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答弁本文情報

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平成七年十二月五日受領
答弁第一五号

  内閣衆質一三四第一五号
    平成七年十二月五日
内閣総理大臣 村山富市

         衆議院議長 土井たか子 殿

衆議院議員枝野幸男君提出血液製剤によるHIV(エイズウイルス)感染薬害に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。





衆議院議員枝野幸男君提出血液製剤によるHIV(エイズウイルス)感染薬害に関する質問に対する答弁書



一の1について

 御指摘の部署は、昭和五十八年当時、厚生省薬務局生物製剤課及び安全課であり、御指摘の米国防疫センター(CDC)の週報(以下「CDC週報」という。)については、当時、同局生物製剤課において入手していた。

一の2について

 御指摘のCDC週報は、千九百八十三年三月四日付けのものと思われるが、この週報には御指摘のような記述はなく、「血友病患者のエイズについては、血液製剤又は血液が原因のようにみえる」との記述がある。
 なお、昭和五十八年当時においては、エイズウイルスは同定されておらず、エイズの原因がウイルスであるか否かは明らかでなかったところである。

一の3について

 御指摘のCDC週報を厚生省が入手したのは、当時の薬務局生物製剤課の職員に対する事情聴取によれば、昭和五十八年の早い時期である。

二の1から3までについて

 厚生省において当時の薬務局生物製剤課の職員に対する事情聴取を行ったところによれば、昭和五十八年当時、米国トラベノール・ラボラトリーズ・インク社の幹部が厚生省に表敬のために来訪し、また、日本トラベノール株式会社から同課の課長及びその職員に対し米国における加熱製剤の製造承認の申請データについて一回説明があったが、その日時、場所及びその際の説明資料については確認できない。

二の4について

 昭和五十八年夏ごろ、日本トラベノール株式会社から米国における加熱製剤の製造承認の申請データについて説明があったが、厚生省としては、加熱に伴う副作用等の懸念があったことから、当該データのみに基づいて直ちに当該加熱製剤について薬事法(昭和三十五年法律第百四十五号)の規定に基づく我が国への輸入の承認を行うことは困難であると判断し、その承認の申請のためには安全性についてのデータを得るための臨床試験が必要である旨同社に伝えたものである。

二の5について

 日本トラベノール株式会社が輸入した血液凝固因子製剤について原料血漿(しよう)供血者の一部が供血後エイズ様症状を呈したため、同社から、昭和五十八年六月二日付けで、当該血液凝固因子製剤の出荷を停止した旨ロット番号を明記した上で厚生省に報告があり、当時の薬務局生物製剤課においてこれを受け付けたものである。当該報告書については、厚生省において写しを保有している。

二の6について

 昭和五十八年当時においては、エイズの原因及び血液凝固因子製剤によりエイズが伝播するか否かについては不明であったが、厚生省としては、同年六月、社団法人日本血液製剤協会を通じて、各製薬企業からエイズ予防のための対応策を聴取し、同年七月、同協会を通じて、製薬企業に対し、輸入血液凝固因子製剤及び輸入原料血漿について同性愛者や麻薬常習者等のエイズのハイリスクグループからの供血によるものではない旨の証明書を添付するよう指示を行ったところである。
 御指摘の報告書については、エイズに関する新たな知見を提供するものではなかったので、当該報告書に関して特段の対応はしていない。

二の7及び8について

 厚生省において当時の薬務局生物製剤課の職員に対する事情聴取を行ったところによれば、御指摘の件をエイズの実態把握に関する研究班(以下「エイズ研究班」という。)に報告したかどうかについては、確認できない。また、厚生省が御指摘の件を公表した事実はない。
 御指摘の件については、当時、エイズの原因及び血液凝固因子製剤によりエイズが伝播するか否かは不明であったが、米国から輸入された血液凝固因子製剤の原料血漿供血者の一部が供血後エイズ様症状を呈したため、日本トラベノール株式会社において念のために出荷停止等を行ったものであり、エイズに関する新たな知見を前提とするものでなかったことからすれば、これをエイズ研究班に報告し、公表しなければならない理由はなかったものと考えている。

二の9について

 御指摘の件を公表しないことについては、当時この件について所管していた厚生省薬務局生物製剤課における検討の結果、最終的に同課の課長が判断したものである。御指摘の当時の同課の課長の発言については、本人に対し事情聴取を行ったところによれば、所管する事務について独断ではなく、課内での検討を経て処理したものであるという趣旨の発言が報道されたものである。

二の10について

 厚生省において御指摘の者に対する事情聴取を行ったが、御指摘の件について当時所管していた薬務局生物製剤課から報告を受けたか否かは、確認できなかったところである。

三の1について

 御指摘のエイズ研究班の構成員は、安部英帝京大学医学部教授(当時)、芦沢正見国立公衆衛生院理論疫学室長(当時)、大河内一雄九州大学医学部教授(当時)、岡本昭二千葉大学医学部教授(当時)、塩川優一順天堂大学医学部付属病院長(当時)、徳永栄一日本赤十字社中央センター所長(当時)、西岡久壽彌東京都臨床医学総合研究所副所長(当時)、安田純一国立予防衛生研究所血液製剤部長(当時)及び松田重三帝京大学医学部講師(当時)であり、当時の厚生省薬務局生物製剤課長が、エイズに関する当時の知見にのっとり免疫、感染症、血液、血友病、疫学等関連すると考えられる分野を網羅し、かつ、各分野における権威を集める観点で選考したものである。

三の2及び3について

 エイズ研究班の会合については、公式、非公式の区別はなく、昭和五十八年六月十三日、同年七月十八日、同年八月十九日及び昭和五十九年三月二十九日に開催されている。また、昭和五十八年十月十四日にも開催されたものと思われるが、確認できない。
 個々の委員の出席状況については、確認できない。また、厚生省の出席者については、当時の薬務局生物製剤課長が開催された会合についてはいずれも出席していたが、それ以外は確認できない。

三の4について

 エイズ研究班は、学術的な研究成果の報告を目的とするものであり、運営に関する事項は基本的に同班にゆだねられていたものである。厚生省としては、当時の薬務局生物製剤課の職員に対し事情聴取を行ったが、御指摘の議事録については作成されていなかったと聞いているところである。また、御指摘の議事メモ及び配布資料については、法令等による保存すべき文書に該当しないため、厚生省内の書庫等の精査をしたが、確認できないものである。

三の5について

 厚生省において当時の薬務局生物製剤課の職員に対する事情聴取を行ったところによれば、御指摘の資料がエイズ研究班の配付資料であるか否かについては、確認できない。

三の6について

 エイズ研究班は、昭和五十九年三月に厚生省に報告書を提出し、厚生省はこれを公表したところである。

四の1及び2について

 厚生省において当時の薬務局生物製剤課長に対し事情聴取を行ったところによれば、御指摘の会合については、昭和五十八年八月二十一日から同月二十七日まで京都で開催された国際免疫学会に参加したCDCのスピラ氏と同課長及びエイズ研究班の構成員の一部が、当該学会の直後、厚生省の近辺の場所においてエイズに関して意見交換の機会をもったものである。また、御指摘のローレンス氏が当該会合に出席していたか否かについては、確認できない。

四の3について

 厚生省において当時の薬務局生物製剤課長に対する事情聴取を行ったところによれば、御指摘の会合においては、御指摘の帝京大学の血友病患者の症例(以下「帝京大症例」という。)が話題となり、スピラ氏から、米国ではこのような症例をエイズに含めている旨の発言があった。その際、同氏にどのような資料が提示されたか及びどのような説明がされたかについては、確認できない。

四の4について

 厚生省において当時の薬務局生物製剤課長に対する事情聴取を行ったところによれば、御指摘の会合において御指摘の疑問を誰が示したかについては、確認できない。
 御指摘の症例については、カリニ肺炎等の典型的なエイズ症状がなく、多量のステロイド剤の使用による免疫低下である可能性も否定できないことから、エイズ研究班においてエイズの疑似症例と考えられていたところであり、日本側の出席者を説得するには至らなかったものである。

四の5について

 御指摘の発言については、御指摘の者が厚生省を退職した後に個人としての受け止め方を述べたものであり、厚生省の公式見解ではない。

四の6について

 厚生省において当時の薬務局生物製剤課長に対する事情聴取を行ったところによれば、御指摘のスピラ氏の見解については、帝京大症例が多量のステロイド剤を使用していたためにCDCが千九百八十二年九月に発表したエイズに関する診断基準には合致しないことに対して、同氏から説得的な説明が得られなかったため、エイズに関する新しい知見を提供するものではなく公表する積極的な理由がないものと判断したものである。また、御指摘のような意向を安部英帝京大学医学部教授(当時)に伝えた事実はない。

四の7について

 御指摘の所見中には、御質問の「八十三年八月末頃には右研究班における検討ではエイズと断定できないとされた帝京大症例がCDCのスピラ博士によってエイズと判断され、国内においてもすでにエイズに罹患した血友病患者が出たことが判明したのである。」とほぼ同様の文章が見い出せるものの、厚生省が御指摘の症例をエイズと確認したとの裁判所の判断は、述べられていない。なお、当時、エイズ研究班は、帝京大症例については、カリニ肺炎等の典型的なエイズ症状がなく、多量のステロイド剤の使用による免疫低下である可能性も否定できないことから、これをエイズの疑似症例と考えており、厚生省としては、当該症例をエイズと認識していたわけではない。

四の8について

 当時、厚生省としては、昭和五十九年九月二十日付け健医発第三百四十九号厚生省保健医療局長通知「AIDS調査の実施について」に基づき、都道府県から厚生省に提出された調査票を保健医療局に設置されたAIDS調査検討委員会において検討し、その結果を都道府県に通知するとともに、公表していたものである。帝京大症例については、昭和六十年四月二日に調査票が東京都から提出され、同年五月三十日に開催された同委員会においてエイズとされ、これを公表したものであり、同年三月二十二日に公表した第一号症例とは同時に発表できなかったものである。
 同委員会においては、ステロイド剤投与についても検討されたが、エイズ研究班における検討の後に新たに抗体検査の結果が得られたことから、当時のエイズに関する最新の学術的な知見を基に総合的に判断し、当該症例をエイズとしたものである。

四の9について

 後天性免疫不全症候群の予防に関する法律(平成元年法律第二号)は、患者のプライバシーを保護する観点から、第二条第三項において、国及び地方公共団体は、エイズの患者等の人権の保護に配慮しなければならないとするとともに、第五条において、医師の都道府県に対する報告には感染者の氏名等個人を特定する情報を含めないこととしている。これらの趣旨に照らせば、行政が特定の患者について生死等の状況を調査することは適当でないと考えており、御指摘の患者の生死について、厚生省としてこれまで確認したことはない。

五について

 厚生省薬務局企画課医薬品副作用被害対策室の職員が平成六年九月及び平成七年十一月に、昭和五十八年当時の生物製剤課長及びエイズ研究班の構成員であった者に確認したところ、御指摘のローレンス氏については面識のある者はなく、御指摘の新聞報道のような事実を記憶している者もないとのことであったため、同氏には確認していない。

六の1について

 血液凝固因子製剤については、血友病患者の治療上不可欠であること、製薬企業が自主的に加熱製剤と交換する方法で非加熱製剤を回収していたこと等から、当時の厚生省薬務局生物製剤課における検討の結果、最終的には同課の課長の判断により御指摘のような通達は出さなかったものである。

六の2について

 非加熱血液凝固第VIII因子製剤のうち製造実績又は輸入実績のあったものについては昭和六十一年四月までに、非加熱血液凝固第IX因子製剤のうちエタノールで分画精製されエイズウイルスが不活化されていることが認められているもの以外のものについては同年六月までに、並びにこれら以外の非加熱血液凝固第VIII因子製剤及び非加熱血液凝固第IX因子製剤については昭和六十二年四月までに、各製薬企業から、薬事法第十九条又は第二十三条の規定に基づく当該品目の製造又は輸入を廃止する旨の届出がなされており、現在においてはこれらの非加熱製剤を製造し、又は輸入することはできないものであり、したがって、当該品目の販売もできないものである。

七について

 御質問の事項について、厚生省において調査した結果によれば、次のとおりである。
 昭和三十九年八月に薬務局付で厚生省を退職した小玉知己氏の株式会社ミドリ十字(以下「当該会社」という。)における経歴は、昭和五十五年当時は専務取締役、昭和五十八年三月から取締役副社長、昭和六十二年三月から常勤顧問、昭和六十三年三月から相談役及び同年八月から顧問であり、平成元年三月退職したものである。
 昭和四十九年十月に薬務局長で厚生省を退職した松下廉蔵氏の当該会社における経歴は、昭和五十五年当時は取締役副社長、昭和五十八年三月から取締役社長、昭和六十三年三月から取締役会長、同年八月から取締役相談役及び平成元年三月から顧問であり、平成七年三月退職したものである。
 昭和五十三年八月に国立衛生試験所総務部長で厚生省を退職した今村泰一氏の当該会社における経歴は、昭和五十五年当時は東京事務所長、昭和五十九年三月から取締役東京事務所長、昭和六十二年三月から取締役東京支社長、昭和六十三年八月から取締役東京駐在及び平成二年三月から顧問であり、平成七年三月退職したものである。
 昭和五十七年六月に薬務局審査課審査官で厚生省を退職した富安一夫氏の当該会社における経歴は、昭和五十九年六月に開発第一部長として就職、昭和六十二年三月から開発部門薬事部長、平成三年三月から研究開発本部本部長補佐及び平成六年三月から開発本部本部長補佐であり、平成七年三月退職したものである。
 昭和五十八年四月に国立がんセンター薬剤科長で厚生省を退職した越川芳一氏の当該会社における経歴は、昭和五十八年五月に嘱託として東京プラントで管理薬剤師業務に従事し、平成元年十二月退職したものである。





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