衆議院

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昭和五十五年十一月四日提出
質問第一二号

 連合国による我が国の管理と日本国憲法制定の経過に関する質問主意書

右の質問主意書を提出する。

  昭和五十五年十一月四日

提出者  森  清

          衆議院議長 福田 一 殿




連合国による我が国の管理と日本国憲法制定の経過に関する質問主意書


一 連合国による管理の実態は、次のとおりであつたと考えるがどうか。
 1 我が国は、昭和二十年八月十四日、ポツダム宣言を受諾し、同九月二日、降伏文書に調印し、米国等の連合国に降伏し、天皇及び日本国政府の国家統治の権限は、降伏条項を実施するため適当と認める措置を執る連合国最高司令官の制限の下に置かれることとなり、昭和二十六年の平和条約(昭和二十七年四月二十八日発効)により独立を回復するまでは、我が国は主権を失つていた。(ここにいう主権とは、属地的に、他の権力に従属されることのない最高の統治権力をいう。)
 2 法令(憲法を含む。)の制定、改廃は、事前に最高司令官の事実上の承認を得なければならず、また、国会における修正も同様であつた。なお、国会の議事経過の概要は、要請があれば主務省において作成して報告する義務があつた。さらに閣僚を含む上級の公務員についても任命の同意が必要であり、場合によつては配置換え、罷免の要求もあつた。
 3 最高司令官の要求が、憲法上実施できない内容すなわち憲法違反の内容のものであつても、「「ポツダム」宣言ノ受諾二伴ヒ発スル命令ニ関スル件」により、命令をもつて所要の定めをし、罰則も設けることができ、この勅令による命令(日本国憲法施行後は、政令、府令、省令)は、憲法違反であつても、憲法にかかわりなく憲法外において法的に効力を有するものであつた。
 4 最高司令官の管理のための意思表示は、指令、覚書、書簡等文書をもつてするものもあり、口頭によつてなされる場合もあり、何れにしても、意思表示の全体の趣旨を解釈して実質的に判断しなければならなかつた。
 5 占領下にあつては、言論、出版の自由が制限され、最高司令官による検閲制度がとられ、連合国の管理政策の批判を公表する自由がなかつた。
二 憲法制定の経過は、以下次のとおりであつたと考えるがどうか。
 1 政府は、昭和二十一年三月六日「憲法改正草案要綱」を発表した。
 2 政府は、この要綱を条文化し、四月十七日「憲法改正草案」として発表、六月二十日「帝国憲法改正案」として議会に提出した。
 3 議会は、この改正案を修正可決し、十一月三日公布された。
 4 憲法改正は、「大日本帝国憲法」に定める手続きに従つて行われた。すなわち、天皇は改正案を枢密院に諮詢し、勅命をもつて議案を帝国議会の議に付し、その協賛をもつて成立した改正を裁可し、公布せしめられた。
 5 改正憲法成立後数年たち、占領末期以降一般に明らかになつたことは、政府の改正案は最高司令官によつて拒否され、同司令官が作成した案が政府に示され、それに従つて、すべて最高司令官の事実上の承認の下に憲法改正が行われたということである。
  (一) 政府は、昭和二十年秋より検討を始め、ほぼその成案を得たと思われる政府案を、昭和二十一年二月八日「憲法改正要綱」(いわゆる松本案)として総司令部に提出し、説明をした。
  (二) 二月十三日総司令部の係官が吉田外相及び松本国務相に対し、松本案の全面的拒否を表明するとともに、「憲法改正案」(いわゆるマッカーサー草案)を手交した。
  (三) 三月六日政府は、この草案に基づき1に述べた「憲法改正草案要綱」を作成した。
  (四) マッカーサー草案が示された後、政府において検討し、総司令部と折衝し、その承認の下に憲法改正案を作り、議会においても総司令部の承認の下に修正が行われて改正が成立した。
  (五) 憲法制定当時、我が国は占領下にあり、国家統治の権限は連合国最高司令官の制限の下に置かれていたこと、憲法改正案は同司令官の発案によるものであること、政府の改正案の作成、議会の議決、天皇の裁可という形式はとられているが、実質的には最高司令官の了承の下に行われたこと、すなわち、憲法を改正するかどうか、どのような内容の憲法を作るかのすべてについて、最高司令官の承認の下に行われ、同司令官の意に反しては憲法改正を行うことができなかつたことから、つまるところ、法律形式はともかく、実質的には、日本国憲法は連合国最高司令官が制定したものであるといい得る。

 右質問する。



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