衆議院

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第2号 平成27年5月7日(木曜日)

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平成二十七年五月七日(木曜日)

    午前九時三十分開議

 出席委員

   会長 保岡 興治君

   幹事 後藤田正純君 幹事 河野 太郎君

   幹事 根本  匠君 幹事 平沢 勝栄君

   幹事 船田  元君 幹事 古屋 圭司君

   幹事 武正 公一君 幹事 井上 英孝君

   幹事 北側 一雄君

      赤枝 恒雄君    安藤  裕君

      池田 佳隆君    江崎 鐵磨君

      小田原 潔君    木村 弥生君

      工藤 彰三君    小島 敏文君

      今野 智博君    佐藤ゆかり君

      高木 宏壽君    棚橋 泰文君

      土屋 正忠君    寺田  稔君

      野田  毅君    星野 剛士君

      堀内 詔子君    前川  恵君

      牧原 秀樹君    松本 文明君

      宮崎 謙介君    武藤 貴也君

      務台 俊介君    村井 英樹君

      山下 貴司君    山田 賢司君

      山本 有二君    大島  敦君

      鈴木 克昌君    辻元 清美君

      中川 正春君    長妻  昭君

      古本伸一郎君    鷲尾英一郎君

      小沢 鋭仁君    馬場 伸幸君

      吉村 洋文君    國重  徹君

      斉藤 鉄夫君    浜地 雅一君

      赤嶺 政賢君    大平 喜信君

      園田 博之君

    …………………………………

   衆議院憲法審査会事務局長 阿部 優子君

    ―――――――――――――

委員の異動

四月十五日

 辞任

  木内 孝胤君

同日

            補欠選任

             園田 博之君

五月七日

 辞任         補欠選任

  衛藤征士郎君     小田原 潔君

  木原  稔君     前川  恵君

  棚橋 泰文君     星野 剛士君

  宮崎 政久君     堀内 詔子君

  若宮 健嗣君     木村 弥生君

同日

 辞任         補欠選任

  小田原 潔君     今野 智博君

  木村 弥生君     工藤 彰三君

  星野 剛士君     棚橋 泰文君

  堀内 詔子君     宮崎 政久君

  前川  恵君     木原  稔君

同日

 辞任         補欠選任

  工藤 彰三君     若宮 健嗣君

  今野 智博君     衛藤征士郎君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 委員派遣承認申請に関する件

 日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件(今後の憲法審査会で議論すべきこと)


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     ――――◇―――――

保岡会長 これより会議を開きます。

 委員派遣承認申請に関する件についてお諮りいたします。

 日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する調査のため、来る六月十五日月曜日、高知県に委員を派遣いたしたいと存じます。

 つきましては、議長に対し、委員派遣の承認を申請いたしたいと存じますが、これに賛成の諸君の起立を求めます。

    〔賛成者起立〕

保岡会長 起立多数。よって、そのように決しました。

 なお、派遣委員の人選等につきましては、会長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

保岡会長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

     ――――◇―――――

保岡会長 日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件について調査を進めます。

 本日は、今後の憲法審査会で議論すべきことについて自由討議を行います。

 この自由討議につきましては、幹事会の協議に基づき、まず、各会派を代表する委員が順次発言を行い、その後、各委員が自由に発言を行うことといたします。

 それでは、まず、各会派を代表する委員の発言に入ります。

 発言時間は十分以内とし、その経過については、終了時間一分前及び終了時にブザーを鳴らしてお知らせいたします。

 発言は自席から着席のままで結構です。

 発言の申し出がありますので、順次これを許します。船田元君。

船田委員 私は、自由民主党を代表いたしまして、今国会で最初の実質的な審議を行うに当たりまして、今後の憲法審査会で議論すべきことを述べさせていただきます。

 その前に、昨年の通常国会において、年齢問題を初めとした憲法改正国民投票法の改正を多くの政党の御協力により成立させることができ、また、それに関連する公職選挙法の改正案を同様の枠組みで今国会に提出できたことに、改めて敬意と感謝を申し上げる次第であります。

 公務員の運動規制のあり方など、残された問題、宿題についても鋭意検討を続けるほか、公選法改正案の速やかな成立、また、主権者教育のあり方など、この枠組みを使いながらしっかりと取り組んでいきたいと存じております。

 さて、本題に入ります。

 まず、憲法改正議論の前提となる憲法観でございます。

 私たちは、現行憲法は戦後のGHQの強い影響下で制定されたという歴史的な事実は否定できないと考えております。しかし、同時に、平成十七年にまとめられた衆議院憲法調査会報告書においては、そのことばかりに拘泥すべきではないという意見が多数を占めたことも大切にしなければいけないと考えます。

 一方、七十年近くにわたり我が国の形を築いてきた現行憲法は、既に国民生活に定着したものとなっていますが、この間の国内外の情勢が大きく変化する中、現実と乖離した条項が指摘されていることも事実であります。また、新たにつけ加えるべき案件も多数ございます。

 憲法を改正できるのは、主権者たる国民であり、その国民を代表する国会であります。時代にマッチした前向きな改正を議論し、結論を導き出すことは、我々国会に課せられた重要な責務であると認識しなければなりません。

 さて、政府の統治を憲法に基づき行う原理、あるいは憲法は権力を縛りつけるものという立憲主義の思想は、憲法の役割を考え、憲法改正を考える際の重要なベースであることは論をまちません。我々憲法改正に携わる者は皆、この立場を常に踏まえておかなければならないと思います。

 しかし、同時に、日本国の憲法としては、我が国の国柄や国の形、さらには国民としての規範や理念を表現することも大変重要な要素であると考えています。しかも、これらは決して立憲主義と対立する概念ではありません。諸外国の憲法を見ましても、前文や第一条などに、神についての言及があったり、国家統治の理念をうたったり、歴史や文化への誇りを述べたりしたケースが散見されることは皆様も御承知のとおりだと思います。

 次に、今後の改正の議論における基本的な原則を確認しておきたいと思います。

 第一は、我々は何でも改正できるという立場ではなく、改正についてはおのずから限界が存在するということであります。

 具体的には、三原則と言われている国民主権、平和主義、基本的人権の尊重であります。これらは、言うまでもなく、人類普遍の原理であり、何人もこれを侵すことはできません。

 第二は、改正における議論は常にオープンでなければならず、改正に反対する政党も決して排除してはならないことであります。

 改正を最終的に決めるのは国民であり、国民にその判断材料を示すためにも、民主主義の手続は丁寧に踏んでいかなければいけないと考えます。

 第三は、改正に対する議論では、各党会派が平等に扱われるべきということであります。

 他の委員会では所属議員の数に応じて質疑時間が比例配分されますが、憲法審査会では、この前身の調査会以来、中山太郎元会長がつくられたよき伝統として、議員数の多寡にかかわらず平等に時間配分されてきました。今後とも、このよき伝統を守らなければならないと思っております。

 さて、その上で、我々が今後議論すべきことは、憲法の全てにおいて改正すべき点を洗い出すことに尽きるわけですが、とりわけ、昨年十一月六日に本日と同様の形式で行われました自由討議の中で、各政党を代表する発言者が共通して取り上げましたのが、緊急事態条項、環境権を初めとする新しい人権、そして財政規律条項の設定などでありました。これらのテーマを優先的に議論してはどうかと考えております。

 特に、緊急事態条項におきましては、今後高い確率で起こると指摘されるいわゆる東京直下型地震などの大規模自然災害発生時などに国会議員の任期が延長できることなど、憲法においてあらかじめ規定しておくことが急務となっています。このような措置は、防災における最大の課題でもあり、統治システム整備の基本でもあります。しかも、これは憲法によってのみ規定できるものと考えております。

 ちなみに、駒沢大学名誉教授西修先生の調査では、一九九〇年から二〇一四年までに新たに制定された百二カ国の憲法のうち、国家非常事態に関する規定は一〇〇%に達しているとのことであります。

 これらのテーマを初めとして、改正を要する、あるいはつけ加えるべき項目について、深掘りの議論を行い、深化させていくべきと存じております。

 なお、私は全国で憲法に関する勉強会に招かれる機会が多いのでありますが、多くの方々から質問されるのは、自民党の改正草案がそのまま原案になるんですかということであります。しかし、これは明らかに誤解であります。

 もちろん、我々は、自民党草案が改正の理想的な方向を示していると考えておりますが、そこから個別にテーマを取り上げて議論の場に提供していくつもりであります。しかし、実際は、衆参両院議員の三分の二以上の合意を得るために大いなる妥協を続けることとなり、結果として、草案はもとの姿ではなくなると考えております。それぞれの政党がそれぞれの考え方を積極的に提案し、粘り強く妥協点を見出していくことこそ民主主義の原点ではないかと考えるからであります。

 最後に、我々憲法審査会のメンバーは、党派の垣根を越え、憲法改正に向けて、幅広い合意を得ながら、静かでオープンな環境のもとで、真摯で前向きな話し合いを続けてまいりたいと存じております。

 御清聴ありがとうございました。

保岡会長 次に、武正公一君。

武正委員 おはようございます。民主党の武正公一でございます。

 本憲法審査会につきましては、与野党の合意形成を前提に、この十五年間、丁寧な議論を積み重ねてまいりました。その伝統にのっとって本憲法審査会が運営されるということが、過日、会長の発言でも確認をされたところでございます。

 ただ、その議論を進めるに当たりまして、二点、前提として確認を行う必要があると考えております。

 まず第一点は、立憲主義でございます。

 昨年七月一日、政府は、憲法解釈を変更し、集団的自衛権行使容認の閣議決定を行いまして、それを受けての安全保障法案の閣議決定が間もなく行われるとされております。四月末には、日米のガイドラインの見直しが行われ、米議会での総理の安保法案は夏までに成立という発言もあったところであります。

 こうした、立憲主義からいえば、一内閣が自分の内閣の都合のよいように恣意的に憲法解釈を変更することは、あらざるものと言わざるを得ません。立憲主義とは、専断的な権力を制限して、広く国民の権利を保障する思想とされてもおります。

 また、国民の義務、国の形を書いていったらどうかという話がありますが、各国の憲法を見た場合、特にG7などの諸国は少ないのが実情でございます。国民の義務を書いていない主要国、アメリカ、オーストラリア、フランス、カナダ。国の形については、アメリカでは奴隷制の廃止のみ、フランスでは国旗、国歌のみ。G7主要国の憲法前文もほとんど、こうした国民の義務、国の形の記載はございません。これが、立憲主義が持つ憲法のあるべき姿ではないでしょうか。

 また、海外の議会で安保法制の成立時期を明言することなど、憲法七十三条二号、外交は内閣の専権事項ということがあるかもしれませんが、最終的決定権は国会に与えております。四十三条一項であります。

 昨年は、国会は三カ月も開かれないまま、海外の首脳への説明が優先され、そして、今回もまた同様でございます。

 こうした点などは、この憲法審査会で、まず立憲主義について各党の考え方を改めて確認して、議論を丁寧に進めていくべきと考えます。

 二つ目は、いわゆる押しつけ憲法論でございます。

 安倍総理は、昭和二十一年にGHQの憲法も国際法も全く素人の人たちがたった八日間でつくり上げた代物だと発言をされています。

 既に、この憲法審査会の前身である憲法調査会では、二〇〇五年四月、最終報告書をまとめておりまして、「日本国憲法の制定に対する一連のGHQの関与を「押しつけ」と捉えて問題視する意見もあったが、その点ばかりを強調すべきではないとする意見が多く述べられた。」と。多く述べられたというのは、与野党で三分の二以上の議員が発言したことを指しております。

 こうした積み重ねのもと、この憲法審査会は、第一次安倍内閣で強行採決のもと国民投票法が成立をしながら三つの宿題が延期になっていたものが昨年改正されたことは、与野党で議論を重ね、合意をして、それを積み重ねてきた成果があったものと考えますときに、いわゆる押しつけ憲法論について、各党の考え方もやはり確認して議論を進めていく、それをもって改正の理由とすることの是非ということをしておかなければならない。

 前提として、まずこの二点を申し上げたいと思います。

 憲法審査会で議論すべきこととして、民主党は、現に生じている社会問題として、現行憲法に足らざる点、補うべき点として明確になっているものから優先的に議論していくことを提案いたします。

 まず、昨年の衆議院選挙、過去最低の投票率を記録しました。

 いわゆる憲法七条による解散であります。六十九条解散は、戦後第一回目など、二十四回の解散のうち四回、あとは七条解散であります。慣行として、内閣の裁量権とされてまいりました。

 しかし、解散権は、衆議院で内閣の重要案件が否決され、審議未了になった場合などに限られるべきで、内閣の一方的な都合や党利党略で行われる解散は不当であるなど学説が述べられておりますし、保利茂元衆議院議長も在任中のメモで、七条解散の濫用は許されるべきでないとしております。

 しかし、昨年の解散は、今のうち解散と言われ、解散権の濫用の疑いがあり、解散から公示までわずか十日間、小選挙区制度が導入され、期日前投票が始まって以来、最短であります。投票整理券が公示後七日目以降に届いた三十三団体、大阪市、横浜市、さいたま市など、政令指定都市の区がほとんどであります。過去三回と比べると、投票所は毎回減少し、三回前に比べ四千四百カ所減少、四万八千六百二十カ所。同じく、投票時間繰り上げは毎回増加をし、三回前に比べ四千百五カ所増加ということであります。国民の投票権利の確保が危うくなっているのではないのか。

 昭和二十七年六月十七日、日本での両院法規委員会では将来の課題としておりますこの解散権の問題、ドイツでは、基本法で建設的不信任制度など、議会の解散は制限され、一九四九年以降三回のみ、イギリスでは、二〇一一年に、任期五年間、議会任期固定法を成立させております。

 また、このたびの地方選、これも過去最低の投票率でありました。無投票の選挙区が多く、こうした点は、民主主義の根幹を揺るがすことにほかなりません。

 地方議会のあり方についても、地方議会のあり方に関する研究会の報告書などもまとめられております。こうした地方議会に関する記述、憲法にもございます。また、道州制を含めた地方分権、地域主権については、政府がちょうど地方創生を進めているタイミングでもありますので、この憲法審査会の議論を深掘りする必要があろうかと思います。

 あわせて、憲法二十一条の報道のあり方も問われると思います。

 株式会社エム・データによると、前々回に比べ、在京六局の選挙期間中の選挙報道が約四割減ったとされております。昨年十一月二十日、自民党による在京テレビ局への申し入れ、選挙時期における報道の公平中立並びに公正の確保について、その後、十一月二十六日、「報道ステーション」、アベノミクスに関する報道への申し入れの影響ではないかとされております。

 また、衆議院選挙中に施行された特定秘密保護法、国民の知る権利の後退、プライバシー権を含め新しい人権のあり方は議論すべきであります。

 また、人権については、昨年来のヘイトスピーチへの対応、国際社会からも求められておりまして、早急な対応が必要であります。

 昨年、海外派遣調査で掲げた四つのテーマについて申し述べたいと思います。

 環境権については、国家、企業、家族などの協力が必要となる環境保全のような社会共通の課題に挑戦するため、国民の義務にかえて、共同の責務を民主党は提示しております。再生可能エネルギー対応も含め、議論の深掘りが必要と考えます。

 緊急事態については、基本的人権の制限への歯どめ、国会による民主的統制の確保を主張し、国家緊急権を憲法に明示して、非常時においても、国民主権や基本的人権の尊重が侵されることなく、憲法秩序が維持されるよう、仕組みの明確化や首相の解散権の制限を唱えております。

 また、財政規律については、民主党政権時代、社会保障と税の一体改革関連法案を成立させた思いにもあらわれておりますが、一方、政府は夏に財政再建計画を発表するとされておりますが、二〇二〇年プライマリーバランスという国際公約以上のものには、国と地方をあわせた取り組みなど、腰が引けていると言わざるを得ず、憲法または別の法律の何らかの手当てが必要ではないかと考えます。

 また、十八歳選挙権引き下げ法案の実現に向けて、高校での憲法、政治、歴史教育の充実、昨年成立した国民投票法改正案附帯決議にありますが、平成二十三年十二月に総務省がまとめた最終報告書で位置づけた主権者教育の充実が欠かせないと考え、成年年齢の引き下げも含めた議論が必要と思います。

 また、一般的国民投票についての議論もあわせて行うことは、八党会派で合意した点でございます。

 以上でございます。

保岡会長 次に、井上英孝君。

井上(英)委員 維新の党の井上英孝です。

 維新の党の現行憲法に対する考え方、そして認識をお伝えしたいと思います。

 まず初めに、維新の党は、統治機構改革により、この国の形を決める仕組みをグレートリセットすべきであると考えています。

 我が国は今、経済のグローバル化と国際競争の荒波の中で、新陳代謝がおくれ、国力が停滞あるいは弱体化し、国民は多くの不安を抱えています。我が国がこの閉塞感から脱却し、国民の安全、生活の豊かさ、伝統的な価値や文化などの国益を守り、かつ国の将来を切り開いていくためには、より効率的で自律分散型の統治機構を確立することが急務であると考えます。

 このような統治機構を確立するため、まず、国と地方の役割を抜本的に見直す必要があります。国の役割を外交、安全保障、マクロ経済政策などの国家的に取り組むことがふさわしい課題に集中させる一方で、地方にできることは地方に任せるべきです。

 住民に身近な課題は基礎自治体が担うとともに、広域地方政府として道州制を導入し、権限と財源の地方への移譲、さらには規制緩和を図り、国からの上意下達によらない、地域そして個人が自立できる社会システムを確立するのです。道州制は、地域、個人の創意工夫、民間の自由な競争によって経済社会の活性化を促す成長戦略として可能性を有していると考えます。

 国家的課題に取り組むためには、国においては、首相公選制を導入し、政治主導の体制整備を図るべきです。あわせて、米国会計検査院型の強力な会計検査機関を国会に設置するとともに、財政運営のコントロールと財政健全化を盛り込むべきです。

 また、道州制の導入とあわせて、国会を一院制とすべきであると考えます。

 次に、日本国憲法の平和主義は、我が国の領土、領海、領空、国民の生命財産を守るためだけではなく、今日の日本の国際的地位にふさわしい貢献を国際社会全体の平和に対して積極的に行うことも含意していると考えます。しかし、同時に、みずからが国際社会の脅威にならないための歯どめもしっかりかけておく必要があります。

 その意味で、我が党は、自衛権の再定義を主張しています。

 すなわち、自衛権は、自国に対する武力攻撃が発生したか否かで個別的、集団的が区別されてきたため、その区分に従い、日本政府は、海外派兵を禁止する憲法の趣旨から、認められるのは個別的自衛権のみとしてきました。

 しかし、同時に、瞬時の対応を必要とする弾道ミサイルへの対処に関しては、我が国に飛来する蓋然性が相当に高いと判断される場合、自衛権を発動して迎撃することが許されるとしてきました。

 したがって、仮に我が国が武力攻撃を受けない状況下であっても、我が国に戦禍が及ぶ蓋然性が相当に高く、国民がこうむることとなる犠牲も深刻なものになる場合には、自国と密接な関係にある他国に対する攻撃を我が国の武力行使によって排撃することは、我が国の現実に即した憲法解釈として許容されるものと考えており、これをあえて集団的自衛権の行使と呼ぶ必要性はないと考えております。

 ただ、ただいま述べたような自衛権の再定義を行う場合においては、昨年七月一日の閣議決定による憲法解釈の変更のように、政府内部のみの議論によって恣意的な憲法解釈を行うような運用は避けなければなりません。政府の恣意によって憲法秩序が揺らぐことのないようにするため、世界各国の憲法に倣って、抽象的な憲法解釈の権限を有する憲法裁判所を設置し、最終的な憲法判断を担わせることが必要であると考えています。

 もちろん、維新の党が提唱する統治機構改革を実現するためには、憲法改正が必要です。しかしながら、現行の憲法改正手続は厳格に過ぎて、主権者である国民の皆様に案を提示し、その手で意思決定をしていただく機会を奪うような結果になっています。そこで、憲法改正発議要件を緩和することにより、憲法改正原案を提示する機会をふやし、国民的な憲法議論を喚起しやすくする必要があると考えます。

 また、維新の党は、国民が直接的に主権を行使し、この国の方向性を決める国民投票がいつでも行えるようにするため、昨年六月の改正国民投票法の提出、成立に尽力してまいりました。改正国民投票法が成立した結果、いつでも憲法改正の発議をすることが可能な環境が整っております。

 しかしながら、現行制度で国民投票権年齢が十八歳となるのは改正国民投票法施行後四年を経過する平成三十年六月からで、それまでは二十とされています。維新の党を初めとする超党派で提出している選挙権年齢を十八歳に引き下げるための公職選挙法等改正案の早期成立を図り、選挙権年齢の引き下げと同時に国民投票権年齢も引き下げられるようにする必要があると考えます。

 また、成年年齢等についても、期限を明確に設定した上で、引き下げに向けた必要な措置をとるべきであると考えます。

 また、日本国憲法は、憲法施行後六十八年たった今も一度も改正されておらず、現実に即した条文が整備される必要があります。

 自然による大災害や感染症のパンデミック、また有事の際などにおいても、国民主権や基本的人権の尊重が侵されることなく、憲法秩序を維持し、権力の濫用を防ぎつつ、国民の生命や国土を守るべく国として最善の対処をするために、緊急事態条項を検討することは喫緊の課題であると考えます。

 特に、国会議員の任期満了直前や衆議院解散中において大規模な自然災害が発生したときの国会議員の任期延長制度等の創設は、早急に検討すべきであると考えます。大規模な自然災害が発生したときに、迅速かつ適切に復興のための立法措置をとることは立法府の責任であり、立法府の機能を維持するとともに、国民の参政権を担保することは喫緊の課題であると考えます。

 なお、環境権を憲法に盛り込むことについては、その方向性には賛成です。しかしながら、環境権条項として具体的にどのような規定を憲法上に設けるかについては、さらに議論を詰める必要があると考えています。

 いずれにいたしましても、このような憲法改正については、国民の皆様に直接判断していただく機会を早急に整えていくべきであると考えております。

 以上でございます。

保岡会長 次に、斉藤鉄夫君。

斉藤(鉄)委員 公明党の斉藤鉄夫です。

 本日は、今国会における憲法審査会の実質的に第一回目の審議に当たり、公明党の憲法及び憲法改正についてのこれまでの議論や考え方を紹介するとともに、若干個別の項目についても言及し、これからの議論に向けた問題提起をさせていただきたいと思います。

 その前に確認しておきたいのは、昨年、憲法改正の手続を定めた国民投票法の改正法が、与野党の幅広い合意のもとで、いわゆる三つの宿題に対応する形で成立し、既に施行されているという点であります。

 また、同改正法の附則の検討条項に沿って、十八歳に選挙権年齢を引き下げる公職選挙法改正案が今国会に再提出されており、早期の成立が期待されます。この公職選挙法が改正されれば、四年を待つことなく、選挙権年齢の引き下げと同時に憲法改正の国民投票権年齢も引き下げられる措置を講じることとしている点も重要です。そうなれば、名実ともに憲法改正の発議ができる環境が整うわけであります。

 こうした外形的な環境が整備されることによって、施行から七十年近くがたとうとする中、変化の激しい時代にあって憲法はどう対応していくべきかについて、今後、国民的な議論が起きてくるものと思われます。

 であるからこそ、国会、なかんずく衆参の憲法審査会の役割がますます大きくなってくるのではないか。公明党としても、党内での憲法論議を進めていくとともに、積極的に憲法審査会における議論に臨み、国民的な議論を喚起し、国民とともに、憲法のあり方、国のあるべき姿を考えていきたいと思っております。

 さて、公明党は、これまで現行憲法の評価については、審査会等を通じ、現行憲法は戦後の日本の復興と平和に大きく貢献し、国民に定着していること、特に、基本的人権の尊重、国民主権、恒久平和主義の三原則は、立憲主義の立場からも今後も堅持すべきであること等を繰り返し表明してきました。

 その上で、時代の進展に伴い提起されている新たな理念を加えて補強する加憲という憲法改正の方法もあるのではないか、また、加憲方式こそ最も現実的な、妥当な方式ではないかとも提案してきているところであります。

 こうした認識のもと、今後議論すべきものとして、幾つかの点について問題提起をさせていただきたいと存じます。

 まず、国民の権利及び義務に関し、新しい人権全般について検討していくという視点です。

 新しい人権を考える場合、これをより積極的に明示すべきであり、憲法に明記することによって事前の人権保障を可能とし、時代の変化に対応した積極的な立法措置を可能にすることが望ましいという考え方がある一方、新しい人権を憲法上の権利として承認できるかどうかは、特定の行為が個人の人格的生存に不可欠であるばかりでなく、その行為を社会が認め、他の基本的人権を侵害するおそれがないかなど慎重に判断すべきであり、権利のインフレを招くべきではないとの意見、また、それらは立法においてなすべきだとの主張があり、これらを踏まえる必要があると考えております。

 検討の対象としては、具体的には、環境権、プライバシー権、名誉権、知る権利、あるいは、最近欧州で議論が活発になっている忘れられる権利、さらには、犯罪被害者の権利、生涯学習権、裁判を受ける権利等が考えられます。

 ここで、昨年、憲法審査会における海外視察でも議論の中心の一つとなった環境権について、論点、課題等を整理したいと存じます。

 公明党としては、これまで一貫して、加憲の検討対象として、例えば環境権などが考えられるのではないかという立場を申し上げてきております。実際、これまでの憲法審査会等でも、環境権の議論に当たっては幾つかの論点、課題があることを申し上げてきました。その上で、特に、昨年の海外視察においては、より慎重な意見があるという事実を紹介したという経緯があります。

 いずれにしても、環境権が加憲の検討対象の一つであることの姿勢は何ら変わっていないということを申し上げておきます。

 環境権に限らず、いわゆる環境保全条項を憲法に盛り込むべきかどうかについては、さまざまな論点があります。例えば、国等の責務、政策、配慮等の規定として盛り込んではどうかという議論、国民の責務として規定するという意見、そして、国民の環境権として盛り込んではどうかなどです。

 また、保全すべき環境とは何か。具体的には、人間のための環境保護なのか、生態系それ自体を保護対象とするのか、さらには、いわゆる文化的な環境なども含めるのかどうかなどの論点もあります。

 さらには、環境保全条項を憲法に盛り込むことによる社会的影響、特に開発経済と環境保全とのバランスをどう図っていくのかという議論もあり、これらは、昨年の海外視察において各国の有識者からも多く指摘があった点であります。

 また、憲法十三条、幸福追求権と環境基本法の理念が既にあり、それよりも上位の概念をどう提示するかという技術的な課題もあります。

 今、地球温暖化、地球の各地で多発する大規模自然災害などの現状を鑑みれば、国際的な環境問題、環境保全への取り組み、協力が不可欠であることは論をまちません。そして、私たちは、この大切な地球を未来に残していくという責任を持っています。

 また、環境と開発は矛盾するものではなく、環境を優先した社会づくりこそ、新しい価値、開発を創造するとも考えます。こうした視点も一方で持ちながら、憲法における環境保全条項に関する議論を進めていくべきではないかと考えます。

 次に、我が国の国際貢献のあり方についてです。

 前文においては、国際社会で名誉ある地位を占めたいとの記述がありますが、さらにより明確に、人道復興支援など国際貢献について打ち出していくことが重要ではないか。特に、我が国における憲法の平和主義に沿う国際貢献のあり方として、人間の安全保障という視点に立った理念がより一層強く反映されるべきではないかという意見があることを申し添えます。

 次に、平和の理念をより具体化すべきだという主張です。

 ことしは、戦後七十年であると同時に、核兵器による被爆七十年でもあります。例えば、我が国は、核廃絶について、唯一の戦争被爆国として、その非人道性の指摘等、何らかの規定が憲法に盛り込まれてしかるべきではないかと考えます。

 次に、地方分権、地方自治についてであります。

 元気な地方、人が生きる地方創生が、少子高齢、人口減少に直面する日本にとって極めて重要な柱です。その意味で、地方自治のあり方を検討し、地方自治の財政基盤を確保するため、財政的自立を明確にすること等についても検討すべきではないか。

 財政に関しては、財政規律や財政の健全化のあり方、複数年度予算等についての意義づけなどの検討が必要ではないか。

 緊急事態についても、衆議院解散時における対処方法を初めとして、現行法規定には大きな空白があり、憲法に書き込んだ上で法律を整備するなど、何らかの規定が必要ではないか。これらについては、東日本大震災に見られるとおり、災害大国である我が国にあっては、いつ災害が起きるかわからないという状況に鑑み、速やかな対応、検討が求められるのではないかと考えます。

 最後に、憲法改正事項ではありませんが、十八歳に投票権、選挙権年齢が引き下げられるわけですから、憲法あるいは政治参加教育について、文部科学省や総務省を中心に、早急にその充実に向けた検討、実施が必要であることを申し添えておきたいと思います。

 以上、全てを網羅できたわけではありませんが、検討すべき課題について概略を申し上げました。

 結びに、今後の議論においては、憲法が国の根本規範、我が国のあるべき姿を示すものである以上、いわゆる理念に係る議論は何にも増して重要であり、よって、特に、国民的な合意形成に向けて、冷静かつ慎重に議論を進めていくべきであることは論をまちません。いずれにしても、憲法は国民がつくるものである、その視点に立って党内でも議論を深めていきたいと考えています。

 以上です。

保岡会長 次に、赤嶺政賢君。

赤嶺委員 日本共産党の赤嶺政賢です。

 私たち日本共産党は、国民の多数は改憲を求めておらず、改憲のための憲法審査会を動かす必要はないと考えております。したがって、地方公聴会についても反対の立場をとらせていただきました。

 まず指摘しなければならないことは、憲法と日米安保との矛盾が頂点に達しようとしていることです。

 安倍政権は、昨年七月、集団的自衛権行使の容認を初めとする安全保障政策の大転換を閣議決定したのに続いて、先月二十七日、日米間で軍事協力の指針、ガイドラインの改定に合意しました。

 改定ガイドラインは、従来の日本防衛、周辺事態を大きく踏み越えて、文字どおり地球規模で、さらには宇宙、サイバー、武器輸出に至るあらゆる領域で日米が軍事協力を推し進める方針を明記いたしました。具体的な日米協力については、新たに設置する同盟調整メカニズムを通じて、平時から有事に至るあらゆる段階で日米が共同して対処する方針を明記しました。

 軍事協力に障害となる従来の憲法解釈は投げ捨て、これまで許されないとしてきた戦闘地域での後方支援、さらには機雷掃海などの海外での武力行使に該当する活動にまで公然と踏み込もうとしているのであります。現行憲法のもとで、一体なぜこのような改定が許されるのでしょうか。

 そもそも、日本国憲法は、戦後の日本の出発点であります。ポツダム宣言を受諾し、過去の侵略戦争に対する反省を踏まえ、政府の行為によって再び戦争の惨禍を起こさないことを宣言し、憲法九条に戦争放棄、戦力不保持、交戦権否認を明記したのであります。

 ところが、アメリカは、米ソの対決構造が強まるもとで、戦後初期の対日方針を転換し、日本再軍備へとかじを切りました。朝鮮戦争の勃発を契機として、朝鮮半島に出動した米軍の空白を埋めるためとして、マッカーサーの指令によって警察予備隊が創設され、保安隊を経て、一九五四年に自衛隊は創設されました。その後の自衛隊の育成、増強は、米軍の任務を肩がわりする形で進められてきたのであります。

 歴代政府は、自衛隊の違憲性を言い繕うために、自衛のための必要最小限度の実力組織は憲法に違反しないと弁明してきました。ところが、九〇年代以降、アメリカの新たな対日要求につき従って、ペルシャ湾への掃海艇派遣を皮切りに、九条を踏みにじって自衛隊の海外派兵に道を開き、その後、国連PKO法、周辺事態法、テロ特措法、イラク特措法など、海外派兵立法を次々と押し通してきました。

 今度は、時限立法ではなく、米軍を初めとする多国籍軍支援の恒久法をつくり、いつでもどこでも自衛隊が切れ目なく米軍の戦争に加担し、支援活動を行おうというものであります。戦後、歴代自民党政権が推し進めてきた米軍戦争支援国家体制づくりの集大成ともいうべきものであり、到底許されるものではありません。

 しかも、安倍首相は、国民と国会にその内容を示してもいないのに、この夏までに成就させることを米議会で宣言したのであります。新たな対米従属宣言と厳しく指摘しなければなりません。

 憲法の規定が一切変えられないもとで、なぜこのような法整備が許されるのか。安保条約の規定が一切変えられていないもとで、条約の性格を一変する法整備がなぜ許されるのか。国民主権、基本的人権の尊重、恒久平和主義という憲法の基本原則を根底から覆すこうした現実の動きにこそ、国会は目を向けるべきであります。

 また、沖縄に対する安倍政権の反民主的な態度はあからさまです。

 議会制民主主義において、選挙は民意を示す重要な手段です。この一年間で何度も示されてきた、沖縄県民の新基地ノーという明らかな民意を気にもかけない態度で、米国で、辺野古が唯一の解決策と確認し、宣言する。安倍首相はどこの国の民意を背負っているのか。これが政府のやることでしょうか。

 辺野古に関する強硬な態度には、沖縄県民だけでなく、今や全国民が疑問を感じています。最近の世論調査でも、各紙で、政府の対応や辺野古移設に批判が上回る結果が出ています。

 今、改めて、憲法と民主主義の価値が沖縄で問われています。

 沖縄は、一九七二年に祖国復帰を果たすまでの二十七年間、米軍占領下に置かれ、憲法も人権も自由もないままでした。一九六五年三月、占領下の立法院において、住民の祝祭日に憲法記念日を加えようとの発議が行われました。その趣旨説明では、憲法記念日を設け、憲法の我が沖縄への適用を期して闘うことは、二十年にわたるアメリカの支配を打ち破り、祖国復帰をかち取る道に通ずるものでありますとされており、全会一致で可決されました。沖縄の憲法記念日は、日本国憲法の適用外にあった沖縄が、平和憲法のもと、祖国復帰をかち取る闘いの記念日として制定されたものです。

 祖国復帰に県民が何を求めたか。初の公選主席で沖縄返還の課題に取り組んだ屋良朝苗主席は、政府に提出を用意していた建議書に、次のように述べています。

 アメリカは沖縄に、極東の自由諸国の防衛という美名のもとに、排他的かつ恣意的に膨大な基地を建設してきました。基地の中に沖縄があるという表現が実感であります。百万の県民は、小さい島で、基地や核兵器や毒ガス兵器に囲まれて生活してきました。それのみでなく、異民族による軍事優先政策のもとで、政治的諸権利が著しく制限され、基本的人権すら侵害されてきたことは枚挙にいとまがありません。県民が復帰を願った心情には、結局は国の平和憲法のもとで基本的人権の保障を願望していたからにほかなりません。

 県民の願いは、昔も今も同じ、軍事に命や生活を脅かされることのない、自然豊かな平和の島として発展することです。この一貫して続く変わらぬ願いが、現在の辺野古新基地建設反対運動を沖縄県全体に広げ、保守も革新も超えたオール沖縄をつくり、支える原動力となっています。

 平和に生きたいという願いは、現行憲法の精神そのものであり、普遍の真理であるからこそ、そのような県民に暴力的な牙をむく政府の抗議弾圧、基地推進のやり方に、全国や国際的にも批判が集まってきています。安倍首相の、当事者の沖縄県民を置き去りにして米国と約束してくるやり方、政治姿勢は、日本の民主主義制度を根底から脅かし、憲法の核心を骨抜きにするものです。

 今日問題にすべきは、憲法の上に安保体制があることそのものです。沖縄県民も国民も、日本国憲法の諸原則に反するこれらの現状に批判を強めています。国会は、憲法の諸原則と社会、政治との乖離を追及し、憲法に引き戻す役割を発揮すべきです。

 以上です。

保岡会長 次に、園田博之君。

園田委員 次世代の党の園田博之です。

 我が党は、新しい憲法をつくることを党是としておりまして、少ない人数ながら、いろいろな議論を進めてきております。

 まず、我が党は、憲法改正ではなくて自主憲法制定と称しておりまして、それはなぜかというと、現行憲法は、自分たちが、国民がつくった憲法ではないんだという前提に立っているものですから、自主憲法制定と申し上げておりますが、ただし、現行憲法が既に数十年間日本の中で定着をして、その憲法の中で、日本が、国民主権で、しかも平和国家で、しかも自由と民主主義が守られ発展してきた事実は現実のものでありまして、現行の憲法を無視するということはありません。これからこの場では憲法改正、こう申し上げさせていただきたいと思っております。

 そこで、規定すべき内容についての基本的な考え方を申し上げますが、一つは、国民主権と代表民主制であります。政治権力は国民に由来し、国民は代表者を通じてこれを行使する。国民は、主権の行使に際して、我が国の歴史、伝統、他者、地域共同体及び国家全体の利益に配慮し、成熟した民主主義国家の一員にふさわしい振る舞いを心がける。代表者は、国民からの負託を真摯に受けとめ、運命共同体としての国家、国民全体に対する重い責任を自覚しつつ、国政を行わなければならないということ。

 二つ目に、自由と民主主義の尊重。日本国民は、自由と民主主義を尊重し、この価値を体現する国の体制を堅持する。

 三つ目に、平和主義。日本国民は、恒久の平和を念願して侵略戦争を否認するとともに、国際協調を重視して自国及び国際社会の平和の実現に積極的に貢献する。

 四番目に、個人の自律と相互協力。日本国民は、自律的個人たるべく努めるとともに、自己と同じく他者を尊重し、相互協力の精神をもって共通の困難を克服し、自国及び世界諸国の繁栄に貢献する。

 五つ目に、伝統、文化の継承と発展。日本国民は、日本固有の伝統や文化を継承するとともに、自然との共生及び環境の保全を図り、世界の文化の発展に寄与する。

 以上が基本的な考え方でありまして、先ほど申し上げましたように、現行憲法を根本的に否定しているわけではございません。

 ただ、幾つかの党からも言われましたように、この間、日本が過ごしてきて、新しい課題が幾つか出てきたと思います。そういうことは新たに憲法に加えなければならないのではないか。

 その一つは、非常事態に対応するための方法はどういう方法があるのか。

 もう一つは環境権という問題であります。環境に対して憲法に何らかのことを記さなければならないのではなかろうか。

 それからもう一つは国の財政です。財政についても、これは、ずっと財政を運営する政権あるいは政府はかわってまいりますので、最低限の財政に対する規律を憲法に盛る必要もあるのではなかろうかということ。

 それからもう一つは国と地方との関係で、私はやはり、我が党としても、国からなるべく地方に権限を譲渡して、そして、国でこれから定めなきゃならないことはある程度絞っていって、地方にも権限を与えると同時に、地方の自主性を生かして地方をもっと活性化させるということを考えなければならないんじゃなかろうか。必ずしも道州制のことを申し上げているわけではありませんが、何らかの方法でそのことも憲法に記す必要があるのではなかろうかなどと考えております。

 その他、具体的には幾つかのことは議論されておりまして、例えば、こういうことは他党からは出ませんでしたけれども、侵略戦争はしない、平和国家日本を守るといいながら、現在の国際情勢では、日本の国を守るために、今の憲法で定められた以上のことをやはりどうしてもせざるを得ないのではなかろうか。そのことを憲法に、皆さん方の議論を得て書き記すべきじゃなかろうか。

 例えば、現在の自衛隊のあり方について、専守防衛という枠を定めながらも自衛軍として認めたらどうであろうかなどと意見が出ております。これは必ずしも我が党でまだ決まったことではございませんので、これからいろいろ議論のある中で、皆さん方からも御意見をいただければありがたいと思っております。

 その他にも、具体的に案は幾つか出ておりますが、まだ我が党として固まったものではございませんので、ぜひこの憲法審査会では、なるべく早く、合意できるところから合意をしていって、国民投票の機会を得られるように切にお願いする次第であります。

 以上です。

保岡会長 これにて各会派を代表する委員の発言は終了いたしました。

    ―――――――――――――

保岡会長 次に、委員各位による自由討議に入ります。

 発言を希望される委員は、お手元にあるネームプレートをお立ていただき、会長の指名を受けた後、御発言ください。発言が終わりましたら、ネームプレートは戻していただくようにお願いいたします。

 発言は自席から着席のままで結構です。また、発言の際には、所属会派及び氏名をお述べいただくようお願いいたします。

 なお、幹事会の協議によりまして、一回当たりの発言時間は五分以内といたしたいと存じます。委員各位の御協力をお願い申し上げます。

 発言時間の経過については、終了時間一分前及び終了時にブザーを鳴らしてお知らせいたします。

 発言を希望される方はネームプレートをお立ていただくということをお願いしましたが、関連質疑みたいな御発言もあってもいいかと思いますので、そのときは挙手をお願いして、委員の御発言も得たいと存じます。

 それでは、発言を希望される委員は、ネームプレートをお立てください。

古屋(圭)委員 私も、憲法調査会の時代からずっと参画をさせていただいております。

 この審査会の非常によき伝統というのは、会派の大小を問わず、平等の時間割り、公正な運営をしているということ、それから、できるだけ最大公約数というものをしっかり捉まえて議論を進めているということであります。

 四月二日に解散後初めてこの審査会をいたしましたけれども、そのときに、保岡会長の方から、過去の経緯を含めたみずからのお考えを披瀝されました。私は、これは非常に公正なものであって、今後の運営の仕方を象徴しているのではないかなというふうに思います。その中で、最後に会長は、今後は大局的見地に立って議論を進め、そしてその議論を深化させていくべきだということをうたわれました。これはやはり、議論をして具体的な成果物を取り出すべく最大限の努力をするというふうに私は解釈をさせていただいております。

 解散の前の十一月六日にも、こういった形で同様の会議が開かれました。この中で、私もその時点で指摘をいたしましたが、各政党が全て共通で指摘をされたことは、いわゆる危機管理条項、緊急事態条項のことでございました。

 そして、きょう、それぞれの会派からもお話がございまして、その会派の皆さん方の御意見によりますと、緊急事態条項、危機管理条項と、もう一つは、国民主権、平和主義、基本的人権、この三つの原則を守るということであります。我が党の船田筆頭からも、この三つの原則を守るわけだから、憲法改正というものは限界が存在することは当然である、こういう指摘がありましたけれども、全くそのとおりだというふうに私自身も考えています。

 そこで、危機管理条項でございますが、四年前の東日本大震災、このときは政権が民主党さんだったので、あの苦労は本当に民主党さんはよく覚えておられると思いますし、我々も、野党の立場で協力できるところは協力をさせていただきました。

 私が防災担当大臣のときに、先ほど船田筆頭からも意見がございました、いわゆる東京直下地震、我々、正式名称は首都直下地震というふうに言っておりますが、あるいは南海トラフ巨大地震、南海トラフ地震ということでございますけれども、特に首都直下地震については、スーパーコンピューター「京」も駆使をして、かなり正確な分析をしました。

 一番直近のものは、向こう三十年以内にマグニチュード七・三クラスが七〇%の確率で生じる、こういうことでありまして、これはかなり確度の高いものでございます。その被害も最大で九十五兆円ということであります。もちろん、事前対策、ソフト、ハードをすることによって、十分の一近くにおさめられるということも報告をいたしましたけれども、これはきょうのテーマではないので省略をいたします。

 それから、南海トラフ地震は、特別強化地域まで入れると一都十三県、百三十九市町村が対象になります。また、被害状況も、東日本大震災と比べて、死者・行方不明者は十七倍、建物被害は十八倍というふうになっております。

 こういった状況の中で、任期満了直前にこういった地震が発生するということもあるわけでございまして、現行憲法上、四年の任期をもって衆議院議員がいなくなる、こういう状況が果たして許されるのか。一九九〇年以降に憲法を制定した世界の国々を調査した西修先生も、一〇〇%この危機管理条項は入っていますよと。要するに、国際基準になっているということであります。

 ですから、こういった最大公約数、そして各政党が共通の理念のあるところから議論を進めていくべきだ、私はそう考えております。

 以上でとりあえず発言を終わらせていただきます。

鈴木(克)委員 今国会といいますか、この憲法審査会のとりわけ今後は、安全保障をめぐって、そして憲法をどういうふうに考えていくかという非常に重要な節目の時期を迎えておるというふうに思いますが、私は、きょうは、あえてTPPと外交ということで少し付言をさせていただきたいというふうに思います。民主党の鈴木克昌であります。

 憲法に規定をされております外交権限と民主的統制ということで、TPPの問題をお話ししたいと思います。

 四日に、実は、訪米中の西村康稔内閣府副大臣が、TPPの交渉文書を国会が一定の条件のもとで閲覧できるようにするという考え方を示しました。私は、これは非常に遅きに失した決定だというふうに思っています。

 というのは、ここまで来る間に、どういう状況になっておるのか、誰が交渉しているのか、何を決められたのかということを、多くの国民は本当に知りたがっていたわけですね。しかし、守秘義務という言葉で、結果、それが公開をされてこなかったわけであります。遅きに失したということは、そういう意味合いで、私は、この四日の西村副大臣の発言を是とはするものの、今さらと言うと語弊があるかもしれませんけれども、そんな思いでおるところでございます。

 そして、憲法との問題を少しお話ししたいんです。

 結局、外交関係の処理ということでは、政府の専権事項というふうに言われるわけであります。この政府の専権事項という根拠ですけれども、憲法七十三条二号に、外交関係を処理することが内閣の権限として規定されている。こういうことが記載をされていまして、それがある意味では根拠になっているわけであります。

 外交関係の処理は、もちろん、不断の情報収集と分析、それからまた、それに基づく外交政策の定立と実行が必要とされておりまして、かつ、外交関係と国内問題とが密接に連携し合う状況下にあるということでありますから、これは行政権者が担っていく性質であるということはもちろんわかっております。

 しかし、その一方で、憲法七十三条の三号のただし書きで、外交の基本をなす条約締結について、国会に承認権を与えているというのも事実であります。

 今日の拡大し緊密化した国際関係のもとでは、外交関係により国民の権利義務に大きな影響が及びます。したがって、内政と外交を別々の次元で捉えるということは、私は不可能だというふうに思っておるわけです。

 そもそも、憲法の定める国民主権や内閣の国会に対する連帯責任の原則からすれば、外交関係の処理を内閣の専権として、国会の関与を排除するということは許されないというふうに私は考えております。憲法の趣旨に照らせば、外交関係についても国会が関与し、民主的統制を及ぼす必要があるのではないかというふうに思います。

 以上のことから、外交に対して国会の十分な関与が認められることが必要であるというふうに思っております。もちろん、政府の裁量が働く余地や、政府の責任で機動的に行わざるを得ない部分があることは承知をしておりますけれども、議会の関与を考えずに外交を進めるということは言語道断だというふうに思っています。

 特に、TPPというような、農林水産業のみならず、他の産業にも非常に大きな影響を及ぼす、こういう状況でございますので、私は、今後一層、国会として外交関係に関する民主的コントロールの強化を図る必要がある、このようなことを申し上げておきたいと思います。

 そして、くどくなりますけれども、今日まで開示をしてこなかったということを厳しく申し上げて、私の意見とさせていただきます。

 以上です。

河野(太)委員 自由民主党の河野太郎でございます。

 我が国の憲法は、国会を国権の最高機関と定め、憲法改正の発議権を国会に与えております。しかし、私は、今の国会の運営状況に甚だ大きな問題があると思っております。

 まず第一に、国会の本会議、特に衆議院の本会議で採決をされている大多数の投票に関しては、議員個人の賛否どころか、政党ごとの賛否すら公に記録に残されていないというのが現実でございます。政党の賛否については衆議院の職員の私的な記録として残されておりますが、議事録には、賛成多数で可決、あるいは反対多数で否決、これしか残っておりません。これは大きな問題だと思っております。

 確かに、数少ない記名投票に関して言えば、それぞれ議員一人一人の投票行動が記録に残されております。しかし、ほとんどの場合、議員の投票行動には党議拘束がかけられ、全ての所属議員が政党ごとに同じ投票行動をするというのが現実でございます。確かに、憲法で内閣は連帯をして国会に責任を負うということが定められておりますが、それはあくまでも政府の一員たる議員が連帯して責任を負っているのが現実であり、議員一人一人に党議拘束がかけられるというのは、議院内閣制の国の中でも極めて異質だと思っております。

 我が自由民主党の場合、党議拘束については、部会、政調会あるいは総務会、それぞれの段階で満場一致で決めたからという建前になっておりますが、ほとんどそうなっていないのが現実でございます。

 憲法のようなものを改正する発議に当たって、党が現実に現在のように各議員を拘束するということになれば、これは議員一人一人が賛否を決めたことには全くならないわけでございます。憲法改正の発議を衆議院が行う場合には、政党が党議拘束などというものを議員に課さない、つまり、国民が選んだ議員一人一人が、それぞれの考えと信念に基づいて賛成または反対の投票ができるように、きちっと保障されるべきだと私は思っております。

 現在の法律の改正のような、本会議の採決のようなやり方で憲法改正の発議を行うべきではないと思っております。これは非常に重要な問題だと思っておりますので、憲法改正の細かい議論をする前に、この手続に関しては、しっかりとした議論をこの審査会で行っていただきたいというふうに思っております。

 最後に、自民党の憲法改正草案なるものがございますが、これが改正の理想的な法案では決してないと思っている議員が少なからず自民党の中にいることも記録にとどめたいと思います。

 以上です。

小沢(鋭)委員 関連といいますか、もともとそういう発言をしたいと思っておりましたので、お許しをいただいて感謝します。

 今のまさに河野委員の御発言、いわゆる党議拘束を外すべき、こういう話がありましたが、ここの委員の皆さん方は、戦後、憲法改正原案が国会に一度だけ提出されたことを御存じでしょうか。意外と知らない人たちが多い、こういうふうに思います。

 多分二〇〇九年だったと思いますが、私が筆頭提出者で、いわゆる一院制の、まさに憲法改正を行うべきだという、これは憲法改正に関しては法案ではなくて憲法改正原案、こう呼んでおりますが、それを超党派で提出させていただきました。これはどうなったかといいますと、結局、各会派の承認が必要だ、こういう話の中で、議運でつるされたまま終わっているんですね。

 いわゆる憲法改正の発議ではなくて提出に関しては、百名を超える人間で提出しなければいけない、たしかこうなっています。一般法案は二十名、予算は五十名、憲法改正原案に関しては百名。それは十分に達していたんです。ただ、繰り返しになりますが、会派の承認が必要だ、こういう話のもとで、結局、戦後唯一の憲法改正原案の提出がつるされたまま終わっている、こういう話であります。

 河野委員の発言のように、憲法という基本法に関しては、各党各会派、さまざまな意見があろうと思います。でありますので、少なくても、いわゆる百名を超えると規定にある以上は、そういった発議がなされましたら、ぜひこの審査会できちっと受けとめていただきたい、そういう手続をしっかりと今後議論をしていただきたいというふうにお願いを申し上げたいと思います。

北側委員 北側一雄です。

 先ほど、昨年七月一日の閣議決定と立憲主義との関係について御意見がございました。私の立場から、この問題について一言発言をさせていただきます。

 御承知のとおり、日本国憲法第九条には、第一項で戦争の放棄に関する規定、第二項に戦力の不保持に関する規定がございます。しかしながら、憲法九条のもとでどこまで自衛の措置が許されるのか、その内容については憲法規定の中には必ずしも明確に書かれておりません。

 憲法九条と自衛の措置の限界というテーマにつきましては、どこで憲法九条解釈をしてきたかといいますと、これは長年、国会と政府とのやりとりの中で、公式な質疑の中で政府が九条解釈を形成してきた、こういう経過でございます。

 本来なら、最高裁判所が判断をすべき機会もあったわけでございますが、残念ながら、高度な政治判断、政治性を有するものについては司法審査になじまない、こうした立場に立って、最高裁は判断をしておりません。明確な判断をしていない。そういう中で、九条解釈については、専らこの国会、そして政府とのやりとりの中で形成をされてきた、こういう歴史があるわけでございます。

 私も、過去の政府見解を詳しく調べさせていただきましたが、この九条の問題と、それから九条と自衛の措置の問題につきまして一番論理的に明確に述べておりますのは、昭和四十七年十月十四日の政府側から提出された見解でございます。これまで何度も政府の見解が出ておりますが、その中心となっているといいますか、その根幹となっている見解というのは、この昭和四十七年見解が非常に論理的に書かれておりまして、その後の政府見解もこれを踏襲しているという内容でございます。

 この四十七年見解といいますのは、九条というのは自衛の措置を認めていない、そんなことは考えられない、自衛の措置は認められてはいるけれども、その自衛の措置の限界がどこにあるのかということを極めて論理的に展開をしている見解でございます。

 それはどういう表現をしておりますかといいますと、一番ポイントの部分でございますが、外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置として初めて容認される、このような見解を出しております。

 私は、ここが憲法九条解釈の根幹に当たる部分、九条と自衛の措置の限界という意味で根幹に当たる部分がこの部分だというふうに思っております。

 その論理の中で、これまでの政府見解との論理的な整合性を図る中で、九条の措置の限界がいずこにあるんだというものを突き詰めて議論しましたのが、昨年の七月一日の閣議決定であったというふうに認識をしております。

 新しい自衛の措置についての三条件を、この政府見解の枠内で新たに定めているわけでございます。

 第一要件として、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、第二要件に、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、そして第三要件に、必要最小限度の実力を行使するという新たな三要件を定めたわけでございます。

 私は、この七月一日の閣議決定というのは、これから論議がなされると思いますけれども、九条のこれまでの法理、規範の根幹は変えておらず、その中で九条の限界について見解を示したものというふうに考えております。専守防衛、自国防衛という立場は全く変わっておりません。

 そういう意味で、立憲主義との関係で申しますと、この立憲主義に反するものではないというふうに考えております。

 以上でございます。

佐藤(ゆ)委員 自由民主党の佐藤ゆかりでございます。

 本日は、初回の自由討議ということでございますので、若干理念的なところも含めて申し述べたいと存じます。

 我が国日本は、ことしで戦後七十年の大きな節目を迎えておりますが、戦後七十年間の歴史の中で、平和憲法のもとで民主国家として日本が行ってまいりました人道的支援や経済支援、紛争解決に向けた平和外交や自衛隊派遣などの世界貢献には、十分な時代的な評価が付されるべきであると私は考えております。

 この意味で、一部内外メディアによります安倍内閣の例えば右傾化などといった誤った論評や脚色というものは時代錯誤の議論を促進するものでありまして、戦後七十年間の平和国家としての日本の歴史や世界貢献の実績を振り返りながら、戦後時代のある意味終局という認識のもとで、今後の新たな国家づくりの根幹となる憲法改正の議論というものを望んでいるところでございます。

 特に、現在の日本国憲法は戦後的な時代観や価値基準のもとでつくられているものでありまして、特に特定秘密保護法ですとか集団的自衛権の議論で展開されましたような表現の自由やプライバシー権、平和主義に対する論評の多くというものが、これらのいわゆる表現の自由や平和主義といった価値観に対する国民的な希求度が極めて高かった戦後の価値基準に照らした論評であるということは指摘をしたいというふうに思います。

 戦後七十年の時代の大きな変遷の中で、こうした憲法価値というものを今後も絶対的な価値とみなし続けていくのか、あるいは、七十年間の時代の変化に相応する新たな憲法価値を創造して、その新たな価値観の世界の中で平和国家というものを相対的憲法価値として確立していくのか、これは議論の上で重要な観点であるというふうに考えております。

 戦後日本のGHQにおきまして、軍部の暴走に対して民主主義の確立を急いだ日本国憲法の成り立ちに対して、時代を経て、日本の民主主義は確立され、揺るぎない実績となっております。

 むしろ、戦後七十年を迎えた我が国日本が目下抱えます安全保障体制の見直しに関する議論におけます憲法的課題というのは、私は、積極的平和主義のもとで、紛争やテロ行為などの国家的脅威から国民全般の安全、安心を確保するための取り組みというある意味公共的な価値と、特定秘密保護法の審議で言われましたような表現の自由などの個人の自由や権利保障を重視する個人主義的な価値観、これらの二つの間で憲法的価値をどの程度リバランスさせるのか、そういう観点が根本的に重要であるというふうに認識をしております。

 また、戦後、ある意味行き過ぎた個人主義に対して、年金や生活保護の不正受給の問題しかり、個人の権利主張の裏側にあるべき自助の精神の教え、こういうものが欠けてきた結果、さまざまな国民生活の側面で、自助努力をする国民がきちんと報われないという社会的な新たなひずみも生じていると思います。公共の利益と個人の利益のバランス、個人の権利と個人の義務の関係、特にこの義務の記載、こうしたものをより明確に概念上記述するような憲法の改正、これが重要であると考えております。

 また、経済面において憲法改正を考えるに当たりまして、我が国日本の国家像として、平和国家と並ぶ、知的財産権の立国としての立ち位置を憲法の新たな権利条項として組み入れて、経済、人類の末永い発展の経済的根源である知的財産というものを重視する、そういう観点も憲法改正議論に今回は必要であると思います。

 以上でございます。

長妻委員 本当に、皆様の熱心な御議論に敬意を表します。

 まず、憲法の三原則、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重、憲法改正に当たっては、この三原則を本当の意味で崩さないということをやはり確認する必要があるんじゃないかというふうに思います。それを確認した上で、この三つの骨格にかかわらない改正を議論する、その是非についてという理解でいいのかどうかということ。

 そうすると、いきなり個別案件に入るのではなくて、改正法がもうできた後の、今回、議論第一回目という理解でありますから、改正について、まず大枠について議論するという必要があるんじゃないのか。つまり、この改正をすることがどれだけ必要性があるのかという観点の、大枠の議論という意味です。

 例えば、最高裁の判例で、憲法については積み上げがあらゆる分野でかなり進んでおります。公共の福祉についても、制定当時は意味がわからないという話もありましたが、今はかなり緻密に理論が積み上がっております。

 そして、法律で可能な分野も大変多くあるわけで、災害について、かなり緊急事態の条項についても法律が成立をしております。

 あるいは、解釈によって時代に合わせていく、こういうことも、さきの集団的自衛権、我々は立場は違いますけれども、与党は、できるんだということで、時代に合わせるということもやられておられる。

 そういう意味からいうと、経験主義的に憲法を捉えるのか、規範的に捉えるのか、ここを、大枠をもう一回整理する必要があるんじゃないかと思います。

 そして、その次に、では、解釈によってどこまで実際に憲法が今回変わったのかということも検証する必要があるんじゃないか。

 集団的自衛権の話は先ほど北側先生からありましたけれども、例えば、憲法の大原則である専守防衛、この専守防衛は今回与党によって変えられたのかどうか。専守防衛の定義は、防衛白書によると、相手から武力攻撃を受けたときに初めて防衛力を行使する云々、こういう記述がございますから、私の理解では、これも変えたというふうに思うんですけれども、それがはっきりしない。

 あるいは、憲法のもう一つの大きな原則でいうと、宮沢元総理も国会で答弁されておられましたけれども、海外での武力行使をしないという大原則がある。ただ、この大原則を今回変えたことになったのかどうかもはっきりしない。

 そして、安倍総理は最近の国会で、他国の領域での武力行使はしない、これは集団的自衛権の新三原則でも変わらない、こういうふうにおっしゃっているわけでありますけれども、ホルムズ海峡の一番狭いところでは、これは公海というのはないわけでありまして、他国の領域でありますから、それとの整合性で、実際、解釈を変えたのか変えないのか、こういう検証も必要じゃないか。

 そして、三番目としては、明治憲法下も一応立憲主義と言われておりましたけれども、なぜその歯どめがなくなってさきの戦争に突入していったのか。明治憲法におけるそのメカニズムというか、不備というか、どこに問題があったのかという検証をやはりきちっとしておかないと、改正のときに大変これは資する議論になるんじゃないかと思います。

 そしてもう一つ、マスコミの一部報道でありますけれども、お試し改憲。うまい表現を言うなと。お試し改憲という報道がありまして、つまり、本丸は憲法九条なんだけれども、易しいところ、国民の皆さんが理解するようなところ、ここでまずはやっていこうと。まさかこういうことはないと思いますので、私もちょっと半分はそういうふうに感じているんですけれども、これについて反論があれば与党からお話をお聞かせいただきたい。

 最後に、これは武正委員もおっしゃられましたけれども、安倍総理が、今回のこの憲法は、たった八日間で、GHQの憲法も国際法も全く素人の人たちがつくり上げた代物だ、こういうような発言があって、これについて私は疑問なんです。これは、一九四六年の二月三日から十日の話を安倍総理は八日間とおっしゃっていると思いますが、これについては、内閣の憲法調査会小委員会という一九六一年の報告書に、憲法研究会案はGHQ案の作成に当たっては相当程度において参照されたことは明らかということで、つまり、在野の憲法学者による憲法研究会案というのがその前提にあって、それがかなり参照された。あるいは、帝国議会で多くの修正を経て、一九四六年六月に起草されて帝国議会に提出されて、そして、施行が御存じのように一九四七年五月三日でありますので、八日間でつくり上げた代物ということについても、きちっとした再認識、この審査会での意識の共有というのを正確にやはりする必要があるんじゃないかというふうに申し上げたいと思います。

野田(毅)委員 ことし初めての審査会で、私から、五分間という限られた中で、たくさん言いたいことがあるんだけれども、少し絞って、また次の機会に残りをしゃべりたいと思うんです。

 今、長妻さんからもお話があったんですが、今までよりもはるかに憲法改正問題について、保岡会長の努力もあって、前進してきていることは大変結構だと思います。

 ただ、常識的に、この憲法ができたころは、まだ北朝鮮はなかったんですよね。世界じゅう、まだまだ終戦直後の、世界の国際安全保障の環境というのは全く違う。それから一体何回転、世の中、安全保障環境は変わってきているんだろうか。だから、そのときにつくられたままの、そういうものが今日において適用がうまくいけるわけがない。

 既にこのことは、冷戦構造が激化をし、それが緩和をされる、ソ連が崩壊をする、途中でさまざまな過程を経て、結局、それぞれの時に合わせて、いろいろ苦労しながらも、現憲法はそのままですから、これを、どういうふうにして適用できるように解釈するか。言葉は悪いけれども、解釈改憲と言う人もいるけれども、いわば憲法解釈の適正化というか、そういうことの積み重ねをして今日までやってきている。

 したがって、よほどの法律の専門家でない限り、先ほど北側先生がおっしゃったようなことが世の中のどこまでの国民に広く浸透するかというのは、容易なことではないので、できれば、やはりわかりやすい形で、義務教育が終わった子供たちにもある程度理解が進むような表現にするというのは常識のことだと思うんですね。

 だから、そういう意味で、これまでは、何も安全保障環境の話のみならず、あのハイジャックのときに超法規措置でやりましたよね、あるいは私学助成もそうなっている。いろいろなことはあるんだけれども、みんな黙っていて、知らぬ顔して、見て見ぬふりしているんですよ。これを今後も続けていくのか。そろそろ本来の、やはり法治国家としての最高規範ということである以上は、もう少しきちんとした整理整頓をするというのは常識的なことであっただろう。かなり遅きに失している。

 私どもは、保岡さんも同じだけれども、まさに昭和四十七年に初当選して、世界の情勢が戦後は一段落したという年だったので、殊のほかこの問題に関しては深く関心を持ってきた一人で、本来なら前世紀の間にしておかなきゃならなかったテーマの一つだと思っています。この点をぜひ進めてもらいたい、これが一つ。

 それからもう一つは、現在の憲法も西欧諸国の憲法規範と大体同じなんですが、できた源流は市民革命ですね。国家権力、それは王権であれ独裁権力であれ、要するに基本的人権ということで、ある意味では抵抗側の市民革命の精神にのっとった形での憲法事項になっている。そういう意味で、西側の憲法体系は猜疑心の憲法だ。権力に対する猜疑心が原点にある。そういう点で、いわゆる共産圏の方は人民民主主義ですから、いわば権力を握った者がオールマイティーであって、その権力に対しては極めて従順な形、つまり自動的に独裁を容認する前提の憲法体制になっている。これが東西対立のときの世界の情勢だったんだけれども、随分変わってきた。

 そういうことを考えますと、今、もう一つ、第三の視点から、市民対市民の中にかなりの権利の相克があるわけですよ。

 先ほど、いわゆる環境権の話もあるんだけれども、権力対市民ということだけで基本的人権を捉えるのか、それを、やはり市民の間のトラブルをどういうふうに乗り越えるかということも一つの視点として必要なのではないか。やはり、お互いが自分の権利を行使するときには周りの人にも配慮するような配慮義務があるだろうし、そういったこともある程度のことは我慢をするという受忍義務があってもいいのかもしれない。それをどこかで入れておかないと、今の形は、少なくとも基本的人権ということを軸にしながら、いろいろな形に、権利行使にかなりウエートの高い憲法体系になってしまっていることがさまざまな分野でのトラブルを起こしているのではないかと思います。

 それから、幾つか視点はあるんですが、改正条項。これはやはり、二院制においてのこれですから、しかも、参議院は解散がない、半数改選だということを頭に置いた場合に、現在の改正条項がもしもう少し柔軟なことであれば、既にかなり憲法改正はできておったんじゃないかということも考えられるように思います。

 それから、まだいろいろあるんですが、道州制の話がよくあるんだけれども、私は、これはちょっと違うんじゃないか。少なくとも地域の自立性ということは、徳川時代よりもっと昔から、地域土着の、地域の一体感、地域共同体というものがどこの国でもあると思うんです。だから、何か粘土細工をこねるように、単に統治機構をどうするかという上から目線だけで論ずるのは、極めて現実とは遊離することになっていくんじゃないかということを覚えます。極めて権力的に、強制的に行政をやるということはいかがかと思っています。

 以上です。

大平委員 日本共産党の大平喜信です。

 昨年の総選挙で初当選をし、憲法審査会では初めての発言となります。よろしくお願いいたします。

 私は、広島県出身の三十代の国会議員として、今、憲法第九条を何としても守り抜かなければならないと感じています。特に、命をかけて被爆の実相と核兵器廃絶、核戦争反対を訴えてきた被爆者の皆さん、そして、これからを生きる未来の日本と世界を担う若者の皆さんの思いをしっかりと受けとめなければならないと思っています。

 ことし二〇一五年は、戦後七十年、被爆七十年の節目の年です。七十年前、日本が行った侵略戦争と植民地支配は、アジアの人々と日本国民に甚大な犠牲をもたらし、その痛切な反省をもとに、二度と戦争はしない、戦力を保持しないと誓った憲法第九条が生まれました。

 そして、七十年前の八月には原子爆弾が広島、長崎に投下され、二十万人を超える人々の命が一瞬にして奪われ、二つの都市が廃墟と化し、幾世代にもわたる言語を絶する犠牲をこうむりました。

 憲法第九条には、二度と戦争を起こしてはならないという決意とともに、核兵器の使用、核戦争は絶対に阻止せよという思いが込められており、それを世界の人々に呼びかけていると私は思います。

 今、国連本部でNPT再検討会議が行われており、日本から被爆者の皆さんが、最後の機会になるかもしれないという決意のもと参加をされ、さまざまな場でスピーチをしています。ある被爆者の方は、被爆者はこれ以上待てない、核保有国とその傘下にある国々に対し、核抑止力論から脱し、核廃絶のための法的拘束力のある枠組みの交渉を始めるよう求めると訴え、潘基文国連事務総長も、核廃絶の緊急性を疑う者には被爆者の経験を聞くよう求めたいと各国の代表に訴えています。

 今こそ日本は、戦争も、武力による威嚇または武力の行使も放棄し、そのための一切の戦力も保持しないという憲法第九条の立場で、国際社会の中での積極的な役割を果たすべきだと考えます。

 昨年六月、日本の未来を担う若者たち千五十六人が東京に集まり、戦争の現実と日本国憲法の価値を学び、私たちの命と自由のために声を上げようと訴え、私も参加をしました。その集会に向けて、全国から、一人一人の若者から安倍首相宛ての手紙を集め、その数は千六十七通を数え、そこには一人一人の真剣な思いがつづられていました。

 憲法第九条が変えられ日本が戦争できる国になれば、戦場に送られるのは若者たちです。若者たちの中には、就職先がない、進学するお金がないなどのさまざまな理由で自衛隊に入隊した人がたくさんいます。自分の友人や同級生、兄弟姉妹、そしてこれから生まれてくる子供たちなど、未来に向かって大切な時間を過ごしている一人一人が、戦場に行き、何の罪もない人々を殺し、殺される国になってはなりません。

 日本国憲法第九条を生かし、全ての人の命が大切にされ、みんなが平和のうちに生きられる未来をつくるために、ことしの六月にも再び全国から若者たちが集まり、集会を行います。彼らは、次のように呼びかけています。憲法第十二条には、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」とあります。憲法がうたうこの努力を若者の間に大きく広げ、全国から集会に集まりましょうと。

 私は、こうした真剣に社会や一人一人と向き合う若者たちの思いをしっかり受けとめて、憲法第九条は絶対に変えてはならない、そして九条を含め、全てにおいて改憲の必要はなく、国民も求めていないという立場を改めて表明します。

 以上です。

山下委員 自由民主党の山下貴司でございます。

 会長の御指名に感謝いたします。

 まず、私は、手続面と内容面に分けてお話ししたいと思います。

 現行憲法の手続面につきましては、GHQが十日間で草案を作成した、この歴史的事実は憲法学の泰斗である芦部先生の教科書にも書いてある憲法学のイロハでございます。この事実を指摘すること自体が不当だということはあり得ないわけでございます。

 ただ、私はさらに申し上げたいのは、今の日本国憲法は、これまで、戦後七十年を迎えようとする中で、帝国議会以外手を触れていないということでございます。戦後七十年を迎えようとする日本国民の経験、英知が条項に反映されていないわけであります。私は、戦後日本の自由主義や民主主義、そして平和主義の確立に果たした日本国憲法の意義は十分認めておりますし、評価しておるものでございますけれども、やはり、今こそ現代に生きる日本国民の意思を憲法に反映させるべきではないかと考えております。

 また、手続に絡みまして、憲法解釈の変更と憲法の改正は分けて考えるべきであろうと考えております。

 憲法解釈の変更につきましては、私は、憲法条項の許す範囲内で、国民の負託を受けた議会に立脚した内閣が、直面する諸課題に対応するため憲法解釈の変更を行うことは、むしろ立憲主義にかなうものであると考えております。むしろ、憲法上規定されていない行政権による憲法解釈の拘束力を認め、憲法解釈の変更を許さないことこそ、私は立憲主義に反するというふうに考えております。

 次に、内容面でございますが、まず、いろいろ言われております緊急事態条項、これは私はどうしても必要であると思っております。

 例えば、昨今、ネパールの首都カトマンズにおいて大地震がございました。我が日本も首都直下型地震を経験しております。こうした大災害あるいは戦乱の中で、あるいは人命が保護される可能性が極端に低くなると言われる七十二時間を超える範囲内で、国会で審議するいとまがない、そういった事態にやはり対応する条項が必要であると考えております。

 また、今回、財政であるとか自衛権の問題、これも討議させていただきたいわけでございますが、今回は自由討議ということで、初めから論点を絞るのではなく、日本憲法制定後の、戦後七十年の国民の英知を反映すべきだということから、幅広い議論を望むものでございます。

 そういった観点から、私は、今まで議論になっていないものとして、例えば被害者の権利。国の役割というものは、国民の生命、身体、財産、そして幸福追求の権利を守ることでございます。しかし、これが害された場合に回復を図るのも、やはり一定程度国の義務ではないかと考えております。憲法上、加害者である犯罪被疑者の権利は十カ条ございます。しかしながら、被害者の権利はゼロでございます。こうした中で、我が党は、改正案の中で被害者の権利を盛り込むことにしております。

 もう一つは、佐藤委員御指摘の知的財産権でございます。戦後、特に我が国においても知的財産権の保護は重要になりました。営業秘密の保護あるいは特許権、著作権、そういったものの保護も必要になってきております。

 実は、アメリカ合衆国憲法では、二百年前に、この一条八節八項ではございますが、議会の権限として知的財産権の保護を明らかにしております。我が国においても、おくればせながら、知的財産権の保護をしっかりと憲法に明記すべきであろうというふうに考えております。

 また、自衛権の問題につきましては、まず、九条の限界、解釈の限界としてどこまで許されるのかということ、これを私は国会で徹底討議すべきであろうと思います。これは、必ずしも憲法審査会ではなくて、今後開かれます安保法制にかかわる特別委員会において徹底討論をすべきであろうと思っております。その姿を国民に見せるのが我々議員の義務であり、したがって、審議拒否などなさらずに、徹底的に、とにかく時間をかけて議論すべきであろうと私は思っております。

 私は、戦後日本の日本人の英知を信じておるものでございます。その日本人が、改正について、七十年の英知を反映させるという趣旨から議論する、そして必要があれば改正する、このことをぜひ当審査会で会長のリードのもと実現していただきたいと思っております。

 ありがとうございました。

浜地委員 公明党の浜地雅一でございます。

 私、一言だけお話をしたい点が、国民の責務について先ほどからお話がございました。立憲主義の立場からいきますと、基本的には、国民の責務というのはやはり抑止的であるべきだろうというのは各党派共通していると思いますが、どうしても、この憲法議論の中で国民の責務をもう少し書こうというお話がございますので、果たしてどこまでこの立憲主義の中で国民に責務を課すことができるのかというところは議論を深めていただきたいと思っております。

 現在の日本国憲法は、三つの義務しか規定をしておりません。御存じのとおり、勤労する義務、納税する義務、そして自分たちの子女を教育させる義務でございます。この三つというのは、実は、国家としての形成をなすために、主権者にどうしても負ってもらわなければ国家としての形成ができないというのが、国民に勤労していただき、納税をしていただき、将来の子女を育てていただくということでございますので、かなり日本国憲法は抑止的に書いてあるわけでございます。

 ですので、実際、立憲主義の中で国民に義務を課す中で、どうしても国家としての形成をなす中で必要なもの以外はやはり書くべきでないのか、それともさらに書くのかという議論は深めるべきであろうと思っています。

 我が党の憲法改正の、加憲の一つの例示でございます環境権につきましても、これは社会権として捉えるのか、それとも環境保持としての国民に対する責務まで求めるのかという点でも、我々としても考えていくべきであろうと思っております。

 先ほど少しお話がありましたが、どうしても私人間のぶつかり合いという点については、御存じのとおり、これは憲法の私人間効力というところで、やはり一般法、民法の世界等で処理すべきものでございますので、私は、このあたり、憲法改正議論を進めるに当たっては、国民の責務をどこまで書けるのかという部分の議論の深化が必要だろうと思っています。

 個人的には、先ほど申し上げました、国家の基本をなす、形成すべき点に限って国民に責務を課すべきで、余りそういったものは書くべきでない、そのように私は考えております。

 以上でございます。

安藤委員 自民党の安藤裕でございます。

 会長、ありがとうございます。初めての憲法審査会の発言をさせていただきます。

 現在の憲法、いろいろな話がありましたけれども、GHQの指導のもとに改正された憲法であるということ、これはやはり私たちは忘れてはならない事実だと思いますし、このことを念頭に置いてこれからの憲法の改正の議論をしていかなきゃいけないと思っております。

 その中で、国柄、またあるいは国の形、理念などを憲法の中にうたっていくということも考えるべきではないかという意見がありましたが、これはまさにそのとおりだと思います。やはり、今の憲法には、日本の従来の本来あるべき理念というもの、国の姿というものはしっかり描かれていないと思っております。

 私が思いますのは、この日本という国は、やはり世界の中で今でも一番古い歴史を持っている国だということでございます。いろいろな国で保守主義という考え方はあると思いますが、神話の時代から、いつ始まったかわからない一つの国として続いている国はこの国しかないわけでございまして、ほかの国は、革命などいろいろなことが起きている中で今の国があります。革命も起きない中で、これだけ今でも世界の中で技術的な、そしてまた経済的な大国として存在しているこの国のあり方というものを、もっと我々は世界に示していくべきではないかと思います。

 そして、戦後の新しい日本国憲法の中で、我々は、自由とか平等とか、あるいは基本的人権の尊重というものを大事に思ってきたわけですけれども、しかし、逆に、我々は、行き過ぎた平等とか、またあるいは規律なき自由というものが今この国を本当に壊し始めているのではないかということも、少しこの場で議論をする必要があるのではないかと私は思います。

 いろいろなところで、今、きずなが大事である、またあるいは地方が大変に疲弊をしているということが言われておりますが、地方の疲弊、またあるいはいろいろな地域でのきずなが崩壊をしている、これは、自由とか平等とかが余りにも強調され過ぎて、重たい価値観として重要視され過ぎているからこそ、そういった大事なことが失われているのではないか。我々は、今の憲法観より上にもっと大事にしなきゃいけない価値観があるのではないかということを、もう少しこの場で議論していくべきではないかということを強く思っております。

 そして、具体的に今、改正案のことが話をされておりましたけれども、私は、特に緊急事態条項、これは必ずやらなくてはいけないと思っております。緊急事態というのはいつ起きるかわからないですし、それに対する備えが今の憲法にはないというのはやはり重大な欠陥だと思いますし、これは何をおいてもやっていかなくてはいけないというふうに思っております。

 以上です。

保岡会長 予定の時間もございますので、この自由討議における御発言は、現在ネームプレートを立てている方までとさせていただきたいと存じます。

辻元委員 民主党の辻元清美です。

 私は、三点申し上げたいと思います。

 一点目は、まず、立憲主義と集団的自衛権の行使の憲法解釈について、先ほどの北側幹事に反論をしたいと思います。

 憲法九条だけではなく、憲法には解釈の限界というのがある、この限界を超えた場合は憲法改正をするということが原則だと思います。

 そこで、このたび行われました集団的自衛権の行使の憲法解釈について言えば、先ほど新三要件ということを言われました。今までの三要件というのは、我が国が武力攻撃を受けた場合のみということで、これは憲法九条の戦争放棄に基づく解釈というよりも原理として存在してきたものだと思います。この原理を超えた場合は憲法改正が必要である。

 このたびは、新三要件によって、明白な危険、存立を脅かされるということですけれども、これは法制局長官とも議論いたしましたが、時の政府の判断で、何が明白な事態であるかということを決める。これは原理でなくて政策判断なんです。

 今までは、戦争放棄にのっとった、明らかな、政府がやってはいけないことを書いてあったわけですが、時の政府の政策判断によって、海外での武力行使に参画できる新三要件を満たせばということになれば、これは、政府がやってはいけないことを書いている憲法の解釈というより、原理から逸脱するのではないか。時の政策判断になります。その場合は、憲法の原理そのものを変えて実行すべきであって、このたびの集団的自衛権の行使に関する憲法解釈の変更ではなく、原理の逸脱であるから、立憲主義に反すると申し上げているわけです。

 二点目は、先日、安倍総理がアメリカの議会でスピーチされました。これは、立憲主義及び民主主義を支える、ここは立法府ですが、三権分立を踏み外しているのではないかと思われるような発言をしています。いわゆる今の集団的自衛権の行使、憲法解釈に基づく発言ですけれども、こうおっしゃっています。

 日本は今、安保法制の充実に取り組んでいます、長いですから一部割愛しますが、戦後初めての大改革です、この夏までに成就させます、ここで皆様に御報告したいことがあります、これはアメリカ議会に御報告したいことがあると言っています。一昨日、ケリー国務長官、カーター国防長官は、私たちの岸田外相、中谷防衛相と会って協議をしました、今申し上げた法整備を前提として、日米がその持てる力をよく合わせられるようにする仕組みができましたと言っています。これはガイドラインのことです。昨日、オバマ大統領と私は、その意義について互いに認め合いました、皆様、私たちは真に歴史的な文書に合意をしたのですとアメリカの議会に報告しているわけです。

 この憲法解釈の変更と言われるもの以来、日本の国会に説明どころか法案の提出もされていない中で、アメリカの議会で安倍総理は、夏までに成就させるとか、御報告をいたしますというような発言をしているわけです。これは三権分立から見たら、ここにいる憲法審査会のメンバーだけではなく立法府として、何をしているのかと。日本の国会で説明もなく、そして法案の提出すらしていないことを、アメリカの議会に御報告いたしますとしている。

 私は、立憲主義、そして三権分立の一つの立法府である憲法審査会こそ、それこそ安倍総理をここに呼んで、どういうつもりなんだと、参考人に来てほしいぐらいです。そういうことが一方で行われている。

 そして、先ほど話がありましたように、本来は憲法九条を改正したいけれども、国民を憲法九条にならすために、簡単なところからまず国民投票をやってしまったらいいんじゃないかというような、先ほど出ましたお試し改憲というような話すら漏れ伝わってくる状況です。

 憲法というのは私たちを縛る規範であって、憲法の原理と、それから私たちはそれをどう規範として扱うかという作法が必要だと思います。それをしっかりここで認識したいと思います。

 最後になりますが、私は十五年前から、この調査会から議論してまいりました。十五年間、なぜ憲法が改正されてこなかったのか。これだけ、したいしたいという人もようけ発言があったんですよ。それは、国民が憲法改正を喫緊の課題として感じていないからだと思います。ここのところ、特に憲法改正をする必要がないのパーセンテージがふえてきているということを最後に申し上げて、発言を終わります。

土屋(正)委員 土屋でございます。

 きょうは、限られた時間の中で、日本国憲法のたたずまいという観点から意見を申し上げたいと存じます。

 過日、フランスにおいて、イスラム教の預言者を風刺する表現を掲載した新聞社の編集者をテロによって殺害するという事件が発生をいたしました。まことに深刻な事件であったわけであります。事が深刻な事態でありますので、軽々に発言するのは控えなきゃいけないんですが、この場合に求められたのは、表現の自由は無制限か、信教の自由、宗教に対する尊崇の念を持っている者に対する権利を侵害していいのかという極めて深刻なテーマではなかろうかと存じます。

 私たちが長年、現憲法下で考えてきた国民主権、基本的人権の尊重、平和主義などがこれからも継続されるべきだと私は思っておりますが、しかし一方で、前文を含めた、さまざまな形の、日本国が今置かれた立場、また未来にわたって行くべき道、こういうことを展望した形の日本国憲法のあり方はどうあるべきかということをこの事件は突きつけているというか、私たちに啓示しているんだろうと思います。

 二年ほど前のこの憲法審査会におきまして、私は、世界各国の憲法との比較がよくなされるわけでありますが、これらについて、神または特定の個人の名前を前文の中に記載しているものがあるのかどうかということを衆議院法制局に調べていただきました。その結果、今ちょっと手元に数字はないんですが、前文がある憲法が世界じゅうで五十幾つ、そのうち、神または固有名詞を入れている、こういう国が、たしか二十九ぐらいだと思いましたが、あるわけであります。

 その中で強く印象に残っておりますのは、例えば、イスラム教国には、当然のことながら、イスラム教国としての教義、それに基づく考え方がなされているわけであります。さらにまた、キリスト教が主流となっているいわゆるヨーロッパの国でも、神をうたった前文があったわけであります。さらにまた典型的なのは、中華人民共和国憲法では、前文の中に、マルクス・レーニン、毛沢東、こういうことが、人名が前文に明記されているわけであります。つまり、そういう価値観によって中華人民共和国を国家として運営していくんだということが示されているわけであります。

 私たちがこれから、現憲法がGHQの強い関与によってできたということ、まさにこれは、主権は連合国軍にサブジェクト・ツー、支配下に置かれる、こういう条件の中で降伏をし、その結果としてそういう状態が続いたわけでありますが、今ここで、そのことが定着しているのか、普遍的価値が、意味があるじゃないか、こういう議論の前提に、日本国には日本国のたたずまいに合ったような憲法を、かつ、各国、近代民主主義国が採用している普遍的な価値観もきちっと取り入れた上で、日本国の憲法のあり方を考えていく、こういうことが大事ではなかろうかと存じます。

 そのほか、各論については、また機会がありましたら議論させていただきたいと思います。

 どうぞよろしくお願いします。

山本(有)委員 御指名ありがとうございます。

 私は、日本の憲法というのは、独立国家であって、自主憲法でなければなりません。そして、将来の子供たちがこの国をすばらしいものにするという未来を描いた一つの設計図面であってほしいと願っております。

 そういう気持ちの中から、私は、この日本国憲法を見たときに感ずるものがありますので、それを述べたいと思います。

 日本国憲法は前文から始まっているかというと、そうではありません。実は上諭というその前の文章がありまして、これは、憲法学の本を読んでも、解説書もありませんし、コメントしているところもありません。

 そこで、私は皆さんに問いたいと思います。

 上諭は、こう書いてあります。「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。」昭和二十一年十一月三日、御名御璽ということでございます。

 帝国憲法の主権は天皇にあるわけでございまして、日本国憲法、現行憲法は、国民にあるわけでございます。これが、天皇が、枢密顧問の諮詢、帝国議会の議決で、詔勅で我々国民に主権を下されたもの、こう解釈すると、何か無理がある、何か矛盾がある、何か違うんじゃないかというようにずっと思っているわけでございます。特に、主権というものが単なる文書や決め事で変わるものなのか。形式的には変わるかもしれませんが、実質的に憲法制定権力なぞが移るのかというと、絶対違います。

 例えば、我々が解釈が容易なのは、一七八九年のフランス革命で、市民革命がございました。王権から、市民に移る。これは明確でありますし、ラ・マルセイエーズ勝利ということで、新しい人たちが憲法を制定するのも容易に理解できるわけでございます。

 しかし、我々は、敗戦でございました。終戦でございました。終戦において憲法が変わる、制定権力が変わる、しかも天皇陛下の御名御璽で変わる。何か釈然としないものを私は感じておりました。

 しかし、今は、私はこう解釈することによって、しっくり心の中で、日本国憲法が、これでいいのだ、帝国憲法の改正でいいのだ、こう思っております。

 それは、一九四五年の日本、一九四六年の日本、この時代背景の中で、我々は、戦争はポツダム宣言受諾によって終わることができました。戦争は終わることができましたと言いましたが、本当に終わったのでしょうか。実は、絶対にここは終わっておりません。GHQはそこでどう関与し、どう考えていったのかということが私は問題だろうと思っております。

 まず、日本国民はどう考えたのか。戦争遂行勢力と、戦争遂行は嫌だ、終戦勢力と二手に日本国民は分かれておったというように私は思います。それは職業軍人と一般国民との違いであったのかもしれませんが、そこに天皇が必ず要ったのだ。つまり、天皇はやめる権限があった。戦争を完全にやめることができるのは、唯一、天皇しかなかった。それをGHQはしっかり把握しておったというように私は思っております。

 したがって、憲法制定権力というのは、戦争終結勢力であり、天皇を含めた日本国民であり、そこにGHQは関与せざるを得なかった。敗戦ですから仕方がなかった、私はそう思っております。

 一九五二年、サンフランシスコによってGHQはいなくなって独立国家になったわけですから、憲法制定勢力、私は、早く、国民投票を第一段階として、容易にこの国が、改正できる国家、そうでなければ、新しい日本の未来が子供たちの手に渡らないというように思っております。

 以上です。

牧原委員 牧原でございます。

 私は、もともと日本とアメリカの弁護士で、憲法を前に職業を誓ったということがありますので、憲法というものは、基本的に、非常にとうといものだというふうに思っております。他方で、海外にいたときにも、日本人は、余りに日本のことを知らな過ぎる、あるいは日本の国のことを考えなさ過ぎる、日本人とは何だろう、日本の憲法とは何だろうということを考えなさ過ぎるんじゃないかという思いをすごく強くしました。

 その意味で、きょう各先生方がそれぞれのお立場で御見解を闘わされ、そしてこのことがもっともっと国民に広がって、みんなで国の形、将来のことを考えるようになったら本当にいいなというふうに個人的に思っているところでございます。

 その上で、憲法改正のことは、個人的には四つぐらいのことで分けさせていただいております。

 一つは、国家のあり方の議論。

 きょうも、分権のあり方、一院制のあり方、財政のあり方、首相公選制のあり方等々が出ておりました。これは、まさに私たちの国をどうすべきか、どういう国家で経営していくべきかという議論であります。これは大きな議論なので、大いに国民的議論が必要だろう、私はこう思います。

 二点目は、平和や安全保障にかかわる議論で、これは、日本の戦争の経験も踏まえて非常にセンシティブである一方で、先ほど野田先生もおっしゃっておりましたけれども、すごく安全保障の環境は変わっています。例えば、ISISみたいな存在というのは今まであり得なかったものですから、ああいう、一つの国が、誰も制御できない、しかもテリトリーを持って出るということでございます。やはりこうしたことは、真剣な議論の中で実務的に考えていく必要があるんじゃないか、そして、平和を守っていかなければいけないという根本に立って、一つ一つ、事例に照らして考えるべきだと思っております。

 ただ、この二つは少し時間がかかりそうな気もちょっとしているんですが。

 三点目、緊急事態の話は、これはやはり憲法のちょっと欠落してしまった部分だと思います。現実に、先ほどネパールの話もありましたが、国会が、この建物もどこまで耐震性があるのか我々はわかりませんし、完全に崩れて、そして、あの大震災のときも、どこからどこまでが誰のうちか全くわからない、車も誰のものだかわからないからどけられない。そういう私権は立法で手当てをして緊急に乗り切られたと思いますけれども、国会自体にそういう混乱が生じたらどうするのか。そしてまた、解散中、選挙中だったらどうするのか、選挙前だったらどうするのかということは考えておかないと、こんな事態はほとんどないから、起これば、そのときでいいんだというふうには我々は言えないと思います。それは立法の完全な怠慢になるので、ここは、本当に私たちは、そういう事態、あらゆる事態がこの首都圏で起きるということを前提に、今から考えておかなければいけない。これはやはり、私は、優先すべき事項じゃないかと思っています。

 そして、四点目で、個人的には重要だと思っているのは、やはり人権のことです。

 司法は、自由と人権の最後のとりでです。その人権を守っていくのは、基本的に憲法が守っているわけですけれども、たった十五人しかいない最高裁が、戦後、苦し紛れとは言いませんけれども、一般規定に基づいてどんどん人権をつくっていって、そして、裁判で最高裁に行くまで、果たしてそれが守られる人権なのか、守られない人権なのかわからないというのはやはりおかしいと思いますし、たった十五人の、我々国民が選んだわけでもない裁判官のみが人権を定めるということでいいんだろうかというふうに思います。

 その意味で、例えば、きょうは出ていませんけれども、憲法十四条で平等原則がありますけれども、私はここに、身内に障害者もおりますので、障害の有無なんというのはやはり入れてほしいな、こう思います。

 それから、環境も、政務官をやっていましたので、これから地球温暖化を考えると、私たち、環境をどこまで定めるかというのは別として、やはり憲法に環境という言葉を入れたいと思いますし、先ほど、最高裁の積み重ねがあった部分、これも、できるだけ私たち、最高裁に任せきりじゃなくて、立法府として、人権としてこれを国民に保障するということを定めるべきじゃないかと思います。

 被害者の権利の保護、さっきありました。私も、刑事事件にもかかわっていた者として、余りに日本は被害者の方が少な過ぎる。加害者ほどというかどうかは別として、やはりここで、憲法上の保障なんだということをうたってしかるべきだと思いますし、さっきありました知的財産権等の新たなもの、こうしたことも、私たち、憲法に入れるということを考えて、新しい時代にマッチして、しかも未来志向のものを考えていく、こういうことをぜひお願いしたいなというふうに思います。

 以上です。

務台委員 自民党の務台俊介でございます。

 現行憲法の平和主義、基本的人権の尊重、国民主権といった基本理念は、人類の歴史を踏まえたものであり、しっかりと継承していかなければならないということは、この場の全員が共有していることではないかというふうに思います。その立場を踏まえながら、戦後七十年を迎える今年、国際情勢の激変、我が国の国際的立場の変化を踏まえた国の基本法のあり方を議論することもまた歴史の要請であり、これは国会議員の責務ではないかというふうに思います。

 一方で、憲法九条をめぐる議論、あるいは家族観を憲法に反映することなどについての考え方については、国民の間に大きな意見の隔たりがあることも事実だと思います。こうした点に関しては、幅広く国民の議論を聞き、かみ合った議論をしていかなければならない、かように考えております。

 識者の中には、憲法に少しでも手を加えようとすると、それがアリの一穴となり、一挙に憲法全面改正に至るので手をつけさせないという議論も存在しますが、私は、こうした議論は建設的な議論を妨げるもので、賛同できません。

 そして、私は、建設的な議論を積み上げる意味で、国民の多くの皆様が賛同できる分野に焦点を当てることは一つの考え方であり、各党から指摘されております環境権などの新しい権利の創設、緊急事態規定の創設、財政規律規定の創設などは大変有望な分野だと思っております。

 加えて、国民の皆様のなぜ今憲法改正が必要かという理解を促進するために、現行憲法の規定によって意図せざる不合理が国民生活にもたらされている箇所が少なからずあるというところを拾い上げて、これを最初の項目に加えることもあり得るのではないかと考えております。

 その具体例として、私は、二つ挙げさせていただきたいと思います。

 一つは、選挙制度の問題でございます。

 国政選挙の都度、選挙無効の訴訟が提起されております。一票の価値の格差を理由としたものでございます。これは、現行憲法が法のもとの平等を選挙権行使に厳しく問うているとの解釈に基づきます。

 平等原則に基づく定数是正は必要ですが、大都市への人口集中が続く中でこの原則をしゃくし定規に貫くと、全国各地からあまねく国会議員を選出するという理念が崩れかねません。今後取り組まなければならない定数是正も、この平等原則のもとで、農山村部の定数の激減をもたらしかねないことから、実現できない状態に立ち至るのではないか。ついては、こういう事態を緩和するために、国会議員の定数配分については、一人当たりの平等原則に加えて、地域代表的な観点を加えていくことが可能となるような改正を先行的に行うことが必要ではないかと考えております。

 もう一つは、地方自治体の統治機構のあり方でございます。

 現行憲法は、首長と地方議会の二元代表制を規定しておりますが、これが思わぬ弊害を招いているということを感じます。今回の統一地方選挙に当たって、私の地元の市議会議員は、地方であるにもかかわらず四四%という低投票率でございました。特に低いのは二十代の投票率で、二三%ということでございました。二十、初めて投票をした方々は一八%しか投票しない。非常に残念な結果となっております。

 その原因というのは何なのかと考えてみますと、投票時間を遅くまで延ばしたり、期日前投票を可能としたり、駅前でも便利に投票できる仕組みを用意しても、有権者は乗ってきません。住民みずから政治参加できる最高の機会に権利を放棄するということで、地方自治が本当に機能するのかということも心配になります。

 若年層の投票を促すために、さまざまな政治教育を高校の時代から始めるという動きもありますが、地方議会の役割の見直しというのも必要ではないかと思います。日本の制度では、首長と議会はそれぞれ有権者から選ばれ、執行権は首長、議員は行政権のチェックということになっておりますが、こういう二元代表制で本当にいいのか。ヨーロッパの国々では、地方議会は、議院内閣制によって選ばれた議員が首長となったり、あるいは執行部に入っていく。こうなりますと、議員としてそれなりの人を選ばなければならない、そういう観点が有権者に養われるのではないかというふうに思います。その結果、投票率もアップする。これは日本国憲法は今禁止しているということなので、こういう点も今後の憲法改正で先行的に議論していくことが必要ではないかと思います。

 以上です。

寺田(稔)委員 自由民主党の寺田稔でございます。

 御指名ありがとうございます。

 こうした自由討議を行うことによって、この憲法論議、国民的な議論としてさらに広め、地方公聴会等も実施をされんことを切望するものであります。

 さて、集団的自衛権について、その定義づけについて一言申し上げたいと思います。

 この集団的自衛権は国際法上も確立をされたコンセプトであり、憲法を中心とする国内法の上位法である国際条約である国連憲章においても、チャプターファイブを中心に、各加盟国は個別的自衛権とともに集団的自衛権を有することを明文の規定でもって規定しており、我が国は、それを何ら留保をつけることなく全面採択をいたしているところでございます。したがって、この集団的自衛権について、やはりその定義づけを明確に行い、その歯どめ、外縁がどこであるかを十分に議論すべきであります。

 この自由討論が始まる前の各党の代表者の方からの意見陳述で、集団的自衛権をあえて定義する必要がなしとの陳述もございましたが、やはり、明確な定義づけのもと、個別的自衛権と重なる部分、重ならない部分、そしてどこまでができる部分かを、それが解釈によって可能なのか、あるいは憲法上の一定の規定が必要なのかを十二分に議論すべきであると思います。

 次に、この戦後七十年、とりわけ唯一の被爆国として、ことしは被爆七十年という重要な節目の年を迎えます。私も被爆二世の一人として、全会派合意のもとでのさきの被爆六十年のときの国会決議、また被爆者援護法と七年前の基金法の成立、これも全会派合意のもとで被爆者救済が前進しております。ぜひとも、この被爆者救済の前進と核なき社会の実現、そしてまた平和の思いの発信のためにも、この被爆七十年、核なき世界に向けた取り組み、この憲法審査会においても大いに論議されんことを切望するものでございます。

 以上でございます。

山田(賢)委員 御指名ありがとうございます。自由民主党の山田賢司でございます。

 お話を進めるに当たりまして、私は、議論の仕方として、大きな全体の話というのと個々の具体的な条項の話というのを分けて考えないといけないと思っておりまして、そもそも憲法というのはどうあるべきか、どういう憲法が必要なのかという議論をする方と、この条項をこういうふうに変えようという議論が、交互にやっていると話がごちゃごちゃになってしまうということで、ここは分けて進めていただきたいと思っております。

 その上で、全体の話で言いますと、今、敗戦から七十年ということで言われておりますけれども、もうそろそろこの憲法というのを見直さないといけない、この全体の話はしていかないといけないとは思っております。

 各先生方がおっしゃられたように、これはGHQの占領下においてつくられた憲法であることは紛れもないことで、よくちまたでは、天皇主権から、この日本国憲法になって国民主権に移ったと言うんですけれども、その真ん中に、GHQ主権という時代があったんじゃないかと私自身は思っております。

 昭和二十一年に制定されて二十二年に施行されましたけれども、昭和二十七年にサンフランシスコ講和条約が発効して日本が名実ともに主権を回復したときに、本来であれば、真の意味の国民主権ということで、日本人自身が憲法をもう一度自分たちでつくり直さないといけなかった。それを怠ってきたということは紛れもない事実。国会議員もそうですし、先ほど先生がどなたかおっしゃいましたけれども、国民の中にも望んでこなかったんじゃないか、このことについては私も同意をしております。みんな、食うや食わずの中、そんな自主憲法制定ということよりも、やはり経済をしっかり発展させようということで、国民自身がこれに目をつむってきたというか必要性を感じてこなかったのかなということは認めざるを得ない。

 ただ、これは本当に平和憲法なのかということを常々私は申し上げるんですけれども、恐らく大多数の国民にとっては、敗戦によって平和がもたらされたと思われているんですけれども、この日本国憲法ができた後ですら、竹島というのは、武力侵略を受けて、漁師さんが殺されて、四千人近い漁民が拿捕されてしまった、こんな時代があった。これもこの日本国憲法下で行われたこと。

 そして、忘れてはならないのは、今もこの瞬間も、我々日本人が北朝鮮によってとらわれている。このことについてどうするんだ。これは憲法を変えなくても救えるんだよということであれば、それはそれで構わないんですけれども、憲法の制約があって救い出すことができない、これはあってはならないのではないか。

 国家の最大の責務というのは、やはり国民の命を守ることでございます。これをどうやってやるのか。

 改正をする各論に入らせていただきますと、船田本部長もおっしゃられている、合意を得やすいところからやるというお話がありましたけれども、私は、そうではないと思います。これは珍しく辻元先生と意見が合うんですけれども、そうではなくて、やはりやらないといけないところからやらないといけないんだ、どれだけ合意が得られなくても、合意を得る努力をしないといけないのではないかな、このように思っております。

 その意味で、やらないといけないということ、まあ環境権とかというのは、私は特に何か困っているのかということはちょっと疑問を持っております。それよりもむしろ、やはりやらないといけないのは緊急事態条項。緊急事態が起こったときにどういうふうな権利の制限をするのか、あるいはどういうふうな議員の選び方、選挙をどうするのか、こういったことはしっかりとやっていかなければならないと思っております。

 起こってほしくないことは考えないとか、起こったときには臨機応変にという方がよっぽど立憲主義に反するのではないか。あらかじめ、そんなことが起こったらどうするんだということをきちんと議論して憲法に明記しておく、このことがやはり立憲主義の趣旨に沿うのではないか。

 もう一つ、自衛権に関しては、これだけの賛成、反対はあっても、これはやはりしっかりと議論しないといけない。よく解釈の変更はけしからぬとおっしゃる方こそ、しっかりと議論して、何が何でも憲法は変えちゃいけないとおっしゃるか、あるいは、憲法にきちんと、自衛隊というのの存在、そしてその権限はどこにあるんだということを明記すべきだ、このように思っております。これこそ、やはり自衛権の存在、国民を守るということをしっかりと書いていかないといけないと思っております。

 もう一つ申し上げさせていただくと、憲法解釈変更の限界というお話が先ほどあったんですけれども、これまた最初の話になるんですけれども、憲法改正の限界を今の憲法は超えていたんじゃないかということを指摘しておかないといけないんです。

 これは専門家の学者の方もおっしゃるように、八月革命説みたいな議論があって、憲法改正を革命でやっていいのか。こんなことによってつくられた憲法なんだ。だから、そもそもの成り立ちが革命でできておるのに、その解釈を変更するのに限界もヘチマもないんじゃないか。この憲法そのものが明治憲法の改正の限界を超えているんじゃないか。その中でも、戦後の六十八年間、これを受け入れてきたということは認めざるを得ないんですが、こういった議論もしっかりとやっていきたいと思っております。

 以上です。ありがとうございます。

後藤田委員 きょう、いろいろな御議論を伺っておりましたけれども、各論から総論にわたりまして、このたびこういう形で審査会が開かれたわけでございますが、今回、皆さんもおわかりのとおり、多くの世論、マスコミの皆様もおわかりのとおり、まだまだこの審査会は多くの時間を費やして、しっかり議論を国民の皆様に向けて発信することが重要でなかろうかなと思います。やはり最後は国民にお決めをいただくというところでございますので。

 あと、先ほど河野先生もお話ありましたけれども、私も個人的には、いわゆる党議拘束等、これについては反対でありますし、一人の一国会議員として、国民として、しっかりと意思を表示すべきだと思います。

 個人的にはやはり、脅威をあおるようなことだとか、短期間で決めたとか、押しつけだとか、私は、そういう議論でこの憲法の改正議論をしてはいけないと思います。そうすることによって国民が離れると思います。

 そうではなくて、やはりもう一回、この七十年間、この憲法が果たしてきた役割、まさに戦後からの復興、繁栄、そしてまた安定、平和、そして今、成熟期に至っての、今までにどれだけの役割を果たしてきたかということを、まずこの場で共有して、国民の皆さんとも共有すべきだと思いますし、その上で、国の運営上、国家の運営上、どうしても変えなきゃいけないということは何なのかということをここでしっかり議論して、それをまた国民の皆様にお伝えしていくということだと思います。

 加えて、そもそも憲法というのは何なのか。また、日本国憲法のいわゆる歴史的な経緯等々、これはほかの国とは違います。また、権利とは何なのか。これは三大権利というような話があって、よく我々も成人式で、皆さん、参政権が得られましたよと言いながら、大の大人のあの投票率を見て、私はいつも、いわゆる権利というのは何なんだということを子供に説明しづらくなるわけでございます。

 あともう一つ言いたいのは、日本国憲法というのは硬性憲法でございますね、皆さんも御承知のとおり。これは時の権力を抑制するという意味では極めて有効だと思いますが、やはり時代の変化になかなか迅速に対応できない、こういうことが言われますが、私は、もっと大事なのは、憲法の尊厳性というか信頼性というもの、これが、いわゆる解釈改憲でどんどん進んでいくと、それ自体、憲法のそういったものが失われていく危険性を非常に感じております。

 もう一つ、先ほども議論に出ていましたけれども、我々議会と国民の間で食い違いがやはりあると思うんですね。先ほども意見が出ていましたけれども、多くの方が、まだ改正しなくてもいいじゃないかという議論があるようです。ただ、我々の与党を含めて、もちろん自民党の中は多いんですが、圧倒的に改正という意見が多い。やはり国民の皆さんも、まさに憲法というものの尊厳というもの、ありがたさというもの、これが実は希薄化してしまっているんじゃないかなというのを感じます。さっきの参政権の話もそうだと思います。

 各論に少し入りますけれども、やはり九条につきましては、僕は、第一項というのは非常に世界的にすばらしいものだと思います。いろいろ御議論がある中で、普通の国にしたいという意見があるようですが、私は、理想の国であり続けるべきだと思います。その理想の国をつくったのは九条一項だと思っています。

 ただ、二項においていえば、自然権で国際法上与えられているいわゆる個別的自衛権につきまして考えるならば、交戦権、そしてまた戦力不保持ということは子供に対しても国民全体にも非常にわかりにくいということもあって、またそういった各論につきましてもしっかりこれから議論をしていきたいと思います。

 改めて申し上げますが、普通の国になる前に理想の国になるということを私どもは世界に訴えていくべきだ、こういうふうに思っております。

 以上です。

保岡会長 ネームプレートの分の発言は全部終わったわけですが、数分時間があるので、先ほど、お試し憲法論というものについて問う御発言があって、その点についての答えがちょっとなかったように思いますので、船田幹事、よろしくお願いします。

船田委員 先ほど、長妻先生、辻元先生、それから少し言葉を変えられて山田先生から御指摘をいただきました。いわゆるお試し改憲という、何かどこかでつくられた言葉だと思うんですが、これについては、私は、そうとられるんだとしたら、非常に残念であります。

 確かに、憲法改正は、これから一回で全てができるというのではなくて、内容ごとに関連するものをまとめて、何回かに分けて改憲を行う、投票も行う、こういうことでございますが、私は、その全ての改正のときにおいても、決してお試しということはない、全て真剣に、国民のため、国のために改正をするんだ、こういうことで議論をしていくべきものであって、お試しというところが一カ所でもあったら、これは全く意味のないことになるというふうに思っております。

 確かに、第九条、我が党としましては、早く改正をしたいし、またそこが一つの大きな肝である、こう考えてはおりますが、やはり国論を二分する問題でもございますので、慎重にこれは議論をして、国民に十分理解をいただいた上で対応しなければいけないことと思っております。

 一方で、これまで各党からさまざまな御発言があった中で、緊急事態条項、あるいは人権の問題、そういったことなどにつきましては各党がかなり共通して関心事項として挙げていることでございますので、そこから議論を始めてみるというのは、私は、自然な流れであるというふうに思っております。

 ただ、これは、簡単だから先にやる、難しいから延ばすというような、そういう基準で決めるものでは決してないということは御理解をいただきたいと思っております。

 全ての憲法改正においては、お試しという気持ちは全くない、全て真剣であるということはあえて申し上げたいと思っております。

保岡会長 他に御発言はございますか。

 きょうは、憲法審査会の今国会における実質審議のスタート日になりました。非常にいろいろなテーマで真剣かつすばらしい議論があったと思います。

 最高規範の憲法について議論するのですから、その重さ、重要さは言うまでもありませんが、これからも、この憲法審査会、活発にこういう議論を進めていきたいと思いますので、御協力をよろしくお願いします。

 それでは、発言も尽きたようですので、これにて自由討議は終了いたします。

 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後零時一分散会


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