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昭和四十二年八月十日提出
質問第三号

 新潟県阿賀野川河口附近における水銀中毒事件の調査等に関する質問主意書

右の質問主意書を提出する。

  昭和四十二年八月十日

提出者  小澤貞孝

          衆議院議長 石井光次郎 殿




新潟県阿賀野川河口附近における水銀中毒事件の調査等に関する質問主意書


 新潟県阿賀野川下流河口附近において有機水銀中毒患者が発見されたため、厚生省においては、臨床研究班、試験研究班、疫学研究班を編成し、研究を行なつてきた。その結果、本年三月、議論の過程を公表した。
 特別研究班の研究報告は、本年六月九日附内閣衆質五五第四号の政府答弁書にあるように、「研究報告は、相互に調整をはかりながら行なわれたが、結果的には、それぞれの独立した立場から報告がなされた。汚染源に対する結論は、疫学的見地から出されたものであり、厚生省としては、更に総合的意見をとりまとめる必要上、各専門分野からの検討を加えるため、食品衛生調査会の意見を求めているのである。」ということであるが、その疫学研究班の構成ならびにその結論には、幾多の疑問があり、とうてい世論を納得させることができない。
 疫学研究班の報告によると、本事件の発生が、病因物質としてメチル水銀化合物に起因するものとして、農薬と工場排水とがあるとしているが、もしそうだとすれば、この両者について、平行的に公正な第三者による実情調査がなされなければならない。

一 ところが、疫学研究班の構成員をみるとこの両者(農薬と工場排水)を調査するのに妥当でないものが含まれている。たとえば、新潟県衛生部長は、農薬販売業者ならびに使用者団体の農薬の保管管理の徹底について、責任ある立場にいる。
  この水銀中毒事件発生の原因とみられる新潟地震による農薬の流出した前後において、農薬保管管理につき、新潟県衛生部長名をもつて昭和三十八年十二月十日薬第三八二五号、昭和三十九年七月十七日薬第一九〇九号(添付資料参照)、昭和三十九年七月三日「新潟地震災害による漂流農薬の危害防止について(依頼)」および昭和三十九年七月二十三日薬第二〇二五号等が出されている。
  これらの資料に明らかなように、農薬保管の趣旨が徹底せず、毒物及び劇物取締法第十九条第三項の規定に基づく行政処分ならびに告発の手続を行なうことを重ねて周知(昭和三十九年七月十七日薬第一九〇九号)しなければならないような状況であつた。
  昭和三十九年六月十六日に起きた新潟地震は、新潟県衛生対策記録「毒物または劇物である農薬が、倉庫附近の港内、住宅地帯及び日本海に流出しました。」(記録六八ページ)等にも明らかなように、われわれは、この流出農薬によつて、地震後に、一時的濃厚極域汚染によつて、患者が発生したとみることがきわめて妥当であると考えるが、このような立場でみるならば、新潟県衛生部長は、本患者発生原因の追及に当たつては、当然被疑者の一員と目されなければならない立場であり、かかる立場から、疫学研究班の中心的活動を行なつた新潟県衛生部長は、疫学研究班員としては妥当でなかつたと判断されるが、これについて、政府の見解を伺いたい。
二(イ) 以上のように、いわば被疑者の立場にある県衛生部長は、本中毒事件の発表のあつた昭和四十年六月十二日からわずか十日たつた六月二十二日に新潟日報に「農薬に原因はみあたらない、従つてこれ以上農薬を調査する計画はない。」と発表されている。
     これでは、始めから原因が農薬か工場排水かを調査するのに公正な立場で行なつたとは思われないが、これに対する政府の見解を伺いたい。
 (ロ) 疫学研究班の報告によれば、「当時農薬保管を依頼されていた倉庫業社は七社で、十倉庫あつたが、いずれも傾斜陥没または浸水等の被害を受けた。
     農薬中には毒物、劇物があり、保管には万全の処置が必要であるが、その品名、数量について取扱者からの届出の義務が規定されておらず、常時実態をは握する状態ではなかつたので、倉庫業者保管依頼者の帳簿、記録によつての報告から保管数量、被災数量処分方法等を調査することとした。」とある。
     この報告書でも明らかなように、農薬の流出したか否かを調査せず、業者の報告によつているが、これでは、農薬流出について厳正な追求が行なわれたと判断することはできない。
     (前述のように、保管が悪いので毒物及び劇物取締法に基づいて告発の手続を行なうことを警告している事実を参照)
     よつて、これに対する政府の見解を伺いたい。
 (ハ) 疫学研究班報告書の表III ― 30「新潟地震発生時農薬保管倉庫における水銀農薬の保管被災処分の状況」によれば、
  保管数量は一、七〇五、三一三キログラム
  被災数量 四八七、四七三キログラム
  返   品 二三四、二〇八キログラム
  減価販売 一四、六五一キログラム
  廃   棄 二三八、六一四キログラム
    と詳細な数字によつていて、流出農薬はないことになつている。
     しかるに、おびただしい農薬が流出し、また漂流農薬が拾得されていることは、県の資料にも明らかである。
     この流出農薬について、保管者、農薬の種類、数量等調査がなされたか否か答弁を願いたい。
 (ニ) 農薬取締法第十条に基づき、製造業者、輸入業者、及び販売業者は、被災七社、十倉庫の農薬について、その業者別、種類別数量が明らかとなつているはずである。
     よつて昭和三十九年六月十五日(地震前日)と昭和三十九年六月三十日(地震二週間後)の両日における数量を明らかにされたい。
 (ホ) 新潟商船倉庫内の廃棄水銀農薬は、疫学研究班の報告によれば三七、五七二キログラムとなつており、これが全部埋設されたとなつているが、これは、だれが、どこに、どのようにして、何月何日から幾日間で埋めたか、埋設の深さとあわせて回答願いたい。
 (ヘ) 新潟商船倉庫内の被災水銀農薬は、疫学研究班によれば五一、六五一キログラムであるが、新潟県衛生対策の記録(六八ページ)によれば一二〇トンである。いずれが正しいか。また、一二〇トンから廃棄(埋設)した約三八トンの残り八二トンが流出したものと思われるが、この点はどうか。
 (ト) 前述(ハ)の項に水銀農薬の保管被災処分の状況を記載しておいたが、衛生対策の記録によると、地震、津波とともに防潮堤の欠壊により水没した滝沢倉庫には、「約二〇〇トンの農薬が保管されており船によりその半分を搬出したが、水中の作業は困難をきわめたので搬出作業を中止した」とある。こうしてみると、滝沢倉庫の保管品は全部が被災し、半数は水中に取り残され流出に任されたとみられる。
     次に、衛生対策の記録は、「流出する恐れのない被災倉庫から搬出した被災農薬約二四〇トンは土中に埋設して廃棄処分を行なつた。」としており、この二四〇トンと前掲の廃棄量二三八トン六一四キログラムは大体数量が合つている。従つて、以上を総合すると、滝沢倉庫の半数以上が水中に放置されて流出に任された数量は前掲の廃棄数量に入つていないとみるべきだと思う。
     そこで第一点として、ただ今述べた両者の関係をお伺いする。
     第二点として、滝沢倉庫及びその他、被災倉庫の被災農薬の廃棄日時、場所、数量、廃棄処分責任者、船、トラックその他運搬に当たつた運輸会社名、船頭、運転手、上乗り等の運搬者の氏名、監督官庁としての県側の処分立会人の氏名などを調査の上、知らせていただきたい。
     なお、前記昭和三十九年七月十七日薬第一九〇九号に記載されている倉庫以外の事務所内、あるいは民家ののき下等になんら防護策を施すことなく積まれていた農薬、その他地震津波による被災地域における農協倉庫等の農薬の処分についても前記に準じて調査の上、知らせていただきたい。
 (チ) 疫学研究班報告によると、たとえ農薬が流出したとしてもその中に混在するメチル水銀化合物の量を「仮に〇・〇一パーセントと計算すれば」といつているが、私が聞いているところによれば、東京歯科大、国立衛生試験所等の数値は〇・三であつてそれと比較すると三十分の一程度に取つているが、これに対する政府の見解を伺いたい。
三 前述のようにメチル水銀化合物は、農薬と工場排水にもとめているが、工場排水については、阿賀野川河口附近の中毒患者発生地の中心位置にある「日本ガス化学松浜工場」と患者発生地より約六十五キロ上流の「鹿瀬電工」の両者のうち、日本ガス化学松浜工場について疫学研究班の報告は、「アセトアルデヒド合成に伴う精留ドレン排水は中和沈殿を行なつた後、新井郷川に放流されていた。この新井郷川は日本海に注いでいるが、阿賀野川とは水路でつながつているので、その実情調査を行なつたところ、その水路は二重にしや断されていて、かつ水量も少なく、また、通常阿賀野川から新井郷川に向かつて水が流れていることがわかつた。なお地震後、水路はほとんど閉そくされた状態となつたので工場排水が新井郷川から阿賀野川に流入し、河水を汚染した可能性は考えられなかつた。」と述べている。これについて、私は前記のごとく、今回の中毒事件は地震により被災した農薬によつてひきおこされたものであると考えることが妥当であると信じているが、余りにも調査がずさんであると思われるので、疫学班報告書の信ぴよう性の問題として質問したい。
  前述のように、排水は新井郷川に流されていたが、「その水路は二重にしや断されていた。」といつている。しかし私が現地でみたところによれば、新井郷川寄りの水門は、開放されていた。疫学研究班の報告は間違いないか。
  しかも「通常阿賀野川から新井郷川に向かつて水が流れていることがわかつた。」とあるが、私の調査によれば、昔は、新井郷川はこの水路が新井郷川そのもので、阿賀野川に注いでいた。従つて新井郷川の水は新井郷川より阿賀野川に流れていたと思う。
 このことは河川局からも聞いているが、疫学研究班の報告はこれと逆である。この点政府はどう考えるか。
  また、「水量は少なかつた。」とあるが、船航は可能で水量は多かつたのではないか。
  この点についてもあわせて伺いたい。
四 これまで述べたように、県衛生部長等、疫学研究班の一員として公平な調査を行なうのに妥当とは思われない者に、この班の中核的な調査活動をさせたところに問題がある。
  予見をもつて結論を導くという調査を行なつたので、
 (一) 次のような単純で素朴なしかも根本的な疑問が生じてくる。
    すなわち
   (イ) 水質汚濁による被害は、汚染源からすぎさるにつれて減少するのが常識なのに、なぜ河口付近のみに患者がでて、中、上流には一人も発生しないのか。
   (ロ) 工場の排水下流十キロメートルのところに揚川発電所のダムがあるが、ここには魚の浮揚も犬猫の死亡も患者も発生していないのはなぜか。
   (二) また、疫学研究班は阿賀野川河口における局地的汚染が鹿瀬電工の排水に原因があるという結びつけを行なうために
     (a) 患者の毛髪中に一人だけ地震前からの水銀汚染があつたこと。
     (b) 飼猫が一ぴき地震一年前に患者発生地帯で死亡したこと。
     (c) 頭髪中に一〇〇P・P・M以上の水銀保有者が一人上流にいたこと。
     (d) 鹿瀬付近のたつた一ぴきのウナギにメチル水銀が検出されたこと。
      等をあげている。
       しかし最近の水銀農薬の大量消費(特にイモチ病の酢酸フェニール水銀農薬中にもメチル水銀が含有している)によつて、全国各地で前述(a)〜(d)の現象がみられることは各方面から論ぜられているところである。
       これらの疑問に答えるためには、河口付近の事故現場を中心に半径十キロメートル以内に一時的、極地的、濃厚汚染源があつたものと思われる。この半径十キロメートル以内には
     (a) 異常な魚の浮上地帯
     (b) すべての患者の発生地帯
     (c) 埠頭における被災農薬倉庫
     (d) 流出農薬の漂着地点
     (e) 地震の際、農薬投棄したといわれる部落
      等々がすべてこの十キロメートル以内に入つている。
  よつて政府は、この半径十キロメートル以内にある汚染源、農薬の流出、投棄などについて、あらためて調査を行なう必要ありと思うが、所見を承りたい。なぜならば、疫学研究班は公平な人選でなく、この十キロメートル以内の汚染源の追及を故意に回避してきたとみられるからである。
五 さて、阿賀野川河口付近の中毒患者発生の汚染源追及は以上にみられるように
 一 疫学班の一部人選に誤りがあつた。
 二 河口付近のもつとも重要地点の汚染源の追及がいまだに行なわれていない。
 等の理由により、今後の汚染源究明には相当長期間を要することは常識であり、患者の救済補償を急ぐあまり、真の原因究明が行なわれないようなことがあつてはならないと思う。一方被災者の救済もおろそかにはできない。そこで後日、原因究明が行なわれたときに、それに対し求償権を行使することができるので、政府としてはこの際患者の救済に万全を期すべきだと思うが、政府の所見を承りたい。

 右質問する。




(添付資料)
薬  第 1909 号
昭和39年7月17日

新  潟  県  薬  剤  師  会 長 殿
新 潟 県 薬 業 協 同 組 合 連 合 会 長 殿
新  潟  県  薬  業  士  会 長 殿
新潟県 経済農業協 同 組 合 連 合会長 殿
新 潟 県 農 薬 共 済 組 合 連 合会長 殿
新  潟  県 農 薬 販 売 協 会 長 殿


新 潟 県 衛 生 部 長


農業の保管管理の徹底による危害防止について(通知)

 農薬販売業者並びに特定毒物の使用者団体に対する農薬の保管管理の徹底については、昨年12月10日薬第3825号をもつて通知したところでありますが、本年の農薬需要期における上記の者の保管管理の実態は、必らずしも良好とは思われない状況にありますことは、極めて遺憾とするところであり、産業の発展も経済の成長も悲惨な人の危害のうえに築かれてはならないものです。
 いままでに把握された状況によりますと、上記の者のうちには、農薬を保管する専用倉庫を持たないため、毒物又は劇物である農薬を事務所あるいは住家内に積んでいたり、倉庫が狭いため、倉庫に入らない農薬を軒下やその他の場所に積みあげている者が多いことであります。
 このことは、毎年の農薬需要期の3月から9月頃までの間に特に多く見受けられるものでありますが、そのような保管方法は、毒物及び劇物取締法第5条第3項及び第4項並びに同法第11条第1項の規定に違反する行為であるばかりでなく、これらのことがらを放置しておくことは、今後農薬による不測の事態の発生も考えられ誠に憂慮すべきことであります。
 殊に最近石油並びに化学薬品等による不測の事故が相次いで発生しておりますが、その事故の原因のほとんどが危険物の保管管理の不完全によるものであることにかんがみ、今後の農薬の保管管理については、下期事項を十分留意の上、遺憾のないよう貴管下組合(会)員に周知の徹底をされるよう特段の御配慮をお願いします。
 なお、今後このような法律を無視した行為については、危害防止の観点から同法第19条第3項の規定にもとずく行政処分並びに告発の手続を行うことを重ねて周知方お願いします。



1 毒物又は劇物である農薬は必らず専用倉庫に保管するものとし、その設備は、法第5条第3項及び第4項ならびに法第11条第1項によること。
2 現在使用している農薬倉庫が狭いため、農薬の全部を保管出来ない場合は、すみやかに当該倉庫を増設して良好な管理を行なうこと。
3 農薬倉庫の増改築が完了するまでの間の農薬の処置については、臨時に農薬置場を設け、その周囲に堅固な柵を施し、かぎをかけ、毒物又は劇物である農薬が盗難にあい、紛失し、飛散し、漏れ、流れ、又はしみ出ることを防ぐ必要な方法を講ずること。





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