質問本文情報
平成元年十二月十三日提出質問第一六号
子どもたちにゆきとどいた教育を保障する教育条件整備に関する質問主意書
右の質問主意書を提出する。
平成元年十二月十三日
提出者 藤原ひろ子
衆議院議長 田村 元 殿
子どもたちにゆきとどいた教育を保障する教育条件整備に関する質問主意書
「すべての子どもたちにゆきとどいた教育を」 ― これは、父母、教職員の切なる願いである。
この願いを実現するために、四〇人学級の早期完結と三五人学級の実現、教職員定数・配置改善等の教育条件整備が強く求められている。
ところが、一九九一年度までの一二年計画で取り組まれている第五次教職員定数改善計画の進捗率は、一九八九年度までで、全体計画が五五・四%、そのうち四〇人学級が六〇・五%、養護教員、事務職員等の配置改善が五〇・〇%であり、計画達成の遅れが憂慮されている。
さらにまた、京都市においては、定数の改善どころか、京都府が公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律(以下「標準法」という。)に基づいて定めた府の定数基準より教員が少ない小・中学校が一九八九年度で七四校もある。しかもこうした状態は、偶然の事態ではなく、何年間も放置され、恒常化している。これは、父母、教職員の願いに反し、子どもたちのすこやかな成長を阻害するだけでなく、「義務教育水準の維持向上」を目的とする標準法にも違反する疑いがある。
そこで、こうした事態にかんがみ、以下の点について質問する。
京都市においては、別表のとおり、京都府が標準法に基づいて定めた府の定数基準より教員が少ない小・中学校が、一九八九年度、市立の小・中学校二八一校のうち七四校、二六%もある。一九八八年度は、二七九校のうち六九校、二五%、一九八七年度は、二七八校のうち七四校、二七%である。教員数が国・府の定数基準を下回っている状態が恒常化している。
「先生をもっとふやして」「せめて府基準並みの教員数を」という父母、教職員の切実な願いは当然である。
そもそも学級編制及び教職員定数は、義務教育を受ける全国の子どもたちについての「教育水準の維持向上」を目的として、「学級規模と教職員の配置の適正化を図るため」、標準法で定められている。京都市の事態は、明らかに標準法の目的に反し、法違反の疑いがあり、極めて重大である。
こうした事態を放置するならば、標準法は空洞化・空文化するではないか。これまで、こうした事態に対しどのように指導してきたのか。今後、どうするのか。
二 学級編制基準日を四月一日前後に改めるよう弾力的に指導すること
学校基本調査等、各種統計の指定日及び義務教育費国庫負担金の算定基準日は、五月一日となっている。その関係から、学級編制の基準日も多くの地方で五月一日とされてきた。これでは、新しい学級編制のもとに新学期が始まったのに、生徒数の増減により、年度途中で学級の編制替えが多発するという不都合が避けがたい。そこで近年、父母、教職員の要求、運動が実り、全国的には、東京都、兵庫県を始め約三分の二の都県で、学級編制の基準日が四月一日前後に改められてきている。
京都府の学級編制基準日は、いまだに五月一日とされている。その結果、京都市においては、子どもたちと教師が新しい学級生活になれ、親しみ始めたのに、その途端、学級の編制替えが行われるという事態が頻発している。新学期が始まってから年度途中の学級の編制替えが、本年度の八件を含め、この五年間に三四件も行われている。
年度途中でこのように学級の編制替えが頻発することは、子どもたちのすこやかな成長、子どもたちにしっかりと学力をつけていくうえで好ましくないと考えるがどうか。こうした事態を減らすためにも、京都府を始めとする府・県教育委員会の判断で、現行五月一日の学級編制基準日を四月一日前後に改めるよう、関係する府・県教育委員会に対し、学級編制基準日の弾力的運用を指導すべきではないか。
三 四〇人学級計画を完全達成し三五人学級移行への検討を開始すること
1 四〇人学級は、一九九一年度を最終年度とする第五次教職員定数改善計画に基づき、本年度、教員定数ベースで六〇・五%、学年ベースで小学校四年、中学校一年まで進められた。来年度一九九〇年度には、教員定数ベースで八〇・四%、学年ベースで小学校五年、中学校二年まで進められようとしている。
全国の父母、教職員は、これまで、四〇人学級の一日も早い実現と三五人学級への速やかな移行を願い、真剣に運動を進めてきた。
この願いにこたえ、少なくとも一九九一年度には、計画どおり、四〇人学級を完全に実現すべきと考えるがどうか。
2 同時に、四〇人学級を完全に実現しても、我が国小・中学校の学級定員は、まだ、先進国でも最低の水準である。一学級当たり児童・生徒数の基準は、最高のイギリスでも三五人、西ドイツ(西ベルリン)が一八〜二五人、アメリカ(ワシントン州)が二〇〜二五人である。日本が、国民の税金による“おもいやり予算”でつくっている在日米軍人子弟の学校も二五人基準である。しかも、我が国では、小・中学校の児童・生徒数は減少傾向を続けており、三五人学級への移行を実現しやすい条件にある。
四〇人学級計画の完全達成に続いて三五人学級へ移行するよう、直ちに、計画の検討を開始すべきではないか。
四 過大規模校を早急に改善すること
児童・生徒数が年々減少しているにもかかわらず、過大規模校、大規模校が依然として多数残されている。一九八九年五月現在、全国で、三一学級以上のいわゆる過大規模校は、小学校五三二校、中学校三〇七校で合計八三九校ある。二五学級以上のいわゆる大規模校(三一学級以上も含む)は、小学校二、三七〇校、中学校一、三三二校で合計三、七〇二校ある。京都府では、過大規模校は小学校一二校、中学校一一校で合計二三校、大規模校は小学校四六校、中学校三五校で合計八一校ある。京都市西京区には、福西小学校という児童数一、五七七人、四二学級の超マンモス校もある。
大規模校は児童・生徒数があまりにも過大であるため、理科、音楽等特別教室での授業、運動場や体育館での授業、クラブ活動、学校行事など、教育上の困難や子どもの安全面からの不安、さらには、教職員と子どもの人間的なふれあい、子どもどうしの交流の困難さ等々が、繰り返し指摘されている。
いわゆる過大規模校については早急に改善すべきと考えるがどうか。大規模校についても、分離・新設の申請があれば認め、援助すべきと考えるがどうか。
五 養護教員の配置改善計画を完全達成しさらに大規模校への複数配置を検討すること
1 第五次計画における養護教員の配置改善は、計画人員五、一二二人に対し、本年度で、改善人員二、一三〇人、進捗率四一・六%であり、計画の達成が危ぶまれている。
今日、登校拒否やいじめ、非行など、子どもたちをめぐる状況は厳しさを増している。その上、難病、奇病や機能異常などの身体的病気も指摘されている。従って、養護教員の役割と重要性は極めて高くなっている。こうした中、京都市内の中学校では、保健室への一日の来室生徒数が一八八人にも及ぶなど、生徒の相談に応じきれない状態が各校で生まれている。
一九九一年の計画最終年度に向けて、養護教員の配置改善計画を完全達成すべく、対策を抜本的に強化すべきではないか。
2 第五次計画は、四学級以上の学校に、養護教員の配置を進めようとするものである。従って、計画を完全達成しても、養護教員が配置されない学校が多数残される。
子どもたちが置かれている現状にかんがみ、すべての学校に養護教員を配置すべきではないか。また、当面、児童・生徒数一、〇〇〇名以上の学校に養護教員を複数配置すべきではないか。
六 事務職員の配置改善計画を完全達成すること
第五次計画における事務職員の配置改善は、計画人員六、三九二人に対し、本年度で、改善人員一、八二三人、進捗率二八・五%であり、計画の達成は絶望的である。
一九九一年の計画最終年度に向け、配置改善計画を完全達成すべく、事務職員の配置改善を抜本的に強化すべきではないか。そしてさらに、すべての学校に事務職員を配置し、大規模校の複数配置を進めるよう検討すべきではないか。
右質問する。
別表
教員数が国・京都府の定数基準を下回っている京都市立小・中学校
一九八九年度 | 小学校 六一校 | 中学校 一三校 | 合計 七四校 |
鳳 徳 小 | 紫 竹 小 | 紫 野 小 | 衣 笠 小 | ||||
大 将 軍 小 | 室 町 小 | 京 極 小 | 乾 隆 小 | ||||
翔 鸞 小 | 正 親 小 | 出 水 小 | 朱 雀 第 二 小 | ||||
朱 雀 第 六 小 | 朱 雀 第 七 小 | 醒 泉 小 | 大 内 小 | ||||
光 徳 小 | 七 条 小 | 七 条 第 三 小 | 唐 橋 小 | ||||
岩 倉 南 小 | 市 原 野 小 | 第 四 錦 林 小 | 養 徳 小 | ||||
上 高 野 小 | 松 ヶ 崎 小 | 修 道 小 | 一 橋 小 | ||||
月 輪 小 | 今 熊 野 小 | 西 野 小 | 山 階 南 小 | ||||
安 朱 小 | 音 羽 小 | 小 野 小 | 大 宅 小 | ||||
嵯 峨 小 | 常 磐 野 小 | 嵯 峨 野 小 | 太 秦 小 | ||||
南 太 秦 小 | 西 京 極 小 | 西 京 極 西 小 | 樫 原 小 | ||||
桂 徳 小 | 桂 川 小 | 境 谷 小 | 竹 の 里 小 | ||||
福 西 小 | 桂 坂 小 | 小栗栖宮山小 | 北 醍 醐 小 | ||||
池 田 東 小 | 醍 醐 西 小 | 深 草 小 | 稲 荷 小 | ||||
桃 山 東 小 | 住 吉 小 | 横 大 路 小 | 向 島 南 小 | ||||
神 川 小 | |||||||
加 茂 川 中 | 西 賀 茂 中 | 北 野 中 | 松 原 中 | ||||
下 鴨 中 | 花 背 第 二 中 | 勧 修 中 | 太 秦 中 | ||||
高 雄 中 | 宕 陰 中 | 双 ヶ 丘 中 | 桂 中 | ||||
桃 山 中 |
一九八八年度 | 小学校 五六校 | 中学校 一三校 | 合計 六九校 |
上 賀 茂 小 | 鳳 徳 小 | 紫 竹 小 | 紫 野 小 | ||||
衣 笠 小 | 京 極 小 | 小 川 小 | 乾 隆 小 | ||||
翔鸞小正親小 | 梅 屋 小 | 朱 雀 第 二 小 | |||||
朱 雀 第 六 小 | 朱 雀 第 七 小 | 醒 泉 小 | 大 内 小 | ||||
光 徳 小 | 久 世 西 小 | 岩 倉 南 小 | 市 原 野 小 | ||||
第 四 錦 林 小 | 養 徳 小 | 松 ヶ 崎 小 | 修 道 小 | ||||
一 橋 小 | 月 輪 小 | 今 熊 野 小 | 西 野 小 | ||||
山 階 南 小 | 安 朱 小 | 鏡 山 小 | 大 宅 小 | ||||
嵯 峨 野 小 | 宕 陰 小 | 南 太 秦 小 | 西 京 極 西 小 | ||||
梅 津 北 小 | 桂 徳 小 | 桂 川 小 | 桂 東 小 | ||||
新 林 小 | 竹 の 里 小 | 福 西 小 | 醍 醐 小 | ||||
池 田 小 | 小栗栖宮山小 | 北 醍 醐 小 | 池 田 東 小 | ||||
醍 醐 西 小 | 稲 荷 小 | 砂 川 小 | 桃 山 小 | ||||
桃 山 東 小 | 横 大 路 小 | 羽 束 師 小 | 神 川 小 | ||||
加 茂 川 中 | 西 賀 茂 中 | 下 鴨 中 | 近 衛 中 | ||||
大 原 中 | 音 羽 中 | 宕 陰 中 | 太 秦 中 | ||||
双 ヶ 丘 中 | 桂 中 | 桃 山 中 | 神 川 中 | ||||
桃 陵 中 |
一九八七年度 | 小学校 四九校 | 中学校 二五校 | 合計 七四校 |
上 賀 茂 小 | 鳳 徳 小 | 紫 竹 小 | 大 将 軍 小 | ||||
京 極 小 | 小 川 小 | 乾 隆 小 | 翔 鸞 小 | ||||
正 親 小 | 朱 雀 第 二 小 | 朱 雀 第 六 小 | 朱 雀 第 七 小 | ||||
醒 泉 小 | 大 内 小 | 光 徳 小 | 岩 倉 南 小 | ||||
市 原 野 小 | 錦 林 小 | 第 四 錦 林 小 | 上 高 野 小 | ||||
松 ヶ 崎 小 | 清 水 小 | 修 道 小 | 一 橋 小 | ||||
月 輪 小 | 今 熊 野 小 | 山 階 南 小 | 安 朱 小 | ||||
大 宅 小 | 嵯 峨 野 小 | 西 京 極 小 | 西 京 極 西 小 | ||||
桂 徳 小 | 桂 川 小 | 新 林 小 | 竹 の 里 小 | ||||
福 西 小 | 池 田 小 | 北 醍 醐 小 | 稲 荷 小 | ||||
藤 城 小 | 砂 川 小 | 桃 山 小 | 南 浜 小 | ||||
横 大 路 小 | 向 島 南 小 | 向島二の丸小 | 羽 束 師 小 | ||||
明 親 小 | |||||||
加 茂 川 中 | 加茂川北分校 | 下 鴨 中 | 洛 南 中 | ||||
大 原 中 | 山 科 中 | 勧 修 中 | 大 宅 中 | ||||
安 祥 寺 中 | 蜂 ヶ 岡 中 | 太 秦 中 | 嵯 峨 中 | ||||
西 京 極 中 | 双 ヶ 丘 中 | 桂 中 | 桂 川 中 | ||||
樫 原 中 | 洛 西 中 | 西 陵 中 | 桃 山 中 | ||||
伏 見 中 | 神 川 中 | 桃 陵 中 | 大 淀 中 | ||||
小 栗 栖 中 |