論文優秀者(塩野 隆史)

憲法調査会に望むもの 「憲法八二条と裁判を受ける権利」

弁護士
塩野 隆史

一、はじめに

 憲法八二条一項は「裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ」と規定し、公開裁判の原則を宣言する。これは専制国家時代の秘密裁判、密室司法に対し、裁判の公正を担保し司法に対する国民の関心と信頼を高めるため要請されてきたものである。他方、憲法三二条は、裁判を受ける権利を保障している。

 しかし、価値感が多様化し、その利害関係も複雑化するにつれて、個人の尊厳が最大限尊重されるべしとする思潮が当然のこととなり、また、幸福追求権にプライバシーの権利もまた保障されていると解されるにいたり、実際の裁判手続きを非公開で行うことが当事者の側から要請され始めた。そして、プライバシーの権利を保護する意味から、右公開裁判主義を貫くと実質的には裁判を受ける権利を侵害しかねない事態も生じてきた。

 このような類型の事件では、果たして憲法八二条の保障する公開裁判を維持する必要があるのか、ないとすれば憲法解釈上いかに処置するのか、という問題がある。

二、問題の所在

 私が関与した薬害エイズ訴訟では、憲法八二条と裁判を受ける権利の相剋が切実な問題となった。

 現在では、エイズについての理解がかなり広まっているが、それでもなお、HIV感染者であるとわかった場合の不利益は計り知れず、自分がエイズに罹患していることやHIV感染、あるいは家族がエイズにより死亡したことを公表することには非常な抵抗があるのが現実である。このような見地から、薬害エイズ訴訟では、裁判所・被告とも協議のうえ、原告らのプライバシーを保護すべく裁判の公開を制限するように努めてきた。

 しかし、原告が被った損害等の立証のため原告本人を尋問することは不可欠であるところ、公開を原則とする法廷で原告が証言することは前記のとおり極めて困難な事情がある。

三、実務における解決方法

 これらに対して、民事訴訟法二三四条以下に基づく証拠保全手続や同一八五条に基づく受命裁判官による証拠調べなどによる対応、傍聴席を関係者で埋めるなどして事実上、部外者を排除してしまう方法などの方策が考えられるが、所詮、弥縫策である。

 他方、本件の事情が憲法八二条二項にいう「公の秩序又は善良なる風俗を害する虞れがある」として非公開決定を求めることが考えられるが、同条にいう「公の秩序」「善良なる風俗」とは「国家社会の一般的利益」「社会の一般的道徳観念」を意味し、具体的には「公衆を直接に騒擾その他の犯罪の実行にあおる恐れがある場合や、わいせつその他の理由で一般の習俗上の見地から公衆に著しく不快の念を与えるおそれがある場合」などを指すのであって、当事者のプライバシーを守ることは含まれないと解するのが従来の考え方である。

四、憲法改正の必要性

 このように、原告らが非公開を希望し、被告らもこれに同意しており、かつ公開原則の弊害が明らかな本件のような訴訟において、公開原則を修正すべく当事者があれこれ思案しているのも奇妙なことである。

 憲法八二条の積極的な意義は認めるとしても、公開さえすれば裁判の公正や手続的正義が実現されるというのはもはや「素朴な信仰」(三ケ月章『裁判を受ける権利』演習民訴(上))と言ってよい。第二次大戦後に制定された憲法にはこのような形式での裁判公開原則を定める例が少なくなってきていることはこの表れである。むしろ、裁判の公開を絶対視し、原告が裁判の遂行自体を諦めるようなこととなれば裁判を受ける権利の否定であり本末転倒と言わざるをえない。

 現行憲法の解釈においても、公開によって個人の人権の重大な侵害をもたらすおそれが大きい場合でかつ両当事者が同意している場合には「公の秩序」に準じるものとして同条二項を類推適用し、非公開決定をなすことが可能と解するべきであると考えるが、文言からの反対説も十分考えられるところである。

 根本的には憲法八二条二項の例外規定をより拡大すべく、同条を改正すべきであると考える。

 憲法改正といえば、とかく憲法九条の問題や人権条項などが議論される傾向にあるが、現在精力的に進められている司法改革にも関連して、憲法調査会においては是非とも本問題について本格的に検討して頂きたいと考える。