論文優秀者(殿畑 章)

憲法調査会に望むもの

津市立三重短期大学学生
殿畑 章

 憲法調査会が国会法の一部を改正して、衆参両議院に設置された。国会法第百二条の六によれば、「日本国憲法について広範かつ総合的に調査を行い」とある。私はこの機会に日本国憲法を取り巻く問題点について、その成立過程から運用の歴史、そして二十一世紀へ向けた未来展望に至るまで、徹底した調査を希望する。が一方で「憲法調査会」の行く末に対して、一抹の不安を感じてしまう。すなわち、このままでは調査会の目的やありかたを大きく逸脱するかもしれない。いわゆる「護憲」「改憲」「論憲」の立場から期待や懸念をしてはいないだろうか?国会法によれば「憲法調査会」の使命は「日本国憲法について広範かつ総合的に調査を行う」のであるから、はじめに改正ありきではいけない。

 私は「憲法調査会はあくまでも日本国憲法に対する問題の調査に徹するべき」との考えであり、且つ望むのである。

 今回の「憲法調査会」の設置に対する反響は私の予想をはるかに上回るものである。我が国の「国際貢献」のありかたや、「新しい人権」「国民投票」「首相公選制」などを求める観点から「憲法調査会」に求める期待の大きさがうかがえる。

 私は憲法を議論することは大いに賛成であるし、その場が国会に設置されたことは、意義があるし、私も「憲法調査会」に期待するものがある。

 日本国憲法は間違いなく、我が国が誇る現代市民憲法の一つである。しかし、どんなに立派な憲法を持っていても、それが適正且つ十分に運用されなければ「宝の持ち腐れ」である。つまり問題なのは、日本国憲法の成立の過程や時代への適合性よりも、戦後の政治の中でいかに日本国憲法が運用されてきたか、である。

 例えば、憲法九条では、あらゆる戦力の不保持と戦争の放棄を宣言している。しかし現実には、「自衛隊は国際法上認められた自衛権のための必要最小限度の実力」との政府見解にもかかわらず、世界第三位と言われる軍隊を保有し、一部の周辺国からも、その実力に対する懸念が表されている。

 また基本的人権の保障についても一部に過度の制限が存在する。その一例として第三十六条「拷問及び残虐な刑罰の禁止」、第三十八条一項「供述の不強要」があるにもかかわらず、捜査官からの自白の強要の訴えがあり、冤罪の大きな原因の一つになっている。

 第十四条一項「法の下の平等」が定められている。しかし大きな不平等が存在する。例えば現行の選挙制度のもとでの議席配分の不平等がある。いわゆる「一票の格差」である。この問題については、衆議院は三対一、参議院は五対一までは合憲との最高裁判所判決が出ているが、この状態では本当に平等と言い切れるだろうか?

 このように、日本国憲法のしくみや精神が十分に生かされ、運用されてきたとは言い難い面がある。この際、「憲法調査会」では、徹底した日本国憲法の運用の再検証を希望する。

 最初にも記したが、「憲法調査会」に対する関心は大きい。しかし、率直に言えば、「憲法調査会」をあたかも改憲への第一歩ととらえて期待する意見がある。また護憲の立場から、調査会そのものを疑問視する意見もある。憲法が現在の日本において適正に運用されていない、といった認識では共通している。では、さっそく憲法を改正しましょう、と言うのでは先走った意見ではなかろうか。

 当面の課題は、なぜ憲法が生かされないか、その原因は、不備不足はないか、を具体的事例より深く掘り下げて議論するべきである。

 今の憲法の状態を例えるならば、夏休みの日課表であろう。完璧な日課表を作っても、すぐに守れなくなってしまう。では、どうすればよいか?それを今、調査する段階である。日課表が守れない、からといって、そのつど即、書き替えていたのでは意味がない。どのように憲法を生かすかを考える時である。

 今回の「憲法調査会」では、いかに日本国憲法が運用されてきたかを歴史的に検証してほしい。そして、開かれた議論のもと、問題点を簡単明瞭に国民に知らしめてほしい。そうすれば国民一人一人が憲法が自分自身の身近な問題として認識され、本当の意味での「私達の憲法」になるよう、議論してほしいのである。