブリックコメントと言う場合には、きちんと意見を聞いて、それに対して審議会の意見をつけて、政策の中に取り入れるものは取り入れて、そして意思決定をするというのをいわゆるパブリックコメント手続と言うんですよ。そう使っているでしょう、そういうふうに行政の方々は。それは法律用語じゃないですよ。法律用語だなんて言っていませんよ。行政の方々はそういう場合にはそう言うものなんじゃないですかと。

 では、中央教育審議会の委員の方々が意見をもらってどのような議論をしたのか、議事録の中にどう反映されているのか、わからないじゃないですか、公開されていないんだから。そんなわからないことを、やっているやっているとおっしゃっていらっしゃることが詭弁だと言っているんですよ。これは詭弁以外の何物でもないですよ。詭弁を取り消せなんて無礼ですよ。

 では、総理がおっしゃったこのパブリックコメントという意味は、意見を言わせるだけだという意味なんですね。

伊吹国務大臣 意見を言わせるだけかどうかは、それは安倍総理に聞いてみなきゃわかりません。

 しかし、来た意見は、必ず中教審に、ホームページに来ている意見も中教審の委員の方々に申し上げて、そして、委員の方々は当然それを参考にして御意見をおっしゃっている。それはそれだけの先生方が集まっておられますよ。そして、何よりも、内容を公開しないなんということは一言も言っておりませんよ。ただ、公開のスピードが先生のお気に召さないということはあるのかもわかりません。

 それは、法案の意見の前提というか、その意見を聞いて、そしてそれについて御質問をなさるというのも一つの質問の仕方でしょう。しかし、同時に、自分の蓄積してきた該博な歴史観、知識、先生が持っている高邁な、厚いリベラルアーツの深みをもって、出してきた意見について質問ができるという国会議員もまたいてもいいわけですよ。だから、いろいろな立場から、もちろんそれを参考にして御質問になるといったことはあってもいいし、我々も急いでそれは出させていただきます。

 だけれども、今のところ要約をきちっとおつくりして出しているわけですから、そして、遅いかもわからないけれども、中教審の議事録というのは必ず公開しているわけですよ。再生会議は会議そのものを公開していないんです。そして、極めて短時間やっておられるからいいわけですけれども、中教審は一日に五時間も六時間もやっているわけですから、その間の各先生の御発言に、これでよろしいですかと、我々は手を加えませんが、先生方の御発言に間違いがありませんかということをチェックして、了承をとられればすぐに発表するわけですから。

 川内先生ともあろう方が、あなたほどの知識を持っておられる方が、パブリックコメント、審議会のがなければ審議ができないほど知識のない方じゃないでしょう。

川内委員 いや、そんなことを私は言っているわけではなくて、いわゆるパブリックコメントという言葉を使ったときに、行政として誠実な手続を行い、そして国民にその過程を公開する、そして国会での議論にもそれが生かされるということが必要なのではないか。

 総理が本会議で、パブリックコメントもしていますと言っているわけですからね。では、総理が本会議でパブリックコメントと言う場合には、意見を言わせるだけという意味なのかということになっちゃうわけです。そうじゃないでしょう。だから、総理の発言なので、総理を呼んでくださいよ、では。(発言する者あり)いや、これは前提なんですよ。民主主義というのは手続ですから、大事なんです。文部科学省というのはこういう小ずるいことをやるんですよ、小ずるいことを。

 いいですか、教育再生会議の、文部科学大臣、聞いてくださいよ。(発言する者あり)だから、教育再生会議の中で言っているんだから、川勝委員が。こう言っていますよ。「日本のエリートには、学徳が高く、心身がともにたくましく、情操が豊かであることが求められています。いかに知的に優れていても、悪賢いようであっては、百害あって一理なしであります。」というふうに、これは教育再生会議の川勝委員の御発言ですね。

 では、議事録を公開しない、指摘をされれば、大急ぎでやります。もう三カ月たっているんですよ。まだ公開できていない部分がある。パブリックコメントについても、いわゆる国民が考えるパブリックコメント手続はしていない。それにもかかわらず、いや、別に法律には違反していないからいいんじゃないですか、別にちゃんとやっているからいいんじゃないですか、そういう言い逃れが正しい答弁ですか。私はそうは思いませんよ。一言謝罪ぐらいはしていただきたいと思うんです。

伊吹国務大臣 川内先生、今、川勝さんのをお読みになりましたね。その中に、文部科学省は小ずるいと書いてありますか。つまり、すれ違いをされちゃいけませんよ、先生、それは幾ら何だって。ここは公の場で、議事録に残るんだから。日本の知的エリート一般のことを言っているんですよ。それは、場合によっては先生も知的エリートかもわからないんですよ。だけれども、先生はすりかえはされないんですよ。だけれども、文部科学省が小ずるいなんということは一言も言っていないじゃないですか。そして……(川内委員「その中に入るでしょうということを言っているんです、そういう言い逃れをされることを」と呼ぶ)

保利委員長 答弁をお聞きください。

伊吹国務大臣 ですから、パブリックコメントというのは確立した用語はありませんから、誠実に国民の意見を聞きながらやっているわけですよ。そのことを申し上げているわけだから、先生の御理解になっているパブリックコメントで、それに合わないからけしからぬ、そして、それに対して説明をしたら小ずるい、そして詭弁だ、これは幾ら何でもちょっと私は不本意ですね。

川内委員 私は、行政がパブリックコメントと言う場合には、一連のパブリックコメント手続をとることを称してパブリックコメントをするというふうにおっしゃるものであると一国民として考えておりました。しかし、今、伊吹文部科学大臣の御答弁では、行政がパブリックコメントという言葉を使う場合には、一連のパブリックコメント手続を指すこともあるし、ただ意見を聞くだけだということもパブリックコメントと言う場合もあるということでよろしいですか。

伊吹国務大臣 特に、先ほど来申し上げておりますように、安倍総理が答弁をしているのは、この三法案についてはと申しているわけでしょう。法律は、行政手続法によって、最大のパブリックコメントは、先ほど来申し上げているように、全国民の負託を受けた国会での審議なんですよ。だからパブリックコメントの対象になっていないんですよ。その三法案を前提にして安倍総理はこの三法案についてと言っているわけですから、従来のいわゆる政令あるいは命令その他のものにかかわるパブリックコメントとは違う意味ではないですかということを私は御説明したわけです。

 そうしたら先生が、伊吹は詭弁だとおっしゃったから、私は選挙区へ帰って詭弁を弄した人間と言われたくないので、取り消していただけないかとお願いしたわけです。(発言する者あり)

川内委員 いや、中身の議論も大事なんですが、手続として、総理が本会議答弁で、「教育三法案に関連する事項につきましては、既に、教育審議会において長い間にわたり御議論をいただき、結論をいただいたものであります。加えて、関係団体からの意見聴取やパブリックコメントなども実施しており、」というふうにおっしゃっています。だから、関係団体からの意見聴取はパブリックコメントには入っていないんです、総理の認識では。

 そして、このパブリックコメントというのは、一般的には、我々は、行政がそういう意思決定をする前に意見を聞き、それに行政としての意見を付した上で公開をされ、最終的に意思決定をされる一連の手続がパブリックコメントだというふうに私は思っています。普通そう思うんです。

 それを、いや、ただ意見を聞くだけのものもあるでしょうというふうに言われちゃうと、別に法律には違反していないと言われちゃうと、では、ここで総理がお使いになられたパブリックコメントという言葉の意味は一体何だったんだろうというふうに思ってしまうわけでございまして……(伊吹国務大臣「ちゃんと、きちっとパブリックコメントはされておるんだから」と呼ぶ)いや、パブリックコメントをされていないんですよ。パブリックコメントをするというのは、一連の手続を指すんですよ。

伊吹国務大臣 再三申し上げているように、今ずっとまさに読まれたのをもう一度なぞっていただいたらわかりますが、この三法案についてはと言っているわけでしょう、総理は。ですから、二つ観点があると思います。

 一つは、三法案というこの法律については、御承知のように、平成十八年の改正の行政手続法では、パブリックコメントの対象に法律はなっていないことは先生御承知でしょう。(川内委員「それは知っていますよ」と呼ぶ)ですから、この三法案についてはと総理が言っているときのと行政手続法を前提にして考えれば、いわゆる先生の御理解のパブリックコメントのことを言っていないと私は理解しています、法律ですから。

 そして、同時に、先ほど来申し上げたように、四十八団体の意見を聞いて、だから、各団体からの意見聴取、こう来ていますね、それからパブリックコメントなども実施しております、こう言っていますね。それは、先ほど申し上げたように、千三百五十三件のパブリックコメントが寄せられているんですよ、この三法案について。その三法案……(川内委員「それは国民からの意見と言ってください」と呼ぶ)いや、その三法案について、ですから、パブリックコメントというのは法律用語ではありません。寄せられた意見を国民の意見と言ってくださいと言う議員もいれば、国民が三法案の審議状況についてコメントをしてきたと考える人もいるわけですよ。

 ですからこれは、先生のおっしゃっているのは、できるだけ早く、先生はそんな審議会の別に有識者の意見を聞かなくても十分御質問されるだけの能力や該博なバックグラウンドを持っておられると思いますけれども、それを早く出した方がいいということは、私もそのとおりだと思います、ですからできるだけ急がせますが、それは、再生会議のように一時間、二時間でやっている会議ではありませんので、ですから、できたものから出していっているわけです。

 だけれども、審議のために御参考にもしていただきたいし、多くの人にも知っていただきたいから、かなり濃密な要約を出しているわけですから、国民のためには、手続もさることながら、やはりこれからの教育について民主党さんと自民党がどう考えているかということを、小ずるいとかあるいは偽善だとかいうような言葉じゃなくて、建設的な言葉で話し合うのがいいんじゃないんですか。

川内委員 大臣、食品安全委員会というのがありますよね。この食品安全委員会というのは、パブリックコメントをする法的義務は一切ないんですよ。ところが、国民的に関心の高い食の安心、安全にかかわることを審議する場なので、その答申案については必ずパブリックコメントをするということになっているんですね。パブリックコメントをして、それに意見が来ますよね、それに審議会としての意見を付し、そしてまた、意見ですばらしい意見があったならば、それがまた答申に反映をされて答申が決定されるという手続をしていらっしゃいます。

 だから、法的に決まっているものであろうがなかろうが、行政がパブリックコメントをすると言えば、一般的にはそういうことをするんだろうというふうに私は思いますと。しかし、そうではない、そうじゃない場合もあるということをおっしゃられるのは、国民からすればちょっと言い逃れが過ぎるんじゃないですかというふうに思うし、議事録の公開にしても、三カ月たってもされていないわけですよ。

 では、初等中等教育局長にお答えいただきたいと思いますが、議事録が公開されているものもあるというふうにおっしゃいましたが、議事録をサイト上にアップしたのはいつですか、公開されているものは。

銭谷政府参考人 議事録のアップの状況でございますけれども、これまで議事録を公開しておりますのは、二月六日の総会、二月十四日の教育制度分科会、二月十四日の初中分科会、二月十六日の教育制度分科会、二月十六日の初中分科会、二月二十一日の教育制度分科会、初中分科会、二月二十五日の総会、これを公開いたしております。これは昨日公開をいたしました。

 それから、それ以後も、二月二十五日の教育制度分科会、初中分科会、二月二十八日の教育制度分科会、初中分科会、三月三日の教育制度分科会、初中分科会、三月十日の教育制度分科会、初中分科会がございますが、現在、最終確認中ないしヒアリングなどを行いました団体からまだ最終の確認がとれていない状況でございまして、これらについても速やかに公開に向けて準備を進めていきたいと思っております。

 なお、ただいま申し上げました教育制度分科会、初中分科会につきましては、議事要旨を作成いたしておりまして、この議事要旨は事務方で作成をするわけでございますけれども、客観的に作成をしているものでございまして、中教審の議論の状況は、この議事要旨に、議事概要と言った方がいいかもしれません、議事概要におきましておおむね御理解をいただいているものと考えているところでございます。

川内委員 大臣、聞きましたか、昨日ですよ。本当はまだまだ多分先だったと思いますが、私がきょう質問するから、慌てていろいろやられたんだと思いますけれどもね。

 昨日ですよ。それが、私は、文部科学省として……(発言する者あり)いや、先生、一生懸命努力したからいいでしょうという話ではないと思うんですよ。だって、今回の中教審の議論というのは、教育再生会議の議論を受けてどのような議論が行われたのかということについて大変国民的な関心も高かったし、特にまた、地方教育行政法の部分とか教員免許の更新制の部分について大変な激論が交わされたというふうにマスコミなどでは報道をされていて、もめたんだと。そのもめた様子を、やはり私としてはちょっと読みたいわけですよ。(発言する者あり)いや、概要じゃだめなんです。概要は、事務局の責任において取りまとめた、文部科学省の責任で取りまとめる、文部科学省の都合のいいように書いているわけですから、そういう意味で、私は詳細に知りたい。

 しかしそれが、昨日議事録をアップしました、まだしていない部分もありますということを今答弁されて、いや、それでも何も問題ない、何も国民に対して恥じるところはないと文部科学大臣はおっしゃいますか。

伊吹国務大臣 まず川内先生、小ずるいというのは川勝さんのお言葉じゃないということは認められたわけですね。(川内委員「悪賢いです、ごめんなさい」と呼ぶ)いやいや、そして、文部科学省が悪賢いじゃないということは認められているわけですね。(川内委員「認めてないですよ」と呼ぶ)いやいや、だけれども、文部科学省と書いてないじゃないですか。(川内委員「ここには書いてない。私は、川勝さんの言葉は文部科学省に当てはまりますねということを言っているんです」と呼ぶ)当てはまりますとは言っていませんよ、あなたは。(川内委員「私がそう言っているんです」と呼ぶ)だから、それならそう言わないと。

 そして今も、文部科学省に都合のいいようにとおっしゃいましたね。(川内委員「責任においてです」と呼ぶ)だから、責任においてなら、そう言ってください。都合のいいというのは、それでは取り消してください。少なくとも、公に発表しているものですから、公平な会議を文部科学省が都合がいいように内容をねじ曲げて発表したりしていることは、私が大臣でいる限りは許しません、そういう役人は。

川内委員 では、許しませんとおっしゃるんであれば、やはり初等中等教育局長らに責任とらせなきゃだめですよ。

 では、議事要旨、議事概要も、最終最後、中教審が大もめにもめたときの議事概要をサイト上にアップしたのはいつですか。(伊吹国務大臣「いや、ちょっと待ってください」と呼ぶ)いや、いいですよ、情緒的な議論をしたくないです。私が質問しているんですよ。私の質問に答えてくださいよ。余計なことを答えちゃだめですよ。

 私の質問は、中教審が大もめにもめたときの最終回の議事概要、これをサイト上に公開したのは、議事録は公開されていないですよ、議事概要がサイト上に公開されたのはいつですか。(伊吹国務大臣「それは答えさせますから、ちょっと委員長待ってください」と呼ぶ)

保利委員長 まず、文部科学大臣から御説明ください。

伊吹国務大臣 それはすぐ答えさせましょう。

 それで川内先生、やはりそれは、いろいろ感情的にお互いになっちゃいけないし、私も冷静に答弁をしたいと思うけれども、さっきのように、すりかえだとかどうだとかというお言葉は、そのまま返さないといけないような質問をされると困るんですよ。というのは、私……(川内委員「すりかえじゃないですよ」と呼ぶ)いやいや、待ってください。私が申し上げたことを正確に委員の皆様はなぞって、そして先生がすりかえてないかどうかを判断していただいたら結構ですから。

 先生は、今の議事要旨を文部科学省の都合のいいように書いているとおっしゃったから、都合のいいように書いているというようなことは、私は大臣である限りは許しませんと答弁したんです。(川内委員「理解しました」と呼ぶ)ちょっと待った。そうしたところが、そのことには何ら言及せずに、大臣がそう言うならば初中局長を処分しなければなりませんよ、コメントをサイトに載せたのはいつなんだと、そのことで処分しなければならないようなお話に今かわっているんですよ。

 ですからそれは、幾らなんだってこんなことをやりとりするのは嫌なんですよ、私は。だけれども、お互いの名誉のことだから、私の言ったことに対して、すりかえの書きぶりを初中局長がしていれば、私は私の責任において彼にしかるべき注意を与えます。しかし、おくれたらどうだとかというのは、いつサイトに載せたとかということは、私は一言も言及しておりませんよ。

川内委員 いや、だから私が言っているのは、議事概要なり議事録を文部科学省にとって都合のいいようにサイト上で扱っているのではないですかということを趣旨として申し上げているわけです。

 その一つの例として、中教審が大もめにもめたときの議事概要についてはサイト上にいつアップをしましたかということを大臣に知っていただきたくて、初中局長から御答弁をいただくということです。

保利委員長 大臣、ちょっとお待ちください。

 川内君に申し上げますが、初中局長の答弁をお求めになっていらっしゃいますか。

川内委員 求めます。

保利委員長 では、初中局長。

銭谷政府参考人 議事概要についてのお尋ねでございますけれども、事務方において作成をいたしました議事概要については、客観的に作成をしているものでございまして、その審議会の次の審議会において各委員に紹介した後、各委員から修正等の指摘もいただいた上で公開をしているものでございます。(発言する者あり)

保利委員長 御質問ください、川内君。

川内委員 私が、今回の一連の中教審の議論について知りたいので議事録をくださいと言ったら、議事録はできておりません、議事概要がございますということで文部科学省からお持ちをいただきました。この議事概要はすべてありますかと聞いたら、最終回の分だけは議事概要はできておりません、まだ作成されておりませんということでした。

 その後、文部科学省にはお尋ねをしておりませんので、今回の三法案についての議事概要の最終回ができたのはいつですかということを教えてくださいということです。

銭谷政府参考人 先ほども御答弁申し上げましたが、議事概要については、次のその審議会において資料として配付をし、委員の方の修正等の御指摘をいただいた後、公開をしているものでございます。

 ですから、最終回といいましょうか、この三月十日の分科会につきましては、その後、この初等中等教育分科会、教育制度分科会、実は開催されておりませんので、今度開催されたときに議事概要を資料としてお配りをして、そこで委員の方から修正等の御意見をいただいた後、公開するということになると思います。

川内委員 まだない、一番もめたときのものは議事概要さえもまだサイト上にないということですよ、大臣。それで、文部科学省として、行政として、その法案を国会審議に付す前提として誠実な手続なんでしょうかね。

伊吹国務大臣 まず、川内先生から文部科学省の都合のいいようになどと言われてはいけないからこそ、要約をつくって、必ず次の当該委員会なり総会なりの委員の目を通して、オーケーをとって公表しているわけですよ。だから、その次の会がないから出せていない。

 そして、先ほど来おっしゃっているように、食品安全委員会、これは全く性格が違いますよ、先生。これは行政手続法のまさに対象になる審議会の内容だから、法律のためのものじゃありませんよ。(川内委員「いやいや、食品安全委員会はパブリックコメントに付す義務はないですよ、法的に」と呼ぶ)いやいや、そういうことを言っているんじゃないんです。

 先ほどおっしゃったのは、食品安全委員会は国民の関心がある大切なことをやっているから、パブリックコメントは必要はないけれども、パブリックコメントを自主的にやっているとおっしゃったでしょう。それはしかし、食品安全委員会のとっているパブリックコメントは、国会に付議する法案作成のための作業ではないんですよ。(川内委員「それはそうですよ」と呼ぶ)だから私は言っているじゃないですか。なぜ行政手続法で法律がパブリックコメントの対象外になっているかといえば、それは、国会という最大のパブリックコメントの場があるからなんですよ。だからそれは違うんですよ、先生、法律の前提と行政行為の前提についてパブリックコメントを求めるということは。

川内委員 私は文部科学省のあり方を議論しているつもりなんですね。

 本来、最後の回の議事概要などは、委員に速やかに了解をとり、これは文部科学省の責任において取りまとめたと注意書きをしているわけですから、文部科学省の責任において取りまとめたものを至急公開させていただきますということで、概要については公開をしなければならぬというふうに思いますよ、法案を出すわけですからね。

 しかし、それが、最後大もめにもめたときの中教審の議論については議事概要さえも公開されていない。それは、手続として、次の回がなければ公開できないんですと御説明されました。しかし私は、その説明で、はいそうですかと納得するわけにはいきませんね。

伊吹国務大臣 これはやはり、ここは国権の最高機関で法案の審議の場なんですよ。ですから、大もめにもめた要約を欲しい、あるいは全文を欲しいと言う前に、先生が大もめにもめたとおっしゃっているその場に私はおりました、だから、ここはそれを私にお聞きになる場なんですよ、私は内閣の一員として法案を出しているんだから。だから、それを聞かずに、その要約だとかパブリックコメントがなければ審議ができないほど先生は能力のない方じゃないでしょう。

川内委員 いや、私の能力を議論しているんじゃないんですよ。私の能力は大したことのない能力であるというのは、それは衆目の一致するところで、それはいいんですよ。それはおいておいて、だから、文部科学省のあり方としてもうちょっと誠実な態度があってしかるべきなのではないかと。いつも責任回避に終始するわけです。

 例えば、それこそ文部科学大臣がメンバーでもあられる教育再生会議の一次報告の「第一次報告に当たっての基本的考え方」、「公教育再生のために」という前文があるわけですね。この前文の中に、「今日の学校教育は、学力低下や未履修問題、いじめや不登校、校内暴力、学級崩壊、指導力不足の教員、「事なかれ主義」とも言われる学校や教育委員会の責任体制のあいまいさ、高等教育の国際競争力の低迷など、極めて深刻な状況も見られます。」というふうに書いてあって、文部科学省の責任、文部科学省も今まで行政として不十分であったというような反省の言葉は一つも出てこないんですよ。

 それで、教育再生会議の中で下村官房副長官はこのように発言されていらっしゃいます。「学校現場からすると、それこそ、はしの上げおろしまで文部科学省がチェック・指導をしているのではないかというふうに実際に見られていますし、事実、そういう部分があります。」下村官房副長官のこれは発言ですからね。そういうふうに文部科学省が学校現場に見られているし、事実そういう部分もある。

 文部科学省が今まで教育行政を遂行していらっしゃる中でさまざまな教育改革をされて、しかし、それでもいじめや不登校やあるいは学級崩壊という教育が抱えるさまざまな問題についてなかなか解決の方途が見出せないという状況の中で、この教育再生会議の前文の中に文部科学省の今までの責任というものの言及がないということは、これは、教育再生会議の事務局も文部科学省ですから文部科学省から出向した方々がやられていらっしゃるわけですが、ネグったんじゃないんですか。どうですか、官房長官。

塩崎国務大臣 まず第一に、教育再生会議の事務局は、文部科学省の人たちだけではなくて、ほかの役所も、民間からもたくさん来て頑張って支えていただいているということをお認めいただきたい、こう思います。

 それから、この一次報告でその責任を認めていないじゃないか、こういう話でありますが、文章というのは、いろいろなスタイルもありまして、ストレートに書くときもあればそうじゃないときもある。今先生は、ストレートに反省しますと書いていないというお話でありますけれども、先生も御案内のように、文部科学省設置法の第三条に任務というのが書いてあります。「文部科学省は、教育の振興及び生涯学習の推進を中核とした豊かな人間性を備えた創造的な人材の育成、学術、スポーツ」云々と書いてあって、「総合的な振興を図るとともに、宗教に関する行政事務を適切に行うことを任務とする。」ということで、人材育成広きにわたって任務として設置をされているのがこの役所であります。

 それに対してこの報告書を見ていただければ、「いじめや不登校、校内暴力、学級崩壊」云々かんぬんと書いてありますが、「極めて深刻な状況も見られます。」と率直に認めているわけでありますから、みずからの任務を帯びていながら、こういう状況であるということを認めているのは、責任を反省していること以外の何物でもないので、その文章をどう読むかという問題で、川内先生、ひとつ行間を含めてよく読んでいただきたい、こう思うわけであります。

 だからこそ、そういう認識に立って教育再生会議は開かれて、広く今いろいろな議論をしている、こういうことであります。(発言する者あり)

川内委員 私も毎日反省をする日々でございますけれども、しかしそうであれば、やはり国民の皆様に、それこそ、わかりやすい議論が大切だ、しっかりと国民の皆さんに理解できるような議論が必要であると教育再生会議では再三にわたってさまざまな委員が御発言をされていらっしゃいますけれども、教育再生会議の議論の中でも、官房副長官が文部科学省の責任に言及する部分があり、あるいはほかの委員も、だれが一体責任をとるのか全くあいまいな体制である、文部科学省、県の教育委員会、市町村教育委員会、そして学校というこの四重構造が教育の混迷の原因になっているというようなことも……(発言する者あり)教育再生会議の議論の中のことを言っているんです。(発言する者あり)だって、大島先生から言われれば答えたくなるじゃないですか。そういう議論もあり、文部科学省の責任について言及している議論というのは、この再生会議の各所に見られるわけですね。

 であれば、やはりこの前文の中に文部科学省という言葉をしっかり入れて、国民の皆さんに対しても文部科学省がしっかりこれから生まれ変わるというようなメッセージにしていただかないと、きょうの一時間の議論で、議事録の問題、議事概要の問題、そして前文の問題と、何となく私は、文部科学省はみずからの責任をしっかりと引き受けて、それを果たそうという大きな志がどうも見えない。

 指摘をされると、いや、別に法律じゃないですからとか、いつアップしたんだと言うと、きのうやりましたとか、それは、きょう国民の皆さんがこの議論をもし聞いていたら、文部科学省というのは言い逃れは上手だなというふうには思うと思いますけれども、私の追及は下手くそで甘いですから、この程度で多分済むんだろうというふうに思いますけれどもね。

 しかし……(発言する者あり)どうも済みません。これから教育職員免許法とか地教行法とかやらなきゃいけないんですよ。ただ、最後に一つだけ申し上げておきますけれども、教育再生会議の議論の中で私が唯一評価するのは、学校の先生方の部活動手当を引き上げろという部分だけなんですね。そこはすばらしいというふうに思っていて、学校の先生方の部活動手当とは、土日、一生懸命指導しますよね、手当が一日千二百円なんですよ。これらのことを私はもうちょっと深めて議論をしたいなというふうに思っておりますので、委員長、ぜひまた次回にチャンスをいただけますようにお願いを申し上げて、終わらせていただきたいと思います。

 ありがとうございました。

保利委員長 午後二時から委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。

    午後零時六分休憩

     ――――◇―――――

    午後二時開議

保利委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。

 この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。

 ただいま議題となっております各案審査のため、来る十五日火曜日午前九時、参考人の出席を求め、意見を聴取することとし、その人選等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

保利委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

保利委員長 質疑を続行いたします。高井美穂君。

高井委員 民主党の高井美穂です。午後の質問も引き続きよろしくお願いいたします。

 二回目の質問の機会を与えていただきまして、ありがとうございました。小さい脳みそと少ない政策秘書との間で一生懸命質問をつくりながら頑張って勉強しておりますので、ぜひ御理解をいただいて、わからないことを率直に聞いておるつもりでございますので、ぜひ真摯な御答弁を期待しております。どうぞよろしくお願いいたします。

 では、先ほど川内さんの質問を聞いておりまして、一つちょっと素朴な疑問がわいてきましたので、まず、官房長官にお伺いしたいというふうに思っています。

 ついこの間も、教育再生会議の第二分科会というところで親学ということが議論されたというふうに報道で拝見をいたしました。二十六日の新聞に幾つかの新聞社が取り上げておられたというふうに思っています。官房長官は、分科会なので多分御出席はされていないというふうに思うんですけれども、この中身について詳しく報告を受けておられるのか、そして議事録の公開等はいつを予定しておられるのか、お答えをお願いします。

塩崎国務大臣 まず第一に、分科会は基本的に議事録は出しておりません。それは出ないんだろうという……(発言する者あり)では、手続については後で申し上げます。

 御案内のように、教育再生会議には三つ分科会がございます。第一、第二、第三で、この第二というのは規範意識・家族・地域教育再生分科会ということで、家族や子育ての重要性などについての議論が最近行われていて、保護者とか地域社会へのメッセージを出したらどうだというような意見が出たというふうには聞いておりますが、内容的に固まったというふうにはまだ聞いておりません。いろいろな案があることは聞いております。

 いずれにしても、この分科会は、教育において、社会総ぐるみの中の、必ずしも学校ではない、家庭とか地域とかそういうところで何ができるのか、その教育力をどう回復していくのか、そういうことを幅広く議論していく中で、今先生が御指摘されたような問題についても議論しているということだと思います。

山中政府参考人 教育再生会議の議事録の公開等の問題でございます。

 教育再生会議につきましては、議事の公開のあり方といたしまして、会議終了後にブリーフを行い、現在は、議事概要を数日中に出し、議事要旨というものを、これは委員の方の御確認をとりまして一週間かもうちょっとで出しまして、一カ月後程度で、これも委員の方の御了解をいただいて議事録を作成するというふうな形で会議の内容を公開しているというところでございます。(高井委員「分科会は」と呼ぶ)分科会につきましても、そういうふうな形で議事の内容を公表しているところでございます。(高井委員「いつごろを予定していますか」と呼ぶ)

保利委員長 御質問ください、高井君。

高井委員 この第二分科会の、今私が新聞で取り上げた、二十五日の、親学が議論されたというふうに報道された分の分科会の議事録は、まだ要旨も公開はされておりませんが、それはいつごろ公開になるおつもりなのか、いつぐらいのうちにしようとお考えなのか、参考人で結構ですのでお答えください。

山中政府参考人 委員御指摘の、子供の子育てと申しますか、そういうものについての議論というものが行われまして、そういう御議論の中で、第一分科会というところが議論しているところでございますけれども、親子が一緒に成長する場づくりですとか、そういうものについてわかりやすいアピールのようなものをつくってはどうかというふうな御議論がございまして、そういう検討が行われているところでございます。

 その内容につきまして、第二分科会というところでさらにそれを受けまして具体的に議論したんですけれども、その際に、案文のようなものを示しながら議論していこうということになったところでございますので、その具体的な案文等の内容について議論したところの第二分科会の議論の扱いについては、その会議の中で、ここの部分は非公表にしましょうということになりまして、その点につきましては議事概要のところには記載していないという状況に現在はなっているところでございます。

高井委員 今お隣で大島筆頭が、衆議院通過するまで余計なことはするなということをひとり言のようにぼやいておられましたけれども、ただ、私は、審議を充実したものにしたいので、情報をできるだけ知りたいのです。野党のただ一議員でございますから、政府内部が持っている教育再生会議の細やかなこと、中教審のこと、当然立ち会うわけにもいきませんので、議事録で公開されているもの、出席された方にまさに御意見を聞くしかないというふうに思っています。

 その中でもとりわけ、やはり、議事録を読んで大臣に向かうのと、中身どうだったんですかとここで大臣に向かうのとでは、それこそ中身の充実度が違いますので、事前に、どういう背景でこの立法がなされていくのか、どういう審議があったのか、ぜひ詳しいことを私は知りたいと思って今も重ねてお聞きしているんですが、御答弁によると、分科会の方は細かいことは公開しないというような御答弁だったように思いますが、案文のみ、これは違うんですか。

山中政府参考人 教育再生会議でございますけれども、全員の委員の方がそろって議論していただきます総会という形と、それから三つの分科会、学校再生、それから教育再生、規範意識・家族・地域教育再生という三つの分科会がございまして、それぞれの分科会でまた議論しているわけでございます。この総会あるいはそれぞれの分科会につきまして、それぞれ議事要旨、議事録というものは公開しているところでございます。

 ただ、その会議の中で、ここの議論については非公表の扱いにしましょうということが委員の方の中でそういうことになった部分、それは時期を限る場合もあるかもしれませんし、その内容について、ここの部分は非公表にしましょうという点があれば、その点については非公表の取り扱いとする。これは、会議の方で公表のあり方については決めておりますので、その決定の方に従って運営されているということでございます。

高井委員 つまり、非公表にするかどうかというのは、恐らくその会議の議論の中で、この部分からは非公表にしていただきたいんですがとかいうふうに前置きをしてお話しになられるのか、それとも、結果として、その会議をした中で、きょうした話の中でこの部分は非公表にしようというのは、要するに、だれがどうやって決定されるんですか。

山中政府参考人 これは会議の運営でございますので、議事を進行しております、分科会でございますと主査がおられますし、総会でございますと座長がおられますけれども、通例でございますと、ある議論を始める場合に、この部分については非公表の扱いにしたいというものがございますと、主査の方からこの議題についてはそういう扱いにいたしましょうということで議論が始まるというのが通例だというふうに考えております。

高井委員 わかりました。

 そのルールをわかった上で、それでは、以前たしかお聞きしたときに、総理か官房長官だったと思いますが、原則、中教審とか教育再生会議とか、政府の機関なり、その諮問機関であるものの議論の中身は公開をするというふうにお答えになられておると思います。原則という形でお答えになられておると思いますが、この点、よろしいでしょうか、官房長官にお願いします。

塩崎国務大臣 例えば、八条委員会と呼ばれる、中教審は八条委員会でございますけれども、そういう正式に法律にのっとってつくられるもの、そういうものについては、当然のことながら公開のルールがはっきりしているわけです、先ほどのパブコメの話もそうでありますけれども。

 教育再生会議は、閣議決定でつくられたアドホックな委員会でございます。ですから、これをどういうふうに扱うかというのは内閣が決めることでもありますが、しかし、原則、やはり、教育というようなテーマでもありますから、それはオープンにすることが好ましいだろうということで、これはちゃんと議事要旨を出して、また、議事録も追って出すということで公開をしているということでございます。

 また、分科会についても、先ほど、ちょっと私、不正確なことを申し上げましたけれども、原則は、今先生おっしゃったように、公開をするけれども、今のような、中身によって、アピールを出す前にもうホームページに載っていたというのではアピールにならないので、そういうふうな扱いにしたんだろう、こういうことだと思います。

高井委員 たしか総理も同じように、原則は公開するというふうに答えられたというふうに私も認識しておりまして、今の官房長官の答弁も、原則公開するということで確認をしたつもりです。それでしたら、議事録と議事要旨というのは、やはりかなり違うものだと思うんですね。

 議事録は、私はどういうふうに事務的な手続をやっているのかわかりませんが、例えば、今、国会で議論をしました、次の日には速記録のようなものが、案でも、でき上がっております。二日後には必ず議事録というのがもう手に入れられるようになっております。今、それぐらいのスピードで、やると思えばできる状態であるというふうに思っています。

 それにもかかわらず、教育再生会議の方は、逆に、議事要旨をつくるのであれば、私は時間がかかると思うんですね。ある意味、委員の先生方とかそこに出席された方に、そごがないか、合っているか、多分確認をされるんだろうと思います。先ほどの午前の答弁の中でも、確認をちゃんとしなければならないというようなこともおっしゃっておりましたので、するんだろうと思います。客観的にというふうにおっしゃっていましたけれども、要旨をまとめるということは、やはり、そのまとめた方の主観がある程度入るからこそ、多分個々の先生方に改めて確認をとって出すんだろうというふうに思うんですね。

 そうしたら、議事録をすぱっとアップしてくれれば、その方が手間がかからないし、我々も早く情報が得られる。できるだけ国会審議に間に合うように、細かいことを知りたいのです。やはり、議事要旨だと、その方がおっしゃったニュアンスが多少違うかもしれない。それは、多分、大臣や官房長官や皆さん、インタビューを受けられたりさまざまな雑誌の取材とかのときに、記者なんかが通じて書いたものが少しニュアンスが違っていたとか、そういうことってあるだろうと思うんですよね。そういうことを私は逆に懸念しているわけで、大事な会議で大事な方針を議論しているわけでございますから、できるだけ生の声を聞かせてほしいというのが私の思いなんです。いかがでしょうか、大臣。

伊吹国務大臣 ちょっと川内先生とは違う、正確な日本語での御質問でございますから、私も正確にお答えしたいと思います。

 これは、先生、議事要旨は、例えば、文部科学省や内閣の思惑を持ってというような御批判が午前中ありましたが、そういうことは全くありません。これは、例えば中教審については、文部科学省がまとめて、こんなところでよろしいですかと各先生に伺えるわけですよ。

 ところが、議事録ということになりますと、速記はとっているけれども、例えば、午前中私に浴びせられた言葉について、極めて不適切だから理事会で協議していただきたいということを私は希望として持っております、お取り上げいただけるかどうかはわかりませんが。やはり、そういう手続があるんですよ、一人一人。

 そして、議事要旨というのは一人でまとめるものですが、審議会は十人、十五人という先生方がみんな御発言になっているわけですね。そして、お一人お一人、みんなお忙しい方です。その方々を、つかまえてと言っては悪いですけれども、こういう御発言でよろしかったですねということを必ず聞くわけですね。教育再生会議の私の発言についても、私のところへやはり聞いてまいります。

 ですから、先生がおっしゃっていることと現実のまとめに要する時間はむしろ逆で、やはり議事録の方が時間がかかるというのが率直なところで、別に、スピーディーにできるだけ私はやらせたいと思いますが、隠し立てをしたり自分たちに都合のいいように何かつくりかえたりというような御意見が午前中ありましたが、そんなことは全くありません。

高井委員 私は、思惑が入ることを強く懸念しているというよりも、やはり主観的なものになってしまうというふうなことをまず、人間ですから、議事要旨をまとめるときに、どれを落としてどれを入れようというのは主観的なものにどうしてもならざるを得ない。それは、大臣がよく教育の中立性ということでイズムがというようなことをおっしゃいますけれども、教育政策ということ自体も、やはり政党が、政権をとった政党が責任をとってやるわけですから、そもそも国の方もイズムがないということはないと思うんですね、そのときの政策政策ですから。それはもう言わずもがなだと、もう御承知の上だと思いますけれども。そういう意味で、必ず、思惑というよりも主観が入るものだから、時間がかかるし間違ってはいけないということで、さらに議事要旨公開には時間がかかるんだろうと思います。

 逆に、速記録のように、国会のようにきちんと速記をとっていれば、その委員がおっしゃったことを一言一句ちゃんと出すのであれば、むしろ思惑が入らないし、委員の皆さんにとっても発言の趣旨がちゃんと伝わるんじゃないかということを言っているわけでありまして、では、速記制度というか、テープに落として、それを即落として公開するということができないのかということもぜひ検討していただきたいという意味で申し上げたんですが、いかがでしょうか。

伊吹国務大臣 現実に表に出ている議事録というのは、御発言された先生方が、いや、こういう言い回しになっているけれども、おれの考えはこんなことなんだ、いや、私の言い回しはこういうふうに書かれているけれども、こんなことを言ったつもりはないとかいうのは、先生、結構あるんですよ、議事録そのものに。だから、これは、やはり御発言になった方が一応目を通された上で、御了承を得て出しているわけですね。

 それからもう一つ、率直に言えば、官房長官が先ほど来申しておりますように、再生会議は、これは国家行政組織法上の組織ではありません。自由闊達に物をおっしゃる場です。政治的には極めて意味の重い会だと思いますよ。総理も教育再生を最優先課題として、再生会議ということでやっているわけです。しかし、審議会のように、その意見をすべて入れて法律をつくるとかというわけではないんですよ。審議会においてすら、政府税調の言ったとおり、党税調、自民党や公明党税調は絶対やりませんよ。これはやはり、代表権を持っている国会議員の判断においてやるわけです。

 だから、ましてや再生会議では、例えば、御質問にもありましたけれども、免許の運用によって分限を決めろというような御提言どおりになっていないでしょう、今出している法律は。分限は別の法律でやって、免許は免許の資質向上でやると。それから、教育委員会のあり方だとかどうだとかというものも、総理の最後の御判断で、こういうふうにやってもらいたいという内閣の長としての判断を総務大臣と私と官房長官に示されたから、それで私は法律をつくって国会へお出ししている。

 だから、何といったって、先生、ここなんですよ、最後は。ですから、もちろん議事要旨も急いで出すようにしますし、議事録もできるだけ早い方がいいでしょう。しかし、それ以上に、議員たるものは、おのれを磨いて、自分の知識と自分のリベラルアーツの深みでもって国会の議論を展開する、これが国民から負託された我々の責務なんですね。

高井委員 私は、知識が少なくて人生経験も短うございますので、伊吹大臣の半分とまでは言いませんけれども、経験年齢、半分はいきません、済みません、三分の二、もうちょっと、大分、もしかしたら娘さん、お孫さんの世代ではないと思いますが、娘さんの世代以下だと思いますので、いかにリベラルアーツとか知識がとかいっても、やはりそれを裏づける情報と一生懸命勉強するための材料が欲しくて、重ねてそういうふうに申し上げているわけです。政治的に意味が重いからこそ、この中身を知りたいんです。

 国会というのは会期があります。会期中にしゃべらないと、国会終わりました、もう通過しました、次、では秋でもこの質問をさせてもらえますかというのは、またちょっと違うと思うんですよ。今ここが大事だからこそ、今やっている生の情報に基づきながら、それにのっとって大臣がどういう方針で運用を促すのか、国会の中の質疑の中で、恐らく法案が通った後の運用の方向とかさまざまなものが規定されていくと思います。だからこそ、ここでやっておかないとだめなので、それに間に合わない情報であるならば困るわけです。

 野党の方は手に入らないし、同席させてくれるんだったらありがたいんですけれどもね。質問に生かすために、教育再生会議の方も政府の中の中教審でも、中身が本当に知りたいんです。

 やはり残念なのは、マスコミには次の日こうやって詳細に出ているわけですよ、親学提言のポイントとか、何か十一ポイントですか。これは、政府は関知していないことかもしれません。マスコミが勝手に聞いて書いたのかもしれません。それとも、マスコミが何社か出ていましたから、公式にこれはおっしゃったのか。その点、官房長官、教えてください。これは、公式ではなくて、マスコミが勝手に取材したということでいいんですか。

山中政府参考人 再生会議の第二分科会におきまして、家族、子育ての重要性、こういうことについての議論が行われた中で、保護者あるいは地域社会の方々に広くメッセージを出して子育ての大切さといったものを訴えてはどうか、提言してはどうかという議論が行われているところでございますけれども、今、どういう形にするのか、あるいはそれをどういう形で出すのか、どういうふうな形でまとめていくのかといったふうなことについて議論をしている段階でございまして、まだどういうものがというものは……(高井委員「マスコミに公表しているかどうかを聞いているんです」と呼ぶ)マスコミに公表したということはございません。

高井委員 多分勝手にだれかが漏らしたということで理解していいんだろうと思います。だから私は、これに基づいて、だれかが勝手に漏らしたものに基づいて大臣に質問はできません。だって、大臣もよくおっしゃるように、マスコミの書いていることは本当かどうかわからないじゃない。いや、本当かどうかわからないですよ。でも、えらい詳細に書かれているので、これは何か、口頭で漏らしたぐらいではここまで詳細にはできないだろうと思うんですね。

 かつ、新聞には載って、もう報道はされたけれども国会では議論できないというのは、私は、ちょっとおかしいというか、国会軽視という感じがいたします。これについて質問するには、議事録なり要旨が出てくるまで我々は待たなきゃいけないんですね。その点、ちょっと私は問題だと思いますよ。

伊吹国務大臣 私は再生会議の所管大臣ではありませんけれども、再生会議というのは、私は政治的には非常に重要なものだと思いますけれども、これは法律のための審議会でも何でもないんですよ、先生。ですから、これが何か言ったからといって、先ほど来言っていますように、私はそのとおりやらないところもたくさんありました、今回出している三法案でも。それから、総理も、そのとおりじゃ現実とはうまくいかないだろうというので、別の指示を総務大臣と私にお出しになっているんですよ。

 私も、内容は実は知りません。政治家だってあるじゃないですか。民主党だって、ぶら下がりでだれかがちょろっと何か言ったということがよく記事になりますよ。自民党だってそういうことあります。だから委員の中で、もうマスコミに出たくて出たくてしようがないような人もいるんじゃないでしょうかね。まことに困ったことだと私は思います。

 ここに書いてあること自体が、率直に言うと、いいことも書いてあるけれども、そうしたいと思ってもできない人がたくさんいるようなことを一部のいい立場の人が云々するということは、私は余り感心したことじゃないなと思って、意見を言いたいなと私自身も思っているぐらいですから。

高井委員 理屈はよくわかりました。私も大臣と同じような認識を持っている部分もありますし、それこそ、きょうの新聞に小さく載っていましたけれども、「世界」に、自民党の若手の有志の方が何人か「教育再生会議への七つの疑問」というタイトルで投稿されておられます。

 これは、まさに疑問が七つあって、委員の人選と事務局の動き方とか、前提となる問題意識のあいまいさとか、原因追求の軽視とか、方向性のあいまいさ、具体性に欠ける目標設定、実証のない論理の飛躍、最後は、教育に対する過剰な期待というふうに、項目が七つございます。私ども、結構これは共鳴するところがたくさんあるし、ああ、同じような問題意識を持っておられる方がいるんだなと思うんです。

 ただ、伊吹大臣はそうおっしゃいました。でも、官房長官のお立場は多分違うと思うんです。だって、総理直轄で肝いりでつくった政治的な重い重いこの提言を一切採用しないということはあり得ないと思うんですよね。だから、とったりとらなかったりするわけですから、どこの部分が採用されて、されなかったのか、その過程のことについてとか、ここで、国会で議論をしたいので、早く教えてくださいということを再三申し上げているんです。

塩崎国務大臣 事務方がもう少しちゃんと言えばよかったんですが、私も含めてですね。

 ちょっともう一回ディスクロージャーの話を申し上げますと、基本的に、教育再生会議については、会議終了後、記者ブリーフをやっています。ですから、先ほどの新聞の報道は、かなりの部分は記者ブリーフを多分分科会の会長さんがおやりになっているんだろうと思います。ただ、どれだけ正確に報道しているかどうかというのは、マスコミが決めることですから、それはちょっとよくわかりません。

 一方で、例えば、これは四月十七日の第二分科会議事要旨、議事概要というのがホームページに載っています。そこに、「親子が一緒に成長する」云々というような山谷補佐官の話があって、「母性、父性を育て社会を変えるようなメッセージを発信したらどうだろう。」なんということを書いてあるわけですね。これは、つらつらホームページに出ています。これは四月十七日ですから、直近がいつなのかは私ちょっと今聞いておりませんが、そういう形で出ております。浅利委員が、「緊急提言には大賛成。分かりやすく端的なものが良い。」なんというふうにちゃんと出ています。ですから、これをごらんいただいて御議論いただければよろしいのかなと思います。

 今、再生会議の言っていることは全部取り上げるのか取り上げないのかみたいな話がありましたが、先ほど申し上げたように、審議会、正式に国家行政組織法の八条委員会で議論していることも、政府として取り上げるもの取り上げないもの、いろいろな意見を幅広く聞いた上で、政府としての考え方をまとめて、法律にして、そして閣法として国会に出してもらう、そしてそれを国民の代表たる議員に御議論いただいて、通れば法律として成立をする、こういうことになるわけですから、今もこの教育関係の三法案をこの場で御審議いただいているわけでございますので、ぜひ法案について御審議をいただきたい、こう思います。

高井委員 法案について審議しますので、この親学の件とかも、どういう背景で考えておられるのか、政府の考え方が気になりますので、官房長官は直接出席しておられないんでしたら、やはり山谷補佐官、政治の場で、ここの場でぜひ意見を聞かせていただきたいなと。

 伊吹大臣は細かいことは聞いていらっしゃらないということですから、逆に言うと、国会が大事だからこそ、国会の場でお聞きして、どういう背景でおっしゃったのか、ぜひ山谷補佐官に来ていただきたいと思いますが、これは多分理事会の方でお諮りしていただくことだろうと思いますので、また委員長、よろしくお願いをいたします。

保利委員長 後刻理事会で協議いたします。

高井委員 めげずに本題の方に参りますので、頑張ります。

 地教行法、教育委員会の制度についてお聞きしたいと思います。これは菅大臣と伊吹大臣を中心にお伺いさせていただきますので、どうぞよろしくお願いをいたします。

 今回の法案で教育委員会の権限がある意味で強くなる方向になるということは事実だろうと思います。教員そのものに対する資質の向上ということは、伊吹大臣も何遍も答弁されておりました。

 それでは、教育委員そのものに求められる資質というのは、どのようにお考えでしょうか。

伊吹国務大臣 これは、地教行法の第四条に書いてございます、「人格が高潔で、教育、学術及び文化に関し識見を有するもののうちから、」任命されることになり、教育行政に深い関心と熱意を有し、大局的な立場に立って教育行政の方針や重要事項を決定し得る識見と能力を有することが必要である、こういうことだろうと思いますが、そのとおり現実の人選がなされているのかどうなのか。そして、そういう前提で教育委員会が動いていただいているのか、また、地方議会がそれをチェックしていただいているのかというところに私はやはり問題があると思うんです。

 それから、先生、余談になりますが、先生のようなお孫さんを持っていれば、私は百歳を超えますから。

高井委員 申しわけございません。先ほどの件は私の失言でございましたので、謝りを申し上げます。

 本題にもう一回戻りますけれども、まさに教育委員の資質というのもこれから大事であると思いますし、同じように、二十年前から教育委員会が形骸化しているんじゃないかということを指摘されている要因は、先ほど伊吹大臣が御指摘なさったとおり、ちゃんと機能していないんじゃないかということを、繰り返し、多分いろいろな場で疑問を呈される方もいたんだろうと思いますし、民間の方、有識者の方でそういうふうな話があったんだろうと思います。

 だからこそ、教育委員会制度改革について何度も何度も議論をされておりますし、我々も、そういう問題意識から法案を提出しました。政府の案とは全く違う形で出したわけでございますが、ここはあえて政府案を中心にお伺いしたいと思うんです。

 教育委員の資質が大事だからこそ、教育委員自身にも、実は、教員にも研修が当然資質向上に必要だろうと思いますが、教育委員さん自身の資質向上をどうやっているのかということを逆にきちんと図っていかなくてはならないというふうに思います。それは、議会なのか、文科省がそういうふうに図っていくのか。多分、教育委員さん自身の資質については、何も今回の法案では取り上げない、入っていないわけでございますよね。

伊吹国務大臣 先ほど申し上げたのは、現行の法案に書いてあることを申し上げているわけですね。

 いろいろ問題が先生がおっしゃっているようにありますから、今回御提案をしております改正法の十一条の六項にどういうことを書いているかというと、教育委員としてみずからの地域の教育行政の運営について重要な責任を負うことを自覚すること、それから同時に、地教行法の一条の二の地方教育行政の基本理念に則して教育行政運営が行われるように配慮することということをわざわざ今度の法案の中に新設をして改正案を提出しているということです。

高井委員 承知をいたしました。

 では、そういうきちんとした形で資質が求められる教育委員、そして教育委員会というものがあって、かつ、今回、その教育委員会が、今回の法案提出の背景に未履修問題のことがあると思いますけれども、是正要求を国ができるようになって、そうしたちゃんとした教育委員会であっても是正要求にすぐ従うかどうかは、その現場の判断等がいろいろあるだろうと思います。

 その点について、例えば、こういうふうに指示をしました、こういうふうに直しなさいと指示をしました、それに対して現場の回答も、どういうふうに返ってくるのかわかりませんけれども、できたとか努力してもできないとか、そういう回答が多分返ってくるんだろうと思うんですね。そうなった場合、例えば是正勧告をして、努力したけれどもできないという場合は、それはさらなる措置が何か加えられるわけですか。

伊吹国務大臣 その前に、先ほどの御質問に若干つけ加えますと、であるがゆえに、そういうことを規定して、教育委員も責務が重大になり、自分たちの資質を向上してもらわねばなりませんので、改正地教行法の四十八条の、四号で、文部科学大臣、都道府県教育委員会が研修を進めて教育委員の資質の向上を図るということが書かれているわけです。

 そこで、現行の地方自治法の規定による是正の要求だと、こういう事態が起こっているから是正すべしということを要求することになるわけです。しかし、今回は、法文をよくお読みいただいているから御理解いただいていると思いますけれども、具体的な是正の内容を付しての是正要求をいたします。そして同時に、当該教育委員を任命された地方自治体の首長及びその承認をなさる地方住民の代表である議会に、このような是正要求をいたしましたということを通知いたします。

 ここで地方自治の力を発揮されるかどうかということが、実は最大のポイントなんですね。そこで次々と文部科学大臣が指示を出したり命令を出したりするということになると、それこそ教育の中央統制とかという御批判がまた出てきますから、地方自治ということに着目するのであれば、やはり地方自治の力を磨いていただきたい。これを私は文科大臣としてぜひお願いしておきたいと思います。

高井委員 わかりました。

 議会と首長に中身のことを通知するということであるならば、法令違反をしているかどうかの教育委員会自体をチェックするのは、議会と首長がチェックするということで、適切に是正されたかどうかチェックするということでいいんでしょうか。

伊吹国務大臣 これは、両方というんですかね。本来、そういう法令に違反しているような事態、例えば未履修なら未履修という問題は、投書が来たりいろいろなことをしているわけですから、当然、地方議会で取り上げられて、当該教育委員会に対していろいろ質問が出る中で直していくというのが、やはり本来の筋なんだろうと思うんですよ。

 ところが、そうならない場合には、文部科学大臣が、具体的にこういうことであるという内容を付して是正要求をいたします。そして、地方議会にそれを通知し、首長にそれを通知するということになりますから、当然これは、先生、マスコミに取り上げられたり国会でも問題になりますよ、そういう事態は。それでもなお、鈍感な感性のない首長であったり議会であって、住民がそのまま黙っている日本というのは、私はもう、それなら地方分権はやめないといけないと思いますよ。

高井委員 そこまで問題になる前に、本来ならば議会でチェックできてなかったらいけなかったでしょうし、これだけ未履修が広がる前にだれも発見できなかったということ自体が多分問題であるということもあって法案改正を試みられているんだろうと思いますけれども、逆に、やはり、上からの縛りが強くなれば強くなるほど、できるだけ悪い報告を上げたくないというふうになりますよね。

 だから、つまり、未履修なり何なり悪いことが起こったときに、きちんと公開をしようというインセンティブが働かない仕組みになっているのではないかというのが我々の問題意識でありまして、それでは、今言ったような、さまざまな是正しなければいけないような案件を、文部大臣のところが最終的に是正するかどうかを判断するんでしょうから、どうやってその情報を吸い上げていく仕組みにしておられるのか。今回の法案で、法令違反やこの怠りを判断するのは文部科学大臣でしょうから、それをどういうふうに把握しようと努められるのか、お願いいたします。

伊吹国務大臣 今回のいじめ、あるいは未履修も、どういうところが発端であったかというと、やはり、投書が来たり、匿名の電話がかかってきたり、いろいろなことがありました。ですから、改正法の四十九条、五十条に該当するような事態が起これば、当然、テレビや新聞で報道されますし、今回そうであったように、国民からの情報がもう随分参ります。文部科学省としては、そういうことも大切にしたいと思いますし、それから同時に、教育委員の方々も、合議制でやっているわけですから、お互いになれ合わずに、おかしいと思うことはやはり中で御発言いただき、それが地方議会の耳にも入り、地方のマスコミの耳にも入り、やはり、日本はそういう国であった方が、民主党の本来の御主張に沿うんじゃないんですか。

 だから、私は、そういう形で情報を収集して、児童生徒が困らないように、できるだけ早くその対応をとるということにしたいと思いますが、文部科学省が出る前に地方議会が出ていただくというのが私はやはり筋だと思いますよ。

高井委員 それはもう筋からするとおっしゃるとおりだと思いますけれども、最終手段は直訴という形のようなものでちゃんと問題の所在を把握するということですから、これも、私も、ちゃんと機能するのかどうか少し心配はいたします。

 そこで、総務大臣にお伺いしたいんですけれども、この間、教育委員会制度について、さまざまな、地方六団体であったり、地方制度調査会その他、地方分権推進会議などで、教育委員会にかかわる規定について、提言というか、これこそ議事録なんでしょうか、書かれております。

 例えば、御紹介いたしますと、平成十六年五月十二日の地方分権改革推進会議の意見書、意見というふうにまとめられた資料からは、教育委員会の必置規制の弾力化についてこう書かれています。「教育委員会制度については、地方公共団体の行政組織の弾力化を図る上で必置規制が支障になっている、」中略をいたしますけれども、「地方公共団体の行政組織の弾力化、教育行政の総合化、教育の活性化、教育制度の迅速な改革、小規模教育委員会の活性化等の観点から、教育の政治的中立性を確保しつつ、各地域の実情に応じて地方公共団体の判断で教育委員会制度を採らないという選択肢を認めるべきである。」というふうに提言があります。

 その他、これも平成十七年十二月の地方制度調査会の中には、「教育委員会を必置とする理由として、」という文章に続けて、「教育における政治的中立性の確保や地域住民の意向の反映等の必要性が挙げられているが、これらの要請は審議会の活用等他の方法でも対応できると考えられる。国においては教育行政に関し行政委員会制度をとっていないが、これらの要請が地方における教育行政に特有のものであるとは考えられず、また、地域住民の意向の反映はむしろ公選の長の方がより適切になしうると考えられる。 このため、地方公共団体の判断により教育委員会を設置して教育に関する事務を行うこととするか、教育委員会を設置せずその事務を長が行うこととするかを選択できることとすることが適当である。」というふうな提言もございます。

 そしてさらに、これは全国市長会、全国町村会の要望書でございますが、平成十八年六月三十日に出されました。「現行の教育委員会制度については、形骸化している、或いは合議制により機動性・弾力性が欠如している、責任体制が不明確である等の指摘がある。」ということを書いた上で、「よって、公立学校施設整備をはじめ、地方行政全般に責任を持つ地方公共団体の長が、一体的に教育行政に意向を反映させることができるようにするため、必置規制を緩和し、地方公共団体における教育行政の実施について、教育委員会を設置して行うか、長の責任の下で行うか、選択可能な制度とするよう強く要望する。」というふうに出されております。

 そこで、総務大臣は、このような要望について、また各種の会議においてこういう意見が出されていることに対して、いかがお考えですか。

菅国務大臣 私は、一つの考え方だというふうに思っています。

高井委員 一つの考え方とおっしゃるのは、よくも悪くもないということなんでしょうか。

 ここは政治の場ですので、多分、大臣が国の方向性をお決めになることで一つの地方自治の方向は決まります。今最も地方行政に責任ある立場の大臣として、これは問題があるからしないというのか、また先々議論をしたいと思っているのか、それだけでもお答えください。

菅国務大臣 その選択制というのは、一つの考え方であるというふうに私は思っているということであります。

高井委員 いや、私も一つの考え方だと思っていますよ。でも、私が一つの考え方だと思ってこれはいいと思っても、導入できないんですよ。だって、行政の一員ではないですし。

 だから、大臣にお聞きしたいのは、これは一つの考え方であるということは、よくも悪くもないということなんですか、それとも、なかなかいい考えであるから考えに値するということなんでしょうか。どうなんでしょうか。

菅国務大臣 私は、地方分権という立場から考えたときに、選択制というのは一つの考え方だ、こう思っております。そして、それについて、やはり皆さんがさまざまな議論の中で方向性を決めていくべきだろうと私は思います。

高井委員 では、これは、民主党の法案では、ある種もう一つ進んだ形で、教育委員会を廃止するという法案を出しておりますけれども、今の制度上はできません。それをする、そういうふうに選択制に進めていくことは一つ意味があるんじゃないかというふうに提案をいたしますが、では、それについてはどうお考えになりますか。

菅国務大臣 私は、国会で決めていただくならば、それは否定するものじゃないというふうに思っています。

高井委員 国会で決めるというのは、こうして議論をして決めることですよね。今、議論を申し込んでいるわけでございます。

 大臣がどうお考えになるのか答えていただかなければ、政府参考人では答えることはできません、方向性を決めることでございますから。だから、もう少し踏み込んだ答弁をなさっていただきたいなと思うんですけれども。

菅国務大臣 私は、地方のそれぞれの行政の責任者の人たちが、自分たちの現場をよく見ている中で、選択制もあっていいじゃないかなというさまざまな御提言が出ている。ですから、それも一つの考え方であって、必ずしもそれが、いいとか悪いとかじゃなくて、悪いという否定をするべきものじゃないというふうに私自身は思っています。それで、一つの考え方だろうと、こういうふうに実は申し上げているものであります。

高井委員 必置規制を変えて選択制にするということは、法案を出して変えるという作業が要ると思います。今の菅大臣の御答弁だと、まさにゼロ回答というか、一つの考え方だからということでとまっていると思うんです。

 では、伊吹大臣にぜひお聞きしたいんですが、菅大臣はそうおっしゃいました。ただ、一つの考え方として、例えば、それを進めるなら進めるで、諮問会議なり設けてもうちょっと専門的に検討していただくだの、まさにこういうふうな、地方自治の、地方六団体から意見が上がっているのであれば、議論をする場をつくるなどしない限り、一つの考え方としていいじゃないかというふうにほっとけば、当然ながらそれは、しないということとイコールだというふうに思います。

 だから、これは少し検討する必要もあるのではないかというふうに私は逆に菅大臣にお聞きしたんですが、御答弁がちょっと私の求めるものとは違いますので、では伊吹大臣にぜひお考えをお願いします。

伊吹国務大臣 菅大臣は、私は、今のお立場で誠実に御答弁なすったと思って聞いておりました。

 それは、なぜかというと、内閣としての回答はこの法案の中に示されているということなんですよ。ですけれども、先生がおっしゃっている、今の地方分権委員会や何かの提言も、一つの考え方としては、それは将来あり得るということもあるかもわからないし、いやいや、そうはいっても、何事もいいことだけじゃないんですよ。みんな、とかく、いいことだけを取り上げてこうしろとか、悪いことだけ取り上げてこの制度はよくないとか言いますが、ある改革をすれば、ある点は必ずよくなりますが、それに伴う欠点というものは出てくるんです。

 ですから、内閣としては、今回、やはり教育委員会は、菅大臣が御答弁になったように、地方の選択を広めるという意味では必置義務というものは外しておりませんけれども、二つ三つの市町村が一緒になって一つの教育委員会をおつくりになっても結構ですよという法案にはなっているんですよ。

 その上で、将来、外していくのかどうなのか、あるいは県の教育委員会にするのか、それはいろいろなことを考えた上で菅大臣は答弁しておられるわけですから、私に答弁を求められれば、やはり同じようなことを言うと思います。

 内閣の意思は、今回提出した法案の中に入っているということです。

高井委員 逆に、そういうふうに、伊吹大臣のように答えていただければ、私は伊吹大臣の考え方がよくわかります。

 菅大臣の考え方がわからなかったので少し聞いたわけでございまして、内閣の意思はこうであったとしても、やはり国会の場というのは議論をする場ですから、政治家として、大臣としての意思をお聞きしたかったわけでありまして、すべてが一〇〇%そういうふうに……。

 では、菅大臣、どうぞ。

菅国務大臣 私は、そうした行政の長の皆さんが現場をよく熟知していて、そういう中で、こういう考え方もあっていいじゃないかなという方の提言だと思っていますから、地方分権を進める中でそれも一つの有効な考え方である、私はそう思っていまして、私はそれを全面的に否定するものでは全くありません。

高井委員 だから、まさに地方六団体の意見も尊重しつつこれからも行政に携わっていかれるわけですから、一つ検討に値するのではないかということを私は申し上げたいわけでございます。

 そしてもう一つ、「教育委員会への国の関与の強化案に対する反論」として、これは、この法案がかっちり出てくる前に地方六団体が出されたもので、多分、今回の法案が出されることに対しての先んじての意見書だろうと思いますので、今も同じ考え方で聞いておられるのかどうかわかりませんけれども、今回の、「教育委員会に対する国の関与のあり方は教育制度の根幹に関わる重要な問題である。今回は、検討・議論を重ねる十分な時間も与えられておらず、現在文部科学大臣が持っている関与の権限・手段で何が不十分なのか、あるいは運用の問題なのかなどについて検証・分析がなされていない。また、教育委員会の再生のためになぜ国の関与の強化が必要なのか、何ら論理的に結びつく説明や立証がなされていない。いかにも拙速と言わざるを得ない」「分権型の教育の仕組みをつくることが不可欠である。」というふうに、これは二月二十七日に意見書、反論として出されております。

 では、これについてはいかがお思いになりますか。

菅国務大臣 今回の法案提出をするまでの中のさまざまな議論がありました。その中で、教育委員会の見直しについて、全国知事会などから、まさに新たに、是正の勧告だとか指示、あるいは教育長に対しての文科大臣の任命だとか、そうした問題について非常に懸念を表明されている。

 そして、私どもからすれば、やはり、地方分権というものを考えたときに、自治事務の中で認められる範囲内の関与、それ以外は避けるべきだ、これが私どもの基本的な考え方です。安倍内閣にとっても、地方分権というのは、まさに地方の活力なくして国の活力なし、そういう中で地方分権を進めておるわけでありますから。

 しかし、一方、教育というのは、文部科学省というのは、全国の教育の機会均等とかあるいは一定水準の確保だとか、そうした大きな問題を今抱えているわけであります。現実的にいじめの問題だとか未履修の問題があったわけですから。

 そういう中で、私どもとすれば、先ほど申し上げましたけれども、自治事務で認められる範囲の関与、それであれば地方分権と教育再生というものは両立するだろう、そう思いまして、そうした地方の、知事を初めとする六団体の皆さんの懸念にならないような形で今度の法案は整理をされただろう、このように思っています。

高井委員 地方六団体の皆さんにも理解されているというふうな御答弁だったと思いますけれども、当初、これを読む限りは、とてもじゃないけれども丁寧な御説明はまだなさっていないというような印象をお受けしましたので、これほど六団体の皆様が懸念しているということであれば、より一層、そういう懸念はないということをきちんと説明される必要もあると思いますし、ぜひ丁寧にお願いしたいというふうに思っています。

 民主党の教育監査委員会ということについて、伊吹大臣が藤村委員の答弁についておっしゃっていることがあるので、その監査委員会のことについても菅大臣に一つお伺いしたいんです。

 民主党案の教育監査委員、教育委員会を廃止して教育監査委員というのを中立的な機関として設けてチェックしようというふうに法律上つくっておりますけれども、この監査委員会は、今ある監査委員会と同じものとして大体想定をしているものでございます。

 つまり、地方自治法上、現行ある、教育ではないほかの部分の監査委員会と同じように中立公平を保つものとして組み込んでいるわけでございますが、伊吹大臣が藤村さんの答弁について、「監査委員会的という表現で組織を置くことを考えていらっしゃるようですが、やはり首長の関与権というものはかなり強くなるんじゃないかという印象を私は受けています。」というふうにお答えになっておられました。

 では、今ある監査制度、監査委員会自身もやはりそういうものだというふうに菅大臣はお考えになりますか。

菅国務大臣 まず、現在の監査委員というのは、地方行政が公正でまた効率的に運営をされる、そうしたものを保障する重要な役割を果たしているというふうに私は思っています。もっと言うならば、地方公共団体の執行機関であり、その独立性の確保というのは極めて大事だというふうに思います。そのため、選任に当たっては、さまざまな制約があるということも事実であります。OB職員の就任を制限するだとか、いろいろ制限があります。そして、監査委員と行政の長との関係に相互侵害がないように、職務の独立性というのが今認められています。

 一方、民主党提案であります教育監査委員ですか、それは、議会の選挙によって選出される、そういうことであります。

 いずれにしろ、こうした監査委員は、地方団体の財務に関する問題、さらに経営に関する管理というものを行っておりまして、教育の監査委員とは質が違うのではないかなというふうに私は思っております。

 いずれにしろ、民主党の皆さんの今出しておられます教育監査委員会ですか、これについても、やはりこの場で私はさまざまな議論をされる必要があるのではないかなと思います。

高井委員 やはり、今ある、さっきおっしゃったような監査委員会制度の趣旨にのっとって、中立公平な監査委員会というのはできるというふうに私は考えている方なんですね。それは、多分伊吹大臣とは意見の相違であるかもしれませんので、あえてもう申し上げませんけれども、必ず、今ある監査委員制度が機能しているわけですから、民主党の案でも機能しないことはない、非現実的ではないというふうに思っています。

 それはこの指摘を申し上げるだけにとどめておいて、少し、もう時間がなくなりましたけれども、最後に、先ほど大口議員の質問の中ででしょうか、伊吹大臣が、学教法の新しい職の設置についてのことに関する御答弁で、副校長、主幹教諭、指導教諭という新しい職務ができる、これの人事配置の件、それから給与などの処遇のことについて、財源措置が必要であるので、よく協議しなければならないということをおっしゃっておられました。それに加えて、財源措置については総務大臣と協議しなくてはいけないというようなことも述べられておりました。

 それは、この点については、総務大臣も先ほどからいらっしゃったわけですから、ぜひ協議して、新しい職をつくって、多分これは給与待遇は少し上げることになるわけですよね、そういう仕組みになっていますよね。そうなると、財源措置が必要であるというふうに思います。まさか、現在ある中で、一般教員の給与を削ってこっちに取りつけるというようなことにならないように、やはり財源措置の部分というのは細やかに考えていかなくてはならないというふうに思うんですけれども、ぜひ菅大臣、この点、いかがでしょうか。

菅国務大臣 必要であれば、それは、財源措置というのは当然私どももとらせていただきたいと思います。いずれにしろ、まず、十分話を聞かせていただきたいと思っています。

高井委員 まさに財源の話は、何度もこの委員会でも出ましたし、伊吹大臣もいろいろな協議が必要だというふうなことをお答えになっておられますので、一般職員の給与をどんどん抑えてまで管理職をふやすという方向にだけはならないように、ぜひ丁寧にやっていただけるようにお願いしたいというふうに思います。

 今回の、いわゆる副校長や主幹教諭、指導教諭というふうな新しく創設する職務というのは、既に先ほどの大口議員への御答弁の中で政府参考人の銭谷さんがお答えになっておられましたが、既に先行して幾つかの自治体が取り入れられているということでございました。

 ぜひこれは、「置くことができる。」という規定にはなっておりますけれども、できるだけ、その配置数、それから置くかどうかも、都道府県の教育委員会によって柔軟に対応できるように制度設計をしていただきたいというふうに思います。

 かつ、加えて、名称においても、今、こういうふうに今挙げたような名称になっておりますけれども、現実にもうやっているところの中では、総括教諭とか首席とか、そういう言葉を使ってやっているところもあるようでございますので、余り名称がころころ変わるのも、現場も混乱を伴うと思いますし、できるだけ自治体ごとに柔軟に対応できるように制度設計をしていただきたいということを要望したいと思います。

 とりわけ定数措置なんかも、配置数なんかも、一律に何人置けというのではなくて、できるだけ柔軟に、例えば二人以上置くところがあってもいいと思いますし、置かないところというのも、必置ではないというふうに規定されていますので置かないところもあるとは思いますけれども、できるだけ現場に裁量が持てるように制度設計をしていただきたいと思いますが、いかがでしょうか。

銭谷政府参考人 副校長、主幹教諭、指導教諭は、置くことができる職として今回規定をしているわけでございますが、このような新たな職につきましては、学校や地域の状況を踏まえまして、それぞれの都道府県教育委員会においてその職にふさわしい者が任用され、また、その職務を遂行できるように柔軟な制度として考えていきたいというふうに思っております。

高井委員 ありがとうございます。

 また、主幹教諭と主任教諭を兼務するような事例も出てくるかとは思うんですけれども、やはり主幹教諭というのは一般教員ですから、さらに校務の取りまとめもすることになる。事務負担は明らかにふえていくんだろうと思うんですね。学校には今、現状、事務職員もいるわけでございますから、できるだけ、教員に任せるよりも事務負担は事務職員の方にというふうに思っています。

 実は私の母も事務職員でございまして、もう退職をいたしましたけれども、事務職員は事務職員としての専門性というか自負を持って頑張ってやっている方も多いと思いますので、ぜひそれは、事務職員に任せるものは任せる。法令上は多分、事務もこの主幹教諭ができるようになると思いますけれども、そういうふうにしていただきたいなと。主幹教諭になった人が今度はまた過度に仕事がふえてバーンアウトするような状態に置かれないようにというふうに、懸念をしておりますので、ぜひ制度設計の方をよろしくお願いしたいというふうに思います。

 時間ですので終わります。ありがとうございました。

保利委員長 次に、北神圭朗君。

北神委員 北神圭朗でございます。

 引き続き、伊吹大臣とか官房長官とはこの前も質問させていただきましたが、再度質問させていただきたいと思います。

 前回、質問の最後の方に、地教行法の四十九条、五十条の話をさせていただきました。これも何回もこの委員会で質問の中に出てきて議論をされてきておりますが、もともと、この四十九条、五十条によって文部科学省の教育委員会に対する国の関与が強まったかどうか、この部分がまだはっきりしていない。

 今まで大臣の話を聞いていると、そういうふうな印象を教育委員会に持ってもらうのがこの法律の趣旨なんだという話をいただいたり、あるいは、これは明確化なんだ、私との質疑の中では、国の関与が強化されたのではなくて、これはもともとあった国の権限が明確化されただけだということでありまして、それについて私も異議があるのできょう質問させていただくわけでございますが、この辺をはっきり、大臣としてどういうお考えなのかというのをやはり明確にしていただきたいということでございます。

 私は、この前の議論を簡単にまとめますと、四十九条、五十条、前半の四十九条は、地方自治法の二百四十五の五に基づいてもともとあるものだ、それを明確化というか、そこにさらに要件をつけ加えて、是正の要求の内容を示さないといけないというものである。これも私は、いろいろな解釈があると思いますが、効果としては、文部科学大臣が教育委員会に具体的な内容を示さなければいけないわけですから、そういう意味では国の関与が強まったと言えるというふうに思うわけでございます。

 五十条については、地方自治法上に確かにもともと権限としてあるわけでございますが、これはやはり法定主義、二百四十五の二ですね、法定主義で、個別の法律に設けないとその権限は行使できない。したがって、今回の地教行法の改正案には五十条というものを設けて、法定主義にのっとって、これで教育委員会に指示をすることができる、可能になったという整理だというふうに思います。

 この五十条についても、今まではこの改正案が通らなければ、現状のままでは文部科学大臣が教育委員会に指示をすることができない、それがこの改正案が通ったらできることになるという意味では、今までできなかったことが今度できるということですから、これはやはり、普通に考えたら国の関与が強まったというふうに言えるんだと思いますが、いかがでしょうか。

伊吹国務大臣 立法政策上の判断としては、おっしゃったことで正しいと思いますね。ただ、再三総務大臣もお答えをしておりますけれども、例の地方分権一括法で、四つの御承知の地方自治体の事務が、自治事務と法定受託事務になりましたね。ですから、以前の団体委任事務が自治事務に教育の部分ではなっている。そして、これについて自治事務であるということを変えていないわけですよ。変えるという考えも私は立法論としてはないことはないと思うんですが、地方自治法という基本法的なものを地教行法の附則で変えるというのは、やはり立法政策上、私は適当じゃないと思います。

 したがって、総務大臣が御答弁を再三申し上げているように、地方自治事務の枠の中の権限のある意味では明示が是正要求、それから、是正の指示は、地方自治事務について指示もたくさんあります、各法に規定している。今まで規定をしていなかったものですから、これを規定したということは、ただし、地方自治事務の枠を超えるものではない、そういう理解で結構だと思います。

北神委員 ありがとうございます。

 今の答弁ではっきりしたと思うんですよ。やはり、文部科学省の教育委員会に対する国の関与というのは明らかに強まった。ただし、これはおっしゃるように自治事務の範囲内であって、地方分権に何ら反することではないということだというふうに思います。

 きのうも、九日、当委員会が山形と福岡の方にいわゆる地方公聴会を開いて議論をした。その中で、麻生知事ですね、福岡の知事は、今おっしゃったように、地方分権の範囲内である、地方自治法上の範囲内だ、だから、これは最初の段階ではいろいろ異議があったけれども、現案については全く問題ないというような答弁をしております。これは私も新聞記事でしかわからなくて、それこそ議事録を見ていないんですが、そういった趣旨のことを言われた。一方で、山形の齋藤知事は、これはやはり地方分権の流れに反しているということをおっしゃっているんですね。

 だから、私は、きょう大臣が明確化したということは非常に有意義なことでして、今までこの議論が混同していたというふうに思うんですよ。つまり、地方分権、地方自治法の範囲内の話なのかという問題と、あるいは文部科学省と教育委員会の関与の関係ですね、この二つの議論がごっちゃになっている。ですから、この二方も、山形の知事も福岡の知事も場合によってはそこを理解していなくて、福岡の知事も、何か地方自治法上の範囲内だから別に国の関与が強まったわけじゃないというふうに間違って解釈しているのかもしれないし、山形の知事は明らかに、地方分権の流れに反しているというのは、それは当たらないというふうに思いますので、その辺をやはりはっきりさせていただいたということであります。

 それで、もう少し押し問答があるというふうに思ったので、素直に、大臣らしく率直にお答えいただいたので、すぐこの質問は終わってしまったんですが、でも、次の質問に導くような話をされたと思います。次は、これは地方自治事務の話です。

 これは、もちろん教育というのは、もともと大半の地方公共団体の事務というものが団体委任事務だったんですね。それが地方分権一括法で自治事務に全部入れられた。これは、戦前は国がほとんど、地方公共団体を通じても基本的には直轄で、例えば小学校の設置、管理とか任命権とか、こういったものは大体国にあった。私も詳しく調べていないんですが、戦後のGHQの影響のもとでの教育改革の中で、やはり国の関与というのはできるだけ減らすべきだという中で、恐らく団体委任事務というものに整理をされたんじゃないかと推測をしております。

 そこから、地方分権の流れで、地方分権はいいことだというやや熱狂的な議論の中で、本当は、教育については個別に、より深い議論をすべきだったのが、何となく、いわゆる地方自治事務をできるだけふやさないといけない、法定受託事務というのはできるだけ減らさないといけないということで、これは地方自治事務だというふうに流れてきちゃったというふうに思うんですよ。

 今回の地教行法の四十九条、五十条については、これは大臣おっしゃったように自治事務に基づいた考え方なんですが、今回の改正教育基本法の十六条第二項と第三項を見ると、前の教育基本法に比べて、ここで国と地方公共団体の責務の分担というものをはっきりさせている。これは大きな、画期的な改正だというふうに思うんですね。反対する人ももちろんいるし、賛成する人もいると思うんですが、これについて、今までは何となしに国が大枠を決めて、後は地方公共団体が細かい仕事をするんだという割とあいまいな分担というものをみんな考えていたけれども、実際は国がかなり、さっきの下村副長官の話かな、さっき議論に出てきた話で、文部科学省ははしの上げおろしまで指示をする、だから、法律上はそうでなくても内々はいろいろな指示とかがおりていたと。そういう、非常に建前と実態との乖離というものがあった。それをなくするために、今回の教育基本法の改正で、十六条でそこをはっきり分けた。

 それで、その分けたことを受けて今回の地教行法の四十九条、五十条が出てきたんですが、おっしゃるように、今回、多分時間がない中で、自治事務という前提に立っているんですが、私はやはり、平成十一年、十二年の地方分権のあの議論の熱狂からやや冷めた今、もう一回この教育というものを、これは果たして自治事務なのか、あるいは法定受託事務なのかというものを考えていくべきだというふうに思うわけでございます。

 それで、その議論をしたいんですが、まずその前提の事実関係として、これは事務方で結構なんですが、お聞きしたいのは、教育基本法の十六条第二項、国の責務として規定されている教育の機会均等並びに教育水準の維持向上、これにかかわる地方公共団体の事務にどういうものが挙げられるのかということをお聞きしたいというふうに思います。

銭谷政府参考人 先生お話しのように、教育基本法の十六条の二項の規定によりまして、「国は、全国的な教育の機会均等と教育水準の維持向上を図るため、教育に関する施策を総合的に策定し、実施しなければならない。」こういうことが明確に規定をされたわけでございます。

 国は、そのために、学校制度等に関する基本的な制度の枠組みの設定、学習指導要領等の全国的な基準の設定、地方公共団体における教育条件整備に対する財政的な支援や、指導、助言、援助といったことを行っておりますが、都道府県は、この点に関しまして、一つは、市町村立の小中学校等の教職員の任命など広域的な処理を必要とする教育事業の実施、市町村における教育条件整備に対する財政的な支援、市町村に対する必要な指導、助言、援助といったことを行っております。また、市町村は、市町村立の小中学校の設置管理、そして学校における教育の実施といったようなことを行っているわけでございます。

 先ほど来先生お話ございますように、これらの都道府県、市町村の教育に関する事務の多くは、平成十一年の地方分権一括法以前は団体委任事務であったわけでございますけれども、地方分権一括法におきまして団体委任事務はすべて自治事務とするということとされたために、小中学校の設置管理に関する事務等は自治事務とされているところでございます。

北神委員 今の局長の話にありましたように、教育基本法十六条の二項に係る地方公共団体の事務には、大きく三つあるんですね。多分、国直轄の話と、あと法定受託事務も中には少ないけれどもある、大半が自治事務だということだというふうに思います。

 それで、国の直轄の部分と法定受託事務というのは、私は考え方としてわかるんですよ。これは、今回の教育基本法で、国の責務であるわけですから、国が責任を持つということは、それを担保する責任が伴わなければ制度設計上おかしい、法理論上もおかしい、したがって、その権限がもともと国にあるはずだ。それが、国が直轄でやるのか法定受託事務なのかというのは、これは利便性とかいろいろなものをかんがみてできる話だと。しかし、自治事務という整理というのがやはり私は不自然な感じがするし、非常に違和感を覚えるわけでございます。

 私の資料の三ページ目にもありますが、地方自治法上のいわゆる自治事務と法定受託事務の定義ですね。二条八項に自治事務についての定義がある。これは、「地方公共団体が処理する事務のうち、法定受託事務以外のもの」という消去法的な定義をしている。他方、法定受託事務については、同九項に、「法律又はこれに基づく政令により都道府県、市町村又は特別区が処理することとされる事務のうち、国が本来果たすべき役割に係るものであつて、国においてその適正な処理を特に確保する必要があるものとして法律又はこれに基づく政令に特に定めるもの」とされている。

 これを素直に読むと、教育、いろいろな仕事がありますが、少なくとも教育基本法の十六条二項に係る部分というのは、やはり普通に読んだら法定受託事務になるんじゃないかというふうに思うんですが、大臣の御見解を伺いたいと思います。

伊吹国務大臣 法律的に非常にすっきりできないということは、先生がおっしゃったように、地方自治事務と言われるものの中にはいろいろな事務が入っているんですね。

 一番明確なのは、御党の日本教育基本法の、教育権は国にあるということを明確にして、それであと、知事に、地方自治体の長に実施権があるというのは私は非常に理解が難しいんですが、今の先生の分析でいえばどういうことになるのかがよくわからないんですが、国に教育権がある、教育の義務があるとして、そして、西岡大先輩がおっしゃっているように、国家公務員にしちゃって、完全な国の義務教育はやるというやり方がありますね。

 それから同時に、教育権を国が持ちながら、地方に教育を法定委託する。その場合は、教員は地方公務員でも私は構わないと思いますが、多分、義務教育国庫負担金という形の予算措置ではなくて、義務教育交付金とかいうような形になるんだと思うんです。

 いろいろな性格のものが入って、そして十一年の地方分権一括法のときにああいう形で処理をされてきましたから、立法論としてはすっきりはしないかもわからないけれども、自治事務に対して、例えば全国的な基準の設定や財政援助を行うという形で現在の国の責務、今おっしゃった改正教育基本法に言われる責務を果たしているということは、法律的には可能ではあると思います。すっきりする形はどれがいいかということになると、いろいろな考えが当然出てくると思うんですけれどもね。

 ですから、義務教育の人件費等については、補助金ではなく、交付金ではなく、負担金となっているところがまさにそのあいまいな性格をあらわしている言葉なんですよね。

 ですから、立法論としておっしゃっていることは私はよくわかりますが、法制局的にやっているんじゃなくて行政官的にやっているというふうに御理解をいただかなければいけないと思います。

北神委員 もともと自治事務というのは、地方自治法上もそうであるように、定義が非常にあいまいでいろいろなものが雑多に入ってしまっているというのも一つの問題だというふうに思うんです。大臣の言われているように、確かに今の、恐らく総務省といろいろすり合わせをしたり法制局ともすり合わせをして、まあまあぎりぎり今回うまくまとめられるだろうという話だと思うんですが、実際、今回の地教行法の四十九条、五十条についても、やはりこれが自治事務であるのと法定受託事務であるのとでは大分変わってくる。大分というのは、そこの評価は非常に難しいですけれども、一番極端なのは、国が代執行をできる、法定受託事務だったら。

 ですから、私は、これは非常に大事な問題であって、やはり今のままじゃちょっと中途半端な形になってしまっていると。ですから、今すぐというのはもちろん無理な話ですが、これはやはり今後の文部科学省並びに総務省の一つの大きな課題として議論をしていただかなければ、これもやはり教育再生の一つ大きな論点になり得るというふうに思っておりますが、どうでしょうか。

伊吹国務大臣 やはりこれは、立法論というか、法制局審査的見地からだけでは論じられない問題だと思いますね。特に、終戦直後のことを先ほど北神先生お話しになったけれども、戦前に対するやはり大変な反動があって、今から見ると、義務教育や私学に対する関与について、なぜああいうことをしたのかなということは随分ありますよね。

 しかし同時に、地方分権のとうとうたる流れということもおっしゃったけれども、その中で少し流れが寄り過ぎたということもあるかもわからない。しかし、逆の方へ移そうとすると、今度は、教育というのはかなり主義主張が伴うものですから、価値観の伴うものですから、いろいろな立場で反対の意見も当然出てくる。そういう極めて価値観的、理念的なものを法制的な切り口で今御質問になっているわけです。しかし、最後はやはり、現実をどう理念的なものに最低限合わせながら進めていくかというのは、これは内閣を預かっている者の責務なんですね。

 だから、問題の提起の視点は私はよく理解しているつもりですから、先生のおっしゃったことも一つの御意見だと思います。

北神委員 確かに、法制的な観点で今議論を進めてきましたが、理念的な議論でもあると思うんですよ。やはり教育基本法で今回国の責務というものを明確化したわけです。これは一つの理念的な改正だというふうに思うんですよ。

 大臣、さっき高井委員が言われたように、大臣はいつもイズムを教育に持ち込んではいけないと。これは、文部科学大臣として自己抑制する姿勢としてはわかるんですが、そんなイズムのない教育行政というのはない、はっきり私はそう思います。やはり政治家たるものそれぞれのイズムを持っていまして、政権をとってその大臣の任に当たれば、必ず、その影響が及ばない、そんな中立、無色透明な教育というものはあり得ない。今回の改正というのは、明らかに一つのイズムに、これを評価する、評価しないはいろいろ議論はあると思いますが、今回の教育基本法の改正というのは一つのイズムによって変わった。

 これは、私はもともと、残念ながら戦後の教育改革の議論というのは全然よくわかっていないんですが、アメリカの、徹底的な地方分権で、ローカルスクール何とかという、私もよく名前はわからないですが、できるだけ地域でやる、あるいは地方分権的な姿でやる、これは一つの考え方としていいんですが、連邦国家と中央集権国家と全然違う話ですよ。それを無理やり持ってきて日本に移植してしまったのが、恐らくこの自治事務の背景にある、あるいは団体委任事務の背景にある問題じゃないかなというふうに思っているわけですよ。

 ですから、大臣がおっしゃったように、理念の話ももちろん大事で、私は法制的な問題よりも理念の話が絶対大事だというふうに思っておりますので、理念の観点からいっても、タイミングとかいろいろあると思いますが、やはりこれは積極的に議論していかなければならない問題だというふうに思いますが、いかがでしょうか。

伊吹国務大臣 アメリカという連邦国家と、そして日本という議院内閣制の一政府の国、国の成り立ちが率直に言って全然違いますよね。ですから、それは、先生のおっしゃっていることはそのとおりです。

 私が理念と申し上げたのは、理念は何より大切なんですよ。だけれども、理念は対立をするわけですね。多くの場合、対立をします。ですから、私は常に、理念を出さないように自戒をしながら行政を動かしている。しかし、どのような理念を持って大きな政策を進めているかというのは、先生も大臣になられたら、心の中に秘めて口には出さないものなんですよね。そういう気持ちで私はやっております。

 ですから、私は、お話を伺って随分共鳴するところはあるんですよ、もう自民党に来ていただいたらどうかななんて思っておりますけれども。しかし、率直なところ、やはり対立する理念の中を通り抜けながら行政を円滑に進めていかなければいけない部分があるからという意味での理念ということを申し上げたわけです。

    〔委員長退席、小坂委員長代理着席〕

北神委員 自民党にもさまざまな理念をお持ちの方もたくさんいますし、民主党にもいますので、そこは別に自民党が一つの方向とかそういうわけじゃないというふうに思いますので、そこだけ申し上げたいというふうに思います。

 だから、私は、大臣の立場として、心に理念を秘めて口には出さない、その姿勢はそれでいいと思うんですよ。ただ、私が申し上げているのは、別に、中立の立場で、これはやはり少なくとも法制的な面からいって問題があるんじゃないか、一つの議論するべき課題だと。だから、これをやはりちゃんと堂々と議論の俎上にのせて、教育再生会議なのかあるいは中教審なのか、これはわかりませんが、専門家とかを交えて一つの結論あるいは方向性を出してもらうというのは、それが大臣が何かを押しつけているということでは全然ないというふうに思うんですが、そこを尋ねているんですよ。

伊吹国務大臣 多分、将来もし立法化していくとすればそういうプロセスになるでしょうが、これは、今の憲法改正の議論以上の長い議論と、それからビンテージを必要とするテーマだと思いますね。

北神委員 なかなか慎重な姿勢ですが、官房長官、これは通告なしで恐縮なんでございますが、今の議論を聞いて、要は、国がはっきりと教育の機会均等、教育水準について責任を持っているというのが今回の教育基本法改正の目玉の一つだ。それを受けて、教育というものが本当に自治事務でいいのか、それはやはり法定受託事務の部分が強いんじゃないか。それによって行政効果というものも非常に変わってくるわけですよ。こういったことをまさに安倍総理は戦後レジームからの脱却というふうに言っているわけですよ。これはまさに、いいか悪いかはいろいろ議論はあると思いますが、ある意味では戦後レジームの最たる部分かもしれませんね。ですから、そういったものをやはり教育再生会議なりで議論するというのは大事だと思うんですが、いかがでしょうか。

塩崎国務大臣 地方教育行政の組織及び運営に関する法律、地教行法ですが、これについても我々、もちろん教育再生会議の段階でもいろいろな議論を理念的にいたしましたが、法律に落とし込む際に、四十九条、五十条、先ほど来先生が御指摘になっていらっしゃるこの点については、かなりいろいろな議論をいたしました。

 それはまさに、今先生がおっしゃったように、教育における国の役割というのは何なのか、そしてまた、地方分権の中で国として何を最終的に責任を負うのか、そういう、国の形を示すような、まさに今先生がおっしゃった戦後レジームからの新たなる船出をするその船出の先はどういう国の形なのかということで、正直言って随分悩みながらここのところは議論をしたと記憶をしております。

 国の関与が強まったというのが先生の先ほど来のお考えでございますけれども、考えてみれば、人づくりの大枠についてはやはり国は責任を持たなきゃいけないんだろうと思います。

 ただ一方で、地方が地方のことを決めるし、また教育の形も、その地方に合った教育をやるというところもあって、そのぎりぎりのところで何を最終的に国が責任を負うのかということで、四十九条の是正の要求、そしてまた五十条の文科大臣の指示というのを、極めて限定的ではありますが、未履修の問題等々を考えてみると、いじめ、自殺、先ほど来お話が出ているように教育委員会の形骸化した機能を、どう国としてそこにもう一回命を吹き込んでいくのかということを考えたときのぎりぎりの関与の仕方がこういうところかなということで、今回の法案として御審議をいただいている、こういうふうに理解をしております。

伊吹国務大臣 ずっと議論、先生の御主張を伺っていて、まさにこれは戦後レジームからの脱却なんですね。

 それはなぜかというと、戦前は教育権は国にあったわけですよ。そして戦後、御承知のような状況になった。自治事務というのは本来地方がやる仕事である、そして法定受託というのは、法律によって国が本来やる仕事を地方に受託してもらっているという位置づけですからね。法定受託事務にするということは、戦前のようなやり方がいいかどうかは別だけれども、どちらかというと教育権限を国に戻すと。だから、それは一つの考え方なんですが、であるからこそ、例えば共産党の皆さんがいろいろ御議論になったりするような反対意見もあるし、リベラル的な民主党の方々も反対の意見もあるし、これは国論をやはり二分する大きな議論になります。

 ですから、私がぜひ先生に伺いたいのは、民主党の基本法が、国に教育権があって、知事や自治体の長に、市町村も含めて仕事が、実際の教育実施権があるというのは、先生の切り口からいったらどういうことになるんだろうかということを先ほど来念頭に置きながら、だから多分、法定受託事務ですべて整理されるということなんでしょうね。そういうやり方も私は確かにあると思います。

北神委員 これは答えられますか。では、藤村さんにひとつお願いしたいと思います。

藤村議員 私も実は、教育は地方分権かという命題について、次のバッターで伊吹大臣と議論をしたいと思っていたところでございまして、余り長い答弁はいたしませんが。

 教育そのものは非常に私的な、あるいは狭い範囲のものである。昔、江戸時代の藩校という学校というのはそこから多分出てきたんでしょう。割に狭い、ローカルなものである。だから、教育の全般というのは多分そういうものであると思います。だから、非常に徹底的な地方性というか分権性がもともとあるものだと思います。つまり、その中で本当はマンツーマンといいますか、そういう中の教育というのが本来の教育で、それはやはり引き継ぐ必要があると思います。

 一方、戦後の今の日本国憲法において、二十六条でいわば教育の、普通教育はその子女の保護者が受けさせなければならない、それから義務教育は無償とする、ここができたことで、国がどう関与するかということはそこから考え始められたんだと思います。

 私どもの日本国教育基本法において、国の責任というものをまさに基本法に書き込んだ心は、これはもう去年何度も同じ答弁をしているんですが、今回の、今の十六条の二項ですか、政府の改定と基本的に考え方は似ていますよね。まさに教育の機会均等、それから水準の保障、これは、きちっと全国に学校を設置するという、さっき局長からの答弁がありました。それから、いわゆるカリキュラム、まさに水準の保障。もう一つ加えれば、教員の質の保障というのも水準の保障だと思いますね。それから、我々は、財政的な担保。

 つまり、国というのは、戦後の憲法ができて、二十六条によって、そこでやっと国がどう関与すべきかということを考え始め、今レジームからの脱却であればそれを考え直せばいいことであって、基本的に徹底して、教育は本当にまさにローカルな部分でやってください、行政においてはそのローカルなところを束ねる、選挙で選ばれる長がそこでは責任持ってくださいよというのが我々の考え方であって、教育は地方分権であるのか中央集権であるのかという徹底した議論とは全く違う次元で今お話をしたつもりであります。もしそれに戻すというなら、教育は徹底した地方分権、ローカルなものである、ただ、行政においてローカルの長、選挙で選ばれる人がそこで最終的な責任を持ってもらいます。国の責任はということで、さっき申しましたような四つぐらいの責任を果たす、こういうことであります。

北神委員 これは、すごい裾野の広い議論になってしまうんですよ。藤村さん、だから私は、恐らくこの議論を、民主党の案を法制的に説明するのであれば、やはり法廷受託事務という整理じゃないとうまくいかないと思うんですよ。でも、これはまた我々も議論しないといけない話であります。(発言する者あり)党内調整、いろいろあるかもしれないけれども、やはりはっきりこういう議論を出していかないと進まない。

 それで私は、国がもしかしたら関与するのはよくないかもしれないし、これはいろいろなイデオロギーとか議論等がある、戦前の反省というのもあるかもしれない。ただ、だからといって、何かあいまいな中途半端な体制をつくってきたのがやはり問題だ、どっちかにすっきりしないといけない。そういう意味で、今回の教育基本法、我々の日本国教育基本法もそうですが、やはりひとつ明確に、一つの戦後のレジームからの船出をしたと、これは民主党の正式な表現の仕方かどうかわかりませんよ、でも、私はそういうふうにとらえているわけであります。(発言する者あり)いやいや、それで、さっき、民主党にもいろいろリベラルもいる、そして共産党もいるとおっしゃったけれども、自民党だっているんですよ、自民党だって。だから、なぜか、自民党でこういういろいろな議論が出ると、非常に画期的な党内議論が行われていると。民主党で出たら、ばらばらかと。これは私は極めておかしなとらえ方だと思うんですよ。だから、一生懸命議論したらいいと思うんですよ、お互いに。

 それで、総務大臣、これも通告なしで恐縮ですが、今の議論を聞いていて、私、官房長官に一つだけ言いますと、さっきの話を聞いていると、官房長官はまだ旧教育基本法の発想だと思うんですよ。つまり、国は何か大枠を決めていく、それで地方公共団体はその中で何か役割分担を図っていく、こういうあいまいなものだったのを今回の教育基本法ではっきりと分担したんですよね。その中で問題になってくるのがやはりこの地方分権との関係、地方自治事務、法定受託事務、この関係が出てくる。ですから、教育再生会議はあかんと大島理事なんかはおっしゃるけれども、私は、やはりできるだけ、中教審でもいいけれども、これを議論していかないといけないというふうに思うわけでございます。

 総務大臣、これは総務省は本当に嫌な話だ、皆さんからしてみれば、自分たちの権限をとられてしまう、あるいは地方分権に逆行するということかもしれないんですが、やはりここは冷静に、我が国の政治あるいは行政の根幹である教育というものを整理し直さないといけないというふうに思うんです。これについて、タイミングはいろいろあると思いますよ、議論というものはする姿勢はあるんでしょうか。

菅国務大臣 先ほど委員から、第十六条第二項ですか、これによって、国は、全国的な教育の機会均等、教育水準云々とありますね、地方公共団体は、その三項の中に、実情に応じた教育に関する施策を策定、実施しなければならない、こういう形に分けました。

 地域の実情に応じた教育、さまざまな施策の実施というのは、もちろんこの責任は地方団体であって、これは自治事務である、しかし、自治事務であっても、また、国は、全国的な、二項にあります機会均等、こういうものであれば、立法措置というものは可能であるというふうに私は考えています。

 さらに、教育行政は、今後とも、地方分権の視点から、さまざまな国の役割、地方の役割、そうした中で、しっかり相互協力のもとに行われていくべきではないかなというふうに思っています。

北神委員 大臣、地方分権であるということは別にいいと思うんですよ。うちの案も徹底的な地方分権というものをやはり目指している。ただ、地方分権のあり方というのが、法定受託事務、それか自治事務という二つのやり方がある。それは単なる名称の問題じゃなくて、それによって国の関与の度合いも変わってくる。

 私が申し上げたいのは、今回の教育基本法で、明らかに国の責任はこういうことなんだ、機会均等なんだ、そして教育水準というのはやはり国が責任を持たないといけないんだ、そういう責任を国が負わされるのであれば、やはりそれを確保するための権限というものも持たないといけない。それで、その権限が、要するに自治事務では弱くなるわけですよ。ただ、そのぎりぎりの苦渋の選択として地教行法の四十九条、五十条というのがぽっと出てきて、それでみんな混乱しているというのが今の現状だというふうに思うんですよ。ですから、やはり長期的な視点でそこは整理しないといけない。

伊吹国務大臣 先生の議論は、私、ずっと伺っていて、法制的にはきちっと非常に明確です。私はよく理解しているつもりです。

 先ほど申し上げたように、戦後レジームからの脱却ということ、つまりそのことは、教育権が戦前国にあったということはいいか悪いかいろいろ、その運用の仕方については議論がありますよ、しかし、国に教育の根本の権限を戻すからこそ、法定で、法律によって受託を自治体にしてもらうわけです、法定受託事務にするということは。

 だから、具体的に今の法定受託事務というのはどういうものがあるかというと、戸籍、それから旅券の交付、それから生活保護の決定、あるいは国政選挙の事務を地方選挙管理委員会にやってもらいますね。まさに、国の権限を行使する一部を地方自治体にお願いしているという感覚なんですよね。ですから、それは、先ほど藤村提案者がおっしゃった徹底的に地方分権ということと、先生のおっしゃっている戦後体制の脱却の法定受託事務ということは、やはりこれは全く相入れないアイデアですよ。

 私は、法定受託事務として整理されて地方に渡すということで、きれいに法律的には整理できると思います。しかし、教育は藩単位だという話とは、それは先生、全く違う。だから、そこは、御党も党内調整をしていただいて、我々も党内調整をして、そしていずれ、非常にクリアな整理ですから、将来どうした方が国民の期待にこたえられるかということで、少しお互いに議論してみたらどうでしょう。

北神委員 もう喜んで議論していきたいというふうに思います。

 それで、余り法律の話ばかりしていると法匪だというふうに批判をされそうなんで、もう一つ実態のお話として、やはり教育の最も大事な部分というのは教師だというふうに思います。

 それで、この前、意欲の調査というものが行われて、偉くなりたいのかと、これは日本、アメリカ、韓国、中国かな、この四カ国にいろいろアンケート調査をした、高校生か何かだったと思いますが。その中で、偉くなりたいというのが一番少なかったのが日本人だ。かなり少ない。その理由を見ると、責任を負わされるとか、批判をされるとか、何かそういう理由があったと思います。

 でも、我々の日本国教育基本法案もそうですし、現行の教育基本法もそうですが、歴史、文化、あるいは自分の国を愛する心を涵養するとか、宗教的感性を涵養する、こういったことも大変大事な話だと思いますが、やはり大前提として、意欲がないといけない。この世の中で生きていくんだ、そして充実した人生を生きていくんだ、そういう意欲がやはり大前提としてあって、私が一番今の日本で懸念するのは、その意欲がどんどん減ってきているんじゃないかと。

 これは、国のレベルでもそうなんですよ。明治時代、戦後のときは、やはり世界の中で日本というのは、一流の国として対等に渡り合うんだ、そのために頑張るんだというような意欲があったのが、今は何か、安定した生活をして、それなりに生きていったらいいじゃないかと。私はこれを否定はしないんですよ。否定はしないんだけれども、日本みたいな資源の少ない国で、こんなに中国、ロシア、朝鮮半島、台湾海峡、アメリカに囲まれている中で、そんな余裕というものは、恐らく地政学的に日本に与えられていないと。ですから、やはり必死で頑張らないといけないし、志を高く持たないといけない。したがって、教育というものは、最もこの日本にとって大事な部分だというふうに思うわけでございます。

 では、その意欲というのはどういうふうに出てくるかというと、私は、やはりあこがれだと思うんですよ。この人はすごい、この人を尊敬する、この人は格好いいとか、この人はすてきだ、そういった人にあこがれを持って、それが強ければ強いほど自分もそれに届くような努力もするし、困難を乗り越えていく。それがやはり、私は、一つ意欲が出てくる大きな理由だと。

 したがって、私は、持論として、歴史教育の中でも、伝記とか人物教育とか、そういったものを施していかないといけないというふうに思うんですが、そういう歴史上の人物だけじゃなくて、学校の先生もそうですし、家庭の両親もそうです。家庭内で、やはりお父さんすごいなと、私が思われているかどうかわかりませんが、でも、やはりそういうふうにありたいな。そしたら子供も、親の背中を見て自分も頑張るというような意欲が出てくる。

 そういった意味で、教師というのも非常に大事で、そこに着目されたというのは、今回私は、教育再生の一つのいい方向性だというふうに思うわけであります。しかし、実際の免許法の改正案を見ると、本当にこれでそんなすばらしい教師が出てくるのか。要するに、理念は大変立派なものですが、この内容を見ると、極めて私は不十分だと言わざるを得ないというふうに思うんですよ。

 お尋ねしたいのは、戦前はいろいろ教師の理想像というものがあった。これはいろいろな批判があるかもしれないけれども、私は、戦後はこの教師像というものを何となく避けてきた。余りこういう先生が理想なんだということを言うのははばかられるというような風潮があったと思うんですが、今回、教育再生で教師というものに着目するのであれば、やはり一つ理想の、これはもちろん、余り細かく規定するのもどうかと思われますし、そこはいろいろ配慮が必要だと思いますが、やはりその理想というものを掲げないといけないと思うんですが、その点、どういうふうにお考えでしょうか。

伊吹国務大臣 平成十七年の中教審の答申に、すぐれた教師の条件についてはさまざまな要素があるが、大きく集約すると次の三つであるということが書かれているんですね。これは、一つは「教職に対する強い情熱」、それから「教育の専門家としての確かな力量」、それから「総合的な人間力」。つまり、資質ということが言われますが、資質というのは、やはり、知識と技術能力と、あとは人間としての深みというのか厚みというんですか、そういうものだろうと思うんですね。

 ただ、先生は、これは批判があるだろうとおっしゃっているとおり、私は、やはりこういう立場ですからきゅうきゅうとしながら答えておるのは、強い情熱をどういう尺度ではかるのか。何かえらい勢いよくべらべらしゃべるけれども、本当はパフォーマンスだけかなとか、いろいろ見方によってあるわけですよね。それから、専門的な知識というのは、何かいろいろ専門的な知識は結構あるんだけれども、どうも専門ばかみたいになっちゃっているなとかいうことがあるわけでしょう。それから、一番困るのは、総合的な人間力ですよね。これは、なかなかできない。人によって違う、私は私なりのものを持っていますけれども。(発言する者あり)だけれども、私のものを、多分、立派だと今不規則発言をされた大島筆頭理事は受け入れないと思うんですよね。

 だから、藤村提案者は何とおっしゃったかというと、法律にそういうものを書くべきではないし、あるいはまた、政府が理想の教師像というのを描くということは不適当だという答弁をしておられるので、あるいは、ここもちょっと党内調整が必要なのかもわかりませんね。

北神委員 情熱、専門家、総合的人間力、私もまあまあこういうところかなというふうに思います。

 それで、言われたように、情熱というのはべらべらしゃべって中身がないとか、専門性というのは専門ばかだとか、総合的人間力というのは、ただただ漠然と、何も中身がなくて、ただいい人だ、中身がない、内容がないというような、いろいろな批判はあると思うんです。でも、福沢諭吉が昔言ったんですけれども、すべての徳には、その裏側としての不徳があるんですよ。だからといって、その徳を否定する必要はないと思うんですよ、徳の理想を持たないとやはり向上心というのも出てこないわけですから。

 そういった意味で、私は、やはりそういうものを掲げなければ、そもそも、教員の養成とか資質の向上とか、こんな議論はできないと思うんですよ。では、どういうふうに、どういう資質を向上させるのかとか、どういうふうに持っていこうとしているのかという議論がなかなかできない。

 大臣が答申の話とかを持ち出したりされたりするのはいいし、大臣が個人的に、僕はこういう教師がいいと思うというのもいいんだけれども、やはり何か大枠の方向性みたいなものを示さないといけない。ただし、おっしゃるように、藤村提案者もおっしゃったように、それを法律の条文に書くというのは、私もいかがなものかというふうに思います。しかし、例えば前文に載せて立法意思をはっきりさせるとか、そういったものは必要なんじゃないか。

 政府が理想の教師像というものを示すのは余り好ましくないというふうに大臣はおっしゃいましたが……(伊吹国務大臣「提案者がおっしゃっているんです、御党の」と呼ぶ)提案者。それで、文科省の「魅力ある教員をもとめて」というリーフレット、これは毎年発行されているみたいですが、ここの三ページに、「魅力ある優れた教員の確保のために」と、「教員に求められる資質能力」「いつの時代にも求められる資質能力」として、「教育者としての使命感」「人間の成長発達についての深い理解」「幼児・児童生徒に対する教育的愛情」「教科書等に関する専門的知識」「広く豊かな教養」と、さっき大臣が言われた三要素をもう少しかみ砕いたような感じで、既に示しているんですよね、政府は。

 でも、示しているんだけれども、これはあくまでリーフレットであって、要するに私が心配しているのは、今回の免許の法案というのは、私はこれで決して納得するものではないんですが、どういう方に教師を持っていこうとしているのかというものをやはりある程度長もちのする枠組みで示さなければ、これは、今後、ガイドラインとかをいろいろ示したり、あるいは免許更新の認定の段階でどんどん意見が変わっていく可能性もありますよね。もちろん、それはいい場合もあるけれども、普遍的な、いつの時代にも求められる教師の資質であるわけですから、やはり私は前文か何かに規定してもそれはおかしくないというふうに思うんですが、いかがでしょうか。

伊吹国務大臣 先生、これは改正教育基本法の前文等から今の法律へ来ているわけですから、我々がどういう方向の教育を目指しているのか、そして、それを達成してくれる教師としてどういうことを施していくのか、これはまた政権がかわれば教育基本法の理念が変わるということはあり得るかもわかりませんけれども、できるだけやはり普遍的な価値を書きたい。教育というのは余りくるくる変わるべきじゃない。

 だから、きょうの御議論も大変有意義でした。きょうの御議論も聞かせていただいて、いろいろな意見を聞かせていただいて、そして法案が国会の御承認をいただければ、当然文科大臣としては、実施権者がいるわけですから、いろいろなところで研修を実施する、ばらばらなことをやられては困りますから、先生がおっしゃっているような、先ほどのリーフレットに書かれている程度のことを中心に研修修了の評定をしてもらいたいということは示さなければならないと思いますし、当然また、教育の問題ですから、そういうときは各党にも非公式には御相談はするつもりです。

北神委員 ぜひそれはお願いしたいというふうに思います。

 それで、今までの議論でもよく出てきますが、教師の育成というのは、養成段階、採用、そして研修とある。研修の部分に基本的に着目しているというのが今回の改正案だ。でも、今回の更新制の改正案というのは、基本的に今ある資質の維持並びに向上だ。だから、その資質をもともとつくっていく一番本質的な部分ではないんですよね。やはりこの本質的な部分というのは養成の段階にある。

 そういった意味で、私は、細かい内容とか、では現実にこれを実施するときにどういった調整をするとか、いろいろあると思いますが、やはりそこは、民主党のこの案は、細かいところはそれはいろいろあるかもしれませんが、養成の段階に着目しているというのはすぐれている部分だ。これは自民党さんの質問者の中でも何回も出てきている話だというふうに思います。

 私が非常に不思議なのは、恐らく、いや、それはいずれやるんだ、養成もいずれやるんだ、とりあえず更新をやるんだというふうにおっしゃると思いますが、なぜ更新から始めるのか。教師の育成、いい教師をつくっていくためにはやはり養成から始めるのが自然だと私は思うんですが、なぜこの更新から始めたのかというのをお聞きしたいというふうに思います。

    〔小坂委員長代理退席、委員長着席〕

伊吹国務大臣 先ほど来いろいろ、るるお答えしているのと同じことになりますが、やはり現実の連続性の中に行政というものはあるんですね。突然変えるというわけにはいかない。

 六十歳定年というものを例えば二年延長して、そして養成課程を二年ふやすというやり方が一つあるでしょう。それから同時に、今の修士課程に行っている人しか来ないということは私はないと思いますけれども、六年制にして、リスクをとりながら教師になるという人が集まるかどうかという問題もある。それから、もちろん財政的な問題もある。そういうことを考えながら、研修制度を入れてきた。しかし、教員大学院を始めるわけですから、今後、いろいろなことは考えていきたい。

 養成段階と、もう一つは、やはり初任者の任用期間が労働基準法上六カ月ですよ。教員の場合は、特例として一年にする。これはもう大変な労力だったんですね、当時。これをさらに延長するかどうかという、これは必ず両方の立場から賛否両論出てきます。

 それからもう一つは、やはり、仕事をしながらいかに人間は磨かれていくかということですよね。質問を受けながら答えているから次はもう少しましな答えができるとか、そういうことがあるわけですよ。

 だから、校長と教頭しかいないところに、法律によって新たな職をつくって、学びながらの指導教師的なものを今回つくっている。そういう総合的な枠の中でやっておりますから、いずれ、これは先生、一つやはり税制が改正になったときが、教育の大きな転換をする、手を挙げるチャンスなんですね。やはり財源というものがありますから、だから社会保障だけに消費税をとられないように、お互いに力を合わせて、手を挙げるということは考えておかなければいけないと思います。

北神委員 ちょっと質問にまだ答えていない部分があったと思うんですが、危うくまた惑わされそうになりました。

 もう時間がないので、また質問の機会があるときに詳しく聞きたいと思いますが、財政的な部分は、私も前回の質問のときにも主張させてもらいましたので、そこはぜひともやっていかなければならないと思います。

 きょうは、国の関与が四十九条、五十条によって強化されたということをお認めになったこと、それと、今後、自治事務、法定受託事務というものを議論していきたいということと、教師の育成について、総合的に、ちゃんと体系的に、こういう教師を目指して、そのためには、養成の段階、採用の段階、それと研修の段階、これをもう少し体系的に、駆け足でやるんじゃなくて、やはりそこを腰を据えてやるべきだということを申し上げて、質問を終わりたいと思います。

 ありがとうございました。

保利委員長 次に、笠井亮君。

笠井委員 日本共産党の笠井亮です。

 今回の三法案のうち、学校教育法改正案には、副校長、そして主幹教諭、それから指導教諭という三つの新しい職の設置が盛り込まれております。私は、このことが、学校の教育現場、とりわけ子供たちにどういう影響をもたらすかという観点から質問をいたします。

 これは教員の職制を変えるという大きな大変な法案であると私は思っているんですが、この主幹教諭について見ますと、既に幾つかの地方で導入をされている。これは文部科学省で結構ですが、これまでに主幹という制度は幾つの県、市で導入をされて、そして、その実態と評価はどのようになっているか、伺いたいと思います。いかがでしょうか。

銭谷政府参考人 これまで、主幹あるいはそれに相当するような職を導入した県は十三、四県だったと思っております。

 それらの県におきましては、例えば、学校の組織的な課題対応力が向上した、管理職と教員のパイプ役として教員の意見を吸い上げるなど、より円滑な学校経営が進められるようになったといったような成果があらわれていると承知をいたしております。

笠井委員 通告してあるのでちゃんと答えてほしいんです。いただいた資料ですが、六つの県と六つの政令市じゃないですか。

 それで、今、おおむね肯定的な評価だ、成果が上がっているというふうに私は伺ったんですが、そんなものでは決してないと言わなきゃいけないと思うんです。

 東京都は、全国に先駆けましてこの制度を二〇〇三年度から導入してやってきた、最も大規模なケースでありますが、四年間やってきて、都内の全公立学校を対象とした主幹配置計画の達成状況はどうかといいますと、お手元に資料を配付させていただきました。それをごらんください。

 一枚目です。制度が導入された平成十四年、二〇〇三年度以来、受験者数は毎年、二千二百五十八人から、千三百五十六人、七百二十七人、七百四十四人、そして平成十八年、二〇〇六年度は五百七十七人で、当初から見ると、四分の一程度へと大きく低下する傾向にあります。合格者数は、合格予定者数約千人ということでなっていたわけですが、これが大幅に下回りまして、半分程度の五百三十二人にまでなっている。一番最近の数字であります。

 その結果、二枚目をめくっていただきたいんですが、平成十九年度、今年度の主幹の配置数、この数というのは、全校への必要数、これを合わせますと六千百三人に対して、ありますように四千二百三十一人ということで、まだ千八百七十二人、約二千人近くも足りないということでありまして、実際、手を挙げる、なり手がなかなかいないというのが実態だと思うんです。

 既に、東京都の教育庁の人事部は制度全般を見直すための検討を開始したということでありますけれども、これは伊吹大臣に伺いたいんですが、主幹教諭導入、東京でやってきたこのケース、ある意味私はこれは失敗だというふうに思うんです。このことは明らかじゃないかと思うんですが、どのようにごらんになりますでしょうか。

伊吹国務大臣 東京都の教育委員会に、この制度を法制化する際にもいろいろなことを聞いております。細かなことでございますので参考人から後で御報告させますが、それを私も読んでみましたが、先生がおっしゃるように、今、七割程度の充足ですよね。これをすべて各学校に一律に東京都が考えておられるような方式で置くのがどうなのか。それはいろいろ考え方があるので、我々の法律では、地方の実情に合わせて教育委員会の判断に任せるというか、できる職にしてあるわけで、置かねばならない職にはしていないんです。

 東京都の評価についてもしお許しをいただければ、ちょっと参考人から報告させます。

笠井委員 細かいことは結構です。

 今大臣が言われました充足率七割程度という話ですが、小中学校の場合は、実は今年度中に計画達成というのが東京の目標だったわけです。そして、東京都の場合には、東京都自身が、平成十八年三月の教員任用制度あり方検討委員会の報告書「これからの教員選考・任用制度について」の中で、主幹配置についての都の取り組みは国及び他道府県等の注目するところということでやってきた、その結果がこういうことになっていて、まだ二千人近く足りない。

 そして、実際に制度の趣旨どおりやってきても、置くことについてうまくいかないということがあって、都が出している報告書の中でも、選考受験者数の減少の分析で、学校現場からは、主幹を受験しない理由として、主幹への昇任時に他校へ異動すること、自校などの主幹を見て多忙そうであること、忙しい、そして、自分自身に自信がないこと、子育てなど家庭の事情があること、さらに、管理職選考へつながっているような印象があることなどが実際にこの分析として挙げられているわけであります。

 今、大臣、法律の上でも、することができるとしているんだ、これはやらなきゃいけないということじゃないんだというふうにおっしゃいましたが、これだけ東京の場合に実際になかなかうまくいかないという状況がありながら、結局、することができるということを法律の中で書きますと、これは、東京は一番大きなケースとして四年間やってきたわけです。そうしますと、法律になくても既にやっているところがある、それを、することができるということであえて今度法律に書くというのは、国としてこれを推奨するということ、そういう意味を持つということになると思うんですよ。

 そうしますと、私は、実態から見れば、ちょっと待てよ、よく見てみなきゃいけない、これは軽々にやったら大変なことになる、逆にお勧めできませんよというぐらいの、そのことを国、文科省としては言うべき性格のこういう結果じゃないかと思うんですが、大臣、どうでしょうか。

銭谷政府参考人 まず、失礼いたしました、主幹等を導入している都道府県は、正確には十三県でございます。それから……(笠井委員「十三県ですか」と呼ぶ)十三都府県でございます。それから……(笠井委員「市じゃないですか」と呼ぶ)大変失礼しました、十三県市でございます。

 それから、東京都の主幹についてでございますけれども、私ども、昨年十月、中教審で東京都からヒアリングを行いました。その際のいろいろな御説明を聞きますと、まず東京都は、主幹を小学校に二名、中学校に三名という、かなり配置を多く考えて計画を立てておられます。二十年度までに一応計画を達成したいということのようでございます。

 なお、昨年の十月に東京都教育委員会が都立学校長及び区市町村立の学校長等を対象に行った調査によりますと、回答者の八六・九%が、主幹制度の導入の結果、学校の組織的課題解決能力が向上した、こう評価をしているという結果もございます。この結果を踏まえまして、東京都教育委員会としては、主幹制度の導入により、子供たちの教育環境の向上や、より質の高い教育の提供につながっていると評価をしていると聞いております。

 ただ、先ほど先生おっしゃいましたように、小学校二名、中学校三名といったかなりの数の配置を予定いたしておりますので、配置数が計画の七割程度の充足率となっている中で受験者数が減少している状況のもと、主幹の質及び量の確保が今後の課題であり、選考方法の見直しや処遇のあり方を検討しているということを承知いたしております。

笠井委員 今、ヒアリングされたと言われましたけれども、東京都からというので、都からだけじゃなくて、実際現場の声を聞かなきゃいけない。そして、今、八六・九%がいい制度だと言われたと言うけれども、それは校長から聞いたアンケートですよ。そういう形では、実際に子供にじかに接している人たちの意見を抜きに結局は上から押しつけるやり方を導入した制度というのは、実際には教育の現場になじまないということで、だから東京でもなかなかうまくいかないということになっているんだということだと思うんです。

 それでは大臣、具体的に現場の実態でちょっと認識を伺いたいんですが、今回の制度改正案によれば、主幹教諭というのは、校長等を助けて、そして命を受けて校務の一部を整理するということと、あわせて児童生徒の教育等をつかさどる、両方やるということであります。つまり、特別の職が設けられる上に、引き続き児童生徒の教育にも当たるというわけです。東京では、この主幹、実際に四年間やってきてどういう影響が起こっているか。私も実際に現場の声を直接つかんできました。

 例えば、子供が、隣のクラスの先生は主幹だから偉い先生だ、こういうふうなことで見ている。あるいは、保護者会で職員紹介のときにいつも主幹という形で特別の紹介をするものだから、明らかに保護者に対しても上下関係のように知らせているようだという実態があって、こういう形で教師と児童生徒、保護者の間に、信頼関係が本来必要なんだけれども、亀裂を生んでいるような状況が生まれている。

 私は、教育の現場で最も大切にしなきゃいけないのは、教え手と学び手、本当にこの信頼関係だと思うんですけれども、結局、こういう制度を設けることによって、隣の先生は特別の先生で偉い先生で、うちは違うんだよねということになったりして、いろいろな形で矛盾とくさびが打ち込まれている。

 大臣、こういう事態というのは、教育のあり方として極めてまずいんじゃないかと思うんですけれども、いかがでしょうか。

伊吹国務大臣 私はそうは思いませんけれども。一般会社でも、課長さんとか係長さんとか主任さんとかというのは当然あるわけでして、ただ主任さんとか課長さんとか呼ばれても、それにふさわしくない人はひとりでに仲間の中からあざ笑われるし、また逆に、肩書がついていない人でも、一生懸命やっている人はみんなから慕われるし、いずれその人は肩書がついていく。

 だから、何か肩書がつくことが学校現場をかえって悪くするという先生としての御主張は、それはそれで受けとめますが、私はそうは思いません。それは、いわゆるなべ底形というんですか、校長と教頭以外はすべて平等だという職員室の雰囲気は私はかえっておかしいんじゃないかと思いますけれども。

笠井委員 私、文部科学大臣に一般会社と同じように教育現場を絶対言ってほしくないんですよ。全然違うんです。物や製品を扱う会社と、子供という生身の人間を扱って教育する場ですから、同じに扱ってもらいたくない。これが第一の問題。

 もう一つ、やはりそういうことが実際にあるという問題なんです。そして、教育の現場で、なべぶたというふうに言われましたけれども、これは、本来は、教員がひとしく同じような立場にありながら子供を全体として見ていく、担任であろうとそうでなかろうと。隣の担任であっても、あの子供ということで、いろいろな意味で目を向けながら全体としてやっていくという場なので、私は、いろいろな職階を設けるということは、むしろ逆になるというふうに思うんです。

 しかも、主幹自身が、先生は主幹なんだからということで、いわば管理職の仕事を押しつけられて、勤務時間を超えて仕事をするし、授業の持ち時間も減らずに疲労こんぱいという実態もあるということを聞きました。

 こういう中で、主幹が担任するクラスの授業がある意味片手間になってしまったり、いじめが起こってクラス運営が大変だということも聞きました。子供の前で主幹という姿勢をとるので、子供を力で管理しようとするようなふうにとられて、余計に反発を受けてクラスが成り立たないということで困っているという話も聞きました。

 ある小学校の主幹が担任するクラスでは、国語や社会は、調べ学習といってすぐパソコンを使って新聞づくりをさせる。子供からはもっと楽しい勉強をしたいという声があるけれども、なかなか受け入れてもらえない。学芸会の劇の責任者だったのに、副校長の研修があるということでリハーサル当日に休んでしまう。算数もドリル中心。一学期は、子供がこれじゃ嫌だと文句を言って、二学期になると親が抗議に来て、冬休みには担任をかえてほしいと校長に言いに行くということで、結局この方は、三学期には担任をおりて、三月には他校に転任をされたということでありました。

 大臣、やはりこの主幹の配置というのは、教育現場にはこういう実態をもたらしているということについては、それはそれとして、そういうことがあるんだということで認識いただく必要があるんじゃないでしょうか。いかがですか。

伊吹国務大臣 どうなんでしょう、肩書を教育現場のことは一般会社と同じように考えちゃいけない、それは先生、あるいはそうかもわかりません。だけれども、大学だって、教授、准教授、みんな肩書があるんじゃないですか、学長、副学長。

 やはりそれは、組織というのは、ある程度の管理職がいてきちっとした統制がとれていかないとうまく動きませんから、先生のお考えは先生のお考えとして、そういう御主張があるということは結構ですが、私は先生の御主張とは違う考えを持っております。

笠井委員 小中の場合、大学ともこれまた違うんですよ。だから、一概に、一般会社と同じにする、また大学と、こうやって管理体制があるから当然じゃないかということでやるということが、実際には教育の現場でいろいろな問題を起こしちゃうという実態を私は申し上げているので、私は、大臣にその現実はきちっと見てもらいたいというふうに思うんです。

 そして、その上、新たな職の導入によって教員の間にも、一般教諭よりも指導教諭、指導教諭よりも主幹、そして副校長、校長ということで、本来みんなで子供たちの教育に責任を持とうという団結が崩れて、子供にとって大切な先生たちもばらばらになってしまって、教育の崩壊につながるという事態も起こって、実際、こんな声があります。

 学級指導経験の少ない三十代の教諭が主幹になったが、周りのフォローで何とかやっている状態、疑問を感じるし、そういう人のもとで日々働くのがなかなか大変だ。トップダウンが強まって、みんなで話し合って協力してつくり出していく教育ができにくくなっている。教育になじまない制度だと思う。主幹に任せておけばいい、主幹が勝手にやっているという雰囲気も一方では出てきて、人間関係にぎくしゃくが起こっている。みんなで頑張って学ぼうという力がわいてこない。学校全体の仕事の分担に軽重をつけるようになって、まして給与などの格差が出ると、これは百害あって一利なしだという御意見もありました。

 私は、主幹の設置によってこういう事態が引き起こされることというのは、教育の現場、とりわけ子供たちにとってよくないというふうにはっきり申し上げなきゃいけないと思うんです。

 そして、実際に主幹自身も悩んでいます。管理職と一般教員の間に挟まれて苦労している。みずからが担任するクラスが荒れているが、表ざたにできずに、精神的に参ってしまったということで病気になった方もいる。休んだ。降格したくても東京の場合は降格制度がない。初任者研修等の報告書に印を押すだけが精いっぱいで、人材育成のための時間的な保証も余裕もないのが現状だ。主幹として異動するものだから、異動したところではいきなり主幹ということになるので、その学校の実態もわからないまま教務や生活指導をやるというので、本当につらいという声も出ているわけです。

 私、こういう問題でいいますと、やはり実態を調べるべきだと。東京都の教職員組合は、こういう事態の中で、職の分化にかかわる緊急調査というのを実施して、今、集計中だそうです。

 例えば、三多摩の九つの自治体を包含するある地域の教員への調査結果によりますと、まだこれは一部分ですけれども、「「職の分化」で学校は良くなりますか。」この問いに対して、「たいへん良くする」というのがゼロ、「どちらかといえば良くする」ゼロに対して「どちらともいえない」というのが一人いらして、「どちらかといえば悪くなる」が十二、「たいへん悪くする」というのが九十三。これは、圧倒的に現場の感覚としては悪くなる。しかも、職の分化で学校の問題解決能力あるいは学校全体の教育力が大変もしくはどちらかといえば低下したという答えが、これはまだこれからさらに集計するそうですが、圧倒的になっている。

 私は、政府がこの学校教育法改正によって主幹制度をできることとするというふうに盛り込もうとするなら、少なくともそれ以前に、東京などの現場の、都に聞きましたというんじゃなくて、やはり試行例の実態をリアルにつかんで調査することが大前提だと思うんですが、大臣、それは調べるということでいかがですか。大臣に、調べるかどうか。

銭谷政府参考人 私どもは、先ほど申し上げました十三県市から、主幹制度を導入してその状況がどうであるかということは調査をいたしました。

 先生からはいろいろな主幹制度に伴う問題点の御指摘もありましたが、もちろん、一部そういう課題のある県はございましたけれども、主幹制度を導入した結果、学校の組織体制の改善が図られ、教員間のいわば連絡体制もよくできて、そして、主幹制度に基づいて、先生方がそれぞれの役割分担のもとで学校運営の改善が図られたというケースも多いわけでございます。

 私どもは、そういった各県市のこれまでの導入の状況、こういうものは広く紹介をしていきたいと思っております。

 また、今回、主幹教諭につきましては、置くことができる職として規定をしておりますので、それぞれの学校や地域の実情に応じて、設置者でございます都道府県の教育委員会等がいろいろと工夫をしながらその配置を進めていける、そしてまた、主幹教諭についても、その処遇の面でもこれからいろいろ検討していきたい、そういう制度にしていきたいと考えているところでございます。

笠井委員 今ありましたけれども、一般的に調べているという話じゃないです。もう時間が来ましたから終わりますが。校長や都に聞いているんじゃだめなんです。実際の現場の教員にちゃんと聞かないと、やはり、実態としてはこういうことは広範にあるわけで、この東京の現実、深刻な実態をよく調べて、そしてその上でのことでなければ、結局、教育の現場になじまないようなことを持ち込んで、しかも、置くことができることとするということでこれをやりますと、この失敗の経験を全国に広げるということになってしまう。

 断じてこういうことをやるべきでないということを申し上げて、質問を終わります。

保利委員長 次に、保坂展人君。

保坂(展)委員 社民党の保坂展人です。

 きょうは伊吹大臣に、午前中、教育再生会議や中教審をめぐる議論がありましたけれども、道徳教育についてちょっと伺っていきたいと思います。

 教育再生会議では、小中学校において徳育という正式教科でやっていこうというような議論が展開をされているというふうに聞いております。これに対して山崎中教審会長が、先月二十六日でしょうか、日本記者クラブで、価値観が多様化する中で倫理的な問題は学校になじまないのではないか、道徳を学校で教える必要はないのではないか、こういう意見を言われた。さらに、人の物を盗んではいけないということは教えられても、本当の倫理の根底に届くような事柄は学校制度にはなじまない、こういった発言もされているんですね。

 これについて大臣もコメントされたようですけれども、どういうふうに受けとめたか、お話しいただけますか。

伊吹国務大臣 まず、午前午後、再生会議をめぐっていろいろお話がありますが、最終的に国会にお願いしたり行政として決断をするのは、再生会議ではありません。これは、内閣であり内閣総理大臣であります。ですから、多様な方々がおられますから、いろいろな議論をなさることを封殺することはこれはできません。これは保坂先生が一番嫌いなことでしょう。だから、自由に意見をおっしゃっているということは、それはそれでよろしいんじゃないですか。

 今だって道徳教育というものは学校現場で行われております。ただ、正式の科目として行う場合は、一番難しいのは、私はそんなに難しいとは思いませんが、難しいと言われるのは、教科書の検定ですね、正式につくる場合は。これは、どういうことを書くか。私は、例えばワシントンの桜の話だとか米百俵の話だとか、そういう話を先ほど来北神先生もおっしゃったけれども、偉人、いろいろな伝記、あるいは、有名な方ではないけれども、多くの人の命を救ったというような人のことをずっと書いて、そしてそれを子供に理解させていくということは当然あって構わないし、また、それは積極的にやるべきだと思っています。

 ただ、教科ということになると、点数をつけない教科というのがあるのかという問題なんですね。だから、学習態度その他は私は評点はつけられると思いますけれども、まさにその点が山崎先生がおっしゃったことで、山崎先生は、私の言ったような形の道徳教育をするということについて、私もお話ししてみましたけれども、何ら反対ではありません。あるだれかが、例えば保坂先生が、思い込んだいいことを私に強制されちゃ困るんですよ。(保坂(展)委員「いや、その逆もある」と呼ぶ)逆もあるんですよ。だから、午前中のような話になるんですよ。

 ですから、私はそこのところをやはり慎重にやらねばならないという立場に立っておりますので、この再生会議がどうおっしゃったかということよりも、責任者である私あるいは内閣がどう考えるかということを、そして、最後は国会の皆さんが、国民の負託を受けているんだという自信を持って再生会議に対応していただきたいと思います。

保坂(展)委員 幾つか質問がありますので、答弁を少し縮めていただければありがたいんですが。

 再生会議の中で、教育現場で戦前の徳目、修身、道徳の復活をというような声も、こういうことをおっしゃる方もいるということであります。今、大臣の答弁では、教科にした場合に、教科書、そして教科である以上は評価ということになり、この山崎会長は、例えば民法、刑法などのいわゆる法教育、あるいは法規範と言ってもいいかもしれないけれども、ということについては、これはもう必要なことだし、あっていいことであるけれども、人はどう生きるべきなのか、例えば臓器移植をめぐっても、国会も党議拘束を解いて、お互いが党の立場を離れてそれぞれの意思で投票するというようなこともありました。

 ですから、非常に難しい問題で、わけてもそこに、採点をする、評価をするというようなことはなじむものではないという常識論を言われたのかなというふうに私は今大臣の答弁も受けとめたんですが、こういうことをきちっと踏まえて、再生会議がどういうふうに結論を出すかわかりませんけれども、そこは、原則、いわば人の内心の中に正解があって、それを採点するなんということによもやしないという決意はあるわけですね。

伊吹国務大臣 先ほど来、私が御答弁申し上げたとおりです。

保坂(展)委員 それでは、今来られたばかりなので、官房長官にちょっと伺います。

 先ほど高井委員も出していらっしゃいましたけれども、私も、きょうの新聞を見て、教育改革の改革を、教育再生会議への七つの疑問ということで、河野太郎議員や後藤田議員など自民党の若手のマネジメントの観点からの教育再生研究会、力強い指摘がされているなというふうに思いました。

 ここでも指摘されているんですが、第一次報告について因果関係のわからない部分があるということが言われているんですね。論理の飛躍と思えるような唐突な提言ではないかという例として、例えば、子供たちの規範意識の低下に対して、高校での奉仕活動の必修化、あるいは大学の九月入学の普及促進というようなことが言われている。

 しかし、自発的でない奉仕活動がどうして規範意識の向上に結びついていくのか、あるいは九月入学について、その効果が、なかなか実証的なデータがないのに、コストはこれはかかるだろうというようなことについて疑問を投げかけられているという点、まさに私も同感なんですが、官房長官、どうですか。

塩崎国務大臣 まず第一に、教育再生会議というのは自由に議論する場で、いわゆる狭い意味の教育界ではなくて、広い意味の教育に携わる人たちにお集まりをいただいて熱心な議論をしていただいている。その熱心さを否定するかのような御発言はぜひお控えをいただきたいというのは、この場の皆様方にも申し上げたいとまず思うわけでございます。

 そこで、河野太郎さんたちがという話で、私もそう思うという保坂先生のお考えを今お聞きいたしました。科学的な根拠がないのに何か処方せんを出していることに疑問を感じるということでありますが、むしろまた逆に考えてみると、科学的な根拠をもってそれがだめだということも多分証明できないんじゃないかと思うんですね。

 ですから、我々は、この再生会議の皆様方には自由な議論をしていただいて、そして我々として、なるほどと思うことはぜひ国政にとらせていただこう、そういう広い心で今議論をいただいている、こういうことでありますので、ぜひいろいろとよく見ていただきたいと思います。皆さん真剣に議論していますから、よろしくお願いしたい、こう思います。

保坂(展)委員 言いっ放しの会になってしまってはいけないわけで、自由に民間の方がやっているのであれば、これはどんな意見も自由闊達でよろしいんですけれども、官邸が、まさに官房長官、総理、こういうラインで文科省も飛び越えてやろうみたいな話も一部あったわけですから、これは非常に私は危惧する部分が多くて、一点、規範意識という言葉もよくこれは語られているんですね、教育再生会議で。

 今回の学校教育法改正で、目標の部分に規範意識というのが、伊吹大臣、お疲れでしょうけれども大丈夫ですか。改正教育基本法には規範意識という言葉はたしかなかったと思いますね。「道徳心を培う」、こういう言い方だった。これが、この規範意識という言葉が今回学校教育法に入っているという関係については、この規範意識と道徳心というのはどういう相互関係にあるのかということは、ぜひ大臣の見解を聞いておきたいというふうに思うんです。

伊吹国務大臣 ちょっと先生の御質問の趣旨がよくわからないんですが、規範意識はどこに入っているということなんでしょうか。(保坂(展)委員「局長からでもいいですよ」と呼ぶ)

銭谷政府参考人 今回の学校教育法の改正の中で、義務教育の目標の一つとして規範意識という文言を使用させていただいております。改正教育基本法の第二条におきまして道徳心ということが規定されたことを踏まえまして、私ども、道徳教育の充実を図るということは極めて重要な課題だと思っております。

 改正案の中におけるこの義務教育の目標規定というのは、自主、自律及び協同の精神、規範意識、公正な判断力、公共の精神、生命、自然の尊重、伝統、文化の尊重、我が国と郷土を愛する態度など、道徳心にかかわる具体的な事項について、発達段階を踏まえて具体的に規定したものでございます。

 特に規範意識は、道徳、倫理、法律等の規範を守ろうとする意識でございまして、道徳心の基礎として重要であることから規定をしたものでございます。

保坂(展)委員 何が道徳かということをずっと議論していくと時間が足りないんですけれども、その道徳心という中には、恐らく、法律を守ろうとか決まりは守ろうとか、そういう規範意識的な部分以外にも、自分の立場も忘れて人を助けるとか、あるいは、自分の国以外の、地球の相当離れたところで起こっていることについて心を寄せるとか、いろいろな幅広いものはあると思います。だから、大臣としては、道徳心ということで言われていることと規範意識との相互関係をどう整理されますか。

伊吹国務大臣 多くの場合はそこに重なっている部分があると私は思いますが、道徳というのは、どちらかというと極めて個人的な価値の強い言葉で、規範意識というのは、長年の祖先の営みによって、成功したり失敗したりするものがありますけれども、その中でうまくいかないものをこそげ落とし、よきものが残り、結局、その社会に言い伝えられてきている、法に書かれざる暗黙の社会のルールのようなものというふうに理解してよろしいんじゃないでしょうか。

保坂(展)委員 ですから、規範意識が前面に出て、その規範意識が突出をしていることに、もう少しバランスを考えていただきたいという意味で私は今の指摘をしたということなんです。

 もう一点、教科に関する事項は文部科学大臣が定めるというふうになっていた部分が、「教育課程に関する」というふうにこれは変化をしています。

 これは、昨年の十一月六日の教育基本法の特別委員会で伊吹大臣は、権限はどこにあるのかというふうにいえば、学校のカリキュラムであり編成権であり、卒業の認定権は各学校の校長にあるんだ、こういうふうにおっしゃっていますが、ここは、教育課程としたことによって、いわば現状のカリキュラム編成権であるとか学校のさまざまな権限を、文部科学省があるいは文科大臣が定めるというふうに拡大するということはないんですか。この点について確かめておきたいと思います。

伊吹国務大臣 大変なご心配のようでございますけれども、例えば、鈴木勲さんという方が書いておられる「逐条学校教育法」というものを見ますと、本条の教科は教育課程と同義に解されている、本条の教科は、教育の目的及び目標を達成するために児童がどの学年でどのような教科の学習や教科以外の活動に従事するのが適当であるかを定め、その教科や教科外の活動の内容や種類を学年別に配当したものという意味の教育課程と同義語に解するのが妥当である、私はそういう解釈をとっております。

保坂(展)委員 我々の解釈は、教科というのはそれこそそれぞれの科目であってというような考え方をしておりますけれども、文部科学省の解釈は、今大臣のおっしゃったのは、教科という中にいわば教育課程も従来から入っているんだ、入っているものであるからそう変わるわけではない、こういうことで理解してよろしいんですか。

伊吹国務大臣 具体的に言いますと、現在各教科として教えているものに加えて、道徳、特別活動を含めた学校の教育計画である教育課程、これは、今申し上げたように、学校教育法二十条において全く同義に理解されているということです。

保坂(展)委員 残りの時間、ちょっと免許更新制について私がいろいろ調べたところ、カナダで、これは五大湖のところのオンタリオ州ですか、こちらの方で、当時の進歩保守党政権で、やはり日本の制度とよく似た教員資格再審査制度、これは局長に伺いますが、こういう更新制が導入されたんです。内容としては、教育委員会や大学教育学部などで受講を課して、これらの条件を満たさなかった教員については資格を取り消すというものだった。しかしこれは、〇三年に政権交代があって、自由党政府はこの制度を廃止した。

 教員からの反対も少なからずあったことと、運用にかなりの資金がかかったということと、これは重大だと思うんですが、新採用の三人に一人が五年以内に退職してしまうというような変化があった、こう聞いているんですが、文部科学省の方ではどういうふうにこれを把握していますか。

銭谷政府参考人 私どもの把握も先生と同様でございまして、カナダのオンタリオ州の教員免許更新制につきましては、二〇〇二年から、五年ごとに更新をする免許更新制を導入しましたが、政権の交代に伴い、二〇〇三年に廃止をされたと承知しております。

 その理由としては、現実に新採教員の三人に一人が五年以内に退職してしまうといったようなことで、更新講習といいましょうか、こういうものの受講が少なかったり、教員から反発があったりしたということも背景にあったというふうに承知をいたしております。

 私どもは、こういうことにならないように、免許更新講習の内容の充実や実施体制の整備に努めてまいりたいと思っております。

保坂(展)委員 伊吹大臣、今お聞きのとおり、そんなに資料が多くないということもあるかもしれませんが、三人に一人が五年以内に退職するという形で、いわば教員免許更新制はカナダのこの州においては失敗をしたということであります。

 それを踏まえてなんですが、意外と私の周りで反響が多いのは、ペーパーティーチャー、いわば教員免許資格は持っている人たちが、今回どうなるのということで私も国会答弁を含めて説明します、いや、更新はできるんですよ、しかし内定がなければできないんですよと言うと、これは嫌な感じですね、こうおっしゃるんですね。

 やはり、教育現場に特別免許制度も導入されたように、もともと教員免許を持っている人たちが、もしかしたらいつかはという気持ちがある人たちに対して、大臣も、いわゆるペーパーティーチャーの人に対して、少し希望があれば更新ができるようなそういう道を開かなければならないのではないかと前回おっしゃったと思いますけれども、今は、内定がなければ、更新を、受講しようと思ってもできないわけですね。この点についていかがですか。その質問で終わります。

伊吹国務大臣 まず、カナダとかアメリカの職につく感覚と、随分変わりましたけれども、日本の終身雇用的感覚はかなり違いますから、今先生がおっしゃった免許の問題が失敗であったのか、彼らの勤務のあり方、職業観ということに違いがあったのかということは、少し慎重にやらねばならないと思いますし、ペーパーティーチャーと言われる方々に対する周知徹底とか、そういうことは十分考えていきたいと思いますが、やはり、教壇に立って子供を教えてくだすっている人たちの資質をまずしっかりと確保するというのが、予算あるいは人事管理上の制約の中では優先しなければなりませんから、将来、余裕ができれば、おっしゃっているようなことも考える余地がないとは言えないと思います。

保坂(展)委員 私、教員になろうという人たちが萎縮をしたり幻滅をしたり、教員免許を持っている人ががっくりきたり、そういうことになってしまわないかという点を懸念して、この点は再度またやりたいと思います。

 終わります。

保利委員長 次に、糸川正晃君。

糸川委員 国民新党の糸川正晃でございます。

 前回、大臣に、未履修の問題について次回はお尋ねしましょうということでお約束をいたしましたので、ちょっと質問の通告の順番が変わるかもしれませんが、まず質問させていただきたいと思います。ただ、未履修のことだけを聞くわけじゃないものですから、まずは、地方分権と教育における国の役割についてお尋ねをしたいと思います。

 この地方分権と教育における国の役割そして責任との関係というのは、地方にできることは地方に、そして官から民へ、こういう政治の大きな流れというのは、今、流れとしてはあるわけですが、ただ、教育については、地方分権や規制緩和等の結果、子供たちの学ぶ機会、これが奪われることがあってはならないわけでございます。

 再チャレンジ社会というふうにも言っておりますけれども、そもそも、再チャレンジするために必要な基礎的な能力、これをはぐくむ学校教育、そして特に義務教育について、学ぶ上で格差がないように国が全国的な観点からしっかりと責任を負う必要がある、これは言うまでもないというふうに思います。

 私は、このような観点から、高校の未履修問題が発覚した直後の昨年十一月一日、中学校における未履修についての質問主意書を出させていただいたわけでございます。伊吹大臣も調査を実施されまして、二月二十七日の予算委員会で回答をいただきました。

 そこで、なぜ中学校において必修教科等の授業時間の不十分である学校があったり開設されないといった状況が生じたのか、まずは、その原因とか背景について大臣の御説明をいただきたいと思います。

伊吹国務大臣 先生から中学校について未履修の調査をするようにというお話がありまして、予算委員会で御報告をしたように、中学における未履修は、率直に申しまして私立なんですね。ほとんど全部私立です。

 それで、いろいろな理由があると私は思います。受験というようなことは中学校ではどうなんだろうなという気もしますけれども、一番大きい理由は、知事部局というものが、私学助成費の配分の役割をしていらっしゃるんだけれども、教科のチェックだとかカリキュラムの編成について見るという、いわゆる学習指導要領に精通しておられる職員も不足がちである、そういう体制が必ずしも十分じゃなかったというようなことも一つ大きな理由じゃないかと思います。

 ですから、この法律をお願いするに当たって総理から御指示があったのは、総務大臣と私が協力をして、知事部局において、先生から調査をしろと言われるようなことのないようなスタッフを配置してもらうようにお願いしろというか、促すようにという指示をもらったというのも、そういうところに原因があると思います。

糸川委員 こういう調査をしてほしいと言ったことには、社会に出て必要となる知識そして技能としてこの学習指導要領で定めている必修教科、これをすべての子供たちがきちんと学ぶようにできるということが、これは国の責任だというふうに思っているから、ぜひ大臣、それを調べてくださいということであったわけです。

 ただ、現状として、それ以前の問題として、そもそも、文部科学省が都道府県の教育委員会であったり都道府県知事に調査を依頼しても、すべてが出そろって報告をまとめるまで大分時間がかかっております。国がその責任を果たすための権限がないのではないかなというふうに思わざるを得ない状況も見受けられたわけでございます。

 中学校での必修教科の適切な取り扱い、これを確保するために、どのような課題があって、その解決のためにどのような対策をこの発覚以降とられているのか。特に、今回の法改正の関連との部分で詳しくちょっとお聞かせいただきたいと思います。

伊吹国務大臣 まず、今回、地教行法の改正をお願いしている中で、知事は、必要な場合は教育委員会に助言指導を求めることができる、つまり、知事部局に十分な人がいない場合は教育委員会の助けをかりるという規定がございます。それと同時に、先ほど申し上げたような総理の指示がございますので、これを知事部局にお願いするということだと思いますが、どうしてもうまくいかない場合は、やはり地方自治法上の是正要求を知事に対して行わなければならないということはあるんですね。しかし、そのようなことが起こる前に、当然、地方議会が地方自治の力を発揮してくださるということを今回の方向性はずっと期待をしながらつくってきたわけです。

 ですから、この法案の国会審議がある程度めどが立ちましたら、総務大臣ともよく御相談をして、その辺の総理の指示を的確に実施していきたいと思っております。

糸川委員 先ほど大臣が、中学校の必修教科について不適切な取り扱いがあったのは私立だけだったというふうにおっしゃられました。

 これは、五月七日の前回の質問でも私は質問いたしたんですが、そもそも私立学校、これは、都道府県教育委員会でなくて都道府県の知事が所管していることに原因があるということですよね。なぜ都道府県知事の所管になっているかというのは前回大臣から御説明いただいたわけですが、中央教育審議会もことしの三月十日の答申で、「私立学校に関する地方教育行政の在り方については、今回の答申に基づく措置の状況などを踏まえつつ、今後更に検討を行っていくことが必要」というふうにされております。

 子供たちの学ぶ機会の確保といった観点も踏まえて、私立学校の所管、これを初め私立行政のあり方の抜本的な転換、これが必要でないかなというふうにも感じるわけですが、最後にこれは大臣、御所見をお伺いしたいと思います。

伊吹国務大臣 まず、あらゆることは先生、やはりこれは、いいこと悪いこと盾の両面で、建学の精神というものが一方にありますから、それとのバランスをとりながら行政をしていかなければならない。

 前回御質問があったように、なぜ知事部局に残ったかということについて考えますと、やはり、戦前のいろいろな失敗というか、私学は戦前は宗教教育その他かなりありましたから、日本の戦前の神道中心のあり方等の中で、大変率直に言うと、私学に対するいろいろ感慨を持っておられたと思います。そういう中で、これはやはり知事部局に残しておかなければいけないという判断があったということをこの前申し上げたんですが、建学の精神とのバランスをとりながら、しかしやはり、建学の精神は尊重しなければなりませんけれども、国会で決められたことを守らなくてもいいということにはならないと私は思うんですね。

 ですから、その辺のバランスを持って、状況を少し今のやり方で見守らせていただいて、なおかつ、また未履修その他のような問題が生じた場合は、改めてこれは法律を直さねばなりませんので国会の御判断を仰ぐということになると思いますが、そうならないように、地方議会もよく知事部局をチェックしていただきたいし、私立も規範意識を持って私学運営に当たっていただきたいと思っております。

糸川委員 未履修についてはもうこれで質問を終わりたいと思いますけれども、前回、私立の中学校、約一割ぐらいでしたかね、が学習指導要領に基づいていない不適切な授業内容であった、こういうことでございますので、今現在どのような取り組みになっているかというのは今後また大臣にしっかりと見ていただいて、今年度、そして今の授業内容というのは適切になっているのかというのをこれはしっかりとチェックしていただきたいなというふうに思います。

 もうこれは時間がありませんので、質問ではありませんので次に行きますが、大臣、そこだけはまたよろしくお願いしたいと思います。

 次に、義務教育の目標についてお尋ねします。

 これまで、学校種ごとに小学校の目標そして中学校の目標がそれぞれ規定されておりまして、それぞれの学校が目指すべき目標が区分されておりましたけれども、義務教育として目標が統合されて、小学校そして中学校の果たすべき目標は、基礎的なものか否かという区分でしかないわけであります。これは、ある意味、小学校と中学校の区分をあいまいにする効果があるのではないのかなというふうに考えるわけですが、現に、特区制度を利用して小中一貫教育を行う例ももちろんありまして、将来的に、六・三制、これを再編することも視野の範囲の中にあるのではないかなというふうに思います。

 そこでお伺いしますが、小学校の目標とされる義務教育のうち、基礎的なものというのは何なのか、特に、中学校における目標との違いについて大臣がどのように御所見を持っていらっしゃるのか、この点をまず一点お伺いするのと、それから、六・三・三・四制については今後もこれは維持すべきだというふうに大臣がお考えなのか。特に、小中一貫校、中等教育学校等の学校区分を融合、再編させた形態の学校について、その存在意義の評価、これを今後どのように対応していくのか、あわせて御所見をお伺いしたいと思います。

伊吹国務大臣 まず、先生が今御質問ございましたように、従来は小学校、中学校別にそれぞれの目標を書いておりました。今回、義務教育全体の目標として、今御提出している法律の二十一条の一号から十号まで十の項目に整理したということです。

 その中で、小学校は九年のうちの最初の六年ですから、その後の中学校における教育と一緒になってこの十の目標を達成するわけですけれども、義務教育全体の目標のうち、どちらかというと最初に教えなければならない、これは学習指導要領等に書き込んでいくわけですが、これをまず小学校のものとするというのが二十九条と三十条の一項ですよね。

 それから中学校は、これで義務教育は終わるわけですから、だから、小学校の六年生まででやったものを最終的に完成するわけですから、まさに義務教育の目標として書かれた一から十まで、この達成がすべて中学校の教育の目標になる、義務教育はそれで終わるわけですから。

 という法律の位置づけになっているわけですから、小学校で具体的な教育内容についてどうするかというのは、これは、今申し上げた二十九条、三十条の一項、それから三十三条に基づいて、今の十項目の中のどういうものを教えるんだ、基礎的なものはどういうものだというのを学習指導要領で書いていくということになるわけです。

 そこで、従来六・三と分けて書いていたのを一発で書いちゃったから、六・三という区分がなくなるのかとか、そういうお話はいろいろあります。一貫校という考えもあります。特区で六・三の九年を三つに分けるような編制をしておられる特区もあるんです。

 ですから、それはそれとして実験的にやってみることは私は反対じゃありませんけれども、率直に言うと、今の六年、三年、そして三年、四年というのは、一応社会に定着をしている学校種別の区分ですから、これを全面的に変えていくということは、やはり国民の間のかなり議論を経ないと難しい。だから、特区で実験をしていただいて、我々はそれをずっとフォローしたいと思います。

 それで非常にいい結果が出る場合は、あるいは、地方でやっておられるような一貫校の実験でいいものが出る場合は、また改めて国会にお諮りをさせていただきます。

糸川委員 ということは、大臣は、六・三・三・四制、これは当面は継続しながらだと。ただ、その中でもし特区等を利用しながら新しいものに取り組もうということは、それは応援できる部分を応援するということになるんでしょうか。

 この六・三・三・四制、私も慶応でございまして、ずっと一貫教育の中でやってまいりました。ですから、私立というのは新しいものに比較的取り組めるのかなと。先ほど大臣が、実験的にやってみるのはいい、いいものはどんどん推進していけばいいんだと。ただ、実験できるのは恐らく私立が多くなるのかなと思いますので、そういう中で、やはり国会で決めたことから著しく逸脱するようなことのないようには、先ほど未履修の問題もお尋ねいたしましたが、ぜひここは大臣に監視をしていただきたいというふうに思います。

 ちょっと時間は早いですけれども、終わります。ありがとうございました。

    ―――――――――――――

保利委員長 この際、各案審査のため、昨九日、第一班山形県及び第二班福岡県に委員を派遣いたしましたので、派遣委員からそれぞれ報告を聴取いたします。第一班鈴木恒夫君。

鈴木(恒)委員 山形県に派遣された委員を代表いたしまして、その概要を御報告申し上げます。

 派遣委員は、私、鈴木恒夫を団長として、理事牧義夫君、西博義君、委員木原誠二君、松本大輔君、保坂展人君の六名であります。

 昨九日、現地において、山形市立第一小学校を視察した後、山形市のホテルメトロポリタン山形において会議を開催いたしました。

 なお、現地視察におきましては、授業を参観した後、学校関係者と給食をともにして意見交換を行い、学校現場の生の声に触れることができました。

 会議におきましては、まず、私から派遣委員及び意見陳述者の紹介並びにあいさつ等を行った後、山形県知事齋藤弘君、山形市教育委員会教育委員長逸見啓君及び山形市立第一中学校長後藤恒裕君の三名から意見を聴取いたしました。

 その内容について簡単に申し上げますと、

 まず、齋藤君からは、教育立県をマニフェストに掲げる知事として県政を運営する立場から、教育の基本理念、山形県の現状及び課題、新たに規定された是正の要求及び指示については反対であること、教員免許更新制の期間が十年では長過ぎること、

 次に、逸見君からは、是正の要求及び指示についてはおおむね賛成であるが、厳格に適用する必要があること、副校長、主幹教諭及び指導教諭については、学校を機能させるためには必要なこと、十年ごとの教員免許更新制は、教員の多忙にかんがみれば、教職員定数増による配慮が欠かせないこと、

 最後に、後藤君からは、教育委員会の共同設置については財政的課題の軽減及び将来の教育委員会体制の充実に資するが、地方交付税上の配慮が欠かせないこと、是正の要求及び指示は、地方自治法に照らしても違和感はないこと

などについて意見が述べられました。

 次いで、各委員から、陳述者に対して、学校評価の義務化について既に学校評価に取り組んできた山形県教育界としての見解、民主党提出の地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案に対する見解、教育現場における当事者意識及び責任感の重要性、県費負担教職員による少人数学級のための加配の効果、山形県における私立学校に関する事務の教育委員会への補助執行の実情、教育再生会議で行われている議論についての見解などについて質疑が行われ、滞りなくすべての議事が終了した次第であります。

 以上が会議の概要でありますが、議事の内容は速記により記録いたしましたので、詳細はそれによって御承知願いたいと存じます。議事録は、本委員会の会議録に参考として掲載されますようお取り計らいをお願いいたします。

 今回の会議の開催につきましては、多数の関係者の御協力により極めて円滑に行うことができ、深く感謝の意を表する次第であります。

 以上、御報告申し上げます。

保利委員長 ありがとうございました。

 次に、第二班中山成彬君。

中山(成)委員 福岡県に派遣された委員を代表いたしまして、その概要を御報告申し上げます。

 派遣委員は、私、中山成彬を団長として、理事野田佳彦君、委員やまぎわ大志郎君、笠浩史君、伊藤渉君、石井郁子君の六名であります。

 昨九日、現地において、福岡市立博多小学校を視察した後、福岡市のホテル日航福岡において会議を開催いたしました。

 なお、現地視察におきましては、授業を参観した後、学校関係者と給食をともにして意見交換を行い、学校現場の生の声に触れることができました。

 会議におきましては、まず、私から、派遣委員及び意見陳述者の紹介並びにあいさつ等を行った後、福岡県知事麻生渡君、遠賀郡芦屋町教育委員会教育長中島幸男君及び福岡県中学校長会会長野中秀典君の三名から意見を聴取いたしました。

 その内容について簡単に申し上げますと、

 まず、麻生君からは、多様な人材を育てるため、教育の地方分権を推進し、地域の教育力を生かした教育再生を行うべきであること、教育委員会への是正の要求及び指示に関する規定の運用に当たっては、地方の自律性が十分尊重、配慮されるべきであること、教員が児童生徒の教育に専念できるよう、教員の事務の軽減が必要であること、

 次に、中島君からは、副校長等の新しい職と現在の教頭等との職務の差異を明確にすべきであること、十年ごとの更新講習よりも日常的な教員研修の充実こそ重要であること、町村の教育委員会についても、国の責任において指導主事の配置を行うべきであること、

 最後に、野中君からは、教育委員会の責任の明確化及び体制の強化が必要であること、県費負担教職員の人事権の市町村への移譲は、事前の条件整備がなければ難しいこと、教育改革の実現のためには、教員の定数増等国による財政的な支援が必要であること

などについて意見が述べられました。

 次いで、各委員から、陳述者に対し、教育における地方分権の推進と全国的な教育水準の確保との関係、教育委員会への是正の要求及び指示に関する規定が地方分権の流れに逆行する懸念、教育における国と地方の責任分担のあり方、学校、児童生徒、保護者及び地域社会の今後の連携のあり方、副校長等の新しい職の設置が学校のマネジメント機能の強化に及ぼす効果、教育委員会制度の活性化に必要な施策などについて質疑が行われ、滞りなくすべての議事が終了した次第であります。

 以上が会議の概要でありますが、議事の内容は速記により記録いたしましたので、詳細はそれによって御承知願いたいと存じます。議事録は、本委員会の会議録に参考として掲載されますようお取り計らいをお願いいたします。

 今回の会議の開催につきましては、多数の関係者の御協力により極めて円滑に行うことができ、深く感謝の意を表する次第であります。

 以上、御報告申し上げます。

保利委員長 ありがとうございました。

 以上で派遣委員からの報告は終わりました。

 お諮りいたします。

 ただいま報告のありました第一班及び第二班の現地における会議の記録は、本日の会議録に参照掲載することに御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

保利委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

    〔会議の記録は本号(その二)に掲載〕

    ―――――――――――――

保利委員長 次回は、明十一日金曜日午前八時四十五分理事会、午前九時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後五時十三分散会

     ――――◇―――――

  〔本号(その一)参照〕

    ―――――――――――――

   派遣委員の山形県における意見聴取に関する記録

一、期日

   平成十九年五月九日(水)

二、場所

   ホテルメトロポリタン山形

三、意見を聴取した問題

   学校教育法等の一部を改正する法律案(内閣提出)、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案(内閣提出)、教育職員免許法及び教育公務員特例法の一部を改正する法律案(内閣提出)、日本国教育基本法案(鳩山由紀夫君外五名提出)、教育職員の資質及び能力の向上のための教育職員免許の改革に関する法律案(藤村修君外二名提出)、地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案(牧義夫君外二名提出)及び学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案(笠浩史君外二名提出)について

四、出席者

 (1) 派遣委員

    座長 鈴木 恒夫君

       木原 誠二君   牧  義夫君

       松本 大輔君   西  博義君

       保坂 展人君

 (2) 意見陳述者

    山形県知事       齋藤  弘君

    山形市教育委員会教育委員長          逸見  啓君

    山形市立第一中学校長  後藤 恒裕君

 (3) その他の出席者

    衆議院調査局教育再生に関する特別調査室長   清野 裕三君

    文部科学省大臣官房審議官           布村 幸彦君

     ――――◇―――――

    午後一時開議

鈴木座長 これより会議を開きます。

 私は、衆議院教育再生に関する特別委員会派遣委員団団長の鈴木恒夫でございます。

 私がこの会議の座長を務めさせていただきますので、よろしくお願い申し上げます。

 皆様御承知のとおり、当委員会では、内閣提出、学校教育法等の一部を改正する法律案、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案及び教育職員免許法及び教育公務員特例法の一部を改正する法律案並びに鳩山由紀夫君外五名提出、日本国教育基本法案、藤村修君外二名提出、教育職員の資質及び能力の向上のための教育職員免許の改革に関する法律案、牧義夫君外二名提出、地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案及び笠浩史君外二名提出、学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案の審査を行っているところでございます。

 本日は、各案の審査に当たり、国民各界各層の皆様方から御意見を承りますため、当山形市におきましてこのような会議を催しているところでございます。

 この際、派遣委員団を代表いたしまして一言ごあいさつを申し上げます。

 御意見をお述べいただく皆様方におかれましては、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。どうか忌憚のない御意見をお述べいただきますようよろしくお願い申し上げます。

 それでは、まず、この会議の運営につきまして御説明申し上げます。

 会議の議事は、すべて衆議院における委員会議事規則及び手続に準拠して行い、議事の整理、秩序の保持等は、座長であります私が行うことといたします。発言される方は、その都度座長の許可を得て発言していただきますようお願いいたします。

 なお、御意見をお述べいただく皆様方から委員に対しての質疑はできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願います。

 次に、議事の順序について申し上げます。

 最初に、意見陳述者の皆様方からお一人十分程度で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑に対してお答え願いたいと存じます。

 なお、御発言は着席のままで結構でございます。

 次に、本日御出席の方々を御紹介いたします。

 まず、派遣委員は、自由民主党の木原誠二君、民主党・無所属クラブの牧義夫君、同じく松本大輔君、公明党の西博義君、社会民主党・市民連合の保坂展人君、以上でございます。

 次に、本日御意見をお述べいただく方々を御紹介いたします。

 山形県知事齋藤弘君、山形市教育委員会教育委員長逸見啓君、山形市立第一中学校長後藤恒裕君、以上三名の方々でございます。

 それでは、まず齋藤弘君に御意見をお述べいただきたいと存じます。

齋藤弘君 お忙しい中、各委員の皆様にはわざわざ山形までお運びいただきまして、まずは山形県民を代表して感謝、歓迎申し上げたく存じます。ありがとうございます。そしてまた、このたび、教育再生に関する諸法案について私の意見を述べる機会をお与えいただきましたことについても、重ねて御礼申し上げたく存じます。

 私自身、ここ山形で生まれ育ち、そしてまた、現在小学校五年生の男の子、二年生の男の子、幼稚園年長の女の子ということで、まさに教育問題はすなわち私自身の問題でもある、そういう立場でございます。きょうは知事の立場としてお話をさせていただければと思っています。

 まず、私は、私自身の山形県政を運営するに当たってマニフェストを掲げました。これは「「助け合い」、「分かち合い」、「育み合う」ふるさと山形づくり」。まさに、助け合い、分かち合い、はぐくみ合うということは、すなわち、山形県が得意とする地域のきずなということをあらわしているわけですが、これに伴って七本の柱、十四項目にわたってマニフェストを掲げてございます。

 その大きな七本の柱の一つに、「県民と教師が共に育む教育立県の創造(助け合い、育み合い)」ということを大きな柱の一つに掲げてございます。そして、具体的には「山形のよき伝統の継承と革新の創造を担う人材を育成、輩出します。」そしてもう一つは「教師の「質」日本一のやまがたを創ります。」。こういうことで山形県政を運営する基本方針といたしているところでございます。

 きょうは、大きく三つ、一つは理念というようなもの、それからもう一つは本県の現状と課題というようなもの、そして最後に各諸法案についての若干の意見を述べさせていただきたいと思っております。

 まず、私の教育に関する基本理念ということでございます。

 そもそも教育は国家百年の計というふうに考えるべきものでございます。したがって、長期的視点から物事を考え、取り組んでいくべきものというように思っています。

 このときに、長期的な視点とは何かということでございます。そのときに思い浮かべるのは、インディアンの長老の判断基準ということでございます。インディアンの長老の判断基準というのは、向こう七世代にわたってどう種族が、子孫が生き延びれるかということをもとにして判断をする。一世代三十年といたしますと、ほぼ二百年先のことを展望しながらその判断基準にする、こういうことでございます。

 そうしますと、二百年前、二百年後のことを、我々が二百年前の江戸時代から今を想像するに難しかったことを思うと、これから二百年後を、価値観とか移動手段などを想像するのも非常に難しい。そうなりますと、七世代向こうのものが何を求めているのか、その価値観とは何かということを我々も考えて、物をつくり上げていくというよりも、むしろ我々がこれまで生き延びてきた、何百年、何千年も生き延びてきたときに大切にしてきたものを残す、つくるから残す、そういう判断に変わらざるを得ないのではないかと思っています。恐らくはこのインディアンの長老も同じようなお気持ちで七世代向こうのことを考えるということではないでしょうか。

 そのときに、我が山形県を振り返ると、このつくるから残すというふうに考えたときに、教育の問題というのは極めて大切になってまいります。特に、自分で生きる道を探るとか、生きていく力をつけるということ、さらには、自分の目的や夢を見出して社会や他のものとかかわる力を養っていくなどということが必要になってくるのではないかと思っています。そうした力を養うときに、山形らしさということを私はとても大切にしていきたいと思っています。

 しからば、その山形らしさとは何か。私は二つあるのではないか。

 一つは、やはりこの山形の自然豊富な、自然のかかわり合いの中で子供たちがみずから学び取るもの、自然のすばらしさということを学び取る。時には自然の恐ろしさ、畏怖という念も恐らくは学び取ることができる。自然に触れ合いながら、自然とのかかわり合いの中で教育を進めていけること。

 それから二つ目は、やはり山形は農業県でもあります。食との関係で子供たちをはぐくんでいきたい。食卓を家族で囲めばそこには愛情がはぐくまれる、友達同士で食卓を囲めばそこには友情が芽生える、地域のコミュニティーで囲めばそこにはきずなが生まれるといったぐあいに、食を通じて教育、地域のきずなということも考えていけるのではないか。そういう意味で、我が山形県は、今年度食育元年ということを高らかに宣言しているところでございます。

 そして、こうした教育の基本となる基盤というのは、すなわち教師そのもの、教師の質ということにかかわってくるのではないか。専門性はもとより、人間としての魅力というのを教師そのものが身につける、地域とのかかわり方、それから自然、文化への関心などについても幅広く教師というのは身につけるべきではないのか、このように思っています。

 繰り返しになりますが、そのためにも、地域の創造、工夫を生かせるような、地域の実情に応じた弾力的な教育制度、体制というのが必要なのではないかと思っています。

 次に、山形県の置かれている現状と課題について若干述べさせていただきたいと思います。

 山形県は実践の山形。教育三大県、理念の長野、施設の福岡、そして実践の山形、こう言われてまいりました。実践の山形というのは、昭和の初期に今で言う全国統一テストのようなものが行われた、徴兵制度絡みだと伺っておりますが、これでは常に全国一位でありました。しかも、あらゆる教科において一位でございました。そんな意味で恐らく実践の山形ということが言われてきたのではないのかと思います。

 しかし、その実践の山形も、最近では随分影を落としている嫌いもございます。

 まず一つは、構造的な問題です。これは全国共通であります。

 少子化の進展に伴ってさまざまな課題への対応が必要となってきます。我が山形県でも小中学校の統廃合が進んでおりまして、小学校区という、本当に地域のコミュニティーの単位とも言えるものが衰退してきているという事実がございます。

 地方では、まさに小学校区というのがそこに生きる人たちの共通のコミュニティーの単位だということも言えるかと思います。したがいまして、教育再生会議でも話題になったと聞いております教育バウチャー制度による学校の選択の余地がないのが地方、そして山形であります。一市町村で一小学校、一中学校という計画のところもありまして、小規模な市町村教育委員会がそもそも弱体化してきているという課題もございます。

 次に、少人数学級についてでございます。

 我が山形県は、「さんさん」プランと称して、二十一人から三十三人程度の学級編制でやるということを全国に先駆けてやってまいりました。ただ、これもコインの裏表があるわけでございまして、この学級編制に伴う教員の増ということが課題になります。

 そしてまた、目いっぱい教師の方、教員に働いていただいているわけですので、むしろ教師そのもののゆとりというのがなくなってきているという状況にもあります。今現在、果たしてこの「さんさん」プランというのがどの程度効果があるのかということを一生懸命考えて、その検証、評価を行っているということでございます。

 続きまして、各法案に対する意見でございます。理由等もございますが、時間の制約もあるということですので、七つの法案について簡単に申し述べさせていただきたいと思います。

 一つは学校教育法でございます。

 幼稚園、小中学校に副校長等の職を置くことができるとすることについては賛成でございます。ただし、これは新たな職の給与体系の整備とか新たな定員措置がなされることが必要になってくると思っています。

 次に、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の改正についてでございます。

 教育委員会は、学識経験者の知見を活用し、活動状況の点検、評価を行うこととするについては、これは反対であります。まさに教育委員会そのものはレーマンコントロールという立場にあるわけでございますので、その機能を発揮すること自体が重要でございます。屋上屋を重ねる必要はないということであります。

 次に、市町村は教育委員会の共同設置等の連携を進めて教育行政の整備充実に努める、これについては条件つきで賛成したいと思っています。これは、共同設置などにより事務体制がかなり効率化されるということがあります。しかし、その設置に当たっても、各地域の実情に応じた配慮が必要だというふうに考えています。

 続いて、文部大臣の是正、改善の指示、さらには、文部大臣は講ずべき措置の内容を指示して地方自治法の是正の要求を行うものとする、この二つについては反対の立場でございます。これは地方六団体が一貫してきたことと私も当然のことながら考えを共有しているところでございます。むしろ、教育委員会に当事者意識と責任を持たせるということの方がより重要なのではないかと考えているところでございます。

 最後に、知事が私立学校に関する事務について助言、援助を求めることができるとする法律でございますが、これについては賛成いたしたく存じます。

 ちなみに、本県山形県においては、平成十八年度から知事の事務である私学振興を教育委員会が補助執行しているという実態が既にございます。児童生徒の安全確保に関する情報提供なども速やかに伝達できるようになった効果がございます。

 済みません、もう一つございました。教育職員の免許制についてでございます。十年間の有効期間を定めるということでございます。

 そもそも教員の免許制については、先ほどの私のマニフェストでもうたっております。ただし、この十年間の有効期間というのはやや長過ぎるのではないのかという感じを私自身は持っております。

 時間をオーバーしてしまいましたが、最後に、やはり教育というのは、欧米においても学校ではなくて家庭で行われるというのが常識化しているわけでございますので、学校の、特に教師の質向上ということはもとより、家庭での教育ということを改めて我々としては教育再生ではなく教育新生という立場から見ていく必要があるのではないかと思っています。

 取り急ぎ以上でございます。ありがとうございました。

鈴木座長 ありがとうございました。

 次に、逸見啓君にお願いいたします。

逸見啓君 山形市教育委員会教育委員長を務めております逸見啓でございます。よろしくお願いをいたしたいと思います。

 さて、十二月の教育基本法の改正を見ますと、学校、家庭、それから国や地方公共団体等のそれぞれの役割や責任を明確にするとともに、教育理念を大切にしながら、国と地方のバランス、公と私のバランスなど、さまざまな面でバランスをとったものと考えております。実際には、これから定められる関係法律や法令等により、教育の方向性が大きく変わってくるものと思っております。どうぞ国会におきましても、日本人の心が豊かに育ち、日本の教育の質がさらに向上するように、質の高い議論を展開していただき、できれば全会一致のもとで決定されることが望ましいというふうに思っております。

 また、三月十日の中央教育審議会の答申を受けまして教育改革法案が提出されましたので、所感を述べさせていただきます。

 山形県民は、美しい自然や田園風景を目の当たりにしながら、また、厳しい冬を乗り越えながら、暖かな春の喜びを感じながら生活をしているところでございます。この豊かな自然と、学校教育はもとより社会教育など歴史のある教育により、豊かな感性、情緒、知恵が育ってきております。豊かな体験と学びによる成長は教育の成果ととらえております。

 このたびの教育基本法の改正と関連法案により、今後とも日本が教育と文化を大切にする国として成長していくことを期待しております。法案を決定する視点の一つに、教育と文化を大切にすることを加えていただきたいというふうに思います。

 山形市におきましても、財政面では非常に苦労しているところが多々ございますが、すべてを財政的な判断、経済的な判断で処理することなく、人を丁寧に育てることに教育の意義を見出しているところでございます。現在、山形市教育委員会は、感動、感謝、信頼を基本理念としながら、主体的で豊かな学びと体験を通して、健やかな体、豊かな心、確かな学力を持つ知性と品性にあふれた子供の育成を目指しております。それが現在山形市の教育でございます。

 地方分権の流れの中で、各地域の実情に合った教育行政を推進できますように、また、地方と大都市、市と町村が主体的に選択しながらそれぞれ特性を生かすことができますように、法整備について御配慮をしていただきたいというふうに考えております。

 今回の法案につきまして、具体的なことを幾つか申し上げたいと思っております。

 最初に、地方教育行政の組織及び運営に関する法律について三点ほど申し上げたいと思います。

 まず、教育委員会のあり方について申し上げます。

 教育委員会の責任体制を明確にするために、地方教育行政は国との役割分担、協力のもとに地域の実情に応じて公正、適切に行われなければならないと定めることは大切だと思っております。その上で、教育委員会は、教育の中立性を確保するために必要な組織であるというふうに考えております。また、今回の改正は教育委員会の責任体制を明確化するものでありますので、私たちも、教育委員会が管理執行する事項をしっかりと検討していかなければならないというふうに感じております。教育委員は、事務局の事務執行状況の把握、評価はもちろん、みずからの研修に努めることも重要だと考えております。

 次に、教育における地方分権の推進について申し上げたいと思います。

 山形県内でも、市町村合併に伴い広域化し、いろいろな問題を抱えている市町村教育委員会がございます。こうしたことから、教育委員の人数につきましては、県や市においては六名以上、町や村においては三名以上と選択できることは非常に望ましいことだと思っております。また、県費負担教職員の人事にありましては、都道府県教育委員会には、市町村教育委員会の内申を尊重していただくことが必要であります。そのことによって、地域に根差した教育がさらに展開できるようになるものと思っております。

 もう一点、教育における国の責任の果たし方について申し上げたいと思います。

 教育委員会に対して必要な場合は文部大臣が是正、改善の指示ができることについては、おおむね賛成をいたしたいと思います。ただし、法の趣旨を生かし、厳格に適用していただきたいというふうに思います。また、対象となる教育委員会の言い分もしっかりと聞き取って判断するシステムをつくっていただきたいというふうに思います。

 あわせて、各教育委員会が当事者意識と責任を持って教育に取り組むことができるように分権型の教育の仕組みをつくることも大切だと思います。また、私立学校への教育委員会の関与は慎重にすべきだというふうに思います。教育委員会の内容を議会に報告することにつきましても、既に行政評価として議会に報告していることもありますので、各教育委員会と首長や議会に任せてよいと考えております。

 次に、学校教育法についてでございますが、副校長、主幹教諭、指導教諭が新設されることについては、学校が組織として機能するためには必要なことだというふうに考えております。これにより、学校教育目標の具現化のために具体的方針を提示し、的確な判断のもと学校教育が行われるものと期待をいたしております。

 ここで大切なのは、現在の学校が抱える多忙化が解消されるかということでございます。子供とかかわる時間をもっと確保しなければならないことを考えれば、教職員の定数を改善し、副校長等が機能するよう、国が教職員の定数増を打ち出し、財源的にも保障することが必要だと思っております。

 最後に、教員免許法について申し上げます。

 教員の免許状につきましては、十年ごとの研修と更新、それから、大学院までの六年間の教員養成等がそれぞれ両方提案されておりますが、現在の多忙な教員の状況を見ますと、現状のままで研修をプラスすれば学校は破綻するのではないかというふうに思います。みんなが願う、よい教師のいるよい学校で学ぶことができるように研修がしっかりとできるよう、教職員定数とセットで提案していく必要があるのではないでしょうか。

 いずれにせよ、不適切な指導の教員はごくごく少数であります。研修の目的は、教職員全体の質の向上にあります。ぜひそれに応じたシステムを構築していただきたいと思います。学校や学級を離れた研修でも、先生方が落ちついてじっくりと研修することができるような国の人的、経済的な支援が必要だと思っております。

 これで終わりたいと思いますが、山形市を会場にしました地方公聴会において、教育委員長として発言の機会をいただきましたことに感謝を申し上げたいと思います。ありがとうございました。

鈴木座長 ありがとうございました。

 次に、後藤恒裕君にお願いいたします。

後藤恒裕君 山形市立第一中学校長後藤恒裕であります。

 本日は、意見陳述の機会をお与えいただきまして、まことにありがとうございます。

 主に地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案について申し上げたいというふうに存じます。全部で大項目が六つございます。

 まず、項目の一、教育委員会の責任体制の明確化についてであります。三つございます。

 一つ目、地方教育行政の基本理念を明記すること及びその内容については賛成であります。

 二つ目、合議制の独立行政委員会の利点を認めつつも、みずから管理執行すべき事項を明確に規定することは、その弱点を補う効果が期待できます。教育長の権限強化を危惧する声もありますが、多種多様な課題や緊急事態に速やかに対応するには、教育長の専決事項としての処理は不可欠であると思います。

 三つ目、事務の管理執行状況を点検、評価することは時代の要請であります。学識経験者の知見を活用するにしても、自己点検を原則としており、教育委員会の独立性に配慮されていると思います。ただし、年一回報告書を作成し、議会に提出するとともに、公表することについては、説明責任の範疇であるとは思いますが、多岐にわたる所管事項を考えますと、教育委員会事務局に対する十分な条件整備もあわせて考える必要があると思います。

 大項目二、教育委員会の体制の充実についてであります。二つございます。

 一つ目、教育委員会の共同設置については、指導主事の配置努力義務に伴う財政的課題の軽減につながり、将来の教職員に係る人事権の移譲を視野に入れた場合においても、教育委員会の体制の充実につながると思います。ただし、地方交付税算定基礎とその効果に対する十分な配慮が欠かせないと思います。

 二つ目、教育委員の責務の明確化と研修の強化については、教育長以外の委員が非常勤であること、保護者を加えることが義務化されたことを考えれば、極めて適切であると思います。

 大項目三、教育における地方分権の推進についてであります。三点ございます。

 一点目、教育委員の数の弾力化や保護者選任の義務化は、制度的に多様な教育委員会を生み出す可能性があると思います。

 二つ目、文化、スポーツの事務を首長が担当できる規定は、合議制独立行政委員会である教育委員会の独立性の保持にはつながると思います。ただし、予算編成権を持つ首長とのかかわりについては、民主党案を含め、今後さらに十分な研究の余地を残していると思います。

 三つ目、同一市町村内の教職員の転任については、人事権はなくても、教職員の実態をよく知る校長の具申と市町村教育委員会の内申が必然的に通っているのが現状であります。課題は市町村間の異動であり、教育事務所の調整役としての役割が重要になっております。将来、人事権の移譲が現実のものとなれば、条件整備の問題とともに、一定規模の市と共同設置組合間の転任に係る調整が一層重要になるものと思います。

 大項目四、教育における国の責任の果たし方についてであります。二つございます。

 一点目、文部科学大臣の是正、改善の指示については、生命、権利の保護等、緊急かつ重大な事案に限定されており、地方自治法に照らしても違和感はないものと思います。ただし、改正法の趣旨が十分に理解されない場合、そのメッセージ効果により、大小さまざまな苦情までが文部科学大臣のもとに届く可能性は否定できない社会情勢にあります。

 二つ目、地方分権の推進という観点から、是正、指示規定が持つ教育委員会の自主性、自律性への影響については研究の余地が残されていると思います。

 大項目五、私立学校に関する教育行政についてであります。

 建学の精神に基づいた独自性が私立学校の存在理由であり、管理強化によりその独自性が損なわれないよう配慮すべきものと思います。

 大項目六、終わりに、義務教育は国家の最重要事項であり、必要な財政措置を講ずるなど国の責任において水準の確保に努めるとともに、国と地方が考え方や行動において一貫していることが国民の信頼を得ることにつながるものと思います。

 地教行法の一部を改正する法律案の第一条の二「基本理念」にありますように、改正教育基本法の趣旨にのっとり、教育の機会均等、水準の維持向上を図ることはもちろん、とりわけ全国各地域の実情に応じた教育の振興が図られますよう、また、国の地方への新たな関与のあり方について、地方分権の視点を重視しつつ、さらに議論を深めていただければと存じます。

 なお、教育関連三法案を初め一連の教育改革関連事項については、全日本中学校長会長名で関係各会議の委員長、会長、座長あて、意見陳述をさせていただいておりますので、御一読いただければ幸いであります。

 以上、校長としての思いを申し述べさせていただき、意見の陳述を終わらせていただきとう存じます。ありがとうございました。

鈴木座長 ありがとうございました。

 以上で意見陳述者からの御意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

鈴木座長 これより委員からの質疑を行います。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。木原誠二君。

木原(誠)委員 自由民主党の木原誠二でございます。

 三人の皆様には、大変お忙しい中で大変貴重な御意見を賜りました。心より感謝申し上げる次第でございます。

 冒頭、知事から、教育の理念、そしてまた今後の方向性といったようなものについてお話を伺ったわけでございます。きょうは、午前中、第一小学校の方に我々お邪魔をさせていただきました。その中で、知事がおっしゃったことがまさにそこで実践をされているなということを強く感じた、これは感想でございますけれども、まずそのことについてお話をさせていただきたい、このように思います。

 一つは、つくるということではなくて残すということ、これが非常に重要だということをおっしゃったわけですけれども、例えば相撲に取り組んでいく、あるいは旧校舎を残しながら新校舎を建てていく、こういったことも実は非常に大切なことだなということを感じたところでございます。それからまた、地域のきずなということについても、ちょうど相撲のときにも、多分父兄の方だと思いますけれども、多く参加をいただいておりました。そしてまた、開かれた学校という意味でも、学校そのものが開かれていると同時に、学校の中そのものも開かれている、いわば壁がない教室、教室が壁がなくオープンスペースになっている、こんなこともよく実践をされているなということをつくづく感じたところでございます。

 その過程で、私自身、実はイギリスに五年間行っておりました。その中で、実はサッチャー元首相に三回にわたってインタビューをさせていただきまして、サッチャーさんが私に言ったことは、自分のこのイギリスの教育改革は、これが成功したかどうかということはきょうの議論の俎上には上らないというふうに思いますけれども、日本の教育をとにかく目指したんだと。一つは高い学力、もう一つは高い規範意識、そしてまた学校関係者の高い使命感、こういうことを三点挙げられたことを、きょう視察をさせていただきながらつくづく感じたところでございます。

 そういう意味では、我々は、日本の教育のいい面を残しながら、しかし、直すべきところ、改善すべきところにしっかり取り組んでいくということが大変重要だなと。こんなことで、きょうは、今いただいた御意見、一つ一つ御質問させていただきながら、どんな改善点ができるのかということについて御意見を賜りたい、こんなふうに思っております。

 まず初めに、学校教育法の中で、実は、今お三方の皆さんから特に御指摘はなかったんですけれども、学校の評価ということについて、山形県はとりわけ評価をしっかりやられてきているんだろう。山形県のホームページを見ても、十四年度、十五年度、十六年度と、評価の結果、あるいは評価の基準、それから評価が改善された点等々、しっかりとコメントがなされているわけですけれども、今回、学校教育法の中でこの評価というものを義務化する、公表についてもこれからしっかり努力していくということの規定が入ったわけですけれども、これまでかなり真剣に取り組んでこられた山形県の教育界として、その点をどのように評価されるのかということがまず一点。

 それと同時に、この評価も含めてだというふうに考えておりますけれども、学校の情報をしっかり提供しなさいということも今回の学校教育法に書かれているわけですけれども、これは学校を開かれたものにするあるいは地域のものにするという意味では大変重要な規定かな、こう思っておりますけれども、この点についての御評価もお三方から順次お伺いできればというふうに思います。

齋藤弘君 まず、学校評価の義務化の評価ということだと思います。

 何事も評価、検証が行われなければ未来に広がっていかないというのは当然のことだと思います。その限りにおいては学校評価というのは必要だというふうに思っております。

 ただ、この学校評価の使われ方の問題が、今後やはり慎重に取り組んでいかなければいけないのではないか。将来に改善すべき点をより浮き彫りにするという意味での学校評価であれば、当然これはすばらしいことであると考えるわけですが、逆に、これが学校評価をもってまさに学校間の格差の尺度みたいなものに使われるということになれば、これは極めて残念なことになるんだろうというふうに思います。評価は必要、しかしその使い方について慎重であるべきという意見であります。

 それから二点目、開かれた学校ということについてでございます。

 これは先ほども最後に申し上げましたが、本来、教育というのは、学校そのものというよりも家庭で行われるべき筋合いのものではないかということを基本に考えております。そういう意味で、学校が家庭と融和しながら開かれた学校になっていくということは、むしろ望ましい方向なのではないでしょうか。

 これは単に義務教育だけの問題ではなくて、例えば高等教育機関においても、今地方では産学官連携ということが極めて重要な手段になっております。ニーズ、シーズをその産業に生かすということでありますので、そういう意味でも、やはり開かれた学校ということは今後とも大変重要なものになっていくのではないかと思っております。

 以上であります。

逸見啓君 学校評価の項目の内容がどんなものかということも含めて、各学校が教育委員会や他校との連携を十分に図りながら、それぞれの特徴に応じた目標や指標、内容等を地域とともに定めていくものでないのかなというふうに考えております。それから、学校格差といいますか、導入した場合、学校間の格差拡大につながるのではないのかなという心配も私は持っております。

 その学校評価というのは、学校運営について組織として継続的に改善を図りながら、保護者とか地域に信頼され、そして開かれた学校づくりをするのが目的であるのではないのかなというふうに考えております。したがって、地域の中の学校としてのあるべき姿を目指すために学校評価は実施されるべきでないのかなというふうに思っております。

 以上でございます。

後藤恒裕君 学校の評価あるいは教職員の評価については、私は直接の当事者でありますけれども、やはり必要性については否定できない、いわゆる社会の要請であろうというふうに思います。

 ただ、気をつけなければいけないことが幾つかあると思います。

 それは、評価するための、いわゆる評価のための評価といいましょうか、事務量が非常に膨大にふえてしまうというおそれ、これをまず第一点に気をつけなければいけないところかと思います。

 二つ目は、教育ということにかかわって、いわゆる学校の評価、教職員の評価ということについて、その評価基準というものが極めて難しい。まあ、難しいからできないというふうに申し上げているのではないんですけれども、これは極めて大変な部分だなというふうに思っております。

 したがって、学校評価が、先ほど知事さん、委員長さんがおっしゃられたように学校間の格差を生み出すようなものであってはならないし、ましてや教職員の評価が、これはいろいろと議論されているところでありますけれども、将来、給与面に反映するというようなところまで行ってしまいますと、これは教員の和を保つという意味において極めて難しい現実が出てくるのかなというふうに思っております。

 いずれにしましても、いつでも、だれでも学校に来ていただいて、学校の様子をつぶさに見ていただく体制、それから、情報として、ホームページ等も今考えているさなかでありますけれども、当然つくってはいるんですけれども、それをどう活用していくかということ、これは個人情報保護法との絡みなどもあってなかなか難しい側面もありますが、あらゆる手段を使って情報を外に公開していくということについて今後一層力を入れていく必要があるだろう、そのように感じております。

木原(誠)委員 ありがとうございました。評価自体は重要だ、しかし、そのやり方あるいは使われ方は慎重に、こういうことだろうというふうに思います。

 とりわけ、私は知事とそういう意味では多分同じ土俵に立つのかなと思いますけれども、評価を通じてそれが例えばバウチャー制度に利用されるといったようなことはあってはならないんだろう、こういうふうに思います。実は、その点は残りのお二方にもお伺いしたいんですけれども、時間がありませんので、感想だけを申し述べたい、このように思います。

 先に進みたいと思います。

 今、評価はどの世界でも今後大変重要ですということを冒頭知事からお話をいただいたわけでございますけれども、他方で教育委員会が自己評価をするということについて、先ほどこれは私は反対ですという意見の表明があった、このように思いますけれども、その点、どうして反対なのかということをもう少しお述べいただければというふうに思います。

齋藤弘君 教育委員会が自己評価をすること自体が反対だということよりも、制度設計として、たてつけとして、有識者というような新たな、いわば先ほど屋上屋というふうにややぶしつけな、失礼な物の言いようを申し上げたとは思いますが、もともと教育委員会というのはレーマン制度ということを基本に成り立っているものですから、教育委員そのものがそうした専門性及び識見を持っていることが前提になっているのではないか。そうならざれば、教育委員をまたかえるということも当然できるわけでございます。

 そういう意味では、そういう方々、外部の目というのは既に制度設計の中にビルトインされているはずであるので、それを前提にして、教育委員会というのは、自己評価、まあ、自浄能力があるはずであるというふうに思っている、そういうことでございます。

木原(誠)委員 ありがとうございます。

 そういう意味では、学識経験者の知見を活用しつつということでございますから、評価そのものはやるのは必要ではないかな、これは私の立場ですけれども、その点を申し上げたい。

 それと同時に、知事の方から、そういう意味ではむしろ教育委員会に当事者意識を持ってもらう、あるいは責任感を持ってもらう、これが大変重要だ、こういうことがございました。今回の法律案の中にも、例えば保護者の方に入っていただく必要がありますねということで、教育委員会の構成として保護者を加えるべきではないか、あるいは、知事を中心に研修をしっかりやるべきではないかといったようなことが法案に盛り込まれているわけですけれども、この点について、これが教育委員会そのものの当事者意識、責任意識の向上に資するかどうかということについて、簡単にお三方から御意見を賜れればというふうに思います。

齋藤弘君 具体的に私自身もどういう制度設計になるのかというのが頭の中でまだ十分に描き切れていません。それを前提としてお話し申し上げると、私ども山形県の教育委員は、既に自身が保護者であったりするケースが極めて多いことでございます。そしてまた、そういうような経験を踏まえているからこそ、教育委員として任命させていただいております。したがって、そうした知見なり専門性なり識見というのは、先ほどの繰り返しになりますが、既に有している方ということが前提になって委員に任命させていただいている。

 さらに、今動いている、現在進行形の教育の場にある保護者との意見交換、ないしはその保護者の意見などをいかにして反映させていくのかということですが、これはむしろ、教育委員会そのものというよりも、そもそも学校を通じて、学校の教育現場を通じて教育委員会に上がってくるべき筋合いのものではないのかな。そうしないと、本当の現場主義、徹底した教育というのは行われないのではないのかな、このように考えています。

 したがって、教育委員会そのものの制度というのは、今のような制度で特に問題はないのではないか。むしろ、先ほど申し上げたような当事者意識と責任という観点から、より活性化されるべきものではないかと思っています。

逸見啓君 私は教育委員という立場からちょっとお話をさせていただきますと、教育行政を事務局を含めて指揮監督する立場にあるわけでございますけれども、現状は、限られた時間の中で本当に多くの案件があります、それを審議しているうちに、なかなか思い切った発言もできないうちに事務局案のままほとんど議決をしてしまうという教育委員会が非常に多いというふうに、私もいろいろな地区の方から話を聞きますと、そのような状況が非常に多いというふうに聞いております。

 ただ、事務局案のままほとんど議決をしているわけですけれども、教育委員会の機能を充実させるため、今回の改正案にどうしても合わせていく必要もあるのではないかなということを強く感じているところでございます。

 簡単に言うと、そのようなことでございます。

後藤恒裕君 教育委員さんの中に保護者が入られるということについては、全く違和感はございません、既に私の保護者の中に一人教育委員さんが存在いたしますので。

 問題は、教育委員さん方に頻繁に学校現場を見ていただきたい、こういうことでございます。やはり学校の現場というものをよくつぶさに見ていただくということが教育委員さんの役割に非常に大きく資するのではないか、そのように感じております。

 以上でございます。

木原(誠)委員 ありがとうございました。

 もう一点、教育委員会についてちょっとお伺いしたいというふうに思います。

 今回、教育委員会の権限のうちスポーツと文化にかかわるものについて、いわば首長さん、市長さんに委任というか、行使することができるようになるということでございます。

 この点について後藤先生からは基本的にはいいのではないか、こういう御指摘だったというふうに思いますけれども、もう時間が限られていますのでごく簡単に教えていただければと思いますけれども、文化、スポーツを超えてさらに何か首長がやるべき、あるいはゆだねた方がいいというものがあるのかどうか。そのことによって教育委員会が地方における教育の主体を担っていくべきなのか、あるいは選挙によって選ばれた首長が担っていくべきなのか、これについても大きな影響を与えるというふうに私は思っておりますけれども、私自身は、できる限り地方の教育は教育委員会を通じて自主性、自律性あるいは中立性、こういったものを保ちながらやっていく、大変重要なことだろうというふうに思っていますけれども、今回そのうち文化とスポーツが抜ける中で、次にもし何か考えられることがあるのかないのか、その点、感想で結構です、簡単にお三方から御意見をいただければと思います。

齋藤弘君 私は、首長にあるべきなのか教育委員会にあるべきなのかという二者択一の観点ではなくて、本来であればこれは相補完しながら進めていくべきものだというふうに考えております。

 スポーツ、文化というのは、そういう意味では共有できる、いわば言葉がなくてもみんなに大変感動を与え、また知的刺激を与える分野であります。したがって、これは、行政にとっても、県政を進める上でも極めて重要な政策課題の一つでございます。これを教育の現場と行政の長たる首長がともに啓発し合いながら、切磋琢磨し合いながら、我が県の場合ですと、山形県全体にそうした機運を高めていくということは極めて重要であります。

 したがって、相補完しながらこれを進めていくべきというふうに考えています。

逸見啓君 私は、ある程度スポーツの方にも関係をしております。実際、この文化、スポーツの事務を首長が担当するようにというような話でございますけれども、私は、現在のことを考えますと、何で今急にといいますか、そういうことが必要なのかなという気がいたします。

 首長の方に、行政の方にやった場合に今よりまだまだよくなるのかなということを考えますと、そうではないのではないかと。同じではないのかな。ただ変わるだけであって、かえって、今まで順調にいっていたものを変えると……。変えなくてもいいのではないのかなというのが私の考えでございます。

後藤恒裕君 二つの事柄に限って首長さんにということでありますけれども、私は、単純にこれは財政的なことが絡むのかなというふうに印象的に思ったわけであります。

 つまり、先ほど申し上げましたとおり、予算編成権という非常に強力な権限を首長さんはお持ちでありますので、持てる首長さんと持たざる委員会というその構図については、かかわりについて今後十分に研究を進めていく必要がある、このように思っております。

木原(誠)委員 ありがとうございました。

鈴木座長 次に、牧義夫君。

牧委員 民主党の牧義夫と申します。

 きょうは、それぞれの立場から本当に貴重な御意見を賜りましたことを、私からも心からの御礼を申し上げたいと思います。皆様方の御意見をしっかり参考にさせていただいた上で、また今後の審議につなげていきたいと改めて思った次第でございます。

 ただ、皆様方それぞれの高い御見識をお示しいただいたのはありがたいんですけれども、冒頭、団長から紹介があったように、今回のこの審議、私ども民主党が提案をしております、前国会からの提案でもございます日本国教育基本法案を初めとする我が党の四法も俎上に一応上っておりますので、その点についてのコメントもぜひいただきたかったなという思いもいたしました。

 ただ、急なお呼びかけで、資料は委員部の方から届いてはいると思うんですけれども、限られた時間の中で、お忙しい皆様方が十分に私どもの法案についてチェックする時間がなかったと思いますので、きょうは、それぞれのお立場がございますので、特に国と地方の責任分担のあり方等について、我が党の案についても若干かいつまんで説明をさせていただきながら感想をお聞かせいただければなと思っております。

 私どもの日本国教育基本法案に基づいて今回地教行法の改正案も私どもなりのものをつくり上げたつもりでございますけれども、まず端的に、政府案と百八十度違うのが、むしろ政府案というのはどちらかというともう一度中央集権に戻すような感も私どもはいたしております。私どもは全くそれと方向性は逆なわけで、どうやったら、少なくとも現場に近いところに、いわば現場主権と申しますか、そういう形に持っていけるかなというのが私どもの方向性でございます。

 そして、先ほど後藤校長先生からのお話にも予算を持つ者と持たざる者との違いということがございましたけれども、私どもは、予算執行権のある首長さんのところで教育行政についても責任を負っていただく、そういう形を目指している法案でございます。国が最終責任ということももちろんうたっているわけで、これは憲法の要請に基づいて教育水準の維持向上、教育の機会均等ということは国が最終的な責任を持たなければならないというのをもちろん踏まえての上でございますけれども、私どもは、できるだけ現場に近いところに主体的に学校を運営していただきたい、そういう意味合いの法律をつくり、法案をつくったつもりでございます。

 そういう中で、私どもは、学校現場、学校を民主的に運営する学校理事会というものをつくっていただいて、そこで教育課程も含めてきちっと学校運営を行っていただく。そして、首長がその責任を負うということですから、これは先ほど知事さんのお話にもあったように、これは私ども国会議員もそうですし、あるいは首長の皆さんも主権者である国民から選ばれてその職にあるわけでございますから、まさにそこできちっと民主的に教育をつかさどっていただく。そしてまた、その一つのチェック機関というか、今の教育委員会を発展的に教育監査委員会のようなものにしていけないかというのが私どもの案でございます。

 ちょっとかいつまんで申し上げましたけれども、まず、その私どもの案についての感想をお一人ずつちょっとお聞かせいただきたいと思います。

齋藤弘君 まず、大きな流れとしては、教育現場において国の関与をさらに強めるような方向ということについては、やはり地方分権一括推進法の趣旨に反しますし、平たく申し上げれば、大きな動きの中ではやや時代に逆行する動きなのかなという感じを持っております。

 それからもう一つは、教育の基本というのは、もちろん教育委員会制度というのも大変重要だとは思いますが、私は、先ほど校長先生もおっしゃいましたが、やはり教育の現場であり、その現場における教師の質だというふうに思っています。特に低学年であればあるほど、教師というのはその生徒にとってほぼ全人格なわけですね。これはもう我々が経験において感じ取ってきたわけであります。したがって、そういう意味での現場を重視するという大きな流れもあわせてやるということだと思います。

 そういう意味では、翻って教育委員会の制度をどう考えればいいのか、再構築していけばいいのかということは、繰り返しになりますが、当事者意識と責任感というのを持ってそれぞれの地域に合った教育ができればいい、そういう考え方を持っております。

逸見啓君 私も知事の発言に大分似ているんですが、率直に、民主党案さんの資料を見せていただいて、どこが教育委員会と大幅に変わってくるのかな、これが行政の方に行くという形にはなるわけですけれども、そういうときのプラスというのはどういうものか、それがちょっと我々にはまだ見えないところが多々ございます。

 ここにあります学校理事会等につきましても、学校評議委員会等も、これも名称がちょっと違うだけで、この内容を見ますと、保護者、地域住民、学校関係者、その他ということで、そう変わりもないのかなと。そう見えるものですから、私はちょっと首をかしげているというのが実際でございます。

後藤恒裕君 私も読ませていただきました。いわゆる監査委員会ですか、議会で選挙をするというあたりが非常に斬新だなというふうに思ったんですけれども、ただ、いかんせん実感がわいてこないんですね。もちろん、まだ実現していないわけですので、実感がわくわけはないんですけれども。ただ、魅力的なのは、その予算という部分にかかわって、その予算編成権を持つ首長さんのもとでというのは非常に魅力的だとは思います。

 ただ、これも、本県でも教育長の首がすげかわるような事件が起きるんですけれども、首長さんも首が幾らあっても何か大変だなという事態も考えられなくもない。したがって、今の段階では制度論と運用論をやはり分けて考えるべきだろう、こういう結論に達したわけであります。

 つまり、いろいろ反省すべき点は今の教育委員会制度のもとではたくさんございますけれども、うまく運用している教育委員会も中にはあるわけでありますので、運用論の段階で解決できるのではないか、今の段階ではそのように考えます。

牧委員 確かに制度論と運用論を分けて考える必要は私もあろうと思っております。ただ、であればこそ、それでは本当に今回の制度改正によって地方教育委員会の権限なり責任がより明確化したのかというと、私はそこは疑問に思わざるを得ないわけです。今までどおり、県の教育委員会、市町村の教育委員会の役割というのは、それぞれまだあるわけですし、そのまま温存されたままですし、私は、その中で本当にそれぞれ責任が明確化された運用ができるのかなと、そこは疑問に思わざるを得ないわけです。

 例えば、去年、いろいろな問題が噴出しました。未履修の問題ですとか、あるいはいじめによる自殺の問題等々、文科省に報告が上がってくる時間が物すごくかかる。そういうこと一つとってみても、本当に学校現場と、学校設置者であるところの教育委員会、そして人事権者であるところの教育委員会、そして国とのきちっとした運用がなされているのかというところが私は非常に疑問に思わざるを得ないわけで、そういった問題を解消するのは我が党案しかないんじゃないかなと、手前みそになりますけれども思っている次第ですけれども、そこら辺のところを、もう時間が終了していたので、ちょっと知事さんだけお話を伺いたいと思います。

 特に知事が高等教育を受けられたアメリカなんかですと、教育委員会公選制であったり、あるいはその予算も教育委員会の独自の予算を持っているということで非常にわかりやすく私は思うんですけれども、いかがでしょうか。

齋藤弘君 大変難しい質問だなというふうに思いますが、やや繰り返しになって恐縮なんですが、そもそも教育というのは管理監督になじむのかどうかという、そもそもがあると思います。ある方に言わせると、今の日本の教育の荒廃は政治家が教育をやっているからいけないんだと言い切る人までいるわけですね。そこまで申し上げずとも、やはり現場をとにかくよく知るということがとても大切なのではないでしょうか。

 先ほどもちょっと言いかけましたが、我が県が先進的に入れてきた少人数学級制度においても、むしろ生徒のゆとりではなくて先生方のゆとりがないところに大きな問題をはらんでいる、ゆとりがなくなったことに問題があるというふうにも今観察されているところでございます。そういう意味も含めて、現場の教育というのをどう考えていくのか、そこを深く考えることがこれからの教育のあり方を考えていくことのポイントになるというふうに私は思っています。

牧委員 ありがとうございました。

鈴木座長 次に、松本大輔君。

松本(大)委員 民主党の松本大輔です。

 きょうは、本当に貴重な御意見を賜りまして、まことにありがとうございます。若輩者からぶしつけな御質問をするかもしれませんが、どうぞ平に御容赦をいただければと思います。

 まず、逸見教育委員長にお伺いいたしたいと思います。教育委員会についてでございます。

 先ほど、お話の中で、事務局案のまま通してしまうことも多いと聞いているというお話がございました。教育委員会については、常勤の教育長さん、事務局長的な教育長さんが多くの場合行政経験者あるいは教職経験者である。一方で、その他の教育委員さんは非常勤である。会議は月一回から二回。したがって、教育長というか教育長を中心とした事務局がつくってきた案を、起案された案を事実上追認してしまっている、形骸化してしまっているんじゃないか。つまり、教育長も教育行政の、身内の方ですから、そういう身内から上がってきたものを追認してしまっている。これはレーマンコントロールの趣旨に反しているんじゃないかという御批判があるわけですけれども、まず、この点についてどのように受けとめていらっしゃるかという点が一点。

 それからもう一つ、いや、むしろそうじゃないんだ、そもそも今の教育委員会が執行機関であることの方に構造的な無理があるんだ、つまりは、教育長を中心とした執行部分を切り離して、教育委員会はいわば監査だけに特化することによってさまざまな分野で御活躍のその他の委員さんが識見をむしろ存分に生かせるようになるんだと。今の、構造上の欠陥があるんだ、監査機能に特化すべきじゃないかというような考え方、これも可能だと思うんですね。先ほど今の教育委員会と民主党案とではどう違うんだというお話があったんですが、実は、まさにこれが我が党の教育監査委員会と現行の教育委員会との差。執行と監査がごちゃごちゃになっている状態なのか、それともはっきりと監査機能に特化するのか、執行と切り離すのかというお話なんですが。

 この二点についてまずはお伺いできますでしょうか。

逸見啓君 先ほどもちょっと口に出しましたけれども、ここ二、三年前までは、本当に、事務局案が提出されたときに、局長初め事務局の方々の説明にいろいろな質問をしながら大体が了承をしておったというのが現状です。そういう教育委員会が、実際、先ほども言いましたけれども全国的にも市町村の教育委員会では非常に多い。そのために、教育委員は名誉職だとかいろいろなことが言われておるというのも確かにあったわけでございます。

 ただ、去年あたりからは、そういう外部からの批判その他もございまして、事務局案に対しては、そうではなくてこうではないのかなというふうな意見を出す委員会が非常にふえてきております。

 実は、きのう山形県の市町村教育委員会の理事会がございまして、私もたまたまきょうの会議があるということで皆さんからもある程度話をお聞きしたところが、小さな町村では今言ったようにまだ事務局案にしているというのが多いようですけれども、市では山形市と大体同じで、こういうことではなくてこういうものではないのかなというところまで皆さん進んで言うようでございます。それで、月一回の会合が、今、月二回というところも結構出てまいりました。それを考えますと、非常に変わってきて、よくなってきているなというふうな感じがいたしております。これは全国的にもそのようなことでございます。

 それから、あと執行機関ですか。(松本(大)委員「執行と監査を切り離してはどうかということは」と呼ぶ)監査を切り離してということになりますと、そこまで今まで話をしていませんでしたので、どのように返答したらいいか、ちょっと困るのが本音です。

松本(大)委員 執行の方は、我が党案では首長部局に切り離すということだったわけですけれども。

逸見啓君 確かに、それは現在も首長さん。でも、教育委員会は独立しておりますので、財政的な面に関しては最終的には首長さんの方にお願いをせざるを得ないというのが現状ではないのかなと思いますけれども、それにはやはり我々は教育長さんとか事務執行部に強力に働きかけをやっているのが現状です。

 以上でございます。

松本(大)委員 ありがとうございます。

 次に、ちょっと県知事にもぜひお伺いしたいなというふうに思います。

 教育現場、まさに学校というものを重視していくというお話をされていらっしゃいました。それから、当事者意識というものが大事なんだというお話もございました。是正、改善の指示については反対である、教育委員会に対する国の権限強化については反対であるというお話もありました。私も全く同感であります。

 確かに、いじめ、未履修のお話というのは、教育委員会が適切に機能していなかったということもあるのかもしれませんが、一方で文科省の認識や対応の甘さ、感度の悪さということも随分指摘されてきたわけで、果たして国の権限を強化するだけで今の学校現場が抱えているさまざまな問題の解決策たり得るのか、私は疑問に思っているわけなんですが、この当事者意識といいますか、現場に権限をおろしていくことによって学校現場の問題を解決していこう、これはまさに我が党案の考え方でございまして、首長、それから議会、さらには学校現場、この方々の持っていらっしゃる自浄作用といいますか自浄能力を存分に発揮していただけるような制度変更、制度設計というものに改めていったらどうかという考え方でございます。

 学校理事会というのは、言うなれば非公開の会社に社外取締役、これは恒常的な学校評価を行うということでありますし、執行と監査を切り離すという先ほどのお話もガバナンスの観点からは至極当然のお話ではないかなというふうに思いますし、教育委員会を隠れみのにした首長の責任逃れというものもできなくなれば、これは議会での追及に対して非常に緊張感を持たれる、さらには最終的には首長選挙による結果責任を問われるという形で、当事者意識というものを大事にし、自浄能力に期待をし、かつ、ガバナンスの観点からも、非常に今の制度よりは抜本的に、まさに教育新生という言葉を使われましたけれども、再生ではないんだ、新たに仕組みから、根底からつくり上げていくんだというのが我々の考え方でもあるんですが、改めて、そういった我々の考え方について齋藤知事がいかに受けとめていらっしゃるか、お伺いできればと思います。

齋藤弘君 そういう意味では、教育のことについてそれぞれ皆さん大変御熱心にお考えいただいていることだなというふうに思います。

 一方で、繰り返しになりますが、教育というのはやはり現場がとても大切。仮に予算編成及び執行権限とともに行政に来たとしても、行政は現場の様子は現場からの情報を当然得なければいけない、そうしなければ適切な判断ができないということになろうかと思います。したがって、完全に行政に渡すというのも、やはり教育の専門性を持った方が教育を執行するということは合理性があるのではないのかなというふうに思います。逆に、今のように予算の編成及び執行権が行政にあることによって、むしろチェック・アンド・バランスが成り立っている面もあるのではないかというふうに思います。

 それからもう一つ、監査というのは、企業の場合ですと会計監査と業務監査というのがあるわけですけれども、この場合、恐らくイメージしておられる教育現場での監査というのは、いわば業務監査の方だというふうに理解しますが、今の体制で監査だけを専門にやる部署というのが本当に必要なのか。むしろ、みずからがまさにPDCAを回して、現場でPDCAに基づいてみずからをより高めていくという方が重要なのではないか。むしろ、そうできるような、先ほどの議論に戻りますが、教師の質というのを高めていく必要があるのではないのかなというのが私の考えであります。

松本(大)委員 本当はもっともっと意見交換をさせていただきたいんですが、残念ながら時間が参りました。どうもありがとうございました。

鈴木座長 次に、西博義君。

西委員 公明党の西博義でございます。

 きょうは、三人の陳述人の皆さんに、大変お忙しいところ、貴重な御意見をちょうだいいたしましたこと、まずもって感謝を申し上げたいと思います。

 きょうは、先ほど山形市立の第一小学校にお邪魔をいたしました。あそこに青い目の人形がございまして感心したんですが、先ほど知事さんからおっしゃられましたように、教育は国家百年の計である、将来を見据えるということも大変大事なことだが、逆に伝統といいますか過去というものをじっくり見据えた上で、その上に立った百年の計といいますか今の方針を立てていくことが大事だというふうにお話をいただきましたけれども、たまたま、昭和二年でしたか、こちらに贈られた人形がそのまま大事に保管されているというお話を聞いて、本当に知事さんのお考えと現場の先生方のお気持ちが通じているということなんだなと思いながら、今知事さんの話を聞かせていただきました。

 その中で、教育というのは教師そのものだ、教師の質がすべてを決すると言ってもいいんだ、もちろんその他財政的な、また設備的なものもいろいろあると思いますが、究極は先生の質だと。私も全くそのように思います。私自身も二十年ほど教師をやっておりまして、本当に教師というのはそういう意味では子供にそのまま自分自身の人格をぶつけていく大事な仕事だなというふうに思っておりまして、後藤先生初め地元の先生方の御努力に感謝を申し上げたいと思います。

 先ほどの小学校でもお伺いしたんですが、県の方で県費の先生方を採用されて、少人数学級を初めとする加配を、本当に全国でも有名な先生を、充実した陣容をそろえていらっしゃるということをお聞きしておりまして、その点について、もう五、六年でしょうか、その前後の変わりといいますか、今の現状と過去とを比較して、その効果といいますか、どういうふうに判断をされているのかということを知事の立場で御紹介いただきたいと思います。

齋藤弘君 まさに、子供たちにより丁寧な教育を行うという思想のもとに、少人数学級を我が県は全国に先駆けて実施いたしました。その効果ということについて、なかなか定量的に、例えば一〇%ふえました、そういうような形でその効果を検証するというのは非常に難しいのであります。

 しかし、そうはいっても、行政もPDCAを回していかなければいけないということがありますので、さまざまなアンケートを通じて、さらには、できるだけ定量的に把握できるもの、例えば不登校の率であるとか、そうしたものを組み合わせて総合的に判断し評価していかなければいけないのではないかということで、実は、本格的にこの少人数学級についての評価というのを昨年来から始めまして、三年間かけて結論を出そうというふうに思っています。これはデータのトレースが必要ですので、一年頑張ればできるというものではございませんので、それを今やって、来年度あたりには一定の評価が出るのではないかと思っています。

 もちろん、先生の目が行き届くというメリットがございます。一方、逆に頼り過ぎる、依存心というのを惹起して、子供たちの本来備えるべき人生に立ち向かう気概とか、生きる力と言っていますが、これについてはどうなのかというそもそもの疑問がございます。

 そういうこともあるものですから、中学生においても少人数学級を導入しようという判断のときに、小学生は全部少人数学級ですが、中学一年生というのは、小学校から中学生へのトランジッションというのは、我々の経験でもわかるように大変急激なものでございますので、一年生についてやろう、しかも、その一年生については現場の判断を尊重するような仕組みを導入しようということで、少人数学級と副担任制を選択にいたしました。それで、それぞれの中学校で現場に合ったものをどちらか選んでいただく、こういうような措置をとりました。

 その背景には、今申し上げたような少人数学級における光と影の影の部分を何とか補えないだろうかという発想が一つと、もう一つ、より大きなものは、教育費というのは他の予算とは違って子供たちに満遍なく行き渡らせるべきであるというのが私の考えです。

 少人数学級を三十人前後に下げて加配をするというその予算措置というのは、山形市などの大きな市に限られてくるわけですね。その他の山形県の多くの地域は三十三人にしたいという逆のような学校の方がむしろ多いわけでございまして、そちらの方には何ら予算的手当てをせずに、都市部だけの予算措置では、これは予算の使い方、その性格において誤りではなかろうかということもあって、副担任制もあわせて導入し、当然、少人数学級は、もともと少人数なところは副担任制を採用する、そういうような予算措置、教育費予算の均てん化もねらっているということであります。

 まだまだ評価、検証は続くという段階にあります。

西委員 思い切った方針を貫かれておられまして、これからさらなる検証と発展を期待したいと思っております。

 次に、知事さんに、先ほど是正の要求と指示のことについて反対という、これは地方自治体の皆さんの御意見ということも当然のことだと思うんですが、実は、私どももここは随分与党として考えました。最終的には、特に指示という形になる前には、生命、財産とか緊急的なものに限って指示という形で地方におろすということと同時に、知事さんや議会の方にもきちっとその旨のことについては通知をするということでおさめたわけですが。

 やはり現場的に見ると、大臣がそういう指示を出す以前に、当然のこととして、市長さんや知事さんがその事態を把握するケースが多いんじゃないかということも、私ども党内で議論がございました。これは知事さんの役割ということでは地教行法の範囲を超える話なのでここには出てはいないんですが、何らかの形でそういう緊急性のあるときには当然のこととして任命権者である知事さんの役割というのはあっていいんじゃないかという議論に対して、知事のお考えをお聞きしたいと思います。

齋藤弘君 一部繰り返しになりますが、国の関与を教育において、三位一体改革の議論のときも義務教育の国庫負担金の分担比率みたいなものについても大分議論になりました。私自身も、本来は大きな地方分権の中で国の関与というのは教育分野においてはより後退するべきではないか、地方の自主性というのをより尊重するべきではないかという立場にございます。そういう意味で、現在の是正勧告措置で十分ではなかろうか。

 理事が今おっしゃったように、何か極めて不都合な事態があれば行政とてそれを看過しないわけでございますし、国の文部科学大臣まで行き着くような事態になるというのは、首長としてはむしろ政治的にも非常に責任問題になるわけでございますので、改めてそうした制度設計というのは必要ないのではないのかなというのが私の立場でございます。

西委員 もう一点、知事さんにお伺いしたいと思います。私学の件です。

 今の実情をお伺いしますと、教育委員会の方に私学の行政について補助執行というお話だったように思うんですが、このことについてもう少し実情をお伺いしたいのと、この現状に対して地元の私学の皆さん方の認識がどうなのか、この二点についてお伺いしたいと思います。

齋藤弘君 私どもは、特に幼稚園、高校の私学に対する依存度というのは、幼稚園は九割、それから高校については三割を私学に依存しています。したがって、公立、私学にかかわらず、公教育の一環として私学というのをとらえてございます。それがまず一つ。あともう一つは、生涯教育というか教育の一貫性を保つために、やはり義務教育から、まあ、幼稚園、義務教育、高等教育までできれば一本の筋が通ってこの教育ということを考えることができれば非常に望ましいのではないか。こういうようなことから、実際の私学振興については教育委員会へ補助執行をお願いしているという実態になってございます。この二つの観点からでございます。

西委員 それは、私学の建学の精神、独自性というのを当然尊重した上でと理解してよろしいんですね。

齋藤弘君 当然、そのとおりでございます。

西委員 ありがとうございます。

 続きまして、逸見教育委員長にお伺いをしたいと思います。

 今の、私学への教育委員会の関与は慎重にということは逸見委員長がおっしゃられたとおりでございますが、それはそのように理解をさせていただきたいと思います。

 先ほどから教育委員会の役割について種々議論がありました。私は後藤校長先生が先ほどちょっとおっしゃられたことが非常に印象深いんですが、やはり教育委員の皆さんには実情を見ていただきたいと。私は、まさしくそこに尽きるんじゃないかと思うんです。

 教育委員会に現場から上がってきたいろいろな案についても、議論をする際に、唯一の教育委員さんの強みというのは、現場を見ている、実情はこうなんだというこのベースがない限りは、上がってきたものについて批判をしたり冷静な目で見たりということがなかなかできないんじゃないかなというふうに思っておりまして、今の山形県下の最大の都市である山形市の教育委員さんの日常について、どんな程度にどんなことを現状はなさっているのか、率直に、批判するつもりは全くないんですが、参考のためにちょっと教えていただきたいなと思います。

逸見啓君 余り難しく話をしないようにします。

 現在、山形市の教育委員会は五人で構成しているわけでございますが、男性が教育長を含めて三名で、女性が二名でございます。現在は保護者という立場から一名の方に入っていただいております。

 現在、学校現場を視察するといいますか、その回数は、平均しますと一教育委員が学校現場は大体三回か四回ぐらいです。その他につきましては、別のことの会議が非常に多くて、なかなか学校現場の方に行けなくて、逆に、先生方の方からの意見を聞く、現場を見るんじゃなくて先生方の意見を聞くというような形をとらざるを得ないというところもございます。

 先ほどから話になっていますように、やはり現場に行って子供たちの様子を見るということが教育委員にとっては非常に大事だなということは痛感しておりますので、今後、前向きに、もうちょっと回数をふやしたいなということでやっていきたいというふうに思っております。

西委員 後藤校長先生にお伺いしたいと思います。

 このレジュメにも大変よくわかる結論を出していただいて、感謝を申し上げたいと思います。

 「地方分権の推進について」の中で、教職員の転任のことについてお述べになっておられます。非常に現場をよくわかっておられる先生の御意見だなというふうに思っているんですが、市町村内のことについては、今回もきちっと現場の意向を最大限に尊重してということでやっているんですが、それを外れたときのことが問題だという問題の指摘を教育事務所の調整が大事だというふうにお書きになっているんですが、このことについてもう少し具体的な御意見といいますか、ございましたらお聞きをしたいと思います。

後藤恒裕君 これについては単純明快なんですけれども、いわゆるいい教員は出したくない、早く行ってほしい教員は早く出したい、それがお互いの利害関係として、これは本音の部分でぶつかるわけですね。これは表には出しませんよ。だけれども、それはいわゆる底辺の本音のところには常にそれがあるわけであります。

 したがって、大きなある一定規模の市と、それから、将来でしょうけれども、共同設置の組合という立場になったときに、いわゆる調整役としてだれかがやっていかなければだめだろうと。今それをやれるのは、現行制度では教育事務所がその役割を担っているわけでありますので、そういう意味合いでございます。

 本当に端的に申し上げました。

西委員 よくわかりました。ありがとうございます。

 次に、国の責任の果たし方について、これは先ほどちょっと知事さんとも議論をした内容ですが、例の是正、改善の指示の項目です。

 生命、権利の保護等、緊急かつ重大なことに限定してということで今回お出しをしているんです。私はこの言葉は非常にいい言葉だなと思って、違和感はないとおっしゃっていますね。私も実は、原理上どうなのかなというのは、知事さんがおっしゃっておられるような部分もあるんですが、当然、地元は地元のいろいろな対策、対応を教育委員会、学校当局を通じて、例えばいじめの問題にしても何にしてもおやりになるんですが、昨年からことしにかけて種々の事例があって、なかなか思うようにいかないということをきっかけに、一つのルートとして、最後の手段として、大臣を通じての指示というものがあり得るという今回の法体系になっているんですが、違和感はないというふうにおっしゃっていただいておりまして、ああ、そうなんだなというふうにすとんと私は落ちたんですが、御感想はいかがでしょうか。

後藤恒裕君 実は、こういう直接的な指示、いわゆる強権発動ですよね、これは、規制と排除の論理というのはあるよりはない方がいいんだろうと思います。できるだけ主体性、自主性に任せるというのが本筋かとは思うんですけれども、法を逸脱するようなケース、これはあってはならないんですけれども、あるいは生命とか権利という本当に基本的なところに触れるようなものであって、なおかつ、知事さんを筆頭に山形県の場合には万全の体制をとっているわけですけれども、教育長さんを初めですね、だけれども、そこでもだめだという場合には、具体的な措置を明示してという部分がございますので、こういうふうにやりなさいと、余り言われたくないものだなというふうに思いますけれども、そういう点で、そういう場合には二百四十五条に照らしても違和感がない、このように考えたわけであります。

西委員 明確な御答弁、ありがとうございました。ますますの御活躍をお祈りしております。

 以上です。

鈴木座長 次に、保坂展人君。

保坂(展)委員 社民党の保坂展人です。

 齋藤知事に伺いたいと思います。

 まず、多くの親たちから見て、学校の現状が果たして危機的なのかどうか。例えば非常ベルが鳴りっ放しでとまらないような、つまり、放置しておくとその教育というものはもう瓦解をしてしまうんじゃないかとかいうようなレベルにあると私は実は思っていないんですね。今の社会を揺るがす大きな事件、出来事が幾つかあります。これについて、その衝撃の余り、制度論に置きかえて、組織いじりというか制度いじりに終始していいんだろうかという疑問がございます。

 そこのところの現状認識なんですけれども、例えば、教員の質の低下は著しいのか、あるいは学力低下が山形県ではかなりひどくなってきているのか、その辺の認識について、教育再生ではなくて教育新生を言いたいというふうに最後におっしゃったお気持ちも含めて現状認識を伺いたいと思います。

齋藤弘君 学力そのもののレベルについては、今度の統一テストの結果を待つしかないのかなとは思っております。そういう意味での学力について極端に低下しているかどうかというのは別にして、我が県の教育現場で最大の問題は、やはり教師、教員のあり方であります。

 大変恥ずかしいことなんですが、昨年も教師の不祥事が後を絶ちませんでした。これは心の持ち方というのを幾ら大きく声を出して訴えかけても、再発防止策ということを呼びかけても、もはやこれはモグラたたきのようでありまして、もうたたき切れないというのが山形県の現状であります。したがって、これはもはや制度の問題であろうというふうに私は認識いたしております。

 その制度の問題というのは、先ほど来何度か申し上げました、教師の質というのをどうやって高めればいいのか、まさにそういう観点から、単に教育、ティーチングのハウツーということだけではなくて、その先生が学校を卒業して教壇に立つ、そしてその先生自身も立派な人間として育っていく、幅広い見識及び教育分野における専門性というのを身につけていただく、これをどう制度的に担保していけばいいのかという問題にもはや来ているというふうに私自身は認識いたしております。

 したがって、今、国の制度もいろいろあるとは思いますが、それを待つことなく、我が県として何ができるかということを一生懸命みんなで今知恵を出して考えているところでございます。

保坂(展)委員 もう一問なんですが、先ほど来地方分権一括法の趣旨に逆行するような懸念を知事はおっしゃっていますけれども、この問題は、昨年教育基本法の議論のときに、私自身も、一九九九年以降ずっといじめで亡くなった子がゼロというのはおかしいのではないかと。統計を見ると、例えば厭世、世をはかなんでとか、あるいは友人との不和とかいう項目はあるんですね。どうも統計のつくり方というか選択の立て方自体、これは文部科学省がつくっていましたけれども、なるべくいじめ自殺というものがカウントしにくい仕組みもあって、これは地方の教育委員会も、実はいろいろ問題があったときに、その問題をどんどん明らかにして親にも周囲にも知らせていくという態度では必ずしもなかった。北海道滝川市で起きたいじめの問題でも、いじめで亡くなったという遺書がありながらも、そのことを判定しがたいということでずっと対応が続いてきたということが批判の的になりましたよね。

 ただ、それは、文部科学省も教育委員会も対となって、ある種教育界の体質みたいなところにも根差す問題であって、教育委員会が非常に停滞をした体質を持っていたのが問題だったというふうに結論づけられたというので、やや一方的だというような思いが私にはあるんですが、その点について見解はいかがでしょうか。

齋藤弘君 いじめの問題は、大変多岐な要因が絡まっていて難しいというふうに思います。

 私ども山形県においても高校生の自殺者が出ました。これもいじめではないかというような見方がある一方で、私どもの県の教育委員会としても周辺調査、ヒアリングなどを重ねて、調査報告書などを出しました。しかし、いじめがあったという事実を認定するには至りませんでした。これについては、自殺した、亡くなった御家族の方々についてはまだ十分に納得していない報告書の内容になっています。

 しかし、これは状況をずっと積み上げていく、まさにヒアリングベースの調査でございますから、どうしてもいじめがあったかどうかということについて認定をするというのは限界があるのではないのかな、残念ながらそういう状況にあるのではないのかなと思っています。

 問題は、いじめとは何か。我が山形県のみならず、我が国のいじめというのは幾つか特徴があると思いますが、一つはかなり陰湿であるということと、二つ目には集団である、この二つの要因がある。単にいじめる、相手の悪口を言う、殴るなんというのは、別に日本に限ったことでなく、欧米でも不断に行われている。しかし、陰湿かつ集団的でというのは極めて日本に特異な現象ではないのかなというふうに私は思っています。

 そこで、なぜそういうことが起きるのかということは、生徒が社会全体としてのコミュニケーションのとり方というのが不得手であるからゆえにこういうことが起きるのではないか、これが一つの見方ではないかというふうに思っています。それをより助長するのが、テレビゲーム等々バーチャルな世界が余りにも多くなっているからというような見方ももちろんあるわけでございます。

 ですから、我々としては、子供たちが社会とのコミュニケーションをいかに上手にとれるか、もちろんそこには先生、友達、親、地域の方々といろいろなチャネルがあるわけですけれども、コミュニケーションのとり方ということを中心にして考え、いじめの対策になり得たらいいなというふうに期待しているところでございます。

保坂(展)委員 次に逸見委員長に伺います。

 今もお聞きしましたけれども、いじめがどういうふうに広がっているか認識するのは非常に難しいというのはわかっているんですね。ただ、亡くなったという事実があって、いじめられたという事実もあって、そのいじめによって亡くなったかどうか、そこをつないで証明するのは確かに難しいとは思うんですけれども、教育委員会、つまり各県や市町村の教育委員会が停滞をしていたということだけだったんだろうか。私は、むしろ、これは文部科学省も各県も両方問題があったんだろうというふうに思います。

 そこで、そういったやりとりをもとにして是正なり文部科学大臣の改善指導ということが盛り込まれましたよね。児童生徒の生命や権利の保護についてもう放置できないというようなときにこれは発動されるんだということなんですけれども、こういうことは具体的に何かイメージできるんだろうか。

 その二点についてお願いします。

逸見啓君 我々教育委員会に対していじめということが現場から報告が来て初めて動いているというのが事実でございます。それまでは教育委員会としては知らないということでございますけれども、その報告が来た時点で、我々としてはそれに対して真剣に取り組んでいるというのは間違いない事実でございます。これは教育委員会の責任でもありますので、市民の信頼を得るためにもいじめに対していろいろな対応をしている。

 ただ、現在のところは、山形市の方でいじめが強く出てきて委員会にかかってきている事件はございませんので、その辺については、今の話を聞きながら、やはりそうしなくちゃならないのかなというようにいろいろなことを考えておるところでございます。

保坂(展)委員 もう一点なんですけれども、逸見委員長に先ほどちょっと言ったことなんですが、文部科学大臣が出てこざるを得ないような、児童の生命が危険に侵されて教育委員会が放置し続けている、文科大臣が出なきゃいかぬという具体例をイメージできますか。

逸見啓君 私は正直言ってイメージができません。大臣が出る前にまだ解決できる方法が多々あるのではないかなというふうに思います。それが私の意見でございます。

保坂(展)委員 では、次に後藤先生にお願いします。

 私も、佐世保で女の子が同級生を殺したという事件に衝撃を受けて、あの事件の現場に五回行きまして、いろいろな方のお話も聞いたりしました。実は、あの長崎県では、前の年にも駐車場から突き落としてお子さんが亡くなるという衝撃的な事件が起こっていまして、今、校長先生は研修が多いんですね、行ってみてわかったんですけれども、つまり、事件があったときも研修中だったんですね。命の大切さについて管理職研修ということで校長は学校に不在だった。いろいろな事件が起こるたびに、あるいは何か騒がれるたびに、一般の教員も管理職も研修というプログラムが大変多くなってくるということが事実あるんだろうと思います。

 ただ、そこでちょっと抜けているかなというふうに思いますのは、今、教員同士の中で、三十代の教師と定年退職直前の教師では相当年齢やキャリア、経験の違いもありますよね、そういうところで、本当に困ったことが起きているんだということで先輩教師に若手が話して相談をしたり、何人か複合的にチームワークでどうにかしてみようというような部分が全国的に非常に難しくなっていて、それぞれの教師が山のような事務量を個人的な頑張りでやっているというようなところがあるかと思うんですね。

 その辺についてむしろ教員相互の集団力みたいなものが欠けているんじゃないか、私はそこは問題点の一つとしてあるのではないかと思うんですが、いかがでしょうか。

後藤恒裕君 昔と比べますと、保坂先生おっしゃられるとおり、いわゆる現場での受け継ぐべき機能というんでしょうか、横文字で言うとオン・ザ・ジョブ・トレーニングという、そういう機能が昔ほどはなくなってきたかなという感じはいたします。

 ただ、それなるがゆえに、私自身としてはやはりその機能を高めていく必要があるということで、できるだけそういう場を設けようと。例えば、先ほど知事がおっしゃられたように、不祥事を防ぐために学校現場がどう対応していくかということでいわゆる倫理向上委員会というようなものを組織しまして、その中に適宜年齢層の違う方々に入っていただく、校長とか教頭は入らないというような形で、あらゆるところで工夫をしながらコミュニケーションがうまくとれるような体制をとりつつある、そんなふうな工夫をしながら今やっているというような状況にございます。

保坂(展)委員 もう一つなんですけれども、今度、副校長あるいは主幹、指導教諭、こういった新しい制度を導入するという中身になっていますけれども、今までの教頭だとか主任だとかとそれがどういうふうに重なるのか、それぞれ違うのか。まだ十分明確じゃないところもありまして、国会での審議も、例えば、一般の教員が大変事務量を抱えるようになってしまった、何でもやらなければいけないということで子供と向かい合う時間が少なくなっているので、そういった公務に当たるところにそういうラインを引いていわゆる事務分担を軽減していくという説明がされているんですが、例えば副校長が給食費の滞納を集めに行くなんということは本当にあるんだろうかとか、ちょっと具体的に学校現場で想定してみますと、どういうことになりそうでしょうか。その具体像が私は描けないので、少し教えていただきたいと思います。

後藤恒裕君 なかなか難しい、実感がわいてこない部分があるんですけれども、校長の一つのラインとしてそういうシステムができるということについては、ちょっと乱発するようであれですけれども、余り違和感は感じない、そんな気持ちは持っております。

 ただ、ラインというものが余りにも強権的なラインになってきますと、教育の現場というのはやはりどうしても和が大事だ。その憂さを生徒に対して晴らすなんというのは、これはあっちゃいけないんですけれども、そんなことが出てくるようではこれは元も子もなくなるわけでありますので、その辺のところは、教育現場はある種の特殊な環境にあるかなという感じは持っております。

 ただ、今は四十代中盤から後半の教員が非常に多いですから、教職員の自己実現、一つのポストを獲得するといった意味においては非常に効果があるんじゃないかなというふうには感じます。

保坂(展)委員 最後に、知事にまた伺います。

 今、教育基本法からこの教育三法の議論を国会ではやっています。他方で教育再生会議というのがあって、こちらの方で国会の議論とは必ずしもかみ合わずに、例えばいじめの問題が起きているときには出席停止がいいんじゃないかとか、教員でいえばだめ教師追放というようなことで提言があったり、最近では親学といって子守歌で母乳で育てましょうと。こういうようなことが十項目くらい、言っていいこともあるし、どうもちょっと言い過ぎな部分もあるなと。あるいは、道徳教育を教科にして、では評価はどういうふうになるんだろうかとか、あるいは大学九月入学とか、そういう教育再生会議の議論をどういうふうに現場の知事としてごらんになっているかということについて一言お願いします。

齋藤弘君 私は、議論が大いにあることは結構なことではないのかなと。中教審だけに依存しているということなく、再生会議もあって、国民の皆様がその議論、論点、提起されたものについて注視するわけですね。最後はどのように法律にし、それを執行していくかというのは、まさに国会議員の先生方が最終的に立法として御判断なさることだろうと思います。したがって、私は、大いにそういう議論があって、国民の目に論点が提示されるということについては好ましいものだというふうに一般論としては思います。

 それからもう一つは、親のあり方まで議論するのかということもあると思います。しかし、そういう教育再生会議で議論されていることについて親がもう一回気づくチャンスを与えられる、そういう論点が提示されるということも、また一つこれは有益ではないのかなというふうに思います。それが、できるだけ母乳をというようなことまで、身体的に母乳が出る方もいれば出ない人もいるわけですから、それをできるだけといっても、さすがにそこまで議論するかという点があると思いますので、そこら辺は慎重に判断する必要があると思いますが、論点をそうやって大いに議論して国民の前に提示していただけるというのは、むしろ私は好ましいというふうに考えています。

保坂(展)委員 もちろん議論することはとてもいいことなんですが、議論をしている以上は、国会の議論ともかみ合わせて我々も議論をしっかり展開していきたい、こう思っています。

 きょうはありがとうございました。

鈴木座長 以上で委員からの質疑は終了いたしました。

 この際、一言ごあいさつを申し上げます。

 意見陳述者のお三方におかれましては、本当に御多忙の中、長時間にわたりまして貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。

 御意見の中にありましたように、現場をよく知ってほしいというお話もございましたが、我々、きょう派遣されました委員は比較的大都市中心の議員が多うございまして、こうして地方の実情を直接生の声でお聞きできたことは本当にありがたいことでございます。感謝の一語でございます。

 本日拝聴いたしました御意見は、きょうは福岡でも同時刻に公聴会が行われておりますが、既に特別委員会における審議はトータルで、本日を終えますと三十時間を超え、具体的に申しますと、明日は午前、午後にわたりまして委員会が開かれることが決定済みでございます。そうした審議の中で、皆様から授かりましたお言葉は、各委員にとりまして非常に大きな意味を持つと思っておりますので、重ねて厚く御礼を申し上げます。

 また、この会議開催のため格段の御協力をいただきました関係各位に対しましても、団長といたしまして、感謝の一語でございます。また、多くの傍聴をいただきました方々、ありがとうございました。委員にとりましても、非常に印象深い公聴会にしていただきましたことをさらにもう一度申し上げまして、ごあいさつといたします。

 本日は、これにて散会いたします。

    午後二時五十九分散会

    ―――――――――――――

   派遣委員の福岡県における意見聴取に関する記録

一、期日

   平成十九年五月九日(水)

二、場所

   ホテル日航福岡

三、意見を聴取した問題

   学校教育法等の一部を改正する法律案(内閣提出)、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案(内閣提出)、教育職員免許法及び教育公務員特例法の一部を改正する法律案(内閣提出)、日本国教育基本法案(鳩山由紀夫君外五名提出)、教育職員の資質及び能力の向上のための教育職員免許の改革に関する法律案(藤村修君外二名提出)、地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案(牧義夫君外二名提出)及び学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案(笠浩史君外二名提出)について

四、出席者

 (1) 派遣委員

    座長 中山 成彬君

     やまぎわ大志郎君   野田 佳彦君

       笠  浩史君   伊藤  渉君

       石井 郁子君

 (2) 意見陳述者

    福岡県知事       麻生  渡君

    遠賀郡芦屋町教育委員会教育長         中島 幸男君

    福岡県中学校長会会長  野中 秀典君

 (3) その他の出席者

    文部科学省大臣官房審議官           辰野 裕一君

     ――――◇―――――

    午後一時開議

中山座長 これより会議を開きます。

 私は、衆議院教育再生に関する特別委員会派遣委員団団長の中山成彬でございます。

 私がこの会議の座長を務めさせていただきますので、よろしくお願い申し上げます。

 この際、派遣委員団を代表いたしまして一言ごあいさつを申し上げます。

 皆様御承知のとおり、当委員会では、内閣提出、学校教育法等の一部を改正する法律案、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案及び教育職員免許法及び教育公務員特例法の一部を改正する法律案並びに鳩山由紀夫君外五名提出、日本国教育基本法案、藤村修君外二名提出、教育職員の資質及び能力の向上のための教育職員免許の改革に関する法律案、牧義夫君外二名提出、地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案及び笠浩史君外二名提出、学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案の審査を行っているところでございます。

 本日は、各案の審査に当たり、国民各界各層の皆様方から御意見を承るため、当福岡市におきましてこのような会議を催しているところでございます。

 御意見をお述べいただく皆様方におかれましては、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。どうか忌憚のない御意見をお述べいただきますようよろしくお願い申し上げます。

 それでは、まず、この会議の運営につきまして御説明申し上げます。

 会議の議事は、すべて衆議院における委員会議事規則及び手続に準拠して行い、議事の整理、秩序の保持等は、座長であります私が行うことといたします。発言される方は、その都度座長の許可を得て発言していただきますようお願いいたします。

 なお、御意見をお述べいただく皆様方から委員に対しての質疑はできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願います。

 次に、議事の順序について申し上げます。

 最初に、意見陳述者の皆様方からお一人十分程度で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑に対してお答え願いたいと存じます。

 なお、御発言は着席のままで結構でございます。

 それでは、本日御出席の方々を御紹介いたします。

 まず、派遣委員は、自由民主党のやまぎわ大志郎君、民主党・無所属クラブの野田佳彦君、笠浩史君、公明党の伊藤渉君、日本共産党の石井郁子君、以上でございます。

 次に、本日御意見をお述べいただく方々を御紹介いたします。

 福岡県知事麻生渡君、遠賀郡芦屋町教育委員会教育長中島幸男君、福岡県中学校長会会長野中秀典君、以上三名の方々でございます。

 それでは、まず麻生渡君に御意見をお述べいただきたいと存じます。

麻生渡君 福岡県知事の麻生でございます。

 きょうは、教育再生に関する特別委員会、わざわざこの福岡市で開催をいただきました。まことにありがたいことでございます。また、審査に当たりまして、このように発言の機会を与えていただきました。非常に貴重なことでございまして、この点につきましても心から感謝を申し上げます。

 教育再生につきまして、まず第一点に私が特に申し上げたいのは、再生ということを考えるに当たりましては、ぜひ地域の力、地域の教育力を生かすという視点と、それを具体化しますために教育の地方分権を進める必要があるという点でございます。

 教育ということは、改めて申し上げるまでもないわけですけれども、さまざまな考え方がございます。どのような人物、人間を理想とすべきか、そしてそのような人物なり人材を養成するためにはどのような方法をとるべきか、非常に考え方が多様でございます。

 現実には、例えば、教育の一番中心は何といいましても徳育であるという考え方も強いわけでございますが、一方で、学力、知識についてはどの分野を重視すべきか。今のように、小学校から英語は教えるべきか、むしろそれよりもきちっと国語をやらなければ本当の思考力ができないんじゃないかというような考え方もあるわけでございますし、また、社会との関係を重視しまして、むしろ社会見学、社会との接点を大きくふやしていくということこそ、いろいろな学ぶ意欲を高めることになるのではないかというようなことでございます。

 したがいまして、やはり教育は非常に多様な考え方がある、その多様な考え方に従ってやっていくことが不可欠であるというふうに思っております。特に、我々の社会はどんどん国際的な一体化が進んでおります。そういうことを考えますと多様な人材が不可欠でありまして、同じような教育を受けた人間というのは、変化に対して同じような判断、同じような反応しかできない。そういうことを考えましても、ますます私どもは多様な人材を育てていくということをやらなければいけない時代であると思っています。

 そういう点からいいますと、全国同じような考え方でゆとり教育をやったわけでありますけれども、結果は御承知のとおり急激な学力の低下を起こしてしまったということでございます。また、社会性という点から見ましても、決して満足な成果を上げていないという状況でございます。

 私どもは、やはり、全国一律の考え方で教育をするのは非常に危険である、多様な教育をすることによっていろいろな変化に柔軟に対応できるようにしなきゃいかぬ。非常に飛躍した言い方でありますけれども、仮に、幕末、江戸幕府が全国一斉の教科書をつくりまして同じような教育をしておったら、あの維新のような大変革というのはできなかったんじゃないか。やはり、各藩がそれぞれの考え方に基づいて教育をし、また苦労しながら、海外留学に派遣したような人材がいたからこそ、あのような大きな改革、世界の見識ができていったと思うんですね。

 そういうことを考えますと、ぜひ多様な教育をしていく。そのためには、それぞれの地域で伝統的な教育の考え方、方法があります。また、人材についての考え方もあるわけでございまして、このような地方の教育の考え方、そしてまた、地方が一生懸命地域を挙げて教育をしようとしておりますから、地域の教育力をぜひ生かしていくという観点を非常に重視いたしまして再生というものを考えていただきたいという点でございます。

 それから、第二番目は具体的な点でございますが、今回の地方教育行政法の改革についてでございます。

 当初、文部科学省の方は、教育長の任命制の復活ということを含めまして、国の関与を非常に強めるという方向での議論がございました。これにつきまして、私ども地方といたしましては、地方分権一括法ができまして、かつての国の関与というのは、行政法でやるというのはやめまして、地方自治法に集約されたという経緯がございます。それを、かつてのようにもう一度、教育行政法の方に関与なりを復活させるということは、教育の分権、地方分権の大きな方向、流れに逆流するものであるということで、非常に危機感を持ちまして、これに対する反対の意見を表明いたしました。

 そういうこともございますけれども、結局、指示につきましては、まさに生徒の生命身体ということにかかわる場合に非常に限定されましたし、また、是正要求につきましても、教育を受ける権利という非常に基本的な点についての是正ということになりました。

 こういうことで、結局、地方自治法で国の関与が認められておりますが、内容的にはそれとほとんど変わらない、その一部を取り出したものという形に最終的になったわけでございます。その意味で、かつて私どもが激しく懸念をし、問題を指摘した点からいいますと、自治法の範囲内での行政法になっておるということでございます。

 また、私立学校への関与につきましても、直接的な関与から、それぞれの知事を経由してということになりましたから、そういう意味でも地方の意思ということが反映できるような形になりました。

 したがいまして、我々の地方分権という大きな流れから見たら、いろいろな問題点を指摘してきましたけれども、これですと自治法の範囲内におさまりましたから、まずまずであるというふうに思っております。

 ただ、実際の運用に当たりましては、先ほど申し上げましたように、地方の立場ということを十分考えて、地方の意思あるいは活動についての配慮と尊重ということを念頭に置きながら運用をされるべきであるというふうに考えております。

 それから、教育職員の免許法の改正問題でございますが、更新制と、それから指導力不足の教員の皆さんに対する対策が中心になっております。両方とも、私は、全体としては妥当な方向であるというふうに考えております。やはり、教育に一番大切なのは先生でございまして、どのような制度改正をするにしましても、先生方がしっかり情熱を持って、大きな愛情を持って、また、やり方を工夫しながら教育に当たっていただくということが不可欠でございます。これがなければ、いろいろな制度改正をやりましても結局はうまくいかないと思います。

 その意味で、先生方の資質といいましょうか、あるいはいろいろな能力、これをきちっと点検しながらやっていこうではないかという考え方自体は、方向として正しいというふうに思っている次第でございます。

 一方で、教育の現場の先生方の御意見をお伺いしますと、とにかく今、先生方は忙しいと言われるんですね。放課後も、子供たちといろいろなことをやりたいと思っても、なかなかそんな時間がない。いろいろなレポートをつくったり、そういうことに非常に多くの時間をかけておって、本来の子供たちと一緒になって教育に当たるという時間が非常に少ないということを言われます。この点はやはり非常に重要な点であると思います。

 今、先生方にいろいろな報告を求めたり文書をつくったりすることが多いわけでありますけれども、これをもっと簡素化できないか。こういうことを考えなければ、いろいろな制度をつくりましても、先生方が本当に教育に専念することが十分できないことになるというふうに思っていまして、この点の改善が並行して不可欠じゃないかというふうに思っているわけでございます。

 冒頭陳述でございますので、あと二つほど、私どもで地域でやっています教育運動について紹介をいたしたいと思います。

 一つは、青少年アンビシャス運動でございまして、これは始めまして五年強になります。まさにゆとり教育を具体的にやっていくということで、土曜日が休みというような状況になってまいりました。そうなった場合に、ゆとり教育が目指したように、ゆとりのある時間を与えるとなった場合に、本当にその時間を自分たちが生かして、自己を高めていくというような時間にきちっと使われるかということについては大きな危惧を持ちました、特に土曜日が休みになってくるということに。

 つきましては、ぜひ地域運動としてこのアンビシャス運動をやっていこうということでございまして、具体的には、今、千ちょっとのグループがこれに参加をいたしておりまして、例えば、土曜日なんかは子供たちを集めていろいろな活動をやる場を提供していくというようなアンビシャス広場づくり、あるいは読書運動、あるいは海外の子供たちの切磋琢磨の機会をいろいろな形で設けていく、そういうことをやっています。

 それと同時に、この運動の基本的な考え方は褒めて伸ばすということでございまして、どんどん思い切ってやらせていこうということであります。結果平等的な考え方はとらないし、また、それをやると、どんどん伸びていくという大きな意欲、その源泉を失わせてしまうことになるという考え方をいたしております。

 もう一つは、日本の次世代リーダー塾というのを、毎年夏休み二週間、全国から高校生を約百五十人集めまして合宿をいたしております。これは、塾頭は経団連の御手洗さんなんですけれども、産学官協力して、八県が参加して官側はやっているわけであります。これも、今後、日本の子供たちがやはり各分野でリーダーになっていく、しかも世界的なリーダーとして通用するような人材を育てなきゃいかぬということでやっておるわけでございまして、講師陣は、去年は中曽根先生も来られたわけですけれども、その分野の先達の皆さんがやっているということでございます。このように、新しい刺激を私どもは教育なり人材育成に与える努力をしておるということを御紹介申し上げます。

 以上です。

中山座長 ありがとうございました。

 次に、中島幸男君にお願いいたします。

中島幸男君 芦屋町教育委員会の教育長の中島幸男と申します。どうぞよろしくお願いいたします。

 本日、このような機会を与えていただきまして、心から感謝を申し上げたいと思います。

 芦屋町のことに若干触れさせていただきたいと思いますが、人口は一万六千五百強、学校は、小学校が三校、中学校が一校、児童生徒数は千六百弱というところでございます。教職員はほぼ九十名。町内には二つの私立の保育園、二つの私立の幼稚園、そして二つの町立の保育所、そのような環境でございます。

 小規模の教育委員会でございますけれども、義務教育を預かる私たちといたしましては、先生方にも強く言っているのは、義務教育を終了する段階、中学校を卒業する段階で、子供たち一人一人が、僕はこういう人生を送りたい、こういう人になりたい、こんな職業につきたい、そういうことをきちっと言える子供を育てていただきたいということをお願いしております。そのために、私たちは、確かな学力と豊かな心とたくましい体をつくろうということでやっているわけでございます。

 具体的に、芦屋町では現在、さわやかプロジェクトというものを立ち上げまして、さわやかな若者を育てようと。先ほど申しました保育園、幼稚園、小学校、中学校、保幼小中の連携と地域の方々のお力もおかりする中で、町を挙げて子供をつくろう。合い言葉は芦屋の子供は芦屋で育てようということでございますが、そのキーワードは連携と体験と鍛錬、このように言っておるところでございます。

 一方、それを支えるのは、教職員にやはり非常に大きな力が必要でございますので、教員の資質向上をどう図るかということがございまして、芦屋町の教育委員会といたしましても、独自の教育研修を幾つか組んでおります。先ほど知事のお話の中にもありましたが、先生方は非常に忙しいということがありますが、私たちは、その多忙感を充実感に変える熱意と工夫のある教師を目指そうということで現在取り組んでおるところでございます。

 そのような背景の中で、私は、今回、四点にわたって意見を述べさせていただこうというふうに思っております。

 まず最初は、学校教育法等の改正の中で、副校長その他の新しい職の設置についてということでございます。

 この件に関しまして率直に申しますと、大変悩ましいという感じがいたします。

 と申しますのは、学校の現場にとりましては、担任外の先生方がふえることは大変ありがたいことでございます。ところが、懸念されますのは、教育委員会がこれを設置するということになるんだろうと思いますが、その際に、どのくらいの規模の学校にこれは必要なのか。必要に応じて設置すればいいわけですから、規模はもしかしたら関係ないのかもわかりませんが、まずそれが一つあります。大体、私たちが知っているところでは、小学校についてはほぼ一学年に二クラス、多いところでも三クラス、学校の規模としては大体そういうものだろう。そういうところの範囲の中でこれがどうなのかと。

 もう一つは、副校長と現在の教頭、それから主幹教諭、指導教諭と現在の教務主任、そして主任主事、このあたりの職務というのがなかなかはっきり見えてこないというところがありまして、このあたりをどういうふうに説明していくか、はっきりつくっていただくことが大事なのか。下手をすると、学校現場の先生方にとっては、いわゆる中間管理職をつくっていくんではないかというような懸念を持っております。

 現場で今最も欲しいのは、学力不振の子供たちに対する少人数指導等の先生方、それから特別に支援を要する子供たちの指導、支援をする先生方、不登校だとか家庭の事情その他の理由で学校に来られない子供たちの支援をする先生方、実は現場で動いてくれる先生方が一番今学校現場としては望ましいのではないかということでございます。これがまず一点でございます。

 二点目は、教職員の免許法及び教育公務員特例法の一部を改正する法律案について意見を申し上げたいと思います。

 教員免許の更新制でございますが、これが教員の資質、力量の向上につながらなければ意味がない。当たり前の話でございます。免許は教員にとりましては最低の資格でございますから、力量を高めるためにいろいろな研修をするのは当たり前の話でございまして、日々研究と修養に努めて、実践的指導力を高めたり、教員としての使命感だとかを高める、また、その前に人間としての幅広い人間性を高めること、あわせて時代のニーズに応じた研修内容をとるというのは当たり前の話と私は思っています。

 今回、これは十年のスパンで、十年たったところで三十時間というお話を聞きますが、それをすることに意味があるのかなと言っては失礼ですが。やはり日常的に研修が必要ではないか。十年間かけていろいろな研修を積み上げていく、今必要な研修、基本的な研修、いろいろな研修をやっておりますけれども、そのあたりを充実深化することの方がより成果が上がるのではないか、このような感じがいたします。

 もう一つは、指導が不適切な教員に対してでございますが、この件につきましては、人事管理の厳格化で対応できるのではないかと思っております。

 そういう意味で、免許の更新ということについては私はそんなに急がなくてもいい、今は必要ではないのではないかという感じがいたします。

 三点目でございますけれども、地教行法の一部改正のところで、教育委員会の体制の充実ということがございます。

 その中で、教育委員会の共同設置等の連携というところでございますが、私のおりますような小さな町の教育委員会は、やはり連携を図って教育行政の充実を図るということは非常に私はいいことだろうなと思っています。

 ただ、一つ懸念されますのは、連携された教育委員会で施策を出したときに、町によっては財政基盤が弱いところがあって、それはできないよというようなことが出てくることがあるのではないかという心配をしているわけです。実施段階ででこぼこが出るのではないかと。そういうことが起こらないような何かを入れておかないと、これはやはりちょっと困るのかなという思いがいたしました。

 もう一点は、町村の教育委員会に指導主事を置くことができるという形、これは国の責任でぜひ置いていただきたいと思っております。

 現在、教育委員会制度の、特に町村の教育委員会、また教育委員さんも、何をしているのかわからないという御意見があるようでございますが、これは、現在の町村、特に市の場合は指導主事がいるわけですが、町村の場合に指導主事はほとんどいない、ほとんどというのはオーバーかもわかりませんが、いません。いないから教育委員会事務局はほぼ素人の方々だというふうに言えると思います。そして、二、三年で異動してしまいます。大変失礼な言い方ですが、昨日まで水道課にいらっしゃった方がもう教育委員会にいらっしゃる。こういうような状況の中で、教育内容についてどうだ、施策をどう打っていくかという話に、やはりそういう基本的な体力がないのではないかと思っています。

 そういう意味で、ぜひ、国の責任において指導主事を派遣する、そうすることによって施策が出てくる、それに伴って教育委員としてのいろいろな御意見がもらえる、それは活性化していくのではないか、そういうふうな気持ちが三点目でございます。

 四点目は、いわゆる教育三法とは関係はございませんけれども、ぜひとも、学校とか教職員が元気の出る方策を考えていただきたいと思います。

 言われているように、現在の学校は再生しなければならないほどひどいものかというふうに思っていますが、そうではないのではないか。確かにいろいろなことはありましたけれども、大部分の学校や教員は一生懸命頑張っておりますし、成果も上げているというふうに思っているところでございます。その意味で、私は、今教育界は風評被害に遭っているのではないかという思いがいたしますが、ぜひ、そういう点から、社会のありように警鐘を鳴らすような教育改革であってほしい。

 二つ目は、学校教職員が尊厳を取り戻すことのできるような施策を考えていただきたいというふうに思っています。と申しますのは、先日の内閣府世論調査では、悪い方向に向かっている分野として教育が三六%、また、教員養成学部の学生の志願者数が減っているという報道がございました。国づくりは人づくりと思います。現場の教師が胸を張って教育を語り、子供に向かう優秀な人材が教育をしてこそ人が育ち、日本の将来があるのではないかというふうに思っているところでございます。

 答えは現場にあるというようなテレビ番組もありますけれども、現場が元気の出る教育改革をぜひお願いしたいと思っております。

 以上でございます。

中山座長 ありがとうございました。

 次に、野中秀典君にお願いいたします。

野中秀典君 福岡県の中学校校長会長をしております野中秀典といいます。よろしくお願いをいたします。

 本日は、このような貴重な機会を得ましたことにまずお礼を申し上げます。

 私は、校長として十一年目になります。この間、二市一町で、教育委員会の方々とともに、地域に根差した学校づくりに努力をしてまいりました。この経験を踏まえて意見を述べさせていただきます。

 初めに、学校と教育委員会の関係ですけれども、私は次のようにとらえております。

 今日の学校は、家庭、地域の教育課題にまでかかわりを持たざるを得なくなってきております。地域性の違いや、家庭の状況が学校教育のあり方にも影響を及ぼしてきております。子供たちを取り巻く環境はそれぞれの家庭、地域によって異なり、課題も多様でございます。当然、学校のありようもそれに応じて多様になり、子供たちへの対応をきめ細かに図れば図るほど、学校の自主性、自律性が求められている時代でございます。

 地方分権が進む中、義務教育分野における教育改革の主な場所は市町村であり、学校だと思っております。どの施策を選択し、どの方向を目指すかは、子供たちの実態やそれぞれの学校の現状を踏まえ、市町村が決定していく以外にはないのではないかな、このように考えております。そういう意味で、私は、今の教育委員会制度は、教育行政の政治的中立性や継続性、安定性を確保しながら地方教育行政の基本的な制度を堅持していくべきだと考えます。

 しかし、今後、専門の機関としての教育を担い、国民から信頼されるためには、幾つかの改善点が必要だと考えます。そこで、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の改正について、私の意見と、全日本中学校長会でまとめたものを含めて述べさせていただきます。

 第一は、教育委員会の責任体制の明確化と体制の強化であります。

 教育行政を公正、適切に行うため、教育委員会の事務の管理と執行状況を外部が評価するということは重要と考えています。例えば、市町村教育委員会への指導主事の配置を確実に行うこと、これは、学校に対する指導助言機能を高める上で、専門的な指導力を持った、特に現場の校長や教頭を配置することで教育委員会が行うべき役割を明確にし、その具体化がなされているかを評価していく、そういう取り組みを整えることは大変重要ではないかなと思っております。

 第二は、教職員の人事でございます。県費負担教職員の人事に関する権限を市町村教育委員会に移譲するというふうに出ておりますけれども、このことに関しては条件整備が必要であり、条件整備なしに移譲することは非常に難しいのではないかなと思っております。また、教職員人事に関する市町村教育委員会と校長の意見の反映については、都道府県教育委員会が既に行っております実情を踏まえていただき、それにゆだねる形で、ぜひその方向でお願いをしたいと思っております。

 その理由として、一つは、人事交流の停滞を招き、教員の質の向上が図れないということ。二つ目は、市町村の規模によって教員の勤務先が固定化されてしまう、そして教育の活性化が図れないのではないかな。この二つの理由からでございます。

 第三点は、教育における国の責任の果たし方についてでございます。義務教育は国全体を通じての最重要事項であり、必要な財政措置を講ずるなど、国の責任において水準維持に努めるとともに、国と地方とが考え、行動において一貫していることが国民、住民の信頼につながる、そういうふうに思っております。国の地方への新たな関与の仕方については、地方分権の視点を重視しながら、必要な調査や支援を含めて検討をしていただきたい。

 特に、今回の改正の中で、地方分権の流れと違うと思われる条文の第四十九条、第五十条関連でございます。国が教育の目的を阻害していると認定すれば都道府県教育委員会に是正勧告並びに是正指示ができるなどは、いじめによる自殺問題、未履修問題等による不備からその必然性は理解できますが、地方分権一括法による地方自治の流れと違うものではないかな、一貫した理念に基づき国は対応すべきではないかな、このように考えております。

 今日の保護者や生徒のニーズ、社会の要請等への対応から、教育関連法案の改正につきましては、今の学校教育の変容を図るということについて賛成でございます。しかしながら、幾ら法を改正しても、財政的な裏づけがない限り、教育改革は実現可能とはならないのではないかな、そういうふうに強く思っております。

 ここで一つ具体的な例を挙げさせていただきます。

 文部科学省関連の予算の中に、地方交付税として特別支援教育支援員の配置があり、多額の予算措置がなされております。しかしながら、市町村が予算化しない限り、教育予算というのは名ばかりでございまして、別の財政補てんに回されている実態があるのではないでしょうか。国の責任としてその実態を把握することが必要であり、この点において国の責任があるのではというふうに考えております。

 今後は、国からの予算については、地方財政措置ではなく、国の教育予算を純粋な予算として執行するシステムをぜひ構築していただき、教育改革に伴う教育予算の確かな増加が法改正に伴ってなされるのであれば、国民は大いに期待し賛同すると考えます。そして、教職員も逆風に立ち向かう勇気を持ち、教育活動に今以上邁進していくのではないかな、このように思っております。

 格差社会と言われている中、公立の小中学校は、そのセーフティーネットとしての役割を果たすべく日々努力を続けております。現場で先生たちが教育活動にどのように努力をしているのか、その実態調査を全日中と文科省の方で昨年行っております。その一つをここで御紹介申し上げます。

 中学校の勤務実態調査から、一日の勤務時間について。それによりますと、教員の一日平均残業時間は二時間を超えており、昼休みにおける勤務を含めれば三時間十七分となっております。この調査結果は文科省の調査とほぼ同じでございます。詳しい内容につきましては全日中のホームページをごらんいただきたいなと思っております。

 このように、残業を行う長時間の超過勤務が日常化している実態から、私たちは次の三点を要望しております。一点目が教員が生徒に直接向き合う時間の確保、二つ目が資質向上のための研修時間の確保、三つ目が質の高い授業を行うための準備時間の確保、この三点でございます。この実現のために教職員定数の改善をぜひお願いしたいと思っております。

 最後になりますけれども、現在、中学校教育の現場は、さまざまな問題を抱えながら、その重責を果たし、激務をこなしています。福岡県はもとより、全日本中学校長会は、優秀な人材確保、ひいては五十年先、百年先の日本の教育の発展につながるためにも、今回の調査結果を踏まえて具体的な教育環境の改善をお願いしたいと思っております。そして、目に見える形で学校が変容する、目に見える形で教育改革が進行する、そういうことを私たち教師も保護者も、そして多くの国民が望んでいるのではないでしょうか。私は、法改正に伴う予算の裏づけこそが教育改革を後押しするものと確信をしております。

 以上、未来を切り開く学校づくりの期待を込めまして、現場を預かる校長としての率直な意見を述べさせていただきました。

 ありがとうございました。

中山座長 ありがとうございました。

 以上で意見陳述者からの御意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

中山座長 これより委員からの質疑を行います。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。やまぎわ大志郎君。

やまぎわ委員 座ったままというお話なので、座ったまま失礼させていただきます。

 自由民主党のやまぎわ大志郎と申します。本日は、このような機会に意見を陳述していただきまして、本当にありがとうございました。

 お三方三様にお言葉を述べられて、それぞれのお立場から真摯に教育に携わっていらっしゃるということが、私も今聞いておりまして本当にありがたいお話だなと思っておりました。

 そのような前提におきまして、今回私たちが教育に携わる三法を、教育基本法を改正したことによって、その理念がきちんと反映されるためにはどうすればいいかという観点から改正しようとしているわけでございますけれども、今のお話と照らし合わせて二、三確認をさせていただきたいところがございますので、そのような形で質問をさせていただきたいと思います。

 まず、麻生参考人にお尋ねしたいんですが、地方分権を進めるべきだというその基本的な考え方は私は同じくする人間であります。小泉政権以来、地方分権はどんどん進めるべきだということで、政府もこの方向でずっと動いておりますから、私は、その流れというものは、決して今回の三法改正案においても、それがそぐわないものになっていないと。そぐわないものになっていないというのは変な言い方ですけれども、きちんとそぐうものになっていると私は考えているんです。

 しかし、今お話があった中で、教育というものを地方にもっともっと任せるべきだという御意見は、私はその理念には賛同するものでありますが、しかし、多様な価値観がふえ続けている現代において、その多様性というものを地域間で確保していくという考えには、いささか賛同しかねる部分がございます。

 というのは、私たち国の立場といたしましては、恐らく文部科学省は、ナショナルミニマムとしての、日本国民として最低限身につけておいていただきたいと思っている教育の内容についてきちんと決めていく。これは何も福岡県人をつくっていく作業ではなくて、日本国民をつくっていく作業なんだ、日本国民として最低これだけのものは必要なんだというものを決めて、それは少なくとも確保していただかなくてはいけないんだろう。そして、その基本的なものの上に、それぞれの地域なりでさまざまな特徴というものがありましょうから、それが加味されていくというのがあるべき姿なのではないのかなという気がするんです。

 野中参考人からも最後に少しお話がございましたけれども、福岡県も政令指定都市を二つ抱えておりますが、政令市の財政とそれ以外の市町村の財政というのはかなり差があるんだろうと思います。県という単位で見ても、県の間にも、東京都のような地方自治体もあればそうではないところもあろうと思います。

 こうなったときに、本当に地方にもっともっと教育の分権を進めていったときに、果たしてナショナルミニマムというのがきちんと確保できるものなのかどうか。ここは私はぜひとも確認をさせていただかなきゃいけないと思います。いかがでございましょう。

麻生渡君 今の教育のやり方というのは、いわゆる学習指導要領が基礎になっております。学習指導要領の考え方が大きく変わりまして、例えば、かつては教えるべき知識の水準とかいうことについては、これがマキシマムという考え方でございましたけれども、今の学習指導要領はミニマムである、最低限ここまで教えてくださいよと。そこから先、より高いことをどこまで教えるのか、ほかの分野により重点を置くのかというようなことについてはそれぞれの地域なりで考えて大いにやってくださいということになっております。

 したがいまして、現在の学習指導要領のミニマムという考え方を尊重した上で多様な教育をしていこうということでありますから、言われたように、ナショナルミニマムとか日本国民として最低限は確保しなければいけないということについては今のやり方で十分確保できる。

 むしろ私が強調したいのは、それを超えてどの分野に多くの強調点、教育の重点を置くべきか、そういうことについては大いに地方の考え方、創意工夫を生かせるような制度設計をすべきであるということです。

やまぎわ委員 確かに、今参考人がおっしゃったことは、理想論としては私もそうなんだと思うんです。でも実際には、現場で何が起こっているかというのは、野中参考人が先ほど少しお触れになったようなことなんだろうなという気がするんです。

 私自身は川崎市という政令指定都市から選出をされておりますので、川崎市の現状を見れば、学校というものは、校舎も含めてインフラは非常に整っておりますし、また、教職員のやる気もしっかりとしたものがある、私は現場で先生方と接していてそう思います。

 一方で、地方に行ったときに、例えば図書館がどうなっているかなんという話をしたときに、きちんとした本がそこにはないというような現実もあるわけですね。教材の部分においても、満足な教材がそろっていないなんということも地方に行けば普通に見られてしまうような世の中なわけです。

 これは何も第三国の話をしているのではなくて、我が国の中においても、現在でも既に地域間の格差がそこには厳然と存在しているというのも事実でありまして、それをもちろん私たちは見過ごしてはいけないという立場から、ではどうすればいいんだということで、法律を改正するということ以外に行政に対して立法府の人間として働きかけることはできないわけでございますから、何とかできないかということでやっているわけなんです。

 そこで、野中参考人がおっしゃったように、現在の枠組みでもナショナルミニマムがもし確保されているんだとするならば、今、地方と都市部という言い方がいいのかわかりませんが、地域間で財政力に差がある自治体の間で起きている教育の現場における格差というものを見たときにも、ナショナルミニマムが確保されている、このようにお考えなのかどうかをもう一度麻生参考人にお聞きしたいと思います。

麻生渡君 それは確保されていると思います。

 貧しいと言われる市町村におきましても、少なくとも、ミニマムと考えられる学習指導要領の最低限のことはきちっと教えています。大都市では教えておって、中山間地の市町村では教えていないということではありません。したがって、その点は、最小限のミニマムは要求が満たされるような教育体制になっていると考えていいと思います。

やまぎわ委員 ありがとうございます。

 そこは、恐らく教育の現場にいらっしゃる方々とまた多少違った意見というのもあろうかと思います。

 実際に、どこまでいっても人間の欲望には切りがないと思いますから、足るを知るという言葉を考えれば、足りないものを自分たちで工夫してつくっていくというようなことがあってもいいじゃないか、こういうお考えもあろうと思いますし、私も実はそちらの考えに多少近い部分がございますので、ナショナルミニマムは今の段階でも確保されているということであるならば、地方分権をより進められる方向に今回の改正というものが少しでも役に立ってもらえればいいなと私も思います。

 そこで、今度は野中参考人にお伺いしたいんですけれども、今の教育に関する法律案を三つ改正することによって、それが現場できちんと反映されるかされないかというのは、予算の裏づけがないととてもじゃないけれどもできないよというようなお話だったかなと思うんです。私も本当にそのとおりだと思うんですね。

 これはまた非常に難しい話だと思うんですけれども、予算を確保するということは国の関与なくしてできるものなんだろうか。ここも私はいつもいつも自分の中で葛藤がございまして、一方では地方に任せた方がいい。地方の自主性を持たせた方がいい、もっと言うならば、地方ではなくて現場の自主性をもう少し尊重するべきだ、学校長にさまざまな権限を移していって、学校長が学校そのものを切り盛りして、そこの自主性を重んじるというのがきめの細かい教育という意味においてはいいんだろうなという考えを私は持ってはいるんですが、しかし、やはりないそでは振れないんですね。

 その予算面の確保を考えるときに、国の関与はどの程度まで必要だとお考えなのか、率直なところを野中参考人に教えていただきたいと思います。

野中秀典君 中学校の現場を見たときに、今一番問われているのがやはり学力低下問題でございます。その取り組みを日常的にやっていくためには、現在の教職員定数では非常に無理がございます。

 国の方で第七次までの教員定数の改善はされまして、第八次をされるという話は聞いておりましたけれども、結果的には今なされておりません。特に、少人数学級であるとか、少人数指導における各教科の学力向上に関しては、現有勢力では非常に厳しいところがございます。それと、一学級四十名という枠がございます。この枠についてもやはり限界が生じます。

 ですから、先生の数をふやす、一学級の人数を減らすことによって先生の数をふやす。当然そこには、我々教職員の給与というのは各県が持ってございますので、その辺の給与の関係等もあるのではないかなと。それが自治体によって非常に厳しいということであれば、やはりそこには国の予算を何がしかきちっと確保できるようなシステムをつくっていただく、それが自治体にとってもいいのかな、このようなことを思いまして、先ほど申し上げた次第でございます。

やまぎわ委員 本当に悩ましいところだと思うんですね。これは、国がどこまで教育の現場に首を突っ込むんだ、そういう話になりますから。ただ、金だけは出せよ、口は出すなよというような話なのか、こういう話にまた聞こえてしまうんですね。そういうことではないんだろうなと。

 先ほど特別支援教育のお話を例として出していただきましたけれども、その枠組みは、国として法律としてつくったにもかかわらず、実際の現場ではそれがうまく生かされていないというお話でございました。同じように、我々は栄養教諭というものをつくったわけですね。ところが、この栄養教諭というものが、各県の事情があってなかなか現場には配置をされていないという状況がございます。

 ですから、国として、もちろん、国でも県でも市でもあるいは町村でも現場でも、みんな、子供たちの教育というものに対して真摯な態度で、何とかしなきゃいけないという思いを持ってやっているのは同じなんだと思うんです。にもかかわらず、国としてこういう方向だよと示したことすらなかなか現場におりてこないという現状は、財政面だけの問題なのか、それともほかにまだ何かがあるのか。この点について野中参考人と中島参考人にお伺いしたいと思います。

野中秀典君 お金をいただいて口は出すなということは申し上げておりません。

 学校教育法の中に学校評価が位置づけられようとしております。今、太宰府市の方でも、文科省の地域指定を受けておりまして、学校評価に対する取り組みを実施しております。これは教育の質の保証のための学校評価で、当然そこには学校の説明責任も伴ってまいります。ですから、日常の教育活動をきちっと自分たちの手で自己評価をし、そして第三者による外部評価をいただいて、それをもとに教育委員会なり自治体の方に報告をしていく、そして改善を求めていく。これは当然、私たちそれぞれの現場の中で努力をしていくことではないかなと。そこに何がしかの予算というものがあれば、よりゆとりと潤いのある教育環境が整うんじゃないかなということで申し上げさせていただきました。

中島幸男君 野中参考人からも言われたことは、地方交付税措置のことなども含めてだろうと思いますが、私たちのように、教育委員会では、これは非常に大事なところですが、町長部局、首長部局と今後いかに連携を図っていくか、その中から予算措置できると。

 今までは、さっきもちょっと触れましたけれども、教育委員会としてどう施策を打っていくか、このあたりが町村の場合なかなかできにくい。そうなってしまうと、やはり予算が、例えば図書費にしても何も流れてこないということがあり得るだろうと思うんですね。

 これはやはり、教育委員会の自主性なり活性化を図っていく、そのときにはやはり町長部局といかに連携を図っていくか、これは非常に今から大事なことである、その中でかなりのことはカバーできる。また、こちらのやりたいことをきちっと伝えることによって、町としての教育改革なりはやっていけるというふうに私は思っています。

やまぎわ委員 ありがとうございます。

 予算だけではなくて、恐らく、仕組みとして少し動きにくい部分があるので、そこに関して改善をしていくということが求められるんだというお話だったと思うんです。

 確認させていただきたいんですが、今回改正をしようとしていることによって、教育委員会に指導主事を置けるようになるわけですね。これは、きちんと機能させれば、風通しがよくなって、さまざまな意味で市町村レベルでの、より現場に近い部分での施策というものが進む、このようにお考えになっていらっしゃると理解してよろしいですか、中島参考人。

中島幸男君 そのとおりだと思っています。

 指導主事を入れることによって、その地域の実態に合った教育施策が打てる。あわせて、指導主事の専門性で教員の指導にも回れる、学習指導に回れる、そういう点で、ぜひともという思いがしております。

やまぎわ委員 恐らく最後になると思うんですが、中島参考人にもう一点だけ。

 教職員の免許法のことについてお触れになられました。私もここは非常に葛藤がございまして、十年で免許を更新させるということにどれだけの意味があるんだろうかというのは、今でも私は心の中で葛藤がございます。

 ただ、これは何も教育行政に限ったことではないと思いますが、日本の行政そのものに、民間だったら当たり前のようにあるはずのチェック機能、評価の体制が明確なものとして今まで存在していなかったというのは、私は厳然たる事実なんだろうと思うんです。これは、学校の教育現場においてもやはり同じような状況で戦後六十数年の間やってきたんだろうなと。

 ですから、私の今回の法改正を行うというスタンスでの理解は、百点満点のものではないかもしれないけれども、今まで概念としてなかった評価を行っていくというのをきちんと明文化することによって、その評価の内容に関してはこれからさまざまなところで吟味をしていくことは必要かもしれないけれども、第一歩としては非常に意味のあるものなのではないか、このように私自身は思っているわけなんです。そういう観点から見たときに、このチェック体制が導入されるんだということに対してはどのようなお考えかを教えていただけますでしょうか。

中島幸男君 私は、チェックは絶対必要だというふうに思っています。

 先ほど野中参考人が申しましたように、福岡県でも教員の評価が始まりました。本年度からは完全実施しておりますので、十八年度のデータも、私の学校の教員については全部見ておりまして、その中で、校長が評価するのを見ていったときに、やはり今から先は評価機能を高めることが非常に大事だと思っているんです。どのような目標を各教員が持つか、その目標の持ち方というのはこんな差がありますから、これはやはり高めてもらいたい、そこらの指導がまず一点ありますし、あわせて、それに基づいてどう実際にやってきたか、この評価機能は絶対しないといけないと思っています。

 以上です。

やまぎわ委員 時間がぼちぼち参りましたので質問はやめさせていただきたいと思いますが、いずれにせよ、冒頭に申し上げましたとおりに、教育基本法を改正することによって国民的な議論が教育に対して巻き起こったということに私は最大の意義があるんだろうと思っておりまして、その国民的な議論が、これからこの三法を改正し、さらには運用面として現場にきちんとそれがおりていくということが起こらなくてはいけない、そんな思いを持ってこれからも取り組んでまいりたいと思っております。

 本当にありがとうございました。

中山座長 次に、野田佳彦君。

野田(佳)委員 民主党の野田佳彦でございます。

 三人の意見陳述者の皆さんには、大変お忙しいところ、貴重な御意見をお聞かせいただきまして、本当にありがとうございました。

 民主党の持ち時間は二十分で、同僚の笠さんと十分ずつ分けてやりますので、ちょっと時間が短いので、簡潔な質問をさせていただきたいと思います。

 まず第一に、麻生知事にお伺いしたいんですが、地教行法の四十九条、五十条、是正の要求と指示に対して、野中先生は率直に、分権の流れに逆行するんではないかという懸念を申されました。私もそう思っているんですが、全国知事会の会長として、分権の旗振り役で、きょうの意見陳述の冒頭に教育は地方分権だと言い切った知事におかれましては、この四十九条、五十条について自治法の範囲内だとあっさりと簡単に認められている、そのギャップをちょっと変に感じたんです。

 この四十九条、五十条で大丈夫か、知事に改めてお伺いしたいと思います。

麻生渡君 当初はいろいろな案があったわけです。これについてはもう明らかに、我々が一番基礎としています地方自治法をはみ出たものであり、昔の状態に戻すものであるということでございましたから、これには非常に強く反発をいたしました。その結果、結局、地方自治法でも認められておる指示なり是正要求ということをあえて取り出して別掲するというような形で、今回の新しい法律に書かれることになりました。

 そういう経緯を考えた場合に、あえて分権の流れからいって書く必要があるのかという点でいえば、書かなくても自治法で十分使えるじゃないかということは言えるわけなんですけれども、あえて今回、そのような教育を考える観点からこういうふうに個別法で別掲をやっていくことになったということだけをもって、分権の流れで絶対に認められないというところではないんじゃないか。決して望ましいというふうに思っていませんけれども、自治法で今やれる範囲内のことを書いたということでは、初めの、分権に反するということの大きな出発点から見ると、随分枠の中におさまってきたんではないかというふうに考えております。

野田(佳)委員 もっと突っ込んで聞きたいんですが、十分しかないのでほかのテーマに行きます。

 同様に、四十九条と五十条について中島教育長のお考えもお聞きしたいんですが、中島教育長のお話では、先ほど、副校長などを置いても悩ましい、実際現場はどうするんだろうとか、率直な御意見がたくさんあったんですね。免許法についても、十年間で三十時間の講習というのは本当に意味があるのかとか、全くそのとおりだと思うんですが、この四十九条や五十条についての御意見をぜひお聞かせいただきたいと思います。

中島幸男君 私たち町村の場合は、県からの指導、助言をたくさん得ておりまして、直接国から来るというのはほとんど経験がございません。それだけに、何となく距離がありまして、はっきり申しましてぴんとこないんです。その程度で答えとさせてください。

野田(佳)委員 では、また麻生知事に御意見をお聞かせいただきたいんですが、去年は、いじめの問題や未履修の問題等々、大変大きな社会問題になりました。福岡県でも、筑前におけるいじめに対する学校現場や教育委員会の対応が問題になったり、それから未履修問題でも、福岡はたしか私立の高校で未履修が発覚したケースが多かったと思うんです。全国的にも未履修は私学の方が比率は高かったですね。福岡県は、たしか六十校あるうちの十七校ですか、三割近いところで未履修が発覚をして、知事部局と私学との関係というのが当然クローズアップをされました。私学の教育現場を知事部局がどれだけ把握するのかというのは、私学の自主性とか振興との絡みの中で実際問題悩ましいと思うんです。

 この地教行法の改正は、いじめとか未履修に対応するためにというまくら言葉をよく文科省の方が言うんですが、では、そこで出てくる今回の私立学校に関する教育行政で、これは二十七条の二ですね、先ほど知事も触れられていましたけれども、知事は、教育委員会に対し、学校教育に関する専門的事項について助言、援助を求めることができることとする。この規定が入ることによって、知事部局と私学との関係、教育委員会を介しての関係は具体的にどう変わるんでしょうか。さっきの未履修の問題も含めてお話をいただければと思います。

麻生渡君 これによって、直ちに知事部局と教育委員会、そしてまた知事と私学の関係が変わるということにはならないと私は思っています。

 この条文の前提は、いかにも教育委員会が教育のことについては非常に高い知識、経験を持っているんだと。ですから、教育委員会から、私学をいろいろ指導、助言する必要な知識を知事がもらってきてやっていくんだという考え方になっております。

 しかし、実態を見ますと、私学というのは非常にしっかりしておりまして、何といいましても建学の理念というのを持っておりますし、またしっかりした教育をして卒業生を送り出さなければ直ちに学校の評判が悪くなっていくというようなことがございまして、やはり私学は非常に真剣に教育をしております。そしてまた、成果も上げつつあるという状況でございます。

 また、現実を申しますと、一つの指標として偏差値がありますけれども、私学はやはり低い方を担当しているんですね。物すごい進学校には高いところもありますが一般的にはそうなんですね。そういう中で、非常に教育のやり方もいろいろ工夫しながらやっておるという現実があります。したがいまして、これによって直ちに私どもが教育委員会からいろいろ必要な知識を得ながら私学の指導を行わなければいけないという実態にないというふうに判断をいたしております。

 それから、私学の方に未履修の問題があったということについては、私学もいろいろな私学があるわけなんですけれども、なぜ未履修の問題が起こったかといいますと、やはり単位制の中において、高等学校は七十四単位必要なんですけれども、必須が三十数単位ということです。この必須科目と、それから実際に社会に出て必要な勉強はどこをさせていったらいいのか、あるいは受験はどうすべきかということとの整合がどうしてもうまくとれなかったというようなことで、私学はそれについて非常に率直な対応を現実的にしておった結果ではないかというふうに思っています。

 未履修の問題は、そもそも単位制のもとでどこまでの必須を課すべきか。だんだん減少する傾向にあるわけなんですけれども、その範囲と、これを余り広くしたら単位制をとっておる意味がなくなっていくということがございますし、必須の科目の選択の仕方においてもいろいろな考えがあるわけですね。そういうことをよく考えて今後の設定をしていく必要があると思っております。

野田(佳)委員 多分もう持ち時間が一分ぐらいしかないと思うので、最後の御質問になります。

 野中先生にお尋ねしたいんですが、国の責任はやはり財政的裏づけ、予算の裏づけだというお話をされました。私も同感です。今、教育再生会議で議論されている中で、まず教育再生という器をつくらないとお金という水を流しても意味がないという主張をされる人がいるんですが、余り水不足だとやはり教育の質がどんどん落ちていくだろうと思うんです。

 そこで、この間、ある新聞に出ていましたけれども、国が定めている学校図書館の蔵書数の目標がありますね。達成しているのが、小学校が四割、中学校が三五%です。図書の数だとか、教材費だとか、教育旅費とか、そういうところが削られていろいろな弊害が出てきていると思いますが、教育費でお金が足りなくて現場で今一番困っていらっしゃることは何なのか、具体的にお答えいただければと思います。

野中秀典君 先ほども申し上げましたけれども、先生の数だと思います。もちろん、学校の中で先生たちの質を高める、この努力は精力的にやらなければならないだろうというふうに思っております。本当に勤務時間を度外視して職員はやっております。

 本校の例でございますけれども、一学期の四月と二学期の九月、三学期の一月、この月には生活的に非常に厳しい環境に置かれている子供たちがいますので、先生方に少しでも早く出てきていただいて子供たちを迎えてください、そういう取り組みを学校の中でもやっておりますけれども、やはりなかなか数に限界がございます。そういった意味で、非常に苦労しているなというところでございます。

野田(佳)委員 ありがとうございました。

中山座長 次に、笠浩史君。

笠委員 民主党の笠でございます。

 野田議員に引き続きましてお伺いをさせていただきたいと思います。冒頭、本当にきょうは意見陳述者の皆様、ありがとうございます。

 これは、昨年の教育基本法の改正の議論のときから、私ども民主党としての日本国教育基本法案、あるいはその考え方を具体化するために今回も三法案を出しておりまして、教育を考えるときに、先ほど来お話ありましたように、国の責任が何なのか、あるいは地方自治体、公共団体の責任が何なのか、そしてさらには学校の現場ですね。この責任と権限というものを明確にすることをしっかりと考えていかないといけないという中で、国は最終的な責任を負うと。

 それはすなわち、一つは財政ですね、お金の確保。そしてもう一点については、一つの水準、現在でいうと学習指導要領、この中身についてはいろいろな議論をするにしても、やはりそのあり方というものは国として考えていかないといけないだろう。

 ただ、その上で、思い切って、そこを国が最終的な責任を持った上で、あとは地方の自治体の皆さんにお任せしていいんじゃないか、あるいは学校の現場に任せていっていいんじゃないかというような考えにまず立っております。その上で法案を提出しているんですけれども、その点について、まず麻生知事にちょっと御意見をお伺いしたいと思います。

麻生渡君 教育について、国と地方の責任分担をどうすべきかということについては、私の考えは、先ほどありましたように、ミニマムの教育の中身、そのミニマムの中身を考える際にどのような観点から考えるかといいますと、やはり、これは日本国民という視点で考えて、どうしてもやってもらいたい教育、あるいはどうしてもやっておかなければいかぬ教育を、今の考え方のように学習指導要領で示すということをやっていく。それをもとにしながら、どのようにそれぞれの地域の考え方に基づいて発展的にやっていくか。それは、それぞれの地域が大いに工夫してやっていく、取り組んでいくという形にするのが一番いいと考えております。

 そして、その場合の責任としての、もう一つの財政の問題ですが、我々は財政もちゃんと税源移譲して地方側に与えればいいではないかと。何かお金を渡したから、お金と権限が一体となって、国がいろいろ細かいことを言うのはもうやめた方がいいというふうに思います。

 もっとはっきり言いますと、ゆとり教育の結果というのをもっと深刻に考えていく必要があると思いますね。あんなに全国一律でやってしまって、全国一斉に同じ問題を引き起こしてしまいました。ああいう愚をやるのは非常に日本の将来にとって危険だと思います。やはり多様なことをやっているからこそ、こちら側は失敗したとしても、うまくいかなくても、そちらがうまくいっているというような関係をつくっておかなければ、一律にやることの危険さというのを十分我々は考えていく必要があるというふうに思います。

笠委員 そこで、具体的にお伺いをしたいんですが、私ども、新しい地教行法というものを今回提案しておりまして、教育委員会のあり方について、地方公共団体の首長さん、選挙という最も民主的な方法によって選ばれる首長さんにその行政をお任せし、そして教育委員会を廃止して、それにかわる、首長さんの行政をチェックしていく、監査していく教育監査委員会的なものをつくっていこうということを法案として提出しているわけです。この考え方について、政府案と比較してでも結構なんですが、麻生知事と中島陳述者に一言ずつコメントをいただければと思います。

麻生渡君 私は、現状におきましては、教育委員会の必置規制をやめてもいいんじゃないかと思っています。それで、それぞれの市町村なり県なりが設置をしてやるのか、それとも首長が直轄型でやっていくのか選択ができるという形ぐらいに持っていくのがいいんではないかと思っています。

 やはり、この問題は非常に難しいのは確かにそうなんでして、実態的に見た場合に、首長がかわれば教育のやり方、基本的な考え方が変わるということで、教育の安定性という点から見れば教育委員会制度の方がよいように見えますけれども、一方で教育委員会というのは選挙民と直接対峙していないということがございます。その意味で、今の選挙民、我々でいえば県民は教育問題に非常に熱心ですね。心配しています。

 そういう中で、県民が責任ある教育をしてくれというのは政治的に非常に大きな要求なんですね。それを、今は間接的にしかできないということになっていますから、それは必要な場合には直轄型でやっていけるという制度的な余地を残しておくことは十分あり得るというふうに思っております。

中島幸男君 私は、先ほどもちょっと触れましたけれども、首長部局に行ってしまうというのはいささか困ったことかなと。現在も既にスポーツだとか文化系については首長部局が持っている事例が幾つかありますし、生涯学習的な観点から言うと、それは一つのあり方だろうというように思っています。

 ただ、教育については、やはり、中立性とまでは言わないにしても、首長と連携を十分にとる中で、私のところは今回の統一地方選で町長選がございましたけれども、教育を非常に重視しているという公約は、三人立候補した中で皆さんおっしゃっていました。そうなってきたときに、やはりそことの関係は僕は大事にしていかないといけないと思っていますので、直轄ということよりも、それぞれ距離を置きつつ置かないといいましょうか、微妙な関係でもいいですけれども、私は置いておいた方がいいと思っています。

 以上です。

笠委員 本当に議論したいんですけれども、時間が限られておりますので、野中陳述者の方にお伺いをしたいんですが、先ほど麻生知事の方からも、今本当に学校の先生たちが子供たちと向き合う時間が非常に足りないと。我々は、国として、学校の先生の質の向上と、もう一つ、やはり量、人数をふやしていくということを提案して、その環境整備のための法案も、今回、しっかりと公財政支出をふやしていくんだということとあわせて提案をしているんです。学校の先生の数をふやしていくということはまたちょっと別としまして、日々の先生方の作業の中で、例えば、こういうところを直してくれれば、今の国の教育行政、文科省の行政のこういうところをやめてくれればもっと子供たちの時間がつくれるんだ、そういう率直な御意見があれば、現場を預かる校長先生として、ぜひ教えていただければと思います。

野中秀典君 一応、私たちの教育内容については学習指導要領に規定をされております。その規定の中で、総合的な学習の時間であるとか選択の時間であるとか、そういった時間をいかに各学校の実態に応じて、子供たちに足りないところをどういうふうに補っていくのか、そこに重点化をしながら学習を進めているところでございます。

 九百八十時間という時間の枠、少なくなりました。その中で、本当に子供たち一人一人は能力の差がございます。その子に応じた指導をやるに当たっては、時間割りをつくる上でも非常に苦労しながらやっているところでございますけれども、その辺をもう少し私たち学校長に、組みかえる時間といいますか、より自由に学校の実態に応じたカリキュラムをつくれる、そういうふうなことができたら、より特色のある教育活動ができるんではないかな、このように思っております。

笠委員 恐らくこれで持ち時間がなくなりますので、最後に一点だけお伺いしたいんですが、今おっしゃったように、これからは本当に、地方、地域の力と学校現場、校長先生と、我々は今のコミュニティースクールをもう一歩進めて、学校理事会をつくって、地域の力、保護者の力、すべて巻き込んで学校運営をしていくというような形で教育の分権という視点を進めていきたいなと思っておるわけでございます。きょうも博多小学校をちょっと見学させていただき、コミュニティースクールじゃないけれども、もう既に地域の人たちを巻き込んでいっている、そういう力をかりながら運営している、こういう方向にやはり学校の現場の運営をより任せていくということについて、最後に野中陳述者に感想をお伺いして、終えたいと思います。

野中秀典君 確かに、今、学校だけの力では教育ができないような状況にございます。地域の方々と連携をしていく。地域の方々に学校の中に入っていただいたり、我々が地域に出かけていって、一緒に教育をしていく。

 ただ、そういうお願いをするに当たっても、やはり何かしらの財政的な支援があれば私たちの方もお願いしやすいし、そういうふうなところで考えていただいたらありがたいのかなというふうに思います。

 積極的にこれからやはり地域と手を組んで学校づくりを進めていくということが大事なことだろう、このように思っております。

笠委員 ありがとうございました。

中山座長 次に、伊藤渉君。

伊藤(渉)委員 座ったままで失礼をいたします。公明党の伊藤渉と申します。

 本日は、三人の先生方に、大変お忙しい中、貴重なお時間をいただきまして、ありがとうございます。

 まず、私からは、少し理念的な話といいますか、これからの教育、現場を含めて、どういった形に進んでいくべきなのかというようなことについて、それぞれのお立場から御意見をお伺いしたいと思います。

 きょう、御存じのとおり、午前中、福岡市立博多小学校というところを視察させていただきました。私は地元が愛知県名古屋でございますけれども、校舎全体がガラス張りで、教室と教室の間の仕切りもないという、私は初めて見ました。

 いろいろ興味深く現場を見せていただきまして、校長先生に私がお伺いをした中の一つに、こうした新たな形の学校をつくるに当たって賛否両論さまざまあったと思います、その中で、最終的に結実するに当たって、皆さんに御理解いただいたコンセプトというのは何でしたかという話を聞いたところ、学校長が、町は学校、学校は町、こういうコンセプトで皆さんに御理解をいただいたと。

 つまり、今まさに、地域、そして親、学校、生徒、この新たな時代のかかわり方をどう構築していくかというのが非常に重要なポイントだと私は認識をしております。その上で、今回視察をさせていただいた小学校は、まさに校舎というハードの部分をつくり上げるところから地域が一体となって取り組んだ、そして、みずから皆さんの意思でつくり上げた校舎だからこそ、その後約十年を経過しようとしているわけですが、非常に成功している事例だというふうにお聞きをいたしました。

 また、校長先生がおっしゃっている中でとても印象的だったのは、実際に非常に変わった建物なわけですから、授業を進めていく中で、やはりここはちょっとこうした方がいいなということで改築等々は特になかったですかとお聞きをしたら、校長の答えはこうでした。だからこそ、この校舎に合った教育とは何かを工夫していくことができました。つまり、ハードがソフトに影響を及ぼして新たな形をつくっていったというようなことをおっしゃっていて、これも非常に示唆的なコメントだなと思いました。

 そこで、非常に理念的な問いかけで恐縮ですけれども、地域、親、学校、生徒、これからのあり方をどのようにお考えになり、また、今どのように取り組み、今後どういう形にしていくべきだとお考えか。ざっくばらんで結構でございますので、三人の先生方にお伺いをいたします。

麻生渡君 一言で申しますと、学校と地域が綿密な相互理解と協力関係をつくらなければ教育はうまくいかないというふうに思っています。

 実際に学校教育をしていただいておるんですけれども、結局、その中でやはり父兄が参加して、教育の成果が上がっておるのかどうかについて絶えず意見を言うということは不可欠でありますし、また、子供たちは地域の中で育っておりますから、地域全体が、子供たちの安全問題を含めまして、やはり子供の教育なり育成に大きな関心を持ち、また地域的な教育運動に参加するということが非常に大事であります。また、そういうことを通じまして、今、地域的に非常にコミュニティーと言われるものが希薄になっておりますけれども、これを復元する大きな力になるということであります。

 現に、私どもがやっています青少年アンビシャス運動は、青少年アンビシャス広場づくりを通じまして親同士がいろいろな形で知り合う、それによって地域社会というものが、子供の健全育成という活動を通じて改めて確認されたり、あるいはつくられつつあるという実態がございます。

 そういうことでありますから、今の御質問に対しては一体不可分であると。この協力関係なり相互理解関係をつくらないといい教育はできないというふうに考えております。

中島幸男君 私も知事がおっしゃったとおりだと思っています。

 小さな町でございますが、冒頭に申しましたように、芦屋の子供は芦屋で育てようということでやっているわけでございまして、では、何を育てるかということでございます。実は、平成十四年に文科省の学力向上フロンティア事業を受けまして、町を挙げて学力向上ということで、基礎的な学力を高めようと全部の小中学校でやりました。その途中、研究する中で気がついたことがあります。基礎的な学力は確かに上がります、ドリルをやったりいろいろして上がりました。しかし、いわゆる確かな学力、判断力だとか意欲だとかいうことについては、心の教育と申しましょうか、規範意識を高めたりしないと、その両輪がないとやはりうまくいかないということがわかりました。今そういうことも含めてやっておりまして、今は体力も高めなきゃいかぬ。学校から発信するのはそういう三つ、学力と心と体力であります。

 では、それについてどう地域がかかわってもらえるかという話でございまして、校区が三小学校区ございますから、校区育成会議というのを立ち上げて、地域の方々に入っていただく。それから、中央公民館の館長が中心になって、学校といろいろな関係団体をつなぐということ、もうどこでもやっていることだろうと思いますけれども、そういうことを地道に積み上げていかないといけない。

 が、しかし、そうやって出ていただける方はある程度決まっているんですね。届かせたいところに届かないというのが悩みでございます。

 実は、昨日も私たちの教育委員会は会議をしたんですが、その中でも、一年一回ボランティア、これならできますよというのを一人一人親に聞く、それで出てきていただこう。とにかく学校に親に出てきてもらうことから始めようということで今取り組んでおりまして、まず保護者を学校に近づける、そして、それを地域にどう広げていくか。そのことなくしては本当に、知事もおっしゃったように教育が成り立たないということだろうと思っています。

 以上です。

野中秀典君 私はやはり、学校の現場から地域、家庭に発信をしていくことが大事だろうと思っております。今学校で何があっているのか、今子供たちがどういうふうな生活をしているのか、学力の実態はどうなのか、やはりそこからの出発だろうというふうに思っております。

 それを保護者の方とか地域の方々に理解していただくためには、家にいる子供ではなくて学校にいる子供がどういう姿なのかというのを直接見ていただくことも大事だろうと思います。そういったノウハウを私たち教員はなかなか持ち得ません。そのために、教育委員会の社会教育課であるとかそういうところと連携をしながらやっていくことがすごく大事ではないかな。

 本校は余裕教室が幾つかございますので、家庭教育学級を今学校の中で開いております。いろいろな親御さんに来ていただいて、中学生が幼児たちと触れ合ったりとか、そういったことの取り組みも社会教育課と連携しながら今やらせていただいているところでございます。そういったことで学校が地域と連携しながらやっていけるのではないかな、このように思っております。

伊藤(渉)委員 ありがとうございます。

 今の御意見の中で中島先生がおっしゃった、まさに届かせたいところにどう届けるか。

 私、実は、教育の関係とあわせて、自民党のやまぎわ先生などと御一緒に、児童の虐待の防止にも取り組んでおります。その中でさまざま、要するに親が親となるためにいろいろなことを今教えていかなければいけない時代になっていて、行政としてもさまざまな講習を開き、まさにそういった親に対して、親とはみたいなことを実はやろうとしているんですが、届かせたいところの人は来てくれないんですね。あるところでこちらが構えて事業をしているだけでは、本来来てほしい人には来ていただけない。

 それで、実はこの四月から、こんにちは赤ちゃん事業といって、まさにお子さんが生まれたところに行政が家庭訪問をしてお話をしていく、いよいよそういう時代に入ったのかなと。昔であれば、大きな家族でおばあちゃん、おじいちゃん、そういう方が一緒に暮らしている家庭の中に自然にあったものが、時代の流れとともに核家族化をし、そういった本来あったものが失われて、それが今、行政のサービスとして提供をしなければいけない時代に少しなりつつあるのではないかな。まさにそういう意味で、今中島先生がおっしゃっていただいた悩みは、教育現場だけではなくて至るところで発生をしてきている問題だなと思って聞かせていただきました。

 次に、今回改正をしようとしている三法案の中で、これまで何回も出てきましたけれども、指示ということについて、これは野中先生に私もちょっと確認をさせていただきたいわけですが、私も、教育というのは本来、三権分立に加えて四つ目の権利としてきちっとやはり独立をしているべきだろう、政治あるいは行政の関与は極力抑える必要がある、そういうふうな考えの持ち主でございます。

 一方で、今回の法改正というのは、昨年発生をしたいじめや未履修ということについて国として何か最小限の手だてというものを設けなければならないんじゃないかというところが議論の発端だったと思っています。

 それで、結論的に申し上げますと、我々は、今回の指示については地方自治法の基本原則は逸脱をしていないと理解をしています。なぜなら、現行の地方自治法の中に、「国民の生命、身体又は財産の保護のため緊急に自治事務の的確な処理を確保する必要がある場合等特に必要と認められる場合」と、国の自治事務に対する指示ということが限定的に認められております。

 よって、これを改めて今回の地教行法の中に明記したということでございますので、地方自治法の基本原則は逸脱をしていないという前提で我々は納得をし、今回の法改正に理解を示しているわけですけれども、この点、もう一度、野中先生の御見解をお伺いしておきたいと思います。

野中秀典君 確かに、昨年のあのような痛ましい事件というのはあってはならないというふうに思っております。私たちとしても、身近なところでそういう事件が発生をいたしましたので、県の中学校の校長会といたしましても緊急提言を出し、すべての学校の校長先生方に再度自分のところの学校の教育活動の見直し、点検をやっていただくというふうなことのお願いをしたところでございます。

 私たち日常的に現場を預かる校長としては子供たちの教育活動にすべての責任を持っております関係で、いろいろな出来事がございましたときに、その都度報告をし指導をいただくのは教育委員会の教育長でございます。やはり教育委員会の教育長は、それなりの専門性を持って指導力もある方々が、私は今まで一緒にさせていただいた方々はそうでございましたので、そういう方々と常に連携をするということはすごく大事なことだろう。私たち校長としても、やはりそういう方々の指導助言なしには、現場を預かる校長としてなかなか厳しいところがございます。

 そういう意味合いにおいて、ああいうあってはならないようなことが起こらないような形に私たちがしていくのが大事なことであって、昨年のようなことがあった場合には、やはり何らかの形で国なり県なりの指導助言というのはあってしかるべきかな、このように思っているところでございます。

伊藤(渉)委員 ありがとうございます。

 続けて、学校教育法の改正で、これまでもやはり出てきましたけれども、副校長等を設置できるということについて中島先生と野中先生にお伺いをしたいと思います。

 今回の改正で、改めて申すまでもなく、学校のマネジメント機能の強化というような観点から、副校長あるいは主幹教諭、指導教諭を置くことができるという改正になっているわけですね。置かなければならないんじゃない、置くことができる。より多様な学校の組織運営ということを視野に入れての法改正であると私は理解をしております。

 その上で、ここまであったとおり、私も国会の質疑でも申し上げましたけれども、やはり基本的に、先生の物理的な数が足りなければ、例えば、副校長を置くことができるといって副校長を置いたかわりにだれかが副校長になって一人そこに穴があいているということではなかなか厳しいんだろうと思います。これはやはり、国全体の予算配分の問題も含めて、教育というものにこの国が力を入れていくのであれば、与野党を超えて、全軍を挙げて取り組んでいかなければならない大きな課題であると思っています。

 これは取り組んでいくという前提で、こういうものを置くことができるとなった場合に学校のマネジメントの運用としてどういうふうな効果を及ぼすとお考えになるか。できれば、イメージを膨らませていかなければいけないと思っていますので、この点についてお二人の先生方の御意見をお伺いしたいと思います。

中島幸男君 確かに、校務を整理して、しかもなおかつ、副校長の場合、今の分掌では若干決裁権と申しましょうか、そこが出ていくというお話でございます。ただ、これはどうやって分類するんでしょうかねと現場では思っているんですね。これについては校長でここは副校長ですよ、こうなるのかどうなのか。

 現在、福岡県の高等学校の場合は、総括教頭さんといって教頭さんが二人制のところがありますし、ほかには副校長制があるところも聞いておりますけれども、むしろそのあたりをもう少し明確に教えていただきたい。その中で、多分それはそれで機能し出す。いいことは間違いないと思うんです。思いながら、まだ非常に私たちにとりましては、そのときどうなるのかというようなこともありますし、そこらはまだまだ研究の余地があるという感じがいたします。

 以上です。

野中秀典君 私は、知事がおっしゃいましたけれども、一律に学校にそういった職をつけても全く意味がないと思います。学校の実態に合わせて、生徒指導上の課題があるんだったら生徒指導の先生を一人余計に配置していただく、学力に課題があるんだったら学力に重点を置く先生を配置していただく、それによって学校の質も高まっていくだろうし、すべての課題も克服できていくのではないかなと。

 あえて、副校長あるいは指導教諭、そういう先生方を一律にすべての学校に配置しても意味がない。それよりも、やはり自分のところの学校の校務分掌といいますか、教職員の今ある体制をより強く連携させることが大事になってくるのではないか、そこの中で足りないところを補っていただく、その権限を校長に与えていただきたいな、このように思っております。

伊藤(渉)委員 ありがとうございます。

 繰り返しになりますけれども、今回のこの点の法改正は、あくまで、できる規定でございますので、しなければならないわけではないんですね。これを置くことができるので、置いても意味がない場合は置かなければいい、そういうことになるわけですね。

 ただ、私の見解としては、これを生かすのも生かさないのも、最終的には確かに現場になると思います。その権限が今校長にはないというお話でございますので、その点については私もしっかり検討を重ねていきたいと思います。

 時間が来ましたので、最後に一点だけ、これは中島先生にお伺いをしたいと思います。

 今回の地教行法の改正の中で、県費負担教職員の同一市町村内の転任については市町村教育委員会の内申に基づき都道府県教育委員会が行うものとするというのがありまして、この点について先ほども意見をいただいたと思います。

 これは、私が現場でさまざまお話を聞くにつけ、既にそういうふうになっているケースも多々あるので今回これをきちっと法文化するというような声も耳にいたしました。

 その中で、確かに先ほど御懸念をいただいたように、よい先生が集まる地域では地域の教育が長く安泰をする、一方で逆なケースもあるというような話を聞きました。この点については、やはり国の委員会でも、そうした地域の教育の格差というのが生じないように文部科学省としてもしっかり指導していっていただきたいということは問いただしたところでございますけれども、まさに町の教育委員会の教育長として、この点についてさらに改善の余地また御意見があればお伺いをして、私の質問を終わります。

中島幸男君 現実としては、福岡県の場合、特に私たちも含めて福岡県の人事管理の場合は、この文章のとおりに近いというふうに思っています。

 一番懸念するのは、今は、「内申をまつて、」と書いてある。これは、何ですか……(伊藤(渉)委員「基づき」と呼ぶ)「内申に基づき、」と。内申を待ってと基づきとの意味合いが違うというふうにちょっと勉強しました。内申を待ってという場合には、内申どおりいかなくてもいいというか。内申に基づきとなると、その内申に拘束されるということなんだそうでございます。

 そうしますと、これはやはり、いい教員は自分のところに置いておきたいものですから、さっきもお話に出たように、それが出てくる可能性が非常に高い。指導力に若干問題があったり不足の教員はよそに行ってもらいたい、こうなりますが、それはなかなか前に出てこない。そうすると、どうしてもそこで県なり、今だったら教育事務所の人事管理で調整を図る。そうなってきますから、これは起こり得るんですけれども、現状がもう既にこうなっておりますから、明文化されて結構かなという思いがいたします。

伊藤(渉)委員 ありがとうございました。

 以上で質問を終わります。

中山座長 次に、石井郁子君。

石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子でございます。最後の質問になりましたので、どうぞよろしくお願いいたします。

 今、法案審議中の国会ですけれども、この三法案の審議に当たって、それぞれのお立場から率直にきょうは問題点を御指摘いただいたと思っています。また、地域やそれぞれの学校でいろいろ御苦労されながら、創意的にいろいろな活動をしていらっしゃる中で、何を教育改革に求めていらっしゃるかというようなこともお聞かせいただけたというふうに思っております。

 その上で、幾つかの問題でさらに御意見を伺えればというふうに思うんですが、まず、日本の教育行政の問題ということで、よく一般的に、文部科学省、都道府県教育委員会、市町村教育委員会、学校、縦割りの上意下達の仕組み、システムというようなことが指摘をされるんですね。この点は、地方六団体の意見としても、こういう上意下達の仕組みを変えていくことだということが述べられていたかと思うんですが、具体的にはどういうことが現場を縛っているのか、そして、本当にどの点を変えていったら日本の教育の現場が活性化していくのかというような点で、具体的に現場で感じておられることをお聞かせいただければと思います。これは、三人の参考人それぞれから伺えればというふうに思います。

麻生渡君 上意下達自体を問題にするというよりも、やはり、国と我々地方との教育におけるそれぞれの役割分担はどのようにすべきかということをよく考えなきゃいけないと思うんですね。今までのやり方は、どうしても文部省が非常に強くて、いろいろな通達とか指示を仰ぎながら県の教育委員会が活動し、そのもとでまた市町村の教育委員会が活動しておったという実態がございます。

 我々は、先ほどからありますように、ミニマムのことについてはきちっと国が設定をすればいい。さらにそれを超えてもっとやらなきゃいかぬという分野の設定あるいは水準の設定については思い切って地方側に任せてもらって、そして、それぞれ個性のある教育を展開しようではないか。

 その場合に、もう一つ国の役割で重要なのは、それぞれの活動をやった場合に、やはり評価ということは避けて通れないわけでありますから、非常に難しい問題でありますけれども、やはり評価機能はある程度国が持っておって行っていくことが必要ではないかというふうに思っています。

 そういうことでありますので、先ほどから教育の地方分権をやらなきゃいかぬのだと言いますのは、そのような国と地方の役割において、もっと地方の創意工夫、自由度を高めていって、多様な教育をし、多様な人材を育てていくという仕組みに変えてもらいたい、また、変えなきゃいかぬのだということを主張しているわけであります。

中島幸男君 私も、国としてはナショナルスタンダードという形で指導要領を出したりしていますが、そのあたりは、日本国民をどう育てるかという最も基本的なことでミニマムとおっしゃいました。多分そのとおりだろうと私は思っています。

 問題は、私たちのように地方の教育委員会にとりましては、地方らしさ、スタンダードプラス、それをどう企画して実践していくか、地域の住民の方々のニーズにどうこたえるか、そして地域の子供たちをどう育てるか、そこが我々の仕事だというふうに思っています。

 それは、そんなに県教委なり文科省に縛られていると私は思っておりません。むしろ、私たちはどんどんやれる。今のところは町村の場合やりにくい。それは、冒頭に申しましたように、やはり指導主事なりそういうスタッフ機能が町村の場合は非常に弱いんだ。そこを高めていただくと、必ずそれぞれの地域に合った教育ができるというふうに私は思っています。

 以上です。

野中秀典君 学校は、目指す子供像を持っております。やはりそれに向けて、校長が夢を持ち、その実現のために先生方に理解をしていただきながら教育活動を進めていく、これが一番大事なことだろうというふうに思っております。

 そのためには、組織というものは、私たちのリーダーシップのもとに先生たちが一緒になって子供たちの教育活動に当たっていくことが大事だろうと思っていますので、私としては、上から下にいろいろなことを物申すじゃなくて、先生方の考えをしっかり聞きながら、そしてそれを具体化していくことが大事だろうと思っていますので、今のところ、先生たちとは一緒に仲よく教育活動をやらせていただいております。

石井(郁)委員 しかし、今回の法改正では、やはり地方分権の流れに逆行する中身になっているんじゃないかという問題は依然としてあるんですね。それが先ほど来議論されている地教行法の四十九条、五十条の問題の是正の要求また指示という中身でございますけれども、これは、昨年来のいじめ隠しとか高校の未履修問題で教育委員会に責任があるんだと言われていることがありますけれども、これは前から文科省自身が知っていたことでもあり、そういうことは先にまず文科省が責任を負わなきゃいけない話だというふうに私は思うんです。

 それはそれとしても、是正要求、指示ということで国の関与を今後強めるという中身でいいますと、これは委員会の審議の中でも、決して生命の危険あるいは子供の教育権の侵害ということにとどまらない、いや、それをどう広くとらえるかということもありまして、例えば、学習指導要領に反するような行為を黙認する教育委員会も是正要求の対象に入るというのが文部科学大臣の答弁でもございました。

 そしてまた、教育再生会議の方も、国と教育委員会との関係でいうと、国が定める大綱的な基準、指針にやはり従わなければいけないというのも出てきているんですね。

 私は、そういう一連のことを考えますと、非常に限定されたという理解で済まないことが起こり得るのではないかということを大変懸念しておりまして、この点では麻生参考人の御意見を伺いたいと思います。

麻生渡君 この条文そのものは、よく読みますと非常に限定された条件下における指示であり、また是正要求になっています。そして、その中身は、地方自治法に書かれておる範囲を超えていない、非常に注意深く書かれているというふうに思います。

 その意味で、地方自治法のかねて国が持っておった権限を改めて確認的に書いたというものであるし、それ以上のものではないというふうに私は理解をいたしております。逆に言いますと、あえてこの部分を引き出してもう一度書く必要があったのかということなんですけれども、これは立法政策の問題かと思っております。

 この実際の運用に当たりまして、言われたように、これを手がかりにどんどん広げるというようなことになってはいけないわけでありまして、その点について、やはり条文の非常に限定された中身でこれは運用されるべきであるし、法律である以上当然そうであるというふうに理解をしております。

石井(郁)委員 今回の三法があるわけですけれども、教育委員会のあり方、教育委員会の機能回復といいますか、そういうことが改めてクローズアップされたというふうに思うんですね。これは国民的にも議論するということで、大変大事だというふうに私は思うんです。

 そこで、ちょっと一般論になるかもしれませんけれども、中島参考人にぜひ伺いたいんですが、現状の教育委員会制度では、先ほど来指導主事の話がございましたけれども、もう少し広げて、教育委員会制度として活性化するにはどういうことが求められているのかということで御意見を伺えればと思うんですが。

中島幸男君 教育委員さんが、今私のところは五人いらっしゃいます。制度と申しましょうか、まずは教育委員会といった場合に、非常に抽象的な意味がある。教育委員の五名をもって教育委員会という場合もあり得るし、教育委員会の事務局が教育委員会ですよという言い方がありまして、果たしてどうなんだという、一般の方々に非常に見えにくいというのがあろうかと思っています。

 それで、活性化するためには、一つはやはり事務局職員の活躍というのが非常に大きなものがありまして、冒頭申しましたように、小さなところではまず人数が足りないということもありまして、今教育長、私は前職は教員でございます。町村の場合、主に教員出身の方が多いようでございますけれども、それでも、自分のところの町の教育をどうしようかという場合に、それが施策までなかなかつながっていかない、これはやはり非常に問題があるんだろうと僕は思っています。そこの教育委員会事務局のことが一つ。

 もう一つは、教育委員会の委員さん、私どもは五名おりますが、私のところの五名のうち、今の委員長は中学校の元校長先生、それから専業農業の方がお一人、主婦の方、会社経営の方と、比較的お若い。そういう方ですと意見が非常にたくさん出てまいりまして、私たちも、こうやってやりたいという施策をできる限り出します。

 そういうところの二つがありまして、教育委員さんにどういう方を選任するかというのが一つあろうかと思います。そして、事務局をどう活性化するか。その二つがうまくまとまると地域の教育課題は相当いけるのではないかと思っています。

石井(郁)委員 どうもありがとうございます。

 私もおおむねそういうような考えに立っているんですけれども、やはり、地域の教育は地域で行うという原則は、私は、戦後確立されてきた原則でもありますし、本当にもっともっと大事にしなくてはいけないというふうに思っています。

 そういう意味で、教育委員会がより機能する、本当に住民の参加あるいは住民の声も反映する、そして、本来、教育委員会は市区町村の学校に対して権限があるという点でいうと、それがより発揮されるような方向でそれぞれ努力していかなきゃいけないなというふうに思っているところでございます。

 次の質問なんですけれども、きょう私は参考人の意見を伺いながら、最後に言われたことがとても胸に響いているんです。たしか野中参考人だったと思うんですが、今逆風に立ち向かっている教師という言葉があったかと思いますし、教師たちは非常に風評被害を受けているというような表現もあったかと思うんです。やはり、これは本当に、現場の教師、教職に携わっている皆さんの実感なんだろうなというふうに伺ったんですね。

 非常によく頑張っていらっしゃる、子供も大変だ、そして多忙な中でいろいろなことを工夫してやっていらっしゃるという中で、政府のやっていることは、それを励ますんじゃなくて、何か、本当によくしているのか、支援しているのか、後戻りさせているのか、やはりそこのところが見えなくなっているのかなというふうに私は思います。

 ぜひ率直な御意見を伺いたいのは、文科省自身が、もう二十年来、いじめ問題、高校中退もあるし、校内暴力、非行等々、たくさんの教育の課題を挙げながら、教育改革という旗を振ってきたと思うんですね。しかし、教育改革を言えば言うほど、何かよくなったかといえば、それが見えないという状況があるのではないかというふうに思います。本当に今日本の教育を、それこそいい意味で立ち直らせていく、子供たちや親の皆さんの願いにこたえるためには、本当に今求められているのは何なんだろうかというふうに思うんですね。

 その一つとして、もう言うまでもありませんが、きょうは中学校の先生ですけれども、例えば、大変深刻な状況にある中学校の学級定数が四十人だというのは、私は本当に、やはり世界的に見ても放置しておけないというふうに思います。きょう博多小学校へ行きましたら、一クラス大体三十人でした。そういうところも生まれていますけれども、依然として中学校段階ではやはり四十人というクラスになっているかと思うんですね。

 先ほども御指摘がありましたけれども、こういう教育の現場を本当に国が一刻も早くサポートしていくということで、学級定数の問題も含めて、国に支援策としてもっと求めていらっしゃることは何なんだろうかということで、教師の実態も含めてもう少しお聞かせいただければと思います。

野中秀典君 確かに、保護者の方々はいろいろなことを学校に求めてまいります。でも、やはり保護者の方々も、自分の子供かわいさに学校を訪れられるんですよ。それにやはり私たちがしっかり耳を傾けて聞いていくことが大事だろうというふうに思っております。

 その中で、本当にこんなことまで言うのかというふうなところを、私じゃなくて一人一人の先生方に働きかけてこられます。そういうときに一人一人の教師の力量が試されていくんだろうと思うんですよ、人間性も含めて。そういった意味では、私たち校長、教頭がしっかりリーダーシップをとりながら、学校の中でそういう先生方も含めて力をつけていくことがまず大事ではないかな、このように思っております。

 しかし、そこに限界も少しずつ出てきているわけですので、今回のそういう制度改正をてこに、新たな方向に進むべく、やはり後ずさりしてはいけないんだろうと思っているんです。これからの公立の小中学校、義務教育というものが将来にわたって地域の方から本当に信頼されていくような学校づくりをすることが大事だろう。法が悪ければ反対だということではなくて、そういったことを学校の現場に即して生かしていくような手だてを私たちがつくっていくことが一番大事ではないかな、このように感じております。

石井(郁)委員 本当に、ぜひ皆さんのそういう御苦労やまた努力にこたえるような国会の審議でありたいというふうに思っておりますし、きょういただきました御意見を参考にしながら、さらに慎重な審議を国会としても尽くしていきたいということを申し上げまして、私の質問を終わらせていただきます。

 どうもありがとうございました。

中山座長 以上で委員からの質疑は終了いたしました。

 この際、一言ごあいさつを申し上げます。

 意見陳述者の皆様方におかれましては、御多忙の中、長時間にわたりまして貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。

 本日拝聴させていただいた御意見は、当委員会の審査に資するところ極めて大なるものがあると存じます。ここに厚く御礼を申し上げます。

 また、この会議開催のため格段の御協力をいただきました関係各位に対しまして、心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

 これにて散会いたします。

    午後二時五十八分散会


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