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昭和六十二年四月二十四日提出
質問第三五号

 戰後政治の反省と東京裁判などの所謂戰後問題に關する質問主意書

右の質問主意書を提出する。

  昭和六十二年四月二十四日

提出者  滝沢幸助

          衆議院議長 原 健三郎 殿




戰後政治の反省と東京裁判などの所謂戰後問題に關する質問主意書


 昭和二十年八月、我國が米英など聯合國に降伏して早くも四十餘年を閲したが、こゝに漸く戰後政治を反省總括し、誤れるは之を正し、失へるは之を恢復して、よりよき將來を期するの氣運が澎湃として興りつゝあるは蓋し當然の事ながら、邦家のため同慶に堪へぬことである。
 此の間、我國は昭和二十年九月二日ミズリー號艦上の降伏文書調印、同二十一年十一月の憲法改正、同年五月より三箇年に亙る極東國際軍事裁判、同二十一年の農地改革、同年の國語改革、又、昭和二十六年の講和條約調印、或いは、同年の日米安保條約締結、及び同三十五年の之が改定など、こゝに回想列擧するにも思ひ靜かならぬ難局をよく隱忍自戒して誤らず、今日世界に冠たる經濟力と、國際社會に名譽ある地位とを得るに至つた。
 思ふにこの成果は、國の時に處して賢明な施策と大多數國民の協力、加へて時の幸運に支へられての事であつたが、反面、今漸く國民の間に生じて覆ふべくもない精神的懈怠と不信、道義の荒癈と國家觀の混亂、愛國心の喪失は誠に由々しき大事である。
 之は是れ戰後四十餘年の祖國再建の基本方針に對する國民輿論の分斷と、政府の之が指導力の缺如、法制度の不備等に起因するものであり、今にして之を正し、今日において之を明らかにすることこそ、正に國家的民族的急務であると信ずる。
 仍つて之等の基本問題について質問する。

第一 極東國際軍事裁判(東京裁判)について
  戰後、聯合國は昭和二十一年五月三日より同二十三年十一月十二日まで東京に設けた極東國際軍事裁判の法廷において元内閣總理大臣東條英機ら二十八人をA級戰爭犯罪人として裁き、絞首刑七人、終身禁錮刑十六人、有期禁錮刑二人(他に未決中獄死二人、精神異常に依る審理除外一人)の刑を宣告した。
  更にB・C級戰犯として五千餘人を内外各地の軍事裁判にかけ、千百人を超す刑死・獄死・拘留死を出した。
  我國は當時その主權が聯合國最高司令官の制限下にあつたが、昭和二十六年九月八日、サンフランシスコにおける講和條約締結(翌二十七年四月二十八日發效)により國際法的にも戰爭は終結し、主権の制限は解かれ、獨立は完全に恢復した。
  然し乍ら、其の後三十五年を經た今日も、なほ幾多の所謂戰後問題が殘され、然もそれら問題の根柢には東京裁判による日本有罪論が根強く生きており、或いは歴史觀・世界觀・國家觀に於て未だに占領時の殘滓を棄てきれず、國も國民も悉く此處に低迷し、國論これをめぐつて二分してゐることは誠に不幸なことと言はなければならない。就いては左記の諸件について、政府の見解を明らかにされたい。
 1 東京裁判の法的根據について
   「法なきところ罪なく法なきところ罸なし」とする罪刑法定主義と「法は遡らず」との法の不遡及、事後立法の禁止は世界文明國共通の法理である。
   東京裁判は我國が降伏してのち、占領軍が臨時に制定した「極東國際軍事裁判所條例」によつて當時は勿論、現在に於てすら國際法上存在しない「平和に對する罪」「人道に對する罪」等の罪名を冠して、勝者が敗者を裁いたもので、正に裁判といふ名の報復であり、戰爭行爲の繼續であつた。
   故にこそ檢事及び判事は総て聯合國からのみ選ばれ、我國からは辯護人を許したのみであつたし、控訴・上告の道も絶たれてゐた。
   もしそれ、此の裁判に些たりとも「正義」と「文明」の良心があつたならば、米英など聯合國の大統領・首相等をも同じく被告の座に連ね、原爆投下等の責任も斷罪されるべきであつた。而も、この裁判を主催し得る資格はスイスなど純正中立國のみにあり、戰爭當事國の一方、即ち勝者のみにあるべきはずはない。
   東京裁判は、其の管轄權を爭つた辯護團の動議を卻下しニユルンベルグ裁判の意嚮に同意するとしたが、それは一九二八年パリ不戰條約を根據としてゐる。然し同條約においても、戰爭それ自體は禁止し得ず、侵略戰爭をのみ非とし、且つ侵略か自衞かの判斷は終局的には當事國の自己決定に待つ外なしとしてゐる。この解釋は國際法學界の通説である。
   即ち、東京裁判は法的には其の存立の根據なしとする意見が各界に強く主張されてゐるのである。この事實を踏まへて、昭和六十一年八月十九日衆議院内閣委員會における後(注)田官房長官の答辯に言ふ「政府の統一見解」の眞意と、東京裁判の法的根據に關する政府の最終的見解を示されたい。
 2 サンフランシスコ平和條約第十一條について
   昭和二十六年サンフランシスコに於ける對日平和條約(講和條約)の第十一條は、「日本國は、極東國際軍事裁判所竝びに日本國内及び國外の他の聯合國戰爭犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本國で拘禁されてゐる日本國民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されてゐる者を赦免し、減刑し、及び假出獄させる權限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本國の勸告に基く場合の外、行使することが出來ない。極東國際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この權限は、裁判所に代表者を出した政府の過半數の決定及び日本國の勸告に基く場合の外、行使することができない。」としてゐる。
   而して本條の目的は、軍事裁判所が言渡した刑の引續いての執行を日本政府に義務づけるとゝもに、赦免・減刑・假出獄の手續を定めることにあつた。即ち本條は、講和條約發效と同時に我國が任意に戰犯等を釋放する(アムネスティ條項)ことを禁ずるために插入されたのであり、これによつて、我國は聯合國に代り「刑を執行する」責任を「受諾」させられたのである。ここで「裁判を受諾する」とされてゐる部分は、英文では、
   Japan accepts the judgments of the International Military Tribunal for the Far East and of other Allied War Crimes Courts both within and outside Japan, and will carry out the sentences imposed thereby upon Japanese nationals imprisoned in Japan.であり、日本文で「裁判を受諾する」の箇所は、英文では、accepts the judgments で、英語の judgment は法律用語としては使はれる場合、日本語の「判決」の意味に用ゐるべきことは權威ある法律辭典 Black’s Low Dictionary の説明からも明白である。 judgment は、The official and authentic decision of a court of justice upon the respective rights and claims of the parties to an action or suit therein litigated and submitted to its deter−mination.(司法裁判所が同法廷に提出されてその判定を求められてゐる訴へないし權利ならびに請求に關して下す、公式かつ有權的な決定)とされ、英語の本文は「判決を受諾する」意味であることが明瞭である。
   次にフランス語正文では、
   Le Japon accepte les jugements prononces par le Tribunal Militaire International pour l’Extreme−Orient et par les autres tribunaux allies pour la repression des crimes de guerre, au Japon et hors du Japon, et il appliquera aux ressortissants japonais incarceres au Japon les condamnations prononcees par lesdits tribunaux.
   日本が諸軍事法廷により「言渡された判決を受諾する」(accepte les jugements prononces par…)と書かれてゐる。フランス語では prononcer un jugement と使つた場合「判決を下す(言渡す宣言する)の意味であつて、jugement は裁判を意味しない。
   スペイン語正文では、
   El Japon acepta las sentencias del Tribunal Militar Internacional del Extremo Ori−ente y de otros Tribunales Aliados de Crimenes de Guerra, tanto dentro como fuera del Japon, y ejecutara les sentencias pronunciadas por ellos contra nacionales japon−eses encarcelados en el Japon.
   即ち日本は諸軍事法廷の「判決」(las sentencias)を受諾し、それらの法廷により言渡された刑(las sentencias pronunciadas por ellos)を執行すべきものと書かれ、スペイン語の sentencia は、判決または宣告された刑を意味し裁判を意味する言葉ではない。
   因に勝本正晃を編輯代表とする三省堂版「模範六法」に於ても、この條約の第十一條には、編者の手による〔戰爭裁判判決の受諾と刑の執行〕との見出しが附せられてゐる。
   ついては左記二點に對し政府の責任ある見解を示されたい。
  イ 第十一條日本語文は誤譯ではないか。
  ロ 右各國語の譯に見る如く、第十一條の「裁判」を「判決」と譯されてゐたとしたら、前章にのべた後(注)田官房長官の答辯において表明された政府見解は變つて然るべきではないか。
   その場合どのやうに變るか明確にされたい。
第二 (注)國(注)(注)について
 (注)國(注)(注)は我國が近代國家として國際社會に參加した明治維新以來、國家に生命を捧げられた方々を祀る神社として百年の歴史をもち、宗教法人として登録されてゐる。
  然し、他の宗教と異り、教理教典を有せず、布教せず、信徒を有せず組織せず、且つ教祖も存せぬ、極めて異例の祭社である。而も、戰前戰中は勿論、戰後も歴代首相は之に參拜して崇敬の念を捧呈して來た。
  申すまでもなく憲法は、國及び公共の特定宗教への援助支配等を禁じており、我國の傳統習慣・社會通念及びその宗教觀と法の形式主義との段差が幾多の論爭を産み、津市地鎭祭訴訟(昭和五十二年七月十三日、最高裁)や岩手(注)國公式參拜、玉串料訴訟(昭和六十二年三月五日、盛岡地裁)の如き裁判事件も生ずるなど、問題は深刻なるものがある。
  政府は昭和六十年、「閣僚の(注)國(注)(注)參拜問題に關する懇談會」の意見を徴して同年八月十五日、中(注)根首相が從來の作法を無視しての一拜方式による公式參拜をした。これは小手先の細工に過ぎた憾みはあるが、一つの見識と言ふべきであつた。然るに越えて同六十一年の終戰紀念日には、「A級戰犯が合祀されてゐることもあり、近隣諸國の國民感情を配慮する(八月十四日、後(注)田官房長官談話)」として參拜を行はなかつた。これは昭和六十年八月の公式參拜後の中國よりの非難に對する配慮であつたらう。
  ここで終戰後、平和條約發效以來の所謂戰犯に對する處遇と、(注)國(注)(注)合祀に至る經緯を見るに、昭和二十七年四月三十日、法律百二十七號「戰傷病者戰没者遺族等援護法」が成立、軍人恩給法の適用が停止されてゐた戰傷病者・戰歿者(軍人・軍屬)の遺族に對する援護が開始された。更に同二十八年七月二十三日衆議院に於て、「戰傷病者戰没者遺族等援護法の一部を改正する法律案」が自由・改進・右派杜會・左派杜會四會派共同提案の修正により全會一致で議決され、八月六日參議院でも同様可決された(同八月七日法律百八十一號施行)。之により戰犯者の遺族も援護の對象とされ、恩給法も同様改正されて一般戰歿者遺族と戰犯者遺族は同じ扱ひとなつた。
  因に、恩給法(大正十二年法律四十八號)第九條によれば、「死刑又ハ無期、若ハ三年ヲ超ユル懲役、若ハ禁錮ノ刑」に處せられた者は、年金たる恩給の支給が得られないとされてゐるが、前記援護法等の改正を當時の國會が全會一致で可決した事實は、戰犯者を國内法的見地に於ては無罪と認める大多數國民の意志の表明と見ることが出來よう。
  右の事由から戰犯死歿者を戰歿者同様に(注)國(注)(注)に合祀すべしとされ、厚生省の資料によつて、從前戰歿者の合祀に際して爲されたのと全く同じ手續を取り、B・C級戰犯は昭和二十四年四月六日、同年十月十七日、同四十一年十月十八日の三回に分けて合祀され、更に同五十三年十月十七日にはA級刑死者七人、獄死者五人、未決中死歿者二人、計十四人の合祀を了したのであつた。
  其後、大(注)、鈴木兩首相の參拜も行はれたが中國等よりの抗議はなく、昭和六十年八月の中(注)根首相の參拜を機として國際的問題となつたことは理解し難い所であるが、專ら中國側の國内的事情によるのではなかつたか。ともあれ、
 1 此の問題の解決のため、首相は人を介して遺族會等に働きかけ、A級戰犯神靈を(注)國(注)(注)から分祀することを策してゐると新聞等が報じ、或いは巷間語り傳へられたが、かゝる事實の有無を明確にされたい。
 2 右の事實ありとすれば、それは宗教に對する公の介入とはならないか。又その事實があれば具體的に報告されたい。
 3 中國等が萬一にも諒解すれば祭神の如何にかゝはらず公式參拜を再開するか。
 4 中國等の意嚮に關はらず戰犯が祭られてゐる限りは公式參拜をしないのか。
 5 私人としての參拜は考へてゐるか。
 6 A級職犯を分祀したら次にB・C級戰犯の合祀についての非難が起きないと思ふのか。
 7 憲法と(注)國(注)(注)に關する政府の公式見解を整理して明らかにされたい。
 8 諸外國よりの國賓等の表敬を受け得る(注)國(注)(注)であるためにも、同神社を、宗教法人より除外して「國家慰靈法人(假稱)」等の新立法を以つてし、仍つて、天皇陛下をはじめ皇族、首相以下総ての公人の正式參拜の道を開き、又普く國民の崇敬を得るやう對處されるべきと信ずる。政府の所見如何。
第三 日本國憲法について
  戰後四十年の我國の歴史は、同時に、昭和二十一年十一月三日公布以來の日本國憲法の歴史でもあつた。
  即ち此の憲法は、法手續としては明治二十二年制定の「大日本帝國憲法」の改正であつたが、實質的には敗戰による革命的變革たる新憲法の制定であつた。
  然もその由來するところは占領軍の強制的助言によるものであり、今日に至つて之を見れば、その功罪必ずしも定まらず、國論の激しく二分するところである。特に、第九條、第二十條及び第八十九條等の解釋に至つては、學界、政界悉くその見解を異にし、政府また百年不易の定見を示すに至つてゐない。この事は國政運用上、誠に遺憾であり、國民も亦、その向ふ處を誤る虞れなしとしない。
  就いてはこの際、政府は速かに次の事を明確にして國民の不安を除き、國家の將來を安定すべきである。
 1 政府は日本國憲法を將來ともに此の儘でよしとするか、或いは改正を意圖してゐるか。
 2 前記第九條、第二十條及び第八十九條について明確なる政府の解釋を示されたい。
第四 大東亞戰爭及び滿洲事變・支那事變について
  我國が將來の進路を想定する上において、大東亞戰爭及び滿洲・支那兩事變の歴史的意義を正しく把握し、而も國民が廣くその理解を一にすることは極めて重要なことである。その爲には歴史的事實を正視し、且つ當時の先人が事に處した志を虚心に顧みる必要があるが、有史以來初めて敗戰を體驗した日本及び日本人は、自らの國家とその歴史に自信と誇を失ひ、事毎に内部對立と對外追從を繰返して來た。こゝに其の誤りを正すため史實を回顧する。
 ○ 滿洲事攣=東京裁判に於て檢察側・辯護側ともに重視したところの國際聯盟派遣リットン調査團の報告書には、一九一一年(明治四十四年)辛亥革命以降の滿洲の事情を詳述した後、「右地域は法律的には中國の一構成部分なりと雖も本紛爭の根柢を成す事情に關し、日本と直接交渉を遂ぐるに充分なる自治的性質を有した」と滿洲の特殊性を認め、更に柳條溝(湖)鐵道爆破事件については、「現地にありたる將校及び彼等自身は自衞の爲め行動しつゝあるものと思惟したるなるべしとの想定は、全然あり得ざることにあらず」としてゐる。
 ○ 支那事變=世に言ふ「蘆溝橋の一發」については、東京裁判に於ては日本軍の發砲との立證は遂に出來ず、日本側證人の陳述に對し檢察の反對訊問は殆どなかつた。(この事件の仕掛人が當時の中國共産黨であることを示す新資料も、すでに我國に紹介されてゐる。)當時北方に脅威を感じてゐた我國は中國との戰爭を極力避けたかつた。然し幾度かの平和交渉は結局不調となつた。近衞三原則「善隣友好、共同防共、經濟提携」は中華民國に領土や賠償を求めず、主權を尊重し、治外法權を廢し、租界の返還を考慮する等としたが、帝國議會は之を支持し、昭和十五年三月七日、三原則を批判した齋(注)(注)夫議員を除名した。
 ○ 大東亞戰爭=我國は對米戰を回避するため有りとあらゆる努力をした。昭和十六年十月十八日、世に言ふ「白紙還元の御諚」により、東條内閣は、統帥部の開戰論を抑へ、來栖大使を特派して改めて「乙案」を示し譲歩した。また衆議院は「國策完遂に關する決議」を全會一致で可決、開戰を政府に迫つたが、内閣は更に交渉妥結に力めた。然るに米國は十一月二十六日「ハルノート」によつて最後通告を表明、我國は自存自衞のため武力を以つて血路を開く以外にない立場に追込まれた。
   以上は史實である。勿論歴史像はこれを見る複數の人間の眼を通じて構築せられる。彼我視點を異にすれば、別の見方がまた成り立つであらう。
   しかし我國民に少くとも、之等の客觀的史實に就て確乎たる認識を持たすべきである。
   中(注)根首相は昭和五十八年二月十八日、衆議院豫算委員會に於ての木島喜兵衞委員への答辯、同六十一年九月三日、共同通信社加盟編輯局長會議の席上の發言、及び同年同月十六日、衆議院本會議土井たか子議員への答辯において、「今次大戰、就中、中國との戰ひ(支那事變)は侵略戰爭であつた」と受け取れる發言をした。
   遡つて昭和五十四年六月五日、參議院内閣委員會における大平首相の答辯は、「A級戦犯あるいは大東亜戦争というものに対する審判は歴史がいたすであろうというように私は考えております」と發言してゐる。
   また昭和四十七年九月「日中共同聲明」の作成に際し、田中首相は「侵略」の字句の插入を求める周中國首相と激論して峻拒し、「戰爭を通じて中國々民に重大な損害を與へた事についての責任を痛感し深く反省する」との文言で合意した。
   こゝに、歴代三首相の發言に於ける大東亞戰爭及び日支事變等一連の歴史に對する認識の相違は極めて重大なことである。
   勿論、前述の戰爭等について、謙虚な反省と永遠の平和を希求する誓ひは決して忘れてはならないが、中國には中國の立場に立つた意見、米英その他の國々にも、それぞれ自分の立場からの主張があるは當然で、それらが相互に無理なく完全に一致するはずはないのであり、我國にも亦、我國獨自の立場、我國の志に基く認識がなくてはならないであらう。
   かゝる意味において、前記三首相の發言を總括して政府の「大東亞戰爭及び滿洲事變・支那事變など」に關する、最終見解を明らかにされたい。
   併せて「大東亞戰爭」の呼稱を正式名稱として認めるか否かを問ふ。
   抑、この「大東亞戰爭」の名稱は昭和十六年十二月十二日閣議決定によるものであり、全國民が用ゐて疑はなかつたものを、昭和二十一年十二月十五日の所謂「神道指令」により使用を禁じられたものである。然し、當該指令は講和條約の發效を以つて占領行政としての效力を喪失したのであり、從つてこの呼稱を避ける理由も既に消滅してゐるはずであるが所見如何。
第五 領土問題について
  我國が聯合國通告の降伏條件に同意して、大本營が全軍に停戰命令を發してのち、即ち昭和二十年八月十八日より九月三日までの間に、當時なほ有效であつた日ソ中立條約をソビエト聯~は一方的に破棄して日本領土に侵攻し、その結果齒舞・色丹・國後・擇捉など北方領土を侵略占領した。
  而も、その後度重ねての我國の返還要求に對してソ聯邦は「領土問題は解決ずみ」との態度を變へてゐない。
  ソ聯~は、この主張の根據は昭和二十六年のサンフランシスコ講和條約にあるとしてゐるが、その條文には、
  「クリルアイランズ竝に一九〇五年九月五日のポーツマス條約の結果として主權を獲得したサハリンの一部及びこれに近接する諸島」の權利を抛棄する(第二條のC主旨)旨記されてゐる。而して前記四島は我國が抛棄したクリルアイランズと呼ばれる地區には含まれてゐない。このことは地理學的にも、歴史的經緯からも明らかである。而もソ聯邦はこの講和條約に調印しておらず、之を據り處として主張する資格はない。
  斯くてこれら所謂北方四島が我國の本來固有の領土たることは、國際法的にも、また幾多の史實に照しても疑ふ餘地のないことである。
  即ち、ソ聯邦のこの北方領土占領と返還の拒否は國際平和と正義の理念に挑戰する行爲であり、断じて許さるべきではない。
  一方アメリカは昭和四十七年、沖繩の返還を平和的に實行した。政府は速かにソ聯邦が之に倣ふやう強力に主張すべきである。
  然るに最近、齒舞・色丹兩島の返還を以つて足るとする意見が巷間に浮上して來た。之は誠に重大な問題であるが、國論必ずしも統一を見てゐない現状は殘念と言はなければならない。
  就ては、今こそ政府が明確な見解を内外に示して返還の早期實現を圖るべきである。その爲に、次の諸點に就て所見を示されたい。
 1 ソ聯邦の北方領土占領は國際法上不當不正な侵略と認めるか。
 2 前記講和條約第二條に對する政府の見解を明らかにし、主張し得る領土の範圍を具體的に明示されたい。
 3 今後の返還運動の具體的方針とその日程を示されたい。
 4 所謂二島返還論を如何に見るかを明らかにされたい。
 5 竹島・尖閣列島等の領有権についての政府見解を示されたい。
 6 北方領土返還等についての主張を、國聯などを通じ國際輿論に訴へるべく策定される用意があるか。
  以上、戰後政治の反省と所謂戰後問題に就き政府の見解を問ふ。
  その原點は誓つて我國近代の歴史を正し、祖先々人の營々たる勞苦とその志を顯彰して、我等が今日の生の位置を再發見し確認して、之を後世子孫に傳承するにあつて、苟も特定の主義や利害を代理代表するものではない。不肖幸に神佛の加護により得難き生をこの日本國に享け、なかなかに遭ひ難き至福の盛代に遭ふも、顧みれば昭和初期の動亂の相を紅顔の眼底に刻み、大戰の傷痍を壯佼の六骸に受け、而も生き存へて戰後復興ハの激流に精魄を曝し既に既に六十有二歳。
  思へば敗戰の日の死灰復然の誓ひ、永遠平和の希求は眇として昨日の如く、邦國未曾有の繁榮と萬民の福祉は今日のもの、然し靜かに脚下を照顧すれば群生の道義荒廢し、國論定まらず、廟堂も衆庶も徒らに目前の營利貨殖に眩惑され、民族百年の理想を忘失してゐる現状は實に憂憤痛嘆に耐へず、こゝに昔日の國難に殉じた萬骨の尊靈に代り、政府の明斷を求めて。

 右質問する。





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