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平成三十年六月二十九日提出質問第四一七号
皇室の私的行為に関わる文書の公開基準に関する質問主意書
皇室の私的行為に関わる文書の公開基準に関する質問主意書
政府は、平成二十九年十二月八日の閣議で、天皇陛下の退位日を平成三十一年四月三十日と定める政令を決定した。安倍総理は閣議後の閣僚懇談会で、皇太子殿下が翌五月一日に新天皇に即位すると表明した。平成は三十一年で終わり、新たな元号が定められる。
「宮内庁行政文書管理規則」(平成二十三年四月一日、宮内庁訓令第五号)で「行政文書」とは、「宮内庁の職員が職務上作成し、又は取得した文書であって、宮内庁の職員が組織的に用いるものとして、宮内庁が保有しているもの」と示されている。
平成二十六年九月九日の朝日新聞では、「昭和天皇は日記をつけていた。孤独からか、負った責務の重さと束縛のつらさからか死をも考えたが、妻への愛情と生物学研究が救いになったことや、自分が国や国民のためにどれほど役に立っているか慙愧にたえないと何度も精進を誓う記述もあったという。二〇〇〇年に香淳皇后が亡くなると身辺から見つかったが、「亡き天皇のお忘れ物」として皇后とともに陵に埋められたとされる」との記述がある。
京都大学の奈良岡教授は、「日本では、皇室または宮内庁関係の文書の多くが、皇室の私的行為に関わるものだという理由で非公開になっている」と指摘している。「二〇一四年に昭和天皇の伝記『昭和天皇実録』が完成し、翌年から刊行が始まったが、「侍従日誌」など、同書の記述の典拠となった文書の多くも非公開のままである。『昭和天皇実録』には、昭和天皇が幼少期に日記をつけていたという記述があるが、日記原本の所在は明らかにされていない」(アステイオン 八六巻、二〇一七年五月)とも指摘している。
平成の時代は残すところ一年を切り、一つの時代の節目に差しかかることから、その時代以前の皇室に関わる歴史的な資料をどのように後世に残していくべきか考えることも重要であると思われる。もっとも、皇室の私的行為に関わる部分も多く、その取り扱いには特段の注意を払う必要があることは論をまたない。
このような観点から、以下質問する。
二 昭和天皇の伝記「昭和天皇実録」の刊行が始まっているが、「侍従日誌」など同書の記述の典拠となった文書の多くは現在も非公開のままであると承知しているが、このような「昭和天皇実録」の記述の典拠となった文書は将来的には公開されることはあるのか。また公開することを検討しているのか。
三 二に関連して、「昭和天皇実録」の記述の典拠となった文書の多くは、「宮内庁行政文書管理規則」でいうところの「宮内庁の職員が職務上作成し、又は取得した文書」であり「行政文書」であるという理解でよいか。それとも皇室の私的行為に関わるもので、「行政文書」足りえないのか。政府の見解如何。
四 皇室の私的行為に関わるものであっても、その資料の歴史的価値は論をまたない。歴代天皇の日記や高位の貴族、天皇に仕える侍従の日記等が日本の歴史学研究の一級の研究資料であることは誰もが認めるものである。「宮内庁行政文書管理規則」でいう「秘密文書」で「イ 極秘文書 秘密保全の必要が高く、その漏えいが国又は皇室の安全又は利益に損害を与えるおそれのある情報を含む行政文書」、「ロ 秘文書 極秘文書に次ぐ程度の秘密であって、関係者以外には知らせてはならない情報を含む極秘文書以外の行政文書」としての性質を欠くに至ったものは原則公開すべきではないか。政府の見解如何。
五 四に関連して、天皇の日記や侍従の日誌などの公開基準はないと思料する。例えば、イギリスで王室関係の文書はウィンザー城内にある王室文書館が管理している。この中には、連合王国の国王として一八〇一年から一八二〇年まで在位したジョージ三世宛ての私信、秘書官への公的文書、一八三七年から一九〇一年まで在位したヴィクトリア女王の私信、日記などが含まれている。イギリス王室は「書簡や日記などを公開する法的義務は負っていない」ものの、「国王の日記をも含む、多種多様な資料が公開されている」と奈良岡教授は指摘する(アステイオン 八六巻、二〇一七年五月)。わが国において、皇室の私的行為に関わる文書が非公開で公開基準がない現状は、皇室または宮内庁関係の文書の多くが、皇室の私的行為に関わるものだという理由であるという理解でよいか。そうでないとすれば、どのような理由からか。
六 平成の時代は残すところ一年を切り、一つの時代の節目に差しかかることから、その時代以前の皇室に関わる歴史的な資料をどのように後世に残していくべきか考えることは重要であると思われる。政府は、皇室に関わる歴史的な資料をどのように後世に残していくべきかについて、検討会などを設置し議論をはじめるべきではないか。政府の見解如何。
右質問する。