論文優秀者(菅沼  俊)

憲法調査会に望むもの

新潟大学学生
菅沼  俊

 私は、憲法調査会に対して、「九条論議」だけで終わらせないでほしい、ということを望みます。確かに、今回の憲法調査会設置の引き金となったのは、日米安全保障の問題であり、新ガイドラインの成立であり、不審船の事件であり、それらから必要性が叫ばれている有事法制の問題かもしれません。また東ティモールやコソボなど民族紛争が国際的な問題となっている現在、PKO等の国際協力のあり方も問われていることは確かなことであると思います。だからといって、この第九条の論議にあまりにこだわってしまうのは、他にもたくさんの急を要する論点があると考える私にとって、非常に残念でなりません。これまでも、国会内ではないにしろ、憲法調査会は設けられていたようですが、ことごとく九条論議に固執して、結局どれほどの成果があったのでしょうか。その繰り返しだけはどうかやめていただきたいと思います。少々生意気なことを言っているかもしれませんがお許しください。第九条、平和主義の議論は大変ややこしく、簡単に議論が進展、好転するとは思えません。ですから、どうか、日本国憲法に関する「幅広い」議論をお願いします。具体的にどんなことを議論していただきたいかというと、たくさんあるのですが字数もありますので私が最重視することだけ、以下に少し述べたいと思います。

 私のまわりには、今回の憲法調査会の意義について疑問視している人間が、かなりいます。そのたびに、私は、私なりの調査会の意義というものをいろいろ語るのですが、まずは、憲法調査会自身としては、調査会の意義というのをどのようにお考えかをはっきりと私のような「ものわかりの悪い」国民にも理解できるように説明していただきたいです。「第九条論議に徹する」というなら、そのように説明していただきたいと思います。

 私個人としては、憲法調査会の意義として調査会が議論したことを、マスコミ等が大きく取り上げることによって、私たち国民に憲法のどこが問題なのかということについて少しでも興味を持たせることができるであろうということを、一つとして考えています。憲法調査会において議論されたテーマ、あるいは条文について、すぐに新聞またはテレビのニュース番組においてわかりやすく解説していただければ、私たち「ものわかりの悪い」国民にも理解できるでしょうし、議論のテーマについて、つまり「憲法」について、自分なりにあれこれ考えることができると思うのです。そうすることによって、私たちにとっても、少しは「憲法」が身近な存在になるのではないかと考えています。「憲法について議論するなんて不勉強な私には無理だ」と決め付けてしまっているのは、私だけではないと思います。そして、その恐れのようなものが、「憲法」を私たち国民から遠ざけてしまっているのではないかと思うのです。

 大学で講義を受けてみてこのような思いを抱きました。「憲法」というのは日本の最高法規、いちばん大事な法であるのに、私たち国民にとってあまり身近な存在になっていないのでは、と。それどころか、最高法規としてまつりあげてしまっているようにさえ感じます。憲法というのが重要で、三つの基本原理があるということは、暗記して何となく覚えていたというのが、大学で講義を受ける以前の私の「憲法」のイメージでした。やはり私も「憲法」をまつりあげていたのかもしれません。大学の講義において、憲法というものが我々国民のためにつくられており、国民にとってどれほど重要なものであるかということを知ることができました。そして、憲法というのは私たち国民にとって絶対に身近な存在であるべきものだとも感じました。ですから、いま、改めて、日本国憲法と日本国民の関わり、国民の憲法意識というものも、調査すべきであると思います。

 ところで、外国においては、憲法意識とでもいうべきものはどのようになっているのでしょうか。私は不勉強でその辺はよくわからないのですが、憲法を持つ国はたくさんあるでしょうし、それらの国々と比較してみるのもおもしろいと思うのですがいかがでしょう。私たち国民がよりよい生活を送るために掲げたはずである「憲法」を私たち自身が遠ざけ、あるいは忘れかけてしまっているのかもしれないという現在において、その意味を再び明らかにして私たち国民に再認識させてくれることも、選ばれた代表者に課せられた大事な役割ではないかと、私は考えています。