論文優秀者(小山 常実)

憲法調査会に望むもの

大月短期大学教授
小山 常実

 憲法調査会に望むことはたくさん存在しますが、紙数の関係からいって、特に三つのことにしぼって要望したいと思います。第一に、「日本国憲法」はどう位置づけるべきかということについて、第二に、この点と一体のことがらですが、新しい憲法の作り方について議論されるように望みます。第三に、日本国家の政治的権威をになう存在をどの機関にしたらよいのか、議論されるようお願いします。

 「日本国憲法」の位置づけ方

 「日本国憲法」については、成立以来、政府は欽定憲法の改正と位置づけてきていますが、戦後の憲法解釈学の通説は、民定憲法論をとり続けてきました。ですが、米軍占領時には隠されていた事実が徐々に明るみに出るにつれ、特に、一九九五(平成七)年に衆議院憲法改正小委員会の秘密議事録が公開されて以降、議会の審議中においてさえも〈日本及び日本人の自由意思〉が存在したかどうかということについて、いろいろ疑問が提出されています。ですから、大学教育と高校までの教育で民定憲法論が熱心に教えられてきましたが、「日本国憲法」は欽定憲法なのか民定憲法なのか占領憲法なのか、永久憲法として有効なのかどうか、といったことについて定説が存在しない状態が継続しています。これは通常の国家では考えられない事態です。是非とも、この問題について調査し、議論していただきたいと考えます。

 調査し議論する場合の最大のポイントは、内閣や議員などを中心にして〈日本及び日本人の自由意思〉があったかどうかということです。これが存在すれば、欽定憲法論も民定憲法論も成り立つかもしれません。ですが、存在しなければ、「日本国憲法」は占領軍制定の占領憲法であるということになります。もしも、占領憲法であるとすれば、独立国の永久憲法としては無効な存在であり、被占領国または保護国の暫定憲法としてとらえなければならなくなります。独立国は、当然に自分たちの自由意思でもって憲法をつくるものだからであります。逆に、自分たちの自由意思で憲法をつくれない国家は独立国ではないといえるかと思います。

 新しい憲法の作成手続き

 次いで、新しい憲法の作り方についてですが、欽定憲法論と民定憲法論のいずれかが成り立つとすれば、「日本国憲法」第九六条による改正という形をとっても構わないことになります。ですが、占領憲法であり暫定憲法であるということになれば、第九六条に基づく改正という形はおかしなものになります。その形でつくられる新しい憲法は、いかに国民投票を経ようとも、相変わらず、現在の「日本国憲法」と同様、正統性のないものになります。ですから、独立国の永久憲法として正統性をもった明治憲法を復原すると同時に改正する形で、新しい憲法を作るべきことになるかと思います。改正が必要なのは、明治憲法には現代社会に適合しないものが多数存在するからであります。

 仮に占領憲法であるという結論にならないとしても、〈日本及び日本人の自由意思〉の存在に疑義が残り続けるならば、「日本国憲法」の正統性は十分に確保されません。国家の存続にとって、最も重要なものは実は正統性の確保ということです。ですから、この場合にも、明治憲法の復原改正という形をとった方がより賢明なのではないかと思います。

 第九六条に基づく改正という形をとるならば、どういう国民投票法をつくるべきか議論しなければならなくなりますし、明治憲法の復原改正の形をとるならば、具体的にどういう手続きをとるのがよいか、議論しなければならなくなります。憲法調査会には、この二つの場合の手続きについても議論していただきたいと思います。

 元首の規定について

 最後に、日本国家の政治的権威をになう存在(元首)を、伝統にしたがって天皇であると明記するのか、米国などにしたがって大統領にするのか、という問題について意見を戦い合わせていただきたいと思います。現在の「日本国憲法」では、象徴は天皇、最高権力者は内閣総理大臣、というふうに明確になっていますが、政治的権威が存在しないかのような規定になっているからです。この問題は、精神的には、日本および日本人の主体性の根拠(アイデンティティー)を、明治維新に求めるのか敗戦に求めるのか、という問題にいきつくのではないかと思います。これは、明治維新に求める方がまともな国家の生き方だろうと私自身は考えております。