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昭和六十年四月二日提出
質問第二二号

 国語問題に関する質問主意書

右の質問主意書を提出する。

  昭和六十年四月二日

提出者  滝沢幸助

          衆議院議長 坂田道太 殿




国語問題に関する質問主意書


 国家の統一と国民の文化は、その言語文章に負うところ極めて大きい。故にフランスにおけるアカデミー・フランセーズの如きは、三百五十年以来国立の学会で国語の保全向上につとめているところである。
 我が国は幸いに単一民族同一国語という恵まれた条件のもとに、萬葉の昔より、極めて豊富にして高度な国語文化を保持して来た。しかもこの間に漢字を導入して音訓に読み分け、これを完全に国字化したのみならず、カナ、ひらかなを考案して漢字と調和せしめ、仏教文化、西欧文明を消化しつつ、詩歌、俳諧、書道など他国にその類例を見ない分野を拓き、豊富な語彙と高遠な思想、豊醇な美意識を作興し、世界に冠たる文明を創成した。このことは国民総ての誇りであり、世界人類の至宝である。
 しかるに、敗戦による古き伝統は一切悪とする風潮のもとに、政府は昭和二十一年十一月十日国語審議会によつて当用漢字千八百五十字を、更に昭和五十六年常用漢字千九百四十五字を採用し、別に、新仮名遣い」を公表して官庁用文書、学校教育、新聞、雑誌、放送など全般的に文字を単なる発声の記号とする思想のもとに統制しようとした。
 しかし、それは余りにも非現実的であることゆえ、その後これを強制するのではなく目安であるとしたが、教育界などの実状は改められず、却つて混乱を助長している。このことは、先にのべた民族の文化を後退させ、国家の伝統を中断し、国民の美意識を低下させ、思想を低俗にし、家庭、社会における世代断絶を増長させる以外何らの利益がなく、救いがたい悪政といわなければならない。
 今これを改めて正統本然の国語を回復し、教育と文化を正すことは国政の急務である。
 よつて以下各項にわたり国語改悪の事例を指摘し質問する。

一 本来国語はその国民民族の生存発展の結実であつて、祖先先人のたゆまぬ努力と叡智によつて充実向上して来たものであり、今後も自由かつ自然に変遷成長すべきものであつて、妄りに公権力によつて改廃すべきものではなく、その意味から、国語審議会の建議により政府が内閣訓令・告示を以つて実施してきた「当用漢字表」「常用漢字表」「新仮名遣い」など一連の処置は無用有害のものであつたと思うがどうか。
二 戦後再度にわたる使用漢字、音訓、送りがな、仮名遣いの変更は小中高校、大学などにおける教育を著しく混乱させ、児童生徒学生の国語力を低下させ、国語を軽視する風潮を生じさせたと思うがどうか。
三 三十四年間に及ぶ当・常用漢字、新仮名遣いの普及は、新聞、雑誌著書はもちろん、通信、文章、記録などについて、昭和二十一年に至るまでの在来の豊富な漢字表記、および歴史的仮名遣いによるすべての文を読み難くし、日常生活における国語の水準を著しく低下させ特に、国民をして古典、漢文など日本文化の本源を知ることを困難にしたと思うがどうか。
四 従来日本文化は漢字を豊富に使用した文化であるが、大東亜戦争終戦に至るまで何ら不都合なく国語文化は発展して来た。それを当用漢字で千八百五十字に、常用漢字で千九百四十五字に制限してしまつた。そのため殊に日本人の日常生活に必要な常識的なもの(たとえば脚があつて膝がない、指があつて爪がない、鼻があつて頬がない、衣があつて袖がないなど)まで人為的に削除制限したことは、日本民族の歴史と文化を、著しく貧しいものにしたのではないか。
五 国語審議会による「新仮名遣い」は、いたずらに便利主義に堕し、語源、語義、語法などについて、伝統を無親し、おおむね次の点で不合理である。
 1 五十音図の定義が崩れ、いろは四十八字の伝統も失われる。
 2 例えば「地」は「ち」と書くが「地面」の場合は振りかなを「じめん」とする。同様に「妻」は「つま」と書くが「稲妻」の場合は振りかなを「いなずま」とすることは不自然である。
 3 「通」は「つう」と書くが「神通力」では「じんずうりき」となることも不自然。
 4 日本語の動詞は五十音図の二行にわたつて活用しないのが鉄則であつたが「言ふ」「思ふ」を「言う」「思う」と改め、否定の場合には「言わない」「思わない」としたためハ行の活用がワ行ア行の二行にまたがることとなり、非合理的である。
 5 「ゑ」と「ゐ」を廃止したため、「柄」と「絵」・「居る」と「射る」の区別がつかなくなつた。
 6 オ列長音の表記に関して、例えば「氷」は「こおり」と記し「行李」は「こうり」と書くのは歴史的仮名遣いの「こほり(氷)」「かうり(行李)」の原則がわからなければ理解されない。
 7 鳥を数えるのに「一羽(わ)」「二羽(わ)」と「三羽(ば)」「十羽(ぱ)」などとの表記には矛盾が生じる。これに対し歴史的仮名遣いでは、「一羽(は)」「三羽(ば)」「十羽(ぱ)」と一行で済む。
 8 「頬(ほほ)」を「ほお」と書けば「頬笑む」の「ほほえむ」との間に矛盾が生じる。
 9 語幹が変わるのは原則として間違いであるが、「有難い」「目出たい」の場合「ありがた」「めでた」の「た」までが語幹であるのに、「有難とう」「目出とう」となり、語幹の「た」が「と」に変わるのは問題である。
 10 「行こう」「書こう」の場合、現代文法では「行こ」「書こ」は動詞の語尾変化として「う」を助動詞として説明している。この場合「う」は「行く」「書く」の動詞の未然形接続したものではなく「行こ ― 」「書こ ― 」の長音を表す、文字ならぬ記号にすぎない。歴史的仮名遣いでは「行かう」「書かう」と表記する。「行か」は「行く」の未然形で、それに接続する「う」は、はじめて助動詞となり合理的な説明がつく。
 11 このほか現代仮名遣いの矛盾を指摘すれば数限りがない。
六 従来日本人にとり、極めて関わり合いの深い動植物など自然物のほとんどをカタカナ書きにして分かり難くしたことは国民の情操生活を極めて貧しくさせ反社会的であると思うがどうか。
七 漢字の代用(当て字)の措置、たとえば「輿論」を、世論」「聯合」を「連合」「歿」を「没」とするなどは表意文字としての漢字の特質を無視し、ついには「よろん」が「せろん」「視線(しせん)」が「目線(めせん)」の如く辞句そのものが変質することとなり重大な問題と思うがどうか。
八 「龍頭だ(蛇)尾」「じん(腎)臓」「すい(膵)臓」「駐とん(屯)」の如く一熟語中の一字または数字をかな書きにすることは元来特にいましめられていた。これを正当化したことは、近い将来その語句を廃絶させることにつながり、文学、文化を破壊させることになると思うがどうか。
九 「廣」を「広」「學」を「学」「窯」を「党」などと漢字を簡略に書き改めることは、表意文字としての漢字の本質を無視するとともに、書道など文字芸術の発展をも、著しく阻害するゆえ本に復すべきと思うがどうか。
十 英仏など西欧文明国ではスペリングと発音とが違う例が多い。例えば英語のKnifeはナイフと発音するが、なぜ頭のKをとつて新しい綴字の新仮名遣いにしないのか、それは英・仏両国とも過去の文化を非常に尊敬しているからで、国民をして古典を失わせないためである。我が国では国語審議会が建議した戦後の一連の国語改革によつて、わずか四十年にして源氏物語や西行、芭蕉はおろか露伴、(注)外、一葉、白秋すら原文では読めず、現代版(現代仮名遣い)に改版されている事実は、前文に述べた民族の文化と歴史の断絶であると考えるが、これを旧に復す意志はないか。
  ここに歴史的仮名遣いが正しいものとの方針を示せば、戦後の国語問題は一切解決すると思うがどうか。
十一 今回、国語審議会が公表した「改定現代仮名遣い案」は横書きで記述されている。しかし国語学としては横書きでは文法の活用(上一段活用などの場合)の説明ができない。
  再検討し善処すべきと思うがどうか。

 右質問する。





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