論文優秀者(松永 尚江)

憲法調査会に望むもの

主婦
松永 尚江

 私は会社員の夫と、小学生の息子と共に暮らす主婦です。

 私のような、会社組織にも、政治団体にも宗教団体にも存さない、一国民にとって、日本国憲法は唯一の規範であり、良心と良識の基準になっていると考えます。

 それは日常的には無意識の中の行動、生活の中に、深く根をおろし、自らが公共的責任を負い、常に平和を希求し、争いを好まず、わがままは最小限にとどめるよう心がけ、社会性に重きを置き、日々生活しようという庶民としての努力を築く源になっていると思います。

 私は、日本国憲法の理想や精神及び細則を、恐怖によって体得したのではなく、自由な学習によって体得できたことを嬉しく思っています。日本国民として生まれたことに心から感謝できることの最大のポイントです。

 私のように、組織に存さない国民にとって立ち帰る場としての日本国憲法は欠くことのできない存在であると言えます。

 これまで地方行政が憲法月間等を行い、様々に事業を作り、庶民の憲法学習に貢献してきたことは、地方自治を築き維持する上でとても有効であったのだと考えます。

 私自身、息子の子育てを通し、PTA活動を始め、各種のボランティア、ごみ対策等に積極的に関わり、国民として地域社会に貢献し続ける意識を持ち続けることができたのも日本国憲法に対する深い信頼があったからだと思います。

 日本国憲法には、個人の欲望や勝手な行動を制し、平和と社会秩序に貢献し続ける人間の姿が明確に描かれています。

 このことは、国際化していく近未来を生きる子どもたちにとってこそ本当に必要な自覚と精神だと思います。

 私たち日本国民は、国際社会や国際政治においても、友好と友愛を基準に行動する国民である自覚を持つことができるのです。決して、支配、被支配の関係で事の解決にあたることのないよう抑制し続ける姿こそ、日本国憲法の謳う日本国民の姿だと思います。

 今後、私のように組織化されない個人はますます増え続けるでしょう。そうした、分化して行く社会にこそ、日本国憲法の必要性が求められ、有効性が増して行くのだと考えます。そもそもデモクラシーとはそのような社会に応じて生まれて来たのです。

 今、最も国民が求めているのは、日本国憲法を自分のものとして生きるための、自由で豊かな学習ではないでしょうか。これからの国際化社会、分化されて行く個人を基本とする社会が、明るく、健康的に、自己の知識や楽しみを豊かに持ちながら、社会に貢献し続ける人々の集合体となり得るために、憲法学習こそが急務であると考えます。

 学校現場を中心にした、「子どもの荒れ」「生きる力」の弱体も、日本国憲法を豊かに学び合う機会を増やすことで、解消できる部分もあるのではないでしょうか。

 憲法調査会の議論の中には、「日本国憲法があることによって無闇に権利を主張するわがままな国民ばかりが増えて困る」といった意見もあるようです。勿論、きれいごとばかりではないのですから、そうした議論も必要でしょう。しかし、日本国憲法は、実は利己主義やわがまま、権利の乱用を抑制する規範として存在するのであって、もし前出のような事実があるのであれば、憲法教育が充実できていない証だと思います。

 最後に、憲法調査会の皆さんに、望むことは、まず、素直な気持ちでもう一度日本国憲法に目を通していただきたいということです。

 そして、「守る」などという消極的な態度ではなく、現憲法の理解を普及することがいかに急務かを自覚していただきたいと思います。

 過去の話題にのみ終始せず、未来に向けて子どもたちに日本国憲法の学習の機会をより多く、豊かに保障していくといった現実的な、論議を心から望みます。

 日本の国民として生きるアイデンティティーを日本国憲法の理想と精神に求める一国民としての要望です。