平成24年5月24日(木)(第5回)

◎会議に付した案件

日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件(日本国憲法の各条章のうち、第一章の論点)

衆議院法制局当局から説明を聴取した後、自由討議を行った。

◎自由討議

●各会派の代表からの意見表明の概要

山花 郁夫君(民主)

  • 1章の各条項については、現在民主党としてまとまった意見はないが、これまで様々な場で主張してきたところに関係して意見を述べる。
  • 女性天皇を認めるべきかに関し、皇位継承順位については、 2条に基づいてこれを規定する皇室典範を改正すれば形式的にはそれで良い。しかし、天皇の地位を定めている 1条との関係からして、もし継承順位を変更するならば、国民投票が必要ではないかということで議論をしてきた。憲法改正でなくても、国政の重要課題については国民投票を行うべきではないかというのが、我が党の立場である。
  • 首相公選制を主張する意見もある。直接選挙で選ばれる大統領等は通常国民の前で就任式等を行うが、我が国は議院内閣制で間接選挙の形を採っているため、総理大臣は天皇が任命している。首相公選とした場合、直接選挙で選ばれているので、天皇による任命が不要になるのではないかと思うが、首相公選制論者からそうした議論は聞いたことがないので若干疑問に思う。

中谷 元君(自民)

  • 自民党は 4月27日に「日本国憲法改正草案」を発表した。これは、平成 17年に発表した「新憲法草案」の全条項を見直して作成したものである。
  • 草案では、天皇は我が国の元首であることを明記した。この点は党内でも様々な議論があり、元首と明記することで、元首以上の存在である天皇をかえって軽んずることになるという反対論もあった。しかし、現行憲法下でも天皇は、外交関係において国を代表する面を持っており、対外的にもこのことを明確にした方がよい。また、元首は英語で Head of Stateであり、これは、国家を代表する機関や人を指す用語であるから、国家を代表する人として、天皇は元首であると明記すべきという意見が大多数だった。
  • 皇位継承については、法律である皇室典範で規定するという現行憲法のままでよい。
  • 草案では、天皇の国事行為の種類を増やすことはしていない。なお、現行憲法で天皇の国事行為には内閣の「助言と承認」が必要としているが、内閣が天皇に助言したことを内閣が承認することはおかしく、またいささか礼を失することから、「進言」という文言に統一した。
  • 天皇の公的行為に関しては、草案ではこれを明記している。現に、国会の開会式での「おことば」、国や地方自治体が主催する式典への出席等、天皇の行為には公的な性格を持つものがあり、このような公的行為について憲法上明確に位置づけるべきである。
  • 国旗・国歌については、一般に国家を表象するシンボルのようなものであり、草案では憲法上明記した。また、「国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない」と定めたが、これはいずれの国の国旗・国歌も尊重しなければならないという国際社会での常識に基づくものである。さらに、元号についても明記した。

赤松 正雄君(公明)

  • 憲法改正国民投票法制定時には、改正原案が審議されるまでの準備期間に、第一に、 18歳選挙権等、残された課題を詰めること、第二に、憲法のどこをどう改正するのか、法律の適切な運用や制定で対応できるのか検証を行うことの 2つがなされるべきと考えていた。今国会で与野党が一致して、一方で懸案処理を行いながら、他方で各章逐条ごとに検証し審査する時間を持つことができ、感慨を覚える。
  • この検証作業については、憲法審査会で具体的な改正原案を審査する前に、中立的な立場で現行憲法を点検することに主眼がある。自民党の改正草案について踏み込んだ発言があったことは若干遺憾に思う。現行憲法をどう見るのかに主眼を置き、改正も前提にしないが、改正しないことも前提にしない議論であることを確認したい。
  • なぜ検証を前文から行わないのかという指摘もあるが、この作業は、憲法の規定と行政の執行という車の両輪がいかに展開しているかを見るものであるため、全体の規定を総括する前文は最後に取り上げた方がよい。
  • 公明党は、 1章の規定について、明文改憲の必要はないと考えている。ただし、皇室典範の改正については検討を要するものはいくつかある。
  • 1条に天皇を元首と明記すべきという議論は根強いが、天皇は既に元首と同様の扱いを受けており、憲法に明記することで、かえってこれまでの象徴の意味合いが変化して国民主権の流れに逆行しかねない懸念がある。元首的象徴とも言える位置づけこそふさわしいと考える。
  • 女性天皇を認めるかについては、皇室典範に委ねられている現状でよいが、男系男子の継承規定については、大いに議論を要する。従来から公明党は、女性天皇については皇室典範の改正論議に委ねつつ、認める方向で議論してきた。ただ、男系男子でなければならないかについては、議論を尽くしていない状況である。
  • 国事行為については、現状のままで特段の不都合は生じていないと考える。
  • 公的行為に関し、君主的側面や伝統的側面を持つ行為は皇室典範で定めるべきとの指摘については、検討の余地は否定しないが、現状のままでも不都合はない。
  • 国旗・国歌についても、憲法に新たに規定を置く必要はない。

笠井 亮君(共産)

  • 本日から現行憲法の検証が行われるが、我が党は、現行憲法の諸原則に照らし、現実がどうなっているかを徹底的に点検することが検証であると考えている。例えば、憲法の視点から東日本大震災や東京電力福島第一原発事故を総点検し、憲法 13条や 25条に照らして被災者支援、復興、原発事故対応はどうか、求められる法的措置は何かを明確にすることこそ必要ではないか。憲法を検証すると言いながら、自らの党の改正草案を説明したり、改憲を前提に一定の方向に導こうとする方法は取るべきでない。
  • 事務局作成の論点表についても、明文改憲をベースにまとめており、日米安保条約や在日米軍基地の問題が取り上げられていないなど、恣意的な論点設定になっている。
  • 1章天皇について我が党として3点述べる。まず 1条で、主権在民の原則を明確に定めていることが、極めて重要な意味を持っている。前文の規定と一体として、憲法の根幹とも言える国民主権原理を明らかにしたものであり、それゆえ天皇の象徴としての地位は「国民の総意に基づく」と定められている。
  • 次に天皇の行為については、国民主権の原則に立ち、 3条、 4条で制限規定を設けており、これらの制限規定の厳格実施こそ重視されるべきである。現行の国事行為以外に公的行為として広げることは、国民主権原則と相容れないものである。天皇の政治利用をはじめ、憲法の条項と精神からの逸脱を是正することこそ必要である。
  • 最後に、一人の個人が世襲で国民統合の象徴になる仕組みは、民主主義、人間の平等の原則に合わないもので、将来の日本の方向としては民主共和制を目指すべきというのが我が党の見解である。同時に、天皇の制度は憲法上の制度であり、その存廃は将来国民の総意により解決されるべき問題であり、当面の問題ではない。
  • 我が党は、前文をはじめ、天皇の条項も含む全条項を守り、特に平和的・民主的条項の完全実施を目指す立場である。

渡辺 浩一郎君(きづな)

  • 我が党は設立から日が浅く、現在、憲法に関して草案を作るべく議論している最中であり、憲法に対する大きな方向性は、まだこれからという状況である。
  • 天皇を元首として憲法に明記するかについては、現行憲法を維持し、天皇は元首であるが明記しない、というのが我が党の大勢である。世界各国には元首に相当する大統領や首相が存在するが、いずれもその国の国民が直接又は間接に選択している。我が国の天皇は国民が選択できない歴史と文化を持っている。したがって、元首としての天皇は、各国の大統領や首相と同等ではなく、その上に位置する、そういう意味で象徴の地位であると捉えるべきである。しかも多くの国民は、憲法に明記されていなくても、我が国の元首は天皇であるという考えを意識・無意識にかかわらず持っており、現行憲法どおりの方が安定していると考える。
  • その他の条項については、党内で議論を深めているところである。

照屋 寛徳君(社民)

  • 社民党は、明文改憲をして天皇を元首と憲法に規定することに反対である。天皇は統治権の総攬者でもなく、元首でも君主でもない。元首と規定することは、憲法の基本理念である国民主権、民主主義、基本的人権尊重の原理に反し、到底認めることはできない。現行の象徴天皇制を維持することが国民の意思に合致すると考える。
  • 女性天皇については、世論も多く支持しており、過去の歴史の中にも存在し、また男女平等、男女共同参画社会の形成という現在の潮流にもかなうことから、積極的に進めるべきである。しかし、女性天皇の問題は皇室典範の改正によって実現すべきであり、憲法審査会で議論する問題ではない。
  • 宗教的要素の強い宮中祭祀を国事行為とすることは、政教分離原則との関係で重大な問題が生ずる。天皇の国事行為は、内閣の助言と承認に基づく受動的・儀礼的なものに限るべきで、天皇は国政に関する権能を有しないとする憲法 4条は厳守すべきである。また、明文改憲のうえ国事行為を増やし、公的行為を憲法に位置づけ、追加することに反対である。
  • 国旗、国歌、元号について憲法に明文規定を置くことにも反対である。
  • 最後に沖縄選出議員として一言述べる。過去を遡ると、沖縄は日本ではなかった。 13世紀に成立した琉球王朝は、天皇や鎌倉・室町幕府の支配下になく、 1609年に薩摩藩に武力征服され、 1879年の琉球処分ともいうべき廃藩置県により消滅した。琉球、沖縄は、天皇制から見ると、化外の民である。それを徹底的にたたき直され、天皇の民にする皇民化政策がとられ、それは差別と同化によって裏打ちされたものであったため、沖縄戦の悲劇と戦後のアメリカ軍占領につながっていった。沖縄では歴代政権による構造的差別が県民の共通認識となっている。

柿澤 未途君(みんな)

  • 憲法審査会は、憲法改正原案の審議を行う場として設置されたものであり、現実に一院制を創設するという憲法改正原案が衆議院に提出されているにもかかわらず、それを棚上げにして現行憲法を章別に論点整理を進めていこうとするやり方にはいささか違和感を覚える。
  • 我が党は、 4月27日、「憲法改正に関する基本的考え方」を発表した。 1章との関わりでいえば、天皇は日本国、国民統合の象徴であり、日本国の元首と明記すること、国旗・国歌について憲法上明記することである。
  • 我が党が首相公選制を掲げていることから、公選された首相との関係で、元首は誰か問題となる場合がある。国民の直接投票で首相を選び、元首が投票結果に基づき首相を任命すること自体は全く問題ないとしても、日本の元首が誰なのか曖昧なのは、対外的に見ても問題である。そのため、この際一切の疑義が生じないよう、憲法上天皇が元首であることを明記すべきである。
  • 憲法改正に関する最も重要な論点は、いかにして現実に即した改正への一歩を踏み出すかである。そのため、 96条の憲法改正を先行すべきである。 1章に関わる皇位継承などの論点については、国民の相当なコンセンサスを得るべきもので、慎重に議論すべきであり、我が党も、その改正を最優先にするという立場にはない。

●委員からの意見表明等の概要(発言順)

保利 耕輔君(自民)

  • 元首の問題について議論することは、私の年代からすると大変恐れ多いことだと感じるし、非常に慎重に行わなければならない。
  • 現行憲法 1条の基本的な考え方については、大変すばらしいものであると考える。天皇を元首と規定することに関しては、自民党内でも議論があったが、明治憲法においても使われていることから、元首という言葉自体は世俗的なものではない。外国の大使が信任状を捧呈するときに、天皇が元首として受けることは大事なことである。また学校教育の場で、日本国及び日本国民統合の象徴である天皇を元首と明確に規定した方が教えやすいのではないか。以上から、天皇を元首と規定した。
  • なお、党内では、多数意見ではなかったが、天皇を元首と規定することに対し、「象徴」との位置づけは含みのある良い表現であり、場合によっては元首以上の意味を持っている言葉であるから、「象徴」のまま残すべきであるとの意見があった。
  • 女性宮家、女性天皇の問題については、皇室に関する問題だけに、我々が議論を行うのは控えめにして、政府内における検討を注視したい。

緒方 林太郎君(民主)

  • 実態的に元首的な機能を有していることがわかれば、天皇を元首と明記してもしなくてもよい。ただし、元首的機能を天皇が有しているということを否定する議論は成立しない。国事行為を行っていることや諸外国の元首とカウンターパート関係にあることは事実である。
  • 憲法で元首に政治的権限がどのように割り振られているかはそれぞれの国により違っており、政治的権限と天皇の国家元首としての機能の問題とを混同して考えることは間違っている。天皇を元首と呼ぶことが民主主義や国民主権に反するという議論は妥当しないと思う。
  • 国事行為について、例えば諸外国の要人に会うということが書かれていないが、虚心坦懐に読めば、国事行為ではない行為を行っていることになってしまうので、こうした行為を憲法の中に位置づけることはあってよい。
  • いわゆる 7条解散に関し、国事行為について定めた 7条 3号だけをもって首相が解散権を持ち、解散が行われることには、若干違和感がある。

近藤 三津枝君(自民)

  • 天皇は、日本国民にとって、国家の姿として国民統合のあらわれとして尊崇される存在であり、日本国の元首として多彩な活動を行っている。日本国憲法では天皇は象徴と定められ、大日本帝国憲法のように元首と定められていない。憲法解釈によるのではなく、憲法改正により天皇を我が国の元首とすべきであり、これにより、天皇が日本国の元首であることが国際的にもより一層明らかになる。

古屋 圭司君(自民)

  • 96条改正は、現実的な憲法改正をする、しないという視点から、国民の憲法論議を喚起するためには極めて適切な内容である。
  • 自民党は、主権回復 60周年に合わせて 4月 27日に草案を発表した。占領政策がなされていた 7年間に大きく変化したのが天皇に関する取扱いである。それには、法的・政治的側面、経済的側面、精神的側面の 3つがある。
  • 特に政治的側面で、元首を憲法に記述することは極めて重要である。天皇が外国訪問する際、外国の元首に案内されて軍隊の儀仗を受けるが、元首が明確に定められていないために、外国の元首が訪日した時は、自衛隊の儀仗の案内役は自衛隊の先導将校であるという奇異な現象が起こっている。
  • 天皇の行為について、現在、外交官の接受は憲法で国事行為と定められている一方、外国元首の接受は、象徴としての公的行為という、国事行為よりも格が下がる解釈でしのいでおり、整合性の面で問題がある。
  • 経済的側面については、 8条で皇室の財産授受は国会の議決に基づかなければならないとされているが、あまりに煩雑である。一方で、昭和天皇崩御の際には、相当額が相続税の課税対象とされ、納税されたと言われる。納税義務だけ一般国民と同じというのはおかしいのではないか。
  • 自民党の憲法改正草案は、これらの問題を解消するために、公的行為を規定し、 8条の皇室財産の授受は「法律で定める場合を除き、国会の承認を経なければならない」と規定した。

山花 郁夫君(民主)

  • 首相公選制と天皇による任命に矛盾はないという指摘があったが、現行憲法の解釈としておかしいと考える。 6条で、総理大臣や最高裁長官を天皇が任命する構図としているのは、行政権、司法権の長を決めるとき、間接選挙や内閣の指名であるがゆえに、日本国・日本国民統合の象徴としての天皇が任命するのだというフィクションをあえて使っているのだ。だとすれば、首相公選制の下で直接公選された人をあえてフィクションを使って任命することは本来あり得ない。首相公選制論者が 6条改正を提起しないのは、難しいことを避けているのではないかという違和感がある。

柴山 昌彦君(自民)

  • 憲法審査会で各党の憲法改正草案を取り上げるべきかどうかについて、草案を出す前に各党間で議論をするべきなどの意見があったが、こういった草案を提起することがなければ憲法の具体的な見直しという議論にドライブがかからないのではないか。現にこのような案を示すことにより批判も含めオープンな議論になると考える。
  • 天皇を元首とすることは、統治権の総攬者としての天皇の復活を意味するということではない。外交的な配慮も含め儀礼上、混乱が起きることは避けなければならないという趣旨である。
  • 天皇の公的行為については、自民党の草案では明文化しているが、公的行為の範囲が広がると、内閣等を通じた民主的コントロールが及ばなくなるのではないかという懸念は、共有する部分である。公的行為の枠付けや民主的コントロールをどう及ぼすかについては国会などで議論していくべきである。特に天皇の公務が多忙になっており、早急に整理すべきである。
  • 皇位継承については、憲法の理念との関係や男女平等原則との関係にも突っ込んでオープンに議論していくべきである。

辻 惠君(民主)

  • 憲法審査会の役割は、各党がまちまちに憲法改正原案を提案して議論をすることではなく、現行憲法を取り巻く状況を具体的に検討することだと考える。東日本大震災など日本の社会のありように様々な問題があり、そのような現状を知るということを出発点にしていくべきである。
  • 戦前の国民主権でない国家体制から国民主権の国家体制になったことが日本国憲法の出発点であって、これが憲法改正の限界である。元首論のようなことを安易に持ち出して、国民主権主義を否定するように話をもっていくことは論外である。
  • 法改正の必要性は社会的な実情に応じて問題となるが、象徴天皇制は国民に定着しており、今、憲法改正を前提に議論する必要はない。また、憲法全体を見回しても、憲法改正を前提に議論しなければいけない問題はない。

辻元 清美君(民主)

  • まず憲法審査会の役割に関する共通認識について議論すべきであり、各党、各個人の考えやイデオロギーを反映した憲法改正原案を作る場ではないと考える。国民の中から、憲法のこの部分は変えてもらいたいという声を取り上げて憲法を論じるべきである。例えば、国旗・国歌と内心の自由との整合性について党内で議論するのは結構だが、それを憲法審査会の場でしようとは思わない。
  • 96条は、この憲法の特徴であって、多数派による横暴を許さない仕組みでつくられた。特に、政権交代時代を迎え、政権交代が起こる度に多数派が憲法という国の礎を変えることができる状況はつくるべきでない。 96条の改正は慎重にすべきとの基本的な認識の下で議論をしないと、この審査会で何をやっていくのかわからないまま意見を言うこととなりかねないと危惧している。

保利 耕輔君(自民)

  • 現行憲法に関する問題点を議論することも結構だが、現在、憲法改正国民投票法がすでに施行されている状況で、具体的な案を作っていくことが大事である。現行憲法の問題点は何かということを各党内で議論して、もし問題点があれば、それに対する改正案を作成して国会に提出できる状況になっているわけであり、党内で議論して 1つにまとめて国会に提出してもらうのが望ましい。
  • 子供から国民統合の象徴の意味を質問され、お飾りのようなものと答えた学校の先生がいたということを仄聞したことがある。これは失礼なことでもあり、天皇は元首として明確に規定した方が良いということで案を作成した。

笠井 亮君(共産)

  • 憲法審査会で今後各条章ごとの検証をどのように進めるかについては、幹事会で検討すべきである。
  • 1999年に国旗及び国歌に関する法律案が審議された際、我が党は、日の丸・君が代は主権在民の原則に反し、侵略戦争の歴史に重なるという問題があり、国旗・国歌と制定することに反対した。また、国旗・国歌が公式に決まった場合でも、教育の現場で強制されるべきではないと主張し、政府も、押しつけないという言明を繰り返した。それにもかかわらず、制定後に教育の現場で日の丸・君が代が強制され、口元チェックやそれによる懲戒免職という問題が起きている。憲法の原則に反するそうした実態こそ変えるべきである。

赤松 正雄君(公明)

  • 今後の各条章ごとの検証についてであるが、現在の憲法状況を具体的に検討するのが憲法審査会の場であって、現行憲法がどのように展開され、行政がどのように展開して、どのような不都合が起きているかを検証するのが主眼である。政党によっては憲法に関する議論が進んでおり、またこんなことをやるのか、という感じがあるかもしれないが、既に自分達の憲法改正草案を持っているとしても、それを頭の中に置きつつ、現行憲法の展開状況と行政のありようではギャップがあることから、皆さんの考えているような結論に至るというような議論の展開が望ましい。
  • 96条については、かつては改正すべきという考えを持っていたが、小選挙区比例代表並立制が導入され、選挙の実態を見ると、違うな、と思うようになった。現在では、むしろ現行の発議要件は現実的であると思う。過半数で発議できるようになると、粗雑な形で憲法改正が行われることにならないか。質の高い政治家と議論の中味が今ほど求められている時代はない。その意味で 3分の 2という発議要件は高すぎることは決してない。

古屋 圭司君(自民)

  • 憲法審査会では、国民投票法の 3つの宿題についての一応の議論がなされたが、やはりこの 3つの宿題をできるだけ早く解決すべきだ。会長及び幹事は、国民投票法を完成形にすることに向けて取り組んでほしい。
  • 96条に関しては、過半数が民主主義の原則である。しかし同時に硬性憲法としての性質は守り、国民投票に付しその結果過半数の賛成が得られなければ憲法改正はできないとするのが我々の主張である。今まで国民が主体的に憲法改正の可否について参画することはなかったが、国民投票を行うことにより主体的に参画できる。国民投票の際には、護憲派も国民に対ししっかりと主張を訴えることができるため、極めて民主的であると思っている。

緒方 林太郎君(民主)

  • 日本国の象徴であり国民統合の象徴である天皇や、国旗・国歌は、その時々の政治状況と関係なく、日本の自然等日本国全体を捉えているものである。内心の自由に反するから国旗・国歌を尊重しなくて良いという議論は本当に成立しうるのか、日本人として疑問を持つ。
  • 96条の厳しい改正手続は、憲法制定時の基本的な価値観の一つを構成するものであり、これを改正することは現行憲法の構造を大きく損なう。 96条に規定する改正手続要件を改正した上で、さらに憲法改正をすることは、ともすれば、より容易に憲法を全部改正できるようにすることにつながる。改正で制定行為を乗り越えることには限界があり、 96条を改正した上での憲法改正はこれに含まれる。

辻 惠君(民主)

  • 3つの整理が必要である。 1つは憲法審査会の役割である。現行憲法をめぐる社会状況がどうなっているかをいろいろな側面から取り上げて議論することである。
  • 憲法は国の基本法であるということを忘れてはいけない。憲法は国の基本法であり、国民主権主義を前提に議論するべきで、あれこれ条項をいじくるような議論が出てきていることは遺憾である。
  • 3つ目は法と社会の関係の問題である。一般法と憲法は違うものであり、政権交代したから憲法が変わるというのは違うと考える。また、社会に即応して法が制定されるべきで、上部構造である法を変えて社会を変えていくというのでは発想が逆である。

中谷 元君(自民)

  • 現行憲法について国民は議論を求めていない、あるいは議論の必要もないという意見も出ているが、国民の意見が賛成でも反対でも、それらの意見を国会で述べることは当然であり、現行憲法の議論にタブーがあってはならない。憲法はどうあるべきか、賛成・反対両方の見地で議論を深め、その結果どうしようということが出てくる。
  • 65年間国の基本法が改正されていないという事実は、現実と条文の乖離、時代の要請についての不都合の放置があったと思う。我が党で議論した結果、案をまとめることができたので意見として述べたところである。
  • これからもできるだけオープンに、タブーなく憲法について議論していくべきである。

照屋 寛徳君(社民)

  • 憲法は紛れもなく最高法規であり、そのもとに憲法法体系がある。今日憲法審査会において憲法の各条章ごとの議論が始まったが、社民党は、明文改憲の必要性は毛頭ないと考える。
  • 憲法審査会唯一の社民党、しかも沖縄選出議員として申し上げるが、沖縄県民は、かつて沖縄戦で悲惨な目に遭い、その後は米国の軍事支配を経験した。それは、日本国憲法が全く適用されない、基本的人権も政治的自由・権利もない状況であった。
  • 去る 5月15日、沖縄復帰 40周年を迎えた。 1972年 5月 15日に沖縄が日本に復帰してからも、沖縄県民は、憲法が適用されることになったとはいえ、憲法の理念・精神は全く届かない、反憲法的な状態に今なお苦しんでいる。憲法審査会で各条文ごとの議論をするのは良いが、それは決して、改憲を前提にすべきではない。なぜ大日本帝国憲法から現行の平和憲法に変わったのか、現行憲法の平和理念を、やはり現実に照らして真摯に見つめるのが国会議員の責務ではないかと思う。