衆議院

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第11号 平成19年5月15日(火曜日)

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平成十九年五月十五日(火曜日)

    午前九時開議

 出席委員

   委員長 保利 耕輔君

   理事 大島 理森君 理事 河村 建夫君

   理事 小坂 憲次君 理事 鈴木 恒夫君

   理事 中山 成彬君 理事 野田 佳彦君

   理事 牧  義夫君 理事 西  博義君

      赤池 誠章君    井澤 京子君

      井脇ノブ子君    伊藤 忠彦君

      稲田 朋美君    稲葉 大和君

      猪口 邦子君    亀岡 偉民君

      木原 誠二君    鈴木 俊一君

      とかしきなおみ君    西村 明宏君

      西本 勝子君    馳   浩君

      原田 憲治君    平田 耕一君

      二田 孝治君    松本 洋平君

      やまぎわ大志郎君    安井潤一郎君

      山内 康一君    若宮 健嗣君

      市村浩一郎君    岡本 充功君

      川内 博史君    北神 圭朗君

      佐々木隆博君    田島 一成君

      田嶋  要君    田村 謙治君

      高井 美穂君    松本 大輔君

      横山 北斗君    笠  浩史君

      伊藤  渉君    大口 善徳君

      石井 郁子君    保坂 展人君

      糸川 正晃君

    …………………………………

   議員           田島 一成君

   議員           高井 美穂君

   議員           藤村  修君

   議員           牧  義夫君

   議員           松本 大輔君

   議員           笠  浩史君

   文部科学大臣政務官    小渕 優子君

   参考人

   (京都市教育委員会教育長)            門川 大作君

   参考人

   (比治山大学非常勤講師)

   (前東広島市教育委員会教育長)          荒谷 信子君

   参考人

   (国立大学財務・経営センター名誉教授)      市川 昭午君

   参考人

   (名古屋大学大学院教育発達科学研究科教授)    中嶋 哲彦君

   衆議院調査局教育再生に関する特別調査室長     清野 裕三君

    ―――――――――――――

委員の異動

五月十五日

 辞任         補欠選任

  田嶋  要君     田村 謙治君

  西村智奈美君     佐々木隆博君

同日

 辞任         補欠選任

  佐々木隆博君     西村智奈美君

  田村 謙治君     岡本 充功君

同日

 辞任         補欠選任

  岡本 充功君     市村浩一郎君

同日

 辞任         補欠選任

  市村浩一郎君     田嶋  要君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 学校教育法等の一部を改正する法律案(内閣提出第九〇号)

 地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案(内閣提出第九一号)

 教育職員免許法及び教育公務員特例法の一部を改正する法律案(内閣提出第九二号)

 日本国教育基本法案(鳩山由紀夫君外五名提出、衆法第三号)

 教育職員の資質及び能力の向上のための教育職員免許の改革に関する法律案(藤村修君外二名提出、衆法第一六号)

 地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案(牧義夫君外二名提出、衆法第一七号)

 学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案(笠浩史君外二名提出、衆法第一八号)

 派遣委員からの報告聴取


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     ――――◇―――――

保利委員長 これより会議を開きます。

 内閣提出、学校教育法等の一部を改正する法律案、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案及び教育職員免許法及び教育公務員特例法の一部を改正する法律案並びに鳩山由紀夫君外五名提出、日本国教育基本法案、藤村修君外二名提出、教育職員の資質及び能力の向上のための教育職員免許の改革に関する法律案、牧義夫君外二名提出、地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案及び笠浩史君外二名提出、学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案の各案を一括して議題といたします。

 本日は、各案審査のため、参考人として、京都市教育委員会教育長門川大作君、比治山大学非常勤講師・前東広島市教育委員会教育長荒谷信子君、国立大学財務・経営センター名誉教授市川昭午君、名古屋大学大学院教育発達科学研究科教授中嶋哲彦君、以上四名の方々に御出席をいただいております。

 この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。

 本日は、御多用のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。理事会の協議により、本日は、特に地方教育行政を中心に審査を行うことといたしておりますので、参考人各位におかれましては、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。よろしくお願いいたします。

 次に、議事の順序について申し上げます。

 まず、参考人各位からお一人十五分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑に対してお答え願いたいと存じます。

 なお、御発言の際はその都度委員長の許可を得て御発言くださいますようお願いいたします。また、参考人から委員に対して質疑をすることはできないことになっておりますので、あらかじめ御了承願います。

 それでは、まず門川参考人にお願いいたします。

門川参考人 おはようございます。京都市の教育長の門川でございます。

 このような機会をいただきまして、ありがとうございます。また、国を挙げて教育再生を最重要視していただくことを本当に心強く思っております。

 迷ったときは困難な道を選ぼう、今、京都の教育界で合い言葉にしております。一人一人の子供を徹底的に大切にする、一つ一つの学校を徹底的に大切にする、家庭訪問を大事にしよう、現場へ足を運ぼう。人間、ややもしますと楽な方を選んでしまいますが、あえて困難な方を選ぼう、いろいろな問題が起これば、制度の責任にせずに制度の限界まで挑戦しよう、タブーに挑戦しよう、そんな取り組みを、今熱意あふれる教職員が進めていただいております。

 実は、きょうから京都市議会本会議が始まりまして、この参考人意見陳述の話をいただいたときにお断りしようかなとも思ったんです。与野党意見の対立する法案の審議に現職の教育長が意見を述べる、いささかのちゅうちょもございましたが、あえて私も自分に負荷をかけて、ここで勉強させていただきたい、そのように思って参加させていただきました。

 また、今、教師に対する、学校に対する厳しいバッシングがございます。教育委員会のあり方も問われております。しかし、現場から見ておりまして、非常に困難な教育条件のもとで、課題が山積する中で、現場の多くの熱意あふれる教職員が懸命な努力をしております。朝から晩まで、校長先生、教頭先生なんかは土曜日も日曜日も、教育委員会も、全国で多くの方々が頑張っておられます。今、学校教育は大きく前進してきております。

 私は、しばしば申しておりますが、子供の教育を悪くしようと思えば子供の前で先生の悪口を言えばいい、地域の学校を悪くしようと思えば地域で学校の批判をすればいい、確実に教育は悪くなります。今、日本じゅうでそんなことが起こっているんじゃないかなと危惧しております。頑張る教師を励ます、教職員のモチベーションを高める、そして教育者がたっとばれるような世の中にしなければ教育の未来はない、日本の未来はない、そのように思っています。そんな現場の悲鳴とも思えるものもここでお話しさせていただけたらありがたいな、そんなことを感じております。

 おかげさんで、教育を大事にしていこう、あるいは美しい国づくり、環境問題、あるいは歴史と伝統を大事にしていこう、そんなことが大きな課題になってきました。国民の価値観も大きく変わってきたんじゃないかな、再認識されてきたんじゃないかな。そんなときに、歴史都市京都が果たすべき役割にも大きなものがあると思っています。

 今、桝本市長を先頭に美しい京都をつくっていこう、そのために、この三月に景観条例などが通りました。都心部のビルの高さ、四十五メーターから三十一メーターに、三十一メーターは十五メーターに規制する、屋上の看板は全面禁止する、建物のデザインを規制する、あるいはお寺や神社の借景を守っていく。市民の大きな自己犠牲もあります。そうしたことをしながら、さらに国に対して国家戦略としての京都創生をお願いしていこう、そして、いつまでも日本に京都があってよかった、そんなことを実感していただける京都をつくっていこう、創生していこう、守っていこう、そんな取り組みが始まっています。

 そうしたときに、私ども教育関係者の責任もなお重いと感じています。ハードも大事でありますけれども、美しいものを美しいと感じる子供たち、次世代を育成していかなければなりません。そのためにみずから行動しなければなりません。

 先日の土曜日も朝七時から梅津北小学校というところで、子供、教職員、地域の方々みんなで二時間かけて便所掃除をしました。百人を超える子供たち、PTA、地域の方々が参加をしていただきました。便所を磨いて心を磨こう、便教会と言っています。便所の便に、キョウは教えるでしたけれども、教えるはちょっとおこがましいかな、鏡でもいいな、響くでもいいな、共にでもいいな、協力の協でもいいな、みんなが思いを込めて便教会、そんな取り組みが一歩一歩ですが進んでおります。

 さて、教育改革であります。私は、最大のキーワードは当事者意識と参画行動であります。学校、家庭、地域、大学、経済界、企業、すべての大人が共に汗をする共汗関係が大事じゃないかな、そのためには大事なことが二つあるんじゃないかな。

 一つは、学校現場、できるだけ子供に近いところに権限を移譲していく。人事の権限も予算の権限もできるだけ学校現場に移譲していく、そんな取り組みを進めております。同時に、現場に移譲するだけではだめ、そのときに教育委員会が適切な指導をするということも大事であります。一つはそういうことであります。

 もう一点は、学校、家庭、地域の連携と協力であります。学校と家庭、地域が足りないところを批判する関係やなしに、足りないところをともに高め合うような関係にしていこう、そういうことであります。そのためには、情報を共有する、学校が説明責任を果たすということが大事であります。

 情報の共有は課題意識の共有になる、さらにそれを行動の共有へと高めていく、そして評価も共有する、子育ての喜びも共有していく、そんな関係をつくっていこう。そのために、保護者、地域の代表が学校運営に参画する学校運営協議会を設置するコミュニティースクール、昨年度までに六十校に広がりました。学校からどんどん申請していただいて指名していきます。今年度中に百校を超える、小学校では半分以上の学校がコミュニティースクールになっていく、そんなことを進めております。

 連携、連携といいます。しかし、学校に閉鎖的な体質があれば、教師に信頼されないような行動があれば、連携は生まれません。連携、連携というと、ややもしますと相手に物を求めます。しかし、まず連携とは自己変革であります。学校の閉鎖的な体質、教師の専門性を高めていく、そして同時に、地域の方々に、保護者の方々に、あなたは子供のために何ができますかということを大胆に提言していく。

 おかげさんで、二万人を超える方々が、子供の安全確保、授業のサポート、障害のある子供のために、あるいは読書活動にといろいろ協力していただける、そんな関係が生まれてきております。

 同時に、連携とは重なり合うことである。家庭、地域の教育力が低下した、嘆いていても始まりません。それをともに高め合う、重なり合って高まっていく、そんな環境をつくっていきたい、そんなことをやっています。

 そのためにも、教師が変わらなきゃならない、指導力不足教員になってはいけないということで、いろいろなチームを組み、教員評価制度を導入し、頑張る先生を応援する。

 この五年間で二千八百人の先生を表彰してきました。同時に、課題のある先生にはいろいろな研修プログラムをつくっていく。そして、それでも変わらない先生には、残念ではありますが、十年間で百四十五人、この五年間で九十五人の先生に教壇から去っていただきました。しかし、だめな先生はほんの一部です。多くの先生は頑張っている。そうした先生のモチベーションを高めていく、そのことが何よりも大事じゃないかな。

 京都市では、小学校一、二年生、独自予算で既に三十五人学級をやっています。そしてことしから、義務教育の終了であります中学校三年、三十人学級に踏み切りました。オール京都市では、財政危機の中で三千人を超える職員の削減を行っております。しかし、教師はふやそう、そして教師の処遇の改善も大事であります。それらにつきましても、ぜひとも国会での御英断をお願いしたい、そのように考えております。

 次に、学力であります。

 ゆとり教育の見直しということが言われています。ゆとり教育という言葉自体、私は余り好ましい言葉でないと思います。誤解を与えます。しかし、この理念、画一と受け身から自立と創造へ、知識の量も大事ですけれども、それを生きて働く知恵に変えていかなきゃならない。そのためには体験が大切だ。そうした理念は不変のものだ。その理念が実現しなかったから、見直しであります。

 そのために、教育条件の整備充実、教職員定数改善計画がストップしていますが、そういったこともふやさなきゃなりませんし、いろいろな条件整備、社会全体で受け入れていく社会総がかりの教育改革が重要ではないかと思っています。

 同時に、学力も大事。みずみずしい感性もつくっていかなきゃならない。京都市では、国の基準の一〇%を超える授業時間数を確保しよう、そんなことで取り組みをしています。

 教職員の人事異動は四月一日とおおむね決まったものでありますが、京都市では三月二十日に事実上発令しました。そして、異動した先生は三月二十六日には新しい学校に赴任して、新年度の準備をしていただきます。そして、毎年ですと四月の八日、九日が入学式、始業式ですが、ことしは、四月四日に入学式、そして五日始業式。桜の咲いている間に入学式ができる、地球温暖化で桜も早く咲きますから。これは副次効果でありますけれども、そんなことをしています。

 また、桝本市長のマニフェストで、すべての小中学校の教室にクーラーがつきました。そんな中で教職員が、夏休みも短くしよう、さらには夏休みに補習をしよう、そんな取り組みも現場の熱意に支えられて進んでおります。

 改正法案との関係でございますが、京都市では、既に保護者の代表が教育委員に参画しております。さらに、スポーツ行政や文化行政は市長部局において補助執行していただいています。一方、私立幼稚園、私立高校の行政は、教育委員会で補助執行しております。そして、オール京都市として、子育て支援やあるいはいろいろな生涯学習等々については、全庁的な体制をつくって進めております。ただ、学校行政については、政治的な中立が大事だということで、教育委員会が果たさなければならない役割が大事だと今思っています。

 なお、評価が大事であります。京都市では、政策評価、施策評価、それから千三百項目にわたる事務事業評価を進めてきましたが、この五月市議会で行政評価条例が制定されようとしています。その中には、学校評価も条例化します。そして、適切な評価をしていく、そして改善をしていく、そんなことを今進めております。

 地方分権か国の関与かということが論じられておりますが、私は、地方分権が基本であります。ただ、伝家の宝刀的なものも必要であります。同時に、そういったことが行使されないように、地方が主体性を発揮して頑張らなければならない、そんなことも感じております。

 なお、教育条件の整備充実が何よりも大事であります。教職員は本当に苦労しております。教師のたっとばれるような社会をつくるために、教職員の処遇の改善、さらに教職員の増員をお願いしたいな。

 京都の教育改革を進めておりまして、やはり現場主義が大事だな、同時に、教師の潜在能力を生かしていく、こうした地域の力とそれを融合させていく。今、堀川高校の奇跡というような本がベストセラーになっております。朝日新書であります。十年ほど前に本当に厳しい条件であった堀川高校が、今は四年連続で京都大学現役合格率がトップになる、そんな改革が進んでいます。堀川に続けと西京高校が、そしてことしは銅駝美術高校、十年前、現役で国公立大学進学はゼロでしたが、ことし、九十人の卒業生のうち三十一人が国公立大学に入りました。

 教師の潜在能力を生かしていく、そういうことによって学校は変わります。現場を激励していただきたいな、同時に、教師も頑張っていかなければならないな。そのために、国の基準を上回る教職員を配置しています。今、教育が大事なときに、どうぞ国家政策として教師の処遇の改善、定数の改善にも取り組んでいただきたいなと思います。

 同時に、厳しい社会環境であります。勝ち組、負け組というようなものができないように教育条件を整備していく、そんなこともぜひともお願いしたいな。謹んで皆さん方にお願いして、意見陳述にかえさせていただきます。

 ありがとうございました。(拍手)

保利委員長 ありがとうございました。

 次に、荒谷参考人にお願いいたします。

荒谷参考人 皆様、おはようございます。広島県の東広島市から参りました荒谷信子と申します。

 本日は、教育再生に関する特別委員会において参考人として意見を述べさせていただきますことを、大変光栄に思っております。

 私は、平成十八年六月末まで四年間、東広島市の教育委員会の教育長をしておりましたことから、主として、東広島市の取り組みと現場から見た教育行政の課題、そしてそれを踏まえて、今回の地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案についての意見を述べさせていただきたいと思います。

 最初は、東広島市の取り組みと現場から見た教育行政の課題について申し上げます。

 東広島市は平成十七年二月に一市五町が合併をいたしました。それを機に町づくりの将来像は、「未来にはばたく国際学術研究都市」となりました。人口は十八万人ですが、広島県内一の人口増加率、都市の成長力は全国十二位という数字を示しております。

 その中で、教育委員会では、新しい町の人づくりを担い、学校教育改革と生涯学習の推進を車の両輪とした、新しい時代にふさわしい教育改革を進めてまいりました。定例教育委員会は月一回の開催ですが、必要に応じて臨時教育委員会を開催いたします。

 市の中心市街地はマンション建設ラッシュです。中学校がマンモス化しておりますので、分離新設するか通学区域を見直すかで夜間や土日にたびたび臨時教育委員会を開催し、審議をいたしました。その結果、分離新設がよいという結論をもって市長と協議をいたしました。このような重要案件、大きな予算が伴うものについては、委員がそろって市長に要望をしましたり協議をいたします。

 近隣五町と合併しましてからは、五町を持ち回って開催しておりまして、午前中は教育施設を訪問し、お昼は子供たちと学校で学校給食を試食し、午後からは教育委員会を開催いたします。

 教育委員は五名です。産業界一名、他町教育長経験者一名、幼児教育・スポーツ関係者一名、芸術文化関係者一名、そして教育長という構成です。教育委員は、人格が高潔で、教育、学術及び文化に関し識見を有するもののうちから任命されますので、年齢が高くなりがちです。

 東広島市の場合、会議は大変活発で、委員の方々も御自分で参考資料を作成しましたり、よい情報を資料として提供されておりまして、議論は白熱しております。教育長も、委員という立場からと事務局を指揮監督するという両方の立場から発言しております。ただ、教育委員会の責任体制はといいますと、必ずしも明確になっていないという課題はございます。

 教育委員会は公開で、教科書採択時など市民の関心事には多くの傍聴がございます。教育委員会の取り組みにつきましては、広報誌を年二回発行し、保護者に配付いたしますとともに、教育機関等で自由にお持ち帰りいただくことにしております。第一回は七月に出し、一年間の方針や具体的な施策を市民の皆さんにお知らせし、第二回は三月に出して、成果と課題をお示ししております。しかしながら、教育委員会の事務の管理、執行状況の点検、評価をし、公表するというところまでには至っておりません。

 教育予算につきましては、教育委員会が策定しております学校教育プランと生涯大学システムアクションプラン、これは生涯学習推進のプランでございますが、この年次計画に沿ったものと緊急に取り組まなければならないものをまとめて、事業調整という形で市長に提示、協議します。

 限られた予算の中ですから、市長の理解と議会の応援を得なければなりません。そのためには、平素より、市長や議会に対してタイムリーに情報提供をしたり相談しておくことが大切と思っておりました。市長や議会の協力のもと、市教育委員会として、国の基本的な教育制度の枠組みと県の方針は踏まえつつ、東広島市の独自性を出した施策は十分に行うことができたと考えております。他の市や町も同じだろうと思います。

 広島県では、広域合併により八十六の市町村が二十三の市町になった現在、各市町教育委員会はこれまで以上に切磋琢磨し、特色ある取り組みが行われており、加速しているようにも思われます。

 次に、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案について申し上げます。

 戦後、我が国の教育は、教育委員会制度のもとで、政治的中立性の確保、継続性、安定性の確保、地域住民の意向の反映を求めて成果を上げてきました。国民からの教育委員会への安心感や信頼感は非常に大きいものがあると思います。その一方で、教育委員会に対して指摘されている問題も多くあり、制度そのものを廃止するとか任意に設置するなどの意見もございます。

 これらの意見がある中、「新しい時代の義務教育を創造する」という中央教育審議会答申では、教育委員会制度の今後のあり方については、すべての地方自治体に設置することなど現在の基本的な枠組みを維持しつつ、制度をできるだけ弾力化するとともに、機能の強化、首長との連携の強化、教育委員会の役割の明確化のための改善を図ることが適当であるとしております。

 文部科学省では、地方教育行政の弾力化と地方分権化を推し進めるべく、地方教育行政制度の改正を数次にわたって行い、努力をされてきております。今回の地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案もその一環であり、これまでのあいまいであった点をより一層明確にしようというものであると高く評価しております。

 また、地方分権が進む中、市町村は広域合併で規模が拡大しております。したがって、首長は、広範な事務処理に加えて多くの課題を抱えることになりました。教育の分野においても、教職員人事や学級編制など、市区町村の権限と責任が拡大することも考えられ、教育の専門機関としての教育委員会制度という仕組みはこれまで以上に必要かつ重要になってきますので、その機能の強化が求められます。

 法律案を具体的に見ていきますと、法律改正により、教育委員会の事務の管理、執行状況の点検、評価の制度化を図るなど教育委員会の責任体制が明確になることは、学校に対して点検、評価を求める教育委員会としては必要なことであり、また、教育委員の一層の自覚の喚起と市民に教育委員会というものをより理解していただくためには、不可欠であると思っております。

 県費負担教職員の同一市町村内の転任については、最もその町の事情に精通しております市町村教育委員会の内申を重視すべきだと考えておりまして、待ち望んでいたことであります。

 教育委員に保護者を含めることにつきましては、保護者の立場から見た児童生徒の様子がわかりやすくなりますし、任命に当たる市長も選任しやすくなるのではないかと思います。

 市町村教育委員会の事務局に指導主事を置くように努めることにつきましては、社会教育法第九条の二には、「都道府県及び市町村の教育委員会の事務局に、社会教育主事を置く。」と必置規定があるのと同じように、指導主事を置くの方がよいと考えます。

 教育委員会の法令違反や怠りにより生徒等の教育を受ける権利が明白に侵害されている場合、もしくは緊急に生徒等の生命身体を保護する必要が生じ、他の措置によってはその是正を図ることが困難な場合、文部科学大臣は当該教育委員会に対して是正の要求を行うものとするという今回の改正案は、当然のことだと思っております。

 平成十年から三年間、広島県教育委員会は、当時の文部省から全国で初めての是正指導を受けました。法令にのっとらず、不適切な取り組みに対する是正であり、教育内容に関すること七項目、学校管理運営に関すること六項目の計十三項目について指導を受けることになりました。

 その結果として、一つには、不適切な教職員の勤務実態が是正され、教育公務員としての自覚が見られるようになりましたこと、二つには、法令にのっとって実施する公教育の確立に向け、市町村教育委員会と校長等が一体となって取り組む体制づくりが進み、学習指導要領に基づいた教育実践及び研究が活性化するようになりましたこと、三つには、校長権限が確保されるようになり、多くの校長がリーダーシップを発揮するとともに、主任等の働きが活性化し、組織的な校務運営が行われるようになってきました。是正指導を機に、県を挙げて新たな「教育県ひろしま」の創造に向けて動き始めたのです。

 私は是正指導後に市の教育長に就任しましたが、是正指導のおかげで教育現場は大変伸びやかになっており、広島県が、いち早く学校評価、人事評価も導入し、開かれた学校づくりが進んでいることを強く実感いたしました。

 地方分権時代に国からの是正の要求や指示というものはいかがなものかとの意見もあると思います。これらを受けることは、教育委員会として恥ずべきことであって、あってはならないことであります。しかしながら、是正の要求や指示は、法令違反や児童生徒の生命にかかわるような場合に、義務教育に責任を負う国としての責務であると思います。

 教育委員会の責任体制の明確化や体制の充実、教育行政における地方分権の推進と国の責任の果たし方について提出されております地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案の早期成立を望み、私の意見陳述を終わらせていただきます。

 ありがとうございました。(拍手)

保利委員長 ありがとうございました。

 次に、市川参考人にお願いいたします。

    〔委員長退席、中山(成)委員長代理着席〕

市川参考人 市川でございます。

 本日は、このように私の意見を述べさせていただきまして、大変ありがとうございます。

 私は、公選制教育委員会のころから地方教育行政の調査研究に携わってまいりましたが、地方教育制度をいかに設計するかというのは大変難しい問題でございまして、絶対にこれがいいというようなシステムはなかなかつくりにくいと感じております。しかしながら、ここに参りました以上は、何がしかの意見を申し述べなければなりませんので、地方教育行政の基本理念、教育委員会の体制、それから地方自治体の首長さんと教育委員会の関係、それから都道府県と市町村の関係、国と地方の関係に分けて、順次申し上げたいと思います。

 まず、地方教育行政の基本理念はいかがなものであるべきかということでございますが、地域の実情に応じて教育の振興を図るということは言うまでもないことでございますが、いかなる内容の教育の振興を図るかということもまた大事なことではないかと思うわけでございます。いかなる内容の教育がいいかということは、これはそれぞれお考えが異なるかと思いますが、基本的に私は、国民の教育を受ける権利を保障する点において、国民ないしは住民に責任を持って行われることが肝心ではなかろうか、こう考えております。

 昨年改正されました教育基本法の十六条三項では、地方公共団体が主に担う役割は、その地域における教育の振興を図るために、その実情に応じた教育に関する施策を策定し、実施するということであり、国の主な役割は、教育の機会均等と教育水準の維持向上を図ることとなっておりますが、今回の改正法を見ますと、このいずれもが地方の分担のようにも書かれておりまして、この教育基本法と学校教育法の改正法案との関係がどうなっているのかということが若干わかりにくいところでございます。

 次に、教育委員会の執行体制をいかにして整備拡充するかということでございますが、世間から一番求められておりますのは、教育委員会の活性化ということで、これは以前から言われておることでございます。そのためには、法案にもありますように、教育委員の方々の自覚ということも大事でございましょうし、その権限の強化ということも大事ではございましょうが、狭い意味での教育委員会が事務局に対してなぜ影響力が乏しいかということは、これは非常勤であるとかいろいろな理由もございましょうけれども、もう一つは、一応法律上の権限はあるわけでございますが、私は、権威が少し足りないのではなかろうか、こう思うわけでございます。

 なぜ権威が足りないかといえば、事務局の職員も教育委員もいずれも任命制でございまして、その点では同じでございます。そういう点から申しますと、やはり教育委員に権限だけではなくて権威を持たせるためには公選制にする必要があるのではなかろうか。首長さんが権限と同時に権威を持っていらっしゃるのは、これはやはり公選、住民から選ばれてきた、授権されているというところにあるのではなかろうか、こう思うわけでございます。

 今日、世間ではレーマンコントロールを強化する必要があると言われております。確かにレーマンコントロールの原理を徹底することは大事でございますが、同時に、プロフェッショナルリーダーシップを確立するということも教育委員会制度の根本的な考え方でございまして、この両面が必要であるわけであります。

 そのためには事務局職員の専門性を高めるということも必要になってまいりますが、そういった点からいいますと、今回の改正案で市町村教育委員会に指導主事を置くことに努めるという規定がありますのは、理解できるところでございます。ただ、ここ十数年来の地方分権改革におきましては、いろいろな専門職員の必置制をなくしていくという基本方向にあるようでございまして、これとどのように調整されるのかという点が気にかかるところでございます。

 それから、改正案では、学識経験者の知見を活用して教育委員会の活動状況を点検、評価するということがございます。無論それも結構でございますが、単に学識経験者だけでなくて、保護者とか住民の知見を活用することもまた肝要であり、それによって初めて地域の実情に合った教育の振興が可能となるのではないかと考える次第でございます。

 三番目に、地方教育行政に関しましての首長と教育委員会の関係でございますが、この点で改正案はやや混乱しているような印象も受けます。それは、一方で教育委員会の権限を縮小し、他方では拡大しようとしているところでございます。

 文化、スポーツの事務を首長に移譲するという規定が一方にあり、それで、他方では、私立学校に関する首長の権限を教育委員会に移譲するかのごとき表現もあり、基本的に改正がどちらの方向を向いているのかという点が理解しかねるところでございます。将来的に、文化とスポーツだけでなくて、社会教育や生涯学習、施設設備などの権限も移譲されていくのか、そうなりますと、結局、教育委員会は学校委員会のようなものになっていく、スクールボードになっていくわけでございますが、そうなりますと民主党案に近づいていくような印象も受けるわけでございますが、その点いかがなものでございましょうか。

 四番目は、都道府県と市町村の関係でございますが、これは市町村の規模との関係があるわけでございまして、これは教育委員会制度発足以来の難問なのでございます。

 発足当時は一万ぐらいの市町村がございまして、それが昭和の大合併で三分の一に減り、それから、平成の大合併でさらに減ってきているわけでございます。しかしながら、なお弱小市町村というものが残っているわけでございまして、これとの関係で、行政能力とそれから民意の反映という、とかく矛盾し相克する関係をどう調整するかということが課題として残っているわけでございます。

 また、改正案では、市町村の教育委員に対して都道府県や文部科学省が研修を行うというようなことも規定してございます。研修をさせて悪いということはないでしょうが、ややもすれば、国、都道府県、市町村が上下関係にあるような印象も与えますし、そもそも、改めて研修する必要がないような教育委員を任命すべきではないかということも考えられるわけであります。

 最後に、国の地方に対する権限でございますが、改正案は、国の地方に対する権限を拡大する方向に基本的にあるんだろうと思います。地方分権改革によりまして削除されました諸権限が復活していくというような方向にあろうかと思うのでございますが、しかし、四十九条の改正は、現在地方自治法にもほとんど同じような規定があるわけでございまして、これで、地方自治法二百四十五条の五の規定でなぜだめなのかということがよく理解できません。

 それから、五十条は、さらに強い権限を国に持たせようということでございますが、しかしながら、地方自治法二百四十五条の三がうたっておりますように、地方の自主性及び自立性に配慮し、国及び都道府県の関与は必要な最小限度のものにすべきだということとの兼ね合いも必要かと思います。

 また、生徒等の生命身体を保護する必要が生じているような緊急事態に文部科学大臣が是正、改善の指示をしても、実際には間に合わないんじゃないか。それだけでなくて、文部科学省が関与してまいりますと、これは市町村から報告を上げ、さらに都道府県に報告を上げ、文部科学省に報告を上げていくわけでございますから、その事務にいろいろ振り回されまして、対応がかえっておくれることになるんじゃなかろうか、こんなふうにも考えるわけでございます。

 時間が参りましたので私の意見陳述はこの辺で終わりますが、民主党案なども大変興味深く読ませていただきましたが、時間の関係で意見は省略させていただきます。(拍手)

    〔中山(成)委員長代理退席、委員長着席〕

保利委員長 ありがとうございました。

 次に、中嶋参考人にお願いいたします。

中嶋参考人 中嶋哲彦と申します。

 名古屋大学の教育発達科学研究科で教育行政学、教育法学を研究し教育をするとともに、犬山市教育委員会の教育委員として、もう六、七年になりますけれども、仕事をしています。その立場から今回は発言の機会を与えていただいたものと思います。ありがとうございます。

 それでは、まず法案の個別の点に入る前のところで、私の地方教育行政に関する一つの考え方として提示しておきたいと思いますけれども、文部科学省による国の教育行政とは別に地方教育行政が存在していて、しかもそれが地方公共団体の自治事務として位置づけられているということの意味は、これは大変重く受けとめなければならないだろうと思います。これは、地方自治というのは憲法上の制度でありますし、それから、国と地方の役割分担の中で、住民の生活に近い領域については地方にゆだねるのだということが憲法それから地方自治法の定める大きな原則だと思います。その中で、教育をいかに地方において地方自治的に展開していくか、担っていくかということが地方教育行政制度というものであろうと思います。

 その中で、教育委員会というのはどういう位置にあるか。それは、私の考えるところ、教育の地方自治を制度的に担っていく、制度的に担う行政機関であると考えます。ここであえて制度的というところを力を込めて申し上げたのは、それは、教育の地方自治を担うというのはもう行政機関だけではないと思うんですね。それぞれの町に住んでいる保護者、住民、これが真の担い手であるということは変わりはないと思います。それぞれの住民が主権者としてその町の教育、教育行政に対して最終的な責任を持っているということはとても大事なことで、その上で、それを制度として一つの意思としてまとめていく際に、教育委員会制度という一つの行政機関の制度が設けられているということだと思います。

 その意味で、教育委員会というものが果たしている役割は、その地域に住む住民の意思を行政に生かしていく、公教育を具体的に地域でつくり出していくという役割、これを制度的に果たしていくものであろうと思います。

 その意味で、一つお考えが先ほど市川参考人からも出されましたけれども、私も、教育委員会の委員というものは住民によって直接選ばれる制度であるということがとても重要なことで、そのことによって住民の意思を教育行政に反映させていくことができるものだと思っております。その点で、今回の地方教育行政法改正において教育委員会の公選制というものが提案されていないということについては、大変残念なことだと思っています。

 それでは、その上で、今日の地方教育行政における一つの大きい問題は一体どこにあるか、教育委員会がそれぞれの町ごとに教育の地方自治を展開することを困難にしている原因というのは一体どこにあるかということを考えてみると、これは、一つは文部科学省の影響力がかなり強過ぎると思っています。

 文部科学省が、例えば全国学力テストを実施しましたが、実際に参加しなかったのは私の犬山市だけでした。ただ、これは、事前にベネッセが昨年の段階で調査をしているんですが、その調査では、教育長の一二・数%の人たちが全国学力テストには否定的なお答えをしています。それから、校長の三分の一の方々がやはり否定的なお答えをしています。

 そのような状況にあってなお、この全国学力テストが犬山市を除くすべての公立小中学校で実施されたという事態は一体どういうことなんだろうと思います。もっと自立的に、自分の町の教育だから自分の町に即して考えてみると、もっと多様な対応があってよかったのではないかと思いますが、実際にはそうはなりませんでした。

 私の知っている限りでの他の教育委員会の方々に聞いてみると、これは国が実施する政策だから、文科省がやると言っているから参加するのは当然なんだということで、事務局報告だけで実施してしまったというところがあった。これは決して少なくなかったようです。このようなことでは、地域の教育にみずから責任を負っていく教育委員会という役割は果たせないのではないかと考えます。そこを改めていく必要があるだろうと思っています。

 その点で、今回の地方教育行政法改正を見てみると、事前に資料をお配りしましたけれども、一ページから書いてあるのは、教育委員会制度を文科省としては何としても維持していこうというお考えであるということは理解できます。何としても教育委員会制度を残すというのは、文科省として国の政策を地方の末端にまで及ぼしていくルートとして教育委員会制度を多分残したいのであろうということは理解しますが、そのようなお考えであろうと思いますが、そのために、例えば教育委員会の広域での共同設置が可能になるということを書かれています。

 二ページの方に図を書きましたけれども、これは、共同設置することによって、それぞれの町から教育行政が固有の機能としては失われることを意味します。これは住民と教育行政の間がさらに開いていくということを意味しているわけで、そのようなことで地域の考え、地域の保護者、住民の考えに基づいた教育行政が果たして行えるのかということについては、非常に疑問があるところです。

 また、条文には、五十五条の二には「地域」という言葉が出てまいりますが、この地域というのは、幾つかの市町村をあわせた広域のことを地域と呼んで文言が使われていますが、教育基本法十六条第三項及び十七条第二項における「地域」は、これは市町村を領域とした地域という言葉の使い方をしています。非常に近接した、関連し合った法律の文言において地域の意味がこのように変わっているということは、今後の地方教育行政において混乱を引き起こす可能性がある文言の使い方であると思います。この点、果たして法案作成過程においてしっかりとした調整が行われていたのかどうかということをかなり疑わしく感じています。

 それから、スポーツ、文化の行政に関しては先ほど御意見がありましたので、ここでは割愛させていただきたいと思います。

 それから、次の四ページのところに、教育長への教育委員会権限の委任ということを書いておきました。五ページに図がありますように、教育委員会がこれまで果たしてきた役割が、教育長そして首長へ委任するという形になります。

 したがって、この図にありますように、教育委員会の職務権限が、実際に教育委員会によって担われる職務権限は小さくなっていくということです。その上で、教育委員会は、教育事務の管理、執行の基本的方針に関することであるとか、規則の制定、改廃に関すること、そして教育委員会の点検、評価に関することというように、機能が非常に狭くなっていくわけです。

 ところが、基本的方針の決定というものは、やはり日常的な教育行政を直接担う立場になければ基本方針なんというものは定めることはできないわけで、その意味では、日常的なところを教育長に委任し、基本原則は教育委員会で審議するといっても、これは結局のところ、教育長が提出してきた基本方針案を追認するだけの委員会になってしまう可能性が非常に高いのではないか。

 その意味では、委員五人で合議することになっているはずの教育委員会の実質が失われてしまって、結局のところ、教育長制、教育委員会というのは一つの殻であって、殻になってしまって、実質は、その中に教育長がいて、その教育長が実質的な権限を行使するということになるのではないかと考えます。教育長独任制というのは、教育委員会制度が持っている、合議によってさまざまな意見を教育行政に反映させる、そのことによって政治的、宗教的中立性を維持するということに大きく反するのではないかと考えます。

 次に、六ページをごらんください。六ページには、地方教育行政に対する国の関与のことです。これについても先ほど御意見がありましたので、なるべく重複は避けたいと思います。

 是正の要求が第四十九条に定めがあります。これは七ページのところに書いてあります。先ほど御意見がありましたように、地方自治法に既に是正の要求の制度がありますので、基本的にはそれに従って、国、地方関係を形成していけばよいと考えます。

 ただ、今回のこの法案の中で一つ注目すべきなのは、是正の要求をするに当たっては講ずべき措置の内容を示して行う、文部科学省としてどのような是正をするかという講ずべき措置の内容を示すということが書かれています。これは、地方自治法が定める関与の原則とは異なるものであるという点で、地方自治法の原則からはみ出していくものであると考えます。その点で、この是正要求の四十九条と地方自治法の関与の原則との間には矛盾が生じてしまう可能性があるのではないかと考えます。

 また、冒頭で申しましたように、現在、文部科学省と教育委員会の関係は、指導助言という形で行われておりますが、その指導助言が既に十分に地方教育委員会に対しては強い影響力として機能している。これは、先ほど申し上げた学力テストもまたそうです。地方自治体で判断して行うべきところ、実施すると言っただけでそれをそのまますぐ実施してしまうという結論を導いてしまうという点では、あえて今回ここで地方自治法とは別にこの第四十九条と五十条を定めることによって、ますます地方教育委員会を萎縮させることになるのではないかと考えます。それではまずい、問題があるのではないかと考えます。

 次に、九ページをごらんください。ここには、教育委員会の自己点検・評価制度に関する事柄です。

 この自己点検、評価というのは、まさに、教育委員会としてみずからの行政を行っていく上で必要な反省をし、それに基づいて次の施策を講じていくという点ではとても重要なことで、私ども犬山市でも、「学びの学校づくり」という文書を毎年度作成し、それに従って一年間の活動をし、また、そこで総括をしながら次の年度の施策を講じていくということをしております。その意味で、みずからの計画を立て、実施し、それを総括するシステムというのは、とても大事なことだと考えています。

 ただ、今回、ここで行おうとしている自己点検、評価というのは一体どのようにして行うのか。どのような項目について、どのような基準で、どのような内容の評価を行うかということについては、何もまだ示されておりません。これは、それでは地方教育委員会にゆだねられるのかと考えると、必ずしもそうではないのではないか。

 このような場面においては、しばしば文部科学省が自己点検、評価のガイドラインを設定し、指導助言文書としてそれを教育委員会に示すことによって、実際には、すべての市町村の教育委員会、都道府県教育委員会は、その文部科学省が示した自己点検、評価のガイドラインに従ってみずからの評価を行うということになってしまうだろうと思います。ところが、地方における教育というのは非常に多様性に富んでいるわけで、一つの基準を示して、それに従って評価を行えば適切に活動が評価できるかといえば、そういうものではないと思います。

 しかも、たくさんの評価基準を設ければ設けるほど、実は、人間というのはそれがすべてを網羅した最もよい基準であると考えがちになってしまうわけで、実際にはそうではなくて、個別具体的な事柄に応じてみずからの評価をしていかなければならないという点で、多くの基準を設ければそれでよいというものではない。毎年度毎年度同じ基準で評価をすればよい教育行政が行えるかというと、そういうものではないと考えます。

 最後に、十ページになりますが、私立学校に対する管理強化という点です。

 これは、先ほど御意見がありましたが、都道府県教育委員会に対して、知事は、学校に関する専門的事項についての助言または援助を求めることができるということになっています。このことは、知事が学校に関する専門的事項についての助言または援助を必要とするような行政活動を行うことを前提にしなければ、このような助言または援助を受ける必要はないわけです。

 そもそも、知事の私立学校に対する権限というのは、その設置であるとか学校法人の認可であるとかというところに限られてきているわけで、このような文言が入ってきたということは、今後は私立学校における教育課程や具体的な教育内容に対する関与をしようとしているのではないか、そのようなものになるのではないかと考えられます。この点で、私立学校関係者の立場から見て大変問題があるという指摘があるのではないかと感じています。

 以上です。ありがとうございました。(拍手)

保利委員長 ありがとうございました。

 以上で参考人の方々からの御意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

保利委員長 これより参考人に対する質疑を行います。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。赤池誠章君。

赤池委員 自由民主党の赤池誠章でございます。

 きょうは、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案を中心にいたしまして、参考人の皆様方から貴重な御意見を賜りました。時間は短いですが、質問をさせていただきたいと思います。

 きょうは、門川参考人から、まさに安倍内閣が進めようとする教育改革、教育再生を既に先取りなさっておりまして、そういう面では、京都がまさにこれからの日本の道筋をモデルとして示していただいているのではないか、そんな思いを強くさせていただき、聞かせていただきました。迷ったときに困難な道を選べとか現場主義というような、教育のみならず、すべての分野に通ずる非常に貴重な御意見、本当にありがとうございました。

 そんな中で幾つか質問をさせていただきたいというふうに思うのは、今回、地教行法の中で、教育委員会の責任体制の明確化ということで、特に基本理念というものを明記させていただいております。つまり、国と地方との関係、これは是正の要求や指示などにもかかわってくるんですが、日ごろ教育行政に実際に携わっていらっしゃって、国との役割分担、国との関係というものをどういう形で感じられ、また教育行政を行っているのか。その点、門川参考人から御意見をちょうだいしたいと思います。

門川参考人 ありがとうございます。

 とりわけ義務教育につきましては、国が最低限必要な基準をつくるということは必要と思います。同時に、地方が、創意を生かして、当事者意識を持ってそれぞれの地域の子供を社会の宝として教育を充実改善していく。その関係が大切だと思っています。

 中教審の論議にも参加をさせていただきましたが、国の関与か地方分権の流れを大切にするのか、そうした対立軸でもって議論しているような報道がなされていました。私は、ここでも徹底して現場主義に徹すべきじゃないかな、一人一人の子供、一つ一つの学校、そのことをイメージして論議に参画しました。

 もちろん、地方それぞれが創意を生かして仕事をしていく。細かいところまで文部科学省が指示する、文部科学省の顔色を見なければ教育行政ができないということになったら大変なことであります。そういうことは決してならないと思っていますし、これは地方の責任においてそういうことをしていかなきゃならない。

 同時に、異常な事態が起こったときに伝家の宝刀的なものがこれは必要じゃないか。例えば先ほど、京都市でどんどん学校運営協議会を設置して、できるだけ学校に権限を移譲しております。しかし、地域のいろいろなあつれきが学校現場に入ってくる、校長のリーダーシップが発揮できない、公教育の責任が果たせないという危惧も正直ございます。

 そういうときに私どもは、例示としては不適切かとは思いますが、教育委員会の外郭団体として、第三者機関として専門委員会を設置して、そして、学校運営協議会が正常に機能しないという答申をいただいたときには、教育委員会は、学校長の申請等に基づいて学校運営協議会を解散することができるという権限を担保しています。そういう担保があって、どんどん校長先生は安心して学校運営協議会をつくって保護者、地域に参加していただく、そうした関係ができる。

 したがいまして、私は、あくまでも学校現場に、地方に権限をゆだねていただく、しかし、異常な事態があったときには、国が適切な関与、それは抑制的なものでなければならないし、透明性、公開性を求めていきたい、そのように思います。

赤池委員 ありがとうございました。

 そういう面では、国と地方との適切、公正、相互協力という今回の法の基本理念の趣旨というのは、評価をしていただいたのではないかということでお伺いをさせていただきました。

 同様な考え方の中で、特に荒谷参考人の御発言の中で、広島県教育委員会のいわゆる一連の不正行為の中での、まさに文科省の是正指導がなければ広島県の教育の改革、再生は進まなかった、そういう非常事態の中での国の適切な関与があったからこそということの御発言もいただいております。

 その点、幾つかの視点の中で御説明をいただいておりますが、荒谷参考人からも国と地方との今回の基本理念に関して御見解をお伺いしたいと思います。

荒谷参考人 文部科学省、国の方からいろいろな規制があって地方は身動きができないというふうな御意見もございますけれども、地方としてはそういうふうな受けとめはしておりませんで、これは義務教育でございますので、当然ながら、国の方で法律によって大枠は示していただく。その中で、また今度は県というのがございますが、県でも県の特色ある取り組み、そういうものを市町村としては踏まえながら、市独自のさまざまな人的資源、物的資源、そういうものを生かし、それぞれの歴史的背景、文化的な背景、そういったものを生かし、そして、その町の市民の方の御意見を十分に尊重しながら、市独自の取り組みというものは十分に、自由闊達にこれまでもできてきたと思っております。

 そうした中で、非常事態と先ほど先生がおっしゃいましたけれども、広島県は法令違反をしておりまして、全国で初めて是正指導というのを受けたわけでございますが、これは本当に最後のとりでというんでしょうか、そういうときに国の方が関与していただき、そして指導していただいたということになります。

 しかしながら、それはずっと文部科学省の方で指導があったのではなくて、自治能力というんでしょうか、県を挙げて、県知事さんも県議会も市町村も校長会も、そして県民も、市民、県民総参加の教育改革ということを三年間やってまいりました。それで、新たな教育県広島の創造に向けて一歩一歩今踏み出していっているところでございます。その動機づけを国にしていただいた、このように考えているところでございます。

赤池委員 ありがとうございました。

 そういう面では、国そして地方、まさに、今回の基本理念に明記をされたということが既に大事なことだということを両参考人から御意見をいただいたと思います。

 その中で、既に京都ではいわゆる活動状況の点検、評価が行われて、相当詳細になさっているということも聞いております。今回、教育委員会の責任体制の明確化の中に法規として位置づけるわけなんですけれども、京都の実例として、点検、評価することによって、どのような形で学校現場が、また子供たちが変わっていったのか、短く御意見、御見解をお伺いしたいと思います。

門川参考人 参考としてちょっと資料をお配りさせていただいていますけれども、まず、学校、家庭、地域が、育てるべき子供像を共有していく、そしてそれぞれがみずからを振り返る。

 京都では、すべての児童生徒が授業評価をやっています。しかし、学校の先生の授業をいいか悪いか一方的に評価するんじゃない。あなたは先生の授業をしっかり聞いていますか、ノートをとっていますか、わからないところは質問していますか、同時に、先生の授業はわかりますか、質問に答えていただいていますか、学校は楽しいですかというような問いかけをしています。学校、家庭、地域、子供、それぞれがみずからを振り返り、また評価もし、ともに高め合うような評価でなければならない。どうも今の世の中、自己中心的で、相手ばかり批判しているというような傾向がありますけれども、そういうことではなしに、ともに高まり合うような評価でなければならない。

 それからもう一つ、地方分権か国の関与かという非常事態のときの議論がたくさんあるんですけれども、それよりも、国が画一的な物差しで全国の学校を評価していく、私は、その方が学校教育活動を萎縮させるんじゃないかな。それぞれの地域がそれぞれのところで評価をしていく、その評価が機能しているかどうかということを教育委員会が評価し、そして国もそれを評価していく。あくまでも、この評価においても地方主権というものを大事にした評価でなければ、日常の教育活動が萎縮するような評価であってはだめだな、そんなことも感じております。

 以上です。

赤池委員 ありがとうございます。

 教育委員会の体制充実の中で、今回、教育委員の研修を進めるという項目も入れさせていただいているんですが、京都の場合は、そういう教育委員会の研修制度みたいなもの、また、実際どんな形でなさっているのかもちょっと実例をお伺いしたいと思います。

門川参考人 研修、いろいろな説明会もやっておりますし、何よりも、学校現場、直接いろいろな現場を見てもらうのが一番の教育委員の先生方の学んでいただくことではないか、僣越な言い方ですが、そう思っています。

 同時に、このたびの改正法案の研修というのは、いろいろな制度についての理解を深める、文部科学省が一つの価値観を持って教育委員を研修するということではなしに、いろいろな教育行政の制度でありますとか、あるいは教育界の流れであるとか、そういうことを学ぶ機会をつくっていくということではないかと思います。

 それで、実態としては、文部科学省が一方的になされるんじゃなしに、都道府県なり市町村なりの教育委員会とともに協議をしながら進めていかれるものになろうかと、そのように思っております。

赤池委員 ありがとうございます。現場主義の考え方というのをまた聞かせていただいたと思います。

 それから、教育における地方分権の推進の中で、今回、保護者の教育委員への選任を義務化ということで、既に京都では保護者の方を入れているということをお伺いさせていただきましたが、保護者の方が入る前、入ってから、その辺の教育委員会のあり方なりその辺の効果みたいなものがありましたら、門川参考人からお伺いしたいと思います。

門川参考人 教育委員会制度の根本はレーマンコントロールでございます。そして、審議会ではございません、合議制の執行機関です。そして京都では、京都市全体のPTAの代表が教育委員になられました。私の上司であります。これは非常に重たいものであります。その方に理解していただかなければ教育行政は進まない、これは非常にいいことだと思っています。

 そして、このたびの改正法で教育委員の人数についても弾力化を図っていく。より保護者の参画の道が開けるということは、いいことだというふうに思っております。

赤池委員 そういう面では、私も子供を持つ親として、教育行政に対してどういう形で反映をするかということで、PTA団体だけではなかなか伝わらない部分、そういうことでは、我々の代表が教育委員として入っているということは、今、門川参考人のお話にあったとおり、大事なことではないかということを改めて感じました。

 それから、今回、文化、スポーツの事務を、いわゆる教育委員会から首長の担当できることがあるということで、疑義を示される部分もあるんですが、既に京都では文化、スポーツ分野は首長部門でやっていらっしゃるということなんです。その辺の教育委員会から首長部門に移した経緯それから効果みたいなものを、ぜひ門川参考人からお伺いしたいと思います。

門川参考人 総合行政としてやっていくことが大事じゃないかな。京都市の場合は、より一歩含めまして、文化財行政も、市長部局で、市長と教育委員会との覚書によりまして、権限は教育委員会ですけれども、市長部局で執行していただいています。国宝の二〇%が京都市内にあります。文化財行政だけで教育委員会は手いっぱいになります。教育行政が分離独立しているのは、やはり学校行政に政治的な中立、安定性が大事、これが根本で、そういう意味では非常に大事だと思います。

 文化財行政とか文化行政、これは総合行政だということ、同時に、総合行政を教育委員会も含めてきちっと市長のもとに総合的に管理していく、そこに教育委員会も的確に参画していく、そんな行政が進められております。

赤池委員 そういう面では、本当に地域の実情、特に京都というのは、門川さんが御指摘になったように、文化財というのが大変な貴重な部分ということでありますから、そういう面での今回の規定というのは重要ではないかということを聞かせていただいたと思います。

 それから、教育における国の責任の果たし方ということで既にお伺いしております、伝家の宝刀という言葉に象徴される部分ではないかというふうに思います。

 今回、これは、いじめの問題とか未履修の問題ということが起こった中での教育委員会への批判ということが背景にあったわけでございますし、分権化と一面批判がありますが、国の関与のあり方、これはまさに適切な役割分担ではないかというふうに私は感じておりますが、京都における、特に今回問題になったいじめ対策みたいなのを具体的にどうなさっているかということも、ぜひ門川参考人の方からお伺いしたいと思います。

門川参考人 いじめ問題は、今の教育界の大変大事な問題であります。この問題から、今の教育界の、また日本の大人社会の多くの問題が見えてきます。

 私ども、いじめ問題につきましては、まずこれも子供を中心に考えようと。子供たちがいじめをなくすアピール活動を全市の学校で展開していく、それを先生方が適切に指導する、そして子供のみずみずしい感性を引き出していく、そんな取り組みがこれも現場主義で起こってくる、それを教育行政が的確に条件をつくっていく、指導していく、そんな取り組みが進んでおります。

 同時に、見逃しのない観察、手おくれのない対応、これらは教育委員会、学校を挙げて取り組んでいかなければならない、そういうふうに考えております。

赤池委員 ありがとうございます。自主的にやっているというところの発想がすばらしいのではないかということを聞かせていただきました。

 荒谷参考人も、東広島市での教育長等の体験の中で当時いじめ対策で御苦労もなさっていたのではないかと思いますが、実例も踏まえて御見解をお伺いしたいと思います。

荒谷参考人 私は、教育長に就任いたしましたときに、子供たちの生徒指導というのは学校教育を指導する課の中にございました。私が就任いたしまして、それを分離いたしまして、学校教育は教育内容について推進していこう、充実させていこう。そして生徒指導につきましては、子供たちを学校の中と外を切り離して考えることはできませんので、生涯学習部という他のセクションに移しまして、そこに指導主事を置き、そして学校内外での子供たちの生徒指導に当たるような対策をとってまいりました。

 したがいまして、学校は、学校教育とそれから生涯学習の両方に支援を求めていくというふうな体制をとっております。

 その中では、常に学校には、スクールカウンセラーそしてメンタルアドバイザー、これは、県それから市のそれぞれの派遣職員を学校に週一回あるいは週二回配置して、学校では相談に当たる。そして、学校の外では心の教育総合アドバイザーというものを、これは退職校長先生なんですけれども、家庭に入っていただく。ひどい話をすれば、子供たちを起こしに行く。朝起きない、お母さんも一緒に寝ている、そんな家庭を起こしに行って家庭訪問してもらう、そのようなアドバイザー制度も設けております。そして、そこには大学院生あるいは大学生が、サポートとして、チームとしてその総合アドバイザーと一緒に子供の健全育成にかかわる。

 学校内外での一連の対策を、青少年育成課というものを設けて対策を講じておりました。

赤池委員 ありがとうございました。

 今回、私立学校に関する教育行政という形で、必要と認めるときは、教育委員会に専門的な事項については助言、援助を求めることができるという条項も入ったんですが、京都の場合、私立学校との関係で、お話がなかったので、門川参考人からも見解をいただきたいと思います。

門川参考人 私学の権限は基本的に知事でありまして、指定都市といえども余り権限的なものはございませんけれども、私学とともにいろいろな取り組みをしています。

 例えば、私立幼稚園と公立幼稚園、一緒に教育研修をやる、教育相談をやる、こどもみらい館というようなものをつくっております。同時に、高校行政も私学とともにやっていく、それで私学と公立がよさをともに発揮していく、そんな関係ができていくんじゃないかな、このように考えています。

赤池委員 時間が参りました。

 今回の法律の改正の意義、具体的な実例を踏まえてお話をお伺いさせていただきました。

 今回、法的な部分とは直接関係ないんですが、日ごろから教育委員会の行政の中で思っているのは、いわゆるレーマンコントロールといいながら、教育行政における専門性、専門職員の充実、つまり、ほかの部署を数年で終わって、教育行政もまさに数年で職員がかわるようなことがあってはいけない。それとともに、学校現場の中も、校長の在職年数というのも非常に大事だなというふうに思っておりました。

 今回、資料を文科省からいただきましたところ、全国で校長の在職平均年数が、小学校で三・一年、中学校で三年、高等学校で二・七年、特殊教育の諸学校で三・一年。京都市においては、小学校が十年、それから中学校が八・三年、高等学校で八・五年、特殊教育でも四・三年。そういう面では、やはり現場主義に徹せられて、校長を十年務めれば、当然そこには成果、発想が出てくるなということを改めて感じさせていただきまして、私の質疑を終わらせていただきたいと思います。

 ありがとうございました。

保利委員長 次に、西博義君。

西委員 公明党の西博義でございます。

 きょうは、四人の先生方、大変多忙なところ、こちらまでおいでいただきまして、貴重な御意見をちょうだいいたしました。それぞれの皆さん方に若干の御質問を申し上げたいと思います。

 初めに、門川参考人の方からお願いをしたいと思います。

 先ほど、みんなが悪口を言えば本当に悪くなる、教育者がとうとばれる社会をつくっていくことが大事だというふうにおっしゃられました。まさしく、教育というのは先生方がするものですから、人間がするという意味ではそのとおりだろうな。家庭においても社会においても結局はどちらが先かということになりますが、尊敬される人物になるということは、当然のことですが、裏返して言えばそういうことなのかなというふうに、なるほどというふうに思わせていただきました。

 前半、京都市における活動といいますか、教育行政についてのお話が種々ありましたけれども、一点、その中でコミュニティースクールのことについてお聞きをしたいと思います。

 私も実は、教育の地方分権の行き着くところはこういう形なんじゃないかなと。すべてがすべてこういうスタイルにするという必要はないとは思いながらも、一つの方向性じゃないかなとずっと思ってまいりまして勉強もし推進もしてきたつもりですが、京都市では大変多くの学校が、もうすぐ半数に近づくというようなお話もありましたけれども、推進をされている。やはり、地域の住民が学校を支えるという基本的な中で子供たちが教育を受ける、非常にすばらしいことだというふうに思っております。

 今まで推進したこの現場の状況を少しお聞きしたいと思うんですが、長所、短所それぞれあるかと思います。まず、今のコミュニティースクールの設置に対してどういう評価をされているのかということが一つと、それから、実際にやってみて、幾つかの課題があれば教えていただきたい、このように思います。

門川参考人 コミュニティースクール、学校運営協議会を設置する学校ですけれども、当初、私どもも慎重に進めました。しかし、すばらしい成果が上がってくるということで、今、大胆に、これをボトムアップで、校長先生が地域と相談してやりたいという学校を募集して、始めております。去年、五十校かなと思いましたら六十校になりました。今年度中に百校かなと思っているんですが、多分百校を超えると思います。

 そして、学校運営について保護者、地域の参画を得る、学校運営方針等について地域の承認を得る、あるいは人事についての意見を聞く、こういうことが法令上の要件になっていますけれども、そういうことを超えまして、子供を真ん中にして学校、家庭、地域が、足りないところを批判し合う関係から、足し合う関係にしていこう。

 それで、学校運営協議会の委員がいます。それにプラスしまして、企画推進委員、学校教職員を含めまして大体百人、多い学校だったら二百人入っている。ともに学校を高めていく、そんな関係ができております。

 それで、部会を五つ、あるいは学校によっては十二の部会をつくる。国際化委員会、読書活動委員会、野外活動委員会、そういうことをして学校の図書室の開放をしたり、地域ぐるみで子供をはぐくんでいく、そんな関係ができていっているな。

 ただし、課題もあります。繁忙であります。先生方は確かに大変であります。これを、地域の参画を得て、学校の先生の負担も相対的に減っていく、それへ向けていくのが次の課題やないかな、そんなことも感じております。

西委員 ありがとうございます。

 いずれにしても、皆さん方、種々お聞きする中で、やはり人的資源が足りない、先生方が忙し過ぎるということについては、参考人の皆さんも同様の御意見、私ども地方に公聴会で行かせていただきますけれども、そういう意見が確かに多いことは現実でございます。

 続きまして、先ほど他の委員からも若干質問がありましたけれども、私立学校のことにつきまして、これも若干法律とも関係するんですが、この行政については教育委員会で補助行政をなさっているというふうな御説明が先ほどあったかと思うんですが、このことをもう少し詳しく教えていただけませんか。補助行政というのはどういうことをやっていただいているのかということでございます。

門川参考人 私立学校の設置認可、補助金を出す等の仕事は都道府県知事の仕事ですので、政令指定都市といいましても少し違うわけですけれども、ただ、現実に、私立の学校にいろいろな補助金を出したりということも、指定都市であろうともしております。

 そういうときに、市長部局でやるか教育委員会でやるかということですけれども、基本的には市長部局の仕事やないかなということがあるんですけれども、市長と教育委員会で覚書を交換しまして、教育委員会で事務を補助執行する、そんな形でやっています。

 そして、例えば私立幼稚園、京都の場合は九割が私立幼稚園であります。私立幼稚園と公立幼稚園、さらに保育園も含めて、子育て支援総合センターこどもみらい館をつくりまして、そして、そこで先生がともに研修をする、ともに教育相談、保育相談をする、そういうことをやっていく。そのときに、主たる所管を教育委員会にやった方がいいだろう。

 あるいは、中学校と高校の連携協力が大事であります。京都の場合、私立高校が京都市内に二十五、公立が二十五、これだけ私立の多いところであります。そこで、私立と中学校と連携する、このときに、やはり教育委員会が所管した方がいいだろうということで、私学行政も京都市としては教育委員会が実質上させていただいている。

 そして、ともに行動することによって、子供たちにとっても教員にとってもプラスの作用をしていく、そういうことだと思うんです。それが決して私学の建学の精神を侵すことにはならない、そのように感じております。

西委員 この点について私どもは、教育委員会は中立的な行政機関としてやはり大きな価値を持つものだという思いをしておりまして、若干ちょっと順番がずれるんですが、今の京都市の方向性について、中嶋参考人、急に振って悪いんですが、一言、御見解があればお教えいただきたいと思います。

中嶋参考人 お答えします。

 今、京都市さんの御説明があったのは、京都市教育委員会としては、私立学校行政について、とりわけ私学の設置認可とか教育課程にかかわる事柄について権限はお持ちじゃないわけですね。権限を持たない立場において、町の子供たちの教育をよりよいものにしていくために私立学校と公立学校で協力していこうという活動をなさっている、そういう御説明だったと思うんです。

 それはそれとしてまことに結構なことだなと思っているんですが、今回法律案として出てきているのは、権限を持っている知事について、そこで専門的な助言や援助をするというものですから、今回、法律の論点と今の御説明のところはちょっと違うことであろうと思っています。

 以上です。

西委員 私も実は、すべてがすべて分離をするということではなくて、いい意味できちっとお互い双方が納得して、そしてプラスになるような形で行政がやられていくというのは、教育委員会そのものの中立性といいますか、独立性とはまた違う形のものではないかなというふうな感じで聞いておりました。

 今の議論とどうしても混同しがちな部分もありますので、うなずいていらっしゃいますけれども、市川参考人、このことについて何か御見解がございますか。

市川参考人 この問題は二つあろうかと思うのでございます。

 一つは、先ほど中嶋参考人もおっしゃいましたように、教育行政が、私学の教育の実践面と申しますか、内容面にどこまで踏み込むべきかという問題が一つございます。

 それからもう一つは、教育委員会と私学の理事会との関係でございまして、教育委員会はいわば公立学校の理事会に相当するものでございます。そうしますと、この公立学校の理事会に相当します機関が私立学校を監督するということは、これは、かつての鉄道省が民間の私鉄を監督したのと同じような関係になるものでございまして、これはちょっとまずかろう、そういうこともあろうかと思います。

 御案内のように、その点で私学団体は大変敏感に反応しております。現に、高校の単位未履修の問題に関係しまして幾つかの地方公共団体では、該当校に対して私学の補助金を削減するという措置をとっているようでございます。未履修問題は公立高校にもあったのでございますが、公立高校に対して支出金を削減するという話はいまだ起こっていないわけでございまして、そのようなところから、私学行政と公立学校行政との関係というのは大変難しい問題があろうかと思っております。

西委員 続きまして、荒谷参考人にお願いをしたいと思います。

 先ほどお話があった、平成十年からの文部省による是正の要求に関してのことでございますけれども、十三項目あったと。当事者ではない県の方に要求があったのではないかな、どちらか私ちょっと存じ上げないんですが、この十三項目の中にこういうことがあったということを何点かもし例示いただければ、どんなことだったか教えていただきたいと思います。

荒谷参考人 是正は十三項目ございまして、そのうち教育内容関係の項目でございますが、一つは卒業式、入学式の国旗掲揚、国歌斉唱に関すること、それから人権学習の内容に関すること、それから道徳の時間の名称とかその指導内容に関すること、国語の時間割りについて等々でございます。それから学校管理運営関係につきましては、教員の勤務及び勤務時間にかかわる管理とか、主任等の命課の時期及び人選、主任手当の拠出、職員会議の運営の実施等でございます。

西委員 続きまして、市川参考人にお願いをしたいと思うんです。

 実は、昨日も地方公聴会に行ってまいりまして、市長さんにも来ていただいていろいろお話を伺ったんですが、今、市長さんの教育に対する関心は、今というか昔からそうでしょうけれども、大変高い。御自身で公約も掲げられていろいろなことをおやりになろうとする、これも大変重要なことでございます。

 その首長さんの教育に対する方針と、それから、一方では中立的な教育委員会がございます。お互いよく話をしながらやっているんだというお話がありましたけれども、議会等で私どもも大臣に質問しているというのは、これはある意味では政治家も関与しているんですが、政治的中立性ということを大臣もよくおっしゃって、今の教育委員会制度のよさというのはそこにあるというふうに言われているんですが、首長さんの教育行政に対する関与のあり方という基本的な問題について教えていただければ幸いかと思います。

市川参考人 お答え申し上げます。

 首長さんの教育行政に対する関与は地方教育行政法によって規定されているわけでございまして、地方教育行政法に首長さんの権限として掲げられていることにつきましては、当然首長さんの方針でおやりになることでありまして、財政とか私学、それから大学、高等専門学校などにつきましては首長さんの権限になっておりますから、それは当然でございます。ですから教育委員会は、初等中等教育の学校教育、それからそれ以外のものということでございます。

 ただ、これも絶対的な線引きというのは必ずしもないわけでございまして、これまでも、例えば生涯学習などは首長さんに部局を置いておられるところもございますし、それからまた、文化行政につきましても、文化財保護は教育委員会、文化活動は首長さんという自治体もございます。それからまた、私学につきましても、逆に私学行政を教育委員会に委任されている県も四つございます。そういうふうに、別に今まででも実際にはそう窮屈なものではないんじゃなかろうか。それぞれの自治体で協議されて行われる。

 結局、例えば同じ私学と申しましても、東京都のように、私学を扱います学事部が数百人の職員を擁しているところと、地方へ参りますと係長が一人しかいない県もあるわけでございまして、それを同一の尺度でやるということはなかなか難しいことだろうと思うのでございます。

 ですから、それはやはり各自治体で、原理原則を踏まえながらも、そこで弾力的に運営されるのがよろしいんじゃないかと、こう考えております。

西委員 次に、教育における国の責任の果たし方の問題です。

 私学の問題もございますが、ここが今回の焦点の一つじゃないかというふうに私どもも思っておりまして、相当内容について限定的に、それでも先ほど門川参考人からは、伝家の宝刀的なもの、最後の手段としてあってもいいんではないかというお話がございました。また、荒谷参考人からは、具体的な是正の要求に関して改善が見られたということがございました。

 私どもも、原則といいますか本筋からいけば、これは、地方分権という中にあって、国の関与という最後の手段としてあってもいい、それはしかし極めて抑制的、門川参考人の言葉を使えば、伝家の宝刀的な最後の手段ということなんでございますが、このことについて中嶋参考人はかなり反対というお気持ちをお示しになられたんですが、私どものこの気持ちに対してコメントがあれば、厳しいコメントだと思いますが、一言お願いをいたします。

中嶋参考人 どうもありがとうございます。

 国の責任の果たし方というのは、これは国としてやはり教育に対して責任を負うということは必要で、教育を受ける機会がきちんと保障される、権利を保障するというための国の責任の果たし方は当然あると思います。

 その上で、教育というものがそもそもどう位置づけられているかというと、これが地方公共団体の自治事務として位置づけられているという点をこれはかなり重視して考えなければいけないことだと思うんですね。

 それで、自治事務については、地方自治法は基本的に地方公共団体がみずから判断すべきことだということを定めていて、それに対する国の関与のあり方は抑制的であるべきだ。自治事務については、基本的には、関与するということを非常に強く抑制する。さらに、是正の要求に関して言えば、これは極めて例外的な制度として地方自治法は位置づけている。

 なぜそこまでしているかということですね。これは、国として国民に対して責任を負っているにもかかわらず制度として抑制的であるのは、自治事務というのは、その地方公共団体がみずからその法令の解釈権があるということですね。まず第一にその地方公共団体に解釈権があって、その解釈のもとに運用をし、そして行政施策を展開するということだと思うんです。そのことが尊重されなければならないので、自治事務に関しては、とりわけ強く国の関与が抑制的にされているということだと思うんです。

 昨年の教育基本法の改正の議論の中で、文科大臣の答弁の中で、国も法令解釈を誤る可能性があるということはおっしゃっているわけですね。ということは、国が法令解釈を誤って、そして是正の要求なり指示なりをした場合に、そうするとこれは、地方公共団体として適正に法令解釈をしている、そして行政を行っていると考えているにもかかわらず、そこに国として強い力でそれは法令解釈を間違っているということになってしまうと、これは、地方自治の原則からすると大変問題があるんだろうと思うんですね。

 とりわけ教育の領域においては、教育内容にかかわる事柄については、とりわけこれは強く行政的な関与自体が抑制的であるべきだということからすると、今回の法令は一律に投網をかけるような形で国の関与が可能になっていますので、より極めて限定的にしていかないと、このままでは権限の濫用になる可能性があるのではないかということを恐れているわけです。

 以上です。

西委員 貴重な御意見、大変ありがとうございました。

 終わります。

保利委員長 次に、松本大輔君。

松本(大)委員 民主党の松本大輔と申します。

 きょうは、それぞれのお立場からの大変御貴重な御意見、本当にありがとうございました。

 門川教育長は、制度のせいにせずに、制度の限界に挑戦しようというふうにおっしゃっていました。これは文科省におっしゃっているのかなというふうに私受けとめさせていただいたんですけれども、さすがは、迷ったときは困難な道を選ぶというふうにおっしゃられるだけあって、あえて苦言を呈されたのかなと、私は大変感銘を受けた次第でございます。

 そこで、国の権限強化についてまず各参考人の皆さんにお伺いしたいと思うんです。五十条の指示の話ですが、これは、当委員会審議でも実は文科省から答弁がありまして、「五十条の指示の場合の児童生徒等の生命身体の保護が緊急に必要な場合に該当するというのは、これはケース・バイ・ケースでございますけれども、例えば悪性の伝染病の予防のために学校を臨時休業しなければならないようなとき」というようなことが答弁をされているわけでありますが、悪性の伝染病がはやっているようなときに教育委員会が何もしないなんということが果たしてあり得るのかと、私は強い疑念を持ったわけなんですね。

 実際、先日、私は山形の地方公聴会に伺ったんですけれども、国の権限強化についておおむね賛成というふうに山形市の教育委員長さんもおっしゃっていたんですが、では、一体全体どういうケースで是正指示権が必要になると思われますかという、これは保坂展人委員の御質問だったわけですけれども、そのときに教育長さんは、私は正直言ってイメージができません、大臣が出る前にまだ解決できる方法が多々あるのではないかなというふうに思います、おおむね賛成だけれども、では、一体全体どういうケースで必要になるのかといえば、正直言ってイメージできないという非常に正直な御意見を吐露されていたわけであります。

 きょうの参考人の皆さんの意見陳述の中では、門川教育長は伝家の宝刀は必要である、荒谷参考人は当然であるというふうにおっしゃっていましたが、市川参考人はどういうお言葉でおっしゃっていたかというと、生命身体の危機の場合には、文科省の指示はもう実際に間に合わないんじゃないかというふうなお話をされていたかと思います。

 そこで、四人の参考人の皆さんに、一体全体、この五十条の指示が必要になるようなケースというのは具体的にはどういうケースだとイメージされているのかをそれぞれお伺いできればと思います。

門川参考人 世の中には常に想定外というようなものがあるんじゃないかな。したがいまして、私どもとしては、教育委員会が、議会が、そして知事、市長が、常に伝家の宝刀が抜かれないように全力投球すべきであります。

 しかし、子供の立場に立ったとき、学校の立場に立ったときに、教育委員会に言うても、議会に言うても、知事、市長に言うても自治能力が発揮されない、そういうときに伝家の宝刀というのはあるんじゃないかな。しかし、それが行使されないように地方は緊張感を持って頑張るべきだ、そのように思います。

荒谷参考人 今、想定外というのがございましたが、私も今具体的に言わせていただこうと思うとなかなか浮かんでまいりませんけれども、広島県ではそういう是正指導という経験がございまして、これまでよしとしてずっとやってきた慣例が、それは法令に照らしてみると抵触していたということで是正指導を受けましたので、私は、本当に一生懸命やっていても、そういった予想されないような事態というものは起きてくるのではないかというふうに思います。

 こういうことは決してあってはならないことで、日常的に、市町村教育委員会は、いじめられている子供たちあるいは不登校の子供たちの名前まで把握しております。ですから、こういう是正の要求、指示というものを受けないようにしっかりと取り組んでいきたいというふうに思っております。

市川参考人 私は、教育委員会が非常事態に対して適切な対応ができないというようなケースがもしありましたならば、それは、その教育委員会が所属します地方公共団体の議会がこれをチェックするのが使命であるし、本来のあり方だと思います。

 それから、無論、想定外の事態というのはあるかもしれませんが、それは基本的に、現在の地方自治法が想定して規定しているわけでございまして、それで足りるのではなかろうかと思います。

 それで、今回の改正案は、昭和三十一年の地方教育行政の組織と運営に関する法律を復活させるようなものでございまして、最初は教育長の任命承認権もあったかに聞いております。私は、昭和三十一年の地方教育行政法を起案されました木田元文部次官のもとで七年間働きました。それで木田先生は、二年前に亡くなられましたけれども、いわゆる伝家の宝刀は抜いてはだめなんだ、抜かないところに意味がある。ですから、門川参考人がおっしゃったように、想定外というのが一番適切な答弁であろうかと思います。

 具体例を挙げて説明すると、こんなことはあり得ないという指摘が必ずなされるわけでございますので、実際にこういう場合に抜きますよというようなことを言わず、ただ持っているところに意味があるんだというふうに、起草された木田先生からはお伺いしたことがございます。

中嶋参考人 これについての私の考えは、レジュメの八ページから九ページにかけてのところにも述べておりますので、またそちらもごらんいただければと思いますが、今回のこの是正の指示に関しては、児童の「生命又は身体の保護のため、」ということでかなり限定がかかっているわけではありますね。その意味では、これについては行使する場面というのはかなり小さいのではないか。また、それを実際に行使しようとすると、先ほど市川参考人からも御意見がありましたように、実際には手続が非常に煩雑ですから、そう簡単にこれは使えるものではなくて、この方法にまで到達する前のところで解決しなければならない問題だと思います。

 その意味では、伝家の宝刀ということが何度も使われていますが、恐らくそういう意味を持つものであろうと思いますが、ただ、先ほどの御意見にもあったように、伝家の宝刀を行使されないように頑張らなければならないという考えは、これはやはり、文部科学省の御意向がどういうものであるかということを伺うという姿勢を強めさせるという効果を強く持っているということだと思います。

 その意味では、これを与えることによって、文科省に対して、より地方が、文部省はこれをどう考えているのかということをお伺いを立てたりとか、実際に問い合わせてから物事を行うということに資することになるのではないか。実は、いじめの対策等々についてもそういう側面があって、地方がみずから判断して行動すべきところを文科省に尋ねて行動してきたというところに、今回さまざまな問題を生み出してきた原因の一つがあったのではないかと考えています。

 以上です。

松本(大)委員 国の権限強化については、後ほど時間が残れば、ぜひさらに突っ込んでお話をさせていただきたいと思います。文科省に果たしてそういうことを言うような、権利と言ったらちょっとあれですけれども、文科省だけ責任逃れするような法案内容でいいのかという点については、時間が残ればぜひ意見交換をさせていただきたいと思いますが、次の質問に移ります。

 たしか二年前の五月だったと思いますけれども、私、我が党の委員と一緒に京都の御所南小学校を訪問させていただきました。そのときに大変印象に残っているのはいわゆるコミュニティースクールでありまして、先ほど門川教育長からもお話しありましたとおり、あれは放課後だったと思いますが、夕方から夜にかけて地域の住民や保護者の方が御所南コミュニティー総会に参加をされて、積極的に学校運営について意見交換をされていた姿というのが大変印象的でありました。

 今回提出をしております我が党版の新地教行法は、この学校運営協議会をさらに一歩進めて、学校理事会という形でさらに保護者や地域住民の学校運営への参画を図っていこうじゃないかという内容なわけですけれども、こういった地域に開かれた学校運営について、さらに一層保護者や地域住民の参画を進めていくんだという考え方についての門川教育長のお考えをお聞かせいただければと思います。

門川参考人 京都は、文部科学省ができる前に地域住民の力で学校をつくりました。地域の人々がみんなでお金を出し合って、知恵を出し合って、汗をかいて、地域の子供は地域で育てようという形で学校をつくって学校を運営された。日本の学校というのはそもそも地域がみんな支えてきたんじゃないかな、その原点を大事にしよう、そういうことであります。

 したがいまして、社会の宝として、学校と家庭と地域社会、それに経済界も企業も含めて、協力して子供を育てていく。ただし、そういうようにどんどん現場に権限を移譲していきます。しかし、難しい問題もあります。対立が学校現場に持ち込まれるとか、本当にいろいろな問題があります。そのときにやはり、逆に、教育委員会の専門的な指導というのも大事であります。

 政治的に中立を保った教育委員会が時には大事な指導をしていく、そういうことも相まっての学校運営協議会、そういうことで私は、この教育改革のキーワードは学校運営協議会を進めていくということだと思います。できるだけ現場に権限を移譲していく、しかし、そのときに、やはり教育委員会の専門性も大事やなというようにも感じます。

松本(大)委員 我が党案におきましては、学校理事会においてその運営に支障が生じた際、先ほど御懸念のような場合に、教育監査委員会、これは、今の教育委員会が監査、チェック機能に特化した形になるわけですが、この監査委員会が苦情の申し出のあっせんを行う、あるいは首長が直接働きかけを行うという形で、あるいは最後には、学校理事会の理事の任免権を行使することで最終的には解決が図られるという担保措置は幾つも盛り込んでいるわけなんです。

 京都で行われている現行の学校運営協議会の今後の課題の一つとして、先ほど、教育長は繁忙ということを挙げられていらっしゃいました。また、冒頭の意見陳述の中では、教師はふやすべきだというようなお話もありました。一方で、政府の行革推進法には、児童生徒の自然減以上に教職員の削減を進めていくというような規定もあるわけなんですけれども、この規定が存在していることについてはどのように受けとめていらっしゃいますか。

門川参考人 教育を最重要視される現内閣のもとで、それらについては必ず乗り越えていただけるもの、そのように確信いたしております。

松本(大)委員 必ず乗り越えていただけるものというふうにおっしゃっていらっしゃるんですが、それは今後への期待であって、我が党案では、既に今提出済みの環境整備法において、この行革推進法五十五条の、教職員の総数について、「児童及び生徒の減少に見合う数を上回る数の純減をさせるため必要な措置を講ずる」というこの規定の削除を盛り込んでいるわけですが、この我が党案の考え方についてはいかがでしょうか。

門川参考人 京都で教育改革を進めております。先見、先進、先導、先を見て、先に進んで、先んじて未来をつくろう、そのときに、同時に先立つものも必要やと。お金が必要であります。教職員の増員も必要であります。どうぞ、国会においてもよろしゅうお願いしたいと思っています。

松本(大)委員 ぜひ次回は民主党の参考人としてもいずれ御出席をいただいて、我が党案の補強の意見陳述を行っていただければというふうに思います。

 次に、先ほども御紹介した国と地方の関係の見直しといいますか、国の権限強化についてちょっとお話を戻したいと思います。

 いじめや未履修の問題については地域の教育委員会が適切に機能していなかった、それは確かにそうなのかもしれませんが、いじめについては、文科省は、九九年度以降までゼロ、小中高校生の自殺総数は七年間でたしか九百人を上回っていたと思いますが、にもかかわらず、いじめが原因のものはゼロであるという報告をそのままうのみにしていたわけであります。その感度の鈍さというものも指摘されました。

 それから未履修の問題については、これもやはり九九年以降、長崎、熊本、広島、兵庫と繰り返されてきたわけでありますし、広島においては、当時の教育長は文科省からの出向者でありました。そして、広島、長崎ではその後未履修が再発した。かつ、二〇〇一年度、たしか十一月から二〇〇二年二月にかけてだと思いますが、文科省自身の調査で、四百を超える大学の大学生に対する調査で、世界史の未履修の学生は一六%だという調査結果もわかっていたわけなんですね。

 つまり、文科省自身の、こうなると、これはもう感度というよりも私は資質だと思うんですけれども、つまり、情報の関連づけができない、みずから行った調査についてその対応が打てない、放置してきた、不作為を続けてきた、この怠慢については大いに責められるべきであるというふうに私は考えております。

 そのような文科省の権限を、今回、教育委員会が悪かったんだということにして責任逃れを図るような形で焼け太りをねらう、こういう姿勢についてはいかがなものかと私は大いに憤っているんですが、その点につきまして、この文科省の権限強化について、市川参考人と中嶋参考人に改めて御意見をお伺いしたいと思います。

市川参考人 文部科学省に限らず、どこの役所でも予算と権限は大きいほどいいわけでございまして、それはごく自然の姿ではないかと思います、客観的に見ますと。

 ただ、その必要があるかといえば、私は必要はないというふうに思っているわけでございまして、現行法でやっていけるんじゃなかろうか、こういうふうに考えております。

中嶋参考人 今回の法改正の中で新たに国の権限を強化しようとしているわけですけれども、そのことが一体何を目指しているのかがここでは問われるんだろうと思います。

 大事なことは、これは、地方自治法改正をすることによって、地方の教育がやはり現場主義的に現場においてより活性化していく、それを教育委員会がサポートしていくことができる体制をつくっていくということがとても大事なことだと思うんですね。今回の権限強化がその方向を向いているのかどうかということが問われるんだろうと思います。

 今回の権限強化は、地方がみずから判断する、法解釈をしながらどういう政策を立てていくかということをむしろ困難にする要素を強く持っていると思いますし、そのほかに、教育委員会制度を維持するという点で共同設置等がありましたけれども、これは決して教育委員会の機能を強化するものにはならないと思いますので、むしろ教育委員会の機能を低下させ、その一方で国の権限が強まってしまって、現場主義とは違う方向、中央集権的な方向になるものだと思っています。

 以上です。

松本(大)委員 本当はもっともっと意見交換をしたいんですが、残念ながら質疑時間が終了したようでございます。

 どうもありがとうございました。

保利委員長 次に、石井郁子君。

石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子でございます。

 本日は、地教行法の一部改正案を中心として、参考人としておいでいただきまして、また貴重な御意見、それぞれ伺うことができました。本当にありがとうございます。

 まず、市川参考人と中嶋参考人にお聞きをしたいと思いますが、戦後、日本国憲法、教育基本法が制定されて、教育委員会制度ができました。ところが、一九五六年に今の地教行法の形に変えられたわけですね。当初発足した教育委員会制度は、教育委員の公選制と財政権限の独立があったと思うんですね。今日、教育の地方自治の原則、また、地方分権という流れが強まっているわけですけれども、そう考えますと、やはり当初の制度の方向性をとるべきではないのかというふうに私は思いますが、この点での御意見を伺いたいと思います。

市川参考人 旧教育委員会法におきましては、おっしゃるとおり、教育委員は公選で地域住民から選出されております。それから、財政は、完全に独立しているわけではございませんが、三権分立の規定もございますので、完全独立というのは無理で、ただ、現在よりも強い権限を、例えば独自に予算を編成して協議するとかいったような、それから、協議が調わない場合には教育委員会と首長さんと二つの予算を議会に提出するとか、そういった、完全に独立ではございませんが、現在よりも相当強い権限、最高裁判所に準じたような権限を持っていたわけでございます。

 私が先ほど申しましたように、もし、行政委員会としての教育委員会の制度を維持し、しかも、それが形骸化したものでなくて、実質的なものとして活性化させるという御意向がおありであるならば、それはやはり、ほかにもいろいろな、権限強化とかいったこともございますけれども、一番基本的には、やはり権威を持たせることである。

 それで、権威というものはどこから来ているかといえば、この民主主義の世の中におきまして権威を与えてくれるのは選挙民、戦前は天皇陛下、戦後は選挙民でございまして、ですから、その選挙民からの支持を得てできたということにおいて、首長さんに対して対等の発言力が出てくるわけですし、それから事務局に対しても、事務局の職員とは違うという立場がそこで確立されるわけでございます。

 そういう点で、本当に期待されるのであれば、もし形式的なものであっていいというのであれば任命制でも結構ですが、いろいろな、注文だけはされるわけですから、注文されるのであるならば、その注文にこたえるためには公選制が必要条件ではなかろうか、こう考えております。

石井(郁)委員 中嶋参考人にも同様の趣旨の質問でよろしくお願いします。

中嶋参考人 私も、まず公選制に関して申し上げますと、住民の公選によって教育委員を選ぶということによって、今、権威を与えるということがございましたが、住民意思に基づいて選ばれた教育委員によって教育行政が行われるというのは、その権威を与えるとともに、民主主義をより確かなものにしていくという点でとても大事なものだと思っています。

 首長が選挙で交代した場合、教育委員は辞職すべきであるという議論がしばしばあります。私どもの町も、昨年首長が交代しましたので、それに伴って辞表は出さないのかということを首長からも問われました。これは教育行政の独立性という点から見て、今の任命制は極めて問題があると思います。私どもはそれを受け入れませんでしたけれども、それが当然であるかのような考え方というものを導き出してしまっているというのが、この任命制の大変問題のあるところだと思っています。

 それから、財政権の独立性というのも、今の御意見にあったように、大変制約を受けたものではありましたけれども、予算提出権を持つという点で、これは、市民に対して、市民の代表である議会に対して直接に教育委員会が作成した予算を出し、そこで審議を受けるという点で、大変重要なことだと思います。私どもも今、教育委員会の中で、施策を講じて、それに対して必要な予算を首長に対して要求するということになるわけですけれども、大変重要な予算が削減されてしまう、議会で審議する以前にそこでカットされてしまうという点で大変悔しい思いをしているわけです。これは、財政権の独立というのは、重要な点だと思っています。

石井(郁)委員 中嶋参考人は愛知県犬山市で教育委員も務めていらっしゃるということでございますので、ちょっとその点に関して伺うんですけれども、犬山市が、先ごろ行われました全国一斉学力テストに不参加を決められたわけですが、それで、不参加を決めるに至った法的根拠についてちょっと改めて伺いたいということと、教育委員会ではどのような議論が行われたんでしょうか。また、やはり保護者がいろいろと御意見を持っていらっしゃるわけで、保護者との間ではどのような議論が交わされたのか、伺いたいと思います。

中嶋参考人 お答えします。

 まず、法的根拠ですけれども、これは文科省の実施要領の中にも書かれているんですが、全国学力テストそのものは文科省が実施するけれども、それに参加するか否かは市町村教育委員会が決定することであるということは、実施要領にも書かれています。

 それは、教育委員会には学校管理権がありまして、設置者管理主義のもとでの学校管理権が保障されている、そのもとで学校の運営に関する事柄について教育委員会が決定する権限を有している、それに基づいて犬山市としては全国学力テストは参加しないということを決めたわけです。

 それに至った教育委員会内部での議論ですけれども、犬山市は二〇〇一年ごろから改革を進めてまいりました。その方針は、ともに学ぶ学校をつくっていこうというものです。点数だけを争うような学力を高めるのではなくて、子供たちが一緒に学び合うということを通じて学力を豊かに形成していきたいんだということを考えたわけです。ただ点数を上げればいいということではなくて、学力を獲得するプロセスであるとか、あるいは自分が獲得した学力を友達と一緒に学ぶ中でより高めていく、共有し合っていく、そういう人格の完成を目指していきたいんだということで改革を進めてきたわけです。

 ところが、今回行われる全国学力テストには、そのような観点が大変大きく欠落していると考えます。むしろ、これを実施することによって、競争的な意識を子供たちあるいは保護者、教師たちの中に埋め込んでいくことになって、犬山市として進めていきたい学校づくり、学校運営を大きく阻害するものであると考えるわけです。先ほど申しました設置者管理主義の立場からすると、そのような国の施策がそうであれ、これは地方の観点、現場主義の観点からすると、それは受け入れられないのだというのが教育委員会としての考え方です。

 これについては、保護者の方々とさまざまな議論をしてまいりました。昨年の二月に、文科省が実施するということの報道があったときに、既に私どもは、これは疑問があるということを提起しましたし、その後、昨年の四月には、毎年つくっている教育施策の文書の中でそれについて指摘をし、実施しない方向で考えるんだということを市民に伝えています。また、秋には、シンポジウムを開いて、その中でこれについての議論を交わしました。保護者の方からもさまざまな御意見をいただきました。そしてまた、ことしに入って、学校説明会を開いて、実施しないということについての理由を説明しました。

 保護者からは、どうして競争させてくれないのかというような御意見も出ました。でも、競争するということが子供たちにとって決していいことではないのだということについて、教育委員会として事務局の力もかりながら御説明をし、おおむねの納得はいただきながら進めることができたと思っています。これについては、恐らく全国のどの町の教育委員会や保護者よりも多くの議論をこの全国学力テストについてはしただろうと思っています。

 以上です。

石井(郁)委員 どうもいろいろありがとうございます。

 全国学力テストをめぐっては、本当にさまざまな議論があるかと思いますし、また、これからも真剣に尽くしていかなければならないというふうに思うんですが、やはり、学力とは何かという定義もありますし、中身もありますし、また、私は今お話を伺って、みんなで高め合っていく、その話し合いを尽くしているという点では、本当に地域に根差した教育ということはそういうことなんだろうというようなことも、いろいろと学ぶところが多いわけでございます。

 それで、中嶋参考人にもう一点伺いたいと思うんですが、今、そういう教育委員会の活性化とか教育委員会の機能をどう強めるかという議論の中で、また、大学の教員という立場から、地域のそういう教育委員を務めていらっしゃるということで、実践もされていると思うんですね。

 そういう点でいうと、強調されましたように、本当に、地域にまさに根差す、地域の住民の要望をきちっと組み入れる、そして聞きながらそこの地域に責任を負う教育行政を進めていくというようなことだと思うんですけれども、住民と結びついて教育行政を行うだとか教育委員会を活性化させていくということがなぜ大事かということと、そのために本当にどういうことが必要になっていくんだろうかというようなことについて、もう少し経験を踏まえて何かお聞かせいただければと思います。

中嶋参考人 住民と結びついていくことの必要性ということなんですが、教育委員会も、教育及び教育行政についての専門的な立場から真剣に考えながら、そこに住民の意見を盛り込んだ形で運営していくということが必要なわけですけれども、しばしば起きてしまうのは、文科省から出される施策というものはそれなりの体系性を持って提起されてきて、また、国の予算配分などもそれによって行われますので、それに従っていくことが、差し当たり、余り問題なくというかフリクションを感じることなく進めていくという点では、比較的円滑に進めることになるんだろうと思うんですね。しかしながら、それが果たして本当にいいかどうかということについて考えなければならないんだろうと思うんです。

 先ほど、学力の定義ということもありましたが、文科省は、この間、一時はゆとり教育と言い、一時は確かな学力と言いというように、ここ十年の間にかなり大きなぶれをしてきていると思うんですね。これは、国が学力とはこういうものであるというように号令をかけて、そのもとで全国が動いてきた、それで振り回されたというのが実態だと思うんです。果たして現場の教師たちあるいは保護者たちが、本当に考えながら、自分の子供にどういう力をつけてほしいのかということを考えながらこの十年間が来たのかといえば、恐らくそうではなかったんだろうと思います。

 住民の考え、あるいは保護者の考えを教育行政に取り込んでいくということ、その中で、自分たちなりに、学力とは一体どういうことなのか、自分たちの子供をどういうふうに育てたいのかということを現場で一生懸命考えるということがまず必要なんだと思うんですね。その意味で、まずもって、住民あるいは保護者との関係を教育委員会が築いていくということが必要だと思います。

 もう一つ重要なのは、教育委員会にとってさまざまな情報が外から来るわけですけれども、その多くが国発信の情報なんですね。国の施策として提起されるものが情報としてやってくるということがあります。ただ、それは国の視点なんですね。国の視点で教育を考えるというのは、それはそれとして大事なことだと思います。経済政策とか財政政策の中で教育を考えることも大事ですが、その一方で、地域の子育てという視点を持って教育を考えるという別の視点も必要で、それがより合わされたところに現実の教育が多分生まれるんだろうと思います。

 その意味では、地方視点の教育の観点をより高めていくためには、教育委員会同士の連合をもっと強めていく必要があると思っています。単独で教育委員会が仕事をするのではなくて、他の教育委員会との連合を高めることによって、地域の視点をその中で醸成していくということが大事ではないかと思っています。

 以上です。

    〔委員長退席、中山(成)委員長代理着席〕

石井(郁)委員 どうもありがとうございます。

 私も、先ほど来の、本当に、学び合うとか助け合う教育ということが、今、これから日本の社会、子供たちに求められていると思いますし、地域には本当にいろいろな、今教育再生と言われていますけれども、再生の芽というか力というのがあるんだと思うんですね。その力を、そしてまた住民と子供たちが望んでいる力を引き出すならば、私は本当に日本の教育はよくなっていく方向はあるだろうというふうに思うんですけれども、今言われましたように、やはり、上を見て、国の号令や国の指示を仰いで教育をしたら果たしてどうなるのかということが今問われているんだろうというふうに思いますので、ちょっとそういう御意見を伺わせていただきました。

 最後に、門川参考人に伺いたいと思いますが、先ほど冒頭の陳述でも、教職員の勤務実態のことも触れられましたし、定数改善、京都なりに努力していらっしゃるというお話も、中学校で三十人に踏み切るというお話も伺いましたけれども、やはり定数改善の必要性ということを大変強調されたというふうに思うんですね。

 今、職場の実態からして、本当に、どういう教員がどういうところでどのように必要なのかというようなことについて、もう少しお聞かせいただければと思います。

門川参考人 それぞれの学校、地域に課題があります。その課題に的確に対応できる教育体制が必要であります。

 そういう意味で、例えば特別支援、障害のある子供の教育、あるいは生徒指導、あるいは、先ほども申し上げましたけれども、中学校三年で三十人学級にしていこう、そういうこともあります。同時に、学校のマネジメントが大事である。教師が授業に専念できるように、私は、このたびの法律でも出ておりますが、校長とともに、副校長とか主幹教諭とか、そういうものも必要であると思います。

 そうしたトータルとしての学校力を高めるための教職員の増員をぜひともお願いしたい、そしてめり張りのきいた教職員の処遇の改善もお願いしたい、そのように感じています。

石井(郁)委員 今回の法案で提出されております副校長とか主幹とか、そういう人たちが本当に教師の多忙化を解消する一助になるのかどうかというのは私は大変懸念があるところでございまして、本当に教師が今多忙で、また健康破壊と直面しながら勤務している実態からすると、定数改善が今見送られているわけですけれども、それをもとに戻すということなども本当に大事だというふうに思うんですが、そういう御意見を伺いました。

 それで、少し時間が残りましたので、もう一点、荒谷参考人に伺いたいと思います。

 今回の地教行法の改正で、文化、スポーツに関する事務では、条例で首長に担当を移管するということになっていますよね。そのことも先ほど触れられましたけれども、文化、スポーツ、生涯学習の分野というのは、学校教育、社会教育の分野と密接にかかわる分野でもあるということですね。その分野が首長さんのところに行って、そして教育委員会から切り離すということについては、やはり何らかの問題があるんじゃないか、あるいは、どういう問題があるとお考えになっていらっしゃるか。もう残りの時間が少しですので、短く御答弁いただければと思います。

荒谷参考人 東広島市におきましては、社会、文化、スポーツ行政はすべて教育委員会にございます。私個人の意見といたしましては、これは教育委員会で安定的に所管していた方がいいと思います。

 といいますのは、生涯学習の分野におきましても、首長部局に移管して、首長さんが熱心に生涯学習に取り組んでおられた、全国にもそういう例がたくさんございましたけれども、その首長さんがやめられると同時にちょっとダウンしてしまったというような事例が、そしてまた、教育委員会に戻された、所管が移された、そういうふうな事例もございます。

 しかし今回は、社会教育は残って、文化、スポーツは選択していいということになっておりますけれども、私個人としては、教育委員会が持っていた方がいいと思います。そして、学校教育も、学校教育と生涯学習がお互いに相互乗り入れして非常に充実した教育内容が構築できる、このように考えております。

石井(郁)委員 時間が参りました。

 以上で終わります。どうもありがとうございました。

中山(成)委員長代理 次に、保坂展人君。

保坂(展)委員 社民党の保坂展人です。

 まず、市川参考人にちょっと総括的に御意見を伺いたいんですが、私は、内閣が、教育再生、こういう言葉を使っていることに実は違和感を持っているということを繰り返しこの委員会でも述べてまいりました。この委員会も教育再生に関する特別委員会となっておりますし、教育再生会議、こういう名前で、現にいただけない議論も多いんですけれども、再生再生、こういうふうに言われています。その再生会議では、「公教育の機能不全」、こういう言葉まで出てきているわけですね。

 私は、八〇年代から、校内暴力の現場あるいはいじめの相当ひどい事件、親や子供、学校などにずっと聞いてきた、活動してきたんですね。ジャーナリストしては、これは危機的な事態だとかいうことをさんざん書いてきましたけれども、国や内閣が教育再生ということを言うことについて御意見を伺いたいと思います。

市川参考人 私も、教育再生という言葉には若干違和感がございます。

 その理由は二つでございまして、一つは、再生というのを辞書で引いてみますと、死んでいるあるいは死にかけている人を生き返らすと。そうすると、日本の教育は本当に死んでいるのであろうか、あるいは死にかけているのであろうか。もしそうであるならば、それはいかなる診断によってそういう見立てをしたのかということが明らかではないんですね。

 それから、もう一つ違和感がありますのは、再生という言葉は、企業とか、破産宣告されたような場合の、最近は個人再生という言葉もありますが、そういう点で、どうも経済的な破産のイメージ。

 そういうのをそのまま教育に持ってくるのはいかがなものかというようなことで、無論、言論は自由ですから、いかなる表現を使おうといいわけでございますけれども、余り適切な表現ではないのではなかろうか、こんなふうに考えております。

保坂(展)委員 次に、門川参考人に伺いたいんですね。

 私どもは、地方公聴会で、私自身は公聴会に先駆けて山形と愛媛の学校を見に行ってまいりました。もちろん、我々をセッティングするという学校ですから、地域の中で比較的うまくいっている学校なのかなと思いながらも、いろいろな努力や試み、きのうは、松山市でおじいちゃん、おばあちゃんのデイケアと子供が交流して、給食の時間、一緒に食べている。おばあちゃんとも話をしましたけれども、学校の空き教室を使ってなかなかいろいろなことをやっているなという思いを持って帰ってきました。

 そこでなんですが、先ほど、学校や教育に対するバッシングがひときわである、ただ、頑張っている学校や教員もたくさんいるんだということをおっしゃっていただいたんですが、この点について、今の市川さんに聞いた点とも重なるんですが、例えばいじめ対策でも、文科省のカタログを見ても、私から見ても相当いいなと思う実践がかなり紹介されているんですね。しかし、どうも外に出てくるメッセージとしては、こんなにだめだ、こういうメッセージが強過ぎるというふうに思っているんですが、現場から見てどうでしょうか。

門川参考人 現場ですばらしい実践が多くなされています。私ども、中学校二年生の一万人が三千三百の事業所に五日間お世話になります。そうしますと、受け入れていただいた事業所の方々が、今どきの中学生と思ったけれども、すばらしいですねというように言っていただけます。直接情報は大事だな、つくづく思います。

 マスコミの方にもお願いしたいと思うんですけれども、異常なことがあったら、ただそればかりが報道される。だから、私たちは、そうだ、京都に行こうじゃなしに、そうだ、学校に行こう、JR東海じゃないですけれども。そして、どんどん学校に来ていただく、そして学校の子供の生の姿を見ていただく、参観をしていただく、参観を参画にしていって協力していただく、そんな学校づくりを地道に地域から起こしていかなければならない。そして、教育者がたっとばれるような世の中にしなければならない。同時に、教師も頑張らなければならないし、学校の閉鎖的な体質があれば、それも改革していかなければならない。そのように思っております。

保坂(展)委員 異常な事件といえば、けさも福島県で、首の一部を持った少年が警察にあらわれるというような、またショッキングな事件がございますので、これは、私、ニュース速報で全くそれしか見ていませんけれども、何か起こると、すべて学校制度のシステムだというふうに短絡するのだけは我々もやめたいというふうに、冷静な議論をしなければいけないと思っています。

 中嶋参考人にお聞きしたいんです。

 先ほど犬山市の、なぜ学テに参加をしなかったのかという経緯をお話しいただきましたが、今回の地教行法が成立をしたときに、犬山市で行われている教育実践やあるいは教育委員会のあり方などに何か変化が起こってくるということは想定できるでしょうか、それとも、余り変化はないでしょうか。

中嶋参考人 変化を起こしたくないと思っています。これまでの方針を貫いていきたいと思っていますが、懸念されることが幾つかあります。

 それは、一つは、教育委員会評価制度、自己点検・評価制度が一体どのような形で実施されるか。多分ガイドラインを文科省が出すんだろうと思いますが、それによって国の施策に基づいた具体的な活動をしていくということを求めるのではないかということが心配されます。

 それからもう一つは、今回のこれとは違いますが、学校教育法改正案の中で、学校の自己点検、評価が制度化される、義務づける、努力義務ですが、ありまして、それについては、文部科学大臣が学校教育法施行規則によって実施の方法について定めるということになっています。そういうことになると、教育委員会を飛び越して文科大臣が学校の自己点検、評価に関与することができる仕組みができます。その中で、例えば全国学力テストの結果についてもその評価の対象になっていくということになれば、これは教育委員会として、学校管理権があるにもかかわらず、その学校が学力テストを実施することを指をくわえて見ていなければいけないということになりかねないんだろうと思います。

 その点で、もちろんこれまでどおりのものを貫きたいとは思うものの、今回の法改正が持っていることから見てみると、それが阻害される要因が生み出される可能性があるというふうに見ています。

 以上です。

保坂(展)委員 もう一点、中嶋参考人に伺いたいんですが、教育委員会の共同設置で教育行政を広域化する、あるいは一部事務組合にゆだねていくというようなことがこの法案の中にあり、自治体なり住民から乖離をしてしまうんじゃないか、また、国や文科省が広域化、共同設置を推進するというような動きをあわせて考えると非常に懸念があるとおっしゃっていますが、これについて、もう少しお話しいただけますか。

中嶋参考人 教育委員会は、それぞれの町に設置されて、その町の人々と意見交換をする中で一体どういう政策を進めていくことがふさわしいのかということを考えるということが教育委員会の基本だと思います。

 今後はその道をさらに歩んでいく必要があると思うんですが、共同設置された場合には、実は、それぞれの個別の町にはそれぞれの事情があるわけですね。大きな町と小さな町では違いがありますし、それから、住んでいる住民の階層によってもさまざまな違いがあります。それによって地域ごとの望んでいる教育のありようというのは具体的には違ってくると思うんです。それをまたぐ形で教育委員会が設置されると、本来はどの意見も尊重しなければいけないけれども、それに対立があるならば、あるいは矛盾があるならば、意見にそれぞれ違いがあるということになると、実はどの意見も尊重できないというのが実際のところだろうと思うんですね。

 どれか一つに考えが偏ってはいけないということになれば、どの町から出てくる意見にも耳をかすことができないということになれば、これは教育行政が非常に抽象的なものになってしまう。地域の具体性を持って進められなければならない地方教育行政が抽象化してしまう。そうなるとこれは、国が提起する施策に従っていくという力学の方がより強く働いてしまって、地域から乖離した教育行政の仕組み、言ってみれば、文科省の道具としての教育委員会が地域にばらまかれているという状態をつくってしまうことになるのではないかということを懸念しているわけです。

保坂(展)委員 次に、門川参考人と荒谷参考人に伺いたいんです。

 先ほども同僚委員から、いわば文科大臣の是正要求、そして指示について、具体的には、教育委員会が、法令違反や怠りによって生徒等の教育を受ける権利の侵害が明白になっているときであるとか、あるいは緊急に生徒等の生命身体等を保護する必要が生じてほかの措置ではできない場合というときに、それぞれ是正要求、指示、こういうことが盛り込まれているんですが、現在の地方自治法のスキームを使って十分できるのではないかと私どもは考えております。

 実はこの質問、山形でも、そしてきのう松山でも教育委員長に聞きましたけれども、全くイメージができませんということでした。イメージができないものをあえて新設する必要はないのではないかという点について、御意見をお願いしたいと思います。

門川参考人 それぞれの地域が自治能力を発揮する、まず学校が、そして教育委員会が、議会が、そして知事、市長、町長がそういうことをきちっとやっておれば、この伝家の宝刀というようなものが想定されない、私はそのように思います。それが想定されるような日本の教育であってはだめだと思います。

 ただし、いろいろな課題があります。そして、子供の権利が、人権が侵されていて、自治能力が発揮できないときに伝家の宝刀というのがあるんだと思います。我々は、自治というのは、一定の緊張関係があったらいいんじゃないか。子供を大切にして、そして子供に焦点を当てて、地域で全力投球する。その自治能力が発揮されないときには、伝家の宝刀というようなものがあって、自治権というのは、もともと安定的にあって絶対的なものである。これも大事であります。同時に、いざとなれば国が関与する可能性がある。それを絶対に許さない、そんな緊張感のもとに、私どもは、統括と自治の調和、あるいは緊張関係というもの、そんな緊張関係でもって子供の教育に責任を持っていく、そんなことが大事じゃないかなと思っています。

荒谷参考人 世の中、非常に先行きが不透明でございますし、また、家庭の状況も大変多様化しております。その中にあって、東広島市では最近虐待される子供が本当にふえておりまして、今、学校もそれから教育委員会も、振り回されるというんじゃないんですけれども、本当に学校外のことで大いに神経を使っているというような状況もございまして、不測の事態がいつ生じるかわからないという状況がございます。

 そういったときに、先ほど申しましたように、最後のとりでとして、本当は地方公共団体でやっていかないといけないんですけれども、それでも見逃してしまうことがなきにしもあらずということもございますので、そういうときには義務教育の責任者としての国が関与をしていくことは当然のことと先ほど申し上げました。

保坂(展)委員 ただ、具体的にはイメージできないというのが皆さんの共通の点なんですよね。具体的な例は想定できない、しかし緊張感としてあった方がいいだろうというお話でした。

 私は、市川参考人に伺いたいんですけれども、いじめ自殺が九九年以降ずっとないじゃないかということも、具体的にファイルを出して、これは文科大臣に調べてくださいと。国の方で再調査して、この中には、やはりいじめがあって、亡くなった子が相当数いたということがわかりました。

 しかし、これは教育委員会だけの責任ではなくて、いじめ自殺が出ましたということを言うと、各県教委あるいは市町村教委の中で、ああ、問題を抱えているんですねということで、なかなか出しにくいという体質は、これは文科省を含めて共同責任だろうというふうに思っています。未履修の問題もしかりだろうと思っています。

 という中で、こういった権限が強くできるということが果たして改革に値することであるのかということを市川さんにお聞きしたいと思います。

市川参考人 改革に値するかどうかということは、改革という意味をどう定義するかによるわけでございまして、今は、何でも改革改革と言われて、それに何か異議を申し立てると抵抗勢力というふうに言われる雰囲気でございます。ですから、改革に値するかどうかというふうなことを言っても余り意味はないとは思います。

 いじめという定義も、これまで再三変わっているわけですね、文部省で。それで、だんだん定義が緩くなってきておりまして、いじめを受けた方がいじめと感ずればいじめであると。そうすると、これはもう無限大に広がる定義でございまして、したがって、今までの統計でも、あるときこうふえる。これは、定義が変わったからふえるところが随分ございます。

 それと、それが表へ出ない、あるいは適切な対応がとれないということは、これはやはり、そういった場合にいかなるバッシングを受けるかということがあるわけでございまして、個々の教職員あるいは個々の学校の責任ではないことが、すべて学校の責任であるかのごとく、また役所の責任であるかのごとくマスコミで報道される、そういった世の中の情報の流れ方、これが一番の問題ではないかと思っているわけでございます。

 やはり、そういった情報が、悪いことではなくて、発覚とかそういう言い方じゃなくて、これは発見していくんだ、そういう前向きの姿勢でこの事態を受けとめるようになれば、もう少し情報の流れ方もスムーズにいくのであろうかと思うのでございます。そうした点で、やはりマスコミその他の報道陣のあり方にも問題があるのではなかろうかと思うわけでございますので、そうした点もあわせて改善していただければと、こんなふうに思っております。

保坂(展)委員 ありがとうございました。

 今お話しした点は、実は、警察庁はかなり詳しい統計を持っておりまして、学齢期のお子さんでみずから亡くなった子の中に、学校問題というジャンルで入れている子が多数いたんですね。ところが、その数と文科省の統計が、母数からいって全然違うわけですね。このことについて、共有をするべきだということを繰り返し迫っていた、これは不登校の問題を考える会のお母さんがいらっしゃって、この数をちゃんと把握してくださいと繰り返し言ってきたのに、ずっとゼロ発表を続けていたということがありまして、これは、国が地方をチェックするということがあり得るなら、地方から国が今やっていることはおかしいんじゃないかということをしっかりチェックする、相互チェックの体制をつくらなければいけないというふうに思います。

 という意見を申し上げまして、きょうは、ありがとうございました。終わります。

中山(成)委員長代理 次に、糸川正晃君。

糸川委員 国民新党の糸川正晃でございます。

 本日は、四人の参考人の皆様方に大変貴重な御意見をいただきまして、ありがとうございました。私も、二十分という持ち時間の中で質問をさせていただきたいというふうに思います。

 まず、門川参考人そして荒谷参考人の両参考人には、教育現場に最も近い、門川参考人におかれましては現職の教育長でいらっしゃいます、荒谷参考人は前職の教育長でいらっしゃいますので、そのお立場から御意見をいただきたいと思います。

 財政負担を伴う政策に関しまして、市長部局との連携が必要でございます。現実的には、市長部局との連携関係については今どのような状況にあるのかというのをお尋ねしたいのと、また、学校図書費用、こういう諸費など、地方交付税で手当てされているはずの予算、これが実際には別の目的に流用されているというような事態も仄聞されるところではございます。特に予算面での教育分野への配慮、これはどのようにしていったらいいのかということを、御所見をお伺いしたいと思います。

門川参考人 教育行政の独立は認められていますけれども、おっしゃるとおり、予算は首長、市長、知事が持っておられます。

 そこで、京都市の場合は、地方分権、それをさらに組織内分権にしていこう、原則的に教育委員会あるいはそれぞれの局にできるだけ予算の編成権も移譲していこう。そして、市長のところで政策枠というのは持って、あと教育委員会、それぞれの局で予算の編成権を持つ。例えば、現業職員を一人減らせば、それは八百万円としてほかの仕事に回してよろしいとか、そういうことをどんどんやっていっている。教育委員会が、教育委員会に与えられた枠内で、ここを減らし、ここをふやし、そして市長に説明して基本的な了解をもらって、そして、政策重点化枠については、それは市長の判断で予算をつける、それを各局が要望していく。そうした予算の編成についても、できるだけ市役所内で、教育委員会なりそれぞれの局に移譲していこう。それは、局が独善的にやったらあきませんので、政策評価、施策評価、千三百に及ぶ事務事業評価を市民参加で評価していく。それをさらに、このたびの市議会で行政評価条例をつくって、その評価と予算編成をドッキングさせていこう。そういうようなことが京都市では先進的に取り組まれています。

 そして、学校も、学校が光熱水費を削減すれば、それを図書費に回してよろしいよ、そういう予算編成も、学校の、校長の裁量権にゆだねていこう。

 ただし、今、地方交付税が来ているのにと言われましたけれども、国は地方交付税でこれも入れたあれも入れたとおっしゃっています。同時に、総額は減っています。何かおかしいんですね。総額をふやした上でこれを入れた入れたというより、総額を減らしてこれも入れたあれも入れたというふうになっています。国の基準だけで何もかもできるという前提になっている。

 例えば、京都市の場合は、図書費とか教材費とか大事にしていますけれども、何年間で何百億ふやしましたと、これは国のお役人のそろばんではふえているんですけれども、トータルとして地方へ来る地方交付税、特に政令指定都市は厳しい算定になっていまして、これらについても国会でよろしくお願いしたいと思っています。

荒谷参考人 冒頭でも少し触れさせていただきましたけれども、東広島市の場合は、予算編成権はまだなかなか移譲されるというところまで至っておりませんで、市長部局で予算編成が行われておりまして、ぼつぼつ、この時期になりますと、事業調整というような仕組みがございまして、市長に対して来年度予算について提案をしていくというのがございます。

 その前に、教育委員会の中でプランをつくっておりますので、そのプランの年次計画に沿った遂行をしていかないといけませんので、それと、加えて、緊急対策、例えば安全安心な学校づくりとか耐震化の問題とか、それから、先ほど申しましたように、学校の統廃合とか分離、そういった緊急を要するものについても、その事業調整のときにそれをまた教育委員会の中でまとめまして、こういう年次計画はありますけれどもこういうものが今緊急課題となっていますということを協議させていただいて、予算をなるべくたくさん獲得するようにしております。ある程度、教育委員会はこれぐらいという、市の予算の中の一割程度しかございませんけれども、それをもう少し超えるように、年々努力をしているところでございます。

 それから、学校の方につきましては、今学校で一番何が欲しいかというと、校長はみんな、職員と言います。教職員と言います。一人でも先生をたくさんふやしていただくように、国の方も予算をたくさんつけていただくように、お願いしたいと思います。

糸川委員 地方交付税の問題に関しましては、これはまた予算委員会等でしっかりと議論をして、できる限り地方の応援ができるようには取り組んでまいりたいと思います。

 もう一問、門川参考人と荒谷参考人にお尋ねいたしますが、教育委員会の事務局の立場からして、教育委員会を活性化するために、ほかの教育委員の方々にどのような点を期待されていらっしゃるのか。また、この教育委員へのサポートというのは、その体制というのはどのようにされて、そして、どのような点に重点を置かれていらっしゃるのか、お聞かせいただきたいと思います。

門川参考人 教育委員会制度というのは、レーマンコントロール、素人支配ということで、各界の代表の教育委員と、それから教育長、そして教育委員会事務局、専門職との総体だと思っています。

 それで、教育委員と教育委員会事務局の職員が、十分な連携のもとに、教育委員の先生方の指導のもとに教育をされていく。そういう場合に、私ども、一番大事にしていますのは、もちろん、きちっとしたレクチャーをします、説明をいたします。

 同時に、教育委員の先生方が、私はここへ行きたい、あそこへ行きたいと、学校を自由に選んでいただいて学校へ行っていただく。ここの学校へ行ってくださいというような形で行ってもらわないで、教育委員が、見てほしいところだけ見てもらうんじゃなしに、学校を自由に選んで学校へ行っていただく。そのときに、指導主事やらが随行する。現場主義に徹して、教育委員の方々に現場の実態を知ってもらう。現場からいろいろな声を聞いていただく。

 そして、余りかたくなにかたくならないで、自由な懇談の場を設けていく。指導主事と教育委員の懇談の場、校長の代表と教育委員の懇談の場、そういう現場との力が融合するときに教育委員会の力というのは発揮できるんじゃないかな、そのように感じて、そうした取り組みをしております。

    〔中山(成)委員長代理退席、委員長着席〕

荒谷参考人 京都市の教育長さんもおっしゃいましたように、やはり、教育委員の皆さんに現場を知っていただくということが一番大事ではなかろうかと思いますので、特に、合併いたしましたので、合併町を今重点的に巡視しながら教育委員会を開催しておりますけれども、できるだけ現場に行っていただいて現場を見ていただくということ。

 それから、現場を指導している指導主事との懇談をしたいという要望が教育委員の方からありましたので、これは定例的には行っておりませんけれども、指導主事と丁寧に懇談会を持って、今どういうことが教育委員会から見て学校現場は課題があるのかというようなことを率直に、部長以上は行かないようにして、指導主事が教育委員さんにいろいろと説明しております。

 それから、例えば東広島市は二学期制を導入いたしましたけれども、二学期制のどこか先進県を見てみたい、そういうふうな要望がございますと、先進県にも出かけてまいります。

 それから、学校を統廃合しないといけないとか分離新設しないといけないというふうな大きな課題がございますので、そういうところにも行ってみたいという要望があれば、そういうところにも研修に出かけるようにして、教育委員さんの要望にこたえたり、力量アップにつなげているところでございます。

糸川委員 ありがとうございます。

 では、市川参考人にお尋ねいたしますが、市川参考人は教育基本法の質疑の際にも参考人として出席いただいたように記憶しております。ただ、改正には反対のお立場であったかなというふうにも記憶しております。

 国からの是正要求、それから指示について、文部科学大臣も、本来は、地方自治が有効に機能していれば発動は不要なんだ、こういうような答弁をされていらっしゃいますが、これは、言葉をかえますと、伝家の宝刀というんでしょうか、こういうような位置づけになっているように思います。

 この当該規定への賛否、これは別といたしまして、首長及び地方議会がその機能を発揮するためにはどのような方策が有効になるのか、お聞かせいただければと思います。

市川参考人 もともと教育委員会は、教育行政に限ってでございますけれども、執行機関でございまして、ですから、他分野の行政に対する首長さんと同じような立場にあるわけでございます。したがって、それをチェックする役割がそれぞれの地方公共団体の議会の基本的な責任であると思うんです。ですから、行政活動はもちろん、予算の執行につきましても、これは当然議会の責任でありまして、それからまた、首長さんも、教育委員を任命しているわけでございますから、任命権者としての責任があろうかと思うんですが、そういう当該地方公共団体の首長さんと議会がチェック機能を果たすべきだということが議論されずに、いきなり都道府県教育委員会とか文部科学大臣がチェックするという話になってくるのはおかしいのでなかろうか。全くそれが不要と言っているわけではないわけでございまして、その前に、それぞれの自治体が自治権の範囲内でチェックすることが優先されるべきじゃないか、こういうことでございます。

 それからまた、もちろん、都道府県あるいは国が全く関与してはいかぬとか関与する必要がないと言っているわけではなくて、ただ、現に、現行法におきましても、地方教育行政法及び地方自治法におきまして、関与する手段はあるわけでございますね。ですから、それを使って運用されれば、それで足りるのでなかろうか、こういう考え方でございます。

糸川委員 では、残りの三人の、門川参考人、荒谷参考人、中嶋参考人に、今と同じ質問なんですが、この教育委員会の活動を監督する立場の首長それから地方議会がその機能を発揮するためにはどういう方策をとればよいのか、それぞれのお立場からお考えをちょっとお示しいただきたいと思います。

門川参考人 首長が議会の同意を得て教育委員を任命されております。まず、教育委員の任命を、やはり権限をきちっと行使して適切な人を選んでいくということが大事でありますし、そうしたことで自治能力がまず発揮できる。同時に、そうした問題が起こったときには、もちろん教育委員会にも議会にも、知事、市長、町長にも行くでしょうし、その自治体で調査委員会をつくるなり、教育委員会だけで機能できないなら、そうしたことをして適切な対応をまずするのは当然のことであります。

 しかし、そういうことができないからいろいろな問題が起こるということが想定される、まあ想定されないことが想定されるわけですから、そうしたときに国が関与する。しかし、それはあくまでも抑制的で、かつ透明、手続はきっちりしていく、そうしたことが大事じゃないかなと思います。

荒谷参考人 教育委員会で起こっておりますことは議会にも常に報告し、また首長にも常に情報提供はしております。それから、議会の方でもチェック機能は果たしていただいていると思っておりますけれども、やはり、不測の事態が生じた場合に、国の関与というものは必要ではなかろうかと思っております。

中嶋参考人 まず、首長には、教育委員会を監督する権限はないんだろうと思うんですが、任命する権限がある。任命権者として教育委員会とかかわるということになると思いますが、その際に、適切な委員を任命することが首長として求められているというのは、先ほど御意見のあったとおりだと思います。それから、議会も、市川参考人がおっしゃったように、議会の機能を通じて教育委員会の活動を、執行機関の活動をチェックするということが求められると思います。

 ただ、そのときに一つ重要なことは、節度を持って行うということだろうと思います。議会が教育行政に関与するというのは、一方で執行機関をチェックすると同時に、その向こう側には学校教育あるいは社会教育があって、その社会教育及び学校教育の政治的中立性であるとか宗教的中立性であるとかということがとても重要な領域ですから、そこにおいては、関与の仕方というのは節度が求められているのだろうと思います。

 今回の改正は、その意味では、現実の教育行政の実態がどういうところにあるかということから見てみると、必ずしも、今、法案が出ているような方向で解決できる問題ではないのではないか。要するに、現実の今抱えている教育行政が、委員の先生がおっしゃったようなところに問題があるとすれば、もう少し違う方向で解決していかなければならないんだけれども、今回出ている文科省の権限強化という方向では、これは対処できない課題だろうと思っています。

 以上です。

糸川委員 ありがとうございました。

 では、最後に、門川参考人にお尋ねをしたいと思います。

 教育長というお立場でございます。教育を受ける側である子供たちの立場に逆に立っていただいた場合、今回のこの改正案、これは足りないなと思われる部分があるのではないかなというふうに考えるんですが、もしあれば、この点についてお答えいただきたいと思います。

門川参考人 例えば、副校長を置くとか主幹教諭を置くとかいうことも法案の中にありますけれども、それらにつきまして、やはりトータルとしての人員増を伴わなければならない。そうしたことにつきまして、今、中教審でも教育振興基本計画等の策定が急がれていますが、教育条件の整備充実、現場を激励する、教師のモチベーションを高める、そうしたことにも一層お取り組み願いたいなと存じます。

 以上でございます。

糸川委員 本日は、大変貴重な御意見をありがとうございました。

 これで私の質問を終わりたいと思います。

保利委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。

 この際、参考人各位に一言御礼を申し上げます。

 参考人の皆様には、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。(拍手)

 参考人各位におかれましては、御退席いただいて結構でございます。ありがとうございました。

    ―――――――――――――

保利委員長 この際、各案審査のため、昨十四日、第一班富山県及び第二班愛媛県に委員を派遣いたしましたので、派遣委員からそれぞれ報告を聴取いたします。第一班大島理森君。

大島(理)委員 富山県に派遣された委員を代表いたしまして、その概要を御報告申し上げます。

 派遣委員は、私、大島理森を団長として、理事野田佳彦君、委員馳浩君、田島一成君、伊藤渉君、石井郁子君の六名であります。

 昨十四日、現地において、富山市立桜谷小学校を視察した後、富山市の名鉄トヤマホテルにおいて会議を開催いたしました。

 なお、現地視察におきましては、授業参観、学校関係者との意見交換、給食をともにして児童たちと触れ合うなど、学校現場の生の声に接することができました。

 会議におきましては、まず、私から、派遣委員及び意見陳述者の紹介並びにあいさつを行った後、富山市長森雅志君、富山県教育委員会委員長八木近直君及び富山国際大学付属高等学校長西川弘君の三名から意見を聴取いたしました。

 その内容について簡単に申し上げますと、

 まず、森君からは、教員免許更新講習の具体的な運用に当たり、子供及び学校にとって大きな負担とならないよう配慮が必要であること、教育委員会の点検、評価を他の行政委員会に先行させるのはバランスを欠くこと、中核市への教員人事権の移譲が行われるよう制度改革を求めること、

 次に、八木君からは、副校長等の新しい職の設置については、現状の定数枠の中で配置した場合、学校現場の負担が一層増大することが懸念されること、文部科学大臣の教育委員会への是正の要求は地方自治法の範囲内であり、指示については、恣意的にならないよう基準を設けて運用すること、教員免許更新制の導入に当たっては、新たに県負担をすべきではなく、地方における受講機会の確保など、国の責任において実施体制を整備すること、

 最後に、西川君からは、私学の自主性、独自性が損なわれることを懸念していたが、助言、援助としたことは評価できること、中小の経営規模の私学にあっては、毎年免許更新講習に必要となる非常勤講師の確保が困難なこと

などの意見が述べられました。

 次いで、各委員から、陳述者に対し、中核市への人事権の移譲についての見解、教育委員会の必置規定の見直しについての見解、修士課程修了を要件とする教員の資質向上策の妥当性、私学に関して知事が教育委員会の意見を求めることの妥当性、国と地方の権限の所在及び責任のあり方などについて質疑が行われ、滞りなくすべての議事が終了した次第であります。

 以上が会議の概要でありますが、議事の内容は速記により記録いたしましたので、詳細はそれによって御承知願いたいと存じます。議事録は、本委員会の会議録に参考として掲載されますようお取り計らいをお願いいたします。

 今回の会議の開催につきましては、多数の関係者の御協力により極めて円滑に行うことができ、深く感謝の意を表する次第であります。

 以上、御報告申し上げます。

保利委員長 次に、第二班小坂憲次君。

小坂委員 愛媛県に派遣された委員を代表いたしまして、その概要を御報告申し上げます。

 派遣委員は、私、小坂憲次を団長として、理事牧義夫君、西博義君、委員西村明宏君、高井美穂君、保坂展人君の六名であります。

 昨十四日、現地において、松山市立清水小学校を視察した後、松山市の松山全日空ホテルにおいて会議を開催いたしました。

 なお、現地視察におきましては、特別支援教室を含めた授業参観、学校関係者との意見交換、児童及びいきがい交流センターの高齢者との給食をともにした触れ合いなど、現場の生の声に接することができました。

 会議におきましては、まず、私から、派遣委員及び意見陳述者の紹介並びにあいさつ等を行った後、松山市長中村時広君、愛媛県教育委員会委員長井関和彦君及び新田高等学校長片岡至君の三名から意見を聴取いたしました。

 その内容について簡単に申し上げますと、

 まず、中村君からは、教員の人事権を中核市に移譲すべきであること、教育分野において市全体での取り組みが求められていること、教員免許状更新講習の導入に当たっては、地方自治体等が独自に実施している既存の研修等への影響に配慮すべきであること、

 次に、井関君からは、教員免許状更新講習の導入に当たっては、代替要員や財政措置等、地方自治体の負担が過重にならないよう考慮すべきであること、中核市に教員の人事権を移譲するならば、その給与についても一体として取り扱うべきであること、授業時数等を柔軟に設定できるよう、学習指導要領の弾力的運用を可能とすべきであること、

 最後に、片岡君からは、地方教育行政法の改正に当たっては、私立学校の独自性や建学の精神等に十分配慮すべきであること、私立学校の創意工夫が生かされるためには、学習指導要領の改訂に当たってその弾力化が必要であること

などについて意見が述べられました。

 次いで、各委員から、陳述者に対し、文部科学大臣による教育委員会への是正の要求、指示についての見解及び想定される具体例、必修科目の未履修問題及びいじめ問題発生の原因及び現行制度の問題点、教員免許状更新講習の導入に際しての教育現場への影響、教育分野における知事及び市長のリーダーシップと教育委員会との関係、副校長等の新設についての見解などについて質疑が行われ、滞りなくすべての議事が終了した次第であります。

 以上が会議の概要でありますが、議事の内容は速記により記録いたしましたので、詳細はそれによって御承知願いたいと存じます。議事録は、本委員会の会議録に参考として掲載されますようお取り計らいをお願いいたします。

 今回の会議の開催につきましては、多数の関係者の御協力により極めて円滑に行うことができ、深く感謝の意を表する次第であります。

 以上、御報告申し上げます。

保利委員長 以上で派遣委員からの報告は終わりました。

 お諮りいたします。

 ただいま報告のありました第一班及び第二班の現地における会議の記録は、本日の会議録に参照掲載することに御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

保利委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

    〔会議の記録は本号(その二)に掲載〕

    ―――――――――――――

保利委員長 次回は、明十六日水曜日午前八時四十五分理事会、午前九時公聴会を開会いたします。

 なお、次回の委員会は公報をもってお知らせいたします。

 本日は、これにて散会いたします。

    午後零時十一分散会

     ――――◇―――――

  〔本号(その一)参照〕

    ―――――――――――――

   派遣委員の富山県における意見聴取に関する記録

一、期日

   平成十九年五月十四日(月)

二、場所

   名鉄トヤマホテル

三、意見を聴取した問題

   学校教育法等の一部を改正する法律案(内閣提出)、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案(内閣提出)、教育職員免許法及び教育公務員特例法の一部を改正する法律案(内閣提出)、日本国教育基本法案(鳩山由紀夫君外五名提出)、教育職員の資質及び能力の向上のための教育職員免許の改革に関する法律案(藤村修君外二名提出)、地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案(牧義夫君外二名提出)及び学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案(笠浩史君外二名提出)について

四、出席者

 (1) 派遣委員

    座長 大島 理森君

       馳   浩君   田島 一成君

       野田 佳彦君   伊藤  渉君

       石井 郁子君

 (2) 現地参加議員

       村井 宗明君

 (3) 意見陳述者

    富山市長        森  雅志君

    富山県教育委員会委員長 八木 近直君

    富山国際大学付属高等学校長          西川  弘君

 (4) その他の出席者

    衆議院調査局教育再生に関する特別調査室長   清野 裕三君

    文部科学省大臣官房総括審議官         金森 越哉君

     ――――◇―――――

    午後一時三分開議

大島座長 これより会議を開きます。

 私は、衆議院教育再生に関する特別委員会派遣委員団の団長の大島理森でございます。

 私がこの会議の座長を務めさせていただきますので、よろしくお願いを申し上げます。

 皆様御承知のとおり、当委員会では、内閣提出、学校教育法等の一部を改正する法律案、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案及び教育職員免許法及び教育公務員特例法の一部を改正する法律案並びに鳩山由紀夫君外五名提出、日本国教育基本法案、藤村修君外二名提出、教育職員の資質及び能力の向上のための教育職員免許の改革に関する法律案、牧義夫君外二名提出、地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案及び笠浩史君外二名提出、学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案の審査を行っているところでございます。

 本日は、各案の審査に当たり、国民各界各層の皆様方から御意見を承るため、当富山市におきましてこのような会議を催しておるところでございます。

 この際、派遣委員団を代表いたしまして一言ごあいさつ申し上げます。

 御意見をお述べいただく皆様方におかれましては、御多用中にもかかわりませず御出席いただきまして、まことにありがとうございました。どうか忌憚のない御所見をお述べいただきますようよろしくお願い申し上げます。

 それでは、まず、この会議の運営につきまして御説明を申し上げます。

 会議の議事は、すべて衆議院における委員会議事規則及び手続に準拠して行い、議事の整理、秩序の保持等は、座長であります私が行うことといたします。発言される方は、その都度座長の許可を得て発言していただきますようお願い申し上げます。

 なお、御意見をお述べいただく皆様方から委員に対しての質疑はできないことになっておりますので、あらかじめ御了承いただきたいと思います。

 次に、議事の順序について申し上げます。

 最初に、意見陳述者の皆様方からお一人十分程度で御意見をちょうだいしたいと思います。その後、委員からの質疑に対しお答えを願いたいと存じます。

 なお、御発言は着席のままで結構でございますので、よろしくお願いします。

 次に、本日御出席の方々を御紹介申し上げます。

 まず、派遣委員は、自由民主党の馳浩君、民主党・無所属クラブの野田佳彦君、田島一成君、公明党の伊藤渉君、日本共産党の石井郁子君、以上でございます。

 なお、現地参加議員として、民主党・無所属クラブの村井宗明君が参加されております。

 次に、本日御意見をお述べいただく方々を御紹介申し上げます。

 富山市長森雅志君、富山県教育委員会委員長八木近直君、富山国際大学付属高等学校長西川弘君、以上の三名の方々でございます。

 それでは、まず、森雅志君に御意見をお述べいただきたいと存じます。よろしくお願いします。

森雅志君 大変貴重な機会に発言をさせていただく場をいただきまして、まず冒頭お礼を申し上げる次第でございます。

 私の立場としましては、恐らく、小学校、中学校設置者の立場から、今御審議が進んでおります各法律案について思うところを述べるということだろうと思っておりますが、何分甚だ不勉強でありますので、御案内をいただきましてから、まさにつけ焼き刃で少し勉強してきました。したがいまして、網羅的にお話しすることはできませんが、ずっと目を通した中で何点かの改正案につきまして感じましたことを申し上げさせていただいて、その責めを果たしたい、このように思っております。

 まず、教育職員免許法等の改正につきましての、いわゆる免許更新制について、一番大きなテーマではないかというふうに思います。

 もとより教育の質を一定程度維持し、かつ、それを一層高めていくために教職員の質を高めていくことは当然のことでありますし、求められる教員像というものについても、時代の変遷に合わせて変化があるんだろうと思っております。

 そのためには、やはり子供が主体的に学習していく教育活動を実現する上で、豊かな教育経験を蓄積してきた教員にあっても、絶えず最新の知識を習得していくということは大変重要なことだというふうに思います。しかし他方、知識や技術だけではない、教員一人一人の人間性ですとか社会観ですとか、いわゆる広い意味での教養ですとか、そういったこともあわせて教師の力と言えるんだろうと思います。

 したがいまして、十年の節目で教員免許状の更新を、例えば試験をするとか研修をするとかいうことで果たしてどこまで指導力不足ですとか不適格者というものの是正につなげていくことができるのか、若干疑問を感じないわけでもございませんが、しかし、考えようによっては、十年の節目節目で自分の来し方を反省してみたり、思い出してみたり、あるいはこれからの意欲というものを改めてつくる、そういうよすがにするというような意味では、絶好の機会になるのではないかというふうにも思う次第であります。

 ただ、仮に三十時間であれ百時間であれ、すべての教員に研修の機会を与えるということは大変大きなコストと労力と負担というものを生むわけでありますので、講習の期間や時期あるいは内容ということにおきまして、子供や学校にとって大きな負担とならないような配慮が必要ではないか、こんなふうに感じております。

 それから、市町村の権限と責任を拡大するというような観点から、地方公共団体におきましても創意と工夫を凝らしながらお互いに切磋琢磨していくということが教育現場に導入することができるとしたら、それは大変意義のあることだろうと思っております。

 その観点で、まず一つには、地方教育行政の基本理念を明記するとされましたこと、この改正につきましては、中でも地域の実情に応じた教育の振興が図られるよう、国との適切な役割分担あるいは相互協力のもと、公正かつ適切に行う、こういうふうに明記されましたことはまことに意義が深い、こういうふうに受けとめております。今後、ぜひ国において教育委員会のあるべき姿等について指針を示していただきたいもの、このように考えております。

 また、他方、教育委員会は学識経験者の知見を活用し、活動状況の点検、評価を行うこととするとの法律案でございますが、もとより富山市におきましても、教育行政のみならず市政の全般について事務事業の点検、評価を行っているところでございまして、予算を伴う行政事務の評価は、当然のことながら、その限りにおいて必要だろうというふうに思います。ただ、こういうことの中で教育行政の点検、評価のみを法律によって先行させるということについては、他とのバランスにおいてという思いを若干感じております。今後、行政事務全体の中で法的整備を行っていくべきではないのかというような思いで法案を読ませていただきました。

 次に、教育委員会体制の充実につきまして、市町村は近隣の市町村と協力して教育委員会の共同設置等の連携をというくだりがございますが、教育委員会の共同設置ということになりますと、一つの教育委員会と複数の首長というような行政体制となりますので、こういう体制において教育行政が円滑に進められるのかということについて若干疑問を感じています。

 恐らくこの背景にありますものは、小規模自治体の教育委員会が制度の期待どおりに機能するのかということではないかと思いますが、しかし、それこそ県教育委員会が積極的に支援をしていくべきではないのか、こんな思いでおります。

 また、教育委員の責務を明確化し、国、都道府県が教育委員の研修を進めるというような条文もございましたが、もとより教育委員会の委員の資質を向上させることは大変大事でありますし、そのために研修を進めることはそれぞれの教育委員会で既に行っている事柄だろうと思います。

 もとより高い見識の方が教育委員として選任されるということが一般的だろうと思っていますので、一人一人の資質という意味ではもともと持ち得ていらっしゃる方々、しかし、制度のありようとか未来像ということについて研修をするという意味ではそれが相まって教育委員会の質も上がるんだろうと思いますが、ただ、国や都道府県から、ちょっと言葉が過ぎるかもしれませんが、上意下達のような形で研修を行うという法文構成ではなく、もっと市町村の求めに応じてサポートをする体制を整備していただく、そういうような条文構成にすべきではないのかというふうにも思った次第であります。

 また、教育における地方分権の推進という観点では、一つには、文化、スポーツの事務を首長が担当できるようにするという流れはまことにありがたい方向でありますし、現に、既に市長部局と教育委員会両方が担いながら進めてきているわけでございます。ぜひ法律で明確にこういう規定をしていただくことができれば、それぞれの市町村にふさわしい形で現場の事務が進むものだろうというふうに期待を申し上げたいと思います。

 それから、県費の教職員の同一市町村内の転任について市町村教育委員会の内申に基づき行うというような案につきましては、現行制度下においても、同一市町村内の転任については、富山市の内申を尊重した異動が富山県教育委員会に行われているというふうに伺っておりますが、ただ、管理職及び地教委間の異動につきましては、必ずしも市の思いどおりにはなっていない。もとより制度的にそうだと思います。これはやはり人事権が富山市にない状況ではやむを得ないことではないかと思います。

 他方、平成十七年十月の中央教育審議会の答申においては、中核市への人事権移譲が提言されていたわけでありまして、私の立場としては、この際、このことについてぜひこのたびの改正案に反映されるように期待を持っていたところでございます。恐らく、ほとんどの中核市におきましては、教職員の人事権の移譲によりまして、現状より柔軟で計画的、さらには一体的な教育行政をスピード感を持って達成できるという判断をし、強く人事権の移譲に期待をしていたと思っております。

 例えば国から各学校への指示命令系統につきましても、国、県、そして教育事務所が間に挟んで市町村教育委員会、それから学校、こうなっているわけですが、このあたりが国、市、学校というふうにスピード感を持って対応できるようになるのではないかということも含めて、ぜひこの人事権の移譲ということについてお願いをしたい、このように思っております。

 中核市に人事権の移譲をすると、中核市以外のその他の自治体との関係において懸念があるというような問題の指摘も伺ったこともございますが、既に人事権を有していらっしゃる政令指定都市とその周辺市町村との間で、それではそういう御心配のような問題が発生したかということについては、私自身としては聞いたことがないわけでありまして、先ほど言いましたように、小規模市町村の対応と中核市との差ということは、県教委がどういう仕事をしていくのかということによって解決されるのではないか、このように思っております。

 また、人事権と給与負担は当然にして一体的な問題でありますので、もとより財源措置とあわせて、給与負担につきましても明確に権限移譲を検討されるように求めたいと思います。

 実は、もう一つは、学級編制権といいますか、教職員定数に関する権限も一緒にセットされませんと、例えば一度富山県で小学校一年生、二年生だけ三十五人学級をというふうに進められたことがありましたが、市町村としては教室が足らなくなりますので、急にこの設置に苦労したことがありますので、やはりこのあたりはセットで進めるやり方が望ましいのではないかというふうに思っております。

 そして、最後ですが、教育における国の責任の果たし方という流れで、文部科学大臣による是正、改善の指示、その他是正の要求などについての規定、議会への報告、そういった規定がございますが、これは恐らく教育委員会として全く機能していないとかやるべきことをやっていないというところが出現したとすれば、条文化せずとも、当然の法理として文部科学大臣は改善を指示するということは恐らく現行制度でもできるのではないか、こういうふうに思います。したがいまして、現在の制度では不十分だ、条文化していかなきゃいけないということの検証をもう少し十分やっていただくことが望ましいのではないか、こういうふうに思っております。

 十分ということでありますので、とりあえず意見を申し上げたかったことについて順番にお話をさせていただきました。ありがとうございました。

大島座長 ありがとうございました。

 次に、八木近直君にお願いいたします。

八木近直君 八木でございます。

 本日は、このような場で意見を申し上げる機会を与えていただきましたこと、まことにありがたく、感謝申し上げます。

 初めに、本県の教育について少し申し上げておきたいと思います。

 およそ教育と申しますものは、私たちの後を継いでくれる者を育てることだと考えます。育てるべき子供というものは、人間という共通の基盤の上にいろいろと咲き乱れる花のようなものだと思います。色も違えば形も違う、そしてまた、それに対する取り扱い方も違っていると思うのであります。さよういたしますと、共通するものは大切にしないといけない。したがって、そういうことは非常に大事なことでありますが、同時に、違いに応じた対処というものも必要になろうかと思います。つまりは、根幹にかかわることに関して国の関与というようなことはもとより大事なことであります。しかし、同時に、実際に教育に当たる者の創意工夫が生かされる場というものが必要であろうと思うのであります。

 本県の教育環境について申し上げてみますと、教育熱心な県民、熱意にあふれる子供たち、そしてまた理解に富んだ地域社会というものがあるように思います。

 我が町の学校であるとか、あるいは地域の学校という昔ながらの気風がいまだ存在しております。地域を挙げて応援団として学校を支えようという気風があるように思うのです。したがって、本県においては、中学校の二年生が連続五日間の職場体験などに参加をする、社会に学ぶ十四歳の挑戦事業というものを行っており、規範意識であるとか社会性を高め、また将来の自分の生き方、そういうものを考えるということに大きな成果を上げていると思うのでありますが、こうしたこともまさにそのような地域に支えられてのことだと思います。

 教員について申し上げますと、本県には、自主的な教育組織である小学校教育研究会、中学校教育研究会、高等学校教育研究会というものがありますが、それに教員のほぼ一〇〇%が加盟しております。そうして、主体的に、授業の仕方であるとか、あるいは温かい人間関係を持ったような学級づくりはいかにあるべきか、そのような指導力の向上を目指して日々研さんに努め、本県の初等中等教育というものを支えている、そのように思うのであります。

 地域と一体感が非常に強い学校と、自主的で研究熱心な教員というのが本県の特色ではないか、このように思っております。

 このような本県においても、近年は学校現場にはいろいろな問題が生じてきている、そのことは事実であります。

 その一つは、学校の多忙化ということであります。

 特に、昨今、いじめであるとか不登校であるとか、そういうものへの対応、あるいはそれを未然に防止すること、中学校、高等学校における部活動の指導、土曜日、日曜日を問わず、教員は個人の時間を割いて業務に従事しているという実態があるのであります。

 また、本県においても、日本語が使えない外国人の児童生徒、あるいはまた発達障害を持った児童生徒などが増加しているように思います。今までもそうだったわけでありますが、一人一人に応じた丁寧な個別の対応がますます必要になってきております。加えて、チームティーチングや少人数指導の実施、総合的な学習時間の運営など、時間を要する業務が増加しているように思います。子供とじっくり向かい合ったり、教員同士が指導法であるとか子供のとらえ方について相談し合う時間がなかなかとりにくくなっていると思うのであります。

 二つには、保護者の価値観の多様化という問題があります。

 特に、公のことより私のことを優先するような傾向が強くなっておるのではないかと思います。さような面で保護者への対応に教員が苦慮するという場合もふえてきているように思います。

 三つには、児童生徒の変化というものがあります。

 今が楽しければいいとか、自分がよければいいとかと考える子供が多少ふえたのではないかという気がするのであります。将来に夢や希望を持って学校生活というものをいかに過ごすか、学習への意欲をいかに持たせるか、そういうことについても、以前に比べますと、より多くの工夫や努力が必要になってきているように思います。

 さような問題がある中で、昨年の秋、本県におきましては、高等学校で必履修科目の未履修という問題が生じました。その背景に学校の熱意というものは確かにあったとは思います。思いますが、なすべきでないことをなす、そのことによって県民の教育に対する期待と信頼というものを大きく損ねたという事実は変わりはないと思います。まことに残念に思う次第であります。改めて深くおわびをしなければならないと思っております。

 県教育委員会といたしましては、関係者の処分を行うとともに、国に対しましては、例えば、学習指導要領における教育課程の運営をもう少し弾力化したのを今後とも考えていただけないかというようなお願いもいたしました。そしてまた、学校に対しては立入調査を行い、このような問題が二度と起こらぬようにいたしたいと思っております。同時に、県教育委員会としては、現場が抱える悩みあるいは問題というものをもっと的確に把握する必要があるというように感じております。みずからの姿勢を正して、失われた信頼の回復に努めたい、このように思っております。

 それでは、次に、このたびの教育三法の改正案について主なところだけ申し上げたいと思います。

 まず、学校教育法上の問題でございます。

 副校長等新しい職を設置するという問題がございます。機動的な学校運営ができるというような点は望ましいことだと思うのであります。ただ、これらの職が学校に円滑に浸透し有効に機能するためには、それぞれの職に応じた処遇というもの、そしてまた定数措置が必要なのではないか、このように考えております。

 また、学校の評価などに関する問題でございますけれども、本県では独自のとやま型学校評価システムというものをつくっております。平成十七年度から実施しているのでありますが、開かれた学校づくりということを推進したいと思っております。わかりやすい目標と数値的な指標、学校評議員などによる外部評価、そしてまた目標や評価結果の公表、こういうことを柱にしているのでありますので、そうした点が生かされるような形で対応が可能となるようにしていただければありがたいと思います。

 次に、地方教育行政の組織及び運営に関する法律について申し上げたいと思います。

 特に、教育委員会の責任体制を明らかにするとか、あるいは体制の充実を図るということは極めて重要なことだと思います。

 本県におきましては、定例会以外にも委員協議会を開催して教育委員の研修などに努める、あるいはまた教育委員が学校を訪問し教員や保護者の声を聞く、このような機会を設けるなど活性化には取り組んでまいりました。

 そしてまた、文部科学大臣の教育委員会への是正指示権につきましては、基本的には現行の地方自治法第二百四十五条の五で大体いいのではないかと思いますが、今のところ、結局、生命などにかかわる場合に限定された形で改正案が提出されているのであります。こういう形になったということであれば、地方自治法の範囲内のものではないかというように思います。実際、運用される場合には、一生懸命問題に取り組んでいる地方の状況への配慮を十分に行っていただいて、恣意的に運用されるというようなことがないように、また、極めて例外的な事柄に対する措置であることを明確にするような基準を設けていただいて、慎重に検討を進めていただければありがたい、そのように思います。

 教育行政の評価について、効率的で結果を重視するような行政運営と、住民への説明責任を果たすということを目的とした事業評価に基づく点検評価を毎年行っております。そして、議会などの審議を通じて外部評価を受けているというように考えているのでありますので、それを踏まえて弾力的な運用ができるように配慮を願えればありがたいものだと思います。

 また、市町村に指導主事を置くという話がございましたが、非常に有意義なことだと思います。ただ、国による財政的な措置というものが必要ではないかなというように考えております。

 教育職員免許法の改正問題について、特に教員免許更新制の導入のことをお話し申し上げたいと思います。

 都道府県の免許授与件数などが現行の場合より非常に大幅にふえるということが予想されるのであります。そういたしますと、都道府県に新たな負担が生ずることのないようにお取り計らいいただければありがたいと思います。

 さらに、地方における受講機会の確保であるとか放送大学などを活用した通信教育など、そういうものを大いに活用するような実施体制というものをぜひ整備をお願いできればありがたいと思います。

 さらには、教員が大学などで行う自主的な研修、そういうものを更新講習として認めていただければなおさらよいのではないかというようにも思います。

 教育公務員特例法の関係について申し上げますが、指導が不適切な教員に対する人事管理の厳格化ということは非常に大切なことだと考えます。今回の法制化を機に、指導が不適切な教員を分限処分する場合の基準などについてぜひ明確に示していただければ、この条項がより生きるのではないかというように思っております。

 以上、富山県教育委員会委員長として意見を述べさせていただきました。どうか教育熱心な風土のある本県の実情が生かされるように御検討をいただきたいと願うものであります。

 まことに御清聴ありがとうございました。

大島座長 ありがとうございました。

 次に、西川弘君にお願いいたします。

西川弘君 西川です。よろしくお願いいたします。

 私がこの席に座っておりますのは、多分、肩書も何もない、単なる私立高等学校の校長ということでありますので、私に求められているものは、いわゆる私学という立場での発言ということだろうと思っております。ただ、そうしましても、お聞きしてから時間がなかったものですから、ほかの私学の方々から意見を集めたとか、討議をしたとかということはできませんでしたので、まさに富山国際大学付属高等学校長西川個人としてお話しさせていただきたいというふうに思います。

 今ほど八木教育委員長さんから富山県の教育というのをお話しされましたが、富山県では大変すぐれた教育成果というのを高等学校分野でなされていることは確かであります。ただ、本県の私学というのは、現在、高等学校九校、そのうち、七十周年をことし迎えようというのが二校、あとはほとんどが四十年前後、いわゆる第一次ベビーブームの生徒諸君の時期につくられた学校であります。

 したがいまして、本県はもともとそうなんですが、私の口から言うとひがみに聞こえるかもしれませんが、官尊民卑という風潮が教育界の中にもあります。したがいまして、私どもに来る子供たちの中には、公立高校も受けたら、二つ受かれば自動的に公立に行くというのが本県の大きな特徴であります。進んで私立へ来る、私学へ来るというのは非常に少ない県民性。そういう中で私学が頑張っているということをまず最初に御理解いただければいいかと思います。

 もっと極端に言いますと、私学の大半は普通科高校であり、上級学校への指導というものにも力を入れておりますが、公立の専門学科の方に受かればそちらへ行く、そういうような風潮が依然として残っているという中で、今、私学の者は、私学の独自性、私学の力量を高め、そして、県民に正当に認めてもらうということについて大変努力をしているということであります。

 そうした中で、今ここにお話をさせていただく機会を得ましたが、今見せてもらいました種々の法律改正案を眺めてみまして、特に私学にとって一番かかわりのある部分について述べさせていただきたいと思います。

 まず一つは、当然ながら、地方教育行政の組織に関するという部分にあって、教育委員会の私学への助言、援助という部分であります。

 当初、マスコミ等で発表されたところでは、指導という言葉が入っておりました。今、改めて見せていただきましたら、指導という言葉が抜けて、助言、支援というような言葉になっています。この経過の中にはどんなことがあったか知りませんが、私が当初懸念した指導という言葉は、大変強く当たります。

 先ほどお話ししましたように、私ども私学の人間は、公立と絶えず競合しながら、競い合いながら、私学というものを少しでも高めようと努力している。その立場からすれば、公立を所管される教育委員会が私学も所管するというこの部分については、ちょっと不都合ではないかなという印象を持ったからであります。ただ、今ここで見せていただきましたものの中からその指導という言葉が抜けて「助言又は援助」という表現になっておりますし、そして、「求めることができる。」という表現になってきているということからすれば、私どもの気持ちも察していただけたんじゃないかなというふうに考えました。

 もっとも、本県におきましては、本県の私学を管轄するのはもちろん知事部局でありまして、文書学術課。この文書学術課の幹部職員の一人は、教育委員会から教員職が出向の形で出向いております。さらに、文書学術課の課員の中には、教育委員会県立学校課の指導主事が併任という形ではありますが籍を置いております。したがいまして、本県においては、私どもが教育委員会に求めるものはいつでも手に入る体制はでき上がっているというふうに思っております。

 さらには、県内九校の私立だけではやり切れないのが、組織立った教員研修です。校内研修はそれなりにはやっておりますけれども、学校を離れた教員研修はなかなか私学だけではやり切れません。この部分につきましても、例えば初任者研修や十年次経過研修等につきましては、教育委員会さんが企画、運営されているものに私どもの職員を入れていただいているというようなことからすれば、本県ではもう既にこの助言、支援というのは十分に受けているものと思っております。そういう意味からすれば、こうした文言に変わったということであれば、今行われていることがそのまま追認されていくというようなことではないかというふうに理解をしております。

 もう一つ、私どもで気になりましたのは、先ほど来話題になっております教員免許法、更新制の問題であります。この問題点につきましては、さきのお二方が既にお話しになりましたから、私は繰り返すことはいたしませんが、事私立でということで多少つけ加えさせていただきます。

 私ども私立は、先ほど申しましたような情勢の中で、毎年入ってくる生徒が五十人、百人規模で増減します。したがいまして、その増減をカバーするのは、どうしても非常勤講師にお願いをしなければならないという部分があります。そうしましたときに、仮に十年ごとの更新ということがこのまま進められるとすれば、いわゆるペーパー免許所有者ですね、この方々が確実に十年ごとに更新されるかどうかということです。いわゆるペーパードライバーが運転できなくなる、だけれども運転免許は持っている、何とか講習を受けて現場へ戻ってきていただけないかということが非常にやりにくくなると懸念されます。

 それから、これまでのお話の中にもありましたが、十年に一度ということになりますと、率からいいますと私学の中で毎年一割の職員が長期の研修で現場を離れるということで、教育というのは一番大切なのは教師と生徒との触れ合い、これなしにして教育というのは成り立たないとすれば、長期間にわたって教員と生徒が離れるというようなことはいかがなものか。そういうようなことなどを考えますと、私ども私学では、これが進められるとすれば、少なくとも今確保している常勤教師の五%以上は余計に確保しておかないといけない。それだけの財政的なものがこの後確保できるかどうか、少子化の中でできるかどうかということで大変懸念しております。

 もしこれがあるとすれば、先ほど財政的なものや講師の方々の確保といったようなものも問題になるとおっしゃいましたけれども、私どもではもう一つ、せめて、十年を飛ばして失効した者であっても再挑戦ができるように何とかしていただきたいな。今失効はしたけれども、もう一度何らかの講習その他で取り直せるというような道を開いていただければありがたいなというふうに思います。

 十年更新制を目指された教育本来の再生という目的からは瑣末的なことしか話をしておりませんけれども、実際現場で運営するときには、そうしたことも非常に気になるところであるということを御理解いただければありがたいと思います。

 ただ、これといわゆる非行その他によって免許失効することとは全く別の話だというふうに思っております。これはしっかりやっていかなければならないし、殊に、私ども私立というのは、先ほど言ったような条件の中で一つの教師の落ち度、失敗が学校全体にダメージを与える、そういうような意識で全教員が取り組んでいるところであります。

 そうした部分について強化していくということについては十分理解できるところであります。

 それから、最後に、評価の問題につきましては、私立高校はこのような厳しい条件の中にありますから、当然ながら自己評価はやっております。それをやらないと学校そのものが生き残れないと全職員は思っております。そして、今、このように情報化が進んでいる時代で、匿名の下手なブログ一つで学校がぶっ飛んでしまうという時代になっております。それがどんどんひとり歩きしています。したがいまして、私どもは、絶対そういったようなことに立ち向かえるだけの自己点検、自己評価、そしてみずからのしていることを訴えていく、これはどこの私学でもやっているところでありますので、この点についても御理解いただければと思います。

 以上であります。

大島座長 ありがとうございました。

 以上で意見陳述者からの御意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

大島座長 これより委員からの質疑を行います。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。馳浩君。

馳委員 きょうはよろしくお願いいたします。

 今回、政府提案のいわゆる教育再生三法と民主党さん提案の法律に関しては、時代背景として二つの要因が考えられると思っております。

 一つには、五十九年ぶりに教育基本法が全面的に改正をされたということを受けての改正。

 二つ目が、昨年、いじめ、自殺問題等が発生した、それに対応する学校当局、地方教育委員会の対応の仕方がマスコミ報道を通じて、こういうことでよいのだろうかという疑念が国民の中に生まれ、やはり国としての責任をどこかで果たさなければならないのではないかという世論に後押しをされた部分があったと思います。

 そしてもう一つは、私学を中心とした未履修問題でございます。

 私も、大変言語道断であり、情けない話だと思っておりましたら、実は私自身も、石川県の星稜高校、私学の出身でございますが、体育と音楽が未履修の段階で卒業しておったということがわかりました。もしかしたら、これは長年常態化しておった、わかっていながらも何となく暗黙の状態であった問題であり、根が深い問題なのかなということを思い知らされ、であるならば、今後、私学に対する教育行政の指導のあり方がどうあるべきなのかな、こういったことを背景に今回の法改正に結びついてきたのではないかな、こういうふうに時代認識をいたしております。

 そんな中で、まず森陳述人にお伺いいたします。中核市でありますので、人事の問題での御見解を改めてお伺いいたします。

 研修権を持っておられますね。富山市が研修権を持っているということで、こういう工夫をしている、ああいうこともできるというプラスの面と、研修権をくれるんだからほかの人事権も欲しいな、こういう御意見がありましたら、お伺いしたいと思います。

森雅志君 今御質問いただきましたことで、まさにそのものを象徴するようなことが一度ございました。

 平成十四年だったと思いますが、市内の小中学校に外国人のALTの方が来て英語教育をやる、それを小学校に拡大しようとするときに、小学校教諭の皆さん方の多くが英語に対してしり込みしてしまっている中でALTの方だけが子供と授業をやっている、現場の問題があるということに気づきまして、ぜひ市の単独の事業として、市単の事業として、富山市の学校に勤務する小学校教諭を例えば二週間、三週間外国へ派遣して、夏休みに研修をするとかということをやりたいと私自身は強く思ったわけです。それで、制度をつくってほしいということを教育委員会にもお願いしましたが、確かに研修はできる、しかし、外国へ派遣しようとする、あるいは国内留学であっても派遣しようとするときのいわゆる旅費の部分については人事権との絡みにおいて執行が難しいんだというお話で、頓挫したことがあります。

 後で詳しく文部科学省さんにお聞きすると、それはやってできないことはなかったということは確認はしましたけれども、しかし、やはり県の教育委員会との関係においてそういう難しさを感じた次第であります。

 幸い富山市は市が設置運営しております外国語専門学校を持っておりますので、そこへ夏休みに派遣をして、小学校教諭にも英語の研修をしてもらうという、これはある意味で独自の研修として実施をしています。こういったことにつきましても、人事権とセットで運営させていただくとすれば、今言ったような問題などにもっと積極的に富山市独自の研修というものを展開できるのではないかというふうに思っています。

馳委員 改めて森陳述人にお伺いいたします。

 人事権といえば、分限免職もありますし、懲戒等もありますし、そもそも採用という問題もございます。富山市の行政能力で採用、人事異動の業務を円滑に遂行できるという自信はおありですか。

森雅志君 採用試験についてどうしていくかということは、具体的なテクニック、ノウハウだろうと思いますので、そのことはそう問題なく実施できるのではないかと思います。

 問題は、異動につきましても、先ほども言いましたが、事実上、市の教育委員会における内申というものがまずあって、それを県の教育委員会に上申しながら具体の教員人事というのは動いているわけですから、学校間のばらつきのないようにとか、あるいは適材適所というようなことにつきまして、市の教育委員会で十分対応できるのではないかというふうに思っています。

 しかし、それよりも、富山市に人事権があるという中で採用試験を受けようとする人の意欲といいますか、将来にわたって富山市の教職員であるという思いで奉職しようとする者と、県の中でどちらへ異動されるかわからないという思いで仕事につこうとする、受験をしようとする者の思いという意味では、やはり意欲について非常に大きなものを期待していいのではないかと思います。

 加えて、採用する側の方からいいますと、施設整備は義務だ、人事権はないという今の状況よりも、全体が一本化される、パッケージされることによって物も金も人も包括的に管理できるということのもたらしてくれる利益の方がはるかに大きいのではないかというふうに思います。

馳委員 八木陳述人にお伺いいたします。

 以前は県の教育長をしておられたというふうに伺っておりますが、それでよろしいですか。

八木近直君 よろしゅうございます。

馳委員 では、今の森陳述人の御意見については、日常的に富山市の言い分というのはよく御存じだと思います。

 そこで、実は同じような問題は石川県と金沢市でもあります。人事調整機能、人事調整機構という形で、いわゆる過疎地域とか規模の小さな市町村と中核市等との人事の交流を担保しながら、身分は県の教職員、でも勤務しているのは市町村立小中学校というのは、これは帰属意識の問題にもかかわって、教職員のモチベーションにもかかわる問題ではないのかな。そういうことを考えると、いわゆる中核市には一定の人事権を与えてもよいのではないかという意見もございます。そういった点、中教審でも議論が進んできた中で、経験者として八木陳述人の御意見をいただきたいと思います。

八木近直君 中核市などに人事権などもセットで付与するという問題でございますけれども、特に今の富山市などは、市町村合併の結果、非常に大きくなっております。逆に申しますと、富山県のほぼ三分の一ぐらいが今や富山市になっているわけであります。

 これは以前からもあったのでございますけれども、県は県全体のこともやはり目配りをしなければいけない。そういたしますと、現状でも、他の市町村教育委員会などでは、富山市なりあるいは中核市なりだけに囲い込まれるような形では困るという意見はまだ非常に強いのであります。ですから、そこの異動が可能であるような事柄を担保するといたしますと、今の制度はその意味ではうまくできている、そのようには思います。

 ただ、森市長さんなどがおっしゃったようなお考えは、それはそれで一つの御見識だと思うのです。ですから、それでうまくいくような形の制度設計というものを考えないと、直ちにそういう方向に飛び込むのはちょっと問題がまだあるかなという気がいたします。

 なお、身分は、一応、県費負担教職員制度の場合にはすべて県において採用も行い、それからということに相なりますが、私自身、採用されて最初に赴任いたしましたのは当時の石動町であります。それから今度は県立学校の方に異動をいたしました。その間のことなどを考えますと、必ずしも帰属意識が高まらないということではあるまいというような気はいたします。ただ、これは個人によっていろいろと違うだろうと思いますので、一概には申し上げることはできないと思います。

 そういう状況でございますから、もう少しよく考えて進めなければならない、それから、個々の問題は当事者でよく話し合って決めていかなければならない、当面はそういう考え方で進むのが妥当ではないかなというふうに思います。

馳委員 八木陳述人はもう少し時間をかけて当事者でよく話し合ってというふうにおっしゃいましたが、改めて森陳述人に伺います。

 どのぐらい時間をかけてやればよいのかな。そして、当事者同士、つまり、富山市長であるならば富山県知事、富山市に教育長がおられるならば富山県の教育長とこの人事権移譲の問題で直接意見交換をし合う、ぶつけ合う場というのはあるのでしょうか、お伺いしたいと思います。

森雅志君 先ほど申し上げましたのと違う角度からいいますと、都会には多様な教育機会があります、間口が広く、建学の精神がいろいろある私学というものがたくさんある。しかし、地方へ行きますと、勢い公立学校というのが大宗を占めているわけです。したがいまして、そういう中で選択肢としての多様性というものを教育現場にも導入しようとするならば、県の教育委員会のお立場からいうと、県内の市町村の現場で提供されている、展開されている教育の中身が、なるべく均質で、同じもので、ばらつきがない方がいいというふうに発想されるのは、それはそのお立場上当然だろうと思いますが、しかし、それではその選択肢しかないということが一層強まっていくわけで、私は、せめて市町村が独自でやりたいと思っている単独事業その他についてもう少し柔軟に展開できる方向というのは今こそ必要ではないか、基本的にはそう思っています。そのために、そこを突き詰めていくと、やはり中核市に人事権をいただくことによって、先ほど言いましたようなことなども含め、さまざまな教育の態様というものができてくるということの持っている意味は大変大きいというふうに思います。

 これは、だからといって待っていても、確かに御指摘のとおりいつまでも立場の違いということはなかなか乗り越えられない。少なくとも、富山県の三分の一である富山市に教員の人事権が移譲した場合に、こういう問題がある、こういう問題がある、こういう問題があるということについてはやはり協議をしながら、それでは解決策はどうするのかとか、あるいは違う考え方からするとこういうことも言えませんかというようなことなどを協議していくことは大事だろうと思いますが、それは現場の問題で、制度として教員人事権というものを、まずは順番に、政令指定都市には今もう既に実現されているわけですので、次に中核市に移譲するという方向での議論をぜひ検討していただきたいということが先ほど申し上げた趣旨であります。

 もとより公式なテーブルとして県の教育委員会や県とそういうお話をするということは今ありませんけれども、個人レベルにおいてはいろいろとお話をしていくことは十分可能だろう、このように思っています。

馳委員 参考になるかどうかわかりませんが、離島などの多い長崎県は、県の教育委員会と長崎市の教育委員会でお互いに話し合って、一定期間は離島に必ず勤務をするというようなことを取り決めをしながら、今人事のやりくりをしておられます。そういった観点から、中核市に人事権を移譲していただけるならありがたいけれども、今はうまくやっておりますというふうなところもございます。そういう意味では、今後、中核市の富山市側と富山県教育委員会側がさらに一層突っ込んだ話し合いがなされればよいかな、こういう印象を持ちます。

 最後に、西川陳述人にお伺いをいたします。

 昨年、未履修問題は、実は富山県が出発点でありましたが、西川校長の学校にも未履修問題はございましたか。

西川弘君 はい、ありました。

馳委員 前から知っていましたか。

大島座長 馳君、ここは追及の場ではないので、優しく言いなさい。(馳委員「わかりました」と呼ぶ)

西川弘君 前からあることは知っておりましたので、是正を進めている最中でありました。

馳委員 要は、私学の独自性ということからいえば、未履修は確かにけしからぬ問題ではありますが、学校長も、教職員、特に進路指導の方々は、学習指導要領が三割削減された中で高等学校に進学してくる子供たちの学力の確保ということを考えたら、私学という独自性の中で、学習指導要領を三割削減されても大学受験の厳しさ等は変わらないわけであって、やむを得ずという側面があったのは、私はよくわかるんです。

 ただし、次の問題があるんですね。教育行政の指導とか援助ということに関して、日常から私学の現場が、これは教育委員会と言ったらいいんでしょうか、より具体的な教育行政の指導や援助を受けられる体制にあったのかなと。

 都道府県においては私学助成のお金を何か配るだけの役割があって、総務部で担当しているという言われ方をしてまいりました。実は、そうではなくて、私学の現場にも地方教育行政のきめ細かい指導があった方がよいのではないのかな、その窓口を今回の法改正によってより一層開いていくべきではないかな、こういう見解もあったわけでありまして、改めて西川陳述人に、今回の法改正を大きなお世話と思わずに、より前向きに教育現場での円滑な教育行政の業務執行に生かしていただきたいなと私などは思うのですが、いかがでしょうか。

西川弘君 私の学校のことでありますので、参考になるかどうか。

 多くの学校は世界史の未履修というのが大半であったんですが、私どもの学校は日本史の未履修でありました。これは、私どもの学校は名前が「国際」とついております。私どもの学校はこの名前を持っている限り、何があろうとも世界史はきっちり学ばせようと。これが、ある意味で私ども私学としてのこだわりでありました。その結果、日本史は全部取れなかったというのが実情でありまして、必ずしも大学入試というようなことではなかったのでありますが、現実問題として、指導要領に違反したことは確かであります。そのことは、前からそうしてきておりましたが、これを二年前から是正してきていたんですが、最後の学年、一個学年だけまだきちんと整理されていなかったというのが実情であります。

 私どもでは、古い時代にはかなりそういったことがありましたから、だからこそそういうものをなくそうという、生徒に遵法精神、規範意識、これを守らせようとするならば、まずこちらがという姿勢をつくっていかなければならないというような意味合いで進めてきていたところであります。きちんとそれがやり切れなかったということに問題があったということで、大変御迷惑をおかけしたと思っております。

馳委員 終わります。

大島座長 次に、野田佳彦君。

野田(佳)委員 民主党の野田佳彦でございます。

 きょうは、三名の意見陳述者の皆様には、大変お忙しいところ、公聴会で貴重なお話をお聞かせいただきまして、冒頭心から感謝申し上げたいと思います。

 民主党の持ち時間も二十分なんですが、委員が二人おりますので、十分ずつに分けて行います。簡潔に質問をさせていただきたいと思います。

 まず、森市長にお伺いをしたいんです。

 きょう午前中に学校現場を見学させていただきまして、富山市が独自にスクールサポーター制度を導入して特別支援要員という、国の制度に先駆けてこういう試みもされたことに大変感銘を受けました。

 加えて、市長のお話をお伺いしていますと、文化、スポーツが首長の担当になったことは評価できるというお話もありましたし、中核市以上の教職員人事権の移譲のお話もございました。学級編制権もセットというお話もありましたし、馳議員とのやりとりの中で自分たち独自で教育行政を担当したいという思いの強さを先ほど来強く感じているんですが。

 だとするならば、今回、教育委員会のあり方が問われているんですけれども、規制改革会議や地方制度調査会等では教育委員会の必置規制を見直すという議論もありました。自治体の長の方の中では必置規制見直し論者という方は結構いらっしゃいます。民主党は教育委員会の廃止論まで言っているんですが、森市長のお立場では教育委員会の必置規制をどうお考えなのか。教育委員会を残してもいいけれども、場合によっては直轄で教育行政を担当するぞという自治体があってもいいと思うんですが、市長の率直なお考えをお聞かせいただきたいと思います。

森雅志君 その議論は市長会の中でも随分熱心にされてきておりまして、結論から言いますと、私は教育委員会は必要であるという考え方であります。

 それはなぜかということを申し上げますが、教育委員会を必置から外して、例えば市長部局で教育部みたいなものをつくって他の行政と同じようにやっていくということになりますと、選挙で選ばれる市長が、教育の中身も含めてすべての責任を持ち、かつ、執行権を持つということになります。それはそれで人さえ間違いなければ別に問題ない、合議制じゃなくてもいいんだということも議論としてはあり得ると思いますが、しかしながら、選挙で市長が選ばれる、あるいは首長が選ばれるという、その選挙の際に、しばしばある争点がクローズアップされて選挙をされるということが起きているのが現実だろうと思います。

 その教育のあり方というものが争点であって、多様な候補者の中から市民が選んだということであれば、それはある程度まだ許せるかもしれません。しかしながら、教育とは全然違うことが大きな争点としてクローズアップされた選挙によって選ばれた市長が、その方の教育に対する考え方や方針が明確に市民に示されない中で教育行政も執行していくことにつながりかねないということについて非常に大きな心配というか懸念を感じるわけでして、市長が教育委員を順番に任命をしながら、その選ばれた教育委員の合議制によって展開していくという今の教育委員制度というのは、ある意味で首長の思いというものも人事の中において一定程度発揮されながら、しかし、選ばれた教育委員に対しては独立性を持ってやってもらうというような形の今の制度は、それで大いに意義があるのではないかと個人的には思っております。

野田(佳)委員 本当はそれにまたひっかけて質問したかったんですが、限られた時間なので、お一人ずつ進んでいきたいと思います。

 次に、八木教育委員長にお話を聞きたいと思うんです。

 私の父も富山県の出身でございまして、第二のふるさとなので愛情深い質問をしたいと思っていたんですが、ただ、未履修の問題については、先ほどおわびの言葉、反省の言葉もあったし、これから二度と起こさないという決意もございましたが、これについてはやはり触れなければいけないなと思いますので、その点についてお尋ねをしたいと思います。

 昨年のたしか十月の初めに高岡南高校で端を発して、まさかとは思ったんですが、燎原の火のごとく全国に広がって大きな社会問題になりました。この未履修の問題というのは、まさに日本の抱えている教育課題をいろいろな角度から象徴的に映しているようなテーマだったと思うんです。この未履修問題について、富山県の教育委員会はどういう議論をし、どういう総括をされているのか。先ほど国への要望も出されたというお話がありましたので。

 ところで、今回出てきている教育三法、地教行法は、いじめや未履修に対する処方せん的な扱いで言われることもあるんですね。この未履修問題への対応として、今出てきている法案をどういうふうに評価するのか、特に地教行法。果たして本当にこれで効果があるのか、富山県の総括とあわせてお話をいただければと思います。

八木近直君 この問題に対する教育委員会の対応でございますけれども、第一に考えたのは、直ちに子供たちをちゃんと卒業できるようにしなければならないということであります。第二には、こういう問題が起こった背景というものをよくよく調べなければならない、そうしないと、再発防止策というものもいいかげんになってしまうというようなことを考えた次第であります。

 子供たちをちゃんと卒業させるという点については、文部科学省などもいろいろ御心配をいただいて、それで、本県の場合、補習授業なども行って無事卒業させることができました。この点はまことにありがたかったと思っております。

 そこで、その背景などについて考えたときに、一つには、教育委員会がなすべきことをしていなかったんだ、こういうことは間違いなくあると思います。したがって、まず教育委員会がみずからの姿勢を正さなければならないということを考えているわけであります。同時に、学校において、子供のためであれば法令の違反などは少しぐらいはいいのだという考え方がなかったかといえば、やはり少しあったのではないか。それはだめだということを徹底しなければならない。そういう意味合いで、学校への立入調査であるとか、それらの件につきましてもいろいろと細かい点で、例えば教科書をどのように注文しているかとかということまでちゃんと調べるという話にしているわけであります。

 一方、学校がそういうことにまで踏み込んだゆえんのところをいろいろ考えますと、確かにそれは、時間数が減っているとか、それに対して大学が要求するところのものが余り変わっていないとか、そういう問題があることはあるんです。そこで、有識者会議を設置いたしまして、そういうことについても御議論いただいて、その結果などを踏まえた上で、国へも御要望を申し上げたという形になっております。

 今後、そういった事柄については私自身が校長会などで話もいたしましたし、毎年毎年のことでありますので、そういった調査などのシステムはずっと続けていかなければならないだろうと思っているわけであります。

 今後の問題として一番大きなことは、やはり信頼というものがないと教育はそもそも成立しない。信頼を失うのは一日でできますけれども、失われたものを回復するには、とても一日や二日ではできない。だけれども、それについて何らかの特別な処方せんがあるわけではない。なすべきことをずっとやっていくということ以外にはあるまいと思っておりますので、今後ともそのような姿勢で進んでいきたいと思います。

 地教行法との関係で申し上げます。

 地教行法などについて特にこのような改正案ができたことについて、私どものような未履修の問題なども深くかかわっているということは重々承知をしております。したがって、言ってみれば、いろいろな規定が生じなければならなかったゆえんに、教育委員会というものに対する一般的な不信の念があったということは否めないのではないかと思うのです。でありますから、その点についてはみずからの姿勢を正し、進めていかなければならないというように強く感じております。

 一方で、例えば地方分権ということが叫ばれているこの時代にあって、今の法案では非常によくなっていると思いますので、先ほどちょっと触れましたけれども、地方自治法との関係で、二百四十五条の五というものでございますけれども、そういう範囲内におさまっているような改正案が示されているわけでありますから、これは教育委員会としては受忍しなければならない、当然のことではないかというようにも思うわけでございます。ただ、実際の運用に当たっては十分に御留意をいただければありがたいなというように思っております。

 以上でございます。

野田(佳)委員 西川さんにもお聞きしたいと思ったんですが、時間が終わりました。

 どうもありがとうございました。

大島座長 次に、田島一成君。

田島(一)委員 民主党の田島一成でございます。

 本日は、お三方、貴重な御意見をありがとうございました。私の方からは、野田委員に引き続き民主党からということで質問をさせていただきたいと思います。

 冒頭の意見陳述の中で、森市長さんの方が免許更新制のことについて触れていただきました。十年という節目での更新制が果たしてどこまで指導力不足と言われている現状を補えるか疑問だというふうな問題提起をしていただいたわけでありますが、その一方で十年間を振り返る絶好の機会だというような見方もお持ちだというふうに承ったところであります。

 現在でも五年研修であるとか十年研修というものが経験者の中では行われているわけなんですけれども、ある意味では、振り返る機会は今でも十分保障されているのかなというふうに思うわけですね。それよりも、今指導力が不適切な教員と言われている方々を一人でも生まない対策が必要ではないかなというようなことから、民主党の免許法の中では、教員採用試験を受けるまでの、いわゆる学士四年間に加えて修士二年間をしっかり身につけた方々に教壇に立っていただこうというような免許制度を提案させていただいたところであります。

 教員の資質を高めていくこと、これは森市長もおっしゃったとおり当然のことではありますけれども、なかなか自信を持って教壇に立てないというような現状等々からすると、ある意味では、今回の政府案のように十年間という出口でのチェックよりも、入り口のところでしっかりと資質の高い先生方に教壇に立っていただくということが大切ではないかというふうに私は考えますが、森市長さん、そして、できましたら八木委員長さん、あわせて西川校長にも、お考えをぜひお聞かせいただきたいと思います。

森雅志君 結論から言いますと、ある種妥当性の議論をなさっていると思います。その理屈で言うと、八年はもっといいんじゃないかということになるわけです。問題はそういうことではないと私は思います。仮に三年であろうが四年であろうが五年であれ、真に教育者としての資質をその人が備えているかどうかということを採用者側がどういうふうな目で判断をして、採用、不採用を決めていくのかということだろうと思うことが一つです。

 冒頭でも申し上げましたが、知識、技能ということだけが教師の資質を決めるすべてではないと思います。年数を経るごとに教員として円熟していくという職業ではないかというふうにも思いますので、学校の中で経験を経た人、あるいはまさにフレッシュな人、そういったいろいろな方々が相まって学校としての教育の質を高めていくことが大事ではないかと思っています。

 したがいまして、仮に十年での更新であれ、採用の際にもう少し厳しくするという考え方であれ、大切なことは現場に質のいい教員をどう確保するかということですので、今言いましたように、四年より六年がいいじゃないかと御質問されると、それは余り意味がないのではないか、少し強い言い方になりますが、こういうふうに思っております。

八木近直君 教育を行う当事者として、教員の資質というものが非常に大きな意味を持っておるということは全くお説のとおりなんです。ですから、そのような意味合いで、非常に質の高い教員というものが必要だという御意見、したがって、そこから生じてきた民主党案というものはその点ではまことに立派なものだと思っております。

 ただし、実際には、修士であれば、そういうふうに入り口のところで立派にするとうまくいくかというと、それは必ずしもそうはまいらないというのが実態でございます。いかなる集団であれ、そのときにはよかったのですが、何年かたった場合にどうもぐあいの悪い人が出てくるということはあり得るように思います。

 ですから、そこのところで、考え方は大変いい点があると思うのですが、実際に行うとなると、それに見合っただけの、つまり二年ふやしたということで実際に必要な人間が確保できるだろうかとか、そういう実務的な問題がやはりそこに含まれてまいります。そういうような点をもうちょっと考えないと、ぐあいが悪いかなという気がしているのであります。

 以上でございます。

西川弘君 私、現場で若い先生方を毎年見ますけれども、後でこれはと思うのは、最初に入ってきてすぐ自信を持っている先生。どこからこの自信が出てくるのかなと。よく見ますと、大学を出て二十二、三、高校生といいますと十七、八、それだけの年代の違い、差というのは先生にとっては大変な財産になるんですね。それだけで生徒はついてきてくれる。それで自信を持つ。それはそれで結構でしょう。それからもう一つは、今の生徒諸君というのはどんどん学力的に幼くなってきています。そうしますと、わずか四年間の大学の差がかつて以上に先生と生徒のいわゆる学力差を大きくしています。そうしますと、極端な話、自分で教材研究しなくても、ちょっとしたことならやっていける。そしてもう一つは、マニュアル化という中で自分がやっていけるという変な自信を持って、みずからを磨くということが失われていく。そういうところに今の若い先生方が失敗する例をたくさん見ます。

 やはり自分が教師として日々研さんをする。私はそのためにそういう先生方には幾つかのことを言っております。まず、勤めた以上はこの学校は自分の母校だぞと。先輩の先生方から盗めよと。それから、社会人になった以上は、もはや学生じゃないんだから、先生として一人前になる前に社会人として一人前になれよと。そのためには、本を読みなさい、芝居を見なさい、音楽を聞きなさいというようなことなどを、自分ができるかどうかというのは別として、言わせてもらっています。

 やはり、なって、それから成長してくれる、実際の現場の中で育ってくれる、それが本当の先生になっていくというふうに思います。

田島(一)委員 あと一問、新しい職の設置について、八木委員長にぜひお尋ねをしたいと思います。

 先ほどの御意見の中でも、いわゆる定数措置であるとか予算措置が必要だというようなことをおっしゃっていただきました。その冒頭には、本当に円滑になるのかというような疑問のお答えもあったかというふうに記憶しております。

 私ども、今求められている副校長であるとか主幹教諭制度の導入、それ以上に、実際に現場では子供たちや家庭との対応に追われ、日々の教材研究以上に事務的な仕事量が非常にふえて、煩雑で休む時間もないといった教育現場の声を耳にいたします。午前中視察におじゃました小学校でも同じような御苦労をされていて、休み時間は休み時間で運動会の練習をされていたり、先生方も休む暇がない、そんな時間を目の当たりにしてまいりました。

 そう考えますと、新しい職を設置する以上に、教員の増員であるとか、カウンセラーであるとか事務職員の増員といったところに私は本来メスを入れるべきではないかなという視点で今回のこの新しい職の設置の議論に加わっているんですけれども、現場の先生方や学校を見ていただいていてどのような御感想をお持ちか、お聞かせください。

八木近直君 新しい職についてでございますけれども、現在の学校は、一般の教諭、教頭、校長という形になっております。そのことは、一つの観点から見ますと、全員がほとんど子供たちに向き合うことができるというような面では利点は確かにあろうかと思いますが、一方で、今新しい職を入れますと、学校が機動的に運営などに対応できるというような面は確かにあろうと思うのです。現在のような三段階しかない形よりも、もっといろいろな形があった方がそれはよいだろうと思います。

 ただ、先ほど申し上げましたのは、今の定数なりなんなりの中で行うということになると、現場の苦労というものがさらに拡大することに終わるおそれがある。そういう点で、やはり適切なる処遇と適切な定数措置というものがあれば、もっとうまくいくだろうなという感じがするということを申し上げたわけであります。その思いは変わっていないわけでございます。

田島(一)委員 ありがとうございました。終わります。

大島座長 次に、伊藤渉君。

伊藤(渉)委員 公明党の伊藤渉でございます。

 引き続き、陳述人の皆様に御質問させていただきます。

 まず初めに、重ね重ね、きょうはお忙しい中をお時間をちょうだいして大変ありがとうございます。

 まず、今回の文部科学大臣の指示ということについて、森市長にお伺いをしたいと思います。

 森市長におかれましては、国土交通委員会でも、この富山市は非常に先進的な公共交通の取り組みということをされておりまして、さまざま貴重な現場での実践の結果というのを教えていただきましたことを改めて御礼を申し上げます。

 今回の文部科学大臣の指示ということについては、私も抑制的であるべきであるという見解の持ち主でもあり、なおかつ、地方自治法の範囲内であるということが最大の要件であるというふうに考えてまいりました。そこで、改めて確認の意味でこの点について御質問をさせていただきます。

 まず、この地方自治法の一般原則、釈迦に説法になって大変恐縮ですけれども、自治事務への国からの指示については、国民の生命、身体または財産の保護のため緊急に自治事務の的確な処理を確保する必要がある場合等、国が必要と認められる場合に限定的に可能となっている。これが地方自治法の一般原則でございます。その上で、この自治事務について是正を行う指示については、地方自治法を根拠としてこれを行うことができずに、その関与のあり方については二百四十五条の二「関与の法定主義」というところで個別の法令の根拠を必要とするということが書かれているので、今回、改めてこの点について地教行法に明文化をした。よって、今回は明文化をしたんですが、あくまでこれは地方自治法の基本原則の中の話である、こういうふうに私は理解をしておるんですが、この点について市長の御見解を改めてお伺いいたします。

森雅志君 冒頭申し上げましたが、つけ焼き刃みたいにして表面的に学習をしてきてここに臨んでおりますので、逐条的な細かい解釈についてまで私見を述べる能力はありませんが、ただ、今先生がお話しでございました内容を伺っておりまして、法律の解釈としては御指摘のとおりだろうと思います。

 位置づけからいうと、最初に地方自治法があって、その中で条文上要請している規定をここに設置しようということでありますから、そうすると、自治法の範囲の外へ出るものではないと考えるのが妥当ではないかというふうに思います。

伊藤(渉)委員 ありがとうございます。

 この点についてはずっとこだわって国会の質疑でも確認をしてきた内容なので、改めて御確認をさせていただきました。

 もう一点は西川学校長にお伺いをいたします。私立学校に関する教育行政というところで、先ほど陳述の中でもおっしゃっていただきましたけれども、この点もお伺いしていて少し気になりましたので確認をします。

 我々も、私立学校というのはあくまで自主的に教育を行っていただくという意味で、私立学校に対する国との関係というのは慎重であるべきだというスタンスで常に議論をしてまいりました。

 改めて私立学校に関する教育行政の法文の要約を少し読ませていただきますと、あくまで主語は知事でございますね。「知事は、私立学校に関する事務について、必要と認めるときは、教育委員会に対し、学校教育に関する専門的事項について助言・援助を求めることができる」。つまり、あくまで知事が教育委員会に聞く。私立学校は知事部局の所管でございますので、あくまでこの関係に変化はないということで私は理解をし、であるからこそ、この条文については妥当であるという認識を私はしているんですが、その意味で、もう一度先ほどの陳述の内容をわかりやすく、その御懸念の向きがあるならお述べいただけるとありがたいと思います。

西川弘君 おっしゃるとおり、主語は知事であります。ただ、私どもは、実は、独善的にやっているつもりはございません。

 いろいろな疑念、疑義がやっていく中で生じてまいります。公立高校さんの場合ですと、それはそのまま教育委員会へ質問なり指導なりというような形でいけると思います。ただ、私どもではそれがなかなかそういう形にはいかないということでありますから、知事部局の所管のところへいって、その上で必要であれば教育委員会に聞いていただくという、この文章ではそんなふうに理解しております。

伊藤(渉)委員 つまり、はっきりと条文には書かれていないわけですが、今学校長おっしゃっていただいたとおり、私学の自発的な行動をどこまでも尊重していて、私学の方が知事に聞いていただく、知事がそれに対応できない場合に教育委員会に助言を求めてその私学の求めに応じる、こういう姿になっているという理解を私はしている。同じですか。

西川弘君 私もそのように読んでほしいなというふうに思っています。

伊藤(渉)委員 その点が確認できれば結構でございます。ありがとうございます。

 次に、学校の多忙化ということが幾つかキーワードとして出てまいりましたので、この点についてお伺いをしたいと思います。

 きょう、先ほども別の委員からありましたとおり、富山市立桜谷小学校を視察させていただきました。その中で、授業を参観させていただき、また、六年生の子供たちと一緒に給食も食べさせていただくなど、非常に貴重な経験をさせていただきまして本当にありがとうございます。

 その中で幾つか先生からのコメントとして印象に残ったものを御紹介申し上げますと、先ほど学校長でしたでしょうか、学力的には幼くなってきているというようなことをおっしゃっていましたが、この小学校でも子供たちが以前に比べると全体的に幼くなってきているという印象を受けるということもおっしゃっておられました。

 また、それ以外には、保護者とのかかわりということに以前よりも大変時間をとられるようになってきた。これはいい意味でもあると思います、それだけ保護者の皆さんが学校に注目をされているということだと思いますので。ただ、例えばそのための取り組みの一つとして、そこまでやっているのかと思った事例は、毎日子供たちの写真を撮り、それを保護者の皆さんにきょうはこうでしたということをやっている先生もいると聞きまして、これは大変なことだなというふうに思いました。

 学校の多忙化という話は、ありとあらゆる局面で聞きます。当然のことながら、最も早い解決策は、やはり量の向上なんだろう。つまり、人をふやすということ。加えて、レベルも上げていただくということなんだろうと私は頭の中で思っていました。きょう、この学校を視察させていただく中で、これは校長先生にお聞きしたわけですが、校長先生が現場の教師として仕事をされていたときと今の先生方とどうですかということを実はざっくばらんに聞いてみました。校長先生のお答えはこうでした、今の先生方は大変によくやっています、昔の私ではここまでやれと言われたらどうだったかと。これが正直な校長先生の印象だったわけでございます。

 そういうのを勘案すると、私も自分の認識を少し改めておりまして、正直申し上げて、今、世の中全体が多忙化していると思っています。民間企業でも一緒だと思っています。団塊の世代の諸先輩方がある一定の年齢に達してきて、しかし、コストを抑えるというところで人を同じだけ投入することができずに、じりじりと人が減る中で同じ仕事をこなしていかなければならないというのは、決して学校現場だけではないと私は実は内心思っていました。しかし、きょう、また改めて現場を見せていただいて、先生方のお話を聞く中で、さらにその仕事の内容が多様化をして、従来よりも人が減りながら、やらなきゃいけないことがふえているというのが現場の状況なのかなというふうに。

 これはどこまでも、定量的な数値は少なくとも私は手元に持っておりませんので、難しいジャッジですけれども、端的に言うと簡単に先生の人数をふやすとかできないわけですね。だけれども、本当にそれが必要であれば、しかもそこをきちっと立証できるのであれば、やはり国として根幹にかかわる教育の問題ですから、これはまさに与野党を超えて取り組んでいかなければならない内容だと思っています。

 ちょっとここまで長くしゃべってしまいましたが、これは八木委員長と西川学校長にお伺いをしたいんですが、端的に、皆さんが教育現場を長い時間をかけて見られてきて、この変化はどうなのか、やはり最終的には人員の増加ということはどうしても避けて通れないことだと。現場を見ていてお二方はどうお感じになられるか、率直な感想で結構ですので、お聞かせをいただきたいと思います。

八木近直君 今委員がおっしゃったことは、大筋のところ私も大変もっともな話だと思います。現場について最終的には数がふえる、それはそれにこしたことはないと思うのです。ただ、実際問題としてそれがなかなか難しいということに相なれば、それに対する、例えば定量的その他それを補強するような資料というものが非常に出しにくいというのが学校現場というものではないかというような気がいたします。

 私は、昔、教員をやっておりましたとき、演劇部の指導など、自分では演劇などやったこともないのに、先輩の先生がおっしゃったためにやりました。当時のやり方から申しますと、そもそも汗をかく子供たち、つまり、バドミントンだのバレーだのを一生懸命やる者が全部いなくならないと、体育館などを使って、やれ照明の様子がどうのということはできないのです。したがって、そういう時期になりますと、私が帰るのはいつも九時半とか十時になったものであります。そういうことについて別段苦労だとは思わなかったということはあることはある。そういうような面はいつでもあり得る話だろうとは思います。しかし、それにしても、当時、私は保護者の方から帰りが遅いなどといって抗議を受けたという経験は全くないのです。そういう点は確かにちょっと違ってきたかなという気がいたします。

 さような次第で、根本的な解決のために人員の増は必要なことだなというようには思いますが、それが社会全体としても非常にできないということに相なれば、今行っているような、教育委員会としてなすべきことは例えば報告書類などはでき得る限り厳選をするとか、あるいは学校などにおいてもいろいろと協力をして、例えば作文の依頼であるとか図画の依頼であるとかというのは、このたびのどこどこさんのものはこの学校が引き受ける、どこそこさんのはこちらの学校が引き受けるというような工夫も必要になるのではないかというような気はするのであります。あるいはまた、OBや何かのボランティアの活用とかというようなことは、それは仕方がない、やらなければならないだろうと思います。そういったことをどんどんやっていった上で、なおかつどうしてもパンクするということに相なれば、先ほど申し上げたような人員増というようなところに行き着かなければならないことにはなる、さようには思っております。

西川弘君 大変難しい問題ですが、一言で言いますと家庭、地域の協力、これを回復すれば問題は解決するんじゃないかなという気はします。

 私も若いころは部活動の指導をやり、毎日生徒の面接をやり、それでいて、口幅ったいですが、自分の教科の独自の研究もできた。今、なかなか今の先生方にそれだけのことを要求できません。実際に抱えている仕事は多いですし、その大半は生徒のためであると同時に保護者のためという部分もかなりある。そういう依頼心の強い保護者を育てたのは、私ら年代の教員の責任ではありますけれども。

伊藤(渉)委員 率直な御意見、ありがとうございます。

 まさに私が今四十少し前でございますので、その年代になってくるんだろうと思います。確かに、今、依頼心が強い、依存心が強いというか、自分の責任じゃないというか、そういう傾向は認めざるを得ないかなと思うところもあります。

 きょう、学校を視察させていただき、そのお話の中で、まさに家庭教育というか、そういうところにまで踏み込んでいかなければならない時代になってきた。実は、きょうお越しの馳議員と民主党の皆さんと超党派で、この学校教育ということとは少し違いますけれども、児童虐待ということについてもさまざま勉強を重ねてきております。その中で、実はこの四月から、こんにちは赤ちゃん事業といって、子供が生まれた御家庭にまさに家庭訪問をして、お子さんはどうですかみたいなことを行政サービスとしていよいよやるということになっております。これは多分昔であれば家庭の問題であり近所の人たちの問題であったものが、いよいよ行政サービスとして取り組んでいかなきゃならない時代に入ってきたのかなというふうに思っています。そういう意味で、難しいのは、学校側としてもいろいろな取り組みをされていると思うんですけれども、学校が学校という場所で受け身で待っていると一番聞いてほしい保護者に届かないという現実があるということも、実はきょうの現場の視察の中で先生のお話からお聞きをしました。

 これは、やはり西川学校長にお聞きをしてみたいんですけれども、まさに一番聞いてもらいたい保護者への、学校が家庭教育というところまで踏み込むのかどうかという議論もありますけれども、そういった取り組みを何かされていればぜひ御参考までにお聞かせをいただきたいと思います。

西川弘君 私たち、基本的には、保護者を教育するというわけにはいきません。保護者にはあくまでも子供のためにお願いをするという立場を絶えず貫いているつもりであります。ただ、例えば保護者の方へいろいろな御連絡をしても、一番聞いていただきたい方のところへは一番届きにくいというのは事実であります。

 学校の方としては、従来は生徒を通じて文書を持たせる、これはまず親元へ届きません。そうしますと、この後は、電話でこれこれのものを持たせたから読んでくださいと。最近では、もしよろしければと、個人情報のこうした時代ですから、本人の了解をとってメールアドレスを聞いた上で連絡をするというようなところまでやっております。ですが、そういう御家庭というのはやはりお忙しい、メールもなかなか開いていただけないということで、最終的には家庭訪問、そういったような古典的なやり方でやっていかざるを得ないというのが実情です。

伊藤(渉)委員 ありがとうございました。

 私の全般的な印象ですけれども、時代の流れとともに、まさに本来家庭にあったもの、地域にあったものを、行政のサービスあるいは学校側の取り組みの一環として請け負わざるを得ない状況があるのではないか。もしそうであれば、それを補うに足る人、物を増強していくという方向は選択肢の一つとして十分とり得るのではないかと私は個人的に思っているということを申し上げまして、私の質問を終わります。

大島座長 次に、石井郁子君。

石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子でございます。

 本日は、三人の方々、それぞれのお立場からの貴重な御意見をお述べいただきまして、本当にありがとうございます。

 国と地方の教育行政のあり方、あるいは責任、権限の分担といいますか、どうあるべきかというようなことも今回の法改正の中での論点の一つ、焦点の一つになっているというふうに認識していますけれども、初めにその点から伺いたいと思っております。

 森陳述人に伺いたいと思います。

 一般論として、日本の教育行政が、国、都道府県、市町村、学校、こういう上意下達の仕組みというかシステムになっているじゃないかということが言われますけれども、地方から見ると、具体的にどういうあらわれ方をして、やはりその点はまずい点だ、あるいは改善すべき点だというふうにお感じになっていらっしゃるか、率直なところをお聞かせいただきたいことが一点。

 続けて、もう出ておりますけれども、今回、地教行法四十九条、五十条での例の是正の要求と指示が、これは国が要求するという形で新たに加わったわけですね。この点で先ほど冒頭の御意見をいただきましたけれども、森陳述人は、これが本当に国の責任の果たし方としてどうなのか、条文化までする必要はないのではないか、現行法でいけるのじゃないかということをちょっと言われましたので、どういう点でこのままでいいのかということをもう少しお聞かせいただければと思います。

森雅志君 私の立場からは、教育の内容についてまで論評する立場ではありませんので、制度論というか、そういう範囲でしかお答えできないということだろうと思います。

 基本的な一本通った考え方というものは、やはり国の中に教育全体の基本をきちっと示したものがあって、それは当然のことだと思いますので、したがって、学習指導要領を初め教育基本法の考え方というものがまず示されて、それを踏まえながら、現場でそれをベースとしながら独自性をどこまで発揮できるかということなんだろうと思います。

 その象徴が、一番わかりやすく言うと、先ほど来議論のあります公立と私学との建学の精神の違いというようなものは、現場の教育の内容に反映されていく、反射されていくのは当然だろうと思います。ですから、一本貫いているものがまず踏まえられて、その上で派生して色彩については独自性が出される、そうあっていいのではないかと思います。その際に、手続あるいは伝達の仕方、そういったところにどうもスピード感がないという感じを受けているわけでして、そこをもう少しスピード感を持って現場ができるようにしていくということだろうと思います。

 例えば富山市の教育委員会は、去年から始めて、ことしから夏休みを五日間短縮する、夏休みを短縮してそこで授業日数を確保する。行事が多いからとかいろいろな現場がある。こういうことについては市の教育委員会の判断ですぐにも実施できるということ。ところが、それはできるのですが、人事権に絡むことになるとできてこないというようなことなどは先ほど来申し上げたように感じているわけでして、そういう関与という意味では、なるべく現場に任せていける範囲のものは任せていくということが望ましいのではないかと思います。

 さて、その際、後で御質問になりましたことですが、つまり、今この条文が要請されている背景にあるものは、冒頭のお話にもありましたが、地方教育委員会の中にはその対応にかなり問題があるというようなところが、制度的にはそんなことはないはずですが、現実に起きてきた。そのことを踏まえて、それではそれを放置しておいていいのかというような御議論だろうと思うのですが、当然の法理として、制度が期待しているように一つ一つの教育委員会が機能していないとすれば、それはあくまで独自に動いていい教育委員会だと、独立性があるとは申せその五人の教育委員に任せておいたのでは、国民、市民の期待にこたえられる行政を展開できない。その蓋然性が高いとすると、かなり限定的な縛りをした上で、上から、上というのは文部科学省であり県の教育委員会なり、さまざまな形で単位教育委員会に対して指導助言するということは当然のことだろうと思います。

 そして、私は細かな制度をわからずに言っていますが、そのことは当然できるはずだろうと思いますので、きちっと条文化することの意味はそれほど大きくないのではないか。ただし、さっき伊藤先生の御質問にもありましたように、地方自治法の範囲というような解釈を前提にするならば、重ねて条文化することによって明確化するという意味では全く無意味ではないとは思います。

 わかったようなわからぬようなことを言っていますが。

石井(郁)委員 ありがとうございました。

 同じような観点で八木陳述人にも伺いたいと思うのです。

 未履修問題では大変苦渋の中でいろいろ対応されたというふうに思うのですが、今も出ておりますけれども、今回の是正の要求、指示という問題が、これを一つの、私たちは口実というふうに言いたいぐらいですけれども、きっかけとして行われている、そういう政府からの答弁もあるわけですけれども、しかし、この未履修問題は、特定とか一部の教育委員会で起きたわけじゃなくて、当時、わかりましたけれども、四十四都道府県だったと思います。だから、これはほぼ全国網羅して起きたことだったのですよね。

 それで、私どもは国会でも、これについては教育委員会だけの責任ということではなくて、やはり文科省自身もどうだったのかというようなことも取り上げましたけれども、そういう意味で根の背景もあるし、いろいろなことから考えなければいけない問題をはらんでいた。私は、これはまだ十分解明されていないと思っているのですけれども。

 そういう中で、先ほども野田委員の方からも出ていましたけれども、ぜひ一つこれに関係して伺いたいのは、この是正の要求、指示の中身はどうも特定のことだけにとどまらないで、私たちは危険があると思っておりまして、例えば国が学習指導要領を決める、その学習指導要領の範囲がきちんと守られているかどうかというようなこともその視野に入りそうだとなると、ちょっとこれは事が大きな問題になるのじゃないかなというふうに思うのですね。学習指導要領自身は、例えば教科目をどれにするかということも、戦後を見てもいろいろと変遷もしてきておりますし、国が決めることは大綱であって、その細かな内容は全部地域、各学校を縛るということになったのでは、教育の自主性ということが大きく損なわれるのじゃないかというふうに思っておりますので。

 そういうことで伺うのですけれども、先ほど未履修問題で国へ要望も出された、弾力化は認めてほしいという言葉をちょっとお聞きしましたので、その要望の中身ですね、それは野田委員も触れたのですけれども、もう少しお聞かせいただければというふうに思いました。よろしくお願いします。

八木近直君 国にいろいろお願いを申し上げましたのは、主として学習指導要領に関することなわけでございますが、今度さらに改訂の時期が来ておりますので、それのいろいろな御意見などが今飛び交っているところでございます。

 そこで、これまでも学習指導要領が大綱として行われていなかったと申し上げるつもりはないのです。十分に大綱化はしていたと思います。ただ、学習指導要領を改訂、改訂、改訂と重ねていく段階で、例えば必修科目が非常に多くなったとか、それは多くなればなったで、それをいろいろと組み合わせていくときに、もう少し弾力的な取り扱いなどもできるようになるということが望ましいのではないか。あるいは、情報などという科目、ちょっと細かい話になって申しわけありませんが、そういうものの必修化ということも取り上げられたので、そのこと自体を考えますと、今の世の中ではITというものが出てきております、それは私どもが昔は全然考えなくてよかったことです、ですから、そういうものを考えなければならないというのは十分理解できます。ただ、それらを全部積み重ねて必修ということに相なりますと、なかなか負担が重くなる。そういう点、例えばこういったものはほかの科目の中で取り扱うようなことでもいいのではないかといったようなお願いをしたということでございます。

 これらの事柄は現在審議も行われていることでありますので、またいろいろと、私どもだけの考え方が通ればいいというものではございませんから、そういうことは考えておりませんけれども、そういった点も一つ配慮してお考えいただければもっといい姿になるのではないか、こういうことでございました。

石井(郁)委員 ありがとうございます。

 次に、評価の問題をそれぞれお述べになりましたので、これは西川陳述人と八木陳述人に伺いたいと思うんです。

 もう既に学校評価はいろいろな形で工夫されて行われていらっしゃるということですし、加えて、今度は国として、評価の項目、教育活動も含めて文部科学大臣が定めて評価を行う、そしてまた、点検もするし公表もするということになっているかと思うんですけれども、その辺について、現在学校が独自に行っていらっしゃるのを国が行うということについていろいろと懸念などがございましたら、今の行っている評価との関連で少しお聞かせいただければと思います。

西川弘君 先ほど舌足らずで申しわけございませんでした。私どもがやっておりますのは、私学でいえば、それぞれの学校がそれぞれでやっています。したがいまして、必ずしも全部同じではありません。

 それから、やるに当たりまして、当然、それらのものを見せていただける分につきましては見せていただいたり、それから公立学校でおやりのものも見せていただいたりしながら、独自で自分たちに最も合うものをという形で今進めてやってきているところでありますし、これからもできればそのような形でやらせていただいた方がありがたいというふうには思います。

石井(郁)委員 同じ質問で八木陳述人にお願いします。

 とやま型の評価システムを既に開発されていらっしゃるというお話でしたので、それと今度国が行うということの関係について御意見をお聞かせください。

八木近直君 現在でも評価ということは、これは昔からそうだったわけでありますけれども、今日はっきりとした形で定めていかなければならないというのは当然のことだと思います。さようなこともあって、現在、既に富山県では学校の評価ということも行いつつあるわけでございます。

 そこで、全体的な一定の方向性を示す必要はあろうかと思いますけれども、全部それというのでは、それぞれの学校、地域などの特性というものをなかなか生かし切れないものも出てくるのではないか。さような意味合いで、先ほど申し上げましたのは、私どもがやっているようなものが十分に生きていくような形でまたお考えいただければありがたいという意味でございます。

 全体のものを国の方でその方向性をお定めになるということ自体は、それはそれで差し支えはあるまいと思いますが、その中で各地方ではいろいろなことをやっておるわけでありますので、そういうものがちゃんと生きていくような形が望ましいのではないか、このように思います。

石井(郁)委員 それでは、最後に一問、大きな質問になるかと思うんですけれども。

 ずっと教育改革ということがもう十年、二十年来言われてきておりますから、これはある現場から、これは公聴会の御意見だったと思いますが、教育改革と言われてテンポが速過ぎる、現場が振り回されているという御意見が多く出されたかと記憶しておりますけれども、それでぜひ率直なところを伺いたい。

 国会で審議されているこの委員会は教育再生の特別委員会という名称でございまして、決して教育三法じゃないんですよね。安倍内閣のもとで教育再生ということが言われているわけですが、教育改革と教育再生とどう違うかということもあるかもしれませんけれども、教育再生と言うからには、今の日本の教育が本当にもうだめになっているのかということがあると思うんですね。

 私は、きょう、桜谷小学校を見せていただきまして、先生方も本当にしっかり取り組んでいらっしゃるし、先ほど来いろいろ問題はあるかもしれないけれども子供たちも一生懸命学んでいるというふうに思うんですね。だから、学校、教師、子供たちも、そしてその背景にいる親も、それぞれ悩みや要求を抱えながら努力をしているというのが地域の現実の姿ではないのかなというふうに思っておりまして、決して私はだめだというふうには思っていない。もちろん、日本の教育は解決しなきゃいけない課題もたくさんあるかと思いますけれども。

 そういう中で、ぜひ皆さんに率直なところ、今、国会での審議、議論に際して、本当に教育の問題をどういう視点からどういう中身のことを審議すべきだというふうにお考えになっていらっしゃるのか、お一人ずつお聞かせいただければ幸いだと思います。

森雅志君 個人的な見解を述べさせていただくという御質問だろうと思いますので、僕は、教育というのはひとり学校教育だけがすべてではない、当然のことですが、そのことをまずみんながもう一度考えることが大事ではないかと思います。

 したがいまして、地域がどういう教育力を発揮するのか、あるいは、先輩、後輩というような人間の縦の関係を含めて、縦も水平も含めた子供を取り巻く環境の中で、一人一人がどういう役割分担をしてその子供の成長の中で教育的な効果を発揮していくのかということを一緒に考えていくことが大事だろう、こう思っています。

 そういう中で学校教育はかなり大きなウエートを占めるわけですから、その学校の教育現場におけるさまざまな問題があるとすると、それは、先ほど来どなたかもお話しでしたが、予算がどうだとか、あるいは今までの流れがどうだとかというようなことを少し飛び越えて、あり方論の議論は柔軟にやっていく必要があるのではないかというふうに思います。

 もう一つは、この学校教育のもうちょっと狭い範囲で、今度は受験のための教育というのが世の中に大きなウエートを占めていて、それは学習塾なども含むさまざまなものが入ってくるわけだろうと思います。ですから、そういう中で行政がしっかり責任を果たすべきもの、あるいは、ちょっと口幅ったいですが、我々が今の時代の地域のリーダーとしてどういうことを発信していくのかということを考えたときに、極端に限定的な領域ではなくて、地域の教育の問題だとか時代が持っているものに対して普遍的なものはどういうことをやっていかなきゃいけないのか、そういうことを大変多様な幅広い人たちとしっかり意見交換をしていくということが求められているのではないかというふうに思っています。

八木近直君 教育の変革ということでございますけれども、教育と申しますものは、なかなか一朝一夕にでき上がらないという面があるのでございます。したがいまして、そこの中にはいろいろな、つまり、長いスパンで物を考えなければならないこと、あるいは情勢の変化に応じて短いスパンで考えなければならないこと、そういうことがいろいろとまじっているように思います。

 例えば、今、森市長の方から詰め込み教育云々というような受験教育の問題がございましたけれども、詰め込み教育などの弊害について演説が最初に行われたのは、二十世紀の初めのころ、文部大臣が行っております。それならそれで解決するかというと、なかなかそうはまいらない。何十年かたつと、またそういう問題が起こってくるというような性格もあるわけでございます。したがいまして、一概に改革のテンポが速過ぎるというようなことはないのだと思いますが、そう思わせるようなところは確かにあり得る、さように思うのでございます。

 ですから、何度も何度も念を入れてやらなければならないこともあるし、世の中が変わればそれに応じた手を打たなければならないこともある。そういうような事柄を、全体をよくよく考えて改革というものは行われなければならない。今の改革がすべて速過ぎると言うのはちょっとおかしいだろうと思いますし、さりながら、改革というものはもっとゆっくりいろいろ考えてやらなければならないということも、それは当たる面が確かにあるのだと思います。

 制度などの問題一つ取り上げてみましても、制度疲労というものを起こしているというようなことはないかと言われれば、それはあるだろうと思うのですね。そういった点などをやはりよくよく考えて、その都度その都度直していかなければならないだろうというように思うのです。

西川弘君 難しいことはよくわかりませんが、ただ、私が若いころ、生徒を一生懸命教育している、育てているつもりで、何かの盆栽を育てていたというような反省をしています。山の下草を刈って日当たりをよくしてやって、木がその中で自分で伸びていく、そんなようなことをしてやらなかったのかなという。ここは枝ぶりが悪いから切ってしまえ、ここは伸ばしてやれ、ここは曲げてやれという、そんなような教育をしてきたということについて大変反省をしております。

 以上です。

石井(郁)委員 どうもありがとうございました。以上で終わります。

大島座長 以上で委員からの質疑は終了いたしました。

 一言ごあいさつ申し上げます。

 森陳述人、八木陳述人、西川陳述人の諸先生方におかれましては、本当に御多忙中ありがとうございました。

 今、団長席に座って意見を伺い、また、委員各位からの御質問を伺いまして、国会の中でさまざまな議論をするのとは違った、まさに現場のお声を率直に聞かせていただいた、このような感想を持ちました。皆さんの御所見を今後の審議に生かしてまいりたいと思っております。

 また、この会議開催のために特段の御協力をいただきました関係の皆様方に、心から感謝を申し上げます。本日はまことにありがとうございました。

 これにて散会いたします。

    午後三時七分散会

    ―――――――――――――

   派遣委員の愛媛県における意見聴取に関する記録

一、期日

   平成十九年五月十四日(月)

二、場所

   松山全日空ホテル

三、意見を聴取した問題

   学校教育法等の一部を改正する法律案(内閣提出)、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案(内閣提出)、教育職員免許法及び教育公務員特例法の一部を改正する法律案(内閣提出)、日本国教育基本法案(鳩山由紀夫君外五名提出)、教育職員の資質及び能力の向上のための教育職員免許の改革に関する法律案(藤村修君外二名提出)、地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案(牧義夫君外二名提出)及び学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案(笠浩史君外二名提出)について

四、出席者

 (1) 派遣委員

    座長 小坂 憲次君

       西村 明宏君   高井 美穂君

       牧  義夫君   西  博義君

       保坂 展人君

 (2) 意見陳述者

    松山市長        中村 時広君

    愛媛県教育委員会委員長 井関 和彦君

    新田高等学校長     片岡  至君

 (3) その他の出席者

    文部科学省大臣官房審議官           合田 隆史君

     ――――◇―――――

    午後一時一分開議

小坂座長 これより会議を開きます。

 私は、衆議院教育再生に関する特別委員会派遣委員団団長の小坂憲次でございます。

 私がこの会議の座長を務めさせていただきますので、よろしくお願いを申し上げます。

 皆様御承知のとおり、当委員会では、内閣提出、学校教育法等の一部を改正する法律案、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案及び教育職員免許法及び教育公務員特例法の一部を改正する法律案並びに鳩山由紀夫君外五名提出、日本国教育基本法案、藤村修君外二名提出、教育職員の資質及び能力の向上のための教育職員免許の改革に関する法律案、牧義夫君外二名提出、地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案及び笠浩史君外二名提出、学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案の審査を行っているところでございます。

 本日は、各案の審査に当たり、国民各界各層の皆様方から御意見を承るため、当松山市におきましてこのような会議を催しているところでございます。

 この際、派遣委員団を代表いたしまして一言ごあいさつを申し上げます。

 御意見をお述べいただきます皆様方におかれましては、御多用中にもかかわらず当委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。どうか忌憚のない御意見をお述べいただきまして、審査に御協力を賜りますようお願いを申し上げ、ごあいさつとさせていただきます。ありがとうございます。

 それでは、まず、この会議の運営につきまして御説明申し上げます。

 会議の議事は、すべて衆議院における委員会議事規則及び手続に準拠して行い、議事の整理、秩序の保持等は、座長であります私が行うことといたします。発言される方は、その都度座長の許可を得て発言していただきますようお願いを申し上げます。

 なお、御意見をお述べいただく皆様方から委員に対しての質疑はできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願います。

 次に、議事の順序について申し上げます。

 最初に、意見陳述者の皆様方からお一人十分程度で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑に対してお答え願いたいと存じます。

 なお、御発言は着席のままで結構でございます。

 次に、本日御出席の方々を御紹介いたします。

 まず、派遣委員は、自由民主党の西村明宏君、民主党・無所属クラブの牧義夫君、高井美穂君、公明党の西博義君、社会民主党・市民連合の保坂展人君、以上でございます。

 次に、本日御意見をお述べいただく方々を御紹介いたします。

 松山市長中村時広君、愛媛県教育委員会委員長井関和彦君、新田高等学校長片岡至君、以上三名の方々でございます。

 それでは、まず中村時広君に御意見をお述べいただきたいと存じます。よろしくお願いします。

中村時広君 御指名をいただきました松山市長の中村でございます。

 本日は、小坂前文部科学大臣を初め、委員の皆さん、ようこそ松山にお越しいただきました。また、このたびの地方公聴会に松山市を御選定いただきまして、そしてこのような発言をさせていただく機会を与えていただきましたことを感謝申し上げたいと思います。

 時間も限られておりますので、早速本題に入らさせていただきたいと思います。

 社会情勢の変化が著しい中で、子供を取り巻くさまざまな問題が提起されていることは、だれしもがひとしく享受しているところでありまして、こうした難題を解決するために、今回、教育再生というか教育充実を目指した関連法案の見直しというのは非常に有効な解決策の一つであろうと私どもも認識をしております。

 そういった観点から、時間は限られておりますが、幾つかポイントを絞って述べさせていただきたいと思います。

 まず、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部改正案のうち、県費負担教職員の同一市町村内の転任については、市町村教育委員会の内申に基づき都道府県教育委員会が行うこととなっておりまして、一定の前進は見られるものの、隣に県教委委員長がいらっしゃって恐縮なんですが、依然として人事権そのものは県教委が持たれておりますので、市という最も現場に近いところでは大変苦慮している実態というのもございます。

 私どもが市長部局として持っているのは予算編成権のみでありますけれども、その場を通じて、市教委に来られた先生方の帰属意識というものは人事権を持つ県の方に向いているということは、仕事を進める中で幾度か感じることがございました。

 もちろん、それを克服するためにいろいろな取り組みはしてきたんですけれども、例えば、数年前に導入されました総合的な学習の時間、こうした時間の予算づけを行うときに、各学校から積み上がった総額の予算を保証し、確保いたしました。当然これは積み上げの段階での予算ですから、各学校でばらつきがあるんですけれども、一たびフィルターにかかると、生徒数や規模といったもので再配分されてしまう。これでは、市長部局の考えというものが浸透できないということで、御破算にするか、最初のとおりの配分にするかという究極の選択を迫ったり、いろいろな工夫をして、予算権限を通じて一体感を出すようなことをしてきたんです。

 そのときに、やはり予算査定の場において、来ているんだというふうな姿勢がかいま見られるようなことを幾度となく経験しておりまして、一体感を持って市のレベルで物事を進めていくためには、やはり人事権というものをどうするかということを真剣に考える必要があるんではないだろうか、そんなふうに思っております。もちろん、今、政令指定都市においては人事権が市の方に移っておりますけれども、当面は、中核市あたりまではぜひお考えをいただきたいということが第一点目の要望でございます。

 二つ目は、今の話と重複しますが、教育分野における教育委員会と市長の役割分担でございます。

 今回の改正案では、文化、スポーツの事務を市長が担当できることとなっておりますけれども、教育ニーズが非常に複雑、多様化してきておりますので、教育全般にわたって市全体で取り組むべき課題が増大しております。

 例えば、子供の安全安心を守る、これはもう市全体で取り組む、まさに市民全体で取り組むべき課題でありまして、こういった問題については市が全面的にイニシアチブをとる必要があろうかと思います。あるいは、先ほどの総合的な学習の時間もしかり。そして、後ほどちょっと細かく触れさせていただきますが、いじめ問題しかり。こういった全市的な取り組みを必要とする課題がふえる中で、教育分野における市長の関与の拡大が求められていることは間違いないというふうに個人的には考えております。

 今のいじめと関連して次の課題に触れさせていただきたいんですが、重要なテーマである国の教育における責任の果たし方についての議論であります。

 今回の中身を拝見しますと、教育委員会の法令違反等に関し、文部科学大臣の関与を強化する条項が盛り込まれております。これはいろいろな議論の過程の中で随分と条件が付加されていったような経緯があるように思いますが、その中で、生徒等の生命の保護や権利の侵害に対して国が責任を果たすための最小限の条件整備として提案されたという内容に落ちついているように思います。

 これは典型的にいじめの問題が想定されるんではなかろうかと思うんですけれども、ここで問題なんですが、例えば、大変おしかりを受けるかもしれませんが、去年来、全国でいじめが起こって痛ましい事件が多発いたしました。そのことを受けて、国の教育再生会議が議論をし、一つの方向性を出されようとしておりましたが、ちょっと疑問を感じたんです。

 教育再生会議のメンバーの方を拝見しますと、それぞれの分野で大変立派な足跡を残された方ばかりなんですけれども、心配なのは、現場を知る方がすごく少ないことです。必然的に、こうしたメンバーで議論されると、多分、目立つ答申を出したいなという欲望というものが当然出てくるだろうし、もう一つは、議論の前提が、現場はなっていないというところからスタートしかねない危険性があるんじゃないかなというふうに個人的には思っていました。

 その結果として出てきたのが、いじめ対策として学校の先生により厳しく、生徒を罰するという方向性が出てきたときに、現場を預かる我々としては、これはちょっとという思いを持ったんです。なぜならば、当然、先生の中には、もちろん問題のある方もいらっしゃいます。でも多くの先生は本当に一生懸命、真摯に教育に向き合っていらっしゃっていますので、あの方向をまともにやると、いい先生までやる気が失せてしまうような可能性も出てくるんではないか。

 そこで、松山市は、昨年の十二月に、この方針とは一線を画すというふうな方向性を打ち出しまして、独自でいじめ対策を実行に移すということを考えました。総予算額、市の独自財源で三千万円を議会に提案しまして、いろいろなことをやりました。答えはありません。こうすればいじめはなくなるという答えはないんです。ともかく、気づいたことは全部やるんだというふうな姿勢を持って、いろいろな事業を立ち上げました。

 事例で申し上げますと、例えば、松山市内にいる小中学校全校の代表者たち二百人以上に集まってもらいました。そして、私の方から、いじめの問題というのは君たちの問題なんだ、君たちの友人たちがもし悩んで苦しんで命を失ったらどう思うか、そこをみんなみずからの課題として考えてほしい、だから、いじめ問題でまず立ち上がるべきは君たちなんだという呼びかけをいたしました。子供さんたちは本当にしっかりしていまして、二百人の各学校の生徒が一堂に会して、延々四時間議論をし、みんなで立ち上がろうという決議までしてくれて、それぞれの学校で対応を協議することを誓い合って、散っていきました。

 間髪を入れずに、今度は地域の公民館の皆さんに呼びかけまして、緊急いじめ対策のシンポジウムを開催し、子供たちが今動きをスタートさせようとしているので、ぜひそれをサポートしてもらいたいというふうな呼びかけをし、連動する仕組みをつくりました。同じようにPTAにも呼びかけをいたしまして、連動する賛意を得ています。

 そして最後に、学校の先生にお集まりいただきまして、緊急のいじめ研修会を実施いたしました。これは実は、申しわけなかったんですが、教育再生会議を使わせていただきまして、この議論のままやったらどうなんだというのを皆さん考えてほしい、だから、それではなくて、自分たちでやるんだというエネルギーにこの議論を変えてほしいんだという呼びかけをしまして、いじめの研修会を実施し、いわば子供たちが主役で、それを学校の先生と地域の皆さんと親がサポートするということを駆使して、みんなでこの問題に関心を持つことによって悩める子供たちにメッセージを送る、地域みんなが心配しているんだというメッセージを送ることがいじめを防止することにきっとつながっていくんだろうというのが独自予算で立ち上げたいじめ対策であります。

 なぜこんな話をしたかと申しますと、仮に国の権限が強化されたときに、いつもそれが正しい結論であるとは、人間の考えることですから、ないということを前提にしなければならないんではないだろうか。むしろ、市町村というのは、まさに我々も日々日々預かっている立場でありますからスピーディーに動けます。そして、地域の皆さんやいろいろなところと簡単に連携ができる立場にあります。いろいろな問題が起こったときに、やはり現場というものを中心に据えるべきなんではないかというのが私の考え方でありまして、現行法でも、どうしようもないときには国の関与が認められることになっておりますから、あえてここまで言う必要があるのかなと、いろいろな御意見があると思うんですけれども、これは個人的な思いであります。

 次に、教職員の免許法及び教育公務員特例法の改正における免許制度の導入等々についてであります。

 教員の資質向上は不可欠であります。更新制度などの法の整備はそれに有効な手だてであるということは私も賛同できるものでありますけれども、もし仮にこれを実施するときに一つお考えいただけたらありがたいのは、既に、私どもは中核市でございますので、教職員の研修はみずから行っています。資質向上のために市独自の財源でいろいろなことをやっているんです。年間にしますと、大体この独自研修で教職員の負担、年間二十三時間費やしています。ここにさらに十年研が入ってきますと、この既存の二十三時間への影響はどうなるんだろうか。

 恐らく、今のお考えだと、新たに導入ですから、拘束時間がより一層長くなる可能性もあって、そのときの対応をどうするのか、代用教員の問題も含めていろいろな問題が出てくると思いますので、この点については、既存のそれぞれの市町村が行っている研修への影響というものをぜひお考えいただきたいなということを申し上げておきたいと思います。

 最後に、こうした教育現場の問題でもう一つ悩んでいるのが、施設面での整備なんです。やりたいことがいっぱいあるんです。

 例えば、子供たちが通う学校現場ですから、特にこの地域は今後三十年以内に東南海地震が五〇%の確率で発生すると言われています。五〇%ですから、起こらなくても当たり、起こっても当たりで、非常に微妙なところなんですけれども、そういったことを受けまして、全学校の耐震化というのを本当にやりたいです。でも、お金がありません。

 三位一体改革で、松山市は財源が年間五十億円減っていますので、それは自助努力で全部吸収はいたしましたけれども、今後、見通しが立たないので、思い切った予算措置がとれない状況になっています。

 この耐震化は、例えば、松山で全校やった場合、百億円かかると思います。もちろん、これは国の交付金の対象事業になっておりますけれども、算出単価が平米当たり上限二万三千六百円の二分の一という非常に低い単価に抑えられているため、場合によっては、一校をやると市の負担が四分の三以上になる可能性があります。すなわち、百億やったら七十億以上の負担の可能性も出てくると思いますので、子供の安全確保のためにも、こうした交付金ということについても格段の御配慮をいただきたい。

 それから最後に、市のレベルでもいろいろなことをやっています。子供たちの学力アップのために、地域の人材をフル活用して、教師とともに授業に入って学習をしていただく学習アシスタント制度も松山市独自の事業として立ち上げています。それから、障害のある子供たちをサポートするために、生活支援員制度というのも、これは全国で初めて立ち上げたのが五年前でありましたが、本当は全国でやったらいいのになという事業がたくさんあります。いろいろな情報をお集めいただきまして、特に財政面でのバックアップ、子供たちへの財政面のバックアップに国民はだれも反対しないと思うんです。ぜひ、関係する委員の皆さんのお気持ちで、手厚いと言うと余り言葉がよくないので、非常にその点は御考慮をいただけたらというふうに思いますので、よろしくお願い申し上げまして、私の方からの意見開陳とさせていただきたいと思います。

 どうもありがとうございました。

小坂座長 ありがとうございました。

 次に、井関和彦君にお願いいたします。

井関和彦君 愛媛県教育委員会委員長の井関和彦です。

 教育再生会議の第一次報告について感想を述べさせていただき、その後、三点に絞って意見を申し上げたいと思います。

 教育再生会議での第一次報告で最も重要な提言は、やはりゆとり教育の見直しであろうと思います。授業時間の一〇%増、基礎、基本の反復徹底と応用力の育成、薄過ぎる教科書の改善などが提唱されているところであります。こうした現実的な提言は、高尚な理念を掲げるよりもはるかに学校現場を確実によい方向に変えていくんだろうと思います。中でも、基礎、基本の反復徹底は教育再生のまさに核心であると思います。

 ゆとり教育の最大の問題点は、基礎学力の軽視であったのではないかと私は思います。

 一九八九年に新しい学力観が登場したころから、伝統的な読み書き計算の反復学習が否定的に扱われ、著しく軽視をされてきた。反復学習が詰め込み教育、個性を殺すあしき鍛錬主義だとみなされて、みずから学び、みずから考えるを目指す新しい学力観に対する古い学力の典型と受けとめられたのではないか、こんなふうに思っております。

 新しい学力観の登場で小学校では読み書き計算の反復学習が廃れていき、基礎的な計算能力や言語能力が著しく落ちていったのではないか、そんなふうに思います。どんな習い事も反復せずに身につくものはあり得ませんし、また、反復練習を否定すれば大切な基礎、基本は決して身につかないと思います。

 ゆとり教育や新しい学力観が目指した、みずから学び、みずから考える、創造力を育成するなどの方向は間違っていないと思いますが、しかし、それは読み書き計算といった確かな基礎学力の上に成り立つものだというふうに私は思っております。今後の教育は、基礎学力や規律を徹底した上で、今申し上げましたゆとり教育の理念に沿って進めていくのがいいのではないかと思います。既にこれは文部科学省が方針を出しておられますし、小坂先生が文部大臣のころにも言われておったことでございます。しかし、現場ではややもすれば基礎学力を軽視する、古い学力だというふうなことで、先生方もかなりそういう考え方がしみついておりますので、これを直していくのにはまた少し時間がかかるのかな、そんなふうに思っております。

 特に、ゆとり教育が導入されて以来、二〇〇二年の週五日制の導入に際してもそうですが、いわゆる授業時間を削減すると同時に新しい科目を導入しておるわけです。総合学習がいいとかなんとかいうふうなことで、絶えず時間を削減する中で科目をふやす。これは先ほど市長が言われましたように、委員さんやいろいろな人が発言してあれもこれも大事だという意味でやっていくのはいいんですけれども、木材で申し上げれば、肝心の幹が細っておるのに枝葉をどんどんつけていくような改正がなされておるのではないかと危惧しております。幹がしっかりしたものであってその上に枝葉をつけていくのならいいんですけれども、やはりその辺のところは、あれもこれもいろいろな委員さんが来て言うたびに何か一本ずつ枝葉をつけていくような感じがして、肝心の大事なところが細っておるのではないか、そんなことを感じております。

 さて、今回の公聴会に当たって、私の方で、まず第一番は免許更新のことでございます。これは先ほど市長さんからもありましたが、いわゆる受講料の負担や旅費、宿泊費、そういったものが余り過重にならぬようにしてほしいと思いますし、小規模学校では代替教員が必要となるのではないか、さらに、かなりの費用を要すると考えられるわけですが、それに見合う実効性の高い内容にすることが必要であろうと考えます。

 教員の資質向上、また指導力不足教員への対応というのは大変大事なことでありますから、このこと自体に反対をしているわけではないんですけれども、そういったこととあわせて、制度運営のためのコスト、全国的なデータベースの構築等及び維持管理等にも相当の事務的な負担が危惧されるわけであります。特に、地方は今予算的にはもう本当に厳しい状況にありますので、負担が増加をすることについてはぜひ御配慮していただきたいというふうなことと、これも重複しますけれども、現在実施をしております他の研修制度、五年研修とか十年研修をしております、その辺の整合性にも十分配慮をしていただくことが大事かなというふうに思います。

 次に、地教行法の関係では、先ほど中村市長さんが言われた反対のことを私は申し上げる立場になりますが、今回の改正法案においては教育における中核市への人事権移譲は盛り込まれていないわけでありますが、人事権移譲は引き続き検討すべき事項として中教審でも位置づけられております。責任ある財政運営のもとに主体的な人事を行うためには、人事権と給与は一体のものとすべきであると考えます。

 中核市に人事権を移譲する場合は教員の給与も中核市が全額負担すべきものと考えますし、それ以上に、当愛媛県のような、島嶼部や中山間地域など過疎地域を抱える県では都市部に志望が集中し、特に今のお医者さんの関係もございますけれども、やはり地域には行きたくない、そういったこともあり、地域間格差や人事異動の停滞のおそれもあり、広域的に人事を調整する必要があると思っております。現在、政令市においても同様の問題が存在をしておりますので、これらの問題を整理することが必要ではないかというふうに思っております。

 三番目は、先ほど申し上げました公立学校の授業時間数について、今回の学校教育法の中で具体的な言及はないようですが、地域においては地方経済が大変厳しい中、公務員または上場企業の限られた大手企業だけが完全週休二日制を実施しておりまして、大半の中小企業ではよくて月二回が休みでございます。ひどいと月一回あるいは休みがない会社もたくさんございまして、いわゆる土曜日に両親が不在の家庭もたくさんあるわけでございます。実際に両親がいないときに子供さんが何をしておるか。大半がテレビやゲームで遊んでおるような実態でございます。

 そういったことで、中学校においても、公立と私立を比べますと、授業時間が公立では週二十八時間から三十時間でございますが、私立では週三十六、七時間となっており、大学進学を考えて私立の中高一貫校への志望者が増加をしておるのもそういった時間の要素も一つ大きいのではないかと思います。さらに高校においては、授業時間数の確保の点について私学よりも不自由な状況に置かれております。高校において、特色ある学校づくりのためにも、学習指導要領の一層の弾力化をお願いするとともに、私学との関係にも留意をする必要があろうと思います。

 そういう意味で、授業時間数について、都会と地方ではやはりいろいろな条件が異なるわけでございますから、ぜひ弾力的な運用ができないものか、そんなことを希望する次第であります。現に、高校では大体半数が土曜日の補習を行っているし、毎週行っている学校も半数近くあります。

 そういった点で、いわゆる都会と同じような時間設定ではなくて、地方で時間数を少し弾力的にやることができないかなというふうなことを希望させていただいて、私は三つの点について意見を述べさせていただきました。

 どうもありがとうございました。

小坂座長 どうもありがとうございました。

 次に、片岡至君にお願いをいたしたいと思います。

片岡至君 新田高等学校に勤務をいたしております片岡至でございます。よろしくお願いをいたします。

 私学の高等学校に籍を置く者の立場から、私見を述べさせていただきたいと思います。

 余分な前置きになりますが、昨年末に公布、施行されました改正の教育基本法の第八条に「私立学校の有する公の性質及び学校教育において果たす重要な役割にかんがみ、国及び地方公共団体は、その自主性を尊重しつつ、助成その他の適当な方法によって私立学校教育の振興に努めなければならない。」の条文が新しく設けられました。このことが基本法でうたわれたのは初めてでございます。私学人として、大変に心強いことでありました。

 この私立学校に関する教育行政が、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の改正案におきましてどのように取り扱われるのか、非常に深い関心を持つと同時に心配しながら審議の過程に注目してまいりました。従来どおりの都道府県知事の事務の管理下に置かれるのか、教育委員会の指導下に入るのか、審議の過程を注視しつつ、私学人の間では活発な議論も行ってまいりました。

 この地教行法の改正案で新設された知事と教育委員会の関係について、第二十七条の二では「都道府県知事は、第二十四条第二号に掲げる私立学校に関する事務を管理し、及び執行するに当たり、必要と認めるときは、当該都道府県委員会に対し、学校教育に関する専門的事項について助言又は援助を求めることができる。」と規定され、従来どおり知事の管理下に置かれ、私立学校の建学の精神や独自性、自主性が尊重される条文になっていることは非常にありがたいことであります。

 この規定の具体的な運用に当たっては、知事が教育委員会に助言または援助を求め、それらに基づいて私立学校への対応を行うときは、私立学校の自主性、独自性を尊重する観点から、より具体的かつ客観的であること、例えば、学校教育にかかわる法令制度などの解釈あるいは運用、教育委員会が保有し提供できる情報、資料、研修会への参加など専門的な分野に限定することなど、この法案が施行される際に何らかの形で担保していただくように希望をいたします。

 一方、私立学校の現場の私どもにおきましては、必履修科目の未履修問題のような法令違反を深く反省し、法が定めた最低限度の基準は断固として遵守していかなければならない、そういう反省の念でいっぱいであります。

 次に、学校教育法等の一部を改正する法律案では、学校教育の充実を図るため、各学校種の目的、目標の見直しが行われております。

 今や高等学校への進学率は九七%を超えており、生徒の学力のレベルには相当の差があるのが現状であります。そのため、義務教育の補完に重点を置く学校もあり、一方、大学などへの進学に全力を注いでいる学校もあるのが現状でございます。

 第六章の第五十条、五十一条の高等学校の目的、目標の各条文の文言に高等学校の抱える現況を理解した観点が盛り込まれているのは、まことによいことだと考えております。

 これまでも、私立学校は、中高一貫教育、国際理解教育、習熟度別教育、帰国子女教育など、個性に対応した教育を目指した教育実践を展開してまいりました。これらの成果は公立学校の教育にも取り入れられるなど、公教育の主流を形成しつつあると考えております。

 この法案の改定に合わせて、高校現場の実情と基準、すなわち学習指導要領との関係を再考するのは、今が絶好の機会であろうと思います。学習指導要領の内容や必修科目の設定あるいは標準単位数などは柔軟に対応できるよう、私立学校の建学の精神に基づいた教育活動において創意工夫が十分に生かされるよう、一層の大綱化や弾力化を図っていただくようにお願いをして、私の意見陳述を終わりにしたいと思います。

小坂座長 どうもありがとうございました。

 以上で意見陳述者からの御意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

小坂座長 これより委員からの質疑を行います。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。西村明宏君。

西村(明)委員 自由民主党の西村明宏でございます。

 本日は、お忙しい中、このように御出席いただきまして、まずもって心から感謝を申し上げます。

 きょうは、こちらの地方公聴会が開かれる前に、小坂元文部科学大臣を団長として、委員全員で松山市立清水小学校の方に行ってまいりました。今教育を再生しようという中で、しつけや、本当に子供たちから自然な笑顔が出る、そんな教育が行われることを今目標としてやっているわけですけれども、本当にこの清水小学校では、規律、いい意味での家庭のしつけ、そして学校のしつけの部分がしっかりと行われていて、子供も本当ににっこりと心から楽しく学校生活を送っている。すばらしい教育が行われているなと本当に感心いたしました。

 そしてまた、松山独自の俳句ポストみたいなものが置かれていて、まさにこの松山に生まれて、松山の文化をしっかりと継承してやっていこう、そういった学校の姿勢も感じられて大変好ましく思ったんです。

 そういった意味で、教育の現場というのが、先ほど教育委員長の方からもお話ございましたけれども、何より大事だと。私も大学で長年教鞭をとっておりますので、現場というものがいかに大事かということが肌身にしみてわかっております。そしてまた、それをしっかりとサポートしていただく地方自治体の役割が本当に重要である。これは当然の基本であるというふうに思っております。

 ただ、その中でお伺いさせていただきたいのは、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案の中で、文部科学大臣の教育委員会への是正の要求及び指示に関してでございますが、この件に関しては、地方自治の理念に反して国の権限強化につながるのではないかという意見がございます。

 地方における教育は各地方自治体が責任を持ってやっていただくというのはもう当然の基本でございます。この前提のもと、教育委員会や首長、そしてまた地方議会といったものがしっかり機能していることが何よりなんですけれども、万が一、自浄能力を発揮できずに十分に責任を果たし得ない、そんな状況が生じた場合に、先ほど市長の方からもありましたけれども、国が教育に果たす役割といった観点から見ると、必要最小限度の関与を残しておく余地があるのではないのか。国が教育について責任を果たすという上でこのような規定を置いておく必要もあるのではないのかなと考えますけれども、地方教育行政を担うお立場から、この規定について、中村松山市長と井関教育委員長に御意見を伺いたいと思います。

中村時広君 先ほどと話が重複してしまうかもしれないんですが、趣旨は本当によくわかるんです。ただ、現行の法律の中でも、ある程度そういった指導はできるということなので、最初の素案の段階で出てきた条件も、本当に無条件に近いような形で指導ができるというのと全然趣旨が違うんですけれども、今回のように、いろいろな議論の過程の中で条件がどんどんつけられていく作業がありまして、そういうふうな文言がつくのであれば、今の法律の中でできるのとそう変わらないんじゃないかなということで受けとめたんですね。ですから、あえてそれを特出しする必要はあるのかなというのが個人的な考えではあります。もちろん、市長会の中には地方分権の流れと逆行するという意見も根強くあります。

 私がもう一つさっき例として出させていただいたのが、今立派な方々によって構成されてはいるんだけれども、やはり人間の考えることですから、問題によっては現場の状況とはかけ離れた結論が出てくる可能性もあると思うんですね。特に、この前のいじめの問題では、私は物すごく違和感を感じたので。

 そういうふうな意見をにしきの御旗に地方におろされたときは、かえって現場が混乱する可能性もあるんじゃないかな。そこらあたりは十分議論をしていただく余地があるのではないだろうかというのが私の意見でございます。

井関和彦君 国の関与については本当に最低限にしていただいて、やはりできるだけ地方に任せればいいんでしょうけれども、私がいろいろな議論の中で一つだけ疑問に思いますのは、分権の時代だから何もかも地方におろしたらいいという理屈が通るのは少しおかしいんだろうと思うんです。ですから、分権の流れの中だけれども、この部分についてはやはり国が守っておかなきゃいけないことをやってもらうという考え方でむしろ判断をしていただくのがいいんじゃないか。ですから、教育長の人事まで国の承認が要るようにするのは、やややり過ぎかなという感じがします。

 最低限のあれは持っていただいて、ただ時代の流れはこうだから地方によこせとか、あるいは国がどうこうというふうな決め方じゃなくて、本当にそれぞれの分野で適切に判断をしてやっていくことが必要だというふうに私は思います。

西村(明)委員 ありがとうございます。

 先ほど私が申し上げたのと同じように、やはり現場と地方自治体の果たす役割が重要だということは十分認識いたしました。ただ、その中で、国として果たす役割というものもぜひ御理解いただければなと思っているところでございます。

 ちょうど今そういった国とのかかわりの件で話が出ましたので、もう一点、私立学校の事務に関しまして、都道府県知事は、その事務を管理し執行するに当たって、必要と認められるときは当該都道府県教育委員会に対して学校教育に関する専門的事項について助言、援助を求めることができると規定されております。この規定についてお伺いしたいと思うんです。

 この規定自体が私学の建学の精神を侵すものではないかというお話もございますが、決して私学の建学の精神、そしてまた教育の現場にくちばしを突っ込もうという話で議論されたものではないんです。それを踏まえた上で、どういうふうにお考えになられているのか、井関教育委員長と片岡高等学校長に御意見を伺いたいと思います。

井関和彦君 個人的には、愛媛県の場合は私立学校を十分指導できるような人が知事部局に少ないということも含めていえば、むしろ教育委員会が担当してもいいのでないかというふうに私は思っています。やはり、公立と私立のすみ分けといいますか、今そういった点も非常に微妙な段階にありますので、特に中高一貫校も含めて私立がどんどんそういうふうなことで志望者をたくさん集めるような時代に、教育委員会でまとめて調整をする方がうまくいくのではないかなという感じも持っております。

 その程度しかわかりませんけれども、よろしくお願いします。

片岡至君 私学の現場といたしましては、やはりそれぞれ私学の特色というものがございますので、それが発揮できるようにさせていただきたいという願いはありますが、昨年度の未履修問題のようなときには、これは自分たちの誤りでありますので、素直に反省すると同時に、やはり国の統一した見解といいましょうか、そういう指導は受けるべきではないかというふうに思っております。

 我々は、愛媛では私学文書課の管理下にありますけれども、教育委員会と連携がよくとられており、教育委員会の指導とほとんど変わらない一面もあるのではないかというふうに受けとめております。

 以上でございます。

西村(明)委員 今、私学の話が出ましたので、さらにもうちょっとお伺いしたいんです。

 私立高校には国そして都道府県から私学助成の補助金が交付されておりますね。これまで都道府県は私学に対しては、先ほど述べたように、建学の精神を尊重しなきゃいかぬという立場から、カリキュラムへの関与というのは非常に抑制的なものになってきていると思います。このため、お話のあった、公立学校では学校週五日制を実施されている中で、私立では土曜日も授業をやっている学校もある。

 こうした状況の中で、一部の私学関係者の間からは、補助金は出すがカリキュラムには関与しない対応が望ましいのではないかという御意見も耳にいたしますけれども、この件について、井関教育委員長と片岡高等学校長に忌憚のない御意見をお伺いいたしたいと思います。

井関和彦君 確かに関与すべきでないと言って補助金をもらっておるというのは、余りにも虫がいいのかなと。やはり使途なりいろいろなことについてきちっとするのは当然だろうというふうに思います。

 それ以上は、私は細かいことはちょっとわかりかねますので、お答えできません。

片岡至君 私ども私学全部が、いわゆる学校運営で申しますと今学校週五日制を実施しておるわけではございません。生徒の必要度といいましょうか、生徒や保護者のニーズにこたえて、一部の生徒あるいは一部の学校が休日を利用しておるといったような状況でありまして、決して、私学は私学ということで全く国の施策を無視して自由にやっておるところはありませんので、やはり助成金をいただいておる重みというのは十分に受けとめておるつもりでございます。

西村(明)委員 今、教育委員会の監査事務のうち基本的な方針などについては教育長に委任する、これができなくなるという規定を盛り込まれておりますけれども、この規定自体は、教育委員会が責任を持って重要事項をみずから決定することを明確にした重要な規定であるというふうに認識しているんですけれども、この規定について教育委員長はどのようにお考えでしょうか。

井関和彦君 正直なところ、そういうことについては十分熟知していない面もありますので、この件につきましては、お答えを私はできないというふうに申し上げます。ようしないというふうに思います。

西村(明)委員 それでは、教育委員会について今度は松山市長にお伺いしたいんです。

 今、教育委員会について、ある意味厳しい御批判のある部分、そしてまた逆に教育委員会の役割の重要性、そういったものをさまざま考えると、教育委員の選任について、今も大変真剣に考えて御人選をされていると思いますけれども、これから教育を再生していくという上で、慎重と言うと言葉があれですけれども、より深く考えながらいい人選をさらに進めていかなきゃいけないというふうに思われるんです。

 今後の教育委員会の委員の選任について、今の選任に当たって御自分の考えられてきたものと、そしてさらに、こういったものを含めてやっていった方がいいのではないかというような思いがございましたら、ちょっと教えていただきたいと思います。

中村時広君 その前に、先ほど小坂座長を初め、清水小学校に行っていただいたということをお聞きしたんですが、あそこは特別な思い入れのある学校です。全校に余裕教室の状況を自己申告してほしいということを数年前に実施しました。なかなか学校現場というのは余裕教室を出してこないんですけれども、あの清水小学校は、これぐらい余裕がありますということをストレートに申告してくれた学校だったんです。

 そういうところは思い切った事業を立ち上げようというふうなことを考えまして、六年前なんですが、ごらんいただいたかどうかわからないんですけれども、あの小学校の中にデイケアサービスセンターを設置しております。実は、今はそんなことはないと思うんですが、当時の文科省の方々は非常におかたくて、文科省管轄の施設の中に厚生労働省関連の事業が入ってくるのを非常にちゅうちょされるような傾向があったんですが、半ば強引に実施してみた事業です。

 非常にいい交流が生まれておりまして、きっとそんな事業が、ごらんいただいた子供たちの笑顔につながっているのではないかなというふうにも思ったりしました、根拠はありませんけれども。足を運んでいただきまして、ありがとうございました。

 さて、教育委員会の問題でありますけれども、実は、私が就任した八年前、松山市の教育委員さんは一人を除いて全員教職員だったんです。恐らく全国的にもそんな傾向が当時は色濃くあったのかなと。いわば教員さんによって持ち回されているポスト、そんなふうなところがあったのかなと思いました。もちろん、先ほどの教育再生会議も同じなんですが、現場を知る人の声というのも重要であります。だから、常にある程度の枠というのは確保しておく必要があると思います。

 ただ、非常に狭い世界でもありますから、いろいろと私の友人や知人と触れ合っても、学校の先生は教育の外の経験をお持ちでない方が多いので、例えば民間の実態であるとか町づくりであるとか、そういったことが不得手、経験のない方々も多くいらっしゃるので、やはりそれをカバーする方々を委員として選任する必要があるのではないだろうかというふうに個人的には思いました。

 そこで、今現在は、経済界、しかも中小企業で非常にきらりと光るような技術を持って会社を成長させている方にお願いしていますし、あるいは大学の関係者、それから、もちろん法律の方で決めていただいたPTAの関係者、幅広い人材によって構成される教育委員会になっています。

 いわば制度というよりも、個人的には、人の問題なのではないだろうか。使命感のある、非常にすばらしい発想をお持ちの委員さんによって教育委員会が構成されれば、とてもいい働きをしてくれると僕は思っていますし、この数年間やった実感でもありますので、これからもそういった多様な人材の確保ということは常に念頭に置かなければいけないのではないかなというふうに思います。

 ただ、もう一点申し上げると、例えば、私は市長という立場で選挙戦に臨みますと、トータルのパッケージの政策を打ち出します。これは、町づくりであり、福祉であり、環境であり、産業活性化であり、いろいろな政策があるんですが、その中の重要な柱として必ず教育問題を入れています。

 これはどこの市長さんでも入れると思うんですね。もちろん、市長部局の限界はあるんですけれども、教育委員会の皆さんは細かいことは出しませんけれども、その根本の市長の公約、公約は政治家にとって命ですから、この公約を実施するために私は仕事をしているつもりだということを市民の皆さんにも申し上げるんです。その公約をやはり受けとめていただける委員さんであれば、あとはもう心配なく、人材の問題さえきちっとすれば、いい働きをしてくれるのではないかな、そんなふうなことだと思っています。

西村(明)委員 今、中村市長の方から、大変思いの伝わってくるお話をいただきました。中村松山市長が国会議員として活躍されていたときからお姿を拝見しておりましたけれども、大変熱意ある、心温まる政治家でいらっしゃいますので、ぜひともすばらしい松山の人材を育てていただきたいと思います。

 そしてまた、教育委員長でございますけれども、木材の関係のお仕事もされていると。私が山形の小学校の視察に行ったときも、やはり木材とか山に触れ合っている子供というのは、先ほど言ったようなすばらしい笑顔を持った、落ちついた子供がたくさんそこから輩出されるという話もお聞きしましたので、松山そして愛媛のすばらしい自然と山に囲まれた、そんな心温まる教育をぜひ御推進いただきたいと思います。

 そしてまた、高等学校長、本当に私学は公立学校にできないさまざまな教育ができると思います。ぜひ公立と違った意味のすばらしい教育にこれからも邁進されますよう心から御期待申し上げまして、質問にかえさせていただきます。

 本日は、本当にありがとうございました。

小坂座長 次に、牧義夫君。

牧委員 きょうは、こういう機会をお与えいただきまして、それぞれのお立場から有意義な御意見をお聞かせいただきましたことを私からも改めて感謝を申し上げたいと思います。

 今御指名をいただきました私は、民主党から参りました。御存じのように、今回、政府提出の法案とともに、私ども民主党が昨年出した日本国教育基本法案、そして、パッケージになっております、それに関連する法案三本、合わせて四本の法案を提出させていただいておりますから、その私どもの案についても御意見を賜れればと思っております。

 ただ、時間に制約がございます。せっかく松山まで参上いたしましたから、特に国と地方との役割分担、責任分担の部分について、それぞれのお考えをお聞かせいただきたいと思います。

 ちょうど昨年の今時分に教育基本法の改正の議論が国会でも行われていたわけで、夏を挟んで昨年秋に至るまでその議論が続いたわけであります。そんな中で、たまたまといいますか、そういう議論があったからこそだったと思うんですけれども、先ほど来お話ございますような、いわゆる未履修の問題ですとか、あるいはいじめによる自殺の問題等々がマスコミでもクローズアップされるということに相なったと思います。

 この辺の理由というか、どういう制度のもとで、あるいはどういう運用のもとでこういう問題が起こったのか。一言でお答えいただくのは大変難しいとは思うんですけれども、やはり私は、これはだれかが最終責任をとれば解決をするという問題ではもちろんありませんけれども、ただ、現行の制度は最終的な責任の所在が余りにはっきりしないんじゃないかなという考え方を持っております。

 そんな中で、冒頭、中村市長のお話をお聞かせいただいて、できるだけ現場に近いところで現場主権で教育行政を行う、あるいは教育の運用そのものを行っていくんだという考え方が私どもには大変近いように感じさせていただきましたけれども、そんな観点から、それぞれちょっとお答えをいただきたいと思います。

 現在のこの制度のもとで、やはり未履修の問題やら、あるいはいじめの自殺の問題、それが起こったのがこの制度のせいだとは申しませんけれども、現場から教育委員会へ、そして教育委員会から文科省へ非常に伝わりにくい仕組みがあったというのは私は否めないと思います。そこら辺の問題点についての御認識をそれぞれちょっとお聞かせいただきたいと思います。

中村時広君 ちょっと答えが難しいテーマなんですけれども、もちろん市町村によって取り組みの考え方、手法も違いますし、それから、先ほど井関委員長がおっしゃったように、市町村の規模によっても、できること、できないことが変わってきますので、一概にこうだという答えは出せないと思うんですね。

 ただ、私ども、余り組織の弊害とかそういうことを考えたことがなくて、先ほど西村先生にもお話しさせていただいたとおり、物事を効果あらしめる最大の要素は人だと思っていますので、いい人材をしっかりと配置し、そして連携を密にしていけば、ほとんどの問題には対処できると僕は信じています。

 今、確かに教育委員会と市長部局では、予算の権限しか市長部局は持っていないですけれども、それとは別に、やはり頻繁に、市長、副市長、収入役、まあ収入役はこれからいなくなりますけれども、それから公営企業局長、教育長と、しっかりとした定期的な会議を持って常にお互いの意思疎通を図る。それで、それぞれの立場からのアドバイスというのが思わぬ活路を見出すヒントにもつながることがありますので、これをずっと今までやってきたことによって、私どもの町ではそれなりの対処はできてきたのかなというふうには思っています。

 ちょっと答えになったかどうかわかりませんけれども。

井関和彦君 未履修問題につきましては、非常に長年経過しておる中で発覚をしたということだと思います。もちろん、現場の校長先生にきちっとやってもらわないかぬかっただろうということは間違いないんですけれども、教育委員会としても十分な指導ができておらぬという点は反省すべきだと思うんです。

 ただ、これも先ほど言いましたけれども、やはり高校の指導要領にしましても、時間が減る中で、教科がこれが要る、あれが要るとふやしていくようなやり方なので、その辺のところと、もう一つ大学入試との関係で、やはり本当に履修科目にして、いわゆる試験のために勉強するんじゃないといいながら、やはり本音の部分としては試験に関係ある科目をやりたいというのは私立に限らず公立でもある。やはり進学校とすれば、どこどこの学校へ何人入ったというようなことは、これは建前は別にしまして、本音としてはやはり校長先生もプレッシャーを感じながらやっておるわけでありますから、やはりそういった点が現場と、先ほどの国なりが思っていることの違いだろうと思います。

 そしてもう一つは、未履修がゼロの県がたくさんあって、愛媛県なんかは非常に多かったんです。これも本当にフェアに、未履修をやっておるのかどうかの査定も、私は、今度の高校野球の特待生にしても、解釈の仕方によってないという県があったりするのも、必ずしも同じルールで同じ判断によって未履修の学校をピックアップしたんじゃないと思います。やはりその辺は同じ基準できちっと未履修を発表するようなことを国としてはやってもらいたいなというふうな感じがしております。

 いじめについて言われたのは、これはマスコミの方がおられますから言いにくいんですが、あれだけ集中的にやられて、それでもちろん教育委員会なり学校側の対応が悪かったこともたくさんございますけれども、そうでないものまでほとんど学校側が頭を下げるようなパターンのあれをされるのはいかがなものかなというふうなことを思います。

 それで、あることで申し上げたんですけれども、学校が身内を保護する、隠したがるというのはこれは当然のことなんですが、むしろ逆に、いじめを発見してどれだけ対応したかというふうな加点の意味も含めて、いじめ対策に対して、とにかくあったらいけんのだということではなくて、あるのがある意味では当然だ。どの社会においてもいじめはあります、大人の社会においてもあるわけですから。ある場合にどう対応していくかという、むしろ前向きに対応していくことに対して評価をする、そういった視点も要るんじゃないかなというふうなことで現場にお願いをしております。

片岡至君 教育課程の変更は、そんなにたびたび現場で行うものではありません。生徒の進路の希望によって、学校としてどう取り組んでいくかといったような討論を繰り返しながらやっておるわけでございます。

 そうした中で、いわゆる解釈があいまいになってきた、そういうことが未履修の問題につながったんだろうと思いますけれども、これは学校現場、特に私学の場合には、学校現場を預かっております校長がふだんからきちんとチェックをし、また、最終責任は私学の場合には校長にあるというふうに考えます。

牧委員 時間が来てしまいましたので、一点だけちょっと市長にお伺いしたいんですけれども、今回の法改正によって、地方教育行政法の四十九条、五十条、国の関与が強められた、是正の要求あるいは是正の指示ということが盛り込まれたわけですけれども、教育にまつわる問題、いじめや未履修を例に挙げましたけれども、これだけじゃないわけですね。これがそのさまざまな問題についての何らかの根本的な解決策になるとお思いかお思いじゃないか。そこら辺のところをちょっと。

小坂座長 恐縮ですが、手短にお願いいたします。中村時広君。

中村時広君 なるかどうかというのは別として、要はもう、さっき申し上げたように現行法上できることですから、その範囲に文言がなってきていますので、あえて入れる必要はないんじゃないかなというのが個人的な意見です。

牧委員 ありがとうございました。

小坂座長 次に、高井美穂君。

高井委員 民主党の高井美穂と申します。

 本日は大変お忙しい中、貴重な意見をありがとうございました。

 先ほど中村市長が清水小学校のことをおっしゃいましたけれども、私、拝見しに行って、デイサービスの事業がもう実施されて四年になるそうですね。何か問題があったり何かしたことはあるかといえば、何一つない、いいことばかりだということをおっしゃっていまして、ではなぜ全国的に広がらないのかなと不思議に思ったんですね。その回答を先ほどいただいたような気がいたしまして、まさに、地方が各地で取り組まれているいい事例は国会の方でも持ち帰って議論をして、できるだけ広めていけるように頑張ってまいりたいとお話を聞きながら思いました。

 そこで、時間が少ないので、牧議員と分け合った時間の中で、本日は二点に絞ってお伺いしたいと思います。

 実は、私学の問題意識は西村委員が御質問なさったこととほぼ重複しておりまして、大変失礼ながら片岡先生は割愛させていただきまして、中村市長と井関教育委員長を中心にお伺いをしたいと思います。

 一点目は、まず教育委員会の件についてでございます。

 牧議員からもいろいろな話が提示されましたけれども、私どもは、教育委員会をいっそのこと廃止して、予算権限を持っておられる市長に責任を持って一元化してやっていただくというような法律の仕組みを提案いたしました。

 この背景にある問題意識としては、二十年ほど前から、さまざまな議論の中で、教育委員会がある意味で形骸化しているのではないかと。名誉職になっているのではないかとか、上つまり国の方しか見ないような委員会になってしまっているのではないか。一〇〇%そうは思いませんが、そういう指摘がなされてきた経過もございます。

 そして、いろいろな団体や、地方分権改革推進会議それから地方制度調査会、ひいては全国市長会、町村会なども、この教育委員会の必置規定を撤廃して選択制にしてはどうかというような意見もさまざまなところで出されているわけでございます。

 もちろん、私がさっき述べた不要論、教育委員会は要らないんじゃないか、それから必置規定撤廃論、つまり市町村が選べるような選択制ですね、もしくは、教育委員会はもっと権限の強化をするべきではないか、機能を強化するべきではないか、こういう議論が今国会でもさまざまに行われているわけでございます。

 そこで、個人的な御意見でも結構でございますので、この教育委員会制度について、こういうさまざまな議論がある中でどのようにお考えになられるか、お二人にお聞きしたいと思います。

中村時広君 さっきの清水小学校の事業が広がらないのは、簡単なことで、お金がないんです。それに尽きると思います。

 まず市教委のことなんですが、恐らくここら辺は井関さんとは意見が異なるところだと思いますけれども、教育委員会が全部なくなって、では市長の方で全部やれといっても完全にパンクします。今、市町村合併で、いろいろな合併先のことも考えながら、分権で仕事もふえていますので、この上教育も全部責任を負えというのはとても自信がありません。そういった役割分担という中で、いい仕事をしてくれたら十分に機能するんじゃないかなというふうに僕自身は思っています。

 いろいろな意見がありますけれども、先ほど申し上げたように、市町村というのは規模によって、あるいは人口によって、面積によって考え方が違うんですね。だから、コンパクトなところだったら、もうすべて市長部局の方でという考えも出てくるでしょうし、我々なんかはとてもそこまでは担えないというところもあるでしょうし、すべて統一した見解を出すのは難しいんじゃないかなというふうに思います。

 ただ一点、横から見ていて、繰り返しになってしまうんですけれども、人事権がない限界というものを、いろいろな市教委の仕事ぶりを見て、市長として感じます。一体感がどうしても生まれないんですね。研修はやります。中核市ですから、研修の権限は持ちましたからやります。でも、やはり心はどこかここにあらずというところがあるのかなと。

 県の立場もありますけれども、中核市の市長としては、人事権というものをセットでいただく中で、一体感を持った責任体制を確立した方がいいんではないかなというふうに思います。

井関和彦君 県と市町、村はないので、市町によって随分教育委員会の役割も違うんだろうと思います。ですから、小さな市、特に町において、東洋町では、町長さんが毎週二、三回学校へ行けとか言われて、五人が辞表を出したなんてこともあります。教育委員の立場というのは、もう御存じのとおりで、レーマンコントロールというふうなこととあわせて、仕事を持っていながらの教育委員でございます。いろいろな知識や、また教育行政のことについてはかなり疎い面があります。

 ただ、先ほど中村市長も言われましたように、県の場合は、今民間の方が二人、一人がPTAの代表、あとは義務教育と高校から一人ということで、どちらかというと民間の人が教育委員長をしながらやっておるというふうなことで、普通の委員会の中でも、具体的な例を申し上げて恐縮ですが、民間の校長を採用するのかどうかについても、先生の立場と民間の人で意見が分かれたりします。そういう中で議論をしながら、いろいろ進めております。

 教育界の人だけですと本当に教育界を擁護するのはもう当然のことですけれども、民間の人が入ることによって随分活発な意見も出ますし、最近のいろいろなことについてはインターネットで全部会議録も出しております。

 そういったことで、県の教育委員会としては、自分で言うたらおかしいんですけれども、なくしても、それではだれがやるのかというと、また別の名前を変えた組織をつくってやるんであればほとんど意味がないんじゃないかなという気がいたしております。

 それと、少なくとも各市町に五人ずつ要るのかどうかは、それは私はちょっと市町のことはわかりませんけれども、県としては今の体制でやっていって、スムーズにある程度できているんだというふうに自負をしておるんです。そんなことで、答えになりませんけれども……。

高井委員 私どもも率直に、市長に全部教育の責任を負わせようというのではなくて、やはりナンバースリーとして教育長がいらっしゃる、県の方でも知事の部局の中に教育担当部局がある、そこを強化しようと。より監査的な、中立的なチェックの機能に教育監査委員会制度というのをつくり上げて役割分担をしようじゃないかという提案でございまして、本当に二人のおっしゃった御意見というのはよく私どももわかっているつもりでございます。また国会の方でも、引き続き議論を深めていきたいというふうに思います。

 もう一点、免許法ですけれども、先ほど二十三時間の独自の研修をしておられるというお話がございました。実は今回の法案は三十時間の研修を導入しようという法案でございますが、伊吹大臣の答弁からすると、土日、夏休みなど休みを使ってやっていただける研修にするということで、今のところそういう話で進んでおります。

 となると、現状二十三時間ある研修に加えて三十時間の研修が入ることになる。十年研修は目的が違うということでそのまま残すという法案の仕組みに今なっております。となってくると、かなり現場の先生方は部活や休み等に影響が出てくるんではないかということを含め、私は現場の多忙化、それから、冒頭中村市長がおっしゃった、一般的な先生は一生懸命頑張っておられるというその前提に立って、同じような意識を持っておりますから、とてもじゃないけれども約百万人の先生に同じような研修制度を三十時間余分に設けて資質向上に資するのかどうか、大変懸念を持っております。

 その点から、この免許法の改正について、個人的な見解でも結構でございますので、そうした懸念というのはいかがお思いになるか、教えていただきたいと思います。

井関和彦君 今、県でも実施をしております。ほぼ同じような時間の長さだと思いますけれども、これはやはり、どちらかに調整をしていただくことで、賛成、反対というのはちょっと言いにくいんですけれども、ダブってやることはちょっと無理があると思います。

 先ほど言われたいろいろな問題点もございますので、その辺のところの調整をしていただかないと、ただ国であれしたものをやりなさいと言われても、県の今やっていることをどうするのか。さらに、いろいろな手続や事務の繁雑さも含めて、そこまでやらないかぬのかなということ。

 同時に、あわせて指導力不足教員の認定をもう少しうまく機能させていただいて、十年になって皆試験を受ける、更新をするというよりも、本当に指導力不足のあれは、税務署なんかも、神社の寄附でも国宝に近いものなら税の控除ができるけれども、税務署長ではどうにもなりませんというふうなことで国へ基準を預けておるんですね。

 現場の校長先生も、なかなか指導力不足教員の認定をしにくい立場にあるんだろうと思います。ですから、愛媛県でも、一万三千人おって七、八人というのはいかにも少ない。だから、その辺のところをもう少し、国が基準を設定するなり何かして認定をしやすくする。御退場いただく先生と言うと言葉は悪いんですけれども、そういう面の厳格化とあわせて検討していただければいいんじゃないかと思います。

 それで、評価の本当にいい先生まで皆十年ごとに、特に自費も含めて払わせてやるのがいいかどうかということについては、そこまでしなくてもという感じが若干いたしております。

小坂座長 市長さんもお答えになりますか。それでは恐縮ですが、時間が経過しておりますので、手短にお願いいたします。

中村時広君 どちらの案にも講習の義務づけというのがあって、時間よりもやはり現場の状況というのを十分踏まえた上で、そこにしわ寄せがないような工夫をしていただけたらというふうに思います。

高井委員 ありがとうございました。

小坂座長 次に、西博義君。

西委員 公明党の西博義でございます。

 きょうは、三人の意見陳述者の皆さんに大変お忙しい中貴重な御意見をちょうだいいたしまして、心より御礼を申し上げたいと存じます。

 早速でございますが、初めに、先ほどから若干議論になりました教育委員会と行政部局との関係のことでございます。

 市長さんから、公約の一つに教育という問題が当然入ってくる。私は、大勢の市民の皆さんが大きな関心を寄せている問題だけに、これは大変重要なことだというふうに思っております。一方で、教育委員会そのものは中立的な行政機関ということで、この間の大臣の答弁の中でも政治的な中立性を担保するということがしばしば出てくるわけでございます。現実の問題として、市議会なんかでも市長さんに教育の問題をお尋ねになってお答えをされたりということがあるのではないかというふうに思っております。

 日ごろから余りそういうことを意識しないケースが多いんじゃないかという気もするんですが、その辺の日ごろの教育に関する市長さんの、教育委員会というものを一方に置きながら、もちろん教育長さんもいらっしゃるわけですから、その辺の立て分けの感じということと、それから同時に、教育委員長さんから見て、これは県と市ですからきょうは言いやすいんですが、同じ市同士だとなかなか難しいかもしれませんが、市長さんのリーダーシップもしくは知事さんのリーダーシップというものと、それから教育委員長さん、それから教育長さんの独自性というもののバランスが大変難しい。日ごろ僕らも実はそう注意深くしょっちゅう物事を考えているわけじゃないんですが、そのことについての率直な御感想をお二人からお聞かせいただきたいと思います。

中村時広君 うちでは定例的に五役会という会議を催しているんですが、例えばその中で、あくまでも押しつけじゃなくて、こんな実例を聞いたんだけれども教育長どうかというようなアドバイスなんかはよく、私だけじゃなくて他のメンバーからも出てくるんですね。それをいいなと思ってやるかやらないかは自由ですから、そこは強制は全くありません。

 ただ、選挙のときの公約というのは民意が示されたことでもありますので、当然その民意というのを受けとめて教育長も教育行政を考えるはずですから、あうんの呼吸で消化していただいているというふうに思います。

 それで、その中で事業実施を考えていくんですが、冒頭にお話ししたとおり、最近は、子供の安全、安心の問題、いじめの問題等々、もう教育委員会だけでは手に負えない課題がすごくふえてきているんですね。そのときは市長部局が前面に出て地域への呼びかけ、団体への呼びかけも積極的に行っていきますので、こうした事業については市議会でも私が直接答弁をしています。ただ、教育オリジナルの中身についてはすべて教育長ないしは教育委員会の事務局長答弁ということで、そのあたりのすみ分けというのは明確にして進めているところです。

井関和彦君 県でも同じような対応をしておると思います。特に五役会とかそういったことは私は参画をしませんけれども、今市長が言われたような格好で対応をし、県議会の答弁にしましても、よほど大きな問題であれば知事さんが答えることはありますが、後は教育長、他県では委員長さんも答弁をしたりしておりますけれども、愛媛県では教育長がすべて答弁をしております。

 それで、議会にも愛媛県の場合は委員さんが交代で出るようにして、議会中全部出席はできませんので、どうしても交代で出るというふうなことで、答弁は教育長さんが基本的にはされておるようでございます。

西委員 そこで、市長さんにお伺いしたいんですが、先ほど、いじめ等のそれこそ子供たちの生命とか非常に緊急的な課題というのはどこにでも今あり得る話だと思うんです。そのときに大変リーダーシップを発揮されて、地元の、しかも教育委員長を初め教育長の任命権者として主体的にやっていくというお話、これは私はある意味では当然のことだと思います。

 実は、今回のこの指示という国の関与のあり方の部分も、文部科学大臣からそれぞれの地方の教育委員会に対して指示をする、ただし限定された範囲で指示をするということが入っているんですが、私ども、いろいろ党内でもこのことについて議論をして、当然、文部科学大臣が緊急に指示するということもあり得るけれども、普通は市長さんなり地元の方が対応される、まず手を出すのはそこじゃないのか。

 ただし、この法律は地教行法ですので、それは市長さんの関与はもちろん法律に入るはずはないんですが、そういう気持ちを持っておりまして、このことについて、多分、当然というふうに今の答弁からはおっしゃるんだと思うんですが、一言御感想をお願いしたいというふうに思います。

中村時広君 現行の地教行法でも十分可能というお話をさっきしていたので、私はその考え方に立っているんですが、もう一つちょっと特色的なのは、やはり先般のいじめ問題での教育再生会議の議論というのが、私は申しわけないんですけれどもどうしても消化できませんでした。先日も、何かお乳を飲ませて子守歌とか、ちょっと待ってくれというような議論があったので、やはり国が決めたことが全部それぞれの地域、オールマイティーに適用できるのかどうかというところはぜひ御考慮をいただきたいなというふうに思います。

西委員 確かに、冒頭おっしゃられたように、国の権限を強化するということの中で、国の判断が常に正しいとは限らないというお話がありました。詳細は地方の方がよく知っているということだろうと思います。その辺のことの調整も実は必要だというふうに私は思っております。

 それから、教育委員長の井関さんにお伺いをいたします。

 幹が細っているのに枝葉をつけるのは難しいんじゃないかというお話がございました。実は私、一週間前の日曜討論でもよく似た話をいたしまして、根っこは意欲だ、学習意欲だ、幹は判断力とか思考力だ、葉っぱが学力だ、根っこがない限りは木は起きられないんじゃないか、こういう話をさせていただいたんですが、そういう意味で、木材の専門家として大変また有益なお話を、私にぴったりのお話をいただいたというふうに思います。

 きょうも学校へ行かせていただいて、本当にみんなが一斉に先生の目を集中して見ている、その興味といいますか、勉強しようという意欲はすごいなと思って、校長先生にもお話をさせていただきました。今、意欲のない、また学ぶ関心を持たない子供たちも出てきているというふうに聞いておりますが、そういう面では、またしっかり委員長さんの御活躍を期待したいと思います。

 そこで、今回、学校教育法で新しい職を設置することになりました。今のように校長、教頭という方だけではなくて、副校長、それから主幹教諭、指導教諭、こういう形でそれぞれ役割についていただくということにしております。いわば四十人の職員室の中で、今までは中心者が一人、二人だけだったのが、四十人といったら学級のクラスとよく似たスケールですが、職員室の中でももう少し役割分担をきっちりつけていこうという趣旨なんですが、このことについての御感想をお願いしたいと思います。

井関和彦君 副校長制度は、今高校の分校においてはスタートをしております。義務とか一般校では、高校ではまだスタートしておりませんけれども、権限のうちで、いわゆる事務局が担当するような権限まで校長にあったのを副校長におろしたりして校長の権限を少し軽くしたり、そういったことの対応でして、行政の副市長と同じで副校長をつくったのかなという程度しか私ども正直なところ感じていないんですが、権限が、副校長になったことによって、従来の教頭よりは少し幅広く持たせるようなことで今対応をしておるところでございます。

 このことは、ある面、やはり校長の負担を軽くできますし、教頭先生も副校長になったことによって、少し権限を委譲してもらうことによって、将来のことも含めて勉強になるのかなというふうに思っております。その程度しか私はわかりませんけれども。

西委員 片岡校長先生にも一言コメントをお願いいたします。

片岡至君 学校現場は今までいわゆる横並びの組織でございまして、ピラミッド型というのは余り経験を持っておりませんから、即座にこれがなじむかどうかということについて一つの懸念はあります。

 仕事が非常に煩雑になってきておりますので、副校長というようなポジションを私学で将来置きますと、例えばきょうのこの会に私が出ておりますと学校はもうあと教頭だけというような状況でございます。そういった面からしますと、いわゆる責任を持った者が学校内に残るという意味では非常によくなるというふうな感じを持っております。

 ただ、現実的にはそういう組織図を描いたことがありませんので、今ここでお答えすることはちょっと難しいと思います。

西委員 先ほど公立と私立のお話が若干出ておりました。御当地の愛媛県下でも、例えば高校で公立と私立の定員も、少子化を控えてかなり悩ましい問題ではないかなというふうに思っておりまして、教育委員長さんは、一手にやった方がいいんじゃないのか、こういうお話でございました。実は、私どもの党のいろいろな議論においては逆で、やはりお互いの緊張関係があった方が、つまり知事部局で私学がおられて、違う立場からお互いを見ていった方が、一手に吸収されるよりも私学の皆さんは少し安心されるんではないかなということを議論しておりました。

 このことについて、校長先生はいかがでございましょうか。

片岡至君 確かに愛媛の場合も、私学対公立というのは非常にシビアな関係にありまして、生徒確保あるいはその確保した生徒をどのように伸ばしていくか、非常に比較されやすい一面がございます。努力することについては大変なんでございますけれども、やはり我々私学は、知事部局で指導を受け、その中で切磋琢磨していく、公立とは違った意味の特色といいましょうか校風を持ってやっていく状態が私どもにとってはいいんじゃないかというふうに個人的には思います。

西委員 もう最後になるかもしれません。

 もう一点、これは今のお答えでもよろしいんですが、私立学校の教育行政の役割の話です。

 私立学校に関する事務については、必要と認めるときは教育委員会に対して学校教育に関する専門的事項について助言、援助を求めることができると。今までさんざん皆さんに不評の再生会議等の案は、教育委員会が直接私学に対して指導、助言を求めることができると、主語が教育委員会というふうに当初の原案はなっておりました。

 私どもはそのときに、私学というのはあくまでも建学の精神と独自性が命だと。そのために多くの個性豊かな人材を輩出していただいておるのも事実だということで、教育委員会が一律に公立の学校と同じように指導、助言に入るということは好ましくない、また立場は違うということから種々議論をして、最終的に今のような形に、首長さんが必要な事務について教育委員会に御相談なさって、そしてその結果でもって、今までの体制で首長さんから私学に対して必要なことを指導していただくということに決着したわけでございます。

 これでもう十分かと言われますと、なかなかそうもいかない面もあるかなと。このことについても、どういうことだったらいいとかいうことは限定的につけないかぬというふうな気持ちを私自身も持っているんですけれども、このことについて委員長さんと校長先生お二人のお話を聞いて、終わらせていただきたいと思います。

井関和彦君 知事部局も県によって随分人材のあれも違うんだろうと思います。未履修の問題があったときも、知事部局では対応できないから教育委員会がやってくれということになるところもありますので、全部教育委員会が統括するのがいいかどうか、これは非常に微妙なことだと思いますので、それ以上は言えませんけれども、そういう面では、何かあるとやはり教育委員会に頼んでくるというふうなところもありますので、部局がいいのか教育委員会がいいのかは非常に難しい。この間のフランスの選挙ぐらいの感じでよくわからぬところだと思います。

片岡至君 私学といたしましては、今先生がおっしゃられたように、途中の議論というのを非常に目を見開いて眺めておった。願わくは従来の方法、いわゆる知事部局と委員会というふうに分けておいてほしいという考え方で我々は議論をしてまいりました。

 今のところそういう希望がかなえられておるということなんですが、やはり同じ私学であっても微妙に特色が違うという点からしまして、公の学校、いわゆる公立と私学とが同じ指導を受けるということになりますと、私学としての、言葉はいつも同じでありますけれども、建学の精神というのは全くなくなってしまうといったようなことから、私どもとしましては、現在の指導のあり方を希望したいというふうに、これは私見でありますけれども、思います。

西委員 ありがとうございました。

小坂座長 次に、保坂展人君。

保坂(展)委員 社民党の保坂展人です。

 まず、中村市長と井関委員長に同じことをお尋ねしたいと思うんです。

 現在、内閣そのものが教育再生ということを語って、法案の審議をしているわけですけれども、教育における危機が広がっているという認識をこの間広く提示をしていると思います。

 ただ、私は、実は、国会議員になる前から、校内暴力の現場をつぶさに歩いたり、八〇年代、九〇年代のいじめの現場、いろいろな子供たちや学校の様子を見てきたりしたわけです。確かに問題を抱えながら学校全体があると思いますけれども、今、特別に悪くなって、ひどいことになっているという認識は実はありません。もちろん、手を打たなければいけないことは多々ありますけれども、危機的な事態だという認識は余りないので、市長の方が、教育の再生より充実をと言われたことに同感をするわけなんです。

 ただ、とはいっても、メディアが発達している時代ですから、それぞれ御就任になった一九九九年ですか、今から八年前を振り返って、松山市あるいは愛媛県で起きた学校の現場での事件、あるいは子供にかかわる事件、教育の問題という範疇でお聞きしたいと思うんですが、印象に残っている事件を一つないし二つ挙げていただいて、その原因が果たしてどの辺にあるのかということについてお感じになってきたことをお話いただけないかと思うんです。

中村時広君 今、振り返って事件ということは、もちろん不祥事といったことはありましたけれども、そのたびに情報も開示し、おわびをし、例えば松山市の場合、これは教育長も受けとめていただいて、まだまだのところもあるんですが、失敗しても報告する行政というのが公約なんです。ですから、情報開示、アカウンタビリティーはもとより、失敗しても速やかに報告するんだ、そのためにおしかりは受けるだろうけれども、それこそが改善へのエネルギーになるはずだというふうな考え方で進めているので、何か起こると片っ端から出していくということをやってきました。

 ただ、当初、まだ市長部局は僕が直接いますので、速やかにはできても、毎月謝っていた時期もあったんですけれども、最近は余りなくなって、教育委員会はちょっと時間差があったのは事実ですね。本来だったらおととい出しておくべきものを二日おくれてしまったとか、そのあたりは同じような感じになるようにこれからも不断の努力を続けていかなければならないと思います。

 そんなふうにやってきましたので、問題ということで振り返って何かといっても、余りこれはというふうにはないんですよ。

 むしろ逆に、さっき申し上げた、例えば、子供たち二百人が一堂に会して、いじめ問題に立ち上がってくれと呼びかけたときの子供たちの熱心な、これほどやってくれるかというぐらい熱心な議論の姿であるとか、あるいは、本当は好ましくないんだけれども、PTAと地域が立ち上がって子供たちの安全、安心を市ぐるみで守っていこうじゃないか、そのためにはこういうふうなことを役割分担でやっていこうという、コミュニティーの崩壊が言われて久しいんですが、それが復活の兆しを見せる風景とか、そういう方が印象に残っています。

井関和彦君 県で先生方の不祥事とかそういったことの処分をするときに、いつも決まってマスコミが入ってこうやられるんですけれども、それはそれで、それがいい悪いということを申し上げておるんじゃなくて、その中で、なぜ先生がこんなことをするんだろうというような事件が以前は結構ありました。生徒に対するセクハラも含めたようなことについても、かなり指導、処罰を厳しくしたからという意味じゃないんでしょうけれども、そういうことに対しては絶対いけないということをはっきりして、処罰規定もあれしたり、飲酒運転一つとってみても、残念なことにまだあるんですね。最低停職とか何かですから、飲酒をして運転するなんてことはあってはいけないことがあるのは残念なんです。

 これも言い方がおかしいんですが、やはり、一万三千人おられる中でたまに起こるのが、もってそれが先生の質がどうこうと言われることが私は非常に寂しい。大半の先生は本当によくやっていただいておりますので、そういった事件だけで何か今の先生はなっておらぬとかいろいろ言われることについては、ちょっと私個人的には寂しい思いをすることがあるぐらいです。

保坂(展)委員 続いて、市長にお聞きいたします。

 私も教育再生会議の提言について大変違和感を持った一人でありまして、今市長が言われた、逆にこの提言をばねにして地域の取り組みをやったというのは、新鮮に聞かせていただきました。

 そこで、お尋ねなんですが、このいじめの問題もずっと長らく学校現場にありました。そして、一番我々が避けなければいけないのは、それを学校や周辺が放置をして、そしてついにその被害者である子供が亡くなってしまうという事態は最大限避けなければいけないと思いますが、文部科学省の統計では、一九九九年以来いじめ自殺はゼロ名である、いないんだ、こういう統計が現にございました。これは、ちょっと統計のとり方の指標が、どうも、いじめ自殺というところにカウントしなくても友人との不和というところにカウントすればいい、こういうことになっていたので問題が表面化しづらい、その責任の半分は国の方にもあったんだろうというふうに考えています。

 未履修の問題も同様だと思いますが、しかし、この間の、昨年秋の教育基本法をめぐる議論が、私もその問題を投げかけた一人なんですが、どうも地方の教育委員会や学校などがよくないということで、国の指導権限を強めるべきだという結論になっていることに、現場として、市長としてどうお感じになっているかということをお聞きしたいと思います。

中村時広君 ちょっと繰り返しになりますが、いじめというのはいつの時代でも存在しています。それで、決してなくならないと思います。人間の心の弱さ、マイナス面に起因する、本能にも似た行為かもしれません。だから、いつまでたっても不変の課題として我々に投げかけられてくると思うんですが、こうすればなくなるという答えなんか絶対に見つかりっこないと思います。だから、もう気づいたことはすべてやっていくしかない。地域によってはそういうふうな取り組みをしようとしていますので、そういったところに目を向けて財政的な応援をしていただいた方がむしろ効果的な事業ができるのではないかなというふうに思っています。

 だから、何も関与とかいうふうなことは余り僕らは感じてはいないんですけれども、言葉の表現というか空気があるじゃないですか。人間というのはやはり、僕がよく気をつけているのは、職員さんにしろ教育委員会にしろ、やる気をどう引き起こしてあげるかというところに一番重点を置くんですね。そのためには、厳しいこともやります、あるいは逆に、本当にバックアップしてあげることもやります。考えられるあらゆることをやって、一番大事なことは、どう現場の人たちのやる気を引っ張り出すかということではないかなというふうに思うので、すべての事業とか法律をそんな考えのもとに練り上げていただけるといいのではないかなというふうに心からお願いをしたいと思います。

保坂(展)委員 次に、井関委員長に、同じ点なんですが、国の指導がある程度必要ではないか、こういう意見ですね。

 例えば、生徒の教育を受ける権利が明白に侵害されているだとか、緊急に生徒の生命身体を保護する必要が生じる、そのことを教育委員会がやっていないときに国が是正とか指示に入るんだということはある程度やむを得ないという御意見でしたが、どういう事態が何か具体的に考えられますか。

井関和彦君 なかなか具体的に思い当たることがないと言ったら、自分のところはちゃんとしておるように聞こえてもいけませんけれども、そんな感じなんです。ですから、そういったことがあればそのくらいは国が関与してもいいのかなという程度しか私は推測ができないんですが。

保坂(展)委員 具体的に余りないのであれば要らないのではないかと私は思うんですけれども、もう一点、委員長に伺います。

 九九年以降教育委員会にお入りになって教育委員長を長らく務めてこられて、学校の先生の世界、教育界といいましょうか、ごらんになってきたと思うんですね。去年はいじめ自殺が続いて、文部科学大臣が死んではいけないというメッセージを出したり、芸能界からスポーツ選手、あるいは民間の機関まで、子供の命をめぐるキャンペーンをやりました。ところが、未履修の問題が発覚すると、全国で何人かですけれども、その責任をとって亡くなる校長先生が現におられたということで、これはちょっと言葉を出しにくいというか、どういう事態なのかと。

 子供たちにまさに命を教えなければいけない責任者が、逆にその責任感の重圧の余り命を絶ってしまうというふうなことについて、何か学校の先生なり教育界の体質の中に、上意下達というかヒエラルヒーといいますか、そういうものがあるのだろうかということを私は感じるんですが、その点についてはいかがですか。

井関和彦君 まず、命の問題というのは非常に難しいので、私はやはり、今、幼から文科省のあれになりましたけれども、保育園やそういったところも含めて本当に幼少な時期に、いけないことはいけないんだというふうなことを家庭でやることが一番大事な根本だろうと思うんです。ですから、それを、三歳か五歳かは知りませんが、その年代のときにきちっと家庭で教えることができれば、そういった命にかかわるようなことはしないんだろうと思います。

 それで、未履修で愛媛県で校長先生が自殺されたのは、ある高校の先生が最後のような発表をされた後、さらに迷っていたらしくて、それを少し責任みたいなことを言われて、結局、生徒にどう対応したらいいか、本人が悩んでいるところにタイミングを失したような感じで、非常にまじめな先生ですから自分を責めてああいったことになったのは私どもとしても本当に残念で、心情としてはわかるんですけれども、後の文科省のいろいろな対応策が出ればそこまでしなくてもよかったんだろうというふうに、気の毒に思いますし、また残念なことだなというのは感じてございます。

保坂(展)委員 もう一点なんですが、教育委員長として、教育長を初めとした事務方がいろいろ起案されて原案を持ってくると思うんですが、これを教育委員会として、ちょっとこれはだめだということで押し戻したり、かなり訂正させたりとかというような、そういう議論は愛媛県の場合はあるんでしょうか。

井関和彦君 ございますし、事前にいわゆる協議という格好で三十分ぐらいそのことについて議論をするとか、例えば民間校長を入れるかどうかとか副校長をつくる前にも、いろいろなことについて事前に協議をします。

 先ほど言いましたように、学校のOBの方と民間の人は随分意見が違いますし、例えば民間校長を入れるなんということについては、学校の先生の委員さんはほとんど一〇〇%反対されますし、民間の人はそれほどでもないんです。結論的には、愛媛県の場合はそうまでしなくても十分いい先生が今おるじゃないかというふうなことが一つの方向になっておるようでございますが、そんなことについても、いわゆる公開の場での議論じゃなくて、打ち合わせ的なことは事前にすることは非常に多いですね。

保坂(展)委員 続けて、片岡校長先生と中村市長に、最後の質問になるかと思うんですが、現に今格差社会ということが言われています。十年前と比べると、生徒の家庭のあり方とか経済事情は大きく変わっていると思います。そういう中で緊急にしなければならないとお感じになっていることがあれば、お話をいただきたいと思います。特に、学力の点でいうと、家庭の経済状態によって、例えば学習塾に相当時間行っている子とそうでない子の開きというのはやはり出てきていると思いますが、その点も含めてお願いします。

片岡至君 私どもの学校では、入学と同時に、いわゆる中学校までの学力がどの程度かということを推しはかるテストといいましょうかを行います。数学、英語、国語といったような基本教科につきましては、そのテストをもとにして、クラスは一緒でありますけれどもコースとして習熟度別に分けまして、教科によって同じレベルを二つ、そして少しレベルの低いものを一つ、あるいは逆の場合もありますけれども、そういったことで一年生のときから取り組みをいたしております。

 そういう取り組みをいたしますと、生徒の方も、背伸びをしてついていくよりはむしろ自分自身の力に合ったコースで学習ができるということで、違和感はないようであります。もちろん、学期あるいは学年末等でメンバーの入れかえはやっております。私どもの現場ではそういう指導をしておるということでございます。

中村時広君 これは中身に入ってしまうので、私の権限ではないんですけれども、個人的に思うのは、義務教育段階での読み書き計算、この習熟度をやはりもっと高める。いわば基礎ですよね。基礎さえしっかりしていれば、あとの応用というのはいろいろ広がり、可能性は生まれてくると思うので、ここの部分はもう少し考える必要があるんじゃないかなと。

 特に、最近心配するのは、例えば大学生でも、最近読んだ本はあるかというと、ないという学生が多いですよ。活字というのは、その読んだ人間に、想像をしたり主人公に自分を投影したりしながら思索をどんどん深めていく役割を果たしてくれるんだけれども、例えば明治時代の若者というのは活字に飢えていた日本人たちが生きた時代だと思うんですね。人口四千万人ぐらいの時代に福沢諭吉の「学問のすゝめ」が一千何百部も売れた時代。だから、若者が日々日々活字をこなすことによって思索にふけれる非常に特異な時代だったと思うんですが、今活字離れが言われて久しいんだけれども、そのことが常態化する中で思索というものが非常に浅くなってきているのかなと。

 だから、格差の答えになるかどうかわからないんですけれども、早い段階で読み書き計算という本当に基礎的な知識を徹底的にやはり鍛えていくということがその後の格差を広げないエネルギーにもなっていくのではないかな、そんなふうに思います。そのことを踏まえて、カリキュラムであるとか学校の教科書の中身であるとか、どんどんお考えいただきたいなというふうに思います。

保坂(展)委員 ありがとうございました。

 経済的な格差によって、基礎がうまくつかめない子供たちがこれからふえていくことをとても懸念しています。ぜひそれぞれのお立場で、そういうことがないように、公的な、社会的な支援の方をしっかりお願いしたいと思います。我々もそういう議論をしていきたいと思います。

 ありがとうございました。

小坂座長 以上で委員からの質疑は終了いたしました。

 この際、一言ごあいさつを申し上げます。

 意見陳述者の皆様方におかれましては、御多忙の中、長時間にわたりまして忌憚のない御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。

 本日拝聴させていただきました御意見は、当委員会の審査に資するところまことに大であると思っております。ここに厚く御礼を申し上げます。

 また、この会議開催のため格段の御協力を賜りました関係者の皆様には、心から感謝を申し上げます。まことにありがとうございました。

 以上をもちまして地方公聴会を終了いたします。

 これにて散会いたします。

    午後二時五十八分散会


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