論文優秀者(原口 剛)

憲法調査会に望むもの

同志社大学大学院生
原口 剛

 言うまでもなく、日本は国民主権の民主国家である。そのことは「主権在民」として憲法の中にも明確に規定されており、いわゆる三原則にも数えられている、日本国憲法の柱とも言うべき極めて重要な項目である。つまり、国家の指針である憲法とは、言い換えれば国民の規範とも呼べるのである。「憲法は国民のためのもの」という解釈に異論があるはずもなかろう。

 しかし、現代における日本国憲法は、その役割を果たすために十分に機能していると言えるだろうか。残念ながら、答えは否である。「カビの生えた憲法」という言葉をよく耳にするが、これは笑えない冗談であると同時に、確かに真実の一面をついた正確な揶揄である。

 では、憲法がそのように呼ばれるようになった原因とは何か。答えは簡単である。つまり、それは戦後五十余年で必然的に生じてしまった、日本国憲法と現代感覚のズレに他ならない。そして、まさにそのズレこそが私の考える憲法調査会の存在意義と密に関わる部分なのである。

 私は、例えば憲法第九条の是非やプライバシー問題等を議論すること、またはそこでの結論等を世諭や国会に訴えることなどを憲法調査会に望んではいない。むろん憲法調査会に法案提出の権限はないにしても、超党派集団であるこの会においては、憲法解釈に対する様々な議論が交わされることは想像に難くない。が、それは決して憲法調査会の本質ではないはずだ。先程も述べたように、本会の存在意義は現行憲法と世論とのズレに起因する。だとしたら、調査機関である本会の究極の目標とは、国民の感覚(=世論)と現行憲法の溝の深さや幅を正確に測ることであり、決して溝を埋める作業ではないはずだ。憲法とはあくまで国民、ひいては国家のためのものである。国民の代表である国会のさらに代表である本会の委員には、ある程度は国民を代表して憲法を議論する正当な根拠がないとは言えなくもないが、現実に「政治離れ」が加速度的に進行している日本においては、建前の根拠を振りかざしているようでは、根本的な解決には一歩も近づけないという苦言を呈さねばなるまい。したがって、憲法調査会が目指すべきは、きたる日に国民全体が納得する何らかの形で憲法についての意思表示が行われ、その結果、日本国憲法をきちんと国民に還元するための材料の下ごしらえに他ならないであろう。

 具体的には、調査すべき内容はごまんとあるが、例えば平和憲法についてなら、現状の問題点とその問題点が生み出す様々な諸外国との弊害等を正確にリサーチし、同時に諸外国との比較考察を行い、想定し得る改正後の条文においても同様の作業を行い、さらにそれぞれに対してでき得る限りの国民の見解を拾い集める。そのような作業の繰り返しではなかろうか。特に九条の場合だと、国会の代表者として最も恥ずべきは感情論の展開である。これは憲法調査会が超党派の会であることのメリットが必然的に伴うデメリットの部分だろうが、「改正か、現行維持か」という二元論にとらわれることのない、明確な目的意識と現状認識ができていれば当然避けられる問題だろう。憲法調査会とは、あくまで調査機関なのである。

 今、日本国憲法の見直しが重要な意味を持つのは時代の必然である。したがって、憲法調査会に大きな意義があり、それに伴う期待が寄せられるのもまた、当然といえる。憲法は国家の柱である。そしてその柱が支えるのは日本国であり日本国民なのだ。そのことを十分に認識したうえで、本会には思う存分な活動を行ってほしいし、私もまたそれに期待を寄せる一人である。