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平成十九年二月二日提出
質問第三二号

一九四一年の対米開戦通告の公電に関する質問主意書

提出者  鈴木宗男




一九四一年の対米開戦通告の公電に関する質問主意書


一 一九四一年十二月の対米開戦通告に関する公電の原文はどこに保管されているか。
二 二〇〇六年十二月三十日付産経新聞が、「日米開戦 最後通告 外務省 公電を改竄 大使館に責任転嫁?」との見出しで、
 「昭和十六年十二月の日米開戦で最後通告の手渡しが遅れ、米国から『だまし討ち』と非難された問題で、戦後、この最後通告の公電が改竄され、外務省が編纂した公式文書『日本外交文書』が誤ったまま収録していたことが二十九日、分かった。外務省は『公電の原文がない』と説明していたが、産経新聞の調べで国会図書館に保管されていたことがわかり、判明した。原文にある『十四部に分割して打電する』とした重要部分を削除したもので、『在ワシントン大使館の怠慢による手交遅れ』との通説に一石を投じることになりそうだ。
 削除されていたのは、最後通告の打電を知らせる九〇一号電の二項部分。原文では『右別電ハ長文ナル関係モアリ全部(十四部ニ分割打電スベシ)接受セラルルハ明日トナルヤモ知レサルモ…』となっている。
 ところが、終戦直後の昭和二十一年二月付外務省編纂『外交資料・日米交渉・記録ノ部(昭和十六年二月ヨリ十二月マデ)』に収録された九〇一号電の手書きの写しでは、『(十四部ニ分割打電スベシ)』の部分が削られていた。
 日本外交文書はこれを基に平成二年に出版され、外交史研究などの基礎資料になっている。
 公電の原文は、大使館も、最後通告電が計十四部送られてくることを大使館側が事前に承知していたことを裏付けている。
 開戦当時の日本外交を研究している元ニュージーランド大使の井口武夫尚美学園大名誉教授によると、当時は電信事務では、全部で何分割されたかが分からない状況では、電信担当官を帰宅させてはならなかった。逆に事前に十四部あることが分かっていれば、残り一部だけを待って徹夜させるのは行き過ぎ、という。
 実際、ニューヨーク在住で当時の大使館員で唯一生存する吉田寿一・元大使館電信担当官も今年九月、井口氏に『最後の十四部目がいくら待っても来なくて、ひたすら電信室で待っていたが、午前三時過ぎに、あと一部だけで山が見えたから、上司に、数時間でも朝まで帰宅して休むよう指示された』と証言した。
 結局、最後の一部に事実上の最後通告となる『日米交渉の打ち切り』が明記されていた。
 井口氏は、分割電文数が事前に伝えられていなければ、途中で帰宅した大使館側の過失責任になりうると指摘。その上で、『A級戦犯として巣鴨拘置所に収監された東郷茂徳外相らを救うため、本省側に、一切の責任を大使館側に押し付ける意図があったのではないか』と改竄の理由を推理している。
 日本国際政治学会会長の細谷千博一橋大名誉教授(国際政治)は『書き手が小細工をしたかどうかは判別しにくいが、作為を感じる』という。
 外務省は当初、『公電の原文はない』としていた。しかし、産経新聞が国会図書館に保管されていた原文の存在を指摘したところ、口頭で『(写しに)「十四部ニ分割打電スベシ」の文言がない理由については、資料もなく、今となっては分からない。外務省としては、今後も資料のさらなる発掘、研究ならびに外交記録の適切な管理に遺漏なきよう、取り組んでいきたい』と回答した。」
と報じていること(以下、「産経新聞報道」という。)を外務省は承知しているか。
三 細谷千博一橋大学名誉教授が過去に外務省大臣官房総務課外交史料館の業務に従事していたことがあるか。あるとするならば、その期間、業務の内容を明らかにされたい。
四 「産経新聞報道」において、細谷千博一橋大学名誉教授は、「書き手が小細工をしたかどうかは判別しにくいが、作為を感じる」と述べているところ、外務省も認識を共有するか。

 右質問する。



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