答弁本文情報
平成八年六月二十五日受領答弁第二四号
内閣衆質一三六第二四号
平成八年六月二十五日
衆議院議長 土井たか子 殿
衆議院議員山本拓君提出薬害エイズ問題に関する第三回質問に対し、別紙答弁書を送付する。
衆議院議員山本拓君提出薬害エイズ問題に関する第三回質問に対する答弁書
一について
御指摘の証明書の添付について、社団法人日本血液製剤協会を通じて、各製薬企業に対して指示を行ったのは、昭和五十八年七月二十二日である。
また、二についてで示しているように昭和五十八年六月には輸入非加熱血液凝固因子製剤及び輸入原料血漿について各製薬企業において自主的にエイズのハイリスクグループからの供血を排除する等の措置が講じられており、当該製剤及び原料血漿に御指摘の証明書が添付されていた期間は、同年六月頃から御指摘の証明書に替えてエイズウイルスの抗体検査によるスクリーニングが実施されている旨の証明書(以下「抗体検査済証明書」という。)が添付されるまでの間と承知している。
なお、抗体検査済証明書とは、米国において昭和六十年五月から輸出用のものを含めエイズウイルスのしよう抗体検査によるスクリーニングを実施した当該製剤及び原料血漿に添付された証明書である。
昭和五十八年当時においては、血液又は血液凝固因子製剤によるエイズの伝播の可能性が示唆されており、厚生省としては、同年六月、社団法人日本血液製剤協会を通じて、各製薬企業からエイズ予防のための対応策を聴取したところ、各製薬企業が輸入している血液凝固因子製剤及び原料血漿について輸出元において男性同性愛者、麻薬常習者等のエイズのハイリスクグリープからの供血を排除する等の措置が講じられている旨の回答がなされた。そこで、各製薬企業において輸入血液凝固因子製剤及び輸入原料血漿の安全性を確保するためこのような対応策が確実に講じられるよう、同省薬務局生物製剤課の判断により行政指導として御指摘の証明書の添付を指示したものである。
昭和六十年五月に非加熱濃縮血液凝固因子製剤を使用した三人の血友病患者がエイズウイルスに感染した例が確認されたことにより、御指摘の期間も含めてそれ以前の期間に使用された当該品目の中にエイズウイルスが存在する医薬品が含まれる場合があると確認したものである。
平成八年四月五日に厚生省において公表した「厚生省薬務局ファイル四」にある資料によれば、御指摘の証明書が添付されていない非加熱濃縮血液凝固第VIII因子製剤の昭和五十八年九月末現在の在庫量は、四千百万単位(一単位は正常人の血漿一ミリリットルに含まれる因子の量を意味する。以下同じ。)と記載されており、そのように認識していたものと考えられる。
なお、当該在庫量が四千百万単位であることについては、原料血漿が輸入されてから製剤となるまでに数か月程度の期間を要することから、昭和五十八年六月以前に御指摘の証明書が添付されずに輸入された原料血漿を用いた製剤が、集計の時点において当該証明書が添付されていない在庫となっていたこと等の理由によるものである。
当時の厚生省薬務局生物製剤課の職員によれば、御指摘の証明書が添付された非加熱血液凝固因子製剤の十分な供給が可能となる前に薬事法(昭和三十五年法律第百四十五号)に基づく販売禁止等の措置を講じた場合には血友病患者の治療に必要な当該製剤の不足を来すおそれがあったこと等から、薬事法上の販売禁止等の措置を講じなかったものである。
現時点からすれば、当時は非加熱血液凝固因子製剤の危険性の認識が十分でなく、期待された有効な方策を十分講ずることがなかったものと考えている。
今回改めて行った非加熱血液凝固因子製剤の製造業者及び輸入販売業者(以下「製造業者等」という。)への照会に対する回答によると、製造業者等において資料が保存されておらず販売量等が不明のもの、抗体検査済証明書が御指摘の証明書に替えて添付されたもの及び国内で採取された血漿を原料とするものを除いた当該製剤の総販売量に対する御指摘の証明書が添付されたもののおよその割合は、昭和五十八年が二十四パーセント、昭和五十九年が九十四パーセント及び昭和六十年以後が百パーセントと考えられる。
今回改めて行った血液凝固第VIII因子製剤の製造業者等への照会に対する回答によると、製造業者等において資料が保存されておらず販売量等が不明のもの、抗体検査済証明書が御指摘の証明書に替えて添付されたもの及び国内で採取された血漿を原料とするものを除き、昭和六十年に販売された当該製剤に対する御指摘の証明書が添付されていたもののおよその割合及び数量は、それぞれ百パーセント及び四千七百万単位と考えられる。
今回改めて行った血液凝固因子製剤の製造業者等への照会に対する回答によると、製造業者等において資料が保存されておらず販売量等が不明のものを除いた御指摘の証明書が添付された当該製剤の年度別のおよその販売量は、昭和五十八年度は二千八百万単位、昭和五十九年度は八千八百万単位、昭和六十年度は八千三百万単位及び昭和六十一年度は四千八百万単位と考えられる。
昭和五十八年当時、米国において米国食品医薬品局(FDA)が血液凝固因子製剤の原料血漿に関し、男性同性愛者、麻薬常習者等のエイズのハイリスクグループからの供血を避けるべきであるとの勧告を行い、これを受けて社団法人日本血液製剤協会において輸入血液凝固因子製剤及び輸入原料血漿について採漿の適否を慎重に判定する供血者として、同性愛者、薬物乱用者、ハイティ移住者及びハイティ旅行者並びに頚部、腋窩若しくは鼠径部の各リンパ節の腫脹、カポジ肉腫による皮膚の障害又はエイズを示唆する病変を示した者を掲げており、これらの者をハイリスクグループと認識していた。
また、血漿採取時の供血者に対する問診及び検査によりハイリスクグループに該当する供血者が排除されている場合に、御指摘の証明書が添付されるものと認識していた。
御指摘の証明書が添付された非加熱血液凝固因子製剤にエイズウイルスが存在していたとの具体的な事実はこれまでのところ把握していないが、その場合もあり得ると認識している。