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答弁本文情報

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平成二十二年十二月十日受領
答弁第二一七号

  内閣衆質一七六第二一七号
  平成二十二年十二月十日
内閣総理大臣 菅 直人

       衆議院議長 横路孝弘 殿

衆議院議員吉井英勝君提出陵墓の治定と祭祀に関する第三回質問に対し、別紙答弁書を送付する。





衆議院議員吉井英勝君提出陵墓の治定と祭祀に関する第三回質問に対する答弁書



(一)について

 宮内庁書陵部陵墓課の職員は、お尋ねの「新たに検出された石槨」を実見している。

(二)について

 お尋ねについては、江戸時代の寛政年間(千七百八十九年から千八百一年までの期間をいう。)に蒲生君平が、安政年間(千八百五十四年から千八百六十年までの期間をいう。)に谷森善臣が、斉明天皇陵等を確認するためにそれぞれ現地に赴いて調査を行っており、その調査及び考証の詳細について、蒲生君平は「山陵志」を、谷森善臣は「文久山陵考」を、それぞれ著している。

(三)について

 お尋ねについては、先の答弁書(平成二十二年十一月二十六日内閣衆質一七六第一七七号。以下「前回答弁書」という。)(二)及び(三)についてでお答えしたとおりである。

(四)について

 牽牛子塚古墳における発掘調査の新たな成果等については承知しているが、宮内庁としては、治定を覆すに足る陵誌銘等の確実な資料が発見されていないことから、斉明天皇陵の治定を見直さなければならないとは考えていない。なお、今後とも考古学を始めとする学術的成果には留意していく所存である。

(五)及び(六)について

 富郷陵墓参考地については、「延喜式」に記載されている山背大兄王平群郡北岡墓の可能性があるものと考えているが、治定を確定するに足る確実な資料を得るには至っていない。

(七)について

 「日本書紀」には、山背大兄王は皇極天皇二年に薨去したと記述されており、同年は六百四十三年に相当するとされている。

(八)について

 奈良県教育委員会からは、お尋ねの「岡原古墳」については、「富郷陵墓参考地」として周知の埋蔵文化財包蔵地(文化財保護法(昭和二十五年法律第二百十四号)第九十三条第一項に規定する周知の埋蔵文化財包蔵地をいう。以下同じ。)としているが、築造時期については、調査がなされていないため、把握していないと聞いており、お尋ねにお答えすることは困難である。

(九)について

 お尋ねの陵墓の治定替え前の名称、考古学上の名称、所在地及び治定替え前の治定の時期(西暦による。)は、次のとおりである。
 天武天皇・持統天皇桧隈大内陵 見瀬丸山古墳 奈良県橿原市 千八百七十五年五月
 文武天皇桧隈安古岡上陵 野口王墓古墳 奈良県明日香村 千八百七十一年十月二日
 桓武天皇皇后乙牟漏高畠陵 五塚原古墳 京都府向日市 千八百七十五年十一月二十八日
 垂仁天皇皇子五十瓊敷入彦命宇度墓 玉田山遺跡 大阪府阪南市 千八百七十五年三月八日
 景行天皇皇子日本武尊能褒野墓 白鳥塚古墳 三重県鈴鹿市 千八百七十六年一月二十二日

(十)について

 お尋ねの陵墓等の治定替え又は治定解除については、「古事記」、「日本書紀」、「延喜式」等の古記録の記述、地元の口碑伝承、現地踏査等に基づくものである。

(十一)及び(十二)について

 陵墓等については、現に皇室において祭祀が継続して行われ、皇室と国民の追慕尊崇の対象となっているものとして、宮内庁において、国有財産法(昭和二十三年法律第七十三号)に基づき、適切に管理しているところである。

(十三)及び(十四)について

 お尋ねについては、前回答弁書(四)及び(五)についてでお答えしたとおりである。

(十五)について

 陵墓関係事務は、明治初期において、神祇官、神祇省、教部省、内務省を経て、明治十一年に宮内省により取り扱われるようになったものと承知している。

(十六)について

 前回答弁書(七)についてでお答えした陵墓のうち、治定替えの前に現在の被葬者とは別の被葬者を対象にして祭祀が行われていたのは、天武天皇・持統天皇桧隈大内陵及び後村上天皇皇末孫河野宮墓である。

(十七)について

 陵墓等の治定替えが行われた場合、その対象となる被葬者については、新たな治定地において祭祀が行われ、旧治定地においては祭祀は行われていないと承知している。また、治定が解除された旧陵墓等においては、祭祀は行われていないと承知している。

(十八)について

 お尋ねについては、前回答弁書(九)についてでお答えしたとおりである。

(十九)について

 平安時代中期における陵墓での祭祀の詳細については、承知していない。

(二十)について

 皇室においては、伝統的に陵墓等に鳥居を設置しているものと承知している。

(二十一)について

 「日本書紀」の記述に基づけば、神武天皇は五十二歳で即位している。その他のお尋ねについては、政府として答弁は差し控えたい。

(二十二)について

 宮内庁としては、「日本書紀」の記述に基づけば、二千十六年は、神武天皇が崩御してから二千六百年に当たることになると承知している。

(二十三)について

 宮内庁職員においては、陵墓等に係る執務の便に供するため、御指摘の「皇紀」を参考としている。

(二十四)について

 お尋ねについては、調査に膨大な作業を要するため、その全てをお答えすることは困難であるが、「諸陵寮誌」には、明治元年から明治十年までの間において、「外圍ノ堤防ヲ築キ周圍柵ヲ改造」、「山陵大掃除」及び「勅使控所ヲ作ル」の記載がある。

(二十五)について

 お尋ねの「四条ミサンザイ古墳」については、奈良県教育委員会からは、周知の埋蔵文化財包蔵地としておらず、同委員会としては、御指摘の「古代の埋葬遺跡」かどうかも含め、その種類区分等は把握していないと聞いている。

(二十六)について

 お尋ねの「等」は、陵墓等に訪れる方々の様々な目的を総称するために用いたものである。

(二十七)について

 宮内庁においては、本年十月から十一月までの間に、三吉陵墓参考地において保全整備工事に伴う事前調査を行ったが、広陵町教育委員会においても、これに併せて、同参考地の周辺部分の調査を実施したものと承知している。
 また、お尋ねの「協定」については締結していない。

(二十八)について

 「身元の確かな者」と記載したのは、確実に作業員を確保し、事業を円滑に進めるためである。

(二十九)及び(三十)について

 お尋ねの「課題」については、文化審議会文化財分科会世界文化遺産特別委員会が平成二十年九月二十六日に取りまとめた「我が国の世界遺産暫定一覧表への文化資産の追加記載に係る調査・審議の結果について」に記載されており、当該文書については、文化庁のホームページで公表している。
 これらの課題については、文化庁において、陵墓等を管理する宮内庁、実際の審査を行う国際連合教育科学文化機関(以下「ユネスコ」という。)及び関係自治体と調整を行った結果、おおむね整理できたため、文化審議会文化財分科会世界文化遺産特別委員会及び世界遺産条約関係省庁連絡会議において審議を行い、暫定一覧表へ追加記載したものである。

(三十一)について

 「百舌鳥・古市古墳群」を世界遺産として推薦した場合の具体的な審査等については、その構成資産となっている陵墓等の特性を尊重し、今後更に、ユネスコ及びその諮問機関である国際記念物遺跡会議等と協議を行うこととしている。

(三十二)について

 「百舌鳥・古市古墳群」については、四世紀後半から六世紀前半に営まれた我が国最大の面積・規模の古墳を含む古墳群であること、我が国の古代国家形成過程を示す巨大記念工作物であること、古墳群の構造そのものが我が国の当時の社会構造を反映する独特の文化的伝統の物証であること等に顕著な普遍的価値があるとして、暫定一覧表へ記載したところである。



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