質問本文情報
平成三十年六月七日提出質問第三六三号
尊い命が失われたカンボジアPKOを評価、検証し、未来の政策に活かすことに関する質問主意書
尊い命が失われたカンボジアPKOを評価、検証し、未来の政策に活かすことに関する質問主意書
二十五年前の一九九三年五月、カンボジアPKO(国連平和維持活動)に派遣されていた日本人警察官五人が乗った車両が銃撃され、岡山県警の高田晴行警視(享年三十三歳)が死亡、四人が重軽傷を負った。高田氏の御冥福を改めてお祈り申し上げるとともに、御遺族関係者に心よりお悔やみ申し上げる。
カンボジアPKOは、日本の自衛隊が初めてPKOに参加した歴史的機会であり、以後、日本は十一度、PKOに参加している。高田氏が亡くなった当時、カンボジアPKOへの我が国の参加は、国会でも大きな議論になったものの、その後、昨今の南スーダンPKOを巡る議論においても、与野党の平行線の議論の根底には、カンボジアPKO派遣前後の議論と似たような論点がいくつも見られる。しかし、カンボジアPKOは、時の経過とともに過去の出来事として、国民の記憶の彼方に霞みつつある。
このような中、一昨年NHKで、亡くなった高田氏に関するドキュメンタリー番組三作(平成二十八年八月十三日放送NHKスペシャル「ある文民警察官の死 カンボジアPKO23年目の告白」、平成二十八年十一月二十六日放送BS1スペシャル「PKO23年目の告白 前編 そして75人は海を渡った/後編 そこは戦場≠セった」、以下「三番組」という)が放映され、本年一月には、その内容を書籍化したもの(旗手啓介『告白 あるPKO隊員の死・23年目の真実』講談社、以下「本書」という。)も出版された。これらの番組や書籍を改めて拝見すると、四半世紀後の現在でも教訓とすべき内容が、何点も含まれていることが認められる。
カンボジアPKOに派遣された文民警察官、高田氏の同志たちは、本書及び三番組の中で、当時の出来事を克明に記した記録や映像を、二十数年の時を経て証言とともに公にした。彼らは、カンボジアPKOの職責を全うし、その後、様々な思いや葛藤を胸に秘めながら、それぞれの立場で警察業務を全うした後、これまで知らされていなかった事実を明らかにした。また、彼ら自身も、他の文民警察官の証言を聞いて初めて知る事実があるなど、高田氏の同志による証言は、これまで断片的にしか明らかになっていなかったカンボジアPKOの実態を、一つの線に繋げたと言っても過言ではない。
一方で、政府において、これまでなされてきた検証は本当に十分なのか。高田氏が死亡した後、平成五年五月二十五日の衆議院予算委員会で、宮澤喜一内閣総理大臣(当時)は、「最初の経験でございましたので、いろいろこれから学ぶべき点が多いと考えておりまして、反射的にでなく、時間をかけまして、いろいろ反省もし、今後どのようにしていくべきかについて考えてまいらなければならない、いろいろ教訓を得つつあるというふうに考えております。」(会議録一八ページ)と述べている。
「反射的」ではない、「時間をかけた反省」は尽くされたのか。教訓は現在に活かされているのか。否、政府においても、今回の文民警察官たちによって知らされたカンボジアPKOにおける新たな事実、また、一つに繋がった真実があり、その検証をしていないのではないか。
そこで当質問主意書は、二十五年の時を経てカンボジアPKOを検証し、政府の評価を求め、未来の国際貢献に活かして行くことを目的として、カンボジアPKOに関する以下の事項について伺いたい。
1 平成五年五月二十五日の衆議院予算委員会で、澁谷治彦外務省国際連合局長(当時)は、「PKOの案件につきましては、一九四五年以降二十八件ございます。特に、一九八八年以降十五件ということで、近年とみにふえております。亡くなられた方々は九百名弱」(会議録六ページ)と答弁しているが、一九四五年以降、現在までにPKOは何件実施(実施中を含む)され、死亡した人数はどのぐらいいるのか、御教示願いたい。このうち、日本人の死者、負傷者の数についても明らかにされたい。
2 PKO活動は、その概念に変遷があるとされている。カンボジアPKOの頃は、停戦監視や平和構築を中心とした「第二世代のPKO」と言われるものであったが、それでも死者が出た。その直後、平成五年五月二十五日の衆議院予算委員会で、宮澤内閣総理大臣は、PKO活動の安全性を問われて、「平和維持活動というものが、戦争が終わった後極めて脆弱な平和を固めるという、しかも国連の中立性と権威のもとに武力を用いずに行われている極めて難しい、高度のむしろ訓練を必要とする仕事である」(会議録三一ページ)と答弁している。一方、現在のPKO活動は、武力による住民保護をも積極的に行う「第四世代のPKO」と言われる内容が中心になっており、リスクが増している、とされる。そこで、現在のPKOの安全性、危険性の有無について、政府の一般的な認識を改めてお示しいただきたい。
二 カンボジアPKOの評価について
1 活動全体及びそれに参加した我が国の活動に対する政府の評価について、そのように評価する理由を含めて説明していただきたい。
2 1のように評価する中で、我が国から参加した国連ボランティア中田厚仁氏、及び文民警察官高田晴行氏が死亡したことについて、なぜこうした事件が起きたのか、防ぐ手段はなかったのかなどの政府の分析を説明していただきたい。また、そのことを現在どのように評価しているのか、理由を含めて説明していただきたい。
三 要員の安全対策について
1 我が国からカンボジアPKOに参加する要員の安全対策として、当初、どのようなことを行ったかについて、御教示願いたい。自衛隊の停戦監視要員及び施設部隊、文民警察官、選挙監視要員の別に、持たせた装備品、事前の訓練、支援体制等について、具体的に説明していただきたい。
2 カンボジアに派遣した後、現地の治安情勢の変化に対応して安全のために講じた措置があれば、1と同様に具体的に説明していただきたい。
3 本書には、「他国の文民警察官は軍警察や軍事訓練を受けた警察官で構成されていた。」として、スウェーデンやインドネシアの例が挙げられている一方、我が国の「文民警察官たちのほとんどが、国際経験もなければ、紛争地での特別な訓練を積んだこともない。」(六二ページ)との記述がある。特に「実質的なカリキュラムは高尾山での健脚訓練、簡単なクメール語や英語の語学研修、現地で使用することになるトヨタの四輪駆動車の車両訓練などだった。現地の治安情勢の詳しい説明や現地で流通している武器の種類や性能、銃声がしたときの対処方法、事故・負傷時の救急訓練など、紛争地を前提とした研修は行われなかった。」(同ページ)の部分は事実か。事実であれば、我が国の文民警察官について、なぜそのような内容の訓練になってしまったのか、その理由と、それに対する政府の評価を明らかにされたい。事実でないのであれば、実際に行われた文民警察官の訓練内容について説明していただきたい。
4 亡くなった文民警察官が派遣されたアンピルは、本書によれば「無法地帯というべき地域」(五七ページ)と言われていた。派遣当初は「奇妙な均衡状態が保たれていた」(一一六ページ)ものの、「一九九三年四月。アンピルで事態は一気に緊迫化することに」(一六四ページ)なったとされる。自衛隊の要員が、「プノンペンに比較的近く、何かあったらベトナムに逃げられる」(五七ページ)、「カンボジア国内で最も安全だった」(七〇ページ)タケオで活動した一方で、「特別の訓練を積んだこともない」(3参照)文民警察官が、アンピルのような危険な地域を含む場所に配置された事情について、説明していただきたい。また、そのことに対する政府の評価も明らかにされたい。
5 PKO参加五原則に基づけば、停戦の合意が崩れたと認められる場合には、我が国から参加した部隊は撤収することができることになっている。また、実施要領(の概要)には、業務の中断や一時休止についても規定されている。一方で、本書には「一定期間一緒にやってきた(各国の)仲間がいて」、「日本だけ止めますと言えるの?」(一三四ページ)という記述もある。この記述等に見られる現場の意見を踏まえた上で、停戦の合意が崩れた場合に、部隊の撤収、業務の中断や一時休止が実際に可能か、政府の見解を伺いたい。あわせて、我が国が要員を派遣したPKO活動で、安全に関する状況が当初の想定より悪化したことを理由に、撤収、中断又は一時休止を実際に行った事例があれば、活動の件名、それら(撤収、中断又は一時休止)を行った時期及び行った理由を御教示願いたい。
6 文民警察官が亡くなった後、安全対策の一つとして、日本政府はUNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)に対して安全な地域への配置転換を求めた。一理ある対応ではあるが、5で述べたような現場の疑問は、この対策に対しても共通するものがあると考える。現場の意見を踏まえた上で、この対策の是非について、政府の見解を伺いたい。
7 当時のPKO参加五原則に基づけば、要員の生命等の防護のための必要最小限度の範囲で、武器の保持、使用が認められている。本書では、「文民警察は、どの国も武器不携帯が原則」という説明を受けていた(一四二ページ)中で、「自分の身は自分で守るという現実」に対応するために「一部の隊員たちが独自に自動小銃を調達していた」(一四三ページ)との記述がある。
(一) 私は、本書にあるような、一部隊員が独自に自動小銃を購入していた事実について、二十五年たった今、それぞれの隊員に何か責任を問うようなことは必要ないと考えている。それぞれの隊員がこうした行動をせざるを得なかったことの理由、及び上記の事実を政府として確認しているかについて明らかにされたい。また、事実確認の時期や方法についても教えていただきたい。
(二) また、文民警察官は日本から拳銃を持っていったものの、「ふつうの農民でさえ自動小銃やロケット砲を平然と持っているカンボジアの国情の下では、拳銃はオモチャ≠ナしかなく」、「拳銃を実際に携行した隊員は気休め≠フ役割しかなかったと語っている。」(六〇ページ)と本書には記載されているが、現地の情勢に応じて、必要とされる装備について柔軟に対応できなかったのはなぜか。「要員の生命等の防護のための必要最小限度の範囲で、武器の保持、使用が認められている」中、携行する武器を、現地の情勢に応じて拳銃から自動小銃に変更することは、隊員たち独自の判断ではなく、日本の文民警察組織として検討するべきだったのではないかと考えるが、政府の見解を問う。
8 これらの記述等に見られる現場の意見に鑑みれば、PKO要員が保有すべき武器の種類やその使用について、自衛隊の部隊についても文民警察についても、改めて基準を見直す必要があると考えるが、その必要性について、政府の見解を伺いたい。必要性を認める場合には、見直しの方向性についても、それぞれについて、あわせて説明していただきたい。
四 今後のPKO活動への参加について
1 PKO活動は、一の2で述べたように、その概念に変遷があり、カンボジアPKOの頃の「第二世代のPKO」から、現在は「第四世代のPKO」に変わっているとされる。そして、我が国が現在参加しているPKO活動は、南スーダン国際平和協力業務の司令部要員のみである。前述のように概念が変わっていく中で、今後のPKO活動へ我が国がどのように参加するべきかについて、基本的な見解を伺いたい。
2 国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律(平成四年法律第七十九号)の制定以降、これまでに我が国が、PKO活動への要員の派遣を要請されて断った事例はあるか。あれば、活動の件名、要請された時期及び断った理由について御教示願いたい。
3 カンボジアPKOでは、文民警察官に死者が出たが、一方で、本書によれば、「本来の文民警察の業務」である「現地警察への教育」(一五二ページ)も行われており、「交差点の図を描き、カンボジアでは、車は必ず右側通行でなければならないことを伝える」様子や「車のブレーキ痕を地面に作り、それを見せながら、交通事故発生時に警察官が取るべき措置について講義する様子」(一五三ページ)などが記載されている。カンボジアPKO以降で、我が国から文民警察に参加したのは東チモールPKOだけであるが、ここに述べたような現地警察への教育等、警察がPKOで果たすことができる役割には様々なものがあると思われる。今後のPKOにおける警察官の派遣の可能性について、政府の見解を説明願いたい。
五 記録、検証
1 今後のPKOへの参加方針を検討するに当たっては、三で述べたような、現場の意見を反映させ、実態に即した検証が必須であると考える。本書によれば、「スウェーデンでもオランダでも、カンボジアPKOに関する一定の検証がなされ、そして報告書が当たり前のように公表されている」(三二〇ページ)。
このうち、スウェーデンの報告書では、「UNTACの文民警察派遣はおおむね失敗である」とされており、「その理由として、「文民警察官の役割が不明確」「カンボジアの構造的な国家機能の空白状態」「UNTACの事前の計画や準備不足」の三つが挙げられている」(同ページ)という。
一方、我が国においては、少なくとも文民警察については、「「カンボディア派遣国際平和協力隊員(文民警察要員)業務検討会及び業務アンケートの結果まとめ」と題された」「警察庁がまとめた内部文書」(三一〇ページ、以下「本件文書」という。)があるだけだとされる。これは、「一九九三年七月」、「カンボジアから帰国した七四名の隊員たち」全員が集められ、「アンケート調査が行われ、その後各自で報告書を書き、階級ごとに業務検討会が行われた」、その「内容を総括した」ものだという(同ページ参照)。「そして、これ以降、国際平和協力本部や外務省などから隊員たちに聞き取り調査が行われることもなく、PKO派遣の実態が詳しく検証されることもなかった。」(三一二ページ)との記述もある。
(一) 政府において、カンボジアPKOに関して、隊員たちへの聞き取り調査を含む検証作業を行ったことがあるか。あるならば、作業の件名、作業の主体となった組織・機関及び作業期間について御教示願いたい。そしてそれが、実態を詳しく検証し、教訓を得るものとなったのか、といった評価についても明らかにされたい。行ったことがないのであれば、行っていない理由を明らかにし、今後、検証を行うよう求めるが、見解を示されたい。
(二) 本件文書の政府における保存、管理状況について説明されたい。現在保管されている場合には、公表の可否についても、理由を含めて明らかにされたい。保管されていない場合には、いつまでどのように取り扱われ、どのように処分されたのか、理由を含めて明らかにされたい。
(三) (一)で検証作業を行ったのであれば、その成果をまとめた文書を作成しているか。作成しているのであれば、その文書の件名、作成主体及び公表の有無について御教示願いたい。検証作業は行ったが文書は作成していない、あるいは作成していても公表していないのであれば、その理由を明らかにされたい。
2 本書及び三番組は、序文に書いたとおり、文民警察官たちが、それぞれ警察業務を全うし退職した後に、これまで内に秘めていた、また、公にすることが認められなかった当時の記録を、極めて高い公益性があると考え、証言したものである。政府は、文民警察官たちの証言を真摯に受け止め、今後の政策立案に活かして行く責務があると考えるが、政府の見解を問う。
3 本書及び三番組に出てくる、文民警察官たちが保管してきた記録、映像などは、日本初のPKO活動を記した歴史的資料であり、文民警察官たちが希望すれば、個々人の手元で保管するのではなく、国立公文書館で万全を期して永久保存し、国民が閲覧できるようにするべきだと考えるが、政府の見解を問う。
4 本書一七ページによると、文民警察隊長だった山崎裕人氏は「(「総括報告(未定稿)」の標題のある)報告文書を三部作り、一部は警察庁に委ね、そして残りの二部を自分自身と父親で保管していた。」とあるが、山崎隊長が本書で公とし、警察庁に提出したとする「総括報告」は、現在警察庁においてどのように保存、管理されているか。山崎氏からは、「二〇〇四年頃、警察関係者から内容の確認を求められたり、幹部から「読んだよ」と言われたりしたので、その時点では存在していた。」との旨の証言も得ているが、現在保管されていないのであれば、提出後どのように取り扱われ、いつ、どのように処分されたのか、理由を含めて明らかにされたい。また、この「総括報告」は、保管されていればもちろん、保管されていない場合でも探し出した上で、歴史的公文書として、国立公文書館に移管し、国民が閲覧できるようにするべきだと考えるが、見解を示されたい。
六 命の重み
1 本書によれば、日本人文民警察官五人が襲撃された際に、UNTACの隊員として最初に救助にきたのは、四人のスウェーデン文民警察官であり、四人とも「丸腰」、非武装だったという。襲撃された文民警察官の一人である川野邊寛警部は「決死の覚悟で来てくれたスウェーデン警察官の姿を見て、涙が溢れた。」(二四八ページ)という。本書によれば、救助に駆けつけたスウェーデン警察官の一人、レナート・ベリストロム氏は本書の中で、「日本人とはずっと一緒に仕事をしてきて、とても仲がよく、夜には宿舎で日本食に招かれたりして、とてもいい同僚で、友人でした。それで助けに行かなくてはならないと思ったのです。」(二四九ページ)と語っている。政府は、事件当時、日本人を救助したスウェーデン王国に対し、何らかの形で謝意を示したか。また、救助に当たってくれたスウェーデンの警察官たちを特定し、何らかの謝意を示すべきだと考えるが、政府の見解、今後の検討の可否を伺う。
2 高田警視が命を落とした現場には、現在、「タカタハルユキスクール」という名の小学校があると聞く。本書によれば、高田氏の遺族が「NPO法人の協力で基金を設立し、二〇一四年に校舎を新築、寄贈した」(三七五ページ)という。「タカタハルユキスクール」の存在意義を政府はどのように評価しているか、見解を問う。
以上、政府の見解を問うことにより、今後、日本の国際貢献に関する議論が、真に実態に迫ったものとなることを切に望む。なお、当質問主意書を作成するに当たり、私に直接、当時の辛い記憶を話してくださった、山崎裕人・元文民警察隊隊長ら、元文民警察官に心より敬意を表し、深く感謝申し上げる。
右質問する。