答弁本文情報
昭和二十八年十一月七日受領答弁第八号
(質問の 八)
内閣衆質第八号
昭和二十八年十一月七日
内閣総理大臣 吉田 茂
衆議院議長 堤 康次※(注) 殿
衆議院議員並木芳雄君提出遺家族援護に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。
衆議院議員並木芳雄君提出遺家族援護に関する質問に対する答弁書
小塩太市の請求による戦没者小塩光男及び同源三両名に係る遺族年金及び弔慰金は、これらの者の死亡原因が、公務傷病に起因したものであるとは認められないので、当該請求を却下したものである。
戦没者小塩光男は、昭和十七年五月一日召集により野戦重砲兵第十八聯隊に入隊、その後、陸軍飛行場設定練習部教育隊に転属し、昭和十八年七月二十八日千島得撫島に上陸、以後同年十二月まで同島において飛行場設定作業に従事し、同作業の終了後、北海道白老郡白老村において引き続き飛行場設定作業に従事していたのであるが、不幸、白老村における飛行場設定作業中発病し、昭和十九年三月二日、札幌陸軍病院に入院し、その後盛岡陸軍病院に転送され、同病院において同年五月二十三日左湿性胸膜炎兼結核性腹膜炎により死亡したものであることが認められる。
次に小塩源三については、昭和十九年十二月一日現役兵として第七航空通信聯隊に入隊し、同隊において増健兵として保育中、翌二十年一月十六日発病し、同年八月五日三重県亀山陸軍病院において両肺浸潤兼右湿性胸膜炎兼左乾性胸膜炎兼慢性腹膜炎により死亡したことが明らかである。しかるに、戦傷病者戦没者遺族等援護法において遺族年金及び弔慰金を支給する場合においては、戦没者が公務上の傷病により死亡した場合に限られるものであり、かつ、死亡の原因となつた傷病が公務傷病であると認められるためには、従事していた公務と傷病の発生との間に、相当因果関係の存在することが必要である。原処分は、右の事実に基き、戦没者の勤務の態様及び罹病時における各般の状況等を勘案し、且つ、従来の恩給法等の行政実例に照し、これを公務による死亡と認めなかつたものである。
右答弁する。