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平成十二年七月六日提出
質問第八号

新内閣にあらためて死刑の是非を問う質問主意書

提出者  保坂展人




新内閣にあらためて死刑の是非を問う質問主意書



 第二次森内閣の成立で、法務大臣に保岡興治氏、法務総括政務次官に上田勇氏が就任した。最近のケースでは、国会閉会中の六−八月に死刑が執行されてきた。新大臣、新総括政務次官は、就任間もなく死刑執行命令の決裁に当たる可能性が大きいので、これまで数回に及ぶ質問主意書で論点としてきた点も踏まえ、あらためて死刑の是非を問う。

一 世論

 (一) 昨年十一月に発表された総理府世論調査で、死刑について「場合によってはやむを得ない」とする人は七九・三%だったが、このうち三七・八%の人は「状況が変われば将来廃止してもいい」と回答した。また、全回答者のうち死刑存続を求める人は四五%にすぎず、現在または将来の廃止を認める人は過半数を超えている。こうした結果を一方的に「世論は死刑を望んでいる」と判断し、執行を続けることはいかがなものか。さらに詳しい世論調査で、国民の意思を知るべきではないか。
 (二) 一九九二年九月二十五日に東京都清瀬市議会、九三年十二月二十一日に大阪府高槻市議会、同月二十二日に同府泉南市議会、九四年六月二十四日に埼玉県新座市議会、同年十二月二十二日に東京都小金井市議会がそれぞれ死刑制度の廃止等を求める意見書を採択している。こうした地方議会の意思は一顧だにされず、これまで死刑は執行されてきたが、処刑を続ける前に突っ込んだ論議が必要なのではないか。
 (三) オウム真理教の元医師林郁夫被告に対する無期懲役の判決について、一九九八年五月三十一日付け朝日新聞には五十歳の男性から寄せられた次のような投書が掲載された。「検察の求刑には、自白への情状酌量のほかに、長期化するオウム裁判の大事な証人を失いたくないという意図も含まれていたのかもしれない。しかし、私は別の側面から、この判決を支持する。私たちは、六年前に当時十七歳だった娘を交通事故で失った。当初の運転者への感情は『許し難い憎悪』であった。『娘を返して欲しい』とその人に向かって叫びたかった。だが、この思いは決して満たされることはない。一人の人間は、唯一無二だからだ。何によっても代え難いからだ。その時から『人間にはいかなる理由でも、人間を殺す権利はない』と考えるようになった。戦争でも、裁判でも、である。『正しい理由があれば、人間は人間を殺してもよい』という論理こそが、人類の悲劇を繰り返してきた原因ではないだろうか(以下略)」。これも世論である。政府には公聴会を催すなどして、さらに国民の声に耳を傾ける責務があるのではないか。

二 歴史

 (一) 二〇〇〇年六月二十五日付け朝日新聞日曜版によると、七二四年に当時の聖武天皇は死罪を流刑に減刑し、死刑を停止した。また、八一八年に嵯峨天皇は律令の刑法に当たる律を改め、死罪を遠流か禁獄に減刑。一一五六年の保元の乱で、藤原信西が敗軍の兵士を処刑するまで、日本は死刑を廃止していた。「死者また生くべからず」(罪人を処刑しても死者は生き返らない)という聖武天皇の言葉が残っているという。政府はこの聖武天皇の思想をどのように考えるか。
 (二) 以前の質問主意書に対する答弁書で、日本で死刑が廃止されていた歴史について「承知していない」としていたが、歴史学者らに照会するなど十分調査した上で答弁していたのか。
 (三) 今世紀に入り、世界の過半数の国々は死刑を廃止した。しかし、日本は約千年も前に一度死刑を廃止した歴史を持つ国である。政府はどのように考えるか。
 (四) 過去の歴史を振り返ると日本で死刑を廃止したのは、いずれも天皇であった。日本は「神の国」だから、天皇でなければ、死刑は廃止できないのか。

三 刑務官の苦悩

 (一) 元刑務官戸谷喜一氏は自著「死刑執行の現場から」に「極悪非道の犯罪者であったとしても、私たち刑務官の仕事は、その受刑者を更生させることであり、更生不可能と断定して『殺す』ことではない。また、刑務官という公務員の職務に、『殺人』もしくは『殺人幇助』という仕事があることが、ある意味において、刑務官の仕事からプライドを奪い取ってしまっているように思えてならなかった」と書いている。新たな執行は同じ苦悩を刑務官に与える。執行が迫るにつれ、各拘置所で担当させられるかもしれない刑務官たちは金曜日や休前日に休暇を申請していないか。
 (二) 前掲書によると、死刑執行は次のように行われる。「S拘置所で執行された死刑確定者Xは「私は死刑囚です。ずっと前から今日の日があることは覚悟しておりました。しかも今、所長さんのご立派な人柄とやさしいお言葉のおかげで、私の処刑は、私の身体を清めるありがたい処置であると思えてきました。(中略)心残りは何一つなくなっています」と述べた後、春日八郎の「別れの一本杉」を歌った。拘置所長が涙ぐむ中、Xは保安課職員に手錠を掛けられ、白い布で目隠しされた上で、刑場に誘導されていった。職員が吊されている麻の綱の輪になった部分を首にかけた時、Xは突然「お母さん」と叫んだ。職員が四角い踏み台から外に出ると同時に、Xの足下の板がバタンと左右に開き、彼の身体は四角い暗い穴の中に落ちた。綱はビリビリ震えながらピンと張り切り、しばらく前後左右に揺れた。読経の声が大きくなり、見守る職員らの合掌する手にはいっせいに力がこもったという」。ビリビリ震える綱を見つめる刑務官たちの心情はどのようなものか。政府は知っているか。新たな大臣、総括政務次官は死刑を執行したことがある刑務官からその心情や意見を聴取する意向はあるか。

四 冤罪

 (一) これまでの政府答弁書によると、戦後死刑判決がなされ、上級審でこれが破棄され、又は再審開始決定がなされて、無罪判決が確定した事件としては、いわゆる八海事件、山中事件、免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件の計六件ある。政府は「我が国においては、令状主義及び厳格な証拠法則が採用され、三審制が保障されるなど、捜査公判を通じて慎重な手続により有罪が確定されている上、再審制度が保障されており、有罪を認定することについては、適正な判断がなされているものと考えている」との見解だが、この六件以外に死刑事件の冤罪はないと断定できるのか。その根拠は引用した政府見解以外にあるか。
 (二) 死刑執行に際して「生命を断つ極刑であり、一度執行されれば回復し難いこととなるものであるから、死刑の執行停止、再審又は非常上告の事由の有無等について慎重に検討するために、判決及び確定記録の内容を十分精査せしめているので、死刑を執行した者の中には誤判による無実の者が含まれていることはないものと確信しているものである」と政府は以前の答弁書に書いているが、精査の内容を具体的に明らかにされたい。
 (三) 前記「精査」には、大臣や総括政務次官が具体的に裁判記録を読むことも想定されているのか。
 (四) 新任の保岡法務大臣は裁判官を務めたこともある法曹である。大臣は死刑執行命令の決裁を前にして、法務省の役人の主張をうのみにすることなく、大臣としてはもちろん、一人の法曹として恥じない精査と判断を心掛けるか。

 右質問する。



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