答弁本文情報
昭和二十四年十一月二十九日答弁第五三号
(質問の 五三)
内閣衆甲第一一〇号
昭和二十四年十一月二十九日
内閣総理大臣 吉田 茂
衆議院議長 ※(注)原喜重※(注) 殿
衆議院議員今野武雄君提出東京水産大学松生義※(注)学長に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。
衆議院議員今野武雄君提出東京水産大学松生義※(注)学長に関する質問に対する答弁書
一 樂水会誌昭和八年第二十八卷下の消息欄所載の「独乙だより」は松生義※(注)が伊谷以知二※(注)に宛てた私信の一節で、右はドイツにおける焚書の事実及び焚書より国民の精神を鼓舞せしめた事実を便りとして伝え、当時におけるわが国民精神の緊縮化傾向に一つの参考を供したに過ぎません。従つて、この一通信の文面を捉えて松生学長の思想ないし人格を判断することは、当をえない。
二 水産大学の庄司助教授のかく首については、当初同助数授と松生学長の間に意思の疎通を欠いた点があつたが、その後両者の間に円満に話がつき、本人から退職願が提出されたので、依願退職にした。
右答弁する。
参 考
樂水会誌第八号
消 息
独乙だより
伯 林 松生義※(注)
註 水産講習所在外研究員松生氏より伊谷以知二※(注)氏に宛てられたる、書簡中の一節を乞うて本誌に掲載せるものなり。
最近のドイツは何と云つても、ヒツトラーの天下になつて、人心が統一されて来ました。元来、理屈の多いドイツ人が、三十有余の党派に分れて、ガヤガヤ騒いでばかり居たのが、すつかりまとめられたのです。
若い連中の気魄も、目覚めて来たようです。祖国愛に蘇り、ボンヤリしてをれんぞと中々元気になりました。焚書も、其意気のあらはれです。ベルリン図書館も、二百万の本があります。その内マルキスト、及性慾に関する本二万部ほど燒き捨てました。唯、それ丈です。「文化の逆行」だなんて日本の文士連がさわいで、抗議を申しこんだと聞いて、私は噴き出しました。ナチだつてそんな馬鹿ぢやありません。神田の古本屋から燃やすからとて、売れ残りの本をあつめて来ても、二万や三万は直ぐ出やうと思ひます。今迄、ベルリンは社民党の天下でしたから、マルキストの本は随分市場に沢山出てゐますし、性慾の本でも、半公然と驚くべく沢山売られてをります。どうせこれらも、すつかり集めて燒くことは出来るわけがありませんが、青年自身の心に「もうこんな本は一切よまんぞ」と云う精神、意気を吹きこみ得さへすればよいのです。それなのです。
又軍備を制限されてから、青年の大部分に軍事的訓練或は、団隊的訓練を與へる機会が非常に少くなりました。元々ドイツ人は、組織によつてのみ働き得る人間で、「よろしくたのむ」なんて云つたつて、個人の消息は全然解し得ないのです。必らず具体的に「かくかく為すべし」と命令せねばならぬ国民なのです。
この国民に、軍事訓練を施す機会が甚だ少くなつたのですから、心ある人は、非常にドイツ青少年の将来を憂へ、且惧れたのです。私は研究所やその他学生の団体の会になど出入して見て、此は決して杞憂でないと全然同感し、且同時に決して人の事ではないと反省させられるのです。これが対策として、近来急に勃興して来たのが、自由意志、労働奉仕団(Freiwillige Arbeit dienst)の制です。ベルリンから汽車で一時間程の郊外にもあります。そこへも行つて半日見学して来ました。団員は、自由意志で入団し、四十週間、ここで訓練を受ける仕事は、道路の修繕、山林の手入、其他いろいろの土木工事などをやるのですが、全くの軍隊訓練で、我日本の青年訓練の更に徹底したものです。来年の一月から、之れを更に強制的にすると云ふことです。
フランスが、ヤイヤイ気に病むのは、当然ですが、ドイツはドイツとして、斯道によらなければ、実際的にも又精神的にも、亡びてしまふことでせう。
一、これから、とにかくヒツトラーの天下が当分つづいて、ドイツは相当力強く立ち上るだらうと思ひます。私は混乱の極にある時ベルリンに来て、今日迄すつかり如実の相を見ることが出来たことを非常によろこんでをります。いろいろ考へさせられてをります。
イタリーはとんと感心しませんでした。人心が駄目だと思ひました。誠実味、真劍味が極めて、薄いと到る処感じました。やはり何と云つても、ロシヤとドイツだと思ひます。ロシヤはもう一度、田舎の方へまはつて見たくて仕様がありません。どちらもまだ北欧の蛮人風が抜けない丈、大きな未来をもつてをると思ひます。「思つたより野蛮な連中だよ―」と時々苦笑しながらもそれ丈※(注)母しい心地がします。いろいろとりとめもないことを、かきつらねてお目をけがし恐縮に存じます。
此夏休みにノールエ、英国へは是非行つて見樣と計画してをります。
お蔭様で、御礼申おくれてすみませんでしたが、六ヶ月留学延期してゐただいて、どの位助かりもし、落付きもしたか知れません。この十月一杯で、研究所をやめ十一月のはじめ、ベルリン出立、フランスからもう一度英国へわたり(夏期渡英は学校や研究所も見られないと思ひますので)アメリカを経て十二月三十日或は三十一日懐かしい母国へ帰らしていただく予定を立てました。頃日、極めて元気に頗る、マメに仕事に見学に、忙がしくすごしてをります。水産関係の参考書も出来る丈、集めにかかつてをります。案外あります。