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令和二年二月十七日提出
質問第六二号

石木ダム水没予定地川原地区に川棚海軍工廠が疎開していたことに関する質問主意書

提出者  初鹿明博




石木ダム水没予定地川原地区に川棚海軍工廠が疎開していたことに関する質問主意書


 長崎県と佐世保市が建設を進めている石木ダムが建設される川棚町には戦時中、佐世保海軍工廠の分工場から格上げされた川棚海軍工廠が設置されておりました。
 その川棚海軍工廠は当初、大村湾沿いの下百津地区にありましたが、昭和十九年初めに空襲被害を逃れるために石木以東の山間部に地下壕や半地下壕を掘って、工場疎開をしました。
 川棚町の資料などによると疎開した軍需工場のトンネルは二十本以上あり、十七本が現在、確認されています。
 また、昭和六十一年発行の「川棚歴史散歩」に、トンネル内に両陛下の御真影が奉安された奉安殿が遺っており、全国に遺っている五か所の奉安殿で地下の奉安殿はここ石木だけだとの記載があります。
 そして、石木ダムの建設により水没する予定の川原地区にも半地下式工場跡のコンクリート側壁が八か所残っております。
 このような疎開して地下に設けられた軍需工場は戦争末期、敗戦が濃厚な中で戦争を継続し続けていく経過を後世に伝える貴重な遺構であると考えます。
 川原地区の住民は戦時中、この川棚海軍工廠が疎開してくることにより、土地を接収されました。戦後、戻ってきた土地を開墾して農地を作り、生活を営んできましたが、今度は、石木ダムの建設により、再び土地を奪われようとしています。先祖伝来の土地を一世紀経たない間に二度も奪われることになるのは耐え難いと感じます。
 以下、政府の見解を伺います。

一 石木ダムによって水没する川原地区に川棚海軍工廠が疎開してきたことは事実でしょうか。また、この時、海軍が川原地区の住民の土地を接収したことを政府は把握していますか。
二 川原地区の住民は戦後海軍に接収された土地が戻ってきて、開墾し直し農地や住居にして暮らしてきました。その土地を、今回、石木ダムの建設により、再び奪われようとしています。このように一世紀も経たない間に二度も土地を奪われることになる住民がいることについて政府としてどのように考えているのか所見を伺います。
三 川棚海軍工廠跡は、地下奉安殿跡を含む大規模な戦時遺構であるところから、戦争の記憶が薄れつつある今日にあっては、貴重な遺構として、国の責任で保存し後世に遺す必要があると考えますがいかがでしょうか。
四 石木ダムで水没する川原地区には工場跡のコンクリート側壁が遺っています。この側壁を含めて川棚海軍工廠跡を戦争の遺構として小中学校の教育に活用したらいかがでしょうか。政府の所見を伺います。

 右質問する。

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