衆議院

メインへスキップ



質問本文情報

経過へ | 質問本文(PDF)へ | 答弁本文(HTML)へ | 答弁本文(PDF)へ
平成七年十一月十四日提出
質問第一五号

血液製剤によるHIV(エイズウイルス)感染薬害に関する質問主意書

提出者  枝野幸男




血液製剤によるHIV(エイズウイルス)感染薬害に関する質問主意書


 血液製剤による血友病患者のHIV(エイズウイルス)感染薬害訴訟は、裁判所の和解勧告を受け、現在、原告・被告が和解の話し合いを行っている段階である。一刻も早い解決と被害者の救済を強く望むものであるが、立法府としてもかかる薬害の再発防止に全力をあげる必要がある。そのためには、なぜこのような薬害が起こったのかという事実関係の究明が大前提であることはいうまでもない。多くの被害者の方が望んでおられるのも、事実の究明とその事実への反省にもとづいた再発防止であると考える。
 そこで、以下のとおり質問する。

一 当時の厚生省の情報収集体制について
 1 八三年当時、政府において、生物製剤の副作用に関する海外の文献をチェックしていた部署はどこか。当該部署では「CDC(アメリカ国立防疫センター)週報」を入手していたか。
 2 八三年三月発行のアメリカ国立防疫センター(CDC)週報に「血友病患者のエイズウイルス感染は血液製剤が原因とみられる」との記述があるのは事実か。
 3 その情報を厚生省として入手したのはいつか。
二 米国トラベノール社(当時)と厚生省との交渉について
 1 八三年三月、来日したトラベノール社幹部と、加熱製剤の輸入について厚生省が折衝した事実はあるか。あるとすれば、厚生省の担当者は誰か。またその日時はいつか。場所はどこか。
 2 八三年五月、トラベノール社と同様の折衝をした事実はあるか。あるとすれば、担当者は誰か。またその日時はいつか。場所はどこか。
 3 トラベノール社とのこれらの会合は合計何回あったのか。これらの会合は公式なものか、非公式なものか。また、資料は残っているのか。
 4 その際、厚生省の担当者はトラベノール社に対し中央薬事審議会への輸入承認の申請を促さなかったのか。促さなかったとすればなぜか。
 5 トラベノール社が「エイズ感染者の供血で血液製剤がつくられ、その一部が日本にも輸入されていること」をロット番号も明記した上で報告しているのは事実か。事実とすれば日時はいつで、受け付けた担当者は誰か。報告書は残っているのか。
 6 報告を受けたことが事実とすれば、どのような対応をしたのか。
 7 この件を「AIDSの実態把握に関する研究班」に報告したかどうか確認できないと厚生委員会の答弁等で述べているが、九四年二月六日放送のNHK「埋もれたエイズ報告」で研究班の塩川優一委員はトラベノール社の回収報告書を「今、初めて見ました。」と語っており、他の委員も全員が事実を知らなかったとの報道がなされている。誰に対して、どのような調査をした上で、確認できないのか。当然報告すべきであったと思うが、現在はどう考えるか。
 8 また、この件を一般・マスコミ及び医師、血友病患者などには公表したのか。公表をしなかったとすれば、その理由は何か。
 9 この件を公表しないことを決定したのは誰の判断か。郡司生物製剤課課長(当時)は九四年二月六日放送のNHK「埋もれたエイズ報告」で、「この事例について、どういうふうに話し合ったか、ちょっと記憶はしていません。しかし、私が個人的に判断するということありませんね。」と述べている。郡司課長が相談したのは誰か。その事実が確認できないとすれば、職制上相談すべきなのは誰か。
 10 この件についてNHKの同番組において、郡司課長の上司にあたる持永和見薬務局長(当時)は「それは私に聞かれてもね。それはだって直接の研究班の所管は、それは生物製剤課長なんですから、それは私に聞かれても何とも申しあげられません。」と述べているが、厚生省としてもこの件を本人に確認しているのか。確認していないとすれば、今後確認する考えはあるか。
三 「AIDSの実態把握に関する研究班」について
 1 八三年六月、厚生省が設置した「AIDSの実態把握に関する研究班」(以下エイズ研究班)のメンバーは誰か。また、メンバーの選考は、誰がどのような観点で行ったのか。
 2 エイズ研究班の会合は何回、いつ開催されたのか。会合ごとのメンバー及びメンバー以外(厚生省の担当者を含む)の出席者は誰か。
 3 エイズ研究班は非公式な会合を行っていたのか。行っていたとすれば、その日時とそれを非公式にした理由は何か。
 4 エイズ研究班の会合における議事録、議事メモ及び配布資料はあるのか。ないとすれば、どのような調査の上でないと述べているのか、調査の経緯、資料がない理由を述べよ。そうした資料の管理責任者は誰か。
 5 また、九四年二月六日放送のNHK「埋もれたエイズ報告」の画面に映し出されている資料は、配布資料ではないのか。
 6 エイズ研究班は中間報告書、最終報告書を出しているか。それらは公表されているか。もし作成されていないとすれば、作成しなかった理由は何か。
四 いわゆる「スピラ認定」について
 1 先日一一月八日の衆議院厚生委員会(以下厚生委員会)での私の質問に対する厚生省の答弁(以下答弁)によれば、アメリカ国立防疫センター(CDC)のスピラ博士がエイズ研究班の一部メンバーや厚生省薬務局生物製剤課郡司課長ら厚生省の担当者と意見交換の会合(以下会合)をもったとのことである。しかし、場所や日時は確認できないとのことである。これらの点、再度確認できないか。もし確認できないとすれば、どのような調査によって確認できないのか明らかにせよ。
 2 会合の出席者は誰か。厚生省、エイズ研究班メンバー、CDCそれぞれについて答えよ。全員が確認できない場合は、確認できる者だけでも答えよ。また、安部英エイズ研究班班長は、八七年一一月に発行された「臨床成人病一七巻一一号」の中で、「実は一九八三年に国際免疫学会議が、京都で開催されまして、世界から免疫学の大家が沢山こられ、なかにはAIDSの患者を沢山みておられる方も多くこられました。そこで、この会議に出席されましたCDCのAIDSの専門家のお二人の方に東京に立ち寄ってもらいわたしたちに所見を述べたり、報告をしていただきました。」と述べている。この会合は前間の会合と思われるがどうか。そうだとすれば、もう一人のCDCの専門家とは誰か。ローレンス博士ではないのか。
 3 会合において、八三年七月のエイズ研究班においてエイズであることが否定された帝京大学の血友病B患者の症例について議論があったとのことが厚生委員会で答弁されている。その時どのような説明をし、どのような資料を提供したかについては確認できないとのことであるが、誰にどのように調査し、確認できないと述べているのか。
 4 厚生委員会での答弁によれば、会合において、スピラ博士が帝京大学血友病患者の症例に対し、こうした症例をアメリカではエイズと認定していると述べたのに対し、当該症例には免疫抑制の多量のステロイド剤が投与されていたことから八二年に設定された米国CDCのエイズ診断基準に合致しないのではとの疑問が示されたとのことであるが、誰がこうした疑問を示したのか。また、この疑問に関しスピラ博士の説得力のある回答がなかったとのことであるが、当時エイズ研究者の先端の一人であったと思われるスピラ博士の見解を、誰がどのような根拠で説得力がないと判断したのか。
 5 また、九四年二月六日放送のNHK「埋もれたエイズ報告」で当時の厚生省保健情報課長森尾真介氏は「スピラ氏が認めても日本のエイズと認めてよいかは別」と述べているが、これはどういう意味か。これは厚生省としての公式見解か。
 6 会合においてのスピラ博士の認定、もし認定とは判断しなかったとしてもこの見解を公表しなかったのはなぜか。この件に関し、安部英氏は、八七年一一月に発行された「臨床成人病一七巻一一号」の中で、スピラ氏のエイズ認定に対し「とにかく私としては委員の皆さんの承認がないことにはYESとは言われませんし、厚生省のご意向も十分くまなければなりませんし、たいへん苦慮しましてね。」と述べているが、ここで述べられている厚生省のご意向、つまりスピラ博士の認定を認めない又は公表しないというような意向を安部氏に伝えたことはあるか。
 7 裁判所はさる一〇月六日に出された「和解勧告に当たっての所見」において、この帝京大学の血友病B患者の症例について「八三年八月末頃には右研究班における検討ではエイズと断定できないとされた帝京大症例がCDCのスピラ博士によってエイズと判断され、国内においてもすでにエイズに罹患した血友病患者が出たことが判明したのである。」と認定し、厚生省がこの症例をエイズと認識したとの判断をしているが、この点をどのように考えるか。
 8 この症例は結局八五年五月にエイズとして公表したものであるが、なぜ八五年三月の第一号認定症例と同時に発表しなかったのか。この症例を厚生省としてエイズと認定したのはいつか。どの会議においてか、会議でないとすれば誰の判断か。この判断の際、八四年八月にエイズと認定しがたい理由とされたステロイド剤投与の件はどのように判断されたのか。
 9 八五年三月のエイズ第一号認定患者(米国在住のアーティスト)は現在でも生存しているのか。生死を確認したことはあるのか。あるとすれば、その確認方法は。生存しているとすれば、どこにか。死亡しているとすれば、いつ、どこでか。
五 CDCローレンス博士と意見交換を行った旨の報道について
  九四年二月四日付けの毎日新聞によると「八三年八月二九日にエイズ研究班の厚生省内の会議でローレンス博士が製剤の危険性を指摘した」旨記載されている件に関して、厚生委員会においては、当時の担当者や研究班のメンバーに確認したが記憶にないとの答えであったとの答弁であった。誰がいつ誰に確認したのか、詳しく明らかにせよ。また、ローレンス博士がなかった会合をあったと述べる合理的な理由は考えにくいが、ローレンス博士本人には確認したのか。確認したとすれば、どのような答えだったのか。確認していないとすれば、それはなぜか。
六 加熱製剤販売開始後の非加熱製剤の扱いについて
 1 八五年八月の加熱製剤の販売開始以降も、危険な非加熱製剤の回収、販売禁止等の通達を出さなかったのは事実か。事実とすればなぜか。誰の判断か。
 2 非加熱製剤のその後の法的な位置づけはどうなっているのか。例えば、現在、販売しようと思えば、できるのか。できなくなっているとするとどの時点からか。
七 厚生省職員のミドリ十字への天下りについて
  本問題の背景に厚生省と血液製剤の最大手ミドリ十字との関係が指摘されているが、厚生省に在籍したことのある職員で八〇年から九五年にかけてミドリ十字の役員、社員となったものの氏名と厚生省における最終役職、及びミドリ十字における八〇年から九五年にかけての役職を答えよ。

 右質問する。





経過へ | 質問本文(PDF)へ | 答弁本文(HTML)へ | 答弁本文(PDF)へ
衆議院
〒100-0014 東京都千代田区永田町1-7-1
電話(代表)03-3581-5111
案内図

Copyright © Shugiin All Rights Reserved.